真・東方夜伽話

ルミナス世界と日出ずる国の革命布告(ニューワールドオーダー)③

2018/12/28 03:06:43
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ルミナス世界と日出ずる国の革命布告(ニューワールドオーダー)③

みこう悠長
◆ ◆ ◆



 地下へ降りたその空間は、しかし全く地下らしい暗闇をまとっていない、むしろ晴天の草原に見るような眩しい光が天井一面から降り注いでいる、その面光源は全く不明だが、温かみさえ感じるその光によこしまな者は一切感じられない。聖なる哉、までも思ってしまう黄金に優しい日差しだった。

「太子様」

 地下に広がる大霊廟は、まるでひたすらに広大な板張りの廊下のようにも見えるが、それはその広がりを直観する者の認識力に於いて最も平たい対象を引用しているからに過ぎない。どこかへ繋がっているようでありながらその端と端は計り知れず、だが出ようと思えば一歩踏み出したその先に末端が現れる。この霊廟は現世界の空間に強制挿入する形で作成された霊的な平原だ、卑俗に言えば亜空間であり、空間ではないため実空間と競合はしないが、空間とほぼ同じ振る舞いをする。
 霊廟として展開されるこの亜空間の「そこにいる」と認識されたその場所に、彼はいた。

「布都、どうかした? |大地《ゆか》がこんなにも荒れている、布都、何かを急いているね」
「申し訳ありません、太子様。どうしても気になってしまって……」

 誰かにとっては板張りで、誰かにとっては石造り、また誰かにとっては黄金の飾り板で敷き詰められた床は彼女の周囲へ視線を寄せるにつれて変容し、足下は最早ゴツゴツとした粗剛の岩床になっていた。その地面に平伏している女と、平伏し仰がれているのはこの強大な霊廟の主だ。
 神子はつま先が地面に触れるか触れぬかという高さにふわりと浮いたまま、両手を胸の前で合わせて目を閉じ、物部布都に向かっては背を向けている。背中で会話をするなどこの神仙には容易いことなのだろう、殊、声を聞くと言うことに関しては。そうして並べば、主従の向く同一の方向には、更にまるでこの主もそれを拝しているような構図で、一柱の直刀が浮んでいる。鏡面に磨かれた刀身はその表面に神子の顔を曇り無く映し出している。豊里耳神子から見れば、その鏡面越しに物部布都の平伏する姿が見えていた。
 鏡のように磨き上げられた刀身は宝飾のようであり、武器としての剣を全く期待されておらず、祭神器の様子を呈している。光を照らし返す、それは剣と言うより鏡。その|剣《鏡》は豊聡耳神子の所有ではあるが、こうして見れば、豊聡耳神子もこの剣を奉っているようにも見える。現に今は主の目の前に立っているが、そのもう少し向こうを見れば厳かで豪奢な祭壇が見え、その祭壇の中央部分には大きな円形の象形、その中央から地面へ下るように一直線の溝が穿たれていてそれはこの剣の鍔の無く真っ直ぐな直身と、放射線状の装飾を施した特徴的な柄頭も含めてぴったりと嵌まり込むようになっている、|正《まさ》しくその溝こそこの|剣《鏡》の収まるべき場所なのだろう。

「影を追ったのか」
「太子様。〝朔〟は、本当に放置してよい現象なのですか? 我々はこの幻想郷で幸いにも再び生を受けました。今度こそ大望を成就させるべく尽力しているときに水を差すような影、しかもこれには因縁さえ感じます。博麗も博麗です、これを知っておきながら、事が大きくなる前に収めようとしないなんて。」

 豊聡耳神子は、自らが奉じる|飾り直刀《七星剣》へ手を伸ばして指を立て、その指先で印のような軌跡を結ぶ。何の文か、それは文字ではなく唯文である、何故なら豊聡耳神子の力のルーツを遡れば、それはまだ文字の存在しない|古《いにしへ》であり、けだし、それは幾何学模様と形容すべきだ。その文が結ぶ奇妙な軌跡が赤い光を引いて流れ舞うようなその指の運びが始点へ戻り接続されると、|剣《鏡》はひとりでに浮遊してゆっくりと祭壇を昇り行き、そして旭線央を刳り抜く円形の中央に刻まれた収まるべき溝へ、ピタリと吸い込まれるように嵌まり込んだ。
「 」と、豊里耳が解読し難い音を口にする。それに呼応するように、霊廟中に注ぐ光が偏向して祭壇を目指した。光を奪われた周囲は暗くなり、祭壇に集められた光の目映さを際立たせる。祭壇の旭光の集中線をなぞって光が集まり、日像の周囲を舐めた光が円心へ向かう。祭壇に描かれた日像の中央に柱然と収まった剣の柄頭に伸びた小さな旭光の腕を伝って、霊廟を満たしていた夥しい光線がその根元に備わった小さな日像の中央へ収束する。霊廟中の光はそこに吸われたというのに、|剣《鏡》に集められた光球から拡散する光で、霊廟の中は明るく照らされている。

「太子様!」

 光球は、霊廟に注ぎぐ光を吸い込み続け、その径を大きく膨らませていく。剣自身を飲み込むほど、祭壇を取り込むほど。膨らみ、膨らみ、光が蜷局を巻いて蠢き流れるのが感じられるほどに膨らんで、そして……そこまで膨らんできた速度を蔑ろにするほどの速度で、穴の開いた風船から空気が抜けるときのように急激に萎んで、消えてしまった。
 偏向を解き放たれた光はそれまで通りに霊廟を燦然と照らし出し、何事もなかったかのような光景に戻った。

「ああ……まだ……」

 光の膨らみに感嘆の声を上げていた物部だったが、その光が萎んで霧散してしまったことに今度は落胆の声を上げる。その落胆の様子は、豊里耳の方も同じだった。光が消えたのを見届けてから、物部の方を振り返る。

「この通りだ。この程度の|日出《ヒスイ》では、まだ早いんだ。」
「申し訳ありません。我と蘇我が、オカルトボールの蒐集に失敗したせいで」
「いやいい。あのような方法ではどの道満足な成果にはならなかったよ。あのイベントの裏にある仕組みに食われることの方が、余程拙かったろう。我々の知名度はそれでも向上したし結果的にはプラスだった。」

 頭を垂れたまま謝罪する物部に対して、豊里耳は明るい声で頷いて見せる。さあ、立って。物部の手を取って引き上げて、その顔を上げさせて立ち上がらせた。

「焦る必要は無い、だって私達はこうしてまた3人揃ったじゃないか。何年振りだろうか、気が遠くなる。眠っている間は記憶がないって言うのに、それでも長かったと分かるくらいなんだ。だから、大事に使おう、この再臨を。まだ信仰があるこの土地は、最後の機会かも知れない」
「ですが、〝朔〟は着実に進行しています、我々の事などお構いなしに」
「それでもだよ。いざとなれば博麗が、あの裂け目の獣がどうにかするかも知れない。それに今は赤の封印が効いている、博麗との利害が図らずも一致しているんだ、この有利を利用しよう。」
「御意に」

(太子様は、鏡を完成させることが出来ればそれでよいのだ。だが、私や、蘇我は違う。この業を太子様と一緒に通り抜ける事は出来よう、だがそれではきっと……後悔する)

 やはり、まだ動かぬか。そう焦りを感じながら、物部の娘は伏せた顔の下で苦々しく歯噛む。

(奴を焚き付けて、事を加速させれば……太子様も)

 物部の頭の中には、蘇我も気に留めていたかの人物が、描かれていた。



◆ ◆ ◆



 ベッドの淵に腰掛けて、股を開いていた。

「|日《のぼる》」

 部屋は汚い、汚いというのは壁に汚れが付いているとか、全体に猥雑としているとか、そう言う性質ではない。床というものは足下には広がっていない、ぬいぐるみが山積みになっていて、足を動かし歩こうとする度に何かのテーマパークアトラクションかと思わされる、その袋の層から足を引き抜き、それらを蹴って進み、また足を差し込まなければならない。様々のぬいぐるみ、人形が乱雑に入り交じっていて、それは可愛らしいキャラクター性の者には違いないのだが、足蹴にされることが前提に床に、壁際では高さを持つくらいに重ねられていて、愛玩を目的に収集され飾られているのとは違う。

「……」
「|日《のぼる》。」

 二言目は、最初よりも少しばかり語気が強い、僕の名前を呼ぶ声は聞き慣れたものだ。
 まるでぬいぐるみの水面に浮かんだ孤島のようなベッドから僕を呼ぶ、それがローレライの呼び声で僕はそれに不可抗力に誘われるのならばどんなにか救われたろうか。しかし僕の意思はしっかりとそれに嫌悪感を抱いていたし、足と意思自体は間違いなく接続されていた。逃げ出そうと思えば逃げ出すことは出来た、それでも僕の足はぬいぐるみの水面に突き立った棒きれの様であったし、剰え呼び声の方へと鉛のように重たい足取りで、歩み寄ってしまう。
 その孤島の上にも乱雑に折り重なったぬいぐるみと人形、まるで死体のように打ち捨てられている。僕はそれを見ないようにしながら、だがそれはこの部屋中に敷き詰められている、見ないことなど目を瞑る以外に不可能なことだ、ふらふらと魔女の方へと呼ばれるままに。

「|日《のぼる》、さあ」

 僕の怠慢な歩みに更に語気を強くする。この部屋はぬいぐるみの死体で埋め尽くされているだけではない、噎せ返るような強烈な匂いが充満していて鼻腔を抜けてはいに満たされる空気にはまるで味が付いている、それは甘い、だけどどこか篭もった生臭さ、正露丸の花蜜漬け、草いきれを集めて兎小屋の空気をスパイスした、草饅頭を焦がした、エスニックのお香をスプレーにした様な、絡み合って複雑な、決していい香りとは言い難い、一度嗅いだら忘れられない奇妙な匂いだ。
 壁際はぬいぐるみが堆いが、見える壁には写真が裸のまま画鋲で敷き詰めるように貼り付けられている。重なっている部分もある、むしろ重ね合わせて壁を隠し、写真で写真を隠すかのようにびっしりと塗り潰すみたいに。
 ただ一方向の壁だけはそうなっていない、その一面の壁際には仏壇のような神棚のような金色と黒、それに幾らかの飾りの付いた趣味が良さそうにはとても見えない、中国や韓国の霊廟とも違うが意匠としてはそれをミニチュアライズしてケバくしたようなものが置かれており、燃えた後の蝋燭の根っこ、それに灰が満たされた香炉が見える。この奇妙な匂いはこの香炉から立ち上る煙のものだ。
 この匂いを嗅いでいると、頭の芯がジンと痺れるような感覚に襲われて、それでもなお嗅ぎ続けていると、だんだんと心身がおかしな事になってくる。

「はっ、はっ……」

 鉛の棒に括り付けられた肉の塊みたいになっていた筈の僕の内臓は、急激に活発に沸き立ってくる。呼吸が荒くなって心拍数が上がり、汗が流れ出て喉が渇く。視界はぼやけて耳鳴りがする。意識は磨りガラスの向こうに封印されたみたいになって手が届かない。だのに一点だけ奇妙にクリアに見渡せる場所がある。

「|日《のぼる》」

 声の主だ。そうして魔女の姿だけが意識の目指すものだと感じられるようになる頃には、壁にびっしりと貼り付けられた無数の写真が全て僕の幼い頃の写真だと言うことも、床を敷き詰めて壁際には堆く積み上げられたぬいぐるみ一つ一つの顔面にも僕の顔の写真が貼り付けられている事も、目の前にいるその魔女が、母であることも気にならなくなってしまうのだ。
 もう、ここを立ち去るという選択肢は、消えている。かき消されている。決して嫌悪感や意思がかき消されているわけではない、ただ、この魔女が要求してくるあらゆる事と、その要求を拒否した時の代償を天秤にかけたときの、結果に狂いが生じてくるという事だ。そうするしか無いんだという強迫じみた考えを意識の中から追い出すことが出来ない。嫌だけど、そうするしか無い、そう思うしか無い。
 この匂いが脳の底を腐らせてしまい呼声の方へと、まるで夏の火に入るなんとかのように、歩み寄る。孤島ベッドの端にいる魔女は、僕を見つめている、いや違う、睨み付けている。布地一枚まとっていない股を大きく広げて、僕を射殺すほどの目線で睨んでいる。そこに好意があるとは到底思えない表情は、その行為になぜ繋がるのか僕の思考回路では答えが得られない。

「早く来なさい」
「う……いや」
「|日《のぼる》!」

 強く呼ばれると、まるで全ての出口を塞がれたような気分になる、事実、理由のない恐怖感に苛まれて、僕の精神はあっという間に屈服し、僕はその声の通りに行動してしまう。出口なんてない、この隷従に。
 喉の奥が浮いたような感覚、吐き気の一歩手前、えづくような不随意の運動が喉、胸の奥そしてお腹の上辺りに波打つように広がっていく。手足の先からは血の気が引いて冷たく冷えていった。薄暗い部屋を視界が、一層濁ってぼやけて見えた。

「ああ、本当に、あの人に似てるわ」
「……」

 母は、僕に誰か別の何者かの面影を重ねているらしい、それは、父ではない、ように思えた。はっきりと聞いたことはない、聞きたいとも思わない。ただ、もし「父ではない誰かに」「僕が似ている」というのなら、一体どういうことだろうか。考える気になんてなれない、聞きたくもない。

「父さんに言ってもいいのよ、このこと」
「いいません」

 僕が母から性的虐待を受けている(これは家庭内の教育と交流の一環として〝整理〟されている)ことは、父も知っている。だが、母が僕に誰か別の男を重ねていることまでは、知らないのだ。これを告げ口したところで僕になんのメリットだってないだろうことは予想がつく。黙っているしかない。母のその発言は、そこまで考慮して僕にこんなことをさせるのか、それともただの後先考えない狂気なのか、僕には判断がつかない。父のことにせよ母のことにせよ、もはや僕がどうのこうのしたところで動かせる事実ではない。僕が動かせないことを無理矢理に動かそうとすると、想像だにしないろくでもない結果が訪れるに決まっている、同じ事実に対して実質的に動かすことができる人物にとっては僕の不確かな行動など取るに足らないことなのだから。僕が僕の手で動かすことができる事実は、「この状況を耐えるか耐えないか」「進学、就職をまともにするかしないか」この点に限られる。
 施設に入ったりなどすれば、今のような生活からは開放される。だが今のような生活はできなくなる。家という社会からは開放されたいが、学校という社会はこのまま進まなければならない。家庭の状況はずたずただが、反面教育はまともに受けられている、進学もおそらくは可能だろう、宗教上の理由があるのらしい、もしかすると優秀な子供を入信させることが何らかのステータスになるのかもしれない。そんな温度感の言葉は講話か何かで耳に挟んだことがある。施設や保護に入ればこの双方の状況が大きく変わる、国公立以外は経済的な理由で無理になる、僕にはそこまでの頭は備わっていなくて、私大に入り奨学金など受けようものなら社会に出てから潰れてしまうだろう。

「よく顔を見せて」
「はい」

 母は僕の顔に手を添えて上向かせる、母親の顔など僕は《《そんなふう》》に見ることは出来ない。でも、母は僕のことをそういう目で見ることができるのらしい、父ではない、誰か別の男を重ねて。
 母に口付けられる、お世辞にも心地がいいと言えない妙な味が口を伝ってくる。部屋に充満した匂いと混じって、激しい嫌悪感を湧き立てるがこの女はお構いなしだ。舌が入ってくる、粘り気が強いのは歳のせいだろうか。僕の口の中のほうが潤っているせいで、女の舌は僕の中の水気を求めて縦横無尽に動き回る、この干乾びかけの女にこれほどの生命力が残っているのかと思わされるほどの、貪欲な舌の動き。僕の口の中を舐り回す内に、母の口の中も潤ってきた、気分の悪いことだが。

「いい子ね|日《のぼる》、|日《のぼる》……」

 魔女の伸ばした手が口を離したばかりの僕を引き寄せて、跪かせる。僕の顔の目の前に母の〝女〟があった、濡れている。今の口吸いでこうなったのかと思うと、吐きそうだった。慣れる、位には《《して》》いるつもりだけれど、決して慣れることはない。慣れて、堪るものか。
 僕の嫌悪感を他所に、魔女の表情はうっとりと現実ではない何かを見ているよう、吐息は熱を帯びて声は媚びた何か、その声の強制力はそのままに、魅力などつゆほどもなくて、ただただ嫌悪感。でも、しなければならない。これは僕が、自立できる年齢になるまで支払い続けなければならない、税のようなものだから。時が来れば解放される、筈だ。それまで、なんとか耐え忍ぶんだ。

「さあ、お願い」

 汚い言い方をするのなら、今の両親と家庭という滑走路は管制塔はデタラメを言うが距離自体は備わっていて管制官の声に惑わされなければ十分に飛び立てる、この状況を脱するために公的な支援を受けるような立場の滑走路は管制塔は正常だが距離が最低限しかなく失敗が許されないというイメージ。飛ぶためにどちらに掛けるかといえば、自明だ。
 だって大人はみんな言う、この親ではなくとも大人はみんな口を揃えて、若い頃に我慢し積み上げたものが大人になってから花開くと。ならばこれは今積み上げるべき(当然他の人に比べれば無駄に要求が多いのは間違いないが)ことなのだ。本当に支援を受けなければならない人というのは、そもそも管制塔も滑走路も破滅している、耐えるべき今さえない人達だ。だが僕は違う、今を我慢すればその先は何とかなることが見えている、形が特殊なだけで、大人たちが口を酸っぱくして言う状況そのものだろう。決して良好ではないが最悪でもない中途半端な状態、これを救ってくれるものは公的だろうが個人的だろうが、存在しない。我慢して切り抜けるしかない、完全に無駄な試練だという自覚くらいはガキの僕でもある。今我慢するのをやめることの方がリスクが高いと、僕は考えている。
 どんなに、尊厳を踏みにじられても。
 〝おねがい〟と言われて何をするべきなのかを、悲しいことに僕はよくわかっていた。これはもう何度も繰り返されたこと、その度にすべきことは教え込まれて、もういちいち一つ一つの指示がなくても出来るように覚えてしまっていた。

「はい……」

 僕が女の股の間に顔を押し込んで、嫌悪感を掻き立てる匂いを漂わせる肉裂に舌を伸ばす。触れる先から臭い液体を感じ舌先に絡み付く、吐き気さえ催すがそれを拒否することは出来ない。じれったい、そう言外に伝えるように魔女の腕が僕の頭を掴んでまたの間に押し付けてくる、否応なく女の淫裂にべっとりと口をつけさせられ、そしてその割れ目の間に舌を差し込むことを強いられた。女の股はみるみる臭い液体を染み出して僕の顔を濡らしていく。舌の動きが悪いと、咎めるように頭を押さえつけ顔全体で陰部を擦る様に動かす、それが嫌なら舌を使って《《満たさなければ》》ならない。

 ちゅぷ、ちゅぱ、くちゅ

 これが好きな女性が相手だったら気分がいいものなのだろうか、高ぶるものなのだろうか、目の前の女性はその通りなのらしいが、僕には想像が出来ない。
 何度も何度も教え込まれたように、舌を使って割れ目の周囲をゆっくりとなぞり、時折中心の中に舌を入れ、口を窄めて中を吸う。相手が高まっているのかは雰囲気でさっしなければならない、頃合いを見て口愛部の対象を淫核にシフトする。
 愛液の味で察しろと、言う。わからない。いや、わかっているけれど、それが興奮の度合いや、性的な高まりの結果だとは、信じたくなかった。ただの純粋な事実の変化として認識している、それが訪れたので、舌先を上の方へ移動させて、ぷつっ、と固く迫り出した突起を中心に舐め、つまむ。
 母が、まるで別の生き物のような声を漏らし始める。味の変化した粘液は量を増やし、僕の顔に当てられている腰が波打つようにくねっている。頭を押さえつける力は増して、逃さないと伝えてきていた。
 頭上から響く荒い吐息の音は性的なものに聞こえない、猛獣が敵を威嚇するときの喉鳴りにしか思えなかった。その奥から、黄色い悲鳴を押しつぶしたような、音がはみ出している。あれは、嬌声なのだろうか。

「|日《のぼる》、のぼるゥッ! アアッ!」

 血を分けた息子に向けてかける声色だろうか。僕にとっては肉親の嗄れかけの喘ぎなど、色気など何も感じない。だが母はお構いなしだ。一人で勝手に高まり、一人で勝手に絶頂へ駆け上っていく。
 勃起するわけがないのだ、それは母も諦めた。まるでスマタか何かのつもりか、全く固くもならないペニスに自分の陰部をこすりつけるようなことこそすれ、性交に及んだことはない。だからって、それがなんの救いになることもないが。
 僕が恐らくとどめになるだろうタイミングで、淫核に前歯を立てる。甘噛みしながら、その先端をした先で撫でたり突いたりする内に、母は声もなく背を反らせて、達した。口の中に大量の液体が染み出してくる。口に含むのも嫌だと顔を離した、腕は追ってくることはなく、しばらく僕の目の前で夢見心地の表情を浮かべ、そして僕を抱き寄せた。荒い吐息が聞こえる。

「……母さん、僕はもう」
「違うでしょう。今は、《《なんて呼ぶのだった》》?」

 僕は、目を瞑ってその方を見ないようにしながら、母親のことを下の名前で呼んだ。



◆ ◆ ◆



「それ、どーすんの? つくりすぎじゃん。たべれるの?」
「どんなに沢山つくってもルーミィ、食べるじゃないか」
「そりゃあ、もったいないもん」

 寸胴に煮込んでいるのは、カレーだ。カレーは何を隠そう意外にもローリーの好物。彼女のリクエストで(リクエストを受けたのはルーミィなんだけど)今日の晩ご飯はスパイスをふんだんに使ったスープカレーだった。人が入っても丸ごと煮てしまえるような大きな寸胴に、なみなみとカレーが煮えている。我ながら美味しそうだぞ。

「奥さんのこうぶつだ」
「そうだよ」
「ごくろうごくろう。私もすきだからおっけー」
「本当の当番はルーミィなんだけどねえ!?」

 しゃばしゃばのルーはご飯と一緒に食べると言うよりはご飯と交互のスープ、具は根菜をざく切りにしただけのごろっとサイズだ。このサイズ感はルーミィの好み。それに骨付き鶏肉をことこと丸一日煮込んで骨まで食べれる奴こそ、ローリーの注文だった。好きなんだってさごろっと鶏肉のチキンカレー……。
 米や根菜はボクらの|居領地《ナワバリ》からの上納だが、スパイスはこの幻想郷でも生産自体が限られている。どうやら幻想郷の多くの地域ではカレーに使うようなスパイス・ハーブを栽培するのに気候が向いていないのらしい。それでもそうした香辛料が容易に手に入る場所が、一カ所だけあった。

「幽香さんもカレー案外好きなんだよなー。食べてるとき嬉しそうで」
「そーなの? いっつもきげんわるいーじゃん。気分よさそうにごはんたべてる幽香姉みたことないよ」
「それは幽香さんをちゃんと見れてない証拠。よっくみるとね、口の端が少し上がってるの、あと三白眼の白目の割合が少し少ないんだよ、機嫌がいい証拠。ボクくらいの幽香さんマイスターになると、朝の第一声の声色から、あの日が近いかどうかまでちゃんとわかる」
「……それマジでキモいから本人にゆうのやめときなね?」

 昨日の夜から火にかけっぱなしで、煮詰まらないようにだし汁をつぎ足しながら見張っていたカレーもついにできあがりだ。こんなことばっかやってるからルーミィに押しつけられるんだろうか。

「お。いー匂いするじゃんか。カレー?」

 部屋に入ってきたのはチーだ。入ってくる鳴りくんくんと鼻を鳴らして匂っている。

「ルーミア、カレーなんか作れたんだ?」
「うん。とくいだよ。」
「えっ」
「まじかー、知らなかったわ。こりゃあ、うかうかしてるとルーミアにミスティア取られちまうな?」
「や、このカレー、ボクの」
「さー、できあがりだから、よそうね。たべてたべて。」
「おーい、ミスティア、ルーミア特製のカレーだってよー」

 ローリーの居住に向かって、チーが誤った情報で呼びかける。

「いやいやいや、これボク作ったんだけど」
「今日のご飯当番ルーミアだろ、何言ってんだよ。ミスティアの点数稼ぎたいからってそれはズルいだろ」
「はー! とっても自然な行き違いですね!」

 じゃあボクが今手に持ってるこのオタマはなんだっての、あ、ルーミィも持ってるわ。
 ボクが誤解を解こうとあれやこれやと言っている間、チーはカレーを作っている寸胴をくるくると見回しながら首をかしげている。

「こんなでかい鍋、あったっけ?」
「うんー。むかーしに、用があって。一回使ったんだけど、それっきりだったの。」
「用って、ルーミア料理しないとか言ってなかったか?」
「うーん、ちょっと煮物をつくったことがあって、それでねー」

 ねー、リグル。なんて言って視線を送ってくるルーミィ。

「えっと、うん。まあ」
「ふうん。そういやお前等案外長いんだよな、ミスティアもリグルと随分昔から知り合いみたいだしさ。あたいだけ何か仲間はずれってーか、なー」
「そんなことないよ。チーがいないとボクら4人はやってけない、誰が欠けてもダメだよ」
「リグルらしいユートーセーなセリフだな」
「ほんとだってばあ」

 なんだか納得いっていなさそうな表情のチーに、ルーミィは「はいはいかれーだよー」とご飯をよそっている。
 ルーミィはあんなことを言っていたが、あのことを一体どこまで覚えているのだろうか。出来れば余り思い出して欲しくない、出来ればと言うか、絶対に。おたまを振り回して、2人にカレーをよそって自分も満足そうに笑っているルーミィを見ると、あんな出来事、嘘だったんじゃないかって思えてくる。でも、それが嘘じゃない、夢じゃないと思い知らされるのは、あの赤い髪飾りが揺れていることだ。あれは、彼の耳飾りと同じ|呪《シュ》がかかっているのだ、それはまだ、生きている。

「おっ、ミスティア来たな。今日はチキンカレーらしいぞ、ミスティア好きだもんなー」
「うん。ルーミアのカレーなんて初めてだね。人間肉とか入ってない? それはそれで大好きだけど」
「こないだたべたばっかじゃんか~」
「うふふ、そうだね」
「えー……ローリーまでぇ」

 こう言うときのローリーは本気なのか冗談なのか分からなさすぎて困る、ほら、この穏やかすぎる笑顔、無表情と区別つかないっ。怒ってる時もこの笑みをするのをよく知っている。

「ほら、リグルもさっさとよそって。たべよ」
「ボクにはよそってくれないんだ?」
「はいはい」

 まったくしょうがないなリグルは、と翻訳できそうな溜息を吐いてルーミィは鍋の中をお玉でぐりぐりかき回してから、あ、それするとですねルーミアさん

「はーい、どーぞー」
「ルーミィ、わかってやってるでしょ」

 そこの深い寸胴は気を付けて混ぜていてもどうしても底の方が過熱気味になる、上の方までしっかり火が通る火力を保つとちょっとでも目を離したらすぐに焦げ味が出てしまう。一番底の鍋の周りはそれが顕著で、余りかき回さずに底の方で少し堅くなってる分は食べないつもりだった、のに。

「しゃばしゃばねえこのカレー。こうやってかき混ぜてたら、固まるかなあ」
「これはそういうカレーなの……うわぁ、香りだけでも少し焦げ焦げしい」

 麦飯ダムの堰止める方によそわれたカレーは、所々に黒い粒が浮いている。

「ルーミィ」
「んー?」
「やっぱこないだのあれ、怒ってる?」
「おこってないよ」

 いやー、ほんとに怒ってないんですかね、なんなんですかねこの仕打ちは。

「リグルがあれからさっぱりえっちしてくれないからって、おこったりしませーん」
「え゛」



◆ ◆ ◆



「そう怒るなって、愛してるぜ」
『何を言ってるんだ、そんな安っぽい科白』
「やすくねえよお、お前以外に言ったことなんてない」
『嘘をつけ』

 その声の先には誰ももいないように見えたが、ベレー帽の女は確かに誰かと話している。
 白昼街中の往来を、人波に逆行するように、だが堂々歩く女の姿には妙な存在感があった。白に近いほど極度に明るく彩度の低いミルクティアッシュのロングヘアを垂らし、前髪は全てベレー帽の中に納めているのか額がつるんと出ている。白いサマーセーターにサスペンダーを掛けデニムのワイドパンツ。サマーセーターの上からはそれ以外の揃えからは少々浮き気味なレザージャケットを羽織っている。その恰好だけを見ればガーリーに聞こえるが、当の彼女の目鼻立ちは鋭く顔は小さいまるで外人モデルか何かのような鋭利な印象を受ける、ともすれば美形の男性と言っても信じる者もあろうか。印象的なのは、瞳と唇の赤色だ、唇が赤い分にはルージュでも塗っているなら合点がいくが、瞳の赤さに注目すれば、瞳以外にも瞼の厚みに除く粘膜もまるで血を湛えているように赤い、少々赤の瑞々しさが過ぎる。メイクの観点で言えば、女の肌は少々白さに過ぎる、乗せたチークの赤も妙に鮮やいで見えた。

『つまり、影とはただの光の阻害による照射欠如現象ではないということだ。』
「わあってるよ、それくらいはさ」

 雑踏を交い潜るように人の流れを逆行しながら、独り言としか思えない声でしゃべる。人並みを逆行しているせいで注意深く見る者は少なく、見てもすぐに見失う、だがもしそれでもしつこく目と耳で追う者が仮にあれば気付くだろう、独り言のように聞こえるが、その喋りには相手の声があることに。

「〝影法師〟って呼び方で親しみと畏れを共存させてるのがいい例だ。まるで、ほんとに存在しているものみたいに扱われる。」
『影も、《《影ではない方》》の半身なのだ。影ではない方とは〝本体〟を必ずしも意味しない。まるで私達物質の付属品のように考えられがちだが』
「おまえは物質じゃないだろ。ともかく、影は陰だ、たとい存在するのであっても、日の当たる場所には出てこれない、そうだろ?」
『どうだかな。影はまだ十分な分析が進んでいないのが現状だ。これを|呪《のろい》の一種と見る向きもある。』
「呪いだァ?」

 女は歩きながら、誰とも目配せをする様子もなく、だが時折海外ドラマにでも出てくるようなオーバーな身振りを交えて誰かと会話を続けていた。雑踏を遡航するその異様な一人は、乗っている人の流れそのものを背景映像にでも変えてしまいそうに、浮いて見える。
 その声はまるで帽子の内側から発せられているようだ。あのベレー帽は内側にヘッドセットでも仕込んであるのだろうか。最近ではヘッドセットのイヤホンとマイクを用いて携帯電話の通話を行う者も多い、ベレー帽の女が会話している相手の姿はここにはない、だがミルクティアッシュに遮られがちな耳元にも、イヤホンらしい者は見当たらなかった。それこそ、影とでも会話しているみたいだ。

『〝かげ〟、という言葉について言えば、これは不思議な言霊を与えられている。通常〝かげ〟といえば|Shadow《影》を指す言葉だが、〝つきかげ〟という言葉では|Shine《光》の意味である。ひとかげでは|Shape《姿》を含意し、〝ものかげ〟では|Shade《陰》の意味になる。実に、光の当たらない部分という意味では〝ひかげ〟があるが、こうした意味を踏まえてから見直すと、〝日(shine)の形(shape)〟という捉え方も出来る。光によって形作られる、物質の投影が、影、なのだろうか。それとも、影が投影されるからこそ、光の働きが証明され、物質の存在を担保できるのだろうか。それを、光というものがもたらした原初の|呪《のろい》と解釈するものもある。』
「解説ありがとうよ、あたしには難しくてさっぱりわかんねえな。分かるのは、呪いってのはおっかねえって事だけだ」

 ベレー帽の女はそうした確信を持ってここを歩いていた、というのは、人の群の中でしかも動きを同じにせずに歩き続けるならば、こんな風に機密な内容の会話をしていようと誰一人として会話の内容を気に留めたりしないということだ。都会慣れした女の隠密は、それ相応に特化している。音も漏らさない密室よりも、カウンターサラウンドだらけの大都会の雑踏の中の方が余程〝静音〟なのだ。徹底的に立ち入り禁止を施した密会よりも、様々な人がいるからと寛容な無関心の坩堝である大都会の雑踏の中の方が余程〝無人〟なのだ。
 だからここには、女一人と、もう一つ何者か声の主だけがいるのと、同じだった。

「ったく、本業も捗ってねえってのに、厄介な仕事ねじ込みやがって」
『〝本業〟とはどれのことだ?』

 頭上の声が少し転がるような声色で言うと、女は少し顔をしかめてから言う。

「そっらあモチロン、ただ|女《スケ》をファックするつもりがテメエの会社が月までブッ飛ぶようなどでかい地雷を踏んだ阿呆に向かって『心のスキマをお埋めします』って小さい方の地雷をふっかける商売よ。アタシは焚書屋だぜ、〝都合の悪い歴史はなかったことに。舐めても平気なくらい綺麗な経歴はいかが?〟ってな。アア、昨日の仕事はボロかった、いつもあんな金払いのい政治家ばかりが客ならなあ!」
『断章探しはいいのか』
「そいつはただの趣味で仕事じゃねえ、二の次だ。今は……神社本省の仕事が愛しくてたまんないね、昔話の断片探しなんて、もう真っ平だ」
『ふ、よく言う』

 ちっ、と舌打ちして、しかし不機嫌どころか苦く笑った表情で、女は頭の後ろで指を編むようにして肘を持ち上げる。

『あんまりサボってるようだと|名《そいつ》も持って行かれるぞ、他のと違ってそれはお前専用のものだ、唯一無二故に改竄が効かない。その名前、折角やったんだ、持ってかれんように気をつけろよ。』
「安心しろよ、お前以外にゃやらねよ」
『要らん、〝趣味〟のためにでも使えばいいだろう』
「おっ、もしかして妬いてんの?」
『ちがう』
「妬いてんの?」
『ちがうと!』
「妬いてんのかー」
『違うと言っているだろう! そんなことよりどうなってるんだよ|照道《しょうとう》の調査は!?』
「おー、かわいーなー、愛してるぜ」

 くっくっ、と趣味の悪そうな笑い方で肩を上下に揺らして笑う女。ベレー帽の中から聞こえる声は黙ってしまった。

「こないだ《《彼》》に接触しようとしたら、逃げられちまったよ」
『ふん、どうせいつもみたいにガラの悪い目で睨んだのだろう?』
「そんなことねえよ、今と同じく至って普通の女の恰好してったサ。でも手がかりどころかビンゴかも知れねえな、ビルでもぶっ飛ばした指名手配犯でもなきゃあ、あんなビビり方しねえ。ちらりとしか見えなかったが目が死にきってた、隠すのに疲弊してるのかもな」
『テロの犯人などどうでもいいだろう、検非違使にでもやらせておけ。無影は他の場所では出ていないのか?』
「検非違使ってな……」

 ベレー帽の女は人の流れに逆らう形で紛れながら、喫茶店を目指していた。よく行く店だが、喫茶店のくせに昼間から喧しい音楽を大音量で流れていて、とてもではないが気が落ち着くような空間ではない、しかも音楽のジャンルには全くこだわりも感じられない。会員制で客は少なく、その頓着のないBGMに加えて主都駅前一等地のファーストフード店よろしくブースが細切れになっていて、とにかく隣の席の会話が聞こえないように調節されている。つまりその店は、暗黙として《《こうした人間達》》ばかりが集まる店だ。

「今のところどこに行っても|梨の礫《このザマ》だ。写真がどれくらいのことを示してくれるかな、犯人の名前でも書いてありゃあ楽なもんだが。経費は神社本省持ちだ、仕事用の財布がデカいってのは気が楽でいい、手がかりになりそうなものは見境無く買い取ってさっさと終わらせちまおう。」
『そうやって今の名前も買い取ったのか?』
「親父が誰なのかも知らねえンだ、名前の由来なんぞ知ったことか。そもそも乗り換えた姓だってとっくに返上してる、その後も名乗ってたのは分家のショボい奴らだけだ。私がどこの家の者かなんて知らねえけどな。その証拠にアタシは今こうして卑俗な商売で身を立ててる、本来もう少し楽な場所で幣でも振って楽な生き方が出来るってもんだのに」
『神社本省の仕事なんかが回ってくるんだ、全く無関係とは思えないがな。少なくとも一般の便利屋やら胡散臭い霊能者やら|日本国《平和ボケの国》の殺し屋なんかに降ってくるような仕事じゃない。それに、お前は仕事に失敗したからって〝消す〟ことも出来ないんだ、そんな不便な業者に動機もなくわざわざ依頼するとは思えん』
「そりゃあ、アタシのこれまでの功績を買ってのことだね。都合の悪い〝聖徳太子〟が教科書から姿を消したのだって、アタシの功績あってのことだ。正当に評価されてるだけさ」
『それはお前の趣味の一環だろう』
「まあ、否定はしねえけど」

 さあ、お初の情報屋さんはどんなもんか、ご対面といこう。挑戦的な笑みを貼り付けて、ベレー帽の女は、立て看板に小さく書かれた店名「珈琲・賽縁屋」、その横にちんまりと口を開けている地下への階段を下っていく。



◆ ◆ ◆



「この写真、本物か?」

 暗号近接通信で受け取った画像ファイルに対して、ベレー帽女は、幾つかの発見を見出したようだった。眇めてそれを見る女には緊張の面持ちがある。

「どこかに違うデータ透かしの全く同じ画像のファイルが存在するわ。それを見つければ、お互いにコラやCGじゃないことの証になる。」

 高機密画像フォーマットは、元はワイヤドで氾濫する画像ファイルの改竄・複製への対策として開発されたもので、ファイルの更新やコピーに際してその追跡が可能な情報が付与される。コピーされれば複製元の割り出しが可能であり、この情報に誤りが無ければ捏ち上げの画像でないことの証でもある。同じ画像でも異なる電子透かしを持つ画像データであれば、それは双方ともオリジナルである事を互いに証明することになる。

「FreemasonVerifyねえ、だったら片割れも持ってこい。これは人狼ゲームじゃねえんだ、この世のどこかにあるものが真実の証明だなんてのは、偽物と変わりゃしない。信用ならん。」
「無理に買ってとは言わないわ。私達もこんな気味の悪い写真はさっさと焼いておさらばしたいもの。あなたが買ってくれないのなら、この喫茶店を出る頃には灰皿の中にきれいに収まっているでしょうね」

 クソアマが、そう本人達に隠すつもりもなく毒づくベレー帽。
 ベレーの女と、テーブルを挟んで対峙するように座っている三人組の女。警戒心をくすぐる細い目、両の口角が常に吊られたような口は左右に長い、どうもこれがリーダー格らしい。三人の風貌はバラバラだが同じ制服を着ている。地元の中学のものだがどうせ本物ではあるまい、情報屋なんて裏稼業を十代前半の人間がやっていること自体は日本以外ではザラな話だが、余程特権的なものでない限り、表の世界と紐付きの強い記号をまとってやるはずがないのだ、フェイクだろう。
 それとは別に三人の前には、制服同様に揃いの底の深いグラスが置かれている、いずれも内側に生クリームの白い筋を残しており、長いスプーンが使い捨てられるように刺さっていた。

「それの6掛けだ、それ以上は出さん。情報の正確性を放棄してるんだ、それでも出し過ぎだって自分を叱りつけたいところだぞ。くそたけーパフェを3人分も払わされてるんだ、それくらいのおまけはしてくれてもいいだろう?」
「4人分の間違いでは?」
「うるせーよ、目の前で3人揃って食われたら、こっちだって胃が黙ってねえ」

 腕を組んで難しそうな顔で三人に毒づくベレー帽の女の前にも、しっかりと食後のパフェグラスが置かれている。

「60万、若狭はそれでいいの?」

 糸目の女がそう言って左側に座る女の方を見るが、当の本人は携帯電話にくっつける位に顔を近付けて覗き込んだままだ。両手とも携帯電話の下部を忙しなく撫で回すように動いている、おそらくフリック入力を繰り返しているのだろう。糸目女に声をかけられているにも関わらず、携帯女は視線もくれず一心不乱に何かを入力していた。癖毛具合が酷いらしく、どこ場所から伸びた髪の毛も巻かれたように曲がっている。前髪は深々と顔を隠していて、眼鏡のフレームの下だけが覗いていて表情はさっぱり見えない。割合小柄なのに間違いはないが、余りにもサイズ違いの制服は袖を持て余しているのらしい、袖は携帯電話を操作する指先以外をすっぽりと隠していた。余った袖を鑑みてもなお制服としては異様に長い長いスカートは足首まですっぽりと隠していて、これが不良女学生を気取った衣装だとすると携帯を弄り続けるその様子とは酷くミスマッチだ。
 一瞬、携帯女の手先が止まったかと思うと、ヴッ、とテーブルの上の糸目の女の携帯電話が小さく振動した。それは裏返すと三角スタンドになるケースに収まっていて、今は常に画面が確認できるようにスタンドされている。それを一別した糸目女が、「ま、いいけど」と小さく息を吐く。
 若狭と言うのは、この携帯女の名前らしかった。携帯女は依然として忙しなく指を動かしている。その度に糸目女の携帯がテーブルの上で振動した。

「オイ若狭、せめて話してる和泉の方見て話せよ、このネクラ」
「赤石、やめなさい。客の前よ」
「でもよお……」

 携帯の画面から目を離さない若狭に声を上げたのは、糸目女を挟んで逆側に座っている、三人の中で一番小柄な女。体の小ささに加えて目を引くのは、冬でもないのにマフラーをして首元をすっぽりと隠していることだ。赤石と呼ばれていたが、短い頭髪は二人と違って脱色されていてかなり活発さを感じる、事実若狭に向かって発された言葉も声も、それを裏付けるに十分な言葉遣いだった。
 対し、中央の糸目女は、和泉と呼ばれていた。会話の内藤から見るに、やはりリーダー格はこの糸目の和泉らしい。
 和泉、若狭、赤石、いずれの名前もどうせ偽名だろうが。
 再び、ヴヴと揺れるテーブルの上の携帯電話。どうやらこの若狭という女、声に出す代わりに携帯電話にメッセージを送っているのらしい、ベレー帽女の方からもチラリと見える限りはそれはFlitterに似た画面、和泉こそ普通通りに声を出して会話をしているが、若狭は和泉と何らかのメッセンジャーアプリの文字列で会話に臨んでいるようだった。それに赤石の反応からするとこれは今ばかりの事でも無いようだ、普段からああして携帯電話で会話をしようとするのだろうか。
 和泉に制止された赤石は腕を組んでふて腐れた顔でそっぽ向いていた。

「若狭がそれでも構わないと言っているわ、私としてはもっと高くても構わない情報なんだけど。商談成立ってことでよいかしら、|焚書屋《フジワラ》さん?」
「ちっ、足下見やがって、こんな信憑性の怪しい写真に60万だと? ふざけている。」

 毒吐いた|ベレー帽の女《フジワラ》は、携帯電話を取りだしてアプリを起動している。それを見た和泉もテーブルの上の携帯電話を手に取り操作し始めた。

「どれを買えばいい」
「このリストにある商品を。それ以降の流れはこっちで管理……とは言わないか、着金までに何を経由するかは、神のみぞ知るって所だし」
「知ったことか。アタシは商品を受け取り金を払う、その金をどうやって拾うかはそっちで勝手にやってくれ。」
「いかにも」

 和泉の見せた画面にはワイヤドを使用したC2C通販サイト、イギリスの「CallingDawn」と日本の「-KIRISAME-」、それらの中にある24人の出品者の商品だった。それらの購入金額として料金を支払う方法なのらしい。和泉の言葉を察するに、これらの出品者から直接和泉に入金があるわけでも無いのだろう、これらの出品者(実体が人なのかシステムなのかさえ分からないが)が更に別の方法で金額を異動させ、それを幾つか繰り返して最終的には和泉の元に辿り着くと言うことだろうか。その間に通過する民間の通販サイトの手数料も、簡易ロンダリングのインフラ維持費として見做しているのだろう。

「……足しても60に足りてないようだが」
「勉強させて貰ったわ。焚書屋さんには今後とも長いお付き合いを願いたいところだし。差額は私がポケットマネーで補填しておく。いいでしょ、若狭?」

 和泉の携帯がぶるっと震え、画面の上側に「🐟わかさかな🐟」と名を振られたアニメチックな魚のアイコンから「いい」とのメッセージを受信した通知が現れたが、フジワラはそれを見ないようにしている。この業界では相手の情報を不必要に知らないことが長生きの秘訣だ。代わりにフジワラはそこから視線を逸らして、何故かコンタクトレンズを装着していた。虹彩の形状を認証情報ではなくカウントとした特殊なオンライン決済システム「ぱるPay」を用いて「CallingDawn」「-KIRISAME-」の出品商品を購入するためだ。「ぱるPay」では、専用のコンタクトレンズが裏流通しており、それを装着するとアカウントを偽装できるためこうした取引でよく使われる。実態はこのコンタクトレンズも「ぱるPay」のシステムベンダが秘密裏に流通させているもので、このコンタクトレンズを装着してログインするとダークウェブ上の特殊な金額異動に対応する隠し機能が現れる。装着状態で傍目に目を見ると、緑色に染色されたように見える特徴があった。
 フジワラは手際よく支払いの手続きを進める。一通りの購入支払いを終えて、フジワラはコンタクトレンズをケースに収め直した。瞳の色は黒……ではなく血の滲んだような赤色に戻っている。充血のそれではない、瞳の部分が強い赤みを帯びているのだった。

「……オーソリ速報を確認したわ、まいどあり。高解像度版も送るわね」
「あいよ」

 再び暗号近接通信で、今度は比較的大きなサイズのファイルが転送される。先に受信したサムネイルサイズではなく、拡大にも耐えうる高解像度の写真データだ。
 フジワラがこの女3人から買い取ったのは先日のテロの現場の写真、それも勃発直後の爆心地とされる地点に近いカメラ映像だ。これをこの女(先の流れからすると撮影者は若狭と呼ばれた女のようにも聞こえるが、実際はどこかからの流出かも知れない)がどのようにしてこれを手に入れたのかは全く知れない。
 この映像の真実性についてフジワラは疑いの声を上げたものの、それは値引きの口実でしかない。FreemasonVerifyを用いていることを自信を持って言うのなら、それなりの確度だ。2ファイルが揃わなければ認証が成立しないのは確かだが、それを背景に置いてあると宣言することは、対となるファイルが見付からない場合には自らの首を絞める事になるからだ。

「事前に説明したとおり、撮影時間はテロの発生から1時間後の16時半頃、正確な分秒は分からない。撮影した機材は不詳とさせてもらう。当然だけどForYourUseOnlyで、流出なんかしてもあなたの足が付くだけだろうけれどね。」
「承知している。しかしこいつはどういう状態だ。あれは爆破テロと聞いていたんだが、こいつはひと言もそんなことは言ってねえ、まるでオーブントースターの中のピザみてえだ、少なくともポップコーンにゃ見えねえぞ」

 フジワラが、当初に目にしてからずっと気にしていた気付きについて口にした。つまり、その写真に映し出されていた映像には、爆発の形跡が無いことだ。強い衝撃を伴うエネルギーがその場にあったのでは無い、確かに爆発にともなう熱はそこに見出すことは出来るがむしろ熱しかなかったような光景だ。

「私達はその写真を入手しあなたに売った、それだけ。その写真の他の情報は何も知らない。少なくともそれは商品陳列棚に並べた覚えはないわ。これ以上はあなたの仕事よ。その手の現場はあなたの方が詳しいでしょう?」
「詳しいものかよ、こんなグロ写真」

 中心、と思われる場所がこの辺だったというのなら、この辺の温度がいかに高温であったのかが分かる、いや分からない。可燃性のものは一つも残っておらず、そうではないものは削り取られるように形を失っているか、溶けるように流れ出たあと再度固まったような流体の形を留めている。削り取られた様な消失は、蒸発して気化したものだろうか。それは1メートル径程度の極めて狭い範囲に留まっているが明確にぽっかりと描き出されている。もし本当に蒸発したのであれば、その温度は想像したいものでは無い。流体化した様な姿の範囲はそれよりもかなり広い範囲に及んでいてカメラに収まりきっていない、フロアの底が抜けているのは、見て取れた。火災の範囲はマスコミの喧伝する通り、延焼を含めればビルの半数のフロアに渡っている。政府発表では件のテロの被害者は相当な数に上っているはずだが、この写真には人間の死体は一つも見えない。写真にしたいが写っていないことは奇妙なことだが、一つだけ妥当な回答がある、死体が形を失って消えている、ということだ。
 それは、《《そうした》》光景を比較的よく目にしてきたフジワラにとっても目新しいもので、彼女は興味深そうに、だが険しい表情でそれを見ている。

「私達はただ、ワイヤド上の草の根から面白い情報を漁り当ててあなたのような業者とマッチングする事しか考えていない。その情報の内容も詳細も興味が無いし、高く売れるだろう奇妙な情報ほど危険なことくらいは承知しているから、とっとと手放したい。買ってくれるという人がいれば、値段同様に〝早い者勝ち〟も重視するわ。」
「盗品商売じゃ当然のこったろう、覚えておくよ。」
「今なら、Faithbookで友達登録して頂ければ、次回取引の金額を1割引。いかが?」
「狼少年の言うことは信じないことにしてるんだ、交換するのは商品と金だけでいい。」
「ざぁんねん。信頼も交換すべきだと思うけれど」
「一度きりの取引で調子に乗らないことだな」

 交換すべきものは交換し終えた、そう言いたげにフジワラは席を立つ。3人もそれを特に制止しようともしない、簡潔な商取引にはこの3人も賛成なようだった。

「あんたらがアタシを裏切って他の奴にアタシの情報を横流ししてないことを願うよ、それくらいには、まだ信用していない」
「その割には金払いのいいことで。それに、それを、焚書屋さん、あなたが恐れることとは思っていないわ。情報を消すだけなら、それがどんなものであれあなたの得意分野だもの。違う? だからそんなことはしないわ、意味がない。」
「……賢明な判断だね」
「それでは|焚書屋《フジワラ》さん、|情報屋業界《この界隈》では新参者ですが、今後ともよろしく」



◆ ◆ ◆



「今後ともよろしく頼むぞ」
「お嬢様、そのようなことは私どもが……こんな場所にはおいでにならないでください」

 紅魔館の勝手口は地上から車両が入れるようなだらかに下っていく半地下になっていて、貨物を地下の納品庫に搬入するのには都合が良くなっている。その代わり空気は年中ひんやりとしていて、それが心地の良い冷たさであればいいのだが、湿気を孕み黴臭さを運ぶ気圧差の風が常に流れるあまり心地の良い場所ではない。紅魔館という貴族の住まう高貴な場所であっても、その裏側を覗けばどんな場所にも汚い部分はあるというもの、この場所は紅魔館のメイドの中でも位の低い者が働いている場所だ。そもそも紅魔館には〝メイド〟以下の階級は存在せず〝メイド〟の中に複数の細目があるだけだ、ここで働くものはその最下層ということになる。ここは完全に業務用、重労働・不衛生な環境に置かれていて普段位の高いものは入ってこない、メイド長など当然こんな場所には足も向けない(メイド長はヒエラルキ上、少なくとも紅魔館では上から数えたほうが圧倒的に早い)。
 そんな場所にレミリア・スカーレットの姿があった、普通ならば絶対に考えられない状況だ。何十匹もの妖精が距離を撮って整列し頭を垂れており、それらの仮のリーダーらしき一匹がレミリア・スカーレットのあとを追うように歩き王の質問にしどろもどろになりながら答えている。

「ここは私の城だぞ、来てはならぬ場所などあって堪るか。それともここでは、お前が王なのか?」
「め、滅相も御座いません」

 階級が下のメイドであることを示す、フィジカルにステータスを偏らせると同時にコストを下げたメイド服、それを更に労働で汚した、少し育ちの悪そうな妖精が、主人に投げられた言葉へ対応しあぐねてまごついている。当のレミリア・スカーレットは、ふん、と鼻を鳴らしてその妖精を他所にツカツカと歩いていき、誰かを見送っていた。「よろしく頼む」と言ったのは紅魔館に出入りする食料供給の業者だ。吸血鬼の食料といえばニンゲンの血液だが、ここではそれ以外の食料も求められる、その多くは人間牧場の飼料だ。それにメイド達の食料と、わずかに存在している悪魔・上級人間の食料。飼料に次いで多いのは、トマトだった。だが、今回の搬入はそれらの品揃えとは少々異なるようだ、上級人間用の食料に似た品揃えの品目が、不自然なほど多い。検品を行っているメイドは、納品予定リストに疑問をいだきつつそれが正しく納品され来たことを確認している。
 毎度大量の食料を納品するというのに、その業者はいつも二人で現れる、少なくとも人の姿をした者は。水気もないのに川を流れるように運び込まれる大量の食料を下級妖精の誘導で納品庫に収めると、全く人形二人だけに収まって帰っていくのだ。それが人間でないことは妖精たちにとっても明らかだったが、それが何者なのか、その供給元が何なのか、多くのメイドは知るところではない、知っているのはヒエラルキの上ではかなり上位の者だけだろう。
 業者の姿がすっかり見えなくなったところでレミリア・スカーレットは踵を返し、メイドたちの前に戻り向き直る。

「いつもご苦労。お前達も、今後ともよろしく頼む。励むように」

 平伏したままの労働メイドを立たせて何か赤い粒の様なものを手渡した。この場にいる者が既にヒエラルキに従って並んでいる前提なのだろうか、前にいる10名弱にだけそれを配った。受け取ったメイドは皆一様に目を見開いて歓喜を押し殺している。彼女らメイドが喜ぶ様子を見渡し、その波が収まった頃に、大きな声で宣言するように言う。。

「蔵を開け放ち、ありたけの酒と食い物を饗して、宴を開くのだ。この世界に、我が王国の富と力を見せ付けろ。ありとあらゆる存在に、酒を飲ませ、肉を食わせろ。よく酒に酔い、よく肉に満たし、よく声を歌い、よく宴を楽しめ。だが、何びとたりとも私より酔うことも、私より食うことも、私より歌うことも、私より楽しむことも許さぬ。全ては私のためだ、私を楽しませ、私を祝い、私を喜ばせるための宴だ。王の高慢さを、この世界に示すのだ。来たもの全てに浴びるほどのワインをかぶせ、この世界を葡萄酒の赤で染め尽くせ。ノスフェラートゥの王の気紛れだ、酒と享楽と真紅の世界を以て祝福せよ」

 演説じみたその言葉を聞いた労働メイド達は、蜂の巣を突いたように色めき立ってざわつき、そしてしかし迷いなく自らの持ち場へと散っていく。
 レミリア・スカーレット主導の紅魔館晩餐会が開かれるようだった。







「普段見ない顔ばかりね、珍しいのが来てる」
「そうなのか?」

 紅魔館の晩餐会の噂は幻想郷で密かに話題になっていた。何せ、妖怪が開催する、人間を主たる来賓にした晩餐会など前代未聞だからだ。食料収集のためや権威の誇示との見解もあり、人を襲い喰らう事が一般認識として通用する妖怪の開催する晩餐会になど当日になれば誰も来ないものと予測されていたが、大方の予想に反して招待を受けた人間のほとんどが出席していた。
 月明かりは燦然たると言え視界のよくない夜に、紅魔館の広い庭を会場としていた。無数に配置されたマナ灯が暗い夜の闇を薄ぼんやりとした夕暮れ時のそれ同等くらいに照らし上げており明かりに不便はない。奇妙な催しではあるがこれを主催しているのが吸血鬼という存在であるのなら理解が及ばぬと言うほどでもないのかもしれない。供されている料理はいずれも人間の里で見るものに極力似せられていた。獣肉はほとんど使わず魚をメインに据え、山菜や果物で彩っている。それに、酒に関しては、洋の東西を問わず、里の人間の知見にも関わらず、全く多種多様な酒が振る舞われていた。幻想郷の人間は一部を除いてさほど裕福でもないし文化水準も高くない、この中のほとんどの酒を見たことはないだろう、殊、蒸留酒はその技術が存在しないのだ。

「全国の諸侯なんて言っておいて集めているのはほとんどが、この間出来た廟の影響範囲内の人間達だわ」
「よく覚えてんな」
「あんたがいちいち魔術の仕組み覚えてんのと同じよ、仕事だもの」
「いつも使ってる符術は仕組み覚えてないのか」
「あれも仕事」
「里でお祓いとかしてるけどあれデタラメなのか」
「あれも仕事」
「調伏する必要のある妖怪と無い妖怪を分けて管理してるけどあれ気分なのか」
「あれも仕事」
「お前仕事多過ぎだろ」
「だから適当にやってんの」
「少しは強がりを粘れよ」

 人間の多くは提供された料理と酒の方に気が行っているが、一部の察しのいい人間、あるいは身分を隠して参加している人外にとっては、料理よりも会場設営の酔狂に意識が行っている。夜中に外での晩餐会、しかもその宵闇をわざわざ灯火で削り明かしている。マナを用いた灯は一台でも高価であるし、運用は用意だが維持には相当のコストがかかる。それに、もともとこんな食事をするわけもない紅魔の住人が、里の人間にとって見栄えする料理を並べて見せているのも手間の一端をかいま見ることが出来る。給仕は、モード最先端を作り続ける意匠を凝らしたお仕着せに身を包んだ妖精メイドだが、その中でも人間と比較して無理のない大きさのものだけを選り好んで数多く並べていた。人間の子供サイズにまで巨大化する妖精はそれだけでも貴重な存在だが、ここにはそれが何十匹も、それも〝紅魔のメイド服〟をまとって給仕するのだ、その価値を知るものならば卒倒するか、逆に求められる対価が恐ろしくなって逃げ出すところだろう。招待客の内数名の地位の高そうな人間は、半分はこの演出に感心し、半分は動揺を見せている。

「ていうか、霊夢が〝村娘1のコスプレしてこい〟って言うからこんな部ほぼ屋着のまま出てきたのに、お前はまともな恰好してるのズルくないか? いやまともでは、ちょっと、ないけど」
「これ恥ずかしいのよ、歩く度にスリットから、見えそうだし、胸も……って見るな、すけべ」
「見ろっつったじゃんか」
「言ってないわよ!」

 博麗の巫女は紅魔館の門番が着ていそうなエスニックな衣装で、綾椿の娘の方は質素な和装、変装と言うほどではないが、2人とも一般人に化けてここにやってきている、それは紅魔館の面々には知れていてスルーされていた。
 霧雨魔理沙が視線のやり場に困っている事実が物語るように、博麗の巫女の衣装は、少なくとも村娘1でも2でもない。体のラインに合わせてぴっちりと密着する特殊な生地で出来ていて、袖は無く脇は大きく開いている。腿どころか腰の上まで切れ込んだ深いスリットのせいで歩幅を大きく歩くだけ股の間が開いてしまいそうだった。否応なしに男の目を引く淫靡な衣装だが、人間の博麗の巫女の肉体は妖怪のように思念や認識によって輪郭がつくられているわけではない、そうした理想的な女性像とは少し違っている、そこまで大きくない慎ましやかな乳房、太っているわけでは全くないが腰のくびれには妖怪や神仙の様な柳腰ではなく、少々の厚みがあるが。これも太っているわけではないが、年頃の人間の女子がそうであるように、尻から太股にかけては少々豊満だ。そうしたボディラインを、この衣装はくっきりと浮き上がらせていた、その不完全な美、成長過程の人間の女の生々しい肉体は、完成された美しさではないというのにそれが妙に現実味を帯びた強い色香を振りまいていて、卑俗に言うなら、逆にエロい。
 一方の綾椿の放蕩娘、霧雨魔理沙は体を上から下まですっぽり隠す和装だ、博麗の巫女のような淫猥さはこれっぽちもなく、巫女が指定した通りにしっかりと特徴の無い村娘1を装っている。それが出来ていないのは、少々暴れ気味だがその暴れ具合に似つかわしくない上等な輝きを見せる見事な金髪だろうか。隣で強烈な少女色香を漂わせる衣装で歩く友を、我慢できずにちらちらと盗み見ている。

「霊廟自体の立地は紅魔の領地にとても近いわ、それどころか食い込んでいる。でも霊廟にはまだ管轄地が与えられていない」
「食い込んでるなあ」
「は?」
「ああ、いや、いくら私でもそれくらいは知ってるぜ」
「レミィは一体の実効支配を強いて新参の侵入者を排除しようとしてるんだわ。」
「え、これわざわざコスプレして入場者チェック受けて、入れなかったかも知れないのかよ?」
「まあ、入れなくてもこんな外でやってるイベント、外から見せて貰うけれどね。」
「それと、あー、その、お前のそのエロいチャイナドレスは何の関係があるんだよ」
「ない」
「は?」
「……私、私服持ってないの知ってるでしょ」
「ああ、商売用か」
「ちがうわよ! 紫になんか持ってんの貸してってゆったらこんなの出てきたのよ!」
「頼む相手が悪すぎだろ。仕事着以外のセトアひとつ位用意しても損はないだろ。アリスそういうの詳しいし、今度里行こうぜ。見ろよ、本物の紅魔館のメイド服だ。」
「あれも仕事着だけどね」
「まあ、そうか」

 2人を知っている者なら2人だと見間違える訳のない恰好、だが2人を知らない者にとってはまさか博麗の巫女と、その近しい者だとは思わない出で立ちだった。2人は勿論この晩餐会に招待されているわけではない、巫女の言う通り招待を受けているのは限定された地域の人間がほとんどらしく、だが招待されていないにも拘わらず引き留められることなく偽名を与えられて入場を許された、臨時に席まで設けられている。それは、この晩餐会がまさに人間向けに催されたもので、博麗や綾椿といった特殊な存在はいてもいなくても関係ない、という表明と等しい。

「ねえ村娘1、あれ見て」
「呼び方に疑問を感じろよ」

 村娘1が、友人の指さす方を見ると、そこには彼女達とは違い全く変装しないままこの会食に招待されているのらしい神仙が上座にある特別来賓の席に着くところだった。
 それは霊廟の住人達だった。正装を、晩餐会という砕けた場に合わせて適度に着崩している豊聡耳神子。一方で、最正装を崩さない装いの蘇我屠自古と、アレンジを加えようとしたのか正装とカジュアルの分離したあべこべな装いの物部布都。非常に……統一感がない。それでも、この三名の周囲に漂う雰囲気はただものではない、押し殺された敵愾心が、押し殺されて圧縮されたまま周囲にまき散らされている。それを察しないスカーレット姉妹ではなかろうが、いつもと変わらぬ様子で高慢さを隠そうともしない不遜な笑みでそれらに対峙している。
 三名は妖精メイド達から丁重に案内され、椅子を引かれて着席した。その位置は、この会食の主催であるスカーレット姉妹の次席を示している。レミリア・スカーレットの食客にして大図書館の司書を与るパチュリー・ノーレッジよりも高位。何よりも、豊聡耳神子は、この会場、レミリア・スカーレットのすぐ傍の席だというのに、帯刀を許されているようだった。腰に下げた飾り直刀には、着席する際にもしっかり傍に備えられるよう専用のスタンドが紅魔館側から提供されている、格別の待遇と言えた。

「豊聡耳神子、物部布都、蘇我屠自古。招待席、ドンピシャだわ、やっぱりこのパーティあの3人へのパフォーマンスなのよ」
「なあ霊夢」
「今の私は村娘2よ」
「村娘1も2もそんなエロい服で飯は食わんぞ」
「だからそれはぁ……ああもう、何?」
「あの3人に向けたパフォーマンスってのは半分合ってるが半分間違ってる気がするぜ」
「どういうこと?」

 淫猥チャイナドレスの裾を抑え、胸の形を隠すような努力(それは悉く無駄に終わっている)をしながら、|博麗霊夢《村娘2》は|霧雨魔理沙《村娘1》の真意を問う。招待席の前では、霊廟の首脳三名が席に着き、他の出席者の人間達を睥睨している。

「村娘2はすっかり見破られてるってことだよ」
「そんなの今更でしょう。入場時にあからさまに名前呼ばれたわよ、私も魔理沙も」
「だからだよ。村娘2がここに来ることは、予め折り込み済みだったんだ。実効支配を知らしめるのに、正式に領地を持ってない豪族共にだけ偉ぶって見せても仕方が無いだろう。これは、お前に向けても仕掛けられてるぞ、霊夢。」



◆ ◆ ◆



「うめーなあ、おい霊夢、これ何て魚だ? |油鮠《アブラハヤ》、マジで? あれこんな旨くなるのかよ」
「ちょっと魔理沙。食べてばっかりいないでちゃんと見ててよ」
「ああ、ちゃんと品書きがあったな。」
「そうじゃなくって」
「油鮠なんて煮物か天ぷらしか食ったことねーよ。なんだこのタレ、醤油みたいだと思ったら甘酸っぱくてうめー。霊夢食わねーの? 貰うぜ?」

 油鮠を食べたことくらい、何度もある。フォークとナイフも使ったことだって幾度もある。でも、油鮠をこんな風に外はカリカリ中はふっくら、香り高く仕上げ、フルーツを思わせる甘さと酸味を孕んだソースを絡めて、添え物の香草(これは食用にしようと普通は考えない匂いのきつい、マジックハーブだ)と一緒にナイフとフォークで食べた事なんて、勿論そうしようと考えたことさえ無かった魔理沙は、その魚料理に舌鼓を打っている。
 一緒に飲んでいるのは、喉を通り抜ける度に焼けるようにヒリヒリする、でも口に含んだときの香りと、飲み下した後に残る風味が堪らなく芳醇な、これも飲んだことのない酒だった。料理を提供し酒を注いで回る妖精メイドによれば、これは「ういすきー」というのらしい。

「これ、蒸留してるな。蒸留しないとこんな濃度のアルコールは出来ないが……そんなの魔術の実験の時にしかしないぞ、それを酒精にして飲もうなんて気が狂ってやがる。でもうめえなあ、霊夢、飲んでるか?」
「飲んでるわよ、あんたは飲まれてるけどね」
「そんなことねーぜ、ちょっとこの酒に付き合ってやってるだけだぜ」
「頼むから本来の目的を忘れないで頂戴」

 隣ですっかり酒と料理に現を抜かしている魔理沙をよそに、霊夢はじっと前方の主賓席を見ている。

「霊夢、お前その恰好で目立つんだ、あんまガン見すると向こうから悟られるぞ」
「いいわよ、どのみち受付でもう身バレしてるんだから怖いものなんて無いわ」
「普段からそんな服で出歩いてると思われるぞ」
「それは……おっかないわね」

 そうは答えても、博麗の巫女は前方の動きを注視することをやめはしなかった。突然現れた巨大な魔術的施設は紅魔の領域に食い込んでいる。更に元々紅魔の領域は風見の領地であった。紅魔は自分のテリトリが元々他人のものであり、しかも自分の力で切り取ったわけでもないことに少なからず神経質さを見せる、いつ召し上げられるかも分からないからだ。気にしているのは博麗の召し上げよりも、|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》への返還の方のようだった。だから辺境伯として認められた強権を最大限に利用して立場を守るために強固な軍政を敷いているし、博麗に対して恭順は示しつつ辺境を担う自らのポジションをカードに使って不要な謙りを一切しない、対等ささえ主張しかねない振る舞いを見せている。ともすれば対立を生みそうな関係だが、それを均衡させるのは博麗霊夢とレミリア・スカーレット、トップ同士の関係性に依るところが大きかった。

「霊廟組のあの態度、見てよ。紅魔から領地の割譲を当然だと思ってるって顔してるわ。あいつら、交渉相手が紅魔だけだと思ってんじゃないでしょうね」
「そうだなあ。無いとは思うけど幽香がしゃしゃり出てくるとやべーよな」
「そうじゃないでしょ、私よ、私。 本当は私にお伺いを立てるもんよ、そういうことは」
「仕事が多すぎるから見られてないと思ってんだろ」
「それは大丈夫だって、適当にやってるから」
「だからじゃねーかな」

 紅魔に対して、|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》は最古参の大諸侯だ。今の紅魔同様に辺境を担う代わりの強権を握り、見渡す限りの広大な草原を領有している。神奈備と接するほか、魔界への門や無名の丘などの厄介なスポットの管理も行う最重要の辺境だった。紅魔に割譲した領分は決して小さなものでは無いが、それでも風見の領有から見れば微々たる規模であるし、元々|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》自身の不動産への支配欲が薄いためかその際は大して揉めることはなかった。だが、土地の多重譲渡となると何を言い出すか分からない。

「おさけはいかがですか? お食事のおかわりもうけたまーりますよ」

 と。村娘1と村娘2の間にひょいと現れたメイド、他の妖精メイドと同じように指定のメイド服を着て何種類かの酒の入ったグラスを乗せたトレイを持ち、小綺麗にまとまった出で立ちであることに変わりは無い。だが2人にとってどこかで見覚えがあるような。

「お前、ルーミアか?」
「えへへ、おひさし」
「わあ、メイドやってるって霊夢から聞いていたが、見違えたな。オトナノジョセーって感じだ」
「えへへ。ところで……ハクレイ?」
「言わないで、服のことは」

 そー、となんだかじっとりとした目で博麗の巫女を見るルーミア、博麗の巫女の服装を見る限りその態度も尤もだ。博麗の巫女は料理をぶちまけそうな勢いで顔を突っ伏して唸り声を上げている。「ちがうのこれはー」。

「まあこれは、余り気にしないでやってくれ。ほら、好みってさ、人それぞれだろ?」
「魔理沙誤解招く言い方しないで!」
「おー……、今日も夜はいそがしーか」
「違うわ、断じて!」

 頭を抱え、その後思い出したように服の裾と胸元を押さえる博麗。やはりそれは大した意味を成していない、どっからどう見ても娼婦の出で立ちにしかみえない、この場にいる人間の多くが恐らくは霊夢のことを売春婦かどこかの諸侯の情婦として呼ばれているものだと考えているだろう。

「どうだよ、メイドなんてやったことないんだろ、私もないが。慣れたか? 何でそんなことしてるんだかは知らねーけどさ」
「うん、もうだいぶ。メイド長のシゴキがすごくてねー。これでも人気なんだよお。お酌のシメーがいっぱいなの」
「へえ。このパーティ始まったばっかりなのに、もう顔が売れてるのかよ」
「うーん、わかんない。私はみたことない人ばっかりなんだけどね。しらないひとから名指しされるのってなんかへんなかんじだね」
「ルーミアと会う前から向こうがルーミアのこと知ってたってことか」
「そんなかんじ。へんなの」
「お前、有名人なのか。変な噂とか流出動画とか、回ってんじゃねえの?」
「流出動画ってねえ。幻灯機なんてまだ民間には出回ってないわよ」
「じゃあ噂か。」

 ふーん、と合点のいかなさそうな様子の|霧雨《村娘1》。ここに呼ばれている人間は、紅魔の領民で霊廟の付近に棲まう者達だ。|四則同盟《カルテット》の|居領地《ナワバリ》からはお世辞にも近いとは言えない。それなのに、ここにいる人間達はほとんどがルーミアの事をもう知っているかのような様子だ。しかも、仮に《《従来の意味で》》「宵闇のルーミア」を知っているのであれば、親しみを持っているとは言いがたい、|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》領内での|四則同盟《カルテット》の|居領地《ナワバリ》付近での「宵闇のルーミア」とは、人を食う妖怪として知られている、人間がわざわざ指名して酌を頼むだなどとは考えにっかった。ここにいる人間達の中では、「宵闇のルーミア」はまるで別の妖怪として伝達されているようだ。酌を頼むだなど、まるで妖怪ではなく、要請として理解されているような、紅魔館のメイドはそのほとんどが陽性で構成されていることを考えると、その理解の方が近いようにも見える。
 博麗は、ルーミアから新たな酒をトレイの上から受け取りつつ、問いかける。

「ねえ。あの3人の所には行った?」
「おい霊夢、こいつにスパイさせるのかよ」
「行ったか聞いてるの」
「いってないよ。レミリアちゃんが、あの3人はきゅーじしなくていいからって」
「そう、成る程ね」

 腕を組んで何か思い巡らせるような博麗の巫女。

「なる程ってなんだよ霊夢」
「ルーミア、ありがと。他の人が呼んでるわ、行ってあげて」
「うんー。じゃあねえ、ゆっくりししていってね」

 霊夢が促すと、ルーミアは手を振って、彼女の名を呼ぶ他の来賓の方へと向かっていった。そうしてルーミアが場を外したのを見計らってから、霊夢は改めて魔理沙を見る。

「牽制だわ」

 警戒心を滲ませた表情の博麗。何か色々の可能性を巡らせている。何故突然開催されたのか分からない晩餐会。その招待客のクラスタ性。ルーミアをメイドとして雇うと言いだした紅魔館。
 博麗の巫女が色々と思いを巡らせて深刻になっている、霧雨は彼女に声をかけた。

「霊夢」
「なに?」
「私まだ酒受け取ってなかったんだけど」



◆ ◆ ◆



 このパーティの主賓である霊廟の者達、豊聡耳、物部、蘇我の3人は、にこやかに飲食に興じている。「これは蘇我のより旨いのう、習っていったらどうじゃ?」「文句言うなら二度とつくらねーぞ」「こら2人とも、行儀が悪い」まるでアットホームな空気を振りまいている。
 先のルーミアの言葉がその通りであるのなら、ルーミアは3人に給仕することはない。だが、近くにいるメイドが、ルーミアだけになったときだ。物部布都は急にテーブルの上の酒を一気に呷り飲み干して、手を挙げた。

「メイドさんメイドさん、お酒のおかわりが欲しいのじゃが」

 同時に豊聡耳神子が指を鳴らし、蘇我屠自古手を挙げている。「こちらも頼む」「私にもくれ」、同時に給仕を求めていた。ルーミア以外のメイドは遠い、同時に3人から呼ばれれば、ルーミアが向かわない訳にはいかなかった。ルーミアは「給仕しなくてよい」という言葉を思い出して狼狽えている。前方の様子を注視していた村娘()2人が、それに気付いた。

「霊夢、奴ら仕掛けたぞ」
「ルーミアが給仕に出てる時点で罠だって言うのに、敢えて食いついてきた」
「あの逆毛、よっぽど自信があると見える」

 酒を乗せたトレイを持ったまま迷っているルーミアに向けて、物部が追い打ちをかけた。

「折角じゃから、その黄金色の髪のメイドさんにお願いしたいのう。大層人気のようじゃが……お?」

 物部布都がルーミアを名指しで呼びつけようとした次の瞬間、いや既に、物部布都の杯にはなみなみと白酒が注がれていた。いつの間にか音もなく現れ酒を注いでいたのは、さっきまでは自ら全く給仕には動かずメイド達を指揮していた、メイド長だ。全体を見渡し指揮統率をするバックヤードからはかなり距離がある、音もなくこの一瞬で酒を注ぎに現れるとは考えづらい、が、現に白酒は溢杯だし、隣には当人が恭しく立ち、注ぎ終えたのを確認してから頭を下げて下がろうとしている。

「……噂の|非時《ときじく》か、小賢しいの」
「有り難う御座います。また御用の際にはお申し付け下さい」

 周囲に聞こえない小さな声で、物部布都は、時間凍結を使って給仕を割り込んで現れた十六夜咲夜に毒吐いた。

「我はあのメイドさんに頼もうと思ったのじゃがな」
「済まんな、物部殿。あれはまだ新人でお三方の期待に応える接客が出来ない。その点、その十六夜並びに今出ている他のメイド達は心配無用だ、徹底した教育を施してあり満足いく奉仕を提供できる。ご指名は有り難いことだが、教育が行き届いたまたの機会に期待して頂こう。」

 メイド長がしずしずと下がった後、ゆっくり立ち上がったレミリア・スカーレットが、大仰にいう。言葉尻は横柄な謝罪だが、その態度からは勝ち誇った余裕が透けて見えていた。

「にしても、だ。物部殿がそれほど《《あれ》》にご執心とは思わなんだ。それとも、旧知の仲かな?」

 レミリア・スカーレットの言葉は物部布都へ向いている。だが視線自体は、ルーミアに向いていた。

「ルーミア」
「しらないです」
「物部殿?」
「いえ……お初にお目にかかります」

 物部布都の応答はどうにも歯切れが悪いようだったが、知っている、とは言わなかった。ルーミアの方は即答だったこともあり、レミリア・スカーレットは追及をそこでやめる。小さく目を細めたように見えたが。

「そうか。よもや昔からの知り合い同士の再会を引き裂いてしまったかと思って肝を冷やしたが、杞憂でよかった。ハハハッ! さあ、物部殿。それに豊聡耳殿、蘇我殿も、引き続き酒を楽しんでくれ。」



◆ ◆ ◆



 と、三名に着席を促したレミリア・スカーレットは頷いて、晩餐会の参加者によく見える場所に立ち直す、そして小柄な体からは想像も付かない張りがありよく通る声で喋り始めた。視線は勿論参加者に向いているが、豊聡耳以下の主賓のほうも一瞥して「お前たちに向けている」と暗黙に伝えていた。

「では折角だ、この度我が紅魔館で雇うことになった新人のメイドと、既に知っている者もあろうが紅魔館の窓口となるだろう者を紹介させて貰うことにしよう。ルーミア、前へ出ろ。それと|紅《ホン》を呼べ。」

 紅魔の王の言葉を受けて、給仕をして回っていたルーミアが驚いたように前に出、急にメイドに呼び出された紅魔館の門番が何事かとキョロキョロしながらやってきた。2人が揃ったところで、レミリア・スカーレットは再び口を開く。

「我々紅魔は今、人間社会に向けて開かれた妖怪への転換を試みている。今宵のパーティはその嚆矢となる。ニンゲン諸兄とは、この|紅《ホン》が最も頻繁に関わりを持つことになるだろう。ニンゲン諸兄に加え、博麗の協力の下、不埒な神仙妖魔は極めて少なくここは幻想郷で最も治安の整った場所となっている。これからは|紅《ホン》は単なる門番ではなく|紅ノ衛《このえ》となり紅魔郷全体の番人として必要な場所へ出向くことも可能かと考えている。」
「えっ、そうなんスか、面倒くさいっス」
「それと、もうフロアに立っているので目にしている者もいると思うが、新人のメイド、ルーミアを見知り頂こう。新人、と言ってももう1年程ここで働いていることになるが、どうかニンゲン諸兄にあっては、我々神仙妖魔にとっては1年は文字通り光陰の如きこと、理解賜りたい。」

 レミリアが門番|紅《ホン》に次いでルーミアを紹介し手で来賓の視線をその方へ導くと今度は、

「ルーミアちゃん!」
「るーみあちゃーん、こっちむいてー!」
「ほっおーずっきみたいぃぃにあっかいよるー♪!」
「よっ、るーみ屋!!」

 どっと大きな歓声が上がった。前に出されたルーミアは一瞬驚いたような表情を浮かべ、遅れて照れるように苦さを滲ませた笑みを浮かべながら小さく手を振っている。
 一方でそれを見て、まだ白米が口の中に残っているというのに鏡に映したように口をあんぐりと開けて同じ顔をしているのは、霊夢と魔理沙だ。

「は?」
「え?」
「霊夢、ありゃあなんだ、どういうことだ。人夫出しを認めたのは博麗だろ、あれは何の仕事をしているんだ。下手な回答だと監督責任を問われるぞ」
「えっと、え、テーマソングとか出来ちゃってるの、何?」
「ちなみにテーマ曲なら私にもあるぞ」
「は!?」
「お前にもあるだろ」
「ないわよ」

 レミリア・スカーレットはルーミアに目配せを送り、ニンゲン達の喝采を止めるよう指示する。レミリアと違いそうした対応になれていないルーミアは、どうしたらいいものかと両手をちょんと前に出して水平に並べて、それを下に沈めるような動きをして見せる。ノリのいい(?)ニンゲン達はその手の高さに合わせるように、だが少し悪乗りを含んだ様子で、コールの声のトーンを下げていく。
 レミリアが横から割り込む形で、再びアナウンスを始めた。

「これは驚いた、ニンゲン諸兄、ルーミアの事をもう御存知とは。お前そんなに人気者だったのか」
「えっ、えっ」
「ふん、シラを切るか。ならば観客に直に聞いてみるとしようか。今日、この晩餐会に、紅魔の出す料理や酒、我々との関係強化など実はどぉぉぉっでもよくて、単にルーミアの顔を見に来たのだという不届きな輩はどれ位いる、そうだと言う者がおれば手を叩いて自己申告せよ」

 観衆がまるで申し合わせたかのような怒濤の拍手を鳴らす、ルーミアの名前を叫ぶ声が聞こえる、それに混じってレミリアの名を呼ぶ声もたまに聞こえる。男達のむさ苦しい愛情表現が、雲一つ無い空の向こうで光る月にまで届きそうな勢いだ。

「そーか、そーか、貴様等がそういうつもりならこちらにも考えがある。ルーミア、貴様のぱん……」

 レミリア・スカーレットが、茶番寸劇なアジテーションを繰り返しながら、晩餐会は奇妙な熱気を孕んで膨らんでいく。口を開けて驚いているのは、何も霊夢と魔理沙だけではないようだ、主催側に席を構えている紅魔の頭脳パチュリー・ノーレッジも、ガツガツと食べていた料理の手を止めて友人のマイクパフォーマンスに口を半開きにしている。一方先ほど瀟洒に紅魔・仙道間の緊張を打開した冷静沈着なメイド長、十六夜咲夜は「違う、お嬢様の方が! くそっ、お嬢様の方が!」と何かに怒り狂って料理の魚を紙吹雪ほどのサイズの細切れにしている。

「霊夢、なあ霊夢、こりゃなんだ、おい。私達は全く聞いたことのないアイドルのライブ会場に間違って来ちまって何の曲にも乗れなくて無難にキックの音に合わせて跳ねてごまかしてる完全アウェーピーポーじゃないか、説明してくれこの空気をよ」
「こっちが聞きたいわよ、何あれ、私より人気あるんじゃ無いの?」
「そこかよー」

 満月晩餐会の夜は妙な熱気を巻き上げながら、更けていく。



◆ ◆ ◆



 日が暮れてから開宴した晩餐会が更け込んで終わってからのことだ、ニンゲン達がすっかりと捌けた後ともなればもう相当に遅い。メイド長以外の、ルーミアを含むメイド達が後片付けに奔走しているのを余所に、主賓三名と、折り込み済みのお忍び参加の二名が、紅魔館の迎賓室へと通された。レミリア・スカーレット手ずから案内し、メイド長は突然の来客が部屋に到達する10分程度の合間に1時間程をかけて細かな掃除、茶の用意、椅子の並べ替えを行い準備を整えていた。各、レミリアに促されて部屋に通されてくる。

「ところで博麗。何のコスプレだそれは。せめて村娘の恰好をしてくると思ったのだが……趣味を疑っていいところだな?」
「だからかえるってゆったのーーーー!」
「レミリア。あんま触れないでやってくれ、霊夢にとっても辛い選択だったんだ」
「魔理沙、その言い方、懲りてみる、ねえ?」

 豪奢なシャンデリアが下がりしかしそのシャンデリアの大きさが全く圧迫感にならぬ高い天井には、隆々とした逞しい半裸の肉体の男性を描いた荘厳で巨大な絵が描かれている。絵の中の人物は、手の中に炎の塊のようなものを抱えているが、磔になり腹の中を鳥に啄まれている痛々しい場面の中にいた、実に奇妙な絵だ。
 紅魔の文化は、幻想郷の他のどの地域にもない特殊な文化を創り出している。先の晩餐会で饗された食事も酒もそうだが、紅魔館の至る所に見ることが出来る造形、美術、あらゆるものも、幻想郷の他の場所で見られるものとは趣を大きく異としている。この天井画もその例に漏れない、この迎賓室に招かれた誰も、その絵の魅力を感じてはいないようだった。

「趣味を疑う、というならこの部屋だって似たようなものね、この絵、何? 残酷」
「残酷! 博麗の巫女の口からその単語が聴けるとは夢にも思わなかったぞ霊夢。しかしこの絵の人物は生憎、不老不死なのだ、大きな山の麓であのような拷問にあっているが、死なない。」
「なんだやっぱり悪趣味じゃない」
「だが人間に火を与えた不老不死の存在だ。そういえば豊聡耳殿の故郷にも似たような神がいると聞き及んでいるぞ。《《太陽を司り、岩山に封ぜられた神性》》があるとか。」
「我々の知る昔話では、それは不老不死を特筆されたものではありません、尤も我々の知る神々は特に寿命を設けられていませんし、寿命という概念自体が人間全体に|呪《のろい》がかかっているからとされています。岩戸には自ら篭もったもので、封ぜられたわけでもありません。」
「自ら籠もったとはまた物好きな神だな。まあそれはいい、取り敢えずかけて、楽にしてくれ。我々は形式よりも実を取る、無用に堅苦しいのは無しでいこう。」

 レミリア・スカーレットは椅子へ視線を促し座るように言う。皆がそれに従ってそれぞれ手近な椅子に腰掛ける。これはメイド長の趣向だろうか、先ほどの晩餐会然りこうした場所での着席というのは一つ大きなテーブルに整然と並んだ椅子があり、それに並んで腰掛けるような場合が多いが、今は違う。形も高さも素材も全く異なる椅子が無造作に置かれておりその傍にはこちらも形も素材もデザインも異なる小さめのチェストやローテーブルなどが異なる様に置いてあった。中央に大きなテーブルがあるような典型な配置ではない。一見無作為無造作非統一に置かれているように見える椅子だがそれは、計算し尽くされた距離感と確度。少し中心から外れた方を向いていたり、高さも異なる複数の椅子は真の中心一点を望むようには置かれていない、この場のお互いの視線や体向が直接交わるのを避ける形になっていて、だがやんわりと概ね同じ方は向いる。その傍のテーブルやチェストも不均一のようでいてそれぞれ傍にある椅子に対して丁度いい高さに調整されている。その上に置かれたティーセット、1時間前から淹れ立ての紅茶ポットにはティーコジーがかけられビスケットが添えられているが、レミリア・スカーレットの後ろに立つ十六夜以外のメイドはいない、飲みたければ自分で注げということらしい。その奉仕の欠いた茶の様子も、椅子とテーブルの一見統一感のない配置も、主の「楽にしてくれ」の言葉を体現した調度なのらしい、その様子は堅苦しさを脱ぎ捨てリラックスした空気を作り出すよう計算されていた。
 各々思い思いの席につき、茶を口にするなり、部屋の調度に目をやったり、あるいは知り合い同士で喋り始めて落ち着きが現れた頃、切り出したのは案外に、豊聡耳神子、渦中当人だった。

「本日は素晴らしい晩餐会にお招き頂き感謝します、|紅魔卿《TheKarmazyn》。」
「我々はこの文化圏では異端、食文化もそうだ。口に合うか心配だったが、満足頂けたなら幸いだ。」

 豊聡耳神子は、足の高い、座ると言うよりも立つのを支えるようなタイプの椅子に腰を預けている。茶には口を付けずに、地に足をしっかり付けてほぼ立っているのと同じ姿勢で、紅魔館の主に視線を向けている。

「我々に、|紅魔卿《TheKarmazyn》の統治を阻害する意図は全くありません。|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》に対しても同じです。我々は皆さんと同じく、排斥され、忘れられ、流されて来た渡来者に過ぎません。」
「同類だ、いかにも?」

 対して、レミリア・スカーレットは沈み込むほどのクッションを備えたどっしりと四角い構えの低い椅子に、しかし端の方に尻を引っかけるようにして腰掛け、開いて座った膝の上に肘を突き、ティーカップを両手で包むように持ったまま、荒々しささえ感じる極端な前傾姿勢でその視線を迎撃する。足を開いてともすれば行儀悪く下品に見える座り方だが、レミリア・スカーレットはそれをマフィアンなオーラで塗り潰し、下から見上げる形も睨み上げる威圧感に変えている。同類だ、の答えを、口角を上げて不遜な様子で返していた、それは言葉とは裏腹にお前達と一緒にするなと言う言外の態度に違いなかった。

「ただ、我々の居住は魔術的にあの空間に根ざされてしまっており、自分達の居住を移動させるような艦船も持ちません。我々の希望は唯一つ、あの場所での生活を許して頂くことです。他の神仙妖魔の様な領地も望みません。」
「法螺を吹くんじゃないぞ、ショートクタイシとやら。土地がなければ民がいない、民がいなければ恐れも、畏れも、抱かれない。オソレのないところに我々のような者達は存在できない、消えてしまう、乾き飢え衰えるようにな。神が光なら民は影だ、民が光なら妖は影だ。片方だけを欠くなど有り得ん。」

 豊聡耳の方を指さし、睨みつける様な表情で噛みつくレミリア・スカーレット。無理もない、それは神仙妖魔の間では当然の見解なのだから。一般的な見解として、影(≠陰)のみ、あるいはその逆のどちらもあり得ない。それはレミリア・スカーレットだけではなく博麗霊夢も霧雨魔理沙も、物部布都も蘇我屠自古も、パチュリー・ノーレッジも十六夜咲夜も、同じ認識だ。だが、この中の数名だけは、例外の存在を知っていた。

「なるほど、今日の催しといい、紅魔の君は暴力趣味の愚王ではないと見える。確かに、従来存在し人間を陰から支配してきた妖にせよ神にせよ、仰る通り、光と影は不可分で、片方だけを無かったことにするなど出来ようはずもない。だが」

 豊聡耳は、携えている刀の鞘をさり気なく撫でるような動作を見せ、そして挑戦的な笑みを浮かべて言葉を続けた。

「だが、光は闇を塗りつぶすことが出来る。」

 なにをばかな。霧雨魔理沙は豊聡耳の言う言葉にすかさず異を唱えた。

「レミリアの言うとおり、どっちかを消すなんて土台無理な話だぜ。どんなに小さくてもどんな物体にも影はある、光源自身にでさえ、他の光源から光が当たれば影が出来る。これは単なる理屈じゃない、この世のあらゆるものは、影と一緒に生まれる、そういう約束だ。そうだろ?」

 霧雨魔理沙は、隣の博麗霊夢の方へ向き、まるで何かを訴えかけるような素振りで同意を得ようとする。だが博麗の巫女、それに紅魔の君と聖徳太子は答えない。三人は知っているのだ、幻想郷というシステムには、その|約束《のろい》から逃れる|術《ズル》があることを。
 詳細こそ分からないが恐らくはそういう何かが存在するのだろうと、三人の態度から察した霧雨は、何か気味の悪いことを思い出したようにゆっくりと顔を上げる。だがそれを口にするのは、躊躇ったようだ。

「そうとは限らない、|幻想郷《ここ》では。そうですね、博麗の巫女? 我々が元いた世界では不可能な|呪《のろい》だったが、この幻想郷には〝影だけを抹消する為の鍵〟が、ある。|紅魔卿《TheKarmazyn》、あなたもそれを理解していて、晩餐会はその宣戦布告だと私は理解しています。違いますか?」

 豊聡耳神子の言葉に、博麗の巫女は驚いたような表情を見せ、そしてそれはすぐに苦いものへ変化した。焦るような目で、豊聡耳神子を見ている。その狼狽はレミリア・スカーレットにも伝わった、そもそもその驚きは、博麗の巫女にだけ生じたものではないようだった。その他の者達は話の流れが全く掴めていない様子、無理もない、この三名の世界でだけ、筋書きが刻まれ続けているのだから。

「|紅魔卿《TheKarmazyn》、いや、〝吸血鬼〟レミリア・スカーレット。あなたも《《塗り潰したいと願う》》存在のはずだ。何故、博麗に秘された不都合な事実を受け入れているのです?」
「お前が宵闇に蠢く者には見えぬからだ、豊聡耳それにそこの二人も含めて我々とは水と油にしか思えぬ。熱した油に水を注ぐとどうなるか、知っているだろう」
「にべもない。だが、その通りでしょう。どちらが水なのかは、聞かぬ事としましょう」
「ふん。博……霊夢、何故この新参が《《それ》》を知っている、説明しろ」

 問われた博麗の巫女はなにも答えない、答えられない。本当に答を持っていないからだ。

「答は簡単なものです、レミリア・スカーレット」

 十六夜咲夜が三人組の給仕要求を回避したときに見せたレミリア・スカーレットの得意な表情、それを意趣返しするかのように、豊聡耳は笑っていた。

「それは、私達がその〝当事者〟だからです。」



◆ ◆ ◆



 豊聡耳以下三名が一足先に去った後に残された博麗霊夢と霧雨魔理沙。レミリア・スカーレットを除いた他の紅魔の者も下げられている。博麗と霧雨もこれから起こるかも知れない何事かに恐々としながら家路につこうとしているところだった。広い空間に3人だけが残された寂寞、腕を組んで2人を見送ろうとしていた紅魔の君に、博麗の巫女は問うた。

「レミィ、あれは何のつもりだったの?」
「あれとは?」
「さっきの|ルーミア《新人メイド》の話よ、パーティだって実際はそのための口実だったんでしょう?」
「新人と言うほど新人ではないがな、先も言ったがニンゲンにすればそこそこの時間は経っている。」
「そう言う問題じゃないわ、あれを見世物にしてお金でも取るつもり?」
「成る程それも悪くない、こうして振る舞った酒の代金も回収できるというものか。ルーミアのぱん……」
「はぐらかさないで。」

 遮るように押し込んできた博麗の巫女に紅魔の君は小さく溜息を吐いてみせた、聞きたいことがあるなら聞こう、のポーズだ。

「私は〝荒魂〟の抑え込みを頼んだはずよ、それが、なんでアイドルプロデュースになっているわけ? その上、あんなに人気とか。それと、豊聡耳達、明らかになにか知っているわ」
「ルーミアのことは予め招待客に、招待する更にその前から、プロモーションをかけてあった。今日のあれは出来レースだ。すべて織り込み済み、お前が来ることもな」
「ええ、完全に茶番。あんたの演説って長ったらしい上に回りくどくて好きじゃなかったんだけど、更に変な方向に進化してない? って、そうじゃ無くてね」
「だが、それが〝祭〟というものなのだろう? お前達が季節の折々に、よくやっているではないか。」
「なんかちがう……」

 霧雨魔理沙が2人のやり取りについて行けずにただ口を半開きにしているのに対し、博麗霊夢は的を得ない回答に顔を顰めている。それを察したレミリア・スカーレットは、最も近くにあった椅子に体を放り出して足を組み、他の椅子を指さす、座れという合図らしい。2人が不審がりながらも手近な椅子に腰を下ろしたのを確認し、レミリア・スカーレットは、いい加減にと本意を切り出した。

「奴らがあれを狙っているのは何故だ、理由などどうでもいい私には興味の無いことだ、どうでもいいが決まっていることがひとつある。あれを邪魔者扱いするのは、我々と同じく金や食料のようにニンゲンからの感情を必要とする者に違いないと言うことだ。それが、悪意であってならない者ならば、ああしてニンゲンから情を得るのは、お前の札と同じくらいには効果のあることだ、そうは思わんか?」
「ソフトパワーを訴求して、実際に火を噴く可能性を抑え込もうって訳?」
「概ねその通りだ。奴らは私と同じく精神寄生の側面もあるが、ある意味では根本的に違う、霊夢お前の方がまだ近い存在だろう。それでもあれはヒトではない、だからこそニンゲンからの信仰、尊敬、畏怖を保たなければ消えてしまう、お前のように周囲がどうあっても毅然として存在を継続できる者はそんなに多くない。」
「まあ、それが幻想郷のシステム持続性だから」
「前提としてニンゲンからの正方向の感情が奴らの手元に収まっているなら、その信頼を失墜させても元に戻るか下げ幅は相当抑えられる。だが、元の尊敬や好意を先に誰かが搔っ攫うとどうなる?」
「失墜行為は出戻りではなくって損害として計上される、嫌われ者コース一直線ってこと?」
「霊夢、ただの最強のニンゲンであるお前には理解が出来ぬかもしれんが、我々神仙妖魔にとってニンゲン達からの感情が自分の望むのとは逆のベクトルを得たとき、我々は存在を根幹から揺るがされるのだ。お前にはわからん感覚だろう、傍に、自分に向けて感情を向ける存在がいない事への不安感は。」
「それくらい分かってるわよ」
「いいや、分かってない。自分の存在を他人が担保している存在の、儚きことを。わかって、堪まるものか、ニンゲンなどに」

 分かっているつもりだけど、博麗霊夢はばつが悪そうにレミリア・スカーレットを見る。

「でも、なんかレミィらしくないやり方ね、だったら吸血鬼だって本当は恐怖心を煽らなければいけない立場でしょう、あんな風に人間社会と仲良くやろうだなんて、相容れないやり方じゃない?」
「我ながらな。だが、我々は従来の妖怪のあり方の転換期が来ているとも考えている、紅魔の政策だ。悪事を働くことに変わりは無い、その悪事が必要悪であることも何も変わらない。この幻想郷は悪を排除できるほど進んだ世界ではないこと、ここに来て様々見聞してよくよく理解した。そこは我々の〝市場〟だ。悪の持つ〝必要〟の部分をもっと前に出し、不要な敵意を殺いでより深く社会に染み込み我々は〝必要不可欠の悪〟となる。我々だけではない、あらゆる妖怪はこの幻想郷でそうした転換を余儀なくされるだろう、もしくは、滅ぶか。神仙はともかく妖魔にとっては新しい世界の幕開けはすぐそこまで迫っている、我々は一足先にイノベーションを得たに過ぎない。」
「悪魔から神にでも転職しようって言うの?」
「はっ、馬鹿なことを言うな。もっともらしく甘言しニンゲンの要求を聞き届けて必要とされることは悪魔の本領だぞ、神こそそんなことはしないではないか」
「まあ、そうね」
「ルーミアの扱いは、その哲学と競合しなかったと言うだけだ。|博麗《お前》にとっても、都合がよいのだろう?」

 レミリア・スカーレットがそれを口にした瞬間、それまでだんまりしていた霧雨が跳ねるように状態を起こしてその方を指さして言う。

「やっと出てきたな、それだよ。そいつをまず教えてくれ。」
「どれだ。霊夢の服の事か」
「それはほっといて!」
「ルーミアだよ。影だの何だの言ってるから何となく関係がありそうなのはわからんでもない。でも何の関係があるんだ? 私はこの部屋を追い出されていない、ってことは、それを知っても構わんってことなんだろう? 霊夢の服はエロすぎて理由を聞くのが怖い」
「追い出されたい?」
「そりゃあねえだろお~」

 冗談よ、そう言う博麗の表情が余り冗談を言っているときのそれには見えないので、霧雨は鼻白む。

「随分ルーミアに執心するのね?」
「そりゃあまあ、あいつは花が……」
「鼻?」
「あれ、なんだっけ。そういや妙に気になるけれどその理由がわかんないな……」
「何よそれ、鼻? 気になるけど理由がわからない、それって絶対、恋!」
「はぁ?」
「まああいつ、ガキっぽいナリのくせに見た目整ってるからね、そっか、ああ言うのが好みか。ロリコン」
「まあ待てって霊夢、その恰好で言う科白じゃないぞ」
「ばっ……!」

 魔理沙ににったりを笑われて慌てて体を隠すような仕草で椅子に座り直す霊夢。それを呆れ顔で見ていたレミリア・スカーレットが、ぱんぱん、と手を叩いた。

「夫婦漫才であの三人を籠絡できるならそれでもいいがな、それが無理だと思うなら《《帰ってこい》》。」
「えっと、あー、なんだっけ」
「ルーミアの奴がこの件にどう噛んでるのかって……」

 はぁぁ、聞こえるようにわざと大きな溜息をついてから腰に手をやり、肩を竦めた。

「あんな《《らしくもない》》催しをしたのも、元々私に燻っていた〝新しい世界〟への必要を、奴に引き摺り出されたからかもしれん、してやられたわ。」
「ルーミア? あの|馬鹿騒ぎ《パーティ》、ルーミアが自分で計画したの?」
「いいや違う、ルーミアのことではない」
「え、誰? 豊聡耳?」
「〝虫〟だ。ルーミアをどうにかしたいのは、霊廟の柱ばかりではないらしい。奴はこれを予見していたのかもしれんな」



◆ ◆ ◆



「虫か」
「虫か」

 夢幻館には毎年用事がある。門番と執務の両方を担当するというこの二人の死神にも、ボクはとうに顔を覚えられていた。

「|丁役《ちょうえき》を納めに参りました」
「ナイトバグ|眷魁《ロード》・リグル。|丁役《ちょうえき》税の納付、承った。|青丁役《せいちょうえき》に間違いないか。」
「間違いありません。」
「ナイトバグ|眷魁《ロード》・リグル。幽香様は今、夢幻館にはいらっしゃらない。幽香様の私邸へ出向くように。」
「また|夢幻館《官邸》にいないんですか……。大丈夫なんですか|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》の危機管理は」

 と言いつつも、この夢幻館で〝|丁役《ちょうえき》〟の《《納税》》をするのはちょっと嫌だ、きっとこの二人の死神に詳細を知られることになる。この従死神二人は仕事の時間は生真面目なのだが業務を離れると|囂《かしま》しいことこの上ないのをよく知っている、後から何を言われるか想像する限り余り知られたいとは思わない。そういう点では、私邸にいてくれるのは救われた気分だ。幽香さんが《《納税》》を私邸で求めるのはボクに配慮してくれているのか、それとも……幽香さんでもそういうところを気にするのか。あんまりそういうイメージはないけれど。
 |風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》は、領地統治に対してあまり興味を持っていない、没落前の大領主に典型な態度だが、それを支えているのがこの二人の死神だった。この二人の死神が仕事をしなくなったときに領主本人がどうなるのかは、未知数だが。だから基本的に領地からの納税もあの死神二人あるいはその下で働く者の手で管理されているが、その中でも未だに風見辺境伯自身が手ずから収集している税がいくつかだけ残っている、それは|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》が未だに統治に興味を失っているわけではない証拠とも言えたし同時に、それさえ手にあるのなら他のものはどうでもいいという興味の消失の証拠であるとも言われていた。その、直接納税を求められるうちの一つが、この|丁役《ちょうえき》、この時期に収める|丁役《ちょうえき》を|青丁役《せいちょうえき》という、収める時期や性質によって赤・青・白・黒と接頭が違うが、内容はほとんど変わらない。|丁役《ちょうえき》は労働税だ、ルーミィの例は特殊だが彼女が紅魔館で働いているのと同じように、実際の労働を税として求められるものだ。
 これをボクは、定期的にも不定期的にも、求められる。他に|丁役《ちょうえき》を求められている人は、いないと思う、きっとボクだけが課せられた税。形式上は|四則同盟《カルテット》に課せられているが、納税はボクしか行えないようになっていた。内容的にも、ボクしかできないだろう。
 明らかに期待している、だってこんなにもどきどき高鳴っていて、その光景ばっかりが頭の中をぐるぐる回ってそれを幾ら振り払おうとしても消えてくれないのだから。でも、その鼓動と想起を宝石箱か秘密のタイムカプセルのように大切に開いてみても、そこにあって欲しかった青空の嬉しさや陽光の幸福感、春色とりどりの輝きやふわふわした温度は見えない。野に佇む岩をひっくり返した裏側に無数に蠢きその場から逃げ出そうとする地虫と、その後に残された死骸とじめじめした土、カビ臭さの様なものばかりがこみ上げてくる。夕暮れ時に地面で潰れて伸びていく影を眺める憂鬱、嘘をついてそれを隠すために更に嘘を重ねるときのような後ろめたさ、マグカップのそこに少しだけ残った冷えたコーヒーみたいな寂寞、なんでそんなものだけが胸の中を押しつぶすほど膨らんでくる。
 憧れの人だった筈なのに。
 どうして。
 目の前にすれば、浮足立つような期待に踊ってしまうことは、わかっている。声を一つでも聞けば言うことを何でも聞いてしまうだろうし、視線の一つでも貰えばそれと交わることが恥ずかしくて僕からは目を逸らしてしまう。きっと玄関先で迎えたボクに向かって「いらっしゃい」と〝納税〟を招き入れるのだろう、ボクはそんな言葉にさえ舞い上がってその後を追いかけていくのだろう。何を求められても嬉しくて、言われること全てに従ってしまう、愛という名の忠誠心が、今は少しだけ辛い。客観なんてしないで、ただ自分の目の場所に目を重ねて自分と同じものだけを見て同じものだけを感じるようにすればいいのに、一体ボクは何を疑っているのだろう。自分自身をか?
 幽香さんをか?
 心臓が、肋骨を突き破って飛び出てきそう。まだ門の前に来ただけなのに。魔界棲性植物がボクをスキャンしているけれど心ここにあらず、肺が酸素をもっともっとと求めてくるのに、いくら深呼吸しても息苦しさが収まらない。耳の中に勝手に再生される幽香さんの低く端の方が少しだけ掠れた声。大きいのに鋭い目。もう、お腹の下に集まりかけている血液と熱。

「ナイトバグ|眷魁《ロード》・リグルです」

 声が、弾んでしまう。嬉しいのだ。こんな納税という定形作業とただの形式的な義務で、絶対に破れない薄膜越しに触れるその虚しい感触に、期待して、歓喜してしまう。今すぐにでもその名前を、声に出して、声に出して、声に出して、呼びたい。早く。早く。

 がしゃん。

 茨の絡まった鉄格子の錠がひとりでに外れて門が開き、扉までのアプローチが伸びているのが見える、遮るものはない。いつもはアプローチの両サイドから鬱蒼と警戒心を見せる植物達も今はすっかりおとなしく収まって、むしろ開きかけの蕾を前に出したり、葉の方向を穏やかに整えてボク迎え入れるような雰囲気を醸し出している。ボクは油断すれば、はしたなく走り出してしまうような、ガス風船みたいになった足を必死に地面に押さえつけて、慎重に一歩一歩を拾っていく。
 石段を数段乗ってノッカーを鳴らし、名乗る。

「ナイトバグ|眷魁《ロード》・リグルが、|丁役《ちょうえき》の納税に参りました。|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》、お目通りを願います」

 自ら開く扉は、入れという合図だ。膝が笑っているまるで、恐怖しているのと体の反応は同じだった。紅魔館と異なり、幽香さんの私邸は洋館だが玄関で靴を脱ぐようになっている、芝生にもにた程よい硬さを持った起毛絨毯が敷き詰められていて、歩くことそのものに足裏から実感をもつこの変わった作りは、幽香さんの好みなのらしい。もとから束縛されることを好まない|女性《ひと》だ、自宅で靴を履くのもあまり好きではないのかもしれない、幻想郷の住人には靴を脱ぎたがる人が多い。少し硬さを持った足の絨毯を、そろそろと歩いていく。足の裏から感じるのはただの絨毯の感触だと言うのに、この足裏から伝わってくる実感にボクはぞくぞくと不思議な電流を感じている。足の裏がどうということではないただ、靴を履いて生活するのに慣れているボクにとって、裸足で何らかの感触を感じ続けることが、とても「今、自分、体、存在」を感じられてしまうからだ。今、自分がどういう状態なのか、体を以て強く認識させられる。
 〝ぼくはいまここになにをしにきたのか〟それを、頭の中だけの思考ではなく、身体性の思考によって強く刻みつけられてしまう。この屋敷の空気を吸いながら歩いているだけで、期待と憂鬱の入り混じった混濁に舞い上がって沈んで、引き裂かれてしまいそうだった。
 幽香さんが待っている部屋は、もうわかっている。この不定形で二極混在した気持ちも含めて、既に何度も繰り返した定形的な儀礼だ。何度繰り返してもその姿が変わることはない、何度繰り返してもその気持ちが変わることはない。何度繰り返しても。
 その部屋は、他の部屋に比べても特に変哲のない扉を宛てがわれている、知っていなければここに至るまでのすべての扉の中から風見幽香の扉を引き当てろと言われても正解を当てられる必然性はない。でも、ボクは知っている。これを知っている人はそう多くはないだろう。もしかしたら、ボク一人かもしれない。
 その扉を、ノックもなく開く。一枚目の扉は、奥の部屋に続くその手前の間仕切りのような部屋だと知っているからだ。扉を開いたすぐ真正面には反復するように同じ扉が備わっている。この小さな前室には、全く何もない。無垢の白い木肌だけが冷ややかに扉を除く四面を囲っている。
 ボクは、生唾を飲み込んだ。扉の向こうの憧れの人へ到着を告げるために、声を出そうとして口を開くが、喉が張り付くみたいになかなか声が出ない。何度か唇を割って声を絞り出そうとするが、掠れた行きだけがひゅーひゅーと漏れるばかり。
 普段ならこんなことはない、仕事にせよ半ば遊びにせよ普通に顔を合わせるだけならば「そういうことにはならない」とわかっているからだ。その逆、今は、「ぜったいにそうなる」と、わかっている。そのために呼び出されることもある、予め|丁役《ちょうえき》の収納だと伝えられる。その度には、情けなくも、いつも、このザマを晒す。
 もう一度、お腹に力を入れて、声を張る。

「リグル・ナイトバグ、参じました。」

 既に、香りが漏れてきていた。その香りが、もとからいっぱいに膨らんで重ったるくなっている胸の中を更に膨らせる、破裂しそうだ。ボクの到着の報告の声が届いているのか、いないのか、扉の中からはしばらく何の返答もない。そのまま扉の前で直立し声を待つ。
 そしてようやく、扉の内側から、返答があった。

―服を脱いで、入りなさい
「っ」

 声が帰ってきた瞬間、電気で打たれたみたいに跳ね上がってしまう、恐怖に錯覚するほどの巨大な期待。心臓は暴れまわっていて、熱病に罹ったみたいに体が熱い。喉が渇いて唇が震える、いつもの幽香さんではない、別の幽香さんがそこにいるという錯覚、いやそれは錯覚ではないのかもしれない、中身がその度にすっかりと入れ替わっていると言われても、ボクは信じてしまうかもしれない。鼓動が激しすぎて呼吸が間に入り込めなくて苦しい。
 膝が笑って靴と靴下を脱ぐのにもバランスを崩してしまいそうになる。ブラウスのボタンを外そうとするが、冷たくなって震える指先では上手くボタン外せない、ようやく、ようやくと一つずつを外してそのままストンと脱ぎ捨てる、シャツも、放った。頭の心がじんとしびれる匂いを巻いた空気が、肌に冷たい。半ズボンを下ろしてそのまま。ボクの体を垂直にこの場で潰したら、服はこう残るだろうという形に、無造作に脱ぎ捨てた服。これも、幽香さんの指示だ、丁寧に畳んでから入ったら、待たせる気かと殴られたから。
 最後の一枚のぱんつを脱ぐ、固くなった〝それ〟が引っかかって、脱ぐのにとても邪魔だ。おとなしく、して。この状態でお部屋に入ったら、あの蔑むような目で見られて、鼻で笑われるだろう。

 ぞくっ

 それを想像しただけで、背筋を甘い電流が走った。固くなるなと意識するほど、〝納税〟を意識してしまい、自己主張を強くしてしまう。
 全ての着衣を脱ぎ捨てて、扉の前に立つ。花香の染みついた木製の扉、ここからでも分かる、幽香さんが、扉越しに今のボク姿を見ている。

「失礼します」

 扉を開けた瞬間、咳き込みそうな程の花の香り、草いきれ、花粉、それに女の人の匂いがボクを押し返そうとする。それを割って掻い潜るように、ボクは幽香さんの部屋に、入った。



◆ ◆ ◆



 濃密な花の香りは空気を粘り引く様にさえ感じる、鼻の奥に絡んで嗅覚神経の一つ一つすべてを舐め回され、酸素の代わりに薫香が入ってくるみたいで息苦しささえある。その香りは肺へ向かう前に頭の中へ寄り道する、脳みその中をかき混ぜて匂いだけなのに頭の中に花の蜜を注がれて頭の奥にずんと重く垂れ込めて、鈍くなった思考を惑うような心地よさで浸食してくる。

「こっちにいらっしゃい」

 その空間はまるで奇妙な夢の中のような空間だ、この濃密な花の香りに何か高精神的な効果でもあるんじゃないかと思うほどこの空間はボタニカルサイケデリカ。咽返る植物の匂いは霧を立ち込めたようにさえ思えて、その視界の向こうには正方形の敷地面積にびっしりと敷き詰められた詰草、時折赤い花を揺らしている。脛ほどにまで背丈を伸ばした詰草が海のように波打っていて、その中央に不自然な様子でベッドが佇んでいる。三方を囲む壁にも蔦を這わせたように詰草が背丈を伸ばしている。傷をつけぬよう緩衝梱包材として用いられたという詰草の、その名前にふさわしいような繁茂を見せている。天井にも藤棚のように茎と葉が這い巡らされていて、時折垂れ下がっている。本来の植物の持つ混沌とした自然さがないのは、全く同じ高さに調整され、一部を写真に収めてそれを隣に複製した様な定形の反復を感じるほどに整然とした様だ。足に絡みついてくる詰草の背丈は確かに瑞々しく生を謳歌する植物の旺盛さなのに、見渡してみれば同じ顔をした位置区画があっちにもこっちにも等間隔で並んでいる。植物なのに生き物のように静かに波打ち蠢く様も含めて、視覚的リフレインを見せている。それに気づいて三方の壁を見渡せば、壁面の光景もまるでタイルパターンのように反復したもの、3面は、1面をコピーしたように同じだった。
 それを深く考えないようにしている、なぜか、とか、どうなっているか、とか考えるととたんに嫌悪感が浮かんで気持ち悪くなるのだ、恐らくそれはこの空間に備わった禁忌形成だろう。幽香さんの力を鑑みるに抵抗しないほうがいいに決まっている。
 中央のベッドの上には人影が見えた、もちろん幽香さんだ。

「なにしてるの。さっさとなさい」

 ベッドの端に腰掛けて、両手も同じようにその縁に突いている。少し前傾で足を前に伸ばして、詰草の海の中につま先を落として小さくバタ足するみたいに動かしているのは、どこか小さな女の子が川辺の岩の上に腰を下ろして足先で川面を弄んでいるようにも見える、幽香さんに向けて、「小さな女の子」だなんて、失礼にも程があるが。
 服装はいつものそれよりもかなり厚着に見える、〝納税〟のときは決まって普段着よりもかなり多く着重ねてボクの前に現れ、それは(滅多にないが)幽香さんが博麗の公式催事に出席するなどのときに着る正装なのらしい。公務としての税の収納に際してその姿をすること自体は、その麺から説明されれば納得せざるを得ないが、実際にこれに当たるボクにすれば腑に落ちないところもある。だって、ボクはこの部屋に入った時点で、全裸なのだから。
 正装では髪飾りをつけるものなのだろう、頭にはダリア、パンジー、バラを密に集めたコサージュが飾られている。いつものトーンオントーンに白のラインをタータン気味に重ねたチェック柄をメインにした装い、それはいつも通りだが普段のブラウスではなく白のオフショルダーブラウス、白の生地に銀糸を混ぜた糸でバラの刺繍がワンポイント胸元に刺さっていて、フェイクデュアルに胸を持ち上げるような形にフィットした別の生地が重なっている。スカーフの代わりに銀のネックレスを垂らすように装飾したチョーカーをつけていた。いつものベストは着ておらず、ブラウスの腰をチェック柄な編み上げコルセットが包んでいて、揚羽蝶の羽のようにツインテールを引くブラウス裾が長く背中にたれてベッドの上に広がっていた。スカートはいつものストンとしたものではなく、幾重にも波打ち重ねられ空気をたくさん含んで膨らんだ、ミルフィーユでパンケーキのようなパニエで膨らみ、多段に裾を持つラグジュアリなデザイン。パニエにはレースなフリルが、スカートにも白バラの花びらを重ねたようなフリルがあしらわれている。ベッドの端についた手首から登る細い腕にも、チェック柄のバングルを通り抜ける真っ白の長手袋が見え、二の腕あたりでかすみ草のようなレースをちらしていた。
 その姿を目にして、ボクの心臓はいよいよ自爆しそうなほどに暴れまわる。普段の衣装も性格に似合わずガーリー(聞かれたら間違いなく殺される)で素敵だなと思うけれど、この|花園の女帝《TheSleepingDandeLion》」の正装は、ボクにとっては、幽香さんは妖怪だけれどどんな神様よりも神々しく思える。
 そんなIDOLに、ボクは触れることができるなんて。

「リグル」

 幽香さんがボクを再三呼びつける。本当なら、部屋に入るよう指示があったならそのままお側へ向かわねばならないのだ。ボクは呼ばれるままにその方へ向かう、これは税の収納だからという口実もあるがそれ以上に体は期待を示している、|男《オス》というのは哀れなもので、その期待を心的・思考の範囲に抑え込むことができない、《《それ》》をまるで「興奮しています」のプラカードのように掲げながら、惨めな姿を晒して幽香さんの側まで歩いていく。幽香さんは美麗な服に身を固めて優雅、ボクは全裸で情けない体を晒して無様、立って並ぶだけでも立場の違いがじりじりと心臓を焼いていく。
 いっぽいっぽのその度に、床をに敷き詰められた詰草から足を引き抜いて、そして真新しい詰草の水面に足を差し入れるように。脛に当たるくらいに深いのだけど、その詰草達は幽香さんの魔法の植物なのだろう、そんなに足を持ち上げず普通に歩くようにするとまるで自分で踏み潰されるのを避けるように動いて逃げる。ごく浅い草葉の界面だけが残され、それはボクの体を受け止めてなおふんわりと強い。
 詰草の海は広い、扉から幽香さんのいるベッドのにまでは
 近くによってみると、ファッティに引かれたアイラインにマスカラ、目尻と頬の間に濃桜色のチークが置かれて、もともと鋭く上向いた目元のアウトラインを下方向に矯正して程よくバランスしていた、唇もいつものマットなリップではなくて、グラマラスに艶めいた、赤ではなくピンク色。可愛らしく、見える。

「ナイトバグ|眷魁《ロード》・リグル。|丁役《ちょうえき》の納付に参りました。」

 |幽香さん《女王様》は正装で、それに相対するボクは全裸。そのまま、幽香さんの前に跪いて|頭《こうべ》を垂れる。

「ナイトバグ|眷魁《ロード》・リグル、お勤めご苦労さま。さっさと、《《はじめてちょうだい》》」
「しつれい、します」



◆ ◆ ◆



 ボクは跪いた姿勢から、今度は四つん這いになる。それを見た幽香さんは、豊満なスカートを持ち上げて脚を開き、その中央をボクに晒した。赤いエナメルのピンヒールの間を通り抜けて、白いストッキングに抱かれるように、そしてガーターベルトの黒に引き立てられた真白な太腿の体温を感じながらその奥で八重咲きの雪割草を思わせる姿で佇む薄いピンクの総レースのショーツに目を奪われる。
 その更に奥には、本来ボクなどが触れるなんて許されるはずのない高貴な秘密の花が隠れている。もう何度目かもわからないくらいにその秘花の〝世話〟をしているのに、何度繰り返してもボクは我慢できなくなる。
 四つん這いのまま、ボクはもう一歩前に進んでその秘花を護る雪割草の群れに鼻先を寄せ、そのまま唇を乗せる。
 ふわり、と鼻腔をくぐり抜けたのは、部屋に充満した甘ったるく湿った花香ではない、もっと生臭くて滴るような、肉と性の匂い。その匂いを感じた瞬間、半勃ちだったボクのオス棒はぎんと完全に固く反り返ってしまう。
 唇で挟むみたいに撫でて擦ると、布越しに柔らかい感触が、伝わってくる。幽香さんが注文をしてこないか気にしながら、しかしそれがないことを確認して、キスをするようにもう少しだけ唇を強く当てる。ぴくん、と左右でボクを挟撃する太腿の肉が跳ねるのを感じた、これは、幽香さんが嫌がってないときの反応だ、安心した。ボクはショーツの布越しに、その奥に潜んだ花への奉仕を始めた。
 唇を窄めて中の花にキスをし、どろどろといつもより大量に分泌される唾液を、舌先を使ってまぶし付ける。滑らかなシルクの舌触りに任せて舌で中の肉花を押すと、ボクの唾液とは違うぬめりがショーツ越しに滲んでくるのがわかった。

「もっと強くなさい」

 女王様の命令が聞こえた、これに言葉での返事は要らない。ただ、命令通りの行為で応えなければならない。中央でなだらかな膨らみを見せる丘全体に唇をかぶせるみたいにかぶりついて、中央の柔らかな場所に舌を押し当てる。唾液でしっとりと濡らした布越しに感じる肉花の輪郭を舌先でなぞって撫でて、さっき感じた密花の匂いを液体にしたような味が口の中に広がったのを確認してから、今度は縦に筋を描くみたいに舌先でより強く擦る。

「ふッ、」

 頭の上、スカートの外から幽香さんの声が聞こえた。押しつぶした黄色い声は、ご奉仕が上手く言っている証拠だ。ボクの舌で女王様が気持ちよくなっている事実を認識すると、その記号はそのまま背筋を通って下半身へ電流する。びりびりと腰の奥お腹の下に滞留して、無様に勃起したオスシンボルに充血と期待感を注ぎ込んでいく。全裸で、四つん這いでクンニを強いられているボクのペニスの先には何もない、ただ床を埋め尽くす詰草の界面が波打っているだけだ。だのにボクの腰は何か〝入れ先〟があるかのように錯覚した動きを勝手に繰り返す、ボクの肉棒は相手もいないのに無様に腰を降って刺激を求めていた。

「汚い場所に口つけて、嬉しそうにケツを振るなんて、いつまでも浅ましいわね」
(だ、だって……ほんとに、嬉しいから)

 低い声がボクを追い詰める。
 その通りだ、ボクは幽香さんにクンニをしながら、今口で触れているこの花にペニスを擦り付けて、あわよくばその奥に突き入れたいという欲求に泣いている。先端に冷たいものを感じるのは、行き先のない欲求粘膜に、期待の涎が垂れているからだ。挿入を許されたことは、今まで一度もない。これからも、ないだろう。
 まるで蔑むような科白を受けて、ボクは口愛撫に一層没入する。そうすることがボクの幸せ、これは錯覚ではなくて、本当にそう思っている。
 |風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》は、ボクをオナニーの道具に使っているだけなのだ。それが、この|丁役《ちょうえき》と呼ばれる税だ。元々は本来の意味どおりに実際の労役を課される労働税だったらしい、だが|四則同盟《カルテット》が組織されて|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》の麾下に置かれたときから、その税はボクの性的奉仕を指すものに変わった。だから、この税はボクにしか収めることができないし、幽香さんにとってはこんな実際には税収でも何でもない、ただの性欲処理なのだろうと思う。
 それでも、ボクはこれに逆らうことができなかった。なぜなら、この納税は、ボクも望んていることだからだ。断れるわけがない、それは、幽香さんも想定しての課税だったのだろう。
 なぜボクを選んだのか、その理由はわからない。ただ|四則同盟《カルテット》の中でオスはボクだけだからかもしれない。幻想郷を見渡しても雄性個体は多くなく、だが貴重というわけでもない。雄性というのは「不要だから数が少ない」とみなされている。事実、生殖は雄性個体と姿勢個体の間でなくてもできるのだ、不要なのだろう。オスとの性行為は単純に性的な嗜好行為に含まれがちだ。ボクはこの|風見幽香《大貴族》に、嗜好品として税収されているに違いなかった。

「もっと強くよ」
(……っ……♥)

 髪の毛を毟り取られるみたいに掴まれる、そのまま乱暴にボクの頭をまたの間に押し付けて、ボクの口は生の性具だ、押し付けられるままに唇を吸い付けて、舌を出して唾液をなすり、吸って舐めて、苦しい呼吸に無様な鼻息を鳴らしながら、スカートの中に立ち込めるキツい性臭に包まれて幸福感に抱かれながら。
 怠惰で幽雅の花妖女王が、その強大な腕力でボクの頭を軽々と掴み上げて股間に押し付けて自慰に耽っている。体格は確かにボクのほうが小さいが、それでもボクの頭を掴み上げているその力は、幽香さんの見た目からは想像できない、まるで山のように大きな巨人の手で掴まれているような感じ。そのせいでボクは四つん這いの姿勢を保つのに腕を地面に付く必要がなくなっていた。肩から自重が抜けたのを認識すると、ボクはまっさきに両手を自分の股間に移動する。その間で節操なく悲しい自己主張を続ける肉棒を、ボクは自分で慰め始める。ほとんど無意識だ、ずっとずっと、この徴収を宣告された日からずっと頭の裏側に張り付いてきた期待、ここに来るまでに高まって揺れ続けた欲求、そして憧れの女王を目の前にしてお預けを喰らい続ける行き場のない性欲は、ボクの体をあっという間に支配してしまっているから。
 自分のペニスを夢中でしごきながら、主人の性器に奉仕を続ける。もっと強くしろという主張は言葉ではなくてボクの頭を掴み押し付けるその強さで表現される、顔が潰れるほど、呼吸ができないほど強く押し付けられて鼻から愛液を啜るような格好にまでなるが、それさえもボクには幸福、そうやって自由を奪われて体を性玩具の様に扱われ、それを自覚する度にボクの下半身は熱を帯び涎を垂らして固くなって行く。それを自分の手で必死に慰めている。

「ん、っ、ふぅっ……」
「ぶっ、ぶぐっふごっ♥」

(幽香さんのおまんこ、舐めてるっ♥ おいしいよお、この味、この匂い♥ ドキドキが止まらなくなる♥ 顔に押し付けられて、強制顔ズリされて、顔中おまんこ汁まみれでべとべとになってるっ♥ 幽香さん、幽香さん、幽香さんっ♥)

 自分の涎なのか幽香さんの愛液なのか、それともその両方なのか区別のつかない粘り気の強い液体を、口ともなく鼻ともなく顔全体で舐め取るみたいにしながら、舌を必死に伸ばして中央の布の舌で花開き始めた花へ、奉仕を強いられている、いや、悦んで奉仕している。膝だけを付く形で腰をかくかく振りながら、両手はぬるぬるになった粗末な自分のペニスを撫で回し、射精を求めて脈打っている。こんな風に玩具にされながら、興奮して、バクハツしそう。

「いいわよ、続けなさい、っ」

 幸福感の隅から流れ込んでくる幽香さんの声が、色づき始めているのがわかる。ボクはもう完全にダメになっているけど、幽香さんもきっと興奮してくれている。ボクの女王、女神、憧れの|女性《ひと》、もう何年もこうして寵愛されているでも恋人でもない、幽香さんから見てボクはただの玩具か愛玩動物、でも、それでもボクは幸せで。

「ぶぐっっ♥ ふーっ、ん゛っう゛♥
(もっと、もっと舐めさせてくださいっ♥ もっとご奉仕させてください♥ もっとボクで気持ちよく、ううん、ボクを使って気持ちよくなってくださいっ♥ 幽香さんのマスターベーション道具にしてっ♥ 乱暴に扱っても、平気ですからっ♥ ボクでオナってっ♥ ボクの体を使って♥)」
「いい、わよっ、クソムシの割に、上手になった、わねっ」

 幽香さんがボクを使ってオナニーするのは、ボクを性的なパートナとして認めているからじゃない、ボクのことを、どんな秘密を漏らして弱みを見せたところで何も出来ないただの雑魚だと思っているからだ。ペットに裸を見られたところで、玩具に性癖を晒して知られたところで、何ら何も恥ずかしいこともないしなんの影響もない、|リグル・ナイトバグ《ボク》はそういう存在なのだ。だがそうして貶められることにさえボクは興奮してしまう。
 ぎゅうぎゅうと押しつぶされる様な圧迫の中で、舌や唇での愛撫を諦めて顔全体を動かして奉仕する、それが幽香さんにとって肉体的に気持ちがいいことなのかはわからないけれど、少なくともボクを乱暴に扱って貶めて〝使っている〟意識が好きなのらしいことは知っている、それが徐々に功をなして顔に塗りつけられる愛液はどんどん粘り気と量を増して、匂いと味が変化していく。酸っぱく刺激的な風味が消えて、甘じょっぱく、生臭さを強くする。

「っ、っ♥ ふっん♥ リグル、いいわ、もっとよ、もっ、とっ……♥ いず……っ リグルっ♥」

 開かれていた股が閉じていく。ボクの顔に押し付けられる股の間、腰自体が前に出ようとしてる圧迫を感じる。髪の毛を掴み上げる手に一層力が入る。耳に入ってくる声が少し遠のいて聞こえるのは、きっと顔が上に向いているからだ、喉を反らせているのだろう、ボクには見えないけれど。

(感じてくれてるっ♥ 幽香さんが、ボクで感じてくれてるっ♥ おまんこ汁こんなにいっぱい垂らして、ボクの名前を読んで、腰を浮かせて、仰け反って、ボクの体で、感じてくれてるっ♥)

「あっ、ん、あ、りぐ、るっ! あっ、あっあっ、あああっ!♥ い、イクわよ、口を開けなさい! 」

 口を開けという命令、これが何を意味するのかも、もう知っている、これも何度も貰ったものだから。その言葉通りにボクが顎を開けて、舌先で幽香さんの《《中心》》を突いて知らせると、ボクの頭を掴み上げる手が動いてボクの唇の間にそれが来るように充てがう。来る、来る、来るっ♥
 口を開いたまま息を吸う、しばらく呼吸が出来ないのを知っているから、肺にいっぱい空気を取り込んで酸素を十分に確保して、準備した。そして。

「っん、ああ、あっ♥ の、飲むのよ、全部、零したら承知しないわよ、さあ!♥」

 開けた口の中に、勢いよく注ぎ込まれる、液体。おしっこ。大きく開いた口の中、上顎の内側に打ち付けられるように注ぎ込まれる幽香さんの聖水の流れを、ボクは舌で誘導しながら必死に口の中に収め、喉の方へと運ぶ。ショーツ越しで、口に注がれてくる時点で流れは乱れまくっている。口を開いたまま閉じることが出来ず舌や唇で飲み下す体勢を整えられないから、喉へ注ぎ込まれる勢いに任せてそのまま、口と言うより喉でそれを嚥下していく。すごい量と勢い、我慢してたのかな、ボクのために溜め込んでくれていたのかな、そうだったら、嬉しい。匂いがキツくて、喉を通り抜ける度に鼻を逆流してくるアンモニア臭と、僅かな性臭。息が出来ない酸欠。
 その間も夢中にボクはおちんちんを扱き続けている。たまんない、幽香さんのおしっこを飲みながら射精寸前。

(すごい♥ いっぱい♥ ボクのために、幽香さんが、幽香さんの、いっぱい♥)
「ぁーっ……はぁぁっ♥ いいわよ、便器。きちんと処理なさいね」

 ボクの口を便器に見立てて放尿して、心地よさそうに小さく呻きを漏らす幽香さん。穏やかな快感をじっくり味わっている幽香さんに対して、ボクは腕が痛くなるほど必死に手を動かし、自分のおちんちんを両手でめちゃくちゃにコスりまくって、無我夢中に射精に向かう。止められない。だって、幽香さんのおしっこ、幽香さんの、幽香さんのっ♥
 頬も唇使えず、頚窩を無理やり上下させる様に幽香さんの聖水を飲み込みながら、酸欠で苦しさが強くなっていく中、それでもおちんちんオナニーを止めることが出来ない、心拍数が際限なく上がって、必要な酸素量が跳ね上がっていくみたい、でも呼吸は出来ないし、手淫は止められない。

(イきたい、イきたいっ♥ 幽香さんのおしっこのみながら、おちんちんイきたいっ♥ 幽香さんに使ってもらって幸せ♥ おしっこ美味しいの、きもちいいの、大好き、大好きっ♥ 幽香さんに性処理道具に使われるの大好きっ♥)

 自分の尊敬の念や憧憬の感情をこんな風に無残に踏みにじられた上で、性欲の処理道具として使ってもらえる。まるでどろどろにとけたタールの沼を焼けた鉄の棒で掻き回す、そうして焦げ付いて固まっていく滓が、甘ったるい水飴、そのドロついたしつこい甘みに絡め取られて溺れて。

(イク♥ おちんちんイク、いく、|射精《で》る♥)

 びくっ、びくっ、体が痙攣しておちんちんの付け根がきゅううっと締め上がる。タマがせり上がって中に溜まってるドロドロの精液を、勢いよく吐き出した。

 びゅるっ、びゅううううっ♥ どぷっ、ん♥

「ん゛っ゛っ♥ ぶっ、ぐぶぶばっ♥ ん、ああっ、あっ♥ いっイっちゃ……♥ ぶぶぶげえっっ♥ ごぼっ♥ ぐぼっっぼぼっぼお♥」

 おちんちんアクメをキメて射精の電流に全身を震わせたその瞬間、必死に続けていた飲尿奉仕が一瞬止まってしまう。嚥下が停止し口の中をみるみる満たし溢れていくおしっこ。口を閉じずに喉だけで飲み込み動作を再開するのは難しい、それでもなんとか喉を広げないとおしっこが口から溢れてこぼれてしまうと無理に喉を開こうとした瞬間それに失敗して、喉に流れ込んできたおしっこが気管に入りそうになって咳き込む、が口は塞がれている、逆流するおしっこは、見事に鼻から吹き出した。噎せ込んだ拍子に、呼吸を我慢していたこともいよいよ耐えられなくなって、幽香さんの股間から遂に口を離してしまう。幽香さんの手はいつの間にか脱力していたのだ。
 気管から逆流した聖水を鼻から零して、呼吸をしてしまい口の中に収まりきらなくなったおしっこが泡を立てて吹き出す、溢れる。

「なに……こぼしてんの、よっ!!!!!!」
「ぐげほっ、がっ、げぇっっ」

 改めてボクの頭を掴み直した手が、ボクの頭を背後の床に叩きつける。ボクはお腹と股を見せるようにひっくり返った。そんな状態でもボクのおちんちんは収まりかけの射精を続けていた。ひっくり返った拍子に、自分の精子がお腹に引っかかる。

「ちっ、使えない便器ね! 自分の役目も果たせないの、このクソムシは!?」

 スカートの端とパニエを自分のおしっこで濡らした幽香さんは、裾を掴み上げて立ち上がり、最後の一絞りをボクの体に向かって注ぐ。最初ほどの勢いはないがまだ弧を描いて噴く聖水の筋が、反り返って自分のお腹の上に射精を続けるボクのおちんちんを打つ。
 放尿の刺激を裏スジ、それに亀頭の縫い目に受けて、収まりかけだったおちんちんアクメと射精が、再び勢いを取り戻す。

 びゅっ、びゅっっ♥ ぶびゅっ♥ びゅるっ♥

「ふゃぁああぁっ♥ おしっこがっ♥ ボクの射精中ちんちんに、あたってるっ♥ オナニー無駄撃ちザーメン、おしっこできれいにされちゃってるっ♥ おしっこかけられて、おちんちんまたイクっ♥」
「なんでこの私が便器の後始末をしなきゃならないのよ!? 身の程をわきまえろ、便所虫!!」
「もっ、申し訳ありましぇっん♥ おしっこ処理できなくて申し訳ありませんっ♥ おしっこ飲みながらチンポアクメキメて申し訳ありませんっ♥ おちんぽに聖水ありがとうございますっ♥ おしっこありがとうございますっ♥ また、またクる、イク、いくっ♥ いくいくっ、射精またくるっ♥」

 びゅんっ♥ どぴゅっ♥ ぴぴっ♥

 流石に連続して三回のチンポアクメを迎えて、噴き出した精子は僅かな量。でもいっちょまえにアクメの痙攣は跳ね回り、幽香さんの立ちションおしっこをイき重ねちんぽに貰って、おしっこの飛沫をあちこちに飛ばしてしまう。

「はあっ? 何ぶちまけてんのよ、汚いわね! ほんっと、便器の一つもまともに出来ないで、何が|丁役《ちょうえき》よ、ふざけんじゃないわよ!!」

 放尿が静かに終わり、最後の一滴をボクの体に振りかけた幽香さんは、そのままボクのおちんちんを、靴で踏みつける。一発、二発、ひっくり返った竿をグリグリと押し込むように踏みつけて、そして、ピンヒールの先を。

「いっぺん男として死ね、クソムシ」

 睾丸に突き立てて踏み込んでいた。

「あ゛っ! が、ぎあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っっっっっっっっっっ!!!!!!!!!!!♥♥♥♥」

 ぐりっ、と弾力の強い球体が踏みにじられた瞬間、胃が捻り縒れて、頭を恐怖の電流が走り抜けて総毛立つ、一瞬で冷や汗が吹き出して、視界が突然白く吹き飛んだ。激痛を認識したのはその後だった、既に踏み潰したヒールの先が睾丸から離れたあとだ。お腹の下が痙ったようにヒリ上がって暴れまわり、金玉には本当に破裂したんじゃないかと思うほどの痛みが何度も何度も襲ってきている。
 だのに、ボクのおちんちんは、最後の一絞りの精液を、快感の内に吐き出していた。

「あ……へ……ぁ ぐげっ……♥」
「ちっ、寝てんじゃないわよ、精産虫」
「ふふぁぁい、ぃ……♥ |辺境伯《TheSleepingDandeLion》……に、|丁役《ちょうえき》納税、いたしま、す……♥」

 ごすっ
 ひっくり返ったまま、体中が弛緩しているボクを、|おしっこで濡れた《聖水で清められた》正装をまとった幽香さんは、もう一発蹴り飛ばす。

「何度言えばわかるの? 違うでしょう。|納税のとき《今》は、《《なんて呼ぶのだった》》!?」

 僕は、主君のことを、下の名前で呼んだ。



◆ ◆ ◆



 この期間、ボクの食事は完全に菜食のみに制限される。穀物、野菜、山菜、根菜、それに食用花、水、ココナッツミルクもある。こう聞けば不満足はなさそうに聞こえるが、バランスが取れているようでいてやっぱり肉食を覚えて育った|ボク《虫》にとっては、肉体的な充足が失われていく。健康体ではあるが元気は出ない。一方の幽香さんは、そんな食事ばかりでもあの怪力の持ち主である、食物のせいと言うよりは、体質というか妖怪としての性質の違いなのだろう。でも幽香さんは|丁役《ちょうえき》の期間は同じ食事をボクに強いてくる。ボクにはそれに逆らう術はない。

「ごちそうさまでした」


 徹底した菜食では、お腹は膨れるのだけれど満腹感は乏しい。|丁役《ちょうえき》は動労税だ、食事を作る他あらゆる家事もやらされる、と思ったがそうでもなかった。|丁役《ちょうえき》納付の期間、ボクは幽香さんの私邸で多くの時間をただぼうっとなにもせずに過ごす。その時間よりも圧倒的に多いのが、《《奉仕》》の時間ではあるが。

「食べたらさっさと来なさい」

 いつも、こうだ。この期間、食事をしている以外の時間は、ボクはほとんどの時間を幽香さんへの奉仕に費す。トイレに行くという概念もない。ボタニカルサイケデリックなベッドルームで性的な奉仕を強いられて、時間が来れば食事もする。だが食事の時間もボクは全裸で、幽香さんは分厚く豪奢な衣装に着飾りながら全裸のみすぼらしいボクを見下ろしている。食事が終わればボクはまた幽香さんの性的欲求を満たすための道具に戻る、その間の幽香さんは何度イかせても満足してくれることはない。ボクが精液を床や空中に無駄撃ちしてぐったりしていても、幽香さんは次をしなさいと脅すような声で求めてくる、そこには甘い時間は1秒たりとも現れず、|幽香さん《女王様》は好きなだけ気持ちよくなり、ボクは搾取され尽くすだけだ。
 呼ばれるまま寝室へ戻ると、幽香さんは正装のままベッドに体を横たえている。

「手でして」

 そう言いながら、オフショルダーブラウスの肩を更に下ろして横たわり、天に向けて張り出した豊満な胸を晒して見せつけてくる。柔らかいのに上を指す形を崩さない巨乳、触ったときには指が埋まり、揉んでいるはずだって言うのに弾力を以て手を包み返されるみたいな感触が、もう|記憶《のう》に焼き付いて消えそうにない。それだけで、ボクの頭の中の血は一瞬で沸騰し、下半身に巡って硬さを呼び戻す。
 ボクは全裸で勃起した恥ずかしい姿のまま幽香さんに歩み寄る。前を手で隠すことは禁止されている、胸を張ってその粗末なものを見せつけながら歩きなさいと。そうしなければ〝調教〟が入る。小さくて見すぼらしい肉棒を、一歩歩く度に、ふる、ふる、と揺らしながら、詰草の海を歩いて幽香さんの側まで歩み寄る。ベッドに登って、横たわったままボクを肉欲挑発する幽香さんに覆いかぶさる。

「はあ、はあ」
「必死な顔」

 前髪を掴まれて引っ張り寄せられる、そのまま唇を噛みちぎるみたいなキスで吸われて、顔面をタオルか何かみたいに体に擦り付けられるみたいに、ボクの顔は唇は舌は、幽香さんの胸に圧迫される。唇にちょうど乳輪が来る、舐めろという意味だろう、口を開いて舌を出して、乳輪から漂う香りの風味を舌と口の中いっぱいに感じながら奉仕する。

「手もよ」

 頭の上から声が聞こえた、その声をどういう表情で言っているのかわからない、「手を」と言われて触るべき場所がどこにあるのかもよく見えない。自由の利く右手をあちこちと這わせる。分厚いスカートの層を掻き分けて、ようやくたどり着いた幽香さんの体。ここは、お腹。ここは……膝か。ここは太腿。ここ、はお尻だった。

「焦らしてるの? 生意気」

 違います、を言う口は乳圧に殺されている。むぐ、と乳首のしこりを舌先に感じながら、もう少しで見つかりそうな幽香さんの秘所を手探る。太腿に戻って、ゆっくり指を。すべすべの肌が、少し熱い。

「ふっ、ん」

 太腿の内側なのだろう、柔らかい肌を撫でながら現在地を確認する。そのままもう少し登る、あっ、ここは太腿の付け根。汗ばんだ肌のしっとりとした感触が、お腹の下と太腿の挟まる間の場所に熱を孕んでいる。その隙間に指を這わせてから、あと少しだ。幽香さんの、あそこ、手で。するすると移動させると、それはあった。

(は、はいてない)

 指が到達すると、ぷっくりと湿り気を帯びて熱く膨らんだ肉が迎えた、布地はない。さっきボクの顔でおしっこをして、それから脱いだのかもしれない。触りたい、欲求が高まるけれどそれを誤魔化すように、口の中のものへの刺激を続ける。固く凝っている、感じてくれているのだろうか。

「はっ、あ……ぁ」

 聞こえた声だけで、ボクの方も爆発してしまいそう。でも、まだ。幽香さんは手でしろと言ったのだ、それをしなければ、また《《ひどい》》に違いない。右手を更に中央へ導く、すると中央に凹みを持った2つの土手と、凹みの中にあるじっとりと湿った柔らかいものが手に触れた。これだと、思う。

「……っ」

 ぴくん、と小さく幽香さんの体が反応を示したのが伝わってきた。確信を持って、その熱く滑った溝に指先を触れ、染み出した蜜で指を濡らす。往復して、人差し指を。往復して中指を。また往復して指の側面を、また往復して。念入りに念入りに指を愛蜜で濡らしていると、頭を両腕で包んで締め上げるように圧迫される。

「調子に、のって……っ、っ」

 幽香さんにとっても気持ちのいい行為になっているのなら幸いだ、指をもっとべっとりと濡らして手奉仕の準備を続ける。
 それに、ちゅうちゅうとおっぱいに吸い付くと、続けろと言わんばかりにもっと頭を締め上げられて、顔面で乳房を押し潰す形になる。これが体の構成部位だなんて、こんなのは反則だ、こんなに気持ちのいい肉が、この世のどこにある。それが、何をおいても幽香さんの体に付いているだなんて、あんまりにも魔性がすぎる。高反発だがゆっくり沈めば深く埋まっていく、巨乳肉に顔面を溺れさせて舌を出し、先端への奉仕を続けて、このおっぱいで苦しむ許可をもらう。もっと沈みたい、もっと溺れて、もっと包まれていたい。そのために、口だけじゃない、ボクは女王様の命令の通り手を使ってその期待に答えなければいけない。

「もう、いいわよ、もうっ」

 声は少しだけ掠れていた、頃合いだろうか。きっと求められている、ボクも、早くこの中に、埋まりたい。もうすっかり愛液でふやけた指を、いよいよその溝に埋める。

「っく、ふっ ぁっ はあっ」

 溝の中をゆっくりと行き来すると、大量の蜜と柔らかな襞に迎えられる。その一箇所に、更に奥へ潜るべき穴を見つけその入り口をつつくと、幽香さんの腰がふわりと上に舞い上がって浮いた。求めてきている、そう思ってほんの少しだけ指に力を込めると、その先端はにゅるっ、と奥へ侵入した。

「ぁぁあっんっ!」

 その声は痛みや苦痛のものではない、それは長年こうして奉仕をつけていればわかるものだ。入った指を、小さく動かして入り口付近を撫でる。たまに奥に侵入してはまた入り口に戻って、また少しだけ奥に。ゆっくりと、掘り進んでいく。

「ふうっ、は、んっ……いいわよ、っくうっ! んっ、あ、アアっ!」

 口の中で自己主張を続けるグミの実を、きゅう、と噛んで見ると、幽香さんはあらでもない声でボクに応えてくれた。もっと、もっと感じて欲しい。幽香さんが感じてくれると、ボクも、堪らなくなる。おちんちんを触っているわけでもないのに、じんじんと熱くなって、ムズムズして、破裂寸前。

(いれたい……いれたいよおっ)

 幽香さんが一言許可をくれれば、命令をくれれば、ボクは一生ただの性玩具でも構わない。
 はちきれそうなおちんちんを何かに擦り付けるわけでもないのに、腰を前後に揺すってしまう。浅ましい全裸の男と、そのクソザコ男に着衣のままで圧倒的マウントポジで奉仕を強要する女王様。ここに鏡がなくてよかったと思う、もしあったのなら、自分がいかに情けない格好で女性に抱かれているのかを目の当たりにしてしまう。
 いれたい、と願いながら、女性の許可なしにそれも出来ない情けない|男《牡》。そう自覚すると、なおのことボクのおちんちんには血液が集まって鋭敏さを増し、剰え涎を垂らしてしまう。

「はあっ、はあっ♥」
「ふーっ、ふうううっ、んっ♥」

 幽香さんの肉壺をかき混ぜる指の動きも、徐々に強く大きくなっていく。それにつられるように幽香さんの口から漏れてくる声の大きさも、トーンも、余裕を失っている様に聞こえる。それは指先から幽香さんがどんなに興奮してとろけているのかを察してしまうボクの方も同じだった。幽香さんがボクで感じてくれているという事実が、もう、無様ペニスをぱんぱんに張り詰めさせている。

「い、いれたい、いれたい、ですっ」

 ボクが情けなくお願いの声を上げても、幽香さんからの返事はない。許可がもらえないなんて情けなさが噴き出して惨め絵で、それでもボクには出来なくて。惨めに下半身を膨らませて虚しく腰を動かしながら主人に奉仕を続ける。所詮は、肉玩具、セックスなんて望むべくもないのだ。

「っく、ああっっ♥」
「ふーっ、ふーーーっ……はあっ、はっ、はあっ、はあああっ、はっ」

 指先から感じる、肉襞の蠢き、うねり、ぎゅうと締め付けてくる感触、さらさらになってきている愛液。耳から流れ込んでくる喘ぎ超え、顔面に感じる乳圧。

(幽香さんっ、幽香さんっ、幽香さんっ、幽香さんっ、幽香さんっっ♥)

 頭の中は、挿入できない悔しさとその欲求を、空想で満たそうとする卑屈な映像で満たされていた。顔全体に押し付けられた乳圧の向こうで、惨めに空振りする腰振りとペニスの先に、幽香さんの肉穴があると想像して。かくかくと腰を動かして先端に何も当たらないピストンをしながら、その動きを模したように指を動かす。

「あっ! ああ、いいわ、よ、リグルっ♥ 上手になっ……んんんっ!♥ なったじゃないっ、ああ、アアっ♥」

 過剰なほどのフリルで埋まったパニエとスカートの中で、大きく開いた股が180度にも開いて浮き、ボクの指を貪っている。今は見えないが、このとき、スカートの襞はまるで巨大な花のようにひだめいて、その中央で蜜を垂らす幽香さんの体は魅力的な雌しべのようになるのを知っている。ボクはさしずめその蜜を求めて群がるちっぽけな虫だ。
 乳圧に窒息しそうになりながら、固く凝った乳首に奉仕を続け、指で蜜を掘りながら、自分が蜜花に食べられていく映像を想起して、もう、限界に追い詰められていく。

「い、射精して、いいわよっ」

 息の上がった幽香さんの声が、放出される喘ぎではなくたしかにボクの耳に向かっていた。次の瞬間、素振りオナニーに泣いていたボクのペニスに何かが触れた、これは。

(幽香さんの、手っ……♥)

 それは臭い涎を垂らして泣いていた、哀れな肉棒の先端を、くい、と指先で押し撫でるだけの、小さな刺激。でも、それで十分だった。

「ん゛っ゛♥ んぶっ♥ ふぐぅ゛ぅ゛♥ んう゛っ゛♥」

 おっぱいで気道を塞がれていたボクは、思い切り喘ぎ声を漏らしたいそれさえも出来ずに、押しつぶされた様な汚らしい音を漏らして震える。そして。

 びゅっ♥ びゅううっっ♥ びゅっ♥ ぴゅるるっ♥

 たった指先で撫でられるだけの小さな|刺激《哀れみ》だけで、ボクのペニスはあっさりと絶頂し、精液を大量にベッドにぶちまけてしまう。行き先のない、無様な無駄撃ち射精。
 ベッドの表面に勢いよく精子が注がれる細かな振動は、幽香さんにも伝わっているだろう。それに、ボクのペニスにとどめを刺した細い指はまだ竿に添えられたままだ、握ってくれたり擦ってくれたりはしない、でも触れたまま、まるでボクの射精を眺めるみたいに、痙攣するペニスを触っている。

「ふ、ふふっ♥ いっ、たのね……リグル、あんな、撫でただけで、無様にっ……♥ っ♥ 〜〜〜〜っ♥」

 大量無駄撃ち射精に打ち震えながら、幽香さんの中に入ったままの指は強く、締め上げられていた。奥に飲み込もうとするうねりと、捻り切るほどの締付け、小刻みな痙攣と、どっと増える愛液。耳に届いた、切羽詰まったような声。
 幽香さんも、ボクの絶頂を眺めながら、イッたのらしい。

(ぼ、ボクの情けないアクメ見ながら、幽香さんがイッてくれてる……幽香さんがボクに興奮してくれている……♥ 嬉しい♥ 嬉しいっ♥)

 背筋に甘い電流が走る、相手が自分で感じてくれてることをこんなに嬉しく思うの、女々しいような気はしてしまうけれど、でも嬉しいものは嬉しい、幽香さんがボクのアクメ図で興奮してイッてくれるなんて……幸せだよおっ♥

「はあっ、はあっ、リグル、よくできた、わ……♥」

 ぎゅうううっとボクの体を抱き枕の様に締め付けながら、ボクの名前を呼ぶ幽香さん。こんな日が、あと一週間続く。幸せで、嬉しくて、でも決して最後の一線を超えることが出来ない惨めな日々。ただただ、玩具として使われ続け、そんなことにさえボクは「ありがとうございます」と叫びながらアクメしてしまう無様な日々。
 年に一度の労働税、その徴収は一週間続く。その間、ただ|暴虐花妃《あこがれのひと》の性欲を満たすための道具として使われるのだ。
 一度たりとも、挿入を許されないまま。



◆ ◆ ◆



 あんなにも|惨め《幸せ》だったはずなのに、自宅に帰ってき自分の家のベッドに潜り込んでみるとこんなにも安堵感のあるものだろうかとつくづく思い知らされてしまう。ストレスフルな幸福感、そのどう扱えばいいのかわからない疲労感を、やっとここで手放しで放り出して、休むことが出来る。一週間なんてあっという間なのに、毎年毎年ひどく長く思える。楽しみにしているのか、憂鬱なのか、幸せなのか、苦痛なのか、もはや何がなんだかわからない。

「はあ……つかれた」

 枕を抱きしめてうつ伏せて布団に沈み、疲労の波に揺られながらなんの心配事もない睡眠に沈みたい。頭から布団をかぶった。
 結局、幽香さんにとってボクはただの玩具であって性欲のはけ口でしかない、それはわかっているつもりだ。この幻想郷で、オスは珍しいから。特権階級の贅沢としてボクは〝徴収〟されているのだ。
 そうだとわかっていてもボクの体は、まるで幽香さんから離れることが出来ない宿命みたいに、求め続けてしまう。好きなのかどうかさえよくわからない、いや、好きな人だったことは間違いがない、あんなにも憧れて恋い焦がれて、思い続けてしまう人は、いない。ローリーとは、別次元だった。ローリーのことは大好きで、大切にしたくて、守りたい、ずっと一緒にいたい、パートナーとしては絶対だ。でも幽香さんに向くボクの感情は、もっと爆発的なもので、その起爆点が愛情なのかさえ怪しい。まるで催眠術にかかったか、もっともっと大きな力で運命付けられているみたいな不可抗力を感じる。
 どうして、あんなふうに、求めてしまうのだろう。幽香さんも幽香さんだ、どうしてボクなんかを求めるのだろう。確かにオスは珍しい生き物だが、幽香さんの地位と力があれば他にもたくさんオスを集めることは出来る。単に最初から部下に入っている手軽な相手だから? そう考えるのは辻褄が合っていて自分で反論することが難しい。だから、自分で黙してしまう。

(本当は、拒否すべきなんだろう。ボクにとってもそうだけれど……幽香さんにとっても、あまりいいことじゃない)

 それが性欲処理なのだとしたら、ボクは幽香さんの最終的な求めにいつも応じることが出来ないでいる。つまり、セックスまで至ることが出来ない。中折する、というわけではない。最後の最後で、挿入だけは絶対に、ごめんなさいしていた。幽香さんはいつも猛烈に求めてくる、でも、ボクはそれに答えていいような気がしていなかった。しかも、命令、すれば、力づくで、求めれば、出来るのに、幽香さんは最終的にそうしない。本当の性交本番だけは、あそこまで高圧的になんでもサディスティックにボクを操作しておいて、その最後の一線だけをボクに決めさせるのだ。
 それを、ボクの本当の征服だと思っているのかもしれない。ボクもいつも負けて入れてしまいそうになる。でも、恐怖心のようなものが湧き上がって、最後が超えられない。すごく興奮しているのに、射精したくても、セックスしたくても。「セックスしなさい」って一言命令してくれれば、ボクはきっと悦んでするだろうに。その一言はくれない。
 今回の一週間も、結局何十回もイッたし、幽香さんも恐らく同じくらいは絶頂していたけれど、セックスは一度もなかった。精神的には、どこかでそれでよかったと思っているし、やはり出来なかったかとも思っている。でも、肉体的には、ひたすらに焦れて焦れて、気が狂いそうだ。|丁役《ちょうえき》納付からしばらくは、夜な夜なボクを攻める幽香さんのことを瞼の裏に脳裏に鼓膜の裏に、再生して、オナニーしまくる。そうでないと耐えられない。昼も夜も幽香さんに性的に虐待された時間のことを考えてしまう、虐待的なのにボクは興奮していた、その興奮を再生してしまって、発散しないとどうにかなってしまいそう。記憶が薄らいで欲求不満が自然に収まるまで耐えるしかない。
 ボクは部屋で、頭を冷やすように横になっていた。納税が終わって帰ってきたばかりだった。目を閉じればすぐに幽香さんのきれいだけどえっちな姿が思い浮かぶ。こんな状態、ローリーにだって申し訳が立たない。ローリーは、納税がどんな労働7日を知らないのだ。
 ベッドの上で転がって、ルーミィが好んで読んでいる、ニンゲンの里の「マンガボン」という本を読んでいる。頭を別の方向に向けて使っている間は、幾らか気が紛れるから。

 がたん、バタンっ! どたっ!

 なにか嫌な音が聞こえた、大方の予想は付く、こんな音を立てて入ってくるのは、チーかルーミィだけだ。

「お、リグル、いた! おつとめごくろーさまだ」

 全くノックもなく部屋に入ってきたのは、案の定そのルーミィだった。メイド服を着ている。

「ねえ、いつも言ってるけど、部屋に入ってくるならノックくらいしてよ」
「したよお」

 してない、と思いたいけれど、今のボクはまともに物事が判断できてない可能性がある。もしかしたら意識を意図的に本に向けていたせいで、聞こえていなかったのかもしれない。

「何? ボク疲れてるんだ」
「おつかれだろうとおもって、サービスしにきましたー。今日《《おふ》》なんだ。リグルおつとめからかえってきてるはずだから、おてつだい。今日はいちにち、リグルせんようのメイドさんだよー?」
「いいよ、そんな気遣わなくって。毎年のことじゃんか」

 気遣ってくれているのだろうことは想像できるが、一体どこをどう気遣えばいいのかなんて、ルーミィにわかっているはずがない。わかってほしくも、ない。

「……ミスティアにもそんなたいどなの?」
「は?」
「つかれてんだかなんだかしらないけど、せいかくわるーってかんじだよ」

 何なんだよ。
 こっちはそれどころじゃないんだ、人の気も知らないで。こんな状態でローリーに会えるわけ無いだろ。

「ほーらー、つかれてるからきげんわるいーなんでしょ? ご飯つくろっか? おそうじする?」
「いいってば」
「ゆーか姉、そんなひとづかいあらいんだ?」
「……まあ。だから疲れてるの、ほっといて。またそんな服着て、変な失敗するんじゃないだろうね」
「むー」

 ぼふっ!
 いきなり椅子の上に座布団代わりになってるクッションを、投げつけられた。

「わっ、なんだよお!?」 
「あそぶ?」
「なにゆってるの……」
「なんかかんがえごと、してそうだから。どうせあんま頭よくないんだから、いみないよ」
「ルーミィに言われたくないよ」
「つかれてるんじゃ、ないんだ? ぱーっとあそぼ?」
「遊ばない」
「どーしてー?」
「どうしても。そんなこといって、どうせその服に変な効果付いちゃってるから、妙なこと言ってるんでしょ」
「ちがうよー。これはちゃんとクリーニングしてあるもん」
「どっちでもいいけどさ。遊ばないから、帰ってよ。少し休ませて。いいだろ、どうせボクにはみんなと違ってこれとイッた仕事があるわけじゃないんだし。どうせボクは労働税を払うための人夫みたいなもんだよ。オフのときくらいごろごろさせて。ルーミィだって、紅魔館に働きに行ってるならわかるでしょ?」
「……ぷん」

 どむっ!

「ぎゃあ!?」

 今度はルーミィ自身が降ってきた。突然のことで対応できなかった、気がついたらマンガボンの欄外と天井の間に、白と黒の何かが飛び混んできていた。次の瞬間にはこのザマ、ルーミィの豪快ボディプレスを食らって沈んでいる。
 
「な、なにするんだよお、さっきから!?」
「いくじなしのりぐるに、ハッパをかけてる」
「なんなんだよ」

 意気地なしって。そんなの、いまさら。わかってる。そんなの、ルーミィはいつもボクのことをそう言ってバカにする。

「じゃあ、何をしろっていうの?」
「だからー、すこししゃきっとさー」
「そうじゃ、ないんでしょ?」
「えっ?」

 どうせ、ボクを馬鹿にしているだけなんだ。なんだか、ひどくムカついてきてしまった。|丁役《ちょうえき》労働の疲労のせいかもしれないし、彼女の挑発的な言動に、素直に苛ついてしまったからかもしれない。でも、すごく、今は抑制が利かない。

「ルーミィ」

 ボクは彼女の腕を引いて、ぐん、とベッドの方へ引き寄せて押し倒した。油断していたのか、あるいは彼女は女の子だ、純粋に力が弱いか、あるいはその両方だろうか。彼女はほとんど無抵抗にベッドに倒れて、今はボクの下にいる。

「えっ、っちょっと、リグル?」

 うろたえた声を上げるルーミィを無視してボクは彼女の着ている服を剥きとる。メイド服のブラウスの胸元を無理矢理に引きちぎった。ばり、と派手な音が聞こえたのは、その素材が元々とても頑強なものであるし、魔術的な硬化状態を無理矢理に破ったからだ。

「えっ、この服すごくじょうぶなのに……」

 込めた力の強さに、ルーミアは怯えたような声を上げる、その通り紅魔館のメイド服は有事の装備としての機能を兼ねている、ちょっと引っ掛けた程度で破れるわけはなく、着ている本人が真っ二つになってもぺしゃんこに潰れても服だけは無事であることた見込まれた、高度戦闘服でもある。それを破り剥いだということがどういうことか、ルーミィは察しただろう。
 ボクがまだ拳を握った状態でいることを見て、一瞬で怯えた表情に変化した彼女の両腕を、まとめるように掴んで頭に上に固定する。わずかに抵抗の力を感じたけれど些細なものだ、ルーミィも、女の子だから。

「り、リグル」
「したかったんでしょ?」
「そんないいかた」

 ルーミィは、きっとシたいんだ、この間のメイド服のアクシデントだって、本当だったかどうかなんてわからない、本当は全部ただの演技で、ボクをからかって遊ぶためだたのかもしれない。あんなふうにバカにするみたいな挑発で誘って、どうせこれだってボクで遊んでるだけなんだ。どうせ弱虫で何もしないだろって思って。
 彼女は腕を揺すったり体を跳ねさせたり脚をばたつかせてボクに抵抗するけれど、彼女の身体能力とボクのそれでは大きな差がある。虫の腕力を、オスのことを、あんまり舐めるな。

「……バカにして」
「えっ、し、してないよ、ばかになんか。きゃっ!?」
「してるじゃないか!」

 そうやって、ボクのことを、どうせなんにも出来ない弱虫だって、思っておちょくってるんでしょう? 意気地なしって。実際に口に出されたわけではない、その言葉は彼女の口ではなく、ボクの中の僕がボクに向かって言っているだけだ。それでも、図星を疲れたみたいで無性に腹が立つ、そんなこと、言われなくたってわかってる!
 メイド服のスカートを乱暴にたくし上げて、中に収まっている可愛らしい白いぱんつを、破り捨てる。

「っ!」
「おとなしくして」

 脅すような声で言ったつもりはない、でも紅魔のメイド服を破り捨て、腕を掴み上げて固定されてしまい、体をどんなに揺すってもびくともしないのを見て、彼女の表情は怯えを見せている。彼女が自分の能力を十分に活かして抵抗するのなら別だが、こうして密着するのなら、ほんの少しの体格差と大きな腕力の差を、彼女は覆すことが出来ない。その頬を撫でるように掌をあてて、彼女の生きた金糸の様な髪を束ねて握りくしゃりと潰してやると、彼女は怯えきった表情で体を小さく震わせた。抵抗のためによじっていた体もボクを引き剥がそうとしていた脚も、腕も、すっかり大人しく静まっていた。

「悪かったよ、ずうっと放っておいて。ルーミィがそんな欲求不満してるなんて思ってなかった。」
「ち、が……」
「違わないよね? 煽るような科白言って、わざわざそんな服着て、ボクのことからかってさ! ヤりに来たんでしょ、またボクのこと、心の中では馬鹿な男だって嘲笑って!?」
「ごめん、そんなつもりじゃ」
「しらないよ、もう」

  もう何をするかを決めていた。だって彼女がそうしたいって言うのだから。乗ってあげる、その猿芝居に、ボクも大根役者で参加してあげる。女の子に惑って期待で前後不覚になってる馬鹿な男だって。
 ああ、ボクはどうかしているだろう。|風見辺境伯《TheSleepingDandeLion》に課せられた労役の疲労で頭のネジが何本か川に流されてしまったんだ。結局〝最後〟まで出来ずに不完全燃焼、先端では勢いよく燃え盛ったけれど根っこの部分はじりじりと熾火を燻らせているだけでじれったい間隔を、彼女で晴らそうと、思っていた。彼女にはその同期はあると決めつけて、ボクは自分を正当化している。
 ボクは下半身で大きく膨らんでいる肉棒を、ルーミィの濡れてもいない割れ目に宛行う。

「り、りぐ……」

 彼女が感じているかどうかなんて関係がなかった。それは幽香さんにするときやローリーにするときとは全然違う感情で、いや、彼女のことなんて何も考えていない、ただ、女の子の肉溝にこのしょぼい肉棒を突っ込んで擦って、その中で果てることし考えられていない。愛撫なんてする意識のかけらだってなくなっていた。
 彼女がもし百万が一ボクのことを本当に好きなのだとしてもこんな風にされて順当な受け入れ体勢をつくるわけがない、これっぽちも濡れていない貝口に、それとは真逆に勃起したペニスを乱暴に押し当てて準備を促したりもせずそのまま無理矢理にねじ込んだ。

「っひ、あ、ああっ!」

 濡れていない、ただ熱くて悲惨の肉溝だ、楽しむなんて目的はなくてこれはただの性欲の発散。好きとまで理由を偽ってボクをおちょくっていたのだ、その通りにしてやろうと思う。幽香さんにあんなふうに焦らされて許されない欲求不満が、行き場を求めていた。
 押し込んだ肉溝は乾いているというわけではないが、愛液を浮かべるような濡れ方はしていない、ペニスを押し当てて奥に無理やり押し込んだあとも、潤んだ泉には程遠い感触しか伝わってこなかった。

「やだ、やだやだやだやだ! リグル、こんなの、やだあ!!」
「うるさい」

 破れてただの布切れになった彼女のぱんつを拾い上げて口の中に突っ込む。それを吐き出すことが出来ないはずもないのだけれど、恐らくそれは恐怖心のようなものがそうさせるのだろう、おとなしく口の中に収めたまま、ルーミィはぎゅっと目を閉じて苦痛に耐えるようにしている。
 抵抗しないのなら、もうそのままやるだけだった。ルーミィは感じていないし、ボクだってただおちんちんを何かそれらしいものに擦り付けてただ射精したいだけだ。ルーミィの溶け切っていないヴァギナに挿入した摩擦で、単にオナニーするみたいに自分勝手に動き回る。

「っ、〜〜〜っ……ひろ、い、リぅる」

 口の中にぱんつの切れ端を含みながら、嗚咽を漏らすルーミィ。
 でも、何を言われても、もう手遅れだ。後悔したって遅いし、射精に向かってブレーキの効かなくなっている体では、彼女の気持ちを汲んでもうやめるなんてことも出来ない。

「ふっ、ふっ、ふっ、はっ」
「やめへ、やめふぇえっ! うううーーーっ!」

 セックスじゃない、まるで規則的なペニス摩擦、完全にただのオナニーだ。彼女は手で顔を覆うようにしながら、いつも可愛らしいなと思っていた犬歯の八重歯を噛みしめるみたいに、我慢の表情を見せている。痛々しい、ボクがそうしている、彼女のせいだなんて責任転嫁して全部ボクが悪い、でも止まらない。
 再び手足を使って抵抗を始めるルーミィだけど、もう功まで密着してしまうと抵抗しきれるものではない、ボクの下でよわよわしい女の子がひとりもがいているだけだ、もう、しっかりと結合している。性器同士の肉の摩擦はボクにとっては、射精に向かうために手放せない。
 射精はあっという間だ、欲求不満もあったし、そんな風に痛々しい姿でも彼女の見目は整っていて、それが苦痛に歪んでいるのは今のボクの卑屈な精神状態には、興奮材料になってしまったから。

「っ!」

 どぷっ……

 ギリギリ射精の寸前にペニスを引き抜いたが、なんだか漏れるような情けない吐精が、余計に惨めだった。
 彼女のお腹の上にべっとり広がった精液。おへそを中心に溜まって、悲鳴を上げて泣いた呼吸で上下するお腹の上で揺れて、とろりと端に溢れた。汚らしいボクの精液を、あんなに嫌がっていたボクの体液を、拭ったり洗ったりする余裕もなく、彼女は顔を腕で包むみたいに覆っている、ボクの顔が視界に入らないように。その下から鼻を啜る音と細かく刻まれしゃくりあげる口呼吸が聞こえている。
 彼女の体が、急に触れてはならないもののように思えて、ボクはのそのそと体を起こしてベッドから逃げ出す。正面で見ることが出来ずに、背を向けたまま、床で小さくしゃがみこんでしまった。

「ルーミィが悪いんじゃないか、あんな、こと……言って……」

 勢いと動揺でそう言いかけたけれど、途中から、そんな科白を吐いてありえない自己弁護をしようとしている自分が情けなくなって声は消え入ってしまう。彼女のどこに責任があるっていうんだ。
 しばらく、二人の間にはなんの言葉も生じなかった。重く淀んで垂れ込めた空気が息苦しい、でも言葉を紡げる状態でもなくて。いよいよ呼吸までもが出来ないくらい、煮凝りみたいになった空気を先に破ったのは、ルーミィだった。

「そうだね。ぜんぶ、わたしがわるいんだ」

 そんなことない、と口は動いたけれど声が出なかった。何を言えばいいだろうか。せめて怒りに狂ってボクを許さないとイッてくれればよかったのに、わたしがわるい、なんて。

「るーみ……」

 振り返って彼女の方を見たとき、ボクは目を疑った。
 彼女の赤い髪飾りが、いつもの数倍にも長くなって、風もないのになびくように蠢いている。
 ルーミィは、さっきまでボクにされたことに放心していたはずなのに、今はすっくと立ち上がってボクの方に向き直っている。表情も、何かまるで違っていた。
 ボクをにらみつける目は、ボクののぞみ通り、ボクを憎んでいるような視線。
 これは、ルーミィなのか? いや、ボクは、これを知っている……? まさか。

「っ?」

 ボクはそれを覚えていた。前のときに聞いた声、あれはボクの空耳ではなかったと、思い返す。髪飾りはまるで二本の多関節の腕のように忙しなく蠢いて、あちこちに触れて回っている、虫の触覚のような動きだ。
 それとは別に、ルーミィはまったく動かないまま、色のない表情でボクを見ていた。
 にらみつけるようにボクを見たまま、唇が動く。
 口が動いているのではない、なにか不自然なのは、顎が動いていないのだ。まるで口元にだけパラパラ漫画が重なっているみたいに、唇だけが顔の他の部分に全く動きも影響を与えないように開閉して動いて見えて、そして声を発している。
 それは、これはルーミィであってルーミィではないことを、示していた。

「あのときだって、|わたし《オレ》が弱かったから、お前に抵抗できなかったんだ、今みたいに。いいや、せめてこんな、ただのレイプだったら、まだ良かったのかも。そうだよね、|穂多留比《ほたるび》」
「し、シオリ……|君《きみ》なの?」



◆ ◆ ◆



 ざく、ざく、ざく。

 全く考えなしに実行してしまったことを、今となっては酷く後悔している。
 食肉用の豚や牛が、どれだけ食べるために肉質を改変されていたのかを、よくよく痛感するところだった、食べることなんて全く想定していない動物の肉というのは、こんなにも柔らかさに欠くものなのだろう。土を掘っているシャベルの感触は、まるで人の肉を掘り進む感触に思える。

 ざく、ざく、ざく。

「腰、痛っ」
ああああ
 全く間の抜けたセリフしか出てこない、目の前にある事実は僕の腰にとっては何の関係もないことなのだ、ただ穴を掘る必要があり、それを掘っていると、腰に負担がかかる。だから腰が痛い。何のための穴を掘っているのかなど、関係が無い。掘り進んだ後再び埋め戻し、そしてもう一度掘って、を繰り返す発狂作業だったとしても、埋蔵金を掘り当てるための掘削作業であっても、僕の腰が痛くなることに何一つ変わりなんて無い。事実というのはそうして、たったひとつ池に浮かぶ木の葉のように、時間の上にふんわりと浮いているだけで他の事実と関連性を持つことなどない、関連性があるように思えるのは、人間の意志がそうすることで楽になれるからそう思いたがっているだけなのだ。そう、思うように、努めた。
 務めた、というのはつまりは実際はそうでは無いと言うことだ。穴を掘って居る理由について、もう少し考えて行動すべきだったと今では後悔している。もう少し考える? 何を? バレない方法をか? そんなの、無理に決まってる。こんなことをして、慌てて埋めたって、きっとすぐに見付かってしまうだろう。

(だったら何故、やったんだ)

 やらずに済む方法を考えるべきだった? そんなのは当たり前だ、当たり前すぎて何の意味も無い。やらずに済ますことが出来なかったから、やってしまっただけだ。その切っ掛けが巨大な不可抗力の存在であったとしても、小さな小石に躓いてしまったからだとしても、そうせざるを得なかった。第一過ぎてしまったことだ、考えるだけ無駄だ。そう、思うように、努めた。
 自首するつもりはなかった。自分が悪くないなんて思っていないけど、自分が悪いなんて思いたくなかった。これまで我慢してきた数々の出来事、クラスメイトと比べて自分の家庭がいかに普通と異なるか、考えてみれば当然と思うし、何より、訴えかけた国の施設やなにやらの幾度かのチャンスは悉く潰されているのだ、僕の怠慢や失敗ではなく、相手の一方的な仕組みによって。
 今でもざくりと肉に埋め込んだ刃の感触は手に残っているこれが僕のやらかした悪事であるとも分かっているし、これが犯罪であることも分かっている、いくら僕でもそれくらいは。でも、だからといって僕が全部悪いなんて思いたくなかった。これ以外に方法があったなんて思いたくなかった。それは単に今置かれているこの状況を安易に肯定するための思い込み、だけでは無い。整理なんて付いていないけど、それでも自首したくないと思っているのは警察が怖いからとかそう言う理由ではなく、もっとしっかりと僕の中に根を下ろした意志によってだ。だから、無駄なあがきと分かっていても、穴を、掘っている。「どうしてこんなことを」「悪いことだとの分別も付かないのか」そんな言葉に応える言葉さえ持ち合わせていない、そんなのは全て飲み込んだ上での事だから。もし本当にそんな言葉を投げかけられたら、「僕がそんなことも分からないと思っているお前の頭の方がおかしいよ」と、投げ返すだろう。
 だから、何故やったのか、なんてことは考えないことにしていた。もう起こってしまった目の前のことにだけ、対処する。そのために全力を尽くそう。
 生憎車の免許など持てない年齢だ、2つも出来てしまった大きな荷物を人目に付かぬように運ぶことは困難を極めた。なんとかこの場に持ってくることが出来たが、この防風林が精々だ。林といえど幅にして1丁分程度しかない。街を遠く離れた辺境の山林ではなく、風を防ぐためだけの機能によりこの林はものの見事に街の中を堂々と走っていて、林の左右には全く遠慮無く民家が建ち並んでいる。年中風を防ぐことが目的のため常緑樹が幾らか混ぜてあることは幸いだが、日が昇ってしまえば人がいることは一目瞭然だろう。ここは住宅街で店らしいものもほとんど無い、林を挟む道にも夜中になればほとんど人通りもない。たまに通る事があっても、光がなければここに人がいることは気付かれないだろう。日が昇る前に、済ませなければ。

(掘れ、掘るんだ。なるべく深く、大きく……)

 大の大人2人分を収める穴の大きさ、何て学校で習うわけでもない。少し掘ってからそのサイズを俯瞰客観してみる度に必要な穴の大きさに打ちひしがれる、想像以上に大きくなければならない。

 ざく、ざく、ざく。

 一頻り掘り進む内に、穴はようやく大きくなってきた。一人分位ならば、埋めることが出来るだろうか。あと一人分、もう一人分、穴を掘ってその上に土をかける、それで本当に隠しきれるだろうか。不安は全く拭い去ることができない、そもそもこうなってしまったこと自体に疑問があるのだ。まだ掘らなきゃ、もっともっと掘らなきゃ。これっぽっちの穴じゃ僕のやったことを隠し切ることはできない。
 もっと大きくもっと深く。
 もっと大きくもっと深く。
 もっと大きくもっと深く。
 全てを埋めて隠してしまえる位に。
 それはどれ位の大きさだ、何メートル掘っても、たとい何キロ掘ったところできっと隠し切れるという自信には、繋がらないのだろう。やっと二人分の大きさがすっぽりと入る穴が掘れた。だがこの上に土を盛ったところで、盛り上がってばれてしまうのではないか、だったらもっと深く掘らなければ。そんなことを何回も繰り返していくうちに、穴は遅々としながらもどんどん大きくなっていく。
 もっと大きくもっと深く。
 もっと大きくもっと深く。
 もっと大きくもっと深く。
 一体どれぐらいの大きさまで、一体どれぐらいの深さまで掘って埋めればできるのか。
 運動が得意ではない僕はこの程度の運動でもすっかりと息が上がってしまう、もういい加減くたびれた。まだ深く掘るにせよもう掘るのをやめるのにせよ、疲れ果てた僕は一旦スコップを投げ捨てその場に体を投げ出すように座り込んでしまう。
 目の前には二つの寝袋、中には死体。どうしてこんなことに、を考えるのはもうやめたが、それでも目の前にこれがあるとどうしても思考の向き先はそちらになってしまう。どうして。殺意がなかったわけではない。ただその殺意が生まれた理由を、僕は自分で摘み取ることができなかったのかと、どうしても自省してしまう。そうしたところで時間が戻るわけでもないし、寝袋の中の二つの死体が起き上がるわけでもない。
 問題は山積している、いや、今の状況そのものが問題だ、問題の中に僕はいる。どうしようどうすべきだどうなればいい。全く答えが出ない、端から答えなのないのだろう、そもそも発端が間違っているのだ解決など出来る訳がない。
 口の中にも鼻腔にも掌にも足先にも、網膜にも脳みその裏側にも、あの感触がまだ残っている、忌まわしい記憶。母自身が嫌いなわけではない、父自体が嫌いなわけでもないただ、その事実だけがどうしても受け入れられないし、受け入れるべきではないと考えていた。事物と人物は分離されるべきだが、これはまさにその最たる例だ。母がああなってしまったのには僕にも原因の一端があり、そして父がそうなってしまったのには母に原因がある、するとまるで全部自分が悪いかのように思えるのだ。そんなのを受け入れる気にはなれない。仮にも児童虐待と育児放棄だ、児相は受け入れてくれなかったが。親から性的暴行を受けているなんてそんな風に考えたことはなかったが、事実はその通りなのだろう。僕は悪くない。やったことは悪い。だがそれでも僕は悪くない。
 余りのんびりしているわけにもいかない。作業の続きをしようと考えて立ち上がったその直後、不意に人の気配を感じて僕は、身体全体の神経を警戒心に回した。だけどそんな大それたことしなくても、それが何なのかはすぐにわかった。すぐ背後に、人がいた。

「っ!?」
「国立。」

 不意に名前を呼ばれて僕は跳ね上がりぐらいに驚いた、当然だ、こんなところに自分の名前を知っている人がいるなんて。背中に嫌な感覚が走る、冷や汗、いや、脂汗だ。覚悟を決めてやったわけじゃない、肝が据わっているわけでもない。僕は、恐る恐る振り向いた。

「あー……なるほど」

 そこにいたのは瀬織さんだった。何故こんなところに彼女がいる? 僕がここで何をしているのか見られた? 防風林の薄い枝葉の群れを挟んだ向こうに彼女の姿がある。キンと冴え渡った夜空を一点丸く刳り抜く様に輝く、月の光。それを背負った瀬織さんの姿を僕は神々しくさえ見えた、今の状況からすれば悪魔に違いないのだが。
 彼女の声を聞いたのは久しぶりかもしれない。下らないこと、なのに何故かそれが最初に頭に浮かんだ言葉だった。

「ぷっ、何で制服なの」

 彼女の口にした疑問は不思議なものだった、場違い、と言うべきか。今僕が何をしているか、見れば一目瞭然だろうにそのことには全く触れず、まさか制服のことを言うなんて。彼女が指摘した通り慌てふためいた僕は制服のままだった、服の端を血で汚している。だのに、今、笑った? この状況を見て笑うと言うのもどこかおかしいが、それを知ってなお僕は、瀬織さんが笑ったのを始めて見たな、と思ってしまった。

「えっ、と……」

 ここに瀬織さんがいること、それ自体が予想外のことだというのに、飛び出してきた言葉はそれにもまして予想外のことだったものだから、何を返せばいいのか分からなくなり僕は言葉に詰まって黙ってしまった。

「まあそれはいっか。どうせ何も考えてなかったんでしょ」

 何に対して「考えていなかった」を言ったのかはわからないが、恐らくはこの穴の中にある物体二つのことを指していってるのだろう。だとするなら、考えていなかったというのは正しくその通りである。

「え、うん」

 まるでバカな子供みたい、でもまるで彼女に答えを誘導されたようで。母に強制される時とは全く違う、それなのに同じ様にその言葉に従わざるを得ないと感じさせられる強制力。これは彼女の持つ魔力のようなものだ、よく知っている。だって彼女はその力を使って、まるで生きにくい筈の学校生活を見事に渡り歩いているのだ。その魔力の大きさは計り知れない、少し大げさかもしれないけれど僕にとってはそれは魔法に等しかった。その魔法が僕に向いただけだ。何か特別な感情があったわけじゃない、そう思っていても。彼女が発する独特の強制力、いやそれはカリスマと呼ばれるものなのかもしれない、そうだとするのならばそれは学校で発揮されたことは一度もない、はずだ。彼女の周りには、人が誰もいない。クラスメイトもいない。教師さえ近づくのを嫌がる。強烈に意識されているはずなのに対応はまるで無視。それをカリスマと呼ぶのは、語弊があるだろう。それでも僕には、今まで感じたことのある言葉の強制力とじゃ全く異なる感覚のその誘導的な魔力は、正しくカリスマと呼ぶのに相応しいと感じられた。

「ここで何してるの?」
「は? それ私のセリフなんだけど」

 彼女が言うのは尤もだ、だが僕が言うことを間違っていると思えない。彼女は何故こんな防風林にいるのだ。彼女の住まいはこの近くだっただろうか。そんなこと僕は知らないが。そうだったとしても防風林の中にまで入ってくる理由がどこにあるだろう。

「まあ聞かなくても分かるけど」

 肩を竦めてどこか呆れた様な表情で僕を見、そして僕の横にある穴の方にも視線を送る。寝袋のファスナーは完全に閉じられていて中に何が入ってるのかを察することができない、少なくとも寝袋にコンクリートの塊は入れないだろう。札束を入れることは、うちの家計では無理だ。うちにはペットもいない。そもそも寝袋を捨てるだけならこんなことをしない。なら中に入ってるもの何か、人に決まっている。その寝袋が土に掘った穴の中にあるとするならそれがどういう意味か、確かに聞かなくてもわかるだろう。
 月影をニンバスのように背負う彼女の姿は逆光になっている。彼女の表情が、何故かにっこりと、だがどこか獰猛な肉食獣然とした笑みに変わった。僕の弱みを握ったからと、笑っているのだろうか。この後、強請られるのだろうか。
 防風林の枝越しに見える彼女の背後、更ににその向こうには白い車が見える、もしかするとドライブか何かの途中でトイレにでも寄ったのかもしれない。今? こんな時間に? 女の子はこんなところでトイレをするか? どう考えても不自然だろう。だがとにかく、彼女の背中に車が見えるということは、もう一人目撃者がいるということだ。
 彼女はくるりと踵を返し。後ろに向かって歩いていく。もし車の中に誰かがいるのならその中の人間にこの状況を知らせるつもりなのかもしれない。どうすればいい。こんな時に思い浮かぶのが自分が読んだことのある貧相なフィクションの作品ばかりだということが腹立たしい。それでもその作品の中ではどうしていただろう。ひどくひどく安っぽい記憶、その中では必ず、目撃者も一緒に消そうとしているだろうか、成功するか失敗するかは別として。こんな簡単に人を殺すという選択肢が浮かんで来るようになるというのは、恐らく既に二人分もやってしまっているからだろう。1人も2人も3人も4人も5人も6人も変わらないということだ。手元には凶器がない、素手で人を殺せる程僕は力が強いわけでもない、何とか馬乗りになって首を絞める程度だろうか。二人ともを、出来るか? 無理な話だ、だとしたら何とかこの場をごまかした方がいいのでは。
 僕は瀬織さんの背を追いかける様にして走り出す。足元には朽ちた木の枝、落ち葉、土と石、整っていない地面。つま先に絡みついて来て僕を捕らえようとしてくる。それを蹴りながら進むのは、まるであのぬいぐるみの海の部屋を歩いて進む時の様。車の方に向かう瀬織さんの背は急いでいるようには見えない。車の中にいる誰かにこの状況を伝えようとしているわけではないようにも見える。少なくとも慌ててはいないようだ、僕と違って。必死に足を前に出す僕に対して瀬織さんの足取りは、とてもゆっくりとしたものだった。距離は縮まっていく。あと少し、手を伸ばせば、彼女の背に手が届きそうな。距離だ。

「瀬織、まって!」

 瀬織さんが防風林を出て車に向かう背中に向けて、僕は彼女の名前を呼んだ。彼女は車の扉に手をかけて、開けようとしている。だがそっちは運転席ではないか? 中を見ると誰も乗っていない。僕が名前を呼ぶのをよそに彼女は扉を開けて車に乗り込んだ。扉を閉める逃げるのかと思ったら扉を閉めることなく僕に向かって言葉を投げてきた。



◆ ◆ ◆



「乗って」
「え、うん、え?」

 頭の動きで助手席を示すようにして、言う。乗る? 何で? 理性は疑問を呈してきていたが、それでも僕の体は彼女が促すままに車に乗ろうとしていた。まるで操られるみたいに車の逆側に周り、扉に手をかける。だが今度は制止された、なんなんだ。

「ちょっと」
「え?」
「あなただけ乗ってどうするのよ、《《あれ》》も持ってくの」
「あ」

 あれ? あれって、《《寝袋》》? で、何? 僕が何してたとかそう言うことは聞かないの? 《《あれ》》呼ばわりってことは、それが死体だってことは承知してるってこと?
 僕彼が女の意図を汲み取れずに立ち竦んでいると、トランクのロックが外れる音がした。《《あれ》》をトランクに入れろと言うことらしい。

(車に乗せろって? 何を考えているんだ? 冷静に、冷静になれ。彼女がなんのつもりだかはわからないけれど、目撃されたってことは瀬織さんも殺してしまわないとだめなんじゃないのか。瀬織さんのこの不可解な行動も、もしかすると僕が死体処理をしてるのを見て動揺してのことかも知れない。今の内に……)

 僕は車を運転できない(普通、僕と同い年ならみんな出来ないはずだ、瀬織さんだって)。車に乗せてしまってから瀬織さんを殺すことを考えるなら、車に乗っけるのは厄介事を増やすだけでは……
 何て考えていたら、運転席から瀬織さんが出てきた。

「《《それ》》。こんなところに埋めたってすぐ見付かるから。どうせ後先考えないでやっちゃったんでしょ?」
「え、っと、その」
「そうですって顔に書いてあるね。」

 確かに後先考えずにやってしまった、母はそこそこ綺麗にトドメをさせたと思うが父は慌てていたせいもあって綺麗とは言いがたい。死体は寝袋の中に詰めっぱなしだ。その寝袋を見た瀬織さんはひょいと小首を傾げるようにしながら僕に問いかける。

「それ、中にドライアイスでも入ってるの? それとも猫のトイレ砂でも詰めてある?」
「えっ、ただ丁度いい容れ物がないから……」
「はあ? 常温で保存って、正気? 処分前に腐らせていいこと何て何一つ無いのに。服も着せっぱなしだし、ホントに何にも考えないでやったのね」
「……考えて計画を練って、周到に用意してから殺すなんて、どうかしてるじゃないか」
「そお? 5秒でカッとなって殺すのも、5年準備して殺すのも、殺すのに変わりなんて無いわ。どっちも、イカレてる、違う? もしかして自分は正常なんて、思ってるの?」

 なんだかただ言いくるめられているような気がして、癪に障る。そんなこと言ったってしょうがないじゃないか、だって、だって……

「じゃあ瀬織さんもイカレてるってことだ。それを知ってて、そんな反応」
「……まーね」

 瀬織さんは僕からぷいと目を逸らして、僕の半ばからかうような反論を流した。

「一人で運べないなら手伝ってあげる、これだからお坊ちゃま育ちは」

 お坊ちゃま育ち。昔からよく言われる言葉だった、実態ではなく、見た目で、そう言うのだ。僕の外見がなよなよしていて細くて、顔立ちも男らしくないから、きっとそう言うイメージで。
 本当は、その全く逆だって言うのに。両親共に宗教漬けで、父の稼ぎの多くは寄付に消えていた。仮にも自主的な寄付だから、食えるものが無くなるほどのことはなかったが、ある日突然食事が質素になったりすることが何度もあった、恐らく急な集金などがあったのだろう、そういうことがあるらしいことは子供ながらに後ろから見ていて、察していた。それが原因か、それ以外にも原因があるのか、うちは決して裕福ではなく、むしろ貧困一歩手前程度の生活をしていた、それは級友との間に、ふとした拍子に分かるのだ。隣の友達は、こんな短い鉛筆を使っていない、昨日と同じ服を着てくることはない、新しいゲームを買って貰ったことはないし、塾なんてものに行ったこともない。周りでは当たり前でも僕には驚き、何てことは沢山あった。お坊ちゃま育ちなんて、言われると。

「お坊っちゃまじゃない」

 まずい、つい、語気が。今彼女を刺激することは得策じゃないのに。でも、僕の心配をよそに彼女の反応は塩らしいものだった。

「ご、ごめん。そんなに怒ると思わなかった」
「いや、怒ってるわけじゃ……」

 彼女はそのまま黙って、寝袋の片方を重たそうに担ぎ上げて車の方へ抱えていってしまった。

「ちょっ、瀬織? それ、どうすんの?」
「だから、車に乗せてって言ってるでしょ」
「そうじゃなくて、その後」

 大きな口を効いていた彼女にとっても、人一人が入った寝袋が軽いというわけでもないのらしい、むしろ僕が抱えるよりもよほど危なっかしい様子で、抱えるのが無理になって一旦下ろし、今度は半ば引き摺るように車の方へ持っていく。僕が瀬織さんの持って行った方とは別の寝袋を抱えてトランクにそれを載せると、瀬織さんはまだ半ばで、もう完全に引き摺っていた。僕は黙ってそれを奪うように抱えあげてトランクに放り込んだ。

「なんだ、そんなひょろっこくても、やっぱ男子か」
「悪かったね。瀬織が持ってるのは、男だから。こっちは中が女だから軽いんだ」
「……素直に受け取れっつうの」

 苦笑いしながらトランクを閉じる瀬織さん。じゃあ乗って、と促される。

「だから、待ってって」
「何」
「とうするの、これ」
「はあ? 乗っけといて今更それ言うの?」
「だって……乗せろって言ったじゃないか」
「じゃあ〝さっさと乗って〟」

 呆れるような様子で助手席を指差す。

「乗ったら、瀬織を殺すかも知れないのに?」
「出来もしないこと言わない方がいいわ」
「目撃者を減らすにはそれが一番いい」
「死体処分のアテもないのに、得策じゃないわね」
「損得で言えばそもそも殺しなんかしないよ」
「その通りね。じゃ、殺してみる?」

 まるで自分は絶対に殺されない確信でもあるみたいに、飄々とそんなことを言う瀬織さん。抵抗しないわよ、なんて言いたげに、運転席の中で扉を開けたまま、両手を小さく開いて見せてきた。その自信がどこから来るのか全くわからないが、今までほとんど口も利いたことがなかった瀬織さんがこんな大胆な性格だなんて思っていなかった。ステレオタイプな感覚だが、あんな風に黒いストレートヘアをぱっつんと切りそろえた容姿に人形みたいな容姿は、もっと淑やかと言うか、きつい性格だったろうとしても言葉遣いには少々印象ギャップがあった。
 黙っている僕を放ったみたいに、運転席の扉を締めて前に向き、慣れた様子でキーを回してエンジンをかける瀬織さん。

「免許持ってるの?」
「人を殺すのに免許なんていらないでしょ」

 まあ、そうだけど、つまり無免ってことかな、運悪く検問にでも引っかかったら一発でアウトだ、後ろのアレも含めて。

「さっさと乗ってよ、〝これ〟をどうするにせよ、こんなところで油売って誰かに見られたら元も子もないんだから」

 いやそうなんだけど、一体どこから突っ込めばいいのかわからない、何もかもが普通の対応ではない。僕のやったことも普通ではないのだから何を今更と言われでもすれば言い返せないのだが。
 状況を飲み込めないまま、僕は助手席に乗り込んだ。
 それを横目に見計らって、瀬織さんはキーを回したとき同様迷いのない動きでギアをDに入れ、アクセルを踏む。オートマだから、とかそういう問題じゃない、複雑意味のわからない状を乗せている重さに対して車は余りにも軽快に動き始める。
 死体(と僕)を乗せた車は走り出した。

「ちょっと寄るところがあるから」
「え、うん。……警察?」
「は? ダッサ」

 冗談のつもりで言ったわけではないが、まるでつまらない冗談にしか聞こえない僕の科白を、彼女は冷たい声でバッサリと切り捨てた。
コメント




1.あかぎ削除
今度は宴会で酔っ払った霊夢が里の男達に犯され快感に悶える作品を読みたいです。