真・東方夜伽話

anomie

2016/09/29 21:56:33
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anomie

SYSTEMA

※ これは東方 現代入りシリーズの一作目でタイに放り出された幽香リグルの話になります。
※ 故にかなり独自の設定が盛り込まれております。
※ かなり癖がある作品と鳴っております。
※ 以上ご理解頂ける方のみお進みください。


anomie



0
 
ある鳥はひたすら空を飛びつづけ、天の露を吸い、風を食らい、風のなかで眠る。
そしてその鳥が地上に降りるのは死を迎えるときだけなのだという。
もちろん伝説の話だ。そんないわれが生まれたのは鳥の標本に脚がなかった上に、そんなあり得ないお話を思わず信じてしまうほど綺麗だったから。
それを見た学者がそんな伝説を広めたから一時期真剣に信じられていたのだと幽香さんに教えてもらった。
その鳥は地上に降りるときに何を考えるんだろう。死にかけだから何も感じないのかもしれないだろうし、ぐるぐる回る景色に恐怖しているのかもしれない。
それともやっと地面に降りることが出来て安心するかもしれない。この通り自分も他の鳥のように地面に降りることが出来るんだ。
もう飛ばなくても良いんだと自分を労りながら地上に降りるのかもしれない。
 今日もこの国には滝のように雨が降る。雨の音の中で過ごす時間は遠いどこかの伝説を考えるにはうってつけの一日だった。

1

  通りに面した花屋の植木鉢からは白い花が吹雪のようにこぼれていた。
雪が降ればいいのに。幽香さんに腕をもたれて歩きながら蒸し暑い街中を歩き続けてきた私の背中は汗でじっとりと湿っている。
こんなごみごみした街中を歩くのは久しぶりの出来事だ。
前に来たのが年越しの準備のための買い物で、そのあとどれくらい来ていないか指を折って数えていたらぎゅっと握った指が開いて綺麗にまた元のように収まった。
初めて来たときは大冒険をしている気がして、騒ぎながら幽香さんと歩いたんだっけ。
 
「喉が渇いたわね。ちょっとどこかで飲みましょうか」
「はい」
 
汚れた橋を抜けて、町中を進んでいくとふと雨粒が額を打った。

「雨ね、しばらくはどこかで時間を潰しましょう。まだ『お客さん』と会うのに時間はあるから」

夕闇時のスコールが人々を軒下に押し込んでいく姿はいつでも新鮮だった。
雨を浴びた人々はぬれたまま軒先に駆け込み、道ばたで商売をしていた人は、濡れ鼠になりながらも品物を軒下に隠していた。
荷物と言えば傘と鞄だけの私達は一足先に喫茶店に入っていたし。混み合う前に注文した飲み物がトレイに乗って運ばれてきた。気分は上々だし、状況もわるくない。
何も言わずにガラスの向こうを見つめているとふと幽香さんがこちらを見ている。
私は嬉しくなった。この場所で幽香さんの視線を集めているのは私だけなんだ。ちょっと特別な思いがばれないように、冷たいお茶に手を伸ばした。
 相変わらず雨脚は強まるばかりで、人々はどんどん濡れ鼠になってゆく。

「ねぇリグル、こっち向いて」

 珍しく甘えるような声が耳をくすぐる。

「ほら、やっぱりこっちを向いてくれる、私はリグルのことならなんだって分かるんだから」

 勝ち誇った幽香さんの微笑みを見ていると、私は猫のように額をすりつけたくなってしまう。だって幽香さんのこと、私は一番好きだし、それに幽香さんも私の事を気に掛けてくれているし。
初めての口づけを交わしてから私は幽香さんの事を考える時間が多くなった。時折胸が訳もなくどきどきして、眠っている幽香さんの腕を抱いて眠ることだってある。
結局こういうものが恋なのだろうと気がついて、そして関係が始まってから早数ヶ月。未だにもっと幽香さんを欲しがったり、あるいは全てを捧げたくなってしまう。
 初めて躰を重ねた時だって、私たちはベッドまで我慢できなかったんだもの。どれくらいか分かって欲しい。
幽香さんの鞄から電話の音が鳴った。それを不機嫌そうにとって、なにやら一言二言交わすと、幽香さんは電話を切った。

「リグル、今日は相手が来ないみたい。雨で道が駄目になったらしいから、また来週にしますだって。今日はおいしい物でも食べて帰りましょう。雨も止んだことだし」

 今日は仕事相手が来ないらしい。
渡す物が入った鞄を持って、幽香さんは立ち上がった。
鞄はそれほど大きくないけれど、その中には何百人もの人々を快楽の彼方へ送り届けるような物が入っている。
どうやらその草はこちらの世界ではご禁制らしい。でも通りで見た汚れた人々に救いを与えているのよと、いわれたことも思い出した。外の世界では救済を求める人が多いのだろう。喩えそれが麻の葉っぱだとしても。

「気持ち良くなりたいんでしょうね。こんなに汚れた場所に居たら少しくらいご禁制のものに手を出したくもなるでしょう。まぁ面倒だけれど、仕事だから」

 捕まればきっとひどい事になるだろうに、幽香さんは気にする様子は無かった。
今野私たちは外の世界で求められている草を幽香さんの力で生やし、それを売ることで商売としているのだ。そしてそのお金で綺麗な場所で眠り、ご飯を食べることが出来る。

「そうですね」
「今日は美味しいご飯でも食べましょ? こんなにも気分が悪い日だもの」
 
 気分が悪いときほど良く笑う、そんな不思議な幽香さんの顔が西の空の光に照らされた。沈みかけの太陽が目深にかぶった帽子からはみ出した幽香さんの髪を照らしている。

「リグルみたいに染めてしまえば良いんでしょうけれど、なかなか馴れないのよね、幻想郷だと誰も何も言わないから気にしなくても良いと思ってたのだけれど」
「よく似合いますよ」
「ありがとう。お世辞がうまくなったわね」

 幽香さんは何を考えているのかよく分からない、特に意地悪な事をするわけでもない。きっと幽香さんのこころには何かをしたいなんて意志なんてないのかなぁって思えてくる。
そういう所が私は大好きなんだとも最近分かってきたように思える。
だから幽香さんに近づく男達を見ると、私はよりいっそうこの世界の事が嫌いになるのだった。
本当に遠くまで来てしまった、それに時間も過ぎた。暮らしの中でいろいろな思い出が色あせていくのは決して心地よい経験だとは言えない。

2

街は生き物だ。夕方の雨が止むと街は目覚めて、うっすらと欠伸をした後賑やかな喧噪をどこからともなく流し始める。
人々は街に繰り出し始め、何の目的もなく歩く人はただゆっくりと水たまりをよけて歩く。私たちもそのやり方にならってテンポ良く歩いて行く。
触覚を隠した帽子が人にぶつかって落ちないように押さえながら幽香さんにおいて行かれないよう急ぎ足になってしまう。
適当に空いているお店を見付けると幽香さんは立ち止まり、指さす。私は頷いた。
人混みにもまれている間の幽香さんはとても不機嫌そうだったけれど、店に入るとすこし落ち着いた様子になり、席に着くと二人同時に溜息が出た。私も無秩序な人の波を嫌うようだった。
私は幽香さんのために真向かいの椅子を引いた。その橋の方へと浅く腰を掛けて、てらてらと光るメニューを手にとって退屈そうに見つめていた。

「リグル、何食べる?」
「何でも良いです、ちょっとくたびれてて、軽いのがいいかもしれないですね」
「分かったわ」
 
 ウエイターはなかなか来なかった。
水辺にせり出したレストランの一角はいろいろな人々がそこかしこに座っていて、その喧噪を創り出す言葉の一つも私は聞き取ることが出来なくて、ただじっと足下の汚れた水たまりを見つめていた。
慣れない香辛料の香りがする料理を無理やり水で流し込み、遠くから夜闇が迫るのをぼんやりと見ながら、さっさと家に戻ってしまいたいと思う。
私にとってこの場所は人間が多すぎるようにおもえてならないし、近づいてくる人々はみな私たちを好奇の眼差しで見つめてくるから居心地の悪いことと言ったら無い。
ただ暮らしのためなのだ。

取り立てて話すような話題も無く、さっさと海老のすり身揚げを平らげてしまった。
皿にナイフを置く音が聞こえて、幽香さんが食べ終わったのだと思ってぼんやりとしていた。いつものように席を立とうとする私に向かって幽香さんはちょっとだけ弾んだ声でよびかけた。

「ほら、あれ見て」
 
 幽香さんが指さす方を見ると、一羽の鳥が、軒先に留まって羽を休めていた、薄暗がりの中でもはっきりと見て取れるほどの極彩色。
だけど小さい身体で首をくるくると動かす姿は可愛らしく、おもちゃのように見えた。

「とても綺麗な鳥ですね」
「綺麗な楽園の鳥。極楽の鳥なんて言われてるみたいね」

 半分立ち上がったままだった体を無理矢理椅子に戻して、私はじぃっと幽香さんの言葉を待った。

「昔は足のない鳥だと思われていたみたいね。この場所から遠くの国に運ぶ時に足が邪魔だからって切り落としちゃったみたい。
その姿を見た偉い学者さんが勘違いして足がない鳥だと思われてたみたい。だからこの鳥は風の中で眠り、餌を食べ、地上に降りるときはただ死ぬときだけだと考えられていたの」
 
とある綺麗な鳥はずうっと空を飛び、風の中で眠る。その言葉から想像する鳥の姿はこの常夏の気候も相まってか、極彩色で形が良い目の前の鳥にぴったりのお話のように思えた。
何にせよ、その話でこちらの事をほんの少しだけ好きになったのは間違いがないことだろう。こんな場所でも良いものがあるんだ。
もう何度この話を聞いたんだっけ。子供が眠る前に聞かされるお話のように何度も何度も幽香さんはその鳥の話をしてくれた。落ちるときは何を考えるのか、それはたのしいのか。その他諸々。 伝説の鳥が死ぬときの話をしているのに、幽香さんはとても楽しそうで、なんだか憧れているようにも思えたほどだ。

二年前からずっとずっとこの話を聞いていたんだっけ。きっと幽香さんにも何か考える事があったのだろう。
だって二年前に私たちの住む世界は一変したのだから。



 二年前。
 初めてこちらに来たときの夜。というよりも飛ばされて来た夜は雨が降っていた。どうして雨の夜だと分かったか? 
それは私がどこかの畑で大の字に倒れながら、直接雨を受けていたから。それも真っ暗な闇の中で。
また誰かに悪戯をされたかと思って寝ながらぷんすか怒った。でも私は唇を噛んで怒りたい気持ちを抑えていた。
騒いでしまえば悪戯をしたみんなが喜ぶから、それに私が本当に怒った時の姿を見せてやりたい気持ちもあったから。
 
「じゃーん! リグルびっくりした?」
「いい加減にして」

 そんな風に怒ればチルノも少しはおとなしくなるだろう。うんそうに違いない。でも待てども待てどもそんな間抜けな声は聞こえなかった。そのうち茶化されて欲しいという気持ちがのこった。
雨に濡れっぱなしは思ったよりも躰に染みる。身体を起こすと、そこは見知らぬ場所だった。夜だというのに嫌に眩しいと思ったら、見慣れぬ光が道沿いにあった。
 煌々と光る、白い光。後に知るところによるとそれは電灯の光だった。
一体ここはどこなんだろうか。幻想郷でこんな景色が広がる場所なんてそうそう無い。それにここにはいつもつれている虫の気配が微塵も感じられないのだ。
ずいぶんと遠くに来たように思った。そして夢なんだと思い込んで、再び眠ろうと大地に横になったけれど背中から水が染みこんできて、目が覚めた。

「誰か、いる? ねぇチルノ。ミスティア?」

声が震えていたのはきっとおびえていたからだろう。体が冷えて、声も聞こえなくて、それにこれは夢なんかじゃない。

「誰か!」

雨が降っているのに喉はからからに渇いていた。焦っていると誰かが電灯の光の下で立っている姿が見えた。
こちらは珍しそうに電灯の光を見つめていた。

「幽香さん?」
「……あら? リグル?」
 
 幽香さんはいつも日傘にしている傘を雨避けに使っていた。言いたいことがたくさんあったけれど幽香さんに手招きをされたから、傘の中にはいった。

「ずぶ濡れじゃないの」
「寒いですね」
「うん。そうね風邪引かないと良いわね」

 幽香さんはそう言ってあたりをぐるりと見回した。

「ここは一体?」
「分からないわね、一度飛んでみたいと思ったんだけれど、飛べない」
「異変でしょうか?」
「それにしては余りにも変じゃない? 能力を奪うことが出来る妖怪なんているかしら?」
「新しい奴が現れたのかも」
「そんな奴が居たら幻想郷はめちゃくちゃになってしまうわ。紫が黙っているはずもないでしょう」

 しばらくの間その場に立っていると、四角い箱――それは何処香の無縁塚でしかみたことがなかったもの――がわたし達の近くを通り過ぎた。

「リグル、あれは多分車という奴ね」
「そうですね」
「それが動いている」
「ええ」
「まず分かったことがあるわ、ここは幻想郷じゃないって言う可能性があるということよ」
「外の世界?」
「ええ」
「どうして」
「それは追々考えましょう。ねぇ、リグル、貴方何か持ってない?」

 ポケットをがさごそと掻き回すと一枚のカードが出てきた。
私の顔写真が左上に掛かれ、その右にはいくつかの数字が並び、あとはのたくったような文字が書いてある。まったく読めないけれどでたらめというわけでもない。
だって近くに立っている看板にも同じような文字が書いてあるみたいだったから。

「あなたもカードを持っているみたいね。私はそれと私たちがずいぶんお金持ちであるという証明書と、住まいの住所とちょっとした現金が入ってるみたい」
「どうしてそんな事が分かるんですか?」
「八雲 紫からの手紙が私のポケットに入ってたもの。『そのカードはこちらの世界では肌身離さず持って居てください。それに銀行という場所に行けば生きていくのに困らないだけのお金はあります。あとは住まいもあるわ。
少し不便だろうけれど我慢してね』だって。ふざけないでほしいわね」
―――ここまで読んだ
「我慢?」
「たぶん私たちはこちらでしばらく暮らさないといけないみたいね」
「幻想郷じゃない場所で?」
「そういうことになるわね」
「虫達は。それに幽香さんの花畑は?」
「もう、無いわ」
「そんな……」

 その場に崩れ落ちて、私は泣き続けた。雨が止んだと思ったら幽香さんが私を傘に入れてくれたのだった。
 夜が明ける頃になって私たちは歩き始めた。その頃には心の中のわだかまりも何もかも涙と共に流れ出していて、ただただ無感覚に陥っていた。その日から、私達はこちらの世界での住民となった。

 心の中にあいた穴は今でも塞がっていない。時折冷たい風が流れ込んできてひどく私を寂しくさせる。
そんなときは幽香さんに顔を埋めて泣いていた。幽香さんは泣く事がなかった。怒ることも無かった。ただただこの世界で自分たちの居場所を探そうとしていた。

 見知らぬ世界に放り出されることはとても理不尽だ。
言葉も分からない。相手のことが分からない。何が正しくて、何が間違っているのか分からない。同じように、相手も私の事が分からない。忌々しいことに私の
そんな物がまたぞろ私たちの前を通り過ぎていく度に、こんなくだらない考えの答えを幻想郷に居るうちに考えていたら良いのにと思った。
 皆が幽香さんの事を怖がっていた事を憶えている。彼女はひまわり畑の恐ろしい妖怪で、その緑の鮮やかな髪色をみた者はその場で死ぬかを覚悟しなければならない。
だなんて話がまかり通っていた頃だ。
 すごく凶暴で、迂闊にそのテリトリーには好奇心で踏み込もうものならみな上半身と下半身がさようならをしている状態で見つかるらしかった。
 らしかったという言葉は昔よく一緒に居たチルノ達の好奇心を刺激した。
 当時は夏だった。夏は冒険にぴったりの季節だからという理由だけで私たちはひまわり畑に足を踏み込んだ。
幽香さんは、ただぼんやりとお茶をしていた。みんなはいつの間にかいなくなっていたのにわたしだけが吸い込まれるようにして、彼女の元に向かっていた。

「おもしろい子ね」
「ええ」
「お茶していかない?」

 一分ですら呼吸をするのが辛かった緊張も時間と共にほぐれていった。
一日経てばそんなに居心地が悪いと刃思わなくなった。そしていつの間にか私のためにお茶が用意されるようになった。
そのお茶は今でも続いている幻想郷での日々の名残で、心をほぐしてくれる。

「さあ、寝ましょう」
「はい。そうしましょう」

 暑い夜なのに空調は生ぬるい風を送り続けていた。汗を少し纏った幽香さんのやわらかな体に、私も体を重ねた。
ベッドの中で身体を絡ませてくる、幽香さんと幻想郷にいた時はこんな事なんて無かった。

一日に疲れて、ベッドの上で枕を抱き、もう数が少なくなった蛍を手に取り、昔を思いかえす。
最近はそんな事を壊れた蓄音機のようにくりかえし続けているような有様だ。そんなときは幻想郷の事を思い返すことが多い。

「どうしたの、リグル?」
「なんでも、ありません」
「でも泣いてるわ」

 いつしか近くなった関係だから言えないことも話せるようになった、でも甘えているだけだろう。

「幻想郷は良かったですね」
「そうね。今の私達からすれば文字通り幻想の故郷だわ」
「桃源郷でも有りましたね」

 故郷から離れて幾星霜。

「最初にあなたと出会ったときの事って憶えてる? あなたおびえてたわね」
「ええ」

 そこでまた涙がぽたぽたとあふれて頬を伝った。今の気分だと私の記憶の大半は涙と共にあふれてくるようだった。



幽香さんが電話に向かって何事か文句をつけている音でうっすらと意識が戻り、電話を投げつけた乾いた音で目が覚めた。

「ゆうかさん?」
「……ごめんなさい、また奴らからなのよ、あの忌々しい草をどんどんもってこいって。ふざけてるわね」

 私には何も出来ない。そう私達は余りにもこちらでは目立ちすぎたし、付き合う人間達はどれも救いようの無いほど汚れきっていた。
 何をしてもよい人間は確かにいる。有力なコネのない人間だ。そして私たちはそれにすっかりと当てはまっていた。
 浅黒い肌をした男に手を伸ばしてもらい、船に乗り、その揺れになれないうちに船はドロドロという低いうなり声を上げて進み始めた。
男も幽香さんも何も話さず、自分はただ流れる木々を見つめて暇をつぶした。こんな場所じゃ蛍は住めないだろうな、だなんて少しだけ憂うつな気分になる。
 綺麗なものは遠くにいってしまったのだ。



町中で一泊した後私たちは自分たちの家へと戻ることにした。朝だというのに体からぎゅうと汗が搾り取られているような気がするくらいの暑さで、まったく気分が悪い。
暑いから全てが腐ってしまうんだ。水も空も人も澱んでしまうから毎日夕方にはスコール
木の合間から見える空には雲一つ無い。昨晩の雨がまだ残っている空気は重たくて、そのまま身体にのしかかってくるようだ。
湿気が多くて、その上暑くてただ立っているだけでも汗は止まらない。そのうえ歩き続けているから体中の水分が搾り取られるように流れ出していた。
喉はからからに渇いていた。脇に抱えたマントも汗を吸って重くなっていた。その上地面もぬかるんでいて気分も最悪。
噎せるほどの湿った空気。それがこの世界に来た時にまず感じた違和感の一つだったことも思い出す。むさ苦しい程の生の香りは逆に何かが腐って死んだような香りがする。
そんなここちもするのだ。思えば幻想郷の夏はもう少し涼しかったのだ。そう思えば私たちはずいぶんとこちらの暑さに慣れたように思う。
あの暑がりの霊夢がこちらに来たならば、一瞬で眉をしかめ、肩をふるわせ、文句の言葉を言う代わりに私たちになにか弾幕を打ち込んでいただろう。
二年も経ってしまうといろんな出来事がすっかり去ってしまう。
そんな事を考えていた。時間は過ぎていく。こんな風に我が身を振り返る時間も船が
 
 男が船を出すまでの間は近くの木陰に入り、木の幹にもたれかかったけれど幽香さんに急かされて余り休めなかった。
がなり立てる人が集まって五月蠅くて触覚を隠すための帽子を深くかぶる。
時折幽香さんは男達に話をして急かしているようだった。

「どうしてそこまで急ぐんですか?」
「余り私達は歓迎されていないみたいなのよ。上がりが少ないだとかそんな事言われて殴りつけたら、相手がねぇ馬鹿にしてきて」
「そうですか」


帰りの船に乗り、岸辺の光が遠のいていくと、僅かに安心を覚える。極楽鳥が死ぬときは何を考えるんだろう。
今までついばんだ餌のことを考えたり、空から見る景色を思い出しながら汚れた地面へと落ちていくのだろうか。
怪しい植物の売人達、数多の人の言葉、劣等感や空虚さ、自分たちの生き方のあやふやさなんて難しいことは考えたりしないだろう。
 目の前に迫る地面。それをずっと見るのだろうか。それとも目をつむって耐えるのだろうか。
最後のことを考える癖がついたのはいつからだろうか。こちらに流されてから初めて呼吸をした瞬間からかもしれない。
 

ぽんぽんと船が進んでいくと少し離れたところに島が見えた。その場所はわたし達が住んでいる場所であり、幽香さんが探し出した私たちの安住の地だ
翠玉色の海に囲まれた島々の中をくぐり抜けていくと、浅い海面の下に白い砂粒が見えた。
 靴を脱いで、浅瀬に飛び込んだ船乗りが船を陸に引きずりあげた。船が安定すると同時に幽香さんは船から降り立った。
その仕草には迷いもなく、ぼんやりと見続けていた私の手をさっと引くとそのまま歩き出した。
ここは無人島、広くもないけれど綺麗なわき水がある素敵な場所だ。幻想郷から出てきた私たちにとってはこの場所が小さな幻想郷だった。
外界から隔絶された、二人だけの場所だ。この島は幽香さんがいつの間にか手にしていた。
その理由はコテージまでに向かう麻の畑からとれる草で説明できる。
人をふらふらと気分良くさせる草はこちらではかなり高値で売れるらしく幽香さんの妖力ですればこんな草を一晩のうちに生やすことなんて造作もないことだった。
だから、重宝されてこんな風に二人だけの島を持つこともできるのだ。

「ご飯は何にする?」
「あまりおなかが空いてないから良いです」
「そう」

 陽射しがまぶしい部屋の中で、幽香さんと二人きり。窓からは幽香さんが植えたひまわりが空に向かってぐんぐんと成長している

「リグル」
「はい?」
「暑いわね、紅茶でも飲む?」
「良いですね」

 お湯を沸かして、それをポットに注いだ。それから間もなく湯気が漂い始めた。
柔らかいお茶の匂い。そしてその香りがこのすこし広すぎる部屋の中に漂い始めた。年中暑いとはいえ、紅茶は熱いものに限るし、砂糖だって沢山入れる。

「また来月からあの草を栽培しないといけないみたい」
「手伝いますよ」

 日々の仕事は退屈でも、何もしないよりはずっと良い。日差しの強い中で身体を動かし、汗と一緒に雑念を流す。
嫌いだったこの世界になれ始めたのはきっと幽香さんがこの町で、幻想郷でしていたような園芸をしていて、そこに私の居場所があったからだ。
幽香さんはこちらの言葉を少し分かるようだった。というのも外の世界から流れてくる本を読んでいたかららしい。

「暇だし、園芸の本はみんな外の世界の言葉だったから、ちょっと勉強したのよ」

その結果麻の栽培だったとしても、私は多分従うほかなかっただろう。こうして独りで溜息をつける空間を守るのに誰かの正義に従うよりもずっと大切なように思える。

「全くろくな奴は居ないわね」

 帰り道、何人かの男がこちらに向かって何かを話していて、どうやら私達の姿が余りにもその場にそぐわないことを笑っているようだった。

「あいつら殺してやりたいわね」
「そんなの、駄目ですよ」
「何が駄目なのかしらね」


 こちらの世界で私達の友だちとなるような人は居なかったし、声を掛けてくるのは何処かの賭場に入り浸っていそうな連中ばかりだった。
帰りの船に乗り、岸辺の光が遠のいていくと、僅かに安心を覚える。極楽鳥が死ぬときは何を考えるんだろう。
今までついばんだ餌のことを考えたり、空から見る景色を思い出しながら汚れた地面へと落ちていくのだろうか。
怪しい植物の売人達、数多の人の言葉、劣等感や空虚さ、自分たちの生き方のあやふやさなんて難しいことは考えたりしないだろう。
 目の前に迫る地面。それをずっと見るのだろうか。それとも目をつむって耐えるのだろうか。
最後のことを考える癖がついたのはいつからだろうか。こちらに流されてから初めて呼吸をした瞬間からかもしれない。


 
 私の幻想郷はとても広くて良い場所だった。息苦しくもないし、こんなに何かと紙切れが飛び交うような場所じゃなかった。
 何もかもが私たちのために用意されていて、退屈する事なんて無かった。
 誰とでも話せた。何でも出来た。
 幽香さんが居た花畑にも一度足を運んだ。砂利道を歩いて、それから怒られないように出来る限りのお菓子を送って。
 それから一度きりのお茶会をしたんだった。
 あれが最初で最後のお茶会になるのだろうか。あのとき焼いたシフォンケーキはもう私の体のどこにも残っていない。
まぁそれでもきっと、とても良い場所だったのだろうけれど生憎今の私からそのことすべてを思い出すことは出来ない。

 こちらの世界に来た時から砂で造った城のようにだんだんと記憶の形は失われている。
何が良いのだろうかといわれてももう思い出せない。なんにせよもう二年もこちらに住んでいるのだし、
綺麗だった記憶もすっかりすり潰されて、粉々になって、何処か遠くに流れていってしまった。




忙しい日々におわれて幻想郷のことなんて思い出すことなんて出来なかったけれど、ふとしたきっかけから懐かしい記憶が蘇ってくる。
笑っていた幽香さん、チルノ、ミスティア。みんながあの場所では仲良しだった。もう幻想郷は遠く記憶の彼方に沈み始めていてもその記憶はいつでも私を縛り付け、苦しめる。
こちらに来てから知り合いは減り、虫を操る事はほとんど出来なくなり、空気はおいしくなく、良かったであろう日々を思い出すための手引きとなりそうな物はどこかに消え去ってしまった。
せせこましくなった生活を続ければ続けるほど、失った物の大きさが突きつけられてくる。向日葵畑だって、無くなってしまった。
 もちろん、こちらの世界にもひまわりはある。家の前の植え込みにはひまわりが咲いている。昔と同じように美しいひまわりが小さな群れとなっている。
ひまわりの種は幻想郷の物なのかどうかは知らない。尋ねることもあまり意味がなかっただろうから。
 自分の記憶も日々の出来事に押されて流れていく。そのうち自分の記憶が自分の物じゃ無くなるような気がするし、そうなったら私は一体何者になるのだろう。
 どうしてこんな目にという理不尽な涙はとうの昔に乾いてしまったけれど一日が終わる度に昔の自分の影が薄くなっていく感覚が襲ってくる。
だから一時しのぎでしかないと分かっていても、私たちは体を重ねてお互いを確かめ合う。



「何回目かしらね、幻想郷の夢を見るのは」

 ぽつりぽつりと幽香さんは語り始めた。まだ体の真ん中に幽香さんの指先の感覚が残ってぼんやりとしていて、私は何度かベッドの上で寝返りを打った。

「ねぇ幻想郷でのひまわり畑に私は居たわ」
「懐かしい夢ですね」
「懐かしくなんてなかった」

 幽香さんは震えていた。夢の中で幽香さんを怖がらせた何か、きっと長く生きてきた幻想郷での生活が失われてしまった事なんだ。

「だれか他人の夢の中に立っているような気がしたのよ。私の住まい、私の畑なのに。なんだか別人の家に居るような感じがした」
「時間が過ぎたからでしょうか?」
「わからない、わからない」

 幽香さんはそのまま寝返りを打って私に体をぴとりとくっつけてきた。

「ねぇ、私はちゃんとここに居る?」
「大丈夫、います」
「私たちは脚がない鳥よ」
「鳥?」
「フウチョウよ。脚がないって信じられていた鳥。今も窓の外にいるわ。どうして私たちの周りにはよく現れるのかしらね」

木の上に綺麗な鳥が止まっていた。あの日幽香さんと話した足が無いと思われていた鳥だった。
ゆっくりと毛繕いをした後、鳥は飛び立ってしまった。鳥は良い。こんな薄汚れた地表でのたうち回らなくても良いのだ。どこにでも行ける。
 どんどんどん、と家の扉を乱暴に叩く音がした。それを聞いて、何か幽香さんが玄関の向こうにいる誰かに叫ぶとしばらく音は止んだ。

「さぁ、着替えて。招いてもいないのに来る客なんて死んでしまえばいいのに」
 
 幽香さんは薄いシャツを羽織って、扉の前にたむろする色黒の男達を手で招き入れた。
重苦しい空気が住まいの中に広がった。話は長く続き、やがて男達が去っていくと幽香さんはただぼんやりと男達の行方を見ていた。
そして小さく呪詛の言葉を吐いた。
くたばっちまえ。
汚い言葉だ。

9

 妖怪よりも恐ろしい物は人間だろう。
幻想郷でもかなり強かった幽香さんをソファに座らせ、その上くどくどと話を聞かせ。挙げ句の果てに一番嫌っている煙草の煙を吹きかける。
私は幽香さんが何事も無かったかのように妖怪をひまわり畑の土に返らせた場面を見たことがある。
そいつは幽香さんをソファに座らせることすら出来なかったし、幽香さんが話を最期まで聞き終わることも無かっただろう。
 それが出来てしまうのも、この外の世界の恐ろしさだと私は知っていた。
一日ごとに奴らはやってきて言葉が分からない私でも感じる不愉快さを残していった。幽香さんは。静かにしている。
こんな時に何をすれば良いのだろう。
何をしてやれるんだろう。幽香さんが吐く呪詛の声は花瓶の裏にまで満ちていった。
 日ごとに男達の態度は厚かましくなっていった。
言い合いになることも多かったけれどそれがどういう理由で行われているのかは私には見当が付かなかった。
ヤクの売人と言い合いになる。怒声が響く。私は何も言えなかった、

「ねぇ、なんだか脅されてるみたいだわ」
「どういうことですか?」
「場所を移ってくれないと、殺すぞって」
「物騒な」
「殺してやりたいわね」

 多分殺すだろうなという予感はしていた。何も言わない私の事を察してか、幽香さんは深々と溜息をついた。

「ねぇ、一緒に殺してくれる? あなたが奴らを殺して、私が養分にするわ。ねぇそうしたら向日葵を植えましょう」
「そんなこと、出来るんでしょうか」
「あなたなら出来たじゃない! ねぇ、どうして何もしないの?
意気地無し、あなたに『意気地無し』って伝える為に言葉が生まれたって今なら思うわ」

10

幽香さんと男達の交渉は続いているようだった。日に日に男達の数が増え、怒声も家に響き渡るようになった。
私はこのまま息苦しい空気を吸ったまま生きていくのだろうか。
もういっそのことどこかに逃げてしまいたかった。そう、どこか遠くの穏やかな場所へ。
幽香さんにそんなことを話してみたいと考えているうちに異変は起きた。

11

いつものように。男と幽香さんの言い合いが続いていた。
私はそれを隣の部屋でおびえながら聴いていた。外では虫たちがかしましく鳴いていた。
ばぁん、という爆発音が家中に広がって揺れた。そして先ほどまで続いていた言い合いが綺麗さっぱり亡くなっていることに私は気がついた。

「幽香さん?」

 扉を開くと、部屋の中にはぶらんと肉がぶらさがっていて、耐え難いほどの悪臭を放っていた。
たぶん、今まで言い争っていた男達だろう。幽香さんは血しぶきを浴びて部屋の中で立っている。

「ごめんなさい、リグル」

 幽香さんは後悔しているようだった。

「もうおしまいかもしれないわ」

 私もそう思った。

12
 幽香さんはデッキチェアを動かし腰掛けていろんな思いがこもっているであろう溜息をついていた。
目の前の出来事はにわかには信じがたいし、私は逃げ出したくて溜まらなかった。
この部屋の中には、私たちを殺すであろう男達の死体で詰め尽くされているし、もちろんこいつらだけではない。
こいつらには沢山の仲間が居るだろうからやがてこの島にも波のように押し寄せてくるだろうし、今の私たちではそいつらがもたらすおしまいを防ぎようがない。
この部屋から全てのおしまいが始まるのだ。最期のスタートにふさわしくこの部屋は地獄のような様相をしていた。

「リグル、ごめんね。我慢できなかったの」

 まるで悪戯をして怒られた子供のようにしょげていた。

「いいんです」
「そう、それなら祝いましょう」

幽香さんは近くの冷蔵庫から赤ワインを取り出して机に置いた。
コルク抜きを見つけて差し込んで回そうとするけれどうまくできなくて私に無言で押しつけてきた。

「私はグラスを探すから」

 どうやら開けるのは苦手らしかった。一度深くまで押し込んでゆっくり回せばきゅっきゅと音を立ててコルク栓が回り、ぽんっと抜け落ちた。
幽香さんはこの部屋の中で飲むのを嫌がって、外のベランダに私を連れ出した。幸いなことにこの場所は多少ガラスが割れているだけで、血のにおいはあまりしない。
風が吹いていたし空は曇り空。遠くの海を見れば雲の灰色を吸い込んで泥のような色をしていた。
グラスにワインを流し込むと、幽香さんは何も言わずに飲み干した。

「何のお祝いなんですか?」
「こっちの世界に来て二年目のお祝いよ」
「去年はしませんでしたね」
「今年はしたい気分なの」
「そうですか」

 注いだワインをぐいっと飲み込む。酸味が強くてなんだか薬剤が混ぜられたような味が辛みと共に流れてきた。
悪意すら感じられるほどの不味さを我慢して飲みほした。全部こんな風になっているのだ。
一度目の酔いの波がやってくる頃になってこれからの事を気がかりに思った。

「幽香さん、ねぇ今からでも遅くありませんよ。逃げましょう」
「どこに逃げるの?」
「どこにだって逃げられますよ。お金さえ払えばどこでも連れて行ってくれる連中なら沢山居ますよ」
「うん。それで」

 幽香さんは興味がなさそうに相づちを打つ。自分の話していることがだんだん不安になって来る。

「そこで新しい暮らしを始めましょう。新しい年をこんな場所で終わりにするなんて、もったいないです」
「それからどうするの?」
「いつか。幻想郷に帰りましょう」
「出来ない約束をちぎったりしないわ」
「どうしてそんなこと言ったりするんですか」
「もう疲れたのよ」

 幽香さんはグラスをこちらに差し出してきて、それに継ぎ足してしまうとワインは空になった。

「私たちは、この二年間逃げっぱなしだった。こんな惨めな思いしたくなかった。もう終わりにしたかった。ずっとずっとおしまいにしたかった」
妖怪としての生き方も出来なくて、人混みに入れば笑われる。言葉も違うのになんだかこんな場所に住んでいられる訳がない」
「だから、私はこの狭い場所に逃げ込んできたつもりだったのよ」

 少し酔いが回った顔で幽香さんは私の顔に手を当てた。

「ねぇ、お願い、私を見て。あなたが見ないと私はこの世界に存在しないのこの世界に存在する私は貴方の瞳に映るほんのわずかなところだけ。
貴方と居る事が出来ればそれで良かった。ありがとう」

 ねぇ、ねぇと幽香さんは繰り返す。一言言う度に瞳からぽたりと涙がこぼれ落ちた。
 落伍者、出来損ない、負け犬、失敗者、はみ出し者。その他罵倒の言葉もろもろが似合う人々に私たちは属していたのだろう。
どこにも心の置き所がなかった。沢山の人が行き交う路地や水たまりにうつる空や電信柱。どこにも、そうどこにも私達はなじめなかった。
本当に、お互いの瞳に映った像だけが、自分たちの存在を守ってくれるのだ。
それももうここまでかもしれない。あの男達の仲間がそのうちぞろぞろとやってくるだろう。
奴らは弾幕の代わりに銃を使う。それはほとんど人間の体に戻っている私たちを肉片に変えてしまうのに十分な威力を持っている。

 夢は何時か終わる。

二年の間見ていた夢もここまで。
この間子供なら言葉も覚えるようになるだろうし、大抵の病なら治る。
結局こうなることになっていたのだ。おそらくはずっと前から、そう、刺々しい言葉を吐き、全てを破壊する幽香さんと出会い彼女に惹かれていったその日からすでにこうなることに決まっていたのだ。
結局全てを壊してしまうそんな彼女を見るであろうことはいつだってたやすく想像することが出来た。
その間、雨の時期になると軋むドアの音にも、窓から差し込むじりじりとした光も、それが季節と共に同じような感動をもたらすことも、人間達が浅ましく駆け回り、現れて、消えていったことにじっと苛立ちながら耐えてきたのだ。
そんなものたちのようにただ。自分の求めない出来事に囲まれるのが我慢ならなくなっただけだ。

「なんだか終わっちゃうのね。今、私は疲れててもうこれ以上起きているのも面倒だわ。だから貴方を守ることはもう出来ない」
 
 だからね。

「リグル。貴方だけでも逃げてほしい」
「どこに逃げれば良いんですか」
「島に隠れる場所なんていくらでも有るでしょう? 蟲になって隠れてほとぼりが冷めればまた戻ればいい。もしくは裏の方ある船でどこにでも逃げたらいいわ」
「幽香さんは?」
「ここから動くつもりなんて無いわ」
 
 声のトーンは高いけれど、一筋の涙が頬を伝っていたのを私は見逃さなかった。

「怖いですか?」
「安らかだわ。私この二年間本当に気が狂っちゃうと思うほど頑張ってた。でもそれも今日でおしまい。全部全部おしまいなの」

 幽香さんは立ち上がって部屋から一つ鍵を持って手渡してくれた。

「でもリグルにだけは生きててほしい。裏にボートがあるわ。それで逃げて」
「そんなの、幽香さんは……」
「逃げないと、殺すわよ」

ねえ。お願い。といわれて住まいを出た。
幽香さんと植えたひまわりが俯いて、降り出した雨に濡れていた。雨はどこかから土の匂いを運んできて、このやさしい香りも今日限りで嗅げなくなるのかと思うと寂しい。
でも幽香さんが言うように、私はいかなければならない。程なくして船は見つかった。セルを掛けるとぶるぶると震え始めた。
そこまで考えてふと我に返った、どこに逃げたらいいのだろうか。
何のために、誰のために、いつまで? 
この不安定な生活がどこにつながっているのだろう。一番大好きな幽香さんを放っておいて逃げた先に何が残っているのだろうか。私はそのまま、船を蹴り出しただけだった。
だって、何処に行っても。私には逃げ場がないから。息の詰まるような生活を過ごす二人が一人に変わるだけだろうし。
それはきっと何よりも恐ろしいことだろうし。
 幽香さんは肉が散らばる部屋の壁にもたれ掛かっていた。手のひらで顔を覆って泣いていて、その響きは炎天の外の空気が流れ込めば消えてしまいそうなほどか細かった。

「どうして、どうして戻ってきたの?」
「気まぐれ、です」
「ふざけないで」
 
 鋭くこちらを睨み付けられて、思わず足がすくむ。でももう私は戻れないのだ。
いつ、戻れたと言うのだろう。いつ? 幻想郷から放り出されたとき? 幽香さんと連れて行かれたとき? それともこんな終わりが見えていた取引を見たのに止めなかったとき? 
それとも幻想郷に戻ろうって約束をしたとき? 振り返っても結局何処かで終わっていたのだ。それに前を向いたって、この場所から抜け出す手段なんて一つも残っていない。
それならば、この無理を押し通そう。一歩幽香さんに近づく。
 
「近寄らないで、お願い。ねぇ」
「嫌です」
「寂しくて、壊れちゃいそうなの。もう壊れているかも。だって寒いのよ、おかしいじゃない」
「温かいです」

 返り血がこびりつく幽香さんの手、大くて柔らかい。でもその手は震えていた。幽香さんも外の世界に出てからずっとずっと耐えてきたんだ。
私たちには居場所が無くて、結局こうなる他無かった。先も暗くて、音もなくて希望が日々すり減っていく中。

「もう、何も考えなくても良いわ。怯えなくても良い」
「リグル?」
「蛍たちも全部放しました、この場所の水は綺麗だわ。だから、きっとあの子は大丈夫」
「私たちはダメみたいですけれどね。連絡係の奴も殺しちゃいましたからそのうち奴らが来ます」
 
 全てが暗くなっていく中で、抱き合う私たちを誰が咎めることが出来よう? もういい二人とも頑張ったんだ。

「フウチョウのお話、憶えてますか?」
「ええ」
「今が地上に降りるときです」

 足のない鳥が、地上に降り立とうとしている。そう、私たちはこの二年間ずっと足が付かない楽園のような生活をつづけてきた。
でもそれはもう、続かないのだ。

「自分がもし、足のないフウチョウだとしたら」

 幽香さんは怯えている。

「降り立つのはこんな穢れた部屋は嫌です。隣の部屋にはマットもありますから」

 もう残りが少ないのに、最後だからかもしれないけれどいつも通り私たちは子犬がじゃれるようにベッドにもたれ掛かった。

「もう、絶対に離れないで」
「はい」
 
 不安そうな幽香さんの唇にキス。

「私は、どうなっても幽香さんの傍に居ます」
「地獄でも一緒だと良いわね」

 もう一度キス。
柔らかいベッドに幽香さんを押さえつけて、舌を口の中でねちっこく絡ませる。ぴちゃり、ぴちゃりと水音が響く。
握られた手は、血の気を失い蒼白くなって震えていて、幽香さんは、そのまま震える足を後ろにずらしていった。
スカートを脱ぎ、染みこんだ血が乾いたシャツを脱ぎ捨てる、緑色の髪の下で妖しく幽香さんの瞳が輝く。

「愛してる」

そう言って幽香さんは最後の布きれを脱ぎ捨てた、一糸纏わぬ裸体は、芥子の花のように白く、外から漏れ込む光が肉体に影を付けた。
縺れあうとすぐに身体の熱が肌越しに伝わってくる、汗と吐息が溶け込んだ空気を胸一杯に吸い込む。
そのまましばらく抱き合っていた。心の中の熱が次第に高まっていく。どうして、こんな風になっちゃったんだろうなんて気分は何処かに仕舞っておけばいい。高揚した声で幽香さんは耳元に話しかける

「ねぇ。頂戴?」

股を開いて、白い花びらの赤い内側までがのぞけるくらいに剥きあげ、舌で包み込む、じゅると下品な音を響かせるとかすかに快感の反応を示しはじめた。
 
「そんな幽香さん見てると歯止めがきかなくなりそうです」
「止めなくて良いわ、すべて、終わりにしましょう」

人差指をもう一本、中指に添えると、二本の指を細い肉の間にもぐりこませた。真っ赤になった

「ふぁ、っあ」
「いたいですか? でも、ほら、ちゃあんと入ったでしょう?」
「痛くなんか無い」

肉襞が続く膣孔に挿れた指を引き抜くとぐっしょりと濡れ透明な液が糸を引いて、弾む吐息と共に身体を強くよじらせて、声を上げた。
空調が壊れているせいで、汗が滴ってくる。
誘いこまれるようにして幽香さんの愛液で濡れた指に唇を近づけていった。指をなめる私をみて幽香さんの口角が上がる。

「変態」
「幽香さんも」
「ねぇ、もっと中まで、頂戴」

 ねだるような声。蛍という虫を司る者として、両性具有だったのは幸いだ。
飛ぶことも出来ないのに、こんな時だけはまともに機能するなんて本当に本能からしてもうだめだと悟っているのだ。
 常識も劣等感も間延びした馬鹿みたいな声も、そんなものも壊してしまえ。

「壊れることしか知らないこの馬鹿な本能をかき消してよ」
「はい」

勃起した肉棒を珍しそうに幽香さんは眺めて摩る。

「前戯してあげる時間はなさそうね」
「ええ、奴ら蠅みたいにすぐたかってくるでしょう。幽香さんも」
「『さん』付けは止めて」

「ええ、幽香」

 それから何度かまぐわった。

「花の本能は、子孫を残すこと」
「あなたの本能は何かしら?」

「こんな状態に置かれたら、本能に従うしかないわ。私には結界を戻すことは出来ない。私達に朝は来ない。永遠に闇夜よ。こんな時。何に従えばいいのかしら」
押し倒す。

「もっと中まで」
「嬉しい」

ちょっと泣いてる。でもそれが嬉しい。だって本能に触れるから。

13
 日が暮れる頃になって遠くから蝉の大群の鳴き声のような音が聞こえてきた。そう、連絡がなかった仲間をいぶかしんで連中がやってきたのだ。
何隻かの船には先ほどの荒くれ共の仲間か、幽香さんから沢山のお金を受け取っていたあの治安維持の奴らだろう。どちらにせよ、私たちの終わりはもう近い。
あの鉄砲とか言うもので私たちは打ち抜かれてしまうのだろう。

「船が来ましたね」
「連れて行ってくれるかしら?」
「多分難しいでしょう」
「でしょうね」

もう、どうでも良い。幽香さんの胸の中で聞く終わりの音は波の音と、遠くから聞こえる低いうなり声のような船の音。
幽香さんはかろうじて残っている電球の明かりの光を浴びながら、ちょっと笑いをにじませてほほえんだ。

「花は枯れ、虫は死に、妖怪は消え、それを人間が踏みにじっていくの。いつだって変わらないわね。このやりとり。だけど、花も虫も子孫を残すの。
それを人は希望と呼ぶのかもしれないわね。なにもないって訳じゃ無いの。そのぶん私たちはマシよ。さぁ、寝ましょう、一緒に眠りましょう」

 幽香さんは最期まで私を守ってくれた。
傷だらけの体が朽ちて土になってしまえばいいのに。そうすればそこに虫が湧き、花が咲く。
そうして庭に植えたひまわりに吸い込まれた私たちのかけらが来年も、そのまた来年も、ずっとずっと花をつけてくれるのだろう。
 私たちの子孫は残る。私達はこちらの世界で果てることになりそうだけれど、何も残せなかったわけではない。


14


 ぽんぽんと船は低い音を轟かせて海原を進む。海の色は空の光を浴びてエメラルドグリーンに輝いている。
あの後幽香さんはやってきた男達を肉の塊に変えてから、それから家に火を放った。今まで住んでいた家が目の前で燃えるという景色はそう何度もないし幽香さんのしていることが私には分からなかった。
こんな事をしているうちに奴らの仲間がやってくるかもしれないだろうし。
私の心配をよそに幽香さんは船で海に漕ぎ出した。
そして、街に出てから行きつけの酒場に顔を出して、なにやらそこの男達と話し始めた。そして、私は写真を数枚撮られたあと、こちらの世界に来たときと同じような小さな本を作った。

「これは偽造のパスポート。ここの人が作るのは本物と見分けが付かないわ」
「今までのは?」
「捨てるに決まってるでしょう」

 そうやって私たちはこちらの世界で名前を捨てた。もう、今までのYuuka Kazamiという名前とWriggle Nightbugという名前はもうあの家の中で燃えてしまっただろう。
そして私たちは、新しい名前で、外の世界にまた飛び出した。
私たちは二度死んだ。幻想郷から出たときに私たちは一度妖怪としての自己を失い、そして、また外の世界でも死んだ。
風が一吹きして、幽香さんの髪をなびかせた。

「あなたはこれから、どこかで新しい場所に向かって行くのよ」
「また、家を作らないと」
「そうね。今度はもう少し広い庭にしたいわ、あの場所はちょっと狭かったもの。今度こそ一面のひまわり畑を作ってやるんだから」
 私たちは、生きたいのだ。何もかも失っても幽香さんとならどこでもついて行ける。今は厳しい季節だけれど勇気を持ってそれを飛び越えよう。

「貴女と、一緒に過ごそうと思うの。何も考えていないけれど一緒に来てくれるわね?」
「もちろんです」
「幸せだわ」
「ええ」
「私たち、きっと幸せになれるわね」

15

船出は、晴れた日だった。
緑の海は晴れていて空からは灼熱の光が降り注ぎ、玉汗となって吹き出した。

「そのまま国境を越えて違う国に行って。多分そこでやり直せるわ」

 そのとき、エメラルドグリーンの海の上を鮮やかな黄色の鳥の群れが通り過ぎた。まるでひまわり畑に咲いた花のようだった。

「あんな風に、綺麗な庭にしたいわ」

 そう 息をすることも忘れて ああ その美しさに見とれる 私はその景色を見るまで、そう最後の日までずっとずっと幽香さんの側に居たいと強く願った。
いつの事になるかなんて想像も付かないけれど、いつかきっとやってみせる。
私たちは足のない鳥だ。安らぐことも眠るのも不安定な空の中だ。そう、飛び続けなければならないのだ。

 延々と船は海原を進んでいく。どこに向かうのかなんて、分かりそうにもなかったけれど、きっと進む先にはなにか安らげる場所があるのだろう。
 そう、そのときには私が先にひまわりを沢山植えて幽香さんをお迎えするんだ。
そうすれば、そうすればそこはきっと私たち二人にとっての幻想郷になるはずだろう。そのときはきっと私たちは空を飛んでいるに違いない。

空の上ではカモメが飛んでいた。

あの鳥のように、幽香さんと二人で、空を心地よく飛びたいと願った。
生きています
SYSTEMA
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
おおう、相変わらずこう人間臭さが香る物を書く氏の手腕はさすがでした……めっちゃ好みですしとても楽しめました。
ただ紫はなんで戻してくれなかったのかが気になりますね、我慢(結局出来なくて殺っちゃいましたしw)って書いてたのに
まあ私の読解力不足でしょう
澄ましているようで感情を抑えている幽香と、それを受け止めるリグル、ツボでした、誤字報告にて終わりたいと思います↓
今野私たちは外の世界で求められている草を幽香さんの力で生やし→今の
その橋の方へと浅く腰を掛けて→その端?
肉襞が続く膣孔に挿れた指を引き抜くとぐっしょりと濡れ透明な液が糸を引いて→膣口(意図してだったらごめんなさい汗)四角い箱――それは何処香の無縁塚でしかみたことがなかったもの→何処か?
その緑の鮮やかな髪色をみた者はその場で死ぬかを覚悟しなければならない→死を?
一日経てばそんなに居心地が悪いと刃思わなくなった→悪いとは
以上です。
2.性欲を持て余す程度の能力削除
私達は二人で死んだよ、この先どうなったとしても、ずっと二人きりだからどうなってもいいさ
ああ妖怪のふるさとはいずこ
続きも期待しています。次は幽リグじゃなくて別のキャラなのかしら