真・東方夜伽話

ルミナス世界と日出ずる国の革命布告(ニューワールドオーダー)⑧

2019/04/15 03:24:30
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ルミナス世界と日出ずる国の革命布告(ニューワールドオーダー)⑧

みこう悠長
§ § §



「|日《のぼる》、|日《のぼる》」

 部屋を出た瀬織観月は、その5分前の様子からは打って変わった表情をしていた。いや、5分前にしていた表情こそが普段通りではなかっただけだろうか。

「観月様。御祈祷は終わりましたか」
「ええ。|瀬織津姫《セオリツヒメ》とのより強い合一を感じました。」
「それはなによりでございます、ああ、長く待ち続けた革命の日が近いだなんて、気分が高まって地に足が付きません。」
「革命の日は確実に近付いています。ですが、そのために必要なピースが一つ、まだ足りていないことが分かりました。」

 瀬織観月がそう言うと、世話係のような女性は重要な驚いたような視線を返した。

「それは、何で御座いますか」
「|瀬織津姫《セオリツヒメ》は、男性月神|天照《アマテル》とその女性司祭|菊理媛《キクリヒメ》が統合された姿です。が、残念ながら人間の体を持つ私は、女性性に囚われると同時に、男性性を欠いています。……私には、夫が必要です」
「それが、|日《のぼる》様、なのですね」

 瀬織観月は頷く。

「彼には、まだ真理を伝えていません。」
「……契りは」

 女性がそう言うと、瀬織観月は頬を両手で挟むようにして顔を赤くする。「いちどだけ」。

「もーお、観月様、やることやってんじゃないですかぁ~」
「でもでも、|日《のぼる》は|天照《アマテル》として選んだんじゃないんです、本当に、びびっと来たって言うかぁ♥」
「尚更〝やること〟じゃないですかぁ、もう、ちっちゃい頃は大人しくて引っ込み思案だったから心配だったんですよぉ? それが、彼氏連れてくるなんてぇ。しかも、もう《《済》》だなんてっ」
「そっ、そんな言い方しないで下さいっ」
「……」
「……」
「と、取り乱しました」
「私こそ大変失礼を致しました」

 一つ咳払いをした女性、瀬織もつられるように顔を背けて深呼吸する。

「|日《のぼる》さんは今どこにいますか?」
「しばらく前にお出かけになりました、外に出てらっしゃいます。この辺りは夜になると何も無いですよと申し上げたんですが」

 瀬織観月は表情を険しくする。教団の真理とやらは伝えていなかったが、個人間で生じる真実は伝えたばかりだった。それによって国立|日《のぼる》との間にぎこちない空気が生じたのを瀬織観月は感じていた。

「そうですか、用があったんですが……そういうことなら部屋で待つことにします。今日はもう、上がって下さい。」
「承知しました。お先に失礼します」

 女性は一礼してからその場を後にする。その背を見ながら観月は、この翡翠園が|照道《しょうとう》教の集団居私設だと伝えたことによって、彼に壁が生じたかも知れないという事実に、想像以上にダメージを受けた自分自身に驚いてもいた。
 承知の上でここに連れてきたはずだった、これを伝えたときには国立はきっと驚く、下手をすると怒るかも知れないとは、分かっていたつもりだった。

―そっか

 そうひと言だけ言って、すうと消えるように観月の前から姿を消した国立|日《のぼる》。翡翠園を出て行ったとは思えない、きっとどこかその辺を歩き回っているのだろう事は分かっているが、「そっか」と言ったときの国立の冷たい、というかまるで温度の無い表情が忘れられずに、瀬織観月はその不安感を心臓の裏側に収めたまま演説を終えた。
 本当ならば、彼にはその演説の間も隣に立っていて欲しかった。

(和解、しないと)

 焦りにも近い感情が彼女の中に沸き上がっていた。

(……和解? 何について?)

 今の瀬織観月にとって、国立|日《のぼる》に対して弁解できる要素は何一つ残されていない。出来るのは、恩着せがましく事実をひけらかし譲渡を迫ることくらいだ。そんなことをしたいと、瀬織観月は考えているわけでは無かった。
 助けを求めたい。でもそんなことが出来る相手なんだろうか。確かに彼の死体処理を手伝った、フェイタルな貸しがあるのは間違いが無い。だからといって、この余りにも常識外れの環境で、一体どうすれば救いになるのかも分からない自分の状況を見せて、彼に一体何を求めようというのだろうか。〝それ〟を、相手に求めるのだろうか。
 行き止まりで、袋小路のこの状況も、彼になら扉を開ける力があるとでも? それこそ、私や父を神と妄信した愚かな人間達と同じじゃないか。
 世話役の女性が背を見せて遠ざかるのを、どこかもっともっと遙か向こうの望遠光景のように感じて、自分の体が現実では無くこの世から隔たれた壁の向こうに置いてあるようなそんな錯覚を感じながら、瀬織観月は、自身の国立|日《のぼる》への依存心が急激に膨らんでいることを感じたそれは、彼に拒絶されたかも知れないという不安感の大きさから反作用的に感じたことだった。

(助けてなんて、言える立場じゃ無いよね)

 死体遺棄は極めて物理的な援助だ、死体という物体が目に付かないように物質的な処置を施せば、それだけで彼へのこの上ない援助だったのだから。でも、今、瀬織観月が求めている救いとは、何なのだろうか、何をすれば、何をして貰えば、この閉塞感から抜け出せるだろうか。

(力が欲しかった、力ってなんだかわからないけど。道を決めるための心、自分で進むための足、やり遂げるための腕、私にはどれも無かった)

 瀬織観月は国立|日《のぼる》へ、「手伝って欲しい」と伝えた。それはたった一つの冴えたやり方ではないが、どれだけあるのか判らない答えの幾つかの内、一つが何であるのかは、判っていた。

(私に残されているのは、壊すための力、だけ。それ以外はもう、手遅れだから)

 ただ、それを、まるで騙すようなやり方でそれを彼に手伝わせるのか。
 それに怒りを感じたから、彼は今、自分の目の前にはいないのではないのか。そう考えて、無性に不安になっていた。

「くにたち……」

 そこに彼がいる訳でもない、何を言いたい訳でもない、ただ、溜息の代わりのように、その名前が、観月の口を突いて出ていた。
 探そう。部屋に戻って待っているなんて、気が急いて無理だ。
 瀬織観月は一人決心し、部屋に戻るのでは無く外に行ったという国立|日《のぼる》の行方を捜しに外に出ることにした。そうしてエントランスに向かおうと足を進めたところで。

「観月様」

 観月に背を向けて仕事を上がろうとする女性が、曲がり角手前で足を止めてふっと振り返り、観月に声をかける。

「は、はい。まだ、何か?」

 女性は、真剣な表情で瀬織観月に向き直り、改めて口を開く。

「ゴム、あります?」
「そっ、そういう《《用》》じゃありません!」

 瀬織観月を茶化した女性は、さっさとその場を退却していった。



§ § §



「佐原、葛西、退却だ。」
「「佐原、葛西、退却します!」」

 一之瀬が指名した2人は、弾倉を外して後方の〝モグラ叩き組〟に手渡してからメンバーに向かって敬礼を残してから、この場を走り去った。そう言う作戦であるのなら、退却組に指名されたからには全力疾走でこの場を去り達磨山二号高地を目指すのが最大の貢献になる。

「リロード、済み!」
「リロードします!」
「よく狙えよ。|神妖《かみさま》でも銃が効く奴はそうそうお目にかかれないんだ。お前等が自衛隊として初めて|神妖《かみさま》を仕留めた部隊になるかも知れない。トドメを撃った奴には、オレの秘蔵のシャンパンをくれてやる。結婚したら開けようと思ってた奴だが奮発だ」
「いらねーです(笑) っと、こえー」

 |黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》のトゲ尾の跳ね針が降り、後列の隊員ひとりの足下を掠めた。針は長さが15センチ程度しか無い。だがそれが突き刺さった部分では、その刺突部分だけでは無くその周囲30センチ径ほどが抉り取られたように凹み、中央に刺さった針がまるで木のように枝を伸ばして成長した。先端は細って下方向にしなだれているのを見ると、ある程度の可塑性を持つものらしい。それは枝状に分岐して丈を伸ばすが木では無く見た目には石の様で、枝を伸ばして伸びる姿はまるでトゲ尾の跳ね針を基結晶とした結晶成長の様に見えた。驚異的に高速であるし、その代わりに減っている地面の構成要素、しなだれて降りている先端を見ると、まるでそれは、地面の成分を吸い上げて生長している木のようにも見えた。
 それがなんだか分からないからと言って、隊員の誰もがそれに触れようとは思わなかった、不運にもそれを体に受けてしまった仲間が一瞬にして体が砂のように崩れて消えたのを目の当たりにしていたからだ。その時のトゲ尾は、気もが悪いくらいに赤い色に成長していた。

「こんなことなら高校時代に野球やっときゃ良かったぜ。フライをエラーするだけで生き残れるんだからな」
「エラーなら誰でも出来るだろ」

 残っている隊員は20余名。モグラ叩きが失敗して串刺しになった者は5名、トゲ尾の跳ね針で消えた者は3名。|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の進行速度が大きく低減しているのは確かだが、それぞれがバラバラに全力で逃げながら一人一人刈り取られていたのと、《《減っていく》》速度自体には結局大して差が無かった。
 しかもそれもいつまで続くのか分からない、残弾は豊富とは言えなかった。

(想像以上に弾の減りが早いな。退却の間隔を狭めないと……)

 残弾が無くなったときに、まだこの場に複数のメンバーが残っていたとき、丸腰の虫けらがバケモノの前に突っ立ってるのと変わらない状況になる。一之瀬だけでは無い、この場にいる誰もがはそれは避けたいと考えていた。
 日が傾いて暗くなり始めている。少しずつ後退を進めている殿軍は、長尾トンネルにさしかかっている。トンネルの高さは蛇体部分が蜷局を巻いた|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の高さより低い。ここに入ってくるかどうかは分からないが、頭を突っ込んでくるならトゲ尾の跳ね針の憂慮が薄れる。僅かな間だけ、ほんの少し気が抜けそうだった。もし追跡が終わるなら御の字だ。

「リロードします!」

 そうしていく間にも、弾はみるみる減っていく。撃ちっ放しというわけでは無い、むしろ相当消費弾薬を減免するよう、間隔を広げた「タ」撃ちにしている。それでも、弾丸は勝手に回復するような便利なものでは無いし、そもそも白兵交戦を前提としていない装備では、最初から豊富な弾薬は期待できるものではない。

「ざ、残弾ゼロ」

 隊員の一人が、退却メンバーから受け取った分も含めて全ての弾丸を使い切ったことを告げた。

「小圷、二瓶、退却しろ」
「「小圷、二瓶、退却します! ご武運を!」」

 一之瀬が弾が切れたメンバーともう一人を選定して、退却させたところで山神が声を上げた。

「目標に変化アリ!」
「……渡り蝶?」

 山神が声を上げなくとも、変化があったのは誰の目にも明らかだった。トンネルの入り口の手前で止まった|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の周囲に、無数の蝶が現れていたからだ。
 頭部白色人型部に群がるように群れを作る蝶。同時に、人型の部分は扇状に広げた手での防御を止めた。

「構うな、撃て!」

 トンネルの内側に入った殿部隊。|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は防御を解除したまま、一部蜷局を解いてトンネルの高さにまで頭を下げている。白色人型部の小さな頭部に付いた目のような光が、銃弾を受けながらも、じっ、とこちらを睨み付けているようにみえる。
 突然現れた蝶の正体は分からない、だが蝶がいてもいなくても、人型の部分が姿を晒していることには変わりない。防御を解いているのなら攻撃のチャンスでもある、あの人型部分は銃弾を受け付けることは既に知れているのだから。
 前列部隊が発砲すると、弾丸の多くは人型部分に命中した。

「蝶って……ありゃあ、何のつもりだ?」

 姿を晒した青白い人型は、弾丸を受けて損傷しているのがはっきりと分かった。それでもその目は依然殿軍の方を見ている。
 ほとんどの隊員が持っているNMB49は小口径の弾丸を高連射でばら撒く至近距離向きの短機関銃だ、現在の交戦距離は銃の有効射程を大きく離れている。その性質上弾丸は|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の体を特段大きく損傷するわけでは無い。低い集弾性と小さなストッピングパワーの連続により、小さく削り取るようにその白い表面を抉っていった。
 防御姿勢を解いたまま頭を下げている|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の人型部分には、体の表面が泡立ち破裂したように捲り返った後が無数に刻みつけられていく。人では無いのは明らかだが、成功にニンゲンの女性を模した姿が、銃弾で穴だらけになっていくのは見ていて気持ちのいい物ではなかった。

「なんかこう、火とか噴いてきたら一網打尽ですよ、こんな空間」
「だからといって迂回する道は危険すぎだ」
「この山って火山なんですよね」
「この山というか、もうこの島全体が火山群だ。トンネルの中だから噴火で死ぬなんて可能性はトンネルの外でも噴火で死ぬ可能性とかわらんさ」

 周囲は低いとは言え山だ、それを登ったり迂回しながら後退するのは、折角整った足並みが崩れそこから一気に全滅に陥りかねない。リスクは承知の上でトンネルに入るしか無かった。
 火山よかあれが火でも吐かんことを祈ろう、そう言いながら一之瀬達はトンネルをじりじりと後退していく。その間も、人型部分の無防備は続いている。周囲を揺蕩う蝶もそれ以上の変化を見せていなかった。それよりもトンネルの手前で止まっている事実の方が安堵に繋がっていた。

「そのままへんなことはしないでくれよ、出来ればもう追ってこないでくれ」

 有効射程外ではあっても、NMB49の9ミリ弾の雨は、人型の体部分に小さなクレーターを無数にえぐり付けていく。蛇体部分に比べて頭部の人型部分は柔らかい組織で出来ているらしい。つまりそこ以外に弱点らしい弱点は見当たらなかった。白色人型部は銃弾を受けるとその内側から血液のような赤い液体を飛沫上げていた、まるで本当のニンゲンのように。本当のニンゲンと違うのは、そうして無数の銃創を受け、その連続によって小さな肉片を落とすようにその体を刻みつけられてもまるで死ぬような様子を見せないところだ、初めて銃弾を受けたときは避けるような仕草を見せたが、今はそれをしないただ、削り取られていく自分の体を甘んじて受けているようにさえ見えた。全体的に青白い印象が強い上部人型部分が、みるみる赤く染まっていく。腕部の肉片が飛び散って抉れ、大きく損傷した部分からは骨のような組織が覗いている。腹部に連続したクレータが穿ち付けられ大きな穴に変化している、その内側からは赤い液体が噴き出すように漏れ出ていて、何か脈打つ器官が顔を出していた。顔らしき部分にも銃弾は突き刺さっており、もしこれがニンゲンであれば形の整った美女だったろう顔も幾つもの弾丸で無残に変形している。目玉や歯のようなものが元の場所から移動してぶら下がり零れ落ちていた。

「水着ギャルが……」
「一之瀬さんそれ言う相手もういない《《っスよ》》」

 白兵作戦が想定されていなかったため特に統制が無く好き勝手な銃器を持ってきている者もいて仲原や阪下はその内だ、仲原は好みのM60、阪下はザスタバM91EBRを持ってきていた。銃の性質上、弾薬がまだ豊富に残っている阪下が、敢えて真似をするような口調で一之瀬に突っ込んでいた。

「ああ、そういえばそうだった。こんなことならM60置いていかせれば良かったわ」

 仲原は一之瀬が独断で退却させていた。結局、スクーターは動いたのだった。田舎であることに感謝すべきだったのだろう、鍵は刺さりっぱなしで放置されていた。島民はフェリーで退出していたが、おそらくは車庫に合った自動車で他の家族と乗り合わせて島外に脱したのだろう。その間にゴタゴタがあって鍵が刺さりっぱなしだったのか、それとも一之瀬の言ったとおり本当に普段から鍵を刺しっぱなしだったのか。それは定かでは無いがともかく、仲原はこの場にはいなかった。一足先に達磨山二号高地に向かっていた。

「あれがいないと寂しいもんですね、ウチの隊は」
「静かでいい」
「またまた」

 |一之瀬《上官》を茶化しながらも、私品携行武器で人型部分を狙撃する阪下。パンッ! とMNB49の音とは違う大きめの破裂音、MNB49と違い中遠距離向きのザスタバM91EBRは、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》に有効打を加えているように見えた。NMB49に比べて適正距離が長いザスタバM92EBRだが、現在の交戦距離は備え付けのスコープでは近すぎる、阪下はスコープを外して目視射撃をしている。「あれをスコープで見る気にはちょっとならないですね」阪下が言うのは、白色人型部は中東紛争地域で見せしめに私刑射殺された死体のような状態だったからだ、つまり、ぶら下がるボロ雑巾に骨が通り頭部のようなものがすげ付いている、普通の感覚ならば直視できない姿。それでも人型部分は動いている。腕を広げて、周囲に飛び交う蝶を迎えるようなポーズで揺れているのだ。それが口で顎だと認識するには、望ましくない想像力を働かせる必要がある、その顎は、まるで笑うように動いていた。

「|ザスタバM92EBR《それ》が最後の頼りになるかも知れないな」
「好い銃でしょう」
「弾をどこから調達しているのかは聞かないでおく、私品だしな」
「お願いしますねー……ん?」

 阪下が何かに気付いた。全く防御姿勢を取らず被弾を続けていた|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の上部人型部分が動いて手首から先が無くなった腕を上げ、その先をこちらに向けていた。

「警戒しろ!」

 殿として残った一之瀬と同じ階級の樫原が声を上げた。 ほんとにに火でも噴くじゃ無いだろうな。一之瀬が不安そうに声を上げる。
 |黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の周囲の蝶が、螺旋に渦を描いて柱のように取り囲んでいる。蝶は一頭一頭が青白い光に包まれ、ただ事では無い自体を物語っていた。
 日が暮れて暗くなった空間が、蝶の纏う青白い光でにわかに明るさを取り戻した。その青白い光を纏った蝶が、トンネルの中に入り込んできた。群れの全てがまさに渡り蝶が一直線にどこかを目指すように。

「なんだ……?」

 蝶に構わず|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》を撃つ者もいたが、ほとんどが驚き恐怖に駆られて蝶の方へ銃を向ける。バラマキ銃と揶揄される銃だが、それでもふらふらと揺られるように動きながらそのくせ驚くほど素早い動きでトンネルの中に入り込んでくる蝶は、弾が当たれば羽を散らして落ちたが、当たらずに隊員の傍まで届く個体もいた。それは隊員の肩に止まる。

「ひっ」

 蝶と言えば自然愛へのイコンであり、季節を示す風流であり、忌避しない人間の多い虫の中でも珍しい存在だが、今ばかりは違う。バケモノが使役する得体の知れない虫だ、いや、虫なのかどうかもこればかりは疑わしい。
 蝶に止まられた隊員は慌てふためいてそれを払おうとした。だがその蝶がふわりと再び飛び立ってその手を避けたかと思うと

「ぐっ……げ、あぐ」

 突然銃を捨てて倒れ込み、嘔吐した。アスファルトの路面に吐瀉物をまき散らした後何度か咳き込み、そして体をガタガタと震わせる。

「だっ、大丈夫か、おい!?」

 隣の隊員が駆け寄って様子を見ると、半開きの口から泡を吹き焦点の合わない目を細かく震わせながら痙攣している。脂汗が浮いているが、体温は下がり体温が急激に低下しているのが、駆け寄った隊員の手から伝わっていた。息が浅く細かくなり白目を剥き、やがて痙攣が治まるのと同時にそのまま呼吸も失われた。

「し、死ん……?」
「うあっ、げえっ……!」

 無数に舞い込んでくる蝶を打ち落としきれていない。蝶は隊員の肩に止まろうと人間めがけて寄ってきている。次々と肩に宿られて嘔吐し痙攣して戦闘不能に陥っていく。

「う、うわっ、く、くるなあっ!」
「ひいっ」

 蝶が肩に宿った隊員は、例えそれが一瞬であっても例外なく倒れ、そして呼吸を停止していた。

「毒、なのか?」
「蝶に捕まるな!」

 肩に止まられただけで死ぬだなどと、尋常の蝶でない事は明らかだ。手で払って手に触れただけでも死ぬかも知れない。

「くるな、くるなくるな」
「お、おい、こっちに向けるな、あ゛あ゛っ!」

 蝶に恐怖する余り、それを打ち落とそうとした流れ弾が当たり同士討ちが生じる。
 蝶にばかり気を取られていると、今度は突然、一人が地面から生えた棘で貫かれて死んだ。
 一之瀬がトンネルの入り口の方へ視線を向けると、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》がその頭部をトンネルの中に突っ込んで入ってきていた。

「ま、まずいぞ」

 戦闘不能になった隊員の銃を拾い上げて交戦に参加する一之瀬と樫原。だが状況を打開するには至らない、蝶は銃が聞かないわけではないがそれをふらふらと避け続け、さらにはただ肩に触れただけで死に至らしめるのだ。同士討ちを裂けようとすると銃で撃つわけにも行かず、逃げ回るか、ストック部分で叩き落とす程度しかない。
 銃撃で失われた手首の先から真新しい手が生えている、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は再び柏手を打って石の槍を振るっていた。

「くそっ、ここまで来て……!」

 阪下が発砲するが、蛇の口が大きく開いて、その弾丸を上顎で防いでしまう。眉間に生えた人の部分はズタボロの人体の様相を見せ、蛇が口を開く度に乱暴に振り回されて頭の上で死体のように転げ回っているが、さっきまでの様に狙い澄ました柏手では無く、壊れ狂ったように手を打ち、地面のあちこちから無差別に石の槍を突き出していた。
 口を閉じた蛇の頭の上で人型部分は、さっきまでのように自立せず頭の上から乱暴に放り出されたように横たわっているが、その手だけが壊れた玩具の一部だけがまだ偶然に機構を残しているみたいに、手を打ち続けている。横たわった人型の、辛うじて残った人型頭部の目は、こちらをじっと見つめているようだった。

「一之瀬さん、これはもう」

 狙い定めない発狂石槍はいつどこに発生するか分からない、ずっと足下を見続けていないと行けないが、そうすると蝶に宿られてしまう。発狂石槍と毒蝶の群れ。トンネルを抜けるとこれに加えてトゲ尾の跳ね針も降り注いでくるだろう。
 白色人型部があのように振り回され、(あるのかは分からないが)理性的だった石の槍の生成が半狂乱の乱打になっている、もしかしたらダメージの蓄積は相当なもので撃退は間近なのかも知れないがそれを完遂することは困難なように見えた。

「八方塞がりか」
「このままでは全滅です、各個退却しか……」

 各個退却なんて4文字熟語で格好良く言ってみても、その実際は全員それぞれが一目散に逃げ回れと言う、命令でさえ無い投げっぱなし指示だ。しかし、もうそれしか残されていないだろうか。そうで無くても既にほとんど反撃も出来ずに急激にトンネルの出口に向かって押し出されている。

「トンネルを出た直後なら、矢も飛んできません。バラバラになら、山中にでも逃げて逃れられる者もいるかも知れません」
「仮にも指揮をする者としては最悪の指示だな」
「この状況で、誰も責めはしないでしょう。我々はよくやったと思います。これだけ時間を稼げば、他の者達はかなり達磨山に近付いているはずです」

 時間は残されていない、これ以上無駄に一丸になって後退を続けても、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》から見て獲物が一塊にまとまっているだけに過ぎないのだ。

「樫原、あんたはどう思う。オレはもう、各個退却が最悪だがベターだろうと思う。そんな選択肢しか出せない自分をぶん殴りたいがね」
「是非も無い。お前と同じ意見だし、同じ感想を持っている。」

 各個退却しかないか、一之瀬も樫原もそれ以外に方法がない(それは〝方法〟ではないが)と諦観を見出したときだ。

「……何の音だ?」
「噴火するんじゃ無いだろうな!?」

 何か重苦しい音が聞こえてきた、トンネルの中に響く音では無く地面を小刻みに揺らすような―



§ § §



 重苦しい空気は、太陽の光が僅かに蝕まれていることと関係しているのだろうか。
 太陽は燦然とそこにあり、決して姿を変えずに天道、常に輝き続ける。それを隠すのは、スカイブルーを覆う山にわく雲、虫と夜雀が飛び交う凍てつく夜、それに。

「日蝕……」
―月が日を蝕み始めたな。オレが出てきたことが、広く知れ渡る。オモトも気付くだろう。

 姿の無い状態で、シオリがこうして声を発し、こちらの声を聞くことが出来るのは、彼の言葉を借りるのならば「扉が破れた」からだろう。体こそ今はルーミィに渡しているが、実質的にシオリは外に出てきているのだ。

「私のからだを、かってにつかわないで」
―それは済まないと思っている。だが恐らくそう長い間のことでは無い、少しだけ我慢してくれ
「いや。」
―……嫌といわれても使わせて貰うぞ。オレは、あいつと決着を付けなければならないし、あいつもオレを殺しに来るだろう。君の好き嫌いに関わらず、状況は進む。君ではどうにも出来ないだろう。

 オモトヒメがここに来ているというシオリの言葉が本当ならば、きっと大きな戦いが起こることになる。予定外の日蝕は、シオリが再臨したことの証として、博麗に伝わることだろう。レミリアさんや……
 ニンゲンは光が大好きで、闇が大嫌いだ。光の意味を持たされた存在は沢山いるし、それによって殺される為だけに闇の意味を持たされた存在も多くいる。光と闇の戦いなんて、まるでファンタジーの世界の戦いみたいだけれど、それが実際に起こるのだ。世界を賭けた戦いでは無くて、あくまでも個人の喧嘩が巨大に影響するという質の悪い形で。

「間違いなく博麗が介入してくる。そうなったら、きっとシオリが不利だよ。ニンゲンは、光を好むから」
―オレは闇じゃ無い、月だ。
「それでも」
「私が、〝やみ〟だから?」

 ルーミアが、感情を押し殺したような声で言う。

「私がわるいの? 私は、かってにこのリボンをむすびつけられただけなのに、私は何もしてないのに、私がわるいの?」
「ルーミィ、ちがう」
―違わないだろう。月影から光を奪ったのはオモトだ。月は夜故に闇とバンドルされ、|瀬織津姫《セオリツヒメ》という名前でパッケージされて、君の体に押し込められた。それは、未必の悪意だ、この世界の
「シオリ!」

 それ以上は言ってはいけないことだ。ルーミィは|瀬織津姫《セオリツヒメ》の再臨としてこの世界に詰め込まれたいわば被害者だ、だがそれを強いたのは八雲太妃であり、それ故この世界のルールに等しく、批判することは重大な禁忌だった。そのタブーに触れたがる者はいない。それがどんなに酷い仕打ちで理不尽な結果であったとしても、その理不尽によって害を被る者はいないからだ。
 ……ルーミィを除いて。

―……お前がそれを憎むのか、リグル・ナイトバグ、いや、|穂多留比《ほたるび》
「シオリが言う通り、ボクにはその資格が無いかも知れない、でも」

 でも、もしかしたら、月神アマテラス「|天照《アマテル》」と、その巫女「|菊理媛《キクリヒメ》」を「|瀬織津姫《セオリツヒメ》」という存在に一つにパッケージしたのは、ボクなのかも知れない。だとしたら、ルーミィの身に降りかかる不幸は、ボクが原因なのかも知れない。

―ふん。死体を分解するのはむしの仕事で、お前はそれをしただけだ。今更後悔するくらいなら、開き直るくらいのことはして見せなよ。その方がよっぽど、この子だって救われるだろう
「ルーミィ」
 幻想郷に送られてきた|瀬織津姫《セオリツヒメ》はシオリとして再構成され、ルーミィの中に押し込まれた。無知で理性に乏しかった頃のボクが、したことだ。もしボクがそうしていなければ、|天照《アマテル》と|菊理媛《キクリヒメ》が別の存在として残存していれば、ルーミィの体には入りきらなかったかも知れない。ボクがそうしていなければ、ルーミィはきっと……

「私、べつにリグルのことおこってなんかないよ。私がおこってるのは、むりやりえっちしたことだけ。しんじまえ」
―前言撤回。最低じゃねーか、救われないな
「そーだそーだ、かはんしんちょっけつさいてーオトコ」
「ぅぅ」

 そう言いながら、ルーミィはボクに後ろからくっついて、首に腕を回して絞めて来る。絞まってる、絞まってる。コツンと頭と頭がぶつかった。

「じゃあ、私がたたかう」
「えっ」
―なに?

「あんたなんかかんけいない。リグルもこんなやつのためにせきにんかんじて、バカみたい。私が、オモトとかいうひとをやっつければいいんでしょ。ハクレイもだいっきらいだし」
―無理だな、オモトは特上の神族だよ、その上〝外〟で何度も転生してその度に霊源を増やしてきた。ここに来たのは十分に力を蓄えたからだ、もはやこの幻想郷にいる誰と比べても強大だろう。それこそこの問題に八雲が首を突っ込んできても、突っぱねるくらいの自信があるから乗り込んで来たに違いない。
「じゃーあんたはかてるの?」
―……それでもやらなきゃならない。
「そ、それこそ八雲太妃が黙ってないよ。ある程度大きい神妖精霊同士が勝手に存亡を賭けることをことを、博麗は禁じてる。」
―そんなものは、八雲が自らの権威を保つための方便でしか無い。それに、それは奴の存在がこの幻想郷にとって、危害になればの話だ。|ルーミア《この子》と天秤してどっちを取るか。夜なら他に作り出せばいいだろう。

 新たに夜を作るなんて、でも、八雲太妃ならやってのけるかも知れない。オモトヒメを取り込んで幻想郷の内在エネルギーを増やすことが出来れば、それをキャパシティに転嫁して白玉楼や三途で問題になっている密度問題にも有効かも知れない。八雲太妃がシオリを……つまりルーミィを見捨てて、オモトヒメを選択する合理性は確かに認められた。

「私、《《わるもの》》なんだ」
「違う! 違うよ、ルーミィは悪くなんか」
「……私、《《わるもの》》じゃないもん。それをしょうめいするために、たたかう」
―君では無理だ。奴が来たら、オレが出る。身体性を全て借りるぞ
「やだ」

「私がたたかう」ルーミィは欠けつつある太陽を見て「あれくらい、私でもできる」と語気を強める。だが、決意でどうにかなるくらいなら、この世界に固定的なヒエラルキーは生まれていない。

「ルーミィ、シオリの言うとおりにしよう。きっとこの間やってきた、妙な廟を構えてる人達がオモトヒメの一味だ。彼等が来たらシオリに」
「いや!」
「ルーミィ、無理だよ。ボク等が敵う相手じゃ」
「それでもいや!!」

―やってみればいい
「えっ、シオリ、そんなの無茶だよ」
―納得いくまでやらなければ、例え結果が丸まったとしても意味が無いのだろう、特に、未練という概念の影響が大きいこの世界では。オレとて座して死を待つつもりは無い、この子が危なくなれば無理矢理にでも身体性を奪わせて貰う。だけど、それまではこの子の好きにさせてやろうじゃないか。
「でも」
―お前にだって、あるだろう。あのときもっとやっておけばよかったとか、自分がやれていれば結果が違ったかも知れないとか。

 シオリはあくまで一般論で言っているんだろうけど、それはボクには鋭く強く、痛く突き刺さる言葉だった。それを言われて、否定できるほど満足な人生を送っているわけではなかった。それこそ命を賭けたケースであっても、ボクに出来ることがあったはずだと思うことも、いっぱいあった。死を覚悟して無謀な戦いに挑んだことだってある、その結果実際に大規模な死を迎えて消滅の危機に瀕した事だって、あった。でも、その機会を取り上げられていたとしたら、と思うと、ボクには黙するしかなかった。

「……ほんとだよ? ルーミィが危なくなったら、シオリが出てきてね。ルーミィも、無理だけはしないで」
「むりするにきまってんじゃん、むりなんだから。」
「ぇぇぇ……」

 まあそりゃあそうかも知れない。けど。

―オモトに、妙な二人が付いていたな。
「えっと、ソガノトジコとモノノベノフトって、博麗は言ってたけど」
―知らん奴らだな。〝外〟で転生したときに得た同朋か
「元々あのトヨサトミミノミコというひとも、ここに来たときに太陽神を名乗ってない。ボク等の知ってるアマテラスとして〝入場〟したわけではないと思う」
―そうか……あれから、どんな力を付けているのか分からないと言うことだな
「うん」

 ボクやシオリが知っているのは、太陽神(になろうとした)としてのオモトヒメだ。トヨサトミミノミコはそれとは股別の性質を持ってこの幻想郷にやってきたのらしい、だとするとボク等の持っている情報は余り役に立たないかも知れない。
 タオ、とかいう魔術を使うらしい。少なくとも太陽云々とは関係が無いようだが、それがどんな物かも分からない。

―マンガみたいに特訓でもするか?
「とっくん!?」
「えっ、ちょ」

 マンガ、とはルーミィがよくゴロゴロしながら読んでいる絵本のことだ、ボクもよく借りて読んでいる。普通の絵本より文字が多くて話が複雑なんだけど、自分よりも強いライバルをやっつける様なお話では、主人公がライバルの強さを目指してよく秘密の〝特訓〟をしている。話の多くはその結果ライバルよりも強くなってライバルをやっつけるのだ。それが気持ちよくって読むのを止められないのだけれど、ルーミィはともかくとしてシオリの口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。

「ちょっとシオリ、遊びじゃないんだよ。ルーミィもさ」
「とっくん! とっくんする! ひっさつわざかんがえよう!」
―そうだな、使うと相手が死ぬ奴だ。めいっぱい練習が必要だぞ
「うん!」
「えぇぇ……」

 一体どうなるんだろう……。



§ § §



 一体どうなるか、と思っていたところに、まさかのヒーローが登場する。いや、その場のほとんどの人間が、その救いの手には感謝するものの、その手を差し出したヒーローの顔を見ないようにしたいとさえ思っていた。
 その音の正体が何なのか、それはすぐに判ったからだ。

「車輌……これは」

 溝を刻まれたタイヤがアスファルト噛み切りつけながら流れる音だ。それも、普通の自動車では無く、大きな。そして、高馬力なエンジンが蒸ける激しい音がトンネル内に響き渡った。轟くエンジン音、突き刺さるハイビーム、それを追いかけて聞こえたのは

 ひぃぃゃっっっっっほーーー! ヒーローは遅れてやってくるものっス!!

 拡声器で巨大に引き延ばされた、喧しい声。

「げえっ、素直に喜べねえ」

 光と声と音と共に現れたのは、93式自走高射機関砲だった。誰が操縦しているのか見えはしないが、声を聞けば明らかに仲原であることが判る。けたたましい音を吐き出しながら、トンネルの中を突っ込んでくる。

「あっ、あいつめちゃくちゃだ、クソっ! どけ、どけ! クルマを通せ!」

 一之瀬が大慌てで退避の声を上げるが、そんな指示を待たなくとも全ての隊員がトンネルの壁際に移動して自走高射砲の針路を開ける。その間も蝶と石槍は襲ってきている、壁際に逃げたところで追い詰められる者もいたが、それ以上に車輌がやってきた事への期待感が周囲の空気を奮い立たせた。
 後退を続けていた殿軍が一気に壁際により後方へ退却したのと入れ替わりに、仲原の操縦する高射砲が全線に突出した。蝶は自走高射砲の装甲に取り憑くも特に何をなせるわけでも無いらしい。その表面で足を上げたり下げたり、口吻器の先端を装甲表面に当てたりしているが中の仲原には何も影響が無いらしい。

 あっ、これどうやって撃つんでしたっけ、ワンマン運用忘れてるっス

「あんのバカ……!」

 いくら装甲車でも、底面は脆い。石槍が突き出せばそれだけでお釈迦だろう。
 中で操作に手間取る仲原を想像した一之瀬が、危険を顧みずに車輌後方に回り、後ろ開けろ!と叫ぶ。うっス、と声が聞こえ、後方の搭乗口が空く者かと思ったら。

 ドッドッドドドドドドドド!

「うわあ!?」

 あ、撃てたっス!

「どう間違ったらハッチ開閉と射撃を間違うんだ、アホぉ!!」

 車輌としての用途はあくまでも地対空だが、搭載されている砲自体は水平照準使用で機動戦闘車にも搭載される四連装リボルバーキャノンだ。
 蜂の羽音を巨大にしたような特徴的な音を響かせ大量の薬莢を流すように吐き出しながら30ミリABM弾を、仲原は間の抜けた科白を吐きながら《《誤操作によって》》、放っていた。近距離高連射バラマキ銃と揶揄されるNMB49と同等の発射速度で、その何倍ものサイズの弾丸が放たれるその音は、トンネルの中を劈く音で満たす。

 本当は自走砲持ってきたかったんスけど、隊列の問題で端っこにいたこいつにしたっス!

 遅れてハッチが開いた。

「乗れ、乗れ!」

 搭乗出来るのはキツキツに詰め込んでも5人が限度だ。一之瀬、樫原、山神、尾瀬、中井が中に乗り込むことが出来ずに無理矢理捕まったり跨乗することになった。
 兵員を詰め込んでいる間も機関砲の発砲は続いていた。至近設定され直した信管が発砲直後に大量のサブペレットを展開し、トンネル内部を一瞬で面制圧していく。蝶はほとんどが打ち落とされていく。歩兵装備の銃など比べものにならない威力だ。
 |黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》が堪らず蛇の頭を横に背けるようにして、トンネルの壁面が削れる。一部天井が崩れ落ち、砂埃が立ちこめて視界が悪化する。

「全員、搭乗した! トンネル入り口まで下がれ!」

 え、バックっスか……自信ないっス

「はあ!? いいからやれ! こんな車輌、底面は大した装甲じゃ無いんだ、槍で突き刺されたら一網打尽だぞ!」

 わかってるっスよぉ! あ、阪下さん、砲手お願いするっス
 あっ、狭い、ちょっと開けろ、見えねえ!
 狭い、狭痛っ! 蹴るなって、ああもう、この車三人乗りなんだよ!
 嫌なら外出てデサントしてろ!

「な、中は大丈夫なのか……。蝶はなんとかなってるから、さっさと後退しろ、石槍が来るぞ!」

 |黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は突如現れた火力に顔を背けたままだが、一旦体を引いて再び体勢を整えようとしている。今のうちに体制を整えないと、樫原の言う通り車輌ごと串刺しになりかねない。

 バックするっス~!

 後退の宣言があった次の瞬間、急加速で後退を始める自走高射機関砲。

「ううわっ!? お、お前な、少し加減を……うっわ、潰れて死ぬわ!」

 かまぼこ形のトンネルは中央では高さが確保されているが、軸がずれると途端に高さを失う。長尾トンネルは幅もさほどではない。少し軸をずらすと

 がりがりがりっ!

「オイィイッ!?」

 削れたのは一番高さのあるレーダーだった。折れたアンテナの一部が上から降ってきて一之瀬の捕まっているすぐ傍に衝突する。

「アンテナ畳んどけよ!!」

 忘れてたっス

「い、生きた心地がしねえっ!!」

 ほとんど直線のトンネルにも拘わらず何故か後退でふらふらと左右に振れる。それが石槍を躱すための動きなのか、それとも運転が下手くそなのかどちらかなのかは判らないが、少なくとも|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の石槍は悉く回避できていた。

「才能なのか、奇蹟なのか。」
「生き延びられればどっちだっていいですけど、|神妖《あれ》じゃなくて、味方の車に殺されるのは勘弁願いたいですね! うぉぁぁあっ!?」

 捕まって取り憑いていたのを上によじ登った次の瞬間、さっきまでいた部分が壁に削れた山神、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》と対峙してるときよりもよっぽど恐怖に染まった表情をしている。ふらふらと進行方向の安定しない、しかも高速の後退でトンネルの壁面で削られ死ぬんじゃ無いかと、気が気でないデサント組。

 あとちょっとっス、大人しくしてて下さいっス~

「大人しくしてたら潰れて死ぬわ!!」

 こっちは蛇さんとにらめっこなんっスよぉ

「えっ?」

 仲原の間の抜けた声を聞いて|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の方を見ると、顔をこちらに向け直した蛇が、今までに無い速度でこちらに迫ってきている。トンネルのサイズ制限のせいで前回には出来ないものの、自走高射砲の顔面を噛み千切ることくらいは出来そうな大きな口を開け、牙の立った顎で噛みつこうとしてくる。

「うっわああ!」

 発砲します。耳を塞いで下さい。

「ふっ、塞げるか!! こっちは捕まるので精一杯なんだぞ!!」

 そうでした。

 ドッドッドッドドドドドドドドドドドドドドドドドドドド

 特に耳を塞ぐ為の時間を設けること無く、恐らく阪下が機関砲を放つ。薬莢をがらがらと前方に流しながら後退を続ける車輌、追ってくる|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の下部蛇体部は、ABM弾の雨をもろに受けて怯む。NMB49でダメージの通らなかった黒く固い表面も、30ミリ弾は見事に削り取っていた。
 射撃により堪らず減速する|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》。対して、93式自走高射機関砲は無事?にトンネルを抜けた。それを追ってトンネルに入ってきた|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は、トンネルの中で除けることが出来ない形で機関砲の射線上に身を晒す形になっている。

「よっしゃ、撃て、撃ちまくれ!! 砲身が熔けるまで撃て!!」

 連射速度設定を最大にして、トンネルの口から中に半ばデタラメに機関砲を撃ち続ける。蜂の羽音の様な高連射の発砲音が、トンネルの外に響き渡った。相手には躱す手段が無い、頑丈そうだった蛇体にも機関砲は有効だった。こうなったら撃ちまくるしか無い。
 トンネルの中は流れ弾さえ当たらなければまだ照明が生存しておりある程度の灯りがあったが、外に出てみると既に日没を迎えておりまばらに存在する道路灯が浮かび上がる以外には……気味が悪いほど輝く月が見えた。それ以外に、機関砲の弾丸に混ぜられた曳光弾の光が、目映い橙色に辺りを照らしている。
 石の槍の突出は停止している。それだけでは無く蝶はトンネルの出口から出てこないし、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》本体もさっきまでの突進速度から察するに途中で停止しているようだった。

「阪下、仲原、俺で制圧射撃を続ける。樫原は現状の把握と前站と連絡が取れないか確認してくれ」
「了解」

 この状態でも突然石の槍が地面から生えるようなことがあれば、三人の内誰かは、最悪の場合全員が死ぬことになるかも知れない。一之瀬にとってもそのリスクは重々承知だが、混乱に陥った集団を一旦まとめ上げる必要があるように思えていた。
 手早い状況把握が求められる中、樫原はそれに応える手際の良さでメンバーを把握する。ここにいる生存者は10名、火器は若干数が残り、通信機は携帯用のトランシーバが人数分と、自走高射砲の中に|広帯域多目的通信機《こたつ》が一つ。樫原は前站と連絡を取っているようだった。
 一方、車内ではトンネルの中を警戒しながら制圧射撃が続いている。

「こんなものを持って来させるために戻した訳じゃ無いんだぞ」

 一之瀬が、この車輌を持って戻ってきた仲原へ、穏やかな声色で言う。言葉尻ではそのように言っているが、ここにいる全員の命を救った結果になるのだ、一之瀬も、その他のメンバーも、全員が仲原に感謝をしているに違いなかった。
 それでも、命令違反(一之瀬には戻ってくるなと命令されたわけでは無いが、前提は達磨山第二高地への移動が発令されているのだから)だ。

「申し訳ありません。」

 仲原は謝罪の言葉を述べてから、しばらく黙って、そして小さく言った。

「……一之瀬さんの前で、かっこつけたかったんス」

 破損したレーダーはいくら眺めても何の効果も無い。その射影盤に目を落としながら、一之瀬は黙っている。
 詰問される、と険しい表情になった仲原。だが一之瀬は小さく溜息を吐いてから、声色を弛めて言う。

「俺もお前の前でかっこつけてスクーターに乗せたからな、何も言えんわ。お前のお陰だ、よくやった。……有り難う」
「い、一之瀬さんに、褒められちゃったっス」

 嬉しそうに鼻を膨らませる仲原。

「お熱いところ申し訳ないんですけどね」

 と。そこに、砲手を努めている阪下が、呆れた声で割り込んだ。

「まだ中のバケモノが死んだとは限んないですからね、むしろ|神妖《かみさま》何ですから、この程度ただの足止めでしか無いと思いますよ。ここでそんなことしたら死亡フラグですからね」

 急に、ぴん、と背筋を伸ばす一之瀬と仲原。

「ま、また、なんだそのフラグってのは。手榴弾じゃ無いのか?」
「……ちがいますねえ。手榴弾よりは地雷の位置表示の方がまだ近いかも知れません」
「なに、地雷だと?」



§ § §



「ふむ、見た目は貧相だが、中々どうして丁寧に聖別されているじゃないか、この神社は」

 無礼な言葉を吐く割には、鳥居を潜るときには一礼し、手水舎でその口まで清めて取り方にも不備は無い。そのまま恭しく歩みを進める際にも正中を歩くこと無く拝殿に至った。
 それを向かえたのは、拝殿の横で(人が見ている間は)いつも暇そうにお茶を啜っている、この神社唯一の巫女だった。

「貧しいとはご挨拶ね。それともなあに、あんたが新しく立派な殿でも作ってくれるって、そういうあんたは大工さん?」

 巫女は、まるで自分はここに祀られている神よりも偉いとでも言いたげな尊大な様子で、煎餅を囓り割った。参拝に来た丁寧な無礼者は、それを見て苦笑いする。

「私は指金を持ってきただけなんですけどね、皆がそんなことで私を持ち上げて、《《そのような立場》》に祭り上げてくれただけです。」
「謙遜、というには少し鼻につくわね」
「正直を申したまでですよ。」
「……いちいちイラつく男だわ、モテないでしょ」
「ご想像にお任せしましょう。」

 拝殿横の縁側を私有してお茶處にしていた巫女はせ煎餅を頬張りながら、握り拳から親指だけを立てその親指で拝殿前の賽銭箱を示す。
 はいはい、と言いながら参拝者は賽銭箱に何か丸い物を入れようとする。

「待ちなさい」
「はい?」
「賽銭箱に入れていいのは賽銭だけよ、余計な物を入れないで頂戴」
「これは貨幣なんかより余程価値のあるものですよ」

 そう言って手の中にある小さな球状の物を見せる。巫女はそれを一瞥もくれずに拒否した。

「生憎、博麗の巫女は死んだら《《それきり》》と決まっているの。私もそれでいいと思ってる。どっかの誰かみたいに、往生際の悪さを誇るつもりは無いわ」
「博麗の巫女は、|伊弉冉《いざなみ》によって課せられた|人の死の呪から逃れる術《ディゾルブスペル》を持っていると聞きましたが」
「一度きりだわ。もう使ったし、今の私は正真正銘ただの人間よ」
「そうでしたか」

 謝罪のような言葉を口にする、その口が慇懃に笑んだ。今度こそ硬貨のような物を賽銭箱に放って、二拝二拍一拝。本坪は鳴らさずに参拝を終えた。「起こしては悪いですしね」
 いつの間にか縁側を降りていた巫女は、参拝を終えた男に腕を組んで不機嫌そうな表情を向ける。

「あんた、何しに来たのよ」
「察しの通りですよ」

 そう言って、チラリと視線を天に向ける、空には欠け始めた太陽が、まだ高く昇っていた。それを示して豊聡耳神子は、あれのことです、と目を細める。

「不定期の日蝕を、さっさと収めてくれるって事?」
「ええ、そういうことです。あの日蝕が私の仕業だなんて、まさか考えていないとは思いますが」
「そんなことを言いにわざわざ、こんな《《貧相な神社》》にまで御足労頂いたって?」
「はい。あれは、あなたにとっても厄物だと思いますが」
「恩着せがましく言うのなら結構だわ、私があれをどうにか出来ないと思っているの?」

 博麗霊夢が言うと、ほう、と豊聡耳神子は嘲るように見て「出来ないのでしょう?」目を細める。

「出来ないのじゃなく、しないのよ、見くびらないで」
「そうでしたか」

 気のない様子で頷いてみせる豊聡耳神子。

「私はまさにこれから、あの日蝕の元凶を絶やしに行こうと、そう思っているところです。だから、ここへ来た。この世界では、神妖精霊に於ける許可の無い騒擾行為・私設決闘は禁じられていると聞きいたもので」
「命名決闘法に則れば許可なんて要らないわ、好きにやって頂戴。」
「その《《好きにやれない方》》を、これからしようというのです。あれの根絶のために」

 そういって、全く些細なことのように小さく指を空に立てて口端を上げる豊聡耳神子。指さす先には当然、欠け始めた太陽があった。

「許可できない、と言ったら?」
「生憎、許可をもらいに来たのではありません、取り付けに来たのです。」
「偉そうに、何様のつもりよ」

 勘違いの上でさらに「俺様だ、皆まで言うな」とでも言いたげなポーズで手を上げ歯を見せて苛立たしい笑みで博麗霊夢を挑発する豊聡耳神子。博麗霊夢は眉をしかめて付き合いたく無さそうな目でそれを見た。だが今度は、そこから、豊聡耳の表情からすぅと邪気が抜けるように色が薄れて温度を失う。鋭く冷ややかな視線が、巫女を見ていた。

「ルーミア、とか言いましたか。あの依代」
「それが、どうかしたの? あれはあんたが思ってるより、いや、|幻想郷《この世界》の大概の奴が思っているより重要な子なの。ここには神様が多すぎてね、朝から晩まで明るすぎて、アレがいないとまともな夜が来ないのよ」
「それはそれは難儀なことですね?」
「あんたもその一柱よ、《《日御子》》」
「……そこまでご存じなら話は早い。あれの中に、何が詰め込まれているのか、よもや知らぬとは言わないでしょう」
「そりゃあ勿論ね。そう言う話を、今はしているつもりよ」

 それならば結構、と豊聡耳神子は話を続ける。

「元来人は、闇を恐れ、光を使い、闇を削って生きてきた。それは人の文化と文明の、進むべき合理的な方向性です。」
「ご高説痛み入るわ、残念だけど、そういうのは間に合ってるの。ここ、仮にも神社だからね」
「ああ、失念しておりました。」口角を上げて笑う。「しかし、つまりそういうことです。私は〝あれ〟を封印などではなく、完全に殺さねばならないと考えています。」
「人の話を聞いていた? 10人の話を一度に聞けるって評判だったけど? 人が闇を恐れるのは常として、それでも夜は来ないといけないの。この世界はそう言うバランスで出来ている」
「いいえ、目指してはいるが《《出来ていない》》」
「ほんとう、腹が立つ男ね」

 この世界のルールや指針を作ったのは、決して博麗霊夢ではない。それ以前の博麗でさえない。それは「起こしては悪い」と言われたこの神社の祭神である、大妖怪である。この世界では、神妖精霊いずれでも、その表層的な扱いは変わりはしない。力の大きさに応じて偉大なり、働きの有用性に応じて聖なるのだ。蓋し八雲という妖怪は、根源は妖怪なれど、偉大にして聖なる神として祀られているのだった、博麗という絶対の信者を従えて。

「それならばなおのこと、〝あれ〟が外に出て好き勝手に暴れるとまずいんじゃないですか」
「そのために封印してあったのよ。人間には、光も闇も、半々必要なものだから。」
「ニンゲンのため、なんて聞こえの良い方便ですね。博麗の成り立ちと尊厳維持のため、でしょう? 封印など続けても根本的な解決にはなりませんよ。息の根を止めなければ」
「完全に息の根を止めなければ何かの拍子に復活する、今のあんたと同じようにねということ?」
「……いかにも?」

 そう言いながら、豊聡耳神子はくねりと身を捻る。

(くせなのかしら)

 博麗霊夢は、豊聡耳神子のある動きが気になっていた。何かにつけて、手をうなじの辺りに回して撫でるような仕草を見せるのだ。まるで肩こり持ちがそれをほぐそうとする動きだが、流れるような動きの中で肘と首の向きに綾を付けてするものだからそれを、格好を付けたナルシーな癖か、と思って見ていた。

「これが重くて、首が凝るんですよ。まあ、ナルシシズムは否定しませんけどね。」

 博麗霊夢の心境を読み取ったように、豊聡耳神子はそれに返答して見せた。これ、といって示しているのは、豊聡耳神子の外見で最も目を引く、煌びやかな装飾を施されたイヤーマフだ。それが重いのだと言われて否定する要素は見当たらないが、そもそもそんな物をどうして付けているのかは分からない。重いのなら外せば良いのだから。

「ここのニンゲンは、上っ面では太陽を信仰してるわ」
「上っ面とはまたけったいな言い方ですね」
「太陽をありがたがる割には、皆月が大好きなのよ。闇を削って生きる、そのための光を、太陽にばかり求めている訳では無いの、」
「もしかして、嫌われていますか?」

 博麗の巫女は何も答えない。その通りなのだと肯定する代わりの沈黙かも知れなかった。

「最近ヘンな噂が流れてるのよ」
「噂」
「あんた達があんな所に廟を構えてから、地面を黒いものが這い回ってるのをよく見るようになったってね」
「鼠か何かではないですか。人の世が拡大すると、一緒に勢力を伸ばすと言います」
「シラを切るのね」

 これは敵いませんね、と言葉尻とは裏腹に鼻で笑って答えてみせる豊聡耳神子。その様子を見た博麗霊夢は、溜息を吐くように答えた。

「豊聡耳神子。博麗神社として、あなたの決闘申請を受理することは出来ません。」
「結構です、申請することに価値がありましたので。却下いただいたのなら、それはそれ相当の意味があります。」
「お前……」

 博麗霊夢には、自らが博麗であるという傲り歪んだ自意識は無い。それでも、誇りに近いようなものは持っていた。名誉や倫理ではなくそれは、自分の家や家族やコミュニティを穢されたという印象と似ていた。

「覚悟は認めてあげるけど、それ以上は無いわよ」
「私は、強いですよ?」
「大したナルシシストだわ、頭が下がる」
「ならば崇めよ」

 ははははは、と、冗談を笑い飛ばすように声を上げる。ケラケラと笑っていると思うとぴたりそれを止めて無表情に、博麗の巫女を流し目に睨み刺す。
 豊聡耳は右手を伸ばし、空の中から何かを握り締めるように掌を広げてみせると、その掌の中へ吸い込まれるように周囲の光が歪曲して集まった。その光は折り畳まれ集積していくように形を作り、それはいつしか剣の形を作り出していた。
 神の御座す神域、鳥居の内側で当の神格以外が剣を帯びるのは甚だ無礼で、許し難い蛮行である。それが許されるとするのならそれは、剣を帯びた者はこの域の主と同格或いはそれよりも格上であることを意味する、つまり、帯剣はそれを主張する行為だった。

「あんた。《《それ》》がどういう意味か、分かっているんでしょうね」
「わからずにやるほど阿呆ではありません」

 その剣は多分に変わった形をしている、特徴的なのはその巨大な冑金であった。大きな円体を持ち、放射状の針飾りを備えていた。八方に伸びた旭光の内一筋が剣であり、その延長上の一方、それと直行する二方に長く伸び、それぞれの間四五度で交わる4本の短い針を持つ。そうして出来上がる四方に長く伸びたフォルムは、十字架飾りを持つ|権杖《ジェズル》の様にも見えた。更に、十字の中央に座する円体は、鏡面に磨き上げられた平面のように見えて極僅かに凹面をなしていた。
 豊聡耳神子は鞘からその剣を僅かにだけ抜き刀身を侵蝕される日光に翳した、その剣には刃が無かった。代わりに驚くほど清澄に磨き上げられた刀身は、鏡のように世界を映し出している。この剣は、武器として洗練された剣では無く、鏡として磨き上げられた剣であり、そしてそれ故、武器としての鏡であった。
 剣を完全に抜く事は無く豊聡耳神子はすぐに鞘に収め直しただが、それでも冑金に備わった鏡体は威容を表し続けている。
 その剣を手に持ち博麗霊夢とそれに拝殿、更にその向こうにある本殿に向けて豊聡耳神子は視線を放ち、剣を十字架に見立てたように掲げ、宣言する様に言い放った。

「私が《《ここ》》に来た理由は一つだ。我は、新たな神となる。旧き卑神どもは、私のすることを、黙って見ていて貰おう。」



§ § §



 機関砲が発砲されている間、他の隊員にはすることがない。周囲を警戒はするものの、機関砲の稼働を黙ってみているほかになかった。
 かつん、かつん、と響いたのは機関砲の薬莢がアスファルトに落下する音だ。人間が携行する兵器とは比べものにならない巨大な薬莢はが地面を打つと、それとは分からないほどの音が響く。彼等は、聞き慣れたものだったが。

「……連続射撃限界です。冷まします」
「了解。蜂の巣ならいいんだがな」

 銃声も砲声もなければ、酷く静かな夜だった、月の光が喧しいくらいだ。当然だ、この島は普段は長閑な村であるし、今は島民も避難している。自衛隊員もほとんどが退避してこの場にはいないのだ。それでも時折、地鳴りのような音が聞こえるのは、地下での火山活動が未だに活発で小さな地震を頻発しているからだ。この辺りは姫島七火山の内〝大海〟の直上だ、ここで突然爆発的噴火が起こったら、一之瀬達は見事は一網打尽となる。

―撤収した第一前站に代わり、第二前站です。甲隊、生きている者は

 車載の|広帯域多目的通信機《こたつ》が通信を拾った。第一前站は流石に退去したらしい。第二は国東半島に設置されていて、主に乙隊担当の筈だった。

「いきてまーす、いやもうしぬかもー」

―達磨山第二高地のオスプレイはスタンバイを完了しています。早急に集合して下さい

「俺達以外は大体集まってるんじゃないですかねえ」
「だよな……俺等待ちってかなり気が引けるな」

―こちら甲隊退却中の分隊、えー、一三と

「三六だ」

―一三隊と三六隊の臨時編成部隊。|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》と、不期遭遇戦を展開しながら退却中。通常兵器がある程度効果を持つ模様、人はともかく火力支援を要請する。|送れ《ENQ》
―こちら第一前站。生存している|無人機《しらさぎ》をそちらに向かわせます。持ちこたえて下さい。

 第一前站の女の子と違って、こっちのオペ子は随分対応が冷たい。と言うか既に一之瀬達の部隊は神戸打撃作戦の続行の足枷になっている、本音で言えば対応したくないのだろう。無人機が支援に来るというのは頼もしいが、それで逃げ切れるのかは甚だ疑問だった。

「……いつ来るんっスかね」
「今すぐそこにいてくれないと困るんですけどねえ」
「てか、俺達このまま達磨山にこいつ連れて行くわけにはいかないんじゃ」
「え、それって無人機と一緒に|神妖《あれ》やっつけて下さいってミッション?」
「|神妖《かみさま》相手に無人機頼みなんて、随分気が利いた作戦じゃないか」
「稲積にあんなに沢山兵器が腐ってるのによお」
「取りに戻る手段が無いな。もう都合良くバイクなんか転がってないぞ」
「一旦しらさぎ待ちか?」

―前站、俺達はしらさぎが来てからどうすればいいんだよ。|送れ《ENQ》
―フレアを撒いて気を引きます。あるいは|アメノカクヤ《対地ミサイル》で支援します。その隙に距離を取って達磨山第二高地へ集合して下さい。|どうぞ《CSI》

「適当だなあ」
「こっちゃ現在進行形で死にそうなのに!」

 と言いつつも、一旦はトンネルの中に|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》を足止めしたのだろう状況に、その場にいる全員が一定の安堵を憶えている。願わくば、トンネルの中でくたばっていて呉れて欲しいところだが、と誰もが思っていた。

「そういえば逃げながら通ってきた〝金〟って火山、なんか中国っぽい地名だな」
「地元では〝かね〟と読むらしいですが」
「この島は大陸からの渡来人が開拓したのかも知れませんね。姫島の姫だって、Princessの意味ではなく、姫氏の島という意味かも知れない。姫氏は紀氏に連なる偉い人の血筋ですね」
「紀とか、女の子のフリして日記付けてた可愛いショタのことしか知らねっス」
「解釈が偏りすぎでは」
「しょたってなんだ?」

 一之瀬が車外の様子を見る。樫原達が長尾トンネルの中を警戒しながら見ている。

「死んだか?」
「|神妖《かみさま》にしちゃヤワですね」
「そんなこと言ってると右肩に蝶がとまるぞ」
「ショタ!」
「何言ってんだよお前さっきから」

 地響きが続いている。地面は小刻みに小規模地震を繰り返して不安を煽ってきていた。トンネルの中は機関砲の連射によって壁面天井が崩れ砂埃が満ちている上照明が破壊されているため窺い知ることは出来ない。せめて昼間なら見えたかも知れないが。それほどで長いトンネルだが、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》が中でどうなっているのかは、一見してわかりそうになかった。

「一之瀬さん、移動しませんか。ここで奴を倒して英雄になるのも一興ですが、元々は退却命令ですし、合流地点に移動して方がいいのでは」
「そうだな、島全体が火山みたいな者だとは言えわざわざ真上にいる必要はないな、さっさとここを離れよう」

 一之瀬が車外で状況を確認しているメンバーにこの場を移動することを提案しようとしたそのとき。
 ずずずずず、と一際大きな震動が音を鳴らした。

「おおい、合流地点にむか……」
「車ッ、車出せッ!」

 トンネル内を警戒していた二人が慌てて戻ってきた。

「来てる、来てる来てる!」
「なっ……!」

 主語はないが一体何のことかは明らかだ、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》が生きていて、再び進行を始めた言うことだろう。

「いやあ、やっぱ移動することになりましたねえ! ははは!」
「笑ってる場合か、詰めろ、乗れ! えっと、やっぱ俺等は|デサント《こっち》なのかよぉ!」

 バックはもう懲り懲りだと装輪超信地旋回でとっとと回頭する。車外確認組が大慌てで車内あるいは車上に乗り込んだ。

 だすっすー

 仲原がそれなりに緊迫した声色で発車を告げると同時にトンネルから白い人型が浮き上がった、その姿はさっきまでと異なり再び立ち上がっている。その下には赤い樹状の筋が見える。黒い蛇体が闇に埋もれて見えないのに対し、機関砲を喰らって漏れ出た溶岩か血液か、赤い液体が輝いているのらしい。尾の先端はまだトンネルの内部だが、蝶が再び集まってきていた。
 ハッチが閉まるや否や、自走機関砲は砲身を後ろに向けて走り出した。今度は比較的ハンドリングが安定している。

「撃て撃て、来てるぞ!」

 ドドドドドドっ!
 冷え切らない砲身を気にしてか発砲は控えめだが、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は見た目にそぐわない俊敏さで体を左右に振り体勢を低くして、被弾を抑えている。

「うわ、外に出ると案外躱すなあ」

 げっ、蝶が前から来てる!

 車輌の進行方向に蝶の群れが見えた、このままだと突っ込んでしまうが他に車が通れそうなルートはない。デサント組が毒蝶に宿られる危険性があった。

「構うな、突っ込め!」

 でもぉ

「自分の身くらい、自分でまもるさ。どうせもう弾はあっても使い道は無さそうだし、NMB49はこういうとき向けって感じだしね」

 そう言って片腕で車にへばり付きながら、もう片方の腕で蝶の方に銃口を向ける。

 どすっ、どすっ

「うわ、針まで飛んできたぞ!」

 車の左右に次々とトゲ尾の跳ね針が突き刺さる、当たろうものならどうなることか分かったものでは無い。

「こうなりゃ仲原の手に俺達の運命がかかってるな」

 ええっ、そんなの要らないっス、ここで投げ捨てるっス

「おいいい!? ああああ、蝶が来る、撃て撃てっ!」
「うわっ、ちょ、頼むぞ、お前の運転が全てだ!」

 前からは蝶、後ろからは蛇が襲いかかり、上からはトゲが降り注ぐ。特にデサント組は蝶に宿られる可能性があって気が気ではない。左右に降り注ぐトゲが次々に妖樹を生やすのを横目しながら、前方の蝶の群れをスプレー銃で追い払う。黒曜石の槍も突き上げるようになって、ここまで来るともう半ば祈るしかない。祈る先は仲原の運転技術だった。

「近い、近い近い近い、撃て撃て!!」

 ばばっ、ばばばっ

 |黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の下部蛇体が迫り大顎を開けて車を囓り取ろうとするのを、すんでの所で機関砲が退ける。

「出し惜しみしないで下さいよ、あいつとキスしてしぬのは御免ですからね!」

 砲身の温度が下がんないんだよ、何で走行中に空冷するようになってないんだろうなあ!?

「走りながら長時間撃つ運用は想定してないからでしょうねえ……わわっ!」

 冷却を気にしながら、機関砲は後方へ発砲を続ける。回避しようとする|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》を中々よく捉えていて、その度に進行を怯ませているのが、デサント組にはよく分かった。車内組はそれが見えているのかどうか分からない。

「うおおお、カーブこええええ、落ちたら死ぬッ!」
「命がけの絶叫マシーンとか要らねええええっ! 絶叫マシーンってのは安全だから怖くて楽しいんだよぉっ!!」

 県道686号を道なりに逃げ回ると海岸線に突き当たり急激な左カーブを強いられた。減速もそこそこにハンドルを切る仲原、車内組はそれでも平気だがデサント組は振り落とされそうになってしがみつくのに必死だ。
 無事に蝶の群れを突っ切ったところで、今度は暴れ馬にしがみつくのに必死なデサント組。速度自体はさほどではないが仮にも自動車、それに落ちた瞬間黒曜石の槍で串刺しだと思うと

(ああー、これいつ死んでも不思議じゃねえなあ……)

 と心のどこかが悟りを開き始めていた。

「あ、あれ」

 尾瀬が指さした上空に、光の点がいくつか浮遊していた。そして、その光の付近から突然更に大きく、一際目映い光が幾筋も流れる。こちらに、向かってくる。

「ふ、フレアは撒かないのかよ、っていうか俺達巻き添え食らうだろおおおお!?」

 光は恐らく無人攻撃機「しらさぎ」のもので、追加されたより明るい光は、対地ミサイルの「アメノカクヤ」だろう。それは真っ直ぐに一之瀬達の乗っている自走対空砲の方へ飛来し……

「うわ、ちょっ!」

 見事に|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》に命中して、

「ひいいいいい!?」

 爆風を巻き起こした。
 対人を含むピンポイント爆撃用途のマイクロミサイル「チルアント」などと違い、「アメノカクヤ」は普通に対艦流用可能な対地ミサイルだ、爆風は、十分に「巻き添え」を生む規模になる。

「あっちい! おいこれヤバいだろ!!! スピード上げろ、爆風で死ぬ!!」

 へーい

「くそ、車内組は暢気だな、爆片で死ぬくらいならいっそこのごと誤爆されてしまえ!!」

 それはいやっスーー!

 仲原は一層アクセルを踏み込む、が、そろそろ市街地に突入するというころだ、さっきのトンネル内の恐怖が再来する。
 ガリガリと民家の壁に車体をぶつけたり、路肩に落ちたり乗ったり歩道に乗ったり落ちたり。

(もうだめしぬ!)
(もうだめしぬわ)
(もうだめしぬぅ……)
(もうだめしぬこれ)

 デサント組の絶望感たるや、横にトゲ尾の跳ね針が落ちても全く動じなくなるほど、針が住宅に突き刺さると建造物は姿を失い代わりにその大きさに応じた鉱物質の樹状構造物がそびえていく。市街地を逃走するその経路に沿って奇妙な石の樹木、それに石柱が乱立し破壊と言うより島の佇まいを再構成していくかのよう……だがそれも全く気にならないくらいの、デサント組の心理状態はいかばかりか。

 アメノカクヤ効いてるっスね! 足が遅くなってるっス!

「……いや、対地ミサイル喰らって足が遅くなってる位って、効いてるって言うのかよ」

 山神は車にしがみ付きながらぼやいているが実際には効果は大らしい、移動こそ継続しているが眉間に生えた白色人型部は腕が吹き飛び白い表面には血液のような液体が流れている、下部黒色蛇体も最早黒ではなく赤く鈍く光る冷えかけの溶岩のような色合いになっているた。

「椙山、撃て、押し込め! もう砲身がダメになってもいい、今押し込まないとどのみちジリ貧だ」
「了解っ!」

 一之瀬の指示に従って機関砲を〝引きっぱなし〟で放つ椙山。バリバリと引き裂くような大音響を響かせながら疾走する自走砲。追跡者だけではなく周囲の建造物にも30ミリABM弾の雨を降らせ、樹木や建築物、舗道に斑な弾痕を刻みつけながら走り続ける。|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》も攻撃の手を休めない、自身も周囲の構造物を破損し、石の槍で広範囲に破壊を行い針が刺さって構造物変成からの黒曜石の樹木を乱立刺せている。自身も溶岩の高熱を放つせいか、あちこちで火災も発生していた。
 更にそれを負うように対地ミサイルアメノカクヤが断続的に降り注いだ。全自動赤外線誘導の対地ミサイルは概ね高温の体温を放つ|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》を正確に追尾しているが、幾つかは発生した火災の炎に誘導先を乱されたところで市街地の構造物に衝突して誤爆していた。
 夜の闇に沈んだ人気の無い街は、機関砲曳光弾の光と、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の放つ赤い光、それにアメノカクヤが飛来し爆発する閃光と火災の炎で、赤く染め上げられている。
 このチェイスの跡地は散々に破壊されている。しかもその破壊範囲は、自走砲のアクセルべた踏み速度で拡大していくのだ。逃走劇なのか大量破壊なのか最早区別が付かない。

「こ、これ、俺達後から賠償金とか払わされないですよね?」
「だと願いたいな……ん?」

 突然、海の向こうで青い光が瞬いたのを、樫原は見逃さなかった。

「なんだ、今の光」
「なんだか知りませんけど、それどころじゃ……ぎゃあああしぬ、しぬうう!」

 青い光は輝度が低く目立たない、だがその光は帯状に空を、一直線に走った。それが幾つか広がり、まるで鳥の翼のように広がる。

「なんだありゃあ」
「あの方向……|闇龗《本目標》の方向じゃ無いですか?」
「えぇ? もう神戸打撃作戦始まったんですかねえ? 俺達それどころじゃないですけど!」

―残存甲隊、退避して下さい! 防御行動を!! これは

 もうしてるわぼけー!

 車内の一之瀬が叫んでいる。

―〝ギンヌンガの衣〟が帯状に放出されてっ……

 ざっ、とそれを最後に通信が途絶えた。

 は?



§ § §



―……ら第二前站、甲隊、残存あれば|応答して下さい《ENQ》
「こちら甲隊臨時編成分隊、|生存している《ACK》」
―ご無事でしたか
「そりゃこっちの科白だ、あんな通信の途絶え方されちゃ」
―電波ノイズが酷くて通信が途絶えました。目標が新たな攻撃を実施した影響です
「〝ギンヌンガの衣〟が帯状に、とか言っていたが」
―はい。想定では〝ギンヌンガの衣〟の再展開にはもうしばらく時間が必要だった筈ですが、|闇龗《サンダーインザダーク》はチャージ完了を待たずに、消費の少ない攻撃方法を採用したようです。出力範囲を絞った〝ギンヌンガの衣〟を尾の先端から遠距離に放ったようです。
「……|神妖《かみさま》ってのは何でも出来るな、便利すぎるぞ。俺達人間じゃ敵わんってか」
―本営は、新規観測された当該攻撃行動を「|剣尾翼《ティルウィング》」と命名したようです

 あれが攻撃だったとするのなら、一つ腑に落ちることがある。無人機「しらさぎ」がさっきの一撃で全て撃墜されていたことだ。|闇龗《サンダーインザダーク》は、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の援護として、脅威度の高い「しらさぎ」を排除したのでは無いか。
 一之瀬はそう考えていた。|被造神《ピクチャ》が、|創造主《デザイナ》の子のようなものであるとすると、擁護的な行動を取るのも理解できなくはない。

「……名前なんかどうでもいいわ、それよりどうすんだよ、あれ。ああ、しらさぎを送ってくれたのは感謝するぞ、お陰で奴との距離は車一台分くらいは離れた」
―悪い報せがあります
「聞きたかないが、伝えてくれ」
―今のしがたしらさぎを撃墜した|剣尾翼《ティルウィング》の残り香が、達磨山第二高地付近に接触しました。周辺の地形が大きく変形しています。

「……」
「……はあ」
「…………えー」
「ヤバかったっスね! 私達よく生きてるっスね!! 次、どこ行けばいいっすか!? クレイジータクシー思い出すっスね!」

 間の抜けた仲原の声が殺伐とした逃避行の光景にダサ字フォントで響き渡る。

「ぷっ」
「お前俺のジーナに謝れよ」
「彼女、面白いですね」
「分隊にアイドルがいると違うなー、一之瀬ンとこ士気が高いのは彼女のお陰かー。俺んところも女性入れなきゃダメだなー」
「これがアイドルだって? 動物園の方がいい出会いがあるぞ、ってえ! 前見て運転しろ、前!」
「一之瀬さん、殴りますよ!?」
「殴ってから言うなよ!」
「これ二人の鉄板ネタなんで」
「そーかい……」

 樫原が後ろを見ると、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》が一旦足を止めて鎌首をもたげて視線を高くしていた。

(なんだ……?)

 傷つき赤い血のように溶岩を垂らす蛇体の目も、大きく欠損し同じように赤い体液を流す人型部分の目も、高く伸びて別の方を見ている。ここは交差点を通り過ぎたところだ、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は丁度交差点にさしかかったところで、そんな仕草を見せていた。

(海の方を、見ている?)

 バラバラバラバラっ!!

 樫原が訝しく|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》を見ている傍で、機関砲の砲撃が再開された。弾丸を受け溶岩のような体液を散らした|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は、視線をこちらに向け直して追撃を再開した。

 一之瀬さん、どこに向かえばいいっスかあ!?
 そろそろ市街地の中心部だな、それを抜けるともう先がない、逃避行を続けるならどこかで折れないと……達磨山は袋小路だし、付近の地形が今どうなっているかわからん

 車内では行き場に迷っている一之瀬と仲原、それに砲撃を続ける椙山が会話をしている。樫原が見た|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の妙な挙動には、気付いてないようだった。

―|剣尾翼《ティルウィング》で地形が抉られたせいで、達磨山の地下に火山活動の活発化が認められます。稲積に次いで達磨山が再噴火する可能性が高いです。

 オスプレイの残骸なんか拝みにいくつもりはねえよ! んな事より、俺達はどこに行けばいい!? 次は《《アレ》》めがけて弾道ミサイルでもぶち込んでくれ! 但し俺達は巻き込まないでくれよ!?

―囁が救助に向かいました
「囁? なんだそれは」
―潜水艦です。自衛隊隷下の艦船ではないですが、協力要請に応じました。
「そういえば潜水艦が一艘参加していたな……え、自衛隊以外が作戦行動する潜水艦なんて持ってんのかよ」
―姫島北側にアプローチポイントを模索中です
「そうじゃなくって、後ろのストーカーちゃんをなあ!」

 車内では行き先の議論が交わされているが、樫原は先ほどの|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の妙な挙動を思い返していた。

(どこか別の場所を見ていたような……南側? こいつも宇佐に向かおうとしているのか?)

 再び建物の並びが途切れて交差点を通過する。追跡の手は途切れていない、石槍がかすってタイヤが一つ気圧を失ったが、走行は継続できている。が、速度は確実に落ちていた。

「おい、待て、うつ……」

 ドドドドドドッ!

 樫原の声は車内には聞こえず、機関砲は|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》に向けて放たれる。|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は、やはり交差点で南方向に視界が開けたところで、チラリとその方を見て姿勢を高くしていた。だが砲撃を受けると再び体勢を戻して進行方向を一之瀬達の方へ移し直した。

「おい、聞け!」

 どうした?

「次の交差点では発砲を止めろ」

 なんだって? 追いつかれて死にたいのか?

「奴さん、どうも南に行きたいらしい。俺達が銃で構ってくれってアピールするから追いかけてきているが」

 南に行きたいって、なんで分かるんだよ?

「さっきから、交差点を通過するときに左に折れようとしてるんだ。でも機関砲を受けてこっちに戻ってきてる!」

 それは本当だろうな!?

「こんなところで嘘言ってどうするんだよ!」

 まあそりゃあそうだが……このまま無策に北に折れて追われたら、それこそ袋小路だぞ

「賭けるしかないだろう、この状況で! 奴が南に行きたいなら行かせればいい、俺達は北に逃げるんだ。潜水艦も来るって言うなら丁度いいだろう!」

 だそうだ、椙山、仲原。次の大きめの交差点では発砲を止めて右に曲がれ。これが最後の賭けになるかもしれん。……他の者はどうだ?

 やってみましょう
 了解っス
「異議無し」
「結局生きるか死ぬか二分の一って事ですね。是非もなし」

 よし。そろそろ次の交差点だ……島唯一の信号機らしいぞ、誂え向きじゃないか?

 パンクしながらも走行を続ける自走高射砲は、砲撃を停止した。そのまま交差点に入り……律儀にウィンカーを上げて右に折れた。これを、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》が追ってこれば、万事休すだ。

「頼む」
「私達美味しくないっス……そろそろ諦めて欲しいっス」

 交差点にさしかかった|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は交差点の中央付近でふと停止し、樫原が見てきた通り鎌首を擡げるようにして視線を高く保って、南側を向いた。
 そうして鎌首を擡げて停止しているのを改めてみると、かの蛇体は既にボロボロになっているのが分かった。黒く頑丈だった蛇体は、既に赤い液体の様な溶岩をじくじくと垂らしている。体を引き摺って移動する度に、残りの黒い岩肌も剥げて行っている。上部の人型部分も、白い肌がひび割れ、脇腹が大きく抉れ、無残に破壊された石像のようになっている。

「もしかして、もう少しで倒せたんじゃ無いか?」
「……そういって、人間はいつもコテンパンにやられているんだろう、|神妖《かみさま》に。さあいい子ちゃん、あっちだ、あっちに行け」

 南に体を向けかけた|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の蛇体頭部が、くい、と北側へ向かう一之瀬達の車輌の方へ向いた。樫原は|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の白色人型部の目と目が合ったように感じて恐怖を覚える。まるで、石の槍の距離を測っているように感じられたのだ。
 その裏付けに、白色人型部は腕を伸ばして柏手を打つような仕草を見せている。一直線に逃げるこの車に、狙いをしっかりと定めているような。

「うっ……く、来るな」

 だが次の瞬間、ふい、と蛇体頭部が南に向き直った。その上に生えた人型部は上半身を捻るような形で樫原の方を見る。もう、柏手を打つような仕草はない。蛇体はそのまま、赤い光を零しながら、するすると南の方へ進んでいった。

「いった、か?」
「まだ、尻尾が」
「このまま、振り返らないでくれよ……そのまま、向こうにいっちまえ……」

 やがて、尻尾の先端も市街地南岸の通りへ流れていき、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の姿は車からは完全に見えなくなった。
 しばらく、辺りにはコンバットタイヤがアスファルトを切りつける音と、重たいエンジン音だけが響いていた。誰もが、自体を飲み込んでいいものか、警戒している。

「つ、次の目的地はどこっスかねえ~?」

 沈黙を破ったのは、やはり仲原だった。珍しく緊張感を湛えた仲原の声が、全員の緊張の糸をばっさばっさと斬り去る。

「よっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっっしゃああああああああっ!!!!」
「わああああ! 樫原さんお手柄!! 運命は仲原の運転じゃ無くて、樫原さんの観察眼にかかってたってことですね!」
「うはは、そうだ、そういうこった! てめーらの命救ってやったぞ、はーははは!」

 一気に明るいムードが、周囲に沸き上がった。|神妖《かみさま》の追跡を振り切って、脱出まであと一歩。これで全員が助かるだろうと、思ったとき。

 ず、どんっっっ!!

 突如爆音が辺りに響き渡った。

「なっ……!?」
「今度は何っスかぁ……私達もう帰りたいっス……!」

 見ると、南側に噴煙が上がっていた。前站の予測が的中し、達磨山が突如爆発的噴火活動を見せたのだ。溶岩が噴き出し、噴石が飛び出している。煙はもうもうと立ち上って、こんな小さな島で起こっている火山活動には思えなかった。あの付近に居たら、一之瀬達もただでは済まなかっただろう。

―甲隊、こちら前站。達磨山が再噴火しています。そちらは|現在どこに《ENQ》
「|こちら甲隊《ACK》。市街地を西に抜けて北上している。観音崎方面に出るだろう。|送れ《ENQ》」
―丁度良かったです、囁は観音崎の麓の海岸にアプローチするそうです。そこから囁に搭乗して脱出して下さい。|以上《CSI》
「|了解した《ACK》」
「生きて帰れる……」
「俺達凄くね? |神妖《かみさま》の直近から生きて帰るって」
「ノンフィクション小説でも書いて一儲けしようぜ」
「文才がねーだろ」
「そんなもんは、ほら、ゴーストライター立てればいいんだろ?」
「ひでーはははは」



§ § §



 囁が接近すると連絡があった観音崎に向かう背では、達磨山の噴火が急激に激しくなっていた。噴石が飛び、溶岩が流れ出しているのが分かる。小さな山でしか無く採石によって山体を失いかけていたはずの達磨山は、再び噴き上げるような溶岩流によってドーム状に膨れ上がっている。

「やっべえ、あれ」
「オスプレイが生存してても、あそこはヤバかったってことか?」
「いや、オスプレイを破壊した、なんだっけ、テュルフィング? だかが地形を抉ってなきゃ、あんな噴火そのものが起こってなかったろ」
「っていうか俺達が遅刻しすぎって話だよな」

 観音崎に近付き、隊員は車を降りる。デサント組はもうヘトヘトと言う感じだ。

「こちら甲隊残存。これより先は車での進行は難しい、車を降りる。観音崎の海岸にいれば|いいんだな《ENQ》?」
―|はい《ACK》、そちらに囁が向かっています。

 いきましょー♥ と何故か張り切り気味の仲原が先導し、車を降りて北上する。
 夜の闇は深く、こんな場所に街灯はない。それぞれがヘッドランプで足下を照らし、前のメンバーの後を憑いていくように歩いて行った。先頭は仲原だ。体力バカと言われるだけあって、ひょいひょいと足取りも軽く、軽快に登っていく。

 登っていく?

「おい仲原、これなんで登ってるんだ?」

 最後尾の中井が声を上げた。だが先頭の仲原には届いていないようだ。同じようにほとんどのメンバーも思っていて、まるで伝言ゲームのように疑問のオーラが後ろから迫り上がって仲原の背中を叩いた頃には、相当険しい道を上ることになっていた。

「えっと……道に迷っちゃったっス」
「「「「はあ!?」」」」
「お前すてすて行くから道分かってるもんだと思ったぞ」
「分かってるわけないじゃないっスか、私ここ初体験っスよ?」
「偉そうに言うな!」
「大丈夫っス、このまま行っても海岸には着くっスよ……きっと」
「きっとって、お前な」

 いつの間にか小さな山とも呼べるような場所に立っていた。あちこちに地蔵があり、夜には少々不気味さがある。

「ここ、千人堂に向かう道じゃないか。四国八十八箇所巡礼がこの小さい山の中で出来るってやつだ」
「なんすかその胡散臭いの」
「一応弘法大師のゆかりらしいぞ、って今はそんなことはどうでもいい……ん?」

 高台に登ると、観音崎の巨岩の向こう側に、山体を消し飛ばされ新生火山を噴く達磨山の付近が遠く見通すことが出来た。

「|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は、達磨山の方に行ったんじゃないのか?」
「南下しようとしてたならそうですね」
「どうなっただろうかな。火口からまた地下に潜ったりするんだろうか。それとも、海を越えてあいつも宇佐に行くのか?」
「どうでしょう。どっちにせよ、俺達が出来ることはもうありませんよ。さっさと潜水艦に見つけて貰ってここを出ましょう、もう懲り懲りですよ」

 一之瀬さーん、こっからおりれますよー

 仲原らしい声が闇の中から聞こえる。ヘッドランプがチラチラと低い位置から光っているのが見えた。降りるルートを見つけたのだろう。相当険しいだろう、と思いながら、一段はその後を追って降りていく。
 溶岩が意思を持って動き出したと形容するしかない蛇、それにその上にひょこんと生えた女型の部分。達磨山第二高地は|闇龗《サンダーインザダーク》の|剣尾翼《ティルウィング》で吹き飛ばされ、今は噴火の坩堝だ。|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》はそこに辿り着き、蜷局を解いてもたげた鎌首を高く持ち上げて海の向こうを望んでいる。くねくねと身を揺らしながら海沿いまで出るが、海水に浸ることはついに出来ずに海岸線で止まっていた。
 じっ、と海の向こう側を見つめている、蛇の目とその上の人型部分の目。そこまで一之瀬達を追い詰めた激しく荒々しい動きとは似つかわしくない静かな様子は、凪いだ海の表情と似ていた。時折訪れる地震に揺られて、首を高く持ち上げた姿勢は不安定なのか、ふらふらと覚束無げに揺れてもいる。
 ゆらゆらと揺れながら海の向こうに視線を投げ続ける|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は、ともすれば、海を越えて向こうに行きたそうにしているようにも見える。その方向は、国東半島を更に抜けてた宇佐神宮の方向でもある。|比売語曽《ひめこそ》は、朝鮮半島からやってきた海の向こうの王族だったとも聞く。同時に、宇佐神宮の|比売《ヒメ》大神とは、|比売語曽《ひめこそ》の事だったのではないかとも言われていた。

 ずず……んっ

 一之瀬達の場所からも、噴火活動と地震の音が聞こえていた。水平線に何か光が見え、それはすぐに囁の灯りだと分かる。隊員達が手を振りヘッドライトを掲げて存在を伝えると、小さなゴムボートが浅瀬にアプローチしてきた。それに乗り、囁に乗り込めば、ようやくこの島を脱出することが出来そうだ。
 ボートには一人、人間が乗っていた。クルーらしい。

「自衛隊の方ですね。対潜哨戒潜水艦〝囁〟のパウラと申します。」
「ど、どうも」

 現れた人物は、どう見ても子供にしか見えなかった。一之瀬は面食らいながら、差し出された手に握手を返す。樫原、それに次いで各メンバーも同じように握手をするが、全員が同じように面食らっている。当たり前だ、こんな中学生、下手すると小学生くらいにしか見えない子供が、潜水艦から現れてクルーだと名乗るのだ。

「このボートは8人乗りなので、一度で運搬できそうですね。この辺りの火山活動はまだ活発化しているようです。長居は望ましくありません、早く離脱しましょう。さあ、お乗り下さい。」
「は、はあ、では……」

 そうはいってももうここから脱出するには、囁に乗るしかない。全員ゴムボートに乗り、囁へと向かった。

 神戸打撃作戦第一攻撃フェイズ・甲隊の生存者は、彼等だけとなった。







 一方|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は、達磨山の再噴火のただ中に身を置いたまま、未だに海の向こうへ視線を投げ続けている。ミサイルや機関砲を受けて損傷した蛇体は硬質の岩肌を剥ぎ取られて柔らかい溶岩の肉を晒し、熔けた岩を地のように流している、それが普通の生き物であるのなら、血まみれの姿のようでもあった。その傷だらけの蛇体のあちこちに噴石の落下を受け、大きくよろめいたり、潰れて形を崩したりしており、かなり大きな損害を受け続けている。
 それでも海岸線に立って首をを高く持ち上げ、眉間に生えた女体部も身を伸ばして海の向こうを向いたままだ。
 まるでそっちの方に行きたくても行けずにいるように。

 噴石による打撃に、本物の溶岩流が|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》に迫る、巨石に潰された蛇体は再生したりせずそのまま損傷をもたらしていた。巨石がもたげた首に当たると、打ち倒されたように倒れて身を捩る。だが再びふらふらと立ち上がって、執拗に海の向こうを眺める姿勢を保とうとしていた。更に噴石は降り注ぎ、何度も倒れて、立ち上がり、倒れて、立ち上がり、を繰り返しながら、それは徐々に力を失い立ち上がる姿は弱々しくなっていく。そうして迫る溶岩に、弱々しくしか動かなくなった体が、飲み込まれていく。やがてその体のほとんどが溶岩に飲み込まれたところで、額に伸びた人型の部分が、柏手を一つ、叩いた。
 一際大きな黒曜石の槍が、突き上がり、それは|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》自身の体を貫いて、串刺しに持ち上げる形になる。
 そしてその蛇体は二度と動かなくなった。
 姫島に封印されていた|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》とは、|比売語曽《ひめこそ》に埋められた蛇だったと言うが、|比売語曽《ひめこそ》自身の荒魂だったのではないだろうか。そしてそれは、宇佐神宮にまつわるいずれかの神格と関わりがあるのかも知れない。
 そう考えるのなら、地上に現れてから南下しようとし続けた動きにも、ああして達磨山の麓の海岸線で海の向こうを懐かしげに眺め続けようとするのにも、海という通過不能エリアが横たわっていなければ噴石に打撃を受け続け死を覚悟してでも宇佐に行こうとしているのかも知れない動きも、合点がいくというものだ。
 |比売語曽《ひめこそ》は、|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》は、宇佐神宮に辿り着くことは出来なかった。それは、神々の収斂と新たな神の成立に、|比売語曽《ひめこそ》は参加できなかったと言うことに、なるのだろうか。
 串刺しになり吊られる形になった蛇体は、熔けるように赤い液体になって崩れ滴り落ちていく。溶岩のようだが、達磨山の火山噴出物の溶岩とは違う構成のそれは、蛇体を飲み込もうとした溶岩の上に覆い被さり水溜まりが徐々に大きく広がるように、面積を大きくしていく。やがてそれは冷えて固まり、灰褐色の黒曜石となった。
 今、|比売語曽《ひめこそ》と|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の意思を残しているのは、潰れた後に広がった黒曜石の鉱床だけだった。



§ § §



 奇妙な日蝕だった。太陽は非常にゆっくりと蝕まれていて、もう何日も続いている。沈んで再び顔を出す太陽がまだ欠けっぱなし、少しずつ少しずつ蝕が進んでいる。〝朔〟は、明らかに尋常の日蝕ではなく、天文呪術的な蝕だ。〝大朔〟に至れば太陽は完全に失われてしまうのだという。月とは違い、欠けた太陽にはその後自力で再生する力ははないと言われている。失われてしまった後は、月を食った犯人を退治するか、太陽自身に外部から力を与えるしかないのだという。伝説だけの話なので、その現象を目の当たりにしたことはないが、それが、|天照大神《アマテラス》の力であり、|天照《アマテル》の呪であるという。
 〝朔〟が進むにつれてあちこちから、実体のない人間の影だけが地面を動いているのを見たという噂が囁かれるようになっている。私はまたその件で、独断で外を回っていた。
 その犯人が誰なのか、今はもうはっきりしているのだが。

「もう、大分欠けたな」

 太陽はもう1/3程が欠けていて、不自然に黒い領域が、眩しい太陽の縁にへばり付いているような恰好だった。普通の日蝕と異なるのは、円形に円形が重なるのではなく、縁の方から削れるように失われて言っていることだ、それは太陽の光が月によって遮られているという訳では無いことを示していた。

(我は、疑っているのだろうか、太子様を)

 私は唐島の墓を参った帰りだった。気分はどうにも晴れない、胸中あの太陽のようにどこか釈然としない〝朔〟があった。
 太子様の神化では道教的な陰陽構造理解が最も重要な鍵を握ると思っていたが、どうもそうでは無いようだ。いや、そうなのかも知れないが、必要な物は既に集め終えているのかも知れない。陰陽構造についての魔術的制圧は既に済んでいる、私がそれを終わらせたのだから間違いない。そしてどうやら残る大きな鍵を握っているのは、かつての中臣が司る秘技のようだった。
 中臣は我ら物部が、神道派内の権力争いの中で一旦密かに滅ぼした一族だ。神道派といっても、かつての中臣は本来の意味で古来からある神道、当時の物部は道教の影響を強く受けた少々色合いの異なる神道を奉じていて、その宗教色の強い権力抗争の末、物部は一旦は中臣を排した。その中で物部は廏戸豊聡耳皇子、つまり元の太子様と知り合ったわけだ。
 蘇我は、と言うと、蘇我の本流と大層仲が悪かった。廏戸豊聡耳皇子は神道+道教派だったのだが、蘇我の持ち込んだ仏教の勢いは強大でその力を取り込まないことには政治的な体力を得られなかったことから付き合っていたに過ぎない。
 仏教を認めつつ神道や道教も残存させる道を探った廏戸豊聡耳皇子は、自らが記した一七条の憲法にて三宝を敬うよう記した。三宝とは、本来、神道、道教、仏教の三つのことで、これらをバランス良く敬いなさいと言う意味で、神道や道教を残すための道だった。つまり廏戸豊聡耳皇子は仏教派ではなかったと言うことだ。
 その時点ではしかも、廏戸豊聡耳皇子の本心は神道や道教派ですらなくなっていた。廏戸豊聡耳皇子は、そうした三法の三つ巴の戦いをまとめるために十七条の憲法を制定したり蘇我氏を抱き込もうとしたりしたがうまくいかず、当時大陸から流入した景教の謳う三位一体の考えを恣意的に捉え、その三法全てを一挙にまとめ上げる別の信仰が必要だと考え始め、最終的には景教に傾倒していった。物部の道教色の強い神道とは異なり、中臣が奉じていたのは旧来の神道だ。三宝をバランス良く配置するために、廏戸豊聡耳皇子は歴史書にて中臣氏は滅亡していないこととして存続していたように別の中臣氏族をつくりあげた。こちらの中臣氏が大中臣氏や藤原氏に繋がる。
 また景教に傾倒した中で、自分が預言の者となり民を束ねる必要があると幾つかの預言書を記したらしい、が、いずれも原本は残存していない。
 廏戸豊聡耳皇子は政治的な力を欲して蘇我氏を近くに置いたが、そのため重大な天皇家の系譜書である天皇記の編纂に蘇我を介入させる結果となった。そうして天皇記には蘇我の思惑が大きく入り込むこととなったが、うわべだけの付き合いがいつまでも長く続くわけがなく溝が深まり、廏戸豊聡耳皇子は強大な力を持ち始めていた蘇我の者の手によって、一族諸共暗殺された。
 その後蘇我を討ち果たした中臣は、かつて一度は物部が滅ぼした姓のみが廏戸豊聡耳皇子の手によって再興された姓であり、血と、それに、かつて中臣氏が行っていた旧い時代の本物の神道秘儀は、断絶している。
 蘇我氏が廏戸豊聡耳皇子の祟を恐れる余り、実体のない英人として名誉を回復させるために廏戸豊聡耳皇子に与えた二つ名が聖徳太子というわけで、太子様というのはこの聖徳太子の二つ名の部分だけが人格を得た、概念的な存在なのだ。
 太子様は概念的にはこの幻想郷に復活することになったが、まだ元の廏戸豊聡耳皇子の概念を取り戻していない。これを取り戻す事は、太子様が新たな神になるための計画に必要不可欠なことと、思われていた。

「失われた中臣の秘儀無しに、太子様は本当に真の復活など出来るのだろうか。それとも」

 太子様はそのために必要なのが鏡だと仰っている。中臣の持っていた神道的秘儀の更に根幹を成すのは、|天照大神《アマテラスオオミカミ》の持つ太陽の神性からもたらされる力だという。そして、それを手にするための素養が自らにはあると仰っていた。

―我は廏戸豊聡耳皇子の|分身《アスペクト》、聖徳太子である。そして|聖徳太子《日出ずる国の天子》とは、女王|弥呼《ミコ》の再臨である。聖徳太子として受肉した私はもはや〝卑〟弥呼などと自らを卑称する必要はない。私は新しい世界の神になる、豊聡耳神子である。

 それが本当なのかどうかは分からない。そうすることで中臣の秘儀を内包しようとしているのかも知れないし、本当にそうだから鏡を手にする権利を有していると主張するためかも知れない。その両方かも知れない。

「どちらかなど、我には関係のないこと。我は、太子様に付いていくだけじゃ」

 それは|屠自古《蘇我の奴》も同じ事を言っている。太子様は自らの肉体を殺した蘇我の血族の女を、しかし三宝の一角として取り立て直した。そのことに恩義を感じているのか、あるいはそんな大それた事は考えずに単に太子様に惚れているのか、どっちかは分からないが、蘇我の太子様への隷従具合は見ていて痛々しいことがある。信仰していると言っても好いくらいだ。確かに太子様が目指しているのは、三宝を更にまとめてその上に君臨する唯一神なのだから、蘇我のスタンスは全く太子様の思想を体現していると言えた。言葉遣いだけはマウント気味なのは、もしかすると隷従の態度は太子様の思想を具象化してあげるためのポーズでしかなく、太子様との男女関係に於いては……夜のように馬乗りになるつもりなのかも知れない、あやつはそう言う女だ、廏戸豊聡耳皇子の概念も再取り込みして太子様がどんな暴れん坊に生まれ変わったとしても、蘇我なら乗りこなす気がする。

「唐島の影は、どうなったのだろうか」

 唐島の体を闇の中に沈め些細な光を眩しいと感じるようにしたのは、卑弥呼の宿敵だったものの呪だろう。
 卑弥呼が太陽を掲げ始めたのは、その王に勝つためだったと言われている。その王は、月の神として再生の力を得たとして信仰を集め、強大な力を持った。狗奴という国がそれだったのかどうかは今になっては既に分からないが、狗奴が邪馬台国と対立した国だったとするのなら、卑弥呼と対立したのは|卑弥弓呼《ひみここ》あるいは|比売語曽《ひめこそ》で、それは月を信仰していた国だという事になる。彼(彼女?)が月の神として|天照《アマテル》を名乗っていたのに対抗するように、卑弥呼は|天照《アマテラス》を名乗ったのだという。

「中臣が残存していれば、その辺の事情にも精通していたろうな」

 旧中臣を滅ぼしたのは確かに物部だが、別に私ではない。責任を感じるつもりはないが、それでも忸怩たる感情が生じないわけでもなかった。我が血族ながら余計なことをしよって。お前が中臣を滅ぼしていなければ、もう少しくらいは蘇我を押さえ込めたかもしれんのに、まったく。

「唐島を殺したのは、闇ではなかった」

 唐島は闇に沈みきっていたが、眩しいと訴えていたのは光に対してだ。それにあの突然出来上がった焼死体。

「〝いきなり!ステーキ〟じゃないのじゃぞ、人間に向かって、あんな仕打ち……」

 唐島を殺したのは、明らかに光だ。それはつまり。

(太子様、何をお考えなのだろうか)

 誰が聞いているというわけでもないが、実際にそれを口に出すの憚られた。
 唐島はどう考えても殺す必要のあった人物ではなかった。
 光を引き摺り出し代わりに闇を押し込めた天岩戸の戸を叩いてヒビを入れ、そこから漏れ出た|瀬織津姫《セオリツヒメ》の吐息に当てられただけの、ある意味では被害者だ。それをも逐一焼き殺すだなど、それは卑弥呼としての執念と言えるものだったのかも知れない。月神|天照《アマテル》とその巫女であった|菊理媛《キクリヒメ》の統合概念体である|瀬織津姫《セオリツヒメ》は今、ルーミアという小妖怪の髪飾りの中に封印されているのだという。
 太子様は、その封印を無理矢理に解いて、現れた|瀬織津姫《セオリツヒメ》を完全に抹殺すると仰っていた。それが廏戸豊聡耳皇子の概念を再取り込みするために必要な、中臣の秘儀に通じるのだという。

「御免。唐島の家におった者がここにいると聞いたのだが」

 そこは見るからに貧しい人間が暮らす、家と呼ぶことさえ躊躇する佇まいだ。家の形をしているのは遠目から見たシルエットだけ、近くまで来てみるとそれは外壁の一切が大量の蔓草で覆われており、その蔓草もほとんどが枯れている。蔦が家を取り囲んで宿っていると言うよりも、家の内側から大量の蔦が吐き出されて窓と言い扉と言いありとあらゆる穴から噴き出しているかのような状態だ。その一角だけが、通常の木造家屋の外壁を覗かせており、辛うじて人の手が介在していることを窺わせている。

「へえ」

 家の中からではなく、家の向こう側の外から声が聞こえ、顔を見せたのは元は小綺麗な身なりをしていたのだろうがそのまま身だしなみを止めてしまった、いうのが明らかな様子の人物。着ている服は元はそこそこの品質だった野川刈るが今は全くボロに化けている。ひげも髪もぼうぼうと荒れているが、長年そのようだったというのではなく、ここ最近で整えるのを止めたのだと分かる中途半端な荒れ方だ。

「……私ですが、何か」

 男はどうやら家に絡みついた蔦を取り除く作業をしているようだった。ここは元は生前の唐島の持ち物だったらしいが、特に用事もなくこのように放置されて荒れ放題だった建造物だ。別邸だったのか、それとも小作人でも抱えていたのかは分からないが、生前の頃から既に放置が長かったようだ。顔を出したこの者は、唐島の家で下働きをしていた人間だろう。主を失って職も失い、貧しい生活に落ちたのだろう。彼が幸いなのはこの家の存在を知っていたことだ。放置された唐島家所有の家に取り憑いて生活しようとしていた。貧しい農民の家にしては大きい建造物の今は一角だけが蔦を取り除かれ家として機能しているのはその為らしい。裏手には荒れ放題だった元は畑だっただろう場所を再び切り開いた耕作地があり、陸稲が揺れていた。
 この土地はこの人間のものでもないしこの家も然り、だがそれをいちいち咎める気にはなれなかった。

「我は唐島の治療を行っていた物部と申す者じゃ。唐島の生前について、聞きたいことがある。」
「なんでしょうか。別にお話しすることは吝かじゃないですし、私自身も旦那様に何の恨みがあるわけでは無いですが、なくなった後の生活はこのようなものです、余り気分がよくないもので、態度に出てもご勘弁下さいよ」
「無論じゃ。しかし、このような状況とは。唐島の家の者は皆こうなのか?」
「いえ。他の家に雇われた者も、親族が百姓をやってりゃそれを頼った者もいます。こんな風に頼る者もなくて勝手に家を使ってるのは私だけでしょうなあ」

 そう言って、腰をトントンと叩きながら、畑仕事を中断してこちらに向き直った。あの場に居合わせた私が唐島を殺したと思われていやしないか不安だったが、そういうことはないらしい。

「聞きたいこととはな……」

 実際に聞きたいことなど何もない。唐島自身が生きていれば聞きたいことも山ほどあったが、家の下働きの人間からなど欲しい情報があるわけは無かった。私はただ、「太子様が殺した人間」の現状が気になって見に来ただけだ。これほどの状況にある者が皆というわけではないとのことだが、それでもこんな場所で生活を強いられることになっているとは。
 唐島のように〝恐光症〟とも呼ぶべき症状を発し、そして火の気もない場所で突如焼死した人間は既に何人もいるとのことだった。いずれも辿れば、唐島と遠い血縁であったり親戚であったりする者で、明らかに選択的な意志を感じる。
 それが|瀬織津姫《セオリツヒメ》の意志なのか、呪が一人歩きした現象なのか、それは気になるところだった。

〝呪が一人歩きしている〟

 それこそが私の恐れていることだった。
 |瀬織津姫《セオリツヒメ》の呪が暴走している、それ自体も確かに由々しき自体だが、私が考えたくはないが想像だけはしてしまう、信じたくはないが怖れはしてしまうことはそれではない。

(太子様自身が、一人歩きしている呪だ、など……どうして思ってしまったのだ、我は……)

 聡明な方なのだ、太子様は。廏戸豊聡耳皇子であった頃からだ。それが、復活のこと、それに|瀬織津姫《セオリツヒメ》―太子様は〝ヤハタ〟とか〝シオリ〟とか統一性のない呼び方をされる―の事となると、どうにも理性に欠く行動が多いように思えるのだ。口調はいつものように落ち着いていて理性的なように見えるが……つまり、ああして唐島、というか|瀬織津姫《セオリツヒメ》の呪が憑いた人間を一人一人丹念に焼き殺したような行動に、普段の太子様の深慮が働いているとは到底思えなかった。
 怨霊、という存在がある。あるいは、修羅という慣用がある。死した後、生前の願望がいわばデフォルメされてその達成のためだけに手段を選ばない怪異となってしまった者だ。そのとき、生前の願望は、その怨霊にかかった呪のようなもので、怨霊とは、その呪が一人歩きして怪異現象として独立して認識されるための形而的な存在として扱われる。
 私が知るだけでも思い当たる節が多すぎて特定が出来ない。まして、卑弥呼の幻影を自らオーバーレイなどしているのなら、生前の遺恨の数など計り知れない。でも、その中で明らかに強く執着しているのが、|瀬織津姫《セオリツヒメ》の再殺・完殺だ。それは、廏戸豊聡耳皇子の持ち物ではなく、卑弥呼の持ち物だったろう。だが、今はそれに囚われているのではないだろうか。
 だからこそ、豊聡耳|弥呼《神子》などと、名乗られているのではないか。
 卑弥呼も宗教の統一を強く願いながらそれが敵わず道半ばで暗殺された、廏戸豊聡耳皇子と心情的な遺恨は強く通じている。そのせいで、卑弥呼の生前願望が増幅されているではないだろうか。
 そこまで考えて私は、頭の中に渦巻く整理も分解も出来ない混沌とした憶測の群れを頭の中から追い出すように、頭を振った。

(……そうだったとして、どうするというのだ。我が太子様に従うことに、何の代わりだってない)

 それを知ったら、蘇我はどう言うだろうか。「んなこととうに知ってら、今更何言ってんだ」と笑うだろうか。いっそそうして欲しい。こんな疑いを、私は持つべきではないのだ。

「会えて良かった。これは、今日の礼じゃ。何かの足しにしてくれ」

 私は、太子様の暴走(と言ってしまっていいのかは未だに迷いがあるが)によって、突然悪い状況に追いやられた彼に、砂金の入った小さな袋を手渡した。この程度の量、私達にとっては大した価値があるものでは無いだが、彼にとっては違うだろう。

 彼は私に手を合わせて礼を言った。
 そうしないで欲しい、そもそも彼の苦境は、我々の願いのための犠牲でしかないのだ。不当な苦しみなのだ。

(それでも、やらなければ、ならない。太子様を蝕み続ける、古い世界を破壊するためには)



§ § §



「ちょっときて」

 と不機嫌そうな顔で呼び出されたのは、四人でよく遊んでる広場からは遠く、湖を湖岸沿いに随分と行った先にある、ニンゲンどころか|マツリ《博麗下り》達さえいないような奥地だった。
 ルーミィは紅魔館のメイド服を着ている。メイドさんに叩き起こされて、これから出かけるからすぐに準備しろと言われ、よく分からないまま身支度をすると、ちょっと来いと言われ、そのままつられてきたのだけれど、やっぱり状況は飲み込めなかった。何と言ってもちょっと来いと言われてから、何日も飛び続け、しかもそのまま不機嫌そうなルーミィはひと言も口を利いてくれなかった。辛い時間だ………当然と言えば当然かも知れない、今彼女からボクへの印象は「サイテーおとこ」なのだから。
 ここまで奥まったところに、こんな風に森の開けた場所は珍しい。湖岸には自然地形に相応な開放はあるけれど、ぽっかりとクレーターのように森林が開けて草地になっているのは、何か人為的(あるいは超越的)な作用が働いた空間と感じられる。ここは、まだ湖岸だがもう紅魔館の威容も見えないほど遠く、博麗の権威も届かず、他の辺境伯の目どころか接続界の気配もない。紅魔や風見の花畑、天狗、河童自治領などの「辺境」地域が、旧くは「租界」と呼ばれていた(「租界」の呼称は、現在の辺境伯や遠部自治体に配慮して廃止された)のに対し、更に奥まったこの辺りは「化外」と呼ばれている。八博体制の中央部から遙か遠方で、支配効力が及ばず、かつ隣接界の確認されていない地域を指す。従って化外の地には|博麗奉下《マツロヒ》の1匹さえいない。ここに棲まうのは野生の動物たちと、|八博体制の下に入ら《マツロわ》ないことは勿論、交流も持たない野良妖怪だけだ。野良妖怪は言葉が通じない上、社会的理知性を持たない存在も多い、出会うこと自体が危険で、こうした場所を観測によって観測・分析・平定・支配していくのは博麗の目的のひとつなのだという。
 でもこの湖の湖岸は、そんな世界の広がりなんかお構いなしに、ずうっと同じ姿を保ちながら続いている。その平等で無差別な永遠さは、空と区別が付かない。この湖の大きさを測った者は幻想郷にはまだ誰もいないのだという。湖であるのならずうっと歩いて行けば、あるいは川を渡る必要はあるかも知れないが、いずれは同じ場所に戻ってくる筈なのに、そう言って出て行った者に誰も「逆側」から戻ってきた者はない。あるいは戻ってこなかった者もいる。この湖は、身近な水源であると同時に未知の地形なのだ。もしくは、この湖自体が、有機的生態を持った接続界なのだという者もいる。
 最低男をこんな遠くまで連れ出して、人目に付かないところで殺して人知れず死体も処理するつもりなのだと言われたら、否定する要素は余り多くない。「ちょっときて」にホイホイとついてくる方がおかしいのだろうか。
 ようやくルーミィた降りたその開けた場所で、一歩遅れて着地するボクへ黙した視線を送ってくる。

「こ、こんなところまで来て、何をするの?」
「……あいてして」
「えっ?」

 それまでボクを見ていた目はどこか始点が定まらないというかボクを見ているようでボクの肩を透かすように後ろを見ている目線だった、でも、急に、今度は本当に真っ直ぐにボクの目の中を視線で見抜くみたいな強い目で見て、言う。

「まけたくないの」
「|豊聡耳神子《ひみこ》に?」
「ミコでもヒミコでもオモトヒメでも何でもいい、よびかたなんて。まけたくないの」

 そう言って件の新たな瑞祥存在を言い表すようで、でもその〝負けたくない〟と言う言葉の指す先だけは……ボクを突き刺しているように感じた、それは、鋭くボクを射貫く強い視線のせいかもしれないし、彼女にしては珍しく固い語気が目の前にいるボクに向いているからと言うだけかもしれない。

「相手、って?」
「れんしゅうあいて、とっくんしたの。中の人と」
「シオリと?」

 頷くルーミィ。正直、意外だったシオリがそう言うタイプには思えていなかった。

「特訓の成果を試したいから、模擬戦をしようってこと?」
「うん」
「でも、なんでこんなところまで」
「あいて、してくれるの? してくれないの?」

 こんなところまでついてきて、やっぱ嫌だなんて言うのもなんだか格好がつかない。練習試合はどのみちしておく必要はあるかも知れない。オモトヒメと交えるのは、博麗が規定した命名決闘法に則らない、行ってしまえば殺し合いになるだろう。博麗はそれを禁止しているが、おそらくは相手はそんなことお構いなしにぶん殴ってきて、油断しているとそまま「ずぶり」だ。そうならないため、いや、それをそのままやり返すためにシオリは急いで出てきたのかも知れないし、ルーミィは自分の身体性の掌握、ひいては彼女自身の存在を確固たるものにする為に、その戦いの権利を譲り受けた。負ければ、|死んで《消えて》しまうかも知れない、危険な戦いに。
 そのための訓練をしないというのはなんとも道理が通らない。ボクがその相手になるのかどうかは分からないが、しないと断る理由はどこにもない。

「ボクでよければ」
「リグルがいい」

 その言葉にどういった意味が込められているのか、ボクには察することが出来ない。本当にボクが適任だと思っているのだろうか、もしそうだとしても、まだ自信の無いルーミィが小手調べとして好い相手だと思っているのか、それともボクを買い被って仮想敵として適任だと思っているのか。あるいはもっと別な理由、つまり、ここでボクを殺して復讐を遂げようという腹積もりなのかも知れない。
 それでも、受けない理由は無かった。

「わかったよ。」

 ボクはルーミィから少し離れたところに移動したところで振り返る。敢えて背中を見せて歩いて距離を取った、もし《《やる》》つもりなら今狙うのがいいと見せつけるように。でも彼女はその誘いに乗らなかった。見抜かれていたのか、それともそんなつもり端っから無いのか、後者であって欲しい、それを少なくとも裏切ることは無くボクは彼女を無傷で振り返ることが出来ていた。
 少し離れた場所に、メイド服姿のルーミィがいる。そうか、あれは接客用のお仕着せとしてきてきたのではなくて、戦闘服として着て来たと言うことか。通常のメイド服ならいざ知らず、紅魔館のメイド服ならばそれ相応の機能性を持っている、相応しい戦闘装備と言える。
 え、ボク全く模擬戦考慮してない普段着なんですけど。

「始めよっか」
「いつでもいーよ」

 弾幕ごっこの練習として二人あるいはローリーとチーを交えた四人で模擬戦をすることは別に珍しいことではない、単に命名決闘法を予め宣言すると言うだけですることは余り変わらないのだから。でもそうした練習試合の時とは全く違う重苦しい雰囲気が、今は漂っていた。ルーミィに。当然だ、ただの喧嘩や採番の代わりに行う命名決闘法下の弾幕ごっことは、この練習試合が目指す戦果は全く異なるのだから。
 ルーミィの周囲の影はまるで水面のよう、それは地震の前触れのようなざわつきと、低気圧でさざめきを湛えた、〝動〟を待ち構えた、落ち着きのない不吉な〝静〟。
 強い風が吹いているわけでもないのに彼女の髪の毛はそよぐように揺れ、メイド服のフリルフルスカートの裾も不自然な揺らぎを見せている、その動きは足下に広がる、不自然な形をした騒がしい影の動きと同じ表情をしていた。ヘッドドレスも物理環境に従い揺れているというのに、ほぼ同じ場所にある彼女の髪を留める赤いリボンは、まるではめ込み合成のようにピタリと止まったまま動かない。ボクも触角の内部にある摩擦器を擦り合わせて、体中の毛を震わせて、舌の付け根にある発音器をならして、周囲にいる無数の蟲に|王命《Buff》与える。慣れたやり方ではあるが、彼女の雰囲気を肌で感じてしまっては、|王命《Buff》のレベルをワンランク上げざるを得ない。
 これでもボクの戦闘時の立ち回りは電光石火タイプ、先に仕掛けたのはボクだった。

「いけ」

 有翅蟲の自律誘導弾を大量に撒き、ボク自身も弾と同様の性質を纏って飛翔蹴りを繰り出して攻撃に参加する。そうしようと思うのなら、ボクは空間じゅうを埋め尽くす無数のセンサー、無数の蟲の分散的外界認識能力を全て多重化して入力できる、そうしている間ボクという主体は客体からの分離を失い、意識は空間中に満たされ拡散する。ルーミィがどんな風に影を操ろうと、それがどの部分に生じた変化だろうと、その変化は自分の肌の上で起こったことのように感じ取ることが出来る。後は、その情報を処理する《《実装》》側の問題だった。

「追い詰めろ」

 列を成してそれぞれが勝手に目標を追尾する撃ち放し能を持った蟲体弾が、糸を引くように光の軌跡を描きながらルーミィを追う。光を放つ蟲体は、相手を一定の距離に捉えるとエネルギー化して爆ぜて範囲攻撃を試みる設置寄りの攻性弾だ。宙返りをしたり自身がきりもみで回転したり急激な方向転換を見せ、曲芸飛行の様な飛翔を見せるルーミィに向かう無数にばら撒かれた蟲体弾。それを回避しようと曲線飛翔を続けるルーミィは爆閃の群れを従えて空を飛び回っている様にも見える。彼女の飛翔ルートを先読みして、足先跳び蹴り突進技を繰り出す、回避先を限定された彼女に、回避では無く防御を多く強いることが出来ていた。
 ルーミィは回避行動の合間に、彼女も飛行ルートから弾き出されるようにターンの外側へ黒い塊を放った。それはまるで勝手に空を飛ぶリボンのような、黒く細く薄い、でもれっきとした刃物様を示した鋭い弾丸だ。黒い紐帯弾は、螺旋を描くように一度周辺から離脱して、折り返すようにボクに向かってくる鯨弾。移動によって回避しようとすると、攻めの流れを止めなければならない、ボクはそれをリスク承知で、装甲化した拳で受け止め、弾き、受け流すことで空間制圧を維持する。紐帯弾は想像以上に重い弾丸だった、余り積極的に肉弾防御したいとは思えない。ボクの蟲体弾の様な強い誘導性は見せないが、あの紐帯影弾は強い貫通力と、貫通をしなくとも触れた部分を切り取る剃刀のような切れ味を持った極めて殺傷力の高い弾丸。でも、そればかりでは全く脅威を感じない。ピンポイントバリアを展開できる防衛甲蟲をオプション展開し、2発までは安定的に防御できるよう布石を打つ。

「そんなもの? 全然手が出てこないじゃないか」

 ボクが言うと、一層激しく複雑な飛翔ルートで紐帯鯨弾をまき、一瞬生まれた時間的空白に空中に立ち止まって、両手の間に作り上げた黒い球体をボクに投げつけてくる。素直な自機狙い弾だ、ボクが身を翻して躱すとそれはボクの背後で弾けて、周囲広範囲に黒い空間を生み出した。浮遊滞留する空間エフェクトが視界が遮り、その中に飛び込むのも何をされるのか分からない以上は進入も避けたい。彼女は当然その中を平気でつっきていくがボクはそういうわけにはいかない、黒い霧を拡散する大型弾を余り沢山まかれると、ボクの行動範囲はみるみる削られていく。しかもその黒い霧の奥からひとりでに先の紐帯弾が発射され始めた。黒霧の領域はボクが近づけない場所として支配されていった。一度狙って発射された後再誘導を開始する鯨弾は、確かにそうしたトーチカと相性がいい。
 更に彼女の足下の影が、彼女の体から離れて動き始めるのが分かった。本体は空を飛んで影は地上にある、その地上の影が光源と主体の位置関係に関わらず、全く別の位置にあった。あれが別の攻撃拠点であることは既に知れている、アレこそが本当の本体かも知れないルーミィという存在ののミステリーも。

(今回は完全な設置戦術タイプにビルドしたのか、それとも)

 彼女はフィジカルが丈夫という訳ではないが、決して近接戦闘に不向きというわけでもない、影を練って何も無いところに変幻自在な得物を取り出せるメリットは大きいし、あの影分身に短時間でも全く自らと変わらない身体性を与える一人時間差、影に潜って体を隠したり緊急回避もできるトリッキーな近接戦闘は、ちょっと他の人とは一線を画す。でも今はそれを捨てて設置型の技ばかりにリソースを割いているようだった。何か意図が無ければこんな立ち回りは、普通しない。攻撃の手が緩いのも、恐らく何か別のどこかにリソースを溜め続けているからと見れば合点がいく。
 こんな化外の土地にまできて模擬戦をしようというのには何か意図があるだろうとは思っていた。大技でも狙っているのか。
 影分身が分離して移動したことから彼女の行動は地上や低空に移行していた。一般的には地上にいるよりは空中にいる方が攻性だが、影の性質上、彼女にとっては地上こそが攻撃的なスタンスだ。地上は、彼女の武器があらゆる場所に埋まっているような者だからだ。それはボクも同じ事だが、同じ性質どうしでぶつかり合う戦闘は、純粋な力のぶつかり合いになるように見えて、些細な要素で修正不能な逆転を許す可能性もある、余り賢いとは思えない。彼女のが地上にいるからとホイホイ地上に降りるのは、彼女のテリトリに無闇に突っ込むようなものだ。中程度の高度を維持しながら、有翅蟲を中心に再編成した火力攻性で低空に留まる彼女を見下ろす。
 彼女には何かとっておきの仕込みがあって、それを使うためにこんな遠く人目につかないよう離れて、試そうとしていたのだろう。ボクが、その実験台として相応しいと考えられたのか、ボクなら事故ってしまっても構わないと思ったのか、あるいはとっておきのそれはむしろボクに向かって放たれる想定なのか。いや、そんなことを考えるべきではない。ボクがどうなろうとも彼女に化せられた宿命と、克服しなければならない状況と相手は変わることはない。そのためにボクが実験台にでも練習対にでもなるのなら、それで彼女の力になれるのなら、構いやしないじゃないか。

「……特訓でどんな〝必殺技〟を編み出したの?」

 ボクが言うと彼女は、にぃ、と笑ってみせた。よくぞ聞いてくれました、そう声に出しそうなくらいに、嬉しそう半分得意半分の、彼女らしい笑み。

「こーいうの!」

 ルーミィは、左手を腰に当てて、右手を拳に握ってそれで強く天を衝く様なポーズを見せる。瞬間、彼女の影が足下へずるずると移動して、足に触れる。一瞬、触れた足を伝って、体の方から何かを吸い出しているような動きを見せた後、膨れ上がるように大きくなって彼女の背後へ波打つように離れた。そしてその影が、突如として漆で塗り込められた柱のように、真っ黒な威容を立ち上げる。

「い゛っ!?」

 性質そのものはボクが地上戦で使う蟲タイプの疑似生命武装に似ている、でもその規模が半端ではなかった。大きすぎて地対地攻撃に収まらないし、召喚の瞬間にまき散らされた耳障りな|マナ擦れ音《キーニング》の大きさと、火花のような発光現象さえ伴う様子は、その存在が強大であることを示している。
 突き立った柱の先端には、蛇とサメの頭を足したような鋭いラインを纏った、大きな口と鋭い牙、赤く見開かれた目が左右に二つずつ光っており、その柱が巨大な黒い蛇だと言うことが分かる。大蛇は彼女の頭上遙かで首を擡げてボクを見下ろしている。口の端から立ち上る毒色の霧、赤く光る招死の眼、天を噛み砕く牙、月を衝くほどの巨大な蛇は、ルーミィ自身の影には違いないが、それを強大な召喚獣に構成し直したものだろう。ただの図体ではない、高密強大に編織されたこれは高度な魔術構造体、シオリがするのならそれは恐らく現代には失われた|禁呪《リザヴリステド》だ。

「ちょっ、ルーミィ、いや、これシオリ? やりすぎっ!」
「これからいのちをかけたたたかいをやるんだよ、これくらいなんてはなしじゃないよね?」
「そうだけど、さあっ!」

 応えたのはルーミィ、シオリの気配はない。だとするとこれは、シオリの力を貸与されたルーミィ自身の意志と技ということだ。声色は、なんだか据わった妙な落ち着きを湛えている、覚悟、と言えば聞こえはいいが、そんな格好のいい精神状態なのか、ボクには分からない。これは、ただの模擬戦では、無いのかも知れない、やはり。
 蟲体弾の火力は全く通用していないらしい、自爆攻撃は蛇の硬鱗を傷つけるには至らないようだ。影蛇の体にとりついて顎でその表面を傷つけたり鱗の隙間から極細い管を通じてエネルギーを吸い出そうとすると、理由はわからないがころりと落ちて死んでいく。
 影でできた漆黒の大蛇はボクめがけて口を開いたまま突進してくる、食いちぎるつもりだろうか丸呑みする気だろうか、そのどちらであっても、脅威には変わり無い。ボクは翅を広げて脚のバネを使って辛うじてそれを躱す。地面に突撃するかと思われた大蛇の鼻先は、地面に触れた瞬間真っ黒く光を反射しない奇妙な水溜まりに溶けるように流れこみ、再び別の場所に原油の湧き出しポイントの様な泉を生じてそこから首を覗かせている。四つの目が油断なくボクを睨み付けていた。でも。

「つよいでしょ」
「……どうかな」

 ボクは開いた左手の平に右手の拳を打ち付けるみたいにして、大蛇に正対する。それを挑発と見做したのか影蛇は再び突進してきた、ボクは両手に甲虫手甲をまとってそれを受け止めるべく構える。
 大きく開けた口はボクの身長よりも遙かに大きく真正面で受け止めることは出来ない、肉薄した瞬間に移動して、その鋭い鼻先を受け止めて殴りつけるしかなさそうだ。
 突進してきた影蛇。後方へ急後退して相対速度を下げ、開いた顎の上方へ体軸を移動する。

「てぇえいっ!!」

 そのまま大顎の鼻先へ向かって空対空の跳び蹴り、足先には防衛甲蟲のピンポイントバリアを展開して本来的には自壊の可能性がある威力でそのリスクを軽減しつつ、顎をさらに上空へ蹴り抜く。距離減衰のほとんど無いこの距離でなら博麗の巫女であっても撃ち抜くことが出来る、いくらシオリ由来の力であっても、限定され、ルーミィに使用される水準なら、ダメージが通らないことはないはずだ。

(!?)

 が全く|手《足》応えがない、確実にヒットしているはずなのだけど、甲蟲越しのわずかな衝撃さえ伝わってこなかった。振り返ると、蛇の上顎は霧のように分散し、それはすぐに再集結して上顎を再構成した。由来が影の固まりなのだとすると、元々実体がないのも合点は行くが、好き勝手に物理的強度を得たり捨てたり出来るなんて厄介すぎる。

「そういえば、ルーミィと真面目にやるのって、初めてだっけ?」

 そうだね、とだけ答えた彼女に、どんな意図があるのかはよくわからなかった。
 蛇は水平方向や上空に向かっては勿論、地面への激突を怖れずに上空から下に向かっても突進してくる。地面に突っ込めば影溜りに沈んで再び地対空攻撃に備えていた。回避擦れ違いざまに蟷螂斧を付与した拳で手剣を突き立てて見ると、蛇を操作するルーミィの右腕が跳ねた。紅魔館特製ブラウスの長袖が千切れ、覗いた素肌には墨汁のような液体が滴っている。やはりただの同律化ではなくて感覚共有を施してあるらしい、蛇に反撃すればルーミィの体へ直接攻撃に等しいダメージが通る、こんなものに攻撃を加えるわけには……。

「ルーミィ、それは」
「てぬいたら、ゆるさないよ」
「でも」

 ボクが反論しようとすると、闇蛇は応える代わりに攻撃を仕掛け、毒色の吐息を吐き付けてくる。毒息の粒子が少し浮遊しているだけの空域に少し触れただけなのに即座に皮膚がダメージを受けた。化学変化によるダメージは扱いを誤ると損害が拡大する、慎重に対応を選び体内で化学構造的免疫機能を生成して損傷箇所へ誘引した。これで対応が済めばいいのだけれど。
 それよりも「手を抜いたら赦さない」の言葉を実際に体現しているような攻撃だった、もし今の毒息の真っ只中にボクが包まれてしまっていたら、対応成分の生成が間に合わず劇症を生じて、この体は完全に《《ダメ》》になってしまっていたかも知れない。
 毒のブレスを噴き漏らしながら、影蛇は空中をうねってボクを噛み千切ろうと突進してくる、ボクは間一髪でそれを躱し、やはりその周囲を取り巻いている瘴気の衣に触れて損害を受ける。直接打撃を受けること無く、ただ傍を掠めて通られるだけでも、いちいちこんな風に危険なダメージを受けるなんて。

「ほんきだして、リグル」
「待ってルーミィ」

 上空からボクを喰らい潰そうとして突っ込んでくる影大蛇。それをなんとか躱すと蛇は地面に向かって突き立ち、影溜りに沈んだ。影溜りに化けたあと、鋭いフォルムながらも生物的な丸みと有機性を感じさせる曲線を残した鼻先を地面に広がった黒い水溜まりの表面に出している。そのまま今度は溶けるように柔らかく形を変えた思うと今度は全く直線と均整の取れた曲線のみで出来上がる無機質な姿へ変化した、それはしかし滑らかなサーフェスではなく、均等で凶悪な深いセレーションを幾何学な螺旋にそってびっしりと並べた円錐だった。

「なに、これ?」

 その円錐体は突然高速で回転し始めて、螺旋に並んだ鋸歯と錐体の鋭い先端が唸り出した。それは槍床のようだが、槍は1本しか無く大きい、錐体は常に回転しており相手を貫き倒す刺突と言うより惨たらしい切削による破壊力が凶悪な、それは別の武器に見える。まるで届かない高さに餌を持ち上げられたままお預けを食らっている小動物の様に、地表に貼り付いたままY軸を変化させること無く地表のXZ軸を移動してボクの移動につきまとうように動いている。常にうろうろとボクの下を、其れこそボクの影の真似事でもしているかのように一緒に動く。だが、それがいかに凶悪な槍だろうと飛翔能力を持つ相手に槍《《床》》は攻撃力など持たないも同然だ。
 ボクは、それでも何か妙な動きが無いかと警戒しながらその上空を維持し続ける。影蛇召喚以降、その存在によってボクの動きは大きく制限され、空に於いても位置取りアドバンテージは完全に彼女のものだ。ルーミィにこれ以上好きにさせるわけにはいかないと攻撃を仕掛けようと移動しその鋸刃の回転錐体が丁度ボクの真下に位置したそのとき。
 錐体に従う影溜まりが突如爆発的に広がる、元はボクの影の範囲と大して変わりの無い大きさだったのに、これはルーミィが影蛇を呼び出したときの前兆、いや、それよりももっと大きい……!?
 危険を感じて慌てて軸をずらしたその瞬間、ボクの目の前には足下の地表で小さく回っていただけの黒い錐体は、今目の前にまでその背丈を伸ばして変わらない様子で高速回転していた。もしボクが軸をずらさなければ、串刺しになった上にあのセレーションの回転でズタズタになっていたかも知れない。

「リグルはいっつもにげてばっかり」
「なっ、なにこれっ……っていうか、これ当たったら、ヤバい奴……」

 鋸刃の回転錐体は、身を伸ばした後、ボクがその餌食になっていないことを認識すると、すぐに蛇の姿に戻ってそのまま更に高く登り上がって鋭い牙を剥いて口を開いて再び追跡してきた。鋸刃の回転錐体についていたあの鋭い牙は、この影蛇の持つ牙と同じだということがここに来てやっと分かる。

「ちょっ、ここまでやる……!?」

 模擬戦だってのに、一撃必殺っぽいのを繰り出されて、ボクは慌ててルーミィを振り返った。まるでオーケストラ指揮者のように腕を振るって影蛇を操るルーミィから答えはない、視線をくれさえしない、目を閉じたまま恐らく今の彼女の視界はあの蛇の視界と一致しているのだ。感覚共有された|影の従者《シャドウサーバント》としての影蛇は、その顎でボクを食いちぎろうと襲いかかってくる。
 あの蛇の咬撃も、あの円錐の攻撃も、喰らえば恐らく一溜まりも無い。シオリの力を導引して繰り出されている蛇も錐体も、見た目よりももっと大きな破壊力を持っている。きっと、当たれば|豊聡耳神子《オモトヒメ》にさえ有効な一撃になり得るように繰り出されている、ボクなんかが喰らえば、消滅は免れないだろう。

「ルーミィ、ちょっと、きいてって……わわっ!」

 闇蛇と同律した彼女は、ボクの問いに答えることなく噛み砕こうと更に迫る。通りがけざまに降りかかる毒の吐息は、肌に触れるだけでただれてしまう。再生速度が低下している。シオリの|禁呪《リザヴリステド》の力を引き出し自在に操る彼女の力の底堅さを思い知る。〝闇〟という巨大な|根源《ソース》からもたらされる能源は本来強大なのだ。シオリの〝月〟がその手引きをしているのかも知れないし、本当は……彼女はこの力を秘め続けていただけなのかも知れない。
 この|召喚獣《サモンドシング》を相手にするならば、ボクも彼女もあるいは両方とも、無事では済まないかもしれない。

「ねえ、本番は今じゃないよ、本当の戦いの時に全力が出せなくなったら」

 それでも彼女の蛇はボクを食いちぎるために|顎《あぎと》を振るい牙を鋭いで毒を纏って襲いかかってくる。

(聞いてくれない……)

 もしかして、と思い当たってから焦りが生まれ、想像したくない想像に心臓が早鐘を打ち始める。そうであって欲しくはない、でも、そうなのかも知れない。つまり。

「ルーミィ、怒ってる?」

 やっぱりルーミィはここで、積年の怒りをボクにぶつけようとしているんじゃないか。
 ボクの不甲斐なさのせいで彼女には様々な苦難や苦痛を強いてしまったし、ついこの間から何故か彼女の尊厳を損なうような行為を連発している、彼女はそれを嫌だと言ったり誘ってきたりと、意図が読み切れないことばかりだけれど、本当はボクに復讐したいのじゃないのか。ここなら、博麗に知られずにボクの死体を処理できる、私的決闘を禁ずる博麗に目を付けられること無く。

(でも、ボクだってこんなところでみすみすやられるわけにはいかない)

 それは本当の戦いを控えている彼女こそその通りだろう、お互いに無傷で終わらない可能性を承諾した模擬戦。
 ボクは大蛇に向き合って、これときちんと戦う事を決意する。手を抜いたら赦さないと行っていたルーミィは、それも含めて本気でやっているのだろう。ボクなんかに負けるようでは、あの新神に敵うはずが無いと。

「わかったよ、ルーミィがそういうつもりなら」

 彼女が真正面からぶつかってきて、ボクにもそれを望んでいるというのなら、それときちんと向き合うべきなのだろう。それが、彼女に提示できるボクの誠意だ。
 ボクは、マントの下に折り畳んであった飛翔翅を広げ、理想的な飛翔バランスを保つために側腰部から一対副脚を生やし、尾骶に第二腹部を発現させる。眼を本来の複眼に戻し更に額にピット器官を再現する追加の眼を開く。触角の感度を元のソナーレベルに戻して、表皮細胞を一気に活性化して体表に異剛性キチンナノファイバー複合装甲をクチクラ化表現させる。
 ルーミィが人間の少女の姿を保っているのに対して、ボクの形は人の輪郭をなぞっているだけで、最早バケモノでしかない。妖怪は、本性に近付くにつれて人の姿から遠ざかり、人の姿から遠ざかるに従って力を大きくする。弾幕ごっこではない、まつりごとでもない、純粋に生き残るためだけに繰り返してきた生存戦争、そのときに使う姿にどんどん近付いていく。人の姿から遠ざかることがないままのルーミィとやり方が違うのは、闇の|具象《エンボディ》である彼女は本質的には大別すれば神系で、人の望む理想の姿として純化されるからだ。妖精即ち|現象《エフェクト》としてのチーもそう。だが生粋|妖怪《フリークス》のローリーと、虫の|眷魁《ルーラー》でるボクは化生の側、人の姿など枷でしかない。

「ボクだって昔は〝神様扱い〟だったんだ。簡単に勝てるなんて思わないでね」

 主にクチクラ装甲の効果で、毒の衣は、思い切り吸い込んだりしない限り肌に触れる程度では大したダメージにならなくなった、これで存分ぶつかり合うことが出来る。「その速さじゃボクを捉えるのは難しいね」そう言うと大蛇の目が光りルーミィは口元を歪めた、目を閉じているので口元の動きだけからその表情の真意を読み取るのは難しい。

「つづき」
「うん」

 本性に近付いたボクを見て蛇1匹では僕を追い詰めるのに手数が足りないと思ったのか、彼女は闇蛇の数を2匹、3匹と増やしていく。1匹あたりの大きさは小さくなるが、手数が増える。それに影蛇は容易に離散集合合体分裂出来るものらしい、それは今や8匹にまで増え、それでもボクの体の一部を食いちぎる程度には大きいし、力そのものは変わらないらしい。8匹にもなった影大蛇に追い回されると最早手も足もでない、1匹1匹を個別に処理しても、すぐに追加が来る。直接戦闘を行う蛇にダメージを与えていれば|ルーミィ《本体》へダメージを蓄積できることに合理性を見出そうとしたがこの手数とバカ正直にやり合うのは得策じゃない。影蛇状態での空対空、地面の影溜りから突き出す巨大な鋸刃の回転錐体、8方面からの多正面状況は、複眼の広範囲視野と自前の分散神経系情報処理でようやく回避経路と僅かな反撃機会を見いだせるに留まっている。

(ルーミィ本人を抑えないと埒があかないかな)

 ボクは影蛇の合間を縫ってルーミィ自身をタッチダウンすることを視野に入れる。変幻自在とはいえ、蛇自体の動きは器用とは言え巨体相応に大味な側面もある。特に鋸刃の回転錐体は、予め位置の仕込みをしなければそのキャパシティを生かし切ることは出来ない、手数が増えてこそ厄介さが増しているが、ちょこまかと動き回って間を抜けるのは、ボクの得意とするところだ。
 |ルーミィ《本体》への奇襲を悟らせないための布石として、もうしばらく蛇群と正面切ってぶつかる姿勢を見せていなし続けて、影蛇を傍に呼び戻すよりも早く彼女の懐に入り込むしかない。そのタイミングを計る。
 幾ら数が増えようと、蛇の目標がボクであるのなら、ボクの方へまとわりついてくる。8匹にまで増えた蛇から逃げ回りながら、ボクは飛翔翅と跳躍脚にエネルギーを少しずつ溜め込みながら、その隙を探っていく。1匹を躱して、もう1匹の額を蹴るようにしていなし、地面からの突出を鋭角な飛翔ルートとホバリングを織り交ぜて攪乱する。大きく顎を開けた蛇の前へ飛び込んだかと思うと、直角で曲がって見せて蛇同士を激突させ融合を強いて一時的に手数を減らす。地面すれすれを飛翔して影溜りの小回りを振り切って焦れて錐体巨大化した隙を縫って距離を取る。
 多くの飛行体は完全なホバリングが出来ない。フワフワと「浮遊」することが出来る存在は多いが、「空中に固定」という飛び方は一部の鳥を除いて虫の持つ飛行能力の特徴的なものだ。それに一般的な飛行体は飛翔速度が高いほど方向転換時の曲率半径が緩くなるが、ボク等虫の飛翔はそれらに比べて遙かにキツいアールを切ることが出来る。それは虫翅の高速羽ばたきによる飛行は、鳥の羽ばたきやロケット推進、固定翼飛翔とは根本から違うからだ。虫的な飛行体を対空攻撃するには、対策が薄い事がほとんどで曲射にも狂いが生じる、ボクからすれば「そんな弾道は分かりやすすぎる」。
 速ければ素早いというわけでは無いのだ、ローリーや霧雨さん、射命丸さんの速さとは、質が違う。

「あてづら……っ」
「ほら、言ったとおりでしょ? その程度じゃボクを捉えるのは無理だよ」

 挑発する言葉、普段は余りしないことだけど、基本的に侮られがちなボクがすると挑発効果が大きいことは経験的に知っている。相手から隙やミス、油断を引き出すのには、《《らしくない》》こうした言動が有用だと自負があった。
 だが彼女もそう翻弄されてばかりではない、ボクが低空を飛翔すると錐体ではなく刃物を持った歯車のような形で連続線形の攻撃を設置したり。巨大錐体ではなく、蛇体のまま上空まで伸び上がり巨大な手のような形を為して持続的な経路封鎖をしたり。雑魚妖怪と卑小化され続けるルーミィだけど相応以上に長生の回転を持ち合わせてもいる、空対空を挑む蛇の数はすぐに1、2匹に抑えられ、ほとんどが地面で空対地を待ち構えたり、空中で罠を張るように周回移動を続ける様に切り替わった。

(やりづらいのはこっちもだよ……一部でも手の内が知れてるってのは)

 一番苦手なのはこうして多正面を強いられて逃げ道を塞がれ窒息するように身動きを封じられることだ。だから、包囲が詰み上がる前に、|ルーミィ《本体》をねじ伏せる必要があった。まだ彼女に油断か、ボクの動きへの未知の余地がある内に。
 制空権は敢えて渡す、そうして空中の蛇達を戦力外に追いやる。その代わり低空飛翔で、設置的な動きや滞留性の高い攻撃を、なんとか躱し続ける。地上部隊は、空中部隊に比べて攻撃の出は早いが終わった後に再セットアップするのに僅かなタイムラグを生じる。そのラグを、回避で少しずつ同調に導いていく。思い切り距離を取ったり、近くで複数の影溜りを同時に誘発したり。時折錐体に体を擦ってしまうと、無理に装甲を破損されたせいで、痛みと共に出血を負った。

(やっぱり、ヤバい、あれ)

 異剛性キチンナノファイバー複合装甲の防御力には一定以上自信がある、だがそれがまるで濡れた紙の様に脆く破れて傷を負ったのには、恐怖心を憶えた。錐体だけではなく恐らく回転鋸様の設置攻撃も同じだろう。少しだって触れる訳にはいかなかった。
 そうしたリスクを負いながら、ボクは攻撃を誘い、設置を急がせて、そうして各影蛇の行動後ディレイ時間が重なり合うように誘導していく。闇蛇一つ一つの行動後でぃ例を把握して、それらの最小公倍数的な時間空白、導き出した時間は、おそらく彼女を追いつめるのに必要な時間を、満たしている。目の前に回転鋸が現れ、身を捻ってぎりぎり回避する、その先には鋸刃の回転錘体の縮小版が設置済みで、その回転に体の一部を削り取られながらもクリーンヒットを避けて何とか身を持ち保つ。巡航軌道で噛み付くこうとしてくる影蛇は回避し損だ、基本上空で滞留する空対空設置蛇は最初から計算の外にいるから防御が前提、これをやり過ごしても計画には近づかない。やむを得ず影溜まりの上を通過すると、人間の腕のようなものが数多伸び上がってボクを捕まえようとしてくる。副脚を一本捕まれ、仕方なくそれを切り離して離脱した、これを再生するには少なからずエネルギーと何より時間的猶予を要する、もぎ取られたのは痛手だった。それでも、リスクの大きい低空飛行を続けるのは、何とかその行動後ディレイの重なり合いを見出すためだ。

(そろそろ痒いな……)

 あまりその状態が続くと俊敏性に影響するので、早く済ませたい。でもそれも彼女次第だ、運もあるだろう。
 蛇それぞれの攻撃には発生前、あるいはそれ以上にその終了後に時間的な隙が生じる。それは影蛇が複数い隙を埋め合うことで極小化出来る、そうされると本当に隙のない連続攻撃になるのだけれど影蛇は完全なルーミィの手足ではない、完全な自律でも無いことがわかる。ある意味ではそれぞれが勝手に最善を尽くして行動しているだけで本当の連携にはなっていない、それが、わずかに残された付け入る隙だ。お互いがお互いのフォローを瞬間最善でしか行わない以上、行動後ディレイの重なり合わせが偶然にお互いに調伏して過剰となり、結果として空白時間が大きくなるタイミングがある。それが一番大きくなるタイミングを、誘い、見抜くというのが今のボクの狙いだ。
その間は、いつでも行動を開始出来るよう、能動行動を抑えてひたすら防御と回避を繰り返す。その間に、一発何を食らっても致命傷になるだろう相手にこれをするのは、かなり怖い。ミスが許されない上やったって巧く行くかどうかはわからないのだから。
 そして、それは訪れた。一瞬、というには大き過ぎる、攻撃の生じない時間が、顔を出した。それでもねらって待ちかまえていない限りは、そのまま防御姿勢を維持したままその時間を逃してしまうだろう。目的の一手を詰めるのは、彼女自身の攻撃だ。理想的な地を這う丸鋸がそれを担ってくれた、これは終了後にいったん地表すれすれに蛇体が姿を現し、回るように蜷局を巻き直してから次の行動へ移る、もっとも終了後のディレイが長い攻撃だ。その最後の一撃を、あえて真正面から食らいに行く。そしてヒットする瞬間に。

「……こっちっ!」

 鋭利な黒刃を歯車のように並べそれ全体が高速回転する丸鋸は、地面から半身を出したままボクの進行方向を塞ぎ、そのままボクの体を真っ二つに切り分けた。そこまで見せれば、鋸は途中で変化をやめることなく出しきってくれるからだ。でも、その鋸に縦割れ真っ二つになったボクの姿は、ボクの表面をきれいになぞって剥き取れた脱皮の殻だ、勿論中には何も入っていない。ボクの中身は、鈎鋸の回転が脱皮した皮を砕いて進む前にそこを逃げ出て、刃をひらりと避けて地面に立った。

「え」
「新品、だよっ」

 脱皮は蛇でもするものだけどね、と笑うが回避の余裕を見せるのが目的じゃない、そのままボクはマントの裏に上位飛翔魔術の術式を高密に描き出す。赤いマントの裏地には緑に蛍光する複雑な回路パターンが光って浮かび上がり、その上を鈍く輝く回路信号が無数に走っていた。赤い裏地とブラウスの間には飛翔翅の大きな成長形質が伸び上がっている。戦闘開始から少しずつエネルギーを溜込んで分子構造的な反発を仕込んであった脚の筋肉は、今はその発火を待ち構えている。そして、満を持してその筋を、発火した。
 たとえば人間の筋肉は、筋肉の消費エネルギーの半分を熱エネルギーとしてロスし、運動エネルギーに変換できるのはわずか半分といわれている、なんて非効率的な生き物だろうか。蟲の中でも特に優れた種では、局所的には使用エネルギーの98%を、運動エネルギーへ転嫁できる……こうやって。

「いっっけええええええええええええええええっ!」

 脚に溜め込んだエネルギーを、爆発的に運動エネルギーに転換して、地面を蹴る。ルーミィに向かって、いっそ体当たりを賭けるくらいに手加減無く真っ直ぐに。意外だったのは、蛇に影のほとんどの量を注いでいると思っていたのに、まだ僅かに近距離で応戦するためのそれを付近に残留させていたことだった。ゴム皮膜のような防壁を足下から立ててそれを防ごうとするルーミィ。でもそんな薄い壁。

「抜ける!」

 足先に防衛甲虫のピンポイントバリアを配置して、その壁との激突を、こちら側に向かって緩衝する。まるで強化ガラスが細かいヒビを広げて白く濁って砕けるように、黒い皮膜防壁は正確に六角形の亀裂を広げて砕けた。六角形に結合が解けて形を失うのは、それが本質的には「影」ではなく魔力によって構成された黒く不定形の何か別のものであることを示している、六角形は魔術的原形質を物質界に固定した際に安定度の高い組成だからだ。三角形が安定しているのは理論値でしかない。

「うそ……っ!」

 ルーミィが驚きの表情でボクの突入、それに防壁侵徹を目の当たりにする。
 彼女はもう、目を開いていた。影蛇は《《出払っている》》、彼女本体をを護るのは僅かに地表に残った拡張されていない生の影と、彼女自身の肉体だけだ。蛇の位置から歯科医を展開する意味はほとんど無い、彼女は影蛇の操作を放棄して低性能な自律制御に戻して、ボクからの防御にリソースを振り分けた。
 ルーミィは腕を水平に伸ばして地面に出来た細長い影を掬い上げるようにして長物を作り上げる、それは小さな彼女の体に見合わない|大鎌《サイズ》。足下に残った小さな生の影で、再び薄く小さい皮膜障壁を形成する、さっきのよりも遙かに脆く、それに小さい。蛇が戻ってくる僅かな時間、ほぼ丸裸の彼女と、白兵戦だ。これなら、圧倒的にボクに利がある。

「逆転っ!」
「うわっ」

 右手の蟷螂斧を振り下ろすと、ルーミィは足下の僅かな影で作った薄い壁を前にせり出す形で一歩後退る。その壁を掴んで乗り越え、蠍鋏の左手を突き出すと|大鎌《サイズ》の柄を立てて防ぐ。|白兵近接戦《インファイト》の為の構えを作っていないルーミィ、|大鎌《サイズ》は彼女の最終防衛武器なのだろう、想像以上に攻撃判定が強く、それに頑丈だった。鋏で砕けるかと踏んでいたけれどもそれは受け止められてしまったし、その上。

「はあッ!」

 横に薙いだ|大鎌《サイズ》は、僅かな時間空中に斬作用を残す簡易な結界を形成する、それに触れてしまったボクの腕は脆くも切り落とされた。

「うわ、こんな切れ味だなんて」

 切れ味、と表現したけれど少し違う。それは切断されたのでは無く、ダルマ落としのように極薄い間の部分を|消滅させる《朔》ことで擬似的な切断効果を与えるものらしい、切り落とされた腕を拾って慌てて縫合したとしても元の腕よりも僅かに短くなると言うわけだ、そんなことをしようとは思わないけれど。あの|大鎌《サイズ》の前では物理防御力は意味を成さない、確かに、相手が神様であっても効果があるだろう、その|大鎌《サイズ》なら。

(こんな切り札を持ってたなんて……でも)

 |大鎌《サイズ》の一撃は大振りだ、彼女は好んで|大鎌《サイズ》を用意するが、ボクの感想から言えば、それはルーミィの影を使ったトリッキーな動きに対応するにははショートソードかナイフくらいの小ぶりの得物の方が向いている。でも、|大鎌《サイズ》は彼女の存在根源的に、外せない得物なのらしい。
 大振りの|大鎌《サイズ》はボクの腕を見事切り落としたが、その振り回した後の隙は甚大だ。残った腕は、元の腕1本と、副腕1本。それに脚は2本とも残っている。これだけあれば、十分だった。

「遅いよ」

 |大鎌《サイズ》に振り回されるような動きにも見えるルーミィの大味な身の振り方の空いた空間を縫って、まだまだ使える腕を残したボクは、蟷螂斧を付与した腕をひっさげて深く潜り込む。

「くうっ!!」

 接近を許してしまったルーミィ。両手を広げて体を反らせて小さく浮き上がったかと思うと、彼女の体の至る所に存在する自身の体によって出来た影を、細い蛇状にして四方八方に鋭く突き出し、緊急回避行動を取る。霊撃のようなものだ。

「あっ……」
「よし」

 でもそれは、|大鎌《サイズ》でのガードを確認し、その後で大振りな攻撃を繰り出した時点で予測済みだ、もうそれくらいしか取る行動がない事は見え見えで、次は霊撃で割り込んでくる、それを見越してスカしガードで防いでみせると、彼女を護るものはもうなくなった。

「もらった……!」

 再び脚に飛蝗の跳躍力を付与して、影蛇が戻るまでの僅かな時間を稼ぐために大きく後ろに逃げるルーミィまでの距離を一気に詰める。地面を蹴り、その勢いで更に飛翔の勢いを乗せてキックを繰り出す……のは今回はやめておいて、タックルの要領でルーミィの|体《たい》を突き倒した。

「うううっ! ずるいっ、ずるいいっ!!」
「ずるくないよーお」

 ボクに押し倒された彼女は地面と腕との間に出来た影から短い得物を使って反撃を試みるが、ボクはすぐその腕を螋の鋏に変えて枷の様に地面に突き立てて押さえつける。腕力ではボクが勝っている、その腕はボクの下ですぐに拘束されて動きを止めた。さらにボクには、まだ自由な腕脚がある。
 ジタバタと手足を動かして逃げ出そうとするルーミィだが、勝負あった。

「ボクの勝ちっ!」

 ルーミィからダウンを奪った状態で、追撃を入れるポーズだけを取った。これが模擬戦で無ければ、彼女の肉体は頑丈な方では無いから、顎器を拡張して噛みつくのが最良のダウン追撃だろうか。でもボクはその代わりに、虫人間のフォルムから再び人間の子供の姿に戻って、彼女の額を人差し指で弾いて見せた。

「はあっ、はあっ、や、やられたぁ」
「どお? ボクだってやるもんでし……」

 得意になって言ってみたつもりだったけど、ボクの下にいたルーミィの顔を見て、ドキリと言葉を失ってしまった。
 激しい戦闘行動、お互いに高い運動量を維持しながら長時間お互いの体をぶつけ合っていた。格闘中の戦闘モードな興奮ストレス状態がまだ収まらず、体中を臨戦態勢に保っている。上気した顔はお互いに赤くて、呼吸は上がって肩で息をしている。ダウンした姿勢のままボクの下にいるルーミィの白い肌には玉の汗が浮いてじっとりと濡れている。その濡れた肌に柔らかい髪が濡れて貼り付いていた。濡れているといってもそこに汚らしさはない、こうして密着していても汗臭さなんて無くて、生命力の躍動から来る美しさと力強さが……言葉を選ばずに言うのなら、煽情的だった。

「ほんきリグル、やっぱ、つよいね」

 拙い、離れないと。そう思ったけれど、体は動かなかった。ボクを下から見上げるルーミィの琥珀色の目が、ボクをすっかり絡め取ってしまっている。
 これじゃあまた、無理矢理にしてしまう、大して強くもない意志力でそれを振り払ってボクは彼女の上から自分の体を引き剥がそうとした。でも、それを止めたのはルーミィの手だった。彼女の手が、ボクの腕を絡み付けるみたいに掴んでいる。そして、臨戦態勢に上気した肌と熱い吐息、戦闘ストレスの興奮、煽情的な、彼女の表情。彼女の目と目が合った瞬間に、ボクは離れるどころか、顔を、彼女に近づけていた。
 運動ですっかり高くなったルーミィの体温、荒い吐息、まっすぐにボクを見つめてその琥珀の中にボクを閉じ込めてしまいそうな瞳。

「ねえ、《《おいうち》》、しないの?」

 気付けば彼女の手はそのままボクの腕を昇ってきていて、今は肩にそして鎖骨の辺りに指先が触れていた。紅潮した彼女の顔は、ただ運動後のせいだろうか。じっとボクを見て瞬きさえしないままなのは、ダウン攻撃を警戒していたせいだろうか。
 その目がすっと細まって、汗に濡れた肌に光が反射する。熱い吐息と体温。ボクは、彼女の額から鼻の上を通って頬にかかって貼り付いている細い髪の束を指で掬って除ける。くすぐったそうに少し笑ったルーミィ。唇が動いた、荒い呼気に混じって、僅かに感じられた、桃色。動いた唇は声を発しはしなかったが、その唇が言葉を紡ぐ。

 り ぐ る

 ボクはそのまま吸い込まれるように、彼女の首筋にかぶり付いていた。汗でしっとりと濡れた柔らかくて白い首筋、熱いくらいに温度が上がってて吸い付こうと口を付けていると彼女の小刻みな呼吸と、早鐘を打つ心音が伝わってくる。
 ボクがルーミィの熱く湿ったなめらかな首の曲線に口を寄せていると、彼女の腕がボクの頭を抱く。指が髪の毛をかき分けて入ってきて、ただ抱えられるのではない強い密着感。ボクも、自重を腕で支えるのを止めて彼女の上に崩れ落ちた。右腕てで彼女の右手を探って捕まえて、逃がさないように指と指の間に指を差し込み握る、彼女もぎゅっと握り返してきた。左手でルーミィがしてくれているみたいにボクも、彼女の頭に手を回して、しっとり湿気を含んだ髪の毛に潜り込む。彼女自身で触れることの出来ないリボンの付近へ指を差し込んで、頭皮を優しく撫でると耳元に、鼻を抜けた様な甘い声が聞こえた。
 彼女の手が、ボクの頭を押し離そうとする。ボクは甘えるのを拒まれた犬みたいに、名残惜しく彼女の肌から離れた。

「る、ル、ミ……」
「リグルって、ほんと、えっち。スケベ。ヘンタイ。サイテーおとこ」
「うぅぅ」

 と言った唇を、むしり取られた。後頭部から掴み寄せるみたいに。そのまま両腕ともボクの首根っこに絡みついて、体全体でボクに抱きついてきた。囁きかけられるボクの名前。唇を離すことなんて出来そうにない。とくとくはやい心音、首に伝わってくる体温。ボクの名前。肌にねっとり絡みついてくる甘い吐息。体温に比べて少し冷たい白い指。ボクの名前。振れる額。ふるえる唇。ゆれる瞳。ボクの名前。心音。体温。名前。名前、名前。唇。名前。
 柔らかい、熱い、この唇は僕のものにはならないけど、赤く揺れた彼女の横顔をボクは二度と失いたくないと思っていた。お互いに舌を少しだけ触れ合わせる、今迄の二人で一番臆病な口付けかも知れなかった、求めるのではなくて、あげたいと思っていて、でもお互いにそのやり方がよくわからなくて。
 なんでいきなりこんな風になったのかはよくわかんない、ルーミィは明らかにボクを損傷するつもりであの蛇を呼び出していたし、ボクはもう彼女に少しばかり痛い事になっても仕方が無いと反撃を決意したはずだ。なのに、隣接に触れ合った途端に、どっちからとも無く、どきどきが始まって、そして。最初から、こうしたくて、模擬戦を始めたような気さえしてしまう。

「もう、これじゃあ」

 きっと二人で思い出してしまったんだ、あの赤い日のことを。彼女はボクを真っ直ぐに見ながら、言う。

「またきみをまきこんじゃうね」

 彼女の体を起こして、もう一回、やり直すみたいに抱きしめた、違う、自分の体温を彼女に渡すみたいに。彼女も腕を回してボクの体に、彼女をくれる。今度の口付けは、深かった。そっちの方が、やっぱりお互いに易しくて、二人とも恣に相手を、つまりボクはルーミィのキスが欲しかったし、彼女はボクの体温が欲しかった。ボクは彼女の唇を貪って代わりに彼女を強く抱きしめ、彼女はボクの腕と体温を求めて代わりに唇を差し出した。

「平気だよ、元は僕のせいだし。それより、今度こそ置いていかないで」
「……どうかな」
「僕の方が、君より強いよ」
「そうだね、それは、わかってるよ」
「だから、守る、僕が。」

 意外そうな顔で、ルーミィがボクを見る。そんなに意外かなあ、ちょっと心外だったけど、でもこれは本心だった。

「オモトヒメも、セオリツヒメも、ツキヨミも、関係ない。ヒミコもアマテラスもショウトクタイシも、ボクらには何にも関係ない。ボクが、やっつける。手伝うって、約束したもんね」
「……ひとりじゃむりでしょー」

 そう言う彼女だけど、言葉とは不一致な表情でボクを見ていた。「やっぱむりかも」肩を上げて笑うと、ルーミィはくすくす笑い始めた。でも、笑い声はすぐに掻き消えて、マジな顔してそのまま、彼女の腕はボクの背中に回された。

「そんなこといわれたら、どきどきする」

 長くて深いキス、深くて強い抱擁。息苦しくなって口を離す合間に、お互いの名前が吐息の代わりに漏れ出る。相手の体を掻き抱く腕は、体温と一緒に劣情のメッセージ。体を起こして抱き合って、唇を啄みお互いの名前を食べ合っていたのに、ルーミィは後ろに倒れてボクを引っ張り込んでくる。もっとしっかり体重をかけてと服の端を掴んで引き寄せた。頬はまだ赤みを保ったままで、貪るように口付けを続けていたせいで荒いままの息遣い、彼女はボクの体を上にのっけた姿勢のまま、挑発的に細めた目でボクを見る。

「そのくらいの《《おいうち》》じゃ、ぜんぜん、きかないよ?」

 艶めいた唇、舌先が覗いてそれを更に潤すのが見えた。彼女の特徴的に鋭利な犬歯の先が、赤い唇を押してその柔らかさを見せつけてくる。体を波打たせるように持ち上げてボクの体に熱を帯びた体を押しつけて、そのまま、真っ黒いワンピースの裾から伸びる真っ白な脚でボクの体を挟み込んだ。

「ちゃんと、とどめ、さしなよ。おとこのこでしょ?」
「とどめって」

 ボクが狼狽えたみたいにそう言うと、眇めるようにしてボクを見、一文字の口の片方を上に吊って彼女は笑う。

「ここに、りっぱな《《ぶき》》が、あるじゃん」

 つかいなれたおきにいりのがさ、そう続けて答えたかと思うと、ボクの下で彼女の体が波打つのが分かった、その〝武器〟の真下に彼女の中心が擦れている。

「る、ルーミィ」
「はやくとどめをささないと、だうんふっきしちゃうぞお」

 すり、すりすり

 それの裏側に、彼女の柔らかさが伝わってくる。前後に擦り付けられるみたいに動かれると……彼女のコケティッシュな色香に理性が溶かされていく、ボクの〝武器〟はあっという間に臨戦態勢に持ち込まれてしまった。

「ほーら、ほーら、サイテーおとこくーん? ト・ド・メ、ト・ド・メ・ぇ」
「もうっ! ルーミィっ」
「ぅわー、これはきょうあくはんのかおですわ♥」

 紅魔館メイド服の姿で抱き付かれて挑発されるなんて、男が平気な筈がないじゃないか。なんて自分に言い訳をしてしまうけれど、彼女のルックスはただの作業着ではなく対外礼装でもある(そしてそれは人好きのするファッションとしても十分に考慮されている)紅魔館のメイド服の、瀟洒だが少しばかり挑発的な造形にぴったり、つまり似合っているのだから、こんな風にくっつかれて挑発される本当に目のやり場に困ってしまう。この距離だと、白い首がリボンとフリルで纏められた襟首からすらりと伸びているのが眼前に見える。その白い肌が今は熱を帯びているのもよく分かっていて、それを武器に彼女はボクを落としにかかってきているのだから。上に乗っているのはボクで、技をかけに行けるのもボクに間違いがないのに、ボクが陥落寸前で目の中をぐるぐるとさせてしまう。
 おかしいな、さっきからおかしいと思っているのだけど、これは模擬戦だったはずなのに、なんでこんなえっちな状況になっているのだっけ。
 ボクが狼狽えているのを見て彼女はけらけらと笑っているけれど、ボクの裏側に擦り当たる肉感はみるみる解けて柔らかくなっていった。ボクを見上げる彼女の頬も再び上気を強くして、悪戯な犬歯を舐める小さな舌と、小さく動く唇が誘ってきていた。「きて」。
 フリルが過剰で掴みにくいスカートの裾を慣れない手でたくし上げ、その下でスカートをがっつり嵩増しするパニエをかき分けて進むと、サスペンダーのようなベルトが下がった部品の隣に、柔らかいぱんつの感触が指先に伝わってきた。

「えと」

 ガーターベルトなんて、スマートに脱がせられないよ。乱暴に剥き取ることなら幾らでも出来るけれど、もうそんな風にはしたくない。
 ボクが手間取っているとルーミィはするするとボクから離れて、自らスカートを上げる。その下で、ボクに見せつけるように、ベルトを外して、ぱんつの輪に指を入れる。そのまま、両手でぱんつを下ろして、脱ぎ去った。彼女は脱いだぱんつを自分で見て、それから……

「リグルが早くとどめをくれないから、おんなのこはしびれを切らして、こんなふうになっちゃいました」

 と言ってボクに迫るように近付き、パンツの布地をボクの眼前に広げる。

「う、わ」

 香りが……する、女の子の。それに、ボクの目の前に広げられたぱんつには、楕円形に湿ったシミが広がっているのが見えた。

「どうおもう?」
「ど、どう思うって」

 うん? と覗き込むように答えをせびってくる彼女、応えないといけないような気がして必死に言葉を探すけど気の利いた答えなんか浮かぶ筈もない。

「えっち、だとおもう……」
「んふー、せいかい。いま、リグルと同じきもちなんだよ?」

 ぱんつの布地のまんなかに広がる楕円形のシミを更に押しつけて、ボクの鼻先にくっつける。凄くえっちな匂いがするのは、この濡れた成分だけじゃなくて、ぱんつ全体に染み込んでるルーミィの匂い全部。それにここの濡れた部分から広がる匂いは、えっちな匂いと言うよりも、すこし、汚い感じの匂い。でも、その匂いって、いい匂いとか臭いとかそういう言葉での理解が要らなくて、ストレートに下半身をぞわぞわさせるようにできてる、催淫ガスみたいなもの。鼻先に感じる濡れた感触を、鼻を鳴らして吸い込ん出しまう上に、ボクは首を動かして、それを、舐めようとする。
 凄い気持ちが悪い行為、でもルーミィはボクがそれを舐めようとするに気付いていながらぱんつを動かすことなくボクを見ている……嘲るような、でもどこか物欲しそうな、表情で。

「リグル、それ、おいしい?」

 応える代わりに、唇も使ってぱんつの記事を口に挟むと、彼女の呼吸がより大きく深くなったのが分かった。ぱんつがゆらゆらと揺れているのは、彼女は手を動かしているからではなくて、ボクにぱんつを食べさせながら、ルーミィは太股をスリスリと擦り合わせているからだった。
 唇を窄めてその布地を濡らす湿り気を口の中に吸い取ろうとすると、彼女は「うわあ、ヘンタイさんだぁ」と呟きながら満足そうに笑みを浮かべ、膝頭同士を擦る動きをよりもどかしそうな様子に変化させた。彼女はボクの前からぱんつを取り上げてしまう。ボクはそれを追いかけるように体を前にせり出すが、彼女はそれから逃げる様に更に後ろに距離を取ってボクを見ながら、食いしん坊な口を笑わせる。

「もっといっぱい、あるよぉ?」

 そう言って彼女は草原の布団に背を投げ出すと同時に、白い綺麗な脚を一瞬天に向けて伸ばし、自らの手をその太股の間に入れて割るような動きで足を開く、腰を少しだけ浮かせて、M字の中心で熟れた花心を、ボクに見せつけてきた。その花心の向こう側に、ボクを誘うような表情で見るルーミィが見えた。
 彼女のそこは、もう、ぱんつを濡らしていた時とは比べものにならないだろうくらいに濡れている。彼女の指が薄付きな陰毛を分けて、その下の白い肉丘をふたつに分けるように割る。日の光を受けててらてらと照り返すピンクルビーのような血色、それはゆっくりとぬらついて動き、中心部からじわじわと粘液を分泌しているのが分かった。

「ほら」

 好きにしなよ、とでも言いたげな表情で彼女に誘われるままボクは、その花に顔をつっこんでしまう。彼女が誘う言葉に相応しく蜜は滴るくらいに潤沢で、それにその肉花も艶めかしい光沢を湛えながら可愛らしく蠢いている。彼女の股の間の空間にはには鼻腔にねっとりと絡みつくようなあの催淫ガスが充満している。ボクもぱんつの下のものが膨れ上がって、ずきずきと圧迫感を増している。鼻を鳴らしてそのガスを吸い込みながら、花の美しさを矯めつ眇めつ眺める合間にチラリと視線をやると、顔を近づけているボクのことを、彼女は恥ずかしそうに見つめていた、ボクの視線が向いたのに気付くと慌てて目を逸らす。その代わりに彼女は控えめに腰をゆらして「はやくして」とアピールしてきた。
 慌てないように、慌てないようにゆっくりと、そのえっちな匂いをしっかり鼻にも口にも含んで風味を味わいながら、柔肉で出来上がった満開の花に口づけた。

「ぁ、ふぅっ」

 M字に開かれた太股がボクの頭を挟む、それはボクの口の刺激に思わず脚を閉じようとしたことらしかったけれど、結果としてボクの頭を彼女の中心から逃がすまいと固定する結果になった。唇を強く押しつけて、紅魔館メイド服のスカートフリルの瀟洒な花弁に包まれてその真の姿を隠す、淫らな蜜でべっとりと濡れそぼった貪欲な艶花を、ボクが貪る。
 オス誘引ホルモンをそのまま液体に生成したような、男殺しの淫蜜が口の周りにべっとりついて、その濡れた感触が、このメスを今すぐにこのメスを自分のモノにしなければならないという焦りにも近い感情を呼び起こしてくる。肉体の訴えに素直に従ってボクは、牝蜜でしとどに濡れた花弁一枚一枚を、丁寧に舌先でなぞる。

「あっ、あっ……んっ」

 花弁に絡みついて溜まっていた甘露は絶好の発酵具合で、強い風味と同時にまろやかな味を口の中に広げてくる。その蜜をもっと味わいたくて、もっともとっとと舌先を押し込み縦に広がる《《がく》》の裏側、花弁の生え際溝の付け根のところを舌の先でこそぐように撫でる。唇を花の広い範囲に被せるみたいにそれを食み、易しく吸う。
 ルーミィの太股が開きボクの頭が解放された、白い太股は今度は過剰なくらいに大きく開いて、彼女の手がボクの頭を蜜を流して咲き誇る淫花に押しつけてくる。それに逆らうつもりはないけれど、吸ったり撫でたり舌先で転がす、そんな刺激じゃ足りないのと言いたげに、彼女の手はボクの頭を強く股の間に押し込んできていた。

「ふーっ、んっ、りぐるっ、ああっん……っ あっ、はあっ、んっ」

 牝花の中央で蜜を分泌し続ける穴に舌先を伸ばして楕円形に愛撫を続けると、彼女の声はみるみる鼻にかかった甘ったるい色に染まっていく、言葉も失われて可愛らしい喘ぎだけがだだ漏れになっていた。湯気でも上がりそうなくらいにしっとりと加熱したと息が吐き出されて辺りをピンク色の淫気で満たしていく。
 ボクも早く、刺激が欲しい。股間で膨らみ上がって窮屈さを訴えているペニスが、ボクの口に向かって早く交代しろと訴えている。でも、待って。今日は、彼女に、憶えて欲しいことがあるから。
 丹念に、丹念に彼女の淫花を嘗め回す。徐々に花弁の中央に向かって舌先を押し入れて、その上で堅さを増している淫核の存在を察する。

「ああっ、はあっ、リグル、ぺろぺろ、すごくじょうず……んっ!」

 ルーミィにクンニを褒められて、素直に嬉しい。もっと、もっとと唇と舌で刺激して、ボクの唾液と、それにどんどん溢れてくる彼女自身の蜜で肉穴花を愛撫し続ける。淫核の膨らみに舌先を当てると彼女の腰が跳ねた。

 ちゅっ

「きゃふっ!」

 つん、と固くなった芽が柔らかい肉皮に覆われその先端だけが顔を覗かせているのが舌先の感触に伝わってきていた。その先端をつんつんと舌でつつくと、その度にルーミィは可愛らしい声を上げて頭を振った。花への愛撫から、徐々に肉芽への愛撫を増やす。愛液の量がどっと増えるのが口の中で分かった。

「そこ、すきぃ」

 そうだね、と心の中で思いながら、それに答えるべくクリトリス中心のクンニへ移行した。芯を舌先で押し込むように、少し顔を出した淫芯を舐めると、むくむくとそのささやかな肉芽が自己主張を強めた。膨らんでぷっくり丸みを帯びたクリトリスを、包皮ごと唇で挟んだり、舌で穿ったり。

「あっ! んっ、んああっ、く、んっ……ふうっ、ふうっ、すごっ、リグル、くりちゃ、すごっ」

 ルーミィの声が覿面にふやけ始めた。淫核ばかり刺激するとそのまま簡単に果ててしまうかも知れない、焦らす意味でもそこばかりではなく今まで通りに花弁をなぞったり、膣入り口の肉を舐めたりして、じりじり彼女の快感に訴えていく。

「ああ、ああっ……ん、ああぁぁ」

 夢見心地な吐息と喘ぎを漏らしながら、ルーミィは腰を揺らす。愛液の味から酸味は一切消えて、渋いような生っぽいような味に完全に代わり、とろみがつき始める。
 膨らんだクリトリスの生部分だけを強めに吸い、つつき、唇で挟んで、舌の腹で撫でる。そしてまた強く吸っては、ラヴィアの襞を穿る愛撫で焦らしに戻る。

「リグル、ねちっこいよお……」

 彼女の太股を左右とも肘で挟むように固定して、顔を一層彼女の花に押しつける。唇全体で淫裂全体を包み込むように抱いて、その中で舌を忙しなくあちこちへ動かす。ラヴィアの縁を楕円になぞる動きの中に、クリトリスを責める動きを織り交ぜながら、じっくり、じっくり彼女の快感を掘り返す、

「ふうっ、んっ、ん、んんんっ、あッ、ふうっ、くううっんッ」

 ちゅっ、ちゅちゅっ

「あふっ、ふああっ! あッあッッん!!」

 ちゅるるっ、あむ、あむっ

 ルーミィの腰が浮いて揺れる、口愛撫で盛り上がって、より強い刺激を求めているのだろう、これが彼女の意図した動きなのか、それともクンニが好きすぎて勝手に動いているのかは分からないけど、感じてくれているみたい。このまま、いっぱい、してあげる。

「んう゛っっ んっあ、あああっ! りぐ、すごっ、いいっ、クリいいっ!」

 粘り気の強い愛液が唇に溢れるほど分泌されている。舌を使って、今やすっかり膨らんで包皮を押しのけ勃起したクリトリスを責め立てる、もう焦らす為に他の場所を刺激しない、クリトリスだけを集中的に舌で撫で、唇でも少し強めにシコり立った肉芽を食む。

「ふあああっっ、いきそ、リグルのクンニで、わたい、イきそぉっッ……あ、あっ、クる、くるよおっ、っ、ッッッあ、アぁッ! イく、イっくッッッッっ……!」

 両手で草の絨毯を握るようにしながら、お尻を浮かせて、絶頂を告白してくれるルーミィ、それは嘘ではないらしい。いっきに噴き出すほど愛液が口の中に流れ込んできて、膣口の襞肉はきゅん、きゅん、と細かく収縮している。

「はーっ、はーっ……リグルぅっ……」

 荒い息を抑え付けて整えるみたいに、ルーミィがボクの名前を呼ぶ。クンニでアクメに達して、一段落。次は、挿入かな。そう思っているみたいだけど、ボクはそのつもりは無かった。
 絶頂でヌメリの強い愛液を漏らし小さく痙攣した彼女の、太股をボクはまだ抱えたままだ。口もヴァギナを包んだまま。ボクは、クンニを続行する。

「えっ、リグル、私もう、イッたから、じゅうぶんだよ……、ねえ、りぐ……くうん!」

 ぷっくり膨らんで鋭敏化したままのクリトリスを、刺激し続ける。イかせるつもりで、イったと告白した後も、快感神経が集中しているという、しかも性行為で感じる以外に何の機能もないというセックス専用の部位を、徹底的に、もっと徹底的に、愛撫する。

「りぐるっ、うそじゃないからっ、ちゃんと、私ちゃんとイったから、もう、イッ……い、あ゛っ!!!」

 びくんっ、ともう一度彼女の体が跳ね上がった。またイッたみたい、彼女の言葉が嘘だなんて思ってない、絶対イッてるって分かる反応を、一番正直な器官がお肉で訴えてるんだもん。でも、止めない。

「あああっ! リグル、ねえっ、リグルっ! イッたってば、もう、イッたからっ、クリじゃなくて、もっとおくでっ……リグルのもきもちよっ……アっ、ン゛あああっ! ま、またっ、りぐ、またっ……んんーーーーーーっっっ!!」

 また、跳ねる。
 でも止めない。

「ほしいからっ、もう、ほしいからっ もうぺろぺろ十分だからっ、ほしいのおっ、リグル、リグルぅっ」

 身を捩ってクンニから逃げようとするけど、ボクは彼女の太股をがっちりと捕まえている、逃がすつもりはない。もっと、もっとルーミィをイかせたい。クリトリスに吸い付いて、前歯で優しく甘噛みも混ぜて、一層クリトリスを刺激する。

「あっ! んんっ、んーーーーっ! はあっ! り、リグル、私もう、もうイッたから、イッたから、もうっ、もうおクチとめてっ! はなしてっ、うでっ、リグルっりぐるぅっ!! ああっ!! あっ! っ、っっ!! っっ、っく、はあっ、はあっ! だめ、ダメッ!」

 まだまだ。ルーミィの声は、だんだん、喘ぎ声と言うより悲鳴に変わってきた、暴れるくらいに跳ね回る腰、背中、太股にも電流が流れてるみたいな痙攣が感じられる。口の中に流れ込んでくる愛液が、とろみを失ったら止めようかなと思っていたけれど、ねっとりと口の中で糸を引く粘り気の強い愛液が依然として大量に分泌され続けている。
 もっと、クリトリス、ひいてはルーミィを強く追い詰めていく。
 可愛い、感じてるルーミィ、絶頂で息も絶え絶えになってるルーミィ、僕の手で悶えているルーミィ。可愛いっ。

「ほんとにだめ、りっ……っ!!! んっ!!!! っは、はあっ、はあっ! りぐる、ほんとにもぉ、もおっっ! 私、おかしくっ……、そんなにイきかさねるの、あたまっ、まっし、んっあ、あッ、あああっん、あああああっ! らめ、ほんろに、ほんろに、りうる、ゆるひれっ……まら、まらくっ、くゆ……くっっ、~っ~~! ~~っ、っッ! く、ぁッ! あああッ!」

 そろそろ限界かな。じゃあ、もっと続けよう。
 歯で甘噛みし続け、舌で優しく舐めて、また強く吸って、舐めて、噛んで、舐めて、吸って。徹底的にルーミィのクリトリスを、いわば殺しに行く。勃起クリに支配されたルーミィの体は今やイき癖の付いた状態で、強い刺激を加えるとそれだけで体中に電気が走ったように跳ねている。
 アクメスイッチに変化したクリトリスを、押す、イかせる、押す、押す、押す。

「ぉっ……ん、りぐ、りっ…………ッ! っ! ッん!! んんんぁぁっ!! ……はーっ、はーっ、はーッっ! も、ほん、ろ、に……ぺろぺろ、らめぇぇッ ……んっ、くあ、これいじょ、イ、イかせっ……イくっ、まらいくっ……!」

 声が、遠のいている。悲鳴のトーンが落ちている、だんだん反応が薄くなってきた。感じていないのではなくて、時折失神を挟んでいるみたいだった。絶頂の度に背中と喉を仰け反らせて、尻を浮かせるけれど、陰部は太股を掴んだままのボクの顔の前から逃げることが出来ていない。責め放題。

「ぁ……く、ぁっ……ッ」

 小さく磨り潰したような声が、掻き消えたかと思うと。

 ぷしゃっ!

(っ!?)

 じょろろろろろろろ……

 彼女の体全体が弛緩して、ボクの口の中に大量の液体が注ぎ込まれた。愛液ではない、それよりも圧倒的な量と勢い、それにアンモニア臭を放つその液体は、おしっこに違いなかった。
 失禁した彼女は、しかしもう何も声を漏らさない。完全に失神している。口を離して彼女のおしっこが地面に注ぎ込まれる、その放尿の軌跡を眺める。時折、ぴくんっ、と跳ねて軌跡が乱れるが、それ以外の時には仰向けに倒れ大きく開いた股の間から斜め下に放出される黄金色の液体は、ボクは素直に綺麗だと思いながら見ていた。
 彼女がボクのクンニでイき狂う痴態を目の当たりにしながら、ボクの股間でも、変化は起こっていた。彼女が失神放尿で意識を手放してしまった以上、ボクの股間でぐっちょりと濡れ自己主張を続けるこれをどうしようかと思っていると、放尿が終わりしばらく身動きを取らなかったルーミィが意識を取り戻した。

「ルーミィ、すごかっ……わわっ」

 ボクが少し得意顔で彼女の目覚めの顔を覗き込んだその瞬間、ボクは引っ張り倒されてしまう。今度は照れ隠しでまたボコボコにされるだろうか、と思っていたが、彼女は目が覚めてボクを押し倒すやいなや、ボクの股間に手を伸ばしてきた。最初はどういうつもりだったのかは分からないけれど、ボクの股間に手を伸ばして触れたとき、彼女はまだ落ち着かない激しい呼吸と赤く上気した顔出少し驚いたような表情をした。
 きっと仕返しにボクを手コキでイかせようと思って障ったのだろう。でも股の間を障ったときに彼女の指先に伝わった感触は、きっと彼女の想像とは違うモノだっただろう。

 くちゅ

「ぁ……リグルぅ、どうしてこんなになるまで、ほっといたのぉ……?」

 彼女にクンニ連続アクメを強制しながら、実はボクのペニスも何度も射精していた。彼女の中に入りたい我慢が限界を超えて、ぱんつの布地をぬらぬらに濡らしたまま先端を僅かな布で摩擦して、何度も精液を無駄撃ちしてしまっていた。撃ちっ放しになった精液で、雁、首竿、それに付け根から陰毛までをべっとり精液で濡等してしまうくらい、ぱんつから染みだした精液が半ズボンにまで濡れシミを広げるくらい、ボクも何度もアクメして精液をどばどばお漏らししてしまっていた。彼女の股の間で何度も軽く失神して顔を花の中に突っ込んでいたことに、彼女は気付いていない。

「わたしもほしいって、いっぱいゆったのに。おしっこもらしちゃって、すっごくはずかしいのに!」

 ルーミィはザーメンでべちょべちょになったボクの股間を、その臭い粘液濡れを敢えて両掌に撫で付けるようにしながら撫で回してくる。ペニスの膨らみをなぞって包むように、そして、ぐちょぐちょと音が鳴るくらいにゼリー状ザーメンが絡んで溜まったパンツの中を楽しむみたいに。

「あっ」
「自分だってこんなになってるのに、私にばっかりあんなふうにして。おもらしまでして、私、あたまおかしくなるくらい、イッたんだからね……ずるい」

 ルーミィの可愛らしい手が左右から挟むみたいにして、無駄撃ちザーメン塗れのおちんちんを、にぎにぎと刺激してくる。このまま、彼女に手コキで連続アクメを仕返しされるか、と思っていたけれど(心のどこかでそれを期待してもいたけれど)彼女は。

「もうがまんできないんだからっ あんなにいっぱいイッても……これじゃないと、たりないのっ せっくすっ、リグル、せっくす、せっくすしよぉっ」

 ルーミィはボクのぱんつをむしり取るみたいに脱がせた。どろり、と濡れ飽和したパンツの生地から精液が落ちる、彼女は大きな口を開けてその精液塊を、ボクの股間からむしり取るように食べた。もぐもぐと口を動かしながら恍惚に上気した表情で目を細めつつ、でもそんなのはボクに対するパフォーマンスなんかじゃないといいたげに、飲み下す仕草を見せる間もなく、それを口の中で転がしながらボクを押し倒し返して馬乗りになる。そうして下から見上げたときと彼女の白い喉が蠢いているのが見えた、精液を飲み下したのらしく、ぷは、と口を開けた次に出た言葉は「ごちそうさま」ではなかった。

「いただきまぁす」

 何度も絶頂に至り花弁と蜜を散らした淫花の奥へ、彼女は一気にボクのペニスを飲み込んだ。

「うあっ」
「ふーっ、ふううっ、ん」

 彼女のナカは、外から見るのでは全く分からないくらいに激しく蠢いていた。奥にお国と飲み込むような脈打ち運動に加えて、締め付ける収縮、襞襞がそれぞれ別々に波打って嘗め回すような挑発的な蠕動、あらゆる動きが、まるで焦っているみたいに忙しなく同居していた。奥まで一気に飲み込まれてボクの先端は天井の肉壁に擦れる、そこには柔らかくも刺激の強いヌメリに満ちつつざらりとした感触に満たされていて、亀頭を擦りつけたい欲求を強烈に引き摺り出してくる。

 我慢できずに上に乗ってきたルーミィだけど、すぐに腰の動きは弱まる。自分で動くのが恥ずかしいのと、それに、挿入だけで気持ちが昂りすぎて動くどころじゃないみたい。そんなに嬉しがってくれるのは男冥利に尽きる、彼女の事を責めるような態度にならないように、彼女の手を引いてボクの上に上半身を覆い被せさせ、そのままゆっくり体位を入れ替えた。ころんと転がると、今度はボクが上だ。

「りぐ……」
「やっぱり、ボクがしてあげたい」

 そう言うと。彼女は顔を真っ赤にして、でも嬉しそうに口元を押さえて目を逸らした。

「今度は、乱暴にしないから。優しくするから」

 でも、彼女は視線をこちらに向けず、口を押さえたまま言った。

「らんぼうで、いーよ。リグルががまんできなくなってるの、わたしもうれしーし……」

 元から赤かった顔が、トマトみたいに真っ赤になって、彼女は目を閉じてしまった。そんなルーミィが可愛くて、いっぱいいっぱいキスをする。唇が触れると彼女の唇は触れると同時に開いて舌が伸びてきた、ボクも舌を出して、唾液と吐息と、きもちいいよの気持ちを交換する。
 もう一度中に入ると、さっきよりももっともっとナカは熱くなっていた。強く締め付けてきて、うぞうぞうごくナカの襞は、まるで暴走してるみたい、キスを終えて離れた彼女の目はとろんと垂れて焦点が合っていない。

「る、ルーミィのナカっ、今日、すごっ、い、えっちに動いてる」
「ちがうよお、リグルのが、きょうは、おっきいのっ、私えっちじゃないもんっ あっ、んッ」

 そうかも知れない、彼女の淫らに蠢く柔らかくて強く絞まる膣肉に抱かれて、ペニスがいつもよりもぱつんぱつんに腫れ上がっている自覚はあった、少し痛いくらいに膨らんでて、興奮しすぎて破裂しそう。でも、それはルーミィの膣内が、すっごくすごいのせいだって、思う。

「えっちじゃないの? ボクは凄くえっちな気分だよ、ルーミィ凄く可愛くて、えっちなの止まんない。ルーミィは違うんだ?」

 そう意地悪く言ってあげると、彼女は今度は顔全体を手で隠した。

「え、えっち、だよぉ、すごく、すごくえっちになってるよぉっ!」

 顔を隠したまま頭をぶんぶん振って、肯定の告白をしながら否定するルーミィ、可愛すぎて、中に入れたペニスがもっと膨らんでしまいそう。
 彼女のナカは、なんだかこの世のモノとは思えない心地よさだった。先端のざらざらに、雁首にひっかかってくるぬめぬめぷちぷちの襞、竿全体をやわやわと握ってくる感触、何から何までが、おちんちんの付け根へ強烈に響いてくる。精液を堰き止める我慢が、あっと言う間に瓦解しそう。
 動いてペニスへ刺激を加えるとその我慢を自ら崩す事になるのは分かっているのに、それでも刺激が心地よすぎて、腰を動かして彼女のナカをかき混ぜる動きを止めることが出来ない。
 ぶぶっ、ぶびっ、焦り気味の腰振りでルーミィの肉壺をかき混ぜると、空気を巻き込んだマン屁が漏れる、膣の肉感に加えて空気が通り抜ける少し鋭い刺激が一層気持ちよさを増す。それに、この下品な音。ぶぶぼっ、ぶちゅっ。二人の体の間で響き渡る。ルーミィは顔を手で覆って恥ずかしそうにしながら、ちがう、ちがうよおっ、と恥ずかしがるように言う。

「へんなおと、やだっ、おならじゃないよ、これちがうからっ、おならじゃないからぁっ」
「分かってる、凄く気持ちいときの音だよ。ボクも、ルーミィも凄くきもちよくなってる証拠。えっちな音、いっぱい聞きたい」

 彼女のナカが強烈に締まっているのだから、きっと感じててくれてることは分かってる、でも実際にこんなにえっちなマン屁が聞こえると、ボクも嬉しくて気持ちよくて……我慢がきかなくなっちゃう。

 ぶぼっ、ぶちゅっ、ぐちょっ、ぐちゅっ

「あーっ……っ! んっ! ああっ、リグル、リグル、きもちー? わたしの、きもちーい?」
「すごいよ、クンニしてるだけであんなに無駄撃ちしたあとなのに、またすぐイッちゃいそうっ! はあっ、んッ、ふぁぁっ」

 夢中で腰を振ってしまう。ペニスに絡みついてくる複雑な肉感、人肌のヌメリ、体中で感じる彼女の体温と吐息、それに耳からなだれ込んでくる彼女が息も絶え絶えなに切なそうにボクの名前を呼ぶ声。あらゆるモノが性欲と接続されて絶頂の高みへと引き摺り上げていく。むずむず、それに熱ささえ感じるペニスの刺激は、肉棒を伝って付け根、腰、そのまま後頭部にまで登ってきてじりじりと思考を焼いていく、理性はとっくに溶けて消えていた。
 彼女のこの心地のいい肉壺の中に、|快感の塊《精液》を注ぎ込みたい。いっぱい、いっぱい、勘違いだと言われてもこれがボクが彼女を抱きたいと思う愛情なんだ、性欲と愛情が直結しててバカみたいに、情けない男で。彼女のナカに精液を注ぎ込むことが、僕が彼女に愛して貰う為の行為だと勘違いしている。でもルーミィもボクの名前を呼びながら体中でボクに抱きついてきて、ボクのおちんちんを奥に奥にと飲み込むような動きで膣肉を震わせている。勘違いかも知れないけど、肯定されているみたいで、もっともっと彼女と繋がって、もっともっとおちんちんで彼女を感じていたい。

「ルーミィ、るーみぃっ、イきそう、ボクもういきそうっ」
「いいよ、いいよおっ、ナカでイって、こんどこそちゃんと私のなかで、イってっ! 私も、私もいっしょに、いけそおっ!」

 ぐちょ、ぐちゅっ、ぶぼっ、ぶぶぶっ、ぶちゅっ
 二人でマン屁をこきまくりながら、僅かな長さの肉の摩擦に酔い痴れて、そんな些細なことに愛情を感じながら、二人で崖から落ちるために走り続ける。もうすぐ、もうすぐ二人で絶頂の崖から飛び降りて、二人で昇天できる。
 より一層早く腰を振って、抜き差しだけじゃない、彼女は腰の角度をめちゃくちゃに変えながらくねらせて、ボクのペニスの先端が色んなところにランダムに当たって擦れて、どこのどの刺激が気持ちいいのかもう分からなくなってしまう、とにかく奥に、奥に突っ込んで、一番奥にあるぷっくりした感触やざらついた天井に肉棒を擦りつけることしか考えられない。

「あっ、ん、ああっ、 きもち、きもちいっ! リグル、リグルリグル、リグっ、るっ!」
「ルーミィ、るーみぃっ……!!」

 ルーミィは腕を伸ばしてボクの上半身を、ボク自身から奪い取るみたいに強く抱き寄せた、ボクは彼女に素直に体を差し出して、密着した体、近くで混じり合う吐息と喘ぎ声、それに、快感の合間に目を開けると絡み合う視線で、まるで二人の体が1つの容れ物にくっついたみたいな幸福感の切れ端を見出す。その融合が欲しくて、欲しくて、そうして融合するのにはきっとアクメが最短なんだっていうよく分からない妄信を二人で共有して、性器同士のぬめる摩擦に没頭する。
 粘液塗れで打ち付け連結組体操に夢中になって、肌同士をくっつけると汗ばんだ皮膚が邪魔くさい。頭の近くでもっともっとくっつける方法を求めて粘膜同士、キスというより口でもセックス、上と下で粘膜同士を擦り合わせながら、いよいよ、腰の付け根のダムが決壊した。

「っく、イく、イく、ルーミィ、でるっ、でるよぉっ!」
「きてぇっ、私も、私もくるっ、いっしょにとぶっ、からぁっ!」

 びゅーーっ、ぶっ、びゅっ、びゅるるっ!

「っ! ぁッ! あ゛っ! んんっぁ゛ぁっ゛!! す、すご、いっ、るーみいのおまんこ、おちんちんストロー代わりにして、ボクの精液じゅるじゅるすいあげて、くるっ! ああっ! るーみっ、いいっ!!」
「だってえっ、だって、きもちっ……ん゛ッ あ、あ゛っ!! ~~~ッ! んぉ゛っ!! いっ、って、っ! いってる、のにっ! こしかってにっ、もうイッてるのに、こし、うごいってっ! イキかさねちゃうっ! からだ、かってに、リグルほしがってっ! イきたがってッ!! ア゛ッん! おっ、んああっ!」
「るーみぃっ、とまってっ、おちんちん、キツいっ! 射精しながら擦られると、頭、ヘンになっ……んう゛っ!! お゛ヲ゛っ! んきゅうぅぅうっ!」
「とまんないのっ! イってるのに、わたしもいっひぇるのに、おまんこきゅんきゅんも、こしうごくのも、とまん……っく、ア゛っ! いっ、イくのダメ、もうイくのだめなのにっ! とまって、私のからだとまってよぉっ! きもちーの、もう、やっだ、これいじょう、やらぁっ! でも、でもでもっ、きもちいぃっ、しあわせっ、リグルとセックスっ、リグルといっしょにアクメするの、しあわせえっ! おおっ、おーっっ、ん、おおおーーーーっ!! とぶ、と、ぶうっ……」

 がくがく、びく、びくっ、どっちが震えているのか分からない。きっと二人ともだ。アクメ痙攣を迎えているのに、二人とも体が勝手にまだアクメしたりないっていっていて、体が勝手にセックスしてて、体が勝手にアクメし続けてる。
 痙攣、蠕動、収縮、弛緩、反発、快感、快感、絶頂、快感、絶頂、絶頂、絶頂絶頂絶頂絶頂、そして

「「あ、ああああああああああああああーーーーーーっ!!!」」

 二人とも同時に、極大絶頂の大波にさらわれて、抵抗できずに意識を手放してしまった。



§ § §



 エントランスを抜けて外に出る、瀬織観月は空気がなんだか《《さんざめい》》ているのを感じていた。
 と、言っても彼女は自分には何の力も無いことはよく分かっていて、なんだか肌を撫でる空気にざらつきを感じたその理由は、自分の体温と気温の関係であるとか、体調と気圧の変化であるとか、睡眠時間と湿度の関係であるとか、強いて言うのなら〝気のせい〟であるだろうと、思っていた。
 空を見上げると月が妙に強く光を放っている、月の輪郭の周囲に二重に光環が見えるほどだ。成る程そうであれば、今夜は何故か何かチリのようなものが今の大気に含まれていて、この騒がしい空気はそのせいで感じる実につまらない理由なのだろう、瀬織は妙に納得してしまった。
 納得、だろうか。
 彼女にとって、納得という心情は、多くの場合、落胆とセットで訪れるものだった。理性で分析し理由付け出来て結果に整合性がある。そうした極々普通の理知的な判断に対して、言ってしまうなら、絶望を抱いている。

「地球を破壊する爆弾でも、どこかの国が作ってくれればいいのに」

 などと、瀬織観月はバカなことを言いながら、日々を過ごしていた。
 それがまさか現実になるなんて。

 父から授かった「鏡」を、瀬織観月は使うことが出来なかった。

(使う? どうやって?)

 鏡と言われて見せられたのは想像していた円い銅鏡の様なものでも、まして白雪姫に登場する魔法の鏡のような形でもなく、それは十字架にしか見えなかった。確かに円形の平たい部品が付いていたが、その部分をして鏡と呼ぶのにはどうにも無理があるように見えた。しかも授かったと言っても持ち出すことは出来なかったのだ。マンガやゲームの「伝説の聖剣」よろしく、その十字架は洞窟の中に「生えていて」抜くことが出来なかった。
 彼女がそれを抜くことを出来なかったのを見て父親が酷く落胆したのを、彼女は今でも憶えている。優しい父だったが、その鏡を動かすことが出来ないと判ったときの、失望した表情。小さく「何のために育ててきただろう」と独りごちたのを、幼い日の観月は聞き漏らさなかった。それからも父は、宗教家である以外は優しい父だったが、優しいだけの父だった。
 結局、あの「鏡」と呼ばれるものが何なのか、よく分からないままだった。生前瀬織観月の父親は「お前がこれを動かせないのなら、ここは埋めてしまわなければならない」と言って、埋めた。その穴を掘り起こしたのは、父の死後、瀬織観月が翡翠園で実権を握ってからだ。

「想い出を握り締めた今なら」

 そう思ったのは、一人のクラスメイトに出会ってからだ。彼が自分の思い出に何のイメージをジャンクションしたのかは判らない。でも、そのクラスメイトが実に変態じみていることに気付いてからは、まるでオセロの逆転劇のようなものだった。〝|火垂《ヒダリ》〟という飢えを誘う妖怪の存在を思い出していた。彼の事を見ていると、瀬織観月は飢えて飢えて仕方が無いと感じるようになっていた。
 空腹のことでは無い、食事は満足に取っていたし、殊更そうした病を罹患しているわけではなかったから。観月が感じていた飢餓とは、貪欲に一人の世界に没入していくその欲求だった。それを〝飢餓〟と表現したのは、我ながら言い得て妙だと、思った。
 当初、クラスメイトのことをただの目立たない男子生徒と見ていた瀬織観月はそのときに気付いた。彼はただ目立たないのでは無い、恐ろしいほど目立たないのだ。周囲の世界など存在しないかのように、そう、背景に溶け込むのでさえない、背景はその世界が存在しないと描かれないのだから、彼はもっともっと深い内的宇宙に飛び込んでいこうとしているのだと、瀬織観月は気付いた。その姿に、飢えていたのだ。
 彼と初めて会話をしたときに、瀬織観月の世界に変化が訪れた。瀬織観月の心臓に向けて全ての世界が収斂しその外に冷たく動かない黒い闇だけが広がっていることに気付いた。一点だけ温度を持っているのは、過去の記憶。「想い出」だけだ。

 その晩、瀬織観月は、父が自分に望み、不能故に落胆させ、過去から現在までずっと続く深い空虚を刻み続けてきた鏡に触れることが出来た。その場所から動かすことこそ出来なかったが、彼女はそれを「使う」に至り、そして、言わずとも知れたあの爆発事件が起こった。

「世界を滅ぼす、爆弾……」

 瀬織観月はそう実感した。暗い窖の中に閉じ込められた過去の想い出を引き摺り出して、現れたのは正に世界を破壊しうる爆弾だった。瀬織観月は、力を手に入れたのだ。

「なんて、そんなファンタジー小説みたいな事、あるわけ無いでしょ」
「……えぇ……?」

 随分長いことこの話を聞かされていた気がするのだけど。

「そんな感じの小説書いたら売れるかな」
「売れないと思う」

 うーん残念、と大して残念そうでも無い様子で、瀬織さんは僕の横を歩いていた。
 意味の分からない話だったけれど、冒頭言っていたことは本当だと思う。つまり、妙に月が綺麗だと言うことだ。青色防犯灯の青白さに目が慣れてくるにつれて、今度は空に浮かぶ、満月から僅かにだけ欠けたが、不自然なくらいに明るく見えていた。それに、何かざわざわと空気が騒々しい感じも。
 まあそれってただの気のせいだ、ってところまで、さっきの瀬織さんの話の通りなんだろうけれど。

「ていうか、僕の扱い酷くない?」
「そう?」
「目立たないだけの男子生徒だったじゃないか」
「違ったっけ?」
「違わないデスネ」

 街をふらふらと歩いていた僕は、いきなり後ろから瀬織さんに「わっ」って驚かされて、面白いくらいに跳ね上がった。驚きすぎて急性的な心的ストレスが、今、猛烈な胃痛を招いている。

「まだ痛い? 胃薬貰いに行こっか」
「大丈夫、いや痛いけど、薬を貰う程じゃ……」
「ごめん、そんなに驚くと思ってなくて」
「自分でも驚いたよ、こんな心身に来る豆腐メンタルだとは、イテテ」

 締め付けるような、キリキリとした痛み。こんな痛みは初めてだけれど、何か理由を付けるのならストレス性の胃痛だし、何でいきなり来たか考えると瀬織さんに驚かされたから意外に思いつかない。
 後ろから「わっ」と声をかけるなんて手垢で腐食して形を失ってそうな位の方法でこんなになってしまうのには、一人でこの村の中を歩き回りながら青白い街灯に不安感を募らせていたから、なのだけれど。そんなことを付け足したところで胃痛は軽減されるわけではないし、何の慰めにもならなかった。

「で、全然説明になってないんだけれど」

 胃痛に襲われながらぼんやりと考えていたのは、自分でも驚くくらいにもう、事実を受け入れ始めていることだった。あんなにも嫌悪感を抱いていた|照道《しょうとう》教の施設にいること、瀬織さんがその要職にあること、そしてきっと、瀬織さんは僕が信者の子供だから近付いてきてテロリストの実行犯としてスカウトされようとしていることを、なんとなく、ボタンの一つ一つの穴を丁寧にかけて行くみたいに、納得……納得していたというか、無理矢理飲み込んでいた。
 彼女は「説明させて欲しいの」と、僕を追いかけてきたのだと言う。何を説明するつもりなのかは判らなかったけれど、説明を、と言うよりは、話を、聞くつもりでいた。そしたらまさか、本当に妙な作り話を聞かされるなんて思っていなかったのだけど。

「えっと……そうだね。ゴメン」

 ばつが悪そうに言う瀬織さんだが、ばつが悪いという程度の態度でいること自体が、ギャグだと言ってもいい筈だ。僕から見て今の彼女は、諸悪の根源と見做してもいいくらいの立場にいる。

「説明、なんて程のことはないんだけどさ。もう想像付いてるんじゃない?」
「やっぱり、あの爆弾テロは|照道《しょうとう》教の仕業なの?」

 僕が問うと瀬織さんは何かを言う代わりに押し黙った、それは肯定と言うことだろう。さっきまでの〝ファンタジー小説〟の全部が全部、荒唐無稽で出典元の無い全量想像の〝オリジナル小説〟だとは思えなかった。|照道《しょうとう》教のこと、彼女の父親のこと、それに、爆弾という表現。
 彼女が本当に|照道《しょうとう》教の教祖の娘だというのなら、僕の常識とはとは違うところに普通があるのだろう、それが、教義のために人を殺してもいいと言う物なのかどうかは、知らない。
 僕はもう「信念のために人を殺すこと」を非難する立場にない。立場的な観点からだけではなく、道義的感情的な観点からももう、それ自体を非難するつもりもなかった。
 なら僕は、一体彼女の何に不安を感じているのだろう。憤りがあるわけでは無い、恐怖もない、ただ漠然とした不安のオーラだけが、彼女の周りに漂っているのを感じてしまう。彼女が不安を感じているのではなくて、瀬織さんという存在が僕に何らかの不安感を植え付けてきているという意味だ。

「《《ウチ》》の教義は、知ってる……よね?」
「月神信仰、太陽神の否定、輪廻転生、その他諸々」

 僕は敢えて教団関係者が用いないような言葉遣いで言った。僕はそれを信じているわけでは無いと、瀬織さんに伝えたかったからだ。瀬織さんは、苦笑いするような表情で頷いている。
 |照道《しょうとう》教は、|天照大神《アマテラスオオミカミ》は元々月の神であるとし、太陽神である|天照大神《アマテラスオオミカミ》とその信仰である現代神道を否定する。現代は光と闇のバランスが崩れていて、現代人は光を浴びすぎておりそれによる害が健康を害するという現世利益の観点も持っている。生涯の間に浴びる光量が過ごす暗闇の時間とのバランスが整っているほど来世では徳の高い存在になれるとの前提の下、輪廻転生を信じている。また、太陽神は死者復活を経たが、それは月の持つ本来的な再生の能力によってではなく忌まわしい邪悪な方法による仮初めのものであり、太陽神は信仰するような存在では無いというネガティブキャンペーンも持っている。その他、ヴィーガニズムの推奨や、進化論の否定、火を道具とした事を人間の原罪的な事件と捉えていたりする。色んな宗教をごちゃ混ぜにした印象が強い、正直まともな教義を持った宗教だとは考えていない。

「うん。じゃあ、いちいちそこから説明しなくてもいいよね」

 そして彼女は、言った。

「そう、私が、やったわ」

 僕は、言葉を失う。それは想像していた通りの答えだった、確かに。でも言葉を失ったのは、彼女の口から事実を突き付けられたショックから、ではなかった。なんて言うか、すとん、と胸に落ちた感じに、自分でも驚いてしまったからだ。

「破壊するのはどこでも良かった、人が沢山集まってて、やりやすい場所ならどこでも。そうやって沢山の人に危害を加えることが、教団の目的だったから。いわゆるソフトターゲットってやつ」

 空に浮かぶ月を眺めるみたいに上を見ながら、まるでそれは「僕に向かって言っているわけではないように」彼女はテロの指示を自供する。誰に向かって言うのであっても、彼女にとっては関係が無いのかも知れない。誰か、自分以外で教団の内部の事情を知らない誰かに、自分の行為を開示したがっているみたいだった。
 月を仰いで、聞いている人間がいるだけの独り言みたいに、上を向いていたその顔が、僕を見た。

「国立は、私を、犯罪者だって、言う?」
「……脅してるの?」
「そう取ってくれてもいい、言い訳するつもりは無いよ。私がやった、隠すつもりも無い……国立にはね」

 僕にならいい? 本当だろうか。月を仰いで、その言葉も月に向かって吐いているよう、まるで告白を放り捨てるみたいな吐露をみてそれが僕に向いているなんてどうしても思えない、僕はただ彼女の口実にされているような気がしていた。

「僕は、今すぐに警察に捕まっても将来に向かって最終的に利があると踏んで、やったんだ。僕の親殺しを弱みとして使うのは、少し効果が薄いと思うよ」
「……すごいね」

 瀬織さんのその言葉は、僕を挑発しているものだろうか。「自分は計算尽くだから、お前とは違うって? バカな男ね」と言うような。そんな言葉尻に聞こえる。
 でも、違ったらしい。

「ほんとに、すごいとおもう」

 瀬織さんが僕を見る視線に、僕を嘲る色はこれっぽちも無かった。すごいよ、しつこいくらいに、でもひと言ひと言は呟きを口の中で転がすみたいに繰り返しながら。彼女は自分の掌に視線を落としていた。その手には何かが握られているわけでは無い、汚れているわけでもないが、彼女はもしかすると自分の手が汚れていると思っているのかも知れない、それは爆破テロで人を殺した罪悪感?
 僕は……思っていない。罪悪感が無い訳では無いけれど、後悔はない。彼女は、僕のそんな人間として破綻した様を指して、すごい、と評しているのらしかった。そんなのは、認めない。

「私ね」口を開いた彼女は、教室の隅にいても対岸にまで伝わってくる年齢に不相応な巨大な重厚感を持っていた、そんな瀬織観月とは思えない、「本当に、一目見たときに、国立だ、って思ったの」小さな存在感に縮こまってそう言った。

「どういうこと?」
「私が持ってないものを、でも私が欲しくて欲しくて仕方ないものを、持ってる人だって。国立以外に、私を曝け出すのは無理だって、それをするなら国立だけだって、同じクラスになったときに思った。」
「僕に曝け出すって、テロの首謀者だって事? 教祖の娘だってこと?」
「どんな方法を使ってでも〝この世界から出たい〟と願ってる、ってこと。……暴力的に訴えてでも」

 余りにも子供じみている。駄々を捏ねる子供が「状況を我慢するのではなくただ駄々を捏ねるだけのを辛うじて我慢している」と言うだけだ、大人の瘡蓋を帯びているだけの幼稚な子供。瀬織さんが、そんな人物だったなんて。

 仲間を見つけたような気分だった。

「他の誰も、こんな感情を持っていないなんてことは言わないわ。でも、それを自分に認めるか、否定し続けるかで、ぜんぜん違うと思う。」

 そうだ、その通りだと思う。僕は、その幼稚性を受け入れてしまった人間だ。それを受け入れること自体が幼稚さなのだけど、瘡蓋の下でそれと巧く付き合っていく覚悟を決める人間は、そんなにいないと思ってる。自負や自信という大層な物じゃない、ただの自覚として。

「宗教はそのための武器ってとこか。僕とは違って、大きな力を持っているじゃない。何十人もの教徒がいれば」
「違う。私は、ここから、出たいの」
「え?」

 教祖の娘が改宗したいなんて思うはずがないとかそういう意味ではない、この場所にいれば瀬織さんは皆から尊重されるし、何か目的があるのなら誰か人を使うことだって出来る。その象徴こそが、爆弾テロの実行だったんじゃないのか。

「こんなところに、いたくない」
「じゃあ、抜け出せばいいじゃないか。人を殺すのが嫌なら、テロなんか起こさなければ。ここにいる人達が瀬織に無理を強いるなら、ここから逃げ出すか……テロを起こすべき先は、この村なんじゃないか」

 そのはずだ。瀬織にさっきの作り話のような力はあるとは思えないし、そうであるなら彼女が今持っている、テロを起こし得た力とは、多数の人間をまとめる力だ。その源泉がこの村であるのなら、この村をターゲットにすることは出来ないだろう。でも、逃げ出したりすることは出来るはずだ。瀬織は、ついこの間まで学校の傍に一人暮らしして、学校に通っていた。僕の死体遺棄現場に居合わせなければ、しばらくはここに戻ってくることも無かったかも知れない。このコミュニティがいやなのだというのなら、逃げ出せばいい。
 逃げ出せるのなら……?

「そんなわけにいかないわ」

 瀬織さんは、語気を無理矢理抑え込んでいるみたいな、少し息遣いの震えた様子で、言う。

「私、こんなとこに、いたくない。……でも、いつまでもここにいたいとも、思ってしまう。」

 しまった、と思った。地雷だったかも知れない。地雷というのは彼女の気分を大きく害するという意味ではその通りであるし、それ以上に、自分のことを棚に上げた発言だったと、言い終えた瞬間に気付いてしまったからだ。

「みんな《《その点》》だけ除けば、いい人ばっかりなの。私によくしてくれるし、ここに来るのに〝外〟で何か失敗したり、思い詰めたり、逃げ込んできたり、弱さがあったりで、優しい人ばかり。みんな、ここを頼りにしてきてるの。ここしか居場所がなくて、ここでしか生きていけなくて、ここだけがよりどころなの。なのに、私一人がこんな場所はいやだって、投げ出すなんて、そんなの無責任過ぎる。」
「でも、ここの住人は自分の望みを瀬織に丸投げしているじゃないか、無責任な信仰の責任を負うことが責任だなんて」

 これを責任だなんて考えてはいないわ、彼女は責任感の強そうな声色でそういった。

「ここにいる皆は、それそれ些細な傷を負っていて、些細な意趣返しを願ってる。それが沢山集まって大きくなり過ぎて、その為の神様なの。私は、ここにいる人達の、|神様《生け贄》なの。裏切るわけにはいかないわ」

 逃げ出せるのなら、そんなことが出来るのなら、もっと上等にそつなくこの状況を脱していたはずだ。もっと器用な方法であの閉鎖された世界を脱出して、僕はもっとスマートな新世界で新たな生活を満喫できていただろう。でも、それは僕には出来なかった。年単位の不自由を覚悟の上で、さらには道義に反する暴力的な方法を使って、なんとか出る事が出来ただけだ。しかもそれは、社会的にはアウト中のアウトの方法で、恐らく世界中の誰も祝福はしてくれないだろうと思っていた。四方八方塞がれた、押し潰されそうな空と山と人の存在感に、呼吸さえうまく出来ない日々のことを、どうして僕が指させるのか。
 瀬織さんの視線は今は僕の方を向いていない、さっきのように月を仰ぐようでもなく、足下に生える青白くぼんやりとした輪郭に象られた不気味に浮き上がる影を見下ろしている。

「だから、一人で逃げ出すなんて、出来ないよ」
「……でも、でも逃げないと、潰れてしまう」
「そうだよ。私は本当は神様なんて強い存在じゃない、逃げ出さないと私は殺される。でも、出来ない。私の上に積み上がった希望の瓦礫は折り重なっていて、私だけを抜き取ると一気に崩れる。何か一つの冴えたやり方なんて存在しない。」

 ああ、彼女は。そうか、家に帰ってからはあの狭い部屋に閉じこもり、ぎりぎりの食事だけを与えられ、呼ばれればあの気の狂いそうな部屋で母に性交を迫られていた、あんな世界にいた僕と、決定的に違うのに根っこの部分で鎖繋された世界に、彼女も住んでいたんだ。そして、そこから出たいと思うと同時に、出るわけにはいかないと分かっていて、もう《《その場所》》まで来てしまっていたんだ。

「私は洞窟の中に押し込まれて、洞窟の外から、みんなの望みと願いに、祈り殺されるの。」
「じゃあ、その洞窟ごと、壊してしまえばいい。瀬織だけが惨めに死ぬなんて、理不尽だ。……そういうこと?」

 その場所。自分が死ぬか、そうで無ければ、相手が死ぬかという、破局的な終末でしか、状況を閉じることが出来ないと思い込んでしまう場所。僕は確かにそこにいて、いよいよ一歩を踏み出した。
 そんな風に思っていても、「実際にやってしまう人間」と「やらずに済ます人間」とには大きな差があるんだと言う人もある。でも、僕はそれには反対だ。その差を大きいと見做すのは、この世界が全く一人の理論で正確に完結していて他者からの干渉がなくブレがない完璧な、摩擦のない世界に生きているのと同じだと思う。そして「そんなはずはない」。〝そんな風に思っている〟人間の背をそっと押す|些細《巨大》な力は、どこにでも転がってる。
 こんな風に自己弁護できるのは、自分がそこに立ち、そしてそれを踏み越えてしまった人間だからだ。そうで無ければ、この細い細い脆弱な赤い線が、容易に渡ることの出来ない大河だと思って絞まっていたかも知れない、それは大きな勘違いだ。どんな巨大な大河にでも、|渡し船屋《カロン》が、必ずいる。運賃は驚くほど安いのだ。

「それしか思いつかないの、皆が誰かに少しずつ見返したり取り返したりやり直したり、したいのと同じく、私は、私を閉じ込めるあらゆるものに、《《復讐したい》》。それが出来る大きな大きな力が欲しい。それこそ本当に私が神様なら、どんなに楽だったか」
「|照道《しょうとう》教を潰滅させたい?」

 きっとそうだろうと思った。ここまで聞けば、鈍い僕にでもわかる、と思った。でも違った。彼女は、頷かなかった。でも首を振ったわけでもない。ただ俯いて、目を逸らした。

「私、ここにいる人達のこと、大好きなの、さっきも言ったけど」
「確かにいい人達ばかりだと思う。」
「だから、皆の期待には応えたいと、思ってしまう」
「それに応えると瀬織が潰れてしまうって話じゃないか」
「そう、情けないよね。情にほだされて、殺意が薄らぐなんて。気持ちが悪い。集まると大嫌いなのに。でも一人一人は好きなんてさ」

 気持ちが悪いという言葉が、何を指して言っているのかよく分からなかった。それを情けないと言うかどうかも疑わしい。少なくとも一般的にはそうは言わないだろう。
 でも、それを情けない及び腰の破壊思想だと言いたい彼女の気持ちは、残念ながら僕には分かってしまった。

「個別に考えないと問題は紐解けないのにのに、個別に考えると矛盾してる自分に気付いてしまう。よくあることだよ、思い悩む必要なんて」
「じゃあ、どうやって解決すればいいの?」

 僕は答えられない。ただ耐えていろと言う位しか。でもそれを耐えるのを止めたのが、正に僕だったのだ。彼女に向けて言える言葉なんて何もない。

「だから、ぜんぶ、いっきにぜんぶが、壊れてしまって欲しいの。壊してしまうなんて出来ないと思う弱い私も、いっそ諸共に。私が誰かのせいにしてしまえるように、私の願いを、私以外の誰かに叶えて欲しい。誰も言い訳できないくらいに激甚に、誰のせいにもならないくらいに広範に、誰も負い目を感じないくらいに無差別に、私に弁解の余地が残らないくらいに平等に、私が途中で止められないくらいに徹底的に。私も含めて、ぜんぶを、私の責任ではなくて。」

 空に浮かんだまま僕等を冷淡に見下ろす月を、再び彼女は受け入れるように仰いで両手を広げて、そういった。まるで月にはそうしてくれる神様がいるのだとでも思っているみたいだ。デモ彼女はよくよく思い知ってもいるはずだ、そんな神様なんていないと言うことを。人間にそうしてくれるのはどこまで行っても人間でしかない、頼ることの出来る人間がいない限りは、それは自分でするしかないのだと。
 彼女はきっと、その事実にこそ絶望していて、最後の一縷の何かを僕に見出しているのらしかった。それも筋違いな事だと、彼女は知っているはずだ。
 だからああして、まるで光の失せた様な、まともな思考を捨ててしまった様な、このまま撃ち殺されても構わないなんて言っている様な、どこか投げ首で、言いっぱなしの、軽薄な様子で、まともとは思えない言葉を天上に投げているのだろう。天に唾棄する言葉なら、それは瀬織自身に戻るだろう、否、既に戻っているのか。その愚かさもひっくるめて、彼女はもう。

「〝鏡〟を使っても、私じゃあんなちっぽけな事故にしかならなかった。私には何の力もない、ぜんぜん足りない」
「あれだけ沢山の人を、殺しておいて?」

 そもそも、〝鏡〟って何だ。テロを起こすために人心掌握に用いる信仰用のレガリア、つまり神体とか神器とか言う奴だろうか。僕の両親は恐らく彼女の父親の方に心酔していて、鏡とか十字架とか壺とか水晶とかそう言うものの話は余りしていなかったように思う。本当は何か持っていたのかも知れないけど、信仰の薄い僕にはまだ早いと隠していたのかも知れない。家を漁れば部屋から何か出てくるだろうか。母の部屋はとりあえず形から入るような信仰スタイルの典型だ、鏡のレプリカとか、それこそ小さな水晶玉とか壺とかがあるのかも知れない。

「いや、罪を問いたいんじゃないんだ。あれだけ大きな力を発揮して、まだ足りないなんて」

 その〝鏡〟を使って、人心を掌握してテロリズムを実行した、それは、彼女の望んだ形でこそないにせよ、力であることに間違いはないだろう。大きな力だ、無条件に自分に従ってくれる人間が何十人でもいると言うことは、並大抵のことではない。普通の人間はそんな相手を一人だって作ることが出来ないことがほとんどなのに。

「足りない」

 それでも、彼女は足りないという。

「さっきの話じゃないけど、爆弾って、いいね、欲しいな、もっともっと大きな力が欲しい、ありとあらゆるものを、私も、すべて破壊する、おっきな爆弾が。それが私のものでないなら、誰かがそのスイッチを押して欲しい。私の知らないところで。
「ノストラダムスの大予言は随分昔のネタだよ」
「あー、なんか聞いたことある、それ。私達が生まれる前の奴だよね、世界が滅ぶって」
「そうそう。結局滅ばなかったしね。1986年にもハレー彗星の接近があって、彗星の尾に含まれるシアンガスが地球に充満して人類が滅ぶなんて話が出たらしいし」
「何それw」

 皮肉った表情でいう瀬織さん。でも、僕はそれが1986年や1999年でなくったって構わないと思ってる。何年遅れでもいいから、僕にはどうしようもない力で、僕諸共世界が滅んでしまえば楽なのに、そう思っている。そして彼女の言い分は、きっとそういうことなのらしかった。
 ただ、他の多くの人間と違うのは、それから逃れようと思っているとか、それを利用して一儲けしようとかそう言うのではなく、本当に滅んでしまえばいいと思っているところだろうか。そう言う点では……彼女は嫌がるかも知れないけど、宗教家の発想という方が近い気がする。
 あるいは、ただの中二病だ。
 そして彼女は、《《そっち》》だと、自嘲した。

「……こんなの、クソガキの幼稚な思想だわ。結局私は、何の力だって無く、何も出来ずに、偽物の神様、生け贄のまま、死んでいくの。わかってる。」

 瀬織さんは、さっきから色んな事を僕に話している、これが僕に向かって吐露したいという内容なのだろうか。それにしたって、話してくれていることの量は多いけれどその主題が見えてこない。まるで内容が怪しいだけの、これはただの雑談だ。彼女は確かに「説明したい」と行ってきたはずなのに。

「僕は、テロの実行犯として瀬織にスカウトされたんだと思ってた。〝次は首相官邸よ、はいこれ、爆弾〟ってね。手伝うって言ったとき、本当は大した考えがあっていったんじゃないんだ。そしたらテロの手助けをしろって事になったのかとおもってさ。でも、なんだか、違う?」
「違うよ。でも、もっと無責任なことを言っているって、思う。私ね、手伝うよ、って言われたとき、私舞い上がっちゃって。無条件でまるで私を受け止めてくれる人が急に現れたみたいな、ふふ、バカみたいだよね、プロポーズでもされた様な気分になってたわ」
「ちょっ……」

 あはは、と笑う。瀬織さん。でもすぐに表情が、曇った。この表情の変わり方。猫を被ったときの。これは、身につけてしまった、人型の処世術という擬態なのだろう。僕にも、その偽りが、あるような気がする。擬態ではなく真に身に付いたならば良かったのに、それは出来なかった、僕にはその素養が余りにもなさ過ぎた。顔の形に合わない仮面は、どうしても痛い。もしかすると、瀬織さんもそうなのか。

「《《のぼる》》」
「……なに?」

 やっぱり急に下の名前で呼ばれると、ドキリとしてしまう。でも、心臓が殴りつけられたような感覚を受けたのは、その僕の名前を呼ぶ瀬織さんの表情が、どこか切迫した焦りを湛えていて、まるで縋り付く弱々しさを滲ませていたからだった。瀬織さんには、なんだかこういう表情は相応しくない気がする。相応しくないからといって似合わない訳じゃない、元々端整な顔立ちでほのかに異国情緒を漂わせる造りには、憂いを感じさせる表情自体はズルいくらいに魅力的に重なる。でも、瀬織さんという人物には、相応しくないと思った。……いや、単に僕が、彼女にそんな顔をして欲しくないと望んでいるだけかも知れない、きっとそうだ。
 それに、急に下の名前で呼ぶのも、彼女のは、媚びたり甘えたりしていると言うよりも、弱っているように見えてしまう。僕は彼女に、これは変な言い方だけれども、フルネームでどこか突き放すように呼ばれたいとさえ思っていた。これは、彼女に対する僕の何という名前の感情がそうさせるものかは、判らないけれども。

「だから、手伝って欲しいの」
「……僕に《《そんな》》力があると思っているの?」

 こくりと頷く瀬織さん、まるで僕の知っている彼女とは別人だ、彼女は一体何を胸の内に秘めているのだろう。彼女の言葉を信じるのなら、彼女は僕の持っている何かを欲しがっているのらしい。「|日《のぼる》にはあるよ、だって」〝|火垂《ヒダリ》〟と言っていたが、それは単に既存の概念を用いた比喩に違いない。それが何を指しているのか、いくら僕でもわかる。

「親殺しを、英雄みたいに言うのはやめて」

 彼女は僕が信者の子であることを知っていて、その上で身辺を把握していた。そしていよいよ顔を出したのは、《《そのとき》》だったのだ。
 僕が言うと、僕に怯えたような目を向けてくる。猫を被っている、としたらまるで拾われた濡れ猫の様ようなその目は、初めて見る、言葉通りの猫被りだったかも知れない。その狼狽えた目が心臓を握り締めてくるのは、それが作り繕った演技の表情に見えないからだ。止めてくれ、そんな、目は、瀬織さんには、相応しくない。

「英雄、か。私、そう思ってるのかも」
「やめてよ」
「でも、|日《のぼる》は、《《それ》》を信じてやったんでしょ? すごい。私もその力が欲しい。その内向きの強烈な力。自分の信じることのために、外の世界なんか低い価値観に沈めてしまえる力。実際にそれをやってしまえる力。それは、万能の力、だよ。なんでも出来る、最強の力。私だって、それが欲しいの。それか、誰かにその力を振りかざして、私の暴力を代弁して欲しい。」
「信じたとか、力とか、そんなかっこいい言い方はして欲しくない、僕はただ逃げるためにやった。これを英雄的な行為と評価するのは、僕だけでいい。他の誰にも、こんなことを英雄だなんて言って欲しくない。瀬織は僕の中にある褒められもしない思想と臆病な動機に、一体何を望んでいるの? ねえ、瀬織は」
「観月」
「《《瀬織》》」
 彼女は僕の腕の中に滑り込んできて、「自分をそう呼べ」と言外に伝えてきた。でも、今は、そう呼ぶ気にならなかった。

「確かに僕は、もうこれしか無いと、これは他の誰が何と言おうと僕にとっては唯一の正しい道だと信じて進んだ、いや、堕ちた。でも、あの行為を正統化できるのは、絶対に僕だけだ、僕以外の他の誰にも、認めない。幾ら瀬織が僕を美化していようと、僕がそれを認めない」
「やだ」

 子供、まるで彼女はそうだった、急に。大人びた風貌に、普段の達観したような言動。だのにそれとはアンバランスな、瘡蓋の下の幼稚さ。ああ、もしかするとこの感覚が、彼女が僕に感じたシンパシーと、同じ接続なのかも知れない。今まで他に、こんな人はいなかった、居るなんて思ってもなかったし。

「私にも同じ力の夢を見せて」
「だめだよ。これは、僕のものだ。こんなものに価値を感じるのは、力を見いだすのは、正当化して意味を見つけるのは、僕だけだ。他の誰にも認めない」

 でも、いたんだ。

「|日《のぼる》、私にも」
「ダメだ」
「お願い、|日《のぼる》、|私の神様になって《わたしをたすけて》」
「神様なんて、それこそ認めない」
「私は神様にされてる、私の神様はどこにいるの?」
「神様なんていない、誰も助けてなんてくれない。だから、自分で殺したんじゃないか、この閉じ込められた世界を抜け出すために!」

 彼女は僕の腕の中から再び抜け出したかと思うと立ち上がる。彼女の方を見て僕は、息を呑んだ、すぐに目を逸らした。

「お願い、|日《のぼる》」
「せ、瀬織」
「あのときみたいに、抱いて」
「あのときって」
「私を見て《《どうしようもなくなった》》あのときみたいに。」

 定食屋の廃墟で、僕は彼女とセックスした。彼女には抗えない魔性のようなものがあった、それは今でも変わらないのだろうが、今の弱々しい姿からでも尚変わらない、いや、むしろ一層。でもそのことを、言葉を選ばずに言うのなら、僕は後悔していた。僕は彼女をまるで、扉だと思っていたんだ。酷く幼稚な思想だ、子供の持つ幻想だった。母しか女を知らないという気持ちの悪い自分から逃げ出すための、扉だと思った。あるいは、そんなことで僕は大人になれるのだと思い上がった。セックスが大人の階段だなんて、陳腐過ぎて笑えもしないし大きな勘違いだ。だって僕は今でも子供のままだ、それは未だに親を殺した事を正しかったと思っている自分自身が、示している。

「もう一回、しよう?」

 僕に背を向けたまま、彼女はシャツを放り捨ててスカートを落とした。青色防犯灯の淡い光が、彼女の白い肌をこの世のものでは無い陶器の様に青白く描き出している。月の光の色が、闇に浮き上がるコバルトブルーの幽玄に、一滴の生命感をしかし強く刻みつけていた。
 あのときと同じだ。綺麗とか、美しいとか、そう言うものではない、不気味さと表現しても差し支えのない寒々とした怜悧な惑乱の艶魅、人ならざるものさえ感じる。僕はまるで、あの青い光に群れて集まる虫のように、引き寄せられるのを感じた。あの日に一度、仮初めみたいに得ただけなのに、ずっと昔から自分の物だったような錯覚さえあった。

「みつ……瀬織」
「観月でいいよ、観月って呼んでよ。私に、《《信じさせて》》」

 だめだ、と思った。そっちに行っては行けないと。何か本能的なものが、名前の無い感情が、警鐘を鳴らしている。恐怖では無い、もっと原始的な。僕は後退ってしまう。

「手伝ってくれるって、言ったじゃない」
「言った、けど、それは、こんなことなの?」
「これも含めて、わたしのぜんぶ」

 抗えない、彼女特有の不思議な強制力をぶつけてくる。強く拒絶することも出来たはずだ。

「するなら、部屋にもど」
「ここがいい。月が見てるから。|日《のぼる》が新しい世界に飛び出した、あの夜と同じく」

 でも、それをしなかったのは、僕も彼女を欲しいと思っていたからだ、弁解の余地はない。

「のぼるに、わたしのぜんぶを、あげる」

 青白い空気を刳り抜いた様に浮き上がる月が、存在感で周囲の星を黙らせている。その月が、巨大な目のように僕たちを見下ろしていた。その月をまるで従えているかのように背負っているのはあの日と同じ、瀬織観月、彼女だった。

「だから、わたしに、のぼるをちょうだい」

 彼女の足下だけ、セメントやアスファルト、砂利でさえなく、水面なんじゃないか。それほどに、裸のまま月下を歩く彼女の一挙手一投足は、神秘的な燦めきを振りまいている。こうして彼女の全裸を光の下で見るのは、初めてだった。顔立ちが少々エキゾチックなばかりではない、彼女の肉体は目を疑うほどにミステリアスだった。柔らかさの曲線は肉感を訴えているのに、細るべきラインは上等な陶器のくびれた姿のようにつるりと滑らかだ。その肉感と柳枝の共存は、まるで陰と陽、生と死、静と動が居合わせる様なアンバランスでありながら、なんとか存在を保っている危うさの中の美しさを放っていた。
 ここは他の防犯灯同士の間隔が広く光を1つ通り過ぎると次の光が向こう側に光って見える暗いに、てん、てんとまばらだ。それは照らし出される小さな世界が別々に並んでいるかのような、元々1つだと思っていた世界の姿とは、実はそうして分断された幾つかの小さな世界を光が無理矢理結びつけている虚構なんじゃないかと、思わされてしまう空恐ろしさを漂わせている。太陽はこの隣接した水泡のような世界を苛烈な方法で砕いて一つにしようとする。でも、月の光は違った。それぞれの光の中から隣の光が見える、でも光同士を無理に繋げようとしない、心地のいい光かも知れなかった。
 その中を、悠然と歩く、光と光の間を、世界と世界の間を、突っ切るように歩き続ける彼女は、何かもっと別のところにいる存在のように見えた。それは、闇を優しく充溢する、月光だろうか。
 彼女は死んでいるようにさえ見えるのだ、僕の方を見て笑い、名前を呼び、腕を絡めて伝わってくる感触全てにはしっかりと体温が通っているにもか拘わらず、彼女の持つ何か背景放射的なモノは酷く無機質な感じがする。青色防犯灯の光が辺りを満たしているからかも知れない、そう思わなければ、彼女の存在をよからぬものと疑ってしまいそうだから。
 彼女は止まっているようにさえ見えるのだ、僕の方を見て笑い、名前を呼び、腕を絡めて伝わってくる感触全て手にはしっかりと動作が伴っているにも拘わらず、彼女の持つ何か超越存在的なモノは酷く停滞した感じがする。月の光が辺りを満たしているからかも知れない、そう思わなければ、彼女の存在をよからぬものとと疑ってしまいそうだから。
 夜の闇を青色防犯灯が藍色に薄め、月の光が辺りを不吉な清廉に満たしている。彼女は青色をじりじりと放ち続ける電灯の麓の電柱ひとつを選んで、背もたれる様にして僕を振り返った。
 妖精、精霊? 幽霊、妖怪? 未来人、宇宙人? 真っ白い肌に薄青色を注がれた彼女の姿は、彼女をこの世のモノならざる何かの様に映し出されている。でも、それが不気味さに繋がっていないのは……僕がすっかりとその魔性に囚われてしまっているからかも知れなかった。

「|日《のぼる》」

 電柱を背に付けて、両腕を頭に上に伸ばして電柱の輪郭をなぞるように立つ。脚を肩幅よりも広く開いて、彼女の肉体は真上から降り注ぐ青い光に染まっていた。肌は薄青に染まって、でも黒い髪は青色を全て飲み込んだみたいに毅然とした漆黒を輝かせている。幾つか存在する赤い部分も、しっかりと赤みを保っていた。

「さあ、のぼるを、ちょうだい」

 手の先から足先までを結ぶラインは、まるで天と地を結ぶ偉大な樹の様でもあるし、卑猥な肉感にも映る。僕を呼ぶ瀬織さんの声は間違いなく瀬織さんの声だというのに、その瀬織さんとは、学校にいる頃に知り合った未知の女子生徒だったのか、月を背負った僕の救世主だったのか、それとも、目の前で淫らなポーズをして僕を誘うただの女だったのか。

「のぼる」

 彼女を照らす青色防犯灯の光は、僕の足下には届いていない。彼女の周囲だけが青く闇の中に浮き上がる円形の世界のように照らし出されている。彼女は、僕をその中に誘い込もうとしていた。
 それに、僕はその誘いを拒絶することが出来そうになかった。
 まるで、光に群がる虫。
 月に向かって飛ぶ虫がいないのは、月が遙か遠くにあるからだ。月のように光るものが、地上にあったなら、間違いなく感覚を狂わされ、走光するだろう。今の僕のように。

「みつき」

 闇の中から、青い光の中へ、彼女の世界の中へ、一歩足を踏み入れた。もう引き返すことは出来ないかも知れない。僕は彼女に囚われたのだ。
 ふらふらと彼女の方へ吸い込まれるように近寄る。彼女は動かない、電柱に背を持たれて立ったまま、ただ僕をじっと見ている。彼女の瞳が、何故か琥珀色に輝いているように見えた。

「きれいだ」
「ありがと」

 花がほころぶように笑う、瀬織さん。非生命性や神秘性に満たされているのに、そうして笑う顔は、信じられないくらいに有機的であったかい。両義の共存は、完全にも思えた。
 彼女の懐に立ち入って、僕はその体に触れようとする。が。

「やだ。私ばっかり裸?」
「えっ、あ」

 彼女は月に向かって裸体を捧げるみたいに服を脱ぎ捨てここまで裸のまま歩いてきた。でもボクはまだ、臆病にも服を着たままだ。今この場では、こうして布を纏っていることの方が恥ずかしいことのように思える。僕は慌てて服を脱ぎだした。

「ふふっ、あはは、|日《のぼる》、やっぱり可愛いね」
「ええっ、可愛いって何だよ、僕男なんだけど」
「男が可愛かったら、ダメなの?」
「ダメじゃないけど、いや、やっぱダメ」

 いきなり、瀬織さんが笑い始めた。まるで女神に笑われているみたいで、一層恥ずかしくなる。

「……かっこつけたいじゃないか、たまには」
「いつ?」
「すぐにくるよ」

 そう言って、ようやく彼女と同じように裸になった僕は、彼女の肌に触れる。瀬織さんは、自分の肌に触れる僕の手を見て、少し恥ずかしそうに笑う。美しいのに、いや、可愛いという言葉は瀬織さんのためにあるような気さえする。僕に向かって使ってよい言葉ではない。

「きて、|日《のぼる》」

 引力に引っ張られるみたいに、僕は彼女の体に吸い寄せられた。電柱に彼女の体を押しつけて、開いた脚の間に、ボクのモノをあてがう。彼女の体は、青色に染まった見た目と裏腹に、熱かった。乳房に手を被せると、しっとりとした肌と弾力に富んだ柔らかさが、伝わってきた。ほんの少しだけ指が埋まる程度に力を入れて、掌全体で円を描くように揉むと、指股の間で乳首が嬉しそうに立ち上がった。

「観月」

 名前を呼んで、口付けた。熱い。唇は柔らかくて、歯で噛み千切ってその中に詰まっている柔らかいモノを食べてしまいたくなる。しっとりと潤った唇を唇で感じながら、その間から舌を差し込むとすぐに彼女の舌が迎えてくれる、唇で繋がった二人で一つの口の中で僕の舌と彼女の舌が絡み合う。

「は……んむっ」
「ふうっ」

 瀬織さんの腕が降りてきて、僕の首を後ろから抱き寄せた。ひんやりとした夜の空気の中で瀬織さんの肌の体温が伝わってくるのは、まるで救われたみたいな安堵感と同時に、その煽情的だ。
 僕のモノはすっかりと勃起していて、彼女のそこにあてがわれている。進入の許可を彼女の口が告げてくれるのを待っていた。気持ちのいいキスを、心地のいい愛撫を、奉仕を、抱擁を、彼女に。その褒美に、挿入を許して貰う、どこかそんな気持ちでいた。

「観月、綺麗だ、観月」

 うわごとのように彼女を礼賛する僕は、まるで女神の信奉者だ。彼女は僕を信じさせてと弱い言葉を吐いていたけれど、そんなことはない、彼女は、女神だ。でも。

「|日《のぼる》、抱きしめて、ぎゅって、強く抱いて。|日《のぼる》」

 僕の礼賛の言葉に返ってきたのは、か弱く可愛らしい少女の声。でもそれに落胆や失望なんてない、だったら僕は、彼女を強く抱くだけだ。望みのままに。
 瀬織さんの背中に腕を回して、彼女が求めるままに強く抱きしめた。

「あっ……」

 ふうっ、と深い吐息が漏れていた。抱きしめられるのが、そんなに安堵に繋がったのだろうか。彼女の体は一気に弛緩して、僕の体を抱くと言うよりもしがみ付くみたい。彼女は僕の胸元に頭を触れて、その頭をぐりぐりと押しつけるような仕草で、もっと抱くように求めてくる。

(……ねこ?)

 可愛らしい。こんな風に甘えてくる瀬織さんを見て、平然としていられるわけがない。腕を締めて彼女の細い体を強く寄せると、彼女は顎を上げて僕の肩の上に乗せる。すう、すう、と吐息が聞こえる。時折「のぼる」と僕を呼ぶ声も混じっている。
 ほっそりと通った背筋をなぞるように腕を下ろすと、彼女は名残惜しそうに側頭部を僕の耳元に擦りつけて、抱きつく腕は一層に強くなった。僕は背中を降りる左右の手を背腰の辺りで分けて、淫らささえ感じる肉感的な腰回りをなぞり、むっちりとしたお尻に指を埋めた。

「ぁう、んッ」

 漏れ出た彼女の声は余りにも煽情的で、焦れに焦れている肉棒の先端にまでビリビリと伝わっていく。
 弾力が強く豊満なお尻を掴むように撫でると、彼女の腰が、僕の手に導かれるように躍った。僕のペニスの裏側当たっていた臍の下のむっちりした膨らみが、揺れて僕の裏側を撫でる。

「う」

 それに気付いた瀬織さんが、に、と笑って、抱きついて離れなかった腕をするりと解いた。そしてその手が、僕のペニスを包む。

「あっ、み、観月」
「……かわい」
「もうっ、かわいいって……うくっ」

 彼女の細い指が、痛いくらいに勃起したペニスの先端を、あくまでも優しく撫でる。根元からぴくぴく震えてしまって、ヘンな声が出た。

「ほら、かわいい……先っちょの穴、ぱくぱくしてる……」
「や、そんなの、見ないでよっ」
「じゃあ、見えないように、隠さないとね」

 ここに、と言って彼女は僕のモノを、自身の穴の方へ導いた。

「いれて、|日《のぼる》」
「うん」

 挿入の許可を貰った僕は、彼女に導かれるままに腰を進めていく。先端が柔らかな肉に触れ、更に進むとそれを押し広げるように入り込んでいく。最初のすぼまりを通り抜けると、中は驚くほど熱くて、柔らかくて、ぬめっていた。

「う、ふうっ、んっ」
「み、観月、はいった」
「わかってるよw」
「ご、ごめん」

 ふふ、と笑って、キスをした。もう一度彼女の腕は僕を求めて絡みついてくる。僕は彼女の背に腕を回すのではなくて、背の裏側にある電柱を掴んだ。彼女の背をコンクリート製の冷たい柱に押しつけて、僕は、腰を動かす。大丈夫かな、と心配になったけれど、その心配を杞憂に消し飛ばす様に、彼女は自ら腰をくねらせて僕のペニスを色んな確度から刺激してきた。

「いっぱいうごいて」

 うん、とか、わかった、って応えるのもなんだか違うと思って、僕は応える代わりに彼女の言ったとおりに腰を動かす。熱くぬめった肉壺の柔らかさの中で、自由に動ける幸せ。肉同士の摩擦がこんなにも気持ちがいい悦楽。それに、目の前にいる女性が、最高だと言うこと。

「気持ちいいよ、観月」
「私も、嬉しい。また、|日《のぼる》とセックスできて」

 セックス、という音が彼女の口から出てくる、それだけでもクラクラするほどエロティックだ。
 腰をくねらせて僕の動きをサポートするのではなく、敢えて少し反発するように動かす、そのせいで僕のペニスは僕の意図しない場所に肉の摩擦を受けて、堪らないくらいに気持ちよくさせられてしまう。先端を感じようと思っても亀頭の上側を、雁首を擦ろうと思っても先端を、何度しても不意打ちの快感を注ぎ込まれて、そこに焦れていると、不意に狙ったとおりに気持ちのいい場所を締め上げられる。

「ふあ、あっ、ああっ」
「あーもう、|日《のぼる》、女の子みたいな声だしちゃって。やっぱかわいいわ」
「だ、だって、観月の動きが……くううっ」

 引き抜こうとした瞬間にぎゅっ、と締め上がって、雁首の敏感なところが全部一度に刺激される、不意打ちを食らって腰が砕けそうになり、そうさせまいと慌てて腰を出すと、柔らかい肉の海の中に飛び込んだみたいな心地よさに包まれる。その一番奥で、きゅうきゅうと全体を嘗め回されるみたいに蠢く襞で抱かれてしまうと、情けない声が漏れてしまう。

「あっ、あっ、観月、みつきっ」

 僕を受け止めながら逆に責めてくる瀬織さん、僕は情けない声を出して彼女の体に縋り付くようにこしをふっているのをみて優越感に浸っているのかと思えばそうでも無い、彼女は彼女でうっとりとした声で僕との接合を喜んでくれていた。

「|日《のぼる》、いいよ、|日《のぼる》っ」

 瀬織さんが僕のペニスで気持ちよくなっている、それを思っただけで、なけなしの理性が削り飛ばされてしまった。もう、彼女の中で果てることが目的になってしまう。だって彼女はもう感じてくれているのだ、だったら、絶頂しても、いいよね。そんな甘えを自ら許容してしまい、僕は彼女の体を電柱に押しつけたまま腰を振って、彼女の中にペニスを埋めて好き勝手に動かしてしまう。

「あっ、あっ、観月、観月もうっ、はあっ、はあっ」
「|日《のぼる》、イくの? 私で、イくの?」
「イく、イくっ、でるっ……観月ぃっ」

 最後は電柱を掴む手は代わりに彼女の腰を掴んでいて、ただ彼女の穴に向かってペニスを突き込むことしか考えられていなかった。そのまま、性器同士の摩擦に酔い痴れて、前後不覚のまま、降りてくる絶頂に潰されてしまう。

「でるっ、観月、出る、っっっくっうぅぅうっ」
「あっ、|日《のぼる》、出てる、中で、日の、凄くいっぱい出てるよぉっ……」

 彼女は僕の情けない身勝手な絶頂を全身で受け止めながら、僕を抱きしめた。
 電柱にもたれた彼女の体に体重を更に預けるようにして、僕はしばらく射精後の虚脱感に流されていた。その間も彼女は僕のモノを中に入れたままで、抜けそうになっても僕の腰を引き寄せて中に留め置いた。

「ふふ、イくときの|日《のぼる》、かわいかったよお」
「……」

 思い出しても、情けない射精だったような気がして、俯いてしまう。彼女は、何を気にすることがあるの、と言って唇を押しつけてきた。ちゅっ、ちゅっ、と何度か吸い付いた後で離れて「これで|日《のぼる》は私のモノだよね」といって笑った。

「ここに来る前から、とっくにそうだよ」

 恥ずかしい気がしたけれど、勢いで言ってしまおうと思ってそう言うと。彼女はちょっと驚いたような顔をして、次にはにかんだような顔をして、その次に嬉しそうに笑って、もう一回抱きついてきた。

「観月が望むこと、何でもするよ。もう迷わない」
「ありがとう」

 あのときみたいに、なんて言ったけれど、そんな風では全然なかった。僕は、あっという間に吸い尽くされていた。少しだって我慢できずに、彼女の中に吐精してしまった。でも、満足だった。彼女は動だったか分からないけれど。
 僕を抱く瀬織さんは、まるで僕を丸ごと飲み込んでしまう闇のようだった。闇の中から青い光の中に踏み込んだはずなのに、真の闇とは彼女の中に、あったのではないか。彼女に吸い尽くされて、食い尽くされて、何もかもが形のない認識の出来ない存在だってしているか分かりもしない、深遠な闇の一部として彼女に取り込まれるのだとしたら。

 ぞくっ

 体が震え上がった。
 それは、恐怖からではない。
 そんな幸せが存在するのかと、急激に沸き上がった歓喜を、理性がうまく処理できなかったからだ。

「|日《のぼる》」
「なに?」

 瀬織さんは僕の顔をみて、笑う。ちょっと、悪戯な顔。

「あっという間だったじゃん。かっこつかなかったねえ」
「そっ、それ、今じゃないし!」
「あはは、早いのは気にしないから、大丈夫だよお?」

 うー。やっぱり情けない。
 きにするなきにするなあ、とまるでおっさんみたいに僕の背中を叩く瀬織さん。
 そうか、やっぱり、僕は、彼女の事が好きみたいだった。

「……ん?」

 真っ黒な夜空、圧倒的な存在感で星々を征服した月だけが不自然なほどに明るく輝いている中に、遠雷の音が、まるで目に見えない雲のように辺りを覆った。引くくぐもったような音は、空気全体を鈍く深く震わせている。

「にわか雨でもくるかも」

 まだ何も着ていない彼女は、すん、と一つ鼻先を鳴らして僕の横で顔を上げた。その仕草だけを切り取るなら本当に、寝ていた犬か猫が匂いに気付いて目を覚ましたみたいな様子で可愛らしいのだけれど、彼女の様子はどこかただ事ではないように見えた。

「なんか、雷っぽくないけど……」

 何度も何度も響いている様子は、雷にしては間隔が随分短い、遠くで花火大会のクライマックスがずっと続いているみたいな感じ。本当に雷なんだろうか? だが他にこんなに大きな音を響かせるものがあるとは信じがたい。本当に花火大会かも知れない。この辺りに花火大会が出来るような海岸や河川があっただろうか。
 何だろうかと不思議に思っていると、鼻を鳴らした瀬織さんが、口を開いた。

「来た」
「え?」

 瀬織さんはぽつりと呟いて、ふらふらと立ち上がる。月の方を見上げながら、その地響きの空気版みたいな音を聞きながら、あの夜空のどこかに何かがいるみたいに視線を彷徨わせていた。

「来たよ、|日《のぼる》。この音は、雷なんかじゃない。爆弾だよ」
「爆弾? 戦争でも始まったっての?」
「戦争……戦争、確かに戦争かも!」

 彼女の様子が、ルームライトの光量調整を押しっぱなしにしている時みたいに見る見ると明るく灯っていくのが分かった。今は、まるで跳びはねでもしそうなくらいだ。

「戦争なんて……爆弾って」
「爆弾、爆弾も通用しないよ、来たんだ」

 不穏な言葉を言いながらそれとは似つかわしくない明るい様子になっていく瀬織さん。これがなんなのかは分からないけれど、彼女が望んでいた爆弾の存在を彷彿とさせる音を響かせているのは確かだった。いや、雷か花火が妥当なところだと思うが……それでも随分というか、音の連続する様子にリズム感がない。雷としては間隔が短すぎるし、花火大会の音というのはある程度のリズム感を刻む物だがこれは余りにも乱雑だ、狂ったように連続している。
 そのとき、ずん、と一際大きな音が響いた。大きく響いた音は、空気の振動に留まらずまるで微風とも思える衝撃を伝えてきた。異常だ。これは、本当に、爆弾が爆発している音なんじゃ……?

「みつ……瀬織、これ、なんかおかしいよ。部屋に戻ろう」
「無駄だよ、終わるんだ、来たんだよ!」

 よくよく見れば、山の向こう側の空がほんの僅かに薄らと、明るくなっているのが分かった。明るくなっているというか、響く音と同じように乱雑に明滅しているその山向こうからの間接照明のようだ。
 爆弾だと言えば、辻褄が合うと言えば合う。山の向こうの遙か遠くで、火器を使って交戦していると言うことだろうか。
 僕が不安感を憶え始めるのとは対照的に、瀬織さんのテンションはみるみる上昇しているらしかった。僅かに明るくなり茄子皮色に薄まった宵闇空に向かって両手を広げて、くるくると回ってみせる。陶酔するような恍惚の表情で、彼女は言った。

「私にもあったのよ|日《のぼる》と同じ力が、内圧の力が、|火垂《ヒダリ》に匹敵する、地球を滅ぼす爆弾にも勝る、力が!私にも、私にだって!」
「瀬織」

 あはははははっ! まるで無邪気な子供みたいに笑いながら、彼女は両手を広げる。そのまま脚を上げ、折り、そして広げた腕も上げたり曲げたりしながら、とん、とんとステップを踏んで麻衣のような動作を始める。一糸まとわぬ白く細い体がその美しさに関わらずエロティシズムの入り込む隙を残さない耽美な曲線を変遷させて続けている。バレエのことはよく分からないしこれがそうなのかはわからないけど、そういう感じの踊り。つま先、膝、腰と背中、腕と肘、指先までが一続きの生き物を内包しているみたいに美麗に伸び、曲がり、足先から指先までの通貫のラインはその長さ以上の存在感を見せている。子供のようなあどけない表情と笑い声で、彼女は踊り続けていた。
 月影に照らされた白い肌は幻想陶器のような青白いラインを輪郭に浮かび上がらせて、彼女は自分を神ではないと言っていたが、女神だと言われても、信じてしまうかも知れない。もしくは、妖精とか、そう言う類いの神秘性と美が共存した人型の存在。名前なんてどうでもいいか。
 だが、笑いながら口にしている言葉自体は不穏極まりない物だ。爆弾とか力とか、彼女が求めている物だったことは認めるが、それがあったとはどういうことだろうか。あの音を聞いて急に宗教的恍惚に突入し万能感に満たされた、なんて事ではないのだろうが、でもそう捉える以外に妥当な回答もないように思えた。
 この不気味な音の連続と共に、エロティシズムが介在する隙間のない純度の高い美を見ていると、なんだかだんだん不安を呼び起こされてしまう。
 月を背負った彼女は何をやってもこの世の物とは思えない雰囲気を纏う、もしかして本当に月の女神なんじゃないかと思ってしまうくらい。でも月の持つ神秘性と陰性は、侵蝕性なのかもしれない。彼女の舞に見蕩れながら、同時に陰鬱とした不安感が蓄積していくのが分かった。それでも目を離すことが出来ない。美しい、でも……怖い、と言うのは少し違うかも知れないが。
 瀬織さんが、その舞を急にピタリと止めて、僕の前に立った。何度も近くで見たことがあるはずのその顔が、まるで初めて見るよう。

「|日《のぼる》、私、やるわ。私にも出来るって見せてあげるの。今と世界をぶち破って、新しい世界に飛び出すための裡なる力が、私にもあるって!」
「な、何言ってるの?」
「あれは、かみさまよ」

 は? 変な声が出てしまった。

「かみさまが来たのよ。それで、今、人間と戦っているの。あははっ、むだ、無駄なのにねえっ!?」

 あはははあ、と笑う彼女の笑い方ははさっきまでの子供のそれのような感じとは違う、お腹を抱えて、その場に倒れ込んで笑い転げ始めそうなくらい、言い方を控えなければ、狂ったように笑っている。

「瀬織、かみさまって、あの、|神妖《かみさま》?」
「そうよ、かみさま」

 僕の肩をがっしと掴んで、目の前でいう。彼女の口はこんなにも大きかったろうか。感情を抑圧したりしなければ、これくらいに大きな口で満面の笑みを浮かべる女性だったのかも知れない。生まれて3日目くらいの月と同じような口で僕に笑いかける、正直……怖い。

「|日《のぼる》のおかげかも」
「僕の?」
「|日《のぼる》が私にパワーをくれたんだ。私の思いと|日《のぼる》の力と、二つ合わさってかみさまが現れたの。私達の、子供だよ!」

「ま、まって、瀬織。落ち着いてよ。|神妖《かみさま》がここに向かってるって言うのなら、逃げないと」
「逃げる? どうして? やっと爆弾が出来たのよ?」
「ぁ」

 僕は今、にげる、と言った。破壊を終焉を望むような中二病な思想を持っていると思っていたのに、そんな者はしそうじゃなくてただのうわべだけの言葉だったと、今一瞬で思い知らされた。

「本当にこの古い世界をばっさりと滅ぼしてくれる、私の意志を受けたかみさまが来てくれたのよ? 私達と一緒にこの辺りを破壊し尽くして……きっと日本も世界も全部壊してくれるよ!」

 この思想が本物なら、逃げるわけがない。「よおこそおいで下さいました神様、とりあえず私を殺して下さい」と両腕を広げて迎えるはずだ。でも僕は今咄嗟に、逃げると言った。
 彼女は僕のこの決定的な敗北に、気付いているだろうか。それとも僕はもう、すべきことをし終わったせいで、変わってしまったのだろうか。僕は今、ここにいたいと思ってしまったのだろうか。もしそうだとしたらそれは親を殺し終えたからとかではなく、瀬織さんと出会ったからだと思う。

「ねえ、|日《のぼる》! 私達、出会うべくして出会ったんだよ、これが、これが運命だったんだ! 二人で神様を呼び出したんのよ、この旧い閉ざされた行き止まりの洞窟みたいな世界を破壊して終わらせるための、ちから、かみさま!」
「瀬織」

 そもそもこの光と音が、|神妖《かみさま》の仕業だとはまだ分からない。単に瀬織さんが妄想しているだけなんだから。でも、なんだか本当にそんな気がしてきてしまった。山の向こうにいるのは、何なのだ。本当にただ、花火大会でもしててくれるのならいい。もし、本当に|神妖《かみさま》がここに向かっているなんてことなら。

「|日《のぼる》、私、さっきね、信者の前で偉そうなこと言ってきたんだ」
「うん? いや、それどころじゃ」
「そのときの科白、凄く軽薄で、嫌だったんだけど、改めて今度こそ本当の意味で言いたいの。ゆっていい?」
「えっと、うん」

 彼女は両手を左右に大きく広げて、再び月を背負った。満月ではないが大きく浮かんだ月とその光を十字に刳り抜くように、彼女の姿は真っ黒く染まる。
 ごくり、と生唾を飲み下してしまった。これから発せられる彼女の言葉が、まるでこれから未来の巨大な預言か何かみたいに、期待と不安の入り交じった奇妙な感覚。

「私こそが、|瀬織津姫《セオリツヒメ》である。月はもうじき力を取り戻し、この世界を終わらせる力となるだろう。」
「これは、新たな世界の革命布告である!」

 |瀬織津姫《セオリツヒメ》? なに? |照道《しょうとう》教の神格?
 晴れ晴れとした彼女の表情、見ている僕の方まで気持ちがすいてしまうようだ。まるでこの日のために生きてきたとでも言い出しそうなほどだ。
 言いたいことを言い終えたのか、彼女は自ら十字架となるようなポーズを止めて、腕を下ろす。そして僕の傍まで歩いてきた。その場に座ったままだった僕に手を伸ばして、その手を握るように促しながら、言った。

「|日《のぼる》、一緒に、来世をやり直そう?」



§ § §



―|被造神《ピクチャ》「|黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》」、姫島南岸にて火山噴出物の衝突により停止との報告あり。現在姿が確認できません。
「海に潜ったんじゃないのか? 国東半島に現れたら神戸打撃作戦は崩壊するぞ」
―囁からの報告では海中海底に不明移動体は確認できないとのことです
「囁? あれは今、甲隊生存者救出のために島の北側にいるんじゃないのか。何故南岸の探査が出来る?」
―囁にはその能力があります

 根拠の判然としない返答に作戦指揮者に近いだろう人間が眉を顰めながらも、それ以上の追及はしなかった。今はその暇はないし、もしその報告が虚偽で国東半島から神妖が顔を出すことになろうとも、どのみちそれを阻止する手段を、誰も持ち合わせていない。「海中には存在しない」の報告をした者に責任を負わせることが現実だと、その場にいる全員が判断したのだった。

―姫島南部達磨山火口跡付近の地表に変化が観測されています。〝あまてらす〟からの観測では、一帯が突然黒曜石の露天鉱床のようになっているとのことです
「血痕のつもりか。そのまま死んでいてほしいものだな、この騒ぎが収まったら、傍に桜の木でも植えてやろう。|闇龗《本体》の方はどうなっている?」

 本営の全天型ディスプレイに、国東半島周辺の地図、海図、そして台風の進路予想図のような表記が投影されている。台風の進路予想図の様な表示が|闇龗《サンダーインザダーク》の進路予想図であることは一目で分かった。オモイカネシミュレーションによって提案された可能性上位3ルートが表示色を変えて設置されている。当初は姫島付近を通過して国東半島の北側を通過して宇佐へ向かうルートだったが、そのルートは現在否定され、現在は国東半島を南回りで宇佐へ入るルート二種と、国東半島で西に折れることなく高千穂を迂回して宇佐へ入るするルートの計三種類が提案されていた。

―想定通り国東半島経由で宇佐方向へ進行中です。乙隊の再配置が完了していることから、神戸打撃作戦のシナリオに大きな影響ありません。
「|被造神《ピクチャ》の出現にも関わらず目的の〝ギンヌンガの衣〟の使用を誘い、|被造神《ピクチャ》も島から出さずに済んだ。甲隊の働きは叙勲に値するな」

 本営は安堵と緊張の綯い交ぜとなった空気で静かな混乱に満たされていた。突然姫島に新たな|神妖《かみさま》が現れたとの報告が第一前站から上がったとき、神戸打撃作戦は失敗すると目されたからだ。挙げ句、しばらく展開はないだろうと思われていた〝ギンヌンガの衣〟の代わりに、同様の性質を持った翼状の放出が尾の先端から行われ姫島の一部を凪ぎ消したことは本営を大いに焦らせた。だがそれはすぐに消失し、|闇龗《サンダーインザダーク》は今は再び裸のまま進行を続けている。
 |黒妖蜥と白玉姫《シロノワール》の出現が大勢に大きな影響を与えることなく終息し、|剣尾翼《ティルウィング》がすぐに終息したことは、本営としては胸を撫で下ろす結果に収まったことになる。だが、それは突然中間に生じた想定外を影響なく納めたに過ぎない。作戦の本筋は依然続行中で、その観点では安堵を覚えるような要素は一つもないのだ。

「神戸打撃作戦が成功すれば、ですがね。先の|剣尾翼《ティルウィング》が、チャージ途中の〝ギンヌンガの衣〟を無理矢理ひり出したものではなく、別系統のクーリングタイムを持つ全く別の攻撃手段だとしたら、乙隊は〝ギンヌンガの衣〟ではなく|剣尾翼《ティルウィング》で、禁裏御守衛と同じ運命かも知れませんよ」
「そうであっても……最早作戦の変更など出来ない。そのほかにあれを止める手段など、日本は持ち合わせていない」
「まあ、〝ハバキリ〟は使いたくないですよね」
「あれが宇佐に入るとどうなるんだ。宇佐ではなく中津で唐揚げを食べたいだけかも知れんぞ。この作戦には何の意味があるんだ」
「そんなことは我々が気にすることではありません。我々は指示通り目標が目的地へ移動することを障害する、それが仕事です。軍が軍独自の良心など持つのは、危険なことです。」

 自衛隊は軍では、と言いかけたところで男は口を噤んだ。「今ここで安全保障を論じても仕方ないな」。

「電磁砲塔群の射程内まで後どれ位だ」
「現在の速度では80分程度と思われます。」
「|被造神《ピクチャ》が死んでから速度が落ちたな」
「あんなバケモノでも子供が死んだら悲しいものなんですかね」
「ほっとくと生き返るけどな」

 神戸打撃作戦の本攻撃は、双子山稜線に配置された02式主力特車に搭載された車載電磁砲塔の射程内に目標が侵入したときに開始される。|電力消費の激しい《大食らいの》電磁砲塔の多数利用には、膨大な電力を要する。10輛もの02式に電磁砲塔を搭載して、1撃を発射するだけではなく長時間運用するなど、前例がない事だった。

「軌道発電衛星〝あまてらす〟による観測を停止。敵情観測は〝あまてらす〟を除いた哨戒設備のみに切り替える。」
―観測経路、切り替えます。広域放出陽電子観測精度90%低下、目標の通常観測範囲42%縮小、映像解像度に変化はありません。|再結像《リフィギュレート》します。〝ギンヌンガの衣〟再展開、ありません。
「|東小笠原洋上浮揚受変電施設群《南洋レクテナ》へ連絡、厳戒的計画停電実施を発令。」
―政府不明破壊活動主体対策室へ、計画停電実施を要請……受諾。これより、翌朝|0500《まるごまるまる》迄西日本広域に計画停電が実施されます。
「軌道発電衛星〝あまてらす〟のオペレーション権限を確認しろ」
―権限、確認しました。送電座標の試験変更を実施、試験に合格。
「配置乙隊は戦闘準備。神戸打撃作戦第二フェイズを開始する。」
―神戸打撃作戦第二フェイズ、開始
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