真・東方夜伽話

筋書き通りのスカイブルー③

2017/02/12 17:45:34
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筋書き通りのスカイブルー③

みこう悠長

読まないでください

 私は、布団の中でするそれを覚えてしまった。

 りっくんが「男」だと知ったのは、ついこの間のことだ。雄性個体であることは、私達四人は物心付いた頃から一緒にいる仲なのだ、雄性生殖器が備わっていることも私やチーやルーミィにはそれがなく代わりに雌性生殖器が付いていることも、当然皆が知って共有している。でも「それの意味するところ」はずっとわからないままだった、わかっていないことさえ知らなかった、これだけ明らかな外見的な特徴を備えているのに男と女というものの区別を、本当にその程度の意味でしか捉えていなかったと、つい先日、初めて思い知ったのだ。
 それに気付いてしまった日以降は、昨日までいた世界と全く別の、世界に生まれ変わってしまったかのようだった。新生は、素晴らしく、美しく、魅力的で機知に満ちている……ということはなかった。出来れば、こんな事実は知らないまま生きていたかった、と思ってさえいるかも知れない。もう、りっくんをこれまでと同じような目で見ることはで出来ないし、その視点で見てしまうと、りっくんと逆の存在であるチーやルーミィ、それに自身だって、何か別の、もっと汚らわしい存在に見えてきてしまう。世界は一夜の間に、突然に汚れて爛れ、鼻を突く腐臭に満ちてしまった。
 りっくんの背後にもやもやとした暗い霧のような化け物がいて、私はその化け物に品定めされているような、同時に誘惑されているような視線を感じてしまうようになった。そしてそんな錯覚視線に向かうと、決まって私の中にも黒い松脂みたいな気味の悪いものが滴り落ちてくる。その粘液は驚くべき粘性と中和難性と浸透能で私の体をあっという間に支配した。粘液は耳元に宿り、胸元に入り込み、血管を駆け巡って脊髄を冒し、りっくんの肩越しに私を見るその目に向かって、急に、彼に対してしなをつけて媚びを売り、甘えてしまえと誘う、強烈な甘さで。その誘惑をいつも私は何とか振り払って平常を装うが、そういう日は、夜、いつも決まってそれをしてしまうのだ。でもきっと、あの視線は私以外のあらゆる女にも向けられていて、その誘いに答えようとする浅ましい粘液も他のあらゆる女(つまりチーやルーミィもそうだ!)に備わっているのだと思う、それを考えると吐き気がした。私は、なんという世界に、それとは気付かずに、生きていたのだろう。

「りっくん」

 黒い靄の視線を我慢して、私の中に生まれた松脂の気持ち悪さを押し殺しながら布団に潜り込んでも、何も解決しない。むしろそれは悪化する。
 心臓の辺りにまとわり付く得体の知れない粘り気と異物感はとにかく溜息を強いてきて、そうして深く息をつけば胸の奥につっかかる違和感を吐き出せるような、精神的ではない、明らかに生理的な、それは身体の反応だ。加えて、体の変調は、心臓だけでは、ない。
 「りっくん」の名前は、溜息と一緒に吐き出してしまいたい異物感の一つだった。でもそれは溜息で吐き出せるような緩い粘り気ではなく、むしろ溜息をついたり意識したりするたびに、心臓からもっと深いところへ、浸入してくる感染力を持っていた。もっとふかいところ、そう。
 その行為の名前を、私は知らなかった。それを知ったのはもっと後になってからのことだったきっと悪いことなんだという無根拠だが強い確信があった。でも、誘惑から逃れることも出来ず、悪いことなのだとわかっていても、りっくんの視線の背後の化け物を意識した後は、その恐怖から逃れ忘れるためのように、強迫観念にも近い意識で、それをしてしまう。そうしないと、私は、きっと下半身から腐って死んでしまうんだ!

「りっくん、りっくん」

 お気に入りの抱き枕は、その行為に誂え向きだった。こんな枕にするんじゃなかったと、今では後悔している。でも、すごく、きにいっている。
 横になって布団の中、抱き枕に腕を回して抱き付く。腕だけでなくて、脚も絡めて。ふかふかの布地を、中心≪・・≫に当て、ぎゅっと押し付ける。強く抱きしめる。足と腕に力を入れて、でも上半身と足先はリラックス。布団が自分の体温であったかくなってくると、ちょうどいい。
 彼の名を口に出し、目を瞑ってその姿を想像しながら、枕に抱き付いたままで腰を前に押し出す。股に挟んだ枕がその中央を圧迫すると、すっかりそれを覚えてしまった体はこれから貰える刺激に対して期待を示し、きゅぅ、と血流が増えてほんのり温まるのを感じた。私も勿論それをやめるつもりはない、体の準備は行為を助長するスイッチでしかない。股の中央にあたる布地はぱんつのもので、パジャマを挟んで枕。何枚もの布が股間を包んで複雑だが鈍らにされた摩擦刺激が、最近急に形が気になるようになってきた股(というかそこにある裂け目となんだか高くなってきた膨らみ)の間にじわじわ沁み込んで来る。腰を揺らして、枕で股の間を擦る刺激を継続していく。これが何なのか、私にはよくわかっていない。まるで好きな食べ物を好きな理由がよくわからないけれど食べたときに幸福感に包まれるように、途中まで来たくしゃみを止める気にはならずくしゃみを放った後に襲ってくる満たされたような快感を覚えるみたいに、これは何なのだろう。痒みや食欲に似ている気もしたけれど、もっともっとどこかねばねばしていて汚らしい、人にそれを伝えることはとても憚れることのようにも思えた。特に、りっくんには。
 彼の姿を思い、彼の名前を呼ぶと、この行為の不明な快感が一層強くなり、そして次にするときには、もっと、もっと強い満足感を、と行為を深めてしまう。その度にやはり、りっくんの名前と姿を思い浮かべて、剰え彼が私の傍にいて私の体を触っているだとか、股の間にある枕は彼の体や腕であるだとかというまるで荒唐無稽な想像をしながら、行為を進めてしまうようになっていた。

「っ、~~っ」

 股の間の枕に、おしっこするときの穴あたりをすりすりと擦り付ける様に腰を前後させる。体中にふわふわの浮遊感と、タンクに水を注いでその嵩が増していくような感じ。きもちのいいこと、みたされていくこと、の目盛りがゆるゆる上がっていく。腰の動きが、段々早くなって行く。股を圧迫して、布地が擦れる感覚が欲しくて、それを止められらない。のどが渇いたときに水が欲しいとか、おなかが空いたときにご飯が食べたいとか、疲れた時に眠いとか、そういうのとすごく似ていて、理由もわからず、でも逆らえないほど強烈で焦りさえ感じるもの。

「ぬるぬる……してきた」

 すぐに、股の間の割れ目からおしっこじゃない別の液体が出てくる。最初はいちいち拭き取っていたけれど、その内この液体のぬるぬるがあったほうが気持ちよくなるのだって気付いてしまってからは、そのまんまにしている。ぱんつが汚れてしまうけど、それももう気に出来なくなっていた。最近は、ぱんつだけじゃなくってパジャマや枕にまでついちゃうくらい濡れてしまうようになったので、何か対処法を考えなきゃいけないのだけど。いや、そもそも本当はこんなことは続けちゃダメなんだ、この行為はきっといけないこと。でも、今はもうりっくんの背後にある視線に見つめられると、すぐにこんな風になっちゃうようになっていた。私の胸の中にあるどろどろの松脂みたいな何かの滴が股の間から漏れてしまうのに違いない。

「んっ、んん、いっつもより……」

 こんないけないことをしているというのに、私はそのことを自分にあてつけるみたいに、口にしてしまう。歌う時、少し特殊な場面で使うような、声の中に声に変えずに掠れさせて呼気のまま息を混ぜるときの、あんな声。自然にそうなっちゃう。禁じられた遊びを秘めるためのひそひそ声、に、背徳感がさせるのかも知れないけれど、そうやって押し出すような声で自分の汚いところや悪いところを誰にとなく口に出すのは、えも言われぬ快感があった。
 声を出しながら、股の間に挟んだ枕で股を擦る行為を、強めていく。強まってしまってしまう。転がり落ちる石を止めることが出来ないのと同じく、その行為はもう上り詰めていくのを止めることが出来ない。

「しゅりしゅり、きもち、い、っ♥」

 彼の姿を想像しながら股間をこすると、心臓のバクバクがどんどん早くなって、走った時みたいに呼吸が荒くなって、体があっつい。抱き枕を抱く腕の力がぎゅうっと強くなってしまうのは、もう私の頭の中では、抱き枕はりっくんの姿が重なったようになっているから、私の体温が移った枕は、ちょうど誰かの体温がそこにあるようにさえ思える。腕で抱き付いて、足を絡めて、頬をくっつけて、「りっくん、りっくん」声を出しながら腰をゆする。股間がこすれる。ぬるぬるが増えて割れ目が擦れる感覚に粘り気、そのぬらついた感触が割れ目の入り口あたりをすっかり満たすと、私の中から理性らしいものがどんどん薄れていく。股を擦って得られる快感にばかり正直になって、どんどん擦り付けを強く、動きを早く、してしまう。私の股は、一体、どうなってしまったのだろう。

「あっ、あ、ぅん♥」

 変な声が出る様になってきたのは、気持ちがいいのを止められなくなってきたから。止められないところまで加速して、どんどん上っていく。横に抱くように持っていた枕だったけど、体を起こして、四つん這いで枕を体の下に置くような姿勢に変える。こうすると、自分の体重で股を枕に強く押し付けることが出来るから。体の下に枕を置いた四つん這いの状態で、足を大きく広げる。股の中心の一番気持ちがいいところに枕の膨らみが強く当たって、快感がぶわあって強くなる。

「りっくん♥ りっくん♥ おまたしゅりしゅりきもちいいのぉっ♥ ぬるぬるしてるおまた、枕で……りっくんの体でしゅりしゅりっ♥ んっ♥ んんっ♥ きもちっ♥ りっくんきもちぃっ♥」


 私の下に横たわる抱き枕は、もう、りっくんの姿に変わっている。体を強く押し付けて、腕で強く抱き付いて、頬を寄せてからだをぴったりくっつける。りっくんを「男」だと知ってから、いつの間にか彼にこうして抱き付きたいと思っている事が多くなっていた。でも抱き付いてくっついて、したいことがただぎゅうって抱き付くだけじゃなくってこんな変なことだって知られるわけにはいかないし、知られてしまったらきっと変な目で見られて嫌われてしまうに違いない。だからこんな行為はずっとこれからもずっと私一人が布団の中で秘めていく事から変わることはないだろう。そうして一人で妄想に耽って、想像の中のりっくんと思う存分抱き合ってキスして、体を擦り付け合うのなら、空想だからこそどんな大胆なことだって、出来るのだ。こんな恥ずかしいこと、こんないけないこと、でも、出来てしまう。だからこそこの行為は、激化を止めることが出来ないのかも知れない。

「おまたこしゅこしゅ、りっくんでこしゅこしゅきもちいいっ♥ りっくん、りっくん、もっとお、もっとだよぉっ♥ もっと強くしゅりしゅりっ♥ ぬるぬるのところもっとコスって、私も、腰とまんないのっ♥ きもちいいの止まんない♥」

 四つん這いで股を強く押し付けて擦ると快感がすごく強くって、上半身に力が入らない。抱き付く腕にかろうじて自由があるだけで、上半身は完全に枕の上に乗っかったまま弛緩している。変な声が止まらなくなった口は、気持ちのいいので唇がだらしなく緩んでしまって、呼吸と声を漏らすのと一緒に、よだれが漏れてくる、枕にべっとりとついていた。体中の感覚がモザイクみたいに焦点を失って、全身全体として「きもちいいもっとほしい」で集約されてしまうどろどろにとける快感、その中でも会館の発生源となっている股間だけはしっかりと間隔を保っていた。枕に局部を押し付ける動きだけは、鋭利ささえ伴う感覚のまま自慰を加速させる。

「んっ♥ んっ♥ はーっ、はーっ♥ きもちーのとまんない♥ おまたしゅりしゅりとまんない♥ 腰ふるのとまんないっ♥」

 足先を枕の下に入れて、股にあたる部分を少し盛り上げる。そのまま腰を思い切りくねらせると擦れる距離が長くなって、びりびりでとろとろのきもちいいのが、ぞわぞわふくらんで体中を巡ってからこめかみのあたりで破裂する。腰の前後移動を止めずに続けて、摩擦快感を流しっぱなしにすると、その目で見られたら、私は「女」になってしまう。「女」と「男」がその関係性をあらわにして向き合うということは、こんなにも汚いことなんだ。彼の視線を感じる度におへその下あたりがきゅんきゅんして、じゅわって濡れてくるの。これはきっとおしっこなんかよりもよっぽど汚い液体。りっくんを見るだけで私のあそこはそんな汚らしいものに変わってしまう。胸の中に渦巻くこの、不安で不快で説明の出来ない背徳感。この気持ちのいい行為は、すごく汚くて、りっくんに知られるわけにはいかないんだ。絶対に。
 でも、もし、もし本当のりっくんが、目の前にいたら。

「~~っ! ああっ、りっくん、りっくんっ!♥ りっくんもなの? りっくんも私と同じくお股擦るのきもちよくなっちゃったの?♥ いけないんだ、いけないんだぁ、こんなことしちゃいけないんだぁ♥ でも、でもきもちいいもんね?♥ おまたこすこすして、ふあああっってなるの、きもちよくって止められないもんね♥ はーっ♥ はーっ♥ りっくん、一緒に、一緒にしゅりしゅりしよう?♥ 一緒におまたしゅりしゅりこすこす♥ いっしょにきもちくなろ?」

 枕を組み敷いた状態で、すこすこと腰を上下に振って股間摩擦で自慰をエスカレートしていく。ぬるぬるになったぱんつの布地に、入口の縁やおしっこの穴の上あたりのぽっちりを積極的に押し付けて、名前を知らない快感に身を委ねる。ベッドがぎしぎしと鳴るくらい腰振りが激しくなってしまう。全然意識していないのに、きもちいいい、に意識を持っていかれているのに、腰だけは勝手に前後に揺れて股間圧迫と摩擦を全自動で続ける。どんどん生み出されていく、きもちいい、が頭の中をぐちゃぐちゃのヨーグルトに変えてしまう。おまた、きもちいい、ぬるぬる、しゅりしゅり、りっくん、しゅりしゅり、しゅりしゅり、りっくん、きもちいい、りっくん、きもちいい、りっくん、りっくん。

「くる、きちゃうぅっ♥ あれ、きちゃう、ふああって、きちゃう♥ いちばんきもちいの、くるっ♥ りっくん、いっしょに、いっしょにふああって、しよ?しゅりしゅりもっとつよく♥ ふあ、あ、あっ♥ もっと、もっとぉ♥ りっくん♥ きもちいっ♥ りっくん、りっくん♥」

 コップに水を注いでいくときに嵩増してく間は静かなのに、満杯になり、表面張力を破り、いよいよ溢れ零れるときの、それまでの静かさとは対極にある激しさ。そんな風に、このいけない股擦りもまた、何かが溢れて爆発するみたいな最後が待っているのを、私は知っていた。

「ふぁ、あぁ、あ♥ あ、あ、くる、くるぅうぅっ♥ んんんっ~~~~♥」

 爆ぜた。急激な上昇と、落下。また上昇。空を飛んでいるときに、羽搏くのをやめて自由に落下すると、こんな感じに似ている。本当にそれをやると死んでしまうので途中で羽搏きを再開するのだけど、これは、途中でやめる必要なんかなかった。上昇気流に乗って簡単に上空まで上がってしまったり、浮力を失って自由落下したり、するときの乱高下にそのまま身を任せて最後まで脱力したままでいられる。

「はーっ、はぁーっ、ん♥ りっく、ん……♥」

 ベッドの上なら、無理に現実世界へ、ハンドルを切る必要はない。完全に落ちるところまで意識の制御を手放して、水面を漂流してゆっくり現実の波打ち際に押し上げられるまで、放っておける。そんな気持ちよさ。

 そうして暫く波に揺られながら、りっくんのことを考える。私の下にある枕を彼に見立てて、もう一度ギュッと抱き付いた。唇が見えれば、チューだってしたかったけど、悲しい布地に戻ってしまっていた。
 後始末、とおもい体を起こそうとしたときに、何を思ったのかぬるぬるしたままの汚らしい股間を、直接手で触ってしまった。

「こ……れ……」

 私はその夜、枕ではなく、自分の手でも股間を触って刺激することを、覚えてしまった。入り口を平面で摩擦するのではなくて、少し、入ったところにもっとすごいところがある。まるで、今まではかゆいところの周囲だけを刺激していたのに、ついに本当にかゆいところに手が届いてしまったみたいな、靄が晴れるような感覚があった。そして、それと同時に、霧のかかった姿のよく見えない背徳感が、背後から私の肩を叩く。明日から、この汚らわしい癖は、より汚らしさを増して、エスカレートしてしまうのだろう。

 今日は、りっくんにどんな顔をして会えば、いいだろうか。







 根元にある紫がかった小さな芽を、鋏で丁寧に取る。わき芽はトマトの生命力の象徴的な光景だけど、収穫量を増やすためには、申し訳ないけれど取るしかない。そこに費やす元気を、実の方に回してもらうためだと、幽香さんは言っていた。
 ぶっきらぼうで乱暴で人当たりが最低でただ綺麗なだけな怠慢妖怪と言われるけれど、風見青果店を始めてみてわかったのは、それは幽香さんの視線が植物側に向いているからなんじゃないかと思い始めていた。ボクら動物は、植物に比べて無闇なコミュニケーションを必要とし、生き急いでいて無駄が多い。

「りっくん」

 畑で作業しているボクの背中に、不意に声がかかった。

「ローリー」

 振り返ったところに、ローリーがいた。ぱたぱたと羽搏いてホバリングしているが、羽搏きの動きはホバリングを維持するほどの速さではない。体は小柄だとはいえローリーの体の大きさを飛翔させるにはとても満たない翼。ローリーのそれは飛翔魔法の具体呪物であって力学的に飛翔するための器官ではないのだ。ボクの翅と、似ている。

「おつかれさま。おべんと、持ってきたよ」
「ありがと。もうそんな時間かあ、今日ははかどってないなあ」
「風見さんに、怒られちゃう?」
「んー、怒られるってことはないけどね」

 額や項に垂れる汗をタオルで拭いながら、畑を見回す。トマトのわき芽取り作業だが、午前中に終わらせておきたかった範囲に少し足りていない。午後からは幽香さんがやるのだけれど、嫌な顔をされてしまうかな。勿論ノルマを決めているわけでもないし、遅れが出るのはお互いのことだから、お互いにうるさいことは言わないようにもしていたけど、余り負担をかけたいとも思わない。多分、お互いに努力目標を守ることで、全体として持ちつ持たれつ±ゼロが維持出来ているのだ。

「今日はバジルチキンのサンドイッチと、アールグレイだよ。このバジルチキンとってもおいしく出来たの。使ったバジルは、りっくんのお店で頂いたやつだよ。香りがとってもいいの」
「チキン……」
「ぅん? あれ、りっくんって鶏肉嫌いだったっけ?」
「いや、ローリーが作ってくれたんなら、問題ないよ」
「?」

 木陰に移動して、ふかふかの芝生にランチバスケットを広げるローリー。にこにこと鶏肉料理を並べる姿は、自身が雀の類であることを忘れているようにさえ見える。いやまあ、ボクだって別に他の昆虫を食べないわけではないのだから、それをどうと思うのも変な話なのだけど。

「いただきます」
「めしあがれー」

 ローリーは、小さい時からの友達……というか、記憶を幾ら遡っても彼女を知らない頃の記憶がない。ローリーだけじゃない、お互いにそう。チーも、ルーミィも、ボク達は四人で常に一緒で、いつ知り合ったのかさえもう憶えていない。親も知らなければ発生源も知らない。ボク達は種族も何も同じじゃないっていうのに、まるで四人でひとつみたいに育ってきた。

「どお? おいしく出来てると思うけど」
「うん、おいしいよ。いつもありがと」
「はー? 今更こんなこと、ありがとうもどういたしましてもないでしょー? 私達はずーっと四人でやって来たじゃない」
「ん。でも、ありがと」
「はいはい、どういたしまして」

 お得意先の紅魔館でも、家政婦の十六夜さんに霧雨さんがこんな感じでお弁当を持ってきていた。あの二人はきっと恋人同士で、きっと幸せに二人でお昼を過ごしたりするに違いない。十六夜さんは紅魔館のお嬢様と好い仲なのだと思っていたけれど違うと言われた、なるほどそういう事なのか、と。
 ボクにも、こうしてわざわざ持ってきてくれる人がいるのは、幸いだ。今日はローリーが持ってきたけれど、これを持ってくるのはチーだったりルーミィだったりもする。……まあ、作るのはローリーばかりかな。誰か一人が困っていれば、絶対に三人が協力する。困ってなくても助け合う。ボク達は、博麗とか神霊とか吸血鬼とか精霊とか霊獣とは違って一人一人バラバラだったら何か小さなことですぐに消えてしまう小さくて弱い存在。だけど、こうやって身を寄せ合って何とか生きてきた。皆バラバラだから、誰か一人は突きあたった問題の打開策を持っている、そういう生き方、否、生き延び方をしてきたのだ。友達、というには重くて強すぎる絆、でも兄弟ではないし、でも恋人とかそう言うのでもない。信頼とか義理とかそういうものもない。むしろ、半身、という方が感覚は近いかもしれなかった。

「でね、折角りっくんに作ったのに、ルーミィに食べられちゃうところだったのよー」
「チーも作るってゆってたけど」
「しないしない。チーも食べ専だもん。あーあ、たまにでもご飯作ってくれて家事の大変さをわかってるのはりっくんだけだよー」
「ルーミィはルーミィでちゃんと人間≪しょくざい≫を獲って来てくれるじゃない」
「人間は臓腑≪おなか≫か脳髄≪あたま≫が一番おいしいのに、いっつも手とか足とかしか残してくれないじゃない?」
「まあまあ」

 ボクらに人間食を教えてくれたのはルーミィなのだから、それくらいの権利は残してあげてもいいだろう。湖畔で僅かな氷性自然エーテルを摂るしかなかったチーが妖精の中でも卓越した力を持つようになったのも、微弱な水溶性のマナが漂う川辺から離れられなかったローリーが内陸を羽ばたくことが出来るようになったのも、草露から稀薄なアストラル光を飲むしか出来なかったボクが王位を継ぐことが出来たのも、ルーミィに人間食を教わったからだった。ボクらはその代わり、陽光が得意じゃないのに驚くほど夜目が利かず引き籠りがちだった彼女の手を引いて、外に出るのを助けてあげている。
 人間はエネルギー価が高く、ボクらのような小さな存在は一度食べればしばらく何も口にしなくてもいいくらいだ。数も多いし捕まえやすい。でも食べ過ぎはいけないと紫太妃に言われたし、あまり人間を捕まえ過ぎると博麗の巫女に消されるんだって。だから人間食はたまの贅沢に抑えていた。

「ルーミィと喧嘩でもしたの?」
「まさか。今更そんな禍根の残る喧嘩なんか、逆に出来ないよ。お互いに、友達で肉親で恩人みたいなものだもん」
「だよね。」

 そんなことを言いながら、ボクは広げられたランチをあっという間に食べ終えてしまう。やっぱり、肉体労働は疲れるしおなかが空いてしまう。それをみたローリーはすぐに水筒から紅茶を注いでくれる。夏の日差しに刺され続けていた体と喉に、水出し紅茶は格別だ。

「彼女の名誉のためにいうと、その紅茶の保冷はチーのおかげだよ。夏にはありがたいよね」
「夏には、ね」

 ははは、と笑うボクとローリー。冷製のアールグレイには、夏だからほんの少しだけ香りつけブレンドがされていた。これは、アップルだろうか。元のアールグレイを邪魔しない、後からかすかに香る程度、でもそれがすごく心地よい。紅茶のブレンドは、意外にもルーミィの得意分野だった。昔から、僕らとは別のアクセスで紅魔館に出入りがあって、上品なフレーバを嗅ぎ慣れているらしい。あの館の主人レミリアお嬢さんと、ずっと前から知り合いなのだって。このお茶もきっと、ルーミィが貰って来たものだろう。お店では結構苦労しておしごとさせてもらえることになったのに、人脈があったなら早く言って欲しかったな、なんて。
 皆がそれぞれに得意分野がある。なんせ四人それぞれが残りの三人をこうして支えられるくらいなのだ。それをもう少しだけ背伸びして、やっているのが、幽香さんとのお店ぼんやりとその空の青を見上げながら、いつかの天井を思い出す。あの真っ白い天井、でも今は違う。それが幸か不幸かも、知れない。

「りっくんはえらいよ。おしごとだよ? おとながすることだよ? 私達、誰もしてないのに」
「言われるがままやってるだけだけどね。強い神妖なら、ほんとはしなくたっていいことだし」
「風見さん、おしごとなんかする必要あるのかな」
「まあ……あの人、何考えてるのかよくわからないし……」

 幽香さんだけではない。黙ってても信仰か畏怖か、あるいはもっと直接的に神饌や金銭を受け取れるような強大な存在は、正直何を考えているのかよくわからない。紅魔の主もそうだし、紫太妃もそう、ボク達小さな存在とはどうにも噛み合わないことが多い。実際、花屋と八百屋と造園のあいのこみたいなお店をやると言われたとき、一〇〇%からかわれてると思った。いや、今でも思っている。

「でも、やってみると案外楽しいよ。人間は食べるばっかりじゃないって感じ」
「ふうん。人間に殺されかけたこともあるから、私は素直にそうは思えない気がするけど。りっくんもでしょ?」
「まあ、ね。でも今なら人間に負けちゃうようなこともないから。あ、でもこれは人間食べたからか。あれえ、なんかムズカシイなあ」

 本当は、幽香さんとお店をやることになったとき、すごく不安だった。何考えてるのかよくわかんない動機だったし、幽香さんと上手くやれるかどうかもそう、それに何より、チー、ルーミィ、それにローリーの三人が何と言うかが。いつも一緒だったのにボク一人が長い時間離れることで輪を乱すことになるんじゃないかって、怖かった。でも、三人ともすぐに賛同してくれて、こうして手伝ってさえくれる。もし他の三人が何かを始めると言い出したら、全力で手伝ってあげよう、と思う。

「おいしかったあー。ごちそうさま」
「おそまつさまでした」

 ローリーのバジルチキンサンドウィッチは、彼女が言う通りにすごく美味しくって、あっという間に食べ終わってしまった。ランチバスケットを片してから、彼女はにっこりと笑う。

「おしごと、頑張って。応援してる」
「うん、ありがと」

 彼女はバスケットを抱えて羽ばたき、ふわりと飛び上がった。ばいばい、また夜にね、って手を振って飛んでいった。
 ボクは恵まれているだろう。みんな協力してくれて、すごく働きやすい。幽香さんだって、お店を始める前に比べてすごく(あれでも)接しやすくなった。人間のお金を手に入れられるようになって、四人の生活にも新しい変化が起いて、人間の食事をまねてみると、人間を食べる必要は前にも増して減った。とてもエネルギー価がよく、巫女に退治される心配もない。皆もそれにも同意してくれていて、全てが好循環している。
 でも。僕にはどうにも引っかかることがあった。ローリーだけは、ボクが幽香さんとお店をやるという話になったとき、ほんの少しだけ、表情を曇らせたのだ。一瞬、本当に一瞬わずかにだけれど。それは他の二人に伝わっていたかどうかわからない、彼女の表情をボクが読み取ってしまったと彼女が気付いているかも分からない、彼女自身自覚していたかも、わからない。それでも、あの時目に飛び込んで来たローリーの表情を、なんとも瞼の裏から、ボクは消しきれないでいた。
 本当は、ローリーはボクが四人の輪を乱していることを、快く思っていないのかもしれなかった。







 天に向かって針のように突き立つ赤塗りの尖塔、それが無数に寄り添った形をして遠景に姿を映やす威容は紅魔館と呼ばれる建物、この地にを下ろす妖魔の住処だ。その館の扉が開かれて内側から現れたのは、幼い外見には不釣り合いを思わせる凛とした出で立ちの、少女、見た目ばかりは。
 紅魔館全体がこうして現れた少女の巨大な翼のにさえ見えるのは、彼女がまとう赤を基調に白黒を織り交ぜた目を見張るコントラストのドレスのせいだ。
 一見して目立つ赤は、しかし一色ではない。褐色に近い重い赤から肉色らしい明るい色までを艶やかに配している。白もまた純白と薄紅を使い分けられているが、彼女の青い髪と統一感を図るために要所ごとに冷える青と金糸のポイントが織り込まれていた。貴金属と宝石を贅沢に使いながらも派手が過ぎないティアラが額上を飾り、赤糸で編んだレースで目元を薄く隠している。彼女の肌の白は触れることを躊躇う程に澄んで、赤や黒の布地が見事に際立てている。白い四肢を包み込むのもまた上等の絹で織り上げられた長手袋とタイツ。彼女特注らしいそれは肌に吸い付くようにぴったりと細い手足を包んでいる。
 そうしたレミリア・スカーレットの小さな外見は、まとう衣装そのものをフリルや重ね、細く絞った腰周りや全体的に小さくまとまったファンシーなデザインに統一させることに嫌味を残さず、しかし彼女の持つ剃刀のような鋭い気配と、自らも譲らぬ夜族の高みたる威厳がその姿を「可愛らしい」に留めることを許さないでいた。幼いかんばせに血塗れたようなルージュ、シャドーにも赤味の強い紫を落として演出される禍々しさは、子供のなりには似つかわしくなく、同時に子供の姿ゆえの恐怖を煽る。白の軸に黒の柄をもった日傘のドームもまた薔薇を思わせる色と形だがそれは今はまだ夜故に折り畳まれていた。
 扉を開いて(実際に開けたのは一対の妖精メイドだが)現れたレミリア・スカーレットの後を追うようにもう一つの影。

「お姉さま」
「フランドールか。どうした」

 辺境幻想郷に居を構え辺境故の人知れぬ栄華を謳う吸血鬼にして紅魔館の主は、面倒なことだが妖魔の社交場に顔出さねばならんのだ、と後を追って来た妹の頭を撫でる。どうせ大したことではないと思っているのでしょう? の意味も含めて、妹は言った。

「お姉さま、パチェが、『やってしまった』わ」

 これから出かけるところだった紅魔の主は、彼女とは対称的に幼さを幼さのまま前面に出した姿の妹の言葉にも動揺は見せない。だが妹は、これが重要な報告だということを自覚していたからこそ、追いかけて来たのだ。事実、それは、本質的には妹の言うとおりである。
 フランドール・スカーレットは姉と共に出掛けるわけではないのだ、ホームドレスを着たままだ。姉と同じく赤を基調としているが、彩度の高い赤一色。敢えて大味にしつらえられたパーツは赤や黄色、白、ピンクの原色で構成され、畸形の翼にも原色に輝く賢者の石のイミテーションが吊られている。容姿と雰囲気のギャップがカリスマに誘導される姉と異なり、妹はコケティッシュな上にその子供らしさを消そうとしていない、いたずらな容姿だ。
 姉を呼ぶ妹の言葉には動揺が含まれている。姉のレミリア・スカーレットとて、わずかに眉を顰めた。なぜ、今なのだ、小さく呟いて妹の頭を抱き寄せる。

「『見た』か?」
「いいえ。『後』だけです。もしその時を見ていれば、私は止めました、止めました!」
「そんな事は望んでいない。私は、霧雨を失うか、友を失うか、どちらかだったということだな。ならばよい、パチェ≪友人≫と咲夜≪メイド≫を失うわけにはいかないからな」
「ごめんなさい、私には」
「知っている、お前には壊さずに止めるような器用さはない。だがそれを恥じるな。そんな小手先などは、後からついてくる。我々吸血鬼はその激情だけ忘れずにいればいい。美鈴、いるか、美鈴」

 主が呼ぶと、赤い長髪を竜の尾のように引く女が駆けつけ、主の優雅な姿に「わぉ」と一つ漏らしてから、傅いた。いつもであれば気に入りのメイドを呼ぶところだが今日は門番を呼んだのは、ここが既に門の前だったから、ということにしておく。メイドにとってこの出来事は、あまりにも過酷であることを主人は察していた。

「お側に。」
「紅乃衛≪このえ≫たるお前に小間使いをさせるのは心苦しいが、今はひとつ頼まれて欲しい。図書館に、不測の死体がひとつ、転がっているはずだ。」

 そう言うと紅小姐は「図書館……あちゃあ、ついにやっちゃったか」と苦い顔をする。

「家の大事だというのに、浮世離れした阿呆共の下らん戯れあいに、わざわざ産土津邇振≪むすびつにふる≫くんだりまで行かねばならんなど遺憾の極みだ。面を並べるのも下らん輩ばかりなのだろうに」
「滅多なことを仰られますな。我々がこの地でのんびりとしかし贅沢に暮らしていけるのは、同族の方々がこの幻想郷の実態をよくご存じ『ない』からで御座いましょう。有利な誤解は、誤解のまま利用するのがよろしいかと。ただ、被るべき仮面と取り出すべき刃はいつでも懐に。そのためのお芝居ならば、その政治もまた家の大事。しかも代役の立たない類のもので御座います。こちらはこちらで対処しておきますので」
「助かる。頼んだ」

 紅娘の言うことは、その通りである。吸血鬼は幻想郷の地にはほとんどいない。だが、吸血鬼をはじめとする夜の一族は独自のネットワークを持っており、レミリア・スカーレットが今から出かけようとするこの用件のように、定期的に連絡を持っている。幻想郷の吸血鬼は他の土地の吸血鬼からは疎遠で、より吸血鬼というものが文化に根付いた「地元」に住む吸血鬼からは「田舎の雑魚吸血鬼で文明水準も低俗」と見做されている。だが実態は異なる。常に他の眷族と権力と縄張りを争い、同種族でいがみ合いさえする事さえある「地元」の吸血鬼と異なり、紅魔の吸血鬼は博麗と折り合いをつけ力を温存して大きく成長していた。本場の吸血鬼に、これほど社会に溶け込み力を保持して栄華を謳うものは、ほとんど残っていない。幻想郷には「地元」の吸血鬼を逆に揶揄する意味で自らを「都会派」と呼ぶもう一柱の吸血鬼もいるが、それはまた別の話である。

「して、いかがしますか。咲夜さ十六夜はまだ知らないのですね?」

 傅いたまま指示を仰ぐ姑娘に、紅魔の主は対処を伝えた。言葉尻を聞けば、人の命を命とも思っていないような物言いだが、吸血鬼や妖怪は本当に人命などどうとも思っていないかも知れない。ただ、繕う体裁と言うものは、高貴の夜族にはあるかもしれなかった。

「おそらくな。そこでだ。あれの死体を、永遠亭まで運んで押し付けて来てくれ」
「はあ。いかな口実で」
「口実など不要だ。あそこは『ああいうもの』を受け入れる。どんな状態でも、いや、然る状態だからこそ、見境なく受け入れる≪Dead or Alive≫。何か訊かれれば、うちの馬車が轢いてしまった、とでも言っておけばいい。」
「お嬢様含め、馬車事故も何度目でしょうか。そも、うちには馬車なんてないのですが」
「ならば、蔵の臙脂綿を持っていけ。あそこの医者共は文化人だ、喜ぶだろう。」
「……御意に」

 紅魔館を彩る「様々な赤」の内一つに、臙脂がある。暗紅から鮮紅まで色合いを変えるものでわずかに紫味を帯びており、レミリア・スカーレットは好んで口紅にその色を使っている。そうした臙脂をもたらす特殊な製法でつくられる絵の具が、臙脂綿と呼ばれる絵の具である。これは紅魔館に出入りする妖怪花屋の二人にでも頼めば安価で容易に手に入れられる、幻想郷ではありふれたものだが、幻想郷の外ではその製法が完全に失われているのらしい。幻想郷の外で売り払えば法外な値段が付く。こうした特異な技術と文化の存在が外貨獲得を容易にし、幻想郷の外の吸血鬼と紅魔の吸血鬼を差別化する一つの要因になっていた。

「もしあそこの妖魔の医者の気が向けば、何もなかったかのように、元通りになる。」
「気が向かなければ」
「何もなかったかのように、このままのだけだ。奴らの見境なき医療行為の前には生も死も等しいのだろう、その哲学に任せるしか無かろうよ。」

 ざんこくなひと、と目を細める紅。すこしだけ、笑っている。これもまた、妖怪に違いないのだ。

「妹の贔屓だ、願わくばどうにかして欲しいものだな」
「いいえ、お姉さま。家の大義の前には、比べるべくもありません。」

 門番は、動かない人ひとり抱えて藤原さんエンカウント待ちとは骨が折れますねー、と言い肩を回しながら図書館へ向かった。
 それを見送ったレミリア・スカーレットは、やれ一つ仕事は片が付いたと言ったように、妹に向き直った。レミリアがいない間は、この屋敷の最高権力者はフランドール・スカーレットに違いないのだ、留守を守るのはこの妹御の役目である。

「では、出かけてくる。タルターロスの人間どもが何事か企てているらしい。我々夜族の対応方針を決めねばならん、実に煩わしいことだがな。では、留守を頼むぞ。」
「はい、お姉さま。この第一寵姫≪フランドール≫にお任せください。」







 秋来宮のバス停は、決まって綺麗なルーフと新鋭の電子掲示板による運行状況表示が備わっている。三人、詰めれば四人は座れるかも知れないベンチは、再利用素材で出来ているのだと恩着せがましい表示がむかしっからずっと得意顔をしたままだ。このベンチにも随分世話になったものだ、と我ながら感傷にひたる。バス停のスタンド部分は事あるごとに新調されて今のような機能山盛りの代物になっている(だって本当に立っているだけのでいいはずの柱が、電池を搭載している上に光と風の自家発電で補助しながら、運行中のバスと無線通信して電光表示と音声案内までしてWi-Fiスポットとしてさえ機能しているのだ、もはやテクノロジの使い道を誤っていると思う)のに、このベンチときたら二〇年前のままだ。リサイクル素材とは、使用済み食品パッケージ樹脂の事らしいのだが、この耐用年数が設置当時の予想を超えていたのらしい。丈夫でよく出来たもの程テクノロジに置いて行かれるというのは酷く滑稽な顛末にさえ見える。でも、今の私にはこうしたプログレッシブとアナクロニズムのアンバランスな共存が、どこか心地よくさえ思えた。
 思い出せば、学生時代にはこのベンチに女友達四人と、三人掛けのこのベンチに詰め合ったり、誰か一人が余されて立たされて文句を言っていたり、勿論それが私だったこともある、そんな日々も、あった。他の三人は今どこで何をしているのか知らないけれど、私は今でもこの町に残って、社会人の真似事の様な事をして過ごしていた。

「……歳、かな」

 こんな感傷に浸りがちになったのも、そういう事なのだろう。私ももう、少女と言う言葉を過去の象徴として扱う年齢になった。
 秋来宮は今でこそベッドタウンとして新興住宅地へ再開発されているが、元々は歴史の折り重なった古い街だ。私が今待っているバス停を抜ける路線バスも、そのころの町並みを未だに残した細い路地とその角を器用に抜けて入ってくる。毎日の通勤で使うそのバスに、今日も乗った。通学にも、使っていた。バス停、運転手さん、バス自体、ダイヤ、中身は変わっても、路線そのものはずっと残っている。この先残り続けるかどうかはわからないけど。

(ムラサキツメクサ)

 車窓から、ある空き家のぼうぼうになった庭にそれがわっさり茂っているのが見えた。小さい頃あの花の蜜が甘いのを知って感動したのを、ぼんやりと思いだしていた。草の青臭さを爽やかさと言うのなら、それは爽やかで甘い味、子供の小さな口には十分な量の蜜で。教えてくれた少年のことを忘れてはない。むしろ、そのために、この人生を続けているようなものだ。

 人生なんて暇潰しなんだ、とニヒリズムにほだされたセリフが巷に溢れていて、諦めたい、甘えたい、やめてしまいたい、投げ出したい、行き場のない、続けることが出来ない、どうしようもない、人生の言い訳と、そうした人生の持ち主の心の支えになっている。言い訳は、悪いことじゃない。逃げることも。生き続ける選択肢に善いも悪いも無いのだから。ただ、強くはないのだろう。強いことは善ではないが、だが弱いことは悪だと、少なくとも私は信じてこの街に残っている。それを強さと思うのは、きっと私一人のことだ。この町を離れることを弱さと言う人間も私を除いて誰一人としていないだろう。
 感傷、といっても私はこの「今」を悪いものとは思っていない。忘れない懐かしさはあって、これから向かうのが無意味な未来だったとしても、それを目指すあらゆるものは、有意義なはずだ。いいことも、わるいことも、全部。

「ね.全部」

 私のこの胸の中にあるものを、私と言う自我が失われたとしても、次の私はきっと続けていく。次も、次の次も、そのまた次も。種子が連綿と世代をつなぐように。そう信じないと、潰れてしまうでしょう? 思い描く夢も理想も、自分の手では掬い切れないほどで、自分の腕では抱え切れないほどで、何人もの私がそれを少しずつきっと紡ぎ織り上げていくはず。自分一人の人生で叶えられないことは決して手に入らないものだなんて思っていたら、それこそ人生なんてただの暇潰しでしかなくなってしまうじゃない。でも、だってほら、昔手に入らなかった飛行機雲の切れ端みたいな彼も私の隣にいる。きっと、これからもそれを繰り返しながら、少しずつ近付いていくはずだ。焦る必要はない。だから、歳を取っていくことは、悲しいことだけれど悪いことじゃないんだとも、思う。同じ暇潰しの人生であっても、有意義たれ、と。
 今の私は百歩譲っても褒められる人間ではない。むしろ、誰から見ても悪に違いない。それでもこの人生は、有意義な暇潰しなのだ、そうしなければ、いけない。
 願わくば、このバス停も、このベンチも、このビルの隙間を抜けて覗くスカイブルーも、このままずっと、幾度か後の私の時もずっと、続かんことを。そうね、それに、彼も。

 バスを降りると職場はすぐ目の前だ。というかバス停の名前に「古今東門前」と我が社の名が入っている。白い塀の向こうはうちの敷地だが、まるで植物園のようだ、とさえ思う。先に見た空家の庭と大差がないほど、乱雑に草木が生い茂っている。だが、優れた庭というのは一見して自然のままを感じさせ、その制御は首尾よく隠されるものなのだ。

「おはようございます」
「おはよー、早いね」
「ちょっと八時に肉眼でモニタしたいものがあって。」
「みんな口で言っても待ってくれないものねえ。カノジョより融通がかきかないんじゃない?」
「はは、全くです。実は、免疫をノックアウトした被験体の切除器官に例のタマホコリを移植したんですが、経過が良さそうで楽しみなんです」
「そいつはすごいな。いい結果を期待してるよ」

 ここは製薬研究所(と、一応はなっている)だが、敷地内の庭だけではない、屋内のあらゆる場所にも葉が生い茂り蔦が這い花が咲いている、観葉植物ではあるがそのスケールが植物園並みであることと、人間の活動スペースにも大きく食い込んでいることが幻想的な光景だとしてメディアに取り上げられたこともある。人工大理石の床の上を木の根が這い、強化ガラスの天蓋を蔦が覆い隠さんとしていて、職員のデスクの上にさえ茎を伸ばして寄り添って生活しているような光景は、廃墟のそれに近いが人工物の一つも破損していない、共存のようだと絶賛された。クリーンかつエキゾチックな企業イメージは社会的に有利に働いているし、そのおかげで熱心な学生さんの見学なども増えたが、これは、戦略でも宣伝でもない、紛れもなくただの私の趣味だ。
 職員もそれを受け入れているというか、こんな変な研究所が好きだという奇特な奴ばかり集まっている。家に帰らないやつもいる。この研究所は私の、夢の庭だ。

「今日もなかなかいい空ですね」
「ああ、そうだね。ここは年中花見日和だ」

 秋来宮は関西でもなぜか晴れが多い。隣の区で雨が降っていてもここでは雲が切れていたり、なんてこともある。今日も、職員が指さした通り、空がよく抜けて青が突き抜けていた。

「この空の青が、後付けの色彩だったとしてもね」
「は、はあ」

 ぼんやりとその空の青を見上げながら、私はいつかの天井を思い出す。真っ白い天井、でも今は違う、こうして真っ青に、塗りたくってやったのだ。そしてそれが幸か不幸かも、今の私には知れないことだった。







「まだ一度も銃声を聞いていないのが……不自然ですね。クリア」

 支援展開のためにクリアリングと移動を繰り返しながら、山上が不審そうな声を上げる。
 地下鉄駅のコンコースに布陣して、いくつかの部隊が応答を失って≪NAK≫いる。明らかにリメンバアンブレラの仕業なのだが、戦力喪失時の状況が全く入って来ないままだった。

「会敵の報告も、上がって来ていないようです。エリア、クリア。」
「光学迷彩で隠密しているわけでもない、ただああやって薄気味悪い顔≪ツラ≫で歩いてくるだけなのにな。」

 『蛾』から見た映像では、遠目からでも視認出来る姿をしている(その蛾は、あっという間に破壊されたが)。だというのに、前站へ交戦報告が上がっていないらしい。

「大体、傘なんて本当に脅威なんですか? みぃんな使ってる傘ですよ? 自衛隊≪俺達≫の出る幕じゃないんじゃないですか?」
「実際に命令が出てるんだから、仕方無いだろう」

 そう言っても腑に落ちない様子の坂下。

「まあ実は俺もそう思ってちょっと調べたんだ。多分、その『みぃんな使ってる』ってのがミソなんだろう。」
「はあ」
「日本の傘の年間流通量は、二億本近いそうだ。これは流通量であって、今家の玄関とかに置いてあるものを含まない。大体一人一本傘を持ってるだろうから二億本加算して、四億本だな。廃棄されて夢の島とかに寝てるやつはどれくらいなのかさっぱりわからない。それに奴さんはエコロジストらしく傘を一回使いきりにするつもりはないらしい。矢として使用された後も破片地雷のように炸裂したり複数回の飛翔も報告されてる。」
「魔法の矢ですか」
「みたいなもんだな。さて、自衛隊の保有銃弾重量は公称二〇万トン。そんなわけは無いがまあ仮に全部が5.56粍だとすると、大体四〇〇億発。廃棄傘を除いたとしても国全体の防衛力の一〇〇分の一程度にあたる火力を持った敵性存在現れたなんて、堪ったもんじゃない。」
「数字のマジックっすよ……傘じゃなくったって、例えば画鋲だって同じことじゃないですか。」
「そうだな。だが、今は、傘だ。画鋲でも安全ピンでも螺子釘でもなくて、傘だ。それだけのことだろう。爆弾一発で数百本の傘をダメに出来るんだ、そんな比較に意味は無いのだろうが、国防で対処出来ることと個人にとって脅威ではないことは、等価ではない」
「世の中から傘がなくなったら合羽着るしかないんですもね、そんなのはごめんです」
「そういうこった」

 そういうことなのかどうかは別にしても、命令が出ている以上はやるまでだ。

「一八隊、到着した。支援する」
「二八隊はコンコースに下りて迎撃します。一八隊は、階段から砲火支援を」
「了解」

―― こちら一八隊。乙地点に到着。二八隊と合流した。送れ≪ENQ≫。
―― 前站より一八隊≪ACK≫。データリンクにて合流を確認。各隊の位置を共有する。各員、確認要求≪ENQ≫。
―― 確認応答≪ACK≫。

 前站から、各隊の位置情報の共有が図られた。ARゴーグルに地形MAPと僚隊の位置がマーキングされる。

「A-2出口付近だけに斥戦六隊配置とは、人相手なら十分すぎる配置ですが」

 中原が苦々しい表情で言う。逆接で終わってるところを見ると、中原もこの配置には疑問を持っているようだ。

「五隊、だな。三○隊はダメだったようだ。当初の位置からマーカーが動いてないし、タイムアウトで否定応答≪NAK≫が出てる」

 二八隊と一八隊は、A-2出口に向かう直線へ合流するコンコース(地下街の施設としての名称では『セイオウモール』となっている)付近に配置していた。俺達一八隊はその配置を更に階段で立体化して二八隊への射線重複を避ける形になっている。
 セイオウモールへ合流する支道はいくつかあり、A-3出口、A-2a出口、A-2b出口、A-2c出口、へつながっており、それぞれに二六隊へ合流した二五隊、二一隊が配置されている。
 目標≪リメンバアンブレラ≫がセイオウモールに現れたら、各隊通りに出て砲火を加える。メインは二六隊と二八隊、他の隊はその隊をサポートする後方支援だ。出来れば後砲隊に来てほしいところだが、この作戦の重要なポイントは通常戦闘で排除出来ない場合にはA-2出口へダメージを与えながら誘導して、A-2出口付近に用意した指向爆薬で殲滅乃至奥方向へ再度押し込むという後備えの存在にある。各隊が支道を拠点に置いているのは爆風から身を隠すためだ。各所に土嚢が積んであり、更に水災防壁が隔壁として流用される。報告されている目標≪リメンバアンブレラ≫の傘矢に対して有効と思われる防御力を確保してあった。
 対人装備が通用するのか、それがこの作戦の裏の意味だ。勿論表向きは神妖≪かみさま≫排除作戦ではあるが、サイズが人型サイズであることは今回重要な要素だった。対象のサイズと対応に必要な装備の比率を、お上は知りたがっている。人型サイズに対して対人兵器が効果を持つようなら、出現した神妖≪かみさま≫に対してどの程度の戦力を準備すべきなのか、ソロバンしたいのらしい。机の上が好きな奴らの考えそうなことだ。
 もちろん、『やっぱり対人装備じゃ駄目でした』の可能性は考慮されていて、それが今回の目玉(?)だった。銃で対処出来ないようであれば、形成土嚢伝いに各員後退し、最後の支道へ全員が身を隠したところで、指向性の強い爆薬である対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫を複数個起爆するというものだ。
 だが、いざとなったときにそんな細かな作戦が、実行出来るのだろうか。通信さえせずに沈黙≪タイムアウト≫する部隊が続出しているのだ、何らかの理由で組織的な戦闘が阻害されている可能性が高いというのに。大体、神妖≪かみさま≫に爆薬など、どれほど効果があるのかもわからない。

「三○隊も交戦報告なしで沈黙した≪NAK返してくる≫……。やっぱり人兵部隊で神妖≪かみさま≫を抑え付けるのは、無理なんじゃないですか? さっさと戦術兵器で広域破壊手段を講じた方が」

 杉山は当初から、兵による迎撃作戦など意味がない、最初から地下地盤を発破で落として潰滅してしまった方がいいと主張している。今回の指向爆薬へ誘導する方法も、人を投入する意味なんてないと言っている。勿論前線の鉄砲弾である俺達は、戦略について意見を述べる立場にないのだ、ただの愚痴と大差はない。
 だが、俺は少し、考えが違っていた。人の手による迎撃作戦には、それなりに意味があると思っている。間違っても「自分は死なないと思っている」という奴ではない、自分だって他の隊と同じように、後日談で「沈黙」「消失」「不明」などの二文字で表現されるほどあっさりと消えてしまうのかも知れないことは、よくよく覚悟している。だが、それを含めて、だった。

「きっと、人事は尽くしておかねばならないんだろう。たとえ爆弾一発ドカンで済む相手だとしても、人間の手でやっつけました、戦いました、っていう実感が重要なんだ。そうでなきゃ、害獣駆除と変わらない。」
「実感、ですか」

 世界の防衛情勢じゃ、無人爆撃機による爆撃、或いは無人戦闘機による無人機対無人機の戦闘はその方法が強く制限されるようになっていた。一時期は新しい戦争の形、戦傷者を出さないクリーンな攻撃として、遠隔戦術がもてはやされたものだが、蓋を開けてみると、無人機などによる遠隔戦術を主とした作戦に参加した兵士のPTSD発症率は、実際に戦地で銃を構えて戦闘を行った兵士よりも高い結果となり、「死んでもらうよりも」補償や医療費の面で不経済が目立つ結果となった。『実感』という正体のよくわからないものはしかし、人間の意識や尊厳に深くかかわっているのだろう、戦闘を行ったという実感を伴わないまま人を殺し、日常に戻りまたゲームのように人を殺す「職業軍人さえモニタの前で座っているサラリーマン」いう実感のない戦闘行為は、人道上に大きな問題があるとして、二〇〇〇年代には運用範囲と時間に制限がかけられるようになった。戦争に人道も倫理もあったものではないと思うが、現代戦は効率と性能を競うだけの領域ではなくなっているという点では医療と似ていた。それはそうだ、医療にせよ戦争にせよ、科学の領分なのだ。科学が倫理に縛られる現代では自明かも知れない。そのお遊びみたいな戦争の在り方を、バカらしい、と笑うものもいるが、『実感を伴う戦闘』という概念は、この場でも当てはまることのように、俺には思えていた。

「俺には三つ目野郎≪あれ≫は、そういうモノじゃない気がする。ただの害獣とか自然災害ではなくて、人間の『敵』、『人間が』やっつけなきゃいけない、敵。だから、そうするプロセスが、必要なんだ。俺はそう思ってる。」
「『誰の』実感ですか?」
「さあ。神妖≪かみさま≫をやっつけたいって思ってる誰か、だろうな。杉山は、どう≪・・≫なんだ」

 俺が問いかけると杉山は「これじゃ俺がただの臆病者ポジじゃないですか」と吐いた後で続ける。

「弾が、足りませんね。こんなんじゃ撃ち足りないってもんですよ。実感もクソも沸かない」
「じゃあ全弾HS狙うんだな」
「G42でHS狙いとか無ー理ー!」

 対人兵器、として今回使用制限を解除されたG42は、それでも一応相手が人間ではないとのことを考慮された(はずの)ものだった。そもそもG42は屋内戦向けの銃ではない。もっと視界が開けていて距離のある戦闘に向いている。中距離の戦闘に耐えられる射程とマンストッピングパワーと、樹脂とカーボン素材を多く使い軽量化された、それなりにいい取り回しと耐久性の両立を図った銃……の、割には中距離で運用するには少々精度に欠けているとの噂が絶えない。熱に弱いとか、特定の弾丸を使うと性能が落ちるとか色々と囁かれている。G42AE2はその中でも防衛省の指示で豊羽工業がH&Gのライセンス下で手を加えたカスタム品で、苦情が上がりやすい精度について改良されているとのことだ。が、日本においては実戦の日の目を浴びることはほとんどなく改良の真偽は不明だった。そして今回も精度については問題にならない。というのも、今この場については単純に「大きめの口径の弾丸をばら撒ける」という事だけが重要だからだ。距離は近いし屋内とはいえ遮蔽物が多くもない、直線上の平たい戦場は視野も開けている。高い水準での中距離精度は不要だった。
 今回与えられた弾の数は、杉山の「足りない」という程制限された量ではない。むしろ多すぎる位だ。7.62粍をこの狭い戦闘域の単騎の目標に向けてこれだけ用意するというのは、破格である。
 だが、それはあくまで「あれが人間であれば」の話だった。

「でもま、そう言われちゃやる気も出るってもんです。俺だって神妖≪かみさま≫には一発二発ぶん殴っておきたいくらいには、恨みがありますから。手順が大切、ってお役所みたいで気に食いませんけどね。」
「何言ってる。俺達ゃペンの代わりに銃持ってるだけのサラリーマン役人だぜ。」
「そいつに違いはないですが。」
「あれが仮にも『カミサマ』って呼ばれてんなら、それとの戦いは『オマツリ』だよ。形式通りのプロセスだって、重要なもんさ。いちいちおカミの顔色を窺わなきゃいけないのも含めてな。戦争は政治で、政は祭事さ。」
「お祭、ですか。じゃあこれは、太鼓のばちみたいなもんですかね?」

 山上は、少し皮肉な笑みを浮かべて、G42AE2≪レゴライフルツヴァイ≫をノックする。

「そんなもんかもな」
「そういうことなら、盛大に打ち鳴らすしかないですね。」
「ばちは打つもんで、打たれるもんじゃない。それは忘れんなよ」
「了解」

 奴の得物は「傘」だ。便宜上「傘矢」と呼んでいる。十分に飛距離があり狙いが定まっている場合には途中で骨や手元が離脱し主軸だけで飛翔、最終的には石突だけが飛んでくるとの報告がある。まるでAPFSDS弾みたいでおっかないが、それ並みの貫通力があるとは思えない。地下街固有のコンクリ地形と、対貫通を前提に成分調整した形成土嚢で、防げるだろうと踏んでいた。

―― 前站より各隊。目標≪リメンバアンブレラ≫、地点丙へ到達。残り六〇秒≪ロクマル≫で会敵想定。
―― 了解≪ACK≫。

 公式には初となる会敵だ。既にいくつもの部隊が消されているにも拘らず、だが。

―― 前站、引きっぱなし≪・・・・・・≫でいいんだな?
―― 状況に応じて適宜判断しろ。今日は薬莢が見つからなくてもお咎め無しだ。
―― そいつはゴキゲンだな。前から嫁に食わせたくて仕方なかったんだ、やっと夢が叶うぜ。
―― お前の家庭がここより過激な戦場だというのなら、きっと生き残れることと確信している。

 前站のオペレータが、誰かに交代している。こんな物言いで応答があるのは初めてのことだった。やけに偉そう≪・・・≫じゃないか。
 安全装置≪セーフティ≫を外して、軽くサイトを覗いた。さっきまで何度も何度も確認しているのだ、もう万全であることは知っている。これはルーティンだ、訓練通りにことを運ぶための儀式であって、機能の万全性を確認することは今に限って言えば含まれでいない。訓練通りにことを成すための、自己暗示。実戦で、訓練に含まれない特別なことなど何もすべきではない。訓練とは、実戦で起きうる全てのことを想定に込めて行われているのだ、訓練通りに成すことが出来れば、それはその作戦での最善であることと等しい。想定外のことがあったということは、戦闘準備に抜かりがあるというだけのことである。想定外を切り抜けられるかどうかは、軍兵としての資質では、ない。

(俺達は、あの”傘”と同じなんだ。自分には使い捨てられるつもりはなくても、結局使い捨てにさられ、それさえ忘れ去られ、それでも自分を思い出させようと何かに縋って存在し続ける。報いと言えば報いかも知れないし、試練と言えば試練なのかも知れない。でも結局使い捨ての道具で迎撃するのなら、何も変わらないよな)

 樹脂製で軽量化の進んだG42の軽々しさが、今は恨めしい。もっと重くずっしりとした質感で、お前を持つ俺の方を、固定して欲しかった。銃を持つ腕が、どうにもしっくりと安定しない。俺は、恐怖を覚えていた。

「熱反応はありませんが、傘の群はくっきりレーダーに映っています。もうすぐ、」

―― 会敵、間もなく。初戦≪・・≫、健闘を祈る。

 初戦、ね。幾つかの部隊は戦闘報告なく消えたのだ、こいつは皮肉の効いた物言いだ。

 そのとき、あの角の奥から、するりと細長い何かが、顔をのぞかせていた。金属質の細身に、化繊が巻き付けられている。

(……傘!)

 リメンバアンブレラの取り巻きの傘が一本、アレの先を先行して浮遊しているのだろう。曲がり角の陰に切り取られた細い姿がするするすると伸びていくのは、肉食魚がゆっくりとこちらに向かってくる姿の様だ。細くて短いただの傘の姿に違いないのだがだが、その悠然とした動きが、サメが回頭してゆっくりこちらへ向かってくるジョーズのワンシーンを思い出させる。

(サメなら地上に出してやれば人間様の勝ちだが、今回はそうもいかないんでね)

 一瞬、鮫の遺伝子と蛸の遺伝子を掛け合わせた生物兵器と、傘の遺伝子と人間の遺伝子を掛け合わせた化け物のバトルを思い浮かべたがすぐに取り下げた。傘の遺伝子ってなんだ。

 一本だった傘の姿が二本、三本と数を増していく。俺は銃床を肩に当て、意味があるのかわからないサイトを覗き込み、角から現れるだろうあの化け物を待ち構える。一度見て吐くほどだったあの容姿を、もはや忘れもしない。あの陰からそれが現れる僅かな未来を想像して、何度も脳内でシミュレートした。隊員たちも銃を構える。

「形成土嚢から体を晒すなよ。傘でなんて冗談みたいな死に方、したくないだろう?」
「スプラッタ映画でよくあるやつですね」

 坂下があまり楽しそうじゃない笑顔で冗談を返す。相手のなりもゾンビみたいなもんですし、なんて。声は笑っているが目と口はもろに狼狽えていた。

「もはやこの地下街はハロウィンみたいなもんだがな」
「お菓子の代わりに銃弾をあげるつもりですが、奴さんは満足するでしょうか」
「さあね」

 四本目の傘が見えた。いや、もうここまでくると同時に何本もの傘が姿を現す。本体が見えるのも時間の問題だろう。一秒一秒がやたらと長い。
 そしてもう僅かな時間の後に、それはいよいよ現れた。





「見えた≪撃てっ≫!」

 いつもの音とは異なる銃声はいつもの軽薄な音よりも炸音に近くやはりそれなりの口径の銃のものだと知る。反動も多少は大きいが、この銃はよく制御されている方かも知れない。上下制動にだけ気を付ければ左右のブレは少なく、噂に聞くほど制御が難しいわけでもない。

―― こちら一八隊。状況「日木乙≪011≫」。援護を継続する。送れ≪ENQ≫。
―― こちら前站。了解した≪ACK≫。継続せよ。

 俯くように垂れ下がった頭、柳の如く全身が前傾に曲がっている。あれがこちらを気にしている様子はないが、取り巻きの傘の先端だけはこちらを見ていた。
 何かに濡れる様なべっとりと纏わり付く湿り気の強い空気が流れ込み、足元から嵩を増すように満たしていく。奴のまとう青緑色の布地が、紫に変色した肌に貼り付いている。同じく海藻の様に青白い顔に貼り付く頭髪らしきもの。
 今更映像的な特異性に気を回す暇は与えられなかった。アレはもうそこまで来ているのだ。違和感があろうがなかろうが、関わりはない。褐色に紫の斑を落とす死体然とした肌、先のない足を引きずる半ば浮いたような歩み。失われた片足と折れたように拉げるもう片方の足。やはり強烈に嫌悪感を誘う。だがそれはグロテスクな視覚的なものではない、強制的に感情を握られている、遮断し難い匂いや音のような強制的に侵入する感覚。

「ぐ」

 俺は一度やられているが、他は初めての者ばかりだ。俺は発砲を指示し、自らもトリガを引く。俺達が援護する二八隊も、周囲に配置された他の隊も一斉に発砲。だが多くの兵士の照準は、ぶれまくっていた。無理もない、あれが俺と同じなら、嘔吐感は並大抵のものではないはずなのだ。

「気をしっかり持て!」

 正体不明の嫌悪感の存在を各員に報せるが、既に中原が口を抑えていた。
 他の隊でもそうした状況が起こっているのか、どうかはわからないがともかく、発砲は続いている。狙いが定まらずとも撃つことは出来るし、撃たなければ死ぬかも知れないという状況だ。各員照準の不足を自覚していながらも引き金を引いている。
 乾いた破裂音がコンコースを満たし反響する。狭い空間に過剰なまでに詰め込まれた銃から斉射される弾丸は多くが目標を外しているが、それでもオーバーキル気味の弾数がリメンバアンブレラへ向かう。

「!?」

 発砲とほぼ同タイミングでそれは展開されていた。弾は止められてしまっていた。弾道が逸れたものと『それ』に受け止められたものとを合わせると、目標に命中した数はほとんどない。
 弾を止めたのは、忘れ傘だった。

「傘で、だと……!?」

 傘の数本が、開いてこちらに向いている。人型サイズしかないリメンバアンブレラの姿をすっぽり隠すには、5、6本の傘が開いていれば十分、残りの傘はやはり本体に追随するような形で角から現れ、通常通り先端を向けていた。ぱらぱらと地面に落下する弾頭は、全てひしゃげて割れ開いている。銃弾が対象を侵徹出来なかった時の形だ。たかが、傘に?銃弾がただの傘に防がれるなんてそれこそ映画の世界の話だ、ありえない。

「止めるな、撃て!」

 たかが傘がそれほどの防御力を持つとは、信じたくない。
 その光景に驚きを見せたのは当然俺だけではない、そんなものを目の当たりにして、各員は発砲を激しくしていた。バーストを忘れて本当に『引きっぱなし』のヤツもいた。元々強烈な不快感で集中を欠いているというのに、それではとことん当たらない。

「馬鹿野郎! ちゃんと狙え!」

 とにかく弾数をぶち込むという下策に落ちている。それでも当たれば効果はある筈だというのに、想像に反して傘は頑丈だ。何度も同じ点に重なれば破れることはあったが、数発でも銃弾を耐えることが驚愕である。そうして破れ穴の開いた傘は盾を退き、即座に新しい傘が補充される。効果が一切ないわけではないが、効果的ではない。あれに追随している傘の方は、地下鉄の線路伝いに今も補充が続いているのだ。

「Goddamit≪クソッタレ≫!通ってないな……おっと、奴さんがそのカミサマか、ダメだな」
「でたらめだ、鉛も雨も変わんねえってか、MINIMI持ってこい、往友のじゃないやつ! レゴじゃ足り、っ!」

 弾丸が弾かれ思う通りにならないことに苛立った中原が吐き捨てると、発砲音と弾の風切り音が響く中で一振り一際鋭い飛翔音と共に中原のすぐその横の土嚢に傘矢が突き立った。慌てて身を隠す中原。他の方向にも傘矢が発射されている。敵の傘矢が稼働を始めた、攻転を許したのだ。会敵当初の優位性は有効に生かせなかった。奴はこの戦線を見越して初手を傘の防御で決めてかかってきたのだろう。あのナリで戦術を組み立てられる知性を持ち合わせているのだろうか。

「形成土嚢は有効だ、カバーを忘れるな!」

 形成土嚢は金属製の傾斜装甲と奥部のみセラミック製になった空間装甲を組み合わせた複合構造体を瞬時に膨張して硬化する特殊樹脂に設置する即席防壁だが、兵器化されていないただの傘には十分な効果を見せた。

―― こちら前站、各隊に報告。現場における不快感の原因は、目標が発する可聴域外の音波による可能性が高い。目下解析中だが、通信が拾う環境音の中に不自然な波長が混じっている。
―― 歌でも歌ってるっていうのか
―― まさしくその通り、旋律らしいものが確認出来る。この不明音響効果を便宜的に「聖歌」と呼称する。
―― 呼び方なんてどうだっていい、黙らせる方法か、聞かずに済む方法はないのか?
―― ジャイアンリサイタルを中止させる方法と同じだ。生憎アレの生みの親は不明だが。
―― 助けてイソベやん!

 屋内での運用など言語道断だしここには施設科の隊は来ていないので言っても仕方がないが、ああいう手合いにはM4放射器の方が効果があるのではないか。
 神妖≪かみさま≫との戦闘においては火器使用制限は無制限となっているが、地上の輜重隊との経路が細い作戦では「今これが欲しいから」とすぐに調達出来るものではない。敵は強力なのに小型で屋内に在り、こちらは少人数の立て籠もり犯相手程度の装備しか携行出来ない。傘矢と傘楯は確かに強力だが、最も厄介なのはこの神妖≪かみさま≫は小型で、屋内を好んで移動するという性質だった。

「やっぱり落盤で押し潰す方が楽だったかもなあ。なあ、山上」
「この期に及んで翻すのやめてもらえますかねえ!? でも、さっき仰ってたことはその通りだと思いますよ。確かにどうしても人間に教訓を与えるために破壊活動をしているように見えますから。これまでの神妖≪かみさま≫だってそう。こいつも……ええと、忘れ物に注意しろ? マスコミの受け売りですけどね」
「どこのネタだよ」
「……KKMっす」
「そりゃだめだ。ネットでももうちょっとまともなものを読むんだな」

 KKMは「Kakashiまとめ」の略で、まあSNSを中心にweb情報をボット収集したものをまとめているサイトのことだ。メディア発信者としての意見・方針を全く持たずにただただまとめた情報を掲載しているので客観性の面で偏りはないが、言いたいことが全く伝わらない破綻しかけの記事で、信憑性について致命的に不信感が高いと評判(主に悪評)のサイトだ。元々はニュースサイトだったらしいが、ライバル会社が配信を始めたニュースアプリのヒットによって決定的に溝をあけられ諦めた結果らしい。ただ、どこでそんな画像を手に入れたのか全く不明なすっぱ抜きスクープが稀に発信されるので、カルトな読者がいるとも聞く。
 俺はさっきの鉄砲弾と忘れ物の想像を口にするか迷ったが、今は油断していたら傘に脳髄串刺しにされかねない状況だ、やめておいた。
 形成土嚢の後ろから、未だ防御を解かないリメンバアンブレラを見る。俯き体全体を大げさにうなだれるよう垂らしながら、忘れ物の傘を引っ提げて破壊活動を行うアレに、「忘れられがちな鉄砲弾」の言葉をかけたい気分だった。そんな風に神妖≪かみさま≫に同情的な感情を持つことは今の日本ではタブーとされているが。KKMなんて俺は見ちゃいないが、そう言う見解もあることは、やはり誰もが感じているのらしい。

(お前は誰に、お前を思い出して欲しいんだ)

 忘れられ蔑ろに置いてけぼりを喰らう傘達の恨みがいかばかりなのかは、人間の俺には推し量れない。だが、人間はそれ以上に、死にたがりもしないのだ。身を擲ってでも敵を倒す思想は、そうそう育つものじゃない。そういう時代も、確かにあったが、それも忘れ去られている。

 土嚢でカバーアクションを取りながら三つ目野郎≪リメンバアンブレラ≫を見やる。今は傘に身を隠しており姿をはっきり見ることは出来ないが、たまに傘楯を交換する瞬間にちらりと姿が見えた。傘楯はこちらに向き射線を遮っているが、奴の体は角を曲がる前の横向きのままだ。俺達のことなど気に留めず、ただ進行が止まっている風。俺達に対して体が九〇度横に向いたまま停止しているだけなのだ。人間などもう気にもしねえってか? 忘れ傘達に好きに暴れさせる、親の気分でも味わってるんだろうか。ふざけるなよ。

「傘を剥がんことにはどうしようもねえな……」
「代わりに傘矢の手が緩いですけどね。視界が遮られているから、と考えると、あのなりで光学識別なのかも知れないですね。っと」

 射線は通っていないが、少し離れた地面に傘矢が突き刺さる。人工大理石の床を深々抉るその威力は、形成土嚢の防御でなければ防げるものではないだろう。

「まあでかい目が一つあるしな、俺達をじっと見ているのかも知れない」

 その傘矢は確かに飛んで来ているが、報告にある正確無比で圧倒的な射撃はなりをひそめている。さっきの様にたまには床や壁を抉り、砕き、貫くが、弾幕は薄い。ただ、それはあれが楯で防御している間だけのものだろう。制圧射撃をやめれば、今度はやつのターンだ。

「残弾は」
「まだ十分です」

 坂下が答えた。確かに作戦の想定上、問題にはならない消耗だ。だが、本当に十分だろうか。そうは思えない。奴はあえて攻撃の手を緩めているのではないか。継戦能力を残弾だけでいうのは愚かなことだが、奴の傘の方が最終的に多いのではないか。傘一本に対してこちらの弾丸が何発消費させらるかの観点は、人間相手の戦闘とは違うように思えた。盾として使用され破れた傘は、矢として再利用もされる。相手の消耗は目に見えるほどではなさそうだ。何より、ダメージは通っていない。一発でも当たれば致命傷になる人間のテロリスト相手とは訳が違うのだ。

「なんにせよ攻撃を通さないことには話にならない。『洋梨』で傘楯を引っぺがす」

 『洋梨』は(安全重視で摩擦着火式の平和ボケした)破片手榴弾だ。破片手榴弾の例に漏れず、何か特定の目標を破壊するための武器ではない。勿論そういう使い方も出来るが、広義のクリアリング、狭域の敵を無差別に傷害して後方送りにする制圧用が専らである。ただ今に限って言えば、あの傘楯全てを敵兵と見做し同時に傷物にして離脱させるのは有効に思えた。一気に火力で吹き飛ばすような武器は、残念ながら今装備には含まれていない。見ている限り奴の傘楯の回転率はかなりのもので、そうして出来る隙も僅かな時間だろう。だが、それでもやってみないことには埒が明かない。

「剥げた瞬間ありったけぶち込む。効果がありそうなら繰り返すぞ」
「了解」

「フラグ!」

 掛け声を飛ばし、安全装置を抜いてから摩擦紐を引く。ピュウと空笛音が一鳴き。十分な引き抜き速度により摩擦着火が成功した合図だ。まさかあの緩慢な動きから急に素早く動いて投げ返すようなことはないと思ったが、念のため延期時間を待機し

「5、4、投擲!」

 傘の下から入り込むよう転がし投擲。カバーリング。時間。

「2≪ふた≫、爆轟、今!」

 土嚢の向こうに轟音が響く。追いつくように風。幾らか天井や壁面が崩れたかも知れない音がも聞こえた。願わくば、傘楯に効果のあらんことを。

「撃てっ!」

 後方支援の俺達二〇隊は、二八など前線の部隊に比べて傘矢に対して幾許か安全だ。一か八か土嚢から半身を出し率先して発砲する。手榴弾の煙で視界が定かではないが、目標と思しき人影は浮いている。傘楯は、前面にはない、交代中だ!

「丸裸だぞ、撃ちまくれ!」

 俺が指示を出すまでもなく、全員が発砲していた。嘔吐感を何とか抑え込みながら、やっとの照準でまだ薄く立つ煙の向こうに見える人型へありったけをぶち込んで行く。

「こっちの雨は一味違うぜ! 傘が無ければずぶ濡れだろ、死ね、化け物!」

 手榴弾で光源の一部を失い薄暗くなったコンコースに、バックファイアが閃く。銃弾は煙を貫き目標へ命中しているように見えた。そんな中でも傘楯はみるみる交代が進み、破損した傘一切が新品にすげ変わるのに要した時間は、わずか二秒ほど。ぼん、ぼん、と傘が展開する音。傘で風が起こって手榴弾の煙が霧消した。その向こうに垣間見えたリメンバアンブレラの姿は。

「きい、てるな」

 元々死体然とした佇まいだったそれは、銃弾で穴だらけになっていた。あちこちに弾の侵入痕があり、背後の壁には死体に滞ったそれ特有の凝固しかけた赤黒い血痕が花を咲かせている。唐傘を持つ方の腕は無傷だが、もう片方の腕は骨も砕け筋だけでぶら下がっている。下半身は、銃弾によってミンチになっており、脚は一切形を失っていた。銃弾が最も多く当たったのは腹部らしい、もしかしたらかつては人間のそれと同じように機能していたのかも知れない内臓のようなものが千切れ千切れになって床に垂れ、赤っぽい山になって積もっていた。胸部も大きく抉れ割れた肋骨が壊れた傘の骨みたいに覗いている。頭部にも当たったらしく、頭の右半分は失われて、白いものがべちょりと零れ出し、それを追う様に目玉が垂れていた。残った左半分の顔が、こちらを、見ている。半ば浮いたように移動していたあれは、やはり浮遊していた。脚が完全に失われたというのに、割れて中身を零す腹と上半身、それに半分だけ残った頭部が、脚の支えなしに同じ高さに保たれている。目は、残った左目は、こちらをぎょろりとみていた。効果が無いとは思い難いが、これでもまだ生きているということらしい。

「こ、効果あり! 追撃、フラグ!」

 前線の誰かが狼狽えた声を上げながら二度目の攻撃を行う。効果があることは間違いないが、あまりにも常識からかけ離れた光景に驚きを隠せない。それでも確かに傘楯は一時的に剥げ、その隙を突いた銃弾は通り、目標の肉体は相当のダメージを負っているのだ、続けない理由は無い。

「五、四、」

 ピンを抜き摩擦紐を引いて遅延時間を稼でいる。俺達は土嚢に身を隠し、爆発を待った。

 カッ!

 何か土嚢の向こうに閃光が見えた。カウントダウンも終わっていないし爆轟音もない。手榴弾のそれではなかったようだ。

「今の光はなん……」
「あ、れ? 俺、何してんだっけ」

 確かに俺も白い光を訝しんだが、隣の中原は突然立ち上がり上半身を土嚢の外に曝け出す。そんなに気になるか? いや、些細な興味で防御姿勢を解除するようには鍛えられていない。光が気になるというのはまた別の理由が?

「馬鹿野郎! 何してんだオイ!? 爆轟前だぞ!」

 俺は中原の手を引いて土嚢の内側へ引きずり込んだ。不可解な中原の行動。だがそれ以上に気にかかったのは、手榴弾投擲の掛け声が止まったことだった。
 タクティカルミラーを放り投げ、土嚢の向こう側の様子を確認する。

(なに、してるんだ)

 何人かの兵士が、中原の様に棒立ちになってカバーリングを解除していた。銃も構えていない。きょろきょろとあたりを見回している。そしてそれは手榴弾手も同じだった。当然、信管着火は済んでおり、その『洋梨』はしっかりと手に握られている。だが投げる気配はなく、とぼけたような顔で自分の手にある『洋梨』を覗き込んでいた。周囲の兵士は、手榴弾手に叫んだり、あるいは訓練通りにそちらに足を向けて伏せている者もいる。だが、そうして棒立ちになっている手榴弾手の理由が、わからない。そして。

 ドムッ!!

 そのまま、爆発した。

(なにやってるんだ!? 事故か!?)

 鏡に映っていた光景が信じられず、爆風が収まってから自分の目で確認する。当然、手榴弾手はぼろきれになって倒れていた。止めようとした兵士もだ。訓練通り臥せった兵士もダメだったらしい。手榴弾は地面にあるよりも適度な高さで炸裂する方が効率的な威力が出る。手に持ったまま爆発したそれは、等高にある人体に対しては理想的≪最悪≫な爆発だ。臥せった高さよりも上部から注ぐ手榴弾の破片は、その体を見事に穴だらけにしていた。それだけじゃない、近くで棒立ちになってカバーリングをやめた兵士の何人かも巻き込まれて死傷している。

「このボケナス、何してやがる! 死んで詫びろ! ああ、二一隊は不能だ、クソッタレ! 前站、二一隊は戦力を消失、どうぞ≪ENQ≫」

―― 了解した≪ACK≫。事故か? その他の被害状況を報告せよ≪ENQ≫。
―― 事故だ、ああ事故だ≪ACK≫、それ以外に俺達があんなヘマをするわけがない!
―― 目標はどうなっている≪ENQ≫
―― ハチの巣だよ! だが何かをしてきた、その何かのせいで、手が滑ったんだ!

「山上、落ち着け。」
「これを落ち着けっていうんですか? 相撃ち≪FF≫ですよ相撃ち≪FF≫! この戦闘では奴の攻撃ではまだ誰もやられてなかったって言うのに、よりによって……!」
「うるさい、少し頭を冷やせ≪フリスクでも食ってろ≫! 中原、さっき、なぜ立ち上がった? 光の正体が気になったか?」

 そうだ、中原は何故さっき立ち上がった。同じことが手榴弾手にや他の僚隊にも起こったのだ。

「そ、それが、頭が真っ白になって」
「は? パニックか」
「いえ、違うんです。あの瞬間、いえ、今は戻っていますよ? でもあの瞬間、何もかも思い出せなかったんです。今がいつなのか、ここがどこなのか、手に持っているものが何で、目の前にあるものが何なのか、それに自分が誰なのかも」
「パニックだろ」

 それ以外に説明出来るものはないが、不可思議に違いはない。

「白い光を、感じたんです。その瞬間でした。頭がノートの新しいページをめくったみたいに一気に真っ白になって」
「光?」
「何なのかはわかりません。そこいらじゅうに散らばってるガラス片や金属片、それに反射した光を」
「さっきの、爆発前の光か」
「多分」

 俺も確かに閃光があったのは感じていた。タクティカルミラーで見た限りは、立ち上がっていたのは味方の内三分の一ほどだ。範囲内の全員に効果があるわけではないらしい。だが、明らかに、リメンバアンブレラの仕業だ。

「わかった。今はこれ以上それを論じてももう仕方がない。奴は、どうなった」

 鏡で土嚢の向こうを見る坂下。

「浮いたままです。見た感じはズタボロで動いていませんが、また楯を設営しています。」
「生きてるのか」

 銃弾ですでにハチの巣になっているはずの体で、謎の光線を放ってきた。依然浮遊しているようだし、あの光が最後っ屁とは思えない。

「さ、再生、しています」
「は?」
「体が元通りに、いや、違う、作り変わっていく?」

 坂下の意味不明な発言を確かめるため、鏡を開く。
 さっきG42の斉射を食らってハチの巣になったはずの目標≪三つ目野郎≫の体は、妙な箇所が盛り上がったり蠢いたりしている。

「なんだ、あれ」

 作り変わる、と表現した坂下の言葉は正しいように思えた。
 銃弾と手榴弾の破片でずたずたに引き千切れた各傷口から、新しいものが、生えてきている。失われた下半身、腰の断面から新しいつま先が覗いて、ず、ず、とそれは少しずつ伸びている。もう新しい脚は膝ほどまで伸長していた。筋で辛うじてぶら下がっていた左腕も、千切れた二の腕の断裂から新しい指が伸びて、掌が現れていた。ぶら下がる古い腕を、自ら邪魔だとつかんで千切り、捨てた。割れた頭蓋の奥、元の脳みそや目玉を押し出すように、更にその奥から別の色合いの毛髪を持った頭部がせり出して来ている。新しい目が生温かそうに濡れて、早送りの様にぐるぐると動き回っている。人の体から、まるで植物の様に新しい人体が生えだしている。形を残していた前の体の組織も裂け破れるように脱ぎ捨てられていく。新しく発芽する人間部分が大きくなるにつれて、外側の古い肉体は大きく赤黒く剥げ捲れる。押し出される元の肉体の組織が、ぐちゃぐちゃと粘る水音を立てながら床に落ち、赤黒い紐を押し出して地面に垂らしながら、新しい四肢が、まさしく芽生えていた。あれは人ではないが、人の形をしたものの中から無理やり別の人の形が押し出されてくる様は、余りにも異様だ。

「ちっ、させるかよ!」

 俺は銃を拾い上げ、まさに今再生していく化け物相手に、それを阻止すべく発砲する。だが、すかさず傘楯が展開して銃弾を防いだ。手榴弾は……使うのが躊躇われた。再度盾を剥ぐべきだが、さっきの光で自失状態にされてはかなわない。遅延信管の設定変更をしておくべきだった。

「くそっ」

 あきらめて形成土嚢の内側へ倒れこんだ傘に幾ら弾をぶち込んでも効果はない。弱そうに見えて、それでも神妖≪かみさま≫は神妖≪かみさま≫ということか。

「手榴弾の遅延設定を短縮しとけ、今のところ一番有効だ。後でもう一度仕掛ける。時短設定で即時投擲ならあの閃光で自爆する心配は無いだろう」

 山上、中原、坂下がの三人がその辺に落ちている薬莢を拾って、その端を手持ちの手榴弾の側面に刻まれた溝にはめ、九〇度回転させる。こうすることで、元々遠回りさせることで遅延時間を確保している信管の延焼経路を短絡させ、5秒の遅延時間を3秒に短縮設定することが出来る。元々はドライバーが必要で事前に設定する以外に変更する運用はマニュアルにはないが、現場レベルでは何か適当な硬いもので回すというのはよく用いられている方法だった。

「こんなことなら煙幕要らなかったですね、全部防御手榴弾にすればよかった」
「何が起こるかわからないんだ、仕方ないだろう。それでもここにいる全員分を合わせればそれなりの数だ。一人頭手持ち四つのうち四つともそうだろうが三つだけがそうだろうが、変わらんだろ」

 手榴弾は一人四つ。今回は内ひとつはスモークグレネードだ。残り三つが防御破片手榴弾になっている。
 それよりも問題は、再生能力が高いことだ。手榴弾で傘楯を剥ぐ方法が有効にせよ、銃撃が致命打になっていないのであれば意味が無い。だが、それでも今はこの方法を続ける以外にない。無論後退戦も後備の策として用意はされている。だが対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫は地下封じ込めの局面における最終ラインで、出来ればそこまで引き込みたくないというのが本作戦の(本音であるかどうかはともかく)基本方針だ。戦略室内では地上に上がってしまった後のことも立案はされているのだろうが、俺達のところまでは降りてきていない。

―― 一八隊の一之瀬だ。奴が防御重視の戦術をとっている今の内に押し込むべきだと考える。手榴弾で崩す戦術は有効に見えるし、手榴弾の遅延時間を短縮して自爆の可能性を排して再試すべきだ。前站、各員、どうか≪ENQ≫
―― 前站は再試を許可する≪ACK≫。

 他の部隊からも肯定的な意見が聞かれた。いくつか、さっさと作戦状況を「日火乙≪022≫(対特車障害Ⅱ型による排除作戦)」へ切り替えるべきだとの声も聞こえた。確かにそれも一理あるとは思ったが、それは俺達が壊滅してからでも少人数で実行出来る本作戦最後の状況だ。上が採用するはずもなかった。
 俺の提案が支持され(おそらく前站ではすでに検討が進んでいたのだろう)、ARゴーグルにはデータリンクを用いてそれに有用な、誰がどの辺に投擲すべきか、手榴弾設置場所に応じた退避領域の表示、各員の残弾などの情報が追加表示された。

「時短設定、完了しました。目標監視、交代します」

 時短設定を終えた坂下が警視交代を進言してきたので、バトンタッチした。俺が時短設定をしている間は彼が目視による警戒にあたる。

「傘矢稼働は依然緩慢。防御・再生中のようです」
「どれくらい『生えて』いる」
「もうじき人の体の形に戻ります。あんまり見ていたい光景ではないですね。人の肉が剥げて中から人の体が出てくるなんて。傘でほとんど見えなくなってるのが今ばっかりは有難いです」
「仕事だ、我慢しろ。あれは、人じゃない」
「わかってますけどね」

 時短設定が完了した手榴弾を胸ポケットに押し込みながら、自分でも奴の姿を見る。

「待たせた」
「もうほとんどお色直し完了ですよ。さっきよりはずいぶん可愛くなりましたね」
「抱き着いてキスでもしてこればいい」
「死んでから考えます」

 出来上がった新しい体は、粘液のようなものに濡れて薄い光をてらてらと反射している。卵から孵化したばかりのエイリアンを髣髴とさせるゼラチン質に粘る液体、あれは、卵白かあるいは羊水のようなものだろうか。だがそうして現れた新しい人型は裸ではなかった。服を着ているしアクセサリだってつけている、そういう服飾品すべてを一緒くたに見たものが人間という生き物なのだと言わんばかりの生まれ方。元の体を突き破って生まれたのは、元の体よりも少しばかり大きい。長い緑の頭髪に髪飾り、体格も標準的な十代女性に近しい。股間から腹にかけて裂けて中身が失われているように見える。その他、手首足首に貫かれたような穴が開いていた。姿は違うが、やはり、前の体と同じく動く死体のような生気のない肉体が出来上がっている。体が再構成されたことにも驚いたが、それよりも目を疑ったのは、出来上がったからだが地元の高校の制服を着ていることだった。
 緑色の長髪が、しな垂れた頭部から真下へ落ち、粘液を滴らせて地面まで糸を引いている。そのせいで奴の表情を知ることは出来ない。急に現代味(現実味は無いが)を帯びた姿に変化したリメンバアンブレラ。変わらないのは、その死体然とした肉体と、唐傘を差し、無数の忘れ傘を従えていること、それに、片目にだけ銃弾が当たったのだろうか、片方の目だけが前の体の色をしてる。今は、左右で目の色が違っていた。

「……あれが、可愛いかね。リロード、済」
「制服が」
「買うのは新品だけにしとけよ」
「まだ買ってませんが、この作戦に参加して買う気をなくしました。リロード、済」
「そいつは結構」

 地元高校の制服を着ていることを考えると、素直に考えて、あれは今朝方奴に殺された被害者だろう。まさか殺した数だけ肉体があるとでもいうのだろうか。それ以上を観察する暇はなく、まもなく傘楯に視線を遮られた。

―― 一八隊より前站。依然、目標≪リメンバアンブレラ≫と交戦中。ダメージは与えたが、高い自己再生能力を持っているらしく、復元。更に、目標の不明閃光攻撃が原因で負傷者が多数出ている。傘矢の活動は緩慢だが、再び傘を盾のように展開して防御行動をとっている。送れ≪ENQ≫。
―― 前站より了解≪ACK≫。手榴弾の時短設定は各員の完了を確認している。再試タイミングは任意。送れ≪ENQ≫
―― 了解≪ACK≫。

 斥戦二六隊の一人が手榴弾手に指定されていた。手榴弾投擲時には合図があるはずだ。制圧射撃で防御を促しつつ傘矢の稼働を抑え、手榴弾投擲を待つ。
 ふと、傘楯で防御を固めている目標≪三つ目野郎≫を追随する傘の動きが変化しているのが気になった。横倒しに浮遊して飛行していた傘の一部が、縦になって「ちょん、ちょん」と跳ねて……歩いているという風にも見える。孑孑のようだ。横に飛行するものに比べて幾らか速度が遅く、速度差によって傘はひとまとまりに固まっている。そうした一団が幾つかか出来上がっていた。傘矢は今は完全に停止しており一本も飛ん出来ていない。

(なんだ?)

―― 後続の傘の動きに変化がある、警戒しろ。

 斥戦の二六隊から通信が入った。すぐに手榴弾投擲を行わないのは警戒してのことらしい。
 本体のリメンバアンブレラは、体の再構成が完了したもののまだ傘楯の奥に引きこもっている。代わりに確かに後ろの傘の動きが活発化していた。

「何かさせる前にすぐに投げろ!」

 相手の未知の行動に対応することは困難を極める。それよりもさっさと封じ込めたほうがいい。俺の声を聴いて、二六隊員が手榴弾を手に取った。ピンを抜き摩擦紐に手をかけた時だ。
 ざく、という音が聞こえて手榴弾手は摩擦紐を引くことなく倒れた。

(まずい)

 何かがあったらしい。何かはわからないが、やられた。既定の手榴弾手に任せていては不慮の事象で頓挫すると感じた俺は、胸ポケットから手榴弾を取り出そうとする。が。

「っ!?」

 目の前に、孑孑の様につんつんとはねる傘が、現れた。傘が、土嚢を自分で回避して、回り込ん出来たのだ。傘は俺の姿を認めると、体を横倒しに浮遊して先端をこちらに向けた。

「おいおいおいおいおい、ファンネルとか反則だろ!?」

 俺は倒れこむように伏せて回避を試みる。幸い、初弾は掠めるだけで済んだが、立移動している傘はさっき見た限りではまだ考えたくない数存在していた。

「くそっ、フラグ! ピン抜き、投擲! 爆轟、」

 倒れこんだついでに手榴弾を目標に向けて投げつける。転がす余裕はなく、高さをもってリメンバアンブレラのほうへ。見ると、奴は傘楯を解除していた。もはや防御は不要と思ったのだろうか。その判断を自ら立証するように、手榴弾はまるで野球のバッティングみたいに浮遊する傘に撃ち弾かれた。

「いぃいい!? 今!」

 どん、と破裂したのは土嚢付近。破片は、撃ち返した傘がそのまま展開する形で減衰させている。こっちは土嚢が無かったらまた自爆だった。

「なんだよそれ、いくら何でも反則だろ!?」

 元々人間相手とは異なるのだから常識など通用しないのだが、余りにも漫画的で笑うしかない。俺のところだけではなく、各所で同じようにファンネルモード(俺命名)の傘が猛威を振るっているようだった。
 俺は冷や汗で苦笑いしながら、考える。小型で、大量殺戮兵器も持たない神妖≪かみさま≫だが、それでも人間では手に負えないというのか。俺はもう破れかぶれと立ち上がって状況を俯瞰する。

「分隊士、伏せてください!」
(伏せたって狙い撃ちだろ、あれじゃ)

 内心毒づきながら、わかってるよ、とだけ小さく返した。
 リメンバアンブレラはまだ悠然とコンコースの真ん中に佇んでいる。傘がハリネズミのように全天型に外向展開して撃てば矢、開けば盾になる状態。更にそれを取り囲むように、発射準備済の横向き傘と、孑孑移動するファンネル傘が分隊を組んで幾つもの小隊を成している。

(俺達の行動を真似している?)

 そうそれはまるで俺達の隊行動を真似しているようだった。それぞれの傘が分隊として自律行動し
、更に傘の一本一本も独立して行動している。さっきから映画のワンシーンばかりで、これは全部映画なんじゃないかと疑ってしまう。
 横倒しで飛行する高機動な傘が立移動の傘を先行している。立移動の傘の方が小回りは聞くのだろう、土嚢や物陰では一瞬立移動の傘が前に出てまるでクリアリングのような動きで、当然そこにいる隊員に狙いを定める。自身は横倒しになり、一拍遅れて入ってきた飛翔傘がすかさず串刺しにする。他の獲物がいれば総員矢となって攻撃を仕掛ける。そんな四、五本一組にした傘の正体が後方に無数に広がっていた。

「くるな、くるなあっ!」
「傘の分際で! たかが傘の、ぐぶ」

 先端を向けられた兵士が、傘に向かって発砲する。銃弾が当たれば傘は破損してその場に落ちた。一発では落ちないものもあったし、だが後ろからは次々に傘が迫来している。撃ち漏らした傘が兵士の体を土嚢の内側に串刺していった。
 傘相手に必死の迎撃を強いられている。撃ち漏らせば一撃必殺の矢がとびかかってくるのだ。悲鳴と断末魔が飛び交い銃声が無秩序になっていた。時折爆音が聞こえるのは、手榴弾で一網打尽を考えた奴の行動だろうが、さほど意味があるとは思えない。味方への被害を考えると血迷っているとしか思えなかった。

「さがれ、さがれ! 土嚢を増築しろ」
「間に合うわけが無……あ、ああっ!」
「リロード! カバー、カバー頼む、まって、弾がまだ!だれ、がっ」

 回り込まれるばかりが危険ではない。自律行動を行う様になった傘の飛翔高度は、土嚢の有効防御高を越えている。普通に高台から撃ちおろされるのと同じ状況になっていた。

「うわっ、うわああっ!」
「おい! 傘ごと俺をねらうな、おい」
「くそっ、めちゃくちゃだ、こんなの聞いてない!」

 無秩序な発砲音が地下に乱れ鳴った。銃声だけではない、人間の悲鳴も漸増している。傘のような空気抵抗の大きいものが無理やりに超高速で飛ぶのには無用な抵抗と無駄にでかい音が鳴るが、その音が余計に恐怖心を増す。それ以外にも傘の先端がカツカツと床を打ち鳴らす音が響いている。まるで整然とした軍靴の音だった。悲鳴と銃声を、傘の音が上回っていく。今朝方に秋来宮駅に出来上がった光景が、再現しようとしていた。
 動体射撃の訓練は確かに行うが、円盤射撃ばかり延々と、それを間断なく部隊全体で続けるような状況は想定されていない。個人で短時間の延命は出来るが、リロードの間に貫かれたり、一本打ち漏らしただけで即死が約束されたり、絶望しか見えない。ショットガンでもあればましだったのかも知れないが、そうした面制圧可能な武器は、現存装備に含まれていない。

「シャッターを、シャッターを開けてくれ! ここからッ出……ぐげ」

―― 前站、出口のシャッターを開けてくれ! このままじゃ
―― シャッター開放の操作はしているが、電源系統が死んでいるらしい。他の部隊に合流し、迎撃しながらA-1まで退がれ。

(あー、もうだめかもしれんな、これは。……『今朝』の再現だ)

 次々と効率的に僚隊が死んでいく。俺も時間の問題かもしれなかった。状況を確認した俺は気休めではあるが再度土嚢に身を隠して、通信する。

―― 目標の状況更新、防御を解除して完全に攻転した! 傘がそれぞれ自律的に発射位置を変更して敵を狙撃する! 形成土嚢では防げない! 送れ≪ENQ≫!
―― 現状を把握・分析している。作戦を状況「日木丁≪014≫」から状況「日火乙≪022≫」へ繰り上げる。状況「日木戊≪015≫」から「日火甲≪021≫」はスキップする≪CR≫。作戦再開≪LF≫。

 日火乙≪022≫は、A-2出口への主幹コンコースの脇道に配置された各員が防御火力と陽動を以てA-2方向へ移動しつつ、移動前の場所へ対人障害Ⅳ型≪サイ≫を設置する作戦とその状況を指す。言ってしまえば誘導を兼ねた撤退戦である。対人障害Ⅳ型≪サイ≫はアレが別の出口から地上に上がることを防ぐ苦肉の策で設置されるもので殺傷兵器ではないし、ああなった目標に対しては足止め効果もあるとは思えなかった。

―― 二六隊、二八隊、A-1に向けて後方へ。支援にあたっている隊は防御火力を展開し後退を支援しろ。

「状況日火乙≪022≫へ更新された。」
「わかってますよ! でも、防御火力って何だ、クソッタレ! 当たる武器よこせっての!」

 リメンバアンブレラ≪濡れた女子高生≫から幾許か距離のある一八隊は、傘ファンネルの到来が少ない。まだ銃で丁寧に撃ち落とせば何とかなる状態だったが、奴に後続する傘の行軍を見るとそれも時間の問題だろう。
 撤退戦といってもこの状況でまともに作戦が実行出来るとは思えなかった。接近されるとまともに防御行動がとれないのだ、やられるままに殺されるのではないか。

「撤退しましょう。ここを上がって一旦形成を立て直すべきです」

 一八隊の位置は、上層階につながるエスカレータに近い。エスカレータの進行方向は上と同時に、A-1出口からは遠ざかる格好になっていた。ここを上って土嚢で防衛陣地を張り、上から撃ちおろす形で防御すれば何とかなるかも知れない。奴がA-1から地上に出る動きを継続するのなら、逆行するこちらにはさほど注意を向けないかも知れない。それは確かだが、目の前で次々殺されていく僚隊を見殺しにすることになる。

「それは、出来ない。最善を尽くす。」
「はぁ~、ですよねー。そう言うと思ってましたけど!」
「一八隊、撃ち方、短連射。山上、全部は無理でも出来る限り前線部隊を攻撃する傘を打ち落とせ。俺と坂下はこの付近と山上を防御する。中原は形成土嚢を増設しろ、規定使用外だが、重ねて展開して高さを稼げ。前線の部隊を受け入れる。A-3、A-4出口の水災防壁のレールを遮らないよう注意。前線の部隊を受け入れたら、水災防壁が閉じるまで上の階で防御する。」

 水災防壁は、大規模水害に対して地下の浸水を防ぐための目的で設置された隔壁だが、実際には首都圏の地下構造体全体を核シェルターとして機能させる計画(実際には核戦争を前提とした税の使い道に市民団体がNOを出したために途中で頓挫し、完遂されていない)の賜物だ。対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫起爆時に隊員を退避させるのもこの隔壁も使用する想定だったが、対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫の準備を待つ余裕が無くなった。俺は可能な限りこの内側に兵士を退避させて隔壁を閉じる独断を下した。
「どうか?≪ENQ≫」
「支持します≪ACK≫」
「支持≪ACK≫」
「もうどうにでもなれって感じです≪ACK≫」
「では、作戦実行≪CSI≫」

 手持ちの土嚢形成種を中原に渡す。山上と坂下もそれに従って土嚢形成種を中原に渡した。中原が一番防衛陣地設置競技の成績がいい。施設科に取られやしないか冷や冷やしてたくらいだ。
 この時点でアレの殲滅は、十分な前準備を出来ないままの対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫次第となった。神妖≪かみさま≫相手に銃程度の兵器では抵抗出来ないと判断され、この作戦の最終ラインが引きずり出されたのだ。だが対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫の特盛運用が、奴に通用するのかどうかも不明だった。

―― こちら一八隊。この付近に上の階に昇るエスカレータがある。一八〇秒≪ひとはちまる≫だけ持ちこたえるから各員防御しながらこちらへ合流せよ。一八〇秒≪ひとはちまる≫を超えたら、済まないが我々は上の階へ退去して防戦に入る。

 通信を得ると、各員それぞれが防御火力を展開して傘を迎撃しながら少しずつこちらへ向かう。既に部隊として機能はしていない、各個行動だ。主幹コンコースを横断しなければならない者達は、そうでない者に比べて非常に危険だった。主幹コンコースを挟んでこちら側の者は土嚢と壁を使って防御正面を限定出来るが、こちら側へ横断する必要がある者は一時ではあるが無防備になる。移動、僚隊の援護、移動、をそれぞれがこまめに繰り返す神経質な移動だ。定点射撃を行える山上の手腕の見せ所ではあるが、全員助けられるなどとは思っていない。

「二五隊は合流組を率いて上に移動して先に防衛陣地を敷いていてくれ」

 同じく後方にいて合流が容易だった二五隊へ、先行して上の階での防御陣地の形成を依頼する。二五隊はそれを承諾して上の階へ進んでいく。上の階からも傘が侵入してくることは無いが、それはそれで警戒しておきたい。
 前面は、退避が始まっている。防御火力を展開しながらの確実な後退であるはずだが、広がっているのは阿鼻叫喚の図だった。俺達も、少々訓練を受けただけの人間だ、恐怖心に支配されればロボット兵のように冷静に作戦を実行出来るだなんて思ってはいなかったが、こんなにも無様に崩れるものなのだなと苦々しく歯噛む。

「こっちだ、急げ!」
「停止、停止だ! クリアする!」
「よし、行け!」

 本体の方は、あくまでも静観している。前の体から引き継いだ赤く濡れた目を、新しく生えた長い緑髪の隙間から覗かせて、同じく血のように赤い唇は、はっきりとは見えないが笑っているように見えた。やはり、本体(なのかももう怪しいが)にはさほど意味は無いのかも知れない。あれはただの忘れ傘の意志の体現であって、そこに像を結んでいることだけが重要なのかも知れない。本当の意味での「本体」などなく、忘れ傘一本一本が、あの濡れた女子高生≪リメンバアンブレラ≫をサーバとした半独立制御系なのだろう。もちろんあれを破壊出来れば忘れ傘の稼働は止まるのだろうが、目下重要なのは、目の前の傘の群れだ。

「あ、うあ」
「たっ、たすけ……あ、あ、」

 閃光。

「まずいっ!」

 加えて先の不明閃光攻撃。周囲を見回すが、退避完了組に発現は無い。退避中の僚隊は、何人かが棒立ちになって……傘に貫かれていた。

「あのスタングレネード卑怯くせえ……ウチ≪自衛隊≫にも欲しいな」
「投げてもいねえから警戒出来ないしな。FU◎K.」

 今の不明閃光攻撃で忘却状態を強いられ自失状態のうちに殺される者も含め、こちらへ向かう途中で不覚の方向から現れた傘矢に無念に貫かれる兵士が、ほとんどだった。頭を割られたり心臓を一突きにされたり、即死出来ればまだいいのかも知れない、傘のような雑な凶器で突き刺されて死ねなかった時の苦しみはいかばかりだろうか。背中から刺さった傘の先が腹から飛び出していて、自分の視界下に覗くのだ。弾速は銃弾に等しい、空洞現象が起こっているのか貫かれた出口の方が傷口は大きく、「中身」がクラッカーのように飛び出す者もいた。十分な口径の弾丸に等しい、足を撃ち抜かれれば吹き飛び歩行など出来ない。転倒したところをとどめを刺すかと思えば、失血で死ぬのを見越してか追い打ちをせずそのまま放置するのだ。必死の形相で血の跡を引きながらこちらへ這いずってくるが迎えに行くことも出来ない。間に合えば受け入れるが、あの速度では一八〇秒に間に合うまい。あと一歩でこちら側に滑り込めるという目の前で頭を抜かれ、伸ばした手に赤い飛沫だけが残ることもあった。

「合流しました! た、たすかっ」
「まだだ、迎撃しろ。他の者の合流を手伝え」

 助かった者は幸いだ。だが安堵は無い。俺は合流組に防御を命令する。他の部隊の者だし、もしかしたら他の部隊の長かも知れないが、俺は支持を出した。隊として無傷なのは一八隊だけ、後方にいたためにまだ落ち着いているのは二五隊だけだ。他の隊は崩壊している。この局面ではもうこの退避作戦しかなかったと自負はしているが、この退避作戦が優れた方法だったとも思えない。こちらへ逃げ込もうとする僚隊の内、ほとんどはここへ到達出来ずに死んでいた。

「九〇秒≪きゅうまる≫経過」
「未退避の生存者、三名と思われます」

 土嚢に隠れて小さくなったまま、偶然にまだ傘矢に捕捉されていない兵士が、三名ほど見える。

「動けるか!? 援護するから、こっちへ来い。傘を迎撃して後続を断ちながらだ!」

 傘にとって目標の数が減り、一人に向かう傘の数が相対的に増加しいている。狙われれば回避は難しいだろうし……それを引き連れたままこちらに来られては、正直、こちらが危機に陥る。傘を打ち落として追撃を振り切りながらでなくては困る。

「中原、坂下、あとそこの人、迎撃に手を貸してくれ。もう排除目的の戦闘はこれっきりだ、弾の出し惜しみはしなくていいから、残り三人の受け入れに全力を注ぐ。山上は可愛い女子高生の方を見ていてくれ。」
「了解≪ACK≫」
「了解≪ACK≫」
「はい≪ACK≫」
「ぇええええ≪ACK≫」

 塹壕掘るかトーチカ構築したい気分だ、こんな絶望的な防戦、経験したくもない。

―― 死角のクリアリングを頼みたい
―― クリア、そこにはいない。
―― 了解。次の地点まで移動する。援護頼む。

 声は震えながらも落ち着いて動くやつもいるし、

「後ろ!」
「ひぃ、いい! ああああ」
「討ち取った、動け!」

 そうではないやつもいる。落ち着いている奴は不意にファンネル傘に出くわさないことを祈るばかり(ほとんどの場合結局であって貫かれるのだが)だが、中にはなかなか肝の座った≪・・・・・≫奴もいて、ああして全く自分で打ち落とす気配が無い。一目散に逃げていて、山上達の防御射撃が運良く通用して生き残っていた。
 退避組の一人が腰を落として銃を傘の群れに向けた格好で発砲しながら走りこんでくる。比較的しっかりした動きだ。あんなに落ち着いた動きは俺も出来ないだろうな。数少ない生存者だ。

「ああああああっ!!!! 二六隊畑中、合流しました! ありがとう、ありがとう!」
「いい動きだった。これが訓練で俺が上官なら褒めてやりたいところだが、生憎どちらでもないのでね。関東に来た時には市ヶ谷のうまい店でビールを奢ってやる。」
「残り二名。あ……一名です」

 一八〇秒を提示したが、思いの外早い。やはり自衛隊の練度は高いな、ほとんど死んでしまっているが。
 残りの一人は、あの臆病者だ。臆病なりに生き延びているのだが、手榴弾の援護射撃で後続を断ったりして時間稼ぎをしているがいかんせん自分で戦う意思がなさ過ぎて援護も限界に近い。
 あの一人をどうやって収容するか考えているところに、坂下が落胆した声をかけてきた。

「分隊士、二五隊の奴ら、やってくれましたよ」
「なんだ?」
「先行組が、土嚢を横倒しに設置して、全部塞ぎやがった。」
「……はっ?」
 二五隊は上で防衛陣地を敷いているはずだ。坂下に促されてエスカレータの上側を見ると、向こう側が見えない。見えるのは、形成土嚢の装甲面だった。

「人を殺すのは、人ですねえ。はは……ふざけんな畜生!!!!! ぅああああああああああああ!!!」

 中原はエスカレータの上り口を塞ぐ形成土嚢の装甲面に向けて発砲する。当然効くはずもない。文字通り梯子を外されたわけだ。突然袋小路になったところで、傘の最前面に立たされる。全く、何て日だ。俺は結構善処してると思うんだがな、敵にも味方にも恵まれない。

―― 前站、前站。こちら一八隊余三名。敵の攻撃で≪・・・・・≫他の部隊と分断された。本隊に残された退避方法は水災防壁の閉鎖だけだ。水災防壁の閉鎖と対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫の起爆を早めて欲しい。
―― こちら前站。既にその方向で動いている。閉鎖開始は残り二〇秒≪ふたまる≫だが、閉鎖完了まで六十秒≪ろくまる≫程かかる。それまで持ちこたえて欲しい≪ENQ≫。
―― 善処する≪ACK≫。
―― 一八隊の働きは素晴らしいな。なお、「陣中の敵」については、厳格に処断する。

「望んじゃいねえよ、そんなこと。みんな、生きたいだけだ。」

 通信を切ってから、一人ごちた。

(たぶん、リメンバアンブレラ≪あれ≫もな)

「と、いうことだ。天国まであと1分弱ってところだな」
「天国ってどっちっすかね?」
「好きな方を選んでいいぞ」
「俺まだ現世に未練が強いもんで」
「女子高生はお預けだな」
「それはもう諦めましたよ」

 後八〇秒ほどだ、奴の総攻撃が来なければ生き延びられるかも知れない。総攻撃がこれば、多分絶望的だ。それと、あの生き残り。味方に対してこの言葉を使うのは忍びないが、俺たちも締め出された身だから敢えて使わせてもらうと、足手まといだ≪・・・・・・≫。

―― 隔壁閉鎖を開始する。
―― 了解≪ACK≫。迎撃態勢を継続。

 水災隔壁がレールに沿って閉じていく。傘矢にこれを貫く力は無いはずだ。これさえ閉まってしまえば、何とか生き延びられるだろう。対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫が効くかどうかはもう考えたくない。
 残り一名の動きが気になったが、状況は斜め上に悪化していた。

―― 待ってくれよ! おい、見捨てる気かよ! あ、あ、あああ! たすけて、たすけてくれ! そっちに行きたい、なあ、全力ダッシュでそっち行くから、傘頼むよ、大丈夫だって、きっと食らわねえから、きっちり後ろ抑えてくれれば大丈夫だって

 防御火力を展開せずこちらに滑り込むつもりらしい。

―― 落ち着け、傘の後続を漸減させないと守り切れない。そっちでも対応してくれ。閉まり切るまで六〇秒ある、間に合うから落ち着け!
―― 無理だって、無理無理無理! 当たんねえよ、こんな傘にあたるわけないだろ!
―― お前が当てられなきゃ俺達だって当てられない! 助かりたいなら協力しろ!

 後ろから常に補充される傘ファンネル。どんどん数が増していく。時間をかければ不利だが、一気に引き込むことも出来ない。削りながら少しずつ寄せる以外に方法は無いのだが、当人にやる気が無い。彼を取り巻く傘の数がどんどん増えていく。

―― いやだ、早くここから出たい、なあ、出たいんだって、あ、あああ傘傘、傘、傘! 傘、傘! カサがカサがカサカサカサカサカサが、カサカサ、カサが!

 突然、彼が飛び出した。銃も持っていない。完全に傘の群に背を向けて、走り出した。こっちへまっすぐに向かってくる。その急な動きに反応したかのように、傘ファンネルの動きも活発化した。機敏に彼を取り囲み、照準を合わせて斜線を重ねないように若干展開しながら移動する臆病者の動きを追尾する。
 まずい、あんなものを一気に引き連れてこっちに来られた日には、一分待たずにこっちも全滅だ。

「止まれ! そこの土嚢にいったん退避しろ!」
「うあ、うああああ、ああああああ傘傘、傘! 傘あああ! いやだああああ!!死にたくない死にたくない! 助けてくれ!!」

 まるでハチの巣を突いて逃げる漫画のように、臆病者の後ろを何十本もの傘が追尾する。新しく補充される傘も真っ先にそちらへ向かっていた。状況だけは、漫画のような能天気では済まない。
 水災防壁の閉鎖は進んでいる。入り口は狭まってはいるが、アレをどうにかするには今少し間に合わない。あの一団が入り込まれたら、ここにいる七人は全滅必至だ。

「トレイン野郎、MPKする気か! ああ、PKしたい、PK、あのクソ野郎! 前站≪GM≫、前站≪GM≫、アレ撃っていいだろ!? 対応しろクソ運営!」
「何言ってんだ?」
「ネトゲスラングですよ、中原はネトゲオタなので。無駄に敵連れてくるなお前も敵だボケ殺すぞ、って言ってます。」
「……まあ、大体合ってるか」

 こっちはこっちに向かってきている別の傘に対処するだけで精いっぱいだ、ああして大挙攻めてくる傘を捌く手数は無い。俺は、通信をSquadOnlyに切り替える。

―― 山上、人の方≪・・・≫を撃て。
「えっ」
―― 誤射だ≪・・・≫。この状況だ、そういうこともある。

 あのまま迂回行動も防御火力展開もしないでまっすぐこちらに向かってこられたら本気でこちらが壊滅する。人の命は救うべきだが、一人だけ≪・・≫の命を救う程の余裕も無い。
 それは誰もわかっているが、だからと言って意図的に味方を撃つなんて、上の奴らと同じだと言われても否定は出来ない。山上は、言葉に出さずに否定応答≪NAK≫を返信してきた。

―― 俺がやる。そこを守ってろ。

 俺は山上の肩を引いて俺のポジションへ納め、俺がそこに収まる。何をするのかわかっている山上は俺の方からすぐに視線を剥いで、目の前の傘迎撃に入った。
 俺は銃……ではなく、手榴弾のピンを抜いた。摩擦紐を引き、防御火力を展開せずにこちらに逃げてくる僚員≪MPKer≫の足元へ、転がす。

「爆轟、」
「え、なん……」
「今!」

 足元に洋梨が転がってきたのを見た兵士の悲痛な目。許せ。だが、そうしないと、一挙に傘がこちらへ誘導されてくる。そうなったら、ここを守り切れない。俺を怨め。
 爆発によって後続の傘の進行も大きく抉られる。銃で丁寧にそれを打ち落とし、防御持続可能性を取り戻した。水災防壁が閉まり切るまで後わずか。

「もうじきだ、守り切れ!」

 誰もが今のことに目を瞑っていた。目の前の傘を打ち落として自分が生き残ることを考えている。自分のベストがチームワークで、その独善的なチームワークしか、今を切り抜ける力たりえない。誰も今の「誤爆」を非難する言葉を口にはしなかった。
 隔壁と壁の隙間が縮まっていく。3メートル、2.5m、もうじきだ。

「いける、い」

 するり、とまるで小魚が岩をかいくぐるように滑らかな動きで、傘が一本入り込ん出来た。

「わ、わわわわ!」

 目の前に傘が一本、至近距離だ。距離をもって迎撃して何とかなっていたところ、懐に入り込まれてしまう。隔壁はまだ閉まり切っていない、あの一本に気を取られると、わずかな隙間から雪崩れ込まれてしまう。入口外に向かった防御の手を休めるわけにはいかないが、後ろに回った一本の傘だけが、振り上げられた死神の鎌だ。その先端が、誰かを捉えているようだった。この距離、傘矢が放たれれば回避は出来ない。誰が、死ぬ?
 背後に回った傘を見ている余裕は無かった。どんな傘が入り込んだのか確認は出来ない。どこで誰を狙っているのかもわからない。

「俺に来い! 俺だ、ボロ傘野郎! 見覚えがあるぞ、お前は俺が三年前に美国ヶ丘駅で失くした傘だ、そうだろうボケナス! わかったらさっさと俺を撃てよ! ああ!?」

 傘を見てなんかいない、完全に口から出まかせだ。でも、この手で一人殺した俺が撃たれるのが、妥当な気がしていた。
 もうじき閉じようという隔壁と壁の隙間の向こうで、追撃の手は緩まっていた。銃弾や手榴弾による再度の被害を傘自身が警戒したのかも知れないし、深追いが無意味と思ったのかも知れないが、ちょんちょん、と孑孑じみた動きでそこに留まるすがたは、味方を切り捨ててまで生き残る俺を嘲っているかのようにも、見える。そして、隙間が、閉じた。

―― 隔壁、閉鎖完了。

 水災防壁は閉鎖された。俺はまだ、生きていた。

「「「「うわあああああああああああ!!!」」」」

 全員が一気に振り向いて、背後のどこかにいる傘にむけて発砲した。どこにいるか確認していない。それぞれがバラバラだったり被っていたり、思い思いの方へ目冥滅法でトリガを引きっぱなし。まるで素人だ。
 タイミングはバラバラだが、全員のマガジンが空になって銃声が止む。リロード! と叫ぶ坂下。訓練を受けた身としては恥ずべき事だが、弾が切れていながらリロードを始めたのは彼だけだった。

 エスカレータの上り口を通り過ぎた少し向こうに傘が一本落ちたのを、皆が見たからだ。

「はっ、はっ、はっ」
「やっ、た?」

 慌ててリロードする他のメンバ。誰もやられていない。一足先にリロードを終えた坂下は全員のリロード完了まで落ちた傘へ銃口を向けて警戒している。

「リロード、済」
「リロード、済」

 一定距離を取り銃口を向け散開し、傘の先端の方向をさけながら、落ちた傘を巻くように近づく。
 傘の柄の部分に誰かの銃弾が当たったらしい、柄が無くなっていた。だがそこが傘の動力だとの確証は無い、まだ動くかも知れない。一歩一歩と警戒しながら近づくが、傘はとうとう動かないまま俺の足の下にいた。
 バン! と一発、その傘の菊座あたりを撃ち抜いてやる。この辺りが、頭のような気がした。

「クソっ! ああ、クソっ! やってくれたな! どうですかっ、息の根は止まってますか!?」
「ああ、多分……」
「?どうか、したんですか?」
「いや、何でもない」

 発砲した俺の反応を訝しんだ中原だったが、それ以上のは突っ込んでこなかった。それぞれが言葉を発することも出来ずに、ただ、深い息だけを吐いている。生き延びた、それ以上のことは、今は半ばどうでもいいのだ。上がったままの呼吸はまだ荒い、警戒心も落ち着いてくれず、背後がやたらと気になる。相手が爆発物を抱えたテロリストなら絶対にしないことだが、壁に背を預けて、ずる、ずる、と座り込む。

―― 前站、こちら一八隊余三名。退避を完了した。作戦状況を更新してくれ。送れ≪ENQ≫。
―― 了解≪ACK≫。作戦状況を日火丁≪024≫へ更新。目標の位置に関わらず対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫を起爆する。対衝撃体勢。

「……オウンゴールしたし、俺クビかもなー。二五隊のこと言えんわー。どっか外人部隊のある所でも行くかな」
「だったら俺もついてきますわ」

―― 対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫発火用意、五、四、三、二≪ふた≫、爆轟、今

 水災隔壁の向こうで爆音が響いたのを、どこか意識の遠くで聞いていた。目標はともかく、傘の群はこれでかなり減っただろう。
 俺は立ち上がって一本ここに滑り込ん出来た傘に近づいた。足元に転がる、最後の最後で隔壁の内側に入り込んだ傘を見た。それは柄の部分と菊座の部分を打ち抜かれてただのガラクタになっていたが、それでも見間違えようもない。口からでたらめで言ったつもりだったのだが、その傘は確かに、三年前に紛失した、俺の気に入りの傘だった。







―― こちら前站。対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫、甲乙丙三並列とも正常作動を確認した。各隊へ生存応答要求≪ENQ≫。

 隔壁の向こう側がどうなっているのか、もはやわからない。前站から生存確認が入る。

―― 一八隊、肯定応答≪ACK≫。

 上の部隊からも肯定応答≪ACK≫が報告され、爆薬による二次被害は生じていないことが確認された。しかし、問題は目標≪リメンバアンブレラ≫の方の生存である。隔壁の向こうで奴がどうなったのか。

―― 作戦は終了した。そこから反対側のC-12出口を開放してある。各隊C-12出口より脱出せよ。

「C-12って……うげ、ここか、遠いなあ。秋来宮駅って端から端まで歩くと普通に十分くらいあるんですよね」
「開いてるだけマシってもんだ。一旦引き上げだ。目標がどうなったのかによっては、まだ全然生きて帰ったことにはならんがな。壁の向こうにはまだアレがいるかも知れないんだ。」
「了解」

―― 一八隊より前站。これより脱出する。……目標はどうなった?
―― こちら前站です。対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫の起爆を以て、当現場の指揮権は自衛隊からCIPHERに移譲されました。自衛隊の隊員は速やかに現場より退去してください。今後、必要のない限り、現場への立ち入りを禁じます。

 声が、女性の者に切り替わった。前站と通信して、相手が切り替わることこれで三人目だ。なんて指揮系統だろうか。

「CIPHERのお出ましか。対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫では効果が無かったということかね」
「……かもしれませんね」

―― 一八隊より前站。目標地点まで8分はかかる。その間の敵の脅威の有無は作戦行動に大きく関わる。目標の現状を知らせて欲しい。不明なら不明でも構わない。送れ≪ENQ≫
―― こちら前站。目標は生存です。が、退出に支障はありません。CIPHER≪こちら≫で対応します。こちらから「対応策」を投入しました。一八隊の現場から脱出地点までの経路は安全です。退出を急いで下さい。
―― 対応策とは何か。
―― 守秘義務上、当方ではお答えできません。

「虫の好かない対応ですね……」
「気の強い女だ、おっかない。鬼嫁には大人しく従うってのがウチの家訓でね。」
「えっ、この声、奥さんですか?」
「ちげえよ。脱出する。奴さんはああ言ってるが、警戒を解かずに行くぞ。焦って走ったりすると、その辺の角で食パン加えたリメンバアンブレラとぶつかるかもしれんからな」
「もう女子高生ネタやめてくれませんか」

―― 一八隊より前站。了解≪ACK≫。

 CIPHERが言うには脅威は無いようだが、いかんせん全容の知れない組織だ、信用ならない。警戒を解かないまま進めば脱出まで10分以上かかるかも知れないが、命あっての物種、慎重に進むことにする。それには全員が同意だった。
 そうして各所でクリアリングを欠かさないまま移動し、本当に脅威なんか何も残っていないんじゃないかと思い始めたところで、山上が声をかけてきた。

「分隊士、『蛾』が」
「どうした」

 山上が、さっき三つ目野郎≪リメンバアンブレラ≫に破壊された蛾≪Mosquito≫の操作クラムシェルを開いて、俺を呼んだ。モニタを見ろと促すので覗き込むと、映像が復活している。破壊されたのではなかったのか?

「やられたんじゃなかったのか」
「復旧したのは光学カメラだけです。他のカメラと飛行機能は失逸しています」

 映像は90度横倒しになっており、酷く引いた映像にアオる様に地面が映っている。墜落しているのだろう。HEATS系に耐性がある蛾は、物陰で緩衝された爆風の衝撃で偶然にカメラだけが復活したらしい。

「機械らしい腑に落ちない挙動だな。音声は」
「あ、一部生きているみたいです。これを」

 山上がイヤホンを片方差し出してきた。聞こえてくるのは、場違いな高い声。女性の、それも小さな女の子の声だ。

「馬鹿な、誰か残っているのか」
「目標の声でしょうか」
「そのカメラ、見回せるか?」
「カメラ自体の方向調整だけですから、そんなに……」

 山上がコントローラを操作すると、若干だが映像が動く。そしてその端に、目標≪ヤツ≫が入り込んでいるのが見えた。

「中原、杉山、通信をSquadOnlyに切り替えろ。山上、そいつの音声出力を交信マイクに、映像をARゴーグルの3Dマップ表示にバイパスしてくれ。」
「え、マッパにそんなこと出来るんですか?」
「マップ用の映像端子引っこ抜いて差し替えれば出来るだろ。同じ端子だ、普段からそんくらいは見ておけ」

 山上が不安そうに確認しながら端子を差し替えると、データリンク受信時のマッパに『蛾』からの映像が表示された。音声もヘッドセットを通じて聞こえる。

「中が、見えるぞ≪・・ ・・・・≫。人の命駆り出しといて、クライマックスだけ独り占めなんざ許さんぜ。俺達だって、演者で、特等席の観客≪V.I.P≫なんだ」

 音声からは複数人の子供の声、それに映像にはリメンバアンブレラと、声の主らしい子供たちが映っている。両者の距離は五〇メートル程度だろうか。子供の姿は三つ目野郎の向こう側に小さく見えている。

「子供……?」
「どういうことだ。対特車障害Ⅱ型≪フランベルク≫は不発だったのか?」
「十分でかい音が聞こえましたけど……」

 事前に退去指示も出したし、作戦前に可能な範囲ではあったが見回りもした。爆風と熱で子供が生きているとは思えない。今更何人もの子供がのこのこと顔を出すのは不自然だ。後から入ってきたとしか思えないが、空いているのはA-1出口だけだ、すると、前站付近の封鎖を通り抜けてきたことになる。

(だとすると、あれがCIPHERの言う『対応策』だっていうのか?)

 見える子供は3人。どれも年齢にして小・中学生になるかならないかといった背格好だ。だが、映像のフォーカスがそこに合うに従って、明らかにそれが普通の子供ではないことが見て取れた。
 彩度の高い特徴的な色合いが、普通の子供のそれではないのだ。青、黒、そして臙脂。服装に因る印象だが、とても逃げ遅れた子供という装いではない。だが、かといってそれが戦闘向きの装備にも見えなかった。

「まさか、あれが公社の『対応策』だって? ばかばかしい。それとも、新兵器のオペレータか何かか?」
「しっ、何か言っている」

―― ……かた……
―― ジ……アニ……て
―― ……んご……か…

 声は聞こえるが、何を言っているのかまでは聞こえない。だが、声色から交戦前の緊張感は伝わってこなかった。







「その傘、ここで会ったが百年目。いざジンジョーに!」

 特徴的に青い外見をしているのはチー。インディゴ、ネイビー、ターコイズ、スカイ、複数の青色を組み合わせた服とアクセサリ、散切りにした青い髪、肌は子供らしくやわらかそうな色白。鋭さを持った印象の目。
 チーとは対照的に真っ黒の服装なのはルーミィ。黒に種類はないなどと言わんばかりの一色に、ところどころワンポイントでチタニウムホワイトと僅かなアクセサリにスカーレットがざっくりと織り込まれていてコントラストが高い。髪の毛は金髪で、色白というよりは地の色が白い印象の肌、まんまるの瞳。
 臙脂色の服を好ん出来ているのだろうか、少しふわふわとした装飾を好むのはローリー。臙脂の合間にベビーピンクが挟まる服装せいで全体的に赤味寄りに統一されている。黄色寄りの肌に茶髪、おとなしそうな瞼。

 三人が普段から華のある格好であるのに対して、ボクの方はどうにもパッとしないものだ。ただの白ブラウスに、紺のかぼちゃパンツ。特徴的、と言えるのは内側が赤に塗りこめられたマントだが、他の三人の衣装のガーリーなイメージとはかけ離れている。他の三人よりも幾らか……よく言えば健康的な肌の色に、少々カドのある体付き。背も、若干ではあるが他の三人より高い。ビリジアンの頭髪を割って額の上あたりから生えた触覚は左右別々に、ボクとさえ別の生き物のように勝手にひょこひょこと蠢く。今は不安が、本能に直結して触覚の動きを支配していた。一人フェミニンさをどこかに落としてきたかのようなのは、当たり前だ、ボクだけ男なのだから。男の割には男らしくも無く、女の子と一緒にいればそれはそれで格差を感じる。常にこの三人と行動を一緒にしてはいるが、その差がいつも尾を引いている。
 が、今はそんなことはどうでもいい。

「チーぃ、無理だって、幽香さん相手に」

 不安なのは、他の三人と外見の面で溝があるという事ではない。今は純粋にチーの行動が、不安なのだ。

「リグル、男はいつか目の前の強大なテキを打ち倒さなければいけないんだよ。今がその時だとは思わない!?」
「今がその時だとは思わない。それはもっともっと先でいいと思うんだ、ボクは。ローリーもなんか言ってやってよう」

 ローリーへ助けを求めるが、彼女の方も「ああ言い出したら、チー、きかないから」と呆れ気味。ルーミィの方へ視線をやると、ルーミィは心底どうでもよさそうにぽかんとしている。いつも通りと言えばいつも通りだ。助力も無く、止まらないだろうチルノを諦め、ボクは傘を差した後ろ姿、つまり幽香さんへ声を掛ける。

「ああ、ああ、ええと、幽香さん、チルノの言うことは気にしないでくださ」
「あーら、雪ん子ちゃんが威勢のいいこと。そんなに熱くなると自分で溶けてしまうわよ? 妖精ごときが私相手に何を、『やってくれる』のかしらぁ?」

 ボクが抑止しようとしたのも甲斐なく、幽香さんは売られた喧嘩はまとめて高価買取といった様子で振り返る。とは言っても言葉とは裏腹、その声色と表情はまるで大人が子供のごっこ遊びに付き合うような悪ノリの色合いを見せていた。吊り上げる口角、細める目、竦めた肩に、肩幅に開いた仁王立ちの中央に、傘を畳んで地面を突いて小首を傾げる。
 あー、大妖怪の面目躍如って感じのオーラ出しちゃって、そのモードだと空拳でも射線通ってるとボクたち大怪我するんですけど。

「みすち、ルーミア、リグル、取り囲んで一気に決めるよ!」
「いや、チー、だからね。幽香さんもノリよすぎですってば、お客さん相手にそういう愛想はないのにどうして」
「で、やるの? やらないの?」
「だから、幽香さん、やりませ」「やるにきまってンだろ!」
「チー!??」

 チーと幽香さんの悪ノリはエスカレートして制止不能。巻き込まれたルーミィとローリーが渋々、チーを起点に展開している幽香さんを取り囲んだ。練習も打ち合わせもないのにその動きは、チー以外はやる気ないにも拘らず、まるでチアリーディングのように正確だ。僕はというと、全く追いつけないで三人の輪から弾かれた形で立ち尽くしていた。チー、ルーミィ、ローリーだけで考えれば幽香さんを囲む正三角形だが、ボクを含めた途端に、重心を失った名もない図形に変形してしまう。

「っと、えっ、えっ」
「りぐる、そんなところ突っ立ってたら誤射するぞ! 食らえカサオバケ! アイシクルフレシェット!」
「ム~ンライトアロ~」
「……フェアリーケージ」
「えっ、ちょ、えっと、カード、カード……」

 チー以外はさしてやる気が無いようではあるが、無いなりにしっかりスペカ宣言している。低速ランダムの氷ばら撒き弾、高速の影矢の敵機狙い弾、そして指向性を持った五筋の線状設置弾。三人の弾幕が三方向から同時に展開される。ボクは状況に追いつけず、ポケットにくしゃくしゃと突っ込まれたままのスペル非スペルの符≪カード≫を掻き分けてあれかこれかと戸惑っているだけ。なんか女の子三人ってなんであんなに息が合ってるんだろうと不思議に思っていると。

「三対一とか、ルール違反なんじゃない?」
「騒霊≪ポルターガイスト≫は四人組じゃん!」
「まあ、それもそうね」

 ボクは頭数に入っていないらしい。開始前から戦意喪失≪リタイア≫と思われてるのだろうか。その通りだけど。
 チーの放った弾幕は、放射状の方向へランダムに大量にばら撒かれる氷の針だ。速度が遅く直接狙うでもないので、彼女一人のそれだけでは全く脅威にならない。
 ルーミィの放った弾幕は、対象を直接狙って直線状に連射される影矢だ。高速だがその分動いてさえいればすぐに外れるので、彼女一人のそれだけでは全く脅威にならない。
 ローリーの放った弾幕は、戦域に横断的に設置される線状の音波地雷だ。弾幕は不動でその場に留まる為見てさえいれば、彼女一人のそれだけでは全く脅威にならない。

「あらあら。氷に影に音、こんな汚い弾幕見たことないわ。」

 それでも、勝つためには最善の組み合わせのように見える。ローリーが縛り、ルーミィが動かし、チーが食う。そこいらの妖怪相手なら通用するだろう、汚くとも、最善。生きるためにはそうしてきた、そのやり方が弾幕に出ていた。……今はボクは含まれてない、ボクがちゃんとしてれば、弾速の極めて遅い自律誘導弾が加わるのだけど。

「避けにくさは、まあまあ。でも、私相手には、全然だめね。あくびが出てしまうわ」

 幽香さんは、決して素早くはない、でもただ機械的に紙一重で躱しているのでもない、まるでステップでも踏むような足取りと舞うような身振りで、三人の弾幕を回避し続ける。回避行動という消極行動の結果導き出される空間への運動、ではなく、あくまでも舞い踊るその積極的な移動の結果弾が除けているかのよう。その流れるような動きの躱し身の前では、弾ひとつひとつまでが、舞の小道具として存在しているようにさえ見えた。
 その身のこなし一つ一つが。

(きれ、い……)

 三人の呪符≪スペルカード≫に追加するべき一枚を探していたはずのボクは、舞うように弾幕を回避する幽香さんの動きに、見惚れてしまう。
 翻るスカートの裾は体を回すたびにふわりと広がるが下品にめくれることはない。傘はバトン回しのように華麗で、回避動作には余裕を見せた綾がついている。足取りはリズミカルなステップさえ感じられて、必要に応じて伸び、捻り、あるいは並んだりばらついたりする足のしなやかで力強い動きはダンスそのもので、弾幕ごっこがただの競争ではなく神事を兼ねた技芸でもあるのだと思い出させるものだった。スカートの翻りはラフウェーブミディアムの髪の揺れ、傘回しの綾は腕の動きと、リンクしていて、全身が風に揺れる花みたい。

(このひとみたいに、つよくて、かっこよくて、きれいだったらな)

 幽香さんが弾幕ごっこに興じるのを見るのは初めてではないのだけど、何度見ても、莫迦みたいに口をぽかんと開けて見とれてしまうのだった。
 幽香さんは三人の弾幕を回避しながら、余裕の表れか、目を細めて妖しく笑う。

「ところでお嬢ちゃんたち、後ろ、気をつけたほうがいいわよ。」
「「「えっ」」」
「シードバルカン」

 三人の背後に、ぼこ、と土を大きく盛り上げて突然現れた巨大なツリガネソウが、その特徴的な袋状の花びらを使って、人間が頬を膨らませて息を吹き出すときのように動物的な動きをしたかと思うと、その中央から種の弾丸を連続して発射した。

「げっ!」

 びしっ、びしびしびしっ

「いたたっ、いたたたた」
「うわーん、後ろからとは卑怯なりー」
「三人がかりよりマシよ。はい、頂き」

 そら豆サイズの弾丸でも、勢いよく当たれば痛い。連射される種弾に、自分の弾幕の維持を放棄して逃げ惑う三人。

「三人がかりでこれじゃあ、まだまだね。折角付き合ってあげたのに、全然だわ。ねえ、雪ん子ちゃん?」

 シードバルカンと呼ばれた種の弾幕(?)から逃げるチーの首根っこを、幽香さんが捕まえて、持ち上げる。足をバタバタさせて逃げようとするチーだったが、突然。

「ふふふ、あたいらにはまだ無傷の伏兵がいるのを忘れているみてーだな」

 あー、そういうのね。

「伏兵ってのは、この子かしら?」
「今だリグル! 打ち合わせ通りにとっときをかまし……あ、はい、そうです」

 ボクが、ちょっと待ってください、と言う前、それどころかチーが諦めて認める前に、既に幽香さんの傘がボクのおなかあたりにめり込んでいて。

 すっこーん!







「あ」

 店先で商品の手入れをしていたボクは、いつも品揃えに含まれていることに疑問を抱いているアカツメグサに、四つ葉を見つけた。シロツメグサに比べてもっと珍しいものだ。というのも、そもそもシロツメクサの四つ葉は踏みつけられるなどして葉の成長点が傷つくことで葉が増えてしまうために発生することが多いらしいが、それはシロツメクサはそうした踏みつけにも耐える強い生命力の強さを持っていることを基礎にしている。対して、アカツメクサは、生命力こそ強いに変わりはないが、踏みつけられるなどの物理的な耐久性はシロツメクサほど高くはなく、そうした場所にはあまり生えない。だから、アカツメクサの四つ葉は、シロツメクサのものに比べて、珍しい。

「ゆう」

 幽香さんに見せようかと思ったが、幽香さんがこんなモノを珍しがるはずもない。咲かせようと思えば、四つ葉どころか五つ葉でも七つ葉でも自在に咲かせられる人だ。ボクは幽香さんを呼ぶ声をつぐみ、一人でそれを摘み取った。
 シロツメクサの四つ葉は外の世界では幸運の象徴とされているらしいが、その由来はわからない。アカツメクサの四つ葉なら高運度はもっと高いかも知れないが、どちらにせよ幽香さんの前では価値のないものだろう。でも、だからといってこのジンクスをわざわざ無碍にするつもりもなかった。珍しいモノを見つけられたのだ、吉兆だと思っておこう。
 ボクは摘み取った四つ葉のレッドクローバーをどうしようかと迷った末、取り敢えず退勤時間まで一輪挿しにさして店先に置いておくことにした。

「すみませーん」
「はーい、今お伺いしまーす」

 客が呼んでいる声が聞こえたので、ボクはその対応に向かった。
 ボクは幽香さんに花を贈ることが出来ない。
 こうして摘み取られた草花も、恋慕も、幽香さんにはきっと別段心地のいいものではないだろう。幽香さんのような強い人が、ボクなんかをなにかどうであるかの目で見ているなんてことは、ない。きっと、こんな風に片手指先で狩り取れる一枚の草程度にしか思っていないのだ。
 一輪挿しに添えたクローバーは、ボクのものだ。幽香さんには何の価値もなくても、ボクだけが、価値を見出す。それ以上は、望めない。でも、きっとそれで、いいのだ。







 閉店後、ボクは幽香さんの部屋で食後(もちろん作ったのはボクなんだけど)の時間をまったり過ごしている。
 ここだけの話、この家の中にある多くの部屋の内、幽香さんのプライベートな部屋は「恐ろしく少女趣味」だった。敷き詰められたぬいぐるみ、花柄の小物、パステルカラーの家具に、キャラクターものの調度品。布製品には必ずフリルで修飾が施され、ベッドやソファは過剰なほどにふかふか。壁の果てまで薄桃色に塗り込まれ、それを映し出す暖色系の間接照明。豪奢の極みたる紅魔館を仮に悪趣味と評すれば、この部屋はきっとグロテスクにも映ることだろうが、恐らく多くの女の子は、こう言うだろう。

「かわいい」

 不意の事故があって初めて部屋に通されたとき、思わずそう漏らしたボクは次の瞬間、体をくの字に曲げて床に崩れ落ちていた。なんと反応するのが正解だったのだろう。
 ひょんなことからこの事実を知り、それを知ってしまった以上はボクを部屋に入れることに抵抗はなくなったようだが、「このこと誰かに言ったら、ぶち殺すから」と涼しい顔に殺気を湛えて言われてしまっては、少女趣味のしょの字だって口が裂けても言えない。言えば口が裂けるどころか体が八つ裂きだろうか。逆にそれをいいことに召使いならぬ飯使い状態になっている気もした。

(確かに、あの性格に腕っ節じゃ、こんな趣味でもないと普段からあんな格好はしないだろうなあ)

 普段からチェックのデザインを好み、日傘まで差すのだからその方が正解のようにも見えなくもない。性格があんなにきつくなければ。

 と、部屋の隅にある白い本棚が目に付いた。正確にはその中に立っている、数冊の図鑑。
隅から隅まで可愛いもので埋め尽くされているこの部屋にあっては、図鑑の一冊であっても変な印象を与えかねない。忌憚なく言えばそれは、まさに「ぶちこわし」であったが、それ故に妙に目に付く。今まで気にならなかったのはボクのセンスのなさ故だと思うけれど、一度気付いてしまうと違和感バリバリだった。

「図鑑なんて、あるんですね」

 本棚の中で異彩を放ちながら寄りかかっている図鑑の背表紙には、「植物」「植物の図鑑」「はなのずかん」そして「むしの図鑑」とかかれている。
 なんだか気恥ずかしくなる並びではあったが、周りから浮いているというのも何かの暗示のような気がしないでもない。

「見た感じ幻想郷の本じゃないみたいですけど、魔法図書館≪ヴワル≫から借りてきたんですか? それともアリスさんとか。あ、香霖堂も」
「知らない」
「しらない、って……」

 興味津々にそれを見つめるボクに対して、ベッドの上へ仰向けに体を投げ出したままの幽香さんはつっけんどんに言い放った。知らないはずないのに。でも、ボクにはそれを追及することが出来なかった。

「見てもいいですか?」
「ご自由に」

 許可をもらったボクは、一番左のを本棚から取り出した。ハードケースに入ったそれを抜き出して、開く。
 原色で彩られる草花の鮮やかな姿。走る葉脈、透ける花びらの細部まで美麗に忠実に描かれている。写真をベースにしている図鑑のために、1ページの分厚さは他の本にはない重みを持っている。図鑑という本の醍醐味の一つは、この重厚さだろう。とにかく、本の厚さに比べてページ数は控えめ、取り上げられている題材も分厚さの割には少ないのだが、それがこの「図鑑」という本を本というだけの存在から収集対象としての価値を同梱せしめているのだろう。
 ページをめくる、というよりも板を返す、という方が適切なページ送り。ふと、何かが挟まっていた。栞だ。押し花の栞。これは、アカツメグサ? 押し花を栞にするのは確かに様にはなるけれど、比較的茎が太くて花ももさっとしたこの花は、わざわざ押し花にすることもないような気がする。もっと綺麗な花や可愛い花の方がいいのではないか。それを物語るようにこの押し花は形が崩れ、みったくなく歪み、押し切れなかった部分が枯れてひっからびて茶変している。この図鑑にもまして、この部屋には似つかわしくない姿だった。
 それにしても、幽香さんはやたらとアカツメグサのことを気にかける。売れているわけでもないのに店から姿を消すこともないし、こんな風に押し花にしているところを見ると、幽香さんの好きな花なんだろうか。向日葵が一番好きなのだと思っていたのだけど。
 何年も一緒にいるのに、ボクは、そんなことさえ知らない。やはり、ボクは幽香さんに花を贈るようなことは、永遠に出来ないだろう。

「リグル」

 ふと、幽香さんの声が聞こえてきた。
 ベッドで横になっている幽香さんからは、この光景は見えないはずだったが、むしろボクの思考が幽香さんに向いた瞬間に声がかかったことに、驚いてしまった。

「その花の蜜、舐めたことある?」
「はい。前に幽香さんが嘗めてみろって言うから、その場で貰ったじゃないですか」
「ふぅん」

 ふうん、って、さっきからなんなんだよぉ。
 幽香さんが舐めてみろって言うまでは、虫達の間で有名だと言うくらいの知識しかなかった。火垂るの食性では、花蜜は積極的に摂取しない限りは口になどしない。でも実際に舐めてみるとなるほど甘く、虫達の大きさならまだしもボクの口でも十分甘く感じられるほど、アカツメグサの蜜は豊富で甘かった。
 でも、へんだな、ぼくは思った。

(それを教えてくれたのは、幽香さんだっていうのに)
「それを教えてくれたのは、リグルだっていうのに」

「えっ?」

 聞き直しに顔を上げると、瞬間、ボクを真っ直ぐに射抜くような視線が向かってきていた。決して鋭いのではない。厳しい目つきでも、睨む目でもない。ただ真っ直ぐにボクの目を。

「そ、そうでしたっけ」
「違ったかも」
「ぇぇぇ」

 幽香さんの目が逸れて、ぽてり、と再びピンクのシーツの上にその頭が落ちた。
 からかわれたんだろうか。
 確かにボクには幽香さんに言われてそれを口にして、甘さに驚いた記憶がある。それにボクが幽香さんに、花のことを誰よりも知り尽くしている幽香さんに、花のことを教えるなんてことはないと思うのだけど。
 それでも、さっきの幽香さんの視線。あんな風に静かで激しい視線を向けられたのは初めてだった。無風なのにさざ波立つ水面の下深くに、巨大な魚が体をのたうち回らせて泳いでいるような、そんな視線。幽香さんが戯れ言を言うことは少なくはないけれど、そんなときの視線ではなかった気がする。
 ただの記憶違い。そうであると片づけるのが一番手っ取り早かった。どちらの、かを考える気にはなれなかったが。
 ぱたり、とその図鑑を閉じて裏表紙が目に入った。分厚く装丁されたその下の方に何かが書いてある。三叉矛の形のなり損ないみたいな、みょうな記号だ。この本が香霖堂からのモノであれば、もともとは人間の持ち物だったのかとも納得は行く。

(なんだろ、よめない。寺子屋で人語を習った方がいいかなあ)

 でもボクはそれ以上気にも留めることなく、それを棚にしまった。

「リグル」

 図鑑を本棚にしまう背後から声が聞こえた。ベッドの上で横になっているのだと思って油断して振り返ったら、その顔が、すぐ後ろにあった。すごく近い。

「わ、わわ」

 幽香さんはボクより少し背が高い、少しだがこの距離ではボクは大きく見上げることになる。ガラスケースで丁寧に手入れされて花開いた百合の様に恐ろしいほど美しく整った顔が、噎せ返るほど艶めかしく匂い立つ色香が、至近距離で、ボクを捕えている。いつもより、ほんのすこうしだけ目を細めて、爛と赤い瞳をボクに突き刺していた。仕事をしていてもこんな距離に近付く事は無い、幽香さんの方からぶっきらぼうに離れていくことばかりだった。でも、いざその距離に含まれてしまってみると、ボクは身じろぎ一つ出来なくなってしまった。明確な怒りは感じない、でも、僕が感じているのはただの緊張ではない、含羞でもない……恐怖だった。根源も対象もわからない恐怖、でも、このひとなら。

「あ、あの……?」

 この図鑑、大切なものだったんだろうか。扱い方乱暴だっただろうか。もしかしてしまう時にどこかを折ってしまった? それともそれよりももっと前に、気に障ることを言ってしまっただろうか。必死に幽香さんの顔色を窺いその要素を探すが何もわからない、いや、この人はよくボクには全く分からないポイントで全く想像出来ない感情を昂らせる。
 ボクにはまったく理由のわからないときに、不機嫌だったり突然怒鳴られたりするのだ。幽香さんの感情の理由は、ボクにはさっぱりわからないことが多かった。すごく前のことを思い出して突然イライラし始めたり
、急にほっぺたをつねって引っ張られたり、何もしてないのに後ろから頭をぽこんと叩かれたりもする。ボクにはそういう感覚がよくわからなかった。
 そういうのがわからないのは、ボクがまだこどもだからだろうか。ボクが幽香さんと違って男だからだろうか。ボクが一緒にいるべきではない弱い妖怪だからだろうか。それらすべてかも知れないし、理由自体がボクには知りえないことなのかも知れない。
 ともあれ、幽香さんがこんな風に、つまり威圧感の圧力だけで本棚に押し付け圧迫するように、ボクを追い詰めているのも、そうした「よくわからない情動」のためかも知れない。それ自体は、日常で、よくあることだった。

(なんだろう、これ、頬っぺたぎゅーって引っ張られるヤツかな)

 でも今ボクが感じている恐怖は、そういう、ほっぺたぎゅー、とか、頭をぽこん、とか、今更そんなこと? という内容で怒鳴りつけられるとか、そういうことが原因ではない。当たり散らされること自体は、大概、弱い妖怪のボクにとっても大して痛いことでは無いのだ。感じている恐怖は、もっと根源的な、胸の奥底から無理やり「こわい」を引きずり出されて目の前に突き付けられているみたいな、理由も対象も、大きさも度合いも、解決法も逃避も、わからない、何色でもない恐怖だった。こんな風なのは、初めてのことだ。余程、気に障ることをしてしまったらしい。

「あの、幽香さん?」

 手が、伸びる。ボクは本棚に押し付けられたまま身動きが出来ない。手が、上がる。ボクの頭の高さくらいになった幽香さんの右手。何されるのだろう、頭を叩かれる? 平手を張られるのかも。今迄そんなに酷いことをされたことはないけれど、今日は、なんかいつもと違う。

「あんたさ」
「は、はい」

 一瞬一瞬、極短にコマ送りしたみたいに、焼き付くような鮮烈さで動く赤い唇、ほんの少し見える白い歯、舌。その大きさでは不可能だとわかっているのに、このまま丸呑みされてしまうのではないかと言う威圧感、恐怖。続く言葉を、待ちわびるような逃げたいような、いっそ早く殺してくれと言う感覚に近いかも知れない。
 幽香さんの方を見ていられなくなって顔を逸らそうと思ったら、その手が、ボクの額を抑えてそれを許さなかった。正面を強いられる。幽香さんの産土津邇振≪むすびつにふる≫の燃える空みたいに赤い目は、まだボクをまっすぐに射抜いている。
 額に置かれた手がボクの前髪を除け上げるみたいに、おでこと触覚の付け根をさらけ出す。手はそのまま頭の上へ。押し付けるような力、は、加えられていない。乗っけられているだけ、むしろ、撫でられて、いる?

「あんたさ、背、ぜんぜん伸びないわよね」
「……へっ?」

 せ。せ? 背ぇ?
 一体、なんで今、背のコト?

「え、と」

 やっぱりよくわからないやつだ。ボクが対応に困っていると、幽香さんはもっと困ることをしてくれた。
 見下ろした姿勢のまま、高低差のある背丈で更に距離を縮めて、幽香さんの口が、前髪を上げられたボクの額にくっついた。
 接触は一瞬だけ、きっと、唇のほんの少し先だけ。でも、ボクのおでこはそれだけでもじゅっと熱くなってしまう。唇が離れた後も、火傷した後みたいにじんじんひりひり。

「え、わ、ゆゆゆゆゆゆ?」

 幽香さんが、え、幽香さんがこんなこと、ボク、に? え、なに、滑った? 滑ったの? それとも食べ損ねたみたいなやつ? どういうこと?

 べしっ!

「あてっ!」

 ボクが目を白黒させて取り乱していると、頭の上に乗っかった手が、ボクのおでこを弾いた。でこぴんの箇所は、そのままさっき幽香さんが、その、口を当てた場所とおんなじで、ひりひりするのが「どっちの」せいなのかすぐにわからなくなってしまう。

「よわっちいの」

 そういって本棚から、つまりボクからも一歩離れた幽香さんは、やはりボクを見下ろした形。でもさっきまでの視線と違って、今は、えーと、いつも通りの冷ややかな視線に変わっていた。得体の知れない威圧感に、体を本棚へ押し付けられる圧迫感は消えていた。手足も動くし、体中に括り付けられていた鉛の重さも消えている。解放されてみて初めて、横隔膜が押し上げられたまま呼吸も浅くなっていたことに気付く。安堵のため息が深く、こんなにも気が抜けるものかと驚いてしまう。
 よわっちい、幽香さんはそういった。それ自体には全く異論はない。自覚はあるが、ある程度諦めていることでもある。でもそれは幽香さんも承知している思っている。今更「よわい」とボクに嫌味を言う程の事ではないし、今それである理由も全く分からない。またそういうやつ、と言う事だろうか。

「あの、一体」
「さっさと食器洗ってよ」
「は?」
「ホワイトソースって時間経つと落ちにくいのよ?」

 えーっ?
 脈絡が無さ過ぎてボクの心≪常識的な判断力≫が悲鳴を上げる。無理なの? 幽香さんの機嫌を窺う事さえボクには無理なの?
 百億万歩譲ってこれが実は何らかの照れ隠し行動なのではないかと思って幽香さんを改めて見たが、そんな様子はこれっぽちも見えない。その目は冷ややかで、本当に「さっさと洗え」と言っている、仕事の時と変わらない。
 底知れぬ無力感と脱力、一体、何なのだろう。振り回されているだけと片づけるのが、賢いだろうか。
 突然洗い物を言い渡されて現状の処理に苦労しつつも、ボクは当然の権利を主張した。つまり。

「あの、作ったのボクなんで、後の洗い物くらいは」
「作ったなら自分で後片付けなさいよ。」
「何たる理不尽ッ」
「ちゃきちゃき働く!」
「ふええ」

 それも、このひとには、通用しない。







 まるで病室だ。
 外部から遮断され、望ましい影響をのみ恣意的に与える。その水裁鉢の置かれた環境は、まさに病室のように思えた。
 『古今』では、一定以上の役職に就くと、研究プロジェクトを申請して稟議が通って承認を得られれば、個人用の研究室が与えられる。「個室」と通称されているが、それを考えれば病室のような水栽鉢のおいてあるこの部屋だって、十分に病室のようでもある。
 水栽鉢は、外気から完全にシャットアウトされ土壌以外にも空調から通過する電波(光を含む)の果てまで調整されている。中で育てられているのは、病んだ花。病ませているのは僕。僕はこの中で、それでも生きようとする彼女への冒涜を続ける。冒涜? 僕は彼女を愛してさえいるのに。でも、それがこの花≪N倍枚葉のクローバー≫にとって幸福かどうかはわからない、いや、幸福であるはずなどない。
 病室。閉じこめられ、外を望み、しかしそれを出来ずに抑圧され続けた日々。作り変えられ、管理者に操作されているのだ。幸せなものか。

「二七日目」

 栽培を開始してから、それだけの日数が経った。この子はもう、長くないだろう。全くその様子は見せないが、経験上、明日には急に枯れ始める。まるで溶けていくようにぼろぼろと枯れ、栽培ケージは、そこに命があっただなどと感じられぬ哀れな死の虫篭に変わるのだ。

「次は、三四枚だね。もし種子が出来るなら、それもいいけれど」

 ケージの中の彼女に、語りかける。まるで、明日枯れるという予感さえ持っていないように。
 花が咲くことはあっても、種子は中に胚芽を持たない奇形となって次の世代をつなぐことはない。
 彼女は、もう八九代目だった。それは僕が環境調整、放射線照射による意図的かつ無作為な突然変異、TDKあるいはベクターによる遺伝子操作によって、八九を産み出し、八八殺し続けたということだ。明日には殺した数も八九になるだろう。その数字は、僕が犯した業の証拠だった。
 代、といってもそれらそれぞれ代々に、繋がりなどない。共通の親株からクローニングされた兄弟だが、その性質を一つ残らず作り替えてしまう。遺伝子操作≪デザイン≫は、複雑で罪深いブロック遊びだ。塩基配列を目的の効能めがけて恣意的に汲み上げ、僕のこの場合においてはその結果(多くは成長することなく死ぬの)をただ眺める、残酷な所業。僕はそんな生命倫理の破壊をひたすら行っているのだ。それも、崇高な目的もなく、ただただ利己的で惰性な執着と復讐の為だけに。
 それでも、このケージに入り芽を息吹き、僕の作ったグロテスクな揺籃地で成長し、その宿命を知ってか知らずか枯れて死んでゆく花達は、一つの魂でつながっているような気がした。姉妹、いや、一人の固体であるように。霊的存在根(レジストリ)の存在は、提唱はされているものの未だに証明されていない。だが、そうした連綿感は、僕がそう思うことで何かから逃げているだけかも知れないと、僕は感じていた。
 僕はその死ぬだけが宿命の花達に、「一人」を見出している。だから僕はこの花≪N倍枚葉のクローバー≫を、「彼女」と呼ぶ。
 その小さな病室を見ながら、僕は自分の病質を感じていたが、それでも僕はこの歪んだ探求をやめられそうにはなかった。

「どこまで、耐えられるのだろう。どこまで、壊れ続けられるのだろう。どこまで、命であり続けられるのだろう。どこからが、そうではなくなるのだろう」

 本来の植物の姿をこの手で歪めることが、僕にとって何ものにも代えがたいモチベーションである。だが、何故。

(主任にとってのエクストラも、こういう存在なのだろうか)

 以前、梨来主任と話したとき、彼女≪N倍枚葉のクローバー≫のことを、所長はまるで咎める様子がなかった。恐らく社として利益を上げないだろうこと、そうであればただのリソースの浪費であることを差し置いて。倫理の観点は、『古今』では軽んじられており、葉が何枚に増えようとその観点で禁忌を言われることはないのだが。
 言葉を交わすことが出来ないただの植物、彼女≪N倍枚葉のクローバー≫がそうであってよかったのかも知れない。でも、僕の周りには三人の娘達≪エクストラ≫がいて、僕は、彼女たちにどう向き合えばいいのか不定形の不安を、感じ始めていた。







 梨来主任(主任つまり主任研究員とは所謂所長のことであり、こういう場では実質的な責任者である)は出資者のひとつ、マンハッタンに本社を持つ重機メーカー「トリニティ・インダストリ」の役員へ、エクストラのプレゼンを行っている。国連下部組織としての「トリニティ」の母体だ。このような巨大な相手には、プレゼンなど「売り込み」の意味はなく裏では既に納入が決まっており、これはただの説明会の意味合いしかないのかもしれなかった。それでもエクストラのファウンダーとなってくれるのであれば大手となり得る、それなりには重要なプレゼンなはずなのに、今日は僕が助手的ことを求められていた。「悪い、助手ちゃんが急病でさぁ」と頭を下げられたのだ、社長命令、とも取れなくない。そこは随分とフランクなひとだ、断ったところで「えー、外あたあるかぁ」とでも言われるだけだったろうが、主任がどういうプレゼンをするのか(プレゼン方法と言うよりは、エクストラに対する主任の認識について)、僕自身が興味があったのだ。
 だが割とすぐにその好奇心を後悔した。

「出クン、あれを」
(あれ、ってなんですかねえ!?)

 正直僕には主任が思い描く段取りは皆目見当が付かない。ただ、ここで見せるのはきっとあの花のことだろうと思ったので、僕は資料の中から「フロラシャニダール」の写真を主任の横に差し出した。言っとくが段取りの見当がつかないのは僕の不勉強ではないぞ、本当に打ち合わせを1分だってしてくれなかったのだ。レジュメのひとつも聞いていない。でもそれを受け取った主任はさもそれが差し出されて当然というようにプレゼンを継続する。何が「楯突く唯一の論客」だろう、あなたは社長で僕は部下だ、これを上手くやらなければもろに査定に響く。
 主任の「論客」という言には少しズレがあるが、まあ、僕が表だって主任の方針に異を唱える数少ないの所員であることを含んでいるのだろう、議論の場で確かに対立することが多い。主任の主張や論の運びが大体わかってこうして助手みたいなことが出来るのは、そう言う側面があってのことだった。

「フロラシャニダールは人間が植物を利用する新しい形です。その設置は義足や義手、臓器移植、或いは逆の切除と同じ、完全にコントロールされた共生的侵襲です。副作用は小さく、望ましい効果を最大限に、得られるよう改良を続けています。それに、人間に全く新しい領域を切り開いてくれるものでもあります。」

 フロラシャニダール、という名称は(今のところ)プロジェクトの愛称でしかないし、この花の名前もそれに準じてついている仮称しかなく、その頃の植物には関係はない。化粧品の商標名に不老不死の薬の名前を付けるのと同じ様なものだ。だが、その内容を知る者にとっては、そんなファンシーな話ではない。

「まあ、論より証拠ですね」

 そう言って主任は大型のモニターへVTRを映し出す。フロラシャニダールをフルスペック運用した場合にはこうなる、という実験機であると同時にフラッグシップ。それが、現行エクストラだ。

 映像には、幼気の残る子供にしか見えない、エクストラ達。僕の管理するパウラ、ジル、瑠美、それに主任の管理するティムの四人が映っている。よく映画などで見る囚人が身長を測る目盛り付きの壁面の前に立たされた映像。胸部に、四桁の通し番号が記載された樹脂製のプロテクタのようなものが付けられている以外、全員裸だ。特に恥じる様子もなく、直立している。僕や主任には四人のことが分かるが、この映像では顔に別映像かけられており、「商品」の機密性を幾らか確保しているようだった。そのうち、ティムと瑠美(と思しきエクストラ)が、挙手したところで映像が切り替わる。望遠+高感度カメラ映像なので少々荒いが、これは限定紛争地域で投入実験を行ったときの映像だろう。

「『秦楼紛争に際する防衛設備移転及び自衛隊(準備隊を含む)の派遣に関する特別法』を機に、現地に紛れ込ませたものです。モチロン、法に則っては『おりません』ので、他言無用でお願いしますね。行動は自律、反政府勢力に対するゲリラとして活動するよう指示を出してありました。」

 映像の内容を所長が説明する。石造りの建造物が並び、熱帯特有の樹木に蔦性植物が絡みつく独自の風景は、この地域特有のものだ。独特の文化と地下資源を有しながら独裁政権が圧政を敷く秦楼。北方に位置する首都シュレシタプラと南方に位置する第二の都市バプラをそれぞれ別の陣営が支配し内戦状態にある。反政府勢力が首都を支配しており明らかに戦地なのだが、日本はここに防衛装備移転を行うために「戦闘状態」ではなく「政治的衝突」と定義していた。こんな曖昧な定義状況で武衛設備移転を強行する方針のおかげで、我々はエクストラを、秘密裏にとはいえ、投入出来たわけだ。
 石畳は古代この地域を支配していた王国の遺跡だがもはやそれを尊ぶ意識は南北双方ともに持ち合わせていない。すでにいくつもが戦闘により破壊され、映像の中でもかつての文明を象徴する石畳はウルマルタ歩兵戦闘車と随伴歩兵八名の編隊に蹂躙されていた。

「バプラ略取作戦のために移動中と思われる反政府軍の一隊と遭遇したため、それを試験対象としました。」

 建物や地形、木や鳥などの影と影の間をけん、けん、ぱ、と跳びながら移動している人影は瑠美。飛び跳ねたり小さく歩いたりと遊んでいるような歩みは移動自体は緩慢なものの、兵士の死角間隙をするりと抜けてみるみるとそれへ肉薄していく。ティムの方は木陰や石造物に隠れて手堅い移動をしていた。
 随伴歩兵に近かったティムが、先に仕掛けた。とん、と一人の歩兵の背後に立つとそれ気づいた兵士だが、子供の姿に油断したのかBA-120のトリガに指をかける間もなく打殻受の付いた特殊なFN572で顎下から撃ち抜かれた。そのまま別の兵士の死角に入り込んで、同様にSB193弾で後頭部を打ち抜く。反政府勢力の部隊も途中で襲撃に気付いたが消音に徹した行動の効果あってそれも遅く、随伴歩兵は明確な抵抗も見せられず次から次に同じような方法で倒されていく。森林と石造物による複雑地形での襲撃と随伴の消失を察知し、また、目の前に正体の知れない人影(瑠美だが)を確認し急速後進、開けた場所へ離脱しようとする歩兵戦闘車の加速は十分に間に合っていたように見えたのに、いつの間にか既にそのスカートの上には、瑠美が腰かけていた。スカートの上に座りふざけたように足をばたばたしながら、砲塔の下部あたりにC-4爆薬を設置している。雰囲気はのんびりに見えるが、訓練された手順は効率的で迅速だった。そして、ひょい、とそこからすぐそこへ飛び退いた程度にしか見えない軽い動作で、しかし遠く離れた場所の木陰に、突然瑠美の姿が移動していた。「てんかよーい」。距離にして数十メートルはあるはずなのに、テレポートのような不可思議な移動。IFV側は何をされたのか察知していない、理由は知れずしかし射撃範囲に再び現れた瑠美に向けて機関砲塔を回す。砲身が瑠美の方へ向き切るその直前に「てんか」。どん。
 瑠美に砲塔を損害され、搭載された歩兵も随伴とともにティムに始末され、部隊はあっという間に無力化されてしまった。

「と、このような運びとなりました。まだ試験段階のものですが、将来的にはこのような兵士を後天的な施術により作り出すことが出来るようになる想定です。それを可能にするのが、『フロラシャニダール』なのです」

 所長の物言いは、子供≪商品≫二人で損害なくSB193弾二一発とC-4爆薬を1キロのみの消耗でIFV編成の小隊を無力化したという出来事に対して、酷く軽薄な印象を受ける。それは、紛れも無くエクストラと言う「商品」に対する自信のあらわれであった。

 正直、トチ狂ったフィクション戦争映画のワンシーンにしか見えない。映像のバックには登場中のエクストラの能力値や特性、今何が起こっているのかのナレーション、字幕や指示図が入っているが、あまりファウンダー候補の目耳には入っていないようだった。『太った財布』達は、その映像に向かって「なんだJapaneseTOKUSATSUか」「映画に投資してるんじゃないんだぞ」と口にしつつも、これがプロモーションの合成映像でないことも承知しているようで、驚きを隠せないままざわついている。
 一方の僕は(勿論所長もだが)当の娘達のあの映像が本当の光景であること、もっと言うとセキュリティレベルBに適う範囲の動きに制限しての行動であったことも、知っている。あんな光景も影像ではなくこの目で幾度も見ている。今更驚きもしないし、何よりも僕達は、彼女達を「それを出来る存在」として造ってきたのだ。何も驚く事は無かった。

「ご存知の通り、日本には神妖≪かみさま≫と通称される不明破壊活動主体が現れ、我が国の防衛力の不足を白日の下に晒しました。この不明破壊活動主体の武装は正体同様都度都度で異なり、かつ非常識に強力です。ですが、その不足をこのエクストラが補うだろう実践的な試験も実施中で、実際に効果を上げつつあります。元々エクストラはこの不明破壊活動主体への対策として開発を進められているものではありますが、この不明破壊活動主体への効果は即ち、不明破壊活動主体以外での戦闘作戦に転用した際のエクストラの汎用性と戦力的性能の双方を証明するものでもあります。加えて我々は民間企業です。必ずしもこれらの技術を日本国内に押し込めておくとは、限りません。利益は出資者にこそ、忠実なのです」云々、云々。

 性能面のアピールに次いで、梨来主任はエクストラの経済性にも言及していく。先程の映像で最小限の装備で最大の効果を得たことを引き合いに、また、エクストラが法的に「人間ではなく設備である」という観点から、主に補償面で通常兵器を既存の軍隊で運用するよりも安上がりになると、ビジネスモデルロードマップの青写真を提示し始めた。
 トリニティ・インダストリの営業が、主任のプレゼンテーションで、視線を映像と資料の間を交互に泳がせているのを、僕は後ろから頬杖を突きながら見ている。でもそんな死の商人と、さらにそれに鎌を売る天使の様子は僕にはあまり興味がなく、僕の脳裏にはいつも目にしている「彼女達」の姿があった。
 僕の脳内映像の彼女達は、目の前の映像のものとは、様子も、雰囲気も、全く違うものだった。







 花を、育てている。
 僕はこの花を、愛していない。僕はこの花を冒涜し、僕の望んだとおりの変化が現れるまで、育てては殺し、殺しては生みなおし、何度でもそれを繰り返している。
 名声のためではないし、社会貢献や技術の進歩の達成快感のためでもない。それが出来たからといって、不治の病を治せるようになるであるとか、食糧危機を回避出来るであるとか、そういったことは決してないだろう。八八代目の彼女も、やはり、死んでしまった。八九代目の子をカルスから作成した後だった。

「今度の研究は、珍しく商売向きじゃないんだねえ」
「あ、主任」

 染色中、不意に声をかけられた。顔を上げて声の方を見ると、梨来主任が立っている。全施設の強制施開錠権限があるからって、無断で音も無く入って来られる……のにも、正直もう慣れっこだった。僕は水栽鉢から視線を離して、仮にも(?)上司の梨来主任の方を見る。
 薬品で焦げた白衣の袖口はゴムもすっかり緩んでいた。前のボタンも一つ取れて行方不明らしい。遠目からではわからないが、もう真っ白さを失っていて、淡く煤けたようなシミが幾つも付いていた。白衣と言うよりはすでに作業着だ、それは主任だけではなく僕も似たようなものだが、主任のそれは度を超えている。
 主任に女性らしさがないのではない、むしろ綺麗な人なのだけどそれ以上に研究者臭さが際だっている。化粧っ気もないし、さばけた口調もそれを手伝っているかも知れない。ただ、一日中顕微鏡と見つめ合いピペットと毎日キスをするような生活でも、他の女子研究員とはやはり顔の作りや一挙手一投足の華やかさで一線を画していた。
 主任は僕の横の椅子をころころと引いてきて、背もたれを腹側にして覆い被さるように座る。

「へえ、これが噂の彼女か」
「……すみません。研究費承認のアピールにはならないですよね」
「いいんじゃない? キミは随分貢献してくれた。スズラン新酵素の発見では新薬特許で大きな資金を引き出せたし、第三世代ユーグレナサイクル構築の論文は、賛否両論あったとはいえ結果的にマスコミを通じて知名度の拡大に役立った。たまには、好きな研究をしてもいいだろう。それにエクストラ案件はこれからも続く。日本の存亡がかかってると言っても過言じゃないからな」
「ありがとうございます」

 エクストラ案件はこの公社の設立目的そのものに関わるものだ、今しばらくクローズすることはないだろうし、そっちではまだ僕の仕事は山積していた。今回の研究は、それとは並行で進行するプロジェクトだが、何故これに取り組もうと思ったのか、自分でも今一つ思い出せなかった。理由はわかっている。ただ、踏み出す原因となったそのきっかけが、思い出せない。踏み出すには余りにリターンの見込めないテーマでもある。

「今は、何枚になったの」
「ショック性増加無し、純粋な遺伝子操作≪デザイン≫で、三二枚です。」

 僕は主任に、完全調整された飼育ケージにおかれている、小さな成分水栽鉢を見せた。この中は、温度、湿度、空気の成分含有、与えられる養分の比率から、降り注ぐ宇宙線の量の再現や、土壌に微量に含まれる稀成分の指定まで、何百項目にも及ぶ環境を指定出来る、栽培空間だ。更に遺伝子レベルから操作するための設備と併設されており、また、その解析を自動で行い記録する装置も備わっている。この中で栽培される植物は、既に従来種とは、もはや別物といっても過言ではない。何百年とかけて行われる、交配、品種改良、進化、適者生存、突然変異、が一代で行われ、そして多くの場合、一代きりでその存在を途絶えさせる。

「何枚が、キミのゴールなんだい? それとも、何を解明したら」
「わかりません」
「……ふうん」

 主任は怪訝そうな声を上げた。

「僕は、この研究で、きっと何の成果も上げることはないでしょう」
「では、何のために行うんだ」

 僕は、教授の目を見ることが出来ないまま、答えた。主任は、主任という呼称ではあるが正しくは「主任研究員」であって研究所を主体とする組織であるこの公社には、それ以上の役職はない。つまり、所長だ。経営に関わる立場にいる人を前にして、成果の出ないだろう研究を告白するのは勇気のいることだ。

「きっと、僕の欲求のために。ひどく利己的で、生産性のない、執着のようなものです。子供の落書きと同じかもしれません」

 非難を覚悟の上で言ったつもりだったが予想に反し、主任は予想外に理解を示してくれた。むしろ、少し面白がっているように僕を見る。

「あぁ、そういうやつか」
「えっ?」
「気にしなさんな。研究者には往々にしてあることだよ。私もよく陥った。『何かを知りたくてそれをしてるんじゃない、その答えを必要とする問を探している』ってね。専門職にとっちゃ、自己目的化は蚊柱みたいに付きまとう茶飯事さ。それに先にも言ったように、キミはその猶予をもぎ取るだけの成果を既に出している。どうせその内に飽きるさ、飽きるまで存分にやんなよ」
「……ありがとうございます」

 僕が頭を下げると、その頭をつんとつつくようにして、主任は笑う。

「何よりキミはこの研究所で私に楯突く唯一の論客だ、大切にさせてもらうよ」
「そ、それはどうも」

 悪戯っぽく口角を釣る。というのも、僕は主任に比べれば遙かにヒエラルキーは下の職位に就いているにも拘わらず、主任の方針と食い違うやり方を主張し続けているからだった。
 力みすぎないようになー。そう言い残して主任は部屋を出てどこかへ行ってしまった。
 この研究室に僕と、彼女だけが残された。

「僕は、君に何を望んでいるのだろうな」

 この葉を増やし続けて、僕は何をしたいのだろうか。
 この花を、この花の命を冒涜し続けて、僕は何をしたいのだろうか。

「君を、試したいのか」

 本来三枚しかない葉。四枚あれば幸運の象徴と言われるその葉の数を、僕は三二枚まで増やした。シロツメクサの葉の数が増えるのは、若芽に外傷を生じるとそこから新たな葉が分化して葉の数が増えるというショック性分化誤謬が主な原因だが、遺伝子異常によっても生ずる。ただ、それを何枚にも増やして、そこに何の意味があるのだろうか。
 三二枚の葉を蓄えたそれは、グロテスクで、とても生命の神秘に満ちているとは思えない。アンバランスで、歪で、冒涜的で、邪悪で、悪趣味なモノだった。生物的に弱く、次世代を成すことも出来ない。存在価値のない植物だ。人間でいえば畸形、あるいは遺伝病ともいえる。
 それでも僕は、更にその葉の数を増やそうとしている。生命倫理を踏みにじってさえ。

「それとも、君が僕を、試しているのかい?」

 環境制御下の空間に栽培される、歪な花、葉。
 その姿を見て、僕は恐ろしく深い虚無感に包まれていた。

 ブーッ

 そうして「彼女」を眺めていると、インターホンから音が鳴った。一〇〇〇年代末期、電気で鳴らせる安価な音として普及した音。これは、呼び出し音だ。研究室の出入り口の「ピンポン」、つまり、来客らしい。
 僕は受話器を上げる。モニターにはパウラの姿が映っていた。誰かと違ってきちんとチャイムを押して知らせるのはとても好ましい。

「はい」
「パウラです。夜分にすみません」

 基本的にエクストラは許可のない外出を認めない方針なのだが、僕の担当するエクストラについては研究所内においては、公共領域と僕の研究室への外出は認めさせていた。別にこれによって何か結果を得るつもりはないが「能動行動に自由選択幅を与えることによるエクストラの性能面への影響」という実験を認可してもらっている。上も制度を逆手に取ったエクストラの放任なのだということは重々承知のことらしいが、黙認されている。定期報告も延長の電子申請ひとつで済んでいた。技術部の真矢がうちのエクストラのことを痛く気に入っていて横やり賛同してくれたせいもあるだろう。ことあるごとに怪しげな技術を突っ込んだ実験兵器を使わせようとしてくるのには少し困っているが。

「どうぞ」

 僕の三分の二程度の背丈しかないパウラ。実年齢も記録によれば一三歳とのことだ。僕がドアを開け招き入れると、お邪魔します、と一言置いてから入ってきた。半ズボンとTシャツ、寝る前の部屋着らしい。妙に胸が膨らんでいるのは、プロテクタのものだった。

「相変わらず、その、刺激的な音ですね」
「パウラの耳には少しやかましいかな」
「いえ、そんなつもりではなくって、あの、懐かしいっていうか、映画とかで聞く音ですよね、古いやつ」

 パウラが言うのは、部屋の呼び出し音のことだ。無駄にレゾナンスが高くローパスもしていない暴れさせ放題なピークの電磁音≪beep≫。今時こんな音を立てる電子機器が存在するのかと同僚から茶化され、geeg味のある極僅かな奴はこの音を好きだという。これは僕の自作ブザーの音だった。
 生物の何から何までを自由に操作≪デザイン≫でき、それに必要な機器の操作もすべてが理論と数式、ただ膨大なだけで単純な塩基配列の制御、神経を使う割には平坦で、倫理を犯す割には遊戯的で、こんな日常に放り込まれてそれにばかり埋没していると気が滅入ってしまう。だからこんな違和感のあるブザーを用意していた。こんな歪な音が僕に現実感を押し付けてくれるのだ。

「矩形波音ですね。出力モニタが疑似ステレオのままだからわずかにディレイっぽくずれてて柔らかくなってます。あと、この音、多分出力モニタの出力帯域超えちゃってます。あんまり長く使ってるとモニタの方がダメになっちゃいますよ」
「うへ、さすがだね。僕にはそんなことはわからなかったよ。改造済みとはいえ備品を壊すわけにもいかないし、少しハイカットしたほうがいいかな」
「モニタは人間の可聴域に合わせてあると思うので、上を切っても音自体に変化は感じられないと思います。でも耳って案外、聞こえてない音聞いてるんですよね。出さんの言う温かみというのがなくなってしまうかも」

 パウラの言う通り、一〇〇〇年代の画素が少なく見ているだけでも目が疲れてしまうような映画では、こんなブザーの付いた家がたまに登場していた。そのころの遺構映像は保存状態というよりもオリジナルデータ自体が劣化状態で収録されていて、映像だけでなく音だって情報量を切り詰めるために雑極まりないバンドパスをかけたような音をしている。それにノイズも入れっぱなしだ。最初に映画でこのブザーの音を聞いた時にはそのせいだと思っていたのだが、どうもそうではないとのことで、今やなかなか手に入らないような部品も含めてかき集めて実際に作ってみたら、本当にこの音が鳴ったという次第。だが実際に耳にしてみると、最初こそやかましいとしか思っていなかった音だが、慣れてくると不思議な聞き心地があった。乱暴で剥き身の波の音に温かみが、と言っても理解はされないだろうが、清澄でクリアな音ばかりで満たされる潔癖症な世界にいると、こうしたムラのある雑な音に愛着が湧いてくるのだ。それで無理を言って「個室」の呼び鈴にそいつを組み込んでもらった。今では割と気に入りで、これのおかげで、前までは「作業を中断されマイペースを崩される」としか思えなかった来客が、少しばかり楽しみになっていた。

「まあ、僕はそんなに耳がいいわけでもないし、音響分野は門外漢だからね。そんなにこだわりはないよ。」
「すみません、出過ぎたことでした」

 対し、パウラは音響のスペシャリストだ。といっても技術者ではない、音に関して特別な耳と発声器官、それにそれを制御するためのテクニックが『体に埋め込まれている』というところか。それが彼女のエクストラとしての特性なのだ。さっき呼び鈴beep音を細かく聞き分けたのはその能力故だし、彼女は実際にあの音を自ら発することが出来るだろう。リメンバアンブレラとの戦闘時にも、その能力は遺憾無く発揮されたと所長から聞かされている。

「いいんだよ、そんなことを気にするもんじゃない。パウラは僕に畏まり過ぎだ。少しはジルを見習ったほうがいいな。あれは行き過ぎてる感があるけれど。で、どうしたんだい、一人でこんな時間に」
「あの、『花』のことなんですけど」

 僕が話を促すと、パウラはシャツをたくし上げて胸部プロテクタの蓋を回して外す。白い樹脂で作られたプロテクターは彼女の肌に直接覆いかぶさるように設置されていて、エクストラたちはみなこれを着用している。
 プロテクタの内側には、勿論彼女の素肌がある。だが、肌よりも「それ」にばかり視線やってしまうのは、僕だけではないはずだ。プロテクタの内側、胸部中央には、植物の葉のようなものが、比喩ではなく文字通りに、生えていた。葉はパウラの場合は五枚、その中央には開きかけの膨らんだ蕾のようなものを抱いており、内側に見える花弁の色は濃いピンク色をしている。花の色は、個体ごとに異なる。この花の根は彼女の心臓と肺に絡みついて、栄養摂取とガス交換を彼女の体に依存している。この花が種子をなすのは、少なくともその母体となる生物が死んだ時だ。単体で栽培することは可能だが、その場合は種を付けずに枯れる。また、寄生済みのこの花だけを母体から切除したり枯らした場合は、母体となった生物は原因不明のショック症状で死亡する。この寄生植物が「フロラシャニダール」だ。

「すこし、色が悪いね」
「はい。最近、あんまり元気が無くって……」

 満開に咲いているわけではないが、蕾の内側に押し込まれ隙間から覗く花びらの色が、若干悪い。あと、葉のハリも少し失われているようだった。
 これが枯れてしまえばパウラは死んでしまうのだが、この花が、実際にはそう簡単には枯れないことは既に臨床結果から得られていた。ただ、宿主の健康状態や心理状態で容易に花のコンディションが変わることも、わかっている。花の状態は、彼女の体の不調を彼女自身よりもよく表す(しかも客観的に)バロメーターなのだ。宿主のコンディションが戻れば、花の状態も良くなる。ことパウラに限っていえば、コンディションの悪化を招いた原因として真っ先にあげるべき懸念は、明らかだ。

「この間の戦闘≪・・≫が響いている?」

 女の子相手にどう聞けばいいのか、遠まわしにオブラートで包むべきだったのか、それとも単刀直入に聞くべきだったのか。わからないまま口をついたのは、どっちつかずの聞き方だった。

「気にしていない、つもりなんですけどね。外見から傷はもうほとんど消えてますし、破損したのは不要な器官ですし。……でも、花は正直なのかもしれませんね」

 苦笑いのパウラだが、その身に降りかかった災厄は笑って済ませられるようなものではない。それを、気にしていない、というのは本当とは思ないし、こちらが辛くなるほどいじらしい。

「枯れたり、しないでしょうか」
「枯らさないよ」

 花が枯れるということはパウラが死んでしまうということだ、それは全力で阻止する。だが、僕が気にしている(そして彼女の無意識が気にしている)のは、「不要な器官」と言ったそれだ。

「きっと、使うこともないですから」

 さすがに、「そんなことはない」とは言えなかった。彼女の身の上を知っていればなおのことだ。元の体から損傷なく流用出来た貴重な部分ではあるが、エクストラとなった以上、確かにそれを否定はしきれない。それに。

「ほんとうは、ちょっとばかりは、夢見てたんです。お母さんになるっていうこと」
「え、っと、パウラ、それは」

 パウラの言葉は、ある意味で僕が一番恐れていた言葉だった。条件付けと暗示によってある程度人間らしからぬ扱いを受けても文句を言わないように管理されているエクストラは、幾つかの生物的な可能性について全く見込めなくなっていることに意識が向かないようになっているはずだった。

「でも、無理ですよね。しってます、私達は、生殖が許されていないこと……っぅぇっ」

 花の寄生と遺伝子操作を受けて、予想しきれない影響をきたす可能性があるエクストラは、生殖機能を大きく制限されている。もし子が出来たとして、どんな遺伝形質を引き継ぐのかまだはっきりしない点が多いからだ。そのことに意識が向かぬように強い暗示や回避しようとする条件付けがされていたのだが、自由意志を尊重したパウラ、ジル、ルーミィではその思想封鎖に綻びが出るのではないかと不安があったのだ。そしてその不安は的中した。
 条件付けに反する言動や思考が働くと、強い不快感を覚えるよう設定されていた。三人については恋だの何だのくらいでは拒否反応が出ないように調整はしていたが、生殖というイメージはそのど真ん中だ、間違いなく拒否反応が出ている。その証拠に、パウラは口元を抑えて涙目になっている。きっと強い嘔吐感が出ているのだろう。

「パウラ、そのことは考えない方が」
「そう、ですね。っ、ごめんなさい」

 素直に聞いてくれてよかった。何かの拍子に一時的に暗示による思考封鎖が解けても、こうして何度も条件付けによる拒否反応を感じる内に無意識にそのことを回避するようになる。負方向の条件付けによる調整は極めて効果が高いのだが、僕自身あまり好きではなかった。そうした調整≪教≫は、既に多くのの「成功例」を出している。エクストラが防衛設備ではなく人間として法整備されるまでは、今後も採用されていくだろう。もしそれでも考えるのをやめないようなら、条件付けを強くしなければならない。元から調整度合いの強いパウラには特に、したくないことだった。

「痛むとか、違和感があるとか、調子が悪いとかが出たんなら、すぐに僕に言うんだよ」
「はい」

 パウラは、先の神妖≪かみさま≫迎撃作戦で、大きく損傷を被った。エクストラが敵性存在/目標によって負った損傷を直接的な原因として、損傷修復を目的とした手術を要するに至ったのは、パウラが初めてだった。無論、神妖≪かみさま≫相手の実践投入自体が初めてであることを考慮すれば、この程度の損傷は幸運だったとも言えるが、黒星に違いはない。先の戦闘自体は勝利をおさめたが、オペレーションを素人である僕が担ったのは問題として残った。仮に「戦闘/戦争」の専門家が彼女達の戦時運用を担うことになれば、兵器化一直線だろう。出来れば人間として成功例を築いて欲しかったのは、科学者としてより、保護者としての正直なところだった。

「『何に使うものか』に関りなく、体の一部を、不要なモノと見做すことも、やめるんだ。いいね」
「わかりました。以後、気を付けます」

 パウラは戦闘によって、下腹部、もっと言えば生殖器官から消化器官の一部を損傷していた。特に生殖器官は元の体の器官として残っていた部分で、失わせたくはなかった。防衛設備として登記され人間として扱われていないエクストラだが、多くの部分でまだ普通の少女なのだ、個体維持≪けんこう≫の面からも、成長期の子供のホルモン分泌について万全を欠くことは、望ましくない。

「そんなに怯えなくってもいいよ、怒っているわけじゃないんだ。ほんとうに、パウラの体に傷をつけることにさせてしまったのは、申し訳ないと思ってる。」

 あんな惨い、と口にしかけて飲み込んだ。パウラがリメンバアンブレラからされた仕打ちについては、安定性に支障を来すとして、三人の記憶からは抹消してあるのだ。

「そんな、出さんが悪いんじゃないです、私が、二人とはぐれちゃったから」

 そういって、パウラはおへその下あたりに手をやる。今は、そこには元あった器官の代わりに、ほかの大部分と同じように人工臓器が埋められている。傷跡はすっかりと見えない、それでも、無くなったものは無くなったものなのだ。
 パウラは、気丈を振る舞って、そうして手をやったお腹をぽこぽこと叩いて笑う。

「でも、ほんとに、『そういう意味』では、気にしていないつもりなんですけどね。神妖≪かみさま≫には勝てましたし、ケガは治っちゃいましたし、ジルも瑠美も無事だったし、出さんはいつも通り優しいし。なぁんにも、悪いことなんてないと思ってるのに、それでも花には、影響しちゃうんでしょうか」
「花については、正直に言うとまだわかっていないことが多いんだ。特に、今回みたいに花卉使用を連続したケースは、前例がない。パウラは他の二人と違って三級指定花卉≪おおわざ≫を撃ったし、通信のために連続運用していた。もしかしたら『花』にも疲労と言うものがあるのかも知れない」
「そう、ですね」

 フロラシャニダールの特異性は、単に人体寄生するというだけではない。この花に寄生された個体は、妙な能力を得る。パウラの音に関わる能力もこの花由来のものと考えられていた。原因もメカニズムも全く解明されていないが、ジルも、瑠美も、他のエクストラ被験体も、みな同じくこの花を胸に抱いている。エクストラは兵器として調整されている以上、それを補佐する人工器官も多く備えている(補佐と言えば部分的に見えるが、彼女達の体はかなりの部分がそれを目的とした人造物で出来ている)。エクストラ、とは、つまりフロラシャニダールの寄生により得られた能力を源泉とした、戦闘サイボーグのことなのだ。今は、神妖≪かみさま≫との戦いに、その用途を見出している。
 古今は、未知の植物から得られる成分から新薬を作成するという名目でスポンサーから投資を受けている製薬会社だが、実態としてはその投資はこのサイボーグ兵器を開発する技術へのファウンディングなのだ。彼女たちの持つ能力は、神妖≪かみさま≫相手でなくとも発揮される。純粋なB兵器として、それは見られがちだった。
 だが同時に、そんな無慈悲な裏事情、悪い大人の打算は、当の彼女達には関係のないことでもあった。

「あと、その」
「うん? どうした」

 何か言いたそうにしている。パウラは特に引っ込み思案なところがある、こうして自分で発言するだけでも、いつも随分な決断の様にしてやっと口にする。今もそうだ、何度か引き出し、しかし強引にならぬように問うて、やっと言ってくれそうだった。

「その、花の元気がないのは、別の理由もあるかも、しれません」
「と、いうと? パウラ自身が疲れている?」
「いいえ、疲れはもうすっかりないです」
「疲れでもない……。それとも、何か悩み事でも?」
「えっと、えっと、ぉ」

 彼女たちはそもそもエクストラになることを望んでここに来たわけではない。だが、ならざるを得ない状況から、ここに来た。パウラは水難事故で九死に一生を得た娘だったが、彼女の家族はその事故で皆亡くなっている。彼女自身助かったとしても重篤な後遺症を残す上身寄りもない。その不幸は、古今にとっては都合のいい子供達なのだ。そうした子供たちを、社会的には死んだものとし、エクストラの『材料』として『入荷』するのだ。えげつのない話だが、内部規制として一定のガイドラインを設けている。入荷するのは、そのまま医療機関で延命しても自由で人間らしい幸福を求める生活を送るのが困難であり、またその生活を支える縁者が存在しないことと、決まっていた。
 フロラシャニダールは、何故か生後から十代前半までの女子児童にしか寄生しない。寄生したまま宿主がそれ以上に成長することは確認されている。そういった境遇の子供達から記憶を消して、体も義体として作り替え、社会から抹消し、『花』を寄生させて、名前を与えて実験しているのが、フロラシャニダール案件だ。主クライアントはCIPHERだが、ファウンダーの数はもっと多い。
 とはいえ、エクストラ自体はただの子供である。記憶操作の度合いや人間性の残置の方針も今は手探りでいろいろのバリエーションが試されていた。僕の任されてい三人は記憶は従来通りほとんど消してあり、人間味に関わる脳機能は多めに残置してある。それに関わる形で、admin≪管理者≫(つまり僕のことだが)への忠誠心も若干だけ低減させてあった。僕は気にしていないが、ジルや瑠美がどうにも僕に失礼な言動が多いのは、そのせいだろう。パウラだけは、再利用出来た元の体の部分が少なく、ほとんどが義体になっている。そのせいで厳密な管理が必要ということで、三人の中では一番忠誠度を高く設定されていた。
 エクストラは、ほとんどの点において普通の幼い子供たちと変わらない。胸に花が咲いていて、少しばかり僕の言うことについては無理を聞くようにされていて、圧倒的に人間離れした能力を持っているが、他の面については小学校や中学校に通っていても全くおかしくない。
 だから、「花のコンディションを悪化させること」とは「年齢相応の女子の悩み」であることも少なくなかった。

「実は、その、最近、太っちゃって……」

 つまりこういうことである。

「え、そ、そうなの」

 自分が人体実験の検体であるとか、こないだ死にかけたとか、子宮が失われたとかそういう問題よりも、まるでこっちの方が深刻なのだと言いたげな空気が漂っている。危機感のない悩みだが、彼女達なりには深刻であろうし、何より僕の手に負える問題ではないので、非常に困る。そう、困る。お手上げだ。

「そうか、見てても全然わかんないんだけど、その、瑠美の方が少し……丸い、と思うんだけど」
「瑠美はすこしお肉がある方が愛嬌があって可愛いんですけど、私、太るとただだらしなくなるだけなので」
「そ、そういうもんなのか?」

 正直、フロラシャニダール案件に関わっていて一番辛いのは、これだった。
 僕には年頃女子のナーバスな扱い方なんてわかりゃしない。専属のカウンセラーを付けて欲しいと申請しているが、彼女達に自由幅を与える実験申請は僕の責任下のことだったので、どうにもそちらの認可は降りるのに時間がかかりそうなのだ。所長に言うわけにもいかないし(察していると思うがトップダウンのメンテナンス指示は出してくれない。絶対僕が女の子の扱いに困っている様子を面白がっている)、武器オタクと同時に変態≪クソレズ≫ロリコンを公言している真矢に預けるのはこの件については絶対に避けたい。他に頼れる相手はいないので、仕方なく僕が対応するのだけど、これがどうにも悩ましかった。

「お食事、減らしてもらえませんか?」
「だめだよ。食事は、プレシジョン・コントロールの一環なんだ。パウラの体に厳密に調整されてる。食事の栄養だって、花のコンディションに直結するんだよ」
「そうなんですか? 食べ過ぎだから、花の状態がよくないんじゃないんでしょうか」
「違うよ。花の状態は、パウラの心理状態も反映する。太ったのを気にして悩んでるからじゃないかな。僕には正直太ったように見えないのだけど」
「体重、先月から2キロも増えちゃいました」
「パウラの体は成長期なんだから、少し増えるくらいは普通なんじゃないのかな。というか、義体の素材が素材だから2キロって誤差だよ。うーん、そうか、本とか読んでると普通のこの体重とかが出てくるのか。気になる?」

 小さく頷くパウラ。
 義体の中身は、実際には金属部品だって含まれている。水と蛋白質より比重が大きい素材が使われていれば、見た目が同じ健常者と比べて体重が格段に重いのは、道理なのだ。それでも、気にするというのは若い女の子特有のことなのだろうか。

「出さんだって、太った子より細くてかわいい子の方が、いいですよね?」
「え、いや僕のことは関係がないじゃないか」
「あります」
(やばい、これ面倒くさいやつだ)

 そう思っていると、パウラは鏡を使って自分の花を見ながら、小さく付け足した。

「他の二人より、花の成長も悪いですし」
「……それじゃあなおのこと、食べないわけにはいかないね」

 そうか、やっと腑に落ちた。本当は、そっちが悩みなのだな。
 花の成長は、確かにパウラだけ少し遅いのだ。遅いといっても蕾のサイズにして数ミリだけパウラが小さく、葉の新芽が見られたジルに対して他の二人は新芽はまだ出ていない、といった些細なものだ。
 花の成長は、個体ごとに細かく記録に取られ、大きく成長することが期待されており、端的に言えば満開になるのが最も望ましい。満開状態が一番「得体の知れない能力」の力が強くなることがわかっているからだ。フロラシャニダールは受粉によって種子をなすわけではないことが分かっており、開花の意味は不明だ。だが、この花は、開花状態を非常に長く保ち、一度咲いたら枯れるまで咲きっぱなしなのである。早く満開状態にして満開状態のまま花と宿主両方をどこまで延命出来るかは、当初から課題として扱われていた。
 そして、実際に宿主となったエクストラにありがちなことだが、花の成長が兵器としての能力値に差が出てくるのとどうしてもその能力で個体を測られるため、胸の花の成長度合いが自分の価値だと思うようになりがちなのだ。

「僕が、三人への忠誠度を低めに設定して人間味を強く残すように調整しているのは、花の大きさが三人の価値を決めるものじゃないと示したかったからなんだ。だから、花のことばかり気にする必要はないよ。僕のエクストラ≪きみたち≫は、戦闘で強いばかりがアピールポイントじゃない。こうして、人とちゃんと会話出来るってことも、重要なことなんだよ」

 事実、純粋に兵器としてだけ調整された実験体もいて、それはコミュニケーション能力を持たず、命令情報をアミノ酸配列に直したペプチドをうなじ部分に備わったインジェクタから注入することで予め行動プログラムを書き込んでから起動するなんて極まった個体だった。それに比べれば、パウラ、ジル、瑠美の三人は、わずかなヒューマンエラー発生のリスクを抱える代わりにリアルタイムに極めて柔軟な運用が可能な個体として、プロジェクトから成果の期待を得ていた。

「でも、それじゃ、他の人からいろいろ言われちゃうんじゃ。もっと模擬戦闘成績のいい子とかもいますし。所長さんとか、うるさいんじゃないですか」
「そんなこと、パウラが気にすることじゃないよ。子の価値を否定するような人と戦うのは、ほらあれ、親のお仕ご」
「私」

 パウラが僕の言葉を遮って、言葉を挟ん出来た。こんなことは、滅多にしない子だ。少し驚いてしまう。

「私は、出さんの役に立ちたいんです。そんなこと気にする必要はない、なんて、あんまり……言われたくないです。私のこと、ですから。」
「そっか。うん、そうだね。ごめん。僕のことを考えてくれてのことだったのだもな。ありがとう」

 僕には子育ての経験がない。もっというとサナトリウムにいたせいで親がどういう子育てをするのかも体験していない。親という言葉を引っ張り出しておいて無責任だとは思うが、だから、こういう時には親というよりは友人や一人の人間として扱うか、あるいは他人として扱うか、僕はそのどちらかしかやり方を知らない。今の僕の物言いは、その両方の悪いところを都合よく引っ張ってしまったかもしれなかった。

「でも、パウラは、そうやって自分のことを自分で決めて考えることが出来るだけで、十分『役に立っている』んだ。役に立つって言葉は適切じゃないかも知れないけど、それが一番、僕が望んでいることだから。」

 ほんの少し、嘘が混じっていた。
 一番ではない。一番僕が望んでいるのは、本当は、所長と同じこと。

 つまり「強い」ということ。

 僕の目指す強さへのアプローチと、所長のそれが、違うというだけなのだ。

「出さん」

 パウラの目線が、まっすぐに僕に向く。声色は、少し低い。何か決意した時のそれだ。だが、なんだか不穏な気配を感じていた。

「私、出さんのことが、好きです」
「僕も、パウラの事が大好きだよ。こんなに」
「そうじゃなくって、私の『好き』は、もっと違う『好き』で、ずっ゛……う゛」
「パウラ」

 彼女はまた口元を抑えている。それは、彼女が今口にした「好き」の意味が、他の二人や、普段僕に向けられるそれとは意味が違って、つまり、生殖行為にかかわる意味での「好き」なのだ。

「だめだよ、それは」
「だめじゃないです」

 パウラは、少しだけ語気を荒げて、言った。視線は、いつも温和な彼女から見れば信じられないくらいに、強い。

「だめじゃ、ないです。だって、この気持ちは、この気持ちが、私だから、うっ、んぶ」

 こうした、つまり異性を性交を意識した関係として認識することを、だが僕は敢えて教える必要はない。暗示と条件付けによる思考回避プログラムは、後からの教育を必要としないからだ。性行為や生殖に関る思考は不快なものだと、自動的に対象自身が学習していき、やがて暗示の抑圧下に収まる。だけど、ジル、パウラ、瑠美の三人ほど自由意思を残留させた型で、どれくらい効果があるのかは、確かに臨床結果がなかった。

「この、気持ち悪ささえ我慢出来れば、私だって、所長さんと同じに」
「主任は関係ないよ、そんな関係じゃない」
「でもっ、うぇっ゛、う゛」

 胸が上下して、おなかが強く跳ねている。余程強い嘔吐感が、いや、喉から下で言えばすでに嘔吐運動をしているのかも知れない。

「抱いて、っ、くださいっ」
「そんなことをしたら、辛いだろう」
「そんなの、我慢、しますっ、から」
「それに、パウラの体にはもう」
「人工のは、ありま、す。セックスはダメでも、ホルモン、はバランスとらないと、ダメ、なんですよね? でもそれってすっごい皮肉……んっぐ、あ、ぶっ」

 もう、言葉を一つ吐くたびに食道を逆流してきたものを嚥下しなおしながら、喋っている状態。

「パウラ、やめなさい。胃酸で食道がやられる。軌道に入ったら肺炎に」
「いや、ですっ! んっ、わた、し、きょうは、そのために来、んっ、ぐっ、んです、んっ……!」

 屈み込んで、両手で口を押えている。これほど強烈な不快感を与える条件付けならば、心配する必要はなかったかも知れない。ほどなく彼女は、この感情を避けるようになるだろう。彼女たちの場合、僕に対して何等か恋愛感情に近いものがあったとしても、それは陽性転移に違いないのだし、どのみち人間の女性として普通に母親になる道も閉ざされている。エクストラを取り巻く法制度上、現時点では、そうあるしか、ない。
 僕は屈み込んでいるパウラにハンカチを差し出して持たせ、肩で抱える。ほら、部屋に戻りなさい、送るから。そう言って立ち上がった瞬間。
 がば、と彼女が僕に覆いかぶさるように抱き付いて来た。

「すき、すきれすっ、ぅ゛っ゛え、いずるさん、すき、すきっ……うっん、ぶっっぐ」
「パウラ」

 可能性を描いていた。確かに条件付けは生殖にまつわる思考を回避に釘付けるのに役立っているだろう。でももし、欲求が不快感に立ち向かう事態になったのなら、障害の存在は、欲求をより肥大化させる可能性があるのでないか。転移とはそもそも、卑俗に言えば勘違いなのだ。当たらずとも遠からぬ感情を錯覚しその満足を恋愛と見誤っているだけ。パウラの様な献身的な性格の子であれば、障害が大きければ大きいほど、情動は思い込みに反映され、転移は強くなる……かも知れない。僕の専門は精神科ではないし、彼女の生前の境遇はわからない。でも、もしそうだとしたら、どうやって改善すべきだろうか。
 どうすべきかわからないまま、僕は彼女の余りにも強い訴えを一部受け入れるしかなかった。つまり、こうして抱き付いていることを、しばらく許すこと。僕は抱き付いたままの姿勢で彼女を抱えて、椅子に戻った。忙しい時にはリクライニングでこのまま寝落ちすることもある椅子は、こんな小さい子を抱いた状態でも程よく後ろを支えてくれる。
 僕に抱き付いたままのパウラは、おなかや胸を強くひくつかせている。嘔吐が収まるはずはない、口を押え、喉元を締めて必死にこらえているのだろう。

「わかったから、パウラ、しばらくこうしていてもいいから。おちつくんだ」

 僕はそれほどに強い嘔吐感を無理やり飲み込みながらでも僕の抱擁を求める彼女を、どうすることも出来なかった。ただ、彼女の求めに応じて、胸の上に乗せて、小さな背中(翼ユニットの「芽」が少し凸っている)に手を回して、優しく抱いてあげる。

「いじゅる、、さ♥ んっ、んぼ、んげぶっ! ぅええ゛っっ! げほっ、げぼっ! んぶっ、ええぇぇっ」

 僕が手を乗せた僅かな圧力が悪かったのか、それとも安堵感で我慢が限界を迎えたのか。パウラは僕の胸の中で盛大に嘔吐した。

「ご、ごめんなさ、っぶごぉぇぇっ! ごめんにゃさ、んぶっ、んん゛んっ!」
「いいから、謝らなくていいから。大丈夫、大丈夫」

 こんな接し方が、いいのか悪いのか、もうわからない。前例のない個体だ、きっと教育技術部にもノウハウはあるまい。僕はただ、胸の上に温かい嘔吐物を受けながら、それでも僕に抱き着く腕を緩めない、掴んだ白衣を離そうとしないパウラの頭を、撫でてやる。
 黄色く色づいた、彼女の体温にまであたたまった嘔吐物が、僕の上半身を覆っていく。この吐瀉物は、彼女自身かも知れない。自分の感情を、絶対に曲げずに、結局絞り出されるように溢れてきたこれを、彼女の感情と、彼女自身と言わずして何と呼べばいいだろう。口から、何度も波打つように噴き出す吐瀉物。吐き出した後は粘り気をもって、糸を引いて唇から垂れる。漂う吐瀉物臭。胃酸の酸っぱい匂いと消化途中の食物の、腐敗にも近い匂い。普通ならば貰いゲロしてしまいそうなものだが、パウラのそれでは不快感を誘発されなかった。

「けほっ、ぐげっぶっ……!」

 口から溢れてくるものはほとんどなくなったが、パウラのえづきは未だ止まっていない。当然だ、嘔吐感の原因は、危険なものを口にしたからなどではなく、僕への好意がちょっとした契機で高まってしまい、性的興奮と結合したからなのだ。そう簡単に収まるものではないだろう。ならば突き放した方がいいのかも知れないが、そうと分かっていても安易にそう出来ないほど、僕の方にも彼女を想う気持ちがあった。逆転移、今迄そう自分に言い聞かせて来ていたのだが、こうして彼女からストレートに強い感情を見せられて、僕の方も揺らいでいるのは、否定出来なかった。
 僕はただ、彼女が平静を取り戻すまで胸の中に抱いてあげた。
 やがて収まった彼女は、僕の部屋のシャワーを使って体を洗って、何度も何度も泣きながら謝って、自室に戻っていった。そもそも転移が起こっているのは前提として、それを爆発させてしまう感情の起伏については、彼女達年頃の女性特有のものかも知れなかった。だとしたら、もう何年もすれば、落ち着いてくるのかも知れない。そのまま、特に何の処置も無く暗示の抑圧下に収まってくれることを願いながら、僕は彼女が帰った後の部屋を掃除して、自分も風呂に入りなおした。

(何年か先、か)

 エクストラが、何年も先に、まだ生きているかどうかなんて、わかったことではない。そのことが、最後の最後に取れないシミみたいに、不安感を残した。







 すっこーん!

「り、りっく~~~ん!?」
「わぁ、場外ホームラン……」

 勝負あったわね、と腰に手を当てて傘を地面に突く風見さん。チーの悪知恵の甲斐あって、りっくんは傘のクリーンヒットで痛々しいを通り越して清々しいほどの吹っ飛び方で、森の向こうへ飛んでいく。あっちは、まだ博麗と協定を結んでいない「まつろわぬモノ」が多く住む化外の地だ。積極的に敵対しているわけではないが、上から餌が降ってきたとなっては特に食べるのを遠慮してくれるわけでもない。落ちた場所が仮に「神奈備」の息がかかった場所なら、下手をすると本当に殺されてしまうかも知れない。
 りっくんが吹き飛ばされた方へ真っ先に飛んでいくのはチー、当たり前か。一方の風見さんは非常に達成感のあるいい笑顔をしている。りっくんを盛大にぶっとばした傘は曲がって、いる訳でもなかった。あの傘は、なんせ彼女が力任せに妖力をぶっ放す元祖マスパ≪アレ≫の補助に使われるマジックアイテムでもあるのだ、並大抵の強度である筈がない。

「ほら、あなた方も迎えに行ってあげなさいな。今頃野良妖怪に喰われているかも?」
「わー、リグルしぬなー。水は甘いぞー」

 ひょーん、とチーの後を更に追うように飛んでいくルーミィ。傷は浅い、と言いたかったのだろうか。
 ぶっとばされた一人と飛んでいく二人の背中を見送って、私は風見さんの方を見る。チーの描いていたジャイアントキリングは成らず、軽く遊ばれて、この通りの終わり方。ここであったが百年目、とチーは言っていた。それはおばかなチーらしい物言いで、皆にとっては冗談と笑い飛ばされる言葉だけれど、私にとっては、そうとは限らない≪・・・・・・・・≫。

「何か、お付き合いさせてしまったみたいで、すみません」
「今日は偶然機嫌がよかったから相手したけど、次は相手しないわよ。せめてもう少し強くなってから来なさいな」
「そう言って、仮に明日またチルノがけしかけたら相手してくれるんですよね。風見さん、実はひとがいいから」
「は? あんまり変な買被り方するとリグルと同じ目に遭わせるわよ」
「それは遠慮します」
「早く行ってあげたら? あっちの方はお世辞にも治安がいいとは言えないわ、何かあっても博麗は助けてくれないわよ、まつりごと的な理由で。獅子だの虎だの竜だの食虫植物だのが出てきてあの子を食べてしまったら……可哀そうじゃない」

 よく、裏腹な言動をするひとだ。自分でりっくんを吹っ飛ばしておきながら、気遣うような言葉。

「弱い奴が悪いのよ。それを、わかっているくせに是正しようとしない。本当に、死ななきゃ治らないやつ、かも知れないわね」

 このひときっと、本当にりっくんが死んでもいいと思ってる。死んでもいいと思ってるのに、きっとその逆も同居している。ぶるっ、と震えた。

「で、これが、優しさとでも? 母性という言葉に転嫁すれば、あらゆる感情は優しさに押し込めることが出来るでしょうけどね。」
「恋心も、同じ性質を持ちます。」

 私が言うと、風見さんは一瞬だけ目を細めてから、またいつもの大妖怪らしい微笑という名の無表情に戻る。

「ま、リグルを拾ったら全員ウチに来なさいな。かぼちゃがおいしくなったから、昨晩ポタージュを作ったのだけど、一人では食べきれなくてね。」

 真意の知れぬ言動だが、この人の場合、本当にそれだけ≪・・・・≫なのだ。空恐ろしくもあり、同時に信用に足る頼もしさもある。

「じゃあ、りっくんが生きてたら、持ってきますね」
「別に来なくてもいいけれどね」

 きっと、かなわない。
 りっくんと風見さんの間に入り込む余地は、きっとない。一緒も離別もこの人には余り関係がないことに見える。ややもすると、生き死にさえ、関係がないのかも知れない。その絶対的な自信は、何なのだろう。りっくんにその自覚はなさそうだ、風見さんの一方的な自信だろう、ある種理不尽な妄信だが、絶対に絶えない不可視の絆が二人の間に引かれているように感じる。

(わかってる、のに)

 でも、でも、と願ってしまうこの浅ましい≪恋という≫感情を、その名前フィルタは、綺麗なものだと嘘を吐く。本当は、こんなにも醜くて、きたないかんじょうだというのに。
 妄信なら、私にもある。りっくんがまだ知らないこと。風見さんは当然知っているがきっとまだ使っていない。私は知っていて、それを今なら躊躇なく、使える。

 これは、宣戦布告かもしれなかった。







 風見さんとの店の仕事が終わって、りっくんが帰ってくるのはいつも日が暮れてからだ。
 私達が妖精、妖怪、現象、顕現といった元の存在らしい時間に活動しているのならさほどでもないのだけど、四人まとまって生活するようになってからは人間の子供のそれととても似通っている。日が沈むとそんなに長い時間は、活動しなくなっていた。でも、風見さんのお店は人間の大人を相手にしたお店で、お客さん相手のおしごとが終わってからも色々と翌日の準備などがあるみたいで、りっくんは日がすっかり暮れて夜が更けてから帰ってくることが多い。

「おつかれさまだよ」
「ローリー。来てたんだ」
「ごめん、疲れてた?」
「ちょっとね、でも平気。ローリーこそ、こんな時間まで起きてて」
「私、いちおー、夜行性なんだケド」
「そうでした。おたがいさま」

 元々昼行性なのは、チーくらいのものだ。でも、今はみんな一緒に朝起きて夜寝るようになっていた。りっくんのお店の関係もあるし、今となってはその方が都合がいい。
 私は勝手にりっくんの家に上がり込んでいたのだけれど、それもお互いによくあることで今更とやかく気にする事は無い。お互いの家のどこに何があるかまで、四人は皆知っている同士だ。

「ごはんは、もう食べてきた?」
「うん。いつも通り、まかない」
「まかないって、いっつもりっくんが作ってるんでしょ? それもお給金の内なの?」
「たぶん」
「たぶんって……。」
「でも材料費はかからないから、特上の野菜に果物」
「そうだけど」

 りっくんのおしごとは、基本的には、農家さんとお花屋さんと八百屋さんのあいのこらしいのだけど、結構大変そう。朝早いし夜も、まあ深夜と言うわけではないけど日が沈んでから帰ってくる。日がな一日遊んでた頃とは全然生活リズムが違う。でも私も含めて、りっくん以外は未だに遊んですごしてばかり。お手伝いしたいけど、どうやってお手伝いすればいいのかわからなくって、こうやってご飯をつくったりお出迎えしてあげたり、それくらいしか出来ない。私も何かおしごとすればいいのかなあ。
 りっくんは、はーつかれたつかれた、って笑いながら椅子に座ってテーブルにぱたんと上半身を乗っけた。うちはおちつくー、なんてほんとおとなのひとみたいなこと言ってる。

「だ、だいじょうぶ? やっぱ疲れてる」
「へーき。あ、やっぱり、なんか食べたいな」
「無理して食べなくってもいいんだよ? 私が好きで用意してるんだから」
「疲れたからか、本能がご飯を求めるのだーってね。軽く何かいただくよ」
「ちんまいのは……うーん、明日のお弁当のあまりでよければ」
「うんっ」

 風見さんが何故お店なんかをやっているのかはわからないけど、強いひとたちは態々そんなことをする必要がない。逆に、本当に小さい存在も、そうして社会的な活動を行ってまで自らの立場を確立しようとしない。それ故に小さなものは基本ずっと弱いままなのだが、私達はほんの少しそこから踏み出している。普通の妖精や弱小妖怪じゃ食べないようなものを食べることを覚えた。人間とか大型獣とか高エネルギーな食事で力を得ているし、そうした四人が群れを成して互助している。りっくんは一番初めに「おしごと」を始めた。私も、いずれ何かを始めるのだろうか。
 土仕事と接客業、両方なんて大変だろうなあ。ほら、触覚の端っこに泥がついてる。いつも神経質なくらいに繕って掃除してる(りっくんにとっては目や耳と同じようなものなのだから当たり前なんだけど)のに、それも忘れちゃうなんて。

「ごはんより先にお風呂入っちゃいなよ。沸いてるから。あがってから、ごはんと、蜂蜜酒≪ミード≫で晩酌しよ?」
「そうするかな。ありがと」
「『お背中、お流ししましょうか?』ふふっ」
「い、いいいいいいよ、ささっと済ませちゃうからっ」

 ばたばたと飛び込むように脱衣所に入って戸を閉めるりっくん。そんなに慌てることないじゃない。
 ちょっと前までは湖で四人で水遊びとかしていたし、一緒にお風呂に入るのも抵抗なかったのだけど、最近はなんだか、避けている。私は、あれを覚えてしまってからだ。あれから急に、りっくんの裸を見たり、自分の裸を見せたりするのが、怖くなった。りっくんの方もそれから少しして、抵抗を見せるようになっていた。チーも、ルーミィも、あからさまではないけれど、なんとなくりっくんに対して肌を見たり見せたりすることを避けている。私達の中で、何かが変わり始めていた。

 みんなが同じように「おしごと」をするようになるかどうかはわからないけど、きっと私も他の二人も段々と、小さい存在では普通はしないようなことをするようになっていくんだろう。そうやって今までと違う世界を見ることになったら、四人はどうなるのだろう。今まで通り四人ででいられるのだろうか。
 四人がそのままでなくなっても、仕方が無いかも知れない。それが成長とか進化とか、いうことなら、きっとそれが正しいことなんだろう。四人がバラバラになってでも、それは望ましいこと。

(でも、りっくんとは、離れたくない。)

 お腹の下のあたりが、じん、と熱くなった。少し重ったるい感じ。りっくんのこと、これから先のことを考えると、決まってこうなる。とくとく心臓が早打ちして、少し憂鬱な気分。もやもやしてどうしても振り払えない不安感があって、気を抜いたらすぐにりっくんの顔が、浮かんできちゃう。溜息。また、溜息。
 この不安感と焦燥感の正体。私はその正体を、突き止めかけていた。そして、それを飼い慣らして自分のものにして、「使わなければならない」。そうした逼迫した危機感は、四人の中でも私の中にしかない。その理由も、私にはわかっていた。

「お湯加減、平気?」
「うん。だいじょうぶ」

「恋は人を強くする」なんて、絶対嘘。もうぐらぐらのぼろぼろ。友達としてなら相手を庇って受け止めてあげられることもきっと、庇って死んでしまいそうなくらい脆くなってる。お風呂の中から聞こえるりっくんの声。エコーがかかっているのが、眩暈がするようなこの感情の前では、殊更不安感と重圧感を煽ってくる。胸と言うよりも首の付け根辺り、その奥にあるのが食道とも気管とも付かないようなところが、ぞろぞろと重い。吐き出したいのは言葉か、感情か、どちらにもなれずにただ温いだけの溜息が絞り出された悲鳴の死骸みたいになって漏れ出してくる。
 扉の横あたりに背を凭れる。聞こえる水音。この薄いガラス戸の向こうに、昔は平気で毎日見ていた、でも今は見ることも出来ず毎晩のように想像している、ものがある。

 いつから、なんて言葉にもはや意味はない。どうして、なんて疑問にもはや意味はない。どこが、なんて質問にもはや意味はない。絶対。比較対象を取らない非理性的な優位性。理解も制御出来ない、不可解な好意。こんなもののどこに、透明な甘さや、綺麗な想いや、甘美な時間があるというのだろう。欲しくて欲しくて堪らなくて、自分が酷く汚く醜い存在になったようにしか思えない。喉の奥、みぞおち、お腹の下、股の間にわだかまる、ぐずぐず粘る不快感。
 それに、それを止めることも出来ない自分も。
 私はぐっ、と気持ちを強く持って、服を脱ぐ。ちゃんと畳んでからにすべきだったのだけど、そんなことしてる間に決意が揺らいじゃいそうだから、そのまま、勢いで扉を開けた。

「おじゃまします」
「え、うわわわわわっわわ、ろ、ローリー、何して?!」
「やっぱり、背中流してあげるよ。おつかれだもんね」
「いいって、いいってば、でてってよぉ!」

 りっくんが、私の裸から目を逸らしてる。目を逸らしてるってことは、私のことを、女として意識してるってこと。おなかが、じくじく、熱い。どきどき、ううん、狼狽えて私から目を逸らしてるりっくんを見てると、背筋がぞくぞくして、気持ちがいい。
 私はりっくんの言葉を聞き入れずに浴室に入り、かけ湯をしてから有無を言わさずに一緒の湯船に入る。ちょっと狭いけど、無理な程じゃない。これくらいくっつける方が、いい。

「ろ、ローリー、ねえ、背中はいいから」
「遠慮しないでよなによぅ、こないだまで流しっこしてたじゃないー」
「そうだけどぉ」

 全然気にしてませんみたいな演技で、昔よくそうしていたように、りっくんにくっつく。内心、これっぽちも平気なんかじゃない、りっくんの方をちゃんと見るのも勇気が要るし、心臓がばくばく破裂しそうに暴れてる。でもそれとは別に妙に冷静なもう一人自分が私自身とりっくんとを俯瞰していて、その私はものすごく、意地の悪い目つきで二人を見ている。これ、りっくんの後ろにいたあのもやもやの化け物と、同じ。

「りっくん、日に焼けたねえ。畑仕事、大変じゃない?」
「だ、だいじょうぶ、だよ」

 四人の中でも特に元から外で活動する体質のりっくんだけど、おしごとを始めてからは、黒いという程ではないけど少し精悍な色を帯びていた。可愛いのに、逞しくて、おとこのこ。好きな、おとこのひと。
 顔を覗き込むように体を寄せて、もともと窮屈な浴槽の中で余計に強く体を押し付ける。大人の女のひとみたいに胸はおっきくなってないけど、それでもりっくんは私から視線を逸らせて顔を真っ赤にしている。私も、ちゃんと、おんなのひとに、なっている。

「先に私、体洗っちゃうね」
「うん。う、わわ」

 私は浴槽の中で立ち上がる。体のどこも、隠さないままで。だって昔はこうしたって何も感じなかった。全然平気だった。今は、顔が燃え上がるんじゃないかってくらい熱くて、恥ずかしい。けど、そうしないと、いけないんだ。水滴が体を流れて落ちる程に、りっくんの視線を遮るものは無くなっていく。こんな近い距離で、一糸纏わぬ裸の姿を、りっくんに晒している。そして彼は、私を、見ている。
 浴槽から出て、洗い場までわざとゆっくりと歩くと、背中に突き刺さってくるりっくんの視線。
 羽根は、肌を「隠さないように」小さく畳んである。背中も、腰回りも、おしりも、脚も、裸の後姿ぜんぶがりっくんの前に晒されている。指先で肌をなぞられるみたいに、むずがゆく感じる彼の視線。舐め回すみたいに、見てるんだ、私の事。

(見てる、りっくんが、私の裸、見てる)

 背中にちりちり感じる視線。私は、お腹の底から意味不明な満足感が滾々と湧き上がってくるのを感じた。それが何を意味するものでもないというのに、ただの視線一つで、強烈な万能感。私が何かをしたからじゃない、ただ、りっくんが私を見ているという、悦。叫び出したいほどだった。おなかの中でぐるぐるぐる渦を巻いているのは、粘っこい感情なのに、その不快感が反転して身震いするほど愉快。快感。
 こんな感情、気持ち悪い。意味が分からないし、独善的過ぎる。でも止められそうになかった。りっくんが私を「いやらしい目で見ている」という事実が、私の満足感をくすぐって昂らせる。

 女ってこんなに気持ち悪い生き物だったの?
 女ってこんなに気持ち良い生き物だったの?

 生唾が喉を下っていく。体が熱いのはお風呂で火照ったからじゃなかった。濡れているのは湯船につかったからじゃなかった。
 ゆっくりと椅子に腰を下ろして、横目に、ちら、と、視線をやると、慌てて目を逸らす彼の姿が見えた。見てない振りをしておく。髪を洗い体を洗い顔を洗う間、ずっと私を窃視する視線。そうする必要もないのに、腕を伸ばしたり背を反らせたり腰をひねったり、わざと動きに綾をつけて見せると、視線はより強く突き刺さってきた。

(もっとみていいよ。私のこと、おんなのこだって、見て)

 私が女だと思い知ればいい。なかよしとか幼馴染とか共同生活者とかそういうのではなく、女として。りっくんが男で私は女なのだと、交尾出来る関係なのだと思い知ればいい。
 あそこが熱い。今すぐこの場で濡れた股の間に手を入れて擦りたい。ぬるぬるの体液を塗り広げて淋しがってる穴を埋めたい。指で? 違う、彼で。

「はーさっぱりしたぁ。次、りっくん、どーぞ」

 ひと通り体を綺麗にした私は交代を促したが、彼は浴槽の中に投げたままの視線を動かそうとしない。

「背中流してあげるから、ほら、こっち」

 案の定動こうとしないりっくん。埒が明かないと思った私は、体を洗うタオルを浴槽に放る。受け取った彼は渋々、前を隠しながら「あっちむいててよう」と困ったような顔で呟いた。はいはい、って返事して背中を見せて羽根で顔を覆う仕草、みていないよ、と伝えるとようやく湯船を出る音が聞こえた。
「音」は私の領分、こんな風に密閉された空間に響く音は好都合だ。その反響を立体的に解析することで私は、色が付いていない以外は目で見るのと大差ない世界を理解出来る。音が伝えてくる映像では、りっくんの顔はまっすぐに私の方を見ていた。恥ずかしそうにする様子と、目を離せないままの姿勢、両方がせめぎ合っている彼の姿を認めて、私はやっぱり、心臓から全身に送り出される血液の温度が上昇してしまう。

(いいのに、そのまま私に触れてくれても。幼馴染から、男女の関係に、このお風呂場で変わってしまっても)

 彼は、私が見ていないと思っている。それは彼から私が見えないことも同じだ。音響解像を得ない限りは、りっくんのおちんちんが今おっきくなっちゃってることもわからない。それと同じく、りっくんからは私の顔は見えないし、私の「ここ」が今どうなっているのかも、わからない。

(むずむず、する)

 りっくんがタオルで勃起したものを覆い隠しながら不自由な動きで椅子を探している間、私の中指はとろみを帯びた縦筋を撫でていた。
 彼が私を女、それも、交尾相手に出来る雌として認識しているという事実が、私を体の芯から蕩けさせる。彼に触れたい。いつもみたいに手をつないだり肩を寄せ合ったり背を凭れ合うのじゃなくて、もっと汚い手で、穢らわしい感情で、不浄な欲望で、彼に、触れたい。

「まーだー?」
「あ、わわわ、う、うん、もういいよっ」

 慌てた声で答えるりっくん。私には見えていないと思っているのだろうけど、慌てて前を隠して椅子に座るのが、私には全部見え≪聞こえ≫ている。タオルで隠すその奥に私を求めて自己主張する雄がいることも、その雄を制御出来ずに切ない性欲を何とか飲み込んでいることも。腰が引けた姿勢で、タオルに先端が当たるだけでも身を捩ってしまう敏感なそれを必死に御して、何とか椅子に座るりっくんを見≪聞き≫ながら、私は雌液を漏らす筋に指を埋めていた。声が出たらどうしよう、でも、止まらない。ぬめりを掬って、欲しい場所へ刷り込むように、擦って撫でて押し込んで、時には抓って。その行為一つ一つが絶頂への階段。登れば登るほど、登るのをやめられなく加速していくことを、私は知っていた。波に身を任せてしまえば、彼の目の前であっても登りつめるのをやめることが出来なくなる。でも、彼が椅子に座って私に背を向ける迄、抑えが利かなくなってしまう事態は、辛うじて避けた。彼が背中を向け、私の姿が彼の視界から消えただろうことを見計らって、私はあそこを掘り返す指の動きを激しくした。一気に加速して階段をのぼりつめる、手を伸ばせばすぐそこに快感の飛び降り台がある、あそこを蹴って飛び出し一気に天国の底まで真っ逆さまに堕落してしまいたい。

(っ、~っ)

 椅子の上で、股に挟んだ腕をぎゅっと閉じて逃がさないように、前かがみに肩を竦めて、私は小さく達した。声が漏れそうになったが、必死に口を真一文字に閉じて堪える。
 見知った顔、体。裸だって昔は見慣れていて今更目新しい光景ではない、だのに塗り変わってしまった腐臭に満ちた世界では、彼の姿は全く新しいもの、初めて見るもの、まるで生れてからずっとこれを探し続けてきたのではないかという宝物にさえ見えてしまう。それも、酷く汚らわしい欲求が、そう見せるのを私は知っている。
 彼の背中を見ながら達したその余韻を味わう暇もなく、私は平静を装って石鹸を取り、彼の背中に手を当てる。あったかい。今イったばっかりなのに、また、下半身が脈打ってしまう。

「ひさしぶりだね、一緒にお風呂するの」
「う、うん」
「なぁにぃ? 緊張してるの、今更?」
「だって、もう、こどもじゃないし」

 本当、今更である。今更、私は彼に、こんな感情を抱くに至った。もうずいぶん昔から一緒にいるのに、まるで可燃物に火が燃え移ったみたいに、それまでは何ともなかったのに、いきなり理不尽な速さで理不尽な大きさの炎を上げてしまっている。もう、制御不能だ。

「こどもじゃないと、どうなるのかな」
「そりゃ、! その……」

 しどろもどろのりっくん。その様子を敢えて無視して、私は石鹸を手に取って泡立てる。十分に泡立ったところでその泡を彼の背中に乗せて、掌で塗り広げて擦る。

「えっ、ローリー、なにして」
「背中流すってゆってるじゃない」
「え、手? 手でなの?」
「手の方が……きもちいいでしょ?」

 背中を掌で丹念に擦る。幾ら強くしたってタオルでするそれのように強過ぎることにはならない、むしろ、石鹸のぬめりがりっくんの肌との接触を強く意識させてくる。それはきっと彼も同じだろう。背中を洗う(撫でる)度、彼は切なそうに身を捩って私を意識している。そう言う仕草を去れると、私の方ももっともっとしてあげたくなってしまう。これって、愛撫みたい。

「ね、ねえ、タオル、使ってよ」
「どうして? 手で洗うって人も結構いるんだよ? タオルやへちまを使うより、肌に優しいって話もあるんだから。」

 人の背中を手で洗う人がいるかどうかは、知らないけれど。
 私は背中に手を置いたまま、体全体をりっくんの背に寄せて、彼のうなじ辺りに顎を寄せる。

「ね、きもちいい?」
「う、うん」

 二人っきりだから出来る距離、その距離だから聞こえる声。吐息交じりの消え入りそうな声で、その言葉を投げると、彼は体を強張らせた。彼の背と私の胸には僅かな隙間があるだけ、その僅かな間を私の掌が行き来している。泡立った石鹸水がりっくんの背中にえっちなヴェールをかけていく。背中だけじゃなくて、肩、脇腹、腰にも掌を這わせて洗っ≪撫で回し≫ていく。身を捩るがその理由を悟られまいとするりっくん。

(背中、広くなったなあ。りっくんやっぱり、男の子なんだなあ)

 肩に手をやったとき、改めてそう思った。肩幅が、広い。他の男の人に比べれば随分と細いのだけど、こうやって自分の体と重ねてみるとかなり違う。りっくんの体は、どんどん、男になっているのだ。――私が、女になっていくのと同じように。
 そう思うと、体の力が、一気に抜けた。椅子に座った彼の背中に、倒れ込むように重なる。

「えっ、ローリー?」
「じっとしてて」

 彼の肩に手を置き、重心を彼の背に預けたまま、胸を彼の背中に密着させる。泡立ち石鹸水のぬめりが私の胸にも伝わってきた。ねえ、ちょっと、と声を出すりっくんだけど、もうここまでくっついてしまっては後は思い切り押しのける以外にこの状態から逃げる方法はない。私は存分に彼との肌の密着を感じた。体を前後に揺すって、胸と掌、指、それに時には頬も使って石鹸ぬめりを、りっくんの背中に塗り広げ、擦り、撫で回す。

「どう?」
「どう、って、いわれても」
「やっぱ、おっぱい大きくないと、だめ?」
「そんな、こと」

 体を強張らせたままのりっくん。私は腕を腕に絡ませて、指先で彼の少し日焼けしている肌を撫でる。細くて可愛らしいフォルムなのに、こんな風に逞しい。可愛いのに男の子で、幼馴染なのに性対象。こんなの、どうすればいいのかわからないよ。肩から腕を撫で、指と指の間に指を滑らせてから、今度は、手を彼の胸の前に。そしてそのまま、後ろから抱き付くようにして、彼の胸を洗う≪撫でる≫。顎をりっくんの肩に乗せて、頭の重心も彼の首に預けた。体全体で密着して、りっくんの体温を感じる。

「りっ、くん」
「ろ、ろーりー、これっ」
「だって、背中だけじゃないでしょ? 全部、洗わないと」
「でも」

 こうしてくっついたら、彼の心音が二つの体を通って伝わってくる。呼吸で上下する胸部も息遣いも感じる。それと同じように、りっくんも私を感じているだろう。いつもより、高い鼓動と荒い呼吸、それにもしかしたら、高い体温。
 彼の胸辺りに手を伸ばして、泡を広げて洗って≪撫で回して≫いく。とくとく早い鼓動は、前からだと一層強く響いて来た。

(わたしも、どきどきしてるよ)

 椅子を下りて膝立になって、体同士の密着を強める。膨らみ始めたばかりで奥の方に少し痛みのある胸、その先端が彼の背中を撫でる。上に、下に、体を揺すって、手は波を描くように彼の胸をお腹を太腿を、そして。

「ちょっ……!」
「こういうの、知ってるでしょ。りっくんだってえっちな本くらい、読むでしょう? 百舌鳥通りの本屋さん、最近よく行ってるじゃない」
「それは、しょ、しょきゅぶちゅのほんお」
「隠さなくたっていーよ。そういうの、女の子だって興味、あるんだから」

 こういうの、ね。
 私は背中から被さる様にして胸をりっくんの背中に擦りつけながら、股間に被さっていたタオルを取り去る。そのまま、その下でいきり立っている、「おとこのこ」に触る。

「ぅ、あっ、ろーり」
「すごい。え、あの可愛かったおちんちん、おとなになると、こんな風になるの?」
「おとなになるとっていうか、その」

 しってる。えっちな気分になったらだよね? 私が、おなかのあたりが熱くなるときとおんなじ。私は何も答えないまま、細長く硬くなっているそれを左右から指で包む。体の他の部分より、熱い。ぴくんってたまに跳ねるの、おさかなみたい。

「だ、だめ、だよ、こんなこと」
「どうして?」
「どうしてって」

 前屈みが強くなって脚を閉じるりっくんだけど、私の手はもうそれを捕えている。太腿の間から顔を出しているその先端だけでも、りっくんには十分な刺激なのらしい。私のさきっちょと同じ。強くしすぎたら痛いらしいことも、知っていた。このために、いつもは長くしてる爪を短く切ってきた。指の腹で優しく触るみたいに皮の上から撫でる。腰を引くように逃げるりっくんだけど、逃げる先なんてない。右手の人差し指中指薬指に唾を取って先端の窓から覗く内側に触れると、あ、とも、う、とも、ん、とも取れないくぐもった、呼気の多い、でも甘い悲鳴が、私の耳元に届いた。

「きもちいい?」

 答えないりっくん。左手で彼の胸を撫でながら、右手で逃げ場を封じた彼の弱点を触る。ぴくぴく跳ねるのはおちんちんだけじゃなくなっていた。指先で撫でるたびに、身悶え捩る体も跳ねて≪悦んで≫いる。彼の先端からわずかに私の唾液とは違う、もっと滑りの良い液体が染み出て来ていた。

(きもちいいんだ……りっくん、私で、感じてるんだ)

 手が、足りないって思った。両手で彼を愛撫しながら、もう一本腕があったら、私のあそこだって慰めたい。お腹はきゅんって熱くて、切ない。背中に押し付けた胸からきっと彼に届いている鼓動はすごく早くなってて、荒くなってる吐息の音も耳に入っちゃってるだろう。えっち出来たない女だって、りっくんに思われてるかも知れない。体中のぬるぬると、股の間に出てきたぬるぬると、体の中心に生じた熱。彼の首に、吸い付くようにキスをした。唇の接触だけじゃ足りなくて、舌を這わせる。まるでなめくじの足跡みたいに、キスの軌跡を描いて、首、肩、首、耳、肩甲、また首。

「さわるの、だめ……」
「だめじゃないよ」

 だめじゃない。きもちいいってことは、からだがもとめてるから。ね、きもちいいでしょ、これ?
 だめなものか。こんな風にりっくんを欲しがる気持ちがだめなことなら、私は根底からごっそり抉り取られて、私そのものを否定されるようなものだ。そんなのが、だめ、であるなんて、認めない。
 掌と指、(ちいさいけど)乳房、それに唇の愛撫で彼に奉仕しながら、私の興奮は高まっていく。私の欲情は、喉の付け根から、胸の奥から、おなかの中から、おへその下から、体の内側からじんじん油が滲み出てくるみたいな感じ。液体の幸福感、高可燃性、危険。りっくんのどきどきも、こうなのかな。男の子の性欲って女の子と違うみたいだけれど、同じ気持ちでいてくれたら、嬉しい。私の背中を凝視して、でも私の体から目を逸らして、口では辞めてと言って身を捩り逃げてる素振りで、さっき漏れたりっくんの小さい嬌声。私が今どうしようもなくりっくんの体とくっつきたいと思っているのを、同じように思っていてくれるだろうか。内から滾々と湧き上がるこの汚らしい喜びを、同じように持っていてくれるなら、それをお互いに舐め合って飲み下して、一つに溶けあえるのに。

「あっ、ん、ぁ、やめ、だめっ」
「りっくん、りっくんっ」

 彼の声が、切羽詰まって可愛く染まってくる。聞いてるだけで、私の胸がバクハツしそう。全然悲しくなんかない、これ自体は嬉しいわけでもない、だのに、鼻の奥がツンってなって涙が出てくる。もっと、もっとくっつきたい。もっと上から被さるみたいにくっついて、彼の頬まで伸ばした口元を吸う。彼の頭がこっちを向いたのを逃さず唇の端に口を寄せると、上半身を少し捻ってこちらに向いてくれた。私も横から回り込むような角度になる。ちょっと無理やり唇同士をくっつけて少し苦しい体勢だけど、ちゃんとキス。今まで何度か親愛の意味でちゅーはしたことあったけど、これは初めての、愛欲のキス。唇から彼の柔らかさを感じていると、胸のあたりの中身がポタージュスープになってかき回されてるみたい、熱くてぐるぐるでどろどろになっていく。口付けているとお互い呼吸は鼻だけ、二人ともみったくない鼻息を立てながら、唇をくっつけながら口を開けて、舌を入れ合った。液体になった声と吐息が口の中で唾液と一緒に混じり合う。動悸、息切れ、ぼうっと熱病、これが、何とかの病。
 口を吸い合いながら、私は興奮のあまりに右手の力加減を誤ってしまった。ちょっと強く、触ってしまったみたい。先端から顔を出す中身に、三本の指先の腹で下方向に擦ってしまう。

「あっ! あ、だ、、、っ! め……」

 びくん! と跳ねる様に唇が離れて、りっくんの上半身が前に倒れたけど、それは腰を大きく引こうとした動きの反動だった。その急な躍動の理由を、私はわかっていた、手に感じた感触で。お風呂のお湯よりはだいぶ冷たい、ぬるりとした液体が、掌の中に沢山噴き出してきたから。何度かに分けて、どく、どく、どく、と右手の指の股や掌に、感触。そして弛緩するりっくんの体。

(えっちな本だと、女の人はあついあついってゆってるけど……つめたい)

 温度は熱くはない。でも、その液体がりっくんの「快感の果て」なのだと知っている私には、確かに体温の40℃前後より熱い……いや、ひりひりと腫れてしまうような「切ない℃」に感じられた。胸の中に加熱された液化幸福感。意味化されていないふわふわとした感情、これに陳腐化しても構わないと無理やり名前を付けて口に出したのなら、やはり。

「あっつい……♥」

 自分でも信じられないくらいねっとりと汚い声が出た。心の底で自分に嫌悪感を抱く一方で、そうやって「オンナ」を演じて彼に認められることにさもしさを押しのけてさえそれをしてしまう欲求があったし、今の私は、それを肯定出来た。
 熱病症状が悪化の一途をたどる私は、掌に受けた彼の精液を、手を返して掬うような形で手の内に留めた。まるで美味しい食べ物を口の中で味わうみたいに、指を動かして手の中にその粘り気を広げる。にちにちといやらしい音がして、それは私が夜に自分のあそこを弄る音と似ている。

「いっぱいでたね」

 私が何を言っても、りっくんは俯いてしまって何も言わない。上がった体温と荒くなっている呼吸、早打つ鼓動が言葉を不要にしているけど、私が彼の目の前で精液を捏ね繰り回して見せつけているのは彼にとってどう映るだろう。私を、場末の安い浅ましい湯女みたいに、思うだろうか。もっと汚い、下劣な女と思うかも知れない。でも、これって、本当のキモチなの。
 私は立ち上がり、彼の前に回り込んだ。椅子に座ったままの彼の顔の高さと、立った私の股の間の高さは大体同じくらい。顔を上げたりっくんの目の前で、私は掌に受けた精液を、股の間に塗りたくった。元々いやらしい気持ちでぬるぬるになっていた割れ目に、大好きな相手の精液をまぶす。

(こ、れ……すっご、い)

 それだけで、貧血で意識が遠のくときみたいな眩暈がするほどの甘い快感が体中を焼いた。手を広げて、精液を股の膨らみに擦り付けると、そのままあそこを擦ってしまう。自分のか、彼のか、わからないぬめりを含んだ指を、裂け目の奥に押し込む。入口はいつも以上に柔らかくなっているような気がした。中は、自分で信じられないくらい熱い。

「りっくん、すき。だいすき。」

 大切なことを、こんな時に言う。みんなが綺麗で素敵だという言葉を、こんな下品な時に言う。彼の精子を弄び品性下劣な行為をしながら、恋の言葉を言う。恋心に身を焦がすのではなくて、性欲に蕩けながら、火傷しそうに加熱した言葉を言う。その方が、ほんものだから。
 目を逸らすりっくんの触覚を摘まんで、少しだけくいと引くと、彼は素直に私の股間の正面へ顔を向けた。

(わたし、みられ、てっ……)

 彼の精液を指で内側に押し込みながらのオナニーを、彼の眼前に晒す。意識にもやがかかったみたいに、いろんなことが、見えなくなる。理性とか、羞恥心とか、そういう、「交尾の時に邪魔なモノ」。

「みて、わたし、おんな」

 何も言わないりっくんは、じっと私の手淫を見ている。おちんちんはまた上を向いていた。それを見ながら、私は手淫を激しくしていく。見られている、こんな近くで汚い股の間を好きな人に晒して、興奮している。差し入れられている指の動きが早くなる。指の付け根で端のびらびらや、上の豆を刺激しながら、ぬるぬるがどんどん増えていく。

「はっ、りっく、んっ♥ みて、私を、えっちな私をっ、んんっ♥」
「ローリー……」

 久しぶりに耳に入ってきた彼の声。股間に突き刺さるちくちくした視線と、勃起している彼のペニス。手で押し込まれる精液を受け入れようと蠢く膣内。

「~~っ! あっ、ん♥ りっくん、りっくぅん♥」

 かくん、と腰の力が抜けた。股の間とお腹の下だけぎゅうぎゅうと張り詰めたように力が入って、他の場所は解けるみたいに。その場に崩れ落ちてしまう私を、彼は慌てて受け止めた。やっぱり、優しい……♥ 
 私を受け止めてくれた彼の腕を離れて、ひんやりする床に腰を下ろす。Mの字になる様に股を開いて、そのまま寝転がった。絶頂を迎えたばかりの膣は未だ精液を奥に送るような卑猥な蠢きを見せている。陰唇もそれにつられてひくついていた。そんな股の間の柔らかくほぐれて濡れたアソコを彼に見せつける様に、脚を上げて、おなかをひっくり返して、手は半握りで胸の辺りに添えて。私は犬じゃないけれど、犬が甘えるときにするヘソ天ポーズで、太腿の間から見える彼に声を掛ける。

「ねえ、わたし、わたし、おんなのこだよ? りっくんは、おとこのこ? だったら……ね?」

 何か迷うように、言葉を口にしそうでしない、動き出しそうで動かない、踏ん切りがつかない様子のりっくんに、私は。

「ね、交尾、しよ……?」







すご、いっ♥ りっくん、おとこのこっ♥ あっ、ああぁん♥ おちんちんカタいっ♥ すごいズボズボっされてっ、おまんこ泡立ってるっ♥ 我慢してたんだよね? 私がお風呂入ったときから、ずっとこのおちんちんガチガチ勃起させながら、我慢してたんだよね? わかるよっ、こんなギンギンちんちんになっちゃってるの感じたら、そんなのわかっちゃうよう♥ 
え? 痛くないかって? ごめんね、ごめんねっ♥ 私、りっくんにおまんこしてもらうまで処女だったけど、随分前にオナニーでセルフ開通済みだったのっ♥ その後も毎日毎日りっくんのこと考えながらオナニー漬けの夜だったから♥ りっくんのこと想いながら枕とぱんつを濡らす日々だったんだよ? 初体験の相手が右手な女で、ごめんなさいっ♥ でも、ほんものちんぽはりっくんが初めてだからっ♥ 初めての男の人はりっくんがはじめてだからっ♥ ね、愛して♥ 私を女としてもとめてっ♥ おとこのひととして、私をおまんこしてっ♥ 
んおぉ゛っ♥ おぉおんっ♥ 交尾、興奮するっ♥ 本番交尾、すっごく興奮するっ♥ 初めての本番なのに、やばいくらいかんじてるっ♥ わかる? おまんこすっごく動いてるの♥ ぐねぐねしちゃってるの♥ 意識してないんだよ? これ、私のおまんこが、りっくんの大好き大好きって勝手に求めちゃってるの♥ 私の体、好きの気持ちに正直すぎ♥ りっくんのお父さん汁、奥でごっくんしたいって、わたしのココ、絞り取り運動継続しっぱなし♥ 私、受精準備出来ちゃってるみたい……♥ ぐちゅぐちゅって♥ おちんぽとおまんこが、ぐちゅぐちゅってキス♥ えっちでおとななキスしちゃってるよ?
ね、きもちいい? きもちいい? きもちいーい? 私のおまんこ、きもちいい? 開封済みだったけどまだ新古品だから♥ 私のほぼ新品おまんこ、きもちいい? あはっ、おちんぽがナカでぴくんって♥ きもちいいんだ? 私のナカ、きもちいいんだ? 私でちんちん感じてくれて、うれしい、うれしいっ♥ 
りっくんと交尾♥ 交尾しちゃってるっ♥ 最高にシアワセ♥ おちんぽズボズボっ♥ すっごいずぼずぼしてくれてる♥ えっち汁いっぱい出してヌルヌルでいっぱい絞めてキュンキュンのおまんこにするから、いっぱい気持ちよくなって♥ ほっ、ん♥ ほぁぁっんっ♥ んっ、んんっんっ、はぁんっ♥ 交尾っ♥ 交尾、交尾♥ 交尾っ♥ 交尾っ♥ 交尾交尾交尾交尾交尾交尾♥ 
初ちんぽの形をおまんこが記憶しようとしてる♥ きゅんきゅんって締めて、そのまんまりっくんのちんちんのかたちに形状記憶しようとしちゃってる♥ 素敵、そんなの素敵すぎるっ♥ 私のおまんこがりっくんのおちんぽの形になっちゃうなんて、専用穴になっちゃうなんて、そんなの素敵すぎて考えただけで、期待でマン汁ドバっちゃう♥ こんな気分でおちんぽズボズボ続けられたら、私簡単にアヘっちゃう♥ 
私のアソコ、ちんちんでもっと♥ もっと♥ もっと激しくハメずり回してっ♥ 奥の奥の、おんなのこの一番大事な扉、もっと強く♥ がっつん、がっつんっ♥ ってノックしてっ♥ 開けちゃうから♥ りっくんに赤ちゃん部屋の入口、おちんぽノックされたら、警戒心ゼロで開けちゃうからっ♥ 無防備おまんこ♥ 無防備子宮♥ 晒しちゃうっ♥ りっくんに媚び媚びのエロまんこが、おくち開けっ放し♥ 私の卵子が受精したがってノーガード戦法だよぉっ♥ 今なら、もれなく生ハメ、即射精し、絶対受精っでストレート着床っ♥ わかってる? わかってる? りっくんが私と交尾するって、そういう事なんだよ? マジLOVE65535%ってことなんだよ?♥ 
ふんっ♥ ふんっ♥ 腰振っちゃうもん♥ 私だってりっくんが種付け牡ピストンするのに負けないくらいケダモノ交尾、したいんだからっ♥ ふんふんっ♥ ちんちんで床に叩きつけられてるだけの欲情マンコじゃないもんっ♥ りっくんの精子欲しがってる貪欲まんこだもんっ♥ りっくんのガチガチちんちん咥えて、一緒に動き合わせて淫乱腰振りしちゃうもんっ♥ 
んほひ、はひぃっ♥ んっ、んっんっんっんっ♥ ちんちんしゅごい♥ 負けちゃう♥ 誘い受けで襲ってもらったところまでは良かったけど、このままじゃ、されるがままっ♥ さっきみたいにザーメン奥にどぷどぷしてほしいのに、私が先にアヘっていいようにされちゃいそうっ♥ 

どぷんっ!

おっほぉおっ♥ ふ、不意打ちっ♥ 不意打ち射精はダメぇっ♥ ココロの準備出来てないからっ♥ 言いなり膣とノーガード卵子なんだから、イくならイくってイってくれなきゃ、わた、しも、っ♥ キタ……キタキタっ♥ 中射精しの事実を受け入れた私の脳は、慌ててアクメスイッチを、れ、連打っ♥ イク、んっんっイクイクイクっ♥ NDアクメしゅるっ♥ 抵抗出来ないっ♥ んぅっ~~~~~っ♥ !♥ !♥ !♥ !♥ !♥ !

びくびくびくっ♥ 

けーれん♥ アクメけーれんしてるっ♥ 種付け交尾のナマ出しで、即キメっ♥ いきなりトばされちゃったぁ♥ りっくんってば、もう、ほんとオス♥ 私の足首掴んでひっくり返したおまんこに、遠慮なしでズコズコしまくるりっくんってば、完全におとなのオスだよぉっ♥ え? おこってない、おこってない♥ むしろラブラブ度あがっちゃってるよぉ♥ 本気でぶつかるマジ交尾、性器を交えて二人の愛は本物に深化するのっ♥ ね? たった今、ゴーイン交尾の無断中射精しで種付けした相手に、ちんぽ入れっぱなしで優しいキス、頂戴っ♥ 

ちゅーっ♥ ぶちゅっ、じゅば、ちゅっ♥ ぶちゅ、んっんぐ、ぁむ、ぐちゅぅっ♥ ちゅぅぅううっ、れろ♥ れろれろっ♥ ぁむぅっ♥ 

ぷ、ぷはぁぁっ♥ しゅごいっ♥ こんなにべちょべちょの恋人キスされちゃったら、唇から想像妊娠しちゃう♥ らぶらぶメーター振り切れちゃってる♥ 射精チンポ入れっぱなしで恋人キッス、さいこうっ♥ でも想像妊娠じゃダメだから、ちゃんと妊娠させてねっ♥ 
イきそう? また射精しそう? いいよ♥ 私の子宮は二十四時間りっくんの受精待機状態だから♥ こうやってお風呂の時でもいいし、朝の起き抜けでもいいし、夜中トイレに起きたついででも、気軽にパコって膣内射精していいんだよ♥ お買い物に行ってる時でも、みんなで遊んでる時でも、おしごと中にちょっとムラっとしたときでも♥ 私のおまんこは、りっくんの性処理救急1919番だもん♥ 
イく? イって♥ イってイってっ♥ 何回でもイっていいから、遠慮しないで中に出してっ♥ 私も、私もイきそうだから♥ 一緒に、また一緒にっ♥ 

びゅるっ! びゅっ!

~~~~っ♥ あふぅっ♥ キてる♥ すごぅいっ、3回目なのに一番搾りみたいに濃いっ♥ 子宮の中で精虫うじゃうじゃしちゃってるぅっ♥ はーっはーっ♥ 興奮するよぉっ、おなかの中で私の卵子を精子が争奪戦してるなんて、考えただけで涎でちゃう♥ りっくんとりっくんとりっくんとりっくんが、何億ものりっくんが私を取り合ってるなんて、ああイク♥ イクイクイク♥ そんなの想像しただけで、いくぅぅぅぅぅぅん♥ 

がくっ、がくがくっ♥ びくっぞくっ♥ ぞくんっ♥ 

あ、は♥ りっくん全然収まんないじゃん♥ 私の背中こっそり盗み見して、私が泡踊りしてあげてもいやいやってそっぽ向いてたなんてウソだったんじゃない♥ ずっとこうやって私のまんこブチ犯して種付けしたかったんでしょ? 次からは我慢しないことっ♥ むらっときたらすぐに呼んで。即即NDでいいから♥ ほら、勃起っぱなしのおとこのこ、気が済むまでヌいて♥ 

でも、りっくんこれで脱童貞でしょ? 初交尾でしょ? わかるよぅ、ずっと一緒にいるもん。それに……気付いてない?

これ、私結構背中、痛いんだよ。

やーだ、そんな死にそうな顔しないで。りっくんの初めてもらっちゃったなんて考えたらこんなのご褒美ご褒美♥ 私も本物交尾は初めてだけどねっ。

だから、ね、ベッド、いこ?
もう膣から溢れるくらいいっぱい中出ししてもらったけど、ここまで前戯♥ ベッドで改めて、ほ・ん・ば・ん、しよ♥ 朝まで生パコ、していいよ♥ 私のおまんこに限っては、りっくんの繁殖欲に任せて、交尾し放題だから♥ 
きゃっ♥ りっくんのちんちん、今のお風呂セックスだけでもう、歴戦の雌殺しって風格♥ 勃ち姿がかっこ可愛いよぉっ♥ 隠さなくっていいのに♥ 惚れた女はね、見せられた方がグっとなるの♥ 愛しすぎて、ちんちんに頬ずりしちゃう♥ 頬っぺたに残り汁ついてぬるぬる♥ お顔まで性感帯になっちゃうよ♥ 
ベッドの上だから、どんなに激しく打ち付けてもイイからね♥ 全体重かけて私の中に思いっきり深深度潜航しても平気だよ♥ 
んふぅっぅっんっ♥ きたぁっ♥ 全然戦意失わない獰猛ちんちん、またはいってきたぁっ♥ さっきよりおっきくなってない? すごいよぉっ♥ どんどん交尾慣れしてく♥ そのサイズだったら普通挿入で先っちょが子宮に届いちゃうかも♥ やだ、やだやだぁ、そんなになったら、私ホントに産み穴にされちゃう♥ だって危険日きたら確実に精子注入出来ちゃうんでしょ? 月に一回一〇〇%妊娠で産卵しちゃうなんて、そんなの……そんなのシアワセすぎるよぅ♥ 

ズボッ! ずぼずぼずぼずぼっ! にちゅぅっ、ぐちゅぐぼぐぼぐぼっ! じゅちゅっ……ぐちゅっ、ぐっっちゅぅっ! にちゃにちゃっ、ズボズボずぼっ!

はヒぃっ!?♥ そ、そんなに、めちゃくちゃぁっ♥ 

ぱんぱんぱんっ! ぐぼぐぼぐぼぐちゅぅぅっ! ずりゅっ、ずりゅずりゅっ! ぐりゅんっぐりゅんっ! ずぼっつ、ぐじゅぼっ! ぱちゅぱちゅぱちゅぱちゅっんっ! ぶちゅっ……ずるずるずる~っ、ばちゅっ!! ばちゅっ! ぐちょんぐちょんっ!

どばっ! どびゅっどびゅびゅっ!

ほ、ハへぁ……♥ へあっ♥ ふへ、ふへえぁぁっ♥ お、おほぉおっ♥ そんにゃぁ、そんにゃワガママピストンされたら、んは、んっはぁああん♥ がっつんがっつん、おまんここわれゆっ♥ 子宮の入り口届いてるのに、そんながっつき交尾っ♥ からの、大量射精っ♥ そこっ、そこっ、えっちなおかあさんスイッチなのにっ♥ そこ押されたら、淫乱ママになるカクゴ強制されちゃう肉スイッチなのにっ♥ そんなに肉欲本能で連打されたら、私、ダメに、ダメまんこになっちゃうっ♥ ちんちん中毒の発情雀になっちゃうよぉっ♥ 責任とれるの? 私が年中発情期の淫乱夜伽雀になったら、りっくん責任とれるの?
取らないって顔してるっ! 私のカラダさんざん発情させてアクメキメさせて、ボルチオスイッチ押しまくった挙句、毎日毎日受精確実の大量中出しておきながら、責任とらないって最低のオスの顔で、ピストン続けてるっ♥ でも、そんなりっくんにベタ惚れの私、それでも子宮グイ下げして子宮口開けちゃうの♥ 卵巣フル稼働で妊娠サイクル上げて、りっくんとのたまごいっぱい産みたいって、おもっちゃってるのっ♥ いいの、責任とらなくていいから、犯しっぱなしの孕ませっぱなしでもいいから、さっきみたいにワガママ交尾で、徹底的にヤってぇっ♥ 

ぐちょぐちょっぐっちょっ! ぱんぱんっ! ぐりぐりぐり、ずるずるっ! ずぼっ、ずぼっ、ばちゅっ! ずんずんずんずんっ、ぐりゅっ! ごりっごりごりっ! ずちゅずちゅずちゅずちゅっ!
どぶっっ、びゅるっ、どぶどぶっ!

ヲぉほぉお、お゛おぁあぁっン♥ また、なからしっ♥ しゅご、ヒ……っ♥ りっくんもう女を堕とせるオトナちんちんになってる♥ たった一晩でこの成長っ♥ 私は誘い受けでもう敗北アクメキメまくりっ♥ ほへっ、おぉほっぉお゛おっ♥ 子宮ッ子宮゛がっ、完全に陥落っ♥ りっくんのチン突きで、悦びホルモン大量放出しちゃうっ♥ りっくん、いま私達、えっちな本よりよっぽどハードなエロsexしちゃってるんだよ?♥ もうあんなもの要らないね♥ 私とりっくん、一晩でエッチ本こえちゃったね♥ ほひょぉ゛ぉおっ?! また、またっ♥ 奥と、えっ、なんで? なんで? いつの間にGまで探られちゃってるのぉっ!? 終わった♥ 私おわったっ♥ こんな飢えたケダモノみたいな激烈交尾出来るオトコノコに、ボルチオアクメ覚えさせられた上に、Gスポット覚えられちゃったら、私もう交尾中毒の肉穴奴隷確定っ♥ 私もう、りっくんに、風切り羽切られて鳥籠に軟禁されても、毎日sexしてくれるなら文句言わない、従順セックス雀キーになっちゃう♥ 子宮ゲンカイ迄降りちゃってるっ、カンジ過ぎて、りっくん大好き過ぎて、空いた子宮口が塞がらないのぉっ♥ 
このまま朝まで、十分に一回アクメさせて、ナマ出ししまくっって♥ 







 体中がりっくんを求めて発情していた。彼は、初めての交尾に理性を吹き飛ばして私を犯し続けている。私がそれを誘ったのだから、彼には微塵も瑕疵はない。私がそうしたかったからだし、私がそうされたかったから。彼が絶頂に至る瞬間の切なそうで少し苦しそうで、でも途中で止まれない切迫した、そんな表情を見ているだけで、私の欲情スイッチは簡単にONになる。こうやって何度も何度も挿入と射精を繰り返されて、そのたびに私もオーガズムを覚えているのは、膣と陰核、他体中への接触の快感も大きいが、それよりは、「彼が私の肉体で夢中になって性行為に没頭している」という精神的な快感が大きかった。
 犯されまくって、射精されまくって、イかされまくって、いるというのはそうではなくって、犯させまくって、射精させまくって、イきまくっている、ということなのだ。恋と言う綺麗な名前をかぶせられた、爛れた感情は、私の欲求を相手に責任転嫁する最低の女を生み出す。すべて、私がしたいことなのに、何もかも、彼がしたかったことにすり替えて、私は恋心の女王なのに、まるでレイプの被害者みたいな顔が出来るのだ。最低、最低の、女だ、私。

「りっくん♥ りっくんっ♥ 素敵っ、しあわせっ♥」

 媚びて彼をその気にさせるのも、私自身がその気になりたいから。その気になった男に犯されたいから。男がそうしたという被の仮面を、被る。それはきっと男の方もわかってることなんだろう、りっくんだってこれが終わった後私が閻魔の性犯罪相談所に被害を訴え出ると言ったら、激怒するに違いない。いや、彼は、もしかしたら甘んじて受け入れるかも知れない。そういう甘くて弱いところが、私が彼を好きになってしまったところかもしれなかった。

(そんな、汚い方法を使っても、私は)

 奪われるわけにはいかないのだ。宝物を守るのに、宝物と同じような綺麗な方法を取る必要は、無い。

 朝になって、二人ともぐったりと動けなくなっている。りっくんは疲れ果てて寝息を立てている。私は、幸せの余韻が抜けなくて、水の上に浮いてるみたいな感覚が抜けないでいた。
 私はずっと浸っていたいのを振り払って、ベッドの上で体を起こした。いろんな液体が肌の上で乾いてあまり良い状態ではないというのもある。幾ら大好きなひととの情交の証だとしても、乾いてしまったあとではその風情も何も残っていないのだから。早くお風呂に入りなおしたかった。
 でも、私にはそれよりも先にしなければならないことがある。

「あさごはん、つくらなきゃ……」

 りっくんは起きてこないけど、今日もおしごと。朝ご飯をちゃんと食べないと、力も出ないだろう。
 ベッドを抜けて、服を着ようかと思ったけれど、体が汚いままなのでそれも躊躇われた。そのまま台所に向かう。エプロンだけつけて、朝ご飯を用意することにした。

(このまま寝かせておけば、おしごと≪風見さんのところ≫、行かないでくれるかな)

 ふとよぎった邪悪な考えを、振り払う。でも、どうして私は、恋敵の元に想い人を送り出す準備を、進んでやってしまっているのだろう。おしごとが、おとなになるために必要なことだから? それとも、勝ち目がないって、わかってるから?

(勝ち目は、なくない。だって、私……)

 また、おなかの下がずくずくし始めてしまう。だって私は、りっくんと交尾した。風見さんだってまだしてないはずだし、奥手のりっくんを、風見さんの性格では気にさせられるはずない。あんなふうに媚びて、求めるなんてこと、風見さんはしないだろう。ペニスとヴァギナのつながりを、そのまま二人のつながりにすることで、私は、戦える。
 だとすると、こうしておしごとに行く前の朝ご飯の準備を素直にしてしまうのは、諦めではないのだと、自覚した。彼に喜んでもらいたい純粋な気持ちであると同時に、風見さんに対する、自信なのだ。

「りっくん、起きて。朝ごはんつくっちゃうから、りっくんはお風呂、入りなおして」

 彼を、風見花果店に送り出すことに、躊躇はなくなっていた。

「ろ、ローリー、そのかっこ」
「えっ、ああ、私ほら、御着替えもってきてないから。先にごはんつく、きゃっ……んっ♥」

 私は彼にキスを強いられて口付けながら、また勃起しているそれを手で撫でる。

「いっぱつだけだよ? りっくん、ちゃんとおしごと行かないとダメなんだから」

 ほら。こうして私は、彼を繋ぎ止めておくことが出来るから。







「こんにちは」
「あら、いらっしゃい」

お兄ちゃんだった。
彼はなにやらにこにこと笑っている。手を後ろにやって、何かを隠しているようだ。

「なあに、その後ろに持っているものは?」
「ふふふ、じゃーん」

そう言って、出は後ろ手に持っていた「それ」を私に差し出す。それは、この間図鑑で見たあの花だった。

「わぁ、これ……」
「お花だよ。アカツメグサっていうんだ。」

彼は私にその花を差し出し手に取らせようとするが、一応私は無菌室の中にいる身だ、持たせてもいいのか躊躇しているようだった。

「平気よ。そんなことより、本物の花だなんて」
「綺麗でしょ?」
「緑色も、紫色も、透き通っていて素敵。それに、香り。」

見た目の鮮やかさは図鑑で見たとおりだったが、そのひんやりと瑞々しい感触と、花から入り込んで咽の奥、胸の中に膨らむように広がる、爽やかな香り。人工的な芳香性のそれとちがって、香りに湿り気があって丸い、仕分けていけば一つではなく、爽やかさと甘さに潜んで、生臭さみたいな不快な匂いもあるが、それが逆に、総体としての香しさをふくよかに複雑に膨らませていた。

「図鑑じゃ香りはわからないもんね。あ、そうそう、蜜を舐めてみなよ」
「蜜を? どうやって?」

こうやって、と出はぼんぼりのような赤紫の花びらをむしり取って、その根本を舐めるように口に含む。

「折角のお花が」
「また持ってきてあげるから。ほら、美味しいよ」

私はお兄ちゃんに促されるまま、花びらを毟ってその根本を口に含む。
舌先に、柔らかで瑞々しい、病院食ばかり口にしている私にとって初めて感じる濃い甘みが、広がった。さすがに小さな花の花びら、口全体を満たすほどの甘みを感じることはなかったが、その舌先にだけ触れるささやかな甘みが、よりそれを強く感じさせているようだった。

「あまい……」
「でしょ? でしょ?」

屈託なく笑うお兄ちゃん。
蜜の甘さは、今までに口にしたことのない味だった。大まかにはお菓子の甘さと同じで、そんな濃い味わいが自然に作られるということも驚きだったが、花の蜜は、香りと同じように様々な味が複雑に絡み合っている。甘味の中に、ほんの少しの草いきれや黴臭さみたいなものも交じっていて、それらがミックスされた味は、人の手では決して作れないもののように思える。

「こないだ図鑑持ってきたときに、ガーベラがいいって言ってたけど、どうしても最初にこの花を見せたかったんだ」
「そうね。こんなにかわいくて、しかも蜜も甘いなんて。ガーベラにはそんなに蜜がないものなの?」
「アカツメグサは特別蜜が多いよ。こんなに小さいのに簡単に蜜を吸える花は、そんなにないんだ。虫たちも、この花が大好きだよ」


「そとに、出たい。一生こんな部屋で過ごすなんて」
「そのために治療してるんじゃない」
「違うわ。私きっと、ここから出られない。私はね、散ることを引き延ばされてるだけの歪な花よ。不実がわかり切っているのに、ただ徒に引き延ばされて終わることも出来ない。ゾンビみたいなものね」

 お兄ちゃんも、黙ってしまう。きっとそれはその通りで、私はそう長くないと思う。パパとママに咲けと言われて咲いたのに、花のまま乾ききって朽ちることを強いられる。こんな水槽みたいな閉鎖世界で、ここから出ることも出来ないまま私は一生を終えるのだろう。永らえることに何か意味があるのなら別だが、分かる、私はもう手の施しようなんかなくて、壊れていく体をごまかすように維持しているだけだということくらい。それならいっそ、短いなら短いなりに、不実なら不実なりに、自分の足で世界を歩いてみたい。

「強い体が欲しい。お外で遊べるくらい、ううん、もっともっと丈夫で強い体が。そしたら、お兄ちゃんと一緒に、もっと遊べるのに」
「うん」
「私ね、こういうお洋服を着てみたいの。そこのご本を開いてみて。折り目を付けてあるから」

 看護婦さんが持ってきてくれた、ふぁっしょんし、だって。綺麗な女の人が色とりどりの服を着た写真が写っている。私はあんまりよくわからなかったけど、普通の女の子はこういうのを見て服を決めるのらしい。私も、お気に入りのお洋服を一つ、その本の中から選んでいた。
 赤い格子模様のドレス。赤だけじゃなくって、白とか黒とかピンクとか、黄色も入っていて複雑な色合いが、すごく気に入った。服のふわふわした感じと、一緒に持っている傘、それに、お兄ちゃんが持ってきてくれたように、大きなお花を持っている。ひまわりっていうお花だって。

「そのお洋服来て、おにいちゃんとデートしたいなあ」
「デートかあ、あこがれちゃうね。きっとだよ。病気治して、丈夫な体になって、いっぱいご飯食べて、大きくなったら、一緒にお外に行こうね」
「……うん」

 きっと、私は治る事は無いだろう。この真っ白い四角の中から出ることも無く、外の世界を知ることも無く、死んでしまうのだ。お兄ちゃんは、どうなのだろう。少なくとも私よりは元気だ。お外で花を取って来れるくらいには。

「デートする、って、どういうことかお兄ちゃん、わかってる?」
「ええ? どういうことって、どういうこと?」
「こいびとどうしって、ことだよ。無責任で言ったなあ?」
「あわわ、無責任って訳じゃ、ないよう。わかったよ、わかった、一緒にデートしたら、その、こいびとになろ!」
「えー、ほんとう? それこそ無責任。私に言わされたって感じ」
「そ、そんなこと、ないよう」
「めーがーおーよーいーでーるー」

 こんな風に会話の中でふざけることを覚えたのは、お兄ちゃんのおかげ。おしゃべりってとっても楽しい。でもそれって、お兄ちゃんとだから、かも知れない。

「ねえ、お花の図鑑に、薔薇の事が書いてあったのだけど」
「薔薇? うん。」
「青いバラって永遠の命の象徴、って書いてあった。」

 図鑑には、いろいろな薔薇の種類が載っていた。同じ「薔薇」とは思えないくらいいろんな色といろんな形があって、すごく楽しかったのだけど、「青い薔薇」だけは特別扱いだった。存在しないのだって。だから、幻の、伝説の、特別なお花で、決して枯れることのない永遠の命を象徴するのだって。青に永遠を求めるのは、空にしろ海にしろ、人間の常かも知れないなと、本ばっかり読んでこのベッドの上から動けない私は思った。でも、青い「薔薇」と言うのには、空や海には感じない、もっともっと特別な魅力があったのは、それが他でもない「花」だったからかも知れない。

「そっか。その図鑑、旧いから。今はね、青い薔薇は存在するよ。」
「えっ、そうなの!?」

 えーっ……なんだかすごくがっかり。自分一人でロマンを描いていたのか。いや、昔の人はやっぱり同じく青薔薇に永遠を見出していたのだから、別に私一人の間違いじゃないよね。

「でも、本当の意味で青いんじゃないんだ。あおっぽい色を少しでも持った薔薇から、そのほんの少しの青色以外の色を全部取り払うんだ。そうしたら、青っぽい色だけが残った青薔薇になる。この図鑑のイラストに描いてあるような、濃くて目の醒めるような青色では、無いけどね。青い色素は少ないし、一方で赤っぽい色素を消しきれないから、薄い紫が限度みたい。」
「そうなんだ! じゃあやっぱり、真っ青のほんとうの青い薔薇は、存在しないのね!」

 よかった! なんだかとても救われた気分。青い薔薇。永遠の命。枯れることのない、花。永遠の、強い体。

「この先も、物好きさんが青薔薇を求めて研究を続けていけば、生まれるかも知れないけど。今のところ誰も、真っ青な薔薇は作ってない……と思う。僕はあんまりお花のことは詳しくないから。もしかしたら誰かがもうやってるかも」
「やってない。きっとだれもやってない。決めたわ、私、青い薔薇を作る!」
「ええっ? でも誰かがもうやってるかも」
「誰かがやっててもいいの、私が自分で作るの。自分で作るから意味があるの。夢よ、夢。いいでしょ、夢を語るだけなら、何を言ったって」
「そうだね……いいと思う!」

 私はきっとこの部屋を出ることは出来ないだろう。でも、本で読んだ、「生まれ変わり」とか「輪廻」とかそういうものが本当なら、きっと、次の私は、願いをかなえてくれるはずだ。
 青い薔薇。永遠の輝き。

 それに、誰にも負けない、強い体。
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【20170219】
2様にご報告いただいた誤字を取り急ぎ修正。有難うございます。

【20170416】最新集から落ちたらコメ返しようと思ってたんですが最近流速が遅いので適当なタイミングで返すことにしました。
1様:好きな設定ぶっこんで読者ほっぽっとくのは割と最初からのつもりです…
2様:卵子争奪戦いいですよねえ……絵が欲しくなる領域ですが……。
   風呂敷は広げまくってますが既に畳み方がわからなくなってるので裁ちばさみを持ってきました。
3様:ありがとうございますー。最近は私の作品も飽きられているようでコメントもつかないので、たまにストレートに面白いというコメが来ると安心します。
   嬉しいというのより安心というのがもうまずい気もしますが。
みこう悠長
http://monostation.blog112.fc2.com/
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
悪乗りしすぎでついてけませんわ
初心に戻ったほうがいいと思います
2.性欲を持て余す程度の能力削除
あああああああああ魔理沙死んでたの忘れてたあああああああああああああああ!
ああああああああああ!!!!
初っ端から腰へこるミスティアでいきなり飛ばしてきたなっ、と思いきやトラウマ想起だよふぁっく。
紅魔組がみんな貫禄ありすぎでしょ、んもう大好き!
一八隊の奮戦が今回やばかったですね。一之瀬さん優秀過ぎでしょ。
各キャラクタの描写が際立っていて、読んでいて飽きませんでした。中原が面白くて好き。
リメンバアンブレラとの絶望的な戦力差も相まって、彼らの人間味を強く感じられて楽しかったですね。
リグルを巡る関係や幻想郷での進行にも目が離せません。積極的なミスティアもいいですね。
相変わらずの即落ち隠語ラッシュでしたが、従順セックス雀キーは反則過ぎでした。(ほかにも不意打ちは多々ありましたがw)
NakaDashiアクメとか卵子争奪(←これ好き)。
章分けされたピースの繋がりが見えてきて、物語はそろそろと終盤へと差し掛かりつつあるのだと感じさせられました、果たしてどうなるのか、とても気になります。
主任や彼、そして病室の彼女、幻想郷が楽園たる所以と、カミサマが現れた理由。考察の垂れ流しはさてほどほどに、今回も楽しめました、ありがとうございました。
以下誤字脱字報告です↓

・彼の背中を背中を見ながら達したその余韻を味わう暇もなく、→背中が重複
・彼の肩に手を置き、銃身を彼の背に預けたまま、→重心を?
・「青いバラって永遠の命の象徴、って書いてあった。→文末〝」〟の抜け
・空洞減少が起こっているのか貫かれた出口の方が傷口は大きく、→空洞現象?
・主幹コンコースを横断しなければならない者達は、は、そうでない者に比べて非常に危険だった。→は、の重複または添削漏れ?
続く同行の→主幹コンコースを挟んでこちら側の者はは土嚢と壁を使って防御正面を限定出来るが、→「こちら側の者はは」も同じく「は」の衍字または添削漏れ
・それを間断なく舞台全体で続ける→部隊全体?
・以前浮遊しているようだし、→依然浮遊しているようだし
・その矢傘は確かに飛ん出来ているが、→確かに飛んできているが
・そのためのお芝居ならばならば、→「ならば」の重複?
・そうして暫く波に揺られるながら→そうして暫く波に揺られながら?
次は自信がない部分で↓
・私は背中に手を置いたまま、体全体を律君の背に寄せて、→りっくん?(意図してだったらごめんなさい汗)
以上です、違ったらごめんなさいです。
3.性欲を持て余す程度の能力削除
最高に面白い!