真・東方夜伽話

メビウスキス ~ふたりの境界~

2019/11/14 22:23:28
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メビウスキス ~ふたりの境界~

文文文士

秘封倶楽部の創設に至る物語。そこには、哀しい、哀しい、そして優しい恋がありました。この世界は、秘密は、ふたりにとって優しく、残酷なものだったのです。

 はじめに

 雨が、やみませんね。
 文文文士でございます。
 拙著小説【メビウスキス】を手に取っていただいたこと、画面の境界の向こう側より感謝します。
 本作品をお楽しみいただくために、いくつか留意していただきたい点があり、このようにここへ現れました。どうぞ、お付き合いください。
 まず、秘封倶楽部は解釈と考察の余地が多分に残された作品だと思っております。本作品は筆者のニワカな知識と思索が次元の彼方へぶっ飛んだ勢いで書き上げられてしまったものです。なにが起こっても思索の試作のひとつとしてご容赦願えればと思います。
 そしてもうひとつ。
 本作品には専門的な用語が登場します。作品内でも多少の解説は入れておりますが【向き付け不可能性】【メビウスの輪】について某情報サイトや然るべき専門書などであらかじめ知識を補完しておいていただくと、ある程度スムーズに読み進められるかと思います。

 わたくしからは以上でございます。
 夜に目を開き、ともに、語らいを。





◆◆◆





 星空を見上げて、あなたは言った。
「二時三十分、ジャスト!」
あなたの瞳は星色の瞳。あるいは機械仕掛けよりも正確な星時計。
 それでも、時間を守ってくれたことなんてなかった。
 あるはずのない世界を映すわたしの目を、気持ち悪いってあなたは言った。でも視えてしまうんだもの、しょうがないじゃない。
 そう、しょうがないの。
 しょうが、ないじゃないの。
 境界は何にだってあるんだもの。
 たとえば水面と月、国と国、大地と海、空と宇宙、カップとくちびる、日向と日陰、メビウスの輪が重なる一点、そして。
 あなたと、わたし。
 いいえ、広義には、境界はもっと複雑に絡み合っているわ。
 昨日のわたしと、今日のわたし。
 とっても似ているけれど、でも、同じではないのよ。
 同一では、ないのよ。
 だから時間の境界を越えてわたしがわたしに会いに来たとしても、それは不思議なことじゃないわ。現在過去未来、時間軸の法則なんてそんな世俗的で、常識的で、物質的なこと、そんなものはすでにわたしたちにとって非常識だってことは、あなたはとっくに分かっているのだろうけれど、でも、それでも怖いの。
 こんなことを伝えれば、狂ってるって言われるかしら。
 あるいはその神秘を暴こうと、あなたは躍起になるのかしら。

 境界を越える。
 ああ、あなたは赦してくれるかしら。
 蓮子、あなたの星色の瞳は、秘密を受け入れてくれるかしら。

 蓮子…。



◆◆◆



 黄色に汚れた斜陽の街。
 通い詰めた馴染みの喫茶店。
 ある種の郷愁にいぶされた店内ではそれを好む常連客たちが、ゆるいジャズに耳を揉まれながらコーヒーをやっていました。世間話に興じる主婦たちも見受けられ、ときおり旦那への愚痴を酸っぱく混ぜております。ありがちな喫茶店の光景でした。
 食器の鳴る、しずかで小気味いい音。
 水の注がれる音。
 くゆる想いと、けむり。

 窓際のテーブル。
 そこに大学生とおぼしき若い娘がふたり、向かい合って掛けておりました。互いに白いカップの中に揺れるコーヒーを少しずつ喫しながら、テーブルへ乱雑に広げられた資料について意見交換をしていたのです。
 黒一式で書き殴られたキャンパスノート。
 どこか遠い地が映し出された写真。
 情報が詰め込まれた大量のコピー用紙。
 手記。
 はために見れば彼女たちの振る舞いや行為はなんら特筆することのない、至って普通な風景の一部でありました。ただ一点、周囲の目を引き付けることがあるとすれば、それはふたりのうちの片方、紫色のシャツワンピースを着た娘の出自でありました。
 くせのある長い髪は輝くゴールド。
 紫水晶によく似た目。
 この国に古くから住む民族でないことは明らかでした。いえ、そればかりか彼女はこの国でなくとも、どこか現実離れした雰囲気をまとっていたのです。
 対するのは妙に煌めく目をした栗毛の娘。
 彼女は活き活きと、まるでこれのために生きているといっても過言ではないほどの上機嫌ぶりで、相方に自分の気づきと好奇を話していたのです。
「これが、モーバリー・ジュールダン事件の大まかな概要よ」
とりあえずは区切りの良いところまで話し終えて、彼女は一度カップを傾けました。
「メリー、どう思う?」
メリー。そう呼ばれた異国の娘は口を尖らせました。
「何百年前の話を持ち出して来るのよ。真偽も定かじゃないでしょうに。
 それにこれは俗に言うタイムスリップの類でしょ?
 本当にあった話だとしても、別次元でも別世界でもなく、ただの過去じゃない」
ぴしゃりと言い捨てて、さらにもう一言、メリーは強い口調で言いました。
「それに蓮子、これは霊媒師やエクソシストが担当の案件だと思うけど?
 わたしたちが暴こうとしている秘密とは、なんら関係がないわ」
完全に否定しきって、彼女はカップに手を伸ばします。
 相方のつれない返事と態度を受けても、しかし蓮子は目の煌めきを失いません。
 だいたいこうです。
 突拍子もなく、蓮子が怪しげな話や資料を持ってきてはメリーに一刀両断されるというのが恒例となっていました。とは言っても、もちろんその中にはアタリが含まれていることもあって、この世に隠された秘密を暴く不良オカルトサークル、秘封倶楽部のふたりは、その目的を果たして奇怪な事件に巻き込まれたり、ここではないどこか別の世界を垣間見たりと、ある一定の成果をあげてきてはいたのです。
 蓮子は折れず、さらにメリーの方へ身体を乗り出しました。
「タイムスリップ、そうよ、それ、きっとそこに【境界】が―――」
「ちょっと…!」
言葉を遮って、メリーが口を挟みました。
 その不快を押し出した表情に、一瞬だけ淋しさのような、または哀しみに類似した色が浮き上がったのは、蓮子の気のせいだったのでしょうか。
 たしかめようにも、もうその色はありません。
 あったのかすら分かりませんが。
「蓮子、パーソナルエリアって知ってる?」
唐突な質問に蓮子は意表を突かれました。
 メリーの意図するところは察しがついていますが、初めてのことだったのです。
 ましてや、倶楽部の活動に根幹から関わっている【境界】についての話をしているときに話題が変わるなどと、ありえないと言えるほどでありました。
 いぶかしみながらも、蓮子はとりあえず相方の問いに答えることにしました。
「知ってるよ、あれもある種の【境界】よね」
メリーが小さく息を吐きます。
「そう、知ってるなら良かった、説明の手間が省けるわ」
蓮子はなんとなく気勢を削がれましたが、どうにも先ほどメリーの顔に浮かんだように思える色のことが気になって、よくよく相方の表情を見つめたままです。
 当然、その姿勢も。
「長ったらしい講釈は、大学の講義室だけで十分だからね」
おどけた口調で蓮子は答えます。
「それで、そのパーソナルエリアがどうかしたの?」
するとメリーは呆れたように目を細めて、また小さく息を吐きました。
「そこは説明しなくちゃならないのね……設問の解答としては0点だわ」
蓮子はすとんとイスに着席しました。
 どこか、変でした。両者、互いに機嫌を損ねたわけではありませんが、そこからはなんとも口が利けずに押し黙ったままです。
 ジャズが沈黙を埋めてくれていなければ、とてももたなかったでしょう。
 蓮子はどうにもメリーの様子が気になるのでした。
 勢いに任せてテーブルに広げた資料をゆっくりと片付けながら、チラチラと相方の表情を注視しています。メリーは冴えない表情を浮かべたまま、白いカップの中に揺れるコーヒーに視線を落としていました。
 ただでさえ精巧な人形にも似た彼女が、本当にそうなってしまったかのようでした。
 ここさいきん、蓮子の胸には微かな不安がありました。それは興奮と羨望、そして希望の中に生まれたしこりです。気のせい、思い過ごし、そういった言葉で不安感を納得させられる程度のものでした。
 しかし。
 大きな異変はまず、小さな違和感から始まるものです。

 秘封倶楽部として活動し、さまざまな怪異に遭遇するたびに、メリーの【境界】が視える不思議な目は、まるで徐々に開眼されていくようにその力を増していました。
 そんなメリーが忌避するような何かが視えたのでは。
 そんなメリーはどこか人としての【境界】を越えてしまったのでは。
 蓮子にはメリーの冴えない表情と、いつもとは全く違うつれなさの理由がどうにも分かりかねました。気を揉むのには十分でしょう。
「ねぇ、メリー」
気にもかけていない風を装って、いつもの自分の口調で蓮子は呼びました。
 メリーが顔を上げます。
「今日さ、うちに泊まりに来ない?」
「……そうする」
しばしの沈黙の後、メリーは細い声でそう返事をしました。
 蓮子は様子のおかしい相方に、事の追及をしませんでした。
 これ以上のことはここで話すべきではないと判断したのです。メリーにどのような事情があるにしろ、どのような思惑があるにしろ、これが蓮子にできる精いっぱいでした。
 ただ、暗い夜に、独りきりにしないように。
 どうにも二人の間に流れる空気は淀んでしまっておりました。何か言葉を吐き出そうとしますが、蓮子は気の利いたセリフを思い浮かべることができないまま資料を仕舞い終えてしまいました。残された逃げ道と言えば、冷めたコーヒーが残るカップだけです。
 メリーも、薄くルージュを引いたくちびるをつぐんだまま。

 刹那。

 あの日の情景が古めかしいフィルムの色合いで、蓮子の視界をおおいました。
 初めてふたりが出逢った日、ふたりでこの世の秘密を暴こうと誓った日。それはいやにぬくもりを持っていて、幾度も繰り返してきたような気もして。
 いまのように物憂げな表情で、メリーはこちらを向いていました。
 しかし、過去のはずなのに幾分か大人びているように思われます。
 メリーと目が合った瞬間、お互い前世で交わした約束に従うかのように、なぜか不思議と惹かれ合ったのです。
 ふたりが望む夢、幻想、秘密。
 ふたりの目。
 いつかの、古い記憶。

 その色褪せたヴィジョンはすぐにかき消えました。
「蓮子…?」
呼ぶ、やわらかな声。
 蓮子は我に返りました。
 なにやら、ひどく長いあいだ意識を飛ばしていたような気分です。
 視界が現実のものに戻ると、そこには心配そうな顔をした相方の姿が鮮明に映し出されております。蓮子は苦笑しながらカップを持ち上げました。
「ごめんごめん、ぼぅっとしてた」
ぐいっとコーヒーを飲み干して、蓮子はいつもの軽快な笑みを浮かべます。
 同じようにメリーもコーヒーをこれで最後にして。
「それなら別にいいんだけど…」
「うん、なんともない。もう行こっか」
メリーがひとつ頷くのを合図にして、ふたりは席を立ちました。
 会計を済ませ、外へ。
 夕刻の風は、どこかまだ夏の匂いを残しております。
 街並みの中に真っ赤な光を燃え上がらせて、洛陽はしずかにビルの谷間へ。今だけはこの血の気がない場所にも、温度が滲んでおりました。
 人の群れは一様に、帰巣するように足早に。
 ふたりも同じ姿の影法師たちに混ざって。



◆◆◆



 夜。
 それまで真実の宇宙を隠していた海の色を暗示する空の青が剥がれ落ち、今度は地上がさながら深海の暗闇に落ちていました。
 そして人は真実の夜に眠り、翌朝、夢を見たと言うのです。
 病み青ざめた月。

 あるマンションの一室。
 いつもは蓮子ひとりの空間に、今日は温度と色がもうひとつ。
 きれいな部屋です。さすがは年頃の娘といったところでしょうか、きちんと整頓されておりますし、主の趣向がうかがえる小物やデザインの家具も要所要所に置かれています。
 ふたりはベッドに並んで腰かけ、テーブルのお菓子とジュースをやりながら、他愛ないテレビ番組を眺めておりました。今も昔も、時代や人が移り変わっていこうとも、人間がやることと言えばそうそう大きくは変わらないのかもしれません。
 時計の針は、そろそろ日付の変更を告げようという頃合いでした。
 ひとしきり笑って気分も上々という中、ぽつりと蓮子がメリーに話しかけました。
「メリー、ちょっと訊いてもいい?」
明らかにメリーの表情がこわばったのは、蓮子にもよく分かりました。
 でも、だからといってメリーがそうなるわけを知らずにはいられないのです。
 彼女は蓮子にとって、それだけの存在だったのですから。
「なに?」
努めて淑やかにメリーは返事をしました。そこに一抹の不安が影を落としていたのは、言うまでもないことでしょう。
「なんか気分が沈んでるみたいだから、どうしたのかなって」
「どうもしないわ、そんな―――」
「ウソでしょ」
相手の呼吸の具合さえ分かってしまう距離にあって、隠し事はできないようです。
 メリーが細くしなやかな白い指先で紫色のシャツワンピースをきゅっと握りしめたことが、彼女の胸の痛みを象徴していたのです。
 蓮子の言葉が、真っ直ぐに突き刺さったことも。
「わたしを誰だと思ってるの、この世に隠された秘密を暴く秘封倶楽部、宇佐見蓮子よ?
 大切な相方の隠し事くらい察せるつもりよ」
うつむくメリーの顔色を覗き込むように、蓮子はやさしい声をかけました。
 しかしながら、沈黙。
 メリーはしばらくのあいだ、声を発しませんでした。

―――カチッ… カチッ…

 いまの時代には珍しい、ゼンマイバネを動力とする手巻きの機械時計。
 それの壁掛け式のものが、ゆっくりと、しかし確実に時の足音を鳴らしていました。いまはそれだけが、時間の経過を知らせてくれていたのです。
「蓮子…」
永遠とも思われた沈黙を破り、やっとメリーが返事をしました。
「ん?」
「時間は、どんな形をしてると思う……?」
奇妙な質問。蓮子は数秒、視線を宙に投げて考えたようでした。
 そののち、改まった口調で。
「人は時間を星の動きを基に、視覚的に表記して認識しているわ。
 時間を観測するには、どうしても物質の運動が不可欠になってくると思う。
 したがって、概念であるものに姿があるだなんて、非常識的に考えても非常識ね」
蓮子は自身のあごの先を指でちょいとつまみながら言いました。
 対して、その隣でメリーは虚空を見つめながら返答します。
「学術的な話じゃないの、イマジネーションの領域での考えを訊いたのよ」
「ええっと、真っ直ぐな、一本の線、かな…?」
相手の答えを受け取って、メリーはすこしだけ考えたようでした。
 そんな間がありました。
 やがてメリーは紫水晶の目を蓮子に向けて。
「蓮子もカフェで、ぼぅっとしたって言ったけど、ほんとうにそうだったの?」
「……………」
蓮子の胸で、鼓動がひとつ跳ねました。
「こたえて」
心の奥底を射抜く、うつくしく深い夜色の眼差し。
 秘密を暴く秘封倶楽部。メリーもまた、そうであったのです。
 蓮子は薄く笑んで目を閉じました。
 隠せるはずもありません。
「メリーと、初めて出逢った日を思い出したのよ」
「思い出した?」
メリーは口調を強めます。
「それは頭に浮かんだの? それとも、視覚的に視えたの?」
またしても不可思議な質問でした。
 しかし、蓮子はそうとは思いませんでした。
 そればかりか、薄ら寒いものさえ覚えたのです。
 あのとき、たしかに蓮子は、生身の目で視ているような感覚を味わっていたのです。現実に存在していないものが視える、その程度の非常識にはメリーの特異な目を通じて慣れきってはいましたが、しかしそんな目を持たないはずの自分が体験したのかもしれないということ、また、そのことをメリーが訊いてきたこと、そして、メリーの様子がおかしいこと、すべてがまるで星辰が整いはじめているかのように感じられたのです。
 星が正しい位置に返れば、どうなるのか。
 その得体の知れない恐怖がひたと背中に張りつきました。
「感覚的には、視界全体が古い映画を観ているみたいになったわ」
なるべく自分が視た光景を齟齬がないように慎重に、蓮子はメリーに伝えました。
 するとメリーは蓮子から視線を外して、腿の上できれいにそろえていた指先を肌に食い込ませ、自身に爪を立てたのです。
「やっぱり、そうだったのね……」
消え入るような声で、メリーはつぶやきました。
 同時に、しずくがひとつ。
 なにか、得体の知れない大きな怪物が見えないところで蠢いているのを、蓮子は直感的に理解しました。そしてそれはきっと、もう避けられない事なのだと。
「メリー、話してよ」
メリーは頬を伝い落ちるしずくを拭こうともせず、きれいな声で話しはじめました。
「蓮子、わたしにはね、時間は、メビウスの輪のように見えるわ」
「メビウスの輪? それじゃあ、わたしたちは、世界は同じところをずっと
 ただ回っているだけだって言うの?」
メリーは小さく首を横に振りました。
「そんな、やさしいものじゃないわ…」
おそろしげに言って、メリーは鼻を鳴らしました。
「メビウスの輪には、向き付け不可能性という特性があるのは知ってる?」
「うん、表と裏の区別がつけられない、たとえば文字を帯に沿って移動させて
 出発点の真後ろにきたとき、天地逆になってしまうっていうアレでしょ?」
「わたしたちの存在、世界は、それとよく似ているのよ。
 まるで、それを参考に構築されたのではないかって思えるほどに……」
蓮子が頭を振りました。
「頭が混乱してきたわ…」
かまわず、メリーは続けます。
「時間の【境界】は、まさに表裏の判別が付かない、その二つの面の境なのよ」
「時間の境界?!」
思わず蓮子が大きな声をあげます。
 もはやメリーが何を言っているのか、何を言おうとしているのか、また、何を視ているのか、蓮子には分かりませんでしたが、ただその言葉だけは衝撃を与えたようです。
 ここで蓮子は合点がいきました。
 メリーが不自然に話を切ったあのとき、まさに、タイムスリップの話を、おそらくは時間の【境界】についての話をしていたのです。
 メリーは、おそれていたのです。
 視えてしまった真実が現実となって、やがては定めに向かっていくことを。
 しかしもう、蓮子にも視えてしまっていたのです。
 かすかに開いた時間の【境界】から、同じ地点の向こう側が。
「一人の人間は、一人の人間だけを生きていないわ。
 これは生まれ変わりだとか、平行世界だとか、別人格だとか、
 そういうものとは全く違う、異質なものよ。
 もうすぐ……もうすぐ……」
最後の言葉が出し切れず、メリーがぼろぼろと泣き始めてしまいました。
「もうすぐ……なんなの…?」
「蓮子とは、さよならなの…ッ!」
涙で顔をぐしゃぐしゃにしながら、メリーが叫びました。
 にわかには受け入れ難い言葉。
 否定できたのならばどれほど良かったでしょうか。
 しかしながら否定の根拠も無ければ、泣きじゃくるメリーの涙を元から止められる言葉も理論も、蓮子は持ち合わせていなかったのです。
 ただ、嗚咽に跳ねる肩を抱くことしか蓮子にはできませんでした。
「わたしには、もうよく分かんないけどさ……
 メリー、それはもう決まってしまっているの…? 避けられないの…?」
「無理よ…」
「そんな、やってみないとわからないじゃない」
「………時間の進行を止めようとするほど、無謀なことだわ…」
「例え話はもうたくさんよ!」
感情が限界に達したのか、とうとう蓮子も涙声で叫んでしまいました。
「だってそうなんだもの! 仕方がないじゃないの!
 もう……さよならなの!」
端正な顔を悲哀と怒りで歪めながら、メリーは蓮子を向きました。
 濡れた紫水晶の目は、蓮子をにらんでいました。
 と、その刹那。蓮子は大きく息を吸って。
「んぅっ?!」
乱暴に重ねられた、くちびる。
 下手くそなキス。
 けれど。
 純粋。
 蓮子は突然にメリーの口を自身のくちびるで塞いだのでした。そこには確かにあたたかな心情があったのです。
 メリーはただ、驚くばかりでした。
 初めてだったのです。
 そっとくちびるを離して、蓮子はいまにも泣き出しそうな顔でメリーを見つめると、そのままもう一度、キスをしました。硬直したメリーの肩を抱くようにして、なかば強引にベッドへと押し倒します。
「んッ……ふ……ぅ…」
メリーはようやく自分がとんでもない事をされていると自覚したのか、脚をばたつかせながら、自身におおいかぶさる蓮子の背を平手で何度も叩きました。
 でも、蓮子は貪るようにメリーのくちびるを求めて、離れようとはしません。
 そのうち、メリーの身体から力が抜けていきました。なぜか、抵抗できなくなってしまったのです。頭は混乱して、相変わらず紫水晶の目は涙に濡れていました。
 メリーがおとなしくなると、蓮子はようやく口を離しました。
「……あ…はは…」
メリーの頬に降る、あたたかな涙雨。
 蓮子は、泣いていました。
「こわかった…? わたしのこと、きらいになった…?」
さきほどのキスとは対照的な、やさしい声。
 メリーはやっとの思いで首を横に振りました。
 蓮子が、どこか苦しそうな表情をします。
 両の腕で目をおおい、メリーは嗚咽を漏らしながら泣きはじめました。
「きらいになってよ、メリー……」
蓮子は泣きじゃくるメリーの両腕を払いのけて、再びくちびるを重ねます。
 蓮の花ことばの通りに、袂を別とうと思ったのです。
 せめて、未練や執着など残させないように。
 とは言っても、メリーに対してこのような行為に及ぶというのは蓮子自身、まんざらでもないことではありましたが。
 蓮子の思惑とは裏腹に、メリーはやはり抵抗らしい抵抗をしません。そのことがまた蓮子を昂らせ、同時にどうしようもない焦燥と哀しみが胸を満たすのです。
 ならば。
 もっと、もっと、ひどいことを。
 まるで拘束するように、蓮子は両の手のひらでメリーの頬を包みました。さらに強く相手のくちびるを吸い、薄く開いた隙間から舌を滑り込ませます。
「んぅッ?! ……ふ、ァァ」
メリーの嬌声とも取れる息と共に、ふたりの唾液が舌に絡んで弄ばれる官能的な水の音が部屋に鳴りました。
 ぬるりとした舌の感触。
 蜜のような、お互いの味。
 深いキスを交わしながら、メリーの頬を包む蓮子の両手が這うようにして下へ。首筋を通り、紫色のシャツワンピースをふっくらと膨らませる二つの果実をやさしく押し上げるようにして愛撫しました。
 メリーの豊かな乳房は蓮子の手に従って、やわらかく形を変えます。
 せめてもの抵抗でしょうか、メリーの手が弱々しく蓮子の手に重ねられました。蓮子にはもう自分の感情が分かりませんでした。ただ、相反するふたつの目的は明確であって、その目的を果たすための行為がまた同じであったのです。
 メリーに嫌われてしまいたい。
 メリーに愛した証を残したい。
 その自分勝手なワガママのために、メリーを凌辱する。もう別離がすぐそこまで迫っているのなら、せめて嫌われて、ひどい女だとゴミ箱に捨ててもらうために。
 乳房を愛撫する片方の手が、メリーの首元へ伸びました。
 たどたどしく、ひとつずつ、ゆっくりとボタンを外していきます。ひとつボタンが外されるごとに、乳房に押し上げられていたシャツがひとりでにふわっと開いていきました。
 白くなめらかな肌に映える、黒の下着。
 ふたつの膨らみがその中央に蠱惑的な谷を作っております。
 蓮子は指先を下着と乳房のあいだに滑り込ませました。すぐに、硬くなった突起に指先がぶつかります。蓮子はそれを弾くようにして刺激しました。
「…ん…ふッ!」
舌を絡ませられて言葉は出ませんが、メリーは確かに反応を示しました。
 相手を悦ばせる、淫らな反応です。
 身体が刺激を受けるごとに、小さく跳ねてしまうのでした。
 やすむ余裕すら与えずに、蓮子はそうやってしばらくのあいだ、メリーの身体をいじめ抜いていました。するとそのうち、メリーに異変が起こりはじめます。蓮子に応えるように、彼女は絡む相手の舌を吸い、腰を淋しげにくねらせたのです。
 どうにも自分の思い通りにならないメリー。
 蓮子はくちびるを離しました。互いの液が透明な糸をかすかに引きます。
「なぜなの、メリー……なぜッ!」
泣き腫らした、蓮子の星の瞳。
 あたたかな雨が降ります。
 メリーは【境界】を見抜く紫水晶の目から絶え間なくぽろぽろと涙をこぼしながら、そっと蓮子のくちびるに人差し指を押し当てました。
 しずかに、もう言葉は要らない。
 そのような仕草でした。
 蓮子がそのメッセージを受け取って、またどうしようもない哀しみに耐えかね、ぎゅっと目を閉じると、メリーは両手で蓮子の頬を包みました。
 そのまま蓮子を引き寄せて、今度は自分からキスを。
 ついばむように、一度だけ。
「蓮子、もう、お互い様だからね…?」
とうとう、蓮子は観念してしまいました。
 どう頑張っても、身体に力が入らなくなってしまったのです。
 蓮子がメリーにしたようにして、メリーも蓮子のシャツを留めるボタンをひとつずつ外していきました。やわらかく、ふくらみが開きます。かわいらしいフリルがあしらわれた白い下着。煽情的な影を生む、ふっくらとした果実。
 羞恥に蓮子の頬が紅潮しました。
「きらいに……なってよ…」
「……ばか」
いささか乱暴にメリーは蓮子からシャツを剥ぎ取ると、そのまま背に手を回してフックを外してしまいました。支えを失った下着は呆気なく重力に負けて落ち、蓮子の隠されていた乳房のすべてがあらわになります。
「きれいね、蓮子…」
「メリー…」
相手の境界を取り払うように、蓮子もメリーの衣服をやさしく脱がせると、抱きかかえるような姿勢で背中に手をやって、フックを外します。
 ふたりはもう、身も心も、隠し事は無しと決めたのでした。
 もう一度。
 蓮子から、今度はやさしいキスを。
 互いの指先を絡め合って、身体を重ね合って、温度も、色も、香りも、こころでさえも欲しいままに自分の中へと受け入れ合って。
「ん…ッ!」
ふたり分の嬌声。甘い吐息。
 身体を重ねてキスをし、それから少し動いた際に、互いの乳房の色づいた場所同士がこすれ合って、よわい電流がふたりの深いところを熱くとろかしたのです。
 くせになってしまう快感。
 示し合わせたように舌を絡ませ、身をよじらせ、興奮にピンと硬く立った薄桃色のさきをまさぐるように、ふたりは乳房を押し付け合います。
 深いキスの淫猥な音。
 ふたりの荒い呼吸。
「ン……はぁ…ッ」
長い長いキスを終えて、蓮子は顔を遠ざけます。
 理性は、もうとっくに痺れてしまっておりました。
 自分の秘部がうずいて、身体の奥から情欲の炎に熱された蜜がとろっとあふれ出してしまっているのはよく分かっております。
 メリーもきっとそうなのでしょう。
 物欲しげな淋しい表情を見せ、蓮子に押さえつけられるような形で握り合った手に力を入れたり、抜いたり、小さく震わせたりしていました。
 うっすらと、ふたりのきめ細かな肌に浮いた汗。
 恍惚とした眼差し。
「欲しい……欲しいよ、蓮子…」
「あげるから……ちょうだい…」
また、ふたりはくちびるを重ねました。
 絡めた指をほどき、相手の一番熱い場所へ。
 未だ身に着けたままの下着の内側へ指を這わせれば、待ちきれずに泣き濡れていた秘部の蜜が縋りついてきます。
 お互いの、最も深い秘密の場所へ通じる境界。
 その裂け目に、二本の指を挿し入れます。
「ンンッ!」
質の違う、ぞくりとした快感が身を這い回ります。
 くちびるは、決して離さないまま。
 まるで、飢え、下品によだれを垂らした口は相手の指をなんの抵抗もなく一番奥にまで咥え込んでしまいました。その味に、さらに愛液があふれてくるのです。
 指先に当たる、相手の一番深い場所の壁。
 そこを跳ね上げるように撫で、また、上方のざらついた天井を引っ掻くように強い圧をかけながら刺激し、親指で入り口付近に丸くふくれあがった娘を転がし、ふたりは強い快感と相手の温度に身体の芯を火照らせていきました。
 やがては思考も感情も、なにも分からなくなるほどに、ぐちゃぐちゃに。
 いとしい、いとしい。
 ただ、それだけを感じて。
 こころの中で、相手の名を呼んで。
「あっ、アアアッ!」
堪えきれず、先にくちびるを離して嬌声を上げたのは蓮子でした。
 腰をガクガクと震えさせて、激しく呼吸をしています。
 しずくは頬を伝って、メリーの頬へ。
「蓮子……ッアア!」
 そんな相方の様子が、ずっと我慢してきたメリーの身体に灯った炎をつよく煽り立てたのでしょう。彼女も背を反らせ、うわずった声を上げました。
 くねる身体はなまめかしく。
 泣き濡れたふたりの花のかんばせは一種の幸福を滲ませています。
「蓮子…ッ! わたし…もうッ!」
「…クゥッ……め、メリー、待って、一緒に…ッ!」
「……ぅッ…はやく、はやくキテ…ッ!」
「ア…も、もうすぐ、そっちにイクから…メリー……メリーッ!」
「あああああッ!」
ひときわ甘く、甲高い悲鳴にも似た嬌声。
 最期の、白鳥の歌。
 稲妻に討たれたかのような激しい痙攣を最後にして、ふたりは微動だにしなくなりました。ただ、互いの陰部に挿し入れた指を抜き、大きく呼吸をするのみです。
 たっぷりと相手の蜜が絡む指先。
 蓮子の身体がメリーの身体へ倒れ込み、おおいかぶさりました。
 改めて感じる、火照った相手の温度。
 あたたかでした。
「蓮子…」
耳元で名を呼び、メリーは蓮子をやさしく抱きしめます。
 ひとすじの、なみだ。
 このまま時間が、止まってしまえばいいのに。
 その思いは、ふたり、同じでしょう。

しばらくの後、メリーが切り出しました。
「あたたかいけれど、すこし寒いわ…」
「ん…ごめん」
蓮子は惜しみながらも身体をどけました。
 乱れた呼吸を落ち着かせながら、ふたりは脱ぎ捨てた衣服を再び身にまといます。
 そうして元の通りに、ふたり並んでベッドに腰かけました。
「メリー……わたしにはよく分からないけど、お別れなんだよね…?」
「……うん、もうすぐ、わたしの時間の境界が重なるわ…」
胸を短剣で抉られたかのような、激しい痛み。
「ねぇ、メリー、わたしたち、またいつか、逢えるのかな…」
メリーは少しだけ沈黙を作りました。
 そして、蓮子へ向いて。
「逢えるわよ、だって、わたしたちの時間のメビウスはチェーンみたいに、
 お互いに絡み合っているんですもの」
また、ぽろりと涙がひとつ。
 蓮子もこぼしながら、でも、笑顔で。
「そっか…! ふふ、どこにいたって、必ず居場所を暴いて探し出してやるわ
 だって、わたしは、わたしたちは―――」
「この世の秘密を暴く、秘封倶楽部なんだもの、ね」
メリーが蓮子に応えました。

―――カチッ… カチッ…

 しずかな、時の足音。
 メリーはおもむろに立ち上がり、ベランダへ続く大きな引き戸へ歩きました。夜の景色を遮断する厚手のカーテンをゆっくりと開いて、そのまま月を眺め。
「雨が、やまなければいいのに……もうあがるわ…」
そう、不思議な言葉をこぼしました。
 いまは雨など降っていないのです。
 時計の針は、間もなく二時を回ろうかという頃合いでした。
 その一点が訪れようとしていたことは、蓮子にもなんとなく察しがつきました。もっとも、それを受け入れられるかどうかというのは、別のお話しでありましたが。
「もう、行かなきゃ…」
残酷な宣告。
 蓮子は勢いよく立ち上がりました。
 いつものように、彼女は相方の手を引くようにして。
「やっぱりいや! 行かないで、行かないでよ、メリー!
 わたしたち、ふたりで秘封倶楽部でしょ?!」
蓮子の星の目。
 流れ星にも似て、その光を放つしずくは次々と流れていきます。
 振り向くメリー。
 その頬にも、涙。
「まるで、星降りの夜ね、そんなに泣かれちゃたまらないわ…」
メリーはやさしい微笑みを見せて、蓮子の涙を拭いました。
 そのまま、手で蓮子の目を塞いで、最後にもう一度だけキスを。
 くしゃっと、メリーは顔を悲哀で歪ませました。
「またね……蓮子…」
そう一言残して、メリーは自分の背後に突如として現れた空間の裂け目に滑り込むと、蓮子の部屋から忽然と姿を消したのでした。







「メリー……? メリー?!」







 返事は、ありませんでした。

















「メリィィィィィィィィィィィィッ!」







◆◆◆



「蓮子、ありがとう…。
 最後にあなたがわたしの境界を越えてきてくれて、うれしかったよ…。
 人は一度きりの、自分という一人の人間の一生を生きていると思っているけれど、
 すくなくとも、わたしたちは違うわ。
 蓮子、あなたはいずれわたしを探して、メビウスの輪の反対側で、
 わたしたちが暴いてきた秘密に隠された、本当の秘密を暴くの。
 そのためにあなたは、再び、秘封倶楽部の初代会長になるのよ……。
 だからあなたのために、ひとつ、秘密を置いていくわ。
 ああ、赦してちょうだいね、蓮子。これは、私のワガママ。
 妖怪と人では、あまりにも寿命が違いすぎるから、きっと私は
 ずっとこうしてきたのね。だっていまの私も、そうしたいと思っているんだもの。
 だからせめて、私は、あなたの望む秘密を集めて、世界を隠すわ。
 またいつか、ふたりで一緒に秘密を暴くために…。
 蓮子、赦してちょうだいね…」



◆◆◆



 まことは水底へ 黒い夜に目を開いて
 水面に消えゆく泡へ 声を託す
 うっすら朱を引いたくちびる
 いずれ かつて灯した明かりが よみがえる日まで
 いつか 星が戻るまで この胸で 眠り続けて




                                  幕


             令和元年 十一月 十二日 文文文士





◆◆◆
最後で読んでいただき感謝の極みです。
Twitter pixivでも同じ名前で活動しております。コメントやフォローなどいただけると泣いて喜んでベッドの上で跳ねまわり、枕にヘドバンします。
これからも、どうぞよろしくお願い致します。
夜がふけるまで、言葉の限りを、思索の限りを!
文文文士
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