真・東方夜伽話

見果てぬ遼遠の縁

2016/06/17 00:51:35
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見果てぬ遼遠の縁

Romy

(みはてぬ りょうえんの えにし)
女装魔理沙、オリキャラ女。苦手な方はご注意あれ。
続きものです。『勾引す檻の縁』から順にお読みください。
今回で終わりです。

 この感覚は結構久々だけど、ああ、懐かしいなと頬をほころばせる類のものじゃない。自分が嫌。汚らわしい、おぞましい、身勝手、子ども、無力。私をなぶるいっぱいの言葉。どれもこれも当を得た、いまの霧雨魔理沙にぴったりの言葉たち。
 男娼みたいで、汚らわしい。生々しい体温やにおいを押し当てられて、私は嫌だって言えなかった。おぞましくも身体が無様に反応してた。あのとき、私は汚れてしまった。アリスがああやったからじゃない。節度を守れなかったことが口惜しくて、惨めで、相手なんて誰でもいいのかもしれないという疑念の陰が心を覆う。
 もしかしたら最初から汚れていて、いまそれを見つけ出しただけなのかもしれない。 
 自分の部屋から菫が待つ穴ぐら、アリスの部屋までがとても遠くに感じるようになった。足取りがひどく重い。菫にもアリスにも今の私を見られたくない。
 でも、もう自分の都合で逃げないって決めた。這ってでも、今日も行く。
「魔理沙さま……」
 私を呼ぶ声がどんなに怖くても。ただ抱きしめて、それだけ。においを感じるのもおこがましい気がした。どんな甘ったるい声音も、どれほどの温かな施しも、道徳が吐き気を催させ、心臓をちくちくと刺して、絶対に許さない。資格なんてない、愛されてよいなどと思うな、と言わんばかりに。
 今の私は菫の隣にあることに適ってない。これで、一緒にいてなんて言えないよ。
「……くっ……あ、ぁ…………」
 きょうもアリスを辱める。菫を助けるため、やるからには本気だって言ったことを盾にして。跪き、舌や顎が動かなくなるまで舐め抜いた。湿った陰を塗りつぶすように。
 心を殺して無感動になる真似はしない。こうして辛い気持ちに苦しむことが、きっと償いになるって勝手に信じているから。でも、償いを求めること自体が逃げていることなんじゃないかって疑問がある。
 心のなかの何人もの私。私の考えを精査し、鞭を振るい続ける。私は私に、逃げるところなんて与えない。

 * *

 服の上から何度か触れたことがあるけれど、見たことはなかった。
「これが……」
 魔理沙の性。スカートと下着を脱がせ、露わにさせたその前に陣取っている。一度霊夢のそれを見たことがあるとはいえ、一瞬だったから細かいことは全くわからなかった。
 かすかに鼻にまとわるにおい、陰部が伴う湿ったそれと、尿の。疎ましくあまりいいにおいとは言えないものの、わたし自身も持っている。そう思うのはやめておいた。
 手を触れる。断りを入れなかったから、魔理沙が一瞬身体を硬くする。魔理沙のそれは力なく垂れ下がっている。勃起を伴う前は単なる排泄のための器官なのだ。
 茎やふぐりの触り心地。手のひらでしっかり知ってしまう。生温かく、ふよふよとして頼りない。どこか不気味に思えてしまうのは、目のない軟体動物のように見えてしまうからだろうか。
 そうして手で弄んでいる内に、魔理沙の茎が段々と成長していった。ぴくぴくと別の生き物のように反応しつつ、頭を持ち上げ上を向いていく。骨なんて入ってないはずなのに、硬くまっすぐになり、遂にわたしの顔に突きつけるように直立した。
 まるで追いつめられたようにわたしは上手に息ができない。年下の子どもみたいな男の子でも、やっぱり男の子であることに変わりはなくて、しっかり持ってる。こうして立ち上がらせたのは、やっぱりわたしと、そういうことがしたいからで。
「その……あんまり」
 魔理沙のか細い声で我に返る。顔とおちんちんと、何度も視線を往復させる。魔理沙の一部だってことを忘れかけている。この妙な世界ですっかり角が取れた魔理沙の。恐れることは何もない。
 乗り出していた身を引き戻し、かわりに指を巻きつけた。十本の指で包む。手で作った膣を魔理沙にかぶせた。そうすると赤くなった先っぽだけが見えて、魔理沙の白いお腹、脚との連続性が無くなってしまう。地続きにつながっていると信じられなくなるほど、魔理沙の雄性は唐突だった。
「いっ……!」
 熱で汗ばむ手を動かしてみた。すると魔理沙が顔をしかめてしまう。慌てた。弱いところだなんて思わなくて。
「ごめんなさい……」
 どうやら親指が先っぽにじかに触れていて、無遠慮にこすってしまったみたいだった。そうか、快楽を感じられる塊なんだから、ちょっとのことでも痛くなってしまうんだ。きっと、自分のと同じなのだ。指の位置をにわかにずらす。すべての指が半ば被った皮の上にあることを確かめて、また動かし始める。
 魔理沙の反応は端的に言って生々しかった。指で包んだものがぴくぴくと蠕動する。熱と硬さを伝え続ける。先っぽは自身の熱で渇き、おしっこが焼けたようなにおいを放つ。例え他の、知らない誰かのものだったら突き飛ばしている。
「あ、何か……。これも、精液?」
 そうしているうち、切れ込みからひとしずく透明なものが染み出てきた。親指で触れるそれは糸を引くのに、さらさらとしている。
「ううん、違う。これは……なんだろ、変な気分になると出てくるというか……」
 人差し指と親指を目一杯離してようやく糸が切れる。とろみの強い滴り。きっと……濡れたんだ。すべりを助けるために。かたちはまるで違うけれど、体の働きは似ているところが多いのだ。自分が思っている以上に性差というものは小さいのかもしれない。生々しいと言ったひくつきも、自分だって反射で起きる。何が違うんだろう。親近感が湧く。そもそも持ち主が持ち主だから、嫌悪を覚える理由がない。
 体の変化を知られるのは恥ずかしいことだ。特に性的なものならなおさら。魔理沙は目を閉じ、口も閉じてしまう。手の動きに痛がってる様子や不快を感じている様子はない。間違ってはいないのだと思うことにして、わたしは魔理沙の茎をさするのを続ける。
 無言の時が流れていく。時々魔理沙のくぐもった声が聞こえる。けど、変化は起こらない。単調だった。滲みでた滴も乾いてきてしまった。
「もう大丈夫。じゅうぶん気持ちよくなったから……」
 しつこく動かしていたわたしの手を魔理沙が制した。そしてあれだけ硬く主張していた部分も、くたりと収まりまた元の垂れ下がった形に戻ってしまっている。
 もっと簡単にできると思っていた。あの女がいとも容易く導いたのを見たし、どこかで男の子は単純だと見下していたのかもしれない。立ち上がった魔理沙が下着を、スカートを穿く。わたしは手から立ち込める生臭いにおいを感じながら、押し黙っていた。
「嘘つかないで。気持ちよくなかったんでしょ。現に魔理沙は……出してないじゃない」
 射精、という言葉を口にしそうになって飲み込んだ。
「たまに、どう頑張っても出せない時があるんだ。アリスに見てもらうの初めてで緊張してたし……それで、だと思う」
 むきになるわたしとは対照的に、魔理沙の目は落ち着いていた。少し悲しげでもある。わたしは矛を取り落とす。ほんの少し、優越感。そうか、緊張されていたのかと。
「魔理沙、明日は……きっと気持ちよくさせてみせるわ」
 基本に立ち返る。お手本をまざまざ魅せつけられたじゃないか。明日こそはと、わたしは意気込んだ。


 キスをしている。座った私の脚の上に菫が座り、向い合って口付けに没頭している。背が同じくらいだから、必然的に私が上を向く格好。止めどなく菫が私をついばんでくる。
「魔理沙さま……」
 私の胸、愚かにも早くなってくる。
 私が言葉を少なくすると、菫も合わせて少なくする。けど、私との距離を埋めたいって気持ちは変わらないみたいで、そっと手を重ねてくるのだ。私にはそれを無碍に払うことはできなくて、それが菫に勇気を与えてしまう。触れる肩にさり気なさが無い、回す腕にためらいが無い、吹き付ける息の熱さ、におい。生きている異性のからだ。そして口付け。
「魔理沙さま、やはり元気がありません」
 ひとしきり重ねた後、菫が顔を離して呟いた。菫の口付けではだめなのですね、と付け加える。私は服の隙間から冷水を流し込まれた気分だった。
「どうしたら、魔理沙さまに笑っていただけるのでしょう」
 この子はどんな時でも私の事ばかり。それをありがたいと感じるよりも、申し訳無さのほうが先立ってしまう。
「菫が悪いんじゃないよ。今までも、きっとこれからも全部私が悪いんだ」
 だから気に病むなと。苦しむのはもう私だけでいいからと。
「大丈夫だぜ」
 笑ってみせた。私の顔を見た菫が一瞬で表情を強張らせる。見せかけなんてこと、丸わかりなのだ。私の方から抱きしめる。これは私が安心したいからじゃなくて、菫を安心させるため。私が今この抱擁に感じ入る資格なんて無い。
「菫の方こそ元気出せ」
 言いつつ、分かってる。この子は常に私に視線を送ってる。一緒に笑いあえる日々が、思ったより早くどこかへ行ってしまった。

 *

 昨日の失敗を巻き返すために、わたしはあの日のことをよく思い出した。
 隣に魔理沙を座らせ、身体を寄せる。躊躇いがちの表情を無視し、口付ける。うんと時間をかけ、口の中から溶かしてしまうように。
 そうしたら、スカートの上からさする。そこには触り慣れた硬さ。これまでは魔理沙の手に負けて続けられなかった。でも今日は必ず最後まで。
「任せて」
 魔理沙の目を射抜く。覚悟はできてる。そもそも、これができなければわたしは「豚の餌」だ。
 昨日はただ触れているだけだから失敗した。今日は違う。唇を、それで足りなければ胸を、性を。魔理沙の手に教え続けて硬さを保ち続けるのだ。
 重なりあった胸から魔理沙の鼓動が伝わってくる。魔理沙は痩せてる。隔てる肉が薄い。興奮の様がよくわかる。
「脱いで……」
 女はスカートを残していた。わたしは上手に受け止められるとは思えなかったから、魔理沙にスカートも脱がせた。わたしは服を着て、魔理沙は下半身を露わにしてる。服がない相手への歪な優越感。
 一方的に年下の男の子の性を弄るわたし。性感を与えて、支配してる。魔理沙の反応からコツを掴んでいく。昨日は力が弱すぎたんだ。先っぽさえ引きつらなければ、多少強引でも構わないようだ。
 魔理沙がこぼした滴りで指が濡れてきた。ちら、とおちんちんを見ると、真っ赤な先端と伸び縮みする皮、それを包むわたしの白い手が見える。魔理沙は女装を知られたくないと聞かされたけど、隠しておきたい理由がいま少しだが察せた。わたしはそれをわざわざ暴き立ててる。劣情を呼び起こし、男の子としての快感に戸惑わせている。
 魔理沙自身の熱で赤いところは瞬く間に乾いてしまう。どうして雄が執拗に粘膜を欲しがるのか、その理由が垣間見える。魔理沙を見る。切なくまつ毛震わせるこの子であっても、欲しいのだろうか。口の中に溜まった唾を飲み込もうとして、やめた。
「なに、してっ……!」
 勝手は分からない。しゃにむに咥えて、しずくで濡らす。拒否の声がするけど、遠くから聞こえているような気がする。答えようにも今は無理だ。
 鼻で何とか息をつなぎつつ、舌をあてた。舌先がうまく使えない。舐めるというには不格好に舌の広いところを、とりあえず当てられるところに当ててこすった。じきに、魔理沙の味がしずくに溶け出す。嗅ぎなれないそれを口に留めておくのは意外と辛い。くちびるからは絶え間なく生温かさが伝わり続ける。ひきつりの生々しさも。何か、大きなミミズでも咥えたみたい。
 魔理沙の手かな。頭に置かれた感触。引き剥がされると思って、両手で根元を抑えた。下に引くと皮が抑えられるから先が露わになってやりやすい。洗うように唾で包んであげると、魔理沙がのけぞる。脚も震え出す。
 だんだん苦しくなってきて、えづきそうになった。一度口を離して、口元を抑えながら飲み干した。なんてことはない。自分の唾だ。驚愕に目を見開く魔理沙を見返す。
「手がだめなら、口でするわ」
「そこまで、して欲しくなんてない……っ」
 視線をそらし、魔理沙が拒絶の意志を示す。
「後でどうせさせる気だったんでしょう。いつやるかの違いでしかないんじゃなくて?」
 間近に顔を寄せ、覗き込む。
「なんなら、今日にでももっと先のことをする?」
 どうしてわたしはこんなに苛立っているのだろう。……どうせ、あの女とはもうこんなことをしてるのだ。どうして嫌がるのか。
 てらてらと濡れて光る魔理沙の性。つまむことも、口にすることにももう抵抗はない。魔理沙の言葉を待つ前に舌を出す。指で作った輪をかける。要は、口を膣にしてしまえばいいわけだ。そうすれば自動的に、魔理沙を導けるはずなのだ。
「く……つっ」
 漫然と頬張ると歯が当たる。気を付けるべきことを学んでいく。口を開き気味にして、くちびるの輪と指の輪、ふたつの輪で刺激するとよいことが分かってくる。舌と、口の上の部分を使って滑らせる。もっと屈辱を伴うものと思っていたけど、おぞましさと紙一重の新鮮な快さに溢れている。あの時のあの女の手より、きっと気持ちよくさせてあげられているはずなのだから。
 魔理沙は腰砕け。抵抗してない。勝ったんだ。雪辱を晴らせた途端、されている魔理沙に興味がわく。口元を抑えて、目なんか瞑っちゃって。悪い気はしない。これが口じゃなくて手だったら。そうじゃなくて、身体そのものどうしだったら。もっと近くで見れるはずだ。そういうのも、悪くない。ぐちゃぐちゃと汚い音を立てているよりも、ずっとずっと素敵なはずだ。
 目を閉じる。頭と一緒に揺れる視界を見続けるのは興醒めだ。さっき飲み干した唾の代わり、次から次へと溢れ出る。
「あ、ありすっ……もうぅ、いいよっ、いいからっ。そのへんで……!」
 興奮しないとやわくなる。じゃあ興奮したらその逆だ。口の中で感じているのだ。誤魔化せやしない。力を込めた筋肉のように硬い。
 魔理沙が腰をよじる。逃げようとしてる? 逃がさない。波打つように腰が跳ねる。お腹を押さえつける。硬くなる。一拍置いて、さらにさらに。生娘でもわかる。もう近い。
「う、……ぅ、っ……は、ぁ……っ」
 そうとわかっていても、飛び出てくる瞬間までは判らない。手に、くちびるに、舌に伝わる酷く生々しい痙攣に総毛立つ。波打つ唾に異質なものが流れ込んでくる。混ざりもしない。遅れて、何やら嗅いだことのないようなにおい。
「……けほっ、げほ……魔理沙、出すなら出すって……!」
 においと、溜まりすぎたしずくに耐えかねてむせってしまった。思わず両の手のひらに吐き出したもの。どろりと、石鹸のように白く濁る。これを口に含んでいたのがにわかに信じられない。
 口の中にはまだ濃厚に精の名残り。舌で舐め取ると引っかかる。舌が届かないところに気色悪さが残る。口の中に出させたのは失敗だったかな。手の中のこれもどうしたら。
「あ……」
 うがいもしたい、などと呑気なことを思って顔を見上げて、それが目に入る。何もかもが止まった。静止した世界の情景、その真ん中。

 魔理沙が、泣いてる。

 あとは、……あとはどうだったか。しきりに繰り返される謝罪の弁に「うん、大丈夫」と生返事を何回かして、あとはどうしたっけ。シャワーを浴びて、寝たんだっけ。そういえば、あの女も来なかったな。いろいろと曖昧だけど、魔理沙の顔は見てない、ということだけはよく覚えている。


「魔理沙さま」
 私を呼ぶ声がする。私の肩を揺らす誰かがそばにいる。
「菫かぁ……」
 いつの間に部屋に? いまは夕飯の時間の前? それとも後? ベッドに倒れこんでぼーっとしていたものだから、よくわからない。
「ごめん、今日は」
 さすがにあんなことがあった後じゃ、どんな顔をしていればいいのか分からない。
「ご気分、優れませんか」
 そんなところ、と曖昧に言って寝返りを打つ。ちょうど菫に背を向けるように。
「魔理沙さま、お洋服がしわになってしまいます。せめてお着替えを」
 ほんとうはそんな気力なんてない。ベッドに縫い付けられたように動かない体をなんとか引き剥がし、起き上がる。ベストを脱ぎ、ブラウスのボタンを開け、ベッドの下に放る。視線はベッドの端と床の間をさまよう。スカートも取り去り、渡されたパジャマをまとう。ボタンを留める手が覚束ない。すると、菫の手が伸びてきた。
「……うっ!」
 瞬間、後ろに飛び退いてた。脂汗。菫が驚きに目を見張ってる。ごめん、とも言えず、俯くこともできず固まる。沈黙が鉛の杭となり胃に突き刺さるようだった。
「魔理沙さま、菫以外のどなたかとお会いになりましたか」
 私が脱ぎ散らかした服を拾った菫が、ぽつりと呟く。それは矢となって私の痛むところにさらに突き刺さる。
「あ、ああ……あ、会ったけど。うん……」
 菫は、知ってる? 何があったか。部屋に鍵とか、掛けてなかったもんな。通りがかったところをたまたま覗いたとか。喉がからからに乾く。張り付いて、息も上手くできないや。
「そうですか」
 素っ気なく菫が言い捨てる。服を見つめるその目はざらついて、何を考えてるか読み取れない。
「魔理沙さま」
 名前を呼ぶ声が怖いくらい平板で、胸がきりきりと絞られるようだった。
「震えていらっしゃるようですが」
 傍に寄り、私の顔を覗き込む。まるで口付けるかのようにいっぱいに近付けて、私の疚しい部分を探るかのようだ。
「これで、……落ち着きますか」
 菫は私をなじったりもしないで、ただ腕を回して抱擁するだけ。全く予期してなくて、目がちかちかして頭が目まぐるしくどういうことなのかと理由を探す。
「菫のこと……怖い、ですか……?」
「えっ、あっと、……あの?」
 ほどなくして、答えは菫の口から発せられた。
「菫は、魔理沙さまを信じています」
 まるで大切な何かを離さないかのように、菫が腕を回し続けている。つん、と鼻の奥が痛んだ。痛む場所がお腹の奥からここと、胸の辺りに移ってく。
「やめろよ……私に、今の私に、優しくなんてすんなよおっ……!」
 どこもかしこもばらばらになりそうだった。心の一部が強烈に拒絶している。許さない、絶対に許さない。苦しみが優しさに浸からせない。吐き気さえせり上がってくる。お腹の中、何もないはずなのに。嫌な味の唾が夕立の降り始めのように染み出てくる。頭の中にまで痛みが鳴り響き始める。短く浅い呼吸が何度も何度も、発作でも起こったみたいに私の息さえ苛む。
 この尋常ならざる様子に菫も身体を離した。鳥肌と脂汗まで出てる。へなへなと私は壁に背を預け、俯く。息を整える。長く深い呼吸を意識して、不快感のいくらかを追い出していく。
 菫を見た。なんて表情をしてるんだろう。私を非難する気持ちなんて、これっぽっちも見当たらない。ただただ心配そうな視線を投げかけ続ける。また、動悸がして息が激しく上がりそうだった。
 多分、きっとこれが罰なんだ。罰が下らないっていう罰。罰が欲しいなんて……それらしい罰が下って、いっとき苦しい思いをすればそれで「償った、だから許される」っていう期待が見え透いた、要は甘えなんだ。結局、自分が楽になりたいだけ。この胸の痛みを消す術。自分で見つけないと、駄目なんだ。
「魔理沙さま……辛い気持ち悲しい気持ち、菫にください。……魔理沙さま」
 今なお降り注ぐ菫のやさしさ。それを、無為にする資格も、受け取る資格もなかった。


「乖離が始まってきているわ」
 震戦する右手を眺め、えにしが呟く。
「さすがに、まずいのではないですか」
 声を聴き、部屋の隅の靄がその気配を濃くした。
「少しやり過ぎたかもね」
 肘掛けに腕を下ろす。拳を握りこんでも震えは消えていない。
「かも、じゃないか。見ていて気の毒だったんでしょう?」
 目を閉じたえにしが深く息を吐いた。靄は動かず、隅の空気に燻り続けている。
「あそこまで頑なに一途だったとはね。むしろそこを強めてしまったとは」
「尤もらしいことを。自らのためではなかったのですか」
 また一度えにしは息を吐く。目頭を揉み、さも言い返しにくそうにしている。
「愛を教え、心をほぐす……よこしまな思惑はあれどなんとお優しいことか」
「役得だったことは認めましょう。それと、計画が杜撰だったこともね」
 当てこすりにえにしはお手上げの仕草をして見せる。椅子を回し、靄の方へ向き直った。
「急のことではあります。ここと同じように、即席なのも致し方ありません」
 お優しいこと、とやり返してえにしが立ち上がる。
「そろそろここの役目も終わりね。芽こそ出てきてはいるけれど、まだもう一押し必要か。この身体も……後もうしばらくは持つでしょう」

 *

「えにし……!」
 リビングのソファに、ぱったりと見なくなっていた人が座っていた。どうしてだろう、その顔を見てとても安心している。一目散に駆け寄った。
「どうしたの? 凄い顔……」
 多分。腫れぼったい目の周りのことを言ってるんだろう。
「えにしこそ。顔色よくないんじゃないか? 体調悪そうだぜ……」
 私のことなんてどうでもよかったから、逆にえにしの顔色についてを尋ねた。
「大丈夫。心配しないで?」
 この距離。久々だから、意識した途端に照れくささが巻き起こる。たたえられる微笑み未満の淡い笑み。いまは少しやつれているけれど。
「隣、座る?」
 やっぱりお見通し。ほんの些細な兆候からえにしはいま私がして欲しいことを当ててしまう。
「魔理沙ちゃん」
 腰かけた私にえにしが向き直る。その顔を見上げた。
「これまでよく頑張ったね……。もう、大丈夫だから」
 頭のてっぺんから後ろまでをゆったりひと撫でしつつ、えにしにそう告げられていた。
「えと、そりゃいったい……?」
 何がどう大丈夫、なんだろう。こうして触れられて胸が痛みだして来てる。
「あの子のこと」
 姿が思い浮かんで、またひとつ痛む。
「あんなこと、もうしなくてもいいの」
 恐る恐るえにしの目を見た。嘘じゃない? 本当に、もうしなくていいの?
「でも……やらないとえにしを酷い目に遭わせるって言われてて。だから、えにしにそう言われても……」
 そもそものことを思い出す。あいつが、あの口でそう言ったんだ。
「大丈夫だから。……信じて」
 おもむろに私の胸元にやってきたえにしがさらに念を押す。早鐘に直接頬を当て、目を閉じている。それを見て、耐えられなくなってしまった。
「私、えにしに助けられてばっかりだあ……」
 鼻が痛むのを、目頭から零れてしまうものを止められない。私が声を漏らしても、えにしは聞こえない振りをしてくれた。
 私がやってたこと、色々なものを壊して残ったほんのひとかけら。……えにしのためだったなんて、そんな口当たりのいい言葉に逃げてはいけないけど、でも、きっと意味はあったんだ。
「この前聞いた気になってた子って、あの子のことだったの?」
 目を開いたえにしが突拍子もなくそんなことを言いだす。
「違う。でも……あんなのをしないで済んでるなら、ここでもっと親しくなれてたかもな」
「じゃあ、ここから出られたら……」
 その顔は意外なほど穏やかで、鼻白んでしまった。
「なに言ってるんだよ。えにしだってそんなの嫌だろ。せっかく……こうしてやり直せたってのにさ」
 戻ったらやらなきゃいけないことがいっぱいある。アリスにも挨拶の一つぐらいはしないと駄目だろうけど、でもどうしても後回しになりそうかな。
「魔理沙ちゃん……あ、魔理沙さまって呼んだほうがいい?」
「どっちだって同じだよ。……呼ばれただけで、嬉しいから」
 異性っていいなあって思うのはこういうとき。この踏み込むか踏み込まないかの距離感が心地いい。だから、痛みが命ずるまま顔を背けていた。
「魔理沙ちゃん……えいっ」
「……離してよ」
 でも、えにしに捕まえられてしまう。ハグ。染み込んで来る温もりを、身体がきしんで追い返さんとし始める。
「こうやって、抱きしめてあげるくらいしか思いつかないの。だけど、わたしが優しくした分だけ魔理沙ちゃんは自分で自分をいじめてしまう」
 昔から、と続くその声は震えていた。
「辛い気持ちや悲しい気持ち……わたしに、分けて欲しいな」
 それは前にも聞いたことのある言葉。また忘れて、もう一回言わせるなんて。つくづくおバカだ。
「自分を粗末にしちゃいや。魔理沙ちゃんを大切に思っている人がいるんだから。だから頼って。……頼りないかもしれないけど、こうして……ね?」
 細いけど、まっすぐの視線。私の後ろめたい気持ちを刺激するわけでもなく。
「辛い気持ちを教えて欲しいな。わたしが魔理沙ちゃんを信じているように、魔理沙ちゃんもわたしを信じて。……だめ、かな?」
 女の子にそこまで言わせてしまうことが既に悩ましいけど、この人を悲しませては駄目だ。でも、素直に頼っていいのかな。譲っちゃいけない場所も、必ずあるはずだから。
 なかなか、えにしの言うとおりにはならなさそうだった。


 夕飯を済ませ歯を磨いて部屋に戻ったら、菫が待っていた。いつもの白い寝間着じゃなくて、浅葱色の着物に純白の帯。そして頭に赤い細めのヘアバンド。くちびるに艶がある。薄く化粧もしてきたようだ。どうしたと聞いたら、今日は特別な日になりそうだから、と言う。
 思い当たるところがなくて頬を掻く。粧し込んできても、もう夜だし出かけられるところがここにはない。
 なおも対応に困っていると、菫が不安そうに俯いてしまう。見かねて手を差し伸べる。ここでお見合いしてるぐらいなら、何もないけどとにかく外に出よう。
 外への扉はすんなり開いた。これまでまさに封印という言葉がうってつけなほど何重に施錠されていたのに。中に忍び込む夜風はやや冷たい。カーディガンを羽織ってから外に出た。
 昼夜を問わず馬鹿でかい月を見上げながら、一本だけ生えている木のもとへ。歩き始めてすぐ、振り向いて菫の小さな歩幅に合わせる。ちゃんと手を取って。私より少し冷えている手はなめらかだった。
「そのまま座ったら汚れちゃうから」
 ポケットを探るとハンカチがあった。広げて草の上に敷き、菫を座らせる。
「むかし私が言ったこと、覚えてたんだ」
 月明かりの下、菫の着物が一段と綺麗に見えたから。葡萄色や藍色とかよりも浅葱色とか、明るい色のほうがあってるんじゃないかって呟いたことがある。
「今なら、きっと紫色だって似合うかもしれないぜ」
 言葉を投げかけられても菫は俯いたままだ。月光を浴びるその横顔。何か言いたげで、私の言葉を聞いているのかいないのか。けど構わない。
「きょう着てきたのも似合ってる。綺麗……」
 出来すぎなくらい。赤い髪留めのお陰で生白い耳、首筋がよく見える。うなじにほくろがひとつ。白いからよく目立っていた。
「ありがとう、ございます」
 いつもなら照れて取り乱すはずなんだけど、今日はずっと浮かない様子だった。さすがに変だと思ってきて、そのおもてを伺う。伺おうとして、昨日の自分を思い出してやめた。
 私と菫の間を風が抜けていった。顔を上げ、秋の晩より明るい月を眺める。横目で見た菫は依然下を見たままだ。
 手を握ればいいのか、肩に腕をまわせばいいのか。
「寒いだろ。これ着て」
 どれも違う気がして、大げさに声を出してカーディガンを肩にかけてやった。
「魔理沙さま……」
 その裾を指先でつまんで、菫が震えた声で私の名前を呟いた。私は座りなおして、空いていた隙間を詰めてみる。こちりと頭と頭をつけて、それから肩を抱いた。
「菫は、魔理沙さまに適いますでしょうか」
「かなう?」
 曖昧で、よくわからない。
「魔理沙さまの隣に並ぶだけの器量があるのでしょうか」
 涙ぐんだまなこで見つめられて、軽率な否定の言葉を引っ込めざる得なくなった。
「なに、言ってるんだよ。鏡見ろ。そんな可愛い顔してさ。どきどきしてるの、わかるだろ」
 菫の肩に押し当てた胸。その中のいのちの跳ね弾ける様を教えてあげる。
 かすかな息がくちびるを舐める。そろそろと寄せあう顔どうし。鼻と鼻がぶつかってしまう、気恥ずかしいあいくちをする。菫が塗っているものが淡くくちびるに残った。
「きょう、お母さまに言われたんです。魔理沙さまが出て行かれたのは、菫に魅力がないからだと」
 重ねた手がにわかに震えている。私はそのことについて、多分怒ったりする資格はないと思う。
「魔理沙さまがお辛そうにしてることを知りながら、何にもできませんでした。引き留めることができませんでした」
 心にゆっくりと針を刺し込まれるようだった。歯がゆくて、自分で自分を責める菫がいたたまれなくて。やめろって言いたいけど、それが言えない。
「昨晩も……泣いている魔理沙さまに指一本触れられませんでした」
「……違う。違うって。出て行ったのは全部私が悪いんだって。だって、そうだろ? なんで私が逃げ出したのが菫の所為みたいになってんだよ……!」
 声を絞り出す。私のやったことで菫が自責に駆られるなんて。私、どこまで菫を苦しめれば気が済むんだろう。
「もともと、あの家からはいつか必ず出てってやるって思ってたんだ」
 早いか遅いかの違いしかなかった。母さんだけが私の親だ。あそこは実家でも何でもなかった。ちょっとのことで手酷く折檻されて。帳簿付けを間違えた日なんか一晩じゅう板の間で正座させられた。菫のこと以外でいい思い出は何もない。
「魔理沙さま」
 目が合う。その瞳からは恥じらいだとか、甘い気持ちは抜けている。
「……きょう、菫に新しい縁談が来ました」
 固唾を呑んで待っていた。そしてそれが、鉛に変わってはらわたを食い破る。
「菫はどう……。ううん、違う」
 この先は、言わなかった。言っちゃだめだ。
「嫌だ」
 彼女に言わせてしまう前に、言わなくちゃ。
「私以外の誰かに、菫を渡したくない」
 蔦のように絡む疑念や怯えを切り落とし、はっきり告げた。
「魔理沙さま……!」
 目を見開く菫。よかった。私の言葉が、菫の望みに適っていてくれたんだ。
「また顔を見れば考えが変わると言われて、でももうそんなこと起こりっこありません! 菫はもう……魔理沙さまなしでは生きられません! 他の人の妻になるなんて絶対にいやっ!」
 例えばこの世界に私と菫たった二人だけだったなら。家や親のしがらみがなかったら。……その家や親がなければ私たちは出会ってない。
「魔理沙さま」
 腕の中の女の子が身じろぎする。震えてる。引っかかっていた疑問が氷解していく。こればっかりは自惚れじゃない。最初から、このつもりだったんだ。
 抱きしめて頬を当てて、それから立ち上がる。菫に手を貸して、立ち上がっても離さなかった。

 廊下に近づくとシャワーの音が聞こえた。多分、アリスが入ってるんだろう。なるべく足音を立てないように通り過ぎる。そして穴倉へ。ここまで、一言も話さなかった。
 後ろ手に鍵をかけた。金属を小突きあう音。ここを完成させる音。
 前をしっかり見る。菫が視線を投げかけていた。踏み出す一歩。出した足が床に着くまでがいやに長く感じた。
 寄り添う。抱きしめるの一つ手前。お腹の前で組まれた手、腕と触れる。
「魔理沙さま……?」
 抱きしめない、おでこを当てるだけでキスもしない。いま、この状態だけで苦しいぐらいだから。
「緊張、しててさ」
 膝、意識して抑えないと笑っちゃう。歯も。放っておいたら派手に鳴りそう。まるっきり初めてってわけじゃないのに。でもこれから超えてしまうって思ったら、止まらないよ。
 左胸に重なる手。見つめあって、私の高鳴りを共有する。心なしか菫は安心しているように見えた。それを見ていたら、自然と震えようとする体の様子が収まっていく。
「服、……脱ぎましょうか」
 見つめていたくちびるが言葉を紡ぐ。こうして一歩一歩核心の出来事に近付いていくんだ。なんて、変に達観してる。
 私たちはお互いに背中を向けて脱衣を始めた。私は簡単に済む。シャツやスカートを適当に丸めて床の隅に放る。菫のほうはちょっとかかる。帯を抜く音、重みのある布が落ちる音。いやでも想像を掻き立てられてしまっている。密室、狭さ、暗さ、敷かれた布団。女の子のはだか。
「もう、いいですよ。魔理沙さま」
 声をかけられ、振り返る。
「隠すなよ……」
 脱いだ襦袢で前を覆う菫。これじゃ私だけ丸出し。
「多分……、いま魔理沙さまにはだかを見られたら、菫は……」
 大股で近付くと、菫が後ずさる。ここは狭い。すぐ壁に追い詰めた。顔を寄せると、狼狽え、狼狽えながら観念して目を閉じる。私はそれを確認して、
「明かり、もうちょっと暗くする?」
 菫が面白いぐらい勢いよく目を見開いてる。
「いじわる、しないでください……」
 抗議する菫にごめんごめんと平謝りして、ようやく口付ける。待ちわびていたからか菫はとても積極的だった。しきりについばむ。顔を動かして角度や重ね方を変えていく。その熱心さに翻弄されて、私は菫にされるがまま。
 身体と身体を隔てる白い襦袢を腰の辺りから脇に逸らした。掴む菫の手に自分の手を。指一本一本を離していく。そうして、取り払う。
「まりさ……さま」
 無心で引き寄せた。こうしたかった。硬くなったものを、菫のお腹に突きつける。体の間で押しつぶす。めり込みそうなぐらい、押し付ける。菫がおずおずと抱きしめ返してくれる。切ない気持ち満たされて、声を漏らしてしまった。
 とてもキスがしたくて、菫のことを確かめたくて、不気味なほどざらついた声で「寝て」と命じていた。
 供物のように、身をかばいもせず横たわっている。そんな菫に覆いかぶさって、耳元から首筋へとくちびるを当てながら降りていく。舌を当てるとぴりりとした肌の味がする。でもやわっこくてなめらか。ついばんだり、鼻を当てて頬擦りして素敵だよって伝えてあげる。
「女の子ってドキドキしてるか分かりにくい……」
 胸元にくちを寄せても、中の息づきが伝わってこない。私の言葉を聞いて菫が慌ててる。たどたどしい手つきで私の頭に手を添えて、耳を当てさせた。
「してますよ……ちゃんと」
 肌の下から聞こえてくる。早めの感覚。平静とは思えない大きめの音で。こうするたびに、女の子といえど私とおんなじ人間なんだって思える。だけど、日にちが経つと綺麗に忘れてしまってる。何かにつけてドキドキさせられて、違うなって思ってしまう。でもそれは悪いことじゃない。
「してる。……うれしい」
 こうやって確かめる面白さがあるのだから。
「起きて」
 したいことがいっぱいある。寝かせたり座らせたり慌ただしい。脚の間に座らせた菫の背中を支えて、おっぱいに手を重ねた。目配せすると頷いてくれる。手のひらで押すようにそこを触り始める。彷徨うような視線を感じて、口付けを。
 今度は舌を合わせる。味はないけどにおいはある。人の舌の不思議なところ。引っ込めると菫が追いかけてきて私の前歯をなぞった。くちびるで挟むけど、唾に助けられてぬるぬるとすべる、くちびるが濡れる。それを、菫が綺麗にしてくれる。
「もっと……?」
 顔を離すと名残惜しそうな顔しちゃって。だからもう一度。今度は私が舌を出してみる。菫の口のなかは小さくて、それだから尊くて、いま自分がしてることのものすごさがわかってしまう感じ。軽々しく入ってはいけない場所。
 手を下ろしていく。胸からお腹へ。もちもちしてるのが可愛らしい。太っているわけじゃないけど、筋肉が少なくてやわらかい。へその下を丸く撫でて、脚と脚のあわいに深く降りていく。私はまだそこに何もしてないはずなのに、外に溢れ出るくらい濡れてしまっている。触った瞬間気付くほど。とてもとろみが強い。
「えっと」
「言わないでください……」
 そういえば、もうしたことあるんだった。見たこともあるし、触ったことも。この身体とじゃないけど、したことも。菫もそんなに緊張してないのかもしれない。
 くちを重ねつつ、そこを調べていった。傷つけないよう、慎重に。指先でなぞり、にじむおつゆを広げる。
「んっ……まりさ、さま」
 見なくても芽の位置は判る。こねて、菫を惑わせていく。
「お風呂、まだだから……あんまり」
 菫が首筋に鼻を当ててきて、遠慮が生まれる。
「平気です。魔理沙さま」
 ちろ、と菫が舌を出した。残っている汗の味を、舌に溶かし出している。
「菫、魔理沙さまに……きれいにして頂いてるような気さえしてるんです」
「お世辞だよ……。私は、そんなんじゃ」
 その言葉が出来すぎてて、まるで私の意に沿うようで顔を背けた。
「魔理沙さまはおきれいです。そんな魔理沙さまに触れて頂いて、それを分けてもらえてる気がするんです」
 私の信じてない様子を見て、菫が頬を寄せる。
「……あんなに好きって言ってくださったのに」
 苦笑いしてる。こっちに振り向かせようと菫が照れくさいことをいっぱいしてる。
「信じるから、な……」
 それに耐えきれなくなってきて、遂に観念した。キスを許すと、菫が身体を押してきて、後ろに寝転がされてしまう。
「まりささま」
 明かりを弱くして、かけ布団を手際よく手繰る菫。じっと見つめられると、また胸の高鳴りが戻ってくる。
 それは菫も同じなのかな。舐め取るようなあまくち。くちゅくちゅという音がしても全く気にしてない。漏らす吐息が、温かさを失う前に直接取り込めてしまう。
「菫、やっぱりこういう感じが好きです」
 ハグ、頬擦り。ううん、そうじゃなくて。この照れくさいんだけど、でもやめられない感じ。いっしょにいたい、なかよしでいたい、ちかくにいたい。どうして、大きくなるとこういうことを素直に思えなくなってしまうんだろう?
 胸に置かれた菫の手に私もそうだってことが伝わってしまってる。不自然に顔を背けてしまったり、妙に口元が緩んでしまってたり。そういうところからもばれちゃってるかな。
 単に私がこういうのに弱いだけなのか、それとも女の子がこういうとき強いものなのか。菫の目がしっかり私の目を捉えた。こころを直接覗かれているみたい。私が菫のことどう思ってるか。光が当たっている部分も、陰となった後ろめたい部分も。
 逆に私も菫のこころを覗くことができるのかな。と思ったけど、あんまりにも眩しいわ恥ずかしいわで入っていけない。
「あー……、どきどき、しすぎちゃいます」
 覗かせるがまま任せていたら、先に菫が折れてしまったみたい。まだ覗かれる慣れない感覚の余韻に浸りながら、落っこちてきた菫を抱きしめてあげる。
「何かわかったか? 私のこと」
「恥ずかしいのを我慢されてる様子がとても可愛かったです」
 なんだそれ、と脱力した。私がよく分からなかったように菫も分からなかったってことなのかな。
「でもですね……」
 勿体付けてくるから気になる。たずねても「なんでもありません」と菫は教えてくれない。
「じゃあいい……」
 けど、菫の髪を香っていたらどうでもよくなるのだった。異性の重みや温もりの心地よさ。昨日まであんなに怖かったのに。
「菫……もう、いい?」
 この一言で甘い空気が壊れちゃわないかな。自分の声が別の人の声みたい。
「いつでも……菫はいつでも構いません……!」
 頬を当てたままの菫が囁く。さっき触ったとはいえ心配だったけど、菫が押し当てるそこはすごいことになってて、ほっとする。
 右手だけ布団から出して、枕元を探った。ここら辺にあったはず。
「まりささま……?」
「待って。すぐ着けるから」
 ようやく目当てのものを掴んで手を戻そうとする。だけど、それを目にした途端菫が明らかに表情を曇らせた。
「魔理沙さま、そんなものに邪魔されてまで菫は抱かれたくありません」
 手にしたゴムを見て、菫は身体を離して布団をかぶってしまった。
「菫……」
 じゃあもういいよ、だなんて言わなかった。菫の背中を追いかける。
「なあ、どうしたんだぜ」
 一緒に布団に入って後ろからつっつく。
「赤ちゃんできたら困るだろ。……欲しくないってわけじゃなくて、まだ早いよ私たちには」
 いっときの快楽に流された結末は不幸だ。菫の小さな体で赤ちゃんなんてまだ産めない。例え産めても子供二人でどう育てるんだろう。
「赤ちゃんができなかったら……例え魔理沙さまに抱いていただいても、菫が魔理沙さまのものだって、どんなに大きな声で叫んでも……人には伝わりません」
 菫の言葉に胸が騒ぎだす。
「魔理沙さま……」
「これ以上、言わなくても大丈夫」
 手の中の避妊道具をぎゅっと握りしめる。
「菫」
 菫が妊娠したら新しい縁談はきっと破談で、家にはいられなくなるはずだ。出来た子供もどうするんだろう。どう転んでも悲しく辛い結果が待っている。でも、どっちに希望があるかだなんて。
「する。するぜ」
 身重の菫と、生まれてくる赤ちゃん。ふたり一緒に守れるようになれば。
 震えてる。多分菫に伝わってる。気を付けてないと歯がかちかちと鳴ってしまいそう。どうしてわたしたちは仲良くなってしまったんだろう――だなんて、そんな悲観はもう捨てよう。
「こんな情けない私だけど……よろしく」
 深く腕の中に引きこんで囁く。いま目の前にいる菫を幸せにすることが、きっとえにしの……もう一人の菫の望みのはずだから。
 菫のうなじに鼻を当てて、香る。またそうしてどきどきを溜めていく。華奢な体の抱き心地、毛布に蓄えられる熱。押し当てた胸から鼓動を教える。
「キス、したい」
 こうしてくっついているとどきどきを共有してるみたいで心地いいけど、一方でそういう気持ちも首をもたげてくる。
 振り向いた菫とあいくち。うんと見つめ合ってからあいくち。かわいいって思って、より胸高鳴る。恥じらいとよろこび。この子と、しちゃうんだ。
「夢みたいなことが続いていて……。菫、やっぱりこれが夢なんじゃないかって思ってしまいます」
 濡れた瞳を半ば開いて菫が囁く。
「多分、痛いと思う」
「構いません。この体にも、魔理沙さまを教えてくださいませ」
 仰向けに寝かせ、もう、菫の顔を見ないことにした。目も固く閉じる。
「魔理沙さま……」
 今から与える痛み。他の誰かになんて絶対させない。
 当てる。その途端、先っぽが濡れる。押してみると、侵入を阻まれてるのか、歓迎されてるのか。滑るのに抵抗されてるなんて、変な感じ。弛んでいた菫が硬くなる。そこで間違ってない。
 とても狭いところに潜ってる感じ。押し広げているけれど、裂けてるわけではないみたい。ゆっくり、無理をしながら分け入ってくのって、熱ととろみと圧迫感ですごく気持ちがよくて、菫が痛みと戦ってるのをよそに早く奥まで行きたいって体がせかしてくる。
 体を開くおんなのこにようやく全て押し入れて、でも欲望が繋がった充実感とかを味わう間を与えない。揺すってむさぼって吐き出させるために、押し付けろ擦り付けろって脳みそを使わずに体に命令してる。
 どれだけ抑えようとしても、動きを緩慢にするだけで止めることは出来なかった。菫の苦悶の声よりも、中の様子に夢中になってしまう。めくられて、吸い付いてるみたい。あったかいし、ぬるぬるだし、ここが自分の体の目指すべき場所なんだって。
 だけど、快感に流されて今こうしてる意味を見失っちゃだめだ。ただ出すんじゃない。ちゃんと届かせなくちゃ。菫の乙女を暴いた意味を果たさなくちゃ。
 だから……泣いちゃだめなんだ。
「まりささま……すみ、れ……」
 抱いて、抱きしめて、絶対どこにも逃げられないように抱き寄せて、奥の奥、届く限界まで挿し入れて。撃ち出す、ひねりこんで、脈打って、まだまだ。いま私が菫に渡せるたったひとつのそれを。幸せの種であってほしい、なんておこがましいかな。
 繋がり終えて、けれど私は菫を離せなかった。抱きしめなおす。そうしながら思いをちょっとずつ噛み砕いて言葉に変えていく。
「……私と、不幸になって」
 もう、母さんの言葉に縛られて女の子の真似をする必要はない。私が生きている意味、この奇妙な世界にやってきた意味を、私はこの夜に確信したんだ。
 まるで答え合わせだったみたい。だって、この日がここで菫に会った最後の日になったんだから。

 * *

 水を飲もうとキッチンまで行こうとして、音もなく踵を返した。
 見てしまった。あの女と、魔理沙が抱き合っているところを。
 部屋に戻って、扉を閉めた途端に力が抜けた。変に体に力が入っていた。それが抜けた。
 ふたりともわたしに気付いた様子はなかった。だからといってあのまま無言でソファの前を突っ切れたものか。尻尾巻いて、こうして自室に逃げ込むほかなかった。
 ふらふらと前に進み、壁に頭を当てた。そして、ほとんど衝動的にまっすぐ拳を振るっていた。
「なんなの……」
 もう一度。一発目よりは加減をして。
「いったい、なんなの」
 体の中がきりきりと絞り上げられるよう。乾いた口の中が張り付いて不快だ。喉の奥まで張り付きそうで、余計に苛立つ。
 胃が千々に引き裂けそうだ。縮みあがって上にでも引っ張られたか。吐き気さえこみあげてくる。
「なんだって、いうの」
 壁に額を当てたまま、強く歯噛みして唸る。自然と小鼻が震える。膝さえ見舞っていた。
 別に、あの女が憎いわけじゃない。この不快な気持ち。初めて見たときから感じていたものと相通ずる。
 結局、その日魔理沙はやってこなかった。やってきたとして、一体どうすればいいのか想像もできないけど。
 わたしは、魔理沙をどうしたいのだろう。
 答えがわからない振りをしてるというのは、分かっていた。けれどそれを踏まえても、わたしが魔理沙とどうなりたいのかは分からなかった。
 それは……頭に浮かぶ、もうひとりの人がいるからなのだろうか?
 わたしは、いったいどうしたいのだろう。

 *

「ご苦労様」
 翌日女はやってきた。わたしはベッドに腰かけながら、曖昧に返事をする。口淫の次といったら、もう思い浮かぶことは少ない。
 わたしはそれを告げられるのを待った。しかし女は立ったまま言葉を発しようとも、動こうともしない。
「貴女は、いったい」
 不審に思って顔を上げた。その顔は、恐らく無表情なはずなのに、疲労のにじむ血色の悪さがそう思わせない。幽鬼か何かだ。いや、それよりも。
「それは……なんなの」
 後ろにまとう黒煙のようなぼうっとしたものはなんだ。まるで、この女の精気でも吸ってるかのようだ。
「知る必要はないわ」
 次の瞬間、わたしは壁に叩きつけられ、体の自由を奪われていた。声を出す自由さえも、だ。だから、女が次に発した言葉をよく聞き取れなかった。
「……う、ぐぅうう」
 あの煙がわたしにまとわりついて縛り上げているようだ。縄で縛られているのとは違う。体の表面は何ともないのに、皮膚一枚内側から中を締め上げられているようだった。
 胃をねじられているようだ。苦しく、そして吐き気がこみ上げてくる。息も上手にできない。
「ぐ、が、ぁああ、あ……」
 煙は頭に回ったのだろうか? 脳に浸透してる。ミントの搾り汁を直に掛けられたかのようだ。脳組織がどんな形をしているのか、想像ができるほどの頭痛。前も見えない。立っているのか座っているのかも判らない。口を閉じているのか、開いているのか。耳が聞こえているのかいないのか。

 そして何もかもが白に消えていく激烈さは、奈落の底へと落ちていくような浮遊感とともに、真っ暗になって消えてしまった。

 * *

 靄がアリスを縛り上げている。耳から中へ入り込み、そこを書き換える。一部を消し、一部を繋ぎ変え、しかし違和感は残さない。
 事切れたように少女が崩れた。口の端は泡立ち、目も開きっぱなしの壮絶な表情だ。それを見て、えにしは特に感心した風でもなく突き出した腕を下ろした。
「何がそうまでして貴女を恐れさせるのです。この娘、……眷属の類でしょうか」
 漂うように足元へと戻ってきた靄がえにしに訊ねた。力を行使した疲労か、弾むように形を変え続けている。
「此奴はヒトだ。限りある生なかりせば至上の美など得られない。……だが、ただのヒトではないことは確かではある」
 まったく業なこと、とえにしが吐き捨てる。靄が怪訝な様子で揺れている。
「気付いてなかったの?」
 えにしは呆れた様子で顎で指図する。自分で調べてみろということだ。
「この娘……!? いや、娘……?」
 アリスの身体に透けるようにまとわりついた靄が驚愕に墨色を濃くした。体の輪郭をなぞるように漂い、しかしまだ唸り続けている。
「懸念が無くなったわけではない。系譜が断たれる恐れは消えていない。……後は頼んだわ。この身体で術は応える」
 えにしがどっと床に崩れ、壁に背を預ける。汗ばみ貼りつく服の不快感すら気にする余裕も無いようだった。
「それに……仕上げが残ってるしね」




















最終話
遷ろう宿世の縁
(うつろう すくせの ゆかり)

 朝起きて菫がいないのは毎度のことだけど、しかし今朝だけは異様だった。
 廊下に出ると、扉という扉が開け放たれている。まだ私が入ったことのない部屋も。アリスの部屋も。
「……いない」
 アリスの部屋はもぬけの殻。ベッドはあるけど、まるでこれまで誰も使ったことがなかったかのように皺ひとつなく整えられていた。
 穴倉の敷布団は三つ折りにたたまれ、テレビを見た部屋は、そのテレビに幕が掛けられている。アリスの隣の部屋は細長いだけで何もない。
 そして、一度しか行ったことのない突き当りの鉄の扉の向こう。あの男が籠っている部屋。扉は僅かに開いている。その敷居の前まで来て、深呼吸する。こうなっているには理由があるはずだ。あいつがいるなら、訊ねてみるのもいいかもしれない。答えてくれるかはわからないけど。
「ひ」
 意を決して重い扉を押すと、そこは息を呑むほどに荒れ果てていた。並んだテレビの画面という画面は割られ、その破片が床に散っている。
 廊下からの明かりを背にしつつ、中を見回した。机の上も滅茶苦茶だ。一部は床に放り出され散乱している。まるで、誰かがここで暴れたみたいだ。
「ここは隔離境。現世でも黄泉でもないところ」
 背中からの光が遮られて飛び上がった。慌てて振り向くと、そこにはえにしがいた。なにか意味深めいたことを口にしている。
「こっちへ」
 荒れ放題で息苦しい部屋から出ると、招いたえにしは別の部屋に入るでもなく、むしろ立ちふさがるように私の前に立っていた。
「この世界はあと暫くもしない内に消えてしまう。……だから、お別れを言いに来たの」
「そんな……突然、そんなこと言われても。何が何だか、私わからないぜ」
 そのおもてはまるで吹っ切れたかのように爽やかで、この異様な状態の中でも際立って異様に感じられた。
「わたしはここと同じ。魔理沙ちゃんのために用意されたの。ここが無くなるということはわたしの役目もおしまい」
 わたしはここと運命を共にしなくちゃいけない、とえにしが真っ直ぐ前を向いて告げた。私より背が高い。小さな子にでも言い聞かせるように、ゆっくり穏やかに。
「……そっか。そっかあ。やっぱり、えにしは」
 このおかしな世界で、この人は。自分との思い出をもう一度作ろうとしたんだ。この人が強く望んだからこの世界が出来たんだ。えにし、未来から来た菫その人。
「私、……菫によろこんでもらうことができたかな」
 きっとそれはとても無茶な要求だったんだ。だから、その代価を支払わなくちゃいけない。この奇跡みたいな時間に対するそれを。
「大馬鹿だ、私……。別の世界でも、菫を悲しませてたんだ」
「それは違うよ。魔理沙ちゃん」
 涙声に変わり行く私の肩に、えにしが手を置いた。
「わたしは菫じゃない。えにしよ。だから悲しむことはないの。しゃんとして。前を見て。泣いちゃだめ」
 ね、と念を押す温かい女の人の眼差し。
「……月が迫ってきてる。もう長くは持たないと思う」
 あの、空に浮かぶ大きな月のことらしい。確かに落ちてきてるみたいに大きいけど、本当に落ちてきてただなんて。
「こっち……。出口はもう開いたから、そこを通れば元の世界に戻れる」
 手を引かれるんだけど、私は動かない。足が根を張ったみたいになってる。
「魔理沙ちゃん!」
「やだ……。どうして、どうして」
 頭ではわかってるつもりなんだ。どうあってもこの人とはここでお別れなんだって。でも心が拒んでる。泣いちゃだめって言われたけど、もう泣いちゃってるや。
「大丈夫。魔理沙ちゃんにはあの子がいる。元の世界に戻ったらよくしてあげて。あの子、あなたのこと、好きみたいだから……。ね、自信を持って」
 泣きじゃくる私の頬を両手で包み、えにしが屈んで目線を合わせてくる。
「おいで。帰りましょう? 魔理沙ちゃんを待ってる人、必ずいるはずだから」
 顔こそ俯いたけど、今度は足が動いた。えにしに手を引かれ、さっき見た何もない部屋へ。カーペットがまくられると、そこには四角い穴が空いていた。冷たい空気を吐き出す様子は、まるで呼吸をしてるかのようだった。
 降りてと促され、梯子を下りていく。ひんやりとした空気が腕に触れ、鳥肌が立った。
 高さはそんなにない。すぐに降り終わり、えにしもまたすぐに降りてくる。待っている私の脇を通り、えにしが奥へ進んでいく。
「この向こうが、魔理沙ちゃんが元いた世界」
 四つある扉は全て開け放たれている。扉こそ複数あるけど、向こうの空間は繋がっているようだった。
「わたしが来られるのはここまで」
 最後までえにしは私の目から目をそらさない。それが、私の退路を断っている。
「わたしのことは忘れ、新しい人のもとへ、さあお行きなさい」
 歩み寄ったりはしない。その場に立ったまま。
 あれほどちかしくなれたのに、こんなに別れがあっさりとしたものになるなんて。いや、別れるときは誰と誰のものだろうと常に一瞬で、その瞬間にはあっさりもしっとりもないのかもしれない。ただただ、打ちひしがれるだけだ。
「……今まで、ありがとうございました」
 もう、会える日は来ない。足掻くように言葉を絞り出す。
「えにしが教えてくれたこと、忘れない」
 この一言で一瞬えにしが動揺した、ように見えた。多分、私の思い込みかもしれないけど。
「私、……私のこと、好きになるよ。そうしないと、人の好きって気持ちを受け止められないから。……きっと」
 涙がこぼれてきたのを、無理な笑みで取り繕った。頬を歪ませたものだから零れてしまう。けど、笑みだけは崩さない。
「わたしの手で愛する喜び、愛される喜びを教えられてよかった。わたしの手を離れても……愛してる」
 えにしが静かに歩み寄ってくれた。腕を触り、それからゆったりと抱きしめられた。その胸に涙を染み込ませるような真似はしない。
「さよなら、えにし」
 ここでの触れ合いは確かに存在したんだ。
「戻ったら絶対に幸せにしに行くから。きっと、悲しい未来になんてさせないから」
 きっとじゃない。必ず。
 扉を前にして、振り返る。えにしが手を振って送り出してくれてる。それを確認して、飛び込んだ。
 全てが不定形で地面もないうねりの海のような空間に。もう振り返らない。落ちていく。髪が、スカートがたなびくのが清々しくもある。
 遥か下方に光の点。そこを目指して、元の世界を目指して私は落ちていった。

 * *

 胸元に下ろした髪、その先につけたシュシュを取り払った。広がった髪を後ろに払うと、黒かった髪がこがね色の光沢を持ち始める。瞳が乾くような感じがして、目をきつく閉じた。こちらも元の色に戻ったのだろう。
 魔理沙は次元のトンネルを通っていった。あれに時間の概念はない。だからもう元の世界に戻れているはずだ。
 与えられる愛は全て与えた。ささくれも、綻びも、ひびわれも、すべて包んであげたかった。それははなむけ。それと贖罪。
 生むということは残酷だ。温かな胎内から外の世界に突き放す。もう指一本触れることはできない。
 一計に狂わされてしまうとも知らず、それでもあなたは変わりたいと言ってくれた。しかしてその決意をも拭い去ってしまうことになる。無為な時間というのもひとつの真理やもしれぬ。
 さようなら、魔理沙。愛しい媛、そのひとり――。

 * * *



















 起きると頭が痛い。長いこと眠っていたような気がする。床に酒の瓶が転がっていて、ああきっと酔って寝ちゃったんだと。そう結論する。
 台所へ行き、コップも使わず水を飲み、ついでに顔を洗う。鏡を見ようとは思わない。きっと酷い顔だ。
 顔を拭いていると、唐突に言い知れぬ違和感を覚える。
「何か、忘れてる気がする」
 急に動悸が強くなる。不自然に高鳴って服まで一緒に脈打ってる。
 何か約束してたのを忘れた? でも、誰かと会う約束なんてしてない。と、思う。
 だったら、この強迫めいた不安は何? 手のひらを見ても、答えが書いてあるわけがない。
 そのときだった。来客を告げるノックの音が耳に飛び込んで来る。
「はーい! ちょっと……ちょっと待ってな!」
 上を着てなかったから慌ててボタンかけっぱなしで放ってあったブラウスを着て、玄関へ急いだ。
「おまた、せ……?」
 待たせてすまんと扉から身を乗り出したその目の前に、アリスがいた。
「おはよう。……もしかして、寝てたの?」
 一度は引っ込んでいた動悸がまたもぶり返す。しばらく、顔をまじまじと見つめてしまってた。
「まあ、……そんなとこ。昨日深酒してたみたいで、さ」
 見つめていたことに気付いて慌てて言葉を繰り出す。なんだ、いまの。それに、……アリスってこんなに可愛かったか?
「そうなの。起こしたみたいね。……ごめんなさい、顔が見たかっただけだから……わたし、帰るわね」
 そのアリスの頬にもほんのり朱がさしていた。私が止める間もなく、アリスは人形を伴って飛んで行ってしまう。
 それを名残惜しく見つめていた。上げっぱなしの腕にも気づかず。
 私が今の気持ちを好意だって自覚するのに、そんなに時間はかからなかった。

――どうしてこんなに好きなのか。暴れてしようがない胸の内を、切り開いて見せられたら。

 思えばこれが私の、身を裂かれるほど悩める恋の始まりだった。
長々続いた「えにし」はこれで終わりです。お付き合いありがとうございました。
そして舞台は幻想郷へ。魔理沙とアリスの物語はまだまだ続きます。

>>1
こちらこそ読了お疲れ様でした。1年10ヶ月で450KBぽっち。本当は1年ぐらいで完結させなきゃですね。。

>>2
たくさん書いた甲斐がありました。本作はご推察の通り『悩める』前哨戦です。当初からそのつもりで始めました。
魔理沙とアリス。この二人にはいい加減決着をつけたいもの。2年近くかけてようやくスタート地点に立てました。
これからもご期待頂けたら幸いの至り。
Romy
http://bohyou.x.fc2.com/
コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
読み応えありました、お疲れ様です
2.性欲を持て余す程度の能力削除
大長編の執筆お疲れ様でした。この物語はいつも楽しみにしていました。

魔理沙が記憶を消されてしまうのは、切ないなーとか思ったり、
えにしやその協力者の正体を考えたり、
今回で一応終わりのハズなのに伏線(?)っぽい事書いて大丈夫なのか?と心配したりしてますw。

悩める君の過去偏・・・と思ったら、物語を再構築するのですね。
(今更ながら悩める君の、性欲処理の追記を知りました。)

次回作も楽しみに、のんびり待っております。