真・東方夜伽話

幽霊・幻影・幻

2017/09/30 21:53:31
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幽霊・幻影・幻

SYSTEMA






















「それで器が何?」

 永琳は私の足の方を見たまま呟いた。この永遠亭での暮らしの中であらゆる時間にあらゆる場所からあらゆる永琳を見てきたように思う。彼女は怒っていたり笑っていたりあるいは死んだような表情を浮かべていたけれど結論から言えば彼女はどこを見ても超人的な整い方をしている事が分かった。角が生えた私と並ぶとまるで私が彼女を攫ってきた悪役に見えてくる程には。 
美しすぎて近寄れないか? 否、彼女自身はとても馴染みやすくて、いつの間にか自分の深刻なことを話したくなるようになってくるほどには聞き上手だ。今だって私の心の中に転がっていた小石のような思案を聞いてくれていて、いつの間にか私の心の奥深くに転がっている問題も話したくなってくる。
普段は先生先生と呼ばれる私がしていることを何倍も上手にこなしている。そこはちょっと、いやかなり悔しい。

「人には器があってそれ以上の何かを得たりすることはできないってこと」
「大変興味深いわ」
「きっと器って広げることができると思う。それが教育だと信じている」
「それはそれは素敵なお話ね」

 単なる相づちだと分かっていても話を続けてしまうのはきっと私の中の何かが話したがっているせいだし、永琳が私の中に居る「話したがり」な自分をくすぐるのが上手だからに違いない。なんだかんだでこの幻想郷の中でも彼女ほど上手な人も居ないだろう。
 くるぶしのあたりから伸びた白い布が何度か土踏まずを交差していく。みるみるうちに足首から白い布が外れていく。ほとんど毎日してもらっていることなのに永琳は器用だと毎度感動してしまう。

「眠そうね、器哲学のお話で疲れちゃったのかしら?」

 包帯がこすれる感覚が心地いい上にこの永遠亭での昼食を終えたばかり。
重たくなったまぶたを引き上げると、視界いっぱいに広がる不機嫌そうな永琳の顔。うん診察中に眠られたら怒るよね。ごめんね。

「按摩屋になった覚えはないわよ、ね。先生」
「……ごめんなさい」
「分かればよろしい」

 仕方ないじゃないか夏の午後にこんな風通しの良い場所で診察をされて眠たくならない奴なんていない。そのうえ安心できる人に触れてもらっているんだから。
とはいえそんな思いを直接伝えるには少々大人になってしまった訳だし、きっと相手も困るだろうから淡い思いは胸の中に秘めておきたいところだ。夏の暑さで身体と心が熱で分離したのだろうかと思ってしまう。そうしている包帯は外れた。包帯が外された足は少し白くて、元気がない蛇のようにぐったりとしている。
私の足をぐりぐりと触っていた永琳がふむん、とうなずいた。

「お足の調子はどう? 診察中に眠るくらいには問題がなさそうだけれど」
「動かすことが楽になってきたかな。まだ走ったりすることはできないけれど」
「そう、良かったわね」
「永琳先生。私はいつになったら帰られるんだ? 寺子屋の事や村のことが心配で」
「あなたが崖から足を滑らせてここに来たときひどかったのよ。
妹紅なんてもう慌てて泣いてる位だったんだから。あなたは半分妖怪かもしれないけれど残りの半分は力では牛に劣り、走れば馬に劣る人間なのよ?
思いの外時間はかかるでしょうけれど気長に過ごしなさいな。後のことは上手にやっておいてあげるから」
「山菜採りに行ったらこんな事もあるんだな」
「良い勉強になったわね。センセ」

 怪我の原因。
少し前に妹紅と山菜採りに行って話に夢中になっていたら曲がるべきところを盛大に直進してしまった。
そのせいで崖から転がり落ちた。「滑った」と考えるまでは案外冷静で転がり始めたところで受け身なんてとれっこないなと呑気に確認をしたところで何かにぶつかって意識が途絶えた。石頭と言われる私でも痛かった。
永遠亭に担ぎ込まれてからしばらくは動く事も許されないし藤原妹紅が泣いていたしそれだけしか覚えていない。後は寝たり起きたりを繰り返しているだけ。
寺子屋は藤原妹紅と鈴仙に任せているけれど私は一秒でも早く寺子屋に戻りたい。
戻ってしなければならない事はたくさんあるけれど永琳に言われてしまえば私は従う他無い。それと同時にこの永遠亭にずっと住むことができればいいという子供じみた考えも浮かんでいて恥ずかしくなって意味もなく笑った。
ここはとても良い場所だ。



 板張りの廊下から腕まくりをしたてゐが顔を覗かせた。

「慧音さんにお客さん、妹紅だよ。師匠どうする?」
「うん、ここに通してあげて」
「はぁい」

 そうそう、人里の誰も見舞いに来ないというのに妹紅だけは私の見舞いに来てくれている。こういう普段と違う場所で過ごしている時に普段のつきあいが見えてくる。村方やら近所の人が来ないのが残念だけれど。

「慧音?」
「ここ」
「なんだ、幽霊でも見たような顔をして」
「ああ、うん。いつも通り綺麗だなって」
「そういう雑なごまかしは嫌いじゃない」
「そういう美人さんにはこれを」

 妹紅は片手に提げた鞄から小ぶりな西瓜を取り出した。

「暑いかなって思って。それに夏だし」 
「これはありがたいな」

 井戸で冷やしてきたのか、緑の皮の上には滴が着いていて触れてみると感覚がしゃんと戻るような気がした。

「妹紅の畑で獲れたの?」
「うん、初めてだったけれど結構上手に出来た。いくつかは猿にやられたけれど」
「仕方ないね」
「おいしそうな西瓜を前にして蘊蓄を話すのも良いんだけれど、とりあえず食べない?」
「ああ、うん」

 永琳が誰かを呼ぶ前に、てゐが包丁と皿を持って来ていて少し笑った。
 てゐが持ってきた包丁で綺麗に切り分けて皮と実を綺麗に切り離した後、静かにその場の人々は西瓜を食べ始めた。

「慧音も……長いね」
「うん……まぁ、だんだんと良くなってるらしいから。寺子屋の様子はどうだ?」
「まぁそれなりに巧くやってるよ」
「それなら良い」

 包丁で一口大に切り分けられた西瓜をつつきながら、妹紅は黙り込んだ。
板張りの部屋の中で黙々と西瓜を食べる私たち四人。

「でも慧音に会えて良かった。西瓜も食べられるようだし。なぁ永琳」
「なに?」
「慧音を頼む」
「ええ、もちろんよ」 
「慧音」

 私の方に向かい妹紅は呟く、なんだか不安さを隠しているようだった。

「ごめん、私がちゃんと見ていなかったから」
「良いんだよ。気にしないで良いから。山菜採りは妹紅が言い出したことだけど引け目なんて感じなくても良いから」
「うん……ごめんね」

 妹紅が顔を覆った。そして小さくしゃくり上げる、小さく肩が揺れはじめて嗚咽が漏れ出す。寺子屋の子供のように何か悪いことをしたような表情を浮かべていたのはこれが原因だったんだと納得した。そういえば妹紅は涙もろいんだったなと今更になって思い出した。妹紅がいつもより小さくなったような気がして、頭を撫でながら大丈夫だと伝える。
そのまま嗚咽の声は大きくなり、鈴仙が促して部屋の外まで連れて行った。
悲しみの声が聞こえなくなるまで私たちは黙り込んだままだった。声が聞こえなくなってから永琳は立ち上がった

「慧音。また少し休みなさい。ああいう妹紅の姿をみて色々と考え過ぎちゃだめよ」
「うん」

 私はそういう優しい態度に色々と考えるところがあるんだけれどと言いたい気持ちを「私はもう大人だから」の一言で押さえ込んで永琳を見送る。襖を後ろ手で締めようとした永琳がふと立ち止まった。

「そうそう、さっきの話の続きだけれど。人には器があるといったわね」
「うん」
「ねぇ、器が割れてしまったらどうするの?」

 器、人としての器が壊れるということは何を注いでも流れ出すということだろうし、器の容量は限りなくゼロに近くなる。だけどそれでもやっていくんだろう。

「わからないけれどきっと器の割れた者達の世界があるんだろう」
「慧音はそこを楽しいって思う?」
「あんまり」

 それを聞いてから永琳は寂しそうに笑って部屋を出て行った。
彼女が部屋を出て行ってから彼女と私では生きる時間が全く違うことを思い出した。
元々彼女たちは器というものが私たちのように備わっていないのだ。
まずかったかな。花瓶の彼岸花に話しかけても答えはもちろん返ってこない。



 妹紅と永琳が部屋から去ってからすることもなくてただ横になってどうやって永琳に謝ろうかと考えていた。考える間にも時間は過ぎていき、南の空から雨雲が流れ込んできて風が涼しくなってきた。昼過ぎは油照りだったのにもう秋の気配がどこかから流れ込んでいるようだった。怪我をする前ならば捲土重来とばかりに溜まりに溜まった仕事をこなしていただろうに、あいにく永遠亭から借りている十畳ほどの部屋には姿見が一つと布団が一つ。窓が二つと机が一つあるだけ。書類の類はもちろん無い。
永遠亭の庭に咲いていた花が閉じていき、ただただ雨が降ってくる寂しい庭園になるころには私の足は治っているだろう。早く帰って家の掃除をしなければならない。
いろんな事を考えた。足が治れば妹紅を追いかけて慰めただろうこと、その他もろもろ。

「なんだかアンニュイな顔をしてるねぇ、遠くから見たら天女かと思うような綺麗な顔が台無しだよー」
 
 いつの間にか部屋に入っていたてゐが笑っていた。

「思ってもないくせに」
「師匠が言ったらどうせどきどきするくせにー」
「そ、そんな……」
「見抜き見通しだよ」

 横に座っていい? と言いながらてゐは腰掛けてきた。身体は一回り小さいけれど浮かべる表情や言葉からは時折私には分からないような老成した境地が見て取れて、私とは違う生き方を重ねてきたのだと改めて気づかされる。

「それにしても暇そうだね」
「寺子屋とか村の役割が無いから。いつまでも客で居るのも気が引けるし、何かしたいけれど足が治らないと皆の迷惑になりそうだ」

 うん、うんと聞いていたてゐはびしっと私を指さしてきた。

「働かざる者食うべからず!」
「うん?」
「慧音! あんたこの場所に居るんだから少し位役に立つことしなさい」
「……そうだけれどあまり無理は出来ないし」
「それなら慧音でも出来る事をしてもらう」
「うん?」

 そのままてゐは縁側に寝そべった。

「ん」
「……なに?」
「揉むの。その手は使えるでしょ?」
「分かったよ」

 腰のくびれの真ん中に親指を当ててそっと力を込めていく。それをずらしながら固くなったところを探り当てていき、力を込めると「んん」と我慢するような声がてゐの身体から漏れ出す。

「てゐも忙しそうだね」
「うんいろいろと夏は忙しくて。細々とした事なんかでも疲れは溜まるわけで」
「へぇ」
「師匠も、少しだけ疲れているかもね。月の人でもやっぱり疲れるみたい。穢れが多くなるこの夏だとね。ねぇ。慧音」
「なんだ」
「師匠は箱庭を作りたがるところがあるから、助けてあげて。ああ見えて結構不器用なところあるんだ」

 てゐは話し続ける。私を押しのけるようにぴょんと立ち上がったてゐは小さくのびをした。

「それにもう一つ言っておくと、慧音先生」
「なんだ」

 声のトーンが下がる。

「あなたは何か思い出せないことがたくさんあるんじゃないかな?」



「何を言って……」
「それじゃあ、自分が足を滑らせてここに運び込まれたときの季節を覚えてる?」
「そんなの簡単だ、ふきのとうを取りに行ったのだから。未だ雪が残っていた頃で……」

 記憶が蘇り言葉に詰まる。私も妹紅も冬の装いをしながら草木の上に積もる雪に難儀しながら歩いていたことを思い出す。枝ばかりの木々の合間に吐く息は白かった。冬だ。
今は夏。一体どれだけこの場所に居たのか思い出す事が出来ない。そもそも記憶をたどろうとしてもどこかで行き詰まってしまう。私はどうやって過ごしていたんだ。足を挫いた程度なら半年もこの場所に居とどまる必要なんて無いはず……。ふっと地面が崩れるような気がして、恐かった。
私はいつからここにいる?

「まぁそれはさておき」

 てゐは庭を指さした。

「見てごらんあの塀。あんなものあってもなくてもみんな飛んでくるのにこんな風にしてきちんと囲っている。楽園を作ろうとしたんだろうねぇ」
「楽園ねぇ」
「楽園って言うのはもともと外から隔絶された場所の事をいうんだよ。だから私たちは楽園の内側にいる。楽園は外から入る者を拒む。そして内側から出る者を守るのよ」
「その通り。でもあんたがやってきたからね。人里からやってきたただのよわっちい半獣」
「最期は余計だ」
「それで、師匠は慧音の事で色々と考えたみたい。
「はい、はい。あ、そうだ今から多分師匠はまたやってくるからそのときまたお相手してあげて」

 そう、結局いろいろな考えが浮かんでくるけれどそれも永琳と出会ってしまえば春の雪のように溶けて消えてしまう。てゐが廊下の角に消えてしまった後に永琳が現れた。



「慧音」
 後ろから呼び止められた
「ごめんなさい」
「いいの」
「ちょっとお話ししましょう?」

 永琳は畳の上に座った。いつもよりも一オクターブ下がった苛立ちを抑えきれない声。だけどもう半分はあきらめたという投げやりなトーンだ。顔を見なくても表情は分かる。ちょっと泣いている。

「貴女はもう五回ほど記憶が消えているみたい」

 永琳はうつむく。

「器の話をしてくれたわね」
「ああ、した」
「あの話、実は何度か聞いているのよ」
「そう……だろうな。やっぱり、記憶消えているんだ。頭を打ったのが悪かったのかな」
「ええ、そうかもしれないわ」
「ねぇ、私はいずれ妹紅の事なんかも忘れていくんだろうか?」
「……それは、分からないわ」
「そう」
「薬の副作用かもしれないわ。貴女の症状は思ったより大変なの」

そうなんだと冷静に考えている自分に気がついたときふと悲しくなった。

「また夕餉にいらっしゃい」

 そう言い残して永琳は部屋から立ち去っていった。
多くの夢がそうであるように、私はその言葉を疑うこともなく考えはじめた。
きっと彼女は海の底よりも私の事を考えてくれているんだ。愚かな私には分からない何らかの理由で。



 夕闇が迫る空は濃い群青色に染まり、空の端の方で遠慮がちに空に浮かぶ雲が夕日の光でオレンジ色に染まった。日陰の木々は緑色の光を照り返すのをやめて枝葉の影から藍色の夜がしみ出している。どこに私は生きていくべきなんだろう。
こんなこと、夢だったらいいのに。
これは夢なんじゃないか。ただ一度瞬きをすればあの茅葺きの家で目が醒めるんじゃないか。
目覚まし代わりの鶏が鳴いてくれたら、あるいは誰かが揺すってくれたら起き抜けの欠伸を噛み殺すようにこんな悪夢は終わるのかもしれない。
夢が終われば私の家にあった色々なものが迎えてくれる。そうに違いない。
大事にしていた本、幾つもの飾りを付けた写真、庭に咲いた椿の花。それから――。私が住んでいた家はどんな家だったっけ。いつしか私が以前送っていた生活の記憶の端々は薄らいで、どんな生活を送っていたのかという記憶は砂が指の隙間からこぼれ落ちるように流れ出ていた。悲しい話だけれど記憶が無くなっていくと現実感が失われていく。すぅっと足下が消えていったような感覚に襲われる。
ひょっとすると私が住んでいたあの暮らしが夢だったのかもしれない。私はずっとこの場所に居たのかもしれない。
そんな寝ても起きても夢の中にあるような感覚は、身体に纏わり付いて呼吸すら苦しく感じてきた。



 夕餉を終えて、湯浴みをすることにした。木製の桶に手ぬぐいと香油を入れて廊下を歩いて行く。廊下を曲がり、薄暗い風呂の中で自分の服に手を掛けて一枚一枚と脱いでいく。下着まで脱ぎ終えたところで着替えようとしていると外で誰かが話している声がした。穏やかではなく言葉の間の取り方からして言い争いをしていることは明らかだった。

「永琳、慧音の様子はどう?」
「言ったとおりよ、満足かしら?」
「……わからない」
「あきれた、あのとき担ぎ込んできて死にかけの慧音の為だとか言って不死の薬を頼んだのは誰かしら?」
「その……」
「あなたは馬鹿ね、慧音にあんな薬を飲ませておいていざとなったら逃げるつもり」
「一緒に過ごしたかったんだ、だから、慧音が不死の存在になったことを私は嬉しく思っている」

 大きなため息を最期に会話は途切れた。でも足音がしないのはきっと二人がにらみ合っているだろう。妹紅が私の事を不死にした事がほんとうだとしても別に悲しくは無かった。むしろ当然だと思えた、こんな人の理に反することがそれほど彼女達の中で大切にされているはずがないから。

「あの子、きっと貴女の事を嫌うわよ?」
「別に良い、でもその分永琳を慕っているだろうから……頼む」
「それで、私があの子と一生連れあって行くとでも言うと思ったのかしら? 
馬鹿ね。そんな事言うはずがないでしょう? ねぇあなたは許されたいだけなんでしょう? あの子がいつの日か『ねぇ妹紅。悪かったわ。一緒に過ごそう』ってあなたに言ってくれてそこでハッピーエンドがくるとでも思っていたの? あなたはいずれあの子の怒りが収まるとでも思っている」
「そんな……」
「私はそういうの嫌だからやめたほうがいいって言ったのよ」

 永琳の口調は厳しい。

「溺れている子犬を助けたつもりでいるのね。おめでたい話だわ。
『愛があれば、命があれば、健康があれば、夢があれば、時間があれば……』
そんな風にあなたは望んでいるんでしょう? それはただの我が儘よ」




 私は風呂に入っている。右手を洗えば綺麗になった感覚がするし、髪も少し伸びているようだし、それに足は相変わらず調子が戻らない。
 器、人としての器が壊れるということは何を注いでも流れ出すということだろうし、器の容量は限りなくゼロに近くなる。
そっか。私は今までの自分じゃないんだ。そう気がついてから視界がにじんで顔を覆った。
涙は止まらない。湯船にぐっと身体を沈み込ませると縁からざぁざぁとお湯が流れ出す。器から何かがあふれ出す事がとても悲しい。




 湯浴みの後、永琳に呼び出された。廊下を渡って奥の方の部屋だとてゐは案内してくれた。庭先には枯れた朝顔が咲いていて、その周りを蜻蛉が舞っていた。
部屋の前に立って考える。これから何かの弁明が始まるのかもしれない。それに彼女がどういう考えなのかを真面目に話してくれるのかもしれない。悪い考えを断ち切るように障子に手を掛けた。

「入るよ、永琳」
「うん」

永琳は襦袢だけの姿になって布団の上に座っていた。予想は外れてこれから少しばかり間違いが起きそうだった。

「あなたの小さな夢、その夢ごと貴女を壊してあげたいわ」

 どうして彼女は私の事をこんなに考えてくれるのだろう。

「壊されるなら永琳に優しく壊して欲しい」

何もかもが間違っている中で何か正しさを探している自分がひどく滑稽で思わず笑いが出た。もちろん永琳は怪訝な顔でこちらを見る。透き通った瞳は外と同じ藍色。私がその中に溶けてしまえば少しは永琳のことが分かるのだろうか。
「なぁに?」
「何でもない」
「こそばゆかった?」
「気持ちよかった」
「うん、ん、ああむ」

そんな中で必死に声を抑えて情欲の波に身体を任せる。背中の布団は湿っていて、あちこちに考えられうる限りの多様な体液がしみこんでいた。

「汗で滑る身体はいつもよりも重く感じる」

 言い終わらないうちに静かに頭を叩かれて、肩に噛みつかれた。その上肉を軽く歯で締め付けながら相手は笑っている。この状況における相手の気持ちついて正しい答えを考えよ。
私を拒否している。それは身体の一番深いところが繋がっていることで成り立たなくなる。
私を求めている。それは相手に牙を突き立てる獣ならば成り立つかも。しかしながらあいにく相手はばかげた知能を持った宇宙人だから成り立たない。
私を……食べてしまいたい。事が始まる前なら正解。でも今はもう食べ終えたあと。
答えを出したところでどうなるものでもないし、発散する思考はきっと身体の奥から押し寄せる波のせい。身体が冷えるにつれて引き潮のように薄れていくそれが名残惜しい。

「ねぇ、足舐めてよ」

 馬鹿!と一言で拒否したい気持ちと、好きな人になら何だってしてあげたくなる心が押し合いへし合いしながらも顔はもうすでに永琳の足下へと向かっている。何しちゃってるんだろうね。こんな事普通ならしないのに。冒険をしてみるべき時が来たのかもしれないかなと思うこともできる。夜闇の合間から月が出てきて辛うじて永琳の肢体が輝いた。
 でもこんなレッスンに付き合ってしまうほどには彼女の事を信頼している、。
私の方を見つめている永琳は無邪気としか形容できない笑みを浮かべながら足をそっと浮かしてくれた。すらりと伸びた足は白くて繊細な陶磁器のようだけれど、皮膚の下ではバネのきいた筋肉が僅かに躍動していた。完璧としか言いようのない足。
「あなたのことなら何でも知っているわ」
「何を言ってる……」
「あなたはまだ生娘で――あなたは右胸にほくろがあるそれも三つ並んでるわ」
「ムムッ」
 
 そう、昔鏡でみた事があるけれど、確かにある。でも長い永遠亭での暮らしの中で触診を受ける事なんて私が覚えていないだけであるのかもしれない。

「それにお尻にも一つ」
「そ、そんなの私だって知らない」
「それに、あなたは私の足を舐めるのが好き。違うかしら」

私と永琳の関係は考えてみるとずいぶん不自然で偏っている気がしてしまう。
私が知っている彼女のことはほんの僅かなことだけ。綺麗で、背が高くて、薬を扱っている。
そしてとても頭が良い。名前は八意永琳。でもそれは本当の名前じゃない。
蓬莱山輝夜とともに住んでいて時折妹紅との戦いでその姿を見かける。近寄りがたいけれど竹の合間から妹紅達の姿を見ている私をめざとく見つけては硬直する私にあれこれと話を聞かせてくれる。異変を起こしたらしいという噂こそ耳に入るけれど誰も確かなことは知らない。

 要するに何も分からない。お互いに興味が無い。相手が蜃気楼だとしても何とも言えない。
 セックスをするのはそういうお互いに興味が無い分気兼ねなくできるからかもしれない。
必要なものは相手だけ。いけないことだと分かっていても知らない誰かとの交わりが日々の粘つく人間関係を洗ってくれるような気がするのも確かなことで。
 石けんのように「正しさ」をすり減らしながら私たちは綺麗になると、月明かりが差し込む欄間を見ながら考えた。
何も知らない誰かさんに身体を洗ってもらうのも、なんだか悪くないような気がしてくる。相手は私の嫌なところを上手に避けてくれることは間違いようがないし。
だから私は何も知らなくて良い。知ってしまえば終わってしまうような気がするから。
何も考えたくない。考える分美味しい時間が早く過ぎることは間違いないから。


 
「足って気持ちいいの?」
「さぁ?」
「分からんなぁ」
「うん」

 舌を指先に這わせ、それから順番に足の指を銜え込んでいく。
柔肌に吸い付いてほんの少しの間だけ私が居た痕跡を残していく。数秒後に記憶を無くしたとしても私がいたことを振り返れるように。

「ん、あっ、あんっ」

 口内に唾液を溜めてじゅるる、とわざとらしく音を立ててみるとみるみる顔が赤らんでいく。
なんだかかわいい。舌先を足の甲、それからふくらはぎへと移していく。

「慧音、かわいい。上手」
「ん、そう」
 
 嬉しかったりする。なんだかまぁうんそれは正しい事なんかじゃないんだけれど。
膝の裏から太股の外側まで舌で愛撫する。

「永琳、優しいな」
「どういたしまして」

 願わくばこの思い出が消えませんように。

 



「私は里で暮らす、山伏になるつもりはないから」
「苦しいわよ、何も無い場所に行けば誰だって悟りが開けるのに、そんな穢れた場所でまともになれるはずがない」
「うん」
「あなたの家ももう崩れかかってるわよ、誰も住まないから去年の台風で水に浸かって締まったらしくて」
「うん」
「どこかで借りるよ」
「仕事は?」
「さぁとりあえず稗田の家に行ってみる」
「ねぇ慧音」
「何?」
「また来てね。良いときも、悪いときも」
「うん」



 山の陰になっているから朝方の寒さがあたりに漂っている。虫の音が僅かに聞こえてきて季節は秋になろうとしていることが分かる。遠くでオオカミが吠える声が聞こえて一瞬身構えたけれど今の私は噛まれても大丈夫なんだろう。噛まれたいと思わないけれど。
 そうこの迷いの竹林を抜ければ私は人里の外れの水田に出る。しかしながらこの竹林を出る事が出来るかというと、あまり自信がない。

「慧音、案内するよ」

 伏し目がちな妹紅がいつの間にか後ろに立っていた。

「……人里まで」
「うん」

それから私たちは歩き始めた。

「慧音、私は慧音が死んでしまうのが怖かった。今まで沢山の別れを目にしてきて、私はどうしようも無く悲しかった。だから、慧音だけは生きていて欲しかった」
「お前は器の中に入れた水が消えるのが名残惜しかったんだな。だから私の人間としての器を割った」
「……」
「お前も器の割れた寂しい奴だったんだな。もう二度と私の前に姿を現すんじゃない、この壊れ物め!!」



 前に住んでいた家に戻る。小さいながらも綺麗だった住まいは蔦に絡まれ、雨が入り込んでいたのか畳は腐っていた。もちろん書物のたぐいもだめだった。あちこちに蜘蛛の巣が張られている。土間に転がった鍋を蹴り飛ばして火打ち石を探し出した。幸いなことに藁が残っていてそれから行灯の油は残っていた。
それを畳の上に全て撒いた後、火打ち石で火を付けた。
あっという間に火がついて私の住まいは燃えはじめる。それを庭から見ていた。
真っ赤な炎のうねりが掠めた場所から全てが燃え上がり形を崩して消え去っていく。
軒先が燃え始める、家の中で何かが爆ぜる音がする。障子窓はとうの昔に燃え尽きてその枠だけが残っている。真っ赤な炎が紙切れを舞い上がらせる。木の板が苦しげな音を立てて折れる。家の中の瓶が割れる。
炎の低いとどろきがはっきりと聞こえるようになる。
藁葺きの屋根に火がつくと家が燃え上がりのたうち回る龍に包まれる。
龍は全てを食べてしまったあと大きく木をきしませると燃え上がり天に昇っていった。
そして家はどすんと屋根から崩れ落ちた。



 それから人里に入ろうとしたけれど、すれ違った何人が私を化け物でも見るような視線で見つめてくる。やっぱり人里に踏み込むことが恐くて竹林まで戻っていた。



 足下の影すら消してしまうような強い日差しのせいで、道ばたの草々は豊かな色合いを光の中に失いつつある。その中を延々と歩く夢だ。暑さのせいで足取りは進まず、頭はくらくらしてくるし、風も吹かないから肌から流れ出す汗はとどまることを知らない。喉はもう何年も水を飲んでいないかと思えるほど乾いている。そんな中で手だって昨日のように動く、足だって十分に踏ん張ってくれる、木々の葉がこすれる音だって聞こえる。道だって分かる。思い出もすぐに取り出すことができる。
私は竹林と人里が入り交じるあたりに立った。
そのとき南中に浮かんだ太陽が足下の影を消して、私はその影が戻ってくるのか不安になった。
人としての器を越えたとき。妖怪としての器を越えたとき。
多分自分が自分でなくなってしまうだろうという時。
もう私は亡霊となりはじめているんだろう。人里に幻が出たと退治されるかもしれない。
痛いのは嫌だな。怒った霊夢とも対峙したくない。
亡霊は、陽射しの中で消えるのだろうか。そうであれば幾分か慰められるだろうに。
ここまでお読みいただきありがとうございます。
後味悪いのですがついつい。
SYSTEMA
http://twitter.com/integer_
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
素敵な文体、いつも楽しみにしています。今回のお話はもう少し読みたかったかな……作者さんの中には行間がきっとたくさんあるのでしょうね