真・東方夜伽話

ジレンマ

2017/06/21 20:11:27
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ジレンマ

あか

ついかっとなって

 生きていく中で、一番の思い出というものは、当然の如く、新しい思い出ができたときに更新されうる。今までの人生で一番美味しかった料理が、何年か後でまた更新され、そしてまた更新されていく様に。思い出は様々だ。楽しい思い出、嬉しい思い出。悲しい思い出に辛い思い出。おおよそ、感情を表す形容詞や動詞の数だけ、思い出は分類することができる。

「大丈夫、ですか?」

 また、思い出はさらに、時間や人によって区切りをつけることもできる。幼少の頃の思い出に初恋の頃の思い出。この人との思い出にあの人との思い出という様に。もしも具体的な例を挙げるとするならば、本日の来客が来る前の時間から遡って1週間の間、河城にとりにとって一番の嬉しかった思い出は、新しく飲みに立ち寄ったお店の胡瓜が、旬を過ぎたものなのに非常にみずみずしく美味しかったことであり、一番痛かった思い出は箪笥の角に小指を襲われたことである。
 営業時間と値段感、お店の場所は手帳へと記し、箪笥の角は削り取り、手作りのゴムカバーを張り付けて対処することで、彼女はその思い出を一つの形として残していた。普段より物作りを楽しみ生業ともしている彼女にとって、記録と作品は主要な思い出の形であり、とりわけ、プロトタイプから完成品について撮影しクリップした彼女のアルバムは、その集大成とも言えた。

「あの……河城さん?」

 今の時刻から遡ること、およそ十分前。彼女の家には来客があった。普段から訪れる者は少なく、ただ訪れるだけでも珍しいのであるが、
本日訪れたその客に至っては近辺の住民ですらなく、歩いて向かうには非常に遠い竹林に住む薬師であった。作業の為にやや厚底のゴム長靴を履いていた彼女であったが、すらりとドアの前に立つその薬師に、久しぶりに彼女は顔を見上げることとなった。
 にとりは来客を居間へと通し、お茶を振舞った。元来、二足歩行しているものに対しては熊以外には友好的な彼女である。が、珍しいその来客のお陰で感覚や思考は大部分麻痺させられており、自身の湯呑へ口を近づけて初めて、手の油汚れが拭いきれていなかったことに気づいた。後の祭りではあったのだが、幸いにも、薬師はにとりの驚きを察しており、あまり気に留めては居なかった。
 今の時刻から遡ること、およそ五分前。河城にとりは尋ねた。今日はどんな用事でやって来たのか、と。にとりの焦りを薬師が察してくれていたのと同じ様に、にとりは薬師が何を目的として訪ねてきたのかは何となく分かっていた。それは何かの開発、もしくは修理である。尋ねてきたのが近隣住民であったのであれば、騒音や臭いが原因のクレームの可能性もあったが、彼女はそうではない。

「あ、あぁ。ごめん。聞き間違いしたかも。もっかい、教えて貰って良いかな」

 そして今――もとい、五分前から今に至るまでの間。にとりの思考はほぼ停止していた。頭から体へ対して唯一行われた命令は、深呼吸をして落ち着け、というただそれだけである。唇に僅かに残ったお茶が乾いてしまうほどの深呼吸の後、止まった思考を何とか働かせ、思考を止める原因となった薬師の言葉をもう一度催促した。河城にとりは、自身の聴覚に不具合が起きていることに賭けたのだ。

「ディルドを作って頂きたいのです」

薬師の言葉を聞き、頭の中でゆっくりと繰り返す。にとりの口から思わずため息が零れ出た。聞き間違いでは、無さそうなのである。
 ディルド。その言葉が指すものをにとりは一応知っていた。所持こそしていないものの、何のための道具なのかは過去に友人から聞いていたのだ。ただ、ひょっとしたら自身の知らない、偶然にも名前が一致する別の物かもしれないと、強い強い期待を込めつつ薬師に尋ねた。

「八意さん。あの、ディルドって?」
「主に男性器の形をしてて、膣等に挿入するあれです」

やっぱり、あれのことなんだ。と、心の中で呟きながら改めて深呼吸した。淹れたお茶の柔らかな香りが鼻と肺をゆっくりと満たしたが、吐き出したと同時に頭の中に大きくディルドのゴシックな文字が浮かぶ。頭を抱え、思わず漏れたうめき声に、薬師は苦笑いをしつつお茶で濁していた。
 にとりの頭の中には、小さな三人の住人が大体いる。それぞれ、能天気のにとり、職人のにとり、そして女の子のにとりである。大体と述べたのは、内一人――能天気は普段席についていない。本体のにとりが腰を落ち着けている時にだけ、頭の中にある円卓の自席に座ってじっと残りの二人を眺め、宥めるのである。が、そんな三人体制の頭の中も今は大混乱していた。女の子は羞恥で辺りを走り回り、職人は物が何だとしても傑作を作りたいと既に素材を考え始め、能天気は――ただ、この場から逃げたいと願っていた。

「無理、でしょうか」
「う、うーん。理由って聞いちゃ駄目かな?」
「……貴女の腕が良いのは皆様ご存知かと」

職人がグッと握りこぶしを掲げ、能天気をつま先で突く。それを女の子が突き飛ばし、能天気はなけなしの知性で切り抜ける方法を何とか考えようとしていた。勿論、単純にただ断ってしまえば、逃げることができるのは頭の中の三人共々判っている。だが、皆が欲したものを作り、提供してきた誇りが彼女にはあり、目の前の相手が本当に欲して言っているのか、気まぐれで言っているのかを判別する勘には、一切疑わず顧みない程の自信を彼女は持っていた。技術的に自分では不可能であるとか、倫理的に問題が発生するとか。断るとすればそれだ。恥ずかしいから断るとうのは、絶対にあってはならない。してしまえばそれは人生で残り続ける汚点であるとすら考えていた。

「……分かった。お話、聞かせて貰っていいかな。どういうのを作れば良いんだい?」

 結局、にとりは諦めた。技術的、倫理的にも問題があるとは思えない。倫理的な部分については丁寧なお願いを断る方が問題だと思う位である。頭の中の井戸端会議にとりあえずの収拾をつけ、新しいお茶を湯呑へと注ぐ。にとりの言葉に薬師はホッとした様で、目に見えて肩の位置が落ち、宴会の時に遠目に見ていた、穏やかな顔になった。

「良かった。まだ、詳細は考えついていないんだけど、今後技術的に可能かどうかお尋ねしながら決めさせて頂いても良いですか?」
「うん。構わないよ。ただ……」
「お金については、にとりさんの必要な額を教えて頂ければ。あくまで私のお財布の限りはありますが、都度お支払い致します」
「助かるよ。それじゃあ今後ともどうぞよろしく。八意さん」
「永琳で大丈夫ですよ。皆さま、そう呼ばれてますので。それでは、本日はこれで」

深く頭を下げた薬師、永琳。釣られてにとりも頭を下げたが、先に頭を上げてしまったことに僅かな罪悪感を覚え、固まっていた表情を何とか崩して微笑んだ。玄関まで見送れば、永琳は思い出した様に振り返り、ポケットから小さな袋を探し当ててにとりへと差し出した。永遠亭で薬を処方された時に渡される紙袋である。中身は軽く、押せば固い手触りがあった。

「これは?」
「今日のお礼と……まぁ、参考資料です」

その言葉に疑問を抱きながらも、そのまま去っていった永琳をにとりは見送り――ドアを閉じた。長いため息を吐く。思わず玄関マットにへたり込み、固いフローリングの床へと転がった。季節は秋。まだ暴力的な冷たさは無かったが、冷や汗のせいもあってか背中は勢いよく冷え、思わず身震いした。頭の中の住人も疲れ果て、もはや誰も喋ろうとも動こうともしない。

「とんでもないことになっちゃった」

と。全員がそれだけを考えていた。

 永琳が来るまで行っていた作業を片付けなければ、と。そう思ってにとりが体を起こした頃には既に日は傾きかけており、外でカラスが五月蠅く鳴いていた。普段の生活であれば今頃はもう夕食の準備をしている所なのだが、器用なにとりであっても分身はできない。食事を作る機械は発明済みであるが――それは昨日も食べたから、同じものを連日食べる気はしなかった。
 結局、片付けが終わって家を出たときには既に夜になっていた。不幸にも夜は更け、遠目に覗いた里の方はもう灯りが少ない。例え普段は盟友と親しげに呼ぶ相手だったとしても、元来彼らに嫌われる存在であることは重々承知しており、こんな時間に訪れるのは忍びなく――向かったのは、空。山を離れ、雲が近づいてきたところで振り返り、見渡した。すると、ぽつんと、里からも山からも離れた所に一つ、灯りが見えた。

「あぁいらっしゃい」
「ミスティア、まだ大丈夫?」

それはにとりの行きつけのお店の一つであった。場所があまり定まっていないため、毎度探す必要はあるものの、それでも人気のあるお店だ。のれんを潜れば、独り居た女将さんが僅かに燃える火元の傍で暖を取っていた。ちらりと乾ききっていない食器も近くに見え――どうやら、他の客は既に帰った後の様である。

「うん。まだ大丈夫よ」
「良かった。あったまるの頂戴」
「はーい。とりあえず熱燗でも飲む?」
「そうする」

女将、ミスティアとにとりは互助関係にある。季節外の食材の栽培や飼育ににとりが絡んでおり、それが彼女に提供されているからである。彼女の方からは、無償の食事を見返りに頂いていた。素早く効率的に作り、そして食べるのが普段の食生活であるにとりにとって、ここは数少ない時間をかけたものが食べられる場所であり、心を休められる場であった。

「この間研いで貰った包丁だけど、もう凄い快適」
「そりゃ良かった。怪我しないようにね」
「トマトを支えずに横撫でで切れたの初めてよ。今度他のもお願いしていい?」
「うん。おろし金とかじゃなきゃ楽だからね」

差し出された熱燗を一息に飲み込むと、随分長い間物の入っていなかった胃がきゅっと縮み、ぶるりと体が震えた。お腹に何か入れてからじゃないと体に良くないと友人は言い、にとり自身も分かってはいるのだが――一日の終わりを実感できるその感覚が、たまらなく好きなのだ。これに合わせて好物である胡瓜のお漬物等が出れば、その日何があろうと吉日だと思えてしまう程である。しかし、残念ながら、この屋台でそれが並ぶのは非常に珍しい。漬物自体はお口直し用に用意こそされているが、大根や白菜などが中心であったからだ。ただ、にとりの好物が何であるのか女将は理解しており、もしも持参しているのであれば残りの量に関わらず必ず出してくれた。
 ちびりちびりと飲み進めている内に、串と煮物が並ぶ。わざとらしさすら感じる程に漂う串の甘い香りのお陰で、煮物の匂いはほとんど上書きされてしまうのだが、閉店近くに味わえる煮物は良く浸かっていて、いつも美味しかった。この屋台の一番の主役であるヤツメウナギが無くなるのを見たことは無いが、煮物はたまに売り切れになっていることもある位だ。
 料理の準備がひと段落したミスティアが、振り返って女将専用の小さな椅子へと腰を下ろしながら、尋ねた。

「今日は何か疲れる様なことでもあったの?」
「うーん。お仕事の依頼が一件」
「凄く難しい要求だったの?」
「まだ、分かんないかな。詳細はまた今度ってことになって。私にとってもあんまり知識のないものだったからね」

ミスティアは、ただ何度かゆっくり頷くと、微笑んだ。彼女は自身のことをあまり頭が良くない等と冗談で漏らすことはあったが、勘については人一倍鋭く、踏み込んでほしい話題か、それとも踏み込まれたくない話題なのか。いつも程よい所で見切りをつけていた。出される料理の味は勿論の事、その話し易さもこの屋台が繁盛する一つの要因なのだろうと、にとりは常々思っていた。にとりも頷き、そしてお酒を呷る。

「無事に作れそう?」
「さあ。でも、たぶん言われなきゃこれから先も挑戦しなかったことだから」

それだけは、この日の中の一番の収穫だった。

 食事を済ませ自宅へと戻る。愛用のブーツを片付け顔をあげれば、靴箱の上に一つの袋があった。永琳から貰った薬袋である。手に取って袋を開ければ、錠剤が入った少し固い薬包紙が2つ、そして手紙が入っていた。袋を唇で食んで手を洗い、昼に客を通した居間へと戻る。仕事は片付けたが、この部屋は薬師が出て行ったときのまま。ちゃぶ台の上には2つ湯呑が残っており、すっかり冷えたお茶が一杯分だけ急須の中に忘れ去られて残ってた。

「達筆だぁ」

手紙を開いてにとりが呟く。寸法を読み違えたり材料を取り違えたりすることが致命的なことに繋がる彼女にとって、それは苦手な物の一つである。何より――自分の日記でやろうと思っても真似できない所が、余計にその気持ちを強くしていた。座布団へ腰を落ち着け、酒のお陰で揺れる文字を追いながら、一文一文、読み進めていく――

にとりさんへ
突然の訪問であるにも関わらず、ご対応頂き有難うございました。
兼ねてからの私の悩みに関わることで、内容のために身近な者にも相談できずに居たのです。
引き受けて頂けたこと、厚くお礼申し上げます。今後とも、どうぞよろしくお願いいたします。
また、袋に同封致しました薬につきましては、どちらも飲み薬でございます。
丸薬となっているのは夢見を良くする一週間分の胡蝶夢丸です。
もう片方、一錠のみ包んでいるものは今後の参考資料です。宜しければお試し下さい。
永琳

――どうやら、引き受ける前提で書かれていたものだったらしい。改めて袋の中を確認してみれば、手紙の通り、七つの丸薬が包まれた袋と一つの錠剤が包まれた袋の二つが入っていた。名前の出ていた薬については、にとりも里で薬売りの優曇華に話を聞いて知っていた。買ったことは無かったが、その薬の評判自体は山の他の住人から聞いており、興味は持っていた。問題は――参考資料とだけ書かれた薬の方である。帰り際に永琳も口で言っていたことであるが、結局具体的な作用は分からないままであった。唯一、ディルドに関係があるということだけが分かっている。
 飲めば参考資料となり、ディルドに関係のあるもの。酔っぱらった頭であっても、にとりには想像がついた。要は男性器が生えるのだ、と。思わずため息が零れた。永琳は果たしてどこまで拘るのだろうか。男性器をまじまじと見たことのない私に、ディテールの凝った物を作らせるのであれば、この薬は飲まなければならない。もしも拒んで――他の実物を見せつけられる機会を作られてしまったら、心の傷にすらなりかねない。
 一晩中悩み続けたが、結局にとりは飲み込む勇気が湧かなかった。



~~



 永琳との初めての打合せは、約束を交わした日から約一週間後であった。天気は晴れ。空高く馬肥ゆる秋。清々しい程の青空である。午前中に干した洗濯物は、昼過ぎにやってきた永琳が居間に上がる頃にはすっかり乾いて風に舞っていた。

「……大丈夫ですか?」
「うん。ダイジョウブ」

永琳とちゃぶ台を囲んで、真ん中に一粒だけ入った薬包紙を置いた。永琳から貰った薬である。胡蝶夢丸は既に飲み切ったが、残りの一つは未だに手つかずであった。

「この薬の作用、ちゃんと聞きたいんだけど」
「はい。こちらは女性でも男性器が生えるお薬で、主に性交渉の幅を広げる為の製品です。射精もできますが、妊娠はできません。効果時間は人によって差がありますが、概ね六時間です。里では販売させておりませんが、永遠亭に来られた方にはお譲りしております」

にとりがこの一週間の間、何とか絞り出し、ため続けた勇気で尋ねた言葉であったが、永琳はあっけらかんと答えてしまって。予想がやはり当たっていたことに嘆いた。お客の前なので、微笑みは崩さなかったが。

「お渡しした時にちゃんと説明するべきでした。申し訳ありません」
「んや、予想はできてたんだ。でも薬は薬だからさ、分からないまま使うのはどうかなって」
「それが正しいです」

永琳が頷く。それから持ってきていたバッグを引き寄せると、一つの大きな筒型の箱を取り出した。巻物や証書を保管する容器に似ている。太さは拳一つ分、長さは少し大きな胡瓜一本分位である。それをちゃぶ台の上の薬の横に置くと、じっとにとりを見つめた。

「にとりさんは、見たことありますか」
「男性器ですか」
「はい。……薬を飲んでもらうのが一番分かるかと思うのですが、本来薬を必要としない方が飲むのには勇気が要るのは承知しております。なので、模型を作って参りました。紙粘土製ではありますが。……これを見るのは大丈夫そうですか?」

良かった、実物じゃなくて。と、ホッとしつつにとりが頷き、永琳がゆっくりと箱を開けた。密封性が高いのか、筒を開けた瞬間小気味良い音が響いた。中から取り出されたのは……白い塊であるが、棒である。実物を見たことがないにとりであっても『これは間違いなく男性器の模型だ』と言ってしまいそうな程、丁寧に作られていた。差し出されたので持ってみたが、皮膚の皺や、その下に本来はあるはずの血管による隆起などが細かく表現されている。急速に乾燥でもさせたのか、ひび割れている部分も端の方に僅かにあるが。

「なんか随分とハッキリしてますね」
「……そう仰られると、少々恥ずかしいのですが。人によって勿論差異はありますが、実物大です」

ごくり、とにとりが唾を飲み込んだ。……実物大。本当にこの大きさの物が膣に入るのだろうか。もし入れようとしたら、皮膚が裂けるのではないか――そんな不安が、頭の中に渦巻く。しかし目の前の薬師がそう言うのだから、にとりにはそう信じる他無かった。

「これで大よその外観はお分かりになられたと思います。……あ、それ差し上げますので今後のご参考に」
「うん。できれば筒ごと頂いて良いかな」
「勿論です。このままだとぽろぽろ崩れちゃいますし」

もし将棋を指しにきた椛に万が一見られでもしたら、二度と相手をして貰えないことまで覚悟しなければならない。いや、椛ならまだマシかもしれない。もしも文だったら――考えたくもない。思わず身震いした。
 改めて形を確認していると、ふと永琳が手を打った。

「本日の目標を決めてしまいましょう」
「そうだね」
「何が決まってるとにとりさんは嬉しいですか?」

形は、これ以上ない模型がある。これを超えようと思ったらやはりあの薬を飲まざるをえない。この紙粘土の模型で分からないことは何だろうか。そう考え一番先ににとりの頭の中に浮かんだのは、

「まず一番は素材だね。次に機能かな。その二つは今日聞いておけばこちらでも検討ができそうだから」
「素材……硬さや手触りですね」

経験豊富な彼女の友人は何と例えていただろうか。確か――強力なバネが入ったちくわ。膝の皿を押したときと同じくらいの弾力、と、そう言っていた。狭い肉をかき分けていくのだから、柔らかすぎる素材は表面には向かない。洗えないのも困る。衛生を保てない物は論外である。ある程度加工や成型が容易でないとモック作成と検討に費用がかかってしまう。金属は本体に傷がついた場合、使用者を怪我させる恐れもある。

「うん。表面の素材はシリコンを今考えてる」
「サンプル、あります?」
「ああ。持ってくるよ」

自室へと戻ったにとり。シリコンはさらりとした触感であるため、手に持ったり手が触れたりする製品によく要望がある。永琳に見せるのに手頃な物はないか――そう思って彼女が拾い上げたのは、新聞記者、文のペン用グリップであった。普段使っていたゴムのグリップは、日に焼けてしまいボロボロになってしまったそうである。忙しいとのことでまだ文は引き取りに来ていないが、今ここで少々ぷにぷにした所で破損する物ではない。

「こんな感じの手触り」
「……なるほど。では、これでお願いします」

二つ返事で了承してくれた永琳。成型が楽な素材で済んで肩を下ろしたにとり。

「んじゃ次は機能ね。どんなことが叶ったら嬉しいのかな」
「そうですね……」

普段からディルドを使っていれば、ここで何か提案もできたものだが、生憎そういう趣味をにとりは持っていない。自慰行為自体はするものの――そもそも使うのは手で、膣に指を突っ込んでかき回すような習慣も無かった。そもそも、生の男性器も生のディルドも見たことが無いのである。彼女が他に伝え聞いていた大人の玩具は、振動モータを利用したマッサージ機、ローターと呼ばれるもの。やはりこちらも、現物を見たことが無い。

「他の道具だと、ぶるぶる振動するようなのとかあるって聞いたけど」
「うーん。夜中に振動音が響いてたら、身内の者が不審に思いそうです」
「確かにねぇ」

 にとりも、永琳も。中々案が出なかった。永琳が既にディルドを持っており、普段から使っているのであれば、使用の際の手間や不便さを聞けば糸口が見つかったのだが、それを真っ直ぐ尋ねる勇気はない。返し刀で自分の性事情を話さなければならなくなるのは特に避けたかった。しかし、案が出ない所から見るに、恐らく持ってはいない。

「じゃあ、ちょっと恥ずかしいけど、実際の利用を考えてみよう」
「と、言いますと?」
「使うってなると実際には準備して、使って、片付けがあると思うのね。料理で言う所のレシピみたいな感じで。あれを材料を買う所から始めて、後片付けのゴミ出しをするところまで考える感じかな」

永琳が頷く。本当は、ちょっとどころか凄く恥ずかしい。できる限り丁寧に追う必要があるからだ。永琳はもっと恥ずかしいだろう。自分が主人公の官能小説を朗読させられるようなものである。

「まずは時間だね。さっき聞いた感じだと、夜中に使うってことで良いんだよね」

永遠亭には過去に訪れたことがある。木造の家屋で間仕切りは障子や襖、ドアではない。奥まった部分に寝室はあるのだろうが、これからの季節は隙間風が差し込みそうだ。寝室はどれくらいの大きさだろう。和室だから案外私の部屋と大差ないのかもしれない。広い部屋にちょこんと布団って、かえって落ち着かないだろう。先ほどの口ぶりだと誰かと同衾している様子もない。

「はい。皆が寝てる時間に利用する予定です。お手洗いとか全部済ませた後に自分の寝室で」

道具を使うとなると、身に纏っているものは一部なり脱ぐ必要がるだろう。ショーツ派かドロワーズ派か……寝ているときだ。無いことも考えられる。もしも急に誰かが部屋に入って来たとなればディルドを隠す必要があるが、隠せる場所は掛け布団の下のみだ。敷布団の下は、隠すところを見られてしまう可能性がある。流石に寝ている人の布団を引き剥ぐ真似は誰もしないだろうが、寝坊したところをやられる可能性は零ではないだろう。

「続けて貰っていい?」
「はい。……あの、話せる部分で、良いのですよね?」
「勿論。ただ、手順とかは飛ばしたりしないで欲しいかな」

永琳の耳が赤く染まる。顔ではなく初めに耳に気持ちが出る様だ。銀色の髪に隠れてはいるが、赤色が差すと良く分かる。

「私、あんまり濡れる方じゃないので、恐らく潤滑油を使用すると思います。容れ物から製品を出したらそれを塗って、服を脱いで、お布団に入って。……その、普段の自慰をした後で、製品を挿入することになるかと」

にとりが頷く。潤滑油の使用は想定していた。そもそもにとり自身、膣に先ほどの模型がするりと入るイメージが持てなかったのだ。あっても入るかどうかという位である。気を付けておくこととしては、油が製品全体に塗られたとしても作りとして問題が無い事。凝った着色を表面に施す予定は今の所は無かったが、油が原因で表出することは避けなければならない。

「挿入するときってさ。手で持って使うのかな。どうにか固定して使うのかな」
「え、えっと。そうですね。手で持って使う気で居ました。でも、床に固定して上に乗って使えるとかであれば、面白いかもしれないです」

となると、棒状の部分の根本に持ち手になる部分が必要となる。手持ちでも固定でもいけるように、その部分は取り外し可能にして、固定用の器具を別途用意すれば良いだろう。固定は……今の話だとお布団の上だろう。安定性を保つには……三脚型にしよう。台や箱型では普段邪魔だし、隠すのも難しくなる。枕の形をさせるのも手だが、独りで寝るのに枕が二つあるのはおかしいし、かといってそれに頭を載せて後で寝るのも考えにくい。

「続けてください」
「その。満足した後は恐らく、一旦隠してそのまま寝るかと思います。洗浄は朝に。それで、乾燥後に容器に戻して終わりでしょうか」
「今の所、隠す場所の案ってあるのかな」
「枕から少し離れたところに行燈を置いて利用してるのですが、そこに隠すことになると思います。寝る時ですので布団に入る前に火は消しておりますし、朝になってもつけることはありません。火を入れるタイミングも夜しかないので、寝ている間に誰かが開けることもないでしょう」

それならば、残った熱で変形することもなさそうである。恐らく潤滑油に引火することもない。火元を辿ったらディルドに行きついた、などという話は五百年くらい経たなければ笑い話にできそうにない。

「分かった。じゃあ、実現できるかは別として付与できそうな機能を挙げてくね」
「よろしくお願いいたします」

丁寧に頭を下げる永琳。

「まず、挿入のとき。潤滑油を使用してってお話だったと思うんだ。これからの季節、気温と平均体温の差は広がる一方だし、液体って冷感や温感が如実に出るんだよね。潤滑油を予め温めておくのも有効とは思うんだけど、時間経過でやっぱり冷めちゃう。だから、温度調節がディルド側でできれば肉体への負荷が減ることになると思う」

熱源や電源の確保が課題になるが、それはにとりの本職である。むしろそこだけを考えた場合にはディルドのことを頭から離せる分、気が楽であった。

「次にイレギュラーケース。もしも使用中に万が一誰かが部屋に入って来た時を考えると、ばれないにこしたことはない。引き抜いた時に光学迷彩で一時的に見えなくするようにしておけば、暗い部屋の中ならごまかせると思う」
「光学迷彩」
「うん。サンプルあるから持ってくる」

このサンプルについては、にとりは鼻高々だった。過去には神社の巫女やら魔法使いと揉めたときに故障もしたが、その本来の性能は随一である。どこぞの悪戯好きの妖精にはまだ敵わないが、危険の少ない場であれば引けは取らない――と、にとりの自慢の製品である。サンプルは二つ、永琳の前に出した。高性能版と、簡易版である。

「どっちもスイッチ入れると、ほら。見えなくなる」
「これは……良いですね」
「でもこうやってそれぞれ動かしてみると」

持ち込んだのは手袋だ。完全に趣味で作られたじゃんけん用の手袋である。水平な時は何も起きないが、振りかぶったり斜めになっている間だけ透明になる。プロは出される瞬間の僅かな手の動きから、相手の出す手を推察できると聞いたため作ったのだ。趣味で作った、というものの、買い手は一人だけ居た。魔法の森に住むアリス。人形劇の手の動きを鑑賞者に見えなくするために、常に透明になるオペラグローブとして販売した。

「……片方だけ、僅かにもやっとしたものが見えます」
「うん。作りが安いか、良い物かってところ。動きに追随させるのって手間でね。でもただ隠すのなら、これで良いと思う」
「そこは……最終的な費用と相談させて頂けますか」

永琳が太ももの付け根辺りに手を伸ばした。どうやら、そこに財布があるようである。僅かに膨らんでいた。

「勿論。あっても良いかも程度のものだしね。じゃ次。本体にじゃなくて、それを入れる容れ物の話。たぶん鍵付きが良いよね」
「悪戯好きなのが一人、居るので。私以外には開けられない様にできれば嬉しいです」

そうか、とにとりが頭の中で呟く。にとりが想定したのは、誰かがうっかり容れ物を開いてしまうことだったが、あの永遠亭には悪名高き白兎がいるのだ。鍵をつけるにしても物理的な鍵であれば、入浴中などに奪われてしまう可能性はある。物理的な鍵を騙しの鍵として、仕掛け鍵を容れ物に施す手もあるが、これは故障した際に修理が非常に面倒である。

「それはちょっと考えとく。今パッと出る良い案がないや」
「はい。よろしくお願いいたします」

話している内に空っぽになっていた二人分の湯呑に改めてお茶を注ぐ。これで一応、今日の目標は終わりだ。ここから試作品の第一作を作るのはにとりの役割で、次に会う時はそのお披露目。そこでまた意見を貰って、最終品に取り掛かるか、再度試作品を作るかである。それがにとりの宿題なら永琳にお願いする宿題はあるだろうか。そう思いにとりが模型から永琳へと視線を移すと、視線に気づいた永琳が微笑んだ。
 あくまでも依頼の品はディルドである。医療用の手袋とか、頑丈な薬瓶とか、高性能重量計とか。そういうものではなく、ディルドである。男性器を模した大人の玩具である。依頼を持ち込まれた日、にとりは依頼の理由を尋ねた。永琳は腕を見込んだと説明していたが、にとりが聞きたかったのはそんなことじゃない。どうしてそこまでディルドが欲しいか、である。普通、余程自慰行為に熱中していないと、そんな依頼はできないだろう。しかし、目の前の永琳がそういう人である様には見えなかった。むしろそういうことに無縁で、落ち着いて、穏やかな様子に見えていた。

「ねえ、永琳さん」
「はい」
「どうして、ディルドを作ろうって思ったの?」

永琳は私の言葉を聞き終えると、しばらく俯いた。答えづらい質問であることはにとり自身分かっていたが、聞かないままで作ってできた物が良い物だとは自分で思えそうになかったのだ。声に出して貰った要望は応える。でも、応えなければならない本当の要望は、口に出すことも憚られたお客さんの頭の中の願いすべてである――そう、考えていた。

「にとりさんは、自慰、しますか?」

小さな声で、永琳が尋ねた。

「うん。たまにね」
「その時のしたいって気持ち。いつも同じでしょうか。私は、まちまちです。軽いので満足する時もあれば、全然満足できないときも。ちょっと足りない位の時は、我慢ができるのですが。本当に堪えきれない位寂しいときは、どんなに頑張ってみても……たまらなく寂しいのです。最近は、特に。これは、その時のための手段のつもりです」

珍しく不安そうな顔で訴える永琳に思わずにとりは頷き、口を噤んだ。頭の中の三人のにとりが騒ぐ。職人は、満足できるものを提供しなくてはと声高に叫び、女の子はデリケートな部分に土足で上がるべきじゃないと訴え、能天気は――ここを分水嶺だと思った。にとりは、既に起きたことを無かったことにできない。時間を戻すこともできなければ、止めることもできない。もう永琳の口から聞いてしまったのだ。既に、川の上の船に居る。逃げることも後戻りもできない。知った上で踏み込む右の川か、聞き流す左の川か。これから先、進むのであればその二択しかない。
 三人は話し合って、碇を川底に落とした。その選択を、先延ばしすることにした。

「分かった。ちょっと気になってたんだ。こういう依頼初めてで。ありがとう。頑張ってまず試作品一号、作ってみるね」
「お代は、どのタイミングで支払えばよいでしょうか」
「うーん。まず試作品作ってみてからかな。その評価後に、試作品の分を貰おうかなって思ってる」
「分かりました。……あの、にとりさん」

永琳が改まってにとりを呼ぶ。

「どうか、よろしくお願いします」

その言葉に、にとりの胸がずきりと痛んだ。



~~



 二日後の昼。にとりは里に来ていた。一週間という中で見れば休息日となっている今日は、買い物をする人々がひっきりなしであった。夏から先、順調に作物の収穫ができているためか、例年よりもやや安く、茶屋なども軒下が賑やかである。大通りを外れやってきたのは、寺子屋。休日であるためか、子供の姿は無い。中へと入り奥へと進むと、紙をめくる音の響く部屋があった。

「こんにちは」
「ああ、にとりさん。こんにちは」

寺子屋で教鞭を振るう慧音である。半人半獣という立場でありながら人間たちと上手く馴染んで生活している。慧音が座る机の上には、現在の授業の進捗状況を記録した紙と、慧音自身が書き溜めた授業用のノート、次の授業で教えることを纏めたメモが積みあがっていた。お昼ご飯の後であるのか、机の横にはお弁当箱が見えており――僅かながら、炊き込みご飯の匂いが残っている。

「お忙しいですか」
「いや、もう終わる位だよ。今日はどうしたんですか」
「ちょっと聞きたいことあって。お力になってくれませんか」
「構わないよ。……あと少しだから、仕上げながらでも良いかな」

にとりが頷くと慧音は微笑んで、空いていた座椅子を勧めた。背面が竹で作られていて、秋だから気にならないが冬は寒そうである。作られてからまだ新しいのか、竹の繊維には解れが無く、少し固かった。荷物からノートとペンを取り出すと、にとりはそれを膝の上に置いた。慧音は既にノートと再び格闘しており、覗き込んでみれば――どうやら、算数の問題を練っている所の様だ。鶴亀算の言葉が見える。

「聞きたいことって?」
「新しいお客さんを開拓したいの。今考えている相手先があるんだけど、売り込みに行く足がかりの商材が無くて。その相手先ってのが、慧音先生ならきっと知ってるんじゃないかって思ったから、ちょっと教えてほしいんだ」
「私なら? 誰かな」
「永遠亭。この辺りの医療の最先端だからさ、売り込み先にはばっちりだと思うんだ」

 にとりが欲しかったのは、永琳とその周囲の環境の情報である。売り込みは――将来するかもしれないが、今はさして重要な目的ではない。にとりは永琳を宴会でしか知らなかった。つまるところ、周囲が知っている永琳像だけしか、にとりは分かっていない。永琳が永遠亭の中で普段どのように過ごしているのか、宴会の時とは違う性格なのではないか、彼女の身内との関係はどうであるのか。そういうことが、知りたかった。

「永遠亭が欲しがりそうなものを答えればいいのかい?」
「ううん。永琳さんとか、輝夜さんとか優曇華さんとか。慧音先生が持ってる情報を分けて欲しいの。そしたら、これが提案できるなって、私の中でも見つかると思うんだ」
「そうか」

ノートに少しずつ追記しながら、慧音が唸る。心ここに在らずという感じではあったが、その方がにとりにとっては都合が良かった。可能であれば、今回尋ねたこともすっぱり忘れて欲しいと願う位である。慧音は少し間を置いて、再度唸り声をあげた後、ゆっくりと語った。概ね次の通りである――

永遠亭は里に対して薬品の販売を行っている。主な窓口は優曇華。そのお陰で里からは好意的、また積極的である印象を抱かれている。神社の宴会の常連であり、具合が悪くなった者の介抱をすることもあって、妖怪側からしても里と同様な評価がある。しかし実際に存在する竹林の中の永遠亭という場所については非常に閉鎖的な社会、空間である。永琳と輝夜は服用した薬のため非常に長寿で、既に達観してしまっている部分があり、妹紅を除いて他に主だった交友を持っているようには見受けられない。優曇華は、落ち着きも大胆さも同時に持ち合わせ、良く言えば小回りが利き、悪く言えば情緒不安定な所がある。てゐは悪戯という言葉に体を与えたような存在だが、分別はある。が、常に良識に沿って判断するかは別である。

――そして最後に慧音が付け加えた。

「それでも最近は随分と丸くなったと思うよ」
「丸くなった?」
「ああ。元々は逃げて隠れていたんだよ。月の人達からね。それを昔ほど気にする必要が無くなったからだろうね」

今度はにとりが唸る番だった。永琳が寂しさを堪え切れなくなってきたのも、最近と聞く。今までは危機感のお陰で凍っていた感情が、だんだんと溶け出してきているのかもしれない。にとりは考える。そもそも、男性器を生やす薬は、なぜ作られたのだろうか。誰がその開発を最初に永琳に依頼したのか。ひょっとするとこれは――永琳が自分から望んで作り出したものではないのか。

「そうなんだ。そこはあんまり知らなくてさ。うーん。外とあんまり交友が無いのは分かったけど、身内とはどうなのかな?」
「仲は良いみたいだぞ。優曇華は気苦労が多いって言ってたけどな」

輝夜は妹紅を目の敵にしながらも、何だかんだ交友している。優曇華は、里でいろんな人と触れ合ってる。悪戯好きのてゐは優曇華の他、至る所で悪戯して遊んでいる。では、永琳はどうなのか。身内の仲は良い一方で、孤立しているのではないか。
 慧音からの情報提供の後、今度お礼をすることを約束してにとりは寺子屋を後にした。茶屋は相変わらずの賑やかさを残すものの、人の声や足音は落ち着き始めており、にとりが通りを歩く分には、大きいリュックがあろうとも誰ともぶつかることが無かった。にとりが探していたのは、優曇華である。話したかった訳ではない。ただ、里で商売をする彼女が、元気なのかどうか。それだけが見たかった。
 優曇華が居たところは、とても分かりやすかった。里の端、竹林へと向かう道に続く所に彼女は居た。傘を被って耳は隠している。丁度里の奥様方と商談をしているようだ。ハッキリ、かつゆっくりとした声が聞こえる。どうやら薬の効能を説明しているらしい。内容からすると湿布薬の様だ。ちらりと傘から覗いた顔は穏やかで、何かを思い詰めたりしている様子はない。にとりはそのまま、通り過ぎた。
 竹林方面から里を出たが、にとりはすぐに引き返し、次は魔法の森の方面へ。今度は贔屓のガラクタ商、もとい古物商の森近の所である。相変わらず門構えは古ぼけており、香霖堂の文字は少し埃を被っていた。店の中に入れることのできなかったサイズの大きなガラクタは外に置いてあり、風雨のためか、金物は錆が見える。これを見る度に、勿体ないとにとりは思っていた。

「こんにちは」
「ああ、いらっしゃい」

店主は奥のカウンターに居た。今日も座って新聞を読みながらお茶を飲んでいる。他の客は無く、閑古鳥が鳴いている。ミスティアの経営する屋台の次に、にとりにとっての憩いの場がここ、香霖堂である。常に静かで、好きにガラクタを見ていられて、興味を引くものがあれば店主に尋ねれば詳細を答えて貰える。滅多におまけして貰えたりしないが、ここで買った物を家に持ち帰り、分解するのはまるで富くじの様に楽しい。ただ、今日はそんな魅力あるガラクタは目的じゃなかった。

「お探しのものがあるのかい?」

真っ直ぐに店主の元まで歩いてきたせいか、山から届けられた新聞を置いて店主が尋ねた。にとりは改めてお店の中に他に誰もいないことを確認し、店主の言葉に頷いた。にとりが手招きし、店主が顔を寄せる。

「いわゆる大人の玩具、ないかな」
「……君がそういうものを欲しがるとは思わなかったよ」

店主が眼鏡を外し、目元を指で押さえた。彼の中で着々と築かれていた清く正しいにとりに対する像が打ち砕かれた瞬間である。普段のにとりのことを思えば、その像は決して虚像ではなく、実像であるのだが。にとりにとっての緊急事態が、彼の頭の中までそうさせていた。

「ある?」
「あるには、ある。外の世界から入ってきたやつがね。ただ……」
「ただ?」
「中古だよ。拾ったときに一応洗いはしたがね。それでも良いのかい」

中古。要するに誰かが使ったもの。ちょっと嫌気はあったものの、にとりは頷いた。一度、実物を見ておきたかったのだ。店主が店の奥へと引っ込み――ガタゴトと、木箱を擦るような音がしばらく響いた。よっぽど人気は無い商品の様だ。中古で使いたい人が居ないのは当然であるが。

「あったよ」

埃まみれの店主が大きな箱を手に帰って来た。靴が4人分程並べて入ってしまいそうな程の箱である。箱には小さな字で、お品書きが書いてあった。店主がため息と共にそれを机の上に置き、にとりの方へと差し出した。

「説明が要るかね?」

箱を開けると、小声で店主が尋ねた。即答で断りかけたが――箱をあけて目の前に広がる光景にはにとり自身驚いてしまい、結局彼に求めてしまった。にとりはてっきり、綿でも敷き詰めてある程度の品が少量入っているものだと思っていたのだ。現実は非情である。綿なんてどこにも無く、箱にはぎちぎちに詰まっていた。箱の蓋の裏には二つの日付が書いてあったが、どちらの日付もずっと前の日付である。

「君から見て左から区分けされた順で。ローター、バイブレーター、ディルド、サックだ。前二つは電動の機構が入っているみたいだが、ここでは確認できなかった。ちらほら、幻想郷の中で見つかるんだ。道端に落ちているのは近所の子供や妖精の風紀的にどうかと思ってね。回収して、封印してる」

向こうの世界で忘れ去られた品なのか、それとも意図して忘れようとした品なのか。それはにとりには判断できなかったが、にとりにも判断がつくことがあった。それぞれ、個人の一般的な日曜大工の品からは随分と離れて、工業的に作られているということだ。どの品も一定の品質があり、統一感が見られる。需要の規模がどれほどなのかは分からないが、一分野としては確立されている程には、これらの品は普及しているということだ。

「使い方は?」
「……分かったよ。まずローター。線で繋がれた二つの部品から成っているのがほとんどだ。片方が電源を供給、制御して片方が振動する。振動する側でいわゆる女性器を刺激するためのものだね。次がバイブレーター。これはさっきのローターの制御側、振動側が一つになったような感じだ。形が形だ。使い方は分かるだろう。ディルドはそれから振動機能を減らしたものかな。吸盤がついてて壁に固定できたりするのもある」
「このディルド、変な形してて妙に長いんだけど、これは?」
「双頭ディルドと呼ばれるものみたいだ。一人で使うんじゃなくて、二人で使うものみたいだよ。主に、女性二人なんじゃないかな」

にとりが興味を持っていたのは、勿論ディルドである。永琳から教えて貰い、形のイメージは整っていたものの、改めて実際の物品を見てみると様々な形があった。明らかに男性器の形をしているものも確かに存在したが、串団子をでっかくしたような形の物や、植物の蔦を複数縒り合わせたような物など箱の中には未知の世界が溢れている。一際目立って目に入ったのは、擬宝珠の様な形をしたものだ。
……でかい。赤子を産むことを考えれば、このサイズは確かに入るのであろうが、そうまでしたいのか、という気持ちがにとりの中に漂う。

「それは膣用じゃなくてお尻用だと思われる」


店主が小声で説明してくれたが、余計ににとりは混乱した。何が楽しくてこれを尻に入れなければならないのだ。ものすごい便秘対策か何かか。思わず吐いたため息に、店主も同調した。

「僕にそんな目を向けないでくれよ」
「最後のこれは?」
「これはサック。女性用のものは指につけるものみたいだね。膣内の刺激ではなく外部の刺激をするのが主なようだね」

最後に渡されたものはにとりにも見て覚えがあった。紅魔館にも近いのを納品している。もっとも、変なイボとかはついておらず、紙を捲りやすくする用途だが。こちらは指を包むタイプから、指輪の様な形まで様々である。

「にしても、どうして急にこういう物を?」
「需要ってあるのかなーって。外の世界で流行った物とか、工業的に製品化されてるものって、参考になるからね」
「そういうものかね」
「それこそお店の人にとっては算盤とか良い例だと思うよ?」

霖之助は首を傾げたが、しばらくしてゆっくりと頷いて。にとりが購入する気が無いのが分かると、蓋を閉じた。改めて蓋を眺めてみると小さな字で女性用と書かれており、男性用もあるのかと尋ねそうになったが――何となく生々しいものが出てきそうで、止めた。第一、それを説明する店主の姿を想像すると、とても居た堪れなかった。

「片付けてしまうが、構わないかな?」
「うん。参考になった」

 店主が箱を仕舞いに行く間、にとりは商品棚の間をぐるりと回りながら、作るべきディルドのことを考えていた。さっきの箱の中身を見るに、色は単色でも問題無さそうである。素材全体を着色するか、それとも内部のみを着色して外側の着色を抑えるか。課題は残るものの、シルエットは紙粘土からは進化していた。根本も、やはり固定して使う需要はある様で、見せられた商品の一部には吸盤をつけているものがあったが――永琳は吸盤をつけるような場所でする訳じゃないし、吸盤は経年による吸着性能の劣化が考えられる。
 お店を後にすると、もう夕方になっていた。空が赤い。山の端を見れば青みが入り、すぐに夜になってしまうだろう。ずっと何も入れていないお腹が文句の一声を出したが、生憎まだすることが残っていた。向かうは永遠亭。永琳に会いに行くのである。

「夜分、申し訳ありません。永琳さんはいらっしゃいますか?」
「師匠でしたらあちらの部屋に」

にとりがたどり着いた時には既に夜になってしまった。暗さを増した竹林の中で迷ってしまったのだ。やっと永遠亭にたどり着いた時には、門の入口には灯がたかれていた。――これがあったからたどり着けた、という状況でもある。夜に訪ねるのもどうかと思ったが、まだ夕食の時間には早いはずだ。出てきた優曇華に尋ねれば、彼女は部屋まで案内してくれた。行商の後お風呂を浴びたのか、石鹸の良い匂いが廊下に舞った。

「こんにちは」
「あら、いらっしゃい」

部屋を訪ねたにとりを見ると、永琳は一瞬動揺したものの、すぐに顔を解して椅子を勧めた。普段からここで来客の対応をしているのだろう。壁際の棚には薬瓶がずらりと並び、この部屋自体も里の診療所に似た雰囲気がある。ベッドも二床、置いてあった。既に使われた形跡があり、シーツが少し乱れ、点滴の道具等が残っていた。にとりが椅子へと座り、優曇華が部屋を後にすると、永琳はそそくさと自身の椅子を近づけた。

「どうなさったんです」
「今日は私の用事。……潤滑油、分けて貰えないかな。使用する予定のやつ。相性が悪いとは思わないんだけど、一応テストしておきたいんだ」

にとりの申し出にホッとした様に永琳は笑い、それから机の引き出しに手を伸ばした。化粧水を入れる様な瓶を取り出して、にとりに差し出す。透明で、軽く振ると中の液体がぬるりと動いた。粘性は低いようである。

「ありがと。お代は完成品の代金から差し引いて置く形でいいかな」
「はい。……あの、にとりさん」
「うん?」
「私の依頼のことですが、できたら内密にお願いしますね」
「うん。言わないよ。もしも尋ねられたら、そうだねぇ……。胡蝶夢丸を買いに来たって伝えておいて」

瓶の蓋が固く閉じられていることを確かめて、にとりは貰った瓶をリュックへと仕舞った。これでここに来た目的の一つは達成である。もう一つやらなければならないこと。それは、有体に言えば世間話で、具体的に言えば永琳をもっと知ることであった。にとりは決して、生活の専門家ではない。ましてや恋の専門家でもなければ、心療の専門家でもない。知りたいのは、この永遠亭で過ごす永琳の様子にどこかおかしいところはないか。それだけであった。
 にとりが話題に引っ張り出したのは、ここに来るまでの僅かの間の出来事だ。竹林で迷ってしまったこと、優曇華さんに案内して貰ったこと。彼女から良い匂いがしたこと。永琳はすぐに相槌も回答もくれた。妹紅に頼めば案内して貰えること、優曇華の洗髪剤が自家製であること。彼女の顔色一つ一つを、人の名前が出る度に確かめて、心の中のノートに記していく。結論として――人による特段の差異は見られなかった。苛烈な道の歩き方をしてきたはずの彼女は誰に対しても優しい顔を保ち続け、誰に対しても同程度の感情しか見せない。当初のにとりの目論見通り、特別な関係は永琳のすぐ身近な所では存在していない様である。ここに居るのは全て、彼女にとって家族の様である。

「じゃあ、そろそろ失礼します。お夕飯の時間ですし」
「はい。今後ともよろしくお願いします」

お腹が文句の悲鳴を上げたところで、にとりは話を切り上げて。永遠亭を後にしたのだった。
 家に帰り、お夕飯を作って。独り居間で食べながら、考える。貰った模型からは昨日金型を作成し、あとは製作に取り掛かるだけであるが、課題がまだ残っていた。追加する機能のことである。光学迷彩機能は問題なく取り付けることが可能であったが、残りが問題であった。温度調整機構と、収納ケースである。
 前者は適正な温度が分からなかった。昨日、参考に自身の膣に体温計を差し込んだものの――それはあくまで膣の温度であって、男性器本来の温度ではない。所感としては使用者の体温より少し暖かい程度であれば違和感は無さそうであるが、その場合にしても良い初期値を与えられるのならどこまでも近づけたい。後者については、色々考案した。ボタンを使う電子錠。これはパスワードに使用するボタンの刻印が削れ、推測が可能となってしまう。また、ボタンの存在が仰々しく、他の人に見られた場合に間違いなく怪しい箱として目に映ってしまう。あのお屋敷のてゐをただ出し抜くだけでなく、これから先も出し抜き続けなければならない。次に考案したのが指紋認証であるが、これは永琳の睡眠を利用された場合、箱側で判定が難しい。光彩認証も考えたが、箱の価格がぐんと上がってしまう。

「課題が多いや……」

最後まで残しておいた好物の胡瓜のお漬物。それを備蓄していたお酒でゆっくりと頂きながら呟く。にとりはこの後も、予定があった。外出ではなく、家ですることである。課題解決の為の実験と言えば聞こえは良いが――その実態は、永琳から貰ったままの薬を試すことである。目標は二つだ。一つは触感を細部まで確かめること。もう一つは温度の確認だ。幸い、シリコンは熱伝導率が低い。永琳は潤滑油を使用すると言っていたが、それによる極端な温度変化は表面では生じそうにない。後は尤もらしい温度を見つけることが必要なのである。
 
「うぅー」

その決心には、とても苦労した。間違いなく、一度でも生やせば人生観は変わる。しかし、その経験が無ければ良い製品を作ったという自信は持つことができない。最終的には、自助努力の不足による性能不足だけは避けたいという気持ちが、最後の駄目押しとなった位である。頭の中の女の子は今は頭の片隅でいじけ、能天気に介抱されていた。傍から見れば、その二人はもう傷物にされてしまった様にも見えたが――職人のにとりは見えないことにして、実験の手順とチェックシートを入念にチェックしていた。
 にとりの寝室。そこは普段、金属と油に囲まれて生活している彼女にとっての心を休める貴重な場所。椛には似合わないと一蹴されたが、作りたくて作った天蓋付きのベッドがある。にとりにとっては女の子の夢だった訳だが、椛曰くは『布団の方が似合う』とのことだった。椛にとって天蓋付きのベッドとは、蚊帳のついたベッドとほぼ同義か、あるいはそれより髪の毛数本分位しか勝っていない様である。衣服に隠れるアクセサリや爪の手入れはしっかりとしており、椛にも女性的な部分が無いとは言えないのだが、アクセサリをあげたときと同じくらい、砥石をあげた時も喜んでいたのをにとりは覚えている。漬物ですら同じ反応であった。そんなベッドの上へと移動して、手に握った薬を眺めた。とんでもない効能の割には随分と小粒で、子供用も大人用も区別できなそうな程である。尤も、子供用に処方されることがあるなど到底考えられなかったが。

「玄関の鍵は閉めたし、窓も閉めてきたし……大丈夫、大丈夫……大丈夫」

何とか自分に言い聞かせ、ベッド脇に用意した水差しの水で飲み込んだ。味は無い。性交渉の幅を広げる為の物と説明していたから、すぐに効果は表れるだろうとにとりは期待し、足が痺れてしまうほどの間、正座して待った。不測の事態を避けるため、下半身は既に裸である。彼女謹製の暖房の為、体が冷えることは無かったが――傍から見ると、恐ろしくみっともない格好をしていることは、彼女も承知していた。まだ生えても居ないが、既に顔は熱く、思考回路はパチパチと嫌な音を立てている。
 変化が現れたのは、飲み終えてからおよそ十五分程経った頃であろうか。股の間に感じたむず痒さに思わず膝を摺り寄せ、体を丸める。股だけでなく、体中が熱を帯び始め、泣いた後の様に呼吸が乱れた。誰かが見ている訳でもないのに妙に恥ずかしく、手で顔を覆う。生える以外の副次的な作用もあの薬にはあった様だ。当のにとりは――それどころではなく、自身がいつも慰める箇所が段々と隆起し、模型で見た形へと移り変わっていくのを、指の間から眺めながら、必死に呼吸を落ち着けようとしていた。もしもこの薬に煽情的な作用が備わっていなかったのであれば、恐らくただトラウマになっただけであろうその変化。やっと落ち着いた時には、模型で見たものそのものが、目の前にあった。違う箇所を挙げるとすれば――心無し、極々僅かに左へ曲がっている。

「お、落ち着くのよにとり」
 
熱暴走を起こしている頭を冷やすため、頬に水差しをあてがい、にとりは抵抗する。かつての人生の中で変態的行動が果たしてなかったかと言えば、それは間違いなく在ったのだが、そんなものはもう比べることすらおこがましい。股間に生えているそれは確実に、萎えてはいない。血をかき集め、硬く突き出している。自身が『興奮している』というその事実が悔しく、そして、余るほどに新たな興奮を沸き立たせ――薬のせい、薬のせい、薬のせい。何度もにとりは頭の中でそう繰り返した。
 恐る恐る、手で触れた。彼女の友人がにとりに説明していた言葉を思い出す。バネの入った、ちくわ。なるほど言われれば弾力は近い。バネとしての径、そして針金そのものの径。それぞれを太く、そしてギチギチに巻いた物を薄いちくわで包んだような感覚であった。にとりが知っているちくわと違う所をあげるとすれば、そこには血の走りがあり、脈打ち、ぞわりとした快感が腰に走ることである。

「確認、これは確認だから」

這わせていた指先を先端へと滑らせていく。生えたてだからなのか、それとも興奮が作用したのか。うっすらと湿り気があり、先端に見えるスリットからは、僅かな透明の液体が雫となって張り付いている。ぬるりとしていて、オクラの汁の様によく滑った。竿とは違い非常に敏感で、触れて撫でるだけでびりびりとした感覚があったが、体の中までは走って行かず、もどかしい。そんな慣れない肉の塊を両手で支えながら、時には手鏡を使い、表、側面、裏側までじっくりと確かめていく。苦労したのは温度の確認である。そもそも興奮してしまって、手のひらには既に汗をかいてしまっていた。その上で、どこが温かくてどこが冷えるのか。なぞり、時には撫でて確かめるのは未だ感触に慣れぬにとりには辛かった。
 にとりが自身の胸にそっと片腕を添える。早鐘の様に打ち続ける心臓と、力仕事の後のような熱さの肉がそこにはあった。どちらも薬によって不可抗力的に与えられた物であったが、にとりはそれを『はしたない』と、独り恥じていた。部屋は空調のお陰で十分に暖かかったはずなのだが、上がり続ける体の中心の温度に対し、腕から先、膝から先といった末端の部分は相対的に冷えを感じ始めていて、抱き寄せたその部分が『温かい』と感じることが気持ちよく、そして切なく。なけなしの理性は『確かにこの薬は求める人が居るだろう』と、ひとり呟いていた。
 やっと確認が終わった時には、にとりはへとへとであった。先端から溢れた体液のお陰で両手の手のひらはべとべとになっており、胸は一向に高まりを止めず、股間に生えたそれは中でエンジンでも動かしているかのように熱を放ち、硬さは確かめる前のそれ以上である。――本来であれば。本来のにとりであれば。そもそも、薬を飲む前のにとりであれば。この実験はここで終了である。確認したかったことを記した頭の中のチェックシートをすべて消し込み、当初の予定を無事に完遂したためである。しかし――にとりは今、冷静ではなかった。とてつもなく、もどかしかったのである。
 堪らぬ熱さと末端の冷えを感じながらベッドを抜け出して、お風呂場へと向かう。お湯張りはしていなかったが、にとり手作りのシャワー設備が整っており、太陽のエネルギーを溢れんばかりと蓄え、温水を言葉通り湯水の様に使うことができる。そんなシャワーを浴びて――にとりは、ぺたんと床に腰を下ろした。彼女の手により綺麗に磨かれた床は少し冷たかったが、流れ出るシャワーのお陰で段々と温かさを蓄えて。にとりは自分の体にひとしきりお湯を浴びせると、硬いままの棒へと手を添えた。慣れぬ刺激にくぐもった声が漏れ、胸に溜まっていた空気がきゅっと押し出されて。

「いけないのに……」

自然と擦り始めてしまった手を、彼女は止めることができなかった。
 にちゃ、にちゃと、浴室の中に粘着質な音が響く。男性がどのようにして自慰をするか、会話の種としてでしか知らなかったにとりであったが、今はもう、手を一往復させる間にどんどんと『気持ち良い』やり方が頭の中に入ってくる。普段の自慰と違い、誰を想ってするでもなく――ただただ、擦るだけで充足感が駆け巡り、腰が苦悶と喜びに踊る。永琳は薬の説明の時、射精ができることを述べていた。それを、してみたい。汚れの心配なんてしなくて良いここで、思う存分に吐き出してみたい。

「うぁ……」

厳重に戸締りこそしているものの、浴室の窓一枚向こうは山の景色。必死に声を抑えて、にとりが呻く。普段の時と違い、どこまでが耐えられてどこから先は耐えきれなくなるのか自分でも分かっていない。全てが未知の快感という訳ではなかったものの、突如として腰と背中へと襲う感覚に免疫は欠片もない。変な声を出してしまう位ならと片手で塞ごうかと思ったものの、既にその手は我慢の結果でベトベトで、何より、片手を失って気持ちよさを半減させたくないという強い欲求が邪魔をする。こんなことなら防音設備をもっと厳重にしておくんだったと悔やんだが、今更遅い話である。
 いよいよ我慢できなくなった所で、にとりはきゅっと唇を噛んだ。こうすれば、普段はまだ長持ちしてくれたからだ。しかし、常ではない感覚に有効となる訳はなく――にとりは、そのまま果てた。声こそ我慢できたものの、そのお陰もあってか、迸った音、自身の体にかかった音は良く聞こえて。思わず手を止め、湧く余韻に浸りながら、ため息を吐いた。体を交えることに詳しい彼女の友人は、出せば落ち着くと以前漏らしていたが、薬の副次的な効果もあってか、未だに物は仁王立ち。頭だけが僅かに落ち着いて、にとりはシャワーヘッドを掴むと、再び浴びなおした。射精の直後であるがゆえに、ふりかかるお湯の飛沫に一々反応し、軽い絶頂もまた迎えたが、直後であるが故に射精は伴わず。自分の意志でシャワーを浴びられることがにとりにはとても幸せなことに思えた。他の誰かにヘッドを握られていたら恐らくそれは、幸せでもあり、拷問だっただろう。
 やっと寝室へと戻った時には、相変わらず股間の物は硬いままであったが、にとりは疲れ切っていた。タオルをチェストへと投げつけると、そのままベッドに突っ込み、転がった。色んな思い出の序列をこの数十分の変態的行為によって塗り替え差し替えした自責がずんと疲労を重くして、にとりは何とか自分を保とうと、とりとめもないことをぼーっと考えていた。人は何故同じ過ちを繰り返すのか、美味しい栗ご飯の作り方――等々である。

「そりゃあ気持ちよかったけどさぁ」

虚しい呟きが、部屋の中に消えた。



~~



 次の日。にとりは永琳の模型を見ながら考えていた。貰った当日に思ったのは、非常に良くできているということだ。肉の着き方に反り方、血管の走り、果ては皮膚の皺の入り方。医学的、生物学的に詳しくないと永琳の仕事が立ち行かなくなることは百も承知である。しかし、模型としては有り余るほどに出来が良い。そして何より――眺めていると不思議な作られ方をしている。紙粘土で作ったと本人は言っていた。表面にはデザインの調整を刃物で行った痕は残っているものの、皺や血管の周りには、粘土のつぎ足しが一つも見当たらない。元々太めに作って在り、削りだして作ったか――あるいは、まるで模型作り以外にすることが無かったんじゃないかと疑う程の拘り方である。昨日生やし、そして致したにとりにとって、改めて見てもやはり感心する程であるが――にとりの頭の中には一つ、思うことがあった。それは、この模型にモデルが居る、ということである。しかも、裏側までも再現してみせる程にはっきりと見れる形で、である。しかし。

「寂しいって言ってたもんなぁ」

永琳は、そう言っていた。寂しさを紛らわせるためのディルドであり、その為の模型である。模型を作っている間中そんな痴態をずっと見せてくれる相手が居るなら、その相手を夜のお伴にする方が理に適うのである。だから、この模型のモデルは恐らく、永琳自身。恐らくは、実物から型取りを行い、それをもとに造形したのだ。粘土のつぎ足し痕が見られないのは、その為であろう。
 また、その一方で。にとり自身思っていた。倒錯的に一晩のひと時を過ごすだけなら、昨日にとりが試したあの薬でも十分すぎるのである。それこそ、自身で使えば良いのだから。だから。永琳が求める満足とは、あの薬で得られるものより更に上の境地である。永琳が予定しているのは、ディルドという仮の男性器を使っての疑似の性行為ということであるが、

「……そんなに気持ちが良いものなんだろうか」

不思議なのである。にとりは、まだ体験していない。自慰どまりである。見初めた相手も、そうしてくれた相手も居なかったのだ。一番にとりの心情を分かってくれて、付き合いが長い相手としては将棋仲間の椛が居たが――彼女はそういう相手ではない。恋人ではなく、親友である。
 不安だった。その気持ちよさを理解しないままディルドを作成したとして。依頼主の永琳に引き渡せるだろうか。例えば新聞屋の文の依頼の品、ペン用ラバーグリップであれば、同型のペンを用いればその性能は確かめられ、にとりは自信をもって提供できる。しかし、今回の件に関してはにとりにとって未知の領域である。昨日どれだけ変態的な行為を行っていたとしても、まだ関心領域の外なのである。

「うぅ」

その日何度目か分からないにとりの悲痛なうめき声が部屋の中に響く。自助努力で何とかできる範囲までは、解決したい。その為に最低限クリアしたい課題というのは、にとりの頭の中で三つできていた。一つ。自身を女性的立場とした場合での性交渉。二つ。自身を男性的立場とした場合の性交渉。三つ。自身を女性的立場とした場合のディルドによる疑似行為。この中で唯一今叶うのは、三つ目のみである。
 しかし。自助努力以前に、好きな人と初めての時を迎えたいというのも、にとりの強い願いである。独り、チェックシートを片手に初めての時を散らす気にはとてもなれない。そんな寂しい思い出を、持ちたくない。そんなのは何年経っても笑い話にできそうにない。

 夕方。にとりは工房に入った。気分はちょっと落ち込んでいたが、一つ救いはあった。今回は共同開発であり、次の打合せで永琳に見せるのは試作品であるということだ。まだ、最終品ではない。そして永琳はその評価者である。少なくとも、実際の利用を除くほとんどのことは、チェックして貰えるはずなのだ。

「だから、落ち着くのよ」

けたたましくマシンの音が響く部屋の中、独りそう呟いた。
 ディルド内に組み込むモジュールは既に組み立ては終わっていた。機能に関して抜けている所があるとすれば一つだけ、温度調節の初期値である。それも遠隔で操作できるため――実質、あとはモジュールと金型を併せてシリコンで包むのみである。温度の初期値は、にとりが先日確かめた温度より僅かに高めの値とした。にとりが初期値に拘る訳は、熱伝導率にある。本来の男性器はシリコンでできていない。そのため幾ら温度を『同じ』とした所で、触れた際の温度感覚はズレるのである。
 金型へとモジュールを配置し、着色したシリコンを流し込む。色も自分で生やした絶好のサンプルがあったが――それを使うには恥ずかしすぎて。自分があの日見た中で一番穏やかなピンク色の単色にした。若干の透明度が残っているためか、氷漬けの桃の様な色である。気泡が入らないように注意しながら流し込んだ後は、ゆっくりと温度を下げていった。
 冷ます作業を機械に任せ、にとりが向かったのは作業台。試作した収納ケースの確認である。結局、光彩認証を採用した。値段が高くなってしまったが、買ってくれるかどうかは永琳と相談である。文句が出るようであれば、他の鍵を一緒に考える予定だ。尤も――てゐを出し抜くというのは、あまりにも難易度が高い。見た目は子供の癖して中身は大人、知恵者なのである。光彩認証であれば、文字通り永琳の目が黒い内でしか開くことができないため、限りなく難しくなるはずだ。今はにとりの光彩のみ登録されているため――黒い保護ガラスを覗き込んだにとり手の中で、箱が開いた。

「問題無し」

箱には既に製作済みの三脚が入れてあった。耐荷重はにとり五人分で、光学迷彩機能付き。自動折りたたみ機能は行為中の事故が考えられたため採用を見送り、他の機能は無い。尤も――これ以上必要になりそうな機能もない。
 お茶を淹れて一息ついたところで、冷ましていた金型を水の中でゆっくりと剥がした。ばるん、と飛び出たピンクの塊に思わずびくりとしたが……表面に穴が開いたりはしていない様である。撫でたときに違和感が無くなる様に、亀の頭から根本まで、ナイフでゆっくりとバリを削り取っていった。全てのバリ取りが終わり、搭載した機能のチェックが終わった時には既に日付が変わってしまっており――にとりは片付けを済ませた後は、疲れた体そのままを自分の部屋のベッドへと放り投げた。
灯りを消すと、窓から入った月明かりが天蓋から垂れた
レースのカーテンを煌めかせて。天井を見上げながらにとりが呟く。

「課題はまた明日、考えよう」

それは気休めの逃げの一言であったのだが――



~~



 結局、叶うことはなかった。

「ごめんください」

翌朝、突如として起きた永琳の襲来である。時間は朝十時。天候晴れなれど風強し。玄関で頭を下げた永琳の後ろから、色づいた紅葉がふわりと玄関に舞い込んだ。風呂敷に包まれた箱を一つ手に持っており、何故か――少々疲れている様子である。部屋へと通すと永琳は座布団へとゆっくりと腰を下ろし、長い息を吐いた。
 お茶を淹れて居間での対峙。台の上には勿論試作品一号である。三脚に固定しているため見事にいきりたって、鎮座している。カーテンを閉め部屋の明かりを使っているためか、先は光を淡く反射しており、にとりはその姿に初めて自分にモノを生やした時のことを思い出していた。

「さ、触っても良いですか」
「勿論です」

永琳自身が頼んだ品であったが――永琳自身も恥ずかしかった様だ。前は耳を赤くしていたが、今日は加えて頬も少し赤い。型を提供した本人であるのだが、興味津々というようにじっと見つめていた。にとりに確認した後はそっと持ち上げて、三脚を外し、刃物の鑑定の様にゆっくりと見て回った。表面の触感に弾力、ディルド自体の曲げ伸ばしに対する強度。にとりは複雑な心境であった。永琳は彼女の目にとって美人として映っている。そんな女性が恥ずかしながらも真剣に男性器の玩具を手の中で転がしているのである。ディルドのモデルはにとりの生やしたものでは決して無いのだが、仕上げをしたのは他ならぬ彼女であり、基本的に作品は我が息子である。真剣なまなざしに、称賛と辱めを同時に受ける気分であった。

「先日お話した機能もついております。温度はディルドの底面のボタンを一度押せばお試しいただけます」
「あら……あらあらあら。これは……」

あったかい、と、とても小さな声で永琳が漏らし、にんまりと笑う。永琳の白い手の中のその温度は、にとりの温度である。永琳は勿論それは知らなかったのだが、永琳が想像していた物よりは『良かった』様で、しばらく両手で包み込んでいた。どうやら秋風で体が冷えていた様で、少しそれを湯たんぽ代わりにした後、永琳はそっと台の上へと戻し――もう一つの機能が、作動した。光学迷彩機能である。音もなく消えた為永琳がびくりと体を震わせたが、少し待って、つんつんと突いた。

「あ、ありますね」
「はい。見えなくなってるだけですから。元に戻す時は、温度のボタンを三回カチカチと押してもらえれば。三脚を使用してる時は三脚も透明化しますし、同様に戻せますので」

その言葉を聞いた永琳は、透明になったディルドを撫でながらボタンを探り当てて。……少しして、桃色の塊が姿を取り戻した。そして最後の品――収納ケースである。永琳の光彩を登録し、試して貰う。永琳自身も、てゐを出し抜く方法が難しくなることは想定していた様で、高騰してしまった収納ケースの値段であったが、了承して貰うことができた。楽しかったようで――意味もなく、二度三度永琳は試した後、それをちゃぶ台の上へと戻した。

「有難うございます。丁寧に作って貰えて。……ところで、にとりさん。確認したいことがありまして」
「はい」
「……ご使用、されました?」

ぐさり、と胸に言葉が突き刺さり、思わずにとりは顔を逸らした。その様子を見つめた永琳は、表情からまだ挿れられてないことを察すると、ホッとした様に微笑んで。お茶を一口飲んだ後、ゆっくりと続けた。

「本日伺ったのは、そこが気になったからなんです。私は、自分の作った薬はちゃんと試験しないと人に譲ることができなくて。ひょっとしたらにとりさんも同じような性格の方なんじゃないかって思ったんです。それで、にとりさんにとって不本意なことが起きてしまわないか。それが心配で、心配で。あの、にとりさん。お悩みの事があればぜひ、相談下さい。無理に試験を実施されてしまう前に、一度私に」

その申し出はにとりにとってこれ以上ない申し出で、にとりも頷いたが――根本的な部分は、解決していない。にとりが事前に知っておきたいのは永琳の使用感ではない。にとりの使用感なのである。その製品の弱み強みを、経験を通して理解する。それが一番の製品に対する安心であり、自信だったからだ。にとりは気になって尋ねた。

「永琳さんは、自分で作った薬は自分に必要が無かったとしても自分で試したいって思うことないですか」
「……そうですね。薬効次第です。もともと私自身が罹患していない病気に対する薬は、試せません。でも、そうじゃない薬は試します。机上の試算では落ち着かないのです。本当に薬の目的と薬効が合致していること。ちゃんと確かめたく思ってます」
「私も、そうですよ」

にとりが呟き、

「この作った物が、本当に答えなんだろうかって。確認しないと気になってしまうんだ」

そして永琳と共に口を噤んだ。

「今のにとりさんの中の課題は何でしょうか」

やがて、永琳が静かに尋ねた。その言葉ににとりは語る言葉を悩んだが――彼女は永琳を信用することにした。

「まずは性交渉の経験かな。私は……挿れられた経験も、挿れた経験もないですから。そもそもの相手が居る性行為って、どんな感覚なんだろうって。男性の立場、女性の立場。叶うならば、それぞれの立場に立って、経験してみたい。その次が、この製品の実利用です。疑似行為を目的とした製品として、これは十分に満足できるだろうかって。自分の肌で、確認しておきたいって思ってしまう」

口に出していく中で、だんだんと恥ずかしさはこみあげていたものの、言い切ると少しだけ肩が軽くなったようににとりには思えた。対面に座る永琳は目を閉じて静かに聞いていたが、返事に困っている様子で、何度か何かを言おうとしたものの――結局、口は閉ざしていた。

「『それは本当に自助努力で何とかならなかったの?』って聞かれた時、後悔したくなくて」
「ええ。それは私も同じです。……でも、にとりさん。お相手は、いらっしゃいます?」

今度はにとりが歯痒そうに口を閉じた。問題はそこだ。そもそもにとりには夫に妻も居なければ、彼氏彼女も居ない。今から作るにしても、ひょいとできることではないのはにとりも良く分かっている。一番親しい椛を口説くにしても――彼女はただ一言『ハハン』と笑って相手にしないだろう。それに加え男役をやってくれと頼もうものなら、気を失うほどの強さで脛を蹴られそうである。そういうことで拗れさせたい仲ではない。

「居ない、です」

その言葉に、永琳は何度かゆっくりと頷くと、じっとにとりを見つめた。言わば目的地は見えるのに行く手段が無いこの状態、永琳が何を言いたそうにしているのか、にとりには分かっていた。元より永琳から模型を貰い、素材を確認して合意して貰った段階で、最低限のものを作ることは可能なのだ。今言っているこれらの全ては、にとりのわがままでしかない。共に気持ちが分かる分、互いに歯痒いわがままであったが。
 永琳は手のひらの中でくるりくるりと湯呑を回しながら、目をふせ考えてこんで。やがて深呼吸すると、静かに尋ねた。

「にとりさんとしては、そこが解決すれば良いのですか?」
「うん。でも、その。すぐ叶うことじゃないしさ、ここは妥協すべき点なのかなって」
「……一つ、方法があります。にとりさん次第ですが」

そう言うと永琳は姿勢を正した。

「私に、その相手を務めさせてくれませんか」

 永琳が初めてにとりにお願いをしたときと同じ様に、またにとりは固まっていた。危険を感じたときに仮死状態に陥る動物のように、色んな物が停止していた。思考、まばたき、果ては呼吸まで。永琳の言葉を頭の中で復唱し、他の意味に捉えることができないかと、頭の中の三人のにとりが総動員で考えていたからだ。結果は――否決。にとりのセックスの相手を務めるということ以外、それらしい意味を持たせることができなかった。確かに、永琳が名乗りをあげれば解決する話ではある。相手の人を探す必要が無く、口説く時間も必要無く、それらの失敗時の反復作業も必要無い。秘匿性があり、実施中に試したいこと、気になったことを依頼品に合わせて話ができる分、非常に合理的でもある。
 が、しかし。にとりは気になっていた。永琳はどんな気持ちで言っているのだろう。ディルド作成の工数削減のためか。にとりの妥協しないという誇り、そして顔を立てるためか。そもそも永琳は自身に対して好意的なのか。また、自身から彼女へはどうなのか。永琳とそのような間柄になった時、その間柄は何と呼べばいいのか。錆びた歯車の様にぎこちなく動く頭の中で必死にそんな答えを探して――とりあえず、お茶で濁した。

「……」

沈黙が部屋を支配して、にとりは目を閉じて深呼吸した後、改めて永琳を見つめ返した。相変わらず永琳は変わらぬ姿勢でこちらを見たまま、答えを待っていた。少しでも足を崩して、穏やかな笑顔で居てくれたなら、どれだけこちらも気が楽だろうと思いもしたが――そのせいでにとり自身、真剣にならざるをえず。苦し紛れに、

「ちょっと、ちょっとだけ考える時間頂戴」

そう言うと、手で顔を覆った。



「本当に、大丈夫ですか?」

にとりは、永琳の提案にのった。寝室へと彼女を通しベッドへと座ると、永琳が隣に腰を下ろしながら、にとりを見つめて言った。大丈夫かと言われれば、大丈夫ではないのだが、他に問題を簡潔に解決できる案は浮かばなかったのだ。――そう頭の中で独り言い訳したが、好奇心は少なからずあった。首を縦に振れば、自動的に『抱かれる』のだ。初めてはどうすれば良いのか不安だ、という気持ちと、リードして貰えるかも、という気持ち。どちらもがその後押しをしたのだった。
 一方。永琳は――こちらはこちらで、困惑していた。永琳の提案は、確かににとりの課題をすべて解決できるものであったが、半分は冗談の意味合いで言ったものだった。にとりが真剣に自分の願いを叶えようとしてくれている。その上でまた、苦しんでいる。自然と陥ってしまった暗い雰囲気を取っ払うつもりでの一言だった。かたい空気が少しでも砕ければ、にとりが即答で拒否したとしても永琳にとっては成功であり、万が一にしても快諾なら快諾で、成功であったのだ。もし失敗があるとすれば、にとりが重責を感じながら自分の案を飲むこと――結果として、それを見事に射貫いた形である。
 勿論、永琳にとって半分は本気の言葉であった。自助努力で何とかできる限りは何とかしたいというにとりの気持ちに喜びを感じながらも、その傍らで危うさも感じていた。今回のプロジェクトで永琳にとっての一番の失敗とは、製品が完成しないことでも、永琳の性生活が周囲に判明することでもない。にとりにトラウマを残さないかどうか、であった。もしも彼女が重責を感じ、欲した体験を求める為に方々に駆けまわり、望まぬ結果、凄惨な結果を産んでしまったとき。永琳は、責任が負えない。状況を挽回することもできない。自分の体を差し出すことは、それらを解決するためには良い策だったのだ。

「う、うん。ダイジョウブ、かな」

ぎこちない笑顔でにとりが答え、永琳は頷きながら自分のポケットから薬を取り出した。依頼をした日、にとりに渡した薬と同じものである。そっとにとりの唇へとそれをあてがうと、にとりは一気に頬を赤くしたが、そのまま受け取り飲み込んだ。この薬には生やすこと以外にも煽情的にさせる作用や、感度をあげる作用がある。緊張にすべてを支配されてしまうよりは、薬に頼るという力任せな方法を取ってでも幾らか楽しんで貰える方が良いという永琳の判断である。尤も、既ににとりの頭の中は緊張どころか、真っ白に近い状態になっており、目の前で起きていることをただ受け入れること以外は何もできていなかった。にとりとしては、全面的に永琳の善意に頼りきること、それが彼女の考える一番精神衛生を保つ手段であった。

「灯り、消しましょうか」

永琳の言葉ににとりが頷き、ベッドの脇のボタンを一つ一つ押し下げる。遮光性のカーテンのお陰で、昼であるのに灯りが消えただけで部屋は暗くなり――また、少しだけ室温があがったのを永琳は感じた。
 永琳はにとりを見つめていたが、一方でにとりは永琳の顔を見ることができなかった。永琳と顔を合わせ、その瞳の中に自分の姿が見えるだろうことが怖かった。目隠しをした訳では無かったが、その恐れからか知覚は少し過敏になっており、自分より少しゆっくりしている永琳の呼吸、自分の見知った寝室内に漂う彼女の匂い、それらを強く感じて指先が震えていた。それを悟られることすら怖く、手は太ももの下敷きである。
 永琳はにとりの様子を窺いながら、薬の効果が出るより先に何とか怯えを取り去れないか考えていた。部屋の趣味や彼女の様子から、自身がどうやら頼られているということは感じている。薬の効果が出れば少なくとも軽減はされることは分かっていたが、そんなことを意識せずとも楽しめる位になってほしい。薬の効いている間は良いかもしれないが、切れ始めてから精神的に追い詰められてしまうのではないか。それが不安で仕方がないのだ。今ですらにとりは大丈夫だと言うが――疲労を起こした針金やひび割れたガラスの様に、簡単に砕けてしまいそうである。あまり、時間が無い。

「にとりさん」

永琳が呼び、にとりが振り向く。一瞬だけ視線が重なったが彼女はすぐに顔を下ろした。ゆっくりと抱き寄せるとにとりはきゅっと呼吸を止め、されるがままに永琳の胸の中に飛び込んだ。頭を撫で、ゴム製の髪留めを解くと、青い髪の毛が肩の上へと落ちた。普段見るときは帽子を被り、横に広がって見える様に髪を結んで居たから、撫でれば頭の小ささに少し驚いて。ひとしきり指で梳き終えると、にとりの体を抱きしめたまま、ベッドの上へと転がった。
 彼女の頬で温まったところで、にとりを自分の体の上へと馬乗りにさせた。その体の軽さに、ちゃんと食べているのだろうかと一瞬心配したものの――どうやらにとりが気遣って体重を預けきっていないようで。大丈夫だと声をかければ、ちょっとだけ太ももに乗った重さが増したのを感じた。

「服を脱がせてもらって良いですか」
「わ、私が?」
「はい。ここから外せますから」

にとりの手を引っ張り、体の中央を走る留め具の紐へと彼女の手を導いた。腰回りから上がりながら少しキツめに留められたそれは、胸の辺りで少し緩くはなるものの、それでもきつめに引き絞られている。首元近くの結び目をにとりが解くと、胸の圧に負けた紐はひとりでに解けていった。

「こ、これキツくないの?」
「キツいんですけど、緩いと胸元が開いちゃうんですよ」

――やっと自分から喋ってくれた。そう心の中で安堵しながら、永琳もにとりの服に手をかけた。柔らかな綿の感触。紐にやきもきしているにとりに促せば、彼女は袖を引き抜いて。袖を引っ張り脱がせると、現れたのは薄手のキャミソール。裾はさらりとした肌触りだが、緊張で汗をかいたのか、肌にくっついている部分もある。透けてこそいないものの、お陰で体のラインは薄暗い部屋の中でも分かりやすかった。
 紐もいよいよ緩め終わり、永琳も袖を引き抜いた。永琳の服の下は――にとりから見れば大きな下着。外に着ていた服の片側の色と近い黒色である。いざ衣服の隙間から見えても問題無いように着こんだものであったが、服を取り去ってみると素肌の色と対照的で、思わずにとりは口の中に溜まっていたものを飲み込んだ。にとりに胸ばかり見られ永琳も少し恥ずかしかったが、興味を寄せてくれている内が勝負だとばかりにその下着さえ脱いでにとりの前に胸を晒した。

「どうかしら」
「すごく……大きいです」

見たままを正直に答えたにとりを笑い、永琳もにとりの下着に手をかけた。先に永琳が脱いで見せたこともあってか、にとりはほとんど抵抗することなくキャミソールを引き抜いた。こちらはとても小さい。永琳と比べて、であるが、にとりの同年代の子の中でも、にとりは小さい方であった。彼女に性知識を垂れ流した友人のことを思い出す。彼女も昔はにとりより小さな胸を持っていた。眉剃りに失敗し、目から上をバンダナでグッと纏めると、その胸も相まってとても小柄に見え、その姿をよく笑ったものであった。しかし時が経つにつれ、彼女の胸はにとりに比べてどんどんと大きくなっていき――『経験が増えると胸が大きくなるのよ』という冗談を信じたくなった程である。
 ちらりと、永琳がにとりの股へと視線を走らせる。水色だったはずのスカートは、部屋の暗さのせいか今は紺色に映る。まだ薬は効いていないようだ。スカートに膨らみは見えない。見えるのは肌色のにとりの足だけだ。スパッツを着ることがあるのか、膝の上少しした所から色が変わっており、そこから先は薄い色をしている。永琳が指で境目を撫でると、にとりは持ったままだったキャミソールを胸元でかりかりと掻き、不安の色は随分と薄まったようであるが――今度は手持無沙汰にも似た、戸惑いを感じる。永琳にとってはにとりのしたい様にしてくれれば一番良かったのだが――自分自身の初めてもこんなものだった、と、ひとりで納得していた。

「ファーストキスは、誰だったんです?」
「う、うぅんと……。お友達かな」

それが具体的に誰であるのかは永琳には分からなかったが、これで唇を奪っても彼女の初めてを奪ったことにはならない。そう分かってホッと胸を撫で下ろした。永琳の初めては随分と薄まった遠い思い出の中だが、その時は、自身からしたのだということを永琳は覚えている。今思い出すと青りんごの様な味わいであったが、その瞬間はとても幸せだったこともまた、確かであった。

「にとりさんの唇はどんな味なのでしょう」

悪戯にそう言うと、にとりは顔を染め上げた。その手からキャミソールを奪い、手を引いて。ゆっくりと体の上へと引き倒すと、にとりの顔はすぐ鼻先に迫った。肌の強張りを感じながら、顎先を指で掬い、そっと口づける。作り立ての大福の様な柔らかさと温かさだ。その味は――永琳も良く知っているものだった。沢で取ってきた山葵、塩、梅、そして白米が似合いそうな、濃い緑茶の味である。先ほどまで居間で飲んでいたお茶の味そのままであった。
 親鳥からご飯を奪う鳥の様に、永琳がにとりの唇を弄ぶ。美味しい物が出てくる訳ではなかったが、こうしている間が永琳はたまらなく好きだった。永い暮らしのお陰で賢者と呼ばれる程には知識も知恵もつき、雰囲気から相手の心も読めるようになった。しかし、唇に頼っているときだけは、自分の中に元来備わっている感覚や勘が変わらず、そして曇らずに働いてくれる。体調を崩せば視覚に聴覚、味覚や嗅覚ですら鈍ってしまうが、この唇の感覚は別格だった。そんな永琳がにとりの唇から感じたのは、戸惑い、不安。そして、僅かながらの悦び。知らず、そして慣れないことだからこそ永琳に身を任せている彼女であるが、裏を返せば永琳からの好意を浴び続けているのだ。普段自発的に動くその反動か、奔流とまではいかずとも身を流されてしまうその刺激は、知って良かったのか怖気づく程に甘く。いざ唇、顔が離れた後は、永琳の目から視線を外すことができなくなってしまっていた。
 魅了の魔法に取りつかれたように、永琳の目をにとりが見つめる一方、永琳は彼女の残りの衣服に手をかけていた。もうそろそろ薬の効く時間である。服の中で生えていくその様子を見るのも一興ではあったが、今更この雰囲気を羞恥で染め直す必要はない。にとりの課題が解決した訳ではなかったが、彼女が楽しみ始めてくれた時点で永琳の目的は達成したも同然であり――永琳も、穏やかな気持ちで楽しみたかった。

 何もかも脱ぎ去った後は、二人してベッドの中へと潜った。普段寒い床に寝ている永琳にとって、にとりのベッドの中は羨ましさを感じる程に温く、そして何よりも柔らかい。程良い沈み込みで仰向けも横寝も腰に負担がかからない。診察室のベッドとは段違いである。

「何だか楽しそう」

にとりにそうまで言われる始末であった。互いに胸元まで覆ってしまった後も、にとりは永琳を期待のまなざしで見つめ、その手もわざわざ永琳に見える位置まで持ってきて、ちょこんと置いていた。普段身近に居る小さい者は老獪で、どこまでもあざとい性格であったこともあってか、そういう姿を目の当たりにするのは姪っ子ができた様で、自然と笑みが零れた。

「こういうの、久しぶりですから」

にとりの体を引き寄せて、その背中を撫でながら永琳が答える。にとりの着けていた肌着は吸湿性に優れていた様だ。さらさらとした感触で、ゆっくりと、そして触れるか触れないかの際をなぞると、産毛の存在を感じられる程である。そういう触れられ方というのは彼女には初めてであった様子で、酷くくすぐったかった様子であるが――期待に満ちた目は、喜んでいた。
 いよいよ薬の効果が現れてきたのは、再び口づけを交わした後であった。にとりは永琳に悟られまいと静かに気持ちを整えたつもりであったが――永琳から見れば荒れ始めた呼吸も、そして衣擦れに反応する姿も、唇の感触からすべて察しがついていた。それでもにとりが落ち着くのを待って、ゆっくりと問いかける。

「お薬、前お出ししたのと同じですけれど、これが初めてでしたか?」
「……ううん。貰ったのは、もう試したんだ」

その時、果たして自慰をしたのか。永琳は気になったが――少なくともにとりを見る限り、トラウマにはなっていないと分かっただけで満足であった。そんなにとりが、ふと永琳の手を取り。そっと、自身に生えたそれに触れさせた。先ほどまで撫でていた背中に比べると随分と熱かったが、覚えがある熱さではあり、また、期待に先はぬめりを帯びている。

「あの、これって……その。本当に入るんですか?」

にとりの問いかけに永琳は微笑み、触れていたものを自分の股の間まで導いて。それから一息ににとりの体を抱き寄せた。準備万端とまではいかなかったものの、ジャムに匙を差し込んだときの様な音と共ににとりのものが永琳の体の中に沈んだ。刺激が強かったのか、にとりは目を見開いて、久方ぶりに視線を目から逸らした。いつの間にか握っていた永琳の腕にはにとりの爪が食い込んでいたが、永琳はさして気にも留めず、にとりの様子を眺めながら、止まってしまっていた呼吸が元に戻るのを髪を指で梳きながら待って。そして改めてにとりの体を自分の上へと乗せなおした。

「ほら、この通り。……刺激が強いようでしたら、少し落ち着くまで待ちましょうか」

永琳の言葉ににとりは小さく何度か頷くと、膝を立てた永琳の体の上に寝そべって、長い息を吐いた。慣れない刺激だ、あったかい、腰がむずむずする。そんなことを思ったままに呟きたかったにとりであったが、それらを口に出すことにも勝る最優先の事態が起きていた。射精しそうだという危険信号が、既に頭の中で飛び交っている。自分の発した声が体に、下半身に響くことすら躊躇う程で、既に太ももは緊張でかちかちに固まってしまっていた。
 永琳はそんなにとりの様子を密着する肌で感じ、胸で休むにとりの髪の毛を撫で、梳いて、待った。もし今、にとりのお尻を引き寄せ抱きしめたら、激しく唇を奪ったら、自ら腰を振ったなら。たった数秒の簡単なことで、にとりは情けなく果てる。そういう楽しみ方も、本当はしてみたい。永い生活の中で、今の状況に近い場面も無かったわけではない。が、永琳はそのすべてで、自分を抑えてきた。一時の快楽、娯楽としては恐らくとても良い物であっただろう。しかし、もしも天秤にかけるなら。する側よりはされる側に回りたいのが永琳の本音であった。可能性としてそちらに転ぶ確率がどんなに低かったとしても、あるのなら、消してしまいたくない。結果として上手くいったことは過去に一度もなかったが――それが永琳の性癖であった。

「永琳さん」
「はい。大丈夫そうです?」
「それはもうちょっと待って。ねえ、永琳さん。……痛く、ないの?」

にとりの小さな声に永琳は首を振った。破瓜の痛みとは、もう永琳は無縁の関係である。にとりがそう尋ねたのには理由があった。生やしたもので感じるものは全体を包む密着感、僅かの圧迫感である。永琳が慣れて脱力しきっていることも影響はしているものの、自分が入れられたとき、この程度の圧迫感で済むはずがない、と、そう感じたのだ。

「私も初めては少し痛かったですけど、今は大丈夫ですよ」
「そっかぁ」

痛かった、という言葉ににとりが反応し、小さなため息を零した。締め付けられる、切れる、刺さる、ぶつける。そういう痛みはにとりにも経験があるものの、張り裂ける痛みは――まだ、経験が無かった。にとりに想像できた一番近そうな痛みは、ドアと床の隙間につま先を挟んで爪がめくれる痛み位である。

「……そういう痛みを和らげたり、防ぐお薬も用意できますから。どうか安心してくださいな」

心配した永琳の言葉に小さくにとりは頷いて。それから一度大きく深呼吸した。

「うん。私も、そろそろ大丈夫そう。……動いてみても良いかな?」
「勿論ですとも」

返事を聞いたにとりはゆっくりと上半身を起こし、根本まで刺さっていたものをゆっくりと引き抜き――そしてまた腰を押し進める。滑らかに動く歯車を作ることのできる彼女にとって、恥ずかしさを感じる程にぎこちない動きであったが、永琳はそんな姿を見て喜んでいた。自身の肉が引き摺られ、ぴくりと筋肉に力が入った瞬間に、にとりの動きもまた一瞬ぴたりと止まるのである。にとりから永琳に注がれる目線は心地よさを訴えたり快感に耐えたりと、ころころ入れ替わっていったが、たまに見せる許しを請う様な目は、永琳にとっては一番のご馳走であった。
 頑張って、頑張って、と。心の中で応援し、脇に立てられた彼女の腕に手を添えて。一生懸命なにとりに嬉しそうな笑みを零し、呼吸の乱れるにとりに、わざと自分の呼吸も同調させる。気付いたにとりは顔を茹で上げさせ、呼吸を抑えたが――永琳は構わずに、やや荒れた呼吸のまま愉快そうな眼でにとりを見つめた。

「にとりさんって可愛い」

永琳にとっては思ったままの一言である。悪意などは欠片もなく彼女の見たままを伝えた言葉だったが、射精感を何とか我慢しているにとりにとってはポジティブな言葉もネガティブな言葉も、囁かれただけでタガが外れてしまいそうであった。先日にとりが独りでしたときは、相手は自分の手であり、指であった。自分の意識のままに強めることも緩めることもできたのだ。永琳の中は、そう易くない。我慢の為に動きを止めても、永琳が一度腰をくねらせればその努力も水の泡になってしまいそうな程、にとりには綱渡りである。
 しかし、そんなにとりの努力も虚しく、限界はどんどん近づいていた。動き方の変化や筋肉の強張り、呼吸の変化はすぐに永琳も気づいて、永琳はただ見つめたまま、その瞬間をじっと待って。いざその瞬間を迎え、にとりの腰が一度大きく引けたのを確認すると、立てていた足をまわし、その腰を強く抱き込んだ。深く飲み込まれた感覚ににとりは目をぎゅっと閉じ、呼吸を止めて。押し付けられた胸の中、自分の体から音を立てて体液が溢れていくのを体の中で感じていた。
 長く呼吸を止めた後、にとりは大きく息を吐いて、体の力を抜いていった。虚脱感、満足感、そして喪失感を覚えながら、スイッチを入れられたように途端に冷静になってしまった頭。恐る恐る永琳の顔を見上げると――永琳は天井を眺めており、少ししてにとりの方へと振り向いた。それから普段通りの笑みを見せてくれたが、にとりにはそれが少し、申し訳なかった。

「ごめんね、独りだけ楽しんじゃって」
「あら、そうでもないですよ。それに……」
「……それに?」

脱力しきったにとりの体ごと、永琳が寝返りを打ち、馬乗りになった。

「にとりさんのだって、まだ萎えた訳じゃないですし」

永琳の言葉ににとりは苦笑いを返した。永琳の言うことに間違いは無かったが――そもそもそうなってしまうほどの薬効をもたらしたのは他ならぬ永琳である。自覚はしているためか、得意げには言ったものの、耳は赤い。

「次は私が動きますから、にとりさんはどうぞお休みになっていて下さい」

まるで患者に接するように優しくゆっくりと囁いた永琳であったが、にとりからすれば既に休まる状況ではなかった。体勢を変え、体を支える為に力の入ったその体。動いていない今ですら、片手で緩く握られている様な感覚が生えたものを包んでいる。外気に触れる部分は乾き始めた体液で少しぺりぺりとしていたが、中は永琳から湧いた物に精液も混ざって、ぬるぬるとした感触はより一層強くなっていた。
 永琳が投げ出されていたにとりの手を拾い、指を絡めて握る。白く細長い指。振り払おうと思えば簡単にそうしてしまえる程に永琳が込めた力は弱かったが、それが憚られてしまう位に永琳は幸せそうな顔を浮かべ、にとりのことを見ていた。にとりもまんざらでは無かったが――永琳が腰を動かし始めて、後悔した。
 永琳はにとりに気を使っている『つもり』である。体には無理な負担がかからないように呼吸から力の入り方まで一つ一つを見ていたし、精神的な傷を負わないように垣間見えるにとりの意思は尊重している。が、そうでない部分となれば話は別であった。永琳から見た快楽の許容量を超えないのであれば、どこまでも気持ちよくなって欲しかったし、明確に拒否を判断できるものでなければ、行為をそのまま続行する気で居た。彼女の動きは、傍から見る分にはとてもゆったりとした、それこそ子供を寝かしつけるときと変わらない程の至って穏やかなものである。そのお陰で、永琳の粘膜の感触も、永琳の詰まる呼吸に合わせてかかるその圧も。にとりの頭の中にどんどんとその感覚がなだれ込んで来ていた。幸か不幸か、ほんの数分前に達したばかりのにとりにとっては、そんな永琳の動きですら堪え難く、自分の腰が跳ねるのを抑えることすらできない程であった。とめどなく与えられる感覚に、普段出さないような声も漏れ出て。口を押えようにも、手は依然として永琳が幸せそうに握ったままである。今さら放してほしいとも言い出せず、幸せそうな気分を壊す気にもなれず。なんとか目で伝えようとしてみたが――永琳はただただ好意的に受け取って、嬉しそうな顔をにとりに返した。
 にとりがぎりぎり我慢できるその限界の際を行ったり来たりさせている永琳であったが、永琳は永琳で、自身の気持ちよさを求めて、その動きを少しずつ狭めていた。普段独りでしているときの、お気に入りの場所。そこを掠るように、にとりに生えたものを指の代わりにして楽しんでいた。にとりより長く生きてきたせいか、そもそも、そういう気があったのか。どちらかと言えば永琳はにとりより感じ易い方であり、自身も限界が近づいてくると、にとりの手をぎゅっと握りしめて。彼女に対して自分が動くと言った手前ではあったが、そんな彼女から『手助け』をして貰えないかと目で訴え――ようとして、諦める。長い間強い刺激で焦らされ続けたせいで、顔こそ笑っているものの、それどころでは無さそうであった。ちらりと永琳が振り返れば、にとりの足はぴんと伸びて、踝の辺りで交差している。足の指に至ってはぐっと曲げこまれて、爪すら見えない程だ。
 ちょっと時間をかけ過ぎたかもしれない。永琳は心の中でそう呟いた後、腰の動きを少しずつ強めていった。ぎゅっと握られたような感覚と、繋がっている部分から溢れだした体液の温かさ、その体液が弾ける音のお陰でにとりはもう我慢できないと焦りはしたが、一方でもう我慢しなくても良いのかな、と。少しだけ安心していた。永琳が握り、にとりが握り返し。永琳の動きが硬くなり痙攣に変わったところでにとりは我慢することを止めた。
 今までと比べ物にならない程収縮し、中に溜まっていた体液は行先を失ったように外にあふれ出て。そんな窮屈な所へ、にとりが更に迸る。先を押さえたホースの様に、勢いよく溢れ――跳ね返ってくる感触すら、感じていた。見上げた永琳の体は恐ろしく強張っていて、おへそへと視線を向ければ、柔らかそうな脂肪の向こうに薄らと腹筋の形が浮かび、ひくひくと動いている。永琳の指の力がやっと抜けた頃には、にとりは少し落ち着き始めていたが、永琳は長い呼吸を繰り返し、普段の白さが分からなくなってしまいそうな程、顔を赤くしていた。
 永琳が手を解いたところでにとりは体を起こし、永琳を抱きしめて。それからゆっくりと彼女の体を横たえた。どさりと永琳の体が落ちると、その勢いで長く埋まっていたものはずるりと抜けて――改めて永琳の中が温かかったことに気づいた。永琳は目元に腕を載せ、荒い呼吸のお陰で肩は大きく上下していた。胸をじっと見つめてみるとすっかり主張した胸の先端も目に入ったが、何よりその下で大暴れしている鼓動が肌に表れている。

「大丈夫?」
「う、うん。……はい。大丈夫です」

浮いて流れる玉の様な汗。冷えないように肌蹴ていた布団をかけると、永琳は短くお礼を言った後、静かになった。生えて、そして猛っていたものが収まったことにホッとしつつ、にとりも隣に加わって。余韻を邪魔するかもしれないとは思いながらも、そっと抱き着いた。

「ごめんなさいね。ベッド汚しちゃった」
「ううん。ちゃんと替えだってあるから」

腕を下ろし、永琳がこちらに向き直る。耳はまだ尚赤さがあったが、それも少しずつ引き始め、普段の透る様な白い肌に戻りつつあった。

「ご無沙汰だったのではしゃぎ過ぎちゃいました」
「……私も、気持ちよかったもん」

にとりの言葉に、とても小さな声で良かった、と永琳が呟いた。

 ゴーン、ゴーンと。居間の方で時計の鐘がお昼を知らせた。永琳の顔を見つめると――いつの間にか眠っていた。思えば、今日は来た時から疲れていたのだ。徹夜で仕事をしていたのか、それとも朝が忙しかったのか。それはにとりには分からないことだったが、まだしばらく彼女が目覚めないことは、その寝顔で判断がついた。
 お昼ご飯の準備のために、一人静かにベッドを抜け出し、投げていた衣類を身に着けていく。既に乾いていたが、体液まみれになっていた所はぺとぺととした感触が残り、衣服に擦れると少し痒く、スパッツを履いて長時間運動した後の様な感覚だった。何より、ちょっと慣れていない匂いがする。寝ている永琳のことを思うと、いまだ生えたままの股の間がむずりとして。慌てて頭の中の景色をかき消した。
 普段独りで食べることの多いにとりの家には、もてなせる程の食材は残っていなかった。お味噌汁とご飯の準備をしながら、余っていた食材を集めていく。結局できたのはたんぱく質が温泉卵とお味噌しかない、質素な昼食。一応、主菜はえりんぎと韮、人参と玉ねぎの入った野菜炒めだ。ささやかながら、えりんぎはバターソテーである。

「永琳さん。お昼ご飯、作りましたよ」
「あら……あらあら。頂いて良いの?」
「はい。もうお昼ですから」

にとりのベッドは外から見ると、ベッドカーテンのお陰で影しか見えない。部屋の入口から覗いていたにとりには、体を起こした永琳の影がいそいそと袖を通していく様子が見えていた。凹凸のある体。それはカーテン越しでも良く分かり、羨ましくて。にとりは思わず、自分の体を抱いた。
 食卓につく。先ほどまでお披露目していたディルドは今、ちゃぶ台の横に置かれていた。熱に弱い訳ではないが、韮とバターの匂いがついてしまうのは困るので既に箱の中だ。横には永琳が持ってきていた荷物。丁寧に包まれていたが、箱の大きさはどちらも同じくらいであった。

「頂きます」
「はい。どうぞ」

手間を惜しんだためか、永琳の髪は頭の後ろで一つに束ねられている。普段の結い方の影響か、纏めたところから先はいくつかの房ごとにくるりと渦の形に巻かれていた。にとりの側からは永琳の体のお陰で髪は良く見ることができなかったが、しっかりと髪の毛を束ねたせいで耳は良く見える。白色であるが、たまにちらりと視線が重なると、ほんの僅かに桃色に染まった。

「永琳さんって、恥ずかしがりやなんですか?」
「んー……。そういうつもりは無いんだけど。長く生きてても恥ずかしさは人並みにあるわ」
「永琳さん、美しいですもんね」

また、耳が赤く染まる。顔は凛としているが、褒め殺ししたら大変なことになりそうであった。

「食べ終わったら、また少しお話させてほしいんだけど。……永遠亭の皆さん、永琳さんが帰ってこなくて心配してませんか」
「してるかもしれないわね。私は……今日はご挨拶と、そこの箱を届けに来ただけだったので」

そう言って永琳がちらりと、ディルドの横の箱を見つめる。

「あれは?」
「今朝は茸狩りをしていたんですよ。その、お裾分けに。ちゃんと食べられる安全なものですから」

そっか、と。にとりが呟く。にとりが聞きたかったのは大したことではない。シャワーの用意があることと、次にいつ来る予定か。それを聞いておきたかっただけなのだ。永琳が薬を用意してくれるとは聞いていたものの……心の準備はしたいし、しっかり体を綺麗にしておきたい。もしも今日みたいにご飯を作らなければならなかったら、ちゃんと食材だって準備しておきたい。

「ありがとう。後で改めて頂きます」
「……今日は優曇華達と一緒に行ったんです。筍は一人でも簡単に取りに行けるんですが、茸はなかなか。魔法の森の魔法使いに同行して貰うようお願いしたら、もう少し楽だったのかもしれないですが。ちょっと、久しぶりに疲れました」
「魔法の森の……魔理沙?」
「はい。ご友人でしたか」
「うーん。うん。一応。色々と手伝って貰ったり、手伝ったり。最近はあんまり話してないけど」

大きな交流があったのは、山の神様でひと騒動あった時と、地底で悶着があった時だけである。魔理沙はにとりに『これができないか』『あれができないか』と、色んな要望を抱えてやってくるが――あまり対価を大盤振る舞いしてくれない。不思議といつの間にか言い包められてしまうのだ。話が丸く収まっていることに違いはないのだが、いつもどこか、振り返った時に損をしている気になるのである。
 魔理沙のこと。里のお話。求められる薬の傾向。怖い巫女のこと。永琳とのご飯を進める間、色んなことをにとりは聞き、また返した。普段の宴会では、気さくで優しい、でもどこかミステリアスな永琳であったが、いざ二人きりになって話して思うことは、そこまで遠すぎる相手でもないということだ。確かに大きな距離はある。が、次元が違うという程離れてしまっている訳ではない。椛にも似た印象は持っていたこともあってか、少しホッとしていた。

「ご馳走様です」
「お粗末様です。シャワー、ありますけど。浴びてきます?」
「はい。……少し、垂れてきてしまったみたいで」
「垂れた?」
「……こう、体の中に出していただいたものが、ちょっと」

今度はにとりが顔を赤くする番であった。
 永琳がお湯の音を響かせている間、急いでにとりは洗い物を片付けた。永琳の体に比べて水はとても冷たく、炬燵の準備をそろそろしようかと思った位である。にとりの家によく訪れる椛は、炬燵を出せば非常に喜ぶのだが――椛が非番の日だと、眠ってしまうのだ。将棋の相手はしてくれないし、あまり寝ざめは良くないし。遊びに来てくれるのは嬉しいのだが、複雑な気分になる。お土産に持ってきてくれる川魚とか、お野菜とか。そういう所の羽振りは良くなるのだが。

「お湯、ありがとうございました。便利ですね」
「でしょ。うちの自慢だからね。梅雨の時期はちょっと弱いんだけど」

今度は永琳も、髪は結いなおしていた。完全には乾ききっておらず、寝る前に髪を解いたら大変なことになりそうであったが、濡れて銀に光る髪は交易品かと思うほどの美しさである。体を重ねている間ににとりも少し触れはしたが、毛先までさらさらした感触で、以前永遠亭に訪れたときの優曇華と同じ様に良い匂いがした。必要ないと思っていた香水が、少し欲しくなった。

「お話を、ということでしたが」
「ああ、うん。今後の予定について聞いておかないとって。そう思ってさ。まずはあのディルドなんだけど。次の作成は……次に永琳さんと、一緒にその。……した後が、いいなーって。今度してくれた後さ、色々、練ってみたいから」
「はい。それは先にお話頂いたことでもありますし、大丈夫ですよ。次の日付、いつにいたしましょうか」

ちらりとにとりがカレンダーに目を走らせる。予定が埋まっている訳ではないが、椛がふらっと立ち寄るような日程は避けたかった。
 決まった予定は、二日後。永琳の希望で、次も午前中だ。今日ご馳走になったから次はお弁当を持参する、と永琳は言い、にとりは頭を下げる。何か自分の方で準備しないといけないことは無いだろうか。そう思って尋ねてみれば、

「もう秋ですから、風邪を引きませんよう」


と。笑いながら永琳は答えた。

 永琳が帰った後は、非常に慌ただしかった。部屋のお片付けである。お昼ご飯の後改めて自分の部屋に戻ったにとりであったが、していた時に漂っていた独特の匂いは、ベッドカーテンの外にまで漏れ出している。永琳は疲れもあって眠れていたが、布団もシーツもべちょべちょである。幸い、マット側までは浸み出しておらず、その二つだけ洗えば良かったのは救いであった。尤も、その二つも特製の洗濯機と乾燥機を使えば、普段のお洗濯とまるで変わる所は無かった。
 片付けが済み、居間へと戻ってきたにとり。ベッドメイクまでし直したこともあってか、既に夕方である。じわりじわりと進む時計から視線を下ろし目に入ったのは永琳の残した箱。茸が入っている旨は聞いていたが、中を開けてみれば小ぶりの松茸が幾らか寝そべっていた。緩衝材に綿が詰められており、松茸を拾い上げればほんのりと土の香りがする。傘は少し開き始めており、傘の大きさは――少し前にお風呂場で初めて見たモノに近かった。少なくとも、あちらに比べればこちらの方が食欲はそそる。お吸い物。天麩羅。ただのお味噌汁の具としても。ただ列に加わるだけで贅を感じられる。

「でも、どうやって食べよう」

ちゃぶ台の前で悩む。自由にできるのならば、普段食べないような方法で使いたい。



「――で、うちに来たと」
「うん。頼むよミスティア」
「出店前ならお家から色々食材を持って来れたんだけど、うーん。……ちょっと考える」

やって来たのは便利な女将がいる屋台である。半分提供することで調理して貰えることにはなったのだが、メニューはすぐには決まらない様子で、普段の快活さに比べると恐ろしいほど唸っていた。最悪素焼きも覚悟していたが、ミスティアはそれだと名折れだ、と言い――にとりはとりあえず貰った串物を食べながら、彼女の案が煮詰まるのを待っていた。

「香ーり松茸味しめじー」

ぶつぶつと唱えながら火の回りをぐるり、ぐるり。

「一つは揚げ物にするわ」
「おー。楽しみ」
「もう一つは……うーん」

ミスティアがごそごそと、できあいの料理が並ぶお皿に歩み寄り、一つ屋台に似合わぬ装飾の容器を手に取った。

「それは?」
「これねー、少し前に紅魔館のメイドが来てさ。串と交換に置いてったのよ。中は白菜と豚のミルフィーユ。シンプルだから、もう一皿はこれに掛け合わせようと思う。それで良いかな?」
「良い良い。私は食べられれば満足だもん」

にとりの言葉に、ミスティアはホッとした様に笑った。
 包丁の叩く音や火の弾ける音。ぱたぱたとミスティアが自身を扇ぐ音や屋台の後ろを通る風の音。そういう音はあるけれど、二人とも口を閉ざすと静かな夜であった。今日は早く屋台に来たのに、まだ他に誰も来ていないのも大きい。

「下拵えもあるからちょーっと時間かかるけど、良い?」
「うん。ゆっくり食べとく」

昼は疲れた永琳が自分のベッドで眠っていたが、一方のにとりも何だかんだで疲れていた。既に生えていたものは消え失せているが、生えている時にした疲れは背中、腰にずんと残っている。そのほとんどが永琳の焦らしに耐えたせいだ。金属の運搬で足腰や腕に自信はあったのだが、することが違えば使う筋肉も違うのか、腰から肩甲骨に至っては既にパンパンになっている。もしも筋肉痛になったら、明後日はどうなるのだろう。その時自分は今日の永琳の様に動けるのだろうか。そう思うと、少し不安であった。

「何か行き詰ってるの?」

ふと、調理中のミスティアが尋ねた。にとりが顔をあげれば、透明なグラスをすっと差し出してミスティアが笑う。貰って一口飲み干せば、独特の香りが鼻から抜けていく。にとりもご近所からたまに貰う焼酎である。

「うーん。止まってはいないよ。ゆーっくり進んでる」
「ふぅん。じゃあ、何を悩んでるの?」
「んー……。ねーミスティア」
「うん?」
「……こう、初めてセックスしたときって、どうだった?」

豆鉄砲を食らったような顔をして、ミスティアが固まる。が、しばらくすると声を出して笑った。

「なあに、彼氏ができたの?」
「う、うんや?」

正しく言えば彼氏より彼女。より正しく言えば彼女より、愛人のようなものである。――一番正しく関係を表しているのは依頼主であるが。

「……そうだねぇ。私の初めてねえ。んー、私の場合は彼氏じゃなくて彼女、なのよね。まあ永遠亭の凄い薬を使ったりしてやったんだけど、痛かったみたいね。向こうは」

自分と似た状況だ、と、にとりは貰っていたグラスを置いてミスティアを見つめる。料理中であるためか、にとりの視線には気づいていない様だ。

「お股を押さえて、でも恥ずかしいのかお尻が痛いーって。した後はそう言ってたねぇ。でもまぁ、楽しそうではあったよ。私は……まだ、そういう痛みを体験してないんだけどさ。たぶん、大丈夫なんだろうなって思える。あっちもそうだったんだから」

ミスティアの言葉に少し安心して、ほっと息を吐く。我慢できる痛みなのかどうか、それはやっぱり分からないが――初めてでも、楽しむことはできるのかもしれない。今日はほとんど永琳に動いてもらうばかりだった。たぶん、次もそうなるだろう。勝手がわからない身の上ではとても有り難いことではあったが、せめて、笑顔くらいは返したい。そう、ありたい。

「あら」
「どしたの?」
「ううん。塩水につけなくて良さそうだって、ただそれだけ。ちょっと早くできそうかなー」

そろそろ手持無沙汰になってしまいそうなお皿へ焼けた串を盛りなおし、そう言いながらミスティアが包丁を躍らせ、まな板の音が響く。二つ作ってくれると言っていた。果たしてどちらが先にできるのか。

「で、にとりの相手はどんな人なの?」
「……良く分からない。どう接したら良いのか、分かんない。凄く優しいんだけど……そんな人だよ」
「そういうときは自分の気持ちに嘘をつかなきゃいいのよ。素直っていうか、正直っていうか。自然体って言ったらいいのかなー。相手に嘘の自分を見せるよりは、良いことだと思う。本当にこれでいいのかなって不安になるだろうけどさ、自然体で付き合いができる相手なのなら、それで十分だと私は思うなー」

ミスティアが伝えたいこと、というのはにとりも勿論くみ取っていたが、それを実践するのはとても難しいことだとにとりは思っていた。自分というものがよく分からなくなることがある。頭の中の三人組のそれぞれもにとりの人格であり、彼女らの意見を聞くことのみに徹し、行動するにとり自身もまた一つの人格である。本来の自分とは一体なんなのであろうか。行動を起こすにとりは最後の一人を指すが、行動には迷いが生まれることがある。一方で、意見を出している三人は、最低でも一人は迷いを持たない。
 素直になるというのはどういうことだろう。その都度、迷いのない選択肢を提供した人格に従うことだろうか。迷いのない選択肢を与える頻度が最も高い人格に従うことだろうか。言葉の意味のままであれば前者に、過去の行動や確率を見るなら後者に傾くように思え――にとりは、ため息を吐いた。

「あんまり、考えすぎないことね」
「気になっちゃうんだよね」
「うん。だからこそ、考えすぎない。どうしても分からなかったら、相手に手綱を握って貰うのもできるんだからさ。そういうときに大事なのって、一緒に楽しもうっていう気持ちだと思うんだ。私も、そして貴女も楽しもうっていう、そういう気持ち。……はい、一品目」

カタン、という音と共に、お皿が一枚渡された。揚げ春巻き。松茸らしいものは外には見えない。端の方はきつね色もいよいよ濃くなって、乗せるときの力で破れたのか、割れた衣の欠片がぽろりと落ちた。胴体は小麦色で、ほくほくに上がる湯気と表面を走りざわめく油が口に入れることの危険性を訴えている。

「熱いよ!」
「見れば分かるよ!」

衣の奥にはたくさん詰め込んだのか、拾い上げればずしりとした重みがあり、ばりばりと、箸が勝手に衣を割って行く。もともと用意していた春巻に松茸を詰め込みなおしたせいでもあったのだが、いざ内側まで割れると、行き先を求めていた肉汁がじわりと零れた。香ばしい匂いであったが――松茸の匂いというよりは、もはや様々なものが混ざりに混ざった匂いである。何度も息をふきかけて、いざ口へと運ぶと――

「……あふい」
「そりゃそうでしょうよ」

思いのほかお肉は少な目で野菜が多い春巻であった。熱さのせいでなかなか噛むことができなかったが、その熱さが鼻に抜ける度に松茸の香りがふと漂う。惜しむらくはかなり混ざった匂いであることだが――そもそも作って貰っているのだ。告げる文句はなかった。ミスティアも気になったのか、一つ拾い上げるとひょいと口に放り込んだ。人には熱いと言っていたが、流石に味見で慣れているのか、熱がる様子は無い。しばらくして首を何度か縦に振っていた。
 春巻をあてにお酒を飲み進めるにとり。後の一品は少しだけ遅くやってきた。ミスティアが説明してくれていたものそのものであったが、上からとろりとした茶色いあんがかかっており、縦に割いた松茸が添えられていた。もともと貰った時点で味付けがされていたのか、胡椒の匂いと出汁の匂いも漂っている。あんからは湯気が出ていたが、かける物は冷えていたのか、最初は立ち昇っていた湯気は少しして勢いが落ち、今度は火傷しなくて済みそうである。一口、頬張る。折り重なる白菜も豚肉も柔らかい。調味料も丁寧に盛ったのだろう。厚みの割に味にムラがない。が、しかし――

「なんていうか。あれだね。あの、野菜スープの中を取り出してあんかけにした感じ」
「そんな身も蓋もない言い方されても。でも、まぁ、こっちは春巻と違って味も匂いもそこまで邪魔しないでしょ」
「うん。松茸で作った茶碗蒸しの蓋取った時みたいなふわーっとした感じ」
「楽しんで貰えたなら何よりね」

春巻と違い、今度はミスティアが摘まむことは無かった。かけるあん自体は味見をしていたから、味の予想がついていたのだろう。にとりを見てホッとした顔を浮かべた後は新しいグラスへとお酒を注ぎ、自身でちびりと飲み始めた。

「私ね、松茸は匂いよりも味の方が好きなんだ」
「そうなんだ」
「皆、香り松茸味しめじだーって。言うんだけど。何て言えばいいのかなー。しめじもとても美味しいんだけど、松茸は食感が凄い好みで。椎茸程口の中で主張しないし、噛んでる間は甘みもぐーって出てくるからね。他の人の評価と自分の評価が食い違うことって、食べ物だとよくあるんだよね。人の評価だってそう。にとりもたぶん、その相手の人としばらく付き合ってたらさ、色んな面が見えると思うんだけど。そこはにとりの見たままを受け取って、ちゃんとそれに応えてあげて欲しいな。にとりだから見せてくれた一面なのかもしれないし、気づいて貰いたかったから見えた一面なのかもしれないから」
「……うん。がんばる」

にとりが頷き、ミスティアもまた、頷いた。

 食事を終えて家へと帰り着く。部屋に戻ってから、換気すればよかったと嘆いたが今更である。お気に入りのパジャマへと袖を通してベッドへと寝転がれば、殊更に匂いは舞って――永琳の姿が浮かんで見える。にとりの手を握り、ゆっくりと体を動かす彼女の中の感触。その体温。あの白い肌のどこを赤くし、どこを揺らしていたか。落ち着いたはずの今でさえ、未だ感触は生々しく記憶に残っている。薬の効果が切れ、生えているものは消え失せ、媚薬の効果も既に切れていはいたが、それでも腰がぞくりとした。
 布団にもぐり枕に顔を埋め、やがて瞼の裏の像も消えたが、色んなことが頭の中を駆け巡っている。明後日、自分はどう振舞えばいいのか。松茸のお礼はどうしようか。明日は何をして過ごせばいいか。これから独りで体を慰めても良いだろうか――けれど、慣れないことをして、お酒を入れた体は疲れに正直で。遠のく意識に布団を口元まで引っ張ると、そのまま眠りに落ちてしまったのだった。



~~



 慣れないことを体験し、疲れていたにとりが目が覚めたのは、翌日のお昼過ぎである。居間の時計が鳴っていたはずであったが、それには気づくことが無く。彼女を起こしたのは、窓に当たる雨と、その窓を小さく揺らす風の音であった。にとりがカーテンを開け空を見上げると、雲の途切れている所はどこもなく、ずっと向こうまで雨雲が覆っていた。高い所は風が強いのか、その動きも速い。

「換気できたらなって思ってたんだけどなぁ」

呟きながらにとりが振り返る。ぺろんと掛け布団のめくれたベッドが目に、そして残り香が鼻についた。昨晩よりマシにはなっていたものの、少なくとも自分には分かる匂いである。恐らく、明日永琳がこのベッドを使えば永琳も気づくだろう。匂いの原因は汗に体液、普段使うものの香料など、色んな物が混ざりに混ざった物であったが、その内の一つが自身の放った精液であることが、恥ずかしかった。精液の匂いなど、知ったのもごく最近のことではあるのだが、そのお陰か、どんなに小さくなってもその匂いが残っているということはにとりにも良く分かってしまっていた。

「明日までにもっと匂いが薄れるのを祈るしかないか」

にとりはそう呟き、ため息を零した。汚れを取るのは洗濯機でできることであるが、匂いを取るというのはなかなか難しい。カーペットに零れたジュースなどと違い、空気に漂っているものは、部屋の空気の流れに乗ってやたらめったら色んな物に付着するからだ。家具に敷物、壁紙まで。そして換えようとしても換えた先から匂いは移っていき――最終的に薄れることは確かであっても、完全になくしてしまうことは集塵装置等を用いても難しいのである。
 お腹はあまり空いていなかった。ミスティアの店で食べたいだけ食べたからであるが、串物を多く食べたためか、喉が渇いていた。台所へと入り蛇口を捻れば、冷たい水があふれ出て。流しの横に立てかけたコップを拾うと、注いだ先からゆっくりと飲んでいった。一杯、二杯。そして三杯。お腹は疲れてしまったが、まだ眠気の残っていた頭はスッキリして。

「ん~~~~~!」

思い切りぐっと体を伸ばし、にとりは顔を叩いた。今日は既に、半日しか残っていない。体調万全で明日を迎えないといけないことを考えると、夜更かしもできないのである。今日は何をすればいいのか。何をすれば、私は安心して明日を迎えられるのか。
 戻った居間の冷たい座布団に座って、悩む。明日起きるであろうことを時系列を追って考えながら永琳の目から映るであろう自分自身を見つめ、何か不備がないだろうかと探っていくと、ふと気になることがあった。それは――毛である。髪の毛、眉毛に始まり、にとりは人目に触れるところは綺麗に整えている。時には水着も着るから、見える毛というのはそれこそ丁寧に処理しているのだ。が。目立たない箇所や人目に触れない箇所はまちまち、悪く言えば、手入れがされていないのが現状である。オフシーズンの膝や腕に薄ら残る産毛。露出多めの水着ですら隠れてしまう場所の毛。課題となる場所は思いのほか、沢山あった。
 昨晩触れた永琳の体はどうであっただろう。そう思って振り返ってみると、昨晩の自分は永琳の顔ばかり見ていたのだと気づいた。首から下、記憶にはシルエットもパーツもその色合いさえも揃っているのだが、突き詰めた詳細はどこか粗く、もやっとして、毛の有無は深く思い出せない。しかし、視覚の情報ではなく、触覚の記憶は残っており、触れた足や腕に毛の感触が感じられなかったことは強く覚えていた。下着に隠れた部分については毛の存在こそあったものの、非常に部分的で整いがあり、他の部分は綺麗に剃られていたらしいことが感触の記憶として残っている。

「……剃らなくちゃ」

駆け込んだ浴室。愛用のカミソリを手に、シャワーを浴びながら刃を滑らせていく。普段するときは自分の目でちらりと見て終わりであったが――今回ばかりはと、剃った先から撫でて、その感触を確かめて。気に入らなければ再び刃を走らせていった。普段は色の濃い毛や長すぎる産毛がある所のみ剃っていたこともあって、体中にカミソリの刃を当てるというのは、非常に根気の要る作業であった。特に、普段ほとんど手を入れない背中に至っては、本当に剃り残しは無いかどうかを確かめるのが難しく――処理した後も、僅かに不安が残る始末である。上半身を終えて下半身に入ると、今度は両手を使って確認しやすいためか安心感もあり、二度剃る様なことも減ってすいすいと刃は進んだ。たまにちらりとカミソリの刃を見てみれば、ほとんど無色に近い薄い毛が、思いのほかそこに佇んでいた。
 太ももが終わり、ふくらはぎが終わり。そして足の甲まで終わったところで、一息。まだ済んでいない箇所は一か所。

「……ちょっと怖いんだよねー」

カミソリの刃をしっかりと握り、おそるおそる剃っていく。永琳をモデルとし、ここはしっかり剃らねばという所から手をつけて、進めていった――が、少しして問題にぶつかった。

「なんか、バランスが悪い……気がする」

体を洗うための椅子に腰を下ろして足を広げてみたり、立ち上がって鏡を見つめてみたり。普段剃らずにいた場所を剃ったためか、映る自分の姿に強く違和感を覚えていた。その違和感をかき消すために、左右のバランスを少しずつ整えていくが、今度は縦のバランスが崩れ――

「これ、剃る前の方が良かったんじゃ」

不安がどんどんと湧き出てくる。バランス悪く見えるのは毛の長さが原因なのかと思い、少し短くしてみたが――

「あ」

一度お湯で流した瞬間、にとりは悟った。

「あー」

もう、取り返しがつかない状態になっていた。見た目は上から眺めた焼けた雑木林である。生え始めの頃の記憶が蘇る位に衝撃的で――にとりは二度ほど長いため息を吐いた後、グッとカミソリを握りなおしたのだった。

 お風呂場から出た後のにとりは、ひどく無気力であった。かつて友人の眉剃りを笑ったにとりであるが、今や自分がその立場である。幸い人目に触れるところではないとにとりも思いたかったが、明日は永琳に自分の体を晒すのである。既に彼女の前で体を晒した身であり、新しく取り入れたファッションや習慣と言い張るにはとても苦しく、問い詰められたら何と答えれば良いのか。永琳が生えていた手前、真似だとも言えない。

「もー、もー……ね。そう、すっきりしたんだから良いじゃない」

苦し紛れの言い訳をしながら、居間の座布団に頭を突っ込んだ。寝転がってみると、足の間がスース―として、とても寒い。そしてヒリヒリとした痛みが、段々と体中を襲い始めていた。普段カミソリの刃を当てないでいた皮膚が蜂起したようである。出血こそしていなかったが、とにかく――かゆい。恐ろしくかゆい。上は肩甲骨の間から、下はふくらはぎまで。いつの間にか自分でも掻いていたのだろう。長方形の爪の痕が何本も残っており、その内の既に何本かは時間が経っていたのか、ミミズの様に腫れ上がっていた。

「まあ、その内引くでしょ」

普段なら洗面所の化粧品棚を漁り、乾燥肌になったときのためのローションを塗るにとりであるが――もはやそんな気力すらも湧くことがなく、痒い所を痒いまま放置して、しばらく座布団の上に転がっていた。そんな中、雨音に交じって玄関の戸を叩く音が聞こえた。その叩き方は独特で、にとりも聞き馴染みの音であったのだが――

「……椛は今日はお仕事のはずじゃ」

カレンダーを見ても、彼女は非番の日ではなかった。今日も、明日も、見張りをしているはずなのである。
 玄関のドアを開けると、やはりそこには椛が立っており――ずぶ濡れであった。

「傘、壊れちゃって」

こんにちは、とも、やあ、とも言わず、椛はにとりを見るなりそう告げた。すっと差し出された傘は、骨が幾らか折れている。風はそんなに強くなかったはずだと思ったが、よくよく見れば傘も、そして椛も下の衣服も、泥が付いていた。

「怪我は?」
「足を滑らせて、ちょっと捻った」
「……そっちを先に言いなよ。ちょっと待ってて。タオル持ってくる」
「洗い流したいからシャワー貸してくれない?」
「あぁ、うん。そだね。浴びたら居間においで」

何度も遊びに来ているせいか、勝手知ったる他人の家、にとりの家自慢のシャワーは椛もお気に入りで、にとりの言葉を聞くや否や、履物を脱いで廊下をふわふわと飛んでいった。

「服も洗っていいかな」
「ああうん。使い方知ってるでしょ?」
「うん。この前教えて貰ったから……よいしょ」

洗面所の方から聞こえる声に返しながら、にとりは受け取っていた傘を改めて見直した。内側で受けている骨が二本折れていたのみで、幸い穴も開いておらず、紛失した部品もない。工房へと持ち込み、金属の軸を当てにして、折れた箇所をテープで巻いて補修していく。思い切り開け閉めするのなら話は別だが――椛も修理したそばからそこまで豪快に使うことは無いであろう。
 補修を終えた傘を玄関へと立てかけ、居間へと戻ったにとり。遠くで椛の口笛が響く中、戸棚の中から救急箱を取り出した。工房にも同じ救急箱があるが、あちらは切り傷や火傷に対する薬が多いのに対し、居間の救急箱はほとんど病気に対する薬である。その隅に腰を痛めたり足を捻挫したりしたときのための湿布が押し込まれており、残りは――何とか片足分は問題無さそうである。
 椛がシャワーを浴びて出てきたのは、かなり時間が経ってからであった。彼女は決して仕事をサボる性分ではないが、急いで出てきても服の準備が整っていないことを分かっているからである。現に結局彼女が浴室から上がっても、服はやっと脱水を始めたところであり、乾燥して着れるようになるのはまだ随分と先のことである。

「濡れた岩の上で足滑らせちゃってさ」

厚手のバスタオル一枚を体に巻いて出てきた椛。見ているだけで寒い格好であったが、椛はいつも外回りをしている影響なのか、寒さなど我関せずと怪我をしたときのことを語っていた。どうやら、雨が降ったこともあって、近くの川の状態を確認しにいっていたようである。にとりもお世話になっている川であり、椛が使ったシャワーの水も、その源を辿れば同じ川である。にとりは椛の言葉を聞いてその様子を想像しながら、目の前に出された椛の足を拾い、じっくりと眺めた。にとりと太さは変わらないが、筋肉の量が違うのか、少しかたい椛の足。切り傷は無いが長い擦り傷があり、踝とその上部が赤く腫れている。

「ちょっと動かさないでね」

幸い、傷同士の位置は離れていた。にとりに比べればずっと痛みに強い椛は、傷を消毒されても赤く腫れた踝を触れられても眉一つ動かさず、にとりの手の動きをただただじっと追って、処置が終わるのを待っていた。あまり髪を拭かなかったのか、垂れて落ちた雫が畳で跳ねる音が静かに響いた。

「洗って乾くのってどれくらいかかるかな」
「うーん。一時間はかからないよ」
「そっか。ずっと居間でこの格好も風邪引いちゃいそうだし、乾くまでベッド借りてて良い?」
「うん……う、いやちょっと待って」

椛の至極尤もなお願いににとりも頷きかけたが、部屋はマズい。あの部屋に起きている異変について、椛が気づかない訳がないからである。しかし、だからといって居間に居続けさせるのも、恐ろしく不親切である。上着を貸して何とか堪えて貰おうかとも思ったが――それも、部屋の中にあるのだ。匂い移りしていないとも限らないし、僅かでも移っていたら確実にばれてしまう。

「散らかってるの?」
「う、ううん。その……えっと」

椛が首を傾げ、目を瞑る。何か思い当たる節があるのか、ちらりと後ろ――お風呂場の方を振り返っていた。

「なんとなく、分かった」
「な、何が、かな?」
「にとりさ、永琳さんと普通じゃ考えられないようなセックスしたでしょ」

椛の言葉ににとりが固まる。何故、行為がばれているのか。何故、相手までばれてしまっているのか。にとりの様子を見て椛も確信し、そのまま続けた。

「お風呂場、3つの匂いがあったんだ。にとりの匂いと、にとりじゃない人の匂いと、あと……精液の匂い。にとりに彼氏が居たら私が気づかないはずがないって思ってさ。だから、相手ができたとしても、それってものすごく最近のことだと思ったのよね。で、先週。見回りしてるときに訪ねられたんだよね。にとりの家の場所。その、永琳さんから。あの人なら、そういう薬……売ってるって噂は、聞いてたからね」
「う、うぅ……」
「当たり?」
「……うん。当たり」

もはや言い逃れできる状況ではない。詰みである。観念したにとりが、消え入りそうな程小さな声で答えた。椛はその言葉に僅かに安堵したが、目の前のにとりの様子には困っていた。顔でお湯を沸かせそうな程に恥ずかしさをにじませた顔。これ以上深入りして欲しくないという震えながらもまっすぐに見つめる目。椛としては――実のところ、永琳と繋がっていようが繋がっていまいが、それはにとりの自由だと思っていた。確かにその事実には興味がある。しかしまず先立って問題なのは、どんどん冷える自分の体を早く落ち着けたいというところである。

「どうにかできないかな」

椛の言葉に、うーんと悩む声をあげるにとり。怪我が無ければお風呂場で時間を潰すという選択肢もあったが、現実はお湯でも沁みる傷である。それにもう、湿布までしてしまった。悩むにとりを見て、言わなければ良かったと後悔もしたが、今更である。やがてにとりは大きなため息を吐きだすと、観念したように自分の部屋を指さした。

「あんまり換気できてないんだけど……それでいいなら、いいよ」
「ありがと。……んじゃ、使わせて貰うね」 

 諦めと脱力でべしゃりとちゃぶ台に崩れ落ちたにとりと、バスタオル一枚で立ち上がる椛。部屋のドアを開けて独り中へと入ると――なるほど、と椛は心の中で呟いた。にとりに比べればよっぽど鼻の利く椛である。にとりの匂いも永琳の匂いも、そして二人の体液と思しき匂いも。推測していた匂いがそのままの形で残っていた。ベッドに入ってみると、シーツ等を取り換えたおかげなのか、シーツやかけ布団そのものの匂いはよっぽど薄く、むしろ普段のままのにとりの匂いが残っていた。
 枕を借りて、そのまま見上げたベッドの天蓋。かつて椛はにとりのこの趣味を笑いはしたが、嫌いではなかった。自分がやるとひどく恥ずかしく思えたから笑っただけで、カーテンを使って閉じ切った空間を作れることについては非常に浪漫を感じていた。そんな天蓋を眺め、ため息を吐く。雨など降らなければ、怪我なんてしなければ、にとりの家に行って傘と服を何とかしようと思わなければ。にとりに恥ずかしい思いをさせなくて済んだのだ。大仰にため息を吐いてみたが、もう今更である。中途半端に聞いてしまった分、何も聞かなかったことにするのも難しい。
 一方のにとりは、居間のちゃぶ台の脇で、必死に言い訳を考えていた。椛はにとりの数少ない遊び相手、そして相談相手の一人である。永琳との関係を詮索されるのは嫌であったが、それと同様に椛に避けられるのも嫌であった。願わくば今まで通りの関係を続けたいのである。すべてが丸く収まるというのは無理にしても、何とか波風立たない状態にはしたい。永琳とは変な関係ではないのだ、と言いたい気持ちではあったが――にとり自身、そう言えない様な関係であることは重々分かっていた。

「どういえば納得してくれるんだろう」

永琳との性的な関係が起きても仕方ないと思わせること、かつ、永琳に迷惑がかからないようにすること。その二つは守らねばならない。しかし恋人だと言い張るには日があまりにも浅く、薬の効果をただ試させて貰っていたとするには不自然である。

「こうなれば、最終手段よね」

困ったときの最終手段。それは試作品の故障による事故である。気分を盛り上げる機械を作っていて誤作動で変な方向に進んでしまった――実際にはそんな機械、作ろうと思ったことすらも無かったのだが、椛にはその是非はどうせ分かりはしない。

 椛からかけられるであろう質問を考えてはその答えを考えて。そうしている内に洗面所から聞こえてくる音が止んだ。乾いたことを知らせるために部屋の椛に声をかければ、椛はすぐに返事をし――しばらくすると、着替え終えて居間へと現れた。乾いた服は少し皺っぽくなっており、椛は手で引っ張って少しでも伸ばそうとしている。そんな椛はにとりの対面へと腰を下ろすと、洗面所を振り返った。

「やっぱり便利だね、あれ」

口をついて出たのは、前に椛が利用したときも出た言葉。流石に椛もいきなり切り出す訳にはいかず、苦し紛れの一言である。椛としてはそれとなくにとりが説明してくれることを望んでおり、にとりもそれは察していたのだが、にとりにとっては話題にあがらないのならそれに越したことはない。

「でしょ。梅雨はあれのお陰で快適だもん。冬も凍らなくて済むしね」

見つめる椛の気持ちなぞ知らないふりをして、笑って返すにとり。それを見て、歯痒そうにぎゅっと唇を噛むと、ぽんと手を打って椛が尋ねた。

「そういや、永琳さん何か仕事の依頼で来たの?」

その質問は想定済みである。

「うん。調合機材の整備と新調での依頼だね」

すんなりと返したにとりに、椛が追撃する。

「……で、何故ああなった訳?」
「うちの工房の設備を見学してたんだ。で、作りかけの製品とか見て貰ってたら、その。誤作動起こしちゃって」
「あんなことになるようなもの、作ってたの?」
「う、うん。目的は違うんだけど、ね」

にとりが取り繕って笑い、椛が頭を抱える。にとりとしてはこれで騙せるだろうと意気込んでいたが、椛にはそれが嘘だということは分かっていた。にとりの表情が将棋で切羽詰まったときに見せるものと同じだからである。椛はしばらく考え込んだ後、この辺で手打ちとしておこうと頷き、ちゃぶ台に肘をずいと載せるとにとりに尋ねた。

「ま、良いや。しばらくここに通うんでしょ。永琳さん」
「うん。一緒に企画と開発してるから、まだしばらく」
「分かった。まあまた詳しい話は落ち着いた時にでも聞くことにする。もうそろそろ見回りに戻らないと怒られるから、これで」
「傘は一応修理したけど、乱暴に使わないでね」
「ありがとう。お礼はまた今度改めて。……今日は急に訪ねて、ごめんね?」
「ううん。怪我してたんだしさ。こういうこともあるよ」

にとりは上手く話を切り上げられたことに、椛はまた来る口実を作れたことにホッとしつつ、そこで世間話は終わって。椛は満足した様に笑うと、すぐに帰っていった。雨は椛が来たときよりは弱まっていたが、風はそのままで、ドアを開けたときには少しだけ強い風が見送りに出たにとりの頬を撫でていった。

 椛が帰ってしまった後、にとりは肩を落とし、自分の部屋へと戻った。相変わらず匂いは残ったままだ。ベッドに飛び込んでみれば、椛の匂いまでして――まるで浮気現場みたいだ、と。心の中で呟いた。

「変なことにならなきゃ良いけど」

隠し通すつもりでいた、永琳との秘め事。たったの一日しか持たなかったその事実が、つらく体にのしかかる。唯一の救いは相手が椛だったことだ。他の面倒な――例えば文だったら。思わず身震いしてしまう。言いふらされることは無いにしても、もっと苛烈な詮索を受けたことであろう。椛であれば頑張って飛べば逃げ切れる。しかし、文からは逃げられない。回り込まれ、扇で隠した口で笑うその姿を想像し、ため息を吐いた。
 会いたくない。今しばらくは文にだけは会いたくない。嘆きにも似た祈りを捧げるにとりであったが、文には納めないといけないものがある。ペン用のグリップである。既に出来上がっていることは文本人も知っているのだ。今日の椛の如く襲来する可能性はある。不意を突かれないためには早い内に文の家を訪ねるべきだが、会ったら会ったで心配なことがある。文は――それなりに、客人をもてなすのである。受け取るものを受け取ったら追い返してしまうほど、腐ってはいないのだ。人に話を伺うことがあるその性質からか、そこだけはひどく、誠実なのである。

「こうなるんだったら椛に預けとくんだった」

後悔先に立たず、を思い知ったにとりであった。



~~



 永琳が来る日を迎えたにとり。結局、雨が止んだのは日が変わってからである。換気のために僅かに寝室の窓を開けて眠ったが、静かに入ってくる秋風は十分ににとりの肌を冷やした。風邪こそ引くことは無かったが、眠りは浅く――

「大丈夫です?」

家を訪ねてきた永琳の第一声は、その言葉であった。家の中へと招き入れ、居間のちゃぶ台を囲む二人。永琳の横には、作ってきたものと思しきお弁当箱。風呂敷に包まれて見えなかったが、どうやら重箱のようである。

「永琳さん」
「はい。何か、ありましたか」
「えっと、お友達に永琳さんと……したことがばれました。したことだけで、永琳さんのご依頼の内容は漏れてないです」

その言葉に永琳が目を丸くし、しばらく考え込んだ後、ふと尋ねる。

「ひょっとして椛さんですか?」
「うん。よく分かったね」

なんで皆揃って勘が鋭いんだろう、と、頭の中でぼそりと呟き、にとりは頷いた。

「にとりさんのお家に初めて来るとき、お世話になりまして。今朝こちらに向かうときにも、ちらりと遠くに。……そうでしたか。何か私の方で気を付けることはありますか?」
「うんと、一応調薬器具の依頼ってことでここに来てるってことにした。椛はあんまり噂とか好きじゃないし、言いふらすようなことはしないと思う」
「分かりました。私も永遠亭の皆には同じような旨でにとりさんのことを伝えてます」

にとりが頷き、永琳が頷く。責められなかったことにホッと息を吐くと、永琳は思い出した様に懐から紙袋を取り出し、にとりの方へと差し出した。もう何度も見た、薬の袋である。先日のベッドでのやり取りのことを思い出し、にとりはそれを受け取ると、中身を改めた。中に入っていたのは二つの違う薬である。どちらも丸薬であった。

「本日は私が挿入する側ですが……心の準備は、大丈夫ですか?」

心の準備。椛にばれてしまったことで、昨日はそれどころでは無かったにとりであったが、すぐに頷いた。今さら引き下がれないのである。

「大丈夫です。もう、飲んだ方が良いですか?」
「はい。今回のお薬は少し効きが遅いので。……私の方も、飲んでおきますね」

永琳がさらに紙袋を取り出して、にとりの前で薬を飲んでいく。その様子をじっと見ていたにとりであったが――ふと、永琳が二つの薬を飲んでいることに気づいた。その内の一つはにとりが以前飲んだ薬と同じものであったが、もう一つは明らかに違う色の丸薬である。

「……私の方も、色々ありまして」

視線を感じた永琳は、耳を赤くしながらそう言うと、ぬるくなったお茶で言葉を濁した。

 薬を飲んで向かったにとりの部屋。永琳が来ることを見越して暖めておいたため、部屋に入った途端に永琳は頬を綻ばせ、するりするりと衣服を脱いでいった。また互いに脱がせ合うのかと考えていたにとりは、その行為に若干の勿体なさを感じていたが、

「今日はちゃんと慣らさないとですから」

そう囁いた永琳の声には胸を高鳴らせていた。
出遅れたにとりの方が衣服を脱ぎきるには一歩遅く、衣服を畳み、灯りを消してベッドに向かえば、足を崩して座っていた永琳が見上げて優しく微笑んで。いそいそとその横へにとりが腰を下ろすと、永琳はそっとその体を押し倒し、間近でにとりを見つめた。二回目とあってか、幾分と余裕のあったにとりも見つめて返し、顔をあげて口づける。永琳の体を抱き寄せれば、永琳の体は随分と熱く、脈も少し速かった。永琳が興奮しているのか、それとも薬のお陰なのか。それはにとりには分からない。ただ、見つめた顔は随分と嬉しそうであった。
 抱擁を解いたにとりの体の上を永琳の手のひらがゆっくりと滑っていく。触診にも似た感覚であったが、自身の敏感な場所を一つ一つ紐解かれている様で、気恥ずかしい。お風呂場で自分の体を洗うとき、また、悪戯で椛にくすぐられるとき。そういうときでも触れる場所であるのに、体の中に走る感覚はどちらともに似つかない。羽の様で、筆の様で。そんな手の動きを楽しみながら、にとりは相変わらず永琳の顔を見つめていた。
 私は、永琳のことが好きなのだろうか。にとりがふと頭の中でそんなことを考えると、察した様に永琳はにとりを見つめて微笑み、また指を滑らせる。好意的であることは確かだ。素敵であり、立派であり、優しい。礼儀正しく接してくれるし、無茶なお願いだって叶えて貰えた。今も自身の負担を軽減するために、頑張ってくれている。しかし、何かが違う。恋でもなければ、愛でもない。纏まらぬ思いににとりは小さく唸った。

「ここを触れられるのは苦手でしたか?」
「あ、ううん。違うの。ちょっと、考えごとしちゃったんだ」
「そうでしたか」

永琳は相変わらず手を止めず、指を進めている。お腹が過ぎ、ふくらはぎが終わり、太ももから股へ。普段友達も触れないような所は、直接心臓を撫でられたような感覚が走っていった。

「お剃りになられたのですね」

永琳の呟きににとりはゆっくり頷いた。暗がりのお陰でその痕も見えない程であるが、未だに線状に残る僅かなカミソリ負けの痕は、にとりの体を歩き回った指にはすっかり知れていた様で――軟膏こそ無かったものの、薬を塗る様に撫でられるのは堪らなくくすぐったい。思わず身を捩り永琳の腕を掴んでしまったが、彼女はただただ嬉しそうに微笑み、引き留められた手でにとりの顎先を掬うと再び口づけた。
 唇を唇で甘噛みされ、かと思えば弱く吸われ。永琳がすることを真似してにとりも応戦するが、返せば返すほど、永琳もまた求め奪っていく。空気を求めて鼻から吸い込めば、目の前で楽しむ永琳の匂いと――僅かにまだ残る精液の匂いが胸の中を広がっていく。永琳もこの匂いに気づいているのだろうか。そう思っていると、永琳の手はするするとにとりの体を這い、股の間へと降りて行った。反射的に閉じた足であったが――不思議と、力が入らない。気が付けば腕も唇もどこか重く、動かせないわけでは無かったものの、そんな気持ちを奪い去ってしまうほど動かないでいることが気持ちが良かった。自身がそういう感覚に襲われているということは永琳にも伝わった様であったが、彼女は特に気にするでもなくキスを続け、楽しんでいた。
 潜り込んだ永琳の指先が、ゆっくりと流れ込む水のように進み、にとりの肉芽に触れる。普段ならば触れたときに走る感覚で腰が引けてしまうのだが、力入らぬ今、半紙に垂らした水の様に、じわりじわりと腰の中に甘い痺れだけが滲んでいく。永琳は指をあまり動かさなかったが、それ故に僅かでも動かせばそれは全部伝わって――顔はいつの間にか燃えるように熱くなっていた。永琳の慰め方は、にとりが普段するものとあまり大きく違いは無かったが、捏ねる手は随分と優しく、ゆっくりとしていて。普段は短時間で手早く済ませていたにとりにとっては、当たり前に耐えられる快感であった。が、十秒が経ち、一分が経ち。達さなくても別に構わないというその指の動きは、段々と物寂しさと疼きをにとりに与えて。にとりは満足に動かせない腕で永琳に縋りついた。

「お薬、ちゃんと効いてるみたいで良かったです」

唇を放した永琳の声。返答したかったが、疲れ切った舌と唇が言葉を作らせてくれない。仕方なしにただ頷いて、その代わりとばかりに目で訴えた。唇を通じてにとりの状況を十分に理解していた永琳であったが――永琳は、それどころではなかった。永琳が処方した薬の一つは痛み止めであり、もう一つは筋弛緩剤である。以前にとりを抱いた時に感じたその体重を以て処方したものであるが、想定以上に薬は効いてしまっていた。永琳としては筋肉の緊張を少し低減させる程度に留める予定だったのである。
 どんな薬も、使い方を間違えると悪いことに繋がるのは永琳には痛いほど分かっていた。その中でも筋弛緩剤は悪質なものの一つである。量が少なければ肩こりなどの薬としても効果があるなど生活の改善にとても心強い。しかし、度が過ぎれば死に至ることもある。勿論今回はそこまで処方していなかったのだが、問題なのは、今処方している量でも起きる不都合である。それは、膀胱の周りの筋肉も、この薬の影響を受けるということ。
 勿論、にとりが既にお手洗いを済ませたうえで永琳を迎えた可能性は高かった。が、会って居間で話をしているときも、薬を飲んだときも。にとりがしっかりと飲んでいたのを永琳は見ていた。加えて言えば、既に効果が現れてしまっている筋弛緩剤であるが、本来はもう少し時間がかかる予定であったのだ。となれば、今のこれはまだ効果の出始めに過ぎないのである。
 飲ませた薬が彼女にどの程度影響を及ぼすか、頭の中で再計算した。恐らく、ひとりでに漏らす程までは至らない。が、しかし――もしもにとりが達したとなれば、話は別だ。漏らさない可能性もあるが、漏らす可能性も、ある。もしもそんなことが起これば、にとりの傷になることは火を見るよりも明らかであった。しかしやり過ごすにも、

「もっとぉ……」

それではにとりが満足しそうにない。考えている間にも、にとりは重たい体を何とか動かしてせがんで来ている。どうするべきか悩み――雰囲気を壊すことは覚悟の上で、ベッドを飛び出した。

 永琳は、タオルを手に戻ってきた。洗面所に積んであるお風呂用のものである。これは保険だ。これならばいざ漏らしたとしても、驚くような量でなければ何とか受け止められる。にとりの体の下にタオルを二重に敷き込み、彼女には体液でベッドを汚さないためと説明した。各々頭に浮かべたものは違ったが、どちらも間違ってはいない。長く部屋を離れていたわけでは無かったが、体はいつの間にか冷えてしまった様で、ベッドに潜って抱き着くとにとりはびくりと体を震わせた。お詫びの口づけを頬へと落とし、再び肢体に手を這わせる。先ほどよりも少し汗ばみ、閉じようとする足の動きももはや無視できる程に弱まっていた。
 先ほどまで愛でていた場所を少しだけ通り過ぎ、小さな穴へと行きついた。汗とは違うものがゆっくりと指の皮膚を伝い、垂れていく。自分のものに比べて随分と粘性が低い等と考えながら、中指をゆっくりと押し込んだ。元来は緊張によるここの収縮を抑えるための薬であったためか、僅かに閉じようとする感触はあるものの、拒むほど強烈ではない。むしろ弛緩しているお陰もあって、もう一本指を増やそうが難なく入りこめてしまいそうだった。感度は――あまり慣れていないようであるが、不快ではないらしい。顔には少しだけ不安の色が浮かび、相変わらず永琳の目を見つめていた。

「そろそろ、しましょうか」

その言葉ににとりが頷いた。永琳が体を起こし、にとりの足の間に割り込む。にとりの方は準備万端という状態であったが――永琳の方も、すっかりそそり立っていた。僅かに先走りに滲む。恐怖心を悪戯に駆り立てないため、彼女の視界に思い切り映ってしまわないように気を付けながら、その先端をあてがい埋めていく。にとりの呼吸がぴたりと止み、シーツを爪で掻く音が響いて。永琳はそのまま腰を沈め、進め切る所まで進めると、にとりの脇に手を置いた。

「息を吐くと楽になりますから、あんまり止めちゃ駄目ですよ?」
「……うん」

鼻から抜ける様な声でにとりが答える。やがて止まっていた肩が動き、にとりが大きく深呼吸して。それを見て一安心しながら、ゆっくりと腰を動かしていった。

「痛いです?」

僅かに顔を横に振るにとり。もう一つの薬も無事に効いたようである。――一方の永琳にも、それは言えたことであった。永琳の飲んだ薬。片方は以前にとりに出したものと同じであるが、もう片方の薬は滅多に処方することのない、自分しか使わない薬であった。酒に呑まれてしまったときの様に、感度を鈍化させる薬。早い話が、早漏対策の薬である。
 永琳は、早漏である。光陰矢の如しと人は言うが、永琳の場合は絶頂矢の如しである。引いて飛ぶのが矢であるが、永琳の場合は腰を引く前に飛ぶか飛ばないかである。早漏を揶揄する三擦り半という言葉は、永琳が過ごしてきた永い人生に比べれば無いに等しい時間であるが、この薬を用いない永琳に比べたら、表彰レベルであった。彼女の名誉のために何か補足するとすれば、永琳が異常に感じ易すぎるわけでは無い。独りでするときのことを考えれば、彼女はむしろ遅漏に分類しても良い程であった。問題は、相手の存在である。相手が居ない状態があまりにも長すぎたせいか、相手が居るときの感覚は完全に別物であった。まして、相手が嫌がっておらず、それなりに信頼も寄せてくれて、さらに正直である場合には辛抱堪らぬ状態なのであった。
尤も、それすらも抑制してしまうほどの強力な薬である。腰を引こうが進めようがお構いなしに先走りが漏出したが、何とか永琳も耐えることができていた。

 外面ではにとりの体を気遣いつつ、その精神力の大半は自分の射精欲求をひたすら抑えることに費やしながら、ゆっくりと腰を動かす永琳。一方のにとりは、痛みを感じずに済んでホッとしていた。普段は陰核を刺激するにとりにとって膣の刺激は素晴らしいとは言えなかったが、目の前で何やら必死な永琳を見つめるのは心地良く、以前されたように悪戯に呼吸を同調させれば顔を真っ赤にするその様子は実に愛おしく。惜しむらくは、手を握りたいのに腕を持ち上げることも既に叶わない状態であったこと。脇につかれた永琳の手に指を這わせたが、先ほどまでの焦らしを拒む手と同じ様に受け取られてしまって。永琳はにとりにとっての気持ち良い場所を探すのに躍起になっていた。
 永琳は短く、にとりは長く。ベッドの外でも聞こえそうな程にはっきりとした呼吸。次第ににとりも、永琳が射精を我慢していることに気づいて頬を染めた。にとりが永琳の中に入れたときも、にとり自身我慢はとてもできたものではなかったが、永琳にとっても自分の中はそれだけ気持ち良いのだろうか――と、浮かれていた。元々、作った道具の性能によってのみ評価されることが多かった経験が余計にそれを掻き立て、永琳に喜んでもらう手段が一つ増えたことに愉悦と安心を覚え、これでもしも体の自由があったなら、思うが儘に抱きしめられたのに、と。独り心の中で呟いた。 
 腰を動かす度に余裕を取り戻しつつあるにとりに対して、永琳はどんどん追い詰められていた。我慢しなきゃいけない。少しでも楽しんで貰わなければならない。その二つの想いが一番根幹にあるはずなのに、その傍らで、出したいという欲求が、ずんずんと腰から胸へ、そして体全体へ湧き上がっていく。幸い、体を動かすうちに浅い部分の方が楽しんで貰えることに気づき、以後はそれに終始していたが、薬を盛られながらもなおも収縮しようとする膣の感触は余計に際立ち永琳を襲う。――結局、先に耐えきれなくなったのは永琳であった。我慢の限界を超えての射精である。ぴたりと止まってしまった永琳と、体の中で跳ねる感覚ににとりも気づき、ぎゅっと閉じてしまった永琳の目を見つめ、自身も目を閉じた。
 長く止まった永琳の呼吸。額に浮かんだ玉の様な汗が、つっと頬鼻を辿り、にとりの首筋へ落ちる。

「ごめんなさい、気持ちよくて、つい」

体の中を跳ねまわる感覚をやっと抑えた永琳が、長い沈黙の後にそう呟いた。にとりはただ首を振り、抱きしめられない代わりに永琳の手の甲を撫でて笑って見せた。永琳も笑って返したが、余韻の波からは抜け出せず、顔以外はほとんど動かせないでいた。にとりの体の中にうずまった部分も勿論であるが、にとりの中に出したい放題出した後も、衰えはない。ただ進退窮まって、手持無沙汰とばかりに跳ねまわり、少し気を抜いただけで次を迎えてしまいそうである。

「……もうちょっと、ちょっと待ってくださいね」

自分に言い聞かせるようにとても小さな声で永琳が続け、それから大きく深呼吸した。にとりも合わせて大きく深呼吸し、頑張って永琳に告げる。

「手、握って……欲しい」

もはや瞼まで重たくなりつつあるにとりにはかなりの重労働であったが、視界に映った永琳の頷いた顔を見て安心し、目を閉じた。それを見届けた永琳が、朝方の向日葵の様にゆっくりと上体を持ち上げて、にとりの手を拾う。にとりの手はとても熱く、ぽかぽかとしていた。かなり汗ばんでいて、まるでお風呂上がりのよう。そんな手をぎゅっと握ると、永琳はゆっくりと腰を引き抜き始めた。にとり自身に与えた薬と彼女の中に出したもののお陰で、油を差した後の様に摩擦はほとんどないものの、腰はガクガクである。にとりの体の外に出た部分は空気に触れると身震いするほど寒く、また突き入れれば、ホッとする程には温かく。どうして私はこうも快楽に弱いのだろうか、と永琳は心の中で呟いた。
 永琳がまともに動けるようになったのは、互いの荒れていた呼吸が落ち着き始めた頃。肌も少し乾き始めたが、にとりの中は未だに熱くとろりとしていた。目を閉じ切ってしまっているため傍目には寝ているようにしか見えないが、永琳が手を握れば僅かに握り返す反応があり、少しだけ頬の肉が持ち上がる。握った手のお陰で安定を欠いた自身の体で間違っても彼女の膀胱だけは圧迫すまいと気を付けながら、再び永琳は動き始めた。
 たん、たんと。肉と肉のぶつかる音が響く。目を閉じていたにとりにとっては与えられる肉の感触と耳から入る音が唯一の情報源である。まるで身動きも取れず、永琳の良いようにされるしかない状況ではあるが、そんな中でにとりは落ち着いていた。少しずつ心地よさを覚える下半身や、裸を晒していること自体に対する恥ずかしさは無論消えていなかったが、懸命に動き喘ぐ永琳の声、震えるけれどしっかりと握ってくれる手は、にとりの心の中の嗜虐性や支配欲といった未知の扉をじわじわと開かせていた。
 もしも満足に体が動いて、前回の永琳の様に思うが儘に上に座って腰を振れたなら。永琳は、どうなるのだろう。こんな風になるんじゃないか、あんな風になるんじゃないか。そんな妄想が瞼の裏に泡の様に浮かんでは消え、浮かんでは消え。もしもそれが叶うのならば、とてつもない興奮と満足を得られるのだろう。とても上書きすることが困難な、トラウマとも記念とも呼べそうな程の強烈な思い出になりそうだ。何しろ、相手はあの永琳なのだから。

「んっ……んっ……」

てらりと濡れる唇から漏れるくぐもった声。その中に僅かに聞こえる奥歯がカチカチ鳴る音。そして感じる永琳の震え。美人ってずるいや、とにとりは思った。
 意識はあるのに、体は動かせない。感覚はあるのに、反射はできない。もしも催眠術にかかったらこんな感じなのだろうか、そんなことが頭によぎる。永琳はいよいよ声が我慢できなくなってきたのか、それとも我慢することを諦めてしまったのか、色も音もついた呼吸音を響かせる。にとり自身聞いているだけで恥ずかしく、顔は勝手に熱を持った。そして永琳の体は再び止まり――二回目の射精である。勢いに衰えはない。むしろ我慢しなかったのか、少しだけ勢いが良かったようににとりには思えた。ぽす、と永琳の頭がにとりの胸元に落ち、随分と水分を含んだ吐息と髪の毛が肌に触れる。
 長い沈黙が部屋を包む。永琳はしばらくにとりに頭を預けた後、ゆっくりと体を起こし、刺していたものを引き抜いた。引っ張り出されるような感触と共に、とろりとした熱い感触がお尻の方を伝い、下に敷き込んでいたタオルへと吸い取られていくのを感じた。すぐに右半身がベッドに少し沈み、どうやら永琳がすぐ横に体を置いたらしいことを察する。吐息からすると、顔のすぐ横に手をついて、私の顔を見下ろしている様であった。懸命に瞼を持ち上げようとしたが、ほとんど上げることはできず、永琳のおぼろげな顔と天井が薄らと一瞬見えただけであった。

「お薬、効き過ぎてしまいましたね」

申し訳なさそうな声が顔のすぐ上から降り注ぐ。

「ちゃんと、時間を置けば効き目は抜けますから。……ごめんなさい。敏感すぎて、ちょっと私も動けそうにないです。横で、お休みさせてくださいね」

それから、僅かにベッドが揺れた。身動きの取れなかったにとりは心の中で独り頷いていた。

 そのまま、長い時間が過ぎた。永琳は喋ることのできないにとりにあえて語り掛けず、にとりも無理に体を動かそうとせず。あるのはとてもゆっくりした呼吸の音だけだった。が、そんな中で異議を唱えるものがあった。にとりのお腹である。長い長い沈黙を破ったその音は、間延びした音を響かせた後、ゆっくりと消えた。
 一度だけなら胃の気まぐれかもしれない。そう思っていると二度目、三度目と、五分もしないうちにお腹から声があがった。永琳がくすりと笑い、恥ずかしさに耐え切れず腕をお腹に伸ばし――そこで初めて、少しだけ体の力が戻っていることに気づいた。永琳もそれを見て安心した様に微笑み、すっとベッドを出ると衣服を纏っていった。

「居間に置いてきたお弁当箱、持ってきますね」

瞼の裏に風呂敷に包まれた重箱の姿が浮かぶ。一体何が入っているのだろうか。いや、そもそも。食べられるのだろうか。確かに顎は動く。飲み込む所作もできる。しかし問題は食材のかたさだ。お魚の骨とか、筋張った物とか。そういうのが出てきたら食べられそうにない。柔らかすぎたら柔らかすぎたで、まだ手が満足には動かない今、まともに拾い上げることができるかも怪しい。絹豆腐などは、一度崩してしまったら後は賽の河原状態なのではないか。
 悩むにとり。しかし、そんな内に永琳は風呂敷を手に戻ってきた。にとりも必死に上半身を起こし、ベッドの端で体を支えた。

「先に服をお召しになりますか?」
「シャツだけ、ください」

毛布を両手で引っ張って、胸元まで引きずり上げて。その横に永琳が入る。脱いでいたシャツを被り袖を通す横で、永琳が風呂敷を解いた。幸いなことに、箸だけでなくスプーンもそこにはあった。にとりがホッと一息吐くと、

「流石に難しいと思いましたので、一応持って来たんです」

と。永琳はそう言って、重箱を開けていった。
 中身は――黄色かった。卵焼き。揚げ出し豆腐にポテトサラダ。少し赤みが入ったもので言えばかぼちゃの煮物にコロッケ。それらが八割程である。残りにやっと緑色が入り、片方はほうれん草のソテー。もう片方はにとりの好物、胡瓜の浅漬けであった。二段目はおいなり。黒ごまがふってあるけれど、やはり黄色い。持ってくるときに少し傾いていたのか、ちょっとだけ片側に寄っていた。

「食べられそうですか?」

どれもやわらかい物だらけである。大病を患ったような気分であったが、お腹は元気だ。永琳の問いに頷いて返すと、永琳は喜んだ。
 箸もスプーンも両方貰ったが、結局にとりはスプーンを使った。料理のほとんどは持ち上げても軽い食べ物ばかりであったが、揚げ出し豆腐はずっしりとし、稲荷は表面の油で少し滑りやすかったからだ。どれもこれもスプーンを押し当てれば、薬の影響の残るにとりの力でもすっと沈み、拾い上げることができた。湯気こそ流石に出てないが、特に稲荷は匂いが良かった。久しく食べていなかったにとりにとっては、作ることの面倒さもあって嬉しいものであった。
 卵焼き。刻んだほうれん草が中に入っていた。近くの揚げ出し豆腐から流れてきたのか、少しお出汁の味もする。ポテトサラダは薄く切られた胡瓜と小さく切られた枝豆が入っており、黒コショウとバターの匂いが口の中で解していると広がってくる。ひょいと手を伸ばした浅漬けは、とてもしんなりとしていて、見た目の太さの割には随分と柔らかかった。にとりが普段作るよりはちょっとだけ塩味が強く、いざ食べてくれと匂いを醸すおいなりは――炊き込みご飯で作られたようである。

「作るの大変だったんじゃない?」

一通りの食べ物に手を付けた後でにとりが尋ねると、永琳は食べていた稲荷寿司を飲み込んだ後、首を横に振った。

「大半は今日の皆の朝食を作る時に少し多めに作っただけですので、そこまでは。……ただ、朝食の献立としては少し重かったみたいですけど」

そう答えた唇には一粒だけ取り残された黒ごまが張り付き、少し子供っぽく。指摘せずに見守りながら、にとりも掬っていたコロッケを口に運んだ。蓋を開けたときは多いのではないかと思っていたお弁当であったが、スプーンと顎を動かしている内に段々と料理の山は消え、最後に二つのお稲荷が残って。それを二人で分けて、お昼ご飯は終わった。

「足りましたか?」
「うん。美味しかった」

永琳が重箱をいそいそと風呂敷に包みなおす横で、にとりは自分の手を握ったり開いたりしながら、力の具合を確認した。全く動けなかったときに比べれば随分と力が戻った様に感じるが、それでも高熱を患ったときの様な力の入らなさである。時間の経過と共に線形的に力が戻るものだと思っていたが、どうやらそうではないらしい。今夜はちゃんと自分で料理できるだろうか――いざとなったら、ミスティア頼りだ。
 そんなことを考えて食後の時間を過ごしていると、ふと永琳がじっと自分を見つめていることに気づいた。彼女自身無意識だったのか、少しぼーっとしている様子である。にとりが振り向くと、永琳はぴくりと肩を震わせ、にとりに視線を合わせた。

「どうかした?」
「いえ。……今日は、にとりさんこの後にご予定があったりしませんか?」
「ううん。大丈夫だよ。今日は永琳さんに会うだけだったもん」

にとりがおどけて返すと、永琳は穏やかに笑って。にじり、とにとりの方へと近づくと、続きを囁いた。

「もう少し、ここに居させて貰っていいですか。にとりさんの体調も気になりますし」
「うん。……ごめんね、お茶とか淹れられたら良いんだけどさ。少しぽやーっとしてて」
「それも薬の作用ですから、消えるまではあまり無理できません。……そうだ、お手洗いに行きたいとか、そういうのは無いですか?」
「……うん。行けるならちょっと行きたい」

にとりがベッドを抜け出して、永琳は立ち上がるにとりの肩を支えて。大丈夫だと永琳に伝えようとしたが、思った以上に体は言うことを聞かず。よたよた歩きで部屋を出た。上にはシャツを着ているものの、下には何も着けていないにとりである。先ほどまで毛布でぬくぬくとしていた太ももが、廊下の冷たい空気に撫でられて恐ろしい勢いで冷えていく。ぶるりと体を震わせると、永琳はにとりを脇から抱きかかえ、狭い廊下をゆっくりと飛んだ。

「あぁ、ごめんね」
「いえ。お寒いでしょうし、足がもつれてしまうと怪我してしまうかもしれないですから」

 にとりがお手洗いに入っている間、永琳はドアの傍でぼうっと天井を見上げていた。永琳が考えていたのは、先ほどの行為のことである。にとりに不安を抱かせたり恐怖心を植え付けたりしないことが永琳にとっての大前提であるが、やはり楽しんで貰いたいという気持ちもある。が、今回ばかりは薬の影響もあってか反応があまりにも乏しく、にとりに良い影響を与えられたのか、それとも悪い影響を与えてしまったのか。それが分からなかった。行為を二度で切り上げてしまったのも、そのためである。
 どうか恐怖心だけは抱いていませんように。そう心の中で祈っている内ににとりは出てきて、また再び永琳におぶさった。

「助かったよ」
「良かったです。何かお手伝いできることがありましたら、教えてくださいね」
「ごめんね、お客様なのに」

背中で謝るにとりの声に、永琳はゆっくりと首を振って。部屋へと戻ると、にとりの体をゆっくりと横たえた。にとりは残っていた衣服を着るかどうか悩んでいたが、永琳が脱ぎ始めたのを確認すると、自身もシャツを脱いでベッドに潜った。第二回戦――という訳では無かった。互いに、裸の方がベッドの中は楽だということが分かっていたからである。ただ、共に、もしも求められたら応えようとは心の中で思っていた。
 揃ってベッドに入り、自身の腕を枕に見つめあう。

「永琳さんは、この後予定とか無かったんですか?」
「私も予定は空けてたんです。永遠亭のことは、今日は優曇華に任せてますから」

笑って返す永琳。黒ごまが消えたせいか、もう既にその笑顔に子供っぽさは無い。ここ数日で見慣れてしまった、永琳の笑顔であった。二人の間の距離は拳が七つほど。にとりにとっては互いの関係が恋でも愛でもないからか、先ほどまでは絡むほどくっついていたのにその距離を縮めることはできないでいた。もう随分と永琳の好意に甘えてきたはずなのに、ただ身を寄せてくっつくだけの些細な甘えすら、いざ約束の行為が終わるとできないことがにとりには悔しい。永琳は微笑み、自分を見つめるにとりを見てそんな彼女の気持ちを少しは理解しつつも、その最後の一歩は自分から踏み込んできてくれたら嬉しいな、と。静かに見守りながら、心の中で呟いていた。
 それからしばらくは、見つめあう時間が続いた。背を向けることも、天井に体を向けることもしなかった。こんなとき、にとりには友人の椛が羨ましく思う。彼女は人のお腹だろうが二の腕だろうが容赦なくつまみ、笑うのだ。デリカシーはそのときどきで在ったり無かったりするが、素直に行動できるその資質は心底羨ましいと思った。にとりの頭の中に、色んな想像が駆け巡る。永琳の二の腕はどんな感触なんだろう。永琳と手を重ねてみたら、どれだけ指の出来に差があるのだろう。永琳をさっき自分がされたみたいにお姫様だっこしたら、どういう顔を見せてくれるのだろう。
 だんだんと、無言で笑顔を見つめ続けることに申し訳なさを感じ、にとりが問いかける。

「寒かったりしないですか?」

永琳は、すぐには返事をしなかった。彼女としては、暑くも寒くもなかった。行為前ににとりがつけた、部屋の暖房設備の賜物である。しかし、にとりがどういう心情でその言葉をひねり出したのかは、何となくわかっていた。効き過ぎた薬や先ほどの行為そのものでは傷にもならず、嫌がられてもいないことが分かって、そこは嬉しかったのであるが――もっと、もっと。遠慮せずに詰めて寄って欲しかった。出会う場所が違ったならば、もしくは行為に至る理由が違ったならば。こんな遠慮の言葉もきっと要らなかったのに。そう心の中で呟いた。

「膝と背中が、少し」

きっと、次回も。そして、それ以降も。くっつく理由をつけるための余計なひと手間を、彼女に考えさせてしまうのだろう。それはとても勿体ないことに永琳には思えた。うんしょ、うんしょと、小さい声をあげながらまだ満足には動ききらない四肢を何とか動かしてにとりが寄ってきて。それからぎゅっと永琳の体に抱き着いた。永琳もにとりの体を抱いたが、その体は永琳よりもずっとずっと、冷え切ってしまっていた。気づいたにとりが慌てて体を離そうとしたが、させまいと永琳は腕を絞め、胸の中に抱きとめた。

「……ごめんね」
「こうしていれば、お互い温まりますよ」

身動きが取れないままに出し続けた寝汗、加えて、先ほど向かったお手洗い。そもそもの体温低下の原因のほぼ全ては永琳の薬の作用である。暖房のお陰で肌寒さだけはにとりも感じていなかったことも、裏目に出てしまっていた。
 気まずい時間が、過ぎていく。それでも、そんな空気の中で永琳はうとうとと眠り始めていた。普段の生活のせいである。別に毎晩夜更かししているわけでは無い。永琳の布団が硬いし寒いのである。それに対してにとりのベッドは柔らか。毛布は軽いのに温かい。おまけに足先まで温かな暖房。そもそもの生活の中でため込む気苦労に加え、にとりに心の傷を作らないかヒヤヒヤした気持ちも行為中は休まず襲ってくることもあり、普段に比べれば随分と疲れやすかったのであった。
 永琳が長い息を始めた頃、にとりはゆっくりと顔をあげた。最後に見たときの表情からは、瞼が完全に落ちている他、僅かに口が開いている。疲れこそ見えるが快適そうに見えるその顔は、にとりにとっての大きな救いである。自分のために色々頑張ってくれている、という強い負い目をそっと塞いでくれる瞬間である。尤も、それは永琳自体も感じている問題ではあった。にとりも、そして永琳も。相手のしてくれたことを天秤の片側に載せて、自分は何ができているかをずっと頭の中で考えていた。問題は、にとりは自身の知らないことについては過剰に重みづけをして、永琳は自分のしたことを過少に評価することであった。

 夕方を迎える。自然と目を覚ました永琳の目に入ったのは、心地よさそうに眠るにとり。胸に抱きとめていたはずであったが、今は腕から抜け出し、永琳と同じ高さに顔があった。いつのまにか斜めになった毛布のお陰で肩口が露出していた。毛布を引き揚げ、再び抱きしめる。随分と体温はあがり、今は自身とほとんど体温の差は無かった。引き寄せられた感触でにとりも気づき、ゆっくりと目を開ける。

「ん……」
「ご気分は、どうですか?」

永琳の言葉に片手で目を擦り、もう片方の手をぐっと頭上の方に伸ばし――ゴン、というベッド枠の鳴る音が聞こえた。

「……ふつう、になったかな」
「どこか痛いとか、痺れたりはしませんか」
「うん。大丈夫。スッキリした感じ?」

ぶつけてしまった手をぷるぷると振りながら、にとりが答えた。寝る前の気まずさをごまかす為の頑張った明るさであったが、永琳はそんなにとりの顔をただただじっと見つめていた。やがて手を伸ばしにとりの顎先に触れると、そっと顔を自分の方へと向かせた。

「沢山の過程が抜け落ちてしまったから、色んな躊躇があると思います。でも、これも一つの縁ですから。ああしたい、こうしてみたい。そういう気持ちは、ぶつけてくれると私は嬉しいです。勿論、応えられないこともあるけれど……私は一緒の時間を楽しめたら、それだけでも嬉しいですから」

そして凛々しく微笑み、永琳が上半身を起こす。――もし、今の永琳が松の盆栽の様な髪型でなければ、にとりはきっと永琳の目にそのまま吸い込まれていただろう。永琳もにとりの視線が自身の目ではないところに行っていることに気づき、そして顔を赤らめた。

「シャワー、お借りしても?」
「うん」

と、そそくさと立ち上がり逃げる様に部屋を出ようとする永琳に、にとりが後ろから声をかける。

「ありがとう、ね」
「いえいえ」

 永琳がシャワーを浴びている間、にとりは衣服に袖を通し、部屋を出た。夕焼けの明かりが入り込んで、見えた居間は赤い。お茶はすっかり冷めきった物が置き去りにされていた。眠っている間に随分と力は戻った様で、むしろ飲む前よりも調子がいいのではないか、と。にとりにはそう思えてしまう位であった。他に一つ挙げるとすれば、少しだけ下腹部がじりっとした熱と痛みを持っていた。あまりにも些細で弱い痛みのため永琳には伝えなかったが、どうやら痛み止めの効果も切れてきた様である。歩いて不憫は無いが、一歩一歩踏みしめる度に疼くその感覚が、もう初めてではないのだということをにとりに再三告げて――不思議と、ため息が出た。
 鼻歌混じりにシャワーを浴びる永琳を居間で待つことしばらく。日はだんだんと沈み始め、部屋が暗くなり始めたところで灯りをつけた。程なくして洗面所の方が騒がしくなり、やがて髪を濡らした永琳が居間へとやってきた。お湯が熱かったのか、肌は桃色である。髪はすっかり元通りになっていたが、まだ水気は取れ切れていない様だ。今も永琳はタオルをわしわしと動かして、それと戦っている。

「お湯、ありがとうございました」
「髪、手伝おうか?」
「……では、先の方をお願いいたします」
「うん。私もタオル持ってくる」

 永琳の髪。普段編んだりもする影響か、くるくるとしている。にとりの周りは髪を長く伸ばす友人は少ない。仕事の邪魔になるから、という理由がほとんどである。伸ばしているのは厄神様くらいで、彼女も纏めはするものの編んだりはしていない。一方、思い出す永遠亭の周囲の人々。こちらは驚くほど、長い髪が多い。永遠亭の主人も、永琳に付き従うあの子も長髪である。特に主人、輝夜の髪の毛は長さは勿論、随一に綺麗である。観賞用に化学的に作った繊維ではないのか、と。そう思うことすら、にとりにはあった。

「ふふ」
「ん、痛かった?」
「いいえ。こうやって拭いてもらうの、久しぶりだなって思って」

永琳の声に、後ろからちらりと顔を覗き込む。その横顔は懐かしむそれであったが、どこかもの寂しくにとりには映った。
 髪と衣服を整え切るうちにすっかり日は沈んでしまい、永琳はそのまま足早に帰っていった。誰も居なくなり、外には風も吹いていないせいか、家の中は恐ろしく静かになった。肉体的な疲れはまるでなく、体はすっかり元気であったが――だんだんと、精神的な疲れがやってきていた。居間の座布団を枕に目を閉じる。
 頭の中の三人は全員、大人しかった。珍しく三人とも意見は一致し『来る所まで来てしまった』と、遠い目をしてやさぐれていた。過去に何度も、いつかは誰かと交わる日が来るのだと思いはしていた。こういう風に過ごして、こんな雰囲気になって、こういうことして、一緒に夜を迎えるのだ、と。想像してはいたのだ。が、今日のできごとは、ことごとくその目論見から外れていた。初めてを捧げた相手はそもそも異性では無かったし、恋愛じゃなく仕事の品質向上のためであり、自分は行為中に身動きどころか何もしておらず――反省点は挙げていくときりが無い。

「やっちゃった、なぁ」

と、自然にそんな言葉が漏れた。勿論、何もネガティブなことだけではなかった。相手と痛みに怯えを覚えることはなかったし、自分があらかじめ願い出たことはできる限り叶えてくれている。尻込みしてしまうことにも優しい言葉をかけてくれた。今こうしてぼうっとしていられるのも、せっせと色んな策を用意してくれた永琳のお陰ではあるのだ。
 良い思い出になったのか、それとも悪い思い出になったのか。にとりには判断できなかった。頭の中でもやもやと引っかかり続けているのは、永琳とどう接すればよいのか、である。素直に欲求を晒してよいと永琳はフォローしてくれたが、言われてそう簡単にはことが運ばない。

「うー、うぅー」

永琳と過ごして、ぽつぽつと浮かぶ数多の欲求。叶えて貰うことができたなら、勿論それは素晴らしく嬉しく恥ずかしく楽しいものであるだろう。しかし――そもそも、永琳がどれほど自分自身に好意を抱いているのか、それが分からない限りは怖いのだ。既に、永琳にはいろんな願いを叶えて貰っている。無茶難題を体を使ってまで応えてくれている。もしも自分が過度に甘えて、何か琴線に触れてしまったら。様々なベクトルがぐるりと向きを変え、ゼロに向かうだろう。恐らくはゼロで留まることなくマイナスまで突っ切る。考えるだけでにとりは恐ろしかった。
 思考が堂々巡りし、それも何順かしたところで、にとりは考えることを諦めた。考えて答えの見つからないものは、それこそ永琳に相談すればいいのである。応えづらいものであるのは確かであろうが――少なくとも今ネガティブに考えて落ち込むよりはマシである様ににとりには思えた。

 気分を変えるためにシャワーを浴び、自分の部屋へと戻った。初めての日に比べれば随分と匂いは軽いものであった。体液は永琳が用意したタオルのお陰でほとんどベッドに残っておらず、それもさっさと片付けてしまったお陰である。しかし大の字に転がり、目を閉じて。ゆっくりと息をすると、ベッドに残る彼女の匂いが漂い――自身の上に跨る彼女の姿が感じられそうな程であった。

「……これは、まずいかも」

にとりが思わず呟いた。行為中に目を開けられず情報量が少なくなっていたからか、永琳の声や肌の感触、揺れるベッドとそれが体に伝わる感覚は強烈に頭に残っていた。ただ体を休めようとする気持ちで目を閉じるのすら、瞼の裏には永琳が跳ねるのである。無理矢理違うことを考えて絵面を変えても乱れた吐息や喘ぐ声は止まらない。頭の中でハウリングを繰り返し、首筋がぞくりとした。複雑な気分だった。寝るのには恐ろしく邪魔で仕方がないのだが――瞼の裏で見ている分には、とても気分が良い。永琳に喜んでもらえたのだという安心感、そして恐ろしいまでの熱狂的な非日常がそこにはあるからだ。
 見ていれば見ている程、気分は昂った。そもそも、今日の行為では肉体的にはまだ満足していない。もう少し、あと数歩の所で終わりを迎えてしまったのだ。そのせいかまるでスイッチを入れられたように下腹部が疼き――ずくん、ずくんと、まるで心臓がそこに移動してしまったかのように思えた。普段していたときのように、するすると左手が胸から降りて行ったが、途中でふと気づき、手を止めた。今のこの家に限っては、もっと、合うものが在るのである。

「品質確認……だもん」

 必要な物をかき集め、戸締りをして、カーテンもちゃんと端まで引っ張って。そして部屋の明かりを落とした。タオルにディルド、そして潤滑油。今まで自慰に道具を使ったことのないにとりにとって、一つ一つ準備するのは凄く気恥ずかしい。いざシャツ一枚のみになり転がってみても、恥ずかしさに毛布を被ってしまいたい心地である。いっそお風呂場の方が場所として向いていたのではないかと思ったが、この家の中で一番音がよく響くのである。独り歌うときのための設計であるが、そこで変な声を漏らしてしまうなど考えたくは無かった。
 ベッドの木枠に枕を立てかけそこに背を預け、口でシャツを食み手を伸ばす。目を閉じて、して貰ったのときのことを思い出しながら指を動かしていく。緊張か、指は冷たい。しかしそれも、何度か深呼吸を繰り返し、永琳の残り香を肺へと取り込んでいくうちに収まっていった。
 指でいくら永琳の動きを模してみても、得られる感触は随分と違っていた。薬で弛緩しきっていたときと違い、力は抜いているつもりでも指は思うように中へ滑り込まない。以前に興味本位で中を確かめたときに比べれば、随分と拡がってはいるのだが、それでもとても狭かった。永琳と同じ指の数では満足に動かせない位である。でも慣らすことを諦めることはできない。痛いのは嫌なのである。貰っていた潤滑油を使い再度試してみる。潤滑油自体はとてもさらさらとしたものであったが、擦れるような感触は随分と減り動かしやすい。同じ指で中ではなく外側を撫で転がしてみると――普段独りでしているときよりも、ずっと気持ちが良かった。
 しばらく続けている内に随分と解れ、試作品にも潤滑油を塗り込んだ。息を吐きながらゆっくりと挿入すれば、

「……やっぱり、永琳さんのだ」

擦れる感触でにとりは確信した。永琳のものを今日はまじまじと見ることはできなかったが、どの部分にせり上がりがあり、どの部分の形が強調されているのか。中での感覚は同一であった。温度調節機能はやや高めに設定したつもりであったが、自身の興奮もあって中の温度とほとんど変わらず、これなら違和感は無さそうである。本物と違うかなとにとりが思ったのは固さで、試作品の方が若干柔らかい。永琳が一度射精した後は近い柔らかさにはなったが、それでもまだまだ試作品の方が柔らかいのである。芯材と外枠の比率を調整することになりそうであるが――永琳がどういう使い方をするかは分からない。激しい使い方をもしするのであれば、柔らかい方が安全なのは確かであった。
 今日の行為を思い返しながら、ゆっくりと挿入を繰り返す。痛さはほんの少しだけ残っていた。痒みにも似たものであったが、まだ随分と我慢できる余裕のある痛みである。勿論それは大量に使用した潤滑油のお陰でもあったのだが、大きな不安の一つが消えてにとりは嬉しかった。どう動かせば自分にとって一番気持ち良いのかもいま一度確かめてみたが、永琳がしてくれた動きそのままが一番心地が良かった。
 一度これでイけるところまで試してみよう。そう思いその後も動かし続けてみたが――気分が昂りはするものの、何故か達するには届かない。永琳としたときは確かにもうあと一歩のところまで行ったのに、である。勿論それは永琳に見られていると感じる羞恥、行為に対する慣れ、自身がかけてしまう無意識の抑制など様々なものが積み重なったからなのであるが、にとりはこのディルドからの刺激には何かが足りないのだと、そう考えた。永琳としていたときとは一体何が違うのか。
 延々とお預けを食らっている気分であった。それはそれで気持ちが良いと少し思い始めてはいたが、永琳は堪らない気持ちを鎮めるためにこれを使うのである。延々と悶々するのでは意味が無いのだ。何が足りないのか。そう考えていてふと気づく。永琳にして貰っていたときには、下肢への打ち付ける感触があったのだ。膣の感触だけではないのである。空いていた片手を伸ばし普段しているときのように外側で独りぼっちなものを捏ねてみれば、やっと満足できる感覚が腰へと流れていった。
 嬉々としてその感覚に身を任せ、永琳がしてくれたときと同じペースで、挿入を繰り返していく。顔が緩み、咥えていたシャツを落としてしまっても、そのまま腕の動きを止めずに快楽に身を任せて。そしていざ達したときには、自身の膣がこんなにもぎゅっとするものなのだと初めて知ったのであった。詰まった息をやっと吐き出し、肩で息をして。余韻の波が収まってきたところで身を捩れば、中が収縮していたせいか、ディルドはずるんと抜け落ちた。自身の粘液と潤滑油でぬるりとしたそれが太ももに触れ、先日精液を吐き出したときにも感じた熱さが肌に流れていく。
 呼吸がやっと穏やかになり始めたところで、にとりは一度大きく深呼吸した。まだ、終わってはいけないのである。もう一つ試しておかねばならないものがある。それは三脚。騎乗位を模すためのアタッチメント。組み立ては子供だってできる程に単純である。子供にはとても見せられないが。寝転がった永琳の姿を思い返しながら一本一本の足を調整し、高さを合わせていく。そそり立つものがあっちに傾きこっちに傾き。角度を簡単につけられるようにするために三本の足にしたが、いざ使ってみるとあまり安定が良くない。ベッドの上だからというのもあるが、何より一番の問題は正座の形で跨れば脛が三脚に当たってしまうことである。当たらないようにするためには――膝をベッドにつけず足の裏だけで体を支えることであるが、これは恐ろしくはしたない姿であった。永琳がこんな姿をするのを考えるだけで恥ずかしくて顔が熱くなる。想像の中の永琳まで顔が真っ赤である。

「誰も見てない誰も見てないだれもみてないダレモミテナイ」

 呪文のように呟きながら、恥ずかしき格好にて望むにとり。とにかく使用感は確かめねばならぬのだ。そしてすぐ、後悔した。問題は沢山あった。まず一つは完全に腰を沈めたときの状況である。例えば永琳の体の上に跨っていたのなら、お尻が落ちる地点には永琳の体がある。あの柔らかい温かな体である。しかしこれでは行きつく先は三脚の上の硬い台座、しかも――微妙に角が当たる。没入感は完全に阻害されてしまうだろう。次に三脚自体の重さである。一度達した後でにとりの中が随分と強く締め付けているのも原因であるが、腰を上げたときに台座が三脚ごと引っ張られ、持ち上がってしまうのだ。その度に音を立ててしまうようでは隠れて使うのには向かない。他にもまだまだ沢山あるが、

「これは、駄目だぁね……」

失敗作だ、と。にとりはがっくりと頭を垂れた。では、どうしなければならないのか。
 まず、何かしらの台座は必要になるのだ。固定あっての利用方法である。没入間の阻害をしないよう台座が体に当たらないようにするには、台座の高さを十分に低くしてお尻の可動範囲のぎりぎり外に追いやってしまえば良い。現試作品での高さのほとんどの原因は三脚だ。そもそも脚という概念が不要ではないか。角度付けをする方法を台座自体に引き継げれば良いのである。その答えはとても簡単である。球体関節を利用すればいい。
 次の問題は、布団との間の固定である。台座を重くすると持ち運びが辛い。大きくすると仕舞えない。その点に関して三脚はとても優秀だったのであるが、もう三脚は使えない。いっそ吸盤が使えたらと思うが、布団相手には意味が無い。とすれば、固定に利用できる重みは二つしかない。永琳自体の重みか、敷布団の重みである。この内永琳自体の重みを利用するのはとても難しい。膝かつま先は必ず布団についているとはいえ、その下に支えを入れるとなるとその感触が酷く問題になるからだ。では敷布団の重みをどう利用する。しばらく唸り悩んだが、それもやがて答えは出た。

「電磁石だ!」

敷布団の下には敷ける磁石。台座側を電磁石にすれば、結果的に台座の重さは布団の重さの影響を受ける。これならば早々持ち上がらない。
 ちらりと時計を見た。作れない時間ではない。でも取り掛かれば完成は深夜になろうという所である。

「良いや明日で」

ふと手を見る。未だ、ぬるりとした感触が残る。股にもである。そしてまたちらりと時計を見て――ゆっくりと、指を這わせたのであった。



~~



 二日後のお昼過ぎ。永琳はにとりの家の傍、川のほとりで悩んでいた。約束の日、約束の時間帯であるが、にとりの家を訪れることを躊躇っていた。一度、大きく息を吐く。そして、またさらに大きな、ため息を吐いた。手荷物は一つ。先日持ち込んだ物に比べれば随分と小さなお弁当箱である。小さな硯を二つ入れたらもう他には入らない程のお弁当箱。決して小食なのではない。むしろ、お昼ご飯は既に食べている。更にお昼ご飯の後には台所からりんごをひっそり持ち出して丸かじりし、お茶も一杯飲んできている。永琳はしばらくお弁当箱を眺めた後、意を決して中を開いた。中身は――これも、切り揃えたりんごである。
 しゃくしゃくと音を立てて食べながら、景色を眺めた。爽やかな晴れ、川に濁りなく、風もほんのり。さわさわと葉擦れが聞こえ、これがただのお散歩ならば文句無い日和である。他の人の姿も、とてもとても遠くに見える以前案内してくれて――今視線に気づいてこちらに頭を下げた椛を除けば誰も居ない。視線を下げ川を覗き込めば、川魚が流れに負けじと岩の辺りでぱたぱたと動いている。

「もう少しだけこうして居たいわ……」

思わず、永琳はそう呟いた。
 ゆっくりりんごを食べ終えると、一度大きく深呼吸して――意を決し、にとりの家を訪れた。返事はすぐにあった。いつもの明るい、にとりの声である。
 すぐに居間に案内された。勧められた座布団に座って、ゆっくり息を吸う。どうやら今日のにとりのお昼ご飯はトマト料理だった様である。にとりがお茶を淹れて戻ってきて、ご機嫌な顔で腰を下ろした。出されたお茶は熱そうであったが、すぐに貰って三分の一程を飲み込んだ。相変わらずどこか白米の恋しくなる濃さであったが、今はそれが嬉しい。

「今日、すっごく天気良いですよね」
「そうですね。少しだけ、この近くの川を散歩してきました」

永琳にとって今惜しむらくは、窓が完全に閉めきられていることである。一度空気の入れ替えをしたのか随分とすっきりしているが、流れてはいない。勿論それは永琳の秘密を守るためのにとりの計らいであるのだが、これではばれてしまうのである。にとりに。

「永琳さんのお昼ご飯、カレーだったんですね」
「……はい。今日は優曇華が作ってくれました」

匂いが、である。
 普段、永琳は口臭をそこまでは気にしない。自分が作る料理でも、誰かが作った料理でも、それを食べるのが好きである。たまに食後に臭う料理も出ることがあるが、その時はその時で、人に会わなければそれで良いのである。だが、今日は誤算だったのだ。外出することをそれとなく伝えてはいたのだが、優曇華がカレーを作ってしまったのである。勿論それも、普段通りなら問題ない。普通に人と話す分に、カレーを食べたことを知られたことくらい、どうということはないのである。
 問題は、今日この後、また体を重ねるかもしれないということである。永琳がにとりから聞いた言葉では、あの試作品のテストもしなくてはならないということであった。当のにとりは既に実施済みであった訳だが、そんな情報は一片すら持っていないのである。体を重ねることになったら、カレー味のキスになるかもしれない、カレー香る声を漏らしてしまうかもしれない。そうなるととても恥ずかしい。恥ずかしくてたまらない。それが永遠亭でカレーを食べ始めてからずっと続く永琳の心境であった。
 しばらく、いつもの様に世間話が続いた。といっても、ほとんど永琳の頭には入ってきていなかった。そしてやがて、にとりが切り出す。

「試作品のことですけど、一度……その。お試しいただけたらなって思うんですが」

来た。と、永琳が頭の中で呟く。それを断るという選択肢は無い。元よりできる限りの協力をする約束である。永琳が頷いて返すと、にとりが続けた。

「それで、あのぅ。この前のお薬……最初に私が飲んで、二回目の時は永琳さんが飲んでたやつ。あれ、ありませんか?」

生やす薬。一人分は持っていた。小さい薬だからもしも失くしてしまったときの為――と以前予備を用意していたお陰である。

「はい。一回分なら持ち合わせてます」
「それ、あの。もし良かったら、なんですけど」
「ああ、差し上げましょうか」
「いえ……その。使って頂けませんか」

にとりの申し出に固まる永琳。

「私がですか?」
「もし、もし良かったら、ですから」

試作品を確かめるのには必要なさそうである。生やしたうえでさらにテストまでさせられてはベッドの周りをどう汚すかも分からない。まさか交わった状態で試されるのか。それなら確かに精液は飛び散らないだろうが、そもそも今日は感度を鈍化させる薬まで持ち合わせてはいない。弛緩剤や痛み止めもである。

「そのぅ、前回は動けなかったので。えっと、もう薬が無くてもあんまり痛くないことは確認してますから……で、できれば、で良いんですけど」

悩んだ。その言葉は、とてもつらいのである。できるかできないかで言えば、できることである。何より、前回動けなかったのは自身の責任によるもの。あまり満足できていないんじゃないか、というのはその日の晩に永琳が枕に頭をうずめて考えていたことでもあった。

「分かりました。では、お部屋に行きましょうか」
「ありがとう。……工房に置いてるから、取ってくるよ。先に入ってて」

 にとりの部屋。窓は閉じていたが暖房はまだ入っておらず、少し肌寒い。起きてから部屋に戻ることが無かったのか、ベッドのシーツが少しめくれ、机の化粧箱もまだ閉じ切っていない。起きてからどういう動線を辿ったのかが何となく透けて見え、にとりがせっせと準備する様を想像しながらゆっくりと服を脱いだ。にとりのベッド。天蓋付きは良い物である。独りで中に入り転がって上を見上げてみると、まるでお姫様になった様な気分になれる。主人が主人であり、いつもその姿を傍から眺めていたこともあってか、この様な調度品には少しだけ憧れがあった。生憎自分の物ではないが、それでも気持ちが良い。
 誰も見ていないからとコロコロ転がっていると、にとりが廊下から足音を響かせ戻ってきた。手に持っているのは三つ。箱と、この前渡した潤滑油の瓶、そしてタオル。差し出されたので受け取ってみれば、箱は以前持ってみたときよりも少し重く、瓶は人肌程に温かい。にとりが衣服をわせわせと脱いでいく横で、永琳は箱を開いた。以前見たときはディルドと三脚が入っていた覚えがあったのだが、今は三脚の代わりに銀色の円盤と、丸いものがついた小さな台座が入っていた。

「どういう順番が良いのかなー」

にとりが呟く横で、永琳はディルドを持ち上げた。これも、以前見たときよりも少し違う。重心が根元側に寄っていて、血管の起こりのすぐ根元側がうっすら凹んでいる。他の道具を取り付ける根元側の所を見ると、小さく数字の2が書いてあった。

「入れるものだから、ちゃんと慣らさないと、だよね」

脱ぎ終わったにとりがもそもそとベッドにあがり、永琳の横に腰を下ろして。それからゆっくり永琳を見上げる。今までの傾向の影響か、それとも彼女自身のもともとの性分なのか、試すのは自分の体だと分かっているのだが、にとりが向けるのはリードして欲しそうな視線である。抱擁、キスに始まり、その体をゆっくりとベッドに倒すと、にとりは嬉しそうに微笑んだ。
 薬は、まだ飲んでいない。永琳としての快楽に対するささやかな抵抗である。飲んでしまえば、もう片方の薬の無い今、組み敷かれてしまうだろうことは早々にわかり切っている。だから、自身が頑張ることで楽しんで貰える範囲は今の内に楽しんで貰わなければならない。抱擁もそう、キスもそう、彼女に対する愛撫ですら、そう。唇で撫で上げれば撫で上げるだけ、どことなくカレーの匂いがしてくるのが妙に辛かったが――それでも素直に喜んでくれるにとりには、ホッとしていた。
 自分とにとりとの関係はどうあるべきなのか。それをにとりが悩んでいるのを肌で感じ、また同じ様に考えた永琳としては、どこか踏ん切りのついた、積極的な姿勢は嬉しい。一々関係に一般名称を求める必要は無い。互いが互いを必要として、お互いにそれに納得があって、合意があるのなら。何に邪魔される必要があろうか。互いに心が求めるのなら、それで良いのだ。
 受け身という姿勢に積極的という言葉を当てはめても果たして良いのか。それを判断するのは難しいが、にとりの今日の様子はその状態である。抱擁や縋りつきにも戸惑いや遠慮が見えた以前に比べると、永琳の背中に回す手も、永琳の口づけに応える舌も。驚くほどに素直で、与えられる餌に焦がれる雛鳥にも似た様相であった。実際、身長の差から生じる高低差のお陰で、過分にそれは際立っている。
 だんだんと顔に入る力は失われ、緩んだ頬に薄目を見せるにとり。絡みつく蔦の様に視線はしっかりと永琳を捉え離さない。永琳に比べればにとりは随分と早く、出来上がっていた。ディルドを試して貰うことを考えれば、永琳により気持ちよくなって貰わなければならない。そういう気持ちは確かに持ち合わせていたのだが――永琳のくれる気持ちよさと、素直で良いんだ、という心地よさが、麻酔の様ににとりの体を弛緩させている。永琳の手がお腹の方へと伸びたときには反射的に足を閉じかけたが、内心はとても喜んでいた。二日前、自分の指で永琳の手の優しさを再現しようと頑張っては見たが、所詮は自分の手という悲しい限界を、今日はもう落ち込む必要が無い。縋ろうと思えば幾らでも縋りつける。ねだることも、責めを許して貰うこともできる。
 にとりの股。以前はつるつるであったが、剃り跡にちりっとした感触が少しだけ生まれていた。その数は指先でなぞるだけで分かってしまうほど些細な数であったが、永琳の指にその感触が走るたびに、にとりの互いの足は摺り寄せられ、擦れた音を立て、視線に期待が満ちる。

「そろそろ」

唇を離し、永琳が囁いた。

「う、うん?」
「新しくなったディルドのご説明をして頂けると嬉しいのですが」

勿論、手は止めたりしない。素直で、そして積極的であることは大いに嬉しいが、声は無意識にか抑えられていた。そんな彼女に対する永琳なりの意地悪である。永琳も、彼女と同じで楽しみたいのである。生え直しの進む場所を過ぎて柔肉までたどり着けば、ぴくぴくと彼女の体が震えた。与えられる緩い快楽と恥ずかしさににとりは唸り返答を渋ったが、それでもかまわずに永琳は責めていく。既にどこが弱くて、どこなら耐えられて、どう触れれば喜ぶのか。指が覚えてしまっていた。

「一度、イッてからじゃ、だめ?」
「ええ。勿論良いですよ」

にとりの要求に耳元で囁いて返す。近ければ近いほど、かけられる言葉がくすぐったい様だ。
 彼女が求めた通りに、達するためのお手伝い。激しくすることもできたが、ぎりぎり我慢できない程度に優しく露出した肉芽を撫で、捏ねていく。永琳が独りの時、時間があって、何となくしたくなった場合にとる手段であった。蕩けゆく顔、ゆっくりとうねる体に身を寄せて。しっかりと時間をかけて、一歩一歩階段をのぼらせていく。階段の終わりが見えてくると、にとりが永琳の手に触れ、絡みついた。無意識にかけた彼女なりの保険だったのだろうが、頭の中は目の前にちらつかされている快楽で一杯になっていたのか、まるで力は入っていない。既に瞼を持ち上げることすら止め、僅かに開いた口からは少しだけ早い呼吸が聞こえる。
 素直に受け入れるようになったからなのか、それとも慣れによって感じやすくなったのか。汗ばんで濡れる感触もあったが、小さな芽の向こうではきゅっと閉じた小さな穴からも零れ滴り始めていた。気まぐれにそっと探ってみたが、薬が無いこともあってか、指一本でもきゅっとしてそうである。にとりの言葉でもう痛くないとは聞いているが、後で自分が薬を飲んだときにするのであれば、しっかりと解してあげなければならない。
 やがて彼女の息も詰まるようになり、それでも一切緩めずに続けていると、とうとう耐え切れなくなったのかゆっくりと腰が持ち上がって、跳ねた。柔かった肌がきゅっと硬くなり、体は弓の様に反り返って。彼女の呼吸のリズムを確かめながら少しずつ手の動きを弱めていくと、やがて浮いていた背中はぺたんと落ちて、にとりが大きく長い息を吐いた。一度達した後はかなり尾を引くものがあるようで――それは永琳も同じではあったのだが、僅かに肉芽に触れるだけでもぴくぴくと腹筋が見え隠れしていた。
 股の間へ伸ばした手をそのままにしばらく待っていると、ようやく余韻から解放され始めたのか、にとりが上目遣いで永琳を見上げた。おやつを食べた子供の様な満足さを漂わせるその表情。ちらりと永琳がディルドの方へと視線を向けると、にとりは一度短いため息を吐いた後、語り始めた。

「うんとね、前回から変わったのは」

そして語り始めたのを確認して、永琳が指の動きをゆっくりと再開する。

「外面部はシリコン比率とっ……うぁっ……潤滑油のロス軽減のための、溝を」

にとりは相変わらず永琳を見つめていた。顔はただただ赤いが、目は驚き、悦び、羞恥に戸惑い――さまざまな思いを永琳に訴える。戸惑いは特に色濃く表れていた。イッた後くらいは手加減して貰えるだろうと思い込んでいたせいであるが、永琳に約束し要求を呑んで貰った手前、説明を止めるわけにもいかず。

「重心も、ずらして……あっ扱い易くっ……したの」

そういう嗜好なんだ、ということはすぐににとりも察知した。負けじと説明を続けるが、普段独りでするときはくぐもって漏れる声はあれど、基本的に声を漏らす様なことはしない。そのお陰か、上ずって出てしまう声や意図しない声、乱される呼吸のリズムを自覚するたびに、耳たぶが熱くなっていく。恥ずかしさは強いもののまんざらでもなく、にとりは一句一句繋いでいった。しかし、次第に指から与えられる刺激に堪えきれなくなり、説明の言葉も途絶え途絶え――その度に永琳は責めを緩めたものの、段々と呟くことすら難しくなって。新しくした台座の説明をしている内に、再び体を大きく震わせた。
 説明を聞いては柔肉を解し、解しては説明を聞き。繰り返していると、初めは無意識の緊張も残る感触であったが、疲れからかその力も少しずつ抜け。これで大丈夫だろうか、と、そう思ったところで、弄り続けていた手をゆっくり体から離した。手のひらはにとりの汗、指先はにとりから湧いたものでじっとりと濡れ、にとりに見えるようにその指を舌先で舐めたが――にとりは余韻でそれどころでは無い様子である。一応目には映った様で顔は赤くなったが、ぺちぺちと永琳の腕を手のひらで叩いた後は、永琳の肌に顔を突っ込みそれ以上の反応を彼女は返さなかった。
 余韻も、そして説明もひと段落ついたところで、今度はとばかりににとりが永琳の肢体に指を這わせ――そして、ふと気づく。抱き着くこと、キスすることも今までの行為の中でしてきたことだが、基本的にずっと愉しませて貰う側であった。永琳はいろんな気持ちよさを教えてくれたけれど、そもそも永琳のご愛用の方法は何であろうか。相談を受け、話を聞いて、何となくその姿――自慰する姿は想像できるようにはなった。しかし、どうされるのが好きなのか、それはとても難しい問題だった。自分がして貰ったこと、それが永琳も好きなことかとも思いはしたが、永琳がにとり自身の好みに合わせて責め方をどんどん変えて行ってくれていることは、経験の少ないにとり自身良く分かっていた。唯一分かっていることは、中を弄られるのはそれなりに好きなのだろう、ということ。そもそも、香霖堂で見られた様なサックやローターの類ではなく、ディルドの製作依頼なのである。今まで指でしてきたことの代用品として求められているはずなのだ。
 恐る恐る手を進めるにとり。その様子を永琳は見ていたが――にとりが何を悩んでいるのかは、顔色をちらちらと窺う様子や手の動きで何となく分かっていた。自分が助け船を出すべきなのか、それとも大仰に反応して先に自信をつけさせてあげるべきか、はたまた、このまま見守り続けるべきか。悩んだ末にふと思い立って、這う彼女の手を自身の手でそっと包む。すぐに不安そうな顔をにとりが見せたが、永琳はにとりの手の背に自身の手をぴたりと重ね、にとりの指ごとゆっくりと指先を押し込んでいった。
 手習いの習字の様に、ゆっくり、時には大胆に動かして自身の体を弄ぶ。永琳自身初めてしたことであったが、自身が日頃するやり方そのものであり、そして何より大層恥ずかしそうなにとりの様子は随分と背徳的で――時折にとりがする指への僅かな抵抗が、たまらなく愛おしい。しばらく独りでするときに困らなそうだ、とすら思った程であった。一方のにとりは逃げることも止めることもできず、ただひたすらに頭の中に恥ずかしさを押し込められ続け――頭の中がパンクしていた。永琳は声こそ漏らさなかったが顔はとても楽しそうでその顔を直視することすら恥ずかしい。自身の体は弄られていないはずなのに、心臓はずっと高鳴り続け、顔や耳が脈動しているのすら感じられた。いざ永琳の動きが単調に、そして速さを増すとますます恥ずかしさは強くなって。けれどもその中で、にとりは空いた手を自身のお腹へと伸ばしていった。つい先ほどまで何度もイかされていたはずなのに、お腹の奥が疼くのである。
 しかしそんな永琳の手がぴたりと止まり、離れた。永琳は独り遊びがしたいわけでは無いのである。直視できないねだりの視線に、にとりはすぐに自分の立場を察して。そして指を動かしていく。永琳は離した手でにとりの体をぎゅっと抱き寄せ、その熱を奪い、自身の鼓動を彼女の中に響かせた。やがて呼吸が止まり、体も強張り――にとりの体ごと、自身の体を震わせた。肺に残っていた僅かな空気も吐き出して、ぎゅっと体を縮めこませて。二度ほど体を大きく震わせると、取り戻さんとばかりに吸い込んで。そしてため息を吐く。

「だ……い、じょうぶ?」
「……はい」

にとりも、先ほど永琳がして見せたように自身の指を舐めた。慣れない味。でも、すごくいけないことをしている気にさせる、強い味。まるで薬みたいだ、と、にとりは思った。久方ぶりの、誰かにイかせて貰う経験。その味を体いっぱいに感じていた永琳は生憎見ていなかったが、上がっていた体の熱が収まると再びにとりを見つめ、指をくわえる彼女を見て微笑んだ。
 少しの休憩を入れて、ついに永琳がディルドに手を伸ばす。潤滑油はにとりが工房でできる限り温めていたのだが、行為の間に少し冷めてしまっていたようだ。永琳が潤滑油を塗る様子を見守りながら、自分だけはしっかりとベッドに潜っているのを良いことに、遣りどころのない手で自身の体を抱きしめた。
 膝を立てて座った永琳がそれを宛がい、ゆっくりと差し込んでいく。自身で試したときよりも、スムーズに入って行くように見えた。埋めていく間、永琳はずっと呼吸を止めて、瞼も下ろしていた。どうにも声をかけ辛く、そのお陰で僅かに漏れ出す音は良く聞こえる。油の粘度が低いお陰で随分と水っぽいが、にとりが生やし、そして永琳の体に初めて埋めた時に聞こえていた音ととよく似ていた。埋めるところまで埋めると永琳はやっと息を吐き出して、それからゆっくりと引いては差し込みその感触を確かめていく。動かし方一つ一つが自分がしたときとは少し違うことに、不思議な興奮を覚えながら――にとりはひっそりと、見守り続けた。見られていれば永琳だって恥ずかしいということは分かっていたが、目が離せないのである。

「……温かいの、すごく良いです」
「でしょでしょ」

変な声が漏れてしまわないように我慢しているのか、お腹周りはとてもぷるぷる震えている。腹筋に力が入っているのだろう。持ち方を変えてみたり、動かし方を変えてみたり。それも一通り終わると、ベッドの隅に寄せていた道具に手を伸ばす。台座である。初期案の三脚に比べれば随分と小さく、永琳はちょこちょこと組立てた後、台座のスイッチをゆっくりと入れた。

「本当、しっかりくっつきますね」
「うん。磁力強いから、他の金属を近くに置かないようにね。あとスイッチ入れるときに手挟まないように」
「そうですね。気を付けます」

跨り、宛がう永琳。流石に手で持つより恥ずかしいのだろう。耳を赤く染めた後、ちらりとにとりを見て。にとりも納得し、体を完全に仰向けにすると、放り投げていた枕を引き寄せ、顔にかぶせた。その様子を見た永琳はホッとした様に腰を下ろし始めたが――視界を遮ったお陰で他の感覚がどんどんにとりの中に流れ込んできていた。耳からは永琳の漏れる吐息、ベッドマットのバネの音に、にゅるにゅると滑る音。鼻からは、先ほど指先を舐めたときに漂った匂い。揺れるベッドからは永琳がどんなリズムで動いているのかも教えてくれる。にとり自身としても恥ずかしかったが、緩む顔は幸いなことに枕が隠してくれた。
 永琳のテストは長く続いた。ベッドマットは色々な揺れ方をして、その度に永琳も満足そうな息を吐き。にとりは隣で空気や置き石のようにじっとしていた。顔だけでなく体も覆っていることもあり独り隠れてするにはとても良い環境であったが、ただただ自身の体を抱くにとどめ、慰めようとはしない。純粋に、作って貰った物を楽しんで貰えていることが嬉しく――性的な高揚感こそあるものの、良い物を作れたのだという単純な喜びの方がとても大きかった。やがて酷く単調な振動が続き――詰まる永琳の声と共に、今度はどこか親しみ深い振動が伝わって。それが落ち着いたところで、にとりは枕をゆっくりと剥がし、瞼を持ち上げて永琳を見つめた。にとりが自身の体を抱いていた様に永琳も自身の体を抱いており、潤滑油を扱った手の通った跡なのか、所々、てらりと濡れて光って見えた。しばらくそのままの姿で休んだ後、永琳が振り返り、微笑む。

「頼んで良かったです」
「希望に添えたなら何よりだね」

ぬるりと音を立てながら永琳が引き抜き、使い終えたディルドを持ち上げて見つめる。行為の跡か、泡立った潤滑油が根本から滴りその手に垂れて。恥ずかしそうに頬を染めると、タオルでそれを包んだ。
 永琳の望みで少しの休憩を入れた後、彼女は脱いでいた自身の衣服を漁って薬を手にした。もう片方の薬の無い今どこまで持ちこたえられるか、と、永琳は不安に思っていたが、にとりはそんな表情の彼女を見つめ、自身の申し出が迷惑だっただろうか、と。こちらも不安になっていた。いざ薬を飲むと、二人は揃って深呼吸して――互いに視線を交わし、苦笑いを浮かべた。
 薬の効果が現れるまで、二人でディルドの後片付けをして、残った時間はベッドの中で過ごしていた。最初は他愛ないことを話したが、それもひと段落すると永琳が切り出した。

「この二日間の間に、何かありましたか」
「うん?」
「何だか今日はとっても積極的だなーって。そう思って」

その言葉ににとりは唸った。それはにとりも自覚していることである。

「一杯理由あるんだけど、うんとね……」

ぽつぽつと、にとりが語り始めた。始まりは、永琳が帰った後のことである。あの日の行為を振り返ってどう感じたのか。残り香の漂うベッドの中に居て、どんな気持ちだったのか。自分の指を試し、そして試作品を試し、どう思ったか。

「それで眠る時間になって、このベッドにもぐったとき、ふと思ったんだ。私はこの製作が終わったら、どうなるんだろうって。そしたら……寂しく、なっちゃったんだ。今日まで色んなことがあって、頑張って整理しようとしてみて……でも全然できなくて。何も、纏まらなかったから。だから、一つだけ、これは今日頑張ってみようって思ったの」

頷いて相槌は返しつつも静かに聞いていた永琳は、その言葉ににとりの目を見つめる。

「私が、私の思うように、一緒の時間を精いっぱい楽しんでみようって。……悔いの、無いように」
「あらあら……あらあら。そんな風に仰られると寂しいです」

苦笑いで続けたにとりに、永琳はつとめて穏やかな顔で返した。いつもそうであった。肉体関係を持つ、あるいは持たない関係であっても、親密になった後は皆最後に似た様な言葉を永琳に残し、去って行ってしまうのである。ふさわしくない。追いつけない。貴女の為になれない。色んな言葉があった。いつも、その言葉に我慢してきた。人前で涙は流さなくとも、枕に涙を預けてきた。自分の存在は、魅力が無いのだろうか。面白くないのだろうか。枷になってしまうのだろうか。相手の言葉の中に終わりの始まりが見えたとき、いつもそう思う。でもそれを口にすることは無かった。それらの問いかけは相手にしてしまった途端、理解の強要に繋がるからだ。けれど。もう永琳は、それらを我慢できるほど強くなかった。その日の晩、枕に顔を預けるときまで我慢できなかった。溢れんばかりに水を溜めたコップに更に水滴を垂らしたときのように。つっと、瞼から零れ落ちた。いけないとばかりに急いで枕に隠しゆっくりと呼吸する。幸い、呼吸にはまるで乱れが無い。少しばかりそのまま深呼吸を繰り返した後、にとりに向き直って、唇を奪った。嘘をつかず正直な唇は、相変わらず嫌がることなく受け入れてくれた。この唇を信頼し、自分がもっと押してお願いすれば、もう少しだけでもこの関係は続けられるのではないか。そんな考えがふと頭の中に湧く。長年磨いてきた勘であるから恐らくは正しいはずである、ということは自身で良く分かっている。しかし、それもやはり行きつく先は強要ではないか――と、そう考えてしまう。ぐるぐると考えが廻った。
 一方のにとりも、こちらはこちらで考えが頭の中でぐるぐるしていた。先ほど悔いが無いようにと言ってしまいはしたが、できるなら関係を続けたい気持ちはにとりの中にもあった。しかし、あくまでも立場上、永琳は依頼主なのである。更に、得られた肉体関係はにとりの希望を叶える形で永琳に協力して貰っているという形。これ以上に自分の気持ちを押し付けて、永琳の好意に縋りつくのは本当に良いことなのか。永琳も楽しんでくれていることは分かっていたが、やっとできた珍しい友好関係に傷は作りたくない。けれど一度その目から涙が落ちるのを見ると、ふっと気がついた。立場が違うから感じることは確かに違うはず。でも、永琳も。ひょっとしたら。
 気丈にも涙を隠し穏やかな顔を見せ、そして唇を奪いに来た永琳。隠せば隠すほど、穏やかな顔を見せれば見せるほど、さっきすまいと口にした悔いがずきずきと胸に突き刺さり、けれども優しく慰められる唇に今度はにとりが涙を流す。永琳の望みは、果たしてなんであろうか。永琳はにとりに隠しごとはしても、嘘はまずつこうとしない。それはにとり自身良く分かっている。でもまたその一方で、永琳はあまり願望を表に出さない。垣間見えるのは、本当に選び抜かれた堪えきれない渇望と、にとりも思わず背中を預けてしまう甘い提案だけである。
 時間は止まることなくジリジリと過ぎて行った。互いに心の内で考えること、その方向性は違ったが――永琳が作り、そして飲んだ薬は、その方向性を違うことなく生えた。にとりからすれば、もう見慣れてしまった形である。試作品のディティールに拘ったせいか、既に目隠しをしてもどこに隆起があるのか分かりそうな位であった。

「この前は、私が動けない中で頑張って貰ったからさ、今日は、今日は私が頑張るから、ね?」

永琳にとっては気負いや寂しさがもう一つの薬の代わりを極わずかに勤めてくれたが、拾い上げたにとりの手も、ぴとりと宛がわれたときに感じた感触も。情けなくも感じてしまうのは恐ろしいまでの期待感である。普段、独りでするときは生やすことはせず、自身に備わったもののみを精いっぱいに愛で、誰か相手と――それも自分が生やすとき側に回ったとしても常に片割れの薬に頼っていた永琳にとっては、久方ぶりの生の感触であった。

「上になるね」

にとりが体を起こし、永琳に覆いかぶさった。組み敷かれることの多かったここしばらくのことを考えると、やはり良い景色だ。

「……製作終わったらどうしようか、とか。そういうのはまた後でもうちょっとお話させてほしいな。だから、今はこっち」

頑張って笑顔を繕いつつも不安のにじみ出る顔にそう告げて、宛がっていたものをゆっくりと体の中に沈めていく。永琳によって随分と解されていたこともあって、少しだけ張るような感触はあるものの、もう痛みは無かった。完全に腰を下ろしきると、永琳は恐る恐るといった様子で深呼吸して。にとりの言葉にゆっくりと頷いた。
 その瞳を見れば、おおよそこの行為の後にどんなお話を聞かせてくれるか、永琳も見て取れていたが――聞けぬうちは不安が勝り、更にそれに快感が勝り。背中から腰にかけての筋肉は緊張しっぱなしで、背はシーツを離れ胸は勝手に上向いて呼吸しづらい。行き所の無かった手はにとりに拾われ、そして握られた。永琳も握り返したが――できるなら爪でも立てるか、そうでなければ立てて欲しいとまで思った。まだ動いて居ないが既に堪え難い。今自分がどれだけ情けない顔をしているのか、考えたくもなかった。

「……動いて大丈夫?」
「だめ」

永琳の背がやっとシーツに降りたのは、それから何分もかかった。
 にとりはそもそも早漏や遅漏という概念をあまり考えたことが無かったが、目の前の永琳がどんな状態なのかは時間と共に理解していった。少しでも腰を動かそうとするものなら首を振る永琳に、それならばと唇を求め、自身の膣に何を入れていたか分からなくなる程にその唇を貪って。永琳が慣れるよう、ゆっくりと待った。しかし――時間が経てば経つほど、永琳の顔は赤みが増し、息は荒れを強め、握っていた手は強く強く締まっていく。

「ど、どうしよか」

とりあえずとばかりに聞いてみたものの、口をパクパクと動かすのみで既にそれどころではない様子。顔を見られるのが相当に恥ずかしいのか、握った手を顔の前に持ってきて。こちらの指を折る気なんじゃないかと思うほど握りしめて固まると、ゆっくりと射精が始まった。上下の関係が違うからか、それとも薬の服用が無いからなのか。脈動しているということはよくよく感じられるものの、それ以外あまり感じられるものは無い。むしろ脈動ごとにびくびくと力の入れ方を変える永琳の表情の方に気が行ってしまう。そんなに力を入れたら皺にになってしまうのではないか、と。そう思ってしまうほど眉間には力が入っていた。
 やっと収まり、指も解けると、にとりはそっと永琳の眉間を撫でた。薄く、すぐ後ろに骨があるのが分かる額である。眉毛は銀色で見た目は薄色に見えるが、一本一本は力のある太さで、椛の毛皮コレクションを撫でたときの様な柔らかい肌触り。しばらくの間その眉間を指でぐいぐいと解すと、繋がったままに体を横たえ、永琳に体を預けた。

「まだできる?」
「できますけど、ちょっと、ちょっと……」

待って、という言葉が消え入りそうな程小さく。けれども口がそう動いたのを確認して、にとりが再び唇を奪った。中で柔らかくなっていたものがぴくりと跳ね、脈動と共に硬さを取り戻して。その様子を鼻で笑うと、永琳がぎゅっと手を握った。
 抜き差しすればすぐ我慢が出来なくなるということはにとりも理解し、小さく、そしてゆっくりと体を揺らしながら永琳の体の上をにとりが這う。圧をかければそれだけで握る手が強くなることもあって、酷く気を遣いながら――けれどもその様子を見て、得たことのないむず痒い心地よさを胸いっぱいに味わって。次はどうしよう、こうしてみよう、ああしてみようと色んな案が浮かんでは駆け抜けていく。そしてふと思いつき、にとりは永琳の手を解いた。残念そうな永琳の顔が一瞬見え、永琳の手は代わりにシーツをきゅっと掴んだが、にとりの方は――体を起こすと、手をお尻の側に持って行った。目指す先は永琳の股の間。生えたものの、その裏側である。
 同時に責めたらどうなるだろう。試すにとりの顔は半分は恥ずかしさ、もう半分は好奇心と極々わずかの嗜虐心に満ちていた。初めて永琳に跨られたときに自分もどうしようもなく責められたのである。今日はこちらの番だ。ただ、焦らす方向ではとても浅い位置に限界がある。だから――

「……楽しんでね?」

その体の力が許してくれるところまで。イってもらうことにしたのだった。
 つぷりと差し込んだ永琳の膣。以前体験したときよりもずっと収縮はきつく、そして何よりにとり以上に濡れていた。垂れ流しという言葉が適当な程で、溢れたものは体の下に敷かれたタオルには、もしも色があったならシミになりそうな程に零れている。自身の体に突き刺しているものの熱があるためか、以前は熱いと感じたはずの膣の中は不思議とただただ温い。その中に差し込んだ指で今更ながらに弱点を探しながら――下からぐっと、生えたものを持ち上げるように撫で上げる。

「やんっ」

永琳が慌てて口を手で押さえ、にとりも思わず空いていた手で自分の口を押えた。声を漏らしたのは永琳であったが――にとりはしばらく目を丸くし、それから声の主が自分でないことを確認すると、にんまりと笑った。

「そういう声、出るんですねぇ」

胸の中でどんどんと変な色変な形の炎がめらめらと燃え広がっていく。胸の内側から羽で撫でられるようなくすぐったさすら感じる声である。だが、相当に恥ずかしかったのか、口元を押さえた手にはしっかりと力が入ってもう望めそうにない。ならばとばかりに、自分のお腹に手を伸ばし、お腹の肉ごと刺さった物をまさぐった。目に見えて永琳の体が緊張し、ぐりっと腰が捩れて。けれどそれも刺激になってしまうのか、ぴたりと動きが止まった。勿論、永琳が動きを止めようがにとりはお構いなしである。どこに先端があり、どうくすぐられるのが弱いのか。それは目の前の永琳を見ながら手を動かせば、恐ろしく簡単に分かることであった。そしてそうこうしている内に――二度目を迎える。相変わらず吐き出される感覚は良く分からないが、脈動は一度目よりも激しく、そして長かった。にとりがくりくりとお腹の上から撫で続けていたせいでもある。
 やがて永琳が手を伸ばし、にとりの腕に手を添えて。そこでにとりは手を離した。

 休憩を入れては撫で上げ、出させては休憩。努めて抜き差しだけは行わず、長い間過ごした。やがて、体の中に刺さっていたものも、刺さる、という言葉が怪しくなるほど柔らかくなってしまい――最終的にはずるりと抜け落ちた。およそ七、八回程であったであろうか。長く与えられた感覚に永琳は抜けた後も身悶えをし、対するにとりは、今更ながら永琳に吐き出されたものが股に垂れる感触に熱い、と感じていた。

「だいじょぶ?」

とりあえず声をかけたが、永琳はただただぴくりと震えるのみである。聞こえてはいる様で、一瞬視線が重なった。

「気持ちよかったですけど、腰が」

永琳の体から降りて、とりあえずとばかりに垂れるものをタオルで拭うが、思いのか多く出されていたらしく、拭いても拭いても垂れてくる。体液が一気に溢れ出たこともあってか、匂いは強く立ち込めていた。椛がもしも来たら、自分の家なのに出入禁止とまで言われてしまいそうな程の凄惨な匂い。その中で横たわる永琳を見るのはどこか達成感があったが、同時にちょっとした罪悪感も湧く。冷えないようにタオルで体を拭き、毛布でぐいと包んだ後、にとりはしばらく休むように言ってひとり部屋を後にした。
 お風呂の準備をしたり、少しぬるめのお茶を淹れたり。にとりが部屋に戻った頃には既に時計の長針は半周程回ってしまっていた。永琳は横向きに寝ており――にとりが横に潜り込むために毛布を引くと、びくりと体を震わせた。

「ごめんよう」
「……体が言うことを聞いてくれません。お腹から下のネジが全部緩んでしまった感じで」

にとりが引っ張り永琳の体を起こし、淹れてきたお茶を手渡した。濃い目に作ってきたつもりではあるのだが、まるで意味をなさない位ベッドの方の匂いがきつい。永琳は二口程飲んだ後、にとりに湯呑を返して。それからもぞもぞとベッドの中にまた潜っていった。

「何だか、凄く疲れちゃいました」
「うん」

永琳の飲み残しを一息に飲み干し、にとりも永琳の隣に転がった。瞼が半分程落ちた永琳はじーっとにとりの首当たりを見つめた後、ゆっくりと目を閉じて。とてもとても長い息を吐いた。それを聞いたにとりが、永琳に尋ねる。

「永琳さんは、後悔してないのかな。私と、交わったこと」
「……私の提案ですもの」
「そう、なんだ。もう一つ聞きたいんだ。私さ、永琳さんにふさわしい相手に……なれるのかな?」

その言葉に永琳が再び瞼を持ち上げ、にとりに視線を交わす。

「私から言えることがあるとするなら。貴女が思うままの貴女で居られれば。腰を落ち着けて時間を過ごす相手なのですから」
「……そっか」

そこで永琳が一度大きく欠伸をして。にとりは話しかけるのを止めた。ただただ、その返事を頭の中で繰り返した。こうして横に寝転がっていられるのが不思議なくらい、高嶺の花であるはずの永琳。今のこれは、彼女が自分の力を必要とし、求めたその結果だ。その求められたものも、もう残すものは最後の調整位しかない。私の力が必要とされる今のこの環境はもうすぐ終わってしまうのだ。じゃあ、自分は――何を、提供できるのか。
 恐れ多いとか、申し訳ないとか。体を重ねて確かめてみるという話が決まった時は、そういう気持ちが恐ろしく強かったはず。でも今は、違う。勿論その気持ちだは未だにあるものだけれど。今は、ただ。捨てられたくない。不要な部品の様に、取り外されて捨てられたくない。消耗品をただただ、取り換えるように。いつか、ぽつんと置き去りにされてしまうのが、怖いのだ。人間関係が会う前の状態に戻るだけ、なのに。

「……さん。にとりさん」
「うん?」
「良かったら、一休みさせて貰う前にキスしてくれませんか」

永琳の言葉に上半身を起こし、そっと上から覆いかぶさって。ゆっくりと唇を塞いだ。少しだけ押し返す感覚があり、気が付くと永琳の手が頭を包んでいた。疲れ切って、そして辛うじて引っ掛けている、そんな手。体を支えるために顔の横に手を突けば、頭の手はゆっくりと滑るように落ちその手に絡んで。唇が離れると、永琳はじっとにとりの目を見た後、うん、と、とても小さな声で呟いた。瞼が下り、絡んでいた手も離れて。にとりは再び彼女の横に体を落ち着けると、

「にとりさんは」

永琳は静かに切り出した。

「私のことを、見捨てないでいてくれますか?」
「……どうして、そういうことを聞くの?」
「言われると、胸がきゅっとしませんか。……私は、してしまいます。私は、そこまで信用できないのかな……って。そう思ってしまうから。でも、にとりさん。別れのことを考えると悲しく、辛くなってしまうのは誰だって同じなんです。皆がそう。でも、辛くなってしまうのは、それはそれだけ、好きという気持ちが大きいからなんですよ。悲しみを得るためだけに手を取り合うのではないのです。別れのときのことを考えて悩むよりは、その憂いも吹き飛ばせる様なことを一緒の時間にどう過ごすか。……そっちで悩んでくれるにとりさんの方が、私は好きになれそうです」
「そういうものかな」
「そういうものにしてみたいと思いませんか」

間をおいて、ゆっくりと頷くにとり。永琳はホッとした様に息を吐き、それから天井を見上げ、そして目を瞑った。

「さて」
「さて?」
「一休み、させて下さいね」

それにもやはり頷いて、にとりもゆっくりと胸にたまった息を吐いて。眠る永琳を見送って、自分も目を閉じたのだった。



~~



「で、これは……どういうことなの?」

一週間ほど経って。にとりの家を改めて訪ねた椛は、にとりにそう声をかけた。傘の修理依頼――というのはあくまでも名目で、最近山に訪れる永琳の顔色の変化が気になったからであった。川で取ってきた魚を土産に持ち、お昼ご飯の支度前を狙って訪れた椛であったが、応対するにとりはかなり寝ぼけが強く、髪も跳ねている。昨晩は夜更かししたのか、起きたばかりの様である。流石に永琳の靴は玄関には無かった。

「ど、どういう、とは?」
「におい。この家の中の。ははぁん、やっぱり永琳さんとはそういう方の仲になったんだ」

からかえば、困りごまかすのがにとり。楽勝、と、手玉に取った様な気分で頭の中でそんなことを呟きながら尋ねてみれば、

「……うん」

今日は珍しく、にとりが応えた。仕事疲れで自分か、もしくはにとりの頭がおかしくなったのではないかと思ったが――にとりはじっと、目を逸らさずに椛を見ていた。肩に手をやってぶんぶんと振れば、たちまち砕けてしまいそうな程に自信は無さそうであったが、心に決めたものでもあるのか、瞳はとても落ち着いている。

「そっか。頼まれてたものは?」
「ちゃんと納めたよ。でも、また新しいお仕事貰ったんだ」
「……そっか」

一度大きく欠伸をしてにとりが笑う。それが至極楽しそうで――羨ましくもあり、そして寂しくもあり。鉄と油と汗を混ぜた匂いを漂わせ、顔を汚して工房で笑っている顔。好きな食べ物が出て来た時の顔。将棋で美味しく飛車を取った時の、したり顔。色んな笑顔を自分は見てきたはずなのに、目の前にあるそれは何だか見た記憶が無い。置いて行かれてしまったのかな、と、ふと思いたくなるほどである。

「まぁ、ちゃんとお風呂入って換気してお洗濯しなよ?」
「そこまで匂いする?」
「するする。……というか、何て言うの。私来ちゃまずかったかなって思いそうな位には、凄いよ」

そこでやっと顔を赤くし、いつもの様に恥ずかしそうに笑って。

「あぁ、お魚持ってきてくれたんだ」
「うん。焼いてよ。邪魔じゃなければ」

振り返り台所へと向かう彼女を見て、椛はホッと胸を撫で下ろしたのだった。
紋切型の挨拶で申し訳ありません。お読みいただきありがとうございました。

リリーホワイトを書いてるけど、リリーホワイト方面で発散できないものを発散しに参った次第です。
また、スマートフォン利用時に縦書きビューアが利用できることを知ったため、そのテストを兼ねて投稿しました。

リリーだリリーを書き終えるんだ。リリーホワイトだ。

--2017/06/29 追記分 ここから--
タグにふたなりが抜けておりました。同タグをを追加いたしました。
--2017/06/29 追記分 ここまで--
--2017/07/19 追記分 ここから--
改行位置がおかしかった箇所を修正いたしました。
--2017/07/19 追記分 ここまで--
あか
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
めっちゃ良かったです……(単純
2.性欲を持て余す程度の能力削除
にとりも永琳も可愛すぎる…幸せに仲を育んでいってほしい…
3.SYSTEMA削除
緩やかな情景とプロジェクトの中で育まれる関係がとても素敵でした!
かわいいにとりと永琳先生をありがとうございました!
4.性欲を持て余す程度の能力削除
発明家として薬師としての二人の性格がとても自然にキャラクター同士の絡みに繋がっている感じが素敵でした。
なんだかんだ永琳の方が弱気な感じがとても良かったです。
5.性欲を持て余す程度の能力削除
珍しい組み合わせだなと思って読み始めましたが読んでよかったです。
6.性欲を持て余す程度の能力削除
とても良かった。

どんどん読みやすくなっていると思いました。特に今作。
7.性欲を持て余す程度の能力削除
あなたの書く穏やかな生活感が好きです。
リリーホワイト待ってます。