真・東方夜伽話

純白のネペンテス

2016/06/15 00:11:53
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純白のネペンテス

フカが孵化する

 僕には両親がいなかった。
 寂しくはなかった。もちろんその言葉は、強がりも少しだけ含んでいるけれど、大筋においては大して的を外してないと、自分では思っている。むしろ恵まれた環境にいただろう。祖父に付き合って指す将棋は面白くなかったし、悪戯をやらかしてこっぴどく叱られた日の夜には本気で涙を流すこともあった。けれど時間をおいてみれば分かる。実際、祖父は一人で僕の面倒を見てくれたのだし、身内の贔屓目でなければ、きちんとした人格者であった。
 寺子屋に通い出すようになっても、爪弾きにされるようなこともなくて、慧音先生は最初の時に一瞬だけ僕を見てぎょっとしたものの、他の子供達と何ら変わるところのない態度で接してくれた。慧音先生は、人に勉強を教えることは向いていないようだったけど、人に倫理や道徳を教え諭すことには長けていた。両親の不在も、当たり前に与えられる幸福というものを見つめ直す機会をくれた。
 が、僕が順当に育っていたかというと、それはまた別の話なのである。
 近所で噂されていたのを聞いたことがある。要約すれば、あの家の子供は頭がおかしいということだ。成る程、無理からぬ話であった。あの慧音先生にさえ落ち着きが無いなと苦言を呈されるのだから、全くその通りであるとしか言いようがない。
 話は変わるが、僕には人の気持ちが目に見えた。いつでも、というわけではない。時折、強い感情を抱いている人を前にすると、例えば、怒っている人からはビシビシと、悲しんでいる人からはしとしとと、何か理解できないものが伝わってくる。僕はそれを当然のものと思っていたのが、ある日ふと友達に漏らしたことで、自分にしか見えていないらしいということを知った。その後、子供の頭で悩み抜いた結果、どうやらオーラのような何かだろうと結論付けた。おかげで平素の僕は大人達の意図を汲む良い子として扱われた。
 おとなしくて口数の少ない子供。ただし、些細なこと、ふとした拍子に、瘋癲のように暴れることがある。

 転機は、体の機能が大人に近付いてくる頃だった。最初、おねしょ、ようは粗相をしたのだと思った。布団を汚す白っぽい半透明の液体。子供心にも、いけないことだと直感した。悪い病気かも知れないという不安も押し込めるほどの忌避感で、僕は痕跡を始末しようと躍起になった。夢精だった。それからしばらくして、欲望と好奇心に負けて、同級生の女の子の持ち物を盗んだ。
 蝶の羽をもぐことに興奮した。寺子屋の裏手にある花壇の花を全部摘んでしまったのは僕だ。良くないとされることだという自覚はあった。それらのことが祖父に知れると、殴られ、叱られた。

 ……だと言うのに、その後の反応は、僕の全く予想していない、また一般的でもないだろう、悪事を咎める厳しさとは違った、神事に務める者のような厳粛な表情だった。
 祖父は、訥々と語った。その理解不能な話は、会ったこともない祖母の話から始まった。祖母は癇癪の激しい人で、息子の嫁、つまり僕の母を、ひどく虐めていた。石女。聞いたことのない、そして恐らくは、聞く必要のない言葉。
 じいちゃん、うずまめってなんじゃけぇ。
 僕が問い返すと、祖父は、子供を身籠らない女の人のことだと答えた。僕は黙って頷いた。子宝に恵まれない女に価値など無い。そんな因習じみた価値観を継承しているのが祖母だった。子供を産めないなら出ていけ、この程度はまだ軽い方。祖母の罵倒はひどいもので、とうとう母は精神を病んでしまった。そのあまりのことに、祖父は祖母を実家に返した。怒鳴り付けたそうだ。遅かった、済まなかった、そう言って、祖父は僕に頭を下げた。何も言えるわけがなかった。長年連れ添った妻だろうに。
 そして、懺悔混じりの話はいよいよ異常さを帯び始める。
 ある日、母が失踪した。
 祖父は草の根を掻き分ける勢いで探したが見付からず、しかしふらりと、母は戻ってきた。迷いの竹林に行って祈願して来たのだと言う。

 その晩、母と父は狂ったようにまぐわい、父は死んだ。母も僕を産むと、すぐに死んだ。

 お前は、白兎様の申し子だ。
 祖父の話はそう締め括られ、終わった。お前の異常は、そのせいだろう、と。祖父の目は、まるで今も父母の狂的な交わりを直視しているかのように現実を見ておらず、冷静なものではなかった。突如として仏壇に向かうと、それこそ狂ったように額を畳に擦り付け始めた。

 そんな話を聞いたからと言って、急な変化が訪れるわけでもない。すべき謝罪もあれ、まさか直截に謝るわけにもいかず墓まで持っていく覚悟を決め、その件の相談を慧音先生に持ちかけて、しかし言い募った結果として逸れた相談から、僕が見ているものは波長と呼ばれるものらしいことを聞いた。


 もやもやとした気持ちを抱えたまま過ごすのは、一週間ほどが限界だった。
 迷いの竹林には、入ってはいけないと言われている。里の人間の共通の認識で、慧音先生も、その脅威の程を知っているのか、子供達に、そして大人達にも、きつく言い聞かせている。馬鹿な男の子の社会ではよくある勇気を示す通過儀礼としての冒険で入った時には、やはりこっぴどく叱られた。もっとも、いったい何故なのか大人達にも分からないが、迷いの竹林で帰らぬ人は後を絶たないそうだ。毎年、何人もの人が竹林で迷子になっている。僕の母も、そうした内の一人だったのだろう。──今の僕と、同じように。
 ばあちゃんにいじめられて、かあちゃんはどんな気持ちじゃったんじゃろう。
 石女、すなわち、女として役立たずということだ。そう蔑まれることが、どれだけ辛かったか。子供に想像が付くはずがないと、そう思うより他にない。竹林は逃げ場所だったのも知れない。現実を辛く思った者が、最後に逃げ込む避難場所。日向にいられない生き物が棲む日陰。
 ああ、ほら。
 ざあ、ざあ、と揺れる竹の葉は、僕を招くように鳴いている。
 昼間だと言うのに、真っ暗だ。いや、もう何時間歩いたか分からないから、とっくに日が暮れているのだろうか。本当の完全な真っ暗闇で、前は何も見えない。いつ妖怪に喰われるか分かったものじゃない。でも、僕は怖くなかった。むしろ安心していた。この竹林は、劣情に塗れた僕でさえも、受け入れてくれる場所だ。
 少しだけ、祖父のことを考えた。申し訳ない気持ちもあった。何も告げずに出てきてしまったことも心残りだったけれど、心配なら要らない。

 何時間も何時間も歩き通した。なのに不思議と疲れを感じない。辿り着くべき場所に辿り着くために延々と進んだ。身体が軽い。いつしか僕は四本の足で走っていた。
 目の前に白い点が見えた時、僕の中に爆発的な歓喜が満ちた。それからは無我夢中。焦って躓いたって、すぐに体勢を直して、光の元にひた走る。

 目の前が白く染まり、頭の中が真っ白になった。

 僕の目の前にいたのは、白い少女だった。その身に纏うワンピースドレスも、ふわふわとした柔らかな髪も、穢されるのを待つかのような純白。祖父の話にあった白兎様、母が邂逅したという少女に違いない。明らかにこの世のものではない美貌で、その姿を見ると同時に、僕は溶けるように自分を吐き出していた。
 涜聖の歓びに全身が震える。与えられる罰への恐怖にも全身が震える。死刑宣告を待つ僕に、白い少女は委細承知したような顔で微笑みを向けた。足元から脳天まで雷が突き抜けたように感じた。股間が壊れたような射精は、経験したことのない圧倒的な快楽だった。彼女がたおやかにその華奢な指を翳すだけで、僕はどんな芸だってするだろう。そして僕は、白い少女に誘われるまま、この世にさよならをした。

 ……………………
 …………



「あの子に、何をした」
 低く抑えた厳しい声を発したのは、やや背丈の低い、しかし背筋の伸びた少女だった。上白沢慧音である。

 案内も無しに竹林に踏み入った慧音は、しかし迷うことなく、主に導かれるように、ある場所に招かれた。地面に転がって自慰と射精を繰り返す少年を一瞬だけ見咎めた慧音は、痛ましい表情で目を逸らし、白い少女を睨み付けた。
「指一本、触れてないよ? 一言も、話し掛けてないよ?」
 軽やかで、透き通っていて、ただ慧音の詰問に答えただけなのに、まるで詩っているかのよう。
 眩暈がした。話は、早く切り上げた方が良い。
 白い少女──てゐは、慧音のいじらしい態度に、にこりと微笑みを浮かべる。蜜毒じみた甘い匂いが漂った。
 白く清楚な花がそよ風に揺れる様子を思わせる、可憐な微笑。
 しかし警戒心を抱く慧音にとっては、その花の微笑みも、食虫植物じみた不気味なものに感じられた。そして事実、この印象が正解に近いことを、慧音は知っている。竹林は獲物をおびき寄せるため、罠を張る。
「これは、慧音も知ってることかな。その子のお母さんが、私の所に来てね。子供を授かる幸運をお与えくださいって」
 だから、あげたの。
 てゐは簡単に言った。
「一滴だけ、私の血を飲ませてあげようと思ったの」
「……」
 無言で睨み付ける、慧音。
「でも、その子のお母さんは、私を押し倒して、首を掻き毟って、血を飲めるだけ啜り始めた。で、お腹いっぱいになると戻って行った」
 極めて僅かな適量であれば、確かに効果はあろう。だが過剰に摂取すれば、媚薬や麻薬の類いと大差あるまい。半獣であり、加えて聖獣白澤の加護を授かった慧音でさえ、その匂いを嗅ぎ、その声を聞いただけで、どうなるか分からないと言うのに。
 そうして、少年の母は致命的に狂い、狂気は夫にも感染した。
 慧音とて知らなかったわけではない。指摘された通り知っている、既知の事実。不審に感じた慧音は白澤の能力を用いて、少年の過去を紐解いていた。初見の際には流石に平静を保つことができず、ぎょっとしてしまった。ある意味では少年も、慧音と同じ半人半獣と言えるだろう。
 異物の血が混じれば自我を見失う。混じったものが混じったものなら、尚更だ。
「何故、止めなかった?」
「止めたよ? まあ、聞いてなかったみたいだけど」
「何故、力づくで止めなかったと言っているんだッ!」
 慧音は絶叫していた。
 てゐはくすくすと笑う。
「無理よ。だって私、か弱いウサギさんだもん♪ 襲われちゃったら、抵抗できるわけないじゃん」
「……っ」
 震える手を押さえ、慧音はこれ以上の追及を控えた。
 怒りに任せ、殴りかかって見るが良い。たちまち狂ってしまう。暴力を振るうことは本質的に快楽であり、楽しい思いを味わってしまえば、戻ることは難しい。一度でも理性の箍が外れれば、確実に終わりだ。
「質問を変える」
 まかり間違っても慧音がどうこうできる相手ではないと、そんなことは承知している。それでもこの場所を訪れたのは、ただ自分で納得したいがため。認め難い理不尽を、絶対的な存在がすんなりと腑に叩き落としてくれるだろうことを、慧音は期待していたのだった。
「良いわ。何かな?」
 慧音自身も自覚していない心の底まで見透かして、てゐはその期待に応える。
「何故、その子を無事に帰してくれなかった?」
「それを質問しちゃうの?」
 自信ならあった。
 しかし。
「頭の良い慧音なら、分かるよね?」
 あった、はずだった。だが実際、意地を抜きにした正確な予測を答えてみせろと言われれば、口を噤むしかない。自信ではなく、失敗したという自覚があった。
「その子の幸せそうな顔を見たらどう? これはこれで幸運だったんじゃない?」

 歪んだ欲望を正常な社会に押し込んだまま放っておけば、いとも簡単に面白い結果になるよ?
 だから、他の無惨な結果にならなくて良かったね。

 それは、言外の宣告。
「だけどな、確かに、その通りだけど……」
 その通りだ。しかし正気を失っている少年の姿を目の当たりにして、幸福そうにしているとはとてもではないが思えず、それは悍ましい悪夢の光景でしかなかった。
 子を欲したのは少年の母親で、母親を追い詰めたのは祖母だ。その状況を見過ごしたのは祖父と父親だ。中でも最悪なのは、何も行動を起こさなかった存在感の薄い父親だ。この愚図が何かしていただけで、そもそもこんな状況にはならなかった。てゐは元凶でもなければ直接的な原因でもない。驚いたことに、諸悪の根源のように振る舞う少女は、積極的な悪事を何一つとして働いていない。ただ馬鹿な人間が勝手に破滅していっただけだ。

 本当に悪いのは、田舎の因習だ。
 だから慧音は、正すことのできなかった自分の責任だと思っている。

「……どうして、助けてくれなかったんだ?」

 弱い本音が、水を溢すように口をついた。
「だってそれじゃ面白くないもの」
 意味の取れない言葉が、聞こえたような気がした。
 慧音は目を見開いて、呆然と膝を落とす。甲高い耳鳴りがうるさい頭の中で反芻して、ようやく意味を呑み込んだ。
「ねぇ、慧音。貴方は私を危険な存在として認識しているのに、私の善意を信じていたの?」
 からかう風に。さも可笑しそうに、くすっと微笑んだ。
「どうして助けてくれなかった、ね。助けてあげても良いよ? でもその代わり、ちゃんと私を楽しませてよね。その点、この遊びはつまらなかったね」
 遊びだって……?
 俄かには信じ難い言葉だった。
「子供が真っ当に育つかどうかを観察する? ……いや、私達が真っ当に育てられるかどうかを賭けていた? 子供が竹林に帰ってしまったらゲームオーバーだとでも?」
「そうそう、そんなところ。うまく育成すれば、けーねせんせーのお手伝いができるくらいには可能性をあげたのに、こんな情けない結果に終わるなんて、がっかり」
「…………」
 もはや、慧音は自分の感情をどう表せば良いのか分からなかった。目の前の白い邪悪は、慧音の理解できる範疇を超えている。
「許せない? だったら私を襲えば良い。無抵抗で凌辱されてあげる」
「それはできない。それだけは、だめだ」

 人間でいたいから。
 人間でなくとも、人間の側に立っていたいから。
 人として恥ずべきことなど、してたまるか。

 きつく瞼を閉じて身を震わす慧音に、てゐはふと、静かな表情を向ける。哀れみにも似た表情だった。
「獣が育つのは森の中。人から外れたものが生きるのは闇の中。所属する集団に同調できない者の選択肢として、逃避という手段は常にある。この子がそうだったようにね。これは妹紅も同じ、人の群れの中に帰ることができずに、ずっとここで暮らしてる」
 教え諭すように丁寧な口調。
 何故だろう。余程、自分よりも教師に向いているように、慧音は思った。それは、落とし所を用意した上で、相手の反応を窺いながら誘導することの基本ができているからだ。迂遠な言い回しと明瞭な言葉を使い分けている。
「そして、慧音も」
「……」
 気付けば、固く握り締めていたはずの指は、緩んでいた。理性が弛緩している証拠だった。
「人間を守るなんて、慧音のやらなきゃいけないことじゃないし、何より、荷が重い。正すことのできなかった自分の責任? 何を思い上がっているのかな?」
「それは……」
「人里で働いているのは、義務感? 慧音はもう十分な役割を果たしたよ? だから、こっちにおいで。助けてあげても良いよ? 快楽漬けにして欲しいなら、してあげるから」
 こっち。それは竹林のことで、人間の側ではない場所。半獣として、獣として生きろと、そういうこと。
 辛い心当たりなら、あるでしょう? と。

 見返りを求めずに人間に尽くす慧音が、最初から信用されていたはずが無い。田舎の閉鎖性は恐ろしいもので、一見して牧歌的な風景も、蓋を開けてみれば、日々の生活に困窮するあまりにゆとりを失った人々の心は腐り切っていた。慧音が汚名を着せられたことも一度や二度ではない。想像の中で、今よりも少し小さい幼年時代の慧音は、部屋の隅にうずくまり、静かに頬を濡らしていた。
 唐突に、柔らかいものが唇に触れた。そのまま板張りの床に押し倒される。何が起こっているのか分からない慧音は為されるがままにされ、ようやく唇と唇が離れると、糸を引いた唾液を、てゐは薄く微笑みを浮かべながら指で掬い取った。てゐは慧音の手を取って、透き通るように白いふとももへと導く。その意味を理解しないまでも温かさだけは心地良いと感じ、しかしそう思えていたのも、ぬるりとした感触が手に触れるまでだ。驚いてか細い悲鳴をあげた慧音の頭を、白い布地が包み込む。触れているのに触れている感触が無いような、不思議な質感の布だった。半透明で、衣裳として機能していない。抱き締められる慧音の目には、白いヴェールを透かして少女の胸が映っていた。
 好きにして良いよ?
 甘美な誘いだった。その胸に歯を突き立てれば、理性など一瞬にも満たない間に消え去り、後はあらゆる苦悩から解放されるに違いない。


「断る」
 短くはない沈黙の果てに、慧音は決然と顔を上げて、答えを告げた。
 数百年前の昔より少しだけ成長した背丈も、黒板の上に手が届かない。大人になったとは思わない。まだまだ自分は若輩者だ。しかしそれでも、自分の意志と呼び得る何かだけは、この胸の内に宿っている。
「そう」
 さして気にした風でもなく、てゐは頷いた。
 どうせ、慧音はいつかこちらに来るのだからという風に。
 しかしその口元が微笑って見えたのはどういう意味だろう。
「じゃあ外まで送ってあげる。足元でこぼこしてるから気を付けてね」
「……あ、ああ」
 ふっと息が楽になるようだった。見渡してみれば、辺りはつい先程までの無明の暗闇とは違っていて、普通に鬱蒼として薄暗い竹林の景色ではないか。ほろ苦い緑の香りに懐かしさすら感じた。実際には五分と過ぎていないだろうか。慧音の体感では少なくとも数時間の時を、竹林の奥深い場所で過ごしていた。
 黒い髪を揺らして、パステルピンクのワンピースが翻る。
「やっぱり残るの?」
 立ち止まったままの慧音に、てゐは大きな目をじとっとした目付きに細めて、呆れ気味に声を掛ける。
「いや、ちゃんと連れて帰ってくれ」
 慧音が置いて行かれまいと足早になると、てゐは屈託なく微笑む。神気の名残が薫るのみで、毒々しい気配は消え去っている。そのあどけない笑顔は、気色が悪い程の可憐とは違った意味で、可愛らしい少女のように見えた。



 友達の失踪を、寺子屋の子供達は悲しむだろう。なかったことにした方が良い。
 失踪の場合であれば、通常は取り立てて何かすることは無い。子供達を考えてのことで特別の処置だ。
 しかしそれにしても、慧音の気は重かった。
 なかったことにするこの作業は、好きとは言えない。憂鬱、いいやもっと酷い、暗澹たる気分になる。
 改編は人々の安心を守るためには必要な処置、ではある。恐怖や不安が溜まり過ぎれば、最悪な形で爆発することも有り得る。里の内部であまりにも人目に付けられないような惨事が起きた時、慧音は人里の守護者として、事件そのものを衆目から隠してきた。それも、決して少なくはない数を。里の人間が命を落とすことは珍しくも何ともない。
 一応、妖怪は人里の中で人間を襲ってはいけないものとなっているが、それだけだ。人間が妖怪に喰われることに変わりはない。
「……」
 意志とは無関係に、足が止まる。
 いや、認めよう。ほんの少しだけ、嫌気が差したのだ。
 普段の活動をしている時、忙殺さえされてしまえば、ある意味で何も考えずに済む。だがこうして人里を離れた時、艱難辛苦に立ち向かう強さを備えているつもりでも、ふと迷ってしまうことがある。頭の中では、てゐの言葉が今もまだ響いている。後ろを振り返ると遠くの方で、竹の葉が手招きするように揺れていた。
 しばらく迷った後、行きたくなったらその時はその時だと思い直し、今はまだ、人里へと続く道へと足を向けて、一歩一歩確かめるように歩いていった。

「慧音は肩の荷を放り捨てて竹林に逃げ込んで、もこたんはぁはぁしてれば幸せになれるわ」って、てゐが言ってた。
 元々は健全用に書いていたものなんですけど、アウトっぽいかな……? という次第で、こちらに。

 それはまだ幻想郷の人里が、今のように平穏でなかった頃。幻想郷に顕れた白い雄牛は、一方的に搾取され、怯えて過ごす、そんな人々を憂えた。雄牛は見定めた一人の幼い娘に力を授ける。だが。「何を余計なことをしているの? それと、鬼畜な真似をするね。貴方の与えたその定め、人の身には余るよ?」白い兎の少女だった。白兎と白澤。どちらも同じ瑞祥の神獣。よく似た、しかし、人間の善性を信じるか否かという点で決定的に道を違えている。もう一点、少女一人の幸福か、人里全体の幸福か、白兎は前者を重いと言い、白澤は後者を重いと言った。そこに、相容れる余地は無い。
 穏やかな面持ちは厳粛な神気を帯び、魁夷なる巨軀は聖なる威光を纏う。人面牛身の聖獣は自らの敵を前に重低音の咆哮を放つ。血走る異形の九つの瞳が、ぎょろりと蠢く。穏やかな面持ちは憤怒の表情に変貌した。繰り広げられるは神域の闘争。類似する能力を持つ以上は互角に思われもしたが、竹林の根を通して地脈から魔力を吸い上げる白兎には、何の補助も無い白澤では敵うべくもなく、哀しい程の戦力差にあっさりと散ることとなる。
 一方、力を授けられた少女は、何も知らないまま、無垢に、ひたむきに、過酷な責務を果たしていく。数々の困難と苦悩に苛まれ、やがて打ち拉がれる少女に、白兎は慈愛すら滲んだ優しい声を掛ける。奇しくも虫の息となった白澤を見下した時と同じ構図だった。堕落を誘う白兎の囁きに、半獣の少女は首を横に振る。どれだけ自分が辛くとも、それでも私は、皆の幸福を願う。その言葉、ひたすら愚直に善を貫くその姿に、白兎はかつての白澤の姿を重ねた。そう、あの雄牛もこうだった。蹂躙される最中も、命尽きる時も、その瞬間を過ぎて尚、決して折れはしなかった。そして白兎は、答えにも似た何かを認め、受け入れ、もう何処にもいない白澤に語り掛ける。「どう? 貴方はこれで満足なの?」もちろん返事など無い。もしも返ってくるとすれば、それは更に先。この少女、上白沢慧音が、どうしようもない現実の前に敗れ去る時だろう。白澤は白兎に敗れたが、どうか慧音には、白澤よりも先の結末にまで進んで欲しい、白兎はそう願う自分に気付き、いずれ訪れる審判の時までは、自分が慧音を守護しようと思うまでに至る。それからは、たまに少し悪質で意地悪なことを囁きながらも、てゐは慧音の様子を見守っているのでしたとさ。
 辛いなら、やめちゃえ。
 心配する気持ちも本心で、慧音の自立を愉快がる気持ちも、また──
 ……とかそんな感じのシリアスな話をもにゃもにゃと妄想してみたんだけど書くモチベが無いです。

フカが孵化する
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1.性欲を持て余す程度の能力削除
2.性欲を持て余す程度の能力削除
面白い・・・んだけどえっちぃシーンがないのが残念