真・東方夜伽話

紅魔館の赤コイン

2019/05/10 17:55:05
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紅魔館の赤コイン

あか

--前書き--
気持ち届けば、またその続編であるMy dear sister,の続きです。ご了承ください。
--以上前書き--

 この館には、秘密結社がある。それは私が前から存在していた。しかも数は一つではなく、私が働き始めてから生まれた組織もある。……秘密結社。この呼び方はとても仰々しい。けれど、その実態は名前にそぐわず、もっと可愛らしいものである。最近の状況を鑑みて、もしも新しく名称をつけ直すとするならば。一番近しいものは……きっと、同好会になるのだろう。事実、それらの秘密結社のうちの一つには、同好会の名称がついていたりする位だ。それは一番最近できたものでもあり、名称は催眠術同好会である。名前からしてとても怪しげな組織ではあるのだけれど、倫理的に問題を起こしていなければ何でもありなのがこの館における秘密結社のお約束なのである。
 秘密結社。妖精の子達はそう呼んでいるし、お嬢様だってそう呼んでいる。一体なぜそう呼ぶのか。それはずっと昔、働き始めて少しした頃にお嬢様に尋ねたことがあった。

『この館で一番最初にできた秘密の特務組織の名称から来てるのさ』

と。お嬢様はそう仰っていた。その言葉を聞いた時はとても緊張していたものだ。何しろ、特務組織なんて言葉を初めて聞くことになったのだから。ごくりと生唾を飲んだ覚えすらある。

『それは一体、何なのでしょうか』
『正式名称はね、秘密結社マザーズ。……任務は、まぁ。その……なんだ』

誰に尋ねられても、基本的にはスパッと物を言ってしまうことが多いお嬢様が言葉を濁す。手に握っていたティーポットにはじわりと汗の感触が走って、握りなおしながら言葉の続きを待った。あまり言いたくはなさそうな雰囲気ではあったのだけれど、私の日ごろの頑張りが称えられたのか、お嬢様は教えてくれた。

『私のことを間違ってお母さんって呼んじゃった子をリストに纏めてる』

そう。あの日のことは、よく覚えている。初めてティーポットを落として割った日なのだから。
 元々は、お嬢様が暇つぶしに付けていた記録が始まりだったらしい。偶にあったのだそうだ。私にだって時々ある。お母さんもあれば、お姉さんやお姉ちゃんというのも極々稀にある。最初の一人目の時は、ああ、こういうこともあるんだなぁと微笑ましいものだった。けれど、それが二人目、そして三人目となってくると、微笑ましいものと言うよりは愉快なものになってしまって。 何となく記録をつけてみたいというその気持ちは私にも分かってしまった。
 秘密結社マザーズという名称は、元々はドーターズという名称で、リストにお遊びで付けていた名前だったらしい。その名称のもとに、構成員と称して妖精の子の名前や、あるいは特徴が並んでいくという、そういうリストだったのだそうだ。けれど、それが大掃除の日、たまたま部屋に掃除に来ていた子に見つかってしまう。しかも、名前を連ねていた子に。お嬢様は仕方なくその子に秘密を打ち明け、そしてその子をリストを一緒に作る側に回らせたのだ。元々はみんな悪戯が好きな子達だから、お嬢様にとっては咄嗟に出した苦肉の策だったのだけれど、秘密の任務としてとても喜ばれたのだそうだ。名称を変えたのは、その時のその子の提案だったのだそう。秘密は頑張っても、いつかは漏れてしまう。だから、たとえ漏れてもすぐには全体像がばれない様に、そう変えたのだそうだ。
 その役目は代々、お嬢様のお世話係の子が引継ぎ……いや。正しくない。お嬢様をお母さんと呼んでしまい、リストに名前を追加されてしまった子がお嬢様のお世話係へと引きずり込まれた経緯等もあって、随分と経ってしまった今でも、その秘密はある程度の範囲で守られている。お遊びで付けていた構成員リストが本当に構成員化することになってしまった訳であるけれど、任された子も、そして任を解かれた子も。自分の名前が連なるそのリストの秘密は頑なに守っているようだ。ただ、年月が経った今、その名称や存在、謎のリストがあるということはさすがに他の子にも知られてしまっているのであるが。
 そんな、色んな経緯で生まれた秘密結社が存在するこの館で。もう雪も降らなくなって久しくなったある日、お嬢様がそれらを支援したいと持ち掛けてきた。

「少しはあの子達の気晴らしに貢献できようかと思うんだがね」
「それはそうだと思うのですが、できる限り小さな支援の範囲に留めるべきかと」

働き始めていた当時と違い、今はある程度館の中の事を知っている私にとって、お嬢様のその思い付きはなかなか難しい相談だった。秘密は秘密であるが故に楽しいのである。もっとも、この館の中において開示的でない秘密結社はマザーズくらいなもので、それ以外の組織は大々的な募集こそしていないものの、来る者に関しては拒まないという姿勢である。そもそも活動の方向性も様々だ。黙々と物を作り続けるところもあれば、啓蒙活動をして回っているもの、他の誰かへの安らぎを提供するものもある。あまり詳しくは聞けていないけれど、やってみたい、経験してみたいという気持ちがそれらの活動の原動力になっているのは確かだった。だから、大々的に支援するというのは、場合によっては彼女たちのやる気に悪影響を出す可能性があるということでもあって……。

「そうだね。言いたいことは分かるよ。私も活動内容に介入する気なんて全くないんだ。彼女たちにとっての面白みや楽しみが壊れてしまっては意味が無いからね。現状は確か、活動に必要な備品のみを提供しているんだろう。その辺りで何か新しい要素を追加できたらなぁと思ってるのさ」
「何か案があるのですか?」
「ある。あるんだが、まだ練り切れてない。予算や貴女の負担のこともあるし、もう少し固まってからそれは話すよ」

ちなみに。今日のおやつは、ミルク味のキャラメルだった。キャラメルは良い。物が整うまで少し時間がかかるけれど、固めた後に切り分けるのはとても楽なのだ。飴玉と違って丸く成型しなくても口の中を傷つけることがない。今日のおやつの要望はお洗濯係の子から出たものであったが、ここに来る前に届けに行った時には、その子を含め皆喜んでくれた。ただ、その子達も、そしてお嬢様も。思い切り噛みしめたのか、がっちりと歯にくっついてしまったようで。お嬢様に至っては、尖った歯のすぐ脇に僅かに覗いているのが喋った時にちらりと見えていた。

「承知しました。……爪楊枝、お持ちしましょうか?」
「うーん。いや、不要だ。どうせ時間が経てば溶けるだろう。ああ、その代わりと言っては何だが。水差しの中身だけは補充しておいてくれ」
「はい。しておきます。ところで……それは?」

それ、というのは、テーブルの片隅に積まれていた三枚のコイン。どうやら銅からできている物のようで、遠目には少し赤味がある。私が部屋に来た時から既に置いてあって、紅茶やお菓子を楽しむ間、お嬢様はそれを指で転がしたりして遊んでいた。

「これか。パチェに作って貰ったものさ。魔力を込めたコインだよ」
「銅貨の様に見えるのですが」
「合ってるよ。銅貨さ。偽造防止に魔法を使っててね。手に持ってごらん」

お嬢様から渡されたコインは、親指の爪より少し大きい位のとても小さなコインだった。表面にはアルファベットのエスの模様が刻まれている。ひっくり返してみれば、こちらには二つの蝙蝠の羽の模様。きっと、お嬢様がデザインしたのだろう。片方にはお嬢様の羽に、もう片方は妹様の羽に形が良く似ていた。

「服で羽の模様を少し擦ってごらん」

かけられた言葉に従って、エプロンの綺麗なところでコインを拭う。すると、妹様の羽模様の一つがちらりと紫色に光って……見ている内にふっと消えた。

「それなら偽造されないだろうと思ってね」

表の方も何かあるのだろうかと改めて拭ってみたけれど、

「ああ、残念だけどそっちには何もないんだ。光るのは羽の所だけ」

幾ら拭ってみても、私の指紋の跡が消えただけだった。

「そうそう。支援の案というのはまだ練り切れていないんだがね、咲夜には先立ってお願いがあるんだよ。実態を知っておきたいんだ。秘密結社のね。今どれだけの組織があるのか、所属している子達はどれだけ居るのか。後はまあ、貴女の目から見て不味い活動をしていないかどうか、とか。調べ方は貴女に一任する」
「組織の数は現在で十個です。所属の人数までは把握できておりませんので、それは改めて調査します」

お嬢様の言葉に分かっている範囲で答えると、お嬢様は目を丸くして。ホッとした様に息を吐き、それから嬉しそうに微笑むと、背もたれにしっかりと体を預けて続けた。

「そうだったか。何か届けでも出させているのかい?」
「はい。備品の提供にあたって、申請書を出させているので」
「なるほどね。まあゆっくりで良いから、よろしく頼むよ」
「畏まりました。……それでは、これで失礼いたします」



~~



「十個もあったんだ」

咲夜が居なくなってしまって静かになった部屋の中。積みなおしたコインを眺め、呟いた。もう随分と長く暮らしてきたが、自分の館なのに知らないことというのは意外に多い。それだけ皆が優秀だ、ということでもある。
 十個、か。私は三つしか知らなかった。その内の一つは私が作ったものだ。秘密結社マザーズ。あのリストも私が関わっていた頃に比べると随分と様変わりしたのだと聞く。昔はそもそも、妖精の子達の数が少なかったから。だから管理が楽だったのだけれど、今はそうもいかない。妖精の子達の数だけで言えば私が混乱してしまう位には居るのだ。幸い、この館のメイドか、外の子なのか、という位は私の記憶力の範疇でぎりぎり判別できるのだが。……ともかく。働く子達の数が増えるにつれて従来の方法では不便になって、色々と改良を加えたらしい。私が作った時は名前や特徴が並ぶ一枚の紙だったのだが、今は複数枚の紙に分けていて、たとえ一枚分の情報が外に漏れ出したとしても他の子達には分からない様にしているのだそうだ。
 マザーズ以外で知っているのは、後はもう二つだけ。その内の片方は、私にたまにプレゼントをくれることがあるのだ。もう片方は館の中を散歩したりして、ふっと倉庫とかを覗いたりしたとき、彼女達の作った小さなポスターが壁に貼ってあったりする。
 前者は毛玉クラブというらしい。毛玉クラブという名前なのに、毛玉に直接関係しないものまで作ってしまう子達だ。貰う機会は過去に何度かあったのだが、今でも頻繁に使うのは……ペーパーナイフだろうか。これはもはや毛どころか布製品ですらない。あとは封蝋用のスタンプも彼女達に貰った物だ。……そもそも。貰った物の中に毛玉的なものを見た記憶が一切無い。
 もう一つ、後者の組織の名前は一撃友の会だ。俗称を更に略しているお陰でまるで狩猟にでも出るのかという名前だが、中身はぎっくり腰の予防や万が一なってしまった場合の対処方法をレクチャーする啓蒙組織というところだ。一撃とは魔女の一撃を指すらしい。簡単な予防法をイラストにしていて、文字が読めない子のために文章と言う文章を極力排除したポスターを作っている。このポスターのお陰なのか、実際にぎっくり腰になる子の数というのは減ったのだそうだ。湿布薬や鎮痛剤の常備数を減らすことができて、その点に関しては大いに褒めたい所である。
 咲夜に補充して貰ったばかりの水差しの水は胃が驚きそうな程冷たくて、それをゆっくりと飲んで喉を潤しながらテーブルの上のコインを手に取った。小さなコイン。指で転がし、その感触を確かめながら……考える。具体的な案はまだ練り切れていなかったが、守りたいことは三つあった。
 一つは、咲夜の負担になりすぎないこと。私の思い付きというのはほぼすべての場合に咲夜に負担をかけてしまう。咲夜は笑顔で構わないと言ってはくれるが、既に普段の仕事からして常人の域というものを超えてしまっているのだ。最近は館内の雰囲気が随分と穏やかになったお陰か、余計に仕事に熱が入っている様にも見える位で。幾ら精神的に楽になったとしても、体力は使った分だけ必ず消費されていくから、負担を増やさずに済むのならそれに越したことは無い。
 二つ目は、支援の幅を実施する側でコントロールできるようにすることだ。導入当初だけしか稼働しないのでは意味が無い。持続的に支援でき、かつ経済的な負担が許容を超えないようにする。これは新しい制度を作る時の鉄則の様なものだ。支援の幅は制限されてしまうかもしれないが、そこは導入後の調子を見てまた考えれば良いだけの話である。
 最後は、平等と不平等のコントロールだ。館の子達全員が何かの秘密結社に所属しているという訳じゃない。属している子に限らず、属していない子にもそれなりの恩恵が出るようにしなければならない。しかし、属する、つまり付き合える仲間が増えるというのはとても大切なことだから……そこは、複数人で利用した方がお得になる様に優劣をつける。これであの子達が新しい何かを掴むための一つの切欠になってくれたら嬉しいのだが。
 三つの内、特に最初の二つは問題だ。即ち、咲夜の負担をいかに減らすか。経済的に安定した施策とするか。前者についてはパチェと相談中だ。正直なところを言えば、咲夜の健康は大前提である。これが守られない限り最初から破綻しているとすら言える。色々と手段を考えて貰っているが、まだ解決の糸口は見えていない様だ。全く無い訳でもないと言われたが、パチェも珍しく言葉を濁す位で……パチェ達にもあまり無理はさせたくない。
 後者は最近になってやっと手段が固まった。だからこそ今日咲夜に調査を依頼したのだ。この件に関してもパチェと相談し、色々と練ったのだ。私が相談したのは、いかに通貨をコントロールするか。もっと言えば、通貨をいかに溜め込まれないようにするか、だ。超短期間に大量の要請が来る事態は避けなければならない。それは確実にお財布事情と咲夜の健康に影響が出てしまうからだ。最終的な決定として選ばれたのが、通貨に有効期限を設けてしまうこと。これならば総量を常にコントロールすることができる。そして有効期間をバラバラにして配布してしまえば、要請の時期的な集中もある程度緩和される。
 期限は妖精の子達にも分かりやすくするため、虹の色をもとに通貨に表示させるようにした。咲夜には偽造防止と説明した羽の色がそうだ。コインが発する光は紫から段々と移り変わり、最終的には赤色に、そして有効期限が切れ……つまり魔力が切れた時には光が消える。期限切れのコインは回収して再利用ができるから、一石三鳥の方法である。
 ……ぐるぐると頭の中で考えていたら、いつの間にか控えめなノックの音が部屋に響いていて。コインを置いて慌てて返事をすると、ゆっくりとドアが開いた。

「お忙しかったでしょうか」
「大丈夫。すまないね。考え事をしていたんだ。どうかしたかい?」

そこには、私の世話をしてくれる子の一人が立っていた。ノックの返事が遅れていたせいなのだろうが、そろりそろりとその子が部屋に入り、ごそごそとエプロンのポケットを漁って。ずいと差し出されたのは、手のひらくらいの小さな箱。簡素な白い紙製で、赤色のリボンで飾っていた。そして仄かに漂う……

「受け取って頂けませんか。お世話係の皆からです」
「ああ、ありがとう」

チョコの香り。本日は晴天、風無し、そして。バレンタインデーである。

「毎年ありがとうね」
「いえ」

毎年くれるこの子達のチョコは、いつも特徴的。必ず一口サイズだ。勿論それは、咲夜の一口ではなく、私、そして彼女達の一口だ。そして渡される箱には、いつも二つのチョコが入っていた。

「今年は貴女が勝ったの?」
「はい。今年は重量挙げで決めたので」

一つは、私へのチョコ。でももう一つは、『私にも下さい』というチョコである。昔二つのチョコの理由を尋ねたが、ホワイトデーの日に手を煩わせたくないということらしい。たぶんそのせいなのだが、毎年何かしらの勝負をして、このチョコを食べる役回りを決めているのだそう。

「早速頂くとするかね」
「是非とも」
「……はい」

お世話係の子達の、そういう思惑が巡りに巡って、この日の奇妙な風習が出来上がっている。勿論これはこの子達だけのことだ。他の子達は他の子達で、普通にこの日を楽しんでいる。
 二人だけの静かなおやつの時間が終わり、届けてくれた子が帰ってしまった後で。

「ホワイトデーまでには間に合わせないと、ね」

改めてそう思ったのだった。



~~



「難題ね」

本を読みながらパチュリー様が呟き、その横で私は紅茶をカップへ注ぐ。ここ最近のパチュリー様は、お嬢様からの依頼についてずっと模索していた。内容は、咲夜さんの負担軽減のためにできること。けれど、これがあまり進展していない。
 直接的な解決方法としては、そもそもの普段の仕事量を減らすことができれば良いのだけれど、そもそもの咲夜さんの仕事というのは、その多くが咲夜さんにしかできないことばかりなのだ。勿論、咲夜さんの仕事の中には指示によって完全に他人に任せてしまえるものも存在する。例えばそれは料理であったり、掃除であったり。他にも沢山ある。けれど、それを咲夜さんが未だにしているのは、咲夜さん自身が感覚を鈍らせたくないがためであったり、またそういう時間を咲夜さん自身がとても楽しんでいるからだ。肉体的な負荷を軽減してたら安らぎの場まで奪ってしまった……なんてことは、避けなくちゃいけなかった。
 だから次に考えたのは、いかに質の良い休息を取って貰うか、ということだった。これはパチュリー様の例があるから、まだ考え易かった。実績も……初めの頃は失敗してしまったこともあるけれど、今では失敗することなくできている。ただ、その方法は……咲夜さんにとって、心の準備が要るもの。私と咲夜さんの関係からすると邪道の様な方法でもあって。これは近い内に咲夜さんに話すつもりだけれど、お嬢様にはまだ報告できそうになかった。

「この前お伝えした方法のことなんですけど」
「ええ。分かってる。咲夜に確認と許可を取った上でなら試して良いから」

その方法とは、魔力的な体力の譲渡。私とパチュリー様にとっては魔力の譲渡手段の一つでもある。本当の一番最初はもっともっと違う目的だったんだけれど、私が大変な失敗をしてしまって。皆に謝らなくてはいけない事態になってしまった。勿論もう二度とあんな事態を起こさないつもりだけれど、相手が変わると事情や必要な力も変わってくるから。……本当は、少し不安で。けれど、もし叶うことなら。少しでも、咲夜さんの負担を減らす手助けができるのなら。日頃からの感謝としても、頑張って成功させたいと思う。

「私ももう少し、色んな方法を考えてみます」
「うん。効率が落ちるとしても、代替策を見つけておくのは大切なことだから。ごめんなさいね、あまりその分野では力になれなくて」
「あ、あの。その件でパチュリー様にも力を借りたい所があるんですけど」
「私に譲渡できる程の体力はないわよ?」

私がパチュリー様に切り出すと、本から視線をあげたパチュリー様は細めた目で私を見つめた。

「いえ。咲夜さんへの相談についてなんですけど、事前に内容を知らせてしまうことで、効果の検証に影響が出ないか気になってるんです」
「そうね。大量に譲渡できたら認知の多少の偏向に関係なく評価できるだろうけど、そのレベルのものは咲夜も気が引けて試せないだろうし。……分かった。そこは私も手段を考えておくわ。貴女は譲渡手段の幅を広げることに集中して頂戴」
「お願いします。私も、力になりたいので」
「私だってそう。……そろそろ、お菓子が欲しいわ」

そろそろも何も、少し前に咲夜さんが大きなキャラメルを配ったばかりなんですけど……勿論、その言葉が何を意味するかは分かってて。

「チョコ、用意してますよ」

そう言ってポケットから箱を取り出せば、にっと口の端が持ち上がった。

「そういえば、あの給仕の子からは貰ったの?」
「まだですけど、たぶん貰えそうです。昨夜のあの子から、チョコの匂いがしましたので」

差し出した箱を受け取ると、早速とばかりにパチュリー様は箱を開け、口の中へとチョコを放り込んで。満足そうなパチュリー様を見て、私も隣の椅子に腰を下ろしたのだった。



~~



 お嬢様のお茶の時間のお世話が終わった後、私は自分の部屋に戻って過去の届け出を読み返していた。調査となると重要になるのは訪れる順番だ。彼女たちの活動の時間は、仕事終わりの夜のときもあれば、朝や昼の時もある。夜勤の子に日勤の子、色々と混ざっているからだ。活動日だって毎日ではない。毎日行われているものも知っているけれど、そのほとんどは週に一度か、二度か。多くてもそんなところなのだ。
 幸い、いつ活動しているのかについては、彼女たちが提出してくれた紙に書いてある。それらを一つ一つ確かめながら、普段は買い物でしか使わないメモ帳へと訪れる順番を書き並べていくと……久々に予定がみっちりと詰まってしまった。自分だけのことなら幾ら積まれても問題ないのだが、こうして誰かを巻き込んだことになると、これが普通のことではあるのだけれど、やっぱり不便に思えてしまう。仕方が無いことではあるのだけれど。
 ついでとばかりに関連する資料を整理していると、控えめなノックの音が部屋に響いた。返事をすればドアが開いて、現れたのは一人のメイドの子。かつてお風呂場で秘密を打ち明けた彼女だった。頻度は少ないけれど、たまにひっそりと会いに来てくれる。今日はお土産もあるみたいで、彼女は静かに机の前に来ると、持ってきていた小さな箱を差し出した。ふんわりとチョコの匂いがする。

「ありがとう」
「今日もお疲れさまです」

どうやら彼女の方は仕事がひと段落ついて休憩というところの様で、労いの言葉を贈ってくれた割には彼女自身の方が少し疲れている様子だった。近くの椅子を勧めれば、彼女は一度頭を下げた後、ゆっくりと腰を下ろして……気になったのか、机の上を見ていた。

「秘密結社の査察をするんですか?」

箱を開けてチョコを貰う私に、彼女が囁く。

「そこまで仰々しくはないけど、実態調査をね。貴女も何か入ってるの?」
「いえ、入っては無いですけど、たまにお世話になる所なら一つあります」
「珈琲かしら」
「はい」

珈琲。……珈琲の集い。それは夜勤の子達の支援を目的に作られた組織だ。活動時間がとてもはっきりしていて、夕食後、日勤と夜勤のその切り替わりの時間だ。夜勤の為に準備してきた子達のために、目覚めの一杯を提供している。一応日勤の子もあやかることができるのだが、日勤の子に対しては頑なにホットミルクしか提供しない。珈琲は飲むと眠りづらくなるからだ。けれどそれでも日勤の子にも人気なのは、その香り自体は眠りを誘うものだから、なのかもしれない。この子はお掃除係で、基本的には日勤しかないから、ホットミルクを貰いに行っているのだろう。

「眠る前は温かいものが恋しくて」
「そうなの。まあ、気持ちは分かるわ。ホットミルクは私もよく作って飲むし」

彼女がうんうんと頷いて、それからちらりと私を見上げる。

「チョコ、美味しいわ」
「……良かったです」

彼女から注がれる、どこか悪戯心の垣間見える期待の視線。私達の間には、少し前から変な習慣が出来上がっていた。それは、一言で言ってしまえば……抱くということ。勿論、変な意味じゃない。本当に、言葉通りに、ぎゅっとする。お風呂でこの子にしたように、図書館であの子に習ったように、である。その時その時で抱き方は様々だった。お風呂場の時の様に正面からぎゅっと抱きしめることもあれば、胸を借りたり、また貸して彼女に飛び込んで貰ったりすることもある。ドキドキしたり、かと思えば変に落ち着いてしまったり。大概私自身の胸の中もぐるんぐるんするんだけど、これが終わった後はいつも元気になっていた。ベッドに転がった時に似た緩い心地よさがあるのだ。
 持っていたペンを置き、自分の椅子を引いて彼女に向き直って。それからゆっくりと腕を開いて差し出すと、彼女は嬉しそうに唇の端を持ち上げた。立ち上がった彼女は私の方に……ではなく、ドアの方へとそそくさと向かい、静かに鍵をかけて。嬉しそうに歩いてくると、私の膝の上に座った。彼女と私に体格差はあれど、こうすると顔の高さはとても近くなって。見下ろすことも、見上げられることもほとんどない。彼女の唇に触れるにはおあつらえ向きではあるのだけれど、あのお風呂のときから一度もキスはしていない。何故だかは分からない。彼女もしてこないし、私もそういう気は……あるのだけれど、しないのだ。勿論、何か特別なことがあったらしようとは思う。けれど、その特別な時というのは少なくとも今じゃないはずで。熟成中のワインの様に、口づけたいという気持ちをいつも心の中にしまい込むのだ。不思議とこれが楽しかったりする。当たり前で、ありふれていて、それでいて格別な……

「……ぎゅーって、してくれないんです?」

あぁ、ごめんね。
 体を引き寄せ抱きしめた。毎度のことながら、重なった服から伝わってくる彼女の温かさが心地いい。大抵いつも彼女は私よりも温かくて、すべすべなときも、すべすべじゃないときもあるけれど、いつも柔らかで。日によって色んな匂いがして……今日は階段の手すりを磨いていたのだろう。ポリッシャの匂いが僅かに残っていた。
 目を閉じて、小さな肩に頬を乗せた。互いに身じろぎはせず、あるのはただ、呼吸だけ。僅かに持ち上がる肩も、呼吸を二人で揃えてしまうと全く気にはならなかった。……彼女の呼吸は、とても長い。とても、とても長い。まるで眠っているのではないかと思う程なのだけど、背中に回ってきゅっとしがみつくその手、そして僅かに服を握る感触がそうではないことを教えてくれる。
 終わりの時間はいつも彼女が決めていた。その時がやってくると、彼女は一際強くぎゅっと抱きしめてくれて。それから手を解いて私を見つめるのだ。どういう感覚で彼女が判断しているのかは分からないが、そうされる頃には体はぽかぽかで、離れてしまった部分が少し肌寒く感じてしまうくらい。どこか名残惜しい所ではあるのだけれど、彼女がこうしてくれないと、差し迫った仕事でもない限り、私はきっといつまでも彼女を抱きしめたままになってしまうから。そういう意味では、決めてくれる彼女は少し有り難かった。
 彼女が私の膝から降りて、ぐっと伸びをして。そしてゆっくり振り返る。

「そんな顔しないでくださいよぅ」
「ああ……ごめんなさい」

そもそも幸せな時間。決して寂しいつもりは無いのだが、冷えるからなのか、それとも心地よい圧迫感が無くなってしまうからなのか。離れた直後の私というのは、そういう顔をしているらしい。たぶん無意識になってしまうのだと思う。一度、指摘されて鏡で確かめたことがあるのだけれど、その時にはいつもの顔がそこにあったから。

「また来ますね」
「ええ。楽しみにしてる」

頬を緩ませた彼女はにっこり笑って頷いた後、静かに部屋の中を歩いて行って。そしてドアの向こうへと消えて行った。



~~



 いつもは数本しか点けない蝋燭を、これでもかとベッドの周りに用意して灯していた。窓が無い地下室であるお嬢様の部屋は、この灯りが唯一の光源だ。はじめはその暗さに戸惑ったものだけれど、慣れてしまうと一本点けておくだけで転びもしない。でも、今はそんなことを言っていられる余裕が無かった。

「ろぉ?」

お嬢様は仰向けにベッドの端に寝転がり、頭だけをベッドの外に投げ出している。私はと言えば、顔の前に座って、お嬢様の口に左手の指を突っ込んでぐいと広げていた。

「もう、ほんの少し右を向けますか」
「ん」

右手に持っているのは、一つは歯ブラシ。歯磨きはお嬢様だって一人でできる。勿論できる。当たり前にできる。私だって言うに及ばずだ。けれど、今はちょっと状況が違う。

「あー……見えました」

手に握るもう一つは、医務室から借りてきた先の尖っていない細長い金属の棒である。先が直角に折れている検診用の道具だ。医務室からは使い終わったら水洗いして返してくれれば消毒はこっちでやるから、と言われている。
 何故こんな面倒くさいことをしているかといえば、今日のおやつだ。今日のおやつは甘い甘いキャラメルである。私も、お嬢様も好き。今日は咲夜さんの機嫌が良かったのか、それとも単に材料に余裕があったのか、普段よりも大きなキャラメルが貰えたのだ。私もお嬢様も一口に頬張った。私は、口の中でコロコロ派である。一方のお嬢様は……噛む派、である。今日も奥歯でぐにぐにと噛んでいた。傍から見てそれはもう美味しそうに。最初の……十数秒くらいは。でもしばらくしてぴたりと噛むのを止めると、そそくさと奥の部屋、洗面所の方へと向かって行って。少しして帰ってくると、私の肩を揺すったのだ。

『……すっごいくっついちゃった』

と。小声で言っていた。思わず笑ってしまったのだけれど、お嬢様はかなり神妙な顔で。それがまた余計におかしくて。笑いたい気持ちを何とか抑えながら聞いてみると、しっかりと奥歯にはりついてしまい、舌でも歯ブラシでも動かせなくなってしまったらしい。むしろ、無理矢理取ろうと頑張ったがためか、どうも余計に状況が悪化したみたいだった。
 医務室からは、引っ掛けて大きい所から剥がしていけ、とのことだった。後は歯を傷つけないように、とも。その為の大量の明かりなのだ。正直、点け過ぎで少し臭いくらいだけど。

「じっとしてて下さいね」
「ん」

くっついていたのは上の歯の最奥だった。鳥もちを渾身の力で壁に叩きつけた様な形の見事なキャラメルの蓋ができあがっていた。歯ブラシで何とか戦おうとした結果なのか、隣の歯にもべったりと裾野が伸びている。

「もし痛かったら何かしら分かる様にアピールして下さいね」
「ん」

最早、無駄だと分かった歯ブラシは置いて、医務室から借りた金属の棒を口の中に差し込んでいく。とりあえずとばかりにキャラメルの麓に金属の棒の先を刺してみたが……そもそもしっかりと噛んでいたからか、柔らかい。剥がすようにぐっと引っ張ってみたが、とても重く、かと言って力を入れ過ぎてしまえばすぐ千切れてしまいそうな程で。仕方なしに金属の棒で少しでも硬い所を探しながら、シールを剥がす気持ちでゆっくりと持ち上げて行った。

「たおぅない?」
「タオルですか?」
「うん。よぁれが……」

用意していたタオルを手渡すと、お嬢様が口元を拭った。上下逆さ向きで、更には口を指でぐっと開いているせいか、どうにも飲み込めない様だ。タオルを外して一息つくと、キャラメルの甘い香りが蝋燭の中に少し舞った。

「じゃあ続きしますね」

私も、そしてお嬢様もこんなことには慣れていないからか、そわそわした気持ちというのが見ていてとても分かりやすかった。お嬢様は胸の前で祈る様に手を重ねていたが、その下の手では握ったタオルを忙しなく弄っている。……私もあのタオルを後で借りなければ。唾液のお陰か、指がすごくにゅるにゅるする。
 少し苦戦したけれど、一度とっかかりが掴めると、奥歯の周囲は剥がし易かった。噛んで広がったお陰か、層が厚かったからだ。一区切りつけるために剥がし終えた周囲のキャラメルを口から抜き取ると、目を閉じていたお嬢様がちらりと私を見た。

「まだです。あとは歯の上にちょっと」
「ん」

口を開けているがためか、相変わらずとても簡素な返事。元よりこれを早く終わらせたいという気持ちがあるのだろう。普段なら、お茶の時間なのだから。……うん。頑張らないと。
 しっかりと噛んだせいで、歯の上は薄い膜になっていて、これが厄介だった。頑張って取れたのは歯の中央、僅かにくぼんだ所だけである。しばらく格闘して……諦めた。歯を傷つけるのが怖かったから。だから私はすっかりぬるぬるになった棒と指を引き抜くと、お嬢様の握っていたタオルに手を伸ばし、手を拭った。

「終わり?」
「うーん。歯の上は溶けるのを待つか歯ブラシで頑張るかしかなさそうです」

舌で確かめているのか、ちょっとだけ盛り上がったお嬢様の頬。それを見ながら立ち上がって体をぐっと伸ばすと、少し腰が痛かった。置いていた歯ブラシを渡せばお嬢様も体を起こし、そのまま洗面所へと向かって行って。出てくるのに時間はかかったけれど、出てきたお嬢様の顔は嬉しさと物寂しさを混ぜた様な複雑な顔になっていた。この物寂しそうな顔は、ここで働くようになって随分と経つからか良く知っている。その日のおやつを誤って零してしまったときに見せる、切なそうな顔だから。

「どうでしたか」
「取れた……と、思う。お茶貰って良いかな。まだ奥の方にぺたっとしたのがあって。たぶん残っているものも溶けると思うから」
「淹れて参ります。道具も返してくるので、少し遅くなると思いますが」
「うん。私も口を開き過ぎて顎が疲れちゃったから。ゆっくり待ってるよ」

頬がぴりぴりしているのか、お嬢様は両手で顔を包むとぐにぐにと揉み解していて。私の視線に気が付くと、ちょっと赤くなった頬を緩ませて笑った。

「行ってきますね」
「うん。行ってらっしゃい」



~~



 パチュリー様のお世話がひと段落ついた後、私は色んな本棚を巡って調べ物をしていた。内容は勿論、譲渡の手段。いかに精神的に負担なく、また効率よく行うか。それが大きな課題だ。私達の知識として持っている一番効率のいい手段は、抱いてしまうこと。とろける様に、体を重ねてしまうこと。けれど、咲夜さんにはもう既に好きな相手が居ることは知っている。だから、その手段は取るに取れないのだ。勿論、どうしても他に方法が見つからなくて、この手段以外に何もないとなったら。その時は打ち明けて、試すかどうかを咲夜さんに選んでもらうつもり。……一応、咲夜さんと続けている特訓の延長ではある訳だけど。

「何かお薬を作られるんですか?」

ふと、横から声がかかる。立ち読みしていた本から視線を移すと、いつもご飯を運んでくれるあの子が横に立っていた。まだお夕飯の時間には遠く、今は他に担当する仕事が無いのか、ここまでやって来たようだ。後ろ手に何か持っている様子だけれど、それが何なのかはもう察しがついていた。

「お疲れさまです。そうですね。ちょっとした調べ物なんですけど、ひょっとしたら作るかもしれません」
「……難しそうな本ですね」

横に立った彼女が覗き込んで、しばらく文字を眺めていたのだけれど……どうにも読めなかった様子。私にだって少し難しい位の本だから、仕方が無いことではある。
 私が丁度読んでいたのは、体力回復の補助になるものを纏めたものだ。彼女が後ろ手に隠しているものも、広い意味ではそれに当たるのだろう。効率を向上させる、質を確保する、安全性を保つ。考えないといけないことは山のようにあるのに、私が持ち合わせている知識や経験だけでは良い糸口は見つからなくて。本当は、ちょっと落ち込んでいる所でもあった。

「難しいですとも。これは滋養の薬を纏めたものですけど、作り方次第では毒にもなってしまいますし。……それで今日はどうなさいました?」

彼女がどう切り出せば良いか困っている様子だったので、自分でもわざとらしいかなって思ったけれど、そう尋ねてみた。ここに来る理由は、明らかだったから。ちなみに私は、持ち合わせていない。彼女への贈り物はまた来月にするつもりだった。今日くれることが分かっていたから。

「これ、食べてくれたら嬉しいです」
「ありがとう。……一緒に食べちゃいますか?」
「え、えっと。確かにチョコは二つ入ってるんですけど、その。もう一つはどうかパチュリー様に」

あら。

「分かりました。では後で二人で頂きますね。お返しはまた、改めて」

最近のこの子は、一言で言えば大人しくなった。焼きもちほっかほかのパチュリー様が落ち着いたからかもしれない。近頃は何かにつけて、パチュリー様との仲を取り持とうとしてくれる。パチュリー様と私の仲を、知っているから。
 パチュリー様に対して抱く、好きという気持ち。この子に対して抱く、好きという気持ち。それ自体は同じでないのだけれど、根っこの所にある気持ちは、たぶんとても近しいか、同じなのだと思う。彼女が私にしてくれるように、私も何かしてあげられたら、と。そう思うのだけれど……

「はい。ではまたお夕飯の時に参りますね」

そういう時に限って、彼女は察した様に笑い、そして背中を向けて元気に帰って行ってしまう。

「そうだ」

けれど。

「また、お泊りしたいです。あの、明後日の夜……とか」

たまに。彼女の方からそうやって手を伸ばしてくれることがあって。最近の私はいつも、それに甘えさせて貰っていた。

「はい。今度はちゃんと着替えを持ってきてくださいね?」
「勿論ですとも。今度は、気を付けます」



 私は結局、図書館から出て行ってしまった彼女が、温かなお夕飯を台車に載せてまたやって来るまで、ずっと本棚の前に居た。収穫は……未だ、無い。



~~



 部屋に響いたノックの音に返事をすれば、咲夜ではなく私の世話係の子が夕食を運んできた。

「厨房、忙しいみたいです。昨日も今日も、バレンタインで場所の貸し出しをしてたからでしょうか」

せっせと料理を並べる彼女に尋ねてみれば、咲夜はまだ調理に追われているとのことだった。バレンタイン用の調理スペースを確保するために他の料理を手狭な限られたスペースでやるしかない様で、そのお陰かいつも以上に忙しいみたいである。日勤の子に夜勤の子、色んな子が頑張るお陰で、この二日間の厨房は不夜城なのだそうだ。今日という日を今まで振り返ってみると……大体この日の食事というのは大量に作り置けるソースを使った一品物が多い。しかし、流石に互い……夕食や贈り物のチョコにそれぞれの匂いが移ってしまわない様にはしているみたいで、同じ様に鍋を占有してしまうカレー等はまず現れはしない。大体はそのソース等が主な香りづけで……今日は鶏の照り焼きの様だ。表面には細かく砕かれた黒胡椒がまぶしてあって、ほっくりのぼる湯気からは熱に溶けた砂糖とお醤油、そしてレモンの香りが合わさって漂っていた。
 配膳の後はすぐにドアの向こうへと帰ろうとした彼女であったが、一人で食べるには物寂しく、とりあえずとばかりに彼女にはテーブルのお向かいの席に座って貰って。運んで貰った食事を頂きながら、尋ねた。

「貴女に聞きたいんだけど、今の生活環境から何か改善していくとして、まずどこに手を付けるべきだと思うかしら」
「凄く難しいですね。今の生活、楽しいですし。でももし強いて挙げるなら……おやつでしょうか」
「あら。一応ほぼ毎日出てる気がするけど」

私の返事に彼女は何度も首を縦に振って、続ける。

「はい。あの、私の我儘なんですけど。二人分貰いたくなる時があるんです」
「どんなとき?」
「お休みに館の外の友達へ会いに行くときです。ここのおやつ、美味しいじゃないですか。厨房の皆も咲夜さんも、私なんかよりずっと料理が上手くて。外の友達と会うときに持っていけたら嬉しいなーって」

館の外へ、か。あまり考えたことが無かった。そういう方向性の支援も確かに良い。休暇の質の向上につながるし、館の外の妖精の子達に対して体面を保てる。加工食品を大量に館の外に持ち出す訳じゃないから、里の産業等にも影響しないだろう。咲夜と厨房関係の子達への負担は確かに増えてしまうだろうが、同時に多数の理由が重ならない限りは普段のおやつに僅かに量が増える程度。恐らく大した問題にはなるまい。

「お友達にはよく会いに行くの?」
「あまり頻繁ではないです。纏まったお休みが出来た時とかは、そうしてます」

なるほどね。まあ、そうやって外へ遊びに行く子達には私もお世話になっているのだ。好意でお土産を持ち帰ってくれたり、普段訪れないような場所での話題を持ってきてくれたり。良い子をスカウトしてきてくれた子だって過去には居た。……思い返せば、昔は何故か、ことあるごとにどんぐりを貰っていたっけ。何故どんぐりなのか気になってはいたが……まあ、もう貰うことは無くなった。貰ったどんぐりは机の引き出しに入れていたのだが、溜まりに溜まったどんぐり……もっと正確に言えばそのどんぐりの中に住んでいたもののお陰で、一騒動起こしてしまったからだ。

「友達が居るのは良いことよ。大切になさいな」
「はい。有難うございます」

そこでふと、小さな音が響く。さっとお腹に手が伸び、顔を赤くした彼女。尋ねてみれば、まだお夕飯は済ませていなかったみたいで。私は彼女を職務へと戻らせると、独り静かな夕食を再開したのだった。
 食べ物の支援、か。汎用的で喜んでもらえそうだが、最低でももうひと手段位は欲しいところだ。食べ物の支援だけでは普段から厨房で働いている子達への労いには弱い。衣食足りて何とやら、というのであれば後は衣類の支援ができればと思うが、衣類の支援というのは中々に難しいものである。
 理由は様々ある。妖精の子達は皆背丈も体型も違う。だから、褒章品として事前に用意しておくことができない。一着一着作るコストはお菓子に比べればずっと高い上に、そもそも各々の好みというものがある。館内で着るものについては基本的にデザインが統一されているので問題にはならないが、ご褒美で貰えるものまで統一デザインではそれはただの替えの服でしかない。かといって補助用の衣類……例えばマフラー、あとは手袋等は着られる季節が限られてしまう。良い所靴下が無難なのだが、それを貰って喜びひとしお、とはならないだろう。
 衣食と来れば次は住だが、これは既に力を入れている。もとい、今後も入れ続けなければならない所だ。住居環境の整備は彼女たちの肉体、あるいは精神的な健康に直接関わってくる。さらにこれだけの大所帯だ。衛生面については特に気を付けなければならない。それ故に整備すると言っても規模が大きく、変える時は一度に変えてしまわないといけないこともしばしば。ここに褒章要素を出すにはどうすれば良いのだろうか。
 彼女たちの寝室は基本的に個室では無い。二人、三人、多くて四人ほどで一つの部屋を使っている。どの子とどの子を一緒にするのかというのは咲夜が彼女たちの仕事に合わせて頑張って調整しているところだ。個々の部屋単位への支援は……あまり現実的ではないな。それだったら、他の全員の部屋をそうしてしまえという話である。とすれば特別な部屋を用意して、そこを利用して貰うといったところか。使えそうなのは……過去に病室として使っていたあの一角か。あそこを防音したりちょっと豪華にして、奮発したお泊り会用の部屋としてしまうのはどうだろう。何部屋かあるのだから、一部屋二部屋そうするのは有りかもしれない。客室が足りなくなったときの緊急用にも使うことができるようになる。
 あれやこれやと案を練る内に、箸を伸ばす先はすっかり無くなってしまって。空っぽの食器を置いて天井を見上げていると、ノックの音が部屋に響いた。足音は、無い。どうやら咲夜がやって来たようである。

「入って頂戴」



~~



「薬は正直賛成できないわね」

お夕飯のひと時を楽しんだ後、お腹休めに出した話題にパチュリー様がそう言った。

「どんな薬も体には一時的な負担になるものよ。耐性ができてしまうこともある。一時の手段として持っておくに越したことはないけど、長期的な策としては向かないわね」
「ですよね。譲渡時の効率改善を計れるかなと思ったんですけど」
「それならいっそ媚薬の類の方が効果があるかもしれないわね」

冗談めかしてパチュリー様が言ったけれど、確かに媚薬は媚薬で効果がある。惚れ薬だって効果はあるだろう。譲渡時に無駄に緊張させることなく、その場のその行為を心から楽しんで貰える様にできれば、それだけで十分に寄与するからだ。

「そうですけど、咲夜さんにだって好きな方がいらっしゃいますし」
「その子が誰なのかは分かってるの?」
「はい。伺っておりますよ。傍目にはちょっとのんびりした子でした」
「その子を使う手は?」

それも一度考えた。その子に手法を教えて、私の代わりに頑張って貰う方法。けれど、あの方法は諸刃の剣を扱う様なものだ。単純な方法ではあるけれど、体には負担がある。何より、あれらの方法については一度パチュリー様や皆を困らせている。だから、無責任に教えて任せることはできないのだ。こういう方法を使う時に好きという気持ちはとても大切だけれど、だからこそ危険でもあるのだ。行き過ぎた譲渡を行ってしまうかもしれないから。それだけは何があっても避けなくてはならない。

「まあ私で試したときも色々あったからね」
「……はい」

私の気持ちを察してか、パチュリー様は一度手を叩いてそう言って。それからテーブルの上に置かれていた小さな箱を指さした。少し前に本棚の陰で貰った箱だ。相変わらず蓋が閉じているのにチョコの良い香りが漂っている。ほんのりとミルクの匂いもする。
 リボンを解いて蓋を開いてみると……どこについていたのか、ちょっとだけ手にチョコがついた。

「あら」

箱の中を覗き込んで、パチュリー様が声を漏らした。あの子が言った通り、中には二つのチョコが入っていた。顔を象った小ぶりのチョコ。私の顔と、パチュリー様の顔だった。目や口、パチュリー様の帽子は白いチョコで飾られている。

「二人で食べてって言ってたのよね?」
「はい。どう分けましょうか」
「貴女が私を食べるか、貴女が貴女自身を食べるか、よ。これは貴女が貰った物だもの」
「じゃあ私はパチュリー様を頂きますね」

手に持って見比べるパチュリー様の顔。チョコの方が少しだけ凛々しい。そして思ったより、厚い。チョコで帽子を上塗りしたお陰もあってか、結構な重量である。

「今度お礼を言っておいて頂戴な」
「明後日お泊りに来ますから、その時にお伝えしますね」
「そうなの。……まあ、お願いね」



~~



「お腹いっぱい」

おやつの時間にキャラメルのことでどたばたと過ごしたお陰か、お茶の時間とお夕飯の間にあまり時間が取れなくて。運んできたお夕飯を二人で食べ終えてみたら、私が思ったことと同じことをお嬢様が呟いた。今日のお夕飯は照りっ照りの照り焼き。そのお陰でチョコとミルク、蝋燭に紅茶、そして甘辛い醤油の焼けた匂いが混ざって……混沌とした感じである。

「です。ちょっと一休みさせて下さいな」

パチュリー様の魔法のお陰で、こんな地下でも空気の入れ替えは気にしなくて良いのは大助かりだ。欲を言えば、凄い匂いのものが出た時くらいは、もうちょっと早く空気が入れ替わらないだろうかと思う。ゆるーい、ゆるーい、とてもゆるーい速さで入れ替わっていくのだ。本当に匂いが強いものだと、次の日だって片時も忘れさせないくらいで。……寝る前にはせめて蝋燭の匂いだけでも薄れてくれると良いなぁ。

「上は賑やかだった?」
「ええ。それはもう。結構収まっては来ましたけど、私がお夕飯を取りに行った時にはまだ駆け込み組が厨房に居ましたから」
「期待して良い?」
「ご用意しておりますとも」

微笑むお嬢様に笑い返す。私が用意したチョコは、今はこの部屋にない。隣の、私に宛がわれたお部屋に置いてある。この明るさに慣れてはいるけれど、お仕事中に落としたりしたくなかったから。

「眠る前に一緒に食べたいな」
「じゃあその時に」

食器を隅に寄せたお嬢様が手を合わせ、私も一緒に手を合わせて。すっと部屋の奥、お風呂の方へと引っ込んでしまったお嬢様を目で追いつつ、食べ終えた食器を片付けていく。どうやら湯浴みをするみたいだ。相変わらず備え付けの設備があまりにも小さいから、未だにここのお世話は満足にできないでいる。もっとも、そのことでお嬢様が文句を言ってくることも無い。本当に狭いのはお嬢様が一番よく分かってるから。

「私もこれを返すついでに浴びてきますが、大丈夫ですか」
「うん。ゆっくりしておいでー」



 落ち着き始めた厨房に食器を返しに行ったあと、着替えを片手に向かったお風呂場。今度はこっちが大盛況という感じだ。いつも浴びに来る時間から少しずれてしまったのが仇になったのかもしれない。幸い、服を入れておける空いた籠はあったのだけれど、この様子だと少人数でのんびりとはいかないみたいだ。私が服を脱いでいる間ですら、何人もの同僚が後ろを通り抜けて行った。
 浴室へと入ってみると、脱衣所よりずっと騒がしかった。体を洗っている皆は静かだけれど、湯船に浸かっている皆は楽しそうに話している。どうやらこの後チョコパーティを開くのだそうだ。贈り物としてでなく、自分たちで食べるために拵えたのだろう。昔は私もあの輪の中の一員だったんだなぁ……懐かしい記憶だ。私が、他の皆と並んで働いていた頃。今となっては随分と懐かしい記憶だ。
 今日お嬢様に渡す予定のチョコは、頑張って作った特別なものだ。図書館にご飯を運んで行く友達と一緒になって作ったのだ。あの子がなんでも、良いお薬を手に入れたって話で。話を聞いている内に、私もその作戦に乗ってしまったんだ。薬を盛る是非については勿論その時に話題には上がったのだけれど、友達が自分で試してみた分には許容範囲だったってことだから。……だから、私も使わせて貰ったのだ。
 そのお薬の効果は、とても単純だ。体を火照らせる力がある。勿論、とてもいい意味で。……そして、本当にそれだけの意味で。春を告げるあの子はもう空を翔けたと聞くけど、それでもまだ少し、肌寒いから。眠るときは温かな体で居て欲しいのだ。私は、お嬢様の服がどれだけ冷えやすいか知っているから。欲を言えば、その温かさを私も受け取りたいんだけど……それは、叶ったらで良い。
 体を洗うのは順番待ちだったけれど、いざ体を洗い終えて湯船に浸かると、そこそこゆったり体を広げることができた。全身から疲れが溶けだしていく心地よさに、いっそ顎まで浸かりたいとも思ったけれど、そこまですると眠ってしまいそうな程で。私は一度大きく体を伸ばすと、浸かっている他の皆の方へと視線を向けたのだった。
 色んな子がいる。チョコパーティのことで盛り上がっている子。誰かに渡すつもりなのか、やる気に満ちた子。かと思えば、なんだか妙に自信なさげな子。チョコのことなぞもうどうでも良いとばかりに眠そうな子もいる。お嬢様の横に居られる幸せを私はもう知ってしまっているからか、そんな皆の様子はとても懐かしくて。何だか笑いそうになってしまったけれど、それは顔を洗ってごまかした。



 温まった体でチョコを手にお嬢様の部屋に戻ると、お嬢様はベッドの上にごろんとしていた。

「お待たせしてしまいましたか」
「ううん。私もさっき出たところだよ?」

私の言葉に上半身を起こし、お嬢様がにっこりと笑う。けれど、パジャマの下に見える肌の色は……どれだけ時間が経っていたのかを教えてくれた。長い間お世話をしているからか、今はそんなことだって分かってしまう。私もお嬢様の横にお邪魔すると、チョコの箱を見たお嬢様はパッと顔を明るくして。私が箱を手渡すと、まるで壊れ物を扱うようにそっと蓋を開いていった。

「一緒に食べよう?」

中には三つの少し大きなチョコレート。大きいと言っても、なんとか一口サイズというところ。……結構、ぎりぎりの線を攻めてその大きさを整えた。でもこれなら、お嬢様は一口で食べようとしてくれる。私はお嬢様の頬張ってる顔、好きだから。これならどんなに好意の言葉を頂いても、二回はその顔を横で見ることができるから。

「では一つ頂きます」

差し出された箱から一粒摘まんで口の中に放り込む。友達と作った時にも味見をしたのだけれど、入れた薬は味も匂いも分からなかった。お嬢様も鼻歌混じりに一粒取り上げ口へと入れて。キャラメルの時みたいに噛み砕くことはせず、こちらを見てにっこりと笑った。
 ころ、ころと。口の中で転がす音だけが部屋の中に響く。時折、こくんと。溶けたチョコを飲み込む音が寄せられた顔から小さく聞こえ、その度に嬉しそうな吐息を漏らしてた。そんなお嬢様を眺め、口の中で溶けるチョコを楽しみながら考えたのは、ホワイトデーのこと。お嬢様は先日、お漬物を作った。ちょっとだけ唐辛子が入ってて、食べると少し舌の上が熱くなる白菜の塩漬け。山から来ていたお客様が帰ってしまった後、色々と話を聞いた。お嬢様は皆に返せるものが作れるようになりたかったのだそうだ。私が初めて貰ったそれは……実はそうとは気づかずに食べてしまったのだけれど、今でもたまに食卓に並ぶそれは、私の楽しみの一つでもある。ホワイトデー、まだ少し遠い先。一体何が出てくるのだろう。ひょっとしたら何も出てこないかもしれないけれど、もしも何か頂けるのなら。その時はまた、一緒に楽しめますように。

「貰うね?」

互いに一つ目を食べ終わって、お嬢様が残りの一つに手を伸ばした。私が頷くと、お嬢様も嬉しそうに頷き、それを口へと運んでいった。太ももの上でずっと箱を持っていたお陰で少し溶けてしまったのか、蝋燭の薄暗がりの中でも、その唇の上にチョコが僅かに残っているのが見えて。ああ、もしも今口づけたなら、チョコの味がするのかなって。……そんな視線を知ってか知らずか、お嬢様はじーっと私の目を見た後、また笑ってた。
 空っぽになってしまった箱をベッドの脇の小さなテーブルへと置くと、お嬢様が私の頬を撫でた。

「お口に合いましたか?」

口の中がいっぱいだからか、お嬢様は一度ころりと音を立てると、ゆっくりと頷いた。ちょっと時間はかかったけれど、やがて溶けきらせたチョコを飲み込む音が聞こえ、長い吐息が口から漏れ出して。私はそんなお嬢様を眺めながら、一足先にベッドの中へと潜っていった。
 お嬢様もベッドに入った後、二人揃って天井を見上げた。慣れないチョコ作りだったからか、お嬢様よりも先に欠伸を漏らしてしまって。それを聞いたお嬢様は体をこちらに向けると、毛布をぐっと肩口まで引き上げてくれた。

「疲れちゃったんでしょ」
「ちょっとだけですとも」
「お陰でとっても美味しかった。じゃあ、今日はゆっくり休もうか。……そうだ、明日の夜は少し早くベッドに入って……お話できるかな?」
「はい。大丈夫です」

お嬢様が頷いて、それからぱっとこちらに腕を開いて。誘われるがままに体を預ければ、ぎゅっと抱きしめてくれた。……温かい。いつもなら熱があるかもって疑っちゃう位だ。でも、今日は薬のお陰なんだろうなって分かるからか、ちょっと安心する。

「私も疲れちゃったのかな。なんかぽやっとしてて。明日ちゃんと、お返しするから」
「いえいえ。ほら、今日は温かいですし」
「うん。……おやすみ」
「おやすみなさいませ」



~~



 お嬢様へのバレンタインの贈り物。今年はチョコドリンクにした。一昨年はチョコアイス、去年はチョコケーキ。妖精の子達もお嬢様の所に持って行ったりするから、例年こっそりと確認しながら被らない様に気を付けている。
 チョコドリンク自体は今日という日に限らなくても、普段から作ることがある。そもそもこの館の皆はチョコが好きなのだ。甘いのが好きな子、少し苦いのが好きな子と、好みは様々だけれど、苦手にしている子は幸いなことに居ないから。そのお陰でホイップを盛ったケーキと同じくらいにはチョコケーキを作ったりする。
 そんな、チョコのお菓子をよく出しているこの館でも、今日のドリンクはちょっと特別。作りは普段とあまり変わらないけれど、今日のはお酒入りなのだ。まだ寒い日が続くから、少しでも温まって貰いたくて。寝入りの手助けに一役買えればと思う。
 お嬢様へと届けた後、本当は味の感想を一言でも頂いてから部屋を後にしたかったのだけれど……今日はまだ、することがあるから。だから夕食の食器を手早く回収すると、すぐに部屋を出させて貰った。この後が、最初の訪問だからである。

 珈琲の集い。そんな名前で登録された秘密結社……もとい、集まり。皆の夕飯が終わって静かになった食堂がその開催場所だ。使うということも含めれば、厨房も一応関連する場所ではある。夕食の時に代表の子へと訪れる旨を伝えていたこともあってか、彼女は食堂の前で私を待ってくれていた。

「お疲れさまです」
「お疲れさま。急でごめんなさいね」

この子はお嬢様のお世話係の内の一人だ。お嬢様のお世話係には日勤の子も居れば夜勤の子も居て、希望に合わせて勤務時間を入れ替えることもある。この子は確か、夜勤組だ。元々夜勤組で、少し前にちょっと日勤もやってたけど、また夜勤に戻った子。カーテンを開けて陽の光を浴びながら、それでも目元だけは覆って寝るのが好きとか。昔、そんなことを楽しそうに語っていたのを覚えてる。この季節は温かさが足りず、あんまり気持ちよくない、とも言っていたっけ。

「それで私は何を案内すれば良いでしょうか」
「活動内容がどんなものか知りたいのよ。日勤の子にはホットミルク、夜勤の子にはコーヒーを出してるって聞いてるけど」
「うーん……本当にその通りですよ。でも、そうですね。あとはちょっとしたルールがあること位でしょうか」
「ルール?」
「はい。まずは一人一杯まで。でも、一番大きなルールは一切の会話禁止です」

会話禁止、か。なるほどそのお陰なのか、食堂のドアの前に立っているのに物音はほとんど中から聞こえてこない。たまに足音が聞こえるが、それはドアから出たり入ったりするだけの音。

「そう。それだけを知っていれば大丈夫かしら。私も頂いて良い?」
「勿論ですとも。奥に二人立ってて、片方が珈琲、もう片方がミルクですので。好きな方に並んでくださいな」

彼女がドアを開けてくれて、足を踏み入れた食堂。厨房自体には良く出入りしているから、厨房から食堂を覗いた時にその活動を遠目に見たことは過去にもあったのだけれど……本当に静かだ。厨房の方から聞こえる洗い物の音の方がまだ聞こえる位。人数は結構いるのに、だ。たまに聞こえるのは器具を使う音やカップをテーブルへと置く音や椅子を引く音くらいで、それを除いてしまうと、後は息を吹いて冷まそうというその吐息の音くらいしかない。
 今日は四人の子が切り盛りしているみたいだ。既に飲んでいる子達は彼女たちの二倍くらい居て、それとは別に並んで待っている子達が居る。珈琲もミルクもどちらも並んだ子が居て、私はホットミルクの列に加わった。よくよく見てみれば、切り盛りしている子の内の一人は厨房の子だった。
 どうやら珈琲の方が時間がかかるらしく、ホットミルクの列はするすると進み、私もすぐに貰うことができた。が、貰って気づく。何故私はこっちに並んでしまったのか。確かにこの調査が終われば後は寝るだけ。ここの活動の趣旨を考えればそれが正しいのだけれど、そもそもホットミルクは……自分でもよく作るではないか。今更ながら凄く勿体ないことをした気がする。けれど、一人一杯はルールだ。私がそれを破る訳にはいかない。
 席について、コップを傾ける。厨房の皆で飲むときはどこか賑やかな雰囲気があるのだけれど、こっちは打って変わって本当に静か。並んでいたときと違って、飲んで漏れる吐息や冷ます吐息が聞こえ易くなったくらいか。……こういう飲み方をするのも、たまには良いのかもしれない。惜しむことがあるとすれば、少し視線を感じる。恐らくは憩い、安らぎ、落ち着きの空間とするための会話禁止なのだろうけれど、その為なのか私がここに居るせいで皆緊張してしまっているみたいだ。早く飲み終えてしまわなくては。
 空になったコップを返しに行くと、いつの間にかホットミルクの提供は終わっていて、受付は珈琲のみになっていた。周りの皆を見ている限りはホットミルクの子の方が少ないのだけれど……そういえば古くなりそうな牛乳から融通しているのだっけ。日によって提供する数が違うのかもしれない。
 食堂を後にすると、後ろから速足でついてくる子が一人。さっき説明してくれた子だ。ちょっと不安そう。文句は何もないのだけれど。

「ど、どうでしたか?」

食堂を出たところで、彼女はそう言って私を見上げた。

「美味しかったわ。活動しているのはあの子達以外にはいるの?」
「あと二人居るんですけど、ほぼあのメンバーでやってます」
「そう。活動で何か困っていることはある?」
「大丈夫です。いつも材料、ありがとうございます」

私の返事にホッとした様に笑いながら、彼女が答えていく。ずっと緊張していたのだろう。目に見えて眉尻と肩が下がっていった。

「また飲みたくなったときには、是非ご利用ください」
「ええ。夜勤、頑張って頂戴ね」

私の言葉に彼女が頷く。去り際に軽く手を振れば、彼女はゆっくりと頭を下げた後、食堂のドアの向こうへと静かに消えて行った。
 次の調査は……明日。昼から二つだ。だから今日は早めに寝てしまおうと、部屋へと戻った私はいそいそと着替えてベッドに潜った。冷たく出迎えたベッドの感触に、今年も無事にバレンタインの厨房を乗り切った、と、一人ホッとしたりして。段々と温かくなる毛布の感覚にぼうっとしていると……こつこつと、小さな音が部屋に響いた。誰かが部屋の前を歩いているのだろうか、と、そう思いながら聞いていると……また同じ音が部屋に響く。これは、足音じゃない。ノックの音だ。頭を持ち上げ返事をすれば、静かにドアが開いた。カーテンを閉じ切っていたお陰で廊下の方が少し明るく、その僅かな光の中からひょっこりと小さな影がのぞく。今日、チョコをくれた彼女だった。

「眠っていらっしゃいましたか」
「いいえ。眠ろうとはしてたけど。どうかしたの?」
「……えっと、その」

目を擦ってよく見てみると、彼女は小さな荷物を一つ持ってきていた。その姿は……どことなく既視感があった。私は図書館のあの子の所へ特訓に行くとき、同じ様な荷物を持つからだ。中に入る様に促せば、彼女はドアから廊下の様子を確認した後、すっと部屋に入ってドアを閉めた。
 時間を止めた訳でもないのに、止まったように静かだった。しばらくはお互いに見つめあって……意を決して手招きする。すると、彼女は忍び足でベッドの傍までやって来て、私の前に跪いた。

「ご一緒したいです」
「……ええ」

できる限り、平然と答えた。勿論、心臓はこの時間には珍しいほど早鐘を打っていた。頭に過るのは図書館のあの子と過ごした特訓の日々。思えば色々あった。……いや、というか。まだ特訓の途中なのだけど。そうか。世間一般ではバレンタインはクリスマスと同じ様に、そういう日、なのか。確かに去年も、一昨年も、その前も……図書館のあの子は今日という日はパチュリー様と一緒にいつもより早くベッドに向かっていた気がする。
 彼女はまたドアまで行って部屋の鍵をこっそりと閉めてきた後、いそいそと着替えだして。私はそんな彼女に背を向けて、とりあえず息を落ち着けようとしたものの……大変なことに気づく。今までの特訓というのは、その時その時の目標がある程度私にも見えていたのだ。今日はどこまで試してみようか、というのを彼女が私に相談してくれていたからだ。けれど、これはどうだろう。何となく、私は……リードすることを求められているのではないか。まずい。嬉しいのだけれど、頭が働いてくれない。時を止めれば時間はいくらでも稼げるけれど、あったことをなかったことに出来ないのと同じで、決まった流れに逆らうこともまた、できない。私はどうすれば良いのだ。

「隣、お邪魔しますね」

毛布が持ち上がり、彼女がすぐ後ろに訪れた。振り返ると、見慣れた妖精の子達の寝間着と、少し赤みがかった彼女の顔が見えた。
 しばらく、見つめあって。彼女は私の手を毛布の中で探り当てると、それを優しく握った。

「大丈夫ですか?」
「……あんまり、大丈夫じゃないわね」

あのお風呂場で私の話を真剣に聞いてくれた彼女だから、嘘はつきたくなくて。一度大きく息を吸った後、正直な気持ちを打ち明けた。そう答えてしまうことが彼女には分かっていたのか、それは私には判断できないことだけれど、彼女はすぐに笑って私に体を寄せてくれた。意識が目の前の光景から肌へ移って……自分の胸の鼓動の早さに気づかれてしまうことが途端に恥ずかしくなって。けれど、彼女から伝わってくるそれも、私に劣らない位早く。そこだけには少し安心してしまった。
 着替えたばかりだからか、ベッドの中で先に休んでいた私には彼女の体は少し冷えていて。寄せられた体に手を添えて、その肩を抱きしめる。ぎゅっとして貰うことは増えたけれど、これだけくっついたのはお風呂場以来だろうか。ただ、あの時は寝間着すらなかったのだけど。彼女はここに来る前にお風呂に寄っていたようで、腕の中でみじろぎすると、ほんのりと石鹸の匂いがした。

「大丈夫ですよ」

彼女が小さな声で呟いた。けれど、既にいっぱいいっぱいになっている私の頭の中。何が、と返したくなる気持ちすらあった。彼女は私の胸元に顔を埋め、離れていた足先も寄せて。それからまた、大丈夫ですから、と。呟いていた。彼女自身に向けた言葉なのか、それとも私に向けてくれた言葉なのか。……結局、私はどうすれば良いのか全く分からなくなってしまって。彼女の肩を抱き寄せたまま、ただ固まっていた。

「咲夜さんがこういうこと、あまり得意じゃないことは分かっておりますとも。それでも、お傍に居たかったのです。もし怖かったら、動く湯たんぽだと思ってください。でも、もしも怖くないのなら。少し、夜をご一緒しませんか」

腕の中の彼女は困る私にそう囁いて……黙ってしまった。彼女から届いていた鼓動が少しだけ早まって。ああ、彼女も緊張しているんだなって。そう分かるとちょっとだけホッとした。ゆっくり腕の力を抜けば、埋められていた彼女の顔が少しだけ持ち上がって……眉尻が、少し落ちた。

「お話、できそうですか」
「うん。たぶん、大丈夫」

私の返答に、彼女もホッとした様に息を吐いて。それから私の肩をさすると、ゆっくりと深呼吸するように促した。目線を重ね、彼女の呼吸に合わせてゆっくりと空気を取り込んで。……バクバクと音を立てる心臓は収まってはくれそうになかったけど、頭の中はそれで少し落ち着いた気がした。
 私は、遅れているのだろうか。お嬢様達に、図書館のあの子に、パチュリー様。あの秋の神様だって、経験してた。妖精の子達を含めて自分を見つめれば、皆が皆そうではないということは分かってる。過ごしてきた時間の長さが違うことだって、分かってる。……でも。置いて行かれてしまっているみたいで、それがちょっと、悔しくて。そして不安なんだ。私も皆の横に居るのだ。たとえ私が人間だったとしても、一緒に楽しめるものは楽しみたい。共有できる気持ちは共有したい。一緒の時間を、過ごしたい。

「貴女の言う通りよ。得意じゃない。いや、ほとんど知らないの。だからかしら。どうすれば良いのか、分からなくて。……それでも、貴女は許してくれる?」
「私だって詳しくないです。でも、私が咲夜さんのことを好きなのは、本当のことですから。分からないなら分からない者同士で……一緒に紐解いてみませんか」

囁く彼女の顔が、言葉を紡ぐごとに赤くなっていく。聞いている私も、たぶん同じなんだろう。顔が、熱い。暴れる心臓はもうどうしようもなかったけれど、それでもまた深呼吸して心だけは何とか落ち着けて、頷いた。

「んふふ」
「うん?」
「説得できるかなって。それがずっと不安だったから。嬉しいんです。勇気を出してドアを叩いて、良かった」

そう彼女は続けて、そしてまた長い息を吐いていた。
 しばらくは互いに見つめあっていた。それだけでも私には幸せだったから。段々と懐かしい温もりに戻っていく彼女の体を抱いていると、

「まずはお互いにこの状況に慣れましょうか。最後は一緒に眠るんですし」
「そうね」

彼女がゆっくりとした声で提案して、私も頷いた。胸のドキドキは幸せではあったのだけれど、だんだんと疲れに変わって来ていたから。図書館のあの子と頑張って鍛えていたつもりだったけれど、やっぱりまだ足りなかったみたい。もしも鍛えもしていなかったら、たぶん今頃は笑い返す余裕すらなかったのだろうと思うけど。

「……撫でて、良い?」

私のお願いに彼女も頷いてくれた。でも何を思ったのか、もぞもぞと毛布の下で服を脱ぎ始めた。……どうしよう。できるのなら、そういうのはもうちょっと後にしたかった。山登りをしたいと願い出たら、反り返る崖に連れて行かれたような、そんな気持ち。ああ、でも。彼女がそれを許してくれるのなら。あのお風呂場の時の様に抱きしめることができるのなら。……してみたい。彼女が脱ぎ終わった頃に私も服に手をかけたから、私が脱ぎ終わるのは少し遅くて。注がれた視線がちょっと恥ずかしい。

「ぎゅー、します?」
「うん」

彼女の提案に両手を広げ、改めて身を寄せてくれた彼女を抱きしめる。お風呂場の時とは体勢が違うけれど、とても懐かしい感触だった。温かな肌。すべすべの肌。さっきよりもとてもハッキリと伝わってくる彼女の鼓動。伝わってしまう、私の鼓動。ああでもやっぱり。貴女の方が、落ち着いているのね。

「撫でて良いのですよね?」
「貴女の好きなところを。私もそうしたいから」
「勿論ですとも。上から下まで。愛でて頂けるのなら、どこまででも」

小さな声で囁かれる。耳にかかる息も、その言葉も。妙にくすぐったい。どこでそんな言い方を覚えてきたのだろう。詳しくないってさっき言っていたけれど、とてもそうには聞こえない。私よりもずっとずっと余裕がある。その余裕の八割くらいを分けて欲しいって思った。そしたら、たぶん同じくらいになれるのに。
 背中に回る彼女の手。もう指先まで温かい。小さな指で、骨の形の一つ一つを確かめる様に撫でていく。お嬢様やこの子達と違って、私には翼も無ければ羽も無い。在るのが普通の彼女たちにとっては、不思議な気持ちになるらしい。美鈴も同じようなことを昔尋ねられたって、そう言っていたっけ。
 私も同じように背中を撫でてみた。……やっぱり、小さな背中だ。ほんのりと汗ばんでいて、触れている指に温かさを返してくれる。羽の付け根はちょっと硬く、彼女の普段のお仕事もあってか、薄い皮膚の下には筋肉の感触も少しある。採寸のために他の子達も含めて肌に触れる機会はあるのだけれど、こうしてまじまじと触ってみると……ちょっと、楽しい。美鈴が言っていた。習慣は体に現れるのだ、と。私はこの子の仕事のことはよく分かっている。確かにそれで鍛えられそうな所は、背中だけじゃなく腕や足も、ああ、なるほどなって。そう思ってしまう位、皮膚の下で主張していた。
 彼女の太もも。膝にのせたり、抱き着いた時に自分の足へと触れたりすることはあったのだけれど、改めて手のひらで撫でてみると、

「凄いすべすべ……」


内ももが触れていてとても気持ちが良かった。ここに触れて良いのだろうかという気持ちも頭に湧いては来るけれど、そんな気持ちも緩んでしまうくらい、すべすべの、もちもち。羨ましい。とても羨ましい。あまりに撫ですぎて彼女がぱちんと足を閉じてしまったけれど、それすら幸せな感触だ。
 気が付けば一人、その感触に夢中になってしまっていて。ふと我に返って彼女の目を見てみれば、彼女はずっと私の顔を見つめていたみたいだ。彼女の手はいつの間にか背中の上で止まってしまっていて。ただただ、にんまりとした顔をこちらに見せてくれていた。……途端に恥ずかしくなって。顔が一気に熱くなって。そしたら彼女も、また顔を赤くしていった。

「咲夜さん」
「うん」
「小指、出して貰っても良いですか」
「ええ」

ふと彼女が切り出して。私は手を引き抜くと、彼女の方へと差し出した。彼女は自身の小さな小指で私の小指を捕まえて。

「今日のこと、私はちゃんと秘密にしますから。だから、もっと……もっと、もっと」
「もっと?」
「……先のことも、してみたいのです」

ぎゅっと指が握られて、そしてゆっくりと離れた。じっと私を見つめる彼女の瞳。少し潤んではいるけれど、他の子達でも少し見慣れた、何かを求めるときの顔。こくん、と。彼女の小さな喉が鳴るのが聞こえて。それに張り合うように私の胸も大きな音を立てた。
 先のこと。言いたいことは分かっている。経験のない私でもだ。つまりはもっと、踏み込んだ……えっちなこと。もはや崖どころじゃない。浮島相手の山登りだ。独り遊びをしたことがない訳じゃない。決して無い訳じゃないけど、第一、満足させることができるんだろうか。満足して貰えるのだろうか。……そうだ。彼女も言っていたじゃないか。一緒に紐解こうと。それなら……

「お手本、見せて欲しいな」

尋ねてみれば、彼女が目に見えて動揺した。私は貴女が好きで、貴女も私のことを好きでいてくれて。だから、少なくとも私は、貴女から受け取るものはどんなものだって気持ちが良い。それでいて、受け取る側に回ることは、少なくとも今のこの状況においては楽になれるってこと、知ってるから。こんなことを言ってしまうと困るんだろうなってことは分かっていたけれど……そうしてでも、今は余裕を作らなくちゃいけない。

「お手本ですか」

彼女が赤い顔で唸る。

「凄く恥ずかしいので、咲夜さんにぜひぜひ先をお譲りしたいのですけど」
「わ、私だって心臓もうこんなんだもの。ほら」

彼女の手を取って、自分の胸に押し当てた。もうドキドキを通り越して、胸どころか耳辺りまで鼓動に合わせてじんじんとした感覚が走っている。

「……大胆ですね」
「だって。……でも、言った通りでしょ?」

彼女は何度か首を縦に振って、それから一度大きく深呼吸すると、ぐっと私の体をベッドに押し付けて馬乗りになった。……熱い。そして、すべすべ。太ももの上に座って貰うのはとても楽だったのに、お腹の上だとちょっと苦しかった。でも、頑張ろうとする熱い視線をこれでもかと注いでくれるからか、恥ずかしくもちょっと心地いい。彼女は私の体の上で少しの間やきもきとした後、体を倒して。……唇を、重ねてくれた。
 久方ぶりの感触。した日のことは、今でもはっきり覚えてる。けれど、その感触は日が経つにつれて少しずつあやふやになっていた。こんな感じだった、あんな感じだった。なんとなくそういう輪郭だけを保っていた。でも、改めて口づけて分かる。ああ、確かにこの感触だった。触れる鼻先だってそう。懐かしくて、嬉しくて。眼を閉じ、じっとその柔らかさを楽しんだ。くっついては離れ、離れてはくっついて。お風呂場の時には全く意識しなかったけれど、口づけることを、ちゅう、なんて言い方をするその訳がちょっとだけ分かった気がした。
 やがて彼女が少しだけ顔を離して。どうして良いか分からずにちょっとだけ瞼を持ち上げてみると、赤い顔の彼女が私のことを見下ろしていた。彼女はゆっくりと肩を上下させ、深呼吸を繰り返していて。それからとても小さな声で、

「舌、伸ばして貰って良いですか」

と。そう言った。……舌。伸ばしたら、どうする気なの。勿論分かってはいるけれど、それは……そんな行為は伝説上の何かではなかったのだろうか。少なくとも私は本でしか見たことがない。……本当に、やるの?

「出してくれないと頑張っちゃいますよ?」

小声で彼女が続ける。どう転んでも恥ずかしいことになりそう。そもそも。私がお手本を頼んでこれなのなら、後で私が貴女のことをこう……色々するときは、これと同じくらいのことを頑張らなきゃいけないのよね。できるかしら。貴女は一体どこで勉強してきたというの。
 恐る恐る、舌先を突き出した。緊張からか、それともまだ肌寒い季節だからか、舌先はすぐに冷たくなった。けれど、それもほんの一瞬だけ。再び彼女の顔が下りて来て、熱く、とろんとした舌先がゆっくりと絡みつく。口の中に広がる慣れない味。お構いなしに頭の中に流れ込んでくる感覚に、やり場のない手はいつの間にかシーツを握ってた。
 恥ずかしさと熱さに鼻先が汗で濡れて、持ち上げた瞼の向こうの彼女の顔やたまに擦れるお互いの胸にも粒が浮かぶ。嫌では無かった。けれど、このままされるがままで居たいという気持ちと、穴があったら隠れたいという気持ちと……こんな私の前でも尚、やっぱりまだまだ余裕があるように見える彼女をどうにかしたいという気持ちが、ぐるぐるぐるぐる輪になって頭の中を走っていく。でも、そんな頭の中も舌を絡められた一瞬で、また更地の様に白くなってしまう。恥ずかしくて死んでしまうなんて言葉を聞いたことあるけれど、このままだと本当にいつか、息の仕方まで忘れてしまいそうだった。
 そんなしっとりとした感触の中、一際強かったのは勿論舌の感触だったけれど、お腹の上にもちょっと違った濡れた感触が広がりつつあった。唇を奪う彼女の動きに合わせて、少しずつ、少しずつ、すべすべだった太ももの方へと広がって、ぬるんと滑っていく。握り過ぎてかちかちになってた手を、恐る恐る伸ばして。その感触を改めて確かめてみると、彼女の動きがぴたりと止まった。ゆっくりと顔をあげて、潤んだ瞳が私を見つめた。

「ちゃんと、お風呂も入って来ましたから」

伸ばした私の手を拾うと、彼女はそれをおへその下に触れさせて。

「ここの熱を、鎮めて下さいませんか」

とても小さな声で、そう囁いた。
 止まった思考がやっと動き出し、ふと気が付けば、彼女は私の体から降りていた。どれだけの時間私は惚けていたのか分からないけれど、息は私も彼女も荒いまま。そして頑なに、目が催促していた。早く欲しい、と。おやつを奮発したときの妖精の子達よりももっともっと強い、催促の目。恐る恐る、彼女に体をぴったりと寄せて。先ほど当てられたお腹へ、そして足の間へと手を伸ばして……触れた。熱い。でもそれ以上に、とろとろしてる。
 私だって独りですることはある。だからこのとろとろの正体は私も知っている……つもり。でも、私が独りでしたときは、溢れただろうか。頑張っても、精々そのすぼまりから零れたくらいだった気もする。
 あふれ出たものでぬるんとしてしまった指で、外側の柔らかい肉を撫でた。彼女のくぐもった声が漏れ、慌てて口を手で覆ってた。目は私を見てくれなくなり、でもどこを見れば良いのか分からないという様子で私の胸辺りをきょろきょろ。……結局おさまりがつかなそうな様子で瞼を下ろした。
 一番、敏感なところ。少し薄い皮の屋根がついているけれど、彼女なりにずっと我慢していたのか、普段の私よりも少し張り詰めた感じがあって。指先で撫でまわって居ると、ここにあるんだということが良く分かる。私自身はここは敏感過ぎて、直接触り続けることはあまりしないのだけれど、彼女は私なんかよりもずっと敏感みたいだ。露出してしまっている部分を指が掠める度に腰がびくりと持ち上がって。眉間にもぎゅっと皺が入る。口を押える手にも力が入ってて、くぐもった声以外聞こえてこないけれど、たまに手を乗り越えて聞こえる湿った吐息は聞いていて恥ずかしい。
 そう。恥ずかしくって仕方ない。けれど、手が止められなかった。こんな私の指でも、経験の浅い私の拙い慰め方でも受け入れてくれる彼女。喜んでくれる彼女。たまらない。たまらなく、愛おしい。段々と呼吸の間隔も短く、足もピンと伸びきってしまって。そこからは優しく、薄い皮の上から小さな肉芽を撫で続けた。

「いったあとは、ぎゅって、してくれませんか」
「……うん」

口を覆っていた手が私の体に這って、それからゆっくり抱きしめてくれた。手の代わりといわんばかりに彼女が口元を私の体に押し付けて堪えて。ちょっと鼻息がくすぐったかったけど、それもぴたりと止まった。びく、びくと。彼女が体を震わせる。まるで私の指に自ら擦るように。私はしばらく指の腹で撫でた後、手を抜いて彼女のことを抱きしめた。彼女の足が私の足に絡んで、熱い体液の感触が肌の上にどんどん広がっていく。抱きしめた後も彼女は時折体を震わせていたけれど、しばらくしてそれも収まりを見せて。それから彼女がゆっくりと息を吐き出した。

「もうちょっとぎゅっとさせて貰ったら、今度は私が……いたしますね」
「お、お手柔らかに……ね?」

埋めた胸元に口づけたり、二の腕を撫でられたり。しばらくは私の腕の中で余韻を楽しんでいた彼女だったけれど、一段強くぎゅっとすると、ゆっくりと顔を離した。ああ、ついに私の番なのだ、ということを理解すると、胸の内側を直接くすぐられている様なもどかしさが溢れてくる。矛盾しているとは分かっていても、早くその時が訪れて欲しいとも、できればもうちょっと覚悟ができてからにして欲しいとも思えて。僅かに残る不安に、私は彼女を抱きしめ続けてた。体を震わせていたときは私なんか比べ物にならない位に早かった彼女の鼓動も、今は私よりも少しゆっくり。今日初めて抱かせて貰ったときよりも随分と体は熱くなっていて、彼女が最初に私に言った通り、まるで湯たんぽの様になっていた。
 いざ彼女の体が持ち上がり私の腕の中から抜けてしまうと、また、手をどうしていいかわからなくなって。だからさっきまで彼女がそうしていたように、私も自分の口を手で覆った。
 彼女の手が私の背中から腰へ、腰からお腹へ、這いながらゆっくりと下っていく。未だに残っていたらしい下着の痕を指の腹で撫でられたり、わざわざおへそを確認されたり。そんな中彼女はじっと私の顔を見ていたのだけれど、それが恥ずかしくてたまらない。口の端がちょっと持ち上がってるから尚更だ。頑張って正気を保っているけれど、緩んだ顔をしてしまっているのかもしれない。じわりじわりと降りる手が足の間まで来てしまうと、もう胸が壊れそうだった。

「どうか、焦らさないで」
「わ、私にだって心の準備というものがあるんですよ!」

私にとっては決死の一言のつもりだった。けれど、真っ赤な顔で言い返されて。私だってさっきは同じ気持ちだったから、それきり何も言えなくなってしまって。彼女の手が弱い部分に触れた時には、走った後の様な疲れと、もう大丈夫かなって、そんな安心感を覚えていた。
 体を洗うときを除けば、理由無く触れることがなく、さらに触れるとしても下着越しにしか触れる機会が無かったからか、彼女の指はちょっと刺激が強くて、指が少し動くだけで息が詰まった。察してくれたのか、彼女が見せつけるようにぺろりと指を舐めて、それで擦れるような刺激は少しだけ収まったのだけれど、今度はぬるりと動く感触が我慢できない。気持ちは良いけれど、足が、腰が。勝手に跳ね始めてしまう。いつもは自分で無意識に指の動きを抑えていたのだ、ということが改めて分かったけれど、それを告解して優しくして貰う余裕すら無くなってしまってて。私は彼女の腕をぎゅっと掴んで、首を横に振った。

「……激しすぎましたか?」

急いで頷く。でも、彼女は手を緩めてくれない。ゆっくりにはなったけれど、撫でるような動きが捏ねる様な動きになって。腰に走ってくる刺激自体は余計に大きくなった気すらした。幸いさっきまでと違って呼吸だけはし易くなったけれど、足の指にも、腰にも、どんどん勝手に力が入って行く。彼女にしがみつくと、彼女はくすりと笑って。そしてぎゅっと揉みつぶされた。
 目がちかちかした。達しても、彼女が弄り続けていたから。口を塞がれたように息ができなくて。息苦しさと、背骨が溶かされそうな痺れた感覚が体中に走ってく。やがて彼女の指も離れて、それでやっと息ができるようにはなったけれど、しばらくは勝手に腰が跳ね続け、その度にまた体の中に新しい感覚が走ったりして。後戻りのできない扉を開いてしまったんだなって、今更になって思ってた。
 気が付くと、私は彼女の胸に顔を預けていた。後ろ頭を撫でられていて、髪を指で梳かされていた。

「ごめん、眠ってた?」
「いえ、少しぼうっとされてたので。……あの、大丈夫ですか。ちょっと……やりすぎちゃった……ですよね?」

さっきまでと打って変わって、申し訳なさそうな声が頭上から響いてくる。

「次のときは、優しくしてね」
「……はい」



~~



「ぽかぽかでしたね」
「うん。まだちょっとごろんってしてていい?」
「ええ、ええ。まだ朝食には時間もありますし、私ももう少しだけ」

昨日の夜、少し早めにベッドに潜ったからか、目が覚めたのはいつもより早かった。私も、そしてお嬢様も自然に目覚めたのだけれど、お仕事を始めたりするにはあまりにも早くて。私は灯りの蝋燭を入れ替えると、また再びお嬢様のベッドに入り込んだ。夜は凄く温かかった。明け方にはお互いにしがみつくような姿勢で眠ってることもあった冬だけれど、昨日は軽くくっついているだけだった。そのお陰かお互いに気持ちよく眠れたみたいだ。
 それでもまだ寝転がりたいというのは、ベッドの中の温かさが気持ち良いから。そして何より、あんまり色んなことを考える必要なく、お互い傍に居られるから。

「胸、借りたいな」
「はい。……口は毛布から出してくださいね?」
「うん」

お嬢様の体を引き寄せて、胸の中に抱きしめる。まだ少し薬が残ってしまっているのか、顔もまだほんのりと温かい。お嬢様は濡れた髪の様にぴたりと私の体にくっついて。胸元に顔を埋めたまま、笑った。

「眠かったりする?」
「いえ、心地いいですけど、眠くはないですよ」
「そっか。もしもまた寝ちゃってたら、ごめんね」

そう言って、もそもそと毛布を引き上げ、ゆっくりと息を吐いていた。
 眠ったらごめん、なんて言いながら、お嬢様はとんとんと私の背中を叩いてた。リズムは、私の胸の鼓動に合わせて。一回一回を確かめるように。小さく、優しく。けれど、時間が経つにつれ、段々とその手も弱まって。そしてぷっつりと切れて。かと思えば、また思い出した様に始まったりして……やっぱり止まって。繰り返している内に聞き馴染んだ寝息が聞こえてきて、今度は私がお嬢様に代わって、お嬢様のリズムを背中に伝えてた。
 二度寝は気持ちが良いものだ。このお仕事についてからは、数える程しかしたことがないけれど、その魅力は勿論知っている。現実と夢の間を行きかう様なふわふわした感じ。夢は夢で楽しく、現実は現実でお嬢様がすぐ隣に居てくれる。溶けるような幸せな時間。……時間については本当に溶けてしまうのがちょっとつらいけど。お嬢様も二度寝が好きなようで、私が寝相で起こしてしまった時には、時間を見て私もしてるんだって、そう言っていた。
 お嬢様は夢の内容が顔に出やすい。良い夢なら顔が緩み、あまり良くない夢は神妙な顔になったりする。今日は良い夢みたいで、たまに満足そうな息も漏れる。どんな夢なのか、もしも覗けるのなら覗いてみたいなって。そう思ったりする。
 背中を叩く手を止めて、ただ抱きしめるに留めてしばらくして。気持ちよさそうに寝息を立てていたお嬢様だったけれど、急にびくりと体を震わせて……どうやら、目覚めたみたいだ。

「……うぅー」 
「おはようございます」
「……うん。……あぁー。ベッドの端から落ちる夢見た」

あれ、そんな夢だったんだ。

「何で落ちる夢を見るとびくってなっちゃうんだろ」
「よく分かんないですよね。私も何かを踏み外して落ちる夢とかだと同じ感じになりますけれども」
「時間はどんな感じ?」

胸元に顔を埋めたまま、お嬢様が尋ねた。

「丁度良い感じですよ。起きちゃいましょうか」
「うん。でも、その前に一度ぎゅーっとして欲しいな」

一度でも、何度でも。勿論構いませんとも。
 朝食は、和食だった。

「朝からなんだか……豪華だね」
「そうですね。手が込んでますよね」

お嬢様の漬物に、卵焼き、お野菜の煮物、お味噌汁。そして、筍入りの炊き込みご飯。卵焼きがお肉だったら、そのままお夕飯に出てもおかしくなさそうな献立だった。貰いに行ったとき、厨房はちょっと混乱してた。聞いてみたら、筍はそもそも備蓄になかったそうなのだ。しかも、起きて厨房に来たらもう全てできていたらしい。他のメニューも全て咲夜さんが作ったらしいのだけれど、その咲夜さんは厨房の子達が来た後はすぐにどこかに行ってしまったらしい。

「何かあったのかな」
「うーん。咲夜さんも早起きだったのかもしれませんね」
「そうだね。夜は温かかったもんね」
「……ええ。ぐっすりできたのかもしれません」



~~



「あの……その、あのね」

私達が朝食を頂いてすぐ、咲夜さんは図書館にやって来た。ああ、特訓しに来たのかなって思って、咲夜さんには部屋に行って貰って、先にパチュリー様のお世話をして。取り急ぎの用事だけを片付けて部屋へと戻ると、咲夜さんはベッドではなく椅子に座ってた。よく見ると、いつも持ってきているお着替えもない。不思議に思って体面に座ると、咲夜さんは時間は大丈夫かどうかを尋ね、それからゆっくりと話を切り出した。

「相談したいことがあるの」

小さい声で、言葉に詰まりながら咲夜さんが続けた。今日は……顔が赤い。いつも特訓のお願いに来るときは確かに赤いのだけれど、それよりもちょっと赤い。そして何より、顔は元気なのだけれど、体は疲れているように見えた。

「特訓のことではないのですか?」
「それも関係あるんだけど……その、あのね……昨夜、私の気持ちを聞いてくれたあの子が部屋に来たの。それで、その。彼女の勢いに押されてね」

言い辛そうに、ちらりちらりと私の顔色を確認しながら続けていく。でも、段々と声が小さくなって。どうにも恥ずかしさに声が出ていない。

「二人で、抱き合ったの。その、言葉通りじゃなくて……あの……えっちな方の、意味でね?」
「そ、そうなのですか」

頑張って順序立てて説明しようとする咲夜さん。私にこのお話を持って来たのは、私が特訓の相手だったから、でしょうか。嬉しいような恥ずかしいような。でも、報告しなくても、胸に秘めていても良いことだったのではと思えてしまう。たぶんそれは咲夜さんも分かっているとは思うのだけど……ここに来たということは。

「何かよくないことでもありましたか」
「私は、彼女が傍に居てくれるだけでも幸せで、彼女のしてくれたこともとっても気持ちが良かったの。とても、とてもね。でもね、私は、満足させてあげられたのかなって。何て言えば良いのかしら。私は彼女の体を、その、愛撫するとき、自分がいつもしているやり方の延長で頑張ってみたんだけど……えっと。楽しみ方の幅の狭さというか、知識不足を感じちゃって。一緒の夜をほとんど彼女の好意に甘えてしまったの」
「初めて、だったんですよね。だったら仕方ないのでは?」

赤くなる頬に手を当てて、咲夜さんがため息をついた。

「そうなのかもしれない。でも、次の時はもっと、彼女に喜んでもらいたいなって思って。……あの、ね。手解きを……お願いしたいの」

そう言って、咲夜さんが俯いた。
 どうしよう。例の実験のことを考えると、これほど都合の良いことはない。願ったり叶ったりだ。けれど、もしこのままお願いに応えてしまったら。心も体も許せる相手が既に居るのだもの。後で負い目になって、落ち込んでしまうんじゃないだろうか。それは、避けたい。でも、そうは言っても、このお願いをするまでに咲夜さんは咲夜さんなりに考えてきたんだってことも分かってる。……うまく話を乗せ換えなくては。

「条件があります」
「……うん」
「今、研究してることがあるんです。その手解きのあとで実験に協力してくれるなら、ぜひ」
「うん。協力する」

……うう。即答されてしまった。できるならもうちょっと悩んでほしかった。私だって一応悪魔なんですよ。将来悪い虫がつかなければ良いけど。いや、私がもう、悪い虫になっているのかもしれない。それだけ信頼してくれているんだってことは分かるし、それ自体は嬉しいのだけど。私は……本当に貴女のために動けているんだろうか。

「あの、ね。もう一つ良いかな」
「はい?」

もう一つ?

「貴女にその、お願いできるのなら……パチュリー様に、事前にお話をしてきたいの」

……ああ、そこまで考えて来てしまったのですね。

「分かりました。同行したほうが良いですか?」
「ううん。ちゃんと説明してくる。これまでの経緯も、正直に。ごめんね、貴女にはいつも迷惑ばかりかけてしまう」

急いで首を振ったけれど、咲夜さんは私に微笑んで。それから一礼すると、部屋を出て行ってしまった。
 パチュリー様には、実は既にある程度を説明している。そもそもパチュリー様も、咲夜さんのことを気にかけていたし、今回のお嬢様の依頼のこともあったから。事細かに報告した訳じゃなくて、報告しても大丈夫そうな所だけ、だけど。きっと咲夜さんはそれだけじゃ済まない。
 勿論、パチュリー様がどんな反応をするか、それは見ていなくたって予想はできる。私が許可したのなら構わない、と。そういう風に返すだろう。でもその一方で気にするはずだ。私と同じことを。今回のこれらが、後の負い目にならないか。自己嫌悪に陥ってしまわないか。何か上手に咲夜さんに口添えしてくれると嬉しいんだけど。
 ……なかなか、咲夜さんが帰ってこない。私も行くべきだろうか。テーブルの前でそわそわしていると、ノックの音がして。返事をすると、ドアを開けたのはパチュリー様だった。その後ろに咲夜さんが赤い顔を俯かせて立っている。パチュリー様は私の顔をじっと見つめると、ほんの僅かに頷いて、咲夜さんを連れて部屋に入ってきた。

「咲夜からおおよその事情を聞いたわ」

パチュリー様が咲夜さんをベッドに腰かけさせ、パチュリー様がその脇に座って。パチュリー様は私をまたじっと見つめた後、私にも咲夜さんの隣に座る様に目で促した。

「だから、私も条件付きにしたの。私も実験に協力して貰うし、私もこれに参加させて貰うわ」

……なるほど、そういう方面に持っていくのか。

「あらー、パチュリー様も我慢できなくなっちゃいましたか?」
「体調が良いから参加するだけよ」

パチュリー様が目配せしながら、とにかく話を纏める様に促してくる。私の実験はどの道パチュリー様の手助けが無いと検証に影響が出るから、そこは助かるのだけど。どうして参加までしようと思ったのだろう。昨晩すこぶる体調が良かったからだろうか。お陰で私は少し……眠いのですけれども。

「咲夜さんはそれで大丈夫ですか?」
「う、うん」

咲夜さんの返事を聞くや、パチュリー様はすぐに髪留めを解き始めて。俯いていた咲夜さんは顔を赤くしながら、エプロンのフリルを指で弄ってた。ちらりと目で促され、私も衣服を脱いでいく。咲夜さんは……この様子だと、時間を止めて一瞬で脱いでしまいそう。まあ、恥ずかしい気持ちはよく分かる。隣に悪魔と魔女が座って、脱ぎ始めているのだもの。こういうことされて平然としているのはお嬢様くらい。……美鈴さんもか。

「じゃ、咲夜は真ん中ね?」

パチュリー様がベッドの奥の方に転がって、私は手前に転がった。元々、三人が乗るようには設計されていないから、本当は私達二人が並んで寝るだけで結構いっぱいいっぱいだったりする。上手く詰めれば三人、でもそこそこぎりぎりという所。そんな中、パチュリー様は意地悪に、少しだけ中央寄りに転がってた。勿論私だってその意図は分かってる。だって、私も中央寄りに転がれば……

「あの、間をもうちょっと……欲しいです」

私を跨いでベッドに乗るのも、この隙間に挟まれるように入り込むのも。どっちも恥ずかしいって分かってるから。案の定、人知れず衣服を脱いだ咲夜さんはちらちらと私に助け舟を求める様に視線を送りながらゆっくりゆっくり私を跨いで……私達の間にしゃがんだ。私達を巻き込む様に寝転がる勇気は流石に無いみたいだった。

「貴女たち二人で特訓してたって聞いたけど、どこまでしたの?」
「裸でぎゅっと、抱きしめて貰う所まで」
「そうなの。それじゃあこれは、恥ずかしすぎたかもね」

そう言ってパチュリー様が体をずらし、私もずらして。その辺りでようやくパチュリー様のお腹の中が読めてきた。咲夜さんがお願いしたという状況から、私達二人の手伝いをからかわれながらさせられている状況にしよう、と。そういうことだろう。たぶんきっとそう。でないと意地悪が過ぎる。咲夜さんの精神はそこまで頑丈じゃないもの。
 咲夜さんが私達の間の僅かな隙間にちんまりと正座したのを見て、パチュリー様がくすくす笑った。

「ま、何を始めるにしても、私の実験は最初にしなくちゃいけないからね。ほら、咲夜。まずは仰向けで寝転んで頂戴。貴女は灯りを暗くして」
「はい」

咲夜さんが恐る恐る体を横たえる間に、部屋の明かりを一つを残し消していく。

「咲夜さん、落ち着いて。ゆっくりで良いんですから。あと、本当に耐えられないときは、教えてくださいね?」
「う、うん」

……大丈夫だろうか。

「それじゃ、私の方の実験をさせて貰うわね」

咲夜さんの息が落ち着き始めたところで、パチュリー様がそう言った。ごくり、と、口の中のものを飲み込んだ音が咲夜さんから聞こえる。私はそんな咲夜さんに寄り添って、頭を撫でて。パチュリー様の伸びた手が咲夜さんのお腹に重なると、咲夜さんはぎゅっと私の腕を掴んだ。たぶん、パチュリー様が条件を出したときも即答したのだろうけれど、やはり不安は強いのだろう。しばらくするとパチュリー様が手を置いたところが光り始め、咲夜さんがびくっと体を震わせた。
 じわり、じわりと、下腹部に模様が出来上がっていく。何をするのかと思っていたら、紋を刻んだみたいだ。紋を使ってするのなんていつ以来だろう。パチュリー様は、お互いに恥ずかしいから止めましょって。それで使わないことにしてたんだけど。効果は何だろう。感度上昇だろうか。流石に男性器を生やしたりはしないだろう。一応、ここは吸血鬼の館だし。処女でない私やパチュリー様はともかく。

「な、なんか熱いんですけど」
「そういうものよ。ほら、できあがり。ああ、この状態を記録しとかないとね」

そう言うとパチュリー様が紋に片手を置いたまま、もう片方の手で壁に手を触れた。ぱちん、という音と共に、同じ模様が転写されたけれど……あの、それ、後で消せますよね。明日あの子が泊まりに来るんですよ。その、その形のそれ、消せますよね?

「大丈夫よ」

そう言ってパチュリー様がじっと転写跡を見つめる。よくよく見ると……この館では使わない言語だけれど、数値の情報が多い。紋の模様も近くで見れば小さな文字の集まりになっていた。

「生体情報を出してるのよ。平たく言えば蓄積した疲労の度合ね。勿論それ以外も見られるわよ。例えば……」

そう言ってパチュリー様が咲夜さんに視線を移して。そしてゆっくりと顔を近づけていく。

「貴女がどれだけ、気持ちよくなってしまったか、とかね。ついでに気持ち良くなりやすくもしちゃったわ」

……お腹の模様がちょっと動いた。どれが何を指しているのかは分からないけれど、なるほど、模様が都度更新されているみたいだ。

「私の実験はもっともっと後に行いますし、決して痛くも熱くもないですから安心してくださいね?」
「う、うん」

私が手を出すとぎゅっと握って。パチュリー様を警戒しているみたい。パチュリー様もそれを察しているみたいだけれど、随分と意地悪だ。

「それで、咲夜が知りたいのはどんなことかしら。実践を通して体に覚えさせてあげなくちゃね」
「あの……その……」

恥ずかしさにしどろもどろになっている咲夜さんに、横からそっと

「えっちしてるとき、どう触れ合えばいいのかが不安なんですよね?」

助け舟。パチュリー様がじとっとこちらを見たけれど、パチュリー様がムチの役なら私はアメを行かないと。

「はい。あの子にして貰ったときはこう、気持ち良かったし、ワクワクしたし、ドキドキしたし……。何て言えば良いんでしょう。昂り、でしょうか。それがあったんですけど、いざ私が彼女にしてあげなくちゃってなったとき、どうして良いか、分からなくなってしまって」
「そうなのね。他には……そう、無いのね。まあまた何かあったらその時に言いなさいな」

パチュリー様の一言一言に首を振ったり頷いたりしながら咲夜さんが応えて。パチュリー様はしばらく何か考えていた様だったけれど、少しして深呼吸と共に手を叩くと、

「解説は後にして、楽しんでしまいましょ」

と。そう言って、咲夜さんに微笑んだ。
 しばらく、咲夜さんは落ち着こうと頑張って深呼吸してて。それもひと段落すると、

「この唇はあの子の専用にしちゃった?」

パチュリー様が普段はしない舌なめずりを見せつけながら、咲夜さんの顎を持ち上げた。咲夜さんには足を伸ばして座って貰って、私はその後ろで体を支えて。少しでも安心できるように、後ろから優しく抱き留めていた。勿論このパチュリー様の動き一つ一つが、咲夜さんをより恥ずかしくさせるための演技だってことは私には分かりきっているのだけれど、初めてパチュリー様とこんなことをする咲夜さんがそれを見破れるはずもなく。面白い位に胸がぴこぴこ跳ねている。

「……キスを、教えて頂けるのですか?」

とても小さな声で咲夜さんが尋ねた。

「あら。教えたりなんかしないわ。私は貴女のここを奪うだけ。学ぶものが在るなら頑張るのは貴女よ」

そう言って唇を重ねた。パチュリー様が他の誰かと口づけを交わすのを見るの……いつ以来だろう。お嬢様だったことは覚えているんだけど、思えばずっと前のことだ。……うぅ、これは……堪える。なんでパチュリー様こっちを見るんですか。見せつけてくれちゃって。パチュリー様だって昨晩はあんなに喉鳴らして喜んでたのに。後で全部咲夜さんに打ち明けちゃおう。
 唇を吸われ、舌先で弄ばれ、吐息で誘われて。咲夜さんは私の腕の中で少しの間もがいてた。やる先の無かった手を私の手に重ねて。足も擦り合わせて凄い内股になっている。お腹につけられてしまっていた紋は薄らと桃色の光を発して、中央に描かれた子宮に似たハート模様が少しだけ大きくなった気がした。

「咲夜さん、息を止めちゃうと苦しいですよ。私もついてますから、ほら、大丈夫……大丈夫」

耳元でゆっくりと囁く。けれど、パチュリー様のキスの音の方がちょっと大きくて聞こえているのかどうか。止まりがちだった呼吸は少しして聞こえるようになってきたけど、私の手に重なった手も、ぎゅっと閉じていた足も、段々と力が抜け始めてきていた。
 パチュリー様が顎を持ち上げていた手を離し、そして唇を離すと、二つの唇の間に薄らと橋ができて……壊れて消えた。咲夜さんはくったりとしてしまって、ちょっと固まっていたけれど……少しして思い出した様に深呼吸してた。私が抱きしめると、ぐっと体重を預けてくれて。パチュリー様はそれを見て満足そうに唇に指を添えていた。

「咲夜」

パチュリー様が囁く。

「キスで感じちゃうの?」

そう言うと、咲夜さんがもぞりと足を体に引き寄せた。けど、あんまり力がない。

「私のキスでこんなことになってたら。貴女の後ろで優しい言葉をかけてくれるその子は私の十倍は上手いんだから。……抜け出せなくなっちゃうわよ?」

その言葉に咲夜さんがびくっと体を震わせる。……うーん。パチュリー様には好評でも、咲夜さんがそれで喜ぶとは限らないのですが。

「私達も後で、キスしてみましょうか」

後ろから悪戯で囁くと……顔を手で覆ってしまった。

 咲夜さんは、パチュリー様の意地悪のせいか、ほとんど何も言わなくなった。頷いたり、首を振ったり。そうやって意思表示はしてくれるけれど、言葉に詰まっているみたいで。パチュリー様にはそれが少し面白くなかったみたいだけど、咲夜さんが参ってしまう状況だけは避けたかったから、私はそれでもずっと後ろから励ましてた。本当は、私にもパチュリー様の側に回りたいという気持ちがある。ただ、咲夜さんを弄って楽しみたいという気持ちは……ちょっとしかない。それ以上に、可愛がってみたいという気持ちが今は強い。決して恥ずかしい思いをさせてやりたいという訳じゃなくて、労えるなら。労われるなら。そうしてあげたいのだ。いつも頼ってくれる。いつも悩み事を聞かせてくれる。いつも、私達を助けてくれる。本当は、パチュリー様も根っこの所は同じって知ってるんだけど。

「次は体、ね」

落ち着きを取り戻し始めた咲夜さんにパチュリー様が囁き……紋をひと撫で。

「もうちょっと落ち着くまで待ってあげるわ。あんまりやりすぎちゃうと、お仕事に支障出ちゃうだろうし」
「だ、大丈夫です」
「あら、待ちきれないのかしら。それでも良いけど……じゃあ少し、お話を聞いて貰いましょうか」

そう言ってパチュリー様は咲夜さんの足を引っ張って伸ばして、その上に座って。ゆっくりと咲夜さんの手を拾い上げた。

「温かいわね。これなら私も嬉しいわ。いい、咲夜。気持ち良い場所って、大概共通点があるの。どこだと思う?」
「……えっと、性別に強く関連するところ、ですか」
「模範的。まあ一般に性行為って考えると、そうよね。じゃあ、その枠よりもちょっと広い、愛撫とは一体どこを愛でるのかしら。まあ、貴女はそれが分からなくなってしまってこの子に助けを求めたのだし、だからこそ私もさっきああいうキスをした」

パチュリー様は咲夜さんの手を、自身の顔にぺたぺたと触れさせた。

「ちょっと、怖かったでしょう。貴女の唇の経験は、貴女の好きな子との馴れ初め、なのでしょう。……ごめんなさいね。愛撫って、大事なところにするものなの。唇が関わるとキスって言葉に代わってしまうけれど、キスだって立派なその一つなのよ」

咲夜さんの指先を案内しながら、パチュリー様が説明を続けていく。

「目や、耳や、鼻。唇。下って、首筋。大事なところを相手に支配されてしまうっていうのは、誰だって怖いの。でも、好きな相手に支配されたり、愛でられたりするのは……気持ちが良いものよ。それは信頼の証。もしも貴女が私のことを嫌ってたなら。たぶんさっきのキスも、怖いだけのものだったと思う。そういう点でちょっと嬉しかったわ。拙い私のキスでも喜んでくれるのだもの。……ありがとうね」

……あれ、なんだか急に良い方に話を引っ張り始めた。うぅん。いけいけ系な感じで責めるのは諦めるのかな。私が後ろでにやにやしてたのがいけなかっただろうか。私には中々そういう風にしてくれないから、貴重だなって気持ちと、私の前なのになって気持ちと。色々混ぜ込んで観てたんですけど。

「お話を戻しましょうか。大事なところはそれだけで感じ易くなってるところ。じゃあ、もっともっと気持ちよくなって貰うためには、どうすれば良いのかしら。そういう時はね、想像を促すの。次はこうしてくれるんじゃないかなって。貴女の手、次に来るところは予想できるでしょう?」
「……お胸ですか」
「ええ。鎖骨でもよかったけど。予想できるのは、事前の動きがあったから。想像というのは、愛でられる行為の中では期待に変わる。想像が合えば安心感が加わる。貴女もたぶん昨日の夜に何かしら経験してると思うわ。次にこうされるんだって、分かってしまう瞬間があったと思う」

パチュリー様の説明に、咲夜さんがゆっくり頷いて。パチュリー様もまた、頷いてた。

「愛撫で大事なのはその二つ位よ。小手先の技術を学ぶのも大いに結構。でも、その技術がないとどうしようもないほど、愛する力って残念なものじゃない。上手くできるだろうか、よりも、愛してる気持ちが伝わったか。それを先に考えてあげて頂戴ね。一生懸命な貴女だもの。技術は後から勝手についてくるわ」

そう言って、ぎゅっと咲夜さんを抱きしめた。咲夜さんも背中に手をまわして……なんだか咲夜さんを奪われてしまったような気がする。決して私のものではないんですけど。でも、ちょっと妬けちゃう。パチュリー様も好きだけど、それでも。しばらくの間二人で抱擁した後、パチュリー様はすっと体を浮かせてベッドを降りてしまって。

「私が伝えたいことは伝えてしまったわ。ああ、私は出るけど後で呼んで頂戴な。そのお腹の紋様、私じゃないと消せないから。後は、貴女が私よりも信頼してくれてるその子に任せるわ。またね」

すぽすぽと、脱いでいたものを着てしまった。咲夜さんは色々と言いたいことがあったみたいだけれど……結局最後には全部飲み込んでしまって。

「急なお願いに応えて下さって、ありがとうございました」

なんて。硬い言葉を背中に投げて、頭を下げていた。

 パチュリー様が帰ってしまった後、私は後ろから横へ移動して、咲夜さんと寝っ転がった。パチュリー様とのキスしかしていないのだけれど、それでもちょっと汗をかいていて。少し初々しい。咲夜さんは私の目を見たり、首元を見たり。かと思えば天井を見たり、ドアの方を見たり。パチュリー様が出て行ってしまったことで、色々と頭の中で整理が始まった様だ。邪魔をせずにゆっくり待っていようかと思ったけれど、なんとなく一人で置いてけぼりだったのがちょっと悔しくて。私はゆっくりと咲夜さんの体をこちらに向けると、その小さな唇にそっと指先を重ねた。

「ごめんね……貴女がパチュリー様のこと、とっても好きだって……知ってるのに」

キスするつもりで重ねたのに、咲夜さんが小さな声でそう謝って。ちょっとだけ、言葉に詰まった。そんなことを言ってしまったら、私だって知っている。咲夜さんがあの子だけじゃなくて、私やパチュリー様も同様に好きだってこと。その気持ちの大小は、あまり関係ないと私には思えてしまう。大事な物は、いくら優劣がつけられたとしても、大事なこと自体に変わりないから。

「パチュリー様のキス、怖かったですか?」
「ちょっと。でも、添えてくれた手は優しかったから。それが、嬉しかった」
「そうでしたか。それなら私も安心です。どうか、お気になさらず」

咲夜さんがゆっくり頷いて、それから深呼吸して

「どうすれば、良いのかしらね」

私の方を見つめて、小さな声でそう尋ねてきた。果たして私は何を教えたものだろう。初心として持つべきだろうなって思ってたことは、パチュリー様に取られてしまった。去り際には小手先の技術がーなんて言ってたけど……私はそっちにしよう。気持ちがまず一番大事だってことは勿論分かってるけれど、選択肢が増えたほうが咲夜さんは安心できるだろうから。

「私はパチュリー様の補足をすることにしました」

咲夜さんの体に馬乗りになって、顔の脇に両手をついて見下ろした。赤い顔だったのに、寝転がって少しだけ温まれたのか、体の方にも赤みがある。お風呂場の時ほどまではいかないけれど、血色のいい咲夜さんを見るのはとても安心したりして。ついつい、温かそうな首筋に手を添えた。

「想像と、期待と。それらに付随していく安心感。とても大切です。でも、昨晩はそれに合わないようなことも、きっとあったと思います。気持ち良いのにどこかもどかしさを感じてしまう。そんな瞬間が」
「うん。すごく、焦らされた様な気がしたの。経った時間なんて本当に僅かだったと思うのに、とても長く感じたわ」

背中側からシーツの擦れる音が聞こえた。咲夜さんが足をすり合わせて……投げ出された手を紋に重ねてた。思い出して意識してしまったみたいで。ほんのりと、視界の隅に見えてた紋様が明るくなった様に見えた。昔パチュリー様が私にいれた紋様と少し違うから、想像でしか見方が分からないけれど、気持ちが乗ると紋様の主張が強くなるのは変わらないみたいだ。

「焦らしは調味料みたいなものです。例えば、お塩のような」

少しだけ体を起こして、右手をゆっくりと咲夜さんの腕に這わせ、辿っていく。緊張してしまったみたいだけれど、それでも先へ先へと辿って。手の甲へと重ね、それから咲夜さんのお腹へと降りて、蛇の様に下腹部を指で撫でていく。ずっとこっちを見ていた咲夜さんが、恥ずかしそうに顔を逸らし、きゅっと息を止めた。恐らくこの辺りで焦らされたのだろう。好意に甘えていたとか言ってたっけ。位置からすれば、彼女には指で慰められたのだろう。
 私、この手をどうしよう。咲夜さんを慰めてみたらどうなるかも、ちょっと試したい。けど、特訓を依頼してきたときだって、パチュリー様達が許してくれる範囲で教えて欲しいって言ってた。今日の依頼のこともあって、咲夜さんにとっての浮気の線引きが一体どこにあるのか分からないのだけど、もし手で慰めてしまったら。……うぅ、なんとなくパチュリー様がいきなり身を引いた理由が分かってきた。たぶん咲夜さんは私に何をされても拒絶しない。しないけれど、後になって絶対に悩む。こういうときは……

「どこまでしても良いですか?」

聞いてみる。分からないときは恥ずかしくても尋ねなさいって、パチュリー様も言ってるし、咲夜さんが妖精の子達に言ってるのも聞いたことがあるから。

「その、お尋ねですか……それともこれがその、焦らし、ですか」
「質問です」
「今日は私がお願いしたことだから。貴女が教えてくれるなら何でも受け入れられる。ただ……ちょっと気になることはあって」
「咲夜さんが昨晩を共にした、彼女のことですよね」
「うん。本当に、良いのかなって。凄く、あの子に申し訳ない気がしてて。でも、あの子にもっと喜んでもらえるだけの力はつけたくて」

……うん。止めておこう。

「私は咲夜さんのそういうところ、好きです。だから、続きは咲夜さんがその子との時間の中で頑張ってみましょうか」
「ごめんね」
「謝ることではないですとも。とても、大切な気持ちですから。ただ、そうですね。お話の続きはしてしまいましょうか」

下腹部に伸ばしていた手を引き上げ、咲夜さんの頭を撫でて。それからゆっくりと胸の中に抱き留めた。緊張して縮こまっていた肩だったけれど、しばらくすると長い息と共に落ち着きを取り戻していった。私の手も、少し怖がらせてしまったみたいで。ちょっとだけ、胸元に濡れた感触があった。

「焦らし。期待には添いつつ、相手の希望からちょっとだけ外す感じです。大事なことは、それでも愛しているという気持ちは欠かさないこと。そして、やりすぎないこと。調味料は適量だからこそ嬉しいのですから」
「その適量って、どうすれば分かるものかしら」
「経験です。けど、その適量の幅って広げられるんですよ。話しかけてあげる。彼女から言葉を引き出してみる。他の所も一緒に愛でてあげる。そうするだけで、許容できる範囲はどんどん広がっていきますから。ただ、喜んでる、楽しんでるって分かる範囲の間で止めてあげてくださいね?」
「……頑張ってみる」
「はい。きっと、できますとも。私にもパチュリー様に通じるものができたのですから」

胸元がちょっと温かくなった後、咲夜さんはゆっくり頷いて。

「ねえ、この後、ずっとこうしてて良い?」

小さな声でそう尋ねた。

「じゃあ私の方の実験、しちゃいましょうか。この体勢、凄く都合が良いので。咲夜さんは楽にしててください。けれど、どうか眠らずに。そうだ、お話しましょうか。疲れてたら無理しなくて大丈夫ですけど」
「ううん。私も、まだちょっと頭の中が整理できてないから。そっちの方が気がまぎれると思う」

「パチュリー様って、凄く意地っ張りなんですよ」
「そうなんだ」

体を密着させて、少しずつ少しずつ、咲夜さんの体の中に私の力を溶かし込んでいく。パチュリー様と一緒になって、これらに関係する手法は頑張って研究したんだ。奪う技術は昔から沢山資料があるけれど、与える技術はなかなか少なかった。奪う技術は、昔から篭絡に使われるものが多かった。手籠めにして、奪い、相手より優位を得て、また手籠めに。この循環を相手が屈服するまで使ったり、奴隷の躾に使ったり。そういう意味ではあまり良いお話が無い。けれど、そんな外道な方法でも長々と使用者が絶えなかったのは、副産物の依存性がとても強かったからだ。

「パチュリー様が求めるときって、大体それがとても強くて。……体調が良いときって少ないですから。だから、楽しみたい、楽しませてほしいって。そんな気持ちが強くなるみたいで。でも、パチュリー様もそれを中々言い出せないですから」
「今日みたいな感じ?」

互いの関係が赤の他人であれば、それは問題なかった。問題は、奪われる側が好意を持ってしまっていたとき。このときは簒奪されたものから捧げたもの、供物に変わってしまうことに加えて、奪う側に立つ相手が確実に喜ぶことを実感できるからか、対価と報酬の関係が悪く、悪く作用してしまう。捧げれば、喜んでもらえる。差し出せば、喜んでもらえる。使う側もそれを見越して、報酬に快楽を付け加えたりして。抜け出せない沼に沈めていく。

「あれよりも、もうちょっと勢いがあるかもしれないです。でも基本的にパチュリー様って受け身なんですよ。してる側も好きだけど、されるのはもっと好きみたいで。私がちょっと強気に出ると、借りてきた猫みたいになっちゃうこともあったりして」

私がパチュリー様と初めて実験したときも。私は……それで失敗してしまった。粘膜を通し、瞬間的に、そして大量に供給して貰った。最初は、心地よかった。けれど、段々と興奮を通り越して、万能感と昂りを合わせた様な、良くない状態に陥ってしまった。そして、必要以上に……奪ってしまった。戒めとして、忘れることは決してないけれど、それでも思い出すとつらい。

「私達って、してるときはパチュリー様が部屋を防音しちゃいますから。昨日は本当に猫みたいな声出してたんですよ」
「あんまり想像できないわ」
「私だけに聞かせてくれる声ですから」

それから何度か実験はあった。とても小さな実験を繰り返した。瞬間的な大量供給が相手を暴走させてしまうことは、それで理解して。それ以降も、もし必要に駆られたときでも、時間だけはしっかりとることにした。その甲斐はあって、滅多に使うことは無いけれど、もう以前のような失敗はしない。ただ、それはあくまでも私とパチュリー様との関係に限ったことだ。

「声、ね……私の部屋、お嬢様の隣だから、少し心配なの。手で口を押えてたから多分聞こえてないと思うんだけど」
「それはきっと彼女も分かってくれていますとも。咲夜さんを見てたら、なんとなくその子も優しそうなんだなって分かりますし」

普通でないようで、それでも普通の人間の咲夜さんに、それがどう作用してしまうのか。本当は少しだけ怖かったりする。失敗してしまったときの私と違って、奪う手段を咲夜さんは持ち合わせていないから、それだけが唯一の拠り所。私が被害に合うのは構わない。けれど、実験に巻き込んでしまった咲夜さんに、良くないことが起こってしまわないか。私はそのとき、責任を全て負えるのか。

「うん。とても優しいわ」
「隠れて、にはなると思うんですけど。大事にしてあげてくださいね」
「……うん」

咲夜さんに流す量の調節も終わり、私の方が落ち着いて来た頃、咲夜さんが顔を上げて私を見つめた。少し眠たそう。思えば今日は朝早く来たけれど、その時から疲れた様子だった。昨日の夜眠れなかったのかなって思ったけれど、訪れた時にはそんな風には見えなくて。少し気になることがあるとすれば、体を撫でると、背中がちょっと張ってるなって感じた位だった。

「ときどきね、彼女が部屋に来て、ぎゅっとしてくれるの」
「あらー……初々しい」
「そうなのかしら。……なんだか、その時に似てるなって思って」
「似てる?」
「ぎゅっとして貰ってると、凄く安らぐの。体についていた鎖とか錘が全部剥がれた様な感じ。ドキドキしたりもするんだけど、ベッドに転がりながら日向ぼっこしてた様な気持ちよさもあって。世の中の子供はお母さんに抱擁して貰ったり、添い寝して貰ったりするのだろうけれど、その気持ちって、たぶんこんな感じなんだろうなって」

そう言って一度微笑んだ後、また胸元に顔を埋めて、ゆっくりと息を吐いて。

「あの子とそういうことをした後ね、頑張ろうって気持ちが湧くのよ。筍みたいに。にょきにょき、にょきにょき」
「あはは。そういえば今朝は筍のご飯でしたね。美味しかったです」
「うん。今朝はちょっと早く起きちゃって。昨晩あんなことをしたからかしら。気分が舞い上がっちゃってたの。あの子をお部屋に返した後、外をお散歩してきたんだけど、永遠亭の傍の竹林にはもう筍がいっぱいあったから。頑張って掘って来たの」
「一人で?」
「うん。ちょっと、疲れちゃった。でも、美味しく食べて貰えて、良かった」

咲夜さんなら、確かにやるかもしれない。けれど、引っかかる。もしも今の感覚があの子の抱擁と同じなら。ひょっとしたら……まさか。その子も今の私と同じ様なことをしている可能性があるかもしれない。単に咲夜さんがリラックスしきってしまって、休息効果が非常に高かった、ということかもしれないけれど、気分が舞い上がるとまで言われてしまうと……。

「にしても、同じ感じ、でしたか。どの位似ているものなんですか。私は、パチュリー様以外に抱きしめて貰うことがあんまりないので」
「凄く似てるわ。ベッドの中で抱いて貰ったのは昨日が初めてだけど、とても心地よくて。……ふふ。パチュリー様、抜け出せなくなっちゃうかもって言ってたけど、そんな感じ。いつまでも、埋もれていたい。抱かれていたい。そう思っちゃう位ね。あの子もそうだって言ってくれるけれど、もっともっと、気持ちよくなってくれたらなって思う。頑張らなくちゃね」

怪しい。けれど、確証を得るには咲夜さんにいくら聞いたところで進展はしないだろう。その子から直接話を聞くべきだろうか。一応、どの子なのかは教えて貰ったから知っているし。あぁでも、もしもそれが彼女なりの愛の示し方だったのなら。……パチュリー様に相談しなくては。

「私の実験の方、もう少ししたら終わりますから。そしたらパチュリー様を呼んできますね。お腹のこれ、取って貰わないとですし」
「分かった。……これを触られた時、とってもぞくぞくしたんだけど、自分で触れても良く分からないわ。貴女やパチュリー様は普段こういうのを使ってるの?」
「いえ。普段は何も。たまに魔法でちょっと要素を追加したりはしますけど」

その詳細は、たぶん咲夜さんには刺激が強すぎるし、ひょっとしたら苦手かもしれないから、言うに言えなかったりして。私は言葉を濁しながら、少しずつ、与える量を減らしていった。増やすときよりも減らすときの方が集中力が必要で。それも頑張って終えると、何かを悟ったのか、咲夜さんがぎゅっと抱きしめてくれた。

「パチュリー様を、呼びに行ってしまうのね」
「ええ。何か、今の内にお話することがありましたか?」
「右手、借りて良い?」

抱かれていた体が離れてしまうと少し寒かったけれど、そんな中で咲夜さんが私の右手を拾い上げて、顔の前まで持ってきた。

「ええ。何か、ついてましたか」
「ううん」

咲夜さんはしばらく私の手を見つめてて。それからちらりと私の顔を見上げると、そっと顔を近づけて、口づけた。指の付け根に温かな感触が広がって。一体どうしたんだろうって思ったけれど……そういえば、キスをする約束をしていたのだった。

「でしたら、私はこちらに」

唇を離した後、咲夜さんは顔を赤くして俯いてしまったから。私はそんな咲夜さんの前髪を持ち上げて、眉間の少し上へ。……相変わらず、温かな肌だった。



~~



「レミィも、もう結構頑張ってるけど……実際どうなの?」
「うーん。成果はイマイチかなぁ。でも、決めたことだからもうちょっとやってみる」

パチェにお願いしに図書館に行くと、珍しくあの横の子が居なかった。今日は部屋で用事を片付けているのだそうだ。紅茶とか、その辺の準備はしてから行ったみたいだけれど、あの子が居ない図書館というのは、本当に静かだ。普段も静かと言えば静かなのだが、あの子が居ないと空気が少し冷たく感じてしまう。

「時間はどうするの?」
「お昼前まで効けば嬉しいんだけど。頼めるかい?」
「構わないわ。昨夜はゆっくり眠れた?」
「ああ。最近は考えごとが多かったからね。気が付いたら寝てることも多い位さ」
「そう。……もうちょっと近くに来てもらえる?」

パチェを訪ねたのは、魔法をかけて貰うためだ。少し前にフランを預けたあの秋の神様。その内の静葉嬢と夜を過ごしたときにかけて貰った魔法。簡単に言えば感度をあげる魔法だ。次に訪れてくれる機会がいつになるのかは分からないが、その時に楽しむことができるのなら。それもまた一興だと思って、パチェには何度かお願いに来ているのだ。だから、新しい企画のこととも合わせて、本当にパチェには年明けからお世話になりっぱなしになってしまっている。それでも快く引き受けてくれるから、私はそんなパチェがとても頼もしい。

「はい」

パッと手が光り、お腹に薄らと熱が沁み込んでいく。

「ありがとう。……あの子は今日はずっと忙しいのかい?」
「いいえ。戻るとは思うけれど、それがいつかまでは私もちょっと分からないわね」
「そうか。居ないうちに困ったことがあったら、是非うちの子達を頼っておくれ。それじゃ、私はこれで」
「ええ。楽しんでらっしゃいな」

……そう言われてしまうと、少し恥ずかしいのだが。

 部屋へと戻ると、部屋の中では妖精の子達が頑張っていた。咲夜が世話をするときは言葉通りの一瞬で終わるのだが、妖精の子達が担当のときはそうはいかない。ベッドのメイク、私の着替えの整理、私の浴室の掃除、部屋の掃除。静かなのが勿論好きだが、このときの騒々しさも私はそれなりに好きだ。嵐の様、とまではいかないけれど、皆が大急ぎで頑張ってくれる。大概、ベッドのメイクが一番最初に済んでしまうから、私はそんなベッドの上で羽を伸ばしながら見ることが多かった。
 今日もそうやって準備の整ったベッドの上で眺めていたが、その内の一人は昨日チョコをくれた子だった。以前、私の担当になった時にも少し話をしたが、もともとは洗濯係だった子だ。その関係で、着替えの整理は大概この子の役目。たまに着替えも手伝ってくれたりする。

「それでは失礼します」
「失礼します!」

そうやって見ている内に、他の子達も頑張って仕事を終えて。最後は纏まって部屋を出て行った。

「ありがと。お疲れさま」

妖精の子達を見送って、そっとドアに耳をつける。たまに部屋の前でお話してることがあるが、今日は無事にどこかに行ったようだ。昔と違い、今はどんな状況でも私の為に一人の子が部屋の前にいるけれど、一人ならまぁ……恥ずかしいが、そこまで問題ではない。ドアからゆっくりと離れ、部屋の奥のお風呂場から顔を拭く小さなタオルを取り出しベッドに戻って。静かに潜り込むと、そのタオルを丸めて咥えた。これなら、部屋の外の彼女にも聞こえない……と、思う。
 思えば、ここしばらくは自分を慰める回数が増えた気がする。正直、年も年だし、しなくても別に問題になるわけでもないのだが。それでも次にあの子が遊びに来たときに、一緒に楽しめるものが増えるのなら。……そんな無理な言い訳をして、ずるずると続けている。実際気持ちよくないのかって言われたら、そうと言えなかったりするし。
 パチェの魔法の強さは、頼む度に違った。段々と弱くなったり、かと思ったら急に強くかけられたこともあった。一度、とてつもなく強くかけられたこともあって。その時は弱くしてくれってお願いしたんだが……新しい性感帯を得るならそれが一番よ、なんて。完全に手のひらの上で遊ばれてたんだと思うけど、実際に少しずつ、気持ちよくなってはいる。まだ魔法をかけて貰わないと物足りなさはあるのだけれど、夏を迎える頃には魔法に頼らなくても楽しめるようになれるだろうか。今日も、少し強くかけられたみたいだ。あんまり強すぎると、ベッドの中で身じろぎするだけでも反応してしまいそうになる。一度達した後はうつ伏せに寝ることもできない位。あれはあれで気持ち良いのだけど、あまりやり過ぎると下着は悲惨だし、かといって下を脱いでしまうと、次の日の妖精の子達のシーツ回収が怖い。どの道、下着だろうと持っていかれはしてしまうけど。
 定期的にやっているお陰だろうか。静葉嬢と過ごした日からもう結構な日が経っているのに、あの時どんな風にして貰ったか、それはまだしっかりと覚えている。どんな風に押され、揉まれ、慰められたのか。最初の頃はそれで頑張っていたのだけれど、体が変われば楽しみ方もやはり変わる様で、押さえ方も、揺らし方も、少し変えたほうが私には丁度良かった。勿論、静葉嬢のやり方も毎回試している。あれはあれで気持ち良いし、何より気持ちよさはまた別として、気分が良くなるから。
 また、来てくれたら。今度はお互いに用事もなく。ただ、気ままなお茶の時間だけでも。お腹の中身を互いに話したからか、他の客よりもずっと安心してテーブルを囲める気がするんだ。その時にはフランだって呼ぶことができる。穣子嬢が居れば、フランにとっての心の休息にもなるだろう。また、いつかのタイミングで招待してみようか。



~~



 地下のお世話で一番困るのは、埃の掃除だったりする。部屋の中や浴室だけで終われば、本当に幸せ。浴室はほとんど埃が無いし、部屋自体もレミリアお嬢様の部屋に比べればずっと狭いから。一番面倒なのは、浴室でも部屋でもなく、廊下の掃除。地下の階段から部屋までの通路を掃除しないといけないのだ。お嬢様の部屋へと入ってくる空気は、地下へと降りる階段からゆっくり引き込まれた空気。訪れる人がそもそもあんまり居ないから、埃の量自体は確かに少ないけれど、それは問題じゃない。怠れば怠っただけ、お嬢様に失礼だ、ということ。
 今日は夜にお嬢様とお話があるから、私は急いで業務をこなしてた。洗濯物は朝いちばんに持ち込んだし、食後のお嬢様とののんびりした時間も返上してお掃除して。今は、その廊下のお掃除の真っ最中。急げるなら可能な限り急ぎたいけれど、思ったより急げないのがこのお掃除だ。忙しなく動いたら動いただけ、埃が舞ってしまうから。努めて静かに、確実に。それが埃を取る時に大事なことなのだ。ここだけはどうしても時間が削れないから……だから、普段はしている廊下の途中にある私の部屋のことは、今日は見なかったことにする。お嬢様とのデートプランを練ったり、練ったり……。そんなことをしてるから机の上は散らかってしまっていて、本当はそろそろ片付けないといけないんだけど。普段も、夜も、ずっとお嬢様のお部屋にお邪魔しているから、最近はなんだか倉庫みたいになってきた。

「お話って何なのかなぁ」

床に、階段に、燭台に。一つずつ掃除を進めながらぽつりと呟いた。勿論、誰も返してはくれない。

 お掃除を終えた後、お昼ご飯を受け取りに行った。朝食は筍のご飯だったけれど、お昼は洋食、パンだった。ホックホクの熱いサンドイッチ。三種類あった。一つは細かく刻んだチキンをタルタルソースに和えて、レタスに包んだサンドイッチ。一つは、スクランブルエッグに味付けをしたサンドイッチ。ちょっと卵がとろとろ。最後の一つはトマトとチーズ、ハムのサンドイッチ。どれもちょっと大きくて、そしてコーンスープが付いていた。正直、朝ごはんとこれを入れ替えても良かったんじゃないかって。そう思ったりした。

「コーンスープってさ、結構出るよね」
「そうですねぇ。朝ごはんにパンと一緒に出てくることが多いですよね」
「うん。でもさ、朝に出てくるパンとかって、大体いつもサンドイッチになってるじゃない。そうじゃないときもバターがとろーっと塗ってあったり。たまに、コーンスープにつけて食べたいなって思うときがあるんだけど」
「あー。私も昔はよくやってました。ここだと珍しいですよね。そういうの。トーストの時にぎりぎり、バターの滑ってないところでやる位でしょうか」

お嬢様はご機嫌だった。ゆっくり眠れたことも大きかったんだろうけれど、私が部屋に居るときはずっと私を見てにこにこしていた。お昼ご飯を運んでくるちょっと前までは本を読んでいたけれど、今もそれは栞を挟んでベッドの上にぽんと置いてある。この様子だと、たぶん今夜の話題はきっと楽しい物なんだろうなって。それが何となく分かって、ちょっと嬉しい。
 今日残っているお世話は、残すところはお洗濯物の受取、お昼のおやつの時間と、お茶の時間。そしてお夕飯の運搬。そうだ、お風呂も早めに入らないと。

「ごめんね、急がせちゃって」
「いえいえ。お気になさらずに」

お嬢様との時間が増えること自体は、大歓迎ですから。



~~



 パチュリー様とあの子の実験に付き合った後で、教えて貰った。パチュリー様の実験は、生体データの取得方法の試験。あの子の実験は、体力を他人に譲渡する方法の、ひとを相手にした場合での試験だったみたい。この館には私以外に人間が居ないから、私に白羽の矢が、ということらしい。朝に筍を頑張って取ってたせいで疲れてたから、ちょっと役得だったなって。ただ、彼女の腕の中で休んでいるときも、夜を一緒に過ごしたあの子の腕の中に居るときも。あんまりそういう、魔術的なことに関係なく、いつも気持ちよく休めている気がする。……そもそも。私はよく休んでいるのだ。時間を止めた世界を誰とも共有できていないせいで、誰も信じてくれないけれど。
 一緒の時間を過ごしているはずだけれど、私がその一緒の時間の内に休んだ様に見えないせいで、皆が心配してしまう。理解はしてる。これは、そういう力が無いと分からないはずだから。だから、気持ちも分かる。けれど、納得はできない。働き過ぎは体に毒だってこと、ちゃんと妖精の子達に話をしてるし、パチュリー様やあの子も、お嬢様や美鈴だってそれは分かってるはず。私の力は特別かもしれない。でも、私の体は、特別じゃないから。
 心配してくれることが悪いんじゃない。勿論、嬉しいことだ。心配して貰える、他人を心配できる環境は良いものだ。でも、大丈夫だって伝えてきた。ちゃんと休んでることも伝えてきた。私は、皆と一緒に居る時間が増えれば、それが一番嬉しいのに。その結果が、皆と一緒の時間を過ごすことじゃなくて、皆に見える休みの時間を作ることになるなんて。やきもきする。どうすれば皆の気持ちを酌んだまま、穏便に事を進めることができるんだろうって。今日もそんなことを昼食後の、皆に見える休憩時間の中で、ぼうっと考えていた。
 休憩が終わった後、洗濯係の皆の所を訪れた。お洗濯係のお仕事は、文字通りのお洗濯。私の衣服も、お嬢様達の衣類も、妖精の皆の衣類も。テーブルクロスにシーツ、その他の色んな洗濯物を一挙に引き受けるのがこのお洗濯係だ。今日は晴れているからとても穏やかな雰囲気だ。雨が降りそうだったり、長雨明けの晴れの日だったりすると、ここは戦場か、と思う程に忙しくなる場所でもあるのだけど。特に梅雨の季節や気温がとても下がった真冬なんかはそうなりやすい。冬はただでさえ水が冷たいから、すすぎを担当する子はとんでもない顔をしてたりすることもある。
 今日ここにやって来たのは、このお仕事の係の子達が中心となって開催している二つの集まりを調査するため。一つは、超神経衰弱クラブ。もう一つは、シルバーライフ。そんな名前で登録されている。最初のはトランプで遊ぶ神経衰弱に似ているけれど……この集まりの元になった活動がそれに似ていたからなのだそうだ。もう片方は凄く年配の方が楽しんでいそうな名前だけれど、こちらはもうちょっと分かりやすいことをしている。

「貴女が代表の子達?」
「あい。私が超神経衰弱クラブの。こっちがシルバーライフの代表です」

超神経衰弱クラブの代表は、小柄だけど腕ががっちりした子。ちょっと厚めの眼鏡をしてる。結構な近眼なんだそうで、この眼鏡も私が初めて会ったときから既にかけていた。

「どうも。シルバーライフの代表です」

一方、こちらの子は他の子達とあまり変わらない見た目……の、様に見えて、実は細身なのに筋肉質だったりする。そもそもお洗濯係は皆が皆、水を吸った繊維という重たい物を扱う関係で、しっかりした体の子が多いのだ。特に背中と二の腕、腰回り。体への負担が強いから、他の係の子達よりも休みが多かったりする。

「よろしくね。ごめんね、ちょっと実態調査をすることになっちゃって。活動の概要を聞かせて貰って、できれば見学もさせて貰いたいんだけど」
「どっちも今活動中ですよ」

細身の子が応えて、それを聞いた眼鏡の子が手を挙げた。

「じゃあ私らの方は活動時間が短いので、先にお願いできますか」
「ええ。案内お願いするわね」

 超神経衰弱クラブ。実はその活動内容は、この館で働くようになったときから知っていた。秘密結社とか、そういう括りでの組織だったってことは知らなかったんだけど。ここの活動の主な目的は、衣類の管理だ。このお洗濯係の所は、館中のあらゆる衣類が集まる所。必然的に問題になるのが、その衣類が誰のものかを判別する必要がある、ということ。妖精の子達には名前がある子も居るけれど、無い子も居ないわけでは無い。だから名前を書いておくわけにもいかないのだ。

「活動内容自体は昔話したことがあった気がしますね」
「ええ。伺ってるわ。だから、そうね。活動してる人数とか、後は必要な物資。これがあったら助かりそうってものとか教えてくれると助かるわ」

館で働く子が今よりもずっと少なかった頃は、全く問題が無かったそうだ。お嬢様も、妖精の子も、パチュリー様も。皆体型がずれていたから。比べればすぐに分かったのだそうだ。けれど、多くなってはそうはいかなくなる。一番最初に問題になったのは、靴下だったそうだ。お嬢様やパチュリー様のは分かりやすいとして、妖精の子達の靴下が判別できなくなって。そこで登場したのが、沢山の干し終えた靴下での神経衰弱。どの靴下とどの靴下が対になっているのか。そしてその靴下が誰のものであるのか。それを判別していくのだ。文字通りに神経の磨り減る作業だったらしい。

「昔は沢山居たんですけどねぇ。今はもう、やり方が整っちゃいましたから。五人くらいですよ」

そういう作業が恒例化したところで、この会ができたらしい。作ったのが彼女だということだ。他の会は代表がたまに変わったりしているが、この会の代表は私が知る限りでずっとこの子のまま。この子は、色々頑張った。どうすれば間違わずに管理できるか。そしてそれをできる限り、目立たないようにできるか。色々と試行錯誤があったそうだけど、それは私が知らない時代から続いていることで。結果として、今は私が管理している館の妖精の子達のリストをこの子達と共有して、それをもとに管理している。

「新しい衣類の配給があった時のことは知ってるんだけど、それ以外のことも聞かせて貰えるかしら」

妖精の子達は普段、特別意識はしないけれど、それぞれの子が誰であるかを区別するために番号が振ってある。その番号の子がどこで働いているのかはリストにあって、それに合わせてこの子達がそれぞれの衣類に小さな刺繍を施すのだ。刺繍は、文字の読み書きが困る子や忘れっぽい子がいることを踏まえて、簡単な記号と数字の組み合わせ。これも、上下反転させても間違わない、多少擦り切れても問題なく読めるようなものを、と。凄く気を遣っていたりする。

「あい。まあ今はそれが普段の活動になるんですけど、刺繍の補修ですね。異動があった時は異動に合わせて、刺繍の入れ替えもしますよ」

記号はそれぞれがお仕事の内容を示しているから、私が異動の指示をするときはここに届けを出さなければならない。ちなみに今日の朝見た、昨晩を共にしたあの子の衣類には、モップのマークが裏地にあったりする。モップはお掃除係の子だ。

「よくあるのが厨房の子達の補修ですかね。あそこは衣類に汚れが付きやすいですから、洗う過程で擦れちゃうことが多いんですよ。それ以外の補修はあんまり数が無いです。後は、そうですね。退職してしまう子の分からは刺繍を抜いている位ですかね」
「それで活動人数が減った、というところかしら」
「そういうことです。後はまぁ、裏方作業的にリストの管理がある位ですよ。特に必要な資材は……申請しているもの以外は無いですねぇ」

彼女に案内されて、その活動のお部屋に入ってみたが……都合が悪かったみたいだ。もう活動が終わったのか、お片付けの準備をしている。ちょっとだけ眼鏡の子が気まずそう。貴女が悪い訳じゃないのだけども。

「うん。分かった。今日の活動ももう終わってたみたいね」
「そうですね。補修が無ければほとんど活動が無いので。大概そういう何もない日は私達もシルバーライフ側に行ってたりしますよ」
「そうなの。……うん。じゃあそっちの方、見に行ってみるわ。今日は急にごめんなさいね」
「いえいえ。また異動や新規の方が入った時は教えてください」
「ええ。またね」

彼女がずれ落ち始めた眼鏡をぐいっとあげて、にっと笑って。私が部屋を後にすると、ほんの少しして『焦ったわぁ』なんて。ちょっと快活な声が去った部屋から聞こえた。
 そして、シルバーライフ。うぅん。部屋を教えて貰って来てみたが、静かだ。

「ようこそ」
「お邪魔するわね。……思ったよりも居てびっくりしたわ」
「でしょう。まあ、洗い物担当の子達が大体皆居ますからね」

お洗濯係は大きく分けると二つのお仕事に分かれる。片方が洗い物を担当し、もう片方が運搬を担当する。運搬は外に干したり、それを取り込んだり、さらには各妖精の子達の部屋までの配達をする。洗い物は腰にかかる負担が強いため、分けているのだ。

「手荒れを起こしてなければ参加良しの希望制です。この集まりが最初にできたときは二人だけだったらしいんですけど、今はこんなですよ。……どうです。地味でしょう」
「地味ね。必要な資材の申請で何をするかは分かってたんだけど」
「でもそれが良いんですよ。得るものが何も無い訳じゃないってのが大きいです」
「そうね。私達もお世話になってるからね」

ここの活動は至って単純だ。それは、くすんだ金属を磨く。ただ磨く。ひたすらに磨く。とにかく磨く。それに尽きる。ここの集まりから求められている資材は、ちょっとした研磨剤と、布。だから何となく想像はしていたんだけど。本当に、本当にただただ磨いているだけである。黙々と。聞こえてくる音があるとすれば、何故か皆の分がある大き目の安楽椅子が揺れる音、そしてこしこしという布の擦れる音。静かなのだけれど、目を閉じると異様な存在感はあった。
 磨かれるものは様々。でも一番多いのはフォークとスプーン、そしてナイフだ。ちなみに切れ味の悪くなった包丁も、ここに持ち込めば研いでくれるって。厨房の子達はそう言っていた。

「あの椅子は?」
「あれは毛玉クラブの手作りですよ。全部彼女たちの試作品らしくて、一つ一つ違うんですが……もう置き場が無いからということで、ずっと昔に貰ったんですよ」

部屋の真ん中には円形のテーブルが一つ置いてあり、まだ磨かれていないと思われる食器と、磨き終えた食器が山の様に積んである。その周りに安楽椅子がごろごろ。誰も座ってなくて動いていない椅子もあるが、大概どれも妖精の子達が腰を下ろしていて、こしこししている。

「そうなの。大体の活動人数ってどれくらい?」
「えー……難しいですね。洗い物係も運搬係も時期見て入れ替えてるじゃないですか。洗い物係の子が大体ここに来るので、それ以上には増えないんですが」
「毎回の参加が任意って所かしら」
「そういうことです。今日はこれだけですけど、梅雨とかだと仕事が減りがちになるので、満員になりますよ」

そういえばあの頃になると扱う食器が凄く綺麗になるのよね。

「必要になりそうなものとかは?」
「新しい研磨剤とかは興味ありますかね。あぁでも、一番は石鹸です。磨くと手が汚れるので、落とし易いものがあれば嬉しいですね」
「そうなんだ。……そうねえ。その辺りはまたちょっと考えさせて頂戴な」
「まあ今のままでも問題ないですからね。もしも可能ならということで」
「ええ。いつもありがとうね」
「いえいえ。好きでやってますから」



~~



 おやつとお茶の時間を終えた後、お嬢様に告げて地下を出て、お風呂場へとやってきた。一応お夕飯の時間の前ではあるのだけれど、他の子達も居る。来ていたのは夜勤を迎える子が大半で、それ以外にお掃除係の子が少し混じってた。この子達はきっと今日がお休みか、あるいは早上がりだったのだろう。そんな皆が居ても、夜の人気の時間に比べればずっとずっと数が少なくて、洗い場で待つこともなくすぐに湯船に浸かることができた。お嬢様も浴びると言っていたから、きっと今頃はあの小さな浴室の中で……頑張っているんだと思う。まだお夕飯も終わってないから、急いで帰らなくても良さそうなのはちょっと嬉しいところかもしれない。久々に長く入れそうだから……。
 大きな湯舟に体を沈め、縁にべったりと体をもたれて休んでいると、よく見知った顔が浴場へと入ってきた。図書館に給仕へ出る友達だ。なんだかちょっと眠そうで、疲れている感じ。しばらく見ていると、体をゆっくりと洗った後で湯船に入ってきた。私が居ることには気が付いていなかったみたいだけど、手を振ったら視界には入ったみたいで。眠そうな体をもそもそと引っ張って来てくれて、隣に腰を下ろした。

「この時間に居るのは珍しいね」
「眠気覚ましにねー。まだ最後のお仕事までもうちょっと時間あるし」
「何かあったの?」
「明日ね、図書館のお姉さんの所にお泊りにいくの」
「また?」

私の言葉に彼女が顔を赤くした。確か、少し前にもお泊りに行ったのだ。着替えを持っていくのを忘れて、くしゃっとした服で部屋を出るのが恥ずかしかった、って。その日の朝ご飯を運ぶときに言われた覚えがある。

「うん。私普段は遅く寝るし、前行った時はドキドキしすぎてあんまり眠れなかったんだ。だから昨日ちょっと眠る時間を調整したんだけど、今度は眠くなるのが早すぎちゃって」
「それで眠いんだ」
「うん。……そうだ。薬、どうだったかな。良い夜は過ごせた?」

ぱちんと手を叩いて彼女が尋ねた。弾かれた水が目に入ってちょっと痛い。

「うん。朝までぐっすり」
「……そうなんだ。てっきり妹様といちゃいちゃしてるのかと思ってたけど」
「う、うーん。そうはならなかった。温まったから眠ろうって。でも本当に気持ちよく眠れたよ」
「そっか。……うん。図書館のお姉さんも、そんな感じのこと言ってた」

それから一度、大きな欠伸を漏らして。彼女は縁に背中を預けると、顎先までお湯に浸かった。

「毎年思うんだけど、冬ってあっという間に一日が過ぎちゃうね」
「年が明けてからはばたばたしてたもんね。お客様も居たし」

あれはお嬢様にとっての良い息抜きにもなった。一方で、あの後はちょっと大変だった。私も、お嬢様も。あんまり気張ることが無かったからだと思う。お客様が帰った後、精神的には落ち着いていたのだけれど、体調は崩してしまった。疲れが一気にやって来て。勿論ほんの数日で治ったんだけど、咳も熱もなく、ただぐったりとしてた。

「冬はお姉さんのベッドに湯たんぽ代わりに潜り込む口実になるのに。春からはどうやって攻めたら良いのかなー」
「抱き枕で売り込んでみたら?」
「貴女と妹様は、そういう関係?」
「……近くは、あるかも」

いいなーって。彼女が小さく呟いて。それからずぶずぶとお湯の中に顔が沈んでいった。口元からぷくぷくと泡を立てて。ぼうっと壁の方を見てた。私と違って、彼女は彼女で難しい問題を抱えてた。彼女は図書館のお姉さんが好き。でも、図書館のお姉さんは、パチュリー様のことが好き。自分の気持ちは告白して、受け入れて貰いはしたけれど、一番にはなれない。少し前に言っていた。どこまで近寄っても良いのか、許されるのか、それが分からないんだって。

「頑張ってね」

ゆっくりと、頷いてた。
 お夕飯はハンバーグだった。給仕係にとって、ハンバーグとは戦いだ。浴場ではのんびりしていた私達でも、ハンバーグ相手にのんびりする訳にはいかない。図書館給仕の彼女はいつも失敗しないと言っていた。私の方は……まちまちだ。たまに失敗してしまう。何が、と言えば、鉄板がまだ音を立てる内に運ぶことができるか、だ。大事なことは地下に運ぶところで如何に時間を無駄にしないか。冬はただでさえ気温が低いから、小さな迷いも大きく響いてくる。お嬢様はゆっくりで大丈夫っていつも言ってくれるけれど、できるなら本当に出来立てのものを食べて欲しいから。音でも楽しめるこういう鉄板料理は、貴重なのだ。何より、美味しいし。
 今日の成果は……うぅん。しょっぱい。ちょっと音は聞こえるけれど、もうちょっと欲しい。足りない。

「ハンバーグだ」
「はい。ハンバーグですよ」
「……怪我、しないでね?」
「大丈夫ですとも」

二人で手を合わせて食べ始める。今日は和風のソースだった。合わせはご飯にお味噌汁。運び方があまりよろしくなくて、ハンバーグは温かかったのだけれど、上に乗っていた大根おろしは片側にずりっと寄っていて。お味噌汁は蓋があったから零れはしなかったけれど、そのお椀の中で大暴れしていたらしいのは開けた時に分かった。

「これの片づけをしたら、今日はもう終わりかな?」
「はい。他は片付いてますよ」
「そっか。……じゃ、ゆっくり食べよう。美味しい夕飯だもの」
「そうですね」

ナイフとフォークも用意してあったけれど、お嬢様も私も箸で食べた。そういえば、お嬢様がお客様の家に行ったときもハンバーグを頂いたらしい。お豆腐のハンバーグ。尋常じゃなく熱かったそうだ。……それに対抗心を燃やしている訳じゃないんだろうけど、その話があったからか、この館でもあれから一度だけ豆腐ハンバーグが並んだ日があった。お嬢様の記憶や記録を頼りに色々と頑張って再現したみたいなのだけど、それでもやっぱり、ちょっと味が違ったらしい。どっちが美味しかったか尋ねてみたら、どっちもって。食べた時に言ってたっけ。

「今日は体調大丈夫?」
「体調ですか。大丈夫ですよ。先にお風呂浴びてきましたし、さっきちょっと走ってきたのもあって首とか足は冷えちゃいましたけど」
「そっかそっか。うん。じゃあ、お話するときはベッドでね」
「分かりました」

私の返事に頬を緩ませ、その頬の中へとお嬢様がハンバーグを運んで行く。お嬢様はハンバーグが好きだ。というか、私だろうが他の子だろうが好きなのだが、ハンバーグには素敵な点がいっぱいある。何より一番大きいのは、その柔らかさだ。これは凄く重要。とても重要。以前お客様が来た時はとんでもないバリバリなとんかつも出たけれど、この地下室では音というのがとても良く響くのだ。しゃきしゃきなサラダならそれはそれで微笑ましい。天麩羅とか、度が過ぎなければ大抵の揚げ物もそう。けれど、恥ずかしくないのか、と言われれば、やっぱり恥ずかしくて。その点でハンバーグは優秀なのだ。

「私の顔に何かついてる?」
「左の頬の下に、ソースがちょっとついてますよ」

後で拭こうかなって思ってたけれど、ずっと見つめていたことが恥ずかしくなって、そんな返事をして。私もゆっくりと食べ進めていった。

 食べ終えた食器を片付けて戻ってくると、お嬢様は既にベッドに入っていた。いつの間にか着替えも済ませて……いや、済ませていない。脱いでいた。

「ひょっとしてお話って、そっちの方ですか」
「……うん。そっちの方」

大概そういう時はあんまり隠さずに、夜に一緒に起きていたいとか、ぎゅっとして欲しいとか。そう言って貰えるのに。なんで今日は、お話がある、だったんだろう。そんなことを頭の中で考えながら服を脱いで、私もベッドにお邪魔した。お嬢様は真ん中に来るように私の腕を引っ張って。……私の背中がとても温かなところまで来ると、お嬢様が私に馬乗りになった。

「試したいことがあるんだけど、驚いちゃうかもしれないから。……ちょっとだけ、目を瞑っててほしいな」
「な、何をなさるので?」
「うんと……二人になろうかなって」

もう二人きりだと思うんですけれども。お嬢様に催促されて目を閉じると、お嬢様は深呼吸して、そして何故かベッドを抜け出して。しばらくするとまたベッドに戻って来たのだけれど……なんだか、違和感がある。

「もう開けて良いよ」

そう言われ瞼を持ち上げると、お嬢様が私を見下ろしていて。……思わずびくりと体が震えた。お嬢様の横に、もう一人お嬢様がいる。

「分身してみたの」
「できるのは伺っていたんですけど……本当にできたんですね」

お嬢様の言葉に、まじまじと見比べてみたけれど……そっくりじゃなくて、同じだ。けれど、

「こっちが本体のお嬢様ですか?」

なんとなく動きには差があって。そう尋ねたら、二人揃って顔を赤くして頷いてた。

「分かる?」
「何となく、ですけど」

二人のお嬢様が、私を挟む様にベッドに潜りこんだ。どっちも私を見つめていたけれど、やっぱりちょっと差がある。片方は本当にいつものお嬢様だ。でももう片方は、ちょっと表情がおかしい。変な顔という訳じゃないけれど、恥ずかしそうなときは本当に恥ずかしそうで、驚いた時には本当に驚いた顔をする。嘘がつけないみたい。動きもそうだ。

「昔は四人に分身してもうまく動かせていたんだけど、最近思い立って試してみたら、二人でも難しくなってたの」
「でも、どうして分身を?」

ふと思い立った疑問を口にすると、尋ねたお嬢様は恥ずかしそうに口を閉じてしまって。しばらくすると、後ろに居たお嬢様からぎゅっと抱きしめられた。

「あげられるものが用意できなかったから、せめて楽しんで貰おうと思って」
「……そうでしたか」

目の前にお嬢様の顔があるのに、後ろから囁く声が聞こえるのは少し変な感じ。どっちもお嬢様には違い無いのだけれど……私は、どうすればいいんだろう。私はどっちのお嬢様に縋りつけばいいんだろう。どっちでも良いんだろうか。そもそもお嬢様一人相手にするのでも、頭の中いっぱいいっぱいになっちゃうのに。

「私が頑張るから、楽にしてほしいな」

また、囁かれた。

「うー……恥ずかしいから言い方考えてる内に全部後ろのが喋っちゃう……」

困惑している内に今度は前のお嬢様がぼそりと呟いて。後ろに手が伸ばせなかったから、私は目の前で赤くなったお嬢様を抱きしめた。

「お返し、頂きますね」
「……うん」

 この月に入ってから、頑張って練習したのだという。私が気づいていなかったのは、私が上のお風呂に行っている僅かな時間を使って練習していたからなのだそうだ。その時間は普段、お嬢様もお風呂を浴びている時間だったのだけれど、お嬢様は少しそれを後ろにずらして、分からない様にしていたみたい。たぶん、温まれる時間もあまり作れなかったのだと思う。今度咲夜さんにお願いして、大浴場をまた利用させて貰おうかな。許してくれたら良いんだけど。
 頑張って練習した、とお嬢様は言っていたけれど、間に入った私にはやっぱり変な光景だった。考えは共有しているみたいなのだ。感覚もそう。でも、体は二つに分かれている。たぶん、人格も一応は分かれてる。お嬢様が体を離した後、私はキスがしたいと願い出た。いつも二人で体を重ねさせて貰うときは、それがいつも最初にあったから。何となく今日もして欲しくて。それでお願いしたのだ。

「うん」
「うん」

って。同時に返事されて。その声にお嬢様同士が見つめあったりして。結局、本物のお嬢様がしてくれた。楽にして良いって言われてたから、私は仰向けにそのまま転がって、上からお嬢様が覆いかぶさってくれたのだけれど、視界の隅にはもう片方のお嬢様が見えてて。目の前のお嬢様は瞼を下ろしていたけれど、あっちのお嬢様は恥ずかしそうに指の間からこちらを見つめてた。それがちょっと私には面白くて、私もじっと見つめていたんだけど……しばらくしてそのお嬢様の唇から涎が零れて、どっちのお嬢様もびくりと体を震わせてた。段々と、見られていることに恥ずかしくなって来てしまったみたいで、見ていたお嬢様はもぞもぞとベッドの上を移動すると、本物のお嬢様の陰に隠れてしまって。そっちのお嬢様は、私のお腹に口づけてくれた。
 どっちの唇もぷにぷにで、本物のお嬢様はいつも通りだけど、お腹の方のお嬢様は……ちょっとぎこちない。お嬢様の舌を私が受け入れたり、歯先で少しだけ捕まえてみたり。たったそれだけで、ぴたっと動きが止まるのだ。互いに唇で遊んでいるのはこっちのお嬢様なのだけれど、その影響を受けているのかお腹の方のお嬢様の舌は妙にとろとろしてて。それが妙にくすぐったく……でもそれ以上にぞくぞくした。同じ様で同じじゃないお嬢様が、どっちも優しくしてくれる。夢なのかどうかを確認するのは怖いからしない。
 少し長いキスが終わると、どっちのお嬢様も口の中のものを飲み込んでた。それから二人とも胸元までやって来て……私の自慢にならない胸に口づけた。どっちのお嬢様も上目遣いで私を見つめて……なんだろう。独りの時は凄く愛らしいのに、二人でされるとただただ、恥ずかしい。どうにかしてお返ししたくて、とりあえず片方のお嬢様の頭を撫でた。された側のお嬢様は喜んだけれど、そうじゃない側のお嬢様はちょっと戸惑って。じっと見つめる目がちょっと子犬っぽくなった。ただ、感覚は共有しているからか、ゆっくり撫でている内にそっちのお嬢様も恥ずかしそうに視線を下げて。普段はお腹の奥の方に隠している、思い切り可愛がってみたいという欲求に、ちょっとだけ火が付いたような気がした。
 ぴったりとくっついてくれたから、普段以上に温かかった。そしてそれ以上に、下半身は身動きが取れなくて。どちらの足にもお嬢様の足が絡みついて、ちょっと狭苦しいながらも、お嬢様の太ももの感触がとても気持ちいい。やわこい太もも。表もそうだけれど、裏側はもっと柔らかくて。こうして足を取り込まれてしまうと、その感触は良く分かる。普段短めのスカートを履くからなのか、膝はちょっと冷たいけれど、太ももは少しくっつけば私なんかよりもずっとずっと温かくて。

「気持ち良いです」

ってそう漏らしたら、どっちのお嬢様も笑ってくれた。ただ、その顔はちょっとにやっとしてて。お嬢様の手がゆっくりとお腹を這い始めたところで、その意味が分かった。足を閉じるどころか、ほとんど動かせない。あろうことか、お嬢様二人がちょっと距離を取ろうとするだけで、足をどんどん広げられてしまう。

「いっつも気持ちよくしてくれるから」
「今日は貴女の番だから」

お嬢様達がそう囁いて、二つの手がお腹を下っていく。いっつもって、それはどちらかというと私の方なんですけど。そういう言葉が頭に過ったところで、私はお嬢様の頭から手を引っ込めて、口を押えた。普段でさえ変な声が漏れてしまうのだ。どんな声を出せさせられてしまうのか。ちょっとだけ、期待してしまっていた。

「我慢しなくていいんだよ?」
「遠慮しなくていいんだよ?」

二人が同時に囁いて、ごくりと唾を飲み込んだ。
 私はお嬢様の弱い所を知っている。どうすれば恥ずかしがってくれて、どうすれば喜んでくれて、どうやって達するのが好きなのか。それはお嬢様も同じ。お嬢様は、とても優しくて一生懸命だから。私が何をされると顔が熱くなって、何をされれば体が我慢できなくなって、どうやって導かれるのが好きなのか。そしてその後もどうやってあやされるのが好きなのか。全部、知られてしまっている。そういう意味ではいつも強い安心感があった。お嬢様の好意を受け入れれば、どこまでも気持ちよくして貰えるって、そう信頼していたから。
 けど、二人に増えると途端に話は違った。二人になっても、お嬢様は私が長く楽しめる様に頑張ってくれた。本当に耐えられない程弱い部分には直接触れず、優しくしてくれる、とか。けれど。その一つ一つだけなら今まで耐えて来られたけど、混ざると……どうしようもなかった。我慢も、遠慮も。関係が無い。二人のお嬢様の姿を目で追ってしまうのがいけないのかもしれない。非日常に意識を引っ張られ過ぎているのがいけないのかもしれない。理由は多分、いっぱいあったんだけど……とめどなく流し込まれる感覚が、体の中で使いきれなかった。消化しきれない程の快感が、お嬢様の気遣いと共にどんどんと押し込まれていく。
 普段は貰えない感覚に、堪らないと言えば堪らなく……声どころか呼吸も怪しくなるほどには苦しく。決して、一番弱い所には触れていないのに、そこが勝手に跳ねまわっているような気にすらなるほど、責められ続けた私には余裕が無くて。私は何とか動かすことのできた上半身を捩り、耐えようと試みたけれど……

「大丈夫かな?」
「もっと、もっとしてみていい?」

ほとんど、役に立たなかった。
 いつもなら、大きく一度跳ねた後、何度か小さく体が跳ねて、それで終わり。けれど、今日はもう、壊れてしまったかなって自分で思った。大きく跳ねた後も、小さく跳ねた後も。ぶるぶると、お腹も足も勝手に震えてしまって。目はちかちかを通り越して、ばちばち火花が飛んでる様な感じ。お嬢様が気づいて止めてくれた後も、お腹の震えだけはずっと収まりがつかなかった。

「ちょっと休憩する?」
「まだ、楽しんで貰えそう?」

そんな声が届く。色々、言いたいことはあった。もっとゆっくり楽しみたい。もっと小さな刺激でも私は気持ちが良い。もっと穏やかな気持ちで取り組みたい。けれど、ちょっとだけ……まだ、楽しんでみたいって。そう思ってしまう自分も居る。もしもこれが、私が本当にただの恋人の扱いだったのなら。たぶん私はその甘い誘惑に乗ってしまったのだと思う。ただ、私はお嬢様のお世話係だ。明日も、ちゃんとお世話をしたいのだ。

「これ……」

これ以上されると、何も考えられなくなってしまう。そう伝えたかったけれど、舌が上手く動かない。頑張って深呼吸を繰り返していると、足の拘束が解けて、顔を温かな感触が包んだ。

「……うん。ちょっとやりすぎちゃった……ね」
「でもキスはしたいから、させて欲しいな」

優しい方のお嬢様に腕を投げ出し、抱きしめて貰って。そしたら背中に正直なお嬢様が抱き着いて、私の羽の根元へと唇が下りた。流石に私が何を言いたかったのか、お嬢様も理解してくれているみたいで……ただただ、くすぐったくて。そして、温かかった。
 結局、私の呼吸が落ち着く所まで休んでみても、お嬢様にもみくちゃにされたお腹から下の感覚は収まらなかった。私のでも、お嬢様のでも。身じろぎ一つするだけで、びくりと体が震えてしまう。十分に……そもそも何回導かれたのかも分からない位なのに。もう頭では休まなくちゃいけないって分かってるはずなのに。体の中の熱が消えない。吹いても吹いても揺れるだけで消えない蝋燭みたいに、興奮ともどかしさが小さな火になって残ってしまっている。
 原因は分からない。けれど、いつもと違って今日はずっと、一番弱い所を慰めて貰えなかった。予想していなかった喜びを沢山楽しませて貰ったけれど、いつも優しく、でもちょっと悪戯に可愛がってくれたそこを、責めて貰えなかった。上半身はゆっくりと熱が落ち着き始めたのに、下半身ばかり溜まり続ける熱に、私はいよいよ耐えかねて。お腹に回っていた後ろのお嬢様の手を引くと、我慢できないそこへと引っ張った。

「無理しちゃだめだよ?」
「あと、一度だけ。あと、たった一度だけ……どうか」

それが、その時の私の精一杯の言葉だった。



~~



 少しだけ早く目が覚めた。門番の担当時刻まで時間があったから、私は部屋の暖炉の前で過去に貰った手紙を広げていた。差出人にはもう会わなくなって久しい子も、会えなくなって久しい子も居る。この季節には貰うことも多かったからか、本棚に保管してある手紙の束からひょいと引っ張り出すと、この季節の手紙はすぐに見つかる位だ。他の季節で言えば、真夏と、後はクリスマスが多い。真夏に届く手紙は匿名も多かったが、クリスマスに届く手紙には誰が差出人なのか分かるものが多かった。
 内容は、相談が一番多かった。次に多かったのが、夏に多い私の体調を気遣ったもの。そして、私への告白文。それ以外にもあるにはあるけれど、その三種類に比べればずっと数は少ない。好きな人にどう気持ちを打ち明ければ良いのか分からない。ブロッコリーが苦手。ぎっくり腰になったけど支給の湿布が効いてる気がしない。相談は他にも色々。夏に貰う労いの手紙には、一緒に物が付いてきていることもあった。夏みかんとか、とうもろこしとか。胡瓜とか。どこで仕入れてきたのか、大きな氷の塊だったこともある。大概いつも、気づかないうちに手紙と一緒に部屋に置かれてた。西瓜も一度あったけど、門の子達全員で無理矢理分けたら、一つ一つが凄くちっちゃくなっちゃったっけ。告白の手紙は冬に貰うことが多かったけれど、これにも色んなものが添えてあった。手袋とか、マフラーとか。今私が腰をかけているちょっと大きな安楽椅子も、そんな手紙に添えられて……というより、いつの間にか部屋に運び込まれてた。
 私も、そしてお嬢様も手紙が好きだ。そもそもお嬢様が手紙を好きでなかったなら、手紙はたぶん、今も私には縁遠い存在だっただろう。お嬢様は昔から読み書きのすばらしさをそれとなく説いていた。勿論それは、そういうことのできる子が欲しかったというのもあるけれど、お嬢様自身が妖精の子達から何か貰うことを楽しんでいたから、というのも大きいだろう。普段は恥ずかしがってあまり見せてくれないけれど、お嬢様も貰った物は大概、大切に保管していたりする。一部は調度品に交じって部屋の外にそれとなく置いてあったりもするけれど、例え壊れてしまっても持っていたりする。
 頑張って説いても、皆が読み書きできるようにはならなかったけれど、できるようになった子も居たには居たし、読めるだけの子も増えるには増えた。どちらもできる子が忙しくなってしまったのはちょっとかわいそうだったけど、中には喜んでる子も居たりして。館の中でのお手紙のやり取りはその頃から始まったのだ。書類仕事に追われるその子達を、色んな子が訪ねて。書けない自分に代わって、自分の言葉をしたためて貰って。とても小さな活動ではあったけれど、流行と言っても良かったと思う。仕事の一つではなくて、あくまでも彼女たちの好意だったから、最初はてんてこ舞いだったけど、いつからか協力してくれる子とかも出たりして。今は配達なんかもやってくれたりする。
 今日も、一通貰った。差出人は何も記載がない。封筒を開けて中を見てみると、中には短く一文のみ。まだ寒いから、どうか温かくしてください。実はほとんど同じ手紙が、何年かに一度届く。差出人は分からなくても、分かっていることはある。まだその子は館に居るんだってこと。そして、代筆した子がずっと同じだってこと。それとなく、それとなーく尋ねたことがあったけれど、それが一体誰であるのかは教えてくれなかった。ただ、返事があるならそれは受け取るって。だから、この手紙を貰ったときは、いつも返事を書くことにしてた。
 日が昇り、返事をしたためて部屋を出た。手紙を預けに向かっていると、

「あら、おはよう。貴女の勤務時間、まだ先だと思ってたんだけど」

咲夜さんが、欠伸混じりに廊下から現れた。

「おはようございます。手紙を預けに行くんですよ」
「奇遇ね。私もそこに用事があるのよ」

手紙を握っていた私と違い、咲夜さんはメモ帳を握ってた。朝ごはんを先に作って来たのか、ほんのりと匂いがする。私も後で食べに行こう。濃い目のお醤油の匂い。時間的に、きっと煮物だろう。煮物なら、時間ぎりぎりに食べに行くのも良いかもしれない。無くなることはないのだし、浸かるだけ浸かったものは凄い美味しいし。

「咲夜さんもお手紙を出したりするんです?」
「違うわ。そのお手紙の管理組織の実態調査、といったところかしら」
「あー、一応お仕事外ですもんね。……なくなったりしませんよね?」
「しないしない。あれは彼女たちの自主運営だもの。それでお仕事に支障が出てるなら問題だけど、私は少なくともそんな話聞いてないわ」

こつこつと、少しかための革靴の音を響かせている内にお部屋の前について。口を開けた私書箱を横目に二人で部屋の中にお邪魔した。
 部屋に広がるのは、インクの匂い。換気はしているけれど、天井の傍に小さな換気窓があるだけだ。風が部屋の中で踊ると書類が飛び散って大変だからなのだけど……そのお陰か、いつ来てもこの部屋はあまり温かくない。

「おはよう」

部屋には夜勤終わりの子が三人、うつらうつらした様子でテーブルに待機していた。私の声に二人がびくっと体を震わせて、もう一人はまだ夢の中に居る。咲夜さんが怒ってしまわないように、先手で声をかけたのだけれど……これは、駄目かもしれない。そろりそろりと咲夜さんが寝ている子に近寄ろうとして、

「おはようございます!」

と。起きた子の内の片方が叫ぶように返事をした。良い返事だ。たぶん色んな意味を込めた叫びだったのだろうけれど、残念。最後の一人はそれでもまだ眠っている。仕方ないことだとは思う。ここの仕事は大変な時は本当に大変だけど、仕事が無いときは最近の医務室よりもよっぽど暇になってしまうから。加えて言えば夜勤の子なのだ。私だって夜に見張りをすることもあるから、その苦労は知っているつもり。

「ます!」

もう一人も、少し置いて叫んだ。流石に今度は聞こえたのか、眠っていた子がびくりと震えて……瞼を持ち上げた。

「……あ、これは、皆さん。おはよーございます」

いやにのんびりした声が部屋の中に響いて……それからまた、瞼が落ちた。

「おはよう」

咲夜さんが言葉に困って、なんとかそう絞り出して。私はとりあえず面倒なことが始まる前に、と、持ってきていた手紙を彼女たちに差し出した。

「これ、頂いた手紙のお返事ですので、お願いしますね」
「はい。お届けいたします」

とりあえずこれで大丈夫だ。火の粉を浴びる前にそっと抜け出そう。そう思って出口へと向かおうとすると……起きていた二人の子の視線が猛烈に体に突き刺さる。居てくれ、ここに居てくれ。……そんな感じの言葉を目からびしびしと発している。

「まあ、良いわ」

良いんです?

「お手紙の会のことを聞きに来たんだけど代表は……あぁ……その子、だったわね」
「私で良ければ代わりに答えますよ」

手紙を受け取ってくれた子が、若干の申し訳なさを醸し出しながら咲夜さんに告げた。咲夜さんは眉に皺を寄せて目元を押さえていたけれど、しばらくしてゆっくりと頷いた。

「それで、どうなさったんです」

寝ている子への視線を奪おうと、話していた子がずいと体を乗り出した。けれど、さっき中途半端に起こしてしまったからだろうか。寝ている子の頭が少しぷらんぷらんしてて。どうしても目が奪われてしまう。

「備品申請とかは貰ってるけれど、改めて活動の実態を知らなくちゃいけなくなってね。活動内容の説明と、おおよその所属人数、あとは今後必要になりそうなものを聞いて回ってるのよ」
「ああ、はい。やってるのはお手紙の代筆とその預かりやお届けです。お手紙の代筆はいつでも受け付けてますが、お届けは基本明け方です。夜勤の子には日勤の子が昼過ぎに届けてますよ」
「渡すのは手渡しなの?」

もう片方の起きている子が少し居た堪れない感じで、テーブルの下から寝ている子をつついている。説明してくれる子は真剣で、この起こそうとしている子も真剣なのだけれど、寝ている子は何かとても良い夢を見ているみたいで。くすぐったそうだけど、寝顔がどんどん緩んで……嬉しそうな感じになっていた。

「手紙だけなら起こさずにドアの下に挟んでいくことも多いです。要望があれば手渡ししますよ。それと、物がついてたらそれも一緒にお届けしてます」
「この会の人数はどれくらい?」
「うーん。主要なのは五人ですね。そこの会長と、あとは日勤と夜勤に二人ずつで。夜勤組は今日お休みの子の中にもう一人居ます」
「そう。思ったより小さかったのね……」

起こそうとしていた子から、助けてくださいという視線が何故か私に届く。見なかったことにはできないから、とりあえず苦笑いで返して。……それから少しして、彼女は諦めた顔を浮かべて、べしゃっとテーブルにもたれかかった。

「興味を持ってくれる子は一杯いるんですけど、口が堅くないと会長が参加を認めてくれないので」
「私は駄目でした」

起こそうとしていた子が、しょんぼりした顔でそう呟いた。会話に加われないからか、顎をテーブルにつけたまま頬を膨らませて、テーブルの上に置いていた引継ぎ用の道具を指で確認している。ただ、それも皆でうたた寝に入る前に既にやってしまっていたのだろう。ここの担当でない私でも分かるくらい、その作業には終わりが見えてしまっていて。……終わってしまった後は、ぶすっと時計を眺めてた。

「今後の活動の中で必要になりそうなものとか、ありそう?」
「うーん。活動案は色々挙がってるんですけど、負担が増えると今日みたいに会長がダウンしちゃうので」

説明していた子が寝ている子に視線を向けた。さっきまで動いて居た頭はまた動かなくなっていて、今日この部屋に入って来た時よりも穏やかな眠りについている。

「何かあったの?」
「バレンタインだったので、メッセージカードの代筆依頼や配達が重なりまして。私も少し眠いです」
「私もちょっと手伝いました」

咲夜さんが尋ねれば、恥ずかしそうに片方の子が答え、会話に参加したがってたもう一人の子がぼそっと呟いて。……メッセージカードか。そういえば門の詰所でそれらしいものは見た気がする。友達同士でチョコを贈りあう習慣がどうやらできているみたいだけれど、それに合わせて折り畳んだ厚紙を差し出していた。

「お陰でお昼にあんまり休めなくて。まだ少し引き摺ってます」
「思えば去年も私この日に……いや、バレンタインの次の日に来たのかしらね。その子が寝てるの、妙に見覚えがあるもの」
「会長は配達もやってますから。今日も、少し前に配達が終わって。それからこんな感じです」
「……そう」

色々とメモ帳に書きながら聞いていた咲夜さんが、ぱたんとそれを閉じてしまって。しばらく頬に手を当てて考え込んでいた。視線は……寝ている子に注がれている。怒るべきなのかどうか、そんなことを考えているんだと思う。妖精の子も分かっているのか、熱い視線がひたすらに私に注がれている。

「まあ、お陰で喜ぶ子も増えたわけですし」

私が後ろからそう口を挟むと、妖精の子達がこくこくと頷いて。咲夜さんはじっと私を見つめた後、長いため息を吐いた。

「仕事が終わったら、今日はゆっくり休む様に」

その言葉に、ホッとしたようなため息が、何故か三人分、聞こえた様な気がした。



~~



 怒るべきか、怒らないべきか。それが問題だ……なんて。そう考えている内に、美鈴に釘を刺されてしまって。聞きたいことも聞き終えてしまったし、交代の時間もすぐそこに来ていたから、私は怒らないで部屋を後にした。
 怒るべきか、怒らないべきか。……今後訪問する予定の一つに、似た名前のものがある。その組織も私が働く前からあるのだが、他の所には無い珍しい特徴がある。それは、追い出しの規則があること。入るのにも条件がある。報告されてる活動内容や、その名前の遊びさえなければ、一番秘密結社らしい気はしていた。
 今日はこの後もまだ三つの訪問先がある。活動日が全部、被っているのだ。その例の訪問先も含めて。

「お疲れさまです」
「お疲れさま」

お掃除係の子達の用具室のすぐ傍に、その活動場所の部屋はある。活動時間は一日に二回。この時間と、あとは夜に一回だ。ただし、月に二日しか活動する日はない。今日はたまたまその日の、朝の集まり。朝の活動は夜勤の子を対象に、夜のは日勤の子を対象に開かれている。

「……ここの活動組織の読み方なんだけど」
「トゥービーです。にびーでも良いですよ。正式名称だとその後に」
「オアノットトゥービー」
「です」

図書館にも本がある。昔読ませて貰ったが、あの一文をどう読み取れば良いのか、正直困ってしまった。どう読んでも良いと思うけどって、パチュリー様は言っていたけれど……ともかく、名称にこれを引っ張ってきたのは、恐らく本が好きな子だったのだろう。あちらは色々考えさせられる一文だったけれど、ここのはもっと、単純で。言葉遊びそのものである。
 ビー。B。……Bカップか、そうでないか。ここの活動に照らし合わせてもっと言い換えるなら、

「Bカップ以下か、それ以外か」
「未満じゃないです成長中です。緩やかに成長中です。この調子ならあと二百年くらい貰えれば例え私だって」
「私が生きてる内にして頂戴な。さて、代表の子って貴女で良いのよね?」

部屋の中には元々一人しかいなかったが、私の問いにその子が頷いた。

「秘密結社の実態調査をしてるのよ」
「ああ、はい。そういえば先日は珈琲を飲みにいらっしゃってましたね。いや、ミルクでしたか」
「あら、あの場所に居たのね」
「私は珈琲でしたけども」

そう言ってにこりと笑って、彼女が切り出した。

「それで、調査ってなんでしょう」
「活動実態と、所属の人数、あとは必要な物とか聞いて回ってるんだけど」
「えぇ……活動内容は全てご存じでは?」

そうなのだ。そもそも、ここの活動を支援しているのは私自身なのだ。

「そう、なのよね。でもまぁ一応ね」
「はい。ここの活動は……大きく分けることも何もないですね。一つです。BでもAでもトリプルエーでも、ノーガードじゃなくて体に合わせた下着を着けましょうって宣伝することです」

ここの子達がブラジャーに手が伸びない子達を説得し、私に報告して。私は採寸して、合った物を作る。この部屋はその説明用の部屋。私が用意した下着のサンプルがあって、彼女たちがそれぞれの説明をしたりするのだ。私がここで働く前までは、少し厚めのキャミソールを頑張って作っていたらしい。一応は彼女たちの善意や趣味で始まった会ではあるのだけれど、私の仕事の一部を手伝ってくれている訳でもあって。そういう意味では私もここの関係者なのだ。生憎、と言っていいのかは知らないが、B以下ではないのだけど。

「活動をしているのは私を含めて十人くらいですよ。会員、基本的にBカップ以下ってことで考えると……めちゃくちゃいますけど」

この活動は、結構色んな所で役に立っている。基本的には上につける下着の相談が主だけれど、それに合わせて体の不安の相談もやっている。皆、見た目は近しいけれど、年が近いとは限らないのだ。そして、詳しい子も居れば、ほとんど分からない子もいる。そんな皆の不安を解消する、医務室以外のフランクな場所がここなのだ。この活動のお陰で目に見えて良くなったこともある。それは胸の痛みに悩み、一人でふさぎ込む子が減ったこと。さらに言えば、そういう子達の猫背の改善に繋がったこと。

「活動を支えている人数が分かれば良いわ。今後新しい活動をする予定とかは?」
「うーん。医務室とも相談してますけど、現状様子見です。全体的な宣伝は今のままで良いかなって。個別に相談すべきものは、医務室でしっかり相談した方が私も良いって思ってますし」
「そうね。それは私も正しいと思う」
「だから、追加で必要な物も今は無いです」

一番恩恵があったのは、洗濯係の子達だろうか。荷物を抱える関係で、必然的に少し仰け反らないといけなくて。胸に痛みを抱えた子はそれが悩みだったらしいから。……もっとも。一番胸が大きいのもお洗濯係なのだけど。お仕事の関係か、あそこの子達は結構するすると胸が大きくなるのだ。

「思ったんだけど」
「はい?」
「なぜC以上は会員から外すの?」
「だって悔しいですもん。私、一度Bになったのに今Aなんですよ?」

……フォローに困ってしまう。私も縮んだことが無い訳ではないけど、そんなに長期間でもなかった。医務の勉強でパチュリー様に尋ねたこともあるが、腺としてできあがっている部分は痩せても少し残るらしい。もうこの館で悩んでいる子はいないけれど、拒食を患ってしまった子でも、胸の形が残る子がその中に混じったりしていたのはそういう訳なのだそうだ。一方で、その上についたりする脂肪は生活に合わせて増えたりも減ったりもする。だから健康でも減ることがあるのは仕方が無いとも言っていた。

「咲夜さんはC寄りのDですもんねぇ」
「なんで知ってるのよ」
「長年胸ばかり気にしてると、服の上からだって分かるようになっちゃうんですよ」
「服飾のデザインには役立ちそうね」
「胸が無い方が作るの楽ですけどね」

……胸の話題は、もうやめておこう。

「うん。分かった。とりあえず聞きたいことは聞けたわ。朝一番にごめんなさいね」
「いえいえ。私もやっと眠れます。今度また追加のリストを持ってあがりますね」
「ええ。よろしくお願いするわ」



~~



「評価しがたいわね」
「ええ。なんというか、その。普通じゃないですよね、やっぱり」

パチュリー様と眺めていたのは、この前の咲夜さんとの実験の結果だ。パチュリー様は咲夜さんのお腹に入れた紋様のデータを隣の自分の部屋に出力していたみたいで。昨日はずっとそれを整理していたのだ。実験の結果としては、パチュリー様の実験は大成功だ。主観に頼らないデータが十分に取れている。一方、私の方の結果。譲渡手段の有効性の検証だけど、効果は……あるには、あった。データ上、私の実験を開始した辺りから改善が見られた。問題は、

「出過ぎよ、これ」
「ですよね」

与える量も少量から始めた。少しずつ増やして、一定量を保ち、少しずつ減らして、それで終わりだった。そのはずなのに、データ上はぐんぐん改善している。全く緩やかでない。穏やかでもない。改善することは全く喜ばしいのだけれど、ここまでになってしまった要因を掴み切れていないのは危ないことだというのは、私もパチュリー様もよく認識していた。はやとちりは往々にして、大事な物を見落とすのだ。

「好感が高ければそれだけ効果があがるのは一般論として」
「それが係数でかかってるにしても伸びすぎですよ」

だから、要因を洗い直していた。こういう場合は想定か、あるいはその前提に誤りがある。ただ、私もパチュリー様も、この分野のことは人一倍頑張って来たのだ。だから、想定に誤りがある可能性はとても低くて。普段はあまり使うことのない大き目の紙に、前提としていた要因を書き出していった。
 勿論、状況設定のベースは、過去の私達の実験だ。場所や手法もできる限り同じになる様にしたのだ。ただ、違うことは勿論ある。一番大きな違いは、咲夜さんは人間で、パチュリー様は魔法使いだってこと。他に違うのは実施した時間帯、私との関係くらいなもので。……あとは、パチュリー様は元から体力があまりないということくらいか。

「咲夜の当日の行動ってどんなものだったかしら」
「寝起きは興奮が収まらなかったらしくて、お散歩に出かけて、そのまま筍を掘って来たらしいですよ」
「朝食のあれね。私は堀りに行ったことは無いのだけど、竹の地下構造からすると結構な運動になるはずよね。それから休んでるのかしら」

そう言われて思い出してみるけれど、そもそも疲れていたはずだ。落ちた肩を見ているし、そもそも起きてから図書館に来るまでにかなり悩んでいた様子もある。

「休んでるとは思いますけど、来た時には既に疲れてましたよ」
「部屋に入った後で時間を止めたのは?」
「服を脱ぐときに止めてるのは確認してますが、他のは私には判別つかないです」

咲夜さんは苦手なことについては顔に出てしまうけれど、得意なことだと隠そうとしたときは顔にほとんどでないのだ。そもそも宴会で手品芸を披露したりすることもあってか、時間を止めたことを悟らせない力は昔に比べてずっと上達してて。本気を出されてしまうと、この館の中に見分けられる人はたぶん誰も居ないだろう。

「私の部屋に出してた生体データも、値が飛んだりはしてないのよね。だから私が解除するまでの間に止めてるとは私にも思えない」

だとすると、咲夜さんがあのとき特別何かをしていた訳じゃない。事前に何か薬を服用していたのならまだ納得できるけれど、そうであれば私の実験の前からも改善がみられるはず。

「トリガーは貴女の実験で間違いないと思うのよ。タイミング的にね。……一度私の体で試したほうが良いかもしれないわね。貴女の技術がひょっとしたら昔に比べて大幅に上達したのかもしれないし」
「昨晩、言わなかったですけど、試してみましたよ」
「……やっぱり、やってたのね。でも、いつも通りだったと思う」
「ですよね。私から見てもそういう風に見えました」

私の返事にパチュリー様がぽんと手を打って。

「追試をもう一人行って頂戴。今日あの子が来るのでしょう。これで私とその子との差異を確認しましょう?」
「はい。でも、紋を入れたらあの子、不安になってしまうのでは?」
「認識できないように入れるわよ。だから、追試の前に呼んで頂戴ね」
「分かりました。たぶん夕食後になるとおもいますので。彼女が来たときに」

これで、何か分かれば良いのだけど。



~~



 慌ただしいお昼ご飯の調理を終えて、自分の部屋で一休み。忘れないうちにと、今まで訪ねてきたそれぞれの秘密結社の情報を改めて報告用にまとめ直した。支援のために知りたいとのことだったから、欲しい物があるかどうかを尋ねてみているものの……皆その部分は今あるもので頑張っているようだ。もう長い間同じ活動をしているから、欲しい物が既に揃ってしまっているというのも分からない話ではないけれど、お嬢様の為に、また妖精の子達皆の為に、そういう情報をどうにも拾いきれていない感じが申し訳なかったりする。
 珈琲の集い。超神経衰弱クラブ。シルバーライフ。そしてお手紙の会に2B。数だけで言えばやっと折り返しだ。残るは製作系が一つ。交流系が一つ。啓発系が一つ。お嬢様のマザーズに、あとは催眠術同好会。妖精の子達が頑張って始めたものだから、変という言葉は使いたくないけれど、少し特徴のあるものが後ろに残ってしまった気がする。活動日の都合上仕方ないのだけど。今日もあと二件か……。どっちも活動は夜だから、このお昼の時間の内に、済ませられることは済ませてしまわないと。
 実はもう、今夜のおかずは仕込み済み。朝の煮物を作る時に一緒に仕込んだのだ。材料が近しくなるから。仕込んでしまえば後はじっくり待つだけで、味がどんどん滲み込む寒い時期のお友達。そう、おでん。お米の虫よけに浸かっていた唐辛子も、少しだけ色の落ち始めたものが出てきたから、それはこんにゃく用にちっちゃく刻んでいたりもする。おでんの素晴らしい所は、色んな材料が使えることだ。一品にするには少し足りないとか、ちょっとだけ余ってしまうとか。そういう歯痒い所を見事に吸収してくれるのだ。仲間には、年中通して便利なカレーというものも存在するけれど、あれは厨房の子にとっては味方であり、敵でもある。利点は同じだけど片付けが面倒なのだ。冬は水仕事の時間を増やしたくなくて、そのお陰で単純にカレーを出すのは少し珍しかったりする。今日のおでんでもちょっと消費しきれない部分もあったから、作る予定ではあるのだけど。

「ご飯は厨房の皆に任せて、合わせの一品はお野菜のサラダ……いや、野菜も具に入れてるしもっと軽いので良いわね。お漬物かしら」

と、なれば。お夕飯の準備は、お願いさえすればほとんど整うだろう。ご飯を炊くときに少し手伝いに入るとして……うん。結構な時間を確保できそうだ。今日は天気も良いから洗濯で問題になることもないだろう。なら、今できることをしなくては、と。そう思って向かったのは館を出て南側、門までの道からは少し外れ、やや日当たりのよい場所。休憩用のベンチがここには置いてあって、お昼ご飯のあとやお夕飯のあと、休んでいる子が居たりする。今日も満員とまではいかないけれど、皆が利用してた。空いてたところに腰を下ろしたら隣の子は緊張してしまったけれど、食事の後すぐに働くのは体に良くないこと、そして休憩は取って良いことは皆に昔から伝えている。
 勿論ここに来たのは、休憩を皆に見えるようにするためだ。……ああ。やっぱり座っていると思ってしまう。私は一体、何に貢献しているのだろう。

「お疲れさまです」

若干の居た堪れなさにか、隣の子がちょっと赤い顔で私を見上げた。

「うん。お疲れさま。今日は良い天気ねぇ」
「風が弱いので窓ふきも楽でした」
「この後は?」
「東側の階段と踊り場の掃除です」
「そう」

見せつけるための休憩なら、妖精の子達が多ければどこでも良いように見えて、実は違う。それこそ食堂が一番多いのだ。けれど、食堂で私が休もうとすると、皆急いでご飯を食べてしまう。働くことを急かしている様に感じてしまうみたいだ。勿論、そんなつもりが無くとも。
 ご飯を急いで食べられるのは、大事な技術かもしれない。けれど、そこまでしないといけない仕事の量を、与えているつもりはない。ちゃんと休んで、ちゃんと働けば。ちょっとは追加でのんびりできる時間がある様にはしているのだ。それに……厨房の子達も、私も。頑張って作ったから、ゆっくり楽しんで欲しいなって。そういう気持ちもある。

「先日はミルクを貰いに来てましたね」
「貴女も居たのね」
「寝る前に飲むと一日の終わりが実感できて好きなんです。眠たくもなりますし」
「活動は知ってたけど、実態を知らなかったから寄らせて貰ったわ。今度は珈琲を貰いに行かなくちゃね」

他には、お風呂場もそう。やっぱり私が入ると、なんとなく空気が変わってしまったなって分かってしまう。それにはお嬢様も近いことを言っていて、それで大浴場を利用せずに自室の設備をいつも使ってる位だ。お風呂は体と心の洗濯、なんて。そんなことを言う人が居るけれど、それはもっともなことだと私も思う。その日一日の疲れを何物にも邪魔されずにお湯の中に溶かしていくのは、ひたすらに気持ちが良いことだから。
 だから、ここなのだ。他にも候補はあるけれど、晴れならここに限る。何より、遠くからも見て貰える。夏は暑いけれど、冬の屋外でもちょっと暖かいし。

「ほろにがーいらしいですよ」
「夜勤の子に聞いたの?」
「はい。ぐっと飲めるぎりぎりを攻める様な苦さだって。友達がそう言ってました。香りは私も好きなんですけど……私も飲むのはまだで」
「眠れなくなったら困るからね。……そうね、もしも夜勤をお願いすることになったら。その時は楽しんでみて頂戴」
「そうしてみます」

勿論、この場所にもデメリットが無い訳ではない。皆が皆、私を気にすることには代わりが無いのだ。私が立ち上がったら、仕事に戻ろうって。そんな風に思ってるみたいで。いつも私が立ち上がると、皆もすっくと立ちあがるのだ。ちょっと食べるのが遅れて今休憩に来たばっかりの子が居たりすると……その子もしょんぼりと仕事に行ってしまう。それは避けたい。
 妖精の子達の休み具合をちらりと確認しながら、懐に忍ばせていたメモ帳を取り出した。自然を眺めたり他の子を眺めるよりも、こういう風に何かをしている方が、彼女たちは落ち着けるようで。もう予定は頭には入っているのだけれど、今一度見直した。夜に訪ねる二件。片方は医務室が主催の一撃友の会。もう片方は……なんでこんな名前になっているのか、ちょっと悪乗りして届けを出したのか。レミ様ごっこの会。何となく何を指しているのかは分かるのだけれど、何故そうなってしまったのかが分からない。ここは珍しく、届け出こそあるものの備品の申請はほとんど無い。文房具を求められたことが過去に何度かあっただけだ。……一体、どんなものなんだろうか。



~~



「大丈夫?」

暗い部屋の中、ベッドの上で私を抱きしめる彼女に声をかけた。昨晩に一緒の時間を過ごした後、彼女は眠ってしまって。一緒になって眠っていた私が目覚めた時には、もう着替えて朝ごはんの準備とかを進めてくれていたけれど……少し様子がおかしかった。ぼうっとしている様子でも、疲れている様子でもなくて。ちょっと戸惑っている感じ。一緒の朝ごはんの時間が過ぎても、私の着替えが終わっても。そしてお昼ご飯を食べ終わっても。彼女のいつもの調子は戻らなくて。心配になった私は彼女をベッドに座らせた後、そう尋ねた。風邪を引かせてしまっただろうかと手を当てたけれど、額もそこまで熱くない。

「大丈夫です。ただ、その。何と申しましょう。こういう経験が無かったもので……」

どちらかと言えば普段は快活に喋る彼女だから、言葉を濁したのにはちょっと驚いて。

「毎日してくれてるから綺麗だよ。調子が良く無かったら、お掃除休もう?」
「か、体は元気なんです。けど……その。昨日あれだけ慰めて貰っておきながら、まだ、その」

赤い顔でそう言われ、やっとそこで理解した。でも、それでもやっぱり、ちょっとおかしい。そんな感じなのかなってことは、前にもあったんだ。何となく赤い顔をしながら、いつもよりぱぱっとお仕事を進めてしまって。お夕飯の時にちょっとねだるような潤んだ視線を向けてくる。時にはベッドにころんとして、私をじっと見つめたりして。そういうときはいつも恥ずかしそうだったり、期待してたり。そういう様子が見てとれていたのだけれど。なんで今回は、こんな感じなのだろう。赤い顔で教えてくれる今でさえ、期待というよりは困惑しているようにしか見えない。

「一緒にベッド入る?」
「お、お仕事がありますから!」
「お夕飯までは時間たっぷりあるから。だから、入ろう。お夕飯は一緒にゆったり食べたいな」
「……はい」

顔の赤みが少し引いて、彼女は持ち込んでいた道具を片付けに行って。それから、パジャマ姿で戻ってきた。私は全部脱いでいたほうが良いのかなって。そう思っていたんだけど……彼女はするりと私の分も取り出すと、こちらに差し出してきた。

「脱いでも大丈夫だよ?」

私が声をかけると、ぴたりと彼女が止まった。……うーん。なんで今日は。こういうときは私が頑張るべきだろうか。元はと言えば、私が昨日慣れないことを試したせいだと思う。幸せそうで、楽しそうで、嬉しそうで。でもやっぱり恥ずかしそうで。二人で抱きしめても笑ってくれたから、ホッとしてたんだけどなぁ。
 彼女をベッドに横たえて、ゆっくりと衣服を取り去っていく。体は珍しく冷えていた。普段こういうときは、もうちょっとだけ肌が温かかったのだけれど。上の衣服を畳み下も脱がそうとすると、彼女がきゅっと私の腕を掴み……かけて離した。顔を見つめたけど、彼女はきゅっと瞼を下ろしてて。私はゆっくり脱がしていった。少しだけ、下着が濡れている。ただ、これもあまり温かくはない。お部屋で履き替えてきたのだろうと思う。それも取ってしまうと、彼女はきゅっと体を丸めて。私が毛布の端を持ち上げると、逃げる様に入ってしまった。
 濡れてたこと、恥ずかしかったのかな。私だって経験はあるし……何より、それをこの子自身に預けて、着替えを貰ったりすることもあるのに。今が本来はお仕事中だからだろうか。もうちょっと、気を休めてくれても良いと思うんだけどな。
 私も脱ぎ終えて、彼女の服と合わせてベッドの脇に片付けて。それから毛布の中にお邪魔した。ちょっとだけ落ち着いてきたのか、彼女がじっと私を見つめる。

「ひょっとして、二人になった方が良かった?」
「い、いえ。お嬢様一人居てくれるだけで、私は幸せですから」

体を寄せて、抱きしめた。お腹から下だけはちょっとだけ温いけど、やっぱり冷えている。

「いつもと、ちょっと違うよね。悩んでること、聞いてみたいな」
「……太ももが。内ももが。起きた時からずっと、寂しくて。あの、決して。その。むらむらしてたとか、昨日満足できなかったとかじゃないんです。お股じゃなくて、内ももが。濡らしちゃったのは事実なんですけど、その。……寂しい感じがするのは、太ももなんです」

なんで頑なに太ももを強調するのだろう。そう思って太ももを撫でてみると、びくっと彼女が震えた。うぅん。嘘を言っていないのは分かるんだけど。

「どうして欲しい……いや、うんと。どうしてみたかったのかな?」

私の問いに彼女は黙り、そっと私の足に触れて。それから片足を引っ張って、彼女がそれを太ももの間できゅっと挟み込んだ。根元で挟まれたお陰か、じゅんとした感触が私の太ももに広がる。どうしてあげるのが良いのかなって。そう思ってちょっと動かしてみたけれど、すりすりと太ももの間を滑らせるのも、お股の方にきゅっと押し付けてみるのも。なんだかどっちも気持ち良さそうにしてて。普段からお互いに足を絡めることはあるけれど、今日の彼女の足は一段と、きゅっと離さないで居てくれる。

「ちょっとでも寂しさは減りそう?」

私の言葉に彼女は上半身もしがみついて。それからゆっくり頷いた。

「そっか。好きにして良いからね。もしして欲しいことがあったら教えてね?」
「自分の体のことなんですけど……うぅ。変な癖ついてたらどうしましょう」
「その時はその時で良いんじゃないかな。私で良いなら、いつでも一緒に居るよ。我慢しなくて良いよ。それでももし気になるなら。夜眠る時でもいいから、私のことをいっぱい愛してくれると嬉しい……かな」

 とにかく、挟むのが彼女のお好みみたいで。一緒にくっついていると気分もちょっとだけ持ち直したのか、それとも盛り上がったのか。少しずつだけど、いつもの様な温かさが戻って来て。私が時折足をすりすりと動かすと、ぴくっと彼女の体が震える。じゅんとした太ももの感触はあまり広がることはなかったけれど、乾くことは無くて。さらりとした感触で滑るのは心地が良かった。堪える様に小さくくねる上半身に手を這わせ、そこからゆっくりと絡みつく下半身へと撫でる手を下ろしてく。太ももに少し力が入っているからだろうか。いつもは柔らかなお尻も、ちょっとだけ肌の下はかたい。

「どんな感じなのかな?」
「凄く弱いけど、甘く痺れる感覚がずっと、ずっと続くんです。挟ませてくれるのも、すりすりしてくれるのも……どっちも気持ちが良いです」

私の言葉に彼女は少し困っていたけれど、恥ずかしそうにそう教えてくれた。

「これでイケそうだったりする?」
「いえ……でも、そもそもの感覚が、その時の余韻を薄めた様な感じで。それがずっと続いて……幸せが終わらない感じです」
「そっか。じゃあ、このまま夕方まで一緒にこうしていよう?」

私の言葉に彼女が言葉を詰まらせる。真面目な子だから、頷けないことは分かってた。ただ、ただ。そういう労い方だって、してみたいんだってこと。知ってほしいから。答えを彼女が頑張って探す前に、頭を撫でて。ゆっくり口づけた。
 彼女に返せるものを作りたい。あげられるものを作りたい。読んだ本の中には恋は盲目なんて言葉があった。その言葉の意味は、初め読んだときは分からなかったけれど、今では何となく、どんなものを指すのか分かってた。私とこの子には、恋という時間はとても短かった。ひょっとしたら無かったのかもしれない。そもそもがあらゆることに盲目な私だったから、やっと分かるようになった彼女の喜びや、楽しみや……心地よさも。何もかも、それをどこまでも受け取って貰えるなら、どこまでも頑張ってみたいんだ。どこまでも、どこまでも。そういう意味では今もちょっと、盲目なのかもしれない。
 特にこの子に対しては……それが例ええっちなことだったとしても。頑張ってみたい。私の知識が足りなくても、私の経験が足りなくても。頑張れば頑張っただけ、喜んでくれるから。私自身も喜んでしまうのは確かにあるんだけど、それは……それとして。初めて体を重ねたとき、私はこの子をえっち呼ばわりしてしまったけれど、今はもう、自信を持って言ったりはできないと思うんだ。いや、たぶん。追い抜いてしまった。お仕事を終えて彼女がやっと羽を伸ばしに行ったその時に、私は練習していたのだから。
 夕方が近づいて。

「大丈夫そうかな?」
「はい」

彼女は私の足をぎゅっと押し出すと、一度私に口づけて微笑んだ。私の問いかけにはゆっくり頷いて、彼女は手で太ももをぐにぐにと揉み解した後、するりするりとベッドから抜け出して、服に袖を通していった。置いていた服がちょっと冷たかったみたいで、遠目にも少し寒そうで。彼女は私の服を持ってくると、皺にならない様にゆっくりと毛布の中に差し込んだ。

「我慢してない?」
「いえ。挟むと気持ち良いだろうなって感覚は抜けないですけど、私自身が落ち着いたからでしょうか。今は、大丈夫です」
「そっか。……うん。良かった。でも、またして欲しくなったときは……教えてね?」



~~



「久しぶりのおでんね」

夜やる予定だった仕事を夕方に片付け、その足で厨房に駆け込んで夕食の仕上げを手伝い、そして飛び込むようにやって来たお嬢様の部屋。お嬢様は机に向かっていて、色々と計算をしていた様だった。私が部屋に入ると振り向いて、舞ったお夕飯の匂いにそう言ってペンを置いた。ペンの横には先日見せて貰ったコインが一枚だけ転がっている。

「準備しておいて。手、洗ってくるから」

椅子から立ち上がったお嬢様がぐっと伸びをして、奥の浴室へと入って行く。一応お手拭きも毎度持参するのだけれど、インクが落ち辛いことを知ってくれていてか、気づいているときはいつも先に落としてくれていた。流水が苦手だから、私や妖精の子に比べるとちょっと時間はかかるけれど。でも、そのお陰でこの時はいつもゆっくりと準備できる。
 台車からテーブルへと移し終え少し乱れていたベッドを直していると、お嬢様は戻ってきた。改めて様子を窺ってみると、ちょっと疲れが見える。恐らくずっと机で悩んでいたのだろう。椅子へと腰を下ろすと、さっそくとばかりに手を合わせ、食べ始めた。

「秘密結社の調査は無事に始められそうかい?」

大根を箸で割りながら、お嬢様が尋ねた。ふわっと漂う湯気。四つに割って、その一つを口へと放り込んだ。ちょっと熱かったようで、眉間にぐっと皺が寄って。でもゆっくり噛んでいる。

「既に始めておりますわ。まだ、半分程度ですが。全部終わってから報告する予定でしたが、逐次報告の方が良いですか?」
「早いね。助かるよ。報告は纏まってからで良い」
「承知しました」

ほくほくと湯気をあげながら聞いていたお嬢様が、飲み込んで次に手を伸ばしたのはこんにゃく。長年こうやって食事に寄り添っていると、好きなんだろうなって食べ物は何となく分かっていた。お嬢様は大根。いつも最初に食べてくれている。昔はずっと太い所のをお皿に盛って持ち込んでいたのだけれど、いつぞや少し端に近い細いのを代わりに二つ入れてたら、ちょっと喜んでいた。ふわっと柔らかいのも好きみたいだけど、それよりはちょっとだけ、まだ硬さの主張が残る方がお好みの様だ。他にはがんもどきだろうか。枝豆入りにすると喜んでくれる。

「大変だろう。日勤の子のも夜勤の子のもある訳だし」
「ええまぁ。今日も、この後に二件あります」
「そうか」

図書館は配膳する子に聞いたが、二人とも厚揚げがお好みの様だ。他には、と尋ねてみれば、パチュリー様の方はあまり良く分からなかったみたいだけど、彼女が好きなあの子の方は、はんぺんやこんにゃく……三角形の形のものは何となく好きそうだって。そう言っていた。あと、巾着は二人とも凄く真剣に、慎重に食べるとも。もっとも、それは私も同じだし、

「……うん。大丈夫そうね」

お嬢様も同じ。巾着は外側が冷えていても中は問答無用な熱さが残ってることがあって。お嬢様は箸で割って中をじーっと見つめて。そう呟いていた。

「現段階での貴女の所感とか。参考に大まかに教えて貰って良い?」
「そうですね……皆思い思いに活動してるためか、今申請している備品以外に追加で欲しいものは無いかと尋ねたのですが、挙がらなかったです」
「……そうか。うん。その辺りは引き続き聞いておいて頂戴」

 お嬢様の夕食の片づけは部屋の外に居た妖精の子に任せ、いそいそと廊下を駆け戻った。事前に話をしたら、一撃友の会は時間を少しずらしてくれるとのことだった。だから、先に行くのはレミ様ごっこの会。場所は備品を仕舞う物置部屋だ。物置部屋は二つある。片方はインク瓶や紙、封筒等の日常的な消耗品を管理する部屋。もう片方は暖炉用の薪や包帯、薬品その他、同じ消耗品といえどそこまで頻繁には使用しないものを管理する部屋だ。出入りの少ない後者の部屋が、会場である。
 部屋の前まで来てみると、僅かに気配はあるものの、そもそもこの部屋の近辺の人通りの無さも相まって、とても静かで。私がノックすると、少しして返事があった。
 部屋は、暗かった。中央には椅子。デザインをどこかで見たことがあると思えば、お嬢様の椅子だ。これは予備……ではなさそう。どうやらお古のようだ。少し傷もある。椅子には一人の子が座り、どこか凛々しい顔をしていた。椅子の前には小さなテーブルがあり、他の皆はその周りに小さな椅子を持ち寄り、座っていた。

「今、全部の秘密結社の大まかな見学をしてるんだけど、ここもそうよね?」
「はい、そうですけども」
「名称、なんだったかしら」
「レミ様ごっこの会、ですけれども」

やはりあの届け出に書かれたのはおふざけではない様だ。正式名称がこれということは、この状況そのものがレミ様ごっこ……なのだろうか。

「見学しても良い?」
「良いですけども……いっそ、混ざってみます?」

ざわつく室内。一本だけしか点けられていなかった蝋燭が揺らめいた。椅子に座った子はきりっとした顔をしているけれど、周りの子は私が入って来た時からどこかのんびりした顔をしていて……その、良く分からなさがなんだかちょっと不気味。

「ごめんなさい。そもそも、どういうことをしてるのか知らないんだけど」
「ああ、そうですよね。えっと、ごっこ遊びなんですけど……くじ引きで最初にレミリアお嬢様役を決めて、お嬢様役は、お嬢様が言いそうだけどギリギリ言わなそうなことをお嬢様っぽく言うのです。皆で多数決で良かったかを決めて、時計回りに一回ずつお嬢様役をやって。一番良かった子と悪かった子を選出して、悪かった子は良かった子に次の回までの間、毎日お風呂で背中を流すのです」

なるほど。よし、混ざるのはやめておこう。流れは分かっても、負けるのはなんだか恥ずかしいし。

「なるほどそれでレミ様ごっこ、という訳ね。私は見学だけさせて貰おうかしら」
「はい。……あぁ、そうだ。審判をして頂けませんか」
「審判?」
「お嬢様が実際に言ったことがあるものは禁止で反則負けなんです。ぎりぎり言ってなさそうなことだけ、というのがルールなんです。普段は彼女にやって貰うんですけど」

そう言われ指さされた方を見ると……端の方にひっそりと、お嬢様のお世話係の子の一人が混じっていた。なるほど、普段傍で色々聞いているから、ということか。

「分かった。大体同じことを言ってたら、それを指摘すればいいのね?」
「はい。大体で。一字一句合わせるのは無理なので」

審判役には特別席がある様で、私はお世話係の子と、部屋に似つかわしくない屋外用の長椅子に腰を下ろした。これは……庭にある休憩用の椅子だ。お昼に座っていたものと同じ。こっちは予備みたいだ。まだ傷がない。他の皆は一人用の椅子だけど、食堂の椅子の予備だったり、またはお古だったり。脱衣所の椅子もあったりする。

「そういえば代表の子って誰だったかしら」

小さな声で隣に座っている彼女に尋ねてみれば、その子が恥ずかしそうに顔を赤くして、自身のことを指さしてた。

「そうなの。さっきの子は?」

説明してくれた子の方を見ながら尋ねれば、

「彼女は書記です」

と、小さな声で教えてくれた。

「書記?」
「その回で一番良かったものは、殿堂入りってことでもう二度と使えないルールで。それを記録しているのです」

あぁ、だから文房具をたまに要求されるのか。

 どうやら会は既に始まってから時間が経っていた様で、くじを引くことはもう無くて。次から次へと順番が変わっていく。

『庭で鳴いてるカエルの名前、美鈴に聞いてきて』
『ブラシとタワシって似てると思わない?』
『パチェ、歯に韮が挟まってるわ』
『凍らせたプリンって美味しいのかしら』
『奥歯がぐらぐらするんだけど』

お嬢様役をこなすときは皆揃ってきりっとした顔をするせいで、ちょっと滑稽ではある。けれど、頑張って声色も真似するからか、目を閉じると何となくそれっぽく聞こえはする。皆は思い思いに票として手を挙げていたけれど、私としては

『結局、シラタキって何なの?』

を少し推したいところ。今日も出した品だし。けど、参加者じゃないから票は入れられなかった。最終的には、

『ダンゴムシって、丸まっても何も解決してないわよね?』

が皆の票を一番集めてた。一方で失格も出て、それは

『みたらし団子の、みって、なに?』

だった。指摘したのは私。これは一度あったのだ。館ではなく、神社での宴会だ。宴会の騒ぎも落ち着いて、新しく出されたお菓子の一つだった。お嬢様の問いに対する解説は居合わせた紫がしてて、そもそも、垂らす物でもなかったようなのだけど。思えば、何故か霊夢が感心してた覚えがある。知ってそうなのだけど、知らなかった様だ。作ったことはあっても知らなかった私も人のことは言えないんだけど。

「これにてお開き!」
「じゃあ私纏めておくねー。先行っててー」

聞けば、この会の後は決まって皆でお風呂なのだそうだ。代表の子に尋ねてみれば、そもそもはもっと小さい、就寝用の部屋の中での小さな遊びだったらしい。配置換えをしたりして、参加者が入れ替わる内に段々と大きな集まりになって、今に至るとのこと。書記と言われていた子が一冊のノートを取り出したので、

「殿堂入り、見てみても良い?」

ふとそう尋ねてみれば、

「参加者限定ですので」
「……そう」

そう返され、ちょっとだけ残念だった。ただ、書き込もうとしていたページには前回分と思しきものが載っていて、読む気はちょっとしかなかったんだけど、そもそも短い文だったからつい目に入ってしまった。

『昨日夢でちくわに詰められたんだけど』

……言う、だろうか。
 会が終わったところで、急ぎ足に次の場所、医務室へ向かう。ずらして貰った時間からすればまだ余裕はあったのだけれど、だからといって時間ぎりぎりに行くわけにはいかない。あくまでも私の立場は見学を願い出ただけの者なのだから。医務室。さっきの会と違って、こちらは部屋の前に居ても少し賑やかさがあった。部屋からも灯りが漏れていて、そこはちょっとホッとする。

「お疲れさまです」

部屋へとお邪魔すると、皆はテーブルに集まって真っ白な紙を広げていた。時間が時間だからか、夜勤の子も日勤の子も、どちらも揃っていた。

「お疲れさま。待たせてしまったかしら」
「いえいえ。普段も最初は喋ってるだけですし」

代表の子は日勤の子。特別背が小さくて、皆椅子に腰を下ろしているのに頭一つ分背が低い。でもそれなりに力持ちで、病人とあれば平気で持ち上げたりする。ただ、負担はやっぱり他の子達に比べれば強いようで、そもそもこの子が腰を痛めていた時期があったのも職務上知っている。

「秘密結社として届けが出ている所を見学させて貰ってるの。ここもさせて頂戴な」
「はい。大まかな活動内容を理解して貰えればいい感じですよね?」
「ええ。欲しい物とかも合わせて教えてくれれば助かるわ」

私がそう言うと、彼女は余っていた椅子を一つテーブルへと寄せ私を手招きして。私が腰かけると、皆がテーブルに前のめりになった。

「この活動の目的は、怪我や病気の予防です。元々は対ぎっくり腰の啓発が主でした。私達は字が読めるから良いんですけど、字が読めない子も居るので、見ただけで理解できる絵を作っては用具室とかに貼ってます」
「そうみたいね。私も何枚か見たことあるわ」
「はい。同じのを貼り続けると皆意識しなくなりますので、定期的に新しい絵を入れたり、ローテーションさせたりしてます」

パッと最近見たものを思い返してみるけれど、入れ替え……してただろうか。全部の場所をそもそも巡るせいで、あまり意識したことがなかった。でも、している言うのならそうなのだろう。確かに、新しい絵だ、と思ったことも無かったわけじゃない。

「実は、主要な怪我、病気の対策の絵はもうあまり浮かばなくて。今は新しいことに手を出そうかと思ってます」
「新しいこと?」
「そもそもぎっくり腰以外の怪我とか病気って、かかる子も少ないし、種類も少ないしであまり啓発として効果が無くて。だから、病気や怪我だけじゃなくて、悩みを解決できるようになれたらなーって。そういう方向に進んでいるのです」

確かに。この館で起きる怪我で代表的なものは、ぎっくり腰を除いてしまえば、切り傷、擦り傷くらいなのだ。事故でも起きない限り骨折もないし、厨房でも火傷は滅多にない。病気については昔は感染症が心配だったけれど、今は病室も基本的に空いているから対処が容易にはなっていて。そういう点では確かにめぼしい対象というのは無いのかもしれない。

「2Bみたいなものかしら」
「そうですそうです。今二つ進行してて、片方は2Bとの共同で体の悩み、もう一つは心の悩みなんですけど……それはちょっとまだ、実験中でもあって」
「そうなんだ」
「そっちはもうちょっと軌道に乗ったり結果が集まったら考えようって感じです」

なるほど。……そもそもここの皆は、図書館から本を借りたり貰ったりして、独学ながらも頑張っている。永遠亭から薬を融通して貰っていることもあって、もう私なんかが診るよりよっぽど信頼できるくらいだ。ただ、ちょっと頑張り過ぎてるんじゃないかなって思うときもある。そもそも昔が色々あったから、こうなってしまった……とも言えるのかもしれないけど。

「そう。とりあえずの今後は、2Bと、ってことかしら」
「はい。どういう体の悩みを抱えやすいのか、とか。その辺りの情報はこちらではまだ足りないので」
「分かった。妖精同士でしか通じない、人間の私には答えられないこともあるでしょうから、そこは助かるわ。期待してる。普段は画材とかの申請を貰ってるけど、他にも必要な物が出てきたら、相談して頂戴ね」
「はい。その時は、是非」



~~



「ぬ、脱ぐのです?」

私の部屋の中。お夕飯の後にパチュリー様に透明な紋を入れて貰って、お部屋に給仕の子を連れ込んだ。可愛いパジャマや明日着る衣類を小さな袋に入れて持ってきてくれたけれど……そのパジャマを握ったまま、彼女は私を見上げてそう尋ねた。実験に協力して貰うということはお夕飯の時に伝えたのだけれど、脱ぐことまでは想定していなかったみたい。勿論、こうやって戸惑う姿を見たかった、というのがあったから言わなかったんですけど。

「ええ。実験に必要なのです。私も脱ぎますし」
「これは……その。つまり、その。いたす、ということでしょうか!」
「……いたしたいです?」

そう言うと、しどろもどろになって。でも頷いた。うん。素直だ。しても良いといえば良いのですけども。かえって傷ついてしまわないだろうかとちょっと思いもする。そこは後で少しずつすり合わせて行くことにしよう。パチュリー様に怒られない様にもしなきゃだし。

「それでもまずは、実験を手伝って貰いましょうか」
「結局なんの実験なのでしょう」
「うーん。それは終わった後に説明しますね。あ、寝ちゃ駄目ですからね?」
「とても眠れそうにはないですけども!」

以前、お風呂場で心の内を聞かせて貰ったとき程ではないけれど、ちょっとかちかちで。私は笑ってからかいながら、すぐ横で服を脱いでいった。彼女もハッとなって、急いで脱ぎ始めて。なんとなく、昔の咲夜さんの姿を思い出してしまう。
 二人でベッドに入って灯りを消した。私が体を抱き寄せたら、強張ってしまって。私は頭を撫でながらじっと黙って、彼女が落ち着くのを待った。お風呂場の時と違ってここはベッド。ただ抱くといっても、お互いが肌を晒しているから、どうしてもそれに頭がいっぱいになってしまう。そんな様子がぎゅっと握られた拳や、それでも少しはくっつこうとする足で何となく分かって。呼吸まで固い彼女に、囁いてみる。

「しばらくこうやって、抱きしめさせてくださいね。終わるまで、お話でもしましょうか」
「は、はい。あの、私はどうしていれば?」

……うん。

「まずは深呼吸しましょう。貴女は眠らずにいてくれたら、それで。落ち着くのは難しいかもしれないですけど、この前も一緒に眠った仲なのですから。この前の時みたいに穏やかにしててくださいな」
「……頑張ります」
「頑張らなくて良いのですよ。楽に、楽に。抱き着きたかったら、そうしてくださって構いません。寄せたい肌は好きなだけ寄せて欲しいですから」

ちょっとだけ、彼女の体が温まって。それから熱い頬が胸の上に重なった。
 何度も深呼吸を重ね、強張っていた拳もゆっくり開いて。眠らないでほしいとお願いはしつつも、彼女の肩をぽんぽんとゆっくり叩いていく。話題は彼女に振って貰うことにした。その方が、気がまぎれると思ったから。でも、普段から色々お話はしてたから、なかなか新しい話題というのは浮かばないみたいで。その間はただ撫でたり、笑ってみたり。急かさずに見守っていた。

「あのぅ。非常に答えづらいことなのかもしれないですけど、お尋ねしたいことがあるんです」
「あら。私に答えられることです?」
「お姉さんは、咲夜さんとも……その。仲が良かったりしますか?」
「ええ。それなりに信頼して貰ってると思いますけども」
「なんとなく、なんですけど。ベッドから咲夜さんみたいな匂いがしたので」

鋭い。そういえば咲夜さんも、特訓の時にちらりとこの子のことを話してたっけ。私の匂いで混乱してしまったことと併せて、その特訓のことがこの子にばれそうになった、ということ。すぐに途切れた話題だったからあまり気にしていなかったのですけれど。

「ええ。このベッドで咲夜さんが眠ることはしばしばあるのですよ。咲夜さんの部屋、結構音が響くみたいで。深く眠りたいとか、そういうとき。この部屋をお貸ししているのです。ここ、静かでしょう?」
「そ、そうでしたか。……そっか」

嘘は言っていない。というか、嘘はこの子にきっとばれてしまうから。ただ、あまりこの話題に深入りさせてしまうと、色々と隠していることを感づかれてしまいそうで。ふと思い出した咲夜さんとの会話を振ってみた。

「私も尋ねたいことがあるんですけど……自分ではわからないんですけど、私の匂いってあるものです?」
「はい。想いを打ち明けさせて貰うあのときまでは、香水の匂いなのかなあって。そう思ってたんですけど。お風呂のあの時もしてたから。たぶんこれがお姉さんの匂いなんだなって思うものはあります。あ、その。良い匂い、ですよ?」
「実は咲夜さんはあまり人のベッドで眠らせて貰うことが無かったみたいで。その匂いに結構戸惑ってたみたいです」
「私も多分、お姉さんに気持ちを聞いて貰う前に同じことをしてたら。そうだったんじゃないかなって、そう思います」
「……そうですか。ちょっと安心しました」

私が笑うと彼女も笑って。……よし。これで咲夜さんに疑惑が向くことはたぶん無いだろう。咲夜さんも咲夜さんだから、これでこの子が万が一尋ねたとしても、嘘はついていないのだから上手く場を繋げられると思うし。パチュリー様にだってこの辺りのことは説明済みだから、問題はないだろう。

「咲夜さん、周りから心配されるのがあまり得意ではないみたいで。色々相談とか持ち掛けてくれるんですけど……貴女も秘密にしてくださいね?」
「大丈夫です。私も咲夜さんには相談に乗って貰ったりしてましたし。咲夜さんも私の相談のこととか、黙って居てくれてますし」
「そうなんですね。……胸の鼓動、落ち着いてきましたね」
「そ、そうですね。でも、なんででしょう。ちょっと、ぼーっとしてきました。……夜だからでしょうか。ごめんなさい」
「いえいえ。そうなるかも、とは思ってましたから」

 流石にお仕事の後だからか、そこからは少しずつ彼女の口数も少なくなった。でも、私がお願いしたからか、眠らないでいてくれて。たまに私の顔を見上げたり、私に尋ねて寝返りを打って背中を預けてくれたり。今日食べたおでんのこととか、もう冬料理が終わってしまいそうだ、ということとか。そういうことをぽつりぽつりと語り、話していった。私はそんな彼女に相槌を打ちながら、時折時計を確認しつつ、実験をずっと続けて。やっとそれも終わると、彼女は察した様に私を見上げ、笑った。私自身の緊張が解けたのが、どうやら伝わってしまったみたい。

「何となく、どういう実験か分かりました」
「はい。たぶん、思った通りですよ。大事な実験なんです」
「そう、ですね。私もお姉さんにしてあげられたらって思うんですけど、私はこういうの、分からなくて」
「危険もありますし、過去もそれで色々とありましたから。だから、簡単には教えられないです」
「……はい。でも、その。気持ちよかったです。とっても」

彼女はまた笑って。薄目がちに私の胸へと顔を預けた。たまに瞬きして、揺れる睫毛。それが肌に触れてちょっとくすぐったい。どうしたものだろう。無言の圧力、という程ではないにしても、緩く圧してきてるのは私だって分かっている。彼女は何を望むだろう。押し倒すことだろうか。それとも押し倒されることだろうか。引き寄せることだろうか。引き寄せられることだろうか。……けれども。その前にある程度は彼女の口から聞かなくちゃいけない。

「して、みたいです?」
「お姉さんが許してくれるなら、どこまでだってお近づきになりたいです。でも、踏み越えちゃいけないところなら、我慢はしなきゃって思ってて。あの。お願いがあります。いつも私の気持ちを考えてくれますけど、これだけは、パチュリー様のことだけを考えて、応えて欲しいのです。前もお伝えしたんですけど、私はお二人の仲を引き裂くことはしたくないのです」

……そうか。ここ最近よそよそしさがあるなって。そう思ってた原因は、私が曖昧な立ち位置をこの子に渡してしまったからだ。線引きが分からないのだ。どこまで傍に居て良いのか、それが分からないで。いけない。私はこの子の好意に甘え過ぎだ。反省、しないと。パチュリー様とのことは互いにあまり言わなくても分かり合えるのに。他のことにはとことん鈍くなってしまっている気がする。

「ちょっと、待ってくださいね」
「……はい」

落ち着こう。そう思って何度か深呼吸して。胸に彼女を抱き留めながら考える。そもそもの線引きとは。……本当はもう、線なんて無くていいんだと思う。この子が想ってくれるのなら、どこまでできるか、なんていうのは私とこの子の問題で、パチュリー様は関係が無い。気持ちの問題はあるけれど、それはもうこの子には伝えてしまっている。同じ好きという気持ちでも、全く同じ気持ちを抱けるか、といえば、それはやっぱり違うこと。でも。……どこまでも傍に居たい、か。私がパチュリー様に抱く気持ちと同じ気持ちをこの子は持ってくれているんだ。お風呂場で気持ちを打ち明けてくれたとき、あんなに口に出すことを怖がって、必死になって、勇気を振り絞ってくれた彼女だから。たぶん今の言葉だって、頑張ったには違いなくて。ああ、ああ。落ち着かないと。
 パチュリー様のことだけを考えて、か。それだけは、聞けた言葉の中で、ちょっと安心できる言葉だった。パチュリー様が好んでくれるのは、私、なんだ。従順なしもべとしてじゃなくて、私自身を認めてくれている。そういう所を考えれば、ここで私を曲げてしまうのも、やっぱり違うかなって。怒られはしてしまうだろうけど。それは、私の問題だ。私が頭を下げればいいことなんだ。それくらいで砕けてしまう程脆弱な仲じゃない。この子に、要らないところまで心配をさせたくはない。
 部屋の灯りを魔法で一つ一つ消していった。彼女の呼吸からひゅっと音が消えて。一番遠い灯りだけを残してゆっくりと腕の力を解くと、彼女が心配そうに私を見上げた。

「無理、してませんか」
「大丈夫ですとも。……ごめんね。この前は貴女が気持ちを打ち明けてくれてからの初めてのバレンタインだったのに。一杯、色んな心配かけさせちゃって。もう、我慢しなくて良いですよ。貴女の気持ちを、私に下さいな」
「我慢はしますとも。パチュリー様は私にとって大切なお姉さんの、大切な方ですから。でも、この気持ちに正直になって良いのなら。嬉しいです。ちょっとだけ、羽目を外しても良いのなら……嬉しい、です」

 いつぞや、私とパチュリー様のキスを羨ましそうに見てたっけ。そう思って、あの時と同じ様に、彼女に覆いかぶさって。唇を頂いた。彼女は私の下でわたわたと手を動かして、私の手を握ろうとして。……でも、握ってあげない。その手は私の後ろ頭に添えさせて、額に、瞼に、頬に。唇を落としていった。戸惑いに喜び、あるいは期待。色んなものが混じった吐息が恐る恐るとばかりに漏れながら、私の頬を温めていく。少しすると彼女もつんと唇を突き出してくれるようになって。それを舌先で濡らし、食んでいった。
 経験があったのかは分からない。けれど、怯えて欲しくはないから、たまには唇を休め、その肌の強張りを確かめて。咲夜さんに比べれば随分と気軽に構えてくれてて、そこは嬉しかった。少し休めては奪い、少し休めては彼女の瞳を見つめて。眉間に僅かに入っていた力が抜けていくのを見届けると、私はゆっくりと舌先で唇を割っていった。一瞬歯先で追い返されたけれど、戸惑いながらも受け入れてくれて。いつもは快活に回るのに今は引っ込み思案な彼女の舌先を求め、撫でていく。口の中に溜まったものを彼女が飲み込み、顔がふわっと熱を増して。それでもなお舌先で突けば、震えながらも彼女の舌が伸びた。ちっちゃくて、私の経験からするとちょっと薄くて。でも、とろっとしてて。私の舌先で受け入れ、唇で引っ張ってみたり、舌先で押し返してみたり。……慣れないことみたいで、面白い位に恥ずかしがってくれる。
 後ろ頭に添えられていた彼女の手を、ゆっくりと私の喉に回して。喉を鳴らして飲み込むと、彼女の呼吸の音はきゅっと消えた。顔を離すと、ちょっどだけ唇が冷えて。彼女はしばらく私の目を見つめていたけれど、少しして我慢して溜め込んだ長い吐息が、私の唇を撫でて行った。

「夜更かししても、大丈夫です?」
「……お姉さんとなら」
「お隣の部屋、パチュリー様のお部屋ですから。静かにしましょうね」

私の言葉に彼女がはにかむ。流石に魔法で聞き耳を立てていることは無いと思うけど……立ててたら立ててたで面白いかもしれない。パチュリー様、考えを隠すのは上手いようで上手くないから。明日の朝に顔を合わせたら、たぶんその瞬間にでも分かると思う。

「パチュリー様のこと考えてる」
「あら、駄目でした?」

彼女が首を振って、

「私もちょっと考えてました」

なんて。そう言って頬をまた赤らめた。
 彼女の肌は、すべすべでぷにぷに。若々しい見た目そのままで、素晴らしく、そして羨ましい。なだらかで、パチュリー様と違って凹凸は無いけれど、パチュリー様より良く動くから、しっかりとした筋肉がある。こういうところは咲夜さんと同じで、触れているととても安心できる。でも、それを確かめる指の感触には不慣れなようで、私が撫でると彼女は体を捩った。お腹は、つまめない。するんと肌が指を滑る。パチュリー様も同じだけれど、この感触はとても気持ちが良いものだ。美鈴さんは違う意味で摘まめて、それはそれで面白い感触なんですけど。

「くすぐったいです」
「あら、ごめんね。でも、もっと触ってたいかな」

声を漏らさせない様に唇を奪い、ゆっくりと肌を下っていく。台車を押す、そして止める。他にも色んな物を運んで貰ったりすることもあるから、腰から下にくると本当にしっかりとしている。それでも表面はちょっとふにっとしてて……何より、とても温かい。さっきまでぴったりくっついていたこともあるけれど、冷え性という言葉に無縁なのではないかと思えそうな程だ。膝近くになってくると流石に体温は下がるけど、足を絡めてみると私なんかよりよっぽど温かい。そういえば、前にお泊りに来てくれたときは湯たんぽ代わりになりますからって。そう言ってたっけ。宣言通り、なのですね。
 彼女の体を掴んで、ぐるんとそのまま転がって。彼女を仰向けの私のお腹に座らせた。位置を入れ替えお尻に体重がかかると、毛布よりよっぽど温かい。彼女の手にはまだ戸惑いや遠慮があったから。だから、私はできる限り遠慮は無くして、その体を撫でて行った。口で伝えても良かったのだけれど、どうせなら、戸惑いながらでも壁を登って来る姿を見ていたい。
 ゆっくりともたれかかる彼女。私の首筋に添えられた彼女の手。触れられた手の下で、ぴくぴくと血が流れるのを感じる。その手がゆっくりと私の顎先を持ち上げてくれて、今度は彼女が口づけてくれた。小さな唇で、くっつけては離して。くっつけては、離して。お互いに濡らした唇だったから、離れる度に小さく音が響く。彼女は、舌で割ってくるようなことはしてこなかった。勿論、恥ずかしいんだって気持ちも見て取れた。けれど、それ以上にその行為自体が、彼女にとって非常に楽しいものだったみたいだ。好きな相手に好きな愛し方を選ぶことができる。受け入れて貰える。その温かさや安心感は私も昔パチュリー様に貰った物だ。一滴一滴、心に安心感を加えていくその感触。その音。ホッとしたような落ち着きが出てきたところで、少しだけ唇を開いて、舌先を覗かせた。
 目を閉じた。ぷちゅっと音がして、空気に触れていた舌が温かく包まれ、小さな唇が、氷菓を食べる様にゆっくりと滑っていく。唇に触れ、歯に触れ。そしてまた唇に触れ。奥へ奥へと引き込まれながら、空いた手で腰を抱いた。慣れない緊張と興奮が、彼女のおへそ回りのお肉をぴくぴくと震わせて。だんだんと警戒の緩んでいた彼女の舌を引っ張って甘く歯で噛むと、驚いたのか、伝わってくる鼓動はちょっと大きくなった。構わずにそのまま私の舌を添え、絶えない唾液をゆっくりと奪って。ひょっとしたら怯えてしまうかも、とは思いつつも、しっかりとその舌を撫でて行った。
 彼女の手が、ふとお腹に触れた。脇腹をくすぐられるのは得意ではなくて、恐る恐ると上に上がる手がくすぐったくて。こみあげるものは鼻で笑ってなんとか誤魔化して、額に額を重ね、顎を引いて唇を離れさせた。たらり、と、彼女の舌から流れ落ちようとした最後の一滴は奪い取って。じっと閉じた瞼を見つめた。
 恥ずかしくて目を閉じる姿は、好きだ。咲夜さんだろうが、パチュリー様だろうが、それは関係ない。顔が赤ければ尚好きかもしれない。でも、もっと好きなのは、そんな中でも頑張って瞼を持ち上げて、こちらを見てくれること。目は口ほどに物を言うという言葉もあるけれど、本当にそうだ。特に恥ずかしいときは顕著なんじゃないかなって、そう思う。
 私が急にキスを止めたから、ゆっくりと瞼が持ち上がって。不思議そうな薄目が私を見つめた。

「もっと、貴女を感じさせてくれますか?」
「……私ももっと、お姉さんを感じたいです。でも、その。なんでしょう。嬉しくて頭が追いついてなくて」
「そっか。良いのですよ。私だって昔はそうでした。……優しくしてくれると、嬉しいです」

私の胸のすぐ下で止まっていた彼女の手。それを撫でながら告げると、彼女は顔をさらに赤らめて。でもゆっくりと頷いた。再びの口づけを受けながら、彼女の手がゆっくりと胸をのぼっていく。私と彼女では大きさに差があるからか、もう何度か胸に抱きしめたことはあるものの、改めて手で包んで大きさを確かめていた。緊張に手は汗でにじみ、ぺたっと肌が吸い付く。ちっちゃな手。パチュリー様ならある程度は包んでしまえる私の胸も、彼女の手には少し余った。私があんなことを言ってしまったからか、彼女は優しく、優しく。ゆっくりと撫でて。時には弱く揉んで、その感触を確かめてた。

「あのぅ」
「うん?」
「あとで、お胸でぎゅーっと、思い切り抱きしめてくれませんか。もし、お姉さんが痛く無かったらですけど。……痛く、無かったら」
「私ができる限りの強さで良いなら。後でしてあげますとも」

何となく覚えがあって。なんだろうと思えば、咲夜さんも私の胸に飛び込んだんだっけ。そういうことをしたくなる匂いなんだって、言ってた。

「私にも後でしてくれますか?」
「わ、私の胸はそんなに柔らかくないですよ?」
「ううん。貴女の胸を。鼓動を。感じさせて欲しいから」
「……頑張ります」

……頑張ることなのかしら。
 楽しんで貰いたい、という気持ちはこの子の中にはしっかりあるみたいだ。たどたどしくて、遊ぶようで、そして優しく滑る手は、私にとっての気持ち良い場所を少しずつ探し始めてた。ここはどうだろうか。こっちはどうだろうかって。もしも今、頭の中を覗くことができたなら。きっと楽しいことだろう。そんな彼女の邪魔をしないように、私は彼女の背中をただゆっくりと撫でて、温める。しばらくすると彼女の手がぴたりと止まった。また何かお願いかなって思ったけど、彼女はもたれていた上半身をゆっくりと持ち上げて。背中から落ちた私の手を拾うと、そっと自身のおへその下に手を押し当てた。

「ここが熱くて……うぅ、お姉さんに触って貰うと気持ちが良い。あの、私もう……」

ふと思い出す。咲夜さんやパチュリー様に試したものの追試。そう。彼女にはそもそも、見えることはなくても咲夜さんと同じ紋が入っているのだ。あの時はパチュリー様の考えで、咲夜さんをからかうために感度を弄ったのだ。追試ならその条件も同じにしているはずで。……ということは。パチュリー様はこうなることを見通していたのか。そもそも聞き耳を立てる必要すら無かった、と。とすれば、明日このネタでからかえるのは私じゃなくてパチュリー様になるのか。……うぅん。

「またパチュリー様のこと、考えてますか」
「鋭いですね。貴女がこの部屋に入る前にパチュリー様がしたこと、覚えてますか?」
「うーん。あ、今お姉さんに撫でて貰ってるとこ、つつかれました」
「はい。そういう魔法をかけられたんですよ」
「……ということは、これ、パチュリー様の公認……になるのですか?」
「と、私が判断したということにしましょう。貴女に余計な疑いがかかって欲しくないですし」

私が提案すると、彼女は目を見開いて固まって。それからぶんぶんと顔を横に振った。

「だ、駄目です。そこはちゃんと私も共犯にしてください」
「いえ、そうさせてください」
「……駄目、です。私はお姉さんに嘘をつきたくないですけど、パチュリー様にも嘘をつきたくないですから」

……ああ、貴女がそうやって居てくれるから。パチュリー様も任せてくれるのかもしれませんね。
 我慢できそうにない、ということは彼女の顔色で察してはいたけれど……私はちょっと、意地悪することにした。この行為がパチュリー様も予期してのことなら。彼女をどこまでも可愛がってあげたいのだ。時間はまだ沢山ある。そもそもは、普段できないようなお話をベッドでして、一緒に眠るだけの予定だったのだ。今の時間にしたって、まだまだ眠るには早いくらい。……普段彼女がどれだけ早く眠っているかは知らないけれど、少なくとも前回はもっともっと眠りの時間は遅かった。次の日に眠そうにしてたから、あれよりはちょっと早い位だとしても、それでもまだ十分に余裕がある。

「我慢できそうにないですか」

少しの沈黙の後、彼女は頷いた。自分から切り出したことで余計に気分が昂っているのか、彼女の温かさは時間を追うごとにどんどんと増していく。可能ならこの優しい湯たんぽをずっと冬の間抱いて居たいと思う位で。私はそんな彼女の頭を撫で、

「貴女の時間を私にくれませんか」
「私の、ですか?」
「私も頑張りますので、貴女も頑張ってみませんか」

耳元で囁くと、彼女が不思議そうな顔をした。

「堪えきれない程、つらいのでしょう。でも……どうせなら。本当に限界まで、我慢してみませんか。疼きを疼きとして我慢して。気持ちよさを気持ちよさとして受け取って。我慢できるところまで我慢して。器の中の水が溢れてしまうように。零れてしまうように。気持ちよさそうだと、思いませんか?」
「……興味、あります」
「うん。パチュリー様が相手だと、あまりこういうことはさせて貰えないですから。ありがとう」
「わ、私はどうすれば良いでしょうか」

何故か気合が入ってしまったらしい頭をぽんぽんと撫で下ろす。

「今まで通りで良いですとも。ただ、自分で慰めてしまわない様に。もう、駄目だ、限界だって思ってしまったら。その時は教えてくださいな。そしたら、もっともっと我慢できないように……頑張りますから」

悪戯心満載に耳元で囁く。そもそもの普段がお互いに顔を合わせ、少し距離を置いて話すことが多いから、囁きには免疫がないみたいで。耳を真っ赤に染め上げてしまって。たまらず、撫でた。ふわふわで、弾力のある耳たぶ。息を吹きかけるとぶるぶるっと彼女の体が震えて。随分と顔を近づけたせいか、口の中のものを飲み込む音がしっかりと聞こえた。
 彼女の体をぎりぎり触れるか触れないかの所を撫でていく。互いに十分に温まっているのだけれど、緊張してしまったのか、少し鳥肌が立ってしまっていて。お陰で産毛の感触はよく分かった。あまり意識していなかったのだけれど、彼女なりに結構整えているみたい。手の届きづらい背中の一部を除けば、産毛の存在は鳥肌でも立たない限り気づくこともなかっただろう。ぷにぷにとした肌の感触も合わせれば尚更だ。彼女を撫でる手が首を降り、鎖骨を滑り。胸を下り、お腹の辺りまで来て。大事なところに触れても良いかと囁きかけてみれば、彼女はゆっくりと頷いてくれた。突っ込んで尋ねはしなかったが、これなら一人で慰めた経験もなくはなさそうで。ちょっとホッとした。
 改めて彼女の体を隅から隅まで確かめてみようと思ったのは、彼女にとって堪えられない場所はどこなのか、知っておきたかったからだ。胸が弱いのか。胸の外側の、縁が弱いのか。お腹はどうだろうか。太ももはどうだろうか。お尻、足の付け根、首筋に背中。……どうにも、腰の背中側は弱いみたい。神経の集まる所を優しく揉んだだけでぎゅっと息は詰まるし、絡んだ足の力は強くなったりして。私もあまり人のことは言えないのだけれど、感じ易い方なのかなって。そう思ったりした。
 ころんと彼女の体を転がして、背中に抱き着いた。この姿勢は好きだ。パチュリー様と一緒の夜を過ごすときも、よくこうしたりする。関節の向きが揃うこの姿勢なら、本当に重なるようにくっつくことができるからだ。私とこの子だと体格差があるから少し難しいけれど、それでも正面で抱き合うよりはよっぽどくっつける。何より、こうすると自然と耳への距離も縮まって。囁くことも、その小さな耳へ口づけることも、赤い首筋を愛でることも随分とし易くなる。ただ……これは私の我儘だから、最後には向かい合って抱きしめよう。胸の中に、埋めて。
 けれど。色々確かめて、ああしてみよう、こうしてみようと頭の中で練ってはみても……これがまた、思うようにはいかない。パチュリー様との経験は沢山あったのだけれど、他の方との経験が乏しくて。精々最近だと咲夜さんだけれど、それも最後までは至っていない。何のことはなく、私自身も、少し混乱してたのだ。だから、しばらくは彼女を抱いて気分を落ちつけて。パチュリー様相手だとできないことはなんだろうか、ということに絞って、考えて。頑張って、手のひらの上で転がしてみることにした。
 お胸、ふにっとして柔らかくて、可愛いね。足、すべすべしてて、気持ち良いね。……彼女の体に触れて思ったことを、思った先からとても小さな声で囁いていく。どんなに小さな声になっても彼女は聞いてくれた。意識が耳に集まったところで、ふっと息を吹きかけるとまたぶるぶると体を震わせたりして。彼女の体に手を這わせゆっくりと揉みながら、その小さな体を楽しんで。
 この程度なら達することは無いだろうと判断した場所のみを責めて、笑い、可愛がる。受け身の彼女は、手から逃げる様に身を捩ったり、かと思えばぐっと背中を押し付けて来たり。もどかしい気持ちは見て取れていたのだけれど、

「もうちょっと、頑張ってみよう?」

後ろから応援したり、呼吸を整えさせるために頭を撫でてみたり。努めて優しく、ゆっくりと追い込んでいった。自分で慰めないように伝えたからか、手のやり場には困っていたみたいで、撫でる私の手に重ねてみたり、口を押えてみたり、毛布をかりかりと掻いてみたり……落ち着きもだんだんと消えて行って。

「本当にもう駄目だってなったら、こっちを向いてくださいな。好きなだけ、ぎゅっと。我慢していた分、もっともっと、慰めてあげるから」

そう、囁く。返事はない。ただ一度だけゆっくりと頷いて。頷いた時の顎をずっと引いたまま、耐えていた。本当はもう、限界だったのかもしれない。少し敏感な部分や弱い部分をかすめる度に、口もちょっと噛みしめる感じで、こめかみもちょっとつらそうで。でも頷いた後だったから、それでもゆっくりと、ゆっくりと。予め確かめておいた、弱い場所へと手を伸ばしながら、愛でられる限りを愛でた。
 浮かぶ汗。だんだんと長くなる吐息。腰を抱きしめ内腿をゆっくりと撫でれば、もじもじと体を動かす間に広がったのか、ぬるっとした感触が指に広がって。わざとらしくそれを指先で弄ぶ。中々振り向く様子は見えなかったけれど、十分に過敏になった感覚のお陰か、どれだけ指で遊んでもその感触は途切れることがなく。溢れる元を辿る様に指をのぼらせれば、段々とそれも熱くなっていった。

「ベッドのこと、気にしなくて良いですから。気持ちよくなれるだけ、気持ちよくなりましょうね」

駄目押しとばかりに囁く。それでも彼女は頑張って堪えていたのだけれど……ぷくっとした一番弱そうな場所を濡れた指先が掠めると、びくびくと震えながらぐるんと体をこちらに向けた。抱きしめてあげようと思ったら、彼女が私を見上げ、口を開いた。

「で、できたら」
「はい?」
「優しく……めちゃくちゃにしてください」
「……私も、悪魔ですから」

とても小さな声でお願いされて。言い終わると彼女はぎゅっとしがみついた。なんとか気力で持っていたのか、抱きしめられた背中は爪が当たって少し痛い。それ自体は彼女も気づいたみたいで、なんとか爪が立たないように頑張っていたのだけれど……震える手に震える肩。何より、今にも跳ね始めそうな体。仕方ないことだったと思う。
 詰まる吐息に催促され、改めて足の間に手を伸ばす。催促するわりにはしっかりと力が入っていて、けれど濡れた指先はそのままするんと入ってしまう。先ほど掠めた柔らかな突起。指で撫でればその確かな存在は弾力のお陰でよく分かるけれど、とっても小さくて可愛らしいものだ。薄い皮の帽子を目深にかぶって、でもちょっとだけ顔を覗かせている。帽子越しに頭を撫でて、撫でて。溢れたものを絡めた指先で、満遍なく濡らしていく。普段、独りですることがどれだけあるかは知らない。私やパチュリー様みたいに一人一人に宛がわれた部屋じゃなく、共同部屋だったんだと思うから、ひょっとしたら普段は満足にできなかったのかもしれない。けれど、私の指には素直に喜んで……もとい、もう我慢ができなかったみたいで。すぐに体は跳ね始めた。
 彼女がぐりっと頭を胸へと押し付ける。息を止めてしまわない様に促し、その戸惑う様な吐息を楽しみながら、そのまま指で優しく撫で転がし続けた。盛大に達する姿、というのも見てみたいけれど、今日はひたすらに喜んでもらうのが目的だから。ひょっとしたらそれが苦しさにもなってしまうかもしれないけれど……。
 ぴんと伸びきった足。体が跳ねるお陰で、私の足にもぐりぐり触れる。達する感覚が終わってしまわないようにひたすらに撫で続けたお陰か、お腹に集まっている熱はとても高くて。手を差し込むために少し隙間があるのに、私のお腹にまで伝わってくる。勿論、私自身が楽しんでいたせいも多分にあるんだけれど……ああ、彼女はどこで止めて欲しいと願うんだろうか。こんなことをパチュリー様にすると、行為の後が怖いから私自身ワクワクしてしまう。
 力を入れると息が止まってしまうからか、足には力が入り続けている一方、彼女自身は頑張って力を抜こうとしてた。顎の周りはもう疲れ切ってしまったみたいで、口は僅かに空いたまま。時折、吐息に混じって歯がかちかちなる音まで聞こえる。胸に抱く感覚からして目は閉じているみたいだけれど、睫毛が肌をすっと撫でる感触のお陰で、なんとなく表情は分かった。

「どんどん力を抜いちゃいましょうね」

頭の上から囁くと、鼻息に近い小さな返答が帰って来た。耐えるために頑張っていたから、手持無沙汰という訳ではなかったのだと思うけど、少しすると彼女は私の胸に口づけるようになった。吸う訳でも舌を這わせる訳でもなく、唇にしてくれたようについては離れる柔らかな塊。またあとでキス、させて貰おうかな。動けなくなってたら、その時は奪ってしまおう。
 初めの頃は私の手に合わせて跳ねていた体も、ずっと責め続けたせいか、次第に同調することは無くなって。私の手にあまり関係なく、跳ね続ける様になった。お陰で撫でる指が被った皮をぐりっと脱がそうとしてしまったり、押し潰しそうになってしまったり。私自身は優しく、ずっとずっと、ずっと撫でて愛で続けようと思っていたのだけれど……彼女自身はなんだかんだ楽しんでいるみたい。
 この子自身が堪えていることもあるのだろうけれど、どんなに体が跳ねても声を漏らすことはほとんどなかった。ただ、代わりとばかりに妙に色っぽい吐息を漏らしてくる。そもそもこんなに小さな子を相手にすることが無かったし、体格差を考えるとかなりいけないことをしているような気分は私にもあって。……胸にぎゅっと顔を預けているから、この子自身もそんな私に気づいてしまっているかもしれない。
 疲れが広がり、抱き着く力も弱くなって来てしまったところで、私もゆっくり手を引き抜いた。すっかりぬるぬるになってしまった手をシーツで軽く拭うと、そうして欲しいと願った様に彼女を両手で抱きしめた。それにもやっぱり体をちょっと跳ねさせたりして。……大丈夫だよね、なんて。今更ながらに少し心配になったりした。
 彼女の胸の鼓動の一つ一つを数えて、落ち着くのを待って。露出していた肩には毛布を引っ張った。毛布に擦れるのもちょっと効いてるみたいだけど、また私のせいで風邪をひかせる訳にはいかなかったから。十分に温かいといえばそうなんだけど。少なくとも私より汗をかいていたし、今も……まだちょっとずつだけど、かき続けてる。

「後でもう一度キスしたいな」
「もうちょっと後で、良いですか」
「ええ。ええ。今はまだ落ち着かないでしょう。背中、撫でても大丈夫かな?」
「大丈夫じゃないですけど、撫でられたいです」

……そっか。
 落ち着く邪魔にも、不快にもならない様に。汗をかいて体温の下がっていたところは手を添え、僅かながらの体温を渡して。ゆっくりと、ただゆっくりと落ち着くのを待った。ちらりと時計も見てみたけれど、これでもまだ眠るには早いかもしれない。落ち着いたら、どうしようかな。
 しばらくして、彼女が寝返りをうった。私は抱いていた手を緩め、ひっこめた。胸もお腹も、手を添えるのはまだ負担になるかなって、そう思ってしまったから。ただ、それだとなんとなく寂しそうだったから、だから今度は私が彼女の首元に顔を預けて。気管を空気が通り抜けていく音をゆっくりと聞かせて貰った。

「怖くは無かったです?」
「大丈夫ですよ。お姉さんのこと、好きですし」
「私も好きですとも。これから、どうしましょうか。……もう一回しちゃいます?」
「凄く嬉しいお誘いなんですけど、しちゃうとたぶん、明日に響いちゃうかなって」
「確かに……ちょっと疲れさせちゃったかもしれませんね。ごめんなさい」
「い、いえ。ほら。私は元気が取り柄みたいなものですから。……その。これ以上されちゃうと、明日、たぶんお腹が意識しちゃうと思うので」

そう、でしたか。

「じゃあ、とりあえずごろんとしてましょうか」
「はい。……本当に、このお部屋は静かですね」
「ええ。おかげさまで。くっついて耳を澄ませると、ほら。鼓動だって聞こえる」
「私も聞こえます。あの、お姉さん。これから暖かくなっても、また泊まりに来ても良いですか」
「勿論。夏が来ても、秋が来ても。ただ、パチュリー様の方に行ってることもありますけど」
「勿論そのときは身を引きますとも。そうだ、チョコはどうでしたか。お召し上がり頂けましたか」
「ええ。とっても美味しかった。お陰でパチュリー様とも美味しい時間を過ごせましたし。パチュリー様もありがとうって。そう言ってましたよ」
「それは良かったです。ところで……どっちを食べました?」
「私はパチュリー様を頂きましたよ。美味しいミルク味で」

私の返事に彼女が笑う。

「予想通りでした」
「私もまた次の月に、お返ししますね」
「……私はいつも、お姉さんから頂いておりますとも」

彼女はそう言うと、私をじっと見つめて。ゆっくりと顔を近づけると、唇を重ねてくれた。緊張も、いつの間にかどこかに行ってしまったみたいで。眠っているときにも似た、穏やかな顔。……いつも、頂いている、か。それは、私も、そしてパチュリー様も。同じことを思っている。
 いつも、ありがとう。



~~



 お嬢様のお世話も終わり、夜のお仕事も終わりが見え始めたころ。お嬢様の部屋にパチュリー様が少しむくれた顔で現れて、パチュリー様の希望で私は部屋を出ることになった。手持無沙汰に、普段はもう少し後の時間にやる見回りを始めて。静かな廊下をゆっくりと歩いていると、あまり夜には似つかわしくない音の聞こえる部屋があった。今日は沢山聞いて回った後だったから、この部屋のことは明日の夜に訪ねようかなって。そう思っていたのだけれど……なんだか気になって、ドアを叩いた。

「ああ、お疲れさまです。私の記憶だと明日、だったと思うんですけど」

妖精の子がドアを開けて、私を見上げた。その手には、何故かすりこぎ。そしてどことなーく漂う、ゴマの匂い。

「うん、それで合ってるわ。……けれど、今日でも大丈夫だったりしないかしら?」
「勿論、大丈夫ですよ。皆、大丈夫よね?」

彼女が部屋の中に向かって尋ねて。しばらくしてこちらにまた振り向くと、頷いてた。部屋の中は……ちょっと温かい。この部屋は暖炉のある数少ない部屋だ。昔はここが応接室だった。けれど、お客様を案内するには少し利便性を欠いていて。今では館の外装修理や保全などのあまり使わない工具を置いたり、それらに使う材料の加工作業をする部屋になっていた。ここに置くことになった理由は、この部屋で加工して余った端材をそのまま暖炉にぽいと入れられるからだ。面倒な端材は結局焼却炉に運ぶことにはなるのだけれど、少量ならこっちの方があまりにも楽で。炭のお世話こそ必要になるけれど、手がかじかんだまま作業するより楽なことや、元はお客様用の部屋で壁も厚く、入り口のドアの傍まで来ないとあまり音が漏れてこないこともあって、妖精の子達にも好評だったりする。
 部屋の中には入口の子を合わせて五人の子が居た。入口に居た子は私が後ろ手にドアを閉める頃にはもう椅子に座っていて、すりこぎを磨いていた。このすりこぎは厨房のものみたいだ。彼女の前には他にも何本か並んでいる。彼女の隣に居た子は紙に向かってペンを握りにらめっこ。何かの設計をしているみたいだ。残りの三人の内の二人は、暖炉の傍らで、のこぎりを使ってごりごりと木材を切っていた。最後の一人がその子達の切った木材をやすりで弄っている。

「毛玉クラブ、よね?」

毛玉どころか、毛糸の一本も見えない。ふと尋ねれば、すりこぎを磨いていた子が頷いて、座ったまま私を見上げた。

「咲夜さんも椅子をどうぞ」
「ええ。ありがと」

彼女にすっと指された方を見てみると、何故かここにもある安楽椅子。少し引いてきて腰を下ろすと、彼女も近くに椅子を持ってきて座った。

「ここの活動は……まぁ、見ての通りではあるんだろうけど。一応、どういうものなのかしら」
「そのまま見ての通りではあるんですけど、活動の目標ははっきりしてまして。一言でいえば、手に職を持つ、です。私達はメイドとしてのお仕事もありますけど、一つより二つ、二つより三つ何かできたほうが、いざって時の備えになるからって。……そんな経緯があったらしいですよ」
「あら。貴女が代表だと思ってたんだけど」
「代表ですけど、私がここで働く前からありました。私は引き継いだので。私の前の人も引き継いだって言ってました」
「そうなの」

きめの細かな紙やすりで、すりすりすりすりと彼女が磨きながら説明をしてくれる。時折テーブルの上でとんとんとすりこぎを叩き、叩く度に舞う小さな粉を息で飛ばない様に少し離れたところに集めて山にしていた。

「使う道具が増えれば増える程、とっかかりは難しくなるからって。だから一番最初に取り組んだのが、毛糸のマフラーを編むこと、だったみたいです。図書館から本を借りて編み方を勉強して。興味を持ってくれた子を引き込みながら、少しずつ大きくなったみたいです。編み物教室は今もやってるんですよ。夏と秋だけですけど」
「冬は?」
「冬までにできていないと。私達は咲夜さんみたいに時間を止められないですし」
「それもそうね」
「マフラーに手袋。その次は椅子とか。自分たちが使うものを少しずつ作れるようにして。日夜……といっても、明日に障らない範囲で頑張ってます」
「椅子、ねぇ。私が座ってるのもそう?」
「ええ。安楽椅子が作れるようになったのは随分と後なんですけど。そうだ。リスト見てみますか。作れるようになったものをリストにしてるんです。マフラーとかを編むのは図書館に本がありますけど、作って来たものの設計図は取ってあって纏めてるんです。ほら、新しい子がここに興味を持ってくれたとき。どういうものが作れるのか紹介できれば、先人も浮かばれますから」

言われて渡されたのは、少し大きな分厚いひと綴りの冊子。ペンを握って悩んでいる子が前にしている紙と同じ大きさだ。表紙は新しいけれど、開いてみれば最初のページは随分と紙が古かった。紙の左上にはただ、『1』と書かれていて。四脚椅子の設計図が書いてあった。ただ、ちょっと……

「下手な絵、ですか?」
「……そう思っちゃったわ。こういうの作るぐらいだから、なんだか得意そうだなって思ったんだけど」

完成系の絵も描いてある紙。……頑張っている。特に奥行きの良く分からなさ。でもこれを書く前にも色々と悩んだのだろう。一枚の紙の中で、作り方が図面として頑張って纏めてあって。寸法も、組み合わせ方も。見れば分かる様になっていた。

「たまたまですよ。誰だって絵が得意なわけじゃないですし。私もそうです。いいですよねー医務室は。なんかあそこ、絵が上手くて。羨ましいです」

一枚、紙をめくる。次は『2』と書かれていた。完成系は棚の絵だ。さっきよりも頑張っている。さらに次の『3』は、テーブル。これは頑張らなかったのか、絵が物凄く簡素だ。『4』は……数字の後にさらに小さな数字が続く。二枚組みたいだ。引き出し付きの棚の絵。

「その辺りから棚シリーズです」
「本当ね。次も、その次も棚だわ」
「色々な道具を仕舞える場所が必要だったからって話みたいですよ」

ぱらぱらめくると、色んな家具に手を出している。途中には竹細工も混じってた。ただ、大物は棚の後にはなかなか出て来なくて。冊子の真ん中まで来たところで、やっと安楽椅子が出てきた。でも、この安楽椅子は見たことが無い。シルバーライフの所にあったものに似てはいるけれど、あの部屋にあったどの椅子とも違う。私が座っている椅子とも。

「安楽椅子も棚と同じ感じで。ほら、作ってみないと分からないことってあるじゃないですか。だから、設計しては作って、試して。それを繰り返してきたんです。その冊子は設計図を作った順に並べているんですけど、そのページの後またしばらくすると、次の安楽椅子がありますよ」

……本当だ。他にも作っているけれど、安楽椅子は定期的に登場している。そこでふと気になって尋ねてみた。

「材料ってどうしてるの。私、備品の申請貰ってるけど、材料の申請を受けた覚えが無いんだけど。確かに毛糸は過去にあったけど、いつも文房具類よね?」
「材料は取って来てますよ。お休みの日とか。木も竹も」
「大変でしょうに」
「大変ですとも。だから設計は悩むんです。無駄を出したくないので」

そこで彼女が紙をにらむ子に視線を向け、その子もちらりとこちらを見た。苦笑いしてる。彼女は一体何を設計しているのだろう。興味はあるけれど、集中力を削ぐことはしたくない。

「竹はまだ、伸びたい放題伸びるのを竹林で見るから分かるけど、木は?」
「近くの山から。ほら、私達はなんていうか……性分というか。もう駄目になってしまう木とかは分かってしまうので。薪として木材をとってくることもありますけど、同じ感覚でそういう木も皆で持ち帰るんです」
「でも重いでしょう。言えば手伝うのに」

そう言うと、彼女は声を出して笑った。それにちょっと驚きながら見つめれば、

「駄目です。この集まりは、手に職を持つ、それが目標なんです。私達ができるようになりたいのは、作ることだけじゃない。それに関わる色んなことをできるようになりたいんです。手段が無いなら、手段を作る。それも私達の活動なんです」

そう、熱心に教えてくれた。……これは、支援を考えているお嬢様にはちゃんと伝えないといけない。お嬢様も色んな案を持っているのだろうけれど、この子達のこういう所は守らなければいけないところだ。

「そう。でも、まぁ。ほら」
「なんとなく咲夜さんが言いたいことは分かるんですけど、そういうお力添えは……本当に立ち行かなくなったときにお願いしたいです」
「……分かった。ごめんなさいね」

足りないという状態そのものが、彼女たちのやる気の後押し、か。

「じゃあ、後はそうね。この活動の主要なメンバーってどれだけいるの?」
「今いるのがその全員ですよ。教えてもらいに来る子は除いて、ですよね?」

私が頷くと彼女も頷いて。止まっていたすりこぎを磨く手はまたゆっくりと動き始めていった。
 それから少し世間話をしたところで、彼女たちの活動の邪魔にならないように部屋を後にして。私はまた廊下の見回りへと戻った。この子達に対して何か支援策を、と。そう考えていたお嬢様。きっと難航することだろう。このままだと、欲しているものが特にない、という報告書を本当に出すことになってしまう。ひょっとしたらお嬢様もそういうことは予想しているかもしれないけれど、ここまでだとは……たぶん、思っていないんじゃないだろうか。あとに残るは……催眠術同好会、そして、マザーズ。ちょっと、気が重い。



~~



「まずは落ち着こう。な?」
「レミィ、言われなくても冷静よ、私」

パチェがやってきて、咲夜を逃がしてしまったことを後悔した。夜に訪ねてきたのだから何か大事な話があるのだろうと、そう思っていたのだが……なんのことはない。中身は痴話喧嘩だ。促すまでもなく話し始めたパチェが言うには、あの子をメイドの子の一人に取られた、とのことだ。
 取られた、ねぇ。普段は鋭い発言をするパチェも、あの子のことで慌て始めると説得力はゼロに等しい。取られた……本当にそうだろうか。私に限らず館の子は誰だって知っているのだ。パチェとあの子は仲が良いという言葉では片付かないこと。言うなればそう、絆とか。そういう言葉が似合ってそうな位には強く結ばれた仲なのだ。たぶんパチェ自身だってそのことは分かっていると思うのだが。

「そうよ。それでも私が一番仲が良いわ」
「だから落ち着こう。な?」
「あの子が妖精の子といちゃつくのは別に構わないんだけど」

……構わないのか?

「私がそれを知ってしまう状況でやるのはどうかと思うのよ」
「見てたのかい?」
「見ては無いけど何をしてたのかは分かってたのよ」

となれば、相当に音漏れでもしていたんだろうか。音漏れする程ということは……ははぁ。いちゃつくというよりは、もう行くところまで行ってしまったのだろうな。そうかそうか。私以外にも声がでかいのが居るんだな。あの子か、それとも妖精の子か。どっちかは分からないけど。

「いや、五月蠅くは無かったのよ。あの子の声なんてレミィのに比べればよっぽど慎ましいわよ?」
「……なあ、そこまで私の声は大きいのかい」
「私も今はもうあの子以外を抱くことなんてないけど。それでも分かるわ。レミィのは大きい」

余計なことを私が言ってしまったせいで、矛先がこっちに向いてしまった。……まぁ、良いか。あの子とパチェは互いにもう、話さなくても言いたいことが伝わる仲だ。けれど、だからこそ胸の中に溜まってしまうものというのはある。どれだけ大事に思って、どれだけ大切にしてきたとしても、そういう溜まってしまうものが毒になってしまうなら。それは放ってしまうべきなのだ。パチェ自身も本能としてそれを理解しているのか、一度こうやって火がついてしまうと、

「あれだけ大きかったら、外に居る子だって気づくでしょうに」

止まらなくなる。過去にだって何度もこんなことはあった。理由は様々だったが……ともかく。だからこそ、対処法というのは良く分かっている。この火に少しずつ油を注いでいくのだ。そのまま喋らせ続けると、かなり景気よく喋ってくれる。胸に刺さる言葉も飛び出すこともあるけれど、だからこそ油を注ぐ。

「ふぅん。パチェも体調が良いときは結構な声してたと思うけど?」
「良いじゃない。体調が悪く無いときくらい」
「自覚はあったんだ。そうかそうか」

普段のパチェは一言にいろんな意味を詰め込もうとするし、あの子とも僅かな言葉で十分に意思疎通ができてしまうからか、話すこと自体には問題がなくても、話し続けることには慣れていないのだ。あの子はたぶん、それを分かっている。分かった上でからかって楽しんでいるだろう。自尊心自体はそこまで大きくないけれど、我が強いパチェだから。たぶんそれはいつまでも慣れることはない。まぁ、慣れてしまうと誰もパチェに言い返すことができなくなってしまうから、私はこのままで居て欲しい、というのが本音だが。
 私が笑ったから、普段のパチェからはなかなか出てこない遠慮のない言葉がぐさぐさと刺すように飛び始めた。恐ろしいのは、至って間違った指摘ではないというところで、真摯に聞くと私自身とてもつらいから、話半分……話四分の一くらいに聞いて。余裕がある風を装って、そこからはパチェの言葉を適当な返事と共に聞き続けた。
 精神的には強いパチェだけれど、体はそれには追いつかない。普段はできないけれど、ここぞとばかりに私がからかうと、パチェはすぐにむきになって。言葉はどんどん重ねてくるけど、喉はどんどん疲れていく。やりすぎると喘息を引き起こしてしまうから、あの子にはできたら止めてと言われているけれど、こういうときのパチェを止めるのには丁度良いのだった。一度油を注ぎきってしまえば、後は勝手に燃え上がって。それが終われば勝手に火は弱まって。

「……ふぅ」

しばらくすると、自分から火を消すのだった。

「ワインでも持ってこさせようか。それとも甘いパンケーキの方が良いかい?」
「パンケーキ。ねえ、今日泊めてくれない?」
「構わないとも」

椅子を降りドアへと向かって、外の子へと伝えた。パチェの声が大きかったからか、彼女は少しだけドアから離れたところに居て。私の声にぶんぶんと頭を振って頷くと、すぐに厨房の方へと飛んで行った。
 その後もぽつぽつと愚痴を零していたパチェだったけれど、パンケーキが届いてしまうと愚痴ごと飲み込んでいた。あまり急いで食べるとお腹に障りそうではあるのだが、そういう風に食べたくなる気持ちも分からない訳では無い。普段は張ることのないほっぺをぼうっと眺めながら、私も目の前のパンケーキを口に運ぶ。まだ溶けきっていないバターだけはちょっと冷たかったけれど、口の中でだんだんと溶けて馴染んでいった。
 厨房の子達はそれこそいろんなものが作れるけれど、お世話係の子は料理が得意な子も居れば苦手な子も居て。けれどもパンケーキは私がそれなりに頼むからだろうか、皆作ることができる。きっと咲夜が教えたのだろう。失敗してくることも滅多にない。ただ、作り方自体はある程度自由に教えていたのか……作る子によってちょっとずつ差があったりする。小さくて平たいのを三つ重ねる子。ちょっと大きめのを二つどんと重ねる子。一品豪華主義と言わんばかりの、そもそもどうやってこのサイズを焼いたのだという一枚をどんと出す子。様々だ。どれも食べきってしまえば量が一緒であることには気づくのだけれど、食べ方が変わるせいか味の印象はちょっとずつ違ったりして。前もこうやってパチェとパンケーキを部屋で食べたはずなのだけれど、あの時はどんなのが出たんだっけ……。

「早く食べないと冷めちゃうわよ?」
「そうだね。でもまぁ、ゆっくり食べるよ」

気が付くとパチェのお皿はすっかり空っぽになっていて。

「……半分食べるかい?」

握りしめたままのフォークを見てそう尋ねれば、ゆっくりと頷いていた。

 食べ終わった食器をメイドの子が片付けてくれた後、パチェはベッドに潜り、傍の灯りをつけて本を読み始めた。私はまだ済ませていなかったお湯あみをして、少し遅れてその横に転がって。私の枕に頭を預け本に視線を落とすパチェを、自分の手を枕にしてぼうっと眺めてた。読書に集中していれば少し気がまぎれるのか、パチェがこちらを見ることはなく。その顔色にはまだほんの少しだけ、やきもきとした気持ちが残って見えたけれど……この分なら明日にはまたいつもの調子に戻っているだろう。
 もしもこれが図書館でのことだったら。ずっと顔を見つめていたら、何、と。聞かれただろう。でも今日は押しかけで、ここは私の部屋で、その枕だって私のもので。そういうことを分かってか、何も言わないで居てくれる。こういう時間は好きだ。とても。好きなだけ、ぼうっとして居られる。今のこの時間を、任せて居られる。こういう頼もしさはこの館の中だとパチェ位でしか感じられなくて。

「先に眠るからさ、何かあったら外の子に頼んでおくれ」
「ええ。おやすみ、レミィ」

疲れがゆっくりと溶けていくこの感覚が、今はただ愛おしかった。



~~



 いつも、その日見た夢のことは忘れてしまうけれど、変わった夢だけは覚えてる。特別怖かった夢とか、特別楽しかった夢とか。悲しかった夢とか……あとは、いちゃいちゃした夢とか。望んでいない夢はいつも永く永く感じ、望んだ夢はいつも早く目が覚めてしまって。良い夢だったはずなのに、ちょっとだけ切なかったりした。
 図書館のお姉さんの部屋での朝は、もう何度か迎えたけれど。未だに慣れない。いつも胸の中で目が覚める。けれど、今日はいつもと違う。私とお姉さんとの間に、温かい服が無いのだ。……すごく、柔らかい。柔らかくて、温かい。
 お姉さんはいつも私を包んでくれる。胸に抱いてくれる。額から足の先まで、温めてくれる。湯たんぽ代わりになるからってお姉さんにそう言って、くっついて眠らせて貰ったこともあるのに、温めて貰っているのはいつも自分の方なんだなって。
 もしも私がお姉さんよりも少し大きかったら。そう考えたことは無い訳じゃなかった。そしたらきっと、色んなことができたに違いない。けれど、それは願っても仕方ないことだというのは……自分の体だから。よく分かってた。
 私はどうやったって、パチュリー様にはなれない。お姉さんにもなれない。お嬢様や咲夜さんや美鈴さんにだってなれない。そして、なる必要がない。……お姉さんの傍にいると、そう思うようになってきた。パチュリー様は私のことが羨ましいって言ってた。私がパチュリー様のことを羨ましく思う様に。あの時言っていた言葉の意味は、全部とまではいかないけれど、段々と分かってきた。だから、かな。胸の内で悩んでいたころに比べると、随分と気が楽になったように思う。どこまでもお姉さんの傍に居たいし、パチュリー様のことが羨ましいのは相変わらずだけれど。私は、私自身が認めて貰いたかった人に、認めて貰えた気がしたから。

「ん……」

頭の上から聞こえてくる寝息。耳を澄ませながら考える。パチュリー様に会ったら、なんて言えば良いのかな。自分から切り出すべきなのか、会話の話題にあがるのを待つべきか、謝るべきかお礼を言うべきか。不思議と、どう切り出してもなんとかなってしまいそうだなって思う。こうして、お姉さんの腕の中に居るからだろうか。
 ……気持ちよかったなぁ。独りでお姉さんを想ってしたこともあったけど、普段のとは全然違う。もう体が言うことを聞いてくれなかったもん。溶けてしまうかと思ったくらい。あんなに体の芯から熱くなったのは初めてで……まだ、ちょっとお腹が熱い。足腰が立たなくなってしまったらどうしようって、昨日は考えちゃったりしたけれど。この位なら、今日も一日頑張れそう。でも……私ももうひと眠りさせて貰おうかな。叶うなら、本当にぎりぎりの時間になるまで、こうして埋もれていたい。
 お姉さんの腕の中で眠っては覚め、夢のような時間を幾らか過ごした所で……ふと、気づく。お姉さんが一向に起きる気配が無い。鼓動も寝息もあるからそこは安心だけれど……もう昨晩の疲れだって体から無くなってしまった。時間、大丈夫なんだろうか。そう思って頭を動かし、部屋の中に時計を探して。寝返りを打ち目を凝らして部屋を見渡してみると……あった。

「お、お姉さん、お姉さん!」
「うん……」

急いでお姉さんを揺すった。時計の針は、お昼を示してた。朝の時間なんてとっくに過ぎ、そもそも、午前という時間ですらない。朝食は、いや昼食は。私は、なんてことを。

「……おはよう」
「おはようございます。あの、お姉さん。もう、その。お昼になってるみたいで」

お姉さんは僅かに瞼を持ち上げ私を見つめ、それから自身の額にゆっくりと手を当てて。しばらく唸った後、長いため息を吐いた。

「パチュリー様を、ここに呼んできて貰えますか」

起きる様子もなく、そう言われてドキリとする。でももっと驚きだったのは、

「ここに居るわよ」

お姉さんがそう言った後すぐに、パチュリー様が返事をしながら部屋に入ってきたことだった。頭の中が、真っ白になった。



~~



 胸に抱いていた彼女の声で目を覚ました。もう、お昼らしい。起きなきゃ、と、そう思って瞼を持ち上げたけれど、強い睡魔がぐいぐいと押し戻した。体も重い。少し懐かしい感覚だった。自分自身の体力には気を付けていたつもりだったのだけれど、眠っている間に体が危険だと判断してしまったみたいだ。意識を保っていられる内にとパチュリー様を呼んで貰うようにお願いすると……いつの間にか、パチュリー様は目の前まできて私を覗き込んでた。

「分かってるから寝てなさい」
「はい」

そのたった二文字しか返せなかったけれど、伝わったみたいで。ホッとしたら、もう瞼を持ち上げられなくなっていた。
 夢の世界と自分の部屋の景色を行ったり来たりする間に、いつの間にか私の手は握られていた。小さな手。パチュリー様とはまた違った温かさのある手。ああ、どうせこうなってしまうのなら。せめてこの子を送り出してからにしたかった。きっとパチュリー様が色々と言ってくれたと思うけど、貴女に責任は無いのですから。だから、そんなに寂しそうな吐息をしなくても、良いのに。
 何度か眠りを繰り返すうちに瞼もちゃんと持ち上がる様になって。体の重さも消え始めたころには……やっぱり心配して疲れてしまったみたいで、彼女は私の手を握ったまま、床にお尻をつけ、ベッドにもたれて眠っていた。少し顔を持ち上げると、テーブルの傍らではパチュリー様が本を読んでいて、

『どう?』

私に気づくと、声を出さずにそう尋ねた。

『大丈夫です』
『もう少しでお夕飯だから、そのときまで休んでなさい』

私が返事をすれば、しばらく私の顔を見つめて。少しの間の後、そう言ってまた本に視線を戻してた。
 眠る気にはならず、瞼を下ろしたまま、握ってくれていた手を撫でて。紙を捲る音を聞きながらベッドの中で温まっていると、小さなノックの音が部屋に響いた。しばらくすると蝶番の擦れる音がして、パチュリー様と咲夜さんの声が聞こえてきた。

「お薬とか必要ですか?」
「いいえ。病気とかじゃないわ。安心して。大丈夫だから」
「お夕飯お持ちしましたけど、器がとても熱いので、どうか気を付けてください」
「ええ。ありがとう」

漂ってくる焦がれたチーズの匂い。グラタンかなって思ったけれど、普段のグラタンには入っていない焼けたお肉の匂いもする。そういえば今日は何も食べていないんだっけ。そう思ったらお腹が鳴って……それが聞こえたのか、眠っていた彼女が目を覚ました。瞼を持ち上げるとすぐに目が合って。笑いかけるとホッとしたのか、握られていた手が緩んだ。

「大丈夫ですか?」
「ええ。大丈夫ですよ。驚かせてごめんね」
「良かった。……食べられそうですか?」

しばらくは私の顔を見つめて笑っていた彼女だったけれど、漂う香りにか、すぐに持ち込まれた食事に気づいて。体を起こしてそう言うと、乱れていた衣服を整えて台車の所まで飛んで行っていた。
 まだ少しぼんやりする意識。その中で服を着せて貰って、三人でお夕飯。今日は鶏肉を入れたドリアの様だ。器が熱くて、そして何より喉が渇いていたからお水を貰いながら冷めるのを待って。ふと、両脇に座った二人を見てみた。何故か二人とも、一緒にベッドに上ったら何も言ってくれなくなってしまって。大丈夫なのに、少し気まずい。勿論、二人が何を考えているかは分かってた。パチュリー様はもう大丈夫だと分かっているからこそ何も言わなくて、手を握ってくれたこの子は説明を受けていても不安で切り出せないのだと。だから、隣で心配する彼女には笑いかけておいた。



~~



 今日は風が強かった。久々に洗濯物が斜めになびき、料理中でも換気窓から入る風の音がハッキリと聞こえ、雨こそ降らなかったけれど右へ左へのてんてこ舞いな日で。冬の衣類を片付けて油断していた子が少し冷えてしまったみたいで、寒そうだからお夕飯は温かい物にした。聞くところによればお外に出ていない図書館のあの子も、少し体調を崩してしまったみたいで。お昼を過ぎて、『朝食も昼食もいつもと別の子が取りに来てました』なんて改めて報告されたときにはちょっと驚いた。どうもあちらは寒さではなく、先日付き合った実験の影響が出ているそうで、パチュリー様は心配ないからって言っていたけれど……本当に、大丈夫だったのだろうか。あの子は体調を崩すことがそもそも滅多にないのだ。パチュリー様がパチュリー様だからなのだろう。
 調子が良くないと言えば、お嬢様もそうだった。昨日の夜に私がお嬢様の部屋を出た後、しばらくの間はパチュリー様の愚痴を聞いていたのだそうだ。どうにも、あの子と、あの子を好きな妖精の子との事情が原因だそうで。私もその一端をちょっとだけ持ち上げてたから少し申し訳なかった。そうして疲れていた所にトドメの様に私が調査の進捗を話したお陰で、余計に落ち込んでしまったみたいで。おやつにおかきを持って訪れた時も、以前見せてくれたコインと紙を前に頭を抱えていた。

『この前の話もあったから大体想像はしていたし、困る程に必要な物が無いというのは喜ばしいことだと思うんだがね。でも、ちょっと寂しいな』

って。小さな声で返されたのは少し辛かった。
 お夕飯がひと段落すると、流石にお昼の様な騒がしさは収まりを見せ、いつもののどかな館の空気に戻っていた。ここでは皆綺麗に食べてくれるから基本的にはあまり苦にはならないのだけれど、ドリアやグラタン、他にも専用の容器を使うものの内、特に焼くものは洗うのがちょっと大変だったりして。それがすっかり片付いた頃には、もう静かという言葉が似合いそうな程に遅い時間になっていた。

「咲夜さん、今日はゆっくりされていくのですか?」

ここ数日は夕食後すぐでも用事があったから、夕食の片付けに終わりが見えた後はすぐに厨房を飛び出していたのだけれど、今日は用事はあっても時間はまだまだ先のことで。妖精の子が労いに作ったチョコミルクを貰って、久方ぶりに厨房のテーブルを皆で囲んでた。バレンタインの残りものを使ったらしく、ちょっとチョコが弱い。ほんの少しだけとろみがあって、甘いというよりはほろ苦く……でも好きな苦さだ。聞くところによれば昨日も作ったのだそうだ。

「この休んでる時間が恋しくてね。今日は久々に忙しかったから。でも飲み終わったら行くわ」

私の返事に皆が笑い、それからまた静かになって。皆ゆっくりとコップを傾けて行った。
 残り、二件。本来は今夜その二件を回り、明日のお昼にでも報告書を届けようと思ってた。けれど、その内の一件からは……調査を明確に拒否されてしまった。
 マザーズ。代表の子は分かっていたから今夜訪れたい旨を告げたのだけれど、その時にだ。今までが全く断られることなく進んでいたこともあって、ちょっとだけ驚いた。けど、『秘密を知る人は少ないほうが良いから』って。そう言われたら引き下がるしか無くて。せめてもと、他の所でも聞いた当たり障りの無いことだけは尋ねて、教えて貰った。……相変わらず、欲しい物は無いと言われてしまったけれど。
 あと一件、催眠術同好会で欲しい物が無いと言われてしまったら。本当に報告に困ってしまいそうだ。その情報自体は収穫かもしれないけれど、お嬢様が何をしたいのかは何となく分かっているから……少し辛い。
 催眠術同好会。最後に残ってしまった。何をしているか一番わかりやすい名前なのに、一番うさん臭くて。活動日自体がひと月の中でも少ないこともあって、今日を逃す訳にはいかなかった。事前に訪ねたい旨を伝えたら、この時間に来てくれればって、結構遅い時間を指定された。寝る前の本当にちょっとした時間を使って活動しているようだ。活動場所も他の所と違い、妖精の子達の四人部屋の寝室。尋ねてみて分かった。部屋の中の全員がメンバーなのだそうで、それ以外にはまだ一人しか居ないらしい。
 空いた時間はお風呂で潰した。もとい、久々にゆっくり休ませて貰った。久しぶりに冷えた日だから湯船はちょっと混んでいたけれど、皆疲れてしまったのか、結構静かで。首から下の疲れが溶けきってしまうまで、ずっとお風呂の天井を見上げたまま浸かっていた。
 普段はそもそも時間を止めて入っていることが多く、そして止めなくてもすぐ隣にはほとんど誰も座らないのだけれど、今日は気が付くと一人、いつの間にか横に座っていた。私が告白した彼女だ。一度視線を送るとにこりと笑って、でも周りの目を気にしているのか、すぐに笑顔を仕舞ってお湯に顔の半分を埋めてた。皆にはお湯の中が見えづらいのを良いことに、お湯の中で私の小指を捕まえて握ったりして。……握り返すと、少し嬉しそうにしてた。
 私が立ち上がる時にふっと横を見てみたら、彼女は目を閉じて休んでいて。わたしは一度だけ指をきゅっと握ると、その指を離してお風呂場を後にした。脱衣所で着替えているときもまだまだ妖精の子達はやって来ていて、もうしばらくは混雑が続きそう。次はいつ、あの子とまとまった時間を作れるだろうか。そう思いながら通した袖は、少し冷たかった。
 約束の時間が近づいて、部屋を訪れた。寝室前の廊下には他の子達の姿は無く、周りの部屋からは少し楽し気な声が漏れ聞こえている。灯りを落とした廊下だから、部屋の中から漏れた光とカーテンの裾から入った月明かりだけが頼りで、部屋をノックして開けて貰えた時には少しだけ眩しかった。

「お待ちしてました」
「急にごめんなさいね。入っても良い?」

私の返事にドアを開けた子がにっこりと笑って。案内された部屋の中はちょっと暖かかった。事前に私が話をしていたからだろうか、四人しかいなかったけれど、皆部屋の中央に椅子を持ち寄って座っていた。どうやら、私の分もあって。ちょっとだけ皆のとは形が違っていたけれど、私はそこにお邪魔した。あまり広い部屋ではないから、皆が一か所に集まるとそれこそ肩を寄せ合う様な感じだけれど、肩を並べることができること自体は素直に嬉しくて。代表の子も少し恥ずかしそうだったから、とりあえずは緊張を解くために他の所でも尋ねたことを一つ一つ確かめて行った。相変わらず欲しい物は特にないと言われてしまったけれど、よくよく尋ねてみれば、必要な物は図書館や医務室に借りているのだそうで、一撃友の会を訪れた時に聞いた実験というのはこの子達の活動のことらしかった。

「でも、どうして催眠術?」
「うーん。本当は催眠術が目的じゃなくて、ですね。自己暗示ってあるじゃないですか。最後はあれが目標なんです。門の子達、皆明るさが少しずつ戻ってきましたけど、まだ落ち込んでるじゃないですか。塞ぎ込んでると、知らず知らず自分自身につらい暗示をかけたりしているんじゃないかなって、そう思ったりして。それで、そういうのを解消したり、別の方向に……例えば大丈夫だって風に、ずらしていけたら良いなって。けれど、話し合ったときに皆知識が無かったので。それでまずは催眠術を入口に、と」
「……そう、なのね」

正直な話、レミ様ごっこの会のようにお遊びの延長だと思って来ていたから、真面目な彼女の返答にはちょっと胸が痛かった。本来その辺りの役目を担うべきなのは私や美鈴なのだ。私自身があまり満足に力添えできていないことは自覚しているけれど、皆がこうやってとにかく道を拓こうとしてくれていたことには嬉しさ半分、申し訳なさがもう半分。……ごめんなさいね。

「それで、活動はどんな感じ?」
「うんと、医務室の子達を交えてのお勉強会をしたりとか、この部屋で実践してみたりとかです。まだ日が浅いのでその位しか」
「そっか。試してみてどんな感じ?」
「体調とか本人の性格とかで色々あって、かかったりかからなかったりしてますけど、全くの成果ゼロという事態は何とか避けられてます」

そうなんだ。

「咲夜さんもこの後時間があるなら、お試ししてみては如何でしょうか」
「私にかけてみるの?」
「実際に受けてみる方がこの会のことは分かりやすいんじゃないかと思って」
「そうね。あまりこういう機会も無いんだし、試してみようかしら」

……とても効くとは思えないんだけど。



~~



「物凄いあっさりかかったね……」
「うん……咲夜さーん?」

私はかからないわよ、という目で私達の実験を受けてくれた咲夜さん……だったんだけど。程良く疲れていたのか、不安になる位あっさりかかってくれた。

「うん」

虚ろな目の咲夜さんが小さな返事をして、皆で顔を見合わせた。日頃の訓練やお勉強の成果が出ている訳だから嬉しいと言えば嬉しい。けれど、どうしたものだろう。普段はお互いに試してみて、かかったら色々と無茶なお願いとかして遊んでいるのだけれど、それを咲夜さんに試しても良いものだろうか。幸か不幸か、皆かけられた後は解くまでの記憶が無いのだけれど、だからといって何か大事な一線を越えてしまう様な命令はしたくない。されたら嫌だから。
 けれど。でも。できるのなら。

「……ぎりぎりを攻めてみたいよね」

私の言葉に皆が頷いて、一番ドアに近かった子はひっそりと鍵をかけていた。

「何をお願いしてみようか」
「かかると思わなかったから考えてないよ」
「だよねぇ。私もそう」

催眠術がかからないことで頭を抱えることは多かったけれど、かかって頭を抱えることになるなんて、思いもしなかった。
 この会を作った時、これは守ろうと決めたルールが三つある。ひとつ。この会で知りえた秘密は外に漏らさない。ひとつ。この会が終わった後に支障の出ることはしない。ひとつ。笑い話にできないことはしない。それらのルールの上で盛大に攻めるのがこの会のモットーなのだ。攻めるのは大切なこと。成功すればそれだけ負担が大きい物でも催眠術が解けない、ということで、技術の向上具合を測れるからだ。

「皆で案を出そうよ。……咲夜さん、今はそのまま待っていてくださいな」
「うん」

ぼんやりした様子の咲夜さんを見たことが無い訳じゃないけれど、ちょっと心臓に悪い。でも一方で、妙な興奮が部屋に満ちていたのも……確かな事実だった。
 案を出すのは難しかった。話し合って気づいた。凄く大きなタブーがあるのだ。それは、咲夜さんに能力を使わせてはいけないということ。時間を止めた世界がどういう世界なのかを私達は知らない。もし、止めた後で何かの拍子で咲夜さんが正気に戻るのなら、止められても構わないのかもしれない。けれど。もしも止めた先の世界でも咲夜さんが催眠状態のままだったら。今のこの状態のように命令をずっと待つような状態になってしまったら。どうなってしまうのかは私達にも分からない。というより、とても悪い結果になるだろうということだけが分かっていた。
 話し合いの結果、二つ決まった。一つは質問で、一つはお願い……命令だ。

「咲夜さん、咲夜さん」
「うん」
「咲夜さんの初体験はいつだったんですか」

これは皆の謎だった。咲夜さんにそもそも、お相手はいるのだろうか。ここは吸血鬼のお嬢様の治める館だから、未経験の可能性も十分にあり得る。でも、何となくこの質問の答えは分かってた。咲夜さんは未経験。きっとそう。……それがこの部屋の四人の予想だった。

「三日前」

だから。咲夜さんの言葉に皆が眉を寄せた。勿論、あったならあったで良かったんだ。私達が知りたかったのは、いつか、ということよりも、既に初体験は済んでいるのか、の方が強かったのだから。けれど、三日前と言われては流石に耳を疑って。また話し合うことになった。話し合いの最初には、今の質問はあまり良い質問では無いということを皆に言われた。ひょっとしたら、初体験という言葉が何を指しているのか、私達と咲夜さんとで認識がずれているかもしれない。時間の感覚にしたってそうだ。質問するというのは、難しいのだ。それで次の質問をどうするか。……そもそも、深入りして良いのか。質問は丁寧にしなければならない。答えられない質問をした時にこの状態が解けてしまうこともあり得るから。
 気になるのは二つだ。何の初体験か。誰となのか。一つ目が解決しない限りは二つ目に意味はないのだけれど、この二つ目の疑問については追及しないことにした。自分たちがされたら嫌だからだ。興味はある。だから、もしぽろっと口から漏れたら、幸運だったとしようと。……ある意味では不運でもあるんだけど。

「咲夜さん咲夜さん」

次の質問が決まって、今度は隣にいた子が代わりに質問した。

「その初体験は、ベッドの上でしたか?」
「うん」
「……えっちぃやつですか?」
「うん」

皆が目元を指で押さえた。ため息まで聞こえる。ここで違うと言ってくれたら、どれだけ安心しただろうか。……そうかぁ。

「追及はここまで、だよね?」
「うん。ルールだもん」

小声で話す声が聞こえる。勿論、その後ろに見えてる本音も聞こえてはいる。だから私は皆を手で制すると、指を二つ立てた。

「命令試そう?」
「そうだね。……だれだっけ、命令考えたの」

ふと忘れて尋ねてみれば、一番奥の子がひっそりと手を挙げた。

「皆は椅子を片付けてベッドに乗って貰って良い?」

その子が告げる。命令役はじゃんけんで決めたのだ。まず時を止めることが無かろうという命令を各々が考えた上で。私は、咲夜さんをお姫様だっこしようと思ってた。肩車でも良い。されることは万が一にはあるかもしれないけれど、することは万が一にも無さそうだからだ。結果として一回目で負けてしまったんだけど。
 皆がベッドに避難すると、命令役の子は咲夜さんに耳打ちして。しばらくすると咲夜さんは椅子から降りて、命令役の子もベッドに飛び退いた。咲夜さんはその場でうずくまって。その後すぐに、床にうつ伏せた。そしてそのまま這うように、部屋の中をもそもそと進んでいく。これ、なんだろう。匍匐前進だろうか。確かにそれも見ることは無いだろうけど……でもちょっと違う様な。

「なぁにこれ……」

ドアの鍵を閉めた子が呟き、命令役の子が答えた。

「貴女はダンゴムシって。耳元でじっくり囁いてみた」

……なぜ、ダンゴムシなんだろう。さておき、となるとこれは、咲夜さんにとってのダンゴムシ像なのか。言われてみればそういう風に見えなくもない。ただ、背中に殻は無いし、

「ちょっと痛そう」

触覚が無いから、這った先の壁にこつんと頭をぶつけたりしてしまってる。大丈夫だろうか。頭も勿論心配だけど、もっと心配なのは床のこと。床は確かに毎日当番を決めて掃除をしている。けれど、その掃除からだって時間が経っている。もう眠る前だし。

「終わった時に埃を払わらないと絶対怒られるよね」
「そうだね。その時までは解かないようにしないと」

しばしの間、皆でベッドの上にのぼって咲夜さんを見下ろしてて。ふと思い立って、手を伸ばし咲夜さんの脇腹を突いてみた。急に這うのを止めてくるっと丸まって。防災訓練で頭と体の守り方を実演しているときのお嬢様みたい。……凄くバツが悪いときも、そんな格好をするんだけど。

「うん。ダンゴムシ」
「鍵かけたよね?」
「かけたかけた。誰も入ってこないし、咲夜さんも逃げないよ」

皆で小声で話していると、丸まった咲夜さんがまた、もそもそとうつ伏せになって徘徊を始めた。流石に本物と違って柱や壁を登ったりはしてこないから、そこはちょっとだけ安心するけど、覗き込めば真顔でやっていて……何とも。強いて言うなら進む速さが割とゆっくりしているお陰で安心感がある。もしもダンゴムシじゃなくて、もっと早い、皆の嫌いなアレとかだったら。恐らくこんな比じゃないスピードで動くのだろうし、何より床だけでなく空中戦もあり得る。流石にそれを命令することは万が一にも無いのだけど、もしも咲夜さんがあの素早さで床を這いずり回ったら。お手洗いを済ませてなかったら、確実にやられていただろう。
 狭い部屋の中を器用に方向を変えて這う咲夜さんを眺めていると、しばらくして隣のベッドの下に潜り始めた。小物とか着替えを入れている箱の合間を縫って……でもその先が行き止まりだったみたいで。私達に見えていたのはお尻と足だったのだけど、進退窮まってかしばらく固まっていた。

「今の気持ちは?」

一番遠い子が尋ねた。

「シュール」

潜られた子が、真上から咲夜さんのお尻を見下ろしてただ一言答えた。
 咲夜さんがベッドの下から抜け出すのには時間がかかったけれど、出てきたところですぐに命令は取りやめになった。床の掃除はしていたけれど、ベッドの下は甘かったのだ。髪の毛は銀色で目立ちこそしないけれど、これは確実に二度目のお風呂コース。服も前だけしわくちゃで、埃も擦れるうちに塊になって服にくっついてしまっていた。
 皆で精いっぱい綺麗にして椅子に座らせたあと、気を付けながら催眠術を解いた。咲夜さんはしばらくぼうっとしてて、何度か肩を揺すって呼びかけると、気づいて私を見上げた。

「え?」



~~



 気が付くと、彼女が私の肩を揺すっていて、ハッとなって彼女を見上げた。視界には時計も目に入って、いつの間にかかなりの時間が経ってしまっていた。ふと視線を下ろすと、服は何故かしわくちゃで、部屋の中もどこか空気が埃っぽい。

「何、何があったの、これ」
「かかったので、その。簡単な命令をしてみたんですけど、覚えていらっしゃらないですか?」
「うん」

私の返事に皆どこかホッとしたような表情が垣間見える。何を命令されたんだろう。

「私ここで何をしてたの?」
「咲夜さんは今回お試しでしたし種明かししますけども、さっきまで床を這って動き回ってたんですよ。最初はまぁ、綺麗なところを這ってたんですけど。最後にはあのベッドの下に潜ろうとしちゃって」

彼女が丁寧に身振り手振りまでつけて説明してくれて、とても分かりやすかった。でも、それでも言いたい。何を言っているの、と。けれどまぁ、確かに彼女の言った言葉で説明がつく状況ではある。下着もちょっとずれてるけど、脱がされたとかそういうのじゃないし。でも、まずは何より、気になることが一つ。

「頭、何かした?」

頭が痛いのだ。酷い痛みではないけれど、明らかにぶつけた痛みだ。

「這ったまま壁に頭から突っ込んでて。そのせいだと思います」

……私は、何をさせられていたんだろう。
 しばらく色々と聞いてみたけれど、結局どんな説明を受けても記憶が無いお陰でいまいち納得ができなくて。一応彼女たちの言葉で説明がつくのだから、と、最後は諦める他なかった。
 一日に二度もお風呂に入ることになるなんていつ以来だろう。そう思いながら脱衣所に入ると、流石に先ほどよりも随分と妖精の子達の服の数が減っていた。最近は寝間着も長袖が少しずつ減ってきた。若々しいのは羨ましい。でも聞いてみると、意外にも薄着で眠る子は多いのだそうだ。そもそも半袖どころか、ほとんど着てない子だって居るのだそうだ。私もバレンタインの夜には体験したことだから、それができなくはないということは分かっているけれど……一人では温めあうこともできないだろう。よっぽど平熱が高いのだろうか。二人部屋なら……もし仲睦まじければ一緒に眠ることもできるかもしれないけど。
 浴場は静かで、傍から見ると寝ているようにすら見える子も居た。体を洗っている子は片手に数える程しかいなくて、私もその傍でお湯を被る。髪が乾ききっていなかったお陰で付いていた埃は少し重く、指にザラリとして。幸い奥まで入り込んではいなかったけれど、落とすのには結構時間がかかった。何度もお湯を被ったせいか、傍目にはそれが変に映ったみたいで。落とし終えてふと周りを見てみれば、何人かこちらを見ていた。

「何かあったんです?」
「お風呂出た後で埃を被っちゃったのよ」
「あー」

隣でわしわしと体を洗っていた子の質問に返しながら、髪を洗っていく。体に悪い洗髪料はそもそも仕入れないようにしてるが、あまり一日に何度もお世話にはなりたくなくて。ちょっと少な目の量にしたけれど、そもそも一度洗っているからか、泡立ちは良かった。

「咲夜さんまだお仕事なんですか?」
「ううん。もう終わり。何日かかけてたお仕事も今日で終わったわ。後は寝るだけね」
「お疲れ様です」
「お夕飯から随分時間経ってるけど、貴女達も何か仕事してたの?」
「お外で風に当たってました。ほら、今日は風があるので。屋上だと飛ばなくても風を感じられて。気持ちよかったですよ。お風呂後だと髪が乱れちゃうので」

そういう子も居るのね。
 髪を洗い終え、体も軽く洗い直して。再び湯船にお邪魔した。既に一度入っているお陰で喜びは乏しいけれど、やはり気持ちは良い。けれど流石に二回目だからあまり体力が無くて。見栄と背筋は張る気がせず、縁に思い切り体を預けてじっとしていた。
 お風呂から出たら水を飲まなきゃ、とか。最後に火元をもう一度確認に行かなきゃ、とか。自分の部屋に戻りさえすればもう寝てしまうだろうからと、やらなきゃいけないことを一つ一つ思い出して。指折り数え終わると、自然とため息が漏れた。



~~



 上は忙しかったらしい。けれど、強い風と無縁の地下室は今日もいつも通りで。多少騒がしさはあったけれど、夜になったらすっかり落ち着いていた。お嬢様も私も少し前にお風呂を終え、いつもの様にベッドに転がって。でもまだ眠るのには早かったから、お嬢様をマッサージしてた。せめてもの昨日のお礼。昨日はどうして、あんなことになってしまったんだろう。物寂しさに切なさを覚えることは前にも無かったわけじゃない。でも、昨日のは違う。ずっと幸せな感じだった。一昨日の夜のことを体が覚えたままだったんだ。じんわりと幸せな感覚が続いてて。でも、お嬢様にくっついてた訳じゃないからか切なくて。お嬢様とただただくっつく内にその切なさもゆっくりと消えたけれど……結局終わるそのときまでずっと、幸せな気分だった。

「いつかちゃんと力加減ができるようになったら、お返しするね」

馬乗りになって背中を揉んでいると、枕に顔を預けていたお嬢様が呟いた。前にもマッサージに興味を覚えてくれたことはあったからその時に色々と話したのだけれど、少し怖いらしい。教えられた直後はできても、次第に自分の感覚で誤った力をかけてしまわないだろうかって。私は……ベッドの上でいつも優しくして貰ってたから大丈夫だって思ってたんだけど、それはお嬢様にしてみると、その時その時の私の手が基準になってるんだって。だからもっとそれを普通として体が覚えてしまうまでは、我慢するって。そう言っていた。

「いつもお返しは頂いておりますとも」

マッサージはいろんなやり方があるけれど、そういうお嬢様の気持ちがあったから、私も少し勉強中だ。勿論その中身は、力加減を気にしなくてもできるマッサージのこと。図書館で本を借りて、お嬢様にひっそりと試してみて。気持ち良さそうだったら有用だということでまた次回にも試したりして。自分の体だとなかなか練習できないから、とてもゆっくりではあるのだけれど、少しずつ幅は広がっている。

「じゃあ贈り物として。……眠っちゃってたら、ごめんね?」
「嬉しいです。もうすぐ終わりますけど、終わったら寝ちゃいましょうか」
「うん」

 なんだかんだ、眠そうにはしながらも最後までお嬢様は起きていてくれて。マッサージを終えた私が部屋の灯りを消して戻ると、欠伸と一緒に迎えてくれた。わざわざ寝転がっていた所を空けてくれて、そこにずるずると引き込まれて。お嬢様が冷えてしまうんじゃって思ったけど、そういう私の考えを予想していたのか、マッサージで体が温まったからって。笑っていた。
 お嬢様の温かさとベッドの温かさに包まれながらゆっくりと目を閉じている内に、お嬢様は眠りについた。もう一緒に眠るようになってから随分と経つからか、どの寝息ならどれくらい深い眠りなのかもなんとなく分かるようになって。一本だけ残した灯りの僅かな光の中にお嬢様の寝顔を見ながら、ぼうっと考えてた。
 今日は友達が休んでいたのだ。いつも図書館にご飯を運ぶ彼女。朝も昼も居なくて、お昼は彼女がなかなか来ないなって思っている内にパチュリー様がやってきて。咲夜さんに色々お話してた。聞き耳を立てていた訳じゃないからあまり詳しいことは分からないけれど、図書館のお姉さんがどうにも調子が良くないみたいで。彼女は一緒に居るのだそうだ。咲夜さんが、じゃあ私が代わりに参りますので、と。そこはそれでお開きになったんだけど。結局、今日は一日出会うことが無かった。
 明日はまた、元通りだろうかって。そう考えていると、お嬢様の手が私の手に触れて。きゅっと、手を握られた。眠りから醒めてしまった訳ではないみたいだけど、まるで私の心配事を分かってくれているみたいで、ちょっと嬉しくて。その手を軽く握り返し、私も目を閉じる。
 きっと、大丈夫。



~~



 咲夜が夜のお世話も済ませてしまうと、ああ、今日も一日が終わったんだなと思う。風が強い日だった。曇り模様だからそれなりに嬉しかったのだが、雲間から太陽が這い出たら厄介だからと窓には近づかなかった。それでも窓越しに届く騒がしさは、風程ではないにしろ、毎日綺麗にされたシーツや服のありがたみを感じさせる位には凄かった。今は多少落ち着き始めて……まぁせめて、眠りの時間くらいはまだこのまま穏やかであればと思う。
 テーブルの灯りただ一つを残して、他の灯りは全て消させて。私は妖精の子に持ってきて貰ったワインを片手に、紙とにらみ合っていた。思い付きで色々始めてみたものの、未だにコインの使い道、つまり支援案が固まらない。パチェに少し相談したが、支援相手である妖精にまずは聞けという。だからワインを持ってきて貰ったときに、それとなく尋ねてみた。前と違う子だったから少し期待していたのは事実だったのだが、

『日頃から良くして頂いておりますとも』

なんて。嬉しいやら悲しいやら、当ては外れて。とりあえずは咲夜の最終報告待ちという状況だ。きっと報告書という形でモノがあがるのだろうが、咲夜は苦そうな顔をしていた。途中報告で聞いた限りだと、そもそもそこに追加で支援をする必要がまるでなさそう、という感じである。どこか、察して欲しいという眼でもあった。だから恐らく、報告書もそうなっていることだろう。まぁ、それならそれで良いのだ。咲夜は気に病んでしまいそうだが、必要無いのなら無いで、それは良いことのはずだからだ。支援の参考になるかと思い命令した経緯ではあるが、まぁ活動の概要を知ることができれば、それはそれで気休めにはなりそうだし。要は振り出しにさえ戻らなければそれで良いのだ。
 今の所の案は二つ。一つはお泊り会に使われている部屋の内いくつかを高級化して提供すること。もう一つは休みの子が外出する際、一緒に過ごす外の子用にもおやつを提供すること。せめて衣食住で一案は欲しいから、衣服に一案欲しい所だ。

「咲夜に負担をかけずに衣類支援って……」

前にも考えたことだけれど、難しいのよね。負担が増えても良いなら、ということなら一つは浮かんだのだ。それは彼女たちの服のこと。勿論、支給のメイド服ではなく、私物の服だ。彼女たちは体一つでやってきた訳じゃない。自身の服も持ち込んでやってきたのだ。そして、あまり見た目の変わらない彼女たちではあるけれど、着実に成長はしているのだ。特に、長く働いている子でいえば、少しずつ元の私服が合わなくなってきているはずで。そこの補修や、あるいは作り直しというのは需要があるはずなのだ。
 ここは……咲夜と相談だなぁ。思えばパチェの方もあまり芳しい雰囲気じゃなかったんだよなぁ。昨夜の負担を減らしたり、休息をもっと改善する方法……どうやら実験をして良い結果は出たみたいなんだけど、困った結果でもあった、なんて。そんなことを言っていた。こちらもまだ最後の報告には至っていないけれど、あまり良い返事を貰える気がしない。そもそも咲夜の仕事環境の改善については、働き始めの頃から皆が手を付けていたから。ある程度、限界まできているのかもしれない。
 でもなぁ。咲夜にはあまり言いたくないんだ。咲夜は、ちゃんと休んでますから大丈夫ですよって。絶対に、絶対にそう言うに決まっているのだ。確かにそうなんだろう。休んでいるのは確かなんだろう。でも、そうじゃないんだ。皆には無い力を持ってるし、それを使えば確かにそうなんだろうって理解はできるけれど、それで済ませてはいけないんだ。私達の生活というのは咲夜ありきと言って良い。咲夜無しでも生活はできるかもしれないが、確実に生活の質は下がる。そもそも、ここまでの数のメイドの子達を館で養えなくなる。私の威厳が無くなるのは構わないとして、その日を暮らせない子達が出るのは困る。皆が皆、外の他の子達と常に助け合って支えて行ける訳ではないのだから。
 ……ワインが、空になってしまった。

「おーい、誰かいるかね」

ドアに呼びかける。勿論居ることは分かっているのだが、毎回どう呼ぶべきか悩んでしまう。まぁ、たまに巡り合わせが悪くて本当に居ないこともあるから、何にしても呼びかけるに越したことは無い。

「はい、こちらに」

ドアの外から声が聞こえた。気づかぬ内に交代の時間を迎えていた様だ。

「貴女はお酒飲める?」
「ワインなら少しは」
「じゃあグラスと、新しいボトルを持っておいで。赤白は好きな方を選んで良いから」
「畏まりました」

 少し時間はかかったけれど、駆け足で持ってきてくれて。彼女は対面でなく横に腰を下ろした。

「頂いて良いので?」
「良い良い。話し相手が欲しかっただけだからね」

彼女が持ち込んだのは赤ワインだった。気を利かせてくれたのか、新しいグラスを私の分も持ってきてくれて。幸い、今まで飲んでいたのが白ワインだったから、グラスを入れ替えさせて貰った。あまり長い間握っていたつもりはないのだが、新しいグラスはちょっと冷たくて。薄ら白くなっていたガラスの肌を撫でていると、彼女が注いでくれた。

「最近の貴女の楽しみってなあに?」
「楽しみですか。私はこういう時間を過ごさせて貰うのが凄く楽しいですけど。そうですねぇ。新しい楽しみというのはちょっと無いです。日頃からずっと楽しみにしているのはご飯ですね」

楽しそうに話し始めたのでほっと一息つきつつ、彼女のグラスにもひと注ぎ。おしゃべりが好きな子というのは、こういう時には凄く助かるのだ。そうじゃない子も居るけれど、幸いお世話係の子には寡黙な子は居ても喋るのが嫌いな子は居ない。一つ言うことがあるとすれば、仕事柄か、話題がどの子も似通ってしまうことくらいか。

「貴女が好きなのは?」
「私はお漬物が基本的に好きなので。和食だと大体いつも出てくるので嬉しいんですよねぇ。妹様のも美味しかったですし」
「それは何よりだね。あの子が堂々と上の階を歩くのはまだ先だろうけれど、会ったときに言ってあげて頂戴な」
「ええ。その時は是非。お嬢様は何が好きなんです?」

返しに来るだろうな、とは思っていたけれど、それは凄く難しい問題だ。何しろここは私の館。基本的に私の好きな食べ物しか食卓には並ばない。たまに新メニューが出ることもあるけれど、それでも私の好みというものをある程度踏まえて出している……と、少なくとも私は思っている。一つに絞れと言われれば、一体何を挙げれば良いのか。パチェならグラタンなのだろうけれど、私には……一番は決められない。

「貴女が言ったそれも含めて、私が好きな物しかこの館では出ないわ。でももし強いて挙げるなら。私のために作ってくれたものはどんな食べ物だったとしても嬉しいわね」

私が笑えば彼女も笑い、グラスをまた一度傾けた。この子に最後にチョコを貰ったのはいつのことだったか。確かにあったはずなのだけれど、それは手繰り寄せきらない少し遠い記憶で。でも、美味しかったのは確かなはず。温かな記憶というものはいつまでも正確に覚えておきたいものなのだが……なかなか、難しいものだ。

「他にも楽しいことはあるかい?」
「勿論ですとも」

貰った幸せにはちゃんと報いなければ、なんて。改めてそう思った。



~~



 丸一日ベッドの上で昨日という日を過ごしたからか、朝目が覚めると背中がちょっと痛かった。眠っていた時間が長かったお陰か、普段よりも少し早く目が覚めて。欠伸混じりに部屋の灯りを一つ一つつけて行った。昨日はあの子が一緒に居てくれたけれど……今日は私一人っきり。あの子は一緒に居たがったけれど、心配で疲れていたのは私達の目から見て明らかだったから。だから、パチュリー様が説得して、自分の部屋に帰らせたのだ。そのお陰で、ずっと使ってるベッドなのに、久しぶりにとても広く感じて。灯りを付けた後も、しばらくはベッドに転がったまま、体の調子を確かめていた。
 結局、一日休んでも全快とはいかなかった。体の中がスカスカになっている様な虚脱感がまだ残っている。時間が経てば元に戻るだろうけれど……流石に三夜連続でやるのは少し無謀だったかもしれない。疲労があまり伴わない分、こういう所が分かりづらいのだ。しかし……となると。幾ら私が体を張ったとしても、二夜連続が許容範囲。私自身の休息も考えると、やはりこの方法、あまり現実的じゃない。いよいよ咲夜さんが疲れ切った時には有効、というくらいだろうか。そういえば、あの子の結果はどうなったんだろう。昨日聞ければ良かったんだけど、結局食事の後はすぐに寝かしつけられてしまったから、分からないままだ。
 結果として私がこうなってしまったから一度方向性を見直すことになるんだろうけれど、気になるのは咲夜さんのお相手の子のことだ。咲夜さんは、私がするのと同じ感覚と言っていた。たまに咲夜さんの所を訪れては、抱きしめて……その感覚を咲夜さんに与えているみたいだけど、いつかあの子も許容を超えてしまうのでは。そう思えて仕方が無い。ひょっとしたら私なんかがするよりもよっぽど習熟している可能性もあるけれど、もしも急に倒れでもしたら。咲夜さんが度を越えて狼狽するのは目に見えている。
 一昨日夜を共にしたあの子にしたって、そう。パチュリー様だってそう。一度倒れるという所に遭遇すると、それは見えない足枷になるんだ。付き合い方が分かれば自然と消える足枷ではあるのだけれど……咲夜さんは真面目だし、何よりその子だけじゃなくこの館の皆が好きな咲夜さんだから。はまってしまう足枷は、とても重たいものになるだろう。触れ合うことがトラウマになってしまわなければ良いのだけれど。何にしても、近いうちに確かめなくては。
 普段起きる時間になるまで待ったところで、ゆっくりと体を起こし、ベッドから降りた。眩暈を起こしたりしないか心配ではあったのだけれど、立ちくらみもなく。ただ、体を縦にするとそれだけでちょっと体が重い。昨日休んだ分溜まったお仕事をこなさなければならないけれど……少しずつ切り崩すことにしよう。今日頑張ってまた倒れたら、目も当てられないから。
 着替えを済ませて向かったのは、お風呂場。体力を使うのは確かだけれど、寝汗の感触は消してしまいたいから。流石に夜明け頃となると妖精の子達の利用はほとんどない。それでも二人ほど既に入っている様で、脱衣所には衣服が置いてあった。のんびりした歌も聞こえてくる。きっと友達同士での貸切の状態なのだろう。浴室へと入ると途端に歌声が小さくなったけれど……私が気にしていないことを察したのか、すぐに歌声は元に戻った。
 体を洗い湯船に入ると、歌は終わって二人の会話が始まった。……話からすると門の子の様だ。どうやら昨日は風が強かったらしい。いつ服を切り替えるか、ということが話題の様だ。私は基本的に室内に居るから、あまりそういうことで悩んだことが無い。パチュリー様もそうだ。何となく咲夜さんの服が春っぽくなった辺りで春服に着替えて、夏っぽくなったら夏服に。特に図書館は室温や湿度も魔法で弄ってるから、そういう風に外から変化がやってこないと、着替える切欠にならないのだ。特にパチュリー様はその辺りを面倒くさがるから、周りから急かさないと替えようともしてくれない。そのお陰もあってか、もうずっと長い間パチュリー様のお世話をしているけれど、パチュリー様の服というものを、本当に数える程しかその種類を見たことが無い。ひょっとしたら手持ちということだけに関して言えば、この館の中で一番数が少ないのはパチュリー様なのでは……。美鈴さんも同じ服を着てることが多いけど、美鈴さんは美鈴さんで結構持ってるのだ。パーティ用の服、とでも言えば良いんだろうか。煌びやかだったり、華やかだったり。でも滅多に着てくれない。
 ぼうっと考えていると、お腹が鳴った。昨晩食べた時はお腹いっぱいに感じていたのだけれど、枯れた体が栄養を欲してるみたい。朝ご飯は何が出るだろう。和食も洋食もどっちも好きだけれど、今日は和食だと嬉しいな。食べた直後のお腹の負担は、そっちの方が楽だから。でも……まだ、夜明けすぐなのよね。朝ごはんは随分と先のこと。ちょっとで良いからお腹に何か入れたいけれど、貰ったチョコも全部食べてしまったし。この調子で火を使うことをするのも気が引ける。仕方ない。我慢だ。
 体が動かせる内にお風呂場を後にして、ほかほかの体で歩く廊下。換気をしていたのか、妖精の子達が窓を閉め、カーテンを端まで引っ張りなおしていた。私と目が合うと、にっこり笑って会釈してくれて。それに返しながら自分の部屋へと戻った。図書館の中を通り、自分の部屋へと近づくと……ドアの前に一人の子。彼女が立っていた。丁度部屋から出てきたところなのか、後ろ手にドアノブを握ってて。私を見つけると驚きながらも嬉しそうな顔を向けてくれた。

「おはようございます」
「おはようございます。お風呂に行かれてたのですね。……あの。お体は?」
「大丈夫ですよ。万全とはいかないですけど、またすぐに元通りになりますから。心配かけて、ごめんね」
「い、いえ。その。私も気づけなくて申し訳ありませんでした」

なんとなくその理由は分かってた。彼女は私の腕の中に居ると、とても嬉しそうにしてくれるから。きっと昨日の朝もそうだったのだろう。それに起きないだけ、眠り続けているだけだったのだから、気づくのは到底無理な話なのだ。

「どうか、気になさらずに。ところで、まだ朝早いですけど……心配で、診に来てくれましたか?」
「えっと。昨日はお夕飯しか食べてないじゃないですか。だから、ひょっとしたらお腹が減ってないかなって。沢山眠ってたから早く目が覚めるかもしれないし、そしたら困るかもしれないですから……」

私の質問に彼女は部屋の方を指さして。それから部屋のドアを開けた。促され入ってみれば……ああ、ほんのり漂うバターの匂い。テーブルの上に小さなお皿が一枚あり、トーストが二枚、置いてあった。私が戻ってくるのが少し遅かったのか湯気こそ立っていないけれど、触れると少し温かくて。彼女にお礼を言って、ひと齧り。溶けたバターがしみ込んで、口の中で噛む度に広がって。ちょっと油が強かったけれど、空腹に呻いていたお腹には丁度良かった。
 二枚あったけれど、その内の一枚は二つに割って彼女と分けた。彼女も少しお腹が空いていたらしい。早起きしたのかと尋ねてみると、彼女は顔を赤らめて頷いた。聞けば、昨日の夜の内に厨房の子にお願いしてパンを融通して貰っていたらしい。カーテンを開けて眠り、白む空の明かりで目を覚まして。それから急いで作って持ってきたのだそうだ。
 それから彼女は昨日のことを教えてくれた。私は結局、パチュリー様に伝えた後すぐ眠ってしまったのだそうだ。彼女はどうして良いか分からなかったらしく、そして何より一昨日の夜にしたことが負担になったのではないかと不安になって、パチュリー様に打ち明けたのだそう。彼女としてはパチュリー様が何をしていたか知っていたことに驚いたみたいだけど……その後はただ、大丈夫だから眠らせておいてって、それだけを彼女に伝えて読書を始めてしまったのだそうだ。そもそも服を着ていなかったことや、パチュリー様がすぐ近くで読書を始めてしまったこともあって、彼女は着替えて……それからずっと、私の傍で手を握っていてくれたようで。後は私が起きて見た通りとのこと。
 トーストを食べ終わったところで、手を握っていてくれたことへのお礼や、昨日どういう状態だったのかという説明をゆっくり伝えた。そもそも実験の時には乱用すれば危険である、というのを伝えていたこともあって、彼女は真面目に聞いてくれて。命に別状がないということを分かってくれたときには胸を撫で下ろしていた。昨日のお夕飯の時の短いやり取りの中で何となく分かってはいたそうなのだけど、言葉でちゃんと聞きたかったようで。そこは私も少し後悔した。
 眠たかったわけでは無いけれど、そこからはベッドに腰かけて、いつも仕事に出る時間まで休まさせて貰った。時計の番は彼女がしてくれて。私は枕にもたれて体を丸めたまま目を閉じて、時折語り掛けてくれる彼女の声に、応えていた。



~~



 朝食の支度が終わり妖精の子達への指示を出し終えた後、私は部屋に戻ると報告書を書き上げた。書き上げて、思う。……薄い。内容がとにかく薄い。主要なメンバーの構成、活動内容に活動場所、出来た経緯等の補足情報に、彼女たちから出た要望。挙げられるものは挙げられるだけ記載しておいたけれど、それでも薄い。前に出した報告書はなんだっただろう。パッと思い出せはしないが、それでも十数枚程度の報告書だったはずだ。しかしこれはどうだ。いつもの紙に書いてみれば十枚どころか……その半分。厚過ぎる報告書を渡すのは気が引けるが、薄すぎるのはただただ不安だ。これが定例の報告だったならまだしも。
 朝食を取り、少し休んで見直した。取ったメモからの記載漏れは無いか。誤字や脱字は無いか。せめて記載漏れでもあれば多少なり気休めになったのだけれど、無い。

「ああ、おはよう」
「おはようございます」

改めて一度読み返した後で、朝食と共に報告書を持ってお嬢様の部屋を訪れた。お嬢様は眠そうで、少しお酒の匂いが残っていた。どうやら晩酌が長引いた様だ。時を止めて確認してみれば水差しの中身も随分と減っていて、慌てて交換に走って。整ったところで、テーブルに食事を並べて行った。

「秘密結社の調査報告書です」
「うん。朝食の後に見るよ。ありがとうね」

今日の朝食はシンプルにトーストだ。サンドイッチと違い焼いた後の手間が少ないから、食堂でも熱いのを提供しやすくて便利な料理だ。一枚はバターを塗って、もう一枚は上にハムエッグを載せて。そして少し多めのポタージュスープ。お野菜が少ないからそこはお昼に補わなければならないけれど、仕込みの間に乾いてしまうサンドイッチよりはすんなりとお腹に収まるから、それなりに人気だ。昨日は忙しくて目が回る一日だったから、今日の朝くらいは食後の一休みをゆっくり取って貰いたくて。思えばトーストを出すのは久々な気もしてくる。

「貴女の所感は?」
「全体的にのびのびしてました。普段の業務の中では拾いきれていない所を補ってくれたり、憩い、あるいは遊びや勉強の場として活動してるので、普段は指示を出す側の私個人としても非常にありがたかったです。ただ、お嬢様が以前仰っていたように、支援というのは……中々難しいかと。既に活動が彼女たち自身で完結しているというか。足りない部分を補っていくのもやる気の一因になっている様でした」
「そう。良い知らせで良かったわ」

トーストに染みたバターで上唇が少してかてかのお嬢様。瞼が普段より落ちているせいで表情が少しわかりづらい。

「昨晩は遅かったのですか?」
「んー。妖精の子と夜中まで飲んでたからね」

ハムエッグの乗ったトーストを、わしっと二つに折り畳んで。続けざまに口に運んで行く。お嬢様はあまり口が大きくないから、齧りつく度に卵が挟んだ間から逃げて行って。しばらく眺めている内に白身が崩れてぼろりとお皿に落ちた。それでもそのまま齧りついて……スープで時折休みながら、ゆっくりと食べ進めていく。

「活動してる子達が支援の対象になりそうにないなら、また定めるスコープの位置を探すだけさ。調査結果は調査結果だ。まだ報告書を読んでは無いけど、支援の必要が無いというのは良いことなんだ。そう申し訳なさそうな顔、しなくて良い」
「そう仰って頂けるだけで幸いです」
「うん。それだけ良い部下に恵まれているということでもあるからね。粗探しが目的ではないのだから。……お水、貰えるかな」

喉が渇いていたのか、スープは早い内に無くなってしまって。少し遠い位置にあった水差しを見てお嬢様が言う。なみなみ満たしたコップを渡せば、お嬢様はゆっくりと背もたれに体を預けて。それから続けた。

「昨晩、妖精の子とはね、最近楽しいことはあるかって。そういう話をしたのさ。一杯教えて貰ったよ。ボトルを二本も開けてしまったくらいだからね。食事のこと、友達のこと、仕事の後のこと。休みのこと、パーティのこと。私も楽しかった。館の主として言うことがあるとすれば。楽しいことはあるのか、なんて。気軽にそういう質問ができるようになった程に、穏やかになったこの館の現状がまず嬉しいよ。勿論、まだ解決しなきゃいけないことはあるんだがね」

お皿に落ちた白身をひょいと口に運んで。注いだばかりの水で流し込みお皿を空にしてしまうと、お嬢様はこちらを見てにっと微笑んだ。私も頷いて返した。
 その気持ちは、私にもとても良く分かってた。私は、仕事自体が好き、という訳ではない。仕事を通して、皆と過ごせることが好きなのだ。そのお陰だろうか、昔よりも楽しそうに皆が笑ってくれる今というのは、とても、とても。本当に幸せなのだ。だから、そういう風に和やかな今、彼女たちに対して今までできなかった、してあげられなかったことを可能な限りしてあげたい。……気持ちの根源は、義務感や礼儀みたいなものなのかもしれない。私も、お嬢様も。
 皆の朝食が済んでしまった後、私は厨房での用事を片付けるとお洗濯係の手伝いに向かった。昨日の今日ということもあって、やっぱり皆まだ疲れていて。皆、口をついて出るのが、今日は良い天気で良かった、という一言である。朝食が軽かったこともあって、妖精の子達皆から集める衣類やシーツ類は、普段よりも随分早く集まって。皆でわしわしとお洗濯。気温は少し上がり始めたけれどまだ水は冷たく、時折、

「私、このお洗濯終わったら、日向ぼっこに行くんだ」

みたいな。冷たい水への恨めしさと、良い天気であることの喜びと冗談の混じった一言が和やかに聞こえて来たりして。笑い声と共に作業は滞りなく進んでいった。洗い物が終わってしまうと、本当に皆休憩に行ってしまって、今度はそれに入れ替わりで入ってきた干す係の子がせっせと運び出していく。この子達は既に日向ぼっこでもしてたのか、あるいは今日の風模様をどこかで味わっていたのか、どの子も笑顔で。私もそれに混じって、干しに出たのだった。



~~



 今日の仕事は、パチュリー様との実験結果の確認だ。本の仕分けや片付けもしなければならないのだけれど、そこまでの体力はまだ戻っていないからだ。既にパチュリー様がある程度整理していた様で、私はそれを纏めなおしてた。人間の咲夜さんの結果と、妖精のあの子の結果。二人の結果の間には随分と差があったけれど、どちらにも共通した点があった。それはパチュリー様よりも吸収効率が良いということ。妖精の彼女のデータ上から見えるものとしては、パチュリー様としたときの結果によく似ている。ただ吸収効率が倍は違う。

「あの子だけの結果なら、体積差とか基礎体力の差とか相性かしら、なんて。そう言ってられたんだけどね。咲夜の結果と合わせてみるに体積差は無さそう」
「手法を用いた初期は効果が高いけれど、繰り返すことで効果が落ちるということは?」
「それは無いと思うわ。少なくとも私が貴女にして貰う分には、効果は昔よりあがっていると思えるもの。魔力的な耐性とかも考えたけど、そもそもこの手法自体が奪う手法の逆なのだし、奪う手法は耐性にあまり関係なく効果があるのだからそこも影響は無い。だから、残りの二つがおおよそ主要な要素だと判断するわ」

体力と相性、か。相性は長期的に見れば変化が出る可能性はあるけれど、短期だとそれも軽微だろう。体力は……体調で上下こそすれど、こちらも急には変化しそうにない。

「とすれば、継続的にやっていってもこの程度の結果が得られる、というところですか」
「そう判断する。まあ、少し悔しいけれど。……私の体力が無いばかりに貴女にはいつも苦労かけるわね」
「いえ。それに私だってほら、今はこんな状態ですし」

パチュリー様が少し寂しげに笑い、ため息を吐いた。この館の誰もがパチュリー様の体力がお世辞にも良いとはいえないことを知っている。でも決してその状態を放置してきた訳じゃない。少しずつだけど改善を繰り返して、今のこの状態なのだ。だから、他の誰かが責めることがあっても、私は責める気にはなれない。誰も彼も、得意なことがあれば苦手なこともあって。パチュリー様はたまたまそれが、体の事情だっただけのことだ。

「総評として。少なくとも常用には耐えない。これを前提とした活動は、私は容認できない。緊急用の手段としては認めるけれど」
「はい。私もそう思います」

私の言葉にゆっくりと頷くと、パチュリー様は指を二本立てた。

「レミィには悪いけど、そう報告させて貰うわ。咲夜の仕事環境は既に何度も手を入れて、負担の軽減はしてきたのだから。たぶんレミィも分かってくれる」

それから、指を一本のみ残して、

「もう一つ。咲夜が心を預けている例の子、早急に面談したほうが良いと思う。今日は無理だから、明日の貴女の体調を見て判断ね」
「面談なら今の状態でも大丈夫だと思うのですが」

そう返すと、ゆっくりと首を横に振って。パチュリー様はあげていた手を下ろしていった。

「本当は今日も休んで貰おうと思ってたわ。部屋に行ったら貴女はもう着替えちゃってたけど。私がこんなだから貴女は私の体のことをとても気遣ってくれるけれど、そのせいか、貴女は自分自身の体のことを軽く見てしまう癖がある。勿論、本当に大丈夫かもしれない。けれど。体調が万全でないときくらい、貴女もゆっくり休んで頂戴。……ね?」
「無茶はしませんとも。駄目かもって思ったら、横になりに行くつもりです。でも、私はこうしてお傍に居ることが幸せですから。だから今日は……あまり仕事はできませんけど、こうさせて下さい」
「……うん。まあ、気楽にね」

 運ぶのはつらいから、積んでいたままになっていた未整理の本を仕分けして。少し休んでいると、お昼の時間がやってきた。今日のお昼はトマトスープに鶏肉のソテー。スープには人参もじゃがいもも結構な大きさで浮かび、その間を縫うように小さ目な玉ねぎがくったりとしている。ソテーはこれでもかってくらいシンプルに、黒コショウの香りが舞う。付け合わせは葉野菜と根菜のサラダで、こじんまりとした二つのパンが一人分として用意してあった。

「食べられそうですか?」

椅子に座って目に映るものを楽しんでいると、運んできてくれた彼女が小さな声で囁いた。

「ええ。幸いにもお腹は元気ですから」
「……良かった」

 また食べ終わった頃に伺います、と、準備を終えた彼女はそれっきり席を外してしまって。パチュリー様と二人でのお昼ご飯。ちらりと見たパチュリー様に、何があったのか、と促され、

「お夜食……のような、とても早い朝ごはんを頂いたので、そのことじゃないかなぁと」
「そう。まぁ、無理はしないようにね。この様子だと夕食は少し油がキツい重たいものが来るわよ?」
「なんとなく私もそう思います」

 お腹の様子は大丈夫だけれど、急に悪くなっても困るから、ゆっくりゆっくりと食べ進めて。お陰でスープは結構冷めてしまったけれど、まだぎりぎり温かいと思える位の頃には食べ終わることができた。しばらくの間、背もたれに体を預けてぼうっとして。ベッドで休んでいたときに、この位のことなら今日でもできるだろうと思っていたことが、やってみるとちょっとつらくて。頭の中でこれからの予定を立て直していた。結局半分くらいは予定が潰えて、私の頭の中を読んだのか、

「大事を取っていいのよ?」

と。パチュリー様が囁くように呟いてた。
 妖精の彼女が食器を下げに来てくれたのは、彼女にしては珍しく、食べ終わってから結構時間が経ってからだった。肩で息をしながら戻ってきて、空っぽの食器を見ると欠伸混じりにいそいそと片付けてて。……今日は忙しいみたいだ。昨日私につきっきりだったからなのだろうと思うと、ちょっと申し訳なくて。お礼と謝罪が頭の中で混ざっていくのを感じた。彼女が台車を押して駆けて出て行ったあと、私達は改めて一休みしてた。私の体を気にしてかパチュリー様も話しかけてくることがなく、久々のとても静かな食後のひと時。いつもこの時間はあの子と話したりして少し賑やかだったから、今はこれがとても懐かしくもあり、ちょっとだけ寂しくもあり。早く、元気にならなくちゃ。



~~



 咲夜の報告書を読んでいた。聞きだした活動の内容だけでなく、咲夜が実際に体験したり見学したことも記されていた。咲夜に依頼をしてその数を聞いた時は、私の知らない色んな活動があるんだなぁ、と思いはしたが……蓋を開けてみると、幾らかの活動には私も思い当たることがあった。珈琲に興味がある子からお話を聞いた覚えがある。誤った靴下が届いたこともある。お手紙の話をしたことがある。食器を磨く彼女たちの姿を眺めたことがある。他にも、沢山。
 その時にも、彼女たちは彼女たちで何か要望を持っていたのだろう。それがどんな形であったかは分からない。けれど、彼女たちは自身でそれを解決し、育ってきたのだ。決して私の手ではなく。そしてまた一方で、私の手だけでなく彼女たちの手からも零れ落ちてしまった要望、活動の形も、在ったのだろうと思う。今を受け入れることしかできないけれど、もしも私が何か為すことでそれらの一つでも掬うことができていたのなら……この自問には出口が無い、か。

「それにしても、色んなのがあるなぁ……」

報告書を読み進めていると、当然知らないものも混じっているのだが……なんだろう。レミ様ごっこって。なんだろう、これ。活動内容は書いてあるから分かるのは分かる。でも、なんだろう。恥ずかしいような、嬉しいような、複雑な気分だ。ファンクラブの一種だろうか。私が言いそうで、かつ言ってないこと。この殿堂入りノートには一体どんなことが書かれているんだ……。そもそもいつからあるんだこれ。
 一つ一つの活動を追いながら、ああ、やっぱりここに何か支援するのは難しいな、と。一人悩んでいた所で、コンコンとノックの音が響く。

「どうかしたかい?」
「お客様がいらっしゃいました。今門の所にいらっしゃいます」

私の返事に、ちょっとだけ息を切らした妖精がドアの向こうで告げる。客、か。

「誰か分かるかね」
「先日いらっしゃった秋の神様のお二人です」
「ああ、通して頂戴。咲夜への連絡は?」
「他の子が向かってます」

なら、大丈夫か。

「応接室にお通しすれば良いですか?」
「ええ。そうして頂戴。私も軽く準備したらそこに向かうわ。ありがと」

 久しぶりに見た二人の姉妹は、朗らかに笑っていた。家に帰って、私やフランが居ないところでまた何か困っていたら……と考えたりしていたのだが、少なくとも今の様子を見るにそういう状態ではなさそうである。穣子嬢はここに招いた時に比べれば随分と落ち着いた様子で、まだ緊張こそ残っているものの、顔はしっかりと前を向いていた。一方の静葉嬢は……のんびりしている顔だ。宴会のときも、そして招いたときもそうと言えばそうなのだが、今はもう、ベッドで見てた時にちらついていた後ろ暗さがない。

「先日はお招きありがとうございました」

部屋の準備を整えた咲夜にフランを呼ぶように伝えたが、まだこちらには着いていなかった。咲夜は急いで館内へ連絡に走っている様で、今は妖精の子が急いでお茶の準備を進めてた。

「いやいやこちらも助かったよ。得るものが沢山あった。フランにとってはもっとだろう。あの子ももう少ししたらここに来るよ」
「そうでしたか。……先日尋ねた時は夜でしたが、あの後は一緒の時間を過ごしたもので、どの時間にお伺いすれば良いのか結局分からなくなって。迷惑ではありませんでしたか?」
「大丈夫さ。吸血鬼の館ということは知られてても、律儀に夜訪ねてくる方が珍しいよ。私としては他の働いている皆がびっくりする様な深夜とかじゃなければ、それで良いさ」

私が返すとホッとした様に静葉嬢は胸をなでおろし、穣子嬢はその姉の様子をちらりと見て微笑んでた。程なくして急ぐ足音が聞こえ……咲夜とフランが現れた。お世話係のあの子は呼ばなかったのだろうか。まあお昼前だ。忙しさもあるだろう。ひょっとしたら急いで部屋のお掃除をしているのかもしれない。思えば、私は自分の部屋を散らかしたまま来てしまったな。机の上だけだから、良いか。見られて困るような資料というわけでもない。

「こんにちは。フランちゃん」
「こんにちは。先日はどうも有り難う」

フランの言葉に、二人も、そしてフラン自身も頭を下げていた。
 今日は、先日のお礼に来たのだそうだ。本当はバレンタインに来る予定だったらしい。けれどその時期はこの館も忙しいのではないか、という、見事な予想をしていた様で、少し時期をずらしてくれたのだそうだ。穣子嬢が手提げの袋を持って来ていて、彼女は箱を二つ取り出すと私達それぞれに差し出した。私のは赤色の箱で、フランのはオレンジの箱。丁寧にリボンも付いていて……そしてああ、やっぱり。受け取るとあの匂いが仄かに漂った。チョコではない別の甘い香り。勿論チョコの香りもする。恐らくはいつも使っている袋なのだろう。

「ありがとう。私のはあの子と一緒に食べて良いですか?」

フランの言葉に穣子嬢が頷いて、それから更に袋に手を差し込むと二つの布を取り出した。これは……見おぼえがある。

「お借りしたまま、持って帰っちゃって。遅れながらお返しいたします」

差し出された内の片方は私のハンカチだった。そしてもう一枚。こちらはどうやらフランのハンカチのようだ。そういえば涙を零した彼女に渡したのだっけ。すっかり忘れてしまっていた。綺麗にアイロンまでかけてくれたようで、他のものから移って来たのか、ほんのりと甘い匂いがする。
 それからは、先日二人がこの館を去った後のことを語ってくれた。二人とも調子を崩していたようだ。家に帰って完全に緊張が解けたタイミングで、館で少しは休んで貰ったものの、これまでため込んでいた疲れが押し込められなくなってしまった様で。二人揃ってしばらくぐったりとしていたらしい。思えばこちらでもフランが似た様なことになっていた。咲夜も少し疲れていた気がする。まぁ、根本を辿れば私が言い出した我儘の結果ではあるのだが。

「ともかく、二人が元気そうで何よりだよ」
「お陰様で。天狗の方々にも上手く誤魔化せたまま過ごせてますし、このままなら迷惑をかけることは無いと思います」
「そうか」

しばらく話している内に、咲夜が懐から時計を取り出し確認して。それからちらりと私を見た。何となく、言いたいことは分かっていた。

「二人とも、良ければお昼を一緒にどうかね?」
「頂いて良いのですか?」
「勿論だとも。お家で何か準備してきてしまったかい?」
「いえ。まだ」

頂きましょうか、と、小さな声で静葉嬢が穣子嬢に告げ……横の穣子嬢は笑って頷いて。皆揃って部屋を移動することになった。
 客人との会食用、もといもっぱらパチェと一緒にご飯を食べるとき位にしか使わない小さな食堂に集まって、テーブルを囲む。前のときと違ってパチェ達も居なければフランのお世話をするあの子も居ないから、なんとなく寂しい。

「あの子は?」
「お部屋を掃除してる。終わったら来るって言ってた」

確認のために尋ねれば、フランがのんびりと答えて。すると、あまり喋らないで居た穣子嬢が少しだけ前かがみになって口を開いた。

「できたら、お昼ご飯を頂いた後、お話できないかな。貴女と、あの子と。貴女の部屋で」
「うん」

そして静葉嬢がのっかる様に続ける。

「じゃあ私はレミリアさんと。……良いですか?」
「ああ。構わないよ。丁度良いし私も相談に乗って貰おうかな」

私が応えると静葉嬢が微笑んで。ゆっくりと頷いていた。
 準備を進めるうち、急ぎ足の靴の音が廊下から聞こえ、フランのお世話係の子が息を切らせて入ってきた。やっぱり掃除をしていた様だ。お客二人に軽い挨拶をした後はすぐに椅子に座って、息を整えてて。それも落ち着いた頃、咲夜が料理を運んできた。

「頂きます」

そんな声をそろえ、皆で食べ始める。けたたましく音を立てるとんかつの時や、これでもかと食べていた最後の食事とは違って、静かな昼食。先に少し話していたことも相まってか、会話は無く。けれど皆のんびりと手を進めていた。相変わらず客人の姉妹は猫舌という概念そのものを否定する様な食べ方で、顔色は至って穏やかなのに、もうもうと立ち上がる湯気だけが強烈な違和感を醸し出している。フランに聞くところによれば舌に限らず熱いものにはとにかく慣れてそうだ、とのことだった。そんな穏やかさと不穏さを混ぜ合わせた食べ方のお陰もあって、客人二人が食べ終えるのは私達より早くて。ソテーの油が少し強かったこともあってか、咲夜がすぐにお茶を出していた。お世話係の子が食べ終わり、フランが食べ終わり。そして私が食べ終わったところで、静葉嬢が口を開いた。

「ご馳走様です」
「ご馳走様でした」

姉の言葉に合わせる様に穣子嬢も続けて。笑って返せば二人も笑ってくれた。咲夜から貰ったお茶をゆっくりとお腹に流し背もたれに体を預け、ぼうっと部屋の灯りを見つめる。この後は恐らく静葉嬢と二人きりだ。妹さんに何か言っておくことは無かっただろうか、と。お腹に血が集まる中で考えた。言いたいことだけなら沢山ある。それこそ、お礼は何度言っても足りない位だ。けれど、それはそれ。違う形でも返せるものだから、それは置いておいてだ。……何か、無かっただろうか。

「静葉さん、穣子さん。お部屋に運ぶ飲み物は何かご希望がありますか?」

視界の端から咲夜が尋ね、静葉嬢がレモンティー、穣子嬢はミルクティーを希望して。

「そうだ。山に限らず、あの辺りで夜に出かけられる綺麗な場所は無いかな」

そのやり取りの後で、フランのお世話係の子が以前気にしていたデートのことを思い出し、尋ねた。急な質問だったから二人とも答えられそうになかったけど、静葉嬢より早く穣子嬢が頷いて、

「そういう場所があるとは周りの子から聞いてます」

と。そう返してくれた。

「聞いておいてね」

私が促すと、お世話係の彼女が顔を明るくして頷いて。穣子嬢をフラン達に預けると、静葉嬢と二人、先に食堂を後にした。
 赤色の箱を手に廊下を進む。今更になって、箱の色と静葉嬢の服の色が一緒だということに気づいた。オレンジ色だったフランのは、穣子嬢の服の色に近い。それぞれで作ってくれたのだろうか。フランがあの子と食べるというのなら、私も……これは静葉嬢と食べることにしよう。お茶の後のおやつには丁度良いだろうから。
 戻って来た自分の部屋は、出た時より少しだけ片付いていた。着替えの補充やシーツの入れ替えをするついでに妖精の子達が整えてくれたのだろう。机の上に出しっぱなしだった咲夜の報告書は綺麗にとじ直されて机の片側に置いてあった。テーブルの席を勧めれば、彼女はゆっくりと腰を下ろし、こちらを見て微笑んだ。

「お昼ごはん、有難うございました。お菓子作りの後すぐに来ちゃったから、本当は台所があんまり片付いてなくて」
「そうか。なんなら夕飯も食べてくと良いさ。こちらこそ、贈り物をありがとう。ところで……」

咲夜がお茶を運んでくるまではまだ少し時間があるだろうからと、食堂では深く尋ねることができなかったことを切り出すことにした。

「あれから、どうだい。妹さんとは」
「おかげさまで。急に環境が大きく変わるという様なことはなかったです。私も、そして穣子自身も落ち着いたからでしょうか。今までの互いに少しずれた生活も、大切な日常の思い出として受け入れることができましたから。その上で、今はゆっくりと暮らせています」
「何よりだね。色々心配だったんだ。館の周りのことは情報が入って来ても、山の方の情報はほとんど入ってこないからね」
「皆さんのお陰です。あぁ、そうだ。変わったこともありますよ。あの子……穣子が、帰って来た日からずっと考えてるみたいで」
「それは二人の仲のことで?」
「ううん。フランちゃんのこと。フランちゃんとどう接していけば良いのか。何か自分にできることはないのか、とか。たぶん、そういうことを。夜にあの子の部屋の前を通ると、部屋の中から唸るような声とか呟く声がたまに聞こえたりして。あの子なりに真剣な様子だから、私は見守るだけにしてますけど……お菓子を作ろうと言い出したのも、今日の日を選んだのも。あの子なんですよ」

それからはゆっくりと教えてくれた。フランを迎えてくれたあの日から館に来るまでの間で、フランと妹さんとの間に実際どんなやり取りや出来事があったのか。また、それをどういう気持ちで見守っていたのか。フランからは相談の材料として幾らか聞いていたこともあるけれど、フランは相当に気を遣って私に話をしてくれていたみたいだ。もう既に終わったことでもあるし、何より今のあの子と穣子嬢との関係が悪いものでは決してないから安堵して居られるが……なるほどそのお陰で、今度は穣子嬢の方が接し方を気に病んでいると。

「まあ、フランが外に行くってなった時にね、私達の方でもどうなるかは予想していたのさ。だから、貴女も含めて、そこを気にしなくて良い。結果いい方向に転んだのだから、それはとても喜ばしいことだと思ってるよ。フランも同じことを言うだろうさ」
「穣子は、私が紹介した相手以外にあまり交友を持たなかったですから。あの年ではあるのですけど、きっと初めてのこととかあって。とりあえずしばらくは見守るつもりです」

話している内に台車の音が聞こえ、咲夜が頼んでいたお茶のセットを持って現れた。これからフラン達の方に行くのか、台車にはもう一組の準備が見える。

「ああ、咲夜。今日のおやつだがね。私はこれを貰うことにするから」
「畏まりました」

去り際の背中に伝えれば振り返った咲夜は笑い、静かに部屋を後にした。時間を止めたのか、そこからはもう足音も台車の音も聞こえず……少しして、ドアの方を見ていた彼女も顔を戻すと、手を打って切り出した。

「そういえば、レミリアさんのご相談はどういう?」
「あ、あぁ……まぁ。この一杯を貰ったら話すよ」



~~



 地下のお部屋へ穣子さんを通すと、すぐに咲夜さんがお茶を持ってきてくれた。今日の紅茶は少し匂いが強い。けれど、そこに甘いミルクの香りが交じっている。普段お嬢様と一緒に食事をするテーブルは三人で囲むと少し小さく、私は少しだけお嬢様の方に椅子を寄せて腰を下ろした。テーブルの中央にはお嬢様が貰ったというオレンジ色の箱。お菓子が入っているのだそうだ。この部屋までの帰り道、紅茶に合わせて食べようかという話をお嬢様が切り出したけれど、三人で食べて満足する程は入ってないの、と、穣子さんが言っていて。たぶん、今夜の寝る前に頂くことになりそう。咲夜さんもお茶を持ってきたときにそれとなく聞いてきて……おやつは後で持ってきてくれるとのこと。

「いつも緑茶ばっかりだから紅茶を飲む機会なんてほとんど無かったんだけど……美味しいのね」
「この館の自慢ですよ」

上の階に比べるとどうしても室温が下がる地下だから、お茶は温かい内に楽しんでしまおうということになって。テーブルに腰を下ろした後は、皆思い思いにカップを傾けた。お嬢様は話したいことは沢山あるみたいだけれど、どうやら恥ずかしい様子。たぶん心の内では良い知らせを伝えたかったのだろう。けれど、先日このお客様が帰ってからこれまでの間、あまり変わったことは起きていないし、起こそうともしていなかった。勿論それは体調を崩していたからなのだけれど……その辺りのもやもやに中々言葉が出ないようだった。

「あの、穣子お姉さん」

そんな中でやっと絞る様にお嬢様が切り出した。もうずっと一緒に居るから、顔色や言葉の調子で何を聞こうとしていたのかは分かっていた。

「静葉姉さんのこと、かな?」

どうやら穣子さんも察していた様で、僅かに間を置いた後、そう尋ね返していた。お嬢様が頷き、穣子さんも頷いて。穣子さんはしばらく間延びた声を出した後、ゆっくり話し始めた。

「いつも通り、かな。貴女が私達のお家に来る前と同じ様で、でもちょっと違ういつも通り。凄く、楽になったと思う。呼び方は結局、お姉ちゃんも、姉さんも。どっちも使ってるんだ。そしたら姉さんも少しずつ慣れていけるかなって。……こうして笑っていられるのも、貴女達二人や貴女のお姉さんのお陰ね」

それからは、お客様が帰ってからの出来事を順を追うように教えてくれた。お嬢様から伝え聞いた、椛さんというお世話になっている方に無事終わったことを報告できたこと。それを喜んでもらえたこと。私はお嬢様から聞いた話の中でしか知らないから、どんな方なのかは良く分かっていない。けれど、聞いているお嬢様はとても嬉しそうだった。恐らくこのお客様達の親友に当たるのだと思う。それから先、家へと帰り着けば私達と同じ様に急に疲れに襲われた様で……そこはお嬢様もゆっくりと頷いていた。

「洗濯するときにね、ハンカチのことを思い出して。本来はもっと早く来るべきなのは分かってたんだけど……私の中で整理がまだできてなくて」
「整理?」
「うん。貴女のこと。ここの皆さんにはお世話になったし、何より貴女は私達を救ってくれたんだもの。あれから、ずっと考えてた。私には何ができるのか」

何ができるのか、か。……確かにレミリアお嬢様は、外の力を借りることでお嬢様の暮らしを取り戻そうと考え、この方たちに頼ったのだ。私も説明されたこと。けれど、やっぱり胸に刺さるものがある。私自身認めていることだけれど、自分の力の限界を改めて認識してしまうのが、つらい。いたたまれず、そして何より申し訳なかった。でも。だからこそ、冷静になって考えなきゃいけない。私が目指すのは、お嬢様が束縛されず上の階を歩ける未来だ。それが今の私が真面目に追いかける目標なのだ。勿論、私だって頑張れることを頑張っていくのは昔も今も変わらない。けれどもそれは、一人で最後まで頑張ってみたいという、そんなわがままを正当化する理由にはならないのだ。時間は無限にはないのだから。
 私には何ができるのか。一つだけ、これだけは私にしかできないということがある。それは、この頑張り屋のお嬢様に寄り添い背中を支え、転ばぬ先の杖にもなること。私が一番傍に居るのだ。……お嬢様は私のこんな心の内を知ってか、気にしすぎないでって慰めてくれるけれど。
 穣子さんの言葉が続く。手が必要となった時に力を貸すことはできるかもしれない。けれど、主体となって何かを変えることは、とても難しいと思う……と。穣子さんにとってはあまりその結論は嬉しくなかったみたいだけれど、それは私達からすれば……勿論可能だったのなら嬉しいことには違い無かったのだけれど、その前にもっともっと重要なことがあるのだ。これで少なくとも、館の外に相談できる相手ができたのだから。お嬢様にとっては初めての友人でもあって。それ自体が、とても、とてもとても貴重な成果だったのだから。
 言葉の終わりは、ごめんね、という言葉で括られてしまったけれど。私も、そしてお嬢様も首を横に振った。
 それから少しして、ノックの音が部屋に響いて。咲夜さんがおやつを持ってきてくれた。ホイップクリームが少し高めに盛られた焦げ茶色のワッフル。甘いココアの香りが、湯気に交じって鼻をくすぐった。私も、そしてお嬢様も。何となく穣子さんの気持ちを察していたから、先ほどまでの話はそこで切り上げてしまおうと目配せして。私はレミリアお嬢様が言っていたことを思い出して、尋ねた。

「私も、お嬢様も。そもそもお友達になって頂いたことだけでも、とても大きな成果だったのです。……ところで、力を貸していただけるのであれば。是非ともご相談させて欲しいことがあって。先ほど食堂でもお話があったんですけど、その。綺麗な場所をお嬢様と見て回りたくて」
「うん。……上では私もすぐに返せなかったんだけど、前にここを訪れた時に少しお話も聞いてたから、少しだけなんだけど、近所で調べられるところは調べてきたの」

よし。これなら大丈夫そう。

「ちょっと隣の部屋からメモを持って参りますので」

とりあえずとばかりにそれだけを言い残して、自分の机の上で片付かないままで居た紙達を取りに戻ったのだった。
 机の上で散らばった紙達は、少し埃を被っていて。それを叩いて整理し直した。ちょっと時間がかかってしまったこともあってか、いざお嬢様の部屋まで戻れば、二人とも先にワッフルを食べ始めていて。お嬢様も穣子さんも、鼻のすぐ下辺りまで白いクリームがついていた。テーブルにメモを広げてしまうと食べる邪魔になってしまうからと、私も先に食べてしまうことにして。少し熱の落ち着き始めた紅茶と一緒にワッフルを食んでいった。……思えば久しぶりに食べた気がする。出来立ての熱い生地に冷たいクリームをのせたものが好きなのだけれど、普段のおやつには中々出る機会が無いのだ。見ることがあるのはパーティのときくらい。そんな貴重なワッフルはいざ割ってみるとココアの香りがより強くなって、お客様の前だけれど、少し大きめの一口を頬張った。今日は上の階も少し静か。ひょっとしたら今の時間に他の皆も同じおやつを食べているのかもしれない。
 ワッフルを食べ終えた後、テーブルの上にメモを広げようとして……思ったより広げられそうになかったこともあって、皆でベッドに行くことにした。真ん中にメモを大きく広げ、地理関係に合わせてそれぞれの紙を整え直して。全部並べ終えると、

「……私が助言できるところあるのかしら」

と。穣子お姉さんが呟いてた。
 私には昔からお嬢様を連れて行ってみたい所は沢山あったから、穣子さんの住んでいる山に近い所を中心に、細かい所を尋ねて行った。私が気にしているのは、山というコミュニティだ。あそこには色んな妖怪も、神様も住んでて……そして何より、天狗が厳しく管理しているのだ。閉鎖的だってことは私でも知ってて、当然、山の中にある滝だとか、四方を紅葉で囲める落ち着いた場所とか。良い場所はあっても私達二人だと訪れるのも難しい。

「天狗の方達は、見回りしてる人たちは特に目が良いから。二人で隠れていくのは無理だと思う。一番楽なのは、そうね。椛さんに同行して貰うのが一番手っ取り早いかな。そこは私がお願いすればきっと何とかなると思う。ただ、あまり山の奥の方までは案内できないかも」
「滝は駄目でしょうか」
「たぶん大丈夫だと思う。でも、視線を感じるかもしれないかな」
「麓近くでお弁当広げて、紅葉を見ながらお食事とかは」
「それは大丈夫。そもそも山の近所の妖精の子達もやってたりするから。椛さんに先に言っておけば尚安心かな」

私と穣子さんが話す横でお嬢様はじっとメモに視線を下ろして、私が書いた走り書きや絵を追っている。お嬢様が穣子さんの家との間を行き来したときは咲夜さんが時間を止めて運んだらしいし、鳥のことと夜ベランダから眺めた景色のことを除けばお家の外のことはお土産話にはほとんど登場しなかったから。だから、きっと近くに何があったのかも知らないはずで。……そのこともあってか、静かに私達の話を見守っていた。会話に入りたいという気持ちと、けれどもどう入れば良いのか分からないという気持ち。どっちも時折見上げる視線の中に織り交ざっていて。そもそも館の外の近くの景色ですら、屋上からの眺めでしか知らないお嬢様だから。私も、そして穣子さんも、上手く引き込むことができないで居た。なんだかんだ、メモを見るのを楽しんでいる様子ではあったから、そこだけが救いかもしれない。

「夜に見に来ることになるのよね?」
「はい。昼の外出はまだ慣れていないので。するとしても近所で慣れてからになると思います」
「そうね。それが良いと思う。山って幾つか川が走ってるから。反射に気を付けないといけないんだろうし」
「ええ。……夜で良い場所とか無いですか?」
「んー。夏なら蛍が居るかな。同じくらい他の虫も居るんだけど」

そこで嬉々としてお嬢様が顔を上げた。

「ほたる?」
「うん。何て言えば良いんだろう。淡い光を携えて、綺麗な水のある所をふわふわしてるの」

お嬢様からの言葉に二人でホッとしたりして。説明に困る私の代わりに穣子さんが答えてくれた。

「明るいの?」
「一匹一匹はそうでもないかな。沢山居ても、明るくはないかも。あそこの蝋燭の火の方がよっぽど明るく思えてしまうくらい。でもね、そんな淡い光がとても綺麗。水辺を飛ぶから、月と蛍の光が混ざって煌めいて。……ああ、でも。月が顔を出してない夜とか木々の合間に流れる川の所とかは、蛍の光だけが目に入るから。一度目が慣れたら、とても明るく感じるかもしれない」

穣子さんの説明をお嬢様が少し遠い目で、頷きながら聞いていて。それから私の方へと視線を向けると、

「いつか、案内して貰って良い?」

そう言って、微笑んでた。
 一度蛍の話題が出た後は、私も、そして穣子さんにとっても話し易かった。どういうことを一緒に説明すれば喜んでもらえるのか、どういうところをぼかせば期待に胸を膨らませてくれるのか。少しずつではあるけれど、そういうすり合わせがし易くなって。紅葉に夜桜、お月見と。話題はどんどん進んでいった。私個人としては、いかに静かに、落ち着いて観光ができるかどうかを気にしていたのだけれど……どこからどの辺りならそもそも監視が無いのか、とか。見回りの薄い時間帯とか。穣子さんは併せて教えてくれた。

「あと、一番大事なんだけど、天気は選んできたほうが良いわ」
「やっぱり暗いですか」
「うん。天狗の見回りの人たちは灯りを持ってたりするけど、それ以外は月明かり以外に頼るものが無いから。勿論貴女達も灯りを手に行くことになると思うけど、月が満ちた夜を選べるならそれに越したことは無いと思う。あとは、雨上がりも避けたほうが良いかな。慣れてても足を滑らせたりすることがあるから。夜ならなおさら危険かも」

思えば、まだお嬢様用の雨具も揃えて無かった。行くのは天気の日に限るだろうけれど、急に天気が変わった時のために凌げるものは持って行かなくちゃ。

「急な雨の時は軒先をお借りしても良いですか」
「勿論。というか、その時は素直に戸を叩いてくれれば。タオルと部屋、小さくても良いならお風呂も貸せるから」

その言葉を聞いて嬉しそうにお嬢様が微笑んで。

「お姉さん家のお風呂は私のよりも大きくて、気持ちよかった」

そう言ったところで、ふと思い出す。

「そういえば、あの辺りは温泉とかってありませんでしたっけ」
「んー……ある。何か所かあるんだけど、場所によって様々かな。利用する場所はちゃんと下調べしたほうが良いかも。温度も様々で、火傷の危険もあるからね」
「夜でも利用できそうですか?」
「大丈夫。貴方たちの場合はむしろそっちのほうが良いかも。昼よりも足元に気を付ける必要があるけれど、他人を気にせず入れるだろうから。ただ、何事も下調べね。一度貴女が先に利用して、大丈夫かどうか調べてみると良いかも。私や姉さんは熱いのが好きなんだけど、そのお陰か、温泉に行くときもちょっとずれた所に行くことが多くて。……あんまり参考に出来ないと思うから」

ああ、それは。……確かに。



~~



 静葉嬢に聞いて貰ったのは勿論、この館で働く皆への支援策のこと。既に案を出せた食、住の支援を説明し、とっかかりのつかめないで居る衣類の支援をどうにかしたいということを伝えたのだ。狙いたいのは、少ない労力で高い効果。当たり前と言えば当たり前だが、これは前提なのだ。明らかに他の支援に比べて必要なものが多いのだから。

「装飾品もありなのですか?」
「あー……衣類を考えてたけれど、それも良いかもしれないね。だが、その。作るのは咲夜にお願いすることになる。あの子に頼めば、それこそ妖精の子の願いを盛り込んだ一着を一人一人に作ってしまう。それを楽しんでくれるのならそれもまた良い、というのは確かなのだけど、可能なら仕事の量は減らしてあげたいんだよ。色々浮かぶものはあったんだけど、あちらが立てばこちらが立たず、という感じでさ。良い案が浮かばないで居るんだ」
「そう、ですよね。人間、ですよね?」
「うん。人間だ。魔法使いでも吸血鬼でもないよ。魔法みたいに特別な力はあるけれどね」

静葉嬢が頷き、目を閉じて。何かしらの返答があることを期待しながら、私はお茶の傍らに置いていた赤い箱のリボンを解いて、箱を開いた。白い薄紙の上に小さく、そして沢山のチョコが入っていた。いろんな形をしている。最初に目に入ったのはハートの形のチョコだった。それを一つ拾い上げて他を眺めてみれば……どうやら、スートの様だ。ひし形のダイヤに始まり、スペードとクラブもある。

「何というか、珍しいね。……うん。甘い」
「形ですか。家に在った型を使ったんです。カエデの型とかもあって、クッキーならそれでも何とかなるんですけど、チョコだと折れやすくて。持ってくるまでに折れてしまったら申し訳ないなって思って、私はちょっと丈夫なそっちの形にしたんです」

そこまで言って、ふっと瞼を持ち上げて……彼女がぼうっと上を見上げた。

「そういえば、ずっと昔に形のないドレスを貰ったんですけど」
「……形が無い?」
「ええ。八雲さんの所に食べ物のお裾分けをしたときに、たまたまその時持ってたらしい向こう側の品をお土産として頂いたんです。形が無いっていうのは、着方に決まりが無いというか」
「うーん。言いたいことは分かるんだけど、あんまり想像がつかないかな」
「何と申しましょう。肩紐がとてもとても長いドレス、と言えば良いでしょうか。その肩紐の調整で幾らでも違う着方ができるのよって、八雲さんは仰ってたんですけど。……実は私自身も一度しか着てみたことが無くて……そうだ。何か紙はありませんか」
「ああ、あるとも。ちょっと待ってくれ」

指先で転がしていたスペードのチョコを口に放り込んで、自分の机の引き出しを漁る。今までの案をメモしていた紙が一番先に目についた。裏はまだ白紙で、ペンを添えて手渡せば、彼女はゆっくりと描いていった。フランが言っていた。綺麗な字を書くのだ、と。その言葉通り滑らかで迷いもなくすらすらとインクが踊っていくのだけれど……絵も上手いのだが、描かれたドレスの形はやはりはっきりする様ではっきりしない。着方を固定すれば恐らくは描き易いのだろう。だがそれでは意味が無いと、彼女はドレスそのもの、着ていない状態での形を描いていて。しばらくしてペンを置いたのだけれど……彼女自身、その出来に納得がいかなかったみたい。

「レミリアさん」
「うん?」
「ちょっと、お家に戻って取ってきます」
「そ、そうかい。……なんだか、すまないね」
「あの。ついでと言っては何なのですけど……」

そこまで言って彼女が口ごもって。ふと気づいて、こちらから切り出した。

「お泊りして行くかい?」
「……是非」

前にここを訪れてくれたときはぐいと迫ってくる勢いがあったのだけれど、姉妹の仲に合わせてこっちも落ち着いたのだろうか。私がちらりとベッドを見ると彼女は顔を赤くして。私はまた、チョコを口へと運んで行った。
 彼女が部屋を出て行ってしまった後、私は椅子に深く座りなおし、彼女の描いていた絵を眺めていた。描かれたドレスは……なんともいえない外観をしている。鯉のぼりの尻尾の部分を切り抜いて、尾を上にしたような……そんな外観だ。ドレスの下半分を見れば、随分と緩めのフラウンス以外には特に飾りはない。問題は上半分だ。二つの広い幅の布が、上に伸びているのである。彼女の話から推測するに、この長い布を工夫することで体に留めるのだろう。彼女は肩紐という表現をしていたが、私にはその言葉を使うのは少し悩ましい。紐というにはあまりにも幅があるからだ。長さも、この部分だけでドレスの長さの半分はあろうというもの。彼女の描いたこの長さが誇張でなければ、こちらの生地の方がひょっとして長いのではないか。定まった着方が無いと言っていたが、なるほどこれだけの長さも幅もあれば、背中や肩回りでくるりと回すもよし、胴回りに一度回して体の線を強調するも良し、ということなのだろう。
 紙をぼうっと眺めながら、チョコを口に運ぶことしばらく。ふと思い立って、廊下にいた子を呼んだ。彼女たちにも今日のおやつが行き渡ったのか、幸せそうな顔で。私は口の中のチョコを飲み込むと、

「落ち着いたパーティ用のドレスを出して。ドレス選びは貴女に任せるから。着替えを手伝って頂戴」
「かしこまりました」

そう、お願いしたのだった。
 ドレス選びを妖精の子達に任せることは多々ある。年末のパーティ然り、突発のものも然り。皆少しずつ好みが違って、頼めば毎回違うドレスを選んでくれた。選ぶときの心持ちはどんなものか、ということを尋ねたこともある。彼女たち自身が着てみたいもの、私に着せてみたいもの、その日のパーティの趣向に合わせたもの……色んな理由がその時々であって。これは咲夜だって例外ではない。

「こちらにしましょう」
「じゃあ、お願いしようか」

今日この子が選んだのは、赤色のワンピースだ。肩で支える形で、背中は羽を出すためにすこし開いている。袖は二の腕どまりなこともあって、ちょっと長めの手袋がセットだ。膝の辺りまでは体のラインに沿って絞る形になっていて、そこからは緩く広がっている。大立ち回りするようなダンスには向かないが、軽くステップを踏むくらいなら靴次第で何とでも、という位には動きやすい。

「ところで、どうしてお着換えを?」
「ああ、さっきまでドレスの話をしていてね。しばらくしたら彼女もまたここに戻ってくるから、話の種としてね」
「そうでしたか」

多少暖かさが戻りつつあるとはいえ飲み物で温まった体を冷やさないがために、急いで着替えを進めながら彼女の言葉に答えていく。そもそも二人きりの着替えだということもあって、品も常識もちょっとだけ横に置いた着替え方をしたりして。整え終わると、彼女は満足そうに一度ため息を吐いた後、先ほどまで私が着ていた服を畳んでベッドの端に重ねた。

「うん。これも久々に袖を通したわね」
「お似合いですとも。お客様に見せるためなのでしたら、小物類は準備の必要がないですか」
「そうね。これだけで良いわ」

口紅を差し直すかどうかをぼうっと考えていると、暖かな感触が肩を包む。乳白色のふわふわのマフラーだ。

「どうか冷やされませんよう」
「ええ。ありがと」
「お茶も淹れ直してきましょうか」
「そうね。……ああ、お茶じゃなくて、ホットミルクにして頂戴。あと、そうね。お客様は今回も泊まるから。それを伝えてきて頂戴」
「承知しました。ミルクはすぐ、お持ちしますので」

てきぱきと片付けを終えてくれた彼女はそう言い残し、ドアの向こうに駆けて行って。独りになった部屋の中、また私はチョコを食べたのだった。
 静葉嬢が戻って来たのは、夕方近くになってからだった。彼女の服の赤みと同じくらい、カーテン越しに届く光も赤くなりはじめていた。それでも息を切らせて飛んできた様で、私の姿を見て驚き固まってはいたけれど、その間も肩は疲れを訴えていた。

「おかえり。家のことを片付けてきたのかい?」
「……はい。あと、私達の着替えと、ドレスと、本を。急いで詰めてきたつもりだったんですけど、遅れてごめんなさい。……あの、綺麗ですね」
「そう言って貰えると何よりだね。ドレスの話をしてたからついでにさ。ところで、本って?」
「えっと、着付け方の参考が載ってる本なんです。もっとも、本があっても一人だとなかなか着られないんですけど」
「そう。では早速貴女のドレス姿を見てみようか……と、言いたいところだけど、少しそこのベッドで休んだらどうかな。それで落ち着いたら着せて見せてくれると嬉しいかな。着替えは私も手伝うよ」

私の言葉に顔を赤くする彼女。よくよく見れば、少しだけお化粧を直してきた感じがする。何だかんだ、私がこういうことを要求することは分かってくれていたようだ。彼女の体をベッドに横たえれば、ぐっと体を伸ばして深呼吸してて。しばらくはベッドに腰を下ろし、そこから見守っていた。
 お夕飯の時間を考えればあまり悠長にもしていられないからと、息が整い始めた後は、早速ドレスを見せて貰うことにした。丁寧に箱に仕舞われていたドレスは、なるほど絵の通りに奇怪な形をしていた。肩紐はやはり、長い。このドレスが彼女用ということもあってか、私が着たりなんかしたら西方の部族の衣装みたいになってしまいそうな感じである。こちらも色は赤色で、私の今着ているドレスに比べれば、彼女の持っている方が明るい赤色である。
 彼女と一緒に開いた本は、ことごとく文字が無く、肩紐の動かし方を示したイラストが矢印で順番に示されている。勿論完成予定のイラストも一緒で、

「どれにしてみようか」

と、二人でページを捲りながら、いくつか候補を絞っていく。ドレスを着てパーティに出ることが目的ではなく、どういう着方をすることができるのかを見たかったから、肩紐を絞ったり、結んだりする度合が多い物は後回しにして選んで行った。調整にも時間がかかることを考えて、二つ選び出して。彼女には前側の生地を支えて貰いながら、私は肩紐を手に一つ一つ本の通りに結っていった。

「ところで、一度咲夜にも見て貰いたいんだけど、良いだろうか?」
「咲夜さんですか?」
「うん。もしもこれを参考に作ることになった時には、こうして一度実物を見て貰った方があの子にもやりやすいと思うから」
「……そうですね。これがご参考の一助になるなら、是非」

一つ目の着付け方は、すっと細い首が強調されるハイネックな見た目になるものを選んだ。私自身の不慣れもあってか、最後まで手順を踏んだ後も生地や肩紐の調整にはとても時間がかかって。いざ綺麗に仕上がった時には思わずため息が出てしまった。最後はいかに紐を目立たないように隠すか、あるいは飾りつけとして思い切りをつけて利用するか……着付けの手伝いの度量をとても試されている感じで、これはこれで楽しくもある。結びを背中側でなくお腹や胸のある前側で処理できる着付け方であれば一人でも着られるだろうが、背中側は恐らく最低でも一人は手伝いが居なくては難しいだろう。最初に予想していたよりも、本の完成予定図の出来が随分と信頼できるものであったようで、そこにホッとしながらまた解き、次の一つを試していった。
 そのままの素肌をベッドの上で感じさせて貰った仲ではあるのだけれど、こうして触れてみると……しなやかな体だ。そして咲夜とも、美鈴とも違う肉のつき方。細身の体ではあるのだけれど、皮膚の下には今は主張こそしないものの筋肉の形があって。健康的な体というのは触れていて安心できるものだ。ひょっとすれば老婆心なのかもしれないが、目の届かないところに居ても何とかやって居そうだと感じられる所は良い。

「くすぐったいです」
「あぁ、すまない」

縒って絞れば皺になるからと、完成図の様子から後回しにした二つ目。一回目の着付けで得られた勘と本の情報を元に、布を巡らせていく。一つ目がハイネックだったから、今度はビスチェの形にしてみようと、少し絞りを入れつつ整えて行った。

「もうちょっと生地持ち上げたほうが良いかしら?」
「イラストを見た感じだと、そんな感じですね」

肩や首に回さないデザインというのは、難しかった。こればかりは体型を選ぶかもしれない。私より凹凸のある体だからそこは良いのだが……私だと、どんなに頑張ってこのイラスト通りにやったところで何度か飛び跳ねればずり落ちるのではないかと思う。
 そんな心持ちになりながらも、二つ目の着付けが完成して。ホッと一息吐くと、彼女がくるりと一回りした。生地自体は透けこそしないものの回したり重ねたりするせいか中々に薄く、そのお陰でとても軽かった。緩く回った彼女だけれど、それでもふわっと裾が踊る。

「面白いドレスねぇ」
「面白いんですけど、私はそもそも着る機会がないもので」
「そうなの。妹さんは?」
「穣子の分も八雲さんに頂きました。もっとも、あの子は別のを元々持ってるんですけど。あの子、習い事で踊ってましたので」
「それは意外だね。じゃあ今度もしもパーティに呼ぶことがあったら、二人にはドレスで出て貰うこともできるのかな?」
「う、うーん。……普段のこっちじゃダメです?」
「着たい方で構わないとも。……いつかは、皆で祝いたくてね。ちょっと先にはなるだろうけど」
「その時はぜひ、参加させてくださいね」

そう言って笑う彼女に、また一つ、ため息が出た。
 話ついでに誰も居ないうちにと、それから二人で少しだけ、手を取り静かに足を動かしてみた。妹さんと違ってそういうのには慣れていないみたいだったけれど、傍目には見ていたのか、裾を巻き込んで転ぶようなこともなく。……私がもう少し背が高かったら多少は様になったのかもしれないけれど、それでも彼女は楽しんでくれた。
 激しい動きは選びもしなかったけれど、くるりくるりとしている内にノックの音が聞こえ、二人で肩を震わせて。……呼ぶまでもなく、咲夜が先に来てしまった様だ。部屋に入るように促せば、彼女が恐る恐るという感じで部屋を覗き込み、そしてどこかバツが悪そうに固まっていた。

「お入りなさいな」
「失礼いたします。……あのう、お嬢様」
「うん。良いでしょ。ドレスの話題が出てね。二人で着ていたんだ。……ところで、咲夜。静葉さんのドレスを見て貰って良いかい」

私の言葉に不思議そうな眼をした咲夜だったけれど、くるりと彼女へと顔向きを変えてしばらく眺めて……その内に目が細くなった。やっぱり、作る側になるとどこか普通でないこのドレスのことは気づくのだろう。

「これ、作れる?」

私の言葉に、しばらく咲夜は唸っていた。

「このドレス、元の形は……」
「そこのテーブルの上にある絵みたいな感じ。あぁ、静葉さん。後で元の服に着替え終わった後、ドレス自体も見て貰って良いかな?」
「ええ。ええ。勿論です」

静葉嬢が頷いたのを確認して、咲夜の前で本のページを一枚一枚捲っていく。

「これは彼女の本なんだけど……ほら、こんな感じに。色んな着方を選べるんだ」
「こういうものがあるのですね。生地さえあれば同じものは作ることができそうです。……着方はちょっと勉強しなければいけないですけど」

と。頷きながら答えて。それからどこか申し訳なさそうな声で、私達二人を見ながら続けた。

「ところで、その。夕食についてなんですけど」
「ああ、うん。できたのなら食堂に向かうよ」
「はい。もう既にできております。ただ、それがですね……カレー、なんです。今夜の献立」

あぁ……。

「着替えましょうか」
「……はい」



~~



 この布製品を見て、これがドレスだと分かるのはこの館に果たして何人いるのだろう。それくらいに、見せて貰ったドレスは珍妙で、そしてシンプルだった。お嬢様とお客様が着替え終わった後に改めて見せて貰ったけれど、元々の形には一切飾るものが無いお陰で、作ることだけで言えば普段のお嬢様のドレスの半分……いや、更にその半分の時間さえあれば一着は作れてしまいそうなほど、単純なつくりだ。ただ、その一方でコストはそこまで低くない。縫製を減らし布としての見栄えを優先させた場合には、長さがネックになってくる。作れるか、という言葉があったから試算してみたものの……できるなら一着だけじゃなく何着拵えてしまうか、あるいは他に製作予定のある服に被る様に生地を選びたい、といったところだった。
 いつまでも借りている訳にはいかないから、参考用のドレスの型取りと、本の紹介を幾らか模写させて貰いすぐに返して。それから二人を妹様達が既に待っている食堂へと案内した。お嬢様を連れてくるのが少し遅れてしまったことに皆不思議がっていたけれど、そこはお嬢様自らが少し弁明してて。私はその傍らで、急いで配膳していった。
 今日のお夕飯は、カレーだ。先日おでんを作っていたときに少しだけ話題に上がったから作ることにしたのだ。今日のカレーはトマトカレーでお昼ご飯に使ったスープをベースにしたものだ。この作り方はとても楽だ。何より準備の時間が非常に少なくて済む。スープを作る時にほとんどの下拵えが終わってしまうからだ。勿論追加する食材は痛まない様に改めて包丁を入れることにはなるのだけれど、食後の洗い物の苦労を相殺できそうな程には楽な料理なのだ。勿論、利点はこれだけじゃない。トマトとカレーというのは相性が良い。色んな香辛料の底上げをするように働いてくれる。実際に口やお腹の中を刺激する物が増える訳じゃないから、辛い物があまり得意ではない子でも食べられるものを作ることができるのだ。そして栄養もベースのお陰で幅広く摂れて。……ちょっと油は多くなってしまうけれど、あの栄養を明日のこことそこで取り返さなきゃ、という気苦労もほとんどしなくて良かったりする。まさに頼れる皆の味方、という訳だ。
 お嬢様達がドレスを着ていた所にカレーの話というのは申し訳なかったけれど、配膳が終わった後は二人ともスプーンを手に楽しんでくれている様子で。妹様が切り出した、部屋での話題について二人とも楽しそうに聞いて、頷いていた。それにホッとしながら……隅の方でさっきのドレスのことを考え直してた。奇特なデザインではあったけれど、作り方の上では中々興味深い。なにしろ形状が形状なだけに、上半身の体のラインの測定はある程度不要になることが大きい。必要なのは胴回りと股下の長さがどれだけあるか、ということ位だ。胸周りや肩幅による差異は上のびろんと長い布で等しく吸収されてしまう。着付けは大変かもしれないが、成長してもある程度対応できることを考えれば有用性は高いのではないだろうか。
 アレンジしてみるのも良いかもしれない。お客様が持っていたのは腰から下は随分と緩い作りになっていたが、マーメイドドレスの様にぎゅっと絞ったものでもできなくはない。しかしそうすると衣服の向きが固定されてしまうから、着つけられる方法は狭まってしまう、か。

「咲夜、お水のお代わりを頂戴」
「はい。ただいま」
「私もお願いします」
「こっちもお願い」

ぼうっと頭の中で描いている内に仕事がおろそかになってしまっていて、お嬢様の言葉に慌ててお水を配って回る。私の頭の中を見透かしていたのか、お嬢様はちょっと苦笑いしてた。
 どうして、作れるかどうかを尋ねたのだろう。お嬢様自身が興味を持った、というのは確かなのだけれど……妹様のためだろうか。妹様は普段着ている服の他にはあまり沢山の種類の服を持っていない。参加しなかったこともあって、パーティ用の服装もまた同じ。沢山の着付け方ができるこのドレスなら、一着目に持っておく分には心強いのではないか、という判断のもと、ああいう風に聞いてきたのかもしれない。
 そもそも。今後必要になる妹様の服というものを真面目に考えなければならない。はっきりした日にちは分からないが、今日のこの食事中の話題にしても今後の外出についてだ。お客様二人が山から来ていることも合わせれば、恐らく初めの内に訪れたいのはその近辺だろう。ということを踏まえると、山でも動き易く、枝木の擦れにも強い服は必要だ。冬については先日作ったコートがあるけれど……うん。やはり山用の服は改めて夏ものも冬ものも用意することにしよう。他は緊急用の日傘だろうか。流石にでかけるのは夜になるだろうけれど、いざというときの備えは必要だし。必需品から、少しずつでも揃えていかないと、だ。
 お泊りすることが決まったこともあって、途中から話題は食後のことに移った。まずはお風呂に行く様子である。

「咲夜も来る?」

と言われたけれど、今日はカレーの日だから。

「済ませなければならないことがありますので」

と。辞退しておいた。
 食事中の内に大浴場の人払いをして、皆の様子を見るために時を止めた世界の中、ゆっくりと館の中を見て回った。今日はカレーということもあって、食堂は普段より少しにぎわっていた。食べ終えて休んでいる子、今カレーのお皿を受け取ったばかりの子、鼻の頭に汗を浮かべた子……色んな子がいる。それぞれのテーブルに水差しは用意してあるのだけれど、どれも少なくなっていて。代わりに中身を補充しておいた。一方、厨房の中はとても落ち着いた様子だ。揚げ物の様に提供しながら作るということもないお陰で、食堂との間でやり取りをする子達を除いてほとんどの子が既に後片付けに仕事を移している。食べ終わりすぐなら油が落ちやすいこともあって、今が勝負どころなのだろう。……私もお世話が終わったら急いでこっちに来ないと。
 そのままもう一つ、気になったところに寄ることにした。図書館だ。お夕飯を運ぶときに給仕係の子が穏やかな顔で出て行ったから、体調はもう大丈夫なんだろうって分かってはいるんだけど。それでも……何となく。責任の一端は感じていて。お腹に障って無さそうか、それだけは確認することにしたのだ。パチュリー様達は三人並んで食べていた。真ん中にあの子を挟んでいて。両脇からそれとなく視線を送られつつ彼女は食べている。時を止めていると動きは見えないけれど、それでもまだ顔に疲れが残っていた。けれど、挟んだ二人の様子を見る分には落ち着いてきているのだろう。寝室を覗いてみれば、休憩した後が見えて。ベッドを少しだけ整えておいた。
 お嬢様達が食事をしている食堂へと戻って、時間の流れを元に戻した。私がお風呂場で促している内に随分と食べ進めたようで、もう食べ終わりが近い。お客様の二人は……相変わらず熱い物に強かったがためか、既に食べ終わっていた。

「もうしばらくすればお風呂も空きますので」
「うん。分かった」

 今日のお夕飯、一番最後にスプーンを置いたのは妹様だった。あまり聞くことができなかったけれど、沢山喋ることがあったのだろう。最後は皆で手を合わせ、また談笑を始めて。私はそれを横目にグラスに水を補充し直し、食器を片付けて行った。
 結局お世話が長引いて、厨房に駆け込むことができたのは最後に訪れてから随分と時間が経ってからだった。厨房の鍋の様子を見るに、残りの提供は全体の四分の一という所。申し訳ないことに随分と洗い物も進んでしまっていて、残るのはスプーン類とお鍋。お皿は既に洗い終わりが積み重なっている。袖を捲りその列に加わると、

「遅れてごめんなさいね」
「いえいえ。お客様達はひょっとしてお風呂ですか?」
「ええ。今お風呂場に案内してきたところ。以前と同じくらいの時間は利用すると思うから、それが終わるころにまた向こうのお仕事に向かうわ」

隣の子が尋ねて来て。私の返事に頷いた後、ちょっとだけ肩を落としていた。普段のお夕飯の片づけの後はちょっと休憩を入れてすぐにお風呂に向かう子達も多いから、そのせいなのだろう。洗うのが面倒なカレーの後で、冷えた体を温めたいというのも加わって。……今日の朝、今夜はカレーを作ろうとこの子達に言ってしまったことをちょっとだけ悔やんだ。少しして最後の一人への提供も終わったらしく、お鍋が運ばれてきて。じゃんけんで洗う人を決めた後、皆総出で残り物に手を付けて行った。

「明日はどんな献立にするのです?」
「まだ思いついてないのよ。夕食で食材の整理もできたから何でもいいのだけど」
「季節ものは……筍は、やってしまいましたね」
「ええ。まぁ筍も本来はもうちょっと後のものだけど。うーん。季節の野菜って考えると、それぞれの料理に入れられるものは沢山あるんだけど、主役は張りづらいのよね」

寸胴鍋をぐるぐる回して汚れを落としながら、ぼうっと頭の中で食材を漁る。前回あのお客様がここを訪れた時と、妹様を預かっていたときと、今日の料理と。出来る限りで食材は被らないようにしたいが、そもそも鍋料理が二度もあったし、前回の最終日には調子に乗って色んなものを作っちゃったから……食材単位では被らないのは無理に等しい。お風呂場に案内する前に希望を聞いておくべきだったかもしれない。
 今日はそこまで栄養価が偏っている訳でもないから、明日の朝はある程度自由にして良いとして。ひょっとしたらお客様が昼食後でなく朝食後で帰るかもしれないから、少しお腹にたまる物にしたい。恐らく食事の場に集まるのはお嬢様、妹様、お客様二人に、妹様のお世話係のあの子。分けながら食べられるものなら、楽しめるだろうか。

「季節関係なしにピザにしちゃいましょうか」
「トッピングどうします?」
「うーん」

五人で分けるとして、三枚もあれば十分だろう。妖精の皆は話しながらもてきぱき食べてしまうだろうけれど、お嬢様達は恐らくのんびりと食べるから、ピザにおいては固まるのが早いチーズにあまり頼り切らないようにはしたい。

「みじん切りの玉ねぎとか」
「味の重さを減らすためにきのことか」
「サラミ」

悩んでいると後ろの方からぎりぎり聞こえる程度の声で要望が飛んできた。どれも一応食料の備蓄があるものだ。ただ、ちょっとサラミは少ないか。まぁ、それも朝に拵えれば問題ないだろう。でも三枚は少し難しいか。見栄えを考えてどんどんと具を加えていくと朝食にするにはやはり重くなりすぎてしまう。

「玉ねぎと茸とサラミで一枚、後は、そうねぇ。お昼を野菜に寄せても良いように、もう一枚は半熟卵と厚切りベーコンって所かしらね」
「……今度温泉卵作りません?」
「良いわね。次の和食のタイミングで作りましょうか」

 トッピングが一度決まってしまうと、後は楽なものだった。合わせるスープも、料理の時間もすぐに見えて来て。皆私の案に二つ返事で答えてくれた。私が洗うのが少し遅れて、最後は隣の子も手伝ってくれた。後片付けが終わると、皆はテーブルに集まって一息という所だったけれど、時計を見る限りはそろそろ出ないと行けなくて。軽い挨拶だけを済ませると、すぐに厨房を後にしたのだった。



~~



 暇になってしまった。お夕飯のカレーを食べた後、少し休んでからお嬢様の部屋の外でお世話の為に待機するはずだったのだけれど……一緒にお世話をする友達の一人が私の時間とどうしても代わって欲しいということで、ぽっかりと時間が空いてしまった。初めはお風呂場に行って少し長いひと時を久しぶりに楽しもうと思ってたのだけど、今日はお客様がいらっしゃるからか大浴場は一時的に貸切となっていて。定例の日では無かったのだけれど、レミ様ごっこの会を突発でやることにしたのだった。
 お風呂場にいけない子が私以外にも沢山いたお陰で、突発ではあったけれど、メンバーはすぐに集まった。思えば、この会も随分と大きくなったなって思う。そもそも最初は寝室のメンバーでやっていたのだ。遊びで負けた時の罰ゲームとして、お嬢様の物まねを頑張る。そういう所から始まった。いつしかそれ自体が遊びになって。お世話係のシフトの入れ替わりや、友達を呼んだりしたことがきっかけで大きくなっていったのだ。
 主催は、私。元々罰ゲームとして提案したのが私だったのだ。でも、それこそ最初は罰ゲームという名目で始めたけれど……本当はただただ、私がお嬢様のことを好きだったというのが根っこにはあったりする。
 私がこの館で働き始めたのはいつのことだろう。大雨で元居た場所に住むことができなくなって。そして拾って貰ったのだ。いつのことかは思い出せないけれど、同じ理由で働き始めた同期は何人か居たりする。その頃はまだ、この館に私と同じ妖精は少なくて。

『働いてくれるなら、居たいときまで居て良いから』

そんな言葉と一緒に、部屋も、服も、そしてご飯も与えて貰えたのだった。私はあまり噂話に詳しくなかったから、お嬢様が吸血鬼だったってことは知らなくて。そのことを知ったのは、働き始めてからちょっと時間が経ってからだった。教えられてみると不思議と怖くもなって、尋ねたことがある。

『私もいつか、食べられてしまうのでしょうか』

って。お嬢様は私の顔をじっと覗き込み……くすくすと笑って。

『貴女のことを独り占めしたくなったら、そうしようか』

それが、お嬢様の答えだった。
 働いている内に妖精の友達も少しずつ増えて行って、自分の仕事というものが何とか一人でできるようになった頃。仕事終わりの寝室で、皆に尋ねてみたことがある。お嬢様のことが怖くないのか。反応は様々だった。勿論当時は問答の必要が無いほど怖い存在である妹様が居たというのも事実なのだけれど、それを置いてもちょっと怖い子、かと思えば、全く怖がってない子。聞いてみると、皆もお嬢様に私と似た様なことを尋ねたことがあるらしかった。

『食べて欲しいの?』
『美味しい思いならもう間に合ってる』
『痩せて倒れそうな貴女を食べたとして。美味しいの?』
『貴女を食べたら綺麗な形のパンケーキをもう食べられなくなるじゃない?』

聞いた言葉も様々で、その時期も様々だったから、色んな返答があったみたいで。でも一つだけ、笑って返されたということだけが共通してた。私は、そういうお嬢様の返し方に興味があって。新しい子が入ってきて、そして落ち着いて来た頃にそれとなく尋ねてみたりして。色々と、その言葉を拾っていった。
 それらの言葉を教えて貰う度に、皆にとってのお嬢様像というものが少しずつ見えて来て。それが意外と、皆思い思いにずれていたりして。でも、ほんのりと漏れる優しさみたいなものはどれにも欠けることがなく。そうしている内に……ひそかに憧れを抱いたりして。そういう気持ちがきっかけになって、あの罰ゲームは生まれたんだ。
 
「今日は突発で不参加も居るし、洗いっこは変更なしね」
「さんせーい」

まあ、今では随分と様変わりしてしまったのだけれど。それでもやっぱり、この遊びは好きだ。私と、そして書記をしてくれる子は最初から居るメンバーで……彼女も私に少し似た子。同じ憧れの気持ちを持っているんだってことは、任された仕事は違うのだけど、ずっと一緒に働いているから何となく知っている。じっと見てたら向こうもこっちの視線に気づいたのか、振り向いて。微笑んでいた。
 この会ができたのも、やっぱりずっと昔のことなのだけれど……色々とこの会での記録を振り返ってみると、その当時の様子というのは何となく分かる。その時の館の状況や私達やお嬢様の立場。お金の問題やお仕事の問題。咲夜さんがやって来てからの変化や、ここしばらくで変わった館の空気とか。特に、あとの二つは強く感じてる。平和な今があるお陰で、こうして振り返って懐かしむことができるのだし。

「人数普段より少ないし、今日はお題を決めてやろっか」
「お題?」
「うん。じゃんけんで勝った人がお題決めて、残りが発表ね」

……さて。今日はどんなお嬢様像を見ることができるのだろう。



~~



 門の詰所に満ちるカレーの匂い。真冬の間程は暖炉を使わなくなったお陰か、少し空気も籠りがちで、きっと明日の朝もこの匂いは僅かに残っているのだろう。お客様が来て、そして泊まることが分かると皆は我先にとお風呂に行ってしまい……お風呂が貸し切りになった今、浴びることができずに困っている子は居ないのだけれど、カレーという夕食だったためかもう一度汗を流したいという顔をしている子は多かった。私も食べ終わってから少し経っているのだが、未だに汗の感触が顔に残っている。

「美鈴さん」
「うん?」

今は他の子が門を見張っていてくれて、私は椅子の背もたれに体を預けて休んでいた。そんな中、近くで休んでいた子が私を呼んだ。彼女は一つ前のシフトの子。今日はもうあがって館で休めるのだけれど、お客様が来て、その都合で妹様が地上の階に居るからだろう。ずっと詰所の椅子に腰を下ろしていた。何もすることがない、という訳ではないようで、私が椅子に座る前から彼女は佇んでいたが、ずっと考えている様子だった。
 この子は最近、ずっとこんな感じだ。きっかけは、この子がお嬢様と一緒に妹様の部屋に行ってからのこと。いや、この子だけではないか。この子が戻って来て皆に話してから、他の皆も考え込んでいることは多い。傍目に見ている分には答えはまだ見つかっていない。あるいは、何か一つの形は見つけてはいるけれども、口に出すことができないで居る。……そんな、感じだ。

「……次の一歩を、どう踏み出せばいいんでしょう」

私も、悩んでいた。
 妹様を許して、少しずつ交流を取り戻していく。それは叶えばとても喜ばしいことだ。そしてその一方。妹様を許さずに、このまま交流は避ける。相反することではあるのだけれど、どっちに転んでも良いと思っている所が私にはあるのだ。
 交流とは、歩み寄りだ。時には多大な譲歩が必要になることもあるのだ。共に益を共有しながら始まることもあれば、一方だけが多大な苦痛苦難を持ったうえで始まることもある。かつての苦痛、その針の塊を呑んだうえで笑いかけることができたのなら。それは精神的な強さや寛容の心を持てた、と。そう捉え、祝福することもできるだろう。
 一方で。降りかかった理不尽に対し拒絶をするのも、決して、誤りではない。それはこの子達の持っている大切な権利なのだ。その権利だけはこの館の誰も蔑ろにしてはならない。特に、私とお嬢様に関して言えば……もっと、何か、一つでも。この子達のためにあの時できることがあったはずで……その、負い目があるから。
 努力しなかったわけじゃない。でも、結果は結果だ。大きな傷をこの子達に刻んでしまったのだ。

「そうね……」

傷はいろんなことを教えてくれる。どれだけ大きいのか、どれだけ深いのか、どうやってつけられたのか。その時この子達はどういう姿勢で、どういう状況で……。そんな、様々なことを。でも、絶対に分からないことが一つある。この子達が感じたこと、その時々に生まれた気持ちだ。振り返り、言葉にして貰えば共感することはできる。けれど、それはあくまで共感であって、同じ気持ちを得た訳では決してない。まして、言葉にすることもできなかったことは……。
 お嬢様とも過去に話し合った。この子達の心を守っていくには、どうすれば良いのか。自由を奪ってきた私達だから、できる限りはこの子達それぞれの考えを尊重したい。けれど、放任という無責任なことはできない。どこまで私は歩み寄って、どこからは見守るべきなのか。この子達と一緒に過ごす時間はお嬢様や咲夜さん達に比べればずっと長くなったはずなのに、未だに見定めることができないで居る。
 だから。私は……努めて穏やかに、時の流れに焦らない様に促してきた。短い間に心へ負担がかかることを避けたかったからだ。けれど、この私の行為は……毒になっていないだろうか。じわじわと焼く酸の様に、絡んでいくツタの様に。かえって彼女達の心に負担をかけていやしないか。そんなことがたびたび不安になる。でも。いつも、答えは出なかった。

「貴女はどういう風に過ごしていきたい?」
「……怖いのも、痛いのも、悲しいのも。どれももう嫌です。もう、そうならないだろうなってことは分かってるつもり、なんですけど」
「あれ、食べたんだっけ」
「お漬物ですか。……はい。頂きました。その方が良い気がしたんです。不安はやっぱりあったんですけど。本当は、こういう形に収まればいいなって。見えてるんですけど。どうにも心がまだ、追いつかないです。こんなに時間を頂いているのに。だからせめて、あの時妹様の部屋に行った私だけでも、皆の為の一歩に成れればって」
「誰にも急がせない。貴女のペースで良いから。体と心の調子を見て、無理だけはしないようにね」

彼女がゆっくりと頷いて、ため息を吐く。もの憂げな様子というのはもう数えきれない程見てきた。だから、私がせめて皆に見せる顔だけは笑って、安心させてあげられたらと思う。それでもたまに顔に出てることを咲夜さんに指摘されたりもして……私もまだまだ、だ。

「最近」
「うん」
「夜が寂しくなりました」

話題を変えようと彼女が切り出して笑う。彼女にとっては違う話題なのだろう。けれど、これもやはり根っこは同じの様だ。現に、他にも同じ悩みを持つ子が現れ始めてきていた。勿論その中には自分で解決策を見つけて何とかしてしまった子もいる。それが肌寄せる相手なのか、寝相の下敷きにしてしまう相手なのか……差はあるんだけど。

「まだ冬だからねぇ。もう少し経てば暖かくはなるけど。寝相が悪くて良いならお泊り会でもする?」

頑張って話題を変えようとした彼女だから。できる限り明るく乗っかって。

「まあ、枕は持ってきて貰わらないとだけどね」

と。そう付け加えれば、顔を赤くしながらも笑ってくれた。
 しばらくして、お風呂場の使用許可が出たことと、妹様やお嬢様達が部屋に戻ってしまったことが詰所にも連絡が来て。眠そうな伸びと共に彼女は部屋に帰っていった。近くのテーブルにあった飲み物はいつの間にか空になってしまっていて。皆の代わりに淹れ直して回って。次の私の番までまだ時間があったから、さっきまで腰を下ろした椅子にまた体を預けたのだった。ちょっとの間しか離れていないつもりだったけれど、それでももう冷えてしまってて。しばらく飲み物と共に温まりなおしていると……さっきとはまた別の子がやってきて。近くの椅子に腰を下ろした。

「美鈴さん」
「うん?」
「私も……」

夜が寂しいんですけど、と。彼女はとても小さな声でそう呟いた。



~~



 お風呂場から私の部屋へと静葉嬢を連れて帰るその道で、部屋でどう過ごすかを考えていた。悩みに心を圧される時も過ぎ、落ち着いた今だからこそゆったりとお酒を酌み交わすも良し、また相談に乗って貰うのも良し。ドレスがあるのだから、いっそ月明かりの下でちょっとだけ足並みを遊ばせるのも良し。そうやって、色々と考えていたのだけれど。部屋へと戻ると静葉嬢はするりするりとベッドまで進み、腰を下ろして。じっと期待の眼差しを向けてきた。どうやら彼女は彼女で、やりたいことがあるようだ。と言っても、顔の赤み、視線、笑顔の割にはしっかりつかんで離さないシーツ。なんとなく何がしたいのかは、分かっている。

「だめ、でした……?」
「いや。構わないとも。ちょっと驚きはしたがね」

部屋の窓、そのカーテンを閉じに行き、彼女の言葉に返す。テーブルの上の蝋燭を一本だけ灯して残りを消せば、腕の届かないところは見えづらいほどに暗くなって。私は彼女の隣へと腰を下ろした。
 二人でベッドに転がって、互いに体を寄せる。互いの服の留め具が重なって、かちりと音を立てた。……良い匂いだ。石鹸の香りもそうだが、彼女自身の寝間着に織り交ざった、この姉妹の匂い。相変わらずどこかおいしそうな匂いだ。誘ってきたのは彼女だったけれど、少し疲れはあったみたいで、ひとしきり互いに抱きしめれば、小さいながらも彼女の口から欠伸が漏れた。お菓子作りにお家へのとんぼ返り、大急ぎでの後片付けやドレスの運搬。一部は私のせいだけれど、少し疲れはあるようだ。

「疲れてるなら寝ちゃう?」

勿論彼女にその気が無いのは分かっていながらも、悪戯に尋ねてみる。彼女は頬を膨らませた後、私を胸に抱き留めた。

「冗談さ」
「本当は」

私の言葉に一呼吸置いて彼女が小さく呟いて。それからゆっくり教えてくれた。もう少し早いうちにまた訪れる予定だったのだ、と。とりあえずまた妹さんと過ごしてみての経過だったり、改めてのお礼だったり。また、私との時間を作るためだったり。色んな目的や理由を練っていたけれど、その矢先で妹さんが訪れる日をこの日だと決めてしまって。先に言われてしまったから抜け駆けする訳にもいかず、じっと待っていたのだそうだ。
 ふと、尋ねてみる。生活が落ち着いてきた今でも、依存する相手を求める気持ちに変化はないのか。彼女は少し間を置いて、うん、と。そう短く答えた。

「依存されるのでもいい。依存させてくれる相手でもいい」

抱きしめる力が少し強くなって、耳元で彼女が続ける。

「レミリアさんに言われたから、もっとちゃんと表せる言葉はないかなってあれから考えたの。でも、やっぱり見つからなくて。甘えられる誰かに、甘えてくれる誰かに。心を預けていたい。……穣子のことをずっと考えていた反動なのかなって思うこともあるんだけど、私自身が考えていた以上に、心が疲れやすくなっちゃってたのかもしれない……かな」

少し寂しそうな声で教えてくれて。回した手で背中を撫でると、彼女は一度小さなため息を吐いた後、ゆっくりと抱く手を離してくれた。

「心のための止まり木、というところかな」
「そんな感じだと思います。強いて言うなら、おんぶしてくれる止まり木、みたいな」
「私の体じゃおんぶは無理だねぇ。胸の中に抱くので我慢しておくれ」

代わりに抱きしめ笑ってごまかしてはみるものの……依存という言葉を使うのは、精神を休ませられる場所に対する心もとなさの現れなのだろう。妹さんのことに長い間気を遣り続けてやっと解放され始めたばかりの彼女にとって今は私がその唯一の場所ということか。恐らく元々そこの位置にあったのは、妹さんに対する責任や申し訳なさでできた雨風の凌げないものだったのだろう。

「この館にお邪魔したときから、迷惑をかけてばかりでごめんなさい」
「そうは思っていないさ。貸せる胸は、まぁ。薄いけど、幾らでも」
「体を重ねること、本当に後悔はしてませんか?」
「貴女は私と体を重ねた時、嫌々な気持ちだったの?」

ゆっくり横に振られた顔。ぽんぽんと頭を撫でて、濡れた髪に指を差し込んだ。空気に触れていた箇所も、そこから少し入ったところもまだ冷えていたけれど、根本も、首筋も。ちょっとだけ温さが戻ったみたいだ。
 彼女が落ち着いたところで、二人そろってベッドの中に潜った。枕こそ違えど、少し動かせば互いにぶつかってしまいそうな程に体を寄せて。しばらくはぼうっとお互いの瞳を見つめ、指先だけをそっと拾ってその細い指を撫でていた。私より少し大きい手。他人と触れ合うことこそあれど、あまり絡めることは無かったのだろう。指を少し絡めようとするだけで、ちょっとこわばったりして。でも、基本的には落ち着いているのか、指先まであたたかい。
 指の腹で彼女の爪を撫でていると、彼女がふと私の手を拾った。ベッドの中から、二人の顔の間まで持ってきて。それから私の指を唇にそっと押し当てた。乾いているけれど、ふにっとした感触が伝わって。彼女はしばらく私の目を見ていたけれど、見つめ返せば恥ずかしかったのか、すぐに視線が逸れて行った。どういうことをしたくてベッドに誘ったのかは分かってたから頷いて返して。彼女の服に手を這わせ、下から一つずつボタンを外していった。全て外すと、彼女は袖を引き抜いて、それから同じ様に私の服を脱がしてくれた。
 一つずつ、一つずつ。静かに脱いで。私がベッドの隅にそれを避けてしまうと、彼女は私の背中にぎゅっと抱き着いた。厚手の服の下に閉じ込められていた熱さが背中を通して伝わってくる。もう少し腕の力を緩めてくれたら、きっとこのまま転がっているだけで眠ってしまうだろう。でも、

「ほら、肌蹴ちゃうと風邪引くわ」

まだ肌寒い季節には変わりなかったから。私は強引に振り返って、落ちた毛布を引き戻した。
 ここまで焦がれる程楽しみにしてくれていたのなら。彼女はあの日この館から帰ってから今日までの間、どう過ごしてきたのだろう。彼女の中で、私はどう振舞っていたのだろう。私は彼女を組み敷いていたのか、それともその逆だったのか。どちらでも構わないが、体格の差には逆らわないのが色々と楽だというのが私の経験ではある。しかし、口では言わず仕草で誘ってみたり、かと思えば背が見えれば抱き着いて来たり。私の意思を尊重してなのだろうけれど、お陰で振舞い方に困っているのかもしれない。私としてはもう如何様に楽しんで貰っても良いのだけど……もっと態度で示すべきだっただろうか。それは私でもちょっと恥ずかしいのだが。

「したかったこと、体に教えて?」

彼女に顔を寄せ、意識しないと聞こえない程、頑張って小さな声で囁いて。顔を赤くした彼女の前で、目を閉じた。



~~



「お手洗い、いってくる?」

館の中を見回っていた。お客様のお風呂の時間も終わったから、お風呂場の近くは少し賑やかで。私もそれが落ち着いた頃浴びに行くつもりだ。今日の仕事も恐らくはこれで終わり。やり残しは無いか、ということで見回っていた所だけれど……お嬢様の部屋の前に来ると、ああこれが最後の仕事かなって。部屋の前の椅子に腰を下ろしていた子を見て思った。

「邪魔しちゃだめですよ?」
「ええ。……気を付けて行ってらっしゃいね」

部屋の前、というのは少し語弊があるかもしれない。普段この子達が待機している位置からすればずっと離れていて。相変わらずと言わんばかりに椅子の上で器用に膝を抱いていた。前にこのお客様が泊まりに来た時も、彼女はこうして、少し離れた位置で佇んでいた。今日に限らず、普段もこの子が担当する日はあるから、この位置に椅子がある意味というのはなんとなく分かったのだけれど……今日は確か、非番だったはず。代わって貰ったということなのだろうか。
 彼女がスカートを摘まんだまま小走りで行ってしまった後、私は空いた椅子に腰を下ろした。置いてあったひざ掛けも含めて、あたたかい。この位置に椅子があるということは、ぎりぎりお嬢様の声が届く位置というのがここということなのだろうけれど、私が耳を澄ませても何も聞こえてこない。まだ、窓の外を流れる緩い風の音の方が聞こえる位だ。この子の耳が特別良いのかもしれないが、お嬢様の部屋の隣は私の部屋なのだ。ドアの間隔は随分と離れているのだが……私とあの子の声も、とても抑えていたつもりだけど、ひょっとしてドアの外に漏れていたりしたのだろうか。まあ、聞こえたとしてもお嬢様のお世話係。いろんな意味で、口はかたい。過剰な防音をすれば仕事に障るからそれはしたくないし、今秘密が守られているのなら、このままで居よう。この子にしたって、恐らくはそうあるべきだと判断したから今夜ここに座っていたのだろうし。
 彼女が帰ってくるのは少し遅かった。私の態度から、秘密が既に私にはある程度ばれているということを察していることもあるのだろう。戻って来た時には普段の穏やかさで、水分補給も併せてしてきたのか、僅かに口元が濡れていた。

「今夜も独りで?」
「……はい」
「そう。また行きたくなったら、限界まで我慢せずに行きなさいね」
「少なくともお休み頂くまでは、頑張りますとも。今のでとても落ち着きましたし。……でも、なぜでしょう。前回のときも、今回も。なんだか近くて」
「緊張してる証拠じゃないかしら。じゃあ、頑張って」
「……そうかもしれないです。咲夜さんも、お疲れ様です」
「うん。お疲れ様」

椅子を再び彼女に預けて。曲がり角まで来たところでふと振り向いて彼女を見てみれば、遠くでまた、膝を抱いていた。
 一通り見回りが終わったところで、お風呂場にやって来た。丁度良い時間にぶつかった様で、脱衣所は沢山の子で賑わっていたけれど、そのほとんどは袖を通している子達だった。お疲れさま、とか。おやすみ、とか。そんな声が聞こえる中で、独り服を脱いでいく。カレーのお陰か、季節の割にはちょっとだけ汗を吸っていて。脱ぎ終わってみれば少しだけ体が軽かった。
 お風呂場の方はといえば、脱衣所に比べたら随分と静かなものだった。体を洗っている子があまり居なくて、ほとんどが皆湯船の中。……いや、湯船の縁といった方が良いだろうか。まるで示し合わせたように湯船の縁に腕を置いて、目を閉じた頭を乗せている。一人だけ、我関せずとばかりに中央の方にどんと体を広げて休んでいる子もいるけれど。

「咲夜さんお仕事あがりですか?」

体を洗っている子達に並んで椅子に腰かければ、隣の子が泡塗れの体を少しだけこっちに向けて顔を傾げた。

「ええ。貴女は?」
「私も終わりです。今日もお疲れ様です」
「貴女も。……今日は静かね」
「少し前まではもっとこう、珍しく湯船にわんさかって感じで、凄かったですよ」

ああ、だからあの子達は今はゆったりと休んでいると。

「そう。丁度入れ替わりのタイミングだったのね。私も寄り道してきて良かったわ」
「私も少し時間を外してきたつもりだったんですけど、本当ぎりぎりでした」

そう言いながらけたけたと彼女が笑って。被ったお湯で泡を落とすと、頭を下げて湯船の方に向かって行った。
 髪を洗い、顔を洗い。首から下を洗い始めていると……さっきまで話していた子がいた椅子がまた埋まった。ふと見てみれば、パチュリー様と一緒にいる彼女だ。顔は、相変わらず疲れている。

「大丈夫?」
「はい。大丈夫ですとも。ちょっとまだ、いつも通りとはいかないんですけど。パチュリー様もあの子も、休ませてくれましたから。おかげさまで」
「そう。何か必要な物とかでてきたら、遠慮しないでね」
「このまま休むことができれば、また元に戻りますから」
「無理、してない?」
「本当は、ちょっと。でも、空元気でも一人でお風呂に行く余裕くらいは見せないと、二人に心配させすぎてしまいそうで。押し切って来ちゃいました」
「そうなのね。帰り道、図書館の傍まで送るわ。少しでも二人には余裕のある顔を見せないとね」

彼女は苦笑いしてしばらく悩んでいたけれど、ここで体調を崩したらどうなるか予想がついていたからだろう。

「お手数、おかけします」

と。小さな声でそう返してくれた。
 いろいろと尋ねたいことはあったけれど、無理を少しでもしているのならその体に負担をかけたくなくて、それ以上聞くことはできなかった。お風呂場でこの子と一緒になることはあまりないのだけれど、それでも洗う動きがいつもと違うのは視界の隅でも良く分かってしまう。この子がこうなってしまったのは私にも関係があったから、本当は色々と手を貸したいのだけれど……あまりお世話を焼いて、お風呂場に居た子達からもし給仕のあの子に話が伝わってしまったら。この子の頑張りそれ自体を潰してしまいかねなくて、歯痒かった。彼女自身も、普段通りに体がついていっていないことを自覚しているのだろう。彼女の表情にも同じ様な気持ちが滲んでいた。
 先に洗い終えた私の隣に彼女がやっと腰を下ろしたとき、彼女は長いため息を吐いていた。呼吸は落ち着いているが、お夕飯の様子を見に行ったときよりもずっとずっと疲れて見えて。

「やっぱりまだ、時間がかかるかもしれないです」

と。小さな声で教えてくれた。

「図書館の傍じゃなくて、ベッドまで直接送った方が良い?」

段々と顔色に疲れが増していく彼女に不安になって尋ねてみれば、彼女は苦い顔をしてしばらく水面を見つめ、唸った。パチュリー様も、そしてこの子のことを慕うあの給仕の子も。この子の顔色にはとても敏感なはず。いくら大丈夫だと頑張って振舞ってみても、隠しきれない程に疲れが見えてしまっては意味がない。この子自身もそれは痛いほど分かっている様で、しばらく唸り続けた後、私の方を見上げた。

「……その方が助かりそうです。倒れることは無いと思うんですけど。あの二人の前で隠し通せるだけの、体力は残せ無さそうで」
「うん。私のことは気にしなくて良いから。出たくなったり危ないなって思ったら、必ず教えてね?」
「ごめんなさい」
「良いの。……髪、明日跳ねちゃうかもしれないけど、我慢してね」
「お休み、頂くことになると思いますから。きっと大丈夫です」

そしてまた、長いため息を吐いて。ずるりずるりとお湯の中に沈んでいった。
 結局彼女の体力は長くは持たなくて。時間を止めた時の中、彼女の体を背負い浴場の外へと連れだした。時を止めて運んでいる分には妖精の子やパチュリー様、そしてこの子にしても直接体調の良し悪しは分からないのだけれど、少しだけ体が軽くなっていて。減ってしまった分のことを考えながら、部屋への道を進んでいると……図書館の入口の傍では給仕の彼女が、いつも読書に利用しているテーブルにはパチュリー様がそれぞれ不安そうな面持ちで佇んでいた。それを横目に訪れた彼女の部屋は、また少しだけベッドを使った跡が残っていて、私は彼女をベッドに寝かせると、時間の流れを元に戻した。

「……ありがとうございます」

部屋の中の水差しはまだ中身が残っていた。きっと給仕の彼女が入れなおしてくれていたのだろう。満たしたグラスを彼女に渡すと、彼女はゆっくりと飲んでいった。

「パチュリー様達にはどう伝えたら良い?」
「たぶん、隠しても分かっちゃうと思うので。……えっと、私はもう眠った、と。そう伝えて頂けますか。パチュリー様もあの子も、あんまり休めていないと思うので」
「そうかもね。分かった。伝えておくわ」
「それだけ、ですね。……申し訳ないです」
「良いの良いの。ゆっくり、休んで頂戴。おやすみ」
「おやすみなさい」

灯りを消して、枕に顔を埋もれさせた彼女を見つつ、そっと部屋を後にした。……短い間だったと思うのだけれど、パチュリー様は気づいていたのか、それともドアを閉じる音が聞こえていたのか。その姿が見える頃には、パチュリー様は既に体をこちらに向けてじっと私の方を見つめていた。

「駄目だったみたいね」
「最初は元気だったのですが」
「そう。……うん。心配しないでって所かしらね」
「はい。パチュリー様にもあの子にも。ゆっくり体を休めて欲しいそうです」
「分かった。私も部屋に戻ることにする。あの子には、上手く伝えておいて頂戴」

そう言ってパチュリー様が入口の方を指さして。頷いて返すと、パチュリー様も頷いていた。

「かしこまりました。……あの、お夕飯、やはり重かったでしょうか」
「重かったみたいだけど、美味しそうに食べてたわ。少し時間はかかってたかも。でも食欲はあるのよ。色々と力を使ってしまって、あまり余力がないだけでね。連日重い物が続くとお腹が疲れちゃうだろうけど、大丈夫よ」

……明日の朝食、流石に替えを用意しておくことにしよう。
 パチュリー様と別れ、図書館の入口から外へと出ると、妖精の彼女がびっくりした顔で振り返った。

「お疲れさま」
「お疲れさまです。すみません、いらっしゃったのに気づきませんでした」
「うん……あぁ。時間を止めて入ったからね。貴女が待っているあの子だけど、お風呂場で少し疲れてしまったみたいだから、直接部屋に連れて行ったの」
「やっぱり、でしたか」
「最初はそこそこ元気だったんだけどね。少しずつ元気な感じが無くなって来てたから、私が代わりに。……疲れてたのね。もう眠ってしまったみたい」
「私も頑張って止めたんですけど……だめでした」
「貴女にあまり心配させたくなかったのよ。きっとね。貴女も今は元気だけど、あの子がああなっている今、貴女の力はとても大事なのだから、貴女もちゃんと休んでね?」

私の言葉にしばらく俯いた後、ゆっくり頷いて。それから私を見上げると、少し間を置いて彼女が尋ねた。

「……大丈夫そう、でしたか?」
「明日はお休みを頂くかもって。そう言ってたかしら。でも笑ってたわ」
「そう、でしたか」

それからまた、何度か小さくうなずいて。

「私も、明日に備えることにします」
「うん。おやすみ」
「おやすみなさい」

私にそう返すと、静かに廊下を歩いて行ってしまった。



~~



 皆でお風呂を頂いた後、私はもう少し皆でお話するのかと思ったのだけれど……そのまま宛がわれた部屋へと案内されて、ベッドの上で休んでいた。前は眠れない夜だったけれど、今日はお菓子作りをしていた疲れもあってか、温まった体をベッドに投げているととても気持ちよくて。しばらくは乾ききらない髪をそのままに転がっていた。このまま眠ることが出来たらどれだけ気持ち良いことか。髪が跳ねる明日を想像できても、すぐに眠ってしまいたい気持ちはある。けれど。せっかく泊めて貰えて、時間も貰えたのだから、できることはしないとだ。寝間着姿ではあるのだけれど、襟を正してドアを少し開く。前に訪れた時と同じ様に、メイドの子が独り、部屋の前で椅子に座っていた。蝋燭の灯りを頼りに本を読んでいて。私に気が付くと、栞を挟みこちらを見上げた。

「何かご入用ですか?」
「話し相手をお願いしても良いかな?」
「勿論ですとも」

彼女は、前に話した子に比べれば少しだけ背が高かった。私の言葉ににっこりと笑って返すと蝋燭の炎を吹き消し本を畳んで。それから、飲み物が要るかどうかを尋ねてくれた。前は紅茶を頂いたけれど今は眠る前だからお茶は止めようかなって。そう考えている内にお酒を勧められて。とんとん拍子に一緒に飲むことになった。
 準備のお陰で彼女は中々戻ってこなかったけれど、しばらく部屋の中で待っているとノックの音が部屋に響いて。私の返事に彼女が入ってきた。

「お待たせしました」
「ううん。ありがとう」
「こういう事情があると私達も飲むことができまして」

ニッと笑って彼女がテーブルの上にグラス、ボトル、それにお皿を並べて行く。お皿には切りそろえられたチーズが載っていた。一番端っこだけ、ちょっといびつな形。お酒はワインだった。宴会の席では白も赤も貰うことがあるのだけれど、彼女が持ってきてくれたのは赤ワインだった。彼女がグラスに注いでくれて、しばらくはその色を眺めて。彼女が席に着くのを待っていると、急かしたつもりは無かったのだけれど、彼女はいそいそと準備を進めてくれた。
 彼女が落ち着いたところで、互いにグラスを持ち上げ、そして一口。普段飲むにしても、いつももう少しきついものを飲んでいることもあって、口当たりはいつもと同じくとても軽かった。宴会の席に持ち込んでくれるものも、ここで頂いているものも。相変わらず、ぼーっとしていると飲み過ぎてしまいそう。

「そういえば、お話を、ということでしたね」

彼女から切り出され、頷いて。私が彼女に尋ねたのはこの館で提供されるお菓子のことだった。この館ではどんなお菓子が彼女達に配られているのか。どういう風にお菓子の時間を迎えているのか。知らなければならなかった。この子達は昼働く子も居れば夜働く子も居て、それぞれの時間をそれぞれの仕事場所で過ごしている。フランドールとのお菓子作りのためではあるのだけれど、この、私の知らない事情というのが家では解決できなかったのだ。
 お酒を飲みながら、一つ一つ尋ねていくことにした。まず尋ねたのは、お菓子はどんなものが普段出ているのか。これはすごく素直にぽんぽんと口から飛び出した。

「焼き菓子が多いです。クッキーとか、ケーキとか。季節によってもちょっと変わったりして、冬だとあったかい飲み物とかも多いです。甘いチョコドリンクとか。一口で食べるチョコとか、キャンディが出ることもありますけど……多いという意味では最初に言ったものがたぶんそうかと。無い日も勿論あったりしますけど、そういう日はご飯がちょっと多かったりします」

最初は指折り数えていた彼女だったけれど、たぶん、細かく言うと多すぎるのだろう。途中から諦めて、その手でチーズを口に運んで。

「そうなんだ。他の季節も聞いて良いかな。例えば夏にかき氷とか作ったりする?」

私が追って尋ねれば、うんうんと頷きながら、続きを教えてくれた。

「ありましたねぇ。納涼会みたいな感じで。冷やした西瓜とか、今おっしゃったかき氷も……アイスクリームも出たことがあります」
「アイスかぁ。私あんまり食べる機会が無くてね。家じゃ食べられないし。山の河童さんあたりが作ってくれたりするんだけど」
「この館でも基本的にパチュリー様と咲夜さん頼りです」
「そうよねぇ。秋はどうかしら」
「秋はハロウィーンが控えてますから。かぼちゃのお菓子って印象が強いです」
「お祝いとかしたりするの?」
「お祝いというか、ちっちゃなパーティみたいな感じです。納涼会とかそういうパーティとか。結構あるんですよ。一番大きいのは年末のパーティですけども」

前回、漬物を一緒に作った時も、咲夜さんやパチュリーさんの手助けを得ての作業だったけれど、たぶんきっと次もそうなるだろうと思って。かき氷はお家でずっと温めていた考えの一つだった。氷さえ作って貰えればあとは単純な作業だし、あまりお菓子作りという感じこそしないものの、そこがかえって門の子達にも食べて貰える切欠になるんじゃないかと、そう思ったからだ。秋には近くから落ち葉を集めれば焼き芋もできるだろうし、そこに関しては私や姉さんは自信がある。

「そうなんだ。そう言えば、貴女達って昼に働く子も居れば夜に働く子も居ると思うんだけど、そこはどうしてるの?」
「パーティのときは次の日をお休みにしちゃうんです。お休みといっても、本当に最低限必要なことくらいはしますけども」
「うーん。じゃあ普段はどうなのかな。普段はどういう風におやつを?」
「あー。働く時間で分かれるか、ということでしょうか。えっと、基本的には日勤の子達のおやつは、お昼過ぎですね。夜勤の子はお夕飯のタイミングで一緒に貰ったりもします。その場で食べるか、それともちょっと置いてから食べるか、というのはある程度個人の自由みたいなところがありますけど」

だから問題になるのは、この子達の時間だ。かき氷はお腹は冷えることこそあれど、溜まるものじゃない。これについては作るのをそれぞれの時間で頑張ればなんとかなるだろう。たぶんかき氷について問題になるのは削る手が持つかどうかということくらい。そこは河城さんのところと相談しようかなと思ってる。問題は秋だ。焼き芋はそこそこ、お腹に溜まるのだ。私は結構食べる方だろうと思うけど、この子達皆がそうとは限らない。焼き芋が一つでも場合によっては夕食に影響するだろう。お昼の子は昼食と夕食の間にやるとして、問題は夜に働く子達の分だ。昼働く子達が寝始める時間から外でたき火というのも……もしも万事上手く行って賑やかになったら、それはそれで困るだろう。たぶんこの辺りのことは後で改めて咲夜さんに相談しないと解決しそうにない。

「そっか。えっとね、今度またフランドールさんと一緒に何か作ろうと思ってるの。お菓子になるか料理になるかは分からないけど。……その参考にね」

彼女が私の言葉に何度も大きく頷いて。ホッとした様に笑うと、

「そうなのでしたか」

そう言って、上を向いて遠くを眺めながら、私達が帰ってからのことを語ってくれた。あの漬物は、あれからも何度か食卓に並んだらしい。前と同じ様に、個人の希望で選べるようにしたそうだ。厨房の担当じゃないから詳しいことまでは分からないみたいだけれど、食べてくれる子はそれなりに多かったみたいだ。最初に出したあの日、食べてくれた皆は普通だったと言っていたらしいから、そこが助けになっている部分もきっとあったんだと思う。でも、門の子達に食べる子が増えたのかどうかは、この子には分からないみたいだった。
 ついでとばかりに、どういうものなら喜んでみんな食べて貰えるだろうか、と。そう尋ねてみた。私にとって難しいその問題は、この子にはもっと難しいみたいだった。この子はフランドールがしたことを私の何倍も知っているからなのだと思う。

「私個人の意見になっちゃうんですけど」
「ええ。それでも聞けたら嬉しいな」
「私は、前のあのお漬物みたいな感じで良いと思うんです。仲の良い子が門に居るんですけど、あっちも今、結構悩んでるみたいで。……何と言いましょうか。今までは妹様に怯えていた皆なんですけど、最近は変わりつつ館の雰囲気にも怯えている様に見えるんです。雰囲気が明るい方向に変わること自体は私も、あっちの子達も良いと思ってるんですけど、その速さにあっちの皆は心がついていけてないみたいで。だからまだ、時間と選択の余地はちゃんと用意したほうが良いんじゃないかなって。そう思います」
「うん。そこは私、まったく事情を知らないから気を付けないとって思ってる」
「良かったです。……ああ、その。どう出して貰えたら、ということに関してはそうなんですけど。どういうもの、ということなら。たぶんどんなお菓子もみんな喜びますよ」

私の返事に彼女が取り繕うように続け、笑う。ああ、困らせてしまったかなって。そう分かってしまって、ちょっと胸が痛い。でもこれは大事なことだ。今の私達が絶対に踏み越えてはいけない線が、必ずどこかにある。その時被害が出るのは私の所じゃない。……それだけは、忘れるわけにはいかない。

「そっか。やっぱり聞いておいて良かった」
「いえいえ。……お注ぎしますね」
「うん。ありがとう」



~~



 お嬢様やお客様達と一緒に上でお風呂を頂いた後、お嬢様はまた明日話そうと切り出して、私と一緒にすぐ部屋に戻った。

「もう少しお話を楽しんで来るものと思ってました」

部屋に戻った後、お嬢様はベッドに寝転がって。私はテーブルの上に避けていたメモを片付けてからその横にお邪魔した。

「うん。……話したいんだけどさ、お風呂の後だから。この部屋に来るとお姉さんの体が冷えちゃうし、私が上に居ると、落ち着かない子も出ると思うから。お姉さん達とはこれっきりしか話せない訳じゃなくなったんだし、やりたい気持ちはあってもそこは抑えないとって。それに、ほら。こうやって二人じゃないとできないこともあるし」
「……しちゃいます?」

お嬢様の言葉に小さな声で返せば、お嬢様は顔を赤くして……ちょっとだけ首を横に振った。

「あの。チョコ、貰ってるから。二人で食べようかなって」

たどたどしい返事に、途端に恥ずかしくなる。どうやらかなり酷い勘違いをしてしまったみたいで。思わず近くにあった枕を引っ張って顔を隠した。お嬢様がくすくすと笑って、そっと背中に抱き着いてきて。

「……する?」

と。とても小さな追い打ちを耳元で囁いた。言った後で背中が温かくなったから、たぶんお嬢様も恥ずかしかったんだろうと思う。

「でもまずはチョコを一緒に食べたいな」

少しして、また小さな声で助け舟を出してくれて。私は枕を置いてちょっとだけ顔を叩くと、いそいそとお嬢様の腕の中から抜け出した。
 お嬢様の元に持って戻ってきたオレンジ色の箱。お嬢様が膝の上に置いて、リボンを解いていく。中に入っていたのは……四つのチョコだった。ホワイトチョコで模様付けをした、少し大きなチョコ。これはお客様からお嬢様へ、ということだったけれど。何となく……これは、私達宛に贈られたものなのかもしれない。
 それぞれが示していたものは、とても分かりやすかった。一つは雪だるま。私やお嬢様が作ったものに比べると、少し頭が大きい。一つは向日葵。茎から下はないけれど、大きく咲いたそのお花。一つはさくらの花。ちょっとホワイトチョコが多めで……持ってくる間に箱の中で揺れたのか、花びらが一枚、落ちそうになっている。最後の一つは何も模様はないけれど、たぶん、もみじ。それぞれの季節から、一つずつ選んできたようだ。
 私にとっても、この館の皆にとっても。その季節が訪れれば当たり前に見ることのできるそれ。けれど、お嬢様は別だ。冬の雪は一緒に楽しむことができたけれど、他はまだ。

「お花かな……あれ、でもこれは雪だるまだね」
「季節のものを一つずつ象ったみたいです。けどほら、冬は花がないですから」

私には季節のものに映り、お嬢様にはお花に映る。これが今のお嬢様だ。いつかはたぶん、一目で季節のものと思ってくれるようになるのだけれど……そこまで頑張って支えるのは私の役目だ。でも叶うなら。より早く。一年でも早く。こういうものを一緒に、眺めに行きたい。同じ景色を、もっともっと持ちたい。

「どれを食べよっか」
「私はこの雪だるま、頂いて良いですか?」
「じゃあ私はこれ貰うね」
「それは、桜ですね」

私の返事にお嬢様が雪だるまを差し出して口に運ぶ。この館で出るものよりは少しだけ甘さ控えめのミルクチョコ。溶けていくのを味わいたかったけれど、私はゆっくりと噛み砕き、飲み込んだ。なんとなく、お嬢様が自分で口に運んでしまう前に。さくらの話をしたかったからだ。……決して私も詳しい訳じゃないけれど。でも知っているものだったから。どういうものなのか、いつ頃咲くものなのか。どういう景色で視界が埋まるのか。頑張って、少しでも楽しんで貰えるように話していった。お嬢様も本のお陰で存在は知っていて、私の言葉に頷いて返しながら、持っている小さな期待を語ってくれた。

「凄く綺麗なんだってね」
「ええ。一本の木でもとても綺麗ですけど、沢山咲いているとまるで違う世界に来たみたいな感じになれるかもしれないです。昼の桜も綺麗ですけど、夜の明かりの中でも綺麗で。緩い風の中にはらりはらりと花びらを落としながら散っていくのもまた……いつか、お菓子とか持って、一緒に見に行けたらなって思ってます」
「良い所、ある?」
「ありますとも。ただ、桜の綺麗な場所は満開のときはその。凄く人気ですから。……うぅ、頑張って静かな場所が取れたらいいんですけど。そこはちょっと、自信が無くて」
「それだけ、綺麗なんだね」
「はい。……じゃあ、お嬢様も。あーん」

チョコを手に取り、口に運ぶ。結局、花びらの一つは取れてしまって。それはお嬢様が拾って、また食べさせて貰った。
 もみじも、そして向日葵も。一つ一つ、何か話題を探して伝えて行った。この二つは私もよく知っているけれど、説明するのはとても難しかった。向日葵は昼と夜とでは本当に見え方が違う。もみじだってそう。レミリアお嬢様は準備をしてお昼にでかけることはあるけれど、お嬢様がそれをできるようになるのはもっともっと外に出ることに慣れて、危険な場所がしっかりと分かってからのこと。……今私が伝えられることを実感して貰えるのは、とても遠い先のことになるのかもしれない。
 口の中で溶けていくのを気持ちよさそうに味わうお嬢様をベッドに横たえ、傍のチェストに空っぽの箱を避難して。一つ残して部屋の明かりを消して回る。ベッドまで戻ってくると、お嬢様はこくんと音を立ててチョコを飲み込み、私の方に振り向いて呟いた。

「お返し、何を作ったらいいのかな」
「何でも良いのです……と、言いたいところですけど。せっかくだから、今度咲夜さんに教わって、何か作ってみましょうか」
「うん。でも、できたら。貴女が教えてくれるとうれしいな。ほら、二人で食べたし」
「それなら。……私はあんまり、できない方なんですけど。頑張りますとも」

うん、と。お嬢様がゆっくりと頷いて。私がベッドに潜りなおすと、体を寄せて私を見つめた。……何となく、言いたいことは伝わってくる。私はさっき、返事をしなかったから。今からの時間をどう振舞えば良いのか。それが悩ましいんだと思う。お嬢様を困らせるのが好きなわけじゃないんだけど、この笑顔の中にちょっとだけ、恥ずかしくも困った感じが見え隠れするのは……見ていてとても楽しく、そして、嬉しくて。私も顔を近づけると、そっと互いの額を重ねた。お嬢様が目を閉じて、私も目を閉じる。同じ温かさを何度も分け合ってきたお陰で、額も鼻も擦りあえば互いの唇が今どこにあるのか、ちょっと意識するだけですぐ分かってしまう。それはお嬢様も同じみたいで、触れるぎりぎりの所まで近づけると、また少し温かくなった。
 お嬢様の手が私の体に触れ、ゆっくりと背中に回っていく。

「……して、いい?」

お嬢様が囁いた。

「くださいな」

安堵の吐息が肌を撫で、少し鼻先が擦れると、すぐに唇が温かく包まれた。しっとりとした唇。顔を出した熱い舌。そして広がる、チョコの味。最近あまり馴染みの無い苦味が口の中に広がって……どうやらあのチョコは一つ一つ甘さが違ったみたいだ。私に苦いのなら、今のお嬢様には甘く感じて貰えているだろうか。私も舌先を重ねに行くとぴくっと体を震わせて、けれども吐息は少し楽しそうになって。一呼吸もしないうちにお嬢様の手が私の手に重なった。指先を柔らかく捕まえられて、少しだけ鼻先にかかる重さが増して。私も応じて舌で押し返すと、柔らかな唇がまたそれを包んで……。
 激しく求められるのもすごく気持ちが良いけれど、こうしてゆったり求められるのは心地が良い。口は言葉を紡ぐけれど、唇は音にしなくても気持ちを教えてくれる。激しさに任せて気持ちを伝えるのも良いけれど、こうしてゆったりしていると、こうしたいな、こうして欲しいなって。そういうものが一つ一つ伝わってくる。それに応えるのも楽しいし、応えないのも……やっぱり楽しい。
 静かなキスを、ほろ苦さが薄れてしまうまで楽しんだ後で、お嬢様の瞳がじっと私を覗き込んだ。

「あのね。その。今日は我慢できないとか、そういうのはない?」
「いえ。大丈夫ですよ。やっぱり、疲れてましたか?」
「う、ううん。そうじゃなくて。えっと、疲れはあるんだけど……時間、せっかくあるんだったら。もっともっと、貴女のことを感じていたいなって」
「勿論ですとも。……もし我慢できなかったのなら、どうされるつもりだったんです?」
「その時は喜んでもらえるように頑張る、かな。でもね、今日はその。甘えたいなって。いつも甘えさせて貰ってるけど、もっと、もっと」

私の手を持ち上げ、頬に押し当てて。

「貴女の温かさに、包まれていたい」

そう、囁かれた。
 そのまま手で導かれるがままに、お嬢様の衣服を毛布の中でゆっくりと脱がしていく。あんなことを囁いてきた割に、お嬢様の体は私より温かかった。手持無沙汰になってしまった手は、上の衣類を脱いでしまった後は両手とも口元に添えて。少し降りた瞼の向こうでじっと瞳が私のことを見つめている。まばたきは一瞬だからこそその名前なのに、なんだか今のお嬢様のそれはとてもゆっくりしてて。再び瞳が私を見つけるまで、私もじっと見てしまっていた。お嬢様の服を脱がし終えて、私も衣服を脱いで。改めて体を向き合せ、ちょっと一息吐けば……その瞬間にはお嬢様の手が私の体に絡みついていた。

「お嬢様の方があったかいです」

くすぐったさと共にそう漏らせば、

「じゃあもっともっと、温かくしてほしいな」

私の羽の根元に指を添えて形を確かめる様に撫でながら、微笑んだ。
 言い終えた唇を塞ぎ、熱い舌先を捕まえて。余った手はしっとりとした肌に重ね、抱き寄せた。少し私が見上げる形にはなるけれど、ぎりぎりまで肌を近づけると、あまり大きくない私の胸の先がお嬢様のそれと丁度重なって。滑らかな肌とはまた違う、柔らかな主張が鼓動と一緒に伝わってくる。指や唇と違って、あんまり色んなことは胸の先では分からない。でも、互いの唇で遊ぶように胸の先でも真似て繰り返してみると……だんだんと、その柔らかさが変わっていくのは良く分かった。
 柔らかかったその感触がこりっとしたものになってくると、互いに擦れてじんとした感触が胸の内側を小さく走ってく。重ねれば重ねるほど、弾けば弾くほど段々とそれは大きくなるのだけれど、気持ちよくなるには物足りなくて、でも不思議と止められない。汗か、それとも違う何かなのか、少しずつぺとぺととして、それが余計に感触をはっきりさせて。何だかもどかしくなってきたところで、私は舌を解き、お嬢様に尋ねた。

「舌、もう少し伸ばして貰っても良いですか?」

口の中のものを飲み込みながら、お嬢様が頷いて。再び預けられた唇を受け止める。私の言葉が足りなかったのか、少し無理に伸ばしてくれているようで、ちょっとぴくぴくしてて。口の中にやってきた熱い塊を引き入れ、その表面を唇と舌でゆっくりと撫でていくと、嬉しそうとも恥ずかしそうともとれる温かな吐息が漏れて頬を流れていった。
 唇で食んでみたり、弱く歯で挟んでみたり。お嬢様の舌から疲れを感じた所でゆっくりと口を離すと、されるがままだった舌を引っ込ませて長い息を吐いて。そんなお嬢様の体の上をゆっくりと伝って、手で熱い太ももをそっと押し開いた。

「たまにはいつもと違うこと、してみましょうか」

普段は指で楽しんで貰っていた。乾いた手は擦れて少し痛いみたいだから指を舌先で濡らし、足の間でちっちゃくも主張するそれを撫で転がして。腰から背中をのぼって来る感覚を味わって、また私も味わわせて貰ってた。自分の手じゃないからか、それ以上に相手がお嬢様だからか、一人でするのに比べると何倍も抗えないその感覚。指ですら我慢できないそれは舌ならどうなるのだろうって、いつも思ってた。なかなか決心がつかず、させてもらっても良いか聞けなかったのだけど。思えば、この前はもう少し上のあたりをキスされたけど……たぶん。敏感なここにされてしまったら。私にはいろいろと耐えられなかったと思う。
 お願いは、できないけれど。でも、されてはみたい。そして、してみたくて。だから。

「どうか、楽にしててください」

まだ温かな胸、そしてお腹へと口づけて、そう伝えながらお嬢様の体を下へ下へと下っていく。お腹の辺りから見上げたお嬢様の顔は、不思議そうな表情だった。でも、何をするのかは足の間から顔を覗かせれば察してくれたみたいだ。暗い部屋ですら分かる。顔どころか首まで赤くし、息を飲んでいて。私は一度深呼吸し、そっと顔を埋めて。ゆっくりと口づけた。
 息が詰まる音が聞こえる。でもそれ以上に伝わってきたのは、頭をお嬢様の足が挟んだ感触だ。相変わらず、柔らかいふともも。すべすべで、これで私のも挟んでくれると凄く心地が良いのだけど……頭だと、なかなか窮屈だ。ふにぷにしてて気持ち良いのは確かなんだけど。それでも力は頑張って加減して貰っているようで、私が太ももを撫でると、ぶるぶるとしながらもゆっくりと足の力が抜けていった。

「強すぎましたか?」

まだ唇が触れただけだったけど、そう尋ねたらお嬢様は言葉に悩んで。恥ずかしそうな顔でしばらく固まった後、首を傾げながら

「優しくして、ほしいかな」

って。とても小さな声で教えてくれた。
 少しだけ唇を濡らして再び顔を下ろした。胸の先の様に小さく、一番敏感な部分は小さな屋根に守られているけれど、その上からでも舌の様に芯があるのが分かる。……お風呂の後だからか、息を吸い直せば石鹸と汗の匂いが混じって届いて、唇を押し付けてじっとしてみれば、持ち上げる様に唇の向こうで少し膨らんでいくのが分かった。刺激が強いんだってことは経験のない私にだって分かってたから、ゆっくり、ゆっくり。一番敏感な部分にだけは直接触れない様に、気を付けて口づけて行った。
 顔に当たる太ももの温かさ、聞こえてくるお嬢様の吐息。持ち上がる腰。かと思えばきゅっと力の入るお腹。いつも見ているものだけれど、見る位置が変わるとまた違って見えた。顔は横を向いて、目も閉じているけれど……意識は集中しているみたいで。唇が離れたり、また押し付ける度にその小さな顎が持ち上がったり下がったり。唇で頑張って捏ねてみると一度大きく体が跳ねて、かりかりとシーツを掻く音がすぐ傍から聞こえた。
 お腹は寒くありませんか。もう少し強くしても大丈夫ですか。と。そう問いかけてお嬢様には休んで貰いながら、唇と舌先をまた濡らして。返事を聞きながらまたゆっくりと口づけて。一息吸って私が少し唇を開くと、予想はついていたのか、お嬢様の体がきゅっと強張った。
 舌先を押し付ける。ぐっと体が反り返り、少し痛そうな程に背中に力が入って。上向く胸を見上げながら、薄い皮を剥いていく。顔に触れる足の力は少し強くなって、でも挟まないではいてくれて。指でするのとは違って完全に剥いてしまうことはできそうになかったけれど、これなら十分に楽しんで貰えそうで。私も目を閉じて一つ一つの反応を楽しみながら、ゆっくりと小さな肉の芽を愛でて行った。
 普段、お嬢様はあまり声を漏らさない。基本的には口を閉じて、漏れて聞こえるのは息の詰まる音だ。

「んっ」

でも今日はそれに鼻から抜ける声が混じっている。舌の動きに合わせて、耳に届いてくる。やがてそれがつらそうな物に変わり、顔に触れていた足はだんだんと纏わりつくようになって。そして一際大きく息を詰まらせると、体を大きく震わせた。顔を押し付けてはいたけれど、それでも唇が離れそうになって……しがみついて、そのままに舌を押し付けていく。一度、お嬢様の手が私の髪に触れ、ぎゅっと頭を押し返そうとしたけれど、舌で思い切り捏ねまわしてみればすぐにその手も口元へと飛んで行った。
 何度も、何度も体を跳ねさせて。漏れる吐息に疲れが混じり始めた頃、ゆっくりと唇を離した。押し付けていたそれはぴんと姿を見せ、周りのお肉ごとぴくぴくしてて。そっと息を吹きかけると、またびくびくと体を震わせていた。お嬢様の体の上を這って上がり、丸まりつつあった体を抱きしめる。……流石に肌は少し冷えてしまったみたいだ。でも、芯の部分には熱が籠っていたのか、抱いているとすぐに温かくなって。

「……たまにはああいうのも、どうでしょうか」

そう小さな頭に呟けば、少ししてお嬢様が頷いた。
 疲れてしまった舌を口の中で休ませながら、甘えたいと言っていたお嬢様を胸の中に抱き留めて。また何か求めてくれるのなら、その時に改めて応えようって。そう思いながら背中の羽を撫で、未だに弱い余韻の中に居るお嬢様の様子を見守った。普段のものに比べればやっぱり刺激が強すぎたみたいで、しばらくはこっちに戻ってくる様子は無かった。
 胸元に触れていた湿っぽい吐息が身じろぎと共に止み、お嬢様が顔をあげた。私と視線が重なると、少し戸惑った様子で……顔を赤くした。

「物足りなかったです?」

そう囁くと、顔をぶんぶんと振って、

「ううん。……気持ちよかったけど。ああするって思わなかったんだもん。……恥ずかしかった」
「まぁ、見てるの私だけですから」
「……今度、少しだけでも同じ気持ちを味わってもらおっかな」

そう言ってまたお嬢様が胸に顔を預けて。……お客さんがいらっしゃるからだろうか。この様子だと、もうお休みになられそうだ。

「その時は、私にも甘えさせてくれますか?」
「……甘えるのは、いつでもいいよ」



~~



 館の中の見回りが終わり、少しだけ外の風に当たった後、自分の部屋へと戻ってきた。あまり時間を止めて回った覚えは無かったのだけれど、お風呂の後にお嬢様達がすぐに部屋に戻ってしまったこともあってか、手持ちの時計を見てみればいつもよりも随分と早く自分の部屋に戻って来た様だった。明日の事を考えれば今からサラミを仕込みに行っても良いのだけれど……どうせ朝でも間に合うことだ。料理をする直前に窯のチェックをすることを考えれば、厨房の皆がそろう前に一緒に片付けてしまう方が良いだろう。……となると。今しておかなければならないことはとりあえず無さそうで。だから寝てしまおうと、いそいそと服を着替えベッドへと潜り込んだ。
 枕に頭を預けてはみたけれど、時間が時間だから眠気はほとんど無くて。何となしにここしばらくのことを思い返していた。気になることは色々ある。まずはお嬢様の考えごと。皆への支援策を考えているみたいだけれど、一体どういう方針にするのだろうか。私にあまり負担をかけたくないという様子だったけれど……私だってあの子達をもっと労いたい。気遣ってくれることは勿論嬉しいのだけれど……なんとも。どういう気持ちで考えているのかは分かってしまうだけに、言い出せないことがちょっと歯痒い。
 他には図書館のあの子のこと。パチュリー様も、そしてあの子も大丈夫と言っているからそれを信じてる。けれど、そもそもの原因は私が参加したあの実験だった。風邪ではなく、過労とも少し違う、例えるならば体力という水分を絞り切ったスポンジというか、乾いた砂の人形というか。……普段のあの子がそれとは全く縁のなさそうな性格をしているから、凄く心配になってしまう。最初に気づいたのは彼女のことを好きな給仕のあの子だったみたいだけれど、私は本当に兆候を見ていなかったのだろうか。何か見つけられていたら、少なくともあそこまで酷くなることは無かったんじゃないかって。そう思えてしまって。……自分が情けなく思う。そして、彼女に関する心配ごとはそれだけじゃない。彼女は、気にしていたのだ。それは、このベッドで共に夜を過ごしたあの子のこと。
 一緒の感覚だったということに興味を持っていた。一緒の、感覚。……ひょっとして、あの子も同じ様な力があるのだろうか。私はあまりそういうことには詳しくないけれど、あの子は随分と小柄だ。体力はあの子の方があるかもしれないけれど、妖精の皆と比べれば際立って元気な子という訳でもない。彼女の好意でいつも抱きしめて貰っていたけれど、本当はその陰で体に負担をかけてしまっていたのだろうか。
 結局の所、詳しくないから分からない。私にも同じことができたら分かったことだったのかもしれない。けれど、たぶん。私にもできるのだとしても、教えて貰えることは無いのだろうと思う。率直に断られるか、それとも遠回しに断られるのか。そこまでは分からないけれど、断られることだけは何となく分かってしまう。……やっぱりそれも、色んな気持ちがあってのことなんだと思うけど。歯痒い。
 複雑な気分だ。この悩みそのものが杞憂であって欲しいと思う。でもその一方で、私が考えたようにあの子のそれが実験したあれと同じ性質のものだったとしたら。たぶん、あの子はリスクを分かった上でしているのだろうと、そう思うのだ。
 私がもし、あの子の立場だったら。どうだろう。私はその力を行使しないで居られるのだろうか。そしてそれについて、誰かに口を挟まれたいだろうか。好意の示し方というのは、皆がそれぞれ持って選んでいるもののはずだ。決められた、これでないといけないという形は無い。それぞれが想い、悩み、考えて。それで選んだ方法のはずで。……たぶん、私なら。その好意の示し方に口を出されたくはない。

「自分がされて嫌なことを、してしまうのはどうなんだろう」

浮かんだ言葉を呟き、漏れたため息を吐ききって。まだ明るさが見えるカーテンの方を見つめじっとしていると……間が良いのか、それとも悪いのか。以前も聞いた調子のノックが部屋に響いた。
 彼女だった。返事をすれば、廊下の様子を注意深く確かめつつ、彼女が入ってきた。手に持つものも、前と同じ。

「何か、考え事をされてたのですか?」

出来る限り普段の顔を心掛けたのだけれど、彼女は鋭くて。かけられた言葉に頷いた。彼女はしばらく私の顔を見つめた後、

「……今夜はご一緒しては駄目でしたか?」

と。寂しそうに、でも悪戯っぽく呟いて。静かに私のベッドの横まで来ると、私のベッドに腰を下ろした。

「大丈夫よ。ちょっと心配事があったから。顔に出ちゃってた?」
「何となく、ですけど。そんな感じだったので」
「そう。貴女だったから気が緩んじゃったのかもね」

冗談めかして笑うと、彼女はすっと立ち上がって着替え始めて。私はベッドの中で少しだけ端により、その後ろ姿を眺めてた。お風呂を浴びてからは結構な時間が経っている様で、髪は僅かな光でも綺麗に拾って返していたけれど、濡れている様子はない。きっとお客様達が入るよりも前に浴びていたのだろう。
 着替え終えてベッドに入ってくると、彼女は一度ぶるりと体を震わせたあと、私の目をじっと見つめた。時間はとても短かったと思う。一呼吸、二呼吸あったかという位だった。そこまで隠し事が下手なつもりは無いのだけれど、それでも何かが私の顔から出ていたみたいで、

「私がまた、相談に乗れそうなことですか?」

と。小さな声で彼女は囁いた。……一瞬、悩んでしまって。また何か察した彼女は、

「ひょっとして私のことでしょうか」

そう言って私の手を拾った。着替えたばかりで少し冷たい手。でも柔らかくて、両手に包み込まれてみるとすぐに温かくなって。ああ、もう。たぶん隠しきれないんだなって。そう思ってまた、頷いた。彼女も、やっぱり頷いていた。

「正直に言うから、正直に答えてくれると嬉しいんだけど」
「私にこたえられることなら」
「最近会うとき、ぎゅっとしてくれるじゃない。凄く嬉しくて、心地よくて。あんまり色んなことを考えられなくなるけれど、凄く幸せな時間で。比喩じゃなく、本当に元気を分けて貰ってるみたい。だから、こうやって会うのはいつも楽しみにしてるの。……でもね、ふと思ったの」
「もしかして私の体のこと、ですか?」

普段の感謝を伝えながら、どう切り出すかを考えながら話していると、彼女が遮った。やっぱり彼女は、勘が良いみたいだ。でも、一言目からその言葉は……ちょっとだけ胸に刺さるものがあった。

「魔法とか、そういうのは専門じゃないから分からないんだけど。どこかで貴女の体に負担がかかってないかなって」

私の言葉に彼女が俯いて。それから目を閉じて。ゆっくりと、頷いた。

「正直、ずっと気づかれないと思ったんですけど。……咲夜さん、鋭いですね」
「たぶん、気づかなかったと思う。少し前に図書館の二人の実験に付き合ったんだけど、その時に得られた感覚とそっくりだったから。……そして今、パチュリー様についているあの子が、その実験の結果として体調を崩してしまっているから。だから、不安になってしまって」

そうでしたか。と。彼女は小さな声で呟いて、それから私に体を寄せた。話の内容のせいか一瞬身構えてしまって。彼女は私の背中に手をまわすと、胸に顔を埋めた。……少し、体が強張っている。

「こたえて欲しいの。無理、してたの?」
「それははっきり答えましょう。そんなつもりは、無いです」
「うん。その言葉、信じる。もう少し、お話を聞いて貰っていいかしら。……私は、貴女がそうしてくれることは嬉しいの。貴女の優しさだから。貴女がリスクを分かっているのなら、それでいい。もしも同じ様な力が私にもあったら、私も貴女にそうしていたと思うから。だから、一つだけ。約束はしなくても良い。でも、覚えてて欲しい。そういう力を使った結果だとしても、そうじゃないまた別の原因だったとしても。体や心に無理が来た時は、教えて欲しいの。私ができることは本当は少ないかもしれない。でも、どうか。頼ってほしい」

思っていることを、一つ一つ。口に出す前に心の中で確かめながら伝えて。頭の中に浮かんでいたことを全部伝えた後で、彼女を抱きしめた。

「怒られるのかと、思ってました」

不安だったみたいだ。それは私自身にも言えたこと。

「私ね、皆から気にされてることがあるの。無理してるんじゃないか、とか。ちゃんと休めてないんじゃないか、とか。そういうことをね。もう、ずっと。でも、皆から見えないだけで、私だってちゃんと休んでる。私は、私が持ってる力の限界とか、できないこととか。私なりに分かっているつもり。そういうのと同じことじゃないかしら」
「これからも、したいときはしても良いですか?」
「うん。気持ち良いし。それに、素敵な力だもの。羨ましいくらい。ただ、無理はしないでね」
「……約束します」

決して責めたいのではない。止めたいのとも違う。……これからも安心して腕の中に居たい。それが伝わってくれれば、それで良い。私も、私の好意がそのまま伝わってくれればって思うから。
 上手く伝わったかは分からないけれど、彼女自身が分かって使っていたことを知って安心したからだろうか、一度深呼吸をしたらついでに欠伸まで出てしまって。彼女にも聞こえてしまったのか、胸元で少しだけ笑うような声がした後、彼女もあまり身じろぎしなくなった。本当は、何かしたいこととか話したいことがあってこの部屋を訪れてくれたのだろうけれど……言い出しづらくさせてしまったようだ。

「一つ。全く関係ないことなんだけど、聞いて良いかしら。目を閉じて、耳を澄ませてみて。貴女には何が聞こえる?」
「落ち着いた咲夜さんの音」
「他には?」
「欠伸」
「そう。ごめんね、安心したら漏れちゃって」

隣の部屋はお嬢様の部屋なのだけれど……私にも聞こえていない、そしてこの子にも聞こえていないのなら。声を抑えていれば廊下に耳の良い子が居ない限りはきっと隠していられるのだろう。ちょっと、図書館のあの子が羨ましい。大きい声を出したいという訳じゃないけれど、抑えなくても大丈夫っていうのはとても良いことのように思える。妖精の子達が緊急で来た時に困るだろうから、お願いすることはできないんだけど。

「私も貴女の音、聞きたいな。眠るときには貴女の胸を借りて良い?」

そう囁くと彼女が胸から顔を上げ、複雑な顔をして。ゆっくりと腕を解いたかと思うと、その両手を私の方に突き出した。あの中に飛び込んだらたぶんとても気持ちが良いのだろうけど、まだもう少し私も起きていたい。

「ごめんね。欠伸しちゃったけど、もう少し貴女との時間が欲しいの。……できるなら。キスしたいな」
「じゃあ私も。なんとなく寂しいので、あたためてください」

顔を近づけて目を閉じれば、彼女がこくりと口の中のものを飲み込んで。温かい吐息が、唇を撫でて行った。



~~



 一緒に飲んでいた妖精の子は、お酒が強かった。私も弱い訳ではないと思うのだけれど、あまり飲みなれていないお酒ということもあってか、お酒の瓶が空になるころには首から上がぽーっと熱かった。最後には薪の組み方を話していた位に話題は飛び火に飛び火を重ねたのだけれど、空のボトルを振って、まだ飲まれますかと言っていた時もけろりとした様子だった。結局彼女は空の瓶を二つとグラスを携えてドアの向こうへと帰って行ってしまったのだけど……今になって思えば、水差しのお水を補充して貰うんだったなって。緩く左まわりに回る天井を腰かけたベッドから眺めて思った。二日酔いは……したくないなぁ。しないと思うけど、突然押しかけて泊めて貰ったうえで二日酔いは立場が無い。
 時間は……良いころだ。少し夜更かししてしまったかなと思うくらい。ここ数日は変な時間に寝たりしていないから、ゆっくり眠ることができるだろう。……でもその前に。火照った体をベッドの上で転がした。体は熱くても室温は高くなかったお陰もあって、ベッドはひんやりしてて気持ちが良い。その感触が無くなって来ても、一度寝返りすればまたすぐに冷えて行って。あまり転がり続けると気持ち悪くなるだろうからしなかったけど……心配事を抱えず、のんびりとこのベッドを利用できることのありがたみは本当によく感じることができた。
 フランドールは眠ってしまっただろうか。チョコは、食べたのだろうか。お酒入りで作って、そして持ってきてから初めて、そもそもお酒を入れて果たして良かったのかどうかと気づいたけれど……もしも明日の朝まだ食べていないようだったら、伝えておくべきなのかもしれない。でも何となく、もう駄目な気はしてる。あの子も、お世話をする子も。人のことを頑張って考えるから。私が明日お酒入りだったことを伝える前に、チョコの感想やお礼をくれそうな、そんな気がするんだ。
 チョコ。チョコは、考えたのだ。一緒に作るお菓子として。以前お漬物を作っていた時も、すぐ隣で咲夜さん達が作っていたから。でも、まだしばらくは作らないことにした。チョコは人気のあるお菓子ではあるのだけれど、今出来上がっている風習もあって、ただのお菓子ではなくなってしまった。色んな意味が含まれてしまう。変な気負いが食べる子達に生まれては困るのだ。あの子の今後のことを考えたら、石橋でも叩いて渡るに越したことは無かった。ただ。お世話をしてくれている彼女への贈り物を何か作れるようになれたら、とは考えているはずで……そこはまだ、良い案が浮かんではいないのだけれど、何かしてあげられたらって。そう、思う。
 だんだんとやってきた瞼の重みに、ベッドの中へと潜り込んで。欠伸混じりに瞼を下ろせば、残っていたワインの匂いがふっと舞って行った。

 この館での朝、というのは中々味わえないものがある。元気な鳥の鳴き声が窓の外から聞こえるのは山と同じだけれど、ここはそれに加えて賑やかさがある。妖精の子達の声なのだろう。とても小さな声が入り混じって、まるで擦れる風の音の様に届く。何を言っているかは耳を澄ませても分からないけれど、明るい雰囲気ということだけは良く分かった。
 頭は、少し重い。でも、景色が回ってはいなかった。着替えだけは済ませ、ベッドの上でそのまま休ませて貰って。昨夜聞いた話を思い返していた。門の子達が焦らない様に、時間を取ってほしい。と。そう言われたけれど……私はそこを、どう判断していけばいいのだろう。ここに来るまでは、門の子達にも昨日のあの子の様にお話をできたらと考えていたのだけれど、一旦は諦めておくべきなのだろう。もしそれが叶うときが来ても、一度美鈴さんと相談したほうが良いのかもしれない。やがて部屋にお使いの子がやって来て。朝ごはんの準備ができたことを教えてくれた。起きて鏡を見直し、廊下に出て。遠くに賑やかさを感じる廊下を進む。晴れていて風も無い様だが、カーテンのお陰で廊下は少し暗かった。
 食堂へはどうやら私が一番乗りの様だった。まだ料理は運ばれてきていないけれど、咲夜さんがこの部屋で準備でもしていたのか、チーズの匂いが少し残っている。スプーンが用意されてもいたから、きっと和食ではないのだろう。椅子に腰を下ろしてしばらく待っていると、三つの足音が段々と近づいてきて。やって来たのは、フランドールとお世話係の子。そして咲夜さんだった。

「おはようございます」

私が口にするよりも早く、フランドールがそう言って。

「おはよう」
「おはようございます」
「おはようございます。朝食はもう少々お待ちください」

私と、お世話係の子、そして咲夜さんが続いて。咲夜さんはそう言ってしまうと、すぐにふっと居なくなってしまった。恐らくはもう一人の主人の所へと向かったのだろう。

「チョコ、美味しかったです」
「私も頂きました。とても美味しかったです」

席についてすぐ、ああやっぱりとばかりに彼女たちがチョコの話題を持ち出した。どうやらお酒入りでも大丈夫だったようだ。けれど、少し彼女たちにはお酒が強かったのかもしれない。二人とも見た感じ寝起きすぐという様子で、寝癖は無いものの、少し瞼が重たそう。今後の参考にと尋ねてみれば、どうやらお酒入りだったことに気づいていなかった様で、ただ、何か思う所はあったのか、お世話をする子の方は合点が行ったという感じに頷いていた。どうやら過去にもお酒入りのお菓子を食べたことがある様で、

「風味は違ったんですけど、言われてみればそんな感じでした」

と。そう言っていた。

「二人はお酒、飲まないの?」
「えっと、うん。私はもっともっと周りのことが落ち着くまでは抑えようかなって」
「私はパーティの時に少し頂きますけど、普段はお嬢様と一緒の食事をしてますので」
「そうだったんだ。私はその。神社の宴会に良く行ってるんだけど、貴女のお姉さんや咲夜さんがいつもワインを持ってきてるから、飲むのかなって思ってた。昨日の夜もここの子とお話するときに頂いて。そっか。次からは気を付ける」
「うんと、その。自分からは飲まないだけで、あの。贈り物は、大丈夫だよ?」
「ん、うん。だから、貴女が飲めるようになったら。その時にまた改めてお酒入りにしようかな」
「……ありがとう」

私の配慮不足だ。こういう明るい雰囲気のままに会話を流せればいいけれど、門の子達が絡むことに関して同じ失敗をしないように気を付けないと。
 それからすぐ、また足音が聞こえて来て。次にやって来たのはレミリアと姉さんだった。

「おはよう」
「おはようございます」
「おはよう。お待たせしてごめんなさい」

どうやら姉さんを迎えに行ってもくれたようだ。食卓が全員埋まると十六夜さんが頷いて、すぐに料理が現れた。テーブルの中央にはドンと大きなピザが二枚。そして目の前には澄んだ褐色のスープ。……色んな匂いが混ざってた。焼いたばかりでまだ気泡の見えるチーズ、それに埋もれて燻る焼けた玉ねぎ。手元のスープは湯気と共に舞う柔らかい匂いだけれど、目を閉じてみれば肉の焼ける小さな音と香りが今もまだ残っていた。ピザ。食べるのはとても久しぶり……もとい、家では中々作れない。焼く場所はグラタンを二人分作る程の広さはあるのだけれど、ピザを作ることを考えるとどうしても枚数と大きさに制限がかかってしまうのだ。中くらいのものが一枚がやっと、という所だろうか。二枚目は作っている間に一枚目が冷めてしまう。
 いただきますの声と共に、皆で手を伸ばした。既に切れ目は入っていて……どういうコツがあるのかは分からないが、綺麗に五切れにそれぞれ切られていた。お家では六つに切り分けていたから、一つ取ってみるととても大きく、そして重かった。
 その最初の一口を食べたのは、姉さんだった。私は乾いた喉を潤したくて、ピザを手元に確保した後はスープを貰っていた。何となく自覚はしているが、私達は猫舌というものにあまり縁が無いから、こういうのはいつも先になってしまう。温かい内、固まらない内に食べてしまうのが美味しい料理も多いからか、よく羨ましがられるけれど……本当は周りが手を出していないうちに口をつけるのも少し恥ずかしかったりする。

「昨日はゆっくり眠れたかい?」

私が食べ始めて少しして、レミリアが口を開いた。

「おかげさまでとても良く。心配ごとが無かったのも大きいんだと思いますけど」
「そうか。それは何よりだね。そういえば、お姉さんから貴女は踊れるって聞いたんだけど」

そういえば昨日は家からドレスを持ち出してきたんだっけ。

「一応習ってはいたのですが、その。あまり上手くはないです。習いこそすれ、そういう場以外で踊る機会があまり無かったですから」
「良く分かる。定期的に踊らないと動けなくなるね。……今後もしもパーティを開くときに貴女達二人を呼ぶことが出来たらって考えている。勿論色んなことが落ち着いた後になるだろうけど、その時には料理以外にも楽しむものができるかなって。そう思ってね」
「……私は踊れないんですけど」

レミリアの誘いに姉さんが恥ずかしそうに小声で告げて。フランドールが私も、と。小さな声で続けた。

「じゃあ私は静葉さんに手解きかな。貴女はフランに教えてくれないかしら」
「私で良いんですか?」
「完璧を求めるものじゃないよ。楽しむ為の物だから」

笑いながらレミリアが答え、

「私からもお願いします」

そう言ってフランドールが続ける。そう言われてしまったら、断る訳にはいかない。……そしてたぶん、フランドールだけじゃなく、お世話係の子にも教えることになりそうだ。彼女と一番踊りたいのはこの子なのだろうから。あの地下室は……その名前の割には綺麗な所だけれど、床に全く凹凸が無い訳ではなかった。部屋の暗さも考えれば、足元はあんまり見えないはずで。足運びがゆったりとしたものなら喜んでもらえるだろうか。

「まあ、気楽に考えておくれ。もっとも、まず音楽のために幽霊姉妹が雇えたら、というのがあるから……確約はできないんだがね」

私が頷くと、姉さん、そしてレミリア達が頷いていた。
 ピザは二枚あったけれど、不思議と一枚目に選んだものはみんな同じで。もう一枚、チーズととろっとした卵の方は姉さんの手が最初に伸び、私、フランドールに、その隣の小さな彼女が順々と取って行った。焼きたてという状態から少しだけ時間が経ったこともあってか、皆が取る時に少しだけ滑ったチーズはお皿に残ったそれらへと段々と積まれて行って。……最後の一枚は、レミリアがよいしょという声と共に持って行った。
 家ではピザに卵を乗せたことが無い。……というか、乗せようと思ったことが無かった。食べてみるとチーズと半熟の黄身がとろとろと口の中で合わさって美味しいのだけれど……家ではできる気がしない。ピザで半熟卵ってどうやるんだろう。きっと焼き上がり近くなってから追加するのだろうけれど、火加減の調節とか……たぶん色んな経験があってはじめてできる挑戦なんだろうと思う。
 ふと、温泉卵のことを思い出して。昨日、フランドールたちが温泉に興味を持っていたから話の種に出してみようかと思ったけれど、よくよく考えてみれば温泉卵ができそうな温泉は、少し山の中でも奥まった部分にあって気軽に入れる場所ではなかったことを思い出す。それでも麓の妖精の子がたまにひっそりと作っていたりするのを見たこともあるけど、フランドールとなると……できるようになったとしても、かなり先のお話になるだろう。

「この後はどうしようか」

ああだこうだと考えながら食べていると、レミリアが皆に尋ねた。そもそも泊まることを言い出したのは姉さんだから、姉さんに視線を送れば……何故か、少し眠そうで。丁度欠伸をしている所で目が合ってしまった。姉さんは私の顔をじっと見た後、

「あまり長居も申し訳ないですし、少し休ませて貰ったら失礼させていただこうかと」

そう、返していた。

「おや、そうか……。うん。まぁ、まだ朝早いから、少し外が温まるまで待つと良い」

少し、意外ではあった。ここしばらくの姉さんは口にこそしなかったけど、ずっとここに来たがっていた。同じ姉同士で気が合ったのか、帰ってからはレミリアのことを楽しそうに語ってたし、椛さんが来た時もまた、同じことをしてたから。独りで行くのは気恥ずかしかったみたいで、私がお菓子を作って持って行こうと言い出すと凄く嬉しそうにしてたくらいで。……昨日思い切り話すことができて満足したんだろうか。基本的にはお喋りが好きな所があるから、話題が尽きたという訳でもないと思うのだけど。……まぁ、姉さんがそれで良いなら、私もそれで良い。私がしたかったことは、一応済ませることができたから。
 ピザを食べ終え、スープを飲み干してしまうと、お腹いっぱいという感じだった。体をもっと休めることができるだろうから、と、そこからはまた応接室に案内されて。前程気温は低くなかったけれど、暖炉に火を入れて皆で当たることにした。眠そうな姉さんがもっと眠そうになって……結局そのまま眠ってしまったみたいで。レミリア達は笑っていたけれど、私は少し恥ずかしかった。

「すまないね。私が昨日、夜遅くまで付き合わせてしまったんだ」

姉さんの隣に居たレミリアが、小さな声でそう教えてくれた。どうやら昨日の夜はレミリアの部屋に泊めて貰ったみたいだ。

「寝相、悪くなかったですか?」
「う、うーん……大丈夫だったよ。悪い方なのかい?」
「そこそこだと思います。少し寒がりなので、この季節は」
「そうか。……うん。そんな感じはあったけど、大丈夫だった」

私とレミリアが話している間、フランドールとお供の子はと言えば……私達のそんな会話を聞きながら、穏やかな顔で笑っていた。たぶん二人はよく眠りの時間を共にするんだろう。それだけ仲が良いことは、もう分かっている。ベッドにもしっかり二人分の枕があったし。肌寒さを感じる地下、灯りが消えればとても暗い場所だから……たぶん、心の為にもいいのだと思う。私もなんだかんだ、そういうのは嫌いじゃない。ただ、やるなら広いベッドが良い。狭いベッドで二人というのは寝相が良くないと成り立たないから。

「姉がご迷惑をおかけします」
「いやいや。それだけ緊張せずにここに居てくれることに関しては、本当に感謝してるからね」
「そう言っていただけると、助かります」
「貴女も、あまり緊張しなくなったね」
「色々落ち着いたからだと思います。まだ、してるのはしてるんですけど」

レミリアが何度か頷き、私も頷いて返した。姉さんが寝ているからと声の大きさを抑えて喋っていると、やがてフランドールに寄り添っていた彼女の頭がだんだんと揺れ始め……その体を引き寄せて受け止めたフランドールも、手で隠しながら小さな欠伸を漏らして。隣に眠る子を抱えているからか、そこからは私達の会話をじっと聞いていた彼女だったけれど、少しすれば彼女も瞼を落として隣の子と互いを支えあうように眠りについてた。

「ちょっと朝ごはんが多かったかもね」
「私もお腹いっぱいです」
「滅多に焼かないんだけどね、あれ。……貴女は大丈夫?」
「はい。温かくて気持ち良いですけど、ゆっくり休めましたので」
「そうか」

 起きているのが私達二人だけになった後、しばらくは二人そろって火を眺めていたのだけれど、ふと、レミリアが口を開いた。

「近い内に、フランを外の宴会に連れていけたらって思ってる」

突拍子もない話。急ぎ過ぎだって、すぐ思ったけれど……不思議と、それを口にできなかった。理由は色々ある。心配ごとについていえば、たぶん私が思っていることとレミリアが考えていることは同じだろう。門の子達の心への負担だ。勿論それは絶対に無視することができない。遅くとも何とか前進することができている今、拗れてしまったら。取り戻すのにかかる時間は……いや、そもそも取り戻せるのかも分からない。そして何より、あの子達の心の在り方はそのままフランドール自身の心の在り方にも現れて、関係が拗れれば拗れただけ心に傷となっていく。そしてその傷はきっと、消せない。
 ただ。

「即答で無理と言わないところが、貴女の優しさだね」
「何か刺激になるものとか、気分転換できそうなこととか。楽しいこととか。そういうのに連れて行ってあげたいという気持ちは、私もあるんです。上手く言えないんですけど、この子は着実な一歩を頑張って、頑張って。どれだけゆっくりでも確実に進もうとするじゃないですか。相手の気持ちを考えて、考えて。……その頑張りに私や姉さんは救われた訳ですけど、たぶんそれはいろんな新しい出会いからは遠ざかる要因にもなってると思うんです。私は彼女の考えそのものはとても立派なことだと思ってます。それを踏みにじる気持ちは、無いんです。ただ、だったら。せめて私達で何か、そういう楽しめるものに出会うための手助けをしたい」
「うん。私もそんな所さ。貴女が心配するところは、きっと門の子達のことだろう。宴会にフランを連れて行くとなると、たぶんあの子達には色んな不安が生まれるだろう。ただ、宴会で過ごす時間そのものや、その時のフランの立場は。きっともう、大丈夫だと思うんだ。勿論第一印象が悪いという壁はあるだろうけど」
「はい。そこは私も賛成です。……昔のことは私には何も言えません。でも、今のこの子は、良い子ですから。だから、そうですね。まだもう少しは閉じた場を選んだ方が良いと思うんです。色んな情報が外に走って行って、巡り巡って門の子達の耳に入ってしまう様なそんな開いた付き合いではなく」

俯き気味に聞いていたレミリアが、静かに頷く。

「そうだね。ただ、私はあまりその。館の外のことになるとね、宴会以外はどうにも機会が無くて」
「それは私達も同じかもしれないです」
「うーん。もう少し、そこは様子を見てみることにするよ」
「その辺り、何かいい話が入ってきたら。その時は必ずお知らせします」

……ただ。問題は私の付き合いは山ばかりということ。山を除けば精々、里の近くの方々だろうか。どうやって探していけばいいだろう。いざとなったら、私のお家に皆を呼んでちっちゃな宴会位は開けると思うのだけど。

「穣子さん」
「はい?」
「ありがとう」
「……こちらこそ、ありがとうございます」



~~



 お嬢様達のピザは五つに切って出したのだけれど、少し重たかったかもしれない。働く皆には六つに切って出しているけれど、食べ終わって食堂を後にしていく子達はこれからちょっとお腹を休めようか、という様子だ。勿論その分の時間は用意しているのだけれど……そんな子達の数が普段よりも多い気がする。幸い今日は良い天気だしあまり風も無かったから、駆けまわらなければいけない程彼女たちが忙しくなることは無いとは思うけれど。

「そういえば咲夜さん。さっき図書館に運んでる子が台車持って帰って来たんですけど」

時間を止めたり戻したりを繰り返して出来る限りの効率でピザを焼いていると、戻したタイミングを見計らって傍にいた子が私を見上げ、切り出した。

「うん。何かあった?」
「都合が付いたら図書館まで来てほしいって、パチュリー様から伝言を貰ってたみたいです」
「分かった。調理が終わったら行かせてもらうわね」
「はい。今日は洗い物も少ないですから。任せてください」

パチュリー様から呼び出し、か。考えられるとすれば、あの子の体調だろうか。ピザはお腹につらいだろうからと、給仕の子には代わりに特製のリゾットを持って行ってもらったのだけど……ひょっとしたらそれも重かっただろうか。でも、教えてくれたこの子の様子からすると、給仕の子は普通に伝えたのだろうから……うーん。緊急性は、たぶん無いのだろう。
 一枚を複数の人数で分ける関係上、食堂の子達の集まり具合で待ちの時間ができてしまうのは仕方ないことだったけれど、最初に見込んでいたよりも時間がかかってしまって。残りの枚数が見ただけで分かる位に減ったところで私は焼くのを引き継いで厨房を後にした。散らかしたつもりはないのだけれど、沢山刻んだ玉ねぎの匂いが服から漂ってたから、一応先に着替えさせて貰って。やってきた図書館は……あの子がパチュリー様の傍に居ないことと、パチュリー様の傍に本が積みあがっていないことを除けば普段通りの様子だった。

「おはようございます」
「おはよう。……あの子は少し休んでるわ」
「重かったですか」
「ううん。私が無理矢理寝かせてきたところ。今は一人で眠ってるけど……大丈夫よ。回復はしてる。ただ、焦ってるのか、体力が戻ってきた先から使おうとしてしまうから。だから眠って貰ってる。朝ごはんは美味しそうに食べてたわ」
「それは何よりです」

私の返事に少しホッとした様に笑い、それから隣の席に座るように促して。私が腰を落ち着けると、パチュリー様が続けた。

「うん。少し話を聞きたいんだけど、時間は大丈夫かしら」
「はい。皆のごはんの時間以外は幾らでも時間は作れますから」
「そうね。じゃあ、聞くわ。あの子の実験に付き合ったときのことなのだけど」
「……私が心の内を打ち明けた妖精の子も同じことをしていないか、ということでしょうか」

私の返事にパチュリー様は少し驚いた様子で、

「やっぱり、気づいてたのね」

と。苦そうな顔をしつつも、何度も頷いていた。

「同じ感覚でしたし、それこそ普段ならこの席に座るあの子が、私が伝えた時に気にしてましたから」
「うん。それで私達……いや、私はその子と面談させて貰おうと考えてる。その力を行使するリスクは、貴女も知っての通りよ。……本当は知らずに居て欲しかったところでもあるんだけど。私が迂闊な判断をしてしまったから、貴女にもあの子にも、あの子を好いてくれる子にも。全員に迷惑をかけてしまった。ごめんね」
「私は迷惑をかけられたとは思ってないです。私もお二人にお願いを聞いて貰って、とても助かりましたし」
「そう言って貰えると少しだけ救われた気持ちになるわ。……それで、同じ力を使える彼女についてなんだけど」
「面談、ですか。失礼ですがどのようなことをお伝えになるのですか」
「力を行使する際の注意……まぁ、ほとんどそのリスクのお話よ」
「そう、ですか」

言われて頭に過るのは昨日ベッドでした約束。あの子は、危険を分かっている。そのうえで、好意として使ってくれているし、無理はしないことも約束してくれた。また改めて蒸し返して、色々言われるのは……私だったら、つらいな。

「あの、パチュリー様」
「うん?」
「実は既に昨日、彼女と話したんです。やっぱり体に負担がかかっているようでした。ただ、彼女自身はそもそもそういう危険性があるのは分かった上でしてくれていたみたいで。その力で無理はしないと約束もしてくれたんです。その。できれば」
「面談は止めて欲しい、という所かしら」
「リスクについてのお話であれば、ですが。どうかお願いできませんか」
「……元々願い出るのは私の立場なのだから、気にしなくて良いの。知らないで事故を起こしたら良くないと思って、それで尋ねただけだから」

パチュリー様の言葉に安心してしまうと、息に出てしまったのか、パチュリー様が笑う。

「その子と上手く行ってそうで安心したわ。でもまぁ、その手のことで何か困ったことが起きたら。相談して頂戴ね?」
「はい。もしも起きてしまったその時は、お世話になります」

 結局、パチュリー様の用事はそれだけだったみたいで。私は眠っているあの子の代わりに、普段の彼女の仕事を少し手伝わせて貰った。パチュリー様が飲んでいたお茶の道具は、厨房に置いてあるものではなくこの図書館のもの。恐らくは眠る前の彼女の最後の仕事だったのだろう。随分と冷えてしまっていて、替えを用意して持ってくると嬉しそうな顔と寂しそうな顔の両方が見えた。

「まだ、もう少しかかりそうですか」
「んー。かからないとは思うけど、まず焦りを抑えないとね。あの子、焦ったり不安が過ぎると自分のことを顧みなくなるから、こういう時には本当に……ね。私とあの子だけなら良いけど、今は給仕の子も居るんだから。もう少し自分の体のことを気にかけて欲しいわ。もっとも、今回は本当に全て、見誤った私が悪いのだけど」
「そういう時もありますとも。元気になったら、何かお祝いしましょうか」
「ええ。……あの子が先走ってクッキーを焼く前にね」

確かに、あの子なら。それこそ起きてくる前にやってしまいそうで。私が頷くと、パチュリー様も頷いていた。
 本の運搬も代わりにさせて貰おうとしたけれど、私に読めない文字の本は探すことが出来なくて。代わりとばかりに挙げて貰ったリストの本を探してはパチュリー様の傍に積んでいった。あの子が居ないお陰もあって、パチュリー様の所に戻ってくると恐ろしい位に静かで……私なんかで気がまぎれるか分からないけれど、時間は止めずに一冊一冊運ばせて貰って。最後にお昼からのことを尋ねてみれば、どうやら午後も眠らせるつもりの様で……お昼ご飯には軽いものを用意したほうが良さそうな様子だった。
 パチュリー様と別れ、図書館を出て探したのは図書館の給仕の子。彼女が居れば、互いに気を紛らわせることができるだろうから。給仕の子はその仕事以外の時は、他の所へお手伝いに出てたりするから探すのはちょっと手間取ったけれど、時間を止めてれば無駄な時間は出るはずもなく。彼女は医務室にやって来て、中の子と話していた。言葉は聞こえてこないけれど、何を話しているのかは良く分かった。医務室の子が彼女に渡していた薬は、パチュリー様が喘息になった時にお世話になっている薬。きっとここで保管していた備蓄の分なのだろう。あの子が眠っているから、代わりに頑張ろうとしてくれているみたいだ。……今はとても真剣な顔で話を聞いている。今日他のお仕事はしなくて良いって、後で他の子から伝えて貰うようにしよう。



~~



お腹いっぱいのまま暖炉の火にあたっていたからだろうか、静葉お姉さんも、お世話をしてくれる子も眠ってしまって。私は頑張って起きていようと思っていたのだけれど、いつの間にか眠ってしまっていた。

「その時はどういう風に過ごすんだろうね」
「堅実な子ですから、距離を確かめて、ゆっくり頑張るんじゃないでしょうか。……ただ、なんとなくなんですけど」
「うん?」
「お話もですけど、目に映る色んな物をじーっと見て。そのことをお土産話にしようとするんじゃないかなって」

とても小さな穣子お姉さんの声。そして、そうかもねと笑う、お姉様の小さな声。静葉お姉さんが眠ってしまった、みたいなことを話していた気がするんだけど……眠ってしまった間に随分と話が進んでしまったみたいだ。まだぼーっとする頭を持ち上げて瞼を持ち上げれば、二人が私を見て、笑っていた。

「起こしてしまったかね」
「ううん……眠る気は、無かったんだけど。ごめんなさい」
「うちの姉さんもああだから、気にしないで」

そう言って視線が向けられた先の静葉お姉さんは、完全に眠ってしまったみたいだ。うつらうつらという様子もなく、今はソファに横向きに転がってゆっくりと肩を上下させている。お姉様はその様子を見て微笑んで、穣子お姉さんは苦笑いしてた。

「今度暖炉を使うときは、皆で寝転がれるラグでも用意して、客間の方でゆっくりしようか」
「そうなったら本格的に寝ちゃうかもしれないです」
「楽しめるのなら、それで良いさ。堅苦しいのだけが付き合いじゃないからね」
「そうですね」

まだ持ち上がり切らない瞼を擦って、隣を見つめた。……こっちも、静葉お姉さんに負けず劣らず、ぐっすりと眠ってる。私が眠ってしまった間に随分と体が傾いてしまって、なんとか肩に頭が載っているけれど……このままだと目が覚めた時に体が痛くなってそうで。私はゆっくりと彼女の頭を持ち上げると、太ももの上にそっと置きなおした。何度か身じろぎして、落ち着くまでには少し時間がかかったけれど、起きることは無くて。しばらくするとまた、落ち着いた寝息が聞こえるようになった。

「貴女達も昨日、眠るのが遅かったの?」
「ううん。お風呂を浴びて、チョコを頂いて……ちょっとだけゆっくりして、一緒に眠ったよ」
「それだけ安心してるということなのかもね」
「なのかな」

笑って返せば、お姉さんも笑って頷いていた。
 思い出した様に時折ぱちりと音を響かせる暖炉は、いつの間にか薪が増えていて。しばらくは皆で暖炉の炎を見つめてた。前にも一度こうして当たったけれど、この独特の温かさは居心地がいい。私にとっての温かさは、お湯だったり、食事だったり、そして何より膝のこの子のものばかり。どれも大切で素敵なものだけれど、いつも温まるのは私の体だけ。それと違って暖炉は、服がとても温かくなる。自分の体をぎゅっと抱きしめるのでも気持ちが良い位にだ。ゆっくり当たった後でこの子とぎゅっとできたら、たぶんもっと気持ちが良いんだろう。次の冬か、また次の冬か、もっともっと遠い冬か。いつかは分からないけれど、いつかはそうやってこの子と二人で過ごしてみたい。……もう少ししたら、起こさない様に頑張って寝返りを打たせてあげようかな。このままだと片側だけしか温かくないだろうから。……髪も片方だけ温かくなってる。
 膝で眠る彼女の頭を撫でていると、

「レミリアさん」

ふと。そんな声が小さく響いた。すぐ傍で座っていた穣子お姉さんでなく、違うソファで眠る静葉お姉さんから。皆の視線が一斉に向いて、起きたのかなって思ったけれど、

「……寝言みたい」

って。お姉さまが肩を竦ませて小さく呟いた。

「前にここから帰って少しした頃にも、寝言で言ってました。レミリアさんって。色々悩みを聞いて貰ったからなのか、なんなのか。私にはよく分からないんですけど、すごく嬉しかったみたいです。……ずっと口には出さなかったですけど、来たがってたみたいで」
「そうか。……その時は、気兼ねなく来てくれれば良いさ」
「またそんな雰囲気になったら、伝えておきますね」

穣子お姉さんの言葉にお姉さまが笑い、そして二人がこちらを見て。また、笑っていた。



~~



 お昼ご飯を作る時間が近づいて、図書館からお嬢様達の居る応接室へひっそりと足を運んで様子を見て来たあと、厨房に戻ってきた。お昼前には出ると仰っていたけれど、静葉さんの方はすっかり眠ってしまっていて、どうやらあのお客様二人にとっても朝食は少し重たかった様子だった。以前この館を出るときには二人ともたくさんの料理を美味しそうに食べてくれていたから、大丈夫だと思っていたんだけど……流石に朝からは厳しかったみたいだ。

「お昼は軽くして欲しいなって要望が来てました」
「あー、やっぱりそういう声が来てるのね」

何を作ろうかしら、と。ぽつりと漏らせば、傍に居た子がそう教えてくれた。そっちも、なんとなく予想はしてて。図書館のあの子のことも考えれば……

「よし。お昼は油を避けた和食にしましょう」
「構成はどうします?」

どうしたものか。取り急ぎ消費しなければならない食材は無いのだけれど、こういう時には裏目に出たように感じてしまう。朝が乳製品とお肉側に随分と寄ってしまったから、出すとするなら野菜系。小鉢をそっちに寄せれば、主役はある程度自由になりそうだ。肉じゃが、肉豆腐……朝があれだから、お芋よりはお豆腐だろう。
 じゃあ小鉢は……と考えていると、ぴっと袖を弱く引っ張られて。顔を向ければ隣の子が、

「温泉卵は……?」

と。不安そうな顔で、とても小さな声を漏らした。小声なのは、朝に半熟卵を出していることを自分でもわかっているからなのだろう。違う料理と言えば違う料理なのだけれど、流石に食感まで近いと連続では出すに出せなくて。

「お夕飯で作ろう?」

そう小声で返せば、顔を明るくしてほっと溜息を吐いていた。よほど、楽しみだったのだろう。
 主役の一品を肉豆腐に決めたあと、他の小鉢をどうするか皆に尋ねてみた。肉豆腐自体は口の中で味が残りやすいものだから、口の中がさっぱりするものをまず一品入れようということになって。それについては菜物で煮びたしを作ることにした。となると、問題になるのはもう一品とお汁。でもお汁はすぐに決まった。あっさりを求めるならすまし汁にしても良かったのだけれど、『重かったと感じた子』がいる一方で『そう思っていない子』もいるわけで。普通のお味噌汁を作ることにしたのだ。

「南瓜!」
「大根!」
「茄子!」

問題は、意見が割れてしまった最後の一品。煮物にしようという大きな流れはできたのだけれど、どの野菜で作るかで珍しく意見が分かれてしまった。栄養としては南瓜を推したい。しかし、南瓜の甘さは結構主張が強い。味わいとしては大根の生姜煮も強く推せるが、最近は割と大根の出番があった。茄子は少し前に中華で使ったのが最後で、長く和食で使っていないから採用はしたい。が、煮びたしに味が近づいてしまう。しばらく皆で言い争っていたけれど決まらなくて、多数決を取ることにしたけれどそれでも結局綺麗に割れてしまい……私の好きな様に決めてくれと言われたので、大根にさせて貰った。普段温泉卵を作った時にする味付けは材料的に煮びたしの側に似通っているし、肉豆腐と甘さが喧嘩するのを避けたかったから。温泉卵を楽しみにしていた彼女が大根に手を挙げていた、というのもちょっとある。
 皆それぞれが担当するものを決め、各々の持ち場に向かって行って。私は他の子と一緒に使う食材を洗って行った。冬が終わったこともあって、まだ少し寒さが残るものの、水仕事は随分と楽になったなって思う。真冬はよく聞こえるのだ。水に手を晒す前に覚悟にも諦めにも似た深呼吸の音が。食材じゃなくて、食器の洗い物の時にはため息になってたりもする。

「今年は何が安くなりますかねぇ」
「材料のこと?」
「はい。ほら、安いとその、あの。……色々と、強いじゃないですか」
「そうね」

その材料を使った料理が増える傾向にある、というのを何とか柔らかい言葉にしてくれようとしているみたいだ。少し前に私が仕入れで大きなミスをしてしまったこともあって、気遣ってくれているのだろう。

「んー。去年あまり食べられなかったものが食べられたら、嬉しいわね」
「そうですねぇ。果物とか、今年は沢山取れてくれたら良いですね」
「蜜柑は安かったんだけどねえ。果物で嬉しいのは林檎かしらね。小皿で出しやすいし」
「おやつにもいけますし。小麦粉も安いことを祈りたいです」

それは、本当に。色んな意味で死活問題だ。
 少し早めに料理を作り始めたこともあって、皆でゆっくりと調理することができて。その終わりが見えて最後の味見も終わったところで、残りを彼女たちに任せて厨房を出た。向かった応接室は……お嬢様を残して、また皆眠りについていた。前と違って気温も温かくなっていたから毛布は用意しなかったのだけれど、この分だと、していた方が喜んでもらえたかもしれない。
 お嬢様は静かに入った私に気づくと、顔をこちらに向けて笑った後、手招きして。

『少しゆっくり食堂の準備をして、終わったらまた来ておくれ』

と。近づいた私にそう囁いた。実を言えばほとんど小食堂の準備は終わってしまっているのだけれど……とりあえず頷いて返して、部屋の中の時計を見ながら、次に伺う時間を二人で決めた。どうやら、最後の一人が眠ってしまってからまだあまり時間が経っていないのだそうだ。
 次の時間が来るまでには起こしておくから、と。最後にそう言われ、応接室を静かに出た。空いてしまった時間。手持無沙汰に図書館の様子を見に行けば、どうやらあの子も起きてきた様だ。こちらは本当に寝起きすぐの様で、椅子の上でゆったりと座ったまま、とてもゆっくりとしたまばたきをしてた。陰から伺っていたのだけれど、私に気づいていない様子だ。若干俯き気味で、平静を保ちつつもちょっと落ち込んだ感じ。何となく、その気持ちは分かる。でももう少し休めば、なんとかまた調子を取り戻してくれそうな所までは回復しているみたいで、そこは安心かもしれない。
 帰り道に、図書館の給仕の子とすれ違って。人手が足りないときは呼んでもらうように伝えた後、ゆっくりと皆の様子を見て回った。お昼ご飯目前とあって、皆一区切りに向けた頑張りをしている所だった。唯一、お洗濯係だけはもう既にそれも終わって、ほとんどの子が室内で休憩中だった。磨いている子も居たけれど、力仕事の疲れもあってか、磨かずに安楽椅子に寛ぐ子も居て。今日の天気のことを考えれば、恐らくは午後も穏やかな仕事になるだろう。……心地よさそうで、ちょっと羨ましい。
 約束の時間まで皆の手伝いをして回って、再び訪れた応接室。若干欠伸混じりという所ではあるものの、全員が起きてのんびりとしていた。ただ、一人だけ。お客さんの内の姉にあたる静葉さんは、何とも言えない苦い顔をしていた。



~~



 小食堂に集まり、各々が椅子に腰を下ろした。皆の様子は……様々だ。穣子嬢は深い眠りに入りかけといった所だったようで、私が起こしてから少し時間は経っているものの、ややぼーっとした様子がある。フランも似た様な感じだが、先にちょっとだけ眠っていたこともあってか、それよりはマシといったところ。ぼーっとはしていないけど、少し瞼が重たそう。隣のお世話係の子はと言えば、フランの膝でそこそこ休めたのか、目はすっきりとしているものの、お客の前で眠り込んでしまったことを恥じているようで。私と視線が重なると、バツが悪そうに視線を逸らしてた。ただ、バツの悪さだけで言えば一番それがはっきりしているのは静葉嬢だ。朝食後すぐに出ると言った彼女を引き留めたのも、そもそも昨夜あまり眠る時間を取らせてあげなかったのも、眠った体を揺すって起こさなかったのも、全部私なのだけれど。

「まあ、気にせず。とりあえずお昼ご飯といこうじゃないか」

咲夜の迎えが来る頃になって『ひょっとして約束事があったのでは?』と思いはしたが、この食堂に来るまでの道すがらで尋ねた限りはそれは無いらしい。ただ、お買い物に出る予定はあったようだ。今回は私の我儘で二人の荷物が増えているから、途中で里に寄ってというのも恐らく厳しいだろう。お菓子作りで色々と消費したから調味料を買い直したいと、そう言っていたから、買うものは……重たいものだろうな。あまり少量で売っているものでもないから。
 朝ごはんが重たいものだったこともあってか、お昼ご飯に並んだ食事はそこそこさっぱりした物が並んでいる。肉豆腐は随分と久しぶりな気がする。出来立てのあっつあつの状態からはちょっとだけ落ち着いた湯気で、私やフランでも二人と同じくらいの早さで食べることができそうだ。もっとも、それでも十分に熱いのだが。

「ご厚意に甘えてばかりで。頂きます」

静葉嬢が苦笑いで返し、彼女の言葉に皆で手を合わせた。
 寝起きということもあって、始めは皆の口数はあまり多くなかったけれど、少しずつ食べ進める内に段々と目は覚めてきた様で。汁物を手に取ってほっと息を吐く頃には、皆の瞼も持ち上がって……穣子嬢が、ふと切り出した。

「レミリアさんって買い物には出たりするんですか?」
「んー。出ないわね。食料品はメイドの子や咲夜に任せてる。私は相場観もあまり掴めていないし。こんな大所帯になると流石にね。ずっと昔は私も出てたわ。あまり名前も知られていなかったし、それこそ荷物持ちをするには適任なくらい力はあったから。もっとも、今日は絶対に晴れないって日じゃないと駄目だったけど」

思えば、食べ物を求めに出るというのは随分と古い古い記憶になってしまった気がする。周りに変に気をまわされない様に、抱えるのではなくちっちゃな荷車を押したりもしたのだが……私の使っていた荷車ももう残っていない位には昔の話だ。その荷車のことを知っている子すら数える程しか残っていないだろう。美鈴が来てくれてからはその辺が劇的に改善したんだよなぁ。ちっちゃい荷車でも私がひくと『あんなに小さいのに』って目で見られもしてたけど、美鈴はそもそも見た目が丈夫だし。まあ、名前が知られてしまった後は隠す必要も無くなって、滅多な量を買わない限りそもそも荷車をひく必要すらなくなったのだが。

「んー」

穣子嬢が小さな声で続ける。

「でも、昔どこかで買い物をしてるのを見た気がするんです。確か夏の……」
「どこだろうね。そこそこ珍しいことだと思うけど」

そこでふっと静葉嬢が何か気づいたように顔をあげて、テーブルの下で穣子嬢を小突いた。少しすると穣子嬢も何か思い出したのか、ちょっとだけ瞼を持ち上げた後、唸った。

「……どうかしたかい?」
「い、いえ。あぁ、そう。夏は分かんないですけど、いつだったか香霖堂では見た様な気がします」
「ああ、あそこか。あそこはまぁ、何というか。……意味不明な物が多いじゃない?」

私の言葉に二人は笑っていたけど、一方でフランは眉を顰めた。

「ああ、香霖堂というのはね、簡単に言えばガラクタを扱うお店だよ。よく言えば道具屋さん。悪く言えば構えだけはしっかりした露天商かな」
「あそこならフランちゃんを連れてても問題ないんじゃないですか?」
「まあそうかもしれないね。……いつか行ってみるかい?」
「良いなら、うん。行ってみたいかな」

何となくだけど。『何これ』って言われそうだな。あの店の素晴らしく、そして恐ろしい所はその言葉に返せるものが必ずしも居るとは限らないという所だろうか。この客人の二人が実際居たように、たまたま訪れた時に他の誰かが居るということはあるのだけれど、そのほとんどが購入目的というよりは陳列された意味不明なものを眺めて楽しんでいるように見えた。そもそも陳列されているのに非売品だってこともある位だし、そういう意味では解説の無い美術館とも言えるのかもしれない。次にあの店に向かうのは、きっと外の情報を仕入れに行くときになるのだろうけれど……それだといつになるか分からないか。冷やかしという形にはなってしまいそうだけれど、もう少し自由になったら、散歩のついでに連れて行ってみることにしよう。



~~



 あっさり系の食事にしたお陰もあって、お客様達やフランドールお嬢様、それにお世話の子は起きたばかりではあるのだけれど、この調子なら全部食べてくれそうで。そういうことにホッとしながら食事の様子を部屋の隅で見守っていると……結構、ちらりちらりと視線が飛んでくる。送り主はずっと一緒。お世話の子だ。若干困り気味の、遠慮がちな目。なんとなく、彼女の考えていることは分かってた。フランドールお嬢様が会話にあんまり入れていないこの現状で、どう振舞えば良いのか。そういうことに悩んでいるのだろう。前回お客様が訪れていた時と違って、今回こうやって最後の食事の場で置いてけぼりになりがちな話題が選ばれているのは……恐らく、わざとなのだ。遠慮せずに会話に加わってほしいという、そういう気持ちなのだろうと思う。その証拠にか、上手く一言切り出せそうな所だけは……ほんのりと、会話にも間が空いている様な気もする。
 ただ、フランドールお嬢様は……それはそれという感じで、食事を楽しんでいた。お嬢様の気持ちがなんとなく伝わってくるのと同じで、フランドールお嬢様の気持ちも、なんとなくだけど分かる気がする。単純に、この空気を楽しんでいるのだ。不安とか、戸惑いとか。そういうのは全く無くて。この空気の中に居ること自体に十分満足している感じ。お世話係の子もそれが分かってしまうから、どうしたら良いか困っているのだろう。
 でも。私には生憎何も手が出せそうにない。視線のほとんどはお世話の子のものだけれど、フランドールお嬢様の視線も、たまに私に届くのだ。ただただ、穏やかな顔で、視線が重なると、微笑んでくれる。もどかしい気持ちは私にもあるけれど、堅実な一歩を進むというのがこの二人の決めたやり方。

「食後の飲み物は、何かご希望がございますか?」

たぶんいつかはこの気苦労も無くなるから。それまでもうちょっとだけ。慣れないだろうけど、二人で頑張ってほしいなって。そう思う。

「い、いえ。お昼を頂いたらもう。……すみません。本当に」
「気にしない気にしない。まぁ、無理には止められないからね。少なくとも朝に比べれば温かくなったし、ちょっと忙しくはなるけど良いお買い物日和になるんじゃないかな。私には味わえないものだから、楽しんでおくれ。荷物は重いだろうけど」

私の質問からそのまま、挨拶の流れになってしまって。ちょっと余計なひと言になってしまったみたいだけれど、

「また、訪ねさせてください」
「勿論だとも。私もチョコのお礼をしなきゃいけないしね」
「私も。……頑張って、何か作ります」
「うん。楽しみにしてる」

最後にそう口添えたフランドールお嬢様は、にっこりと笑ってて。少しだけ、ホッとした。
 お嬢様が告げた通り、外は綺麗に晴れてしまっていた。だから、お嬢様達の見送りは門ではなく館の玄関までになってしまって。私が代わりに、門の所まで付き添って。

「結局、お昼をご馳走になってしまって。……ありがとうございました」
「いえいえ。お楽しみ頂けたのなら、それで」

相変わらず、最後まで謝っていた。

「そうだ咲夜さん」

門のところまで来て、いよいよ見送る所まで来ると、ふと穣子さんが立ち止まって、駆け寄って来て。小さな声でそう切り出した。

「はい。お忘れ物ですか?」
「いえ。……尋ねておかなければいけないことが一つあって。この館の子達って、特定の食べ物で調子を崩す子とかいませんか。例えば卵で蕁麻疹出ちゃうとか」
「ああ、大丈夫ですよ。全ての食べ物を把握したわけでは無いですけど、大丈夫です。昔は居たんですけど、今は永遠亭の薬のお陰で。居たとしても、牛乳を飲むと少しお腹が緩くなっちゃうとか、そういう位ですので」

私の返事に、そうでしたか、と。とても小さな声で彼女が呟いて。それから何度か首を縦に振ると、

「分かりました。では、また」
「はい。またおこし下さい」

そう言って、静葉さんと一緒に飛んで行ってしまった。既に結構な荷物だけれど、家に寄らずにそのまま里の方へと向かい、小さくなる背中を見送って……

「また、何か作ってくれるんですかね」

振り返ると、門の入口の端に立っていた美鈴がすぐ傍まで来てて、そう言って笑っていた。

「たぶんね」

私の言葉に美鈴もまた、頷いて。……ふと、手招きされたので、館の方へと向けていた足を止めた。

「何かあった?」
「いえ。平和そのものですよ。すみません、個人的な用件で。妖精の子達から相談を受けてて、その流れでお泊り会をすることにしまして。私と、あと二人なんですけど。その関係で少しだけ、事前にお知らせしている予定と違う子が該当の時間に担当になります。明日の夜、しようと思ってまして」

お泊り会、か。美鈴がお泊り会を開くのは、たまにあったりする。ここの子達は、暖炉の傍で互いにくっついて眠ったりするのが好きだから。たぶんそういう気持ちの延長なんだと思う。それで得る楽しさや嬉しさは、私もここ最近になって痛感してることでもあって。……美鈴はわざわざ開く度に断ってくれるけれど、それが負担ではないのなら、これからも好きにやってくれればなって思う。

「ああ、うん。ここの担当決めは貴女に任せてるから、そこは自由に決めてしまって頂戴。最近、どんな感じ?」
「……個人個人で、色々悩んでるみたいです。こう、集団的に感じていた圧力みたいなのからは少しだけ解放された感じがします。ひょっとしたらまたぐるぐるしてしまうのかもしれませんが、とりあえずは落ち着いている感じです。ただ、中にはそういう悩みに向き合いながら寂しさを感じてる子とかいたりして。今回は、それで」
「そう。私が何か手助けできそうなことはある?」

私の言葉に少しだけ視線を逸らし、考え込んで。それからゆっくりと首を横に振った。

「大丈夫です。すみません」
「謝ることじゃないと思うわ。任せっぱなしにしてるのは、むしろ私の方だし」
「それこそ私の言うべき言葉、ですよ。咲夜さんの仕事は、咲夜さんにしかできないですから。……私はもう少し、様子を見ることにします」
「ええ。何か困ったことがあったら、遠慮なく呼んでね」
「はい。では、また」
「うん。寝相の下敷きにはしないようにね」
「貴女が言いますか」

美鈴はくすりと笑って帽子を被りなおし、一度長い息を吐いた後で頷いて。私が頷いて返せばするすると、いつもの位置へと戻っていった。
 館内へと戻ると皆の昼食も随分と落ち着いて、食べている子ももう少なく、厨房では片付けが始まっている様だった。本当はその輪に加わらなくちゃいけないのだけれど、皆から少しだけ時間を貰って。私が急いでやって来たのは図書館だった。……間に合ったというべきなのか、少しだけ賑やかで。妖精の子と彼女が会話しているようだった。話し込んでしまうと力を使わせてしまうし、心配していた妖精の子の邪魔もしたくなかったから、私は本棚の後ろに隠れて、そっと耳を澄ませた。

「もう元気なつもりなんですよ?」
「そうでしょうとも。そうでしょうとも。……でも、もう一日休んで、それでもっとお姉さんが元気になるなら。私はそっちの方が良いなーって」

どうやらパチュリー様は席を外しているみたいだ。声どころか、吐息も二人分しかない。午後もあの子には眠って貰うつもりだと言っていたから、少し休んだらすぐ眠らせてしまうんだろうなって思ってたんだけど……ちょっとだけ、予定が変わったのかもしれない。既に昼食は食べ終わった後の様で、テーブルの周りには台車もなく……テーブルの上にはティーカップではなく、透明なグラスが並んでいた。
 二人の会話はとてものんびりしたものであった。ただ、顔色はどちらもあんまり良くない。元気が無いという訳では無く、宥められている彼女は連日迷惑をかけていることに酷く申し訳なさそうにしていて、対する給仕の子は、そんな気持ちを感じて欲しくないとばかりに明るい顔で振舞っている。魔法で眠らされずにいるのは、どうやら給仕の子がお世話を願い出たからの様であるが……任せて貰えたのは、この二人の気持ちをパチュリー様も分かっているからなのだろう。しばらく聞いているとベッドで一休みしようということになり、二人とも奥の部屋の方へと向かって行って。静かになったところで、私も図書館を後にした。
 


~~


 フランを地下の入口まで送り届けた後、部屋へと戻ると……部屋の入口で呼び止められた。

「おや。どうしたんだい」
「お話。良いかしら?」
「勿論だとも」

パチェだった。今日は珍しく本を持っていない。頷いてドアを引けば彼女は周りを眺めた後、すっと部屋に入った。

「あの子と何かあったのかい?」

前にパチェがこの部屋に来た時のことを思い出し、ベッドに腰を下ろしたパチェにそう投げかければ、彼女はちらりと私を見つめて言葉を詰まらせた後、

「関係ないとも言えないけど。少し違うお話ね」

と。短くそう告げた。
 私も隣に身を投げ出して続きの言葉を促すと、パチェもベッドに寝転んで、ゆっくりと話し始めた。話の内容は……私が頼んでいた、咲夜の負担の減らし方についてだった。前々からあまり芳しい感じはしていなかったが、良い案は出せそうにないとのことである。頼られたからには何かいい案が出せれば良かったんだけど、と。小さな声でパチェが呟いた。

「今まで改善に改善を重ねてきたんだ。案がでないことだってあるさ。それは私も予想していたことだし、そこまで充実したということでもあると思う。気にしないでおくれよ」
「そう言って貰えると有り難い所ね。唯一の成果は……健康状態を主観に頼らず推しはかる方法が一応できたってことかしら。後は……」

そこまで言って言い淀んで。視線を天井からパチェに移すと、彼女はとても苦い顔をしていた。

「過労で倒れてしまいそうなとき、緊急で少し回復させてあげる位はできるかもしれない」
「それは凄い……けど、その顔はデメリットだらけって所かな」

パチェが腕を枕にこちらに体を向け、ゆっくりと頷く。

「あの子の力を頼ることになる。ここ数日実験して貰っていたんだけど、私の不注意で……あの子が体を壊してしまって」
「無事かい?」
「ええ。あの子はね」
「パチェは?」
「なんとも言えないわね。……なんで、あんな見落とししてしまったのかしら。情けないわ」

私には情けないというよりも悔しいという風に見えた。危険な実験に挑むときは可能性を先に洗い出し、出来る限りの対策を準備して、それでやっと挑むのがパチェのやり方だ。……調子に乗って急な実験をやったことも無い訳じゃないけど、過去にだって何度か失敗はあったから、特に身体に降りかかる危険については慎重なのだ。そもそもの自身の体があまり丈夫じゃないこともあって、そこにはとにかく気を遣っていたはずで……ああ、だからこそ、今回起きてしまった失敗を黙って居られないのだろう。

「それだけ気が緩むくらい、最近の空気がのんびりしてるということだろうさ。そこはあまり深刻に考えないことだね。起きる確率を下げるのは重要だけど、完全にゼロにするなんてのは無理な話なんだ。今の今まで私が知らなかった位なんだ。起きてしまったことに対して、ちゃんと対処はできたんだろう。……大事なのは、そういうところだよ」
「言いたいことは分かるんだけど、ね」
「傍に居なくて大丈夫なのかい?」
「任せてきたわ」
「例の子?」
「ええ。……今回のは彼女の前で起きちゃったことなの。私は何が起きてたのか理解できてたからまだ良いとして、彼女にはとんでもない不安だったと思うから。あの子、少しずつ回復してるから、傍に居れば少しはその不安も減るかなって。……ああ、本当。なんて、情けない」

あの子はパチェに関してだけはとんでもなく敏感だから、きっとこういう風に悩んでいるということも見通しているんだろうな。そして疲れた体をおして働こうとして、パチェに留められたり、例のメイドの子に止められたりしているのだろう。このタイミングで私の所に訪れたのも、自分の世話を焼かなくても良いという状態を作るためなのだろうし。

「まあ、治るなら良いじゃないか。治ってあの子のお腹が落ち着いて来たら。咲夜に快気祝いでも作らせるよ。元はと言えば私が依頼したのが原因とも言えるからね」
「……私が気にしてると、あの子も気づいて無理な振舞いしちゃうのがね。ねえ、レミィ。何か気を紛らわせられる話題とか相談事はない?」
「うん……そうだね。まあ今回の依頼にも関係しちゃうんだけどさ。ある程度支援の方向性が決まったよ」

ベッドを這って枕を拾い、そのうちの一つをパチェに手渡した。既にベッドメイクの終わった後であったから、昨晩の匂いは残っていない……はずだ。

「聞かせて?」
「うん」

温めていた案を、一つずつ伝えて行った。お菓子の事。服の修繕やドレスの事。お泊り会にも使える、貸切可能なお部屋の事。それぞれどういう状況を想定して、どのように利用して貰って、どういう風に喜んでもらうか。私がここしばらくで考えていたことを、一つずつ伝えて行った。パチェは目を閉じたまま黙って聞いていて、私が伝え終えて口を閉じると、ゆっくりと瞼を持ち上げ、手をかざした。パッと光が部屋の中に広がって……消えて。それからゆっくり私を見つめた。

「管理者が要るわね」

短くぽつりと言われたことだったけれど……思えば、案ばかりに集中しすぎて、そっちのことはまるで考えられていない。漠然と、咲夜の負担をあまり増やしたくはないということと、経済的な問題で頓挫することは避けたいという気持ちがあったから、そこだけは考えていたのだけれど。

「そう、だね。確かにそうだ」
「一つ、案があるんだけど。……咲夜が特別に心を許している子がいるでしょう」
「うん。私との会話では話題にはなかなか挙がらないんだけど、どういう子かは知ってる」
「その子を管理者にするのが良い。……ふふ。そう。レミィはあんまり教えて貰ってないのね。私にはもうちょっとお話をしてくれたんだけど。咲夜ね、自分の部屋でその子との時間を作ってるみたいなの。ここのメイドの子達って、ほとんどが仕事の兼ね合いで決められた相部屋じゃない。だから、二人の時間を作れるのはそこだけになってしまう。妖精の子が会いに行くのだって、きっと周りに関係が漏れることに怖がりながらの訪問だと思うのよ。その子を管理者にすれば咲夜との調整という名分ができる訳で、咲夜の部屋に出入りすることに怪しまれることは無くなるわ」
「……なるほどね」

途中からは笑いながらであったけれど、私が言葉を返せばその笑いも段々と落ち着いて。短いため息を漏らした後で、小さな声でパチェが切り出した。

「咲夜が貴女にあまり教えてくれないの、気にしてるの?」
「気にしてないと言えば、嘘になるかな」
「簡単な話よ。恐らく理由は二つね。一つは、単純に気恥ずかしいんだと思う。咲夜、大切なことに関してはとことん真面目だもの。もう一つは、貴女の部屋と咲夜の部屋が隣ってことでしょうね。聞いてしまうと、どうしても意識してしまうでしょう。今ですら迷惑をかけまいと物音一つ一つにすら気を配る様になってるんじゃないかしら。今この部屋にかけているように中の音を外に漏らさないような防音の魔法でもないと、ね。そのあたりのマジックアイテム、今度作って咲夜にあげておくわ」
「……そうだね。それは、お願いするよ。考えてもいなかった」

うん、とパチェが頷いて。それから、まだあるんだけど、と。パチェは続けた。聞かれたのはコイン周りのことだった。案については何かなかったかとこちらも尋ね返してみたけれど、そこには特に意見がないみたいだ。あまり手を広げすぎるとあとで困るわよ、とは言われたけれど。
 コイン。製作や魔力込めはパチェにほとんど任せることになっている。ただ、必要な枚数や期限のばらけさせ方、配る予定の枚数やその時期などはまだ全然伝えてなくて。とりあえずの予定はどういう感じかを教えて欲しいとのことだった。得られる支援によって必要な枚数を変えるつもりでいることや、誰でも一枚は季節ごとに貰えるようにする予定でいることを伝えたら、何度か首を縦に振った後、必要になりそうな枚数の外側だけを揃えて置くわ、と。パチェは笑っていた。
 パチェの意見が止んだところで、話題に困ってしまって。ふと、新しいことを始めるときにいつもついて回る不安を尋ねてみた。

「なあ、パチェ」
「うん?」
「私は、進めているのかな」

自分のことについて何かをするときにはまるで姿は見えないけれど、誰かのために何かしようとすると影のように背中について回る不安。パチェにもあるんじゃないだろうかと思ったけれど、パチェの背中にはいつもあの子が居るから……私よりは安心していられそうだ。前にも似た様なことを尋ねたことがあったからか、真面目に、けれども微笑みながらパチェは聞いてくれて。一度短いため息を吐くと、ゆっくりとした調子で語った。

「さあ。それは後になって振り返って分かること。でも、そうね。それこそ貴女がさっき言ったように、あまねく全てに手をまわすのは無理なこと。どんなに器用に腕を広げてみても、零れ落ちてしまうものは出て来てしまう。それは、仕方が無いこと。でも、たとえ落としてしまっても。駄目になってしまう前なら、また後で取りに来ることができるから。その時に一つ一つ拾えれば良いんじゃないかしら」
「できる限りそうするつもりでいるよ。でも……怖いんだ。ひょっとしたら、何か重大な勘違いをしていないかなって。腕の中にあったつもりでいたけれど、ずっとずっと、ずっと昔に落としてきて私が気づいていない、とかね」
「それもまた避けられないものよ。幸いなのは、貴女だけじゃないってこと。貴女が気づいて居なくても、他の誰かが気づいて拾ってくれているかもしれない」
「そう、あって欲しいね」

そしてできるならば。……無事で、あって欲しいと思う。
 細かいところについて意見を交わしている内にお夕飯の時間が来てしまって。あの子の様子が心配なパチェは、カーテンから入る光がかげって来たころに図書館へと帰っていった。空いてしまった僅かな時間は、交わした意見を咲夜の為に紙に纏めるにも、お風呂を浴びるのにも短くて。私は寝ころんだままに耳を澄ませていた。なんとなく、大浴場のあたりが賑やかだ。お夕飯前にお風呂を浴びるか、それともお夕飯を食べてからお風呂を浴びるか。そういうことを悩み、楽しみ、仲間と合流しながら過ごしているのだろう。……でも。遠くじゃなくて、近くのこと。部屋の外に居るはずの妖精の子のことは、分からない。気配だっておぼろげだ。ご飯の後なら耳をすませば鼻歌が聞こえてくることもあるけれど、じっとしているとなると……無理だ。まあ、ひょっとしたら本当に居ない可能性もあるんだけど。流石に、用が無いのに呼んでみるのはしのびない。
 思えば、私はあまり得意ではないのだけれど、咲夜は私よりは敏感だったりする。部屋に聞き耳を立てた子のこととか、気づいていた。普段から呼ばれることがあるから声とか気配には気を配ってるって、そう言っていたっけ。私は、あまり呼ばれることが無いからそういう力が無いのかもしれない。……それが良いことなのか、それとも悪いことなのかは分からない。けれど、咲夜と、そして咲夜を好いて肌を寄せるあの子の秘密の時間に気づかない程度には鈍感だ、ということだけに関しては良かったのかもしれない。聞かれたくないのであれば、聞かないで居てあげたいし。
 ぼうっと考えている内に、ノックの音が部屋に響いた。足音は聞こえていない。

「お夕飯をお持ちしました」

とすれば、今日はこの後も忙しいのだろうな。お客も昼まで居たのだから、当然と言えば当然か。

「分かった。準備をお願い」

私の声にドアが開き、台車を押した咲夜が部屋へと入ってきた。料理に蓋はしてあるけれど、漂うのは生姜とお醤油の香り。

「生姜焼きかな?」
「生姜焼きです。あとは、お味噌汁に、お野菜の煮物に温泉卵です」

私は今日妖精の子達に殆ど会っていないけれど、この様子だと朝食が重かった影響がまだ残っているのだろう。明日はどうなるだろうか。少なくとも、おやつだけはちょっとしっかりしたものになりそうな気がする。咲夜のことだから。

「ああ、そうだ。咲夜」
「はい」
「明日、午前中に時間を貰えるかな。皆への支援の案がある程度固まったから、そのことについて話したい。時間の都合は大丈夫そうかい?」
「承知しました。朝食後のお茶の時間に改めて参ります。それでは私はこれで」
「ええ。お疲れ様」

……さて。食べたら忘れないうちに纏めてしまわないとだ。



~~



 明日は友達に便乗して美鈴さんの所でお泊りをするから、今日と明日は夕方までの仕事にして貰って。今日のお仕事が終わった私は……医務室に来ていた。怪我をした訳じゃない。今日は、一撃友の会と催眠術同好会の合同の会合なのだ。私は普段の活動には参加していないのだけれど、催眠術同好会ができるきっかけになったのは、私がここの友達に相談したことだったから。公に決まっていることではないのだけれど、そういう縁があったから、門の子の代表みたいな形でたまに呼ばれたりするのだ。……美鈴さんには、内緒。
 合同の会合は、いつもやることが決まってる。主催は一撃友の会で、それぞれの活動の現況の報告だ。

「……という所で、今はにびーに相談を引き受けて貰って、軽いのはそっちで、対処できないのはこっちに引き受けて対処してる。悩みの傾向とかを出す予定ではあるんだけど、まだ母数が少なくて……今の時点で言うことができるとすれば、身体そのものについての悩みではなく、その他の生活習慣とかに依った悩みが数としては多いのかなってところ。睡眠に関することとか」
「私達の方は……うーん。やっと、同好会のメンバー以外で試せたって所かな。一応成功してるんだけど、実験はまだ重ねなきゃってところ。当面の課題は、その協力者を確保することなんだけど、かからない子に対してどう対処するのか、とか。そういうのも考えなきゃいけないかなって」
「前者はちょっと難しいけど、後者はこっち側で引き受けたほうが良いかもね」
「かも。あとは、まだ会の中でやっている分にはあまり考えてなかったけど、会の外の協力者を得るなら、もっとしっかりルール作りしなきゃいけないかなって。……今更になって、そういうところを考えるのが遅かったなって思ってる」
「うーん。そういうこともあるでしょ」

実を言えば、私はほとんど話についていけなかったりする。私はあんまり勉強が好きじゃなくて……お陰で今でもあまり字には強くない。お手紙を書くのだって、代筆して貰ってるくらいだ。

「門の子達の様子はどう?」

それでも、ここの皆は、私を呼んでくれて。そして聞いてくれる。だから、私は私にできることを……する。



~~



 少し時間はかかったけれど、お嬢様の夕食の後は少しずつやらなければならないことも片付いて。気を入れて動き回ったお陰か、気が付けばいつもより少し早い時間に自分の部屋に帰り着いていた。仕事の合間にお湯は浴びていたのだけれど、流石にもう体が冷えてしまっていて。寝間着に袖を通し直せば思わずぶるりと体が震えた。
 支援の案が固まった、と。そうお嬢様は言っていた。秘密結社の報告ではあまりよい情報を拾ってこれなかったのだけれど、先ほど教えてくれた顔からして……あまり秘密結社に括った支援にはならないのだろう。私としてはそっちの方が嬉しかったりする。皆が皆、何かに所属しているわけでは無いから。独りの時間を楽しむ子にだって何か一つでも喜んでもらえるのなら、私はそっちの方が良いなって思う。
 ベッドに潜りふとドアの方を見つめ、眼も閉じてみる。……静かだ。ドアの前に誰の気配もなく、足音すら響くこともない。昔は夜中にドアを叩かれるというのがあまり良いことでは無かったのだけど……今は、ちょっとだけ。それが待ち遠しかったりする。毎日来てくれるわけでも、約束しているわけでもないのだけど、あのノックの音が聞こえてきたら、と。そう思ってしまうのだ。せっかく早くベッドに就けたのに、なんだか少し勿体なく感じてしまう位で……良い変化なのだと思うけど、一つだけ、思っていることがある。
 毎回、彼女に来てもらっている。私はあの子の部屋を知っているけれど、彼女に会うために訪れたことがない。彼女の部屋は相部屋で、私が訪れればそのことが同じ部屋の子にも分かってしまうからだ。夜に私が訪れれば、その子は理由を後で彼女に聞くだろう。一度は上手く躱すことができるかもしれないけれど、二度目、三度目となったらもう分からない。彼女に一人部屋に移って貰うことも一度だけ頭の中に過ったけれど、一人部屋は例外中の例外なのだ。二人部屋だって珍しいくらい。それに……私の部屋に来なかった時は、一人の夜になってしまうし。それはなんだかなって。早いうちに何か良い案が浮かべばなって思う。
 普段眠る時間までは起きていたのだけれど、結局あの子はやって来なくて。いつの間にか微睡んで……気が付けば朝になっていた。体に染みついた目覚めの時間。時計を見てみれば、いつもより僅かだけ遅い。天気は……そこそこ良いみたいだ。ちらりとカーテンの端を持ち上げてみれば、明るくなり始めた空と葉が揺れる木々が目に映る。……風もあまり強くないみたい。
 温かい寝間着から冷たい仕事着に袖を通し直し、厨房へと向かう。今日の朝食は少しだけ注文があった。昨日の朝程はしなくていいから、ちょっとだけ満足感のあるものが欲しいと。そうお願いされたのだ。こういう時は鶏肉がとても役立ってくれる。あっさりしつつもしっかりとした肉感。けど……最近は何かにつけて鶏肉のソテーを出していたから、少しは違う調理を挟みたいところだ。かといって調理と配膳が同時に忙しくなるものは……寝起きの子達にさせたくはない。
 焼く、揚げる、煮る。……煮よう。煮物なら配膳は楽だ。

「おはようございます」
「うん。おはよう」

厨房へと着くと、一人の子が早起きしてお湯を沸かしていた。でも香りは部屋の中にない。彼女の手には湯気立つコップが一つあるのだけれど、どうやらお湯をそのまま飲んでいるようだ。

「ココアでも作りますか?」
「そうしようかしら……あー、いや。私もお湯にするわ。鶏の煮物を作るから、ココアだと舌の上に少し残っちゃいそう」

彼女が立ち上がるよりも先に、薬缶を持ち上げて自分のコップへと注いだのだけれど……中身の量は中途半端だった。あと二杯分くらいはあるけれど、薬缶の大きさと彼女のコップを見るに……かなり早起きだったようだ。彼女の顔をちらりと覗き込んでみれば、眠たさとは無縁とも言えそうな顔をしている。

「そうですか。煮物の味付けは、トマト……それとも和風の?」
「どうしようかしらね。食べたーって満足がある食事だと嬉しいなって昨日お風呂で言われちゃって」
「あー……私も他の子から言われました。そうですねぇ。味の主張がはっきりしてるものなら、それで喜んでもらえそうですよね」

まだ味付けについては考えてなかったからそう言えば、彼女は私の言葉に返しながら食材を保管している奥の部屋へと歩いて行って。しばらく覗き込んだ後、戻ってきた。

「うーん。大根はまだ沢山あるので、お醤油ベースにおろした大根と鶏を煮込んじゃうのはどうでしょうか」
「大根に吸わせる感じ?」
「そんな感じで。あーでもあまり大根が多すぎると大根の味ーってなっちゃいそうですから、あくまでも主役は鶏肉で」

彼女がわざわざそう言うのにはちょっとだけ理由があったりする。大根おろしを添え物として利用する分には、ある程度先に作った後は足りない分を追加で作ればそれでいいのだけれど、何か他の調味料に混ぜて別の使い方をする場合は一度に前もって大量に作る必要がある。大所帯だからこそ出てくる問題なのだけれど、単純に切った食材と違って大根おろしはその時その時の保管状況の違いや、すった人の違いで同じ一本からでも出来上がる大根おろしの量が違うのだ。ちょっと置いてから水分や含んだ空気をぎゅっと抜けば、差は少なくなるのだけれど、単純にできあがった量だけを見ながら複数人ですり続けていると、後になって無視できない量のずれが出てしまうことがある。過去はそれで無理に突っ込んだ結果……彼女が言ったように大根の味が勝ってしまった。それも随分と昔のことではあるのだけど。

「鶏肉はどうしようかしら。少し火を入れたあと手で解して、それから煮ようかしらね」
「そのまま軽く焼いちゃったらどうですか。皮の油だけで焼く感じで。それなら油感もなさそうですし、手間も無いですし」
「じゃあそれを採用で。となると、和食ね。ご飯炊いて、お味噌汁つけて。……なんか、ちょっと色合いが地味になりそうね」
「長葱でも刻んで煮物にぶぁーっと盛るのは?」
「そうね。後はお味噌汁の人参をちょっと増やしましょうか」
「はい。お米の準備、してきますね」
「ええ。……私もこれを飲んだら加わるわ」

小さな乾いた音と共に彼女がコップを置いて奥の部屋へと向かって行って。私も返事をしながら、ゆっくりとコップの中身を飲んでいった。
 彼女と一緒に作業している内に、一人、また一人と起きて来て。お水で済ませたり、ココアを飲んだり、紅茶を飲んだりしながら残りの皆も加わって行って。仕込めるところまで仕込んだところで、最後は中央のテーブルで皆と大根に向き合った。皆で同じ量の切った大根を握り、真ん中の大きなボウルにすった大根を注ぎ込んでいく。量が量となるとそこそこ重労働ではあるのだけれど、これさえ終われば後は楽なものだ。最終的には大根が煮汁を抱え込んで鍋から消えていくから、洗い物も楽そうな気がする。
 最後は水分を切りながら調整して……切った大根の処理の都合上、ちょっとだけ予定の量より少なくなったけれど、それで良しとして料理を進めて行った。ご飯に煮物にお味噌汁、全部見守ればできあがるものだから、一通りやることが片付いた後はまた皆で真ん中のテーブルを囲んで。再びの、朝の一杯。

「お昼はどうします?」

まだ朝食の配膳も済んでいないけれど、これが話題にあがるのはこの厨房では珍しいことではない。

「洋食がいいなー」
「そういや三回連続和食かー」
「私が食べたいのは昨日やったからいいや」

あれが、これが。それが、どれが、と。色んな料理が意見として挙がってはテーブルの上を駆けていく。このままいけば、恐らく和食以外になるだろう。洋食か、あるいは久しぶりに中華に走るのもいいのかもしれない。ああでも、お昼に中華は少し重いかしら。軽めにすると、和食とあまり差がでなそうだし。……結局、ぼうっと聞いている内に揚げ物にしようということに皆の話は落ち着いて。食堂も段々と賑やかになり、普段の食事の時間になったところで、皆で席を立ったのだった。

 昨日のお昼以降の食事からはさっぱりしたものを中心に少な目に提供したこともあってか、お腹が空いて早く起きた、という子達はちょっと多かったみたいだ。普段なら皆の食事の時間というのはある程度分散しているのだけれど、今日は食堂の奥の方まで席が埋まるほどだ。夕食や切り分けていくおやつに皆の好物が出るときも似た様なことが起きるけれど、朝食では少し珍しい。正直、煮物で助かった、というところである。揚げ物だと料理しながらの提供だから、私が居ないと回らなくなることも多いのだ。

「そこそこ好評ですね」

食堂のお世話をしていた子が厨房に戻って来て、そう教えてくれた。寝起きでは珍しいことであったからか、ちょっと疲れた様子。

「そう。良かったわ。お昼に揚げ物は正解かもね。ちょっとだけ重めにしても良いのかも」
「そうですねえ。これならおやつも喜んでもらえそうですね」
「そうね。何を作るかあとで決めなくちゃね。まだ考えてなくて」
「ああ、それなら久しぶりに」

と。彼女は椅子へと腰を下ろした後、一つのお菓子の名前を挙げた。



~~



 朝食を運んできた咲夜は、少し楽しそうだった。朝からとても忙しかったみたいだが、そのお陰で仕事が早く片付いてもいた様だ。……で、並んだ朝食は、ねぎだ。今日はお味噌汁だけじゃなく煮物にも載っている。決して嫌いじゃないけれど……ああ、こういう日に限って、咲夜に用事を言いつけてあったりするんだよな。今日も朝食後に話そうって言ってたから、お茶の準備もほとんど合わせて持ってきてしまっている。幸いお湯だけは後でまた熱いのを持ってくるだろうけれど、たぶん時を止めて行くだろうからほとんど時間はとれないだろう。
 頼むから歯に挟まらないでくれ。最悪挟まっても良い、変なところにくっつくのだけは勘弁してくれ……と。そう思いながら、箸を伸ばしていった。美味しい料理なのだから邪念抜きに食べたい所ではあって……実際今日のもちょっと濃い目ではあるけどとても美味しいのに。ままならないものだ。咲夜に話題を振るために話し掛けるのも、気になってしまう。仕方が無いから、決して不機嫌では無いということが伝わらない様に、努めて穏やかに、そして笑顔で食べて行った。
 咲夜がよそ見をしたり、ベッドの手入れにふらふらと向かった隙にすっと歯の様子を確かめて。見えないうちにとささっと葱を食べてしまって、目に見える葱が無くなったところでほっと一息ついたりして。……自分が咲夜に悪いことをしているという自覚があるから、少々胸が痛い。一方の咲夜は……この後に話すことというのが楽しみなようだった。仕事が増えることではあるのだけれど、中身が皆への支援についてだからだろう。咲夜はとてもありがたいことに、贔屓せずに皆のことを纏めてくれている。特別な子が一人いるのは知っているけれど、その子を含めて他の皆の背中をもっと押していく機会が公のものとして得られるのだ。皆が好きだという咲夜にとっては、渡りに船という状態でもあるのだろう。
 そのお陰もあってか、食事が終わると咲夜はすぐにお茶の準備もしてくれた。幸いなことに、咲夜自身のカップを持ってくることを忘れていたみたいで……取りに行っている隙に身だしなみは整えた。身、というか歯だが。確かめて良かった。くっついていた。

「お待たせしました」
「うん。おかえり」

素早い帰還だったけれど、憂いが消えるというのは良いものである。
 一緒のお茶の時間をするときというのは大概対面に座ることが多い。けれども今日は紙を見ながらの話をすることもあって、少し珍しいことではあるのだけれど、隣に並んでお茶を貰った。食後すぐなこともあって、お醤油めいた匂いもお茶にまだ交じっている。

「……という感じでさ、食事に関してと、衣類に関してと、住居に関して。それぞれで何か褒章や労いができたらと考えている。今の所のそれぞれの案は……」

案の概要から、枝を一つ一つ確かめていくように咲夜に説明した。……いや、違うか。説明は説明であるけれど、検査して貰っているというのが正しい。館の主は私であるが、財布の紐を握っているのは咲夜なのだ。私は普段の報告を基に予算を組んで、その上で問題ないだろうと思って提案した訳だが、会計に限らずこの館のあらゆることを知っている咲夜だ。紙に視線は合わせつつも、目に捉えているのは私に見えない数字や関係なのだろう。頷きながら聞いてくれるし、顔は笑っているのだけれど、目は少しだけ怖い。

「食事については……食事というか、おやつについてになるけれど、事前申請で量を増やすとか……」

とりあえず最後まで聞いてみて、そこから聞いてくるつもりなのだろう。私が説明し損ねた部分は都度尋ねてくれたけれど、案には突っ込んでくれなくて。何も喋らなくても良いからパチェに同席して貰えば良かったかな、なんて。今更ながらに思ったりした。

「衣類の方は……」

ひとつ、ひとつ。

「住居、これはお泊り用の部屋になるんだけど……」

それでも、努めて冷静に。そして、言い忘れは無いようにして。伝えて行った。

「……というところ。どうだろう。実現可能か、ということと、貴女の意見を聞きたいのだけど」
「はい。できると思います。……そうですね」

私が結びに咲夜に尋ねると、咲夜はそう言った後瞼を下ろして。しばらく無言のまま固まっていたのだけれど、私がそっとカップに手を伸ばして一口貰うと、ゆっくりと頷いた。

「まず確認を。資金の基ですね」
「ああうん。貯蓄からの崩しではなく、既存の組んでいた予算を分割、利用する気でいる」

咲夜もそこそこ予想がついていたのか、私がしゃべり始めると、すぐに頷いていた。

「まあ、メインは館の修繕費の積み立てだね。必須分を削減するつもりはないよ。もう一つ今まで計算してた、あの子が……フランが暴れた時のための積み立てに関しての一部を回すつもりだ。完全切り替えじゃなく、一部をこちらで使うということだね」
「他の分野で同じ様に計上されている部分も回してくるのなら、恐らく金銭面は問題なさそうですね」
「……うん。……大丈夫、かな?」

喜んでもらうための施策ではあるけれど。予算のもとを口にするのは少し怖かった。これは、フランがもう暴れないことを前提とした提案だから。現段階で、あの子と門の子達との壁は……まだ、残っている。勿論、会計のとりまとめをしている妖精の子達を除けば、施策の資金がどこから出たのかということは分かりはしないから心配をかけないけれど……皆のことを大切にしてくれている咲夜に、それを口にするのは。怖かった。

「お嬢様」
「うん」
「大丈夫かな、ではないです。大丈夫だ、と言えるようにしていくんです」
「……うん。そうだね。すまない」

私が何を思っているのかは、咲夜にも分かっているようだ。嬉しい言葉ではあるけれど、言わせてしまったかな、とも思う。

「今後は、二人で立つのでしょう。フランドールお嬢様と、お嬢様と。……あのコインを見せてくれたときもそういう意味なんだなって、私は思って。どうか胸を張っていて下さい。もしもお金に困ることがあったら、その時は私が何とかいたしますから」
「咲夜」
「はい」
「責任者は、私だよ」
「……はい」

……施策を始める前から、咲夜の気苦労を増やしてしまった。
 予算が落ち着いた後は、それぞれの支援の方針や方法について咲夜が意見をくれた。貸し出し用の部屋についてはそもそも病室として使っていた一角の活用について前々から咲夜と話をしていたこともあり、咲夜もそういう風になるのではないかと思ってはいたそうだ。これは部屋の改装が絡むので初期費用がかさむけれど、その部分については一時的に貯蓄を崩して後で補填することにするとのこと。部屋のレイアウトや改装案までは私も持っていなかったのだけれど、そこは咲夜が考えてくれるようだ。元々、こういう部屋に住んでみたいという話は妖精の子達の間でも話されている様で、それをアイデアとした形にしてくれるとのこと。……私が先ほどの話題で変に落ち込んだせいか、凄く明るく教えてくれた。だから私もできる限り頭を切り替えて、その言葉を聞いていった。
 衣類については、コスト……要は必要になるコインの枚数をある程度増やして欲しいとのことだ。やはりこれが一番ネックになるところだった。私の想像とは違い、ドレスはまだ良いらしい。衣類の手直しは再現性を高めようとすればするほど手間と金銭面に影響が出るとのことだった。つまりは手直しをするというよりは、既存の衣類をモチーフや原案とした別の一着として作るとした方が、何倍も楽になるとのこと。
 最後に食事の案については……これも、結構意見が入った。普段のおやつを申請により増やす感覚で居たのだけれど、

「予算としてはこのままでも問題ないんですけど」

もう少し、方向性を変えたほうが、金銭的に都合が良いらしい。

「要は一人で、あるいはほかの子達と何かするときに特別な気分になれるためのお菓子、ということですから。作るものをある程度限定してしまうのが良いと思います。例えばの話で言えば、ケーキとかは向かないんです。ケーキって、運ぶのに凄く気を遣うものですから。館で出すときもケーキは皆に集まって貰って、食堂で切り分けてから食べて貰っていますし。一方でパイとかの容器に入れたものは凄く楽なんです。多少バスケットを揺らした位ではびくともしません」

そして、何か思う所があったのか、とても饒舌に咲夜が続ける。

「加えて提供可能とする日もある程度絞ったりすれば、作る量が同じだったとしても手間と金銭については凄く軽減されますね。仕入れと在庫の管理が楽になるので。それにほら、良いじゃないですか。友達とバスケットを手に湖のほとりを散歩して、二人でパイをさくさく切って行って。……微笑ましいですよ。私達が用意するおやつって、ケーキから飴玉まで、割と気まぐれも含んで色々ですから。その方が、絶対に良いと思います」

……ひょっとしたら、それをしたい相手、なのかもしれないな。咲夜にとっての、大切なあの子というのは。

「確かにね。……そう。言い忘れは無いようにしようと話していたつもりだったが、一つあった。パチェにもこの施策については事前に相談していたんだ。そこで、コインの管理や支援要望の管理については貴女ではなく、妖精の子から一人担当を作った方が良いだろうということになってね。……ほら。そういう役割があると、咲夜の部屋にも訪れやすいと思うし」

私の言葉に咲夜が目を丸くして。……困らせた後だったから、こわばりの解けた顔に段々となっていく様子を見るのはちょっと嬉しかった。

「良いのでしょうか」
「そもそも貴女の負担を増やしたい訳じゃないからね。分散できるところはするもんだ。ああ、あと。パチェから近い内に差し入れがあると思う。部屋の中の音を外に漏らさない様にしてくれるマジックアイテムだとさ。改装工事とかで役立つと思う」
「それは……はい、とても。嬉しいです」

……なら、良かった。



~~



 地下の廊下の途中にある、私に割り当てられたお部屋。普段の生活でよく使う蝋燭の予備はここに置いてあるのだけれど、それも段々と数が減って来ていて。午前のお掃除を済ませた私は、久しぶりに物置部屋にやって来ていた。館内用の蝋燭と地下用の蝋燭は長さが違うし、地下用の蝋燭を他の所で使うことが無いから、本当はあるだけ全部地下に運んでしまっても問題は無いのだけれど……過去にそれをやったら、途端に部屋が蝋燭臭くなってしまって。私の部屋で私自身が寝ることはもうほとんど無くなってしまったけれど、替えの服が段々と蝋燭臭くなりそうなのが嫌で、定期的にここにはやってくるのだ。
 持ってきていた台車に蝋燭を積み込み、必要な物は他に無かっただろうかと他の備蓄を眺めていく。切らしてしまいそうなものは無かったけれど、ふと、目に留まるものがあった。ノートだ。まだ誰にも書き込まれていない、新品のノート。お嬢様もノートは持っているのだけれど、私のおさがりなのだ。今でもたまに開いて色々と書いていたりする。破いている所もあって、それは過去にレミリアお嬢様や咲夜さんに手紙を書くのに使ったみたい。備蓄には、封筒や便箋もある。今度この辺りも、咲夜さんに聞いて貰っておこうかな。
 思えば、咲夜さんには色々とお願いしてしまっている。主にはお嬢様の衣服のことなんだけど……実を言えば、衣服の問題があるのは、お嬢様だけじゃなくて私もだったりする。普段着ているこのメイド服は里に出る位なら良いけれど、険しい場所に着ていくのにはあんまり向いていない。ふりふりな所とかが枝に引っかかってしまうからだ。それに普段のお仕事に着ている服だから、穴が空いたらそれだけでも困ってしまう。だから私服で行くことになるのだろうけれど……これがまた、古いのだ。着る必要が無くなってから随分と経っている。まだ確かめていないけれど、なんとなく、虫に齧られてそうだなって。そう思ってしまうくらいだ。お洗濯して片付けているのに、あの虫は一体どこから来るのやら。いつも不思議でならない。
 お昼ご飯の時間も近いから、ついでに運んでしまおうと思って。少しだけ物置部屋の椅子で休ませて貰った後、頃合いを見て部屋を出て、台車を押しながら廊下をゆっくり歩いた。駆けるお掃除係に、飛んでいくお洗濯係。すれ違う皆はどこか浮足立っていて、忙しなくて。何かあったんだろうかと思いながら厨房の方まで向かってみれば、甘い匂いが少しずつ鼻をくすぐる様になった。ああ、そうか。昨日はおやつが無かったから。……焼いたリンゴの匂い。これが今日のおやつになるのだろう。きっと焼き菓子だ。

「お疲れ様です」
「ああ、うん。お疲れ様」

蝋燭を台車の下の段に移して、厨房にお邪魔した。外に漂っていたのは甘いふわふわした雰囲気だったのに、ドアを開けてみれば中は油の弾ける音が響いていた。匂いも少しばかり、混沌としている。今は昼食の準備の真っ最中の様子。今日のお昼ご飯は、サンドイッチみたいだ。お野菜のサンドイッチと、卵のサンドイッチと、とんかつのサンドイッチ。ちょっととんかつが大きい。そして……

「久しぶりだね」
「うん。久方ぶりのアップルパイ」

アップルパイ……が、尋常じゃないくらい、厨房の端の方でうず高く積まれている。

「はい、これが二人分」
「本当に?」

厨房の子が二人分の食事を台車に載せてくれたのだけれど……珍しく、パイが容器そのままだ。普段ならざくっと切り出したふた切れになる所なのに。

「今日は特別みたい。ほら、昨日無かったから」
「なるほど。それじゃ遠慮なく。切り分けるナイフも貰えるかな」
「ああ、そうだね。……はい、これ。まだパイも温かいから、是非楽しんで」
「うん。……そういえば」

厨房を見回して、ふと気付く。

「咲夜さんは?」
「うんと、ついさっきかなー。買い物の用事があるからって、ある程度の準備が終わったところで出て行っちゃった。夕方くらいまで戻らないみたいだよ?」
「そうなんだ」

ちょっとだけ、相談できたらと思ったんだけど。また機会を改めることにしよう。



~~



 善は急げと急がば回れは、どちらが優先されるのか。時間に限りがある場合にはそれは問題だけれど、そうでない私にはあまり関係がない。設計に調達、加工に設置、そしてお手入れ。時間をかけることで私ができることも多いけれど、できないこともまだ、沢山あったりする。だから、できることは念を入れて準備してできないことは早い内に他人を頼る。それが私のインテリアにおける今のスタンスだ。お昼ご飯を作り、お夕飯の予定を厨房で共有して走り出た午後の時間。やってきたのは山にある、河童の工房だ。

「……うーん。うん。できる」
「じゃあお願いするわ。出来た順に貰って行こうと思うんだけど」
「え。今日中じゃないよね?」
「勿論。ただ、早い方が嬉しいし、そうしてくれたらしてくれる程色つけるけど」

依頼するのはベッドの製作だ。過去にも体重計や他の便利な道具を含めて結構な回数頼んでいる。ベッドには予備も無い訳ではないが、特別な気持ちで利用して貰う部屋だから。大きさもそこそこの良いものを頼みに来たのだ。ひょっとしたらベッド本体を作ること自体は毛玉クラブの子達にもできたことなのかもしれないけれど、あの子達にとっても真新しく特別な労いとなってほしいから。だからここに持ち込んだのだ。それに、求めていることもあって。結構な無理難題だと思ったから、というのもある。
 求めているのは四つだ。一つめは幅だ。妖精の子が四人並んでも寝るのに不自由しない幅がいい。理想は対角線に妖精の子が縦に三人並んでもぎりぎりなんとかなりそうな位。二つめは丈夫さ。多少飛び跳ねても本体はできるだけ軋まないこと。三つめはそれと相反していくが、通気性と軽さの確保だ。あまりに大きすぎるのでカビ対策は必須だし、床が傷むこともできるだけ避けたい。最後は……そもそもこれが最重要でもあるんだけど、一人で組立て可能で、釘を使わないこと。もっと言えば……私がここから一つ一つ部品を持って帰れる重さであること。
 できると言った彼女だったけれど、その後はしばらく唸っていて。それが落ち着いた後は少しずつ、細かい所を詰めて行った。素材の話にデザインの傾向、お金の話、そして最短での納期の話。……お嬢様と話していたお部屋の改修予算からは四倍くらいオーバーしてしまっているのだけれど、私がひっそりと溜めていた内緒の貯蓄があるから、そこから出すつもりだ。本当にどうにもならない位の非常時の為に取っておいたものでもあるのだけど、皆で楽しんで貰えるなら、それが良い。会計は……ばれないように、後で予算の項を改竄しておこう。請求額の改竄は修理が絡んだとき改めて問題になってしまうから。

「あー。色の話なんだけどさ。今回は赤白どっちも欲しいな」
「分かったわ。そっちはそっちで用意しておくわね。お金は一回目の受け取りの時に半額で良いかしら」

提示された受け取り開始日時は、三日後から。思ったより早くて驚いたけど、作ることが滅多に無いようなものというのは楽しいらしい。パーツ毎に作っていくから完全な納品には時間がかかるけれど、それも早く受け取れる要因らしかった。……ちなみに、色、というのは、ワインの色だ。宴会での様子を見るに、にとり本人の嗜好としてはお米から作ったお酒の方が好きみたいなのだけれど、彼女が友達と集まって飲むのにはワインの受けもそこそこ良いそうで。……お陰で通貨の代わりとしてもよく役立っている。

「あーそうだ。最後に一つだけ」
「何かしら」
「全部を作ってから納品じゃないしさ。一番最後、本体の組立ての際は私も立ち合いたいかな。気を付けて作るけど、最終的な調整は必要になると思うんだよ。それに、設置場所の床の環境とかでズレが出てくるだろうから」

……それも、そうか。

「ええ。そこはこちらからもお願いするわ。本体が終わったら、上に敷くマットをお願いできるかしら」
「うん。その予定。そっちは調整はないよ」

頷きながらにとりがそう返して。私も頷いた。
 手付の品として用意していたワインを渡した後、すぐに彼女の家を出て、山を下りた。……太陽はまだ高いけれど。急がなければ。



~~



 今日は二人の子がお泊りに来るから。だから、私の仕事も今日は夕方までで。その時間を迎えて、館に入ろうとした頃になって、咲夜さんは帰って来た。

「お疲れさまです。持ちましょうか」

背をすっと伸ばし、静かに、そして軽やかに歩くことの多い咲夜さん……も、重い荷物を運んで来た時は話が別で。今は大きな紙袋を苦役の様に担いで、息を切らしていた。細々とした買い物であれば時間を止めて、それこそ私の脇を抜ける様に行っていたのだろうけれど。この、見えているという状態は、即ち手伝ってほしいという気持ちの表れだってことは私にも良く分かっていて。咲夜さんの言葉を待たず背中の荷物に手を差し込むと、すぐにそれを引き取った。中身はどうやら、布の様だ。綺麗に畳まれているけど……なんでこんな量を買ったんだろう。

「お願い……私の部屋に運んでくれるかしら」

赤くなった手を背中から膝に回して大きく息を吐いた咲夜さんは、絞り出すようにそう言って。息が整うまで休んだ後、二人で館までの道を歩いた。

「これ、服の素材じゃないですよね?」
「ええ」

紙袋の開いた口から覗き込んだ中身。どうやら二つの布が入っているようだ。片方は良く馴染みがある。ベッドシーツと同じ布だ。もう片方は向こうが透けて見える程薄い布。こっちは服の飾りとして見ることも無い訳じゃないけど……あまりにも大きすぎる。館全員分の服の飾りを切り出す位の勢いじゃないととても使いきれない気がする。

「ちょっと皆には秘密の工作をしててね。その材料なの。もっとも、まだ必要な材料があるから備蓄を見て、また明日買いに出ることになりそう」
「そうですか。手伝い、しましょうか?」
「駄目駄目。そもそも貴女は明日……いや、本来なら今もだけど。非番でしょう。それに明日のはたぶん、そこまで重くないから大丈夫」

曲がっていた背中を戻すのは痛いようで、少しずつ少しずつという感じで背を伸ばしながら、咲夜さんはため息を漏らした。落ちた肩からちらりと見えた背中は……多分最初は前で抱えて、それから背中で担いだのだろう。アイロンがけに失敗した感じの綺麗な皺があった。

「それで体、持ちます?」
「持つ持つ。……まあちょっと、明後日以降は……河城さんのところ次第かしらね」
「家具でも?」
「ええ。まあ、運搬用のフローターを借りられればそこそこマシにはなるかしらね」
「良いですよねあれ。パチュリー様の魔法みたいで」
「どちらもメリットばかりじゃない、というのはあるけどね。……汗、かいちゃった。お夕飯作らなきゃだけど、お部屋で着替えを取って、先にお風呂かしら」

背中の生地がどうやら張り付いていた様で、服の隙間に指を差し込み剥がすようにぱたぱたと動かして。最後はぼそぼそと呟いた咲夜さんだったけど、今は背中が軽くなっているお陰か、声も明るかった。私みたいな妖怪は大抵、体力や力が人間に比べればある方だけれど、咲夜さんも体力に関しては大概だと思う。勿論、都度見えないところで休んでいるからなのだろうけど。……私だったらそこまで疲れていたら、とても料理はする気になれなかっただろう。
 館の中はそこそこに忙しそうだった。咲夜さんがお昼からずっと居なかったというのが響いているんだと思う。

「ごめん、先にお部屋に行っててもらえるかしら。すぐ私も行くから。……あと、その荷物のことは聞かれても障りのないことを言ってくれるかしら」
「ええ。ええ。大丈夫ですよ。……机の脇あたりに置かせて貰いますね」

そんなこともあって、咲夜さんは懐から取り出した鍵を私に差し出して。とりあえず両手が塞がっていたこともあって……ずいと差し出されるがままに口で受け取った。
 咲夜さんと別れ、廊下を歩いていると……図書館の方の廊下から、

「お疲れさま」

歩いてきていたお嬢様と出会った。パチュリー様の所に行っていた様だ。お嬢様は箱の様なものを二つ抱えていて、私の荷物を見るなり眉を顰めたけれど……口に咥えたものに気が付いたのか、何度か頷いていた。帰り道が一緒だから、ということで並んで歩いたけれど……すれ違ったほかの子はお嬢様以上に何か言いたげな様子で。結局そんな子に何人も出会ったけれど、不思議と皆、何も言うことが無かった。
 お嬢様の部屋の前まで来ると、

「ちょっと貴女、ついてきて頂戴」

と、お嬢様は部屋の前でのんびりと待機していた子を呼び、一緒に隣の咲夜さんの部屋の前まで連れて来た。

「ほら。美鈴、鍵渡してちょうだい」

そう言われ、咥えていた鍵を彼女に渡す。差し込む側を咥えていたから、引っ張られると刻みが少し痛かった。少しの間の後空いた咲夜さんの部屋のドア。妖精の子がドアを支えてくれて、お嬢様と一緒に部屋に入った。……相変わらず、整頓の行き届いた部屋だ。目に映る範囲に勿論咲夜さんの私物であるとかは目に入るのだけれど、大概のものは収納され、忙しそうに見えた今日でさえ机の上には紙一枚残っていない。あるのはペン立てと……インクの匂いくらいだった。

「お嬢様のそれはなんなんです?」
「これか」

私が机の横に荷物を置く一方で、お嬢様も持っていた箱を机の上に置いた。蓋の丸い、まるで小さな宝箱のような箱。蓋の中央には小さく丸い穴が開いていた。私が尋ねたからか、お嬢様は二つあった箱の内の片方を手に取り開いて。私の方へと中身を見せてくれた。……中に入っていたのは、音符のオブジェだ。下の方には先ほど見た穴程の太さの棒が突き出ていて。お嬢様は拾い上げ、箱を改めて閉じると、その穴へと音符を差し込んだ。……ぽっと、紫色に音符が淡く光る。

「こう使う」
「と言われましても。明かりですか?」
「うーん。まあ三人居ればわかりやすいか。貴女、一旦外に出てドアを閉じてくれるかしら。で、心の中で十秒ゆっくり数えたら、また開けておくれ」
「……はい」

お嬢様がドアの傍に居た子にそう言って、パタンとドアを閉めた。

「ふぅ」

それを見て、お嬢様がため息を吐き……大きく息を吸って。

「ぎゃおおおおおおおお!」

叫んだ。長く、大きく。ポーズまでとって。何かの真似なのかもしれないけれど……どう、応えれば良いのか分からない。声が止み、戸惑っている内にドアがまた開いて。さっきの子がひょこっと顔を覗かせた。

「次は、何をいたしましょうか」
「そうね。何か、変わったこととか、気づいたことはあったかい?」
「えっと……うんと……」

お嬢様の問いかけに彼女が困って。

「待ってたら、お腹が鳴りました」

と。小さな声で、正直に答えていた。

「そう。ありがとう。この道具は部屋の中の音を外に漏らさなくするマジックアイテムなんだ。機会は少ないだろうけど、館の中で大規模な作業をするときに休んでいる子達に迷惑がかからないように。まあ、保険として作って貰った物なんだよ」
「あー、なるほど。叫ぶ前に一言欲しかったです」
「驚いた?」
「チェストの角に足の指を思い切りぶつけた感じの声でしたよ」

説明が終わったからか、お嬢様は音符を蓋から引き抜き、また箱の中に仕舞って。

「いやぁ、なんだか眠そうだったからね。まだお仕事があるんだろう」
「いえ、今日はもうあがりで」
「……それは、その。すまなかった」

私を見ながら得意げに言ったので正直に返したら……そこそこ、へこんでいた。
 今夜の予定を話していると、ドアの所で待っていた子がふと視線を廊下に移して。それから間もなく、咲夜さんは入ってきた。鍵を受け取り、ドアを潜る瞬間まではヘトヘトな様子が垣間見えたのに、お嬢様の姿を確認したからだろうか、今はもう背筋が伸びている。

「すまないね。私も届け物があったから便乗して部屋に来たんだよ」
「そうでしたか」

咲夜さんとお嬢様の話が始まる。……中身はさっき聞いた、置物の話だ。咲夜さんにはある程度事前に話してあったのか、すぐに納得してて。試すのかなと思ったけれど……流石にまた叫ぶのは恥ずかしいみたいで、使い方と注意点を伝えるだけ伝えた後は、自分で試して、と。そう言って話を切り上げていた。

「買い物、お疲れさま。お金は足りてる?」
「ええ。ええ。大丈夫です。予定外の出費は無いですとも」
「そうか」

……なんとなく、嘘に聞こえたけれど。指摘すると面倒なことになりそうだから、その言葉を最後に私とお嬢様は咲夜さんの部屋を後にした。



~~



 本当は二人きりが良かったな、なんて。ちょっとだけ、思ってたんだけど。結局もう一人を含めて三人でのお泊り会になった。美鈴さんは私だけの美鈴さんじゃないから……仕方ない。それに……予想していたことでもあった。むしろ三人で済んで良かったかも、とも思えるくらいだ。

「並んでるなー」

 手荷物を自分の部屋で急いでまとめ、お風呂で頑張って体を洗い、ゆっくりお湯に浸かって。それから食堂へとやって来た。ちょっとだけ来るタイミングが遅かったみたいで、料理の受け渡しをするところは皆がもう並んでた。今日は……何だか久方ぶりに見た気がする天麩羅だ。たぶん、行列の原因でもある。普通の揚げ物と違って、色んな種類の野菜でやるお陰だろうか、一度並び始めるとしばらく行列が動くことはなくて、かと思えばするすると凄い勢いで消えるというのが繰り返されるのだ。大体一度にできる人数分は決まってて……今並んでいる感じだと、次の次くらいで受け取れそうな気がする。後ろを振り返ってみれば、私の後ろにもずらりと行列ができていて……遠くに、美鈴さん、さらに遠くに、一緒に泊まる子が居る。……二人とも、お風呂はまだみたいだ。

「はい、どうぞ」
「うん。ありがと」

私の順番がやって来て、出されたトレイを受け取った。今日の天麩羅は蓮根と、椎茸と、南瓜にお芋に……何か分からないもの。たぶん鶏のお肉。お汁はお味噌汁だったけれど、天麩羅と被らないようにするためなのか、あまり味噌汁の中に入ることがない食材が入ってた。
 端の方の、静かな落ち着いた席に座って、手を合わせた。皆と話しながら食べるご飯も美味しいのだけど、美鈴さんは先に部屋で待ってても良いって言ってたから。だから急いで食べるつもりだ。美鈴さんは後ろに並んでたから、早く食べても一緒に過ごす時間が増える訳じゃないけれど……美鈴さんの部屋がそもそも、好きだから。先に待っていたい。
 お味噌汁は見るからにあつあつだったから、天麩羅をじっと見つめ……油の走りがないお野菜の天麩羅から拾ってお汁につけて一口。……うん。とりあえず蓮根と椎茸は大丈夫そう。南瓜とお芋は、少し厚いからまだまだ熱を持ってるかな。でも順番に食べていれば問題なさそうだ。
 次はこれ、その次はご飯、そしてこっち、そろそろお汁、そしてまたあっち。列が進んでいくのを横目に見ながら、とにかく急いで食べて行った。ちょっと周りからは変な目で見られたけれど、必要なことなのだ。急げば急いだだけ、できることが増える。時間は貴重なのだ。ご飯がなくなり、天麩羅が消え、お味噌汁の最後の一口を何とか熱いままに胃におろして。一息吐くついでとばかりに立ち上がって、食器を下げに行く。美鈴さんはやっと食べ始めたという所の様で、私に気づいたのか目を丸くしつつも、

「鍵開けてあるよ」
「お先にお邪魔してます」

私にそう言って、熱そうにお味噌汁を飲んでいた。
 自分の部屋から纏めていた荷物を拾い、走って向かった美鈴さんのお部屋。とても久しぶりに入った気がする。美鈴さんのお部屋は、私達と違って一人部屋。ベッドがとても大きくて……聞いた話だと、お嬢様のより少しだけ小さい位らしい。元々は皆と同じサイズのベッドを使ってたらしいんだけど、こうなってしまったのは……ほぼほぼ、私達のせいかなって。そう思う所もある。お泊り会をするのにも、美鈴さん……体、大きいから。
 持ってきたパジャマに着替えて、枕を手にベッドへお邪魔した。皆が好きな、美鈴さんの匂い。……安心する、匂い。
 私達は、美鈴さんに依存してる。それは、たぶん私達皆が心の中に持っている共通の意識だ。追い詰められるのが極端に怖くなってしまった子から、続く痛みが耐えられない子。自分を信じて良いのか分からない子に、盲目的に信じなければ保っていられない子。原因は大きくは同じだけれど、心の中にできてしまったものは、みんな事情が違っていて。まだ周りの事情のことを考える余裕のない子だっている。そんな皆の全員の心の拠り所。全部を見て、お友達も、お姉さんも、お母さんも、お医者さんも全部やってくれる。安楽椅子みたいに優しく包んでくれる、私達の大切な人。

「うん。早いね」
「おかえりなさい」

自分の枕を置いてコロコロとしていると、美鈴さんが帰って来た。

「私はお風呂行ってくるんだけど……貴方はもう浴びちゃったみたいね。もう一人の子と浴びてくるけど、すぐ戻ってくるから」
「ゆっくり浴びて来て下さい。あ、温めておきましょうか!」
「んー。お言葉に甘えようかな。お願いして良い?」
「勿論ですとも」

クローゼットからひょいひょいとパジャマと下着を取り出して、美鈴さんがするするとドアへと向かって行く。その背中を眺めながら、口実だけは貰って。風のように現れて、風のように去っていった後ろ姿を見送って……美鈴さんの枕に、顔を埋めた。
 他の子達と比べて、私はどうなのだろう。私は一体何を美鈴さんに求めてしまっているのだろう。そこそこ、その答えは自分でも分かっている。口実を作っては、美鈴さんと過ごす時間を作ろうとしている。私は、寂しいのだ。ここに居て良いのか、という。そんな簡単な問いの答えを、ずっと悩み……今も悩み続けてる。
 そもそも。私は他の子達に比べれば比較的にマシな部類だった。勿論それは、精神的、肉体的な傷においてだ。体の傷もまだ痕はあるけれど、当時みたいに満足に動かせないということもない。寂しい夜や、雨風の強い夜にその傷が痛むことはあるけれど、痛むだけだ。一人の夜に怯えることはない。ただひたすらに、寂しいだけで。

「美鈴さんの匂い……」

今さらになって、幸福だったのだと思う。今の私は、周りを見る余裕がある。考えることも、考えるのを止めることもできる。だから、なのだろうか。私は、何とかしたかった。美鈴さんが頑張って優しさを振りまいている。皆が頑張って立ち直ろうとしている。自分だってまだまだだってことは分かってるけれど、せめて、その手助けはしたかった。……でも、私にできることは、とても、とても少なかった。私は……門番だけど、自分の身を守ることすら自信がない。怪我を癒してあげることもできない。悲しみを共有できても、取り除いてあげることができない。出来ないことばかりのなか、それでも色々考えて、力になれそうなことは手伝ってきたけれど。良い成果は、あがらなくて……そこへやって来たのが、お嬢様の誘いだった。
 妹様の今を確かめに行く。その話が出た時、変に混乱したのを覚えている。これに名乗りをあげれば、私がここに、この館に居て良い理由になるんじゃないかと。そう思ってだ。だから。詰所で誰が行くのか話題になったとき。一言目に願い出たのだ。皆が混乱した。妹様のことを怖くない者なんて、誰もいないのだ。勿論それは私だって含んでる。正気を疑われた。たぶん、それは正しい。抑えられなくなった焦燥感と、自分自身に価値を見出せなくなってたことが混ざりに混ざって。……押し切ったのだから。
 いざ決まって向かうお嬢様の部屋までの道のりは……一歩踏みしめるのも怖くて、踏めば決意がぐらついて。折れそうな気持ちだった。廊下はとても長く感じたし、振り返って見える遠くの暗がりは怖かった。でも、自分に言い聞かせ続けた。私は、マシなのだと。私が、適任なのだ、と。無根拠でも何でも、とにかく理由をつけて、一歩一歩、進んだのを覚えてる。迎えてくれたお嬢様は終始、心配してた。先に提案したときよりもずっと、心配してた。私は……頭の中で、理由づけが続いている内に連れて行ってもらって。やっとたどり着いた地下への入口で、思い出した。忘れたわけじゃないんだけど。……何を、されたのか。どう、なったのか。
 変な話だけれど。それがとても怖かったから。だから、引き返さなかったんだ。私でこれなら、他の皆はこれでは済まないのだろうと。そう思ったから。自分ではまともに歩けなかったから、お嬢様に手を引いて貰う形にはなってしまったけれど。なんとか、立つことはできていて。妹様の部屋の前に着いて、今更になって何を話さなきゃいけないのか。何を、言い忘れてはいけないのか。そして私は、何を言いたいのか。焦りながら、私は部屋に入った。
 部屋の中は、前に見た時とは様子が違っていた。家具の配置、明るさ、匂い……ああ、でも。一番違っていたのは、空気の重さだったと思う。重くて、粘り気まで感じる程に肌にまとわりつくそれ。妹様が近くに居るときはいつも感じていた、それ。その感覚を思い出しはしたけれど、あの時の私は、それを感じていない。交わす視線。投げられる視線。小さく聞こえる寝息。色々、迷っていた。お嬢様や寝ている彼女が言っていた、今は大丈夫という言葉の意味はすぐ分かったんだ。でも、心が。狭い私の心が、それを許さなかった。認めたほうが誰にとっても良い結果になるだろうことは分かっていても。悔しさがずっと心にまとわりついて。許せなかった。

『これを確かめてきてとか、聞いてきてとか。言われなかったの?』

お嬢様の言葉に、詰所での話を思い出す。本当は皆からの言葉なんて、預かってなかったんだ。皆が最初から最後までしていたのは、私の心配だったから。ただ、それらのどんな言葉にも消えず混じっていた恐怖心と、今のこの館の環境での自分たちの立場への焦り。それらは私がどう思おうと関係なく、伝えなくてはいけないと思って。どこまでなら皆は私の案を許してくれるのか。そして、どこまでならこの妹様を許せるのか。考えて、伝えたのだった。……結局、私の仕返しの様な気持ちも、籠ってしまったんだけど。
 伝えた後のことは、あんまり覚えてない。疲れてしまって、お嬢様の背中を借りて帰ったことを覚えてる。背中の上で、どう報告すれば皆は怯えずに済むのか、そもそも私の独断が咎められるのではないか、私がついた嘘が原因で余計にこじれてしまうのではないか……色んな事が頭の中をぐるぐるして。結局、気力が保てなくて。気が付いたら朝日が照らすベッドの上に居た。
 重い頭で、頑張って整理して。……全部、正直に話したんだ。昨日、あの部屋で何があったのか、何を感じたか、何を約束してしまったのか。すぐ怒るだろうなって思ったけど、誰も何も言わなくて。部屋を出るときのことまで全部話して、伝えることが尽きてしまうと……部屋は凍ったように静かになってた。

『嘘、ついてない?』

そう言われて、心臓が大きく跳ねたのを覚えてる。

『……私の気持ちを、皆の気持ちみたいに言っちゃった』
『違う。……本当に、大丈夫だったの?』

ただただ、結局。最後まで。……皆は私の心配をしてくれていた。

「ただいま」
「お邪魔します」

美鈴さんと、一緒に働く友達が部屋に帰って来た。……あれから。誰も私を怒ってくれない。尋ねても、怒ってないって言われてしまう。ありがとうとも言われた。本当は、とても有り難いことなんだと思う。でも、だからなのだろうか。

「おかえりなさい」

眠って次の日を迎えた時。まるで夢の様に今のこの生活が崩れてしまって、恐れていた事態になっていやしないかと。……それが、怖いんだ。



~~



 美鈴さんと一緒にお部屋に入ると、先に来ていた彼女はベッドの上に転がって、枕に顔を埋めていて。ただいま、の言葉に彼女は明るい顔を持ち上げて、私達を迎えてくれた。……本当は美鈴さんと二人きりのお泊り会を楽しみにしていたんだと思うと、ちょっと心が痛い。けれど、私にも譲れないものはある。私は決して二人きりの時間を邪魔したい訳じゃないんだ。ただ、ただ。誰かが美鈴さんと二人きりで寝るという状況を作りたくないだけなのだ。
 私達は、美鈴さんに依存してる。姉の様に頼りがいがあって、母の様に優しく、それでいて同じ目線で話してくれて、困った時は皆を診てくれるそんな美鈴さんに。一度は光を失った私達だから、結構盲目的に心の拠り所にしてしまっている。それは……私も含めてだ。
 最初にお泊り会をしたいと言った時も、そういう環境や美鈴さんに対する安心感、そして憧れがあってのことだ。思えば、あの頃のベッドは今のように大きくもなかったし、この部屋の中はもっともっと、殺風景だった。衣類を仕舞うクローゼットの中だけは宝箱の中の様に煌びやかなものがあったけれど、ベッドとテーブル、そして二人分の椅子を除けば、目につくものは帽子掛けくらい。病室以外で初めて見た、生活感の無い部屋だったのだ。
 そんな部屋だったけど、一緒に眠ってくれる美鈴さんはやっぱり優しかった。小さなベッドでも隅に寄ってくれて、願えば手も握ってくれて。温かい胸の中で抱いてくれた。眠れなければ眠くなるまで話してくれたし、小さな悩みでも、真剣に聞いてくれた。優しさに飢えてしまっていたからか、私はお泊り会が楽しみになって……何度も、何度も。お世話になったんだ。
 でも。ベッドの中でもドキドキしなくなったあるお泊りの日の夜。抱かれていた胸の中で、独り目が覚めてしまった。たまたま前の日に沢山眠ってしまったからという些細な理由だったのだけど……気持ちよく寝てた私とは対照的に、美鈴さんは顔を歪めて眠っていた。普段は明るい顔を振りまいている美鈴さんだったから、思わず息を止めたのを覚えてる。変な寝言も漏らしていたし、悪夢を見ているのはすぐに分かったから、その肩を揺すって。起きるのにちょっと時間はかかったけれど、なんとかその夢から引っ張り出して。瞼を持ち上げた美鈴さんに声をかけた。美鈴さんは大丈夫、大丈夫と笑って……しばらく私の顔を見つめた後、お礼を言って。それからすぐ、また眠っていた。
 その日は、それで終わり。でも、気になって。次のお泊りの時も、その次のお泊りの時も。夜に一人胸の中で起きて、美鈴さんを見つめた。……同じ様に、うなされていた。くっつき過ぎたのが原因かと思い、少しだけでも距離を取って眠っても、見せてくれる顔は同じだった。ただ。違うこともあった。それは美鈴さんが漏らす寝言だった。どんな夢を見ているのかいつも不思議で、美鈴さんは悪夢の内容を一度も教えてくれなかったけど……何度目かのお泊り会のとき。寝ている口から漏れて聞こえた、ごめんねという言葉で……気付いた。

『美鈴さん、美鈴さん』
『ん……ああ、うん。ごめんね。起こしちゃったね。……ほら、寒いからもうちょっとくっつこう?』
『……はい』

全く同じ言い方のその言葉を、聞いたことがあったからだ。それは、私が初めて病室で目を覚ましたときに、傍に居た美鈴さんが最初にかけてくれた言葉だった。また眠り始めた美鈴さんの腕の中で、過去の寝言を思い返してみると……そのほとんどが、聞いた覚えがあった。私が目覚めた時のこともあれば、違う子の時のこともあるけれど。病室で私が聞いた言葉だった。
 私達が覚めた時の夢。私達が覚めなかった時の夢。それを、この人は見続けている。時には涙が零れる夜もあった。でも。それでも。美鈴さんは次の日には笑顔で私を朝ごはんに誘った。何度も、何度も、何度も。ただの一度も、その笑顔を欠かすことなく。絶やすことなく。
 この人は、私達のことに責任を感じている。少なくとも私は、美鈴さんのせいだと思ったことは無いのに。そして……この人は。怪我をさせてしまったことに責任を感じているんじゃない。代わりになれなかったことを、責任として感じている。病室では聞いたことが無い言葉だったけれど、『行ってはだめ』『私にして』と漏らす寝言は……恐らく、そういうことなんだと思う。
 何とかしたかった。でもあくまで夢のこと。一度やんわりと言ってみたことがあったけど、夢のことだからと一蹴された。だから夢には夢で、対抗することにした。どうすれば悪夢を止められるのか。何か手段は無いのかと。色々試して……何度か、それで起こしてしまったこともあるけど、二つだけ見つかった。一つは手を握ること。やんわりとでは駄目みたいで、少しだけぎゅっと握って、ちょっとだけ弱める。寝言と苦しそうな顔は、これで止まってくれる。もう一つは頭を撫でること。……寝言も止むし、打って変わって穏やかな顔になってくれるけれど、代わりとばかりに涙がぽろぽろと零れて、しばらくするとその感触でなのか、起きてしまう。手段が見つかってホッとはしたのだけど……でも、また別の新しい問題が出てきた。お泊り会をやりすぎたのだ。他の子が、興味を持ってしまった。
 私は美鈴さんのそういう悩みを皆に知られたくなかった。美鈴さんは皆の支えだから。笑顔の下に何を隠しているかなんて、知られたくなかった。私の同僚たちは、砕けたガラスの人形を糊でくっつけた直後の様な、まだまだ不安定な子が多かったから。……戦いが始まった。お泊り会の話題に乱入し、いくらその子が美鈴さんを好きでも参加して……朝まで手を握る。最初の内は良かった。けれど恒例化してくるにつれて、私の体力が持たなくなりはじめて。根本的な解決が必要になった私は、一番口が堅かった友達にそのことを相談した。
 目標は、美鈴さんが背負わなくて良いものを、その背中から下ろすこと。口で勝負するにしても、たぶん私達には勝つことができない。匿名でお手紙を出して元気づけてみたり、楽しんで貰えそうな話や物を贈ってみたりもしたけれど……確かに楽しんで貰えたけれど、悪夢は終わらない。やはり心の底にしまい込んでいるのなら、それに合わせた手段を探さなければならなくて。……これは、友達が手段を探してくれることになった。でも、当面はその場しのぎでも私が何とかするしか無くて。戦いは今も、続いている。昔と違って、今は飲み物に睡眠薬を混ぜて、一緒にお泊りをする子を深く眠らせたりすることもできるけれど。

「そろそろ寝よっか」

……今日は、残念ながらそれが使えそうには無くて。眠れない夜が、始まった。



~~



 咲夜さんがへとへとになって夕方帰って来たと聞いたから、お夕飯とお風呂を済ませた後、着替えを隠し持ってお部屋に行ってみた。普段訪れるときよりも少し早い時間だったからか、ちょっと返事は遅かったけれど……無事に部屋に居たみたい。挨拶をして部屋に入れば咲夜さんはベッドの上に転がって、ぐいぐいと肩回りを解していて。私の姿を見ると腕を下ろしてにっこりと笑った。

「お疲れですか」
「うん。ちょっと。……でも丁度良かったわ」
「でしょうでしょう。しましょうか、あれ」
「ああ……うん。体の負担にならない範囲でね。ふふ。それ以外で貴女に用事があったのよ」
「そうでしたか」

ホッとしながら後ろ手に部屋の鍵を閉め、ベッドの脇で私もパジャマに着替えて。咲夜さんの隣に座ってみれば……少し前までは寝転がって体を解していたのか、ちょっとだけ温かった。

「ストレッチのお手伝いを先に致しましょう」
「お願いして良いかしら……ああでも、ちょっとだけ待っててね」

まだまだ解し足りないと言わんばかりに首と肩を動かしていたから尋ねてみれば……咲夜さんはそう言って立ち上がって。机の上にあった見慣れない箱を取りに行った。二つあった箱の片方を持ち上げ、蓋を開いて。……指輪とか出てきたら素敵だったんだけど、中から出てきたのは小さな音符だった。咲夜さんは箱を閉じて……音符を箱に突き立てて。

「それは?」
「これ、部屋の外に音を漏れなくしてくれるんだって」

パッと光り始めた音符を確認して、そっと机の上にそれを戻した。

「ほら、夜だから。好きなだけ貴女と話せる様に」

咲夜さんがまた、私の隣に座る。……でも、そういう割りには、

「じゃあ、お願い」

腕を差し出してきた咲夜さんの声は、いつもベッドで聞かせてくれる位小さくて。とりあえず私も、咲夜さんに合わせて小さな声で話すことにした。
 咲夜さんの背中は、ぱんぱんになっていた。二の腕も、いつもの柔らかさがない。指も関節が固まっている感じだ。求められるがままに指から順に、一つ一つ解していく。随分と重たい買い物だったのだろう。たぶん、机の横にある大きい袋がそれだ。色々持ち方を変えながら頑張って帰って来たのだと思う。袋は結構しわくちゃになっていた。咲夜さんはしばらく、薄目がちに私の手を見ていたのだけれど……少しして、口を開いた。

「そのまま聞いて貰って良い?」
「はい。何か、ありましたか」
「うん。でもまず、これから話すことは秘密にしてね」

その言葉に咲夜さんと昔お風呂場で話したことを思い出したけど……打ち明けることに怖さがあったあの時と違って、とても優しい目をしてて。それでいて、少し楽し気で。私がゆっくり頷くと、ホッとした様に続きを話してくれた。

「今度ね、皆への慰労のために新しいことをすることになったの。季節毎に皆にコインを配って、お菓子と交換できるようにしたり、パーティ用のドレスとか服の新調や修正ができるようにしたり、あとは特別なお泊り部屋が使えるようにしたりする予定なの」
「それはまたなんだか、凄いですね」
「勿論、負担になりすぎない範囲でやるんだけど。それでね。流石に私一人の力じゃ厳しいから、貴女達の中から一人、お手伝いをしてくれる担当の子を決めようってことになって。それを、貴女にお願いしたい。……引き受けて貰えない?」
「私で大丈夫です?」
「ああ、えっとね。新しいお仕事になるけど、無理をさせるつもりはないの。そうね、管理が中心のお仕事なんだけど……それにね」

そう言うと、私の手に咲夜さんが手を重ね、ぐっと体をこちらに向けた。……腰にも来てるみたいだ。ちょっと痛そう。

「私は貴女が良い」
「……はい。お役目頂戴します」
「ありがとう。それと、そのことでの打合せの名目なら。堂々この部屋に来られるようにもなるから。……ごめんね。あと、もう一つ聞きたいことがあるの」
「何でしょう」

訊き返してみると、咲夜さんは顔を赤くして小さな声で唸った。

「……貴女の寝室、ここにしない?」
「そ、それは……あれ?」
「ああ、えっと。貴女の異動に伴って、部屋の割り当てをちょっと変えて、一人部屋を捻出しようと思ってるの。そこを……というか、今の貴女の使ってる二人部屋なんだけど、貴女だけの部屋にしたいの。その。私、部屋に居る他の子の目もあるから迎えに行くってことが難しくて。でも一人の部屋なら……いつも、貴女に来て貰ってばっかりだから……勿論無理にとは言わないんだけど」

これはどう受けたものだろう。私はいま特別な位置にいるけれど、元々咲夜さんが好きなのは私を含めた皆であって。贔屓するのがあんまり好きではないんだってことは分かってる。現状、完全な一人部屋というのは、やることがくっきりと分かれてしまった妹様のお世話係だけと聞く。たぶん、上の階で一人部屋になったら周りから浮いてしまうし、そのことを羨ましがる子もまた出てくるはずで……そしてそれは当然、咲夜さんも分かっているはずで。それでも、会いたいって。言ってくれるんだなって。その気持ちはとても嬉しいことなんだけど。

「そこはまた、お仕事が始まって、少し様子を見てから決めませんか」
「うん。分かった。……ごめんね」
「ううん。私は咲夜さんに負い目なんて持ってほしくないですから。でも、寂しい思いもさせたくないです。……もっと来ていいなら、もっと来ちゃいますから」

背中を借りて、肩を揉んで。小さな声で返事をしてくれた咲夜さんに、抱き着いた。

「今度、貴女に鍵を預けるわ。この部屋の、ドアの鍵」
「良いのですか?」
「うん。……こういう時間、すごく幸せなんだもの。それに」
「それに?」
「鍵を預けてたら、もし私が寝てしまってても……ね?」

夜這い、なんて。一生関係が無い言葉だと思ってたんだけど。ああでも。しても良いことなのなら。ちょっとだけ、してみたかった。
 ストレッチが終わった後、すぐに寝転がった咲夜さん。思い立って私も転がって、腕を開いてみれば……胸に顔を預けてくれた。温かなおでこ。熱を出しているわけでは無いみたいだけど、全体的にいつもより温かい。ひょっとしたら私が冷えているだけなのかな。でも、気持ちよさそうにしてくれる。

「明日からね、お泊り用のお部屋を準備していくの」
「お仕事変わるのでしたら、私はそれのお手伝いをすればいいでしょうか」
「そうね。独りだと難しくなる作業もあるから、そこは手伝って貰おうかしら」
「任せてくださいな。ああでも、一つだけ」
「うん?」
「そのお部屋が完成したら。ごろんってしてみたいです」
「うん。それはその予定なの。料理だって味見するから。ベッドは、寝転がってみないとね」
「楽しみです」
「うん……特別なものを、仕入れるから」

返ってくる言葉が単調に、そして小さくなって来て。そもそも疲れていたことを思い出す。背中に手をまわして抱き寄せれば、だんだんと咲夜さんの呼吸が長くなっていって。……すぐに、夢の世界に行ってしまったようだった。ちらりと視線を動かして、その先にあった机の上の光る音符。……普段言ってくれないような、色んなことを教えてくれたけれど。結局最後まで小声だったなって。

「どうか朝まで、良い夢を」

そう思いながら、私も。最後に小さな声で口添えた。

 咲夜さんが言っていたお部屋の準備というのは、私が思っていたよりもずっと規模の大きなものだった。準備というより、工事と言った方が正しいと思うくらいに。最初の一日目は、壁紙の交換だった。今のままでもそこそこ綺麗だったのだけれど、元々ここを病室として使っていたこともあって、イメージを変えたいのだそうだ。今までは白色の、どちらかと言えば和紙にも近いような紙だったけれど、今度の壁紙は……薄桃色。光の下だととても白に近い感じなのだけれど、少し影が差すとピンクに寄っていく、そんな色合い。
 私は壁紙の貼替なんてやったことがないから、聞いた後はどうすれば良いのだろうって思ってたんだけど……私が呼ばれ、部屋についたときには貼る作業そのものが終わってしまっていて。改めて任されたのは、剥がして役目を終えた白い壁紙を処分することと、色んな物が散らばった床を綺麗にすることだった。ついでに言えば、作業を終えてへとへとになっていた咲夜さんをぎゅっとするのも一つのお仕事だったけど。咲夜さんが言うには、休むのと鋭気を養うのは中々両立しないから、ぎゅっとされるととても嬉しいのだそうだ。この部屋のドアには鍵がついていないから……ちょっと、ドキドキした。誰も使ってない部屋だから、誰も入ってくることがないと分かっていても。咲夜さんの体で温まらせて貰った後、床を掃き、捨ててしまうごみを全部バケツに集めて。それを小分けにして、運び出していった。壁紙がそのまま見えると、周りに変な目で見られてしまうから、毎度毎度一番上には雑巾を被せて、工作室とお部屋を行ったり来たり。新しく貼った壁紙はあんまり切れ目という切れ目が見えなかったのだけど……貼ったということは新しい壁紙をあそこまで運んだ、ということでもあって。改めて咲夜さんの体力の凄さを思い知らされる。時間を止めて少しずつやった、ということは分かっていても。
 火の番は、何が何でも誰も見ていないという状態を避けないといけないから、工作室にゴミを運び込んだ後は、ひたすら床のお掃除だった。零れてしまった糊もそうだけれど、聞いた話では床は元のままだそうだから、昔からついていた小さな汚れも丁寧に洗って行った。……しばらく使っていないことと、大みそかにはいつも掃除していたお陰でちょっとだけ楽だったけど。一息ついて窓からちらりと外を見てみれば……お洗濯係の子に交じってシーツを干す咲夜さんの姿が見えた。
 二日目は、お部屋の作業は無かった。糊が乾くように窓だけは開けてたけど。その代わりとばかりに、空いた時間では咲夜さんの部屋の机を囲んで新しい制度の説明をしてくれた。素敵な案だったんだけど、聞けば聞くほど、咲夜さんが疲れてしまわないだろうかと心配になるような案で。

『体の疲れは休めば取れるものだから。だから貴女に心の疲れを取って貰おうかなって。……それに、ね。私は皆のためにできることが増えるのは嬉しいの』

私が心配してかけた言葉にはそう笑っていたけれど……うん。まずは私が咲夜さんを信用しなきゃだ。

『じゃあ疲れた夜は、沢山甘えてくださいね?』

はぐらかすついでに、からかうつもりでそう言ってみれば、

『朝と昼は、だめ?』

なんて。笑って、返してくれた。
 お昼過ぎには少し珍しいお客さんが来た。河童の……なんとかさん。そう、河城さん。浴場の脱衣所、そこにある体重計を何年かに一度調整に来てくれる。あの調整の後の体重計というのはちょっと怖い。何回かに一度は明るい声があがって、自分もそれにあやかれるのだけど。……前回は、呻いた気がする。今日来たのもその調整なのかと思ったけれど、今日はちょっと違ったみたいで。私と咲夜さんとで準備しているお部屋のことを調べに来たのだそうだ。咲夜さんに話を聞いてみると、ベッドを河城さんに依頼しているらしい。

『どの位置に置くのかい?』
『片方の隅がここで……貴女、ここ立って貰って良い?』
『はい』

訪れたのはそのための調査なんだそうで。リュックにパンパンになるくらい、色んな物を持ってきていた。私は邪魔にならない様に、咲夜さんのお手伝い。と言ってもあんまりすることが無くて、ベッドの位置を確かめるための目印になってたりして。その様子を見守っていた。カーテン越しにちらりと見えた外では、お洗濯係が干しているのが見えて……飛んで行ってしまったのか、小さくてひらひらしたものを、一人の子が飛んで追いかけていた。

『で、対角の隅がこっちの方向の、ここあたりになるんじゃないかと思ってるんだけど』
『うん。伺ってたのだとその位だね。幅はあと半歩あるかな』

安心して、少しだけぼーっとしながら聞いていたのだけど……私はてっきり、ベッドを二つ置くんだと思ってた。四人くらいで使うって聞いてたから、二人用のベッドが二つなのかなって。でも……違うみたい。一つのベッドらしい。このサイズ、お嬢様のより大きい気が……いや、確実に大きい。寝返り無しで頑張れば十人で川の字ができそうだ。

『大きいでしょ』
『そ、そうですね。あの、ほんとに?』
『うん。ほんとほんと。前金も貰ってるからね。んー……分かった。搬入ルートは今通ってきたルートだよね』

私の驚きに二人が笑い、打合せが続く。

『ええ。一応この部屋に入れるのもあのドアから。勿論取り外せるわ』
『問題無さそう。床の耐久性は、計器の様子からするとそこそこだね。耐久性と軽さの確保でちょっと土台の部分が独特のデザインになるけど、そこは構わないかい?』
『ええ』
『組立てはこの子も手伝ってくれるのかい?』
『その予定よ。流石に二人で組立てはこの大きさだと厳しいと思うから』
『うん。助かるよ……最後にもう一度、床の具合見させてね』

そこからは、河城さんの道具を配置したりするお手伝い。大きいベッドだから、床の歪みを見るんだって。どうやらベッドの足が沢山ある形になるみたいで、その足がちゃんと機能するように調べるのだそうだ。道具の使い方は私も、そして咲夜さんも分からなかったから、配置だけを手伝った後は二人揃って隅で浮いていたんだけど……

『床に立ってても大丈夫だから降りて良いよ?』

なんて。河城さんに笑われていた。
 それからの日々は、矢が流れる様に早い日々だったと思う。でももっと早かったのは、咲夜さんの疲れが溜まっていく早さでもあった。ベッドの部品を河城さんの工房からこの館まで運んでこないといけなかったからなのだけど……組立てて最後一つのベッドにすると言っても、一つ一つはそれなりに大きくて、館に着いてからは私も手伝ったけれど、結構重たかった。咲夜さんが持って帰ってくるのはいつも昼と夕方の丁度中間くらいで、そこからは毎日、夕方までの時間や、夜のお仕事が終わった後のひと時を咲夜さんのベッドでぎゅっとして過ごしたりして。腕や肩を揉めば、いつも凄く喜んでくれた。
 最終日は三人で組立て。あの音符の置物のお陰もあって、特に周りから疑われることなく作業は進んで……思ったよりも大きなベッドが完成した。

『やっぱり、組むとでかいね』
『でかいわね』
『……でかいです』

組み終えた土台。そこに、小さなブロックみたいになったマットを敷いていく。見た目に反してかなり軽く、それでも敷き終えてためしに座ってみたら……いつものよりふかふか。ちょっと跳ねたくなるけれど、お客様の前だから流石に我慢した。

『残りのお金は後日改めて届けて貰って良いかな』
『ええ。そうさせて。他のお届け物も一緒にするから。……今はあんまり、運ぶとか持つとかって言葉を浮かべたくないけど』
『だろうね。私もだもん。でもさー。ここまできたら最後のアレも手伝わないとでしょ?』

そう。ベッドはまだ、完成していない。部屋の隅には、畳まれたシーツがあるし、大きな枕も四つほど壁にもたれている。毛布類に至っては一枚布は重すぎて、結局左右に二枚になったけど、それもこんもりとした山のままだ。それを皆で息を切らせながら、整えていく。今日は河城さんも手伝ってくれるけれど、恐らくはこのシーツ替えも今後続く重労働になるのだろう。一番重労働なのは、これを洗って、運んで、干す子達の方だと思うけど。たぶん、幻想郷で一番高価なシーツなんじゃないだろうか。
 一つ一つ、敷き込んで、のせて。やっと一通り揃うと……一組の布が余った。

『あれは?』

薄い薄い、向こうが透けて見えそうな布。運んでくるときも結構軽かった。

『ああ、それは。少々お待ちください』

そう言って、咲夜さんが天井を見上げ……一度、覚悟するようにため息を吐いて。……次の瞬間には、ベッドを囲む様に布がかかっていた。

『あーなるほど。天蓋代わりか』
『ええ。流石に天蓋付きにすると床のことが怖かったので』
『だろうね』

天井に伸びるレール。垂れる薄い布。カーテンを少しだけ開けていたから、布越しにはお外がおぼろげに光って見えた。

『側面二枚ずつに、底面も……同じか。それね、ベッドの端や傍でこけたとき、思わず掴んじゃうこともあるから、もう少し天井のは補強したほうが良い』
『そうなんですか。一応ここが病室だったときも同じ感じにしていたのですが』
『病人はベッドに運ぶのもベッドから出るのも人の手を借りるから、そもそも発生率が低いんだよ。……いやね、私のベッド、天蓋付きだからさ』
『あらー……自信の案だったんですけど』
『うーん。そうだね。このままやるなら、留め具を直にレールへ接続するのを止めようか。これだと掴んでこけたら直でレールにダメージが行くよ。最悪この布も破れる。だから……ちょっとまってね』

そう言って、河城さんが自分のリュックをずるりと引っ張って来て……奥からごわごわした布ととげとげした布を取り出した。

『こういうのを間に一枚かませるといい。この布同士は、重ねて押し付けるとくっついて、ちょっとの力じゃとれないけど、大きな力や端から力が加わると布が剥がれるんだ。これなら吊る分に問題なく、掴んでしまったときの対処になる。剥ぐときちょっと音はするけど。勿論洗っても問題なし。レールの受ける側にこれの片方を、今の布の片方にもう片方を縫い付ければほぼこのまま使えるんじゃないかなー』
『これ、おいくらです?』
『ああ、えーっと……これは使い古しの見本だからまた新しく作るよ。足りないし。でもそんなにかかんない。追加で一瓶ほどつけておくれよ』
『分かったわ。……良いわね。これ用以外にも少し欲しいんだけど』
『元よりかなり多めに作るよ。こういう使い方だと、端のは弱くなりやすいんだ。その時は縫い替えることになるはずだからね。それ以外の追加分は……使用感を得てから、改めて注文してくれるかな』

なんとなくついていけない会話だったから、部屋の隅に置いてあったお茶をコップに注いで、二人に手渡した。ほんのちょっと温くなっていたけれど、皆揃って喉が渇いていたこともあってか、するするとコップの中身は減って行く。私はその後ろで、作業で出たごみを拾って集めて回った。結構な量の綴じ紐と、保護用に使っていた紙。……紙はメモ用紙には使えそうだ。折り目はちょっとついちゃったけど、沢山あるから沢山できるだろう。

『そうね。じゃあまた、改めて』
『うん。いやぁ、しかし。……でかいねぇ』
『ちょっとやりすぎたかな、とは思ってます。後悔はしてないですけど』
『よし、じゃあ……帰るよ。流石にクタクタだ。もう夕方だし。お夕飯どうするかな……あーそうだ。一本今日貰えないかな。赤で』
『ええ。ええ。じゃあ、貴女、門までお願い。私は取るもの取ってくるから』

そんな作業をしている内に、咲夜さんから案内するように言われて。パッと消えてしまった咲夜さんの代わりに、河城さんに連れ添った。

『君は咲夜さんと仲が良いのかい?』

ふと、門までの道すがら、そう尋ねられたけど。

『咲夜さんは皆と仲が良いですよ』

と返せば、愉快そうに笑っていた。

『……だろうね。でないと、あんなベッドは頼めないと思う』

 玄関では手提げ袋に入れたお酒を持った咲夜さんと、仕事で立っていた美鈴さんが居た。

『では、残りの諸々は、また改めて』
『うん。まあ、ちょっと日にち置いてきてくれると助かるかな』
『分かりました』

河城さんにお酒を渡し、リュックを担いで進む姿を三人で見送って。

『じゃあ私はお夕飯作ってくるから』

その背中が見えなくなった後、咲夜さんはそう言って……私が振り返った時にはもう、居なくなっていた。相変わらず、はやい。

『ねえ、君』

両手を挙げ、グッと体を伸ばし……私も帰ろうと。そう思っていると、美鈴さんに呼び止められた。美鈴さんは膝を少し曲げ……じっと私の顔を見ていた。

『はい』
『ちゃんと休みを取ってね。貴女、何か無理してるでしょう』
『大丈夫ですとも。作業は今日がヤマだったので。これから……お掃除がちょっとありますけど、後はのんびりです』
『そう。なら良いんだけど、疲れてる時は自分の思ってる今の体力をあまり過信しないで。倒れちゃうよ?』

確かに、指摘された通り……結構疲れてた。それは勿論作業の疲れだけじゃなく、連日咲夜さんをぎゅっとしてたのもあるんだけど……せめて。今日はしてあげたい。でも、ああ。無理には、なっちゃうかもしれない。私が頷くと、美鈴さんも頷いて。ぽんぽんと頭を撫でられた。前にもされたことがあるし、その時と同じくらいの強さのはずなのに……その手は重かった。
 お部屋の片づけを終え、いつものように食事とお風呂を済ませた後、咲夜さんのお部屋に向かった。いつもより遅い時間になったこともあってか、人通りはあんまりなくて。遠回りしてやってきた咲夜さんの部屋の前の廊下は、誰の姿も無かった。ノックして、少しして戻ってきたお返事に、ドアを開けて中に入った。咲夜さんもお風呂を済ませていた様で、テーブルの前でメモ帳を眺めてて。先にベッドで休んでて、と言われた私はベッドに腰を下ろした後……ここしばらくのことを、思い返していた。

「もうちょっと待っててね。……横になってても良いのよ?」
「じゃあ、あたためておきますね」
「うん」

ふとかかった咲夜さんの声に甘え、枕に頭を預けて。テーブルの上で淡い光を放つ音符のオブジェを眺めながら、自分の体を伸ばし、揉んで解していく。洗面器が持ち上げられなかったから腕に来ているのは分かっていたんだけど、改めて色々と動かしてみると、太ももも、腰も。そして背中も。久々の感触になっていた。

「今日は私が揉んであげなきゃね」
「じゃあ咲夜さんを先に揉みましょう」
「あらあら。そう言うだろうと思って、私は自分でやっちゃったから」

うつ伏せになり、筋を伸ばしている内に、咲夜さんはそう言いながらやって来て。ベッドの上にやってくると、そのまま私の体に馬乗りになった。……あっためておいて、と言った割には、のせてくれたお尻がとてもあたたかい。

「お腹、苦しい?」
「大丈夫です」
「そっか。じゃあ、背中から。腕は、腰の方におろして貰える?」

咲夜さんの言葉に顔の下に入れていた枕をよけ、腕を下げて。ベッドと挟まれて突っ張っていた服を戻すと、咲夜さんの手が背中に降りた。お尻と対照的に、ちょっと手は冷たい。

「明日はお休みにするから、今夜も、明日も。ゆっくり休んでね」
「咲夜さんと一緒に休みたいです」
「……うん。じゃあ時間作るから。明日はのんびりしよっか」
「はい」

背中を咲夜さんに預けることは寝る時以外にも増えてきたけれど、体のつくりの差というか、羽の周りをしてくれるときだけはいつもあまり力が無い。皆が皆、羽のつくりも違うし、その付け根への負担のかかり方や、触れられたときの弱さも様々で……それを気遣ってくれてのことなのだろうけれど。もうちょっと、力を入れてくれても大丈夫なのになって思う。気持ちよくない訳じゃないんだけど……違う意味で、変に気持ち良いのだ。もしも逆に力をこれ以上抜かれてしまったら、確実に違う方の意味を持ってきてしまいそうなくらい。勿論それは、咲夜さんが楽しそうにしてるから、とか。咲夜さんに組み敷かれてる状況だから、とか。そういうのも色々あるんだけど。

「気持ちいい?」
「……はい」

こういう答え方をしてしまうのがいけないんだろうか。咲夜さんにそれとなく理解して欲しくて、私がするときに似た様なことをやったこともある。でも。そもそも咲夜さんは、そういう触れられ方というのに凄く弱いみたいで、触れられたときの反応というのはものすごく極端に表れてしまう。凄く心地よさそうにしてくれるか、変な意味で凄く気持ちよさそうにしてくれるか。……そして何より。凄くくすぐったそうにするか。本当に最後のは厄介だ。咲夜さんはくすぐられることに尋常じゃなく弱い。聞けば、悪戯でくすぐられることがあった私とは違って、誰からもそういうものを受けたことが無かったから、らしいんだけど。悪戯好きな子がこの弱さを知ってしまったらと思うと、ちょっと怖いくらいだ。

「肩はまた後でしてあげるからね」

指が背中を降りていく。今日使い過ぎたお陰か、明らかに固さが違うというのが分かったのだろう。そこからは指の強さも少し増して。……でも、体重を使って押そうとするからか、私の体の上で跳ねる咲夜さんのお尻が今度は気になってしまう。……真剣にやってくれているのは分かるんだけど。

「ん、くすぐったい?」
「いえ。気持ち良いので、つい」

笑ってしまったのがばれたのか、咲夜さんに尋ねられ、慌ててごまかして。目を閉じたまま、ゆっくりと楽しませて貰った。
 背中が終わってしまうと、打って変わって咲夜さんがしてくれることというのは、また感触が違う。……元より一人でも背中以外は普段からなんとかなるから、なのだろうけれど。医務室の皆が推奨し、広めるようなやり方で、滑らかに指が滑り、解されていく。お互いに関節の限界が違うから最初は痛かったり、逆に物足りなかったりというのがあったけれど……今はぎりぎりを攻める様に、解してくれる。ちょっぴり痛くもあるのだけど、お陰で終わればいつもスッキリしていた。

「はい。……お疲れさま」
「有難うございます」

足の指先まで終わった後、咲夜さんはそう言って微笑み、ベッドの中に潜り込んで。私もすぐ隣にお邪魔した。

「今日はあの力、使っちゃ駄目よ?」
「しようにも、できそうにないです」
「うん。無理はだめ。でも、それはそれとして。ぎゅっとして欲しいな」

咲夜さんの言葉に、腕を開いて胸を差し出して。ゆっくりと乗せられた頭と体を抱き込み、毛布の裾を引き上げる。私は胸が薄いけれど、それでも咲夜さんはこうされるのが好きなんだそうだ。目元が温まる感覚や、包まれているという安心感。聞こえる胸の音が心地いいのだそう。そういう経験があったのかを尋ねてみたこともあったけれど、その時は顔を温めつつも小さく頷いていた。
 私にも、咲夜さんの音は聞こえる。肌と肌を重ねるときは、愉快な位にドキドキしてくれているのに、今はとっても落ち着いている。私が抱きしめることにも随分と慣れてくれたみたいで、遠慮の代わりにほんのりと増してきた咲夜さんの重さというのは、肌で感じていてとても嬉しい。

「もうちょっと温まらせて貰ったら、交代するわね」
「咲夜さんが気持ち良いのでしたら、このままお眠りになられても良いんですよ」
「……おやすみ」
「はい。……おやすみなさい」

段々と預けられた体の重みが増し、呼吸がゆっくりとした単調なものへと変わったのを確認して私も目を閉じる。
 今日は、お疲れさまでした。



~~



 私の体が本調子を取り戻しても、パチュリー様と給仕のあの子は厳しい目で私のことを見ていたのだけれど……最近になってやっとそれも薄れて来て。朝の誰も起きていない時間を狙い図書館の奥の給湯室で始めたのは久方ぶりのお菓子作り。あの子と、パチュリー様と、そして咲夜さんへのお礼の品として。材料を補充する機会が無かったから、すごくプレーンなものになってしまうけれど、あまり凝ったものを作ると……それはそれで、また厳しい目が襲ってきそうだから。だから今回はちょっとだけ砂糖が多めの、甘い甘いクッキーを目指すことにした。
 実は、材料自体は昨日の夜から仕込んでいる。文字通り寝かせた生地だ。……ちょっとかちかちになってしまったけど、ぐりぐりと練れば少しだけ柔らかくなって。少しずつとりわけながら、型で一つ一つ打ち抜いていく。本当は色々な形を使いたい所だけど、型を増やせば増やしただけ準備の時間がかかってしまうから、作る量がちょっと多い今日は、使う型は二つだけ。真四角の型と、まん丸の型。このふたつはとにかく、早い。そして楽。形が形だから割れづらいというのもちょっと大きい。パチュリー様や給仕のあの子にはお皿に出して一緒に食べようと思うけれど、咲夜さんへは袋に入れて渡すから。勿論割れたものを最初から出すつもりはないのだけど、いざという時の保険はとても大事なのだ。練っては広げ、打ち抜いては並べ、そしてまた練って。……最後にちょっと悩ましい生地が残ったから、それは指でまとめて丸の形に。……これは味見用ということにしよう。
 生地を無事に焼き始められたのは、普段朝に作る時よりもちょっと遅い時間になってしまったけれど、朝食の時間には十分に間に合いそうで。私は焼けていく黄色の塊達を遠目に眺めながら、今日の予定をどうするか考えていた。バレンタインの日からはもう随分と経ってしまって、そろそろお返しの準備もしなくてはならない。お菓子にするか、何か役立つものにするか、それとももっと形のないものにするか。まだ、案が固まっていなかった。
 今年は、去年と違うのだ。パチュリー様との間柄というのは変わらずに在るけれど、給仕のあの子とはそうじゃない。彼女にとっては気持ちを打ち明けてから初めての、バレンタインだったのだから。
 私は彼女にどういう気持ちになってほしいのだろう。ドキドキして欲しい。ワクワクして欲しい。そういう考えは勿論私の中にある。でも……一番そうあって欲しいと望むのは、安心だった。私は、私の至らなさで彼女を不安にさせることが多かった。たぶん今も、不安というのは軽いながらに付きまとっている気持ちだと思う。言い換えればパチュリー様や私への配慮の気持ちであるのだけれど、そういうことで溜まった心の疲れを癒せる何かでありたい。
 難しい問題だ。咲夜さんの勤務問題みたいな、皆が考え尽くした問題ではないから気は楽ではある。でも、あの子に安心を与えるのには……あの子に対しての気持ちを示すと同時に、パチュリー様の顔も立てるようなことが必要な訳で。それにはどんなものが適当なのだろう。……あの子の贈り物は、私とパチュリー様を象ったチョコ。ああ、そうか。そもそもあのチョコは、パチュリー様も食べたのだ。で、あるなら。私個人からは小さなお菓子を、そしてもう一品、私とパチュリー様とで何か作って贈れば良いのではないだろうか。
 私とパチュリー様ならではの、彼女に贈ることができるもの。……うーん。装飾品は、普段のお仕事中はつけることが憚られる。薬、も何か違うだろう。懐に入れていられる小物か、あるいは自身の部屋に置いて居られる道具か。勿論お菓子も良いのだけど……ここはパチュリー様と相談だろうか。
 焼きあがったクッキーを室温に晒して熱を取り……一つ一つの様子を確かめていく。上部の焼き色は少し強くなってしまったけれど、焦げてはいない。ただ、水分が随分と飛んでしまっていたお陰なのか、ちょっとかたい。お茶のお供には良いのかもしれないけれど、咲夜さんには渡すとき言っておかなくちゃ。
 袋詰めが終わって図書館でのんびりしていると、パチュリー様が起きて来て。眠そうな目で隣の椅子に腰を下ろし……欠伸を一つ。

「おはようございます」
「うん。おはよう」
「昨晩は遅かったんですか?」
「そうね。少し夜更かししたわ。咲夜から頼まれてたものを作ってたのよ」

頼まれていたもの、か。先日お嬢様に消音のためのマジックアイテムを納めたばかりなんだけど。流石にまだほとんど日にちが経っていないし、壊れたとは思えない。

「この前のとは違うんですか?」
「ええ。火事の危険のない灯りが欲しいって」

灯り、か。……新しいお部屋の改装、部屋の位置からして採光は問題なかった気がする。夜間用なのは分かっているんだけど、なぜわざわざ火事に拘るのだろう。どの部屋にある灯りも基本的には火事の対策があるのに。

「ちょっと珍しい注文を付けられちゃってね。調整が夜じゃないとできなかったから。思いのほか苦労したけど、あとは咲夜の試験待ちってところよ」
「そうなんですか」

私の言葉にまたパチュリー様が頷き、欠伸を零して。……この分だと午前中、読書じゃなくお昼寝になるのかもしれない。となると、お茶の時間はお昼過ぎか。給仕のあの子も交えてお茶にしようと思ったんだけど、あの子はお昼から空いてるだろうか。

「焼いたの?」
「はい。また、お茶の時間に」
「楽しみにしてるわ」
「……それにしても」

そう言ってパチュリー様がドアの方を見つめる。言いたいことは分かっていた。……あの子が、来ないのだ。普段なら今頃の時間というのは食べ始めている位の時間で。急ぎ足のあの足音が、聞こえてこない。

「咲夜の寝坊、かしらね」

なんて。パチュリー様はそう言って笑っていた。



~~



 咲夜が朝食を持ってきてくれたのは普段から随分と遅くなった時間だった。朝食は蒸しパンの様で、混ぜたものの匂いなのか、片方はチョコの、もう片方はチーズの香りが漂っている。一緒に運ばれたスープは玉ねぎと黒胡椒の匂いが漂っていて、全部をひっくるめて少し混沌とした匂いだ。……というか、チョコが強い。私が尋ねるまでもなく、彼女は寝坊してしまったと謝っていて……鏡を見る時間をあまりとらなかったのだろう。前からみると何も問題ないのに、配膳中に垣間見えた後ろ姿は髪の下の方がちょっとだけよれていた。

「ベッドの組立ての疲れかな」
「恐らくは。一応、休息は取っていたつもりだったんですが」
「まあそういうこともある。気を付けていてもなる時はなるさ。無事、組みあがったのかい?」
「はい。昨日で。後は家具を少し整えて、ドアを鍵付きのものに入れ替えれば終わりです」
「そうか。何よりだね。後で見に行っていいかな。作業の邪魔になりそうなら改めるが」
「……大丈夫です」

なぜそこで言い淀むのだろう。と。咲夜と話している内は何も気に留めず、温かなパンを口に運んでいたのだけれど……いざ食後の休憩代わりとばかりに訪れてみて、分かった。
 でかい。なんだこれは。ベッド、ベッドだよな。土台にマット、シーツと枕があるから確かにそうなのだろう。そうなのだろうが、でかい。お泊り会に使うことを考えれば、小さなベッドをぽんぽんと並べ連ねるよりは一つ大きなものがあった方が確かに楽しめるのだろうが……それとも、私が知らないだけで妖精の子達の中には縦横無尽な寝相を持つ子がいるのだろうか。いや、きっとそうに違いない。

「大きいですよね」

ふと後ろから声をかけられ振り返る。この子は……あぁ。咲夜の。

「おはよう。……大きいなんてもんじゃないと思うんだけど。これ何人用なの?」
「想定は四人とのことですよ」
「それでも大きすぎない?」
「皆が真ん中を向いて輪になって寝転がっても、大丈夫なように、だそうです」

彼女は眠そうだった。服も髪もしっかりと整えていたが、瞼が重たそう。でも何より、重そうということに関して言えば掃除道具を持つ腕の方が重そうだ。体があまり追いついている感じがしない。恐らくは筋肉痛だろうが……これだけのベッド、三人で組立てとは少し無茶が過ぎるのではないか。呼んでくれれば手伝いに出たのに。

「なるほどね。……貴女は今日はお休みしたほうが良いんじゃないかしら。今すぐこの部屋を使う訳でもないでしょう」
「はい。お休みを頂いております。だから、少しだけ。……今日は咲夜さんも一緒に休んでくれるって言ってくれたので。それに、私がしないと、咲夜さんがやっちゃいそうで」

なるほど。まあ寝坊したから咲夜の性格からすれば約束はしつつもかなり頑張って今日は働くと思う。まあ、いつもの様に時間を止めるのだろう。そのことを考えれば、ここを掃除しようが、咲夜に任せようが、一緒に休む時間というのは一分どころか一秒も増えはしないのだろうが……咲夜にとってのこの子との時間を早く迎えられるようにするため、と言ったところか。あまり話してくれないけれど、上手くやっている様じゃないか。

「そうね。家具とドアを整えるって聞いてるわ。……まぁ、ほどほどになさい。無理すると咲夜が怒るわよ」
「……そうならない程度に」
「ええ。じゃあ、私はこれで」

私が手を挙げれば彼女は深々と頭を下げた。あぁ、腰も痛そう。
 部屋へと戻り、ちらりと時計を確認する。……ここしばらくの午前の時間というものは支援の案を考える時間だったけれど、咲夜に引き継いでしまったこともあって、この時間というのは少し暇な時間になってしまった。普段なら図書館に遊びに行く所だが、パチェは体調を持ち直してきたあの子との時間をあまり邪魔されたくはないだろう。天気も私にはそこそこ都合が悪いし……そうだ。

「誰か居るかしら。お茶の準備お願いできる?」
「はい。お持ちいたします」
「あと、倉庫から一番小さいサイズの便箋を……そうね、十枚。無ければ記録室を尋ねて頂戴。お手紙の会の誰かを捕まえられれば手に入ると思うから」
「便箋以外には何かありますか?」
「ううん……あぁ。形は正方形に近いと有り難いわ。サイズよりはそれを優先で。細長いのはだめ。とりあえず……それだけで良いわ。ありがとう」
「では、行って参りますので少々お待ちください」

……よし。
 ほとんどの企画や作業を咲夜に引き継いだとはいえ、一つだけまだ秘密にしていることがある。わざわざ伝えなかったのは、私がこうするだろうことをあの子自身読んでいるだろうし、読んでいなかったとしても今後の生活の中で勝手に気付くだろうと思ったからだ。既にパチェからは銅貨の初回生産分を納品して貰っている。予定では季節毎に一人に一枚ずつ配っていくのだが、それだけでは面白くない。そこそこの遊びが最初にあっても良いだろう。最初から熱が無ければ企画倒れでもある。要は……イースターエッグだ。恣意的で、そして作為的ではあるけれど、その方がかえって皆には分かりやすく、受け取りやすいだろう。
 わざとらしさというのはとにかく大切だ。何故ならば便箋に幾らプレゼントと書こうとも、意図が伝わらなかったらただの何か書いた紙と謎に出てきた遺失物だ。わざとらしさを増すために袋を使うことも検討したけれど、それは隠すのには向かない。今回は便箋を折りこんで直接包むつもりだ。書き込む内容も決めている。文字は使わない。記号のみだ。ここから開いてという矢印と、開いた先にあるプレゼントボックスの絵。書き込むのはこれだけにする。
 頼んだ子とは違う声の子がお茶を届けてくれて、一杯目のお茶で喉を潤している内にさっきの子が便箋を届けてくれて。久しぶりの細かな作業だ。便箋で小さな包みを作り、机に入れていた定規で折り目を押して。広げた所にプレゼントボックスの絵を書き、並べ、滲まない様に乾かしていく。書いている内、段々と

「プレゼントボックスってこんな感じで良かったのよね……」

と。何だか心配になりつつも、一枚一枚を整えて行った。
 最後の一枚に取り掛かっていると、ドアのノックの音が部屋に響いて。生返事になってしまったけれど、入るように促せば、

「お時間、大丈夫ですか」

入って来たのは、フランのお世話係の子だった。

「ええ。テーブルの方にかけてて頂戴。もうちょっとでひと段落つくから」
「はい」

最後の一枚を描き終え、机の上で乾かし始め、くるりと手のひらを確認する。……よし。どうやらインクはついていない。

「待たせてごめんね。何かあったかい?」
「……図書館に、行きたいのです」
「……行けば、良いんじゃない?」
「お嬢様と、です。図書館のお二人には、何となく聞きづらくて。図書館のお姉さんの方は何となく許してくれるのかなって思ってはいるんですけど……あの。実は私、パチュリー様の考えてることまでは分からなくて。勿論、私もお嬢様も荒らす目的ではないのですが」
「ああ、パチェが実の所フランを気にしているかどうか、ということか」
「はい」

……なるほど。なかなか、難しい悩みかもしれない。パチェは気が回ってしまうから、いつも一緒にいるあの子にはお腹の中にあるものを打ち明けてしまうけれど、他の……私を含めた皆と話すときは、どれだけ砕けた話し方を選んだとしても、遠慮という一枚の壁があるのだ。勿論その時々で薄い、厚いの差はある。そういう意味では、私はフランの姉という立場だから。うーん。
 大丈夫だとは思う。ほぼ間違いなく。それでもこの子が気にするのは、この子とフランが部屋の外の皆に対してどう振舞って行こうか、ということを考えた時に、相手に無理を押し付けたくないから、ということがあるからなのだろう。フランが私の妹である以上、直接尋ねるのも中々難しいんだろうな。確かにパチェの性格なら心底嫌という場合を除けば、頷いてしまうだろうし。

「直接、パチェに尋ねなさい」
「……パチュリー様はレミリアお嬢様と仲が良いですから、その」
「遠慮して許可しちゃうんじゃないか、ということでしょ。それでも、直接尋ねるしかないと思う。許可されなかったらそれまでだ。諦めるしかない。でも、心の内では迷って許可を出したとしても、だ。使わせてくれることには違いないんだ。だったらその時の態度で示しなさい。なんとなく、貴女の言いたいことも分かるんだけどね。ああでも、あと数日は止めたほうが良いと思う。貴女の言ってたお姉さんの方、今は病み上がりでしょ」
「はい。友達からもそう伺っています」

友達、か。立場上、この子の友好関係はちょっと心配するところではあるのだが、この辺りの情報をきちんと掴んでいる辺りからして、日常的に話せる相手なのだろう。願わくばもっともっと、色んな友達がこの子にも増えてくれたらいいのだが。今いる友達はきっと、お世話係になる前からいた友達か、仕事の都合上出会う相手とだけ、位だろうから。美鈴や咲夜はこの辺りのフォローも上手いのだろうが、私に残念ながらそのスキルは無い。それに私自身の立場としても、それを行使したところであまり良い方には転ばないだろう。

「うん。病み上がりは大切な時間だからね。当人にとっても、その周りにとっても。ところで、図書館で何を調べるんだい?」
「えっと、その。ホワイトデーのお返しに作れるものを探しに」
「それなら咲夜に教われば良かったんじゃない?」
「お勉強も兼ねて、とのことなので。……それと、できることから始めたいというのもありまして」
「そうね。大事なことだと思うわ。そのこともパチェには伝えなさいな。安心できる材料はとことん話しちゃうと良い」
「……大丈夫でしょうか」
「大丈夫よ。そこだけは保証できる」
「後日、頑張って交渉してみます」

私が頷いて返すと、まだ不安そうな顔ではあったけれど、彼女も頷いていた。パチェ自身の普段の振舞いもそうだが、地下に閉じ込めてきたことにも関与しているから、余計に気になってしまうのだろう。あれは私がパチェに協力をお願いした結果なんだけど、ね。
 彼女が帰ってしまった後で、机に戻り……考える。あまり意識はしてこなかったけれど、大きな問題かもしれない。私に遠慮して表に出すことができないでいる不安や恐怖が、その子達の中で積みあがっていやしないだろうか。門の子達は素直にその辺りを教えてくれるのだけれど……それ以外の子達は、自分たちが直接的な被害を食らっていないから、という理由で言い出しづらいのでは。……数は分からない。でもきっといるだろう。しかし、それをどう把握すればいいんだ。私が尋ねても意味がない。咲夜に調べて貰うのもやはり、意味が無い。完全に手詰まりではないのか。
 どうしたものだろう。貰っていたお茶がすっかり冷めてしまった後で、ふと咲夜に貰った報告書のことを思い出して。私は机の上に広げていたものをとりあえず整理すると、外の子に片付けを任せて部屋を出た。

「おはようございます」
「うん。おはよう。……今、貴女だけ?」
「ええ。今日は怪我人はまだ出ておりません」

やって来たのは、医務室だ。久方ぶりに入った気がする。フラン絡みの怪我があった頃は何度も出入りしていたのだが。思えば、随分と匂いも変わった気がする。

「貴女、魔女の一撃のメンバーだったりしない?」
「はい。一応、メンバーです」
「お願いがある」

私の尋ね方がよろしくなかったのか、怪訝そうな顔になってしまったけれど、これまでのいきさつを説明すると……彼女は頷いた後、笑った。

「それは、心配ないですよ」
「どうして?」
「既にやったんです。ここも、後はにびーの所もそうですけど。皆の相談窓口ですから。人に言えない悩みから、外に漏らしたくない愚痴まで。確かにお嬢様の仰る通りで、我慢してきた子も沢山居ました。それを放っておくわけ、ないじゃないですか。それに……その辺りはむしろ、咲夜さんが詳しいかと。咲夜さんはその辺りのことをちゃんと皆から聞いて、可能な限りの希望に合わせて皆にお仕事やお部屋を割り振ってますよ。お嬢様の手前、あまり咲夜さんはそういうことを言わないと思いますが」
「……そうか。色々すまないね。どうにも、心配になってしまって。私はあまり気が回らないからさ」
「お気持ちは分かりますけど。独りで全部診るなんてこの館の誰にもできないですよ。だからこそ皆が居るんですし。勿論それでも拾いきれていないところはあると思いますが、それはそれ、ですよ。その時にちゃんと頑張れば良いんじゃないですか」
「そう、だね」

のんびりと、けれどしっかりと目を見て言われてしまって。ちょっとだけ怒らせてしまったような気がする。やはり部下には恵まれているのだ。問題は、私がそれについていけていない。少し、浮かれ過ぎなのかもしれないな。でも、どうやって自分のネジを絞めていたのか……最近はあまり、良く分からないのだ。穏やかになった証拠でもあり、私が平和ボケしてきた証拠でもあり。

「色々、ありがとう」

最後に一言そう添えれば、彼女はまた笑い、頷いた。



~~



 大きい大きいベッドの土台を、しっかりと拭いて回る。角は一か所一か所触れて、肌やカーテンを痛めないか確かめて。滑りを良くするために天井のレールには油を差して、最後には窓を拭いた。昨日の夕方にちゃんとお掃除をした甲斐があったというか、それが終わってしまうとすることは無くなってしまって。……寝心地には興味はあったんだけど、私はベッドを背もたれにして。開け放した窓から外を見ていた。
 良い天気だ。目を閉じれば、風が館の壁を撫でる音や、賑やかな声が届く。お掃除係はいま、埃を落としているのだろう。お洗濯係は、ありとあらゆる布を泡に潜らせているのだろう。厨房はお昼ご飯の準備だろうか。お休みの日に自分の部屋で休むときとはまた違った音の聞こえ方。窓を閉めてしまうと聞こえなくなってしまうけど、ほんのちょっぴり特別な気分。
 咲夜さんは家具とドアを整えるって言っていた。お昼からはゆっくり休もう、とも。……まだ疲れは残っているけれど、家具を一緒に動かす位なら私にも手伝えることだから。だから日向ぼっこをしながら、ぼうっと咲夜さんが訪れるのを待っていた。でも。そもそも今日は咲夜さんと揃って寝坊してしまったこともあってか、窓から聞こえてくる音は賑やかでもあり……慌ただしくもあり。まだまだ、その時間が遠いだろうということを告げている。
 昨日の咲夜さんは特別寝つきが良かった。勿論、疲れもあったんだと思うし、重たいものを隠して独り運び続けるという途方もない作業が終わった安心感もあったんだと思う。運ぶための道具も借りたそうだけど、それでも大変だって。そう言っていたっけ。

「あら」
「お疲れ様です」
「休んでていいのよ?」

ぼうっと休んでいると、突然声がして。振り返ると……テーブルが一つ、増えていた。

「家具を運ぶのは手伝えるかなって」
「一人でも大丈夫だけど……そうね。ちょっと手伝って。部屋の前までは運んでくるから」

……運んでくるのも手伝えるんだけど。でも、私が言葉を返す前に次はチェストがドアの前に湧いた。

「はい、そっち持って」
「どこまで?」
「ベッドとは反対側の壁に。引き出し気を付けて……指一本分くらいは、壁から離しておいてね」
「後は椅子とラグでしたっけ」

咲夜さんと運ぶチェスト。中身が無いからとても軽くて、咲夜さん一人でも問題無い重さだった気はした。……というか、私が無理に名乗りを上げて片側を持ってしまったからか、咲夜さんには少し低い位置で物を持つことになってしまって。なんだか余計な苦労をさせてしまった気がして、ちょっと胸が痛い。言われた場所へと設置して、向きを調整して。チェストから手を離すと、

「うん。椅子は隣の部屋の入ってすぐの所に置いてるから、運んできて貰えるかしら。私はラグを持ってくる」

と、咲夜さんはそう言ってするすると部屋を出て行った。
 隣の病室にお邪魔する。ここも最近は使うことが無い。基本的には医務室の隣の病室しか使わないのだ。流行ものの病気が出ると、その隣、さらにその隣って使う場所が増えるけれど……ここは端っこだから。それでもこの部屋を使ったことを見たことが無い訳じゃない。妹様が大暴れした日には、治療待ちでこの部屋を使っていた覚えがある。今は……使うことが殆ど無くなってしまったからだろうか、医務室の備品が少しだけ置いてある。咲夜さんが言っていた椅子は壁際に並んでいて、部屋の雰囲気からは少し浮いていたからすぐわかった。
 少しだけ、重たい椅子。脚の底にはフェルトの様な生地が貼りつけられている。座面は一面クッションになっていて……真ん中だけ柔らかめ。周囲は少しだけかための素材だけれど、ぐっと体重をかけてみても、木組みの感触はしなかった。一応とばかりに、廊下の様子を確かめる。大きな音もしないだろうから気にしていなかったのだけれど、今日は人払いをしているみたいだ。凄く遠い廊下まで、他の子達の姿が見えない。一脚ずつ運び込んで、テーブルの位置はもう動かしそうになかったから、それに合わせる形で一脚ずつ差し込んでいって。少しだけ持て余した時間で運び込んだ家具を拭いていると、咲夜さんがラグを抱えて戻ってきた。

「どこにあったんです、それ」
「倉庫。客間に置くにはちょっと大きくて使うことが無かったから。ここだったら問題無く広げられるわ」

ぐるぐると巻かれていた大きなラグを咲夜さんが広げていく。埃は先に落としていたのか、ぱたんと最後の一辺が広げられても舞うものがない。裏面はシンプルな布地だったけれど、表面は毛皮みたいにふわふわしてて……でも巻かれていたお陰か、ちょっと潰れていた。

「これはちょっと整えた方がいいかもね」
「そうですね。少しブラシを入れますか」

私の言葉に咲夜さんが頷いて、パッと……消えたかと思ったら、ドアから籠を手に戻ってきた。

「備品と一緒に運んで来たわ。休みに悪いけど、貴女はそのラグのお世話をお願い。私はドアの調整するから」

渡されたブラシ。……ほんのちょっとだけ、前に使ったときの名残が残っている。ほんのりと茶色が混じった白色の繊維が、ブラシの奥の方に寝そべっていた。

「お昼ご飯とお夕飯はもう決まっちゃってるんだけど、おやつを何にしようか悩んでるの。何か案ない?」

挑んだラグの繊維は……なかなか、柔いようでかたい。結構長い間巻かれたままだったのだろう。単純な手触りは良いのだけど、ブラシを滑らせると固まったり絡んでいた繊維がどこか重い。ぶちぶちと繊維が千切れることは避けたかったから、つとめてゆっくりと動かしていったけど……昨日ベッドを作った名残だろうか、腕はすぐに痛くなった。咲夜さんはそんな私とは背中を向けて作業していたのだけれど、ちらりと私の方を振り返った後、そう聞いてきた。
 おやつ。甘いものがいい。出来ればしっとりした、口の中の水分を攫って行かない物がいいな。食べるとしたらたぶん咲夜さんの部屋になるだろうし……そうだ。

「ワッフルが食べたいです」
「……うん。じゃあ、そうするわ」

……良かった。



~~



 焼いたクッキーとパチュリー様が作った小物を届けに、咲夜さんの部屋を訪れたのだけど……咲夜さんはお嬢様の部屋にも、厨房にも、洗濯場にもいなくて。パチュリー様が言っていたことを思い出して、改装予定のお部屋に向かってみたら……居た。ドアに向かって色んな工具を突き立てている。ああ、そうか。今まで病室だったから、鍵が無かったんだ。

「おはようございます」
「あら、おはよう。どうしたの。医務室に何か用?」
「いえ。咲夜さんを探してました。これ、今朝焼いたので。……本当、今回は御迷惑おかけしました」
「う、うーん。そもそも私が言い出した結果だから、私のせいでもあると思うんだけど。でも、ありがとう。……ごめんね、今ちょっと手に油ついてて。部屋の中のテーブルに置いておいて頂けるかしら」

後ろから声をかければ、咲夜さんは顔だけ振り返って。それから部屋の中を指さした。中を覗いてみれば……例のあの子が居て、私を見て頭を下げていた。でも、何より。

「ベッド凄いですね」

目に入ったベッドがでかい。大きいという言葉で片付けて良いとは思えないくらいでかい。

「ベッド凄いのよ。館内最大よ。組み立てる苦労も館内最大だったと思う」

咲夜さんの言葉に、ラグを整えていた彼女が何度も頷く。……それは、そうだろう。大きなベッドに転がりたいという小さな夢は私にだって勿論あるけれど、これはもはや冗談のサイズだと思うから。見た所、皆が使っているベッドよりは複雑に組み立ててある。注文品だし、この改装自体は一応秘密のことだからか、運搬も大変だったことだと思う。……しかし。見ていたら、やっぱり。

「……転がってみちゃ駄目です?」
「構わないわ」

どうしても湧き上がってくる欲求に、思わず尋ねてしまった。貰えた許可に思わずホッとして……思い出す。

「そうだ。パチュリー様の預かりものがあるんですけど」
「もう出来たのね……ありがとう」
「これ、なんなんです?」
「うーん。天井につける灯りをお願いしたの。できる限り熱を出さずに、できる限り淡く、弱く照らしてくれる灯りと言った所かしら。……相談したら、匂い消しもするのを作るって仰ってたけど」

ちゃりちゃりと、金属音が響く咲夜さんの手元。あまり覗いたことのない、ドアの取っ手の内側。……ううん。なんだか見なかったことにしたい。恐らくは金具とドアの隙間から少しずつ入って溜まってしまった埃なのだろうけれど、滑りを良くするための油と混じって、なかなか混沌とした汚れになっている。咲夜さんは気にも留めていないようで、淡々と出た汚れをふき取りつつ、鍵を取り付けていく。

「クッキーと一緒に置いておきますね。使うときも、使わないで良くなったときも紐を引いて、とのことですので」
「分かった。たぶん夜にならないと試せないから、お礼はまた改めて伺うわ」
「はい」
「本当は貴女がクッキーを焼いてくれる前に快気祝いを贈らなきゃいけなかったんだけどね。それもまた改めるわ。何か食べたいものとかある?」
「ああいえ。……この前のパイ美味しかったです。ああいった皆で食べられるものなら嬉しいです」
「そう。分かった。また改めて」
「はい。……では」

いざ。心の中でそう呟いて、靴を脱いで飛び込んだベッド。……懐かしい。ばねの力で支えているのだろうに、その存在をあまり感じさせない新しいベッドの感触だ。膝立ちで真ん中まで行ってみれば……やはり、広い。転がって天井を見上げてみれば視界の端にカーテンが映るけれど、それも遠い。ぐっと両手を思い切り広げてみても……真上にあげればベッドの頭側の枠に当たりはするけれど、横では端に届かない。このベッドなら三人で並んでも悠々と過ごせるだろう。私のベッドでは川の字どころか、ミルフィーユくらいにはくっつかないと寝返りが危ないし。
 いいなあ。なんて。そう思いながらぼんやりしていると、届いてきていた金属の絡む音は止み、かちゃん、かちゃんと。付け替えた鍵の動作を確かめる音が響き始めて。一度大きく伸びをして、ベッドを降りさせてもらった。咲夜さんは無事に付け替えが終わった様で、改めて鍵やドアノブを拭いて回っていて。もう一人の子の方を見れば……まだラグと格闘中。でも、なんとなくラグのふわふわ感が増している気はする。視線に気づいたのか、私を見上げると彼女は苦笑いしてた。……たぶん、腕が疲れてきたのだろうと思う。

「それじゃ私はこの辺で。お仕事、頑張ってください」
「ええ。まあ、これが終わったら一休みね。貴女も病み上がりなんだから気を付けてね」
「はい。ほどほどに」

あまり二人の時間を邪魔するのも良くない気がしたので、挨拶はすぐに切り上げて。部屋を出て歩いていると……少しして、後ろの方でドアの閉じた音がした。



~~



 ホワイトデーのお菓子は、お菓子作りの本から選ぼうと決めた時に。慎重にいこう、と。お嬢様はそう仰っていた。私は最初、図書館に行くまでのことを指しているのかと思った。あそこは深夜の人通りの少ない時間に訪れることができない所だから。でも、お嬢様が気にしていたのは、パチュリー様のことだった。
 この館には沢山のミステリアスなことがある。パチュリー様の考えていることというのは、その数ある内の一つだ。私はあまり気にしていなかったから改めてお嬢様から指摘されたとき……とても、悩ましかった。一緒に居るあのお姉さんのことなら、なんとなくまだ分かるし、あのお姉さんは大丈夫だろうなって。それは伝えられるんだけど。パチュリー様が本当は心の内でどう思っているのか。それは……分からない。思えば沢山機会はあった。あのお客様がやって来た時には食事を一緒にすることもあったのに。あの時は場の流れでそのまま過ごしていたけれど、確かめるチャンスではあったのだ。後の祭りというか、あの時はあの時でお客様の事情で頭が一杯だったというのもあるんだけど。
 悩ましい。パチュリー様と親しいレミリアお嬢様にものは試しと相談してみたけれど、やはり本人に直接尋ねない限り解決しそうにない。けれど、今すぐには訪ねることも叶わなそうで。中途半端になってしまった時間、私は地下へと戻らず、外の休憩用のベンチに腰を下ろしていた。
 私は転ばぬ先の杖だ。石橋だろうがなんだろうがとにかく叩いて確かめて、進むために頑張らなくちゃいけない。心配なのは、他にも同じように見落としていることがあるんじゃないか、ということだ。叩き損ねた所から足元が崩れるなんてことは避けたかった。そんな私の目に映るのは……今お仕事としてこちらに背を向け、門の外に立っている美鈴さんの姿だった。
 パチュリー様とは正反対で、美鈴さんが何を考えているのか、というのは分かりやすいと評判だったりする。私はあまり話したことが無いけれど、そんな私でも、何となくそうなんだろうなって思えてしまう位だ。それは普段からの振舞いとか、笑顔とか、雰囲気とか。そういうのがあるからなんだけど……こちらもいつかは、確かめなければならない。私はむしろ、パチュリー様より重要な気がしてる。というか……もっと言えば……恐ろしい。すごく、怖い。
 美鈴さんが叱る姿というのは、想像に難くない。でも、美鈴さんの怒っている姿が想像できないのだ。美鈴さんはあの立場だから、本当は私達に言いたいこととか、突きつけたいこととか、沢山あるはずで。しかもそれを立場上露わにすることもできない。導火線の火ごと凍った爆弾の様に今は見えてしまう。勿論、こういう私の気持ちが全部杞憂だった、ということもあるかもしれないけれど……臨むときは。相当の覚悟が要りそうだなって。そう思う。
 パチュリー様に尋ねに行くときは、あの図書館のお姉さんに同席して貰おうと思う。今は病み上がりとのことだから、改めて友達から体調を聞きつつ調整するとして。美鈴さんとは……一体誰に同席して貰うべきなのだろう。お嬢様は一緒に居て貰うべきだろうか。レミリアお嬢様はどうだろうか。色々考えがぐるぐるしたのだけど、初めの一回目は、私一人で挑まなくちゃいけない気がしてる。それこそ転ばぬ先の、杖として。
 何を一言目に持って来なくちゃいけないんだろうって。そう考えている内に、美鈴さんが振り返って。……凄く遠くだったけれど、笑っているのが見えた。
 お昼の時間が近づいて、賑やかさが館の中から漏れ出てきたところで厨房へと向かった。今日は……昼食と一緒におやつつき、ということみたい。普段よりもソースの多いボロネーゼ。チーズとトマトで鮮やかな色のサラダ。そしてスープは……流石に普通のお野菜のスープ。でもミネストローネを作ってる時と具がほとんど一緒な気がする。なんだかトマト尽くし。

「何かあったの?」
「さっき誤って備蓄の山を崩しちゃってその影響」
「あー……なるほど」

そしておやつは、ワッフル。しっかりとクリーム付き。生地の色と香りからして、ココア味かな。……温かいものからは離して運ばなければ。

「たぶんお夕飯もトマト系になると思うー」
「そうなんだ」
「大丈夫そうなのも多いんだけど、傷む前に念のためって感じで」
「そっか。うん。好きだし楽しみにしとく」

お水に、お料理に、おやつに。全部を台車に載せ終えて、人通りの少ない内にと急いで戻って。ドアを開けてみれば……お嬢様はテーブルに座って、私を見て笑っていた。

「おかえり」
「お待たせしました」

レミリアお嬢様に相談しに行くことは事前に話していたことだったから、どう話を切り出すべきか、悩んだけれど。

「やっぱり、直接聞かないと駄目そうだね」

お嬢様には、筒抜けだったみたい。

「後日改めて訪ねてみます。今はパチュリー様と一緒に働いている方が病み上がりとのことなので」
「そっか。……じゃあ。また。機会を見て、代わりに尋ねておいて」
「はい」
「……あとは、うん。……美鈴のこと、かな」
「そこまで分かりますか」
「何となく。図書館のことを話したときに、気まずそうにしてたから。貴女なら他の所はどうだろうって、考えると思って。そしたら……たぶんそこかなって」

私がお嬢様の考えていることを何となく分かってしまうように、お嬢様にとっても私はそう見えてしまうみたいで。嬉しいことではあるのだけれど、少し胸が痛む。そういう気持ちまで知ってしまってか、お嬢様はまた笑ってくれて。並べられるお皿をゆったりと眺めていた。

「美鈴に、お手紙渡したときね」

そう言って、お嬢様は小さな声で切り出した。

「大丈夫ですよって。そう言われたの。あとは、頑張ってって。……明るい声だった。たぶんね、貴女が心配してるように、美鈴は美鈴でいろんなことを思ってると思う。私が傷つけた子をみんな看なくちゃいけなくなって、みんなの怖さに向き合ってる立場だから。……でもね、何も聞いてくれないってことは無いと思うんだ。だからその時はね。ちゃんと、謝ろうと思う。やったことは許して貰えないかもしれないけれど、謝罪の気持ちを伝える位は、許してくれてると思うから」
「……そうだと良いのですが」
「何より。貴女は悪いことしてないんだよ。やったのは私。私のことで悩んでくれるのは嬉しいけれど、貴女まで怖さを感じなくていい。そういうところも含めて、とても嬉しいことなんだけど、たぶん最終的には、まっすぐ立ち向かうしかないから。その時頑張ろう。ね?」
「そう、ですね」
「あとは、パチェもたぶん大丈夫だよ。ちょっと気になったから貴女に言っちゃったけど、お漬物もパチェと一緒に作ったんだし。その時はお姉様は一緒じゃなかった。……ごめん、今思えば私が余計なこと言って心配させちゃったんだ。ごめんね。でも、だから。その。今は来る日のために笑って食べよう?」
「分かりました。すいません。つい。……じゃあ、頂きましょうか!」
「うん。でも先に。……フォーク、くれないかな」
「ああ、ごめんなさい。……はい」
「うん。それじゃあ、いただきます」
「いただきます」

私の心配を吹き飛ばすように、手を合わせる乾いた大きな音が部屋の中に響いた。



~~



 お昼ご飯を食べて少し休んだら、お部屋に来てと。そう咲夜さんに言われていた私は、言われた通りにお昼ご飯を頂いた後、着替えを袋に入れて咲夜さんの部屋を訪れた。たまたまご飯が一緒になった友達からは、おやつを貰ってないことを不思議がられたけれど……そこは何とかごまかして。隠れる様にやってきたお部屋は……甘い香りに包まれていた。皆が食んでいたココアの香りも勿論のこと……一緒にあるのは紅茶の匂い。

「遅れましたか?」

とりあえずと尋ねてみれば、机についていた咲夜さんは笑って首を振っていた。
 鍵を閉め、あの置物を光らせて……久しぶりの、咲夜さんとのおやつの時間。前の時はおやつを食べられなかった私のために、沢山のワッフルを作ってくれたのだけれど、今日は食堂で見たみんなと同じ量。それでも十分な位に大きかったりする。

「お休み、できそうですか?」
「夕方まではね。お洗濯とお昼ご飯の片づけは終わったから、後はそれだけ。お夕飯を食べたら、お風呂を浴びて……あの部屋のベッドの寝心地、試してみましょうか」
「じゃあお風呂を浴びたらあのお部屋に向かいますね」

机を挟まず、横に並んで私も机について。淹れて貰った紅茶を一口。一瞬顔に出たものを見てなのか、置いたカップの向こうにパッと現れたのはミルクの小瓶と角砂糖。お砂糖を二つ貰って、かりかりとスプーンをさして混ぜていく。咲夜さんは……ミルクを入れているようだ。まだワッフルに手を付けていないのに、ほんのちょっぴり口の端が白い。

「お嬢様には改装がほとんど終わってること伝えてるから、明日には告知をすることになるかしらね」
「あのコインのことですか?」
「ええ。皆に伝えるってことを考えると、恐らくは朝食のタイミングでしょうね。夜勤の子もまだ起きてるし。たぶん最初のコインもそれで配ることになるかしら。それで、数日置いて予約の受付を開始して、という感じだと思う」

混ぜ終えたスプーンを置いて、また一口。……うん。良い感じ。ゆっくり飲み込みワッフルを手に取れば……こちらも焼きたてだったみたいで、まだちょっと温かかった。私が手に取ったからなのか、咲夜さんも自分のワッフルを手に取って、一口。相変わらず、咲夜さんの一口は大きい。勿論私に比べて、だけど。……友達はあれよりも大きな一口を食べてたりする。頬を思い切り膨らませて満足そうに食べるのだけれど、咲夜さんのそういう姿もいつかは見てみたい。

「私は各種予約の受付と管理と、後は改装したあの部屋のお世話ということで良いんですよね?」
「ええ。受付は昼食後と夕食後の食堂で。それ以外の時間があの部屋のお世話になるかしらね。勤務時間、今よりちょっとだけ後ろにずれる形になっちゃうかも。大丈夫そう?」
「大丈夫ですとも。……ベッド周りはまだ慣れてないので最初は大変かもしれないですけど」
「そうねぇ。そこは、ごめんなさい。ああいうのやってみたかったから、つい」
「お嬢様が決めたんじゃないんです?」
「ううん。ほとんど私の趣味……というか、私がしてみたかったこと、よ。私の趣味だけで言えばこの部屋の方が趣味に合ってると思うわ。長く暮らしているからというのもあるけど」

一口食んでは、紅茶も一口。最初は紅茶の苦さをまだ感じていたのだけれど、クリームの甘さのお陰だろうか、だんだんとそれも薄れて来て。空になってしまったカップに二杯目を貰ったけれど、今度は少しのミルクと一緒に頂いた。

「天蓋つき、してみたかったんですか」
「うん。昔から興味があったの。でも……このお部屋でそれを使う気にはならなかった。お嬢様より高いベッドを使うのもどうかと思ったし……何より、一緒に入ってくれる人がいる訳でもなかったし。そういう意味で興味はあったけど優先度は低かったの。でも、そうね。そこのベッドで貴女と一緒に過ごす時間ができたからかしら。お嬢様に話を持ち掛けられたとき、これだって思っちゃって。それでつい、注文しちゃったの」
「そうだったんですね」
「今思えば、貴女との時間が色んなことのきっかけになってるのね。前はワッフルがきっかけになったのだし」
「そうですね」

私より一口の大きかった咲夜さんがワッフルの最後の一口を口に運び……ちょっとだけ唇の端から顔を出した舌が、唇に僅かに残っていたクリームを引き込んでいって。私も最後の一口を頬張った。私はあんまり食べ方が良くなかったのか、クリームはほとんど無くて……でも、甘いココアの味は口いっぱいに広がって。ゆっくり飲み込んだ後で、残っていた紅茶を少しずつ飲んでいった。
 お菓子も紅茶も無くなってしまった後は、二人で着替えてベッドに上った。今日の私はまだほとんど仕事をしていないから大丈夫だったけれど、寝坊したうえに休む時間を作ってくれた咲夜さんは少し疲れが出てきていて。私が両手を開いて胸を差し出すと、咲夜さんは飛び込もうとしたけれど……

「そこを借りると、また寝入っちゃうから」

と。今朝のことがあったからか、代わりとばかりに私を胸に抱こうとして……でもそれを拒否して、咲夜さんを胸に引っ張り込んだ。

「夕方になったら起こしますとも」

少し慌てていた咲夜さんだけれど、私がそう言うと静かになって。それから小さく頷いていた。



~~



 お昼ご飯を届けてくれた咲夜の報告のもと、私は館の見取り図を引っ張り出してにらめっこしていた。告知は明日の朝やる。そのお知らせは夕食に。利用開始と予約開始は分けられるだろうから、予約開始は即日解禁してもいいものだ。とするなら、イースターエッグがわりのアレを隠すのは今日の深夜から明け方が望ましい。でも、問題がある。限られた時間以内に全てを訪れて、かつ可能な限り誰もいないタイミングで仕込まなくてはならないこと。
 私が見取り図をもとに考えていたのは、隠す場所とそこを辿るルートだ。隠す場所にもそこそこの制約がある。まずは廃棄対象に混ぜることはできない。見つけられることがなく捨てられてしまうから。同じ理由で壺の中や花瓶の中というのもアウトだ。これは場合によってはゴミ箱の上で逆さにする可能性がある。壺の裏、花瓶の裏は尚更よろしくない。地震が起きでもして割れたら、その割れ物の片づけを皆にお願いすることになる。同じ様に、火を扱うものの傍もダメだ。また、積んだものの中などは、探すことを目的にした子達が結果として荒らしてしまうことがあるかもしれない。
 つまり隠す場所に求められる条件の一つは、そこそこ安全な場所で、かつ簡単にひょっこりと見つかること。二つ目の条件は、その上で達成しなければならないことだ。それは地理的な分布を均一にすること。働いている中で見つけるというのが一番可能性が高いのだから、割り振られた仕事によって見つかる量に偏りが出てしまうのはあまり望ましいことではない。
 この館のお仕事というのは、基本的にはある程度分類がある。お掃除、炊事、洗濯、私の身の回りのお世話、門番。これを除くとあとは彼女たちの仕事の円滑化を図る少数のグループと、フランのお世話係という一人しか担当が居ないようなお仕事しかない。用意したのは十セット。各部門の主要な拠点に一つずつ、そして残りを地図や皆の利用頻度などを見て均一に仕掛けるのが良さそうである。しかし……

「門の子達とフランのお世話係の子に圧倒的な不利があるのよね……」

門の子達は館の中でも結構活動範囲が狭い。食事とお風呂と睡眠以外は基本外にしかいないし。それ以外の子達は逆に、基本的に外に居ることが少ない。あっても外に干したり取り込むときのお洗濯係や、窓拭きや廃棄物の処理をするお掃除係くらいだ。季節が変わればお掃除係は落ち葉なんかの関係で外の用事も増えるがそれでも基本的には門の子達とそれ以外ではっきりと差が出てしまう。そして外は何より設置してもコインの劣化が早い。フランのお世話係の子は地下を除くと行動範囲と言えるのは倉庫とお風呂場、そして残りのほとんどが廊下といったところ。贔屓するのも……バレはしないだろうが、あの子自身がたぶん良く思わないだろう。そこはフランが上手いこと……我儘を効かせてくれればと思う。と、すると。設置場所はある程度絞れてくる。残りの五枚の内、一枚は医務室周り、二枚はお風呂場、さらに二枚が食堂、という感じだろう。
 場所が決まれば次は時間だ。掃除炊事洗濯は基本的に夜間の作業が無い。だからこれは夜中ならいつでも仕事場に忍び込める。掃除は道具を入れている所、厨房は食器棚の隅、食堂は椅子の上やいざ零したりして汚した時用のお掃除用品の傍。洗濯は洗濯バサミに紛れさせるくらいか。私のお世話係の子達用は一番簡単でこの部屋にしかければ良い。でも、残りは問題だ。基本的に常に誰かが居る。お風呂場はまだマシか。着替える所は夜中に留まることはあまり無いだろう。
 残り。医務室と、門。医務室はなかなか厄介だ。そも仕事の内容に、働いている子達の怪我や病気といった不幸が付きまとう。そういうタイミングで必要な物を探してたら見つかった、となっても……喜ばしいことではないよな。医務室での待機時間に使うものは何だろうか。待機仕事だから、飲み物周りの準備はあるはず。とすればそこだろうか。……いずれにしてもチャンスを見て仕掛けられる所に仕掛けるしかないな。
 門はどうだろう。私が行くこと自体がかなり珍しいことだから、詰所の中では注目されてしまう。……これは美鈴の手を借りる他ないだろうな。注意すべきところだけはちゃんと伝えて、代わりに設置して貰おう。……ん。とすると。告知のタイミングでは一人の番をして貰うことにもなるし、伝えておかなくては。

「誰か居るかね」
「はい」
「美鈴を呼んできておくれ。非番なら次の番が回ってきたときに来るように伝えておくれ」
「承知しました。行って参ります」
「うん。頼む」

美鈴を待つ間、用意して貰っていたお茶と、届けられていたワッフルを食べて行く。どちらも少し冷めてしまっていたが、食後のお腹休めには丁度良かった。
 美鈴の様子は……最高に都合が悪かった様だ。どうやら非番だったようである。しかも次の番までの時間を詰所でひと眠りしてからやろうとしていた様で、部屋には来てくれたのだけれど、瞼が重いことを察しろと言わんばかりの目つきである。……ごめん。

「非番?」
「はい。今日は夕方からの担当だったもので」
「すまない。かけてくれるかね」
「長い感じです?」
「ちょっと長い」

どうやら眠りに入ってあまり時間が経っていなかったようだ。テーブルにつかせて、とりあえずとばかりにお茶を準備しようかと思ったけれど……それでは眠る分に都合が良くなさそうで。代わりに用意されていた水差しの中身を彼女のコップに注いでいった。

「協力して欲しいことが二点ある。明日から働く子達のためにちょっとした制度を始める予定だ」

前にも咲夜にしたし、明日の告知に合わせて改めて喋ることは用意していたから、伝えるのはそこそこ気が楽だった。大まかな枠組みと、そこそこの詳細を説明すれば、美鈴も頷いていて。脱いだ帽子を指で整えながらしばらく黙って聞いていた美鈴だったけれど、

「つまりはその告知のときの一人の番を、ということですかね」

過去にも似た様なことが何度かあったからか、寝起きの割に彼女の理解はとても早かった。

「そうだ。それをお願いする。もう一つは、合わせてイースターエッグ代わりにコインを隠そうと思ってる」
「はあ。つまりは詰所にしかけて、ということですか」
「うん。危険のない所にひっそりと置いといてくれ。できれば一人の番のときに」
「……いいなーお菓子。ドレスも。私もあやかりたいんですけど」
「咲夜のことだから皆に配ると思う。妖精の子への支援案って名目だけど、貴女にも、パチェ達にも。……咲夜はそういう子だから」
「……そうかもしれないですね。一人の番と、コインの件、承ります。他には何かありますか?」

私が首を振り、手紙型の包みを渡せば美鈴はそれをポケットに差し込んで。すぐに立ち上がって……伸びをしていた。

「眠気、覚めちゃったかね」
「おかげさまで。まあ明日のことを考えればどの道シフトは弄りますので、お気になさらず」
「そうか。……よろしく頼む」
「ええ。やっておきます。それでは」

欠伸と共に帽子を被りなおし、ドアの方に歩いていく美鈴。でも、ドアの所でぴたりと止まって振り返って。

「一応聞きますけど、咲夜さんとは負担についてしっかり話して決めてますか?」

と。一言、尋ねてきた。私が頷くと、美鈴もホッとしたように頷いて。それからドアの向こうへと去っていった。



~~



 起こしてくれた彼女の背中の向こうに、少しだけ赤色の入り始めた光が見えた。ぼうっとしていた頭に段々と情報が入って来て、

「夕方になりましたよ」

小さな声が聞こえた。見上げれば彼女が薄目がちに私を見て笑っていて、それと同時に温まっていた目元がいつもの温度に戻っていく。温かさへのありがたさと寂しさが一緒にやってくるようで、ああ、起きなきゃと思いつつも、今一度顔を埋めさせて貰った。

「眠り足りなかったです?」
「ううん。ちょっと眩しいから、もう少しこのまま」
「……そうでしたか」

本当は十分に暗い部屋の中、私はそう言って、眠気を少しずつ追いやって。大きく深呼吸すれば、彼女のくすりと笑う声が聞こえた。

「うん。ありがと」
「頑張れそうです?」
「大丈夫。と言っても、あとはお夕飯の料理とお風呂だけだから」

私が体を起こせば、彼女も体を起こして。一緒にぐっと伸びをする。体格の差か、手の届く高さは全く違うけれど、ついでに出てしまった声と止めるタイミングだけは何故か一緒になった。思考が段々とはっきりしてくる私とは対照的に……というか、また寝坊しない様に寝ずの番を頑張ってくれたのだろう。彼女は少し眠そうで。

「私は先にお風呂へ行ってきます」

と。ベッドの温かさから離れた時に彼女はそう漏らしていた。
 二人で着替えを済ませ、彼女が部屋を先に出て、少し遅れて私も部屋を出て。今更ながらに髪を整えながら、厨房へと向かった。途中、他の皆の様子を確認してみたけれど、お洗濯係も、お掃除係も。今日のお仕事は無事に片付いた様だ。

「お待たせ」
「お疲れ様です。ご飯もソースも準備整ってますよ」

厨房では皆がお茶を飲んで待っていた。また寝坊するといけなかったから、前もってお昼ご飯の後に仕込みをしたのだ。そのお陰もあってか、本当は料理を開始するには少し遅い時間ではあるのだけれど、皆の顔には余裕が現れていた。
 今日のお夕飯はチキンとトマトのドリアだ。お昼前のトマトの崩落事故はちょっとだけ焦ったけれど、数が数だったからこれで無事に消費が終わる。トマトものが続いてしまう結果にはなるけれど、栄養は良いのだ。ちょっと我慢して貰おうと思う。

「よし。じゃあぱぱっとやっちゃいましょうか。でもその前にグループ分けね。ドリア組と、大葉と卵のお汁組と、ほうれん草のお浸し組で。……焼きは私がやるから後者の二組は一つのグループとしてやっちゃって。作るのはお浸しが先ね。お浸し終わったら汁物で」

私の声にわらわらと彼女たちが分かれていく。ちょっと人数が偏ったけれど、問題は無い。どのみち最後は追いつくのだ。
 事前に準備していたのは、トマトソースとチーズの削り、そして炊飯だ。普段のお米だとお昼から続くトマト感を打ち消せないから、今日は雑穀米。普段が白米だから少し炊くときに注意は要るけれど、栄養が欠けそうなときは勿論、触感を変えたいときにはとても強いのだ。お仕事終わりに食べる分には、甘さと満足感のある白米にすることが多いんだけど。
 ドリアと、そしてグラタンもそうだけれど、材料が整えばあとは流れ作業でほとんどの準備が終わるというのはとても強い。……返して言えば一部の材料を整えるのと最後に焼くのが面倒、ということでもあるのだけれど。私は勿論ドリア組。皆で取り掛かったのは玉ねぎのみじん切り。一人だけは鶏肉の切りそろえに回って貰って、残りの皆でとにかく刻んではボウルに積んでいく。窓から空気を入れていたのだけれど、今日は……窓から廊下側の方へと緩く吹き込んでいる。お陰で下流の子達は少しつらそうで、一番端の鶏肉の子は最初無心とばかりに鶏肉を刻んでいたけれど、最後は耐え切れなくなったのか、風上に回って作業を再開していた。これが予見できたからなのだろうか、今日は付け合わせを担当している子達がちょっと多い。そして風上だったりする。
 最初がつらい一方で、それが終わるとちょっとだけ楽だ。切ったものを片っ端から炒めて、火が通ったらソースを絡めてさらに混ぜて。その横で少数の子達で容器にバターを塗り広げていく。お野菜とお肉に火が通ってしまえば、後は完全に流れ作業だ。容器にバターを塗って次の子へ渡し、次の子はお米を粗目に敷いていく。それを渡された次の子は炒めたものを流し込み、さらに次の子がチーズをばらまいて。受け取った次の子がちっちゃく刻んだ小さなバターの欠片をぽつぽつと少しだけ散らしていく。そして最後の子はそれを調理待ちのラックへと積んで、それで準備は完了だ。……食堂の入り具合も、良い感じ。

「そろそろ焼いても良いのでは?」
「そうね。そっちの組はどう?」
「問題無いですー」

ほうれん草のお浸しが少し準備がかかるかと思ったけれど、人数が多かったこともあってか無事に汁物の準備まで終わっていて。……こういうとき、大葉は強い。
 焼くのは完全に私の仕事だ。大きな窯ではあるのだけれど、この館の皆の食を支えることを考えると結構小さなものだったりする。ただ、私の扱える窯の大きさに限界があるのもあって、これ以上大きな窯を用意する気にはなれない。止められた時間の中で焼き、

「じゃあ配膳開始で。皆お願い」

それを皆に引き継いで配膳して貰い、また止まった時間へと帰る。止まった時間の中で使うにはちょっとおかしな言葉だけれど……待ち時間というのは沢山あるように見えてそうでもなかったりする。私の手は、小さいのだ。
 途中に一度大きな休みを挟みつつ、取って入れて焼いては出して。止めては戻し、戻しては止め。あの子の胸の中で沢山休んだ後なのだけれど、最後の方は腕が上がらなくなりそうな程疲れて。でも、グラタンの時もそうなのだけれど、大変だけれどそれ自体も楽しかったりして。
 最後の一皿を出した後、時間の流れを戻して食堂の様子を窺った。……うん。今日もそこそこに賑やかで、ホッとする。

「お疲れさまです」
「お疲れさま」

私が焼くのを終えてテーブルへとつくと、焼き上がりの内の一皿と付け合わせの品たちが運ばれてきた。……既に一部の子達は取り始めているけれど、厨房の皆のごはんの時間だ。配膳も継続しないといけないから、こっちも入れ替わりつつの流れ作業。

「咲夜さんこの後は?」
「片付けを手伝って、その後はお風呂であがりよ」
「そうでしたか。そういえばさっきのことなんですけど」

と言って隣の子が切り出したのは……焼くのに集中している間に食堂に来たお嬢様のことだった。

「告知があるから全員集まってて、という感じかしら」
「そうですそうです。明日の朝、集まっておいてって感じでした」
「うん。私もある程度は聞いてるから、分かってるわ」
「何やるんです?」
「うーん。秘密。悪い話ではないから」
「……朝食、どうします?」

うん、それはちょっと問題かも。

「サンドイッチやスープを作り置きかしらね。いざとなったら私が間に合わせるから、集まるのはいつもの時間で大丈夫よ」
「分かりました」

食事に、後片付け。そして一応とばかりの、食材の在庫の確認をして。やっとお風呂場に迎えたのは結構時間が経ってからだったのだけれど……そこそこにお風呂場は賑やかになっていた。普段なら空き始めている時間ではあるのだけれど、お嬢様のお知らせが効いたようだ。内容が不明なお陰か、色んな予想が飛び交っている。私が詳細を知っているだろうことを皆も分かっているからか、なんとなーく教えて欲しそうな視線も飛んでくるのだけれど、私が口元に一本指を立てれば……みんな、また好きに予想を飛ばしあっていた。
 色んな予想がある。でも、傾向として出ていたのは……皆で集まってしている活動、秘密結社に何かテコ入れするんじゃないか、という予想だ。そもそもの出発点からすれば大当たりではあるのだけれど、今は結果として皆の支援に落ち着いている。だから、

「私やってないんだけどなぁ」

という子達も居たけれど、そこは明日、ホッとして貰えることだろうと思う。
 お湯に疲れを溶かし、首の根元が心地よくなるまで浸かった後、お風呂場を後にして。つい癖で自分の部屋に帰りそうになったけれど、今日は反対方向に歩いて……あの子と約束していたお部屋へと向かった。鍵は彼女に預けていたから、部屋へとたどり着いてみれば灯りが部屋から漏れていて。私が入ると……彼女は既に、寝間着に着替えて椅子についていた。



~~



「お待たせ」
「お疲れ様です」

咲夜さんが後ろ手に鍵を閉め、私の対面に座って。それからテーブルの上に置き去りにされていたパチュリー様から貰った小物を拾うと……咲夜さんの姿が消えた。

「おいで」

ドアの方からベッドの方へと顔を振れば、咲夜さんはベッドの上の天井に、さっきの小物を取り付けていて。私を手招きすると、

「うん。天蓋カーテンを全部閉めてくれる?」

と。そう言って天井と格闘していた。河城さんの言葉を思い出しながら、慎重にカーテンを整えて行って。少し待っていると、咲夜さんが降りてきた。

「そこで待っててね」

そう言って咲夜さんは、チェストから小さな……咲夜さんの部屋にあった音符の箱を取り出し、そのオブジェを光らせて。それから念入りに、窓のカーテンをきっちりと端まで広げて行った。それも終わると部屋の鍵を確認して、一つ一つ部屋の灯りを消していって。……最後の一つも消してしまうとすっかり暗くなってしまったけれど……少しして、咲夜さんがベッドに戻ってきた。

「紐を引けばいいって言ってたのよね」

座っていた私には、随分と高い位置から聞こえた咲夜さんの言葉。……飛んで、さっき取り付けたものを探しているみたい。じっと待っていると、あまり聞き馴染みのない音が聞こえ、咲夜さんの姿が見えた。くるくると辺りを見渡して、嬉しそうな顔をする咲夜さん。私も周りを見てみれば……弱い光なのに、閉じた天蓋のカーテンが煌めいている。点ける前は僅かに見えていたカーテンの向こう側はすっかり見えなくなっていて、天井あたりは少しぼんやりとしているけれど、まるで小さなお部屋みたい。

「綺麗でしょ」

咲夜さんが自信満々に囁く。……うん。綺麗だ。でもたぶん、咲夜さんには見えてない綺麗なものも私には見えている。はしゃぐ直前の様な、ワクワクした緩み顔。咲夜さんのいろんな顔を見てきたつもりだったけれど、こういうときはこんな顔するんだなって。時間を止める力を、ちょっとだけでも借りられたらと思う。膝立ちでくるくる回ったり、かと思えば大の字になって、笑顔いっぱいに天井を見上げてみたり。

「良いですね」
「でしょ」

ごろごろと転がってみたり。

「ほら、腕相撲できるくらい広い!」

すごく、テンションが高い。
 ワクワクが止まらない、箸が転んでも喜びそうな咲夜さんをずーっと眺めていたかったけれど……なんとなく置いてけぼりな感じが悔しくて、ころころする咲夜さんを捕まえて、押し倒す。とてつもなく大きいベッドなお陰でこういうことが気楽にできるのは本当に強い。でも、

「ふふふふ」

寝返りと共に逆に組み敷かれて。それから満足したと言わんばかりに、咲夜さんは私の体を降りると、私の横に転がった。

「これなら皆で眠るまでの時間を共有できるから。……楽しんで貰えると嬉しいな。ベッドも変に体が落ち込むところは無いし、この灯りも綺麗にカーテンを光らせてくれる。ベッドも軋むことが無いし。他にどういうものをつけたら、喜んでくれるかしら」

咲夜さんのことを独り占めしたいという気持ちと、したくないという気持ち。本当は反する気持ちなはずなのに、それが不思議と同居する。咲夜さんが誰のことを好きなのか、分かっているから。浮気の様で、でも浮気じゃない。ただただ純粋に。皆に好意と厚意をくれる咲夜さんだから。……でも、二人きりの時は、私を見て欲しいなぁ、なんて。

「そこは利用者の感想を集めないと、ですね」
「うん。お願い。書き物は大丈夫だっけ」
「はい。あんまり難解なものでなければ」
「じゃあ、まず利用者の第一……いや、第二、になるのかしら。貴女の感想を聞かせて?」
「……いちゃいちゃするのに使っちゃ駄目なのか、気になります」
「ううん。そこはして貰って良いと思う。そういうことをしたくても、部屋割りのせいでできない子って居ると思うから。本当は完全に皆の希望通りになる様に部屋割りが組めたら良かったんだけど……だから、こういう貸しきれるお部屋はできる限り特別な部屋にしようって、そう思ってたところもあって。……好きな人といる時間は、それだけ大切な思い出にもなるものだから。皆にもそういうもの、味わってほしいな」
「……ですか」
「うん。貴女との時間がなかったら、たぶん。このお部屋の形はまた違っていたんだと思う。……私は、わがままになってしまったんだと思う。好きな人の傍で、一緒の時間を過ごすことの幸せを知ってしまった。でも。その幸せは私だけが持つには勿体ない。皆に持ってほしい」

どうせならこの特別な空間で私もいちゃいちゃしたい、と。そう思ってるのは、たぶん咲夜さんも分かってて。一方で、こうして教えてくれるのも、私に対する甘え方の一つなんだってことも私は分かってて。怒らないし、怒れないし……でも、なんだか頬だけは膨らませたくなってしまう。そういう所も含めて、それが咲夜さんだから。
 甘えたいか。甘えられたいか。私はどっちを望んでいるんだろう。どっちもなんだけど、どっちかしか選べないって言われたら。咲夜さんの言葉を聞いたからだろうか、やっぱり……甘えられたい。甘えてくれると、安心する。でも何より、私よりも咲夜さんが安心してる。それが堪らなく、嬉しいから。

「たぶんね。明日、告知の後で。この部屋の内見が始まると思うの。……だから、その。ちょっと恥ずかしくて。匂いに敏感な子、居るから。まだ誰にも貸していない部屋だから……私の部屋のあのベッドなら問題ないんだけど、今日は、その……」
「みなまで言わなくても、大丈夫ですから」
「あのコインね、ちゃんと皆に配るから。もしこのお部屋の分が溜まった時には……一緒にこの部屋での夜を、お願いしたいな」

私が頷くと、咲夜さんは私をぎゅっと抱き寄せて。

「ありがとう」

って。小さな声で、囁いた。



~~



 夜風に当たってくると外の子に伝え、それぞれの部屋にコイン入りの紙袋を仕掛けて。ついでとばかりに館の様子をくるりくるりと見て回った。……静かだ。昼の子に代わってお仕事をしてくれる子達の明かりも見えるけれど、ここに住む人数のことを考えればとても静かな時間。吸血鬼にとっては夜こそが本領、と言いたいところだけれど、彼女たちはそうじゃない。ここは私の館で、私は彼女たちの主だけれど、ここを切り盛りしてくれているのは紛れもなく彼女たちなのだ。
 一番最後に巡ったのは、医務室だった。深夜の時間帯は、だいたい決まった子が担当している。たまに違う子のこともあるけれど、その子の顔を見る度に、懐かしくも、悔しくも……色んなことが頭の中に蘇ってくる。

『お疲れさまです。怪我をなさいましたか?』

お茶を飲んでいた彼女は、私に向かってのんびりとした様子で挨拶して。夜中の医務室にお邪魔した。他の子は、居なかった。診療用のベッドはすっかり空いて、いつでも使用できますと言わんばかりに畳んだ毛布と枕が置いてある。私には未だに貴重な光景だ。

『お疲れさま。怪我でも病気でもないわ。ただ、寄らせて貰ったの』
『そうでしたか。一杯、どうですか。これは……緑茶、ですけど』
『是非。……最近どんな感じ?』
『そうですねぇ。夜間はめっきり。見回り中に藪で切っちゃった子とか、あとは明け方のお世話係の方たちくらいでしょうか』
『ううん。貴女は、どう?』
『私ですか。私は、どうなんでしょう。私は……皆の役に立てているのでしょうか』

この子のこの言葉は、過去に幾度となく聞いた言葉だった。病室ではなく、この医務室で。怪我した子が病床を離れることができて静かになった頃に。彼女の悩みは、都度都度聞いていた。私への恨み節だったこともあるにはあるが、いつもこの子が悩んでいたのは、自身にできることの限界だった。研究者でもない。体系立てて教えて貰ったこともない。任命と、そこからの自己努力で治療を学んできた彼女。ただ、彼女の元に運ばれてくるのは、その勉強で何とかなる範囲の子ばかりではない。その度に、苦しんでいた。そのお陰か、一旦沈静化したあとも、この子はずっと勉強を続けて。本当は助けた子が沢山いるのに、助けられなかった子のことをずっと、悔やんでいた。

『立っているとも。あまり皆の仕事を見て回ることのない私でも分かる。……貴女に診て貰った子の数は、貴女自身が分かっているでしょう。皆が寝ているそんなときでも、貴女はここに居てくれる。待機だって立派な仕事よ。フランをまともに止められない私が言うにはおこがましいことなのかもしれないが』
『妹様は、どうですか』
『穏やかだよ。嵐の前の静けさ、なんて言葉もあるし、実際そういうことも過去に何度もあったわけだけど。今のあの子は大丈夫だと思う。一緒に居てくれる子が、とても大きいんだろうね。勿論色んなことが積み重なった結果ではあったんだろうけど。……自分の不甲斐なさで肩が重くなる』

恐らく、今も彼女は悔やんでいる。私が彼女の立場だったら、きっとそうだったはずだ。彼女の気持ちというのは、立場が違うのにそれだけよく分かる。……ただ。私はこの子に何をしてやればいいのか、それだけはずっと分からないのだ。申し訳なさと感謝の気持ちは常にこの子にあるのだが、それを私はどう消化して良いのか分からない。……何かできることはって以前聞いた時には貴女は貴女の仕事をって。そう言われたっけ。

『皆がお嬢様に抱く気持ちは、様々ですよ。勿論、貴女が私をあの危険な場所へ送ったっていう気持ちも持つ子は居る。でも、寝食に困る子達も助けているではないですか。誰も、完璧なことはできないです。私だって助けられない子が居て、美鈴さんでも崩れ落ちる心を止められない子が居て。咲夜さんでも生活を楽しませることのできない子が居て、お嬢様には送ってしまった子が居て。……起きてしまったことは、もう受け入れるしかないんです。ただ。私はこの仕事を諦めない。諦められない。諦めてしまったら。あの子達は、記憶から記録になってしまうから。止まっても良い、諦めちゃ駄目だって。私はそう思います。きっと、皆も。そしてたぶん……妹様も、同じなのでしょう?』
『うん。それは、私でも確信ができる』
『それで、良いじゃないですか。……償いきれるかは分からないですけど、償いをしないよりは良くて。その経験をもとに、これから先の誰かの笑顔が守れるなら。それは、無駄じゃないはずですから』
『そうあれかし、ね』
『私は私にできることをする。しなければならないと思うことをする、でしたか。ずっと昔に、そんなお嬢様の言葉を聞いた気がしますね。私も同じですから。私は、皆の目覚めを守りたい』
『……そうか』
『すみません。昔のことを思い出したらつい。ああ、良いですね。昔、という言葉が使えること』
『その為に尽力してくれて、ありがとうね』
『この館は、皆一生懸命ですとも。……ところで、本当のご用件は、何だったのでしょう?』
『ああ、えっと。そうだね。……うん。これを受け取っておくれ。朝の告知で知らせる内容に関するものだが、とりあえずこれは貴女と私の秘密。他には漏らさない様に。明日になれば分かる。それ以降は、これは貴女の自由に使って』
『コイン、ですか』
『ああ。くれぐれも、内緒に。私の気まぐれだから』

だから。私は……私の立場でできることをしようと決めたのだ。幸いにも不幸にも、私は彼女たちの主、なのだから。
 私は、私にできることをする。



~~



 朝ご飯を取りに、台車を押して地下からの階段をのぼる。今日は告知があるって話だったから、少し早めに出たつもりだった。天気は晴れみたい。風もないみたいだけど、告知があるからか、どの窓も閉じ切られてカーテンが引っ張られていた。賑やかな声は食堂の方から聞こえていて、台車を持って厨房に入れば……

「あら、おはよう」
「おはようございます。……皆さんは?」

そこには咲夜さんしか居なかった。咲夜さんはサンドイッチを仕込んでいて……奥の寸胴からはコーンスープの香りがする。

「そろそろ告知の時間だから食堂に行ってるわ。私もそろそろ行くところ。貴女も行かなきゃよ?」
「そうですね。じゃあ、台車はここに置かせて貰って。お先に」
「ええ」

厨房の隅に台車を置いて、普段使わない食堂へのドアから入ると……ずらりと皆が席についていた。空いている椅子は随分奥の方にあったけど、告知だけなら別にいいやと言わんばかりに立っている子達もいる。朝食の時間よりも少し早かったこともあってか、大概の子が眠そうで……そのお陰で、賑やかではあるものの、人数の割には静かかなとも思った。
 厨房のある側の壁に背を預けて、知らされていた時刻までの間、ぼーっと皆の様子を眺めていた。私が食堂に入った後も、本来の食堂のドアから何人かの子が駆け込むように入って来ていたけれど、しばらくするとそれも止んで。それからレミリアお嬢様と少し重そうな袋を携えた咲夜さんと……それとはまた別の軽そうな袋を携えた一人の子がやって来た。ぴたりと止んだ皆の声。それから一呼吸置いて、

「皆おはよう」
「おはようございます」

レミリアお嬢様が挨拶し、そして皆が一様に返していた。

「咲夜、配って」
「かしこまりました」

咲夜さんにそう伝えると、レミリアお嬢様は皆の視線を集めるのにちょうどよさげな場所をぐるりと探し、一方でふっと消えた咲夜さんは……立っていた壁際の子達に一人ずつ何か手渡していた。どうやら座っていた皆の所には一枚ずつ小さい何か……コインのようなものを置いていた様で、同じものを皆に渡している。最後に私の所にもやって来て、私も一枚受け取った。赤色の……銅貨、だろうか。幻想郷で使われているお金じゃない。

「皆に一枚ずつ行き渡ったかね。今日から新しいことを始めようと思ってね。まあ生活のおまけだと思ってくれたら良い。今配ったコインはそれを使うための通貨だ」

そこそこよさげな場所に落ち着くと、ぱたぱた羽を動かして一人分くらい高く飛んで。そこから皆に声を張って喋り出す。私は丁度その斜め後ろになるけれど……よーく見てみると、手の内側に小さなメモを持っていた。

「これから一枚ずつ、季節ごとに折を見て皆に配る予定だ。それを使って替えられるものは三種類用意している。一つはお菓子だ。先日パイを食べただろう。あれの三人分の量を、一枚で提供する。集まって語らう時の口休めに使うも良し、館の外にバスケットに入れて持ち出すも良しだ。バスケットは貸し出す。次に衣類だ。皆がもともと持っている私服をベースに新たに仕立て直したり、パーティ用のドレスを提供する予定だ。ドレスのサンプルは……咲夜、お願い」

結構ちらりちらりとメモを見つつ話してて。そこまで言うと……ぱっと、レミリアお嬢様の服が変わった。ついでに、一緒に袋を運んできていた彼女の服も。レミリアお嬢様は赤色で、もう一人の子のは水色のドレスだ。……なんだか、どちらも見たことないデザインをしている。下半身だけ見ると同じ感じだけど。

「こんな感じ。ちなみに、今二人分ここで見せてるがね、これはどちらも同じドレスなんだ。着方次第で割とどうにでもなるドレスさ。衣服の仕立て直しか、このドレスか。これは三枚で提供する予定だ。勿論着付けは教えるよ」

座っていると見づらいからか、ずらりと並んでいた皆の顔が広げた孔雀の羽のようにわらわらと広がって。ひそひそといろんな意見を隣同士で言い合っているけれど、あまりよくは聞こえない。……ドレス、か。お嬢様とお揃いならちょっと欲しい。けど、二人分は……六枚か。単純計算、一年半後か。少し気が遠い。まあ、おまけと考える分には良いのかもしれない。

「最後に、お泊り会用の部屋の利用権だ。ちょっと特別でね。四人で寝ても問題ない位の大きなベッドがある。音を部屋の外に漏らさないマジックアイテムを用意してるから、自由に騒いで結構だ。場所は医務室の近くで、医務室側から反対の一番端の病室を改装している。利用権はコイン四枚だ。部屋の説明は口で伝え辛いから、朝食の後から今日の夕方まで、好きな頃合いで下見に行くと良い。とにかくベッドはこの館で一番大きい」

そこまで言うと、パッと二人の衣服が元に戻って。……咲夜さんが着替えさせたドレスを袋にいそいそと回収してた。

「替えられるものについては以上だ。で、まず一つ重要なことがある。今皆に配ったコインには、それぞれ使用期限がある。期限が来てしまったものは、幾ら集めても交換はできない」

そこまで来て、ひそひそ声がざわっとしたものに変わる。……私もちょっと、それはつらい。ああ、でも。すぐにその理由は分かった。たぶん皆も分かったからなのだろう。そのざわつきも段々と落ち着いた。

「まあ想像の通りでね。お菓子や仕立て直し、ドレスに関しては咲夜頼りだから、負担が短期間に集中しない様にするためさ。有効期限を知りたければ、今渡したコイン、羽模様がある方を少し擦ってみてくれ。虹の色のどれかが出るはずだ。紫が一番期限が長い。逆に、赤色は期限切れが近いと思ってくれ。光らないものは期限切れだ」

その説明に、皆の視線が真っ直ぐに手元に移って。皆、確かめていた。私も確かめていた。……なるほど。二人のお嬢様の羽をモチーフにしたのか。光ったのはお嬢様の方の羽で……色は、水色だろうか。若干緑に近い気もする。改めて皆を見てみれば、一人だけ明らかにしょんぼりした感じの子が居て……たぶん、赤色だったんだと思う。

「一応紫であれば秋、三枚目を配る辺りまでは持つそうだ。ちなみに今回皆には期限をバラバラにして、ランダムに配っている。仕事の評価等は影響していないし、今後もそれは考慮しない。これらは好きに交換、贈り物にしても構わないので、欲しいものがあるのに期限が切れそうだという場合には、上手く交換してくれ。ああ、もう一つ。これらは基本的に即交換とはできない。準備が要るからね。予約制だ。予約のタイミングで期限が有効なコインが揃っていれば良い。予約の受付は」

そこまで言って、さっきまでドレスを着せられていた子がパッと手を挙げる。

「私ですー」
「彼女にやって貰う。受付は昼食後、または夕食後の食堂だ。特に部屋は一つしかないから、直前に駆け込むことが無いように。ああ、あと。もう一つ。仕入れの関係でね、お菓子に関しては予約はいつでも受け付けるが提供は各月の前半のみだ。すまないがそれは了承してくれ。以上が渡したコインの説明だ。不明な点は受付の彼女か、あるいは咲夜に尋ねるように」

そこでお嬢様が飛ぶのを止めて床に降りて。……ふ、と力が抜けたように、背中の羽が小さくなっていく。

「ああすまない!」

でも、思い出した様にレミリアお嬢様が声をあげた。

「もう一つある。一応事前に確かめたんだが、最初から期限切れのコインを渡す予定はない。もしも確認して光らないコインがあったら、お泊り部屋の下見の時についでに持ってきてくれ。受付の子が交換する」

……一人、顔が明るくなった。
 告知が終わり、お嬢様がお部屋に帰った後の食堂は何に使うかの話題と、期限の話題で持ち切りだった。……勿論私はそもそもの給仕のお仕事があるから、急いで厨房へと戻って。既に戻って来ていた他の厨房の子から、今日の朝ごはんを分けて貰った。
 パイか、ドレスか、お泊り部屋か。お嬢様と一緒にお外に行くとき用の私の服、という手もあるのだけど、流石にそこには間に合いそうにない。何となくコインとは別に頼めば何とかしてくれそうな気がするんだけど、それはしてもいいものだろうか。……ちょっとだけし辛くなった気もする。お泊り部屋は……どういう風に使われるかがもっと見えて来てから考えよう。お嬢様が借りた後に門の子達が入る、ということもあるかもしれない。私は好きなお嬢様の匂いだけれど、それが苦手な子だったらつらいだろうから。無難なのは、パイか。でもそれはなんだか、勿体ない。うぅん。

「おかえり」
「ただいま戻りました」

ああだこうだと考えている内に、お部屋に着いた。お泊り部屋は……要らないか。お嬢様にとっては変わり映えしない部屋かもしれないけれど、ここは本当の意味で二人きりになれる部屋だ。四人も眠れるベッドに今は用が無い。ここのベッドだって、私達二人が眠る分には大きなベッドなのだから。

「何かあったの?」
「いえ。告知のことですけど、働いてる皆への労い、みたいな感じで。コインで色々交換できるようになるよってお話でした」
「そうなんだ。欲しいもの、あった?」
「うーん。……私には既にお嬢様が居ますから。本当におまけにしかならないかもしれないです」
「そっか。でも、好きに使ってね。労いなんだもの」
「はい。まだ未定ですけど、好きなように使ってみます」

……他の皆は、一体どう使うのだろう。



~~



「美鈴さんをそもそも舞台に引っ張り出すのも難しいよねぇ」

たまたま皆重なったお休みの日、私は相談していた四人と一緒にピクニックに出かけた。快晴だったら嬉しいなって思って迎えた日だったけれど、空を見上げるとちょっと雲がある。綺麗に太陽も隠れてしまって、そのお陰でここ数日はあったかいなって安心してたのに、今日は少し肌寒かった。もう少し待てばピクニックにうってつけの桜の咲く季節だけれど、その時には皆が休みを取ろうとするから。そんなこんなで、皆で話して今日にしたのだ。

「素直に催眠術の練習台になって欲しいって言うのが良いんじゃないかな」
「何となくそれが一番良い気がするよね。美鈴さん、まっすぐお願いすると結構聞いてくれるし」

今日やって来たのは、すぐ近くの湖。近場だけど、ここは風がしっかり通って気持ちが良い。冬は寒いけれど、春と秋は落ち着く空気、夏は涼しさでとてもいい場所だ。でも何より重要なのは、ここは周りが良く見えるということ。私達が集まってするときのお話は、あんまり外に漏れるべきじゃないから。だから今までもたまにこうやってピクニックに出かけて相談したりしていた。ただ今日は……

「そうだねぇ。……ねえ、パイってあったかいの?」

今までと違って、私達のためだけのおやつがある。今月はアップルパイだそうで、私と、あともう一人の子がコインを出して、二つのバスケットを貰っていた。バスケットは最近新しく作ったものみたいで、ちょっとがしがしとした感触があるけれど、尖ったりしてるところはどこにも無くて。……お菓子の匂いに混じって、まだ少し竹の匂いがする。

「うん。膝の上に載せてると気持ち良い」
「お茶は?」
「それはあっちのバスケットに入ってるよ。水筒に紅茶入れてきたから。ただ……」
「ただ?」
「砂糖忘れた」

お菓子を持ってピクニックに出るってことがなくて、そのお陰で飲み物を自分達で用意して出るってこともなくて。……夏には出るときに持たされていたけれど、それも麦茶だったし、癖のせいで……カップじゃなくてガラスコップを持ってきちゃったし。パイを受け取った後、ちょっと浮かれ過ぎたみたい。

「私は無しでいいよー」
「……ミルクは?」
「無いよ。パイからりんご拾って突っ込めばアップルティになって飲みやすいんじゃない?」
「それはたぶん生温かいアップルとティにしかならないと思う」

温かい内に食べてしまおうということになって、そんな皆に食器とパイを配り、ぎりぎり持っててもなんとかなる熱さの紅茶をコップに入れて。皆で手を合わせる。……お菓子は、良い。本当は既に今日のおやつとして館でクレープを食べているのだけれど、それはそれ、これはこれだ。さく、さくと、スプーンが生地を割って入って行く、皆との静かな時間。お茶だけはちょっと飲みづらかったけど、秘密のいけない時間を過ごしている様で、それが楽しかったりして。少しの間は皆黙って、冷えた体を皆で温めて行った。

「今後のこと、考えなくちゃね」

私が最初に相談した、代表の子がぽつりと呟く。少し前に聞いた時には、協力者を増やさなきゃいけないってことだったんだけど……それはまだ、解決しそうにない。口がとにかく堅い子を探さなきゃいけないし、その子の協力を取りつけなきゃいけないし。とにかく事前の準備が要るからだ。だから、それは一旦置いておこうということになって。

「まずは外の子で試すときのルール作りなんじゃないかな」
「そうだよね。内容を秘密にするのは当然としてさ、私達はどこまで関わっていいんだろう」

代表をしている彼女は、最近になってそれをずっと悩んでた。

「結果として、自分を責めることを無くすことができるかもしれないけど、過程では皆の辛かった部分に踏み入っていくことになるんだよね?」
「……うん」
「覚悟はするよ。でも……貴女だったら、どう?」

そのことは、私も悩んでた。でも、私は。たぶんその言葉に返すのには、合っていないのだと思う。

「……私は踏み込まれるのは嫌と言えば嫌。まずそもそも思い出したくないことなんだけど、それと同時に知られたくないことでもあるんだ。中にはそういう怖かった思い出を他人に預けてしまいたいって子もいるけれど、大概皆隠してる。勿論、傷を見てしまえば大体は分かっちゃうことなんだけどね。私は……いや、たぶんここは、私達はって言えるんだけど。皆から特別な目で見られたくないんだ。痛めつけられるのは嫌だし、蔑まれるのも嫌だけど……特別待遇みたいなのも、本当は好きじゃない。妹様のことになると怖さがどうしようもないくらい勝ってしまうから、ああいうことになってるんだけど。なんて言えば良いんだろう。私達一人一人を見た時にね、その被害の光景がちらついてほしくない。どこまでも、かわいそうって思われたくない。……怯えやすくなっちゃってるし、怖がりやすくなっちゃってるのは確かにあるし、それこそその被害の光景は、やっぱり傷を見れば分かっちゃうことだとしても、ね。でも、それでも。私はこの活動に意味はあると思う。……確かに、褒められたことじゃないかもしれない。でも、私は。……やって、欲しい。ねえ。いざ問題が起きてしまったら。その時は私に全部責任を投げて。これは、私がお願いしたことなんだもん」

私は……最終的には、美鈴さんが悲しい夢を見ることが無くなってしまえば、それで良い。それが、目標だから。

「いや、代表は私だから。それにここの誰も、貴女に二度目のスケープゴート役を押し付ける気はないよ」

でも、すぐに彼女は強めにそう言って。

「そうそう。まだ泥船みたいな成功率だけど、私達も頑張るからさ」
「切り出すにしても、そこは大船に乗ったつもりで、の方でしょ」
「いやーでも、沈むときは皆一緒って点では正しいんじゃない」

周りの皆も、茶化すように笑った。……ああ、せっかくの楽しいピクニックなのに。ごめん。そして、ありがとう。

「まあ、そうだね。成功率と協力者の確保は何にしても外すことができないから。まずはそっちから手を付けようか。ひょっとしたらまた後で、別の見え方ができるようになるかもだし。急がなきゃいけないことだけど、急がば回れって言うしね。それでいいかな?」
「うん」
「なんとかするから。それは、約束する」

……うん。自分から言っておいて、気を遣わせてちゃいけない、よね。皆が笑顔になるためにまずは私が笑顔にならなきゃ、かな。そして丁度良く、

「ありがと。ところで、パイのことなんだけど」
「うん?」

ここにはそれを助けてくれるものがある。

「まだ、一つ余ってるんだよね」
「それは勿論」
「勝負、だよね」

……皆の笑顔、守らなくちゃ。
読んでいただき有難うございました。
登場人物が増えると大変になるということは前回で分かった所でしたが、
やりたい気持ちに逆らう気が生まれませんでした。

今回環境要因でチェックが上手く行っておりません。見つけ次第逐次修正します。

--2019/05/31 修正内容ここから--
誤字と表記ゆれの修正
--2019/05/31 修正内容ここまで--
あか
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
そろそろ来ないかなー?と更新したらほんとに来ているじゃないですかやったー!
興奮のあまり一気読みしてしまい夜が明けていました…。
タグから妹様中心かと思いきや紅魔館フルメンバーに加え秋姉妹まで…
大変賑やかで、お話もいつも通りの大ボリュームで大満足でした。
読みながらメモを取っていたものの一度では上手く纏められませんでしたので、過去作も合わせてまたじっくり読み返したいと思います。

ということで初回の感想ですがお嬢様と美鈴が特に印象に残りました。
お嬢様は前作、前々作では苦労人という印象がとにかく強かったです。
今作でもたくさん悩んでいましたが、キャラメルに苦戦する微笑ましい姿や
妖精ちゃんたちの「私もいつか、食べられてしまうのでしょうか?」に対する返答でのカリスマ溢れる一面も見ることができました。
特に消音アイテムお試し時の咆哮が不意打ちでした…何この可愛い生き物…。
一方で美鈴は明るく振る舞っているけれど、昔に心の奥底に刺さった棘が抜けていないというのがとても痛々しく…。
今後のお話でこの辺りも語られるのでしょうか?どうか門番の娘たちも含め、悪夢から解放されますように。

一見しょーもなさそうな秘密結社の数々もそれぞれの設立にドラマがあって面白かったです。
皆が何かしら悩みを抱えているけれど解決しようと頑張り、皆が皆を好き合って愛に満ち溢れている
あかさんのそんな紅魔館のお話が本当に大好きです。
どうやらこのシリーズは3年毎に投稿されているようなので次回は2022年でしょうか…?ええ全然待てますとも。
とはいえ、あかさんの作品はどれも楽しみにしております。気ままに投稿していただければ幸いです。
長文失礼いたしました。