真・東方夜伽話

州羽海にて曰、此地を除て他處に行かじと

2016/07/25 00:21:13
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州羽海にて曰、此地を除て他處に行かじと

みこう悠長

読まないでください
※組版前提で書いてボツにしたものです。ルビ振りの目印が残っていますがよきにはからってください

 だから、八坂も、男で、いいんだ。

 彼女の言葉は、今でも耳の裏っかわに、まるで呪いのように貼り付いている。
 心地のいい、とても心地のいい、のろいのことば。







 月に一度、どうしようもなく憂鬱な日が来る。逃げられない。それが私に女を突き付けてくる。ナプキンに納まらなかった泥が鼻から私を侵してくる。[女≪・≫]とは、吐き気を催すほどに匂う、病に思えた。こびりついて取れない赤黒いシミがまるで呪いのように私を脅迫してくる。洗濯しても下着からそれが取れていないような気がして、何度も、何度も、何度も何度も何度も手で洗い直した。それを洗った手にも女の匂いが伝染したように思えて、石鹸が目に見えて減るまで手を洗うのを止められない。
 小さい頃は、拳さえ振り上げていれば、乱暴な言葉遣いをしてさえいれば、「おとこみたいだ」と言ってもらえた。それだけで女らしさから好きなだけ遠ざかることが出来たのに。[女≪・≫]は徐々に徐々に、布地に染みるそれこそ月の血みたいにじわじわと、そしていつの間にかすっかりと、私を逃げ場のない場所へ包囲していたのだ。
 股から出血する、死にたくなるほど体が重くてお腹が痛い。そんなに暴力的な方法で私に[女≪・≫]を知ら締めること、ないじゃないか。胸が膨らみ始める、お気に入りのTシャツを着ると気持ちの悪い輪郭が浮かんできた。私の体は、どうしてしまったのだろう。いや、明らかだ。

 私は女から、逃げられない。[女≪・≫]とは、決して死ぬことはないが、決して治ることのない、病だ。







――男の癖に

 その右腕が本当に刃だった筈がない。ただ力比べを、しただけなのだから。
 勝てるだなどと端っから思っていなかった、だって彼は力自慢で有名だ、非力とまではいわないが、取り立てて腕力に自信があったわけでもない俺に、勝ち目など最初から。

――男の癖に

 それでも、男として生まれ、ずっと男として生きて来た俺には、そのレールを行く以外に切り替えポイントはなかった。ただ俺がそこにいるということすら、男であれば男らしさで競り勝たなければならないのだ。

――男の癖に

 地べたに投げ出された俺は、別に当然の結果だと思った。悔しくはなかった、明らかだと思っていたから。でも、そうした分析は男には許されないのらしい。男なら、相手につかみかかって殴りつけなければいけないのらしい。悔しがって臥薪嘗胆、必ず見返さなければならないのらしい。男とは、そうした価値しか認められていないのらしい。

――男の癖に

「うるさい!! 男の癖に、ってなんなんだよ! 相撲に、殴り合いに、力比べに勝てなけりゃ、女なのかよ!」

 女になりたいだなんて思ったことは、一度だってない。それでも、自分を男というものに据えておくのがどうしても我慢ならないらしい。どうしても肩をいがらせ鼻息荒く血気盛んで、相手を打ち倒すことに夢中なヤツ以外を男というカテゴリに置いておくのが嫌なのらしい。
 男も、女も、あらゆる人間が、社会が、形のない[男≪・≫]を形のある男であるはずの俺に強いて来て、何故か俺は規格外の不良品にされてしまう。何だ、この理不尽は。
 だったら、女だって構わない。どうせ男はその拳で、その剣で、その暴力で、屈服させ、支配し、迫害するしかできないのだろう。その頂点を目指す獣性を持つこと一点をして男らしさだというのなら、そんなものいらない。

 でも、そんな男でなければ、居場所はなかった。







「出雲中学から転校してきた八坂です。よろしく」

 特にそれ以上を言うつもりはなかった、転校してきた理由なんて口が裂けたっていうつもりはない。さっさと自席について平穏な学生生活を構築したかった。だというのに。

「しつもーん」
「おう、東風谷。八坂、あいつが質問があるそうだ。[適当にいなしてくれ≪・・・・・・・・・≫]。」
「ちょっと白沢センセー、どういう意味ですか?!」

 まあ答えてくれ、という目で俺を見てくる教師。悪意なんてないし、悪意のある質問が出るなんて、この教室の中にいる誰一人だって想像はしていないだろう。だが「東風谷はまたー」「でたでた、早苗の恋愛体質」と茶化す雰囲気で女子たちが色めき立っているのは明らかだ。嫌な予感がした。

「東風谷早苗です、よろしくね、八坂君。早苗、って呼び捨てでいーよ?」
「東風谷うぜーぞw」
「うるっさい、こっちも必死なのよ! 卒業まで売れ残ったら実家の手伝いよ、干上がっちゃうっての! こほん、出雲って、鳥取の方だよね。島根? で、長野県まで引っ越してきたってことは……ズバリ、今彼女いますか!? フリー!? 3秒でお答えください! ドン!」

 ノートを丸めてマイクみたいにしてオレの方に向けてくる。遠いけど。

「はいはーい、どこが干上がるんですかー?」
「うるさいわね品性下劣」
「おめーがいったんだろ」
「[みずうみ≪・・・・≫]よ、[みずうみ≪・・・・≫]。あんたに質問してないから! はい、3秒経ったよ八坂君!」

 それか。まあ予想は付いていたけど。

「ノーコメント」
「えー!」
「察せよ東風谷、[いる≪・・≫]んだって。それか、お前じゃ不満だってよ」
「えー、じゃあ、遠恋? 島根と?」
「3秒で答えたんだ、もういいだろ」
「振られたなー。何連敗だ東風谷」
「ほっとけ!ああもう、フケてカラオケ行こ!」
「おいー?教師が目の前にいるのによくそんなセリフ吐けるな東風谷ー?」

 沸き立つ教室内。あの東風谷とか言う女子がクラスの中心人物なのだろうか。あれに目を付けられては面倒だ、俺は胸中の注意人物リストに太文字で『東風谷』と記入した。女の子らしい恰好、女子なのだから当たり前だが。セーラー服はともかく、カエルのキャラを模した可愛らしい髪留め、少しばかり色を抜いている頭髪、恐らく校則ぎりぎり(もしくは違反だが黙認されているのだろう)だろう丈の短いスカート、色付きソックスと、袖が長めで柄物のカーディガン。くっきりしたアイライン。ネイル。明らかに色付いた頬と唇。女子を謳歌する女子。

(あんな風に、なれたらな)

 女になりたいというのとは違う。ただ、男として男をお仕着せられているのが重たい。この学ランだってまるで鉛。でも社会はそういうもので、だったらあの東風谷みたいに自分の肉体に因った性を享受してそれを謳歌する方が幸せな――いや、正しい――のだろう。
 俺は賑々しい雰囲気ごと東風谷を手で払うようにして、無理矢理自席につく。
 だいたい、学校の席というのはどうして男女男女で綺麗な縞々にするのだろうか。自分が男からはみ出すことを許されない窮屈感。女性の側にポンと飛び出して、また気ままに戻ってくることができたら、それはなんて幸せだろうか。でもそれは横断歩道を白だけ黒だけ跳びで渡るのとは違う、歩道から車道に飛び出すのと同じことだった。

「よろしく。……?」

 席につこうとして隣の席にいたのは小柄な女子だった。何か、変だ。

「ぁっ」

 つい、口から変な声が出た。それというのも、その女子は学ランを着ていたのだ。手違いで男子の隣に俺を配置した? いやもしかしたら単に男が多いのか?
 席につきながらちらちらと横目で隣の席の生徒を見る。短い髪に、やはり学ラン、下もスカートではない。メイクも全然していないみたいだし、何よりシャーペンを持つ手は男のそれに比べてCGで透明度と明るさを弄ったように瑞々しく潤っている。そう思って顔を見れば肌のきめは細かくて唇も厚いという程ではないが、赤い。大きな眼鏡の下にある目もまた黒目がちに大きく、男子の制服を着ているがそれは明らかに女子だった。

「チラ見しなくたっていーよ、なれてるから」
「えっ」

 ばれている。

「ごめん」

 素直に謝っておくが、その女子は全然気にしている様子もない。それどころか笑ってこっちを見て来た。

「私、洩矢ってんだ。よろしく。服のことは……まあ、あんま気にしないで」

 気にするな、というのは[どういう風に≪・・・・・・≫]だろうか。気にせず女子として扱えばいいのか、気にせず男子として見ればいいのか。それを改めて聞く勇気もなく、「ああ、うん」となんだか締まりの悪い返事をしてしまう。
 顔を見る限りは、女子だ、というか、好きなタイプだ。でも、学ランを着ているのだけ、腑に落ちない。この学校に他にこんな女子はいなかったと思う。転校してきたばかりだから、見ていないだけだろうか。

「八坂はモテんだね。顔キレーだもんね。いーじゃん、東風谷。皆からよくからかわれてはいるけど、何気にアイドルだから。東風谷を好きな男子、多いよ? こないだなんかファンが『ちょっと過激なこと』をしでかしたみたいだけど、それ位、人気」
「……その手の話は、苦手なんだ」
「おー、硬派。もしかしてほんとに、あっちに彼女とかいるんだ?」
「ノーコメントと言ったはずだ」
「もしかして、彼氏」
「違う!」

 大声を出してしまった。一瞬、しんと静まり返り、クラス中の視線が集まった。

「あ、す、すみません」
「このクラスは何なんだー、教師の目の前でフケるという奴がいたり、授業中に大声出したり」
「日本史の教員が数学教えてたりね」
「俺は良いんだよ、そもそも日本史と数学と現国でこの学校に雇われてるんだ。過疎地域の学校なんて専攻教員は雇わんよ。」

 生徒のからかいに冗談交じりで半分笑い飛ばす教師、どこか呆れ気味だが、それが「しずかにせえよ」という暗の注意なのは明らかだ。

「ごめん。気を悪くしたなら、謝る」
「いや、いいんだ」

 頭を下げる洩矢、俺は、やめてくれ、と顔を上げさせた。
 皆方とのことを色々説明する気にはならなかった。説明しなければあらぬ疑いがかかったままになるだろうことはわかったが、今はそれの誤解を解くことの方が煩雑に思えたのだ。

 それに、説明不足は、お互い様だ。







「俺さあ、向こうにダチがいてよ。聞いたぜ、お前、向こうでこっ酷くやられて逃げて来たんだってな?」

 もう下校時刻だが、なんか腹に入れてから帰ろうと、購買に行ったらパンがほとんど残ってないのを見て、学食に行ったら昼しかやってないらしい、仕方ないから購買に戻ろう、でも後学のために購買から学食へ来たのとは別のルートで戻ろう、と思ったら、思い切り迷った。迷ってうろうろとしていると、あまり人の来なさそうな一角で、急に声をかけられたのだ。5人組、もうあからさまに余り関わり合いになりたくない感じの奴等だ。
 その内の一人が、なんだかもう往年の不良漫画でもやらないだろうという感じにいかにも小物っぷりを発揮して俺にガンをくれる。残りの4人が半径を徐々に縮めるように、俺を取り囲んできた。

「だったらなんだってんだよ」
「負け犬は負け犬らしく、尻尾巻いたまま小さくなってろよ? 少しくらい顔がいいからって図に乗ってると、[ここ≪・・≫]からも叩きだしてやるぜ」
「はあ……」

 最近はネットも充実しているし個人で一台電話を持っている時代だ。実際に転校なんかで別れた後もネットを通じて情報の行き来がある。山陽からこっちの方まで引っ越したその距離にも関らず、こうして話を引きずり出されるのも無理はないかもしれない。それも、随分と「可愛らしく」演出されたものだ。

「おい、聞いてるのかよ、[色男≪オカマ≫]」
「お前、男か。」
「ハァ?俺が女に見えるかよ?お前の方がよっぽどカマっぽいぜ、この」

 科白を最後まで言い終える前に、顔面に一発くれてやった。まず一人。臨戦態勢に入ろうとするうちの一人の距離を詰めて即座に鳩尾に一発くれてやると、もう一人もあっさり吹っ飛んだ。脇にいた数名が一拍置いてから「ヤロォ」とお約束の隙を見せてくれたので左にいる方のがら空きの頬に一発くれてやる。残り二人。5人中3人、つまり半数以上の戦力を削がれてようやく臨戦体勢に入る。バカかこいつら。
 俺は鳩尾を第一候補に、足、腕、首、と狙いやすい場所を候補に洗い出す。こういう小物は、何故かどうしても顔を狙いたがる、そのくせ毎回全力だから躱すのも簡単だ。フェイントがあったとしても見え見え。ローの重要性が分かっていない素人はひたすら下段を喰い放題だ。その内フットワークが落ちて。

「おせーよ」

 お前らがいれたくて仕方がなかった顔面ストレート。入れ放題だぞ、ほら、ほら。
 あーあ、「サック」もってこりゃよかった。素手で殴るのは、手が痛くなるから好きじゃない。いや、引っ越しの時に捨てたか。

「……雑魚。[あっちにいた奴≪皆方≫]の方が、100倍は強かったぞ。まあ、俺はそいつに負けて来たんだけど。お前らはそれ以下ってことだ」

 倒れたり仰け反ったりしている5人に、わざわざダウン復帰の時間をくれてやる。何度向かってきたって平気だと判断した。

「俺は向こうで皆方に負けて、女々しい女々しい言われてコッチきたさ。でも、その俺に負けるお前らはじゃあ、なんだ!? 男? 男じゃねえだろ、俺にやられたんだぞ、じゃあ女か!? 俺が『おとこのくせに』なら、お前らは女だ! なあ、女だ! こんな女々しい奴に一発も入れられないお前らは、女だろう!? タマナシのクソアマ!」
「ヤロォ」

 不良の内一人が、ナイフを出した。それを見た二人も。全く実用性のないバタフライナイフだ。あんなもの真っ直ぐに刺さるのかだって怪しい。

「……ばかみたい」

 でも、それが男なのかな。こんな風にコケにされたら、男は普通怒り狂うのだろうか。ナイフなんて出しても使ったことはないだろう、素人相手にならいざ知らず、俺にそんなもの使うならまだ拳の方がマシだ――いや、そう相手を侮って、俺は負けたのかもしれないな。
 思い直して、油断なくぶちのめすことに決め直す。一旦こいつらを締め上げとけば、他の奴等も大人しくなるだろう。

「ナイフねえ。いいよ、やってみろよ」

 特に武道をやっていたわけでもない俺に、構えなんてものはない。ただの喧嘩の積み重ねで、でもそれはそれなりに相手を前にした時の体勢というものを教えてくれていた。膝を小さく曲げて腰を落とし、すぐに瞬発できるバネを押し込んでおく。手は軽く拳を包んでおいて、開く必要があるときにはすぐに開けるよう拳に拘泥しない。視線は何処も見ない、同時に広い視野全体を均一な画像としてとらえる。無限遠にして被写界深度を深く、解像度を上げる感じ。
 不良達がいよいよ飛び掛かってくる、バネをもう一段押し込んで備えたその時。

「やめときなよ、近戸」

 声が割って入った。男の声じゃない、でも女の声というには、わざとぶっきらぼうな息遣いに取って付けたようなハスキー。この声、聞いたことがある。

「洩矢」

 そうだ。隣の席の学ラン女子。

「お前さ、いい加減にしとけよ。東風谷に口利いてもらえないからって、八坂に当たるんじゃないよ」
「洩矢、黙ってろ。女子には関係ない。お前まだ男子の格好してるのか。こないだの下着泥、やっぱお前じゃねえの」
「私じゃない。近戸、最近小物っぷり酷いよ? 昔のあんたならそんな噂耳に入れなかったじゃないか。それとも、本当に私がやったと、思ってんの?」

 下着泥の話はしらんけど、少なくともこの二人には何等かつながりがあるらしい。
 洩矢の反論に、近戸はきっと根底ではそう思っていなかったのだろう、それ以上の言葉を返すことなく、ちっ、と舌を打つ。

「……思ってねえよ。だったら黙ってろ、[これ≪・・≫]は女子には関係のない話だ」

 男同士の、という意味だろうか。確かに『知らない』女子に介入されても面倒ではあるけど、そこに男女の境界を引くのは余り同意できるところではない。外野なりに、はあ、と溜息が出る。

「へえ、いいのかな、そーいうこと言って。昔私にふんじばられて川に放り投げられたのにまだ懲りないのか。あんときは傑作だったな、近戸、マジ泣きしてたもんなー」
「えっ、近戸サン、まじ」
「女子相手に」
「ちょっ、おまえ、ち、ちげえよ、こいつのでまか」
「でまかせかどうか、ちゃんと思い出してから言えよ、小便垂れ。私に縋りついてゆるしてゆるしてって泣いてただろうに、大人しくしとくのはお前の方だっての」
「……洩矢はそいつの肩を持つのか」
「どっちも持たないよ。ただ、[そんなもん≪鉄≫]使って勝ったって、その後どうすんの?って。こんなとこで騒いでたら、いくらここら辺あんまり人が来ないからっていっても、先生方にばれるよ」

 ナイフを指して「八坂の方がきっと巧く使う。そんなもん使って、使い返されたら、近戸マジで死ぬよ」と脅しをかける洩矢。使い返す可能性……なくはないが今のところない。が、今は面倒が増えるよりはと黙っていることにした。この学ラン女子が不良に影響力があるとは思っていなかった、まあ着衣だけを見ればおかしくはないが、隣の席で間近に見ている限り、そういう奴には感じられなかったのだが。

「男なら、[これ≪・・≫]でやりなよ。負けても、その方がかっこいい。近戸なら、そう思うだろ?」
「……」

 拳をひらひらと動かして主張する洩矢。
 負けてかっこいいなんてことがあるか。そんな綺麗事が男に求められる『結果』に適合するなら、俺は今こんな学校に転校してきていない。

「でも八坂はどう思うか、分からないね」

 え。
 なんだそのフリは。俺に、ナイフを使ってまで勝てというのか? それともこの不良に対する遠回しの脅しなのか?

「は? どーいういみだよ。俺は良いのに、そいつは構わねえってのか」
「ま、それぞれじゃない? 近戸がどう思うか。そういえば、あんた血が苦手だったよね。小さい頃、遊具のカドに額ぶつけて切ったときなんて傑さ」
「あーー!!!」

 洩矢の言葉を遮るように、不良……近戸といったか、が大声を上げる。

「近戸さん、血が苦手なんスか」
「遊具のカド……」

 取り巻きの士気がみるみる下がっていくのが分かる。なんだこれ微笑ましいな。あっちで俺が首突っ込んでた喧嘩と、全然違う。ここは、平和なんだなと思い知った。

「わかった、わかったから! ああ、洩矢がいるとチョーシ狂う。今日のところは勘弁してやる! 八坂、次はぼこぼこにしてやるからな! おい、いくぞ」
「へ、へーい」

 近戸が、出てくるときと同じくらいにべったべたな捨て台詞を吐いて、去っていく。取り巻きもそれに続く。そのうちの一人が、くるりと振り返って。

「洩矢姐さん流石っす」
「きこえてんぞ!」
「す、すんません!」

 近戸に刺された釘ですごすごと引き下がった。やっぱりこの学ラン女子、影響力を持っているのか。

「何が姐さんだ、さっさと消えろ」

 舌を出して、その後ろ姿に向かって中指を立てる。

「よ。」
「何だ『よ』って。えーっと、モレヤ」
「[洩矢≪モリヤ≫]だよ、どっちでもいいけど。今日一日隣にいて名前憶えてないとか、どんだけ周囲に興味ないの?」
「いやまあ、あんまないな」

 うそ。わざと間違った。興味ないわけない、めっちゃ興味津々だ。

「ぷ、正直だねー、はは」

 改めてみると、男だか女だかわからない。学ランを含めた服装のせいだろう。顔だけ切り取ってみれば、どうしたって女子だ。そんな洩矢が、ころころとよく笑う様子で俺を見上げて来た、なんたって背丈が全然違うのだ。

「教室でおっきい声出した時も驚いたけど、今のもびっくりしちゃった」

 ……またこいつに尻尾を掴まれそうになっている。何の因縁があるんだ。

「見てたのか」
「見てなきゃ今のベストタイミングで割って入れるわけないよね」
「そこは普通『な、なんのことー?』ってバレバレの嘘を吐くもんだろ」
「あっはは、なにそれ。八坂って、案外面白いね」
「案外、は余計だろ」

 洩矢は、帰る途中だったのだろうか。ショルダースタイルにしたレザータッチの指定カバンを背負って、少し大きめのキャスケットを目深気味に被っている。学ラン姿も手伝って、なんて言うか……少年っぽい。

「八坂ってさ」
「ンだよ、助けてもらったとは思っていないからな。恩着せがましく聞いたって、なんか余計なことに答えると思ってるなら、生憎だぞ」
「もしかして、男なのが、イヤな、クチ?」
「ノーコメントだ」

 今回もノーコメント。だが、今回のは朝のと違って、明らかに肯定になってしまっていた。

「男とか女とか女々しいとか、何回もゆってたから、気になっちゃって。」
「あいつらが男の癖に情けねーからだよ」
「ふうん」

 完全に疑われてる。何だって連続で尻尾出しちまって、何だって二回ともこいつに見られてるんだ、俺のバカ。ホモだとかカマだとか、噂がたったらまた転校しなきゃいけない。笑われて、喧嘩吹っかけて、傷害するんだ、どうせ。
 洩矢は、うーん、と唸って次にかける言葉を探しているようだ。別に何の言葉もいらない。下手なことを返して疑いが深まるなら沈黙を決め込んでここで留めておいた方が、安全だ。
 そして、洩矢は顔を上げて、キャスケットの鍔の奥から見える大きな眼鏡と目を俺に向ける。

「じゃあさあ、教えてあげよっか」
「何をだよ」
「私が、セーラー着てない理由」
「……ファッションだろ。興味ないな」
「またー。興味ないって視線じゃなかったよ、朝?」
「自意識過剰だな」

 俺は守矢を突き放した。だがその洩矢はと言えば、急に深刻ぶった表情に変わって、言うのだ。

「八坂と、おんなじだよ、多分」
「は?」

 同じ? そんなことがあって堪るもんか。俺みたいな異常者の精神構造と同じ奴が、そんなにほいほい現れて堪るか。

「だって、そうじゃなかったら、セーラー着ただけで吐いたり、しないでしょ? あ、ぱんつも男もんだよ、私ボクサー派。みる?」
「みねーよ!」

 おちゃらけてから、一息。そこからもう一つ、ぷっ、と笑って洩矢は、俺を指差しながら言った。

「いいじゃん、近戸も八坂も男同士なら、これから何度だって、気が済むまで殴り合えるんだ。――幸せじゃん」

 幸せじゃん、その意味を俺は聞き返さなかった。何だか、昏い淵の底の方でのたうつ得体の知れない蛇のようなものを、感じた。それはもしかするとただ俺が臆病だけだったからかもしれないが、「幸せ」の二文字の意味を改めて聞くのを避けてしまうなんて、それは、そこに明らかに祟神みたいな[見るべきではない≪みたくない≫]ものが潜んでいるからに違いなかった。

「そういうお前はどうなんだよ、セーラーが吐くほど嫌いなのか。女は得だぜ、今のお前を見て、校則違反だとは思うが似合ってないとは思わないからな。俺は、セーラーなんか着たら殺虫効果が出そうだ」
「似合ってるー?」

 ――答えるのはよしとこう、余り深入りすると、きっと後で後悔する。

「まー、がんばれや」
「おっす、ジブン、学ランが似合う男目指して、がんばるっス!」

 そう自分を茶化して言う洩矢は、学ランの裾をを摘まんでひらひらと、苦笑い。

(何が、がんばるっす、だよ)

 丁度下校時の斜陽が、俺と洩矢の方に差し込む。彼女には悪いのだけど、そうやって冗談めかしてまで自分の弱いところを曝け出す洩矢は確かに下手な男なんかよりも潔くてかっこいい反面、夕日で赤く色づいたその[顔≪かんばせ≫]は、どきりとするほど、女子だった。







「近戸は田舎が同じだから小学校までよくつるんでてね。この学校、少子化で併合になった、って、聞いてるか知らないけど。その都合で、去年からまた同じガッコってわけ。まあ、所謂幼馴染ってやつだね、あんなロクでもない奴でも……いや、根は良い奴なんだけどね。皆勤だし。」
「皆勤賞の不良ってなんだよ……意味わかんねえ。平和な学校だな」
「田舎だからね」

 途中まで方向が同じだとわかったので、その途中まで一緒に帰ることになった。タイミングが同じで方向も同じなのに別に帰るのが平気なほど、社会擦れしていないつもりだ。それに、俺は洩矢に対して、好意を抱き始めていた。見た目から入るなんて、我ながら屑かもしれないけど、そうはいっても丸一日口をききっぱなしだった限り、さっぱりした性格も、好みだった。初日からこんな、東風谷をつっけんどんに返したのが、まるで嘘つきじゃないか。
 こうして並んで帰る限り、洩矢の方を見るにもチラ見じゃなくったっていいのだからと思ったが、並んで歩くとさっぱり洩矢の顔が見えない。背丈の問題だった。とにかく小さい上に、洩矢は大きめのキャスケット帽をかぶっていて、俺の角度からだとほとんど帽子しか視界に入らない。くそ。
 田舎の舗道は質が悪い。アスファルトと言うよりも目の細かいコンクリートだ。それにこの地方は雪が降ると地面なんか見えなくなる、綺麗に舗装したところで年の多くの期間では不要なのだろう。それにこの辺は坂道が多い、というか街自体が坂に出来たようなものだ。雨でも降った日には肌理の細かい上等なアスファルトよりはこの方が安全に思えた。……転んだ時は、悲惨だろうが。
 そのざらざらというよりぼこぼこの道を歩く。俺は男でも結構背が高い方だ。対して、洩矢は女子の中でもかなり小さい方。俺から洩矢を見ても、まるで高台から見下ろしたみたいに、キャスケットの天辺しか見えない。いちいち目を見て会話するような距離感でもないから、お互いに前だけ見て、言葉だけを交わして歩みを進めていく。

「てっきり今でもあいつより、腕っぷし強いのかと思った」
「そんなわけないよ、それは小さい頃の話。殴り合いの喧嘩なんかしたら、今は、私なんてすぐにぼこぼこにされるだろうね、近戸の方が断然、強いよ。」
「じゃあ、なんであんな風に大人しくなったんだ?」

 そういうと洩矢は一瞬沈黙してから、答えた。

「私が女だからじゃない? 私が、女が幾ら強がったり拳を振り上げてもさ、男って遠慮するじゃん。本気で女を殴ったりしない。私が拳を上げるだけで降参したりね、[そんな訳≪・・・・≫]、ないのに。女って、男から譲ってもらい続けるんだ、この先ずっと。別にそんな決まりはないんだけどさ、なんとなく、暗黙の了解、歳を取るごとに。そうでしょ?」

 一呼吸おいて、もう一つ続ける洩矢。深刻そうな声色が今度は自嘲みたいな、軽さと寂しさが混じったような声。

「随分前だったなー、腕相撲しようなんて言われてさ。結果なんかわかってるのになって思いながら相手したんだけど、そりゃもう近戸の圧勝だよね、男だもん。私の腕を倒した瞬間、なんか青い顔してるの。あいつも性別と年齢で分かれ道を行ってたことに気づいてなかったんだろな。そっからだよ、急に遠慮っていうか、昔みたいに乱暴な物言いされなくなった」
「お前に気があるんじゃないのかよ」
「腕相撲で勝ったら惚れるの? そんなにわけわかんない生き物なの、男って?」
「確かにねーか……いや、急にお前を女と認識したせいでいきなり恋愛スイッチ入ったっていうか、ありえるだろ」

 洩矢が、キョトンとした目で俺を見上げている。眼鏡の向こうで見開かれている洩矢の目。やば、やっぱ好みかもしれない。畜生、好きな顔しやがって。

「やだ、八坂、なに『恋愛スイッチ』って! そのクールマスクからそんな言葉出てくると思わなかった! あはははは! かっわいいね!」
「そこまで腹抱えて笑うことかよ」

 洩矢は走り出して、俺より少し先に行く。坂になっているせいで、前に行った洩矢の視線はだいぶ離れたあたりでやっと同じ高さになった。その場で振り返り、俺の方を見て言う。今は彼女の方が視線が、高い。

「女の方が便利だなって思うこと、ないことはないよ。女だって男を見下して譲ってやってる部分はある。そのどっちが好きかだけの話。でも、段々、体に引き摺られた男と女に分かれてくんだ。望むと望まざるとに関らず。私は、小さかった頃の、みんな平等に男も女もない体が、よかったなあ」

 男子と女子でこんなに背が違うなんて、詐欺だ詐欺! 神様のアホー!
 洩矢は随分先の方で地団太を踏んでいる。歩いていく内に距離が近くなって、その分洩矢の背は縮んだ。

「いいじゃん、その『皆方』ってやつと昔なんかあったのか知らないけどさ。男は、それでも。男同士って、男同士なんだから。それとも、ほんとにホモ仲だった?」
「ちげーよ。さっきのアレだ、[俺が、ナイフを使い返された≪・・・・・・・・・・・・・≫]。それに懲りたからこっち来たんだよ。あいつの言ってることはあってる。俺は男になり切れなかったんだよ、勝負も、試合も。」

 俺はなんで洩矢にこんなことを言っているのだろう。今日会ったばかりなのに。はー、東風谷の恋愛体質とか言うのを、俺も笑えない。

「じゃあ、なおさらだね。近戸のことは[素手喧嘩≪ステゴロ≫]で、ヤっちゃってよ」
「それ、さっきも言ってたな。『何度でも殴り合えばいい』って。」

 それを『幸せ』とさえ言っていた。

「さっき見ててさ、ちょっと羨ましかったんだ。私はもう近戸と本気の殴り合いなんかできないもん。あいつはむかーしの弱みを、私に握り続けられる。私は腕力じゃ敵わないからあんな方法でしかあいつに強いこと言えないし、近戸だって女を殴ると男が廃るとか言って絶対やらない。私と近戸は、もう二度と交わらないんだ。その点男は、幸せだよ。」

 女は月にいっぺん、テンションのギア上がらなくなるし、死ぬほど腹痛くなって股の間から血がドバドバ出るしさ。なんなんだよこれっつー!
 洩矢は笑って言ってるけどそれ、男には結構ショッキングな奴だぞ。

「たぶん八坂と近戸って、上手くやれると思うんだよなー」
「はあ? あんなのと一緒にすんなよ」
「近戸はあれでいて、結構いいやつだからさ。なんつっても、皆勤だよ? しょっちゅう授業中抜けするのに、朝と帰りのホームルームは必ずいるの。先生方も呆れちゃってさ。ゆるしたってよ?」
「許すも何も、俺は別に何とも思ってない。」

 ふうん、と洩矢は俺を見る。

「やっぱ八坂、そんなに女々しいようには見えないけどね。女って、そういうの根に持つから。『なんともおもってませーん』とかいってねちねちねちねち。はーやだやだ。でも八坂のそういう割り切り、凄く男の子っぽいよ。」
「俺は男だよ。でも、そんなどうでもいいところで、男らしいとか言うの、やめろ。お前、さっきから男の概念やら女の型やら勝手に決めて振りかざしやがって。お前がセーラー服が吐くほど嫌なのなら、おれはそういうのが、相手を殴っちまいそうな位、嫌いなんだ」
「うん。[わかってるよ≪・・・・・・≫]。」

 洩矢の返事の声色に、俺ははっと身構えた。何だか妙に暗い、深い、呪いさえこもっているように感じられる、陰鬱な『わかってる』。八坂が、俺を見上げていた。ほとんど真下みたいな角度から俺を見る目は、女子の媚びた上目遣いじゃない、射貫くような三白眼の方が、近い。そうだ、洩矢が女子なのにも拘らず学ランを着ているのだって、そうなのだ。

「ごめん、八坂のこと、試した。」
「俺と同じ、って、さっき言ったのは」
「そーゆーこと」
「食えない奴だな、お前も、女だよ、そういうとこ」
「おーおー、どうせ私は煮ても焼いても食えない女ですよーだ!」

 何か、その先何の会話をしていいのか本当にわからなくなって、ただ黙って歩いた。洩矢が、ちらちら俺を見上げてくるが俺は気付かないフリをして歩く。お互いに会話のネタがない、下手なことを言うと踏み込み過ぎそうだし、かといって無言はなかなか重い。洩矢が、幾らか無理をしたように話を切り出した。

「や、やー、じゃあ八坂って家では女の子の服着たり、してるんだ?」
「はあ!?」
「だって、そう言ってたじゃん」
「言ってねえよ! なんでそうなるんだ」

 無言明けの一言が余りにもアレで流石に力が抜ける。

「じゃあ洩矢は家で……って、あれ、あんま男装って服は、ねえなあ」
「そーなんだよね。だからなかなか満たされなくって……。ああー、ほんとにボクシングジムでも行こうかな。強くなったら私も男に男として扱ってもらえるかな。シュッ、シュッ。」

 シャドウボクシングの真似をして左右にパンチを素振りする洩矢。確かに他のピンクとフリルにおもねった女子に比べれば様になっているが、かといってやはりそれらしく見るという訳でもない、やはり、どこまで行ってもボーイッシュな女子でしかない。

「はー、女なんて嫌だ嫌だ。男になりたいよ。たのしそーだなー、男の子」
「男なんて、不自由なだけだ。洩矢が思ってるほど、殴り合って分かり合えるような、素敵な馬鹿じゃない。[ただの≪・・・≫]馬鹿ばっかだよ。俺は女の方がマシだ。その方が俺に似合いらしい、皆が言うにはな」
「逆かあ。なんかさ、あべこべに生まれればよかったね、私達」

 今日会ったばっかりの奴に、そんなあっけらかんとパンチの強いことを言うか。撃ち込まれたこっちのダメージったらない、でも、悪い気はしなかった。洩矢の性格なのかもしれないけど、もし本当に男なら竹を割ったような気持ちのいい奴になっただろう。逆に、ねちねちと考え続ける俺は、女らしい性格だったのかもしれない。らしい。っぽい。べき。――でも、ちがう。
 女の洩矢を好いている俺は、男か、それとも別の性別なのか。性別。生れた時からかけられている、呪い。

「生まれた時にタイムリミットが早く設定されたんだな、俺達はさ。」
「タイムリミット?」
「他の奴らはみんなきっと、二次性徴が来て、恋をして、結婚して、子供を持って、育てて、そこまで『性』の寿命があるんだ。でも俺達のそれは、もうとっくにタイムアップしてるんだろう。小学校に入学したくらいで、もう、時間切れなんだ」
「たいむあっぷ……」

 もしかしたら、そうであったにせよそうでなかったにせよ、これは、言うべきことではなかったのかもしれない。見ろ、洩矢があんな空っぽの顔をしている。何もかもを解き明かせばいいわけじゃない、濃霧の向こうに収めたままにしておくことだって、時には必要なのに。
 原因を突き止めたくなるのは男、原因追及なんか二の次で今の感情にフォーカスするのが女、そんな風なことを聞いたことがある。だとすると、俺はやっぱり男で、洩矢はやっぱり女なのだろうか。

「あー、もう、よくわかんねえ。やめやめ」

 途中まで掘っておきながらここで放り出すなんて一番悪いことなのかもしれない。けど、確かにこれを最後まで掘り下げたところで、何の幸福だってありはしないように思えた。

「おれ、こっち。もりやは?」

 黙って、俺と逆の方向を指差す洩矢。知ってた、さっき言ってから。方向を確認するのが目的じゃない、今日はここでお別れだと、その合図のためだ。
 畦道、今は特に何もつくられていない田んぼに区切られ綺麗に十字に伸びた道。まるで性を別つ道みたいで、なんだか嫌だ。この真ん中の、曲がらない道を行くことは、どうしてできないのだろう。
 その道を、俺と洩矢は逆方向に別れる。俺が自分の家路の方に踏み出そうとした時、洩矢が俺の学ランの裾を引っ張った。

「どした」

 黙って、俯いている。オレの角度からでは、おおきめのキャスケットが邪魔をしてその表情はわからない。ただ、黙ったままの様子からして明るい表情をしているようには思えなかった。しゃがみこんで表情を見てやろうかと思ったが、女扱いされるのを嫌がる洩矢にそれは、避けるべきなような気がした。

「もり」
「ねえ八坂」

 顔を上げないまま、ぽつんと声が聞こえた。やはり明るい声ではない。でも、泣き声とか、陰鬱とか、そういう感じでもない。

「さっきの、ほんと?」
「さっきのって何だよ」
「『女の方がマシ』」
「ああ、俺はな。洩矢が『女』をどう思ってるかは知らんけど。」
「私達の『[寿命≪タイムリミット≫]』、『逆』だったら、伸びるかな」
「……かもな」

 また、少し、沈黙。でもこれは何か次の一言がある間だ。洩矢が何か言葉を捻り出そうとしているのが、察しの悪い俺にだってわかった。裾を掴まれた格好のまま、何も言わずに待った。
 1秒だったかもしれないし、10秒だったかもしれない。もしかしたら1分近くそうしていたかもしれない。そうして待っていると、ようやく、洩矢が口を開いた。

「じゃあ、さ」

 裾を、離した。長くもない裾だが、はらりと落ちるその様子が洩矢のテンションを示しているようで、どくん、と心臓が跳ねた。俺を一瞥する、洩矢。そして畦道の脇にある少し土盛りをしてある上に、とん、とん、と登っていく。さっきみたいに俺と同じ目線の高さ、いやもう少し高いか。洩矢の顔を見ようとすると、丁度、夕日が赤々と燃えているところだった。
 土盛りの上で、少し胸を張ったように、少し強がったみたいに、少しだけ男っぽくしたつもりなのだろう、少しだけ辛そうに、言った。

「私の[女≪・≫]を、あげるよ」
「は」
「その代り、[男≪・≫]を、頂戴。交換。」

 山際に沈みそうな夕日が、洩矢の背に、逆光になって眩しい。眩し過ぎて洩矢の表情は見えないけど、光の洪水に呑まれて輪郭を溶けさせている洩矢は、まるでそのまま溶けて消えてしまいそうに見える。小さな体が、『女』という制服の重みに耐えかねて潰れてしまいそうになっている。夕日が沈み切る前に手を出して引き上げてやらないと、本当に消えてしまうのではないか。俺も『男』の制服が重っ苦しくて脱ぎたいのだ。この重みのせいで洩矢が消えてしまうのが、俺には、偉そうなことだけど、不憫でならなかった。同情というにはもっと強い。自分のことでもあるのだと素直に思えたから。
 それにだいたい、好きな相手の頼みを、断れるわけがない。

「いいよ。交換、しよう」







 日常生活がそう大きく変わったわけではない。学校に行けば相変わらず俺は男子だし、洩矢は……まあ相変わらず学ランだが、そのほかについては女子と行動を共にしている、無理矢理男子更衣室で着替えようとかそういう無茶はしない。
 ただ、お互いに『それを交換したんだ』という共通認識を持った奴がすぐ傍にいるというのは驚くほどに気が安らいだ。
 「女になったのだ」という強い認識があるわけじゃない、変化だってない。生活している中では相変わらず男だし、その小さな意識の変化一点以外については依然として全く男だ。変化、というよりもこの安心感は、『もし自分がこの場所を嫌だと道を外れたとしても、今はちゃんと分岐路を確保できている』というセーフティネット確立の安心感、なのかもしれない。保険と言うといい方は悪いけど、多分、俺と洩矢は今、お互いに保険をかけあって、安心しているのだろう。

 それに、日常生活に変化がないといっても、それとは別に非日常も建設した。物は試しというレベルではあるけれど、気が向いた週末に洩矢の家で『交換』を実践することにしていた。

「……服、全然はいんないね。こないだの時のよりいいと思ったけど、やっぱダメかな」
「まあ洩矢ちっちゃいからな、無理なく入るのなんてないだろう。自前で買うしかないか」
「ああ、そのスカート無理に履いちゃっていいよ。どうせ私履かないから、伸びても切れても構わないから。はい、ソックスも女子用。こうやってるとブルセラだねえ」
「やめぇ。ぱんつは貰ってないだろ」
「あげよっか。使用感アリ、激臭にもできるでよ」
「おい」

 なんて、笑いながら異性装を試せるのは、今まででは考えられない変化だ。俺は別に強く女になりたいと思っているわけではない。洩矢が一体どの程度それを望んでいるのかは分からないけど、俺よりは、[傷≪・≫]が深そうに見えた。

「よし、今日は自前で買ってきたから。お前の手ほどきなしでやるぞ」

 薬局の紙袋を取り出す、中には男の俺でもわかるようなティピカルな化粧道具、余り下調べをしたわけではないが、とりあえずわかる範囲で買ってきたものだ。

「私の、少なくてごめんね。私ほとんどしないから」
「口紅とかは共用はイヤだろ。しゃあない」

 私は別に構わないけどね、と洩矢は洩矢で自分のものを持って来てくれる。あと鏡とか、男のオレではあまり気が回らないウェットティッシュとかコットンとか細かいものも。やっぱ、なんだかんだ言っても、洩矢も女子は女子なのだろう。

「あれ、買ってきたのと被ってるな。軽くでいいからって基本的なのだけ買ってきたけど、それだと洩矢のと被っちまうのか」
「あー。ちゃんと打ち合わせすればよかったねえ。これから買い行く? 男ピンよりは女連れの方が入りやすいでしょ。ていうかよく買ってきたね」
「包装しますか? ってさ」
「あー、イケメンは便利だねえ……」

 肩を竦めて皮肉る洩矢。ちくしょ、そういうお前だって大人のおもちゃデパートで男性用のおもちゃ買ったって別に何も言われないぞ多分。――流石にそれを言うのは避けた。これから行こうとか言い出しそうだから。

「あ、そっちのスポーツバッグに、俺があんま着ない服持ってきたから」

 と指さす。洩矢が、おー、とか、へええ、とか、これお父さんも似たようなの使ってるな、とか言いながら物色している。洩矢らしく特に断りもなくそそくさと着始めた。今着ている者をいきなり脱ぎ始めた時はぎょっとしたが、下着なのか肌着なのかよくわからない、ランニングシャツみたいなのを着ていたのでほっとした。聞けば、女性用の胸潰しシャツなのだとか。下も、俺がよく見るような下着だった。女性らしさを消そうとした下着姿であることに違いはないが、それでも、シルエットはスレンダーな女子だ。……いや、子供? そう、背丈だけが大きくなった、子供のようなライン。何だか複雑だった。確かに女が男性らしさを出すのは、俺が考えているよりも苦労が絶えないかもしれない。

「洩矢のは入らんけど、逆にオレのは入るか。ズボンの裾織り上げちまえよ。そんなぶかぶかだと逆に可愛いぞ」
「上も、こんなぶかぶかだとナベシャツ意味ないなー。体のラインが出る奴だとどうしても……女っぽくなるしなあ。少し太ろうかな」
「いや、太るのはどうかと思うが……肩幅がな、肩パッドとか入れるのどうだ」
「80年代?」
「そういうんでなくって、まあ女性のビッグシルエット的な観点ではあってるのかもしれないけど、……いや違うだろ。洩矢はことさら線が細いからな……肩幅、俺の服の半分くらいじゃねえの」
「ううんー、どうしても撫で肩が気になる。男のこういうがっちりした肩でないとだめだよね。あ、でも、こっちはすっごくいいよ! レディースのズボンって股の間に[何もない≪・・・・≫]けど、メンズは[ある前提≪・・・・≫]だから、『これ』がすっごく収まりがいい!」

 洩矢は立ち上がって、学ランのズボンの下のふくらみを見せつけてくる。

「俺に見せんなよw 何入れてんの? ペニバン?」
「FTM用のちんちんエピテ。立ションもできるんだぞー。中古だけど、高かったんだから」
「どんくらい?」
「……8万」
「マジで!? 中古で!? ていうか俺よりでかくね?」

 まあ、楽器とかバイクとかパソコンとか時計とか、好きで何十万もするのを買ってしまう奴がいるのだから、そういうもんかもしれない、むしろこっちはもっと深刻なんだ。
 それにしても、ズボンの上から見るだけでもわかるほど、[いい≪・・≫]サイズだ。洩矢の体が小さいせいもあるだろうけど。でかさに男性性を見出すのは男の幻想かと思っていたけど、こういうところにも出るのだろうか、それとも単に洩矢の趣味か。聞けば、サイズを落としたところで値段はあまり変わらなかったのだそうだ。だからといってという気もする。

「こつこつバイトして買ったんだよ、親にも内緒。SNS全盛期の現代、でもこういう業界は未だにBBSだったりするんだよね、ちょっと驚いた。そこで売買書き込みがあってさ。中古ってのはちょっと怖かったけど、今となってはお気に入りだよ、これだと男子トイレ入れるの。小便器で出来るのって重要なんだから。あとこれ、[両用≪・・≫]なの」
「両用?」
「エッチ出来るの。半固定のカテーテルが入ってて下向きと上向きと、変えれるんだよ。ちょっと、掃除が大変だけど」

 ギャグにしか聞こえないが、至って真剣な問題なのだろう。まあ胸にシリコン入れたりちんこちょん切ったりもするのだ、常識なんてないような世界なんだろう。

「……学校でもつけてるのか?」
「んにゃ、学校じゃしてないよ。休みの日に外行くときとかだけ」

 まあ、そりゃそうか。
 とかなんとかやっている間に、化粧が終わった。うーん、やっぱり一回や二回じゃよくわからん。というか買ってきたもの以外の、洩矢が用意してくれたものの使い方が分からない。手ほどきは受けないといった手前、聞くのはなんだか嫌なので今回はパス。……次の時に聞こう。

「おおー、可愛いよ八坂。ほら、メイクで変わるっしょ。やっぱ私がするより自分でやった方がいいね、無意識的に自分の顔に合わせてできるから。私が下手なだけかも知んないけど。あ、でもここのアイラインもちっと強くてもいいかも。男子って目元気にしないからなー。ほら、よくなった。八坂もともと顔キレーだしね。」
「……そうかぁ?」
「まあ、練習もあるけどね。メイクって正解がないから。その子に合う方法と道具見つかるまでは、どんなモデルの真似したって似合わないし」
「ふうん。じゃあ洩矢に合う方法と道具もあるのか」
「たぶんね、でも、好きじゃないからどのみちしない。最低限の方法は知ってるけど。この先もきっと最低限のものは必要になるし、しないわけにはいかないから。メイク全然しないと就職きついっていうし。なんだそれって感じだけど」
「まあ、面接に男がスカートで行ったら大体落とされるだろうしな、そんなもんだろ」

 社会は、やはりどちらかであることを、もっと言うと肉体の性を正とする方から軸足を移す気配はない。だってそれが一般的で普通なのだ、それを否定するつもりはない。俺達みたいな異常者に合わせていたら、社会はきっとぶっ壊れる。俺も洩矢も、そんなことを望んでいるわけじゃない。

「洩矢も着替え終わったか。まあ、そんなもんじゃないか。男じゃなきゃ許されない装いってのは、ないからな。あとは好きな恰好すればいいんじゃねえの。むしろ下手な服着るよりセーフクの方が余程性差別的だし、でも差別的だからこそ服で性別主張できるんだろうなあ。学ラン着てたらそれだけで洩矢は、まあ、新入生の男子っぽいし」
「ナニソレー。でもまあ、しょうがないよね、限度だろうなあ。付け髭でも買おうかなあ」
「お前の顔の作りじゃひげなんて似合わないだろ」
「うーん……それでも、ひげくらい無いと、男だって主張できるところがない」

 世の中にユニセックスの服しか無かったら服装で性別を主張できないんだ、それはそれでつまらない。逆に肉体の性別で全てを判ずる結果になるだろう。
 かたや、服装はサイズさえ許せばどうにかなるが、別性的な体の特徴を取り込むのはどうにも難しい。俺には胸はないし肩幅が邪魔だ。胸を計算された女性の服を男が着ると、襟が余計に開いてしまったり着ぶくれしてしまうのだ。ウェストは……言い方は悪いがふくよかな女性の服ならば入る。ただ、洩矢は細い……というか小さいのでやはりきつかった。

「セーラー服着るのは嫌! って思ってたけど、セーラー服が学生服の中で分離してなかったら、学ランだってきっと存在してないんだよね。みんな同じ格好してたら、どうやって男の真似すればいいのか分かんないし。……ほんとにひげ書いたり、ホルモン注射とか?」
「そこまでしたいわけじゃないしな。こう、性別遊びも命あっての物種っていうか」
「んだね。私らは、半端者だね」
「でも、その半端あたりが一番しっくりくるって奴は、どうすればいいんだろう。やっぱ[ダメ≪・・≫]なのか」

 洩矢の肩は男としては細いし胸も矯正シャツを着たってどうしても(元が小さいにせよ)少し膨らむ。何より首から上は、[どうしようもない≪かわいらしいのだ≫]。バストを計算されていないメンズは、フィット感にもよるが、胸を潰した女性であっても、着れば女性のバストを感じさせるものになりかねない、そうなれば下手な女性より……余程エロい。男が履けばワイルドになるバミューダでさえ、女が履くとどうしても可愛らしくなるのだ。洩矢は「ちくしょー、マジックで脛毛書けばいいのかよー」と冗談めかして言っていたが、どこまで冗談だったのかはよくわからない。とにかく性的シンボルをまとう以外に、外見上から逆の性別を主張するのは、難しかった。スカートをはいたり、ひげを付けたり。
 化粧をしても俺はやはりいかつい男の影が取れないし、洩矢もどうしたって少年といった感じになる。パスという点では女性の方が楽なのだろうが、それ以上に強く主張することもまた女性の方が辛いのだろう。これが洩矢の苦しみなのかもしれなかった。

「やっぱ男は、パスって大変だよね」
「ああ、無理くさいとは思ってたが、やってみると絶望的だな」
「でもー、やっぱ八坂は全然イケるくちだよー。ほらほら、鏡見てみなよ。こんな女の人、街の中にいっぱいいるって」
「そうかなぁ……」

 もしかしたらLGBTの人達がLGBT同士で固まるのって、社会差別的な追い詰められではなくて、こうしたどうしようも埋まらない差を「しかたない」の範囲で容認し合えるという、暗黙の了解が成立するからではないだろうか。精神的な理解もあるのかもしれないけど、実際にやってみるとそうした肉体的な了解の方が重要な気がした。
 洩矢への好意が募っていく。もし、そうした暗黙の了解が成立している仲が、普通の男女における恋仲なのだとすれば、俺と洩矢は、良い線をいっているのではないか。己惚れ、だろうか。

「ねえ、今度出かけようか、男装と女装で。映画とか水族館とかなら暗いし」
「それはムリだろー。洩矢はパス出来るだろうけど、俺ムリ」
「大丈夫だってば。八坂イケるイケる。それに片方パスしてりゃ一緒に歩いてれば平気だって。」
「……それってデートなのかよ?」
「えっ?」

 俺が言うと、眼鏡の奥のまん丸の目を白黒させている洩矢。自覚なしで言っていたのか。

「あっ、と、そ、そうなるかな。あれ? 交換した状態だから、いいのかな、でも、あれ?」

 洩矢が、珍しく取り乱して混乱している。もう、ここまで来たら言ってしまおう。ここでぼやかしても変な空気になるだけだ。
 俺は洩矢に向き直って、改まって、言った。

「すきだ。洩矢」







 俺がコクってしばらく、案の定洩矢はきょとんと、大きな眼鏡の下の目をふらふらと彷徨わせて混乱から戻ってきていない様だった。

「えっ、と……一応聞くけど、[どっち≪・・・≫]の?」
「――ごめん」

 コクった後ですぐ謝るなんて、我ながら意味が分からない。でも、俺は彼女から『女』を貰って、代わりに『男』をあげたはずだ。なのに俺は女の洩矢が好きなんだと、まるで裏切るような、約束を違えるるような、契約を反故にするような行為。

「女、か。女かぁ……」
「いきなりで、ごめん。しかも、裏切ってるよな」

 洩矢は俺から目を離して、呟いた。
 彼女は、自分が女であることを呪っている。自分が男であることに嫌気がさしている程度のオレなんかとは比べ物にならない程。自分から滲み出た絶望がこの大きな眼鏡を染め上げて、彼女は厭世の念にかられている。彼女を救うつもりだった(最初から救えるはずなんかなかったのに)俺も、結局は彼女に『女』を見出して、俺はすっかりと『男』になっている。

 彼女は、それでもやっぱり『女』を嫌がるだろう。

「その、交換っていうのは、本当に」
「いいよ。八坂は、[わかって≪・・・・≫]くれてるもん。十分。今まで、そんな人いなかったから」
「……ごめん」

 やーだな、大げさだぞ。
 洩矢は、ぱっと顔を上げて笑った。笑ってる、けど、目が少し赤いのに、俺は気付いてしまった。気付かなければいっそバカな男で蹴っ飛ばされて済んだかもしれないのに。

「ない」
「てねーよ、ばか。なにカレシぶってんだよ、私まだOKしてないからなー?」

 女が嫌なのだと俺に明かし、俺はそれに理解を示した、それによって距離を近づけたはずなのに、俺はそれを突き放す形でずっと彼女を見ていたのだと、明かしたようなものだ。ずっと裏切り続けていたのだと。
 しばらく、何のコトバも出ない時間が、部屋の中で居心地の悪い空気をどんどん濃度を強くしていく。気体が液体、液体が個体、どんどん凍り付くように、身じろぎそれさえもしてはいけないような、強烈な後ろめたさ。洩矢の方もきっと、俺との認識の差異を感じて、いるに違いない。怒っているか、失望しているか、或いは恨みに近い感情を抱いているかもしれない。何か一言でももらえれば。貰ってどうするのだろう。弁解か? 謝罪か? 俺は彼女の性的な違和感を理解していたし、その上で好意を共存させていた。こうなるというのはわかっていた筈なのに、ずっと目を瞑っていた。だったら好意なんか伝えないでいればよかったのに、それも出来ずに口にしてしまった。また、強くいられなかった。
 何とか首だけを捻って、洩矢の方を見た。全く同じタイミングで、洩矢も俺を見上げた。視線が交差したのを認めたところで、洩矢はすっと立ち上がる。座っている俺よりも、今は彼女の目線の方が高い。本当は、これを望んでいるのだ、洩矢は。

「……すっごいシチュエーションだよね。私は男の服着てエピテ貼ってさ、八坂は女子の服着てお化粧して。こんな状態で、体の性の方に告白するって、かなりアクロバティックじゃん。ていうか、ねーよw」

 鬱積し、堆積していく、結合できないまま遊離していた説明不能の感情を、もう一度叩いて巻き上げるように、洩矢は明るい声で言う。
 はは、と俺は乾いた声で笑うしかない。それは、表層は茶化しているが本当は俺を責めている言葉なのではないか。

「怒る、か? 騙していたみたいな、もんだもんな」
「騙されたなんて、そこまでは思ってないよ。……ちょっと、驚いただけ」
「お前を『男の俺が』好きなんだ、他の奴等と同じだよ」

 洩矢が、俺の前に胡坐をかく。また、高さが入れ替わった。

「そーいわれるとさ、やっぱり、男と女、なんだよね、こうして並んでると」

 洩矢が困ったような笑い顔で俺を見てくる。何と答えていいのかわからなくて、俺はただ「ああ、」と歯切れの悪い返事。[どっちが男でどっちが女だとして≪・・・・・・・・・・・・・・・≫]、それを言っているのだろう。
 洩矢は、手を伸ばしていつも被っている目深な帽子を掴み、被った。視線が遮られて、彼女の表情が読み取りづらくなる。そうして少し俯いた視線のまま、洩矢は小さく言った。

「やっぱ、女なのかな。こんな格好しても、どんなに悪あがきしても、結局男らしくなんかなれないし」
「洩矢は[男になりたいんじゃない≪・・・・・・・・・・・≫]だろ。」

 俺も、完全に女になりたいわけじゃない、半端者だ。でも、その半端者感を、俺と洩矢は共有できていると、信じている。

「うん、そうだ。八坂の、言う通りだ。私は男になりたいんじゃない、女を、やめたいだけ。私だって、莫迦だ」

 だってお前はさ、可愛いんだ。女として。でもそれを自分で遠ざけるから、周りからは変に歪んで見えるだけで。

「……わかるよ」

 流石にそこで正直を言うわけにはいかない。そんな軽薄な言葉しか言えなかった。目を逸らす洩矢。
 そのまま目線をくれない。きっと、俺に失望しているんだろう。いわば極まった形で彼女を女扱いしたことになるのだ。殴られたって文句は言えない。

 幾ら引っ掻き回しても、俺が引き込んだ毒はこの部屋の空気をどうしても凝固方向へ進めてしまう。洩矢もそれに気付いている。

「でっもさぁ、私を女として見た奴なんて、八坂が初めてだよ。よっぽど女を見る目がないんだねえ」
「他の奴の価値観なんて知らねえよ」
「……八坂らしい」

 小さく笑う洩矢。
 とにかく俺は、今はただ不甲斐なかった。セーラー服を着て、一部でも女物の下着までつけて、ウィッグを被って化粧までして、男を捨て去ろうとした俺は今、目の前の[女子≪・・≫]に、『惹かれている』。髪を短く切って(これは普段からだが)、学ランを着てその下にナベシャツ、化粧っ気なく胡坐をかいている洩矢に、それでも俺は『女』を感じていたし、[男として≪・・・・≫]彼女に惹かれていた。
 彼女の部屋で、二人っきりである認識が、急に思考に入り込んでくる。
 それを読み取ったように、洩矢は立ち上がって、俺の横に座った。ふわ、と鼻をくすぐるいい匂い、こんなのは男の香りじゃない、これで男なら、男でもいいかとは思うかもしれないけれど。興奮する、こんなところ洩矢に知られるわけにはいかないけど、洩矢は手を伸ばしてスカートの中に手を入れてくる。

「もり」

 固くなりかけている俺のそれを探り当てて、触れる。彼女も、おっかなびっくりだ、それが伝わってくる触り方。ただ、指をあてているだけ。でも、そんな風にしながら、洩矢は絞り出すように、声を出した。

「いいよ。する? 一応、私の体、[女として使える≪・・・・・・・≫]よ」
「そんな言い方……!」

 しないでくれ。そんな風に卑下されたら、俺の方が、情けなくなる。

「ごめん、ちょっと、厭味が酷かったね」
「いや」

 手を引っ込めた。正直あのまま触り続けられていたら、理性は霧散していたかも知れない。ここに来て男の欲望のままにとびかかるような真似は、するわけにはいかない。幾らなんでも。
 でも、俺の好意を知った洩矢は、必死にそれに応えようとしてくれる。少し俯いたまま、洩矢はオレの膝あたりに手を置いて、視線だけは俺から逸らして、言う。

「ホント言うとね、私も、八坂が好き。でも、自分の中の男の方なのか女の方なのか、八坂の男の方なのか女の方なのか、わかんないんだ。だから、安易に好きなんて言えない」

 どっちかで、なければいけないのか?
 最近は、テレビだネットだ、あちこちで声のでかい奴が性の自由な形を謳っている。俺はそれにすらも嫌気がさすのだ。男に男を強いるのと同じくらい、性錯誤を認めろと叫ぶ奴を、ぶん殴りたくなる。お前らは結局、『どっちか』でしか、ものを言わないんだ。肉体が男の奴が「性に違和感がある」と声を出すと、急に[肉体と逆の性≪安っぽい善意≫]を押し売ってくる。それが慈善行為なのだと、それを押し売りする自分は聖人なのだと言わんばかり。それも違うと声を上げ直すと、逆切れするのだ。『これだから性的少数派は、理解できない≪あまえるな、キチガイ≫』と。『法整備が実態に合っていない、社会が追い付いていない≪私達の善意を受け入れないなんて、何様なんだ≫』と。これじゃあ、LGBTなんて言葉ができる前と何ら変わらない。

「性別なんていう二つしかないどっちかなんて、関係なくってさ。もっとこう、大きく見て。男か女か、なんて大した問題じゃない。それでも、大した問題じゃないのに、それと上手く付き合えない俺達は、もう他の奴と同じように世界を見ることが出来ないんだよな。だって世の中には男か女かしかいない。第三の性が、とか言ってる奴等も、『捻じれ』を指して言ってるだけだ、結局誰の根底にも男と女の概念しかない。俺達が欲しい『まんなからへん』ってのは、理解されないし、多分」

 うまくいきていけない。
 最後の言葉は、言うのを避けた。何だか、踏み出してはいけない一歩になりそうだったから。

「ああ、子供の体に、戻りたい。男も女も、せいぜいちんちんがあるかないかしか差のなかった、平等な体に。あの頃が一番幸せだったなあ。あんな体なら、素直に八坂のこと好きって、言えるのに」
「洩矢……」

 洩矢の体が小さいのは、もしかして、そういう思念がはたらいているんだろうか。成長したくないっていう強い意志。男の俺よりも小さい洩矢の背を、女性の身体的特徴として捉えていた自分が浅はかだったかもしれない。洩矢は『成長を望んでいない』んだ。

「でもそれじゃ八坂がロリコンになっちゃうかw ブルセラの次はロリコンかぁ、八坂は変態だなー」
「……をぃー?」
「私も多分、変態なんだろうな。ふつうじゃないのは、ぜんぶ、へんたいだ。」

 そう言いながら、洩矢は俺に、抱き付いて来た。

 キスしよ、そう言って口を寄せてくる洩矢。抱き寄せて、唇を吸った。

「デートだってしてないのに」
「八坂が男で私が女で、なら、毎日してるようなもんじゃん」

 そういうもんなんだろうか。でも、すぱっとしたそう言う割り切り方、洩矢らしい。でも、本当に深いところまで、割り切ってくれるのだろうか。好意を伝えたことはともかく、行為に至るまではもう少し時間をかけてもいいと思っていたのに。
 と、そう思いながらも、学ランの前を開け、ワイシャツのボタンを外していく。ボタンをいくつか外していくと、ブラ紐の様なストラップの付いた、固いタンクトップのようなものが現れた。洩矢の言っていた『ナベシャツ』だろう実際に見るのは初めてだ。多分、見られたいものではないだろう。俺はボタンを外すのを止めた。学ランも着せたままにしておく。
 ズボンを脱がせる。ベルトを外すと、細いウェストに凹んだへそが見えた。どう見ても男のラインではない。でも、ズボンを下ろして出てきた男物のボクサーパンツと、膨らんでいる股間。

「あ、エピテ」
「このままでいいよ。今の洩矢は、男なんだから」
「……女じゃなかったの?」
「わかんね」

 パンツの上からそれを撫でる。シリコン製のそれは、半勃起くらいの堅さをしていて、洩矢のものでもなければまして俺のものでもないというのに、撫でると自分の股間がむずむずとしてくる。
 学ランを着たままの洩矢の背中に鼻先を突っ込んで、女になったつもりで、好きな男に抱き付いているつもりになって、腕を回す。

「や、さか、すごい、それ、どきどきする」
「俺も」

 小さい洩矢の体は、片腕だけでもウェストを一周して抱き込める。左腕で学ランとワイシャツごと洩矢の『男体』を抱き締めながら、右手で洩矢のペニスを愛撫する。シリコン製の偽物と、俺のが繋がったみたいに、ちりちり、甘い電流みたいなのが走る。

「好き。洩矢、好き」
「八坂にちんちんいじられるの……きもちいい」

 洩矢の言葉がほんとかどうかはわからない。合わせてくれているのかもしれない。ただ、俺は洩矢の張り型を愛撫しているのと同時に、自分のモノも触っているような錯覚に陥っていた。この愛撫は、二人の誰とも接続されていない。なのに、快感を生む。魔法みたい。
 むずむずと、俺のものも勃起していく。でもそれは知られまいと思って、少し体を引いていた。自分のペニスを扱くのとは違って、もっと奥の方からじわじわ来る快感。普段のオナニーが直火なら、これは湯煎とか遠赤外線でゆっくりと中からあっつくなっていく感じ。これはこれで、きもちいい。きもちいいっていうか、幸福感。
 勃起したペニスのもどかしさを太腿や布地に当てて解消したい一心で、太腿を擦り合わせたり腰を揺らしたり、してしまう。腰が揺れると、スカートの裾の重さを自覚してしまう。そっか、俺、今、女なんだ。
 ズボンではありえない、スカートの布地が、足のあちこちに触れて優しく擦れる感じ。今抱きしめている[好きな男≪・・・・≫]の体温。
 興奮が増して、息が荒くなる。

「八坂、女の子、みたい」

 分からない。洩矢を愛撫するつもりで、オナニーしているみたいなものかもしれない。でも、自分への快感が、洩矢への愛撫の反射だと思おうと、洩矢を気持ちよくさせたいと思う感情が、ふつふつと高まってくる。

「えと……八坂、今、[どっち≪・・・≫]?」
「わかんない」

 わからない、と答える意味を伝えるために、もうギンギンに固くなっている先端を、洩矢の体に押し当てた。わ、と驚いたような声を上げる洩矢。

「たしかに、わかんないね」

 洩矢が、俺のほっぺたを両手で挟むみたいにして、正面を向かせる。真正面に、洩矢の顔。ちくしょ、男だか女だか知らないけど、好きな顔しやがって。

「八坂、かなた……かなこ、可愛いよ」
「かなこって、うぷ」

 キスされた。今度は、舌が入る。あれ、いつもの俺じゃない、舌入れられて、されるがままに口の中混ぜられて……。
 なんだか洩矢が好きで好きで好きで、好きでたまんなくって、自分に主導権のない乱暴なキスされてるのがすごく嬉しくて、洩矢のくびったまにかぶりつくように抱き付く。体格差を完全に失念していて、バランスを崩した俺達は、倒れ込んでしまう。

「いてて、もう、八坂ってば、らぶらぶオーラ出過ぎ」
「う、うるさい。その通りなんだから、仕方ないだろ」
「やだ、八坂、すっごい可愛いんだけど……」

 なんて茶化されたけど、なんだか悪い気もしない。
 洩矢の股間に手をやり、張り型を撫でる。八坂の腰が前後に揺れた。首元、耳の横、口付けて肌を啄むと、可愛い声が漏れた。洩矢だって、女の声じゃん。

「ちんこ触られて、そんな可愛い声出して」
「むう、声は治んないのー。八坂だってそーでしょ?」
「ごめんごめん」

 もう、といって、またキス。
 床に倒れ込んで、中途半端に肌蹴た学ラン、ズボンは脱げていて毛の生えていない細い脚。股間は膨らんでいる。完全に少年愛状態だ。そんな洩矢を見ているとまた、興奮してしまう。
 横たわった洩矢が、細めた目で、俺を見上げてきた。未成熟を願い、それが幾らか叶っているらしい、中世的な少女の体。でも[間≪・≫]を願う精神。小さい口が、ゆっくりと動いて、問いかけてきた。

「八坂、どっちの私と、シたい……?」

 きくまでも、ないか。そう言って立ち上がり、パンツを下ろす洩矢。

「これ、取るから、ちょっと待って」

 初めてその姿を見た。高いだけあって、本物のペニスと全然区別がつかない。でも、この場面でそれを取るということは、洩矢にとっては……。

「いいのか?」
「うん?」
「その、お前を、女として」

 洩矢はちょっと困ったような顔で、目を逸らした。

「んー……。ほんとは、イヤなんだけど、仕方ないっていうか。いいんだ、今日は八坂を少しだけ女の子に出来たから。ちんちん触られて、ちょっとゾクゾクできたし。今日のところはこれで勘弁しちゃるw あ、その代り、八坂その格好のままね。ウィッグもそのまま。ヌーブラも、スカートも脱いじゃだめだよ」

 八坂のケツ掘るのが夢になっちゃったなー、なんて怖いことを言いって笑いながら後ろを向く。張り型を、外しているのらしい。そう言えばあれは、どうやってくっついているのだろうか。今聞くことではないか。

(ゴム……)

 化粧品と一緒に買ってきていた自分が、なんだかこれを期待していたかのようで、軽い自己嫌悪に至る。いや、使うべきものなのだから買ってきていて罰が当たる筈はないのだけど、俺達の関係性でいえば、最初から洩矢を裏切る前提だったともいえるのだから。

「あ、ゴムあったんだ」
「えっと、その、ごめん」
「なんであやまんの? おっかしいの。」

 明らかに、気にするな、の意味で言ってるのが分かる。
 その洩矢の股間から、ペニスはなくなっていた。あるのは、薄い毛の生えた、可愛らしい女性器だ。

(女の子、なんだよな)

 今更、だ。
 下半身を完全に女子に戻した後、しかし上半身の学ランはそのままだ。むしろ肩を掴むようにして、それは脱ぎたくないと訴えるような姿勢。『男』をぎりぎり手元に置いておくためなのかもしれなかった。罪悪感が、ひどく胸を締め付けてくる。やっぱり、やめるべきだろうか。俺のペニスなんて家に帰ってから右手に慰めてもらえばいいのだ。

「ほんとだ、エピテの方が、でっかい」
「うるっさいわ、フィクションの産物と一緒にするな」

 やめよう、というタイミングを逸してしまった。正直、洩矢の裸の下半身を見て、俺の下半身も止まれなくなっている。

「……はじめて、なんだ」

 俺は、初めてではない。酷いアンバランスだ。こんな酷い和姦が、あるだろうか。

「なるだけ、辛くないように、するから。俺もそんなに経験があるわけじゃないから、痛くないようにするとか、言えないけど……」

 何を言ってるのだろう。洩矢に『女をさせる』だけで十分につらいはずなのに。

「何辛そうなカオしてんの? それなら八坂だって同じでしょ? お化粧して、ウィッグ被ってスカート履いて、胸までつけて、せっかく女の子の姿したのに、男としてセックスするんだよ?」
「そう、だけど」

 改めて洩矢に言われて、自分の姿を思い出す。きっちり女装したままだ。女装したまま、洩矢を女にして、セックスするのか。なんだろう、これ。

「俺達、やっぱ、壊れてんな」
「かもね。私はそれでも、八坂のこと、すきだよ」

 俺も、と答える代わりに洩矢を抱いて、ベッドに運んで寝かせた。

「力抜いて」

 こくん、と頷く洩矢。濡れては、いる。でも。これは[愛液≪女≫]じゃない。さっき俺が愛撫してた時の、[先走り≪男≫]なんだ。
 洩矢の小さい体に覆いかぶさるように、四つん這い。体重をかけないように、キス。なるだけ股の間から気を逸らしてやりたいけど、洩矢の方から緊張は取れそうにない。手が、学ランの胸の前できつく握られたままだ。
 俺は、スカートをたくし上げて、中で大きくなっているソレを、洩矢の被部に当てる。四つん這いに下を向くと、セミロングウィッグの髪の毛が、睫に引っかかって邪魔、でもそのわずらわしさが一一女装している自分の姿を自覚させて来る。同時に、下に垂れる長い髪の毛が視角を遮る。横の余計なものが見えなくなって、真正面の洩矢の姿だけが、切り抜かれたみたいに視界に入ってくる。眼鏡の向こうの視線が不安そうに俺を見ていた。学ラン、少年の姿で下半身だけが女子。そんな洩矢の姿を認めて、余計に興奮が強まってしまう。付け胸の重さも一段と強く感じた。スカートが太腿を撫でると、むずがゆい興奮が下半身に広がる。
 男でもない、女でもない、女装という訳の分からない性別の性感が、これかもしれなかった。

「わ、ほんとに、はいってくる」
「つらい?」
「だい、じょぶ」

 体が小さい上に初めての洩矢のそこは、すごきつい。俺だって経験が多いわけじゃない、これを無理に入れたら、すぐに終わってしまいそう。女装しながら、男装姿の女子とまぐわうなんて、頭の中がぐるぐると回る訳の分からない状態。それでも体というのは正直な欲求を表現するものらしい、ウィッグの髪の毛に遮られて洩矢しか見えなくなっている視界、好きの気持ちが堪え切れなくて、四つん這いの状態から肘だけを曲げてキスをする。顔を近づけるとき、洩矢の目が潤んでいるのが分かった。やっぱり、嫌なんじゃないだろうか。罪悪感が再び鎌首をもたげるが、ここでやめてしまっては洩矢の気持ちも台無しにしてしまうことになる。何とか、彼女の厚意を受け止めながら、彼女に負担なく、でも俺の身勝手な好意を押し付けたい。
 男にありがちな独善だったかもしれない。

「一気にきて、いいよ。不安なのがずっと続くの、やだ。」
「痛いんじゃ……」
「もう毎月痛い」

 洩矢が、両手を俺の首も後ろで組んだ。

「それより、かな[こ≪・≫]と、はやくくっつきたい」
「今男モードなんだけど」
「ほんとぉ? さっきのらぶらぶオーラ、まだ出てるよ?」

 でてる、かも。

「じゃ、」

 入れる、なんて恥ずかしいこと言えなくって、黙って腰を押し出してく。洩矢の目が閉じられる。奥に進むにつれて、瞼を締める力が強くなってるみたい。洩矢の大きくて丸い目を見ながら出来ないのは残念だけど……仕方がない。
 一気に、と言った洩矢に応じて、俺はそこから一度に全部、押し込んだ。

「いっ! ったぁ……ぃ」
「だ、大」
「  大丈夫、だからっ」

 好きに動きなよ、と絞り出すような声で言う。俺の首に回された腕は、抱くというよりも、もう、しがみ付くと言った方が相応しい。

「すこし、がまんしてろよ」

 口付けようとして、ウィッグの髪が洩矢と俺の口の間に挟まってくる、邪魔……! 手で髪を掻き上げて耳に引っ掛けるようにして、もう一回。洩矢は、辛そうな表情で目を開けている。魚が苦しそうにしているみたいに口を開けて、小さく舌を出して俺を受け止めてくれた。
 腰を揺らす。前後に少し動かすだけでも、絞り取られるような圧迫感。俺は心地がいいが、そのれと同じ文洩矢は辛いのだろう。でも。

「ごめん、とまんない」

 洩矢の狭い膣道、快感ではなく苦痛で蠢いている膣粘膜が、ゴム越しでも内側の肉を溶かしてくるみたい。浅い奥がすぐに行き止まりになって、先端で押し込める感触が伝わってきた。

「はっ、はあっ、洩矢、洩矢っ」

 腰を振るたびに、スカートが太腿の後ろ側を撫でる、ウィッグが頬と耳を撫でる。前髪が睫に引っかかって重い。着ている服の女の子らしいリボンが揺れて視界の隅にちらちら移り込む。

「ごめん、洩矢、ごめん、俺、俺っ」

 だのに、俺は何処までも牡になり下がって、洩矢を組み敷いている。
 押したり引いたり、その度に雁首にとんでもない快感が生まれ、奥に押し込んで突いたとき、亀頭と鈴口が焼ける。
 息が荒くなって口呼吸になり、唇を濡らす度にいつもはない口紅のワセリン味が口に広がる。額のファンデと、目尻あたりのアイラインが、汗で溶けて目に入って少し沁みる。
 もっと動きたい、思い切り擦って、早く射精したい、洩矢の中を往復する度に、膨らんでいく獣欲。洩矢を気遣う余裕はもうない。ただ絶頂と射精に向けて、夢中になって狭い洩矢の膣内を削ってしまう。

「もり、や?」

 ウィッグの髪が邪魔だともう一度大きく掻き上げた時、ふと洩矢の様子が目に入った。一心に腰を振っていて僅かな時間だったが、全然洩矢の表情が目に入っていなかった。気付いて顔を上げた時、洩矢の顔は、俺の方を見ていなかった。横を向いて、辛そうに眉を垂らして、歯を食いしばっている。涙が流れた跡が残っている、いや、今も流れた。

 洩矢は、泣いていた。

 痛いのか、と聞こうと思ったが、そうではないことがすぐにわかる。洩矢は、何事か小さく一人で呟いていた。泣きながら。

 やだ、よ、女なんて、女なんて、イヤ、だ。好きな人とセックスして、して、して、したら、母親になっちゃうの? また、女を、やらされるの?

 泣いている。これじゃまるで、レイプだ。
 流石に洩矢のそんな言葉を聞いて行為を続けられるほど、螺子は外れてない。俺は入れていたものを抜き去って、洩矢の頭を抱いた。

「ごめん、洩矢、ごめん、やっぱやめればよかった。セーラー服着ただけで気がめいるっていう奴に、こんなことするのが、間違ってた。ごめん、ごめん!」

 洩矢が、堰を切ったように、泣きだした。
 泣いている様子は、女の子だ。犯されて泣くのも、女の子だ。でも、女として扱われたことを、泣くのだ。洩矢の抱える傷の深さを、俺は甘く見ていた。俺なんか、くだらないくらいなんだ。

「っく、ひっく、やさか」
「洩矢、ごめん。もうしないから。」
「ちがう、ちがうんだ、確かに『女の子』にされたことは辛かったけど、八坂にされてるのにそれでも辛く感じちゃった自分が、悔しくって、そしたらまた『女』が襲ってきて、わけわかんなくなって……ぐずっ」
「いい、大丈夫だから。俺はもう、洩矢を女の子にしないから」
「ちがうよ、ちがうよお、八坂とするのは、嫌じゃないの、ただ、自分が、自分が情けなくって……! 女なんて、私が飲み込んでしまえればいいのに、そしたら八坂も幸せなのに、って!」

 もう一度、洩矢を抱く。あー、やっぱ好きな顔だ、嫌われてしまったかもしれないけど。
 洩矢の頭を撫でると、彼女の髪の毛の柔らかさに驚く。ウィッグのナイロン毛なんか、全然偽物なんだって、思い知らされた。本物の女の子の髪の毛は、こんなにも柔らかくて、汗に濡れても全然しなやかで。ほとんど化粧をしていないにも拘らず、涙で流れてるにも拘らず、肌理は細かくて、目はくっきりと綺麗だ。本物の女の子。凄く眩しい、羨ましいとさえ思う。
 でも、俺はもう洩矢を女の子として扱うことはできないのかもしれない。

「もり……」

「何をしている!」

 洩矢の涙を拭いてキスをしようとした時、不意に部屋の扉が開いて誰かの声が聞こえた。
 振り返ると、大人の男の人が、いた。その時点で誰なのかは明らかだったが。
 洩矢は俺の下で、声を上げた。予想通りの声。

「お父さん、なんで、こんな時間に」
「娘から離れろ、変質者!!!」







 殴られて吹っ飛ぶのは、久しぶりだった、転校してきて初めてだ。躱そうとも、防ごうともしなかったから当たり前だけれど。頬の内側が切れて、血が随分出ている。いつもなら吐き出すけど洩矢の部屋だから仕方なく飲み込んだ。痛い。いや、洩矢はもっと痛かったはずだ。

「何をしていた」
「お父さん、やめて」

 洩矢のおじさんの剣幕は相当なものだ、当然だ、帰ってきたら娘が、女装した男に犯されていたのだ。殴られるどころか包丁でざっくりやられたって不思議はない。
 包丁か、それ位されて、当然だったかもしれないな。おじさんに対してではなく、洩矢にしたこと。

「何をしていたかと聞いているんだ!」
「レイプした。こいつを、犯した。嫌がってるのを無理矢理」

 俺の言葉に、洩矢は目を丸くする。

「ちょっと、八坂何で!? 違う、お父さん違う、八坂はレイプなんて……!」
「お前、自分のした事がわかっているんだろうな。警察に突き出してやる、絶対に示談はしないからな!」
「勝手にしてくれ」
「八坂何言ってるの!? お父さん、話聞いて!」

 電話を取るおじさんを制止する洩矢。だが父親の怒りの矛先はこともあろうに俺だけではなく洩矢にまで向く。

「お前もお前だ、女なのに男の格好なんかしているから、こんな、おかま≪異常者≫に付きまとわれて変なことを巻き込まれるんだ!」
「これ着せたのは私! それとこれとは、関係ないじゃん!」
「そういうタガの外れた異常な行いが悪いことを呼び込むんだ。男の格好なんかしているから不健全な思考に偏る、だから変質者が寄ってくる。少しは女としての自覚を持って女らしく振る舞」

 異常。男の格好なんか。変質者。女の自覚。女らしく――
 体が、勝手に動いていた。考えなんかない、ただ、許せなかった。俺達への無理解と、押しつけがましい「制服」が、俺達を不可抗力に「征服」する、それを振りかざす奴らが。

「やさ……!?」

 [洩矢≪他の家≫]のお父さんに対して、こんなことが許されるはずがない。それでも、俺のブレーキペダルはいきなり吹っ飛んだ。いや、親御さんだったから逆に怒りが抑えられなかったのかもしれない。他人にそんなことを幾ら言われたって、俺と洩矢はいつでも笑い飛ばしてきた。でも、洩矢を生れた時から近くで見てきて、誰よりも理解してくれるべき親があんな風では、洩矢は、不幸だ。死ぬまで不幸じゃないか……!
 気が付いたら拳が振り下ろされていた。綺麗に顔に入ったらしい、洩矢のおじさんは床に転げ、俺はそれを見下ろしていた。洩矢が止めてなかったら、更に蹴り飛ばしていたかもしれない。

「お前に何がわかるんだ、あ!? 洩矢がずっと、どんな思いでお前の言うことを聞いてきたのか、想像したことあるのか!? 自分が女だって考えるだけで吐くような奴に、無理して[女≪ゲロ≫]をおっかぶせるなんて、親のやることか!? 親ってのはいつもそうやって恩着せがましく踏ん反り返ってるけど、子供だって親のいうことを随分と[聞いてやっている≪・・・・・・・・≫]んだ! 男だの女だの、学ランだのスカートだの、それくらい好きにさせてやれよ!」

 まあ、大人というのはこういう時には子供のいうことなんて聞いていない。ただ「さからった」という5文字に集約されるのだ、何を言ったって無駄なことは、わかっている。それでも言わずにはいられなかった。
 オレの方を睨みつけたまま、ケータイをかけている。警察を呼んだに違いない。逃げるなよ、と低く小さい声で言われたが

「はっ。にげねえよ」

 もう、逃げるもんか。出雲から諏訪まで逃げて来て、俺にはもう後なんかない。男らしさとか強さとか、さっぱりわからない、今だってそれがあるとは思えない。でも、なけなしのそれでも振り絞ってここにいるしかないんだ。

「男だって、女だって、強いられればクソだ。好きにさせてくれ」
「子供にありがちな思い上がりだ、もう少し大人になるんだな。諏訪子、お前もだ。もう学ランで登校するのは許さん。きちんと女子の制服で行け、わかったな」

 まだいうか

「……一発も二発ももう、変わんねえよな?」

 もう一発、さっきよりも強いのを見舞ってからすぐ、サイレンの音が聞こえた。迎えが来たらしい。さっきみたいなブレーキ破損状態では、今はなくなっている。もう死ぬほど殴ってやるとかそんなつもりは一切なくなっていた。けど、ただ強がるだけの意味で「殺すぞ、」と言ってやる。真正面から睨み付け合うことを、おじさんが先に放棄した。胸がすく思いが、した。

――これが、男なのか?

 なんだかひどく、むなしく思えた。鼻の奥がつんと痛んだとき、おまわりさんが慌ただしく入って来る。いいタイミングじゃないか。
 女装のまま、連行される俺。恥ずかしいとは思わなかった。こっちがほんとの俺だなんて思いはしなかったけど、紋切り型の『男』を強いられてただ従っているのより、遥かにマシに思えたから。

「八坂!」

 車に押し込められる俺に洩矢が、滅多に聞かないような大きな声で、俺を呼んでいる。父親に抑えられながらも、俺の方に身を乗り出して、声を上げる。泣いてる。お前は、何一つだって悪いことしていないのに、どうしてそんな罪悪感の滲み出た顔で、俺を見る。

「嫌じゃ、なかったから。ほんとうだよ、信じて! 八坂に、女として犯≪征服≫されるの、ちょっと辛かったけど、嫌じゃなかったから! だから」
「洩矢……」

 何を言ってる! と彼女の父親が洩矢の口を抑えた。だが、洩矢はその手に噛み付き、一瞬引いた隙にもう一言だけ言った。

「だから、八坂も、男で、いいんだ!」
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参考文献
漫画「13月のゆうれい」


【20160729】
取り急ぎ誤字を修正。最近いつものようで、有難うございます。
「あっつく」だけはそのままです。

【20170417】最新作から落ちたらコメ返しようと思ってたんですが最近流速が遅いのでてきとうに返すことにしました。
1様:ありがとうございます。ひさびさにちょっといいはなしかいたきになってます。
2様:女装男子と言うものを「かわいいおとこのこ」として書くのはほかの方がいっぱいやってるし他の人の方がうまくやるだろうし、と言うことで、
   私は「性差とその諦め」に視点を置いて書くことが多くなりがちです。
   でも最近の風潮は「女装男子」と「可愛い男の子」言うのをカジュアルにイコールで結ぼうとしている感がどうなのかなあって気もしています。好きですけど。

   >畜生、好きな話書きやがって……!
   元ネタを書くのを忘れてたので記載しておきました。この話を書いている途中で全く偶然にも件の漫画を見つけて買ってきて読んだら好きな話でした。
   かのセリフがなんかすごく気に入ったのでいれてしまいました。
みこう悠長
http://monostation.blog112.fc2.com/
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除

感動した。
2.性欲を持て余す程度の能力削除
畜生、好きな話書きやがって……!今回もとても楽しませてもらいました。
かなすわでしかも学パロとか難しそうなのに男体化(というよりは精神的TS)でFtXとそれに近いしがらみを振り払いたいふたりの苦悩、堪りません。半端者でまんなかがほしいって感覚は性へのあり方や考え方に疑問を持った経験があるのでとても共感でした。同時に刺さる言葉もありましたがw
学パロっていかにこういう設定だからっていう部分を受け入れさせるかが肝だと思うので、そこを嫌味もなくだれさせもせずにスッと入り込ませてくる氏の技量はさすがの一言に尽きますね。
そんでもって女装男装プレイ!これがヤバかった!ウィッグや服装の感覚とか口紅の味、その生々しいこと堪らないったらありゃしない!めっちゃどきどきしちゃいましたよ。
性の交換ってところが最高に好きで、どうなるんだろうと読み進めていたら「ああこれ最近流行りの女装男子やん」から拠り所のない青春っ気が一気に増して冒頭のセリフまで駆け下りてくんですもん、上手すぎでしょう(ぱるぱる)。
とにもかくにも面白かったです、よき時間をありがとうございました。

誤字脱字の報告(いらなかったらごめんなさい汗)にて終わります↓
・そう思て顔を見れば肌のきめは細かくて唇も厚いという程ではないが→そう思って顔を見れば
・それとこの不良に対する遠回しの脅しなのか?→それともこの不良に対する遠回しの脅しなのか?
・上等なアスファルトよりは子の方が→この方が
・断りもなくそそくさ時始めた→そそくさと着始めた
・俺のじゃ半部くらいじゃねえの→俺のじゃ半分くらいじゃねえの、または俺の半分くらいじゃねえの?
・ふうん。じゃあ洩矢似合う方法と道具→じゃあ洩矢も、にも?
・約束をた違えるような→約束を違えるような
・それが事前行為なのだと→慈善行為なのだと
・洩矢を汲み仕入れている→洩矢を組み敷いている
・お前、自分のしたかわかっているんだろうな→自分のしたことがわかっているんだろうな?
・「 大丈夫、だからっ」→「」内にインデントふたつ分
・しがみ付くといった方が相応しい→句点の付け忘れ?
あと自信ないのですが↓
・ゆっくり中からあっつくなっていく感じ→ゆっくり中からあつくなっていく感じ(意図してだったらごめんなさい汗)
・仕方ないから購買に戻ろう→仕方ないから購買に戻ろうと?
・学ランを含めた服装の性だろう→学ランを含めた服装のせい・所為?
3.性欲を持て余す程度の能力削除
ぬおお、携帯の文字数に引っかかってしまいました、くっそつまんないことでコメ数がかさばってごめんなさい。
・こんなことを許されるはずがない→こんなことをして許されるはずがない・または「こんなことが許されるはずがない」?違ったらほんとにすみません汗
ボツにしてしまうのがもったいないと感じてしまうほどに楽しめる作品でした、また氏の作品が読めることを心待ちにしております。