真・東方夜伽話

筋書き通りのスカイブルー⑥

2017/04/16 04:04:53
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筋書き通りのスカイブルー⑥

みこう悠長

読まないでください

 古今は、am9:00始業と全く一般的な企業と変わらない勤務形態を敷いている。
 古今の清掃会社は二月前に契約を改訂し、それまでとは別の会社になっていた。新しい清掃会社では少々値段は高くなったが、清掃会社にも拘らず特殊清掃や各種汚染除去のノウハウを持っており、いわゆるそういった形の特殊な取引先も多く、古今もその方が都合がいいということになったのだ。

「おはようございます」
「おはようございます、早いですね」
「お互い様ですよぉ」

 am7:30。勤勉であるか、あるいは余程変質な所員はam9:00を待たずに出勤してくる。二カ月前に入れ替わった清掃会社には、朝の清掃オプションも用意されていた。周辺住民の印象形成のために、古今ではこの朝清掃を選択していた。
 清掃員が、勤務開始のam9:00を待たず一時間以上早く来た勤勉であるか、あるいは余程変質な所員に向けて挨拶を向けたとき、初日からしばらくは随分と驚かれたものだった。そんな朝早く、まるでクライアント企業の社員を迎えるためとも取れる早い時間からもう清掃を開始しているのだ。出勤時間直前では企業エントランスは混雑する、その前に済ませるのが目的とのことだったが、地域住民の印象はおおむね良好だった。
 職種柄、秋にもなるとこの敷地の周囲は落ち葉で埋め尽くされるが、植物園顔負けの敷地ではそれをせっせと掻き集めて敷地内の腐葉土プラントに堆積させるだけでもなかなかの重労働なのだ。二カ月前までの清掃会社では朝の清掃オプションがなかったので、出勤時に所員は雪国の積雪さながらの分厚い落ち葉の層を掻き分け踏みしめ出勤し、昼頃にようやく入る清掃で一旦は綺麗になるものの退勤時にはまたぼちぼち積もっている、と言う状態であったが、今は朝と夕方に一度外周清掃が入るため、そんなこともない。近隣の住宅にとっても落ち葉のこまめな清掃は、古今にとってはCSRの一環でもあった。

「あれ」
「はい?」
「制服、変わったんですか?」
「ええ。もう秋ですからね。今日から冬服です」
「掃除は外仕事ですからね……。自分は内勤だから大変そうに見えますよ。ご苦労様です」
「いいえ、こちらは『掃除』がお仕事ですから」

 今朝、非常に人当たりもよく勤勉なことで古今所員からの評判も良いその清掃会社の清掃員達の服装は、昨日までと若干違ったのだという。元々ただの清掃業務なのだ、来ている制服なんて精々作業服程度である。でも、今日からは冬服なのらしい、少しごわつくというか、丈夫そうな生地に変わっているようだった。ある程度防水も出来そうな処置がしてある光沢をもった布地は、各所の縫い目もしっかりしていて、関節部分など接触の多そうな部分は補強されている。ポケットが多く、いろいろな清掃用具が入っているようだった。脇も妙に膨らんでいたという。きっと何かの『掃除』道具を脇に収めていたのだろう。






「こら、リグルっ、がっつく、なっ、ってっ……お、おいっ、あたいのおっぱいなんて、ちっちゃいから意味ねー……ふぅっんっ!」

 チーを押し倒してシャツとブラを一緒にたくし上げ、その下で硬くなりかけている乳輪を口に含んだ。そのまま唇で甘く挟みながら、先端を舌で転がす。チーはかぶりを振ってボクの頭をぽこぽこ叩くけれどその力は全然強くない。むしろ叩いた勢いでボクの頭を胸に押し付けているくらいだ。
 ちゅぱ、ちゅぱとわざと音を立ててしゃぶっている内にチーの抵抗はすっかりとやみ、抱くように手を頭の上に置きながら、背を反らせて甘い声を噛み殺し始めた。

「ば、かっ……!強く吸いす、ぎ、んぅっ!周り噛みながら先端ばっかり、優しく舐めるの、ナシっ!それ、されたら、あたい、すぐッ!」

 チーが、やめろ、するな、ばか、と言うことは概ねなんでも続けた。ほんとに嫌なら蹴飛ばされるけど、ベッドの上ですることのほとんどはその逆だってことがすぐにわかる。チーの口と体は真逆なんだ。抱いて欲しいの代わりにスケベ!っていうし、離れろっていうから抱きすくめてあげると、すぐに甘えてくっついてくる。えっちの内容も、同じだった。

「そんなことばっかして、女が悦ぶと思って、んのかっ?いやだっていってんのに、しつこっ……はぁっ!しつこいっ!こんな胸の、どこが、いいんだ、変態っ!ふぁあっ!!」

 乳輪を口愛撫で苛めながら手で脇腹や腰の周りを撫でてやると、身を捩って逃げようとする。それを追いかけて執拗に身体中に触ってあげると逃げ付かれたチーの体はいつもそこから沼に沈むようにあっという間≪・・・・・・≫だった。

「手つきが、やらしー、ん、ふぅっ……スケベ野郎っ、はあっ、はあっ!むねも、いい加減に、し……きゃうぅっ!か、噛むなッ!噛みながら先っちょだけ舌でコスすの、やめ、やめろよぉっ!」

 そう言いながら、チーのてはすっかり僕の頭を抱きかかえている。股を大きく開いてボクの体を挟むようにして、折れそうなくらい細くて白いウエストを、ブリッジしたいのかっていう位に反らせてボクを迎える。

「チーのおっぱい、すごくエッチになったね」
「誰のせいだっ!リグルが毎日毎日そうやって馬鹿みたいにしゃぶるからっ……!くはぁあっ!そうやって、んっ、噛むからっっ!」

 チーの手が、ボクの髪の毛を掴むみたいに握って、顔を胸に押し付けてくる。ボクは噛むのをやめて、唇でなめながら舌で円を描くように、力を入れずに愛撫する。優しく、舌を押し付けるというより、唾液をまぶす感じ。

「ふ、くあ……はぁっ、はぁっ……うぅっ、急に、やさしくっ、ほんと悪趣味っ」

 何も答えずに、口の先でついばむみたいに、もうすっかり硬く玉のようになった乳首にキスをしながら、乳輪のつぶつぶ一つ一つを細らせた舌先で味わうように、なぞる。チーはなりふり構わずといった感じに、ボクの頭を無理やり押し付けようとしてくる。ボクは腕を突っ張ってそれに抵抗しながら、振れるか触れないか、触れても優しくゆっくりの、乳首愛撫を続ける。

「ほんと、サイテーだ、おまえっ……あたいを、そんなふうに焦らして、ぺったんこのおっぱいの感度だけおとなに躾て、あたいを、どうしたいんだよぉっ」
「……めちゃくちゃに」

 ふうっ、っと唾液で濡れて敏感蕾になった乳首に息を吹きかける。舌を細かく動かして、立ってぷるぷるになった乳首を上下にはじき回す。押し込むみたいにしてから、唇で乳輪全体にキス。中心に少し刺激を与えた後はそこから離れ、中央にふっくらとささやかな丘を抱きいた鎖骨から脇腹、鳩尾に囲まれた白い平原へ唇を這わせた。唾で濡らした人差し指で、おへその周囲をツンツンつついてそれを知らせると、柔らかいおなかに力が入った。チーは何も口にしないけど、それがOKの合図。指をおへその中にぐり込ませる。

「っく、ふ、んんっ!っっ!」

 奥までは探らない、中に潜り込む入り口の斜面を指先でなぞる、それだけでもチーの反応は劇的で、ボクの頭を押さえている手の片方で自分の口を押えて声を何とか殺していた。
 そこでもう一度、口を胸丘へ登らせていく。円を描き、唾液の軌跡を作りながらゆっくり。ゆっくり。

「あっ、ああっ!りぐ、るっ、ほんと、サイて、……くあぁぁっんっ!マジで、そういうの、女にきらわれ……、っぁっ!!死ね、しんじゃえ、ばかあっ!」
「嫌い?」

 ボクの体を挟み込んだままの脚の真ん中を、そのまま腰を上げるみたいにしてボクの体に擦り付ける。体を揺すって、脚でボクの体を引き寄せて、腰を浮かせて、ぬらついたそこを擦ろうとする。ボクはそれを好きにさせた。でもボクから刺激はしてあげない。チーが好きなように擦って、自分でえっちな快感を貪るのを、自分でさせる。時には体を引いて、それを許さない。逆に胸へのキスは、少しずつ熱を上げてやる。
 もう、まるで僕の頭が愛おしくて堪らないお気に入りのボールなのだというように、腕全体でボクの上半身に抱き着いて、頭を包むようにかぶりついてくる。頭のてっぺんからチーの甘い声と一緒に、荒い呼吸を感じた。

「ねえ、嫌い?」

 ボクは意地悪く聞いて、答えを特に待たずに乳首を可愛がり続ける。先端をくりくりしながら、乳輪へ円運動で降り、そしてそのまま周囲の膨らみ、平らな側胸へ逃げるとチーは、ボクの頭を捕まえて自分のして欲しいところへ導く。舌を出してチーがしたいようにさせてやった。おへその周りをくるくると撫でながら、そのまま指を、下へ下へ伸ばし、ぬかるんだ湿地帯へ。もはやクレヴァスではなく底なし沼と化している。その泥濘をひと掬いして、へその中を濡らした。

「んきゅぅっっ!」

 その甘い悲鳴が、淫裂ではなくへその穴に触れたときに発されたことに、ボクは満足を覚えていた。そのまま指を、穴の中に押し込んでいく。

「くぅ、んっ……はぁっ、はあっ、いいっ」

 伸びた鼻の下、だらしなく開かれた口、舌ったらずな甘い声。ボクも、それにチーも、ルーミィも、「性」を覚えてから、あっという間に「こども」から「おとこ」と「おんな」に変貌した。三人とも、男と女を徒に玩具にして遊ぶのを、やめられなくなっている。

「チー?」
「好きぃっ、好きだからぁっ!おっぱい、されるの好きっ!はきゅぅっ!リグルに気持ちいいおっぱいにされたんだ!お前のせいだかんな、こんな、やらしい、全然おっきくなんないのに、んぅっ、あっ、ああっ、えっちな気分ばっかり強くなる、きたないおっぱいにしたの、リグルだからなっ!あっ、あっ、んんっ!」
「おへそもね」
「しねっ!おまえなんか、リグルなんかしんじまえっ!すきだから、すきだからぁっ!もっと、もっとぉっ!おっぱいとおへそ、してくれよぉっ!ばかあ!」

 くしゃくしゃになった顔にキスをすると、磁石が吸い付くときみたいに、ボクの唇にチーの唇が吸い付いた。4枚の唇肉はすぐにほどけて絡み合い、中心から伸びた舌同士の濡れた淫舞を招く。鼻先が引っ掛かって邪魔で、どっちからとも言わずに顔を斜めにずらして口を吸い合う程の、深くて激しくて、あっついキス。チーの手が、ボクを逃がさないって言うようにボクのブラウスをきつく握りしめている。脚も絡んだまま。

「シて……シてくれよぉっ、もう、降参だからっ、あたいの負けでいいから、『こーび』してくれよぉっ!」

 交尾、という言葉はもともとチーの辞書にあったものではなかった。でも、ボクが口にするのを聞いて、その言葉でボクが昂るのをすぐに見抜いて、多分「セックス」「えっち」との違いの機微を知って口にしているのはないだろう。ただ、ボクが悦ぶと知って。

「いいよ、交尾、しよ。チーがしたいって、言うからだよ?……今日も、ボクの勝ちだね。」
「はやく、はやくぅっ!あたいの負けだから、負けだからはやく『こーび』っ!」

 ボクの口を解放したチーは、もどかしさを堪え切れない切迫感を湛えた声でボクを呼び、股の間でぬらりと濡れ蠢くピンクに熟れた二枚肉に指を添えて左右に押し開いた。くち、と音を立てて左右に割れた肉アケビの中は、ぷっくりと充血した肉襞が蠢いてたっぷりの果肉粘液を滴らせている。中央でひくんひくんと口を蠢かせているのは、「こども」から「おんな」に変貌し、「おとこ」を悦ばせることに進化を遂げた淫らの肉穴になっていた。ボクを誘うようにわずかに窄まり拡がりを繰り返して、愛液の光沢を強調している。

「どういう風にしようか?どうやって、イきたい?」

 ボク自身、もう、興奮が高まりすぎていて、多分ちょっとでも擦ったらすぐに出ちゃう。それでもチーをめちゃくちゃに焦らしたくて、もう一声。チー自身に、淫らな結末を選択させる。

「い、いわせるのかよぉ……マジで、死んでくれよ、ばかっ!『こーび』ったら、『こーび』だよっ!お前のすきにすりゃいいじゃんかよ!ああ、もう、たまんないからっ!あたいのココ、しゅくしゅくしていたいくらいなんだよっ!はやく、はやくぅっ!」
「チーの、好きにしたい」

 指をそろえて、掌を平らにした状態で、全体を覆うようにチーの淫裂を包む。指を入れることもしない、ツン立ちしたマメを潰すでもない、割れた肉淵を撫でるのでもない、全体を包んだまま、前後に撫でる。陰部全体に均質な圧迫とゆっくりした摩擦。掌にみるみるしみ込んでくる愛液。鼻孔に抜ける匂いはとうに酸っぱさを失って、もったりとした生淫臭いに変わっている。それが、ゆっくり広い面積で撫でられて広く肌に塗り付き、一層臭いを広げる。くちゅ、くちゅ、と掌と淫裂の隙間で生じる空気と粘液の攪拌が淫らな音を立てていた。強い刺激を求めるチーの腰が浮き、ボクの手を追いかけてくる。

「おへそ、されながら、おっぱいなめてっ!ちゅーもほしいの!からだ触って撫でて欲しいし、ぎゅってしてほしい!それぜんぶと、こーび!ばか!むっつりすけべ!!死ね、ヘンタイ!」
「そんなの、一度に出来ないよ」
「できるだろ!こないだ、やった、じゃんか……」
「あれ、気に入ってくれたんだ?」
「きっ、き、き、きに、」

 ボクに顔を覗き込まれて、求められた返答の内容を頭の中で反芻して、涙目の顔を真っ赤にして言葉を詰まらせるチー。

「また、あれ、したいんだ? 気に入っちゃったんだ?」

 あえて目を見ないようにしてあげて、耳元に口を寄せてそう聞く。チーは、ボクの横で小さく頷いた。
 あれ、を、最初チーは泣き叫びながら嫌がった。今ボクをデレ前提にツンと罵倒するのではなく、本当にぶん殴られるくらい嫌がった。でも、今は、こうだ。

「キスも、おっぱい愛撫も、首舐めも、ぎゅっと抱きしめるのも、クリいじめるのも、体中優しくなでるのも、わきの下も、足の指の間も、耳の穴も、おまんこも、全部いっぺんに出来るもんね?しょうがないよね?」
「ぜ、ぜん、ぶっ……」

 想像してしまったのだろう、与えられるものの大きさを。目が泳いでいる、わなわな震える唇、身震いして、ボクの腕を掴む手に思い切りの力。恐怖におののく様子に見えるがボクは知っている、それが、途方もない発情の徴だと。

「あれされちゃったら、しょうがないよね。チー、おとなになったんだから、大好きになっちゃうよね」
「そ、そう……しょうがない、おとな、だもん……おんなは、アレされたら、逆らえないもん」

 はっ、はっ、とまだ何もしていないのにチーの呼吸が細かく刻まれていく。想像だけでこんなになってくれるなんて「交尾」し甲斐がある。
 大の字に大の字を重ねる様にチーに覆いかぶさって、キス。そのままボクは下半身を……。

「ひゃぅうっ!」

 驚いたように目を開けるチー。そのまま、口で口をふさいだ。

「んっ……んんっ!あ、っ、ぅんーっっ!!」

 チーの声を、ボクは言葉になる前に全部食いちぎって飲み込む。嫌だと言っているのか、欲しがっているのか、そんなことはお構いなしだと伝える乱暴な口吻に、チーの体は反応していた。
 ボクの舌は、蛞蝓になってチーの小さな舌を螺旋に縛り上げた。主舌の脇から細かく生える何十もの蚯蚓舌がチーの口の中じゅうを満たす。触角を伸ばした蛞蝓舌でチーの付け根まで進入すると、えづくような動きで喉が収縮する。舌の先に作った蛞蝓の目で中の綺麗な喉粘膜を視姦すると、ぬらぬらと蠕動する喉粘膜が見えた。すごくおいしそう。細舌を群れさせて吐かない程度に苛めてやると、鼻から甘い声が漏れた。そのまま歯も、歯茎も、頬の裏側も、扁桃腺も、全部蚯蚓舌で愛撫すると、チーの腕は力を失って抵抗(端から形だけだけど)をやめた。

「んっ……ふうっ、ふぅっ」

 彼女の腕は、蜈蚣に蜷局を巻かれて締め上げられている。抵抗したってチーの力じゃほどけない。腕を左右に広げたまま、脇の下から肘の裏、手首、掌に指の股までを、大小の蜈蚣と馬陸で満たしてあげる。無数の脚が彼女の白い肌を点で刺激する、毒は使っていないけれど、そうして多脚愛撫を受けた肌はみるみる熱を帯びて赤みを増した。
 そうやって大の字に広げられた上半身は夥しい数の翅虫で覆われていた。頭は蛞蝓と蚯蚓の絡み合った塊に、ボクの腕は蜈蚣と馬陸の紙縒りに、なったのと同じように、ボクの上半身は翅虫達の群体に変化している。それらはボクの体の一部なのだ、ずっとチーとえっちをしていたボクの一部なのだ、すべての虫たちは、まさにボクがチーに性欲を向けていたのをそのまま分かち合っていて、全員が雄として交尾の準備を完了している。チーの体をびっしりと埋め尽くし足をつき翅を立てた羽虫は、腹の膨らみにたっぷりの精子を蓄えている。チーの細腕に絡みついたボクの蜈蚣腕も、喉を掘る蛞蝓舌も、雌に精子を送る準備が整っているのだ。
 白い肌がほとんど見えない程の密度でその肌を埋め尽くす翅虫は、その翅を天に向けて揺らしながらチーの体の上を縦横無尽に歩き回る。噎せ返る密度の脚をざらざらの面に見立てて肌中を愛撫する。

 ぞわ……ぞわっ、ブブブ

 真っ黒く塗り潰されたその下で、チーの背は弓なりに反っている。股を大きく開いて、下半身だけがつま先立ち。中央≪・・≫に、欲しがっている合図だった。ボクの下半身は、甲虫と芋虫の混然群になって、チーのお腹から腰、お尻を舐め回していた。巨大なハナムグリのが、中央で咲いて蜜を垂らす花に頭を突っ込んでいる。カミキリムシとゴミムシがクリトリスを虐待し、カブトとクワガタ、カナブンが巨大ハナムグリが食い散らかす淫花の脇に滴る蜜を舐めに群がっていた。硬い虫の顎と、ひそやかに出る舌が、チーの肉花を硬く柔らかく愛撫すると、蛞蝓を食んだ口から嬌声が溢れ出す。そのカブトの幼虫、角を立てた揚羽の幼虫、5尺を一挙に取れそうな大尺取虫、化蚕、巨大毛虫が脚に絡みついて一度開かれた股を二度と閉じさせないように拘束している。ふにゅふにゅと柔らかい芋虫達の触感やふわふわの毛虫は、激しい交尾で疲労するチーのクッションになる。

「んぶぁ、んぷっ……くぼっ」

 蚯蚓と蛞蝓の集合球をばらして、チーの顔じゅうを飲み込むように這い回ってべとべとに濡らしてやると、口は、もっともっとと開かれて、小さな舌が口の周りを行く蚯蚓の先端を、蛞蝓の背を、唾液をたっぷりまぶした下で優しく舐めて誘って来た。噛まれたところでこれはボクの体だ、潰れるほど軟じゃないのだけれど、それでも唾液が零れるのも厭わず顎を開きっぱなしにして蛞蝓の群≪ボク≫を口の中に受け入れてくれるチーに、愛情を感じる。
 身体中をびっしりと埋め尽くし、余すところなく愛撫し、虐待する、夥しい数の虫。それらは全てチーの体に欲情した雄≪ボク≫だった。

「ふぐっ……!ふーっ、ふうぅぅっ!んっ、んうぅうっ!!」

 蚯蚓は鼻の穴を進んで口の中へ戻り、鼓膜を破らない様外耳で蜷局を巻く。口の中で蛞蝓が玉になって蠢き、喉の手前までを這いずり回る。
 ずる、ぐちゅ。
 蛞蝓と蚯蚓を口と鼻の孔、耳の穴からはみ出しながら、熱い吐息と粘度を増した涎をまき散らし、欲情に我を忘れた目が自分の体が置かれた状態を視認すると、その瞬間に細い腰が、がくっがくっ、と震えた。女の子なら絶対に泣き叫び下手をすると失神さえしてしまうかもしれない光景に、チーは、軽くアクメを迎えたのだ。体中余すところなく快感という毒液を注入されて、性欲に狂っていく、小さい体。ボクの無数の体の下、ギンバエとジガバチの足元でチーのちっちゃいおっぱいの乳首はギリギリと勃起していた。マイマイカブリの顎につつかれたへその穴は快感電流を放電し続け、ハナムグリの頭の傍でカミキリムシの顎に苛め抜かれてチーのクリトリスはそそり立っていた。巨大芋虫達の絡みつく足の間には、とろとろと注ぐ、甘い水が、溜まりを作っている。小さな、小さな、蛍が、シーツの上に表面張力する愛液の水溜まりに口をつけて、それを味わう。より強くボクの密度を抱えた、それ≪蛍≫はボクの本性だ。
 チーの体を覆いつくす全ての虫は、残すところなくボクの感覚器と等しい。チーの体はボクの体の中に完全に沈んでいるようなもの。彼女の体のどの部分のどんな些細な変化であっても、ボクの目の前で起こっているように感知できる。

「ふっ、ふぅっ……!ふーっ、ふぅーーっ!!」

 イきそうなんだ、その変化は、今のボクにはあまりにもわかりやすい。甘い水の糸を垂らす股の下で、震えて揺れくねる彼女の腰を眺めながら、ボクはハナムグリの生殖器を人型の雌性生殖器に合致する形に変形させて、蜜を垂らして止まらない花≪・≫の中央に添え花弁を擦る。

「くぅ、んっ、んっ、んっ!はふっ、はふぅっ!」

 蛞蝓と蚯蚓を抱く口の中の、唾液の量が一気に増えた。体中の体温が僅かに上がり発汗している。交接を待ちわび、蟲の嫁となることを体が受け入れた、他種雌性体の変化だった。実際にチーの卵巣を改造したり有性精子を注いで種付けをしたりはしないけれど、人間の雌に産卵を強いるときにはこうすればいいのだと、チーやルーミィと毎晩のようにセックスしている内に、本能が知っていることを認識した。
 ボクの体の中には、今は現存しない虫や人間たちが勝手に想像した実在しない虫までが内在し、それらを駆使して人間を苗床にするのが、本来のボクの在り方なのらしい。本来的には生殖行為を要さない妖精≪チー≫や顕現≪ルーミィ≫とそれをしても意味のないことだったけれど、代替わりを生殖行為で行う眷魁≪ボク≫にとっては実践的性教育になった。それに、二人とも、悦んでくれる、すごく。
 ボクの行為でチーが(今でなければルーミィも)、幸せそうに絶頂を迎えるという事実は、そのままボクにとっても幸せを感じることだった。これが本当に愛情なのかどうかはわからないけれど、少なくとも愛着ではあった。
 蛍≪ボク≫の目が下から見上げている中、ハナムグリ≪ボク≫の雄性生殖器≪おちんちん≫をチーの雌蕊裂の中へ、潜らせていく。

「ぶ、ごっ……♥ふぐぅっっ♥ふーっ、ふぅーーーっ♥」

 ずっと我慢させてたところに交接挿入で快感を爆ぜさせたチーは、口を半開きし食いしばってをくりかえすせいで、蛞蝓≪ボク≫の体に刃を立ててしまう。それで千切れたりはしないけれど、そうやって口で噛み付かれるのも交尾の内なんだって思うと堪らなくなって、チーの顔じゅうと口の中いっぱいを埋め尽くし覆いつくす蚯蚓≪ボク≫と蛞蝓≪ボク≫は、一斉に放精してしまう。本来の虫達の配偶方法とは違うけれど、これは他種(主に人間が想定されている)を孕ませるときのものだ。チーの鼻の孔から喉、口の中、耳の奥に、一気に溢れだす虫精子。ぐちゃ、と音が響いたと思うとチーの内部から突然粘液が噴き出した様な状態になった。

「ぶびゅっ、ごべっ❤んぶ、ごご、ごぼぁっ❤」

 鼻の孔から虫精子の鼻提灯を膨らませて白目をむいて酸欠に咽ぶチーだけど、それが絶頂を伴っていたのは、ハナムグリ≪ボク≫の雄性生殖器≪おちんちん≫が、ぐいぐいと締め付けられたからわかった。その刺激が引き金になって、蛞蝓≪ボク≫と蚯蚓≪ボク≫以外の、全部の虫達≪ボク≫が、一気に絶頂を迎えてしまう。やっぱ、チーとの交尾、キモチイイ……♥
 チーの上半身を埋める夥しい数の翅虫が尻を蠢かせて放精する。一匹一匹の射精量もすごい。なんせ翅虫とはそのほとんどが、ただセックスするためだけに相手を求めて翅を持ちその姿になる、えっち専用形態なのだ。雌を孕ませたらあとは死んでもいいみたいな子たちが沢山いる。おまけに言えば、この子たちはただの翅虫じゃない、ボク自身≪虫妖≫なのだ。雌を陥落させて快楽に隷従させるためだけに精子を注ぐこともある、そんな翅虫がびっしりと面になって貼り付いたように沢山いて、それら全部がチーの肌に向けて放精したのだ。首から上がすでに粘液塗れになっているチーだけど、そうして上半身も瞬く間に臭い匂いが漂う虫精液で塗りたくられた。
 蜈蚣≪ボク≫と馬陸≪ボク≫も、チーの細い腕を仲間の雌だと思ってか、種付け汁を放つ。指の股から二の腕までが瞬く間に粘り汁で濡れた。クリトリスを噛み苛めていたカミキリムシ≪ボク≫とゴミムシ≪ボク≫は、びきびきにそそり立った陰核に尻を向けて、それめがけて放精する。

「ぐぼっ♥がっくひゅぅぅっ♥んんっ♥しゃせ、い♥」

 ゴミムシ≪ボク≫の高温ガスを伴う射精が陰核に向けて放たれると、乳首とクリトリスがことさら弱いチーは悶絶した。ゴミムシ≪ボク≫のガス噴出射精に負けず劣らずの勢いで尿道から飛沫が飛んで、シーツを濡らす。
 巨大ハナムグリ≪ボク≫は、哺乳類のペニスを模して変形した雄性生殖器をチーの濡れ肉穴へ、出し入れする。興奮で息が荒くなり、ハナムグリ≪ボク≫の気門もフーフーと音を立てていた。お腹を膨らませて乱暴にチーの穴を穿り回すと、腰がツンと上に突き出されて震える。肉襞が蠢いて虫ペニスから精子を受け取るための動きをはじめ、愛液は白く濁った。ずるずるずる、と軟体動物の様になめらかに曲がる雄性生殖器≪おちんちん≫が、アリクイの舌みたいにチーの雌蕊穴をほじくり擦ると、すぐ浅いところにまで子宮が下りてきているのが分かった。

「んぶっ♥ふんっ♥んーふ、ぅっ♥んんっ♥」

 妖精の女性器には貯精嚢はないから、子宮をそのまま貯精嚢の代わりにする。人間の女を孕ませるときは改造子を奥まで伸ばして卵巣を作り変え、卵生母体に仕立てて受精させるのだけど、流石にチーにそんなことはしない。でも、セックスの快感は余すところなく味わいたいのは、チーも、ボクも、同じ。女王蜂が有精卵と無精卵を産み分ける様に、ボクもチーやルーミィとするときは無性精子を使っていた。これなら、何十回でも、毎日でも、セックス出来る。アクメ快感で遊び続けられる。
 子宮の入り口を、輸精管口をぱっくり開けた雄性生殖器の先っちょでノックしてやると、チーは泡吹き音交じりのえっちな声で返事を返してくれる。言葉にはなっていない。前にしたときにもう憶えたのだ、ボクのこのやり方は子宮に直接精子を注ぎ込むのだと。それを思い出して、チーはボクとの交接のクライマックスを期待していた。

「んーっ♥ふぐぅぅっ♥んぅぅっ、うぅぅんっ♥んっ、ふぅうっん❤きて、きてきてっ♥」

 蚯蚓と蛞蝓の精液塗れに濡れ、引き鼻の穴からこぽこぽと提灯をつくるチーの瞼同士は粘液の糸を引いている。その瞼の奥で揺れる瞳の真ん中にはピンクのハートが揺れているかのよう。半目に溶けた目でハナムグリ≪ボク≫の腰遣いを見ている。蛍≪ボク≫にハメ視姦されながら、ハナムグリ≪ボク≫はチーの奥で窄まる子宮口に、先端を押し付ける。先端が細ったそれは容易に口を割る。だが簡単に奥へ侵入できるわけでもなかった。

「ふーっ……!ふーっっ!!♥きへ……もっ、ぶご、もっほ、ふよふ……♥」

 寄りまくって焦点の合わないハート目で子宮姦を求めるチー。無意識に蛞蝓≪ボクの舌≫を噛む力が強くなって、ちょっと痛いけど、それもまた可愛いし、キモチイイ。まだ輸精管≪おちんちん≫も先を子宮口に押し付けると、まだ二回目の経験だというのに何事にも好奇心旺盛で適応力が高いチーはヨガリ声をあげて震えた。

「んヒっ♥ぐりぐりっ、しへっ❤入るっ♥中っ、赤ちゃん部屋のなか、押し入ってくるのっ♥」

 出産の経験があったとしてもその中に異物を侵入させるなんて簡単なはずがない。チーの体ではなおのことだが、それでも彼女は求めてくる。それがボクを喜ばせるための表現であることもわかっていて、だからこそ興奮する。彼女の好意につけ入って、ボクの好きな行為を彼女に強いる、ボクから彼女への好意が仮になかったとしても、成り立つ関係性。でも、そうして自分を好いてくれているチーやルーミィに対して、ボクにもすごく温かい感情があった。好きになった理由を問われてしまうと後ろめたいけれど、確かに好意なのだとおもう。

(幽香さんって、ボクに、こんな風だったのかな)

 ずるるるっ!

 何度か先端を入口の窄まりに押し付けそのたびに押し出されるチーの喘ぎを耳に楽しんでいたその次の押し込みで、不意に先端の抵抗が薄まった。いよいよ入り込んだのだ。強制的に押し広げられる外子宮口。先端は、第二の膣へ侵入する。

「ぐが、ぎっ……あが、ぶふっ……んフぁがっ♥」

 一度入ってしまえば後は、やりたい放題だ。子宮膣は狭く通過すると一瞬だけ柔らかい。そしてまたキツい摩擦を伴うのが最後の子宮口。それもぐりぐりと無理やり押し込んで抉じ開け、中に進入した。先端の抵抗がなくなると、先端はあっという間に肉天井を衝いた。
 チーの平らで柔らかい白いお腹がぽこっと膨らんだのは、充分に長い輸精管を、子宮内がいっぱいになるまで挿入したからだ。内側で蜷局を撒くように丸めながら、チーの赤ちゃんの部屋をボクのおちんちんが完全に占拠すると、蛞蝓と蚯蚓にまみれたチーの顔は幸せそうに歪んでいた。
 股下で行為を眺めていた蛍≪ボク≫は飛び上がり、チーの胸の上で射精を繰り返す翅虫≪ボク≫たちと同化して上半身を再構成する。蛞蝓と蚯蚓にまみれて顔をべとべとにしてヨガリ泣いてる可愛らしいチーに口付けると、嬉しそうな声を出した。

「ぁうっ♥りぐる、りぐっちゅっ、ぁむ……っ♥りぐゆぅっ♥」
「チー、ボクそろそろ、いきそ……」

 ボクが問いかけてもチーは、受け答えらしい声を発しないまま、ただボクの名前を時折混ぜてアヘ顔のまま嘔吐みたいに喘ぎ声を溢している。蛍≪ボク≫はチーのお腹の中に輸精管を詰め込んでいるボク≪ハナムグリ≫の背にとまって顎をなし、その首筋に噛り付く。蛍≪ボク≫は首が落ちたハナムグリ≪ボク≫の背から侵入し、脚とお腹から溶けるように融合してその体を奪う。ハナムグリの体は解けた粘土が変わるように蛍の形に変形し、ボクになった。
 チーの子宮膣の締め付けが、ダイレクトに股間に響いてくる。先端の多くの部分は既に子宮体部に入り込んでおり、底部と天井を擦り上げる様に蜷局を巻いて蠢いていた。その摩擦が感覚結合ではなく本物として流入してきて、元々絶頂が近かったボクは一気に爆発に向けて走ってしまう。

「リグル、おしり、光ってる♥」

 だって、ボクも、もう、イキそうなんだもん。そう言いたいけど虫形態では声が出せず、テレパスする程の余裕もなく、返事の代わりについ蛍の顔のまま口付けてしまった。けど、チーはそれでもふわふわ欲情に浮かされたような顔のまま、口器にキスを返してくれる。

「りぐゆ、りぐゆぅっ♥おくスゴい、しゅごぉっ❤リグルのナマちんちん、しゅき、しゅきぃっ❤イって、ねえ、イってぇっ♥」
「あたいも、あたいもぉっ」

 チーの股の間に、お尻の先っちょを押し付けて、おなかの中に輸精管をねじ込んだまま、ボクは一番大きな絶頂に震える。管を通ってチーの子宮の中に、たっぷり吐き出される精液。輸精管を詰め込んで膨らんでいたチーの下腹部が一層膨らんだ。

「ふぐっ♥おヲぉっっ……!♥おなかの、にゃかっ、どばって、どばどばってぇっ♥」

 服を着ていてもわかってしまう位、チーの下腹部が膨らんでいる。これを膨らませているのがボクの精液なのだと思うと、また興奮して最後の一滴まで絞り出すみたいに注ぎ込んでしまう。チーの膣も子宮膣もグネグネ動いてボクのものを取り込むように動いているし、チーの体のどこも、ボクの行為を拒絶するような反応を示していない。一足先に放精を終えていたチーの上半身に取り憑いていた虫達を回収して、ボクは元の上半身を取り戻す。口を離したチーが、自由になった腕ですぐさま僕の上半身に抱き着いてくる。ぎゅううって、彼女にしてはすごい力。ボクの上半身を、溶けてくっつくくらい抱き寄せたまま、チーも絶頂を告白する。

「ださ、れ、てっ♥イクっ、あたいも、ナカにもらって、イクっ♥りぐるのせーし、卵管まで押し広げてっ、すごいっ♥イク、いくいくいくぅぅっ~~っ♥」

 お腹が膨らんだまま、腰を震わせるチー。膣はぎゅうぎゅう締め上げてくる一方で、子宮膣はふわりと緩んだ。本当なら内側に精液を取り込むための口だけど、今ばかりは、違う。
 ボクが輸精管をずるずると引き抜くと、その摩擦感覚は、チーをアクメ後の追い打ちに晒した。

「いギぃっ♥ぬけ、ぬけるだけれ、ンほぁぁっ♥ナカ、なかもってかれるっ♥子宮が中からめくれちゃうよぉッ❤ぞるぞるゆってるっ、中でぐりゅんぐりゅんになったリグルのちんちん、抜けるたびにぞわぞわして、イってるのに、あたい、またクるっ♥リグル、これずるいっ♥もう終わったのにコレっ、またっ、ずるいぃっ♥っく、イ、ま、……~~~~~っ!!♥」

 にぢゅっ、っと普通なら人体から聞こえるとまずそうな音が、チーの股間から響いた。ボクのおちんちんが全部ボクの中に戻ってきて、チーのお腹の粘膜を舐り尽くした後の音。無理やりこじ開けて一旦開いた状態で癖が付いちゃった肉穴と粘液に空気が混じった音。それに。

「で、ゆっ……♥」

 普通ならば精液を取り込み赤ちゃんを産むための穴から、溢れ出すように大量の精液が噴き出した。

「しゃせぇっ……あたい、しゃせいしてゆ……」

 ふるふると震えながら、股間から腰を高く上げたまま、ぼたぼた、びゅーって噴き出している精液を、嬉しそうに見ているチー。手を猫みたいに丸めてちっちゃい(けど乳首だけ発達しちゃった)おっぱいのところに添えて、鼻の下を伸ばした蕩け顔。横によけてそれを見ているボクは、まだ肩で息をしながら射精後の浮揚感でピントの合わない理性を何とか調整している。でもチーのそんな最高にえっちな事後シーンを見てしまって、またムクムクとおっきくなってしまって……。
 どさりと落ちる様にベッドに崩れたチーの横に並んで、その顔に何度も何度もちゅーする。

「チー、きもちよかったよぉ……もういっかい、もういっかい」
「もう、ほんとムッツリスケベだな、リグルは。いいよ、もっかい……」

 チーの、まだ少し焦点が合っていなさそうな潤み目がボクを見ている。手がボクの頭を撫でたところで。

 こんこん

「おわった?」

 何か硬いものを叩く音が聞こえた、と言うか明らかにノックの音だったのでその方を見ると、ボクの部屋の扉は全開だった。開いたドアのところに立っていたのは、ルーミィ。

「げえっ、ルーミィ、どこから見てたの……?」
「ここから」
「いや、場所じゃなくて」
「リグルがハナムグリのくびをかみきったあたり。ごはんだよ」
「るるる、ルーミィ、これ」

 弁解しようとしたボクの手を、横たわったままのチーが握ってそれを制止する。

「いいんだよ、朝のお世話はあたいがしたから、今夜のお供はルーミア。それでいいんだ。いったろ、あたいらのどっちかを選ぶ必要なんてないんだって」
「チルノはかいすうなんかいかずるっこしてるけどね」
「あ、あれは、わるかったって。おい、ルーミア、なあ、露骨に私のご飯の量減らすのは勘弁してくれよぉ!」
「むしさんのセックスはえいようくれてるから」

 そう言ってルーミィはチーの膨らんだお腹を指さす。

「……そっか、これ……」

 チーは股の下に手をやって、膨らんなお腹を押す。どろって音が鳴りそうなくらい、粘る液体が溢れてきた。それを手に取って、口に運ぶ。

「ち、チー……」

 そんな飲み方されたら、ボク、また……。
 股を押さえるボクを見て、チーがボクの手を無理やりのけてまた大きくなったそれに触ろうとする、と。

 ぐいっと現れたルーミィがチーを押しのけてボクのおちんちんにかぶり付いた。

「あっ、ルーミア!」
「わ、わわ、るーみ……」

 結局ご飯が食べれたのはとっくに昼が過ぎた後、三人ともヤりすぎでぐったりしてからだった。

 なんだか、最近はいつもこんな感じだった。
 お腹が空いたときにご飯を食べて、眠い時に寝て。エッチしたくなったらする。特に、エッチしてる時間がすごく多くなっている。いやきっと、比率的にはそうでもないのだけど、「4人」で一緒に暮らしていたころは1秒もなかったことだのに、今は朝と夜に、ムラっとしたら夕方にも、してる。誰からっていうこともない、チーが「しようぜ」っていう時もあれば、ルーミィが無言で猫みたいにすり寄ってきて始めることもある。ボクがチーの寝所に入り込んでくこともある。ボクら四人の内、性というものをちゃんと理解している子は誰もいなくて、まるで「すきだよ」の言葉の代わりみたいにエッチしている。なんだかひどく爛れた生活の様にも思えたけれど、それはきっと、一度働きに出ていたことがあるボクだけなのだろう。
 食事も、睡眠も、おとなになれば性欲も、自然なモノ、あって当然のモノ、満たして当たり前のモノ。それをいちいち時間を決めて儀式の様に改まってする必要なんか、本当はないのだろう。お仕事に出たことは、ボクにとって間違ったことだったのだろうか。
 チーはボクに向かって、幽香さんにはもう会うべきじゃないと言った。そういうことを含んでいるのかもしれない。彼女にそこまでの深い意図はなかったにせよ。







 pm15:00ともなれば皆、持ち場で勤務中だった。試験管の中に変形菌を培養し、刺激による変化を期待する者。毒性の胞子を撒くキノコとその解毒に挑む者。新種生物のゲノム構築に勤しむ者。それぞれ参加しているPJと参加しているチーム、割り当てられたタスクに従って、淡々と作業をこなしている。受付嬢は昼の来客ラッシュをやり過ごしそろそろ化粧直しをしたくなっているころだし、仕事が若干マンネリして眠くもなる。腹減りな社員は間食のことを考えて気も漫ろになりつつある時間帯だ。皆日常に浸りきっていて、仕事か、それ以外の何かに思考を倒しきっている気の抜けた時間帯だった。

 警備がそれに気付いていなかったわけではなかった。外に向いた監視カメラの映像にノイズが乗るようになったことを見落とす筈がない。ただ、これは警備事案ではなく、あくまでも設備の不調だ、警備員は警備会社の本社へ設備系の点検の手配を行う。

「古今生命科学研究所の監視カメラ全体ですがね、映像が乱れるんですよ。そう。45度?なんだそりゃ。チョップ?あんたね、アニメの見過ぎだよ、しかも古いの。テレビは叩いたり蹴ったりすりゃ直るって、そんなスクラップからの横流し品のカメラとモニタじゃないんだよ、古今だよ、最新設備に決まってるだろう。いいから点検要員回して。」

 映像に若干の乱れがあるだけで警備業務には支障がない、何かあれば駆けつけ警備をするのがそもそもの業務内容であり、カメラで監視することではないのだ。

「明後日だと」
「今日と明日と、明後日の午前中はこのざらざらノイズの映像を見てなきゃならんのか。目がシパシパしてくるな」
「特にこの、何秒かに一遍来る……これ、この映像が上の方にくるんってなって下から出てくるような感じの乱れ、こいつは目に来るなあ」
「だな」

 映像系設備の点検は、翌々日と言うことになった。古今の警備室では、あと二日このノイズ交じりの画面を見ながら、些細な動きでも飛び出していかなければならないだろうことを予測して、溜息を吐いていた。







「いやはや、秋葉原≪スクラップ≫くんだりまで来た甲斐があったってもんだ」

 どこか空洞を感じさせる軽くくぐもった音の中に軽快な破裂音を混ぜた、バイクにも似る独特のエンジン音で走るのは、今や探したってお目にかかることの出来ない三輪のトラック。バイクのような単前輪に軽トラックの後ろ半分のような二輪後輪。全体を覆うのは甲虫のような丸いフォルムでサイドにドアは無く開きっぱなし。ワイパーはこれまた珍品、上からぶら下って左右に振れるタイプだが今は生憎雨は降っていない。セルモーターなんて載ってなくて、キックスタートしなければならない手のかかるやつだが、軽自動車とバイクのあいのこのような可愛い顔に独特の軽快なエンジン音が堪らない。もうどこでも生産なんかしていないし、骨董としての価値もない、作業用として最低限の手入れはされているが扱い自体は杜撰んで錆に罅に歪も酷い。だがその錆びて剥げて褪せた青い塗装は、それはそれで愛くるしいものだった。
 そんな軽三輪の後部荷台に寝転がり、ハンズフリーのヘッドセットで通話している男。どこか猫の気紛れさと警戒心、それにかすかな野性を滲ませた尖り目の男は、何か得体の知れない人形を一つ手に取ってそれを空に翳している。

「さすがは電気街とオタク街を行き来した挙句治安の悪化に歯止めをかけることが出来ないワガママ放題の電脳虚数空間≪無法地帯≫だった街だね。今じゃ迷い込めば尻の毛どころか命だって持ってかれるが、渡り方さえわかれば宝の山だ。それに秋葉原≪スクラップ≫も完璧に歩くガイド、『おやゆびひめ』のなせる業も、痺れるね」
「なんなら横浜ネルソンにだって船を出せるよ。金さえ貰えりゃどこにだって案内する。」
「頼もしいよ、これまでも、これからも、よくやっていこうや。……と言うわけだ、優秀なガイドと俺の天性の勘の賜物、掘り出し物をたんまり持って帰るぞ、高く買ってくれよ?」

―― 生死のリスクを負って≪LPで≫買い物を楽しむのは止めやしないけど、本来の目的は忘れてないだろうね?

「わかってるわかってる」

 荷台の脇に放られた鞄には、一般人では使い道がさっぱりわからないような機械や本、人形までがぎっしりと押し込められている。これにどれほどの価値があるのかは、彼と、その通話相手にしかわからないのだろう。嬉々とした様子のバーゲン帰りを思わせる大盤振る舞いな人物は、荷台の上で風を受けながら通信を継続している。ヘッドセットが繋がる先は、携帯電話、だが今では速度が出ず全く誰も使わないような帯域に細い回線速度を無理やりこじ開けて暗号通信したレトロとモダンの改造ガラケーだ。何やら買い物をした戦利品がぎっしり詰まった鞄の片隅から、頭と同等程度の大きさのパラボラアンテナらしきものが天に向かって伸びている。

―― そのガイドは信用できるの?

「長い付き合い、大丈夫さ。それに彼女だって、誰かを簡単に売ったりしようものなら信用を失う。信用第一の仕事でそんなことをしたら、一生食っていけなくなるからな。俺は彼女を信用しているし、彼女も俺を金払いのいいクライアントとして見ている。それっぽちさ、それっぽっちだからこそ、信用できるだろう?あんたが俺を信用しているように、ね」

―― そいつは危ないな、大した信用じゃない。寝首を掻かれん様にね?

「おっと、つれないじゃないか」

 ハハハと大口をあけて笑う男。

―― 離れたところで報告してくれ。今は?

「ゴージャスなオープンカーでドライブ中さ。」

―― そいつは邪魔したね。こっちは水漏れの穴をひとつ埋めた、つもりだったんだけど、見当違いだった。

「例の『熱心な学生さん』か?」

―― 尻児魂まで抜いたんだけどね、外れ。

「まあ、そのためにオレが秋葉原≪スクラップ≫まで来たんだろう。エロフィギュアと海賊版、ARMS以外にも、十分収穫はあったぜ」

―― 期待してる

 秋葉原≪スクラップ≫も中心部を外れ、旧時代の建造物が折れて人の字に支え合う天然人工のアーケードの下を抜けると、バラックやバリケード、盗掘穴とその土捨て山の姿もまばらになってくる。このまま流せばほどなく水道橋≪メルビル≫だ。堀と下水道が入り組んだ旧市街だが、神妖「プラスティックスティックス」が出現してからは他の関東の都市同様、今はだれも住んでいない……ことになっている。
 プラスティックスティックスが振りまいた放射性物質は未知の元素に強制的に電子を押し付けたもので、プラスティックスティックスから排出され体を離れると2の-30乗秒後には崩壊して放射能を失うものだった。残されるのは安定した非放射性の未知の元素の気体だけで、空気より軽く幾らかは偏西風にのって太平洋へ出たが、ハワイやアメリカ西海岸で何らかの影響が生じたという情報は得られていない。その情報は一般にはあまり出回っておらず風評被害の親玉みたいな状態になって、宗教染みた禁忌を伴い、関東は人の住まないゴーストタウンになっている、表向きには。当のプラスティックスティックスは甲信越の山奥に移動し留まり今でも人の介入を阻み続けていた。

「目のないところで、折を見てこちらから掛け直す。時差は何時間だったっけ」

―― 気にしなくていい

「俺からのコールなら、ファックの最中でも出てくれるってか。堪んないね、愛してる」

―― 切るよ

「待てよ、そろそろ秋葉原≪スクラップ≫を抜けて水道橋≪メルビル≫に出る。下水のアジトに着いたら連絡する。30分後くらいだな」

―― 了解

 男はヘッドセットを外す。また耳に軽快に跳ねるエンジン音と風切り音が流れ込んできた。細い路地は道と言うより瓦礫の谷間。その細い道行を通り抜けるのに、軽三輪の小回りは都合がよいようだった。
 数年に一度来襲する、自律移動する災害≪かみさま≫に対して防衛線を引き、未だに発展を続ける関西から、時間ごと切り捨てられたような地方、関東。だが実際にはこうして非公式に人の営みは復活し、プラスティックスティックスが吐き捨てた未知の「線」によって、地下ケーブルの銅質が極稀に変性して生じるとされる金に似た「東」と呼ばれる物質を求めて、東方採掘民と呼ばれるならず者が社会を形成している。汚染を受けた(と嘯かれた)末、未だ目鼻先に神妖≪かみさま≫が留まるというのに、ここには人が集まる。騙しも殺しも犯しも、同時に一攫千金も、たまにはロマンスの一つくらいはある、治安のちの字もないこの秋葉原≪スクラップ≫にしかし所在を置き存続する企業が紙の上では幾つも存在し、それがトリニティ・インダストリの息が掛かっていそうだと掴んだのは、荷台の上で横たわる彼独自のネットワークによるものだった。

「舞波、そろそろ水道橋≪メルビル≫だよ」

 運転席でコの字型のバーハンドルを握るガイドは、跨る中央のシフトレバーを切り替えながら、心地よいながらも喧しさを否めないエンジン音に負けないよう声を張り上げて、荷台に乗る男に言う。バックミラー越しに荷台の男の顔を覗くガイドは、年端もない小柄な少女だった。

「おう。今の話、聞いてたか?」
「聞いてたよ、エロフィギュアの話でしょ」
「美人のねーちゃんって点では、あたりだな」

 確かに、ガイドは信用できる人間だと、舞波と呼ばれた男は言った。だが、それは先の通信を筒抜けにしてもよいというレベルの話では、実際はなかった。

「交換は後だ。世界一カッコイイ下水道で、酒でも煽りながらにしよう」
「下水がぶ飲みはしないよ?」







「トリニティ・インダストリの関係会社、外郭組織、下部企業、全203の内、189までがペーパーカンパニかその類の企業だった。所長が言ってた通り、キナ臭い。トリニティ・インダストリを『剥いて』行けば剥いていくほど、どんどん何も見えなくなってくる。当のトリニティの姿さえ見えない。何を隠そうとしているんだ。古今に近付いたのは、『花』欲しさに違いないだろうが、その動機もさっぱりだ。」

 水道橋≪メルビル≫の地下を隈なく走る下水道は、本流に近ければ人が通れるほどの太さを持っている。それどころか建物が一個入るくらいの高さが確保できる場所もあるし、恐らく放水路だったのだろう箇所は地下だけで街を形成するに十分な容積を持っていた。男のアジトは、その支流の一端にあった。治安の悪い水道橋≪メルビル≫では、下水には犯罪集団のアジトや邪神崇拝の神殿があるなどと噂されており、東方採掘民の中でも特に土地勘のある者でなければ近寄ろうとしないもう一つの街となっている。もっとも、この水道橋≪メルビル≫では悪事を取り締まるものもないのだが。

「トリニティ・インダストリから古今に来ていた営業も幹部も、全部盗難戸籍だった。古今はそれを承知で取引を継続しているらしい」
「トリニティって名前だけで、実は関係ない会社ないんじゃないの?」
「それも疑ったけどな。だとしたら、これまで古今に投資してきた額が納得いかない。あんなでかい金は、でかすぎて身動きが丸見えなんだよ。確かに金自体はラムダ基地から出てる。それより上流は辿れなかったが」

 下水道、とはいっても今は下水道としては全く使われていない。地上の街には、上水道さえ既に機能していないのだ。この下水道の内、水が生きているところには、どこから来たのか全く分からないが魚やエビ、貝といった魚介類が生息している。男は情報屋稼業でたつきを立てられているからそうしないが、貧しい東方採掘民には得体の知れない下水道産の魚介類を食べて生活している者もあった。

「私が調べたところとその金の流れ、合致するかもね。トリニティ自身も、ネルソンの金取引絡みでロンダリングしてる。例えばこれ」

 手製のストーブ、廃材で作った簡素なベッド、同じく拾い物の木製テーブル。椅子が幾つか。このアジトとて彼等の終の棲家と言うわけではない。テーブルの上にはランタンと書類、ペン、通信機。時計。ガス計。今は先の軽三輪のキーも仲間に入っている。
 男女は木製のテーブルに向かって調査結果の紙類を広げて眺めていた。舞波はサマゴン≪粗製蒸留酒≫をストレートとチェイサーで煽って、女はそれに付き合う形で水割り。電源の乏しいここでは氷は貴重品だが、戦果の交換の振る舞いとして今は山盛りに出ていた。
 女が指さしたのは、女自身が持ってきた情報と、男が今広げたもの、それぞれ。

「トリニティ本体の予算にある、この美術品購入……指輪?の額と、ヨークランドの酒造メーカーの買収額、後これね、若津紛争の軍費の防疫設備Aの額かな、これらを足すと」
「トリニティ・インダストリと古今の取引額に近いな……近いけど、足は付かない、憶測の域を出ない。」
「そうね。金の相場が変わるから一致しないだろうし、ネルソンの金取引は履歴が厳重で閲覧できない。ネルソンってのは街並みは綺麗でも、背景は九龍以上にカオスね。表向きは反トリニティを掲げながら、裏ではトリニティの汚れ仕事に目を瞑ってるダブルスタンダード。独立を勝ち取ってるってのもそういう持ちつ持たれつがあるのかしらね」
「だがこれは、実態としては確証を得たことで間違いないだろう」

 舞波、と呼ばれていた男はサマゴン≪粗製蒸留酒≫のグラスの残りを煽り、次を注いだ。早く本社に戻ってまともな酒が飲みてえな、と言いつつその質の悪いアルコールを飲む手を止めることはない。

「それにしてもトリニティ本体の予算詳細なんて、よく入手したな」
「まーね。」

 舞波と呼ばれた男、親指姫と綽名された女、二人とも掲げている看板は興信所と探偵、所謂『情報屋』というやつだった。親指姫と呼ばれた女はフリー、舞波と呼ばれた男は古今の関係会社の職員だ。二人はまったく別のクライアントの依頼で動いている(勿論舞波の方は古今本社がクライアントだが)が、情報の利害が一致しているためこうして情報を交換している。
 舞波は社外的には古今の社員を名乗っており、立場上も古今に寄っている。だが、この「親指姫」と交換している情報は、決して協力者買収のためであっても漏らしてはいけない類のものの様だった。

「古今だってワルよね。トリニティと商売しておきながら、内側にはIRPO≪マッポ≫のエージェント匿ってるんでしょ?若津の残党も飼ってるとか。エクストラ≪改造人間≫なんて作って、何をする気なの?それって本当に神妖≪かみさま≫対策なわけ?」
「真矢のやつ、水漏れ穴を塞いだっかもなんて言ってた割には、ダダ漏れじゃないか。エクストラの事が外に漏れてるなんて、俺以外にもどでかいバイパスが通ってやがるな。どこで聞いた?」

 親指姫は意味ありげな視線を舞波へ送っただけで何も答えない。
 舞波は親指姫に古今内部の情報を流す。親指姫は古今の情報を受け取る代わりに、どこかから得たトリニティの内情を舞波へ伝える。これが二人のビジネスパートナーと称した関係だった。

「今、HQが縮退運転中なのは知っている?」
「えっ、マジかよ」
「もうしばらく前のことだけれど、トリニティはひた隠しにしている。ウィルスの侵入、と言う事らしいけれど、HQみたいな電脳防壁バキバキのところに入り込めるような技術が、トリニティの外に存在したって方が驚きだわ」
「HQが止まってるって、一大事じゃねえか」
「一応、スクープのつもり。交換に足りるかしら?」
「十分過ぎる、愛してるぜ」
「その、誰にでも『愛してる』って言うのやめなさいよ……」
「おっと、また出ちまったな。もう『サンキュー』の代わりみたいなもんだなこいつは」

 ろくに味のしないほぼただのアルコールを煽りながら笑う舞波。酔った様子はないが、これはこの男の何時ものノリだ。「愛してる」が挨拶代わりに飛び出すのも、親指姫も当初は戸惑ったものだが、2時間で慣れて相手にしなくなっている。たまにこうして弄られるだけだ。

「トリニティが今躍起になって探しているのは、RB3の停止もしくは破壊方法と、キューブと呼ばれるオーパーツ。それ以外は全部おまけって感じね。古今の優先度はそう高くは無いけれど、それがRB3の行動阻害に繋がるなら別でしょうね。キューブを求めているのだって、元を正せばそこにたどり着くのだもの。」
「RB3抑止論は反トリニティ体制にとっては聖書の一節みたいなもんだからな」
「HQがやられて以来各地の国連支配体制が緩んでて、若津みたいに謀反を起こす奴らもいる。トリニティとしてはRB3への対抗措置を手に入れた上で早くHQを再起動したいところなのよ。タルターロスとラムダじゃ機能が全然足りていない。指揮官も無能だし。」
「ラムダのやつは俺も見たことがあるぜ。無能っていうか……趣味が悪い、人間として。何だよ『受/攻』って。」
「トリニティは一企業から国連下部組織へ変身し、国連の組織体制上は末端機関でしかないにも拘らず、今や阿米支のG3にも影響力を与える存在になっている。トリニティに染まった国連の支配を毛嫌いする人もいるけれど、暴政を敷くわけではないし一定の秩序も人権も守っている。緩やかな統合と考えればさほど悪いことではないと思うけど。あ、これは一般論ね。私にイデオロギはないわ」
「しってるよ」

 舞波が提示した不出情報もそうだが、親指姫と綽名される女情報屋が舞波へ提供した情報も機密事項だろう。この二人は諜報活動としてクライアントの求める情報を手に入れてくる代わりに、内部の情報も探り当てて外に売り払いもする、言ってしまえば二重スパイをはたらいているのだった。

「古今は、というか、所長は、何かを急いている。トリニティ・インダストリとの接点を急いだのもそのせいだ。エクストラはまだまだ実験段階。単機やボディガードとして使うならともかく、とてもじゃないけど、兵隊を組織できるレベルじゃない。なのに、リスクを承知で売り込んだ。何急いでいる?」
「金が必要なのかしら」
「さあな。古今の決算諸表上はそんな気配はないし、『裏』の中にも財務的に焦りを要する項目はなかった。ただ、仮想通貨はどうにも途中で足取りが追えなくなるからな…
…。用途が限られるのは確かだが、足が付かないという点では、苦しい」

 舞波は、カバンから一つ小さなトランクケースを取り出した。それを開くと緩衝材に包まれたアンプルが顔を出す。それを、親指姫の前に置いた。アンプルの中の液体は、幽かに発行していた。ルシフェラーゼにATPを注いだ時のような蛍光だが、色は彩度の高い青。ランタンが幾つか設置されただけで橙色に染め上げられている地下下水道の袋小路の空間に、青色の光は光量以上に目映く見えた。

「こいつは、所長が青血漿と呼んでる薬品だ。噂じゃ東素が材料らしいが流石にまだ製造マニュアルは入手できていない。まだ製品でも何でもないただの試作品だけど、常識がひっくり返る。ネズミにでも注射してみればわかるさ、きっとそのネズミを処分するのに酷く手こずる筈だ。そいつも情報戦果のひとつだ。俺には何の価値もない、持っていきな」

 小さなトランクも一緒に親指姫へ渡す舞波。親指姫は、どうも、といってそれを再度ケースにしまって僅かに手前に引いた脇へよけた。すぐにしまいこんだりはしないが受け取ったという意思表示だ。

「こいつの代わりにもう一つ、情報をあげる。古今はトリニティから目を付けられているけれど、遠くない内に、粛清部隊≪掃除屋≫が若津と同じように、するわ。でも、目を付けられる原因は、その『所長さん』なのよね。」
「どういうことだ」
「当のトリニティも踊らされてるのよ。古今が若津残党とネルソンの反トリニティ、それにIRPOの監査エージェントの隠蓑≪サンクチュアリ≫になっているってタレこみはね、梨来って人≪・・・・・≫からの情報なのよ。理由なんて知らないけど、全員が、ただの『配役名』に過ぎないのだわ。あなたも私も、トリニティも含めてね」
「まあ商売の面でトリニティと折り合いが付きづらい事はあったが、最近はその若津絡みで共同作戦も行ったし、取引もするようになった。だが粛清部隊≪掃除屋≫が来るほどの事なのか?」
「そういう意味じゃないわ。古今の内部に若津の残党がいるとか、ネルソンの反トリニティ組織がいるとか、嘘臭いと思わない?ただの科学研究施設に、そんな政治色強い人間を、痕跡をさっぱり消して匿えるわけがない」
「俺が調べた限りでもそんな事実はない。どこから降って沸いた話なのかさっぱりなんだよな。え、その情報提供が、所長からだっていうのか?馬鹿々々しい、匿名情報に踊らされ過ぎだろう、余りにも臭すぎて手にも取らないぜそんな情報」
「その時に『鳩』をやったのは私よ。ティム、とか呼ばれてるエクストラを連れていたわ。トリニティへの情報提供は、確かに匿名で行われたことになっている。絶対的に信頼がおける内部協力者からの密告、ってね」
「お前のクライアントはトリニティに参画するどこかの企業じゃないのか」
「ええ、そうよ。でもあなたと同じ二重スパイだもの。主たるクライアントは、梨来優花≪所長さん≫。一度きりじゃなく、何度も、古今に不利な情報をトリニティ側へ流すよう依頼されたわ。真意なんてわからない。科学者の考えることなんてさっぱりね」

 息を吐いた親指姫は、サマゴン≪粗製蒸留酒≫を注ぐ。それまでは水割にしていたが、今は氷だけを入れてロックにしている。

「何の意味があるんだ、自殺行為じゃないか」
「知らないわよ。でも、つまりトリニティも古今の情報に踊らされているってこと。恐らくあなたの言う通り古今の中にトリニティに仇なす要素はほとんどないんだろうけれど、トリニティはもう粛清部隊≪掃除屋≫の派遣を決定しているわ。トリニティにとってはそれが真実だろうが偽りであろうが関係がないの。若津を見ればわかるでしょう?」

 若津は『大量破壊兵器の保有≪カーネイジ≫』を疑われてトリニティから軍事的制裁を受けた。大量破壊兵器などないことは各国共通で認識していたがが、それに異を唱えるものはいなかった。若津はもとよりトリニティに非協力的で、制裁の理由はむしろそっちだろうというのが水面下での理解だった。トリニティのやり口はトップをいきなり操作することではなく間接選出の特権理事をボトムアップで操作し思い通りに動かすことだが、そうすることで大きな歪みを伴わずに無理な世界政策を押し通している。若津への制裁も、同じである。
 もし同じように古今も対象と認定されるのなら、たかがただの研究施設一つだ、軍備だって何もない。ひとたまりもないだろう。むしろ一方的な虐殺になる≪紛争などに発展しない≫分、平和かもしれなかった。

「所長は何を考えてる。トリニティを炊き付けて、粛清部隊≪掃除屋≫何か招いて、一体」
「私から見れば、梨来優花≪所長さん≫だけじゃなく、古今の職員は全員キモイけれどね。何考えてあんなところで毎日仕事しているのかしら。私なら気が狂うわ。梨来所長≪クライアント≫の真意や企みなんて、私には関係がないし、そもそもそういわけだから知ろうとも思わないし知りたくもない。あなたは、古今の関係会社の社員だからそういうわけにはいかないのかもしれないけれど?」
「俺にもわかんねえよ、今回に限っては特に。粛清部隊≪掃除屋≫はいつ派遣されるんだ」
「72時間後、とこの間言っていたけれど、あれはいつだったかしら」

 女はとぼけた様に言う。先までの協力的な姿勢は既にナリを潜めていた。この女はこの女で何か闇を抱えている、男の方もそう感じた。

「ところで私、この仕事から足洗おうと思っているの」
「なんだ、急に。嫁に出も行くのか」
「残念ながら」

 全く関係のない話を始めるので面食らう舞波。会話の転換自体よりも、情報屋稼業を辞めるという方に、驚きを示しているようだ。

「一度入ったら出られんぜ、この業界は」
「私があなたに今回漏らした情報は、トリニティでも箝口されている厄物中の厄物よ。その代わりにあなたも随分情報をくれたけれど、もう、これきり古今に関わるのはやめるわ。手持ちの情報と、あなたの持った情報、それにあなたを土産にね」
「俺?」
「こういうことよ。」

 親指姫は突然に舞波に向けて拳銃≪アグニSSP≫を取り出してその口を向けた。

「……トリニティは俺のことを随分高く買ってくれたようだな」
「買った代金はあなたのところにはいかないけれどね。トリニティからそれなりにいい金をもらっているの。もうこんな仕事はこれっきりに出来る額。もう二重スパイなんて危ない橋を渡るのはやめて、大人しく普通の仕事をすることにしたの。お金は十分にもらえるし、趣味を兼ねてお針子でもしようかしら」

 女の銃は取り出された時点で、男の瞬発の外、だが発砲されて外すはずのない距離。全て考え込まれた距離感だ。

「トリニティからそれなりにいい金をもらっているの。もうこんな仕事はこれっきりに出来る額」
「ばかやろう。そんなもの直ぐに、命≪利息≫と一緒に取り返される。何て間抜けな取引をしたんだ」
「承知の上よ」
「狂気の沙汰だな、ああ、女ってのは本当にわからないぜ。所長も、お前も」
「そうか、女か。そうか、そうね、ふふ、梨来優花≪所長さん≫は、科学者じゃなかったのか。女だったのね。合点がいったわ」
「わからねえよ。男の俺には一生理解できないってのか」
「そうかもね」

 両手を上げて、やめろ、やめろと表現しながら会話で時間を引き延ばそうとする舞波。だが、親指姫の方は引き金にかけた指を外す気配がない。男が少しでも手を下ろそうとするとすぐに引き金を引くそぶりを見せて制止した。

「親指姫≪ジーナ≫、この商売を始めた奴は、足を洗うなんてできない。諜報情報ってのは金になる打出小槌じゃない、少しずつ命を削って売ってるようなもんだ。仕事を辞めて手持ちの資材を全て出して、一度に何かを得ようなんて考えるな」
「……いつも天邪鬼なあなたがまともなことを言うのね。死に際に改心した?」
「俺はいつでもまともだ」
「だから、わからないのよ、女のことが」

 どこか自嘲気味に笑う女。トリニティの取引に応じてビジネスパートナーを手にかけることで、未来の安定を手に入れる彼女には、しかしどこかに諦めの様なものが見えている。

「こんなことやっていて、結局いずれどこかで行き止まりになる≪NoFuture≫。どこかで打開しないと。誰かを騙して陥れて、それをお金にするなんて。怨恨を買い続けて生き延びられるはずがないわ。あなたを殺しても、あなたを大切に思っている女が……いるわけじゃ、ないもの。怨恨の連鎖はここで終わる」
「そういうお前も急にまともなことを言うじゃないか。でもこれは、クリーンなビジネスさ。怨恨を買い続ける稼業じゃない。自分にとっては廉価だが相手にとって価値の高い情報の需給をマッチングする。双方に利益があるんだ。だから、トリニティも、古今も、IRPOも、俺を生かして泳がせている。WIN-WINだ。誰も俺を殺さない。きちんとやっていれば、誰も損害を被らない必要悪。敗者の居ないクリーンな仕事だ。そう考えたからお前も足を踏み入れたんだろう」
「ビジネスさ。自分にとっては廉価だが相手にとって価値の高い情報の需給をマッチングする。双方に利益があるんだ。だから、トリニティも、古今も、IRPOも、俺を生かして泳がせている。WIN-WINだ。お前もそうだろう?」
「そうね。でも違った。それに、敗者はいるわ。……あなたよ」

 パンッ

「ビジネスパートナ、ね。便利な言葉だけど、行き止まりの関係≪NoFuture≫だったね」

 もう聞く者の誰もいない部屋≪下水道≫で、女は一人ごつ。必要なものと不要なものに振り分けながら、慣れた手つきでテーブルの上の書類をまとめていく。

「あなたが一言、互いに利用しあう関係はこれきりにしようと、言ってくれれば、それっきりでいいと思っていたよ。本当よ。もしそうなってたら、そうね、本当にお針子でもやってのんびり暮らすのもよかったかもね。もう、取り返しはつかないけれど」

 必要と判断した一通りの書類を鞄に詰め込み、通信機にもう一発撃ちこんでから、書類の残りを全て火にくべて燃やした。急激な燃焼によってガス計の数値が上昇するが、もはやここをひとが使う事は無い。その隣にある軽三輪の鍵を手に取った。
 女はもう一杯だけ酒を喰らって、そこから立ち去る。

「男はもう、懲り懲りだわ」







「きょうのごはんはにんげん≪さいとう≫さんだぞー。しんじゃってるけど、けっこうしんせん」
「わぉ、どしたの?」

 お風呂に入って、お風呂の中でもう一回始めちゃったけれど出てきて、そうしてルーミィはボクらを驚かせるように言った。道理で朝から何かいい匂いがしていたわけだ。妙にムラムラして何度もエッチしちゃったのは、そのせいかもしれない。

「はくれいのみこが、くれた」
「え?」
「またまた。霊夢が何で人間の死体なんかくれるんだよ。あいつは妖怪にも理解があるってだけで、基本的には人間の仲間だぞ。どうせ久しぶりに食べたくなって我慢できずにルーミアがとっつかまえてきたんだろ?」
「ちがうよお!くれたもん。なんか、おてらからもらってきたってゆってた」
「寺……?」

 寺と言えばこの辺には一山しかない。確かにあそこは、霊や魂ばかり集めたがるこの辺の妖怪たちと違って、死体が集まる場所だ。紅魔館は都合上死体を作る場合があるが、それに次いで新鮮な人間の死体が「公式に」集まりやすい場所だった。もう一か所死体がよく集まる場所があるが、葬送後の食べれないものばかりなのと地理的に大きく離れているので、ボク達にはあまり関りのない場所だ。レミリア卿は結構親しいらしいけれど、余り話を聞いたこともない。
 ルーミィが魔名氷室から取り出した死体は、頭が少し欠けているが、それ以外は非常にきれいなものだった。腐臭もなく、確かにまだ新しい。

「でどころはどうあれ」
「とりあえず」
「たべよっか」

 久しぶりの人間、食欲の方が勝ってしまって考えるのは後回し。外に持って行って、ちょうどいい木陰で。

「「「いただきまーす」」」

 この挨拶は人間のもので、ボクが3人に広めたのだが、昔と違って人間食が偶にしか出来なくなったので、その有難味をかみしめるにはちょうど良かった。
 ルーミィはお肉にがぶがぶ噛り付いて食べる。歯で噛み千切って、咀嚼して飲み込む。消化液はお腹の中にあるのらしい。口では細かくちぎるだけ。
 ボクは千切って取ったお肉に噛み付いたまま、肉の繊維を吸うように飲み込む。唾液自体に消化力があるので、溶けたお肉を飲んでいる感じかな。
 チーはどっちつかず。元々妖精は人間を食べる存在じゃなくって、ボクらの輪の中にいるから食べるようになっただけで、食べ方はいつも気ままな方法でしていた。ごくごく新鮮な肉であれば精気だけを吸い取ることもあるし、こういう死体ならそれなりに体組織を摂取もするだろう。今は、ルーミィと同じようにもぐもぐ食べていた。普段は何事も中心になりたがるチーだけど、人間の食べ方については、ボクやルーミィに任せてあまり多くを口出ししない。
 右腕を捥いで、ルーミィが食べている。柔らかい二の腕を口に含んで満面の笑み。きっと次は鉱物の内臓に行っちゃうんだ。ボクは左足、食べるところが少ないところから手を付けてしまうのは一人の時の癖で、みんなで食べるようになってからは食い負けてしまう、これ食べ終わったら太腿を貰おう。チーはおなか辺りの肉をちぎって食べていた。

「あっ、血が逃げちゃうよ」
「おもったよりしんせん……たべかたかんがえたほうがよかったかな」
「ちゃんと血抜いて、ジュースにすべきだったね」
「しょうがないからはやくたべちゃお」

 死体は未だ新鮮で、血がよく出る。こうも新鮮なら、きちんと処理をして食べればよかった。博麗の巫女がくれたものだから精々その程度のものだろうと思っていたけれど、三人で失敗したね、って笑い合う。久しぶりのご馳走でみんな気分がほっこり。
 そういえば、ローリーは……どうしているだろう。
 人間食は滅多にないご馳走で、たまにありつければ四人で喜んでわいわい食べていた。大人しいローリーも人間食の時だけはちょっとだけ欲張りになっていたのを覚えている。食べ方は、千切ったお肉を丸呑みだった。顎で噛むという習慣はあまりないのらしい。お気に入りは頭。頭蓋骨を割って脳みそをすすって食べるのが好きだった。

「ローリー、どうしてるかな」

 つい、口をついてしまった。チーとルーミィの二人は、突然いなくなったローリーと、恐らく何らかの形で関っているだろう幽香さんからボクを切り離す目的で、昔以上にボクとの距離を近くして、仲こそよかったけれど家は別々だったのに今は同居するまでになっている。そんな三人の中で、ローリーの名前をいきなり出すのは、彼女達への裏切りにも思えた。
 前までは毎日顔を合わせていた幽香さんとももう久しく会っていない。それこそが彼女達の気遣いなのかもしれないが、気になって仕方が無いことと、理由も知れないが怒らせてしまって会うのが怖いことと、両方がせめぎ合っている。せめぎ合っていること自体だって、チーとルーミィには後ろめたくって。

「ごめん、なんでもない」

 撤回しようとしたが、口から一度出てしまった言葉は取り返しがつかない。食事の手を止める二人。しばらく黙ったまま、それぞれ手に取った肉に視線を投げている。

「やっぱ、さがしにいこっか」

 ルーミィが口を開いた。けど、今更どこを?とは恐らく三人の中に共通する認識だった。幻想郷の探せる範囲はもう探した。神奈備≪なむなび≫やそれ以外の地域にいるなら、博麗に申請しなければ出ることが出来ない。夜雀一匹いなくなったくらいで、越境申請が通るとも思えなかった。

「ミスティアを探すなら、風見ねえさ……風見のことを避けては通れないだろ。どうすんだよリグル、その覚悟無いだろ?」
「そんな、ことは」

 あった。この三人で生活を始めてから、ボクは、それでも幽香さんとローリーのことをいつまでもうじうじと考えたままだった。ローリーの事は三人にもかかわりのあることだ、たまにこうしてボクがぽろっと口にしてしまうことはあったけれど、幽香さんのことについては三人ともそれ以上に強い禁忌感を以て避けていたし、何より、ボク自身がどうやって幽香さんと顔を合わせればいいのか整理が出来ていない。しようともしていないままこうして三人の生活に逃げ込んでしまっているのだから。

「ないんなら、飲み込んでろ……あたいらでがまんしてくれ」
「もー、りぐるはこどもだなあ」

 幽香さんは兎も角、ローリーについて、二人が(ボクも含めれば三人だが)触れないようにしているのは、なんだかローリーに対して悪い気がしてしまう。きっとどこかでまだ生きているのだと信じているけど(幻想郷の外に出れば、何らかの理由で殺されてしまっているかもしれない)、ここにはいない人をそんなに気を急いて「記憶の中だけのひと」にしてしまうことが、後ろめたい。特に、ボクの立場では。

「そう、だね。ごめん」
「まーま、まずは食おうぜ、せっかくのご馳走。」
「はくれーもわたしたちのじゅうようさにきづいたってことかな」

 そんなはずはないだろう。きっと、この件について、何か思うところがあるのだ。紫太妃が「異変になる」と言っていたことが、全く何事も起こらずに空振りになるとは考えにくい。
 博麗の神祇伯がボクらのような辺境にわざわざ人肉を下賜なさるなんて、考えにくいことだ。そもそも博麗は大義的には人間の守護者として人妖両者の調停を行う者だ。だから多くに場合、その結果を妖怪側から見れば単なる虐待であり人間から見たってただの退治であることがままある。博麗は紫太妃が人間側に定めた妖怪を縛り上げるバランサなのだ。人妖どちらが悪いかではなく、妖怪側の頭が出たときに、容赦なくそれを刈り取る鎌なのだ。
 だから、妖怪側の一方的な要求である人間食に加担するはずがなかった。
 もしかして、この肉は食べてはいけないものだった?

「罠」
「えっ」
「これ、ボクに何かの疑いをかけさせるためなんじゃ」
「なんでさ」
「それは……」







 こんなに近日に二度も博麗神社へ参宮することは滅多にない。確かに距離的に遠いには遠いが実際には大した足労はない、ただ、妖怪の身としては基本的に博麗は積極的に近寄りたいものではないからだ。意識というよりは、本能的なもの。博麗の周囲は、空気が薄いとか、水圧が高いとか、気温が低いとか、慣れない匂いがするとか、そういうのと同じ感じで、体が違和感を訴える。
 すぐそばに幽香さんの荘園≪ヨークランド≫があり飛び地領土の生産緑地となっているが、ボク自身はこっちの畑で作業することはあまりなかった。神社の裏手にある風見緑地は、主に博麗への奉納品を生産している。煙草や香木、染料、繊維などが主だったが、風見花果店が開かれてからは食品をといわれていた……もう、閉店したけれど。
 ボクが罠だと思ったのは、その博麗のあり方を考えれば自然なことだ。紫太妃の発言を、知っていれば。ボクか、幽香さんか、ローリーか、あるいはその複数を指して「異変になる」と言ったのだから。

「ルーミアから聞きました。博麗から賜宍があったと」
「ウチからだって、周りに吹聴しないで頂戴ね。これでも私は人間の味方で通ってんだから。」
「承知しております」

 通常、賜宍は博麗神社では行われない。元は守矢神社が、神饌として捧げられた肉を聖別して再度人間に対して振る舞う猪や鹿の肉を使った料理のことを指す。あそこは元から肉を食べる風土があるのと現人神がいるのでそういう文化が生まれたのらしいが、そうした文化は博麗の周囲にはない。博麗と守矢がある程度習合された今も、慣習や神事などに差が残っている。そうした差は、習合時に博麗が譲歩的に認めたものだと言われているが、そんなことはボクら既存の小妖怪の知ったことではなかった。

「あんたらが死体で満足してくれるなら、生きた人間襲わなくてすむでしょう。たまにはご馳走くらいあってもいいと、思ってね。仮にも辺境伯やってんでしょ、それくらいの特権は認めるわ」
「恐悦の極みです……が、それだけ、ですか?紫太妃が、ロー……ミスティア・ローレライの件で何かお心遣いをなさっているのでは、と。」
「あいつが?まさか。思ってても何もしない奴よ、いつも何かするのは私」

 小さく溜息を吐く博麗の巫女姫。ボクが気にしているのはまさにその、巫女の独断行為の方なのだった。ボクらは幽香さんやレミリアさんに、官位を返上している。その手前、博麗から何事か直接ボクらへ下賜されることは、本来はない。そこがどうしても引っかかるのだ。どうして、巫女手ずから、間をすっ飛ばして、それを持ってきたのか?

「賜宍が、直接我々のところにあったとなると」
「まあ、風見と紅魔のメンツは潰れるかしら」

 何事か下賜がされるとすると、今のボクらの立場では、まずは幽香さんやレミリアさんを介すのが筋なのだ。でも、神祇伯は、わかっていてそれをすっ飛ばしたような口ぶりだ。

「紅魔は博麗の神事に最初から無頓着。だからレミィ一代の官位にしているのだけど。でも、幽香は『興味ないわ』とか言いながら、案外気にするのよね」
「お待ちください、それでは」
「そ。夢幻伯は反感を持つでしょうね、私≪博麗≫か……もしくはナイトバグ元辺境伯に」

 謀られた、しかもかなり安っぽい手に。夢幻伯……幽香さんからの怨恨を、理由の知れない個人的なモノから、理由が明確な公的なものに差し替えられた。博麗は、ボクと幽香さんの間にある何かを、どこまで知っているのだろうか。当事者である筈のボクの方がまるで部外者だ、何が起こっているのか、さっぱりわからない。これはきっとやはり、霊夢さん、というよりは紫太妃の企みに違いない。

「まあ、あんたなら、どこか小さな土地位得る力はあるでしょう。博麗としては、あんたらは4人で集まれば、それなりに力がある存在だと認識しているわ。だからこその賜宍だったのだけど」
「お考えと行動が逆です」
「……いかにも?」

 ボク達妖怪だって、人間と同じようにご飯を食べなければ死んでしまう。でも、狩りを含めた食事の行為は、領地≪なわばり≫を持っていなければ出来ない。多くの妖怪は社会性が薄く、別種族同士ではなおさら。土地≪なわばり≫を持たず食事を得られなければ、今のボクらがそうであるように誰かの配下に下るか、逆に誰かの領地≪なわばり≫を奪うかして食料を得る必要があった。そういう点では、博麗(八雲)は全神妖の中で頂点に君臨することになるが、幽香さんやレミリアさんは博麗から直接広大な縄張りを得ていて、ボクらはさらにその傘下で縄張りを借りているに過ぎない。幽香さんから反感を買い傘下を追い出されるとどこかで縄張り争いに勝たなければならないのだ。ボクら4人は常に全力での衝突を避けて、上手くやって来た。でも今は一人欠け、どこかの縄張りを奪うこともきっとままならない。その状態で傘下を追い出されるのは、非常に危険なことだった。

「博麗は、紫太妃は、私が異変の原因に成り得るから、先にその芽を摘み取っておこうと」
「私の独断だと、言ったでしょう。まあ紫≪あいつ≫は知っててみて見ぬフリをしているだけでしょうけど」

 博麗神祇伯は、小さく―― この方はいつも何かを考えると必ずそうする―― 溜息を吐いて、改めて僕の方へ視線を送ってきた。

「私達なんかを陥れて、博麗にメリットがあるとは思えません」
「デメリットも無いけれどね?」
「御冗談を」

 ボクは辺境を任されているとはいえ、それは夢幻の配下であるし、単に面倒な仕事を雑魚に押し付けているというレベルに過ぎない。博麗から見て価値のある配下とは、綾椿の魔女、紅魔卿≪KRMAZYN≫、夢幻伯≪SleepingDandeLion≫、守矢≪Shunem≫の斎王、天狗六天氏族の子等≪PIXIES≫、比州藤原氏などの特別な存在に限られる。綾椿には先日何か不幸があったとか聞いたけれど詳細は知らない。

「ま、こうなっては仕方が無い、風見夢幻伯≪SleepingDandeLion≫とやり合うといいわ。あの辺一帯は大体幽香のものだし、自分の力でで切り取りなさいな。異変の芽にはさっさと退場願いたいのよ。いいわ、免災符なら出してあげる。二人の間で存分に災厄なさい」
「私が異変の種だとおっしゃるのですか、根拠もなく!?幽香さ……風見夢幻伯≪SleepingDandeLion≫と競合争奪だなんて、私達ではひとたまりもありません!」
「そう?それが嫌なら」

 嫌に決まっている、嫌と言うよりも、死にたくない。幽香さんとNGナシの弾幕ごっこ≪殺し合い≫だなんて、余りにも目がない。それなら他の辺境妖怪に決死で挑むか、いっそ神奈備≪かむなび≫に亡命した方がマシだ。
 博麗がどうしてもその根回しを実行するというのなら、本当に何か考えなければ。今の幽香さんに、ボク嘆願は届かないかもしれない。ルーミィ経由でレミリアさんに助命を願うか……。生き延びる策を考えるボク。せめて他の三人もいるのならいつものように知恵を出し合うのだけれど、今は生憎一人だ。集まっても三人だ。ボクらじゃ三人寄っても文殊には届かない。
 博麗の巫女は、困惑するボクに向き直って、言った。

「それが嫌なら、幽香と、少しちゃんと話しなさい」
「はっ?」
「こっちにも悪意がある訳じゃないのよ。紫はどう思っているのかは知らないけど、私は別に、異変にならずに済むならそれに越した事は無いと思ってる。あんたが悪いとも思ってはいない、きっと、あのわからずや≪幽香≫がひねくれてんでしょ」

 話せ、とはどういう事だろうか。どういうこともこういうことも、それが競合争奪でないのなら、選択の余地などないのだが。
 ボクの問いかけに、霊夢さんは肩を竦めて、ヤレ〳〵と言った様子。

「一体何を、御存じなのですか」
「紫にも、まして私になんて、あんたらの夫婦喧嘩の真相なんて知りゃしないわよ」
「ふ、ふふふふふふふふ、っふ」
「異変を危惧してるのはあんたじゃない、幽香の方。いっつも何考えてんのかわかんないけど、最近もっと全然わかんない。旧知の紫が頭抱えてんのよ、『私、幽香ちゃんがわかんなくなった!』って、なにそれっつー。ほら、さっさと肉の件弁解に行かないと、余計に怒らせちゃうわよ。博麗が動くのは、あんたが幽香に潰殺されてからだから」
「セッショウな!」

 ふと、唐突に霊夢さんは博麗神社の裏手に広がる元花畑、幽香さんの荘園≪ヨークランド≫を指さした。

「荒れ放題だわね。」
「え、ああ、はい。もう、誰も手入れしてませんから」

 風見花果店が閉店し、この畑が目的と主を失って一年が経った。幽香さんの力を受けなくなったこの畑は季節を取り戻し、本来咲くべきものだけが咲き、実るべきものが実っている。ように、見えた。

「幽香さ……風見伯が」
「いいわよ普段通りで。どうせあんただって幽香に身分の差なんて感じてないんでしょ?精々……」
「お、おねえさんですかね!ふうふなんて、めっそうもないですよ、はははは!!」
「嬉しかったのか」
「むぐぅ」

 こそばゆいようだけど肯定するわけにもいかず、我ながら馬鹿みたいにくねくねしてると、いいかげんになさい、という目で見られたので、いいかげんにそこまでにした。

「この畑、幽香さんがお手入れしなくなっちゃったから。もうすっかり、元に戻っちゃいました」
「は?戻ったですって?」

 霊夢さんはボクの言葉に呆れたような声を上げる。霊夢さん、発言がいちいちとげがあるんで、すごくびくびくしてしまう。でも実際は人がいい。そう、こういうところもなんとなく、幽香さんと似ている気がするのだ。

「戻ったなんて、あんたの口から聞けるとは思ってなかったわ。一度人の手を入れた場所は、本当の自然の姿に戻るまで、下手すると何百年もかかるのよ。それまではボロっボロ。生態系も崩れて歪なバランスで、暴走したり滅んだりを繰り返すの。一年やそこいらで元に戻るはずがないでしょう。このまま冬になったら雪が覆い隠して、春にまたこの荒れ放題のはらっぱが顔を出すのよ」
「そう、ですね」

 確かにあの場所にはずいぶん偏った虫達しか住んでいない。それは前にボクがお願いしたからではなくて、単純にそこに住めないからなのだ。
 ボクを追い出してからと言うものの、幽香さんはもう一年くらい博麗の神事に出席していなかったように見える。博麗神社の境内に摂社あるいは末社を持つ存在として名を連ねる上級神妖になると、いくつかの祭祀・祭式典にはまつられるものとしての参席が必須となるのだが、例祭にも祓式にも神嘗にも、五節にも花見にも、幽香さんは参加していなかったように見える。ボクはまつるものとして参加しただけなので、祭祀の本髄部分にもいなかったのかどうかまではわからないけど、幽香さんのあの様子だと出席していなかったのか、出席していてもやる気がなかったのか、どちらかだったのだろう。
 ともかく、もう一年以上、ボクは幽香さんと顔を合わせていない。
 ふう。溜息を付いてから、霊夢さんが言葉を続けた。

「それに、ぼろぼろなのは、畑だけじゃないでしょう」
「……」
「あいつ、ほんとに何かあったの?いや、あったんだろうけどさ。すっごく機嫌悪いのよね、ここ一年、ずっと。なかなかないわよ、あいつがあんな風に乱れて落ち着かないのは」

 霊夢さんと幽香さんは、こんな風に、仲がいい。博麗の巫女として、代を超えての付き合いがあるのらしいから納得と言えば納得だが、博麗は人間位の寿命しかない。特に霊夢さんとはいい関係を保っているようで、博麗だなんだというのはあまり関係ないのだろう。

「それは……ボクの、せいです。きっと」
「そうね、きっと」
「それで、お肉をくれたんですか?ボクに、どうしろって」

 ボクの問いに答えずに、ぼんやりと、荒れ放題の畑に視線を放り投げたままの霊夢さん。
 ああ、なんだろう。横で感じる霊夢さんの雰囲気、幽香さんが花畑を眺めてるときのと、すごく似てる。
 一年前まで毎日見ていて、でも今は見ることが出来ないその横顔を、酷く懐かしいものに感じてしまって、急に。

「酷い顔」
「えっ」
「あんたが。酷い顔してる。去年からずっとね」
「ああ、今、かと」
「今もよ」

 よっ、といって、霊夢さんは畑の一角にある、既に大した用をなしていない柵の上に腰掛ける。

「一つ昔話をしてあげましょうか」
「昔話?」
「っていっても、変な話ね。あんたの方が長生きしてるのに」
「八雲と博麗の歴史に比べればちっぽけなもんですよ」
「ま、そういうことで一つ、偉そうなのは勘弁して貰うとして」
「はい」

 えらいのはほんとだけどね、と悪戯っぽく笑ってから、霊夢さんは語り始めた。

「昔ね、どこかに王国があったんですって。その国はとても法が寛容で、来る者は拒まないが去るものは決して許さない、だったんですって。色んなところから色んな人が来て、色んな文化が交わり新たなものが生み出されその国は栄えた。でも色んな人が来すぎて、色んな文化やしきたりが齟齬を生じて、だんだん国内が乱れていったらしいわ。そこでその国を治めていた女神と、国境を管理していた姫は、その国の先を憂いた。このままではこの国は秩序を失って酷い有様になる、って。だから女神と姫は国境を開放して国を潰した。皆がその国の狂っていく様に飲み込まれる前に、他の国へ移住させ、もしくは元の国へ送り返して、その国は地図から消え去った。」

 そこで霊夢さんは一息つく。

「お茶を持ってくるべきだったわね」
「あはは」
「下らない話なんだけれど、その姫様と女神様は恋仲だったらしいわ。ああ、下らない。そしてそれが悲劇なんだけれど。」

 霊夢さんがそう語るのには、どことなく哀愁を感じさせるものがあった。とても、若い人間が語っているようには感じられない重さと、何より妙な説得感、そして強い寂寞を湛えているようでもあって。

「その王国は消え去った。国境も国土も、国民も法律も、何もかもなくなってただの土。恋仲だった二人は一緒に何処かに行く約束だったのに、ばかな姫様は何も残っていない王国の亡霊にすがって何もないその土地に残り続けたの。想い人との思い出を捨てきれないからと、未練がましくそこにしがみついた。荒れ果ててなあんにもなくなった場所に」
「相手の人……女神様は?」

 ボクがそう訊くと、霊夢さんは寂しげな薄ら笑みを浮かべて目を閉じて、静かに囁くみたいに、言った。

「忘れていたんだって」

 はは、滑稽よね。そう笑い飛ばす。

「えっ、だって恋人同士だったんじゃ。忘れるなんて」
「まあその王国が消えたというエピソードが、実際に何を指すのかわからないからね。忘れていたというのがどういうことなのかもわからないけど。残った姫様も、そこに残り続けた目的をすっかり忘れて、人間の寿命をとうに過ぎたのに地縛したものだからその地で化け物になり果てたんですと。」
「ふ、二人とも忘れちゃうなんて。それから、二人はどうなったんですか」
「さあ」
「えええ?」

 拍子抜けだった。何かハッピーエンドでも用意されているのかと思ったのに。

「お互いに、ばかだったのよ」

 肩を竦めて、柵から降りる。ぱんぱんとスカートを払ってから、姫に女神は言い過ぎたな、と呟いて。

「鍵を忘れると、大変よ?もう開けられなくなってしまうのだから。忘れるってのは、それだけで悲劇だわ」
「そう、ですね」
「何か、忘れてるんじゃないの?」
「え」
「あいつとのこと。あんたたちが最初に出会ったのなんて、もう相当前のことだろうから、私にはわからないけど。」

『ただしらばっくれてるのか、本気で憶えてないのか、どっちかって訊いてるのよ!』

 そう目を潤ませて叫んだ幽香さんの顔が、脳裏から離れない。

「ま、仕方のない昔話だったわね。」
「変わった昔話でしたね。まるで誰かの体験談みたい。」

 別に面白くもなんともない話だった。ただ、何の盛り上がりもなければオチもないようなこんな話だからこそ、何か含むものがあるのではないかと疑ってしまう。霊夢さんは荒れ放題の畑をぼんやりと見たまま、僕のカマかけには応えない。

「あいつに会ったら伝えといて欲しいんだけど」
「え」

 会うも何も、思いっきり避けられていて。でも、賜宍の事はもう伝わってるんだろうなあ、きっと、そういう企みだったんだものなあ。今頃「ふざけんじゃないわよ、ころすわよ」とか言ってるんだろうか。ああああ……。

「一旦手を加えたら、逃げてももう元には戻らないわよ。途方もない時間をかけないと。あんたら妖怪にとっては妥当な時間かもしれないけどね。だからどっちかに決めて頂戴。もう永遠に、二度と触れないのか、それともきちんと手入れするのか。手入れするなら早くして。そしてあんたの方法できちんと綺麗に実らせなさい。……って、伝えて頂戴。荒れ果てた畑と未練を、うちの裏にだらだら置きっぱなしにするのは勘弁して欲しいわ。」
「は、はい」

 未練、とは。幽香さんは、ボクなんかには言わない何かを、もしかしたら霊夢さんや紫太妃には、言っていたのかもしれない。未練と言うのは、畑作の事か、店の事か、それとも……?

「さて。冷えてきたし、そろそろめんどくさい奴がご飯をたかりに来るのよ。準備しなきゃ。」
「どこかの国の女神様ですか?」
「ノーコメント」

 飛び去ろうとした霊夢さんに、ボクは。

「姫様と女神様は、その後記憶を取り戻し、再会してもう一度国を興した。そういう解釈にしておきます。」
「……お好きにどうぞ」
「さっきの言葉、必ず、伝言します」
「私に義務感感じてもしょうがないのよ、あんたの言葉で伝えるのよ」
「はい、ありがとうございます」

 霊夢さんは、やれやれ、歳の割に若いんだから、妖怪どもは。なんて。

「じゃ」

 霊夢さんは、一言残して去っていった。
 お姫様と女神様、二人のことを追及するような権利はボクにはなくて、ボクは、ただボクが出来ることをしなければならないのだろう。だがそれが何なのかはよくわからない。話に行けと言われたが、ロールプレイングゲームみたいにそんな「おつかい」で解決する話ではないだろう。
 ボクもここに残っていても仕方が無い、一旦家に帰ろう。二人に、相談しないと。







 ボクが戻ると、ルーミィはごろごろしながら、助惣焼を食べていた。分厚い本を読んでいるけど、マンガザッシとかいうものらしい。下級天狗が発行している刊行物だ。

「はくれいのとこいってたんでしょ?おつかれくん」
「くん?」
「リグルは『さま』じゃないし『ちゃん』じゃないし、『くん』」
「はあ……って、知ってたのぉ?賜宍のお礼だったんだから、みんなで一緒に行くべきなのに、結局ボク一人で」
「おう、帰ってたのか。助惣焼作ったんだけど、食う?」
「え、うん」

 チーが、作ったのだという助惣焼を二つ三つ手渡してくれる。まだ出来立てらしくて、あったかい。外から帰ってきて寒くなってる手に心地よい……って。

「ちょ、これ」

 受け取った助惣焼は、何故か中の餡が青い斑だった。

「変わってるだろ?桜餡を桜じゃなくて、使い道に困ってた食用花でつくったんだ」

 多分、バーベナの事だろう。ドライフラワーだから日持ちはしたものの、使い道に困ってたのは確かだ。小豆なんてなかったから白に色つけて桜餡……ではなくてバーベナ餡なんか作ったのだろうけれど、そもそも白餡の材料のインゲン豆も切らしていたはずだ。

「あんこは?インゲン豆なんて取り置きあったっけ?このあんこの味、なんかちょっと違うね」
「ジャガイモでやった」
「ああ、ジャガイモ餡かあ」

 チーが案外に上手にお菓子を作ったものだから驚いてしまった。

「なんで小豆ねーんだよ」
「いや、あんま使わないじゃん……バーベナだって使い道困ってたからあった訳で」
「そらそーか」

 白い薄生地から、青色の斑を抱いた餡が顔を出す珍妙な助惣焼。インゲン豆の代わりにジャガイモ、桜の代わりにバーベナを使った彩り、砂糖は高価だけどウチには沢山ある蜂蜜で代用した妙な色餡、で出来ているけど、口にしてみると結構おいしい。大食漢(女の子に漢はないか?)で味にうるさいルーミィがあんな風に食べてるのだから、お墨付きと言うわけだ。

「チルノってりょうりできるんだね」
「ったりめーよ、あたいはやれば何だってできるんだ」
「じゃあたまにはご飯作ってよ」
「リグルわかってねーな。女の料理ってのはたまにやるから上手に見えて、たまに食うから旨いんだよ。男の料理みたいに毎日欠かさず食べる実用品じゃなくって、女の料理は趣味の作品なの。わかる?」
「それ、男女逆じゃないかな……」

 もぐもぐ。うん、おいしいね。たまにはチーがつくってよ。やだ。もぐもぐ。はちみつのこりすくないぞ。もぐもぐ。このあんだいぶあまいもんね。もぐもぐ。もぐもぐ。

「じゃなくってえ!」
「あんだよ、藪蚊から棒に」
「やぶから」
「博麗に賜宍のお礼に行くっていうのに、何で誰もいないの!一応この辺はボク達4……人の共同名義なんだから」

 結局ボク一人だったんだから、と言うと、二人とも涼しそうな顔で、いやそれどころかどこか「なにいってんだこいつ」みたいな目を向けてくる。いやいやいや、一応博麗に謝意を示すのは重要なまつりごとだからね!?ほんとは四人で揃って行かなきゃいけなかったの!

「だって、あれ、リグルを呼びつける口実だったんだろ?」
「わたしらいったらじゃまなだけじゃん」
「……えっ、は?」

 確かに結果的にはボクの個人的な用向きの色合いが強くなってしまったけれど、えっ?

「ひさしぶりのにんげんさんおいしかったし、まきこまれたことはゆるしてあげる」
「リグルが思った通り、博麗の企みなんだよ、それ。ここ一年、風見が博麗主催のイベントごとに一切出席してないのを危惧してるんじゃないの?」

 確かに、お店をやめてから(というかボクが追い出されてから)、幽香さんは博麗の神事に出席している気配がない。他にも幽香さんは辺境伯だ、安全保障面でも博麗とは頻に合議がある筈なのに、それにも顔を出していないのだという。辺境伯は隣国との国境に領土≪縄張り≫を与えられ、有事には前線に立って防衛を担う責任を課せられている代わりに、広大な敷地と自治を含んだ強権を認められている。その辺境伯が、宮中祭事に参加しない。宮中に近い飛び地荘園≪ヨークランド≫の手入れも現状、放棄している。

「謀反を疑っている?」
「そこまでの事は無いと思うけど、博麗は面白くないだろう。原因がお前とやってた店の破綻にあると思っているんじゃないの?そんな些細なことで異変になんかなるもんか、とは思うけど、他のやつらへの示しもあるし博麗としては看過できないんだろさ」

 謀反何か企てているのなら、逆に欠席し続けるはずがない。となると、という意味では博麗はボクに理由を探らせたいのかもしれない。
 今のボクの距離と言うのは、そういう、近すぎず遠すぎず、の微妙な位置にあるのだと、皆が見ているのだろう。霊夢さんや紫太妃では近すぎて話を聞けないのだという事か。結局ボクは「おつかい」をするしかないのか。それでボクの問題が解決するわけでもないし、美味しい情報を引き出す駒なのだろうが、博麗には逆らうことも出来ない。でも、ボクには「じゃあいってきます」とほいほい幽香さん……風見伯の前に参じる勇気はなかった。
 いや、勇気では、なく、この二人に後ろめたいのだ。

「そぉんなこといったってねえ、ボクに何かできる訳じゃないのに。博麗も無理難題を言うよね、はは。」

 これ以上面倒事を考えるのは嫌だったし、その先にあるのは二人への後ろめたさだ。さっさとこの話は切り上げて「日常」に戻るべきだ。

「チー、助惣焼おかわりないのかな?美味しいや、これ、妙に食欲そそるの、ちょっとニッキが入ってるのかな?」

 台所にまだ助惣焼の残りがあるのを知っていて、わざと聞く。取りに行ってもらえれば話が段落する筈だ。
 だのに、チーは動こうともしなかった。ボクの方を見て、ちょっと無表情な珍しい顔をしている。

「博麗は風見の心中を知りたい。リグルだって、本当はそうなんだろ?博麗が行けと言ったのなら、風見だって蔑ろには出来ないんだから、行って来りゃいいじゃんか」
「でも」
「はくれいとリグル、うぃんーうぃんってやつだね。ほっといたらわたしたちツブされちゃうかも~!リグルおとこのこなんだからはなしつけてきてよ」

 なんで。

「行って、いいの?」
「なんでそんなこときくのさー。リグルがいくってなら、とめるつもりなんて、ないし。あ、チルノ、もいっこもらうからね」

 ルーミィは席を立って台所から助惣焼のおかわりを取りに行って、ついでに食べ物がないかと台所を物色している。
 そういえば昔に比べて伸びた金髪を引くルーミィ後ろ姿は、妙に大人っぽい。チーもそうだ、こうやってボクの尻を叩いて、いつの間にかすごくおとな。女の子って男を置いて急におとなになるって聞いたけれど、本当なのかもしれない。それとも、ボクがへこたれているから、おとなにならざるを得なかった?

「思いっきり風見にフラれてこればいいじゃんか。ここで赤飯炊いて待っててやるから。あ、小豆ないんだっけ」
「りょうちあんどだけはたのむでよ」

 チーが、苦笑いしながら、ボクの真正面で、それでもボクの目を見ながら、言う。目を逸らしたのは、ボクの方だった。

「あたいは、その、しょんぼりしてるお前が見てらんなかったから。二人がいない間だけでも、あたいのものになってればって、思っただけだから。言ったろ、あたいらも、悪い女なんだってさ。」
「りぐるがミスティアさがしにいくっていうなら、ちゃんとてつだうよ。かざみのおねーさんには、わたしはなんもいえることないけど、わたしたちだって、さんにんよりはよにんのほうが、いいもん。」

 そもそもは、引きこもってたボクを引きずり出して、社会復帰?させるための共同生活だったのだ。覚えたての性がその共同生活に余計な属性を付けていたのは三人ともよくわかっていた。ローリーを探さなきゃいけない。幽香さんとはどういう結果になるにせよ清算はしなければいけない。三人の爛れた生活は、終わらなければいけない。
 先に踏ん切りをつけたのは、またボクではなくて、二人だった。ローリーがいれば、もっと早く「こんなのだめだよ」って言ってくれていたかもしれない。ボクはいつも、周りに助けられてばかりだ。

「二人とも、なんか、頼もしいっていうか、おとなになったね。なのにボクは全然……まだガキのまんまだ」
「あにいってんだよ、お前が一番最初に大人の仲間入りしたんだろ。毎朝仕事に行って夜帰ってくるのなんて、あたいらには無理」

 その「お仕事」だって、幽香さんに言われて、引っ張り出されて、やっていただけだ。大変だったけれど嫌ではなかったし、すごく楽しかった。人間でいう意味での労働と賃金と言うものも、豊かな食事も、裁量の広い生活も、幽香さんに強制されていなければ決して知らなかったことだろう。

「ま、そういうのって、家の中のやつには伝わんないんだけどな。あたいらも気付いたのはずいぶん後になってだったし」
「そだね。できのわるいおにーちゃんってかんじ」
「ルーミア、それフォローになってないぞ」

 おにいちゃん、か。初めて言われたのに、なんだか妙に懐かしい感じがする。理由はわからないけれど、その言葉が妙に引っかかる。悪い意味ではなく、何度も反芻したいような感じ。何故か、幽香さんの顔が浮かんだ。

「どうなるかはわからないけど、話をしてくるよ。ローリーの事も、やっぱり何か知ってるんじゃないかと思うし」
「おう。小豆買ってくるわ」
「がんばれ、おにーちゃんっ」







 吐く息がすっかりと白い季節になったが、博麗の巫女は毎朝きちんと禊祓を行っている。割といつもぐーたら巫女などと揶揄されているが、近しい者ならば彼女が誰も見ていないところではきちんと神職長官としての責務を果たし、またそれ相応の努力をしていることを知っている。
 禊祓場は神社の傍を流れる細い川のほとりある。川は山上より流れるものではなく、博麗神社の境内一角に神水として湧き出でたものだ。
 今時の季節ではもう早朝の空気は身を切る程に寒いが、博麗の巫女は髪を結わい、丈の長い白襦袢だけを羽織っている。巫女はその川の神社側に斎竹を立てて注連縄を張り渡していた。一層に冷たい川の流れで手を清め、榊の神籬を捧持し禊祓場の奥まった場所に神籬を突いて立てた。神籬に一礼して、祝詞を上げる。

「あれ?」

 祝詞を上げている最中に、巫女≪霊夢≫は妙なことに気が付いた。

(声が出ないな)

 いつもはそんな事は無いのだが、もう一度最初から祝詞を上げ直す。だが途中で声が出ない箇所がある。出しているつもりなのに、声は掠れてただの息遣いとなって声らしい音をなさない。風邪でもひいたのか、と一瞬疑ったがそんな兆候もないし喉の調子がおかしいこともない。

「あー、あーっ、んん?こほんっ、あーあーあーあ、あれ?」

 何度か上げ直してみても必ず同じ場所で声が出なくなった。勢い余って通り過ぎてみればまた出るようになるので不可解だ。何度繰り返しても同じ場所の声が出ない。

「なんじゃこりゃ」

 振り返り何度かやっている内に気が付いたのは、出ないのは祝詞の特定の箇所ではない。出ないのは祝詞に限らず、ある音程の声だった。高すぎて出ないというのでもない、そこを通り越せばまたその一つ上の音程は出るようになるのだ。

「あー、これは……はじまったのかな」

 何か思うところがあるらしい巫女≪霊夢≫は、出ない場所は出ないなりにそのまま祝詞を上げ切ってから

「エーーーイッ!!」

 彼女をぐーたら巫女だと思っている人なら、そんな風に大声を張る姿など想像もしないだろうが、鎮守の森の木々に反射して声が木霊する程の声で一喝してから、川へ入水する。川の深さはさほどではない。脛くらいまで、深いところでも太腿くらいまでしかないが、この季節にもなれば一気にそこから体温を奪われて震えあがりそうなものだが、博麗の巫女は全く動じない。白い襦袢の長い丈が川に流れて白線をなし揺れる。そのまま川の中でもう一つ祝詞を唱え、いくつか神の名を連ねてから、川を出た。再び榊に向かって一礼し、その榊を取ってから。

「さっぶ……もう冬か。あー、こたつ、こたつださなきゃあ。去年幽香のところからもらったミカンは絶品だったんだけどな、去年っきりかな、今年はあきらめないとダメそうだし」

 いきなりぐーたら巫女に戻る。襦袢を引き摺るように取り込んで折り畳み、何時もの紅白服に着替えて髪も普段通りに結わえ直した。その間ずっと、何か鼻歌を歌っている。確かめる様に、同じ個所を何度か繰り返すこともあった。

「あー、もー、冬は正月に酒が飲める以外クソ、ほんと寒いからクソ。毎朝毎朝水は冷たいし、あの川温泉にならないかなあ。あの川の水を迂回させて大釜に注いで程よく加熱してから川に戻すような仕組み、そうそれだわ」

 なんて罰当たりすぎることを考えながら、一旦社務所に寄って何やら色々懐に入れた上で拝殿に向かう博麗神祇伯≪霊夢≫。

 ガラガラガラガラガラ!

 またリベラルに本坪を鳴らしまくって、主神へ参拝する≪紫を起こす≫。

「願わくば、起きろばばあー起きろばばあー」

 ガラガラガラガラガラ!

「畏み、畏み、起きろばばあ申す~」

 ガラガラガラガラガラ!

「起きろば」
「ちょっと!なによそれ!もうちょっと愛を持って起こしてよ!おはようのチューとかないわけ!?」
「異次元で寝てるやつにどうやってしろってのよ」
「じゃあ明日から霊夢の隣で寝る」
「やめて、いびきうるさそう」
「かかないし!ていうか起きてたし!霊夢の白スク水シーンを一日だって見のがイタイ!」

 言葉の途中で、幣帛を振るって八雲紫の頭を打つ博麗霊夢。

「それより、始まったくさいわよ」
「少女臭よ、それは少女臭!」
「また懐かしい言霊≪ワード≫を言うのね。くさいってそれじゃないし、なに、寝ぼけてるの?もう一発あげようか?うん?」
「わかった、わかったから。うう、神様、うちの神官は守矢みたいに可愛くないです。何代変わってもこの感じです」
「お前が神だ、血迷ったか。それとももう神をやめたか」

 べしんべしん

「いたい、いたいから……で、なに」

 よいしょっと、と隙間から這い出すと同時にワイプするように身だしなみが整う八雲。

(いいな、あのテクニックだけ欲しい。朝楽そう)

 とか思っている巫女だが、

「始まったみたいなの。シとラの音が出ない」
「この神社にクラリネットなんてあったっけ」
「あんたがその調子だから!叩いて!しつけるしかないって!自覚あるのかしら!?」
「すみませんって、すみませんって!霊夢の祓属性は妖怪には痛いの!」

 しゃがんでちっちゃくなっている見た目麗しい≪胡散臭い≫少女は、尊大過ぎる巫女に向かって涙目で言う。

「始まったって、何、あの日≪・・・≫?」
「ほう」

 ぱしん、と幣帛を掌で鳴らす霊夢に対して、紫は遥か彼方にワープで逃げる。彼女が振りかぶって幣帛を投げると見事に命中して仮にもこの神社の主神≪八雲紫≫は、ぐげ、と声を上げてのけぞった。ヒットのけぞり回復後、またワープで戻ってくる八雲。

「あ゛?なんで手ぶらなんだよ、拾って来いよ」
「すんすん‥‥…ぜんぶいわないこのひともヒドいとおもう」

 再びワープして確か部下の筈の人≪博麗霊夢≫が投げた幣帛を拾って戻ってくる一番偉い筈の人≪八雲紫≫。普段通りのこの二人。
 曰く「あんたはこの世で一番偉い神様だけど、あんたを偉くしてあげてるのはこの私なんだから、私の方が偉いの」と、この当代博麗の巫女≪ぐーたら巫女≫はむちゃくちゃである。
 いつもこんな感じである。もっとも、偶の夜には逆転するのだが。

「こないだ虫妖がきてったでしょ。その時の。」
「夜雀?」
「『音』が奪われている」

 ラとシだっけ?と言いながら、八雲紫は後手に括り付けられるようなポーズを取り小さく揺れながら、恨みの果てに虫となってこの世に残った哀れな女の唄の一節を、少しばかり浪った。唄自体は見事なものだが、巫女が言う通り音が出ない箇所がある。

「なるほど、これじゃ騒霊が泣くわね。リグル君の反応は?」
「さあ。言うことは言っといたけど、幽香と虫妖の関係修復が直接夜雀に影響するのかはわからないし」

 なるほどね、と頷く八雲紫。

「準備なら、出来ているけど」

 博麗霊夢は既に雌雄の陰陽玉を従わせ先も投げた通り幣帛も持ってきている。各種の札も既に装束の下に仕込んであった。

「行動が早いわね。いってらっしゃいな」

 手を振っている八雲紫。
 博麗霊夢はそれに見送られる形で一歩、二歩、と歩んでからちらりと首だけ振り返る。

「どしたの?忘れ物?」
「来ないの?」
「一人で心許ないなら誰か連れて行けばいいじゃない。まあ幽香ちゃんを引っ張り出すわけにはいかないけれど、守矢の巫女でも、人形遣いの子でも、連れていきたい相手に、霊夢が言うなら、ついてくるでしょ」
「だから起こしたんでしょ」

 少し目を逸して、口を尖がらせるように、博麗の巫女。

「だから、言ってんだけど」

 博麗の巫女の仕草の意図するところを悟った八雲紫は、まあ飛び跳ねんばかりに喜んだ様子で、自らの奉仕者≪霊夢≫に後ろから抱き着く。

「やだぁ、もう、霊夢ったらそうならそうって言ってよう」
「わ、私はただ、あんたはもう訳を知ってるから話が早いと思って」
「うんうん、はやいはやい」
「早苗は今はあっちの祭りの準備で忙しいって言ってたし、アリスは色恋が絡むと冷静じゃなくなるし、魔理沙がいればな」
「うんうん、しょうがないね、私しかいなかったんだもんね、うんうん。綾椿の勘当娘は
まあ、がまんなさい。その分私がよくしてあげるからん」
「だああ、くっつきすぎ!」

 顔を赤くしながらまた主をべしべし叩く巫女。だが今度は紫はそれで離れる事は無く、にこにこ顔でくっついたまま。察するに、大した力で叩かれているわけではないのだろう。キスまでしそうな八雲紫の頭を、耳まで真っ赤にして押さえる博麗の巫女。

「幻想の結界チーム再結成ね~」
(常時妖怪モードで行ってやる……)







 研究所内のインフラを担当するチームではネットワークに妙な負荷がかかっている報告を受けた。
 インフラチームは、別に社内のトラフィックや社外からのサイバー攻撃のブロッキング状態を常時監視しているような業務部門ではない。勿論案件が上がればそういうこともするが、そうした業務は基本的に自動化されておりただログを取りっぱなしにして、他の手動で対応しなければならない業務を行っている。例えば、ストレージドライブの容量が不足しているから交換するであるとか、業務PCが不調だから新しいものを受給するためにセットアップを行うであるとか、あるいは社員のアカウントの管理であるとか。基本的に社内イントラから外へは繋がらないが、ネットワーク管理者は外部との接点を知っていて、つまりネットワーク管理者権限を持たない所員は、基本的に外部のwww≪ワイヤド≫に接続することは出来ない。

「なんだろうな、このトラフィック」
「昨日Hattedfrogのアプデ来てたからな。適用した?」
「わかんね。特に設定してないから、したんじゃないかな」

 さて、インフラチームが昼前に受けた報告はこうだ。イントラ内のトラフィックが平均2割ほど上昇している。古今の業務情報対応はかなり高度であって、しかも余裕がある。トラフィックが2割増加したことは大きな変動ではあるが、通常の業務に支障が出る程の事ではない。インフラチームとしては解決しなければならない案件だが、内勤の研究員たちはそんなことは全く知る由もないのだ。

「こないだ入れ替えした時、ロードバランサさ、冗長化した?」
「見落としはないですって。見てくださいよ、これ、各端末にこのプロセスからトラフィック出てますよ。サーバ側の問題っぽいですね」
「insctSVCHost?なんだこれ。やっぱHattedfrogのアプデ関連かなあ。ちょっと午後イチで調べようか」







 ここは兵舎ではない、ただの民間企業の研究施設だ。もっと言えば、秋来宮は文化水準生活水準ともに高く、治安はよく増して紛争や内戦がおこっている他の地域とは性格が異なる。古今にいるのはただのホワイトカラーであって、何を間違ってもリーサルライセンスを持った凄腕の兵士等ではない。

「ご苦労様です」

 昼過ぎと言う時間は終わり、しかし夕刻ではない。17:30までの勤務で15:30という時間ほど微妙な時間帯はない。残業がかさむ様な職場であればまだ昼ぐらいの間隔であるし。かといって定時で上がれるとしても「もう少し」でも「まだまだ先」という訳でもなく、小腹感に早々に負けた人間でなければ夕食を希い始め、そんな微妙な時間帯には昼過ぎに居眠りせずともこの時間に睡魔に襲われる者はいる、そんな倦怠感溢れる時間帯だ。これは一日に二度あり、午前中に10:30頃、午後に今頃、そして長時間残業があるのなら20:00くらいに顔を出す、魔の時間帯だ。
 睡魔と時間的マンネリ感を打破すべく、席を立って非常用スロープの設置された半屋外の空間に設置された喫煙スペースで一服しに立った男は、廊下で清掃員の男とすれ違い、これとあいさつを交わした。


(今日は掃除屋さん、なんか多い気がするな)

 と訝しみながらも、男は防火性能を持った重い金属性の扉は押し開ける。「ぶおん」と空気の波を作る金属扉。

(この扉ってなんで外に向いて開くんだろうな)

 非常階段であることを考えると、この扉を使って外から内側に入り込んで来る人間はほとんどいないはずだ。また避難者が殺到した時に、急に外に向いて扉が開くと大変なことになるのではないか?後は火災であれば基本的に内側から外側に向けて力が解放される類の危険性の方が高いし、ここは3階だから関係ないが1階であれば水害があったときに外開きでは水圧で扉が開かなくなり脱出が困難になるのだから、非常用のドアと言うものは内側に開く方が都合がいいのではないか、と男は常々思っていた。かく思うこの男も、他のオフィスを数多く見てきたわけではない、他の施設では内開きなのかもしれないし、もしかしたらきちんとした防災観点からは外開きの方が都合がいいのかもしれない。例えば外開きの方が消防が進入しやすいとか。内側に開くスペースを設ける義務を徹底できないとか。建築面から外開きの方が価格的に安いとか。

(……どーでもいいか)

 大きくて重い扉を開いて外に出ると、小さな灰皿が置いてある。吸殻は灰皿へ、の注意書きは錆びてボロボロになっていた。脇には2リットルペットボトルに入った水が2本、1本はほとんどなくなっている。椅子はない、だが非常用階段としては3階の踊り場だけが建物の構造上広く作られていて、その一角が喫煙所として黙認されていた。
 先客はいないようだ、気分よく喫煙できるぞとほんの少しの小さな幸せを感じながら胸ポケットから煙草を取り出す。

(喫煙者は肩身が狭いね。一杯500Crも600Crもするシャレオツなカッフィを毎回飲めるほど金持ちじゃねえっつうの。人間の集中力は数時間まで、一旦リラックスを挟んで断続するのがベストってのが科学的に証明されているのに、何で禁煙推進派は)

「休憩が必要なんていう人間は、タルんでるのよ!給料泥棒、怠慢、ムキー!」

(みたいな根性論を理路整然ぶった口で言うのかね、どこまで行ってもそれは根性論だっつうのに)

 実際、人工知能が発展しロボットが単調作業以外にそれなりに判断を要する現場にも増えてくるにつれ、人間は職場を失っている。失っていない人間は一部のエリートか、何時間椅子の上に座っていても一言も音を上げないロボットみたいな人間かのどちらかだ。
 ロボットが職場に入り込んできて、人間はもっと想像性を要する労働に時間を費やせるという論調もあるが、現実の多くは、人間がロボットの方に合わせていくという実態だった。
 徹底した成果主義、効率化、見積もり通りの進捗、定刻ピッタリの稼働、設計・指示通りで決して余計な親切心や文脈読解≪おせっかい≫をしない作業ぶり。ロボットが人間に近付くのはあるところで停止し、今は人間がロボットに近づかなければ生きていけない時代になっていた。

(A.Iやロボットが入り込みにくい研究職でよかったよ、それも臨床でよかった。古今≪ウチ≫でも、ただデータ処理で済む複雑系の理論構築分野は、生命科学者は室長だけであとは全部コンピュータのオペレータになっちゃったもんな)

 今日、人間の二極化は言うまでもないが、その間にロボットやA.Iが存在する。ロボットを作る・使う人間を頂点に、その下にロボット・A.Iがいて、更にその下層にロボットやA.Iに使われる側の人間がいる。それはそのまま貧富の格差に反映されており、A.Iはそのまま現実貨幣に換算されてはいないが例えば仮想通貨などになら兌換可能な利益のストックを持つようになっており、多くの人間は現状、労働ロボットよりも貧しい。その二極化は既に深刻な社会問題になっていた。
 また、そうした理由で、生産される富のほとんどが仮想化されており、今ではwww≪ワイヤド≫上の仮想空間のフローが、市場空間のそれを圧倒的に凌駕している。現実空間の富など、地球と砂粒ほどの格差があった。人間よりもA.Iが手にしている富の総量の方が多いという結果が得られており、警鐘が鳴らされていた。
 大昔には、ロボットが人間を軍事的に支配するというフィクションが多く描かれたが、そうしたフィクションはA.Iに警戒心を抱かせたかもしれない。もしかすると密かに、経済的な面から支配を強めるようにシフトしたのかも。トリニティって実際の頭はA.Iなんじゃねえの。とは陰謀論が大好きな人たちがwww≪ワイヤド≫上でひっきりなしに叫んでいるオカルトだった。
 秋来宮は比較的そうした問題が緩やかな地域だったが、それでももはやその波を感じないということはなかった。古今はその中でも特に、人間にとって恵まれた環境だったかもしれない。

「A.Iね……監視カメラとかジャックされたらどうなることやらね」

 今や世界中見渡せない場所はないとされる監視カメラの情報共有網。勿論各社セキュリティはばっちりと喧伝しているが、ほころびが一切ないと疑わない人間など誰もいない。だが、徐々に人間はそうした状況にならされていて、今では「監視カメラなら仕方ない」と、更衣室にあっても我慢する水準にまでなっている。
 この喫煙所の一角にも監視カメラは設置されていた。火の気がある場所でもあるし、外部と接続されたドアでもある。

(そーいや、いつもは赤いランプが端っこについてるんだけどね、今日はよく見えないな)

 ドーム型の半透明の出っ張りに、赤外線センサとカメラが仕込まれているのは知れている。動くものを感知したら撮影を開始するものだ。赤いランプは撮影中につくのだということを、喫煙所常連のこの男は知っていた。動かないままじっとしていると、赤いランプが消える。静止状態では撮影する意味がないからと止めているのだろう。少なくとも何者かが進入する際には動体が検知され撮影されるのだから、効率的な機能ではあった。
 今日は、扉を開けて喫煙所に出ても、煙を吹いて動いても、赤いランプは点灯しなかったが、男は別にそれを特に気に留める様子もない。

「はー、おちつくね、こういうメリハリがさ、仕事には重要なんだよ。引けない弓は矢を放てない、ってね。俺が今考えた。」

 独り言を言いながら煙を吐き出す研究者の男。ふと、非常階段の踊り場から外を見やると、道路では測量が行われていた。古今の敷地をぐるりと取り囲むように、その周囲の道路の曲がり角ごとに、測量機が置かれて検査員が手を上げたりしている。
 秋来宮は古墳に始まる古代の遺跡や発掘が多くあり、そのために都市区画を更新したりすることもしばしばだ。そう言った理由で測量自体はよく見るものだ。

(ご苦労なことだなあ。でもまあ、もしかするとある一定以上のことは、体を動かす仕事の方が、くいっぱぐれないのかもしれないなあ。柔軟な思考はA.Iで実現できてしまったけど、柔軟な運動性能はまだそうそう簡単ではないみたいだし。人間にやらせておいた方が生産性が高いというか、人間っていうハードの汎用性がロボットに勝っている領域は案外、強靭過ぎない肉体労働なのかもしれないねえ)

 ヴッヴッ、ヴッヴッ

 男の携帯電話が鳴った。

(いけね、さぼりすぎたか?いやまだ5分くらいだぞ)

 慌てて通話を押す。

「はい、今喫煙所で……は?イントラ不調?知りませんけど……まあ、戻りますわ」

 社内ネットワークの不調を知らされた男は渋々煙草をもみ消して、古今で徹底されている通り指さしで消火を確認してから、持ち場に戻る。男の持ち場はインフラではないのだが、イントラに不調があると観測結果の送信や保存に失敗する可能性がある。多くの場合、数分もすれば復旧するものだが大事を取って、なるだけ早くローカルに切り替えたり通信を抑制したりの対応しなければならなかった。
 男は小さく溜息を吐いて、携帯電話を懐にしまおうとした。







「まるで鎮守の森だな」

 測量会社の制服を着た男が、古今の外郭を眺めて呟いた。古今の外周は、コンクリート塀もあるが、多くは生垣や高い樹木で天然の柵が敷地と外を区切っていた。その生きた柵の外周は歩道や路肩となっているが、今は周囲は全て測量業者の車と測量機器で点々、と結ばれている。

「秋来宮ではこういう構造は珍しくはないですけどね、現代建造物でこうしたものは確かに、多くないかもしれません。Vレーザーレーダ、各辺調整完了しました。樹木の枝葉でところどころわずかに阻害されていますが、通り抜けられるものではありません。」
「ご苦労」

―― 中にいるのは非戦闘員だけだ。楽な仕事だが引き締めてかかるように。
―― 了解。こちら清掃1班、準備整っています。
―― 2班、準備完了。
―― 3班OK。
―― 施設内には実験動物などの人体影響の不明な生物がいるとの報告を受けている。檻やケース、鉢などへの損傷は可能な限り回避せよ。万一無視が困難な場合は、焼却、射殺していい。ガスマスク携帯を忘れるな、怪しいと思ったら躊躇なく装備すること。交戦想定はない、視界の阻害は問題にならないはずだ。
―― 了解

「全通信網のダミーバイパス、有線、無線、内、外いずれも完了しています。民生通信会社通信網基地局へ30分間の機能障害攻撃をスタンバイ中です」
「民生通信会社基地局への攻撃を開始しろ」
「了解」

―― クラッキングワーム投入。経過、2、3、4、5、6、7、8、9、試験通信試行、結果送れ
―― 近隣基地局3基の内、2基のダウンを確認……3基ともダウンを確認。民生通信会社の通信を障害完了

「民生通信会社の通信の障害、開始されました。予定は30分、アラームは10分毎のネガティブを設定、ただし残10分以降は毎分、残1分以降は10秒毎とします」
「了解。清掃開始」

―― 各班、清掃フェイズ1を開始してください。ご安全に。
―― 清掃各班、フェイズ1、ケース1、清掃開始、開始、開始。ご安全に。
―― 清掃1班、行動開始
―― 清掃2班、行動開始
―― 清掃3班、行動開始

 指揮官らしい測量会社の制服を着た男と、その傍に備える女性作業者は、測量会社の社名をペイントされた車の中に乗り込んだ。
 車の中には測量に必要な機器は、一つもない。モニタや通信機が一面にぎっしりと犇めいており、中央には小さいながらもテーブルがある。タブレット端末を手に抱えた女性職員が、男へ問うた。

「隊長、件のエクストラとやらは」
「任務で国外だと、本社から報告を受けている」
「……本当なら、問題ありませんね」
「映像を見たが、あんな魔法使いみたいな非常識なやつ≪バケモノ≫は相手に出来ない。あんなもの、いまだに信じられないがな。鬼のいぬ間に掃除だ」
「洗濯ですけどね」

 どこかから取り出した缶コーヒーを、隊長と呼ばれた男へ差し出す女性職員。受け取った男は、古臭く、右手で縦に割るような仕草で礼を言ってそれを受け取った。

「万一エクストラと鉢合わせたとしても、危険すぎる神妖≪かみさま≫の力を軍事転用する研究を行っていた、とでも流布すれば民衆の理解は得られるだろう。事実、そうなのだしな」
「本当なんですか、あれ」
「さあな。本社も自分で掴んだ情報と言うわけではないらしい。情報屋から買ったとかいうのが専らの噂だが……全部殺してしまえば問題ないのだろう。エクストラは仕留められずとも、神妖≪かみさま≫の分け身の声など、民衆は聞く耳など持たない」

 男は、本社から受けた作戦目標と付随情報をまとめた資料をタブレット上に表示して女性職員へ見せた。古今生命科学研究所の清掃、と書かれているが、清掃や除染、整理整頓、探索、防疫、などの言葉は全て、殺害、破壊、排除、焼却などの言葉へ読み替えるよう符牒済の内容だ。
 その内いくつかの事項に、情報提供に依存、との注意書きがされているものがある。フォーカスを当てるとIPの補足が表示され、「親指姫」や「舞波正邪」との文字が表示されていた。

「親指姫とはまた可愛らしい名前の情報屋もいたものですね」
「これもきっと、掃除することになるのだろうけどな」

 気が滅入るね、戦争していた頃の方がマシだ。と椅子に体を投げ出す隊長。

「今回の作戦は、殺害対象が全員非戦闘員で現時点では何の容疑もない者になる。世論の味方が絶対的に必要ですね」
「戦争が好きなわけじゃないが、こういう作戦はこういう作戦で、嫌な気分になる。ただの虫潰しだ」
「……掃除、ですから。ひたすら綺麗に、曇りなく、やるまでです」







 結局、男が携帯電話を懐にしまうことは出来なかった。
 二階から登って来た清掃員の足音が妙に早いことに気付いて、気を利かせてよけようとしたところに飛んできた、圧縮した空気を噴き出すような小さな音。直後、西瓜でも割れたのかという音を残して男は崩れ落ちた。床に落ちた携帯電話にも清掃員は油断なく一発発砲してそれを破壊する。先行する清掃員は再び銃をしまい、後ろに続く同じように清掃会社の制服を着た男5名と共に三階と二階の間の踊り場に集合した。

「確認頼む」
「返し、なし」
「返し、なし」

 発砲した男は両手を上げ、後続の男に返り血の有無の確認を依頼し、それがないことを確認する。

「よし」

―― 執務エリアへの入場は、昨日と同じように清掃用のカードキーで行うことが出来ます。
―― 3班A≪アルファ≫、西側非常口より侵入します。
―― 3班B≪ブラヴォ≫、エレベータホールにて待機中。
―― 3班C≪チャーリー≫、業務用エレベータ前で待機中。
―― B、Cとも、Aの侵入に合わせて進攻を開始。

「では。3班A、これより3階の清掃を開始する。各々、ご安全に。」
「「「ご安全に」」」

 清掃会社の制服を着てはいるが、腰から下がる掃除用具は妙な形をしており、ブラシやスクレイパーが付いていそうなところにはバナナの様に湾曲した細長い箱状の者が幾つかぶら下っている。作業着の脇には通気口のように見える穴があるが、妙に膨らんでいた。塗装用の防塵マスクのようなものを首から下げているが、それにしては随分ごつい。通常の清掃業務ではしないようなゴーグルをつけており、靴もここは工事現場なのかと言うような安全靴。
 だが清掃員達はその重厚な靴にも拘らず消え入るような小さな足音で、しかし小走り程に素早い動きで三階各部屋へ散開していく。

 トトト、ブッ、ブブッ、パッ、パッ、トトトトト、パスパスパス

 聞きなれない音ではあるが、何か惨事が起きているという音では無い。むしろ、一拍置いたその後に無数上がる悲鳴の方が、余程異様だった。
 執務エリアにいるのは、本当に全くの非戦闘員である。清掃職員は未来の戦闘用アンドロイド≪ターミネーター≫などではないのだが、それと同じように執務エリアを歩いても全く反撃を受ける事は無い。逃げ惑う白衣の職員一つ一つをゆっくり狙ってトリガを引けば、白は赤に染まって進捗にプラスワン。鴨撃ちもいいところである。

「な、な、なんなんで」

 立ち尽くす職員、何でと問いかけるが清掃員はその答えを持っていない。その答えを持っているのは、清掃員のクライアントだ。

 パスっ

「うわ、わ、たすけ、助けて!助けて!!」

 助けを乞う者もいるが、聞き入れられるわけもなく。
 パスン

「ひぃ……あ、ああ、けーさつ……けーさ」

 携帯電話で通報しようとするが、通信網は全てブロックされている。
 パスッパスッ

「な、なあ。ぼくは、病を知らない体の研究をしているんだ。た、助けてくれたら、絶対に病気にならない完全な体をあげ」
 パスン

「何故こんな事に……俺は間違っていたのか?」
 パンッ

「わあああああああああああああああああああああ!警備!警備員!!たす」
 決死で出口の方へ走り脱出を図る者もいるが

 パスッパスパスッ

 出口を潜るところで洩れなく撃ち殺された。それぞれ一人で動いたりしていない。一人が狩り回り、一人は出入り口を塞いでいる。
 椅子に座ったまま死んでいる者、そこから立ち上がって撃ち殺された者。逃げようとして死んだ者。隠れているところを見つかって縮こまった姿勢のまま死んだ者。机の上にある手に付くものを投げて抵抗したが結局撃ち殺された者。白い壁材と、人工物と共存する不思議な草木。発光しているのは電灯かと思ったが、植物の自然発光も含まれている。摩訶不思議な空間で、ここを見たある少女は楽園と称したが、そこは今、見ての通り血で濡れている。
 場慣れした手練れがド素人を駆りまわるだけの交戦にもならない虐殺は、それ故に思ったほど凄惨な光景にはなっていない。サプレッサで弾速を落としているせいもあるが、血しぶきはさほど壁や天井を汚していない。ほとんど床を汚しているだけで、顔を上げていればちょっと赤い汚れが付いている程度だ。それを踏んだ赤い靴跡が、交叉する死神の足跡となって歩き回っている。
 空間は、ただただ、静かになっていく。

「クリア」
「傍受確認」

 死神の鎌が薙ぎ払われた後、掃除屋はハンディクリーナーの様に見せかけた全く別の機材を立てる。アンテナが伸びており、それが無線機の類であることが見て取れた。

「稼働中の無線デバイス、16」

 執務室1を清掃した男たちは、全員の絶命を確認した後、それらが所持している電波を発する電子機器の類を探索し、破壊していく。立てたアンテナのような機材は、発信されている無線を傍受し数を把握するための機材らしい。
 ほとんどが各研究員の机の上か懐に入っていて、それを探すのはさほど大変なことではない。そこにもなければ机の中か鞄の中、どちらかだ。携帯デバイスを携帯しない人間はほとんどいないからだ。

「確認状況更新」
「稼働中の無線デバイス、0。クリア」
「執務室1、クリア」

 この状況を、携帯電話などで録音しつつ無線をオフにするという人間はさすがにいない。これによって証拠隠滅を徹底していた。

―― 社員所在システムに侵入した3分前の3階目標数情報。三階執務室1、12人。執務室2、8人。執務室3、21人。会議室3-A、6人。会議室3-B、7人。男子トイレ、3人。女子トイレ、4人。合計41人。報告送れ。
―― 三階、各所達成状況を報告。執務室1、12人、クリア。
―― 執務室2、8人、クリア。
―― 執務室3、21、クリア。
―― 会議室3-A、5人。残1、所在不明。
―― 会議室3-B、7人、クリア。
―― 男子トイレ、4人。余1。
―― 女子トイレ、4人、クリア。
―― 三階達成状況、残1、余1。

「ICタグをぶら下げさせて、社員の位置を可視化し効率的な管理を行う、か。これはいいものだな。掃除の進捗≪・・≫が非常に把握しやすい」
「人間が歯車だという言葉は、現代では比喩ではないですからね」

 車載の指令室で、男と女が会話していた。古今の見取り図をタブレットに表示しながら、清掃の進捗を確認している。

―― 民生通信回線障害、残り20分。

「あと10分もあれば携帯電話を使う人間もいなくなる≪・・・・・≫だろう。問題なさそうだな」
「そうですね。IRPOのエージェントや若津の剣豪がいるという噂はやはりガセ」
「元々そんなもん信じちゃいない。本社が古今を問題視するのはもっと別の問題だろう。実働部隊の俺達には関係のない話だが。問題は地下だ」
「地下は元々携帯電話の回線が入らず中継器を使用しています。それを止めれば問題は」
「地下には、何があるのかさっぱり報告を受けていないんだよ。情報提供者≪IP≫達もシバルバーと呼ばれる地下下層施設については全く情報を入手できていない」
「……エクストラ、花≪目標≫地上階からはまだ見つかっていませんね。このまま報告が無ければ、地下、と言う事でしょうか。」

 タブレットには地下5階以下の領域の情報が全く表示されていない。

「まさかエクストラのような化け物がごろごろいるダンジョンだとかそういうわけではなかろうさ。仮にも人がコントロールしていた領域だ。こっちは出会った人間を掃除してはいるが、鍵を壊したり物理的に無理に押し入っているわけじゃない。何か化け物がいたとしても、檻から出さなければ当面は平気だろう」

―― 三階目標数情報を現時刻の情報で更新。三階執務室1、12人。執務室2、8人。執務室3、21人。会議室3-A、5人。会議室3-B、7人。男子トイレ、4人。女子トイレ、4人。合計41人。照合と報告、送れ。
―― 三階、オールクリア。
―― 一階、残1。
―― 二階、余1。
―― 一階、二階の目標数情報を現時刻の情報で更新。差分確認、済。
―― 一階、オールクリア。
―― 二階、オールクリア。

―― 社員所在システムによる地下1階の目標数、13。地下二階の目標数、8。地下三階の目標数、9。全体の目標数より、現在の進捗と地下上層残30を除いて試算される地下下層領域の目標数、3。

「地上階は済んだな。第一フェイズの達成を確認。第二フェイズに進む。」

―― 第一フェイズ完了。清掃作業を第二フェイズへ移行する。各班、地下1階との接続階段の前へ集合。警戒≪測量≫各班、戦闘≪清掃≫服に着替えて合流。エレベーターを停止しろ。
―― 民生通信回線障害、残り10分。

 測量会社のプリントがされた車の後部がぱたぱたと一斉に開き、中から清掃作業服を着た男たちが出てきて古今の敷地内へ入っていく。各辺に残ったのは、Vレーザーレーダ≪測量器≫の観測員と、車内に非常用の戦闘≪清掃≫員1名ずつ。残りは全て、中の掃滅≪除≫へ向かった。

―― 民生通信回線障害、残り9分。

 ゴミ回収用の台車を1台ずつ引いており、その中には「より徹底的に清掃を行うための道具」が入っている。

「また何か見つかったんですか?」

―― 市民の接触検知。対応します。
―― 民生通信回線障害、残り8分。

 Vレーザーレーダに外部から接触したのは、年老いた女だった。買い物袋を提げている。周辺住民の様だった。話しかけられた観測員が、同じく善良な市民の顔をして答える。

「ええ。遺跡ではないんですけどね、この研究所の周囲で微弱ながら地盤沈下の報告を受けまして。一応計測を、と」
「そうですか。ご苦労様です。秋来宮は綺麗な街ですから、私も誇らしいですよ。」
「ええ、綺麗な街ですね」
「それじゃ」

―― 民生通信回線障害、残り7分。

 一礼して去っていく老婆。それを見送る測量員。模範的なニコニコ顔だ。

―― 市民でした。怪しいところはありません。清掃を続行してください。
―― ご苦労

―― 民生通信回線障害、残り6分。
―― ビル管理システムに侵入しました。管理会社へのエレベータ運行監視報告モジュールを書き換え開始。……改竄に成功しました。エレベータを停止します。
―― 報告、送れ。
―― エレベータ一号機、停止を確認。
―― エレベータ二号機、停止を確認。
―― 全エレベータの停止を確認した。階段前へ合流。
―― 了解
―― 了解

―― 民生通信回線障害、残り5分。

―― 清掃追従各班、追加機材をもって、集合地点へ合流完了しました

「フェイズ2開始準備完了しました」
「開始してくれ」

―― 各班、ケース1維持のまま清掃フェイズ2を開始してください。ご安全に。
―― 清掃各班、フェイズ2、ケース1、清掃開始、開始、開始。ご安全に。







「ウチで雇ってる掃除屋ってのは、随分物騒なんだなあ」

 一つ上の階から安穏とした声で、階段を使って降りてくるティム。
 梨来、真矢、出、各現行エクストラが重要免疫区画≪シバルバー≫にいたのは、メンテナンスのためだった。出の管理するクローバーズは、主に義体部分の検査のために全身スキャンといくつかの運動計測を行っている。ティムは先に終えており、その辺をふらふらとしていたのだが、その彼女が「物騒」などという物騒な言葉を引っ提げて上の階から降りてきた。

「どういう事?」
「これ」

 ずるずると引きずって来た何か大きなものを階段の上から下へぽいと放り投げる。どさりと落ちたそれを見た皆は、驚いたようにティムを見た。いきなり撃たれてビビったぜ。なんて言っているが。
 それは清掃員の死体だった。脇腹にどでかい穴が開いているが、組織は焼けており傷口≪断面≫は炭化して著しい出血はない。レーザー特有の火傷、ティムの仕業だと一見してわかる。清掃員の携行している掃除道具をよく見ると、それが実は掃除道具でないことも容易にわかった。明らかに銃火器で武装している、これは、兵隊だ。

「二つある階段の内一つ、今すぐ閉鎖しろ。敵性侵入者だ。」

 ティムが言うのを聞いて、梨来はタブレットデバイスから二つある階段の非常隔壁閉鎖を指示する。が、反応はない。タブレットを横によけ、コンソールに向かって操作するが変わらない。

「中央管制が乗っ取られてる。隔壁が下りない」
「どうかしたんですか?エレベータも動かないし」

 様子を不思議に感じた出と真矢も寄って来た。

「出、こっちこい。あたいらから離れんな」
「検査は中止する。緊急対応を」

 海外で任務があるときなどにはよくあるシチュエーションと言えばその通りだった。出はジル、瑠美、パウラに三方を囲まれるように守られる、その輪の中に今は真矢も含まれている。梨来にはティムが傍についていた。

「トリニティか」

 ティムの言葉に、梨来は可能性を肯定する。

「上との通信も遮断されている」
「上は、あー、多分、ダメ≪・・≫だ」

 上の階から降りてきたティムが、のんびりした口調に険しい表情で言う。

「おそらく、トリニティの粛清部隊だ」
「間違いない。手口が訓練されてる者達のそれだったぜ。上の階にはもう生存者はいないんじゃないかな」

 ティムの言葉に色を失う一同。だが、パウラが出に伝えた通り、所長も真矢もそれを察知していたようであるし、それをパウラから受け取った出もまた可能性は知っていた。ここに残った者は皆、それは絶対にない、とは思っていない。だが、実際に起こってしまえば信じがたいものがある。全くの市街地で、白昼堂々こんな本格的な軍事行動が実行されるだなど。

「ウチ、なにかやらかしましたっけ……?」
「トリニティ・インダストリとの取引パイプを作ろうとしていたけど、それは、古今にかかった疑いを晴らすためでもあった。ここに、若津の残党や、ネルソンの反トリニティ組織の拠点があるんじゃないかと、疑われていた。そうでしょ、主任」

 真矢が言う事に、梨来は頷いて肯定した。

「そうだ。疑いを払拭できなかったのは、私の力不足だ。だが、流石に突然粛清など……」
「でも実際来やがったんだ。理由も対処もどうあれ、当面はあの兵隊どもを何とかしないとな。バリケードでも作るか?」

 ティムの言葉に、梨来は素早く陣地転換を提言した。

「古今の建築は大体左右対称の作りになっているから、階段もエレベーターも二つずつあって多正面を強いられる。重要免疫区画≪シバルバー≫まで下りれば、通路は一つだから、迎撃しやすい場所で花卉を起動して、エクストラを中心に体勢を立て直すのはどうだろうか」
「だったら急ごうぜ」

 ティムが梨来に進言する。

「地下6から7への経路は階段しかない。鉢合わせるのはごめんだ。躊躇してる暇はないぜ」
「降りてから、どうやって出るつもり?」
「こっちには兵糧がある訳じゃないから攻転のタイミング重要だが、奴らも市街地で深深度貫通型爆弾を使ったりいきなり毒ガスなんてことはしないだろう。エクストラ4人で人間部隊相手をするなんて基本的にはオーバースペックなくらいだぜ。電撃で押し通ってもいいし、じりじり押し返したっていい。空間制圧手段に対する防御だけ抜かりなく進めば地上には出られるだろう。」

 独自の管理者≪admin≫を持たないティムは、先程から独自の考えを制約なしに主張することが出来ていた。うちの子等≪クローバーズ≫もきっと同じ特性を持っている。彼女達はまだ経験も浅く幼いためそれが十全正しいとは思えないが、これから先、作戦実行ではなく立案においても自分の方が足枷になることもあるだろうと、出は感じていた。無理も無い、出はただの研究者であって、荒事の専門家ではないのだ。

「免疫重要区画≪シバルバー≫の私の個人区画に、有事の際に備えてrootアクセスする隠しコマンドを書き留めたメモがある。向こうのハッカーの腕次第だが、それを使えば幾らかはシステムを奪還できるはずだ」
「決まりだな、そいつを試せばスマートに行くかもしれない。それまでは精々、マシな戦争をしようぜ。ジル」

 ティムは、ジルに指示して仕留めた兵隊の一人を抱えさせる。

「善は急げだ、降りよう」

 梨来、出、真矢、ティム、ジル、瑠美、パウラ(と、仕留めた兵隊の一人の死体)は今いる地下6階層から二つ下がった、重要免疫区画≪シバルバー≫へ逃れることにした。
 地下7階以降の重要免疫区画≪シバルバー≫は、地上接続されたものと完全に分離した別のネットワークと電源を、副系として備えてある。またガス交換も独自に行えるようになっており、地上と断絶されても副系のライフラインを用いて地下下層のみを個別に生存させることが出来た。エクストラ4人も立て籠もれば、確かに要塞に等しい。出ることさえ考えなければ。エレベーターなど使えば開いたところで蜂の巣であることを考えると、階段で少しずつ上がるしかない。
 ただ、それは侵攻する敵のほうも同じだった。

「足音……地下5階まで来てます。多すぎて、数が、わかりません……」

 パウラが耳を塞ぐようにしながら、トリニティの兵隊が迫ってくる状況を聞き分けた。

「馬鹿が。こんな狭いところにたくさん兵士詰め込んだっていいことないってこと、教えてやるぜ」







 重要免疫区画≪シバルバー≫の入場ゲートは、限られた者しか開くことが出来ない。上層階のイントラからも切り離され別系統のシステムになっている。粛清部隊≪掃除屋≫のクラッキングも及んでいないようで、梨来を初め出、真矢、それにエクストラ達は問題なく通過することが出来た。

「こっちのセキュリティは生きてるな。この扉も、ロックしておけばちょっとやそっとじゃ抜かれない程度の強度はある。出入り経路はこの1系統だけだ。」

 じゃあここに城でも築くか?とティムが冗談めかして言うのに対して、梨来はもう一つ提案する。

「もっと奥にしないか。奥には、真矢が苦労して引いたような、地上への有線回線の端子が残っている。まだ生きてるのかどうかは何も機材が繋がっていないからわからないが」

 えっマジで、と真矢が驚きの声を上げた。真矢が何に驚いているのかは分からなかったので、一旦全員がスルーする。

「確かに、重要免疫区画≪シバルバー≫の管理システムは乗っ取られていない。上の階も、rootを奪還できるなら一定時間は確保できる。ここから奥まではどうせ一本道だ、生かさない手はないかもしれません。地上回線が生きてるなら……何か通信機器を接続すれば使えるかもしれませんね。まあ、回線はトリニティがすべて封鎖してしまっているかもしれませんが」

 通信と言えば、と出がパウラを呼んだ。

「パウラ、ここから地上のどこかに局所空振音声通信って出来るかい?」
「距離的には問題ありませんが、座標を合わせる必要が」
「そっか」
「著名な場所であれば、www≪ワイヤド≫か何かで確認すれば行けると思いますけど……こないだの古墳カフェでよければ」

 困ったように出に俯くパウラ。梨来が接続可能性について言及した。

「今外部と接続できるネットワークはないな。root取得できれば、また強奪されるまでのわずかな時間でも接続できるかもしれない」
「もっと外に連れて行ってあげればよかったね」
「い、いえ、出さんのせいでは……!私にもっと、融通の利く能力があればよかっただけの事です」

 このメンツに限って言えば、彼等にとっては重要免疫区画≪シバルバー≫は、さほど珍しい場所ではない。古今では上席研究員と言う職位は用意されていないが、もし存在するなら出も真矢もそこに所属しているだろう、ここへ出入り可能な職員である。翻って、立ち入り可能な職員と言うのはここでの業務が比較的多いものだった。彼等に連れられたエクストラ達も立ち入る機会が多い。
 だから、この異様な光景には、既に慣れっこなのだ。

 人の大きさほどにもなる花は花弁の模様や蕊の並びによるシミュラクラがまるで本当に人であるかのように見せている。ゆっくりと脈打つ動物的な動きを見せる蔦はイモムシかナナフシでもいるのかと思って目を凝らすがやはり動いているのは紛れも無くその蔦自身だ。蛍や深海魚の様に自ら発光する樹皮は呼吸するように明滅を繰り返し発光部の脇に小さく蔓脚の様なものが飛び出して蠢いている。群生する薇はそれ自体が何かの触覚であるように巻いたり開いたりを繰り返していた。それぞれの植物は人間の耳にはちりちりとくすぶるような高音にしか捉えられない「声」を上げており、どうやらコミュニケーションをしているらしい。樹木の脇に生えた丸い茸はまるで眼球の様で、カサのてっぺんにある色の濃い大きな斑点は水気を帯びた透明な皮膜の下で動いている。ここにあるこの空間を埋め尽くしている植物は、常識的な目で見るのなら、不気味そのものである。
 それだけではない、それら植物は檻の中に入ったりなどせず、その辺の床タイルを刳った水耕エリアや土壌エリアに自由に生えているものだ。檻の中に収められているのは、どう見ても人間の形をしたもの達だった。
 申し訳程度にベッドや便所等が備えられている感じは、独房のようでもある。その中に、多くの場合端っこで小さく縮こまっている人のように見えるもの。だがよく見れば、ある者は皮膚は葉緑体の緑色をした微動だにしない人間だった。ある者は五体満足を捨て頭と胴だけになってとぐろを巻いた大根に人の頭が付いたような物体。浴槽のようなものの中に浸っているが全身がマングローブの根の塊の様になって、シルエットばかりは人間のものになっている動かない木。多肉植物の折れ曲がった葉かと思えばそれはよく見ればそれは人間の脚が無数に集合した何かだった。植木鉢から直接首と肘から上が生えているもの。褐色に変色した人間の体から、密集したキノコが生えている。元は人間だったが「生命の秘密を解き明かす」という名目の元に植物と融合させられたマルタの内、絶命せずまだ生命活動が認められる者が、檻の中で観察下に置かれていた。
 一般の人間が見れば、嫌悪感さえ催す「植物」が犇めいているこの空間を、研究員たち(とエクストラたち)は涼しい顔で通り抜ける。その感覚自体が、すでに狂気だ。

「えっと、研究室によってもいい?備えが、あるんだ」

 足早に歩きながら真矢が言う。

「備え?食料?そんなに長く立て籠もる想定はないが」
「じゅ……銃とか」
「趣味のモデルガンじゃ戦えんだろう」

 真矢のガンマニアは古今の中でも有名なものだったが、収集対象は全てモデルガンだということで「通っていた」。それを知っている梨来もそのつもりの返答をしているのだが、当の真矢はどうにも言い辛そうに、何か口ごもっている。

「その……改造、してあって、あの、リコイルガンになってるのよね。けっこー、強い、よ」

 こないだ試しに弾体に使い終わったボタン電池使ってやってみたらFCNFの板10センチ貫けたんだ!
 と急にはしゃぎ始める真矢。FCNF板10センチ貫通ともなれば、当たり所によっては人が死ぬ威力だろう。しかもゴミのボタン電池でとは。皆の反応を見てまた小さくなる真矢。

「今は銃の不法改造については不問、だな。使える物は使おう」
「じゃ、じゃあ勢いで言っちゃうけど、じ、実銃もあるの!><」
「……」
「……」
「助かる、助かるよ、真矢君。ぜひ君の研究室に寄ろうじゃないか……」

 が、ガーランドと、アグニ各種でしょぉ……?趣味のコルトガバメントもいくつか……と、もうこの状況だから洗いざらい吐いてしまおうという真矢の珍妙な罪悪感が窺えた。

「他に妙なものを持ち込んでいないだろうな、今ばかりは≪・・・・・≫助かるが」
「あと、趣味と実益を兼ねてのブロードスターⅢが……」
「は?ブロードスター?衛星電話の?」
「えへへ、セキュリティインシデント……」
「衛星電話と言っても、そもそも地上まで届くのか?」

 真矢は部屋の隅の地面を指さしている。先の脈打ち動く蔦が這っていたり、檻の中のマルタが伸ばした動く髪の毛が伸びているだけで、特に不思議なものは何もない。もう少し横に視線をずらすと、壁寄りに配線隠しに見えなくもない出っ張りがある。

「ゆ、有線、ひっぱって、る。線引けないところは、極短距離無線接続≪ジャンパ≫、えへ、へ」
(ばかだ)
(きちがいだ)
(おたくだ)
(へんたいだ)
(?)

 配線隠しは壁を伝ってそのまま出口の方へ向かっていた。本当に外と通信できるようになっているらしい。なる程、地上へつながる物理線が存在したということに驚きの声を上げたのは、このせいだったらしい。

「と、とにかく、トリニティの兵隊に『実は衛星電話があります』なんてことが見破られてなければ、地上との通信経路が確保されていることが分かった。安心(?)して、重要免疫区画≪シバルバー≫に引き籠ろうじゃないか……」
「だああって、この研究室、テレビもネットも見れないしつまんないんだもおおん!」

 急に頭を抱えてうずくまる真矢。やはり変な奴だ。言わなきゃばれなかっただろうことだが、彼女なりにこの状況に協力したかったのだろう、結果的に銃にせよ、通信手段にせよ、有効なモノばかりが出てきたのだが。







「まあ、結果として人間組も武装できることが分かった訳だが」
「そーだねー!よかったねー!」
「……」
「……」
「ずびばぜん゛、クビですよねクビ」
「まあ、クビかクビじゃないか論ぜる頃まで首が残ってりゃ、もはや文句言えぬだろうよ」

 真矢の研究室を次いで、梨来の区画へ立ち寄りroot取得の隠しコマンドを記したノートを回収する。

「紙のノートにコマンド書いてある……」
「システム構築の時にデバッグ用に使ってたものを消さずに殺してあるだけのコマンドだ。稼働中のコードを表層から探ったんじゃ出てこない。トリニティのハッカーがいかに優秀でも、さすがに紙媒体の情報は奪取出来ないだろうよ。さ、これを回収したらここももう用無しだ。誰かのところみたいに銃が置いてあるわけじゃない」
「むぐ」

 口を×にしている真矢を笑いながら、梨来はさらに奥へ行くことを促す。保管庫群を通り抜けて、もっと奥へ向かう一行。更に階段で地上階の1階分程度の高さを下った。
 重要免疫区画≪シバルバー≫への立ち入り自体は珍しくないメンバーだが、梨来を除いて、この一番奥まった場所へはそう滅多に来る事は無かった。機密だったというよりは、用事がなかったのだ。

「ここはどうだろう」

 梨来が一旦防衛拠点としようと主張する場所は、ただ広場の様になった空間に出入り口が一つついただけの何もない場所で、わずかに物置として使われている以外はコンクリートと鉄筋が剥き出しになった何もない裸の状態だ。

「なるほどここか」
「誂え向きと言えば誂え向きですね」
「よし、一旦ここで迎え撃とう」
「パウラ、様子はわかる?」
「ええ、一応聞こえ≪みえ≫ます。もうこの階に来てるみたいです。これ、何の音でしょう……入り口の扉に何かをしているようです。抉じ開けるつもりみたいですね」

 パウラが耳をそばだてて敵の出方を窺う一方で、真矢の改造銃と実銃で戦闘可能になった人間組も含めて交戦可能なように、弾除けになりそうなものを持ち込む。防衛施設としてのさほどの備えになるわけではないが、ないよりはましだ。

「こいつの装備を見る限りは、重火器の類は持ち込まれていない。なんか見えりゃ優先的にブチ壊すが、その辺のもので作ったバリケードでも十分防御効果はあるだろう」

 机や物入れ、使われなくなった機材の箱など、重要免疫区画≪シバルバー≫の奥は割と物置扱いだった。だがそのくだらない物資の多さは、即席のバリケードを作るにはちょうどいい。

「外に出られたとして、外はどうなってるんだろう。建屋はもうトリニティに包囲されてるんじゃ。逃げられるのかな」
「確か秋来宮とトリニティの関係は軍事的な好浸透性までは持っていなかったはずだよ。あからさまに軍を展開はできないはず」
「これ見ろよ」

 ジルが持ってきた粛清部隊≪掃除屋≫の死体から、何かを取り出した。手帳のようなカード入れのような。

「ラムダの身分証だぜ。こいつは喧嘩っ早くて身内からも嫌われ気味で有名なタルターロスの兵隊だ。トリニティったってこんな武闘派なやつもいればそうじゃない企業もある。反トリニティや中立を掲げるリージョンも少なくはない。逃げる先ならいくらでもあるさ。」
「タルターロスか……。この粛清がトリニティの総意でないことを祈ろう」

 死体についた敵側の通信機は、既に敵側から通信を遮断されている。粛清部隊≪掃除屋≫の武装を剥いだジルは、剥ぎ取ったブラックイーグルと予備弾倉を出に渡す。こいつは使わせてもらおう、とナイフはジルが持って行った。

「瑠美、アレから剥ぎ取ったナイフ。」
「さんきゅ~」
「パウラは真矢のアグニでいい?」
「十分です。」
「姉貴は?」
「お前たちが使え。オレは八卦炉≪キューブ≫があればなんとかなる。」

 エクストラ達が早々に戦闘準備を始める中、人間組は後方で別の準備を進めていた。

「rootを盗る。上層階の隔壁を全部落として内側ロックをかける。あとは、施設設備でブービートラップを味わわせてやる」

 梨来はハードウェアキーボードを接続した自分用のタブレットから隠しコマンドを投入して設備システムのroot権限を奪取し、通信と共に管理、警備システムを掌握する。タルターロス側の技術者次第だが、恐らく数時間もあればシャットアウトされるだろう。その間に必要な工作を済ませなければならない。
 梨来は何事かシステムに指示を出し続けている。

「ブービートラップ?」
「ビルシステムや自動メンテナンス機器を使って嫌がらせする。まあ、少しは敵の足が止まるんじゃないかな」

 梨来のキーボード操作は、早すぎて何をやっているのかさっぱりわからない。それを見ている真矢はどこか心酔したような様子を見せる。「やっぱ主任はかっこいいなあ」なんて。真矢は技術オタクとしてgeegな能力の面で梨来に強い憧れを抱いている。機械系技術が専攻の真矢が畑違いの生命科学分野の古今に残り続けている主な理由は、梨来への憧憬であった。
 その一方で、真矢は持ってきた衛星電話を設置していた。自室の有線ターミナルまで無線で接続しようという魂胆らしい。それは技術的には難しいことではないし、タルターロス兵は地下では無線機器除去の工作は行っていない。

「んし、ブロードスター設置したよ。……いけるね、タルターロスのやつらもまさか衛星電話が有線で地下まで引いてあるとは思ってないみたい」
「かかる?」
「……とは言ってもどこにかけよう。警察?」

 真矢が架電先を決めあぐねていると、梨来がキーボードを高速で叩く手を一瞬だけ切り出して、ノートを真矢の方へ滑らせた。

「23ページ目の左下」

 真矢が言われたページを開くと、電話番号らしいものが、記載されていた。

「普通の電話番号でかかるのか知らないけど」
「衛星回線使ってるだけで普通の電話だよ。これ、どこの番号?」
「黒十字診療所だ」
「九龍の?そんなとこかけてどうするのさ?」
「他言無用だが、あそこには『ヒーロー』がいるんだ」

 黒十字診療所とは見境なき医師団の出先機関で、一応は医療機関として設置されている。人間組織だが、実際は妖魔社会との距離の方が近いし、敢えて言うのなら、『悪の組織』である。人間の世俗とは一線を画した価値観で医療行為を(多くの場合相手の同意を得ることなく)はたらいている。古今とは主にマルタ絡みの人身売買や、正規ルートで手に入らない薬品のサプライヤとしてビジネス相手となっている。が、ヒーローが所属しているなどとは誰もが初耳のことだった。

「アル……アルコール、って名前だったかな、よく覚えてないんだが。ヒーローものは疎くてな」
「ああ!知ってるよ、不老不死の女ヒーロー、カッコイイの!」
「そうか、黒十字診療所がヒーローを抱えていたなんてトリニティも下手に手出しできないな。道理で見境なき医師団、悪の組織の癖になかなか撲滅されないわけだ。……悪のヒーローじゃないか」
「『くらえ!【こんな世は燃え尽きてしまえ≪アル・フェニックス≫】ッ!』子供の頃よく見てたなー。OH~OH~OH~アル・フェニックス♪OH~OH~OH~アル・フェニックス♪」

 変身ヒーローの必殺技ポーズを真似する真矢。だがそこまで行ってから肩を落とす。

「でも、ウチみたいなところ、助けてくれるかな。古今だって悪の組織みたいなもんでしょう」
「自分で言ってしまっては世話ないよ……」
「どうかな。見境なき医師団のところにいるヒーローだから、変わり者であることを願いたいね」

 『ヒーロー』は、その言葉からイメージされるような無敵の存在というわけではない。悪が巨大過ぎれば負けて死ぬこともあるし、必ずしも正義原理主義というわけでもない。俗世ずれしたヒーローもいれば、己の信念にしか従わないエゴイスティックなヒーローもいて、その質は一様ではない。ヒーローとは、職業であると同時に、種族と似たようなものなのだ。人間、妖魔、ロボット、というのと同じで、多くはないがこの世に一人という存在ではない。伝説のヒーローは存在するが、ヒーローならば伝説なのかというとそうではない。普通の人間に比べれば、大分反則な能力を持っているというだけの、個性なのだ。対象が正規の『ヒーロー』であるかは、サントアリオに設置されたヒーロー委員会が決定する。
 『ヒーロー』は自らの選んだ後継者に力を引き継ぐことが出来る。古えの神話に登場する七匹の大怪物と戦った人間が用いたとされる特殊な伝承法の欠片だと言われていた。
 そうした、どちらかと言えば生得の義賊に近い存在である『ヒーロー』の性質は、梨来でなくとも誰もが承知していることだ。『悪の組織』と呼ばれている組織もそれ相当のものである。ミゾノクチを拠点にする、御近所に親しかったり怪人同士がカップ麺食った食わないで喧嘩していたりする小市民団体の様なものまでもが『悪の組織』として存在する。黒十字診療所もそうした市民フレンドリな『悪の組織』である。一応悪事ははたらいているが。却ってトリニティは『悪の組織』として認定はされていないが、そちらの方がよほど民衆からのヘイト値は高い。
 『ヒーロー』は、IRPO同様、トリニティが悪政を敷かないための抑止力として働いており、トリニティにとっては目の敵である。ヒーロー自体も多くの場合トリニティを疑ってかかる。

「仮にヒーローが来てくれるなら、少なくとも君達は助かる可能性がある。代表取締まられ役は、そうはいかないかもしれないがね」
「そんな!」
「この状況では地域警察やIRPOよりかは希望が持てるだろう。他にアテにできそうなところはないしな。私がかけよう、これは普通にかければかかるのか?」
「う、うん。でもやだよ、自分はどうなってもいいから他のものを助けてくれ、みたいなのは?」
「安心しろ、私はそんなに献身的ではないよ」

 黒十字診療所に電話をかける梨来。悠長に電話などしている暇があるのかというタイミングだが、タルターロス兵の足は確かに止まっているようだった。







「どうだった?」
「妖魔は人間同士の争いには加担しない、との回答だ」

 黒十字診療所、もとい、見境なき医師団は、悪の組織であると同時に妖魔色の強い組織だ。梨来にとってはその回答もある意味では十分に想定の内に含まれていた。さほど驚いてはいない様である。

「所詮は悪堕ヒーロー≪傷んだ緋色≫か。不老不死の正義のヒーローなんて、ロクなの聞いたことないもんね。万年囚人≪お姫様≫の御守りが似合いだわ」

 舌打ちをしながらガーランドに装弾する真矢。さっきのはしゃぎようとはあまりにもかけ離れている。が、自分を守ってくれないとなればそんなものかも知れなかった。ガーランドの安全装置≪セーフティ≫を外してサイトを覗き、よし、とそれを下ろす。

「手入れもされていていい銃だね、でも出番が悪かったな。こんなタイミングでは、抱えて死ぬくらいの相棒にしかならんかもしれんが」
「まったくね。古今も焼きが回ったってこと?主任、これ使って。せめて一人か二人は道連れが、いいでしょ?」

 真矢から受け取ったアグニCP1に装弾する梨来所長。険しい顔で沈黙している梨来の傍に立つティム。

「優花、平気だ。ただの人間なんて、オレが蹴散らしてやるぜ。こいつら≪クローバーズ≫だっているんだ。タルターロス兵なんて、取るに足らねえぜ。そうだろ、ジル、瑠美、パウラ。」
「姉貴がいるならこんなところ≪シバルバー≫なんかに長く留まる必要なんかない、打って出れば形勢逆転だ。瑠美が敵将の首を刈り取って来っていい、姉貴がブッ放せば地上に艦砲があるようなもんだし、パウラがいればどんな練度の軍隊より上手に連携して見せる。神妖≪かみさま≫以外の相手なら、爆弾だって止めてやるぜ。負ける気は、しない。」

「ブービートラップでどれくらい減らせているかはわからんが」

「出氏、こわい?」
「いや、君たちを信頼してる。何も怖くなんかないよ。パウラもそんなに不安そうな顔、しないで」
「はい。有難うございます」

「主任」
「出クン……私は、怖い。覚悟が決まっていなかったわけじゃない、古今は常にトリニティの反目を買っていた。トリニティが産業スパイを送り込んできていると情報をキャッチした時点で、予想は出来ていた。それでも、ふふ、無様なものだね、同じ人間から殺意を向けられていると思うと、震えてしまう。死の商人がこれではだめだな。所詮はにわか、肝が据わっていないと言われても仕方が無い」

 自分の最強願望を満たすためにエクストラを作成した梨来主任、それを売り物にして死をひさいでいた梨来所長。決して、エクストラという存在を成功させたとしても、やはり自分が強くなったわけではないことに気付かないような頭の人ではないのだ。

「優花、お前はオレの管理者≪admin≫ではないし、オレはヒーローでもねえが、安心しろ、オレが守ってやる。」

 まだタルターロスの兵はまだ視界内に現れていないが、このシバルバーへの唯一の侵入経路と梨来の間を、ティムが遮った。

「頼もしいよ。覚えているかは知らないが、君はそのヒーローと同じところから来たんだ。」

 そうなのか?と目を丸くするティム。彼女の素体は、見境なき医師団から買い取った出自の特殊なマルタだった。

「じゃあ、助けに来ねえってケチな奴の代わりに、オレらがヒーローになってやるよ。なあ、クローバーズ、そうだろう?」

 ティムと同じように、ジル、瑠美、そしてパウラが、出の周囲に立つ。

「ああ。出もあたいらに任せとけばいい。指一本触れさせねえ」
「出氏はわたしたちがまもるもん。ね、パウラ」
「う、うん」

 そういう3人だが、パウラには若干の緊張が見えた。それは今回に限ったことではない、任務の時はいつも気の優しいパウラは他の二人に比べて少し控えめなのだ。二人もそれを承知していて、「頼りにしてるぜ、パウラ」と軽く笑いかけるジルのそれは、ムードメーカーの決まりの役目のようにもなっていた。個性がバラバラの三人≪クローバーズ≫は、そうやっていつもバランスを取り、任務を上手くやってきた。今回もきっと、うまくやってくれる

「わ、私は」
「出のついでだ」
「しゅん……」







―― 進捗を報告しろ。
―― 重要免疫区画≪シバルバー≫の入り口に到達しました。『系』が独立している模様、扉がロックされています。現在鎔断中。
―― 重要免疫区画≪シバルバー≫の奥は通信が遮断される。手前の内は通じるが、届かなくなった後は現場の判断に任せる。
―― 了解

 レーザーカッターで熱せられじりじりと赤熱し、小さな穴があくまでに数分。最初に貫通した赤い点が、ゆっくりと移動しながら扉に細い切れ目を入れ、そのまま進んで徐々に円形に刳り抜かれていく。人ひとりが通るには十分な大きさを持った楕円が切り取られ、最初の点と移動中の点が出会う。
 大きく平らな板は倒れるときに大きな空気抵抗を受け、大きさと素材の割には静かに地面へ落ちた。

「Fire in the hole!」

 その穴に向かって一人が手榴弾を放り込み、叫ぶ。他の兵は仮に扉が爆風で抜けたとしても衝撃を受けぬ位置に退避した。

 どん!

 爆発音の後、一拍だけおいてから一斉に突入していく。

―― 突入口、開きました。進入します。
―― 中に何がいるかわからん。慎重に行け。

 重要免疫区画≪シバルバー≫に入った粛清部隊≪掃除屋達≫は、空間を埋め尽くす異様な植物の群生に声を上げた。職業柄様々なものを見てきた兵隊であっても、こんなものを見た事は無い。

「なんだこれ」
「び、B級ホラーだな、はは……」

 これは、実際に現実に目の前に現物として存在する疑いようのないB級ホラー映像だ。ディスプレイの向こうではなく現物としてそこに在るB級ホラーとは身の毛もよだつものなのだと、多少人を殺したことがあるくらいの普通の人間は、竦み上がってしまった。これを見て楽園と言った少女もいたが。
 葉のまで一枚一枚が、動物のよう。侵入者の方へ『意識』を向けるように動いたのが分かる。一部の植物は葉と葉を擦り合わせて威嚇するように音を立てていた。拍動する樹皮は内側に青や橙の血液を湛えて鈍く光っている。兵隊の足元を這う根と蔦は、その存在をまるで気にしないという様子で脈打ち波打ち際這い回り、足の上に乗ったり足首に絡みついたりする。

「ひ!」
「うわ、わ、きめえ」

 ホタルブクロが、実際には蛍など潜んでいない頬にの中に何かの光源を抱いたまま、タルターロス兵の方へその光を寄せてくる。ジワリと、動物的な熱が伝わってくるが、頬の中の光源は眼球のような姿をしていた。ぎろりとこちらを見て来るだけでなく、頬が収縮してフーッ、フーッとガス交換の音が風を伴って響いてくる。ゼンマイは巻いたり伸びたりを繰り返しながらその特徴的な毛を波打たせて体にすり寄ってくる。人懐こい行為と言うよりは、警告のために軽く攻撃を仕掛けているそういう勢いが感じられた。

「撃つなよ。そいつらの樹液がどんな猛毒なのか、俺達にはわからん」

 植物がこれだけ繁茂しているからか、先程から急に羽虫が数を増やしており、動物のような仕草さえ見せる植物の周りをぶんぶんと飛び回っている。

「ちっ、蠅が、うるさい……」

 兵士の一人が手で蠅を払うようにすると、その手が不慮に脇に生えた樹木の枝を叩いた。刹那。

 ぐぼっ!

 突然足元の根が跳ね上がり、触れた枝が伸びて、手を当てた兵士の体を突き飛ばした。そのまま別の根が地中から現れて突き飛ばした男を捕縛するような動きで迫る。

「馬鹿野郎!」

 もう一人の兵士が、木の防御反応から男を引き倒して守ろうとするが。跳ね上がるバネにも似た速度のそれを避けるには足りない。振り上げられた木の根、一緒に兵士の首と腕が舞い上がった。遅れて上る血飛沫。首を弾き飛ばされた男はあっけなく絶命、助けようとして一緒に右腕を吹き飛ばされた兵士は吹き飛ばされ尻餅を突いた先で自分の身体に起こったことを遅れて知り、絶叫してから失神した。

「よ、要救護!後方搬送!」

 兵の何人かが右腕を失った男を抱える。ほんの僅か前に通り抜けた丸い穴を運び出されていった。

 根は、再び静かに元の位置に戻った。振り回されればその木の枝と蔦、根は相当なペイロードを持った物理攻撃だということがわかった。これがそこいらじゅうに生えているということを認識して、タルターロス兵は戦慄する。しかもまるで大型の虫が餌場に群がるように、根を脚のように蠢かせて移動する一輪咲の真っ赤な花が、アメーバのように流動する黄色い巨大粘菌が、血の匂いに誘発されて飛び散った樹木の種子が、飛び散った血斑に群がってそれを啜っていた。菌にせよ植物にせよこれほど運動性が高いものは信じがたい。

―― どう―― 状況を報―― しろ。
―― 重要免疫区画≪シバルバー≫内は危険性の高い植物で満たされています。

 そろそろ通信が途絶えるらしいことが、途切れ途切れの音声から伝わって来ていた。通信が途切れるよりもなお奥では、全てが現場の判断に任される。

―― 必要があれ―― フェイズ2以降は作戦の中断も常時選択肢―― ている―― 封じ込めは完了しているんだ、急いて被害を出す必要―― ……が、一課の実行力、とやらはその―― たか―― これなら二課≪我々≫で買収をかけたほうがよか―― しれな―― 。
―― 成果≪花≫は必ず持ち帰ります。
―― 期待してい―― ご安全に。

「くそっ、ご安全にじゃねえ、二課からの出向課長が……。ターゲットは本当にこの奥にいるってのか?」
「残数はたった3だ、さっさと済ませちまおう。フェイズ3になれば事務屋の仕事だ」

 兵士が、周囲を見回して気の繁茂具合に舌打ちする。彼らが踏み込んだ先には道などあるように見えない。放置された熱帯再現温室のような様相を見せている。

「だが、こんな木がこんな鬱蒼と茂ってるんじゃ」
「刺激しなければ問題ないだろう。そうでなければこんなところで研究なんぞできないはずだ」

 道などあるように見えない。この奥に潜んでいるとすると、これらの植物から攻撃目標にされない何らかの方法を知っているのか、縦横無尽に張り巡らされた植物の罠を掻い潜っていったか。いずれにしても可能な行為には思えない。
 だが兵士たちは、そうした『道がないように見える』のは通路の構造がその日までしばし長い間続いていた植物たちの繁茂とかかわりのない形に作り替えられていたからだった。もし彼らが先進国の現代的な兵士ではなく、先の真臘戦役でゲリラ戦を生き抜いた者達であればすぐに気付いた事だろう、木々の生長の痕跡と、見える奥への道は、形が一致していないのだ。

「薄い部分を抜けていく」
「上に応援を頼んだ方がいいのでは」
「あのクソ課長にどんな顔をして何を頼めばいい!?額を奴の靴に擦り付けながらM2放射器を出してくださいと!?うちみたいな一課の新参組織≪有限会社カバレロ清掃≫に、そんな兵器があるわけないだろう!」

 苛立ちを爆発させるように大声を出した男だが、周囲の植物の葉がゆっくりと先端を向けたのを見て、声を潜める。
 この植物園≪ブービートラップ≫を抜ける扉は僅か先に見えるばかりだが、土地勘のない人間が現実的にそれら植物に大きな刺激を加えるリスクを排除しながら進むには大きく迂回し、あるいは折り返して進むしかなかった。

「こんな閉塞した地下の空間で火災が発生してみろ、消火も出来ずに燃え尽きるまで待つしかない。酸欠でさっさと消えればいいがな。散々待たされた挙句目標≪花≫は手に入らないわ、秋来宮への説明と市民対応で七転八倒を強いられた本社が俺たちのところに来るわ、朝には道頓堀に浮いてる」
「あそこしょっちゅう酔っ払いが浮いてますけど」
「うるさいな、だったらお前が放射器でも枯葉剤でも借りてこいよ」
「……なるだけ密度の低い隙間を通り抜けながら進しかないですね」

 慎重に、根や茎、蔦を強く踏みつけないように進むタルターロスの掃除屋達≪カバレロ一課≫。壁伝いに行けば、少なくとも壁の方には濃密な森林はない。手をつきながら進むが途中で折り返しを強いられ、部屋の中程へ導かれる。点々と緑濃度の低い点があるのは、彼らは築いていないが彼らが到達する数分前までは正しい順路でこれら植物を刺激する心配がないよう整備された道だった場所だった。地面に埋没した仕切り板と支柱の跡が真新しい、或いは今出ているそれらは一部が不自然に土で汚れている。それに気付けたのなら、このルートは急造された罠だと知れただろう。

 ゆっくりと進む間に、何人かの男が、不調を訴え始めた。

「どうした」
「耳鳴りが……あと、どうにも、ぼうっとして……」

 この男だけではない、半数以上の者が、同じような症状を訴えている。エレベーターを使わずに降りてきたが、この部屋に入ってからというものの、急にエレベータで高層階から下層へ降りたときのような気圧の変化を感じていた。耳鳴りを感じているものは既にいたし、出来るものは各々勝手に耳抜きをしているようだった、が、明らかに体調が悪く、呼吸が苦しそうな者が出たのでは無視できない。

「ガスマスクをつけろ。この森の中は何かガスが出ているのかもしれない」

 指示に従い全員がガスマスクをつけるが、症状を訴えるものは増え続けていた。空気ボンベは持ってきていないが、掃除用具にカムフラージュした別の吸収缶は携行している。使用される可能性が最も高いとされたシアン化水素ガスに対応したものを初期装備していたが、そうではないらしい。まさか青酸ガスは比較的安価に容易に作成できるものではあるが、まさかただの研究施設で使用される打などとは想定されていなかった。そう急にガスの種類を特定して適切な吸収缶に付け替える必要があった。
 各種毒ガス検出器はビル衛生管理法上のCO2濃度計測器に偽装されている。検出自体は迅速で、主な毒ガスに対応しているものだが、どの毒ガスにも合致していない。

「なんだ?」

 だが検出に当たった男はすぐに特異な点に気付く。計測器の示す酸素濃度が異様に高く、しかもまだ上がり続けているということだ。

「ガスは検出されていませんが、この部屋は気圧が高いのと……酸素の濃度が異常値です」
「これは……酸素酔い?」

 手持ちの吸収缶ではそもそも役に立たないと判断した男は、ガスマスクを外した。
 危険植物に手をこまねいて高酸素分圧の中で長時間の活動を強いられている。この植物の育成に必要な環境であるのか、あるいは意図的にそう刺されたものなのかはわからないが、酸素酔いだとすると、不調の原因は実際には気圧の変化と僅かな息苦しさに限定される、即座に命に影響はない。
 だが、銃が使えない。銃はもちろんだが、もし仮に上から放射器を持ってきたとしても、安易にこの森を燃やすこともできない。

「五合目ってところですね。高気圧障害が、結構きついです」
「どうせこの奥に脱出経路があるわけではない、非戦闘員が奥でガタガタ震えているだけだ、この部屋を出れば恐らく気圧も戻る。……酸素酔いが酷い者は引き返せ。可能なメンバーだけで進む」

 じりじりと進み続ける部隊だが、後方からはひっきりなしに悲鳴や断末魔が聞こえている。血の匂いに引き寄せられて先の好肉性の植物たちが活気づいて色めきだっている。B級ホラー映画の中に放り込まれ恐怖と非現実感の合間で我を忘れそれに攻撃を加えてしまう兵士はやはり同じように草の餌食になっていく。蛭の様に人体に飛びついて瞬時に根を下ろしたり、人体から出る炭酸ガスで発芽が促され皮膚に侵襲する根を出す種子など、冗談かバカか漫画の産物のようなものが上から下から迫ってくる。ほとんどは致死性のものではないが、それに驚いてヤバい方の樹木を刺激して絶命するケースも見受けられた。森林のゲリラ戦に慣れた兵隊でもない限り、これを回避し続けるのは運任せに近い。

「あれは」
「檻……?」

 更に生き延びて部屋を進み続ける強運な者達を迎えたのは、隔離された生存マルタの異様過ぎる姿だった。
 窮屈そうに首を横に曲げた男の首元からはパイナップルのような腫瘤が膨らんでおり、男の方は口を半開きにして涎を垂らしたまま光のない目で降りの中から兵士たちを見ている。パイナップルで言うところの上部の葉は、しゅるしゅるとその腫瘤の内側へ出たり引っ込んだりを繰り返している。男の体の方は鉄格子を握ったまま時折びくっ、びくっ、と痙攣していた。
 そっちの檻の中にいる女は性器を広げて忙しなく弄っている。本来湿った肉色が見えるそこには、ぎっしりと植物の根が詰まっており、女はそれを病的な唸り声をあげながら毟り取っているのだった。毟り取る傍からぞわぞわと生長して、女の「中身」を満たしている。毟り取られた根の破片はまるで蛆の様に蠢いて檻を出て、地面に潜り込んでいった。
 仰向けに横たわって動かない男の頭部には、鼻から上の顔だけがなかった。口はある。スイカをスプーンでくりぬいて食べた後の残った皮のように後頭部の頭蓋と皮膚と頭髪だけが残り、上側にはもっさりと苔が茂っている。それでもどうやら生きているのらしく、時折腕が動いて空中の何かを掴むようにもがいていた。仰向けになっている男は失禁と脱糞が常態化しているらしいが、多くの植物の根がその付近に這い入っていた。
 誰一人として、侵入してきた兵士たちに助けを求める声を上げたりはしない。理性を感じない唸り声や、嗚咽、金切り声を上げるばかり。言語らしい声も聞こえるが、助けを求めるものではない、むしろ人間を諦めたような、この光景と姿とを踏まえて聞けば寒気を禁じ得ないセリフばかり、いずれも目の前の兵士たちの事は目に入っているようで入っていない、壊れた音楽プレイヤーのように一様に、抑揚のない声で呟き続けている。

「好きでなった訳じゃないんだ」「この体の方が楽なの、うふふふ」「赤い血の流れる体が欲しいよう……」「もう元に戻れないの……殺して」「家に帰りたい……母さんに会いたいよぅ」「そんな目で見ないで」

 古今で行われている人体実験の非人道性を示すものだが、その照らすべき人道の感覚はこれを目の前にして身動きが取れない程の衝撃を覚えていた。

「な、なんだあれは」

 目の当たりにした兵士が、嘔吐を押さえる。既に吐いてる者もいたが、吐瀉物には周囲を飛び回る羽虫と共にやはり植物たちが群がって来た。

「これが、古今生命科学研究所の、梨来優花≪妖怪≫の御業、なんだろう。俺たちカバレロ一課なんて、可愛いものじゃないか」

 ぷし、と向こう側で、目指していた扉が開いた。

「?」

 銃を向け警戒する男たち、だが、出てきたのは小さなタイヤと支持足、それにロボットアームが付いた工作機械だった。自動化され人の少ない施設なんかで、補修工事を行うロボットだ。先進地域ではありふれたロボットであるし、清掃業(と暗殺業も兼ねているが)を生業としているタルターロスの先兵にとっては見飽きる程に見かけるロボットだ。

「なんだ?」

 数台が扉から現れ部屋に入り込んでくる。それはまっすぐに男たちの方へ向かってくるが、途中踏みつける木の根や蔦は特に反応を示していない、嘘のようにまっすぐ、男たちの方へ向かってきた。
 補修工事中、との表示がなされている。先程破壊した扉を、破損と判断して自動補修を試みるのかもしれない。
 兵士たちの脇を通ってまっすぐ、出入り口へ向かってタイヤと支持足を使って器用に進んでいく補修工作ロボット。
 が。

 どじゅ

「なっ!?」

 ロボットアームの先が男の一人の頭に向いており、男自体は頭部を大きく損傷して死んでいた。
 ロボットのディスプレイは、釘打ち≪リベッタ≫モードになっている。

「何だ、こいつ!」

 気が付いたときには数台の工作ロボットが兵士たちの陣内に浸透していた。立て続けに数人の頭にリベットによって花を咲かせられ、体に不要な釘を打たれた。

「あ゛あ゛あっ!!があ、ああああ!」

 体にくぎを打たれて絶叫する男の声は植物の攻撃性を刺激してしまい、複数の枝に体を貫かれて絶命した。

「ふざけるな……っ」

 銃で工作機械を撃とうとするが、高酸素分圧下での発砲は自殺行為だと気付いて止める。一台は決死の覚悟で横転させて無力化するが、全部をそうするには釘打ちアームは柔軟すぎる。体に釘を食らう可能性は十分に高かった。

「ええい、くそがっ」

 男はさっき工作機械たちが平然と進んできた道を決死の覚悟で、突き抜ける。目立つ根などをさけぴょいぴょいと間抜けで大した速度のない進軍になってしまったが、ロボットはそうした男たちに興味を示さないまま、流れ作業のようにリベット打ち出来そうな対象に打ち付けながら、入場ゲートの方へ消えた。本当に、扉を補修しにに向かっただけかもしれない。
 男は、強運なことに危険樹木森を通り抜けた。後続する何人かはあえなく植物に打ち殺され、通り抜け切ったのは30名程度だった。

「……ふざけているのか、何なんだここは」
「残損兵力、31です」
「誰とも交戦していないのに、か。進め、何としても3人の息の根を止めないと気が済まねえ」

 到達した扉を開けると、病院か学校の廊下のような様子の空間が続き、しばらく向うにまた開けた空間が見える。親玉らしい男は先のロボットが戻ってくるのを警戒しながら、何かタイヤの進行を止められる手立てを考えながら、手下の兵士を脱出させる。
 その廊下が残る兵士の内、10人程度を飲み込んだところで、突如後方の扉が閉まった。

「こ、今度はなんだ!?」
『閉じ込められました!』

 扉には透明な窓が付いており、内側の様子が見える。男が確認すると、確かに向う側の扉も閉じられて閉じ込められているようだった。

「開くか?」
『ダメです!』
「こっちからも開かないか?」
「入り口と同じタイプです。また鎔断すればなんとか。鎔断器は……中のメンバーが持っているようですね」

 鎔断すること自体は問題ないのだが、恐ろしい植物と同部屋、しかもまたあのリベッタロボットが戻ってこようものなら、次は逃げ場がない。

「くそっ、設備管理システムで俺らを撃退するつもりらしいな。ホーム・アローンじゃねえんだ、そうはいくか。鎔断開始しろ」
『どっちを先に開けますか?』
「こっちだろうな、まずは合流だ。植物の方は大人しくしてりゃだんだんかわいく見えてきたさ。檻の中のモルモット人間は無理だがね。……ロボットが来たら自爆覚悟でありたけの弾ぶち込んでやる」

 溶断器が稼働する高周波音が聞こえる。足止めを食らってはいるが、ここを閉鎖するということは、中にいる人間も閉じ込められているということだ。男はそう考え焦りを押し殺していた。目の前で不気味な植物が枝葉を揺らし、人間を辞めさせられた化け物が光のない目でこちらを見ている。本音を言えば1秒だってここにはいたくなかった。

『わっ』
「どうした」
『熱でスプリンクラーが起動したようです』

 通常火災を察知したスプリンクラーならば、その廊下だけではなく施設全体にシャワーぶちまけられる筈だが、その閉じられた廊下の中にのみ機能していた。
 違和感を感じて周囲を見渡し腕を組んで、何かを掴もうとしている。そして、はっ、と気付いたように顔を上げて立ち上がった。

「っ扉から離れろ!」

 外側にいて鎔断を待っていた男は、突き飛ばすように手下を扉から遠ざけた。

「え、どうしたんですか?」

 特に、何も起こらない。廊下の内側でスプリンクラーが降り注ぐ音が聞こえるだけで、植物を刺激するリスクを顧みずに叫んだ男の防御行動が何だったのか、他の誰にもわからない。特に内側から何かが起こっている報告はない。鎔断は続いている、ように思われた。

「おーい、何かあったかー?」
「扉に触るな」
『……』

 内側からは特に返事がない。こういう時に、応答を求められて返事をしないという訓練は、兵士たちは、受けていない。

「おい?」

 遠巻きに透明の窓から内側を見ると、全員が倒れている。それは脱力して横たわっているが、時折力が加わったように小さく跳ねている。

「!な、なんで、これ、一体」
「扉に触るなよ?……感電だな」

 スプリンクラーでびしょぬれにした後、電圧をかけているのだろう。大した大掛かりな設備など要らない、『うまくやれば』携帯電話一つで死ねるのだ。そうするつもり≪・・・・・・・≫ならば、既に中の人間は心臓麻痺か、電圧によっては深刻な電撃傷で死んでいるだろう。電圧によっては直ぐに手当てすれば助かるかもしれないが、扉に触れること自体が二次災害を呼びかねない。中の様子を遠巻きに見ているしかできない。

「くそっ」

 スプリンクラーの水勢は弱まっていたが、それに伴って、地面と皮膚の接地点に時折パリッとアークが見え、横たわる体がじりじりと白い煙を上げ始めている。煙の量は徐々に増え、何人かの体や衣服からは発火していた。スプリンクラで火自体はすぐに消えるが、熱によって小さな発火と発煙が繰り返され、その経過に応じて先ほどまでは稀に見えていた痙攣が、無くなっていく。いよいよもうもうと煙が立ち込めると、生きた肉が焼ける嫌な匂いが、扉を超えて伝わって来た。
 死体の焼却が進む中、ぷし、と閉じていた扉が突然開いた。小酸素分圧のせいで燃え上がっていた炎が大きくなり、焼却臭が一気に広がっていく。
 まるで電子レンジのチン、を思わせる軽快さで一網打尽を告げられた。内側で行われたのは間違いなく虐殺≪カーネイジ≫である。
 黒く焦げた箇所が見える他、体組織が深部からジュール熱で加熱され内部で体組織が蒸発した水蒸気爆発によって体のあちこちに破裂痕と出血が見える。見るに堪えない死体だ。これならさっき木の根に首を飛ばされた彼の方が綺麗な死に方だ。
 床は未だ水浸しで、そのせいで出血の有様はエスカレーションされている。植物が鬱蒼と茂るくさいきれに鼻が慣れていたところに漂う、人肉の焼けた匂いのギャップ。見た目の凄惨さ。

「うっ」

 中で仲間が一網打尽にされ、恐怖に竦み上がる兵士。ならず者を寄せ集め、連帯感を高めで組織されたこの兵隊では、報復を希望する心情も見え隠れしていた。

「ふざけんな……殺してやる、中の奴ら、絶対殺してやる」

 残された兵士は、銃を強く握りしめ、殺気立った表情を見せる。

「扉が開いたってことは、奥に来いと言う挑発か。また罠があるのか」
「行きましょう、殺して同じ目に遭わせてやらないと気が済まねえ」
「おい!」

 血気の盛んな若いのが何人か、感電の怖れを押して廊下に踏み入った。

「大丈夫ッス。いきやしょう」







 兵士達が仲間の死体を踏み越え、先に密室を作り出した扉区切りを抜けてもなお、少しばかり幅が広がっただけの廊下が続いていた。
 さっきの感電トラップの廊下を境に、酸素酔いの症状は消えていた。扉が開いて気圧が低下したせいで酸素分圧が下がったらしい。
 関電トラップの向こう側には一定間隔に細かく区切られた留置場の独房が並んだ廊下≪グリーンマイル≫みたいな道が続いている。

「死刑にはあつらえ向きに緑かよ。ふざけてるぜ。スポンジくらいは自前で用意するんだったかね。だが電気椅子はもう通り過ぎたよ」

 続く廊下の床はリノリウムで濃緑、まさにそれだった。

「独房……でしょうか。さっきみたいなのがまた閉じ込められてるんじゃ」

 さっきまでの人体実験の残骸が封じられていた檻と違い、目の前にずらりと並ぶ個室の扉。グリーンマイルの入口に立ったままのこの位置からでは、中に何がいるのか、あるいは何もいないのか、窺い知ることは出来ない。前を通りかかった瞬間中からまた何かが飛び出して来てばっさりと殺されるのばかりは御免だ。

「俺が行く」

 先刻手下を先に行かせてむざむざ殺されたことを悔いてか、今度は自身が先行することを選んだ男。
 油断なく銃≪ブラックイーグル≫を構えゆっくりと進み、口を開けた小部屋一つの入口の壁に張り付いて頭を吸わせるようにじりじりと枠の内側へ視線を寄せる。扉のノブに手をかけ、少しだけ開いて鍵がかかっていないことを確認する。
 静からの急制動、ならず者の寄せ集めというには模範的な構えで扉を開き、すぐさま個室の中へ銃口を向ける。
 中にいたのはやはり先ほどの見たような、人間を諦めた、人間を捨てさせられた、植物に人間性を食われた化け物の姿。四つん這いになっているが腕と脚は土に埋まっており、白い根がわさわさと生えている。首から上には人間の頭ではなく何か球状の器官が付いていた。頭部と思しき球体にはトウモロコシの様な粒がびっしりついており、形ばかりはトウモロコシだが粒一つ一つは透明で、それぞれの薄皮の内側に枝状に分かれた血管が伸びてほのかに紅色をしているのが見える。四つん這いの背中はぱっくりと割れており、巨大なアケビの実の様。割れた内側には脊髄や内側で脈打つ臓器が覗いているが、ヒョロヒョロとモヤシの様なものが幾本も割れ目の内側から外側に伸びようとしていた。部屋に入って来た男へ身じろぎの様なものを見せて反応はするがそれ以上動く様子は見せない。数秒、銃口を向けたままじっと息を呑んで人間植物に対峙する。やはり何も起こらない。呼吸するような特定箇所の膨縮や、植物を早回し映像で見たときの様な動きは見せるものの、それ以上の変化はない。

「……クリア」

 部屋は廊下≪グリーンマイル≫を挟んで左右にあるが、それぞれの部屋の出入口は向かい合わないようジグザグに配置されていた。特別な理由がなければわざわざやらない配置が不安感をあおる。掃除屋はそれぞれ順番に部屋をクリアしながら進んでいった。
 部屋の中は一様ではない。水槽が置いてある部屋、畑のように土が盛られた部屋、ライトで強く照らされた部屋、水田のように泥が満たされた部屋。妙に気温が低い部屋もあれば寒い部屋もある。それら環境の違いはすべたあの植物人間それぞぞれへの対応という事らしかった。

「下手なお化け屋敷よりよっぽど気色悪いぜ」

 だがいくつも並ぶ部屋の中から、さっき危険植物の森の中の檻に見た不気味な実験体とは異なるもっと別なもの、は何も現れなかった。
 そのまま奥へ進む。踊り場の様に折り返すポイントでは、少し空間が広がっている。一旦全員がそこに集まって、今まで見てきた悪夢の様な光景を、口に出すことも出来ずに黙っている。

「末期のブリック・ガルニ≪ヤク中アパート≫みたいですね。あれも……中にいるのはとても人間とは思えなかった」
「……そうだな。死刑場への道行き≪グリーンマイル≫ではなくて、天国への階段≪Paradrooper≫ね。似合いと言えば似合いか。あの女≪梨来≫ならやりかねないな」

 しゅにんはそんなわるいひとじゃないよ

「!?」

 突然、カバレロの背後から声が聞こえた。掃除屋メンバーにはいない、女の、しかも場違いな子供の声。男に、他のメンバーにも、心当たりがあった。

「なに!?」
「え、エクストラだ!」

 咄嗟に飛び退いたカバレロ、それと同時に誰か別の男が叫んだ。

「なん……」
「あれ、わたしゆうめいじん?」

 カバレロいた場所には、今は黒を基調にしたゴシックドレスを来た少女が立っている。仕留めるつもりなどなかったかのように、手に持ったナイフは両手で後ろ手になっている。服装こそ映像の中のものとは異なるが、間違いなく映像で見せられた「エクストラ」の一人の姿だった。そのどこを見ているんだかよくわからないぼうっとした目線と、黒をテーマにした服装に変わりはなく、何より特徴的なのは胸の辺りが不自然に膨らんで樹脂製のケースが顔を出していることは、明らかにこの女児がエクストラと呼ばれる存在であることを示していた。
 手に収まったナイフは粛清部隊≪掃除屋≫たちが制式採用しているもの。先行して中を偵察していた隊員のものだと、他のメンバーにはすぐにわかった。

「いないんじゃなかったのか」
「二課の謀略だったのか、情報が洩れていること自体が予め知られていたか」

―― かいてきしたよ。トラップはけっこうきいてたみたい。もうあんまりいない。……30くらい?
―― 押し返せそう?
―― ぜんぶころしちゃえば、いける
―― 防衛ラインはそこじゃない、きつそうならここまで退いて

 突然陣のど真ん中に現れた子供、普通に考えればいい的である。射線重複がないことを確認できる数名だけだが、複数の兵隊がその女児に向けて発砲した。
 
「撃て!」
「わー」

 子供≪瑠美≫は、包囲された真ん中で、男≪カバレロ≫が言ったそれを、して見せた。両手でほっぺたを挟んで見せるポーズ≪ホーム・アローン≫、だが顔は、いつも通りのぼんやりとした薄ら笑いだ。降り注ぐ銃弾がその姿に突き刺さるが、子供≪瑠美≫は銃弾を受けてもなんとも反応しない。銃弾は突き抜けて向こう側に通り過ぎていた。子供≪瑠美≫の姿はすぐに色を失い明度を下げ真っ黒いシルエットになり、地面に溶け落ちるように姿を失う。

「な……」
「死んでないぞ、どこいった」
「ここー」

 どこいった、と言った男の影に沈んで隠れ≪ハイドビハインドし≫た瑠美が、暗く塗られた平面からぬるりと這い出して、男の脇腹に刃を沈める。力なく崩れる男と共に子供≪瑠美≫の体は再び影の中へ沈んでいく。
 再び別の兵隊の背後に現れた子供の姿≪瑠美≫。男は横に飛び退こうとしたが、それは叶わずにつんのめる。足全体が氷に包まれて床と接着されていた。そのまま横に倒れるが固定されたままの足は離れることなく、自重に耐えきれるはずもない腱が切れて絶叫する男。

「もう一人……!?」
「ただの人間が、オレ達≪エクストラ≫とやろうってのか?神妖≪かみさま≫倒せるようになってから出直して来い」

 奥から現れた青い女児の周囲は、その周囲だけ背景が歪んで見える。このエクストラの周囲だけ急激に温度が低いのだ。構わずに発砲する掃除屋≪タルターロス兵≫。

「往生際が悪いぜ。KENNING:盾の縁の氷≪アイスシールド≫。」

 発砲された全ての銃弾に対して細かく設置された氷の板。弾道に対して斜めに設置されたそれは、リメンバアンブレラ戦で見せた偏向防御の改善版の様だった。銃弾は受け止められるのではなく氷の板の縁に当たり、圧縮熱で局所的に一瞬融解することで出来る水の被膜により摩擦を低減されその弾道を逸らす。様々な角度に設置される氷の板はきらきらと光を反射して輝き、見た目の派手さからも彼女≪ジル≫はその防御方法を気に入ったようだった。
 ついでにさっきのように、何人かの足を氷で地面に固着する。倒れる者、倒れられずに絶叫する者、立ち尽す者。銃を乱射するもの。いずれも、無力化されているに等しい。

「姉貴、喰ってくれ」
「手前でやれよう。魔砲:粒子加速法≪ナロースパーク≫っ!」

 ティムが軽そうに指を指した方へ薄切り八角柱のオプションパーツ≪八卦炉≫が向き、一瞬の溜があった後で光線が放たれる。細い一本の青白い光は、一度に何人もの兵隊を貫いた。パンケーキに空いた子供の悪戯穴のように、ぽっかりと体を刳り貫かれた死体が、ごろりと転がる。

「な、なんだあの武器、光学重火器が設備もなしに!?」
「エクストラってやっぱり化け物かよ……」
「ひっでぇな、年頃の娘に向かってバケモノだってよ」

 はいはーい、はいひんかいしゅうでーす。と狼狽えている兵士をさくさくと刈り取っていく瑠美。腰にはしっかりその辺の兵士から銃を鹵獲した銃が収まっており、お得意の二挺拳銃になっている。背を向けて逃げる兵士を、パンパン、と軽い仕草で撃ち殺す。
 既に施設管理機能トラップで士気が落ちまくっていた掃除屋≪タルターロス兵≫は、突然の理解不能な猛攻に総崩れとなった。

「畜生、なにやってやがる!撃て!撃ちまくれ!相手はただのガキだ!≪退け!退け!エクストラなんかと戦えるか≫!えっ?」

 カバレロは確かに攻撃の命令を出した。口から発された言葉もその通りだ。だが、兵士たちの耳に届いているのは、別の言葉だった。
 前線に出ていないパウラは、マイクを両手で持って口パクをしている。それはただ口パクをしているのではない。発声者の声を全て呑み込み、発声者の声をコピーして喋るパウラの声を、発声者の付近から流し直す、ある種の情報操作だ。ちなみにマイクはただの玩具のマイクで、意味はないとのことだった。
 確かに聞こえたカバレロの退却命令により、防御火力など一つも展開しないまま背中を見せて散り散りになる兵士。

「ちっ、どうなってやがる……。エクストラがいるなんて情報はなかったのによ」

 男は、釘打ちロボット≪リベッタ≫がうろつく上に高酸素分圧によって発砲もできない危険植物の森を思い出し、退却さえ躊躇している。再び感電トラップを起動されても同じことだ。

『もうさっきの通路で放電はしない。しようにももう超過通電で壊れている。森にも通路を作っておいた。逃げるならさっさと逃げるがいい。作業ロボは今頃扉を直してしまっているかもしれないが、安心しろ、退くというならすぐに開けてやる。そしてキミらのボスに伝えろ、もうすぐヒーローが来るからさっさと秋来宮から撤収するように、とな』

 放送機器のスピーカーから響いたのは、梨来の声だった。ハッタリ混じりの退却勧告。一気呵成の攻撃で物理損害よりも士気を破壊してからの有利な停戦。ある種電撃作戦だ。

―― 手緩くね?逃してもまた後で鉢合わすかもしれないんだぜ?多正面強いられないここで刈れるだけ刈り取っといた方がいい気がすんだけど
―― で、でも……
―― たまにはかぎりがあるよ、たたかわないのも、テだね
―― ジルは少しは頭使おうぜ。優花がトラップで減らしてなかったら、結構面倒だったと思うぞ。
―― えーっ、なんだよそれ。さっきまではみんなやる気満々だったくせによー。あたい一人バカみたいじゃんか
―― この場は、さっさと全員いなくなってもらうのが、最優先ですから

 カバレロは銃を放り捨て、エクストラたちを見据えた視線を逸らさないまま、手を上げて後ろに後退るように下がっていく。ティムが顎で、くい、と奥を指すのを見て、舌打ちしてから憎々し気な視線を向けた後、背を向けて去っていった。

『ご退場願おう。このシーン≪筋書き≫に、キミたちの配役名はない。』

 女の声、それは、梨来優花の声に他ならなかった。梨来のセリフは、パウラのとった戦術を知ってのことだったようにも見えるし、逆にパウラのアテレコは梨来のそのセリフをすでに知ってのことだったようにも見える。
 設備の管理システムとわずかな工作、それにエクストラを使用して、トリニティの尖兵を撃退した女は、それを確かに「筋書き」と言った。







「ひとまずは」
「安心だな」

 一息吐くジルと瑠美。パウラはまだ何か不安そうな表情をしていた。完全に敵を沈黙させたわけじゃない、さっきジルが言った『また上で鉢合わせる可能性』も、正しいには正しいのだ。

「後を追うとは思われないように、でも態勢を整えさせる間は与えないように、上に登ろうぜ。」
「そうだね」

 後を追うような距離で登れば刺激してまた交戦になりかねない。間を開けすぎると上で態勢を整え直されるかも知れない。微妙な距離感で、階を登る必要があった。

「ヒーローが来るってのは?」
「出まかせだよ。でも、自分たちが悪だって自覚があったのかもしれないな、いい気味だ」

 一旦敵を撃退した僕ら(僕ら人間は結局何もしていないが)は、ティムの言う通り適切なタイミングで地上へ登るため、準備を整える。

「ジル、瑠美、お疲れ様。すごい手際だったね」
「ったりめーだ。あたいを誰だと思ってる」
「にんげんあいてじゃーねー」

 二人とも口は汚いが、僕が頭を撫でるとまんざらでもないというようににっこり笑った。こうしてみると本当にただの幼い女の子だ。

「あれ、パウラは?」
「あっち」
「おい、パウラ、お前出にナデナデしてもらいたいんじゃねーの?」

 パウラは少し離れたところにいる。人の塊を俯瞰するようにか、それより外を警戒するようにか、いつも集団から一歩離れて行動するティムの傍にいた。

「珍しい、パウラがティムと一緒なんてね」

 ティムとパウラは向かい合っている。外の様子を気にするように、カバレロ一課が去った道の方を向いたままのティムに、ジルが対峙しているような感じだ。

「なんか、へんじゃない?」
「姉貴?深追いするなってゆったの姉貴じゃんかよ、パウラに止められ……ん?」

 パウラの手は、なんだか、ティムの胸をもぞもぞといじくりまわしているように見える。ティムの方はと言うと、パウラがすることを全く気にしていないように、棒立ちだ。

「お、おい、姉貴はそーゆー趣味……パウラ?」

 突然、どさり、とティムが崩れ落ちた。

「!?」

 一方の立ったままのパウラの手には、何かが握られている。……花だ。
 まさか、パウラはティムのフロラシャニダールを毟り取ったというのか?

「なに……何をしてるんだ、パウラ!?」

 パウラはティムの方に向けて、からり、と何かを放り捨てた。あれは、無針注射器≪ジェットインジェクタ≫だ。

「パウラ、ティムに何を打ったんだ、毒か!?それに、その花は!」
「毒?ちがいますよ。打ったのは、自分にです、青血漿。そしたら、すごく、おなかすいちゃって。瑠美の気持ち、ちょっとわかったかも」

 ふふふふふ、と笑っているパウラ。普通の様子ではない。手に取った花を、もしゃもしゃと無造作に口に運んで食べていた。

「ぱう……!」

 パウラとティムの傍へ駆け寄ろうとする僕を、所長に止められる。

「よせ。今のあの子は……普通じゃない」

 見ると、パウラの胸のプロテクタの内側は、青色に光っている。中の花が発光するのは、花卉使用時だ。だが、今はその様子はないし、あんなに目映い青だなんて……。

「あはは、きゃははははははっ!すっごい、すっごい爽快です!こんなに気分がいいの、初めて!生まれて初めて!青血漿、すっごいですね、所長さん!今なら何でもできる気がします!!」

 がりがりと焦燥するようにプロテクタに爪を立て、思い直したみたいにバンドごとそれを取り去るパウラ。胸に生えた花は、いつも検査で見ているような大きさではなかった。元々握りこぶしにも満たないサイズの花だったのに、今は頭くらいの大きさにもなっている。しかも、花弁が、醒めるような青色≪スカイ・ブルー≫だ。

「青血漿、青血漿だと?そんなもの、どこで手に入れた!?」

 主任が血相を変えている。青血漿、とはなんだ?

「親指姫、って人が、くれました。凄く強くなれるって。今の何倍も強くなって、神妖≪かみさま≫みたいになれるって!本当ですね、これ!ちからすっごい湧いてきます!あははっ!何でこんな素敵なモノ、早くくれなかったんですか、所長さんんんん!?」

 パウラは、足元に倒れているティムの死体を蹴飛ばす。思い切り吹き飛んだティムの体が、僕らの前にずるずると転がってくる。普段の彼女なら絶対にしないようなことだ。

「パウラ、どうしたってんだよ!」
「はなが……あおけっしょうって、なに?どうなるの?」

 ジルと瑠美が僕と主任の前に立つ。その手には……油断なく銃が構えられていた。
 パウラによって花を毟り取られ、今は床に打ち捨てられたティムを、主任は抱き上げる。管理者≪admin≫ではなかったものの、ティムはいつも主任の傍にいた。主任も、彼女に信頼を寄せていたのだろう。ティムにはまだ辛うじて息はあるが、花を失ったエクストラは、臨床上例外なく48時間以内に死亡している。そのことを主任も承知しているはずだ。

「パウラの奴、私から……ふふ、やるじゃんか。いつの間にか腕上げてたんだなあ。全然反応できなかったぜ」

 胸部のケースを破壊され花を毟られた後からは黄色い液体がとくとくと溢れている。これは血液ではないが、エクストラにとってはそれを補う別の体液だ。
 ぐったりと力ない様子のティムだが、パウラにやられたことを嬉しそうに笑っている。

「何を呑気に……すぐに、処置する。掃除屋は設備は壊していないようだから、手当てをすれば」
「むりだろ、花がなくなったら、私達は死ぬ。他の花を受け入れる可能性はあるが……私のは特別製≪バイカラー≫だろ?替株がないじゃないか」

 白黒重複花≪バイカラード≫によってひと際強い力を持っていたはずのティムだが、不意打ちでその花はあっさりと散ってしまった。花がエクストラの致命的な弱点であることは当然だが、それを物理的に補うのがプロテクターであったし、それに充分な強度を持っている。簡単に破壊できるものではないはずだが……パウラは、いや、青血漿とやらを打ったパウラは、あっさりと破壊していた。

「ティム……」
「優花。私は、お前の描いたシナリオで配役名が欲しかったんだ。でも、ここで降板したら、貰えねえよな」

 はは、と小さく笑って、眠るように意識を失うティム。死んではいない、花を失ったエクストラはこのまましばらく仮死状態を継続し、そのまま体組織が崩れて消える。あの歪な白詰草≪n倍枚葉のクローバー≫がそうであるように。

「君からもらった究極の魔法、有り難く使わせてもらう」

 究極の魔法、とは何のことなのかわからないが、とかく、二人の間にエクストラと管理者≪admin≫という以外の不思議な絆があったのは間違いがない。

「ジル、瑠美、パウラは」

 明らかに様子のおかしいパウラと、僕との間に立ってそれを遮っているジルと瑠美。ここから出はよく見えない、その様子を見ているのは、矢面に立つ二人だ。

「パウラぁ……」

 いつも感情がよくわからない瑠美が、明らかに狼狽えて、怯えまで感じる声で言っている。ジルも何も言わずに、ただ銃を構えていた。
 僕は二人を押しのけて前に出る。パウラの裏切りに、何の意図があったというのだ。

「出さん、私、強くなります。梨来所長≪このひと≫、私が強くなるのを嫌がって、青血漿の存在を隠してたんです。これを使えば、うふふふふっ、すっごく強くなれるのに!この人、私に嫉妬してたんですよ!出さんとずっと一緒にいられる私に!」
「……」

 ドン!と衝撃音が聞こえ、その方を見ると、地下鉄のコンコースの壁などとは比較にならない強度の素材で塗り込められた重要免疫区画≪シバルバー≫の壁が、粉々に砕けていた。パウラの『LRAD≪エルラッド≫』は、コンクリート程度ならともかく、この壁を破壊するほどの威力は持っていなかったはずだ。しかも、今迄のように、音漏れがない。正確に距離を掴み、正確に指定の場所で重波爆発を発生させている。パウラの音響兵器でありながら、パウラが操作しているとは思えない威力と正確さだ。

「パウラ……そんなにも、追い詰められてたのかよ。一言くらい、相談してくれたってよかっただろ。」
「ぬけがけは、よくないんだぞ」

 二人の言葉に、パウラは答えない。パウラの視線の先には、主任だけが、映っていた。

「ねえ、所長さん、私強くなっちゃいました。あなたが隠していた青血漿とかいうの、親指姫って人からもらって!親指姫って人、産業スパイだったんですよね?古今に不利な情報をいっぱい集めてる人。その人がくれたんですよ、これで、あなたを『どうにかしろ』って!私、これでティムさんより強くなりました。所長さんの『剣≪おもちゃ≫』より、あなたより私が、強くなったんです!出さんは、これでもう、私のものですよ!あはは、あはははははっ!」

 パウラとは思えないアッパーな叫び、これくらいの吹っ切れたテンションを、普通の彼女のものとして聞いてみたい。彼女には、それくらいの力も魅力も、既にあるというのに。もしかするとそれを彼女に自覚させられていないのは、僕の責任なのかもしれない。
 僕はジルと瑠美を押しのけて前に出て、パウラに声を掛ける。届いて欲しい。

「パウラ、僕は、君に強くなってほしいと……願っていた。でもそれは、ジルと、瑠美とに思っていたことと同じで、君の力が火力として弱いからとか、そんなことじゃないんだ。ジルにも、瑠美にも、同じように思ってる。パウラを弱いなんて、思ってないんだ。エクストラとして十分に強いし、女の子としても十分に魅力的だ、どうしてそんな風に」

 パウラの視線が、ちらり、主任から僕の方に移った。だがその瞬間に、僕の体はふわりと浮いて後ろに放り投げられた。ジルだった。

「出、お前、わかってねーよ」
「どんかんさんはどこまでいってもどんかん」

 振り返って、二人が言う。

「本当に強さを求めてるのは、梨来だ。だからそれに対抗するべくパウラも強さを求めた。あたいも、瑠美もそうだった。でも、その根っこが誰なのか。誰が本当に強くなりたいと願ったのか≪・・・・・・・・・・・・・・・・・≫……出はわかってんだろ?」

 ジルの言葉は、信じられない重さを持っていた。瑠美も。どこからそんな言葉が出てくるんだ?なにを、知っているんだ?僕のことを、どこまで知ってるんだ。

「そんなことわかってるんだ。あたいも、瑠美も、パウラだってわかってる。こんなやり方違うんだって。でも、それじゃダメなんだよ。どうしようもなく、足りないって、足りなくて足りなくて、でも自分じゃどうしても足りなくてって、思うこともあるんだ」
「あいってのは、もとめるものでも、もとめにおうじるものでもばっかりじゃないんだよ。ありったけのいっぱい、ぜんぶぜんぶを、あげたいって、おもうことも」
「あたいらはパウラの気持ちを責めれらない」
「でも、パウラはまちがっちゃった。」

 僕なんかにはもう呆れたよ、そう言いたげな風でもあるし、大人しくそこにいろと言われた風でもある、再び二人はパウラの方を向いて、責めるような口調で言った。

「古今≪ここ≫も、梨来≪こいつ≫も、あたいらを含めたその他大勢≪エキストラ≫も、出にとっては空気みたいなもんだ。あっても無くても変わらないように見えて、でもほんとは無いといけないもの」
「そのブタイをこわして出氏にきがいをくわえるなら」

 二人は、銃を向ける。

「「パウラは敵だ。そして、あたいらが出をまもる」」

「ジルも瑠美も、出さんの事大好きだもんね。私、不安だった。」所長さんもそうだけど、ジルも、瑠美も、出さんのこと取ってしまいそうだから、」」不安だったの。二人とも、お仕事凄く上手にこなすし、私はへたくそだったから……」」」でも、もう違うもん!あはは、あはははははっ!もう誰も怖くない、何にも怖くない!あははははっ!すてき、せかいってすてき!」」」」出さん、もう、もう何も心配いりません、私が全部、ぜえええんぶ、私が、うまくやりますから。何も失敗しません、どんなことでも!……あかちゃんだって、きっと産めます」」」」」

 パウラの声のトーンが、だんだんと変調してく。何重にも重なりを増やしながら、その重なり一音一音がデチューンされて厚く重く……けたたましく、なっていく。 
 彼女の胸に咲いているフロラシャニダールの花が、ぐねぐねと、のたうつように蠢いている。青色の光をだらだらとこぼしながら、根元から棘の付いた蔦を新たに生やし、それ伸ばしてパウラの体に巻き付けていく。棘はパウラの体に刺さり込んでそこから新たに根を生やすように皮下に伸び、再癒着してく。
 その間も、アッパー系をキメてどうしようもなくハッピーになっている麻薬中毒患者の様なトチ狂った笑い声を、上げ続けている。数えきれないほどのオシレータにデチューンをかけたような喧しい声が、破壊音波になってあちこちを破壊していく。さっき見せた正確無比な『LRAD』は既になりを潜めている、今は、ただ暴れるだけのノイズ・ドローンに過ぎない。

「パウラ!僕はそんなことは望んでない!君が、強くなって欲しいなんて、もうこれ以上は……十分だ!!」

 僕が叫ぶと、不意に。

「ぇ……?」

 パウラの笑い声が、ぴたりと止んだ。さっきまで耳を塞がなければ耐えられなさそうな、ずれながら重なり合って聞いているこちらの気が狂いそうな、あまつさえ偶に漏れた重複波長爆発が壁を壊すほどだった笑い声が、ぱったりと。無音。ガン鳴りのライブハウスから、突然100年前の戦時防空壕の中に移動したような、一切残響を持たない突然の無音。身動きを取るのさえ気が引ける静寂が、しばらく場を支配した。
 他の誰もが同じらしい、ジルも、瑠美も、主任も、真矢も、身じろぎ一つしない。一方パウラも身動きを一切止めていた。不自然なのは、笑い上げている動きがそのままストップモーションになっていることだ。パウラの体は笑い転げる動きで僕らから見て横を向いた確度、おなかを抱えて笑う前屈みの姿勢のまま止まっている。不自然な停止、不気味な静寂。それは十秒、もしかすると1分近く続いていたかもしれない。誰もが自分が最初に物音を立てることを、恐れていた。

 ぶつっ!

 そしてその静寂を破って響いた音は、アンプのボリュームを下げず電源も切らないまま、発音装置のケーブルを無造作に抜き差しした時の強烈なノイズ音だった。
 彼女らしからぬ高笑いを上げた半ば引き攣ったような笑い顔を貼り付かせたままのパウラの顔が、後ろに反り返った。首を曲げたのではなく、鎖骨の辺りから引き裂くように後方へ「開いた」のだ。皮が伸びて千切れ肉と腱が裂け骨が砕ける、その暴力的な変化が同時に起こったときの、気味の悪い音が聞こえ、ジルが僅かに眉を潜ませる。パウラの顔はまだ笑ったまま、しかし凍り付いたように固まっている。

「なっ……」

 ぱっくりと、まるで被っていたフードを脱いだときの様に軽い動きで、首が捥げた。頸椎と共に頸脈も切れているはずなのに血液は出ていない。後ろにひっくり返ったパウラの顔は、それでも笑顔だ。大きく口を開けて歯を見せて、彼女がしないような大笑いの顔が、首の僅かな肉だけで後ろにぶら下がっていて、瑠美は、珍しく表情を崩して目を逸らしたそうにしていた。

「パウ、ラ?」

 頭フードを脱いだ体は、マリオネットの糸がぷつぷつと順番裁ち落されていくように、右手、右肩、左手、左肩、と脱力して落とし、両手が、首と同様ぶらぶらと揺れる。そのまま引きずるような緩慢な動きで一歩、二歩、と歩みを進めたのは、出のいる方向。だが歩みは途中で止まり三歩目を踏み出した足が「だめ」だった。足の外縁に体重がかかってしまいバランスが崩れる。足の裏が内側へ向き、足首が無理矢理曲がって体重を受け止めたが叶わない。普通の感覚があれば足を挫いたとすぐさま体重を左へ逃して痛がる素振りもあろうが、そうする首は捲れて背中でひっくり返って揺れている。笑ったまま。右方向へバランスを崩して倒れるかというところで足首で立ち、左足を踏み出した。最早バランスが悪く左足はほとんど前に出されることなく突かれたが、そこで左膝が脱力したように曲がる。後方へ倒れ尻もちを搗く形で座り込んだ、首捲れのパウラ。

「出クン、撃て」

 主任が、迷いのない声で言う。

「え」
「あれは、パウラちゃんじゃなくなりかけている」
「でも」

 僕が躊躇している間に、ジルと瑠美は既に発砲していた。非情、いや、それが彼女たちの流儀だ。二人は僕≪admin≫に危害が及ぶリスクを大と判断したのだろう。僕の前に躍り出た二人、ジルのカスタムスナイパー≪さっき拾ったやつ≫とパウラの二挺拳銃≪さっき拾ったやつ×2≫はほぼ同時にパウラの体を撃ち抜いた。一発や二発ではない、一度神妖≪かみさま≫との戦いを経験している二人は容赦がなく、マガジン内の全弾を躊躇なくパウラ≪姉妹同様に育った相棒≫に向けて撃ち込んでいる。

「花卉使用宣言、Forced Operation in Emargency≪F.O.E≫。」
「花卉使用宣言、Forced Operation in Emargency≪F.O.E≫。」

 そのまま緊急対応の無制限花卉使用を事後宣言する二人。胸の花はプロテクタの内側で淡い光を放っている。
 無防備のままに銃弾の雨を喰らって、パウラの体組織はずたずたに破砕されていた。人の体だということは辛うじてわかるが、もう人だったということはわからない。エクストラであるパウラの体は人間のそれよりもかなり強度のある素材でできているが、それでもこれだけの数発砲を受けて無傷という事はない。
 ジルとパウラから見て前方、パウラから見て背中側に放射状に広がる、赤い飛沫痕。遅れて、床のタイルの継ぎ目が先行するようにじわじわと広がっていく赤い水溜り。血なのか肉なのか、骨なのか筋組織なのか、脂肪なのか臓腑なのかわからない破片が置き去りにされた中洲のように顔を出し、その中央に座して停止するパウラ。

「青血漿って、なんなんですか」
「生体に青化処置≪シアナイズ≫を強制する珪藻類なんだ。生体で劇症的に繁茂する珪藻類に青化≪シアナイズ≫の機能を与えたものだ。数時間の内に全身に回って効果を発現させる想定だったが、見ての通り失敗作だ。青化個体≪アズレド≫にまつわる実験を行う前の被験サンプル群を安定的に量産する目的の、どちらかと言うと試薬の類なんだが……何故彼女があれ持っている」

 脱がれたフードのように後ろへひっくり返っているパウラの顔は、胴を貫通した弾丸に砕かれながらもまだ、笑ったまま、目を見開き大きく口を開けたまま、停止してる。だが二人はまだ油断なく銃を携えていた。次のマガジンを装填している。

「まだ、いきてる」
「パウラにしては、強すぎだな」
「クローバーズ、とどめをさせ。そいつは」

 銃口を向けたままの二人に向けて、主任が指示を出す。

「わかってるが、最後あたいらに命令するのはあんたじゃない」
「出氏」

 二人が僕に指示を求める。だが僕≪あまちゃん≫には、即座にとどめの指示を出すことが出来なかった。

「パウラ」

 僕の決定優先度は……エクストラ二人とも、主任とも、異なっていたのだろう。その甘さが僕の人となり≪弱さ≫であり、古今で今こうしてまともな人生を歩めている所以だという自負≪言い訳≫もあったが、それは今この場では長所になるとは限らなかった。躊躇するその僅かな時間に、変化が起こる。
 背中側でひっくり返り笑ったまま停止しているパウラだった顔の、目だけがぐるぐると動き回り、痙攣して震え、瞳の方向が左右別々に走り回る。元パウラの背後を見ている者はだれもおらず、その変化は人知れず起こっていた。顔全体は幾らか損傷しているものの笑顔のまま、だが逆様で本体とは首から背中に向けて千切れた肉だけで繋がっていて、その肉は頭部の重みでべろりとむけて下へ降りている。そのひっくり返った笑顔の目だけが、異様に暴れていた。確かに、まだ、生きている。だがその生は、パウラのものなのかどうかもはや疑わしい。

「出クン!気持ちはわかるが、青血漿を投与した那須花鼠≪モルモット≫は、全て焼却処理する羽目になった。その理由を、ここで言わなければいけないか!?」
「出、そこで小さく頷いてくれるだけでいい、あたい等にはそれが分かる。それだけで、お前を危機から救ってやれるんだ」
「あしたから、わたしたちが、パウラのかわりにがんばるから」

 僕も、タルターロスの兵から身を守るために、今は銃携帯している。安全装置も外してあり、いつでも発砲できるように真矢から調整されている。それでも、自分で引き金を引くことはおろか、二人のエクストラに攻撃指示を出すこともできないでいた。

「出クン、選べ!どちらなのかを≪・・・・・・・≫!!」

 そんな残酷な選択を、どうして、強いるのだろう。







 一年以上経って、店は当然閉まったままだった。店先の戸は開きっぱなし、看板は出っぱなしでボロボロ。周辺は、誰も手入れしないためか乱雑に草花が生い茂り、見事な荒ら屋となっていた。
 でも。
 その、手入れされていない様子の店を鬱蒼と取り囲むのはあからさまな不自然。自然にこうなるとも、だが人の手が入ったとしても、思えない異様な風景。

「これ、レッドクローバー……」

 結局疑問が拭えず、商品として扱い続けることを理解できなかった花。それが、この荒ら屋全体を覆い尽くすかのように繁茂し、緑と赤紫の城と化している。
 外殻は陽光を浴びて瑞々しい彩り。だがその内側は光を受けられず弱々しく萎えた草葉。歪なアカツメグサの群が、腐った卵のようにその空間を満たしていた。巨大な緑の牙城。だが、生命力と脆弱さが共存し、堅牢なようでいながら風が吹けば飛ぶような心許なさを併せ持っている。
 レッドクローバーだけがこれほどに、不自然なほどに大量に咲き誇り、偉容を放つ理由は、明らか。

「幽香さん、いるんですよね」

 元々入り口だった辺りのクローバーの葉を掻き分け、更に以前は陳列棚だった辺りを通り抜ける。明かりのない店内へ踏み入り、その奥を蛍光で照らし出すと。

「お生憎様。当店は閉店したわ。」
「一年も前に閉店して、まだいらっしゃるんですか」
「関係ないでしょ。何しに来たの」
「幽香さんこそ、何してらっしゃるんですか」

 店の奥の空間を埋め尽くす、レッドクローバーの密集体。それは廃屋の隅を埋める蜘蛛の巣のようでもあり、体を守る繭のようでもあり、つまりとても植物として自然な姿を留めてはいなかった。濃密に組み詰め編み込まれたそれは幽香さんのいる部屋を全て埋め尽くし、幽香さんはその中央、それだけが不自然に緑と赤に染まらずに残されたデスクの前に座ったまま、頬杖を付いている。
 時折、伸び上るレッドクローバーの草丈が、蛇がその首をもたげるようにひょろひょろと顔を出し、蜘蛛の巣の、繭の一部となって折り重なってゆく。そうして新しく加わった一本の代わりに端の一本が萎れ枯れ、塊から零れ堕ちて土に還って行くその連綿とした高速輪廻がこの小さな部屋の中で繰り返される。他の何の生き物もないその歪な輪廻がこの小さな部屋の中で繰り返されていた。
 これは、幽香さんが作り上げた揺籃地。濃すぎて鼻につくほどの草と蜜の匂い。

「ちょっと寝ていただけよ」

 それを裏付けるかのように、蛍光に照らされる幽香さんの表情は少しだけ眠そうであり、いつも肌身離さない傘が緑の繭に埋もれてしまっている。前髪は腕に押さえつけられて跳ね返り、そしてその瞼が、少し赤い。
 寝起きだからなのだろうか。それとも。

「何しに来たの?もう一度、眠れる恐怖を掘り起こされたい?」

 答えを聞かぬまま、幽香さんはボクの方を睨みつける。
 赤黒い奔流がボクに向かってきて瞬く間に飲み込まれてしまった。再び、あの恐怖心がぐつぐつ煮え上がってくる。ボクはまたその場から逃げ出したくなってしまって。
 でも。

「アカツメグサ」

 恐怖を掻き立てるオーラに巻かれて、でもボクは、今度は逃げ出さなかった。

「……今更」

 幽香さんは傘を拾って、ゆらり、立ち上がる。絡んでいた茎や根は千切れてぶちぶちと痛々しい音をあげた。

「今更なんだっていうの。短い間だったけれど、何十回かは季節が繰り返すほど一緒にいて、一度だって、『そんな素振り』は見せなかったじゃない」
「でも、一日だって、幽香さんを好きだと思わなかった日はありません」
「今になってその言葉に、どれだけの説得力があるというの?」

 今更何をいわれても、聞く耳持たない。そう言葉ではなく行動で示すように、恐怖の障気を強める幽香さん。魔衝光≪アストラルミネッセンス≫が一層強くなり、部屋を真っ赤な光の洪水で押し流そうとするほど。禍々しく赤い魔力の奔流の影響で周りの草が次々と枯れてゆく。
 沸き立つ恐怖心は記号を失った。イメージと連結できる対象がない。恐怖心かどうかも判断できず、ただそこにいてはいけない、回避しろ、逃げろ、防御しろ、という反応だけが全身から沸き上がる。総毛立ち、震え、視野は狭くなり、平衡感覚は失われ、声は出ず、代わりに涙と冷や汗が止めどなく流れた。心拍数はあがるのに呼吸は出来ず、意識が乾いた泥みたいにぼろぼろ崩れようとしていた。
 幽香さんは、今度は、僕を追い出そうとしてるんじゃない。これは、ボクの精神を、壊そうとしてる。
 目の前の幽香さんの姿が人のカタチを失い、長く伸びた腕がボクの頭を両側から挟みんで節くれ立ったごつごつの指をまるで野球のボールを両手で握るみたいに絡ませてくる。伸びた髪の毛が煙のように舞い、ボクの体中に絡みついてその先端を突き刺してきた。
 ネジが。ボクの中のネジが、緩み始めてる。認識が正しく行えていなかった。恐怖故に幻を見てそのおぞましい映像が更に恐怖を煽る。ネジを回してくる。これが抜けたらボクは、壊れてしまう。なんとかそれがネジ穴から抜けないように押さえつけていた。
 脚が感覚を失ってあらぬ方向に伸びたままその先端は輪郭を失い、地面を覆い尽くす半ば枯れた草の中に溶け込んでゆく。周囲を取り囲む茎が意思を持ったようにうねり蠢いて、ボクに絡みついてきた。ものすごい力で締め上げてくる。ばきり、と音がしたかと思うと胸が開いて肋骨の観音開き。内臓が覗くと思ったがその中からは一匹の長大な蛇がくねりのたうち、ボクの脚を丸呑みにしてゆく。
 幾ら押さえつけても緩んで抜けようとするネジ。何とかそれが抜け落ちるのを防ごうとするが、緩むネジの数はもう一人で抑えきれるものではない。
 後一巻きでことりと抜けてしまうネジを必死で止め、すんでの所で締め直す。それでもそれはあっという間に緩んで、勝手に緩むのに締められないようにネジ穴がバカになっていくのがわかった。
 それでも、ボクは耐えなければならなかった。

「にげない」
「小虫妖怪のくせに、案外、粘るのね。あんたくらいの妖怪ならとっくに自我崩壊して自己認識を失って、消滅しているところなのに」
「逃げない!ボクは、ボクは、弱くなんかない!もっと強くなるんだから!」
「……へえ?」

 幽香さんは、恐怖で身動きが取れずにへたり込んでいるボクに向かって、まるであとはとどめの一撃を入れるだけだと、死神の鎌を振りかざすように一歩、一歩と近付いて来た。
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漫画「ARMS」


⑥でおわり、っていってたんですが書き進めていく内に分量的にバランスがとれなさそうだったので追加しました。

次回の⑦でほんとに終了です。
⑦は2017年6月4日(日)、リグル・ナイトバグオンリー即売会「東方蛍光祭」の日の朝頃に投稿します。

なお、同イベントでは、「間に合えば」
A:①~⑦を修正/再構成したもの
B:表紙絵・挿絵(挿絵は厳しそう
C:本筋とは関係ない追加エピソード1本(出来なさそう
D:設定資料集のようなもの(間に合わなさそう
を含めた本を
「東方+サガ・フロンティア クロスオーバーSS本【筋書き通りのスカイブルー】」として
少数のみ頒布(自分用程度の数)します。
買わなくても①~⑦は夜伽で読めるようにします。

頒布間に合わないかもしれません。

【20170423】
デグレード部分を修正
・人間同士の争いには→妖魔は人間同士の争いには
今後の展開直接かかわるデグレ修正…見ないふりをしてください
みこう悠長
http://monostation.blog112.fc2.com/
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
⑥来てるじゃないでしかやだー!
不自然に盛り上がってる腋(あっ…)からの蟲姦!虫風呂状態なのに感じてるチーがエロかったです、指先でつうっとなでられるようなくすぐったさ感みたいなのかなとか雌思考にさせてくる没入感でした。リグルくん、行為中の語りが官能小説だw
移り変わる舞台で怪しくなる雲行きのなか、まさかの正針!「そのそのはそとのその」を読んでいたのでこれは痺れました。(ふたり以外にも還れずにいる人妖って結構居そう……)
粛清に駆り出されたカバレロ一課が意外に面白いのもツボでした。軍事関係者がパニクったときに見せるああいうノリ大好きです。
そして真矢、「実銃もあるの!><」じゃねーよ!くっそwww有線引けない箇所はジャンパとかもう!思い切り膝叩きながら笑いましたw
シリアスな空気が増していくなかで始まったパウラの暴走ですが、なんか所長が裏引いてそうでこわひ(ガクブル)。幻想郷での異変と合わせて気になる舞台でした、はたしてどうなることやらとどきどきです、とても楽しめました、⑦が待ち遠しい!
誤字報告にて終わります↓

まだ輸精管≪おちんちん≫も先を子宮口に押し付けると、まだ二回目の経験だというのに(略)→輸精管≪おちんちん≫の先を子宮口に押し付けると?(読点後にまだが続いてたので)
「真矢のやつ、水漏れ穴を塞いだっかもなんて言ってた割には、→脱字?
☆「トリニティからそれなりにいい金をもらっているの。もうこんな仕事はこれっきりに出来る額」
「ビジネスさ。自分にとっては廉価だが相手にとって価値の高い情報の需給をマッチングする。双方に利益があるんだ。だから、トリニティも、古今も、IRPOも、俺を生かして泳がせている。WIN-WINだ。お前もそうだろう?」☆→次の行で同じせりふ(若干量が違う)があるので書き直しか貼り付けたあとの消し忘れ?
きっと次は鉱物の内臓に行っちゃうんだ。→好物
蛞蝓≪ボク≫の体に刃を立ててしまう。→歯
それを追いかけて執拗に身体中に触ってあげると逃げ付かれたチーの体は→疲れた
葉のまで一枚一枚が、→脱字?
周囲を見回して気の繁茂具合に舌打ちする。→木?
「……なるだけ密度の低い隙間を通り抜けながら進しかないですね」→進む?
彼らは築いていないが彼らが到達する数分前までは→気(付)づいていない

すみません続きます汗(またかよ)
2.性欲を持て余す程度の能力削除
まさか青酸ガスは比較的安価に容易に作成できるものではあるが、まさかただの研究施設で使用される打などとは想定されていなかった。そう急にガスの種類を特定して→早急、この行始めの「まさか」は校正漏れでしょうか(ちょっと自信ないです汗)
あるいは意図的にそう刺されたものなのかはわからないが、→された?
扉を補修しにに向かっただけかもしれない→しに向かった(「に」の衍字)
カバレロいた場所には、→カバレロのいた場所には?
パウラの体は笑い転げる動きで僕らから見て横を向いた確度、→角度?
禊祓場は神社の傍を流れる細い川のほとりある。→ほとりに?
三階執務室1、12人。執務室2、8人。執務室3、21人。会議室3-A、6人。会議室3-B、7人。男子トイレ、3人。女子トイレ、4人。合計41人。→数を足すと61人ですが執務室3が1人なら41人でした(執務室だけの合計だったらごめんなさい汗)
「こっちには兵糧がある訳じゃないから攻転のタイミング重要だが、→タイミングが?
多肉植物の折れ曲がった葉かと思えばそれはよく見ればそれは人間の脚が無数に集合した何かだった。→それはの書き直し跡?

ここからは自信がないところで↓
「こないだ虫妖がきてったでしょ。その時の。」→来てた?(口調だったらすみません汗)
なるだけ早くローカルに切り替えたり通信を抑制したりの対応しなければならなかった。→対応をしなければ、または「抑制したりと対応~」?(助詞ないと落ち着かないマンなので意図してだったらごめんなさい汗)

あとこれは私が読めなかった(orz)だけかもしれないっぽいですが、「小腹感に早々に負けた人間でなければ夕食を希い始め、」→調べたら「ねがい」とでてきましたがあって、ます?汗(これに関しては私自身の不安みたいなものなので、違ったら気にしないでください)
毎度長々とかさばらせてすみません、以上でした