真・東方夜伽話

気持ち届けば

2013/04/19 05:45:42
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気持ち届けば

あか

--まえがき--
この作品にはおどおどしたフランドール等が含まれます。
--以上まえがき--





厨房の近くを通る時。いっつも、心が躍るんだ。
風の無い廊下を良い匂いがふわふわ漂って、耳を澄まして目を閉じれば、
お鍋の中で何かが煮えている音とか、リズムよくまな板の上で跳ねる包丁の音とか。
そんな音が聞こえてくる。今日は、何ができるのかなぁって。
いつもそんな事を考えて、ついつい足を止めてしまう。
けれど、あまり長居をすることはできない。
この館の中での食事の権利は、ちゃんと働かないと貰えないからだ。

私は、まだ勤務中。ご飯の時間も、予定はもう少し先のこと。
だから、浮かんでくる食べ物のことは頭の隅へと何とか追いやって、
ぐっと握りしめた掃除道具で、厨房前の廊下をしっかりしっかり掃除していく。
ひょっとしたら、この時間が一番キツい時間かもしれない。
でも、同時に私にとっては一番楽しみにしている時間なのだ。
我慢はずっとしなくちゃいけないんだけれど、それが報われることというのはあるからだ。

「ちょっと、そこの貴女。」
「は、はい!」

それは、例えば……

「味見して頂戴。……あぁ、手は塞がってるのね。口を開けて。」

こんな風に。初めて報われたのは、果たしていつ頃だっただろう。



真冬、だったのは覚えている。あれは確か、年を越してしまう少し前。
ああそうだ。大掃除した日のことだ。私は掃除場所を決めるじゃんけんにも、
くじ引きにも負けて。一人で掃除する分にはとーっても広いホールを担当することになったんだ。

私は、あんまり手先が器用じゃない。だから、日頃は廊下の掃除をやっている。
けれど、その時担当したホールの壁際というのは貴重なお皿だとか、壺だとか。
そんな調度品が沢山あったりして。もし壊しちゃったりしたら怖いなぁ、なんて。
そんなことを考えながら、必死になってやったんだっけ……。



~~



その日はとても寒い日だった。掃除に向いている日だろうかと、
誰に相談した所で皆首を横に振って応えるだろう。……そう、思ってしまう程、その日は寒かった。
でも、年を越すまでにもう日にちはない。
お嬢様が少し前から希望していた年末のパーティにも間に合わせなければならない。
もっと早めにやっておけばこんな事にはならなかったのだけれど、それを今更悔やんだ所でもう遅い話だ。
勿論、時を止めてしまえばそれこそ一朝一夕にできてしまう事ではあるのだけど……私だって年末位は少し、休んで居たい。

年末の大掃除をしよう。と、いうことで妖精メイド達の各々のグループにくじ引きをさせ、グループの担当を割り振った。
私よりも小さい彼女達は、まるで遊びの延長かの様に楽しげに掃除分担を決めていた。
まあ、楽しそうなのはあくまでも決める瞬間だけで、不幸にも館の外を担当する事になってしまった者や、
日当たりという言葉に縁のなさそうな場所に当たってしまった者達は少し不満げな顔をしていたけれど。

ちなみに、私の担当場所は厨房だ。理由はとっても単純。
この館の中で一番水回りの世話が多い場所がここなのだ。
本音を言ってしまえば一番妖精達に任せたい場所なのだけれど、
これ位は私だってやっておかないと仕事をした気になれないのだ。
加えて言えば、後でどの道調理をしに来る手間がここの掃除担当だと省けてしまうのもある。

少し早めに皆の昼食を用意し、取りかかった大掃除。屋敷のとんでもない広さのお陰もあって、
掃除が終わり始めたのはすっかり太陽も落ちて夜になってしまってからだった。
お嬢様はと言えば、大掃除をするということもあってか、
自室で食事を済ませてしまった後は屋敷の中を散歩する事もなく、

「終わったら、教えて頂戴。」

そう言ったっきり、特別私を呼びだす事は無かった。

私が担当していた厨房は勿論どのグループよりも早く終わった……のだが、
他のグループの面倒を見に行くにも、いつまでかかるかも分からない。
それが片付くまでお嬢様の相手ができないというのは非常に問題なのだ。
だから、とりあえずとばかりに私が始めたのは、掃除が終わった厨房でのお菓子作りだった。
まあ、3分の1はまだ働く事になりそうな自分の為であり、
残りの3分の1は妖精達への労いのためだったのだけれど……。

作ろうと決めたお菓子は、チョコケーキだ。
疲れた時にはチョコレートが良い、というのを図書館の本でいつか読んだ気がするから。
元々管理していた材料の中で思いのほかその辺りの材料が余っていた事もあるけれど。
数が数だから、こればかりはただただ一人で完成させることは難しく、
お陰で一人、何度も時を止めたりしながらゆっくりと作っていった。

ある程度完成したところで止めたままの世界を見回ってみた。
どこもまだまだ大変そうで、もうすぐ終わりそうな場所というのも一応あるものの、
館の外の担当者達はどこか眠たげな顔すら浮かべてしまう様子。
気持ちは何となく分からないでもない。ただでさえ、寒い場所だし。

完全に焼き上がってしまった所で、お嬢様達や図書館の方達の分を取り分けて。
最後に、少しだけ自分の分を貰った。……一応、想定していた通りの味だ。
欲を言えばもう少し甘くても良かったのかもしれないが、たぶん誰も文句は言わない。
だから、私は手の空いていた元々の厨房担当の子達を使って、
未だに掃除を続けている各グループにケーキの事を連絡するように伝えれば、
少しの間はあったけれど、我先にと急いで掃除を仕上げた子達が、
厨房の横にある食堂に集まり始めたのだった。

期待した顔をした妖精達がどこかよそよそしくも集まっては、ケーキを自分の分だけ切り分けて取っていって。
ついさっきまで山のようにあったケーキが次々と彼女達の頬の中へと消えて行く。

皆掃除の苦労はお互いに理解しているからか、
遅れてやってきた子達は段々と残りが少なくなってきたケーキを若干遠慮気味に切り分けていたが、
そんな彼女達も食堂から満足げな顔で消えて行ったしばらく後で、
最後の一人と思われる妖精がやってきて皆の遠慮の塊とも呼べそうな最後の一片を、
幸せそうに持って行ったのだった。

「お疲れ様。それじゃ、今日はゆっくり休んで頂戴。」

そう声をかければ、未だに飲み込み切れていない為か、ただにっこり笑って。
最後の一人は一度だけ頷いて返すと、嬉しそうに食堂から駆けて行った。
……そう。その時はその子が最後の一人だと思っていた。
そうじゃなかったと知ったのは、すっかり空っぽになってしまったお皿を片付けようと食器を重ね、
厨房へと戻ろうとした頃である。勢い良くバタン、と音を立てて開いた食堂のドア。
そのドアの向こうに、本当の最後の一人が立っていたのだった。
その顔は解放感と希望に満ち溢れて……夢見心地、そんな感じにも見える良い笑顔だった。
ただそれは、私が食堂から運び出そうとしていた、空っぽのお皿を見つけてしまうまで、だけれど。

「お……。」

困惑した声が部屋の中に響いた。……口は物を食べるようにパクパクと動いていたけれど、
続く言葉は中々出てこないようで。やっとひねり出した言葉が、

「おやすみ、なさい。」

だった時には、流石に私にも凄く不憫に思えて。
哀愁漂うしょんぼりとした背中を向け、自分の部屋へと帰ろうとした彼女を引きとめると、
急いでまた私は厨房へと戻ったのだった。

流石にチョコケーキを一人分だけ作る、というのは難しくて、私が代わりに作ったのはワッフルであった。
余っていたチョコを使い回せるし、何より手早く作ることができるから、というのもあるんだけど。

「も、申し訳ないです……。」
「いや、良いのよ。私も把握しきれてなかったんだし。」

作っている最中、厨房のテーブルに一人ついていた彼女は、私の背中に向かってそんなことを言っていた。
何故か、遅れてきた事を悪い事だと勘違いしている様だ。



最初はぺっこりと頭をただ、下げていた彼女。
いざワッフルができてみれば、すごく明るそうな顔が戻った。
……あまりに少量作るのも可哀そうだからと、ちょっとだけ一人分より多く作ったのも、その理由かもしれない。

「で、では。頂きます。」

そう言って、彼女がワッフルを手にとって。
ゆっくりとではあったけれど、チョコクリームをたっぷり挟んだそれを彼女が頬ばった。
思えば、夕方辺りに皆に一応夕食は出していたのだけれど、
軽食ということもあったしお腹はとても空いて居たのだろう。

……頬が一杯だ。それでもまだほんの一口目。
パンパンになる程に頬を膨らませていたけれど、ふと手に持っていたワッフルを見てみると、
かじられた部分というのは私のひと口分よりほんの少し多い位でしかなかった。

牛乳も、そうか。同じ量の牛乳を同時に飲んだとしても、飲み終わりが早いのはいつだって私だった。
ひと口の容量が私と彼女達ではかなり差があるのだろう。
いつもかかる時間で考えれば……2倍近い差は、あるのだろうか。
にしても……そんなに頑張って頬張らなくても、ワッフルは逃げないんだけどな。

「美味しい?」

尋ねてみれば、答えられないからか、彼女は頑張って頭を縦に振って。
私はそれに少し満足感を覚えながらも、テーブルの向かい側からずっと彼女の口元を見つめてた。
彼女の手に取ったワッフルが、時間をかけながら彼女の口の中に消えて行く。
……もしも、こんな彼女にスジ肉を食べさせたなら、どうなるのだろう。
ずっと、口をもぐもぐさせているのだろうか。それとも、諦めて吐き出すだろうか。

一度浮かんだら中々消えてくれないそんな至極どうでも良い事が、頭の中をぐるぐると回る。
恐らくはずっと、もぐもぐして居るのだろうと思う。
少なくとも、沢山の味見を任せてきた厨房を担当する子達の中で、吐き出した子を見た事が無いからだ。
あったとしても、それは食べられない骨とか、種とか。そういう物位で。

「咲夜さんも、食べませんか?」

ふと、彼女からそう声をかけられた。気分が良いのか、すこしうっとりした顔だ。
ずっと彼女の口ばかりを見つめて考えていたからか、物欲しそうに見えたのだろうか。

「お腹、一杯になっちゃった?」
「いえ、でもほら。……これだけ、ありますから。」

……お皿には、まださっきと同じ大きさのワッフルがふたつ、残っていた。
彼女の言葉に甘え、その内の一つを手にとって、一口食べてみる。
味見こそしなかったけれど、きっとこんな味になるだろうと想像した味がそのままの形でそこにあって。
どこか、それに納得しつつも、改めて自分の一口の大きさを知った。
やっぱり普通に食べるひと口ならば、私の方が彼女達よりもずっと一口は大きかった。

……いつも、料理に使う野菜やお肉なんかは、私にとってのひと口分で切りそろえている。
けれど、それはひょっとしたら、相当不都合なものではないのだろうか。
不都合でないのは、美鈴と図書館の方々位なものではないのか。
ああでも、食べるのに時間がかかるのは少ない量で満足できるから良い、とも聞いたことがある。

どっちが、良いのだろう。

ふと彼女を見れば、こちらを見て嬉しそうに笑ってた。
てっきり頬とか顎とか、知らぬ間に変な所にクリームでも付けてしまったかと思って
口元を拭ってみたけれど、どうやらそうでは無いらしい。

「どうかしたの?」
「いえ。咲夜さんが何かを食べてる所、私見たことが無かったですから。」

それは、仕方が無い。日頃は時間を惜しんで、時間を止めた中で食べることが多いのだ。
宴会では止めずに食べるけれど、その時はこの子を含め館の子達はそこに居ないのだから……。
宴会の会場が仮にここだったとしても、賓客のもてなしをする役目は私であるから、
その時はその時でやっぱり私はひと前で食べることが無い。
食べるとしても、厨房での味見位なものだろう。
そういう意味では、私が食べる所を見たことが有るのは、妖精メイド達の間でも厨房担当の子達位だろう。

「この屋敷のほとんどがそうだと思うわよ。」
「だから、何だか嬉しくて。」
「……そう。」

それがどうして嬉しかったのかは、私には分からなかった。



「御馳走様でした!」

最後の一口を飲みこみ終わり、ぱしん、と彼女が手を叩いた音が部屋に響いた。
沢山食べた後だからなのか、それとも甘いものを食べたからなのか、
満足げな彼女ではあったけれど、少し眠そうだ。
……当然と言えば、当然か。そもそも彼女はずっと長い間掃除をしていたのだ。

「うん。後片付けはやっておくから、安心して寝て頂戴。」

今日が大掃除ということもあって、ほとんどの者は明日お休みなのだ。
勿論この子だって例外じゃない。久しぶりに明日の朝はきっと静かな朝になるのだろう。

「咲夜さんはこれから仕事ですか?」
「これからも、よ。ただ、先にお風呂に入らないとね。沢山掃除をした後だし。」

ぼーっとお皿を見つめていたその子が、私とお皿を交互に見つめながらそう言って。
……恐らくは言った本人だって、私がこれからも予定が入っていること位分かっていたのだろうけれど、
何か用事でもあったのだろうか。彼女は……ホールの掃除担当だったっけ。
掃除道具の備品が足りなくなったのだろうか。
まさか、何か壊した、なんてことは……無さそうか。苦しげな顔とかは、していないし。

「あの、もし良かったらなんですけど、お背中流させてくれませんか。」

あれやこれやと考えを巡らせた所で彼女の口から出たそんな言葉に困惑する。
私はそもそも一人でお風呂に入るつもりだったからだ。だって、じっくり浸かって居たい。
それでいて、早く出なきゃならない。つまり、時間を止めて入ろうと。そう、思っていたから……。

「どうかしたの?」
「いえ、せっかく私の為だけに作って貰いましたし、何かお礼がしたいんです。」
「良いのよ。皆にしたんだから、これで平等なの。」

加えて言えば恥ずかしさだってある。他人の裸を見るのは大丈夫だけれど、
自分の裸を誰かに見られるのは私には恥ずかしいのだ。それが例え、同性といえど。

「でも……あ!それにほら、私も。私もお掃除の後ですから!」

……恐らく、強く言い返さない限り、諦めるつもりはないのだろう。
でも強く言えるかというと、それはできない。あくまでもこれは彼女の善意だから。

「……分かったわ。じゃあお願いするから、着替えを用意して行っておいて頂戴。」

それにいざとなれば浸かっている間に時間を止めれば良いのだ。
もし、少しでも日頃守ってきた予定よりも遅れてしまったら、お嬢様に冷ややかな目で見られかねない。

けれど、少なくとも私に必要な時間はそれで稼げてしまうはず。




彼女が頷いて楽しそうに厨房を後にして、一人後片付けをして。
自分の部屋に新しい服を取りに戻ってお風呂場へと向かえば、
当然と言えば当然なのだが彼女が先に着いていた。
ざばざばと、既にお湯を浴びている音が響いている。
背中を流してくれる、ということだからきっと先に自分の体を洗っているのだろう。

脱衣所に残された彼女の服。ちらりと覗いた彼女の着替えは少し子供っぽい寝巻だった。
この後はきっとベッドに直行してそのまま夢の世界に船を漕ぐのだろうと、
誰もが分かってしまいそうなほどの服。……半袖だ。寒くないのかしら。

そんなことを考えながら、長袖の自分の新しい着替えを置いて、
少しだけ汗を吸って肌にくっつき始めていたメイド服を脱いでいく。
一番最後に脱ぐのは下着……ではなくて、靴下なのだけれど、これを脱ぐ時があまり好きじゃない。
これを脱ぐと非常に解放的な気分が味わえるのだ。……それが、嫌なのだ。
解放的だということは、つまり着けている時は全然そうじゃないのだ。
押さえつけているのだから、それはごく当たり前のこと。
そのお陰で見た目は細く見える足を演出できるのだ。……そう。つまりは実際は見た目より太いんだ。
その結論が重たくて、重たくて。嫌になるのだ。
でもこんな事に悩みに悩み、食が細くなったとしても足は中々細くなってくれないのだ。
食が細って合わせて細くなるのは胸くらいなもの。

そんな靴下を脱いで、片付けやすいように畳み直して。
少し静かになった浴室の前でふう、と一度溜息を吐いて。
それから中へと入ってみれば、洗い終えてゆったりと浸かっていたらしい彼女が慌ててがばっとお湯から飛び出した。
どうやら、彼女にとっては来るのが遅すぎたらしい。

「す、すいません!」
「……気にしないで良いのよ。」

裸であることをまるで気にも留めていない様だ。
そのまま私の背中を流さんが為に、布を泡立て始めて。
準備を始める彼女を尻目に、近くにあった小さな椅子へと腰を下ろした。
お湯から立ち上る湯気のお陰で浴室自体は十分に暖かかったが、
それでも腰を下ろした椅子は少しばかり私には冷たくて、思わず身震いして。
それから、結んでいた三つ編みを指で解いていった。

準備を終えたらしい彼女の手が、私の髪の毛に触れた。
思えば、髪の毛を誰かに触られる事というのはあまり経験が無い。
精々、お嬢様位なものだろうか。けれど、それすらもあまり記憶にない。
負傷者を背負って運ぶ時なんかは背中に挟んでしまったりして、引っ張られるような感覚を覚えることはあるけれど
……こういう風にこの子達に触れられるのはひょっとしたらこれが初めてか。

「ふわっふわ、してますね。」
「……ごめん、あまりゆっくりして居られないの。」
「は、はい!」

彼女にとってはよっぽど興味を引く対象だったのだろうか。
解けた三つ編みを触れそんなことを呟いた彼女に、冷えた膝もとを抱え込みながら伝えれば、彼女が急いでお湯を汲んで来た。
それを頭にかけて貰って体を震わせながら、また汲んで貰ってを繰り返して。
冷えが収まってきた所で背筋を伸ばすと、

「じゃ、お願いするわね。」

そう声をかけ、私は目を閉じたのだった。



「わぁ……わぁ……。」

さっきから、彼女は驚きの声をあげてばかりいる。
私の髪の毛に触れてはそう言い、毛先まで撫でおろしてまた言い、耳の裏を洗っては言い……。
私は玩具では無い。しかしやり方に文句があるかと言うと、丁寧にはしてくれている。
言う事があるとすれば一つだけ。時間がかかりすぎという位だ。しかしそれを切り出す訳にもいかず……。

「咲夜さん。」
「うん?」

私の後ろで満足げな溜息を吐いて、彼女が私を呼んだ。
呼ばれても、目を開けて振り返る事はできなかったから、そのまま髪を弄られるままに尋ね返せば、

「思ってたより、頭ちっちゃかったんですね。」

なんて、突拍子もないこと言いだした。

「どういう意味?」
「そのままの……えっと、咲夜さんは私達よりずっと大きいじゃないですか。でもこうして触れてみると、そこまで思っていたほどの差は……無いんだなって。」

怒っているつもりは無かったのだが、聞き方がまずかったのか、彼女が少し慌てながらそう答えて。
……私からしてみれば、貴女達全体が小さいんだと言いたくなる。
お嬢様はこの子達と同じ位だけど。というか、人の子と変わらないのだから。
でも、そうか。それは私が人間だから、そう思うのか。
この子達にとっては、自身のその姿が普通なのだから。

パチュリー様や美鈴程の長さは無い髪の毛だから、
彼女が髪の毛から背中を洗うようになったのはそれから少ししてのこと。
凄い時間をかけて泡立てていると思ったら、肌に当てられたそれはとんでもない柔らかさで。
ちょっと、感心した。しかし、そんな心の余裕があったのはほんの少しだけ。
撫であげられた背中が異様に、くすぐったいのだ。
思わず変な声が出そうになって、慌てて口を閉じる。
もしも、あげてしまったら。何か大切な物を失ってしまうような気さえした。

……それが、不味かった。勘違いされたのだ。
時間がかかりすぎだ、と言っているように彼女には見えたのだろう。
少しばかり焦った彼女がわしゃわしゃと背中を擦っていく。
でもどこか力足らずで、腰辺りまで降りてくると余計にくすぐったくて。
今顔を見られて居ない事だけが唯一の救いかもしれない。



「終わりです。」

彼女が最後に肩甲骨をひと撫でして、私の肩の上に泡だらけの塊を置いた時、私は思わず溜息を吐いた。
……くすぐったいのを無理矢理我慢するというのは、思ったより疲れるものらしい。

目を閉じたまま立ち上がって、肩にあった布を手にとって。残りの箇所を拭いていく。
彼女はどうやら、お湯を準備してくれているよう……に、感じていたのだけれど、
どうやら体が冷えたのか、ただ単にお湯を浴びているようだ。

「……咲夜さん、何だか今日小さくないですか。」

頭の次は、体?

「靴を履いていないからよ。」
「……私も履いてないですよ?」
「厚みが違うのよ。」
「上げ底だったんですか!」
「……貴女と同じ靴じゃないって意味よ。」

自分で自分の肌を洗う分には、日頃より少し柔らかいだけでくすぐったさは無い。
……他人に任せるとここまで違うものか。そんな事を考えながら、彼女が振ってきた変な疑惑に返した。
……疑惑、は違うか。外れている訳ではない。
上げ底は多少今の靴にしてあるのだ。小指一本分程の、非常にささいな物だけれど。
恐らく一生バレることはないのだろう。バラす気だって勿論無い。
もとはと言えば、棚の一番上の物が飛ばずには取りづらかったから始めたものだ。
断じて見栄を張ろうと始めたものじゃない。
ほんの少し成長して、上げ底しなくても取れるようになったその後も、
何だか縮んでしまうような気がしてしまうからそのままにしている。……ただそれだけだ。他意は無い。

自分で洗う分にはかかる時間はほとんどなかった。
……いかに丁寧に扱われていたのかは何となく分かる。
そんな私がもう使わなくなった布を差し出せば、彼女が腕にお湯を落としてくれて。
それから、布の代わりとばかりにお湯の入った洗面器を私に渡してくれた。
髪の毛の泡を落とし目を開ければ、床の上を大きな泡が風の強い日の雲のようにどんどんと流れて行っていた。

体中の泡を流し終えて振り返れば、もう彼女は待ちきれないとばかりに浴槽に既に片足を突っ込んでいた。
私も椅子を片づけて後を追う。お嬢様用のお風呂と違って、私達メイド用のお風呂は沢山のメイドが同時に入っても
何とかなる位には広いけれど、私の先に入った彼女は浴槽の隅の方の、少し腰の落ちつけやすい所へと座ろうとしていた。
……そこはいつも、私が座っている所なんだけど……まぁ、良い。



「あったかいですね。」
「そうね。」

いつもなら私が座っているそこは、私が座れば丁度お湯の水面が肩口に合わさるのだけれど、
今座っている彼女はと言えば、首も埋まってただ水面に生首だけが浮いている状態だ。
それだけ浸かることができれば、そりゃあ温かいだろう。
もしもこれでも冷えると言うのなら、もう潜る以外に温まる選択肢は無い。

掃除の疲れが相まってか、彼女が穏やかな顔で目を閉じてぼーっとし始めた所で時間を止めた。
見られてさえいなければ、いくら時間を止めようともバレはしない。
……勿論それは、余程のことが無い限り、だが。

止めた時間の中で彼女の横に腰を下ろし、そっと背中と膝裏に手を差し込む。
持ち上げて、少し横にずらして。改めていつもの位置へと座りなおした。
……うん。やはりこっちの方が良い。別に、どこも大差ないと言えば大差無いのだけれど、
いつも見える風景を見ていた方がどこか落ちつく。
彼女には悪いが……いやまぁ、時間が止まっているから分かりはしないだろう。

とりあえずとばかりに横に座らせた彼女をじっと見つめてみれば、
さっき食堂で見ていた顔がすぐそこにある。やはり、小さい。
この子達用にと食材を切りそろえたならば、きっとジャガイモ辺りは煮崩れを起こしてしまうだろう。
……私だってそれは物足りない。切り方は今までのままにしよう。文句もまだ出た事は無いし。

ふっと、先程まで食べていたワッフルのことを思い出して、
それから頬を膨らませていた時の顔を思い出して。そっと、彼女の頬に触れてみた。
……一瞬、指が沈むんじゃないかと思ってしまう程柔らかく、

「分けて欲しい位だわ。」

なんて、自分の肌に触れながらそんな事を思ってしまい、ちょっと気が沈んだ。
これだけの柔らかさがあるのなら、きっとお肌の手入れも心配しなくても良いのだろう。
……でもそんな沈んだ気分も、ふとある部分を見てしまったお陰ですぐに消えてしまった。

「こっちはどうなんだろう。」

こっち、というのは唇だ。頬があれだけ柔らかかったのであれば、
こっちだってきっと柔らかいのだろう。御餅とか、マシュマロとか。
肌の感触がそのような言葉で例えられるのであれば、
この子達の唇というのは果たしてどんな感触なんだろう。

でも、触れちゃだめだ。いくら時を止めているからバレないと言っても、
それが許される行為なのかどうかは全く別のお話だ。
本当は頬だってそうなのだろうけれど、そこに触れる権利を決めるのはこの子自身だから。

……でも、気になる。



……気になる。



代わりとばかりに自分の唇に触れてみた。けれど、何も解決しない。
自分のを触れた位で分かるのであれば、そもそもこんなに気になる事も無いのだ。

「駄目よ。……駄目。」

深呼吸して天井を見上げた。
もしもお風呂場担当の掃除がさぼったりすると、丁度この浴槽の真上というのはちっちゃな汚れが
『見えてなかったんです』とばかりに放置されたりしている。
けれど、流石に大掃除をした後だから綺麗な天井だ。
これが何日何週持つかは分からないが、年を越すまでにまた汚れで目立つ事は無いだろう。

……なんて、考えても。駄目だ、頭から消えてくれない。
ちらりと視線を戻した瞬間に確かめたいという気持ちがすぐにまた湧きあがってくる。
押してみたい。指で良いから。少しだけで、先っぽだけでも良いから。
初めてホットケーキを上手く焼けた時もこんな気持ちになったが、あの時と違って非常に厄介だ。
……あの時も非常に熱かったという意味では厄介だったのだけど。

「ああ、もう。」

何か、無いものだろうか。問題無くごく自然に、その唇の感触を確かめる方法は。
何の違和感も相手に与えず、何の罪悪感も私に残させない、そんな方法。
一日の流れを頭でおさらいしていれば、ハッと頭の中に光が刺したように閃いた。
食べ物。食べ物を使えば、できるのではないか。

物としては何が向いているのだろう。ワッフルを使うよりはショートケーキだ。
いやでも、もっともっと簡単で優秀な物があるはずだ。
そもそもお菓子じゃなくたって良い。例えば……例えばそう、サンドイッチだ。あれが良い。
あれならいくらでも、調整が効くから。



~~



大きく息を吸い込んでみれば、温められた湿っぽい空気がお腹の中を満たした。
夏場だとどこか蒸し暑さを感じるこの湯けむりも、冬の今ではどこか初雪のように恋しい。
ああ、冬服とおさらばできるのはいつなのだろう。そう思いながら天井を見上げれば、
いつの間にかさっき見ていた天井とはどこか様子の違う天井が眼に入って。
あれ?って思って前を見た所で、自分が移動していた事に気がついた。
私がさっきまで座っていた位置には咲夜さんが座っている。
どうやら、考え事をしているみたいだ。じーっと水面の方を見たまま固まっている。
少し鼻息が荒いようで、呼吸の度に水面が僅かに揺れていた。
……懐かしいな。悪戯好きな友達が、いつも何か新しい悪戯を考える時、
よくこんな顔を見せてくれていた気がする。

「大丈夫ですか?」
「え?あぁ!うん、大丈夫。」

ただ、私がじーっと見つめているのに全く気付かないから、心配になって。
声をかけてみれば肩を震わせて驚いていた。久しぶりに目を見開いた咲夜さんを見た気がする。
……でもそれも一瞬で、すぐに落ちついてしまって。ざばぁっと湯から出てしまった。
……どうやら、湯あたりした様子では無いらしい。足取り自体はどこか軽やかだ。

「お仕事、行ってしまうのですか?」
「ええ。お嬢様を待たせることは私の仕事には入って無いから。」

少し機嫌が良いらしい。ひょっとして何か面白い事でも頭に浮かんだのだろうか。
明日のご飯かな、おやつかな。そうだったら、良いな。
久しぶりに変わったものを食べると、どこか幸せになるから。

「行ってらっしゃいませ。」
「貴女も湯あたりしない内に、ね。」

……まだ、入ったばかりなんだけどなぁ。



~~



妖精皆が眠りに入り、入れ替わるように起きてきたお嬢様も、
次の日の朝には顔を出す太陽に追われて部屋に籠り寝てしまって。
それからゆっくりと作り始めたのは、今日の朝御飯のサンドイッチだ。
……昨日の夜から作りたくてたまらなかった物だ。具は、正直何でも良かった。
ただ一つの内容を守りさえすれば、それで良いのだ。
それは、トマトとか、ソースとか。そういう零れやすい物をただ、端っこに置くということ。
勿論ひと目見ただけではそういう物がはみ出してきそうには見えない事が重要で、
このためには私は一人で全員分の朝御飯を作る必要があった。しかし、全員というのは、

「おはようございます。」
「おはよう。貴女は皆の朝食の準備を進めて頂戴。ああ、あなた達の分は今作ってるから。」

この子達、厨房担当の子達の事だ。だって、別にあの子に限る必要も全員を調べる必要も無い。
私が知りたいのはあくまでもこの子達の唇の感触なのだ。
それさえ知ることができれば、他の事は今はどうでも良い。
そして私の他には今はこの子一人しか厨房には居ない……非常に好都合だ。

「はい。サンドイッチを作れば良いんですね?」
「ええ。……あぁ、できたから先に食べて頂戴な。私も食べたいし。」

そう言って彼女を誘い、厨房隅の小さなテーブルの上へと出来たてのサンドイッチを運んで、
お互い並んで横に座った。彼女はまだ少し眠たいようで、うつらうつらとしている。
だからこそこの方法が使えるのだ。

零れやすい物を端に配置したのには訳がある。
当たり前のことであるが、挟んだものを零れやすくするためだ。
ただそれは、別に服の上に落ちることを狙っているのでは無い。
口の周りにぺたっと張り付いてしまえば、それだけで良いのである。
私のエプロンの右前のポケットにはハンカチが常備されているから、
口の周りが汚れたのを確認次第こちらを向かせて口を拭けば良いのだ。
布越しではあるのだけれど、これで私の懸念して居た問題は無くなる……はず。

「いただきます。」

彼女の声に合わせて私も頬張った。
勿論私は知っているから零しもしないし口の周りを汚す気だって無い。
ちょっと、味が偏ってしまったけれど……まぁ、大丈夫だろう。
さて、この子は?と見てみれば、眠たげなぼーっとした様子で、
少し大きめにスライスしたトマトのある位置へと噛みつこうとしている所だった。

がぶっという音こそしなかったものの、かぶりついた彼女がサンドイッチを口から離す所をじっと見てみれば、
トマトの中の柔らかな果肉がぺっとりと顎の辺りまで垂れていた。
いつもであれば、ああ、不出来な物を作ってしまったと思うものだけれど、
今はただ、良し、と心の中で叫んでいた。
眠たげだった瞼が少しあがり、彼女が指でぺろりと拾い口へと運ぶ。
私もそれを見ながら、ポケットからハンカチを取り出して。

「貴女。」

一度深呼吸した後で、彼女に声をかけたのだった。

「ふぁい。」
「ちょっと、じっとして頂戴。」

そう言ってサンドイッチを置いて、すっと顎先に手を添えた。
……柔らかい。でもその後ろに少し硬い感触がある。
そのまま手に持っていたハンカチを彼女の唇に押し当てて……ハッとした。

ハンカチが厚すぎて感触が分からない。
今触れた顎先よりよっぽど柔らかい事は分かる。
でも、本当に知りたい感触ではない。
ああ、なんという失態。何故先に自分の口で試しておかなかったのだろう。

「はい。寝ぼけてるとまた零しちゃうわよ?」
「……有難うございます。」

駄目だ、発想が甘かった。
もっと、もっと考えなければ。
ハンカチ越しは駄目だ。布越しは駄目だ。直接指で触れなければ。
何か、何か無いものだろうか。

「悩み事、ですか?」
「うん?……ええ、そうね。」
「私で良かったら頑張りますよ!」

そう言われても何を頑張らせたものだろう。
いくらなんでも、唇を触らせてくれ、なんて言えたものじゃない。
何か適当な物は……

「年を越すのが近いから、改めて備蓄の確認をしなきゃいけないなって、思ってただけよ。」
「あぁ、確かにその季節ですね。去年もやったはずなんですけど……早いものですね。」
「後でやっておいて貰って良いかしら。」
「サンドイッチを作った後でも大丈夫ですか?」
「ええ。今日中にできたら嬉しいわ。後でまた報告して頂戴。」
「分かりました。……あの。」

私も置いていたサンドイッチを口へと運び、最後のひとかけらを口の中へと押しこめば、
先に食べ終わっていた彼女が私を見上げて呼びかけた。

「……うん?」
「御馳走様でした。」

非常に申し訳ない気分になって。私はただただ笑うしかなく、逃げるようにその場を後にした。



悩みに悩んだ私が駆けこんだのは図書館だ。
昨日の指示のお陰でメイドは厨房の子達を除いて誰も起きてはいない。
とするとヒントを得られる可能性がある場所というのは、もうここか門しかないのだ。
ただ、門に行くには遠いし、寒い。きっと本の表紙をただ眺めるだけでも、
得られる物があるかもしれないと思ったから今回はこっちにやって来たのだ。
私に読める本というのが極々一部しか無い、という問題はあるんだけど。

「おはようございます。珍しいですね。」
「おはよう。」

パチュリー様といつも一緒のあの子が、お茶のセットを準備しながら私を見つけて声をかけてくれた。
そんな彼女に返事をしつつ顔をふと見てみれば、頬の辺りに小さな違和感があった。
少し丸まっている頬。その頬と同じ辺りの自分の頬を指さしながら尋ねてみた。

「何か、食べてるの?」
「あぁ、これはあの。その……お腹が空いていたもので、キャンディを。」
「そう。……ごめんなさい。朝食ができるの、もうちょっとかかると思うわ。」
「いえ、今日の事情は知っていますので。……咲夜さんもおひとつ、どうですか?」

キャンディ、か。もう何年食べていないのだろう。
飴系のお菓子は作るのはとっても楽しいのだけれど、準備や後片付けが他のお菓子に比べると面倒で面倒で。
だからあまり好んで作ることが無い。中途半端に材料が余ったとしても、他の料理に使い回すのも少し厳しいから。

「いただくわ。」

差し出された彼女の手のひら。その上に転がっている小さなキャンディ。
それを指先で拾い上げた瞬間、パッと頭の中が光で満ちた。

「……どうかしましたか?」

変な顔をしてしまったのか、不思議そうな顔で彼女が私を見つめた。

「え?あぁ、メイドの慰労用に作る食べ物、昨日はケーキを作ったけれど、
他にも無いかなって。それで、調べに来ていたのよ。」
「あぁ、なるほど。……昨晩はケーキ、御馳走様でした。パチュリー様と一緒に美味しく頂きました。」
「それは何よりだわ。」

何とか弁明すれば、どうやら納得してくれたらしい。
忙しかったこともあってか、彼女はそれ以上何かを追及してくるということも無かった。
……今度、何かお礼をしておこうかな。

キャンディ。食べ方はとても単純だ。手で掴んで口に運ぶだけだから。
最適である。何が最適かと言えば、持ち運びが凄く楽で、簡単に食べられるからだ。
何も慰労用のお菓子を出すのを仕事後に限る必要性なんて無い。
別に彼女達が仕事中であっても、構わないのだ。
それこそ、手が塞がっている時でさえも。私が代わりに口に運べばいいのだから。
そこから先は……そう。小さなアクシデントだ。
ただ口に押し込もうとしたら触れてしまった。うん。それだけのこと。

そう、それだけのこと。



「お疲れ様です。備蓄のチェック、終わりました。……今はこれなので、
手が離せないですが、チェックしたリストは机の上に置いてあります。」

私が厨房に戻ってみれば、どうやら妖精達の大半の朝食は既に終わっていたらしい。
これ、と彼女が言っていたのは厨房のお皿洗いのことだ。
……忙しいのに私が任せたことも頑張ってくれたようで、
今は厨房係皆でお皿を洗っている。本来であれば手空きの私も加わる所なのだけど、
今はただ、先に材料があるかどうかを知っておきたくて。
私は彼女の言葉に頷くと、テーブルの上に置いてあったリストへと目を通したのだった。

頭の中でキャンディのレシピを広げながら、細かい文字の上へと目を走らせる。
何とか作れない事は無さそうだ。元々作る予定があったこれから数日の間の料理を
少し変更しないといけないけれど、恐らく年内に支障が出ることは無いだろう。

「足りないもの、ありますか?」

お皿洗いをしている妖精達からふと声がかかって。
何だろうと思い顔をあげれば、皆が揃って私の顔を見ていた。

「いえ、足りてるわ。問題無さそう。」
「それは良かったです。……流石に買出しに行くにはちょっともう寒いので。」
「あぁ、そうね。……大丈夫よ。」

ふと厨房の窓から外を見てみれば、数日ぶりの雪がゆったりと土の上へ落ちて行っていた。



「良し。」

と、私が声を漏らした頃には、既にお昼を回っていた。
できた飴玉同士がくっつかないようにしながらも屋敷全員分の飴玉を作り上げるというのは、
非常に根気の要る作業だ。途中で何個まで作っていたのか忘れた時は、
溜息を吐き散らしながらひとつずつ数え直したりして。
何とか最後のひとつまで作り上げてちらりと外をまた見れば、
雪がひと関節程度、既に積もって居た。……この様子だと明日も残りそうだ。

「今日はお風呂が賑わいそうです。」

私がずっと飴玉を作っている後ろで、お皿洗いを終えた子達はお昼ご飯を作っていた。
勿論皆の食事は終わってて、今はその後片付けをしている。その中の一人がふと呟いた。
そう言ったのは恐らく水が冷たいからなのだろう。
厨房担当の子と洗濯担当の子にとって、この季節は非常につらい季節だ。

「そうね。のぼせたりしなければ良いけれど。」

飴玉が出来あがった満足感の中でそう返せば、その子がぶるりと体を震わせていた。
……ふと、気付いたのは今のこの子達こそ絶好の相手だということ。
遅かれ早かれ食べて貰うのであれば、今のこの機会を逃す手は無い。

「さて、じゃあ皆に配ってくるわ。」

何と白々しいことか、と自分でもちょっと思いながらそう言った。
出来あがった飴玉のいくつかをもって部屋を出ようとすれば、
皆が不満そうに頬を膨らませながら私を見つめて。
……何とも、上手く行くと気分が良い。

「そうね、まずは頑張ってる貴女達よね。」

計画通りと頭の中で呟いて、笑って返せば彼女達ももっと笑って返してくれた。
ただ、嬉しさのあまり作業を中断しようとし始めたその動きはいただけない。
だから私は一番小さな子の所まで少し急いで歩くと、

「はい、口開けて。」

作った飴玉を持ちあげ見せつけながら、そう声をかけたのだった。
その子がちょっと驚きながらも、一番最初という満足感なのか緩んだ頬のままに口を開けて。
私は一度深呼吸をすると、指先に意識を集中させながら、その小さな舌の上へと飴玉を置いたのだった。

指先が唇に触れる。何だかとても熱っぽい。
けど、それ以外に何も分からない!今度は早すぎる、早すぎるんだ。
一瞬過ぎて熱以外の細かな所まで分からない。駄目だ、これも失敗だ。
それとも、露骨に撫でに行くべきか?
……いやいや!それは危険だ。万が一にでも不快感は持たれたくない。

ころころという歯と飴が擦れ合う音を聞きながら、せっせと歩いて次の子の口へと運ぶ。
……やはり結果は変わらない。熱さがこの子達それぞれで違うことは分かっても、
肝心のどれだけ柔らかいかが全く分からない。

「……お、美味しいですよ?」

どうやら顔に現れていたらしい。最後に飴玉を貰ってくれた子が私を見上げながらそう言った。

「……本当?」

皆が寄越してくる不安そうな視線にそう返せば、皆こくこくと頷いていて。
それにホッとしたように溜息を吐くと、私は残りの飴玉を抱えて厨房を後にした。
廊下の窓はもう、かなり曇ってしまっている。館の中が外に比べて暖かいことがその原因でもあるが、
それでも私にはまだまだ肌寒い。……きっと、外はもっと寒いのだろう。
流石に私も外に行く時は、厚着しないといけないかな……。



「お疲れ様です。」

しばらく廊下を歩いていると、都合良く掃除中だったメイドを見つけた。
彼女も私に気づき、ぴっと姿勢を正して挨拶してくれて。

「御苦労さま。……はい、口あけて。」
「え?あぁ、はい。」

手が塞がっていることを確認して飴を取り出せば、少し驚いた様子だったけれど、
やっぱりさっきの厨房の子達と一緒で嬉しそうに口を開けた。
ここまでは、楽なのになぁ。

……うん。やっぱり、分からない。



~~



「お疲れ様。」

門の外を少し見回って、帰ってきた門の詰め所へと入ってみれば、
同じく門を担当している他の妖精達がまるで猫の様に暖炉の傍に集まっていた。
団子の様に固まって。……ああやっているのがとても温かいらしい。

「お疲れ様です!どうです?一緒に。」

……前に一度、混ぜて貰ったことがある。
確かに温かいのは温かいのだ。あれは。ただ何故か、私が加わると皆必要以上に私に寄りかかってきて、
非常に重たいのだ。潰れるということは無いにしろ、ほとんど身動きとれなくなる。
そして丁度そんな時に咲夜さんが来て見つかって。遊ぶより仕事しなさいと怒られたっけ。
私だって年中そういう事をしている訳じゃないんだけど……まぁ、それは咲夜さんだって分かっていたはずだ。

「いや、良いわ。」

ちなみに今は別の子が私の代わりに門に立っている。
その見張りの子達が持っている水筒には熱々のお茶が入っていて、
熱々のお茶が空っぽになってしまったら次の子が。
その子のも空っぽになってしまったらまた次の子が。
グループごとに割り振られた時間をそうやって回すのがこの季節だ。

「お茶、淹れますか?」
「うん?ああ、お願い。……今日も、冷えるわね。」
「こっちは温かいですよ!」

……余程、加わって欲しいのだろうか。

この子達にとっても私にとっても、一番待ち遠しいのは招待された客が来た時だ。
そんな客というのは滅多に滅多に居ないのだけれど、
もしも来た時には屋敷までを案内するという名目が立って、
寒空の下に居る時間というのは凄く短くなるのだ。
あまり詰め所に帰るのが遅いと他の子達に頬を膨らまされるけれど、
その子達自身も結構寒さが嫌で楽をしようとするから……お互い様ということで、
直接言い争いをしたりするという事は無い。

「そういえば、咲夜さんがキャンディを作って皆に渡して回っているらしいです。」
「へぇ?」

ふと、猫団子の一人がそう言った。
本来ここにいる全員はご飯の時と寝る時とお風呂の時以外は大体ずっとここに詰めっぱなしだから、
そういう情報があるということは恐らく館方面まで仕事中に暖を取りに行っていたのだろう。
……うん。やはり、お互い様だ。

「こっちにはいつ来るのかなぁ。」
「きっと、最後ね。」
「知ってるんですか?」
「ううん?でもマフラーを取りに行ったり上着を着たりって、面倒でしょう?だから、最後よ。」
「そうですか……そろそろお腹が減ってきたから、今来てくれると嬉しいんだけどなぁ。」

ちなみにお昼ご飯を食べたのはついさっきのことだ。
私だって外を少し回ってくるその直前まではご飯を食べに行っていた位。
ただ、皆ここで働く関係上急いでそれを食べてくるから……大体こうなってしまう。
ちなみに私も少し空いてきた。夕食の時間までの折り返しすらまだ迎えていないけれど、
やはり夕食が待ち遠しい。

「しばらくはお茶ですねぇ。」
「そうね。」

だから皆でお茶を飲んでごまかして、そしてまた寒空の下へと歩いて行くのだ。



そんな私達の詰め所に咲夜さんがやってきたのは、かなり暗くなり始めてからのこと。
雲のせいでそう感じるだけだが……それでももう、夕飯前と言っても過言ではないだろう。

「……キャンディを配りに来たのだけど、寒いわね。」
「寒いですよ。……今門に立っている子達はもっと寒いと思います。」

よっぽど今日は屋敷の中が忙しかったのだろうか。
やってきた咲夜さんはかなりぐったりしていた。少し、がっかりした様子もあるけど。
ここに来るまでに何かあったんだろうか。大事な壺を割ってしまったとか。

「皆、呼んできた方が良いですか?」
「いいえ、私が行くわ。貴女、休憩中でしょう?」
「ええ。今は休ませて貰ってます。」
「はい、口開けて。……もう少ししたら夕食だから、早めに渡しておかないとね。」

そう言って小さな飴玉を取り出してこちらに突き出してくる。

「自分で食べられますよ。」
「良いから、はい。」

そう言われ口を開けば、ひょいと投げ入れられた。
……私と違って、他の子達にはちゃんと舌の上に置いているのに。
少しばかり温度差を感じる。……文字通りに。飴玉、凄く冷たい。

「うわ、咲夜さん指冷たい!」

最後の子が飴玉を貰う時にそう言った。
その言葉に咲夜さんが珍しく肩を震わせたように私には見えた。
……ただ単に寒かっただけなのか、それとも急な大声に驚いたのかは分からないけど。

「お夕飯、今日は何なんですか?」
「グラタンにしたわ。」
「ははぁ、また図書館からそういうご要望があったんです?」
「……いいえ?ただ、そうね。ちょっとお世話になったからね。
まぁ、元々ここ数日のどこかで作る予定はあったのだけどね。」

グラタンか。あれはここの子達にとっては大好物であり、天敵だ。
急いで食べたらまたここに戻る、というのはもう皆の癖だ。
……グラタンが出た日は大体皆、火傷して戻ってくる。
今日は一体何人の子が火傷するだろう。毎回両手で数える位は居るのだ。
その内の一人は私でもあるのだけど。

「じゃあ、残りの子達に渡してくるから。」

そう言って咲夜さんが詰め所から出て行った。
視線で追って窓越しにその姿を見ていたけれど……どうやらまた少し雪と風が強くなったらしかった。



~~



「咲夜さん、会った?」
「うん?会ったよ?もう貰った飴玉は無いけど。」
「……何だか、あんまり元気が無いみたい。」

起きた時は誰も傍に居なくて、私が部屋の外に出た時一番初めに耳に入った言葉は
廊下に居た妖精達のそんな言葉だった。
既に窓の外は真っ暗で、遠くの厨房からどこか美味しそうなチーズの香りが漂ってきている。
お陰さまでただでさえだらしがないメイド達が、余計にだらしがなくなって廊下でぼーっとしていた。

「何かあったの?」
「……い、いえ!な、何も無かった……いや、その。咲夜さんがお昼頃に飴玉を配っていたのですが、
厨房に帰ってくる頃には何だか元気が無かったって話を、少し前に聞いたもので。」
「……ふぅん。」

飴玉、ねぇ。昨日はケーキを作っていたのに。
急に何か思いついたようにお菓子を作りだすことはあったけれど、
流石に2日も続くことは珍しい。とすれば、何かがあったんだろう。
でも咲夜は昨日は何も言わなかったな。私が寝る少し前にぼーっとしていた位で。
あの時は疲れているのかと思い聞かなかったが……聞いた方が良かっただろうか。

「夕食は近いの?」
「はい。もう少しでできるそうです。」
「分かったわ。……部屋に居るから。」
「分かりました。」

部屋の傍で会話をしていたふたりの妖精メイドを尻目に部屋へと戻った。
窓の外を眺めれば、雪が窓枠に張り付いていた。……雪、か。
朝方はとても眩しくなるのだろうな。大雪なら雲に隠れて太陽も無く、
寒い事を除けば非常に心地が良いんだが……それはあまり期待できそうにない。
結構振ってはいるが、きっと朝には止んでしまっているだろう。
恐らく頑張れば今でも遠くの月は見えるだろうし。

……キャンディ、か。最後に食べたのは果たしていつだったか。
咲夜は滅多に作ることが無いのだ。きっと、とてつもなく面倒くさいのだろう。
時間はいくらでも止められるとはいえ、作る労力は全く変わりはしないから。
……勿論、頼めばやってくれる。それがどれだけ労力のかかることでも。

では、何故作ったのだろう。この時期はそもそも、節約の時期だ。
理由は様々ある。パーティを催したりする。買出しに行くには寒い。
基本的に食材は余らせようとする方向で動くのだ。
とすれば、二日も連続でお菓子を作るということはまずしないはずなのだ。
今までもこんなことは無かった。
だから、最初の、昨日のケーキは気まぐれであったとしても、
今日のそれはきまぐれでは無いはずなのだ。何か、目的がある。
何が目的なんだろう。買出しに行ったのはそんなに前のことでもないから、
古くなりそうな食材がある、という訳でもないだろう。

……分からないな。ケーキは労いの為に作ったと言っていた。
たぶん飴玉も理由づけはそうなるのだろう。
その目的……うぅむ。



咲夜が夕食という名前の朝食を持って来たのは、それから少ししてのこと。
毎度毎度冬になれば思いついたかのように出てくる熱々のグラタン。
味は悪くない。……味の悪かった食べ物なぞ、片手で数える程にしか無いが、
起きぬけに食べるには実は結構重たいのだ。
でもまぁ、文句は言ったことが無い。何だかんだ、食べきることができてしまうからだ。

「熱かったですか。」

焼きかけた上あご。差し出されたお水を飲みながら一息つけば、
咲夜が一言そう言った。少しばかり疲れている。
そして先程妖精達が言っていたようにあまり元気は無い。
ただ、それを隠そうとはしているけれど。
よっぽど飴玉作りが堪えたのだろうか。

「いいや。まあ熱くなかったと言えば嘘になるわね。でも、大丈夫よ。
……そういえば、貴女昼間はキャンディを配っていたんですって?」
「よくご存じで。起きていらしたのですか?」
「外のメイド達がそうやって話しているのを聞いたのよ。何だか元気が無いとも聞いたわ。」

私が返せば、水差しを持っていた咲夜の指先が僅かに動いたのが視界の端に見えた。
どうしよう。畳みこむべきか。それとも、自発的に咲夜が言いだすのを待つべきなのか。
パチェならどうするだろうか。……パチェが、いつもあの子に対してするのなら。

「咲夜。」
「はい。」
「座って頂戴。」
「……どうか、なさいましたか。」

とりあえず咲夜を座らせた。
パチェならベッドなりで落ちついて話しそうだと思ったけれど、生憎今は食事中だ。
これを無碍に扱うなんてとんでもない。作った本人の眼の前でもある。

……相変わらず、咲夜は背が高い。
滅多に座らせはしないが、メイド妖精ならば大体顔の高さというのは同じ位だが、
こうして見上げてみると頭1つか2つ分咲夜の方が高い。
でも決して咲夜は私にも妖精達にも見下すような見方はしない。
その辺りはできているというか……まぁ、主人だからなのかもしれないが。

「咲夜。」
「……はい。」
「何か、人に言えない隠し事をしていないかしら。」

直接尋ねるのは気がひけたから、とりあえず一歩下がった所から踏み出した。

「私だって秘密のひとつやふたつ、あります。」

が、いつぞや読んだ本に出てくるようなそんな言葉をするりと出して笑う。
……いかん、最初から大失敗だ。さっき手に現れたからボロがでるかと思ったが、
どうやらかえって落ちつかせてしまった気がする。

「じゃあ、質問を変えるわ。最近のメイド達には余程大変な仕事でもあったの?」
「……いえ。」
「労いでお菓子を作るのは全く悪い事じゃないわ。
でも2日続けて貴女がしてるのは珍しいから、そう思ったのよ。
必要であれば年末のパーティも無理に開催する必要は無いと思ってね。」

中止する気なんてさらさら無いのだが、とりあえずそう言った。
そうすると視線が少し揺らいで、それから目を伏せた。
それは一瞬の出来事で、すぐに私の眼に視線は戻していたけれど、
あまり尋ねて欲しく無さそうな目に変わっていて。
あぁ、やり方を誤ってしまったなって。その目を見て思った。

「御馳走様。もう、下がって良いわ。」

最後の一口は既に冷えてしまっていたが、お腹は十分に満たされた。

「いえ。……では、失礼します。……あの。」
「何かしら。」
「お嬢様も一粒、どうですか。」
「頂いておくわ。」

差し出された飴玉。手にとって灯りに照らして見た。
玉を通した向こう側は見えないけれど、飴玉を持つ指の隙間から、
私の方をじっと見ている咲夜の顔が見えた。
なんで、こんなにじっと見ているのだろう。
味に自信はあるのだろうに。……ひょっとして、目的に関わりがあるのか?

そっと口に運べば、カラカラと歯先に当たる音が頭の中を響いて回る。

「では、失礼します。」
「……ええ。」

そうして、結局私には分からないまま、終わってしまった。



~~



妖精達どころか、お嬢様まで少し気が付いてしまっている。
顔に出ているのだろう。抑えているつもりではあるのに、何故かいつもバレてしまう。

結局飴玉は失敗だった。たったの1秒すら触れることができない。
それどころかそもそも触れるのすら数人のメイドに対して1度あるか、無いかだった。
さりげなく触れる、というのはとても難しい。
できることなら飴玉を作る前の自分にこのことを教えたい位だ。
教えていたなら、もっと今日は有意義に使えたはずなのに。

なんだか情けなくて溜息が出る。
恐らくはこういう姿がメイド達の目に入り、元気が無いと言われたのだろう。
日頃だったら軽いはずの食後の台車が今は少し重たく感じた。



厨房に入れば流し台に重なった大量の食器が私を出迎えてくれた。
他の子に倣い、私も腕を捲って台車の上の食器を流し台に運んで。
皆平然と洗う中、手を突っ込んだ水の中は中々に冷えていて、
思わず肩を震わせれば、隣に居た子が少しばかり愉快そうな笑い声を漏らした。

「冷えるわね。」
「はい。後でミルクでも温めますか。」
「……そうしましょうか。」

会話は、それっきり。平然な顔を皆していても、この水が冷たいことにはかわり無い。
できることなら早く終えて温かいお湯に浸かりに行きたいのだ。
もっと言えば手の感覚が段々と無くなってしまうから、
お皿を割らないようにするのに必死ということでもある。
……いつも通りの光景で、何とかしないといけない光景の一つでもある。
でも未だに簡単にできる解決策は見つかっていない。
お湯を沸かせば確かに楽ではあるのだが、あまり薪等も無駄遣いできないから。

早く、春が来れば嬉しいのだけれど。



「拭き終わりました!」

そんな威勢の良い声が聞こえてきたのは、冷たい水仕事が終わった後少しして。
私とさっき提案した子は一緒に人数分のホットミルクを用意していた。
その間、他の子達は洗った食器を皆並んで拭いていた。
これでこの子達の今日の仕事も全部終わりで、後は温かいお風呂に入れば寝られるからか、
皆一様にさっきの顔とは全く違う穏やかな笑顔になっていた。
これも、やはりいつも通りの光景である。

厨房にあるあまり大きい訳でもないテーブルを囲んでのひと時。
ちらりと時計に目を走らせて先々しないといけないことを考えながら飲んで居れば、
じっと、皆の視線が私に集まっていることに気づいた。

「何かついてる?」

そう言えば、見ていた子の内の一人が自分自身の唇をつつきながら答えた。

「口の周り、白くなってます。」

……そう言われたものの、まだ飲みきってもいない。

「貴女達も同じでしょう。」

皆だって、口の周りを白くしている。これだっていつもの光景だ。
飲み終わるまで付いて回る問題で、極々自然な光景。
熱々だったお陰もあって、未だに飲み終えそうな者は居ない。
しばらくは皆このまま白いひげを生やすほか無いのだ。

「咲夜さんのを見るのはなんていうか、珍しいので。……つい。」

指摘してくれた子が恥ずかしそうにそう返した。
勿論、この子だって口の周りは白い。

「見たことはあるんですけど、咲夜さんいつも飲み終わるの早いから、珍しいなって思っちゃうんです。」

……珍しい、か。昨日も他の子にそんな感じのことを言われたなぁ。
私というのはそんなに珍奇な、遠い存在なのだろうか。
私からすればいつも一緒に居る皆だけど、私と彼女達の時間は決して一緒には動いていない。
私からすれば彼女達、ではあるけれど、彼女達からすれば私というのはただ一人だ。
……きっと、これから先もその事実は変わらないんだろうなって、ふと思って。
そう思うと握りこんだカップの手の内まで、何だか寂しくなった。



「それでは、お先に失礼します。」
「おやすみなさい。」
「ええ。……おやすみ。」

厨房担当の子達を全員返した後、提案した子は最後まで後片付けを手伝ってくれた。
その後で、灯りを落としてお嬢様の部屋に向かったけれど、既に妖精の姿はあまり無かった。
居てもお風呂場へと向かうか、あるいはそこからの帰り道か。
大体がただ一礼をしてすたすたと通り過ぎて行ってしまう。
どの子も今日飴玉をあげた子であるけれど、結局お嬢様の部屋に辿りつくまでに出会った子の中で、
その唇に触れる機会があったのは両の手にも満たなかった。

「咲夜。」

お嬢様はテーブルについていた。恐らくは、近くの仕えの者を少し前に呼んだのだろう。
私が用意した覚えの無いティーセットが既にそこには置いてあった。
誰かが来る予定だったのか、もう一人分のカップとソーサーも対面の椅子の所に用意がある。
様子からすれば……パチュリー様だろうか。

「はい。」

呼ばれた声に返事をすれば、つんつんと対面のカップを指さされて。
片付けなさいという命令だと思って近づいてみれば……どうやらこのカップはまだ使われた形跡すらない。
すっきりと掃除されたカップの底が乾いた肌を返していた。

「……貴女の分よ。」
「私、ですか。」

お嬢様の方はといえば、底の方に飲んだらしい跡が少しだけ残っていた。
ポットを持ち上げてみればまだ沢山中身はあるものの、満杯という訳でもない。
きっと、先に1杯程飲まれたのだろう。

「私のと一緒に注ぎ直してちょうだい。」
「かしこまりました。」

……また、問い詰められるのだろうか。



~~



咲夜のことが気になってパチェに相談しに行った。
動きたがらない彼女は、非常に面倒そうな顔を私に見せた。
もう既に夜遅く、寝る時間ではあったから当たり前のことではある。
まぁどの時間に訪れたとしても、この話をすれば面倒そうな顔をしたのだろう。
そこで派遣されたのが……

『お嬢様、とりあえず咲夜さんを座らせましょう。』

パチェのお付きでお世話をしている、この子だ。
体調が良いから今日は離れていても大丈夫だろうということで、
今のこの様子を図書館から魔法を用いて助言して貰っている。
勿論パチェの体調が崩れようものなら、そっちに行って貰うのだが。

『……何だか、警戒されていませんか。』
『さっき半端に尋ねてしまったからね。』

彼女は私の目を通してこの様子を見ている。
……便利な魔法だ。言葉も、意識を通してある程度伝えたいことが伝わるようだ。
最初に聞いた時は非常に気味の悪い魔法でもあったが、元々伝令用にできた魔法らしく、
解除しようと思えば彼女からも私からも簡単にできてしまうものらしい。
だから、悩んでもそんなことはしては駄目ですよと、少し前に釘を刺されたばかりだ。

「どうなされたんですか?」

咲夜から、そう尋ねられた。注ぎ直されたティーカップを受け取って、急いで彼女に意見を仰ぐ。

『どう出ようか。』
『私の名探偵ごっこにでも付き合って頂戴、と。』
『初めからそういうことを伝えるべきかね。』
『警戒してるんだから、いっそ気まぐれの遊びのように伝えた方が良いでしょう。
元よりこちらが何をしたいのかはもう、バレているみたいですから。』

それも、そうか。咲夜は馬鹿じゃない。馬鹿だったら最初の1回で良かったのだ。
賢くて、考えて。その結果として、伝えたくないと判断して。
だから、今に至るんだ。
……それを暴くというのはあまり良いことでは無いのかもしれないが。

「やらないといけない仕事というのはある程度片付いたのでしょう?
だから、私の名探偵ごっこにでも付き合って頂戴。」

……確かに、遊びの暇つぶしには良いのかもしれない。

「先程のことでしょうか。」
『これも、正直に返しましょう。』
「そうよ。」

さっきよりは随分と落ちついている。
元よりこういう風にされるのは予想がついていたのだろうか。
今日初めてみた時のような、困惑した様子は無い。

「もう余って無いですよ。」

何のことか、と思ったけれど、きっとキャンディのことだろう。

「ええ。美味しかったから、早々余らないでしょう。」
『どう攻めるべきだと思う。』
『私はお嬢様が普段咲夜さんとする会話をあまり聞いていないので……思ったように攻めてください。
思うことが有れば言いますし、何かあれば聞いてくれれば答えるつもりですけれど。』
『……そうね。』
「んー、そうね。何を聞こうかしら。答えて貰えなきゃお話にならないから……。」

咲夜が絶対に話題を断れない物は何だろう。
まずは外堀からだ。そこを埋めなきゃ知らなきゃいけないことも見えてこない。

「結局パーティは中止した方が良いのかしら。」
「いえ。食材も十分に足りていますし、人手も問題無いです。
後は正確な日程を決めて頂きさえすればいつでも開催できますよ。」

と、なれば妖精メイド達の方で何かがあった、ということは無さそうだ。
やはり、咲夜自身の何か、だ。食材は十分にあると言ったが、
恐らくそれは最近確認した上で、あのキャンディは作ったのだろうな。

「それは何より。また、明日も何か作るのかい?」
「全員分となると、もう厳しいです。」
「そうか。」
『そういえば私もキャンディを作りまして、それを咲夜さんにあげたんですよ。』
『いつ頃?』
『えっと……朝ですね。図書館の料理の本の棚辺りに居たんですよ。咲夜さん。
本人は労いに良い物が無いかを探しに来ていたみたいですが、パーティ用の料理にも何か欲しかったんでしょうか。』

朝、か。咲夜が作り始める前だから、恐らくそれが影響しているのは間違いない。
パチェに話を切り出した時に教えてくれれば良かったのに。

「じゃあ、次の質問。昨日はケーキだったけれど、今日は何故キャンディなのかしら。」
「都合が良かったから、ですね。昨晩のケーキは人数分切り分けないまま渡してしまい、
結果として食べられない子が一人出てしまったんです。私が切り分けていれば済んだ話ですが、
それでもひょっとしたら行きわたらない、なんてことが無いように1個1個渡せる物が良かったんです。」

1個1個手渡しで、か。大変な苦労だ。

『そういえば私がキャンディを渡した時、驚いたような嬉しいような、そんな顔をしてましたね。』
『他には?そういう重要なことはもうちょっと早く知っておきたかったわ。』
『それは……忘れていたので。でも聞くなら今がチャンスです。その話、引っ張りましょう。』

……都合の良いことで。

「で、キャンディを作ってみてどうだった?結果は。」

後で何かをネタにあの小さな悪魔を突いてやろう。
そんなことを考えながら何気なしにかけた一言。

「……大丈夫でした。お嬢様に渡したのが最後です。」

少しばかり反応が遅くて。急いで何かに繋がないとと思っていた所で

『詰まりましたね。』

なんて返してくる辺り、信用できないような、できるような。
パチェと一緒にずっと居るからこんな性格になってしまったのだろうか。

『どう突こうか。』
『渡しそびれた子から引っ張りましょう。』
「……完全に大丈夫という訳じゃなかったのかしら。ひょっとしてまた渡しそびれそうに?」

しかし、2対1というのはとても卑怯だ。
私自身がもっとしっかりして居ればこんなことは必要無いのだろうが。

「い、いえ。ちゃんと全員渡せました。……ただ、思ったより大変でした。
一人一人の位置までは完全に把握していなかったので、個人個人を探さないといけなかったんです。
最後の方はもう、どこに居るのか探すのに苦労して。」
『どう見る?』
『本当のことでしょうけれど、核心ではないと思いますよ?途中で詰まる割には残りをすらりと答えましたし。』
『ねぇ、貴女。パチェと話している時もそういう風に相手の会話を考えて居たりするの?』
『いえ。パチュリー様のことなら、考える前からある程度分かるので。……今は意識して聞いて、見てます。』

そうか。なら、良い。もしも毎日そういう目で見られているなんて思ったら、
ちょっと話づらいだろう。最初は、そういうこともあったのかもしれないが。
……私も咲夜とは結構長い付き合いになったと思いたいのだが、まだ上手くいかないものだな。

「貴女は全員の顔が分かるのね。……羨ましいわ。」
「ええ。誰が何を得意としていて、何を苦手にしているのかも把握しています。
彼女達の今の配置は、全部それが基になっていますから。」
『そういえば、何で手渡ししたんでしょうね?』
『そうね。食事の時は集まるのだから、それで配れば良いのに。』
「私は管理していないからその大変さは分からない。……でもそうだったら食事の時に配れば良かったんじゃないの?」
「できたのはお昼ご飯の終わった丁度後だったので、間に合わなかったんです。」

駄目だ。すんなり返してきた。……これも、違うか。
そう思っていた所で、何か合点がいったらしくあの子が頭の中で呟いた。

『あぁ。』
『うん?』
『……手渡しが目的ですね。これは。』
『何でよ。』
『間に合わない、なんて言葉は咲夜さんに至ってはありえない言葉ですよ。
いくらでも間に合わせられるのが咲夜さんじゃないですか。』

それも、そうだ。でもそんなに確信をもってしまっても良いものか。
それが核心かどうか、決めてしまうのはまだ早い気がする。

「らしくないわね。時間を止めなかったのね。」
「止めれば間に合いましたけど……そこまで後のスケジュールを圧迫するとはその時思ってなかったんです。」
『だったら、尚更止めるのが咲夜さんですよね。少しでも圧迫するって思ったら、
きっとその時点で止めてると思うんです。いっそ聞いてみれば良いんじゃないですか?
ほら、これ。名探偵ごっこですから。』
『……そうね。』

もしもこの場にパチュリーも居合わせていたのなら、
もっと話はすっきり見えていたのだろうか。
……体調が良いのなら、少し無理を言って呼ぶべきだっただろうか。

「咲夜。」
「はい。紅茶のおかわりですか?」

名探偵ごっこ、というのは確かにそうなんだけど。でもこれは、粗探しも同然だ。
言うとしてもあてずっぽうに言えるものではない。
別にドアの外に聞き耳を立てている者が居る訳ではないが、
万が一にでも咲夜に対して変な噂や疑念が産まれてしまうのは困るから。

もっと言えば、咲夜を相手にそんなことをすると大体痛い目を見るのだ。
確信があって突かないと、何をしなきゃいけなかったのかが段々と煙の中に消えて行く。
お陰でこの子相手にチェスなんかで勝ったことは数える程しか無い。
ルールを教えてしばらくの間だけだった。私と違ってよく考えるからだろう。
お陰さまでこの子とそうやって遊ぶ時は、ここだという所で突かない限りして欲しい反応には辿りつけなかった。

「貰おうかしら。」

私の声に咲夜が少し眉尻を下げた。
……駄目だ、見ていると罪悪感が湧きあがってくる。
小さな音と共に注ぎ直された紅茶をひと口、味わって。
一呼吸置いた所で私は切り出したのだった。

「……ありがとう。ねえ、咲夜。私の名探偵としての勘が囁いているの。」
「何を、でしょう。」
「貴女はそもそも、手渡しする事が目的だったって。」

咲夜も同じようにカップを手にとって口に運ぶ所を見計らって、そう告げた。
一瞬だけど、また指が少し動いた。

『動きましたね。』
『そうね。……でも、問題はここからよ。これで、どう返ってくるのか。』

何事も無くただ返答待ちだと言わんばかりの表情を作ってみて、
またひと口、カップを口に運んだ。……注ぎ直したばかりとはいえ、
用意した時間がかなり前であるからか、少し温くなってきている。
あまり時間をかけすぎてしまうと、きっと咲夜は新しい紅茶を作りに逃げてしまう。
まぁ、それでも戻ってくることにはかわり無いし、彼女がした事実もまた、変わることは無いのだけど。

『もっと簡単に吐いてくれると私も早く寝られるんですけれど。』
『まだいける?』
『勿論ですよ。咲夜さんを手玉にとってみたい気持ちは分からない訳じゃないですから。』

……そういう気持ちは、少ししか無いんだけどな。



~~



なんだか、おかしい。
誰かが私には聞こえない声でお嬢様に何かを囁いているんだろうか。
普段なら考えたりする時に見せる仕草をまるで見せてくれない。
ただ、ただじっと私の方ばかりを見つめて……誰か、他に居るんだろうか。この部屋に。
そう思って、時間を止めた世界の中で、テーブルの下やベッドの下を調べてみたけれど、
虫一匹見つけることは出来なかった。ひょっとしたらパチュリー様が魔法で入れ知恵してるんじゃないか!
……そう疑って、図書館にも行ってみた。
けれど、パチュリー様も、キャンディをくれたあの子も。
今は自分の部屋の自分のベッドで枕に頭を預けて幸せそうな顔をしてた。

……だから、違う。でも何かがおかしいことは確かなんだ。
凄く簡単に返してみても、次の言葉を中々返してこないし……。
なんなんだろう。この違和感は。
単純に、お嬢様の頭の中で日頃のお嬢様と名探偵のお嬢様がああだこうだと言い合っていて、
それで遅れているのならまだ良いのだけれど。
でも、そわそわする。何だかこのままだと最後には言わされてしまう気がする。
少しずつそういう空気に変わりつつある。
それは、どうにかして避けたい。
……いっそ、私もこの名探偵ごっこ、乗ってみるか。

「どうなの?」
「その通りです。お嬢様。……1つ、良いですか。」
「何かしら。」
「勝負、しませんか。」

私の言葉にお嬢様の顔が固まった。こういうことを言うのはとても失礼なのだろうけれど、
お嬢様は非常に分かりやすい。顔に出やすいというか、出そうなのを必死に隠そうとするというか。
だから、大体焦ってるなっていうのはいつも傍に居るとすぐに分かる。

「内容は?」
「紅茶、冷めてきましたので、一旦新しいものに変えてきます。
そこから……そうですね。また、紅茶が冷めてしまうまで。
その時までに、推理しきればお嬢様の勝ち、ということで。」
「……私が推理しきれなかった場合は?」

やはりあまり乗り気な様子は見えない。どうしてもまだ探るつもりでいるのだろう。
でも、約束は約束だ。とりあえず取りつけてしまえばこっちのもの。だから

「ああ!名探偵はついに謎を解くことができず!秘密は迷宮入りへ!……ということで。」

そう、煽ってみた。なんとなく、乗る気がしたからだ。
……お嬢様だから、というか。そういう所はとても信用している。
ノリが良いというか、軽いノリの安い挑発には意外と乗ってくれるのがお嬢様だ。
それはテーブルの上で行う小さなボードゲームでだってそうで。
でも、それだからいつも安心して居る所もある。
お互いが詰め合うボードゲームでは確かにそれは危ないことかもしれない。
けれど、現実のお嬢様はもっと強くて、押し通せる力があって。
羨ましいと、いつだって思うんだ。やろうと思ったことを素直にすることのできる、その力が。

「良いわ。……じゃあ、待ってるから。美味しい紅茶をお願い。」

今度はあまり間髪を入れずに余裕そうな声で返ってきた。
どうやら今の眼の前のお嬢様は、名探偵ではなくいつものお嬢様のようだ。
やはり、そう来ていただかなくては。
……できたら少しだけそわそわした感じも消して頂ければ、とも思うけど。
そこまで、気になるのだろうか。



~~



『良いんですか?乗ってしまって。時間を稼ぐのは咲夜さんの十八番じゃないですか。』
『良いのよ。乗って欲しいから、ああ言ったんでしょう?』

お嬢様はずっとドアの方を見つめていた。
余裕そうな声とは裏腹に、テーブルの上に置かれた手はどこかせわしなく爪の先を弄っている。
普段図書館に訪れる時はあれだけ静かに強かな圧迫感を出せるのに、
こうして見るとやはり見た目相応の反応にしか見えない。
……こういう所もあるんだな、って思ったけれど、
それを声にして伝えたら伝えたで、その瞬間に牙を剥いて飛んできそうでちょっと怖い。

パチュリー様から頼まれて、二つ返事で受けてしまったこのお仕事。
報酬が貰えるとか、待遇が良くなるとか。そういうのは何も無いのだけれど、
咲夜さんの秘密を暴くというその魅力的な内容を断る力は私には無かった。
だって、秘密というのは何も、咲夜さんだけが持っているものじゃない。
お嬢様にだって、少なからず秘密というものはある。
響くような声としては言わなくても、なんとなく伝わってくる信頼とか不安とか。
関わることができれば、そういう物も見えてくるから。
まだ、これ!というようなハッキリしたものじゃなくておぼろげな物だけれど、
少なくとも明日またパチュリー様とお話をする時の話のネタにするには十分なんだ。

『勝てる見込み、あるんですか?』
『いいや、無いよ。咲夜に勝ちを譲る。』

なら、どうして。

『……何となく、あまり深刻な悩みという訳じゃないのが分かってきたからね。』
『そうですけど……なんだか勿体無い気がしませんか?』
『真に、真に勿体無いのはね。咲夜からの信用を皆で揃って失うことよ。』

それは、そうなんだけど。あぁ、咲夜さんがたじろぐ姿とか見えると思ったのになぁ。
もう明日の会話のネタに組み込む気で居たのに……一応他のも考えておこう。

『そうですね。』

一度こういう風に決めてしまうと、お嬢様は中々すんなりと意見を変えてくれない。
だから私もその意見に同意すれば、うん、という声が聞こえた様な気がした。

『今日は、この辺にしておくわね。……ありがとう。パチェに宜しくね。』
『伝えておき……伝えて、良いんですよね?』
『ええ。深刻そうでないことは伝えて欲しいわ。』
『分かりました。……では、失礼しますね。』



……ぱっと、ドアの景色が無くなって。やはり勿体無いなって思いながら溜息を吐いて。
閉じていた目をゆっくり開けて天井を眺めた。かなり前にベッドに入ってから灯りは消したっきりで、
部屋の中はとても真っ暗だったけれど、少しあった眠気はもうどこかに行ってしまっていた。
どうするべきか悩みながらも私はベッドから出ると、いそいそと館の方の厨房に向かったのだった。



~~



洗い物も全部終わって誰も居なくなってしまった厨房。
……夏場にはこんな時間にも居て欲しくない何かが居たりするのかもしれないが、
冬場の深夜のこの場所は本当に静かだ。

「夜中まで、お仕事お疲れ様です。」

そんな中開いたドアの音に振り向けば、飴玉をくれたあの子が眠たげな目で入ってきた。
起きたばかりらしく、目尻に少し前まで乗っていたらしい涙の跡がある。
……寝たりないのか、少し欠伸をして。また涙が流れそうになっていた。

「珍しいわね。」
「喉が、乾いてしまって。……あの、その紅茶。もしも余ってるのなら貰って良いですか?」

先程お嬢様の部屋から持ち帰ってきたポット。
小さなテーブルの上に置いていたからか、要らない物だと思われたらしい。
……確かに、もう既に冷え切っているから要らないと言えば要らないものだ。
それに、一杯分の量はまだ残っている。けれど、

「それ、冷めてしまっているわよ。」
「そうなんですか……でも、また寝るつもりなので、これ位でも良いかなって。」

きっと本人としてはただの水でも文句は無いのだろう。
ただそういう水は飲むにはあまりにも冷たいから、これが良いと言うのだろう。
私が棚から新しく一つカップを出せば、眠たそうな目ながらもにっこりと笑って。
彼女が軽く伸びをする横で、私は余っていた紅茶を注いでいった。
……思えば、キャンディ自体を作るきっかけを作ったのはこの子か。
逆にこんな面倒なことになってしまった原因も……いや、それは私だな……。



「冷めているとは言っても、もうちょっと温かいかと思ってました……。」

紅茶を飲み終えた彼女がカップの縁を指で撫でながら残念そうに呟いた。
きっと彼女が望んでいた温かさがあったのはせいぜいここに運び込む直前位までだろう。
料理をすればここは温かい場所だけれど、そうでなければただ寒い場所だから。
……冷えた廊下を進んで来たのもきっと大きいだろうし。

「大丈夫?何なら、温かいの用意するわよ?」
「大丈夫です。……まだ、朝まで時間はありますか。」

厨房の窓から外を見ようとすれば、お湯を沸かしていたからなのか、
部屋自体は寒いのに曇りきってしまっていて。月も雲も分かったものじゃなかった。
だから懐に入れていた時計を取り出して、いつもこの子が起きているであろう時間を思い出して。

「……ええ、きっとまだかなり先ね。」
「良かった。……ゆっくり、寝られそうです。おやすみなさい。」
「おやすみ。体、冷やさないでね。」

元より今日はいつもより少し早く寝ている気がするから、
きっと彼女が今思っている以上にゆっくり寝られるのだろう。
私の返事に彼女はほっとしたように笑うと、ドアを閉める時に一度頭を下げるのが見えて。
私は用意し直したティーセットを手に持つと、覚悟を決めてお嬢様の部屋に戻ったのだった。



お嬢様のカップの中で湯気があがり、私のカップからも湯気があがる。
私が帰って来てからはぼーっとした様子でベッドの方をずっと眺めていたお嬢様だったけれど、
私が作業を終えて席にまたついた頃にはもう既にこちらに向き直っていた。

「お待たせしました。」
「それじゃ、続きといこうか……と、言いたい所だけど、とりあえず最初の一杯は普通に楽しませて貰うよ。」

今までの時間の間に何を考えていたのか、それは私には分からない。
けれど、余程確信を得る何かを思いついたのだろうか、
そんなことを言いながら余裕を持った顔でお嬢様がカップを持ちあげた。
できる限りは落ちついていたつもりだったし、時間が無駄にかかることは望んでいたことではあるのだけれど、
それでも心臓もう早鐘を打っていて、それが頭の中で響いてうるさくて仕方が無かった。

けれど、結局お嬢様はそれからしばらくの間ずっと黙っていた。
いつも通りだ。いつも紅茶を飲む時は大体そうなるのだけれど……良いんだろうか。
こうやってゆっくりと過ごしている間にだって、ポットの中身は冷え始めている。
深夜に入り、廊下を歩く者も極端に減って少しずつ冷えの増してきた廊下を通ってきた。
ただそれだけでも既に沸かした時の熱さが無くなっているのは、
自分のカップへと注ぎ持ち上げたその瞬間の感触からだって分かることだ。

「貴女、そこまで不安?」
「……もっと、言ってくるものだと思ったんです。」
「言って欲しいなら、言うけど?」
「……いえ、遠慮しておきます。」



最初の一杯を先に飲みきってしまったのは私だった。
……やっぱりお嬢様ともひと口の量が違うんだ。口に運ぶタイミングはほとんど変わらなかったから。
お嬢様がソーサーの上で乾いた音を鳴らしたのはそれから二口程飲んだ後。

「じゃあまず、確認したいことだけを確認させて貰うわ。」
「はい。」



~~



おトイレに行きたくなって目が覚めた時は、とても困るんだ。
寝室からトイレまで、ちょっと遠いから。……そして、沢山の仲間が居るからか、
誰かが入っていることも無い訳じゃなくて。だから誰も使って居ないと安心して駆けこめるトイレというのは、
結構歩かなきゃ辿りつけないような場所にある。

そこからの帰り道、一人寂しいながらもとぼとぼ歩けば、私の足音がこつーんこつーんって、
小さいながらも反響して廊下に響いていっていた。夕方に見た窓は薄らと曇っていて、
ぼやけた小さな塊がゆっくりと空から落ちて行く様子を見ることができた。
今窓を見てみれば、すっかりと磨かれたその透明な薄い塊のすぐ向こうをとても小さな粒がふわりふわりと落ちているのが分かる。
ちょっと積もっていたけれど、雪合戦にはまだ、厳しそうだ。

ここに来てから雪合戦をした経験というのは、実は数える程しかない。
基本的に皆働く時間の関係で都合がまずつかないのだ。
この時間だと厨房係の友達はお暇だけど、お洗濯係の友達の都合がつかないとか。
そっちがついたと思えば、今度は掃除係の友達の都合がつかないとか。

私達全員がほぼ都合のつきそうな時間というのは、今みたいな深夜か……もしくは朝方しかない。
でも、どっちも凄く難しいんだ。普通寝ている時間だもん。
それに、深夜はお嬢様にとって安らぎの時間だから、外でワイワイと声をあげるのはうるさいだろうし、
朝方だって、今度はお嬢様が寝る時間だからあんまり騒ぐことができない。

じゃあ、いつやったかって言うと、パーティをやった次の日だ。
パーティの時はお嬢様も起きるタイミングや寝るタイミングがずれる。
それに、次の日がほぼまるまるお休みに近い形になるから、
遊ぶにはもってこいなのだ。……勿論パーティで酔っぱらってダウンしなければ、だけど。
おかげで全員で遊ぶ、ということはまず無かったりする。

私が初めて参加した時は、天気の都合も良かったからか、お嬢様や美鈴さんも参加したんだっけ。
お嬢様対美鈴さんですさまじい投げ合いをしていたのを覚えてる。
流れ弾が凄い勢いで飛んできて、何人か当たって気絶して。
困惑した顔の咲夜さんがおぶって医務室まで運んで行っていたのも覚えてる。
……というか、私もそうやって運ばれた一人だ。

あの時は気が付いたらベッドの上に居て、起きたら熱いミルクを振る舞われたんだったなぁ。
カップに触れたら物凄く熱くて、その時やっと自分の手が冷えてたんだなってことを知って。
凄く、遊びに夢中になってたんだろうなぁ。
……ちょっと、恥ずかしい。

結局はお嬢様の勝ちで終わったその雪合戦、その後は皆で霜焼けに泣きながらお風呂に入ったりして。

「……っくしゅん!」

……うぅ、寒い。早く部屋に戻ってベッドに潜ろう。
そう思って、来る時に通ってきた道と違う道を通った。
お嬢様のお部屋の前の廊下。この廊下は窓が少なくて、本当に薄暗い。
お陰で歩いているとちょっとそわそわするから、こんな時間にはいつも通らない。

早く通り抜ければ問題ないやって思って、飛んでひょいひょいと進んだ。
……トイレに行く時は本当に危ないから歩いていくけれど、
そう考えると帰り道というのはとても解放的な気分だ。

丁度お嬢様の部屋の前を通る時だけ、静かに静かに飛んで通った。
……そしたら、中から話声が響いてきた。
本当はとても小さい音なのだろうけれど、シンと静まりきった廊下の中だからか、
その僅かな音でさえ結構な大きさのぼんやりした音になって響いている。

「まず、年末のパーティは無事に開催できるのかしら。」
「ええ。それは問題無いです。先程も言いましたが、後は日にちさえ決めて頂ければ。」

どうやら、パーティの話題らしい。……とすれば、雪合戦ができるのかな。
そう思って、もうちょっとだけ話を聞こうと思って。
にじりにじりと壁に寄って、耳に壁をつけた。……凄く冷たい。
どうやら、中のふたりは紅茶を飲んでいるようだ。
静かながらに陶器の擦れる音が聞こえる。私も少し、喉が渇いたなぁ。

「じゃあ、明後日でも良いのかしら。時間はそうね、いつも通り夕方で。」
「次の日は皆お休みにしますか。」
「二日酔いした妖精達に貴女が仕事を任せたいなら、しなくても良いのよ。」
「……分かりました。」

……やった、お休みだ!これは雪合戦だ。久々に遊べる!
後は雪が積もりさえしてくれれば。……い、いざとなったら図書館のお姉さんに頼もう。
きっとパチュリー様だったら雪を降らせる魔法とか知ってると思うから、頼めば何とかして貰えるかもしれない。

「ねぇ、咲夜。一つ、良いかしら。」
「何でしょう。」
「……フランのこと。パーティにはいつ連れて出られるのかしらね……。」
「……妖精達が慣れるには、まだ時間がかかると思います。」

拳をぎゅっと握って喜んでいた所で、ふと部屋の中からそう声が聞こえて。
平然としつつもその寂しい言葉に胸の中がぎゅっと詰まった。

……フランドールお嬢様。
ずっとずっと、この館の恐怖の代名詞だったから。だから、皆怖いんだ。
ちょっとおっかない所もあるけど、本当は優しいんだよって、
妹様のお世話をする担当になった私の友達は力説してくれる。
……けれど、それでもやっぱりまだ、私には怖いんだ。

私だって最初に咲夜さんから妹様のことを聞いた時、冗談だと思ったんだ。

『暴れ出すと手がつけられない。』

という説明を聞いても、近所のやんちゃな友達を思い出した程度だった。
でも実際は違ってた。本当に言葉通りだったんだ。
手がつけられない、と言った咲夜さんは私達よりずっと強い。
それでも、手がつけられない。咲夜さん達よりずっと弱い私達には……そういうお話じゃ済まないんだ。
何も、考えられなくなってしまう位なんだ。
足が動かなくなる。逃げようとしても、足が滑ってしまう。
手で這おうとしても、震えて体を支えることができない。
あの時辛うじて動いていたのは、瞼だけだったと思う。
それでも、私にはぎゅっと目を閉じているのが精いっぱいだった。

それは、遠い昔のこと。とってもとっても、昔のこと……なのに。
それでも頭から消えないでいる。……私だけじゃない。
皆の頭の中でもやっぱり、消えないでいる。

……怖い。だから、怖いんだ。
いくらもう暴れないよって、言っても。
いくらもうあんな目にはもう会わないで済むよって、言っても。

私だって本当は待ち遠しいんだ。そんな恐怖と寂しさが私の中から消えて行く日のことが。
でも、それはきっときっと、遠いんだろうなって思うと。
……寂しさだけが、どんどん増して行った。



昔のことを思い出し、ぼーっとしていた。
気が付いたら、二人の話声はすっかり止んでしまっていた。
これは危ない。そう思って顔をあげたら、開いたドアからふたりが私を見ていた。
……非常に気まずくて、何事もなかったようにくるりと背を向ければ、

「さぁ、中に入りましょうか。」

つい今さっきまでドアの所に居た咲夜さんが、眼の前に立っていた。
……ひょい、と手を引っ張られて。そのままずるずると部屋の中まで引きずり込まれて。
……弁解の余地は、与えて貰えないかもしれない。

「参考人ということで。」
「そうね。」
「な、何のでしょう。」

とりあえずは何も知らなかった風を装った。
けれど、二人とも眉ひとつ動かさない。やっぱり、見破られている。
……さっき見られていたから、元より無駄なあがきだったのかもしれない。
うぅ、咲夜さんだけじゃなくてお嬢様も一緒となると、どんなお仕置きが飛んでくるんだろう。

「……妹のこと。貴女はまだやっぱり、難しいと思う?」

ひょっとして妹様のお世話担当とかに配置換えされてしまうのかな。
それはまだ自信が無いというか……ご遠慮願いたいというか。

「上の空みたいね。」
「い、いや!あの……えっと。難しいと思います。」

話しかけられていたことを忘れて、慌てて返せば少し呆れた様な顔でお嬢様が私を見た。
でもやっぱり目はさっき私が感じたような寂しさのある目をしている。
それはそうだ。だって大切な妹……だから。
外に出すには危ないからとずっと閉じ込めてはきたけれど、
それは周りの皆が居たから……私達が、居たからだ。

私達が怖がっていること。それは周知の事実だ。
怖がっていないのはやっぱり、お世話をしている私の友達だけで。
……そのことでお嬢様は怒ったことは無い。

「根本的な解決をしない限り、無理なのは分かっているつもりなんだ。
ただ、その方法が何年経っても浮かばないよ。……私には、ね。」

空になったらしい紅茶のカップの縁を指でなぞりながら、お嬢様が呟いた。
咲夜さんは何も言わず、ただ黙って小さく頷いて。
それからお嬢様のカップに新しい紅茶を注ごうとしていた。

「一つ、確認しておく。少しは、慣れたかい?ほんの、ほんの少しでも良い。」
「それは……はい。昔よりはずっとずっと気が楽です。……眼の前だとたぶんまだ、
手が震えますけど。最近の妹様のお話というのは友達からも話があるので。そのお陰かもしれません。」

そうか、と。小さな声でお嬢様が呟いて、それから注がれた紅茶を口へと運んでいた。
少しだけ穏やかな笑顔。……僅かな間だけ見せてくれた顔だったけれど、何だか久しぶりに見た気がする。
そもそも私自身がお嬢様に接する機会がほとんど無いから、というのもあるのかもしれないけれど。

……でも、振り返ってみると、色んなお嬢様の表情を見たことはある。
侵入者に対する冷たく嘲笑う顔、好きな物を食べた時の満足げな顔。
徹夜しているのに無理に格好つけようとして中途半端に眠たげな顔や、
妹様が少しずつ丸くなっていることに対する実感に喜ぶ満面の笑顔も。

「さて。」
「はい。」
「覗き見……はしていないが、盗み聞きをしていたことに対するお仕置きはしなきゃね。」

えぇ……?ここはきっと、『時間と共に妹様に馴染んで行く紅魔館!』を噛みしめて、
明日からも頑張っていこうねってノリで無事に帰る流れじゃないんですか?

「あら、貴女が蒼い顔する必要は無いのよ。貴女の監督責任は咲夜にあるんだから。」
「はい。……私の責任です。覚悟は既にできています。」
「良し。じゃあ、歯くいしばれ。……舌、噛まないように。」

えぇ、えぇぇ……。

「あ、あの!咲夜さんは何も悪いことしてないです!」
「じゃあ貴女、代わりに受ける覚悟がある?」

何だか誘導されている気がしないでもないけれど、言った以上は引き下がれない。
それに、私の代わりに咲夜さんが罰せられたなんて、こんなことが皆に知れ渡ってしまったら。
……皆から、冷たい目で見られてしまう。

「勿論です!」

そう言えば、お嬢様がゆっくり歩いて私の前に立った。
ふっと上がった右手を見て、怖くなって目を閉じた。
いつ叩かれるのか分からない左頬を意識したくないのに凄く意識してしまって、
冷たい汗がだらりと背中を駆け下りて行く。

顎先にお嬢様の左手が触れる。どうやら下を向いていたのが気に食わなかったらしい。
ぐいっと、顔を持ち上げられた。目を閉じていたけれど、遠くにあった部屋の灯りが、
瞼越しに少し眩しく感じた。

「じゃ、いくわよ。」

そんな声が響いて、ぎゅっと歯を食いしばった。
更に近寄ったのか、閉じた瞼の向こうに見えていた部屋の灯りも消えて。

……手が降りてこない。そう思って目を開けようとしたら、
鼻が少しだけ温くなった。怖さから鼻水でも出てしまったかと思ったけれど……それは違って。
すぐに擦れるような感触が鼻先に走った。……何だろう。
そう思った矢先、私の唇を熱いものが覆いかぶさった。
お嬢様達のカップから僅かに漂っていただけの紅茶の匂いが急に濃くなって、
驚いて目を開けてみれば眼の前にあったのは少し斜めになったお嬢様の顔で。
……その向こうで、驚いてこちらを見ている咲夜さんが居た。

見開いた目。口元を両手で隠したまま、固まっている。
今の私も、きっと同じような顔をしているのかな……。

しばらくは眼の前にあるはずのお嬢様の顔をまともに見ることができなくて、
頭の中が落ちつくまでは視界の隅の咲夜さんの方ばかり見ていた気がする。
でも、そんな時間はとてもとても短くて、お嬢様の眉が動き始めた時には
私の視線はもうお嬢様へと戻っていた。

薄らと目を開けたお嬢様が、少しだけ顔を離して私を見つめる。
また、紅茶の香りが強くなったなって、そう思った。
いつの間にか顎先に添えられていたはずの手はどこかに行ってしまっていて、
いつの間にか体中が熱くなっていて。一方で空気に晒された唇は少し寒かった。

「思っていたより反応が薄いわね。」
「……手が降りてくる方がよっぽど怖くて、頭が回って無かったもので。」
「……冷静に言わないでよ。」

私の返事にお嬢様が目を少し細めながら、私から離れて椅子へと腰を下ろした。
どうすれば良いのか分からなくて、とりあえず私も椅子に座りなおして。
……咲夜さんはまだ私の方を見ていたけれど、
私が視線を合わせれば慌てたようにお嬢様の方へと視線を戻してた。

そうか。もしも私が言いださなければ、今のをされていたのは咲夜さんだったのか。
咲夜さん、されたかったのかな。お嬢様から。
もう既に何度か経験していそうな気がしたけれど、ひょっとしたら違うのかな。
よく、分からないや。

「ん。……冷めてしまったわね、紅茶。」

お嬢様が残っていた紅茶を口につけて、そして小さく呟いた。
咲夜さんがそれに気づいてポットへと手を伸ばしたけれど、すぐお嬢様が手を挙げてそれを止めてた。

「もう、良いわ。これで終わりにしましょう。貴女も、咲夜も。……また何かあったら呼ぶから。」

そう言うと椅子から降りて窓際まで行ってしまって。
未だにドキドキしたままの胸を押さえながら、私はふたりに頭を下げて一足先に部屋を出た。
咲夜さんは片付けがあったからか、私が外で一呼吸落ちつけるまで出てこなかった。



~~



「手伝いは要りますか?」

片付けを終えてお嬢様のお部屋を出れば、さっきの子がドアの後ろで待っていた。
……よくよく見てみると、顔に薄く口紅の痕が残っていた。
この子は気付いているのだろうか。さっきあんなことをされてしまったのに、
何故だか今はとても落ちついて見える。口紅の痕が少し生々しい。

どうやら、少しだけ唇からわざと位置をずらしたらしい。
周りから見えるように、なのかもしれないな。
もしもこの子が部屋に帰ったら、他の子にからかわれるのだろう。
この時間で寝ていない子が居れば、であるけれど。

……ひょっとして、それこそが罰なんだろうか。
だとしたら私はこれを指摘してはいけないのだろうか。

「必要無いわ。貴女、寝る所だったのでしょう?」
「……眼が、覚めてしまいまして。……少しだけ一緒に居ては駄目ですか。」

返答に困った私を他所に、彼女は私が置いていた台車に手をかけて。
それからずいずいと厨房へ向かって歩き出した。
戸惑いながらも懐から時計を取り出して時間を確かめて、
それから先に進む彼女を追う。……朝はまだ、遠い。



「落ちついているのね。」

お嬢様と私が使っていた食器を何も言わずに洗いだした彼女。
私が尋ねれば未だに口紅で濡れた唇をきゅっと閉じたままだった彼女が首を横に振り、そして答えた。

「……そんな訳ないです。……えっと、落ちついているとか、
落ちついていないとかじゃなくて。分からないんです。」

泡まみれにしたカップを流しに重ねて、彼女が振り返る。
キスされた瞬間は驚きの顔だったけれど、今はどこか混乱してるようなおろおろとした様子。

「顔をぱしーんって、やられると思ってたんです。」
「私も、そうなるんだろうなって思ってたんだけど。」

ひょっとしたら私が興味を持っていたことを見抜いたから、ああいうことをしたのだろうか。
私だったらこうも簡単にできると、そう示したのだろうか。
……そもそもばれてしまったのかも分からないから確認もできないけれど、
結局片付けを終えて私が部屋を出るその時になってもお嬢様はただただ窓を眺めてて。
何も、言わなかったんだ。

「初めて、だったんですけど……どうだったんでしょう。何だか感触ももうあやふやなんです。」
「そうだったの。……貴女、好きな相手とか、居るの?」
「……居ます。」

……そうだったのか。やっぱり、私にはこのやり方は似合わない。
傷つけてしまうじゃないか。見せつけられても、やっぱり真似しては駄目だ。

「私は、図書館のお姉さんのことが好きなんです。えっと、図書館への配膳が私の仕事なんですが、
片付けに行くといつも満足そうな顔で。料理は勿論私が作ったものじゃないし、
私は本当ただ、配膳しているだけなんですけど。……その顔を見るといつも嬉しくなるんです。」

さっきお嬢様にあんなことをされたばかりなのに、ちょっとだけ彼女が饒舌になって。
余程、何か良い思い出があったんだろう。……あの子は勘も良いし、器量も良い。
少し悪戯好きな所はあるけれど、良い子には違い無いだろう。
種族としては悪魔、らしいけれど。

「色んなことを教えてくれますし、色んなこと聞いて貰えますし。
嬉しいし、安心するし、楽しいし、安らぐし。だから……」

そんなことを話している内に、台車の上に乗っていた小さな荷物は全部洗い終わってしまって。
それから彼女は洗い終えた食器を片づけると、少しだけ疲れた笑顔のまま頭を下げた。
ちょっと何かを言いたげであったけれど、それからすぐに逃げるように出て行ってしまって。
出て行ってしまう直前に置いて行くように言ったおやすみなさいという言葉に、
私はほとんど返事することもできないままただ背中を見送っていた。

片付いてしまった流し台に立って、ふと唇に触れる。
……どんな、感触なんだろう。



~~



ドアの外に気配を感じ、眼を覚まして頭をあげた。
真っ暗な部屋の中、残して置いた灯りの蝋燭は僅かな長さを残してまだかすかに燃えていた。
いつも通りの時間。そう頭の中で呟けば、部屋の中にノックの音が響いた。

「朝食、お持ちしました。」

もう聞き慣れてしまった声。というより、この声以外の声なんて、この部屋に居る限り聞くことはほとんど無い。
あるとすれば上の階でパーティが催された時に聞こえる喧騒位で、それ以外はお姉様か、
それとも咲夜か。本当に稀にパチュリーか、美鈴か。……居ても大体そんな所だ。
だからいつも聞くことになるのは、

「……起きていらっしゃらないのですか?」

この声だ。私のお世話をしてくれる担当になった子の中で、一番長く続けてくれている。
不思議な位長く続いている。勿論、今までの子が全て長続きしなかったのは全部が全部私のせいだ。
私が、悪かったから。……どういう表現をすれば良いのか、私自身未だに難しいと思っているけれど、
荒れていた、というのが一番簡単な言い方だろうと思う。
だから、毎度毎度新しい担当の子を探さなきゃならなくなった時は大変だった。
当たり前だ。誰だって、やりたくない。暴れたい放題の私を毎日毎日世話しなければならなかったんだから。

罰、という言葉が一番適当だったのかもしれない。私の担当になることは。
……ずっと昔のことは忘れてしまったけれど、彼女が来る前の担当のことはまだ覚えている。
その子は、お姉様の大切にしていたお皿を割ったことがあると言っていた。
その前の子は……お姉様が大切にしていた壺を割ってしまったって言ってた。
更にその前は……もう、覚えていない。
けれど、皆が皆何かを起こしたがために私の所にやってくる。
私の新しい担当として、やってくるんだ。

でもその当時は何も、思っては居なかった。
私にとってその子達は、何だったのだろう。
今では自分でも酷いと認識はできているけれど、当時の彼女達は私の玩具みたいなものだった。
おままごとに使うお人形さん程度の、物としか見て居なかった。……生き物とも、思っていなかった。
動けなくなってしまうまで、……遊び続けてた。いじめ続けてた。

今は……今は。どうなんだろう。
私はあの時から、少しずつでも変わることができているだろうか。
部屋を飛び出して、白と黒の魔法使いに倒された、あの日から……。

私はあの日、二人の理解者を得た。
……私がそう思えた初めての相手が見つかった、と言った方が正しいかもしれない。
勿論その片方はその魔法使い自身のことだ。

恐怖に駆られてやけくそになって牙を剥いてきた、という訳じゃない。
元から物狂いだった、という訳でもない。
それでもないのに、成行きのまま楽しそうにあの魔法使いの子は闘っていた。
でも、一番楽しんでいたのは私だった。
……久方ぶりに相手をして貰えたから、おっかなびっくりはしてたけど、
怖がらずに笑顔のまま眼の前に居てくれる存在が居る、というのは嬉しかったんだ。

なんて言えば良いんだろう。存在を認めて貰えたような、そんな気分だったんだ。
私は居てはならない存在だと思われているのだと。そう私は思っていたから。
……実際に、それはお姉様を除くほとんど全てからそう思われていたのだろうと思う。

「……冷めちゃいますよ?」

もう一人の理解者が、この子。勿論この子だって、初めは私を見る目は他の子と全く変わらなかった。
ただ、そんな彼女だってやることはやってくれる。私が打ち倒されてしまったその日も、
倒された私を見て救急箱を取りに行って。放っておいても閉じてしまう傷に黙って包帯を巻いてくれた。
たぶん、だけれど……もしもあの日私が負けた相手がお姉様だったとしたら。
いや、この館の中の誰かだったとしたら。
恐らく私はまた、その時にその子のことを傷つけていただろう。

たまたま負けた相手が館の外の住人だったから。……だから、落ちついていたんだな。
まぁ、落ちついてただけではなくて、疲れて眠かったこともあるのかもしれない。
現に私はそうやって手当てを受けている間に眠ってしまったんだ。満足感とかも、あったのかもしれない。
今思えば、あれが封印されて以来初めて部屋の外でした睡眠だったんだ。

「起きていらっしゃるんですよね?分かってるんですよ?入っちゃいますよ?」

その後気が付いた時には、真っ暗な部屋の中に私は居た。
いつも通りのベッドの上。……あぁ、戻ってきたんだなって。そう思ったっけ。
いつも通りの見慣れた部屋で、また閉じ込められてしまったんだって。
そうやって溜息を吐いたすぐ向こうに……この子は居たんだ。

あの時は驚いて声をあげたなぁ。……彼女はもっと驚いていたか。
ずっと傍に居てくれたのかは分からないけれど、彼女はベッドの横に椅子を置いてその瞬間までは座ってたんだ。
私が驚いてベッドから落ちるのと一緒に、彼女も椅子から落ちて。
今思うと、とてもみっともない。

「……また、後できますね。」
「……起きているわ。入って良いよ。」

少し重たい音が響いて、部屋のドアがゆっくり開く。
蝋燭の灯りしか届かないから非常に暗いけれど、
もはや私やこの子にとってはこれだけの明るさがあれば食事もできれば本だって読めてしまう。
……そんな薄暗い灯りの傍で、彼女が薄暗い顔をしていた。

「ひょっとして、食欲が無いですか。」
「……ううん。空いてる。ねぇ、一つ。聞いて、良いかな?」
「二つでも三つでも大丈夫です。……答えられないことじゃなければ。」
「私は、変われているのかしら。」
「変わろうとしているんですから、変わってるんですよ。」

私の言葉に彼女が笑い、そんな中で進む朝食の準備。
……起きぬけだから朝食と呼ぶけれど実際は夜中だ。
恐らくは焼いてすぐ持って来たのだろう。持って来たのは小さなホットケーキだったけれど、
まあふわりとした湯気が漂っている。お陰でくすぐるような良い匂いが勝手に部屋の中に満ちて行っていた。

最近は、お皿が二つある。勿論それは、私の分であり……そしてこの子の分。
あの日から続いている小さな小さな習慣。あの日に一緒に食べようと言ってくれたのは彼女だったけれど、
それから先は私がお願いしてこの場を設けて貰っている。

「さぁ、食べましょうか。」



~~



あの日私はずっと廊下の陰から後ろ姿を見ていた。
本当は、私は止めに入らなくちゃいけない立場だったんだ。
でも、とてもそんなことは……できなかった。
前に立つのすら、怖かったから。だからずっと後ろで見守ってたんだ。
流れ弾があっちこっち跳ねながら、服を掠めて削って行って。生きた心地は全くしなかった。
元より、妹様の担当になってしまったその瞬間から生きた心地なんて一度もしたことが無かった。
唯一気持ちを落ちつけることのできる時間は、妹様が寝ている時間だけ。
それだけが、私にとっての僅かな安息の時間だった。

以前も現れたらしい白と黒の魔法使い。私はあの日見たのが初めてだった。
力が自慢である吸血鬼の妹様を相手に力任せに突っ込んで行くその姿は、
まるで魔王に立ち向かう勇者のように私には見えていた。
……そう。だから正直な所、私はその魔法使いの方を応援していた所がある。
もしもこのまま妹様が完全に打ち倒されたら。そしたらこの担当から解任される可能性があったからだ。
勿論あくまでも弾幕ごっこだから、それは本当に本当に限りなく低い可能性ではあった。
だけれど、それでもそれに賭けてしまいたくなる位、あの時は私の頭の中も切羽詰まっていたのだ。

そんな魔王と勇者の戦いは、物語の筋書きをそのまま辿るように勇者が勝って終わった。
私はどうすれば良いのか分からなくて、その後もずっと陰に居たんだ。
幾らかの言葉をその魔法使いと妹様は交わしていて。
それが終わった後すぐ、魔法使いは箒を翻し帰ってしまった。
妹様は、それを静かに見送った後で、力尽きるように絨毯の上に落ちて行った。
私はそれを見計らって出て行ったんだっけ。
今思えば、とても酷いことをしていたんだな……。

妹様本人は、ぼーっとそのまま姿の見えなくなった廊下の先を眺めていた。
別に潜んでいた訳ではないけれど、視界に入りこむまで私の存在にはまるで気が付いて居なかったらしい。
私が視界に入りこむなりびくっと肩を震わせたので、私の方も驚いた位だ。

あの時横から眺めた妹様の顔は、見たことのある顔をしていた。
私の友達がよくしていた、そんな顔。ここで働くようになる前に一緒に遊んでいた友達が、
日がもう沈んでしまいそうな夕方にいつも見せてくれていたような顔。
満足感と、ちょっとした疲れの混じった、そんな顔。
まさかそんな顔ができるとは夢にも思って居なかったから、しばらくはかける言葉に迷ってしまって。
それから私は逃げるように医務室に駆け込んだんだ。
それから、怪我人で一杯の部屋の中から救急箱を持って駆けだして……。

相当疲れていたらしい。言葉を交わす間もなく包帯を巻いている内にお嬢様は寝てしまった。
怪我していた所全部に包帯を巻き終えた時には、小さく開いた口から少し長い息が聞こえていた。
それからすぐのことだっただろうか。レミリアお嬢様が帰ってきたのは。
私達を見るなり大きい声を出しそうになって、私が慌てて口の前に人差し指を立てれば、
言いたかったらしい言葉を何とか飲みこんでお嬢様の前に座ってた。
しばらく何事かを考え込んでいた様だったけれど、少しして私の方に振りかえると、

『部屋に運んで。』

と、ただ一言だけ言い残してレミリアお嬢様は去っていった。



言い付け通りにお嬢様を部屋に連れて帰ろうとおんぶしようとした所で、
私は初めてお嬢様と同じ位の背丈だったんだってことを知った。
昔おんぶしたことのある友達とほとんど変わらない重さでもあった。
今まで大きく見えていたその体は、思ったよりずっと小さかったんだ。
……この事実は、恐らく私以外のメイド達は知らないことだろう。
……精々知っているとすれば、咲夜さんとレミリアお嬢様とお洗濯担当の子達位だと思う。

お嬢様は全然起きる様子も無く、ただ私の首元に頬を載せたまま長い息を響かせていた。
時折その呼吸がふっと止まったりして、起きてしまったのかなって思ったりしたこともあったけれど、
少しもぞもぞと体の上で身じろぎしたらすぐまた寝息が戻ってくる感じで。
……自分達と変わらないじゃないかって。部屋に近づくにつれてそう思うようになっていた。

お嬢様の部屋の前にはレミリアお嬢様も、咲夜さんも、パチュリー様も居た。
私はその面々に顔を合わせた時、きっとまた封印されるんだなって、それはすぐに察知したんだ。
けれど、それと同時に胸が痛くなった。
……その時、そんな自分がおかしいと思ったんだ。
その日の、騒動が収まった後のお嬢様の顔を見るその瞬間までの自分ならば、
きっとまた封印するべきだと感じていたのだろうから。

……私は、あの時首を横に振っていた。
そんな私を見たレミリアお嬢様は、眠たげだった眼を見開いて私を見たっけ。
それから、くいっと中のベッドを指さした後で、部屋の中へと入って行って。
私も中に入れば、レミリアお嬢様はベッドの隅へと腰を下ろして、
私が背中に載せていたお嬢様を下ろすのを見守っていた。

『少し、外に行こうか。』
『また、封印してしまうんですか。』
『……それについて、話がしたいんだ。』

そう言いながらレミリアお嬢様は、ベッドの隅に畳んでいた毛布を手にとって。
それから、ゆっくりとお嬢様にそれを掛けて行き、部屋を後にした。
私も、レミリアお嬢様の言葉に従って、それに付いて行った。



『首を振ったからには、嫌だったんだろう?……それは、どうしてなんだい?』

先の騒動で疲れてしまっているパチュリー様を、一旦椅子に落ちつけさせて。
私とレミリアお嬢様は立ったまま向かい合っていた。……お嬢様と向かい合うことは
今まで何度も何度もあったのだけれど、レミリアお嬢様とに関しては思えばそれが最初だったかもしれない。

『先に一つ、答えて貰って良いですか。』
『私に答えられる物なら別に一つじゃなくて良い。二つでも、三つでも構わない。
それがフランの為になるなら、私は構わない。』

あの時のレミリアお嬢様の様子を一言で表すならば、不安そうだった、と言えるだろう。
そして少しだけすがるような眼だった、ということも覚えている。

『何故、封印する必要があるんでしょう。』
『フランを閉じ込めることが目的だと思っているかもしれないが、それは違う。
フランが誰も傷つけないようにするのがそもそもの目的なんだ。
……貴女を担当にしておいて言う言葉とは思えないかもしれないけれど、ね。
貴女も、あの子がどういう眼で皆から見られているかは十分に分かっているはずだろう?
私の知るあの子は、それを自覚して居ないんだよ。見えてはいても、頭は処理しない。
けれど、もしも自覚する日が来た時にはね、あの子は色んな物を背負うことになると思う。
その重さは、減った貴女達の数だけきっと重くなってしまう。
それでせっかく覚めた自分自身の心を壊してしまわないか。……それが心配だったんだよ。』

そんなのは初めて聞く言葉だった。
勿論嘘を言っているとは全く思って居なかった。けれど、

『でもこの方法は良い方法だとは思えないです。』
『そう。……それは実践する前から私も予想してた。実際、大失敗だ。
私は背中の重みが急速に増えてしまうような、そんな機会は確かに奪うことができた。
けれど、一緒に色んなことに触れる楽しさや更生の機会そのものを奪ってしまったんだ。
そして、いざ始めたら止められなくなった。
あの子は閉じ込められたことにフラストレーションを溜め、
貴女達はそんなあの子が出てくることを恐れて。……続けるしか、なくなってしまったんだ。』

果たしてそれが何年になるのか、とレミリアお嬢様は指を折りながら続けた。
その指一本一本が果たして何年分に相当しているのか。それは私には分からないけれど、
そこまで聞いても私は封印するということに首を縦に下ろす気がしなかったんだ。
でも、その理由というのもハッキリしていない。
ただ、そのやり方は違うんだって。理由も無いのに、そんな自分でもよくわからない確信がただ有ったから。
……ただ、それだけなんだ。

『どういう封印をかけるつもりですか。』
『今まで通りさ。何も変わらない。何も、変えられない。』
『でも、変えたいんですよね?』
『……ああ。』

だから、もし止めるとするならば、何をしなくちゃいけないんだろう。
ここにはずっと一緒に生きてきたレミリアお嬢様が居る。頭の良いパチュリー様が居る。
だから、普通の案はまず通らない。だって、既に考えられているはずだから。
だからよっぽどぶっ飛んだ案か、誰も口に出さなかった案を出さないと、
そもそも議論にすら進まないだろうって。そう思った。

じゃあ何があるだろう。そもそも、何故私はここまでお嬢様のことに必死なんだ。
……そんなの簡単だ。言葉にしなかっただけなんだ。
私はただ……

『私が証明できれば、良いんですよね?妹様が安全だってこと。
それができれば、封印する必要は、無いんですよね?』

知りたくなった、だけなんだ。



~~



あの日の私にとって、興味の対象はずーっと、白と黒の魔法使いだった。
また会ってみたい。話もしてみたい。闘ってみたい。
色んなことを久しぶりに沢山考えた気がする。
そんな興味の対象が、ひとりじゃなくてふたりに増えたのは、その日のお夕飯の時だった。

献立はハンバーグだった。拳を二つほど横に並べた位の大きさの、少し平べったくて見慣れた形のハンバーグ。
この館に居る者ならば、料理名を出したその瞬間から、全く同じ形の物を皆想像しただろう。
ただ、その日のハンバーグは今まで食べていたものと随分違うものだった。
……その日のハンバーグには、湯気があがっていたんだ。

それは当たり前のことであり、そして当たり前ではないことだった。
私の部屋から厨房までは遠い。だから冷めるのは仕方ないことなんだって、
何の不思議にも思わずにずっとずっと過ごしてきた。
それは違ったんだ。遠いのはここから厨房までの距離じゃない。
私とこの子達との距離だったんだ。恐怖に耐えこの部屋のドアを踏み越えるためのその一歩。
それがどこまでも遠くて、遠くて。その結果として、冷めていたんだって。
やっと、気付く事ができたんだ。

……ほかほかの料理が眼の前にある。
つまり、あの日のこの子は何も躊躇せずにそこのドアを乗り越えて来たんだ。
一体何があったんだろうって。ひょっとしたらお姉様に何か言われたのかとも思ったりした。

驚いたことはそれだけじゃない。私の食事を運び終えた後で、確かに言いだしづらそうではあったけれど、

『私も、食事をご一緒したいのですが……良いですか?』

なんて、言われたりして。ずっとずっと一人で食べてきた私は、
しばらくその言葉を理解することができなくて。
あの時はただただ、黙って首を縦に振ることしかできなかった。

あの日食べたハンバーグは、私には熱すぎた。
熱いと舌が焼けるということを完全に忘れていた。
だから、二人で一緒に揃って食べ始めていたはずなのに、
私が食べ終わるのには彼女の三倍近い時間をかけてしまっていた。
彼女は私が食べる様子をずっと眺めてて。そのことについては、

『つい。』

って、彼女は言っていたけれど……私の方も同じ理由で彼女のことをずっと見ていた気がする。

不思議な時間だった。食べることだけが目的だった食事の時間。
それが、その時を境に二つも三つも、感じる物が増えて行って。

『これだけ楽しく食べられるのだったら、もっと早くから気付いて誘えれば良かったんですけど。』

彼女はそうも言ってくれて。その言葉は私の心に突き刺さりながらも、沁みて行った。



「……あの、早く食べないとバターが溶け切ってべっとべとになりますよ?」

少し前のことを思い返して居れば、先に食べ始めたその子が私に向かってそう言った。
上から貰って来たらしい牛乳で上唇におしろいをしている。
……その姿にみっともないとは思うけれど、きっと私だって同じ状況に居るのだろう。
こうしてみると、そんなことを気にしたことは無かった。
何気なくいつも食事の後に拭ってはいたけれど、私は一体どんな顔で食事をしているのだろう。
この子と同じような顔をしているのだろうか。

「……あれ、私の顔、何かついてます?」

私が半分食べる頃には、彼女は最後の一枚に手を伸ばしていた。
私が送っていた視線に気が付いてか、唇の脇辺りを拭いながらもそう尋ねてきた。

「ううん。今ので取れたから。」
「牛乳、ですかね。……そうだとしたら、飲み終わりまでついちゃいそうです。」
「そうだね。……私もついていたのかな?」
「ええ。ついてました。……でも、ホットケーキを食べる時に消えてますね。
何故か私の方は残ってしまっているみたいですけど。」
「そうなんだ。」

そんなことを喋っている内に、私も最後の一枚に手をかけた。
彼女の言葉通り、既にもうホットケーキはべとべとになっていたけれど、
実はそこまで嫌いではない。たぶんこれが冷え固まると嫌になるのだろうけれど、
温かい内のこれはちょっと濃厚で。
1枚であれば喜んで食べたくなる位なものだ。2枚でもまだ。
……3枚だと、たぶん厳しい。

「御馳走様でした。」
「ごちそうさまでした。」

彼女の言葉に合わせてこんな言葉を言うようになった習慣もまだ浅い。
でも、いつかこれが当たり前になる日が来るんだろう。
いや、来るように努力しなくちゃ。……そうしなきゃ、進めないから。



「それじゃ私は少し掃除をしますので。」
「うん。ベッドの上に居る。」

いつも朝御飯の後はそのまま掃除の時間。この子の仕事は元々給仕と掃除だ。
だからとても慣れた手つき。昔、手伝おうとしたことがあった。
けれど、私が手伝おうとすればするだけ、仕事の時間はどんどん延びてしまったから。
それ以降はずっと、私はその時間を以前のままベッドの上で過ごしている。

一言で言うと、彼女の掃除というのは非常に慌ただしい。
そこまで急ぐ必要も無いんじゃないかって、この前聞いたことがある。
そしたら、今掃除で舞った埃がお昼ご飯までにはまた落ちていて欲しいからと、
彼女はそう答えてくれた。勿論そんなことを考えながらやっていたなんて、
私は思ってもみなかった。……というか、聞いたのは昨日の話。でも、

「毎日そこまでしなくても、日に少しずつ分ければ良いんじゃないの?」

当然のように湧いてくる疑問が、そんな疑問だ。
でもその言葉に彼女はくるりと振り返ると、にっこり笑った。

「掃除は自分自身のためにやるのは勿論ですけど、一番の目的は来賓のためです。
周りに恥じないためです。お嬢様は私達の大切な上司だから、これは当然のことです。
……って、咲夜さんが研修の時に言っていましたし、私も同じ考えです。」
「そっか。ありがとう。」
「いえいえ。……それにこれ、ちゃんとやらないと私怒られちゃいますから。」
「お姉様から?」
「咲夜さんから。」
「……そっか。」

咲夜、か。今頃何をしているのだろう。
時間からすると、お姉様のお世話なのだろうか。しばらく、会ってないな。

「そういえば昨日咲夜さんこちらに来たんですよ。お嬢様は寝ていらっしゃいましたが。」

そうなのか。……誰かがやってきたなんて記憶は全く無い。
昨日はずっとベッドの上に居て、ご飯の時以外はこの子とお話をして。
それ以外はずっと夢の中に居たから。……咲夜が来たのは、その時か。

「何かあったの?」
「ケーキ、届いて一緒に食べたじゃないですか。昨日は飴玉が届いたんです。」

飴玉かぁ。久しく食べてないなぁ。
最後に食べたのはいつだったろう。もう覚えていない。
どんな味だったのかも。……でも、噛み砕いたような覚えはある。

「その飴玉は?」
「えっと……えっと。美味しかったです。」

私の質問に彼女がしまったというような顔をして、あたふたと視線を何もない天井へと走らせて。
その時点でもう、私の分が残っていないことは分かっていたんだけれど、
少しして落ち付いた彼女に私は深呼吸すると、

「……私の分は?」

そう尋ねたのだった。

「それが、ですね。結構大きかったんですよ。だから寝ているお嬢様の口の中に入れると
喉が塞がっちゃうんじゃないかって思ってですね、それが怖くてですね……。」

必死な彼女の嘘というのは、大体いつもトーンがちょっと高くて、そして少し早口で。
何より私の顔をあまり見ようとしない。……たまに、ちらりと確認するように私の目を見て、
その効果のほどを確かめているようであるけれど、
どうやら今回は私が気付いているということが彼女には十分それで伝わったらしい。

「……食べちゃった?」
「はい。……ごめんなさい。嘘です。美味しかった物で、つい。」

私がそう言えば、彼女は諦めたように掃除道具を置いて頭を下げて。
私が肩をすくめれば、一礼してまた慌ただしい掃除を再開したのだった。



~~



せっせと掃除に励んでいると、大体お嬢様はそのまますっと、気配を消したように黙ってしまう。
振りかえるとこっちを見て笑うのだけれど、しばらくするとその姿勢のままで眠って居たりして。
そこまであのベッドは居心地が良いんだろうかと思って、この間寝ている時に隅っこにお邪魔してみたら、
隅っこですら侮れないとんでもない魔力をあのベッドは持っていた。
あれは危ない。疲れた時にお邪魔したならば確実に後で咲夜さんに怒られてしまうだろう。
普通に触れる感じは弾力の強いベッドなのに、いざ体を預けてみるとまるでやわっこい綿のように、
段々と吸い込まれるような感覚に陥るのだ。きっと、凄く高価なベッドなのだろう。

「ねえ。」
「はい。」
「終わったら、着替えを手伝って。」
「ええ。……もう少しで終わりますので、お待ちいただいても?」
「うん。」

この様子だと今日は昼寝はしないのだろう。そもそも今食べたのは朝食であっても、
この館の外も元々は真夜中であるから、昼寝という言葉は間違いなのかもしれないけれど。
私もお嬢様と時間を共にするうちにこの時間に慣れてしまったお陰で、感覚は私にとってもお昼前だ。
真夜中が朝で、明け方がお昼で。ここで働いているのもあって、長い間太陽を見て居ない気がする。
たまに見たくなって、その時はお掃除を頑張って時間を作って見に行くのだけれど、
今は冬だから日の出も遅くて……この季節に見ようと思うと、お昼ご飯の後じゃないと見ることができないのだ。

一番最後にやるのは床掃除だ。初めてここで働くことになった時は、背中から来るお嬢様の視線以上に、
拭き掃除で触れるこの床の冷たさに戸惑った。今ではもうかなり慣れてしまったけれど、
それでもやる度に手のひらの感覚が少し薄れて行って。
終わる頃にはいつも、掃除で温まっていたはずの体は冷えた体になっていた。



「もうちょっと腕をあげて貰って良いですか。」

以前はお嬢様は一人で着替えていた。私の掃除の時間に合わせてだ。
けれど、あの日を境に着る時だけは私を呼ぶようになった。
脱ぐのはとっても楽らしいのだけれど、着る時はどうにも背中側が面倒臭いらしい。
だから私が着替えを準備している間に大体お嬢様はいつも全ての衣服を脱ぎ去って、
準備が終わるまでじーっと私の方を見ながらベッドの上でぼーっとしていることが多い。
どうやら、レミリアお嬢様の方も着替えの時は同じような感じらしい。
私は、なんていうか。……抵抗があるんだけどなぁ。裸は。
なんだろう。余裕みたいなものなんだろうか。お嬢様特有の。
私はお嬢様じゃないから……よく、分からない。

「寒いんだけど。」
「ごめんなさい。」

袖を通している途中で止めてしまっていた手を動かして、
普段の服を着せて行く。腕の細さも長さも、私とほとんど変わらない。
けれど、腰辺りは私なんかよりもきゅっと締まってる。
お陰で、怪力の持ち主であるお嬢様のどこにそんな力が眠っているんだろうっていつも思うのだ。
美鈴さん位であれば、まだなんとなく分かる気はするんだけど。

「……ありがとう。」
「では、着ていた服を預けてきますね。」
「うん。……いってらっしゃい。」



皆が寝静まった館の中を歩いて進むと、自分の足音だけがただただ壁を跳ね返り戻ってくる。
お陰で誰かが他にも歩いているんじゃないかなって、たまに錯覚したりするけれど、
振りかえってみても誰も居ないのがちょっと寂しい。
そんな廊下を進んで、お嬢様の部屋より少し大き洗濯場へと続くお部屋に入ってみれば、
部屋の中の小さな椅子に腰を下ろした咲夜さんが何故かそこには居た。

「あら、お疲れ様。」
「お疲れ様です。」

洗濯をしている様子もなく、備品を確かめているような様子も無い。
なんでこんな所で腰を下ろしているんだろう。

「フランドール様の?」
「はい。そちらは……レミリアお嬢様の着替えの後ですか?」
「私はただ、水の音を聞きに来ていただけよ。」
「……考え事ですか。」

持ってきていたお嬢様の着替えを畳んで、明日洗濯されるであろう溜まった衣類に重ねて行く。
深夜とあって流石に数は少ないが、きっとまだもう少し時間が経てば、恐らくシーツや衣服の塊が
この上にどんどん被さっていくのだろう。
私のと違って、誰かの服とごちゃ混ぜになることはお嬢様達に関しては心配しないから良いのだけど。

「そう。」
「季節的に考えれば……年末のパーティの予定決めでしょうか。」
「それもあるけど……今悩んでいるのはもっとどうでも良いことね。」

余程長いことここに居たのかは私には分からないが、そういう咲夜さんの声は少し疲れていて、
聞きなれない重苦しい溜息がその言葉の後に短く続いた。
どうでも良いという割りに何も言わないのだから……言えないことなんだろう。

「咲夜さん。」
「うん?」
「もし、よろしかったらまた飴玉作って下さいませんか。……私、お嬢様の分まで食べてしまったんです。」
「……材料に余裕ができたらね。」

……怒られない?怒られそうだなって、思ったんだけど。
よっぽど悩み事の方に頭を使っているんだろうか。どうでも良いはずのその悩み事のお陰で、
他のことまでどうでも良くなってしまっているんじゃ重症と言っても良い気がする。

まぁ、触らぬ咲夜さんになんとやらだ。下手に首を突っ込んでしまったら、
とんでもないことを任されたりするかもしれない。まぁ元はと言えば今の役職だって
最初は咲夜さんに任されたことだけど。でも、お陰で今があるんだから……奇妙なものだなって。
自分でもそう思う。

「私は先に失礼しますね。」
「ええ。……私も、行くわ。そろそろ仕事に戻らないと。」

私が部屋のドアに手をかければ、合わせるように咲夜さんも立ち上がって、二人揃って部屋を出た。
余程長い間腰を下ろしていたのか、お尻の辺りにちょっとだけ跡が残っているのが、
すたすたと廊下を歩いていくその後ろ姿に見えて。
今更になって何をそんなに悩んでいたのか、ちょっと気になったのだった。



~~



あの日のお昼ご飯の後、私達は何を言うでもなく食事で余った冷たい水を、
ゆっくりと時間をかけて飲んでいた。昼間のことを思い出してみると、
その日のことなのにあの魔法使いと交わした言葉はもうほとんど覚えていなかった。
ただ、楽しんでいたってことは分かる。笑っていた顔も、覚えてる。
今眼の前に居る彼女が私の視界に入った時の顔も、覚えてる。
そんな、感じだった。

『お嬢様。ちょっと、良いですか。』

そんなことを考えていたら彼女に呼ばれたんだ。いつの間にか見つめていた天井から、
彼女の方へと視線を動かして。気が付いたら彼女はドアの前で私に向かって手招きしていた。
呼ばれるがままに彼女の前に立ってみれば、彼女が私の腕に触れた。
……温かい腕。血を浴びた時よりは少しぬるい感じだなんて。そんなこと、考えてたっけ。
何をするんだろう。そう思っていたら、私の手をそっとドアに近付けた。

私は気が付いた時には部屋に入っていたから、もうすっかり封印されているものだと思って。
また、魔法か何かで手が弾かれるんだろうって。そう思っていたのに。
……その時のドアノブは何事も無かったかの様に冷たい感触を手のひらに返してた。

『開いてるんですよ。』
『出て、良いの?』
『それはまだ駄目です。……ちょっと、お話したいんですけど、良いですか。』

そういう彼女の声は少し悪戯っぽく、そして落ち付いていて。
私はまた何か……ひょっとしたら変な夢でも見ているんじゃないかと思って、
舌先を歯で挟んでみたけれど……ずきりとした鋭い痛みと、
追いかけるように続くじんじんとした鈍い痛みが返ってくるだけだった。
よっぽど不信感を持った眼で見つめてしまっていたのか、彼女も少し苦しそうな顔してたっけ。

そんな彼女に連れられて、さっきまで一緒に食事をしていたテーブルへと座って。
何を言われるんだろうと思って待っていたら、彼女が椅子をテーブルにとても近く寄せて、
身を乗り出したのだった。

『お嬢様が起きる少し前に、レミリアお嬢様とお話をしてたんです。
……えっと、一番先に聞きたいんですけど、私達のことどう思ってますか。』
『……お人形さん、って思ってた。でも、貴女は少し今までの子達と違うのね。』
『私だって皆と一緒ですよ。私もまだ、……お嬢様のこと、少し怖いですから。』
『そう、だよね。』

それ位は分かっているつもりだ……って。そう、思っていたんだけど。
改めて言われると、少し心の奥がきゅっとなった。
怖いとか、恐ろしいとか。そういう言葉はかれこれもう長い間に飽きるほど聞いてきた言葉のはずなのに。
この子が他の子と違ったからだろうか。……この子は一体、何なのだろう。

少なくとも人形じゃない。当たり前の、生き物だ。
ひょっとしたら、この子なら理解してくれるだろうか。
それとも、理解してくれているのだろうか。
だから、そう言われるのがつらいのだろうか。
……相手に理解してもらうことというのは、こういうことなんだろうか。

『理解してもらう前に、しなきゃいけないんだね。』
『……そうですね。私達にも同じことは言えると思います。……お嬢様は、周りから理解されたいですか。』
『……うん。』
『じゃあ、具体的にはお嬢様の何を理解して貰いたいのですか?』

あの日受けたその質問は、とっても難しい質問だった。
とても単純な質問であったのに、だ。
だって、何が難しいって。答えたい言葉が凄く単純だったからだ。
でも、余りにもなんだかそれを答えてしまうのは、厚かましくて。
でも、それ以外に言葉は出てこなかった。

どれだけ悩んでいたか分からないけれど、やっと言う勇気が湧いて声を出そうとした時には
潤したばかりの喉はもうカラカラになっていたっけ。

『全部。』

自分でも驚く程の小さな声。けれど、ふたりとも黙っていたお陰で静かだった部屋の中には十分に響いた。
その言葉を聞いて、彼女はすぐに首を縦に振った。
たぶん、そう答えることは予想していたんだろう。

『じゃあ、私達妖精の皆がお嬢様の何を一番知りたいか、知ってますか。』
『……私と接してて、安全かどうか。』
『その通りです。では、安全ですか?……自信を持って、そう言えますか?
……そう自信を持って言える時。その時が、あのドアを自由に開けられる時です。』

言えない。言える訳が無い。

『そんなの……無理よ。』
『それは、何故ですか。理由は?』
『沢山ある。』

じゃあ、それをひとつひとつ改めて行けば良いじゃないですかって。
彼女はそう言って。私はその日、その彼女の顔をずっと見つめていた……。



「ただいま戻りました。」
「おかえり。」

あの日から、どれだけの日にちが経ったのだろう。
私には日記をつけたりする習慣が無い。だって見る景色はいつも一緒だったから。
日々食べる食事の傾向や彼女のお話から、大体どれ程の季節が過ぎたのかは分かるけれど、
恐らく日にちに直してしまえばかなりの月日が経ってしまったのだろう。
相変わらず、私は外に出れないでいる。でも、以前とは大きく違うんだ。
今は、出ないことを自分で決めている。
出よう出ようとしていた以前とは、そこが違うんだ。

「何か、悩みごとですか。」
「ん……うん。」

勿論それは、この子の存在がとっても大きい。
赤色と黒色の絵の具でしか描かれていなかったキャンパスに、
突如色んな色が溢れて来たのは全部この子のお陰なのだから。

「邪魔しない方が良いですか。」
「ううん。いつも通りで良い。」

でも、でもだ。じゃあ何故。何故この子は私に優しいんだろうか。
あの時はまだ少し怖いと言っていたけれど、今じゃほとんどそんな様子は見えない。
少しだけどお互いに冗談を言える位にはもうなってしまった。

その理由が……いつまでも聞けないでいる。怖いからだ。
だって、私はこの子達にとっての害であることに未だ変わりは無い。
これまでがそうであったように、恐らくそれはこれから先もきっとそう。
例え、これから先危害を加えることが全く無かったとしても。
その可能性がありさえすれば……私はきっと、そういう眼で見られていくのだろうって。

「どうやら今年も年末のパーティをやる様子ですよ。
さっき洗濯物を預けに行った時に咲夜さんに会って来たのですが、何だか少し悩んでましたね。」
「そう。きっと献立か何かじゃない?」
「いえ……なんかもうちょっと違うことみたいです。かなーり長い間悩んでいたみたいでした。」

こんな季節だから考えてしまうのかな。
でも私もこんな風に何かを考えるようになったのはやっぱり、つい最近のことで。

「お嬢様はどんなことに悩んでいるんですか?」
「秘密。」

一体何をどう悩みあげれば、それを聞く勇気が出てくるんだろうなぁって。
対面の椅子に座る彼女を見ながら思えば、そんな私の頭の中のことを知らず、
彼女はただ笑ってた。



~~



眼を閉じると、瞼の裏に焼きついたさっきの光景が写真のように視界に映る。
お嬢様の顔と重なる、図書館の給仕の子の驚いた顔。彷徨っていた瞳。
握りしめていたのに、段々とくったりと落ちて行った拳。

彼女は分からないと口にしていたけれど、あの時のあの子は受け入れているような様子にも私には見えた。
それはお嬢様の力なのかもしれないけれど……凄く羨ましいものに思えたんだ。

何が羨ましかったって、全部だ。全部、羨ましかった。
私はあの子の側も体験してみたい。そしてお嬢様の側も体験してみたい。
大胆に、さも平然と。……後腐れるものはちょっとありそうだけど。
だけど、唇って凄く敏感だから。だから、手で触れるよりよっぽど伝わるんだろうなぁ。

柔らかさや熱だけじゃなくて、僅かな動きとか、息使いとか。
……いやいや、目的は柔らかさだけだったはず。
何を考えてしまっているのだろう。

ふと取りだした鏡で自分の顔を眺めてみた。
化粧こそ乱れていないけれど……だらしがない顔が、そこにはあった。



自分の部屋まで戻って部屋の鍵を開けた後、自分の机に腰を落ちつけた。
今座っているこの机の引き出しを引っ張れば、この館に居る全員の情報が紙である。
得意なことは勿論、苦手なこと。好きな食べ物から、苦手な食べ物。
紙を裏返してみればその子達の失敗や頑張りなんかが小さい文字で書いてある。
写真こそこの紙には張っていないが、名前を見なくてもいくつかの情報があればそれが誰のものかは
特定できてしまう位には頭に入っている……つもり。
そんな大事な大事な書類の中からさっきの給仕の子の資料を取りだして、
図書館のあの子のことが好きなのだということを付けくわえておいた。

こうして色んなメイド達の色んな紙を見ていると、誰が誰を好きなのかという情報は意外と多いのだ。
あくまでもそれは噂という不確かなものではあるけれど、
皆も恋というものをしているんだって、改めてそう感じさせられた。
その恋心の矢印の向く方向というのはてんでバラバラで、
お互いに向き合う矢印なんてほとんど見つからないけれど、
それでもその子達自体はとっても元気で、そして明るくて。
一つの活力になっているのなら、それはきっと良いことなのだろう。

恋、か。



ひょっとして、恋なのだろうか。
……い、いや違う。だって私のこれはそもそも、相手なんて定まっていない。
あの子とか、この子とか。そういうのに限ったお話じゃないんだ。
ただ、確かめてみたいだけ。でもそれで延々と悩み続けて、これだけ顔をだらしなくさせて。
みっともないと自分じゃ分かっていても、それでもまだ悩み続けて。
皆からも……様子がおかしいって思われて。

……私が目指していたのはそういうものじゃない。
もう、誰かに相談してしまおう。誰か、誰か口が堅い子に。
口が堅くて、そういうことに強そうな子に。
そしたらふっと頭に一人浮かんで。私は時計を見つめた。
時間は……もう朝である。



~~



コンコンと響く音に眼を擦って、小さな時計に目を向けた。
きっとまだ、太陽が出るか出ないかを考えているような時間。
ひょっとして早起きしたのかなって思って、まだ少しだけふらふらする頭を押さえながら
音を立てていたドアを押して開ければ、そこに居たのはパチュリー様ではなくて。
……眼をまん丸にした咲夜さんだった。

「おはようございます?」
「……お、おはよう。あの、都合が悪いのなら……後でまた伺うんだけど。」

私から眼を逸らした咲夜さん。ちらりと私の体を見たから、何かついていたかと思って私も倣って自分の体を見た。
……逆だった。何かついていたんじゃなくて、ほとんど何もつけちゃ居なかったのだ。
思えば寝るのに暑くなってほとんど脱いでしまったような覚えが少しだけある。

「ちょ、ちょっと待ってて下さい。」

流石の私も眼が覚めて、外れていたボタンを急いで着け直して。
脱ぎ棄てていたものに急いで足を通して、鏡の前で確かめて。
改めてドアをまた開いた時には、咲夜さんはドアに背を向けて立っていた。

「な、何でしょうか。」
「……振り返っても、大丈夫?」
「だと、思います。」

その言葉に咲夜さんが振り向いて、私の姿を見てほっとしたような息を漏らして。
てっきり何かの搬入の手伝いがあるのかと思って一歩踏み出せば、
そんな私を手で制して咲夜さんは部屋の中を指さした。

「ちょっとだけ、相談事に乗って欲しいの。……良い?」

相談事か……相談事?昨日の今日で、ということは……あぁいや、
あれからお嬢様に何か言われてそのことで悩んで悩んで来たのかもしれないし、
そもそももっと関係ないことかもしれない。年末にやっているパーティのこととかで、
助力が欲しいってだけの話かもしれないし。

「ええ。大丈夫ですよ。いつも通りならパチュリー様もまだ当分起きてこないですから。」
「……ごめんなさいね。」

私が下がってテーブルの椅子を引けば、後ろで静かにドアの閉まる音が聞こえて。
二人揃って椅子に座れば、ずいっと咲夜さんが身を乗り出したのだった。

「あのね、凄く変な相談になると思うんだけど、それでも乗ってくれる?」
「え、ええ。危ないことをさせられたりするので無ければ。」
「ここ数日、とっても気になることがあって。調べようとしたんだけど、どうにもうまくいかないの。」

やはり、昨日の一件か。調べようとした、ということはあのキャンディはその一環の物だ。
咲夜さんがしたかったのはそれを手渡す事。そこまでは昨日の時点で確認済みだ。
でも、調べるって……何をだろう。味は私のもパチュリー様のも同じだったらしいし、
その点なら皆の好みの味付けかどうかというのが一番有力な候補だ。
……でも、咲夜さんは昨日渡してくれた後全く感想なんて求めなかったし、すぐに立ち去ってしまったっけ。

「図書館には様々な本がありますから、そういうことでしたらお力になれると思います。」
「ここの図書館は見事なものだけれど、私には読めない本ばかりだし……それとね、
きっと読めたとしてもその範囲に私の知りたいことは載っていないのよ。」
「……では、何でしょう。」
「わ、笑わずに聞いてくれる?」
「笑うかもしれません。でも、真剣に答えるつもりですよ。」

大体悩んでいる時というのは真剣そうだけれど、何だか少しずつ顔の赤さが増していて。
どうやら相当恥ずかしい話題のようだ。だからパチュリー様の所ではなくて私の所に来たのだろうか。
私はそういう風に見られているのだろうか。これは後で正さないといけない。
もしもそうだったら、ですけど。
……あぁでも、さっきあんな格好で出ちゃった。あれじゃちょっと、弁解できないかも。

私の言葉に咲夜さんが確認するように小さく頷いて。
それから、何度か深呼吸しただろうか。よっぽど口には出しづらいことらしい。
いっそ昨日の夜にお嬢様に使ったような魔法をかければ良いのかもしれないけれど、
勘の良い咲夜さんのことだから、そんなことをしたらきっとバレてしまうだろう。

「唇の柔らかさが、知りたかったの。確かめたかったの。……妖精達の。」

……あぁ、やはりそういう話題か。そうか、それが目的でキャンディを。
手渡すのが目的なんじゃなくて、口の中に入れるのが目的で。
だから、食事の後じゃなくて仕事中を選んだ訳か。

「お願いすると後腐れる物がありそうだから、さりげなく確かめたかった。
それで、皆にキャンディを配りながら触れてみたりして。」
「それじゃ、解決しなかったんですか。」
「……時間が、足りないの。」

時間が、足りない?時間なんて止めてしまえば足りないどころか余ってしまう程に時間はあると思うんだけどなぁ。
時間が止められなくなった……ような、様子は無い。もしそうだったら今頃館の方が凄いことになっているだろうし、
そもそもそんなことになっていたら、私やパチュリー様だって気付いていると思う。

「時間を止めれば良いじゃないですか。」
「止めて確かめると、彼女達に酷いことしてるんじゃないかって。そう思ったら、止められなくて。」

もしも、だけれど。
【この館で目的のためなら一番手段を選ばなそうなの、だーれだ?】って、妖精達に聞いたら、
たぶん満場一致で咲夜さんの名前があがるだろうに、眼の前のその咲夜さんは
とてもじゃないけれどそんなことできそうに無い位にどんどん顔が赤くなっていく。
でも、悪いも何も妖精達には感覚とかは何も残らないんじゃないだろうか。

「結局、全部の飴玉を使っても分からなかった。それで悩んでいること、
お嬢様どころか周りのメイドの妖精達にも気付かれ始めて。でも、知りたい気持ちは消えてくれない。」
「そういうことを気にするようでしたら、惚れ薬なんかも手が出せそうにないですね。」
「そんな干渉の仕方を取りたくないの。でも、問題はそれだけじゃなくて。」

そこまで言うと咲夜さんは、喉が渇いてしまったのか近くにあった水差しに手を伸ばした。
生憎、それには何も入っていない。だからこそ昨日は私もお嬢様との相談の後で
厨房まで飲み物を貰いに行ったのだ。……緊張しているから、喉が渇いたのかな。

「飲み物、持って来ましょうか?」
「うん。……お願いするわ。」

……思ったよりも、相当負担になっているようだ。



水差しに並々と水を満たして戻ってきても、咲夜さんの顔は未だに赤かった。
部屋が暑いのかと思ったけれど……どちらかといえば咲夜さんは私よりも薄着だから、
そんなことは無いはずだ。寒がっているなら、まだしも。

「ありがとう。」

差し出されたコップを何度か指の腹で撫でた後、咲夜さんがそれを口に運んで行った。

「……あのね。夜に貴女に会った後ね、お嬢様の部屋に居たのよ。
色々心配をかけてしまったみたいで、何を悩んでいるのかを尋ねられたわ。
その時にね、ここにいつもご飯を運んでくる子がパーティの話題もしていたからか、盗み聞きしていてね。
お嬢様がそれに気が付いて、部屋の中に招き入れたのよ。
勿論それは、罰を与えるつもりだったらしいんだけど。」
「年末のパーティですか?」
「うん。……その、罰なんだけどね、お嬢様、何を思ったのかその子にキスしたの。」

ただでさえ赤かった顔が、キスという言葉を発した直後からもっともっと赤くなっていく。
相当、その瞬間が眼に焼きついてしまったのだろう。

「それが、それがね?どうしようもなく……羨ましかった。
お嬢様の立場も、あのメイドの子の立場も。どっちも、羨ましかったの。
それを見てから、それが頭から離れない。柔らかさを知ろうって、
ただそれだけを考えて来たはずなのにこんなになっちゃって。
どうしたら良いのか、分からなくなっちゃって。」
「それで、ここに来た訳ですか。」

そう言えば、小さく頷き俯いた。
相談しづらかった、という気持ちも分からないではないけれど、
何だかみるみる元気が無くなって行ってしまって。顔だけがそのまま赤く残っている。
ひょっとしたらあれからちっとも、心が休まる時間が無かったのだろうか。

「何が目的だったのかを見失った、ということでしょうか。
……わざわざ一つに絞ろうとするから、そうなるのではないですか?
いっそのことその両方も加えて3つとも目的にしてしまえば良いじゃないですか。
柔らかさを確かめるのも、キスをするのもされるのも。」
「そ、そんな。キスって、そんな簡単なものじゃないでしょう?」

顔がまた、一段と赤くなった。

「……咲夜さん、ひょっとして……キスしたことなかったりします?」

私の言葉に咲夜さんが声を詰まらせた。
たぶんあのお嬢様の下に居るから、唇ではなくてもしたこと位はありそうなものなんだけど。

「……手の甲になら。」
「……ですか。」

恐らくは忠誠の証に、か。うぅーん。どうにも、キスを神聖視しているような気がする。
ひょっとしてその辺り全般の経験が薄いのだろうか。

「誰かと抱き合ったりとかは、したことがありますか?」
「す、するのが普通なの?」

……やっぱり。

「まず、慣れた方が良いんじゃないですか?後腐れない手段が残っていないとすれば、
残るは強硬手段しかないんです。でも、今の咲夜さんだと策を立てても実行できないでしょう。」
「で、でも。そんなの相手が居ないわ。」

咲夜さんは馬鹿じゃない。自分で悩める限りを悩んでいたはずだ。
だから、恐らくこういう手に頼る方法もあるということは、恐らく一つの考えとして持っていたはずで。
だから、だから私の所に来たんじゃないかって。
……でも、一つ聞いておきたい。

「まず1つ、良いですか。」

咲夜さんが私の顔を見上げ、頷いた。

「何故、私に相談しようって思ったのか。それを、聞かせて下さいませんか。」
「誰にも、話さないで居てくれるって思ったから。……それに」
「それに?」
「貴女が、周りから好かれていたから。……それが、羨ましかったんだと思う。」

口が堅いから、か。それなら良かった。この辺のことに詳しそうだからとか言われなくて。
……確かに周りの妖精の子達に比べれば、その辺のことはよっぽど詳しいかもしれないですけど。
しかし、周りから好かれているからか、か。そもそもほとんどの時間を図書館で過ごしているんだけどなぁ。
周りって言っても、給仕のメイドの子位しかそもそも出会わないし、
他の子に会う機会だって、精々お風呂場に行った時かパーティに行った時位。
何をどう思って私のことを好きになったんでしょう。

「じゃあ、次の質問です。……咲夜さんは、私のこと、好きですか?」
「……たぶん、好きって意味が貴女の言っているそれとは変わってしまうけれど、
私はこの館の敷地にあるもの全てが好きよ。嫌いなものとかは、何も無い。
苦手なものは、まだ少しあるかもしれないけれど……貴女はそうじゃないわ。」

……正直だなぁ。

「分かりました。でしたら、少なくとも慣れるまでの協力はします。そこから先はまた咲夜さんが決めてください。
あぁ、勿論私のお仕事の時間は駄目ですよ?私、パチュリー様のお世話がありますから。」
「うん。……ありがとう。……ごめんね。」
「そういうのはちゃんと慣れてからにしましょう。まだ、何もしてないですから。」



とりあえず、とばかりにふたりで残っていた水を飲みほした。
相談ですら気を張りすぎて参っちゃった咲夜さんを椅子に休ませ、
ちらりと見た部屋の時計。……まだ、パチュリー様が起きるには結構な時間が残っている。

「ちなみに、こつこつやるのと、荒療治。どっちが良いですか?」
「……荒療治が良いわ。」
「えっち。」
「ち、違う!そんなつもりじゃ……私はただ、あまり長い間迷惑をかけたくない……から。」
「冗談ですよ。……かたくならないでくださいな。」



「靴、脱いでくださいね。」

咲夜さんの手を引き導いた私のベッド。
ただ手を引いているだけなのに、それですら咲夜さんには未知の体験の様だ。
視線はベッドの方に定まっているはずなのに、とんでもなく恥ずかしそうに瞳は震えてる。
黙ってこのままちょっと強く手を引っ張っただけでそのままこけてしまうのではないかと思ってしまう程、
落ちつきが無い。少し、呼吸も浅い。大丈夫だろうか。抱きついたら過呼吸を起こしてしまわないだろうか。
荒療治で治すどころか、変なトラウマを植え付けてしまわないだろうか。……うぅん。

「とりあえず、ゆっくり深呼吸しましょう。ゆっくり、ですよ?」
「……うん。」

落ち付かせようと思って、そう声をかけた。
少しして聞こえる喉を擦れるような咲夜さんの吐息。
でもそれも、何度か繰り返した所でぷつりと詰まるように止まってしまった。

「貴女、香水を使っているの?」
「いいえ?……あぁ、すいません。寝汗は、かいたかもしれないです。」
「こ、これ汗の匂いなの?」
「とりあえず香水は使っていないので……匂うのなら、それかなって。」
「そ、そうなんだ。」

シーツ、替えた方が良いかな?とも思ったけれど、どうやらそんなことはどうでも良い様で、
ベッドの上で座り込むと、咲夜さんはじっと私を見上げたのだった。
どうすれば良いの?と、訴えかけるような眼で、当の本人は真剣なのだろうに、
どうしても笑いたくなってしまう。こんな顔、滅多に見られないから。
私も横に座れば、小さくその喉が上下に揺れた。

「じゃあ、まずはこう。両手を上にあげてもらえますか。」

そう言って、手をあげて貰った咲夜さんの胸に、何も言わずに飛び込んだ。
……柔らかい。でもそれ以上に体が熱い。心配した通り、心臓がとんでもない早鐘を打っている。

「キャァ!」

なんて、生娘みたいな声を……いや、そうなのかもしれないのか。
というか、あの吸血鬼のお嬢様の下に居るんだし、それで抱かれた経験も無いとくれば、そうなのだろう。
しかし、もしもこの声でパチュリー様が起きてしまったらどうしよう。
きっと聞こえていたら乗りこんでくる。
……恐らくノック位はしてくれると思うのだけど。

「そのまま、私の背中を包んで貰って良いですか。」

咲夜さんはそれどころでは無い!という様子だったけれど、少しすればゆっくりとその手が降りて来た。
恐る恐るという動きではあったけれど、決心はできているのか、すぐに背中に指先が触れて。
……体と違って、とても冷たい。緊張しきって血があまり流れていないのだろう。
……震えている。凄く自信無さげで、とんと、私が突き飛ばしたら解けてしまいそう。

「もうちょっとぎゅっとしてくださいな。私と、同じ位。」

私がそう催促すれば、びくっと肩が震えて。手の力が段々と強くなってくる。
……駄目だ。指先が震えっぱなし。呼吸だって止まってる。

「息止めちゃだめです。……あと、できる限り関係の無いことを考えてください。
この後作るご飯のおかずのこととかでも良いですから。」

私が言えば、こくこくと頭だけが小刻みに動き、溜まっていた咲夜さんの息がふわりと髪にかかる。
ちょっと湿っぽくて、温くて。やっぱり、震えてて。
……まさか、ここまで弱かったとは。

「駄目。」
「どうしましたか?」
「あ、貴女の匂いで頭が一杯になって、頭がどうにかなってしまいそう。」
「そ、そこまで匂いますか。一応これでも寝る前にお風呂入ったんですよ?」
「そういう匂いじゃない……ないんだけど、なんかもう、ドキドキが止まらないの。」

それ、私の努力で解決できる問題じゃない気がするんだけどな。
汗をかくなって、……探したらたぶん絶対に見つかる魔法なんだけど、恐ろしく体に悪そう。
こればかりは我慢してもらうしかないというか。……というか、我慢するから余計に悪いのかもしれない。

「頭がどうにかなりそうって、具体的にはどうなりそうなんですか。」
「なんか、もう色々我慢できそうにない。」
「しなくて良いです。そういう我慢をしなくても良いようにするために、やってるんですから。」
「……良いの?良いのね?」
「ええ。気にしないでください。他には誰も見ていないですから。」

私の声に何度咲夜さんは深呼吸しただろう。それを私もただ頭を胸へとくっつけて窺って。
やがて背中に回されていた咲夜さんの腕からふっと力が抜けたかと思えば、
さっきまでぎゅっとしていた指先がそのまま私の肩へと触れた。
きゅっと押されたので、私も抱いていた腕を解いて体を起こしてみれば、
咲夜さんは顔を下へと向けたままぷるぷると肩を震わせていて。
どうしたんだろうと思ってその顔を覗き込もうと首を傾けた所で、
今度は咲夜さんの方から私の胸に飛び込んで来たのだった。

……加減知らずだ。突っ込んできた頭のせいで、息が詰まって。
バランスを崩してそのままベッドの上に倒れ込んだ。
咲夜さんは黙ったままで、さっきとは比べ物にならない位強い力で抱きしめてくれている。
あれほど私の匂いを気にしていたのに、どうしてそんな抱きつき方をするんだろう。
でも……これがしたかったのなら、構わないか。
どうやらさっきよりはまだ少し落ち着いている様子だ。……ぷるぷる震えたりもしていない。

押し付けられたままの頭を撫でれば、咲夜さんの伸び切っていた足がちょっとだけ丸まって、
ずっと出さずに止まったままだった咲夜さんの溜息が私の胸を熱くした。

「そっちの方が、落ちつくんですか。」

上からそう尋ねてみれば、少しだけ間はあったけれど……
咲夜さんは小さく首を縦に下ろしたのだった。



ひょっとして、甘えたかったのだろうか。
ふとそんな考えが浮かんだのは、咲夜さんの騒がしかった胸の奥が腕の疲れと共に落ちついて来た頃。
私にはパチュリー様が、メイドさん達はお互いに……もしくは、咲夜さんに。
お嬢様だって咲夜さんに。今まで甘えて過ごしてきたし、これからもそうやって甘えて行くのだろうけれど、
じゃあ咲夜さんは一体誰に甘えてきたのだろう。

……誰に、甘えさせて貰えたのだろう。

「ねえ。」
「何でしょう。」
「止め時、分からないんだけど。」
「止めたいと思ったら、その時で良いんです。……何となく、もう良いかなって思ったら離せば良いと思いますし、
まだ足りないなって思ったら、それはそれでゆっくりすれば良いんじゃないかと。」

そう言えば、ゆっくりと咲夜さんが手の力を抜いて行った。
背中の生地を爪先でかりかりと掻かれるのがとてもくすぐったくて、
お返しとばかりに同じように爪を立ててみれば、咲夜さんは猫みたいにぐっと背を逸らしてた。
……顔は真っ赤だ。押し付けていた頬の部分が余計に赤くなって、まるでリンゴみたい。

「少し、慣れましたか。」
「……慣れない。」
「急がなくて良いんです。時間があれば、いつでも対応しますから。」
「……もう、パチュリー様が起きるわね。」
「はい。……準備、しないとです。咲夜さんもお嬢様の食事の世話があるのでは?」
「明日がパーティだから、お嬢様の食事の時間は皆に合わせようってことになってね。
だから、次に行くのはお昼時なの。勿論皆の朝御飯は今から作るわ。
たぶん、厨房の子達ももう待ってるから。行かないとね……。」

明日か。ということは、今日と明日はあまりお菓子を出さない方が良いなぁ。
あんまり食べすぎちゃうとせっかくの御馳走が食べられない。
甘いものとか結構沢山出して貰えるから、毎年それが楽しみで。
楽しみで……そして後で嘆くんですよね。
ちょっとお腹周りが気になったりして。妖精のみなさんは私以上に食べるのに。
運動量が違うんでしょうね。……そういえば、雪合戦もやってましたっけ。

「今日はありがとう。」
「いえいえ。これからも、でしょうけど。時間がある時には対応できますから。」
「……じゃあ、またね。」
「はい。いってらっしゃいませ。」



~~



朝起きて眼を開けたら、枕が血を擦った様に赤くなっていて。
鼻血でも出してしまったのかと思って飛び起きたら、それは血じゃなかった。
得体のしれないその赤い何かの正体が何だったのか、やっと分かった時には思わず顔が熱くなった。

なんで咲夜さんは教えてくれなかったのだろう。
教えてくれていたら、枕を汚すことも無かったのに。お洗濯係さんの所に持って行きづらい……。
とても落としづらい血に見えるだろうから、たぶんすっごく嫌そうな顔をされるだろうし、
もしもそれの正体が口紅だなんてバレてしまったら、そこから先何を言われるか分からない。
結局自分で手洗いして、薄らとピンクになってしまったそれを提出するしかなくて。
何をしたの?!って言われたけれど……やっぱり何も言えなかった。

部屋を出たらもう、雪は止んでいた。太陽がちょっこり顔を出していて、少し眩しい。
皆がこの間綺麗に磨いたお陰で、窓のある側とは反対側の壁を見ても今は綺麗に窓の形が映し出されていた。
……お嬢様は太陽は嫌いだけど、こういうのは綺麗だって、言ってくれたっけ。
もしもこの館におっきなステンドグラスがあったなら、きっともっと凄い朝になるんだろうなぁ。

そんなことを考えながら、朝御飯を食べようと向かった食堂。
お休みの次の日ということもあってか、少し騒がしかった。でも、何だか様子がおかしい。
いつもなら皆朝の仕事があるから、喋るとしても物凄い勢いで食べているはずなのに、
いざ着いてみれば皆はただ椅子に座っているだけで何も食べていなかった。

「朝御飯は?」
「咲夜さんが厨房にまだ指示を出してないみたいで、作れないらしいの。」

一緒のお部屋で過ごしている子に尋ねてみれば、
空いてしまったお腹に手を当てて口を尖らせながらその子が答えた。
……よっぽどお腹が空いていたのか、私が起きるよりも先に出て行ってしまったから、
この子にはまだ枕のことはバレていない。

「そうなんだ。……それで、咲夜さんは?」
「分からない。誰も見ていないんだって。」

うーん。じゃあ最後に見たのは私になるんだろうか。……でも、もう時間で言えば凄い前だ。
あの時の咲夜さんはちょっと悩み事はあるように見えたけれど、体調は別に悪くなさそうだった。

「あぁそうだ。思い出したんだけどね、年末のパーティ明日やるみたい。」
「何で知ってるの?」
「ふふん。昨日の夜ね、盗み聞きしてきた。」

誰も知らないはずの情報だからと得意気になって話してみれば、丸くした目で身を乗り出して。
……どうやら他の仲間たちにも聞こえていたようで、皆耳がぴくりと動いていた。

「ほぇー。ばれなかったの?」
「……ばれちゃった。でも、日にちは変えないと思う。雪が降ったら久しぶりに雪合戦したいよねぇ。」
「そうだね。でも今年は先に雪だるまを私は作りたいかな!」
「雪だるまかぁ。お嬢様の像とか雪で作ったら喜ぶんじゃない?」

最後に雪だるまを作ったのって、いつだっただろう。
あの時は厨房から黙って人参を持って行ったお陰で咲夜さんに怒られたんだよなぁ。
確か、その日作る予定だったシチューの材料だったんだっけ。
人参みたいに顔を赤くして怒られた覚えが未だにある。
赤かったのは、寒空の下にいつもの格好で探しに出たせいで寒がっていたのもあるんだろうけど。
……それを話したら図書館のお姉さんが笑ってくれたのも、覚えてる。

「溶けた時哀愁漂う眼で窓際に佇むお嬢様を見たいなら、ありだねぇ。」
「そ、そういやそうだね。あんまり良くないか。」

そういうのが作られてもおかしくはないと思って言ったけれど……そうか。
雪だるまもお嬢様も太陽の光には弱いから。溶けたら縁起が悪いんだろうなぁ。
でもきらきら光っている内は格好良いと思うんだけどな。

「どうせ雪が降ったら雪合戦やるんだろうからさ、先に仕込んでおける物は仕込んでおきたいよね。」
「例えば?」
「丸めた雪玉とかさ、壁になるようなものとか。」

そんなことを話していると、厨房の方でドアの開く音が聞こえて。
それからすぐ、厨房がガタガタと騒がしくなり始めた。
どうやら、咲夜さんが来たらしい。少しの間話している声が聞こえたかと思えば、
すぐに厨房係の皆が料理を運んできた。……きっと、また時間を止めたんだろうなぁ。

「時間を止められるって、便利だよねぇ。」
「だよねぇ。私もできたら良いなって思うのに。」
「できたら何をするの?」
「咲夜さんに盛大に悪戯を仕込む!」

……悪戯か。もう何年していないだろう。……いや、していない訳でもないか。
寝ている友達の顔にこんにゃくを張りつけてみたり、
髪を洗っている友達の傍に置いてあった温かいお湯の入った洗面器を冷たい物に替えておいたり。
でも咲夜さんにそういうのをしてもなぁ。

「きっと、気付いた時点で咲夜さんも時間を止めるんじゃないかな。」
「……そだね。……食べようか。」
「いただきます。」
「いただきまーす。」

そんなことを話している内に周りの皆はもう食べ始めていて。
私達も手を合わせると、眼の前でほっくりと湯気を立てている眼玉焼きにぶすりとフォークを刺したのだった。



~~



頭の中が一杯だ。朝の一番最初って、普通は一日の見通しを立ててすっきりとした気持ちで臨むべきものなのに、
今は色んなことがもやもやと乱雑に詰まってしまっている。
少し前までやっていたことを思い出すだけで顔から火が出てしまいそうで、
でも出している暇もそれについて考えている暇も無くて。
勝手に作り出さずにじっと待ってくれていた厨房の子達に謝りながら、
私はやっと落ち着いた厨房の中で彼女達と一緒にご飯を食べていた。

「何かあったんですか?」
「ちょっとね、図書館の方まで足を運んでいたの。用事があってね。」
「料理の本か何かですか?」
「そんな所ね。……私一人じゃ読めない本とかもあるから、色々お世話になってたのよ。」

もやもやとしている割にはちょっとだけ満ち足りた気分。
だからそんな、嘘か真かもはっきりさせない言い方だってできる。
……完全な嘘ではないし、もしもあの子にそのことを尋ねる子が居たとしても、
きっと彼女なら合わせてくれるだろう。あの子はパチュリー様に似て、賢い子だから。
……子、かぁ。違うのかもしれない。私の方がよっぽど子供なのかもしれない。

「咲夜さん。パーティって、明日なんですよね?」
「よく知ってるわね。昨日決まったのに。」
「さっき食堂の方がその話題をしてたので。」

……あぁ、あの子か。そういえばあの子はあの後どうなったんだろう。
下手にこの子達に聞くと私の口から彼女の秘密が漏れてしまうか。
話題にあがっていないのだから、きっと大丈夫だとは思うのだけれど……。
まさかまだ口紅がついているなんてことは、無いだろう。きっと。

「食材は足りますか?」
「ええ。それは合わせてあるから心配しなくて良いわ。……まぁ、ギリギリなのはギリギリなんだけどね。」

もしもこの子達が先走って何か料理を作り始めていたとしたら、
恐らくはこの食事の後にすぐ買出しに直行だったのだろうけれど。

「では今日のお昼ご飯は時間早めで、お嬢様の分は少し多め……ですかね?」
「そう。……地下のお嬢様のも合わせてね。」
「はい。……フランドール様、ちゃんと食べてくれていますかね。」

ふと振られた話題に昨晩お嬢様とした話を思い出した。
フランドールお嬢様をパーティに呼べるか、呼べないのか。
参考として外で盗み聞きしていた図書館給仕のあの子を呼んでみたけれど、
彼女の口からはある程度予想していた通りの言葉がつらつらと並んでいた。
まだ、早い。私もそう思っている。
……あの子も、この子達もそのフランドールお嬢様に関する情報が入ってくるから、
昔に比べれば随分とマシになった。それは確かなこと。
だけど……やっぱり苦手な子がまだ居るのは事実だ。
その子達は今、美鈴と一緒に館から一番遠い位置である門を守っている。
いざって時は館から離れていても大丈夫だからとも伝えてある。

「そう聞いているわ。朝御飯、ちゃんと持って行ってくれたのかしら。」
「ホットケーキなら夜中に焼いて持って行ってました。……そういう指示だったはずですから。」
「それで良いわ。他に確認することはあるかしら。」

それでもいつかはちゃんと、一緒に食事ができる日が来るはずで。
それがどれ程先のことなのかは全く分からないけれど、一日一歩ずつ進んでいる。
私がかけた言葉には厨房の皆が首を横に振って。

「じゃあ、今日もよろしく。」

私がそう声をかければ、毎日の様に返ってくる威勢のいい声が厨房に響いたのだった。
そんな声に見送られて厨房の外へと出てみれば、もう食べ終わってしまったのか、
図書館給仕のあの子が台車に二人分の食事を載せて通り過ぎようとしている所だった。
私の方をちらりと見たかと思えば、そのまま不安そうな目で固まって。

「どうかした?」

そう尋ねてみれば、その子はゆっくりと首をかしげた。

「ひょ、ひょっとして……もう食事を運びました?」

不安そうな声。どうしてそんなことを聞くのだろう。

「いいえ?図書館はまだよ?貴女の仕事だもの。」
「で、ですよね。……図書館のお姉さんの匂いがしたから、もう運んでしまったのかと思って。」

に、匂い?!……匂い、ね。
あの匂い、今は私についているのか。

「あの子になら食事を作る前に会ったのよ。色々と相談することがあったから。
貴女が行くことはちゃんと伝えてあるから、運んできてちょうだい。」
「はい!行ってきます。」

そうか。あの子達は私達より感覚が敏感なんだなぁ。
少し、気をつけておかないと。

……匂い、か。
そっと自分の袖をとって鼻へと近づけてみた。
……なるほど確かに、ちょっとだけ残っていた。



余計なことが起きてしまっては遅いからと、時間を止めて急いで戻った自分の寝室。
いそいそと服を着替えて、今まで着ていた自分の服を鼻へと近づけてみれば、
袖なんかよりもずっと強く匂いが残ってた。
あの部屋の中に漂っていた、花のような匂いと妖しい匂いを混ぜた様な、そんな濃い匂い。
不思議な匂いだった。気が付いたら私はあの子に視線が釘付けになっていて、
自分でそれに気が付いていても中々視線を外すことができないで。
吸い込まれてしまいそうって。……そう思うような匂いだった。

思い出しただけで心臓がまたバクバクと音を立て出した。
……それだけ、あれから先にしたことは私にとっては恥ずかしかったんだ。
頭の中が一杯になってしまう、という感覚は過去に何度も体験したはず。
その表現自体がありきたりになってしまう程、体験したはずだった。
けれど、今までは1つのことで染まりきるなんてことは無かったから。
あったとしても、沢山の課題を抱えた時しか無かったから。
だから眼の前の相手のこと1つだけであれだけ一杯になってしまったのは、
今まで生きてきた中で……たぶん初めてだった。

もう、手を引かれた段階でそうなってしまっていた。
座っている状態から引っ張り起こしたりする時に手を重ねたり、重ねられたり。
そんなことは今までも妖精達との間では何度もあった。
けれど、導かれるように引かれた経験もやっぱり無い。お嬢様をエスコートするにも、
お嬢様は一人でどんどんと進む方を好むし、そもそも私がそうやって手を差し出すと、
ふたりの背丈の関係上それが凄く不格好で嫌がるから……。

不思議な位、優しい手だったなぁ。
力を少し入れただけでも、それだけで解けてしまう位に弱々しいものなのに、
それでも自然と私を歩かせてしまう。本当に悪魔なんだろうかと、聞いてしまいたくなる。
恐らく本当に聞いたとしても、そうですよって言いながら笑って返されてしまうだろうけれど。

でも、そうやって導かれたベッドの上はもっともっと強烈だった。
私のベッドもあの子のベッドも、作りは全く一緒の物だ。
けれど、そんな同じはずのベッドでも、私のそれとあの子のそれとでは全く違うんだってすぐに感じた。
……匂いで、だ。誘われて導かれたベッドの真ん中、彼女が少し前まで寝ていたからか、
はじめに足を載せた所よりもずっと温くて、それでいて少し、しっとりしてて。
ふたりでベッドの上を移動する度にバネで上下に跳ねるシーツがふわふわと濃い匂いを巻き上げてた。
あの匂い、きっと薄めてしまえば日頃の彼女の匂いそのままなのだろう。
でもあの時感じた匂いは強烈に……惹きこまれる匂いで。
気が付けば、色々教えて貰おうという名目で頼んでいたはずなのに、
そのままベッドにあの子を押し倒したくなってしまって居たんだ。
そうやってしまってでも埋もれたい程、良い匂いだったんだ。

あれから先、あの子が言っていた言葉のほとんどを覚えていない。
気が付いたら、私は抱きつかれていた。頭の中の血管が千切れるんじゃないかって思った。
それ位に心臓の音がまるで叩きつけたドラの様に頭の中で響いてて、
より一層強くなってしまった匂いのお陰で息すらままならなかった気がする。
そういえば、それでも息はちゃんとしてくれって……悪魔らしいことを言ってた。
けれどやっぱり、言われて息をすればするほど、やっぱり彼女を押し倒したくなって。
結局、我慢できなかった。

彼女は無抵抗に押し倒されてくれた。飛び込んだ胸の中はとっても、温かかった。
私の胸なんかよりよっぽど柔らかかったし、良い匂いで。
……その頃にはもう、考えられないとか以前に考えるのを完全に投げていた気がする。
……そう。あの胸の中。あそこも凄く不思議な場所だった。
思えば他人の胸にああやって触れること自体がそもそも初めてだったけれど、
あんなにドキドキしていたはずなのに、そこに顔を預けている間は凄く……安心していたんだ。

私の体の中はずっとでっかい音が凄い早さで鳴り続けていたのに、
一方の彼女の体は小さい鼓動をゆったりと返していた。
まるで揺り籠みたいで、眠たさすら感じてしまって。
もしも時間が許してくれていたのなら、たぶん眠ってしまっていたと思う。

匂いに慣れて頭が回り始めた時、やっと腕の痛みに気づくことができた。
……必死になってずっとしがみついていたことが恥ずかしかったし、
なによりきっと、苦しかったと思うから。ちょっと、申し訳ない。
私だって抱きつかれていた時はちょっと苦しかったから。
……勿論それは、他の要因が大きかったけれど。



もっと沢山、知りたい。もっと沢山、教えて欲しい。
あの安心感の中にゆったりと埋もれてしまいたい。
私は……私はえっちになってしまったんだろうか。



~~



「パーティは明日やるみたいですね。」

珍しく騒がしくなり始めた上の階の様子を見に行ったあの子。
納得したような顔で帰ってきて報告してくれたのはそんなことだった。
どうやら上の皆はそのことに舞い上がって居るようで、ご飯のこととか、
食べた後どうやって遊ぶかで持ち切りらしい。

「行ってきて良いんだよ。」
「行かないですよ。……今年はここに居ます。」

花を挿していた花瓶の水を取り換える彼女にそう声をかければ、優しく笑いながらそう彼女は言った。
たぶん、気を遣ってくれているのだろう。今まで私を担当してくれていた子達だってそうだった。
あの子達は……どちらかと言うと、それ以上に見張りの意味合いが強かったのかもしれないけれど。

「貴女まで我慢しなくて良いのに。」
「そんなことを言うと、本当に行っちゃいますよ?」
「良い。……本来、慰労のためにやるのでしょう?働いている貴女が行かなかったら意味が無いじゃない。」
「それだと……寂しく、ありませんか。」

毎年やるそのパーティを皆がどれ程楽しみにしていて、そして実際どれだけ楽しんでいるか。
それは私の部屋からですら分かる程だ。そしてそれは勿論、この子にだって当たり前の事実。
そして、そういう時に感じている私の気持ちも……。

「たぶん大丈夫。」
「上、凄く騒ぐんですよ?」
「……知ってる。」
「今日の比じゃないんですよ?」
「……うん。」

だから毎度毎度彼女に気を遣わせてしまって、そして私がいつも先に折れるのだ。
情けない話ではあるけれど、遣わせた気を無碍にするのも今の私には気が引けてしまうのだ。
でも……でも今回は先に折れる気はない。
一応、この子の主人は私であるはずなのだから。

「……じゃあ、行ってきますね!」
「行くの?」
「ど、どっちですか!」
「冗談よ。……行って良いよ。私は適当に何か、しておくわ。」

本当はこの部屋でできることも、することも。悩むこと以外には無い。
この部屋にある本はほとんど読んでしまったし、この部屋には遊ぶような物も今はもう無い。
それにもし、あったとしてもたぶん読むことも遊ぶことも無い。
そういう時間の使い方をする暇があるのだったら、考えて、考えて。
認めて貰えるまでのその道を詰めるべきなんだって、思うから。

「じゃあ、行ってきます。……早めに戻ってきますから。」
「その後ろの約束はしなくて良いから。好きにやってきて。」
「……分かりました。」

私の進まなきゃいけない道は、前だけじゃない。
積み上げて、積み上げて。目指すのは上にあるんだ。
崩れないように。崩さないように。

あそこにあるドアを、自分の意思で開ける為に。



~~



少し、心配になっていることがある。
悩むようになったのはとっても良い傾向なんだって思ってはいたけれど、
最近は少し度を越して……何だか、臆病になっているような気がする。
私はお嬢様から奪ってしまっていたものを返す為にここに居るのに。
これでは……駄目なんだ。私がして欲しいのは、作り笑いじゃないんだ。
あの日見せてくれたような、笑い方をして欲しいのに。

「お昼ご飯はもう少し先になるそうですよ。お腹、空いているとは思いますがもう少しお待ちください。」
「うん。」

してくれない訳じゃないけれど、もっともっとして欲しいんだ。
あの穏やかな笑顔は、誰も知らないあの笑顔は……きっと皆に知ってもらうべきなんだ。
切り開く確かな一歩になるから。だから、引き出さなきゃ。もっと、もっと。

でも、良い考えが浮かばない。いっそ誰かに相談してみるべきなんだろうか。
咲夜さん……は、忙しそうだったし。友達……は、今それどころじゃないか。

「ちょっとその時間まで席を外して良いでしょうか。」
「うん。したいようにして、良いから。」



しかし、誰に相談したら良いものか。そこまで忙しくなさそうな誰か。
口が堅そうで、それで居てお嬢様を理解してくれそうな……そんな誰か。
思い立って私がやって来たのは、図書館だった。

ドアを開ければ、静かでほんのりと温かな空気がふわりと頬を撫でる。
恐らくはパチュリー様の魔法なのだけれど、とても羨ましい。
この魔法をもし館中に完備してくれたなら、どれだけ皆は喜ぶだろう。

そんな温かい図書館の中をゆっくり歩いて、本棚と本棚の間から顔を覗かせてお目当てのあの方を探す。
……勿論、パチュリー様じゃない。パチュリー様なら探さなくても机の所まで歩いていけば見つかるのだ。
私が探しているのは、お嬢様と同じ、悪魔のお姉さん。
私の友達が好きだって言っていた、そんなお姉さんでもある。

なんでここに来たのかって、その友達が言っていたことを思い出したからだ。
ここのお姉さんは、喜んだ時の笑う顔が素敵だから、と。
……もっと言えば、忙しく無さそうな外回りの人たちの所には寒くて行きたくなかったこともある。
手袋とかマフラーとか。そういうのは全部置いてきてしまったから。

「あの、お姉さん。」
「あら、何でしょう?」
「お時間の都合、今大丈夫でしょうか。」
「ええ。……ひょっとして、相談事?」
「はい。」

お姉さんは本棚の陰に居て、パチュリー様が読み終えたらしい本を棚へと戻している最中だった。
持っていたのは見るからに重そうな本ばかりで、まるで何を意味しているのか分からない文字が本の背に書いてある。
私の声にお姉さんは苦笑いした後で、私の前で少ししゃがんだ。

「何だか最近は色んな方の相談を受けている気がします。……私の部屋で良いですか?」
「すいません。お忙しい所に。」
「良いんですよ。お昼ご飯まで、あまりすることはないですから。」



連れられて入ったお姉さんのお部屋というのは少し、小さかった。
勿論私個人に与えられている部屋なんかに比べたら広いのだけれど、
いつも私が居るお嬢様のお部屋が地下にあるとはいえ、それなりに広いんだってことが改めて分かる。
……お陰で掃除がいつも大変ではあるんだけど。

「どうぞ。」
「すみません。」

ベッドから少し離れた位置にある小さなテーブル。二人で椅子に腰を下ろしてみれば、
お姉さんの方が拳二つか三つ分程目線が高かった。
友達は、話しかけやすいよ!って、言っていたけれど……うぅん。
それは慣れているだけなんじゃないだろうか。

「一応聞いて良いですか。」
「はい。」

話を切り出そうとしたら、お姉さんが指をぴんと立てて身を乗り出した。
……長い指だ。友達は手を繋いで遊びに行きたいなんてことも言っていたけれど、
このお姉さんと手を繋いだりしたら、きっと完全に手が隠れてしまうだろう。

「どうして私に相談しようって、思ったんです?」
「私の友達から以前、図書館のお姉さんのことを聞いたことがあったんです。……そういえば、お姉さんのことが好きだって、言ってました。」
「……あはは。」

苦笑いするお姉さん。もうちょっと理由づけした方が良かったのだろうか。
でも、あまりに言ってしまうと私の友達だというのが誰であるかばれてしまう。
あの子はまだ思いを打ち明けていないはずだ。……だから、ばれないようにしなきゃいけない。
気付いている可能性が無いとは、言えないんだけど。

「それで、どういう相談なんですか?」
「私はフランドールお嬢様のお世話をしている者です。今のフランドールお嬢様の扱われ方については御存知ですか。」
「ええ。パチュリー様からある程度お話を聞いているので。もう封印はしていないそうですね。一応秘密らしいですが。」

流石にパチュリー様のもとで働いているだけあって、そういう事情には詳しいようだ。
それはちょっと、助かった。……友達と話す時は漏らしちゃいけない秘密まで漏らしてしまわないか、
いつもヒヤヒヤするのだ。それが原因になってお嬢様に悪いことがあったとしたら、
とてもじゃないけど私に責任は負いきれないと思う。

「そうです。今は皆にお嬢様のことを認めて貰えるように、お嬢様自身が自分を変えようと頑張ってます。あのお部屋の中で、ですが。」
「……変わりましたね。」
「はい。変わってくれています。……でも、ですね。色々悩む事は良いことだと思うんです。
けれど、それが原因になって最近はちょっと、臆病になって居る所がありまして。
私に対しても遠慮してしまう所があったりして。
勿論、他の妖精達からすれば、そっちの方が良いのかもしれません。
でも、それがお嬢様の笑顔を奪っている気がしてならないんです。」

私の言葉に頷きながら、お姉さんが水差しからコップへと水を注いだ。
差し出されて受け取ったそれは、ちょっとだけひんやりとしていた。
それを喉へと通して一息。……今頃、お嬢様はどうしているだろう。どんな表情をしているだろう。

「誤りを起こすことを恐れている、ということでしょうか。」
「たぶん、そうです。信用がどうやったら無くなってしまうのか。
それを飽きるほど考えてしまったからなんだと思うのですが。」
「……私は、それも良い傾向だと思いますよ。それがやっとスタート地点だと思います。
そこからゆっくりと道を築いていくしかないと私は思いますし、
その過程で分かることなんだと思います。どこまでは我慢しなくても良いのか。」

うん。それはそうなんだと思う。
でも、私が気にしているのはその時のお嬢様自身のことだ。

「確かにそうなんです。けれど……私、毎日一緒に居るものですから。
せめて、私の前だけでも素直に笑って居られるような生活にして欲しいんです。
私の自己満足と言ってしまえば、たぶんそれで片付いてしまうことなのだと思います。」

今のお嬢様を眼の前で喜んであげられるのは、ただ一人私だけ。
今の私はお嬢様からすれば、自身の姿を映す為の鏡みたいなもの。
だから、そうであるならば、笑って居られるような姿を返してあげたくて。

「何かしてあげられないかって、そういうことですか。」
「その為に、来たんです。」
「……そうでしたか。」



「一つ、聞いても良いかな。」

しばらくの間悩んでいたお姉さん。私はその間、貰っていたコップから水を飲んでいた。
丁度それが空になった頃、お姉さんが姿勢を正してそう言った。
流石に私の口べたな説明では、判断材料が足りなかったんだろう。

「貴女、妹様のことは好き?……たぶん、好きなんだろうけれど、どの位好きかしら。」

けれど、まさかそんなことを尋ねられるとは全く思っていなくて、ちょっとだけ顔が熱くなった。
どの位好きなのか、か。考えたこと、無かったなぁ。

「えっと、正直な話をするとですね、私も皆と同じだったんです。
やっぱり最初は怖くて、苦手だったんです。でも、今はたぶん……。
たぶん、この館の中で誰よりも、お嬢様のことが好きですよ。レミリアお嬢様にだって、負けません。」
「自信たっぷりですね。」
「そりゃもう。……お嬢様の笑顔を今一人、独占している身分ですから。」
「そっか。」

思ったことを言ってみたけれど、口にしてみるととても恥ずかしいなって。
言ってからちょっとだけ、思った。

「じゃあ。」

そこまで言えばお姉さんは笑ってくれて、小さく身を乗り出した。
きっと良い案が浮かんだんだなって、そう思って私も身を乗り出して。
何だろうと思って耳を傾ければ、

「襲っちゃいましょう!」

お姉さんが言ったのは、そんな身も蓋も無い言葉だった。

「ど、どういう。」
「本当はですね、ただ一緒に寄り添うだけで良いと思いますよ。
それだけで妹様にとっては強い強い支えになると思います。
たぶん、妹様はこの館の中で一番寂しい思いをしています。……きっと、今妹様は迷っていると思いますよ。」
「それは何故です?」
「お嬢様は嫌われる眼には慣れてしまったかもしれません。
けれど、好んで貰えるその気持ちには慣れて居ないでしょうから。
凄くそれが不安になってるんだと思います。遠慮がちなのは、嫌われたくないからでしょう。」
「……そうでしょうか。」
「ただ、一つだけ確かなことがあります。」
「それは?」
「そういうことは、行動を起こして確かめてみないと分からないです。
でも、起こした上でそれが例え駄目だったとしても、また新しい課題がはっきりしたなら。
それはそれで、私は価値のあることだと思いますよ。」

そこまで言った所で、二人だけの言葉で満ちていた部屋の中にノックの音がコンコンと響いた。
二人揃って振り向けば、少ししてドアが開いてパチュリー様が顔を覗かせた。
……パチュリー様には何も言わずに来たからか、ちょっと驚いてた。

「お昼ご飯、届いたわよ。」

ただ一言だけ、パチュリー様はそう言ってドアを閉めて。
私も急いで椅子から立ち上がった。この図書館に届いたということは、
お嬢様の所に運ぶ分の食事もできているはずなのだ。受け取りに行かなければならない。

「……行ってきます。」
「ええ。」
「本日は貴重な時間をありがとうございました。」
「こちらこそ。……妹様のこと、こういう機会が無いと分からないですから。」

ろくなお礼もできなかったけれど、私には咲夜さんの持っているような力は無いから。
だから、それだけを言って部屋を出て、急ぎ足で図書館を抜けた。
幸い、廊下には誰も今は居なくて。私は厨房へと体を向けると全速力で翔けたのだった。



「珍しいね。遅れるなんて。」

図書館にご飯を運びに行っていた友達が、台車を片づけに戻ってきていた。
その台車をそのまま借りて、用意されていた料理を並べて行く。

「ちょっとね。……借りるよ?」
「うん。行ってらっしゃい。」
「またね。」

まだ湯気はあがっていたけれど、届けるまで持つだろうか。
今はそれがちょっとだけ、心配だった。



~~



ドアの向こうで床が悲鳴をあげている。
恐らく、レンガとレンガの隙間を車輪が抜けようとしているからなんだろう。
音からすると凄い勢いで走っているようだ。……きっと、あの子だな。

「お待たせしました!」

そう思うと同時にドアが開いて、その顔を見て安心する。
とはいえ……今は何故か肩で息をしてた。どうしてそんなに急いで来たのだろう。
何かとても面白い話題があったんだろうか。
それとも何か洗濯しなきゃ行けないものを忘れて行ったのだろうか。
……振り返って色々見てみたけれど、どうやら忘れ物は無さそう。

「……ちょっと休んでから食べようか。」
「あ、あったかいうちに!食べましょう!」
「でも、苦しくない?」
「できたてを食べて欲しいですから。……ちょっと、受け取りが遅れてしまったので。」

だから急いできたのか。……きっと、お友達の所に居たんだろうなぁ。
明日パーティに出るんだから、その為の約束を取り付けに行っていたんだと思う。
明日帰ってきたら、楽しいお話を聞けるだろうか。
……私にとってはこの子と居る時間がそれだけで楽しい時間だから、
本当は話題は何でも良いんだけれど。

彼女の言葉に押し負けて、いつもの椅子に腰を下ろせば彼女がせっせと料理を並べてくれた。
急いで持って来たからか、スープ皿は高い位置まで色が着いていた。
もしも彼女が持ってくる途中で転んでしまったのなら。
……きっと、この中身は空っぽになってしまっていたんだろうな。

「この季節といえば大根ですよね。」
「私は白菜だと思うんだけど。」
「どっちも煮ると甘くて、温かくて。良いんですよねぇ。」

彼女が何とか零さず運んできたスープ。
それはこの季節になるとよく並ぶ、大体その二種類の野菜が入ったスープだった。
毎度毎度入るお肉が代わって、豚になったり鳥になったり。
少しだけ黒コショウが効いているお陰でパッと香りが漂ってくる。
ちなみに私は大根も白菜もどっちも好きだ。
……あぁ、でも大根おろしはまだちょっとだけ苦手だ。
あの野菜はこうやって煮ると甘いのに、どうして生だとあんなに辛いのだろう。

「こっちは……ちょっと崩れちゃいましたね。」

スープ皿を並び終えた後で彼女が出したのは、サンドウィッチ。
彼女が苦笑いしながらそれをテーブルの真ん中へと置いた。
崩れたと言っても、端っこの二つくらいなもの。
むしろあれだけ走ってきてこれだけ無事に済ませられるのなら、
それはそれで凄い才能なんじゃないだろうか。

「落ちついてきた?」
「ええ。大丈夫ですよ。」
「それじゃ、食べようか。」



「……何か、ついてる?」

じっと彼女が私の顔を見つめてて、少しばかり赤い顔をしていたから気になった。
入ってきた時から赤い顔ではあったんだけど、その赤みが引く様子が一向にないのだ。

「い、いえ。……あの……お嬢様。すいません、残りを食べること、できますか。」

明日はパーティだというのに、風邪でも引いてしまったのかな。
朝は元気だったと思うんだけど。ひょっとして、誰かから貰ってしまったのだろうか。
それとも何か別の……いやでも、料理に苦手なものが入っていた訳ではないし。

「本当に大丈夫?」
「いえ、……あぁいや、大丈夫です。」

返答も少しあやふやだ。

「疲れているなら、無理しなくて休んで良いんだよ?」
「……そういう訳じゃないです。お昼からも頑張ります。」

……どうするべきなんだろう。
何か無理をさせてしまったら、明日ひょっとしたら彼女が参加できなくなってしまうかもしれない。
だから、やっぱり働かせるべきじゃないはず。
やらないといけないことも、無かったと思うし。問題は無いと思う。

「自分の体調には素直になった方が良いと思うよ。」
「そ、そこまで仰るのでしたら。」

そういえば彼女が頭を掻いて、スープの最後の一口を飲みほした。
……思いのほか余ってしまっているサンドウィッチ、食べきれるだろうか。



「……けふっ。」

少々無理をして、お腹の中に詰め込んだ。
日頃は私よりも食べる彼女なのに、今日は珍しく半分近くも残してしまっていた気がする。
お陰でまるまる二人分をお腹の中に詰めた様な気分だ。
何だか、食べるのにとても疲れてしまった。
もしもこの状態でこけたりなんかしたら、きっと大変なことになると思う。
……しかもこの床はさっき掃除したばかり。
もっと言うと、それで私がこの床を汚したなら、それをまた掃除するのは彼女だ。
……うん。絶対だめ。

そう思って、ゆっくりと体を預けたベッド。……少し、眠い。
お腹が熱くなっているから仕方がないことなのかもしれない。
けれど、できるなら食後すぐは寝ないでくださいっていつも彼女に釘を刺されてる。
刺されても、刺されても……それでもやってしまうんだけど。
だって、仕方ない。この時間だけは、昔から気持ちが良かったから。



心地よさの中でただ眼を閉じて居ただけのつもりでも、気が付いたら時間は飛ぶように過ぎていた。
そうやっていつも、寝てたってことを自覚する。眼が覚めた時には体全体が温まっていて、
お腹辺りまで引き寄せて置いていた毛布は今は胸元までかけられていた。

部屋の中はしんとしてて、息を止めればもう一つの息だけが聞こえてきた。
そんな音の聞こえる方へと視線を走らせれば、さっきまで食事をしていたテーブルがそこにはあって。
彼女はそのテーブルに体を預け、眠っていた。

風邪を引いているのなら、自分の部屋で眠れば良いのに。
そんな眠り方をしてしまったら温めなきゃいけないはずの体が冷えてしまう。

しかし、どうしたものか。珍しく眠っている彼女を起こすのは気が引ける。
でもその彼女に風邪を引かせないために、この部屋から担ぎ出すのはもっともっと気が引ける。
眠気もどこかに行ってしまったし……このベッドを使おうか。

決心して毛布を剥いで体を起こせば、背中とお腹にふっと冷たい空気が走った。
地下にあるお陰で室温自体はいつもほとんど変わらないはずなのだけれど、
どうやらとても長い時間を寝ていたらしいということをそれで知った。
いざ出るには少しだけ寒くて、結局私はただベッドの端の方へと寄って。
そこから自分の分身を一人だけ出すと、彼女の体を抱き上げたのだった。

……彼女の体はとても軽かった。とんでもなく、軽い。
勿論ティーカップと比べればずっとずっと、ずっと重いけれど、
こんなに軽い彼女の体がこうしてみると、とても頼りなく感じる。
思わず手を滑らせて落としてしまったら、そのまま居なくなってしまうんじゃないかって。
そう思いたくなるほど軽かった。
そんな彼女の体をそっとそっと移動させて、私がさっきまで体を置いていた辺りに落ちつけた。
たぶんそこなら、テーブルの上よりは温かいはず。
きっと治りはしなくても、これで悪化はしないと思うから。

「ん……。」

胸元まで毛布を引きあげれば、口を閉じたままの彼女が声を漏らした。
ああ、起きたかな。そう思って待ってみたけれど、どうやらただの寝言のよう。
私は出していた分身を引っ込めると、ぼーっと天井を見上げてた。
いつもより少しだけ横に寄った天井。
こうしてみると、いかに自分がいつも寝相良く寝ていることかと、ちょっと感心する。
ただ単にベッドが良いベッドだからというだけかもしれないけれど。

……ちょっとだけ、見慣れない天井だ。



~~



風邪じゃないって、正直に言えば良かったんだ。
……たぶん、言わなかったからこうなってしまったんだ。
私は、何故お嬢様のベッドの上に居るんだろう。
確か、テーブルの椅子に腰を下ろしていた気がするんだけど……無意識のうちに移動してきたんだろうか。
しかもお嬢様を端の方へと追いやってしまって。どうやら……まだ寝ていらっしゃるようだ。
私に背を向けているから、ちょっと分からない。けど、今にもベッドから落ちてしまいそうだ。
普通のベッドよりも広いベッドなのだから、もう少し真ん中で眠れば良いのに。
……ひょっとして、私が蹴ってあそこまで追いやってしまったのかな。
私あまり寝相は褒められたものじゃないし、よくそれで笑われてたし。

落ちてしまったら申し訳ないなと、そう思ってお嬢様の体をもっと真ん中に寄せようと手を伸ばせば、
くるりとお嬢様が体をこちらに向けた。……眼が合った。じっと、私の顔を見ている。

「やっぱり、休んだ方が良いよ。」
「え?」
「まだ顔が赤いよ?……寒い?」
「い、いえ。あの……えっと。」

私の顔、赤いのか。原因は自分でも分かっている。
図書館のお姉さんの言っていた言葉が頭の中から離れないからだ。
ずっと、ずっと。頭の中で反響している。

そうこう考えている内にお嬢様の手がふっと私の顔に伸びてきた。
反射で眼をつぶれば、少ししておでこにひんやりとした感触が広がって。
ああ、そこまで顔が赤くなってたのかって思うと……ちょっと恥ずかしい。

「手、気持ちいいです。」
「本当?……タオル濡らして持って来た方が良い?」

どうしよう。言ってしまうべきなんだろうか。……言わなきゃ。
お嬢様に余計な心配をかけさせるのは私の役目じゃない。
そう思っていざ口を開いてみても、今度は声が中々出てこなくて。
言いたいことは胸の中に沢山沢山詰まっているはずなのに。
ああ、勇気が足りないんだなって。そう思うと情けない。

「苦しいの?」
「そう、ですね。」

私がそう言えば、お嬢様がきゅっと唇を引き結んだ後、静かに言った。

「た、助けを呼んでくる。」
「待って!……待って下さい。あの、お話があるんです。」

毛布を飛び出そうとしたお嬢様を急いで止めて、深呼吸して。
……ちょっと、失敗した。普段通りならきっと言えてしまうと思ったけれど、
神妙な顔をされるとどうにも言いだしづらい。

「一つ、知りたいことがあるんです。」
「何?ここ、薬箱は無いんだよ?上にしか。」
「この症状に良く薬のことを私は知っています。」

バクバクと急かす心臓がうるさくて仕方が無い。少しの間黙って居て欲しいとも思う位だ。
今更になって恥ずかしくなってきたけれど、ここまで言って引きさがる訳にもいかない。
言わなきゃ。言わなきゃ。そう思って尋ねたのだった。

「お嬢様は、私のこと……嫌いですか?……怖い、ですか?」

私の言葉に、お嬢様は眼を丸くした。
驚いて口を閉じ、瞳を揺らめかせて。焦ったような顔をした。
……それは、させちゃいけない顔だった。
私が見たかったはずの顔とは、全く違う。全く、逆の顔。

「どっちも、違う。……いや、片方は当たってるかもしれない。……私は怖い。
貴女……貴女自身にじゃなくて、貴女に嫌われてしまうこと。それが……。それが。」

声は震え、息も少し荒くなって。眼は潤んで。
ついたったさっきまで顔まで熱かったのに、今はもう背中が冷たくて。

「それだけ聞ければ、十分です。一つ、知っておいて欲しいです。
私は、お嬢様のこと好きです。好きですから……。そんな顔、させてしまって。……ごめんなさい。」



結構長い間お傍に居たけれど、泣いた所だけは今まで見たこと無かったんだ。
だから、ついにやってしまったんだなって。瞼に溜まっていた涙が、大きな粒になって落ちて行く。
それがゆっくりと見えて。部屋の中に響く程、ぼたって音が弾けて。
ほんの、ほんの少し前まで良い雰囲気かなと思って甘えたのが大失敗だ。

「ねぇ。」

お嬢様の小さな声。

「どうして、そんな風に聞くの。……言って、しまうの?なんで、普通に聞いてくれないの。」
「怖かったからです。……私にとって、一番。その言葉が、怖かったから。」
「私だって、そういうこと聞かれるの……つらいんだよ?」
「知ってます。」

お嬢様の言葉に返したその言葉。……急に勢いを増して溢れだすお嬢様の涙。

「こ、ここまでとは思わなかったんです。」

思わずお嬢様の眼から視線を逸らした。
もしも柱時計がこの部屋にあったなら、今頃ゴチゴチと音を響かせていたと思う。
そう思ってしまう位には今はただ、しんとしていて。少ししてお嬢様が泣きながら言った。

「ここ最近、ずっと悩んでた。」
「私のこと、ですか。」
「私も確かめたかった。貴女がなんで今までの子達と違って私に優しいんだろうって。
それって、やっぱり……怖い、怖いからなの?」



~~



久しぶりに苦しいという思いをした気がする。
本だと胸が締めつけられるとか、そんな表現をするけれど、
現実には締めつけられるというより、押さえられたような、握られたような。そんな感覚で。
気が付いたら流れ出した涙が止まらなくなってた。

悔しかったんだ。彼女は私を一番知ってくれていると、そう思っていたから。
今一番理解してくれているのは彼女なんだと、そう思っていたから。
怖いか、だって?確かに怖かった。嫌われるのが怖かった。
今の貴女に嫌われてしまったら、私の隣には誰が残ってくれるというの。
この館には。……この館にはもう、今は貴女しか居ないのに。
私はやっぱり、まだそういう眼で見られているの……?

……悔しい。悔しい!
だから、そうやって……返してしまったんだ。
思ったままに、返してしまった。

結局私だって同じことをしているんだ。
好きだって、言ってくれた相手に向かって。
本当は言うべきじゃない言葉を、思い切りぶつけてしまってる。
何故、言う前に気づかなかったんだろう。気付けなかったんだろう。
でも、もう悔やんでも……遅い。遅かった。

ぼやけっぱなしだった視界の向こうで彼女が泣きだした。
口は固く結んだまま。舞った血しぶきが床に落ちた時のように、
ぼたぼたとシーツを叩く音が聞こえてくる。
一気に背中が冷たくなって。私は。……私は。

何も、言えなかった。



逃げるように彼女が走ってドアから出て行った。
その後で、私は近くにあった枕に頭を突っ込んだ。
じわりとした感触がしたから、たぶん顔に流れていた涙が吸い込まれたんだろうって。
それは、分かった。……もう、私が出していた涙は止まってた。

なんだか、空っぽになってしまった気分だった。



~~



「……以上が、明日作る料理の内容と役割分担ね。仕込みはこの夕飯の片付け後。何か質問は?」

先程作り終えた夕食をお皿に皆で盛りつけながら、厨房の全員に明日の各自の分担を割り振っていく。
いくらパーティとはいえど、裏方というものは常に頑張らないといけないのだ。
だからこの子達には気の毒ではあるけれど、料理を作ってもらう所までは手伝って貰うつもり。

「……あの子、また来ていないですね。」
「あの子?」
「ほら、妹様の担当の。もう料理が出来あがるのに。
いつもできる直前位には来てるじゃないですか。あの子も、図書館担当の子も。」

その言葉にちらりと見てみれば、なるほど図書館にいつも運んでいるあの子は居たけれど、
その傍でいつも熱心に妹様のことを彼女に語っているあの子が足りない。
図書館の担当の子も、同じことを感じているんだろう。さっきからそわそわしている。

「そういえば、お昼もちょっと取りに来るのが遅かったんですよ。
来たら来たで、凄い勢いで持って行っちゃったんですが。」
「そうなの。」

私は見ていないからお昼のことは知らないんだ。あの子に会ったのは……昨日が最後か。
妹様の服を洗濯場へと運んでいたんだっけ。あの時は私の頭の中がその日のことで一杯だったから、
何を会話していたのかも覚えていないし、そもそもしていた会話もちぐはぐだったような、そんな気がする。
そういえばまた飴玉を作って欲しいって、言ってたっけ。

「もし来なかったら私が代わりに持って行くわ。その時は残りの作業、お願いするわね。」
「了解です。」



……結局、彼女は来なかった。図書館に運びに行った子も帰ってきて、まだ料理が運ばれて居ないのを見て驚いてた。
だから私が台車を借りて、料理を載せて。運ぶことになったのだ。

かたん、かたんと音を鳴らして進む廊下。上と違って地下へと運びこむと、
絨毯こそあるけれど、その下の床の材質のせいでゆっくり歩いても音が鳴ってしまう。
だから、この地下だけ絨毯の厚みを変えるというのは要検討なのだけれど、
部屋の絨毯と違って廊下の物を変えるとなるとそれはそれでとんでもない量で。ちょっと、現実的じゃない。

「お嬢様。夕食を持ってきました。……フランドールお嬢様?」

部屋の前について、声をかけてみる。……しかし、返答が無い。
お嬢様からは無くても、あの子から返答があっても良さそうなものなのに。
2人とも寝ていらっしゃるのだろうか。だとしたら、邪魔するべきじゃないか。
そう思って台車を引いた所で、ふと名前を呼ばれた気がして。
一度止まって、耳を澄ませてみれば、

「咲夜。」

消え入りそうな声で、そう確かに聞こえた。

「お嬢様?」

ドアからの声にそう尋ねてみれば、

「力、貸して欲しいの。」

力無い声で、そう返ってきたのだった。



「どうかされましたか。」

台車を押しつつ、静かに入ったお嬢様のお部屋。
灯りはほとんど消えていて、ベッドの傍の一本の蝋燭だけが何とか部屋の中を照らしていた。
その明かりを背に受けているお陰で顔はほとんど見えなかったけれど、
ベッドの脇に腰をかけたお嬢様は酷く肩を落としていた。

「あの子に、酷いこと言っちゃったの。」

声も沈んでる。足音すら響いてしまう部屋の中なのに、そんな部屋の中ですら消えてしまいそうな程小さな声。
私が横に腰を下ろせば、私を見上げたその眼は寂しげで、瞼は少し腫れていた。
……泣いていらっしゃったようだ。

「私で力になれますか?」
「……本当はね、私が何とかしなきゃいけないの。私のせいだもん。
けど、彼女の様子を見に行けないから。……だから、私の代わりに見て来て貰えないかな。
もしも私と会えなさそうなら、彼女にお夕飯、出しておいて欲しいの。」

少し前までなら、自分のこと以外ほとんど口にしなかったのに。
……変わったなぁって、それはあの子のお陰もあって思うようになったけれど、
真剣に考えているのだろうと思うと私には羨ましい。

「お嬢様の分の夕食はどうしますか。」
「私の分だけ、テーブルの上に頂いて置いて貰っても、良いかな。片付けは……来なくていい。」
「分かりました。……では、こちらに連れて来られそうなら連れてくれば良いんですね?」

それにしっかりと頷いて、お嬢様が近くの枕を手に取った。
思いつめたまま、それをぎゅっと抱きしめて。

「胸がね、ここまで痛くなるなんて思わなかったの。」

そう言いながら、唇の端を痕がつきそうな程噛みしめて。
……きっとレミリアお嬢様が見たならば、喜んでいただろうと思う。

「変わりましたね。」
「……変われているのかな。」
「変わってますよ。少なくとも、私から見ればですが。」

言われるままに、一人分の食事の用意を済ませて一礼する。
何を思ったのか、お嬢様まで頭を下げた。……やっぱり、羨ましい。
きっとそれ程まであの子のことを大切に思っているのだろう。
そして、勿論あの子からも。

「では、失礼します。」



進んで来た廊下を少し戻って、途中にある小さなドア。ここが彼女のお部屋だ。
上へと続く階段と、お嬢様の部屋までの丁度中間辺りにあるそのお部屋。
ここは元々、監視哨とも言えそうな場所でもあった。
今ではすっかり彼女一人のお部屋になっているけれど……たぶんそれはこれから先しばらく。
いや、ずっとそうなるんだろうと思う。

ノックをすれば、ふと中で気配を感じた。けれど、返答は無い。
もう一度ノックした後でドアノブに手を触れれば、私が開くよりも早くそのドアが開いた。

……ぐっちゃぐちゃの顔だ。どれ程長い間泣き続けていたのか分からない。
少し泣いているとか、怒っているとか。それ位は想像していたのだけれど、
ここまで顔を崩して泣いていると、なんと声をかけたら良いものだろう。

「入って大丈夫?」

とりあえずの一言をそれで済ませた。彼女は黙って頷いて、背を向けて部屋の奥へと歩き始めた。
それに続いて後ろ手にドアを閉めて。彼女がベッドの上に腰を下ろしたので、私もすぐその横へとお邪魔した。
ひっくひっくと、彼女の口から音が漏れる度にその小さな肩が上下に揺れる。
背が小さい分、余計に不憫に思えて。……うぅん。

「私、何か相談に乗れそうかしら。」

そう言えば、彼女が私を見上げた。溜まっていた涙が、ぼろりと頬を伝って落ちた。
エプロンのポケットに入って居たハンカチを取り出して目元に当てれば、
じんわりとした熱がすぐ指の下に広がって行った。

「私、お嬢様に酷いこと、言っちゃって。」

……うん?さっきお嬢様からも同じこと聞いたような気がする。

「私は。私は……自惚れてたんです。好き勝手言ってしまって、合わせる顔が無いです。
せっかくお嬢様に信じていて貰えたのに。信用していて貰えたのに。全部、全部台無しにしてしまった。」
「一体何があったのか、聞いても良い?」

話の本筋がどうにも追えなくて、そう尋ねればきゅっと彼女が口を閉じた。
言いづらいのだろう。泣いて赤くなっていた顔がその赤さを増した気がする。
だから少しでも言いやすいようにと、
部屋の中にあった水差しからコップへと水を注いで彼女に渡そうと思って。
そう思って注ぎ始めたら彼女が口を開いた。

「お嬢様を、押し倒そうと。……初めはしてたんです。」

いきなり出てきた言葉に驚いて……誤って、自分の手に水をひっかけた。
お陰でコップの持ち手までびちゃびちゃで……どうしよう。
このまま彼女に出すのも忍びないし、ハンカチは貸しっぱなし。

「でも、私には勇気が無いから。だから、振り絞って。何とかまず告白しようと思って。
……でも、そこで口から出た言葉は最低な言葉でした。それで、泣かれてしまった。
……少なくとも、お嬢様に言うべき言葉じゃなかったって。今、後悔しても遅いんですけど。」

仕方が無いからともう一個のコップへと注ごうとしたら、
たった三分の一程を入れた所で今度は水が無くなってしまった。
どうしよう。どっちを渡すのも気が引ける。

「……使いますか?」

彼女が自身のポケットからハンカチを取り出して私に向ける。……あるなら使えば良いのに。
そう思って貰ったハンカチで濡れたコップを拭いて彼女に渡せば、ゆっくりとではあるけれど飲んでくれて。
嗚咽の中で激しく上下していた肩は、少しずつではあるけれど収まって行ったのだった。



「どうしよう。」

涙や嗚咽が止まってしまったその後で、彼女はすぐに顔をあげた。
涙の走った跡があっちやこっちへ走っているお陰で、
顔がぐちゃぐちゃであることに全く代わりは無かったけれど……強い子ではあると思う。
お嬢様も、いつぞやはそういう風に評価をしていたっけ。
あれは確か、妹様が暴れて……そして敗れた日か。

「貴女はどうしたいの。」
「私は……お嬢様に笑って欲しいんです。」

笑って欲しい、か。



~~



なんて言おう。どう言って謝ろう。その言葉がどうにも決まらない。
謝らなくちゃって、そんな気持ちは胸の奥にさっきからぎゅっとなる程一杯ある。
けれど、それでも未だに何を言えば良いのか、分からない。

今どんな状態なんだろう。咲夜が部屋を出て行ってからかなりの時間が経った。
けれど、咲夜は戻って来ない。あの子も、来ない。見捨てられてしまっただろうか。
それとも、あの子が今とても話せる状態じゃないということだろうか。

全部、私が悪い。受け止められなかった私が悪い。
彼女が言おうとしていたことは、あの言葉の先にあったのに。
私はただその言葉だけに……あぁ、どうしよう。
理解されたかったら理解しなくちゃいけないって、自分でも分かっていたはずなのに。
もう繰り返しちゃ駄目なのに。

やっぱり、私は変われていないんじゃないか。
成長できていないんじゃないか。

……駄目だ。さっきから考えが全く前に進まない。
じゃあ私は何をしたいんだろう。
私がしたいのは……。



それから、どれだけの時間が経ったのだろう。
こんこん、という音が静まった部屋の中に響いて顔をあげた。
最後までテーブルの上にほかほかと湯気をあげていたスープも、
もう既に静まり返ってしまっている。

「……私です。」
「……うん。」

彼女の声が響く。それから少ししてドアがゆっくりと開いた。
切り出すべき言葉を結局私は見つけることができなくて、ただ彼女を手招きして。
いつも使っているテーブルの向こうへと、彼女を座らせた。
彼女は見上げるでもなく、見下ろすでもなく。ただ、私のことをじっと見ていた。

「言いたいこと、あったんですけど。……いざ前にしてみると、言えないものですね。」
「……う、うん。」

きっと、ここで言わないといけない言葉はごめんなさいって言葉なんだろうって。
たぶん誰に相談したって、そう返ってくるんだろうと思う。
自分だってそれは分かってる。分かってるつもりなのに、喉から先に全然出てこない。

怖いからだ。今ここで彼女を前にして。
許して貰えなかった時のことを考えたら。首を横に振られてしまったら。
謝らないとそもそも先に進むことだってできないって、分かっていても。
たったそれだけで、喉から声が出せなくなってしまっている。

私は、確かに変わったかもしれない。
でも、それはただ弱くなってしまっただけなんじゃないだろうか。
ビクビク怯えるようになった、それだけじゃないのか。

「ご飯、まだ食べていらっしゃらなかったんですね。」
「うん。」

だって、たぶん貴女も済ませていないから。
できるなら、また一緒に食べたいから。

……あぁ、そうか。私は一緒に居て欲しいんだ。この子に。傍に。横に。
私が何をしたいか、なんかじゃない。この子に、居て欲しいだけなんだ。

「さっきは、ごめんね。」
「い、いえ。私の方が……私が原因ですから。……ごめんなさい。」

分かったら、今度はすんなりと言葉が出た。
色んな言葉に詰まって苦しかった胸の中がふわりと軽くなって。
溜息を吐いたら、疲れてしまっていたのかちょっとだけ眩暈がしたけれど、
気持ちだけは少しスッキリしていた。

「……怒って、ないですか。」
「自分には怒ってるよ。」
「……私も、そんな感じです。」
「ねえ。もし良かったら。……一緒に食べない?」
「そうしましょうか。……持ってきますね、私の分。」

彼女が笑って、立ち上がる。
……うん。やっぱりこれなんだ。この顔を見て居たいんだ。

「ちょっと待って。」

思い立って立ち上がって、部屋を出ようとしていた彼女を呼びとめた。
不思議そうな顔で私を見つめる彼女に歩み寄って、その肩を引き寄せた。
……抱きしめると、体はとっても温かかった。顔も熱くて。
眠たくなってくる程、私の胸の中も温かくなっていて。

「私も、好きだから。……さっきは、ありがとう。」

心地よい、ふわふわした気持ち。



~~



大丈夫だろうか、また何か起きてはいないかと、あの子を送り出した後も気になっていた。
だから、じっと時間の許す限りに妹様のお部屋のドアを遠くの陰から窺っていた。
廊下は非常に静まり返ってしまっていて、手に握った懐中時計の音すら私の耳に聞こえてくる。
台車に残っていた料理はもう、冷めきってしまった。
ひょっとしたら、ドアの向こうの雰囲気も冷たくなっていやしないかと……そう、思ったりもした。

後どれだけ長針が動いたら時間を止めて中の様子を窺おう、と思っただろう。
けれど、あの子がお嬢様のことを想っているんだろうって思うと、それは憚られた。
だから結局、踏み出す事もできず、帰ることもできず。……見守るしかなかった。

そわそわして、そわそわして。
……なんでこんなにそわそわしてしまうのだろう。
行儀が悪いながらも、陰の階段に座ってそうやって考え始めて少しして、
懐中時計の音の代わりに重たげなドアの音がゆっくりと響いてきた。

ちらり、と廊下の陰から覗きこむ。
とっても、赤い顔だ。けれど、血が出ている訳ではない様子。
あまり良く見えないけれど、どうやら泣いてもいない様だ。……上手く行ったのかな。

「良かった。」

気が付いたら、そう口走っていた。



地下へと続く階段からの帰り道。その階段の出口に気配を感じ、
残してきた厨房の子達が用事でも持って来たのかと思って急いで駆けあがれば、

「あぁ、咲夜さん!」

そこで待っていたのは図書館の給仕をしているあの子だった。
……何故か、先程の私の様にそわそわした様子で立っている。

「どうしたの?」
「わ、私の友達の……あの、えっと、ほら。妹様担当の子、どうしたんだろうなって。
それが心配で心配で。だ、大丈夫でしたか?」

言いだしたかと思えば、はらはらした様子で落ちつきない。
きっとあの子とは仲の良い友達なのだろうと、そう思うとやっぱり羨ましい。

「ええ。明日にはまた会える位だと思うわ。……大丈夫よ。」

私の言葉を聞くと、パッと顔を明るくした。
……今度は、はらはらというよりるんるん気分という言葉が似合いそうだ。
どうやら満足してしまったらしく、そのまま廊下を跳ねるようにしながら帰ってしまって。
私はそんな彼女の背中を見送りながら、明日の予定のことを思い返していた。



「お疲れの様ね。」

とぼとぼと、一人考えながら歩いていた廊下で後ろから声をかけられた。
振り返ってみれば、パチュリー様がお風呂上がりの姿でそこにゆったりと浮いていた。

「ええ。年末ですから。」
「レミィが貴女の悩みごと、心配してたけど。それは解決したのかしら。」
「いえ、まだ完全には。……まだ気持ちが揺れている感じと言えば良いのでしょうか。」

完全なんて程遠い、本当はほとんど解決していない。
でも足がかりはやっとできた。……パチュリー様には言えないけれど。

「そう。手助けは必要?」
「……まだ、分からないです。もしも必要になったら、お力を貸していただけますか。」
「勿論。それじゃあ、ね。明日のご飯、楽しみにしておくわ。」
「皆で腕を奮いますので。……おやすみなさいませ。」

……でも、例え触れ合うことに慣れたとして、その後私は何をしたいのだろう。
パチュリー様の使いの図書館のあの子は、強硬手段に訴えるしかないって、言ってた。
妹様のお付きのあの子は、押し倒したかったなんてこと、言ってた。

私には、とてもできそうにない。
あの子と私、何が違うのだろう。代償にする居場所の大きさなのだろうか。
あの子がもしも今の場所を失うことになったとしても、彼女の働く先は幾らでもある。
名誉挽回のチャンスだって、沢山ある。でも、私はどうだろう。
私がもし、今のこの立場を失ってしまったら、
私は一体どこに行けば良いのだろう。そもそも、館の中に居場所はあるのだろうか。

……結局、私はそれが怖いんだ。

私の、目的ってなんだろう。
……やっぱり、誰かと深い関係になりたいってことなのだろうか。
自分自身で後腐れない方法だとか言っていても、やっぱり根幹はそんなものなのかな。
羨ましくなってしまうんだもの。……だから、たぶん。そういう相手が、欲しいんだ。

私は……進めているのかしら。



~~



血が体の中を流れているから、顔は赤くなる。
そういうのがハッキリ分かる程、彼女の顔は赤かった。
皮を剥いてしまったものばかりしか食べない林檎だけれど、
その顔を見ているだけで、忘れていた林檎の色を思い出したりして。

すっかり冷めてしまったお夕飯を、二人でゆっくり食べた。
どこかちょっとだけ懐かしかったけど、やっぱり温かいご飯の方が美味しいって改めて思った。
彼女は、台車を片づけに行ってしまった。
私は一人残された部屋のベッドの上でずっと天井を見上げてた。

彼女は、この後暇なのかな。
明日パーティがあるから、きっと上の階は忙しくなっていると思う。
片付けに行ったついでに何かを頼まれて居たりしないだろうか。
できれば、傍に居て欲しいから。早く帰ってきて欲しいな。、
今日は、大切な記念日だから。

……大切な記念日を、もっともっと大切な記念日にできるなら、してみたい。
私には一日一日の正確な切りかわりの時間なんて分からないけれど、
今日眠りについてしまうまでの、その残り時間がもうあまり無いってこと位は分かるから。
だから、その間の短い時間だけでも……。



「ただいま戻りました。」
「おかえり。」
「上の階、もう明日の食事の仕込みやってるみたいです。
……良い匂いだったので、食事をした直後ではあるんですけど、楽しみです。」
「明日はちゃんと、楽しんできてね?」
「……はい。」

彼女にはしっかり明日を楽しんできて貰う約束はしている。
かなり前に決めてしまった約束だ。だから、本当は今日は長く引きとめるべきじゃない。
べきじゃないのに……。

「何か、顔についてますか?」

今はただ、本当に一緒に居て欲しくて。
傍に居て欲しくて。隣に居て欲しくて。
いつの間にか、魔法にでも掛かってしまったような気分だ。
けれど、今は何だかそれが心地いい。
好きだってことに素直になっても、もう恥ずかしくないんだ。

「あのね、この後……暇かな?」
「ええ。大丈夫ですよ?」
「あのね……今日ね、一緒に眠らない?」

彼女が眼を丸くして、くるくると部屋の中を見渡した。
ああ。……笑顔だけじゃなくて、変わる表情を見ているのも気分が良い。
どうしよう。今私とっても変な顔をしているんじゃないだろうか。

「この部屋に、ですか?」
「うん。……もし良かったら、だけど。」
「じゃ、じゃあお世話になります……けど、その。私あんまり寝相良くないんです。
もし……もしも蹴ったりしてしまったら、ごめんなさい。」

そうなんだ。……今日みた時、凄くゆったり寝ていたんだけどな。
日によっても違うものなんだろうか。でも、このベッドならたぶん大丈夫だろう。
一人で寝るにはとんでも無く広いし、二人で寝るにしてもかなりゆったり眠れるはずだから。
それに、もし寝相が悪かったとしても、それを見てるのはきっと楽しいことに違いない。
ただ寝顔を見ることでさえ、きっと私には嬉しいのだから。

着替えを持ってきますと、彼女が笑って、てってと床を鳴らして自分の部屋へと駆けて行った。
準備しなきゃ!って思って、自分のベッドを整えながらふと気付く。
枕が一つしかない。しかも、まだ涙でびっちょりしているのだ。
……裏返せば、なんとかそっちはまだ乾いている。
でも、1個しかないことには変わりが無い。
……良いや。これは彼女に使って貰って、今日は私は自分の腕で。

私はどっちかなぁ。右かな?左かな?ドアが近い方が彼女は便利かな。
きっと明日も私より早く起きてしまうんだろうな。
……うん。じゃあ、私はこっち。

毛布、要るかな。もう一枚あった方が良いのかな。
考え出すときりが無い。なんだかさっきまで落ちついていたはずなのに、
気がつくと胸の中はドキドキしているし顔も熱い。



夜中に何かあった時に彼女が動きやすいよう、
ベッドから少し離れた所にある燭台の蝋燭を新しいものに替えた。
それ以外の物を全部消して、ベッドの上で待つことしばらく。
中々帰って来ないなぁって思って見た時計は、全然針が進んでいない。
壊れてるのかと思ったけれど、じっとじっと見てみたら……ちゃんと秒針は進んでる。

「お待たせしました。」

小さなノックの音と一緒にドアが開いた。
着替えを持って来た彼女が部屋へと入ってくる。
ああそうだ。私も服を着替えなきゃって、やっと気付いて。
慌てて服を脱ぎ始めたら、彼女が横に座って私の腕から袖を引き抜いて行った。
けれど、いつものように服を脱ぎ終えた後、彼女は私の服を持ってきてくれなくて。
ただ、私のことを見てにっこりと笑ってた。

「寒いから、早く着替えよう?」
「すいません、つい。」

冷え始めた背中をベッドに預けてそう言えば、彼女はやっぱり私を見てただ笑うだけで。
それから何故か、服を脱ぎ始めた。ああ、ついでに自分の分も着替えるのかなって、
そう思ってみていたけれど、彼女は脱いだ服を畳んで隅っこに置いた後、やっぱりこっちを見て笑うのだ。
にじりにじりと寄ってきて、てっきりまだ脱いでないものがあったかと思ってぱっと足をあげた。
……靴下もちゃんと脱ぎ終わっている。もう残っているのは下着位だ。

「下着も着替えるの?」
「いえ。……あの、お嬢様。」
「うん。」
「こ、この格好で寝ちゃ駄目ですか。」
「……寒くないの?」
「え、えっと……その。寒いです。……あの、えっと……うぅ。」

何か、言いたげだ。
じっと見て居れば、もじもじし始めて。
そこでやっと、自分の着替えが未だに用意して貰えない理由を何となく察した。

「えっち!」

私がそう、少し大きな声で言えば、彼女の顔がかっと熱くなった。
……どうやら図星だったみたいだ。
でも、どうしたもんだろう。どうしたら良いかが分からない。
そりゃぁ、ベッドの中でくっつけば温かいのは温かいんだけど、
きっと彼女がしたいと思っているのはそれだけじゃないと、なんとなく分かる。

……彼女が言いだしたのだから、彼女の方が分かって居るだろうか。
それなら、それで良いのかなぁ。たぶん私がしなきゃいけないことは、
ここでうじうじと悩むことではなくて。

「……おいで。」

そんな、一言をかけることなんだろうなって。



飛び込んできたほっぺは、私の胸には熱かった。
抱きしめた背中は、私の手には冷たかった。
あまりお世辞にも分厚いとは言えない毛布の下で、ぎゅっと抱きしめた彼女の体はやっぱり軽かった。
背中にベッドを感じ、上から彼女に乗って貰っても、まるで毛布が一枚増えただけのよう。

「お嬢様。」
「うん。」
「寒く、無いですか。」
「……ちょっと、寒いかな。でも、良いわね。」

彼女の肌がやわらかくて、気持ちが良い。
彼女の肌があたたかくて、気持ちが良い。
笑いかけてくれる彼女の優しい笑顔が嬉しくて、
お互いの心音が少しずつ重なることが嬉しくて。

眼を閉じると、溶けて行くような。そんな感覚。

「お嬢様。」
「……好き。」
「私もです。……重くないですか?」
「心地いい。寝返りはできないけど、眼を閉じてじっとしてたらそのまま朝になってしまいそうな位。」
「……では、もう少しだけここでこうさせて下さい。」
「うん。好きなだけ、居て良いから。」

好きなだけ、居て欲しいから。



~~



お嬢様が笑ってくれる。お嬢様の笑顔が私に向けられてる。
そう思うと、胸の中がすっごい熱くて、熱くて。
頭の中がぐっしゃぐしゃに溶けてしまいそうで。
いつまでも見て居たくて、いつまでも笑って欲しくて。

私はこの笑顔が好きだ。大好きだ。
だから、この笑顔を皆にも知って欲しくなって、頑張らなくちゃって、そう思ったんだ。
でも……でも。今はこの笑顔をただ一人でひとり占めしたくて。
お嬢様の瞳の中にただ一人だけ映りたくて。

私は、私はどうしてしまったんだろう。
嬉しいのに、何故だか切ない。

「もう少し、ぎゅっとして貰って良いですか。」
「あんまり加減が分からないんだけど……こんな感じかな。」

だから、もっと抱きしめて欲しくて。
でも、抱きしめられたら抱きしめられただけ、悲しくなった。



いつか、お嬢様はきっと外へ出るだろう。
それは私の願いでもあったし、お嬢様にとっての願いでもあるから。
この館は、とても小さいから。外に出たらきっと色んな物が見えるだろう。
きっとその中で、私という存在もいつかちっぽけなものになってしまう。

それは、とっても喜ばしいことのはずなんだ。
だって、それはそれだけ良い物が見つかったってことなんだから。
でも、でも。私はいつかきっと、過去になってしまう。
お嬢様の隣は誰か、他の誰かの物になってしまう。たぶん。……きっと。

「お嬢様。私、今。凄く幸せな気分です。」
「私も。……ねえ、貴女。外のことに詳しいかしら。」
「お嬢様よりは詳しいですけど、パチュリー様程じゃないです。」

いつの間にか撫でられていた後ろ髪。
すっごい、ぎこちない。けれど、ほんの少しくすぐったい。
そう思う程、優しく撫でてくれる。

「親鳥って、卵を温めて子を育てるって、言うじゃない。」
「直接見たこと無いんですけど、そうらしいですね。温かい巣を作って、そこに卵を産んで。温めて。
生まれたら、あれやこれやと世話をして、夜は敵から守ってあげて。そんな感じなんだと思います。」
「うん。……私の状況、そんな感じだなって。ここは、空気がちょっと寒いけれど、
いつも背中を預けて居られる温かいベッドって巣があるし、親鳥のように温めてくれる貴女が居る。
私が退屈してしまわないように楽しい話や美味しいご飯をいつも運んできてくれるし、
夜は寂しい気持ちから私を守ってくれる。」

……確かに、その通りなのかもしれない。
私はお嬢様の巣立ちを心待ちにして、羽ばたく元気な姿を見たくて。
楽しいことをもっと見つけて笑って欲しくて、良い相手にも恵まれて欲しい。
そして、羽ばたいていった後の生活に……私の居場所が無いことも。

「でも、違うの。私達はね、親子じゃない。貴女の立場は私の従者だもの。」
「……そうですね。」
「だから、ね。これは違う。……よいしょ。」

そう言うと、お嬢様は抱いていた腕を離してベッドの上に手をついた。
私の体を支えながら、くるりと体を入れ替えられて。
さっきまで見えていたベッドのシーツが今度は全く見えなくなって、代わりに天井が見えるようになった。

「私が上。私が貴女を守らなくちゃいけないの。貴女はいつも私の先を考えてくれて、
今日まで私を引っ張ってきてくれた。……せめて、今日位は。私貴女に何かしてあげたいの。
何か、何か無いかしら。して欲しいこと。何でも良いから。」
「……何でもなんて言葉は使っちゃだめです。」
「どうして?」
「とっても嫌なお願いされた時、困るじゃないですか。」
「貴女はそんなこと、しないわ。」

お嬢様が私の前髪を払って、額と額を重ねた。
ちょっとだけ熱っぽくて、少し汗でしっとりとして。
眼と眼があって。……逸らせない。吐息が、温い。

「ほら、だから。」
「じゃあ、キ……今日だけじゃなくて、明日からもこうして欲しいです。」
「キスと、それと?」
「あ、キスはその……。ほ、ほら!お嬢様の大切な人に取っておかないと。」

私がそう言えば、お嬢様が眼を閉じて。
それから静かに唇を塞がれた。

その唇は少し、震えていた。
でも、さっきから顔に触れていたはずの呼吸よりはずっとずっと熱かった。
頭の中が真っ赤と真っ白に同時に染まってしまいそうで、何も考えられなくて。
しばらくされるがままに、ぼーっとお嬢様のこと、見上げていた。

お嬢様の瞼がゆっくり上がった時には、何故かその顔は少し薄ぼんやりしてて。
瞬きしたら、ちょっとだけ瞼にじんわりとした感触が走って行った。

「……苦しかった?」
「いえ、これは……分からないです。今日は色々あったからかもしれません。」
「そっか。明日はパーティだもんね。……そろそろ、寝よっか。」
「お嬢様。」
「……うん?」
「……有難うございました。」
「良いの。貴女だから。」

そう言いながらお嬢様が私の体からころりと転がって、
すぐ隣で私を見つめた。軽くなって息はし易くなったけれど、とたんに体は冷えて。
ちょっとだけ、また寂しくなった。

「寄って良いかな。」

お嬢様がそう言って、私は寄られるよりも先にくっついた。
眼を閉じれば、瞼に溜まって居たものがまた落ちてった。

「遠慮、しなくていいんだよ?」
「明日はちゃんと楽しみますよ。」
「……ううん。これから先のこと。今から、先の。……おやすみ。」

囁かれた言葉は私の耳には少しくすぐったくて。

「おやすみなさい。」

それでいて、優しかった。



~~



「私も今夜はそろそろ眠るわ。」

月明かりを背にしてずっと紅茶を飲み続けていたお嬢様がそう言ったのは、
ポットの中のお湯ももうほとんど無くなってしまって中身が冷え始めた頃だった。

「分かりました。明日はどの位の時間に起きられますか?」
「さぁ……今日と同じ位じゃないかしら。パーティは夕方からで良いかしらね?」

置かれたカップが小さく音を鳴らした。
見てみると、この前あの子がつけられていた口紅と同じ色のそれが、僅かに残ってた。

「ええ。そのつもりで準備を進めて居ます。メイド達も午前中はほとんど休みにする予定です。」

ほとんど、というのも休めない子達はまだ残ってる。
勿論その子達の内の幾らかは、厨房の担当の子達だ。
一人で大量の食事を用意するのはできなくはない。
けれど、彼女達の力を借りないままだと、流石に面倒臭いのだ。
何より彼女達も楽しんでやっている。……味見の関係で一番最初に食べられるからみたいだけど。

「助かるわ。それじゃ、お願いする。今年も無事に成功させて頂戴。」
「かしこまりました。……それでは、おやすみなさいませ。」
「ええ。おやすみ。」

そんな彼女達も、明日のパーティが終われば少しの間お休みだ。
片付けは私が代わりにするからだ。どうせ皆酔っぱらってしまうから、
皿や包丁を洗うにはとても危なすぎるのだ。だからそれは、私の仕事。
いつも少し寂しいけれど皆が皆満足してくれているのだから、私はただ、それで良い。



パーティの前日とあって、まだ夜も早いのに館の中はとても静かになっていた。
唯一話声が聞こえたのは、皆が使うお風呂場の前位なものだった。
毎年いつも通りの、穏やかな前夜である。
そんな中で、私は外に出て門へと来ていた。
当然のように灯りがついたままの詰め所へと入れば、
隅の方ですやすやと眠っている子達の少し手前で、
三人ほどが肩を寄せ合ってお茶を飲んでいる所だった。

「お疲れ様です。」
「お疲れ様。……美鈴はまだ外かしら?」
「はい。さっき交代したばかりなんです。」
「そう。ありがとう。」

外、か。どうしてこう話すような用事がある時に限ってこう、寒い方に居るのだろう。
大した用事が無くて様子をただ見に来た時はいつもこっちに居るのに。
間が悪いというか……防寒具を用意してこなかった私が悪いのだけど。



「お疲れ様。」
「あぁ、咲夜さん。お疲れ様です。」
「パーティは明日の夕方からよ。恐らくは日没に合わせる形ね。上手く時間の調整はできるかしら?」

ここに来たのはパーティの開始の時間を伝えるためだ。
門を留守にする訳にはいかないから、毎回この子達には不憫な思いをさせてしまう。
勿論それは美鈴にも言えたことなんだけど。

「ええ。毎年のことですから。ただ、あまり食べ過ぎないようにして貰わないといけないですねぇ。」
「あら、去年誰か食当たりでも起こしたの?報告、受けてないけど。」
「いや、大体皆満腹になると満足して寝ちゃうので、一人で番をするハメになるんですよ。」

……去年は片付けの後でここにやって来たら、
美鈴だけを残して残りの皆は詰め所の奥で団子になって眠っていたっけ。
眠ったまま毛布の引っ張り合いをしていたから、館から追加を持ってきたりして。

「そう。……まぁ、無理でしょうね。」
「でしょうね。咲夜さんのお料理ですし。まぁ、それならそれで良いんです。お嬢様はもうお休みに?」
「ええ。ついさっきね。妹様も今頃は眠っていらっしゃるんじゃないかしら。」

振られた話題にただ合わせ、思い出したついでにそう答えれば、
ずっと月を見上げていた彼女がこちらを向いた。

「どうなんです?最近は。ここだと、あんまり分からないんです。
前みたいな刺々しい気はもうここからじゃ感じないんですけど。」

ここの子達は妹様を苦手としている子ばかり。勿論彼女もそれを知っている。
だから、毎度毎度この話題にはとても敏感だ。

「ゆっくり一歩一歩って所かしら。館の子達も姿は見えなくても少しずつ慣れてきてはいるみたいね。
最後の一枚の壁になるのは、恐らくここの子達になると思うわ。」
「そう、ですね。でもどうしたものでしょう。私もできる限りのケアはしたつもりなんですが。」
「分かってる。お陰でここの子達も今は笑って過ごせているんだから。問題は……実際会った時ね。」
「ええ。」

ここの子達は、大体が逃げられなかった子達なのだ。
腰を抜かしてしまったり、怖すぎて動けなかったり。
友達とはぐれてしまったり、置いて行かれてしまった子達。そして、被害を受けた子達。
……直接恐怖を体感した子達だ。まず普通に会話させるのは難しいだろう。

「私達、急ぎ過ぎてたりしないのかしら。」
「分かりません。でも、長く続けるべき体制ではないでしょう。」

私達はどうこの子達と妹様との間を取り持ってあげれば良いのだろう。

「案外、何もしないのが良いのかもしれないですね。」
「どうして?」
「教えたり、何かをやらせて治るものじゃない気がするんです。
だって、結局はあの子達自身が妹様を認められるかどうか、ですから。」
「それはそうなんだけど。」

今のままならばきっと、認めるよりも先にこの子達はきつく瞼を閉じてしまうだろう。
間に立って何かをするにしても、置いていかれてしまったこの子達のトラウマを変に想起させてしまわないか。
それが……心配で。

「確か、お付きのメイドさんが頑張っているんですよね?」
「ええ。とってもね。お嬢様も期待してくれているわ。」
「たぶんその子から館の子達へと伝わった様に、
今度は館の子達からこの子達に少しずつ伝わってくれると思います。……ただ。」
「ただ?」
「その子、背負う物が多過ぎますよね。皆で支えないと、折れてしまわないか……私には心配です。」

そういえば皆妹様のケアとここの子達のケアのことばかり考えていて、
あの子自身の心配をすることなんて、ほとんど無かったな。
心配をかけさせない位あの子が強かったから、というのはるんだけど。

「そうね。全部、任せきりだものね。でも元気そうでは……あぁいや、今日は泣いていたわね。」
「ですか。」
「妹様とちょっと行き違いがあったみたいでね。でもそれはもう解決した……と、思うんだけど。」

台車を片づけに来た時も眼は腫れていたけど笑っていたし……あくまで推測だけど。

「まぁ、ここに居てそわそわすることが無いということは、妹様も落ちついているということなのでしょう。
そういえば、明日はパーティですけどその子は参加するんですかね?」
「分からないわ。ひょっとしたら参加しないかもしれない。妹様を担当してきた子は、大体そうだったから。」

確か去年も、その前の年も。私はいいですって言ってたっけ。
昔はそもそも監視の役目が強かったから、参加の権利も与えてあげられなかったんだけど。

「参加していたらしていたで、話を聞いてみるのも良いのかもしれないですね。」
「そうね。」
「ところで、咲夜さん。」

急に名前を呼ばれて頭を撫でられる。少し冷たい。
……そう思ったら髪の毛に乗っていたらしい雪が音を立てて落ちて行った。
いつの間に積もって居たのだろう。

「最近ちゃんと、休んでいますか?この前ここに来た時より疲れていらっしゃいませんか?」
「パーティの準備があったからね。」
「……私に相談できることでしたら、是非。」
「……なんでこの館の皆はこう勘が良いのかしらね。」

思えばこの子相手に今までハッタリが効いた試しがほとんど無い。
本人曰く私だけじゃなく他の誰が相手でも嘘は分かりやすいらしいけれど、
見透かされた様に言われてしまうとやっぱり……もやもやする。
けれど、少ない言葉でも理解してくれようとしてくれるから妖精達からは少し人気なんだっけ。
勿論それも分からない訳じゃないけれど……。

「ありがとう。でも、まず自分で何とかするわ。
相談したいって思ったら、その時にまたお願いするから。……それじゃあ、また明日ね。」
「分かりました。おやすみなさい。」
「おやすみ。」

……この悩みもそろそろ、ちゃんと方向性を決めないといけない。
皆に心配をかけてばかり居るようじゃ、駄目だから。



~~



一人うとうとと夢の中へと歩いていたら、こんこんという音で現実に引き戻された。
誰だろう。そう思って体を起こしドアを見れば、また再び誰かがノックした。
……少なくともパチュリー様じゃないことは、分かった。
夜中にもしも急いで用事がある場合、パチュリー様はドアをあまり叩かない。
壁越しにもう少し必死なノックをしてくるのだ。
急いで居なかったとしても、大体数回のノックの後に入ってくる。
となると……もう相手は一人しか居ないか。

「どうぞ。」
「……ごめんなさい、起こしてしまったかしら。」

静かにドアが開いて、立っていたのは咲夜さん。
部屋の灯りをほとんど落としていたからか、申し訳なさそうにしている。

「いえ、丁度寝ようとして部屋を暗くしていた所だったんです。」
「また今度の方が都合が良いかしら。」
「いいえ。今でも大丈夫ですから。」

こんな時間に来るのは珍しい。
パーティの前日だから準備で手伝って欲しいものがあるのかもしれないけれど、
仮にそうだったとしても先に計画を立てる咲夜さんがこんな時間に助力を求めることはまず無いのだ。
だから、よっぽどなのだ。何か言いたいことがあったから、来ているのだ。
いきなり切り出さない辺り、本当は今聞いても明日の朝聞いても同じなのだろうけれど、
早いなら早い方が咲夜さんには良いだろう。……それは勿論、私にとっても。

「どうされたんです?」
「……け、今朝の続きをお願いしたくて。」

……今じゃなくても明日でも明後日でも良いじゃないですかそれ!

「良いですけど、何かあったんですか?」

開いていたドアを静かに咲夜さんが閉めた。
残していた灯りがドアの動きに反応して揺らめいて。
僅かな灯りに映しだされた咲夜さんは、じっと私の首辺りを見つめてた。

そろりそろりと、咲夜さんがベッドに近づいて。
ベッドの隅から上がったかと思えば、靴を脱いでにじり寄ってくる。
今にも抱きついてきそうで……仕方が無しに両手を広げてみれば、
一度深呼吸した後で、ゆっくりと抱きついてきたのだった。

「貴女、妹様のお付きの子のこと、知ってる?」
「ええ。多少は。……妹様のことが好きらしいですね。」

そういえばあの子は上手く行ったのだろうか。
いつもご飯を運んでくれるあの子が少しそわそわしていたから、
ひょっとしたら館の方で何かあったのかと心配だった。
騒ぎにはなっていなかったから、恐らくは上手く行ったのだろうけれど……炊きつけたのは私だから。

「そうなの。……今日ね、彼女告白したみたい。」
「……どうなりました?」
「たぶん、今頃こうやってぎゅってしてるんじゃないかしら。」

背中に添えられていた手が少し締まって、冷えていた咲夜さんの足が私の足へと触れた。

「ぼーっと、してくるわね。」
「お疲れなのでしょう。」
「さっき美鈴に会ってきたの。同じこと、言われたわ。皆に心配をかけるのが私の役目じゃないのに。」

本人は落ち込んで言っているのだろう。
けれど、どうにも咲夜さんの返事の言葉、首と髪の毛にふわふわ触れてくすぐったい。
笑ってしまったら怒るだろうから、できないんだけど。

「あれから、少し独りで考えたんだけどね。私どうやらこの館の中で一番わがままみたい。
……お互いに触れ合うほどの深い関係は、やっぱり欲しいの。
でも、今の立場を失うのは嫌で、皆には心配をかけてばかり。
貴女に至っては、こんなにまで迷惑をかけてしまっている。」
「私は最初に咲夜さんがここに来てその話をした時、甘えたいのかなって、そう思ったんですよ。」

私の言葉に、咲夜さんが顔をあげて私を見て、それから少し笑ってまた胸元に顔を預けた。

「甘えたい、か。……そうね。うん。……そう。甘えたいし、甘えられたいの。
貴女に甘えてみて、凄く心地よかったの。だから、また来てしまった。」

今もしパチュリー様が入ってきたら、完全に浮気扱いだなぁ、これは。
大声で話している訳でもないし、隣の部屋から音が聞こえている訳でもないから心配は無いんだけど。

「だから私に甘えて、それが相手にとって心地が良いのなら。それはきっと喜ばしいことだと思うの。
たぶんその時は、私も心地が良いから。あの子達との……」

この館の中ならば、適当に石を投げてみても咲夜さんに甘えてみたい子に当たる気がする。
本人は気付いていないのだろうか、それとも気付けないのだろうか。
それとも妖精の子達は咲夜さんには迷惑をかけまいとしてそういう素振りを見せないんだろうか。
図書館ばかりに居るから……思えば、咲夜さんとあの子達の関係を上司と部下という関係以外に私は知らないんだ。

「思い出したわ。……私、そもそも考えてたことがあるの。」
「何でしょう。」
「私と、皆の距離。私は皆に近い存在なんだろうか、遠い存在なんだろうかって。
あの子達と話をしていて、そう考えてたの。結構、遠くの存在だって、思われてたみたい。
私からするといつも皆一緒に居る子達なのに。ちっちゃい、大きいって差は確かにあるわ。
でも……ね。……そう。だから、私は彼女達のことを知りたくなって。……ああ。」

小声だったとしてもいつもハッキリと喋ってくれる咲夜さんが、
段々と言葉を濁らせて聞こえない声で呟いて。

「寂しいんだ。私。……遠く感じて、寂しかったんだ。」

そう言ったかと思えば、急にぎゅっと咲夜さんの腕が締まった。
締めつけられた胸が苦しくなって、顔を覗きこめば涙が溜まってた。
流石に寝る前とあって服にもうハンカチは入って居なくて、仕方なく指先でそれをすくって。
でも、結局眼を閉じた咲夜さんの目尻を伝って涙が落ちて行った。

ぱたぱたと、ベッドのシーツと私の服が慣れない音を響かせる。
溢れるように出て来て、でも声は出さなくて。
ただ肩を震わせながら、じっとしていた。



相手がもしもパチュリー様だったら、たぶんこういうことを考えているんだろうなって、どんな時でも分かる。
いつもご飯を運んでくれる給仕のあの子がどういう話題を好んでいるのかも、分かる。
それは日頃から沢山お話をしているからだ。
けれど、咲夜さんのことは未だに余り分からないでいる。
話も沢山するし、笑う時は笑う。怒る時には、怒る。
……でも、咲夜さんの意見というものを聞いたことというのはあまり無いのだ。
客観的な意見を述べてくれることはあっても、主観的な言葉があまり見えなくて。
たぶん、一番咲夜さんのお腹の中のことを察しているのはお嬢様なんだろうけれど……
この前咲夜さんのことで相談しにきたのは、そのお嬢様だ。
ひょっとしたらこういうことになるって、予想していたのだろうか。
あの時は、大したことになりそうにないって言ってたけど……これは違うんだろうか。

……寂しい、か。大切なものを失ったりするとそう感じたりするけれど、
私の生活は色んな物が溢れるばかりだから。……滅多に、感じることがないんだ。
きっとそれは、この館の住人皆同じなんだって思ってた。
この館の外の事情なんてほとんど知らないけれど、私はこの館がこの世界で一番やかましい場所だって思っているから。
図書館に勤めていて言う言葉じゃないのかもしれないけれど。

咲夜さんはまだぎゅっとしてくれている。
だから、それに答えようと私も少し強めに抱き返した。
朝の様な反応はもう無くて、ただ背中に当たる爪が少し痛くて。
そんな中で触れた咲夜さんの髪の毛は、ふわっとしてて、少し冷たかった。
そういえば、美鈴さんの所に行っていたんだっけ。
少しだけど、濡れた感触もある。私はそんな髪を撫でながら、しばらく頬を寄せていた。

でも、そんな咲夜さんも、しばらくするとぴたっと泣きやんだ。
てっきり、時間でも止めたのかなって思ったけど、私には知りようが無い。
とりあえず声をかけようかと思い口を開けば、

「……ありがとう。」

と、小さな声で咲夜さんはそう呟いていた。

「大丈夫ですか?」
「少し、落ちついてきたから。」
「……無理して、我慢していませんか?」

そう言えば咲夜さんの言葉が詰まった。
聞いてくれるなとばかりに背中の服が掻かれた爪でがりりと音を立てた。

「咲夜さん、明日の朝まで時間はありますか?」
「……ええ。色々考えるにはたっぷりある。」
「今日はもう、考えないようにしませんか。お体に障ります。」
「駄目よ。問題を浮かせたままにしておくと、皆に心配ばかりかけてしまう。」

どう言葉をかければ良いんだろう。
こういう時にパチュリー様をとても頼りたくなる。
でも、これは私が咲夜さんから秘密で頼まれていることだ。
だから、相談するなんてとてもできないし……そもそも、力が欲しいのは今この場だ。
だから、私が解決するしかない。でも、どうしよう。
私は咲夜さんに何ができる?……駄目だ、私の非力な頭じゃ慰めること以外出てこない。

「どの道策が上手に練れたとしても実行できるのは明日以降ですよね?だから、今日はもう寝ませんか。」
「そうね。……貴女も、寝なくちゃいけないものね。」
「……一緒に寝ましょう。時間、あるんですよね?」
「……一緒に?」
「ええ。そうでもしないと、咲夜さんずっと考えて居そうですから。」

そう言えば、何か言いたげだった咲夜さんの言葉がぴたりと止まった。
不味い言葉だったのかなぁと思ったけれど、ちらりと覗きこんだ顔は別にまた泣きだした訳でもない。
どこか少し、遠い眼をしていた。そういえば、抱いたりする経験が無いと言っていたっけ。
ひょっとしたら、一緒に誰かと眠る経験も無いのだろうか。

「これも荒療治の一環ですよ。だから、一緒に。」
「……お邪魔、します。」
「いえいえ。……とりあえず、服を着替えて来て下さいね。」

未だにメイド服のままの咲夜さんにそう言えば、咲夜さんはハッとしたように自分の服を見ていた。
それから、小さく頷いて。私の背中に回っていた咲夜さんの手が解けていった。

別段何かを言う訳でもなく、咲夜さんは出て行って。
かたんと響いたドアの音に、とりあえずほっと溜息を吐いて伸びをすれば、
ずきりと、背中で爪を立てられていた辺りが痛んだ。
……もしも痕になっていたらどうしよう。流石に朝には消えているだろうか。
お風呂に行く時に残って居たら恥ずかしいな。というか、変な勘ぐりをされてしまいそう。

こんこん、という音がまた響いたのはそんなことを考えてすぐのこと。
早いなって思ったけれど、きっと時間を止めたのだろう。
そう思って答えれば、すぐに咲夜さんが部屋の中に入ってきた。
……パジャマ姿だ!メイド服姿ばかり見ているからか、とても新鮮で……そしてとても変だ。
違和感がすさまじい。咲夜さんが股の分かれた服を着ているなんて……。

「……そんなに、変?」
「……新鮮です。さ、寝ましょうか。あまり時間が残っている訳でもないですから。」

そう言えば咲夜さんはするりとベッドにあがって端へと寄って。
それからひょいと背中を向けて、もそりと毛布を引き寄せた。
……私のベッドはお世辞にも大きいベッドでは無いから、遠慮してくれているのは分かってるのだけれど、
咲夜さんの居る位置は落ちる寸前の所で。そんな位置に居たら、寝返り一回で床に落ちてしまうだろう。

「もっとこっちへ来ませんか。落ちると、痛いんですよ?」
「私が寄って貴女が落ちてしまったら、申し訳ないもの。」
「私は別に端で寝るなんて一言も言ってないです。……ほら、こっちに来て下さい。」

とりあえず私も毛布を引き上げた所で、無理矢理咲夜さんの体を引き寄せた。
何故か、少し抵抗されてしまったけれど、結局私の胸の中にすっぽりと収まった。

「……重たいでしょ?」
「パチュリー様で慣れてるんです。」
「……そう。そういう、ものなのね。」

少しだけ恥ずかしそう。でも今更だ。
いつか咲夜さんにだって、そういう時が来るはずだもの。
私は少なくともそう思う。

「ええ。だから、安心して寝て下さいな。」
「……これだと寝れそうにないんだけど。」
「寝て下さい。」
「……努力するわ。」



~~



最初は逃げてしまおうって、思った。
でも、あの子の腕がそれを許そうとしてくれない。
抱きこんだ時のままの腕が、ずっとそこにはあるから。
……勿論引っ張れば簡単に外れてしまう程弱い腕ではあるんだけど、でもそれはできないで居る。

理由は単純だ。地下の二人のことを思い出したからだ。
たぶん今頃こういう感じなんだろうなって、そう思うと興味があって。
それが眼の前にあって。だから、抜けられないんだ。

頭を預けさせて貰えた胸の上は、ちょっと悔しさを感じる位に柔らかかった。
今朝思い切り頭を埋めたそこだけれど、こうしてただ乗せてみると、
自分が日頃から使っている枕よりも何だか温かくて気持ちが良い。
それに、良い匂いがする。朝よりもまだ薄くて、彼女だってちゃんと分かる匂い。

「灯り、消しますか?」
「お願いして良いかしら。」

私がそう言ったら、部屋は暗くなった。でも、あったかいまま。
少しだけ、彼女の吐息と自分の息の音がはっきりするようになった。
自分の息を止めてみると、頭を乗せたそこから彼女の鼓動が聞こえてくる。
私よりも、ちょっとだけ遅い。

「おやすみなさい。」
「おやすみ、なさい。」



寝られるだろうか。そう不安だったのは最初だけだった。
やっぱり皆が指摘するように何だかんだ疲れて居たのだろうか。
彼女の吐息が段々と規則的な物になっていくと共に、私の瞼も勝手におり始めていた。
背中越しの彼女の体は少しずつ熱を帯びて、私の日頃のベッドよりずっと温かくて。

この安心感は、どこから来るんだろう。
温もりがあるからだろうか。それとも柔らかいからだろうか。
たぶんそれは、どっちも合っている。けれど、それだけじゃない。
きっと、傍に居て貰えること……その実感があるからなんだろう。

……傍に居て欲しいって、まるで恋みたいだ。
あれ……じゃあ私はこの子に恋しているんだろうか。
いや、それは違う。たぶん、この感覚と恋はまた違うんだ。
今朝のあの調子が延々と続いて、それが今も尚続いているのだったら。
その時は、恋だって思ったんだろうけれど。今は、ちょっと違う。
こうやって、ゆっくり考えることができるのだから。

お腹に回してもらえていた手を包んでみた。
そしたらきゅっと手が締まって、首のすぐ後ろに彼女の頬が乗った。
……柔らかい。あの子の頬とどっちが柔らかいのかな。
思い出す限りは、あの子の方が柔らかかったかもしれない。

駄目だ、眠たくなってきた。
あまり明日は遅く起きられないのだけど、ちゃんと無事に起きられるだろうか。

でも今は……こうして、居たい。



~~



変な感触で現実に戻されてゆっくりと眼を開ければ、薄暗い部屋の中で時計が朝の時間を示していた。
まだ日頃起きるにはもう少し時間がある。……けれど、咲夜さんはどうなのだろう。
思えば昨晩いつ起こせば良いのかを尋ね損ねていた。元より先に起きるだろうと思っていた所もある。
いつもご飯を運んできてくれるあの子はいつご飯を食べるんだっけ。
……できる時間を考えると、大体の時間を逆算できるけれど……えっと。
まだ、もうちょっと先か。

ぴとっと、私を夢から現実へと引き戻した感触がまた体の上を走った。
胸元だ。それが何の感触なのか、実はパチュリー様のお陰で慣れ親しんでいるのだけど。
だけど、改めてそれを咲夜さんの物だと考えて顔を向ける勇気が無い。
唇の感触だ。……しかも、直接肌にだ。規則的な息が撫でていく感触まで伝わってくる。

「うん……。」

眠りが浅くて起きそうなのか、それとも夢を見ているのか。
そんな寝言が胸元から聞こえ、肌を通して私の胸の中に響いてく。
……しかし、無理に起こしてこの状態を認識すると、パニックを起こすかもしれない。
どうしたものかと、天井を見上げてみたけれど、こうすれば良いよ、なんて勿論書いてはいない。
だから仕方が無く眼を閉じて、その眠りが覚めるのを待ったのだった。

私が寝ている時に暑くなってボタンを外したのか、それとも咲夜さんが外したのか。
はたまた、偶然に外れてしまったのだろうか。どちらにしても、
はだけてしまった私の胸元、咲夜さんの頭がある所は良いにしても、他の所が少し寒い。
だから本当は毛布を引っ張り上げたかった。
けれど、そうしてしまうと咲夜さんの口が塞がってしまうから、そんなことはできなくて。
代わりとばかりに背中側の生地だけを引っ張り上げれば、
見ているらしい夢の中で何かを察してくれたようで、小さな手が私の背中を包んでくれた。

……結局その手は私には冷たかったんだけど、本人は何故か満足している様子。

「……もっと。」

とかなんとか、そんな寝言を小さな声で出したりしていた。



私の眼がどんどんと覚めていくその一方で、咲夜さんが起きる気配は全く無かった。
ちらりとまた瞼を開けて見つめた時計の針は、もう随分と進んでしまっていた。
あまりにも手持無沙汰で、これがパチュリー様だったら好き放題に悪戯できるのだけれど、
咲夜さんにそれをしてトラウマでも持たれてしまったらお嬢様から確実に怒られる。
……けれど、興味はある。どの程度ならしてみても大丈夫なものだろう。

そう思って、かつてパチュリー様にしてきた悪戯の中から、何となく笑って許してくれそうな物を思い出して行った。
……そもそも、笑って許して貰う貰わない以前に、寝たふりの上での不可抗力を装ってするのだから、
何かを奪ってしまわない限りは大丈夫だとは思うのだけど。

とりあえず寒い体を少しでも温めよう。
そう思って、咲夜さんの背中を抱きしめた。
満足げな長い息が漏れたけれど、やっぱりまだ起きないようで。
その背中をゆっくりと撫でながら、私は服の下の下着の留め具の位置を確かめて。
そして、咲夜さんの吐息に合わせながら、ゆっくりとそれを外したのだった。
衣服の中で少し引っ張って居たのか、小さな音が部屋の中を響いて。

「う……ん?」

そんな声がしたかと思えば、咲夜さんが少し大きく身をよじった。
どうやら気が付いたらしい。さて、どうなるものかなぁと抱いたまま目を閉じて窺って居れば、
急に胸元が火を付けたようにかっと熱くなった。
こみ上げてくる笑いを押し殺しつつ、背中に回していた手をゆっくりと上げていき、頭を胸の中に引きつける。
余計に顔が熱くなって……どうやら息もままならないみたいで。
冷えていた肩口が温まるまでそうさせて貰った所で、彼女の背中に回した手から力を抜いて行ったのだった。

ゆっくりゆっくりと、私の肌から彼女の体が離れていく。
どうやら起こさないようにするのに必死なようだ。……だから。

「う、ん?」

いかにもそれで起きたと言わんばかりに、小さな声を出しながら薄く眼を開けた。
逃げ遅れた体と真っ赤な顔がそこにはあった。熱病にでもかかってしまったかのように赤くて、
誰から見ても挙動不審に思える位に瞳がぶるぶると色んなところに飛んで行っている。
……何だか口から泡でも吹きだしてしまいそうな位に慌てて居た。
困って、私は仕方なく寝返りを打って寝ぼけた風を装って。
それから、お腹のあたりまで落ちていた毛布をゆっくりと引きあげたのだった。
でも、見事に勘違いしてくれたようだ。私がゆっくりとお腹の中の息を吐き出せば、
咲夜さんも落ちついたように長い溜息を吐いていた。

「そ、そろそろ時間だから。これで失礼するわね。」
「……朝の特訓は、良いですか。」
「だ、大丈夫だから。また、また今度、お願いするわ。」
「……行ってらっしゃいませ。」
「ありがとう。それじゃ。」



咲夜さんが出て行った後で、私も体を起こして伸びをした。
寝ている間ずっとふたりで居たからか、妙に寒くて未だにはだけたままの衣服を整えようと、
胸元を見てふと気付く。……何だか、違和感がある。
さっきまで濡れてしまうんじゃないかと思う程に吐息をかけられ唇で撫でられていたのに、
今は全然そんな感じが残って居ない。……でも指で触れてみれば、何だか馴染みのある感触が残っていて。
ちらりと、撫でた指先を見つめてみれば、少しだけ皮膚の色が変わっていた。

……化粧品か何かだろうか。
そう思って衣服を引っ張って拭ってみれば、どんどん生地の色が肌色に染まっていった。
なんでこんなことをしたのだろうと思って、全部拭い去った後で見てみれば、
僅かではあるけれど小さな痕がそこには残っていた。
私が起きて最初に違和感を感じてた場所でもあり、ずっと吐息がかかっていた場所でもあるそこにあったのは、
小さな小さな、キスマークだった。

……吸ってたのかな。
流石にそこまでされた覚えは無いのだけど。
これがあったから、あれだけ慌てて居たのだろうか。
撫でてみたら、ぴりっとした感触が肌の少し奥を走って。
今度会った時のことを考えると、少しだけ嬉しかった。

どうからかってやろうか、と。



~~



パーティがあるから、沢山遊ぼうと思って昨日は早く寝たのだ。
……そしたら早く寝過ぎてしまったみたいで、とんでもなく早く眼が覚めてしまって。
何だか昔友達と計画したピクニックの時を思い出す。あの日も同じ位早く眼が覚めてしまった。

館の中を歩いてみても、誰も起きて居ない。
ならば!と思ってやってきたのはお風呂場だった。
ここもやっぱり、誰も居ない。つまり……貸し切りだ!
この前も咲夜さんと二人だけで一緒に入ったけれど、それと同じ位に貸し切りで使えるのは珍しいのだ。
朝はいつも門の担当の子達が入っているらしいから。

……しかし、入ってみても話す相手が誰も居ないというのはちょっと寂しい。
だから天井を見上げて、今日のデザートには何が浮かぶんだろうなって考えてた。
この前貰ったワッフルは並ぶのかな。友達に話したらとても羨ましがっていた。
私もそのワッフル食べたかった!って。
本来食べられるはずだったチョコケーキは食べられなかったけれど、お陰で凄く得をした気分。
そんなことを考えていたら、ふっと脱衣所に気配を感じて。
ああ門の子達が来たのか、貸し切りもこれまでかって思いながら、お湯に体を沈め窺っていると、
扉を開けて中に入ってきたのはなんと咲夜さんだった。

また咲夜さんとなんて!と、そう思って声をかけようとしてみれば……何だか様子がおかしい。
もしも今足元に石鹸を滑りこませたら見事に転んでくれそうな気がする。
勿論危ないからできないのだけれど……でも、それ位に落ちつきがない。

「おはようございます。」
「え?あ、あぁおはよう。」

私にすら気付いていなかったらしい。
うーん?何だか妙に顔が赤い。働き詰めだったと聞くし、熱でも出してしまったんだろうか。
だからしばらく様子をじっと見守っていたけれど、すぐに変だと思う気持ちは確信へと変わった。
髪の毛を洗うのにお湯を汲み忘れて慌てたり、
体を洗おうとして手にとった石鹸を滑らせて床の上に飛ばして行ったり。
あげくの果てには浴槽を跨ぎ損ねてお湯に突っ込んだり。

「大丈夫ですか?」
「え、ええ。ちょっと疲れているのかもしれないわね。」

咲夜さんは私よりも随分離れた所に腰を下ろした。
だから、にじりにじりと近寄ってみれば、なんでこっちに来るのと言わんばかりの眼が私を見つめた。
……何か、あったんだろうか。思いつめているように私には見えた。
思えばこの前一緒になった時も、何かを考えていたなぁ。
あの時は良いことを思いついたみたいでそのまま出て行ってしまったけれど。
うぅん。興味がある。

結局咲夜さんは、来ないでとは言わなかった。
だから、真横に陣取ってじっと見上げた。

「この間一緒に入った時は何かを思いついて楽しそうでしたけど、上手くいかなかったんですか。」
「……そうね。失敗しちゃったわ。」

私が近づいた後、咲夜さんはほとんどこっちを見てくれなかったけれど、
さっきの私のように天井を見上げていたから私も倣って見上げてた。
……相変わらず、頭の中に浮かんでくるのはワッフルだ。何となく、模様が似ている。

そこから先私は何も言うことができず、咲夜さんは何も言わず。
気が付けば一人で居たさっきまでよりも静かになってしまっていた。
ぽたん、ぽたんと、私の髪と咲夜さんの髪から垂れた水のみが水面を叩いて揺らしてた。

ちょっとだけ、気まずい。ひょっとしてお嬢様にでもこっぴどく叱られたのだろうか。
でもそれだったらそれで、お嬢様のお付きの友達から話が皆に漏れていそうだけど。

「何か、相談に乗れないですか。」

何とかひねり出した言葉に、咲夜さんは眼を閉じてゆっくりと溜息を吐いた。

「……ひとつ、乗って貰えそうなことがあるわ。でも、それを言いだす覚悟が私には無いの。」
「何でも大丈夫ですよ?……言いふらしたりもしませんよ?」

少し笑うように流されたから、私もそうやってちょっと適当に返した。
でも、その言葉に咲夜さんは天井を見るのをやめてじっと私の目を見つめて。

「それは、貴女に本当に守れること?本当に何でもできる?言いふらさない?」

その眼はとても冷たくて、お湯であったまっていた背中が急に冷たくなった。
思わず後ずさりしそうになったけれど、お湯が固まった油のように感じて動けなくて。
私は結局その言葉に、首を縦に振ることができなかった。

「ごめんなさい。」
「……ううん。良いの。勘違いしないで。気持ちは、嬉しいから。
それに大事なのは貴女が応えられるか応えられないかじゃないの。私の覚悟の問題もあるから。」

応えたい気持ちはある。でも、応えられるかは分からない。
命のやり取りとか、痛いのとか。そういうのは……私も嫌だから。
だから、きっと首を縦に振れない。もしも、そんなことを頼まれてしまったら……。
でも、でもだ。

「何でもできるは、確かに嘘……になってしまうかもしれません。でも、秘密を守る自信はあります。
……拷問とか、されないのであれば、ですけど。は、話を聞くのも駄目ですか?
もし聞いてしまったら、誰かから拷問されてしまいそうなことなんですか?」
「一度聞いてしまったら、貴女はもう今までの気持ちで私のことを見られなくなるわよ。
……それが怖いのが私なの。その、覚悟が無いの。」
「誰かに相談をするというのは、全部そうだと思います。どんな相談だって小さくても相手への見方は変わるものだと。」
「そうね。……ねえ、本当に聞きたい?本当に……聞いて、くれる?」

あと、あと一歩。
でもこれで本当につらい話題だったとしたら、どうしたら良いんだろう。
少なくとも覚悟の要る話題なんだから、下手に応えたら少なくとも傷つくのは私じゃなくて咲夜さんだ。
けれど、今までそういうことは幾らでもあったんだ。ただ、立場は逆だった。
相談するのが私達で、相談に乗ってくれるのが咲夜さんで。
いつも私達は咲夜さんに甘えて、支えて貰って。
……自覚は、無いのかもしれない。私達にも、咲夜さんにも。
けれど、それは私達の誰でも、たぶんちょっと考えれば分かることで……皆が皆、同じ意見になると思うんだ。

「ぜひ。」

だから、そう返した。そうしなきゃいけないって、思ったから。
少なくとも私は咲夜さんがつらそうにしている顔なんて、見たくなかったから……。
そこに僅かでも、暗い顔を吹き飛ばせる可能性があるのなら。それだけで、良かった。

「分かった。……でも、ちょっと待ってね。」

そう言うと咲夜さんは眼を閉じて天井を見上げて、少しばかり大きな深呼吸を繰り返していた。
私の方はと言えば、無駄にドキドキし始めてしまった胸を押さえながら、じっとそれが終わるのを待って。



「私ね、好きな相手が居るの。それがね、一人じゃない。凄く……沢山居るの。
それはね、貴女達。この屋敷の皆。……誰か、じゃないの。皆、なの。
昔からそうだった。けれど、それを凄く最近意識するようになったの。
あの日、ワッフルを作った時から。……そうね、最初に意識させてくれたのは、貴女なのよ。
貴女……貴女達は、私といつも一緒に居てくれる。同じ仕事をする仲間としてね。
でも、いつも一緒に居るはずなのに、貴女達は私を、私は貴女達を。
必ずしも、近い存在だとは思っていないわ。きっとそれには色んな要因が絡んでる。
でもね、そういうことを考え始めたらね。……凄く、寂しくなってしまったの。
いつも傍に皆居てくれるけれど、隣には……居ないんだなって。そう思ってしまったから。
だから、この寂しさが消えてしまう程貴女達と仲良くなれたら、良いなって。
でもこの気持ちを打ち明けて、軽蔑されてしまったらどうしようって。……それが怖くて、怖くて。仕方なかった。
顔に出てたみたいね。皆から言われたの。相談に乗ろうか?力になろうか?って。
……凄く嬉しかった。けれど……その言葉が凄く、怖かったの。」

……相槌を打つ事も出来ず、かといって遮ることもできず。
頷くのも難しくて……何だかとんでもないことになってしまった気がする。
全然考えてもいなかった話題だった。
私にも分かるようにゆっくりと言ってくれたはずなのに、だ。
まるで頭がついて行けていない。……私達のことが好き。それは、分かった。
だから、仲良くしたい。これも、分かった。

でもどう答えよう。どう、応えよう。
何を返さなくちゃいけないんだ。何をしなくちゃいけないんだ。
言い終わってしまった咲夜さんは、もうこっちを見てくれなくなった。
きっと、怖いからだ。私がどんな顔をしているのかが。
嘘は言えない。そんなことをして、傷つくのは私じゃない。



どう応えるか。
それが決まって咲夜さんの肩に触れた時、咲夜さんは眼を逸らしたまま肩を震わせた。

「一つ、良いですか。」
「……ええ。」
「私は皆の気持ちまでは、流石に分からないので。だから、これは私個人の気持ちです。」

咲夜さんは私の上司。大切な私の頼れる上司で、大切な私の優しい上司で。
それはこれからも変わらない。私が咲夜さんにとっての好きな相手の中のただの一人に過ぎなくても、
私にとっては咲夜さんはただ一人なんだ。その事実は、変わらない。
本当は、それは悲しいことなのかもしれない。私にとって。咲夜さんにとって。
でもそれは、どうでも良いんだ。

「お慕い、申し上げます。」

この気持ちにもやっぱり、変わりが無いから。
それに咲夜さんはさっき、隣には居ないなんて言ってたけれど、
少なくとも私は今、隣に居る。ここに居たいと思ってここに来たからだ。

何か言いたげだった唇を、そっと塞いだ。
震えていたけれど、鼻先が触れた顔はとても温かくて。
拒まれるかなって思ったけれど、拒まずに居てくれて。……それが、とても嬉しくて。
ちょっとだけ自分の頬をつねってみたくなった。
夢じゃないかなって。……でも、覚めたら嫌だなって思った。

唇を離した時、咲夜さんは眼を閉じていた。
そんな顔を見てしまった途端、恥ずかしくなってしまった。けれど、後悔はしていない。
咲夜さんの肩から手を離して、さっきまでそうしていたように座って天井を見上げて。
ぐっと手を握りこんで、爪先をすっかりふやけた手のひらに押し当てた。
……ちょっとだけ、痛かった。



「ありがとう。」

少しして、咲夜さんはそう言った。それはとても小さな声で。
咲夜さんの顎先から落ちた水滴の音に吸いこまれてしまいそうな程。
ひょっとしたら、本当は声も出ていなかったのかもしれない。
私の想像かもしれない。……けれど、口はそう動いていた。

「もう1つ。聞いて貰って……いや、お願いしたいことがあるの。」
「何でも、良いですよ。……この流れで言えることなら。」
「眼、閉じて居て欲しい。」
「キスしてくれるんですか?」
「……して良いなら、させて。」

私が体を咲夜さんへと向ければ、咲夜さんがそっと、私の顎先に手を添えた。
眼を閉じれば、すっとその手に引き寄せられて。
温かい手が背中を包んでくれたかと思えば、鼻先が触れて。唇が、触れて。

小さな小さな、静かな時間。
唇が触れてすぐ、顎先に添えられていた咲夜さんの手は離れて、私の肩を包んだ。
さっきよりもぴったりくっついた体の向こうに、私なんかよりもずっと心臓を高鳴らせている咲夜さんが居て。
じんわりとした温かさが抱き合った間から背中へ、そして頭へと渡って行くのが気持ち良かった。

しばらく、咲夜さんは唇も離さなければ、手も離さなかった。
私はと言えば、余った腕をどうすれば良いのか悩んで、結局咲夜さんの体を思い切り抱きしめていた。
そしたら、咲夜さんも私の体をもっとぎゅっとしてくれて。
……それが嬉しかったから、私ももっともっとぎゅっとして。
もっともっともっと、ぎゅっとしてもらって。

……気が付いたら、いつの間にか唇は離れていて。ただお互いをぎゅうぎゅうに抱きしめていた。
正直腕が痛いなって思う位。でも、少し楽しそうな咲夜さんがここに居るから。
だからそれは、やっぱりどうでも良かった。

「うん。ありがとう。」

腕がしびれてきた所で、咲夜さんがそう言って体を離した。
力を凄い入れていたからか、お互い体に腕の痕が残ったりして。

「痕がなおるまでもう少し居ましょうか。」

私がそう言えば、咲夜さんはただ笑ってた。



「……いけない。」
「どうかしましたか?」

すっかり髪の毛から落ちる水滴も無くなってしまった頃、隣に居た咲夜さんがそう小さく呟いた。

「……久しぶりに長く浸かったって思ったけど、どうやら湯あたりし始めたみたい。」
「大丈夫です?」
「ええ。でも、先にあがるわね。」

そう言って立ち上がった咲夜さん。
しかし、すぐに紐の切れてしまった操り人形のように前のめりになって。
慌てて引っ張り支えたけれど、お湯の中で尻もちをついた。

「だ、大丈夫じゃないじゃないですか!誰か呼んできます!」

だから、私が動かなくちゃって。
そう思って立ち上がりお湯から引っ張り上げた咲夜さんの体は、疲れきっていた私の腕にはとても重たかった。
必死になって肩にしがみつく咲夜さんを何とか支えながら浴室を出たのだった。
ひょっとしたら、私も焦っていて分からなかっただけで、私自身も結構湯あたりしていたのかもしれない。

ずっと温まって居た私達の体に比べて、脱衣所の空気は冷たくて。
大丈夫だと思っていた私でさえ、くらりときた。
しかし一歩後ずさった時にはもう遅くて、私の肩に乗って居た重さは急にぐんと増した。

「わっ。」

なんて、言った時にはもう完全に支えられなくなっていて、
私は倒れ込んだ咲夜さんの体の下敷きになってしまっていた。

「……ごめん。」

朦朧とした声で背中の咲夜さんが謝った。
何とか出ようとしたけれど、疲れと重みでまるで動くことができなくて。

……ひどく、情けなかった。



~~



あの子達にとっては待ちに待ったパーティの日。同時にそれは急に決まったパーティの日。
彼女達の中の数人は、今日の夜の番を担当することになっていたから、
私は昨日と今日とでその子達と予定を入れ替えて代わりの番をすることにしていた。
私が夜から朝までで、彼女達が朝から昼までで。さっき、交代してきた所だ。
かなり長い時間外に居たからか、体はすっかり冷え切ってしまっていた。
今から入るお風呂の時間は私にとってはとても、とても楽しみな時間だったんだ。
けれど、いざお風呂!と、入った脱衣所では……

「……お邪魔でしたか?」

咲夜さんが小さな妖精の子を押し倒していた。

「た、助けてください!」

下に居た子はそんなことまで言っている。あぁ、襲われたのか。
咲夜さんにもそのような趣味があったんだなぁ……と、
しみじみ思いながらもよくよく見てみれば、咲夜さんはかなりぐったりとしていて。
駆け寄って引き剥がした体は既にかなり冷えていて、かろうじて開いている眼は私を見てはいるけれど、
何も反応を返してくれない。ああ、お風呂はお預けだな。
そう思いながら手近なタオルで二人の体を拭いて、その体を新しい大きなタオルで包み直して背中へと担いだ。
……思いのほか、重たい。最近は妖精の子達以外担ぐことが無かったから、久々にそう感じた。

「とりあえず咲夜さんの部屋で良いですか。」

聞こえているのか分からないけれど、そのまま廊下に出ながら尋ねれば、
咲夜さんはそのまま眼を閉じてしまって。生きてはいるけれど心配で、
廊下を二人分担いだまま駆けて行った。
流石にパーティ当日の朝とあって誰ひとりの影も無く、
走る分にも生き恥を晒さない分にもとても都合が良かった。
……けれど。

「あ、あれ?」

たどりついた咲夜さんのお部屋には鍵がかかっていた。

「服の中……なのでは。」

酷く疲れてはいるけれどまだ意識のある妖精の子が恐る恐るそう言った。
その言葉にさっと背中に冷たい汗が流れた。……服は置いてきてしまったからだ。
ちらりと見た咲夜さんはやっぱり反応も無く、私は仕方なしに咲夜さんの部屋の隣の部屋のドアの前に立つと、
怒られそうだなあという予感をしながらもそのドアを叩いたのだった。

「レディならもっと静かに叩きなさいな。……って、何してるの?それは。」

そこはお嬢様のお部屋。どうやら寝ていたらしいお嬢様が訝しげに私を見上げる。
ちらりと見た部屋の奥。……お嬢様用のベッドとあって、でかい。これなら十分だろう。

「とりあえず、この二人を休ませたいんです。」
「説明は?」
「後で。私は水をとりあえず持ってくるので、その間二人を看て貰って居て良いですか。」
「納得のいく説明が貰えるなら何でも良い。……さっさと置いて行ってらっしゃい。」

話が分かるからその辺は凄くありがたいのだけれど、やはり寝起きとあってあまり機嫌は良くない様だ。
私がベッドにふたりの体を横たえれば、お嬢様がその傍へと座って。
多少なり元気だった妖精の子の方が少しだけ体を起こしてお嬢様に頭を下げていた。



音を鳴らしても返ってくるのは自分の足音だけ。そんな廊下を走りながら駆けこんだ厨房は、
ずらりと仕込みを終えた色んな食べ物が並んでいて……見れば見る程、
今夜はもう門の方に誰も戻って来ないのだろうと思ってしまう。
そうなると少し寂しいものだけれど……。

流しの傍に逆さ向きに並べられていた水差しを手にとってちらりと覗きこむ。
すっかり綺麗に洗われていたお陰で、自分の顔が反射で見えそうな位だった。
そんな水差しに蓄えられるだけ水を淹れながらふと、考える。
そもそも何であんなことになって居たのだろう。
お風呂だから湯あたりだろうか。それとも、溜まった疲れか。
ここに来るまでに確かめておけば良かったかもしれない。
お嬢様が看てくれているから何とかなるのは、なるのだろうけど。



戻ってみれば、先程のふたりはベッドに寝かせられていた。
さっきまでふたりを包んでいた濡れたタオルは近くの椅子にかけられていて、
お嬢様はただ一人、テーブルに座ったままその光景を細い目で見ていた。
私が後ろ手にドアを閉めればただ一言、

「ノックはしなさい。」

そう言って溜息を吐いたのだった。

「はぁ。まぁ。でも、足音は聞こえたのでは?」
「聞こえる聞こえないは関係無い。マナーなんて知らないって輩を追い返すのも貴女の役目よ。
貴女がそんな様では館の印象に関わるの。」

……うぅ。相変わらずここに来る度に怒られている気がする。
それだけちゃんとした役職を与えられているんですよ!
って、同じ門の子達には言われたけれど、やっぱり言われたら言われただけへこむ。

「……寝たわ。」
「ですか。」
「ただの湯あたり。咲夜にしては珍しいわね。」

そう言うと、持ってきていた水差しをお嬢様がベッドの脇のチェストの上に置いてしまって。
持っている物が無くなってしまった私の方を見ると、すっと廊下を指さしたのだった。
表に出ろ、ということらしい。

カタン、という音を立てて閉じたドアに背を預け、お嬢様が私を見上げた。
相変わらず背が小さいからか、凄く近くに立たれた時にそういうことをされると、
非常に首が痛いのだ。それを口にしてしまうと大体次に痛くなるのは脛だったりする。

「最近咲夜と話した機会は?」
「勤務中に少し。」
「何か言ってた?」
「逆、ですかね。何も言おうとしなかったです。」
「やっぱりか。私にもそうだったからね。……湯あたりする程お湯の中で悩む位なら相談して欲しいわ。」

腕組みをしたまま聞いていたお嬢様だけれど、私の話に爪の先を咥えていた。
さっきよりも機嫌が悪くなったようで、耳をすませばかりかりという歯先に当てている音まで聞こえる。

「それ位言えない事情があるんでしょう。まぁ、深い所は一緒に居たあの子が知っているのでは?」
「聞き出せなかったわ。そういう約束を咲夜としたみたい。だから、これ以上聞くつもりは無い。
咲夜の同意があれば別だけど。……この前咲夜を問い詰めた時はここまで深刻だとは思わなかったんだけど、
もっと深く看るべきだったのかしら。」

たぶんそんなことをしても、あの咲夜さんだ。
きっと、適当にはぐらかせて煙に巻いてしまうだろう。
それでも、こういう事態に結局なってしまったから悔しいのだろう。

「ちなみに貴女から見てどうだった。」
「同意見ですよ。ただ昨日は眼に見えて疲れていました。それが祟ったのかと思いましたよ。」

私が言えばお嬢様が頷いた。

「分かった。あのふたりの面倒は私が見てから、貴女は行って良いわ。夜勤明けなのでしょう?」
「ええ。……先程交代してきました。お風呂場に行く途中だったんですよ。」
「そう。じゃあ都合が良いわ。帰りに咲夜達の服を運んできて頂戴。」

それだけ言ってお嬢様はすっと部屋の中に戻ってしまった。
私の返事を待つ前にカタンとドアが閉まって。
文句が飛んでこなかったことにとりあえずほっとしつつも、
私は踵を返してくたびれた体を休めに脱衣所へと戻ったのだった。



~~



ふたりの寝ているベッドを見ていると、溜息が出た。
近くの椅子に少し乱暴に腰を下ろして見るものの、すっかり寝入ってしまったふたりが起きる様子は無い。
運ばれてすぐの咲夜の顔はとてもぐったりとしていたが、毛布に包まってからは穏やかな様子だ。
しかしながらまだ寒いのか、妖精の子の分の毛布までもずるずると引っ張り始め、
妖精の子の方は露わな腕が片方飛び出している。
お陰さまでその子の方は穏やかというにはやや遠い顔で、安息の地を求めて何も無い所へと手を伸ばしていた。
生憎もう余っている毛布はこの部屋には無い。
包めそうなもので残っているのは、枕にするにもブランケット代わりにするにも感触の悪い濡れたタオルしかない。
まあ例え幾らこのベッドが濡れたり汚れたりしても、それを掃除するのは咲夜の仕事なんだけど。

「……はぁ。」

先程から息をする度に溜息を吐いている気がする。
自分の力で少しだけでも良い方に流れてくれることを祈ったつもりだったけれど、
逆効果だっただろうか。そもそも干渉も望まれてはいなかったし。

「ん……。」

しかしその一方で、今は少なくとも咲夜にとっては穏やかに体を休められる時間が出来ている。
それはまた一つの事実だ。素直に喜ぶも悔やむもできず、お陰で歯がゆい。

段々と奪われていく妖精の子の毛布。2人とも裸だから余計に寒いのだろう。
必死になって奪われていく毛布にしがみついていたけれど、
結局最後の一片までも丸めこまれてしまっていた。
……よくもそこまで起きないものだ。ひょっとしたら起きているのかとも疑いたくなる。
妖精の方も必死になって毛布越しの咲夜の背中にしがみつき、少しでも暖を取ろうとしている。
美鈴が戻ってきさえすれば、咲夜の部屋に毛布を調達に行けるのだけれど、
流石にそんなものを待っていたらこの子が風邪を引いてしまうだろう。
でも……うぅん。看る約束をした以上、ここを離れる訳にもいかない。

立ち上がって、一歩一歩部屋の中を行ったり来たりしながら時計を見つめる。
全く何も解決しないことは分かって居るのだけれど、かといってできることも無い。

「んぎゅっ。」

そんな変な声にちらりと視線を2人の居た方へと戻せば、最初は咲夜の姿しか眼に入らなかった。
どうやら咲夜の寝返りの下敷きになったらしく、折り重なってほぼ一人に見える。
幸い顔は出ているから窒息も無ければ多少なり温かいのだろうが、
眉には凄く皺が寄って居た。……何故ここまでになっても起きないのだろう。

「んぐぅ……ぐぅ。」

見かねてベッドまで戻ると咲夜の体を横へと移動させた。
苦しそうだからやってみたものの、今度はやはり寒そうで、寂しそうで。
面倒くさい。仕方が無いと思って咲夜の毛布を引っ張ったが……頑なに離そうとしない。
寝ているのに凄い力だ。……それ以上に不愉快そうな顔だが。

それでもひっぺがして毛布を取りあげた。
妖精の子を咲夜の子の上に置けば、寒いのだろう。お互いがぎゅうぎゅう抱きついて。
これなら大丈夫かと思いゆっくりと毛布をかければ、今度は妖精の子ごと巻き込み始めて。
器用というか、ここまで来ると少しばかり卑しさすら感じる。
まぁ寒いから仕方が無いのかもしれない。

……私は、何をしているのだろう。



コンコン、とノックの音がやっと響く。
ようやくちゃんとノックするようになったかと思えば、今度は返事を待たずにドアを開けた。

「返事は待ちなさい。」
「……すみません。これ、先程頼まれていた咲夜さん達の服と鍵です。」
「ありがとう。……その足ついでにこの鍵で咲夜の部屋から毛布を調達してきて頂戴。」

髪を拭き切れていないのか、動く度にぱた、ぱたと長い髪から絨毯へと滴が落ちている。
あれだと詰め所に帰るまでに湯冷めをしてしまいそうだけれど……良いのだろうか。

「了解です。そろそろ皆も起きてきそうですね。」
「そうね。このふたりはまだ頑なに夢の世界に行ってるらしいけれど。」

そう言えば、ベッドをちらりと覗きこんで美鈴が愉快そうに笑う。

「幸せそうだから良いんじゃないですか?」
「……今はね。さぁ、早く取ってきて頂戴な。」
「はは、了解です。」



「幸せそう、か。」

さっきよりもずっと静かになったふたりを寝かせたまま天井を見上げる。
咲夜にとっての幸せ。それは、何なのだろう。あまり咲夜は自分のことを口にしない。
話をしていてぽろりと零れる話題というのはどちらかというと美鈴の話題や、
妖精メイド達の話題、買出しに出た時に聞いてきた里の話題なんかだ。

だから、心配になるんだ。
咲夜は私の世話どころか、実質この館のほとんどを管理してくれている。
私は勿論満足だ。何かに煩わされるということからは大体無縁になったから。
未だに駄目なのは太陽の光とか、そういう物位で。
……けれど、咲夜は今の生活に満足しているのだろうか。できているだろうか。

今の咲夜が幸せそうに見えるのは別に美鈴に限ったことではない。私にだってそう見えるから。
けれど、それの要因が果たして何なのか。それが具体的に分からないことが私には寂しい。
もう少しちゃんと分かってあげられれば、少しは相談相手になれたであろう。
……相談相手、か。

コンコンという音が少し控えめに部屋の中を響いた。
思えばもう長い付き合いだ。この美鈴とも、咲夜とも、そして妖精の子達とも。
でも私がまともに相談できる相手は、今の所パチェしか居ない。
私は、成長しているんだろうか。咲夜を雇った時から。美鈴を雇った時から。
妹を、フランをあんな状態にしてしまってから……。

「……お嬢様?毛布持って来たんですけど。」
「あ、あぁ。ごめん。入って良いわ。」

ふいにかかった部屋の外からの言葉に、思わずハッとなって返事を返した。
静かに開いたドアの向こうの美鈴は少しばかり呆れた顔をしてこちらを見つめ、
そのままベッドの脇まで行くと、持ってきていた毛布をみのむしの様なふたりの上に被せて行った。

「他には何かあります?」

しばらく、ふたりの様子を眺めていただろうか。
少しして何かに納得したように首を縦に振って、私にそう尋ねた。

「いいえ。無いわ。今夜も夜勤でしょう?お疲れ様。」
「……では、失礼します。」

静かに歩いて私の眼の前まで来た彼女にそう返せば、私の返事を聞いた後で手招きして。
何かと思って耳を傾ければ、少し美鈴がしゃがんだ。

「……咲夜さんの方は眼が覚めたみたいです。」

そう、言い残して。それからドアの向こうに消えて行った。



しばらく、待った。自分から起きるだろうと思っていたから。
けど、部屋の中にあった時計の針がいくら数字を跨ごうともそんな様子は無い。
流石にそろそろ喉が渇いて紅茶の一杯も欲しくなってきた頃、私はベッドの端に腰を下ろした。

「咲夜。」
「……はい。」

ずっと黙って居たから、てっきり寝たふりでもするのかと思った。
けれど、咲夜はそのままただ眼だけをぱちりと開けて。小さな声で返事をすると私を見上げた。
体を起こそうともしたみたいだが、どうやらもう一人の子が寝ていることに気づいたらしい。
それは諦めていた。

「体はどうかしら。」
「大丈夫です。……御迷惑おかけしました。」
「構わない。服はテーブルの上よ。その子の分もね。喉が渇いているならそこに水差しがあるわ。」

そう言えば、妖精の子だけを残して姿が消えて、振り返れば着替えを終えた咲夜が居た。
鏡を見る余裕が無かったのだろうか、寝癖がまだ少し残っている。
まぁ、元々この部屋に鏡なんてものは無いのだけれど。

「報告は後でします。先に、あの子を部屋に返してきたいのですが、お時間頂けますか?」
「ええ。ついでに紅茶も。……いや、そろそろ朝食の支度をしないといけないのかしらね?
ここに来るのは片づけることを片づけてからで良いわ。」
「はい。」

いつもなら、もう館の中も騒がしくなっている時間だ。皆が働き始める時間だから。
今渇いているこの喉も、さっき持ってきてもらった水差しがあるからそれで我慢すれば良い話。

「最後にもう一つ、聞いておくわ。」
「何でしょう。」
「大丈夫、なのね?」
「……後で改めて報告しますが、大丈夫です。」

……なら、良いんだ。



~~



眼が覚めた時、部屋の中は真っ暗になって居た。
寝る前に残って居たはずのベッドの脇の小さな灯りは既に消え失せ、
暗がりに慣れていたはずの眼でさえ何も映す事ができない。
そんな中、私を抱きしめる手が背中を優しく撫でていた。

「気がついた?」

体の下から聞こえる小さな声。呟いただけと言っても良い程小さな声。
でも何の音も無いこの部屋ではそれでも十分すぎる位に響いて、
ぼーっとしていた頭が段々と冴えて来ていた。
けれど、どうせ何も見えはしないのだと眼を閉じて。

「……もう少し、こうさせてください。」
「うん。」

それだけ願い出ると、少し温いからだを抱きしめたのだった。
頭は、すっきりしている。きっと久しぶりに長い時間を寝ることができたんだと思う。
でも、まだ全然足りない。

もっとこの体に顔を埋めて、お嬢様の音を聞いて居たい。
もっとこの体にくっついて、お嬢様の熱を感じて居たい。
でも、でも。
きっとどれだけ経ったとしても、やっぱり足りないって後になって思うのだろう。
それは分かってる。しかし、止められない。

「……ねえ。どうしてそんなに寂しそうなの?」

声に出てしまっていたのか、それとも夢の中で呟いていたのか。
それは、私には分からなかった。けれど、

「この温もりが恋しいからです。」

お嬢様の仰る通り、私は寂しかった。
手のひらで押されただけで割れてしまいそうな気分だった。

「寒かった?」
「いいえ。とても、温かかったです。」
「……私は、寒かったわ。」

小さく呟いた声にハッとなって、抱きしめていた手を背中に這わせた。
……別にどこも、冷たくない。毛布から出ていた肩口は確かに冷えていたけれど、
背中も、胸も。くっついたあしも、私には温かい。……あぁ、だからか。

「冷え症なもので。」
「体じゃないよ。……ここ。」

お嬢様の手が私の背中を優しく包む。

「胸の中。貴女を抱きしめているはずなのに、何だか段々と貴女が離れていくように感じてしまう。
貴女は、ここに居るわ。私の前。私の、腕の中。昨日の夜から離してない。ずっと、ここに居る。
でも、遠くに居るように感じるの。貴女が……貴女の気持ちが。抱きしめた時から……。」

私、おかしいのかなって。お嬢様が小さく続けた。
きゅっと、抱きしめて貰っていた手が締まる。……震えてる。

「私はここに居ますよ。ちゃんと昨日から。ずっと前から。……今だって。」
「……うん。でも、そう感じるの。」

昨日の私の不安、そのまま伝わってしまったのかな。
そう思うと申し訳なくて。けれど、正直に言って怒られたらどうしようか。
またお嬢様の気持ちを踏みにじるようなことを言ってしまわないだろうか。
でも、言わなきゃ。言わなきゃ何も始まらない。
これは時間が解決してくれない。そもそも誰にも解決できないことなのかもしれない。
ただ、言わなければ。言わなければ、本当にその言葉の通りになってしまいそうで。

「お嬢様。聞いて欲しいこと……あるんです。」

……頑張って口に出してみたけれど、いつの間にか私は泣いていたらしい。



~~



やっぱり、遠慮しているんだなって。
声と一緒に溢れ出したらしい涙が肌に落ちる感触でそう確信した。

「うん。……聞く。いっぱい、聞かせて欲しい。いっぱい、吐き出して。……お願い。」

遠慮なんか、私はして欲しくない。
遠慮しなきゃいけないのは私なんだ。
皆にわがままばかり付き合わせてきた。ずっと、昔から。
そんな私に向かって、この子は遠慮してくれようとしている。……だから、して欲しくない。
やっとこういう間柄になれたのだから。

「お嬢様が傷つけた子達、今この館の中でどこで働いているか、御存知ですか。」
「きっと、門の所じゃないかなって、そう思ってるよ。」
「そうです。……あそこは、ここから一番遠いから。一番、敷地の中で安全だったから。
だからあそこの皆から認めて貰えれば、ここから出ても誰も文句は言わないはずです。」

私が傷つけたあの子達を、か。
たぶんそれは、今までやって来たどんなことよりも、難しいんだって。
それは、私にだって容易に想像がつく。
……だって、私が傷つけたのだから。

「私に、できるかしら。」
「そのために私が居ます。私が頑張りますから、絶対に。……お嬢様にとっての問題は、
その部分なのかもしれません。けれど、私が今気にしてるのはその後のことなんです。
お嬢様が気兼ねなく外に出られるようになった、その後のこと。」
「私は、貴女と一緒に歩いてみたい。」
「私もです。……きっと、色んな物が見つかります。楽しいことは勿論、楽しくないことも。
本当に沢山あると思うんです。……たぶんその中には、私よりももっともっと素晴らしい相手だって。」
「それは……。」

無い、とは言えない。言いきれない。私にはこの館の外の世界なんて分からないから。
少なくとも、彼女が言うように沢山の物があることは知っている。
沢山の人が居ることも知っている。あの魔法使いだって、その一人だったのだから。
でも……でも。その言い方はとても寂しい。

「だったら、奪われないように貴女が私の隣に居れば良い。」
「私は……お嬢様の笑顔が好きなんです。皆にこの笑顔を知って欲しいって、思ってました。
……だからもしも、お嬢様を好きな人が現れて、お嬢様もその人のことを好きになれたら。
それは、とっても幸せなことなんです。私が一番最初に願ったこと、叶いますから。
だから、私もその時は身を引かないと。引かないと、妨げになってしまう。それは嫌なんです。
……でも、離れ離れになるのも嫌なんです。」
「貴女は、少し私に優しすぎるのよ。」
「優しい気持ちにしてくれたのはお嬢様です。ただ、自分の気持ちに戸惑ってます。
……私、自分でもどうしたら良いのか、良く分かって無いんです。」

私だって分からない。そんなことを考え始めてしまった貴女に、どういう言葉をかければ良いのか。
きっと正解は無い。正解を言うには私の経験が足りない。
虚勢を張ったら重みが無い。……そしたら、彼女の気持ちには応えられない。

ただ、一つだけ確実に言えることがあって。

「それはあくまでも先のことよ。……だから、その時にまた考えて欲しいな。今は私を見て欲しい。私も、貴女を見て居たいから。」
「……優しすぎるのはお嬢様なんですよ。」
「ううん。貴女のさっきの言葉、そっくり返すわ。」

優しい気持ちをくれたのは貴女。
優しい気持ちにさせたのは貴女。
貴女が優しいと感じてくれたのなら、私はそれで良い。
貴女に優しく出来たのなら、私はそれで良い。

……とても、不安になるんだ。本当に優しくできているだろうかって。
私はまだ良く分からないことが多いから。だから、ほとんどは真似ばかり。
優しいって感じることは沢山あるから。だから、それを真似してみるだけなのだ。
こうして貰って嬉しかった。ああして貰って楽しかった。
だから、こうしてみたらこの子も嬉しいのかなって。

「お嬢様。……また、キスして下さいませんか。」

キス、か。

「私は貴女から、キスして欲しい。」
「私、上手くないですよ。」
「上手いのかどうかなんて私には分からないわ。……でも昨日は心地よかったから。」

思えばあれは、ここに閉じ込められてから初めて交わしたキスだ。
昔お姉様なんかとじゃれあってした覚えはあるけれど、それ以外では全く経験が無かった。
思えばその時にだって、唇にはしていない。頬、だった。

彼女の唇。少し震えてて、でも柔らかかった。
押したら押しただけの力を私の唇に同じように返してきて、
彼女の背中まで包んでしまうと、ふたりで1つの別の何かになれたような気がして。
眼を閉じれば貴女の中に入ってしまいそうな、そんな気もして。
頭はぼーっとしてくるのに、貴女に触れる手の感覚がどこまでもどこまでも鋭くなってた。

「して、欲しいな。」
「先にして欲しいです。」
「……分かった。」

彼女の声を辿って、そっとふれた顔。
柔らかい頬。それを伝って辿った顎は、さっきまで流れていた涙の終着点だったのか、少し濡れていた。
また顎先を引いてするのは……貴女には退屈だろうか。

「ちょっと、位置を変わろうか。」
「重たかったですか?」
「ううん。ただ、貴女の上に乗りたいの。」

貴女には、今の私を強く感じて欲しいから。

私の言葉に彼女が体をどけて。
私の脇の辺りのベッドが少し沈んだ感触を覚えて、それからそっと覆いかぶさった。
触れた体をなぞり、肩を伝って手に触れた。……小さな手。でも、私とほとんど大差ない。
力の抜けていた指の間に私のそれを滑りこませて、きゅっと握って。

真っ暗で何も映らない部屋の中だったから、正確な唇の位置は分からなかった。
手を握っている。肩がここにある。そして呼吸の音がする。だから、この辺りかなって、
そう思ってゆっくり顔を下ろして鼻先を探して。
つん、と触れたその感触を頼りにゆっくりと唇を下ろして行った。

僅かに突き出された上唇を包んで、撫であげる。
感触は昨日と同じ。けれど、昨日と違う。
昨日はとっても温かかった。そしてどこか甘酸っぱい気持ちにしてくれた。
……今日はちょっと冷たくて、それでいて少ししょっぱくて。

「泣かないで、なんて私には言えないけど。……我慢と遠慮は、しなくて良いんだから。ね?」

そう囁けば、握っていた手がきゅっと締まって、小さな爪が私の手の甲に触れた。
例えどう言葉を変えたとしても、何度説得したとしても……きっとどこかで彼女は我慢して、
きっとどこかで遠慮するのは分かってる。ただ、私はそれを望んでは無いよって。それが、伝わってくれたらなって。
……今は、それだけが伝わってくれれば良いのかもしれない。

何かを言いかけた唇。それをまた塞いで、小さな音を何度も何度も響かせた。
本当は自分でも聞いていて恥ずかしい。でも、聞いているのは私とこの子だけ。
ドアは厚いから、きっと外からじゃこんな音聞こえやしないだろう。
だから、何度も。何度でも。頬が熱くなっても、続けた。

「……くすぐったいです。」
「良いじゃない。それで、笑えば良い。その方が似合ってるもん。」
「見えないでしょう。」
「見えなくても、伝わるもん。寂しそうなのも、楽しそうなのも。
完全じゃないけど、それでもね。……そういうのを感じると、ちょっと安心するの。」
「寂しそうでも、ですか?」
「寂しそうなら、私が頑張れば良いもん。」
「……ですか。」

だから、遠慮なんていらない。我慢なんていらない。
だから、教えて欲しい。欲しいものを、教えて欲しい。
応えてみたい。応えてあげたい。応えて、くれたから。

「あの。」
「うん?」
「もっと、お嬢様を感じさせて欲しいです。」

もっと、か。……もっと激しいキス、かな。
でも、あまり顔や体に残るようなことをしてしまったら、この子がお部屋から出られなくなってしまう。
パーティに行くのはちゃんと交わした約束だ。……だったら、もっと深くすればいいのかな。

「ちょっと、顔の力抜いてね。」

そう言って、また鼻先をくっつけ、唇をくっつけ。
一度深呼吸した後で、決心して舌先を伸ばした。
噛まれるのが怖かったし、私も誤って噛んでは行けなかったから。だから、先に唇へとそれを下ろして。
握って居た手がきゅっと締まるのを感じて、それからゆっくりと舌先で唇を割って行った。

割り終わる頃には、もうそこには閉じた歯は無かった。
とっても熱くて、柔らかくて、狭い空間だった。
そんな中で彼女の舌先を探して、自分の舌先を押し付けた。
とっても、震えてた。……私の舌も、そうなんだけど。

強張って居たそれをゆっくりと慣らして、誘いだして。
彼女の唇の先まで出てきた所で、そっと私の唇で咥えた。
……今の彼女、どういう顔をしてるのかなって、ふと思ったけれど、
たぶんそんな彼女の顔よりも私の顔の方がよっぽどみっとも無い顔になっているんだと思う。
灯りがもしもついてしまったら、きっと顔から火を吹くんじゃないかって。
今ですらそう思ってしまう位、頬は熱いから。

震えていた舌先が引っ込んでしまうまで、ずっと私は唇で遊んでいた。
唇ばかりに頭が行っていたけれど、いつの間にか手の甲には彼女の爪が食い込み始めていた。
ちょっと必死なのかなって思うと、それがまた愛おしくて。

「……んく。」

小さな声と一緒に聞こえた、彼女の喉の動く音。
それを聞いて、私も同じように口の中に溜まっていたものを押し込んだ。
急に広がった、彼女の味にどきりとする。……昨日よりも、何だか少し濃い。
ひょっとしたら彼女にとっても、そうなのかな……。

「ふふ。」

私がそんなことで恥ずかしがっていること、彼女は知っているのか知らないのか分からないけれど、
ただ、笑って。それからゆっくりと私の手を解くと、ぎゅっと抱きしめてくれた。
上に居る間にすっかり冷えていた背中が凄い勢いで熱くなって、
私が体を震わせると、彼女が笑いながらもっと抱きしめてくれた。
……楽しそう。……うん。やっぱりこっちの方がこの子には似合ってる。

「もっと……。」

誘うように呟く声。温い太股が私の足に絡みついて、離すまいとばかりに私の足を取りこんだ。
どうしよう。……このままだと、一線という物を超えてしまいそうだ。
困ったことに、私にはそういう経験が一切ない。
本は、結構沢山読めたと思う。過激な本も勿論あった。
でも、……でも。そこに私は居ない。私は、登場人物じゃない。
いくら頭が知っていても、体で分からないんだ。
だって私には長い間想い人は居なかったから。……だから、分からないんだ。

私の『心地良い』は、この子の『心地良い』だ。
私の『つらい』は、この子の『つらい』だ。
私の『気持ち良い』は、果たしてこの子の『気持ち良い』だろうか。
知りたい。でも、知るのは恥ずかしい。知られてしまうのだって、恥ずかしい。
でも……知って欲しいとも思う。矛盾してるのは、分かってる。

「……お嬢様ぁ。」

眼の前に居るのに、他の誰にも聞こえないようにと囁くような彼女の声が耳に響く。
その撫でる様な甘い声が体の中を走って、温かいはずなのに背中はぞくりときて。
背中に当てられていた彼女の手が私の体を抱きしめて、そして撫でていた手が私の一枚残したままの下着へと触れた。
思わず閉じようとした足。でも、私の間にはもう、彼女の足が差し込まれてあった。

「全部脱いで、ぴったりくっついて。ぎゅーって……したいです。」
「貴女が、そうしたいなら。」
「お嬢様は……そうしてみたく、ないですか?」

耳元で囁かれている間にも、ほんの少しずつ私の下着はずり下ろされていた。
もう、ほとんどその役目を果たしていないとも言って良い位、下ろされて。
晒されたお尻が少し寒くて、私のいつも使っていた毛布はこんなに薄かったっけって。そう、思った位で。

「……ちょっと、してみたい。」

だから、貴女がぎゅっとしてくれるなら。温かさをくれるなら。
それで、良いかなって。そうやって、一々理由づけしないと私には恥ずかしくて頭が真っ白になってしまいそう。
お陰さまでずっと彼女のペースだ。でも、私には心地が良い。
それは、いつも通りで。これだって、その延長で。

「お嬢様のえっち。」
「なっ……貴女はどうなのよ。」
「私は、きっとお嬢様より少しえっちです。」

顔は見えなくても、きっとこんな顔をしているんだろうなって。
それが伝わってくるだけですら、私には心地が良いから。

「少し?じゃあ貴女には私がかなりえっちに映っているのね。」
「……少なくとも、お嬢様には私が物凄いえっちに見えてることは分かりました。」

私の手が彼女の手に導かれ、連れてこられたのは彼女の下着。
汗で少し湿り気を帯びたそれは、何だか妙に温かい。
湿り気さえなければ、冬にずっとこれ位温かいのを着けて居たいな、なんて。
彼女のそれをずり下げながら、そんなことを考えた。
少し体を起こして彼女のそれを全部引き抜いてみれば、
恥ずかしさからなのか、彼女は息を漏らしながらベッドのシーツを掻いていた。

「抱いて欲しいのよね。」
「はい。」

どこに置いておけば良いのか分からなかったから、
手探りで探し当てた私の下着と一緒にベッドの隅の方へと追いやって。
再び戻った彼女の体の上。少しだけど、心の中に余裕がでてきたからだろうか、
いつの間にそうなって居たのか分からないけれど、彼女の胸の先が少しだけ硬くなってきていたことに気づいた。
……意識してみれば、私のも同じような感じになっていた。

「……ぎゅぅ、してください。」

さっきほどの甘ったるさは無いけれど、待ちきれないとばかりに彼女が呟いた。
私は胸の中に溜まって居た物をゆっくりと吐き出すと、彼女の体に抱きついたのだった。



~~



頭の後ろに手を添えらて、足もぴったりくっついて。
身動きもできない位に抱きしめられて。
……今の私を見て、か。確かに、まだ先のことかもしれない。
けれど、その心配ごとは綺麗さっぱり無くなった訳じゃない。
やっぱり、お嬢様はきっと良い誰かに出会う。それは、絶対だ。
知って貰えれば、理解して貰えれば……この世界は確かにちっちゃい世界だけれど、
それでも私が知っているその小さな世界にすら、良いなって思える相手は沢山居るから。
だから、見つかりさえすれば。そしたらきっと、私の思った通りになるだろう。

……ただ、少し安心した。お嬢様の中で過去になるのは、間違い無いと思う。
眼の前に居たって、少しずつお互いの触れあい方も変わってくるのだろう。
でも、それでも。お嬢様の中にきっと、私との思い出は残ってくれる。
どれだけ小さくなってしまっても、僅かでも。
たぶん、ゼロにはならないだろうって。
沢山のメイドが居るこの館だけれど、『あの子』といつまでも覚えていて貰える位には、きっと。

「貴女も、もっと抱きしめて。」
「……はい。」

促されて、背中に手をまわして。指を這わせれば、少し細くてかたい物が触れた。
お嬢様の羽。……皆が、いびつだって言っていた羽。私も初めてみた時はそう思ったっけ。
私達やレミリアお嬢様と違う形だったから。確かに、飛ぶための形はしていない。
けれど、本当は色鮮やかなんだ。

そんなお嬢様の羽へと手を伸ばした。
……本当は触れても良いのかも分かって無かった。
羽が敏感で、触れると痛がる友達だって居たから。私だって、不意に触れられるのはあまり得意じゃない。
だから、できる限り優しく。眼で見えないから、努めてゆっくり撫でていった。

驚いたような吐息が、お嬢様から漏れて私の肌を撫でる。
私の足に絡んでいたその足が、きゅっと締まって。
でも、駄目だって言われなかったから。だから、そのまま指を這わせていった。

お嬢様の羽は、少し冷たかった。見た目通りの硬い羽。
先っぽは少し尖ってて、指の腹をそれで突いてみたらちょっと痛かった。

「そうやって触れられるの、初めて。」
「自分で触れたことは?」
「……体洗う時、触れるよ?」

そっか、お風呂で洗うか。

「後で一緒にお風呂、入りませんか。」
「……狭いよ?」

狭いお風呂。……それは、安全の為に作られた、お嬢様達専用のお風呂。
この部屋の奥にあって、とても小さくて。パチュリー様と咲夜さんの特製のお風呂なんだ。
どうしても洗い流すのには流水が要る。けれど、お嬢様はそれが苦手だから。
だから、溺れたりしないように作ったものだって聞いている。

「私が居れば溺れませんよ。」
「一人でも溺れたりしないわ。ただ……みっともないことになるのは確かだから。
だから……そういう姿はあまり見られたくない、かな。」
「駄目、ですか。」
「……良いよ。後で、一緒に入ろう?」

お嬢様がそう返してくれて、少しだけほっとした。
……この後パーティに参加することになっていたけれど、このままもしも行ってしまったら。
そしたら、きっとお嬢様の匂いが私の体に強く残ってしまうから。
それは何だか少し恥ずかしいし……怖がっていた子達のトラウマを呼びさましてしまうかもしれない。
だから、後で絶対にお風呂に入らないといけないのだけれど、共用のお風呂には行きづらくて。
ここのを使わせてもらえるのなら、それが一番都合が良いんだ。

「有難うございます。」

そして、それは返して言えば、今から何でもできるということだ。
私は羽から手を引いてまた体を抱きしめると、寄せられていたお嬢様の首へとキスをしたのだった。

本当は昨日の時点で少し期待していたのだ。
ほとんど裸で飛び込んだあの時に。
でも、一線は越えなかった。お互いが、少し抱き合っただけで心満たされてしまったこともある。
疲れていたこともある。私が変なことを考えていたこともある。
けれど、一番根本にありそうなのは……お嬢様自身の過去の経験なのかもしれない。

ここにある本は一応全部眼を通している。だから、どんな本があるのかは分かってる。
過激な本も多くは無かったけれど、確かにあった。……でも、お嬢様はそれを読んでどう思っていたのだろう。
きっと、誰も想いを重ねる相手は居なかったはずだから。
だから、頭は知っていても体は知らないんじゃないかって。
恥ずかしいことだから、とても聞けたりできないんだけれど。

「お嬢様、失礼しますね。」

そう声をかけて、ごろりとお嬢様ごと寝返りを打った。
私の居た場所と違うから、きっと背中で迎えるシーツは冷えているだろう。
でも、少ししたらきっと温かくなってくれるはず。

お嬢様の手が緩んだ所で、私はお嬢様の体から手を離した。
そのまま、顔のあるだろう位置を確かめながら、顔の横に手をついて。

「キスする約束でしたね。」

顔のすぐ傍で、そう言った。
お嬢様の吐息が少し恥ずかしそうになった。
それから少しして、その音も止まって。
待ってくれているのかなって思うと、私の方もやっぱり恥ずかしくなる。
しかし私がキスをするのは何も、唇になんて約束はしていないのだ。
だから私は一度深呼吸すると、静かに鎖骨をめがけて唇を下ろしたのだった。

「ひゃっ!」

なんて、驚いた声をあげてぎゅっと体を強張らせて。
お嬢様の骨と皮膚が、私の唇を押し返してくる。
できる限りお嬢様にも聞こえるように音を立てて吸いついて。
それから、ゆっくりと位置を変えてはまた口づけて。

「そ、そこは唇じゃないよ?」
「ええ。そうです。……体にしたいんです。……駄目ですか?」

こうすれば、キスマークというものができるんだって、友達が言ってたから。
だから、それをめいいっぱい付けたくて。……だって、今は何も見えないから。
お嬢様はきっと気付くことができない。私だってされたら気付かないかもしれない。

「そ、そうじゃないけど。」
「嫌だったら、教えてください。」
「……嫌じゃ、ないよ。でも、くすぐったい。」

だから、何度でも、何個でも。後でお風呂に入るその時までも。
……どうせ最後には消えてしまう痕だから。一緒に恥ずかしがる時間を、過ごしたいから。

鎖骨から少し降りて、薄くてもちょっと柔らかな胸へと唇を移した。
温かくて、汗でじっとりしてて。そして、私が意識を向ければしっかりと奥から鼓動が響いてくる。
気持ち良くて、唇じゃなくて頬を乗せたくなる衝動がどんどん湧いてくるけれど、
それを何とか心の奥へと追いやって、ひたすらに吸っては位置を変えていく。

触れていた指先が胸の先っぽへと触れた。息を潜めていたお嬢様の吐息がまた、途絶えた。
……柔らかな先っぽ。ぷくっと、膨れてて。指で撫でれば少し方向を変えながらも、押し返そうとしてくる。
弄っていると段々と硬くなってきてた。もじり、もじりとお嬢様が足を閉じようとする。
それが私の足を撫であげて、何だか私の体の奥もきゅぅきゅぅとしてきていた。
……けれど、今は私の番。まだ、終わって無いもん。

溜まっていた息を吐いて、それから胸の下、そしてお腹へと降りていく。
すっかりお腹が空いてしまっていたのか、小さな音も聞こえたりして。
そんな素直なお腹にだって、頑張って吸いついた。
……これで残って居なかったらちょっとショックだけど、
きっとこれだけやればどれか1つはきっと痕になってくれるはず。

まだ頭の位置を下げようとすれば、お嬢様の手が私の後ろ頭に触れた。
撫でるようにしながら頭を包んで。……これ以上下の位置へとキスをするのを拒むように。
でも、口では何も言ってくれない。たまに思い出したように始める呼吸も、キスをすればまた止まり……。
段々と緩む手。少しずつ頭を動かして、下へ、下へと進めて行った。

ふともも。とっても温かい。胸と同じ位だ。
ふとももは第二の心臓なんだって、言われているらしい。
だから温かいし、冷やしちゃ駄目だとも言われてた。……ちょっと納得した。
今度、膝枕して貰いたいな。あぁでもここの感触を楽しみたいのなら、
膝枕と言うと間違いなのかなぁ。何だろう。……腿枕、なのかな。
頼む時はどうやって頼めばいいんだろう。

自分の足をお嬢様の足の間から引き抜くと、お嬢様の足はぴたりと閉じてしまった。
また開けられるかなって思って、差し込もうとしたけれど……ちょっと拒まれている。
勿論私にはこじあけるつもりは元々無い。お嬢様が頑張ったら私の力じゃ無理だもの。
それに、開けるのは簡単なこと。お願いすれば、きっと自分から開けてくれる。
例えそれがどんなに恥ずかしかったとしても。

ふとももへと浅いキスをした後で、膝から先を撫であげた。
毛布の中へとずっと埋めていた膝だけれど、腿に比べれば少し冷えていて。
撫であげると体を載せていたシーツの音が響いた。

「お嬢様。」

返事は……無い。でも、少し動いていたお嬢様の体がぴたりと止まった。

「もじもじして、どうなさったんです?」

話題なんて、何でも良かった。ただ声を聞きたかったから、その為だけの言葉だ。
でもやっぱり、何も返してくれはしない。

「ひょっとして……つらいですか?」
「そ、そうじゃないよ!」

だから、必ず返答してくれるって分かっている言葉にそれを変え、
慌てるように返ってきたその言葉を聞きながら、安心してまた口づけした。

お嬢様のお腹に指先をのせ、そっと足の付け根の方へと下ろして行く。
先程まで下着があった場所に指先が触れた。締めつけていたような痕があるのを指に感じる。
柔らかな肌に似合わない少しでこぼことした感触。指で撫でてみると、どうやら相当くすぐったいらしい。
私の髪に触れていたお嬢様の手がぴくぴくと震えている。
けれど、声は必死になって隠していた。口を何かで塞いでしまったんだろうか。

指先でしっかりと場所を痕の位置確認した後で、唇を下ろして舐めあげた。
不意に体を大きな温かい感触が包んだ。何かと思えば、どうやらお嬢様のふとももらしい。

「痛いですか?」
「えっと……なんて言えば良いのか分からない。」
「じゃあ、分かるようになるまで、舐めて差し上げますね。」

言われた言葉にすぐ返せば、何かを言いかけたお嬢様がそのままきゅっと言葉を飲みこんだ。
それを了承だと受け取って、また舌先を伸ばして行く。

少ししょっぱいのは汗の味だろうか。舐めている内に残って居た痕はすぐに消えてしまった。
けれど、どうやら敏感になった感覚はそのまま残り続けているようだ。
頑張って声を抑えていたお嬢様も、今度は抑えようとする息をとても響かせている。
きゅっと止まっては始まる浅い息。今はあの小さな唇を震わせているんだろうか。

「分かりました?」
「……言いづらいわ。」
「もっと、した方が良いですか?」
「……もっともっと、教えて……欲しい。」

私の体を押さえていたふとももの感触が消えた。
手を這わせ確認してみれば、どうやら足を伸ばしてくれたようだ。
それを確認した所で、先程まで舌先で触れていたそこからゆっくりと足の付け根へと手を這わせた。
くるん、と丸い感触。ちょっとだけ盛り上がって、そこからすっと落ちる下り坂。

「おかしいな。」

震える声でお嬢様が呟く。

「お風呂とかで触れることはあるのに、その時と全く感覚が違うの。」
「具体的には?」
「……ぞくぞくするの。ふわふわするの。寒いの。熱いの。きゅうきゅうするの。」

浅い声に混じらせた、そんな返事を貰えて。
ああ、そういう気持ちになって貰えたんだと思うと、やっぱり嬉しかった。

「もっと、頂戴。」
「ええ。勿論ですとも。……沢山、感じて下さいな。」
「でも……でもね、先にね。貴女のキス……唇に欲しいの。」

そうねだられて、思わずどきりとした。
言われたからにはする他無いけれど、そんな浅い吐息をもっと近くで感じてしまったら。
私は、耐えて居られるのだろうか。

またお嬢様の体にゆっくりと体を重ねた。
さっきまでよりずっと早い鼓動。聞いているとこっちまで早くなってしまいそうな位だ。

「唇はここ。」

誘うようにゆっくりお嬢様が呟いた。その言葉と、浅く漏れる吐息を追って、顔を近づけて。
そして、口づけた。私の足をお嬢様が取りこんで、きゅっと挟みこんでくる。
さっきよりも強く、さっきよりも熱く。
足も、お腹も、胸も。そして、唇も。まるで熱の塊みたいだ。

唇にさっき初めて知った感触が走った。どうやらまた舌を伸ばして貰えたみたいで。
それを口の中に必死になって取りこんで、精一杯に撫でまわす。
口いっぱいに広がるお嬢様の味は、さっきのしょっぱい味とは違う不思議な味。
特別美味しい訳じゃないけれど、何故か夢中にはなってしまう。
まるで怪しい薬を飲まされたような気分で、段々と何をしようとしていたのか、
あやふやになっていくような……そんな感覚。

「んっ……。」

汗ばんでじっとりした感触が、取りこまれた足に広がる。その中にあるちょっとだけ違う感触。
思い立って、太股に力を入れて大事な所に少しだけ体重をかけてみた。
ぴくんと跳ねたお嬢様の体。……圧迫するだけでも、ちょっと気持ちいいみたい。

「怖くは無いですか?」
「……貴女が居るから。」

……そうですね。私が居ます。

ゆっくり足を引き抜いて、そろりと舌先を伸ばして。
先程触れた下り坂へと手を置いた。重ねただけで、ふにっとした肉の割れ目の中に指が埋もれて、
さっき感じた感触が指先一杯に広がった。着替えの時も見ることの無かったそこの感触も形も、
指先を通して全部伝わってくる。……私と、ほとんど同じ形。
当たり前と言えば当たり前なのかもしれないけれど、何だかちょっとだけ安心して。
割れ目の上にある少しだけ柔らかな肉の芽へと指の腹を置くと、
自分が日頃していた時のように、それを押しつぶして行った。

跳ねあがる体。足の指がシーツでも掴んでいるのだろうか、擦れる音が聞こえてくる。
荒くなり始めた息を抑えることも良くなってしまったのか、
息が途絶え、震え、空気を求めては大きく吸い込むその音が全部すぐ近くから伝わってくる。
やり場が無い、と言わんばかりの腕が私の背中を撫でて、抱きしめながら続きをねだる。
だから次へ次へと、指先を止めずに小さなそれを指でずっと捏ねて行った。

「な、何か。」

来る、と言いたかったらしい。言いかけた所を見計らって強く揉みこめば、
次ぐ言葉は消えてしまって。ぴったりと呼吸も声も止まって、体が私の指ごと上下にびくびくと震えた。
抱かれていた背中が痛くなるほど締めつけられた。
お嬢様の心臓が私の胸をドアか何かと勘違いしているんじゃないかって位強く叩いて。

「大丈夫ですよ……だから、ゆっくり息を吸って。」
「……やっ……あっ。」

私自身はもう指を動かして居ないけれど、勝手に動いてしまうその体のために、
どうやらまだまだ擦れてしまっている様で……収まるには遠そうだ。ぎゅっと抱きつかれているお陰で指も抜くに抜けない。

「うぅ……眼がぁ。」
「ゴミでも入りました?」
「ばちばちする。開いても見えないのに、ふわっふわで、くらっくらで。」

……まだ続く感覚がつらかったのか、足は閉じたままで抱きつかれたままだったけれど、
お嬢様が私の腕を引っ張って指を引き抜いた。

「これ、いけないわ。」
「やっぱり、怖かったですか。」
「違うの。これはきっと、知っちゃいけないことだったんだわ。」

そう言ったお嬢様が私の頭に手を置いて。
それから口元にキスをしてくれた。……呼吸がとても荒い。

「私、えっちな子になっちゃうわ。」
「誰にも邪魔されない時位、構わないじゃないですか。」
「私がえっちになっても……貴女は良いの?」
「えっちでも何でも、今のこの時間を一緒に居たいって気持ちでやってるんですから。」

抱きしめている力が段々と弱まって行く。

「少し、疲れましたね。私そろそろ朝御飯を取って……いや、流石に先にお風呂へ行きましょうか。」
「うん。でも今はもうちょっとだけ。こうやって、抱かせてて。」
「……はい。」



~~



ほとんど真っ暗に近い廊下。そんな中、私は一人ドアの傍らで座り込んでいた。
咲夜さんが作ってくれた朝御飯。今日もまた朝御飯を友達が取りに来なかったから。
だから、代わりに運んで欲しいって言われて。勇気を出して来てみたんだ。
こんがりと焼けたパンに、くるんと丸く切り取られたバター。
量が少なかったから、お皿だけを手に持って急いで飛んで来たのだ。
今、その朝御飯は私の横で冷たくなっている。バターなんて、もうどこに行ったのかも分からない。

……盗み聞きをするつもりは、なかったんだ。
ひょっとしたら寝てるかもしれないって、そう思ったから。
だから、ちょっと耳を寄せただけなんだ。

聞こえたのはふたりの声。取りに来なかったその友達と、フランドールお嬢様の声。
初めは本当にそのふたりの声なのか、確信を持てなかった。
だって、その声は……何だか邪魔しちゃいけないって思わせるような声で。

すぐにそれを聞いて離れれば良かったんだ。
お皿を持って、そのまま厨房に帰れば良かったんだ。
……私には、それができなかった。気になってしまったから。
普段の声とは違う友達の声に。聞いているだけで、ドキドキしてしまって。
縫いつけられたように、そこから動くことができなかった。

好きな人に抱いて貰うのって、どういう気持ちなんだろう。
好きな人にキスをしたら、どんな気持ちになれるのだろう。
好きな人にキスをされたら、どうなってしまうのだろう。

結局、私は最後まで聞いてしまっていた。
朝御飯という言葉を聞いたん瞬間に、胸が爆発しそうなほどドキリときて。
それから、ゆっくりと這いながらドアを離れたんだ。
いつの間にか凄い勢いで早鐘をしていた胸に手を当てて落ちつけようとしてみた。
……無理だ。全く収まる気配が無い。声が止んでも頭の中で流れてしまう。

帰らなくちゃ。見つかってしまったら、あの友達と縁を切られてしまうかもしれない。
それは、嫌だから。だから、そっとお皿を持ち上げて静かに静かに飛んで。
……冷えたパンを持って帰るのは、とても寂しかった。



「あら、ふたりともまだ寝てた?」

私が帰ると、厨房で紅茶の準備を始めている咲夜さんが居た。
私の持ったお皿の上のすっかりかちかちのパンを見て、そう言って。
ちらりと見渡した厨房の中、他に誰も居ないのを確認すると、

「お邪魔できない雰囲気でした。」
「……そう。」

それだけを伝えて、テーブルの上へとお皿を置いたのだった。
紅茶の準備をしていた咲夜さんがゆっくりと歩いてきて、パンを持ち上げる。
……どうやら作り直しを決意したらしい。いきなりパンをちぎったかと思うと、
そのままもぐもぐと食べ始めてしまって。

「……硬いわね。」
「地下は冷えてますから。」
「そうね。……貴女もどう?ふたり分あるんだけど。」
「あまり、食欲が無いです。」
「なら、一人で頑張るわ。……あっちのテーブル、行きましょうか。」

咲夜さんが指さしたのは、厨房のかなり奥の方にあるテーブルだった。
日頃のご飯ができてすぐ当たりで来ると、いつも大体このテーブルで厨房の担当さん達が美味しそうにご飯を食べている。
今そのテーブルは、今日のパーティの下ごしらえを終えたボウルやパンの生地で埋まっている。
そんなテーブルの椅子へと腰を下ろせば、咲夜さんは何故か対面では無くて私のすぐ横に座った。

「貴女、図書館のあの子のことが好きなんでしょう?」

硬くなったパンをちぎりながら咲夜さんがそう言った。

「それはこの前お話しした通りです。でも、私はそれを伝える勇気は無いですから。」
「……やっぱり、だからそんな寂しそうな顔をしているのね。」
「すみません。思う所があって……隠せそうにないです。」
「良いのよ。それより、力になれないかしら……いや、ならせて。貴女、まるで少し前の私みたい。」

少し前の、咲夜さん?

「貴女がキスをされた時の私よ。私はね……羨ましかったのよ。貴女のこと。」

……キス?あの時、か。そうか。確かに私も羨ましい。
今地下にいる友達とお嬢様が、羨ましい。
咲夜さんは私がキスをされた時、そういう風に見えていたのか。
でも、それとこれとはまた少し違うんだ。あのふたりはお互いがお互いを想い合っている。
けれど、私とレミリアお嬢様は別に赤の他人だ。全然、恋人でも何でもないんだ。
それは咲夜さんだって知っていることのはずなんだけど。

……うん?じゃあ、なんで羨ましかったんだろう?
それに少し前ってことは、今はもう解決してしまったんだろうか。

「もし咲夜さんが私だったら、どうします?」
「私は貴女の心の中をほとんど知らないから、何とも言えないわ。けれど、私は好きな人に全部悩みをぶつけてみた。
聞いて貰って、一緒に考えて貰って。……私だって勇気、無かったわ。踏み出すきっかけをくれたのは、その好きな人自身。
だから、そうね。一つ言えることがあるとすれば、会ってみると良いと思うの。好きな人に。」
「会っても、何を切り出せば良いのかも分からないです。」
「良いのよそれで。……打算しなくていい。言いたいことが伝えられれば、切り出しは何だって良いと思うの。」

……それは、そうかもしれないけど。でも、何を伝えたいのかだって私にはまだ曖昧なんだ。
好きだって気持ちはある。抱きしめられたいし、抱きしめたい。キスもしたいし、されたい。
でも、私はあのお姉さんがパチュリー様を好きだってこと、とても分かってる。
パチュリー様だって一々口にはしないけれど、あのお姉さんのことを大切にしているのも、分かってる。

分かっているから、分からないんだ。はっきりしない自分の気持ちが。
私はあのふたりの邪魔をしたいんじゃない。

「お風呂、浴びて。そこで少し考えたから、尋ねてみることにします。」
「ええ。……ごめんね。言いだす勇気とか、あげられたら良かったんだけど。」
「いえ、参考にはなりましたから。では、失礼しますね。」
「いってらっしゃい。湯あたりには、気を付けてね。」



とぼとぼと、一人向かったお風呂場。
脱衣所は誰も居なくて静かだった。けれど、誰かが使った形跡はちらほらある。
使い終えたタオルが幾らか山として積んであった。きっと、門の方達が利用したんだろう。

「なんて、言えば良いんだろうなぁ。」

お姉さんのことをぼーっと考えながら服を脱いで、溜息をついて開けた浴室の扉。
どうやら既に誰かが入っていたらしく、少し楽しげな鼻歌が聞こえてきた。
視線を足元から奥の浴槽へと向ければ……何故かお姉さんが居て。
慌てて帰ろうと思って扉を閉めようとしたけれど……眼が、合ってしまった。

「おはよう。」
「おはようございます。」

逃げるにも、逃げられなくなってしまった。
気分を落ち着かせようと、一度深呼吸して。
それから何事も無かったように表情を作り直すと、私は中へと入り体を洗い始めたのだった。



~~



きっと、この時間ならほとんどの人が利用しないはず。
そう思ってやってきたお風呂場はやっぱり静かで、一人体を洗うのにはとても丁度良かった。
脱衣所で一応確認した背中には、もう爪の痕も無かった。
その時にはまだ胸の痕は残っていたけれど、そっちもお湯に浸かっている間に随分と分かりづらいものになった。
今思うと……あの時の咲夜さんはやっぱり見ていて笑ってしまう顔だったと思う。
あの後咲夜さんはどうしたのかなぁ。この時間は……私達のご飯、作ってるのかなぁ。

「なんて、言えば良いんだろうなぁ。」

そんなことを考えていた時に脱衣所から声が響いた。
珍しく早起きしたらしい妖精のメイドさんの……聞き覚えのある声。
きっといつもご飯を運んでくれるあの子なのだろう。でも、ちょっと元気が無い。
少しすれば扉が開いて。視線を向ければ彼女と眼があった。

「おはよう。」
「おはようございます。」

何故か彼女は私が見た時扉を閉めようとしていた。
じっと見つめればにっこりと笑ってそのまま中へと入ってきたけれど、
ひょっとしたら一人きりでお湯を浴びたかったのだろうか。

体を洗う為に小さな椅子へと腰を下ろした彼女。
ちっちゃい背中だ。裸を見た経験自体は無い訳じゃない。両手で数えるには満たないかもしれないけれど、
この大きな浴場を利用する過程で沢山の子とここでは会っているから。
ここで会おうとしても会えないのはお嬢様位だろうか。

「今日の朝御飯のこと、聞いていますか?」
「もう少し先だと思います。先に食事を済ませてしまったのは恐らく咲夜さんだけです。」
「もうお会いになりました?」
「はい。……ついさっきまで、話していたんです。」
「……私には最近咲夜さんが悩んでるように見えたんですけど、今日はどうでしたか?」
「良く分からないんですけど、今はもうそんな風には見えなかったです。穏やかな感じで。」

……穏やか?あれから何か進展があったのだろうか。
ひょっとしたら、誰かに打ち明けたのかな。うぅん、その場に居合わせたかった。
どこまで行ったのかな。告白だけ?それともキス?それとも、もっと先?

「楽しそうでしたか?」
「何と言いますか……私、ちょっと今悩んでることがあるんですけど、
相談に乗りたいって。終始穏やかな感じで……そう言ってくれました。」
「あら。貴女も何か、悩みがあるんです?」

何だか最近は悩んでいる方が多いなぁ。
咲夜さんも妹のお世話をしていたあの子も。思えば、二人とも恋の悩みか。
案外この子も……

「恋の悩みだったりして。」
「……そうです。」

……冬って、そういう季節なんだろうか。
どうやら結構深刻に悩んでいるみたい。いつもとても明るい子なのに、その明るさがほとんど見えない。
視線は俯いて、声も元気がなくて。背中だってしょんぼりしてる。

「私も、相談に乗れますからね?」
「……聞いて貰うかもしれないです。」
「ええ。貴女にはいつもお世話になってますから。」

私がそう言うと驚いたように私の方を見て、それから笑ってくれた。
私にとってこの子の笑顔というのは、パチュリー様の笑顔の次に好きな笑顔だ。
その日あったことを話してくれる時も、友達のことを話してくれる時も。
この子は、そのままの感情でいつも話してくれる。
どちらかというと、パチュリー様は表情を少し隠そうとするから、
そういう意味でこのふたりの間というのは、ちょっと楽しいなって思って居たりする。
……咲夜さんは、どっちもだなぁ。特定の表情は思いっきり隠そうとしている。
けれど、かえってバレているような、そんな気がする。
そういえば咲夜さんも妹様のお付きの子も、私のことを好きな人が居るって言ってたなぁ。

「冬は恋の季節なのかもしれませんねぇ。」
「どうしてですか?」
「少し前にですね、私のことを好きだって方が居るって話を聞いたんですよ。
私、図書館以外はこういう所以外、滅多に行かないんですけどね。」

私がそう返せば、何故か彼女が肩をびくりと震わせて視線をそらせて。そして、ハッとした。
そう。そもそも私と会うような子というのは、この子しか居ないんだ。話をする子だってそうだ。
思い返してみれば、妹様のお付きの子はこの子と友達のはず。
ひょっとしたら咲夜さんやあの子が言っていた子というのは……確かめて、みようかな。

「でも、この子だ!ってお話は誰もしてくれなかったんですよ。」
「口止めでもされていたんじゃないですか?」
「貴女は何か知らないです?ほら、今ここふたりきりですし、ここだけの話で。」
「……確かに知ってますけど、本当に知りたいです?」

知ってます、か。
この子の性格からすれば、恐らく知った段階で楽しみながらご飯の時に話してくれているはずだ。
お姉さんのことを好きな人が居るんですよ!誰かは教えられないんですけど!……って。
でも私はそんな話を一度も聞いたことが無かった。だから、やっぱり。

「やっぱり気になりますから。……あ、洗った後で大丈夫ですからね!」

私の言葉に彼女が頷いた。それからちょっとだけ深呼吸の音が聞こえて。
疑いは、確信になった。

この子との付き合いはもう結構長い。だから、私がどれだけパチュリー様のことを好きかってことは分かっている。
そして、パチュリー様が私をどう思っているか。それも恐らく分かっている。
その上で、打ち明けようとしてくれている。
もしも受け取り方を間違えてしまったなら……これから先、ご飯を運んでくる子が変わってしまうかもしれない。
それは、嫌だなって思った。だから、真っ直ぐに答えなきゃ。
この子には嘘は通じない。……この子はそれほど、一緒に居たから。



体を洗い終えた彼女が、浴槽へと入ってきた。
私の横に座って、膝を抱える。……何だか思っていたよりもずっと背が小さい。
日頃はここまで小さいとは思わないんだけど……靴のかかとが高いのかなぁ。
それとも単純に足が長いとか。お湯の中だから本当の長さが今は分からない。

「私の顔、何かついてます?」
「さっきのお話が待ち遠しかったので。」
「……ですか。」

短いけれど、震えてしまった彼女の言葉。
気付かれたくは無いのか、頑張って息を整えようとしてくれている。

「一人だけ、心当たりがありますから言います。」

頑張ってそう言って、私の方へと向き直る。
お湯の中に見える彼女の手が、両方ともきつく握られているのが上から見ても分かった。
……でもそこから先、彼女は口を開こうとはするものの、言葉を出せないでいて。
頑張ろうと訴えてくる目線が、今はただ不憫で。
結局最後は彼女が俯いてしまって。……黙って、しまった。



~~



声が詰まって、一度で出て来れなかった言葉がもう心の中に引っ込んでしまって。
結局、言うことが出来なかった。私の眼を見てくれるお姉さんの視線。
たぶん、気付かれてしまった。私がお姉さんのこと、好きだってこと。
当たり前のことなんだと思う。お姉さんは、いつも引っ張ってくれたから。
一緒の話題で笑おうと、いつも楽しげに聞いてくれていたから。

眼が、見れなくなってしまった。
恥ずかしくて、つらくて。胸の中が張り裂けそうで、押しつぶされそうで。
……失敗しちゃったなって、思った。
どうすることもできなくなって、眼を閉じる。
押し倒すような気合いも、覚悟も私には無い。
好きだって気持ち。これからも好きで居たいって、気持ちだけ。ただそれだけだったから。

逃げようとして足に力を入れた。
震えてた。うまく力を入れることができなくて、だからお湯の中で手をついた。
……そして、その手を掴まれた。

「待って。」

立ち上がろうとして跳ねたお湯の音に、隠れそうな程の声だった。
けれど、眼を閉じていた私にはその声がとても良く聞こえた。
慣れ親しんだ声で、困っている声で……そして、優しい声で。
ああ、私には押し倒す覚悟どころか、逃げ切る覚悟も無かったんだって、動きを止めてしまった自分にそう思った。
そのまま体ごと引っ張られて、柔らかい所に導かれて。相変わらず眼は開けられなかったけれど、
お姉さんの温かい息が髪の毛にかかって。爆発してしまいそうだ。

「ごめんね、分かってしまった。……だから、無理に言わなくても良いですから。」

ああ、やっぱりだ。

「じゃあなんで、私を放してくれないのですか。」
「放したくないからです。……逃げないで欲しかったからです。
貴女はきっと、私が思っている以上に色んなこと考えてしまったのでしょう?……パチュリー様のこととか。」
「……はい。」
「貴女のそういう優しい所、知ってますから。……でも、貴女にはまだたぶん考えられていないことがまだあるんですよ。」

私が、考えていないこと?

「それは、私の気持ち。私も貴女のこと、好きです。ただ、貴女の抱いている好きという気持ちとは、ちょっと違うでしょうけれど。
貴女の想い、抱いている好きって気持ち。私のそれはパチュリー様に向いています。貴女が、御存知の様に。
でも、私にとって貴女は……なんて、言えばいいのか自分でもまだあまり分かって無いんですけど、家族みたいなものなんです。」

一緒に色んな時間を過ごして、同じことで笑って。
……そう、お姉さんが続けた。少しして、背中へと回って居た手はゆっくりと離れた。

「だから、貴女がもし居なくなってしまったら。寂しいんです。それだけは知って欲しい。分かって欲しいですから。」
「恋人には、なれないですか。」
「……ええ。でも、私はわがままですから。貴女にも傍に居て欲しいんです。」

きっと、お姉さんは正直に応えてくれている。
そう返すだろうなって私が思っていた言葉、そのままだったから。
……あるべき形なんだって、思う。でも、やっぱり。やっぱり。……寂しい。

「……かりそめでも、良いです。嘘でも、良いんです。今だけは……今の間だけでも恋人にしてくれませんか。」

何故私はお姉さんを困らせるような言葉を言ってしまうんだろう。
家族だって、思って貰えること自体とっても有難い言葉のはずなのに。
私の本当の気持ちが叶う訳でもないのに。

「駄目です。貴女が真剣なのは知ってますから。……そんな寂しい付き合い方は、したくないです。」

寂しい付き合い方、か。
私だってそう思う。……けれど、

「胸の中が張り裂けてしまいそうなんです。」

頭でもう何も考えられなくなって居た。
不安と寂しさだけが体を外からぎゅうぎゅうと締めつける。
もし今ここで気を失うことができたなら、どれだけ幸せなんだろう。

「もっと、貴女の本心で欲しいものを教えてくれませんか。仮初でも嘘でも良いって、どっちも妥協じゃないですか。
私が応えたいのは素直な気持ち。貴女の、本当の。……勿論、できるできないはあります。
けれど、言わずに貴女の中だけで決めてしまわないで。」
「じゃあお姉さんは……お姉さんは!私が抱きしめてキスして欲しいって言ったらしてくれるんですか!」
「ええ。……どっちも、気持ちがあればできるものです。
でも、本当にして欲しいなら私の目をちゃんと見て。それから、おっしゃって下さいな。」
「顔を見たら……また言葉が出なくなってしまいます。」

閉じたままの目を開ける。俯いていたお陰で、そこにあったのはゆらゆら揺れる水面と、お姉さんの細い首。
どんな顔してるのかな。きっと、こんな私の為に優しげな顔をしてくれているのだろう。
でもその顔を見たらまた言葉が出なくなってしまうと、そう思ったから。
そう返せばお姉さんは私の顔に手を添えて。それからゆっくりと持ち上げた。

「見ることはできるんですね?」

お姉さんの顔が視界に入ってくる。真っ直ぐ、私のことを見てた。
きっとさっきから、ずっと見てくれていたんだ。私が眼を合わせられなかっただけで。
綺麗な眼だ。真っ直ぐな目だ。優しい表情だけれど、いつもより真面目な……まなざしだ。
頑張って頷けば、ほっとしたように目尻を下げてお姉さんが笑う。

「貴女は、私が抱きしめてキスをしたいって聞いたなら、させてくれますか?」

さっき、私がお姉さんに尋ねた言葉だ。

「……言葉が出せないなら、意思を。意思を、見せて下さい。」

意思を見せて。そう言われて、頷こうとして。顎に力を入れようとして、すぐに止めた。
言葉で応えなくちゃ駄目なんだ。お姉さんは私に妥協しないで欲しいって言った。
けど、言葉の代わりにそんな他の方法なんて。優しさから出してくれた言葉かもしれないけれど、
それはお姉さんにとっての妥協じゃないか。……本当は、言葉で言って欲しいんだ。
言わなくちゃ、いけないんだ。

深呼吸した。……お風呂の中なのに、空気の方が私の体より冷たい。
吐く息は震えて、やっぱり胸は張り裂けそう。でも、でも。

「お姉さん。」

下手でも何でも、言わなくちゃって。例えどんなに不安でも。

「好きです。お姉さんの中の、一番じゃなくても……良いです。けれどお姉さんは、お姉さんは私の中で一番だから。
だからこれからも、ずっと、ずっと。一緒に居たいんです。一緒にお話して、一緒に笑って。一緒に、楽しみたいんです。
でも、今は。今は、この張り裂けそうな胸を抱きしめて……キスして、欲しいんです。」

心臓が壊れてしまいそう。一息一息にほとんど言葉を乗せられない。
苦しくて、切なくて。涙まで出てきた。……でも、言えたんだ。
やっと、言えたんだ。……良かった。

「……ありがとう。」

お姉さんの声が聞こえる。けど、涙が邪魔でお姉さんの顔、全く見えなかった。
頑張って顔はあげていたけれど、分かったのは何となく笑ってるってことだけで。

体が引き寄せられた。眼を閉じたら、瞼に溜まって居た涙がぼろぼろとおちて、頬が熱かった。
頭を撫でられて、背中をさすられて。たぶん、とってもみっともない顔だったんだって、思った。
でも、その手が優しくて。もっと泣きたくて、もっと、笑いたくて。
自分でも良く分からなかったけれど、

「もっとぎゅっと、して欲しいです。」

気が付けばそんなこと、私はお願いしてた。お姉さんはただ小さく、

「うん。」

とだけ、返して。それから、両の手を背中に回して抱きしめてくれて。
少し長い吐息が、私の唇に触れた。



ぽたん、ぽたんと響く水の落ちる音。
どくん、どくんと響く私の音。
とくん、とくんと聞こえてくるお姉さんの音。
全部、違うタイミングで聞こえてくる。頭の中が音ばかりで満ちて行く。
それ以外に意識をやってしまうと、とたんに恥ずかしくなってしまうから。

……触れた唇は、涙と同じ位熱かった。
今まで咲夜さんが作ってくれたどんなお菓子よりも、柔らかかった。
そして、私よりちょっと大きかった。ぷにっと厚くて、私の唇全部包まれちゃって。
じん、と伝わってくる熱のお陰で、頭の中まで柔らかいものになってしまいそうだ。

思ったより、お姉さんもドキドキしているんだって、私もしっかり抱きついてみたら分かった。
普段のお姉さんの鼓動がどれだけ早いのかなんて本当は知らないんだけど、
私よりもほんの少し遅い位だから、たぶんきっと普通よりは早いはず。
……とんとんと私の肌を叩くその鼓動の感覚が、何故かとても気持ちが良かった。

少しして、唇が離れた。体も、少し離れた。
けれど唇にも、胸の中にも。まだちょっとだけ、響く物が残って居て。
体の中にお姉さんが入ってきたみたいで、それが嬉しくて。

「またいつか、とても、とても寂しくなってしまったら。……抱いて、下さいませんか。」
「……ええ。」

また横に並んで座った。
お姉さんの肩に体重を預けたら、ちょっとだけお姉さんも私に体重を預けてくれた。
手も、握ってもらえて。思い立ってぎゅっとしてみたら、ぎゅっとしてくれて。
また、涙が落ちた。



~~



恐らく様々な予定が重なったのだろう。朝食を待っていたつもりが、結局お昼ご飯も一緒になってしまった。
ブランチという言い方こそあるものの、妖精達が運んで来たのはかなり軽めのサンドイッチ。
あれから、咲夜はまだ戻って来ない。
妖精達全員分の食事にパーティの準備、そして私への弁解を考えたり色々あるのだろう……。

……パーティ、か。今年はどう挨拶しよう。毎年毎年悩むのだ。短い話以外喜んで貰えた試しが無いからだ。
皆長い話をすると段々と眼を細めていく。当たり前と言えば当たり前だ。
妖精の子達からすれば、食べて騒ぐことをとても楽しみにしているのだから。
そういえばさっき食事を運んできてくれた子も、眼が早く覚めちゃったって言ってたっけ。

この分だと今日のパーティの食事はかなり重たくなるんだろうな。
恐らく去年と同じように、デザートに重点を置いた物になるのだろう。
去年のパーティは確か、二日酔いの次に胸やけを起こしている子が多かったって、言ってたっけ。
それでも大人気だった。結局日頃のパーティの時とも違い、余りもほとんど出なかったらしいし。

食事を食べ終わり、天井を見上げながらひと息つけば、
見計らったように慣れ親しんだ足音が遠くから聞こえてくる。
いつも使っている台車の音だ。それが私の部屋の前で止まって、そして響くノックの音。

「入って。」
「失礼します。」

……紅茶のセット。本当は食べてすぐだから、もうちょっとだけ置いてから飲みたい物なのだけれど、
きっと急いでいるのだろう。準備だけじゃなくて、片付けだって担当は咲夜なのだから。
紅茶の準備が着々と進み、注ぎ終わった所で咲夜を促せば、丁度向かいの椅子に座った。
……とても、まっすぐ見てくる。何があったんだ。あの妖精の子と、何を約束したのだろう。

私は、どこまで聞くべきなのだろう。知るべきなのだろう。
どうやら悩み自体は解決したようだが、私が知るべきなのは本当に悩みの内容自体だろうか。
勿論、知りたいのは知りたいのだが……きっと知るべき、からは外れているのだろう。

「貴女の報告をまず聞かせて頂戴。」
「……はい。でもお嬢様。報告よりもまず先に、言っておきたいことがあるのです。」
「何かしら。」
「凄く、恥ずかしいです。そして、理解して貰えないかもしれません。」
「構わない。……貴女のしたいように報告なさい。」

恥ずかしい話題だってこと位は想像していたけど、理解されない……か。
でも、その理解されない話というのは、あの妖精の子も恐らく聞いた話のはず。
あの子はたぶん、理解している。咲夜のその気持ちを。
私にそれができないというのは……無いと思うのだが。
私とあの子では何が変わってくるのだろう。……主従の関係は、確かに違うけれど。

「私には好きな相手が居ます。」

……それが何故、私に理解されないかもしれない話題なのだろう。

「私の知ってる相手かしら。」
「……一人じゃ、無いんです。皆が好きなんです。」
「皆って?館の全員?」
「……はい。」

私が主人だから遠慮しているのか?
確かに主人である私を放っておいて自分は恋に励むと言うのなら、褒めたくは無いが。
……私は信用されているようで、されていないのだろうか。
ここ一番で、私は相談できる相手では……無いのか。

「あの飴は?」
「……それは。その。あの子達の唇の感触を知りたくて。触れてみたかったから、作りました。」
「時間を止めれば幾らでも確認できたことじゃないの?」
「そういう確かめ方を、取りたくなかったんです。」
「……そう。」

そもそも、私は誰にとっても相談には向かないのかもしれない。
第一、信用に足るかどうかだって決めるのは私じゃない。彼女達自身だ。

「あの子に相談したのでしょう?告白でもしたの?」
「はい。色んな気持ちで、押しつぶされそうだったので。」
「それで、解決はした?」
「ええ。かなり、心は楽になりました。……心地よかったです。」

告白した、か。宣誓なら、されたことがあるんだけどな。
貴女に忠誠を誓いますって。……告白、私は誰からもされたことがない。
皆背中には付いてきてくれる。けれど、眼の前でそういう風に振る舞って貰えたことは一度も無い。
羨ましいな。そういう相手が居るのは。

「そう。……報告はそれだけで良いわ。」
「怒らないのですか?」
「怒って欲しいの?」
「怒られると、ばかり。」
「咲夜。妖精達の仕事や館の管理は貴女の仕事。でもね、貴女達全員の立場や安全の保証は、私の仕事なのよ。
確かに奨励はしていない。けれど、今回の一件、貴女には言いづらいことだって、感じたのでしょう?
それは貴女の責任なんかじゃないの。私の、責任だから。……貴女が何か非を感じることじゃないわ。」

私にも興味はある。恋とか、そういうことには。
けれど、そういうことに走るのは、今することじゃない。
そういうことが自由にできないで居る妹を置いてすることじゃない。
……そう。妹がそういう相手をちゃんと、見つけられるようになるまでは。

「さて、この話はこれ位にしましょう。パーティの準備はどう?」
「はい。滞りなく。夕方には開催準備の全てが整う予定です。」

聞くのが段々とつらくなって、そこで話を切り上げた。
変な顔をしてしまっただろうか、咲夜が少しだけ苦い顔を私に見せた。

「じゃあ任せるよ。どうせ今夜は寝られなくなるほど騒がしくなるのだから、今の内に少し寝ておくよ。
もし出来るのなら、また日没近くにでも起こしに来て頂戴。」
「分かりました。……お休みなさいませ。」

席を立てば、少しだけ片付ける音が響いた後で、部屋の灯りを消された。
ドアの閉じた音を聞いてベッドへと体を投げれば、少しだけ自分以外の匂いがして。
……羨ましくて、悔しくて。そして、情けなくて。視界が段々とぼやけて行った。



~~



「大丈夫ですか。」

狭いと言っていたけれど、私が思っていた以上にお嬢様用のお風呂は狭かった。
ふたりでも何とか入れるだろうと思っていた浴槽も、ぎりぎり入れないのだ。
もしも咲夜さんや美鈴さんがゆったりと腰を下ろせば、それだけでもう誰も入れなくなるだろう。
溺れない為なのだろうけれど……それにしても狭すぎた。

「……眼がぐるぐるする。」

結局、あれだけ頑張ってもキスマークはほとんど残らなかった。唯一残っているのは首にしたものだけだ。
けれど、それも私からは見えてもお嬢様からは見ることすらできない位置。
残念だ。どういう反応をするのか楽しみにして居たのに。
……ただ、感触だけは残って居るのか、思い出したように触れたりしていた。

「日頃はあまり時間をかけなかったんですね。」

お風呂に入って最初に洗ったのはお嬢様の体だった。
泡を洗い流す時、浴槽の縁にしがみついていた。支えていないと立つのも厳しいらしい。
その時点でかなり体力を消耗したらしく、いよいよ浴槽のお湯へと浸かった時には結構ぐったりしていた。
けれど、その時はまだ『大丈夫だから。』なんて、言ってた。

「うん。……疲れちゃうからね。」

だから、私が自分自身の体を普通に洗うその姿が羨ましかったらしい。
私が体を洗う最中、お嬢様はずっと私のことを見つめてた。
お風呂に入る前まではお嬢様を恥ずかしい気持ちにさせようなんて思っていたのに、
お陰でこっちが恥ずかしい気持ちにさせられてた。

「冷たい水を持って来ましょうか。」

私も体を洗い終えた後、ふたりでどうにかして浴槽に入ることができないかと頑張った。
長い長い戦いだった。浴槽だけではなく、冷たい空気との戦いでもあった。
結局一番収まりが良かったのは、正座したお嬢様の上に私が座るというものだった。
お嬢様を椅子にするなんてとんでもない!なんて思ったけれど、
上は上で胸もお湯から出てしまう有様で。風邪を引きそうだから、場所をかわろうとも言えなかった。
お嬢様にしがみついても背中がどうしても出てしまう位だったから。

「うん。でも、大丈夫だから。……少し休んだら治るから。」

だから、少しでも全身があったまる場所にお嬢様には居て貰って、
無理矢理お風呂に浸かって。……その結果が、これだ。
身動きが取れないほどお嬢様を浴槽の中で長風呂させた結果、
体を洗った直後よりもぐったりとしてしまった。
何とか体を拭くことも着替えることもできたけど、私の体から熱がすっかり抜け切った後でさえ、
顔を真っ赤にしたままベッドの上で天井を見ていた。



「おはよう。朝御飯……じゃなくて、もうお昼ご飯なんだけど、それはもうあそこの台車の上に置いてあるわ。」

お嬢様の部屋を抜け出して、冷たい水を貰いに入った厨房。
パーティ当日だから厨房の担当の子達が今はひしめきあっているのだろうと思えば、
まだ誰も来て居ない様子で。いつもより少し多めにポケットのついたエプロンを着た咲夜さんが、
ただ一人、先に料理を始めていた。

「おはようございます。……申し訳ありません。取りに来るのが遅れてしまって。」
「昨日は色々あったのでしょう?寝坊しても誰も責めないわ。」
「咲夜さんはパーティの準備ですか?」
「そう。……もう皆の分のお昼ご飯は作ったのだけど、早く皆に食べて貰わないと作業できるスペースが空かないのよ。」

ちらりと見たテーブル。……ここはまだ、未調理の物ばかりだ。
ということは、恐らく既にできている昼食というのは食堂の方にあるのだろう。

「起こしてきた方が良いでしょうか。」
「大丈夫。お嬢様もお腹を空かせているのでしょう?早く持って行ってあげて頂戴。」
「はい。」

咲夜さんの脇に立って、空っぽだった水差しを取って冷たい水を満たして行く。
……とんでもない冷たさ。冬の厨房の子達と、お洗濯の担当の子達は本当に凄いなって思う。
こんなのにずっと手を突っ込んでいたらきっと真っ赤になってしまうだろう。
満たした水差しを台車に載せて厨房の入り口で一礼すれば、
あまり余裕が無いのか、咲夜さんはただ、小さく手だけを挙げて応えた。

台車を引いて帰る途中、パーティ当日の館の中にしては珍しく、
床を蹴って走る音が遠くの方から響いてきていて。
気になって台車を止めて音のする方へと視線を動かして見れば、こちらに向かって走ってくる方が居た。
……図書館のお姉さんだ。何か、大きなものを背負っている。
段々と近づくにつれて大きくなるその姿。よくよく見てみれば、
背負われていたのはいつも図書館にご飯を運んでいるはずの友達だった。
……何故か服も髪も濡れている。お姉さんも、友達も。

「どうしたんですか?」
「この子、のぼせちゃったみたいで。……医務室の子ってたぶん、今居ないですよね?」
「たぶん、そうかと。今日はパーティだから皆まだ寝てるかもしれません。」
「……分かりました。」

そう言うと、お姉さんは友達を背負い直してまた走りだした。
あの方向は……図書館の方か。ひょっとして一緒にお風呂に入って居たのかな。
お姉さんのことが好きだからって、きっとお風呂の中で会話に熱でも入ってしまったのだろう。
……いけない。私も早くお嬢様の所に戻らないと。



~~



回っていた視界も段々とふわふわした物に戻ってきて、
彼女の居なくなってしまった部屋の中、ベッドの上で大きく伸びをした。
……久しぶりにとっても長いお風呂だった。いつ以来なんだろう。
思い出そうとしたけれど、全く覚えて居なかった。

頭を預けた枕。顔を埋めてみると、ちょっと彼女の匂いがする。
お風呂から出てもうかなり時間が経つのに、まだ胸がどきどきしたままだ。
眼を閉じると今朝の感触がすぐに蘇ってくるからかもしれない。

ああいうのは、皆知ってることなんだろうか。
ひょっとして私だけ遅れているんだろうか。そう思うと、ちょっとだけ不安。
とても慣れた手つきで……気持ちは良かったんだけど、返してあげられなくて。
彼女はそれでも構わないかのように穏やかな笑い声を聞かせてくれたけれど、
やっぱり、返してあげたい。気持ち良くなることを。

練習すれば良いのかな。
でも、どうやって練習すれば良いのかな。
結局自分の体を使うことになるのかな。……そうなると練習というより、痴態を晒しているだけじゃないだろうか。

そんなことを考えていると、カタカタと廊下の方から台車が床を鳴らす音が響いてきて。
慌てて考えていたことを頭の中から追い出した。
ぱん、と頬を叩けば少しひりひりしたけれど、
たぶんこれで変な顔にはなっていない……はず。

「おかえり。」
「ただいま戻りました。……元気になったようで、良かったです。」
「大丈夫って言ったじゃない。」

彼女は私の顔色を見てほっとした様子で、テーブルの脇へと台車を運んだ。
どうやらお昼ご飯はサンドイッチのようだ。きっと夕食が豪勢になるからいつもと違って軽いお昼なのだろう。
でも今はちょっとだけ、いつもよりお腹が空いていた。
何でだろうって考えたら、やっぱりさっきしていたことに行きついた。

「もうちょっと、欲しいですよね。」
「そうだね。」

彼女も、やっぱり空いていたみたい。
きっと、夜は凄く沢山食べて帰ってくるんだろうなぁ。
お腹、撫でたらどんな感触がするんだろう。
そんなことをしたら、苦しくて嫌がるだろうか。

「楽しそうですね。」
「うん?……うん。楽しいから。」
「ですか。」

でも、撫でたい。撫でる。撫でさせてくれるはず。……きっと。
疲れて無かったらまた一緒にお喋りしたい。私に話題は無いけれど、話して居たい。

「顔、何かついてますか?」
「ううん。それより、お水貰って良いかな。」
「あぁ、はい。」

変われてきたんじゃないかなって、そんな実感が。
……今はとても、嬉しかったんだ。



~~



眼が覚めた時、私は部屋の中に居た。
すっかり窓の外は明るくなっていて……どうやらお昼を回っているらしい。
周りの友達のベッドの方を見てみたけれど、もうそこには誰も居なかった。

何を、していたんだっけ。
それがあまり思い出せないで、起きた所から頭の中を整理して。
思わず触れた髪の毛の寝癖の感触で、ぱっと頭の中に咲夜さんとの出来事が蘇ってきた。

顔が、唇が、熱くなった。
唇へと指先を近づけて、そっと触れて。消えかけていた感触を思い出して。
眼を閉じれば、瞼の裏に咲夜さんの顔がふわりと浮かんだ。
温かな肌の感触を思い返して、顔を埋めなおした枕。
自分の熱で温かくなっただけのそれが、重ねた肌の様にすら感じてしまう。

あれから、どうなったんだっけ。
お嬢様の部屋まで運ばれたことは覚えている。
お嬢様に何があったのか、聞かれたその時までは。
……勿論、言わなかった。それは咲夜さんと交わした約束だから。
……でも、凄く心配してそのことを尋ねてきたのは分かったから、
お嬢様には申し訳無かったなって、今になってちょっと思う。

ぐぅ、と小さな音がお腹から響いた。もう皆はお昼ご飯を食べたのだろうか。
皆、会場の準備をしているのだろうか。それとも、どこかでお昼寝しているだろうか。
……もう一度お腹が鳴って、体を起こして。
まだお昼ご飯が残っているのか不安になりながら出た廊下には、
厨房から流れてきたのか、甘い良い匂いが漂っていた。



厨房に近づけば近づくほど、大きくなっていく美味しそうな匂い。
きっと、お菓子を焼いているんだろう。
少し焦がれた焼き菓子の匂い。
喉を通る時のほっとするようなその感覚を思い出して、早く食べてみたいなって思って。
そっと食堂を覗いてみれば、大半の机は材料置き場になっていたけれど、
一番手前の一つの机だけふたり分のお皿が残されていて、その上にサンドイッチがそれぞれ載って居た。

……ちょっとかちかちで、ぱさぱさ。
かなり長い間寝てしまっていたのだろう。
でも後一人分あるから、きっと誰かがまだ寝ているか、どこかで頑張って居るんだろうな。

「体は何とも無かった?」

サンドイッチの最後の一つを口の中で押し切った時、声をかけられた。
振り返れば少し大きなお皿を持った咲夜さんが後ろに立っていた。

「……無理に答えなくても良いわ。大丈夫そうね。」

私は、どちらかというと咲夜さんの体調を心配していたのだけど……。
この分だと、たぶん大丈夫だろうということは分かるけれど、
あれからお咎めとか無かったのだろうか。

「大丈夫よ。……ありがとう。」

その気持ちを分かってか、私の眼を見て咲夜さんがそう言ってほほ笑んだ。
そして部屋の奥の方の何かのお皿と入れ替えたその後で、

「つまみ食いはしないでね。」

そう言って、また厨房の方へと入って行った。
思えば、いつもなら慌ただしいはずの厨房なのに、今日はやたら静かだ。
厨房の担当の子達、今は居ないのだろうか。
ひょっとしたら咲夜さん一人で準備しているのかな。
だとしたら……皆どこに行っちゃったんだろう。
やっぱり、会場だろうか。



館の中で一番大きなホール。
わけわかんない位大きい、といつも説明してくれるのはここの掃除を担当するお友達だ。
私だってこの前この場所の掃除担当になった時、そう思った。
広いとは言っても、それは一人で居るからとても広く感じるのだ。
実際はそこまで広い訳ではない。沢山のテーブルを並べてここで働いている皆を集めると、
少しだけ狭さを感じる位だ。
……思えば、咲夜さんが色々考えるようになったのはあの日だったのか。
そんなホールに近づくにつれて、聞きなれた皆の話声が私の耳にも届いた。

「おはよう。」
「もうお昼だよ?どんだけ寝ぼけてるのよ。」

先に準備を進めていた皆に悪いなって思いながら私もそれに参加して、
私の言葉に笑う友達と一緒になって、テーブルを並べていく。
……案外、クロスをかけていない状態だと、色んな痕がこのテーブルには残っている。
片付ける時にぶつけてへこんでしまった痕や、刃物を落としてしまったのかなって、そんな傷も。
テーブルクロスをかけてしまうと誰にも分からないけれど、
ずっと昔から使って来たらしいこのテーブルは、これから先もやっぱりずっと使われていくのだろう。

「そういや、厨房の子達は?」
「うん?あそこ。……何だか、今回は咲夜さんが一人で全部料理するらしいよ。」
「……とても真似できないよねぇ。」
「うん。お陰で手持無沙汰になったらしくてさ、先に会場準備しよう!って、そういうことになって。
だから皆でここに集まって準備を進めてたの。」

そっか。……とりあえず、元気にはなったんだな。だとしたら、嬉しいなって。
いつも咲夜さんから元気を含めていろんなものを皆揃って貰ってばかり居たから。

お洗濯をいつも担当している子達が、皆ひぃひぃ言いながらテーブルクロスを運んでくる。
……あれ、結構重たいのだ。一枚一枚でもかなり重たくて、重ねると案外馬鹿にできない。
洗うとなると水分を含むから余計につらいんだって、前に聞いたこともある。
お陰で腕が鍛えられて、二の腕のふにふにした部分が減ったとも言ってたっけ。
あの感触、結構好きなんだけどな。だるーんって、ならなければだけど。

「そういえば食堂に私の分の他にもう一人分サンドイッチ余ってたんだけど、あれ誰のだったの?」
「あー、あれ。えーっと、ええと……そう!図書館にいつもご飯を持って行くあの子!
まだ寝てるんじゃない?私には分かんない。今日もまだ見てないよ。」

そっか。……風邪でも引いてしまったのかなぁ。
せっかくのパーティなのに。勿体無い。
……それとも、ここぞとばかりに寝溜めでもしてるんだろうか。



~~



ぱらり、という音が聞こえる。
あまり親しみは無いけれど、知っている音だ。
体が少し重たい。頭はもっと重たい。

ぱらり、という音がまた響く。
……紙をめくる音。本を、読み進める音だ。

「あら、お目覚め?」

眼を開ける。ここは……どこだろう。見たことのない天井だ。
重たい頭を動かして声の主を探してみれば、私が寝ていたベッドのすぐ脇にパチュリー様が座ってた。
なんで、パチュリー様がここに居るのだろう。
……そしてここは、どこなんだろう。でも、とても知っている匂いだ。とても……。

「もう少し寝ていなさいな。」

私は、お風呂でお姉さんに会ってお話して。
……打ち明けて。また、お話して。あぁ、そうだ。のぼせてしまって……。
眼を閉じて深呼吸をする。これ、お姉さんの匂いだ。
だから、たぶんこれはお姉さんのベッドなのだろう。

「パチュリー様。」
「うん?」
「私、あのお姉さんのこと、好きです。」
「ええ。知っているわ。傍から見てれば分かるもの。気持ちに気づいて居なかったのはあの子だけ。」

どうせいつかバレてしまう気持ちだからと打ち明けたけれど、
やっぱりパチュリー様はパチュリー様だ。

「パチュリー様が羨ましいです。」
「私には貴女が羨ましいわ。」

私が?

「不思議そうね。でも、そういうものよ。貴女は私とあの子の関係が羨ましいのでしょう?
私はね、貴女とあの子の関係が羨ましいのよ。立場が違うとね、触れあい方だって変わるのよ。
私だって貴女のような付き合い方をしてみたいなって思うことくらい、あるのよ。」
「ですか。」
「そう。……貴女の気持ちは大切になさい。」

そう言うと、ぱたんと本を閉じる音が響いた。
読み終わってしまったらしいけれど……一体どれだけ読んでいたのだろう。
眼を閉じてそう思っていると、こつこつと足音が近づいてきて、ぎしりとベッドが揺れた。

「あの子、貴女から聞いた色んな話を楽しそうに私にまた話してくれる。
私はずっと図書館に居るから、中々楽しい話題は振ってあげられなくて。……感謝してるわ。」
「パチュリー様。」
「うん。」

また眼を開ければ、パチュリー様が私に背を向けて座って居た。

「これからも、よろしくお願いします。」
「……ええ。遠慮しなくて良いわ。私も、しないから。」

また、ベッドが揺れて。こつこつと響く音が段々と小さくなっていく。

「もう少ししたらあの子が来るわ。」

そう言い残して、パチュリー様は部屋から出て行った。



……静かだ。そして、とても温かい。この季節、いつもベッドに入る時には凍える様な気分なのに、
ここは部屋の中もベッドの中もとてもポカポカしている。
パチュリー様の魔法か何かなんだろうか。
それとも、長く居すぎたのだろうか。



また、うとうとし始めた頃。静かすぎた部屋に、急ぎ足の足音が近づいてきた。
部屋の前で止まったかと思えば、静かな音と一緒に少し冷たい風が肌を撫でた。
さっきまではあれだけ響いていた足音が、今は忍び足のようで。
……でも、擦れる衣服の音で近づいてきていることも、それが誰かもすぐに分かった。

また、ぎしりとベッドが軋んだ。
眼を開ければ、お姉さんが私の顔を見ていた。

「大丈夫ですか?」
「……まだ少し、頭が重たいです。」

本当は、重い以上に熱い。体もだ。
だって、良い匂いがするから。……心地よくて、まるで抱いて貰っている様な気にさえなる。
もう少しだけ体に掛って居た毛布が重かったならば、きっと良い夢だって見たのだろう。

「動揺して、あまり体を拭かずにお風呂から引っ張り出して来たものですから、
ひょっとしたらそれで体が冷えてしまったのかもしれませんね。」
「い、いえ。一人勝手にのぼせてしまったのは私ですから。」

体を起こしてそう返すけれど、寝ていた時よりよっぽど頭はふらふらしていた。
ひょっとして本当に風邪引いちゃったかなって、
そう思った時には少し冷たい手が私の額に触れていた。
……大きな手。柔らかくて、ひんやりして。鼻のあたりまで何だかすっきりしてくる。

「せっかくパーティがあるのに……ごめんなさい。」

眼を閉じたら、体を優しく抱きしめてくれた。
その時初めて、自分が裸で寝かされていたことに気づいた。
着替えは……どこかで干されているのかな。

段々と、抱きしめられていた部分が温かくなっていく。
やっぱり熱があるのかもしれない。……私の方が、温かいもん。

「パーティには出られないかもしれないですけど、今はこうして居て心地良いです。……御迷惑かもしれませんが。」
「……クリームたっぷりのパイ、しっとり甘いケーキ。美味しいお酒。温まった体で食べるアイスクリーム。食べられないですよ?」
「同じ位美味しい思いを今はしていますから。」

そう言えばお姉さんが笑い、抱かれていた体が解放された。
ちょっと物寂しくなったけれど、そのままパタンと倒れ込んだベッドはやっぱり温かくて。
その寂しさもすぐに忘れてしまって。

「治るまで、ゆっくりしていって下さい。」
「良いのですか。」
「私からすれば、家族を看病するのと一緒ですから。」
「……ありがとうございます。」

起き上がったせいでまたズレ落ちた毛布を、お姉さんがまた、あげてくれて。
また、少しずつ眠たくなって。

「おやすみなさい。」
「おやすみ、なさい。」

……お姉さんには悪いけれど、もう少しだけこの熱っぽさが続いてくれたらなぁ。
まだ、もう少しだけ。もう少しだけ、この心地よさの中に居たいから。



~~



「良し!」

と、自分で言ったにしては、久しぶりに明るい声だったのでちょっと恥ずかしい。
でも、この厨房には誰も居ない。皆先にホールに行って貰ったからだ。
後はここにある料理を運べば終わり。最後の一皿もやっと盛り付けが終わって。
いつ以来だろうか。完全に一人で準備をしたのは。……気分が良かったから勢いでやったものの、流石に少し疲れた。

ひと息吐いて伸びをして、時間を止めて厨房を出る。
流石に厨房前で待っている子は居なくて、思っていた通り、皆が皆ホールへと集まっていた。
待ちくたびれた様な子も居れば、少し大きなテーブルを前にしてここは譲らないとばかりに気合いを入れている子、
窓から月を見上げている子に、何故か準備体操の途中な子。
……かなり、待たせてしまったのかな。
夕日ももう沈んで、やっと月が顔を出そうとしている。

そんな皆の様子を確認した後、一人向かったのはお嬢様のお部屋だ。
日没までに起こしてくれと言われていたけれど……たぶん許して頂けるだろう。
部屋の前で一度自分の身だしなみを確かめて、付けっ放しだったエプロンを隣の自分の部屋の中に放り込んで。
止めていた時を動かし始め、静かにノックした。
……物音がする。既に起きていらっしゃったようだ。

「準備はできた?」
「はい。皆集まっています。」
「ありがとう。行くわ。」

お嬢様の言葉にドアを引けば、こつこつと靴を鳴らしてお嬢様が部屋を出た。
……寝る、と言っていたような気がするけれど、すぐに眼が覚めてしまったのだろうか。
あまり寝て居たような形跡は無かった。

こつこつと歩くその後ろに付いて一緒にホールに向かった。
待ちくたびれていたこともあるのだろう。かなりうるさくなっていたけれど、
お嬢様が姿を現わせば皆に凄い勢いで沈黙が広がって、皆がお嬢様を見つめた。

「……ふぅ。」

壇上に立って、お嬢様が一息。……ぴんと、羽が伸びている。

「ん……ん!皆、今年もお疲れ様。今日はパーティだから何をしても構わないけれど、醜態は晒さないように。」

話し始めたお嬢様の傍から離れ、一人始めるのは乾杯の準備だ。
お酒に弱い子も居るから、その子達のはただの葡萄ジュースに変えて、
各々がついたテーブルへと手早くグラスを並べていく。
余程期待しているのか、挨拶の中お腹を鳴らしている子も居た。
本当はこういうお腹に対してお酒をいきなり飲ませるのは良くないのかもしれないが、
勿論乾杯の後はパッと料理を出すつもりだ。勿論、文字通りに。

「さて、今年もこうやって無事に開催できる訳だが、今回はちょっと先に聞いておきたいことが1つある。
皆は。……皆には好きな相手は居るだろうか。……あぁいや、別に手はあげなくて良い。」

私がさっきあんなことを言ったからか、今回の話題はそんな話題で。
私も反応しそうになったけれど、とりあえずは何事も無かったように装ってグラスを並べ、
お嬢様用の最後の1つをそっとお嬢様に差し出した。

「あぁ、ありがとう。……今、心に浮かんだ相手が居る皆。大切にして頂戴。それ自体は素敵なことだから。
それと、もうひとつ。時間が経てば誰でも変わるわ。だから、その時その時で相手を見られるようになりなさい。
時間が変われば、場所が変われば。見える物は必ずしも今までの物とは限らない。色んな発見があるはずだから。」

手のひらでグラスの中のワインを転がして遊びながら、そんなことをお嬢様が続けた。
……本当は妹様のことを言いたかったのだろう。
そのことが皆に伝わっているかは分からないけれど、皆はただお嬢様のことをまっすぐ見ていた。

「さて。……そろそろ良い具合に話に飽きてきたかしら。私もお腹が空いて来たわ。
皆、グラスは持っているかしら。……あるわね。それじゃ、今年はお疲れ様。乾杯。」

私も葡萄ジュースを手にとって、お嬢様の合図で上がったグラスに合わせて私もグラスをあげた。
皆が上げ終わったのを見て、満足そうにひと口飲んだお嬢様。少し笑って、そのまま壇上から降りた。

「料理、お願いするわね。」

その言葉を聞いて、私はグラスの中身を飲み干すと、
一人止まった時間の中へと戻って、厨房へと駆けたのだった。

一皿、一皿。せっかく作ったものだから、ゆっくり運んだ。
こういう時こそ台車の出番!と、言いたいのだけれど、
案外に台車が通りやすい配置には、テーブルも皆の位置もなっていない。
だから毎度毎度、手間ではあるけれどそうやって運んでいるのだ。
これはこれで、盛り付けを崩さない目的もあるから直そうとは思っていない。

最初の分のお皿を運び終えて、厨房のドアを閉めて戻ってきたホール。
時を動かしても問題無さそうなことを改めて確認して、お嬢様のすぐ傍まで戻ると、
そっと時間の流れを元に戻した。

あがる歓声。……この声を聞く度に、ああ良かったと安心する。
お嬢様もこちらを見てにやりと笑うと、

「お疲れ様。」

一言だけそう言ってくれた後で、妖精達があっちこっちへと飛び交う中へとお嬢様も加わって行った。



ふと、思い立って好きな相手が居る妖精の子達をじっと観察してみた。
あんな挨拶の後だからか、私が思っていた以上に意識しているようだ。
あの手この手とまではいかないけれど、どうにか相手の子の注意を引けないかと頑張ろうとしている子も居る。
お酒が早速回って居るのか、そんなアプローチをほとんど気付いて貰えてないけれど……それでも、何だか楽しそうだ。

ちらりとらりと、それぞれのテーブルを確認しながら、空になってしまったお皿をどんどんと新しい物へと変えていく。
お昼ご飯が軽かったお陰で、結構さくさくと食べ進められている様だ。
これなら今年も料理が余ることは無さそう。……余ると悲惨だ。
たまに妖精達が二次会に持って行ったりしてくれるけれど、
大体は美鈴が少し蒼い顔をしながら食べて居たりする。

食べる勢いが少しずつ収まりを見せ始めた所で、改めてパーティを眺めてみれば、
食べることはまるで二の次だと言わんばかりにきょろきょろと誰かを探す子が一人居た。
よく見てみれば、妹様のお付きの子だ。
誰を探しているのだろうと思いしばらく眺めていると、急にたっと走りだして、
かなり熱心にもぐもぐと頬張っているある一団へと向かって行った。
あれは……門の子達だ。そうか、きっとお嬢様の為に。

……自己紹介している。そっか。あの子はあまり他の子とは接点が無いんだ。
いつもあそこに居るから。仕方が無いと言えば、そうなのだけど。
……聞いた子達が焦りの色を見せ始めた。けれど、逃げたりはしていない。
まあ相手が同じ妖精だからというのはあるのだろうけれど、
それでも昔に比べたら随分マシになったんだなって。それは、少し嬉しかった。

ふと、その様子をもう一人熱心に窺っていることに気づいた。
お嬢様だ。視線こそ送って居ないものの、あれやこれや色んな会話が飛び交う中で、
一人じっと意識を尖らせていた。
心配なのだろう。背中の羽をぴんと張らせたまま、まるで動こうとしない。

会話の内容としては、あまり噛みあっているとは言えなかった。
フランドールお嬢様のお付きの子は、周りの子達に今のお嬢様のことを知って貰いたくて話しかけている。
けれど、聞いているあの子達は、耐えられなくなった子達だ。
……安全かどうかよりも、もう関わりたくないという気持ちが強い子達。
ただ、一生懸命に話してくれるからその場に踏みとどまっている。そんな感じだ。
強い子だと思っていたお陰もあってか、その姿が私にはとても不憫に見えた。

お嬢様が少しして、耐えられなくなったとばかりにそっと離れていった。
視線をお嬢様の方へと移してみれば、私に気づいたのか、視線が私と重なった。
何も、言わなかった。でも苦そうに、ただ首を横に振って。
それから手近にあった料理へと少し手を付けると、そのまま廊下の方へと出て行ってしまった。



~~



「珍しいですね。こちらにいらっしゃるのは。」
「……そうね。時間、良いかしら。」

雪が降り始め、面倒だなぁと思いながらも、雲と僅かに見える月を見上げていた。
そんな中、風の音以外にこつこつと響いていた音に視線を下げて後ろを振り向けば、
暗い顔のお嬢様がそこには立っていた。

「他の子がおりませんので、ここで良いのでしたら。」
「構わないわ。」

……構わない、とは言うものの、いつものままの格好だ。
パーティをやっていたはずなのだけれど、そのままここに来たのだろうか。
せめてマフラー位は着けてくれば良かったのに。
仕方が無いから私のマフラーを引き抜いて、とりあえずとばかりに
晒されていたお嬢様の首へとマフラーを巻いていく。
……私の身長に合わせた物だからか、地面に垂らすまいと巻きつけたら、
何だかちっちゃいミイラみたいになってしまった。
言ったら怒られてしまいそうだけど。

「……あったかいわね。」
「そりゃぁ、マフラーですから。」
「ねえ、美鈴。聞きたいことがある。私はフランの為に何をすべきなのかしら。」

恐らくはパーティでそんな話題があがったのだろう。
相変わらずフランドール様のことになると、いつもこんな調子だ。
本人の中で解決できないことが沢山あるから、というのは分かっているんだけど。
普段はこういう不安げな様子をあまり皆の前で見せないからか、こうして見る姿はいつもよりも小さく見えた。

「私は何をしてあげられるのだろう。……フランのお付きの子、今頑張ってここの子達を説得しようとして居るわ。
けれど、あまり進展はしそうに無かった。それは、仕方ないことかもしれない。
でも、それに対して何もしてあげられない自分が、情けないのよ。」

マフラーの端を指先で弄りながらお嬢様がそう続けた。
やっぱりまだ寒いのか、お嬢様はゆっくりと歩いて私の体を盾にするように風下へと隠れた。

「そういう時、大体は目標がちゃんと定まっていないんですよ。お嬢様の目的は何なんですか。」
「あの環境から、フランを解放すること……かしら。」
「じゃないでしょう。」
「……そうね。その上で、私以上に色んな経験をして欲しい。それが私の願い。
私は、あの子にこの世界を楽しんで欲しい。……だと、すれば。」

だとすれば、の言葉の先は無かった。
当たり前と言えば当たり前だ。まだ実現していないことだし、見通しだって立っていないことだから。
けれど、私はそれで良いと思う。お嬢様は確かに姉ではあるけれど、それだけじゃないんだ。
この館の中の一番の、権力者なのだから。

「夜の中にはどうしても、時間以外に解決してくれるものが無いこともあります。
自分の力でどうにもならないことが、あるんです。そういう時に必要なのは、誰かの力を借りることです。
もしもお嬢様が力を貸して欲しいと頼まれた時、ちゃんと必要なだけ力を貸してあげられるか。
それがお嬢様に求められていることだと、私は思うのですが。」
「……そうね。」
「あと、もうひとつ。お嬢様は私達の大切な主人ですから。……皆共通の。
だから、虚勢でもふてぶてしく笑っていて下さいな。主の自信の無い顔というのは、思った以上に皆を不安にさせるものですよ。」
「そういう顔、してたのね。」

別にそんな顔をしていた訳じゃなかった。
ただ、顔色では騙せても、声色を騙せていないから。
私がお嬢様の言葉に頷けば、お嬢様がぱちぱちと顔を叩いた。
……こんな寒い中でそんなことをしたら、相当痛そうなのだけど。

「よし、戻るわ。まだ夜も長いけど、お願いね。」
「慣れてますから。……あの、マフラー良いですか。」
「ああ、そうね。……はい。」

ぐるぐる巻きになっていた私のマフラーを引き抜いて、私の方へと突き出した。
……やっぱり私が巻くと、ただのマフラーだ。
さっき渡した時よりもちょっとだけ冷えている。
私が一礼すれば、お嬢様はただ少しだけ手をあげた後、去って行った。



~~



「言いたいことは分かるんだけどさ……思い出しちゃうと。」
「……そっか。」

結局、私は説得しきるには至らなかった。
もう少し彼女達の都合を考えて、言葉を選ぶべきだったのかもしれない。
……彼女達が認めてくれれば、お嬢様も外に出られるって。
そう考えていたけれど、少し勘違いだったようだ。
何を言っても、皆には耐えがたくて変えられない過去の記憶がある。
結局それを思い出してしまうから……判断材料はそこばかりに偏っていた。
当たり前のことではあったのに、あまり考えられて居なかった。

どうしたら、良いのかな。
そう思っていたら、ふと彼女達のすぐ後ろに見知った方が現れた。

「せっかくのパーティなのに、何だか暗いですよ?」

図書館のお姉さんだ。……パチュリー様と来ているのかと思えば、どうやら一人みたいだ。
そういえば、ここに来てからいつも図書館にご飯を運んでいる友達を見て居ない。
あの子も居たらもう少しお嬢様のこと、知って貰えたのかな。
あの子が居たらもう少しお嬢様のこと、話し易かったのかな。

「ははぁ、妹様のことですね。」
「……はい。」

私達を眺めて、合点がいったようにお姉さんがそう言った。
その言葉に返したのは、門を守る子の一人だった。

「やっぱり、その。怖くて。」
「……良いんじゃないですか?それは。」

私が言葉に詰まって居れば、代わりにとばかりにお姉さんが答えた。

「怖いものは怖いです。仕方ないですよ。私だって昔は妹様のことが怖かったです。
でも、今はそこまでそう思ってないんですよ。……何故だと思います?」
「この子がそう言っているからでは、無いのですか。」
「沢山のことが変わったからです。妹様が大暴れして居た頃と、今とでは。
一番大きなことは今の一番の妹様の悩み。それは、貴女達に怖がられることなんですよ。
そしてもう一つ、教えてあげましょう。……本当は秘密なんですけど。
妹様はもう、封印されていません。自分から地下に籠って居るんですよ。貴女達が、怖くて。」

……ついに言っちゃった。
レミリアお嬢様から硬く、言うなと言われて居たのに。
たぶんそれは、このお姉さんだって知って居たことなのに。

「どう……して?」
「妹様が変わったからです。それについては、貴女達もこの子達から聞いたのでは?
私はこの子の言ったこと、信じて居ますよ。いつも図書館にご飯を運んでくれる子が居るんですけど、
その子がこの子を信じているから。だから私も信じてます。パチュリー様だって、
私が信じていると言えば、同じように信じてくれると思います。」

お姉さんが、門番の子達の中のふたりを選んで、その手を拾って。
その二人の手を、そこに居た私達が見られるように重ねた。

「これが知って欲しいことなんだなって思ったなら、貴女達同士なら賭けるもの無く信じることができるでしょう?
お互いが大切な仲間だから。私だって同じです。言った相手を信じられるから、信じているだけなんです。」

そっと離れたお姉さんの手。しばらくそのまま、ふたりの手は重なったままだったけれど、
少ししてぺたんと、また服の横へと戻った。

「今はまだ、怖くても良いと思います。仮に今妹様が貴女達に会っても、頭の中が真っ白になって何も言えないでしょうし。」

そこまで言って、お姉さんが穏やかに笑って。

「根っこから相手を信じるのは、実はとってもとっても、難しいんです。
けれど、信じられるようになった時は、とっても気持ちが良いんですよ。
好き、という言葉にも色々ありますけど、その言葉の入り口は案外そういう所なのかもしれませんね。」

……お姉さんの言葉はそこで終わった。
私も、門の所の皆も。気が付けば、周りに居た子達の幾らかも、じっとその言葉をただ聞いていた。
誰も、何も言えなくて。納得したようにちょっと恥ずかしそうに笑う子も居れば、
何も無い所を眺めて考えている子も居て。
私がお姉さんを見上げれば、お姉さんも気付いて私を見た。

「申し訳ないです。秘密をばらしてしまって。もしも、騒動になった際には今の会話のこと、
咲夜さんとお嬢様にお伝えください。貴女が責を負う必要はありません。私が負いますから。
……だから、そんな心配そうな顔、しなくて良いのですよ。」

そこまで言われても、私はありがとうも言えずに居た。
ただ、頭を下げることしかできなかった。

頭にぽんと、手を載せられた。お嬢様の手より、少し大きくて、少し温かい。
友達がこのお姉さんのことを好きだと言った気持ちが、何となく分かった気がした。

「……さて!暗いのか明るいのか良く分からない話はこの辺にして。ちょっと皆さんにお願いがあるんですよ。」
「何でしょうか。」

ありがとうも言えなかった私が、お姉さんに返した最初の言葉がその言葉。
情けないな。とてもお嬢様にはこんな姿、見せられない。

「ここにある料理、色々食べてみたと思うんですけど、美味しかったって思う物を、お皿に盛って来て貰えませんか?」
「何かあったんですか?」
「貴女のよく知っている、図書館にご飯を運んでくれるあの子、今ちょっと体調を崩していまして。
ふたりで看病をしているんです。私は、ここに3人分の食事を貰いに来たんですよ。」

……のぼせてしまったあの後、そんなことになって居たのか。
あまり大事になっていなければ良いのだけど。
けど、ちょっと羨ましいな。看病して貰えているんだ。
お姉さんのこと好きだって言っていたから、つらい半面絶対に楽しんでいるだろうなって。
……私も、熱とか出したらお嬢様が看病してくれるのかな。

「なので、お願いできますか。私はその間に台車を調達してきます。……ここには持って入れそうにないですけど。」

ちらりと見れば、門番の子達も私の方を見て頷いて。
私もお姉さんに頷いて返せば、嬉しそうにお姉さんは笑った。



~~



「良い匂い、と言いたかった所だけど、何だか凄く混ざった匂いね。」

いつも食事に使うテーブルに、貰って来たお皿を一皿一皿並べていく。
三人で食べるにはいささか少ない量かもしれないが、
あまりあの子の体調も良くないことを考えれば、恐らく丁度良い量だろう。
あまり大きなテーブルでもないから、そこまで乗せられないし。それに、

「ええ。妖精の子達に選んで貰ったんですよ。……たまにはそういうのもありかと思いまして。」
「……デザートが無いわよ、これ。」

勿論、デザートもお腹に入れたいですしね。

「まだその時間じゃ無かったみたいで。そっちは咲夜さんにお願いして、
三人分ほど取っておいて貰ってます。あの子はまだ、寝てますか?」
「ええ。たぶん大丈夫だと思うわ。」
「では、起こしてきますね。」

日頃もデザートが出てくることは多いけれど、
咲夜さんにお願いせずともデザート食べ放題になる日というのは滅多にない。
まぁ、数に限りがあるから本当の意味での食べ放題、とはいかないのが現実だけど。
それでも日頃食べる量に比べればとても差があるのだ。

自分の部屋をノックする。その行為自体にはとても違和感を覚えるけれど、
中から彼女の返事があった時にはもうそんな気持ちは消えていた。
部屋に入れば、彼女がベッドの上で毛布を巻きつけた体を起こしていた。

「お夕飯、パーティから分けて貰いました。ご飯にしましょう。……テーブルまで、行けそうですか?」
「大丈夫です。……ありがとうございます。」
「いえいえ。でも、無理はなさらないで下さいね。」
「ところで……その。」

一足先に部屋を出ようとした私を、呼びとめるようにちょっとだけ大きな声で彼女が尋ねた。

「私の服、無いんですけど……。」

そうだった。びちゃびちゃにしちゃったから、結局下着だけ残して脱がせてしまったんだ。
脱いだ服は何も考えずにお洗濯の担当の子達に渡してしまったし……。

「私ので良かったら。……ぶかぶかになるとは思うんですけど。」
「貸して貰って、良いのですか?」

言いも何も、それしかないのだ。
この子の部屋の位置は未だに分かっていないし、仮に分かったとしても大体は誰かと相部屋だから。
服や下着を探していて、他の子の下着なんかを間違って持ってきたら彼女に申し訳ないし、
間違って持って来たそれを返しに行くのも……。

「ええ。」

彼女でも着ることができそうなもの。
……とりあえずはシャツに、スカートと……あと上着。
思い立った順にクローゼットから引っ張り出して、彼女に渡して行った。

「いつものテーブルで待ってますね。」

そう伝えれば、彼女はしっかりと頷いて、いそいそとシャツに袖を通し始めたのだった。



彼女がやってきたのは、それからちょっと経ってからだった。
……どうやら寝癖を頑張って直していたらしい。私が体も髪も拭かずにつれて来たのが原因みたいで。
テーブルについてからも気になるのか、摘まんではぴっと引っ張って居た。

「それじゃあ食べましょう。」

パチュリー様のひと声で、三人揃って手を合わせた。
食べ始め、この子はどう出るのだろうと思って窺って居れば、パチュリー様も同じことを考えていたらしい。
二人揃ってその子を見つめてしまい、近場のお皿に手を伸ばそうとしたその子が、
私達の視線に気づいて気まずそうに手を引っ込めた。

「良いのよ食べて。」

パチュリー様がそう言いはするけれど……まぁ、自分に視線が集まっていたらやっぱり食べづらいだろう。
だったら……だったら、悪戯してみよう。

「ほら、彼女は病人ですから。さ、お口あけて。」

手近にあった皿からローストビーフを一枚。零れそうな程にソースをつけて、彼女の前にちらつかせる。
真っ白なテーブルクロスに今にも落ちそうな程のソースだ。流石にお洗濯をする子達の苦しみを分かっているからか、
反射とも言わんばかりにぱっと彼女が私のフォークを咥えた。
視界の隅に映るパチュリー様が目を丸くして、彼女は彼女で咥えたまま恥ずかしそうに私を見上げる。
視線が非常に……心地良い。
引きぬいたフォークで同じものをお皿から拾って、私も一口。
……ほんのり甘辛く、そしてちょっと酸っぱい。

「私にも頂戴。」

少し上を眺めながらその味を楽しんで居れば、ふとパチュリー様にそう言われ。
それがこの子に対抗するために言っていることは勿論分かって居たけれど、

「お皿、届きませんか?」

私だって元は悪魔ですから。

「……届く。」

顔はそのままに少しだけ寂しそうなその返事に、
よくできましたと言わんばかりにソースを付けたローストビーフをプレゼントする。
……今度はあの子の方が羨ましそうにパチュリー様を見上げる。
どうやら、あまり敵対はしていないようで、それはとても嬉しかった。

遊びながら食べるご飯は、久しぶりで楽しかった。
けれど、ちょっとだけやりすぎて私のお腹には全然入らなくて。
どこかお腹が寂しいままなのに、お皿の上のほとんどは空っぽになっていた。
ただ、どれも何故かひと口分だけは余っている。
……皆の遠慮の塊だから、あまり手を伸ばしづらい。

「お姉さん、あまり食べていらっしゃらないのでは?」

お腹が結構膨らんだらしい彼女がそう言って、

「そうね。」

それに合わせてパチュリー様が何故かにんまりと笑ってフォークを握りその子を見つめた。
その子も視線に気が付いて、しばらくお互いに見つめ合っていたけれど、
今度はふたりで示し合わせたように急に私を見つめ、
それから余っていたひと口へとフォークを突き刺すと私の前に揃って差し出したのだった。
するのは簡単で楽しいから良いのだけど、されるのはやはり、恥ずかしい。
しかし問題は、どっちから食べれば良いかだ。
口を少し開けば、ずいっとどちらのフォークも私の方に伸びてくる。
困って居れば、そんな気持ちが通じたのか彼女が大人しくフォークを引っ込めて。
そして勝ったとばかりにパチュリー様のそれが口の中へと飛び込んだ。
……ちょっとだけ、唇についた。

「そんなんじゃ私から奪えないわよ?」
「わ、私は奪うとか、そういうのじゃないですから!」
「知ってるわよ。……からかい甲斐があるわね。」

……結局最後の一口まで、私がそれから先フォークを持ち上げることは無かった。



~~



館に入りなおせば改めて室内の温かさを認識する。
ふと触れた耳はとても冷たくなっていて、今更になって手土産に何か熱い物を1つ位持てば良かったと後悔したが、
流石にこの耳をまたあの寒空の下に晒す気にはもうならなかった。

遠くに聞こえるパーティの声。恐らくデザートが出始めたのだろう。
館を出る時に聞いていたそれよりも少しだけトーンは高く、うるさい。
この位になると私の部屋に居たって……というか、館のどこに居たとしても大体響いてくる。
……そう。どこにでも。

パーティ会場に背を向けて、長い廊下を静かに進む。
立ち止まったのは、フランの居る地下の階段の眼の前だ。
きっとあの部屋の中にだって、この声は響いているのだろう。
まだここでさえ、十分に聞こえるのだから。

あの子は上でパーティをやっている時、いつも何をして過ごしているんだろう。
それを私は知らない。怖くて、お付きのあの子にだって聞くことができなかった。
あの部屋の中にフランを押しこめたのは私。そして、パーティの主催も私。

もしも過去のあの子が、あんなに手をつけられない暴れん坊でなかったのなら。
この階段の先は一体どこへと通じていたのだろう。ひょっとしたらワインセラーにでもなっていたのだろうか。
そこで寝かせて置いたワインを、パーティで皆笑いながら飲んでいたのだろうか。



フランに、会いたい。
けれど、足はまるで動かない。
何から話を始めれば良いのか、分からないからだ。
でも、フランに会いたい。会って、聞いてみたいんだ。
フランが何をしたいのか。あの子の口から、直接。

大きく息を吸いこんで、今度は胸の中が空っぽになるまで吐き出して。
私は一度自分の頬を叩くと、意を決して階段へと足をかけた。
……どうせ、考えていたって言葉には詰まるんだ。
だったらもう、最初から。最初から聞いてしまえば、きっと大丈夫だから。

一歩、一歩。踏み出す度に足音が通路に響く。
詰まる胸が重たい。それでも足を止めずに進み続ければ、部屋の前にはすぐに着いてしまった。
足を止め、息も止めれば、まだここにもパーティの声は響いていた。
……しかし、ドアの向こうは上と違いとても静かで。

深呼吸してドアを叩いた。少し遅れて聞こえたのは衣擦れの音。
ひょっとしたら寝ていたのだろうか。……起こすべきでは、無かっただろうか。

「開いてるよ?」

……どうやらお付きのあの子と間違えられたらしい。

「私よ。」
「お姉……様?」
「ええ。」

とん、とんと。少し前まで私の胸を叩くように鳴らしていた心臓は、
その声を聞いた途端から鼠のような早さで鳴っていた。
妹を相手にしているだけなのに、なんて有様だろう。
私が妹を怖がっているのでは、他の誰にもこの子のことを信じて貰えないじゃないか。
私が、私が一番先に信じなきゃいけないのに。

「……開いてるよ。」
「入って、良いの?」
「少なくとも私はまだ、そのドアを開けるつもりが無いから。」

そんな妹の声を聞いた後、冷たいドアノブへと手をかけゆっくりと部屋に踏み込んだ。
後ろ手にドアを閉めれば、ほとんど真っ暗だったはずの廊下の方が今は明るく思えた。
部屋の中に灯りはただ一つ。ベッドから少し離れた一本のみが、静かに光っていた。
その光の前、ベッドの上に影だけ映すフランが居る。羽がきらりと光を返していた。

「久しぶり。」
「……久しぶりね。」
「パーティだったんじゃないの?」

その声にふと耳を澄ませれば、やっぱり上の声が響いていた。

「ええ。でも、聞きたいことがあったから、聞きに来たの。」
「あの子のこと?」
「あの子も、少し関係ある。ねえ、フラン。貴女は……貴女はここから出たら、どんなことがしたいの?」

段々と眼が慣れて来て、影でしか見えなかったその姿も、段々とハッキリとしてきた。
久しぶりの妹の顔。忘れることは無いけれど、私が見ていた顔とはハッキリと違う。
……表情が、緩い。こんなに眉尻を落とした顔を私は見たことが無かった。

「色々してみたいし、見てみたい。……あの子とね。でも、その前に。」
「その前に?」
「聞いて貰えるか、分からないんだけど。……謝らないと、ね。」

……皆に、か。今もあの子は必死になって門の子達に説いているのだろうか。
私はフランの姉だから口を挟めず、助けることもできなくて逃げて来てしまった。
それでもまだ、あの子は闘っているのだろうか。

「きっと、今日頑張ってると思うの。あの子。」
「……そうね。」
「……その様子だと、駄目だったんだね。」

私の返答に、悟った様に小さな声で呟いた。
重たくて、寂しそうで。

……私は、ドアの前から動けないで居た。



お互いに何も言えないで居た部屋の中。
わっと、パーティの声が大きくなった。また何か、あったのだろうか。

「ごめんね。」

何故か、フランがそう言った。
天井を見上げていた私が視線を戻した時には、既にフランは頭を垂れていて。
すっかり陰になって居たせいで、もう表情は見えないでいた。

「迷惑かけないように、頑張るから。……頑張るから、約束して欲しいの。」
「何?」
「もう、心配しないで。ずっと見て無かったお姉様の顔だけど、疲れてるって分かるもん。
……だから、無理かもしれないけど……無理はしないで。」
「……謝らないといけないのは私の方よ。残念だけどまだまだ心配させてもらうわ。
それは姉の務め。……私の責任。そろそろ、戻るわね。」

実の妹から言われた言葉にドキリとしながら、逃げるようにそう言って。
私は眼を閉じると後ろ手にドアを開けて、部屋を出た。
ドアを閉めたら、急に体が重たくなって。
……階段を登るのが、とても辛かった。



~~



作ってあったデザートも、いよいよ残りはもう僅か。
一杯いた妖精の子達も、気がついた時にはもう半分位になっていた。
お酒が回りに回って、立てなくなった子を部屋まで連れ帰っていたり、
部屋の方が気楽に話せるからという理由で戻ったりしているからだ。
言いかえれば、今ここに残っているのはお酒に強い子や食べるのが大好きな子達ばかり。
……一体その体のどこにそれだけ入るのか、と思っていたけれど、
よくよく見てみると皆結構お腹が張っていたりする。
無理矢理詰め込んでるんだなって分かると、ちょっとだけ微笑ましい。

「咲夜さんは飲まないんですか?」

お酒に顔を真っ赤に染めた子が一人、ふらりふらりとした足取りで私に寄りかかりながら尋ねてきた。

「片付けがあるからね。」

そう言えばまん丸くした目で私を見上げる。少し、ばつの悪そうな顔。

「……ごめんなさい。」
「良いのよ。私も片付けが終われば少し貰うから。」

恐らくは交代に来た美鈴と、だけど。
……あっちは、飲みに来るというよりは食べに来る、と言った方が正しいか。
まだ今頃は一人で門番を続けているのだろう。
私の言葉を聞いて納得したように彼女は頷いて、
それからまた、ふらりふらりとお酒の所へと戻って行った。

皆の方を見渡してみれば、デザートの最後の一皿が既に真っ青な顔の妖精の子の口の中へと消えようとしている所だった。
……青い顔ではあるけれど、何故か勝ち誇った様に両手をあげている。
しばらく頑張ってもぐもぐと口を動かしていたけれど、飲み込み終わり少し休んだその後には、
何かの試合の後のように友達に両側から支えられ、廊下の方へと消えて行った。
……残るは、お酒を呷る皆だ。よくよく見れば、まだ門の子達が残っていた。
盛りあがっているとは言えないけれど……どうやら何かを話している様子で。
私は散らかったお皿をまとめながらそろりと近づくと、その話に耳を傾けたのだった。

「どうしたら良いんだろうね。」
「……私達だけの話だったら、強引に妹様を出しそうなのに、それも無いし。」

先程までの会話の続きの様だ。ふと思い出して妹様のお付きの子を探してみたけれど、
既にホールに姿は無かった。恐らくはもう、妹様の所へと戻ってしまったのだろう。
だからこそ、こうやって話しているのかもしれない。

「美鈴さんに聞いてみようか。」
「うーん。あんまり頼るのも悪いんじゃないかなぁ。ただでさえ、私達こんなだからお世話になってるんだし。」

悪いことは無いと思うんだけどな。日頃のあの子達と美鈴の間柄はどうなっているんだろう。
放任主義のようでもなく、かといってべったりもしていない。
べったりしているのは、どちらかといえば妖精達同士のことの方が見ていて多い気がしてくる。
同じような経験を持って集まっているから、というのがその理由なのだろう。

「私達、美鈴さん居なかったら……どうなるんだろうね。」
「クビになってたのかな……。」

そんな一人の言葉に皆が揃って顔を暗くして。

「そんなことは無いわよ。」

そのまま聞いておくだけのつもりが、堪え切れなくなってそう答えてしまった。
皆が驚いたように私に振りかえる。……何事も無かったように、とはもう行かなそうだ。

「場所は違ったかもしれないけれど、クビにはしてないはずよ。
ただ、貴女達がそれを望んでいたのなら……そうなっていたのかもしれない。」
「……ですか。」

フォローのつもりでかけた言葉だったけれど、果たしてどう捉えられたのだろう。
こういう時にこそ横に美鈴が居てくれればと思う。けれど、この子達が居る限りそれはありえない。

「貴女達は今、どうしてみたいの?」
「……平和だったら、何でも良いです。」
「……そっか。」

平和、か。彼女達は門番を仕事にしているけれど、本来であれば一番平和じゃない場所がそこなのだ。
妹様が暴れていた時は逆にあそこが一番安全だったから、今の配置があるけれど……何だか、皮肉なものだ。
第一ここは悪魔の住む館だというのが一番の皮肉かもしれないけれど。

「一度、お嬢様と話してみたら良いかもしれないわね。」
「わ、私達が……ですか?」
「ええ。たぶん、願い出れば時間を割いてくれるわ。」

だって、一番気にしているのはお嬢様だから。
妹様のことも、この子達のことも。思えばお嬢様はどこに行ってしまったのだろう。
パーティの前に寝ていらっしゃったはずなのだから、まだ寝ているということは無いはずなのだけど。

「そうね。……今の時間丁度良いかもしれないわ。」
「何を切り出せば良いんでしょう。」
「率直に妹様のことだって言えば、きっと何とかしてくれるわ。」

私の言葉に、しばらくは皆お互いの顔を見つめ合っていた。
それから一人が意を決したように廊下へと出て行って、残りの子達もそれに付いて行った。
これで少しでも変わることがあれば良いのだけど。
あの子達も、お嬢様も……。



~~



お姉様が居なくなって少しして。
代わりとばかりに聞こえてきたのは、聞きなれた二つの音だった。
台車の音に、足音。あの子が帰ってきたんだって、それはすぐに分かって。
ずっとベッドの中から音の響く天井を見上げていたけれど、その音に私は体を起こした。
こんこん、と響くドアの音。その音を聞いて改めて、さっきのお姉様がかなり遠慮がちにドアをノックしていたことに気付いた。

「開いてるよ。」
「ただいま戻りました。」

すっかり空いていたお腹をくすぐったのは胡椒の匂い。
でも載っているのはサンドイッチだ。……お昼も食べたけれど、具が違うみたい。
どうやらパーティから持って来た様だ。私がテーブルにつけば、彼女は持ってきていた台車からお皿をひょいひょいと移動させた。

「冷えても美味しそうなものが良かったので。ただ取った後で、
お昼ご飯と被っちゃったって気付いたんですけど……。あ、でも美味しいはずですから!」
「うん。食べて、良いかな?」

明るそうに振る舞う彼女。お姉様の表情のこともあるから、
きっとこの子はあの賑わっていたパーティの中で頑張って居たはずなのだ。
……そしてそれは、お姉様の表情からすると上手く行って居なかったはず。
そんなことを一度考えると、今のこの普段より楽しげな笑顔も、
パーティで舞い上がったからじゃなくて、心配かけまいと見せてくれている顔なんじゃないかって。
無理に笑顔を取り繕って、私に悟られないようにしているんじゃないかって。……そう、見えてしまって。
どうやって話を振れば良いのかなって、そう思うと、今は口を塞いでくれるサンドイッチがとても有難かった。

ちらりと残っているお皿の方を見てみると、サンドイッチよりも随分と大きなケーキが載って居た。
甘そうなクリームたっぷりのイチゴのショートケーキと、ふわっとした見た目のチョコケーキ。
よくよく見ればフォークがふたつある。……ひょっとしてまだデザートを食べて居ないのだろうか。

「私、グラタンとかドリアとか、ああいうの好きなんです。パーティでも出たんですよ。
日頃食べる時のお皿なんかよりももっと大きなお皿で作ってまして。……余りに大きかったものですから、
後から行っても余ってるだろうって思ってたらですね……気が付いたらサンドイッチのお皿になってました。」

笑いながら彼女がそう言った。
……ここに入って以来、貰う時は一人分のお皿であるから、私はそういう大皿というものを見たことが無い。
彼女がそう言うのだから、きっと本当にとんでもなく大きいお皿なのだろうとは思うけれど……
そんなに大きいお皿で真ん中のあたりとか、ちゃんと焼けるんだろうか。
作るのは咲夜だから、きっと簡単にやってしまうのだろうけど。

私の横に椅子を持って来て、隣に彼女が座った。
ひょっとしてあんまり食べていないのかなって、そう思って差し出してみれば、
嬉しそうに彼女が手を伸ばして手に取った。

「これはまだ食べて無かったんです。」
「そっか。」

一応食べて来てはいるようだ。そう思って安心してふと見たお腹。
……一応どころでは無い。かなり食べて来ている。
普段見たことが無い位にお腹の辺りは膨らんでいた。

「もうね、食べ物の戦いですよ。あれは。デザートはもっとそうだったんですが。」
「あれだけ大きいの、よく取って来たね。」
「デザートは争いが激しすぎたんです。人気なのとか、眼を引くようなのは皆食べられる前に食べてやろうと殺到しまして。
だから、満遍なく妖精の子達が居た訳じゃなくて……皆が争っている内に、手がつけられていない物からこそっと、貰ったんです。」

うぅん……あまり想像がつかない。
私もパーティに出られるようになったら、そういう光景を見ることができるようになるのかな。
というか……お姉様はいつも、そういう光景を見ていたのか。

サンドイッチを食べ終わって、彼女がにこにこしながらケーキのお皿を私の眼の前に持って来た。
そしてフォークをひょいと握る。

「……私も欲しいです。」
「うん。一緒に食べよう?」

もし私が一人で全部食べると言ったなら、彼女はこの握ったフォークをどうしただろう。
お皿に戻したのだろうか。それとも、握ったままに私の顔をじっと見つめるのか。
……やっぱり一緒に食べる方が良い。

先に食べたのはチョコケーキ。……ふわふわなのは表面だけで、中はとろんとしてて。
ひと口貰えば上唇にチョコがぺったりと残った。
彼女の方はと言えば、欲張りすぎだと言わんばかりに大きな一口を食べたものだから、
上唇が完全にチョコの塊になってしまっている。
思い立って唇に乗ったままのチョコの塊を指先でぐいっと彼女の口に押し込んでみれば、
恥ずかしそうに顔を赤くしたけれど……口の中が一杯で何も言えない様だった。
何だか、噛むのもちょっとつらそう。

台車の上にあった水差しを手にとって、二人分のお水をコップに注いだ。
彼女に手渡したら、流し込むべきか、頑張って食べるべきかを悩んでいたけれど、
すぐに諦めて結局水と一緒に流し込んでいた。

「……調子に乗りました。」
「ケーキは逃げないよ?」
「はい。……でも、やってみたかったもので、つい。」

そう言って彼女がまたケーキにフォークを伸ばした。
……さっきよりは小さいけれど、それでもまだ私が食べるひと口の倍程の量がある。

「大丈夫?」
「……つい。ほら、どーんとあったら、どーんと食べてみたいじゃないですか!」

どうやら流しこまないで良いギリギリの量を試してみたいらしい。
私も彼女に倣ってちょっと大きく取ってみれば……成程、確かに日頃とは違う感覚。
でも、あんまり私が食べると彼女の食べる分は無くなってしまいそうだ。

「良いもんでしょう。」
「うん。」

ひと口、ひと口。着実に減って行くケーキ。
代わりにとばかりに膨れていくのは彼女のお腹。
あまり苦しそうに見えないのは、きっと楽しんでいるからなのだろうけれど、
明日の朝にご飯を食べられるだけの余裕はこのお腹に残っているのだろうか。

最後の一口は、いち早く彼女がフォークでぶすりと突き刺した。
……ただそれは、私に差し出された。そっと咥えれば、彼女が満足したようにゆっくりとフォークを引いて行って。
そのまま背中を預けたらしい椅子の背もたれの音が、部屋の中に小さく響いた。

「御馳走様。」

私がそう言えば、彼女も手を合わせてそう呟いた。



厨房にまでまた食器を運ぶ程の力は残っていなかったらしい。
彼女は部屋の外まで台車を運んだ後すぐに戻ってきた。
既にベッドの上でくつろいでいた私の横に座り、じっと私を見つめて。
言葉に詰まっていた私だったけれど、どうやら彼女は自分から言いだそうとしてくれている様だった。
そっと彼女の手を引いて抱きしめれば、彼女は背中に手を伸ばし、抱き返してくれた。

「まだ、難しそうです。」
「……うん。」

精一杯のその言葉。続く言葉は無かったけれど、
彼女が何を言いたいのか。それは、分かっているつもりだ。

「ゆっくり、ゆっくりで良いんだよ。……無理しなくて、良いの。」

その言葉に彼女は私の服の生地をきゅっと掴んだ。

「次の一歩、どうやって踏み出せば良いのか、分からなくなってしまって。」
「うん。だから、ゆっくり行こう?立ち止まるのは悪いことじゃないよ。
振りかえるのだって。ああ、こっちだなって。分かったら、そっちに進もう?」

私がそう言えば、気張って居た力が抜けたようにぽん、と鎖骨の上に額が降りてきた。
そのまま彼女の体ごと倒れこんでベッドに横たわれば、彼女は頬を胸に載せて眼を閉じた。
覗きこめば不安そうで、そして疲れた顔がそこにはある。
とんとん、と背中を軽く叩いてみると

「けふっ。」

と、苦しかったのか、口からそんな音が漏れた。

「寝よっか。」
「……はい。」

返事は、少し重たくて。どうやって喜ばせようかって、考えてみたけれど。
けれど、浮かんでこない自分が少し、歯がゆかった。



~~



聞きなれない足音が響く。しかも、数が多い。
それが私の部屋の前で止まった。ひょっとしてパーティ会場で何かあったのだろうか。
そう思ってベッドに預けていた体を起こせば、とても遠慮がちなノックの音が部屋に響いた。

「開いてるわ。」

身支度をしながら返せば、少し間を置いてドアが開き、ぞろぞろと沢山の子達が部屋に入ってきた。
聞きなれない足音のはずだ。この子達は門番の所の子達じゃないか。

「何かあったのかい?」

私が尋ねれば、『貴女が喋ってよ!』と言わんばかりに彼女達がお互いに目配せして。
……それ位は部屋を尋ねる前に決めて来て欲しかった。

「立ったままも何だし、椅子は……数が無いわね。ベッドにでも腰をかけて頂戴。椅子は私が座るわ。」

そう言えば、皆がぞろぞろと移動して、私のベッドに腰を下ろした。
ベッドの足が嫌な音を立てたけれど……まぁ、きっと大丈夫だろう。

「じゃあ、貴女。代表して説明して頂戴。」

いつも使っている椅子へと腰を下ろし、座って居た子の真ん中の子を指してそう言った。
その子は私の言葉に眼を丸くしたけれど、何度か深呼吸した後で口を開いた。

「妹様のことです。」

フランの?

「続けて。」
「……私達はまだ、妹様に会うのが怖いです。また暴れるんじゃないかって、また、逃げられないんじゃないかって。
でも、でも。そんなことはもう無いよって、大丈夫だよって、お付きの子は言ってくれます。
それには私達も嘘をついてるとは思っていないんです。けれど……。」
「けれど、万が一、ということを考えるとどうしても怖いのでしょう?」

詰まりがちな言葉に代わり答えれば、全員が合わせて首を縦に下ろした。
……そうか。あのお付きの子のことは信じてくれているのか。それは、良かった。
完全に情報ごと拒絶している訳じゃないと分かっただけでも、大きな一歩だ。

「それは仕方ないことよ。怖いものは怖い。当たり前のこと。」
「図書館のお姉さんも、そう仰っていました。」

……あの子か。あれから、会ってないな。パーティに居たかどうかも覚えていない。
……いや、そもそもパチェが居なかった。だから今回はきっと参加していないのだろう。

「それで貴女達はどうしたいの?」
「……分からないんです。どうすれば良いのか。本当はそういう判断も延々と後延ばしにしたかったんです。
でも、それをしたらしただけ、あのお付きの子も、妹様も。悲しい思いをすることになるんじゃないかって。
そう思って、ここに皆で尋ねてきたんです。」
「……そう。」

とても、嬉しい言葉だった。でも、その問題はとても難しい。
だって、もうあの子が地下から出てくるのに障害となっている壁はもうほんの少ししか無い。
もっと言ってしまえば、ただ一つ。この子達が受け入れられるか否か。それだけなのだ。
たぶん受け入れられると知ったら、それこそその日の内にでも出てみたいとフランは言うのではないか。
しかし……。

「心配はとても嬉しいけど、私は貴女達に無茶はして欲しくないの。」
「……どうしてなんです?」

どうしてって。

「貴女達の絶対の安全を保証できないから、といった所かしら。」
「お嬢様。私達お荷物に……なってるんですか?」
「さぁ?貴女達がお荷物かどうかなんて、私は知らないわ。咲夜に任せているもの。
その質問は咲夜にしなさいな。少なくとも私は咲夜の人選にミスがあったなんて、一度も思ったことが無い。」

不安になっているのか。確かに他の子達と比べれば少し特別扱いをしている所はある。
どうするべきなのだろう。あまり私はこの子達の事情には詳しくないのだ。
ずっと、咲夜や美鈴に任せてきてしまっていたから。
それこそ、私は一体だれの役に立っているんだ?

「じゃあ貴女達が何をしたいかは置いておいて。どうなって欲しいの?」
「私達は平和だったら、それが良いです。でも、ここは私達だけが住む場所じゃないですから。」
「……優しいのね。」
「い、いえ。お嬢様や、美鈴さん達程では……ないです。」

まぁ、そもそもここは私のお家なんだけど……ね。しかし、どうしたものだろう。
いっそ背中をひと押しして、会わせてみた方が良いのだろうか。
聞いてみて行けそうだったら、代表一人と私とでまたあそこに行って。
一人位なら私にでも守れるはずだ。……誰か、代表になって貰おう。
この子達にはキツい決断かもしれないけれど、
もしも決断して貰えたのなら、きっと新しい一歩につながるはず。

「勇気、振り絞ってみない?誰か今から私と……フランの部屋に。
一人だったら、私が体を差し出せば守れるはずだから。貴女達が来る少し前ね、行って来たの。
あの子の部屋に。何年ぶりかも分からない位の会話をして……あの子の眼の前に立って気付いたことが一つあるわ。
私はあのお付きの子のことがあったから、信じて行ったのよ。でも、立ってみたら怖かったわ。
きっと心の中じゃまだまだ信じきれて居なかったのね。あのお付きの子のこと。」

今も、少しだけ混乱しているんだ。

「……でも、終始穏やかだったわ。帰り際になんて、言われたと思う?無理しないでって。
そう、言われたのよ。初めてだった。フランからあんな言葉貰うの。……未だに頭の中に流れてる。」



しばらく、彼女達は何も言わなかった。
やっぱり早すぎただろうか。でも、最終的にはいつか同じことになるのだ。
……気まずい。こういう時咲夜が居てくれたら、適当な話題を振ってもらえるのだけど、
生憎今頃咲夜は慌ただしい片付けの真っ最中なのだろう。

「少し、考えさせて下さい。」
「分かった。……今日はもう、戻ると良い。その気になった時、いつでも良い。尋ねて来ておくれ。」

立ち上がった彼女達。一礼してはドアの方へと消えて行くのを見送って。
一人窓際に立ってみれば、月はほとんど見えずに雪がしんしんと降っていた。

良い返事が聞けたら、良いのだけど。



~~



既にホールからは誰も居なくなって、一人進めていた後片付け。
最後の一枚をやっと厨房の中へと運びこんで、洗い終えた。
後はもう私のお夕飯を食べるだけだ。……正確にはあともう一人。

「あぁー!ひょっとして、もう洗い物終わっちゃった後ですか?」

ひょっこり現れたこの美鈴の食事もここにはある。……耳が真っ赤だ。
パーティの間中ずっと外で見張りをしていたのだから、当然と言えば当然だ。
私は少し熱めのお茶をグラス一杯注ぐと、手を洗い終えた彼女を向かいの席へと迎えた。

「門番お疲れ様。」
「片付けお疲れ様です。……咲夜さんもこれからご飯だったんですね。」
「ええ。今回は張り切って作ったから、ちょっと時間がかかりすぎちゃって。」

どうせ時間を止めてもメリットも無かったし。

「今、皆が帰って来たので交代でこっちに来たんですけど、お嬢様、どうやら妹様とお会いしたらしいですね。
それで、えーっと。まだ詳しく聞けていないんですけど、代表を決めてお嬢様と一緒に妹様と会わないかって話になったらしいです。」
「急な提案ね。……それで、彼女達の様子は?」
「皆、真剣に考えてくれています。私に相談したかったみたいなんですけど、
あの子達自身で決めることができればそれが良いので。勿論、もしもそれでも決まらない様子だったら、
その時に彼女達の相談に乗るつもりでは居ます。……思ったより、成長してるんですね。皆。」

グラスの中のお茶を彼女が飲み干して、それに注ぎ直しながら自分のグラスにも同じように満たして行く。
……私にはまだ飲めそうにない。外が寒いのなら余計に熱く感じるはずだろうに、よく飲めたものだ。

お夕飯にと作ったのは、端切れの肉と野菜で作ったシチューだ。
……片手なべで作ったから、出来たてである代わりにおかわりは無い。
去年と一緒でデザートも余らなかったお陰で、ちょっとだけ美鈴は残念そうだ。
勿論余り過ぎたら過ぎたで、喜びの顔から一点真っ青な顔になるのだけど。

「……いただきます。」
「いただきます。」

作り置きしてあるパンをシチューに浸しながら、眠そうな顔で美鈴が食べ始めた。
思えば朝は、世話になったんだっけ。確か夜勤明けだったはずだけど、あれからどれだけ寝れたのだろう。

「朝はありがとう。」
「いえ、風邪を引いたらどうしようかと思いましたが、どうやら悩みも無事に解決したようですし、本当良かったです。」
「ええ。……私の方は、お陰さまでね。」
「あのちっちゃい子にでも相談したんですか?」
「ええ。……告白したわ。洗いざらい。お陰で、とっても楽になった。」

粗方私がどういう悩みを抱えていたのかは気付いていたのだろう。
私がそう言っても、美鈴は眉を少し下げて笑うだけで、
随分と小さくなってしまったお芋をシチューから掬っては平然と口へ運んでいた。
……流石に食べながら寝ることはなさそうだけど、きっとこの後はもう寝てしまうのだろう。

「ですか。……あの子達も早く、楽になると良いんですが。」
「必要なものがあったら教えて頂戴ね。それは準備するから。……この後寝るのなら、お酒でもどうかしら。」
「ありがとうございます。……少し、飲みますか。」

そう言って彼女がお茶の入っていたグラスを空にした。……けど、それには流石に入れる訳にはいかない。
だから洗い終えていたグラスを二つ取り出すと、まだ未開封のお酒を一瓶開けたのだった。

「チーズで良いかしら。」
「何でも私はイけますよ。」

余っていて都合のいいものがそれ位しか無かったから尋ねてみれば、彼女はにこりと笑ってそう返した。
本当はビスケットでも用意していればそれに合わせれば良かったのだろうけれど、
生憎ともう、何かを作ろうという気力は私にも残っていない。

万が一割れた時に面倒だから、グラスを掲げることはしても鳴らす事はなく。
ぼーっとお酒を飲みながら窓から見た外では、雪がしんしんと降り続けていた。

「積もるわね。」
「積もってますよ。……明日の朝はきっと賑やかでしょうね。」
「そうね。遊べる位あるのなら、そうなるわね。」



そんな、取りとめの無い会話の後はお互いに何を言うでもなく。
ただ、お互いのグラスが無くなったら注ぎ合って。
……私も、かなり頭がぼーっとしてきていた。お酒に弱いつもりは無いのだが、実はあまり強くも無い。
一方の美鈴の方はと言えば、けろっとしてて。まぁ、これ位の量ならこんなものなのかもしれない。

「咲夜さん。急ぎ過ぎていないかって、この前言ってたじゃないですか。」
「……言ったわ。」
「私も、そう思うようになりました。けど、私は任せてみたいです。お嬢様に。」
「そうね。珍しくお嬢様が言いだしたことだもの。」

彼女が空っぽになったグラスの縁を指で撫でる。
私が瓶を拾い上げようとすれば、彼女はすっと手でそれを遮った。
どの道入れようにももう中身は空っぽで、瓶を置けば乾いた音がテーブルに響いた。

「ええ。……私はそろそろ失礼しますね。咲夜さんは、大丈夫ですか?」
「部屋に帰る位の気力はまだ残ってるわよ。」
「ですか。では、おやすみなさい。御馳走様でした。」
「お粗末さま。……おやすみ。」

少し満足した顔で、美鈴はゆっくりと帰って行った。
しん、と静まり返ってしまった部屋の中で、私もグラスに残った最後のひと口を飲みほした。
立ち上がれば、ふらついて。私は食べ終えた食器を流しへと重ねると、厨房を後にしたのだった。

自分の部屋へと帰る道。一部の部屋はどうやら二次会を始めているらしく、未だに盛りあがっていたが、
大体の部屋はもう既に灯りが落ちていて、静かになっていた。
いざ自分の部屋の近くに来るころには、既にほとんど音は聞こえなくなっていて、
自分の足音だけが廊下へと響いていた。

最後の曲がり角を曲がり、自分の部屋が見えた所で同時にもう一つ影が見えた。
……窓際にお嬢様が立っていた。じっと、外を見つめている。

「どうなさったんです?」
「……来てくれるか、心配で。」
「門の子達ですか。」

私が尋ねれば、小さく頷いた。

「流石に今夜はもう。」
「……そうね。でも、私は信じてる。」
「ですが、そこで待たれては風邪を引いてしまいますよ?」

私がそう言えば、こちらに振りかえって穏やかに笑った。

「……すまない。気が急いて居てね。焦りすぎかもしれない。もう少ししたら戻ることにするよ。今日は、お疲れ様。」
「有難うございます。……では、お先に私も失礼します。」
「ええ。おやすみ。」
「おやすみなさいませ、お嬢様。」

一人部屋へと先に帰り、ベッドへと体を投げた。
冷たく、そして寒かったけれど、着ていたものを全部ベッドの脇へと放り出して。
毛布を被ってじっとして居れば、お酒のせいもあってか段々と温かくなった。
だから、私が眠り始めるのにさほど時間はかからなかった。

……けれど、私が眠りに着くその時までの間に、お嬢様の部屋のドアの音が聞こえることは無かった。



~~



「貴女はパチュリー様と違って健康的だから、明日にはもう普通に遊べそうですね。」

お姉さんの部屋のベッドに戻って、二人して天井を見上げた。
灯りのお陰でふわふわと揺れて見えるその天井を眺めながら、
私はお姉さんの声を聞いていた。……今日は添い寝してくれるらしい。
元より他にベッドが無かったからこうなってしまった、というのが正しいのかもしれないけど。

……私の悲願だ。添い寝してもらうことは。
でも、して貰っているのに何だか妙に落ち着いて、頭の中は別のことを考えてた。
それは、友達のこと。妹様のお世話をしている、あの子。

「お姉さんは私の友達のこと、御存知ですか。」
「いつも一緒にご飯を運んでるって、あの子のこと?貴女が良く話をしてくれるじゃないですか。」

私の質問に、お姉さんが部屋の灯りを少し小さくしながら答えてくれた。
確かに、私はあの子の話をよくこのお姉さんに振るのだ。
私が咲夜さんの次に一番出会う子だからかもしれない。

あの子が変わってしまったのは、そんなに昔のことじゃない。
変わる前のあの子は、この館の中で一番びくびくしていた。
あの当時は皆、妹様が怖くて怖くて……だから仕方ないことなのだけど。

「あの子が今目指してること、知ってますか。」

変わってしまったのは、白と黒の魔法使いが盛大に屋敷の中を荒らして行った日だ。
そしてそれは、最後に妹様が大暴れした日でもある。とてつもない大雨の日でもあった。
私はあの日、お姉さんの所にずっと避難していたから、本当は何が起きていたのかを実は知らない。
でもあの日を境にして、あの子は変わってしまった。

そう。皆言ったのだ。変わったって。
けれど、私はその頃から段々と、あれがあの子の元々の性格だったのだと、そう思うようになってた。
それほど、活き活きして、そしてのんびりしていた。

「ええ。妹様が無事に出られる様に、頑張ってますね。」
「はい。……今日はどうだったのかなって、ちょっと思って。」

きっと、あの時あの子は妹様が好きになったんだって。だから変わったんだって。そう思ったんだ。
だから、私は初めてあの時、羨ましいって思ったんだ。
ああ、あの子はこれから先、たぶん正面からぶつかっていくんだろうなって。
勿論それは、妹様が変わったとか、色んな前提は確かにあったのだけれど、
当時からお姉さんのことがずっと好きだった私には、少し眩しくあの子は映ってた。

「……頑張ってました。でも、後一歩進むまでは長そうです。」
「ですか。」
「貴女は妹様のこと、信じていますか?」
「私はあの友達のこと、妹様の次に知っているつもりです。……嘘を言ってるとは思ってないです。
だから、信じてます。お姉さんは、どうなんですか?」
「貴女が信じてますから。」

眼を閉じれば、お姉さんはそう言った後に私の額に手を乗せた。
ちょっぴりひんやりして、まだ少し熱っぽいのかなって。そう思いながらも布団にもぐって。

「私はこうして願い事が叶いましたから、あの子も叶えば良いなって。そう思うんです。」
「ああ、それは大丈夫ですよ。」
「どうしてです?」
「貴女が信じてますから。他にも、お嬢様や咲夜さんも。……皆、信じるようになってきましたから。」

ぽんぽんと、叩かれ撫でられる頭。
やられる度に、口元が毛布で覆われて行って。
それから、もう寝ましょうとばかりにお姉さんが私の肩を抱きしめてくれた。

「お姉さん。」
「はい。」
「ぎゅーって、して貰っても良いですか。」
「良いですとも。……ひょっとして寒いですか?」

寒くは無い。ちょっと暑い位だ。でも、そうして欲しかった。
あの子は今頃、そうして貰っているんじゃないかって。そう思ったから。

「これだけ温かい夜は初めてなんです。」
「……なら、良かったです。そろそろ、寝ましょうか。」
「はい。おやすみなさい。」
「寒くなったりしたら遠慮なく起こして下さいね?では、おやすみなさい。」



~~



眼が冴えて、まるで眠れそうにない。
というのも、門の子達が尋ねてくるまで少し眠っていたからだ。
彼女達の話に加えて、元々夜起きて生活していることもあってか、
眠気というものが完全にどこか別の場所へとおでかけしてしまっている。

少しお酒臭い咲夜に風邪を引くと言われたから、今は部屋の中の椅子に腰を下ろして天井を見上げてた。
温度からすれば、ここも廊下も大差は無い。けれど、窓から漏れて入るような隙間風は
こちらには全く入って来ない分、冷えは確かに感じ無い。
……ただ、お陰でほとんど音が無いのだ。黙れば心音だけが頭の中に響いてしまう位。

あの子達は来るだろうか。来るとしたら、いつだろうか。
明日か。明後日か。一週間後か、一か月後か。それとも、一年後か。
それは私には分からないけれど、分からなくても待たなくちゃって。
一度そう思ったら、ベッドには中々行く気にはなれなくて。
紅茶の相手をしてくれる者も居ないお陰で、それはとてもとても、もどかしくて。
手に持っていた帽子の皺の数を指先でただただ、数えていた。

瞬きをする度に、フランの顔、門の妖精の子達の顔、咲夜の顔、美鈴の顔、フランのお付きの子の顔と、
一人ずつ、皆の顔が瞼の裏で私のことをじっと見つめてくる。
それを見る度に、結局私は何もできていないんじゃないか!って、そう叫びたくなる。
けれど、そんなことを叫んだ瞬間に、せっかく眠った咲夜が起きてしまう。
下手したら飛び出してくる。紅茶セットと、一緒になって。

思考がぐるぐると回る。
結局自分が何を考えていたのかさえ、段々と分からなくなってくる位だ。
そんな中、一人分の足音が部屋の外に響いた。

不安そうな足音。妙に一歩一歩の間隔は長くて、忍び足だ。
進んでいる距離はあまり長くない。咲夜や美鈴とは違う足音。……妖精達の足音。
音は近付くにつれて段々と小さくなって、そして私の部屋の前で止まった。
私は息を飲んでドアを見守って。そのドアが叩かれるのを待った。
けれど、ドアは鳴らない。戸惑っているのか、ドアの向こう側をうろうろしている足音だけが、
代わりにとばかりに響いてきていた。

……じれったい。そう思い、静かに立ち上がった。
それから、ドアの向こうにも聞こえるように足音を鳴らしながらドアへと近づけば、
予想通り、向こう側に居た子は慌てた様子で。
私が静かにドアを開ければ、覚悟したような顔の子が一人、眼の前に立っていた。

「私に用かしら?」
「……はい。」

私がさっき会った妖精の子の内の一人だ。部屋の中へと導けば、おろおろした様子で中に入って。
私が椅子を引くと、何度も頭を下げた後、ようやく腰を下ろした。

「どうしたんだい。」
「み、皆の代表で、来ました。」
「フランに会ってくれる代表?」
「……はい。」

かちかちに固まっている。せめてこの部屋の中だけででも落ちついて貰おうと、
水差しから注いだ水を彼女に渡したけれど、持っている手は震え、
手の中のコップから水が零れそうになっていた。

「少し、休んでから行こうか。」
「いえ、今。今、行きましょう。私、もう胸が爆発しそうで。」
「……無理して倒れられて欲しくないんだ。それに少しだけ、話がしたい。」

私がそう言えば、少し深呼吸した後で彼女は背もたれに背中を預けた。
……既に額に汗をかいている。

「貴女、無理してるでしょう。」
「……しないといけないって、思ったからです。」
「どうして?無理が無理じゃなくなるまで待つって選択肢を奪ったつもりは無いのよ?」
「私は、門番が仕事です。……その仕事には誇りを持っています。でも、襲撃があった時、
その相手をする時、無理だから引きさがるなんてことは本来ありえないんです。
……でも、私達には力が無いから。ここに襲撃に来る方の相手なんてほとんどできない。
結局いつも私達は美鈴さんの背中に隠れてるんです。けど、本当は逃げ続けてるってイメージを、
持たれたくないんです。だから……だから。」

……そんなイメージ、持ったことは一度も無い。
恐らくは誰だって持ってはいないんだ。
体を張る勇気を持つこと、それ自体はとても大事かもしれない。
けれど、無理に立って体を壊すのは彼女達の仕事でもなければ美鈴の仕事でもない。
それは、私の仕事なのだ。最終的には。
……確かに職務に誇りを持つ、というのはそういうことかもしれないけど。


「じゃあ約束なさい。危ないって感じたら、言いなさい。間に合わないって思ったら逃げなさい。貴女の本気で。」
「……はい。」
「あと、もう一つ。肩の力、少し抜きなさいな。私がまだフランと会っていなかったら、
きっと逆のことを貴女に言ったのだろうけど……けど、きっと何とかなるから。できるから。
貴女は頑張って、まずは落ちつくことに専念しなさい。良いわね?」

私の言葉に彼女がゆっくり頷いた。

彼女の手の中にあったコップが空っぽになるまで待った後、二人揃って部屋を出た。
窓から外を見てみれば、月こそ見えなかったものの、今が真夜中だということはすぐに分かった。
ひょっとしたら寝ているかもしれないと思うと少し気が引けたが、
この子達の気持ちが変わってしまってからでは遅い。

「行こう。」
「……はい!」

廊下を歩けばこつこつと、二人分の足音だけが廊下に響く。
どうやら毎年やっている二次会も終わったのか、皆寝てしまっている様だ。
恐らく次はもう、日の出が来るまでうるさくはならないだろう。
……雪もしっかり積もったようだ。

地下への入り口まで来て、横に並んでいた子の手が少し震えだした。
その手をとれば、ぎゅうと握り返してくる。

「引き返しても良い。諦めても構わない。」
「……行きます。」

もしも強く引っ張ったなら、そのままバランスを崩して一番下の段まで転げ落ちてしまいそう。
それ位に彼女はもう落ちつきを失っていた。だから、痛い位に握られた手を引いて、
一段一段確かめながら、一緒に階段を下りて行った。

一番下に着く頃には顔に汗が浮かんでいた。
手は血を通わせるのを忘れたように冷たく、そして固くなっている。
表情はそれ以上に固かったけれど、眼はちゃんと開いてた。

「本当に大丈夫かい?」
「本当に、大丈夫です。……皆の分の勇気預かってますから。」

階段が終わると後はただ、真っ直ぐな道。
彼女は深呼吸を繰り返しながら私に引っ張られていた。
確かに落ちついてはいる。けれど、足が心に追い付いていない様だ。

「準備、良い?」
「……はい。」

やっと辿りついたドアの前。彼女に一応尋ねてみれば、
そろりそろりと私の背中に彼女が隠れた。私も深呼吸して。
胸に手を当ててみてば、自分も汗をかいていたことにやっと気付いた。

「……ふぅ。」

背中に彼女を隠したまま、ドアを小さくノックした。
乾いた音が廊下を走り、彼女の喉が鳴る音が聞こえた。
……返事が無い。だから今度は、少しだけ強くノックした。

「……開いてるよ?」

中から聞こえたフランの声。途端に、背中に寄りかかっていた彼女の重みがぐっと増した。
振り返ってみれば、泣き出しそうな顔になっていて。口元がやっぱり怖いと、私に言っていた。
どうしよう。やっぱり改めるべきか。そう思っていたら、彼女がぶんぶんと首を横に振って。
良いの?と口先の動きだけで尋ねてみれば、無言のままに頷いて返してくれた。

「私よ。……入るわね。」

ドアを開けて、中へと進む。
部屋の中は真っ暗だった。……無理も無いか。普通は寝ていてもおかしい時間ではない。
……やはり、廊下の方が明るく感じるな。

「どうしたの?」

ベッドの方から眠たげな声が返ってくた。
その声のすぐ後ろから、穏やかな寝息が聞こえてくる。
どうやらあのお付きの子はすっかり寝入ってしまっている様だ。

「貴女に会いに来たの。……勇気を振り絞った、門の子の代表が。」

会いに来たと言っても、その子はまだ私の背中に隠れて頭を抱え小さく丸まっているのだけど。
けれど、まだ逃げ出す気は無い様だ。腰が抜けている様子も無い。

「灯り、つけてもいい?」

神妙になったフランの声に後ろを振り返ってみれば、
彼女はただ、私の服をぎゅっと握った。

「お願いするわ。」

その声に、ベッドの周りが少しだけ明るくなった。
不安そうな顔だ。フランも、この子も。二人揃って私を見ても、困るのだけど。

「……えっと。そうね。まずは自己紹介でも。」

そう言って背中の彼女を突けば、ゆっくりと服から手を離し彼女が背を伸ばした。
深呼吸を繰り返しながらではあるけれど、何とかフランのことを見ている。

「私のこと、覚えていますか。」
「……ううん。正直に言うとね、分からないんだ。でも、貴女がここに居るのだから、
私は貴女に酷いことをしてるはず。……そうなんだよね?」

部屋の中を見渡して、近くにあったテーブルから椅子を引っ張り彼女を座らせた。
触れても居ないのに心音が伝わってきそうな程体を震わせて、でもしっかりと見つめて。

「私は、まだ軽かった方ですから。」

ふたりが会話を始めてからというもの、どうすれば良いのか分からなくなって。
とりあえず私ももう一つの椅子を門の子の横へと運ぶと、それに腰をかけた。
いざって時の為に、少しだけ彼女よりもフラン寄りになるようにしたけれど、
不思議と必要は無い気はしている。

「ごめん。……本当は、一杯言わなきゃいけないこと、在るはずなのに整理できてないんだ。」
「それは、私も同じです。」

そしてまたふたりが私を見つめる。……だから、そういう助けを求められても困る。
私だってそこまで深く考えられた訳じゃない。お互いの雰囲気が伝われば、それで良いかなとか。
その位にしかまだ頭の中に無かったから。

「その子は、まだ眠っているの?」

だから、もう一人こんな空気の中で、我関せずと眠っている彼女のことを話題に出した。
相変わらずゆったりと肩は上下を繰り返し、まるで起きる様子は無い。

「うん。……さっきまでつらそうな顔で眠ってたの。でも、やっと落ちついてくれたから。
だから、今はあんまり……起こしたくないんだ。」
「そう。」

そう言って、フランがその子の髪を撫であげた。どうやらその子はフランの服を掴んでいる様だ。
……フランの服の生地が少し、引っ張られている。撫でるフランの顔は穏やかで。
……穏やかじゃないのは私達ふたりだけ、か。
ちらりと見た彼女の手。さっきからぎゅっと握られたままだ。
恐らくあの手を開いたら、爪の痕がくっきりと手のひらに残っているだろう。

「そういえば、貴女代表なんでしょう?これを確かめてきてとか、聞いてきてとか。言われなかったの?」
「……伝えて欲しいって言葉は、預かってます。」

何故、先に言わないのだろう。

「結構、キツい言葉なんです。」

キツい言葉、か。フランに遠慮してくれているのか。
その気持ち自体はとても有難いものだけれど。

「それでも、預かってきた皆の言葉なんでしょう?」
「はい。……フランドール様。」
「うん。」
「私達門番一同は、お嬢様がこの部屋から出ることに何の文句もありません。けれど、会うことに関しては、
抵抗のある子が居ます。だから、門をご利用になる際には予め一報下さい。……美鈴さんが、対応してくれるはずです。」
「私は……その子達には会えないのね。」
「……はい。」

少しでもあの子達自身が平和に過ごす為、か。
あの子達のことを考えれば、これでも頑張って出した妥協案なのだろう。
……でもフランは、最終的には皆に認めて貰いたいはず。
この条件を呑めば確かに出るのは易い。けれど、小さな障害にはなるだろう。

ここに美鈴を呼んでくるべきだったか。
いや、独りでずっと門番をしていたのだ。今頃は体力的にもかなり疲れているはず。
ただでさえその後でこの子達の相談を受けたのだろうから。

「……ありがとう。もっと、拒絶されると思ってた。」

フランが、呟いた。そしたら、門の子は眼を逸らして唇を噛んで。
何かもう一つ隠しているのかなとは、思ったけれど。

「伝えたいことは伝えられたかい?」

私がそう尋ねれば、すぐに小さく頷いた。
それから私の袖をきゅっと掴んで。訴えるように私を見つめた。

「フラン。とりあえず、今日はこの位にしておくわ。貴女からは何かある?」
「……ちゃんと、連絡入れるようにする。」
「……だって。」

私が囁けば、眼を閉じてやはり小さく頷きぎゅっと服を握って。

「じゃあ、失礼するわ。おやすみ、フラン。」
「……おやすみなさい。」

二人揃って、部屋を出た。後ろ手にドアを静かに閉めると、
部屋の中にあった灯りはもう見えなくなってしまい、廊下はさっき通った時よりもとても暗く感じた。
相当疲れてしまったらしく、私が手を引くと彼女はよたよたと歩き始めた。
ぐったりして、息も少し震えている。きっと彼女なりに頑張ったのだろうと思う。

彼女の体の前に出て、しゃがむ。……久しぶりにおんぶした。
私がおんぶできるのは、精々この子達やフラン位なものだ。
咲夜達も一応、できなくはない。でも、持ちあげるとなると飛ばなきゃならない。
けれど、翼を圧迫してしまうから、あまり飛びたくは無い。
……かといってお姫様抱っこは、立場が逆だから気のりがしない。

背負って気付いたのは汗の感触。でも、運動の時に流すような汗じゃない。
とても、とても冷たい汗。

「今日はありがとう。」
「……あれが精いっぱいです。」
「ええ。だから、言ったのよ。」
「……ごめんなさい。」
「私は怒ってもいないし、失望もしていないわ。ただ、それでも何か思う所があるのなら。今度はそれを、頑張って解決しようって思えばそれで良い。」

私がそう言えば、肩に乗っていた小さな頭が頷いた。
私の首元に回っていた手がきゅっと締まって苦しかったけれど、
今まで胸の中を締めつけていた物が緩んだ今、少し心地が良かった。

「帰るのは、門かしら。」
「はい。」
「送って行くわ。……寒くない?」
「背中、あったかいです。」
「そう。」

部下には本当に恵まれたんだなって。
一歩一歩確かめながら登る階段で、そう思った。



~~



少しだけ、お腹が苦しくなって。
少しだけ、すすり泣く声が聞こえて。
眼を開けたら、ちょっと明るかった。
視界がぼんやりする。お夕飯、ちょっと食べすぎたかなって。
そう思いながら自分の胸元を見てみれば、お嬢様が抱きついてた。

「どうされましたか。」
「ごめんね、起こして。」
「怖い夢でも、見ましたか?」

私が声をかければ、胸元の頭が小さく横に揺れた。
結構な時間泣いていたのかもしれない。胸元が、じっとりと熱い。

「さっきまでお姉様が来てたの。門の子を連れて。」
「どうして起こしてくれなかったんですか。」
「……つらそうな顔してた貴女が、やっと穏やかな寝顔になったから。起こしたくなかったの。」
「大事な話を置いてけぼりは、もっとつらいですよ。」
「ごめん。いつも、貴女に任せきりだったから。だから今回は、私が頑張ってみようって。そう、思って。」

一体何を言われたんだろう。何故泣いているんだ。
少なくとも嬉しくて泣いてるようには私には見えない。何かキツいことでも言われたのだろうか。
夕方会った時、彼女達自身は友好的ではあったけれど、やはり腑に落ちないという顔をしていたし。

「お外、出ても構わないって。そう言われたの。」
「良かったじゃないですか。」
「でも、でもね。門の所に来るなら、先に知らせてって。……聞いてたらね、嬉しいのに、
寂しくなって。とても、寂しくなって。……遠いんだなって。」

また胸元にじわりと熱い感触が走る。
寂しい、か。私には寂しいというより少し、悔しそうに見える。
……自分がそうだったからかもしれない。

「お嬢様。焦らないで行きましょう。ここを直したいというのは、一歩一歩着実に直そうとしていけば良いんです。
逆に考えましょう。取れるアプローチの幅は今までよりずっと広がるんですから。明るく、考えませんか。」
「皆に認められるのって……難しいね。」
「ええ。でも、話すことができたのなら、それがまず大きな一歩です。
相手がどんな風に考えているのか、その雰囲気は少しでも分かったんじゃないですか?」
「そう、だね。でも……。」

でも、でも。……そう言葉を続けた後で、お嬢様は私の胸元に顔を埋めた。
我慢ができないのなら、声を出して泣いても私は構わないのに。

「ごめんね。」
「謝られるようなこと、されたとは思ってないです。」
「もう少しだけ、こうさせて。」
「したいだけ、して良いです。遠慮しなくて、良いですから。……こう言うのもなんですけど、お嬢様抱いてると温かいです。」

私がそう言うと、ぎゅっと抱きしめる手が強くなって。
……お腹が苦しい今、そう言ってしまったことにはちょっとだけ、後悔した。



~~



ぽん、ぽんと。
私の呼吸から少し遅らせて、彼女の手が私の背中を優しくゆっくりと叩く。
叩かれる度に、頭の中にある焦りとか、寂しさとか。
そういうことでぐるぐるしていた頭の中が止まって。
叩かれる度に、目元の涙が彼女の服へと降りて行く。

門の子を相手に独りで挑んで、私は結局、ほとんど彼女に今の自分を伝えられなかった。
ほとんど一方的に、ただ言われるがままで。あの場を設けて貰えたのはこの子の努力のお陰なのに、
それを無碍にしてしまった。

謝りたい。でも、口に出したごめんねって言葉は、自分でも誰に言っているのか分からなくなってた。
この子に対してなのか、お姉様に対してなのか。それとも、あの門の子に対してか。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。ただ、ハッキリしてたのは、今はただひたすらに慰めて欲しかったということだけ。
甘えさせて、欲しかった。

ぽん、ぽんと。
叩かれる度に、やっぱり涙が落ちる。けれど、寂しさも焦りも少しずつ和らいで。
夕方沢山眠ったはずなのに。本当はもっと甘えていたいのに。
この胸から響いてくる彼女の声を聞いていたいのに。

ぽん……ぽんと。
段々と、叩くリズムは遅くなって。気が付けば、荒らいでいた呼吸はほとんど止まってた。
涙はまだ、ちょっとだけ出ていたけれど。もう瞼が蓋をしてて。
きゅっと抱きしめたら、もっともっと。リズムは遅くなった。

「また明日、お話しましょう。」

そんな彼女の声が、小さく頭の中に響いて。
私はただ、頷いて返して。
その後もずっと、背中のリズムを聞いていた。



~~



指先がかじかむ程に寒いけれど、眼の前の光景には熱狂という言葉がよく似合う。
曇った雪空の下を、おにぎり位の大きさの雪玉があっちからこっち、こっちからあっちへ行ったり来たりしている。
昔は本物のおにぎりだって飛んでいったこともある。あれは、陽の光も見えないほど曇った日。
けれど、穏やかな日で。私やお嬢様も雪合戦に参加した日。

あの日の雪合戦での咲夜さんから皆への差し入れが、おにぎりだった。
ちょっと塩気が強くて、冷たかったけど色んな味があって。
どの味が良いかなって、お皿の前で眼をきらきらさせながら迷っていた子の方に雪玉が飛んで行って。
ぱこーんって。背中で弾けたそれが、とても見事な音を立てたのを私は覚えている。
そしてあの子は無意識に近くにあった物を手にとって振り被り……。

皆が見守る中、海苔の黒い帯の付いたそれがくるりくるりと回転しながら飛んで。
咲夜さんが口をぽかんと開けて、少し離れておにぎりを食べて居た子達も、咥えたまま固まって。
周りの子達も、視界の端に映る何だか少し黒っぽい雪玉を気にして振り返り、ずっと見てた。
投げた本人も、しばらくして両手で口元を押さえていた。

空中にあったそれは、皆が見守る中ふっと消えて。そして、投げた本人と咲夜さんも消えて。
皆しばらくはきょろきょろとしていたけれど、しばらくして何事も無かったように雪合戦を再開していた。
消えた子を探してみれば、少し陰になって皆から見えなくなっている所で、咲夜さんがその子を叱ってて。
投げた子は、どうやらさっき自分が投げたらしいおにぎりを食べさせられていた。

それから少しして、私も怒られた。
覗いていたからではない。そもそもの発端となった、彼女に投げられた雪玉。
投げたのが私だったからだ。食べ物がある方向に向かって投げるとは何事か!と、
目でそう訴えられながらビンタされた。
左頬を叩かれたはずなのに右耳まで痛みが走ったのを覚えている。冷えた顔には、とても堪えた。
もっと堪えたのは、その日の私のお昼ご飯が抜きになったことだけど。

「美鈴さーん!」
「うん?」

昨日の疲れもあって、雪合戦には参加せずに門に背を預けてみていた私に向かって、門の上から声がかかった。
見上げれば、門の上にあった雪で雪玉を作っていたらしい子達が、私に向かって手を振っていた。
……私がかつて雪玉を投げてしまったその子も居る。

「どうしたの?」
「美鈴さんは参加しないんですか?」

ちなみに彼女には私が投げたこと、しっかりバレていた。
けれど、彼女は私に向かって怒りはしなかった。謝ったら、ただ一言。

『いえ、戦場ですから。』

とだけ言って、笑われたっけ。
実際、あの後に雪合戦会場は戦場になったんだ。お嬢様が参加したから。
最初は妖精の子達とスキンシップを取るために参加したみたいなのに、
思いのほか皆から遠慮なしに次々に雪玉をぶつけられるから、
皆が疲れる頃にはここぞとばかりに凄い勢いで玉を投げていた覚えがある。
まぁそれも、皆というよりは……八つ当たりの為なのか、私に向かって、だったけれど。
本気で投げてくるから本気で避けてたら、周りの子達に幾らか当たって、他の友達や咲夜さんに運ばれたりして……。

「私は仕事があるから、楽しんでおいで。」

私がそう言うと、少し残念そうにその子が頭を下げて、戦場へと戻って行った。
本当は私は昨日のこともあり、非番だったのだけれど……
その昨日のことで今、またここで門番をやることになった。
どうやら昨日の夜遅く、門の子達の一人が妹様の部屋を尋ねたようだ。

『いつかはちゃんと、話をしに行かなきゃって、思ってます。』

って。昨晩そうやって私に相談してくれたすぐ後のことだったらしい。
どんなことを話したのかについては、その子を連れて帰ってきたお嬢様から聞いている。
疲れきったこともあって、その子はその後すぐに倒れるように寝てしまった。
そして、起きた今。詰め所の中で皆にそれを報告しているのだ。
皆真剣な様子で、門の子達全員が起きて小さな詰め所の中に居るのに、中はとても静かで。
窓から中を覗いてみれば、昨日話したらしいその子が一人、皆の前で喋り続けていた。

『どんな言葉を使えば良いのか、分からないんですけど、』

この小さな小さな集会を始める前に彼女が私を見上げ言っていた。

『感じたことは全部、伝えなきゃって。思ってます。』

と。だから、私はそれを信じてここに立っている。
……まだ、とっても眠いけれど。もう少し慌ただしいことが続いた後は、
ゆっくり眠れるようになると思うから。それまでは、しっかり支えないとなって。

……眠い。
そう思って、曲がっていた背をただし思い切り伸びをすれば、
その瞬間に顔の眼の前を雪玉が横切って行った。
ちらりと振り返ってみれば、さっきの子が二つ程の雪玉を胸元に抱えたまま、じっと影から狙っていた。
……眠気覚ましも悪くないかと砕けずに転がっていた雪玉を拾い上げれば、
その子だけじゃなく視界中の子達が不敵な笑みを浮かべて。
後でまた怒られやしないかと心配しながらも、私は持っていた雪玉を投げたのだった。



~~



外は盛大な雪合戦が始まっていた。疲れが溜まっていたのか、それともお酒のせいか。
外が盛り上がり始めるまで私は朝だということに気づいていなくて、結果寝坊した。
枕元に置いていた懐中時計を開いてみれば、既に時間はお昼の少し前。
誰か起こしてくれても良いのに!そう思ったけれど、この屋敷の中に残っているのは、
元気な者だけを数えたら恐らく両手の指の数だけでこと足りてしまうだろう。
……お腹が減ったとしても、図書館のあの子とかはお菓子を焼いちゃいそうだ。

新しい服に袖を通し、懐に時計を携え鏡の前。
寝癖がとんでもない。どの道これじゃ誰かが起こしに来ても出るに出られなかった。
ぐっと思い切り櫛を刺してみたけれど、刺したら刺したで今度は動かせない。

櫛を引き抜いて時間を止めて。それからそっと部屋を抜けだした。
止まった時間だから見られるということは無いのだけど、
それでも寝癖立ったまま誰かの前を通るのはどこか恥ずかしい。
雪合戦の音も遠く、静かな廊下を進んでやってきたのはお風呂場だ。
けど、こういう時に限って誰かが何故か利用しているもので。
……今日は、パチュリー様か。珍しく図書館のあの子の服は無い。
妖精の子の看病をしていると言ってたっけ。ひょっとしたら風邪でも移って体調でも崩したのだろうか。
いつもならパチュリー様の服のすぐ横にあの子の服はあるのだけど。

鏡の前で手を使って、梳かせるだけ髪の毛を梳いて。
時間の流れをもとに戻して衣服を脱いで入った浴室。
パチュリー様は浴槽の隅の方に腰を下ろして、膝を抱えて座ってた。

「おはようございます。」
「おはよう。……凄い髪ね。」
「……ええ。櫛ではどうにもできませんでした。あの子はどうしたんです?」
「まだ寝てるのよ。ノックしても起きないし、部屋に入ってみたらベッドの中で丸くなってたわ。」

……珍しい。私よりも早く起きることすらあるのに。昨日は夜更かしでもしていたのだろうか。
そう思ってちらりと見たパチュリー様は、どこかむすっとしていた。
どうやらあまり機嫌が良くないらしい。
そんなパチュリー様を尻目に、先程まで使われていたらしい椅子に腰を下ろして、
頑なに変な形のまま固まっている髪へお湯を通した。冷えた体にはびっくりする位熱かったけれど、
まだ眠たかった頭はお陰でスッキリした。
何か言いたげなパチュリー様だったけれど、そのまま私が頭を洗いはじめれば、
口を閉じてじっと天井を見上げてた。

「お昼ご飯、何が良いですか。」
「去年のこの日はシチューだったわ。」

無くなることのないお湯を盛大に被りながら、指でゆっくり髪を梳く。
少しずつではあるけれど、ねじれていた髪も何とか元通りになってきて。
安心した所で荒いながら尋ねてみれば、すぐにパチュリー様がそう答えた。

「よく覚えてますね。」

いつも何を作ったか、日記にこそ書いてはいるけれど、
まさか素の状態でそんなことを言われるとは思わなかった。

「いつも食事を運んできてくれる子が居るでしょう?去年のこの日、嬉しそうに話をしていたもの。
雪合戦で冷えた手にシチューのお皿がとっても嬉しかったって。」

少しだけ楽しげにパチュリー様が返してくれた。
……そうか。私は雪合戦には加わったことが無いから分からなかったが、
手が温まる物は確かに良さそうだ。

「では、シチューにしましょうか。」
「いや、グラタン。」

そう答えれば、まるで待っていたようにパチュリー様が言葉を遮った。
……何故グラタンなのだろう。同じような料理と言えば、そうなのだけど。
材料もチーズとマカロニ位しか変わらない。ただ、

「実は昨日パーティでグラタンを作ってしまいまして。」

お陰でマカロニを今切らしている。無くてもできなくは無いけど、
パチュリー様が望んでいるいつものグラタンではなくなってしまうだろう。
勿論時間を止めれば材料を揃え直すのも不可能ではないのだけど。

「……じゃあ、シチュー。」
「お嫌いですか?シチューは。」
「いいえ。好きよ?……ただね。」

そこまで言って、パチュリー様は言葉を飲みこんだ。
何を言いだすのだろうと思っていたけれど、結局パチュリー様は私が髪の毛を洗い終えるまで、
そこから先は何も口にしなかった。髪の毛の泡を落として、お湯の中へと入って。
パチュリー様の横に腰を下ろせば、私をじっと見た後で、がっくり頭を垂れた。

「図書館にいつもご飯を運んできてくれる子、貴女分かるわよね?」
「ええ。」
「今、ふたりで一緒に寝てるのよ。同じベッドで。」

そうか、あの子は想いを伝えられたんだな。
……で、独りで先に起きたのが居た堪れなくてここに来た、と。
シチューを嫌がったのは嫉妬したからなんだろうか。

「そんな顔で私を見ないで頂戴。」
「いえ、パチュリー様もそういうことで悩むんだなぁと、思ったもので。」

私がそう言えば、意外だと言わんばかりに目を見開いた。
たぶん、同じことを考えているのは私だけじゃないと思うのだけど。
……いつもあの子と一緒に居て、当たり前のように過ごしているから。

「羨ましいのよ。」
「ですか。」
「あの子が起きるまで私は何をしてればいいのかしら。」

どうやら相当、あの子達のことで頭が一杯なようだ。
普段ならまるで出てきそうにない言葉。

「てっきり、読書するものかと。」
「……そうね。その手があるわね。」
「……大丈夫ですか?」

思わずかけた声に少しして、パチュリー様が首を横に振った。

「邪魔したくないのよ。でも、邪魔したい。」
「何となく気持ちは分かるんですけど、いつも一緒のあの子はパチュリー様のこと、とっても大事に思ってますから。」
「その運んできてくれる子もね、あの子を取るつもりは無いって。そう言ってたから、
それは信じてるんだけど。ああ、なんでこんなにそわそわするのかしら。」

そう言って、私をじっと見つめる。

「何でしょう。」
「お昼ご飯、作るのよね。」
「ええ。お風呂から出たらそのまま厨房に。」
「……ギリギリまで浸かって行かない?お昼ご飯は時間を止めれば何とかなるでしょう?」

読書するにも集中できないのか……。

「分かりました。お供します。」
「……ごめんなさいね。」
「いえ、パチュリー様からこの様な誘いを受けるのも珍しいですし。」
「……そうね。」

思えばパチュリー様とふたりきりって、数える程しか無いんじゃないか。
大体いつもパチュリー様の隣か斜め後ろにあの子が居るから。

……お供するとは言ったものの、結局お互いに言葉が中々でないお陰で、
私の髪の毛から落ちる水滴の音が一番うるさい。

「貴女の抱えていた悩みはどうやら解決したみたいね。」
「ええ。お陰さまで。……立場、逆になっちゃいましたね。」
「そうね。」

違う所があるとすれば、パチュリー様は私に打ち明けてくれている所か。
私は何も心配要らないと思うんだけどな。あの子の本心はたぶんパチュリー様だって分かってる。
本当は自分自身がもう一歩後ろに引き下がれば、あの子がもうちょっとだけ幸せになれる機会があることだって、分かってる。
ただ、そういう状況に慣れていないだけで。……私だって慣れていないから、あまり言えたものではないけれど。

ずるずると、いつの間にか口元までお湯に浸かっていたパチュリー様を見てハッとする。
このままぼーっと一緒に浸かり続けていると、昨日の二の舞になりかねない。
流石にそれはみっともない。それどころか、また昨日の様になったとしても、
今度は見つけて貰うのにかなりの時間がかかってしまうだろう。

「パチュリー様はふらふらしたりは、してませんか。」

思い立って浴槽の中で正座して、できる限り上半身をお湯から出して尋ねれば、
既にパチュリー様の顔は薄紅色になっていた。私と視線を重ねたかと思えば、
まだお湯に浸かっていたいのか、すっと視線を逸らされた。
こぽこぽと口元から上がってくる泡が、何だか訴えているように私には見えて、
それ以上は言わなかったけれど。恐らく立ち上がったら、あの子や私と同じようにふらりと行くのだろう。
……うん。私がしっかりしないと。



冷え始める上半身に手のひらですくったお湯をかけながら過ごしていると、
隣に居たパチュリー様がそっと私の肩に手を置いた。

「……後、よろしく。」
「……立てない感じですか。」
「……立てなそう。」

久しぶりに聞くパチュリー様の申し訳なさそうな声。
既に顔は真っ赤になっていて、何故かかえって健康的にも私には見えた。

「では、一緒に出ましょうか。」

置かれたその手をしっかり取って、私もぐっと浴槽の床に手をついて。
タイミングを見計らって、ふたりで一緒に立ちあがった。お湯から半身を出す頃には、
既にパチュリー様の体重がぐっと体にかかっていたけれど、なんとか立っていられる程度の余裕はあるみたいだ。
……振り向いたらとても内股になっていたけれど。

「ゆっくり行きましょう。ゆっくり。」
「……いけないわ咲夜。」
「どうしました?」
「……視界が黒と青しか見えない。」

パチュリー様自身は笑いながら言ってくれたけれど……相当キている様子。
どうしよう。このまま脱衣所に連れて行くのは危険か。温度差で失神されると後が困る。
図書館のあの子にも怒られてしまうだろうし、何より看病を手伝うにもお昼ご飯までもう時間が無い。

「少し、浴槽に腰をかけて待っていて下さい。タオルを取ってきますので、熱を少し冷ましてから出ましょう。」
「ごめん。……ここまで迷惑をかけるつもりは無かったのに。」
「大丈夫です。お陰で私もゆったり浸かれましたから。」

本当はもう、肩口が冷え始めて寒かったのだけれど。
でも、これだけ冷えて居れば温度差でまた倒れることは無いはず。
だから、私はパチュリー様の体を浴槽の縁へと預けて冷えた脱衣所へと向かって。
乾いたタオルを取って自分の体をくるんだ後に、パチュリー様の体を拭いて行ったのだった。

……柔らかい。全体的に。これで太っていないのだから羨ましい。
運動をしないがために残ったままの、ぷにっとした自分からすれば懐かしい感触。
あの子がたまに自慢していたが、何となく自慢したくなる気持ちは分からないでもない。

「お願いして良いかしら。」
「できることなら何なりと。」
「拭いて貰ったら、ベッドの中まで運んで貰えないかしら。……やっぱり、動けそうにないの。」
「分かりました。……衣服はどうなさいます?」
「ベッドの脇の机にでも置いてくれればそれで。今は暑いから、何もつけたくないの。」

は、裸で寝るのか。それはそれで風邪を引きそうで心配なのだけど。
まぁ、本人がそう望むのなら、仕方ないか。

パチュリー様の体と髪の毛を拭き終わったその後で、時間を止めてせっせと自分の体を今度は拭いた。
もうお風呂に入っていたことを思い出せなくなりそうな位、体はもう冷えていて。
少しだけ身震いしながらも、急いで水滴を払って行った。

時間を止めたお陰で置物のようになってしまったパチュリー様を抱えて、脱衣所に連れてって。
申し訳ないとは思いながらも脱衣所の鏡の所に倒れないようにパチュリー様を立てかけて、急いで体に脱いだ服を通して行った。

さて、どうやって運んだものか。
おんぶするなり、簡単な方法は幾らでもあるのだけど、どうやって服も一緒に運んだものか。
生憎私には手は二つしかない。自分の頭にでも載せようかと思ったけれど、
たぶん髪の毛の水分を吸ってしまうから、それは良くない。

立てかけたパチュリー様を見てじっと考えあぐねた挙句、
とりあえずお姫様抱っこして、そのお腹の上に服を置いた。
……傍から見ると相当にパチュリー様がみっともない格好だけれど、
時を止めているからまぁ、関係が無いと言えば無い。私だったらお断りだけど。



忘れ物が無いかをチェックして脱衣所を出れば、しんと静まり返っていたのは相変わらずだったが、
ちらりと窓から外を見れば、雪合戦をしていた子の数は少し減っていて。
どこに消えたのかと思いよく見てみれば、どうやら門の近くでかまくら作りを始めていたみたいだった。
天気はまだ、どんよりしている。相変わらずだ。この分だとお昼を過ぎてからも、太陽を見ることは無さそうだ。
あの子達にとってはかまくらが溶けないから都合が良いのかもしれない。

急ぎ足で向かった図書館。灯りはほとんど点いていない。
もう起きた段階から読書をする気自体が無かったのだろう。
そんなことを考えながら、いそいそ進んでやってきたのはパチュリー様の部屋……の、隣。
恐らくはまだ一緒に寝ているはずのあの子達のお部屋だ。
流石に風邪を引かれたら困るし、さっきもパチュリー様は誰のベッドとも言っていなかったから。
……だから、こっちでも文句を言われる事は無いだろう。

部屋に入って、またパチュリー様を立てかけて。
そっとベッドの中を覗きこんでみれば、給仕の子の方は既に起きていた。
じーっと、寝たままの彼女の方を見てぴったりくっついたまま固まっている。
そんな彼女達を少しだけ隅の方へと移動させて、広いベッドの中、
本当ならいつも一緒に寝ている相手であろうあの子のすぐ横にパチュリー様の体を差し込んだ。

時間の流れを元に戻せば、異変に気付いた給仕の子がびくりと体を震わせた。
そしてすぐ近くに居た私を見つけ、顔を赤くして。

「パチュリー様、お部屋に着きました。」
「ん……ありがとう。ごめんね、助かったわ。」
「いえ。では、服は置いておきますので。」
「ええ。」

……パチュリー様は相変わらず視界が真っ暗なのか、目を閉じたままで。
気が付いていないのなら、それはそれで好都合だ。
驚いたように口をパクパクさせていた給仕の子に向かって人差し指を出して口の前で立てれば、
しばらくして何かを感じ取ったのか、ゆっくりと頷いた。
彼女はそれから静かに、独り寝たままだった真ん中の子を突くと、
ゆっくりと目を開けたその子の前で、人差し指を口の前に立てた。
最初は何のことだか分かっていない彼女だったけれど、私を見つけ、そしてパチュリー様を見つけ。
ああ、という顔をして頷いて。

とりあえず任せて大丈夫?と、そう口の動きだけで尋ねてみれば、
分かりましたと彼女も頷いて返した。
ちらり、と懐の時計を取り出してみれば、もうかなり時間が危ない。
もう表の皆を呼んでお昼ご飯にしていたっておかしくない時間だ。

一礼して、そのまま時を止めて。急ぎ足で向かった厨房。
厨房へ向かう道にさえ、もう既に戻ってきていたらしい妖精達とすれ違った。
厨房へと入ってみれば、私が居なくて準備も進んでいないことを不信に思ったらしい厨房の子達が、
じっとテーブルに腰を下ろして待っていた。帰って来たばかりなのか、耳はまだとても赤い。
どうやらお湯だけは沸かしていたようで、皆が皆同じようにカップに注いだお湯を両手でぎゅっと握ってた。
見えていないはずの彼女達に一度頭を下げると、私は一人、寸胴鍋を持ちあげたのだった。



~~



すっかり表が静かになって、やっとこちらの小さな集会も終わった。
かちゃり、と小さな扉を彼女達が開いて、私にそっと手招きして。
門を留守にするのはどうなのか、とは思ったけれど……流石にご飯時に来るものは居ないだろうと、
とりあえず私は詰め所の中へと入ったのだった。

「もしも妹様が来た時のこと、決めました。」
「……聞かせて?」
「会える子は会う。会えない子は、会わない。……これは貫きます。」
「うん。無理する必要は無いはずだから。……それは、お嬢様からも理解は得られると思う。」
「……私達は美鈴さんが門番をしていた間、パーティに参加させて貰ってました。
毎年のことではあるんですが、今回のパーティもお嬢様が最初に挨拶したんです。」

挨拶か。お嬢様のそういう姿、もう何年私は見ていないのだろう。
少なくともあまり楽しい内容だった記憶は無い。
どこか、眠たくなるような……立っている足が痛くなるような、そんな話だった覚えがある。

「その時その時で相手を見られるようになりなさいって。……そう、言われたんです。」
「貴女はそれで昨日、どう思ったの?」
「……少なくとも、私は何もされてないです。むしろ、気にかけて貰ってたんです。
本当は気を遣わなきゃいけないのはこっちだったんです。夜中に押しかけて。……だから、分からなくなって。」

その子が言いづらそうに口を噤んで。
代わりとばかりに隣に居た子が口を開いた。

「だから、興味を持ったのなら。その時は皆美鈴さんに隠れて、それで会おうって。
無理と思ったら、詰め所の中に居ようって。そう決めたんです。」
「……頑張ったね。」
「まだ、実践できてません。」
「まあ、良いんじゃないですか?とりあえずもっと前向きに捉えましょう。初めてこれだけ前向きな考え方になったんですから。」

私の声に皆が揃えて首を縦に振った。視線は皆、誰も居ない思い思いの方向を見ていたけれど、
私が一度ぱん、と手を叩いたら、皆が一斉に私を見つめた。

「さぁ、そろそろお昼ご飯です。……もう少し、私門番してますから。
皆もたまには食堂で食べてきたらどうですか?たぶん、温かい汁物だと思いますから。」
「……ここで良いです。美鈴さんは今日非番じゃないですか。」
「良いの良いの。……食べておいで。」

そういうことでしか、私は成長のお祝いを出せないんですから。

皆が一礼して館の方へ向かって歩きだして。私も詰め所から出ていつもの場所へと戻ると、
帽子を深く被りなおして未だ太陽の出ない空を見上げたのだった。



~~



「そろそろご飯の時間なので、持ってきますね。」

部屋の中でこちこちと音を立てていた時計。それを見てそう言えば、
少し離れて眼を閉じていたパチュリー様がびくりと体を震わせた。
……もうかなり長い時間が経っていたはずなのに、どうやらまだ横に居たことに気づいていなかったらしい。
余程お風呂でお疲れになったんだろうか。
お姉さんの方を見てみれば、まだ眠たそうな目で私の方を見ていた。

「いってらっしゃい。」

そう声をかけられて。ただご飯を取りに行くだけなのに、すごい大役を任されたような気分になった。
静かにベッドを出て、近くの机から私の着替えを手に取る。
昨日、あれからお姉さんが取ってきてくれたものだ。
お姉さんの服を脱ぐのは何だか名残惜しいけれど……こっちの方が気合いが入る。
ベッドの脇に置いてあった3つの靴。私のが一番小さくて、ふたりは同じ位で。
頑張って厚底の靴を履いたとしても私はお姉さんの身長には追い付けないから、
やっぱり私にはパチュリー様が羨ましい。

「まだ居るかしら。」

部屋を出ようとしたら、ふとパチュリー様が思い出したように声を出した。

「はい。何でしょう?」
「図書館の方じゃなくてこっちに運んできて頂戴。今日はシチューだから、膝の上で食べられるわ。」
「よく御存知ですね。」
「私は何でも知っているのよ。」

……きっと咲夜さんから聞いたのだろう。
そうか、シチューか。去年もそういえばシチューだった気がする。
本当はいつも、こっちに料理を運んでから自分の分を食堂で食べるんだけど、
あの日はもう手が冷たくて冷たくて。……雪合戦をしたからなんだけど、先に食堂で食べたんだっけ。

「他にはありますか?」
「水。冷たい水……沢山。」
「わ、分かりました。」

沢山、か。水差し何個分位持ってくれば良いんだろう。
そんなことを考えながら部屋を出て少し歩いて。ああ、お姉さんに何か必要かって聞くの忘れてたって思って、
戻って慌ててドアを開けたら……お姉さんがパチュリー様に覆いかぶさってた。
とても熱烈に……唇を奪っている様に見えた気がするけど、見なかったことにしよう。

「お姉さんは欲しいものはありますか。」
「……嫉妬してるパチュリー様を可愛がる時間を少し、くださいな。」
「……はい。」

お姉さんもパチュリー様も、驚いたようだったけど。
そう返されて、私も素直に返事をしてしまった。
急いでドアを閉めたら、思い切り音がしてしまって。
何だかとても申し訳ない気持ちになりながら、ドアを離れた。

……羨ましいな。そう頭の中で呟いた瞬間から、凄く厨房まで走りたい気持ちだった。
けど、お姉さんは時間が欲しいって言ってたし。歩かなきゃ。歩かなきゃ。
そう思いながら進む足は自分でもびっくりする位早くて。

「でも走って無いもん!」

誰も居ない図書館で独り、そう言ってみたけれど。
誰も、返事をしてくれなかった。



「むすっとして、どうしたの。」

厨房に着けば、咲夜さんが少し疲れた顔で待っていて、
息があがっていた私に向かってそう言った。

「その様子、あの子がパチュリー様といちゃいちゃしてる所でも見たのかしら。」
「……自然な姿です。」
「朝、パチュリー様と話をしたんだけどね、貴女のこと凄く気にしてたわ。取られないだろうか!って。
今のパチュリー様がああなっているのはそれで考えすぎてのぼせたから。たぶん、それをあの子も察知したのよ。」

咲夜さんが台車に三人分の食事を準備してくれながらそう言った。
……パチュリー様が言った通りの、凄く熱々なシチュー。
今食べたらきっと火傷してしまうだろう。

「かもしれないですけど、ですけど!だったら良いんですけど、その。」
「……こう言うのは何だけど、凄く楽しそうね。」
「ええそりゃもう。凄く楽しいですよ。……うぅ。後で時間ができたら外で叫んできます。」

分かってたもん。私もそれで良いって思ってたし、そう言ったし。
ああでも、ああ。ああ!羨ましい!
私もパチュリー様の前でお姉さんとキスしたい!

「貴女もねだれば良いのよ。」
「恥ずかしくないですか?」
「あら、あの子はパチュリー様相手なら恥ずかしいことだって平気よ?」
「うぐぐ。」
「……さて、ここでは熱々でも、ゆっくり行ったらきっと冷めちゃうわね。」
「お姉さんはゆっくりパチュリー様を可愛がる時間を下さいって、そう言ってたから。」
「そう言ってたから?」
「……急いで持って行きます。あ、あと冷たい水を多めに貰えませんか。」
「……ふたりにぶちまけるの?」
「いえ、パチュリー様からそう頼まれていたので。」

そう言えば咲夜さんが愉快そうに笑いながら、食堂で使っているかなり大きな水差しをいつもの水差しの代わりに置いてくれた。
普段よりも随分と重たくなった台車の持ち手を握りしめると、私は走って図書館へと戻ったのだった。

静かな図書館の中。どうせ誰も居ないのだからと、これでもかって位に台車を持って走った。
お姉さんの部屋の前まで駆け抜けて、そのドアの前で体全身を使って無理矢理台車を止めて。
急いでドアをノックして、返事を待たずに部屋の中へと飛び込んだ。
……いちゃいちゃはしてなかった。丁度パチュリー様が衣服を着ていて、お姉さんがそれを手伝っていて。
パチュリー様はこちらを見て少し頬を膨らませ、お姉さんは私を見て凄く愉快で嬉しそうな顔をしてた。
何だか、手のひらの上でころころ転がされてる気分だ。でも、あの笑顔は……好き。

部屋の中へと台車を運び込んで、ふたりが着替える横で独り息を整える。
することが無いからじーっと、じーっとパチュリー様の顔を見つめれば、
耐えられないとばかりにお姉さんが笑いだした。

「走りました?」
「走りました。もう、本気で。」

そう言えば、凄く満足そうで。
着替え終わった所で、何故かお姉さんに頭を撫でられた。

「良かった。真面目にゆっくりしてきたらどうしようって。」
「……じゃあ、何で言うんです?」
「だって、こういうからかい方はパチュリー様にはできないですから。」

……そりゃ、パチュリー様は走ったりできないけど。
そこでふと、思う。だったら私も、パチュリー様ができないことをすれば良いんだ。
でも、何があるんだろう。パチュリー様だとできなくて、私にはできること。

「さ、食べましょうか。」

そう言ってベッドに戻ったふたり。どうやら本当に膝の上にお皿を置いて食べるようだ。
並んで座ったふたりにお皿とスプーンを手渡せば、
ふたりとも袖でお皿を掴んで、毛布越しにお皿を膝の上へと置いた。
……とても慣れた様子。パチュリー様を看病する時はこうやって食べていたのだろうか。

ふたりに手渡した後で私もお皿にスプーンを差し込み、それを持ってそろりそろりとベッドに入った。
毛布の上にお皿を傾かないように置くというのはとても難しかったけれど、
その間ふたりは食べずにずっと私を待ってくれていた。

「いただきます。」

私の準備が揃えば、お姉さんがそう言って。それに合わせて皆が手を合わせた。
三人揃って食べようとしたシチューは……まだ皆の口には熱かった。

「……本当に急いで帰って来たんですね。」

驚くようにそう言ったお姉さんの声が、今はちょっと心地が良かった。



~~



「眠れましたか?」
「うん。ちょっと、落ちついた。」

もうお昼だからと、寝ているお嬢様を置いて部屋の灯りを全て点けた。
ふわふわと明るくなったり暗くなったりする、そんな灯りのお陰でお嬢様も目を覚まして。
振り返って尋ねてみれば、目元にまだ涙の痕が残っていたけれど、穏やかそうな声でそう返してくれた。

「おはようございます。」
「おはよう。……あれ、もうお昼なのかな。」

目元を拭いながら時計の方を眺めていたお嬢様が、首をかしげながらそう言った。
それから、既に正午を回っていた時計から私の方へと視線を移すと、一度大きく伸びをした。

「あまり、寝た気がしない。」
「……私もです。」

恐らく原因は昨日のこと。……私はお嬢様が心配で、結局あの後はほとんど眠ることができなかった。
どうやって慰めれば良いのか、朝までに考えておこうって。
そう考えていたんだけど、中々良い言葉はみつからなかった。
だから、前向きに前向きに昨日の一件を考えようって思って。

私はこの後、デートに誘うつもりだ。デートと言っても、それは屋敷の中であって。
……そして、皆が寝た夜中であって。一つの気分転換になってくれたらなって、そう思ったから。

「お腹、大丈夫?」
「私のですか?」
「うん。……ごめんね。昨日は一杯食べて苦しそうにしてたの、知ってたのに。思い切り抱きついちゃった。」
「良いんですよ。確かに苦しかったんですけど、抱きしめたいって思って、抱いてくれのなら。」

……ふと、気になって自分のお腹に手を当てた。
昨晩程膨らんでは居ない。……余分なお肉にもたぶん、回っていない。……そう、信じたい。
まぁ回ってくるのは何もお腹とも限らない。腕かもしれないし太股かもしれない。
結局そういうのは、体重計に乗るまで分からないのだ。しかし、乗るのは怖い。
去年はパーティの次の日に乗ったんだ。そのまま窓から体重計を投げたくなった。

「そっか。良かった。」
「さて、お嬢様。」

安心して笑ってくれたお嬢様に、デートのことを切り出そうと口を開けば、
待ってと言わんばかりにお嬢様のお腹の音が部屋の中に響いた。

「うん?」

今がお昼ご飯の時間だったということをやっと思い出す。
正直言うと、私はまだ全然お腹が空いていないのだ。
ちょっとだけ、胸やけしてる。だからお昼ご飯が汁物だったら嬉しいなって。
もしもステーキなんかでてきたら、きっと半分も入らないと思う。
どちらかというと今はただ、ご飯よりもお水が欲しいなって。そう、思った。

「お昼ご飯、貰ってきますね。」
「うん。行ってらっしゃい。」

私は一度お嬢様に頭を下げると、急いで厨房へと向かったのだった。



丁度私の視界に厨房が見えてきたころ、図書館にいつもご飯を運ぶ友達が凄く慌ただしく厨房から駆けだして行った。
何かこの後急ぎの予定でもあるんだろうか、凄い形相で、とてつもないスピード。
もしも誰かと曲がり角で会うことがあったのなら、間違いなく大惨事になると思う。

「あら、おはよう。」
「おはようございます。私達の分も、頂けますか。」

まだ使われていなかった台車を引っ張りだして尋ねれば、
咲夜さんがするすると準備を進めてくれた。

「ええ。……昨晩は大変だったみたいね。私はあまり詳しいこと聞いていないけど。」
「はい。門の子がお嬢様のお部屋に来て。……私は実は寝てたんですけど。」
「あら。お嬢様が行ってたのは知ってたのだけど、そっちは初耳ね。……そっか。行ったのね、あの子達。」

どうやら今日のお昼ご飯はシチューみたいだ。
厨房の外の廊下でも漂っていたけど、甘い良い匂い。

「もう出ても構わないって。ただ、来るなら連絡して欲しいと。
……やっぱり一部の子達からはまだ、怖がられていますね。」
「でも、もう色んな選択肢が取れるでしょう?大きな一歩だと思うわ。」
「です。……お嬢様もあの後は不安になって私を起こしたんですけど、今は落ちついて前向きになってくれたみたいですから。」

冷めない様に大きな覆いを被せて、咲夜さんが台車にシチューを置いてくれた。
ほかほかで美味しいはずなんだろうけれど、胸やけを起こしている私からすると、
もうちょっとだけあっさりしたものが欲しかったなって。もういっそ冷奴だけでも良い気分だった。

「良かった。必要なものがあったら、教えて頂戴ね。準備しておくから。」
「有難うございます。……そうだ。お嬢様に必要な物、ではないんですが、大きめの水差しで冷たい水、貰えませんか。」
「今日は何故か冷たいお水が大人気ね。厨房でも図書館でも貴女の所でも。」
「……実はその。胸やけしてまして。」
「ああ!なるほど。……夕食の参考にしておくわ。ありがとう。」

正直に言うと、合点が行ったとばかりに咲夜さんが手を打って応えた。
それからちらりと食堂の方を見て。私も気になってそちらの方を見てみれば、
ほとんど空になった食堂の片隅で、未だに暗い顔のまま食べ続けている子達が居た。

「……あの子達、妙に食べるのが遅いと思ったら胸やけを起こしてたのね。」
「たぶん、そうだと思います。もしくは二日酔いかと。」

私はお酒を飲まなかったから胸やけだけで済んだけれど、
もしも胸やけだけじゃなくて二日酔いも一緒になってたら、今頃私はここに来れたのだろうか。
そもそも昨日お嬢様に起こされた段階でもう酷いことになっていただろう。
そう考えると、やっぱりお酒を飲まないで居て良かったと安心した。

……でも、本当はちょっと飲んでみたいんだ。お嬢様と。
ただ、今まで一度もお嬢様がお酒を欲しがったことが無かったから、
ひょっとしたらお酒が苦手なのか、それともお酒が入ると性格が変わってしまうのか。
そんなことも私には分からないで、未だに誘えないでいる。
いつか、その辺りも知ることができたら。
その時は一緒にテーブルを囲んで……いや、ベッドの上で、一緒に飲んでみたいな。

「お水はこれで大丈夫?」

咲夜さんが運んできたのは食堂で使ってる水差しだ。
……見た目だけでもいつも使っているそれの2倍近くある。
これだけあれば少しは治まるはず。逆に、ちょっと寒くなってしまうかもしれないけど。

「はい。」

台車に載せて引っ張れば、いつもよりも随分と重たかった。
友達は凄い勢いで飛ぶように行ってしまったけれど、私はゆっくり行こう。
もうお昼を過ぎてしまったから、誰にぶつかったっておかしくない。



来た道をゆっくり戻って、ふと覗いた窓。また雪が降っていた。
でも見上げた雲には少し切れ間がある。夜になったら少しは晴れてくれるだろうか。
ちょっとだけでも月が見えたら嬉しいなぁ。どんより空の初デートは何だか、寂しいから。

しかし、なんて誘えば良いのかな。そもそも、承諾してくれるかも分からない。
昨日の夜の調子だったら、もっと認めて貰えるまで外には出なかっただろうけれど、
多少落ちついた今なら。きっと、行ける気はするんだ。
どんな、どんな言葉が良いかな。

「一緒に……。」

一緒に、何だろう。月を見ませんか?外に出ませんか?風に当たりませんか?
うぅん。ロマンチックな言葉が全く出てこない。厨房を出る前に咲夜さんに相談しておくんだった。
相談したらしたで、何だか覗かれそうで、それはちょっと心配でもあるんだけど。
あぁでも、咲夜さんには後で報告しておかないと。混乱を未然に防ぐためにも。

……デートするのは難しい。



「おかえり。……何か、あったの?」

悩んだまま地下へと戻れば、お嬢様が少し不安そうに私に尋ねた。
デートに誘うのに良い言葉が浮かびません!……なんて言えないから、

「いえ、お夕飯何になるんだろうって考えてたんです。あ、お昼ご飯はシチューですよ!」

そんな返し方をした。そしたら嬉しそうにテーブルの方へとやってきて、ひょいと椅子に座って。
一緒に貰っていたパンを出してシチューのお皿と一緒にそっと運べば、
少し揺れた具からふわりと湯気があがった。

「熱そう。」
「ええ。火傷には気を付けてくださいね?水は沢山あるんですけど。」
「喉渇いてた?」
「少し。では、食べましょうか。」

いつ火傷しても良いようにと、少し多めに冷たい水をコップに注ぐ。
シチューと違ってこっちは嫌がらせのような冷たさだ。
お洗濯係の子達は今日、昨日使ったテーブルクロスを洗い直すのだろうけれど……流石にお湯でやるんだろうなぁ。
汲んで運んできてこの冷たさなのに、流れる冷たい水なんか触りたくも無いだろう。

「いただきます。」

ふたり手を揃えてそう言って、スプーンをそっと差し込んだ。
そしたら、どういう訳か猛烈に湯気があがって。

「……本当に熱そうね。」
「……ですね。」

ふたりして、怖くなって息を吹きかけながらひと口。食べられなくは無いけれど、かなり熱い。
具が……怖いなぁ。お芋に、玉ねぎ。口に運んだ瞬間にとんでもないことになりそうだ。
安心して食べられそうなのは、人参とお肉位か。

「ちょっと、待とうか。」
「ですね。……あの、お嬢様。」

少し諦めたようにお嬢様がスプーンを置いて、それからパンへと手を伸ばした。
乾いているお陰でぱりりという音と共に裂けるそれを見ながら、私もスプーンを一旦置いて。
一度深呼吸すると、じっと目を見つめて聞いたのだった。

「今夜、デートして頂けませんか。」

お嬢様の手の中でとても小さくなっていたパンが、ぽたんとシチューの中に落ちた。
お嬢様も口をぽかんと開けて。……瞬きしながらこちらを見る目が何だか、見ていて恥ずかしい。

「良いのかな。」
「皆が寝静まった夜中に月でも見れたら良いなぁって、そう思って。」

そう言えば、顔が緩んで嬉しそうに笑ってくれた。
それが凄く嬉しくて、ほっと胸を撫でおろした。思わず、良かったって。心の中で呟いた。

「分かった。けど、一つお願いして良いかな。」
「何でしょう。」

そしたらお嬢様が、思い出したように人差し指をぴっと立てた。

「門の皆に、伝えておいて。」
「屋敷からは出ないですよ?」
「駄目。……伝えて。万が一が怖いから。」

確か聞いた話だと、門の所に来るなら、だったんだけどな。
今夜は屋上で月を看るだけの予定なんだけど……うぅん。
かえって余計な不安を皆に与えてしまわないだろうか。
とりあえずあの子達じゃなくて美鈴さんに伝えれば良いのかな。
そもそも私が門の所に行ったら、それだけでも不安を与えてしまいそうだけど。

「分かりました。一応咲夜さんに連絡をして、そこから通して貰います。」
「うん。……ありがとう。」

そう言いながら、シチューに落としたパンをそっとお嬢様が口に運んだ。
何だか、ちょっと美味しそうに見えて。私も少し、ちぎって付けて食べてみた。
……乾いたパンとは結構相性が良いみたいだ。気持ち、もうちょっと焼きたい所はあるけれど。

おめかしはできないけれど、温かくして行かなくちゃ。
たぶん今夜も雪だから……あれ、そういえばお嬢様って上着とか持ってるだろうか。
そう思って、お嬢様の持っている服を頭の中で全部整理し直したけれど……無い!
そっか、ここじゃ必要無かったからだ。でも、どうしよう。屋敷の中はともかく、外はとっても寒い。
外回りの子で寒いのが苦手な子はお団子とも言えそうな位に着こんで行くのに。
……咲夜さんにお願いしよう。せめて上着は欲しいから。

「どうしたの?」
「いえ、案外シチューに付けるのも良いなって思いまして。」
「うん。甘くて美味し。」

他に、他には何が必要なのだろう。



~~



ゆっくりゆっくり、何とか食べ進めていた食堂の最後の子達がやっと食べ終わった。
どうしたのかと尋ねてみれば、あの子が言っていたように二日酔いみたいで。
私が大声を出したら気絶してしまいそうな、そんな目を皆でしてた。
そんな彼女達へ買い置きの薬を渡して部屋で安静するように言いつけ、
使い終わった食器を独り、洗い始めた。いつもなら一緒に洗ってくれる厨房の子達も、
今日も一応休みだと伝えてあるから……今頃はまた外で遊んでいるか、お部屋でゆっくりしているのだろう。

……お夕飯、どうしよう。
普通に食べたい子も居るだろうし、あっさりした物が良い子も居る。
とすると、各々に料理を出すよりは選んで食べられる物の方が好まれるだろうか。

「咲夜。」

底の深いスープ皿を洗いながら天井を見上げてあれやこれやと料理を考えて居れば、
いつの間にドアを開けたのか、お嬢様が厨房の入り口で私を見ていた。

「おはようございます。……昨晩はどうでした。」
「貴女が部屋に入った少し後に一人、来てくれたわ。」
「さっき妹様のお付きのあの子に会いまして少し聞いたのですが……どうやら、まだ壁は残ってますね。」
「ええ。でももう穴だらけの壁よ。……穴を開けたのは門の子達自身。好奇心の為の覗き穴。後はもう時間が解決してくれそうな気がするわ。」

そう言ってお嬢様が近づいてきて、何をするのかと思えば私の背中に背を預けて。
……何の用だろう。いつものお茶の時間にはまだ結構な時間があるし、
お昼ご飯を出し忘れた訳でもない。

「今日はどうしてこちらへ?」
「ああ。一つお願いがあるんだよ。ちょっと時間がかかるだろうし、今お願いしておきたくてね。」

時間がかかる?

「フランに一つ。時間が無ければマフラーでも手袋でも良い。外出用の服を作ってやってくれないか。
私は持っているけれど、あの子はずっと地下に居たから持っていないんだ。着替える時に思い出してね。お願いできないか。」
「大丈夫ですよ。……お嬢様に合わせましょうか?」
「うん?」
「いつか並んで歩く時、映えますよ?」

振り返ってそう尋ねてみれば、お嬢様はしばらく目を見開いてた。
少しして、頬を赤く染めて。それからちょっとだけ目を泳がせた。

「……恥ずかしいわね。デザインは格好良いものじゃなくて、こう。少し丸い感じにできないか。
外からの見た目が少しでも物腰柔らかそうな、可愛く見えそうな感じで。」

恥ずかしい、か。完全にペアルックにするつもりは私には無い。
それをすると生地がとんでもない余り方をして勿体無いんだ。
赤色の生地は衣服にワンポイントとして入れるには心強いけれど、
どちらかと言えば落ちついた色を好む妖精の子達は、余った赤色の生地で作った服を着たがらない。
私も、あんまりそういう服は着ない。
……妹様の今の服が赤いのは、お嬢様の白色ばかり使ういつもの服を作った際に
余った大量の赤い生地を使ったから、なんて。
あまり会うことが無いから気付いていないのだろうか。……バレたらどうなるだろう。

「柔らかそうな感じ、ですか。」
「攻撃的に見えなきゃ、それで良い。私のは別にそれでも構わないけれど。」

……これは、お嬢様ももう一着新しいのが欲しい、ということなのだろうか。
そもそも今余っている生地はどれも落ちついた色の物ばかりだ。
館の中の人数比で妖精の子達の方が多いから、仕方ないことではある。

「お皿を洗い終えたら拵えます。……先に少し、生地を求めないといけないですが。」
「ああ。……すまないね。忙しいのは分かっていたんだが。」
「大丈夫です。時間は幾らでもありますので。」
「終わったら、私も見て良いかい?」
「勿論ですとも。お茶の時間までに仕上げて、一緒に運びます。」

そう言えばお嬢様がほっと溜息を吐いて。

「私は、部下には恵まれたと思ってる。」
「私もですわ。」
「……じゃあ、また後に。」
「はい。」

背中がふっと軽くなって、お嬢様がそのまま厨房を出て行った。
ドアが音を立ててしまった後、私は急いで時間を止めて。
未だうずたかく積もったままの使用済みの食器へと手を伸ばしたのだった。



~~



服を頼むついでにデートコースを相談しようと思ったのに、
厨房を覗いてみてもお部屋を尋ねてみても、咲夜さんは居なかった。
皆に聞いても分からない、見ていないとしか言われなくて。
できるだけ早く欲しかったこともあって、困った私は咲夜さんの部屋の隣、
お嬢様のお部屋の前まで来ていた。

ドアをノックして、中の様子に静かに耳を傾けた。
……足音がしない。少しして返ってきたのは

「開いてるわ。」

という、短いレミリアお嬢様の声だけで。私は一度深呼吸して改めて身だしなみを確認すると、ドアを開けたのだった。
どうやら服の整理中のようで、いつも着ている服やお出かけ用の服にパーティ様の服。
沢山の服をテーブルの上へと並べていた。鮮やかな色から爽やかな色まで。……羨ましい。

「どうしたの?」

服を並べ終えたかと思えばコートを引っ張りだし、そしてアクセサリに移り。
……あれ一個でどれだけのご飯が食べられるのだろうか。

「咲夜さんにお願いがあるんですが、探しても見つからなかったんです。
お嬢様は咲夜さんがどこに行ったか、御存知ないですか。」
「あぁ、たぶん買い物に行ってるよ。」

買い物、か。そうか。パーティの後だからか。
……って、あれ。それだったら咲夜さんだけじゃなくて、
妖精の子達の幾らかも荷物運びの為に連れて行かれてるはずだ。
それだったら他の子だって知ってそうだし……一人で行ったのだろうか。

「しばらく帰って来ないでしょうか。」
「そうね。でも、少なくとも私のお茶の時間には帰ってくるわ。そう約束したからね。……用事は、フランのことかしら?」

付けているのを全く見た覚えの無い物まで取り出して並べ始めて。
一体これは何をしているんだろう。まだ春には遠いのに。
ひょっとして、お嬢様に服を分けて貰えるのかな。背丈、同じだし。

「はい。フランドールお嬢様の外出用の服を、どうにかして用意して貰えないかと思いまして。」

そう言った私の言葉に急にお嬢様が笑いだした。

「それなら問題無いわ。咲夜が外出したのはそれが原因だから。……あぁ、ここにある服は駄目よ。特にまだしばらくは、ね。
貸してあげたい気持ちはあるけれど、フランと私を間違えたりしたら困るでしょう?……特に門の子達がね。」

そっか。……良かった。それならたぶん、待っていれば運んでもらえるのだろう。
そしたら安心して風のある所へも連れていける。もしも作ってもらえなかったら、
図書館のお姉さんに頭を下げに行くしかないなって、思ってたから。ちょっと安心した。

「確かに、そうですね。でも、そのぽんぽんのついた毛糸の帽子とか、着けてる所見たこと無いですよ?」

お嬢様のテーブルに並べられていた物の中で、全く見た覚えの無かったそれについて尋ねてみれば、
お嬢様がかなり苦い顔をした。あまり好みでは無かったのだろうか。

「普段の帽子の方が落ちつくのよ。やっぱり私には似合いそうにないって、思ったからね。」
「そうなのですか。」
「……咲夜に申し訳無くなるよ。作って貰っておいて、使ってないなんてね。」

……私達は下着とメイド服一式、それにカチューシャと靴以外は支給されていないからなぁ。
自前で持っているのは元々ここに務める前に着ていた簡素な服と寝巻き位だ。
寝巻きは今でも寝る時に使っているけれど……そっか。お嬢様はそういうのも含めて全部咲夜さんの手作りなのか。

「フランへの服はできたらここに運んで貰うことになってる。だから、また後で取りに来ると良い。」
「……いっそ、お嬢様から手渡ししてみては?プレゼントということで。」
「私の手作りだったらそうするさ。生憎、私は咲夜程の器用さは無いよ。」

確かにお嬢様の手作りの品なんてものを、今までこの館の中で見たことはない。
しかし、本当に器用でないのだろうか。お嬢様としての嗜みだーとか言いそうなほど、
経験はありそうなのに。

「じゃあマフラーを編んでみるとか。」
「今から?出来あがる頃には桜の舞う季節よ。」

春先、か。……恐らく一度は作ったことがあるのだろう。
出来がどうだったかは分からないけれど、そうでないと出来あがりがいつかなんて、分かるはずが無いから。
誰かが作っている姿を延々と横で見ていたのなら、話は別だけど。

「それでも喜ぶと思いますよ。お嬢様の手作りなら。」
「……気が乗ったらね。」

そう言うと、今度は出していた衣服を片づけ始めた。
結局私には、何故それらを出していたのか分からなかった。
ぼーっと見ていたら、さっきのポンポン帽子だけをお嬢様が残して。

「これ、フランに。咲夜に服とかマフラーとか手袋とか、そういうことは話したのだけれど、
帽子については触れてないのよ。ひょっとしたら材料を買ってきて無いかもしれないから、
もしあの子がいつもの帽子で寒いようなら、これをあげて頂戴。」
「プレゼントなら、お嬢様が直接渡した方が喜ぶと思いますよ。」
「それはあの子に着けることを強要するようで、嫌なのよ。私も着けたことが無いのだから。」

そう言って、お嬢様が私の手に帽子を握らせた。
……見た目よりもずっとポンポンがふわふわしてて、すっぽり被れば耳まで包めてしまいそう。
でも、お嬢様には確かに似合わないかもしれない。たぶん被っていたら皆ポンポンで遊ぼうとするだろう。
何より、脱いだ後の髪型も凄いことになってしまいそうだし。

「では、一旦失礼します。」
「ええ。フランによろしくね。」
「ああそうだ。今夜、お部屋の外にフランドールお嬢様を連れだしても良いですか。館からは出ないんですけど。」
「今夜?……分かった。咲夜には伝えておく。」
「……できれば、門の方達にも伝えて置いてもらえれば助かるのですが。」
「……伝えておくわ。」

貰った帽子のポンポンを指で弄りながら出たお嬢様のお部屋。
近くの窓から外を見てみれば、まだ雪が舞っている。
流石に明日は仕事だろうから、誰も雪合戦なんてしないのだろうけれど、
しばらくはこの雪景色を屋敷のどこからも見ることができるのだろう。

……厚手の靴下、出しておかなくちゃ。



~~



デート。デート。
ドアを見ても天井を見上げても枕に顔を埋めても、さっきから読んでいる本を見下ろしても。
目を閉じればその文字が瞼の裏にでっかく書いてあって。
嬉しくて、楽しみで……そして、困ってる。

何を持って行けばいいんだろう。どういう物を持って行けば良いんだろう。
誰かに相談したいけれど、あの子に聞くわけにもいかない。
野暮だし、何より変な気を遣わせてしまうかもしれない。
だから、もう飽きるほど目を通したはずの本棚の本の中からヒントを得ようとしてた。
でも……持って行くものは流石に書いていないのだ。
あったとしても、それはデートに誘う側の持ち物ばかり。
そして誘う側ですら持って行くのはお土産とかアクセサリーとか。そういう贈り物だ。
私は他人にあげられそうなアクセサリーも、お土産も持ってはいない。

そもそも、貰ってばっかりなのだ。
手渡しされるような物を貰ったことは無いけれど、形の無い沢山の物を貰って来た。
……ああ、そういう物なら私にも何か、贈れるかもしれない。
形は無いけれど、何かあげられるもの。喜んでもらえるもの。
……けど、そう都合よくは思いつかなくて。
仕方なしに視線を本へと戻して、ぺらり、ぺらりとページをめくって行く。

デートの日の朝の目覚めの楽しそうな様子。
出かける直前になって焦ったりする、どたばたした時間。
会いに行くまでの、高まって行く気持ち。
相手に出会えた時の、嬉しさとほっとした気持ち。
一緒に居たいって想い。そして、一緒に居られる幸せ。
相手と同じ景色を見る喜びに、同じ体温を手のひらで分かち合う穏やかな時間。
一日が終わろうとして、まだ足りないって思って。
拒絶されるのが怖くて、それでも一歩を踏み出して。
ひとりの時間がふたりの時間になる。

……あまり新鮮味が無いなって、思った。
よくよく考えてみると、このほとんどは既に体験しているんだ。
ワクワクしてるし、焦ってるし。迫る時間は待ち遠しい。
彼女が帰ってくるといつもホッとしているし、一緒に居たいから居て貰ってる。
いつも一緒の物を見てきたし、今日だって一緒の物を見るだろう。
私は彼女の体温を知ってるし、夜だって一緒に過ごしてる。
拒絶されたらと思うと怖かったし、踏み出して受け入れて貰えた時はとても心地よかったし。
……もう私の時間は、あの子との時間だから。

今からデートなんじゃない。ずっと、デートだったんだ。
じゃあ、今夜のは何なのだろう。やっぱり括りはデートだろうか。
それとも……。



~~



可愛いデザインということだったから、出来る限り丸っこくしてみよう。
背中には綺麗な羽があるのだから、生地は少し薄暗いベージュ色にして。
ボタンは、太い糸を留め具に引っかけて使うような、簡単なものにしよう。
留め具は……木から丸く削り出せば安上がりだ。

ポケットは両側にふたつ。きっと、外に出ることになったら沢山持って帰りたいものができるだろうから。
けれども大き過ぎてたっぷり入ってしまうとそれはそれで不格好だから、手袋とちょっとした物が入る位の大きさで。
これから先、外に出るにしても傘は必ず持ち歩くだろうから、フードは必要無い。
後は袖口には飾りボタンをつけて。……うん。材料的には問題は無く作れそうだ。
生地が少し余りそうだけれど……新しい針山を作ろうかしら。
それともいざポケットが抜けた時の為の余り布にしておこうか。……そっちの方が良いかもしれない。

生地を求め、糸を求め。木材は自分でどうにかできるから良い。
作らなきゃいけないのは、上着となるコートに、手袋。そしてマフラーか。
……思ったより時間がかかってしまいそうだ。

素材の対価として持ってきていたお酒の瓶。
丁度一本余りが出て。いっそのこと作る間にゆっくり開けてしまおうかと思った。
でも酔った勢いで手を滑らせても困るし、……流石に一本も私には飲みきれない。
どちらかというとまだ、お腹が膨れる物の方が嬉しいか。頑張れそうな食べ物とか。

……そんなことを考えながら歩いて戻っていた帰り道。
時間を止めて歩いているお陰で、雪自体は冷たくても風が無いから歩きやすい。
そんな中をとぼとぼと歩いて進んで居れば、見たことのない屋台が人気の無い道に置いてあった。

こんな所人なんて通らないのに。そう思って覗いてみれば……経営していたのは人間では無かった。
鳥の妖怪だ。どこかで……見た覚えがある。あれは確か、永い夜の。
そういえば噂に夜雀の屋台の話を聞いた覚えがあるが、それがこれなのか。
……営業中、ではないみたいだが、どうやら仕込みは終わっているらしい。

数歩離れて、荷物の空きと自分のお腹の空きを確認して、
自分の服に乗っていた雪を払い落しながら時間の流れを元に戻した。
……気付いていない。少しのんきな調子の鼻歌が聞こえてくる。

「うん……?あんたはあの時の!」

のれんを分けて顔を覗かせてみれば、気付いたその子が顔をあげて私を見つめた。
緩んでいた顔が急にひきつった顔になった。……仕方ないか。
あの時は流れもあったとはいえ、相当に酷い扱いをしてしまった。
まあ館の外のことだし、お嬢様も居たから仕方が無い。……うん。仕方ない。

「ごきげんよう。……これは貴女のお店なのかしら。」
「……お願いだから壊さないで!」

仕方ないと思っても、そこまで言われると少し心が痛む。
里の人間達とはもうかなり信頼関係を回復し、永遠亭とも付き合いができるようになったのに。
思えばこういう所は全然今まで気にしてこなかった。

「壊しませんわ。ここは、鰻の串を売るお店よね?」
「そ、そうだよ。……買ってくれるのかい?」

……それ以外に来る理由があろうか。仮に略奪をしたとしても館の名前に傷がついてしまう。

「美味しいならね。」
「私は美味しくない!」

……そういえば前に会った時は私達はこの子のことを食材扱いしたんだっけ。
お陰でか、私の言葉一つ一つにビクビクとしてて。この屋台にいつもどれ程の客が集まるのかを知らないけれど、
このまま関係を拗れさせたままだとこの子からお客を通して変な噂が流れかねない。

「いや、串のことよ。」
「……そっちは、自信あるよ。精力つくって、皆からも評判良いんだ。」

だから、今は敵意なんて無いことはハッキリさせておこうと思って。
扱っているはずの串の話題へとさっさと話を移したのだった。意外そうな視線が少し、痛い。
……ふむ。精力がつく、か。今からどの道長い時間作業をするのだ。
これ位のおやつは、有っても構わないはず。美味しかったら今度自分で挑戦するのも楽しそうだ。
専用の場所を用意しないと、匂いはちょっと危ないかもしれないけれど。

ちらりと見た屋台の壁。お酒を扱っている。
恐らくはここに串を食べに来たお客が、一緒に合わせて飲んでいるのだろう。

「今、お金の持ち合わせが無いの。その代わり、一本余っているお酒があるわ。……自分で言うのもなんだけど、
私もこのお酒の味には自信があるの。そこで、どう?貴女のその串と、私のこのお酒。交換しない?」
「ど、どれ位?」
「……勿論、貴女が釣り合うと思うだけ。」

胡散臭く思ったのか、苦い顔をした彼女。
けれど、彼女に見えるカウンターの上へとお酒を置けば、じっと彼女がそれを見つめて。
……ちゃんと商売をしてきたのだろう。私を見る時に見せていた弱弱しい視線ではない。

「味が分からない。」
「そうね。生憎試飲用のお酒は持ち合わせてないわ。だから、その分は貴女の思う様にさっぴいて頂戴。」

元より、無理な頼みなのだから。

しばらく、考えていた彼女。途中からは私のお酒よりも、今彼女自身が保有しているお酒の方を眺めていた。
……あまり館の中では飲まれないお酒ばかりだ。神社の宴会だとこちらの方のお酒が圧倒的に多いのだけど。

「良いよ。乗った。」

しばらくしてそう答えてくれた彼女が、すぐに串を火にかけ始めた。
……数は数えないでおいた。楽しみが薄れてしまうから。でも、手元は見ていた。
鰻の串焼きというのはかなり技術が必要らしい。試したことは無いけれど、
以前図書館で読んだ本にはそう書いてあった覚えがある。
ただ、以前本で見たものよりは随分と物が違うような……そんな気はするのだけど。

カウンター越しで焼ける音を聞きながら椅子へと腰を下ろし、荷物を整理しつつ時間を確かめた。
お嬢様のお茶の時間が段々と近づいている。まぁ、一呼吸分でも時間が残りさえすれば、
それから先はどれ程予定が詰まっていても関係は無い。
それこそ時間を止めてしまえば、無限に時間を作り出せるのだから。

ぱちぱちと、滴る油が弾ける音。すっかり聞きなれた音ではあるのだけれど、
外で聞いているとどこか焚火の音にも似て、
温かい暖簾の内側に居れば、ふわふわと眠気が襲ってくる。
もしもお酒が入っていたのなら、何も考えずにただ突っ伏していただろう。

「ここで食べて行くのかい?」
「いえ、持って帰って頂くわ。……お皿、借りられるかしら。」
「良いよ。載せられる奴そのままあげるから。お皿と串。それをお酒と交換で。」
「分かった。」

振られた話題に顔をあげれば、かなり沢山の串が視界に映って。
最初は断ろうと思っていたお皿の話だったけれど、食べきれない量になっても困るからと、
私はその話を受け入れた。……どうやら仕込んでいた串の内のかなりの量を焼いて貰えたらしい。
たぶんまた仕込みをやり直すのだろうけれど……いつか、適当なお礼の品を持って来た方が良いかもしれない。



「お待たせ。」

休む間もなく襲ってくる眠気と、時たま吹いては足元を撫でる冷たい風に耐えながら待つことしばらく。
やっと彼女が息をついて、その言葉と共に大きな袋をカウンターの上へと置いた。
……凄い重量だ。手に持ってみると、今日それまでに買った物よりも重かった。

「ありがとう。無理なお願いをして申し訳無かったわ。」
「まあ、お酒は貰ったからね。……あと、返品は受け付けないよ。」
「しないわ。……では、失礼。」

会話する間にも時計の針は静かに進む。
このまま飛んで帰ってしまうと時間に間に合わないからと、その挨拶を最後に私は時間を止めて。
改めて荷物を抱え直した後で屋台を後にした。
……時間を止めているから冷えはしないけれど、重さは相変わらず。
一緒に合わせて持ってしまえば本当は楽なのだろうけれど、万が一にでもタレが生地に付こうものなら大惨事だ。
だから仕方なく、ぴりぴりする肘と食い込む指先に耐えながらも急いで館へと戻ったのだった。



帰りついた時には館を出た時とは違う子達が門に立っていた。
どことなくふっきれた様な顔をしているけれど、また何かあったのだろうか。
ちらりと詰め所を覗いてみたけれど……窓からは美鈴の姿を確認できなかった。
ひょっとしたら寝ているのかもしれない。一緒に飲んだあの後にさえ、色々あったらしいから。

玄関を抜けて、自分の部屋へと駆け上がる。
体に乗っていた雪を払い落してくるのを忘れ、少し絨毯の上へと散らしてしまったが、
タレを零す事に比べれば随分とマシだろう。
ポケットから取り出した鍵で部屋を開け、テーブルの上にお皿の入った袋を置いて。
生地は掃除済みの床の上へと転がすと、部屋の中では少々暑いマフラーと手袋を片づけた。

自分の部屋の中の、少し大きめのチェストの引き出し。
ここには今まで作ったことのある全ての服の型紙が入っている。
私の服は勿論、妖精達の服も、図書館のふたりの服もそうだし、勿論美鈴やお嬢様、妹様の分だってある。
そんな中取り出したのは、妹様のいつもの服の型紙と、お嬢様のコートの型紙だ。
本来なら寸法は作り直す度に測るのが望ましいのだろうけれど……お嬢様達は背丈も横幅もまるで成長しないから大助かりだ。
だから、この型紙にメモした数値がいつまでも役に立っている。
……お陰で、この型紙が外に漏れないようにしなきゃならないのだけど。

そんなメモを頼りに、お嬢様のコートの型紙を見ながら新しい紙へと線を描いていく。
あくまでも描くのは予め考えていたデザインに合わせてだ。日頃着る服はふたりとも全く違うデザインだけれど、
せめてたまに着る物位は近い物を着て欲しかったから。……喜んでくれるかは分からないけど。



納得行くまで線を書き直して、作る予定の素材に近い端切れを元に、試作品をまず一着、胴の部分だけ拵えた。
部屋の椅子に引っかけて、少し遠めに眺めてみる。お嬢様からは丸い感じとは言われたけれど、
決してふくよかに見えるようでは困るのだ。……そういうスタイルでは元々無いけれど。

ちらりちらりと眺めながら、裾の辺りのデザインを変えつつ修正して。
それから、肩から先の部分を試作。普段着ている服の上に着て貰う予定だけれど、
普段の服は二の腕から先にはもう生地が無い。だから少し袖口を広めに取ろうとすると、
きっと風が入ってしまって寒いはず。かといって絞ると、丸さは出ない。
仕方ないから、袖口辺りから少しだけ内側へと生地を折り込んで、
見た目だけを保ちながら、内側を絞って行った。
……まだ少しだけ内側が広いから、手袋をふわふわな物にして風が入らないようにしなくちゃ。

出来あがりを元々あった胴の試作品に合わせて、また椅子に引っかけて眺めて。
……良し。とりあえず、休憩しよう。

そう思って、試作品をベッドへと放り投げ、代わりとばかりに今度は私が椅子に座った。
貰っていた袋からお皿を取り出すと、丁寧に載せてくれていたのか、袋の底にすらタレは零れていない様子。
だから、安心してテーブルの上へとお皿を置いた。本当はすぐにでも味を見ておきたかったのだけれど、
そんな欲求を押しこめて部屋を出る。向かったのは厨房だ。
お手吹きも水差しも、台拭きさえもあの部屋には置いてないからだ。
衣服に零すのは最悪だが、お部屋の中を汚さないことと私の手を汚さないことに越したことは無い。
何より買い物のせいもあってか、喉が渇いていた。

厨房へと入ってみると、見知った子が一人、水差しへと水を汲んでいる所だった。
図書館にいつも料理を運んでくれている子だ。お昼にかなり量の入る水差しを持って行ったはずなのに、
まだ汲んでいるということは足りなかったのだろうか。それとも何かあったのか。
時計をちらりと見て、少しなら問題無さそうだと思って時間の流れを元に戻して。

「どうしたの?」

そう後ろから尋ねてみれば、彼女がびくりと肩を震わせてこちらを見上げた。

「い、いやあの……洗って返しておこうって思って。」

……よくよく見れば、汲んでいるのではない。濯いでいるだけのようで。
動きが無い世界だとこういう見間違いも結構してしまう。けれど、

「何だか美味しそうな匂いがしますね!」

ちょっとだけ失敗したかな、と、その後に出てきた彼女の言葉を聞いて思った。
まだ食べてはいないけれど、服に少し焼いた時の匂いが残っていたらしい。
日頃この館の中で出す料理からはしない匂いであるからか、余計に敏感になったのだろう。

「ちょっと、今度からの料理に参考になりそうな物をさっき買って来たのよ。」
「……興味があります。」

……まぁ、一人で食べきれる量でもないか。
しかし図書館の皆の分を渡したら、運んでいる内に色んなところに匂いが散らばってひと騒動起きてしまいそう。

「秘密よ?」
「……はい!」

彼女が濯ぎを終え、私がそれを借りて水を汲んで。
時間を止めながら、本来は持ちかえる予定の無かったお皿を一つ追加して台車へと載せ部屋に戻った。
一本……は、流石に寂しいから二本、お皿へと載せて、また厨房まで駆けもどる。
ちゃんと戸締りしたことを確認すると、時間の流れをまた戻した。

「おぉ、串ですね。」

時間を止めていたこと、すぐに気が付いたらしい。彼女が私の方……というより、
手に持っていたお皿の方を見ながら、凄く楽しげにそう言った。
お昼ご飯、ちょっと足りなかっただろうか。

「ええ。気になったから。」
「良いんですか、貰っても。」
「食べたかったんでしょう?さっきも聞いたけど、秘密よ?」
「……勿論です。ここで食べ終わったら、串はどうしましょう。」

……そう。それが問題だ。焼却炉で焼き捨てるのが一番バレない方法だろう。
でも運んでいる内にバレてしまったら意味が無い。だから、彼女に任せるよりは私が処分する方が確かだ。
それに今日はこの厨房の子達も休みだし、恐らくここにやって来てまでゴミ箱に用事のある子は居ないはず。

「お皿と串は洗って、串は捨てておいて。」
「分かりました。有難うございます。」
「良いの。……あれから、何か良いことはあったかしら?」

お昼のことを思い出してそう彼女に尋ねてみると、

「良いことしか無いですよ。」

少し苦い顔をしながら彼女が笑った。
恐らくは図書館のあの子の手のひらの上でずっと転がされていたのだろう。

「そっか。」
「……ひょっとして、急いでます?」
「お嬢様から頼まれごとがあってね。お茶の時間までに間に合わせないといけないの。」
「そうとは知らず……頑張ってください。」
「ええ。貴女もね。」

ちらりと見た時計。……かなり、危なくなってきた。
だから、挨拶を済ませた所でまた時間を止めてさっさと部屋にまた戻って。
本当は感想も聞きたかったのだけれど……それは今度、改めて聞くことにしよう。



~~



床を歩く音と台車の音。それを聞いた時私は窓際に居た。
まだ雪は止まない。しかし、太陽こそ見えないものの、空は少し見える。
風は……あまり吹いては無さそうだ。

お部屋から連れ出すということをあの子は言っていた。
館の外に出ることもないと。……しかし、この館の中に見て楽しいものはあるだろうか。
そもそも館に住んでいなければ物珍しさはあるかもしれないが、フランだって元々はここの住人だ。
第一地下だけじゃなくて、館の中で暴れまわったことも何度かある。
拝んでいないのは唯一館の外位か。それはパチュリーの雨の魔法で拒んでいたし。

だから、何となくあのふたりが行きそうな場所は予想がついていた。
それは、館の屋上。雪もあり、運が良ければ月も見える。そして門からは見えづらい。

「できた?」

ドア越しに咲夜に尋ねた。
僅かな間を置いて控えめなノックが2度続いた後、それからドアが開いた。

「無事に。マフラーと手袋、それにコート。準備できました。」
「ありがとう。」

台車を引いた咲夜が入ってきて、ふわりとしたお茶の香りと……何だか良く分からない香りが部屋を包んだ。
新しいお茶菓子か何か……か?今までの記憶には無い匂いだ。
……お茶菓子にも合いそうにない匂い。どちらかというとご飯とみそ汁に合いそうな、そんな匂い。

「こちらが完成品になります。」
「ええ。」

台車の下段から取り出されたコート。
少し厚めで、そして咲夜が持つには少し小さい。
丸くしてくれというのが本当に言葉通り、角無く仕上がっている。
しかし、何故だろう。さっきの匂いがするのはこのコートからだ。
生地本来の匂い……では、無いな。違う。

「可愛く仕上がったものね。」
「似合えば良いのですが……あまりこういう服は作った経験が無かったもので。」
「上出来。ところで咲夜。さっきから漂っているこの匂い、何かしら。」

結局何の匂いなのか分からずに尋ねてみれば、少し焦ったような顔を見せた。

「咲夜。おいで。」

気になって咲夜を呼んで、顔を近づけさせた。
……コートよりもよっぽど匂う。口からだ。

「貴女、何か食べたでしょう。日頃口にしないような強い匂いのもの。」
「ええ、買い物の帰りに珍しいものを見つけたもので参考にしようと……匂いますか。」
「匂うわよ。コートからも。」

そう言えば顔が真っ青になって目が泳ぐ。どうやら全く気が付いていなかったらしい。
たぶんこれは地下に持って行っても同じように不思議がられるだろう。

「何を食べたの?」
「鰻の串焼きです。」

……いつぞやの宴会の時に聞いた、妖怪が営業する屋台の物か。
店主は確か……鳥だな。永い夜に森で出会ったあの子のはず。
そうか、帰り道に寄って買って来たのだな。
生地には焼いている時か縫う時にでも付いたのだろう。

「それはまだ余ってるの?」
「半分ほど。」
「それ、フラン達に持って行きなさい。差し入れとしてね。……たぶんそれで匂いごまかせるから。」

恐らくは作ってすぐ持って来たのだ。今から洗濯しろと言えば、できなくは無いのが咲夜だけど、
ただでさえ昨日と今日の家事をあれだけこなし、これだけの物を独りで完成させてきたその後に言うには酷な話。
だから私はそう伝えると、いつも使っているテーブルへと腰を下ろしたのだった。

咲夜がコートを片づけて、お茶の準備をいそいそと始めて。
どうやら気になるのか、そっと袖の匂いを確かめてた。

「私も興味あるから後で欲しいわ。」
「お茶の後、持って来ましょうか。」
「ええ。味はどうだったの?」
「和食……というか、お米に合いますね。ご飯から作ったお酒とか、その辺りが欲しくなる感じです。」

きっとこの匂いからも察するにかなり味が濃いのだろう。
それこそ、紅茶には全く合うと思えない。

「ちなみに今日のお茶菓子は?」
「タルトを。」

そう言われて出されたタルト。たまに朝食のパンに用いられていたジャムを使った様で、
焼かれた匂いが凄く香ばしい。……が、ほのかに香る串焼きの匂いがまだ、気になる。
きっとそれが置かれているのは厨房では無くて咲夜の部屋なのだろうが、
ここまで匂いが残っているということは、今頃咲夜の部屋の中は……。
本人は果たして気付けるのだろうか、分からないけれど。

注がれていた紅茶を楽しみながら、タルトを手に取りひと口。
流石に材料は変わっていないからか、匂いは分かっていなくても味が狂ったりはしていない様だ。
ひょっとしたらもっと味見を用するような煮物とかを頼んでいたら、違っていたのかもしれない。
……煮物、か。最後に食べたのはいつだろう。もう久しく食べてない。
あれは、夏の宴会だろうか。ピクニックにでも行くような習慣でもあれば、もっと見る機会はあるのかもしれないが……。

「そう。思い出したから伝えておくわ。」
「何でしょうか。」
「フラン、今夜部屋を出るわ。たぶん屋敷の中を歩くと思う。恐らくは屋上に行くのだと思うわ。
あと、門の子達にそのことを伝えて欲しいって、そう頼まれてる。」
「お付きの子がいらっしゃったんですか。」
「ええ。……咲夜に相談したかったらしいのだけど、生憎その時間は居なかったからね。その言葉を預かってたの。」

そう言えば納得したらしく咲夜が首を縦に下ろした。
それからちらりと時計を見たかと思うと、ホッとしたように笑った。

「今日は皆遊び疲れて早く寝ると思いますし、案外丁度良いのかもしれませんね。」
「そうね。……苦労、かけるわね。」
「報われる苦労ですので。」

出されていた紅茶を飲みほして、咲夜が自分の部屋の方へと消えて行った。
恐らく持って来られるであろうそれを頭の中で描きながら、
私は外で未だに振る雪を眺めつつ、独り胸をなでおろした。



~~



お夕飯を取りに行かないと、って思う、そんな時間になって。
お嬢様にそのことを告げて部屋を出ようとした時、長い廊下から足音と台車の音が響いてきた。
レミリアお嬢様と話をしていたから、それが咲夜さんの足音だとはすぐに分かって。
きっと衣服ができたんだなということにホッとしながらも、私はドアを急いで開けたのだった。

「あら、お腹もう空いていたかしら。」
「いえ、ただそろそろかなと。」
「ええ。届ける物もあるから、一緒に運んで来たわ。」

そのまま部屋の中に入る咲夜さん。
にんまりとした顔を続けていたお嬢様が、咲夜さんを見て急に顔を戻した。
……でも、戻す前に咲夜さんに見られてしまったらしい。今度は咲夜さんが嬉しそうな顔をしてた。
思えばこの前地下に咲夜さんが来たのは、丁度私達が喧嘩をしていた時か。
あの時のお礼、まだ言ってなかったっけ。

「先日も、今日も。有難うございました。」
「良いのよ。さ、貴女が渡して頂戴。」

そう言われ、台車の下の段から取り出されたのは果物の絵の描かれた大きな紙袋。
何だか少しだけ、甘い果物の香りがする……ような、なんか違う匂いもする……ような。
何だろうこの独特の……タレの匂い?でも林檎の匂いもする。
悩む横で咲夜さんが黙々と食事の準備を進めてくれている。
どうやら今日は和食だ。珍しい。

「今夜の夕食に関しては、ちょっと秘密にしておいてね。」
「何かあったんですか。」
「数が準備できなかったのよ。ここと、お嬢様だけなの。」

そんな言葉をかけられながら開けられた主菜の蓋。
珍しい串焼きがそこにはでん!と乗っていて、先程から漂っていたタレの匂いが一気に強くなった。
どうやら先程から漂っていた匂いは、これが漏れて来ていただけの様だ。

「今夜はどうぞ安心してお寛ぎ下さい。」
「あ、伝えて貰えました?」
「ええ。さっき、伝えて来たわ。……夜も更ければ今日は皆疲れて寝てるわ。」
「有難うございます。……お嬢様!」

私と咲夜さんがぽんぽんと勝手に話を進めていたからか、
難しい顔でこちらの方を見ていたお嬢様だったけれど、呼ばれてハッとしながらもにっこり笑って、
私は紙袋を抱いたままお嬢様が腰を下ろしていたベッドへと並んで座った。

「これ、レミリアお嬢様と咲夜さんからの贈り物です。」

そう言って紙袋の中に手を差し込んで、柔らかなコートと、ふんわりした感触の手袋、そしてマフラーを取り出した。
途端に驚きと喜びの色に輝くお嬢様の笑顔。……受け取ると、どこを見れば良いのかというように、
私と、贈り物、そして、咲夜さんとの間に視線を行ったり来たりさせて。

「ありがとう!」

零れた笑顔。少しだけの間、それを見た咲夜さんがぽっかりと口を開けていた。
私も、初めてお嬢様の満面の笑顔を見た時はこんな顔をしていたのかもしれない。
少しして私の視線に気づいたのか、何事も無かったようには装いつつも、咲夜さんは笑ってた。

「今夜は寒いですから、是非お召しになって下さい。」
「うん!……うん?」
「どうかされました?」
「……ううん。何でも無いよ。ご飯、先に食べようか。美味しそうな匂いだけど、
他の物にも何だか匂いが移っちゃいそうだから。」
「そ、そうですね。冷めやすいですので、お早いうちに。……実はあれは買ってきた物で、
先程温めなおしたばかりではあるのですが。」

買ってきた物、か。珍しいなぁ。何かの料理の参考にするんだろうか。
これだけ匂いが出るのなら館の中だととても作るのが難しい気がするんだけど。
宴会に持ち込む品の為なのだろうか。……そこはちょっと、分からない。

咲夜さんが部屋を出て行った後、ふたりでテーブルについた。
私でさえ滅多に見ることの無い串焼きを見て、お嬢様が目を丸くしながらじっと見つめ、
不思議そうな顔をすると私の方を見上げたのだった。

「変わった生き物が居るんだね。」
「ええ。……たぶん、鰻というものだと思います。」
「うなぎ?……そうなんだ、これがうなぎかぁ。」

きっと本物の鰻というものを見たことがないのだろう。
当たり前と言えば当たり前……元より、私も実は捌く前の鰻なんて見たことは無い。
分かっているのはぬるぬるしてびったんびったんする良く分からない生き物だということだけだ。

「……いただきます。」
「いただきます。」

お嬢様の声に合わせて手を拭いて、いそいそと持ちあげた串。
最初に焼いた時から時間が経っているからなのか、ちょっとだけ他の串とくっついていたけれど、
持ちあげてみればさっきから漂っていた香りがぐんと濃くなって。
舌の上と鼻の奥をくすぐられているような気分だ。

お嬢様がひと口。私も、ひと口。思ったより柔らかく、
固まりかけの少しとろんとしたタレが口中へと広がって、
歯先で突けば肉が口の中で解れて行く。

……気が付けば会話はしなくなっていて、お互いに黙々と鰻とご飯を交互に食べていた。
熱々の内に食べておきたかったのもあるけれど、ふたりとも揃ってある1つのことに気づいたからだ。
……匂いだ。決して悪い匂いじゃないけれど、段々と匂いが部屋全体に広まっている気がする程、
食べていてかなり甘ったるい匂いがするのだ。何が問題って、この部屋には窓が無い。
いつぞや食べた凄く辛い黒コショウをまぶした鶏肉だって、二日後の朝位でもまだ匂いがした位。
……きっとこの匂いも残るんだろうなって。……お互いそれが分かっちゃったんだと思う。

「ふぃ!御馳走様。」
「は、早いですね。」

食べ終わったのはお嬢様の方が早かった。
……けど苦戦したみたいだ。頬にうっすらとタレの跡が残っている。
ちょいちょいと指さしてみれば、恥ずかしそうに頬を拭った。

「食べ終わってゆっくり休んだら、行きましょうか。」

そう言えば、お嬢様は楽しそうに顔を明るくして。
私も最後の串を手に取ると、唇でそれを食んだのだった。



~~



ちょっと準備してきますと、そう言い残して彼女が出て行ったのはもう半刻程前のこと。
一体何をしているんだろうなって思いながら、私はマフラーを首にひっかけていた。
……本当は巻きたいのだけれど、ぐるりぐるりと巻いても余ってしまう程マフラーは長くて。
きっと巻き方という物があるのだろうけれど、私にはよく分からなかったのだ。
着け方が分かっているのはコートと手袋位。その手袋にも指股が無いから、
着けたら着けたで細かいことはほとんどできなかった。
コートのボタンをかけるのすら、ちょっと難しい位で。

相変わらずコートからは串焼きの匂いがする。
どうやら完全に匂いが移っちゃったみたいだ。
気のせいじゃなければ、食べる前から少しコートから匂っていた気がする。
きっと、お夕飯の準備の合間に作って貰えたものなんだと思う。
もっとちゃんとお礼を言えば良かった。

コートまで着て待ちぼうけしていたら、ドアの向こうの廊下から勢いよく走ってくる音が聞こえて。
ああ彼女だなって思ってベッドから腰をあげれば、勢い良く彼女がドアを開けた。

「お待たせしました!」

そう言った彼女は、既に温かいなって思ってた私なんかよりもずっとずっと重装備だった。
一体何枚重ねて着たのだろうと思ってしまう程にもこもこしてた。……暑くないのかな。

「いつも館の中しか出歩かないものですから。つい。」
「私と一緒ね。」
「ええ。今日はお嬢様と一緒です。……あ、そうだ。これ、レミリアお嬢様からの贈り物です。もし寒かったら使って、と。」

そう言って手渡されたのは毛糸で編まれた帽子だった。
ぽんぽんとしたものが付いていて、いつもの帽子の代わりに頭に載せてみたけれど、
ほんの少し深く被れば耳の上半分は隠せてしまえそうな程だ。

「ありがとう。」
「それはレミリアお嬢様に。」
「うん。今度会ったら、言っておかないとね。」

そのまま彼女に促され、ふたりで立ったのはドアの前。
思えば最後にドアノブに触れたのは、彼女と一緒に触れたあの時か。
そう思うと、やっとここまで来たんだなって、ちょっと胸がドキドキして。
深呼吸しようと胸に手を当てた私の肩を、彼女が抱いてくれた。

「大丈夫ですよ。」

その言葉に頷いて。もう一度深呼吸した所で、ドアノブに手をかけた。
手袋越しだと全く冷たくない。……が、ドアノブが全然回らない。
滑ってしまう。焦って、頑張って回そうとしたら彼女が横で笑って。
仕方ないからと彼女の方へ両手を差し出せば、すっと彼女が手袋を引き抜いてくれた。
……改めて、握りなおして。それからゆっくりと回した。

がちゃりという、慣れ親しんだ、そしてあまりにもあっさりした音が部屋と腕に響いた。
ドアを開ければ少しだけふわっとした空気が肌を撫でて行った。
……懐かしい廊下。そのまま進むと、彼女が後ろ手にドアを閉めてくれた。

「今の心境を一言。」
「うー、うん。まだ、これからだからさ。分かんない。」

嬉しそうに彼女が言ったけれど、これはまだ一歩だから。
まだ浮かれてちゃ駄目なんだって、分かってはいるんだけど……顔は緩んでしまって。
私は彼女と並んで歩くと、ゆっくりと上へあがる階段を目指したのだった。

階段の横には先程まで使われていた台車が置いてあった。
……流石に階段では押せないからか。きっとずっと前からあったのだろうけれど、
今までこの場所にあったことに気が付かなかったのは、私が余程上しか見て居なかったからなのだろう。

「どうかしましたか?」
「ううん。……色々前と違って見えるなって。」

そういえば彼女は頷いて、それから私の手を引っ張った。

「階段、こけないでくださいね?」
「飛ばないの?」
「あれ、危ないんですよ。誰も居なければ安全ですけど、暗い階段ですからいざ誰かと鉢合わせすると避けられないんです。」
「ここ、皆は利用しないよ?」
「ええ。でも、利用して貰いたいでしょう?」
「……うん。歩こう。」

……自分さえ良ければって考え方、頑張って直さないと。

「それにほら。」
「うん?」
「毎日美味しい食べ物を食べてると、気になっちゃいますし。」

そう言って彼女がお腹を掴む。
……と言っても、あまり太っている様子には見えない。
決してすらりとは言えないけれど、柔らかくて、手や頭を載せているだけでもどこか心地が良い。

「どうかしました?」
「ううん。行こう。」

……あれだけケーキを食べたから、なのかな。



上に着いて、階段から廊下へと先に出た彼女がちらりちらりと周りを見渡した。
……私も耳を澄ませてみたけれど、しんとしていて誰も居ない。
元よりこの辺りが誰も近づかないということは知っているのだけれど。

彼女が廊下の曲がり角まで走って行って、私を手招きして。
私もそれに従って、そろりそろりとその後を追っていく。

「一番上の階段まで上がってしまえば誰も居ないと思いますから。」
「屋上に行くの?」
「ええ。そのつもりです。……他に行きたい所、ありますか?」
「ううん。出られただけで満足だもん。後は貴女に連れられて外を見てみたい。」

私がそう言えば、彼女は何故かホッとしたように笑った。
それから彼女が階段の方の様子を見に行って、また手招きして。
かくれんぼをしている気分だ。……実際にやったことは一度も無いのだけど。

手招きされては1つ上の階に進み、また手招きされては進み。
いつかはきっと、こんな出方をしなくても済むのだろうけれど、
いつも尋常じゃない位騒がしかった館しか知らない私にとって、
とても静かな館の中というのは新鮮だった。

階段の様子が少し変わって、ああ着いたんだなってそう思って。
待っていた彼女の所まで駆けあがろうとすれば、彼女がそれを手で制した。
屋上へ出られるドアは少し開いていて、彼女がそこから様子を窺っている。
どうしたのか聞いてみようかと思えば、彼女は人差し指を口元に添えた。

「……友達が何故か、居るんですよ。」
「貴女の?」
「ええ。……開いていたのでここから入ったのだと思います。少し戻って待ちましょうか。」

そんな彼女の言葉に従って、そろりそろりと階段を下りる。
彼女に案内されて、滅多に誰も通らなそうな袋小路になった通路へと入って。
しばらくふたりで身を寄せ合ってしゃがんでいると、

『す!』

って、変な叫び声が聞こえ、消えた。
彼女が首をかしげ、天井の方を見上げる。

「何かあったのかなぁ。」

そう、彼女が呟いて。私も何か言おうかと思って口を開けば、

『好きだー!』

なんて、さっきよりはよっぽど大きな叫び声がそこに割り込んだ。
彼女がびっくりして肩を震わせ、私は驚いて彼女に抱きついて。
ふたり黙ってじっとして居たら、少しして走る音が屋上から聞こえ、そして階段を駆け下りて行った。

「……告白の練習でしょうか。」
「あれだけ叫ばれたらびっくりするよ?」
「お嬢様の部屋でやると、たぶん凄く響くと思います。」

そう言いながら、彼女が様子を見にまた階段の方まで戻って。
それから手招きされた私と彼女は、急いで屋上へとあがったのだった。

一番最初に感じたのは、冷たい空気。
上ばかり見ていた私には、僅かに雲間に見える月がとても懐かしくて、
そして外の空気も、懐かしくて。ハッとなって足元を見てみれば、真っ白になった屋上に、
自分の駆けてきた足跡ともう一人分の足跡が残っていた。
もう雪は降って無かったけれど、結構積もっている。
誰にも気づかれないようにと、彼女がドアを閉めた音が少しして聞こえた。

顔は寒いけれど、お腹周りはどこかポカポカとしてた。
ふと、咲夜の顔を思い出して、後でお礼言わなきゃなって思ったら、

「お嬢様。」

後ろから、そう声をかけられた。
ああ、そうだ。この子にだって言わなくちゃって。
そう思って振り返ったら、彼女の代わりに白い丸いものが私の顔の眼の前にあった。
顔に冷たさが走るのと一緒に、ぱこん、と乾いた音が響いて。
ぱらりぱらりと、塊になった雪が私の顔から落ちて行った。

どうやら、雪玉を投げられたらしい。
お返しとばかりに足元にあった雪をぎゅっぎゅと集める。
……力を入れたら、ちょっと固くなりすぎて。
それはぽいと投げ捨てて、もう一個柔らかそうなのを作って。
思い切り、投げてみた。……そしたら柔らかすぎて、吹いていた風の中にさっと解けていって。
彼女がこちらを見て、笑ってた。

「いつか、皆で雪合戦しましょう。」
「……うん。」

そう言って走って近づいてきたから、もう投げようにも投げられなくて。
そんな気持ちにも気付かれたのか、やっぱり彼女に笑われた。
私がさっき捨てた雪玉を拾って、ころころと屋上を転がし始める。
どうやら大きい雪玉を作るようで、私も彼女に対抗してもう一つ雪玉を握ると、
せっせと屋上を転がして行った。

しばらくはふたり離れて作業していたけれど、ふと気が付けば彼女は足を止めていて、しゃがんだまま雪を眺めていた。
そこは、私達より先に居た彼女の友達の足跡が残っていた場所。
どうしたんだろうと思って、私も彼女の横でしゃがんでみると、雪の上に落書きが残ってた。
……並んだ3つの顔。その内の一番右の顔はよく知っていた。
暴れた時いつも止めてくれていたパチュリー。……帽子ですぐに分かった。
真ん中は……図書館に居たような気がする子。パチュリーにいつもくっついていた気がする。
最後の1つは……?そう思って彼女の方を見てみれば凄く愉快そうに笑っていたから、
きっとこれは書いた本人自身なのだろう。

「これ、残しておきましょう。」
「うん。」

そう言いながら、彼女がぐりぐりと雪に指を差し込んで。
……何をするのかと思えば、傘の模様を描いていた。
それが何のおまじないなのか、私には分からなかったけれど、
満足そうに彼女が笑ったから、きっとさっき叫んでいたことに何か繋がりがあるのだろう。
いつか、聞いてみるのも良いかもしれない。



ふたり雪玉を転がして、頭一つ分くらいの大きな雪玉をお互いに作り上げた。
彼女はあの雪玉をどうするのだろう。そう思っていると、こちらの方にどんどんと転がしてきて。
……負けた。彼女の方がちょっと大きい。

「これ、貰って良いですか?」

勿論私は頷いた。……その言葉を聞いた時に、何を作ろうとしていたのか、やっと分かったから。
そしたら彼女が私の雪玉を持ち上げて、彼女のそれに載せて。
それからごそごそと、彼女がポケットを漁った。
……取り出されたのはふたつのボタン。

「昔ちぎれたまま持ってたボタン……なんですけど。もう使うことが無さそうなので。」

そう言いながら、彼女がそれを雪玉にぐっと押しこんだ。
……右目と左目にしたようだ。オッドアイで、大きさも少し違うけれど。

「……ふぅ。久しぶりに雪遊びしました。」
「私は初めてかな。」
「今度作る時はもっとでかいの、作りましょう。」

そう言って彼女が笑い、それから私の前に立って。
ぎゅーっと抱きしめてくれた。凄く分厚い彼女の服越しで、私もコート越しだったから、
体温も鼓動も全く分からなかったけれど。
それでも柔らかく、そして締めつけるこの感触は、やっぱり気持ちが良い。

見下ろしてみれば、彼女の耳は既に真っ赤になっていて。
なんとなしに手袋を脱いでその両耳を手で包んでみれば、とってもひんやりした感触が走ったけれど、
幸せそうな顔を彼女が見せてくれた。

「やっと、ここまで来ましたね。」
「……これからも、頑張ろうね。」
「……はい。」

雲間から月が完全に顔を出して、真っ白な雪が輝いて。
深呼吸すれば、きん、と体の中が冷えたけれど、でも気持ちが良くて。
ふと月から彼女へと視線を戻すと、彼女は私を見上げて目を閉じていて。
私はそっと、唇を重ねたのだった。



一歩一歩、頑張ろうと彼女と約束したあの日から。
何段の階段を上がることができたのだろう。
後、何段残っているんだろう。
最初はとっても、気にしてたけど。それはどうでも良いことなのかもしれない。
緩い段も、キツい段もあるけれど。
横に、居て貰えるから。

……明日からも、頑張らなくちゃ。
毎度のことで紋切り型な挨拶ではありますが、
読んでいただきまして有難うございました。

予期せぬ来訪者の書き直しが終わり、同作品の続きを書いていたのですが、
その作品に秋姉妹を登場させたくなりました。
しかし秋姉妹に対するイメージが固まっていないので、
秋姉妹のSSを書こう、となったのです。
そのSSにレミリア、フランドールの両名を参加させたかったのですが、
こちらもイメージが固めきれていなかったので、
一番最初に書かなければ、ということで紅魔館を今回はテーマにしました。

次は、秋姉妹とレミリア、フランドールのお話を。

2013/4/21追記 一部誤字修正
あか
コメント




1.名前が無い程度の能力削除
素晴らしい。その一言に尽きます。
2.名前が無い程度の能力削除
みんなかわいいなぁ
ネチョ成分はほとんど無いのですが、心情描写が細かくて最後までとても面白く読めました

久々にあかさんの作品が読めて嬉しかったです
次の作品も楽しみにしています
3.名前が無い程度の能力削除
ネチョ成分は少なかったですが、あまり書かれることがないメイド妖精との交流、そこに至るまでの違和感のない心理描写、安心して読める心地よさ、ステキでした。
ネチョ部分をカットして、是非そそわにも投稿して欲しいです。あんまりにもステキな作品なので。
4.名前が無い程度の能力削除
あか氏の作品は不思議です。
読んでいるとまるで優しい童話を読んでいるような気分になり、心が安らいでいくのです。
このお話も丁寧できめ細かい描写がされていて、紅魔館の日常がすぐ目の前で繰り広げられているかのようでした。
みんな温かくて素敵過ぎます。本当に悪魔が住む館なのでしょうか?
素晴らしい作品をありがとうございました。
5.名前が無い程度の能力削除
読むのに3日を要してしまった。理想的な百合魔館はここですか。
妖精が複数出てきて名前がないので少々混乱しながら読んでましたが、それぐらいしか難点がなかったです。
雰囲気がほわんほわんしてて、これがイカロなのは何故か疑問に思うほどの内容でした。うむむ、良い。
6.名前が無い程度の能力削除
イイハナシダナーヽ(;▽;)ノ
読み終えるのに7日かかりましたが、毎晩続き読むのが楽しかったです!
良い一週間をありがとう!!
7.名前が無い程度の能力削除
つい最近あかさんの作品の存在を知り、読み終えた矢先の新作投稿とは!
今回も素晴らしい作品でした。
複数のカップリングと過去作とのリンク、なかなかに楽しい細工ですね。
これからも愛読させていただきます。
8.名前が無い程度の能力削除
「ぬるぬるしてびったんびったん」で思わず吹き出してしまいましたw
主要キャラでなく、それぞれの妖精たちまでが生き生きと描かれていて、とても楽しかったです。
読み終えたあとに胸が温かくなりました、素晴らしかったです。
素敵な紅魔館をどうもでした。
9.性欲を持て余す程度の能力削除
大作ですね、3日に分けて読ませていただきました。
めまぐるしいほどの主観転換にもかかわらず、ほとんど詰まることなく読み進められました。
フランドールが主役のお話なので仕方がないと言えばそれまでですが、レミリアの描写をもっと見てみたかったです。姉として、紅魔館の当主としての彼女の苦悩の描写を読むにつれ、そこからの更なる心的進展を期待してしまいます。また、門番メイドたちとフランドールの関係がどう移っていくのか、あかさんの素晴らしい心情描写で是非読んでみたいと思いました。