真・東方夜伽話

いちずでかわいいユアンシェン

2014/09/19 23:48:53
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いちずでかわいいユアンシェン

喚く狂人

冴えない青年は、見慣れない部屋で目を覚ます。そこには目を見張る美女がいた。
女は霍青娥と名乗り、とんでもない頼みを彼にする。自分を一晩、抱いてくれないか、と――。

 例えばどこかに泊まった朝、目を開けるなり、不慣れな景色に飛び起きる、という経験は誰にでもあろう。今の彼がまさにそうだった。
 室内は暗い。どうやらまだ夜中らしい。後ろの丸窓から差し込む月光だけが光源だった。目を凝らし、部屋の中を見回す。六畳ほどの和室だった。調度のたぐいは、今まさに横になっている布団だけだ。質素どころか殺風景だったが、畳からはイグサの香りがするし、布団もふかふかと柔らかい。柱にも、傷や日焼けはないようだ。彼の住む兎小屋じみた長屋とは違って、新築のようだった。
 香でも焚いていたのか、煮詰めた乳のような甘い匂いがうっすらと漂い、鼻をくすぐる。それは少し快かったが、基本的には不快だ。夜とはいえ季節は夏真っ盛りである。室内は蒸し暑く、額や胸、背中に汗をかいていた。行水したい気分だ。口の中がねっとりとしている。水も飲みたい。
 見覚えのない場所だ。そもそもなぜ、自分は家にいないのだろう。思い返す。昨夜仕事を終え、行きつけの店で一杯ひっかけた後は、そのまま家で寝たはずだ。酔ってこそいたが前後不覚になるほどではないし、ちゃんと布団に潜り込むところまで覚えている。しかし、ならばここはどこなのか。彼には見当もつかなかった。
 訝っているうちに、ふと、妙なことに気づいた。四方をゆっくりと見回す。壁、壁、壁、丸窓と壁。障子も襖も、どこにも見当たらない。部屋の設計として、それはありえない。「出入口の無い部屋」など、この世で最も阿呆な大工でも作るまい。まるで牢屋だ――脳裏をよぎった嫌な想像に、彼は身を震わす。間違いなく昨日は家に戻ったと、記憶を再確認する。
 投獄されるようなことをするほど、そしてそのことをすっぱり忘れるほど、酔いつぶれてはいなかったはずだ。それに、牢屋だって囚人を出し入れしなくてはならないのだから、出入口は設けられているはずだ。だから大丈夫、いや、なおさら大丈夫じゃないんじゃないかそれは? 混乱する思考で、どうにか己を落ち着かせようとするも、上手くいかなかった。
 とにかく、ここは自分の家でない。そしておそらく、これだけきちんとしてあるのだから、廃墟などでなく他人の家だ。誰かが事情を知っているだろう。そう思い立った瞬間、声をかけられた。
「あら、起きられましたの」
「おわ!」
 彼は飛び上がった。それは壁と窓しかなかったはずの背後から聞こえた。軽く飛び上がりつつ、慌てて振り向く。女がそこに立っていた。
 ――どこから入った!?
 当然、最初に抱いたのはその疑問だった。今しがた見回した時には、自分以外に誰もいなかった。いくら暗いとはいっても、こんな何もない部屋で人一人を見逃すほど腐った目はしていない。――ということは、彼女は後から入ってきたことになる。しかし、そのための入口がこの部屋には無いのだ。まさか、窓からぬるりと忍び込んだとでもいうのだろうか。ほんの僅かの間に、音もなく? 背中を嫌な汗が伝う。
 けれども、そんなことはすぐにどうでもよくなった。そんなことよりもずっと重要な事に気づいたからだ。
 それは、女の類まれなる美しさだった。中華風のドレスと羽衣に身を包み、青白い光を背にして艶然と微笑むさまは、あらゆる男を誘蛾灯のように惹きつけつつも、どこか幼気なものがある。
 最上の絹糸よりも滑らかであるような髪に、ぷるんとした唇が象るいたずらな微笑、胸元から覗く鎖骨や、月光に透けそうなほどに白い肌、そして衣服の上からでも分かるほど豊かでありながらもすらりとした肉体が放つ色香は、色街で一番の娼婦ですら足元にも及ばないほどの淫らさを醸し出している。
 一方で、その立ち居振る舞いには、一目見ただけで高貴だと分かるような品があった。王侯貴族のような、彼では遠くから一目見ることすらかなわない、まさに高嶺の花とでも呼ぶべき女性だ。一種の神聖さすら伴っているようだった。
 二つの矛盾する要素が織り成す緊張は、妖しげな危険さを生み出していた。一度触れれば抜け出すこと叶わぬ底なし沼のようだ――その淵を覗きこんだ彼は、目を見開きながら、口を金魚のように開閉していた。傍から見れば相当に間抜けだ。股間のモノは、知らず勃起していた。
「どうかされました? ぼうっとして」
「え、あ……あっ、あぁ、は、はい」
 怪訝げな声にようやく我に返り、そして赤面した。女性を見てまずすることが勃起だなどと、まるでケダモノだ。それだけのものが彼女に備わっているということでもあるが、それにしてもひどい。
 生活にあまりにも女っ気がないからだ、と彼は心中で言い訳する。職場にいる女性ときたら、どれもこれも売れ残ってしなしなになった野菜のようだ。
「あ、あの。ここは、あなたは、俺は一体?」
「あらあら、質問は一つずつになさってくださいな。どれに答えればいいか、困ってしまいますわ。でも、まずは自己紹介からはじめましょうか。お初にお目にかかります、わたくし、仙人をしております霍青娥と申します」
「せ、仙人様?」
 といえば、白眉白髪で樫の杖をつき、山の上で霞を食べて暮らす偏屈な老人、というイメージしかない。しかし青娥は、どこからどう見ても妙齢の女性――危ういほどに美しい女性だ。それは、仙人という言葉から連想されるものとは、あまりにもかけ離れていた。
「なんとなく、考えてらっしゃることは分かりますけれど。なにも、仙人が誰も彼も老輩というわけではありませんわ。正確には、『老輩に見えるというわけでは』。自由自在に姿を変える術、若返る術、なんていうものもありますし……まあ、そんなことは構いませんわね。とにかくわたくし、仙人ですの」
 おっとりとしつつも空間に響くような声は耳心地のよいものだったが、同時に、背筋をくすぐられるようなぞわぞわとしたものを感じた。言葉どころか、音節一つ一つが蠱惑的だ。
「は、はぁ……。それえ、その、仙人様、ここはどこなんでしょうか」
「青娥、で構いませんわ。かしこまられるのは苦手ですの。……ここは、そうですわね、仙術で創りだしたある種の異界で、虚無の上に部屋だけをぽつんと浮かべて……ああいや、むつかしいことはともかく、私の家の一つです」
「家」
 彼が理解できていないのを察したか、青娥は短くまとめてみせた。だがここは、家というには生活感がない。そもそも出入口すら無い。しかし仙人とは奇妙な術を操り、無欲で奇矯な生活をするものだと聞くから、それでも不思議ではないのかもしれない。それに彼女は「家の一つ」と言った。別荘のようなものなら、暮らしている感じがしないのも頷ける。あまり使わないのだろう。
 青娥は彼の横に座り込んだ。ふわりと鼻孔をくすぐる甘い香りは、部屋に漂っていたのと同じものだ。咲き誇る花のそれのように胸いっぱいに吸い込みたくなるようでありながら、阿片の煙のように、思考を蕩かし腐らせるところもある、裏表のある香りだ。
 すぐ近くに美人が座っている、自分と話している――そのことを意識しただけで、室温が上がったように感じた。我ながら情けなく感じたが、日頃から色気のない生活を送っている彼にとって、青娥の美貌はよく効いた。
「そっ、それであの、なんで俺はここにいるんでしょうか? ええとつまり、昨日は家で寝たはずなんです。いや、酒を呑んで酔ってたのは酔ってたんですけど、でも潰れるほどじゃなかったはずだし、だから変なわけで」
「はい。貴方は気持ちよさそうに寝てらっしゃいました。それを、私がここまでお連れしましたの」
「仙人様――っと、せ、青娥さんが?」
 青娥の言ったことはつまり誘拐したということに他ならないのだが、そこまで頭は回っていなかった。
 彼の声はみっともなく上ずっていた。せ、い、が。その三音節を発しただけで、三時間にもわたる大演説をした後のように口の中が乾いた。女性を名前で呼ぶ習慣などない。それが青娥のような女性相手ならなおさらだ。彼女の存在があまりにも手の届かないところにあるために、名を呼ぶという簡単な行為に対してすら、自身の年収よりも価値のある宝石に触れるときのような緊張を彼は感じていた。
 くすり、と、そのこわばりを解きほぐすように青娥は笑う。続いて真剣な表情になると、こちらを真っ直ぐ見つめる。瞳に貫かれるように感じ、思わず、こちらが目を逸らしてしまいそうになる。
「貴方に、他ならぬ貴方に、お願いがありまして。連れ去っておいて、厚かましいようですけれど」
「お願い、ですか」
 彼女とは知り合って五分と経っていないが、何を頼まれても断れないような気がした。彼女の美しさは、彼にとって――というより、全ての男に否応なく作用する、蟻地獄のようなものだった。彼はいわば、青娥という「沼」に呑まれていたのだ。実質の拉致に遭いながら全く悪印象を持っていない、持てないのも、そこにあった。
「ええ、とっても不躾で、ふしだらなお願い。……仙人をしていると、人から離れて暮らすことになるでしょう? でも、わたくし、まだまだ仙人としては未熟で、ときおり無性に人恋しくなりますの。……ですから、ねぇ、一晩、お相手してくださらない……?」
「はあ、……は? ――はあ!? えっ、あの、えっ、エェッ!?」
 すす、と擦り寄る青娥から、思わず飛び上がるようにして距離をとった。素っ頓狂な声が出たが、それ以上に、彼女の「お願い」のほうがよほど頓狂であるように思えた。
「あ、あ、『相手』って、なッ、何言ってッ」
 混乱のさなかで、舌はまともに動かなかった。直接口にだすのが憚られ、言葉を濁す。けれども、彼女はそこに躊躇いなく踏み込んできた。
「あら、言わせたいの? ひどい方。……私を、抱いてくださらないかしら」
 いたずらに微笑みながら、離れた分以上に近づいてくる。腕を抱きしめられた。ドレス越しにも分かる、柔らかく豊満な胸が押し当てられた。むにゅん、と、見た目よりもはるかに柔らかな感触が伝わる。顔がかぁ、と熱をもつのを感じた。髪の生え際に汗が浮かぶ。
「だ、だ、抱く――って、つまりその、えっと、『そういうこと』、ですよね」
 何を馬鹿みたいなことを確認してるんだ俺は――と、内心で叱責する。しかし、女に言い寄られた経験など生まれてこのかたない若者にとって、この状況はあまりにも荷がかちすぎていた。男女の駆け引きなど、全く知らない。
 青娥は頷き、月光に映える肉感的な唇を、わずかに動かす。耳元へ、甘く息が吹きかけられる。囁きが、耳道に反響する。
「ねぇ、わたくし、いまとっても寂しいの。このままじゃ死んでしまいそう、仙人なのにね。……でも、一人で慰めるのなんて、みじめったらしくて嫌。それに、そんなのじゃ、私の渇きはいやせない……」
 洞窟に吹き抜ける僅かな風のようなその声は、さながら耳から入り込み神経に直接叩き込まれる毒だった。経験のない彼には、それに対抗する手段などなかった。いや、何百人という女と逢瀬を重ねた男であっても、難しいだろう。
 押し倒してしまえ――思考に、欲望の命ずる声が響き渡る。彼女を組み敷き、思うがままにする光景が目の裏に浮かび上がる。
 けれども、彼は動かなかった。というより、動けなかった。それは理性というよりもむしろ、女性経験の少なさからくる臆病や羞恥の発露だった。英雄的行動がとれたらと思いつつも怖くて動けない、それと同じような状況だった。
「もちろん、ただでだなんて言いません。……あげられるようなお金や宝は、持っていませんけれど、『お礼』も、たっぷりいたします」
「お、お礼、って」
「せっかく二人でいるのに、一人ばかりが楽しむなんて、ずるいでしょう? 貴方のことも、たっぷり気持ちよく、してさしあげます。私の知る、すべてで」
 青娥は「たっぷり気持ちよく」を、ことさらにゆっくりと発音した。音の一つ一つが、鼓膜を愛撫しているかのようだった。つぅ、と、首筋を指が這う。意図しているか否かはともかく、彼女を構成するありとあらゆる要素が、理性を崩しにきているかのようだった。
 たっぷり気持ちよく、たっぷり、気持ちよく、たっぷり――頭のなかで、鐘の音のようにぐわんぐわんと言葉が反響する。ごぐぅ、と、喉仏が大きな音を立てる。腹の奥で、黒い蛇がぐろんぐろんと暴れまわっているのをありありと感じる。
 今すぐにでも下半身の疼きに身体を任せてしまいたい。そう思いながらも、大げさにいうなら女体に対する畏れ――女性経験の浅い者に特有の畏れ――が、彼を縛りつけていた。
 青娥から顔をそらす。畳の目を一心に見つめながら、言う。
「な、なんで、俺、なんて、仙人様が」
 その疑問も、彼に巻かれた鎖の一つだった。寝て起きたら知らない場所にいて、美人に迫られた――などと、あまりにも突拍子もない。酒場での与太話のほうがまだ真実味がある。眠る前の自分に聞かせても、腹を抱えて笑ったろう。並外れた幸運が空から降ってくると、人間というのはどうにも、それを現実のものとして捉えられないようだった。
「青娥と呼んでと、言ってますのに。……こんなふしだらなお願いをしている以上、信じてもらえないかもしれませんけれど、情欲を抱えているとはいえ、誰だって構わないほど見境をなくしたつもりはありません」
「だったらなおのこと、なんで」
 言葉は中断された。両頬を掌で包まれ、ぐい、と彼女のほうを向かされた。瞳が彼を貫く。嘘のない視線が。
「なおのこと、じゃなくて、だからこそ、です。貴方でないと、駄目なの」
「俺、でないと――」
 うわ言のように、彼は青娥の言葉を反芻した。
「そう。貴方以外、あり得ない。平たく言えば、一目惚れ、ですわ」
「一目惚れ……」
 言われたことを繰り返すさまは、まるで鸚鵡だった。
 それにしても、一目惚れ。する方はともかく、される方になるなど、自分には一生縁のないことだと思っていた。そういう事情もあり、ひょっとして自分は夢を見ているのでは、という疑念が強まる――状況を考えれば、その方がよほど自然だ。目を覚ましたら美人が居て、抱いてくれなどと言い、こちらの自尊心を刺激するような言葉を並べ――うまい話にもほどがある。けれども、青娥の口調は放たれた矢のように真剣で、真面目だった。
「ああ、凛々しいお顔、逞しい身体。惚れ惚れしてしまいます……本当に、すてき」
 襟から服の内側へ、手が入り込んでくる。咄嗟に身を引いたが、彼女はそれに追従してきた。胸板の谷間を、指先がゆっくりとなぞっていく。
「亡くなった夫にそっくりですの。貴方」
「青娥さん、旦那さんが……」
「ええ。……けれど、ずぅぅっと昔のことです。私がまだ、人として生きていた頃のことですもの。本人の魂なんて、もう何度も何度も転生していることでしょう。……そんな頃のことを、未練がましくいつまでも引きずって、仙人としては失格なのでしょうね。でも、駄目。忘れられないの」
 そのとき、不意に彼女が違って見えた。艶やかさに覆われた素が見えたような気がしたのだ。それは風にさらされればあっという間に駄目になる、寂しがりの花だった。
 そう認識した瞬間、彼は己の中から己を突き動かすものを感じた。それは欲望に似ていたが、異なるものだった。
 今行かずして、いつ行くというのだ――強烈な衝動は、彼を縛りつけていた臆病さや羞恥心や疑念をまとめて吹き飛ばした。
「青娥さんッ」
 がしり、と両肩を抱き締め、勢いに任せ布団の上へ引き倒す。ぼふっ、と、やわらかな音が立つ。
 ああ、と、青娥は小さく声を上げた。けれどもそれきりで、抵抗もなにもしなかった。額に汗を浮かべ、目を見開きながら、彼はまくし立てる。
「お、俺でよければ、一生懸命お相手します、が、頑張りますからッ、えっと、その、あの」
 尻すぼみになった。睦言を交わした経験も、そういうときのための語彙もなかった。ああ、うう、と唸るが、言語野は空回りするばかりで、なんら頼りになどなりはしない。
 脳味噌を全力で空転させる彼の唇を、青娥は人差し指を押し当て、塞いだ。
「なにも、おっしゃらないで――ただ、青娥を、抱いてくださいまし」
「――ッああっ」
 きゅううん、と、腹の奥に何かが立ち上るような感覚を覚えた。矢も盾もたまらない、とは、このようなときに使う言葉なのだろう。しゃぶりつくように唇を奪った。どこまでもやわらかな唇を。かつん、と、歯がぶつかった。しまった、と冷静になる。幸運にも、青娥に怒った様子は見られない。
「んっ、くッ、ォ、んぐ、くっふ、ううぅッ」
 舌を差し入れる。彼女は抵抗しなかった。どうすれば満足してもらえるか、頼りない脳味噌に必死で考えさせ、舌端、舌腹にあらゆる動きをさせる。その努力に応えるように、向こうも舌を遣う。まるで即興のダンスだ。唾液を送り込むと、彼女の細い喉がく、く、と鳴る。
「ん――ふ、れる、んっ、くむ、くぷぅ、んふ――」
 青娥も唾液を送ってくる――天界一の酒というものを、彼は当然味わったことがない。しかし、これに勝るものでは決してないということは分かった。
 こんな美しいひととキスをしているのだ――夢にも見なかったような事態に、彼はくらくらするような恍惚を覚えていた。股間のものは、早くもはちきれそうになっていた。
「ンおォッ!?」
 身体が震える。青娥の指が、布越しに股座をなぞったのだ。やや爪を立てるようにしてい、かりり、と。刺激としてはありやなしやの軽いものだったが、大げさなほどの快感が走った。
「ふゥッ、ふぅッ、ンーッ、んん、フッ、ふッ、うゥ」
 唸り声をあげることしかできない。グロテスクなほどに膨れ上がったものの先端から、じわぁ、と先走りが滲んで下着を汚す。少しでも気を抜けばたちまち果ててしまいそうだ。いくらなんでもそれでは情けない。けれども、情感は無慈悲に高まっていく。
 このままでは本当にまずい――そう思った矢先、幸いにも、向こうの方から口を離した。唇の間に、銀の橋が伝う。彼はもちろん、彼女の方も、頬を上気させ、少し呼吸を荒らげているようだった。その様はたまらないほどの色気を醸し出していた。
「んふ――ぷは、……ふふ、口付けがお上手ですのね。どれだけの女を泣かせてきたの? 悪い人」
「えッ、いや、えっ、とォ?」
 どれだけもなにも、昔必死に金をためて色街で一人の女を買ったのが最初で最後の経験だった。その数少ない体験にしても、「外れ」を引いたらしく、事務的で無味乾燥としたものだった。下手糞下手糞、と言われた悪夢が蘇る。あれはあくまで過去のことだ――そう思っていても、先ほどまで彼を行動から遠ざけていた要因に、その記憶が名を連ねていることは間違いなかった。
 しかも、閨事どころか、異性とまともに関わったこと自体それっきりだった。興味がないわけではなかったが、生活そのものに潤いがない。また女を買おうにも、彼の安月給では慎ましやかな生活に少しの酒が精一杯だし、何より以前の経験がやめておけと彼に告げていた。
 そういうわけだから、青娥の言葉はどう考えても世辞だった。けれども、彼女に言われると、世辞という感じがしない。口端が否応なくニヤつくのを感じた。
「さぁ、こんな要らないものは脱いでしまいましょう。交わるのに、こんなものは邪魔でしょう?」
「え、ちょ、ォわ、ちょっ、ちょぉ」
 青娥は彼の下から抜けだすと、下衣越しでもはっきりと分かるほどに膨らんだそれへ白い指を這わせる。こちらが反射的に腰を引いているうちに上衣に手をかけ、肩口からする、す、と脱がせにかかる。
「あぁ……逞しいこと。日に焼けた、労働を知る身体。見てるだけで、熱くなってしまいそう……」
「え、えっ、あの、うぉッ、おぉおおおぉっ」
 とん、と、胸へ顔を埋めてくる。熟れたざくろのように赤い舌が、ちろり、ちろり、と這う。暖かくねっとりとした感触。甘やかな香りが鼻をくすぐる。興奮のあまり、奇声が漏れる。
「ん、ちゅ、ふふ、かわいいお顔……ちゅむ、ん、れる、ぇる、かぷ、ん、ふぅ」
「うぐ……」
 かわいい、という指摘に、頬が羞恥に染まる。けれども反論の余裕はなかった。青娥の舌が、唇が、首筋や胸板を撫で回す。そのたびに、身体の底から熱くなるような感覚を覚えた。
 性の交わりというものは、下半身で行うものとばかり――少なくとも下半身が関わるものだとばかり――認識していた。けれども、それが謬見であったことを、彼は今まさに理解しつつあった。こうして胸板を、乳首をくすぐられ、身体はぞくぞくと震えている。触れられてもいないのに、股間のモノはしきりに脈動していた。限界が近づきつつある。男の快感の限界、終着点が。
「せ、青娥さん 、ちょっと待って下さい、ちょっと一旦離れてッ」
 それに全く触れられることなく果てるなど、いくらなんでも情けない――狼狽えながら、肩を掴んだ。
 しかし、彼女は離れようとしなかった。むしろその行為は、彼女の中の何かに火を付けてしまったらしく、口技はより甚だしいものとなった。
 可愛げな顔が、少しずつ下っていく。上衣をはだけさせながら、日々の労働で鍛えられた腹筋の谷間を、赤い舌がちろちろとねぶっていく。臍に舌が入り込んで、くりくりと穿る。たおやかな双腕の片方は彼の腰を抱き、もう片方はうなじをつ、つ、と下から上へなぞっていく。
 全身が震えた。青娥の行為は、ただ触れるというようなものではなかった。触れられるたび、なぞられるたび、舐められるたびに身体は火照っていき、腹の底から熱いものが湧きだしては全身を駆け巡っていく。
 寒い冬、雪の降る中を歩き通した後、熱い風呂に浸かったときのようだった。停滞していた血液が全身を巡りだすあの感覚だ。血液の代わりに流れるのは、快楽だった。まるで、肉体全てが一本の大きなペニスになったようだ。そしてその巨大なモノの弱いところを、青娥は的確に刺激していた。
「ォっ、お、お、ウゥうううっ」
 こんな快感は知らない。少なくとも、色街でのたった一度の、それも残念な経験においては、こんな身を苛むほどのものを覚えなどしなかった。
 そのため、どうしていいか彼には分からなかった。わからないなりに爪先をぴんと伸ばし、膝から腿にかけて力を込め、今にも暴発せんとする愚息をどうにか抑えこもうとする。しかしそれは、今にも崩壊しそうな堤防を薄い木切れで補強するようなもので、なんらの延命にも、まして解決になど、なりはしない。ほんの僅かでも触れれば切れるほど張り詰めた糸のような、ぎりぎりのところに彼はいた。
 そこへ青娥は、何の容赦もなくとどめをさしにかかる。首をもう一度上げる。胸板に唇を蛭のように張り付かせ、乳輪を歯で甘く挟む。充血した先端を、舌で突き回していく。
「ッ、あっ、ヤバい、ッくそ、アッ――うぁうぅううううううッ」
 背を反らし、顔をしかめると、泣いている幼子のように両掌で抑えた。その隙間から、うがぁああう、と、獣のような――随分情けないが――呻きが零れた。
 尻の側から体内で何かがぎゅうう、と窄まる。間髪を入れず、尿道から勢い良く液体がこみ上げてくるのを感じた。彼にも人並みに自慰の経験があり、したがってその感覚が何を意味するかもよく知っている――程度の甚だしさを除けば。
 びゅぼ、ぶびゅ、と、服の内で白濁が放たれていく。それはすぐさま下着という名の壁にぶち当たる。砲塔自体が、自身の放った弾にべっとりと汚されていく。生暖かい、生理的嫌悪を覚えるような感覚だ。じわぁ、と、下衣に生臭い染みが浮かび上がる。
 なんてことだ、クソ――と、彼は内心で自分を呪った。まさか、ソレそのものに指一本触れられることなく達してしまうなど。それも、よりにもよって今のような、人生に二度と訪れないようなタイミングで。
 青娥は間違いなく、自分に幻滅するだろう。こういう表現は彼女に失礼だろうが、自分は今、一生に二度と見えることのない女性を抱くチャンスを逃したのだ。己の不甲斐なさによって。
 奥歯を噛み締め、びくびくと震える自分自身の脈動をどうにか抑えようとする。だが、一度斉射を始めた男のシンボルが、その程度の努力で吐精を中止するはずがなかった。ぶぢゅ、ぢゅび、と、それは最後の最後まで種を放ち、下着の内側をどろどろに汚したうえで、ようやく沈静化した。
「……ッ、かは、すみません、青娥さん……」
 絞りだすように、謝罪の言葉を述べた。泣きそうな声だと、自分でも分かった。顔は、掌で抑えたままだ。どのような醒めた目を、侮蔑の視線を向けられているか――それを考えると、正対する勇気などとても湧いてこなかった。
 数秒ほどおいて、彼女はぽつりと呟いた。
「――射精て、しまいましたわねぇ」
「すみません……」
 彼女の声には、責める色も貶す色も、全く含まれてはいなかった。それがかえって、彼にとっては恐ろしく、かつ申し訳なく思われた。受け入れられないとしても、ただ謝罪することしかできなかった。
 胸中に、「早漏」という罵倒が蘇る――色街で買った女が、自分に対して放った言葉だ。それは彼に大きな傷をつけ、性行為という言葉から遠ざけていた。
 青娥に同じことを言われたなら、二度と立ち上がれまい。それは分かっていたが、言われても仕方のないヘマをやらかしたのも事実だ。死刑執行直前の囚人は、こういう気分なのだろう。
 そういう状態であったから、次に続いた言葉に、彼は耳を疑った。
「あんなに喘いで、気持ちいいのを隠して……ふふ、可愛いお方。もっと、好きになってしまいます」
「え……あの、青娥さん」
 青娥の声からは、喜び、そして達成感がうかがえた。思わず、彼は両手を顔から離し、その表情を見つめた。それはやはり満足気な、満たされたものだった。
「陰と陽――というのは、聞いたことがおありでしょうか。殿方は陽の方ですわね。仙術の一種で、身体の中にある陽の気の通り道を刺激すると、ああしてとっても気持ちよくなれますの。……貴方は慣れていないから、ちょっと効きすぎてしまったみたい。ごめんなさいね」
 理屈は分からなかったが、とにかく青娥は幻滅などしていなかったようだし、むしろ自分のことをより気に入ってくれたようだった。信じられない気分だったが、ともかく彼は安堵していた。もし見放されていたら、死を言い渡されるに等しいダメージを受けていただろう。
 語りつつも、彼女は指先を彼の下衣や下着に引っ掛け、ゆっくりと下ろしていく。
「自分の行為で気持ちよくなってもらえる、というのは、気分の良いものですわね、ふふ」
「ちょ、あ、あの」
「汚れたのを穿いたままだなんて、気持ちが悪いでしょう? さ、ほら、お脱ぎになって」
 羞恥と狼狽から、白い腕を掴んで止めようとしたが、やはり無駄だった。ずるり、とさらけ出されたソレは、激しい射精によっていくらか硬度を失っていた。亀頭から陰毛にかけて、白いものがべっとりと纏わりついている。見るも無残とは、こういう状況のことを指すのだろう。
「……うわぁ」
 思わず、口からこぼれ出た。彼女はくすりと笑った。コケティッシュな笑みだ。
「たくさん射精ましたのね。いいのいいの、健康な証ですもの。それはともかく、ちゃぁんと綺麗にしてさしあげませんと……」
「ッ――!」
 ゆっくりと、彼女は頭を下ろしていく。腹よりもさらに下、ぐちゃぐちゃに汚れた密林に顔を埋め、半勃ちになったものに舌を這わせはじめる。最高級のルビーのような舌の先端が触れると、ぞぞぞぞぞ、と、腰から背骨を伝って脳へ、どこか危なげな快感が伝わってくる。膝が震えた。
「せッ、いがさんッ、ちょっ、汚いですよそんなッ」
「ぇる――汚くなんて、ありませんわ」
 言いながら、彼女はこちらを見つめ返した。額にうっすらと汗が浮かび、月光をきらきらと反射している。頬は紅潮し、桜を思い起こさせる色になっている。切れ長の目鼻や瞳は、情欲の色を湛えていた。その興奮の原因が己にあるのだから、男にとってこれ以上幸せなことはない。
 細く長い指が己のモノを包み、赤い舌が己の種をゆっくりと舐めとっている――その様だけで、海綿体に再び血が集まっていく。びき、びきとそれは膨らみ始め、あの威容をまたも示していく。青娥は驚いたようにそれを眺めた後、うっとりとした口調で言う。
「まあ……大変、こんなことになって。鎮めてあげませんと」
 そして再び、上等な葡萄酒のように赤い舌で、れろり、えろりと、唾液をふんだんにまぶしながら愛し始める。彼の方を、誘うような視線で見つめながら。その行為は先程までとは違って――違わないのかもしれないが――「綺麗にする」以外のところに目的があるように感じられた。
 青娥の口内は暖かく、モノを蕩かすかのようだった。そんな中で赤い舌が獲物を追い詰める蛇のように、肉幹に絡みついてくる。そこはぬめぬめとしながらも味蕾の粒でざらつき、彼がこれまでに味わったことのない、背筋から抜けていくような快感を与えてくる。
「あっ、あぁぁッ、ッ、う、うぅ」
 ただ頭をがくがくと振り回すことしか出来なかった。爪先から頭頂までを駆けまわる快感はその程度で誤魔化せるものではなかったが、あまり暴れて青娥に当たってもいけない。
 ペニスは完全に勃起していた。先ほどよりもいくぶんか大きくなっているようですらあった。衣服という戒めのない今、それは奔放に己の存在を主張していた。
「んー、むっ、ぐぷ、ぢゅちゅ、るぅ」
 ぷっくりとした唇が、肉幹を扱きあげている。頬を窄めることで、口壁を竿にぴったりと密着させ、ぬりゅぬりゅと愛撫してくる。鈴口をちろちろと刺激されている。舌の先端でくすぐっているのだ。
 半狂乱になって身悶えながら荒い息を吐く彼を、初夏の猫が浮かべるような目つきで青娥は上目に見つめる。そのような目を、彼は他者から向けられたことがなかった。それでもその意味は、本能的に理解できた。これは、発情した雌の瞳だ。
 自分が彼女の技巧にこれ以上なく乱されているのと同様、彼女もまた、奉仕によって悦びを覚えているのだ。男冥利に尽きるとは、まさにこのことではないか?
「あっ、や、やばい、せいっ、青娥さんッ、でる、射精ます、あ、あああぁ」
 とろんと蕩けた瞳の意味を理解したことは、彼に深い喜び、そして悦びをもたらした。快楽に対する、肉体面でなく精神面でのスパイスだ。それは彼を、あっという間に高みへと昇らせた。
「ん――ぷは」
 けれども――青娥は、あろうことか口を離した。昇るべき先への昇るべき手段を失い、彼は宙ぶらりんになる。どうして――その四文字が、脳裏をよぎった。
「ふふ……」
 恭順の色すら浮かべていた彼女の眼は、弄ぶ楽しみを孕んでいた。頬に掌が添えられる。
「捨てられた子犬みたい。それか、お腹を空かせてるのに餌を隠された犬か――可愛らしいお顔」
「青娥、さん、なんで、やめるんですか……ッ」
 絞りだすように、恨み言を呟いた。下り坂を気持ちよく駆け下りていたら、いきなり足場が消え失せたような気分だった。何故という思いと失望とが腹の奥でぐるぐると渦を巻いていた。
「『なんで』? ……ねぇ、閨の理想をご存知?」
「り、理想?」
「そう。理想。それはね、どちらも気持ちよくなれること。あなたばかり気持ちよくなるのは、不公平でしょう?」
「それは……」
 理にかなっているかもしれない。けれども、それにしても、そんなところで止めることはないじゃないか。理不尽な怒りが心中をよぎった。射精への渇望が、彼自身を苦しめていた。彼にもう少し遠慮、あるいは見境がなければ、自分でモノを扱き始めていただろう。
 対する青娥は、そんなことなど気にもかけていないかのように、余裕の微笑みを崩さない。
「だから、私のことも気持ちよくしてくださいまし。貴方の思いつく、あらゆる方法で」
 そう言って彼女は、誘うように両手をこちらへ伸ばしてきた。
 そこまで言うなら、そのとおりにしてやろうじゃないか――八つ当たりに近い欲望が湧き上がる。けれども彼は、何もできなかった。思いつくあらゆる方法でと言われても、そのストックがないのだから仕方ない。それに、自分が相手するには青娥という女性はあまりにも勿体なすぎて、躊躇いを覚えずにはいられなかったのだ。
「ほ、本当にいいんですか、お、俺で」
 結局、ひねり出せたのは、そのようなへっぴり腰の言葉だけだった。
 青娥は頷いた。捨てられた子犬みたい、と、青娥は彼の顔を評してみせた。けれども、今の彼女も似たような表情になっていた。相手に縋る瞳だ。
「『貴方で』じゃなくて、『貴方が』いいんです。『貴方でないと』駄目なの。ねぇ、お願いします。貴方の気持ちよさそうな顔で、私ももう我慢できないの、だから、お願い」
「ッ……」
 伸ばされた手に応えるように、腕を伸ばし、肩を掴んだ。そこで手が止まった。本当に自分が触れていいのか、という葛藤に襲われた。自分ごときが触れることで、この素晴らしいものを台無しにしてしまうのではないか、という畏れがそこにあった。
「まずは、脱がせて、ね?」
「は、はい」
 服に手をかけ、ゆっくりと肌蹴させていく。手がひどく震える。吹き飛ばされたはずの女体に対する畏れが、再び心中に湧き上がっていた。いや、このような美しい女性を脱がせるとなれば、誰でも畏敬を、緊張を覚えて当然だろう。
 すこしずつ、少しずつ、彼女の肌が露わになっていく。彼は息を荒らげ、目を血走らせて、それを見つめている。やがて彼女は、彼と同じように、生まれたままの姿に戻る。
 その身体は、一流の絵師の描いた天女図からそのまま抜け出してきたようだ――否、そのような賞賛では不自由だろう。この美しさは、人の手によって表現しきれるものではなかった。肌は冬の朝一番の原っぱよりも白く透き通り、職人が丹精込めて織り上げた絹よりも滑らかなのが見ただけで分かる。
 彼は羞恥を覚え、目をそらした。このような女性、自分には過ぎている。視界に入れるのも、いや見たいと思うことすらおこがましいことのように思われたのだ。
 けれども青娥は唇を尖らせ、彼の両頬を両手で包むと、自分のほうを向かせる。
「下着も、脱がせて」
「わっ、分かりました」
 彼女は群青に露草色の装飾をあしらったブラとパンティを身につけていた。服は中華風なのに、下着は西洋なのか――と、ちらりと浮かんだが、そんなことについてくだくだと議論するだけの精神的余裕は当然なかった。
 手汗がひどい。指先は呑んだくれが酒を切らしたように震えている。ホック一つ外すのに、ずいぶんと時間がかかった。彼自身の体感では、丸一日の作業にも感じられた。青娥はその間、何も言わず、興味深げに彼を見つめていた。
 ホックと肩紐を外す。とたん、たわわな乳房が戒めから解き放たれ、ぷるんっ、と震えた。それはこの世で最も幾何学的に美しい曲線を描いており、先端は充血し、サクランボを薄めたような色を浮かべながらつんと尖っている。しゃぶりつきたい、舐めまわしたいという衝動に腹の底から突き上げられるのを感じ、彼は慌てて視線を逸らした。
 腹はなだらかにつづいている。締まりすぎない程度にくびれている。そこまで活動的な性格には思えないが、仙人というのは案外身体を使うのかもしれない。その中央には可愛らしい臍がくり、と存在を主張していた。
 さらに視線は下っていく。それは自発的行為というよりも、吸い寄せられているようだった。
「さあ、下も」
「し、下も、ですか」
 青娥はなんでもないことのように頷いた。けれども彼からすれば、それは天と地をひっくり返すほどの大事だ。すぐさま従うことはできなかった。
 下も――とは言われても、そこは、すべての男にとって、特に彼のように欲望の捌け口をもたない男にとっては、非常に大きな意味をもつものだ。だからこそ躊躇う。おそろしく高貴な人物には、平伏して御簾越しに対面する。直接その姿を拝むなど、おこがましいことだからだ。それとおなじ感覚を、彼は味わっていた。見たい、だが見てもいいのだろうか? ――その心理的抵抗は、本人からの許しがあっても、彼を縛り付けていた。
「ねぇ、早く。それとも、ここまできて怖気づいちゃったのかしら?」
 ぐずる赤子に対するような口調での挑発は、彼の心に石つぶてを投げた。そこまで言われてハイその通りですと返すほど、臆病になったつもりはない――心中の波立つままに、秘部を守る小さな布切れに指をかける。
「……え」
 そして気づく。群青色をした生地の、ちょうど「そこ」のあたりだけ、より色が深くなっていることに。じっとりと湿っているのだ。何によってかなど、考えるまでもない。
「――あなたの立派なものをお口で相手しているとき、考えずにはいられませんでしたわ」
 その反応を待っていた、と言わんばかりに、青娥は口を開いた。
「ああ、これで愛されたら、どんなに気持ちいいだろうって。思いついたが最後、もう止まりません。早く愛されたい、早くひとつになりたいと――そんなことばかり頭を巡って、気づけば身体も、すっかり受け入れる準備を整えていました」
「そ、う、なんですか」
「とっても淫らで、ふしだらなことです――幻滅、したでしょうね」
「えっ、いや、そんなこと、ないですよ?」
 なんなんだその受け答えは、この間抜けが――身体が二つあったなら、間違いなく己を己で殴り飛ばしていたことだろう。情緒のない、気の利かない、最低の返答だった。馬鹿な受け答えとして人類史に残るだろう。
 そのような自己に対する怒りを覚えながらも、彼は青娥の言葉に、男としての自尊心を強烈に刺激されてもいた。彼女のような、いくら積もうとどれだけ努力しようと手の届かない女性が、己のモノに奉仕し、さらにはそれを早く受け入れたいとまで言ってくれる。一人の男として、これで「くすぐられ」ないはずがなかった。
「ぬ、脱がせ、ますよ?」
「ええ。お願い」
 あらためて、指をかける。心臓が早鐘を打つとは、今のような状態を指すのだろう。そのリズムは、指が少しずつ、少しずつ降りていくのに比例して、激しくなっていくかのようだった。破裂してしまいそうだ。
 ぐしょぐしょになった布切れがゆっくり、ゆっくりと取り払われていく。代わりに、頭髪と同じ色をした、控えめによく整えられた茂みが露わになる。下着の含んでいた水分を吸ったのだろう、そこはあっさりと濡れ、窓から差し込む月光にきらめいていた。
 直視してはいけない。咄嗟にそう感じた。これは理性に対する猛毒であると、脳内に警鐘が鳴り響いた。
 けれども、目をそらすなどということは、無礼かつ愚かなことでもある。板挟みに遭いながら、結局彼は、「ちらちら眺める」という中途半端な態度をとった。
 蝸牛が這うよりゆっくりと、指は動いていく。青娥は何を言うでもなく、へっぴり腰の行為をただじっと見つめていた。何か言ってくれたほうがずっと楽だというのに。
 やがて、ひそやかな茂みも下端まで至る。指は躊躇うように止まる。そして、覚悟を決めたように、先ほどまでよりわずかに早く――そうしなければ勇気が先に燃え尽きてしまうとでも言うように――動き始めた。
 庭園のように生えそろった毛のさらに下、秘められるべき裂け目が、ゆっくりと眼前に現れる。下着の内布との間に、ねっとりとした蜜の糸をひいている。
 胸を押さえ、次に頭を押さえた。耳の奥で、心音がどぐどぐどぐと危険な低音を奏でている。耳の奥が薄暗くなる。かは、と、息がこぼれ出た。
「大丈夫ですか?」
 さすがに見かねたのだろう。青娥がこちらを覗きこんできた。
「お辛いのなら、おやめになられたほうが。私なら大丈夫ですから」
「いや……いや。これくらい、全然平気ですから」
 もっと気の利いた返事はできないのか――内心の叱責に煽られ、彼は言葉を付け足す。
「むしろ、もっと見たいです」
 バカか――自分自身にほとほと呆れ返る。女性経験のロクにない男が変に洒落たことを言おうとするから、こういうことになるのだ。
 青娥は一瞬、それが彼女の素なのだろう、きょとんとした表情を浮かべ、その後、頬を朱に染めた。
「はい、私のあられもない、ふしだらな様でよろしければ、どうぞいくらでもご覧になってくださいませ」
「あ、あ、あぁっ」
 口をぱっくりと開け、阿呆のようにただ頷いた。脳の言語機能が、目の前の女のあまりの赤裸々さに麻痺しているようだった。
 危険だという理性の警告を無視し、そこを凝視する。女としてもっとも重要な裂け目は、ねっとりとした汁を分泌する泉のようになっていた。
 ここに、己の肉棒を突き入れるのだ――否が応でも、そのことを考える。それは彼に、大きな期待、そして緊張や不安を与えた。
 童貞を捨てたときのことが思い出される。事務的に足を開いた商売女におっかなびっくり挿入し、あっという間に果ててしまった。女がへらへら笑いながら言い放った「早漏」のヒトコトが、見えざる手枷、足枷となって、彼を縛り付けていた。
「どうか、されまして?」
 怪訝げにこちらをうかがう声に、彼はかつての悪夢から舞い戻る。
「あ、いや、その、えっと」
 今度こそ、今度こそうまくやらねばならない――己の中の男性が、力強く言い放った。今この逢瀬で失敗するようなら、この股座のモノは、完全なるガラクタであると。己を慕い、抱いてくれとまで言う女を満たせずして、どの面を下げて男だなどといえようか? と。
「青娥さん――か、必ず、満足させてみせます。絶対に」
 そしてあの忌々しい記憶とおさらばしてみせる――それは今までと同じ、震えた声での言葉だった。しかし心意気は紛れもない本物だった。
「ふ、ふふっ、くす、くす」
 だからこそ、彼女が笑ったことに、彼の心は波立った。こちらは本気なのにと。
 彼の苛立ちを理解したのだろう、ごめんなさい、と青娥は言った。
「いえ、いえ。馬鹿にしているのではなくて。嬉しいのです。慕う方にそのようなことを言っていただけるなんて、幸せなことですもの」
 言いながら、彼女は腰を突き出すようにし、脚を開いてみせた。
「さあ、ご覧になりたいのでしょう。どうぞ、お好きなだけ」
「ッ――」
 その言葉は、男に対して抗いようのない魔力を発していた。吸い寄せられるように、頭を、脚の間へと埋めていく。
「さぁ、もっと、もっと近くで」
 言われるがままに、ぐ、ぐぐ、と、顔を近づけていく。鼻先が触れそうなほどの距離になる。
 呼吸するたび、女の香りが肺を、嗅覚を満たす。男の理性を破壊する、強力無比な毒が。それは臆病さをも打ち崩していく。
 ――崩されたものの内から、それまで塗り込められていたものが現れる。言葉でなんと否定しようとも、誰もが心のうちに飼っている、くろぐろとした獣。生物の根幹たる部分の一つにして、子孫繁栄の鍵。
 封じられていた「欲望」という名のけだものが、彼の中で目覚めつつあった。
「はッ、は、ああぁ、あ」
 心臓が痛い。肺の奥に火がついて、気管を燃える空気が通っていくようだ。高温のガスが目から鼻から通り抜け、血管という血管をマグマが駆け巡る。股座のモノは、腹にぴったりと沿うほどに硬直していた。
 腹の底でけだものが暴れている。今までよくも封じてくれたなと、未だ四肢を戒めている鎖を引きちぎらんとしているのだ。あらゆるところを噛み、殴り、己の存在意義を満たさんとする。頭を押さえた。心臓が鼓動するたび、がん、がん、がん、と、鈍い痛みが響いていた。
「大丈夫。したいようになさって」
「ッ……ァアッ」
 視界が薄暗くなったところに、その言葉は不思議と明瞭に響いた。――響き、獣を思い切りつついた。
 その一押しで、獣はとうとう鎖を引きちぎった。いけない――理性は咄嗟にそう判断したが、なんの役にも立たなかった。解き放たれた欲望は一息に哀れな獲物に跳びかかり、噛み殺した。今や彼の主人は、その内で燃えたぎるリビドーとなった。
「ッぢゅ、む、ぷふ――」
「あ、はッ!」
 密やかな園に、秘められるべき唇に接吻をする。恋人がするように舌を差し入れ、中を丹念に撫で回す。すでに硬くなっていた小さな尖りをついばみ、吸う。
 青娥は明確な反応を見せた。ここで出会ってから初めて見せる反応を。高い、切ないような声。初めて聞く類のものだったが、その意味するところは、本能で理解できた。それは、性感を表すものだった。
 感じたのだ。霍青娥が。自分では百回人生を繰り返しても手の届かない女性が、自分の愛撫で感じたのだ。心に歓喜が湧き上がる――我儘な感情を伴って。
 もっと、今のような様を見たい。あわよくば今後ずっと、他の誰にも許さないが、自分にだけは見せてくれるようになったなら。
「ぢゅる、ぇる、ぬりゅ、くちゃっ、ずずぅ」
「あっ、駄目、よしてくださいまし、そんな、音っ、音、たてるだなんて」
 己の肉体の立てる音に羞恥を覚えたか、懇願してきた。聞き入れない。聞き入れるはずがない。自分は誓いを立てたのだ。満足させてみせると。
 ゆえに、いかに青娥の頼みといえど、頷くわけにはいかなかった。それどころか、責めをより激しい、執拗なものに切り替えていく。そのような頼みを口にするということは、今の愛撫が効くものだったからに違いない。より性感を与えられる手段を取ることが、彼女を満足させることに繋がるはずだ。
「は、あぁ、聞いて、いただけないのでしたら、私にも考えが、ッぁ、ありますから」
「んむ――えっ、あの、ちょ、おぉっ?」
 身体が離れていってしまった。一瞬の寂しさのようなものを覚えている間に、彼の身体はころりと仰向けにされていた。赤子を抱くよりもあっさりと。そういえば彼女は仙人、人ならざるものだったか。
 青娥が身体の上に乗ってきた。上下互い違いに。互いの顔に、互いの陰部が来る形になった。
「あ、あの、青娥さん……オぁッ、く、うぅう」
「ちゅっ、れる、ふむ、くぷ」
 今日何度目かの刺激に、腰がみっともなく跳ねた。青娥が口戯を加えてきたのだ。相変わらず彼女の口内は熱くぬめっており、何度もお預けを食らったモノでは、味蕾のざらつきひとつひとつまで感じられるようだった。むくむくとこみ上げてくる、一時は翻弄されるばかりだった射精への渇望を、気力で抑えこむ。
 ――満足させるんだ。
 彼女を果てさせるまで、自分が達するわけにはいかない。そのように考えていた。二者は客観的にいって全く関わりをもたない別のことだが、もし先に精を放ってしまうようなことがあれば男として失格だろうと、彼は状況を捉えていた。
「んぅう」
 青娥が小さく腰を揺らす。その意味するところを、彼はすぐさま理解する。誘っているのだ、早くいらして、と。
「ぢゅッ……、ぷ、くちゅ、ぢゅるるるッ」
 舌を伸ばし、ひく、ひくと収縮していた鮮やかな二枚の貝へ、舌をくぐらせる。とめどなく溢れてくる潮を、音を立てて啜りあげる。美味、その一言だった。この蜜だけあればいつまでも生きていける、そう感じた。
「ッ! んぅっ、くふ、ちゅむ、くぽっ」
 青娥はまたも身を震わせる。あがった小さな声が口内で反響し、モノへ曖昧な刺激を与えてくる。太腿から爪先に力を込めて耐える。
 彼は今、彼女の反応に救われていた。女体は彼にとって憧れであり、恐怖でもあった。触れたい、弄びたいなどと世間の男並みに考えるたび、あの女の冷たい視線や「下手糞」の言葉を思い出してしまうのだ。
 だから、青娥に触れるのも怖かった。こんな素晴らしい物に自分などが手を付けていいのかという畏れもあったが、あの忌まわしい記憶が再現されてしまうのではと怯えていたのだ。
 そういう心理を抱えていたがゆえ、彼女のよがる様は、これ以上ない自己肯定感をもたらした。女性を、それも「これ以上」が存在しないような女性に、自らの愛撫でもって性感を与える喜びを。そして、もっと感じさせたい、満足させたい、そのためにもっと触れるのだという勇気と使命感を。
「ぢゅるるるッ、れる、えろ、じゅっぷ、ぐぷ、ふむッ」
「ん、ふッ! む、く、んんふ、んぅ!」
 だからこそ、今の彼は容赦というものを知らなかった。青娥が乱れれば乱れるほどに後押しされていた。舌を這わせ、唇で挟み、甘く噛んで啜る。今までの人生で、これ以上に器用な口の使い方をしたことはなかった。それも全て青娥のためだ。
「くゥゥ……」
 舌を動かすたび、彼女は喘ぐ。そしてそのたび、その振動がモノに伝わり、甘ったるい官能となる。彼女を昂ぶらせれば昂ぶらせるほど、己にも帰ってくる。元々相当焦らされていたし、そう長くは持ちそうになかった。ゆえに、使えるものはなんだろうと使う。彼は指を伸ばす。
「ンンンッ!」
 陰唇の端あたりで汁にまみれててらてらと輝いていた肉の真珠を、優しくつまみ上げる。青娥の反応は今までよりさらに明確な、激しい物だった。腰がびくりと跳ねる。自然、舌が肉襞をめくり返す形になり、彼女は更に身悶えた。
「っ、ぷは、あの、そこはっ、そこはよしてくださいまし、わたしっ、あの」
「――弱いんですか?」
 舌を引き抜いて問う。頷いた気配がした。
 快哉を叫びたい気分だった。けれども彼は、どうにかその衝動を抑え――それでも顔のにやけと声の高揚は隠し難かったが――伝える。
「じゃあ、嫌です」
 拒否する。当然だった。そんなことを教えられて、やめられるはずがなかった。むしろ火に油をどぼどぼと注いだも同然だった。
「そんな、待って、待って、ああっ、は、あ、駄目、っくあぁ」
 ほんの数分前まで、青娥の言うことはなんでもしようと思っていた。今、その決意は少し変化していた。言葉と望みとは必ずしも一致しないことがある。叶えるべきは、言葉にならなかったもののほうだろう。
 舌を差し込み、狭い肉径の細かな襞を丹念になぞる。人差し指で肉粒を転がすようにして嬲る。青娥の声は、次第に高く焦がれたものになっていく。その音色はさながら、船乗りを惑わすという魔女のそれだった。
「は、ぁああ、駄目っ、いけません、あなたの前でこんなっ、あ、くる、きてっ、しまいますッ、あっ」
 青娥は彼の上から逃れようとしているようだった。腰を抱いて引き止める。そんな、と漏らした彼女に、しかし本気で嫌がっている様子はみられない。むしろ、その行動こそ正解だ、とでも言いたげな喜色を、その声は浮かべていた。
 来てしまう、と彼女は言った。迎えさせてあげねば――尖る肉豆を、きュッ、と、つねるようにして摘んだ。それがとどめの一撃となった。
「あっ――はあぁああああああ!」
 これほどまでに耳心地の良い声は、今までに聞いたことがない。まさに天にも昇るような、張り詰めて澄んだ声だった。それが表すのは、たったひとつのシンプルなものだった。快楽だ。
 体が跳ね、背は震えて反り、汗の雫が珠となってはじける。こちらへ預けられる体重が、一瞬ふわりと減り、そしてぐんと増えた。秘裂からは悦びを意味する女の蜜が、男の理性を壊し狂わせる天然の麻薬が、びゅじっ、と吹き出し、彼の顔を汚す――否、汚しなどしない。青娥、あるいは青娥から分泌されるものが、汚いはずがないからだ。
 青娥がそのように頂に至っている一方で、彼も頂点に上り詰めていた――人生における最高潮だ。理想をすら超える女性を喜ばせる。男にとって、これに匹敵しうるものなど、何があるというのか?
 涙が零れた。感極まった経験など、今までにほとんどない。これは貴重な一回だった。
「はぁ、あ――」
 息を呑む激しいオーガズムの反動であるかのように、華奢な身体から力が抜ける。体を預けられるということが、こうも嬉しい事だとは、ついぞ思っていなかった。
 小さな背中が、かすかに上下している。はぁ、ふ、と聞こえると息の音は、ひどく満足気だった。彼もまた、これ以上なく満足していた。達成感に転げ回りたいほどの気分だったし、今が彼にとって一生忘れられない瞬間となるのもまた明らかだった。
 二人は、どちらもしばらく動かなかった。というより、動けなかった。己が身を満たすものを、タップリと味わっていた。部屋には二人の呼吸音だけが響いていた。
 やがて、預けられていた心地よい重みが、ふっ、と失せる。青娥は起きあがり、体勢を入れ替えると、彼と視線を合わせた。その瞳は、ぼんやりとしているようで、彼のことだけははっきりと映していた。何か気の利いたことでも言えたら――そう思っていたのだが、いざ見つめ合ってみると、言葉が出なくなる。
「ごめんなさい、汚してしまいましたわ」
「え? ――おっ、わっ!」
 いいですよそんなの――彼女が何を指して「汚した」と言ったのかもよく理解しないままに、反射的に答えようとした。しかし、その一言は紡がれずに終わる。
 ぴちゃ、れる、と、やや水気を帯びた音が耳元で響く。青娥は舐めていた。彼女自身の愛汁をたっぷりと浴びた、彼の顔を。恭順の意を示すように。
「青娥さん、そんなことしなくてもっ」
 眼前に広がった美貌に動揺しながらも、言葉を投げかける。彼女は聞く耳を持たなかった。ちょうど、先程までの彼のように。
 けれども、そんなことをさせ続けるわけにもいかなかった。このような奉仕を受け続けるだけの度量は、まだ彼にはない。自分自身の中に浮かぶある種の申し訳なさに耐えられなかった。
 ――ならば!
 その頭を、動くことのないよう両手で包む。そしてそのまま、不意を突かれて半開きになった唇に、己の唇を押し当てた。
「んむッ……」
 青娥は一瞬、身を固くした。けれどもすぐ、肩の力を抜いた。受け入れられた――そう解釈した彼は、舌を口内へ差し込もうとした。けれどもそれは失敗した。柔らかで弾力あるものにぶつかったからだ。彼女自身の、舌に。
「ぢゅっ、れる、ふむ、ン、ふ、んん」
 あちらも、同じようにしようとしていたのだ。そのようなことがあって、男という生き物が正気でいられるわけがない。心を掻きむしられるがまま、舌を絡め合わせる。
 唾液のたてるくちゅ、くちゃりという粘っこい音に混ざり、時折、昂った男女の声が唇の隙間から漏れる。男「女」の声が。
 青娥は、舌先を踊らせながら声帯を震わせている。舌交に官能を覚えているのだ。
 ――ああ! この人は、どこまで自分を喜ばせてくれるというのか!
「ぢゅ、る、ぐぷ、んッ、れる、ぢゅう」
「んふ、うぅ、ぁむ、ふ、んンぅ、くちゅ、れろぉ」
 ただ互いの唇を貪り、口腔で交わることだけを考えていた。他の一切の思考は、頭の中になかった。――それ以外の、何が必要だろう?
 たった一つのことだけを考える幸福な時間は、しかしやがて終わる。離れたのは、彼の方からだった。雑念が生まれ、むくむくと成長していた。
 射精したい。
 もう何度、寸止めの目にあっていることか。生物としての根源的な欲求は、今や抑えようもないほどにふくれあがっていた。青娥を見つめる彼の瞳は、一時間以上待てをされた犬のような色を浮かべていた。
「お辛そう……」
 気遣うように、彼女は呟いた。いい格好を見せようと、そんなことないですよ、と返そうとしたが、駄目だった。ぐぅ、という呻きが零れたばかりだ。
「ごめんなさい、私の我儘に付きあわせてしまって。もう、大丈夫ですから。今度はふたりで一緒に、気持ちよくなりましょう?」
「ッ」
 青娥は彼を仰向けにさせると、その上に跨った――腰が浮いた。朝一番の雪景色のような指が、睾丸に触れていた。掌で二つの胡桃を包み、優しく、マッサージするように揉みあげる。幾度となくお預けをくらい、子種で膨れ上がった場所へ。――これ以上なく有効だった。
「せッ、いがさんッ……!」
「あなたは、動かなくても大丈夫。代わりに、私が――」
「い、いや、そういうことじゃなくって」
 白く細い指が、唾液まみれのモノに優しく絡まる。灼けた砲身を導き、その照準を一点に定めさせる。たっぷりと蜜を湛えた、自身の肉洞へ。そのまま腰を沈めようとする青娥に対し、彼は身をよじった。
「私とするのは、お嫌でしたかしら?」
「そういうことでもなくって! したいですけど、その、避妊、しないと」
 もしも「万が一」があったら、どう責任をとったものか――そういう意味を込めた言葉だった。大まじめに相手のことを考えての発言だったのだが、青娥はくすくすと笑ってみせた。
「そうですわね。人の身でしたら、それは確かに問題でしょうけれど。幸か不幸か、私は仙人、人ならざるものです。種をいただいたとしても、孕むことはありません」
「――」
 なるほど、と納得したと同時に、彼は己を殴りつけたくなった。自分がもう一人いたら、そいつに頼んでいたことだろう。「なるほど」という思考に続くのは、なら大丈夫だという安堵と、それじゃあ己の子を宿してもらえないのかという落胆だった。どちらもひどく身勝手な、自分のことしか頭にない発想だった。
 それに、と青娥は付け加える。
「これから二人で愛しあうのに、そんな被せものだなんて、無粋ではありませんこと?」
「あ、ちょっ、あああ」
 話はお終いだ、というように、青娥はモノを己の入口にあてがう。ぬ、ぬぬ、と、肉剣の切っ先が、彼女の内側へ入り込んでいく。
「ッ、ぉ、あぁ、かはっ」
 止めなくては。そう思うが、声が出ない。散々に焦らされたモノは、今にも爆発してしまいそうだ。根性でどうにか堪えていたものの、わずかでも気を抜けば、あっという間に果ててしまうのは間違いない。
「は、あ……這入って――ああっ、はぁあん」
 青娥はことさらに甘い声をあげながら、少しづつ、少しづつ身体を沈めていく。その中で、襞の一枚一枚が、ぬるつきながらもぷちぷちと己のモノを愛撫しているのを感じ、布団を強く握りしめる。そうでもしないとどこかへ吹き飛んでいってしまいそうだ。
「どう、ですか? 青娥の身体は、気持ちよくて?」
「せェ、が、さん」
 応えられなかった。応えられるはずがない。そんな余裕など、どこにもありはしなかた。はい、と、たった二音節を唱えただけで、たちどころに射精してしまうという確信があった。俺は今そういう状況にあるんです――という意味を込め、彼女の名を呼んだ。
 訴えが通じたのだろうか、ひんやりとした感触が、頬を包んだ。青娥の掌だった。彼女はたった一言だけ、呟いた。
「ください」
 腰が、一息に落とされた。
「ぉアッ――う、わ、ああああッ!」
 小さな絶叫にも近い快楽の声があがる。腰が、ぐいん、と、上に乗る女の身体ごと持ち上げる勢いで浮いた。限界を超えて堪えていたモノはあっさりと陥落し、何度も何度もお預けを受けて煮詰めに煮詰められた欲望を、思い切り解き放った。
「あ、ぐ、ううううッ」
 奥歯を噛み締め、放たれる奔流を止めようとする。無駄な試みというものだった。風車に立ち向かったり、雷を切り裂こうとするのと同じで、不可能というものだ。
 さらにいえば。彼自身、解き放たれていく獣を押さえようとすることに、どこかで疑問を抱いていた。本人が望んでいるのだから――そういう声が、頭のなかに響く。
 青娥の膣内は、どぐどぐと注がれていく白濁に悦びの声を上げ、モノを搾るようにきゅうきゅうと締めつけてきた。だが、何よりの根拠は、彼女の表情だった。可憐費は異性の経験がほぼない。だが、そんな彼ですら、今の青娥の浮かべたものが、「おんなそのもの」とでも評すべきものであるということは、容易に理解できた。――上気した頬、汗ばむ肌、額に張り付く髪。精液を、男の欲望を注がれることに、彼女は悦びを見出しているのだ。
 本人が望んでいるのなら、いいんじゃないか?
 彼女を汚してしまう。自分のような分際の男が、身の程もわきまえずに――自制は、新たに生まれた思考とかちあった。理性と欲求の争いにおいては、常に後者が勝つ。今回も多分にもれなかった。
「おッ、おお、うぉぉおおッ」
「あぁ、そう、それでいいの、もっと私に、青娥に、あなたの種を注いでくださいましっ。――青娥を、かわいがって」
 もはや、何の躊躇いも迷いもなかった。ただ目の前の女を、それもこの世界で最高の女に種を注ぐ、そのことしか頭になかった。
 ――が、それも長くは続かない。態度を決めるまでに時間をかけすぎたのだ。射精は尋常でないほど続いていたが、それでも有限のものである。どぐん、どぐんと脈動していた砲身は次第におとなしくなり、奔流も枯れていく。
「――ッ、か、はぁ、あぁ――」
 おそらく二度と、自慰などすることはないだろう。直感していた。
 あれが性交。あれが、男と女の交わり。手淫はその代替行為であるというようにいわれるが、実際に比べてみれば、似ても似つかぬ歪なものでしかないように思えた。
「はぁ……あなたの陽が、私の陰を、満たしているのがわかります」
 青娥は彼の上で微かに肩を上下させながら、お疲れ様でした、と彼の頭を撫でる。浮かぶほほ笑みに、少年のように胸が高鳴る。
 そこで彼は、己の体の異変に気づく。――モノが萎えない。一ヶ月分ほども精を放ったのだから、見る影もなくしおしおと萎んでしまっても別段おかしくはない、というよりそうなって当然のはずだった。ところが実際には、それは未だに、常識を忘れてしまったかのように、硬く、太いままの姿を保ち続けていた。さらには、活力が身体を満たしていた。腰が立たなくなっても不思議ではないはずなのだが、その気になれば丸一日動き続けていられそうだった。
「タオには陰陽の概念があります。この二つが交わったときに生まれる力は、それは大きなもの……。人でいえば、男が陽、女が陰。私とあなたがつながって、陰陽が重なり合いましたの」
 幼子に教えるような口調だった。――理解はできなかったが。
「それに、あなたは私の、はしたない蜜をお舐めになりました。私は、元は人だったとはいえ、今は人外。人ならざる者の、それも一番濃い体液を取り込めば、一時的ですけれど、身体は『そちらがわ』へ傾きます。今のあなたは、金剛にして無双たる仙人のちからを、少しだけ備えている。元気になるのも当然です」
「ええと」
「今のあなたは、人並み外れた絶倫です」
 乱暴すぎるほど噛み砕いてくれたのだろう。それでようやく分かった。というよりも、実感として理解できた。愛くるしい人を、その芸術すらも超えた美体を眺めていると、腹の奥に住まう獣がまた起き上がる。ばうばうと彼の内で吠えたて、飢えを訴える。青娥はその咆哮が聞こえているかのように、彼を自ら誘う。
「さあ、仙人に近づいたその身体が疲れ果てるまで、何度でも、あなたの望むやり方で、青娥を愛してくださいまし」
「――あああッ」
 青娥は、童女を思わせるいたずらな笑みを浮かべた。目を見張っても足りないほどの美人であるのは重々承知していたが、同時にまた、驚かされるほど可愛らしくもあった。
 衝動が彼を動かす。くびれた、下手をすれば折れてしまいそうな腰を両手で抱き、突き上げた。
「あぁッ! そう、そうです、もっとっ、あなたを、感じさせて」
 切なげな甘く熱い吐息とともに、青娥は言葉を並べる。彼の中の男を刺激する言葉を。
 ォオ、うおお、と、彼の喉は人間をやめたような呻きをこぼしていた。青娥の胎内は、気持ちが良いなどという幼稚な形容に収まりきるものでは到底なかった。そこは、一種の楽園だった。
 突き入れるたび、襞の一枚一枚が天女の羽衣のようにふわふわと蠢き、独立した意志を持っているかのようにペニスを愛撫する。引き抜くたび、それらはぞりりりっ、と、返しのようになって肉幹やカリ首に絡みつき、ソリッドな快感を与えてくる。青娥が甘い声をあげるたび、最高級の真綿のようなそこはきゅうう、と締まり、さらなる快感を――子種を、ねだってみせた。
「あ、の、手を。はっ……あ、お手を、どけて、くださいまし」
 短く詰まった喘ぎをこぼしながら、彼女は言う。首を横に振った。向こうからねだってきた行為を、それも彼女のための行為を、途中でやめるつもりはなかった。青娥に対する強すぎるほどの畏れは軽減されていた。その原因となっていたのは、かつて女を買ったおりに受けた心理的外傷だった。素晴らしい女性を絶頂せしめ、さらには膣内に射精したのだという事実が、彼をその呪いから解き放っていた。有り体にいえば、調子に乗っていたのだ。
「そういう、ことじゃっ、あ! なくて、わたしも、動きたいです、から。せっかく二人、はんっ、でっ、つながってるのに、二人でしなくっちゃ、つまらないでしょう?」
 そのためには、腰を掴んだこの手が妨げになる――そういうことだった。そういうことなら喜んでと、彼は青娥を解放する。とたん、しおらしげに下がっていた眉が、くっ、と上がった。
「ふふ、いけませんわ、女の言葉を軽々しく信じては、ッ、ふふ、搾り取ってさしあげましょうか」
 淫らだ――余裕をたたえたその微笑みを見、彼は呑気にもそう感じた。
「おッ、あああ」
 青娥の腰が動き始める。彼の動きに合わせ、その快楽を増幅するリズムで。突然のことに喉が震えた。少しは優位に立てたように思えたが、あっという間に手玉に取られてしまった。
「はッ、あ! ぁあ、なかが、擦れ、てっ、くぅう……っ」
 しかしそれは、彼女にとっても諸刃の剣だった。性の交わりは一方通行ではなく、ぐるぐると巡るものだ。自分が相手に与えたものは、自らにも返ってくる。あるいはそれも、彼女は意図しているのかもしれないが。
「あぁっ!」
 快楽に跳ね上がる腰の勢いに任せ、ぐっ、と突き上げる。肉槍の先端が柔らかなものに押しとどめられる。瞬間、青娥の声が一つ高くなった。
「そう、そこを、もっと、あっ、は、あッ、あぁ!」
 ぬちゅ、ぬっ、と、密やかなその窄まりに、槍の穂先がなんども押し当てられる。彼女の、女の象徴たる部位の入口、子宮口へ。彼女は自ら腰を深く落とし、自らの深奥に位置する聖域の入口を、彼のモノにぐりぐりと刺激させる。蕩けた声だった。耳から忍び込んで精神を愛撫するような、身体の内側から射精しにかかるような声だった。
「はぁ、あッ、あん、いい、きもちいいっ、あぁ!」
 青娥は緩急をつけながら、腰をうねうねとくねらせる。上下左右、ひねりを加えた緩急のついた動きだ。合わせるように、目を引くほど豊かで弾力ある乳房が震え、汗が珠となって弾ける。何度も何度も突き上げ、ぴったりと密着するような肉径を耕すたび、媚声がこぼれ落ちる。まるで楽器だ。この世で最も美しく、可愛らしく、淫らな。
「うおおおおおっ……!」
 いざことに及ぶと、気の利いたことなど一つも言えない。だがどんな男であれ、それをへなちょこであると笑うことはできない。月に照らされる白い肌がリズムよくうねるたび、精液どころか意識まで持って行きそうなほどの電気的刺激が、人体で最も神経の集中した場所から脳髄へ次から次へ送られてくるのだ。
 彼が不慣れであることを差し引いても、それはちっぽけで科学的な器官がどうにかできる量ではなかった。脳はあっという間に処理能力の限界を迎える。あぶれた電気信号は腕や脚といったてんで無関係の場所へ好き勝手に向かい始め、あちこちの筋肉をでたらめに痙攣させる。
 そのような状況にあって、彼は下から上への抽送をやめようとはしなかった。それは一種の中毒でもあり、一人の女性に少しでも気持ちよくなってもらいたいという願いの産物でもあった。
「ああ、くそっ、くそっ!」
 悪態をつかざるを得なかった。限界が近づいていることに気づいてしまったのだ。少しでも青娥に快感を覚えてもらいたいというのに、何を一人だけ射精しそうになっているんだこのポンコツは――自分自身の根性を叩きなおしてやりたい。切にそう思った。
 己を呪う男の胸板に、青娥は手を這わす。構いませんよと、慈愛すら込められた、しかし切羽詰まった声で呟く。
「わたしも、そろそろ、限、かいッ、ですの……あぅ! ですから最後は、あなたの種で、あなたと、一緒、にぃッ」
「青娥っ、さァァんッ!」
「ああはぁッ!」
 ねだるようにくねる腰を、求められるがままに突き上げる。相手の動きに合わせて、などという悠長なことは、もはやどちらもしていなかった。ただむさぼるように見を動かし、己を、相手を悦ばす。
 ぢゅぷ、ぐぷ、ずぶと、蜜に濡れた水音とともに、肉悦に溺れた二人の――否、二匹の獣の声がこだまする。片や低く激しく、片や高く張り詰めた声で、この世で最高の喜びを謳歌する。
 踊るような肉のうねりは、やがて終りを迎える。
「ォオッ、おお……ぉおおああああアア!」
「あぁ、いく、イくっ……あぁっ、はぁああああぁぁっ!」
 先に達したのは彼の方だった。下半身が炸裂したように感じた。先程の絶頂をも上回る快楽が身を駆ける。気でも狂ったように喚くしかなかった。
 射精しながらも、腰を振りたくり続ける。しかしそれは、自発的な行為ではなかった。許容量というさん文字を完全に無視したような快感に体がでたらめに跳ね、それがピストンのように見えているだけだった。
「はぁ、あッ、あぁ、気持ちいいっ、きもちいいッ、きもちいいぃっ――あぁあっ」
 青娥はただひたすらに、気持ちいい、気持ちいいと繰り返し続けていた。彼女が感じているものは、それ以上に上手く表現しうるものではなかったのだ。弓のように背をしならせて仰け反り、その身を揉みくちゃにするエクスタシーを表していた。
 がくっ、がくっと、何かの発作でも起こしたかのようにその豊満ながらも華奢な身体は痙攣していた。そのたびに豊満な乳房は大きく震え、彼の目を楽しませる。ぴっ、ぴっ、と汗が弾けた。
 肉畑は突き入れられたモノをきゅうう、と締め付け、根元から先端にかけて搾り取るように蠢いて、放たれる白濁を奥へ奥へと運んでいく。とろとろに解れた聖域の入口は、植え付けられる子種をこくこくと嚥下していく。
 極楽にいる心地だった。これ以上快い状況というのは、この世のどこを探してもありはしないだろう。今この瞬間、彼は三千世界の頂点に立っていた――彼だけではない。二人ともだ。
「あぁ、はぁ、ん――あっ、はぁ、く、あぁん……」
「ォッ、ウ、うぅ――」
 登った山からは、降りなくてはならない。快楽の頂点も、それがどれだけ素晴らしいものだろうが、終わりが訪れる。二人の身体は脱力した。自力で姿勢を保てないのか、青娥は彼の胸に寄り添うようにもたれかかった。 その確かな重さが、信頼の証であるように思えた。背に腕を回し、抱きとめる。
 二人とも、しばらく動かなかった。肩を、胸を上下させ、呼吸を落ち着けながら、最高のオルガズムの余韻に浸っていた。良い酒は呷った後に豊かな香りが鼻腔を抜けていくものだが、これもそれと同じだった。最高のセックスは、終わったあともやはり最高なのだ。
 彼は夢見心地にあった。彼は自分が童貞であったと、そしてそれをたった今喪ったのだと理解した。もちろん、商売女を買ったときに抱きはした。だがあんなものは、今にして思えばセックスなどとは到底呼べない行為だった。ただ股にモノを突っ込んだだけといっても、何ら暴力的ではない。あれを交わったなどと表現するのは、性に対する冒涜ですらある。だから彼は、セックスを知らぬ者という意味で、童貞だったのだ。――今は、それがどんなものか、知っている。
 ふと、青娥が動く。白く長い指が、汗ばむ彼の額に張り付いた髪をさっとかき分ける。彼は目を細め、じっとされるがままにしていた。
 顔を近づけてくる。髪が全力を尽くしたような美貌が間近に映る。見とれている内に、柔らかなものが額へ押し当てられた。口づけをうけたのだと、遅れて理解した。
「お疲れ様でした……とっても、良かったです。ありがとう」
 耳元で囁く声は、出会ったときよりもずっと満たされているように感じた。出会ったときの声は、今にして思えばとても切なげだった。それを、自分が満たしたのだ。
「あの、もしよろしければ、もう少しこのままで、抜かないで。わたしのわがままですけれど――もう少しだけ、あなたを感じさせていて」
 青娥はわずかに身を動かした。、彼自身を包むみっちりとした肉や、その表面の襞の存在が伝わってきた。
 彼は瞳を閉じた。深く息を吸い、鼻から吐いた。そして、思い切り体勢を入れ替え、青娥を組み伏せた。
「きゃァっ! ……え、あ」
 何ら取り繕うところのないきょとんとした瞳で、彼女はこちらを見上げる。先ほどまで見せていたものより、幾分か幼気であるように見えた。胸の内がざわめいた。
「青娥さん……気持ちよかったんですよね」
 まだだ、まだ発散してはいけない。
 押さえ込みながら、努めて静かに聞く。それがかえって、自身の内側でぐろんぐろんと渦を巻く者の存在を感じさせてしまったのか、青娥はおずおずと頷く。そういう態度がまた、彼を刺激した。
「だったら、もっと、気持よくしてあげます。二度と人恋しくなんてならないくらい、二度と旦那さんのことなんて思い出さないくらい、二度と、俺以外、見えなくなるくらいにっ」
 蜜と白濁の混合液をこぼす秘部へ、同じくどろどろのモノを――未だに全くその雄姿を萎えさせないモノを押し当てる。彼の様子に尋常でないものを見たのだろう、待って、と、怯えたように青娥は言った。
「無理です。『あなたを感じさせて』だなんて、そんなふうに誘われて、待てるわけがないじゃないですか! ――それに、青娥さん、言ったでしょう、俺の望むやり方で愛してほしいって」
 健気な制止を振り切り、腰を前に突き出していく。ぬる、ぬ、ぬ、と、互いの体液にまみれた杭と坑は、再び互いを補い合おうとする。
「あっ、ああ、いや、駄目、あ、はァ」
 あがるのは、まさに今から乱暴されようとしている生娘のような、弱々しげな抵抗の言葉だった。それは彼を止めるどころか、むしろ火薬庫に火を放り投げるように、その心をかきむしる。
「そんなこと言ったって駄目ですよ。だってこれは、青娥さん、あなたが望んだことなんだ、あなたが招いたことなんだ」
 責任を押し付けながら、ペニスを前へ前へ突き出していく。
「それに、本当に嫌なら、逃げるなりしたらいいじゃないですか、仙人なんだから、俺くらいどうとだって出来るでしょう!?」
 ぐ、ぐ、ぐ、ぐ、と、腰を進めながら喚く。そうしないのはつまり、こういう風にされたいからだろうという、倫理の飛躍とともに。
「それ、はぁッ」
 濡れた声で彼女は反論しようとする。しかし、言葉は後ろに続かなかった。ほら、言い返せないんだ、と、彼は己の理屈への確信を強める。
「何を言ったって聞きません。実力で、俺のものにしますからッ!」
「あああッ!」
 どちゅん、と、一息に叩きつける。肉槍は彼女の深奥を思い切り付いた。高い声が響く。
「やっぱり感じてる。わかってるんです、青娥さん、バレてるんです、少しくらい強引な方が好きなんだって」
「やっあ! そんなの、ッは、違っ、や、あぁ、は」
 そのまま、抽送を開始する。己の内で渦巻く黒いものに任せた、荒々しい動きだ。彼の言を証明するように、彼女の声は高く、切なげなものになっていた。
「全部もうバレてますよ、青娥さん、弱いとこだって――ほら、浅いとこ抉られるの、好きなんでしょう。知ってるんですっ、分かってるんです。さっきそういう風に腰、動かしてたからッ」
「あッ、ひぁ、うぁ、あッ! やぁ、あんっ、くぁ、はぁぁぁ!」
 違うとでもいうように、首を横に振ってみせる。これほど分かりやすい嘘もない。じゅぐじゅぐと肉沼の入口付近を抉るその動きこそ大好きなものだと、己の最も好むところだと、蕩けた声や悦ぶ膣内が訴えていた。
「逃げないでッ、くださいよォッ」
 青娥の腰が浮いた。苛烈な、それでいて弱点を的確に狙ってくる動き――たった一人の女を落とすためだけに練り上げられたストロークから逃れようとするかのように。
 彼はそれを許さない。なめらかな両太腿をがっしりと抱え、己の側へと引き寄せる。
「ッ――く、ぬるぬるして、暖かくて、くゥッ、ウゥゥッ……!」
 二度たっぷりと放った精液で、彼女の胎内はぬるついていた。その生暖かな感触がアクセントとなり、先ほどとは違った快感を彼に与える。抽送のたび、収まりきらなくなった種が結合部から溢れ、こぼれ落ちた。
 そう遠くないうちに、また果ててしまうだろう――彼は直感した。元々が魔性を秘める彼女の肉体だ。既に何度も射精しているとはいえ、この調子だと、限界が来るまでにさほど時間はかかるまい。
 それまでに、なんとしてでも、青娥には自分のものになってもらわなくては。
「ああぁっ、あんっ、あ、はァッ、ああ、あんっ、あんっ、あっあ、ンああッ!」
 それは不可能なことではないと思えた。青娥にもはや、取り繕ったところは見受けられない。そこにいるのは、ただ女穴を抉られる快楽に嬌声をあげる、一人の女だった。それは彼であっても、手の届く存在だ。
 彼女は相変わらず、無駄な抵抗を続けていた。彼の胸板を押し返し、脚をばたつかせる。しかしそれも、どんどんと弱々しくなり、代わりに表情も声も、どこまでも甘く蕩けたものへと変わっていく。
「好きです、青娥さんッ――青娥、好きだっ、好きだァァッ」
「あぁあッ! あは、は、くぁ! んんッ、んんァ、んアアア!」
 己の言っていることの意味もわからないまま、ひたすら喚き散らした。そうでもなければ、身体が想いで爆発しそうだった。わめきたてながら、青娥の弱点を、何度も何度もがむしゃらに突く。入口近くの上のあたりを。そこから少し奥に行ったざらつきを。最も深くの、聖域の入口を。何度も何度も何度も、ひょっとして憎いのではないのかと思うほどに。二人の汁で、布団はどろどろになっていた。
 自棄糞な告白に、青娥は応えなかった。応えられる状態になかった。言葉と身体と両方で愛されるという、女として最上の喜びにただただ溺れていた。
 目を見開き狂ったように喘ぐ。美貌は、半ば台無しになっていた。しかし彼は、それをこそ最も美しいと感じ、彼女を美しくしていることに、至上の喜び、あるいは支配欲の充足を覚えた。
 もっと、気持よくさせたい――それは先ほどまでの、奉仕精神の現れとでも呼ぶべきものとは、似てこそいるが全く異なっていた。これは、より利己的なところに根ざしたものだ。
「んフッ、んむ、ぢゅるるッ」
「んんっ!? んふ、んっ、んッ、んぅ!」
 欲望のままに、開きっぱなしの艶やかな唇を奪う。何かされるより早く舌を差し込み、強引に口交を始める。
 ぢゅぶ、ぐぢゅ、と、猥雑な水音が二箇所から鳴り響く――そう、二箇所から。貪るような口づけを行いながらも、彼は腰を叩きつけるのをやめてはいなかった。やめるはずがない。あれもこれも全て、青娥を気持よくさせるための行為なのだから。
「んんッ、んん、ぢゅる、ふ! く、んッ、んぅ」
 あってないような抵抗は、完全になくなっていた。無駄と悟ったか、余裕がなくなったか、はたまた、受け入れてくれたのか――いずれにせよ、青娥はもはや拒まない。
「ぢゅ、くちゅ、ぢゅる、ずずずゥッ」
 歯茎を舐め、唾液を啜り上げる。一方で、しゃくりあげるようにして、肉棒で襞を捲り返す。ぢゅぐ、ぐじゅと肉音のあがるたびに青娥は身を震わせ、感じているものを全身で表現する。それが、堪えようもないほど愛おしい。
「ンんんウウウッ!?」
 堪えられない思いのまま、青娥の身体に触れる。左手は、突き上げるたびにふるふると震えていたたわわな乳房へ。右手は、ずぶずぶと音を立てながら穿ち返されている肉沼のすぐ側、ぷっくりと膨れた肉の真珠へ。
「ンンンーッ! くッ! じゅ、ぅム、ふッンンン!」
 もはやそこには技巧も何もない。ただひたすら、己が内にある獣の命ずるままに、霍青娥を喰らい尽くしていく。口を、膣を犯し、性感を引き出していく。握り潰すように乳房を揉みしだき、肉豆を嬲り回していく。そこに思考と呼べるものは存在していなかった。ただとにかく、目の前の女を手に入れるのだという思いだけがあった。頭のなかに、青娥のくぐもった嬌声、肉同士のぶつかる音、荒い息遣い、そして激しくも淫らな水音が、洞窟の中で梵鐘を鳴らした時のようにいつまでも反響している。
 口を離す。青娥を見つめる。十人中十人が見とれる美貌は、許容量を超えた暴力的快楽によって、今や見る影もなくなっており、十人中十人が眉を顰めるような悲惨なものになっていた。――彼はその十人の中には含まれないだろう。なぜなら彼は、そのような有様に成り下がった青娥をこそ、今までに見たあらゆるものより美しいものだと感じたからだ。
「うぁ、あひ、ひぃッ、あぅああああ、あーッ、あああーッ」
 品位を保つことすらできず狂女のように喘ぎ続ける彼女を愛しく思いながら、彼は最後の仕上げに入る。
「青娥さん、そろそろ僕も限界です、射精します。どこがいいですかッ」
「ッあ、はぁぁあッ」
「それじゃわかりません。はっきり言ってくれないと。はっきり言わないと、膣内に射精しちゃいますよ。いいんですか、いいんですねッ」
 言葉でもって、腰遣いでもって、彼女を追い詰めていく。これは賭けだった。賭けているのは彼女自身。首を横に振られれば自分の負け、それ以外なら――勝利だ。
「ぅあッ、あッ、くぅ、あっ、あっ、あああッ」
 しかし、彼には確信があった。俺が勝つんだという確信が。青娥にはもう、まともにものを考えるだけの余裕が残されていない。ただこちらの腰遣いに、たった一人を堕とすためだけのストロークに溺れているからだ。
 性の交わりのなかで最高の快楽を与えてくれるのが、膣内射精だ。快楽に溺れた頭でそれを拒否することは、天地がひっくり返ろうと不可能だ。ゆえに彼女は拒否できない。
「ほらッ、ほらッ、ほらッ、ほらぁッ、早くッ、しないとッ、射精されッ、ますよッ、旦那さん以外の男の精子、お腹の中に射精されますよッ、いいんですかッ」
 ――何故自分は、夫の話など持ちだした?
 彼の脳裏に、小さな疑問が浮かぶ。すぐに理解した。悔しかったのだ。自分が欲しいと思ったものを先に手に入れた男が、かつて存在していたことに。夫に言及したのは、ある種の嫉妬であり、そして試金石でもあった。霍青娥にとって、大事なのは己か、それともかつての男か。賭けに勝てば、どのみち分かることだ。
「――ッ」
 重ねようとした言葉は、途切れた。青娥の脚が、ぐっ、と、激しく前後していた腰に絡められていた。そのまま彼女は、ぐい、と己の側にこちらの腰を引き寄せ、ぴったりと密着させた。言葉はなかったが、それは問いかけに対する回答だった。彼が最も欲しいと願っていた回答だった。
「――悪い人だ、青娥さん、旦那さんがいるのに、操も立てずにっ……! そら、射精しますからッ、イッてくださいッ、おぁ、お、おおおッ、おおおおおおおおおおおおおおおおおおッ!」
「あっ、あぁぁぁッ、ああああああああああああああああ――!」
 そして彼は、最後の一撃を――亡き夫の幻影から愛する女を奪い取る一撃を、解き放った。
 子宮口に密着した鈴口から、どぼっ、どぼぼッ、と、彼の子種が注ぎ込まれていく。彼女の聖域を、かつては夫に捧げられただろう場所を、己のものとして生まれ変わらせるために。それは慈悲も容赦もない愛だった。相手に対する考慮も一切存在しなかった。ただひたすらに、自分が相手を欲しいから、それだけの理由で放たれていた。――しかし、理由が単純であればあるほど、行為はより強靭になるものだ。それゆえに、この射精は今までのものと比べてすら激しいものとなった。
「うぁ、ああああッ、ひ、あぁぁあッ」
 放たれる無数の精虫が、彼女の胎内を泳ぎ回る。かつてそこを所有した男の痕跡を消し去り、彼のものとして作り変えていく。青娥は涙を浮かべていた。その意味するところは、夫を忘れる悲しみではなかった。――新たな主人に巡りあった喜びだ。
「青娥ッ、青娥、青娥っ、青娥青娥ぁッ、愛してる、好きだ、好きだァッ」
 白痴のように喘ぎ続ける彼女を、ひしと抱き締める。柔らかな乳房、滑らかな皮膚、暖かな体温、そして激しい心音、彼女を構成するありとあらゆる要素が、彼を喜ばせているかのようだ。二人の身体はぴったりと密着し、寸分の隙間もない。肌という境界がなければ、比喩でなく一つになっていただろうといえるほどに。
「おおおッ、おおおおッ、おおッ――おおおッ、おお」
「あああッ、ああ、あああっ、ああああ」
 幸せであるとか気持ちが良いだとか、そういうことすら頭の中から消え失せていた。あるのはただ彼女が欲しいという苛烈な思いだった。それを吐き出すように唸り続け、子種を放ち続け、やがてそれは終わった。
「ッ、おお……お、く、ぅぉおおっ」
「は、ひ、あぁ、あ」
 ぐったりと、彼女を抱きしめたまま脱力する。絶頂は終わりを迎えていた。身動きが取れなかった。余韻がどうこうという話ではない。激しすぎるオーガズムによって、仙人に近づいたとかいう身体すら疲労困憊の状態に陥っていた。全身から汗が噴き出している。
 しばらく、腕の一本すら動かせそうもない。しかし、そんな必要はない、とも思えた。むしろずっとこのままでいられればよいのだ。自分にとってこの世で最も必要なものに巡りあい、それは今、己の腕の中で抱かれている。これ以上何が必要だというのか?
「……少し、昔話を、しても、良いですか」
 小さな声がした。青娥だ。顔を動かし表情を覗きこむだけの気力すら彼には残っていなかったが、少なくとも穏やかな声だった。無言を肯定と捉えたか、彼女は話を続ける。
「私の夫は、桓さまと申しました。それはそれは、素晴らしい夫でした。毎日、毎晩、私を愛してくれました。――亡くなったときは、それはそれは取り乱しましたわ。ずっと泣きっぱなしで、仙人だというのに死んでしまうのではないかというくらいに」
 彼は何も言わず、耳を傾けていた。何と言っていいか分からないというのもあったし、口を挟んではいけない類の話だと思ったというのもあった。
「それでも、ずっと悲しんでもいられませんから、どうにか立ち直った……つもりでいたのですけれど。さっきも言いましたけれど、愛した方ですもの。忘れられません。面影を求めて、あちこち探し回りましたわ。……ところで、キョンシーってご存知?」
「……えっ?」
「キョンシー」
「え、ええと、名前、くらいは」
 あまりにも唐突な話題に、面食らいながらも頷いた。しかし、人生を左右する話の途中で夕食の献立を訊ねるような、場違いなものを感じずにはいられなかった。
「仙術の一種です。本来は行き倒れの死者を家族の元へ送り届けるためのものでした。操り人形のような手間のかかるものですわ。けれど、私はその亜種を作りました。死体に魂を入れることで、独立してものを考え、動くようにしましたの。それでいて主人は私ですから、私の言うことには逆らいません。今も私、一匹飼ってますの。芳香というのですけれど、とってもいい子」
「は、はあ」
「何が便利って、取り換えがききますの。腕がとれても、別の身体から調達すれば大丈夫。もう死んでるからこれ以上死なないし、壊れる心配もない。素晴らしいでしょう?」
 青娥の言うことは相変わらず理解できなかった。空返事をするしかなかった。彼が話についていけているかどうかなど関係ないというような、楽しげな口調だった。けれども彼は、それと裏腹なものを感じていた。精巧すぎる人形を見たときに覚えるような、気味の悪さだ。それは、死者だの死体だのという言葉を出されたこととはまた別のところに根ざしているようだった。
「前提知識はそれでおしまい。話を戻しましょうか。面影は、あっちこっちで見つかりました。桓さまに似た足、桓さまに似た腕、桓さまに似た指、桓さまに似た腰、桓さまに似た声、そして何より、桓さまの魂――まあ、挙げていけばキリがないので、これくらいにしておきましょうか。とにかく、あっちこっちで集めて回りました」
「集めて?」
「ええ。集めて」
 何か疑問が? とでも言いたげな声で青娥は返した。おかげで、何がおかしいのだろうと一瞬思ってしまった。
 ――おかしいに決まっている。死体に魂を入れて動かすだの、一部が壊れても換装できるだのという話のあとに、「面影を集めた」などと言われては。それでは、まるで。
 彼は相変わらず、青娥の表情を見ていなかった。そうするだけの体力があったとしても、できなかっただろう。頭のなかに、一つの疑念が浮かぶ。
 自分が手に入れたものは、一体、なんだ?
「それはもう大変でしたわよ。桓さまの部分を傷つけないように回収して、しかも駄目にならないように保管しておくのは! ……でもそれももうおしまい。あなたと出会えましたから」
 あなたと、つまり愛する人と出会えたから、夫の影を追い続けるのはもうやめだ――先ほどまでなら、間違いなくそう捉えていただろう。
 後半は間違っていないはずだ。彼女はもう、夫の影を追い続けることはない。だが、理由の部分が間違っている。出会ったとき、彼女はなんと言った? 「亡くなった夫にそっくりですの。貴方」、そう言ったのだ!
「やぁぁぁぁぁああっと、完成よ。これで、ようやく」
「がっ」
 青娥から離れようとした。それは叶わなかった。首に手がかけられていた。引き剥がそうとするが、まるでびくともしない。
「何年、かかったことかしらね。百年やそこらじゃ足りないわ。専用の術を編み出して、芳香で試して、桓さまの素体を集めて。本当、首から上が全ッ然見つからないのだもの、……でも、ようやく、これでようやく終・わ・りィ」
 彼女は何を見ているのだろう――最初はそう感じた。瞳はこちらを向いているが、先ほどまでとは視線が全く異なっていたのだ。まるでこちらを見ていないかのように。だが、気づいた。彼女は今自分以外のものを見ているのではない。今まで、全く自分を見ていなかったのだ。――彼女が見ていたのは、自分でなく、自分の顔に宿った、桓という男だ。
「骨格から目鼻立ちから髪質から、果ては耳たぶの大きさまで、何もかも桓さまにそぉぉぉぉおおおっくり。それはもう、心踊ったわよ? やっとこれで、桓さまが全部そろう。それでこうして、少し話もした――でもあなた、駄目だわ。なまじ桓さまに似てるから、違和感が半端じゃない。なんというか、気ン持ちわっるい」
 目の前にいるのは、間違いなく先ほどまで交わっていた霍青娥という女だ。だが、それすら疑ってしまうほど、彼女は変わっていた。売女じみたいやらしい眼が、卑屈なわりに見下す視線を送ってくる。自分がいかに優れているかを誇り、他者など人形劇の人形か何か程度だろうと思っているような不遜きわまる雰囲気を全身からにじませている。
「桓さまにかわいがっていただいてる気分になるかなァ、なんて思って抱かれてみたけど。……あなた、とォォっても下手っぴ。早いし、ひとりよがりだし、桓さまと比べたら、いや、比べることすらおこがましいわ。それに関しては私も馬鹿の極みだったけれどね。それにしたって!」
 血のような舌が蠢き、お前にはこの程度で十分だというような下品な口調で言葉を紡ぎだす。彼のかつてを見透かした上で、効率的に傷を与える言葉を。怒りや憎しみからそうしているのではない。彼女の瞳は、驚くほど無感動だった。彼女からすればこれは、ただ飛んでいた羽虫の翅をもぐのに等しいのだ。
 首をがっしりと握る細腕を、両手で掴む。だが、ほんの一寸すら動かせる気がしなかった。青娥は笑った。慈愛の篭もる微笑みではない。下衆な嘲笑だった。
「わたし、言ったでしょォ? 『いけませんわ、女の言葉を軽々しく信じては』って。あなたみたいなヘタレのフニャチン野郎相手に、誰が好き好んで股開くと思ってんの? これで桓さまのお顔だっていうんだから、悪い冗談だわ。誰に断って、その顔、してるのッ」
「か、あ、アッ」
 ぎりり、と、耳の奥深くで嫌な音が鳴る。首にかけられた力が、少しずつ、少しずつ強くなっていっている。呼吸ができない。視界が暗くなり、腕の力が萎えていく。
「せ……ッい、が」
「そう、それよ。よくもまあ、呼び捨てになんてしてくれたものね。そう呼んでいいのは、この世でたった一人、桓さまだけよ。覚えておくことね。まあ、あなたがその知識を現世で使う機会は、もうないでしょうけれど」
 苛立ちの篭った声で、青娥は吐き捨てる。そして不意に、先程まで見せていた。貞淑な女の笑みを再び見せた――だがその瞳は、彼自身を映してはいなかった。
「ああ、桓さま。もう少しでお会いできます。……また、ずっと昔のように、可愛がってくださいませ」
 暗くなっていく意識の奥で抗議する。違う、俺の名前は――と。それは、こきゃっ、という、滑稽にすら聞こえる音によって途絶えた。



 例えばどこかに泊まった朝、目を開けるなり、不慣れな景色に飛び起きる、という経験は誰にでもあろう。今の彼がまさにそうだった。
 室内は暗い。どうやらまだ夜中らしい。後ろの丸窓から差し込む月光だけが光源だった。目を凝らし、部屋の中を見回す。六畳ほどの和室だった。調度のたぐいは、今まさに横になっている布団だけだ。質素どころか殺風景だったが、畳からはイグサの香りがするし、布団もふかふかと柔らかい。柱にも、傷や日焼けはないようだ。
 香でも焚いていたのか、煮詰めた乳のような甘い匂いがうっすらと漂い、鼻をくすぐる。それは少し快かったが、基本的には不快だ。夜とはいえ季節は夏真っ盛りである。室内は蒸し暑く、額や胸、背中に汗をかいていた。行水したい気分だ。口の中がねっとりとしている。水も飲みたい。
 見覚えのない場所だ。そもそもなぜ、自分は家にいないのだろう。思い返す。――思い返せなかった。何をしていたのだろう。それに、どれくらい寝ていたのか知らないが、やたらと全身が軋む。硬い椅子に座って半日くらい居眠りしていたような、いや、それ以上だった。全身がばきばきと音を立てそうだ。
「起きられましたね」
「……青娥」
 見慣れた妻が座り、こちらを見つめていた。見慣れている、はずなのだが、なにか記憶の中の彼女と違って見えた。
 暗いので分かりにくかったが、その瞳には涙が浮かんでいた。あまり涙もろい方ではなかったはずだが、はて、と首を傾げる。ともかく、最愛の人に何か起こったのは間違いないだろう。
「青娥。こっちへおいで。何かあったのかい」
「ああ、桓さま、桓さま!」
「えっ、おっと」
 後ろに倒れこむところだった。青娥が飛び込んできたからだ。胸に顔を埋める彼女を抱きとめる。やっぱり変だな、と感じた。こういう方向に感情表現の激しい女性ではなかった気がするが――しかし、その重さは、香りは、暖かさは、どこまでも妻のそれだった。
 それにしても、名前を呼ばれても、それが誰のことか一瞬わからなかった。どうも頭がぼんやりしているようだ。ひょっとすると、怪我か病気でもして、一週間くらい眠り続けていたのかな――と、彼は推測する。それは身体も軋んで当然だろうし、普段は猫のように気ままな青娥も、心配してくれるだろう。何があったのか知らないが、ともかく申し訳ないことをした。
「ええと、青娥。その――ごめん。ありがとう」
「いいえ、いいえ。私は、嬉しいのです。桓さまと、愛する夫の側にいられるのですから」
「どうしたんだい、青娥。なんというか、今晩はやたらとしおらしいじゃないか」
 青娥はこちらを見上げる。頬を撫で、濡れた瞳でじっと見つめてきた。――彼女がそういう瞳を浮かべたとき、それが何を意味するか、彼は知っている。
「ええっと、正直よく分かってないんだけど、なんだか寂しい思いでもさせてしまったかな。埋め合わせになるか分からないけれど、たくさん可愛がってあげるよ、青娥」
 なります。青娥はそう呟いた。たくさん、青娥を可愛がってくださいまし――言いながら、彼女はこちらの身体に手を這わせてくる。頬から、首へ。
 途端、身体が小さく跳ねた。
「どうか、されまして?」
「いや……いや? なんだろう。分からないけど。くすぐったかったのかな」
「身体が慣れていないのでしょう。ずっと眠ってらっしゃいましたもの。……埋め合わせ、してくださるのなら、その分まで青娥を、愛してくださいまし」
「もちろん」
 言いながら、彼女を布団に引き込んで、押し倒した。首に触れられたとき感じたものを、彼はもはや覚えていなかった。
 それは、恐怖だった。
人妻モノっぽく一晩のアバンチュールな感じの作品を書こう、けっこうキワドいことまでさせてくれる肉よく持て余した人妻って感じで
みたいな感じでファーストコンセプト打ち立ててたはずだったんだけど。
こう 青娥でやったからなのか、すげえダークなサムシングになったよね。先生 この女邪悪です。
喚く狂人
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コメント




1.性欲を持て余す程度の能力削除
エロすぎるよこの仙人
2.性欲を持て余す程度の能力削除
わめさんが珍しく純愛でも書いたのかと思ったらww
ふぅ...
3.性欲を持て余す程度の能力削除
たまらんですにゃんにゃんかわいい
4.性欲を持て余す程度の能力削除
素晴らしいグレートシングでした……ごちそうさまです……
5.性欲を持て余す程度の能力削除
青娥さんの人妻少女っぷりは本当に可愛い。
6.素晴らしい削除
背徳感と、官能が合わさり最強のように思えます!
良い物を読めましたありがとうございます
7.性欲を持て余す程度の能力削除
正直、途中までダメ男がダメなまま救われてしまいそうな流れと青娥さんの都合のいい女っぷりに引いてたんですが、
見事にオチがついてくれたので安心しました。
8.性欲を持て余す程度の能力削除
↑人妻少女ってすげえ言霊を感じるな
これはエロくてさいこうでした