真・東方夜伽話

予期せぬ来訪者(3)

2018/01/10 02:07:49
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予期せぬ来訪者(3)

あか

--前書き--
予期せぬ来訪者(2)の続きです。ご了承ください。
--以上前書き--

 少し前までは枝ばかり見えていた木にも鮮やかな緑が戻ってきた。風が吹けば、随分と懐かしく感じる葉擦れの音が聞こえてくる。まだどこでも咲いたとは聞かないけれど、もう少しすれば桜の季節だ。恒例の宴会を開くことになるのだろうが、年明けのそれに比べれば、ずっとずっと暖かく過ごせそうだ。
 お昼ご飯を食べてから、ずっと動かし続けていた箒を止め、ふっと縁側の方を見てみれば、彼女は縁に腰をかけて座っていた。柱にもたれかかった肩がゆっくりと上下している。どうやら眠っている様だ。こうして見ていると、片方はただの木の柱だけれど、長年付き添ってきた夫婦の様に見える。風に揺れてきらきらと光を返す髪の毛を眺めていると、じわりと視界がにじんで、いつの間にか漏れ始めた欠伸を隠すため口元に手を当ててぐっと伸びをすれば、背骨と肘が、小さく音を立てた。
 視界一杯に映った空はすっかりと晴れている。明日も今日と同じ様に、日向ぼっこに向いた良い天気になるのだろう。それが毎日続いてくれるのなら、どんなに素晴らしいことか。どの日に洗濯をしても日向で干せるという贅沢は味わってみたい。本当に晴れの日だけが延々と続いた時は、それはそれで私の出番になってしまうけれど。



「ピクニックに行きたいですね」

掃除を終え、彼女の傍に腰を下ろした時には、もう彼女は眠りから覚めていた。雑巾がけをした縁側に寝っ転がって、正座した彼女の膝を借りて。真っ直ぐ上を見上げれば、庇に青い空、そして彼女の覗き込む顔が見える。

「行くなら天気の良い内ねぇ」

縁側で寝そべること自体は昔から多かった。春は日差しのお陰で温かくなっているし、夏は風通しの良さに救われて。お陰で、この床の硬さには慣れていたはずだったのだけれど、一度彼女の膝を味わってしまったせいだろうか、最近は昔よりもずっとずっと、床を硬く感じてしまう。私が転がる姿を見たからなのか、最近はリリーもよく縁側でごろんとしていることが多い。思い返してみれば、昨日もそうだったっけ。居間から引っ張ってきた座布団を枕代わりにしてた。

「洗濯物が気持ち良さそうです」

彼女の声に庭を見てみれば、縁側から少し離れた位置で干していたそれが、緩やかな風に乗ってふわふわと浮いていた。ずっと私の服ばかりだったこれが彼女の服も混じるようになって、もう結構経つけれど……ちょっとだけ窮屈だな、とも思うようになった。でも、一応何とかなっている。お洗濯の回数は増えてしまったけれど。

「もしピクニックに行くとして、どこか良い所あるかしら」

どうやら、話している内に足が痺れてきたらしい。もぞりもぞりと足が動き、彼女は私の頭を載せたまま、ゆっくりと足を崩して。頭を置きなおすついでに尋ねてみると、洗濯物を眺めていた彼女がゆっくりとこちらに顔を向けた。

「それを探しながらあちこち回ってみるのも、楽しいですよ」

眉尻を落として彼女が答える。確かにそれはそうだ。時間に追われている生活でもない。もう気にせずに一緒の時間を過ごせるのだ。夜が寂しくて時計の針が早く進んでほしいと願うことももう無く、ただただ、彼女とこうして一緒に過ごせる、そんな緩やかな時間がとても嬉しいのだから。

「あ、でも好きな場所は一杯ありますから。それは一緒に行けたらなって思ってます」
「……うん」

肌を撫でる様に吹いていた風が、垂れていた髪の毛を頬の上へと持ち上げ、それを彼女がそっと撫でて下ろした。自分が助けたこの小さな手に私自身が助けられるなんて、彼女を庭で見つけた冬の晩には思いもしなかったけれど、今はこんな彼女の手が頼もしくて、穏やかな気持ちにさせてくれる。

「もう少し、こうしてて良いかしら」
「勿論です。ただ、お腹の音が鳴っても許してくださいね」
「鳴ったら、お夕飯作らなきゃね」

私が小声で返せば彼女はにっと微笑んで。しばらくその笑顔を眺めた後、丸めていた体を少し伸ばしてみたら、思わず長い欠伸が漏れた。もぞもぞと彼女の方へと体を寄せて、お腹へと耳をくっつければ、風で少し冷えていた耳を通して、じんわりとした熱が広がってくる。

「霊夢さん、そこ好きですよね」
「落ち着くのよ」

彼女が息をする度に、きゅっと押される頬が。身じろぐ度に擦れる髪の毛が。全部が全部、気持ち良いから。炬燵と同じくらいには好きな場所になったのだった。



「……さん」

そんな彼女の膝の上で、いつの間にか眠ってしまうのは、最近良くあることだった。

「霊夢さん」
「あ、あぁうん。どうしたの?」
「もうそろそろ、沈んでしまいます」

勿論それは、こういう風に一緒に休んでいるときだけだ。自然に目が覚めるよりも先に、彼女か、他の何かにいつも起こされて。お陰でいつも眠り足りないと感じる。ただ、それを除けば目覚めはいつも心地良い。温かい肌。温かい笑顔。温かい声。自然と起きるより、よっぽどこちらの方が嬉しい位だ。これで眠りも足りていたのなら、言うこと無しである。
 預けていた上半身を起こしてゆっくりと立ち上がると、長い間身動きが取れないでいたからか、彼女はすっかり固まってしまった足を何度か撫でた後、立ち上がった。

「お夕飯作らなきゃね」

二人して天井へとぐっと伸びをしたところでそう言えば、彼女は愉快そうに笑い、

「楽しみにしていますね」

と。そう言って居間の方へと入って行った。
 いつもどこかご機嫌な彼女だけれど、今日はより一層そういう所を強く感じる。……そう感じるのも当たり前なのかもしれない。今日の食材は彼女が用意してくれたもの。私にとっても楽しみなのだ。今年初めて食べるものだから。それは、筍。
 彼女がそれを帽子にもっさりと詰めて帰って来たのは、今日のお昼前のこと。その時の私は、必死になって神社の中で彼女を探し回っていた。今日に限って彼女は何も言わず、私が眠っている内にお出かけしてしまった上に、中々帰ってこなかったからだ。私は彼女という存在を冬の終わり、もとい、春の始まりにしか見たことが無かったから、神社の中を探し回っても彼女の姿が見つけられなかった時、ひょっとしたらもうどこを探してもいないんじゃないか……って。そう思って、混乱してた位で。今になって、彼女に依存してるんだなって。改めてそう思う。帰って来た時の彼女は、帽子こそ脱いでいたけれど、まるで散歩から帰って来たときの様に、ただただ普通に笑っていて。それにはとても、安心感を覚えたから……。
 そういう経緯で手に入った筍達は、芽に青さのない少し小ぶりなものがいくつか。見る目はあるというか、流石に探すことには長けているのかもしれない。筍は灰汁抜きこそ面倒であれ、噛めばじゅんと湧き出る甘さは、冬をやっと超えた今だからこそ楽しめる貴重な味わいだ。勿論筍の良さはそれだけじゃない。ほっくりさっくり口の中で解けるその食感も良く、煮物に限らず色んな料理に使っていけるから。まぁ、唯一惜しむことがあるとすれば。私の台所に合わせられる食材が少ないことで。今日作れそうなのは……あれに、しようか。



~~



 霊夢さんが台所で包丁の音を響かせるようになってから、ずっと独りで居間の天井を眺めてた。時々、そこに誰かが居るような気がするんだけど、いつ見上げてみてもそこにあるのは木目だけ。夜中はたまに走っている音も聞こえるからか、霊夢さんはネズミじゃないのって言ってた。それは多分本当のことなんだろうけれど……いつも、不思議に思う。
 ぐぅ、とお腹の音が鳴る。お昼ご飯はいつも通り頂いたのだけれど、朝から頑張って筍を集めていたお陰なのか、今日はお腹が減るのがとても早かった。お腹に顔をつけて眠っていた霊夢さんに申し訳ない位で、あまりに恥ずかしかったから、さっきは揺すって起こしてしまった。
 あれから、どれだけの日数が経ったのだろう。あの、宴会の日から。両手で数えられる所までは覚えていたけれど、一日一日と過ぎていくうちに、数えることを忘れてしまった。
 思い返してみると、幸せな時というのはあんまり頭が働かないんだなって。今になって少し思う。忙しかった時の方が私はもっと……こう。色々してたんだ。考えたり、動いたり、あっちこっち行ったり来たりして。今はどうだろう。毎朝起きては少しお外を散歩して、朝ご飯を食べて。ゆっくり日が昇りきる様子を見た後で、お昼ご飯を食べて。午後はお掃除したり縁側でゆっくりして、お夕飯を食べて。……ご飯を頂いてばかりいる。
 だからせめて何かの役に立たなくちゃって、それで今日は筍を取りに行ったのだけれど、霊夢さんに心配をかけてしまったというのは、私を見つけたときの霊夢さんの顔を見れば明らかだった。迷惑も心配もかけさせないというのは、思いのほか……難しいなって、そう思った。

「もうそろそろ行くからちゃんと起きておいてねー」

天井を眺めて段々と疲れてきた目を閉じ始めた頃、まるで後ろから見ていたかの様に霊夢さんの声が廊下から響いて。少しだけ障子を開けて顔を覗かせて返事をすると、お醤油の香りがふわりと風に乗って部屋の中を通って行った。



「お待たせ」

戻ってきた霊夢さんが、いつもの様にお料理を並べていく。ご飯、お味噌汁、お漬物の小鉢があって、そして大きなおかずのお皿。毎日毎日変わっていくのは、そのおかず。今日は勿論筍で、どうやら煮物の様だ……けれど、なんだか見たことのないものが筍の上に乗っていた。

「これは何ですか?」
「かつお節。結構前に紫から貰ったお土産でね。今日のこれはまだ作ったことが無かったんだけど、筍でこういう味付けができるって言ってたから、試してみたの。とさ煮って言ってたかしらね」

それは筍の上で湯気に揉まれながら踊ってて。ちょっと不思議で、でも香ばしくて。私の目はしばらくの間、その踊るかつお節に釘付けだった。ずっと見ていると、段々と元気が無くなって行って……ぺたんと筍にくっついてしまったけれど。
 お皿が並び終わったところで霊夢さんが手を合わせて、そして私も倣って手を合わせて。いつもの言葉を唱えると、そっと箸を手に取った。ほくほくと湯気をあげる筍を持ち上げてみれば……お醤油の香りがとても合う。箸で持ち上げて口元に持ってくるだけでもちょっと満足してしまいそう。一呼吸置いて口の中へと運ぶと、一年の間ずっと頭の隅に追いやられていた筍の味が舌の上を転がっていった。少し肉厚で、歯ごたえがあって。ぐっと噛みしめれば、滲みこんでいたお醤油と、私の知らない独特な甘さが広がっていく。ああ、これがかつお節の味なんだろうなって。思わず、頷いた。

「こればかりは季節が合わずに教えて貰ったときには作らなかったのよね」

霊夢さんが一息ついてそう言った。そこでふっと思い出したのは、少し前に会った紫さんの姿。私なんかよりずっと背が高く……霊夢さんより高くて。そしてこう、大きいのだ。色々と。でもきゅっと締まるところは締まってて。美人と聞いて想像しそうな言葉をただただ並べていくだけで、できてしまいそうな人。どれか一つでも貰えたらなって、ちょっとだけ思ったりする。今は背伸びをしても霊夢さんに口づけするには僅かに遠くて、霊夢さんを抱きしめるには私の胸は……なだらか過ぎて。

「……あまり好みの味じゃなかった?」

ぼーっと考えていると、そんな霊夢さんの声が響いて、慌てて頭の中の景色を追い出した。

「美味しいです。紫さんのことを思い出してまして」
「紫のこと、気になる?」
「……はい」

たぶん、いいえって答えても、霊夢さんには伝わってしまうから。だから私はその言葉に頷いた。

「ご飯の味やお味噌汁の味はね、本当に小さかった頃の思い出がある。もうちょっと甘かったとか、もうちょっとお塩が効いてたとか……その位で、だけど。でも、料理の仕方は分からなかったんだ。それを教えてくれたのが、紫よ」

ご飯の炊き方にお味噌汁の作り方、他にもいっぱいいっぱい……そう霊夢さんが続けて。それからため息を吐いた。

「紫のこと、どう思った?」
「……仲が良さそうだなって」
「あぁ、うん。それはね。……色々、教えて貰ったからね」

霊夢さんがそこで味噌汁を飲んで話を濁して。色々と思い出すことがあるのか、その後は天井の方をぼーっと見つめて。私と霊夢さんとの関係よりもずっとずっと長かったんだろうなって分かってしまうからか、ちょっとだけ胸の中が妬けるようだった。



「ずっとね、見上げてた。……今も、見上げてるのかも」

ふと、霊夢さんが呟いた。その頃には私はご飯もお味噌汁も飲み終わって、取っておいた最後の筍のひと欠片へ箸を伸ばしてた。まだ温かいけれど……今はもう、湯気は出ていない。

「天井ですか?」
「ううん。紫のこと。だからかな、同じ目線で話せる相手が欲しかった。でもね、居なかったんだ」
「私じゃ背が足りないですね」
「そういう事を言いたいんじゃないけど……まぁ、貴女と視線を合わせようと思ったら、私がおんぶすれば良い話ね」


そこまで言って霊夢さんも最後のひとつを手に取って、ゆっくりとそれを口へと運んで。そこで言葉はぷつりと切れてしまった。



~~



 いつも見上げてた。いつも見下ろされていた。その頃の私は、紫を見上げ、色々尋ねては教えて貰って、紫は私の顔を見ながら時折笑ってくれていた。最初の頃というのは、それで良かったのだ。まるで母親の様で……そういう風に動いてくれていたからか、寂しさというものは感じていなかった。
 それが変わったのはいつのことだったか。それは、正確には分からない。少しずつ溜まっていく小さな埃の様に、私の心の中に積みあがっていったものだったから。
 私の見る世界を、紫は知っている。でも、紫の見る世界を、私は知らない。それを知りたくなって背伸びをしてみても、それは全く足りる気配が無くて。紫はそれを見て笑ってはくれたけれど、それから私は少しずつ寂しくなっていた。何もかも、どこまでも吸い込まれそうだと思う程の青空の中、周りの景色も足元も全く見ずに、闇雲に上へ上へと昇って行ったときに感じるような、そんな寂しさ。私は今どこに居て、この空がどこまで続いているのか。……怖気づいた、と言っても良いのかもしれない。

「……さん?」
「え?あ、あぁ。どうしたの?」
「いえ。……その、思い詰めてるように見えたので」

いつもの癖か、私は無意識のうちに使い終わった食器を重ねていた。そんな山積みになった食器の向こうで、彼女が私を小さく見上げてる。勿論、私達の間にもさっきの紫との関係は言えることだ。でも、違うのだ。根本的に、違うのだ。私も彼女も、今はもう。二人で同じものを見ようと、見ていこうと。二人で、そう思っているから。私はやっと……やっと行き止まりの見えない空の先の誰かを追いかけるのを止めて、周りの景色を楽しむことができる。もう、一緒に楽しんでくれる相手が居る。その景色が、果てしなく広がっている地平線の内のほんの一部でしか無かったとしても……私は、それで良い。

「うん。ちょっと考え事をね。食器片付けてくるわ。お酒、飲みましょうか」
「ご馳走様です。ぜひ、頂きます」

当の紫が聞いたら、まだまだ子供だって。絶対言うだろうな。



「霊夢さんのお料理の先生が紫さんなら、私のお料理の先生は大妖精さんです」

残りの少ないお酒の瓶を炬燵の真ん中に置いて、二人並んで入った場所でお酒片手に座っていると、手の中にあるお酒を眺めながら彼女がそう言った。
 大妖精とは、はたして誰だったか。段々回らなくなる頭の中で、ぐいぐいと記憶の糸を辿ってみれば、あの氷精の横に居るどこか居た堪れない子が頭に浮かんだ。特別神社に来る訳でもないからあまり顔を合わせないが、外をふらりと散歩する時に小さくその姿が見えることはある。
 しかし、お料理の先生、か。紫は別に手とり足とり教えてくれたわけじゃない。紫自身が料理を作るというよりは、その式が作った料理を紫が持ってきて、ついでとばかりに作り方を口で言っていくことの方がずっとずっと多かった。勿論、そんな機会が無かったわけじゃない。割烹着姿の紫というのは非常に珍しい姿だったけど、私の記憶の中にはまだ残っている姿だ。ただ、料理をするにも隙間を使うお陰で、とても真似できないことばかりしてて。あの動きを見て料理のコツを盗むのは……誰が見たって諦めただろう。
 いや……そういえば一回だけ、本当に手とり足とりして貰ったことがあった。包丁の握り方だ。その持ち方は危ないから絶対にこう持ちなさいって。懐かしい。

「貴女のお話にはたまにその子が出てくるわね」
「ずっと昔に住んでいた私のお家が、大妖精さんのお家に少し近かったんです。大妖精さん、お料理を頑張るのが好きで……たまにそのお裾分けを頂いてました」

彼女のため息と共に広がるお酒の匂い。少し楽しそうな物の言い方からすれば、恐らくは美味しかったのだろう。

「私は料理ができなかったですから、羨ましくて。それで、ちょっとだけ習ったんです。包丁の持ち方は凄く注意されたんですよ。その持ち方は危ないから止めてって」

案外、最初に注意される話題というのは同じなのかもしれない。思い出したようにそう付け加えた彼女を見て、そう思って。私が笑うと、彼女も笑った。

「どんな料理が作れるようになった?」
「えっと、肉じゃが……みたいなもの」

みたいなもの?

「えと、あんまり得意じゃなくて、いつも……じゃがいもさんが鍋の中から消えてしまうんです」

あぁ、煮崩れか。あれは……慣れるしかない。お鍋の癖や火加減、野菜の切り方に鍋の中での並べ方に、使う調味料。色んなことが絡んでくる。何度私もやったことだろうか。紫は素知らぬ顔で、切り揃えた時の形がきっちりと残ったじゃがいもを入れた肉じゃがを作っていたが、私がそれに近い物を作れるようになったのは、そんなに昔のことじゃない。

「練習あるのみ、ねぇ」
「れ、練習してそれなんです」

ということは昔は芋どころか人参玉ねぎ全部溶かしきっていたのだろうか。それとも、がりっがりに焦げ付かせたか。もしくは、まるで煮えてないか。

「肉じゃがって結構難しい料理だし、ただの料理の練習なら他の料理でも良かったんじゃないの?」
「よくお裾分けに頂いてた料理だったんです。これが凄くてですね。頂く度にどんどん美味しくなっていくんですよ。……それが、とっても羨ましくて」
「そっか」

すっかり底が見えてしまっていた彼女の湯呑に、手を伸ばしてお酒を注いで。瓶に映る彼女の顔を眺めていると、ふっと悲しそうな顔が見えた。ちらり、と改めて直接見てみれば笑ってはいるのだけれど……。

「ただ……」

そこでリリーが言葉に詰まって、一度ため息を吐いた。

「ただ?」
「最近は、全く無かったですね。お裾分けを頂く機会も、私が教えて貰う機会も」
「忙しかったからね」
「……そう、ですね。でもきっと、今頃もっと美味しい肉じゃがができてるんだろうなって。そう思います」

自分のお酒も無くなって、随分軽くなった瓶をひっくり返してみれば、一口分程が流れ込んだ後にぴたりと流れが止まった。……今日はこんな所か。

「今度作って貰おうかしら」
「お腹壊して欲しくないです」
「じゃあ一緒に」
「それなら……頑張ります」

私がお酒の瓶を空にしたからか、彼女が手持ちの最後の一口をぎゅっと飲み干した。ぶるぶると顔を震わせた彼女を横目に、私もゆっくりそれを流し込んで。晩酌の道具そのままに二人揃って寝室へと入ったのだった。

「お片付けは良いのですか」
「どうせ誰も来ないわよ。朝にはね」

最近は魔理沙も顔を見せていない。最近……いや、違うか。正確にはあの宴会の日から……。



「肉じゃがは好きですか?」

お互いに肌着一枚だけの、少し前なら考えられない格好で入るお布団。もう多少はあったかい……というより、お酒を飲むと暑いのだ。独りならまだしも、二人くっついて入るのだから。お陰様でお酒の入った夜は最近ずっとこんな感じ。

「好きよ」

そしていつも彼女は私の胸か背中に頬を寄せる。聞いているのがとても心地良いんだそうだ。勿論声じゃなくて、音の方。たまには私もそういう風にしてみたいものだけれど、いつも彼女の方が素早くて、出来ないでいる。お昼寝のときの膝枕と同じで、お願いすればしてくれることは分かってるのだけれど。

「お芋さんについては山の方にとても美味しい焼き芋を作ってくれる方がいらっしゃるのですよ」

山……あぁ、妖怪の山か。最近はあっちに顔を出していない。出す理由が無いというのが一番の理由だし、あちらの事情というのはわざわざ聞きに行かなくても、催される宴会やたまたま神社に寄った文が運んでくるからだ。そういえば……文も見ていないな。魔理沙も文も、人が呼んだ訳でもないのにいつも来る癖して。それで言えば紫もか。

「秋に貰うお芋さんが美味しくて」
「まだ流石に秋は遠いわね。貴女が春を連れてきてくれたばかりだし」

段々とぼーっとしてくる視界に目を閉じれば、まだ起きていて欲しいのか、胸元の彼女がきゅっと腕を締めた。……彼女の力がそこまで強くないこともあって、良く分かることでもあるのだけれど、ここ最近、僅かながらに彼女の胸がちょっとだけ柔らかくなってきた気がする。

「ねえ、リリー。貴女ひょっとして胸出てきた?」

その声に彼女がびくりと肩を震わせた。何か不味いことを言ってしまったかと思ったけれど、そんな失礼なことでもないはず。一応女の子だし。……大きすぎは問題かもしれないけど、あるのは悪いことじゃないはず。妖精の間だと無い方が喜ばれるのだろうか。

「胸は分からないんですけど……最近ちょっとだけ腰の辺りがキツくなりました」

……あぁ。最近は冬の時ほど活発に動いてないからね。そうか。お肉がついちゃったか。ここの食事はそこまで豪勢じゃないんだけどな。あぁでも、お米は沢山食べてたか。私よりは食べている。育ち盛りなんだろうなって見守っていたし……そもそも、今もそう太ってるとは思わないんだけど。

「だから、少しでも体を動かさないとと思って」

ひょっとして今日の筍もその為に行ったのだろうか。油って感じの物じゃないし、運動にもなるし。……考えすぎか。まぁ、どの道私には今回の筍は役得だった訳だけど。言いたいことがあるとすれば一つだけ。一言、何か言ってから行って欲しかったなって。

「じゃあ明日はお出かけしましょうか」
「ピクニックに行きませんか。気持ちよく日向ぼっこできるところ、ありますから」

ピクニック、か。お握り作らないとな。……お米だけど。まあ、体を動かしていれば気にすることじゃないはずだ。冬の間は問題無かったみたいだし。後は水筒を用意して。場所は彼女に任せれば良いから……後は、何だろう。ああ、洗濯は早いうちにやらなくちゃいけないな。

「分かったわ。そうしましょ」
「とても静かで良い場所なんですよ」

その一言を漏らしたっきり、彼女は黙ってしまって。そっと顔を覗き込むと、いつの間にやら眠ってしまった様だ。やれやれとは思いながらも、少しだけ出ていた肩まで布団をかけ直すと、私もゆっくりと目を閉じたのだった。
 ピクニックか。一体いつから行ってなかったんだろうな……。



~~



 目が覚めたとき、腕の中に居たはずの霊夢さんはもう居なかった。腕の中には代わりとばかりに枕が置いてあって。ぎゅっと抱きしめたら、少しだけ霊夢さんの匂いがした。
 朝早くから何かする時、霊夢さんはいつも私の腕の中に枕を差し込んでいく。もしかしたら私が勝手に抱きしめているのかもしれないけれど……詳しいことはいつも分からないままだ。ただ、これがとても落ち着くことには代わりがなくて。私は眠たい目を擦りながら、そのままじっと目を閉じていた。
 鶯の声が聞こえる。この前、何気なしに鶯の声を真似してみたら、霊夢さんが飲んでいたお茶を零してしまい、お掃除する羽目になった。あの時はお掃除に忙しくて聞けなかったけれど、お茶を零してしまうほど下手だったのかな。……鶯の声に混じって、もう一つ何かが聞こえてくる。何だろうと思ってじっと耳を澄ませてみたら、どうやら水の跳ねる音。これは、お風呂場の方だろうか。洗濯の音かなぁ。そっか。今日はピクニックに行くから、全部やってしまっているんだ。お手伝いしなきゃ。あぁでも……でも。お布団が気持ちいい。このまま黙って眠っていたら、霊夢さんは何て……。



「朝ご飯できたから、起きて」

ハッとなって体を起こした時には、既に鶯の声も水の音も止んでいた。聞こえるのは隣の部屋の食器が並ぶ音だけで、私は急いでお布団から飛び出すと、服に袖を通して居間への襖を開けたのだった。

「おはよう」
「おはようございます」

今日の朝ごはん。いつものお味噌汁に、いつものお漬物。そして昨日よりも随分と色濃くなった、筍の煮物。思えば沢山とって帰ったのだ。

「朝ご飯を食べて、少し休んだら行きましょうか」

食べ始める前に霊夢さんがそう言って、お椀にご飯を盛って行った。ほっくほくしてる。お味噌汁も湯気がふわふわしてた。……ひょっとしたらお昼ご飯の分も一緒に炊いたんだろうか。そう思って霊夢さんの方をちらりと覗き込んでみれば、座っている霊夢さんの後ろに風呂敷に包まれたちょっと大きな荷物が見えた。水筒もある。お昼のご飯を炊くどころか、もうお弁当も作り終わってるみたい。

「晴れて良かったわ」
「はい。きっと風が気持ち良いと思います」

少しだけ申し訳ない気持ちが湧いて、それを漏れそうな欠伸と一緒に飲み込みながら、行く予定の場所を思い描いた。いつの季節もそこは静かで、でも風の流れた時の音は心地良くて。良い匂いで、穏やかな場所で。砂時計の様にゆっくりと、でも確かに時間が経っていくのを感じられる場所。私のお気に入りの一つ。霊夢さんが気に入ってくれますように。

「それじゃ食べましょうか」
「はい。いただきます」

……今日は運動もするから、きっと大丈夫。



~~



 雪道を一緒に歩いた時、彼女は足をとられて転んだりしていた。誰も踏んでいない雪の中に突っ込んでいくその姿は、今でも頭の中に描くことができる。しかし雪が融けてからというもの、一緒に歩く機会は減っていて、横に並んで歩く木陰の中で、ちょっとだけ懐かしさを感じていた。
 彼女は、歩くのが結構早い。見た目より、というだけで私からすれば僅かに遅い。そんな彼女に歩幅を合わせ、お弁当を片手に道を進む。ふと横を見てみれば、目を閉じた彼女がのんびりとした顔で真っ直ぐに歩いていた。お地蔵さんがたまに道の傍で見守っている程にのどかで、そしてずっと真っ直ぐな道がのびているから、まぁ危険は無いと言えば無いのだけど。どうやら危ないかどうかなんて、本人にとってはどうでも良いことの様だ。風が肌を撫でていく度に嬉しそうに微笑んでる。

「転ばないようにね」
「大丈夫です。水筒は落としません」

そういう意味で言ったんじゃないんだけど。まぁ、今の靴を履きなれていないあの頃とは違う、ということなのかもしれない。
 私も彼女に倣って目を閉じてみた。いつの間にか鳴いていたらしい鳥の声は聞こえるようになったけど、すぐに隣を歩いていた彼女に肩がぶつかってしまって。急いで目を開ければ隣の彼女もびっくりした様にこちらを見ていた。

「……器用ね」
「どうかしましたか?」
「ううん。気にしないで」

彼女は首をかしげたけれど、少ししてまたさっきみたいに目を閉じて歩き始めた。ひょっとしたらコツがあるんじゃないかって思ったりはしたけれど、見ていて分かるものでもなく。私はただ空を見上げて、ため息を吐いていた。



「あの」

彼女と違って、冬も、それを越してからも怠けていた私は少しずつ足が棒になり始めていた。平坦な道を彼女が選んでくれているということを今頃になって理解はしたが、そもそもどこに向かっているのやら。時折、どこか見たことある様な景色が見えたりするが、最近通ってない道だったことだけは理解してる。普段空ばかり飛んでいるから余計に思い出せない。

「うん?」

そんな中で、隣の彼女が私を呼んで。何かと思い振り返ってみれば、こちらを見上げた彼女が手を差し出していた。

「繋ぎませんか」

最初はその手が何を意味するのか分からなくて。恥ずかしそうに赤くした顔を見て、私は慌てて手を取った。

「まだもう少しありますから」
「大丈夫よ」

少しだけ私より温くて、ちょっとだけ汗ばんでて。それでいて、ちっちゃな手。急に周りが気になって、ちらりと振り返ってみたものの、勿論そこには誰も居なかった。何故だか、すごく恥ずかしい。彼女の手に触れる機会なんて幾らでもあるのに。恥ずかしいことなら、他にだってあるのに。

「んふふ」

彼女が私を見上げて笑う。

「顔が真っ赤です」
「言わなくて良いのよ」



「着きました!」

ずっと木陰から太陽を眺めて歩いてて。その木陰が終わった途端、急に彼女が手を解いて、そう言った。その言葉に、『ああ、やっとか』と思いつつ、視線を前に戻した瞬間に、つっと、背中に冷や汗が走った。非常に懐かしく、そして心臓に悪い景色。……いや、景色が悪い訳じゃない。悪い訳じゃないのだけれど……どうにも結びつくものが強烈なのだ。
 一面に咲き乱れる向日葵。どんな季節にも関係なく、ここは向日葵が年中咲いている。前に来た時もやはり向日葵は咲いていた。そして……ここには危ない奴が居る。

「ここ?」
「はい!」

間違いではないようだ。確かに、ピクニックの目的地として選ぶのなら、ここは間違いでもない選択肢だろうと思う。日向ぼっこも確かに気持ちよさそうだ。だが、だが。それ以前に危険な場所だということを彼女は分かっているのだろうか。

「良くここには来るの?」
「たまに。ここは風も太陽も気持ちが良いですから。……良い匂いですし」

そう言って、彼女が向日葵を横に見つつ、近くのちっちゃな丘へと上がっていって。私もそれを追って昇り始めてすぐ、変な気配を感じて。慌てて向日葵畑の方へと目を走らせれば……居た。高身長。緑髪。チェックの服。傘。あいつを思い浮かべてすぐ出てくる特徴を見事に備えたのが一人、ぽつんと。風見幽香。最後に話をしたのはいつだろう。花の異変の時だろうか。
 そういえばあの時もこの子は居たんだっけ。ひょっとしたら面識があるんだろうか。……あっても不思議ではない。知られていてもおかしく無く、知っていてもおかしく無く。

「とりあえずお昼ご飯にしませんか」
「……そうね」

彼女にとって風見幽香はどう映っているのだろう。



~~



 二人で食べる重箱のお弁当。私が昨日あんなことを言ったからか、お野菜がとっても多いお弁当だった。

お陰様でお弁当箱の中は、赤と緑、そして卵の黄色に満ちていて。実を言うとちょっとだけお肉が欲しかったなって……思ったりした。でも、いっぱいいっぱいのお野菜だけど、あっちは炒め物こっちは煮物……。きっと、飽きないようにって。色んな味付けをされて入ってて。いつもよりもずっとずっと、早く起きて作ってくれたんだろうな。
 下の段にはお握りが入ってた。普段作って貰っている大きさよりちょっと小さ目。代わりとばかりにどうやら色んな具を用意して貰えたみたいで。薄らと、その白い肌の中に、入った物の色が見える。その内の一つを手に取って食べてみたら、昨日のかつお節とお醤油の味が口いっぱいに広がっていった。

「有難うございます」
「うん?」

私の言葉に霊夢さんは少しぼうっとした様子で返事をして、

「……あぁ、うん。どういたしまして」

すぐに振り向くと、そう言って笑った。霊夢さんは、食べ始めたときからずっと、向日葵畑に居たお姉さんのことを見ていた。ひょっとしたらお友達なのかもしれない。どうしよう。呼んでみるべきなんだろうか。でもすごく警戒している様な気も……時々ここを訪れる他の皆と同じような。あのお姉さんのこと、あまり得意ではないのでしょうか。悪い人ではないのですけれども。……うーん。霊夢さんが強く視線を送るからか、お花畑のお姉さんもこっちを気にしてる。そんな二人が気になって仕方が無くて。もっと二人きりになれる場所の方が良かっただろうかと、ちょっとだけ後悔した。でも私はここ以外に、太陽の温かさと風の気持ちよさ、そして静けさが丁度良く揃った場所を知らない。……よし。



~~



 日向ぼっこをしにやってくる妖精。それはここではとても珍しい。そもそもここにやってくる連中自体が珍しい。だから……いや、それ以上に目立つ存在だからか、いつもあの帽子が向日葵の向こうに見える度に、またやって来たんだなあって思う。今日は天気が良いから来たのだろう。風は朝に少しだけ出ていたけれど、今は緩いものに変わったし、恐らくは過ごしやすい午後になるだろうから。
 しかし……しかし、だ。何であの巫女が横に居るんだろう。どういう関係なの。神社はとうとう食べる物に困って妖精に手を出したのかしら。それともどこかで異変でも起きたのかしら。いやでもあの二人がまず組むとは……思えない、のよね。……あら。あらあら。お弁当広げ始めた。というか、それを広げる余裕はあるのに何であの巫女はずっとこっちを見てくるのよ。あなた一体何しに来たのよ。ひょっとして私を退治しに来たのかしら。その為の腹ごしらえなのかしら。妖怪退治にしてもこの場所以外にして欲しいんだけど。ここでやるとお花に迷惑なのよ。飛び回るとお手入れのために持ってきた道具をどこに置いたか後で分からなくなるし、後日探そうにもスコップや如雨露は放置しちゃうと錆びちゃうのよ。どうせ私は大体いつもここに居て、あんたも暇なんだから、それならそれで先に連絡くれても良いと思うんだけど。
 見てたら私もお腹減ってきた。そうか、もうお昼時なのよね。私も休憩を挟もうかしら。午後はあっちの手入れをして、洗濯物取り込んで。それから……。

「おねぇさぁぁぁーん!こっちでお弁当どうですかぁぁぁー!」

傘越しに太陽の位置を見ていたら、霊夢よりもずっと幼い声が響いて。誰だと思ったら、さっきの妖精が立ち上がってこっちの方を見ていた。

「どうですかぁぁぁー!」

口の横に手まで添えて。春先の楽しそうな声以外聞いたことが無かったから、違うこと叫ばれると誰か分からない。しかしこのお花畑、他に誰か居るんだろうか。そう思って周りに目を凝らしてみても誰もいない。私だけ、かしら。あれ、本当に私しか居ない。どうって、どういうことよ。一緒に食べようってことかしら。貴女の横の暴力巫女は……もの凄く困った顔してるけど。
 かなりの距離があるから、向こうに都合よく見えているのか分からないけれど、自分の顔を指さしてみたら、彼女がその首を勢いよく縦に振った。……どうしたものだろう。霊夢がああやって横にいると、どうしても罠にしか。でも罠だとしたら、そもそもあの妖精は居ないような気がする。いくら妖精が悪戯好きだとしても、だ。……うぅん。誘いに乗るべきかしら。
 行ってみましょうか。そもそも太陽の畑に来たのも、本当は何か用事があったのかもしれない。そう思って荷物を纏めて歩き始めれば、霊夢が露骨に嫌そうな顔を見せた。貴女たち、せめて呼ぶならそれ位の打合せをしたらどうなのよ。どうしたら良いか困るの、私なんだけど。……あぁ、もう。一度歩き出したら止まるわけにもいかないし。



~~



 私が呼びかけると、霊夢さんがすごく驚いてこっちを見た。驚いていたのは
向こうのお姉さんも同じみたいで、しばらくは二人共私を見てた。ひょっとして相当不味いことをしてしまったんだろうか。お弁当が元々二人分の量だったからだろうか。

「貴女、すごいことするわね」

口をパクパクと、何も食べていないのに動かしていた霊夢さんだったけれど、少ししてそう言った。誰かをピクニックのご飯に一緒にお誘いするというのは、そんなに凄いことなのだろうか。私には、こうやってお弁当を作れる方が、よっぽど凄いことに思えるのだけど。
 ゆっくりと、向日葵の間を抜けてくるお姉さん。すらりとした足、きゅっと締まった腰。そして、その上でちょっとだけ甘えてみたくなるようなお胸。何だかちょっとぎこちないけど、少し楽しげな笑顔。……羨ましいな。紫さんとはまた違う。私もあれ位大きくなれたら良いのになぁ。

「霊夢さんはお知り合いなのですか」
「昔からのね。あんまり話すことないけど」


霊夢さんが苦そうな顔をした。ああ、やっぱり何だか不味かったみたいだ。どうしよう。
何だか向こうのお姉さんも、少しだけ困った顔に見えなくもない。ひょっとして私はとんでもないことをしてしまったのかな。



「ごきげんよう」
「こんにちは」
「……お久しぶり」
「ええ。お久しぶり。……で。一緒していいのかしら?」
「この子が呼んだんだし、構わないわよ」

どうしよう。どうしたら良いんだろう。何が問題なんだろう。霊夢さんのことは他の人よりも勿論知ってるつもりだし、お姉さんのことも少しは知ってるつもりだけれど……二人の間柄までは分からない。

「……あら、私の分のお箸は?」
「二人分しか用意してないわ。だから私の。まだ使ってないから。私はリリーのがあるし」
「貴女たちそういう関係なの?」
「そういう関係よ」
「あらー……そうだったの。あぁ、先に手を洗ってくるわ」

よくよく見てみれば裾や手が土で汚れていて。霊夢さんから箸を受け取ろうとした所で、お姉さんが慌てて手を引っ込めた。うぅん……仲が良いのか悪いのか、いまいち分からない。とりあえず迷惑をかけてしまったというのは、何となく分かったけれども。



「……怒ってますか?」

お姉さんが荷物を持って行ってしまった後で、霊夢さんに尋ねてみた。霊夢さんは相変わらず困った顔をして言葉に詰まっていたけれど、少しして首を横に振った。

「一言欲しかったかな。……まぁ、とりあえず今日は大丈夫みたいだから良いんじゃないかしら」

今日はってことは、今までは都合の悪い日があったんだろうな。あのお姉さんと喧嘩でもしてしまったんだろうか。
 二人で長く歩いてきた疲れを水筒のお茶で癒すことしばらくして。ようやく戻ってきたお姉さんは手にバスケットを持っていた。大事そうに両手で持って、そろりそろりと歩いてくる。

「お待たせしたわね」

よいしょ、という小さな声と共にお弁当の向こう側に腰を下ろして、手に持っていたバスケットから水筒とお箸を取り出した。一応、霊夢さんはあれから箸を使わずにずっとお握りを食べていたのだけれど、どうやら必要なかったみたいだ。

「まさか招かれたりするなんて思わなかったわ」

お姉さんがこっちを見て笑う。さっきよりは随分と穏やかな笑顔だ。

「食べる時は沢山いた方が楽しいじゃないですか」
「……そうね。それじゃ、頂きます」
「はい!」



~~



 とりあえず一度舌を噛んでみたが、どうやら夢ではないようだ。ごりっという嫌な音とじんとした痛みが頭の中を走ったから。まさか幽香とこういう場を持つなんて思わなかった。他の誰かと一緒に居る訳でもなく、独りでいつも居るから。正直、今回の誘いも断るんじゃないかって思っていたのだ。まさかすんなりと承諾するとは。普段の……少なくとも、私の知ってる幽香なら、今頃ここを戦場にしていてもおかしくはない。

「これはどちらが作ったのかしら」
「霊夢さんです。いつもご馳走になってるんです」
「へぇ。一緒に住んでるの。貴女、春しか見たことが無かったからてっきり」
「一緒に住むようになったのはこの前の冬の終わりからなんです。その時に色々助けて頂きまして」

そしてリリーも平然と世間話をしている。やっぱり変だ。昨晩は茸料理だったかしら。いや、筍料理のはず。幻覚じゃないはずだ。この重箱にも入れてきた筍の煮物が何よりの証拠。味噌汁に入っていた椎茸がまがい物だっただろうか。いや、でも確かにあれは椎茸だったはずだ。以前魔理沙に貰った茸で懲りて、素人でも頑張れる限りは頑張って確かめている。うぅん。だとしたらなんだろう。たまたま、虫の居所が良いのだろうか。ふと幽香の方を見てみると……顔にご飯粒ついてる。どうしよう。指摘すべきか。いつものすまし顔で付けていると恐ろしく滑稽なんだけど。どうやらリリーも気づいたのか、自分自身の頬を撫でながら、ちらりと私の方を見た。

「あの」
「何かしら」
「お姉さんの……お名前を聞いても良いですか」

昨晩の筍の煮物を手に取る幽香にリリーが声をかけたから、指摘するのかと思いきや、そんなことを尋ね始めた。もしや知らなかったんだろうか。泣く子も気絶する風見幽香と言っても過言じゃない。どうやら私以上に幽香も驚いたようで……しばらく目を見開いたまま固まっていたが、何故だか嬉しそうに私の方を見た。何を一体どういう風に喜んでいるのやら……そんなことは知ったことじゃないが、少なくとも何だか機嫌が良くなったことは確かだ。

「幽香よ。風見、幽香。貴女は?」
「私はリリーです。……あ、リリーホワイトです」

改めて舌を噛んでみたが、この酷い痛みも幻覚ではないらしい。



 最後に残ったお握りは、私達二人が箸を置いたから、幽香が攫って行った。そもそも胃と命の縮む思いに加えてゆっくり食べたこともあって、量こそ日頃より少ないものの、お腹は結構苦しくなってて。二人がまだ少しばかり物足りなさそうにする横で、ちょっとだけ体を伸ばして休んでいた。

「ご馳走様です」
「ご馳走様」
「……足りた?」

聞く前から分かってはいたが、二人は苦笑いした。まあ当たり前と言えば当たり前だ。もとより少な目に作っていたのだ。彼女が腰周りを気にしているのに、あんまり沢山用意するのもどうかと思っていたから。精々一人半といったところの量。それを三人で分けたのだ。むしろ私はよくこれで足りたと思えるものだ。

「まだちょっと。でもお夕飯までは大丈夫です」
「まあ招かれてお礼も無しは失礼だし、大体予想してたから私も少し持ってきたのよ」

そう言って幽香がバスケットの中に手を突っ込んで、そろりと取り出したのは、少し深めの大きなお皿。中身は布が被さっていたお陰で分からなかったが、パッとそれを外した時に、風に流れてお菓子の香りが舞った。
 クッキーだ。最後に食べたのは、アリスか……それか咲夜のか……どっちか忘れたけれど、宴会で食べたきり。家じゃ作らないし、作りに向いた台所でもないし。そもそも基本的に我が家にお菓子は無い。一番当てはまるのが蜜柑だ。たまに煎餅なんかをお裾分けで貰う位なものだ。

「これは、ひまわりですか」
「そうよ」

二人がクッキーを覗き込みながらそう言って。じーっと太陽を見ていた私だったけれど、少ししてさくっという音が聞こえてきた。ばりっと砕ける様な音はあまり聞こえない。しっとりした感じのものらしい。彼女が嬉しそうな声を漏らしているから、美味しいのは確かだ。……それが何だか悔しくもあるが、こいつ相手には張り合う気が全く起きない。

「美味しいですね」
「ありがとう。……形はちょっと、まだまだなんだけどね」
「練習中ですか」
「……そうね。そんな所よ」

さくっという音が増えた。どうやら幽香自身も食べ始めた様だ。

「神社の桜、どうなってる?」
「もうすぐよ。また宴会の季節になるわ」
「その時はお姉さんも来てみてはどうですか?」
「それは……遠慮しておくわ」

ちらりと流し目で見た彼女はその言葉に少し不思議そうであったが、ちょっとの間難しそうな顔をすると、貰っていたお茶で濁していた。別に暴れなければ問題は無いのだけど。それでも余計な火種になってしまうことを嫌うのだろう。面倒だから、というのが一番正しい言葉かもしれない。でも、それでも花は好きなのか、見に来ていたらしいその後ろ姿を稀に見ることはあった。宴会という宴会も終わり、葉桜とぎりぎり言えそうな程度の頃に。

「お姉さんは沢山の人が居るのが苦手ですか」
「うーん。逆よ」
「少ない方が苦手なのですか?」
「逆にするところがちょっと違うわ」
「……よく、分からないです」
「後であっちのお姉さんに聞いてみなさい」

なんでそれを私に振るんだ。ここでさらーっとあんたが言ってくれた方が助かるんだけど。寝る頃になってふと思い出したようにこんな話題切り出されたら、彼女の寝入りがきっと悪くなる。

「最後の一つですね」
「霊夢、貴女は食べないの?」
「じゃあ、頂くわ」

雲を探すのにも飽きて、視界を前に戻せば、ずいっと彼女がお皿を差し出していて。残っていた最後の一つを手に取ってみれば……何だこれ。何の形だ。向日葵ってさっき聞こえたはずなんだけど。これは一体、向日葵の何なんだろう。種でもない。花、でもない。ましてや茎でもなければ葉でもない。ひょっとしたら何かのでっかいものの一部なのかもしれないと思ったが、そもそもどこかにくっついていたような痕もない。

「これって向日葵のどこなの?」
「いや、向日葵よ」
「向日葵ですよ」

分からない。横面を殴られた熊のクッキーと言われた方がまだ信じられる。
 すっかり空っぽになってしまったお皿を幽香が片付けた。どうやらバスケットの中身はあれで最後だったようだ。当たり前と言えば当たり前のことなのかもしれない。いきなり誘ったのは、私達の側なのだから。
 少しの間は誰も口を開かなかった。リリーはさっきの問題の答えをまだ探している様で、幽香はと言えば、その姿を見ながら水筒のお茶の残りを楽しんでいた。私は……ただただ、向日葵を見てた。



「さて。私はそろそろ作業に戻るわ」

向日葵が太陽を追って私達から顔を逸らし始めた頃、幽香は立ち上がってバスケットを拾い上げた。リリーが頭を下げて、幽香が笑って。私も追って頭を下げれば、上げた頃には既に向日葵の方へとまた歩き始めていた。

「もう少し日向ぼっこしていきますか」
「そうね。……答えは見つかった?」
「これかなって思ったのはあるんですけど……とても言い出せなかったです」
「それで合ってるわ。……難しいのよ」

誰もが皆、貴女みたいに接することができるとは限らない。つまりはそういうこと。私だってその一人だろう。多少は慣れたが、まだ慣れきれないのだ。

「桜、きっと楽しみにしてると思うんです」
「花が好きだから……たぶんそうでしょうね」

それこそ椿のことでも話せば喜んだだろう。……あぁ、でもあれが温泉に来始めたらとても落ち着けない。背中を流れる冷たさと温泉の熱、どっちが勝つだろうか。恐らくじっと見られていたら……前者だろうな。上っ面だけじゃ判断できないのが風見幽香なのだ。打ち解けていくのは……難しいだろうな。日頃何を考えているか分からないから余計に。名前と強さだけがいつも先に伝わって、怖さが追って伝わって。

「貴女が気に病むことじゃないわ」
「……そう、ですか」
「そうよ。まぁ、それが悪いとは言わないけど」

少しずつ緊張が解れてきたお陰か、段々と疲れがやってきて。寝っ転がってみれば、彼女もすぐに横に並んだ。昨日は筍を入れていた帽子を枕にしてる。袖を枕にしている私に比べると、あっちの方が柔らかそうで。ちょっと、羨ましい。
 目を閉じてため息を吐くと、少し甘い砂糖菓子の香りが舞った。花を愛でるばかりだと思っていたが、お菓子作りも趣味にしていたんだろうか。見た目は向日葵に見えなかったが……味は至って普通だった。



 向日葵畑から風が吹いた。楽しそうな鼻歌を載せて。隣の彼女のものではないその鼻歌を聞いていると、ちょっとだけ心の中がもやついてくる。なぜ、彼女はああやって幽香に接することができるのか。なぜ、幽香は名前を聞かれて喜んだのか。もう一つ付け加えるとすれば、私はなぜ、こんなことで悩むのか。

「霊夢さん」
「なあに?」
「膝枕しましょうか!」

何を思ってか、彼女はそんなことを言い出した。そんな恥ずかしいこと、ここじゃできない。……いやまぁ、私がする分には構わないが。される分には、困る。

「お家でお願いしたいわ。ここじゃ幽香も居るんだし」
「でも、腕が痛くならないですか?」
「そりゃあそうだけど。したいの?」
「してみたいです」
「足痺れても知らないわよ?」

私の返事に、ふふん、と鼻から愉快そうに声を漏らして。目を開けて彼女の方へと向いてみれば、彼女は体を起こしたまま、私の顔を覗き込んでいた。

「ここは少しなだらかな坂ですから、足を伸ばしてればたぶん大丈夫です」

私がゆっくりとその太ももへと頭を下ろすと、彼女は私の髪を拾い、ゆっくりと梳いて。

「どうしたの?」
「いやだって……その。デートですから!」

ピクニックじゃなかったんだっけ。まぁ、そういう意図も含んでいると言えばそうかもしれないけど。第一そんなこと言ったらほぼ毎日デートしてるようなもんじゃないか。最近はほぼ毎日温泉に行ったり。たまに里にだって買い物に行ったり。……あぁ、でも。そうか。それ以外の場所には、ほとんど一緒に行ったことがないのだ。

「じゃあデートの発案者さん。この後の予定は?」
「お昼寝しようかと思ったんですけど、全然眠れそうにないです。なんだか、ドキドキしてまして。霊夢さんはどこか行きたい所ないですか?」

強いて言うならちょっと食材を買いに行きたい位だけど。そんなのをデートにするのはもうちょっと……後でいいかなって。この機会を使ってお願いすることじゃない気がする。
 だとすれば何があるだろう。彼女に案内ができて、私が訪れたことのない所。彼女ならば分かる所。そう考えてふと頭に浮かんだのは……

「貴女の住んでいたお家は?」
「え……でも、壊れてしまってます」
「駄目なら良いの」
「いえ、でも。危険かなって」

雪なんてとっくに融けただろうから、埋もれてしまうようなものではないはず。少なくとも、ここに比べたら安全なんじゃないかって思ってしまう所もある。というか、世間一般的にここより危険な場所というのは指折りで数えられるような所しかない。

「一度、見てみたいって思ってたの」
「……分かりました。後で行きましょう」

見上げた彼女の顔は、少し驚いたようであり、懐かしそうであり。そしてちょっとだけ、寂しそうだった。



 太陽が少し傾き始めた頃、彼女に連れられてやって来たのは、山の中腹より少し降りた森の中。上から見下ろすと葉っぱで地面が見えない程に立派な木々が多い。

「降りますよー」

たまに神社に悪戯に来る三人の妖精も、今は近所の立派な木に住んでいるが、大きさとしてはそれと遜色ない。……そんなことを考えてじっと下を見つめながら飛んでいると、彼女がそう言って、ゆっくりと降りて行った。
 降りた先は少し急な斜面だった。太陽の光が届ききらないせいか、上を飛んでいたときに比べて寒く、しんと静まり返っている。上から見ているとどれも一律に背の高い木ばかりであったが、改めて見回してみると、どれもこれも枝の生え始めている位置が違う。そして……折れたり、傷ついている木々も多い。
 折れている木が多い所はとても纏まっていて、山の斜面を見下ろしてみると、下の方にその残骸らしきものが散らばっていた。

「貴女のお家はここからどれくらい?」
「まだもうちょっと先です」

私の質問に答えた彼女の足は少しだけ早く、返事もとても小さな声で。私も急いで後を追うと、彼女は一際大きな木の前でぴたりと止まった。
 雪は、もう無かった。その木にはほとんど枝も残ってなかった。周りから倒れてきた木々に持っていかれたのだろう。大きな幹だけを残していて……その幹もすごく削れている。

「ここ?」
「……うん」

止まったっきり動こうとしなかった彼女の小さな返事。後ろ向きだったからほとんど聞き取れない位で。私は彼女の背中に立つと、その小さな背中をぎゅっと抱きしめた。お腹と彼女の背中との間で、ちょっとだけ羽がわたわたと動いて。でもそれも、少しして止まってしまった。

「雪が滑るように走って来たんです」
「うん」
「……やっぱり、もう住めそうにないですね!」
「……うん」
「……雪が無くなると、ここまで寂しく見えるとは思いませんでした」

私が手をゆっくりと放すと、彼女は力無く膝をついてしまって。私はそんな彼女を抱き上げて、近くの折れて転がっていた木の上へと腰を下ろした。
 なんて言葉をかけるべきなんだろう。私だって神社が倒壊したことはあるけれど、もう再建されている。でも彼女のこれというのは……建て直すとかそういうものじゃないのだ。恐らくはもう二度と、ここには住めない。木の生命力は確かに強いけれど、この木は恐らく、もう朽ちていくのみ。もしも耐えてこれから先育っていったとしても……してもだ。もうそれは元通りではない。

「霊夢さん」
「うん」

名前を呼ばれたものの、彼女はそれっきり何も言わず。木から彼女へと振り返ってみると、彼女の目には涙がたっぷり溜まってた。袖で拭うと、またすぐに次の涙が溜まってしまったけれど、それが落ちるより先に、彼女の頭が私の胸の中へと落ちた。

「……帰ろう」

私の言葉に彼女がゆっくり頷いて。彼女の目の前でしゃがめば、何も言わずに彼女が背に乗った。
 神社へと帰り着いたのは、まだ夕方と呼ぶには遠い時間だった。いつもならこちらから話題を振り出さなくても楽しげに話してくれる彼女が、何も言えないでいるのが居た堪れず、私はそのまま寝室へと入ると布団の上に彼女を下ろしたのだった。

「ここが少なくとも貴女と私の今のお家。今までも、今も。これからも」

支えの無くなってしまった老いた木のように、しょんぼりとしてしまっていた彼女を抱きしめて、胸の中へと引きこんで。やっとかけられた言葉はそれ位なものだった。それは前にも話したことで、それでいて大した気休めにもならないことで。不甲斐なさを感じてはいたけれど、それ以外の慰めの言葉が見つからなくて。唯一、これだけはと思って、じっと彼女のことを抱きしめていた。
 やりきれないと口にはしなくても、それが分かる程に肩が落ちていて、伸びた手は私の背中を包んでくれていたけれど、私が寂しくなるような強さだった。肉体的にも精神的にも疲れがあったからか、やがて彼女は眠ってしまったけれど、結局何も良い言葉をかけることができなかった。

「お夕飯ができたら、起こしに来るからね」



 冷たい水で顔を洗って気分をなんとか戻し、お釜の準備をして。台所の隅にゆっくり腰を下ろした。最近では料理する私を見守る彼女が居る、そんな場所であるが、隙間風のお陰か、水と同じくらいに冷えている。
 リリーは一体あの場所でどれ程の時間を過ごしてきたのだろう。あの場所でどれだけの思い出を作って来たのだろう。
 たまにあの子の口から、他の誰かのことが話題にあがることもあるけれど、彼女は大抵いつも独りだと、前に聞いている。つまりあの子の思い出の大半は、あの子自身の心の中、そしてあのお家の中にあったのだ。勿論、彼女の替えの服とかは、無事だったからと彼女は持ち出してきたし、今だって恐らくはいっぱいあのお家の跡からも持ってこようと思えば持って来れるだろう。でも、その思い出を仕舞っていた空間はもう、無いのだ。
 何度目か分からないため息を吐きながら、何ができるのかを考える。……相変わらず、いつも後手に回ってしまっている。情けない。
 台所の床を見ながら考えを堂々巡りさせている内に、見ていた床の色も段々と薄暗さが増して。ああ、おかずを作らなきゃと思って顔を上げれば、背中を温かな感触が包んだ。慣れ親しんだその温もりと重さに顔だけ振り返れば、彼女がさっきまでの私と同じ様に床を見つめたまま抱き着いていた。

「ごめん。今作るわ」

そう声をかけたけど、返事はなくて。ただただ、抱きしめていた彼女の腕だけがきゅっと締まった。

「一緒に」
「うん?」
「お布団、入ってくれませんか」
「今?」

私の言葉に彼女が頷いて。私は抱き着いたままの彼女をおんぶすると、また寝室まで戻ったのだった。



 寝室に戻って、帰って来た時と同じ様にお布団へと彼女を下ろした後、彼女は私の胸に勢いよく飛び込んで、そのままに私を押し倒した。頭が布団のない所へと行ってしまい、畳にぶつけたそれはちょっと痛く。響いた音に彼女は飛び退いてしまったけれど、私がゆっくりと首を振ると、また飛び込んできた。頭を打ったお陰か、くらりとして顔はハッキリとは見えなかったけれど、瞼に涙が溜まっていたのは、光っていて良く見えていた。

「どうか、落ち着くまで」
「貴女のお腹が減るまではそうしてて良いわ」
「……今はあまり減ってないです」
「……私も」

少しだけ体を捩って、自分の頭を布団の上へと移して。まただんまりを始めてしまった彼女の背中をゆっくりと撫でる。胸元に感じる濡れた感触も、時折聞こえる彼女の鼻の音も。中々止む気配はなかった。

「我慢しなくて良い」

泣いてしまうのを堪えて、歯を食いしばったように息を漏らす彼女。私に遠慮なんか、しなくて良いのに……。



~~



 無くなってしまったんだって、そんな実感が湧いてから。急に寂しくなってしまった。お家が壊れたあの日、逃げ出したあの時から、寂しがらない時は無かったけれど、雪が融けて、ああやって全部見えた後で。ここまで寂しくなると、思ってなかったんだ。
 全部、全部駄目だ。もう住めないんだって。それが、分かってしまって。大切な物が全部指の間から零れ落ちてしまった様な、そんな気持ちがずっと、胸の中をぐるぐるしてる。
 怖かった。帰ってきて、独りになって。何が私の中に残っているのか、何が私から流れ落ちてしまったのか。それすらも、良く分からないままでいること。私自身が何なのか。私が誰なのか。それすらも曖昧になってしまいそうな程、頭の整理が追いつかなくて。どこまでも怖くて、どこまでも寂しくて。だから、霊夢さんを呼んだんだ。でも、霊夢さんの胸を借りても、やっぱり指の間から零れ落ちていくような感覚は消えなかった。ぎゅっとしたって、駄目だった。それでも腕は離せなかった。離してしまったら、もっともっと寂しくなるって。分かってたから。
 けれど、いつまでもこうしては居られない。霊夢さんが心配するから。心配してしまうから。早く落ち着かなきゃ。

「我慢しなくて良い」

でも。霊夢さんはそう言って、私の背中をぎゅっと抱いた。我慢は、違う。ただ、私が背負いきれていないだけ。
 いつまでもここに居て良いって言ってくれた。それは知っている。分かっている。これから先だって言ってくれる。でも、私のこれまではどうなるんだろう。誰が覚えていてくれるのだろう。何が残してあるのだろう。……これ、と言えないもやっとしたものだけれど、それが一気に減ってしまったんだ。
 大切にしていたお茶碗が割れる。いつも着ていた服が破けてしまう。手袋に穴が開いたり、外に干していた帽子が風に攫われたり。そういうことは前々から無かった訳じゃない。帽子ばかりはどうしようもなかったけれど、それでも、お茶碗はそこにあった。服も、手袋も。結局は捨ててしまうけれど、まだ別れがあった。自分で納得できたんだ。……そうじゃ、ないんだ。何が何だか分からないままに雪が来て、何が何だか分からないままで逃げ出して。一度は帰ってきて、確かに引っ張り出せるものは引っ張り出したけど。けど。色んな物が消えてしまっているという事実は……重たかった。

「何か言ってよ。寂しくなるから」
「……寂しいんですよ」
「私じゃ頼りない?」
「そうじゃないんです」

何とか息が落ち着いてきたからか、霊夢さんが手を少し緩めて、ぽんぽんと背中を撫でて。私がゆっくりと体を降りると、一度私の顔を覗き込んだ後、毛布を引っ張り上げた。

「独りで抱え込まないで。せっかく二人で居るんだもの。私にも……頑張らせて」
「霊夢さんは十分すぎるくらい、いっぱいしてくれてます」
「私はそう思ってない。現に泣かせてるもの」
「霊夢さんのせいじゃないです。誰の、何のせいでもない」

ただ、ただ。流れるように消えてしまった。それだけ。それだけなんだ。

「霊夢さん」
「うん」
「今日は一緒に居て……」

ただ、それだけで。



~~



 いかん。入るタイミングを失った気がする。やっとここに来る決心がついて、お夕飯のおかずだって作って持ってきて。ここぞとばかりのとっておきの焼酎も用意してきたのだが、中からは何故か悔しさと悲しさを混ぜたようなすすり泣く声ばかりが聞こえてくる。お葬式ムードが全開だ。何だか私が来るときはいつもこう……良い雰囲気ではない。いや、違うか。雰囲気は良かろうという時もあったな。そう、都合が悪い、だ。
 私か。私のせいなのか。ひょっとして何か良からぬものに憑かれてしまっていたのか。何かとタイミングが合わなくなるような、間の悪い何かに憑りつかれていたのか。いや、そうだとしたら流石に霊夢もお祓い位……してくれると、信じている。
 出直すべきか、今日は。いや、しかし、こんなに作った生姜焼きを独りで食べると胃がもたれてしまう。というか、温かい内ならまだしも、家までまた持って帰って冷え切った生姜焼きを食べたくない。……どうしろというのだ。
 箒に決めて貰おう。そう思って、縁側にのせかけていた足を引っ込め、地面に箒を突っ立てた。右側に落ちたら、帰ろう。もし左側に落ちたら、入ろう。そう思って持っていた箒をそっと放せば、よっぽど皆が私を否定したいのか、綺麗に奥へと倒れていった。
 勢いのついた箒の柄が、縁側の石を叩く。乾いた音が反響して、中から聞こえていたすすり泣きが少しだけ止んだ。……気づかれてしまった。もう右も左も関係がない。最後に残された選択肢は隠れることぐらいか。……いや、いやいや。やましいことはしていないのだ。隠れる必要はない。出てくるだろう霊夢に我が物顔で今来たかのように装いながら挨拶すれば良いだけなのだ。ただ、それだけで良い。良いはず。
 ……誰も出てこない。泣き声は段々収まっているけれど、まるで誰も出てくる気配が無い。私の日頃の行いを神様たちは余程気に召していない様だ。もう、仕方がない。後は野となれ山となれだ。そう思い縁側へとぐっと足を載せると、見計らった様にすっと障子が開いて霊夢が半分だけ姿を現した。……非常に落ち込んでいる。泣いてこそいないが、心ここに在らずといった所だ。もう半分の体には、どうやら彼女の体がくっついているらしい。僅かにリリーの手が見える。障子を開いたおかげか、耳を澄まさずとも泣き声が聞こえてきていた。

「久しぶり」
「あ、ああ。久しぶりだな。……また改めたほうが良いか?」
「……上がって頂戴。良いわね?」

最後の一言を後ろの彼女に尋ねて、それからゆっくり頷いて。私は胃の中でぐるぐるしていた、冷えた空気を吐き出すと、霊夢を追って居間へとあがったのだった。



「今日はどうしたんだ」
「リリー、説明できそう?」

最初の内はずっと正座したまま、霊夢の横でぐっと手を握り締めて、真下を向いてすすり泣いていたリリーだったが、私と霊夢の言葉に一度大きく息を吸いなおすと、すっと顔をあげて私を見た。最後に彼女の顔を見たときはどこか悪戯っぽい顔をしていたのだが、今は打って変わって、こっちの口まで閉じてしまいそうな、そんな表情をしていた。ぎゅっと胸の奥を摘ままれる様な感覚に私も座りなおすと、じっと彼女を見つめ返したのだった。

「今日、お家に一度帰ってみたんです。雪が融けたから、霊夢さんと。そしたら。……お家、もう駄目だって。分かっちゃった。本当に、無くなってしまったんだなって。……それが、辛くて」
「そうか。もう、どうしようもない感じか」

無理矢理作った笑顔の目じりにじわじわと涙が溜まり、ぱたぱたと音を立てながら白い服の上にそれを消えさせていく。霊夢はと言えば、私でもリリーでもない所をじっと見つめてて、こちらももう少し追い詰めれば泣き出しそうな感じである。
 私は、どう出りゃ良い。帽子の皺を指で整えながら深呼吸すれば、持ち込んでいた生姜焼きの匂いが、場の空気を読まずに悶々と漂っていることに気づいて。私は一度大きく手を叩くと、霊夢に向かって告げたのだった。

「ご飯にしよう。どうせまだなんだろ?」



 どうやらご飯だけは炊いていた様で、私の言葉に霊夢はすぐにお櫃に入れて持ってくると、せっせとお椀に盛り始めた。元より二人分で炊いていたお陰か、一人分はやや少ない。そして珍しくおかずの準備もなし。毎度と並ぶ漬物は用意してあるが……今日はとても質素だ。まぁあまり二人とも食欲が無さそうな所を見ると、これでもひょっとしたら多いのかもしれない。
 沈黙が居た堪れないからか、霊夢もリリーも、少しずつ今日あったことを話してくれた。二人でピクニックに出かけていたこと。あの幽香に出会ってたこと。さらに食事までして、おやつも食べて……そしてお家に行った時のこと。リリーの様子からして、もう住むことは完全に無理なのだろう。そして恐らくは、思い出の品となるようなものも全部流されてしまっている。もう年が明けてからそれなりに時間が経ってしまったこともあるし、恐らく、家の外に放り出されてしまったものは、傷んでしまっているだろう。
 思い出の品、か。思えばあまり他の誰かと一緒に居るところを見たことが無い。いつぞや……チルノとよく一緒に居る妖精の子と居たのを見た気がする位だ。思い出が物に偏ってしまっているのかもしれない。
 と、なればだ。

「もう良い機会と思ってさ。いっそ交友関係を広げても良いんじゃないか。思い出を物として残すだけじゃなくてさ、共有できる記憶を作れるように。それは台風が来ても雪崩が来ても攫っていけないものだしな」

私の言葉に、霊夢が小さく頷く一方、リリーは苦い顔をした。

「どうやって広げたら良いのでしょう」
「手頃なのでいえば、宴会開くとか。もうそろそろ春本番の桜の季節だろう?」

リリーが頷く。……けれど、どこかそれでもまだ悩んでいる様で。

「何か分からないこととかあるなら言ってみると良いさ」
「……魔理沙さんは、幽香さんという方をご存知ですか」
「うん。まぁ、人並み程度には」
「宴会に来ていらっしゃらないのは……その、周りの人が苦手にしているからだと伺ってます。ひょっとしてそういう方って多いんでしょうか」

わざわざその連中のことを持ち上げるのだ。恐らくは幽香を含む憚られる皆を友達にしたいのだろう。優しい子だ。私にだって優しくしてくれる位だ。たぶんリリーにとっては、私も幽香も、同じような存在なのだ。噂とかはどうでも良くて、実際に付き合いをもって相手を見る。……リリーの性格を考えてると自分の胃の端っこを摘ままれたような気になってくるな。

「割と居るよ。私は……過度な謙遜も原因だとは思うがね」

幽香と同じ様に、日頃の宴会に顔を出さないのは誰か。それで一番最初にパッと浮かんだのは、レミリアの妹のフランドール。紅魔館……もとい、図書館に足を運んだ時に、たまに話題にあがる。最近のレミリアの様子を見るに、かなり平穏な感じにはなったようであるが、もうずっとフランドールには会っていない。他には、地底の面々か。思えばこっちにも、長い間顔を出していない。そもそも出しにいく用事ができないというのが大きいのだが。
 リリーはしばらくの間、生姜焼きを口の中に入れたまま、じっと考えてて。霊夢は……未だ、相変わらずに上の空な状態だ。リリーの方の悩みは何となく分かったが、こっちは一体どうしたんだ。また、自分の不甲斐なさだとかそういうのを頭の中で嘆いているのだろうか。炬燵の中で足を伸ばして突いてみると、自分の表情に気が付いたのか、一度大きな深呼吸をしていた。

「参加するのが嫌って訳でもないでしょうし、呼べば集まりはするわよ。きっと」
「でも、あの。お料理とかどうすればいいんでしょう」
「それは、あれだ。普段の宴会もそうだが、持ち寄りでいいんだよ。今日の私みたいにさ。まぁ、人数によっちゃこの量位じゃとても足りんが。そこはまぁ、霊夢と相談しな」

私の言葉に、リリーがじっと霊夢を見つめ、霊夢が苦笑いを返した。後はまぁ……お酒、か。でもまぁ、あまり宴会に来ない面々を呼ぶのであれば、お酒は無くても良いのかもしれない。酒癖を嫌っている場合もあるからだ。お茶なら神社でも用意できるだろうし、ジュースだっていざとなったら何とかできるだろう。となれば課題は、

「誰を呼ぶか、そしてどう呼ぶか、だな」

所謂日陰者を呼ぶ、ということとなると、その中にリリーを独りぽつんと置くわけにはいかない。彼女は日当たりが抜群に良好な側だ。独りだけにすると嫌味にとられかねない。だから明るい人材も少しは必要となってくる。

「リリーはお友達……じゃなくても良いが、知り合いに声をかけてみてくれ。私はつてを当たる。霊夢は……場所の準備とリリーの手伝いかな」

二人がゆっくり頷いて。……リリーは早速とばかりに誰を呼ぶか考え始めたみたいだ。霊夢に比べると切り替えが早くて、そこは少しほっとする。霊夢も遅い方じゃないが……自分のことじゃないと尾が引いてしまうようだ。
 結局持ち込んだ生姜焼きは無事に皆食べ終わった。もとよりあまり食欲が無かったのか、お酒に手が伸びることは無く、食事はそれでお開きになった。

「日にちはどうしようか」
「桜が満開になったらいつもの宴会をするんでしょうから、その前後よね」
「それなら後の方が良さそうだな。宴会の次の日。片付けは大変だろうが……まぁ、頑張れ」

霊夢がため息を吐いて、食器をまとめて。よいしょ、という声と共に立ち上がって部屋を出ていった。リリーは……片手とにらめっこしている。じっと見つめては指を一本、一本と折り曲げ、丁度片手の指を全部折り曲げきると、かくんと頭を下げた。

「五人しか、浮かばなかったです」
「良いじゃないか。そこから先は私や霊夢が頑張れば良いだけの話さ」



「そういえば魔理沙さん」

霊夢が台所で食器を洗っている間に、リリーがふと私を見た。不安が紛れたおかげか、そもそも今日外を歩き回って疲れたからなのか、少し眠たげである。霊夢が戻ってきたら今日は退散することにしよう。

「うん?」
「最近、忙しかったのですか?」
「まあ、年明けからしばらくはな。年末真面目に過ごさなかったツケが回って来たのさ」

本当は、何度も来ようとしたことはあった。ただ、毎回どこか気恥ずかしくなって。いつも神社の手前で引き返していたんだ。毎度その時頭の中に思い出していたのは、宴会の日のことだ。リリーに、抱きしめられた時のこと。
 抱きしめられた経験が無い訳じゃあない。指折り数えるのが馬鹿げてしまう位には、ある。しかし、だ。自分より小さい誰かにして貰ったことというのは、無かった。そして何より、ああやって優しく抱きしめて貰えたことも、無かったんだ。そういう風に誰かを抱きしめたり、抱きしめられたりしたいなって話は、確かに霊夢としていたけれど、まさか言ったその場でされるとは思わなかったから。

「……思い出したら恥ずかしくなってきた」
「何かあったんですか?」
「そうだな。色々、あった。落ち着いてきたから、今日はこうしてやって来たという訳さ」

あの時のことを、リリーは覚えているのだろうか。随分とお酒が入っている様子だったけれど。できるなら、忘れていて欲しいなって思う。……本当は、それはそれで寂しいのだが。

「顔が赤いですが、体調が良くないのですか?」
「いいや。至って健康さ。食後だからな、血がぐるんぐるん巡ってるんだよ。これが生姜パワーさ」
「そうでしたか」

リリーの言われた通り、顔に熱が上がってきているのは自覚している。でも随分とマシになった。自分で鏡を見て大丈夫だなと思えるくらいには、落ち着いたのだ。

「リリー達はどうだったんだい。あの宴会の後からはさ」
「特別、変わったことは。大体は霊夢さんと縁側で過ごしてます」
「ここ数日は寒さもほとんどないしな。夜に少し冷える位か」
「です。だから、今日は天気も良いしピクニックに行こうってことになって」

で、今に至ると。もとより食器の量が少なかったお陰か、霊夢がそこで部屋へと戻ってきて。冷えたらしい手ごと、体を炬燵の中に差し込んだ。足も触れたが、真冬の頃に比べればかなり良心的と思える程度の冷たさだ。それこそ腋を出すのを止めて少し厚着をすれば、炬燵だって要らないだろうに。

「お疲れさん」
「どういたしまして」

たぶん、片付けるのが面倒だからこのままにしているのだろう。思い返してみれば去年の今頃もまだ炬燵だった気がする。気持ちは分からないでもない。もしも私の家にも同じように炬燵があったとしたら……恐らくそれは、夏になるまで本当に炬燵のままだろうから。

「……よし。それじゃ私はそろそろお暇しようかね」
「あら。今日は早いのね」
「逆だろう。夜に尋ねてきてるんだから。今日は疲れもあるだろうしさ、ゆっくり休むといい」
「そうね」

私が炬燵から抜け出せば、合わせてリリーも立ち上がって。何かあるのかと思ったが……何のことはない。ただの見送りだった。ちょっとだけ宴会の時の記憶が頭の中を過ったけれど、後ろを向けばもう顔の赤さは見えはしない。

「食器はまた今度取りに来るよ。それじゃ、おやすみ」

おやすみなさいと、声を背中で聞きつつ箒で駆ければ、風が私の頬を冷やしていった。



~~



「元気そうでしたね」

魔理沙が帰って行ったあと。私達はすぐに部屋を後にして、隣の寝室へと入った。敷きっぱなしだったお陰で、すぐにごろんと転がることができて。彼女は私の横で天井を見上げながら、ふとそう言った。

「魔理沙のこと?」
「はい」

思えば、ずっと心配していたのだ。病気になってしまったんじゃないか、とか。私が抱き着いたから、来づらくなってしまったんだろうか、とか。あの日はお酒がとても入っていたはずなのに、しっかりとその辺りのことは覚えているらしい。

「ホッとしました」

彼女の視線が、天井から私へと戻り、そして枕へと移って。彼女はもそもそと着ていたものを脱ぎ去ると、下着だけでお布団の中に入って行った。……今日はお酒を飲んでいないのだが。

「くっついて寝ましょう」
「……貴女、随分落ち着いたわね」
「悲しいことは悲しいままですけど、後ろばかり向いてられませんから」

私より小さい子が私より力強いことを言うと、矢で打ち抜かれたような気分になる。逞しいことは良いことなのだが、無理してないだろうか、やせ我慢ではないだろうかと、心配になって。私が何とかしなきゃって。一歩遅れたもやもや感が体の中を走っていくのだ。

「そうね。まあ、気楽に考えましょう」

彼女が頷き、私も服を脱いでお布団へとお邪魔した。お酒が入ってないから、お布団の中はやっぱり冷たかった。
 日頃、布団に入るとすぐに胸元へと顔を埋める彼女だけれど、今日はただただじっと私を見つめている。大体そういう時というのは、まだ話したいことがあったり、体を重ねたかったり。単に、一緒に起きていて欲しい時だったり、怖い夢を見た直後だったり。今日は、その全部なのかもしれない。彼女と体を重ねた回数は、いっぱいあったようで……でも数えてみると、指折りで足りてしまうほど。年明けの宴会以降で考えるなら、片手で足りる程だろうと思う。けれど、彼女の癖とか、嗜好とか。そういうのは何となく分かってきた。
 基本的に彼女は受け身だ。あまりそういう知識を持っていないから、仕方ないのかもしれないが、ひょっとしたら、初めて私が彼女を誘ったときに言った言葉が、ずっと心の中にあるのかもしれない。そして、温かい所が好き。これに関しては普段の生活だってそう。日向、温泉、炬燵にお布団。お布団の中でも、私がずっと寝転んでいた場所とか、そういうのを好む。たまに私の上になってくれるけれど、下になっていた時の方が余程楽しそうだ。
 私も彼女を見つめて返すと、彼女はゆっくりと体を寄せ、私と額をくっつけた。悩む魔理沙を思い切り抱きしめたり、それこそ冬の終わりにもの凄い元気に空を駆けたり。外では自由で、大胆な彼女だけれど……何故かこういう時は恥ずかしがりで、ただキスして欲しくても察して欲しさを出してくる。
 最近はこんな彼女をからかうのが好きだ。察して欲しいものをわざと外すと、もっとそれを顕著に出してくるから。それこそ最初は額だけだったのが鼻先まで重ねるようになったり。私自身が今まで他の誰かと体を重ねたとき、ずっと手玉に取られていたから、その反動なのかもしれないなって最近は思ってる。あまりやり過ぎると頬が膨らんでくるんだけれど、それもまた可愛くて。でも、今日は意地悪しないでおこう。リリーも、今日は疲れているはずなのだ。体も、心も。
 唇を重ねると、温かな吐息が鼻から漏れ出して。彼女が眉尻を落とし目を閉じて、そして私の肩に触れた。求められるがままに空いていた腕で抱きしめれば、彼女の冷えた膝が、ゆっくりと私の太ももを撫でていった。
 ひとしきり抱きしめた後で、掛け布団を剥いで彼女の体に跨った。私の方がよっぽど体重が重いこともあってか、彼女の太ももを足で挟めば、もう彼女は動けない。
最初の頃はこうしてやると恥ずかしそうにあたふたしてくれたのだが、最近は慣れてしまったらしく、ただただ、彼女は嬉しそうにしてくれる。ふと、彼女が腰回りを気にしていたことを思い出して、手のひらでお腹周りを確かめてみたけれど……彼女の言っていた通り、ちょっとだけお肉がついた気がする。でもこれは、太ったと言うよりは……痩せ気味だったのが薄れてきただけではないだろうか。あまり満足のいく食事を前はできていなかった様子だし。
 撫でていた手をお腹からあげていくと、ゆっくりと上下していた肩が止まり……彼女がじっと私を見つめた。私の胸はお世辞にも有るとは言えないが、彼女も……まぁ、同じ感じ。でも、ふにふにと触ってみていると、最初に会ったときよりは大きくなった方だとは思う。

「紫さんの胸って、抱き着くと柔らかいんですか」
「そうね。弾力もあるし、あったかいし」
「……どういう柔らかさなんです?」

どういう感じか、か。

「厚揚げと絹豆腐の中間くらい」
「……押したら崩れちゃいませんか」
「まあ、柔らかさとしてはそれ位よ。今度頼んでみれば良いんじゃない。揉んでみたいって」

耳を赤くした彼女が、ぷいと顔を逸らして。そんな彼女の顎先を掬って口づけする。……頬もあったかい。真冬の時に比べて随分とあたたかさが戻ってきたお陰で、私が彼女の上でゆっくり遊んでいても、お腹周りや肩口が凍える程冷えてしまわないのは、本当に大助かりだ。
 唇から顎、首へと口づけする先を下ろしていくと、ほんのりと汗の匂いがした。普段着がそもそも私よりも温かく、どちらかというと風通しがあまり良くない服なのに加えて、今日は長い距離を歩いたからなのだろう。……明日の朝、お風呂に誘おう。残り湯でお布団洗って干しとけば、夕方までには乾くだろう。いざとなれば客人用のお布団だってある。……だったら、今日はお布団がどうなってもいいか。

「ねぇ、リリー」
「……はい」

独り夢心地だったのか、一瞬遅れて彼女が返事して。

「今日は少し違うこと試してみよっか」

お腹辺りから彼女を見上げてみると、彼女はただただ不思議そうに顔を持ち上げ私を見下ろして。ついっと下腹部を指先で撫でると、きゅっと呼吸を止めた。かりかりと、私の顔の傍でリリーが布団を掻く音が聞こえたが……一応、嫌という訳じゃなさそう。顔色だけで言えば、好奇心の方が勝っているのは何となく分かった。
 ずりずりと私が後ずさると、そもそも長いお布団でもないからか、私の膝は畳まで来てしまったけれど、私自身の体の冷えも、畳の冷たさも、もうそこまで気にする程じゃない。彼女の股が目の前に来るまで下がりきると、彼女の閉じ切った足の間にそっと手を差し込んで、開いた。前にも一度近いことをしたからか、ちらりと見上げた彼女の顔にあまり不安の色はなく、そこはちょっとホッとしたりして。
 私がいつもおまめさんと呼ぶせいか、それとも彼女が呼び名を知らないからなのか、私達二人の間ではこの股の間のこれをおまめさん、と呼び続けている。私自身として恥ずかしさが薄れるから使ってる所はあるんだけど、先日二人でやった節分の時は、ちょっとだけ言葉に困ったりした。
 そっと舌先を押し当てると、開いていた彼女の足はきゅっと閉じ、私の耳に彼女の太ももが触れた。刺激に対してまだ敏感なのか、濡らした指や舌の方が、撫でていて気持ちが良いらしい。一番気持ち良いのはどれだったのかと聞くと、彼女は「どれも」とはぐらかしてしまうけれど、早く達してしまうのは舌、それも舌先で細かく刺激した時だった。……私の弱点でもある。
 彼女が喜んでくれているのか、そして達しそうなのか。愛でている間、口元を押さえあまり喋らない彼女の場合は、腰回りが教えてくれる。耐えられる範囲で気持ち良い時は、左右ににじりにじりと腰が揺れ、耐えられない場合は、きゅっと腰がお布団から離れて持ち上がる。持ち上がる時はとても力が入っているみたいで、たまに関節が鳴るのすら聞こえたりして。力を抜いたまま達するのも良い気持ちだと前に教えてはみたのだけれど、どうしても力が入ってしまうらしい。……した次の日に腰の筋肉を押さえて痛そうにすることはもう無くなったけれど、今でもたまに腰の辺りをマッサージしてたりする。

「ん……」

普段よりもゆっくりと愛でていると、変な声を出さないという自信でも出たのか、彼女が口元から手を下ろして長い息を吐いた。沢山吸って膨らんでいた胸が、すーっと高さを落としていって。ちょっと視線を上げただけで、彼女の鼻先がちらりと見えた。
 私自身の舌先で彼女の体から零れ出たものを十分に感じたところで、押し当てていた舌先を引っ込めた。長く口の外に出していたお陰か、温かい所を舐めていたはずなのに口の中にひんやりとした感覚が走る。そんな口の中に中指を突っ込んで、少しだけ濡らして。今までほとんど触れたことの無かった彼女の小さな穴へと、その指先をあてがった。
 狭い肉の壁を押し分けるように、ゆっくりと中指をうずめていく。慣れない刺激に戸惑ってか、彼女がぐっと上半身を起こして、私を見つめた。……ちょっと不安そう。過去に舌先を突っ込んだことはあるけれど、それに比べるとよっぽど指の方が奥に届くせいで、不安なのだろう。

「痛い?」
「……ぴりぴりします」

中はぬるりとしているものの、指がほとんど動かせない位にはきつくて。なんとか動かせる位置まで一度引き抜くと、少しだけ曲げたり、ちょっと擦ってみたり。彼女の負担にならない所を探しながら、私も体を起こして。彼女の隣に腰を下ろした。どうやら、ほとんど入口の所の上側を擦るのが一番心地良いみたい。

「ここは大丈夫かな?」

彼女は体を私に預けた後で、ゆっくりと頷いた。おまめさんに比べると随分と刺激が弱いみたいだけれど、時間をかけたお陰で出来上がっているのか、それとも……そもそもそういう素質があったのか。指に乾きを覚えることはなくて。くちくちと、糊を使ったときに似た粘着質な音が僅かに聞こえてくる。指を差し込むこと自体に慣れて貰うために始めたことだけれど、もう少し奥まで差し込んで愛でるのにはまだまだ時間がかかりそう。私の時はどうだったろうかと記憶を辿ってみたけれど、思い返せばちょっと強引だったような気もする。爪が引っかかって痛かったこととかもあったっけ。私の爪もちゃんと切っておかないと。



「……あのぅ、霊夢さん」
「物足りないんでしょ」

しばらく続けている内に、時折止まったりしていた彼女の吐息は、ただ荒れているだけのものに変わり……そして落ち着いた。相変わらず分泌液は出てくれているけれど、随分と体温も落ち着いた気がする。そんな中で彼女は申し訳なさそうに私を見上げると、ゆっくりと頷いた。

「うん。……こっちは少しづつ慣らしていこうね」

ゆっくりと指を引き抜けば、ぴっと細い糸が指と入口の間に張って、途切れた。

「霊夢さんはそっちの方が好きなんですか」
「んー、どっちも好きよ。ただ、こっちの方って慣らさないといけないから。だから今日は少しだけ、試しにね。今は私の指に異物感を感じてぎゅーってしちゃうけど、慣れたら、また違うことできるから。楽しみ方は沢山あるものよ」

取り出した指を彼女がじっと見つめて……指先を重ねた。ぬるりとした感触で滑って、そしてまた糸を引いて。

「……これ私から出たんですか」
「そうよ」
「なんか、白いです」
「ちっちゃな泡とかがあるからね。こういうものよ」

私の手をまた足の間へと戻すと、彼女はぱたんと布団の上へ体を横たえて。私もそんな彼女の目の前に寝転がって。ぬるついた指先が柔らかな突起へと触れると、彼女はもぞりと動いて胸元へと顔を預けた。焦らし続けたことに対する期待感なのか、ずっと空気に晒されていたはずの顔は、指先で触れているものと同じくらい温か。彼女の気を少しでも紛らわせることができたのかなって。……いつもの調子に戻りつつある彼女を感じて、ホッとしてた。
 その後はもう焦らすのはやめた。物足りないと言っていたこともあったし、鼻先には小さな汗も浮かんでたし。指の乾かないうちに気持ちよくなって貰おうと思って。……ちょっと彼女の負担になったかもしれないけれど、お布団の上で体をくねらせる様は、やっぱり見ていて可愛いものだった。
 二度、三度と跳ねる体を抱きしめては解放し、彼女が一度大きくため息を吐いた後で、私は押さえていた指を引き抜いて……咥えた。汗がかなり混じった様で、ほんのりしょっぱい。

「霊夢さん」
「なあに?」
「……ありがとう」
「……明日からも頑張らなくちゃね」

私が声をかければ彼女はぎゅっと抱き着いて。ちょっとだけ暑かったけれど、私も抱き返したのだった。



~~



 雨の音がしない。雀の鳴き声がする。だから、今日も晴れたのだろう。目を開けると、珍しく霊夢さんの顔があった。……今日は私が先に起きたみたい。部屋の中は結構明るくなっている。夜が明けてから結構経った様だ。曲げていた足を伸ばすと、ぱきっと小さな音が鳴って。霊夢さんが身じろぎした。

「……ん」

まだ夢の中みたい。普段いつも飛んでいるのに昨日はずっと歩いたから、疲れてるって分かってたのに。寂しさを紛らわせてほしくて、してもらった。……お股が少しぺとぺと。朝ご飯を食べたら温泉に浸かりに行きたいな。
 見ている夢は、どうやら良い夢みたいだ。顔が少し綻んでる。涎は出てないけれど、顔を下に傾ければ危ないかもしれない。美味しい食べ物の夢なんだろうか。確かに昨日は美味しいものを食べた。あんまり食欲が無かったけれど、それでもお腹の中に入ったし。……魔理沙さんが作ってくれるものは、霊夢さんが作ってくれるものと方向性が違うから、食べていてとても楽しい。どっちも美味しくて……美味しくて。
 霊夢さんの体をゆっくりと引き寄せて、胸に抱いた。私の胸がもっと大きかったなら、柔らかい枕になることができるのに。神様に願ってみても、こればっかりは中々叶えて貰えないでいる。
 自然に目が覚めるまで待っていようと思って、抱きしめた背中を撫でながら、明るくなった部屋の中を見上げた。風が吹いていないせいか、部屋の明るさが揺れ動くことは無く、遠くに聞こえる雀だけが時間の流れを教えてくれた。

「起こしてくれて良かったのに」

霊夢さんが起きたのは、部屋がほんの少しだけ暗くなった頃。と言っても、夜が来たわけじゃない。太陽に少しだけ雲がかかったらしい。霊夢さんは一度大きく伸びをすると、昨夜脱ぎ散らかしていた衣服を拾い上げ、着ていった。少し、皺が目立つ。私が温泉に行きたいことを告げると、霊夢さんも同じことを考えていたのか、

「お布団洗ったら行きましょ」

と。私を布団からごろごろと押し出して、3つに畳んだ布団をぐいと私に押し付けた。

「洗って貰って良いかしら。私、朝ごはんの準備するから。洗濯とご飯を終えたら浴びに行きましょ」

最近は、こういうことも任せてくれるようになって。私が頷くと、霊夢さんはいそいそと台所へと走っていった。



 お布団だけで物干し竿はいっぱいになってしまった。一度血の痕もついたお布団だけれど、何度も洗ったこともあって、遠目にはもう目立たない。干し終えた後で居間へと入ると、丁度霊夢さんがご飯をよそってくれている所だった。

「お疲れ様」
「夕方ぐらいに取り込んでおきますね」
「ええ。今日は……降らないでしょ。ちょっと雲はあるけど」

霊夢さんの言う通り、雲は確かに昨日より多かった。でも大きな綿雲ばかりで、今日も空は青い。
 二人揃って手を合わせ、食べ始めた朝ご飯。今日はほうれん草の卵焼き。

「卵焼きなら貴女にも何とかなるんじゃないの?」

ふと霊夢さんがそう言ったけれど……恐らく、私にはまだ難しい。卵は、怖いのだ。昔古い卵に当たったことがある。独りで身動きが取れないのはとても辛くて。だから、火が通せるならとにかく通してしまいたいって気持ちが強い。本音を言えば全部の食べ物にそう思ってる所はあるんだけど、卵は特別そういう気持ちが強いのだ。……あと、牛乳もか。たぶん私が今挑戦してみても、しっかり焼き過ぎたスクランブルエッグか、生焼けでデロデロな卵焼きになってしまいそう。思えば卵で当たった時に作ったのも、卵焼きだったっけ。

「色々できるようになったら、挑戦してみます」

……苦笑いされてしまった。



「久々に浸かった気がします」
「この数日だけはお家のお風呂使うことが多かったからねぇ」

温泉で二人。霊夢さんの横に座って、身を寄せる。姿勢を崩した霊夢さんと、背筋を伸ばして座った私の肩が大体同じ高さ。お風呂の中でも使える座布団みたいなのがあれば良いんだけど、そういう便利な物は持ってない。

「残り湯、お洗濯で便利でしたからね」
「最近やっと暖かくなって救われた感じよ」

それはちょっと思う。廊下の床を踏む勇気が要らなくなったし、洗濯するのがちょっと遅れてもちゃんと乾くようになったし。お風呂も、沸かし始めてから入れるまでが早くなった。後は……霊夢さんのことを見ても寒そうって思わなくなった。

「貴女って」
「はい」
「冬の終わりは、あんなに元気に空を駆けてるけど、春が来た後ってどうしてたの?」
「いつもは、独りで静かにひっそり過ごしてました」
「お友達と遊んだりはしなかったの?」

……昔は、そうしてた。色んな子と朝から、夕方まで。もう遠い遠い記憶だけれど。私が春だって言って回る様になって少しした頃から、しなくなったんだ。珍しいだとか、縁起が良さそうだとか。そんな理由で変な人たちに捕まりそうになったりして。そういうことが起きたときに、周りの皆に迷惑をかけてしまったから。

「最近はあんまり」
「……言い辛いことなら、無理して言わなくても良いわ」
「遊んだりはしなかったですけど、お散歩したりとかはしてました。山の神様が居るところの周りとか、閻魔様がお散歩に来るような所とか」
「閻魔ってあの?」

あの。何となく、言いたそうなことというのは私にも分かる。気難しいとか、お話が長いとか、そういうの。でもあの人は悪い人じゃない。

「はい。安全なので」
「それはまぁ、そう……かもね」

分からない言葉が出てきたら砕いてくれるし、聞きたいことにも答えてくれる。真面目に聞くと嬉しそうな顔をするし、たまにお菓子をくれる。いつも大福で、たまにおはぎ。小粒で一口で食べられる大きさで。そして他の所で食べる物よりもちょっとだけ甘い。

「後は、静かなところ。昨日行ったあの向日葵畑とか」
「……本当不思議よ。貴女、風見幽香の噂とか聞いたことなかったの?」
「うーん。あそこに危ない人が居るとは聞いてましたし、あのお花畑であの方以外見たことなかったですけど、あの方がそうだとは思えなかったんです」

結構あのお花畑に行く機会はあったけれど、いつも手のひら位のスコップ片手にお花の手入れをしていて。たまにふよふよと飛んで行っては、如雨露をもってきて帰ってきて。……そしてまたお手入れをして。太陽が真上位に来たら、今度は日傘を両手に握ってゆっくり散歩して……。今日霊夢さんとご飯を食べたあの場所に私はいつも腰を下ろしていたけれど、危険なんて感じたことなかった。

「殺気立ってたりしなかったの?」
「いいえ。……あ、でも。日向ぼっこ用に黒い服着て行ったらぎょっとされたことが、一度だけ」
「そんな服持ってたんだ」
「はい。……夏も近くなってくると白い服は光を反射して首元が焼けちゃうんです。閻魔様が黒なら大丈夫って」
「黒は暑いでしょうに」

確かに暑かった。真夏はとても着ていられなくて。でも本当に凄かったのは暑さじゃなくて、汚れ。黒だからお醤油とか零しても目立たないなって思ってたけど、埃がつくと凄く目立つのだ。お洗濯した後すぐなら良いんだけど、ちょっとお散歩しただけで裾がタンポポの綿毛だらけになったりして。それに、大妖精さんには喪服と間違えられたこともある。

「だから、いつもは白い服なんです。黒は、雪焼けしそうだなーって日とか。春とか、秋とか。そういう時ですね」

そっか、と。霊夢さんは小さな声で言った後、ぐっと伸びをして。くるっと顔をこちらに向けると、私の首筋に触れた。

「あったまったみたいね。そろそろ出ましょうか」

てっきり嬉しい物をくれるのかと期待してしまったけれど、

「はい!」

……今夜まで、お預けにしておくことにした。



~~



急いで飛ぶと髪の毛が凄い形で固まってしまうから、久しぶりに歩くような速さで神社へと帰った。今日は静かだ。風という風がほとんど吹いていない。たまにふっと肌を撫でることがあるが、それでも勢いはとても弱く、雲もほとんど動いていなかった。
 居間へと入ると、独り見慣れた姿が炬燵に足を突っ込み酒を呷っていた。すっきりした気持ちで帰って来たのに既に部屋は酒臭い。嗅ぎ慣れている匂いではあるものの、私には少し強いお酒だ。

「こんにちは……えっと」
「萃香だよ」
「萃香さん」

私の後ろから顔を覗かせたリリーが、彼女に声をかけて。いつもの事ながら既に出来上がった彼女は、笑いながら返していた。少し前まで寝転んでいたのか、畳の上に角の跡が残っている。

「お久しぶりです」
「うん。久しぶり。……霊夢と違って挨拶のできる子だね」
「それならあんたは『お邪魔してます』って先に言うべきなんじゃない?」
「まぁ……そだね。お邪魔してます」

……やれやれ。差し詰め、魔理沙から話でも聞いたか。恐らく今度の桜の宴会と、その後に開く宴会のことだろう。

「萃香、普段宴会に参加しない日陰者って言われて、思い当たる節やツテはある?」

率直に尋ねてみれば、私の顔をちらりと見上げた後、短いため息を吐いた。

「……それが私だと難しいんだよね。皆理由があって出たがらない訳だし。特に私は鬼で酒飲みだから……お酒の場が苦手な連中はそもそも話をしてくれないのさ。そういう訳だから私は力になれない。ただ、勇儀は別だったから。そっちには頼んどいたよ」

勇儀か。とすれば、地下はわざわざ訪問しなくてもよさそうだ。あそこは空気がピリピリしてるし、リリーを連れて行きづらかったから助かる。

「いつも有難うございます」
「……ああ、良いねぇ。お礼を言われるのは何だか久しぶりな気がするよ」

ふと一歩顔を引いてみてみれば、二人ともあんまり顔の位置が変わらない。角を入れると私と萃香が同じくらいだが……相変わらず隣には座りづらい角だ。先端は思いのほか鋭く、以前刺さりかけたときは削ってやろうかって思った位で。

「何か良からぬこと考えたね」
「気のせいよ」

短いため息が部屋の中に響く。

「まあ、私は『普段の』宴会の方の人集めをしておくからさ。会場は頑張ってね」

そう。問題は、それだ。一番の問題は、会場の用意なんだ。日が連続している。大体宴会が朝近くまで行われる訳だから、片付けは早くても当日の朝から。ごみの収集に仕分けと片付け、掃除。それからお風呂で体を綺麗にして食事会の準備。やることは多い。初日の参加者がどれだけ善意を見せてくれるか。それがとても大きなカギとなる。……ちっとも期待できないけど。

「分かった。それは何とかするから。よろしくね」
「任せといて。さて、リリーさんや。本題に入ろう。君が集めるのは所謂日陰者だ。彼女らが望む望まないに関わらず、そうなったのには『理由』があるのは分かっているね。その理由は君にとってはとてもちっぽけに見えるかもしれない。でも、それが彼女たちにとってはとても深刻なこともある。……それだけは忘れないで」

頷くリリーに萃香が微笑む。リリーが能天気とは言わないけれど、私にとっての『普通』とは少しずれた価値観があるのは、もう分かってるから。……私も、当日はしっかりしておかないと。誰が来るにしろ、どんな話になるにしろ。彼女の手綱はちゃんと握っておかなければ。

「……じゃ、今度はまた宴会の時に。これでお邪魔するよ」

立ち上がった萃香は、めくれあがった炬燵の裾を直して。それだけを言い残してぱっと霧の中に消えていった。ため息を吐けば、まだ少しだけ漂っていたお酒の匂いが舞って。私も立ち上がると、縁側への障子を開いたのだった。

「霊夢さん」
「なあに?」
「……私って、変なんでしょうか」
「誰にだって、その人の考える普通があるの。私にも、貴女にも、あいつにも。違いが出るのはしょうがないのよ。はっきり貴女自身の考えがあるのなら、普通でも変でも良いのよ。それはもう染みついたものでもあるから。……あまり気にしすぎないで」

炬燵の中のリリーはしばらく考えた後、首を縦に振って。それから両手をぱちんと鳴らすと、彼女も立ち上がった。

「私、ちょっとお出かけしてきます」
「うん。お昼ご飯は?」
「食べたいです。それまでには戻れると思うので」
「分かった。……行ってらっしゃい」



~~



 神社を出て向かったのは湖……の、ほとり。ここは昔住んでいたところ。そして私がお世話になった大妖精さんの住むところ。昔よりずっとずっと木が成長していたお陰で、大妖精さんの家は少しだけ日当たりが悪くなってた。それでもお洗濯をする都合なのだろう。ベランダは木々からひょこっと出てる。どうやら周囲の木の枝を刈り上げた様だ。
 私がノックすると、懐かしい声色の返事と共に、ドアが開いた。

「あら、お久しぶり」
「ご無沙汰してます」

眉尻を落としてゆったりと笑う。普段から機嫌が良い彼女だけれど、今日は一層そう感じた。招き入れられた家の中は、ベランダから取り入れた光のお陰か、あまり暗くない。家具の置き方もほとんど変わってなくて……前にお邪魔したのがいつだったか覚えていないけれど、どことなくホッとする。ああ、昔のままだなって。
 居間のテーブルに腰を下ろして、温かな紅茶を貰って。最初の一口をゆっくり飲み込むと、彼女が身を乗り出して切り出した。

「心配してたんだ。この前お家に行ったら……その。とんでもないことになってたから」
「うん。雪で、壊れちゃって。今は神社に住まわせて貰ってるの」
「神社?」
「霊夢さんが居る方の神社。あの桜の綺麗な方」

久しぶりだったから、話は色々飛び火した。お家が壊れたのはいつのことだったのか。霊夢さんは怖くないのか。いつも何をして過ごしているのか。これからも無事やっていけそうなのか。どうやら大妖精さんにとっての霊夢さんというのは、少し怖い存在みたいだ。昔この近所で戦う羽目になってしまったらしい。霊夢さんは私ともそういうことをしたことがあるって言ってたけど……私は覚えてない。何というか、舞い上がっていたときなのだと思う。

「そういえば、今日はどうしたの?」
「うんとね、今度桜が満開になった時に宴会を開くの。最初の一日目はいつもの宴会。二日目にね、普段来ない人を招いて宴会をするんだ。皆が怖がってる人とか、沢山の人が居るのが苦手な人とか。そういう人達にお願いして参加してもらうの」
「懇親会みたいな感じかな」

懇親会、か。宴会って言っちゃうよりも、そっちの方が良いのかも。宴会って言ってしまうと、どうしてもお酒のことを考えてしまう。飲めない人が居るかどうかは分からないけれど、それで敬遠されてしまうのは勿体ない。

「うん。それにね、一緒に出て欲しいなって。……お料理出したいんだ。私のお料理の先生は大妖精さんだから。一緒に、作って欲しいなって」
「そっか。……何を作る予定なの?」
「肉じゃが。……ちゃんと作れるようになったら、霊夢さんにも作ってあげたくて」

私が返すと、彼女は何度か首を縦に振った後、微笑んだ。

「分かった。頑張ろう。参加者には私も心当たりあるから、誘っていい?」
「うん。急なお願いで、ごめんね」
「良いの。リリーちゃんがお願いしてくれるの久しぶりだし」

空っぽになってしまったカップへ、また注いでくれて。私が頭を下げれば彼女はくすくすと笑い、続けた。

「……なんだか、前会った時より幸せそう」
「霊夢さん、優しいですから」
「そっか。……好きなんだね、リリーちゃん」

うん。本当に。



 昔の事を思い出しては話したり。大妖精さんの最近はどうだったのかを尋ねてみたり。久方ぶりにあったお陰か、随分長い間話し込んでしまった。気が付けばお昼ご飯の時間が近づいていて、改めて、日にちの確認だけして。まだまだ話していたくて後ろ髪を引かれながら、大妖精さんのお家を後にした。
 急いで帰らなきゃ。その思いで、久しぶりに全速力で飛んでみた。風が懐かしく感じられる程、髪がなびく。既に乾ききっていると思っていたのに、生え際は冷たくなって、帽子の周りはちょっと寒い位だ。これで髪が固まってしまったら、霊夢さんにブラシを貸してもらわないと。
 神社へとたどり着くと、出ていくときに開いていた縁側と居間を結ぶ障子はまだ空いたままで、霊夢さんは……部屋には居なかった。寝室にもいない。でも、台所の方で包丁の音が聞こえる。帰ったことを伝えれば、おかえりという声と揚げ物の音が聞こえてきた。僅かに、芳しいお出汁の匂いと、お醤油の匂いがする。今日のお昼ご飯は、何だろう。
 取りに行った庭の洗濯物は、お布団を除いてもう乾いてしまっていた。ぴんと張って干していた洗濯物は、風が無かったからそのままの形で乾いていて。縁側で一つ一つ畳んでいると、居間から私を呼ぶ霊夢さんの声が響いた。
 今日のお昼ご飯は、お饂飩と、お野菜のかき揚げ。油を使う料理が並ぶのは、この神社では珍しい。煮物の方が炒め物より多いし、揚げ物は滅多にないのだ。霊夢さんが言うには、『何となく油が勿体ない』とのことで。……だから恐らく、今夜のお夕飯にも何かしらの揚げ物が出るはず。
 煮物も炒め物も大好きなのだけれど、揚げ物は久しぶりに食べるととても満足するんだ。他のお料理では中々楽しめない癖になりそうな食感。日頃食べているお野菜やお肉の違う顔がこれでもかって位に現れて。好き。

「そういう顔して食べてると、作った甲斐があるって気がしてくるわ」
「いつも美味しいですよ」

熱いかき揚げを饂飩の汁へとつけて、ひと噛み。衣がザクっと弾け、人参と玉ねぎの甘さが口いっぱいに広がる。揚げたてのお陰か、饂飩のお汁より熱くて……吐息に湯気が混じる。

「お友達の所に?」
「はい。大妖精さんの所へ。一緒にお料理してくれませんかって、お願いしてきました」
「そうなんだ。どうだった?」
「力を貸してくれるって。……台所、お借りしますね。いつか霊夢さんにご馳走できるように」
「あら。一緒に練習するのかと思ってた」
「うんと、まずは……私が頑張ったもので食べて貰いたくて」

大妖精さんが作ってくれたお料理も、私の思い出だから。完全に同じものを作れるとは思ってないけれど、普段こういうのを食べてたんだって。そういう時間を、共有したくて。霊夢さんにはそれから教えて貰おうかなって思ってる。

「じゃあ楽しみにしておくわ。……本音を言えばね、当日きっと大変だから。たぶん私は前日のお片付けであんまり一緒に動けないと思うの。助かったわ」

そういえば前回の宴会の時も、片付けは凄く大変だった。使われた食器は至る所にあって、コップは中身が残ってたりして。運ぶのも中身を零さないように気をつけなきゃいけないし、洗ったら台所の流しが詰まっちゃったり。いよいよ全部終わったかなって思ったら、今度は使った敷物のお洗濯。霊夢さんは平然としてたけれど、私は終わった後炬燵から動けなかった。

「後はお天気になることを祈るだけですね」
「そうね。……まぁ、いざとなったら天気はどうにでもなるから、そこは安心して良いわ」

……どうにでもなるものなんだろうか。



~~



 まだ少し先の話だと高を括ったまま過ごしてみれば、あっという間に桜の咲く日を迎えて。蕾の綻びが始まった頃から大忙しだった。師走以上だ。十八人。十八人らしい。二日目の参加者である。リリーが一人一人訪ねて回ったのが五人。魔理沙や萃香、勇儀達が掛け合って決まったのが十一人だ。
 肉じゃがは、十人前作ることになった。食事は各自の持ち込みなので余る可能性もあったけれど、冷えても美味しい肉じゃがなら、いざとなったら自分たちで食べられるから。そもそも我が家の台所で作れる限界の量がそれだった、というのもあったんだけど。

「昨日は凄かったですね」

台所へと入った大妖精が、エプロンをつけながらそう言った。彼女が言う昨日というのは、初日の宴会のこと。彼女は参加していなかったが……遠目にも、相当に賑やかだったらしい。実際、私とリリーも早めに抜けたのだが、あまり眠れていない。

「お正月のが一番大きい宴会だと思ってました」
「お正月は二番目くらいかしらね」

というか、私に至っては眠っていない。片付けが長引いたのだ。幸い、朝になって様子を見に来た咲夜が手伝ってくれて、今はもう会場準備も終わっているが……眠い。瞼に錘がついた様だ。『お休みになられては?』と、リリーに言われはしたが……リリーが料理をする姿を眺める機会を捨てたくなくて。いつも使っている割烹着をリリーに着せた後は、ずっと隅の椅子に座ってた。
 後ろから見る二人と台所は、物珍しい光景だった。この台所を魔理沙や紫が使っているところを見たことはあるが、自分より背の低い誰かが使っているのを見たことが無く、しかも羽の生えた二人である。萃香もあまり身長は変わらないが、角がないから本当に小さく感じるのだ。足元に小さな木箱を置いてあげた方が良いんじゃないかって位で、もしも二人子供が居たのならあんな感じなんだろうかって。昔の自分の姿を重ね、思った。紅魔館もこんな感じなのだろうか。

「何か、これが見つからないとか、そういうのあったら教えて頂戴な」

壁に寄りかかって欠伸混じりに伝えると、二人はこちらに振り返って笑い、頷いた。
 野菜を洗うのに始まり、皮むき、調味料の準備、火の準備。気を許すとすぐ降りてくる瞼を擦りながら、壁に背中を預け……耳を傾ける。彼女達の間にはそれなりに親交があったのか、私に対するリリーの言葉遣いと、大妖精に対する言葉遣いが少しだけ違う。昔ながらの友人としての信頼感の差なのだろう。意見に遠慮が無く、お互いが素直にやり取りをしている。一緒に暮らすようになってリリーも段々と私に要らぬ遠慮をしなくなってはきたのだけれど、彼女達の間で交わされる言葉を聞いていると……ちょっとだけ、羨ましい。

「牛肉切るのとお野菜切ってくの、どっちやる?」
「野菜やります。……あんまり薄切り得意じゃなくて。大きさはどの位かな」
「じゃがいもは一口サイズが良いかな」

一つ一つ互いに確かめながら進めていく。一口サイズ。リリーは結構一口が小さい。お握りを食べているときは特にそう思う。たまにがぶっと行くこともあるが、そういうのは小分けに食べづらいものばかり。後は特段好きな物とか、頬張って食べたりすることがある位だ。……じゃがいもが消えてしまうほど煮崩れしてしまうと言っていたが、最初に切る大きさも問題の一つを担っていたのかもしれない。
 お出汁を作り、野菜を炒め、お肉を焼いて。少しずつ進んでいく様子を耳と鼻で確かめながら欠伸をすれば、聞こえてしまったのか、彼女達のくすくすと笑う声が焼ける音に混じって聞こえた。
 量が量だからか、鍋の中にお野菜を敷き詰めるのも、結構苦労してるみたいで。お野菜にお肉にお出汁に調味料。入れきった時には二人とも短いため息を吐いてた。

「後は灰汁取りで終わり、ですよね?」
「うん。取ったらそのまま煮こんで。で、火を止めて終わりだね」

……よし。

「私、少し休んでくる。もし時間になったら起こして。勿論困った時は遠慮せずに」
「はい。……お疲れ様です」
「おやすみなさい」

無事に出来そうだということが分かったせいなのか、眠気がどんどんと強くなって。一度、お醤油の香りを胸いっぱいに吸い込むと、そう言い残して台所を後にしたのだった。



~~



「ぐっすり眠ってますね」

肉じゃがが出来上がり、火を止めて。台所の後片付けを終えた後で覗きに行った寝室では、霊夢さんが掛け布団をめくることなく、ただただうつ伏せで布団に突っ伏していた。枕は足の間に覗き、顔は見えないが肩はゆっくりと上下してて。後ろから覗き込んできた大妖精さんは、くすっと鼻で笑った後、そう言って微笑んだ。

「うん」

居間から漏れこむ光が邪魔にならない様に、そっと襖を閉めて。水仕事の疲れを癒して貰おうと、二人で炬燵に入って。腕から先が溶けてしまうような感覚を覚えながら、ぐっと足を伸ばせば、つん、と大妖精さんの足に触れた。……凄く冷たい。私よりスカートが短いからだろう。

「後は滲みるのを待って、始まる前に温めなおせば良いかな」
「助かりました。突然のお願いだったのに」
「ううん。こういう機会じゃないと、沢山作るって経験できないし。……ねぇ、リリーちゃん」
「うん?」

部屋に持ち込んでいたお茶の道具で二人分のお茶を用意していると、大妖精さんはふと思い出した様に私を呼んで、尋ねた。

「いつも、一緒に寝てるの?」
「はい。そのお部屋で」
「……お布団一つで、枕二つ見えたよ?」
「う、うんと。ここ朝冷えるから、お互いが湯たんぽ代わりなんです」

私が返せば、にんまりと笑って。取り繕いで出した言葉だってことはすぐにばれてしまった。……嘘は、昔から上手につけないのだ。

「この前私のお家から帰る時も全速力だったもんね。……リリーちゃんもそういう相手ができたんだねぇ」

安心した様に言われてしまって、思わず顔が熱くなって。淹れた自分のお茶に口をつけて、ゆっくりと深呼吸した。

「大妖精さんはどうなんです?」
「私にも、居るかな。上手く言えないんだけど、私にも帰れる場所があるっていうか。飛び込める胸があるっていうか。……凄く、安心するよね」

この間私がお家を訪ねたとき、幸せそうと言っていたけれど。私も、そういう風に見えてた。……いつも見ていた顔は、困った顔が多かったんだ。好きな人に美味しい物を出したいってそう言ってお料理の練習したりして。私はただただあやかる立場だったけれど……上手く行って欲しいとは思っていたのだ。私が頷いて返すと、大妖精さんも一度頷いて。

「寝て起きたときに隣に居てくれている幸せ。悩み事も楽しい事も一緒に背負って楽しんでくれる幸せ。語り草の様に伝えられるそれを、ちゃんと実感できる。そんな幸せ。とても心地が良いの」

普段より饒舌に語る大妖精さんが、そこでふと欠伸を漏らして。隠しきれなかったからなのか、一度鼻で笑った後、

「慣れないことしたからかな、私も少し……眠っていいかな?」
「うん。私は、大丈夫だから」

そう言ってほほ笑んだ。……本当は私もちょっとだけ眠い。けれど、もう霊夢さんも眠ってしまっているから。お茶さんと一緒に起きていよう。
 大妖精さんもすっかり眠ってしまった後。私は少しだけ冷めたお茶を飲みながら、考えていた。友達の輪を広げるために宴会を開く。そう魔理沙さんは言っていたけれど、私はこの宴会で何をしなくちゃいけないのかな。どう振舞うべきなのかな。
 友達になるきっかけを作る場なんだ。そう、懇親会の場。まずはお互いに歩み寄れる余地を見つけるのが最初だと思う。ひょっとしたらお互いの事情を知らないまま変なことを口走ってしまうかもしれないし、最初は自己紹介、なのかな。好きなこと、とか。そういうの聞けたら、話も進めやすいのかな。好きな食べ物も良いかもしれない。あぁでも、どうして普段の宴会には顔を出さないのか。……それは、ちゃんと皆の口から聞かなくちゃ。
 今日は、始まりの一日だ。ひょっとしたら何も進展はしないかもしれないけれど、参加してくれる皆が楽しんでくれたら……良いな。



 日没が近づくと、最初の参加者がやってきた。山の神様のお姉さん二人。私がお願いした二人だ。美味しい焼き芋をご馳走になったことがある。持ってきてくれたのは山菜を混ぜ込んだ練り物。お醤油を垂らすとお酒によく合うらしい。このお姉さんたちは昨日の宴会にもいらっしゃっていて、昨日はお酒を持ち込んでいた。ちょっと匂いがすごいお酒。今日も少し持ち込んでくれている。
 いそいそとお外の準備を進めていると、今度はミスティアさんが遠目に見えて。手を振ると向こうも振り返してくれた。すこしおっきなお皿が見える。近づいてくるミスティアさんの方から漂ってくる匂いは……いつもの串焼きの匂い。ご飯が進みそう。ご飯、炊いてないけど。
 それからやってきたのは、私の知らない五人の方々。お話を伺ってみると、地底からやってきたとのことだった。さとりさん、こいしさん、おりんさん、うつほさん。そして、パルスィさん。どうやら萃香さんが話していた、勇儀さんのお知り合いの様だ。
 パルスィさんとおりんさんがそれぞれバスケットを持っていて、パルスィさんのにはトマトソースがたっぷりのロールキャベツ。おりんさんのには味噌漬けの……お魚、かな。こっちもミスティアさんのに負けず劣らずご飯が進みそう。炊いておくべきだったんだろうか。
 その次にやってきてくれたのは、音楽の演奏が上手なお姉さん三人。魔理沙さんが誘ってくれた。いつも宴会の度に色んな曲を聞かせてくれる。昨日も、華やぐ音楽と静かな音楽を奏でてくれた。持ち込んでくれたのは……春巻き。なんとなく、名前が好き。一番上のお姉さんが作ったらしい。
 そして傘のお姉さん。幽香さん。今日はお天気だしもう日が沈みそうだけれど、傘を持ってきていた。幽香さんのバスケットの中は……焼きおにぎり!

「救世主です」
「良く分からないけど都合が良いなら何よりね。……今年も、綺麗に咲いたわね」

日が沈んで、霊夢さんたちを起こして。一番最後に会場にやってきたのは紅魔館の方々。いつもワインをくれる十六夜さん、同じ位の身長だけどいつも落ち着いた雰囲気のレミリアさん。そして……初めて見た、レミリアさんと同じような雰囲気の人。髪の色も羽の形も違うけれど、少しレミリアさんに似てる。深々とお辞儀をして、レミリアさんの横に座った。フランドールさん、というらしい。持ち込みは白菜のお漬物にワインと……これは何だろう。

「チーズを揚げたものです」

ほんのりと漂ってくる匂いはとろけたチーズの匂い。……美味しそうだけど、お腹周りにすごく響きそう。
 皆で円になって座るのは難しかったから、二列にずらっと並んで。お料理を均等に並べて、皆で座っていった。私は霊夢さんの隣。正面には幽香さんが座って。自然と視線は私に集まってしまったから、恥ずかしいながらも立ち上がって……おじぎした。

「お集まり頂いてありがとうございます。主催のリリーホワイトです」

予め考えていた挨拶を進めていく。……皆の視線を浴びるとすごく緊張する。

「今日は、普段の宴会へは参加されてない方々に声をかけさせて頂いて。その。お友達になりたくて、この場を設けさせていただきました。本日は、桜を見つつ、お話しつつ……食べつつ。親睦を深められたらと思います」

噛んだらどうしようかと思いながらだったけど、言いたいことを言い終わってホッとして改めて周りを見てみると、私だけじゃなくて皆どこか緊張した顔だった。余裕そうな顔をしているのは、ただ一人レミリアさんだけで。大妖精さんやミスティアさんに至っては、どこか落ち着きない。

「ま、平たく言うと懇親会よ。今日はうるさいのは呼ばれてないし、完全な貸切。気兼ねなく楽しんでいって頂戴。飲み物は……皆あるみたいね。じゃ、リリーお願い」

私の言葉に霊夢さんが付け足してくれて。それから促されるまま、

「乾杯!」

と言えば、ちょっと生暖かかったけど皆笑ってくれて。何とか、無事に始められた……みたい。深呼吸しながら腰を下ろせば、前に座っていた幽香さんがくすっと笑った。
 参加してくれた皆さん同士でも初対面の方というのは私が思っていた以上に多かったみたいで、すぐに自己紹介することになった。主催としてどう振舞えばいいのか良く分からないままに臨めば、そんな私の気持ちを察してくれたのか、レミリアさんが代わりに取り仕切ってくれて。……普段からパーティしてるから、と言っていたけれど、とても有りがたかった。

「誰からにするかい?」

持っていたグラスのワインをすっと飲み干したレミリアさんが、笑いながら皆を見た。けど、皆一瞬尻込んで。予想してたのか、レミリアさんはグラスを置くと、ゆっくりと話し始めた。

「私はレミリア。レミリア・スカーレット。吸血鬼よ。ここからだと少し距離があるが、あっちにある湖の近くに館をもって、そこに住んでる。普段ここで開催される宴会には、大体いつも参加してるわ。こっちは妹のフランドール。さらにその隣が、従者の咲夜よ」
「フランドールです。参加はこれが……初めてです。普段の宴会も興味があるんだけど、その。怖がられそうなので、参加してません。本日はよろしくお願いします」

今日初めて見た時に見せてくれたのと同じくらい、彼女はまた深く頭を下げて。一呼吸おいて、十六夜さんが静かに続けた。

「紅魔館でメイドを務めております十六夜咲夜です。よろしくお願いします」

十六夜さんも深々と頭を下げた。……私にとっても少し謎な十六夜さん。何か言ってくれるかと思ったけれど、ただにっこりと笑ってた。

「質問」

十六夜さんの頭の位置がもとに戻って少しして、一人、手を挙げた。地下からやってきていた方の一人で……こいしさん、だったと思う。ミスティアさんの持ってきていた串を食べていた。

「何で怖がられるの?」

その問いにフランドールさんが一度自分自身を指さして。こいしさんが頷いたのを確認した後、悩む様な声を漏らしてた。しばらくうんうんと唸っていたけれど……それからゆっくりと語りだした。

「私は吸血鬼だし、何でも壊しちゃう暴れん坊だった。周りの事を気にも留めず、取り返しのつかないことを繰り返して。館には、まだ私のことで怯えてる子達もいる位で」
「今はどうなの?」
「もうしないって決めてる。でも、してしまったことが消える訳じゃない……から」
「……それは、そうかもね。うん。ありがとう」

改めてフランドールさんが頭を下げて、こいしさんも同じように下げてた。ちょっとの間沈黙が流れたけれど、すぐにレミリアさんが手拍子をして、皆の目を集めた。

「さ。次は誰にするかね」

皆がお互いに見合わせて。それから一人、手をあげた。私の目の前の幽香さんだ。いつの間にか咥えていた春巻きをもそもそと口の中にしまった後、少し置いて口を開いた。

「風見幽香よ。普段は、そうね。ほぼ年中お花畑に居るわね。……あぁ、変な意味でなく、そのままの意味で。私も普段の宴会に参加しない理由は同じよ。怖がられるから。お食事中に怪訝な目で見られるのがあんまり好きじゃないのもあるわね」

そこでちらりと霊夢さんを見て。霊夢さんがすっと顔を逸らした。……たぶん、この前ご飯を一緒した時のことだと思う。逸らした顔の霊夢さんと視線が合ったけど、霊夢さんはさらに顔を逸らした。

「そうやって見てる側にとっても、お料理を楽しむことはできないでしょうし。そういう余計な要素が私が来ることでできてしまうのなら。あまり顔を出す意味は無いと思ってるわ」

静かに続けた幽香さん。視線の先の桜の花がまた一枚、また一枚と散っていくのを見ながら、とても小さなため息を零した。幽香さんの気持ちは、どうなんだろう。本当は、参加したいのだろうか。それとも、心の底から参加したくないんだろうか。何となく、それはもう知っている。私がお昼に誘ったときの幽香さんは、困った顔もしていたけれど嬉しそうだった。いつもあのお花畑に一人で居るけれど、独りを望んでいる訳じゃない。私がじっと見つめていると、ふっと幽香さんと目が合って。……幽香さん、苦笑いしてた。

「質問があれば。無ければ次は誰がするかね」

次に手を挙げたのは、さっき質問したこいしさんの隣に居る、さとりさんだった。私が作った肉じゃがを食べてる。……どう、だったんだろう。

「私達のことを。まず、私は古明地さとり。隣が妹のこいし。そのまま順番に燐、空。私達は、地底で館を構えてそこに住んでるわ」

地底。一応、どこにあるかは知っている。入口だけ、だけど。あの中は暗くて、行こうと思ったことが無いんだ。ただ、春を伝える身としては……言った方が良いんじゃないかって思って。入口のところで、中に向かって本気で叫んだことがある。誰かびっくりしてしまったみたいで、その時は悲鳴が聞こえた。あれから、入口では叫ばないようにしてる。あの時は悪い意味で胸がどきどきしたから。

「先のお二方が怖がられる立場なのであれば、私達……特に私は嫌われる立場です。私は、相手の心が読めてしまう。だから、私も幽香さんと同じ。無用な心配や問題を起こさせない為に、参加を見送ってます」

さとりさんの言葉に、レミリアさんが首をかしげて。

「妹さんは?」

尋ねられたこいしさんは胸の前でバツ印を作った。

「私は……たまに宴会の様子を覗きに来てる。昨日も。たぶん、誰も気づいていないけれど。今後参加するかは、分かんない。私はお姉ちゃんと違って心は読めないけれど、誰もがそれを信じてくれるだなんて思ってない。私も、余計な面倒は起こしたくないし」

昨日。私が昨日の宴会に参加したとき、全員の顔は知ってる顔だった。春の宴会にも来ていた皆だったから。こいしさんは、居なかった。遠目にも、見た覚えは無い。そのはず、なんだけど。言われてみると、こいしさんの顔を今日初めて見た気がしないんだ。どこかで見たんだと思う。でも、それがいつだったか、どこだったか思い出せない。

「そっちのお二人さんは?」

おりんさんとうつほさんに、レミリアさんの視線が延びた。質問が来ると思ってなかったのか、二人ともお握りを頬張ってて。先に飲み込んだらしいうつほさんが、ちょっとだけ身を乗り出した。

「私は皆で来れるなら参加する、かな」

そしてお茶で流し込んだおりんさんが続く。

「あたいも。まぁ、宴会には参加してないけど、地上……というか、ここにはよく来てるよ」

ここ?
……こっちのお姉さんの方は確実に今日初めて会ったはず。少なくとも私がここにお世話になってからは、見てない。……はず。

「そうね」

ちらりと霊夢さんの方を見れば、一度視線が合って。短くそう答えると、私の方を見て

「ここに来るときはあの姿してないのよ」

と。小さな声で教えてくれた。だから頑張って記憶の中を改めて振り返ってみたけれど……結局、分からなかった。
 その次にお話してくれたのは、地底への入口からもう少し進んだ洞窟に居るらしい、パルスィさん。私と会ったことは無かったのだけれど、私のことは声で知っていたらしい。ひょっとして悲鳴の人かなって思ったけれど、どうやらそれはまた違う誰かのことみたいだった。

先に紹介してくれた方々と違い、パルスィさんは特段怖がられている訳でも嫌われている訳でもなかった。無茶なお酒の飲ませ方をする人や、大人数というのが、あまり得意ではないとのことで。

「だから、普段は気心の知れた相手位としか飲まないわ」

と。静かに続けた。それは、私も近いのかもしれない。霊夢さんと二人きりでゆっくり飲む時とか、魔理沙さんを含めた三人で過ごす時とか。本当に時間を忘れてしまいそうな程、穏やかな気持ちになる。勿論、大人数での宴会も嫌いじゃない。けど、少しだけ。霊夢さんに守られているんだなって思う。他の人が無茶な飲まされ方してるのを見たことはあるし、されそうになることは昨日もあったけど、すぐに霊夢さんが来て止めてくれたから。……ありがとう、霊夢さん。

「質問があるんだが」

パルスィさんが語り終えた後、レミリアさんが手を挙げた。

「地底って私達が行っても良いもんかね。それとも、不味いかね」
「禁止はしてないわよ。私達は。ただ、閉鎖した空間だし、鬱屈した考えの奴もいる。大はしゃぎしてたら凄く目立つのは確かね。それ以外なら問題ないんじゃないかしら。それこそ、そこの巫女と……あと白黒の魔法使いさんも来てたわけだし」
「そうか。太陽の光が届かないはずだから、いずれ観光に行ってみるよ。有難う」

観光。……うぅん。私は探検って言った方が何となく分かる気がする。入口も真っ暗だったもん。僅かに漏れこんだ太陽の光で、近くのでこぼこした岩の輪郭だけは見られたけど、中がどういう風に奥まで続いているのか。全く、分からない。霊夢さんにお願いしたら、一緒についてきてくれるだろうか。
 そこで一旦、レミリアさんが自己紹介を止めて。空になった飲み物やお皿を集めて、片付けて。少しだけ皆の座っている輪を小さくした。既に完全に無くなっているのは、ミスティアさんの串焼き。もうどこを見渡しても、何も刺さってない串しかない。私は、貰い損ねた。ずーっと話を聞いている間に、売り切れてしまったのだ。……その一方で、霊夢さん。今日はあんまり喋らないなって思ったら、一人で三本くらい食べてたりして。……うぅ、一本欲しかったな。次にお皿が空っぽになっていたのが、幽香さんの焼きおにぎり。唯一のご飯ものだったこともあって、皆こぞって確保したのだ。見渡しても綺麗な三角形のまま残ってるのは……さとりさんの所のみ。確かさとりさんのは二つ目だったと思う。他の皆の所は既に一かけらも残っていないか、僅かに取り皿の上に残ってる位だった。他の料理はまだ、大体均等に残っていた。ちょっとだけ、春巻きが少ないかもしれない。
 片付けが一通り終わったところで、レミリアさんが手を打って。それから周りを見渡した。

「さあ、次は誰にしようか」

そこで手を挙げたのは、三人のお姉さんだった。いつも演奏を聞かせてくれるプリズムリバーさん。上からルナサさん、メルランさん、リリカさん。手を挙げたのはルナサさんだ。歌うことはできても演奏することができない私からすると、いつも羨ましいと思うけれど、演奏中はお料理もお酒も楽しむことができないことを考えると、苦労されている印象がとても強い。ただ、先に自己紹介をするということで、今日はまだ演奏していないなかった。……既に真ん中のお姉さんが何というか。出来上がってしまっているんだけど、大丈夫だろうか。

「ほら、挨拶」
「私がリリカで」
「わらひがメルランれす」

秋のお姉さんが持ってきてくれた焼酎の瓶を片手に持ったまま、おぼつかない様子で回答していたけれど……幸せそう。あれでも演奏の時はちゃんと演奏するのだから凄い。たまに三人ではなく独りでの演奏も披露してくれるけど、聞くと宴会の後眠れなくなるような感じ。

「普段の宴会には大体顔を出して、演奏したりしてます」

一番のお姉さんのルナサさんが続ける。ルナサさんは何というか、いつも静かな感じだ。普段の宴会でも、演奏の時以外は静かに料理を食べていて。大体、メルランさんがルナサさんの体に立てかけられてる。未だに一人で演奏している所を聞いたことがないのだけれど、聞いてるとなんだか落ち込むわよと、霊夢さんが言っていた。
 一番下の妹はリリカさんだ。それでも私に比べたらやっぱり背が高い。リリカさんは、いつもメルランさんのお世話をしてる。……というか、する羽目になっている。そのせいなのか、いつも宴会の時には最初にさくさくと食べ進めてたりする。今日も結構食べている様子。私と大妖精さんの肉じゃがも、さっき食べて貰えている所を見かけた。おかわりもしてたから、リリカさんには好評だった様だ。リリカさんは、一人で演奏してくれるときもあるんだけど、いつも気が付かない内に始まって、気が付かない内に終わってしまう。終わった時にハッとなってリリカさんの方を見ると、楽器を片付けたりお手入れしてる所だったりで……ちょっと、謎が多い方。謎の多さなら、十六夜さんの方が多いんだけど。

「……という訳で、音楽が必要な時はご用命ください」

ぼーっと考えている内に、ルナサさんが締めくくって。その次に名乗りを上げたのは、ミスティアさんだった。

「本日皆に食べて頂いた串物、焼かせて頂いたミスティアです」

普段飲みに行ったときに聞かせてくれる声よりも少し堅い声。

「屋台を経営してて、私は普段はあまり宴会には参加してないんだけど、宴会の参加者の方には二次会によく利用して頂いてます。場所は……まちまちですが、出店したら歌ってお知らせしてるので、地上へお越しの際の夜には是非ご利用ください」

普段屋台ののれんの内で聞かせてくれる気さくな声と違って、三つ指ついて丁寧にゆっくり喋る声も良いなって。ちょっと思った。私もいつか、真似してみようかな。霊夢さん、どんな反応するだろう。じっと目を見つめるのも弱いけれど、ゆっくりとお願いされるのもあんまり得意じゃないみたいだから。
 ミスティアさんの言葉が止んだ後、手を挙げたのは二人。一人は地底から来てたさとりさん。……もう一人は、幽香さんだった。幽香さんが番を譲って、さとりさんが口を開いた。

「……どうやら幽香さんも同じ疑問を抱いている様なので合わせて聞きたいんですが、それは本当に、私達が行っても大丈夫ですか。他のお客様が気にされるかと思いますが」

ミスティアさんはその質問に何度か頷いて。それから先ほどまでの口調で話そうとして……けれど、その喋り方が疲れるからなのか、足を崩し一度大きくため息を吐くと、

「お客さん同士のいがみ合いが起こらないかってのは、ちょっと考えたんだけどさ。それを理由にしてのれんをくぐる相手を制限するのは、違うって思うんだ。地上の妖怪同士だっていがみ合わない訳じゃないしね。喧嘩になりそうなら料理で黙らせるのが私の役目なのかなって」

そう返しつつ、ミスティアさんが袖を捲った。……白い。ちょっと、頼りない。でも、お酒を飲んでいる人の扱いには、たぶん私の何百倍も苦労してきたはずで。実際出してくれる料理も美味しいのだから……何とか、なるのだろう。……うぅ、私も一本食べたかった。今度、連れて行ってもらおう。
 ミスティアさんが返した後、さとりさんが頷き、そして幽香さんが頷き。レミリアさんがそれを確認した後で皆をぐるりと見渡して。もう質問もあがらなかったので、次の人にしようということになった。もう残すところ、あと三人。秋のお姉さん達と、大妖精さん……私と霊夢さんもか。……霊夢さん、要るだろうか。みんな知ってそうな気がする。普段の宴会でもあれが誰でこれが誰で、と。余さず教えてくれる位だし。

「じゃあ、私達、良いですか」

秋のお姉さん達のうち、静葉さんが手を挙げて。皆が頷いた。
 秋のお姉さんというのは、私が大妖精さんのお家の近くから引っ越す前から既に、妖精の界隈で知らない人は居ない程、有名な方だった。
悪戯しに行った子が何かしら食べ物を貰って帰ってくる、と。私は悪戯しに行ったわけじゃなくて、ただただ山を散歩しに行って会っただけなのだけれど、それですら別れ際の私の手には焼き芋が握られていて。……今でも、ほくほくした焼き芋の熱がじんわりと手のひらから広がっていく感覚を覚えてる。
 新聞紙でくるまれた焼き芋。二つあったっけ。本当は、穣子さんと静葉さんの二人のお芋だったんだと思う。私は、両方とも貰ってしまった。ほんのちょっとお塩がふってあったけど、しょっぱさなんてどこにもなくて、強く甘みがあって。鼻から抜けていく香りは柔らかくて。……いつか、また食べてみたい。

「どういう話をしようかって思ったんだけど、この場に居て思ったことを話そうと思う」

名前の紹介が終わった後、穣子さんがそう続けて。ふっと見つめると、一瞬だけ私と視線が重なった。

「私も、姉さんも。皆さんみたいに強くないから。だから、正直ね。怖いんだ。幽香さんやフランドールさんのこと。噂も色々耳に入ってるからね」

真面目な話だということを察してなのか、霊夢さんを除いた皆が箸とお皿を置いて。穣子お姉さんに注目が集まるのと一緒に、長い沈黙が皆に広がっていった。

「その噂が例えどんなに古くて、蜘蛛の巣が張った様なものだったとしてもよ。たぶんそれは、私達だけじゃなくて、自分自身を守るのが精いっぱいな人なら誰でも同じ。怖さは決して、零にはならないの。これから先、ずっと、ずっとね」

周りが静かにしているせいか、霊夢さんが独りゆっくりと食べ進める音が穣子さんの声の陰で響く。霊夢さん、凄く強いから、あんまり気にしないんだろうか。目は……どこか遠い所を見てる。

「けど。そういうのって、全部その人と交流を持つ前の話なのよ。人は変わるし環境は変わる。噂は全てじゃない。……だからね。もし交流が必要になったら。その時は物怖じしないで欲しいんだ。でないと、どこまでも私達は逃げてしまう。隠れてしまう。機会を、逃してしまう」

穣子さんはそこまで言うと口を噤んで……バツが悪そうにお酒を一口呷って。長いため息を吐いた後、

「上から目線で、ごめんなさい」

と。そう言って頭を下げた。
 しばらく、誰も何も言えなくて。霊夢さんが白菜のお漬物を噛みしめる音だけが響く。やがて穣子さんの隣で目を閉じて聞いていた静葉さんが、顔をあげて代わりに続けた。

「つまるところ。私達のような側から働きかけるのは中々難しいと思うんです。誤解を解くにしても、新しい親睦を作るにしても。平行線を辿らないためには、少し荒くても攻める姿勢が必要になると思います」

言い終えた静葉さんが、ゆっくりと頭を下げて。それから穣子さんも再び頭を下げた。昔に比べて、穣子お姉さんと静葉お姉さんの背は随分と近くなったのだけれど、穣子お姉さんは気落ちしているのか、頭一つ分、深く下がっていた。
 レミリアさんは、お姉さんたちが顔を上げたところで自己紹介の終了を判断して。参加者の皆に質問を促したけれど……空気の重さのお陰か、誰も手を挙げなくて。主催の私が何か気の利いた一言を発せれば良かったのだけれど、それも難しかった。見かねて、なのか、霊夢さんが少しして手を挙げた。

「まあ攻めの姿勢だなんだっていうのは貴女達のことだし私は関係ないんだけど。こういう親睦会の場所を貸すとか、仲介をするとか。そういうのは協力できる。だから、そうね。そういう所で力になれるのなら言って頂戴な。私が駄目ならそれこそリリーにでも良いから」

急に振られ、急いで頷いて。少しだけ持ち直した場の雰囲気にゆっくり息を吐けば、静葉お姉さんと目が合った。言葉は聞こえなかったけれど、ありがと、と。小さく口元が動いて。それからにっこり笑ってくれた。……懐かしい笑顔だ。前にお芋を貰ったときも、こんな顔を見た気がする。



 秋のお姉さんの後、また一度お皿のお片付けをして。一番最後にやって来たのは、大妖精さんの番だった。凄く緊張しているみたいで、羽に落ち着きが無い。何度か深呼吸した後で、ちらりとこちらを見て。

「リリーちゃんの昔のこと、お話しても良いかな」

一言、私にそう尋ねると、ゆっくりと話し始めたのだった。



~~



 疲れている私に代わってレミリアが進行してくれていることもあって、宴会は順調だ。今、唯一言いたいことがあるとすれば、魔理沙も参加していて欲しかった、ということだ。魔理沙も当初は誘われていたのだが、『私が居るとかえって拗れるかもしれない』と、二人きりのときにそう断られたのだ。もしもあいつが居たら、眠たい頭をそのまま眠気に任せ、このまま眠ってしまえるのだが、今日に限ってはそうする訳にはいかない。四面楚歌とは言わないし、今は空気も落ち着いているけれど、ここは火薬だらけだ。いつ火がついてもおかしくない。その時は、私がどうにかしなきゃいけない。そのお陰で……もう頭がかなりふわふわしている。お酒を飲んだのも不味かったのかもしれない。

「リリーちゃんの昔のこと、お話しても良いかな」

ふと聞こえたその声に視線を向ければ、リリーの方を見つめる大妖精と、頷くリリーが目に入った。

「じゃあ。えっと。まずは私のことから。私は、大妖精ってお友達から呼ばれてます」

リリーの昔のこと。思い返してみれば、あまり聞いたことが無かった。彼女と一緒に話をするときも、昔を振り返る様なお話ではなく、今のことやこれから先のことばかり。過去に話が飛び火するときも、それは何かを説明してくれるときがほとんどだった。

「リリーちゃんとは昔からのお友達で、今日は二人で肉じゃがを作って、出させていただきました」

大妖精の言葉に、皆の視線がちらりとお皿へ向かう。もう残りは少なく、皆の遠慮が集まり、お肉とお野菜がお皿の真ん中に僅かに鎮座している。私も既に幾らか貰った。普段自分で作るよりも少しだけお醤油とみりんが多い様で、口に入れたときの香りはとても良い。野菜は……ちょっと煮崩れしてたけど、じゃがいももまだちゃんと形があった。

「私のことは知らなくても、リリーちゃんを知ってるって人は、この中には多かったんじゃないかなって思います。地底だと分からないかもしれないですけど、冬の終わり、春の始まりにその姿を見ていると思うので」
「私は今回が初めてだったけど、噂はかねがね」

大妖精の言葉にさとりが応え、横の従者たちも頷いた。ひょっとしたら声とかは聞こえていたのかもしれない。あの洞窟だとどんなに奥に行っても良く響きそうだ。年明けの宴会程の大声だったら……大迷惑と言っても良かっただろうと思う。視界の隅ではフランドールもレミリアの方を見つめ、レミリアも頷いて返している。

「昔から毎年欠かさず叫んで駆けてますから、皆さんからはその……風物詩みたいに思われてるかもしれません」

風物詩、か。確かにそうだ。春を感じさせるものの一つではあるのだ。あの叫びは。冬の終わりの風物詩と捉えるべきなのか、春の始まりの風物詩と捉えるべきかは良く分からないが、あの声や姿は、季節の丁度変わり目なのだということを一番良く教えてくれるのだ。同じことを考えていたのか、幽香やレミリア、咲夜もそれには頷いて、彼女の方を見ていた。
 僅かの間、大妖精はきゅっと口を噤んで。それからちらりとリリーの方を見ると、話を続けた。

「ずっと昔から、皆さんみたいな考えの方はいっぱいいらっしゃって。……その中には縁起物のように考える方もいました。最近はもう起きていませんが、ずっと昔はリリーちゃんを捕まえようとした人も、居たくらいで」

少しだけ大妖精の声が小さくなり、言い辛いことなのか、今度はちらりと私を見た。

「そういうことが起こるたびに、皆で必死に抵抗してきました。助けに行ったり、守ったり。いざって時のために、逃げる練習だってしてました。……でも、そんなある日のこと」

隣で聞いていたリリーは湯呑を持ち、今はもう冷めてしまっているお茶の水面を眺めていたが、大妖精の言葉にきゅっと握る力は強くなり、かりっと掻く音が聞こえた。

「……友達がひとり、人質になったんです。要求は、代わりにリリーちゃんを差し出すこと。私達は、その。あんまり頭が良く無くて。リリーちゃん以外が狙われるなんて、思ってなかったんです。どっちも助けたくって、皆で色んな人に相談しました」

再び大妖精がちらりと私を見つめる。が、記憶にはない。

「妖怪の山に住む方々。里で一緒に遊んでくれる子供たち。皆にとにかく声をかけて、かけて回って。それで何とか、解放してもらえたんです」

一体、どれほど昔の話なのだろう。里の子供まで訪ねたということは相手は人間なのだろうか。阿求に聞けば、分かることなのだろうか。しかしそれを、本当に尋ねて良いものだろうか。リリーが自分から語ろうとしなかったことを私が詮索して、昔の傷を開いてしまわないだろうか。ちらりとリリーの方を見たが、視線は合わず……まだ、湯呑の中を見つめていた。

「その日の晩、リリーちゃんは独りでお引越ししていきました。もう誰も、巻き込めないからって。後日、リリーちゃんを引き留めたり後を追ったりしないように、皆で話したりして。その騒動は、終わったんです」

そこまで言うと、大妖精は一度ため息を吐いて。それから何度か深呼吸を繰り返すと、話を続けた。

「そういうことがあった後だったから。もう長い時間が経ったとはいえ、今回のお誘いを頂いたときは、驚いたんです。でも、それ以上に嬉しかった。体だけじゃなく、心も元気になったんだなって、そう思ったから。……皆さま、どうかリリーちゃんのこと、よろしくお願いします」

皆さま、と言った割には、何となくその言葉は私自身に向けられたような気がして。頭を下げた彼女に倣い、私も頭を下げた。他の皆はと言えば、幽香はただ、とてもゆっくりした調子で何度か頷いていたし、音楽三姉妹とレミリア、山の神様は、ある程度情報を持っていたのか、少し微笑んでいた。さとり達やフランドールは、私と同じ様に頭を下げ……リリーは、私の視線に気づいてこちらに振り向き、微笑んだ。

「またあとで話、聞いて良い?」

小声でそう尋ねてみれば、リリーはゆっくり頷いて。それから湯呑の中身を飲み干した。

「質問、ご意見等あれば」

皆の反応が一通り終わったところで、レミリアが手を打って皆に尋ねた。すると、すぐその横で手が上がる。レミリアの妹、フランドールだ。

「良いかな」
「はい」

フランドールの言葉に大妖精が向き直って頷く。

「大妖精さんとしては、どうなのかな。今回の、こういう懇親会。その……参加するの、すごく怖かったりしなかったのかな」
「う、うんと。怖かった、かな」

そりゃそうだ。相手はあのフランドールである。今は随分と大人しいけれど、噂に流れるフランドールの評判は暴君とも言えそうなほどである。並の妖精なら怖がるのは当たり前だ。それに、ここにはフランドールだけじゃない。幽香だっている。私ですら感覚が麻痺してきそうな位だ。

「でも、私がリリーちゃんの力になれるのなら。頑張らなくちゃって思って」
「やっぱり、まだ今も怖い?」
「そこまでは。思ってたよりピリピリした場にならなくて、ホッとしてます」

……まぁ、確かにそうなのよね。火薬庫みたいになっているのに、火はついてない。山の神様の一言で何か起こるかとも思っていたけど、口論が起きることすらなかった。普段もこれだけ大人しくしてくれているのなら、私も異変解決に出張らなくて済むのになぁ。

「……そうなんだ。ありがとう」

フランドールがゆっくり頷き、そして頭を下げた。

「他になければ、次は霊夢かリリーかだね」
「私のは必要ないんじゃない。みんな知ってると思うし、言いたいことはさっき言っちゃったし」
「それもそうだね。じゃ、主催のリリーさん。お願いしようかね」

一斉に視線が集まり、リリーがすっと背筋を伸ばした。すっかり空になっていた湯呑を置いて、深呼吸。話す内容をずっと考えていた様で、しばらく皆の顔色を窺った後、ゆっくりと喋りはじめた。

「リリーホワイトです。何か格好良いこと言えたらなって、自分の番が来るまで考えてたんですけど……こういう経験が無いからか、うまく思いつかなくて。だから私も、私のことを」

困った様にそう前置いた後、リリーは語り始めた。

「皆さんは、心落ち着ける場所がありますか。私は、さっきのお話に出た、独り移り住んだお家がそうでした。誰にも咎められず、羽を広げて休むことができる。静かで、眠りたいときに眠ることができて。そういう当たり前のことにとても安心感があったんです。騒動に巻き込まれることのない、安全な場所」

上手く思いつかなかったと言った割には落ち着いた様子で、普段話すときより少し大きいくらいの声で。ゆっくり、ゆっくりと話を進めていく。ここ数日は宴会の準備で互いに忙しかったけれど、独りの時に何を話すか、ずっと考えていたのだろう。

「でも、少し経って生活が落ち着いてくると、思ったんです。……寂しいって。独りぼっちということ。周りから取り残されてしまったような感覚。しかもそれは時間が経つごとに大きくなって、けれども、その一方で慣れつつもあって。そんな自分が、ちょっと怖かった」

紡がれる言葉と言葉の間に沈黙を縫い込んでしまったように、皆は静かだった。彼女はあまり暗いことを言い出す様に見えないから、と、たぶんそんな理由なのだと思う。元々は私だってその側だったのだ。皆が怖がるものを怖がらなかったり、多少皆と違うところはあるけれど、そういう気持ちを抱くことも無いわけじゃない。その当たり前の事実は最近の彼女を見れば見る程、改めて痛感させられることだった。

「だから、住んでいる家のことは好きになろうって。できる範囲で内装を頑張ってみたり、お裁縫に精を出してみたり。それでもどうしても寂しくなったときは、皆に隠れて大妖精さんや……閻魔様の所にお話を聞きに行ったり。ちっちゃなお家でしたけれど、お陰でとても好きになっていったのです」

ゆっくりと続くリリーの言葉。皆は一様に静かに聞いていたが、反応は様々だった。山の神様二人は、天候や土地の事情を分かっていたからだろう。静かに頷いて。他に落ち着いて聞いているのは屋台に通う際に事情を伝えたミスティア、それに、普段の宴会に参加しているレミリアと、音楽を奏でる三人の騒霊、そして大妖精。……騒霊の真ん中の子は酔いが強すぎるのか、頭がややふらふらしている。

「けれど、昨年の大雪の中、そのお家が壊れちゃって。だから今は、こちらの霊夢さんにお世話になってます。壊れてここに逃げ込んできてすぐは、色んなことがあったから……あまりお家のことを気にすることが無かったんですけど、少し前に改めて帰ってみたら……もう、住めないんだなって。何もかも攫われてしまったた様な、そんな気持ちでした」

他の皆はといえば、ほぼ一様に醸し出されているのが居た堪れなさだ。例え背丈が近かろうとも、庇護する対象のように感じたり、どこか無力感を感じたり、また申し訳なさを感じたり。時折、まるで確認するかのように私の方へと皆が振り向き、苦笑いを浮かべる。リリーは少し俯き気味に喋っていることもあってか、まるで気づいている様子はない。唯一反応の仕方に例外があるとすれば、フランドールだけは神妙な面持ちで聞いている。普段の生活はレミリアから聞いているが……色々と比べてしまうものがあるのだろう。

「寂しくなって、寂しさが募って。今も思い出すとお腹の辺りがずんと重くなります。私しか知らない、私だけのもの。消えていった思い出の品は……」

そこまで言って初めてリリーが視線を上げて、皆のどこか生暖かい視線と、重たさが増えつつある空気に気づいた。しばらく言葉を失った様で、皆をきょろきょろと見た後、頬を何度かぺちぺちと叩いていた。……お酒も入ってるからだろう。すぐに赤味は増していった。

「だから。今度からは誰かと共有できるように思い出を作ろうって。そう思ったんです。物が消えても互いの心に残る、そんな。皆さんにはそんな相手がひょっとしたらもう居らっしゃるかもしれない。けれどもしまだだったら。今回のこの会が、何かの助けになれたら……嬉しいです」

そしてゆっくりとそう続けると、そこで言葉を切って頭を下げ、レミリアを見つめた。レミリアも終わりを判断してか、一度頷いて。ぽんと手を叩き視線を集めると、

「要はお友達になりましょう、ということだね」

と。そう付け足していた。リリーが慌てたように何度も頷き、レミリアもまた頷いて。レミリアは一度皆を見回した後、まだ解けきらない空気の中、続けた。

「さて。彼女に聞きたいことはあるだろうが、これで紹介も全員済んだ。だから、ここからの時間で個人的に聞いておくれ。今夜は月もあるし、食事もある。そこの三人も居るから、音楽も期待して……良いみたいだしね」
「とりあえず今日は、皆さん集まってくれてありがとうございます」

更に追ってリリーがそう加えて。レミリアが笑った。
 再び空いたお皿を片付けて。出番とばかりに三人姉妹が楽器を持って演奏を始めた。内一人は立てないのか、妹の背中を借りて座ったまま演奏している。何となくいつもより音が小さく聞こえるが、それでも音を外さずに演奏するのは玄人根性といったところなのだろうか。他の面々はといえば、しばらくは料理を楽しんでいるようであったが、その後は席も自由に動いて……思いのほか、沈黙することなく語り合っている様である。ひょっとしたら既に顔見知りだったのかもしれないが、今も重苦しい空気にならなかったことについては何よりリリーが一番ホッとしている様で、私もやっと一安心、というところだ。もっとも、もう眠気はさめ始めてしまったのだけれど。
 風も演奏もゆっくりした中、しばらくは私のすぐ傍で桜を見ながら休んでいたリリーだったけれど、少ししてぐっと立ち上がると、他の会話している輪の中へそろりそろりと歩いて行った。傍目からそれを幽香と目で追っていたが、どうやらお礼を言って回っている様である。

「あの子、私を怖がらないのね」
「貴女を怖がらないんじゃないのよ。誰に対しても、怖がってないのよ」
「そうね。……複雑な気分よ」

ずっとリリーを視線で追っていた幽香が、長いため息とともにこちらに振り向いた。ほんの少し芋焼酎の匂いが漂う。顔が少し赤い。お酒に弱いとはとても思えないのだが、単純に服のせいで暑いのか。

「喜ばしいことなんだけれど、それでいて凄く心配にもなる」
「あんたからそういう言葉が出るなんてね」
「あと何年経っても、私からそういう印象は消えないのでしょうね。まあ、良いわ。いざというときは、ちゃんと守っておやりね」
「言われなくても。できる限りのことを、するつもりよ」

その言葉に幽香は何度か頷いて。それからまた一度、芋焼酎をくいと傾けると、

「……丸くなったわねぇ」

そう言って。体を桜の方へと向けて、足を崩した。

「……あんたもね」

聞こえたかは知らないが、幽香は鼻で笑って。それっきり、何も言ってくることは無かった。
 箸を置き、周りを見てみた。幽香を除いて一番近くに居たのはレミリア、そして秋の神様だ。その一つ向こうには、咲夜と地霊殿の主、そしてその妹、更にその従者たちが居る。そこからは少しだけ距離が空き、もう一人の地下からの来客と、ミスティア、そして大妖精が若干の居た堪れなさを共有しつつもお酒をちびりちびり飲んでいた。大妖精はあまりお酒には強くないようだ。顔が非常に赤い。歩けるだろうか、あの子。そして一番隅っこがフランドール……今はその横にリリーが腰を下ろしていた。勿論皆は腰を下ろしているのだが、元より背が高く背筋を伸ばして座っている幽香の背が一番高く、そしてそれを追いかけるように咲夜や、秋の神様や、地下の橋姫が少し高くて……どことなく、ちらりと覗いた慧音の寺子屋の風景を思い出してしまった。
 音楽もあり、距離もあるから言葉そのものは聞こえないが、どんなやり取りがなされているのかは何となく見ているだけで分かる。まずはレミリアと秋姉妹。ここはそもそも普段の宴会の常連だ。この三人が話している所を見るのは相当に珍しいが、他の参加者が参加者なだけに、随分とまともにも見えてしまう。会話の内容としては飲み物の話題を振っている様だ。どうやら秋の神様の妹の方へとワインを勧めている様である。姉の方は既に貰ったのか、グラスは持てども中身は空っぽだ。前々から思っていたが、この二人も大概お酒に強い。いつも隅の方でのほほんと飲んではいるが、お酒の強さや量は案外馬鹿にできない。以前、酒絡みの強い萃香に、あの二人には絡まないのか、と、ふと尋ねたことがある。萃香曰くは、してみたいらしい。でも、お酒を持ってきてくれる貴重な要員だから手出しできない、なんて言っていた。お酒を持ち込んでいた魔理沙が吞まされ潰されたのを見たことがあったから、説得力はまるでなかったが、あの姉妹だけは、未だに潰されるまで飲まされているところを見たことが無い。記憶では……一度だけ、自分から潰れてたことがあった程度だ。今日も……まぁ、今日はお酒が主役ではないからか、顔に赤みはほとんど差していなかった。
 むしろ赤みに関して目に入るのは……その陰で手品を披露している咲夜だ。見ているのは地霊殿の主とその妹、そして従者二人。皆正座してる。観客の反応が初々しいせいか、咲夜が凄い嬉しそうだ。誰かにその喜びを分け与えたいのか、ちらりちらりと色んな所を見ているが、誰も咲夜と視線が重ならない。文はここには居ないが、居たら間違いなく今のこの様子を一枚撮っていただろう。後日ワイン瓶と交換できるほどの材料にはなりそうである。……こっちを見た。こういうときは意味もなくただ、おだてておくに限る。とりあえず笑ってみれば、向こうもまた嬉しそうに笑った。後で片付けを手伝って貰おう。
 遠くに見えるリリーを見つめた。隣にはフランドールも居るが……どうにも、この二人は分からない。こちらに背を向ける形でずっと桜を眺めていた。



~~



「桜、お好きなんですか」

フランドールさんは、桜を見ていた。自己紹介が終わった後からずっとだ。手には空っぽになってしまった湯呑。他の皆の会話には加わらず、じっと、じっと見つめていた。

「初めて見たの。本とかでどういうものかは知ってはいたんだけど、これは目に焼き付けておかなくちゃって、そう思って」

桜の方を見たまま、フランドールさんが答えた。ほんの少し、ミスティアさんの串の匂いが漂う。

「フランドールさんは……あまりお家からは出られないのですか?」
「うん。なかなか出られない。普段はずっと地下室にいるから、外の景色も詳しくなかったんだ」
「そうだったのですか」

地下室。……そんな寂しい所に、ずっと居るんだろうか。毎年桜は咲いて、そして散っているのに。とにかく色んな人に届くように春の訪れは叫んできたつもりだけれど、この人には……届いていなかったんだ。

「さっきの貴女のお話。私にも、当てはまるのかも」

ふと、フランドールさんが振り向いて、静かにそう言った。後ろから近づいた時も思ったけれど、風に揺れると羽が綺麗だ。キラキラして……色は離れているけど、虹みたい。

「お家の話。壊れて、思い出が全部消えてしまったって、あのお話」

私の、お家のお話。今の気持ちを知って貰いたくて、それでいて、お友達になりたいってことを伝えたくて。だからあのお話をしてみたけれど、もう少し違う話の方が良かったのかなって、今は後悔してる。最後までずっと周りを見てなかったからだけれど……皆の視線はちょっとだけつらかった。明るいお話にするんだったなって。もしも次も似た様な機会があったなら、霊夢さんに相談してみようと思う。

「私の場合は、今の自分の地下室がそうなんだと思うんだ。私にとってはずっと嫌いな場所だったんだ」

そう続けるフランドールさん。嫌いとはっきり言ってしまったけれど……不思議と顔はどこか楽しげで。この前大妖精さんに久しぶりに会ったときにも見た様な、そんな表情もちらりと見える。

「いつか月の見える部屋に移ることができたらって、思ったりもしてた。でも、悪い思い出ばかりでもないんだよね」

そう言って微笑むフランドールさん。手に持っていた空っぽの湯呑を脇へと置いて、今度は空を見つめて。

「まだ少しだけだけど、良い思い出もあるの。思い出の品はないけれど、思い出の部屋、なんだと思う」

春の訪れも分からない程の地下室。そこで得られた良い思い出。変化も何も感じられない部屋でのことなのなら、何となくだけれど、それはきっと素敵な人が訪れたんだって思う。今のその視線の向こうに見えてるのは、一体どんな人の姿なんだろう。

「だから……たぶんね。貴女みたいにその居場所がなくなった時、きっと私も寂しくなるんだろうなって。そう思った」

空から視線が私に戻って。ゆっくりとフランドールさんが続ける。

「幸い、私には思い出を共有させてくれる相手が居るから、そこだけは救いなのかもしれないけれど。でも、寂しいのは寂しいんだろうなって、ね」
「私も、霊夢さんに支えて貰って、やっと立ち直ってきたばかりですから。……その方のこと、お好きなんですね」

予想が当たって思わず尋ねてみれば、頬がぱっと赤くなった。

「う……ん。好き。とても大切な、大切な相手なんだ」

やっぱり。……うん。大妖精さんもそう。フランドールさんも、そう。皆、良い人に出会えたんだ。私にとってはそれが霊夢さんで。一番安心して体を預けられる相手が近くに居るって、本当に嬉しいことだなって。ああでも、何故だろう。何だか、笑顔を見てると羨ましくなってくる。私も、頑張らなくちゃ。

「ねえ……貴女は、お友達になってくれる?」
「もう、お友達のつもりで居ました。これからもよろしくお願いします。フランドールさん」
「う、うん。よろしく」

フランドールさんがはにかんで。ホッと一息つくと、後ろの方から声がかかった。どうやら皆のご飯も全部無くなったみたいで。さとりさんが最後に、と、お菓子を出してくれた。甘い甘い、焼き菓子の香りがふわふわと漂ってくる。

「一緒に行きますか」
「うん」


~~



 お菓子につられてなのか、二人が戻ってきた。さとりが取り出したのはクッキーだ。量がとても多い。その上でチョコクッキーだからか、とても匂いが濃かった。甘い良い匂い。香りだけで言えばアリスあたりが作ってくれるクッキーにとても良く似ているけれど、手に取って貰ってみれば、口当たりは少し前に幽香の所で食べたものとそっくりだった。音楽を奏でていた騒霊三人組も気になったのか、今ではすっかり演奏も止まってさくさくと食べている。およそ一人はお酒と演奏に疲れてヘトヘトな様子であるが。

「これ私にも作れるでしょうか」

ふとリリーが漏らした言葉。

「うちの台所じゃできてお煎餅くらいよ」

そう返すと、少し残念そうな顔を見せた。……そんな顔をされても、無い設備はどうしようもないのに。むしろここに居る他の皆のことを考えれば、お餅を作れた経験はそれなりに良かったんじゃないかと思うんだけど。華やかさは……まぁ、うん。無いかもしれないけど。そこはもう諦めて貰うしかない。無い物は、無いのである。

「ほら、肉じゃが作れるようになったんだし」

適当に返すとリリーは納得した様に頷いたが、どことなく正面から刺さる幽香の視線は少しつらい。頑張れば私の台所でもフライパンで焼けるかもしれないが……とても上手く行く気がしない。私の台所で他に作れそうなお菓子は……せいぜいパンケーキ位か。あれなら一度だけ作ったことがある。味も悪くなかった。ただ、家の中にはパンケーキに合うものが無いのだ。やっぱり、煎餅が一番良い。
 焼かれていたクッキーはお皿に沢山あったが、皆で分けると人数もあってか、すぐに底をついて。最後の一枚を幽香がひょいと摘まみ上げたところで、レミリアが切り出した。

「ところでさ。今回は桜の席だった訳だが。次回はいつ頃やるのかい」
「う、うんと……どの位が皆さん丁度良いんでしょうか」

頻度。それは魔理沙と三人で話をしたときにも話題に上がったことだ。そもそものいつもの宴会はほぼ季節ごとにやっていることもあり、リリーは同じ様にできたら嬉しいと言っていた。その気持ちは何となく分かってはいるのだが、私も魔理沙も、できて半年置き位だろうと話していた。理由は簡単だ。この集まりの目的が友達をつくる会、なのであれば、参加すること自体に疲れてしまうのは避けなければならないからだ。料理だって、お酒だって、お菓子だって。準備には時間だけじゃなく様々な物が必要になってくる。普段から参加している紅魔館ならまだしも、他の参加者には今後の強い負担となるはずだからだ。今回はリリーも肉じゃがでその一端を体験したからか、半年が良い、と言い出すことは流石にしなかったようだ。
 声は色々あがった。紅魔館は、日没後であればいつでも構わないと。ミスティアは、書き入れ時の冬を避けたいと。秋の神様は天気が良ければいつでも良いと。皆がそれぞれ一言二言、意見を言っていた。私としては、大妖精が言った一言に強く同意した。

「お財布的に、頻繁は厳しい……のです、けども」

本当に。
 結果として決まったのは、春と秋に開こうということだった。どちらも天気が落ち着いて、暑すぎず寒すぎず。年の瀬程忙しさもないし、春には桜、秋には月と、この神社の庭から楽しめるものがあるから、ということで。

「では、お次はお月見の会、ということで!」

改めてそう言ったリリーに、皆がゆっくりと頷いていた。
 そこからは、ゆっくりと解散の流れになった。時間も……あと一刻も経てば日も改まりそうな頃合い。最初に立ち上がったのは地霊殿の主。妹が続き、更にそれにお付きの二人が続いて。誰かが言いだすのを待っていたのか、じゃあ私も、と、幽香も帰っていった。傍から帰る姿を眺めてみると、やはり幽香の背が一つ抜けて高いせいか、保護者に見える。
 そして少し経って、普段参加している紅魔館の面々と、秋の神様、騒霊三姉妹が帰っていった。流石に昨日の疲れもあった様だ。三姉妹のうち一人はもはや妹に完全に担がれている位である。既に誰も飲み食いしていなかったこともあってか、咲夜に片付けの手伝いを頼めば快く引き受けてくれて……もとい、そう頼んだときには既に片付いている始末で。余程、機嫌が良かった様である。普段もこれくらい気前が良かったなら楽なのに、と。思わず心の中で呟いた。その様子を見てか、ミスティアが気丈にも何か手伝うことは残っているかと静かに尋ね、その物珍しさにかえって眩暈を起こしそうになりながらも、もうほとんど無いからと断れば、彼女も少しした後に頭を下げ帰っていった。

「もう少し桜を見ていたいんだけど」

一方で。皆が段々と帰る中で、残ったのが二人。うちの片方は大妖精、そしてもう一人が……地下の橋姫、パルスィだ。正直なところ、一番先に帰るのではないかと心の中で思っていたのがこの二人であったのだが、どうも私の勘は鈍っている様だ。漏らした理由は二人とも同じで、機会が中々ないから今の内に、とのことだった。あまり長く生きていない私としても見慣れた桜なのだが……時間だけで言えば、私よりも長く生きているだろう二人にそう言われるのは、不思議な気分だった。

「前々から、こうして近くでお花見してみたかったんです」
「普段の宴会に混ざってくれば良いのに」
「うんと……落ち着いて見たくて」

私と大妖精との会話の横で、緑目の橋姫が相槌とばかりに頷いて。リリーはそんな様子を私の横で見ながら、微笑んでいる。主催という緊張感から解放され始めたからか、その丸まった背中には疲れが現れ始めていて、適当に布団に突っ込ませるだけでも、すぐに寝てしまいそうな様子であった。
 いよいよ会話もなくなると、風がほとんど吹いていないこともあってか、とても静かで。砂時計の様にゆっくりと花びらを落としていくのが目に映る。ふと思い立って残していた灯りを消せば、その一瞬だけは暗く感じたけれど……照らされる桜は白く、舞って月明かりを通したものは薄桃に染まって流れて行った。
 月の高さもいよいよ日を跨ごうという頃、ふと欠伸の音が響いた。出所は大妖精の様で、音が止もうと言う頃にはぐっと体を伸ばしていた。

「そろそろお暇しようかね」
「私も。……今日はありがとうございました」

パルスィの提案に大妖精が頷き、そしてこちらに頭を下げて。私も頭を下げたが……私の横の彼女はいつの間にか眠っていた様だ。ほんの僅かに口元が開いたまま、私達には気づかずに肩をゆっくりと上下させている。気付いた二人はすぐに声を小さくし、それから彼女を起こさないように静かに荷物を纏めて。そして月明かりの中、帰っていった。大妖精がふらふらだったからか、どうやら送っていく様子である。
 隣に座り眠っている彼女に肩を寄せると、無意識なのか、ゆっくりと体がこちらに傾いて。それを受け止めれば、彼女の頭が力なく肩に乗った。あまりお酒は入っていないはずなのだが、温かな顔。眠り始めてからそれなりに時間が経っているのか、抱いて固定した私の手にも反応せず。しばらくはそのまま、先ほどまでいた彼女たちの様に桜を眺めていたが、冬に比べたらまだマシであるとはいえ、風邪を引かせては良くないと、リリーを抱えて寝室へと戻った。敷かれていた布団の中へと入れてあげれば、一瞬不快そうな顔をして、彼女が目覚めて。

「あ、う……寝てましたか」
「ええ。……皆もう帰ってるから、気にしなくて良いわ。疲れてるでしょうから先に休んでなさいな」

もそもそと体を起こそうとするその頭を指で制して。捲れていた布団を引っ張る。

「おやすみ」

私がそう声をかけると、彼女は一度頷いた後、

「おやすみなさい」

静かに、そう呟いた。



 敷物にあかり、そして台所に積まれていた食器。それらをすべて片付けて戻った頃には、もうすっかり月の位置も変わってしまっていた。静かに寝室へと戻れば、お布団の横にはリリーが脱いだ畳まれていない服が見え、布団も乱れている。どうやら暑かった様だ。起こさないようにその脇で服を脱いで枕元に重ねて。そうっと布団に入ると、リリーは寝返りを打ってそっぽを向いてしまったが……私はその背中を、そっと抱き寄せたのだった。



 次の日。片付けの疲れもあって、リリーが先に起きるかと思っていたけれど、起きたのは私が早かった。昨日、リリー達が料理を作っているときに少しだけ眠ったのが効いたのかもしれない。もっと言えば……居間にまた来客が来ているのが分かったから、でもあるのだが。
 衣服に袖を通し、リリーを起こさないようにしながら居間へと入る。待っていたと言わんばかりの様子で、読書をしていた魔理沙が顔をあげた。

「おはよう。お疲れさん」
「おはよ。……今日はまた随分と早いのね」
「んー、まぁ。気になってな。あと、そこまで早くはないぞ。里ならもう皆起きてる位だろう」

言われて時計に目を向けるが……まあ、確かに魔理沙の言う通り、里なら皆起きて、出る者は畑にだって出ているだろう。問題はその時間に来客としてやってくることだけれど。そして何にしても気になることがある。魔理沙から漂ってくる匂いだ。そもそもこの匂いで目が覚めたと言っても良い。普段は大きな皿で持ってくるのに、今回に限ってはたぶん鍋で持ってきたのだ。恐らくは台所に置いてきているのだと思う。もしもこんなに匂いをさせておいて、実は家で食べてきただけだったら。それはもう……なんだ。起こされていることも考えれば迷惑としか言えない。

「朝からカレー?」
「霊夢。カレーは良いぞ」

尋ねてみれば、魔理沙がくいくいと台所の方を指しながら笑った。思い立って廊下に通じる障子を開けてちらりと台所の方に耳を澄ませてみたが……音は特別していない。だが、ご飯を炊いた後の匂いと、カレーの匂いが漂っていた。炊いていたのには、気づかなかった。

「いや、まぁ。すまんな。実はもうちょっと遅く起きてくると思ってたんだが。ひょっとして匂い凄いのか?」
「ええ。まあ、和室だからね。空気ダダ漏れなのよ。泊まったことあるから知ってるんじゃない?」
「そうだな。冬、寒かったもんな……努めて静かにはしていたつもりだったんだが」

欠伸混じりに頷くと魔理沙はちらりと寝室の方を見つめて。

「まだ眠ってて良いんだぞ。疲れてるだろう」

それからゆっくりと持ってきていた本へと視線を下ろすと、静かにそう言った。

「良いわここで。あまり開け閉めしたらあの子が起きちゃうから。ただ、ちょっと横になってるわ」
「おう。……おやすみ」



~~



 あまり、良い夢は見れなかった。
 ふと目が覚めた時には、隣にはもう霊夢さんは居なかった。隣の部屋に明かりがついてて、漏れこんでいる。漏れこんでいるのは、光だけじゃない。どこか覚えがある様で……でも記憶と違う匂いが漏れてきていた。目を閉じて静かにしていると、はらり、と。紙を捲る音が聞こえて。ああ、魔理沙さんが来ているんだって分かった。ただ、それ以外の音はしない。話し声も、水の音も、料理の音も。たまに、紙を捲る音が聞こえるだけだ。
 体が、重い。頭は痛くないし、寒くもない。咳も出なければ顔も熱くなったりしていないけれど……体が重い。起きてもまだ疲れが取れていないって感覚は久しぶりで。私は抱かされていた枕をもぞもぞと顔の傍まで持ってくると、自分の枕から霊夢さんの枕に頭を乗せ換え、顔を埋めた。霊夢さんの匂いは、ちょっとしか残っていない。霊夢さんも昨日の夜は眠ってしまった私に代わって、お片付けとか、色々して疲れていたはずで。それでもこんなに匂いが薄いのなら。もう霊夢さんが起きてからはかなりの時間が経ってしまっているのだろう。
 起きなきゃ。そう思って頑張って寝返りを打ち、腕と太ももに力を入れて何とか体を起こして。一度お布団の上に座ると、ぐっと伸びをした。自然と欠伸が漏れて、そのままの勢いで思い切り部屋の空気を吸い込んだ。冬だったらこれで一気に目が覚めるのだけれど、温かくなったからか、今感じるのはカレーの凄い匂い。お腹は……空いている。昨日はあんまり食べられなかったから。
 着替えを終え居間へと入ると、魔理沙さんはいつもの位置で本を読んでいた。今日は少し、小さな本だ。付箋が沢山貼ってあって、今開いている所にも紫色の付箋がついている。

「おはようございます」
「おう。おはよう。……足元気をつけてな」

眠たい目を擦る私に魔理沙さんがそう返して。ふと足元を見れば、うつ伏せの霊夢さんが炬燵に刺さってた。……眠ってるみたい。腕を枕にして、肩をゆっくりと上下させている。

「もう昼前だしなぁ。良い時間だろう。起こしてやっておくれ。私はカレーを温め直して来るからさ」

ぱたんと本を閉じた魔理沙さんが、ちらりと霊夢さんの顔を覗き込み、鼻で笑いながら台所の方へと向かってしまって。私は霊夢さんの肩の傍にしゃがむと、ゆっくりとその体を揺すった。あまり眠りは深くなかったのか、霊夢さんはすぐに寝返りを打って。それからゆっくりと瞼を持ち上げると、私を見て……大きく欠伸をした。

「おはよ」
「おはようございます。魔理沙さん、カレーを温めに行っているみたいです」
「そう。……やっぱり連日の宴会は堪えるわね。まだ若いつもりなんだけど」
「私もちょっと体が重いです」

腕についてしまった畳の痕を撫でながら霊夢さんが体を起こして。私もいつもの様に霊夢さんの隣にお邪魔した。どうやら準備をしていなかった様で、中は冷たいまま。ただ、少し前まで魔理沙さんが足を置いていた所だけはちょっと温い。魔理沙さんはあたたかいのだ。真冬に抱きしめた時も、顔はとっても……。霊夢さんよりは少しだけ、恥ずかしがり屋なのかもしれない。
 少し待っていると、魔理沙さんは鼻歌と……凄い匂いと共に帰って来た。カレーライス。月に一度くらい、霊夢さんが作ってくれる。余った食材を片付けるのに良いのだそうだ。そのせいなのか、毎回毎回味は少しずつ違うのだけれど、いつも透き通った玉ねぎがとろんとしている。辛目には作らないのだけれど、不思議に汗も出て、食べた後しばらくはぽかぽかで。だから、温泉に行く前に食べることが多い。

「おう。お待たせ」
「凄い香ばしいです」

お皿を三つ、器用に持って戻って来た魔理沙さん。お皿の中を覗いてみると……霊夢さんが作るのとはまた違う見た目をしてた。霊夢さんのは、野菜スープの様に大きな野菜がごろんとしているのだ。お芋も、人参も、そしてお肉も。一方の魔理沙さんのは……なんだろう、これ。カレーの匂いだけどカレーじゃないような気もしてくる。野菜は細かく刻まれて、その中にお肉がごろんと入っている。お芋は、無い。

「おーおー。あまりこういうカレーは馴染みが無いと見える」
「はい」
「霊夢のは煮込む方だからなー。私のはほぼ炒め続けてるだけだよ。材料は大体一緒なんだけどな」

魔理沙さんがゆっくりと炬燵に入りなおして。そして三人で手を合わせた。

「食べるついでに昨日のことでも聞かせておくれよ」

そう言われ、頷きながら一口に口を運べば……アツい。カレーが熱いんじゃない。舌が凄い熱を持ってる。飲み込んだときには鼻の頭がしっとりして。鼻から抜けた息に胡椒の匂いが混じる。

「ああ、うん。そうだった。味付けに多めに胡椒入れてるもんでさ。少し辛い」

痛くは無いけれど……あつい。唇があんなに赤いのは、後ろに沢山血が流れているからだって。それが良く分かってしまうほど、口の中も、外も熱くなっている。そのままとばかりに数口食べていたら、額からつっと汗が走って、鼻から落ちていった。

「……食べられそうか?」
「美味しいですとも」

それでも、不思議とスプーンを運ぶ手は止まらない。昨日の夜はあまり食べられなかったのだ。皆のお話を聞いている間は箸を動かしづらかったし、開催する前に思っていたよりも、ちょっと雰囲気は重たかったし。霊夢さんはよく食べてたけど。

「そうかい。それで、昨日はどうだったね。成功か、それとも失敗か」

もぐもぐしている私に代わって、霊夢さんが答えた。

「それなり」

……そう。そんな感じだ。大成功だったって、本当は報告したかった。でも、見通しが甘かったって。今はそう思う。色々と、ずっきりというか、どっきりというか……胸にぐさぐさと色んな物が刺さる感じだった。本当は、皆の悩みとか。そういう所に少しでも手助けができて、その上でお友達になれたらって。そう思ってたけれど、話を聞けば聞くほど、私は自分のこの手だけじゃ手助けも難しいんじゃないかって。何より、私自身も空気に呑まれてしまってた。レミリアさんがあの時手伝ってくれなかったら、きっと、もっともっと……大変なことになってたと思う。結果として、私はほとんど何もできてなくて。お友達になって貰えたりもしたけれど、何とも、情けなかった。萃香さんだって、前もって言ってくれていたことだったのに。

「そうか。霊夢がそう言うのなら大成功ってことだな」

魔理沙さんが笑い、私は口の中のものを飲み込んで二人を見つめた。

「そうでもなかった、って言いたげだな」
「そうね」

しっとりと光を跳ね返す鼻の二人が私を見て言葉を交わして。

「うーん。たぶんリリーとしてはあれだろう。色々目標は作ってたけど、上手く行かなかった。そんなとこじゃないか?」
「はい。……何か皆のお力添えできたらって思ってたんですけど」
「んー。まあ個々の問題を解決するのは、難しいことだよ。それこそ、できたら周りの皆がそうしてるさ。でもそれが上手く行かないから、昨日集まっただろう皆は今あの状態なのさ。だから、問題が解決できたかを尺度にしないほうが良い。純粋に楽しんで貰えたかどうかを見たほうが良い。次の機会をちゃんと作れているのなら、どんなに小さくても解決の糸口を作ってることには違い無いんだからさ」

そう言われてみればそうなのかもしれない。けれど、胸の中が少しもやもやする。

「次の機会を作れるってことは、その気持ちを挽回していくチャンスもあるってことだ。だから、そう落ち込むもんではないさ。日進月歩って言うだろう。まずは外堀を埋めるんだ。それにもう、独りじゃないだろう。皆の話を聞いたのはお前さんだけじゃないさ。参加してた他の皆もまた、聞いてるから。協力してお互いに手を取れば良い。だろう?」
「仰ることは良く分かるのです、けれども。……うぅ」
「リリーは優しいからなぁ。まぁ、そういう気持ちになるのも貴重な経験だ。まだ始まったばかりなんだから。気を落とさない。な?」
「……はい」

私の返事に魔理沙さんが一度、大きく笑って。

「さ、食べよう。また次頑張るために、今日は今日で楽しまなきゃだ」



~~



 私達が温泉に行くという話題を出したからなのか、それとも、今日とても早くからカレーの準備をして疲れてしまっていたからなのか。朝食が済んだ後、魔理沙はわざとらしい欠伸と共に、すぐに帰ってしまった。鍋はまた取りに来るから、なんて言っていたが……あいつは鍋が無くても生活ができるんだろうか。まぁ、フライパン一枚あれば、あれは大概の料理をしてしまうけれど。

「辛かったです」

縁側で見送ったリリーが、居間に戻ってきてそう言って笑う。……が、笑顔に力があまりない。今日、私がリリーに起こされた時からそうだった。勿論疲れているのもあるだろう。が、さっき魔理沙も言っていたように、思うように行かなかったのが心残りなのだろう。私は随分頑張ったと思うんだけど。幽香だって、たぶんそう言うだろう。でも、たぶんそういうのは関係がないのだ。彼女にとっての評価が、結局どうだったのか。それが一番大事なのだ。

「私にも少し辛い位だからねぇ」
「美味しかったんですけど……お水、持ってきますね」

三人分のお皿を積み上げ、台所の方へと向かうリリー。ひっそりと飛んで後を追ってみれば、一度、流しの前で大きくため息を吐くのがその背中に見えて。私はそのまま静かに居間に戻ると、冷えたままの炬燵に体を差し込んだ。漬け置きして洗うつもりだからか、リリーはすぐ戻ってきた。顔がよっぽど熱を持っていたのか、貰った水はとても冷たくて。リリーはそれにホッとした息を漏らしながら、じーっと天井を見上げていた。

「私が頑張れるのは、どこなのかな……」
「そういうときこそ、一歩引いて考えなさい。前のめりになってると視界が狭まるわよ」
「……はい」

そう伝えたって、気にしてしまうことは分かっている。後悔して落ち込み続けても、良いことは無いのに。私もあまり人のことを言えたことではないけど、だからか……尚更、目の前のこの子だと放っておけない。何かいい方法はあるだろうか。せめて今日一日はしっかりと休みを取ってほしいのだ。叶わないなら半日だっていい。

「とりあえず。温泉にでも行きましょうか」
「はい。汗、かいちゃいましたね」



 外はお天気だったが、昨日よりは少し風が強かった。緩く流れっぱなしで止まることを知らず、けれども、風に逆らわずに飛べば風そのものを感じなくなってしまいそうな程には弱く。洗濯を先にするべきだったのかと温泉に着いてから後悔したが、もう、明日で良いやって気もしている。明日の天気がどうなるかは知ったことではないが、私自身も疲れていたからだ。

「溶けちゃいそうです」
「溶けちゃっていいのよ。のぼせないでいてくれたらね」

普段は温泉のど真ん中に陣取っているリリーが、私の横、温泉の端で岩にもたれかかりながらそう呟いた。目は閉じ切らず、ぼーっと私を見つめていたが……やがてずるずるとお湯の中に沈んでいくと、仰向けにぷかりと浮かんだ。私からするととても恥ずかしくてできたもんじゃない姿勢だが、今の彼女はそれすらどうでも良いらしい。

「この後、ご予定はあります?」
「ううん。もう疲れてるし……正直なところ、もうごろごろしてたいわね」
「お布団で転がりませんか?」
「……そうしようかしらね」

ちゃぷちゃぷと、しばらくの間は足を動かして器用に仰向けで泳いでいた彼女だったが、傍の岩場にゆっくりと衝突したところで、むくりと体を起こして。私の体によりかかった。私が頭を撫でると、彼女は胸に頭を埋めて一度深呼吸をした後、動かなくなった。

「お夕飯、何か食べたいものはあるかしら?」
「お腹に優しそうなものが食べたいです」
「あら。調子悪い?」
「ううん。ゆっくり、休みたいから」

リリーの体を持ち上げ足の間に座らせて。濡れて顔に張り付いた髪の毛を払いながら、上を見上げた。見えるのは空だが、頭に浮かべたのは台所。余っている材料から簡単に作れそうなものを探していく。魔理沙のお鍋が鎮座していることもあって、流しの周りは少し狭い。昨日の食事からしても、今日のリリーにはちょっとお野菜を食べて欲しい所だ。沢山備蓄があるのは……玉ねぎとじゃがいも。そもそも肉じゃがを作るために大量に買っていたのだ。他にも風味づけで使いそうなものとかも仕入れはしたが……しばらくの間は、それらの野菜とも戦わなければならないんだな。いざとなったらカレーに突っ込んでしまえばいいのだが、それはもう魔理沙にされてしまったし。
 しばらく悩んでいると小さく、

「おうどん」

と、ひっそりと声が上がって。視線を下げれば、胸に後ろ頭を預けた彼女がちらりと私を見上げた。……うどんなら確かに楽ではある。お肉の残り、葱の残りを回せば肉うどんは楽に作れる。でも、野菜はせめて最低でもあと一品はつけなければ。汁物が楽だが流石にうどんには合わせられない。

「そうね。おうどんにしましょうか」

残りの一品は……また考えるとしよう。
 湯あたりの前に、と、二人でお湯を出た後は、ゆっくり飛んで帰った。神社が見えてくると、満開の日を過ぎてしまったからか、木の下が桜色の絨毯を敷いたようになっていて。吹いている風に一枚、そしてまた次の一枚とどんどんと桜の花びらは落ちて行っていた。

「昨日、ちゃんと開けて良かったです」
「そうね。ご機嫌にしてくれてたお天道様には感謝しないとね」

玄関に降り立ち、改めて空を振り返る。……まだ明日も晴れてくれるだろう。少なくとも、雨が降ってしまう前には一度境内をお掃除しなければならない。一度濡れた桜の花びらは、とても掃除がしづらいから。

「先にお布団へ行ってます」
「ええ。私もすぐに行くわ」



~~



 衣服を脱いで、布団の上に転がった。体は相変わらず、重かった。背中にもう一人自分を背負っているんじゃないかって思いたくなるくらい。漬物石みたいな気分だ。うつ伏せになってみれば、神社に戻ってくるまでにかいてしまった背中の汗が、ひんやりとした空気に撫でられて……こんなことしてると霊夢さんに冷やしちゃだめって怒られるんだけど、どうしようもないくらい、気持ちが良いのだ。背中が冷えても寝返りを打てば、今度は熱を籠らせたお腹が冷え、代わりとばかりに背中が温くなって。ただただ、転がるだけでずっと気持ち良い。

「横、空けて頂戴な」

着替えの片づけから戻ってきた霊夢さんは、大の字に広がっていた私を見て欠伸混じりにそう言った。私が服を脱いでいたからか、霊夢さんも脱いで。私が寝返りを打って端に寄ると、霊夢さんも横に寝そべった。枕はすぐ目の前にあるのに、腕を枕にして、顔だけをこちらに向けて。薄く開いた目で、私のことを見ていた。
 私も霊夢さんの真似をして、じっと霊夢さんのことを見つめ返してみる。普段、こういうことをすると、霊夢さんもじーっと私のことを見た後で、ぷいと顔を外に向けてしまう。大体そういう時というのは、体も心も重ねているときなのだけれど……そうじゃないときも、あまり見つめられ続けるのは得意じゃない様だ。何気なく見ている位なら、霊夢さんもずっとこっちを見ていてくれるのだけれど、その瞳の中をじっと見つ続けていると顔を逸らしてしまうから。けれど、今日の霊夢さんは、中々私から視線を外さなかった。

「もし、まだ眠く無かったら。話せる範囲で良いから、昨日のお話のこと……聞きたいわ」
「……大妖精さんのお話、ですか?」

私の返事に霊夢さんがゆっくり頷いて。私も頷くと、霊夢さんはゆっくりと瞼を閉じた。昨日の夜、話す約束はしたけれど。どこを話したものだろう。楽しかった思い出を話すのは好きだけれど、つらい思い出や悲しい思い出は、あまり……お外に出したくない。

「うんと……」
「話せるところだけで良いの。話せなかったら……無理しなくて良いの」

私の悩む声に、霊夢さんが小さくそう繰り返して。私はゆっくりと深呼吸すると、昨日大妖精さんが言ったことを頭の中に思い返した。
 大妖精さんは、嘘は言ってはいない。けれど、本当のことも言ってない。あの日、連れ去られてしまった友達は……大妖精さん自身だったのだ。私に逃げるための方法や知恵をくれた、大妖精さん。皆に優しく、慕われてた大妖精さん。知らせを貰ったときは、眩暈がする程怖かった。
 私は、何もできなかった。表に立つのは危険だと止められ、けれど大切な友達は私のために被害にあってて。皆が頑張って交渉したり、助けを呼んだりしている間、私は家の窓辺でずっと、連絡を待つだけしかできなかった。正直なことを言ってしまうと、私が知っているのは……ほんの少しのことだけ。無事に大妖精さんは助けられたこと。狙われたのは親しかったから。全部が終わった後で、教えて貰ったことだった。
 騒動のあと、夕方が近くなっても、私は怖くて家から出ることができなかった。陽が沈むころになって、大妖精さんがひっそりと訪ねて来て。

『大丈夫だったから、気にしないで……ね?』

って。笑ってくれたのを覚えてる。私はなんて声をかければ良いのか、分からなかった。ごめんなさいという言葉すら、言っていいのか迷ってしまった。ただ、ただ。頭を下げるしかできなかったんだ。

『……リリーちゃん。起きちゃったことはもう仕方ないよ。次は皆で気をつければ、大丈夫だよ。だから、嫌いにならないで。貴女がしてきたこと。貴女の好きだったこと。それは私も好きだから。ね?』

本当は一番怖い思いをしたはずの、大妖精さん。私は、しばらく言葉を返せなかった。

「それで、独りで暮らすようになったのね」

思い出しながらゆっくりと伝えていると、霊夢さんがそう言って。私は頷いて、言葉を切った。思い返せば思い返す程、私はあの時、どう声をかけるべきだったのか。そう思ってしまうんだ。勿論それは、今までにも何度もあった。大妖精さんにそのことを伝えたこともある。笑って、大丈夫だからって。やっぱり言ってた。それでも私が落ち込んでたら、大妖精さん、怒って。……怒りながら、ご飯をご馳走してくれた。
 結局私が独りで暮らすようになってからも、大妖精さんは時々お家を訪れて、ご飯をご馳走してくれた。私が好きなことを好きと言ってくれたから、少しでも喜んでもらえればといつも冬の終わりは思うけれど、私は本当に感謝の気持ちを返せてるのかな。……そういえば魔理沙さんにはこういう考え方は良くないって言われたっけ。もしも、大妖精さんが次に困る時が来たなら。その時、私が頼られたら。……精いっぱい、頑張ろう。
 互いに言葉が止んだ後、私も、そして霊夢さんも布団に潜った。着て居た服は綺麗に畳んで、枕元に。また後で着る服だから。霊夢さんはちらり、ちらりとこちらを見ていたけれど、私が体を寄せると安心した様に笑って、体を抱きしめてくれた。

「このまま、良いですか」
「……うん。おやすみ」



~~



 どうやら夢を見ている様だ。胸に乗った顔、目の辺りが少しだけ動いてる。ただ、あまり幸せそうな夢じゃなそうだ。私が色々思い出させてしまったからかもしれない。
 ちゃんと、立ち直れているのだろうか。それが心配で、尋ねたのだけれど。……結局、そこは良く分からないままだった。ただ、昨日の大妖精は元気になったようで良かったとも言ってた。この子も、体を預けるとき笑ってくれた。けれど、辛い記憶だったのは、確かなことだ。そしてそれに悩んできたのは……恐らくあの壊れてしまったお家の中、独りで頑張ったのだろう。
 もしもこれから先、またそのことで悩むことになったとき。この子は、しっかりと私を頼ってくれるだろうか。そこは、少しだけ不安だったりする。この子は、頑張り屋だから。



 顔色も、そして吐息も落ち着いてきたところで、私はゆっくりと彼女の体を離した。もう随分と暖かくなったけれど、私が離れるとやはりまだ冷える様で、物寂しそうな顔を浮かべてて。私はいつもの様に彼女に枕を預けると、着替えを持ってゆっくりと寝室を抜け出したのだった。日は傾き始めていた。私が色々考えている内に随分と時間は経っていた様だ。衣服を整えて台所に立ってみれば……予想通り、魔理沙の鍋が流しに鎮座している。覗き込めば、内側に張り付いていた油分も剥がれてきていた。
 今は彼女にゆっくり眠っていて欲しい。だから、努めて静かにお夕飯の用意をしていった。と、言っても、今日はおうどん。ご飯を炊かなくて良いのは大きい。まな板に跳ねる包丁の音に気を付ければ良いだけだからだ。
 静かに料理を進めていると、時間は飛ぶような勢いで過ぎて行った。リリーを起こしに行こうと思った頃には、日は沈み切ってしまい……いざ入った寝室はもう真っ暗であった。目が慣れていないせいでハッキリと顔色を窺うことはできないけれど、私がお布団を出た時のままの姿勢で、リリーは眠ってた。私が横に座ってゆっくりと肩をゆすると、リリーは一度身じろぎした後、ゆっくりと体を起こした。

「……ふぁ」
「おゆはん、準備できたけど。食べられそう?」
「……大丈夫です」

私の言葉に返事をした後で、一際大きな欠伸をして。傍に置いていた着替えをよいしょという一声と共に引っ張り上げると、もたつきながらもゆっくりと着ていった。
 料理を居間へと運び込んだ頃には、既にリリーはいつものような笑顔で炬燵に入っていた。いつもとちょっと違うとすれば、少し髪の毛に跳ねっかえりがあるのと、目元に残る欠伸の痕。枕への頭の預け方もあったのだろう。片側の耳と、そこから頬にかけても少し赤い。
 饂飩の横に添えたもう一品は、豚肉の生姜焼き。これで少なくとも玉ねぎと豚肉は数を減らすことができた。残すはじゃが芋だけど……そっちはコロッケを作ろうと思ってる。あれなら余り物の野菜も合わせて入れやすいし、この子が来てからはまだ作っていないけれど、好きそうな気はしてるから。お腹周りを気にしていたけれど、食材を駄目にするわけにはいかないから。そこは……ちょっとだけ我慢して貰おうかな。そもそも、彼女が太った様には思えないんだけどね。
 魔理沙が作った生姜焼きと違って、今日の私の生姜焼きは玉ねぎが多い。玉ねぎが余っているからと景気よく使ったは良いが、お陰で妙にあっさりとした味になってしまって。お詫びとばかりにお肉は彼女にあげたのだが……私のこれはもう玉ねぎの生姜焼きと言った方が正しそうだ。もっとも、饂飩も上に醤油と味醂で味付けたお肉を載せてるから、物足りなさは無いのだが、寝起きの彼女にはかえって少し重たくなってしまったかもしれない。
 眠っている間に喉が渇いてしまったのか、二人そろって手を合わせた後は、彼女はゆっくりと饂飩の汁を啜って。それから満足した様に一度長いため息を吐くと、そっと箸を拾って食べ始めていた。食べる速さもいつも通り、まだ瞼は少し重そうだけれど、随分と体力は戻ってきたみたいで。私の視線に気づいた彼女は、微笑みながらまた饂飩に箸を伸ばしていた。

「霊夢さんは、休めましたか?」

どうだろうか。実のところを言えば睡眠はあまりとれていなくて、少し眠気が強い。けれど、今日一日は大層なことをした訳でもないから、体自体はそこまで重くはないのだ。

「まぁまぁ、かしらね」
「今日は、まだやることがあるのですか?」
「ううん。お片付けくらいかしら」
「では、それは私がやっておきますので。……食べ終わりましたら、どうぞお布団へ」

私の返事に彼女はそう言ってまた笑ってくれた。確かにそれは魅力的な言葉。けれど、どうせ私の疲れはたかが知れているものだ。精神的には、休めているのだもの。

「ううん。私が片付ける。その代わり先にお布団温めておいてくれると嬉しいわ」
「本当に良いのです?」
「良いの良いの」

しばらく彼女は私を見つめていたけれど。しばらくするとまた、箸を伸ばしていた。普段より箸の進みは遅かったが、ただ、ゆっくりと食べたいだけの様で。気が付けば饂飩も、そして生姜焼きも。緩やかに減っていっていた。
 私が食べ終わり、畳みに手をついてふと上を見上げ……しばらく休んでいる内に、隣から箸を置く音が聞こえて。私が体を元に戻したときには既に空っぽの食器は重ねられていた。

「ありがと」
「……では、お布団でお待ちしてますので」
「ええ。後でね」



~~



 霊夢さんの言いつけで、お布団の番。いつも霊夢さんが寝る側に転がって、霊夢さんの枕を借りて。いっぱいになったお腹をさすりながら、戻ってくるのを待っていた。枕に頭を預けて見上げた天井はいつもと違って見えるけれど、普段と違う感触の枕と、僅かに残っている霊夢さんの匂いで、どことなく、安心する。そのお陰で、気を抜くと霊夢さんが戻ってくる前に眠ってしまいそうで、頬を膨らませてみたり、思い切り足を伸ばしたりして、頑張って耐えていた。
 食べ終わりの頃の霊夢さんは、とても疲れた様子だった。今日の私がこんなだったから、少し無理をしてくれたんだと思う。だから、本当は軽い冗談のつもりで言ってくれたさっきの言いつけも、頑張れるだけ頑張ってみたくて。遠い台所からの音に耳を澄ませ、自分の体が冷えないようにしながらじっと待っていた。
 霊夢さんは戻ってくると、ぐっと大きく伸びをした後、ちらりとお布団の横を見下ろした。そこにあったのは、私が脱いだ服。お酒は飲んでいなかったけれど、こっちの方が肌の温度が直接伝わるだろうと、そう思ったから脱いでいたのだ。だからか……霊夢さんも欠伸混じりに服を脱いで。私が場所を譲ると、霊夢さんが入ってきた。

「……ありがと」

顔を緩ませて、霊夢さんが笑う。それにちょっとホッとして。私は霊夢さんの胸にゆっくりと体を預けた。水仕事の後だからか、肩口から先は少し冷えていた。

「温かいわ」
「私もです」
「……本当は冷たいんでしょ」
「最初だけですとも」

私の言葉に、霊夢さんは少し戸惑いながらも、背中に手をまわしてくれて。それからぎゅっと抱きしめてくれた。確かに冷たかったけれど。でもそれは、それだけ霊夢さんが温まってくれている証だから。安心してもらえたのか、短いため息の後で霊夢さんは欠伸を漏らして。一度大きく身震いをした後は、私の頭に頬を載せてくれた。

「ねえ、リリー。……明日、朝ごはん少し遅くなっていい?」
「大丈夫ですとも。今日はゆっくり休んでくださいな」
「ありがと。……おやすみ」

それから一際大きな欠伸を漏らして、霊夢さんは静かになってしまった。少しの間は、私の背中を撫でていてくれたけれど、次第にそれも止まってしまって。そんな腕の中で私は……考えていた。少しだけ先に眠っていたせいなのか、ちょっとだけ目が覚めてしまってた。
 霊夢さんのゆったりとした鼓動を耳に、考える。頭にあったのは、二つ。一つは勿論、次のお食事会のこと。次はもっともっと明るいお食事会にしたいから。けれど、これは霊夢さんも言ってた。前のめりにならないようにって。だから、これから先の秋を迎えるまでに、ゆっくり考えるつもり。秋の夜はきっと肌寒いから、温まれるお料理が出せるようになれたら……嬉しいな。すぐに今パッと思いついたのは魔理沙さんのカレー……でも、とっても味が濃かったから他のお料理とは合わせづらいし、汗でかえって冷えちゃうのかなって。……この辺りは、霊夢さんに頑張って教えて貰うことにしよう。
 もう一つは、霊夢さんのこと。心配してくれるのはとても嬉しいけれど、少しだけでもその心配を減らせないかなって。今も私の昔のお話で、少しだけ悩んでるように見えるから。けれど、どうしたら良いんだろう。頑張って、頼もしい雰囲気を出せないだろうか。でも、私は霊夢さんよりちっちゃいし、強くないし、あんまりいろんなことを知らない。
 こうしたら良いのかな。ああしたら良いのかなって。ぼんやりと考えていると、私もだんだんと瞼が重たくなってきて。一度大きく深呼吸すると、ちょっとだけ下がっていた布団を引き上げて、霊夢さんの胸に顔を埋めた。



 雀の声でまた瞼を持ち上げた時、部屋の中は普段起きるときよりも少し明るかった。ゆっくり息を吸い込めば、そのままの勢いで欠伸が漏れて……思わず身震いしてしまったけれど、霊夢さんはまだ寝息を立てていた。霊夢さん、寒かったみたいで。私の足には霊夢さんの片足が上から載っていて、私の足先は少しずれてしまった布団から出ているみたいだ。手をまわして霊夢さんの背中を撫でてみれば……やっぱり冷たくて。少しだけ心地よさそうな息が霊夢さんから漏れた。ゆっくり眠れていることにホッとしながら、今度は耳を澄ませ、隣の部屋の様子をじっと窺ってみる。お酒の匂いも、食べ物の匂いも、そしてページの捲られる音も届いてこない。これなら、私がじっとして居れば、霊夢さんもきっと眠りたいだけ眠れるだろうなって。改めて胸に顔をくっつけながら、そう思った。
 けど。頑張っても、祈っても。気持ちを我慢できても、どうにもならないことが一つあった。私の……おなか。普段なら朝ごはんを食べる時間だからだろうか、ぐぅ、と小さな音が最初は響いた。そして追いかける様に、長い音がまた響く。お腹に優しい物が食べたいと、昨日そう願ったのも、良くなかったのかもしれない。いっそ霊夢さんの耳をふさげば、とも考えたけれど。静かに鳴っている霊夢さんの胸の音も、私には感じることができるんだ。だから……くっついている霊夢さんには、当然私のこの響きも届いてしまっているはずで。せめて、と、ちょっとだけお腹を離してみれば、今度は温かさが減るのが嫌なのか、眠ったままに抱き寄せられて。そんな心地いい腕の中で私の気持ちに反して鳴り続けるお腹が、今はとても恥ずかしかった。
 起こしてしまいませんように。眠れますように。頑張ってそう祈ってみたけれど。しばらくして、

「……お腹すいちゃった?」

と。頭のすぐ上から声が聞こえた。やっぱり、しっかり届いてしまっていたみたい。

「ごめんなさい」
「良いのよ。我慢しようと思ってできる方が凄いもの。ただ……もうちょっとだけ、休ませて。まだ頭がぼーっとしてるから」
「どうか無理なさらず」

私が返した言葉に霊夢さんは鼻で笑って。それから一度大きな欠伸を漏らすと、ぎゅーっと、私の体を抱きしめた。胸はとてもあたたかいけれど。霊夢さんの首から上と膝から先は、やっぱりお酒が無かったからか、冷えてしまっていて。せめてもと足を伸ばして霊夢さんの冷たさを奪ってみれば、満足げな息づかいが聞こえて……ちょっとだけ、ホッとした。
 背中に回っていた手が離れて、霊夢さんが体を起こした頃には、私の足は冷え切ってしまっていたけれど。霊夢さんは私を見下ろした後、笑ってくれて。一度深呼吸した後、いそいそと服に袖を通していった。私も後を追って体を起こそうとすると……つん、とおでこを突かれて。

「貴女はまだ休んでなさいな。できるまで時間あるんだしね」

霊夢さんはそう言って、はだけていた布団をかけ直してくれた。いっぱい休ませて貰った後なのだけれど。返しの言葉を考えている内に、霊夢さんはするりと部屋を出て行ってしまって。霊夢さんの居なくなったお布団の中で追いかけるべきか悩んでいたけれど、今の私が追いかけてお手伝いを願い出ても……起き抜けの霊夢さんのお仕事が増えてしまうかもしれないから。だから、私は霊夢さんの枕を拾って、そこに顔を埋めたのだった。



~~



 出来上がった朝食をリリーと食べ終わると、リリーは私の顔をじっと見つめた。どうにも、お腹の音で私を起こしてしまったことに何故か罪悪感を覚えている様で、歯痒そうな顔をしてた。だからか、

「お片付けは……そうね。お願いしても良いかしら。私お布団でごろんとしてて良い?」
「勿論ですとも。他にも何かないですか?」

だからか、私がそんなことを言えば喜んでくれた。彼女は気丈な返事をくれたけれど……今はそんなに任せたいことが無くて。私は苦し紛れに、洗濯かなって答えて。後は布団の中で考えておくとだけ伝えると、彼女に食器を預けた。
 入った布団はもう温かくなかった。リリーが丁寧に乱れたお布団を整えてくれていたし、あの温かな彼女が少し前まで入っていたとはいえど、時間による冷えにはやはり勝てなかった様で。私はうつ伏せになって枕に顔を突っ込んだ。食後にお腹を下敷きにすると苦しいのは苦しいのだけれど、それ以上にこうしているとお腹が熱を持つことが有り難かったから。
 遠くに聞こえる水の音。料理の後片付けやお洗濯、そしてお風呂のお掃除。水仕事を彼女に手伝って貰うことは増えてきたのだけれど、今日はとても静かに洗ってくれていた。食器は使った物が少なかったから、すぐ台所からは音が消えてしまったけれど、洗濯物は少し時間がかかったみたいだ。まあちゃんと洗わないと着られる物が無くなるのだから、仕方ないこと。ぼうっとその音を聞いている内に、気が付けば音は止んで……少し経つと、縁側の方から彼女が戻ってきた。

「お疲れ様。ありがとうね」
「いえいえ。他に、何かありますか」

布団の中に入っている間に色々考えていた。実はやらなければならないことは沢山ある。挙げれば気が滅入る程に。しかもそのほとんどは、面倒で、後回しにできるならしたくなる位。今までそれを独りでやって来たのは確かなのだけれど、それを彼女に任せるにはあまりにも忍びなかった。どうせやらなければならないことに代わりないのだから、それは今度一緒にやるつもり。だから……

「枕になってよ」
「膝枕です?」
「いつも寝るとき、私の胸で眠ってるじゃない。今日は代わってほしいな」
「あぁ……はい。お供いたしますとも。脱いだ方がお好みですか?」
「あー……んー。寝間着に着替えましょ。もう日が昇ったもの。誰が来るかわからないからね」



 眠ることを伝えていたからか、リリーは私を抱いてくれた後はじっと黙っていた。着替えたばかりで服は冷たかったけれど、その生地の裏側からじんわりと伝わってくる温かさは湯たんぽ程ではないけれど、顔を温めてくれた。目を酷使することなんて異変でも起きない限り滅多にないのだけれど、目元が冷えから解放されてじんわりと温まるのは本当に幸せな気分になる。

「もっとお布団引きあげて良いのよ?」
「大丈夫ですから」

私が彼女に胸を貸すときは、そもそも彼女の身長が私よりもちっちゃいから気にならないのだが、私が胸を借りて、しかも私に合わせて掛け布団をかけると……彼女の肩は寂しいことになってしまう。頭寒足熱という言葉はあれど、肩が冷えるのはあまりよろしくはない。

「良いから。私も足曲げてるからまだ余裕あるわ」
「霊夢さんこそもっとゆったり寛がれては」
「良いの。その方が気苦労無く私は眠れるから」
「……ありがとうございます」

なんとか折れて貰えたけれど、それでも彼女はあんまり引っ張り上げようとせず。私が手を伸ばして引き上げると、ちょっとだけ彼女の心音が早くなった気がした。
 二人して口を開くことが無くなると、聞こえる音はとても数が少ない。特にお布団に深く入った私にはほとんど外の音は聞こえてこなくて、代わりとばかりに彼女の音が良く響く。肺を満たし、そして抜けていく呼吸の音。温かな熱を体中に運ぶ心音……そして元気に働く胃の音。そもそも彼女の胸をこうして借りる機会が限られていることもあってか、あまり意識したことはなかった。これが不思議なもので、不規則に突然聞こえたりするものの……どこかホッとする音だった。やがて温まった瞼はだんだんと重たくなって。私が一度大きな欠伸を漏らすと、頭の上から笑う声が聞こえた気がした。
 次に気が付いたとき。顔に触れていた温かさはいつの間にか消え、覚えのあるその温かさは後ろ頭と背中を包んでいた。いつの間にか寝返りを打っていた様だ。重たい瞼の向こうには一瞬だけ部屋の中が見えた気がする。布団もほんの少しずり落ちて、私の首が少しだけ出ていた。後ろ頭に広がる柔らかさ、そして彼女の吐息の漏れる位置。視力以外の感覚に頼ってみれば、また彼女の肩が露わになっていそうで。私は片手で布団を掴むと、せめてもと、ぐっと目元まで引き上げた。彼女の吐息の音がひゅっと消えて……少しして、鼻の辺りの布団がもぞりと動き、口元に被っていた布団を少しだけずらしてくれた。寝ないでずっと見ててくれたのだろうか。それとも、私が引き上げた時に起こしてしまっただろうか。そんなことを考えながら、また温かさに眠りについた。



 ふと夢から覚めては、また温かさに眠って。それを繰り返すたび、部屋の中の明るさは変わっていた。明るくなったり、かと思えば、知らぬ間に暗くなっていたり。見える景色は壁でもあれば、彼女の柔らかな服だったりした。目の前に服が見えるときは、とん、とんと。背中をゆったりと叩かれていたり。久方ぶりの感覚。するのも好きだが……されるのも、好きだ。ああ、このままこうしていても良いんだって安心感を、眠気と温かさが運んできてくれる。もう少し休んでいて良いかと尋ねてみれば、

「勿論ですとも」

と。彼女の小さな声が帰って来た。彼女の声も少しだけ眠気混じりで。私はまだまだ、その言葉に甘えることにしたのだった。
 気が付くと、薄暗がりになっていて。ああ、昼を超えたどころか夕方が近づいているのだ、と知った。その時には、彼女の呼吸もいつの間にか寝息に変わっていて。私は十分に温まった体を彼女の腕から引き抜くと、そのまま眠っていた彼女を引き寄せて、抱き込んだ。胸やお腹は、温かい。足もお布団が届いていて、まだ温かい。でも肩口はやっぱり冷えていて。起こさないようにしながら、その背中を撫でた。
 体が温まったからなのか、はたまた眠って緊張も解けてしまったのか。彼女のお腹は、ときどき思い出した様に空腹を訴えていた。いっそミスティアの所にでも行って、帰りに温泉でも行けば、今日という日を最高に自堕落に過ごせるのだろうけれど、それを許してくれないのは台所にまだ残っているじゃがいも達。それなりに日持ちするとはいえ、それでも早めに消費するに越したことは無い。お昼ご飯を抜いているのだ。私も彼女も、それなりに量は入るはず。作るものはもう決めていた。お腹にはとても響きそうなのが、ちょっと問題ではあったのだけど。



 彼女にお布団をしっかりとかぶせて、暗くなっていた台所で作り始めたお夕飯。今日のおかずはコロッケ。独りで暮らしていると、まず食べることは無い。作ろうと思えば作れるのだけれど、独りで作って食べるコロッケは何故か寂しいのだ。同じ材料でもちょっと変えて、生姜焼きや肉じゃがを作った方が、自分でも安心感がある。油を沢山使うからなのか。それとも作り方のせいなのか。ハンバーグを作ってるときは何も思わないのだけど、コロッケは駄目だ。あとはお稲荷さんもそう。独りならやっぱり寂しい。きっと油揚げをお味噌汁に入れてしまうだろう。
 ご飯が炊けるのを待ちながら、ゆっくりと拵えを進めていく。実はコロッケを作るのは……正直言うと苦手だったりする。かき揚げは多少解けてもなんとかなるけれど、こっちはそうはいかない。魔理沙はこの辺はとても上手くて、思うようにどんな大きさでも見事に揚げる。でも私は……せいぜい、魔理沙の半分か、それより僅かに大きい位でしか、うまく形を保って揚げることができなかった。だから今日はせめてもと、一つ一つを丁寧に揚げたていった。油に入れては引き揚げ、その傍らで大根をすりおろして。お陰で少し時間はかかってしまったけれど、いざ重たいお皿を引っ提げて居間へと入ってみれば、油の音が聞こえていたのか、リリーは既に起きていた様で、外から取り込んだ洗濯物を居間の隅でいそいそと畳んでいてくれた。私が運び終える頃には彼女も畳み終えて。幸い、どのコロッケも温かい内に食べ始めることができた。

「久しぶりです」
「私も」

お椀に盛ったご飯はちょっと少なめ。その代わりになりそうな位にコロッケがあるから。今日の主役はコロッケなのだ。
 コロッケの大きなお皿を真ん中に、その横には大根おろしを盛った小さいお皿。お汁は無いけれど、お漬物と、普段は食後にしか飲まないお酒を用意して。二人揃って手を合わせた。

「大根おろしは?」
「コロッケに。お醤油に飽きてきたらお醤油と合わせて頂戴な」

本当は色々と味を変えられたら良いのだけど……この辺りは魔理沙の方がよっぽど上手いのよね。何より持っている調味料の数が違う。こんな調味料いつ使うのか、なんて思うようなものさえ持っていたりする位で。顔が広いのか、ひょいっと山葵とか仕入れたりしてることもあった。

「年明けの宴会以来ですね」
「そうだったかしら。……あの日何を食べたのかまではあまり覚えてないわ」
「私は初めての宴会でしたから」

初めての宴会、か。果たして私にとってのそれは、何年前の宴会になるんだろう。その時は紫にお酒を飲ませて貰えなかったような覚えがある。後は……紫が泊まっていったこと位か。私には飲ませてくれなかった癖して凄くお酒臭かった様な気がする。

「牛肉のコロッケと、南瓜のコロッケがあったんですよ。ソースが一緒に添えてあって。間違って南瓜のにソースをつけてしまったりして」
「あー……あれ、不思議と口に入れるまで気づかないのよね」
「です。一瞬何が起こったかわからなくて。コロッケ自体は美味しかったんですけど」

何となく、その時どういう顔だったのかは想像できてしまう。梅干しを食べたときの様な、そんな顔をしていたのだろう。彼女は嫌いではないと言い張るけれど、食べた瞬間のあの顔を一度見てしまうと……食卓に並べるのはとてもためらってしまう。どうも果肉があまり得意ではないみたい。でも、紫蘇を混ぜたゆかりご飯は普通に食べてくれることは分かった。魔理沙が言うにはここのは酸っぱいらしいんだけど。……そこまでだろうか。私はずっと食べてきた味だからか、分からないんだ。

「揚げ物は怖くてずっと作れないような気がします」
「そういうものよ。私だって、初めて挑戦したのもそんなに昔のことじゃないわ」
「そういうものですか」
「うん。まあ、魔理沙は早かったけど」
「……何となく、分かる気がします」

乾いた喉をお酒で潤しながら、さくさくとコロッケを食べ進めていく。昨日の夜が軽かったことも、今日のお昼が無かったことも味方してか、箸も止まることは無くて。ちょっとだけ油のしつこさはあったけれど、最後は小さめのコロッケ二つが残った。それはお互いに一つずつ取って。最後の大根おろしは、彼女が持って行った。
 食べた後も口の中が少し油濃かったから、お酒のあても兼ねて、また少しだけお漬物を出してきて。空っぽになったお皿は横に重ねて、二人で湯呑を傾けた。胸の中に溜まっていた空気をゆっくりと吐き出して、彼女がちらりとこちらを見て。ふと、私を呼んだ。口の中の沢庵を飲み込んで返事をしてみれば、少しだけ間をおいて、彼女が小さい声で告げた。

「大丈夫、ですからね?」
「……お布団で話してくれたこと?」

私の言葉しっかりと頷いて。ああ、やっぱり伝わってしまっていたのかと、心の中で呟いた。しばらく、返す言葉に戸惑った。言いたいことは色々ある。そう言われたって心配だってこと。それでも貴女のその言葉は信じたいし、信じているつもりだということ。

「霊夢さん、言ってくれましたよね。本当に困った時が訪れてしまったら、私を頼ってくれるって。私も同じですよ。その時は、霊夢さんを頼らせてください。……ほんとは、今もずっと、頼ってるんですけどね」

ご飯とか、ご飯とか、と。彼女は小声で続けて。それからバツが悪そうに笑った。

「大妖精さんも言ってました。起こってしまったことは、仕方が無いんです。でも、そこからどうするか。自分に、他の人に何ができるか。……だから次の宴会は、もっともっと楽しくしたいです」
「終わったばかりなのに、気が早いのね」
「よく言われてました。冬の終わりに」
「……そうね。貴女は、そうだものね」

心配する私に、彼女なりに励ましてくれているのだ、というのは勿論分かってて。頑張って明るくしようとする彼女の顔を見ながら、湯呑の中を飲み干した。少し多くて、ぶるぶると顔が震えて。急に熱をもった顔を彼女に向けて、真剣な顔を見つめた。

「貴女がそれ飲み終わったら、お布団行きましょうか」



~~



 もうすぐ夜が明ける。夜が明けるとどうなるかって? 朝が来る。
 手にはお鍋。私のセカンダリお鍋だ。プライマリなお鍋は今頃しっかり洗われているはず。ついでに外側の張り付いた焦げも取っておいてくれたら嬉しいのだが……そこは期待しない。持ってきたお鍋の中身はクリームシチューだ。といっても、まだ作りかけでじゃがいもが入ってない。この前来た時、霊夢の台所には沢山じゃがいもがあったのを私は見ている。恐らくは宴会の時に作った肉じゃがの材料の余りだ。霊夢がどういう見立てをしてじゃがいもを仕入れたのかはわからないが、かなりの量だった。だから私が有効活用して材料管理に貢献するのだ。恐らくは頑張ってああだこうだと消費している所であろう。
 縁側に箒とお鍋を置いて、ぐっと伸びをして。日が山の端から光を伸ばしたところで、お鍋を抱えて居間へとお邪魔した。昨晩霊夢が作っただろう夕食の匂いがあるだろうか、と、少し期待していたのだが、残念ながら残ってはいなかった。残っていると言えば居間の隅に畳んだ洗濯物がある位か。こうしてみるとリリーの服は意外と厚い……いや、霊夢が薄いんだな。居間の灯りを付け、そろりそろりと寝室の様子を伺ってみれば……しっかり眠っている様子で。私はそのままの足でお鍋を台所へと持っていくと、食材の在庫を確認した。
頑張ったのか、随分とじゃがいもは減っていたが、まだまだ数はあった。
 洗われていた調理器具を確認する。霊夢にしては珍しく揚げ物用のお鍋が出ていた。その横には私のお鍋もあって実に綺麗に洗われている。中は、だが。外はいつも通りだった。食器を見てみれば、湯呑にお茶碗に、大皿が一枚、取り皿が二枚、醤油皿が一枚、漬物皿が二枚か。かき揚げ作るの好きだった気がするが、それにしてはなんだか醤油皿が余分なんだよな。もしくは数が足りてない。昨晩の食材はなんだったのだ。……これは、じゃがいもか。かなりの量を使ってる。他にも野菜を使った様だが、じゃがいもに比べればかなり少な目だ。ということは、コロッケだろうな。スライスして揚げた可能性もあるが、そんなドシンプルで味付けにも困るものを霊夢がリリーに出すはずがない。霊夢はなんだかんだ見栄を張るのだ。コロッケに違いない。
 コロッケ、なぁ。あいつのコロッケ面白いんだよな。他の料理は問題無く作るのに、何故かコロッケは下手なんだ。唐揚げとか竜田揚げとか、かき揚げとか。そういうのは普通なのにな。きっと前世でコロッケに悪いことして、コロッケの神様に嫌われてるとか、そういうのだろう。それ位、苦手なのは知っている。
 お鍋を火にかけて、その脇でじゃがいもを洗って。形をそろえた端から、空いていた鍋に入れて下茹でしていった。ご飯は、要るだろうか。……要らんだろう。たぶん昨晩は沢山食ってる。あいつは揚げ物を作るとき、量が多いのだ。私自体はクリームシチューをご飯にかけて食べたり……したいけど、あれをやるとすごい白い眼で見られるんだよな。霊夢にもされたし、アリスにもされたし。不味い訳じゃないんだがな。何故カレーは許せてシチューは駄目なのだ。アリスは、

『ビーフシチューならまだ分かるけど』

と言い、霊夢はただ一言

『えぇ……』

とだけ言ってた。でもどっちも、ドリアを作って出せば食べるのだ。リゾットだって食べる。大して変わらないだろう。ドリアと。……あぁ、駄目だ。このことは考えるのを止めよう。考えているとシチューというものがまるで分からなくなる。
 追加したじゃがいもの様子を見て、頃合いを見て火を止めて。欠伸を漏らしながら居間へと戻った。炬燵に足を突っ込んで……ふと、気づく。今日の本が無い。ポケットに入れたままの気がしていたが、思い返せば昨晩枕元でちょっと続きを読んだんだった。たぶん枕の横に置いたままだ。……困った。することがないぞ。二人が起きてくるまでにはまだ時間がある。家に取りに帰るのは流石に馬鹿らしい。そもそもシチュー作りで結構疲れているのだ。
 寝よう。そう思って、居間の灯りを消した。寝ているのにつけっぱなしで居ると霊夢があまり良い顔をしないから。……でも、代わりとばかりに炬燵は利用させて貰うことにした。もうずいぶんと暖かさは増したのだが、炬燵のこの独特の温かさは、何物にも代えがたい。この中でスカートをめくってると、とても気持ちが良いしな。足が温まるのは良いことだ。
 熟睡してしまうことだけは避けようと、炬燵の上に帽子を置いて、そこに頭をのせた。ちょっと冷たいが、これで頬は痛くならない。そのままぐっと顔を寝室の方へと向けたが……相変わらず、ぐっすりの様だ。私が先に起きるだろうか。それとも霊夢か、はたまたリリーか。そんなことを考えていれば欠伸が漏れた。
 目を閉じてじっと、考える。この前訪れた時の霊夢のこと。また何か考えている様だった。食事中もあんまり喋ろうとせず……勿論私やリリーの言ってることをちゃんと理解しているようだったが、頭で何か違うことを考えていたのは間違いない。恐らくは宴会で何か、あったのだろう。しんみりした雰囲気ではなかったから良しとしてあの日は帰ったのだが……今日はその確かめだ。まだ何か様子がおかしいようなら、何か一声、霊夢を持ち上げておきたい所だ。でないとリリーが気づいて心配するだろう。ひょっとしたらもう気づいて……あの子のことだ。頑張って解決しようとしてるかもしれないな。
 ……眠いけど眠れないな。足は凄い温かいのに背中が地味に冷たいせいか。まあ、それならそれでいい。



 目を閉じてぼうっとしていると、ふと寝室の方から衣擦れの音が聞こえた。そのまま寝室の方を眺めていると、静かな足音が漏れ聞こえ……襖が開いた。おはようと言葉をかけるつもりで居たのだが、私は開いていた瞼を急いで下ろした。裸のリリーである。なんで服を着ていなかったのかは……何となく分かると言えば分かる。
 一秒、あっただろうか。パン、という大きな音共に襖が閉じた。目は合わなかったが……目を開けていたところを見られただろうか。

「……どうしたの?」

霊夢の声が聞こえる。何故だろう。悪いことはしていないのに背中がさっきより冷たくなってきた。いや、果たして私は本当に悪いことはしていないのだろうか。家の主人も寝静まってる夜明けすぐに、勝手に家に上がり込んで炬燵でぬくぬくしているのだ。朝食の準備はしているとはいえ、不法侵入と言われれば本来はそれまでだ。頼む、リリー。私は見なかったことにしたい。できればリリーも、私が起きていたことを気づかないでいておくれ。ここで帰れと言われたら台所で私を待つシチューの立場もない。
 リリーはどう伝えたのだろう。小声だったのか、私には良く分からない。できれば聞こえる位の声でやってほしい。あの音で寝たふりを続けるのもおかしいと思い瞼を持ち上げれば、勢いよくしめたせいか、変なところが少し開いていて。その随分と下の方からにゅっと手が生えていた。それから近くに積んであった洗濯物をぎゅっと掴むと、そろりそろりと隙間の中に引きずり込んでいっていた。この様子、どうやら私が見ていたことは気づかれていない。どうやらリリーらしい手は二人分の衣類を手に入れた後、すっと隙間の中に戻っていって。それからじわりじわりと襖の位置が元の位置に戻っていった。
 衣擦れの音が響いて、私も顔をあげる。さあ出たとこ勝負だ。先に出てくるのは、リリーか。それとも霊夢か。できれば霊夢であってほしい。そしたら先手で、とぼけた振りができるからだ。さっきの音はなんだ、とでも言っておけば良いのだから。リリーは、困る。まだ瞼の裏に姿が焼き付いてるし。
 すっと襖が開く。……あー、二人同時か。

「おはようさん。さっき凄い音がしたと思うんだが、大丈夫か?」
「おはよ。何でもないわ。随分と早いのね?」

霊夢の返事に思わず炬燵の中で拳を握りしめた。これはどうやら、リリーにばれていない……のだが、リリーはじっと私の方を見ていた。

「どうかしたか?」
「……おはようございます」
「うん、おはよう」
「魔理沙さん。……起きて、いらっしゃいましたか?」
「そりゃああんな音すりゃ起きるさ」

疑われているようだ。無理もないか。顔自体は完全にリリーの方に向けていたのだ。少なくとも、私の顔は見たのだろう。だが疑いは疑い。確信じゃない。となれば私の勝ちだ。どんなに疑惑が濃かろうと……いや、実際は確かに見てしまったのだけど、それを確かめるすべはもうここには無いのだ。地底のさとりくらいでも連れてこない限りは。
 しばらく私はリリーに不思議そうな顔を返すことに努め、リリーの方は私に恥ずかしそうな疑惑の目を向けることに努め。でも諦めたようで、霊夢が炬燵に足を突っ込んで一息つくと、ため息を吐いて視線を逸らした。

「何かあったのか?」

すかさずの追い打ち。シラを切るならとことん切るべきだ。ずっと前に持ち込んだ茸と違って、今回は不可抗力だ。

「誰もいないと思ってつい裸でこの部屋に来てしまって」
「あー……あの音は?」
「驚いて襖をこう、ばちんと」

……この辺で十分かな。霊夢も寝ぼけているお陰で集中力に欠いているみたいだし。この機を逃す訳にはいかない。

「そうか、ごめんな。寝てたから灯りはつけてなかったんだ。……そうだ。腹は減ってるか。シチュー、用意してるんだが」
「頂くわ」

リリーに聞いたつもりだったが、先に霊夢が短く答えて。リリーへと改めて視線を向ければ、リリーも頷いていた。



 皆で囲んだ炬燵。あつあつに温め直したシチューはもくもくと湯気をあげて、リリーがそれを唇を尖らせて吹いていた。食べ始めてから様子を窺っていたが……リリーはまだ少し疲れが見えるけれど、霊夢は少し元気になっていて。前この神社を出てからあれやこれやと考えていたけれど、どうやら私が背中を押す必要は無さそうだ。
 二人並んで、互いに背中に手を添えて。歩調はまだまだうまく合わないのかもしれないけれど、互いの手でしっかり支えあっているのだろう。

「これ、私にも作れるでしょうか」

ふと、無邪気な質問が飛び出して。私はただただ、頷いて返したのだった。

お読みいただき有難うございました。
予期せぬ来訪者の続きを書くぞーって思い始めてからもう7年が経ってしまった訳ですけども……
お待ちいただいていた方々には大変申し訳ないです。

十分にスマートフォンが普及して縦書きビューアの恩恵を沢山の方が享受できるようになっていると思うので、今後の投稿に関しては縦書き向けに改行等編集しておくつもりです。
重ね重ね、お読みいただき有難うございました。
あか
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
あかさんの作品の平和な生活感が好きです。
しばしば布団に寝転がって抱き合って過ごす霊夢とリリーはまさに同棲生活という感じの幸せが伝わってきます。
懇親会に来た子たちは過去作のオールスターですね。