真・東方夜伽話

消えない首輪

2012/10/20 03:27:16
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消えない首輪

野咲


*人によっては不快な表現を含むかと存じます。首輪、監禁、死モブ、死ネタ、死ネタ、死ネタ、で嫌な予感がした方はお戻りください。
*ねちょは最初の蓮メリだけです。後は蛇足だと思われても仕方ない。





ではよろしければ。
夢か現か現か夢か、すべての終わりに砂糖を三粒。








消えない首輪





1/(小鳥の檻、Ⅰ)


おしりが痛い、と気が付いた。
我に返ったのはコツコツとガラスを叩く音の所為らしい。きゅっと裸の膝を抱いて、随分長い間動かずにいた。
小鳥が窓をノックするのは昔々の絵本の中だけではないのかしら。
そう思いながらメリーは久しぶりにシーツを抜け出して黒い影の留まるガラス窓へと歩み寄った。
かちゃりと、鈍い首輪の音。
随分前、目覚めたら嵌っていたそれにはご丁寧に鍵が付けられていた。そんなことしなくても外すなと言われれば外せないのに。
ふわふわと、まるでメリーを待っていたかのようにそこにいる生き物は、けれどどうやら鳥ではなかった。
何しろ口ばしがないし、大体保護区域以外に野生の鳥などいるはずがない。ではこれはなんだろうかと首を傾げてみて、「ぁ」と小さく声を上げた。

「あなた、蝶ね?」

動いているのは初めて見たわ、とメリーは光のない瞳で言った。きらきらと陽を反射する金色の髪と全体像だけを見れば愛らしさの塊のような彼女は、鉄格子を握ってぼんやりとした視線を投げ続けている。
色の薄い、骨ばった素肌が日差しに透ける。

「真っ黒で綺麗な蝶ちょさん。こちらにはお花はないのよ。それに、私にはこの窓を開けることができないの」

そう、この窓を越えて落下することはできない。
虫こそ鳥よりも珍しい気がするが、ひょっとすると外では塵を食べて街をきれいにする蝶がとうとう完成したのだろうか。メリーは確か大学でそういう研究があると聞いたはずだと思う。もう何か月も通えてはいなくて、どこか遠すぎる記憶。
それはロボットなのだったか、それとも改造生物なのか。メリーは思い出せないや、と首を傾げた。
この部屋では頭が鈍るばかりだ。鈍ってしまう方が幸せなのかもしれないけれど。
それにしても綺麗な色だ。黒と表現するのは正しいだろうが、やけに深くて、光を通しては不可思議な色に波長を変えているかのような透明さと光沢がある。それが何かを想起させる気がしてメリーは微かに首を傾げる。
それから思った。
死だ。
なるほどそれは美しいに決まっている。メリーは微かに頬を緩めた。久しぶりに死を間近に感じられた気がした。
それこそ死んでいた目に少し光が宿る。
蝶はけれど、しばらくするととうとう諦めたのかついっと離れて行ってしまった。
下へ。メリーは視線で追おうとしたけれどその前にがちゃがちゃと鳴るドアの音を耳にして布団に戻った。
真っ白なシーツに座って、背中に毛布を巻く。

「メリー、ただいま」

聞こえてくるのは朝陽のように明るい蓮子の声だ。ぽん、こつん、とやや乱暴に靴を脱ぐいつもの音が聞こえてきて、キッチンとの間の仕切りを兼ねている玄関側の扉が開く。

「起きててくれたの」

本当に嬉しそうにそう言って、蓮子はお気に入りの帽子も脱がないままベッドまでやってくる。メリーの首輪に手を伸して、くいっと引いた。
そのまま口付ける、いつもの、ただいまのキス。
バイトは深夜の方が儲かるからと朝に交わされる、昼夜逆転の一日の終わりを告げるキス。
メリーは周囲を見回した。見慣れたマンションの一室は相変わらず鳥かごのようで、この世界では蓮子以外のヒーローなど存在できない。窓までやってきた死色の蝶も、結局諦めて去ってしまった。
それから、自分の身体を見下ろす。
裸の身体には未だ慣れない。着ていない方がいいと蓮子に繰り返し繰り返し覚えさせられてとうとう着られなくなったけれど、やはり布に守られていないのは不安な気分だ。
首輪の嵌った辺りに感じる違和感だけが、それを少しだけ落ち着かせてくれる。
最初はむずむずするようでただ嫌だったのに不思議なものだ。
まだ、とても眠い。どのくらい膝を抱いたままでいたのか考えようとした途端に上着だけ脱いだ蓮子に圧し掛かられる。二人でベッドに倒れ込んで、メリーは無表情に蓮子を見た。

「んー? なぁに、メリーぎゅってしたくて急いで帰ってきたんだけど?」

素肌に蓮子のブラウスが擦れる。頬を寄せられて、犬にするようにぐりぐりと撫でられた。外の気温は低いのだろう、蓮子の頬は冷たかった。
頬が離されて見下ろされる時、蓮子はいつも腕白な少年のような顔をする。キラキラした、好奇心と楽しみに満ちた顔。学校に行かなくなって隈が消えると、やはり蓮子は可愛かった。
美人の例に漏れずに中性的な顔立ちにはまだ幼さがあり、そこには幸せそうな笑みが乗る。
あるいは何も知らずに小動物を虐待する子どものような無邪気な顔が、メリーは恐らく好きだった。
少なくとも以前は好きだったから、多分。
この鳥かごでは蓮子のことをひとつでも嫌いになることは許されていなかった。
にこにことした顔が近づいてくる。触れて、抉じ開けて、ぁん、と声を漏らす蓮子から与えられる恍惚としたキス。
尻尾でも振っていそうな蓮子のキスに、メリーは無意識に力を抜いた。
服のひとつも身に着けていない彼女はあまりに無防備だ。外を出歩かない所為か以前より細くなった脚は、蓮子の手が動くたびにぴくぴくと震えた。

「メリー、今日は何かあった?」
「……ぇ、」
「なんだろう、少しだけど目に光があるよ。ぼーっとしてないのすごく久しぶり。何かいいことがあった? 誰か来た?」

ふふっと笑う無邪気な瞳に小さな狂気が燃える。
びくりとメリーは肩を震わせた。きっとそれはいけないことだった。
蓮子は微笑んだままだというのに、恐怖に背筋が冷たくなる。優しく肌を撫でていた指が急に秘所に向かうのに気が付いたが、メリーには止める術がなかった。
割れ目をなぞられて気が付くのは、微かながらも濡れているということ。
メリーはほっとした。これで痛みは減るだろう。蓮子も乾いているよりは機嫌がよくなるに違いない。

「ん? メリー? 何も言わないの?」

こういう時の蓮子には何も言わない方がいいと学んでいたから、メリーは無意識にただ恥ずかしそうな声を出して見せた。
蓮子の空気が柔らかくなる。突き込まれるかと思った指はふらりと離れて軽く振られた。

「ふふ、冗談。誰も来るわけないね。メリーに会えるのは私だけ。どこへも行かせないし誰にも会わせない」

上機嫌な響きだった。メリーはやはり蓮子はこの部屋に何か施したのかもしれないと思う。
何度も繰り返してきた夢の中の冒険がこの部屋では一度もできたことがなかった。おかしなものが入ってくることもない。幽霊がにょっきり出てくることだって珍しくはなかったのに、この部屋では起こらない。
忽然とメリーが消えたら蓮子はどうするのだろうと思っていたがその心配は杞憂に過ぎなかった。
そんなことは起こらない。

「ほんと、メリーは首輪が似合うね。何色が似合うかなってずっと考えてたんだけど、やっぱりこの色でよかった。すごくかわいい」

皮と金属でできた輪をつつっと蓮子の人差し指がなぞっていく。直接肌に触れるわけではないのに、メリーはぞわぞわしたものを感じた。
きゅっと目を閉じると蓮子の笑う声がする。
その声にはもう狂気の色はなくて、メリーは危機を乗り越えたことにほっとした。
どうせされるのなら優しい方がいいに決まっている。
緩やかな稜線を、蓮子の細い指がなぞっていく。
勝手に跳ねる身体を楽しげに辿っていた手が、するりと戻って膨らみの先端を撫で始めた。

「メリー、また痩せたね」

蓮子の声は優しい。少なくともメリーには。出会った頃から妙に男性に冷たくて、かと思えば女性にも冷たくて、多分だから自分を特別にしたのだろう。蓮子は夢に恋をしたのだ。メリーはそう思う。
夢は愛しいものだから。
メリーといると大抵、王子様とかナイトとか言われてしまうタイプなのだけれど、実は蓮子の方が女性らしいのではないかとメリーは思っている。
いや、女の子らしい、だろうか。
夢見がちな少女をいつまでも引き摺っている純粋な蓮子は、だから夢を見続けるためにメリーを手に入れなければいけなかったのだ。メリーはそう思う。狂気的なほどに童話の世界を求めるのは、女の子らしいと言わずになんと言えばいいだろう。

「メリーは骨格も綺麗だけど。あ、サンドイッチ買ってきたんだった」

身軽にベッドから降りて蓮子が鞄を漁る。ガサガサと出てきたのは早朝から開いているらしくよく蓮子が帰りに寄って来るベーカリーショップの袋だった。
茶色の紙袋に手を入れながら蓮子は楽しそうにベッドに戻ってきてぎしりと腰かける。
透明のビニールを開いて、三角形のサンドイッチをひとつ取り出した。

「はい、メリー」

にこ、と笑って蓮子はメリーの唇にそれを当てる。小さく口を開けるとぐっと一気に押し込まれた。
余りに急で咳き込もうとするのに、無理やり全て詰め込まれて喉の奥だけで息を詰まらせた。蓮子が笑っている。

「おいしい?」

喉が渇いていた所為もあって噛むのも呑み込むのも一苦労だった。蓮子は自分もひとつ取り出して齧りながら、まるでペットが餌を食べているシーンでも見ているかのようにメリーを見下ろしている。

「ねえ、メリー。おいしい?」

やさしい表情なのに目だけが笑っていない。メリーは必死にこくこくと頷いた。余り使っていない顎が痛くて、何故か人肉を食べ尽くすには顎が外れるほどの力がいるなんていう奇妙なことを思い出した。
顎が限界を迎えて、骨が折れて、突出して血が出て。そんな風になったら蓮子はどうするだろうか。
悦ぶような気もした。きっと愉しそうに血を舐めるだろう。
もうひとつ、サンドイッチが差し出される。
どんなに壊れかけても生理的な涙は出る。ぐいぐいと無理やりに二つ目を押し込まれてメリーの目から涙が毀れた。
綺麗、と蓮子がくしゃりとした笑みを浮かべる。

「ぅ、ぐぅ」
「ん、噛んで。よく噛んで」
「ぃぅぅ」

苦しくて視界が滲む。そのうちに蓮子の手が伸びてきて無理やり咀嚼させられた。顎が壊れそうに痛んで、飲み下したパンやらなにやらが大きすぎて喉も痛んだ。顎を押され、落ちた涙が舐められる。
どうにか飲み下すと途端に口を開けさせられて、今度は蓮子の舌が入ってきた。
蓮子の味と多分卵やら鶏肉やら、そんな味が混ざる。それでも濡れた舌には少しほっとした。水分の吸われきった口の中を蓮子の唾液が潤していく。
与え方奪い方。蓮子はよく知っている。それは多分本能的なもので、蓮子は恐らく行くところへ行けば立派な職業女王様になれる。メリーはそう思う。
今しているのはひょっとしたらそういうアルバイトなのかもしれない。
いや。そういうことはする子ではない?

――――どうだろうか。よく、分からない。

もう分からない。
それとも多分、最初から分かっていなかった。

「ん、ふ……ぁ、メリー、おいしかった?」

こくん、とメリーは小さく頷いた。
その質問がサンドイッチに関してなのかキスに関してなのかは知らないが、どちらにせよ首を振るという選択肢はない。

「ん、じゃあもっと」

キスのことだったのか。メリーは再び被さってくる唇に思う。
蓮子の手はまた胸の先端を弄り始めていて、眠らないのかな、とメリーは思った。アルバイトの後は割合そのまま倒れ込んでくれるのに、今日はそういう空気らしい。
せめて水を飲ませてくれないだろうか。蓮子の唾液もサンドイッチの残り香がする。長いこと邪険にしていた胃はすっかり拗ねて眠っていたらしく突然の異物にもう痛み始めていた。
吐き気がする。

「ぁぅふ……蓮子、まって……おみず」

唇から移動してちゅ、ちゅ、と鎖骨に口づけを始めた蓮子に訴えると、軽く眉を上げてから「そっか、ごめん」と笑みを浮かべて立ち上がった。あ、とメリーが追おうとする前に冷蔵庫からミネラルウォーターが出されてまた組み伏せられる。
丸い蓋をくるくる回す蓮子は、メリーの上でこれ以上なく上機嫌そうに笑っている。

「メリー」

どうぞ、とでも言いたげに蓮子がペットボトルの口を差し出した。だが、メリーが身体を起こそうとすると左手がぐっと肩を押す。懇願するように見上げても、やはり優しそうな、幸せそうな顔で口を開けと促すばかりだ。
メリーが小さく唇に隙間を作ると、蓮子はかけるほどの勢いで容器を傾けた。
喉と鼻と、両方に入り込みかける流れにメリーは思わず咳き込んで顔を背ける。くすくすと蓮子が笑った。シーツが濡れて鼻が軋む。

「ごめんね」

少しも謝罪を顔に出さずに、ただただ楽しそうに蓮子が言う。メリーはなんとか少しだけ残った口の中の水分を飲み下した。
蓮子が自分も水を煽る。
今度は口移しか、とベッドサイドに置かれる半透明の容器を見ていた。
唇が重なり、生ぬるい水が入ってきた。


蓮子がおかしくなったのは間違いなくメリーの所為なのだろう。
きっかけはよくあることだった。大学で同じ学部の先輩に告白された。あの辺りから過保護さが増したように思う。
それでも相変わらずいい友人だったし、メリーも「もう、また蓮子は」くらいの感想以外持たなかった。元々王子様気質というか、メリーファーストなところのある少女だった。メリーは恋に恋するとはこういう感じなのかもしれないと蓮子を見てはよく思っていたし、自分のおかしな夢に憧れるような子だからなあと呆れてもいた。
そんな、じわじわとした変化だったから気が付かなかったのかもしれない。
秘封倶楽部の活動が減っていくのと同じだけ、蓮子の様子も変わっていった。
教授にも期待されていると人伝に聞こえるほどだったのに、その所為か裏返しの噂が急に広まった。そのどれ程が真実かなんてたかが知れていたが、蓮子の話によれば成績が下がったりは本当らしかった。
美人で評判だったのに、段々とやつれてそのうちに隈が消えない日がなくなった。
深夜までアルバイトをしているのだと言うから仕送りが止まったのかと心配したがそんなことはなかった。仕送りを増やして欲しいと言われたが何かあったのか、と彼女の実家からこっそりと連絡をもらったからこれは間違いない。
ただ、彼女に黙って彼女の様子を教えるのははばかられて濁してしまった。
あの時伝えていれば何かが変わったのかもしれない。
蓮子は、メリー以外のすべてを捨てて新しくも退廃した生活を始める準備を進めていたのだ。


「メリー?別のこと考えてない?」

はっと意識を引き戻されてみると、いつの間にか唇は離れベッドサイドからは水のボトルが消えている。
一体どのくらい意識を逸らしていたのか。何気なく蓮子の手元を見下ろすとまるで凶器のような双頭ディルドが握られていた。
びくっとメリーが身体を跳ねさせる。蓮子は晴れた笑顔で笑った。口笛でも吹きたげに唇を落とす。

「好きでしょう、これ。準備したらさ、使おうよ」
「ぃ、ぃゃ」
「ん?何か言った?」

ぼうっとしていた所為だと直感する。蓮子の気に障ってしまったのだ。相変わらずの表情なのがより恐ろしい。
メリーはガタガタと身体を震わせて何度も首を振った。嫌だと示したかったのに蓮子は「そう、よかった」と言った。
都合よく意味を受け取るのはその前の質問からの計算尽くだろうか。
メリーはそれしかできなくなったかのように細かく首を振り続ける。蓮子が笑いながら首筋に顔を埋めた。

「ふふ、メリーこれ好きだもんね? 前回使った時はすごかったよ。感じ過ぎてぼろぼろ泣いて、泣けなくなるまで喘いで失神したの覚えてる? 興奮したなあ」

違う、という言葉さえ既に出なかった。蓮子は手の中で色だけは可愛らしいそれを弄ぶ。
緩やかな円周を切断したような形のそれは、片方には突起がいくつもついてその上太く、もう片方に向かうと細くなり突起もない。メリーはひたすら首を振った。前回使われたときの記憶がないはずがない。
――――身体がバラバラになる、そう思った。
それは快感でありながら快感ではなかった。精神ごと崩壊していくのは例え快感でも悦ぶべきことではない。もうされたくない。ふるふる、振り続ける首が抑えられる。顎を挟まれ、微笑みかけられた。
開けさせられた口に太い方の端がねじ込まれる。突起が喉の傍を擦って嫌な感じがした。長いそれのほんの先端しか入っていないのに口内はいっぱいで、「ちゃんと咥えていないとすぐに下のお口に入れるよ」なんて言われると絶望さえ覚える。
固くはないが、噛み切れるような材質でもない。噛んでいられるような太さでもなかった。突起が歯に引っかかってどうにか落ちないようにしていて、飲み切れない唾液が溜まっていく。
ふく、と苦しく息をすると蓮子は嬉しそうに笑った。
メリーの瞳はまた潤んでいた。まだ涙は枯れそうにない。
これから枯らされるであろうことにまた首を振りたくなったがもう上手く振れなかった。
些細な意思表示すら奪って、蓮子の手が脇腹を滑っていく。

「ふぐ、ぅ……んんぅ」

しっかりと息をしたいのに、そうすると口の中の物を吐きだしてしまう。蓮子が触れる度にぴくぴくと反応してしまう身体が恨めしかった。
蓮子の指先を思うだけで濡れてしまうくらいに慣らされきった身体は、どう意志を働かせても彼女の手に抗えない。

「ぁっく、ぐ」

身体が跳ねる度に口の中が刺激されて、吐き気とくすぐったさと奇妙な快感に翻弄される。口の端からとろとろと唾液が毀れて気持ちが悪い。メリーは蓮子を見る。小綺麗な服をきちんと着ている彼女からすれば、首輪をつけたメリーはただのペットだろう。
遊んでくれているのか。メリーはふと考えた。檻に一緒に入って遊んでくれる飼い主はやさしいのか。甘んじて受け入れてしかるべきか。
肌を撫で、時々骨を確かめるように押して、なぞる。
蓮子の指は美しかった。白くて穢れを感じさせない手をしていた。細くて長いばねのような手足が作る中性的な容姿の中で、手だけはどこまでも女性的だ。
それが肌をなぞっていると思うだけで、腰を辿り、腹部の窪みをくるくると撫でるだけで、メリーの身体は反応してたまらなく疼いてしまう。
胸の先端だとか、もっと直接的なところだとか、耳元だとか背中だとか。敏感な部分が震えるほどにと感覚を増して触って欲しいと主張する。切なくてもどかしくてメリーは身じろいだ。

「ほんと、メリーは敏感。もうそんなにびくびくして――――壊したくなるよ」

広げられたまま麻痺し始めた口を動かして呼びきれないもがもがとした音で蓮子を呼んだ。取りあえず答える代わり、とでもいうようにきゅっと胸の先端が摘まれる。
びくん、とメリーの背中が反った。吐きだしそうなディルドがかろうじて引っかかる。大小の突起が歪んで上顎を撫でた。

「なに? メリー」

メリーが発したのはほとんど意味を為さない響きだったが、蓮子はまるではっきり発音して聞こえたかのように自然な調子で問い返した。

「口のそれ、取って欲しい?」

蓮子が目を細める。メリーは咥えたものが毀れない程度にこくこくと頷いた。
確かめるように蓮子の手が脚の間に伸ばされて、メリーがんく、と身じろぐ。
ただ確認しているのか辱めたいのか、ぴちゃぴちゅと濡れた音を跳ねさせて蓮子は微笑む。
そうして、もう一方の手でようやく大きすぎる異物を口から抜いた。
顎の感覚がない。きちんと閉じることあできているのか分からない口の端を蓮子が舐めた。さっきこぼした水に唾液、シーツは既にどろどろに濡れていた。
その湿った布がメリーの髪に絡みつくようで気持ちが悪い。
下もすぐにこうなる、そう思った途端に蓮子の指が入り込んできてひくんと身体が仰け反った。
一気に奥まで入れて、具合を確かめるように二本の指をばらばらに動かす。
メリーは思わず腰を揺らした。ぞくぞくと上がってくる熱い快感と冷めた思考とが今にも混じりそうに接している。
はあはあと息を乱しながら蓮子を見る。蓮子は安心させようとするような優しい笑みを浮かべて、急にメリーの身体に手をかけた。指の数を三本に増やしながら、それを支点にするように身体をひっくり返して腰を上げさせる。

「ゃ……っ!」

首輪に手が伸びて、耳を甘噛みされた。背後で激しくなる水音で猫のようなメリーの細い背中が反っては揺れた。
シーツに落ちて縋ろうとする。ぐい、と首輪が引かれて息が詰まった。
メリー、と甘い声が囁かれる。
指が抜けて、代わりに冷たい何かが付きつけられる。
まるでその大きさを主張するような存在感が入口を割って触れている。

「お待たせ」

メリーははっとして振り向いた。目の前に蓮子の顔が来る。にこりと、それは本当に楽しそうで愉しそうな表情。

「ぁ、蓮子、いや、いやっ!」

ぐず、と一番太い先端が膣口を無理やりに広げた。背後で何かが自分を貫こうとしている。大きすぎるそれが最初の狭い部位を割る。絡みつくどころか押し返す以外に働けない内部は、それなのに逆さまに力を加えられて大きすぎる摩擦を生んだ。
ごつごつとした突起が柔らかい内部を傷つけようとするかのように抉りながら進む。

「ひ、ぃぁ、あ、ア――――――――!」

どんなに中が溶けていてもそれは大きすぎた。内部が形を変えて懸命と言っていいほどに空間を広げる。蓮子の指ばかりに慣らされているその場所にはその異物は巨大に過ぎた。

「~~ぁ、く、はっ、ぁっ、はあっ、ぁぁ」

呼吸まで圧迫されてメリーはぱくぱくと喘いだ。蓮子が頭を支えるかのように顎を撫で耳を食む。首輪から金属の擦れる音がする。
ちゃりちゃりと、そんな音さえ耳を、脳を刺激して膣内に力を入れさせた。

「まだ先っぽだけだよ、メリー」
「ふくぅ……っぁ、ぐ」

耳に息を注ぎ込まれながら、ぐ、と軽く回すように進められて背中がしなった。顔のラインを包む蓮子の手が下げちゃダメと言わんばかりでシーツに縋ることすら許されない。
身体を支える腕ががたがたと震えて平衡感覚がなくなってくる。ぐらぐらの頭で、身体だけが自分のように感じられてくる。貫かれていることだけが真実で現実で。
無理やり奥に辿り着こうとぐじゅりと膣内の壁のすべてを削られ奥に触れた瞬間に、自我など弾けて快感に似た何かに代わった。

「あぐぅぁ―――――ぁぁぁあ、あ、あはぁあああああ!」

子宮に触れた先端の突起がぐり、と抉る動きをして奥を擦る。同時に巻き込むように振りほどかれた膣壁が大きく擦れて強すぎる快感の波に飲まれた。
逃げ切れなくて、背中が反って。ぞくぞくと頬が引き攣って腕から崩れ落ちる。

「はく、っぅ」

だが、首輪が引かれる。キシュ、と金属と皮が擦れる音がしてメリーは喉から細い息を漏らして必死に体勢を持ち上げた。それでも苦しい。
嬌声の中に吸い込む息にひゅうひゅうと気管が圧迫される音が混じる。大きすぎるモノが前後に揺さぶられ始めて、背中を揺らす度に首が締まって何度も意識が飛んだ。
頭が弾ける。

「ふぁああああぁ、――――っくぅ、ぁ、ぁああ……あ、あぐ、あぃっ、……ひっ、んん」

メリーはもう叫ぶだけだった。悲鳴は掠れたり高くなったり、時折首輪に相殺されたりしながら続いている。ぐじゅ、じゅぷ、と早くはなれない抽送が続いて引き抜かれる度にくぱりと無理やり愛液が掻きだされて音を立てる。

「ぁぁあ、っふぁぁあああんっ! あ! ぁ! ひぁぁあ、あ、く、ぐ、ふ、――――!」

首輪から手が離れると急にリードの抜けた犬のように前につんのめり腰だけをただ揺らした。

「ひぁっ、ぁ、あ、~~~~!、、、、っ、ぁああっは、ぅぁあ」

メリーはそういう玩具か何かのようにただ言葉にならない声を上げ続ける。飲み込む余裕のない唾液が口から毀れてシーツに染みた。
絶頂などとっくに、数段飛ばしで越えている。
微かに動くだけで中の突起が敏感になりすぎた身体を責めてやまない。
がくがくと震える身体と、一定間隔で跳ねる痙攣と、それから揺さぶられるのとでさらに擦れた。
壊れていく。

「あは、メリーほんとに気持ちよさそう。発情期の犬みたいでさ、私も疼いてきちゃうよ」

ずぐ、と一気に突き込んだと思えば蓮子は急にメリーの身体を仰向けに返した。上に跨って見下ろす蓮子に視線を合わせる余裕などメリーにはもうない。ネクタイさえはずしていない彼女はそこだけ見ればとても今これほどにメリーを狂わせた本人には思えまい。
返される時に加わった新たな向きへの快感で意識が半分以上飛び、涙の奥で焦点を失った目が虚ろに溶ける。
蓮子はメリーの愛液でドロドロにぬれた場所から何度か反対側の先端に向けてしごくように手を動かした。全体を濡らす動きは微弱な振動を中に伝えてメリーの身体を跳ねさせた。
ぅぁ、あ。詰まったような吐息に声を混ぜながら何度も身体を痙攣させるメリーを、蓮子は猫科の獣のような目で見下ろして微笑する。

「たまらないよ、メリー。もっと感じさせて壊したいし、私も一緒に壊れたい」

そう言って蓮子が腰を落とす。びく、びく、と今だけの穏やかさに呼吸を整えていたメリーの身体が再び跳ねた。
スカートに隠れて見えない蓮子の中にディルドの逆端が埋まっていく。
んん、と漏れる声に、蓮子の体重で中を押されるメリーの掠れた悲鳴が重なった。

「ふ、は……ん、ああ……いい、かも」

呼吸を少し短くしながら蓮子は言った。黒いスカートにメリーの一部も隠れる。
服の下で繋がっている、そのことが蓮子をさらに高ぶらせた。くつりと酷く上機嫌な笑みを浮かべる。

「犯してる、って感じ」

メリーは背中を逸らせて蓮子が喋るだけで伝わってくる振動に耐えている。
蓮子は膣に力を入れてディルドを固定した。メリーの方がより擦れるように歯を食い締める。

「ふっぁ、――――ひ、ぁく、うぅぁぁぁ……あ、ぁぁあ!」

蓮子から伸びるものがメリーをさらにのけぞらせ声を上げさせるのが快感で、もっともっとと腰を使った。
はあはあと息が上がり服の中に汗が滲む。
ぎゅっと両手で頭の脇の枕を握って、何度も喉を逸らせたメリーの声は段々と小さくなっていった。溶けた目はさらに虚ろになりぼろぼろと涙を零し始める。
それも枯れてきたのか、ただただ水たまりに瞳の綺麗な色を映して人形のようになっていく様を見ていた。
蓮子はその顔が好きだ。
自分のものになったという気がする。
時々メリーの締め付けに勝てずにずるりと中を擦られて蓮子も声を上げた。
メリーの中の蠢きを道具を通じて感じる。

「んんんっ、ぅあ、あんっ、メリー、あはっ、あっ、いいよ……!ぁふ、んん」
「ふはぁ……? ぁっ、あう、……んぁぁ」

メリーは遠いところにいってしまっているようだった。蓮子は身体を寄せてぎゅっと彼女を抱く。
キスをしても舌は絡んでこなかったがそれでよかった。
まるでセクサロイドのように緩慢に反応するメリーの中を、二人分の水音を響かせながらひたすらに犯した。

「めり、めりぃ……ぁふぁ、かわい……すき、めりぃ、めりぃ」
「ぁぅ、あ、ぅぁ」
「めりー、めりー、めりぃっ……んく、ぅ、く、ぁ、イっ――――!」

蓮子の細い身体が軋むほど強く抱いて、骨までを感じながら蓮子もまた身体を震わせて絶頂に達した。
うまく力が入らなくなって、抜けるままにディルドを抜いてメリーの横に倒れ込んだ。
キスをしながらまだ締め付け続けているメリーの中からもそれを抜いてやると、びくんと大きく肢体が跳ねた。

「ぁは、かわいい……」

宙を見て「ぁ、ぅ、」とまだ意味をなさない声を出しながら震えているメリーの頬に、首筋に蓮子は口付けを繰り返し続ける。
ちゅ、ちゅ、と優しく血管をなぞっていると糸が切れたように目が閉じられするりとひと筋涙が流れた。

「れん、こ……」

すう、と眠りにつく最後の吐息で名前を呼ばれて、蓮子は嬉しそうにぎゅっとメリーを抱きしめて自分も眠りにつくことにした。





目が覚めると蓮子が隣に眠っている。
意識が飛ぶ前も飛びかけていた間の記憶もない。飛んでからの記憶はもっとない。シーツを見るとどうやら代えてくれたようで、身体も綺麗に拭かれていた。それでも起きないほど深く意識を失うのがどんな状態なのかなど考えたくもない。
股の間の感覚がないが、夢を見ていたと思うことにする。起き上がって、アイロンの利いたシャツを好む癖に皺がつくのを厭おうとしない蓮子を見下ろしてため息をついた。シーツを変えるのなら自分も着替えればいいだろうに。
どのくらい眠っていたのだろうかと窓の外に目を遣って、メリーは再びあの蝶が飛んでいることに気が付いた。
筋肉痛に似た痺れ覚える脚をベッドから下ろす。
虚脱感を覚えながらどうにか身体を引き摺って窓際へ歩いた。

またきてくれたの、と心の中で話しかける。

蝶の色との対比だろうか。今日の空は急に青く綺麗に見えた。窓の傍にはよく立つのに、そう言えばそれほど空も景色も見ていなかった気がする。蓮子の言う通り、久方振りの来訪者にメリーの心は随分揺り起こされていたのだろう。珍しくそんなことまで思考した。
メリーはしばらく窓を越えようとコツコツとぶつかってくる黒蝶と空とを見ていたが、つと下へ視線を落とした。人口が減っても増え続けている高層アパートからの変わり映えのしない景色の中に、ひとつきり目を引くものがある。
いや、目を魅かれている?
上と下のこの距離でも目が合ったことはなんとなく分かった。見上げてくる彼女はメリーを見て微笑んだし、あからさまに蝶ではなくメリーを見つめていた。

あの人、人間じゃない、かも。

メリーは思った。一風変わった水色を基調とした服装の彼女はどことなく境界が曖昧で、視覚にははっきりしているのに幽霊に近い空気がある。
横から別の女性がやってきて、彼女はそちらを見る。何事か話して、

「ぁ」

ぱくりと、闇への境界が口を開けたようなそこに飲まれて消えた。

「やっぱり人間じゃなかったのね……」

静かに呟いて視線を戻すと黒蝶もまた消えている。ふ、とため息をついてベッドに戻ろうとしたところでメリーは視界におかしなものが映りこんでいることに気が付いた。
窓の外に見かけたような色の、女性。首がゆっくりと回って焦点を合わせる。見間違いではない。

「こんにちは」

ほら、声も聞こえた。メリーは目を瞬かせながら彼女を見つめる。
ふわりとした桃色の髪におっとりとした笑顔。そこに開く、優しい、穏やかな冷たい目。メリーはその瞳に吸い込まれるようにこくりと喉を鳴らした。
綺麗な、目。
それこそあの蝶以上に。今や彼女の傍に寄りそうように飛んでいる蝶よりも純粋に。まるで何度も夢想した死後の世界のようだと思う。

「うちの蝶が気に入ったようだったから会いに来たの。驚かせてごめんなさいね」

そんな声が耳を抜けて行った。
メリーは放心したように動けなかった。それからはっとしてベッドを見た。蓮子はただ安らかに寝息を立てていて少しも起きる気配がない。
彼女はやはり微笑んだままで「不思議な恰好をしているのね」と言う。まるで蓮子の存在が見えないかのようだ。メリーはふと、この部屋の色彩が変わっているような感覚を受けた。蓮子とメリーは既に、同じ部屋に居ながら別の場所にいるのだと理解する。

「わんちゃんなの? 人間をペットにするのは楽しいのかしら?」

くすくすとした笑い声は気品を帯びていて簡素なこの部屋の景色にはそぐわない。それ以前に、彼女の纏う雰囲気のすべてはこの時代の何もかもを拒絶するかのようだ。
分断された中の、さらに独立した境界。メリーは深呼吸でもするように息を吸った。くらくらして崩れ落ちてしまいそうな気分。
いや、跪いてしまいそうな?
何を考えているのだろうと頭を振りたかったがそれさえも心が拒絶した。それほどに強い欲求だった。目が離せない。離したくない。
あなた、死にたいみたい。彼女は言う。

「幻想郷の外は時代によって変化が激しすぎるわ。死を望む理由はどのくらいの時期に一番多様化したのかしら」

すっと目が細められる。
死と隣り合わない時代ほど、死を恐れず安らかさを求めるわね。彼女は言って、一歩だけメリーに近づいた。
メリーは浅い呼吸を繰り返す。跪いてしまいたい。傅いて足元から見上げて、許されるならその手の甲に口付けたい。時代錯誤で倒錯した願い。一体どうしたというのか分からない。心臓がうるさい。ただでさえ蓮子に震わされ過ぎて疲弊した脚がまたがくがくと揺れている。

――――彼女は死だ。死そのものだ。

そう、それに焦れる心が言っている。
だから屈伏しよう。幽玄な視線にひれ伏せばいい。今なら恋焦がれた死を与えてもらえる。彼女に魂を明け渡そう。
どぐ、と血液が巡った。
熱い。
彼女はじっとそんなメリーを見つめている。

「死に逃避したいと願っているつもりで、生きたまま逃げ出す為の選択肢のひとつも思いつかないのはどういう理由なのかしら。ねえ紫、この子面白いわ」

銅の鈴を鳴らすような、静かで耳に優しい声がふっと下へ向かう。影に話しかけているのは、中に何か飼っているのだろうか。もしそうなら蓮子が喜びそうだとメリーは思う。

「え、早く帰りたい? もう、さっきまではしゃいでいたのに気まぐれなんだから」

ころころと影に向けて笑って、彼女はもう一度メリーを見た。背は少し高く、見下ろされていると言っても間違いではないが威圧的ではない。
代わりにある風格に似た空気の所為で微かな恐怖はあるのだが、それも甘く淡い笑顔の為か突き放されるのではなく誘われている気分になる。
はい、と彼女が手を出した。
まるでお手、と言われているようなそんな出し方。メリーは喉の奥で「ぁ、」と小さく声を出した。身体はついていかなかった。
だが、彼女は微笑んでメリーの手を取った。
白い感触の、冷たくも温かくもない柔らかな手だった。

「私は幽々子。西行寺幽々子よ。あなたのお名前も教えてくれる?」

そうしたらまた会いに来るわ。重ねられるだけに似た掴み方の手を振りほどくこともできずに、逃げもせずただ自分の名前を答えた。マエリベリー・ハーン。
彼女は軽く眉を上げてから困ったように微笑んで、「もう一回言って?」と幼い少女のような声で首を傾げた。





2/(死者の戯言、Ⅰ)


満月の癖に笑っているような、大きすぎる月の明るい夜だった。
男が震えていたのは決して寒さ故ではなかった。だがその場に冷気のようなものが立ち込めていたのは事実だった。
気乗りのしない帰省の途中、多少迷って時間が潰れればいいと知らない道路へ車を進めたその数時間後のことである。
何故だ、と男は考えた。結果を考えると気が狂う場合、人間は原因を考えようとする。答えを出したら考えることがなくなるのだから答えは出ない。男はそんなことは知らずに懸命に死を知るまで頭を回し続ける。思考している間は自分が生きていると脳が安心できるからだ。それはつまり、無意識下ですぐにでも訪れる死を結論している証拠だとも言えた。

何故。を。考えなければならない。

気が付けば森だか山だか、とかく木の密集した場所にいた。その上に周囲は夜に満たされていた。
落ち葉の堆積した地面は湿った匂いがして、周囲は虫か小動物かいろいろなものの動く気配がするのに姿が見えず、車のエンジンがかからないことを知ると急に不安になった。窓は一体いつから開いていたのか、男には風で舞い込んだ落ち葉が数枚積もっていた。何度か請うように鍵を回して、答えてくれない車を蹴ってどうしようもなく外へ出た。ボンネットを開けてみるつもりだった。
この木の密集した場所で車をどう走らせるかなど、男は考えもしなかった。
どうやってこんなところへ来たのかを考えないために、男の視野はひどく狭くなっていた。
常識の外へ出ることを脳が拒絶していた。

はあはあはあ。男は顔を仰け反らせた。そうだ。そこで突然女の声を聞いたのだ。
外に出てはいけなかったのか。いや他にどんな選択肢があったのか。もっと前の時点で狂っていたのか。いや、いけない。もっと原因を考えよう。冷たい手が頬に触れている。男はただただ荒く息を吐いてどうにか頭を回そうとした。無意識下にあった恐怖がもう既に脳を侵食しようとしていたが、それでも考えていたかった。
死は、それを自覚した瞬間に訪れるものであると本能が言っている。

「どうして怖がるの?」

男の前にいたのは着物に似た造りの上品な服を着た女だった。抜けるように白い肌だけでもこの世にあらざるという表現の似合いそうな美女が、触れたら溶けそうなほどに滑らかな両の手で頬骨に触れている。
連想するのは雪、いや粉砂糖。
温度を感じない手だ。冷たくも温かくもない。そんな概念は何処かに置いてきてしまったかのような気にさせる。男はがちがちと歯を鳴らしながら女を見た。女はやわらかに微笑んでいた。
もしも絵画ならば母性的とでも評されるだろうか、芸術のことなど知らないが芸術に例えずにはいられないような現実離れした何かがあった。ふわりとやさしい、だがおかしい。この女は違う。男は震えた。

「怖がらないで欲しいわ。死は怖いことではないのよ。生しか知らないあなたには、想像できないかもしれないけれど」

一瞬先に口付けでもしようかという体勢で女は言う。少しだけ見上げる形の彼女の瞳に意識が吸われる。おそらく他の何かも吸われている。そんな気がした。くらくらと思考が鈍っていた。

「私は生を知らないから比較ができなくて申し訳ないのだけれど」

うふふ、と女が笑った。男はその笑顔を見てしまった。
死を予感させる瞳と相反する、生を祝福するかのような微笑。
それが、美しいと、思った。
思った瞬間にいろんなものが弾けた。今度は身体の本能が露出したのかもしれない。人間は脳から死ぬのだろうか。それともこの行動も脳の中枢の働きであって身体などあってなきが如しか。いや、この手際は身体の記憶だ。
男は女を、落ち葉だらけの地面に押し倒している。

「あら……かわいいひと」

女は口元だけで笑った。男は無理やりに彼女の襟首を開いた。はあはあと震えていた息の温度が獣染みて上がる。
死の間際に、先に人間としての自分を放棄してしまった男を見て女は笑った。くすくす、くすくす。

「でも、紫に怒られるわ」

女は笑っている。何事もない声で口にする。
男の首に右手が伸ばされる。男は脚だけで服をまさぐって女の裾を割った。肌蹴させただけ、それ以上の行為は続かない。すぐに恍惚とした表情で、首を絞められたわけでもないのに段々と力を抜いて行った。女の顔の脇、地面についた手は震えていたがまるで死後硬直のように男を支え続けた。
唾液が毀れ、とっくに屹立していた陰茎から滲む液で張りつめたワークパンツのジッパー部分が色を変える。すぐにその染みは広がり、射精と放尿とで匂いを放った。女は困ったようにそれが滴らない内に位置を変える。
落ち葉の上で、男はすぐに冷えはじめた。
手を伸ばしたまま、恍惚とした表情のまま。
数頭の蝶が、まるで魂を誘うように男の上で円を描いて舞った。

「殿方は大抵こうねえ。死の間際に出るのが子孫を残すことが一番大切という答えなのは、なんだかかわいそうな気もするわ」

ねえ、紫。女が言うと何処からかもう一人ふわりと別の女が下りてくる。
紫と呼ばれた彼女は金色の髪を月明かりの森に煌めかせながら言った。

「生き物だもの。自分の中の細胞ひとつでも生き残らせたいのではなくて?」
「ふうん……生に執着するのは楽しいのかしら」
「楽しい楽しくないで生を測り始めたら行き着く先は死に憧れる生き地獄よ。この間の子なんか典型じゃない。死ぬ間際位本能に任せて死なせてあげなさいな」

紫は扇子を口元に当てていた。汚らわしいものでも見るように男を見下ろして彼の傍から幽々子を引き寄せる。
背中を紫の胸に預けて、幽々子は見上げるように尋ねた。

「それは身体を貸してあげた方がいいということかしら」
「絶対ダメ」

あまりに早い返事に幽々子はくすりと笑う。紫がこういう性格である以上当然そんなことはしない。
紫は驚くほど心配性だ。今日と言い、幽々子が独りで遊びに出るときには大抵ひっそり覗いている。

「女の子は切羽詰っても分身としての細胞を誰かに植え付けることはできないのね」

幽々子はもう一度男を見て言う。肉体には余り興味がないのはそれも一瞬ですぐに紫に視線を移した。

「そうねえ。妊娠の確率は高まるとかなんとか」

宙を見て軽く首を傾げた紫に幽々子は小さく眉を寄せる。

「生々しいわ」
「あら、もっと情緒的な話だったかしら」

紫が眉を下げて笑った。幽々子は言う。

「女の子は死に際してもっと理性を保つのではないかと思っただけよ。本能的にするべき行動がないのだもの。どうかしら?」

考えたこともなかったわ、紫が答える。

「私は学問的なことはあまり詳しくないから当てずっぽうだけれど。紫が話してくれることが精一杯」
「十分よ。理性を保つとしたら女性は何を考えると思う?」
「怖いなら、怖いで終わりになるわね」

幽々子が続けようとしていた言葉を紫が誘導する。少し蒸す夜の空気は澄んでいるとは言えずこもったような匂いがした。

「怖くなければ?」
「興味が出ない?」

にこりと幽々子が笑う。紫は軽く肩を竦めた。「お願いが上手ね」。
外の世界ではそろそろ神隠しなんて言葉も使われなくなった頃だろうか、幻想の地で息絶えた男の死肉の匂いに気が付いて下級の妖怪の気配が増え始める。

「ね、また会いたいわ。ただでさえあまり女の子は死に誘ったことがないの。こっちに来る子は他の妖怪たちが競って食べに行くから遠慮しちゃう」
「珍しく執着しているのね」
「だって約束もしたんだもの。ねえ紫、お願い。いいでしょう?」

くるりと身体の向きを変えて幽々子が正面から顔を見上げる。紫は軽く唇を尖らせてあからさまに嫌そうな顔をした。
幽々子は紫の服の胸の辺りを引いてお願い、を繰りかえす。

「きこえなーい」
「おねがいったらぁ」
「いーやー。同じ時代の同じ場所に何度もなんてリスクも高いし面倒ー」

ふーん、と紫がそっぽを向く。幽々子はむぅ、と一度唸ってから「あ」と両手を合わせた。
悪戯っぽい笑みを浮かべて、言う。

「聞いてくれたら、紫のお願いも聞いてあげる」

ね、と幽々子が首を傾げる。
紫は急に興味を示したような目で幽々子を見た。幽々子はにこにこと紫を見つめ返す。

「本当?」
「ほんとよ?」
「本当に本当?」
「ほんとうだったら」

だから、ね? と幽々子がもう一度お願いをする。
紫はくすりとため息に似た笑いを零した。

「幽々子はおねだりが上手になったわねえ」
「あら、私昔から紫にお願いを聞かせられなかったことないわよ?

紫が軽く目を瞠る。幽々子はくすりと笑って耳元に唇を近づけた。

「嫌いになるわよー、を使わないであげるのは、さぁびす、よ?」

囁かれた言葉に紫は幽々子を見た。幽々子はにこりと笑う。
笑みを失った紫の頬が薄紅に染まった。

「か、帰りましょう……か?」
「そうね」

紫が空間に指を走らせると、月影の世界に漆黒の境界が生まれた。消えていく二人の後に、魂と黒い蝶とがついてくる。
スキマが閉じられた後には、すぐに持ち去られるだろう男の肉だけが残っていた。




3/(小鳥の檻、Ⅱ)


黒い蝶が一頭、棚の上で翅を休めている。
メリーは嬉しかった。あの春色の死神がひとつきり残してくれた約束の証に思えたからだ。
手を伸ばしたいと思って、一瞬自分がいないような気がした。少しも感覚がなかったのだ。
ゆっくりと力を入れる努力をして、身体があることだけはなんとなく理解する。

「起きてるのか起きてないのか分からない目だね。かわいい」

蓮子が何か言っているのは分かったが、メリーは視線を蝶から離さなかった。
離した途端に消えてしまいそうな気がしたし、それ以前にやはり身体が上手く動かない。切れたままの回線がつながっていないような。
どのくらい眠っていたのか知らないがとても眠ったとは思えない身体のだるさだった。もう少しあの蝶を眺めたら目を閉じよう。多分すぐに夢に落ちることができるだろう。
一度は動けたはずの身体なのに。メリーは不思議だった。慣れた分前回よりも感じてしまったのかもしれない。疲れが出るのに時間がかかったのか。
まあ、もう少しすれば腰の感覚ぐらいは戻るだろう。戻ってくれなければ困りものだ。
指一本どころか、眼球ひとつ動かない。
蓮子は一人、ベッドに腰掛けて脚をぶらつかせながら言葉を宙に浮かせる。

「ふふ、ぼうっとしてるメリーはいいな。本当は薬漬けも考えたんだよね。メリーがもうちょっと従順じゃなくてあとちょっと快感に弱くなかったら使ってたかも」

蝶がゆっくりと翅を動かしている。不思議な動きだとメリーは思った。止まっているときにさえ動かす翅に何か意味はあるのだろうか。
誘われているような、そんな気さえする。

「メリーがいい子でいたら使わないからね。でも軽い奴なら試してみてもいいかな。メリーは敏感だけど、もっと乱れるのかな。もっともっとって自分から求めるメリーもいいかも」

空気が揺れたがメリーは相変わらず動かなかった。瞬きのひとつさえせずに蝶に見入った。
サイギョウジユユコ。その名を想う。
彼女がもう一度来たら、今度こそ連れて行ってくれるだろうか。
連れて行ってくれと頼んだらあの時連れて行ってくれただろうか。
彼女を想う頭はひどく生き生きとした。死蝶が緩やかに誘っている。

「……、」
「ん、何か言った? メリー」

ちょうちょ、とメリーは無意識に呟いていた。もう一度手を伸ばそうと試みたがやはり身体は動かなかった。長距離走ってから急に座り込んだ時の、あの血の巡りのない感覚に似ている。

「蝶ちょ、って言ったの? そんなの部屋の中どころか外にだっていないよ。どうしたの、メリー」

メリーの視線の先を追った蓮子の言葉を、メリーはようやく拾った。蓮子には見えない。それはひどく安心することであると同時に妙に不安でもあった。
あんなにはっきりと見えているのに、蓮子はいないと言うのだろう。あれは蓮子にとっては存在しないものだ。ならば。
それは本当に、そこに存在していると言えるのだろうか。
あれもまた夢に過ぎないのではないのか。メリーは不安になる。とうとう心が壊れ始めただけではないのか。あの蝶も、死の化身のような彼女もすべて虚妄だったのではないか。
身体はずっと動かなくて、あれは夢だったのではないか。
イマコノトキでさえ、夢なのではないか?

「メリー? 本当に無理させすぎたみたい?」

ベッドを軋ませて蓮子は言う。メリーは目を閉じることにした。
眠ることができるのなら、せめて寝て見る夢ではないだろう。恐らくではあるが夢の中で夢を見られるほど器用ではない。

「ん、寝るの?」

視界から蝶が消えていく。髪にキスが落とされたがその感覚はない。
蓮子こそ夢ではないかと思える。もしそうだったならどうだろう。
ああそれは自分さえ夢だ。だってここは蓮子の部屋であり蓮子の籠であり自分は蓮子のものなのだから。
メリーはだが、それもいいな、と思う。
すべてが最初から夢だったなら。

「おやすみ、メリー。次起きる頃には私また出てるかもしれないけど、ちゃんと大人しくしてるんだよ」

ゆらゆら、瞼の裏に翅の動きを思い浮かぶ。
目覚めた時その蝶がまた彼女の傍を飛んでいればいいとそう願った。
ただ願っているだけの夢を見ていた。

そしてその願いは叶うはずもなく目を覚ました。

真昼間の世界、隣には蓮子が眠っている。
今日も明日も昨日も分からない。
どの地点を今日と定めても変わりない。
メリーは棚の上に視線を送る。それからやはり身体が上手く動かないことを知った。蝶はまだそこでゆっくりと、まるで呼吸でもするかのように翅を上下させていた。
細い、脆弱過ぎる身体のその崩されるためにあるかのような頭部についた左目がメリーを映している。
左右に分かれてついた蝶の視界などメリーの知る由もない。視界がどうあれ脳による理解も人間と虫とでは違うだろう。
だが見られている。そんな気はする。
じわりじわり、力が抜けた。
蓮子は眠っている。蓮子は目覚めない。昼の明るいこの世界でメリーはひとりきり夜に似た感情のない虫の視線と向かい合う。
傍に寄りたいと腕に力を入れてみたが状態は相変わらずすこぶる悪い。
少なからず不安になる。筋肉が急に言うことを聞かなくなったような気分だ。
無理やり起きれば起きられないこともなかろうが、そんな乱暴さでは蓮子を起こしてしまうだろう。仕方なくメリーはただその虫と向き合い続ける。
時間の感覚も分からずに。
この籠の中では、蓮子の行動でしか時間の流れに意味が生まれないから。
ぼうっと、ただ暗い瞳の中に自分を置いた。

「ん、めり……?」

蓮子が声を発して、ようやく時間が進む。
もそもそと目を擦りながら蓮子がぎゅっと抱き付いてきて、それがキスに、そしてその先に発展しても、メリーは焦点が合わなくなるほど黒い蝶を見続けていた。
蓮子の唾液に濡れていく自分を感じながら、彼女が再び来てくれるその瞬間だけを想い続けていた。

何度も

何日も

蓮子もメリーも同じ日々を繰り返した。




4/(小鳥の檻、Ⅲ)


眠りの森のお姫様は、檻の中でただ眠る。

「こんばんは」

吐息だけで囁いて、幽々子はそっとその頬に指を触れさせた。白い、青い、冬の月のような肌だ。
夜の淡い光の下で見ると特に、小さい姿の時の紫のようだと幽々子は思う。髪の色の所為だろう。
衰弱した手足を投げ出して、マエリベリー・ハーン――――メリーはすうすうと吐息を立てている。
青色に輝く黒蝶が幽々子へと翅を広げた。幽々子は肩に止まったそれに口付ける真似をする。
楽しそうに笑ってベッドに腰掛けた。
きしりと軋む音にか、メリーが虚ろに目を開ける。視線は幽々子には向かわない。

「あら、おはよう?」

声へと、恐らく顔を向けようとしたが視線は微妙にずれている。メリーは声を出そうとした途端に咳き込んだ。
あらあらと幽々子が背中を撫でる。布団の上から触れてもその身体が骨ばるほどに痩せているのが分かった。

「紫は何日後ぐらいに出してくれたのかしら。その衰弱の仕方なら、二週間くらい?」
「――――」
「そう。分からないのね」

幽々子はベッドを下りて床に膝をついた。ベッドに腕を乗せ顎も乗せて、メリーの顔を近くで覗く。
ひゅう、と喉を鳴らしてメリーは微笑んだ。嬉しそうな笑みだった。

「待っていてくれたの?」

メリーは微かに頷いた。
そう、と幽々子が微笑む。

「死ねるのが嬉しいの?」

また首が動く。幽々子はふうん、と歌うように言う。

「心配しなくても、あなたはもうすぐ死ぬわ」

メリーは咳き込んだ。何かを言おうとしているのだろうと幽々子は待った。
何度か苦しげに喉を鳴らして、メリーは掠れる声で言った。
もう目が見えないの。

「ゆゆこ、さん」
「なにかしら」
「さっきのは、ほんとう?」

死ぬこと? 幽々子が聞くとメリーはこくんと頷いた。

「本当よ」

メリーは満足したように笑った。目は確かに焦点が定まっていない。
幽々子はきんいろの髪を撫でた。月の光を集めたような、紫と似た色の髪。

「死ぬわ」

幽々子は言った。もう少し話をしたらそれで終わりだ。
ここは幻想郷ではないから魂も連れ帰る必要はないし、じわじわと死に誘われ死を感じている彼女から話を聞けたらそれでいい。
幽々子は興味があった。生きている人間が死に抱くイメージは自分には分からないことの筆頭だ。
紫にしろ生前の自分にしろ、生き物が生き物だから考えることというのは少なからずあるだろう。幽々子はそれを知りたいと思う。

「ねえ、聞いてもいい? 死が近づくのはどんな気分? 何かしたいことはある? 何か衝動はない?」

わくわくしたような問いかけにメリーは小さく口を開いた。それは驚いているような、きょとんとしているような、あまり動きのない表情だった。

「しにたい」
「死ぬのに?」
「ほんとうに、しねるのか。そればかりかんがえてる」

幽々子は少し不満そうな顔をする。

「死ぬ前に何かしたくないの?」
「できること、ない」
「できるなら?」
「できない。わたしはこのへやからでられない」

出られたら?幽々子は聞いた。ひゅう、と細い喉が動く。

「でない」

どうして、と幽々子は聞かなかった。あまりに意志の強い声だったからだ。
幽々子が死んでいるから分からないのかもしれないと思うと悲しかった。それと同時に心の底に嫉妬に似た感情があるのにも気が付いていた。理解できないことを頭の隅では理解していて嫉妬さえしている。それはどことなく気持ちが悪い。
帰ろうと幽々子は思った。立ち上がって、スキマで寝ていると言っていた紫を呼ぼうとする。

「まって……まって」

それを、ほとんど動けない身体を這わせてメリーが呼びとめた。

「このせかいには、わたしがいないの。わたしがかんじたものは、ゆめかもしれない。そうだとしかおもえない。あなたも、ちょうも、しぬことも、ぜんぶ」
「だから?」

幽々子は振り向いて静かに尋ねる。
メリーは必死に息を吸い込んではそれを言葉に変えた。聞き取りずらい小さな声に笛に似た掠れた嫌な音が混じる。
それでも恐らく、彼女のすべての力を振り絞った最後の声だっただろう。

「おねがい、なにか、わたしいがいにもみえるものを、ちょうだい。このまま、なにもたしかなものがないのは、たえられない。しんだことさえ、なかったことになりそうで、こわい」

こわい。
メリーは言った。幽々子は音もなくベッドに寄った。毛布の中のか細い身体には相変わらず首輪がひとつきりついている。
これだけの衰弱も、この部屋にはひとつの変化もたらしていないのかもしれなかった。

「狂った部屋ね。紫はだから入りたがらないのかしら。境界があることを無視しようとする歪な部屋」

幽々子は手をメリーの首に手を伸ばした。つつ、となぞるその動きにメリーが誰を思い出したのか彼女は知らない。
どうして欲しいの、とかさついた耳に囁いた。

「めがさめても、きえないあとが、――――ほし、ぃ」

メリーは限界だとでも言うように激しく咳き込んだ。
幽々子が首輪をゆるゆると撫でると、リードをかける部分の金属が揺れて鈴にも似た音を立てる。
優しい声で、言う。

「素敵な首輪ね。きっと蓮子という子はあなたのことが好きで好きで好きで好きでたまらない」

何かを考えているような、ぼうっとした声だった。
考えていたのは今彼女を覆っている嫉妬についてだろう。それから嫉妬をどこにぶつければいいのかについて。
何故か早く紫のところへ戻りたかった。

「あなたを逃がしてあげるわ」

幽々子は言う。そうして首輪に指を這わせた。
この世から。死の世界へ。
何処へもいかないというあなたを、浚ってしまおう。
首輪が風化したようにぼろぼろと崩れた。直接に首の皮膚を撫でる。皮膚は死んでいく。
真っ白に透ける肌に、くろく、汚れるように跡が残る。
外れない、首輪。

「あなたは、死ぬわ」

幽々子は言った。メリーは首に触れて、それから大事そうに灰のようにぼろぼろになった蓮子の首輪を抱きしめた。

小さく唇が動いたが声にはならない。
今度こそ踵を返して、幽々子はするりとベッドに背を向けた。







5/(死者の戯言、Ⅱ)


ひらりひらりと蝶が舞う。魂を連れて、魂を導いて、ふわりひらりと消えていく。
幽々子はそれに手を差し伸べた。空には夕月の霞む時刻、白玉楼の縁側にひとり座って億劫そうに布団にくるまっている紫に尋ね事をする。

「ねえ紫、死にたいというのはどういうことなのかしら」

彼女の周りに明滅する蝶のようにふわふわとした問いだった。目覚めたばかりの紫には少々荷が重い。欠伸をひとつ、それを返答に代える。
幽々子はくすくすと笑っておはよう、と言った。それから少しだけ質問を変える。

「紫は死にたいと思う?」

紫はふらふらと幽々子の差し出す湯呑につられて布団を這いだした。軽く喉を潤してからまだ開ききっていない目で言う。思わないわねえ。

「思わないわねえ。幽々子に触れられなくなるのは嫌だもの」
「じゃあ亡霊になるのなら死んでもいいの?」

そうねえ、紫はもう一口お茶を啜る。幽々子の飲みかけのそれはいい具合に冷えていて有難い。

「あまり、よくないかしら」
「どうして?」
「悲しみそうな面子がちらほら」

種族が変わるとそれだけで悲しむ程度には妖怪らしくない妖怪たちが紫の周りには多い。類は友を呼ぶと言うべきか。幽々子は軽く頷いた。

「それに妖怪は亡霊にはなれないしねえ」

ほう、と紫が随分目が覚めたと息を吐く。
幽々子は空になった湯呑を受け取ってその底を眺める。困った顔は映らない。なれればいいのに、と小さく言った。

「なって欲しいの?」

紫はあまり重くならない調子で問う。幽々子は微かに頷いて言った。

「今のままの紫は好きだけれど、紫が亡霊になればお揃いだし、ずっと冥界に居てもらえるわ」

紫がずっと一緒に居てくれたら私だって死に誘ったりしなくていいのに。幽々子は段々と小さくなる声でそこまで続ける。
その耳が赤くなっていて紫もつい赤くなった。珍しく直接的で揶揄のない愛の言葉である。
独占欲までも前面に出すほどの熱い言葉はお互いに中々言わない。
顔を赤くしたまましばらく俯いていた幽々子が「ええと、」と視線を彷徨わせて話題を戻す。

「死にたい、って、えっと、あの女の子のね、話なのだけれど」
「あ、う、うん」

一気に覚醒した紫が少々動きをおかしくしながら頷く。

「誰かに従いながらも死にたいと願うのはどういうことなのかしら」

私ね、どうしてかあの子に嫉妬したのよ。幽々子はそんなことを何かを思い出すような遠い目をして言った。少しだけ、羨ましかったの。素敵だと思ったの。何故か分からなかったの。
ぽつぽつと纏まらない思考を言葉にすると余計分からなくなって幽々子は紫を見た。
それは。紫は軽く眉を寄せる。

「死にたかったのではなくて、殺されたかったのではないの?」

幽々子が紫を見る。紫はするりとスキマを開いて中を探り始めた。

「まあ殺されたいは極端かもしれないけれど、愛していたということだったのではないかしら。あの子は、首輪をかけた相手のことを好きだったのよ。死さえも望む癖に、相手のいない他の生き方は考え付かないくらいにはね」

まあ想像に過ぎないけどね。紫は言う。何かスキマの中で探しているようで幽々子はそれをしばらく見ていたが、ふと思い出したように言った。
そう言えばあの子、最後に唇を動かしたわ。

「なんだろうと思ったのだけれど、あれは名前だったのかもしれないわね」
「何文字かしら」
「三文字かしら?」

紫は小さく微笑んだ。そう、と言って手を抜いてスキマの口を広げた。中から二つ魂が出てくる。
お互いに抱き合うように絡み合って、ふらふらとまずは三途の川とでも言われたように一頭の蝶について去って行く。
時間も結界も越えてスキマの妖怪に神隠しされるとは、魂とは言え随分な高待遇だ。

「幻想郷は狭いから、きっとそのうちに上手くいくわ」
「人間は増やさないのではないの?」
「片方は妖怪にでもなれそうな素質があるようだし、どうにかなるのではないかしら?」

ふふっと幽々子が笑う。
歪ではあれ互いに閉じ込めていたから嫉妬したのかと紫の言葉を噛みしめる。互いに愛し合って互いにずっと傍にいたから。互いが逃げられないくらいにがんじがらめだったから。
嫉妬なんて、がらではないのだけれど。

「私はもう少し紫を束縛したいのかしら?」
「されたいの間違いではないの?」
「それでもいいわね」
「そう?」

軽口を叩きあってもう消えてしまった二つの魂の影を視線で追う。
早く裁判を終えて冥界に来ないかしらと、話すことのなかったメリーの飼い主のことを考えた。


















**



#(  の檻)

「メリー、ただいま。いい子にしてた?」
「首輪、どうしたの。え? ううん、ごめんはいいけど……火傷みたいになってるよ。大丈夫? 痛くない?」
「そんなに謝らないでよ、メリー。どうして泣いてるの。泣かなくていいよ。大丈夫だよ」
「メリー」
「泣き疲れちゃった? ん、寝ようね。ゆっくりおやすみ、メリー」
「メリー、ごめんそろそろバイトに行かなきゃ。寝ていてね。すぐに帰って来るから」
「……メリー? 寝てるの? ねえ、メリー」
「メリー」
「メリー、まだ、起きないの?」
「あ、バイト、……いいや。メリー具合悪い? 起きないの? ねえ、ねえ」

「私も、ねむいや。ねえ、メリー。起きたら、起こしてね、メリー」


「めりー」


「ねむいよ、めりー。めりー、つめたい、よ。さむいよ」





「め、り?」








「わたしも、ねるから、おきなくて、いい、や」




メリーは首輪が似合うと思ってやりました……蓮メリちゅっちゅが……好きです……


コメントほんと嬉しいです^^秘封はよいですよねー。

>>1様
そうですねえ……最初の考えでは蓮子片想いでしたから、蓮メリのちゅっちゅ力は半端ないのだと思います。これでもがんばってちゅっちゅルートへの道を開いた二人に乾杯を。

>>2様
蓮メリは考えなし(苦笑)
なるほど……それは素敵な案かも。死ぬときはでも確かに、何かを守りたいとは思うかもですね。それが何かを残したいということなのかどうなのか

>>3様
似合いそうですよね。激しく同意。

>>4様
病んでる蓮子ちゃんかわいい(頷き)

>>5様
首輪がですか!(ガタッ

>>6様
こ、こわい(ガクガク
歪んだ愛はいいと思います。歪み蓮子ちゃんかわいい

>>7様
相思相愛になっただけ二人のちゅっちゅ力は高かったのです……(鬱脳)

>>8様
秘封に完敗です!

>>9様
蓮メリもゆかゆゆもかわいいですかわいいかわいいかわいい(壊


秘封は普通にちゅっちゅも書いてみたいと思いつつ、暗いのに読んでいただきありがとうございましたm(_ _)m
野咲
コメント




1.名前が無い程度の能力削除
ちゅっちゅルートもあっただろうふたりなのに…蓮子が間違えたんだな 多分   …メリーに首輪が似合いすぎて 
2.名前が無い程度の能力削除
死に瀕したときどう行動するのか、その行動は何に起因するのかってことになると、女性の場合は母性本能になるのかなと。
災害など突発的な事態の際、庇護の対象を守るような姿のご遺体が発見されるのはままありますが、そういうのは大抵女性のような。
実際のところは、庇護の対象の傍にいる時間は女性の方が圧倒的に長い=一緒に災害に巻き込まれる可能性が高いってのが主要因やも。
統計なんぞ無いでしょうから男女比は不明です。
報道の偏向(絵になるからとかお涙頂戴とか)に流されているなーとも感じながら、気に入っている思いつきです。

それはさて置き秘封の二人には見通しの甘さを猛省していただきたい
3.名前が無い程度の能力削除
なんかこう秘封の二人には退廃的なのが似合うな
4.名前が無い程度の能力削除
こいつはすごい…。すごいものを見てしまった。
病んでる蓮子ちゃんかわいい。
5.名前が無い程度の能力削除
似合うなあ。
6.名前が無い程度の能力削除
これは・・・いいわ(ゲスの笑み)
ゆがんでる・・ゆがんでる・・歪んだ愛は大好物です(キリッ
題材は、人間は死ぬ間際にどんな物を残すのか、って言うことでいいんですかね?
上の米様にしろ、作中のモブ男にしろ、結局最後は自分を未来に残す、悪く言っちゃえば性欲ってことになるんですかね
でもそうなると、脳って覚悟を決められるんだよね、鞭で打たれて死ぬのは、出血死じゃなくて、痛みに耐えきれず、脳が自分の意志で機能停止して死ぬって話だし。
しかもその死に方をした人は死ぬ間際にやっぱり射精して死ぬことが多々あったらしいしね、結論はでないけど、おもしろい議題だと思いました
秘封はもっと流行ってもいいと思うんだ・・・
7.彩羅削除
な、なんかヤバイものを見た気がしてならないです。
相思相愛のはずなのに、歪みすぎてて怖いわ・・・
8.名前が無い程度の能力削除
なんという・・・結局二人は何も残せてないじゃないか・・・秘封に乾杯
9.名前が無い程度の能力削除
メリー健気でかわいい。最後に首輪を抱きしめたとこキュンとした。
ゆかゆゆの二人もベテランなのに微笑ましくてとてもよかった。
10.名前が無い程度の能力削除
む、難しい。死をテーマにしてるものは難しい。
なんとも言えないものが残ってしまった。理解が足りなくて申し訳なくなってしまった。
11.名前が無い程度の能力削除
女の人は母性本能なんかより自己保存が強い気が
子供を守ることで周りに認められて生きやすいと感じていたら子供を守るし
親に保護されてることを感じていて親の言うとおりが生きやすいと感じていたら親を守るし
結局は自分のエゴにがんじがらめにされて周りも落とす不幸のブラックホールを作り出すメリーさん最高です