真・東方夜伽話

雲わく道に山居の命⑥

2018/04/15 23:58:33
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雲わく道に山居の命⑥

みこう悠長

読まないでください

§§§

 見透かされていたのだろうか。
 薬でラリっているフリをしていたこと、酒に酔ったフリをしていたこと。それじゃない。

「よくよく警戒心の強いやつだわ」

 私のために、民や従僕の存在達が用意した、私のための家だ。他の何者も立ち入ることは許されていない。他の者達の家の何倍も大きく、捧げ物や貢物、宝石や鉄の装飾もふんだんにあしらわれている。これだけの立派な住処を、私は何の苦もなく手にした。自分の力などでは、無い。神だなんて、私は。
 山では麻はたくさん手に入るが、それを麻布に仕立てるのには手間がかかる。今私が横になっているのは、その貴重な麻布で作った肌触りもよく温かい上等な寝床だ。これも、私は幾つも持っているが、このうち1つでも私が自らの手で作り出せるものはない。出来るのは、精々材料の麻や織機に使う木を生やすことくらいだ。この住処自体も含めて、この住処の中にあるもの全てを、私は何の苦もなく手に入れた。ただ神だと名乗るだけで、皆が私を尊敬し、私の言うことに頷き従い、何の疑いもなく無条件に私の存在を肯定してくれる。
 私は人を騙してこの富と権力を得た。神という存在はそれくらいに、絶対なのだ。

「どうしても|吾《あ》れのものにならぬというの、|穂多留比《ほたるび》」

 きっと、この浅はかな身を、見透かされていたのだろう。そう思うくらいでしかバランスを取ることが出来そうにない。
 はあ、と深く短い溜息が漏れる。胸の辺りにわだかまるもやもやとした不安感、迷いを吐き出したくて、だが呼吸一つでそれがそうにか収まるようなはずもない。

「……|吾《あ》れは、何を望んでいたのだ」

 勝利の直後との万能感に引き摺られて、つまり調子に乗ってしまった行き過ぎた行動だった、と片付けるのは簡単なことだった。事実、その側面は否定できない。
 彼に触れたくて、触れられたくて、これを好きという感情だと表現するのなら、その通りかも知れない。
 彼の体に触れたことが、これが初めてだなどということはない。手を舐めさせ、それだけで気を遣ってしまうような彼に、ただの優越感とは違う感情を抱いている。彼が私に傅き従うとき、額づいて私の名を呼ぶとき、私はただ従僕に向けるのとは違う視線を向けている。その時私に視線を送っていない|穂多留比《ほたるび》は、それに気付いていないだろうが。

「……|穂多留比《ほたるび》」

 彼が私を拒否するときに押しのけて触れた額に、つ、と指で触れてみる。何が残っているわけではない、皮膚に感触が残っているなんて感傷的なこともない。自分で触れて感じたのは、自分の指の感触だけだ。

「他人が……触れるというのは」

 気持ちがいいものだ。
 それは、思っていても、たとえこの場で口に出しても誰ひとり聞いていなかったとしても、口にすることははばかられた。私は、その心地よさを、疑って生きてきたというのに。あんなふうに男一人に触られただけで、それまでの人生が吹き飛ぶように哲学をひっくり返されるだなんて、認めたくなかった。
 自分の体ではない体温が自分に触れる。自分には「触れられる」の感触しか無い。自分で触れるときには「触れる感触」「触れられる感触」両方が巡るというのに、他人に触れられるというのはその片方しか無い。それが、堪らなく不思議な事だった。そして、恐ろしいことに思えていた。

(神として育った|吾《あ》れに巣食う、異常な、|依存《呪い》。ケガレ)

 人に触れられて、その感触が自分の存在を確認する手段になってしまうなんて、悍ましいことだ。
 私の体は、ここにある。私の自由で、私が操作していて、私のもので、他の誰のものでもない。だと言うのに、この体は神なのだ。神というのは、自ら存在できない。誰かが、信じてくれているから初めて神として存在できる。誰一人信奉するもののいない神は、存在できない。
 私自身の存在を、私自ら制御できない。神の宿命だ。その代り、それを疑うことなく育つに十分な、信徒と従僕が備わっている。彼等は私を無条件に存在させてくれる。私の代わりに私の存在を担保する。
 それは、神にとっては当たり前のことだ。神には信者と従僕がいるものだ。彼等にとって私は絶対的な存在で、彼等は私を疑うこともしないし逆らいもしない。
 そう思っていた。
 私は篝火に照らし出される自分の体を通して壁に投影される影を見る。私は、あの影の方なのだ。私の体は、こうして実体があっても誰も見ていない。必要とされていないし認識されていない。私の存在はあの影であり、炎が消えてしまえば私は姿を消す。こうして体という実体はあるかも知れないが、影と同じように、見えなくなる。
 神とは、虚しいものだ。自らの存在意義を自ら満たすことが出来ない。偉そうにしていながら、私は民達に存在させられているだけの、儚くもろく憐れな存在なのだ。
 火に照らし出された自分の手を、握ったり開いたりして見る。言うことを聞くし、感触もある。この体は、私のものだと、思ってしまう。でも、そんなのは、大きな間違いなのだ。

「自在の存在になりたい」

 そう、長い間思っていた。
 他人に存在させられるという受動を呪うつもりはない。でも、そこで知らぬ間に自らの中に培われてしまった「他人が私のために存在し、彼等は喜んで私の存在を担保しているのだ」という思想が、気持ち悪いのだ。
 他人が私のために生きて当然だと、そんな風に思うのは、神に求められる慈悲の心とは全く違うように思える。高慢ではないか。他人に存在を証明される脆さと、他人が自分を証明することを当然と思う傲慢さ。神の持つ性質を私は、長い間疑ってきた。
 だから、自分自身で自分を肯定することを望んでいた。他者の手ではなく、他者の言葉でも他者の価値でも他者の希望でも思想でも愛情でも呪いでも怨恨でも依存でも、どれでもない、他でもない自分自身で、自分自身を存在させたかった。

(入ってきて、欲しかった。そう望んでしまうほど、|吾《あ》れはまだ、腐れているのか)

 他人が、私の中に入ってくることが、理性の上で我慢できないのだ。他人が触れる感触を感じて、それがまるで自分と他者との関係性を、ひいては自分の存在の証明として強く機能してしまうことが、許せない。
 なのに体は、私を形作るもっと奥深いところに眠る下等な感情は、それにどうしても依存しようとするのだ。甘ったれた自分が、許せない。
 他人に存在を認められ肯定されることでしか自己を保てないなんて余りにも、主格として稚拙で脆弱ではないか。他人に触れられて気持ちがいいというのは、まさしくその裏付けだ。自分の輪郭を自分で描くことが出来ず他人に描いてもらうことでしか存在できない、幼稚な心理。だから、他者との接触で保たれる自意識というのを私は否定したくて仕方がないのだ。
 でも、|穂多留比《ほたるび》に触れたときの心地よさは、どうだろうか。
 神の薬と水で、神そのものになるその時に、勝るとも劣らない、トんでしまいそうな心地よさがある。彼に触れられて、彼との関係性で自分の存在を証明しようと甘ったれた考えを招いてしまう。

(もし、あのまま彼と口づけることができていたら)

 ぞくり、と背筋が泡立つ。恐怖、だがそれと同じくらいに波立つこの感情を、きっと人は恋というのだろう。
 自分自身さえはっきりしていないというのに他人を求めるなど、受け入れ難い。そんなことをしたら、あのまま彼に制止されること無く口づけできていたのなら、きっと、私はどこまでも転がり落ちていくだろう。山を転げ落ちて、地の底まで。そこには、自分の脚で立って歩くことが出来ない、ただの弱くて小さい女がひとり蹲るだけの悲惨な未来がある気がする。私は、自分の脚で歩くための足を望んでいるというのに、神として生きてきた長い時間が、その傲慢で歪な|心地よさ《地獄》へと誘う。どうしても、どうしても、他人に自分を肯定されるという甘美な希望を、幻想してしまうのだ。

「他人 他人 他人」

 自分に言い聞かせるように、独り言つ。
 |穂多留比《ほたるび》は、他人だ。彼がどんなに、「自分が山の一部だ」と言ったところで、彼は私ではない。彼に、自分の存在を証明されたくない。私の存在は、私の手によってのみ、証明されるべきだのだ。彼の尊敬も信奉も……愛情も、私の自立の邪魔になる。
 触れられたい、でも、入り込まれたくない。そんな中途半端で矛盾した願望を、私自身持て余している。それを誰かに担保してもらうだなんてことも、私には酷く傲慢考えに思えている。それを、|穂多留比《ほたるび》は見透かしていたのだろう。だから、触れることそのものにさえ、拒絶を示される。

「いや、単に……嫌われているのかも知れないな、彼にもそんな葛藤があるだなんて、あまりに浮ついている……」

 私の余りにも虫のいい思想。
 私は、彼に、「触れたい」と思った。でも「中に入られるのは嫌だ」と、思ったのだ。触れたい。触れられたい。でも、たとい口付けを
したとしても、それ以上のことはさせない。全裸を晒して、この全身を彼の手が触れることを望んだとしても、それ以上は、ダメだ。彼がオスであることは承知している。彼には、私の中に入る器官が備わっていることも。でも、それはダメだ。絶対に。
 私は、私の完全性を、私自身の体によってのみ、証明する。他の存在が入ることなんて、許せない。

「|穂多留比《ほたるび》っ いや、誰でもいいのか、|吾《あ》れは、単に手近なものでそれを満たそうとしているだけではないのか」

 誘ってくる。この甘美な堕落が。彼が私の中に入り、|摩擦《・・》し、卵を結ぶ、そのことが私を存在させてくれるのだという、神の傲慢さが作り上げた、怪物のようなものが、私を誘うのだ。
 私は私以外の何者にもなりたくない。私は私以外の何者にも存在を証明されたくない。私には私以外の何者の肯定も、評価も、認知も、承認も

「いらない、そんなものは!」

 まるで自分の周りを、嘲笑いながら飛び交う何かがいるみたい。私を誘惑する怪物が、堕ちてしまえと誘う。容易に胸の中に入り込んで、誘ってくる。他人から認められるという甘美。
 不要を叫びそれを振り払おうとしたものの、それはそう簡単に堕ちたりするものではないみたいだ。

「ほしい……いらない いらない」

 神という、体のない概念として存在を固定化される恐怖。私という存在はどこにいるのだろう。私という存在は、私のものではないのだろうか。それを恐ろしいと思う半面で、他人から与えられる承認が、欲しくて欲しくて堪らない。
 だれか、私がここにいると証明して。神ではなく、私という個がここに確かにいることを。認めて。ココにいていいと。

 私を照らす篝火には、羽虫が舞っている。私を誘い続ける。
 火に飛び入って落ちると思っていても、それはそう簡単に堕ちたりするものではないみたいだ。

「ほしい……の、|穂多留比《ほたるび》」



§§§



 |花鹿《かじか》様の手を、舐めている。指を、掌を。

「|穂多留比《ほたるび》、あさましい顔をして……私の指を舐めながらまた気を遣るっていうの?」

 私を見下ろしながら私を卑下するような言葉を口にする|花鹿《かじか》様の声は私の耳から頭まで刺さって、甘くて熱いものを脳みその中に注ぎ込んでくる。
 肯定の言葉や頷きを返す代わりに私は指を舐める下の動きを強くして、|花鹿《かじか》様の指先から何かが出るわけでもないのに強く吸い付いてしまう。いや、出ている。|花鹿《かじか》様の味が、|花鹿《かじか》様のお気持ちが、|花鹿《かじか》様自身が、これ以上無くびんびんクるフェロモンと媚薬が指から滲み出てきている気がする。それを私は必死に吸い出して味わおうとしている。そうしてしまう、抗うことが出来ない。

「腰が動いているわよ? |吾《あ》れに触れてもいないのに、その|膨らみ《…》は、何を目指しているの?」
「くちゅ、ぁむ……ちゅっ」

 ぱんつの中で、おっきくなってしまったアレの先端が、布の内側に感じる刺激にさえ欲情しちゃっている。オスってバカだ、そんな布の内側に射精したって、ただの無駄|射精《うち》だって言うのに、それでも摩擦さえあればいいのだろうか、|花鹿《かじか》様の指をすいながら、腰を揺すってぱんつの内側に感じる僅かな摩擦に夢中になってしまう。

「お前から|吾《あ》れに触れていいのは、手だけよ。他の場所にお前から触れることは許さないわ。|吾《あ》れからは、触るがな?」
「ぷ……ぁ……そ、そんな、私」
「お前が拒絶したのよ」

 私の口からずるりと指を抜く。そうするときには必ず舌を伸ばして指先を追う。そうしろと、命じられていた。命じられていなくても、私はきっとそうするだろう。
 私の唾液でべっとりと濡れた指先を、私の頬に撫で付ける。僕自身の唾液が僕の頬を濡らしていく。そのまま私の顎を掴んで上向かせ、挑発するように目を細めて私の顔を覗き込む。頬をなぞり、顎を掴み、唇に指先で触れる。口をもう一度開けろという合図だ。口を開けて舌を出すと、|花鹿《かじか》様の綺麗な指が、私の舌を摘んで引っ張る。

「お前の唾よ、ふふ、|可愛い《汚らしい》顔」
「はっ、く……ぁっ♥」

 |花鹿《かじか》様の指の感触が、舌先の粘膜から感じられる。舌を出してだらしない顔をしている私を、|花鹿《かじか》様がそのまん丸の瞳で見ている。

「|私の中に入れない《…》と宣言されたのが、そんなにも残念?」

 わからない。性欲だけで言えば、入りたい。でも、そんなこと、許されるはずがない。|花鹿《かじか》様がそうしろと仰ったとしても、する訳にはいかない。山の巫女である|花鹿《かじか》様には、阿祖様がいらっしゃる。阿祖様が|花鹿《かじか》様を、|阿祖見《あそみ》の巫女様を選ばれなかったとしても、|花鹿《かじか》様には私なんかよりももっと相応しいお方が現れる。
 こんなこと、|花鹿《かじか》様の指を舐めて吸い、おちんちんを大きくして腰をかくかく振りながら言えることではないのだけれど……それでも、そう思ってる。もし|花鹿《かじか》様が……その、私に、行為を求めてくるようなことがあっても、応じてはいけないのだ。次にもちゃんと拒絶できる自信は……無いけれど。

「ねえ、|穂多留比《ほたるび》。私と交尾、したいでしょう?」

 そんなこと、聞かれて、答えられるわけが……。

「いま、ぱんつの中で勃起している|それ《・・》、私のココに、ぶち込みたいんでしょう?」
「ぶ、ぶち込む、だなんて……っ」

 |花鹿《かじか》様は服の上から、股の間の、その場所を指さす。私はそれに視線を送ることも出来ず、顔を背ける。

「私の中にお前の子種を注ぎ込んで、私にお前の卵を産ませたいでしょう? いつも私に嫐られて吐き出すみたいに大量に、どぷどぷ〜って、私の中にぶちまけたいんでしょう?」
「どぷ、どぷっ……」

 そんなこと、聞かないで下さい。そうしたいに、決まっているじゃないですか。でも、そんなこと出来るわけがない。そんなことを聞いて、どうするつもりなんですか?
 だめ、想像しちゃいけないってわかっているのに想像してしまう。他の雌の蛍の中に精子を注ぎ込んで卵を孕ませるのと同じように、|花鹿《かじか》様の、中に?

「私の中に、|入って《…》きたいのよね? お前の肉を私の肉の中に埋め込んで、お前の敏感な肉を私の肉で擦って気持ちよくなりたいのでしょう? 濡れてるわ。お前の舌で手をぐちゅぐちゅにされて、私のここ、ぬめぬめになってる。この中に入れたら、お前、どうなってしまうかしら?」
「ぬるぬるっ、ぬめぬめっ」
「ずぼずぼ腰振って、敏感な肉をコスって、私のぬるぬるの穴の中に、精子ぶちまけたい?」
「じゅぼ、じゅぼっ……、ぬるぬるっ!」

 耳から、犯されている。|花鹿《かじか》様が紡ぐ言葉が耳から刺さって、脳みその中で私の停止命令を聞かずに奥の方まで入り込み、勝手に映像を再生してくる。|花鹿《かじか》様が仰るような、擬音語とそれを生み出す感触まで、私の頭の中に生み出しながら。

「お前が今想像しているような、濡れ肉を抉り抜くような激しい種付けセックスされてしまうと、|吾《あ》れは、イかされてしまいかもな?」
「くひっ、くぁ、あっ……ぅふぅぅぅっんっ♥!♥!♥!」

 |花鹿《かじか》様の言葉を想像しながら、相手もいない腰の素振りで、また、絶頂してしまった。痙攣しながら、ぱんつの中に、大量に吐精してしまう。
 頭の中の|花鹿《かじか》様は、目の前の|花鹿《かじか》様と違って全裸で、すごく淫猥な顔をして股を開いて私のおちんちんを受け入れ、悦んでくれている。脳裏に浮かぶその映像は、現実の映像にオーバーレイされて、|花鹿《かじか》様が二人いらしゃるみたい。

「はーっ……♥ はーっ♥」
「|穂多留比《ほたるび》、私と、交尾、したい?」

 頷くしかなかった。こんな状態にされて、もう、嘘なんか付けない。|花鹿《かじか》様の中に入って、溶けて死んでしまうような快感を味わいたい、本当に溶けて死んでしまってもいいと、思ってしまう。でも。

「でも、だめよ」
「ふぁ、ぁぁっ、んあああっ」

 自分の精子でべっとり汚れたぱんつの中で、拒絶の言葉を吐かれながらもおちんちんをこすりたくて腰をへこへこ動かしてしまう。

「悔しい? ねえ、 |吾《あ》れのぬるぬるになった肉の中をずぼずぼしたり、ぐちゅぐちゅしたり、それでどぷどぷ射精するの禁止されて、悔しい? 男としての役割を蔑ろにされて、|穂多留比《ほたるび》、悔しいでしょう?」
「くやしい、ですっ♥」
「でも、だ・め。お前から私に触れることは、絶対に許さない。どお? オスとして情けないわね?」
「なしゃけないれすっ……♥ |花鹿《かじか》様に、私、|花鹿《かじか》様に触りたいっ」
「『触りたい』? 違うでしょう?」
「うそれすっ、嘘つきましたっ……私、|花鹿《かじか》様に、種付したいですっ……♥ おちんちんつっこんで、|花鹿《かじか》様の中で不様にアクメキメて射精したいですっ♥」
「違うでしょう? 触りたいなんて、嘘だわ。だって|穂多留比《ほたるび》、|吾《あ》れを拒絶したじゃない?」
「あれはっ、あれはぁぁっンっ!」
「だめよ」
「ぅきゅぅうぅっ♥ くやしいっ、くやしいよぉっ♥ セックス禁止、オスとして不様すぎますっ♥」
「だめなの、お前が、私の中に入るなんて」

 |花鹿《かじか》様の手が、私を離れた。私の頬を撫でる指が離れて、私を見下していた視線も、離れる。離れたのは、それらだけではないような気がしてしまう。それこそ、私は本当に追いかけなければいけないものに思えたのに、その一歩を踏み出せなくって。

「お前は、|吾《あ》れではない。他者だ。|吾《あ》れを客体化するだけの、|吾《あ》れ以外の主体。それ以外であることは許さないわ、まして|吾《あ》れ内側に入って、|吾《あ》れの一部になろうだなんて、考えないことだわ」

 |花鹿《かじか》様の残酷な物言いに、だがその声が妙に明るいのが、気にかかってしまう。なんだ、この、氷のように透き通った感じは。

「かじか、ひゃま……」
「でも、わかったのよ、私にも。きっと、お前が言う通りなのね」
「え」

 |花鹿《かじか》様のお顔が、にっこりと笑う。阿祖様を見上げているときのような、くもりのない晴れたお顔だ。

「お前は|吾《あ》れにはなれないし、お前の言葉が、体が、心が|吾《あ》れを形作るなんてことは、お前の思い上がりだ。|吾《あ》れだって、お前の一部になれるだなんて、思っていないもの」

 そんなの、あんまりにも、身勝手過ぎる。私に口戯を敷いておきながら、触れるなだなんて。そんな身勝手な物言いさえ、私には受け入れることしか出来ない。私にはそんな|花鹿《かじか》様を責める気なんか、なれなかった。その意地の悪い扱いにさえ、私は心地よさを感じてしまう。
 今だって、理不尽で支離滅裂な発言を聞きながら、再び勃起してしまっている。そこに触られること無く、射精することを期待している。でも。

「きっとお前は、私がお前を|中《・》に求めるのを、受入れない。そうでしょう?」

 たぶん、そうだろう。そうあるべきなんだ。私は、迷いながら、頷く。頷いてよかったのか自信がない。そうなければならないはずだとわかっている一方で、なにか取り返しのつかない選択肢を選んでしまったようにも思えた。

「ええ、そう、そうなのよ」

 頷いた私を見て、|花鹿《かじか》様はもう一度、明るい表情で私の手を取る。

「きっと、だから|吾《あ》れはお前を、好いているのだわ。やっと、自分の気持がわかったかも知れない」
「私には……わかりかねます」
「お前は私が触れることを拒んで|くれる《…》。お前は私の、理想なのかもしれないの」

 迷いを撥ねた様な|花鹿《かじか》様の表情に、私の方が、辛くなってしまう。
 どういう、意味だろうか。その妙に晴れたお顔は、何を意味しているのか。

「だから、|穂多留比《ほたるび》。|吾《あ》れに、きっと、触れないでね?」
「|花鹿《かじか》、様」

 酷く身勝手なことを言いつけられている気がする。だけど、私にはそれに逆らう術はなかった。|花鹿《かじか》様に求められるままに、拒絶しなければならない。それは、もともと私の想いだったはずなのに。手を離れてしまうと苦痛に感じてしまうのか。身勝手は、どちらだろうか。
 私は、|花鹿《かじか》様の、ただの従僕なのだ。こうして戯れに性的な玩具にされて、理不尽に弄ばれ、傍に置いてみて、気紛れに好いているなんて言ってみるだけの、下劣で下等でさもしい虫に過ぎない。それ以上のことなんて、私には、わからないのだ。
 でも、でも、もし|花鹿《かじか》様と一つになることが出来るなら、|花鹿《かじか》様のことが少しだけでも、わかる気がしていた。



§§§



 ここは別に待ち合わせスポットとかそういう場所じゃない、何なら廃屋のように見えて早く通り過ぎたい場所にさえ思える。勿論廃屋ではないのだけど、私はこの場所に誰も人など住んでいないことも知っている。

(うーん、こんなところにずっと立ってると怪しい人かなあ)

 コンクリの門柱の前でそれにもたれたりちゃんと立ったりそのへんを歩き回ったり、中の様子をうかがったりしている自分を俯瞰すれば、どう考えても不審人物だ。
 ここはこないだ来た、|阿波戸《あわと》の郷土資料館だ。2日前に連絡しろと書いてあるのに連絡先がわからず、こうしてやけっぱちになってここで|道《すすむ》君が現れるのを一か八か待っているというわけだ。
 こうしてここでただ往来を眺めていると、少ないながらも行き交う人がいたりして飽きたりはしない。人を見ているのが嫌いじゃない体。特にこういう始めてくる土地の人々を見ているとわかることも、たまにある。

(肌かぶれてる人、思ったより多いんじゃない……?)

 聞いたところでは年配の人くらいしかかからないって話だったはずだけれど、ここで見ていると老若男女問わず、色んな人が皮膚炎を患っているように見える。決してほとんどの人なっているというわけではない、あくまで体感だけれど、1割位の人は肌が荒れているように見える。元々アトピーの人もいるだろうし、偶然今日肌の調子が悪いだけの人もいるかも知れないからなんとも言えないけれど。
 自分の手を見てみる。結構酷くなってきたような気もするが、逆に広い範囲に出ている割にはただ赤くなっている程度で済んでいるとも言える。というか、痒い。痒いくらいで住んでいるのだからきっと大したことはないのだろう。
 ふーん、だの、うーんだの、フィールドワークが終わって地元に帰った後皮膚科に行けるだろう日取りを考えたり考えなかったりしている内に、待ち望んだ人の気配を感じた。きたきた、思ったよりや早くて助かったね!

「まってたよー」
「わああっ! びっくりしました……」
「へへへ、前に会ったときは私がびっくりさせられたからね」
「そ、そうでしたっけ?」
「誰もいないと思ってたのにいきなり後ろから」

 あれ、どうやって驚かされたんだっけ。初めてここに着たときの不思議な感覚を、思い出していた。しかし、あの感覚は一体何だったのだろうか。やっぱり疲れていたのかな。

「そうでもなかったっけ」
「そうでもなかったと思います」

 結局、アポ無しで郷土資料館に来てしまった。暫く待つハメになるか、あえなくても仕方がないだろうと思っていたけれど、予想をいい意味で裏切って、|道《すすむ》君は30分位で来てくれた。思いは通じるものだ(?)。

「ここにほら、『2日前までに』なんて書いてあるのに、連絡先聞かなかったから」
「あー、そうでしたね。この電話番号は繋がりませんし、ボクもお家には内緒でこんなコトしているのでちょっと電話番号は教えられないんですけど……。まあ、これくらいの時間にはほとんど毎日いますから」
「ここは秘密基地みたいなものかあ」
「ふふっ、そんな感じですー」
「じゃあ秘密の合言葉を決めておかないとね」
「お姉さん、僕を子供扱いしてるでしょ。」
「大人なの?」
「子供です」
「よろしー。 子供は素直でなくっちゃね」

 むー、なんて言って笑いながら、|道《すすむ》君はこの間みたいにてててと進んで扉を開けてくれる。

「んっしょ、なにか、見逃し、でも?」
「見逃しというわけじゃないんだけど、新しい観点で見みたいものと、あとは、|道君《先生》に質問」
「僕、ですか?」

 ちっちゃい体全部を使うように大きな扉を開ける様子は前と同じだ。なんだかよくわからないけど、その様子を腕を組んで、うんうん、って頷きながら見てしまう。なんかこう、芸を覚えた小動物を見ているような、そんな偉そうな気分にさせられてしまう。つまり、いじりたい可愛らしさがある。そのくせもの知りだし、不思議な子だなあ。

「寄生虫以外のことを聞いてもわかるかな」
「どうでしょうか、別に僕は物知り長老というわけじゃないですし」
「どーだか?」

 でも、アミちゃんが言うに、この子、昔から外見が殆ど変わっていないのらしい。幼く見えるだけで実は年をとっている形跡がないかついまじまじと見てしまう。年を取らない奇病というのは遺伝子異常などで確かに存在するが、極めて稀だ。そうでなく加齢はするが体が大きくならない等の場合は、小さい体に加齢の形跡が見える。シワが増えるだとか、筋肉が衰えるだとか、普通の加齢に見える特徴はでるものだ。私はついそれを|道《すすむ》君に探してしまう。
 が、確かに見られない。もうどう見たって小中学生だ。加齢しない遺伝子異常の病気(ハイランダーなどと呼ばれるが)なんて、今この目の前にあるとは思えない。そうでないにしろ若い年齢から外見が殆ど変わらず、老齢になってから突然老け始めるという人はまあ、いないわけじゃない。ハイランダー症候群とまで言われなくても、俗っぽく吸血鬼系と言われる人達とか、あとはまあロシア美女は美少女から突然デブおばさんになるなんて言われているし。まあそういう感じの子なのだろうか。考えても仕方がないことなので雑に納得しておく。
 前のときと同じように、小さい体全体で大きな扉を押してやっとのように開ける|道《すすむ》君。通されて促されたのは、前に来たときに埃を被っていたソファだった。今日はなんとも綺麗に掃除されている。この間私が座ったから気を使わせたのだろうか。いやいや、元々人が来ることを前提にした施設なんだからそれくらいは当たり前? でもこんな子が一人で管理しているのが当たり前という範囲には入らない気もする。
 あちこち電気をつけたり何か準備をして走り回っているのも前と同じだ。私がソファに腰を下ろして、ぼっけらと待っていると、お茶まで入れてくれた。都会の資料館なんかじゃこんな対応はない、田舎特有の人懐こさと言うかなんというか。こんな趣味で色んな所に行っていると痛感する。訪れる外部の人を警戒しながらも少々お節介なくらいにもてなすのは、のんびりとした時間の流れる土地ならではという印象がある。勿論都会でおもてなしを受けることもあるのだけど、なんというか、礼儀でやっているのか好きでやっているのか、の心理的な差をやっぱり感じてしまう。

「どうぞー、いつのかわからないパックのお茶ですけど」
「ありがと」

 こういう気のおけなさだ、礼儀やマナーでするもてなしとはやはり違う気がする。どっちが好き化だけの話だろうけれど、私はこういうのが好きだ。それはおじいさんおばあさんの持ち物だと半分は思っていたけど、こうしてこんな子供にまでされてしまうと、あらためて土地柄のようなものなのだろうと思う。

「こないだ阿祖神社にいってきたんだ」
「ああ、この辺の氏神様ですね」

 流石に話が早いな……凄いなこの子。

「あの神社の神主さんって、昔は子供の頃になって、早くに交代していたって聞きいたのだけど、変わった風習だなと思って」

「今でも交代していますよ。」
「えっ、今の|祝主《しゅくしゅ》さんは随分長いことやってるって。あと、|祝主《しゅくしゅ》さん以外の神職も昔はいたって聞きいたんだけど、見なかったなあ。まあ普段は外にホイホイ出てくるわけじゃないか」
「|花鹿《かじか》さ、んって、今の代の方だけですよ、何年も交代しないのは。」

 あ、名前が出てくる程度には知ってる仲なんだ、しかも下の名前。見た目通りの年だということは若干疑い始めているわけだけど、流石にそんなファンタジックなこともないだろうことを考えると、|祝主《しゅくしゅ》の|花鹿《かじか》ちゃんの方が幾らか|道《すすむ》君よりも年上に見える。まあこんな僻地だしね、知り合いってこともあるでしょ。

「神主さんも普通に長くやってたと思います。前の代の方がお辞めになってからは、確かに後任がいないみたいですけど。こんな時代ですからね、経費削減のために|祝主《しゅくしゅ》さんが兼ねて長くやるようになっちゃったとかかも知れませんね」
「経費……夢も希望もない……」

 でも、神主を配してその|祝主《しゅくしゅ》って役職だけを存続させたってことは、神社の性質としては神主よりも|祝主《しゅくしゅ》のほうが偉いっていうか重要な役職だったってこと? でも交代制の神職ならそれってなんだか話が合わないような気がする。

「まあ、神主は元々役場の人間がやっていたもので、|祝主《しゅくしゅ》は世襲みたいですから。行政が経費削減のために関わるのをやめた後も家業だけが続いてる、みたいなものかも知れませんね。その辺はご本人に聞いてみたほうがいいと思いますが」
「そだねー、憶測で物を言っても仕方がないしね」

 憶測だけであれこれ考えるのが本質みたいな趣味の人間の発言とは、我ながら思えないが、まあ仕方がないか。分家、っていってるアミちゃんの方が、まだ事情に通じているかも知れない。

「阿祖神社のことってこの資料館に残っている?」
「無いことはないですけど、あんまり熱心に集めてない感じがしますね。なんでだろ、現存してるからかな」
「私、|阿波戸《あわと》には阿祖神社に興味があって来たって、言ったっけ?」
「いえ、伺ってませんよ。そうだったんですか」
「うん。ここの寄生虫の展示が衝撃的すぎて本筋忘れちゃうところだったよ」

 忘れているわけではない、阿祖神社と寄生虫に関係があることは|花鹿《かじか》ちゃん(ちゃん、と呼んでいいものか)から教えてもらった。ただ、その祭神が寄生虫自体である、ことが「全量である」とのことには幾らか疑いを持っている。「全量」というのは、それが間違っていると思っているわけではなく、もう少し奥があるような気がしているということだ。今はそうかもしれないが、元々は、何を祀っている神社だったのか。
 いきなり阿祖神社に戻って聞いてみてもよかったのだけど、まずは歴史から……とかっこいい理由ではなく、なんだか温泉のお客さんが来たとかでアミちゃんに車を出してもらえなかったからだ。

(情熱があるなら歩けって話か)

 そうは行っても、車で行った道を思い出すとかなり時間がかかるだろうことはわかった。タクシーは一台だって見たことがない市バスは止まっているし。この町内でヒッチハイクだなんて変な話だ、捕まる気もしない。
 アミちゃんにショタコンと罵倒?されたのは悔しいのだが、この|道《すすむ》君という人物を好ましく感じているのは確かだ。変な意味じゃない。ただ、この街の閉鎖的というか元々僻地だから当たり前なのだが、余所者を一歩内側へ寄せ付けない何か空気のようなものがあるのに対して、彼は随分とオープンだなと思うのだ。随分と親切な気がするが、それは彼の持つ気性なのかも知れない。まあアミちゃんも出会ったときから随分と距離が近かった気はするけれど。
 その|道《すすむ》君は阿祖神社の名前を出すと、いかにも興味有りげな視線を向けてきた。やっぱり何か歴史があるのだろうか。初めてここに来たときももそうだったけれど、聞かなくてもいろいろと教えてくれるのは、やっぱり知ってることを離したがりなのかも知れない。子供らしい可愛らしさだなあと、思う。

「阿祖神社って名前からして、富士山信仰の神社だと思ってたんだけど、蛭子神が混じってるのが面白くって。で、実際に神社で聞いてみたらエビス様じゃなくてヒルコ神で、しかもそれが寄生虫のことだっていうの」
「はい。詳細は伝わっていませんが、この土地の蛭子神は特殊な信仰形態になっていて、所謂エビス様信仰とはかなり変わっています。ヒルコ神の信仰とも違っていて、ちょっと土着の特殊な信仰になっていますが……こんな僻地でもその風習は既に失われつつあります。実際に阿祖神社のドグマをきちんと理解している人は、もういないかも知れません。」

 はい、なんてあんまりにもスパンと答えられすぎて拍子抜けしてしまう。

「特殊な信仰は、寄生虫症への恐れから出来上がったものでは」
「おそらくはそうでしょう、でもそれ以上のことは、よくわかりません」
「佐久間医師があの大量の手記の中で言及してたりは」
「阿祖神社のことはかなりたくさん出てきます」
「それ、読んでもいいかな。」

 私がそう言うと、|道《すすむ》君は私を、じっ、と見てくる。なにか、警戒するような。さっきまでの目つきと、ずいぶんと違うものだった。

「いや、重要文化財的なやつだったら、いいんだけど。……っ!?」

 |道《すすむ》君は突然、手を伸ばしてきて私の手を取った。まるで、ここに来るときのバスの運転手さんに手を取られたときみたい。|道《すすむ》君の手は、でもあんな風にはなっていない。酷くなってはいないとはいえ、どちらかと言えば温泉の泉質に負けた私の手の方が症状が出ている分、気にはなる。ていうか|道《すすむ》君、手綺麗だなあ。若いって凄い。若いのかどうか知らないけど。

「湿疹、悪くなってますね」
「えっ、うん。この辺の温泉、泉質肌に合わなかったみたいで」
「そうですか」

 |道《すすむ》君にまで指摘されてしまうと思わなかった。
 確かに、肌荒れはいつの間にか随分悪化していた。肌のあちこちの湿疹は見ればすぐに分かるくらいに赤くなっている。一番ひどい場所は少し粉を吹いている。痛みはないけれど、少し痒い。ひどくなった、と言っても、強い洗剤を使うバイトをしていたときの手荒れ、位のもので、なにか特別酷いものに罹患しているという感じはないのだけど……やっぱ病院に行きたいな、リンさんクーさんに言われたことも気になるし。

「病院に行ったほうがいいかな」
「そうですね、いかないよりは行ったほうが。できればこの町の外の」

 この町の外の、とはリンさんにも言われたことだ。

「|阿波戸《あわと》には皮膚科は無いの?」
「ありませんよ。見てくれる内科はいますけど」

 専門じゃないから、という意味だろうか。

「でも、そんなに酷くはならないと思いますよ。だんだん治ってくると思います」
「えっ、そうなの?」
「温泉に入ってお湯が合わなかったってことは、この地域の泉質特有の皮膚炎だと思います。入らないようにしてれば治りますよ」

 あっ、それ聞いたぞ。バスの運転手さんとアミちゃんから。なんだっけ、えっと……

「つらあと、ってやつ?」
「ええ、ご存知でしたか。この地域では温泉がよく出ますけど、大昔には『かぶれゆ』って呼ばれて埋め戻された温泉も結構あるんだそうです。温泉の成分が強すぎるのか何かだと思いますが、当時は神様の呪いみたいに言われていたこともあったみたいですよ。やっぱり、お姉さんの肌にはやっぱり合わなかったってことになりますかね。」
「なるほど、|温泉《神様》から拒絶されてるみたいで、なんだか悔しいなあ」

 別に温泉が殊更好きというわけではないからいいのだが……た、たとえば私がアミちゃんのおうちで同棲?する?なんて?事になったら、ちょっと悔しいじゃない?

「余り悔しそうな表情に見えないですが」
「あ、いやー、ちょっと別の想像をしてしまって」
「?」

 いかん、最近思考がユルイぞ。

「その『湯かぶれ』自体は今でもまま見ますけれど、死んでしまうような症状が出たという話は実際の臨床データはないそうです。精々、気にせず毎日入り続けると肌が荒れる、というくらいで、入るのをやめて肌の手入れをきちんとすれば収まります。酷く昔の言い伝えとかそういう中でだけ、人が亡くなったりしています」

 あのバスのおじさん、そんなに好き者だったのか。普通はそんなになったら入るのやめない?

「ふうん、昔って、どれくらい?」
「お姉さんが好きだ、って仰ってた書物の時代です。確か、佐久間医師のノートなんかにも出てきますよ」

 それって神代とか、もう少し下ったとしても飛鳥平安、あるいはその時代を騙った鎌倉と言ったところだろうか。その頃は医学もまともではなかったし確かに神様の祟とか言われてしまってもそれで片付けられてしまうかも知れない。

「うーん、そりゃあ確かに疑わしいなあ。別の病気だったんじゃないの?」
「かも知れませんね、実際には報告されてないのでなんとも言えませんけど、1週間で葡萄状の腫瘤が体中に出来たり紅皮症状を示して、発熱、異食欲の精神異常を示す……と言うような内容が文献にあるようです。なんだか無茶苦茶ですが」
「うえ……それほんとに温泉成分の皮膚炎なの……? 疱瘡とかみたいな感じじゃん」
「そうですね、昔はそれと同一に見られてたというか一緒くたにされた上で原因不明の皮膚炎扱いでした。腕に最初にできるからか|腕呪瘡《わんずかさ》なんて言われて|辛痕《つらあと》の重篤症状と言われていたようですが、多分別の病気だったんでしょうね。もしかしたら本当にただの天然痘と湯かぶれの合併だったのかも知れません。けどまあ、『伝説上の』くらいの話です。」

 ホッとした。この現代に、正体不明の病気なんか(原因不明の病気は沢山あるが)そうそうあるはずがない。
 実際、疱瘡も神の仕業として語られることの多いものだ。天然痘の擬神は、日本だけではなく世界のあちこちにいるし、日本国内でも複数の姿をしている。飛騨には疱瘡神に対する魔除け(同時に安産や子育ての御守でもあるが)として「さるぼぼ」というぬいぐるみがありこれは赤色が疱瘡神(疫病神)を追い払う力があるとして赤い布で作られる。一方で、同じ日本国内でも、倭人(和人)によってもたらされた天然痘が、耐性のないアイヌの人々を恐怖のどん底に陥れた史実があり、そのときには天然痘を疱瘡神(アイヌではパヨカカムイなどと呼ばれる)がもたらす病として恐れ、山にこもって過ぎ去るのを舞ったと言われる。
 病気の平癒を神頼みするという一方で、そもそも病気自体が神様の仕業だという観点も、当時はまだ根深かったらしい。
 この地でも、きっとそういう時代があって、「|辛痕《つらあと》」やらこの地独自の蛭子神が生まれたりしたのだろう。日本住血吸虫症の病有地域であることはきっと大きく影響しているはずだ。

「そうかあ。阿祖神社の蛭子神が寄生虫症だ、なんて聞いてきたものだから、その症状だったとかって可能性も考えちゃった」
「腹水で膨満する症状に繋がっていればそっちに寄せられただろうことを考えると、|辛痕《つらあと》とセルカリア皮膚炎は、きっと違うのでしょうねえ。少なくとも、信憑性のある記録が残っている方の|辛痕《つらあと》は、温泉成分のキツいせいだと言うことで落ち着いてますよ。心配しなくて大丈夫です」
「良かったあ、ホッとしたよ。」

 口先だけじゃない、実は心底ホッとしていた。海外、特に発展途上国に渡航して日本国内では全く目にしない病気をもらって帰ってくるという話はよく聞くが、それがこうして国内で起こらないとは限らない、先のアイヌがいい例だ。こんなところで、今も残るが知られていない風土病なんて貰ってしまったかと思って内心ヒヤヒヤした。

「あ、佐久間医師の研究ノートを読んでみたいって話でしたね」
「あっ、うんうん。……ダメ元で聞いてるからあんま気にしないで」

 資料館にあるものを個人的な興味で鑑賞できるとは、思っていない。そういうたぐいの資料も、こうした小さな展示館ではあるにはあるが、余程良心的な場所だろう。

「いいですよ」
「えっ、いいの!?」
「お姉さん、趣味とか仰ってましたけど、真面目な研究家さんみたいですし」
「不真面目な研究家ってのが来るの?」
「うーん、そもそも人が来ませんね」

 またそういう世知辛いことをぽろっと言う。

「実は、僕もここに出入りするようになってから、まだ読んだことがないノートがいっぱいあるんです。先日ご覧になったのって、ほんとにその一端でしかなくって。いつか目を通しておかなきゃいけないなって思ってたんです。読みたいなんて奇特な女性が現れたのもいい機会だから、と思いまして」

 利用させてもらいます、って舌を出して笑う|道《すすむ》君。

「おー、そういうことならおねーさんの胸を貸してあげようじゃないか。持ちつ持たれつといこう」
「では、ありがたく」



§§§



「私の仮説だと、阿祖神社は縄文時代の、山の神様を祀っている神社の名残なの。この辺って、湖水伝説があるでしょう?」
「ええ。『|蹴裂《けさき》さん』ですよね」
「そ。水を抜かれて盆地にされたその湖か、あるいは蹴っ飛ばされて消えた山、どっちかが縄文時代には神様として祀られていたんじゃないかって。その信仰を伝えるのが阿祖神社だったんだけど、途中で寄生虫症の平癒が習合されたってカタチ。それを裏付けるか、まあ否定するか、出来る資料が、残ってたらなと思ってさ」
「なるほど……湖はともかく、蹴っ飛ばされて消えた山っていう観点は余り聞いたことがないですね。でもどうして急にそんな話を? 別に純粋に寄生虫症平癒祈願、ってことでは不足だったんですか?」
「日本住血吸虫症が、よく考えてみれば、湖水伝説のある地域とニアミスなのよ。私は湖水伝説が大和朝廷の国造りの一貫、つまり日本各地の征服活動の産物という説を支持するのだけど、そうするなら、日本住血吸虫というのは大和朝廷に抵抗した人達の|呪《のろい》として語り継がれている可能性があると思うの。つまり土蜘蛛のね。」
「はあ、結構、飛躍しますね……」
「だから、寄生虫症平癒と、縄文の神の名残は、近くにあるものなんじゃないかって思ったわけ」

 縄文の神というのは、諏訪のミシャグジ(ソソウ、チカト、モレヤ)なんかに代表され、他にも記紀には|荒覇吐《アラハバキ》や|天津甕星《アマツミカボシ》という記述も見えるが、まるで旧く失われた神様として考えられがちだ。でも、案外そういうこともない。おそらく縄文の神様だったろうけれど、大和の神様として編入され今でも普通に寺社が残っているものだってたくさんある。
 茨城県にある御岩神社は、水戸藩のお墨付き?の神社として江戸時代から多くの参拝者を招いて今日でも有名で、水戸黄門で知られた徳川光圀も信頼したという、立派な神社だ。
 ここに祀られている|立速日男命《たちはやひおのみこと》という神様は、茨城県周辺をさした「常陸国」の歴史書である「常陸国風土記」に「しか出てこない」「天津神」と言われている。記紀神話にも、他のどの歴史書にも登場しないのに、この常陸国風土記の中でのみ、しかも国津神ではなく天津神として伝わっているという奇妙な神様だ。その謂れも特殊で、元々この土地にいた手癖の悪い神様だったが、話し合いと祭の結果「かびれの山」という場所に移動してくれたのだという。
 この|立速日男命《たちはやひおのみこと》という神様は、縄文の神だというのが通説になっている。北方経由で入ってきた先縄文人なのか、あるいは|饒速日命《ニギハヤヒノミコト》の系譜なのかはわからないが、恐らくは後者だろう。「ハヤヒ」の音を持つ神様は実は各地に幾つかいて、それらは全て|饒速日命《ニギハヤヒノミコト》から連なる、大和朝廷より前に九州から入ってきた人達の系譜だと言われている。それも、全て縄文の神様で大和の神様として編入された人達だ。そもそもある説では、|饒速日命《ニギハヤヒノミコト》は、「俺を祀らないから疫病が流行るのだ」と神託をした|大物主命《オオモノヌシノミコト》のことだとも言われているし、縄文の神と疫病・祟の線はやはり易易と切り捨てるには惜しい。
 こうやって実は身近に縄文の神様が残っていました(まあ|阿波戸《あわと》は身近な地域とは少々いい難いが)とあっても、不思議ではない。
 ちなみに有名なアニメ映画「千と千尋の神隠し」に登場した「ハク」の本当の名前もこの「ハヤヒ」系だ。「ニギハヤミコハクヌシ(恐らくは饒速水琥珀主とでも書くのだろう)」と名乗っていたが、劇中名前を奪われ姿も失って力も出せないでいるという状態は、なんともこの大和朝廷による神話・歴史の恣意的な取り込みを彷彿とさせるものだ。それに、そうした神の名前が家の近くを流れていた川だったというエピソードも、縄文の神様は身近にいるという話の作りと通じているように思えてしまう。大体、劇中に日本神話に絡むエピソードは描かれていないのだから、名前なんてただ「コハクヌシ」だけでもいいと思うのに、なんでわざわざ「ニギハヤミ」なんて頭を付けたのだろうか、と考えると、本当は根底に同じような「実は身近な|縄文の《忘れられた》神様」という観点があったんじゃないかなんて思ってしまう。

「まあ、あのミシャグジさまも、百日咳平癒のご利益とかありますしね、もしかしたらそういう経緯があったのかも」
「……|道《すすむ》君、よく知ってるね、そんなこと」
「ああ、まあ、こんなところで遊んでると嫌でも身につくっていうか」

 へへと笑うが、やっぱり只者じゃないなこの子。

「そんなわけで、もうちょっと、阿祖神社の情報がほしいなってわけ。宗教的な観点は実際に神社にも一回行ってみるとして、もっと、この土地全体でどんな役割をしていたのかとか、民俗的な観点でね。あと、寄生虫の話は神社自身は語りたくないことかも知れないから残ってないかもっていうのもある」
「なるほど、そういうわけですかあ。いや、この土地の歴史や民俗を調べようなんて外の人、初めてなもので。もしかしたら佐久間医師以来の人かもしれませんね。」
「どうだ、えらいだろう。うやまいたまえ?」
「成果が出ればですが」
「ああっ、|道《すすむ》君ってほんと、たまにかわいくないよねー!」

 なんてけらけら笑いながら、三階へ登る。

(うん?)

 一階から地下に向かう階段に、この間来たときにはあったはずの関係者以外立ち入り禁止の札が、設置されていない。
 地下は確か、心霊スポット(私認定)だった筈だ。芽殖孤虫を入れられて死んでいった人の慰霊碑があるとか何とか。本当かどうか走らないけど、正直近寄りたいものではない。それを肯定するように立入禁止の札があったはずなのに、なくなっている。誰かキていったのだろうか。それでも、まあ掃除か何かのときに除けてそのままなのか。
 前に見たときと同じだ、なんとも薄気味悪い雰囲気をもくもくと吐き出しながら、ポッカリと口を開けている暗闇。理性ではかれば、立ち入りたくない。実際に薄気味悪さは否めないし話を聞いてしまえばそれはなおのことだ。だのに、なんだか妙に気になる。この下には本当に、何があるというのだろう?
 なんだか、音が聞こえるような気がした。風が抜ける、ひょぉぉぉっという反響を伴う音。明かりは見えないけれどその音がまるでこの地下への階段が、地下一階だけではなくて、もっと深い、地底の国へ続いているかのような底冷えを感じてしまう。
 この奥には、何があるのだろう。本当に慰霊の祭壇があるだけなのだろうか。
 かつて、芽殖孤虫を人に意図的に投与して増やし、実験を繰り返していたという悲惨な歴史。

「ねえ」
「はい」
「地下って、私も手を合わせて行けるものなの?」

 私が言うと、|道《すすむ》君は少し険しい顔をした。

「すみません、遺族の方に限定されているんです」
「そっか、じゃあしょうがないや」

 私はさっさと三階に上がることにしたが、どうにも背中を引っ張られているような、そんな気がして仕方がなかった。







「これで全部ですね」
「思ってたより少ないね」

 未読の手記というのは、別に部屋ひとつ分もある、というわけではなかった。|道《すすむ》君が持ってきたのは、両手いっぱいに抱えられる程度の数。ノート11冊、バインダー18冊だ。

「運ぶには大したことない量ですけどね」
「読むと為ると話は別か」

 一冊一冊中身を見ていくとなると骨が折れる。取り敢えず適当に一冊を手にとって開いてみた。

「『虫体投与ケース23』、芽殖孤虫を投与された人の日々の記録みたいね」
「こっちもです」

 どうやら意図的に芽殖孤虫に感染させられた人達の記録が多いようだ。
 芽殖孤虫が人体で深刻な症状を示すほど増えるには数年が必要で、殆どがただのバイタルの記録になっている。そうした日記的な記録を除いて佐久間医師の調査・研究をまとめた資料は、4冊程度のノートに留まっていた。
 もちろん、臨床データとして重要な記述もあるのだろう、本来は端から端まで目を通すべきなのだろうけど、今は脇によけておく。この4冊のノートの読み込みに集中することにした。

「あ、これなんかは芽殖孤虫のことっぽいな」
「『現地の高齢者から、|祝主《しゅくしゅ》疱瘡発出せず、人に祝福与え続け齢十三にて蛭子神の御下へ参られる。これ阿祖|祝主《しゅくしゅ》の宿命と聞く、との興味深い回答があった。』。蛭子神の下へ行く、って|祝主《しゅくしゅ》が死ぬものみたいに言ってるひとがいたみたいですけど」
「疱瘡、って」
「|辛痕《つらあと》のこと、みたいですね。これ、見て下さい。」

 別の箇所に線が引かれていて、「|辛痕《つらあと》」と注釈がある。そこにはまた別の記述があった。

「『蛍が邪魔』、なんだろこれ。このあたりは確か日本住血吸虫が収束する前は蛍の名所だったはずだけど、邪魔、って」
「なんでしょうか……ホタルが芽殖孤虫と関係あるなんて話はここまで出てきてないですね」
「虫下しを試した記述もありますね、『プラジカンテルを投与 効果なし』。増やしたかったのか、殺したかったのかよくわからないことをしていますね」
「まあ、同定も一つの目的だったんだろうしね、本当は撲滅したかったけど、その中でどうしてもサンプルが必要だったってことかな」

 そもそも佐久間巴医師の目的そのものがよくわからない。寄生虫研究、と一言に言っても、まあ基本的にはその撲滅を目的にしているはずなのだけど、こんなに発症例の少ないようなレア寄生虫の根絶を目指して、発症例よりも遥かに多い人間に意図的に感染させるというのは、手段と目的が入れ替わっている気がする。

「これは2階にあったのと同じ記述だ、『芽殖孤虫に感染していると、ある種の皮膚病に耐性が出来るらしい。日本住血吸虫と一緒に分布する別の風土的な皮膚疾患は芽殖孤虫と共存しないことがわかる』。これって、実は凄いこと言ってない?」
「芽殖孤虫に感染することで、感染を防げる皮膚病があるってことでしょうか」
「寄生虫がアレルギー症状や、突飛な話だと自閉症にまで効果があるなんて、最近は話題みたいだよ。それに近いことを、この時代に言っていたってことか。やるな、佐久間医師……」

 ドイツでは豚鞭虫という寄生虫の卵が、サプリメントとして認可されたという話がある。何にでもかにににでも、というわけではないのだろうが、ある程度一定の対象については何らかの効果があるということだろう。日本国内でも大学病院で、免疫系の改善に豚鞭虫を活用しようとする研究もあるらしい。豚鞭虫は人間の体では生きていけないので数週間で死に排泄されるが、その間免疫系を刺激して適切な状態に保つ効果がある、と謳っている。

「これ、本当の話だとすると、芽殖孤虫に感染すると|辛痕《つらあと》にかからないってこと、言ってるように見えるのだけど」
「このへんで、ってことになると、そうかも知れませんね。でも、さっきもお話したように、|辛痕《つらあと》の症状は大したことありません。芽殖孤虫に感染させてまで回避するようなものでは」
「昔の|辛痕《つらあと》なら?」
「昔の?」
「さっき、神話の時代にあったかも知れないっていってた、人がバタバタ死んだっていう方の|辛痕《つらあと》」

 個人的にはソッチが本命かもしれない。それならば、|大物主命《オオモノヌシノミコト》と寄生虫のラインが、繋がりかける。そうであって欲しいと思うわけではないが、そうであって欲しいと思わなくもない、この矛盾した感じ。

「あるいは日本住血吸虫と芽殖孤虫は共存しないとか。そうするとセルカリア皮膚炎のほうかも知れません」
「そっか、いや、それにしてもこれは」
「芽殖孤虫自体は、感染から人を殺してしまうまで数年から長い場合20年といいます。日本住血吸虫にせよ、|辛痕《つらあと》にせよ、どちらがマシかと言うだけの話ですが……」

 致死率100%と言われる芽殖孤虫には、実は近年1例だけ、生存の可能性が認められたケースがある。どうやら芽殖孤虫に特徴的な出芽による増殖がなかったため、虫体の摘出で命をとりとめたのだという。
 厳密に検査すると芽殖孤虫ではなかった、あるいは、何らかの要因で増殖がストップしていた、という可能性が考えられるのだが、もし後者だとすると、その「何らかの要因」というのが鍵になる気がする。

「ねえ、|祝主《しゅくしゅ》、って、|宿主《しゅくしゅ》、じゃないよね」
「えっ?」
「阿祖神社の|祝主《しゅくしゅ》って神職、変わってるなって思ってるんだ。祝主って文字、普通の読み通り行って『いわいぬし』を指す言葉なら、斎主って書くはずなんだよね。それを音読みで|祝主《しゅくしゅ》なんて、変わってると思う。」
「だからって、『やどぬし』の方だと?」

 『宿主』を訓読みで「やどぬし」と呼ぶのは慣用であって、学術用語としては音読みで「しゅくしゅ」と呼ぶ。

「阿祖神社の|祝主《しゅくしゅ》が若い頃に数年で交代してその後、蛭子神の下に行く、っていうのは」
「流石に都合が良すぎると言うか、飛躍が凄いですよ。|祝主《しゅくしゅ》が代々寄生虫の患者だったっていうことですか?」
「そう。人がバタバタ死ぬような病に、何故かかからない一族。『|祝主《しゅくしゅ》疱瘡発出せず、人に祝福与え続け』って、この行、阿祖神社の|祝主《しゅくしゅ》は|辛痕《つらあと》に対して免疫を持っていて、そのことで神聖視されていた。その実態は、芽殖孤虫の感染」
「いやいやいや、流石にないでしょう。ファンタジック過ぎますよ。そもそも、阿祖神社は寄生虫の|祟《たたり》を鎮めるための神社ってお話では?」
「そう。だから、神体は寄生虫なのよ。|神様《蛭子》を体内に取り込んで、病を撃退。|祟《たたり》は、湖水伝説にあるように、消えてしまった湖か山、あるいはその土地の元の支配者のもので、今は失われた人がバタバタ死ぬ方の|辛痕《つらあと》。」
「|祝主《しゅくしゅ》はどうなるんですか」
「芽殖孤虫には1例だけ生存例が確認されつつあるの。芽殖孤虫でない可能性、を無視するなら、その1例では芽殖孤虫の増殖が抑制されていて、助かったかも知れないって。まだ経過観察中らしいのだけど。阿祖神社の世襲的な神職は、芽殖孤虫の出芽増殖を抑制する何らかの要因を先天的に持っている。でもそれは、子供の頃だけ」
「子供の頃だけ?」

 人体の免疫の殆どは、子供の間に作られる。実は一定の年齢を過ぎてから新たな抗体を作ることは、人間の体にとって困難なのだ。大人になって萎縮する甲状腺という器官はそのためにあり、大人になって機能し続ける免疫は、子供の頃に作ったもののコピーが大半。免疫機能をフルで機能させ続けるのは、非常にエネルギーを必要とすることで、フルで機能させ続けるような人間は進化の過程で生き延びることが出来ず、かと言って免疫機能を持たない者も疫病などで滅び、外界との接触の殆どを経験済みとする子供の期間で免疫の新規生成をストップすることで免疫の高さと省エネを現実的なレベルで両立したのが、現代の人間だと言われている。そして、それが大人になってから機能を失ったり、機能が不全となったりするケースもある。

「子供の頃で失われる何らかの要素が、|祝主《しゅくしゅ》の一族には備わっていた。それがなくなると、蛭子神の下に召される。|辛痕《つらあと》の流行があると、彼女達は芽殖孤虫を宿すのよ。病への感染を気にせずに氏子の手当をして、もしかしたら、その地域の人間が根絶するよりかはそうして生き延びる『女性』を一人選ぶことを選んで、その時点で|子孫を残すための精を集めた《…》かも知れない。湖か、山か、どちらかの|祟《たたり》を恐れて、この神社はずっと機能し続けていた。」

 事実、芽殖孤虫の被害者は、その潜伏期間もあるだろうが、少なくとも成年しており多くは30代を越えている。

「今は流石にそんな事してないだろうけどね。寄生虫を自分に入れるなんて、基本的には狂気の沙汰、しかも致死性の寄生虫なんてさ」

 でもこの地には、一つだけ、あるのだ。意図的に寄生虫に感染させていた例が。

「佐久間医師はもしかして、医学的な観点ではなくて、阿祖神社の秘密を解き明かそうとしたんじゃ」
「お姉さん、お姉さん、ちょっと、流石に陰謀臭すぎますって」
「……そだね」

 ちょっと暴走したかも。|道《すすむ》君に止められて、私の暴走妄想は停止した。いや、でも結構面白いと思うんだけどな。

「またホタルが出てきた。『蛍のせいで計画が進まない』。なんだかさっきから、ホタルが変に出てくる割には意味がわからないね。これ、ホタルなのかな。ケイって人の名前じゃないよね」
「わからないですね……当時、蛍と書いてケイって読ませるような人名があったかどうかは疑問ですが」
「『富士川流域に集中する阿祖神社氏子』、これなんてどうですか」
「おっ、どれどれ。『阿祖神社の氏子は有意に富士川流域に指向性を持って分布している。特にこの|阿波戸《あわと》は所在する住宅のほとんどが阿祖神社を氏神としており、古くからこの土地に根付いていることは明らかだが、祭神が不明で由来もはっきりしていない』。あれ、阿祖神社って一応はオオクニノヌシとスクナビコナとスサノオって聞いてるけど、それを無視して『不明』って言っちゃってるな。その由来が怪しいってことコミでいってるのかな。」
「『阿祖神社の氏子は疫癘に罹りにくい。阿祖の神にはそのようなご利益があると信じられている。特に阿祖神社の神職は疫癘に対して万全の抵抗を見せた。』……見せた? まるで疫病の流行の中でピンピンしているのを見ていたみたいな言い草だね」
「あの」
「うん?」
「|疫癘《これ》、なんて読むんですか……?」

 |道《すすむ》君が、恥ずかしそうに、その文字を指差して聞いてきた。

「えきれい。流行病のことだよ。」
「あ、ありがとうございます。なさけないなあ」

 しゅんと小さくなってる|道《すすむ》君。疫癘、こんな字、学校じゃ習わないしょ。

「まてまて、キミくらいの歳でコレを読めなくて情けないとか、無いから。少しは自分の立場を理解しなさいよう、まだ若いんだから。あんまり不相応を遣ってると可愛げがないぞっ」
「自分の立場……?」

 なんだか、|道《すすむ》君が、あんまりにも真剣な視線を私に向けてくるものだから、気圧されてしまう。なんか変なこと言っただろうか、大人としてトーゼンのアドバイスをしたまでだと思うけれど!?

「自分の立場。そうですね、肝に、命じておきます」

 何が刺さったんだろう。よくわからないけど……

「ほら、そーいうところだってば、肝に銘じるとかね、使うの世間に疲れた大人になってからでいいから」
「えっ、あー、はい」
「子供はにこにこ笑ってればいいの。出来なかったことを悔しがるのはきっと大切なことだけど、出来て当然とか思わないように。その上で、もっとおねーさんをうやまいなさい?」
「ふふっ、はい、わかりました」
(妙に大人臭いのに、妙にガキっぽいし、不思議な子だな)

 わかればよろしー。そう言って、さっきの続きを見る。

「抵抗を見せた、これって、疫癘、きっと|辛痕《つらあと》のことだと思うけど、少なくともこの頃までは流行があったってことじゃないのかな」
「そんな記録、残ってないですよ……? 湯かぶれの方の|辛痕《つらあと》の事とは違うんですかね」
「そもそも|辛痕《つらあと》って言葉に多義性があるのが、なんだか気持ち悪いね。」
「いえ、元々はきっと、深刻な流行り病の方を|辛痕《つらあと》って言ったんだと思います。温泉での肌のかぶれをそう呼び始めたのはきっと、流行り病が終息してから取って付けたみたいに言われるようになったんじゃないかと思いますけど」

 そもそも、|辛痕《つらあと》は皮膚病のことを指しているように思える。ただ、文献に出ていた疱瘡やら|腕呪瘡《わんずかさ》やらは、皮膚病とは思えない症状を伝えていて、その間には大きな隔たりがあるように思えた。

「このあたりには、日本住血吸虫症以外の病気、つまり重篤な方の|辛痕《つらあと》が、日本住血吸虫症の影に隠れて存在していたってことかな。日本住血吸虫症が解明されたのは近年だけど、その前に何らかの理由で、発症者がいなくなっちゃったせいで、語られていないみたいな」

 古典や古文書に出てくる病気なんて、全体的にそういう性質の可能性もある。同一性の確認なんて取れないのだ。

「で、阿蘇神社の|祝主《しゅくしゅ》はやっぱり、その病気に免疫があったってことみたいじゃない、この書きっぷりだと」
「神様の恩恵、ってことなんでしょうね。病気平癒の信仰につながっているのかも知れません。寄生虫症平癒というのに、どうやってリンクしていくのかはわかりませんけど」
「やっぱり、阿祖神社が謳う病気平癒の正体って寄生虫症じゃなくってこの『重篤な方の|辛痕《つらあと》』なんじゃないかなあ」
「確かに辻褄はあいますけど……」
「まあ、これは、神社で直接聞いてみたほうがいいか。寄生虫症ですって言うよりは、この辺に昔あった流行病です、の方が幾らか答えてくれる可能性あるでしょ」
「神様が寄生虫だとか、|祝主《しゅくしゅ》は宿主って言う話は」
「まあ、聞いてはみるけど、我ながら『無い』ねw」
「あと気になるのはコレだよね。『芽殖孤虫の生活環について』」
「えーと……うわあ、いきなりオカルト臭い」
「妖怪とか鬼とか、医者が言うこととはちょっと……でもまあ、医学の傍らでこうやって民俗調べてたんじゃソッチに傾いても仕方がないかなあ。私も人のこと言えないしね」

 ノートには、手でざくざくと書いたような、芽殖孤虫の生活環(の予想図)を記した図が書いてあった。

  サワニシ?      捕食
 淡水貝────→人間────→オニ?【妖怪】☆
  ↑              │
  │……幼生放出         │……糞便、吸血の可能性も
  │       産卵・放出  ↓
 爬虫類・両生類←──────昆虫など
  マンソン裂頭条虫
    と類似?

「げっ、サワニシってかいてあんじゃん……たべちゃったよ」
「まあ、このへんではよく食べるものでしたからね。流通してるものにちゃんと火を通してたなら多分平気ですよ。仮に火を通しても死なない寄生虫なんて化物だったら……慢性的に死ぬアニサキスみたいなもんですかね」
「それなんにも救いになってないよー!?」

 うう、お腹が痛くなってきたよ。

「つまり、佐久間医師は人間は芽殖孤虫にとって不適切な宿主ではなく適切な宿主であって、人間を捕食する別の存在に食われることで成虫になると考えていたということですね」
「オニ……ってまあ、突飛なことが書いてあるけど」
「狼とか熊とかに投与して試したみたいですね。ダメだったみたいですけど」

 確かに、そんな手記が2階にあった気がする。

「そもそも人間を食べる存在なんて」
「ホモ・うんたら、って現生人類になる前の草原とかで暮らしてた時代ならありえるんだろうけどね」
「その頃に、オニがいたのかって話ですが……」
「いないだろうね、そもそもオニだって人間って説が……え、人間?」

 想像して青くなる。

「いやいや、こんなところでカニバリズムは勘弁だよ」

 日本有史の食人は何を隠そう第ニ代綏靖天皇が早々にしでかしている。まあこの天皇は欠史八代と呼ばれる、記録の残っていない天皇に含まれていて、しかもこの食人のエピソードは南北朝時代にまで進んでから著された書物によるもので、信憑性は薄い。

「これは何でしょう『芽殖孤虫の多様性』」
「多様性? 芽殖孤虫に種類がいるってこと? いやそもそも芽殖孤虫って虫の種類の正式名称じゃないんだけどさ」
「ちょっと今までの話と変わってきますね」
「『人体で出芽させ増やして摘出した虫体に、複数のタイプが存在することを確認した』。怖いことサラッと書いてあんなー……。『蛭様のもの、線虫様のもの、嚢胞を形成しないもの、疫癘に対する免疫を呼ばないもの。世代の差異なのか否かは不明』。ふうん……これがほんとなら、近年1例だけ発見された生存の可能性があるケースはこれの、嚢胞を形成しないもの、に該当するのかもね。疫癘に対する免疫を呼ばないもの、ってのもあるのか。」
「むしろ、その、免疫を呼ばないもの、っていうのが普通のタイプなんじゃないですか? 免疫をつくるようなのが普通なら、さっきのお姉さんの話みたいなことが、もう少し出てきそうなものですし」
「なるほど」

 軽くではあるが、一通りノートに目を通し、目ぼしいものはこんな感じでピックアップして読み合わせながら、必要そうな箇所はメモに取らせてもらった。どうにも要領を得ない感じが強い。

「なんだかよくわからなかったですね。本当に、覚書っていうか、このメモを元にもっとちゃんと調査する気だったみたいに見えますね」
「で、失踪かあ。ミステリといえばミステリだけど」

 佐久間医師は一体何がしたかったのだろうか。何を解明したのだろうか。何も解明できなかったのだろうか。
 失踪したのはなぜか、なんてゴシップな感覚で知りたいとは思わない、ただ純粋に、あんたがいなくなってなかったらこのメモをどうまとめるつもりだったのか、とそれだけを問いたいと思ってしまう。

「あとはまあ、もう一回神社にいって直接聞いてみようかな」
「何か成果があるといいですね、僕の名前がお姉さんの本に載るかも知れないですし」
「あれ、こないだ期待してないってゆってたのに?」
「子供らしく素直に期待することにしました」
「そりゃー……ああ、やばい、本を出さなきゃいけないじゃない」
「ははは」

 そしてこれはすでに2階のメモにあったものだが、期待はしていたものの結局この手記群に目を通しても余りはっきりと意図がわからなかったものがある。未だに気になって、ずっと頭の端っこに引っかかっているその一文。

『食べに来た』

 短く書かれたあの一文だけが、どうしても気になる。まるでその文字列だけが、その言葉の通り以外の意味を裏側に隠しているような、興味というか好奇心の酷く裏黒い感じの心境を以て、ずっと頭の中に浮遊しているのだ。



§§§



「この山を侵す不届きな者に、裁きを」

 |神《私》に祝福を受けた戦士達が、猛々しい声を上げながら敵を打倒していく。戦いぶりは以前の如く見事、戦果として十分な上に敵の戦意を折る。
 戦士達のリーダーは、|宇津呂木《うつろぎ》という。それを支えるのは|速多智彦《はやたちひこ》。何れも勇敢な戦士であり、屈強、それに剣の技術に長ける。彼等二人が先陣を切って西の兵士を打倒し、他の者達もそれに引かれるように進み、見事に敵を打倒していく。

 私はこの少し高い場所から、彼等の戦いを見ている。|意識遷移状態《トランス》で神の声を響かせ戦士たちの|宗教的高揚状態《ファナティック》を維持しながら、彼等の背を押す|呪《まじ》を行使する。
 銅鐸を周囲に巡らせ麻種の香を焚きしめた神籬の内側で、鉄の鈴を鳴らす。赤く鈍く光る鉄の輝きは|神威の象徴《レガリア》だ。がらん、がらん、と勇ましくも澄んだ神々しい音が、神の足音である。
 私の求めに応じて、山が敵の頭上めがけて礫大の雹を降らせた。拳よりも大きな氷の塊が落ちてくる、当たればただでは済まない。それに惑っている兵士を、我が戦士たちが勇猛に刈り取っていく。
 トランスの奥底で状況を眺める私は、西の軍勢が崩れていくのを確認していた。蔦が這い敵の足元を不安定にし、絡め取っていくのを見た。沼は腕を伸ばして奴等を捕まえ、飲み込んでいくのを見た。先導する|宇津呂木《うつろぎ》が、逃げる倭の兵の速度よりも速く山道を下り、敵へ追撃を加える。彼に与えた銅剣は、山の加護を与えた霊剣。それは草のように次々と敵を打倒していく。

「他愛ない」

 まるで自分の力であるかのように山全体を指揮して敵を打倒していく。けれど、これは、私の力だと言えるのだろうか。
 自然とは、私のことであるか、そう言い切れるのか。私に従う戦士や従者達、彼等が炒なければ私など、西に抗う力は持っていないだろう。それでも、今の私にはもう、使えるものはなんでも使って、この山を守ることしか出来ない。皆も、きっとそれを願っているのだから。



「お前が、ヤマトタケルか」
「そう呼ばれることもあります」



 山の胎動は、私の怒り。私は自然ではないが、この山体は、自然だ。根ざした大地も、顔を出す雲も、吹く風も、全てが自然だ。それを従えて、怒りを敵にぶつける。皆の望みは、この山と共にあることなのだから。
 脱魂型のトランスの根底には、神との一体化と同時に主体の消失がある。私はこのとき、私ではなく、神か民のどちらかの存在に塗り潰される。|脱魂型意識遷移《エクスタシー》とは、自我を消失することで魂を山と同化するもの、私自身が、真に山となるのはこのときだ。「そうして自分がいなくなるとき」が、私が神として存在する瞬間なのだ。

(|吾《あ》れなど唯の人形でよいのか。皆の心の支えに為るのなら、|吾《あ》れに|心《私》など不要なのか)

 私は鉄の鈴を鳴らして、神の力を招来する。私のためではない。民ためだ。山のためだ。私が私ではないことが、私の支えになるのだ。

 一つ鳴らして山を敬い、一つ鳴らして願いを伝う。
 一つ鳴らして行を唱い、一つ鳴らして想いを浚う。

 阿祖見山居比女命
 天染御山衣秘喚名
 請守人益荒力与兵
 高森等増雷地能閉
 阿祖見山居比女命
 荒想深夜舞火召鳴
 神威降雹風祓穢冷
 皆意得了封叶褻禮

 八方八齋八出八連舞
 振礼呼落璃宣矢射羽
 為礼意火津智伸火駆

 やまよ、こたえたまえ!

 私の召喚に応え山は雲を呼び、それまで晴れ渡っていた空を突然に閉ざす。強烈な颪を吹き、雷鳴を伴う巨大な雹を降らせた。地は割れ川が怒り、西の者達を尽く平らげていく。
 打撃を受けて前線を下げる倭の軍。だが、|倭健《ヤマトタケル》が一人、雹も風も地割れもものともせずに私の前に進み出る。この男だけを、まるで雹も風も避けて通っているかのように、奴は全く歩みを緩めること無く近寄ってきた。

「|阿祖見《あそみ》の山の力、然と見たり。だが、この程度か」
「大口故に山に呑まれたくなければ、疾く|この山《吾》から出て行くがいい。|宇津呂木《うつろぎ》、|速多智彦《はやたちひこ》!」

 私が喚ぶと、二人の勇敢な戦士が左右から現れる。

「彼等は|吾《あ》れの『剣』。よもや|私《女》相手に剣を振るえとは言うまい?」
「結構です」

 焦っている。自覚があった。
 この男には、何故か山の力が及ばない。水の濁流も、風の奔流も、雨も氷も蔓も沼も、全てがやつを避けていく。こんなことは初めてだ。
 |宇津呂木《うつろぎ》に目配せをすると、彼は剣を携えて前に出る。|降霊型意識遷移《ポゼッション》は、私の、あるいはこの山の、霊と魂を受け入れて強大な存在と一体化するものだ。
 私は、|意識遷移《トランス》に入り、彼に神の力を授けて鼓舞する。|宇津呂木《うつろぎ》の手足が一回り太くなり、心なしか背丈もましたように見える。もともと大柄な体に加えて、纏う雰囲気はまるで鬼神のように大きい。
 鉄の鈴を鳴らして、|呪《まじ》を練り上げながら、彼の戦いを支える。戦うのは、私ではない。私が支える、彼だ。これは山を犯された私の防衛戦だと言うのに、戦っているのは私ではなく私の力を身に受け入れた別のもの。
 私は、そこには、居るようで、居ないのだ。

「大した神通力です。が、そもそも神の器が違う」

 |倭健《ヤマトタケル》は、剣を抜き放った。

(白い、鉄……いや、違う)

 噂にだけは聞いていた。真っ白い鉄で出来た剣の中でも、更に強力な武器。剣に限らない、あの男が身に付けてている武具は、特別のものだ。単体では赤い色をしているが、荒ぶる炎で緩めて他に混ぜれば白くなるという神のイシ。倭の、特に出雲で作られ、青銅や赤鉄より固く、それより軽く、錆びること無く、朽ちること無く、磁力を受け付けず、熱を尽く伝えると言われているそのイシで作られた、白い鉄製の武具の中でも強力な武具だ。

「この|緋緋色金《ヒヒイロカネ》の武具の前では、|阿祖見《あそみ》の山の力など、この通り、私を避けて通ります。あなたの奴隷も、私と戦えばあなたの神通力を断たれてただの男に戻るでしょう」
「|宇津呂木《うつろぎ》は奴隷ではない、戦士だ! |宇津呂木《うつろぎ》、その男にお前の強さを見せつけてやれ!」

 |宇津呂木《うつろぎ》は青銅の剣を構えて|倭健《ヤマトタケル》に対峙する。
 だが、どこか、いつもの迫力に欠けているのがわかった。

「怯えるな! |吾《あ》れが付いている、お前は、無敵の戦士だ!」

 呼吸を変化させ、神の薬を吸って|意識遷移状態《トランス》に入り、|宇津呂木《うつろぎ》の背後でその意志の力を増幅させる。
 白い鉄だか、ひひいろかねだか知らないが、|宇津呂木《うつろぎ》が負けるはずがない。|神《私》の力は、絶対なのだ!

 |脱魂型意識遷移《エクスタシー》を激化させ、私を消し去って私の体を神で塗りつぶす。
 |呪《まじ》を切り、氷雨と颪を激化させ、|倭健《ヤマトタケル》と名乗る男へ攻撃を加える。西の軍勢一切を混乱に陥れ打撃し、無力化した山の|呪《まじ》、それよりももっと強力な力を注いで圧倒しようとした。

「小賢しい!」

 だが、奴がただその白く眩く光る剣を空にかざしたそれだけで、雹も雨も風も地割れも蔦も、全ておとなしく収まってしまった。もはや、やつを避けて通るそれさえも、已んでしまっている。やつだけではない、西の軍勢全てが、剣の煌めき一つで復活してしまった。

「な……っ」
「さあ、はじめましょうか。我らが神と、あなた方の神と、どちらが強いのか。はっきりとさせましょうか。もう、決着は見えていると思いますがね」
「そんなことはない! |宇津呂木《うつろぎ》、お前と|速多智彦《はやたちひこ》は、最強の戦士だ! やれ!」

 私は鉄の鈴を鳴らし、神の力を彼の中に注ぐ。|宇津呂木《うつろぎ》が、|倭健《ヤマトタケル》へ、斬りかかった。

 金属同士が切り結ぶ特徴的な音が森の中に響く。私は山を唱い、奴等は太陽を唱っている。戦士同士が戦いながら、背後で魔術同士がぶつかり合っている。

(|呪事《まじごと》なら、|吾《あ》れが負けようはずがない!)

 戦士二人の戦いを見ながら、私は神の舞踏を舞う。鉄の鈴を鳴らし、勾の飾りを打ち、足を踏み鳴らし、祈祷の声を上げて戦士のトランスをおしあげる。そう、私が負けるはずがない。この山に居て、私の|呪《まじ》はどんな幸でも招き入れ、いかなる敵でも打ち倒す。

 がきんっ
 がんっ

 剣同士がぶつかり合う音が響く中で、徐々に|宇津呂木《うつろぎ》の動きが鈍っているのが、わかった。白い鉄の持つ輝きに圧倒されているのだ。青銅の剣はそれと切り結ぶたびに傷を負っているが、奴の剣はほとんど傷を負わない。

(幾ら剣が傷を得ようとも、その刃で相手を突き刺せば、勝ちだ。無傷の剣を持っていても、負けるのだ。何を怯えている、|宇津呂木《うつろぎ》。どう見ても、お前の剣の腕の方が、上だというのに!)

 いくら私が勝利を確信していようとも、|宇津呂木《うつろぎ》がもその勝利への揺るぎない確信を私と共有してくれていなければ、それはなしえない。

「|宇津呂木《うつろぎ》! |吾《あ》れを、信じよ!!」

 私は叫ぶ。だが、その叫びは信頼を喚ぶものになっていなかったのかも知れない。そうして叫ぶことが、私の自信のなさの象徴のように聞こえてしまったのだろうか。
 |宇津呂木《うつろぎ》の剣が鈍り、足が前に出ていない。防戦に転じていた。
 ならば、何も言わずに舞踏を続けていればよかったのか? それはそれで、鼓舞が足りない事にならないか。何をしても、傾きかけている|私《神》への信頼を取り戻すには、不足に思えた。
 |宇津呂木《うつろぎ》の目の前には、まさに、敵の神の強大さを物語る、白い鉄の剣が、煌めいているのだ。それを最も近くで目の当たりにしているのだ。
 私が、幾ら確信を持っていても、信じていても、それを願っていても、揺るぎがなくても、関係がないのだ。相手の心は相手のもの、掌握したつもりでいても何かの拍子にこの手を離れることもある。だって、彼は、私ではないのだから。

 もう|倭健《ヤマトタケル》の剣閃を防ぐに手一杯になっている|宇津呂木《うつろぎ》。体の大きな男が、小さな男からされるがままに討たれている奇妙な図になっている。だが、これが、至るべくして至った結果かもしれない。

(|吾《あ》れは、彼等に支えてもらっているというのに、|吾《あ》れは彼等の心を保てない。やはり|吾《あ》れは、自分で自分の存在を支えられぬのか?)

 私の中の「迷い」は、それを境に「弱気」へ変わってしまった。その瞬間。

 ぱきん!!

「て、鉄が……」

 赤鉄の|守り《鈴》が、砕けた。同時に、|宇津呂木《うつろぎ》の銅剣が折れ、甲冑の継ぎ目を縫って敵の刃がその体にめり込む。

「ぐっ、あ……」

 ゆっくりと、力を失って地に伏す|宇津呂木《うつろぎ》。

「|宇津呂木《うつろぎ》! しっかりせい!!」

 緋緋色金の剣がその場に無い戦ならば、この程度の致命傷、すぐに戦士の戦いを止めるには至らないはずなのに、|宇津呂木《うつろぎ》はただの一撃で血を流して倒れ、二度と立ち上がらない。赤い水溜りが広がっていき、やがて息絶えたようだった。

「鉄が」
「山神の護が、砕けた!」
「|阿祖見《あそみ》の山は……」

 |宇津呂木《うつろぎ》に与えていた青銅の剣は無残に折れ、身を守っていた甲冑は間隙を突かれて役に立たなかった。何より、赤鉄を使った私の戦いの|呪《まじ》が、破られたのだ。鉄の守りは|宇津呂木《うつろぎ》に刃や到達したところで、真っ二つに割れて砕けて地に落ちていた。

(悪しき鉄が……っ!)

 |宇津呂木《うつろぎ》の剣の敗北は、私の呪術の敗北でもある。それは、あの鉄剣に宿った霊力の大きさを物語っていた。私の敗北は、神の器としての敗北となる。
 |宇津呂木《うつろぎ》を倒した男が、その剣を空に向けて立てる。赤い血に濡れているが、濡れていない部分が日光を照り返し、皎然たる輝きがその威光を見せつけた。

「見よ! これが、天照す太陽の力を宿しこの世|御統《みすま》る天孫大王の力の証、|緋緋色金《ヒヒイロカネ》より出し剣である! 土蜘蛛、平伏せ!」

 私の民達を睨み付けながら、男は声高に力の差を語り勝利を宣言する。私を信奉していた者たちが、次々に、西の呼びかけに投降していく。

「白い鉄、そんな邪悪な炎の生み出す鉄が、神聖なものか! 赤色の鉄など、この地にも出るわ! 荒ぶる神の火の力を宿した呪いの白い鉄を、人の手が御せるだなど、思い上がりも甚だしい!」

 白い鉄の作り方は、我が山にも伝わっている。だが白い鉄は、呪いの鉄だ。邪悪で、忌まわしい鉄だ。それを作るための炎は、尋常の炎ではない。火の神を無理やり煽って憤怒させ、わざと荒ぶらせる。そうして巻き上がる炎は、近寄るもの全てを一瞬で灰にする荒御魂だ。そんなものを徒に呼び起こして鉄を作るのに使うなど、以ての外だ。そうして作り出された忌まわしい鉄を戦に用いれば、こうして流血の争いを激化させ、それを連綿と続ける破壊の呪いを呼び込む。この者達が現にこうしているように。

「負け惜しみか、|阿祖見山居比女《あそみやまいのひめ》。認められよ。この新たな鉄は、我らが|大王《おおきみ》のお力の大きさ。あなたの神力は、破れたのだ。あなたの用いる赤い鉄は、緋緋色金ではない。くすんだ赤、錆色の鉄。いかに鍛えようとこのような輝きにはならない」
「|そんなもの《忌むべき鉄》を用いて、錆びず朽ちず失われず続く刃を振りかざして、この世を争いで塗りたくる気か?」
「争い? 刃を抜き我々に牙を剥いたのは、|阿祖見《あそみ》の巫女、あなただ。他の殆どの者達は、この鉄の剣を見ただけで我々の神の力量を悟り、我々と共に行くと誓った。そうせずに剣を携えてここに来たことを棚に上げて、笑止千万」
「火と刃を振りかざしながらこの山に入ってきておいて、よく言いう……」

 奴等は、湖の水を抜くという計画をまだ押し通そうとしている。それによってこの土地にもたらされる「コメ」という草の実が、奴等にとって胡桃や栗や栃よりも、更には宍よりも重要な食料資源なのらしい。食える部分は多いが広い土地を必要とし、コメを育てる場所では他の木や草は育てられず動物達もいなくなる。それは、人間都合の汚染とかわらない。
 見たことがあるが、清い水に浸り続けずっと人の手が関わらなければ実を結ぶことさえ出来ない、なんともひ弱な草だった。

(まるで、今の|吾《あ》れのようだ)

 独力で存在することも長らえることも出来ない、脆弱な草。それを御饌だなどと持て囃す西は。

「ふん、同じか、|足の矮た神《…》」
「恐れ多くも天孫天照に向かって、御御足を欠くとは、何事か! 既にヒルコの呪いは解かれている。大王はいかなる敵にも打ち勝つ丈夫な足腰と体をお持ちだ、邪言を弄すな!!」

 そこがそんなにも癪に障るものか。図星なのではないだろうな。

「|大王《おおきみ》から許可は出ている。捕らえろ!」
「ふざけるな、貴様らこそ、阿祖の御前であるぞ! |吾《あ》れに刃を向ければ、阿祖神の火波が貴様らを焼き尽くす! |速多智彦《はやたちひこ》!」

 |速多智彦《はやたちひこ》は|宇津呂木《うつろぎ》に勝るとも劣らぬ、勇猛な戦士だ。次は、負けぬ。私が、負けさせない!
 私は|意識遷移《トランス》に入る準備をする。
 だが、|速多智彦《はやたちひこ》は動かない。剣を手に取る様子もなく、私から力を受け取って|憑霊意識遷移《ポゼッション》に入る様子も見せない。

「|速多智彦《はやたちひこ》?」
「|花鹿《かじか》様。既にどちらの神が勝っているか、雌雄は決しております」

 |速多智彦《はやたちひこ》は、ただやつに跪いて私の方を見ない。頭を下げ視線を向けぬまま、「勝敗」を言う。

「お前……西に下るというのか? お前も、邪悪な鉄に魅入られたのか!?」

 彼は何も答えず、跪いたままだ。

「邪な白鉄の剣が、強さを求めるお前の心に、付け入っているのだ! 気をしっかり持たぬか!」
「ここまでだな。|阿祖見山居比女《あそみやまいのひめ》を捕らえろ、|くれぐれも丁重に扱え《…》」

 兵士が、一斉に私を捕らえに向かってくる。

「おのれ……!」

 かくなる上は、|山を《・・》……
 私は決死の|呪《まじ》を実行しようと、首飾りを掴んで引きちぎり、宝玉を手に取る。
 と、次の瞬間、濃密な羽虫の群と足元を覆い尽くす地虫の波が現れた。

「これは」

 蟲の群の中には中には蛇や蜥蜴、鼠や粘菌の類も混じっている。普段はバラバラの速度で生きているそれらが、信じ難い敏捷性で辺りを埋め尽くしていく。夥しいほどのその量は、視界を真っ暗に遮り封じ、地面の草木一切の色を塗り込めていく。人の体も例外ではない、蟲はそれをただの地形とみなして脚を登り体に止まり瞬く間に被さって閉じ込めてしまう。呼吸をすれば鼻や口に吸ってしまい、身動きをすれば小さな虫をどこかで潰してしまう。仲間を潰された虫はますます|騒ぎ立て、あるいは攻撃性を見せて更に蟲を呼ぶ。
  羽虫の羽ばたき音、鳴き声、顎を噛み合わせる音、無数の脚が地面を這う足音、大型の蟲の呼吸音。巨大に膨れてあらゆる音さえ塗りつぶす狭蝿の音。
 勿論敵を倒せているわけではないが、西の兵士は何が起こったのか理解が出来ずただ大量の蟲に大混乱を見せていた。この山には特有の毒虫がいるという噂もあるらしく(戦の度に鼓舞のために蛍を舞わせていたこともあり、その毒虫のせいで西に抵抗し続けてられているとさえ言われている)、山の霊験に|宇津呂木《うつろぎ》と|速多智彦《はやたちひこ》の剣舞が合わさって敵を追い詰めた、あのときと同じくらいの混乱に陥っている。
 この世の出来事とは思えない蟲尽くめの世界のどこかから、とても聞き慣れた声が、聞こえた。

「|花鹿《かじか》様!」
「ほた……」

 西の兵士達が蟲の群に怯んでいる内に、私は何者かに首根っこを掴まれて、森の奥へ引きずり込まれる。
 蟲の群れの中から聞こえてきた声は、|穂多留比《ほたるび》のものだった。彼は私の首根っこを掴んで蟲の海の中に私の体を沈め込み、そのまま森の中へと抜けた。体中を蟲の足や腹が這い回る感じは少しだけ気持ちが悪かったけど、きっと彼の体の一部だったのだろう、そっと大切に扱おうとする気持ちが伝わって来て、途中からはその無数の触感が心地よくさえあった。







 蟲の海からやっと顔が出たと思ったら、目の前に、|穂多留比《ほたるび》の顔があった。

「|穂多留比《ほたるび》、助かったわ」
「ご無事で何よりです」

 彼が私の手を取り、蟲の群れから私を引っ張り上げる。

(……っ!)
「|花鹿《かじか》様?」
「なんでもないわ、お前の友達を、踏んでしまったかと思って」
「大丈夫ですよ。|彼《私》等の命は、個別ではないですから」

 実は、そんなことじゃなかった。
 私の手を引っ張り上げた|穂多留比《ほたるび》の腕に、すごく力強いものを感じてしまったのだ。細っこい腕、|宇津呂木《うつろぎ》や|速多智彦《はやたちひこ》に比べればひ弱そうで、すぐに折れてしまいそうな白い腕だと言うのに、私を引っ張ったときにがっちり掴んで離れなかった手、ささやかに膨らんだ腕の肉、それに、こうして見ている思いの外広い彼の背中が。

(こいつ、こんなに、|男子《おのこ》、だったか?)

 こんな時だって言うのに、私は胸の中に朱色の炎が燃え上がるのを感じてしまう。
 いや、もしかしたら、民を失って山を降ろされ、一人の人間に堕落した証拠なのかも知れなかった。



§§§



「でも、助かった、と言っていいものか知ら……」
「大丈夫です、何とか、何とかします」

 そうは言ったものの、余裕があるわけではない。「なんとかする」の言葉に策や案があるわけではなかった。それでも、何とか|花鹿《かじか》様を安心させなければ。
 さっきの戦いを、私は後ろで見ていた。あれは、明らかに敗北だった。神としての敗北。こうして何とか逃避してしまったから私達の側の生き残りがどうなったのかを見ずに澄んでいるが、きっと、民の心は全て、西に付いただろう。|花鹿《かじか》様をまだ神として崇めている者は、今はほとんどいないだろう。
 それでも、私だけは。

「止まっていては危険です。取り敢えずあるき続けましょう。榛木の合間なら、注意深く歩いていれば見つかることもないはずです」
「そうね」

 背丈が低く、私達と同じくらいの高さに多く枝葉を伸ばしその下にもより丈の低い林床を育む陽樹林なら、身を隠すのに適している。この森は地形の変化が少ない極相に至って停滞する陰樹林と、その中でも倒木や地形変化で光循環が変わったことで陽樹の林へ若返った地帯との両方が、ギャップダイナミクスの斑になって存在している。幸い、この山は噴火を経験したり颪が強いこともありギャップを生じ易く、身を隠しやすい陽樹の地帯が大きい。大人数で移動する西側の軍隊は、どうしても歩きやすい陰樹林を選びがちになるだろう。

「川を渡って、東へ遠ざかりましょう。もしかしたらまだ」

 まだ仲間がいるかも、といいそうになってしまった。裏を返せばもういないのだということだ、口にすべきではなかったかも知れない。

「そうね、まだ仲間がいるかも」

 と思っていたら、|花鹿《かじか》様が自分で仰ってしまった。|花鹿《かじか》様は、まだ諦めていないのだろう。|花鹿《かじか》様の神威は完全に防がれていたのをみて、もはや|花鹿《かじか》様に従う者はいないと見た方が良い。より強い神様に従うのが、人間の習いなのだ。それでも、東に逃げ落ちれば起死回生を狙えると、お考えなのだろう。
 私と|花鹿《かじか》様は、山の隠された道を歩いていく。この山に慣れた、一部のものだけが知る抜け道のような獣道だ。起伏が激しく林も険しいため普通は通らないところだが、足の踏み場を選ぶと安全に進める一筋の経路。そこを通ることができれば、大幅に移動距離を短縮できる。
 西の軍勢はまだ|花鹿《かじか》様を追って移動してきていることだろうが、ここで差をつけておけば後々楽になるはずだ。

「見えた、川だわ」
「私が見て参ります。|花鹿《かじか》様はここに」

 河原は少し視界がひらけている。私はともかく、|花鹿《かじか》様が出ていって姿を無為に晒すのは危険だ。
 私が河原に出ていこうとしたとき、だがそれは全く無用だと分かってしまった。
  奴らをまくために山をよく知るモノだけが行くような特殊な抜け道を通って最速で川の辺りまで来たはずだと言うのに、森が切れ川辺で開けた空間の向こうには既に奴らが先回りしていたのだ。陣と言うには簡素だが、食事を摂ってとどまるための設備を展開している。

「……なぜこの道を、奴らが知っているの」

 この山は|花鹿《かじか》様の庭のようなもの、いや、|花鹿《かじか》様自身なのだ。どのように歩いたとしても迷いなどしないのは、明白なことだ。だが、何故奴らはまっすぐに私達を追うことが出来る? 追うだけではない、先回りさえしている。奴らの中にこの山の地形を熟知した者がいるということ言うことか。

「|穂多留比《ほたるび》」

 少し沈んだ声で、|花鹿《かじか》様が私を呼んだ。もう恐らく、|花鹿《かじか》様の身の回りには、私しかいない。杉も、熊も、鴉も、狐も、磐も、土も、みんな、西に下った。|不合《あえず》国の人間はここにはもう残っていない。

「はい」
「そなたの手足で、奴らの中を探れないか。……内通者が、いるか、調べて欲しい」

 |花鹿《かじか》様は陰鬱に沈む表情で、『内通者』の言葉を口にした。信じたくないのだろう。だが、この山の中を|花鹿《かじか》様と同等に歩けるものが、奴らの中にいるとあ思えない。今考えられるのは、確かにそれだけだ。

「それがわかったところで、どうにかなるわけでは」

 内通者がいて|花鹿《かじか》様の知る山径がいずれも知られている、あるいはもとより山歩きに長けた者がいると仮定するのならば、この山を手引をするものがいるかいないかなど、もはや関係のないことだ。いると決めて、その中で打てる手を打つだけ。内通者の名など、知るだけ怨みを募らせてしまうだけではないのか。

「頼む」

 それでも、と仰る|花鹿《かじか》様。|花鹿《かじか》様が仰るのなら、私は従うだけだ。|花鹿《かじか》様は、私の全てだ。仮に内通者がいても、ここで……私達が討ち果たされると決まっていても、それを翻すつもりはない。

「わかりました」

 私の手足なら、仮に月明かりさえ無い新月の夜でも、明るく照らしてその顔を見ることが出来る。それも、奴らに十匹や二十匹殺されたところで痛くも痒くもない。ただ、それ以上のことは今はできそうになかった。

「幻視火垂」

 私が指示を出すと小さな虫達がざわざわと喧しい狭蝿を鳴らして一斉に飛び立った。一つ一つが光を抱いていて、暗闇を切り裂いて潜む者を探り当てる。化蛍の群れ。

「お前にこんなことをさせるなんて」
「おやめください。私は|花鹿様《お山》に生まれ、育てられてきた、ただの小さき者です。」
「ふふ、じゃあ今の|吾《あ》れは、お前専属の神というわけだな。お前が|吾《あ》れを山として扱い、お前が|吾《あ》れを神にしてくれている。これではどちらが従僕かわからないな」

「お腹は減っていないか? 少しくらいなら、持ってきたものがあるわ」
「大丈夫です。それは、|花鹿《かじか》様の分です。私は、いざと慣れば|仲間《・・》を食べますから。」
「頼もしいのか残酷なのか、わからないわね。でも、それを残酷と思わないことが、お前達の強さなのか。それくらいの強さを、私も持てていればよかったのか」

 そう言って|花鹿《かじか》様は、苦々しく笑う。今や、|花鹿《かじか》様を神として崇めるものは私だけかも知れない。もし残っていたとしても、今その信心を表立って表現することは出来ない。だから、|花鹿《かじか》様の仰ることは、まさしくその通りであるかも知れない。
 ここから辛うじて感じられる奴らの気配の方向へ神経を研ぎ澄まして向けながら、|花鹿《かじか》様は憎々しげな表情で歯噛みする。
 ひらひらと、蛍の一匹が戻ってきた。彼の伝えてくれた情報を、|花鹿《かじか》様に伝える。あまり、伝えたい内容ではなかった。

「奴らの中に熊野の者が混じっています」
「……はは、熊野か」

 熊野も、かつては|花鹿《かじか》様の属する|不合《あえず》と同じく西の軍勢に抵抗していた国だ。だが、|不合《あえず》よりも先に前線に晒され、何十年か前、早い段階で奴らに征服され降っていた。熊野の人間は山歩きに長け、広い地域の山岳を熟知している。逢坂が攻め落とされた際にも、早々に帰順した熊野の者が道案内をしたと訊いている。恐らくこの山も、熊野の山伏の前では平地と変わらないのだろう。

「熊野のが手引きしているようでは……。八方塞がりとはこういうことね」
「熊野の者たちは今は、ヤタガラスと呼ばれて西に各山岳の道案内をしているようです。飛騨も、その手引きによって容易く落ちたと、兵士が口にしていました」
「八咫烏……いい身分ね」

 飛騨はここから随分と北の方だが、同じ様に西からの征服軍が攻め入っているらしい。西から来た人達の内、|不合《あえず》国に留まらなかった一部の兄弟たちが北上したケースもあるらしく、飛騨国には同じような境遇が与えられていた。地理的なことを考えると、もしかしたら諏訪は、飛騨と|不合《あえず》を分断していたかもしれない。よく考えれば、|不合《あえず》と諏訪と飛騨は連携して西と戦うことも出来た筈なのだ。
 西は、かつては四道将軍、今回は大和武と呼ばれる将軍を各地に派遣して徐々に各地を征服して回っていると聞く。分断して各個撃破するという点では、諏訪が内通していれば大きな効果を上げていることだろう。熊野にせよ、諏訪にせよ、必ずしも正面激突で決着がついているわけではない点が、西の戦上手を物語っている。|不合《あえず》国でも内側に終戦工作が働いているところを見ると、総火力戦になるよりもそうした決着が濃厚だろう。
 そんな中で|花鹿《かじか》様の選択は、歴史上愚かな選択をした神として笑いものにされる未来が約束されているに違いない。無駄に血を流し命を散らして、保身に走った神。今でも、そのように言われているに違いない。
 大阿祖山様に向かって座した|花鹿《かじか》様は、しかし、それでも阿祖様への信仰の示し、額を地面に擦り付ける。
 暫く、伏したままだった。
 何を思っているのだろうか。恐らく、ただ阿祖に向けて謝罪か報告かをしている、だけではないだろう。この状態を思い、伏した顔では歯噛みしているか。もしかしたら、涙を流しているかも知れない。それは、私が押し入って知るべきことでは無い。
 あなたが弱いというのなら、私はなんだ。なにも出来ないただの虫けらだ。あなたを守るべき従僕なのに、私にはなにも出来ない。
 暫くそうしていた|花鹿《かじか》様はやっと顔を上げた。憔悴しきった顔、もう、ただ不相応な責任だけを負わされその犠牲になろうという人間の娘でしか無い。



§§§



「すべて、|吾《あ》れが無力なばかりにな」
「何事も、力を持てば王になれるように見えます。でも違うんです。私達虫の社会は、それを昔から体で感じてきました。弱ければ足りないけど、強くても何故か折れる。自然の輪廻は、何かひとつのパラメータによって安易に決まるものではないのです。」
「……ふふ、そうだな。まだ諦めるには、早いな」

 |深刻に苦い顔に、足しにもならないわずかばかりの笑顔を縫って、私の方を向く|花鹿《かじか》様。だが私が言いたかったのはそういうことではない。|花鹿《かじか》様にとっては残酷な言葉かもしれないけれど。

「いいえ。」
「え?」

 私が言いたかったのはそういうことではない。|花鹿《かじか》様にとっては残酷な言葉かもしれないけれど。

「もう、仕方がないのだと、|花鹿《かじか》様が悪いわけではないと、申しているだけです。事態はもう、覆らないでしょう」
「……」
「あなたは、確かに弱かったかも知れません。あなたを悪者にする人はいるでしょう。でも、それを誰も責めることなんて出来ない。そんな権利誰にもない。」

 |花鹿《かじか》様の顔から表情が消えた。私を見たまま何一つ言葉を発さない、何一つ表情を変えない。その内側に何を躍動させているか、あるいはやっぱり静止しているのか、私にはわからない。

「それでも、私だけは、あなたの弱さを責めません。」
「……そうか」

 なんの「そうか」なのか、私にはわからない。私の言葉をどう捉えられただろうか。
 |花鹿《かじか》様の率いる人間(それは|不合《あえず》国の軍の一部で、この山に住まう人間達だ)は、あっけなく敗れた。数が違いすぎる上に、奴らは白い鉄の武器を使っていた。それは|不合《あえず》国の人の使う武器を易々と打ち壊して無力化し、抵抗できなくなったところでほとんど皆殺しになっている。人は、|花鹿《かじか》様の神としての力量に失望して一層離反していった。他の山々も同じ状態だった。もう、|花鹿《かじか》様が、神として行使できる力は殆ど残っていないだろう。
 そのことを|花鹿《かじか》様は既に察している、何度めかの敗走移行、もう反攻の言葉は口から出なくなっていた。そも、兵力もない。私が蟲を全て奮い立たせたところで、この山に残された力は殆ど無い。大した力にはならないだろう。|花鹿《かじか》様の山神としての力も、他の神や人間がいなくなったことで、払底している。今、|花鹿《かじか》様はただのひ弱で、若干山に詳しいだけの、人間の少女でしか無い。私がその気になれば……ここで殺して西への手土産にすることも出来るだろうか。
 人間の多くや一部の神も、西に恭順を示していなくなっており、|不合《あえず》国はもう王朝の体をなしていない。元々西の国で大阿蘇を抱いていた民が東へ追い出され、同じく諏訪から逃亡してきた民を束ねて阿祖山の麓で再び興された不合国だったが、数多くの中小地方豪族を束ねただけの急ごしらえの王朝だ、大阿蘇を捨てることを余儀なくされ流れ着いた場所で見つけた、より大きな神に『阿祖』と名付けて統一を図ったが、各氏族が利権を主張しあいまとまり切ることが出来ず、西からの追撃に叶うほどの勢いを確保するには至らなかった。
 そういう点では、|花鹿《かじか》様や私達も、その『まとまりきれなかった断片』と片付けられるのだろう。ただの、愚かな弱者として、語り継がれるのだ。
 その阿祖を見上げる立場だった元の阿蘇よりも遥かに小さな山である阿祖見山、その顕現の|花鹿《かじか》様。それぞれに視線を送ってから、空を見上げる。新月で月明かりのない夜には、阿祖の山の姿は見えない。

「神とは、何なのだろうな」

 ぽつり、と漏らすように一言漏らした|花鹿《かじか》様。その一言が堰だったかのように、次々と言葉を続ける。

「元はただの人間だった|吾《あ》れが、ある日いきなり山に捧げられ、神になった。|吾《あ》れは、その日から自分の体を自分で支える脚を失った。|吾《あ》れを|吾《あ》れとしているのは、|吾《あ》れではない。民や、お前のような従僕の者達だ。|吾《あ》れは自らの意思で存在できぬ、ヒトよりもなお脆い存在。」
「|花鹿《かじか》様は|阿祖見《あそみ》の山の化身です。この山が脆いなど、誰が嘯けましょう」
「|吾《あ》れはいつから、自分の意志で存在出来ぬことに、慣れてしまったのだろうな。他人に依存しなければ存在も出来ないなんて、弱い存在だ」
「神は、誰も知らなくとも、自ずとそこにあるものです。自然、に他なりません。私が|花鹿《かじか》様を存在させているなんて、そんなことは」

 あるかも知れない。信心を失った神は力を失い、力を失った神はこうして……住処を奪われ消えていくのだ。信心とは即ち、私のような従僕やその住処に一緒に住む民達の支えだ。神は、そうした他力によってしか存在できないと、そういえばそれは確かにそうかもしれない。
 |花鹿《かじか》様は、何かを踏みしめるように足で地面を擦るように足踏みする。

「自分の体を支えるための自分の足が、いつの間にかなくなっていた。この期に及んで何だと、お前は言うかも知れないけれど。これを聞いたら、お前も|吾《あ》れの元を去ると言うかも知れないけれど。|吾《あ》れは、一人で生きていく力を持っていない。結局何一つ自分ではその努力をしなかった|吾《あ》れが悪いのだがな。」
「神は、自然です。」

 |花鹿《かじか》様がおっしゃりたいことが、見えてきてしまった。やめて下さい、それは、神が持っていい思想ではありません。それを持たれると、|私達《従僕》は、どうしていいかわからなくなります!

「他人に支えられてやっと存在できるような脆弱であるくらいなら、|吾《あ》れは神などやめてただの人間に戻り、一人で存在できる存在に、なりたかった。神が自然なものか。山は自然かもしれないが、神は違う。人の方が遥かに自然だ、人は神を神たらしめる源泉だわ。そして人は神を選べるの。今起こっていることが、まさにそうでしょう? 選ばれなかった神は、どうなると思う?」
「私が……選び続けます」
「だから、どちらが従僕かわからないといっているのよ」
「私です!」

 譲ろうとしない私に、苦く笑う|花鹿《かじか》様。ありがとう、とだけ小さく、もったいないお言葉を下さる。

「こんな風にお前に縋るなんて、情けない。酷く小物臭い科白を吐こうか。お前たった一人に存在を支えられているこんな状況、|吾《あ》れのプライドが許さないのよ。いえ、本当はお前一人のことじゃないわ。もっと多くの者に支えられながら存在していたなら、その全ての民に向かって吐く、神として最低の言葉よ。」

「自分の存在を、自分で担保したい。他人に頼らずに、自らを自らの手で存在させる、素直で自然な存在に」
「私では、不足ですか」
「不足なものか、多過ぎるくらいだわ」
「でしたら」
「違うわね、もう沢山だ、ということよ」

 |花鹿《かじか》様の言葉を、これ以上聞くべきではないのではないか。何か、望ましくない言葉を聞かされる気がする。

「|吾《あ》れの存在責任に、何故|吾《あ》れ以外の者が関与する。|吾《あ》れの命は|吾《あ》れ一人のものだ。|吾《あ》れの意思は|吾《あ》れ一人のものだ。|吾《あ》れの体は|吾《あ》れ一人のものだ。何故、そんな当たり前のことも出来ない?」

 あなたが、神だからです。そう言うしか無い。だがそれは言いたくなかった。肯定したくない。

「そうしようと思えば、|吾《あ》れには逃げ出す選択肢もあったのかも知れないな。強さを持てなかったのよ。誰にもこの山を渡さない強さか、もしくは……神を逃げる勇気か。」
「私は、|花鹿《かじか》様の下僕で良かったと思っています。後悔なんてありません。」
「……こうやって、他者に肯定されることは、とても気持ちがいいの。それに依存して生きることの、なんて愚かなことかしら。でも、やめることが出来なかった。そして|阿祖見《あそみ》の山は、弱って……死ぬのよ。」

 いっそ、民たちと共に消えてしまったほうが幸せだったのかも知れないわね。そう言って足元の山、地表に生える草を、をぽんぽと叩くようにする|花鹿《かじか》様。

「私は決してあなたを裏切らないし、いつでもあなたのために身を捧げます。私は、あなたのものですから。自然、なんてならなくっても、私が」

 私の言葉は、謙遜ではなかった。|花鹿《かじか》様はお優しい言葉を投げかけてはくれるが、実際には格が違う。山体と虫けらでは、当たり前のことだ。私や、私の手足となって飛び立ったもっと小さな虫達は、|花鹿《かじか》様の前では実に取るに足らない存在だ。私など|花鹿《かじか》様の目を楽しませるためだけに生まれ、それ以外のほとんど何事も知らずに死んでいく、まさに使い捨ての虫けらなのだ。それを従えて逃げなければならないという今の状態は、異常事態だ。普段からの関係性を示すものではない。
 でも、私が改めて服従を宣誓ところで、|花鹿《かじか》様の救いになるとは思えなかった。今西に寝返っている誰もが、かつてはさっきの私と同じ言葉を口にしていたのだから。忠義を尽くす、恩に報いると言って、結局はこの山を荒らす者達の側に立っている。
 だから、|花鹿《かじか》様に気持ちを示すには、行動で貫き通すしか無い。私の気持ちは昔から変わっていないし、取るべき行動は決まっている。

「|穂多留比《ほたるび》、お前はもうここから逃げなさい。お前だけなら、他の土地でも好きに生きられるでしょう」
「嫌です」
「ただの人間の娘に、本物の神であるお前が、よう|吾《あ》れに尽くしてくれた。|吾《あ》れのわがままにこれ以上付き合わせるわけにはいかない。|吾《あ》れはもう助からぬだろうが、せめてお前は生き延びて欲しい。……弱い私を、責めないと言ったお前の優しさ、ちゃんと受け取ったわ」
「嫌です!」

 観念したように、というと余りにも安っぽい。その向こうに何があるのかなんて私には想像もできない。この状況で酷く穏やかな表情に塗り替わった|花鹿《かじか》様のお顔。観念というよりは、そう、ただの諦めかも知れない。そこに乗せられた「優しさ」と言った言葉。本来なら、私がもし従者として、信者として、模範生であるのならその寛大さに涙でも流すところなのだろうか。

 でも、私は違った。浮かび上がってきたのは……怒りだった。

「『わがまま』? わがままとおっしゃいましたか? 何を今更。|花鹿《かじか》様はお優しい方です。民を大事にして、私を含めて、人間以外の山の住人にも良くしてくれました。でも、今まで『わがまま』を言ってなかっただなんて、思ってらっしゃるんですか?」

 私の言葉に、|花鹿《かじか》様は黙ってしまう。自覚がないだなんて、私だって思っていない。でも。急に湧き上がってきたこの気持ちを今更止めることができそうにない。それは|花鹿《かじか》様に使え続けてきた抑圧された鬱憤、とは全く違う。

「|花鹿《かじか》様が阿祖様を慕ってらっしゃるのはよく存じているつもりです。それでも私はあなたついていくと決めたんです。阿祖山を仰ぎ見て慕いながら、その一方で私みたいな虫けらを思わせぶりにお側に置いて、そんなわがまま、他にございますか。|花鹿《かじか》様、私の気持ちに気づいていないだなんて言わせません。だのに、ずっとあなたの傍にいた私は一体何だったのでしょう? 何故置いたままにされたのです? 私がその意味を全く理解できないほどガキだと、お考えでしたか?」
「それとこれは、別よ」
「別なものですか! だったら私のことなどさっさと遠ざけてくださればよかったというのに! 私は、離れませんよ。|花鹿《かじか》様、あなたが倭に下るというのなら私も一緒に下ります。戦うというのであれば私も一緒に戦います。私は、山の一部です。あなたが、阿祖の系譜に自らを並べることに存在意義を感じてらっしゃるように、私だってあなたの一部であることが私の支えなんですから! 私は、|あなた《神》の傍でしか生きられない。あなたが私の信奉によってしか生きられないのなら、それを、利用してでも……」

 都合良く使われているのだと言うくらい、わかっている。それでも、私はそう決めていたから。
 私は「そんなことしてほしくなかった」というストレスではない、「もっとこうしてほしかったという」欲求不満と失望感の入り混じったもので視線を研いで|花鹿《かじか》様を見つめる。

「……やっぱり、お腹が減っているのじゃない? 機嫌が悪いな、なにか口にできるものがなかったか」

 |花鹿《かじか》様は話を逸したいように、視線を外して荷物をいじりはじめた。
 私に背を向けたまま、これか? これはまだ、と手持ちの中からあれこれとひっくり返しているようだ。
 私は|花鹿《かじか》様の手を取る。

「この事態が覆らなかったとしても、構わないです。私は、|花鹿《かじか》様を絶対に裏切りません。最後までお側に置いて下さった事実だけでも、死んだ後でも宝物にします」
「……」

 |花鹿《かじか》様が、私の触れた手を見る。そのまま視線が上って、私の腕、そして顔へ。目が、あう。
 こんなに美しい人が、今、危機に瀕しているなんて、認めたくない。私が、守ってあげたい。

「どうしても他人に存在させられる屈辱を思うのなら、|花鹿《かじか》様は私のことを存在としてみなさなければいい。虫でさえ存在として認めてしまう優しさを捨てて、私を無存在として扱って下さい。でもあなたは永遠に私の神です。そうすれば、あなたは『自然』になります。」
「……出来ると思うか?」

 出来ないだろう、口ばかりは尊大で、でも、心根はお優しい方だ。虫ケラなら存在しないことと見做す、という選択もきっとされないだろう。だから、私はついていくと決めたのだから。
 真っ直ぐに視線をこちらによこす|花鹿《かじか》様と、見つめ合ってしまう。|花鹿《かじか》様がどう思おうとも、私は、|花鹿《かじか》様とそんな風になれるような立場の存在ではない。|花鹿《かじか》様の少し幼くて、可愛らしいお顔を、見つめてしまう。翡翠を砕いて嵌め込んだような美しい目に吸い込まれそうになってしまう。
 |邪な《・・》気持ちが浮き上がってきて、私は慌てて、目をそらそうとした。
 ところが。
 目を、そらすな。そう言わんばかりに、|花鹿《かじか》様は、腕を、私の体に絡めてきた。

「かっ、かかかか|花鹿《かじか》さま、わた、わたしごときに、そんな、そんなこ」

 抱きしめられてしまう。彼女の小さな体が、私の体にぶさ下がるみたいに。肌が密着して、私のどきどきが伝わってしまう。こんな畏れ多い気持ちを抱くなんて、いけないことだと言うのに。

「|花鹿《かじか》さま……んっ」

 口付けられた。ベンガラを塗った真っ赤で情熱的な、神々しくて……それに色っぽい唇が、私のそれに重ねられる。
 こんな、こんなときに、こんな風になれるなんて、なんて皮肉だろう。
 |花鹿《かじか》様の唇が、私の唇と唇の間に入ってそれを開かせようとする。素直にそれに従って、口を開いた。
 口の中……? そんな接吻を、私が、|花鹿《かじか》様とっ……

「かじかひゃ、ま」
「んっ」

 口を開き、|花鹿《かじか》様の侵入を受け入れる。唇? 舌? 熱い感触が口の中に流れ込んできて。

「っ!?」

 突然流れ込んできたのは、舌ではなかった。何か熱い、液体。何かと戸惑って目を白黒させていると、|花鹿《かじか》様は口を大きく明けて私の口を割り、上から覆い被さるようにその液体を私の口の中に全部押し込める。
 飲め
 接吻の行為でそれを伝えるように、|花鹿《かじか》様の唇は私の唇が閉じられることも、唇同士が離れることも許さない。思っていたよりも遅れて入ってきた舌は、私の口の中を広げて、その液体の嚥下を促してくる。
 注がれる何かの液体を、私は飲み下してしまう。
 熱い。喉が、胃が、焼ける。すぐに頭がクラクラしてきた。
 私がそれを飲み下したのをしっかり見届けてから、|花鹿《かじか》様はやっと私から唇を離した。
 行為だけを見れば信じられないほどに情熱的な口吻、でも、何かが違う。

「かじか、さ」

 喋ろうとしたが、声が出ない。舌も上手く動かない。
 私から体を離した|花鹿《かじか》様は、悲しそうに私を見ている。|花鹿《かじか》様は口の中から何かを吐き出した。

(なに……これっ、毒……?)

「最後の、神の接吻だ」
「な、ひを」

 変化は間もなく現れた。|花鹿《かじか》様もどこか、苦しそうに息を荒くしていた。この毒を私に与えるために、口の中に含んでいたからかも知れない
 心臓が、肋を突き破って外に飛び出すのではないかという位、激しく脈打っている。拍動が強すぎて、痛い。血圧が急上昇して、早すぎる血流に体中のガス交換が間に合っていないような窒息感が体中を巡り始める。頭ががんがん割れるように痛い、吐き気、平衡感覚がなくなり世界がぐるぐる回る、不快感。意識が体を抜け出そうと魂の檻に体当りして暴れまわっている。

「あ……あぐ……」
「……ゆるせ、なんて今更言うつもりはないけれど お別れだ」
「|花鹿《かじか》、様っ……いや、だ、かじ……さま」

 これは、儀式用の麻薬だ。きっと本来はもっと薄めて使うもの、それが原液で、一気に体内に放り込まれたのだ。
 視覚と聴覚が区別できない。体に触れる全ての食感に味がある。|花鹿《かじか》様が音になって、その声が極彩色の波になって私を飲み込む。理性も直観も超えそれを処理もできず、制御を手放してたゆたうことも出来ない、ただ乱暴なだけの暴力的なサイケデリック。
 だがそれも、すぐにわからなくなってしまう。意識がぶつぶつと途切れていく、いや、意識はあるのかも知れないが、体に出入りする情報をもはや体が処理できていなかった。
 川に放り込んだ雪がそうなるように、流されていく意識、私、流される度に溶けていき、小さく消えていく。
 その流れの中で薄っすらとだけ、感じられる|花鹿《かじか》様の存在。なにか、を、言っている。私に? 言葉か、感情か、それとも、ただの視覚情報か。今の私には受け取っても、処理することが出来ない。

「ここに|山があった《吾れがいた》ことを、せめて、お前だけでも忘れないでくれ」

 私は、|花鹿《かじか》様に手をのばすことも出来ずに、意識を失ってしまった。



§§§



 ニャマムは私よりも二回りくらい体が大きい。ニャマムが大きいと言うよりは、私が小さいだけだが。
 そんな夜の翌日は、私は必ずニャマムに完全に包まれるような暑苦しい状態で目を覚ます。事実、暑苦しくて、目を覚ましたときには汗だくで喉が渇いている。吸い取られたんじゃないかと思うくらいだ。
 彼女の腕の中は妙に温度が高い。強く絡みつくみたいに、ああ、いわば蜘蛛が獲物を捕まえて逃さないように糸でぐるぐる巻きにして捕らえているのと同じような状態で、そんな夜は私を包んで、そのまま眠るのだ。
 そんな夜、とは、つまるところ、セックスした夜。

(女同士でよくそんなに興奮できるものだな)

 私は同性の、同性同士の性行為というものに、そうした言葉で偏見を持っていた。だけどそれも、|神官《ヨキロル》として引き出されたその夜に寝所へ招かれるまでの話だ。

「私、そういうケないんだけど」

 そう言ったのに、関係なかった。
 関係なかったのは、ニャマムが私を抱くということに私の性というものが関係なかったということであるし同時に、私が誰相手に感じてしまうかということにも私の性がこれっぽっちも関係がなかったということだ。
 こっちへ来いと言われて2時間後には、私はニャマムの体に媚を売っていた。自分でも浅ましいと思うくらいのテノヒラクルーだと思う。

「いっつも桶に隠れて過保護な下半身、ちっちゃくて可愛いわ」

 そんな事を言って、私を桶から引きずり出してベッドに横たえ上から覆い被さった。私は体が小さくて、下半身は|もっと小さい《…》。小さいし、ろくに動かない。桶から引っ張り出されて彼女に乗っかられると、私はもう動けない。私を完全に組み敷いたニャマムは私の髪を解いて、量が多くてボサボサに暴れる髪の毛を手で掻き撫でながら、口付けてくる。

「おいっ、私、そんな……んっ」

 彼女の4本の手足と8本の擬足が私の体を完全に捕まえていた。腕の2本はまるで人間の恋人同士がそうするように背中に回され、2本の手は私の手と指同士を絡めている、2本で腰を抱かれて、残りの4本は繊細な愛撫を施してくる。

「まっ、て……」

 口付けられ舌を入れられただけで、お腹の底からじっとりと|体外消化《…》されていくのを感じた。体中を絡め取られ愛撫され口の中を犯されて、溶けた私の中身が、股の間から漏れ出していく。

「んっ……♥ んっ♥ ぅんっ♥」
「ちゅっ、ちゅっ」

 どの腕だかなんてもうわからない、どれかが溶けている私の股を探り当てて、指先でその濡れた穴の縁をなぞり回すように撫でる。4本も5本もの手が、私のそこを徹底して虐めてくるのだ。覚えたての自慰なんかでは、到底得られない、理解を超えた感触。快感。

「こっ、これ、すごっ……ぃいっ! っん……」

 未体験の多触愛撫。じく、じく、とそこはどんどん溶けていく。
 私の膨らんでいるかさえ怪しい乳房を撫で、先端の赤い突起を摘む。私の頭を抑えてキスがぶれないようにがっちり拘束してくる。力強く私を捕まえて離そうとしない。対して、私の足は飾り物だ。付いているだけで、それを使って歩くことが出来ない。逃げられない。

「お前はもう、私のものなのよ。観念なさい」
「それは、私に神の嫁になれってこと?」
「違うわ、私には信者は要らない。信者を要する神を、私は憎んでいるから。神は自然で、自在で、あるべき。私はそれを|やり直す《…》の」
「だったらどういう……んっ」

 私を遮って、頭をがっちり掴まれて逃げられないキスを、何十回も貰った。正直彼女の言っていることの意味はわからなかったけれど、それがわからないことなんてすぐにどうでも良くなった。そんな風にキスのスコールを貰っている内に、唇の感覚がなくなって薄い皮膚が本当になくなってしまったみたい。まるでニャマムの唇と本当にひとつにくっついてしまったような錯覚。
 本当にそのまま消化して欲しいとまで思ってしまう。

「っふ、んっ……ふーっ、んんっ♥」

 沢山の手足が、私の全身を余すところなく捕まえて、それに、愛撫してくる。私は、たった二本の腕で彼女に必死にしがみ付くだけで必死だった。
 最初の頃に味わわされたその、同性同士の性行為が、自分の頭の中の色んな些細なものを吹き飛ばしてしまったみたい。別にそのセックスに夢中になったからというわけではないけれど、私は今でも彼女の|神官《ヨキロル》を続けている。もしかしたら、お前の信者をもう辞める、と伝えたら処刑されてしまうのかも知れないけれど、それでも|傍に立ち居る者《ヨキロル》を続けているのは、セックスとも処刑とも、別の理由だ。

 今夜も、彼女に呼び出されて、彼女の前で服を脱いだ。
 服と言ってもただの白装束なのだけど、彼女に見られながら脱ぐのは、やはり恥ずかしい。

「少しは着飾ったら?」

 と言われたこともある。特に立ち居にこだわりがないからと断ったら、蜘蛛糸で編んだ神官の制服を作ろうかといい出した。それ自体は別に吝かではなかったのだが、そのデザインを見て思い切り断った。ぶりぶりにフリル満載の乙女チックドレスでとてもじゃないが着られそうにないデザインだったのだ。で、それ以外の服を着ようものならきっと「そういう方が良かったのね」と拗ねられる気がしたのもあるし、こだわりがないと言っても私は足が全く動かないので、着替えが大変な服は避けたい。だから結局今も晒にこの白装束一枚羽織っているだけになっている。
 白装束を脱ぎ、天冠を取って脇に置く。髪留めを外すと、びっくり箱を開けたときみたいにみったくなく左右に爆発する髪の毛。これ嫌いなんだけど、ニャマムが取れというから仕方なく取る。
 足代わりの桶はセックスのときには邪魔、手だけの鈍い動きで桶を這い出るそのときには、ニャマムは私を、沢山の腕で抱き上げてベッドの上に運んで横たえる。
 別に、一人で桶を出ることに慣れていないわけじゃない、毎日寝るときにも、用をたすときにも、そうしていることなのだから。それでも、人に抱き上げてもらってベッドに横たえてもらうのは、なんだか鼻の奥に熱が生まれるみたいな、気恥ずかしさと同時に心地よさがあるものだった。

「いつもすまないねえ」
「何それ」
「なんとなく、介護されてるなあって」
「あんなにひょんひょん自由に動ける|桶《足》があって、何が介護だっての」
「こうやって抱きかかえられてるじゃん? |痛《い》ったぁ!」
「うん?」

 落とされた。

「ひでえ……」

 でも、ベッドの上だ。

「あんたを助けるためにやってんじゃないよ」
「わかってるってば、冗談の通じないやつだなあ」

 ニャマムは、とにかく貸し借りを作るのを嫌がっている。持ちつ持たれつという関係も嫌う。こんな、些細なことにでもだ。そうして時間的に継続性を持つ他者との関係性を、保持したくないのだという。だったら|傍に立ち居る者《ヨキロル》の私は、何なのだろうか。
 矛盾を抱えないやつなんてこの世にはいないと思う、それは人だって妖怪だって幽霊だって神だって同じなんだろう。私だって、人を怨みながら死んで、でも人里の傍でしか生きられない妖怪になったのだから誰かのことを指さしたりできない。ニャマムの中にも何か致命的に自分と相容れない自分がいるように見える。そういうのと常に戦っているっていうか、蜘蛛のくせに自分の糸に絡まって上手く身動きが取れなくなってるようなところが、どうにも、好ましく思えている。
 こんなこと言ったら、暫く口を利いてくれない気がするけれど。
 こんな気性の持ち主だから、本当に全然誰とも関係性が続いていない。友人らしい人も聞いたことがないし、主人もいないようだ。部下としているのは私だけで、|教団の奴等《カルト》も全く意に介していない。彼等から得られる力もいくらかはあるだろうに受け取らない。そして何の恵みも利益も与えない。だが|教団《カルト》もそれを前提に組織されているのだ。|強大な土蜘蛛神《グォダ=ニャマム》の存在を信じる「だけ」という、正直信者以外から見ると意味不明な|教義《ドグマ》だが、それが身の丈に合っていると思っている変わり者ばかりが彼女を信仰している。私も、その一人だった。

「また胸大きくなった?」
「なってないよ」
「本当?」

 私を横たえたニャマムは、背中から伸びる8本の擬足で自分の体を軽く持ち上げながら私の上に乗っている。体が小さい私に体重が余りかからないようにしているようだ。土蜘蛛という存在の体が一体何でできているのか知らないけれど、彼女の体重は見た目に対して半端なく重たい。座り込んだら動かすのが一苦労、動かざること何とかの如しみたいなことになる。もともと体格差がかなりあるのだけど、そんなのは問題にならず、彼女に全体重を乗せられると私は身動きも呼吸もできなくなる、というか一度その目に遭ってベッドを2回叩いたことがある。
 私に体重がかからないようにしながら、2本の手で私の胸を触っていた。岩でも砕きそうな力強い蜘蛛の脚のような擬足に対して、人型の本当の手足は細くて綺麗。

「なってるな」
「なってねーよ」

 なってるかも知れない。毎朝巻いている晒は、いつの間にかどこから初めてどれくらいの強さでどうやって巻いていくか決まってしまっているのだけど、そのはずなのに、終点がずれていっている気がする。躍起になって同じところで終わるように巻くと、苦しい。

「足がこんなに可愛いままだから、胸にばっかり栄養が行くのか」
「それバカにしてんのかよ」
「してない、心外」

 足のことを言われるのは別にいい、彼女がそれをどうにか思っているわけじゃないことは知っている。でも、大体、ニャマムの胸がでかいのだ、その胸で褒められたって嫌味を言われてるようにしか思えない。
 私も、上に乗っかってるニャマムの胸に指を埋めながら言う。

「こんなおっぱいおばけに言われても、なんにも響かねーよ」
「それバカにしてるの?」
「してねーし、心外だな」

 そう言うと、ニャマムが少し不満そうな顔のまま顔を寄せて、首筋に甘噛してくる。右手は私のボサボサの髪を指に絡めて遊びながら、左手は私の手を握って指を絡めている。足がもともと動かない私にはよくわからないけれど、そうやって両手を自由にしながら体を支えていられる蜘蛛脚ってもしかしてすごく便利なんじゃないか。最初に彼女に抱かれたときも、器用に体全体を拘束されて、手が2本じゃ絶対にできないような愛撫で、とろとろにされた。
 片や私は2本しかない腕で彼女の首っ玉にかぶりつくのが精一杯だ。足に彼女の体の何処かが当たっているのかも知れないけど感覚がないからわからない。太股くらいまで登ってでようやく痺れの向こう側程度に感覚が出てくる。アソコは……多分普通だと思う、知らないけど。

「可愛いわ、キスメ」

 こいつ、ゲテモノ食いだと思う。蜘蛛ってそういうものなのか?
 普通上半身と下半身のバランスが取れていない歪んだ体を見てそんな風には言わない。それに、顔の作りだって可愛いと思わないし、性格だって、こんなだ。

「褒めたって喘ぎ声しか出ねーよ、あんあん」
「すぐに本気で喘ぎ始めるくせに」
「しるか」

 唇が塞がれた。舌が入ってくる。
 こいつ、キスがめっちゃ上手いの、どうやったらそんな風にキスだけでどきどきさせられんのか、されてても全然わからない。
 ただ、いっつもいつの間にかその気にさせられて、こっちから吸い付いてしまってる。
 舌が入ってきて、口の中で暴れてるだけじゃない。歯茎を撫でて舌同士の絡み合いを求めてきて、かと思ったら自分の口の中に私の舌を招くみたいに誘ってくる。
 彼女の腕の内何本かが、先を触手に変えて私の体を撫で始めた。
 胸、脇腹、太股、それにあんまりわからないけどきっと足も触られている。
 体中を這い回る繊細な指。虫っぽい脚なのに、触手に化けた先端は人の手や指先みたいに温もっていて柔らかくて、心地いい。

「んっ、ふっん……っ」
「ぁ、ちゅっ、くふっ」

 招き入れられるまま彼女の口の中に舌を入れると、唇と舌、それに力を入れない歯で、舌を思い切り迎撃されてしまう。
 ぬらぬらの唾液は私の口の中にもあるものなのに、ニャマムの口の中のそれはまるで全然別の液体みたいに、粘膜に染み込んでくる。体温が違うからかも知れない。
 舌先を触られているだけなのに、そこから送り込まれてくる快感は頭を突き抜けて、その火花が全身に降り掛かってくる。

「んっ、んっ、んううぅっ、んんんっ〜〜〜っ」
「ぁむ、っちゅっちゅっ、くちゅっ」

 これ。これっ。
 キスしてるだけなのに、全身で感じさせられる。キスしながら体中を愛撫されてる体と思う。でも、ぞくぞくして体中に溶解毒が回っていくのは、明らかにキスのせい。
 全身を撫でる触手は、キスで注ぎ着込まれた毒を念入りにまんべんなく揉み込んでいく為みたいな感じ。

「ふっ、ふっ、ふっーっんっ、くふっ、んっ、んっ」
「ちゅっ、ちゅうっ」

 私はキスだけでセックスって言ってもいいくらい感じさせられているのに、ニャマムは全然。呼吸も乱れてないし、ずっとおんなじペースで私の口と全身を弄んでる。悔しいけど、「すぐに本気で喘ぎ始める」といった彼女の言う通りだ。
 私の舌に攻め入ることを誘ったニャマムの口は、私の侵入をそのまま受け止めて逆に私をもみくちゃにして、動きの鈍った私の中に再び入り込んできた。
 快感抵抗のなくなってしまった私の口の中は、彼女の舌が這い回る全ての箇所で快感を生み出して、大量の|唾液《愛液》を分泌してしまう。ヌルヌルに包まれたザラザラの舌が、ちょうどよく気持ちいい。
 舌をくるくると撫でられて、されるがまま。吸い出されて甘噛されて、また口の中に入ってくると快感受容が高まってる、何かの魔法をかけられてるみたいに、被|快感《ダメ》上昇が止まらない。
 ほっぺたの裏側、顎の上、舌の付け根を撫でられるだけで、下半身がずくずくと熱を持って涎を垂らし始めている。

「んっ、くうぅうんんんっ、んっ、んっ!」
「ちゅっ、ちゅううっ、ちゅぱっ」

 私の太股を撫でていた脚が、私のアソコに触った。
 脚の一本が触って、私のソコがすでに濡れているのを確認すると、あっという間に何本もの脚が触手化して私のワレメに群がる。

(それ、だめ、ほんとだめ、ヤバイ、からっ)

 何本の脚が何本の触手に化けて私のアソコを撫で回しているのか、把握もできない。アソコの凹凸にピッタリ貼り付くような面で撫でられているようでもあるし、何十本の細長いもので撫でられているようにも思える。複雑なのに一体感のある、恐ろしいくらいに器用で……気持ちのいい愛撫。
 ラヴィアを左右同時に撫で回されているのに、クリトリスにも複数の感触が這い回っている。お尻の穴をつついているものも何本もいるし、へその周りにまで伸びて這い回っている。左右それぞれの太股の内側にも触れられている。もう、股の間全部をニャマムに飲み込まれちゃってるみたい。
 そして、その中の何本かが、割り拡げられたアソコの中に、入り込んできた。浅いところを細かく、撫で回している。一本じゃない、何本も、何箇所も、同時にしかもばらばらに。

「んぶっ、んっ、ふーっ、んっぐ、ふーっ、ふううっっ♥ んっ、んうううううっっ、んうううううううっ♥」

 キスと愛撫だけで、あっけなくトばされてしまった。
 ようやく、口を解放された。
 そうするつもりなんか全然なかったのに、離れていく彼女の舌を、追いかけて頭を上げて舌を伸ばしてしまう。
 届かなくて、すごく切なくなっていると、額に口付けられた。

「入れるよ」

 すごく短く、低いわけじゃないのにお腹の底に響くような声。その声だけでも妊娠しそう。
 頷いて見せると、何十本も群がっている触手の真ん中に、一際太い先端が据えられた。ニャマムの臀部にある虫体腹部の先端から伸びる、輸精管。多量の粘液を管の表面全体から常に分泌していて、それに熱い。
 抜けづらいようになのか、牝をヨガらせるためになのか、あるいはその両方なのか、先端に備わる亀頭のような膨らみと、雁首のような括れは、三段構えになっている。エラは円形ではなくて、なだらかに王冠雫状の角を持っている。痛そう、と思うのに、それで責められるともう|どうしようもなくなる《…》のを、私はよく知っていた。
 きて、の言葉の代わりに、私はニャマムの首根っこに腕を伸ばして絡めて、かぶりつく。そうすると、ニャマムはほんの少しだけ体重を下ろしてくるのだ。適度に重くて密着感があって彼女にのしかかられているという実感がある重さ、でも、重すぎない。
 輸精管が私のそこを撫で付ける度に、大量の粘液が股の間をべとべとに濡らす。もともと欲しくて濡れている私の濡れ方なんてメじゃないくらい、ローションをいっぱいぶちまけたみたいに、べとべとのどろどろにされてしまう。それが、普通の男のペニスで言うところの先走りなのか、女のアソコを陥落させるための媚液なのかは知らないけれど、そうやってねばねばのぬるぬるにされると、なんだか感度が上がったような感じがする。粘液まみれになった上から触手で改めて触られると、断然気持ちいい。
 矢印状に先端が尖って亀頭がなだらかに膨らんだ形の先端が、私のワレメに入り込んでくる。

 ずるんっ

「〜〜〜っ♥」

 一段目の亀頭が入り込んだ。

 ずるっ、ずぼっ

「んんっっぅぅっ〜〜♥」

 そのまま、二段目、三段目、と重なった雁首が全て滑り込んできた。

「はふ、うっぅっ♥ はい、ったぁっ♥」
「入れただけで、トロけ顔しちゃって。中がぎゅうぎゅう締め付けてきてるわよ?」
「だ、って、えっ♥」

 入れられただけで、また軽くイッたから。

 長い|輸精管《ペニス》、三段構えの亀頭。膣内を抉り返す圧迫感はでも、すごく気持ちいい。それを、前後に動かされたりしたら……

「ふっ、ふぐぅぅうううっ♥ ああっ、あっ、ああああああっっっっっ♥ えぐれるッ♥ ナカ、ナカ、すごいっ♥」
「いい顔よ、いつも不貞腐れたみたいな顔してるのに、入れたらすっごいトロ顔になるの、可愛いわよ。……もっとしてあげる」

 ずるっ、ずりゅっ、ずるるるっ!

「んぅうううっ♥ めくれるっ♥ まんこめくれるっ♥ きもちいっ、きもちいいいっ♥」

 三段構えのエラが、マン肉を容赦なくコスって抉る。膣の肉襞一枚も逃さないで、襞の谷間の奥まで全部に擦れる。それに、少し角のあるエラが膣肉を強く抉るのが、堪らない。
 大量に吐き出されてるぬめぬめ粘液に、私自身の本気汁でべちょべちょにふやけたまんこが、ニャマムの三段亀頭のちんぽに必死で食らいついている。気持ちいい快感をくれるって、肉の芯から媚び動いてしまう。
 自分でわかるくらいに、いきなり牝匂が噴き出していた。クリトリスはぷっくり膨れて、さっきまで貰っていた多接点愛撫を求めて震える。つんと尖った乳首を、自分でいじっていた。やっぱり、成長してる。それに、感じやすくなっている。
 ニャマムに抱かれるようになってから、体のあちこちが急に牝に変わっていっている気がする。彼女好みの、カラダ?

「もっと、奥、奥の方までっ♥ たのむよぉっ♥」
「ふふ、欲張りだな」

 |長く伸びてうねる輸精管《触手ペニス》が、奥の方の底に到達して、なお奥へ進もうとするように蠢くと、多段エラが深いトコロのマン肉を容赦なく引っ掻き回して、快感を撒き散らしていく。腰が勝手にくねって動いて、膣内で暴れまわるペニスをもっともっとと貪欲に咥えこんでしまう。

「ヲぉっんっ♥ ひぐぅぅっ♥ 一番奥で、暴れてるっ♥ おふっ、すっげ、え、このちんぽっ、乱暴っ♥ 子宮口の乱暴者っ♥ はっ、はふぅうっ♥ 私の中でびたんびたん跳ね回って、るっ♥」

 膣内を抉り回してくるのとは別の触手が、クリトリスを責め立ててきた。
 ほそくてこまかい無数の肉絨毛が、勃起して張り詰めたクリトリスの媚粘膜に巻き付いてくる。
 そのまま、ブラッシングするみたいに、クリの上で蠢いた。

 ずりゅりゅりゅっ!

「ふほぉあおぉぉぉんっ♥ クリ、くりすっご、いっ♥ それ、ヤバい、ヤバいってぇぇっ♥ 剥きクリに、そんなぶつぶつ愛撫、だめ、だめだって、だめだめだめだめ♥ そんなのされたら、すぐ、すぐキちゃう♥ まんこに抉られながらクリそんなふうにされたらっ♥」
「いいのよ、何回気を遣っても。どの道、私が満足するまで、イかせつづけるから♥」
「はーっ♥ はーっっ♥ イク、マジ、イクっ、奥をゴリつかれながら、ぶつぶつでクリぜめ、だめ、無理、たえらんないっ♥ イク、イク、イクイクイクっ♥ いっくうぅぅうぅううぅうぅうっ♥♥♥」

 また、イかされた。だって、耐えられるはずないだろ、こんなの♥ 媚び穴化したまんこの奥も、性感帯に開発された子宮口も、強制アクメスイッチになっているクリトリスも、全部イッキにされたら、ブッ飛ぶに決まってる♥
 ヨリ目ベロ出しで、下半身からブチ上げられる快感電流に感電死してる私に、吸い取るようなキス。
 息が出来ない、息って鼻で出来るんだっけ? でも鼻呼吸じゃ足りない、口、あ、口はニャマムの舌が入ってきてて、無理♥
 舌食べられてる、吸われて齧られて舐められて、呼吸、呼吸は? 酸欠で頭真っ白になってく♥
 息、いきっっ、イキまくってて、わけわかんなっ、息しなきゃ、くるしい、きもちいっ♥ トんでる、わけわかんないっ♥

「ぶっ、はあああああああああああっ……んっ!? う、んっ、ん〜〜〜〜〜〜〜〜〜っ!」

 酸素が供給されて、体中を酸素を乗せた血流が巡った瞬間、もう一発アクメしてしまう。

「ほ、へぁ……っ♥ はぁあっ♥」

 ちょろ、ちょろろろろろろっ

「ふふ、おもらししちゃうくらいヨかったの」

 肯定したいけど、答えられない。
 アソコだけじゃない、脳みそだけじゃない、指先から爪先の全部にまで、アクメ電流が走って、体中が強張っているのか弛緩しているのかさえわからない。失禁しているけどそれも全然気に留められないくらい、頭の中が真っ白。
 でも、股の間でまだうごめいているニャマムの触手ちんぽのことだけ、鮮明に感じていた。

「私は、まだだよ、キスメ?」

 薄らいで擦りガラスを通してみているような意識の向こうで、|残酷《甘美》な宣告を受けた。
 頭の奥はこれ以上の快感は危険だと信号を発しているのに、カラダは貪欲に求めてニャマムにしがみついている。
 私のカラダが、セックス継続をOKしているのを見たニャマムは、私の中でまだ暴れ足りなさそうにしている|輸精管《ペニス》を動かし始めた。三段括れのエグすぎるペニスで容赦なく膣肉を抉り回すように、前後に乱暴に動かす。
 イッたばっかりの私の膣は敏感になったまま。そうやってマンコ殺しのピストンをされると、あっという間にその気になって、再び媚びだしてしまう。

「ん゛っぉお゛っ゛ぉお゛っ♥ またっ、また、ずごい゛っ゛♥ もう、私のまんこ、完全にニャマムのものだあっ♥ ほかのちんぽ来たって絶対こんなにエグい責め方しないっ♥ こんなのでイクようにされたら、他のやつとセックスできないっ♥ 私もうニャマムの専用穴だあっ♥」
「そうよ、キスメ。あなたは、私専用よ♥」
「んをを゛っ、ぉぉおっんっ♥ ナカ、なか引きずり出されるっ♥ コスれ方エグすぎて、やばいっ♥ このちんぽやばすぎてっ♥ 逆らえなくなってる♥」
「キスメの中も、素敵♥ 私専用の穴に相応しいカタチになってるわ♥ 私のサイズにピッタリ、私の気持ちいい場所を締め付けてくる、私専用のコキ穴になってるわよっ♥」
「コキ穴っ♥ ニャマム専用の、ちんコキ穴っ♥ それいいっ、それ、やばっ♥ 私それになりたい、なりたいっ♥ ふっ、ふううぅっ♥ これっ、ちんぽオクえぐってるの、これっ、これもう、なってるのか?♥ 私のまんこ、もう、ニャマム専用のコキ穴に、なってるのかぁっ?♥」
「ふふ、どうかしら? もっと私のコレをヨガらせるようになってほしいね」
「なるっ♥ なるからっ♥ 私のこと、ちゃんと開発してくれっ♥ ニャマムが好きするのにちょうどいいカラダに、改造しちゃってくれよぉっ♥ ドラスティックに好きしてぇっ♥」

 好きすぎて媚びまくってしまう。
 好きなのは、純粋に貰っている快感がなのか、このエグいちんぽがなのか、ニャマム自身がなのか、わからない。わからないけど、今はそれ全部もらっているからどれでもいい。
 全部好き。

「イク、またイクっ♥ オクで中イキっ♥ オクの壁ゴリゴリされながら、子宮口突きまくられるの、ダメだっ♥ んヲ゛おぉっ♥ もっと、もっろぉぉっ♥ がっつんがっつん、さ、れるっ、とおぉぉっ♥」
「ちっちゃいまんこなのに、私の全部ぴっちり締め付けてくるわ、食いしん坊な肉穴ね」
「だって、おいしいっ♥ このちんぽ、おまんこでおいしすぎっ♥ こんなえぐいカリでナカこじられたら、逆らえるわけないだろぉっ♥」
「じゃあ、そろそろトドメをあげる。|ちゃんと戻ってくるのよ《…》?」

 その言葉の意味するところはすぐに分かる。それを理解しただけで、体中が期待で粟立ってしまう。もともと上がりっぱなしの|心拍数《どきどき》が、更に上昇して、あたまんなかがなにがなんだかわからないくらいシェイクされる。

「|膣内射精《なかだし》っ♥ |膣内射精《なかだし》お願いっ♥ 早く、早く早く|膣内射精《なかだし》ぃっ♥ あーだめ、だめえっ、ホントダメっ♥ 子宮口パクついちゃってるっ♥ 欲しがってるからっ♥ まんこ動いちまうっ、まだ精液貰ってないのに、オクに飲み込む動き、しちゃうよぉおっ♥」
「|膣内射精《なかだし》宣告だけで、体中媚肉モードになっちゃって、ほんとにエッチなやつね♥ でも、そういうキスメ、きらいじゃないよ♥ お望み通り、まず一発、あげるわ♥」

 中に入ってる触手ちんぽが、カタチだけでもエグいのに|最悪《最高》な動きをしてくる。雁首の凹凸を膣壁に擦り付けるように、ヘソの下の手前のところの、一番イイ場所を鈍く尖った雁首突起で抉りながら、ぱっくり開いてる子宮口肉を押しつぶしてくる。しかもそのままその状態で細かく振動する、これはニャマムが射精する前運動だけど、私はいつもコレで完全にぶっ飛ばされる。

「ヲ゛ヲ゛ヲ゛を゛ヲ゛ん゛っ♥ ふるえ、るう゛っ♥ ちんぽ、いいとこ削りながら、ぶるぶるっ♥ これだめ、マジで、マジで無理、イくっ♥ 耐えられるわけ、ねえっ♥ ん゛ほぉぉぉぉっ……♥ とける、超振動でマン肉全部どろどろにとかされてイクぅっ♥ ほぁ、あっ、あ゛っ、んぉおっぉおっ、ほおおおおぉおぉんっ♥ クる、クるぅっ♥ Gスポとポルチオ、まんこ全部に、ぶるぶる、ごりごり、これ無理、無理、無理無理無理無理無理っ♥ たえらんねえっ♥ イク、イク、イクイ゛グ、イ゛グ、イ゛っっ゛っっっグぅぅぅうう゛っっ♥♥♥♥♥♥」
「キスメッ、トんじゃい、なさいっ♥」

 とぶっ、これ、あたまぶっとぶっ♥

 ぶしゃあっ! ぶしゅああああっ!

 びゅーーーーーーーっ! びゅうううううううううっっ!

「ふきゅぅっ!?♥」

 思い切りアクメの淵にぶち落とされたところで、凄まじい射精圧の|膣内射精《なかだし》をくれた。
 頭の中が真っ白とか、そういうのもない、いきなりぶん殴られたみたいに頭の中がすこんと空っぽになって、代わりに、耳から鼻から目から吹き出しそうなくらい快感が詰め込まれる。のうみそとかとけてなくなってる。

「ザー射っ♥ 激ヤバ射精、ぎだあ゛あ゛ああ゛あっ♥ すっげ、えっ♥ オクにぶち当たってる♥ ザーメン水鉄砲、私のぱっくり開いた子宮口にびちびち当たって、あっ、ついぃっ♥ 腹ん中、全部、とけ、ゆぅっ♥」

 潮なのか小便なのか自分でもよくわからない液体が、噴き出してしまった。ニャマムのお腹あたりをきっと濡らしてる。コレ恥ずかしいから嫌なんだけど、気持ちいいとでちゃうんだよぉ……♥
 がくがく勝手にカラダが痙攣して、落ち着いてくれない。顔も手足もだらしなく弛緩しているのに、まんこのナカと背筋だけが全力で強張っている。制御できない。
 自由が効かない体で欲しくなっているそれを、ニャマムは何も言わなくてもくれる。手を、握ってくれる。
 イッてるときにときに手握られるの、私よわいんだよぉ♥

 射精が収まっても、ペニスは入りっぱなし。きゅんっ、きゅんっ♥ ってイキ後の心地よさの中でまだ勝手に締め付けてしまう。
 ニャマムは黙って私の手を握っていて、擬足何本かで私の体を包むみたいに抱く。

「相変わらず、凄い行きっぷり♥」
「この三段ちんぽやべーって……コレでブッ飛ばない女、いねーよ……♥」
「そお? キスメが淫乱オマンコだからじゃないの? キスメって、実はすごく性欲強いみたいだし」
「そ、そんなこと、ねーよぉ……♥」

 これでもう何回目かわからないアクメ、なんだか震えて上手く動かせない腕で彼女にしがみつくみたいに抱きつく。カラダがバラバラになりそう、何回もイかされてる波のアベレージがずっと高止まりしている。今このときが、一番、気持ちいい。幸せ。ニャマムの少し高い体温が、すごく気持ちいい。
 彼女のエグすぎちんぽが、やっと股の間から抜ける。

「んぅ゛っ、あ、あっ♥」

 抜けるときにも三段カリがまだ熱を帯び続けているマン肉を引っ掻く。欲しがりにまた締め付けてしまうけど、それを振り払うようにずるずると抜き取られていく。
 もう体の一部になったような感じさえするニャマムの触手ペニスが抜けていくにつれて、下腹部に強烈な寂しさを感じる。

「ぬけ、ちゃう……」
「もう、私が一回イクまでに、キスメは何回気持ちよくなっているの?」
「えと……わかんないや、気持ちよくって♥」

 ずりゅんっ
 とヒリ出される|極太三段カリちんぽ《輸精管》、それが抜けるとまるで堰を切ったように、どぽぽっ、と内側から精液が噴き出した。

「あ、ふっ……」

 股間を押さえてそれが漏れ出るのを止めようとするけど、もう大口を空けてしまっているアソコから精液が流れ出るのを止められるわけがない、ニャマムの精液と分泌粘液に私の愛液の混じったなんだかわからないエロ混合液で掌がべっとり濡れただけだ。
 掌を目の前に持ってくると、まるで半熟卵の白身みたいにぷるぷるの精液が糸を引いている。それに、すごい匂いがする。
 吸い寄せられるようにそれを、舐めてしまった。
 口の中に広がる、キツい精液の匂い。
 舌の上でプルプル踊る精液塊。それを舌と上顎でくにゅりと潰すと、ねっとりした精液の味と匂いが口の中に広がって、それだけでもくらくらする。
 その雫を飲んでからする息にも性臭が混じっていて、ただ息をするだけで精液の匂いが鼻を通り抜ける。
 息をするだけで下半身に響いてしまう。
 まるで漏れ精液がヤクだったみたいに、キマった顔でだらしなく意識を揺蕩わせていると、ニャマムがほっぺたにキスをする。

「これくらいで満足しちゃってるようじゃ、私専用のオナホを名乗らせるには早いか」
「ご、ごめんって……♥」
「最後まで、付き合ってもらうよ♥」

 ニャマムの求める夜は長い。でも。







「もっと、よ」

 掠れた声、焦りを孕んでいるみたいな。
 一体何に焦る必要があるのか、わからないのだけど、一回や二回イッただけでは物足りないということか、それとも私をイかせただけでは足りないということだろうか。
 正直、私は二回くらい膣内射精されたくらいで、もう十分だ。嫌というわけではないのだけど、最初のアクメだけで十分ニャマムとの一体感と幸福感を味わっている。それ以降されても密度の薄いオーガズムで脳みそひっくり返されるだけみたいな感じ。嫌いではないのだけど、彼女のような焦りを抱くほどに求めたい境地ではない。
 それに、回数を重ねるほど、彼女の性交は雑になっていく。最初はキスだけで私をイかせるくらいにテクニシャンなのに、だんだん、ただ突っ込んで中に射精することばっかり考えているようなやり方になっていく、みたいな。違うかな。
 私が彼女の行為に反応してるっていう事実が欲しい?

「気持ちいい? ねえ、キスメ、気持ちいい?」
「うん、気持ちいい♥」

 そういうの聞くの、すごくサムい。ていうか今更なの? そういう機微が分かってないひとだと思っていないのだけど、やっぱり回数を重ねていく内に現れる、何か焦りのようなものがそうさせるのだろうか。

「ここは? ここは気持ちいい?」

「キスメ、きもちい?」

「こっちも好きでしょ? ねえ」

「どう? キスメ、どう?」

 聞くのなら、せめて最初にイかせるときに聞いて欲しい。最初とか二回目とか、それくらいなら泣きながら気持ちいいって叫んで答える(答えてた)と思うけど、ここまで来てからだとなんだか興が冷めてしまう。私のほうがイキすぎて少し辛くなってるからかも知れないけど

「イキそう?」

「私のちんぽで、イキそう?」

「キスメ、イキそうなときはイクっていうのよ」

 ほら、そういうの。
 正直、ニャマムらしくないともう。でも、きっとこういうときに何かに焦りを感じて聞いてしまう不様さも含めて、彼女なのだろう。
 私だって、これが何度目であったとしても、彼女に愛撫されて挿入されて感じてないわけじゃないし、イッてしまうのも間違いない。
 でも、こうなってしまったら、「逆」になっている感じがしている。

「気持ちいいよ、ニャマムのセックス、私、好き♥」

 言わなくてもいいこと、夜が始まって最初から何回目かまでは、わざわざそんな事言わなくったって私がヨガりまくってるのを彼女は知っているし、それ前提で余裕の表情で私をトばしまくるのに、ここではそんなことを敢えて言ってあげる。
 言ってあげると、彼女のピストンも愛撫も激しくなって、ちょっと乱暴なくらいで、本当に何かに焦ってるみたいな、ああ、そうそう、こういうのを、童貞のオトコノコを相手してあげているときの年上の女の気分、というのだろうか。
 こんな風に思っていること、知られたら本気で怒りそうだけど……いや、もしかしたら落ち込むかも。

「……イキそうだよ、私、ニャマムのでイキそう」
「イクの? もうイクの?」
「うん、イキそう、イキそう、イク、イク、イク♥」
「キスメ、キスメ、キスメっ! こっちを見なさい、目を閉じるな私を見ながら、ヨガり顔晒してイキなさいっ」

 奥の方まで入ったまま、それでも奥に入ろうとする猪突猛進な射精用触手が、暴れる。乱暴なくらい。私のアソコはそれでも感じてしまうけど、そういうのダメな女の子だっていると思う。わかってるのかなあ。

「んっっく、射精るわよ、出して欲しい? ねえ、射精して欲しい? 射精してほしかったら、言いなさい♥」
「ああ、ニャマム、中に出して欲しい、よ」
「わかった、射精してあげる♥ 射精る射精る射精るうぅうぅうっっっっっっ♥♥♥」

 ニャマムが、先に射精した。注ぎ込まれる熱い体液の感触に、私もオーガズムに引っ張り上げられる。冷めかけでも、やっぱりカラダは彼女好きのするように開発されてしまっている、中に精液の奔流を感じると、たとえそれが何回目でもまるで条件反射みたいにアクメに引きずり込まれてしまう。

「ぃっっくうううううううううっ♥」

 私の中に、何回目の射精かわからないのに全然量の減らない精液を注ぎ込みながら、彼女は両手両足に8本の擬足を使って全身で私に絡みつくように抱きついて、ぎゅううっ、と抱き締めてくる。
 あ、これやばいやつ。それはすぐにやって来た。

「お、重い、重い重いおもいってえええっ!」

 だいたいこうなる。
 重いと叫びながらばたばたとベッドを叩くと、彼女の体が私の横に倒れ込んで重さが逃げた。

「はふぅ……」

 胸を撫で下ろす、が、これで安心はできない。彼女は、擬足も手足も全部使って私を掴み回した状態で、そのまま眠りに落ちるのだ。しかも、絶対起きない。

「おーい、またそれかよー、いつもいつもそれだけは勘弁してくれって……」

 すう、すう。

「……ですよねー」

 こうやって、ニャマムは決まって、私をがっちりに掴んで拘束したまま眠る。絶対に離してくれない。私を捕まえたまま。|私に掴まったまま《…》、彼女は私を中心にして玉のように丸く包まって眠る。一人で生きていきたいのだ、何ていうくせに、だったらこの手は、何だ。
 彼女の行為が後半どんどん雑に……というか、余裕がなく焦りに急かされているみたいになるのには、何か理由があるのだと思う。ただ、その理由を知りたいなんて思わなかった。それを知って後悔する気がするとかそういうのではなくて、本当にどうでもいいと思う。その不安定な感じも含めて、私は彼女の信者になっているのだ。彼女の過去なんてどうでもいい、今、私を見ている彼女だけ、いればいい。
 こんな風に言うとニャマムは怒るのだけれど、彼女は|私《誰か》を必要としている気がする。それは彼女が神を自称しようとしているからかも知れない。彼女はああ言ったが、神様にはやっぱり、信者が必要なのだと思う。
 彼女の焦りか、孤高か、あるいは孤独の根底にある何事かが、何かなんてことは、私とにゃマムの間には何一つだって関係はないのだけど。関係しないと、言外に、合意している。
 そして私はそれに付け込んで、それを満たすことで自己満足に浸っている。

「ニャマム、ほんとにねちゃった?」

 すう、すう

 目を閉じて、呼びかけても絶対起きないような眠りの底にあっても彼女は、私の体の端々を掴んだままの手と擬足を離すことはない。まるで、なにかに必死にしがみついているみたい。

(いつも何かにつけて、ひとりでいい、なんて言ってるくせに……変なヤツ)

 酷い寝起きを強いられると分かっていても、彼女の|拘束《抱擁》から逃れて眠ろうとは、思えなかった。大体、この状態でベッドマットを2回や3回叩いたところで、彼女は目を覚まさないだろう。
 いっそのこと、と私も彼女に抱きついて寝る。彼女と違って、私には動く腕が2本あるだけだというのが、悔しく思えた。



§§§



(……何考えてんだか)

 こんな淫猥な回想に耽るほど、私は色気違いではないと思っている。でも、なんだか気になってしまうのだ。どうしても見せない裏や過去に、何かヒントがあるのではないかと。長いこと彼女の|神官《ヨキロル》として傍に仕えてきたけれど、それ以外にああやって私に感情をむき出しに私にぶつけてきたり、中身を垣間見ることができそうな時間を、他に知らないから。
 抱かれている、はずなんだけれど、途中からなんだかいつも逆になっている気がしていた。
 ニャマムは私の|神《主》だ、私が抱いて「やっている」なんて尊大なことを言うつもりはないのだけど、私を寝所に呼びつける夜は、いつも昼間になんだか不安定なのを知っている。それに、私を散々責めておきながら一番最後にはいつも、私に何か「させたい」と言うよりは、私に何か「して欲しい」ような、そんな表情で私の体を求めてくる。ニャマムが、あんなに|色っぽい《切ない》顔をするのを、私は性行為の最中以外では知らないのだ。
 セックスの最中は、いつも繋ぎっぱなしの感覚共有を切断される。目の前に居るんだからいいでしょ、というのだが、そうではない気がしていた。
 こんな風にあれもこれも知ってしまっているから、私の中で彼女に対する信仰心がなくなっているかと言うと、まあ確かに一般的な信仰心と言われるものを指すのなら、無いかも知れない。ニャマムが私を存在させてくれているとか、幸せをくれるとか、あるいは災いを遠ざけてくれているとか、ご利益があるとか、そういうものは一つもない。それは、最初からそうだ。
 私が信じているのは、グォダ=ニャマムという一個体の存在がそこに存在するという客体の認識と、それが神としてであるという形容の事実だけだ。他には何も無い。「神」という言葉をそのまま「蜘蛛」とか、あるいは「友人」とかに置き換えたって、私とニャマムの間には何一つだって変化はないだろう。お互いに、「事実の距離感」を保つと言うだけのものなのだ。「関係性の名前」ではない。その「距離感」を保つためのラインが、何で出来ていたって、私は問題ないと思っている。最悪それが、憎悪や殺意であっても。
 それは、|神官《ヨキロル》としての私に、唯一、神として求めてきたことだから。

(疑うつもりなんて無いのにさ、でも気になるってもんだろ)

 『疑う』って何をだろうか。裏切り? 何をされると裏切りになるのだろうか。私は、彼女に何一つ望んでいないつもりだった。多くの神性において神官が神に望むことは、わたしたちをあいしてください、ということだが、グォダ=ニャマムについてはそれさえも該当しない。神、を名乗っていながら、彼女は|神官《ヨキロル》にも|信者《カルト》にも|信奉者《フリークス》にも、何も望んでいないし、それらからもなにか行動を望まれてはいない。我々はただ、ニャマムを敬愛しているだけで恵みやご利益を期待していない。彼女から何か行動を規定されることもない。教義もない。ニャマムは、我々のことをほとんど感知していない。
 唯一常に傍に置いているのは、私だけだ。でも私に何かを望んではいないし、私もそうだ。それだけで満たされていると思う。彼女がどう思っているのかはわからないが。

「しかしまあ、穴の上にいる『こんなやつ』の様子を探って必要なら援助しろ、ってどういうこったよう」

 感覚結合による概念通信で知らされたのは、どうやら地上に住まう小鳥の妖怪。注釈として羽虫を任されているらしいことが附されている。

「これがさっきの蛍クンの相棒なのかね……随分可愛らしいツラだこと」

 せっせと釣り糸を繰り上げながら、私は穴を登っていく。
 この穴の名前を私は知らない、ただ、昔からあることだけ走っていたし、この穴がある日ニャマムの手で別の性質を得たことだけ走っている。上の奴等はこれを「ふぉーるおぶうぃる」なんて呼んでいるようだけれど、それを井戸のつもりで付けたのか何らかの意志を感じて付けたのかは知らない。井戸のつもりなら|釣瓶落とし《私》が住んでいるのはご期待通りでおめでとう、といったところだ。
 |下《地底》から見上げたときには、この穴は随分昔からあった。どこかに通じているという話は聞いたことがあるが、|廃獄《シェンディ》の側からその向こうを覗こうとするものは誰もいなかった。多くの者は世界の煙突か何かだと思っていたみたいだ、私もそうだったし。
 |廃獄《シェンディ》にはヤタガラスと呼ばれる気温管理用の被造妖精というか魔法生物が各地に設置されている。それがなけれ|廃獄《シェンディ》は一日のサイクルとは関係なくもっと長い周期で極端に寒くなったり、住めないほど暑く(熱く)なったりする。ヤタガラスはそれを調整するためのエアコンなのだそうだ。それらの排熱・排冷が、あの煙突から拔けていっているのだと言うのが、私を含む庶民一般の考え方だった。

(……昔の私は馬鹿だったのだな)

 昔々のある日色々あって、ニャマムに拾われた。その経緯は今となっては恥ずかしくて思い出したくもないことだが、私がニャマムの|神官《ヨキロル》に取り立てられたのを境に「来い」と言われて、誰も上ろうなんて考えもしなかった「煙突」へ向かうべく雲の上まで登ってみたら、そこは煙突なんかじゃなかった。
 私はこの吊り紐のおかげで、翼や霊力で空を飛ぶ奴等とは違って、ゆっくりの代わりにどこまでも上に昇っていける。きっとニャマムはそれを買って私を招いたのだと思うが、あの上まで行くんだ、と言ったとき周りの奴等の多くは「新興宗教にのめり込んだやつの考えることはわからない」と私を馬鹿にしたものだった。そういうのには慣れていたからいいのだけど、実際に来てみてよかったと思う。どうせお前達はココまで昇ってくることは出来ないのだろう、という優越感もあった。

 雲の上にあったのは、道だった。

 他の世界とつながる道。想像だにしていないものだった。
 それは今までずっと、あるにはあるものの封じられていて、煙突ではないのだ熱も煙も出ていくことも出来ていない道だった。出ていくものもなければ勿論入ってくるものもない。ニャマムが言うには、その道は大昔、大層々々旧い時代に、今は『|覚の姉妹《古明地》』として地底を支配している『|双子の姫君《カビリ》』が落とされてきた道の、名残なのだという。
 |双子の姫君《古明地姉妹》は、地底にわさわさと棲んでいたヤタガラスの一匹を不当に改造し、|改造八咫鴉《ヘルファイアエンジン》として強力無比な兵器に仕立て上げ、元々持っている様々を見通す魔眼の力も使って、地底をすっかりと支配した。|廃獄《シェンディ》と名付いたのは古明地が支配を始めてからのことらしい。昔のことなので私も聞いた話だが、ニャマムによればあの「煙突」を封鎖したのも彼女達なのだとか。異界とつながる門だったが、閉じられて以降は|径《PATH》の性質を失い、ただの『てんじょうの地形』となっている。私達下々は雲の上にたまに垣間見えるポッカリと開いた|穴《月》を、想像と共に見上げるだけだった。
 ニャマムといえば、雲の上にある道の跡地だった場所を、せっせと一人で開拓していた。
 そこでずっと作業していて滅多に地底に降りてこなかったものだから、地底ではほんの僅かな一部の者にだけ存在を知られていて、整った外見のせいもあってか、更にその内の一部からは熱烈な支持を受けている。今でもそうだ。地底に降りてこないだけで非常に強い力を持っていた彼女のために、支持者達が興した秘密の|宗教結社《カルト》こそ私の来た場所だと知ったのは、ここに至ってからだ。私は一足飛びに|彼等《フリークス》や|信者《カルト》の上の立場の|神官《ヨキロル》となったのを知った。
 界設工事は|神官《ヨキロル》、従僕を兼ねる信奉者として取り立てられた私の仕事だと言ったが、彼女は「自分の家を作るんだ、自分の力でね」と言って、私には何もさせなかった。他の彼女の|支持者《フリークス》にも|信者《カルト》にも、手伝わせなかった(彼等はここまで昇ってこれないのだから当然ではあるが)。
 ただの|道《中継界》の跡地を、せっせと掘り広げ、自分の巣を編み上げて拵えて、少しずつ少しずつ|自分の住処《新しい界》として築いていた。頑として一人でやるというそのせいで酷く永い時間がかかっていたのを見ていた。それでも、なんだか満足そうにしているのも、私は知っている。その間私の仕事は特になくて、ただ横で彼女を見ていた。たまに、可愛がってもらったりもした。
 何故、彼女がそんなにも時間の係る仕事を一人でやり、それが満足そうであるのか、私には知る由もない。

「あの化蛍、何者なんだろう。その関係者だから、あの夜雀ちゃんも助けろってことか」

 侵入者をおちょくって遊んで追い返すか潰して殺すつもりだったけれど、その光景を見ていたニャマムはあれを「通せ」と言ってきた。まるで、来るのが分かっていたかのように。
 ニャマムが言うなら、私は従うだけだ。私を拾ってくれて、私にマシな人生を再出発させてくれた彼女に。そのことを今更翻すつもりはない、彼女に捨てられるまでは私は彼女のものだと、思っている。それでも、これがニャマムの目的だったのだろうか、と考えてしまう。
 長い長い時間をかけて独力で切削して拡張し、ただの中継界から一つの界へと開拓を遂げたこの穴を、別の世界と通じさせることが、彼女の目的だったのだろうか。この|穴《界》から外へ、侵略を始めるつもりなのだろうか。

(神、か)

 彼女は自らを神と呼んでいる。だが、彼女の行動の多くは、神のそれではない。私のように神官を置きはするが、信奉の証を提示させたり貢物を求めたり、自らの手で賞罰を下したりもしない。地底に設営されている|教団《カルト》にも、彼女はほとんど興味を示していない、関わりも持っていない。完全に有志の手による同好サークルのような体をしている、邪神を祀る新興宗教の割には、平和だ。

「前に喰ったザグトミの欠片によればね、奴はああいうのに関わってヘマこいたっていうからさ。距離を置くほうがいいってものだわ」

 そうは言っていたが、そういう例は滅多なものではない。彼女の性質的に、信者が現れにくいという点では共通はあるかも知れないけれど、神を自称しているが彼女の中にある神という言葉は、どうも他の神々が自称するそれとは随分違っているようにも思えた。
 だが、穴を他の界とつなげて外に出て行こうとする今回の動きは、それまでのニャマムの動きとはどうにも整合性が取れていないように見える。元々この穴に潜んでいる事自体が雌伏の時間だったと言われてしまえばそうかもしれないが、だったら今であるのは何が契機だったのだろうか。ニャマム自身に十分な力が備わったから? それとも、接続先としていい界が見つかったから?

(あの蛍……どう噛んでいる?)

 気にかかる。
 ニャマムの過去についてはある程度聞かされている部分もある。だけど、あの蛍に該当するような人物も、彼がはまり込みそうな空白も、聞かされていなかった。ニャマムにはやはり何か過去があるのだろう。地底に居るやつなんて、みんな多かれ少なかれ過去に何かやらかしたやつだ。私も含めて。
 |廃獄《シェンディ》と他の界をつなげることについて、ニャマムは|双子の姫君《古明地姉妹》に許可をとっていない。取る必要がある相手だと思っていないのかも知れない。それを押し通すだけの力を持っていることも確かだが、わざわざ人目につかない場所でああして自分の界を建築し他人との諍いを避けてきた立場からすると、整合性がない。何かを焦っている? いつも山のように悠々と振る舞っている彼女から、焦りという色を見て取ったことは一度もないが、もしかするとこれは初めて見るそれかも知れなかった。
 縦に柱が並んだような特徴的な構造岩石の風景をのんびりと昇っていく。私は急いで登ることが出来ないだけだが。
 ただの縦穴で、界と界をつなぐための経路として準備するには、手が込んでいる。多くの|中継界《PATH》がそうであるように、接続変換境界だけが備わる無の空間であったって良いはずなのに。岩石の柱状節理は、物的な再構成を規定するのにはただの雑多な岩の『ような』構造を規定するよりも多くの手続きが必要だ。そんなものを切れ目なく並べて中継界にするなんて何かこだわりを持って設計しているように思える。

(やめだ、こんなこと考えて、何になる)

 私は頭を振って、遅いにも遅い、遅々として更に遅い上昇を続ける。この吊り紐を引っ張れるのは、もう、グォダ=ニャマムだけだ。今更何か新しい事実が出てきたとして、それに何の変わりがある。

「過去が何だってんだ、関係ないさ。何があっても、私はお前を捨てないよ。たとえお前の意中が私でなくったってな。お前が私なんかに信仰されるのが嫌だと言ってもだ。私はお前の恋人じゃない、相互の関係なんて望んでない。お前は依然として神で、私はずっとただの|神官《ヨキロル》だからな」

 信仰とは、身勝手なものだ。片思いというのは、それに似ているかも知れない。



§§§



 あの沢は流れが激しく淵が深い。一見通り抜けるのが難しいように見えて、だが一箇所だけ飛び石で通り抜けられる場所がある。山歩きに慣れている、というよりもこの山に慣れて知っている人間でなければ通ろうとも思わない秘密の橋だ。そこを通らなければ、数時間分は遠回りをして上流の細った場所を渡る必要がある。大きく引き離せるはずだ。

(奴等をまいてから、どうするというのだ。この山に住まう者でも、私に従ってくれる人などもういないのに)

 この逃避行に、もはや希望など無い。挽回の目はなく、もし奴等が私の探索を諦めたとしてもこの山が奴等のものになることにいまさら変わりはないだろう。それでも、奴等の親玉にとっては「山の主の服従も殺害も無い」ままでは周囲に示しもつかないはずだ。それが知れれば、もしかしたら他の者達も……

(|吾《あ》れは、また)

 また、誰か自分に従う者の存在を当てに考えていることに気付いてしまう。結局、一人では何も出来ないのか。自分に従う者の力無しでは、一人で生きていくことも叶わないのか。私では、彼等に何も報いることなど出来ないというのに。

(何のために、|穂多留比《ほたるび》を置いてきたというの)

 自分の膝を、拳で叩く。足がつかれているわけではない、ただ、自分の脚でどうしても立とうとしない脚に喝を入れたかっただけだ。何度叱りつけても私の体は、いや心は、誰かに依存して生きることをやめようとしてくれない。もはや矯正できないものなのだろうか。

(ちがう。だって、いま、|吾《あ》れは一人で、ただ生きるためだけに、こうして逃げているではないか)

 慣れた飛び石を、ひょい、ひょい、と飛び抜けて、激流の上をショートカットする。対岸に足を下ろして、少しだけ安堵した。
 本当は眠りたい。3時間ほど猶予ができたのならせめて1時間だけでも。でも、それさえも叶わぬ相談だ。万難を排して、私は生き残るために行動を起こし続けなければならない。
 これは、生まれてこのかた最悪の危機であり、同時に私が神を辞め自在の個としてリスタートを切るための最初で最後の契機でもある。そのために、最後の最後まで頼りにしていた(最後に頼ったのが、力ある狼や熊ではなく、蛍だったというのは滑稽な話かもしれないが)者も、置いてきたのだから。

(一人というのは……寂しいものね)

 私が欲しいのは自由ではなかった。誰かといると相手に拘束されてしまうだなんてそんなことを苦に思ったことではない。ただ、自在でありたかったのだ。孤独はその副産物でしか無く、克服すべきものだ。でも、この寂寞が、こんなにも耐え難いことだったなんて。
 しゃがみこんで手を横に伸ばし地面を探る。なにもない。そうすれば昨日までなら必ず、彼の手が触れ返してくれたというのに。今は何も返ってこない。今や私のものであることをやめようとしている山肌の冷たさだけが、指先に触れた。

(|吾《あ》れを支えるものはもういない。|吾《あ》れは、|吾《あ》れ一人で存在している。これは、|吾《あ》れが望んだことだ)

 自分で自分に言い聞かせ、この耐え難い状況を何とか切り抜けるべ再び決意を促す。
 せめて、こんな危険な状況ではなく、それをしたかったのだが。いや、こういう状況でなければ、きっと甘えを断ち切ることなど出来なかっただろう。
 辺りはもう真っ暗で、月と星、それらが鈍く岩や草木に反射する光でしか辺りを見回すことは出来ない。抜けた流れの激しい沢は別だが、この辺りの沢や河岸は、この時期、いつもであれば蛍が眩しいほどに飛んでいる。でも、今は一匹も姿が見えない。彼はまだ失神しているのだろうか。それとも、彼の意識の有無にかかわらず、主の危機を察しておとなしくしているのだろうか。

「行かなきゃ」

 |穂多留比《ほたるび》のことが心配ではなくはなかったが、恐らく敵も蛍の一匹まで殺して回るようなことはしないだろう。目的はあくまでも、|山《神》である私の身柄なのだから。
 私は立ち上がって歩き出す。この足で、自ら立たねばいけないのだ。
 予定のルートを順調に歩いていったところに、少し木々の密度が落ち、開けている、というほどではないが見通しが聞く一帯だ。長く地形が変化していないせいで椨の極相に至っており、低い位置の枝や背の低い草木が少ないのだ。なるだけ木が鬱蒼とした陽樹林の中を歩いてきた。今後もそうしなければならない。
 だが、低木の影からその陰樹林の方を見て愕然とした。

(もう、ここまで)

 奴等の姿が、既に底にあった。どうやって先回りしたのだろうか。侵入の方向からみても、ありえない。私の三倍以上の速さで山道をあるき抜く奴等なんて、いるはずがない。

(アメノなんたらとかいう舟で、空でも飛んできたというの?)

 それが、奴等の神威だというのだろうか。白い鉄と悪しき火は、そこまでの力を持っているというのだろうか。
 引き返すしか無い。だが、後ろからも来ているはずだ。どうやって包囲網を抜けるか。まさか山のぐるりを全て包み込むほどの兵を持っているはずがない、抜け道はあるはずだ。それをどう探り、どう抜けるかが問題だろう。
 ただのかくれおにだ、大した事ではない。それをするのなら、こんな小娘の姿一つを探すことが容易でないことくらいは私にもわかる。
 私は来た道を少しだけ戻って別の道へ入るため、その場を振り返った。

「っ!?」
「見つけたぞ」

 振り返ったところに、二人組の男がいた。二人共、白い鉄で出来た甲冑を着込んだ大男だ。西の兵士に違いない。咄嗟の判断で逃げ出し、剣を持って不自由を強いられていた一人の腕をすり抜けた。だが二人目は何も持っていない、すり抜けることが出来ずに伸ばされたうでが私の腕を掴んだ。

「離っ……」

 問答無用、とばかりに私はその場に叩きつけられてしまう。

「ぐうっ!」
「|阿祖見山居比女命《あそみやまいのひめみこと》だな」
「ば、ばかな……何故、こんなにすぐに。……貴様ら、|吾《あ》れをこの山の神と知っての狼藉か」
「土蜘蛛ってのははどいつも判をついたように同じセリフを吐くな」
「|土蜘蛛《田舎者》と|大王《おおきみ》とでは、力が違います。あなたの行動など、我が|大王《おおきみ》は全て見通しておられます」

 わらわらと、他の男達も現れた。私を捕まえた物音を聞きつけた、他の兵士が集まってきたのだ。
 悪しき火で作られた白い鉄をちらつかせ、人の手でしか育たぬ邪悪な草を食ませて人心を狂わせる、邪神の国の兵。

(……これまで、なのか)
「土蜘蛛が見つかったぞ!」

 騒ぎはまたたくまに伝わり、私はいつの間にか何十人もの兵士の輪の中で囚われになる形になる。
 軍勢のリーダーと思しき人物が、近づいてきた。何十人程度のリーダーなら、将軍という程の立場ではないだろう。私を取り押さえた男二人は、下がる。

「誰も連れていないとは。民に見捨てられたか、憐れなものですね」
「違う、|吾《あ》れは自ら捨てたのだ!」
「捨てた? なにをバカなことを仰る」

 私の発言を、東夷の狂言としか見ていないだろう西の軍勢。

「でしたらあなたはもう、神でも山でもないということですか」
「民が無くとも|吾《あ》れは|山《神》だ、|吾《あ》れは自然である。貴様らに|吾《あ》れを好きになどさせぬ」

 彼等は私をこの山の「元」長と見做すつもりはあっても神と見做すつもりなど無いのだろう。神でないならまだいい、恐らく、人としても見做していない。私を取り巻き私を見る汚らわしい視線がそれを物語っている。

「……威勢のいい比女ですね、長髄の|登美毘古《トミビコ》の末路をご存じないのですか?」

 |登美毘古《トミビコ》……ここより先に西の軍に討ち殺された地方の神か。

「|吾《あ》れを、殺すつもりか」
「そのつもりは御座いません、ですが、結果的にどうなるかは、あなたの強さ次第というところでしょうか。」
「どういうことだ」

 男は私を見て、本当に汚いものを見るような目をする。逃避行の最中の恰好とはいえ、装いを粗末に汚くしたつもりなど無い。だが、奴等から見れば私の姿など|野蛮で未開の民《汚らしく奇妙な人種》というところなのだろう。それを刺して「つちぐも」という言葉を使っているのは明らかだ。

「湖の水を落とすお話を、どうしても受け入れてもらえないようですので」
「まだその話が行きていたとは驚きだ」
「お話を受け入れてもらえたなら、『名』とささやかな住まいを安堵する予定でしたが、この度、|大王《おおきみ》の命により、力づくでということになっています。」
「なに……?」

 周囲の兵士たちが、にじり寄ってくる。やはり、殺すつもりなのか。

「私一人を殺すのにこの大人数か、貴様らの|大王《おおきみ》とやらの力もさほどではないようだ」
「慎重で用心深い、と言って頂きましょうか」
「何にせよ貴様らのような邪悪な鉄に尻尾を振るような小汚い男に持て囃されなければ存在も出来ないなんて。アマテラスって奴は、なに、オタサーの姫なの? |吾《あ》れと大して変わらないのね」
「口が過ぎるぞ、土蜘蛛!」

 リーダー格らしい男が周囲の兵士に目配せをする。兵士たちの様子が、何かおかしい。私を殺すつもりであれば、何故剣を置き甲冑を脱ぐのだ。
 それとも、何か儀式を行うつもりなのか? この男は、兵士のリーダーではなく、シャーマンだとでも?

「|吾《あ》れを殺しても死体から宝石が出たりなどせんぞ。お前の手で一思いにやればよいだろう、そのための白い鉄の剣ではないのか? それとも、ただの棒切なのか、それは?」
「同意を頂けない|山を削る《…》のには、多くの人でが必要です。おわかり頂けますよね?」

 男が二人近づいてきて、私の腕を掴み上げた。後ろ手に縄で縛り上げられ、蹴り飛ばされる。リーダー格の男が私の胸ぐらをつかみあげ、鉄剣で服を裂く。山と一体化する儀式のために描いた紋が、異人の目前に晒される。

「っ!? 山の神体だぞ! 貴様ら如きが、儀式なしにみだりに目にしていいものではない! 控えろ!!」
「ですから、あなたにはもう、山を辞めて頂くのです。いかに民が一人も従っていないとはいえ、このままで捨て置いては山体を護持されてしまいますから。この|山《体》には、|穴《・》を開けて水脈の通りをよくせねばなりません」

 男が鉄剣を振り上げ、それを思い切り下ろす。剣の切っ先は、横たわる私の足と足の間の地面に突き刺さった。

「目を逸らさないとは、やはり気丈な方だ」
「褒めてもらってこれほど誇らしくないことは初めてだ」

 減らず口を、とリーダー格の男は剣を抜き、数歩下がる。代わりに近寄ってきたのは、他の兵士たちだ。全員が、甲冑を脱ぎ肌着に近い。ニヤついた表情でにじり寄ってくる男達。武器を捨て肌着に近い姿で、私に何をする気なのか。流石に、私にも、分かってしまった。

「……貴様ら、まさかっ」
「これも、祭の一環です。山に穴を切り、湖水を抜く。あなたにはその贄となって頂く」
「お、犯す、つもりか、|吾《あ》れを……|山《神》を……!」
「土蜘蛛の神、もうあなたを語り継ぐ者はいません。奉じる者も。あなたの名はここで消え、穴を切られて体も失うことでしょう」
「ふ、ふざけるな……っ! そんなことは、ごめんだ!」

 冗談じゃない、私は山でなくなったとしても、これからは一人の存在として生きていくつもりだったのに、そんなことをされては……!
 私は立ち上がって駆け出す。一番人の壁の薄い部分を、突っ切って一か八か。
 だが、いくらなんでも無理があった、あっという間に掴まって再び地面に突き倒されてしまった。

「往生際の悪い。先程はせっかく外して差し上げたのに。|あそこ《…》に穴さえ開けば、他はどうだっていいのですからね」

 男は剣を鞘ごと振り上げて、垂れ込んだ私の脚に振り下ろした。

「があああっ! い、あ、いっ!!!」

 それは脛に当たり、きっとひびが入るか、下手をすると、折れたかもしれない。

「そうなってはもう逃げられないでしょう。もう自分の脚で立つことも難しいでしょうね。こっちもそうしておきますか」

 男がもう一振り、鞘を振り下ろした。

「ぎゃあああああああああっ!!!」

 両足から、今まで感じたことのないような激痛がせり上がってくる。動かすこともままならない。痛みが大きすぎ、目の前で真っ白い光が幾つも飛び散って、意識を揺さぶってくる。

「あ……あ……っ……」
「ふん、こうなってはただの小娘か」

 逃げられずにこの場で犯される。それ自体も想像したくないことだった。両足から昇ってくる神経そのものを焼くような痛みも耐え難い。だが、何よりも絶望をもたらしたのは。

(脚が……|吾《あ》れの、脚が……自分で立って歩くための、脚が……っ)

 もう、歩くことが出来ない。一人で、私一人の力で立って|歩き《存在し》たかっただけなのに、それももう、叶わない。
 絶望に、言葉をうまく紡ぐことが出来ない。私は、何故こんな目に合わなければならないのか。これが、神の宿命なのか。人を従えることで存在してきた、非自然の、非自在の、依存性の神の、憐れな末路だというのか。

「やれ」

 リーダー格の男の冷ややかな言葉が、耳に入ってきた。



§§§



 ごっ、と、とても人体から響くような類のものではない音が聞こえた。小さな女児の体が、まるで人形みたいに横に曲がって、倒れる。
 捕らえた男の手に噛み付いて逃げ出そうとした|女児《花鹿》だが、すぐに距離を詰められて側頭部を殴り付けられたのだ。足をやられている女が、とても逃げられるわけがない。

「お前、子供相手にマジになりすぎwww」
「こいつ噛みつきやがって……」
「どうせこの足じゃ逃げれねえよ」

 男の腕には手加減無く噛みつかれ、肉にごっそりと歯が沈んで裂けた跡が残り血が滲んでいる。拳を食らった|花鹿《かじか》は倒れたままだ。脳震盪でも起こしているのか、立ち上がろうとするが敏捷さに欠いている。

「このアマ!」

 男は激高して、横たわって朦朧としている|花鹿《かじか》へ、追加で思い切り蹴りを入れた。蹴り上げた男に比べれば、|花鹿《かじか》の体はまるで蹴鞠のように小さい。小さな体が蹴り上げられて僅かに宙に浮き、落下して地面を転がる。|花鹿《かじか》の体は、力なく仰向けにひっくり返った。

「がっ……! ひっ、ぁ」

 蹴りは鳩尾を打ち抜いたようだ。
 それがたとえ30分前まで神と呼ばれた者だったとしても今はただの小娘に過ぎない、屈強な男から思い切り鳩尾を蹴り抜かれて、呼吸困難を招いていた。脳震盪で目眩と頭痛を生じている中で、呼吸もままならない。大きく口を開けて舌を出すが肺に空気を取り込めずに苦悶の表情を浮かべている。脳震盪のせいで焦点もあっていないらしい、苦痛にかっと見開かれたまぶたの中で、瞳が彷徨い動いている。

「こんなガキ、使えるのかよ?」
「土偶で抜くよりマシさ」
「おれ、こども、すき」

 男の中に順列があるのかは不明だが、何十人もの男が何層もの人垣をなして、横たわる|花鹿《かじか》の体を取り囲んでいる。

「いいんすか」
「俺はそんな汚れたガキの初物になんか興味はない」

 |倭健《ヤマトタケル》を名乗っていた男に気兼ねした兵士だったが、なら、と|花鹿《かじか》の体を拾い上げた。腕を噛まれた男だ。
 |花鹿《かじか》が小さいのもあるし、男が特に大柄なのもある。仰向けのまままともに逃げることも出来ない|花鹿《かじか》の体を引き寄せ、まるでママゴトの人形でも弄ぶように両手で両の足を掴み広げた。男の股間には、体の大きさに相応しいサイズの男性器が屹立している。周囲の男たちも、過半身を晒していた。
 呼吸を何とか取り戻した|花鹿《かじか》は、激痛を抱き続けている足をばたつかせて細々とした抵抗を見せる。

「貴様、らっ……よく、もっ」
「ああ?」

 だが、全く効果などない。それどころか徒な抵抗は男たちの劣情を煽るだけだ。しかも、暴力的な。

「うっせーよ、クソガキ」

 ばすんっ!

 男が、仰向けで抵抗を見せる|花鹿《かじか》の腹に、拳をめり込ませた。

「ぐげえっ!」
「はははははっ! なんだよ今の声www おもしれーw」

 ばすんっ
 男はもう一つ腹に拳をめり込ませる。

「がぎゅ……っ!」

 男達はげらげら笑いながら、|花鹿《かじか》の腹を殴る。もう一発。
 ぼすっ!

「げぁあっ……ぁ」

 さらにもう一発。そのたびに反射的に体を折り、苦悶の声を上げて目を見開く|花鹿《かじか》。男達はその様子が面白いようで、何度も何度も拳をめりこませる。
 どすんっ!

「や゛……や゛め゛っ」

 ばすんっ! ばすんっ!
 ばすんっ! ばすんっ!
 ばすんっ!

「う゛ぶっ」

 ばすんっ! ばすんっ!
 ばすんっ!
 ばすんっ!

「う゛っ……ぐげえげぇぇぇぇっ」
「きったねえ、吐きやがった」
「げっ、がはっ……」

 仰向けのまま吐瀉物を噴き出す|花鹿《かじか》。消化された食べ物は殆ど無い、胃液と水ばかりだ。
 西との戦いが始まってからは、|花鹿《かじか》は食べ物は「神饌」と称して戦士たちに優先して与えていた。それも、こうして負けてしまえばあまり関係のない恵みだったことになるが。
 その様子を見ていた|倭健《ヤマトタケル》を名乗る男が言う。

「おい。遊ぶのは構わないが、穴を切る前に死にでもしたらお前達全員で身代わりにする。それでも足りないがな」
「わ、わかってます」

 男は|花鹿《かじか》の体をうつ伏せにして、背中を叩く。ぼす、ぼすっ、とそれも不必要に強く、|花鹿《かじか》の腹腔か肺に反響するような低い音が混ざった音が響く。

「かはっ、げほっ、げほっ、っぐ……ころすなら……さっさと、ころせ」

 四つん這いで咳き込みながら、|花鹿《かじか》はそれでも気丈を振る舞って、リーダー格の男を睨み付ける。だが焦点はぶれて二重視になり、息苦しさの涙で滲んでいる。

「あなたを殺すのは私達の仕事ではありません。死にたければ我々の|仕事《・・》の後で、ご自由に、お一人でどうぞ。……おい、さっさとやれ。」
「は、はい」

 散々|花鹿《かじか》の腹を殴り続けた男が、再び|花鹿《かじか》を持ち上げる。
 仰向けに直すと、赤く腫れた腹部には、紫に鬱血も見えていた。その痛々しさにさえ何の引け目を見せることもなく男は特に前戯もせずただ無造作に、男根を|花鹿《かじか》の女陰に当て、そのまま押し込んでくる。

「や、やめ」

 ぐりっ、ごりゅっ
 余りにもサイズに差がありすぎる、鼠の巣に入ろうとする狼のようなものだ。それでもお構いなしに突っ込むと、無理に押し広げられた入り口が痛々しく引き伸ばされ、腹への流れ弾ならぬ拳が当たって赤く腫れている下腹部が不自然に盛り上がる。

「ぎっ、あ」
「きつすぎて使えねえかも」
「じゃあお前がちょうどよく拡げてといてくれよ」
「なんだそれ。一発目とおもって楽しみにしてたのに、土木工事かよ畜生」

 そう言って、男が男根を最後まで押し込んだ。

 ずぶんっ!

「がああああっ!!」

 下腹部の盛り上がりは人体だと思えない異常ささえ感じる。入り口は限界まで引き伸ばされたまま内側に巻き込まれるように姿を消していた。

(|吾《あ》れは……|吾《あ》れは、なんで、こんな)

 男のペニスは、|花鹿《かじか》の内側へ強引にこじ入っている。|花鹿《かじか》の処女は、失われた。
 だが、処女だとか破瓜だとか、そんなこととは全く関係がなく、まるで事故にあったり怪我をしたかのような、そんな形での貫通だった。
 神であり山であり、その嫁であり顕現であった|花鹿《かじか》にとって、確かに処女性は一つの重要なものだったが、それは神であることの条件ではない。相応な機があれば男を受け入れ子を産むことも神の重要な仕事だ。男も神であることが望まれるが、そうでなくとも受け入れた男は神と同じ立場に引きあげられる。処女性とはそういったものだ。だが、だからといって粗末に扱われるものではない。

「|阿祖見山居比女《あそみやまいのひめ》に、水路は通った。これで、晴れて|阿祖見《あそみ》の山を削り、鋤を入れ穴を切って川を通して水を抜くことが出来る。この土地にも豊かな水田が拓けるはずだ。これよりここは我々の土地となる。|大王《おおきみ》もお喜びになろう」

 だというのにこの貫通は、単に|花鹿《かじか》を女でなくすためだけの、作業だった。リーダー格の男はこれを「仕事」と言ったし、今|花鹿《かじか》を貫いた男は「土木工事」といった。
 今の|花鹿《かじか》には、神どころか、人としての尊厳も認められていないようだった。

「きっつ……あー、でも、案外……」
「痛い、いたいっ……ぬいて、ぬいてくれっ」
「うっせーっつってんだよ」

 がすっっ

「あぐっ!」

 男が|花鹿《かじか》の顔を殴る。唇が切れて、

「もう|穴は通った《…》んだ、後はお前を殺したって構いやしねえ。そう、ですよね?」

 男が、|倭健《ヤマトタケル》を名乗る男に向けて許しを得るように聞く。

「薄汚い土蜘蛛のガキ相手によく勃つものだな……。もう|穴は通った《…》んだ、好きにしていい。俺は陣に戻る。明日の日の出には橿原に向けて出発する、それまでに|済ませろ《…》よ」
「はい」

 |倭健《ヤマトタケル》はその場を去る。これでおそらく、この行為の抑止が可能な者はいなくなった。残ったのは、|花鹿《かじか》を犯すために残った兵士の男達だけだ。

「お許しが出た、楽しませてもらうぜ。神さまとヤれるなんて、滅多なことじゃねえ。……もう、『元』神か。ま、穴にゃ変わりねえ」

 使わせてもらうぜ、といいながら、男は腰を動かし始めた。サイズ不適合な|花鹿《かじか》の膣はがっちりと食いしばってしまい、男が腰を動かしたところで摩擦を生まない。男は舌打ちして、|花鹿《かじか》の腰辺りを掴んで固定し、ペニスに摩擦が生まれるように動かし始めた。

「ぎゃあああっ、いたい、いだいいいっ! やめ、やめ……ぐっげっ!」

 悲鳴を上げて痛みを訴える|花鹿《かじか》に向けて、男はもはや何も言わずに顔を殴る。一発目の時点で切れた唇は大きく腫れていた。無造作に放たれた二発目は、左目の辺りに当たったようだ。左目を押さえて痛みの声を……噛み殺した。叫ぶと、再び殴られると、思ったからだ。
 |花鹿《かじか》がおとなしくなったのを見て、男はいよいよ無遠慮に腰を振り細すぎる膣道を乱暴に掻き分けて抉り、愛液ではなく血で濡れた肉と摩擦させはじめた。体が揺れるたびに、打たれた腹と脛に痛みが走る。

「ぐ……く、……ううぅっ……っ」

 焼けるような痛みが、下腹部からせり上がってくる。
 引き抜かれる度に、膣の肉だけでなく、まるで内臓まで引っ張り抜かれるような気持ちの悪さ、それに、摩擦のたびに肉を引き千切られるように痛い。押し込まれると、強烈な圧迫感。お腹だけじゃなく、まるで頭の天辺まで、内側から何かが膨らんでいるような内圧を感じて、破裂してしまいそう。柔軟に伸びて適合外のペニスに応えてしまう自分の肉が呪わしくさえ思えて、涙を流す|花鹿《かじか》。

「泣くなよ、カミサマだろう? ハハハ!」
「|吾《あ》れが……なにをしたって、いうの」
「はあ? 土蜘蛛が俺達に逆らうおかげで、俺達はこうして|望みもしない《…》殺し合いに駆り出されて、お前達に仲間を殺されてんだよ。何もしてないだなんて、上でふんぞり返ってる神様らしい言い草だな!」

 細い肉筒との摩擦を最大限楽しもうとする男、そうして擦り上げられるたびに神経を直接ヤスリで擦られるような激痛が走り、無理を強いられた組織がちぎれて血が流れる。
 男はお構いなしに腰を動かして、単に射精のために摩擦を得ようとしている。

 ずるずるっ

 引き抜かれると、無理やり押し広げられた膣肉が、めりめりと引っ張り出される。

 ずずずずっ

 押し込まれると、膣肉のサイズで追い付かない分、外の肌を飲み込んで押し込まれていく。

「はっ、っい゛……あ゛っ゛! いた、いっっ……」
「きっついわ、おい、もうっちょっと緩めろよ、感じてんのか?」
「そん、なわけが、あるかっ、こんな」

 がすっ!

 これから射精用に使おうというのに顔を打つのは得策ではないと思ったのか、男は再び腹を打った。
 唇は腫れ上がり、左目の周囲も青く内出血で染まっていたからだ。これ以上見た目が崩れると、目に入れるだけでも萎えるだろう。

「お゛、ぐっ……ぇぇっ」
「|感じてるんだよな《…》?」

 |花鹿《かじか》は再び殴られるのが恐ろしくなり、感じてなどいないにも拘らず、小さく頷いてしまう。
 感じてなんかいない、それどころか苦痛しか無いのは明らかだ。股の間を濡らすのは性的興奮による愛液ではなく、生理的な防衛機能としての分泌液と、裂けたところから出る血液だけだ。

「ははっ、こんな乱暴にされて感じてんのか、|不合《あえず》の|阿祖見《あそみ》の土蜘蛛は、とんだ変態女だ! ははははは!」

 ずぼっずぼっ、ずぼっ、ずぼっ!

「ひっ、あ゛っ、 ああ゛っ……いたい、いたい、いたいっ……もう、やめて、やめてくれぇっ……」
「そう言わずに、楽しめよっ」

 ごりっ、ごっ、ずりゅっ、ぐぼっ

「う゛っ、ううっ……ぐっ、うううっ」

 歯を食いしばって痛みに耐え、声を殺して、涙を流す|花鹿《かじか》。
 この場に、彼女の苦痛を少しでも救ってやる者はいない。周囲でこの強姦を見ている男達は、彼女を救うどころかこのあとに続いて彼女を犯し続けるだろう。
 一人の相手だけでもこれほどに苦痛なのだ、複数の男達の相手を続けるなど、|花鹿《かじか》には想像できることではなかった。

「あー、こなれてきたな、だんだん良くなってきたぜ。ちんぽに食らいついてきやがる」
「……っ! っぐ、ううっ……」

 男の動きが機械じみて、早くなっていく。それ以降男は急に無言になり、血走った目で|花鹿《かじか》を見ている。容積の限界を超えた|花鹿《かじか》の膣内で男の男性器はもう一層膨らんで、射精が近いことを示している。
 だが性の知識など何もない|花鹿《かじか》には、それが射精の前触れだなどとは知る由もない。ただ苦痛に耐えるために目をつむり、股の間で蠢く異物感に耐え、体中の打たれた場所から伝わる痛みを無視しようとつとめ、声を殺して、でも、涙だけ止めることができていない。

「っし、出る、あーでる、でるっ」

 どぶっ、どぶぶっ、びゅうっ!

「っ! あ、あぐうっ……っうっ……」

 おかなの中に、何か液体を注ぎ込まれる感じを覚える|花鹿《かじか》。それが何なのか、彼女はよく分かっていない。ただ、これがこの行為の終わりなのかも知れないと、思った。男が何かをやり遂げたように呼吸を整え始めていたからだ。だからといって|花鹿《かじか》の痛みが引いていくわけではなく、股の間に存在する巨大な肉の塊はまだそこにある。
 |花鹿《かじか》にはセックスから子供が生まれるメカニズムの知識など無い。自分が妊娠可能な体なのかどうかなども知らない。今体の中に注ぎ込まれている液体が子供の種だということだけ辛うじて知っているだけだ。今、彼女が感じているのは、単純だが深刻な、膣から襲ってくる

「きつすぎて無理かと思ったけど、いや、結構良かったぜ、へへ。工事しといたからよ、少しはユルんだと思うぜ」

 男が、肉棒を膣から引きずり出す。

「ぐぎ、ぎ、あ゛ああ゛っ!」

 伸び切って擦り切れた入り口。千切れて血を流している粘膜。肉棒が引きずり出されると、行為の前には内側に収まっていた何か赤いものが、少し外に飛び出している。

「緩くなりすぎてなきゃいいがな。ほらさっさと代われよ。ほんとは中を洗ってほしいくらいだ、てめえの子種汁とちんぽが触れると思うとあまりいい気がしないぜ」
「そりゃこっちのセリフだっつうの。贅沢言うならやめとけ、国にいる奥さんの方がいいだろ」
「それとこれとは、別だ。おら、今度は俺の相手だ」
「ま、まだするの、か?」
「あたりめーだ、ここに居る全員の相手をするんだよ」
「む、むり……むりだ、そんなのっ!」

 がすっ!

「するんだよ。さっさと股開け、もう一発殴られてえのか!?」
「うっ、うぐ……あ゛、っ゛」

 口でも体でも、もう、|花鹿《かじか》には抵抗する力が残されていない。その意志も、失われていた。
 一人で生きる力を持たないまま神だなどと持ち上げられ、しかし周囲の者が誰も居なくなったときにあまりにも無力だった自分を呪い、過去の全てを後悔の色で塗りつぶしながら、悲しみなどという言葉一つで表現しきれない絶望的な落胆の中で、更に今上から被せられていく苦痛に、埋もれようとしている。

(一人のままいきるほうが、よかったんだ、こんなことになってしまうなんて)

 |花鹿《かじか》の周囲でに群がる男達。これとて、そうだ。一人だけならこんな悪意もそう育つことはないだろう。集団をなして、お互いの悪意をお互いに増幅し合うから、こうなるのだ。私が一人ではなかったから、争いが大きくなったのか。
 私が一人で生きる力を持っていれば、自分の社会を壊されることを恐れて西に抵抗しようとなんか、しなかったかも知れない。西に取り込まれても、私は私だと自信を持っていれば、無駄な戦なんてしなかったのかも知れない。誰も死なずに澄んだのかも知れない。
 他人からの承認なしに生きていける強さを持っていれば、私だって、こんなに痛い目に遭わずに、済んだに違いない。

(それでも、ひとりは、いやだったんだ。それが|吾《あ》れの、限界だったのか)

 |花鹿《かじか》は、過去の自分を否定して苦痛と失敗の理由を振り返りそれを後悔する感情で心臓と脳を埋め尽くすことで、一つ一つ外界との感覚をシャットダウンしていくことに成功し始めていた。この苦痛を受けているのが他人だなんて逃避は、今の彼女には許せることではない、逆に、この苦痛の状況を自分の落ち度に対して妥当で正当なものだとして自分を納得させることが、唯一の逃げ道だった。
 そうやって、後悔に揺蕩っている間は、痛みも辛さも、薄らいでいる気がした。その苦痛まで丸ごと、自分のものだと思えていたのかも知れない。
 痛みとは本来、異物や外部による障害を回避するための機能だ。そうして後悔を自分の一部として認めることで痛みを内包しようとすることは、彼女自信が拒否したくて仕方がなかった「外部からの刺激による自己の輪郭認識への、甘え」への近道に他ならない。
 自分の信念を砕かれその上で、|花鹿《かじか》は、痛みと苦しみによって自己を掘り出されてしまったことを、自覚せざるを得なかった。



§§§



 血が止まらない。流れ出てくる血は、どす黒く汚れて忌まわしく粘って絡みつくように感じられた。
 純潔を失うとは、こういうことなのか。

(他人に触れられて、|入れられ《…》ても、結局、|吾《あ》れは)

 犯されている間は、月に一度股を汚すあの重たい血に比べれば全く平気だと思っていたのに、一人放られ山中に取り残されているとそれは、私が一人になるのを待ち構えていたかのように、無性に心を蝕んできた。
 肉に向かう痛みではないのらしい、かと言って、心というものの一体どこがこれほどに痛むものなのか、私は知らなかった。
 体が重い。すぐに収まると思っていた股の出血はじくじくと未練たらしくい痛みを残していて、だがむしろその肉にまつわる鋭い痛みを噛み締めておかなければ、その背後で錆びた鋸を構える別の痛みに取って食われてしまいそうだった。
 名もない草が、私の体に突き刺さる。小虫が木か石か何かと変わらぬと、私の体を這い上がる。穿たれ砕かれた岩端は、もう山ではなくなっていた。昨日まで山に住んでいた者も、もはや私のものではなくなっていた。昨日までは私を崇め奉っていた(いや、もうとうに昔からそうではなかったのかもしれないが)木が、草が、虫が、風が、雲が、土が、水が、あらゆる者達が、今は私を無視し剰え異物とみなしている。ここにもう山はなく、私はもう山ではなくなったからだ。
 体を引きずり、もう私を何者とも思わなくなっている木立の一つに縋って背を預けた。冷たい、私を迎えるつもりはもう、無い。

(こんなことなら、彼を受け入れていればよかったのか……?)

 あれだけ都合よく扱い、そばに置き触れておきながら内側に入れさせることは拒み続けた、彼をまた都合よく、思い出している。

「|吾《あ》れは、また」

 これだ。この、あまりに利己的な思想。こんなときに都合よく、私を最後まで肯定していた者を思い出して、縋ろうとしている。本当は、自分で自分の存在を担保しなければならないというのに、代わりにそれをしてくれたかも知れない者に責任を擦ろうとしている。他人の承認を当然と思うこの染み付いた思想が、呪わしかった。

(もう……自ら立つ術が)

 他人が私の中に入ってきた。私はこの痛みを感じながら、この痛みの中に自分の存在を認識してしまう。こんな風に自分の存在を証明するなんて、望んでいなかったというのに、力の無さか、それとも気付くのが遅かったのか、私は他人に侵入され壊されることで、自分の輪郭を描いてしまった。私という存在の中に、他者が存在する。何者にも犯されない私でいたいと願うことが何故こんなにも遠いのか。私は、私以外のものになってしまった。
 穴を切られて他人の存在の侵入を許した私はもう、私ではない。山でも神でもない。……女でもない?
 もうじき、私の中に、私以外のものが発生するだろう。私の腹の中に異物が生じ、私の体を喰らい始める。私の乳房から他人のための液体が流れて、それを嬉しいと、思う気持ちの悪い私に変わってしまう。

 霊山阿祖に宿る神霊を崇め火と山を拝む我らの土地を平らげ、白い鉄を以って奴らはこの地を西から侵した。木を切り倒し山を削り川を曲げて我々の大地を侵略したに留まらず、奴は|私《山》を蹴り倒し、|貫いて《・・・》は湖の水を抜いて、私の犯して、私に子を孕ませた。その地で見知らぬ|草《子》を育てようとしている。
 |不合《あえず》国は再度滅んだ。倭人は我々阿祖を奉じる国を征服し、私達に太陽を崇める国への転換、あるいは服従を迫っている。
そこにはもう私は含まれていない。

 |不合《あえず》国は、倭より更に西で国を築いていた者達がこの地に来て、|阿祖《富士》を中心とした私達を崇拝し築いた国だ。それは、遥か西の祖国の再生のつもりだったらしい。遥か西方で築かれていた元の国が一体何者なのか、私には知ったことではなかったが、民が私を崇め供物を捧げ、私祭り上げたその姿形が、それだったのだろう。|阿祖《富士》も私も、遥か西にあった別の神の代用品だった。
 倭の下で、|阿祖《富士》も他の山々も、何らか別の存在に貶められ、あるいはその貶下も忘れられながら、存続していくだろう。だが、私だけは違う。私はそこにはもう含まれていない。二度と語られず、顧みられることも無いだろう。
 他の神々と違い、私だけは、倭人に徹底的に犯され、貫かれ、崩され壊されて、存在しない者として、抹消されたのだ。自分の存在を確立することも出来ず、他人に犯され殺されることでだけ存在が確認され、その望まぬ子どもたちだけが後世に残る。親の存在は語られない。
 犯された傷跡が、痛みを訴えている。削り取られた|峠《ほと》を、流れ出ていく|水《血》。阿祖の麓で滔々と水を湛えていた湖は、|貫き《・・》開かれた大穴から水が抜かれて、倭人の望む通り盆地となった。

「痛、い」

 この口惜しさを、この痛みを、どうして晴らさずにいられよう。私が消えてしまう前にどうにかして倭人に報いてやりたい。だが、犯され純潔を失った私はもう山でも神でもなく、もはや何の力もない。口惜しい。恨めしい。
 木に背中を預けながら、無力に空を仰ぐ。山だった頃は随分近くに感じられた空は、今ははるか遠く思える。私はもう天からも見放されたのだろう。遥か彼方、月影に削り取られてぼんやりと見える阿祖。

「この山を犯すものなど、滅んでしまえばいい。滅んでしまえば。滅んでしまえ、滅んでしまえ……|吾《あ》れを|消した《…》者なんて」

 土に爪を立てて握ってみても、何も起こりはしない。ただ、もう私を何者とも思っていない土が、私に冷たい態度を取るだけだ。
 私はもう、|山《神》ではない。ただの、何者かだ。人なのかもしれないし獣かもしれない。女神として犯され削り取られて名を失った私は、程なく存在も失うことになるだろう。だがきっと、私が消えてしまうその前に、私はきっと子産みをせねばならない。倭に孕まされた倭人の|神《子》を、私は産み落とすのだ。そして私は私ではなくなる。
 忌まわしい。胸が締め付けられ火を点けられたようにしみる。今、腹の中で子が脈打っている。何が生まれてくるのだ。産みたくない。倭人の子など、産みたくなんて……!
 下腹部で動き回るそれは、すぐに激しく私の胎内を蹴り始めた。元気な、などと喜ぶわけもない。出てこないでくれ、そのまま消え去ってくれ。そう何度も願うがそれをあざ笑うように内側から伝わる新たな穢神の胎動。

「厭……厭だ……」

 痛みが引かない内にすぐに生まれ出ようとするのか、この忌み子は。内側までざっくりと裂けた傷跡を残すほぞ、痛みを堪えるように手で押さえていると、それはもう、頭を出していた。頭の先からでもわかる、それは、身の毛もよだつほどの異形をしていた。

「い、いやああああああああああああ!!!」
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むりかもしれません。

みこう悠長
http://monostation.blog112.fc2.com/
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
指フェラしながら結合するのを想像しただけで射精する穂多留比きゅんクッソ嗜虐心煽ってくるなにこの可愛い生き物!?腰を振って交尾したいアピールしても挿入れられないことにくやしい連呼しちゃう男の子(いやむしろ娘!)とかたまりません
神としての環境が染み着いた心と、燻ぶるような女としての心に板挟みにあっても、人として、少女として決断して生きる道を取りあげられた幼い彼女にはそれを消化も昇華もできなくて、自分を囲む神というしがらみが己の影みたいに切り離せなくて……周りの思惑が大きかったとはいえ、自分の判断が招いた最悪だったとしても、少女が負うにはあまりにも酷というほかない結末で、スクロールするのをためらってしまうほどに胸が痛くなりました
裏切り者のなかに熊野(ヤタガラス)という新情報があり、その力を宿すお空が今後関わってくるのか、諏訪の思惑がどう絡んでいるのかが気になるところですが不安も大きいですねぇ。ニャマムにとっては仇に等しいですし、あれほど執拗な態度を見せていた守矢も不自然といいますか、なんか不都合があるんじゃないかと思われますし、今回やばいくらい人間関係が絡みまくっててドキドキが(おもに不穏な意味で)止まりません。ああどうか誰も死にませんように!!(でもタヒんだらタヒんだで展開的には面白かったりするのですが(ゲフン)……とてもアンビバレンツです)
そしてサユリパートが相変わらずめっちゃ面白いですね!!!!道くんとの考察応酬が楽しいし紐解かれていく情報がなによりも気持ちいい!祝主の場面が特にやばくて、宿主=やどぬしという答えを出されたときはもうあれです、ミステリの謎の点と点が線で繋がった瞬間のあの〝ぞわっ〟とする感じが全身に走って快感(アハ体験!)と事実による悪寒が入り交じったなんともいえない悦がありました。ていうか全然気づかなかった、故に気づかされた瞬間がもうたまらなかったです。んもぅ、サユリん愛してる!!
地下に繋がる穴ってもう幻想郷に繋がってるあそこですよね……それか廃獄《シェンディ》に。たべにきたの一文も興奮とも焦りとも取れる短さですし、ニャマムに食べられたというあたりがつきますねが、そうすると今度は現祝主(宿主)である現代の花鹿は誰なのか?という疑問が出てきますねぇ。まあただの風習として名ばかりが残った祝主なのかもしれませんが、それもこれからの話でわかるのかもしれませんね。ああっ、続きが待ち遠しい!
そして今回のアクメ担当はなんとキスメ!人と怪物体が混ざったニャマムの愛撫やセックスは異種姦や触手姦に通じるエロさを感じました。桶に収まっている退化気味な下半身があらわになるキスメってなんか犯罪的なものを覚えますねぇ、キス毒と多腕による愛撫でとろけさせられて三段構えの輸精管でアヘアヘにさせられるのもそうですが、なにより男口調な女の子がセックスのときに女の子になっちゃうのって最ッッッッ高に可愛くないですかぁ!?!?!?アヘ体験ですよ!Gスポットとポルチオを同時に味わいながらおちんぽバイブレーターでイキ狂うキスメがめちゃシコエロかったです。ぼさぼさでも髪留め外した女の子って可愛いですよね
最初は余裕あったのに段々焦燥していくニャマムは、やっぱりあの過去が原因で歪んじゃったんでしょうか……散々犯されて男を忌避しているが故に女でしか興奮できなくなったのかもしれませんが、行為中に男役をやるたびにフラッシュバックしてしまうんでしょうか。幼いキスメの姿に過去の自分を投影していたらと思うとやはり胸がいたいです。彼女をそばに置く理由としても穂多留比の代用みたいな感じが否めなく、あの頃に手放した、届かなかったものをいまでも必死に無意識に手を伸ばしてあがいている感じがしました。弱っていたところに男を感じた(←とてもわかりすぎる)穂多留比のことが、自在よりもほしいものかもしれない、いや自在であらねば手に入れられないと考えているかもしれませんが、身に宿した燃え尽きることのない怨嗟を沈めるキーパーソンはリグルでしかないでしょう。しかしほんと彼はたらしというか女運がない(良い?)というかwこのハーレム系主人公めと罵りってやりたくなりますねぇ。ざぐとみに蝕まれているであろうニャマムのことを解放してくれることを願うばかりです
今回もとても楽しめました、花鹿にとってのやり直しのための物語がどのような決着を迎えるのかわかりませんが、見守っていきたいと思います、ありがとうございました
……え、原稿が間に合わない?大丈夫やれるやれるいけるって!どぉおして諦めるんだやればできるって!もっと熱くなr(ry
誤字脱字報告にて終わりたいと思います↓

だが呼吸一つでそれがそうにか収まるようなはずもない→どうにか?
でも、たとい口付けを
したとしても、→改行?
私には酷く傲慢考えに思えている→傲慢な?
肯定の言葉や頷きを返す代わりに私は指を舐める下の動きを強くして→舌
特にこういう始めてくる土地の人々を見ているとわかることも→初めて・はじめて
痒いくらいで住んでいるのだからきっと大したことはないのだろう→済んで
どっちが好き化だけの話だろうけれど→好きか
「その『湯かぶれ』自体は今でもまま見ますけれど、→まだ?
山にこもって過ぎ去るのを舞ったと言われる→待った
正直近寄りたいものではない。それを肯定するように立入禁止の札があったはずなのに、なくなっている。誰かキていったのだろうか→来て(意図?違ったらすみません汗)
何にでもかにににでも→かんでも?
彼等が炒なければ私など→居なければ・いなければ
宇津呂木《うつろぎ》がもその勝利への揺るぎない確信を私と共有してくれていなければ→助詞の揺れ
「でも、助かった、と言っていいものか知ら……」→かしら
こうして何とか逃避してしまったから私達の側の生き残りがどうなったのかを見ずに澄んでいるが→済んで
奴らの中にいるとあ思えない→いるとは
それでも私はあなたついていくと決めたんです→あなたに?
キスで注ぎ着込まれた毒を念入りにまんべんなく揉み込んでいく為みたいな感じ→注ぎ込まれた
キスしながら体中を愛撫されてる体と思う→されてるからだと思う?
ドラスティックに好きしてぇっ→好きに?
イッてるときにときに手握られるの→ときの衍字?
相変わらず、凄い行きっぷり→イキ?
正直、ニャマムらしくないともう→思う?
私とにゃマムの間には何一つだって関係はないのだけど→ニャマム
昔からあることだけ走っていたし、この穴がある日ニャマムの手で別の性質を得たことだけ走っている→だけは知って(同行内二カ所)
ゆっくりの代わりにどこまでも上に昇っていける→ゆっくりと?
この耐え難い状況を何とか切り抜けるべ再び決意を促す→切り抜けるべく?
奴等の姿が、既に底にあった→そこに
「まだその話が行きていたとは驚きだ」→生きて
脳震盪で目眩と頭痛を生じている中で→頭痛が?
|花鹿《かじか》の周囲でに群がる男達→格助詞の揺れ
誰も死なずに澄んだのかも知れない→済んだ
彼女自信が拒否したくて仕方がなかった「外部からの刺激による自己の輪郭認識への、甘え」への近道に他ならない→自身が
私祭り上げたその姿形が→私が?

ここからが少し自信がない部分で……↓

それ以外にああやって私に感情をむき出しに私にぶつけてきたり→むき出しにぶつけてきたり
証明されるべきだのだ→なのだ?(私の知識不足かもしれません、違ったらごめんなさい汗)
その代り→代わり?
今回は大和武と呼ばれる将軍を各地に派遣して徐々に各地を征服して回っていると聞く→倭健(表記揺れ?意図してだったらごめんなさい汗)