真・東方夜伽話

終電の兎

2012/09/30 20:21:25
最終更新
サイズ
37.49KB
閲覧数
2252

分類タグ

終電の兎


 低い、野良犬のうなりの様なエンジンが車体を震わせると、甲高い、狂ったホイッスルの様な発車のベルが耳をつんざいた。
 これでもう何度目だろ……、いいかげん学習したのでぐっと身構える。
 それでも車輛が驚き跳びはねるように揺れると、堅いシートにお尻を打ち付けてしまった。
 そして電車は何事も無かったかのように、すまし顔でがたころと、縦揺れに動き出す。

(いっっ…たぁ……何なのよ、この電車……もぉ~っ!)

 このご時勢に、よくここまで快適さを切り詰めた電車があると逆に感心する。
 って、よく考えたら、エンジンで動いてるなら電車ですらないじゃない……。

 ただでさえ、色々な事態が限界に達していた。

 携帯の電池は切れるし、駅の名前もいよいよ分からなくなって久しい、折からの曇天で早々に帳を下ろした空は、せめてもの道標さえ奪ってしまった。
 ただでさえ短い二両編成に、更にまばらだった乗客は降りてしまい、尋ねられそうな人は先の車両の運転士さんだけ。大体、車掌さんのいない電車なんて初めて乗った。
 不満や心細さなら、挙げれば切りが無いけど……

 ここに、メリーがいない。
 その一点だけで、私の心は限界に達していた。

(怒ってるだろうなぁ、メリー……)

 怒っているだろう、金色の怒髪天を衝かんばかりに。
 そりゃあ怒っているだろう、大事な大事な、秘封倶楽部活動二周年。そのお祝いって何週間も前から約束した時間を、既に半日以上も飛ばしているんだから。
 だから、どうして良いか分からないまま電車を乗り継ぐうちに……気が付けばこんな、名前も知らない所まで流されてしまった。
 逃げ出した、って言われても、反論の余地も無い。

 けど、ちょっと待って。私にだって言い分はある。
 まず昨日、帰りが遅くなっちゃったのに、メリーの提案で珍しくダイニングバーなんかで食事をしたじゃない。
 アレがまず良くなかったと思う。

――別に、私はお酒を飲もうなんて言わなかったでしょう? 逆に、料理がメインのお店なんだし、明日が本番なんだから今日は飲まないほうがいいんじゃない、って言ったはずだけど。

 ……はいそうです、スミマセン。
 でも! 結局メリーだって飲んでたじゃない……

――蓮子が前祝いだー乾杯しようー、って言うから、カンパリソーダを一杯頼んだだけ。まさか気が付いたら向かいでラムを三杯も空けてるとは思わなかったわ。どこの海賊よ。

 ……ごもっともです、面目ありません。
 でも、問題はその後でしょう? なにも帰り道に、形而上学のレポートがあったなんて、言わなくてもいいじゃない……。

――やっていて当然の事だと思うんだけど?

 ……そうなんだけど、人間、気付かない方が幸せなこともあるでしょ?
 だから、不幸にも気付いてしまった私は、ラムの酔いと戦いながら明け方まで頑張って、目が覚めた時にはメリーからお怒りの電話が入ってて……

 む、夢中で飛び出したんだよ? 私だって!
 ただ、電車のシートに座った途端……その、気が抜けちゃって……

――言いたい事は、それだけ?

 …………はい。

 わかってる。わかってるのよ、メリー。全部、私が悪い事ぐらい……。

 だから……顔も合わせられないんじゃない……。

 もう、幾度となく頭の中で繰り返した昨日からの出来事。
 繰り返す度に、次にメリーと会った時にどうしようかと、その先を考える。
 出会い頭に思いっきり怒鳴られるかもしれない、ほっぺたを引っ叩かれるかもしれない。
 でも、それならいい方、二人の記念日をふいにしちゃって、連絡も取らないで逃げているんだ。
 無視されるぐらいおかしくない、電話だって出てくれないし、部屋に行っても居留守を使われて…………

 ……怖くなって、頭を振る。
 今日三桁目の溜息が口から思わず……

「あの」

「ひゃぁっ!?」

 溜息にタイミングを合わせるように飛び込んできた声に、心臓がぎくりと跳ね上がった。

「あ、すみません……向かい、いいですか……?」

「う、ううん。私もぼーっとしてて……あ、向かいなら誰もいないから、どうぞ……」

 二輛しかないこの電車で、さっきの駅で誰か乗って来たかも気付かないとは、我ながら実に無防備だった。
 それに、大声でも無ければ、座席の斜向かいに立っていたんだから、驚く要素がまるで無い。
 なにより……声の主は、私よりも背の低い女の子。

「じゃあ、失礼します」

 一礼して腰掛ける姿を見ると、落ち着いた感じはするけど顔立ちは幼いし中学生ぐらいだろうか。服も女の子してるし、少なくとも歳が近くは見えない。
 手荷物は下げたポシェットひとつ、と言う事は地元の子かもしれない。

「あ、えっと、私初めてこの辺来たんだけど、ここって今どの辺なのかな?」

「私も初めてなんです、すみません……」

「えっ? あ、あぁ、そう……」

 初めて、とな。
 当てが外れて残念な気持ちよりも、不安が先に立ってしまう。
 こんな軽装で、女の子が? こんな時間に、一人で? 初めて来るような場所に?
 旅って事はないだろうし、家出……にしては大胆過ぎやしないか。

「…………」

「あ、家出とかじゃないですよ?」

 我ながら、不信感丸出しで見ていたらしい。反省。
 女の子はぱたぱたと手を振ると、どこか物憂げな瞳を向ける。

「ペットを……さがしに来たんです」

「捜しにって、こんな所まで? ねぇ、それって、ある程度目星がついてるんだよね?」

「はい」

 だろうなぁ。と言うか、そうであってくれて良かった……。
 そのペットが好きすぎて、当て所無く突っ走ってたりしてたのだったら、諭すのも大変だ。
 見たところ、しっかりしてそうな子だし……

「占いで、この電車の行く先にあるって出たから……」

「うらない? ああ……はぁ……そうなんだ」

 撤回。占いって……
 しかも、その自信に揺らぎがないのだろうか。自慢気、と言うより当然の様に言ってのけた。
……ひょっとして、これは……

「占い、得意なんです、私……。占ってあげましょうか?」

 ……これは、地雷を踏んでしまったと考えてよろしいか。
 経験上……自分から言い出す占いって、まあ面倒なものが多い気がする。殊に、このお年頃は。
 まさか、宗教がらみとかじゃないとは思うけど……。

「ぁ……う、うん…………。じゃあ、お願いしようかな」

 でも今は、少しでも気を紛らわせたい気分だった。
 大小アルカナから水晶玉、下駄の表裏までお付き合いさせてもらおう。

「では、まず……貴女の、お名前を当てて見せましょうか……」

 と、準備や前触れ無く、占いは始まった。
 それにしても、名前を当てるなんてまた凄いところから始まったなぁ……。
 すっと女の子の手が、胸元のペンダントに触れる。
 見様によっては目玉っぽく見えるそれは、人の手が触れると少し不気味に映った。
 そして、なにより……彼女の口調が変わっている事に、妙な違和感が湧く。

「……ええ、わかりました……」

 どこか物憂げな、眠たげな目が、私を捉えた。

「うさみ、れんこ……」

「っ?」

 違和感に高なっていた鼓動が、一瞬、ずれた。

「……って、書いてありますよ」

 戻った。

 指さした先には、私のトランクケース。
 持ち手の留め金に下げたタグには、小学五年生でも読めるであろう奇麗なローマ字で私の氏名が認められている。

「あ、あはは……びっくりしちゃった。いやぁ、まさかそんな古典的な手に乗っかっちゃうなんて……」

「くす……油断しては駄目ですよ。まだ始めてもいないのですから」

 愛想笑いでごまかしたものの、嫌な鼓動は収まらないままだった。
 だって、明らかに雰囲気が違う。大人びた落ち着き方になって、何かが憑いたみたいだし……。
 ここは、次で降りるからとか言ってお茶を濁した方がいいのかな……。

「そう、仰らずに……ここがどこかも分からず流れ着いた先なのでしょう?」

 ぞくりと、背筋が震えた。
 さっきまで声に出していたかと思い、思わず両手で口を塞いだ、けど……それはさっき私が場所を尋ねたから……だよね……。

「いいえ、私が話し掛ける前から知っていました。ああ、それと、口には出されていませんでしたので、ご安心を」

 今度こそはっきりと、鼓動が嫌な波打ち方へとずれ始めた。

「先程から、かなり思い詰めてらっしゃいましたね? メリーさんとおっしゃる方について……お約束を反故にするとは、感心しませんが」

「え? えっ?」

 どういう事? この子、だれ? メリーの知り合い?

「いいえ、知り合いではありません。ついでに宗教家でもありませんよ」

 あまりの出来事に、今起きている異常な現象を理解しきれていなかった。
 これって……私の心を読まれているって事? テレパシー? 超能力?

「ええ、超能力は少し当たっているかも知れません、私が人間であれば、人の心を読むなど、超越してますものね」

 人間であればって事は、人間じゃないの……?
 人間じゃ無くて、人の心を読むって……まさか、それじゃあ……まるで……

「『まるで』ですか……やはり伝承として認知はされているようですね。ええ、ご推察の通りですよ」

 女の子の形をしたその、得体の知れないものは静かに微笑んだ。
 信じられない事に、私の眼の前に居るのは……

「得体も知れぬ、とは……ああ、お名前を伺っておいて、名乗らないのも失礼ですね……」

 もう、名乗られなくても正体は薄々分かってはいる。

「ええ、その通りです。私の名は『さとり』……古明地さとり……貴女の想像した『それ』と、同じだと思って頂いて差し支えありません。もっとも、毛むくじゃらの妖怪でなくて失礼ですが」

 心の中でぼんやりと浮かぶ、昔読んだ絵本に載っていた妖怪サトリのイメージまで読まれていた。
 その絵本では確か、猟師の家にサトリが上がり込んで、悪さを働いて……最後は偶然、囲炉裏の薪が爆ぜたのに驚いて逃げていったって……

「成程、そのような伝承もあるのですか。ただ、この環境では偶発性を期待するには少々要素が足りないようですね」

 うぅ……そうだ、心を読まれてるのに思い浮かべたら駄目じゃない!
 あ、あとは、心を……心を無にするとか……!

「無理でしょう。修験者や僧ならともかく、ましてや貴女の様に根が素直な方では」

「わ、わかってるわよ! そっ……それで、何? 私をどうしようって言うの!?」

 不自然すぎる会話が気持ち悪くなり、私は声に出して叫んだ。

「私の目的は、先程お伝えした通りですよ」

「さっき……ペットを、捜しに来たって事?」

「ええ、しかし言葉足らずでしたね…………『新しいペット』を『探し』に来たんです」

 一瞬、何の事か分からなかったけど……うっとりと私を視る視線に、気付いてしまった。

「丁度、『うさぎ』を一羽、欲しいと思っていたところでして」

「うさ…ぎ……? って、ねえ、それ……ひょっとして……」

「ええ、ちょうど語呂もいいですし、貴女はとても、可愛がり甲斐がありそう……」

 語呂もいいって、何よそれ! 駄洒落先行で妖怪に飼われるなんて、冗談にもほどがあるってば!

「いえ、勿論見た目を重視しています。容姿も、心も……」

「褒めてもらって嬉しいけど…………お断りよ!!」

 もう、これ以上話しになんかなるはずがない。
 私はトランクケースを掴んで、思いっ切り横薙ぎに振り回した。
 もし、これが私の勘違いだったら本当に申し訳ないけど、成り振り構ってる余裕なんか既に無かった。

「お気遣い、有り難う御座います……。その心根の穏やかさも、とても好きですよ」

 しかし、当然この行動も知っていたんだろう。トランクをゆうゆうと避け、軽くバランスを崩した私の身体をそっと支える。

「ガラスの破損、トランクの破損、汽車の非常ベル……効果的な打撃に至らずとも様々な偶発の誘因を加味した、とても聡明な判断だと思います。もっとも、私の方が身体能力が下ならば、ですが……」

 耳元でそう囁くと、さとりはもう一撃と構えようとした私の身体をそっと元のシートへ押さえつけた。
 それだけで、抵抗なんか出来なかった。
 押さえられて痛いとかいうレベルじゃない、動かない事が当然のような、圧倒的な力にただただ愕然とする……。

「わかりましたね? 如何なる抵抗も無駄であると。私は非力な方ですけど、いみじくも妖怪ですので」

 残酷に後付けた情報に、目の前が揺れた。
 でも、こんなところで妖怪にさらわれるわけにいかない。

 やっと、気付いた。

 私はまだメリーに謝ってない。
 無駄だと思うけど、メリーに言い訳だってしてない。
 出会い頭に引っ叩かれても、つれなく無視を決め込まれても、ぼろぼろになってでも、メリーに逢わなくちゃいけないんだ。

 だから、こんなところで……

「圧倒的な力の差に絶望しない心、誠にご立派ですが……それは叶いません。お喋りはここまでにしましょう」

 空いた左手が伸び、ざわりと、指先が胸を撫でた。
 いや、撫でただけじゃない。
 細い指はもっと深く、ブラウスを、下着を、肌を突き抜けて、深く深く、潜っていく。
 まるで、幽霊が身体を通り抜けていくような……

「っ……!? な、ど、いう……こと……?」

「想像力が豊かなのは、とても好い事です。そう、心は、読むだけのものではありません……」

 痛みは無い、ただ、感じた事のない疼きが塊になって侵入してきているよう。

「や……や、だ……ぁ……」

「そう、そのイメージ……もっと濃くして差し上げましょう。ほら、あと3つで触りますよ……ひとつ……」

 言われた途端、目に見えない感覚が、イメージになって頭に映し出される。
 私の、奥の、奥にある、大事なものを侵そうと、妖怪の手が忍び寄る。

「ふたつ……もう見えましたよ……あぁ、とても綺麗……」

「……ゃ…………ゃぁ……っ!」

 吐息がかかる距離で囁かれると、身体中の神経がそこへ集まっていく。
 指先はそのまま、きらきらと輝いた…………

「……みっつ」

 こころに、触れた。

「っんぁ!? あっ、あ……ぁああぁぁぁっ!」

 悲鳴を上げようと開いた口から、信じられない声が漏れた。
 口を塞ごうとしたけど、おぞましさで身体が動かない。

「いい声ですね……直に心を触られると、堪らないでしょう?」

 強烈な感覚が身体中を襲う……全身をぞくぞくって突き抜ける、疼きみたいな……

「疼きですか? 快感……悦楽、愉悦……くす、性的なイメージが若干多いようですが……」

「ち、ちが……!」

「時折、件のご友人がイメージに割り込んでいるのは、記憶でしょうか、願望でしょうか……」

「やめて! ……もぉ、やめてよぉ……」

 ああ、メリー……ごめんね……
 恐くて、縋りたい気持ちだけじゃなくて……この手がメリーだったらって……私…………
 違う、の……とっても、幸せだなって……メリー……メリー………

「その方を想われると、隙が少なくて厄介ですね……。ですが、それを逆手に取るのも悪くないでしょう、私にとっても……貴女にとっても」

 二三度の頷きに呼応するように、さっきのペンダントが鈍く輝く。
 いや、ずっとペンダントだと思っていたそれは、彼女の背後から伸びた管に繋がれた……眼だった。
 同時に、心の中で、指がざわざわと、何かを探している。

 だめ!

 本能が警告する。

 だめだ、あの眼を見t
「あの眼を見てはいけない」

 声をkいt
「声を聴いてはいけない」

 なn
「なんで考えるより早く心を読まれるのだろう」

 m
「もしかして……そう、そのとおりです。賢い子は嫌いではありませんよ」

 ……
「そう、考える事をお止めなさい」


 ひたり、と、ゆびが、いちばん、いちばん、ふかいとこに、ふれた。

「ぁ……あ…………や……らぁ………………」
「……ええ、いい子ですね……見つけましたよ、『蓮子』」


「ようく、お聞きなさい」
 あぁ、きかなkちゃ……

「貴女はこれから、私に心を支配されるのです」
 ここr、し、はいされ、て、

 やd、こわ……
「怖くはありません。だって、そうでしょう? 誰だって、『自分の考え』を読まれる方が怖いのですから」
 あぁ……よまれるの、いや………

「では、支配されなさい。私の言うままにすれば、『自分の考え』を読まれることはないのですから……」
 う、ん、そうだ……こわく、ない……。

 しはいされれば、かんがえてること、よまれない…から……こわくない……

 そう思った瞬間、ふわりと、こころが楽になった。

 ちからがはいらなくなった額を、ねつを計るように、つめたくて、きもちいい、てのひらで押さえられた。
 顔が、近づいてくる。
 ようかいなのに、きれい。つめたいきらきらした目、ぞくぞくする。しろくて、きれいなほほ。

「そう……貴女はそうやって、感じるままを心に刻めばいい……」

 くちびるを、したの先とくちびるで、撫でられる。二度、さんど……

「は…む……ぅん、ちゅ……」

 きもちよくて緩んだ唇に、やさしく入ってくる、舌が、ふかく、ふかく、こころのうえを、ぺろりとなめる。

「ふ………っ、んく…ふぅ……ぇぁ……」

 舌を、やらかくなったキャラメルみたく、ちゅぱってねぶられる。
 ちゅううぅ……って、いっしょに、とろけたこころが、すわれる。
 よだれ……いっぱいいっぱいあふれて……

「ちゅ……ん…く、ぁふ………ぅぅ……」

 また、くちびるを、なめられながら、はなれてく。
 あぁ……きもちいいのが……おわっちゃった…………。

「ふふ、こんなに涎を零すほど夢中になって……。これはキスの躾も必要そうですね」

 あぁ……しつけ、って?

「蓮子を、私のペットに相応しい『うさぎさん』にする事ですよ」

 ぺっ…と……うさぎ…さん……?

「心を躾けられれば自ずと解ること……身体は、蕩けましたね? では……眠りなさい」

 ふわって、あたま、なでられて……

「まずは、『そこ』にある物から使いましょうか……」

 目……あいてるのに、ねむい……
 でも、なんだろう……こころの深い、一番ふかいところで、わたしが何かさけんでる……

 メリー……メリー……って……


  §


 椅子に、座っていた。
 ちょっと暗めの照明、バーカウンターに並ぶリキュールとラム酒のボトル。
 お客さんは半分ぐらい入ってるけど、皆静かで、優しげな電子音楽が店内を満たしている。
 多分、それは、きっと、昨日見た、光景。
 目の前には、ラムの注がれたグラスと、ドライフルーツの小皿。
 テーブルを挟んで、メリーが、カンパリソーダで時折口を湿らせながら、おかしそうに、私を、みている。

「どうしたの、蓮子?」

 昨日と同じ……なのに……
 なにか、ちがう。
 なにが、ちがう?
 わたしは、メリーの向かいにいる。そう、昨日と、同じ……。

「ほら、きょろきょろしないで。お行儀が悪いわよ?」

 メリーは、くつくつと、笑いながら、叱る。
 その肩越しの鏡に写る私の姿も、昨日のまま……
 いつもの帽子、メリーと選んだブラウス、そして、首に……赤い、いつもの、お気に入りの、ネクタ……

「もう……蓮子!」

 くいっと、首がひかれて、目のまえが、くにゃりと、ゆがんだ。
 わたしの、くびの……赤い、いつもの、おきにいりの、くびわが、ひかれた。
 おなじ、きのうと、おなじ、だから……なにも、きていない。
 あ……れ……?

「これが欲しいの? 仕方のない子ね……ほら、飲みなさい……」

 答えるまえに、テーブルごしから、メリー……が、私のくちびるに、グラスを、そっと、あてた。
 つよい、つよい、ねっとりとした香りで、むせそうになった口に、ラムが、ながれこんでくる。
 ほのかに甘くて、バニラとくだもののあじがして、でもからくて。

「ん、んく……っ、こふ、んぅ……~っ……」

 喉が、あつい。のみこむたびに、あたま、ふあふあする……。
 むせても、飲みきれなくても、メリーはグラスをどんどんかたむけるから、口からどんどんこぼれる。
 こぼれて、流れたさきが、かあっとあつくなる……くび、むね、おへそ……あつい…よぅ……

「ん……ふふっ、美味しい?」

「ぁ……ぁん……」

 おいしい、って言おうと思ったのに、のどのおくから、いやらしい声がでた。
 こいぬが、甘えるみたいな。
 こねこが、甘えるみたいな。

「ラムが好きな兎なんて、おかしいわね」

 うさ……ぎ? 私、は…………

「ああもう……こんなに零して……」

 わたしのとなりにきて、びしょびしょのくちびるをメリーはぺろりとなめた。
 そのまま、首すじを舌で、なぞられ、る。

「ぅぁ……くぅ……ん……」

「ん……いい子だから、じっとしていなさい…………」

 くびから、むね……
 こぼしてないのに……おっぱいのさき……ちろちろって、じらされて……
 メリーは、わざと、おおきなおとで、ちゅぱって、すわれて……

「あぅ~…………っ、ぅあぁぁ……ん!」

「ほら、大声出さないの。皆おかしそうに見てるわよ……」

「っ!? ふぁ……ぅぅ……」

 はずか……しい……あれ? はずかしいの、かな……?
 だって……みんな、ほほえんで、みてる。
 かわいいうさぎね、って、いってる…………

「こんなところまで、零れてるじゃない……」

「ひんっ!? ……ぅゅ……」

 ぼうっとしてたら、おへそをなめられて、大きなこえがでそうになったけど、くちをつむぐ。
 だって、おおごえ、だしちゃだめって、いったから……
 それなのに、メリーは、ゆびを、ふとももから、ゆっくり、ゆっくり、のぼらせて……
 くちゅっと、いちばん、いちばん熱くなっちゃった、ところへ……

「ひぁ……ぅ…っ、ぅ~……っ……」

「これは……ラムかしら? それとも……蓮子の?」

 そこ……こぼしてないよぅ……
 でも、きもちよくて……もっとしてほしくて、メリーの手を、ぎゅっとする。

「ほんとに、いやらしい子ね……躾にならないじゃない……」

 ちょっと、おこった声に、からだがびりびりってする……

「あぅ……」

 でも、すき……メリーに、しつけられるの……すき……

「ほら、嘗めなさい……」

 ゆびが、くちびるにふれる。
 私は……びっしょりになったメリーのゆびを、ちゅぱちゅぱと、しゃぶった。
 甘くて、こわくて、あまくて、こわくて………しあわせで、なみだがぽろぽろあふれて止まらない。

 しあわせで、からだじゅうのちから……ぬけて……いすにすわりこんじゃって……そのまま……

「ふぁ……ふわぁぁ………」

 おしりが、あったかい……

 わたし……おもらし、してる……の?

「まあ、蓮子!」

 ごめんな、さい……メリー……でも、あたまがぼぅってしちゃって、からだがしあわせで、とめられないよぅ……

 みんな、くすくす、わらってる……

 でも、メリーだけ……すごく…すっごく……おこってる…………

 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……!

「こんなに所構わず粗相をするような兎……面倒見切れないわ……」

 やぁ……わたし、いいこにするから……だから……

 メリーはつめたい目で、私をにらむと、おみせを出ていく……

「新しいご主人様でも、探してもらうことね」

 こえはでない、でも、さけぶ。

 やだ、やだ、やだ!

 メリーがいい。 メリーがいいの! メリーじゃなくちゃやだ!!

 立ち上がって、駆け出すと、鏡にぶつかった。その鏡の向こうへ、メリーが遠ざかって行く。
 何度も、何度も、鏡にぶつかる。
 痛くて、痛くて、ふらふらになる、でも……行かなくちゃ……
 身体が、ばらばらになっても、メリーの……そばへ……行かなくちゃ……

 やがて、目の前が、真っ暗に、なった。

 メリー……! いかないで、おねがい……私の…………


  §


「成る程。強く想われていたようなので使わせて頂きましたが、ここまで御し難いとは……」

 さとりは深層への侵食を一時止め、得た様に頷く。
 傍らでは、未だ胸に手を埋められ、夢見心地な面でがっくりと項垂れる獲物が一羽。

「依存でしょうか、自縛でしょうか……危うく壊してしまうところでしたね。それとも、壊した方が早いのでしょうか……」

 口調から取れる感情は決して苛立ちではないが、嫉妬の妖が側に立てば僅かな炎が見えたであろう。

「それでは、先に『こちら』側から躾けるとしましょう……」

 呟き、おもむろに胸から手を引き抜くと、ネクタイを緩め、ブラウスをはだけさせた。
 若草色の、決して歳相応とは云えぬ可愛らしい下衣を擦り上げると、汗濡れた胸をゆっくりと掌で弄ぶ。

「んぅ……っ……」

「ふふ、いやらしい胸……まるで、私の為にここまで誂えたようですね……」

 深層で与えられた偽りの悦楽で既に固く膨らんだ蕾を摘み、強く挫くと、蓮子はびくりと身を大きく震わせ、歓喜を伝える。

「あ…っ! ……あぅぅ……んうぅ……っ!」

「まったく、身体は……こんなに脆く、御し易いというのに……」

 力無く項垂れた先で苛められる胸を虚ろな瞳に映し、荒く呼気を漏らす唇を時折そっと撫でられる感触に、蓮子はうっとりと目を細める。
 それが、感情によるものか、肉体の愉悦による反応か、識る術は無い。

「これで蕩けるなんて……どれほど浅ましい兎なんででしょう…………」

 蔑みの目を僅かに震える膝に向け、スカートをまくり上げる。
 未だ触れられてもいないそこは、既に粗相をしたように重い色に滲み、さとりの指先が強く押し込むとくちりと湿った音を立てた。

「ぅ~……っ……ぇあ! ぉ……あ、あ~……っ」

 二三度、深く、緩くなぞられると、表情は更に蕩け、弛緩し切った舌が垂れる。
 零れ落ちる唾液と交じり合い、甘い薫りを放ちそうな程に蜜濡れた下衣を割り、さとりの指がぬるりと蓮子の中へ侵入した。

「ひぁ!? ぁっ……か……! ぅああぁぁ………んんっ!」

 不意に与えられた肉体への苛烈な刺激に、堅い旧時代のシートへ頭を打ち付けるようにのけ反り、車内に大きな歌声を響かせる。
 見開いた目許からは、溜め込んだ恐怖や歓喜を放つように、涙が堰を切って溢れ出した。

「あら……夢の中で貴女の想い人に触られるより、気持ちが良いようですね?」

 嘲りにも四肢は抵抗を示さず、獣性のまま悦びに打ち震えるのみ。
 細い指は執拗に粘液質の音を鳴らし、更に獲物を追い詰める。

「ああぅ……ぅ~っ…………っあ、ぇあ、ぁぁ…………」

「心の浅い部分に愉悦以外が見えませんよ、蓮子……はしたない子……」

 躾けるような嗜めと共に指を曲げ、爪弾くと、濡れた音は一層高まり、ねだるように震え締め付けた。

「あ、ん……ああぅ……! んうぅ~、んっ、ぃっ……んん~~っ……!」

 理性無き声はやがて幼子がむずがる様な、泣き出しそうな、焦れた熱を帯びてきた。

「ふふ、好い唄声……しかし人間というものは、肉欲にここまで従順でありながら、何故に遍く強固な心根を持つのでしょう……」

 心を奪われた獲物には、あられもない息遣い彩られた喘ぎこそが、全ての答え。
 満足したか、冷ややかに、さとりは最期の引導を渡した。

「果てなさい」

 耳元でそう、囁くだけで獲物は服従の刻印を刻み込まれる。

「ぅ、っぐ……? あ、あ、ぁぁぁっ……あああああぁ……~っ! ~っ! ~っあ! あああぅ~~~っ!!」

 腰がシートから浮き上がり、宙空で幾度も戦慄く。
 指を受け容れていた膣穴は弛緩と収縮を繰り返し、激しく涎を垂らしながら最奥まで貪り続ける。
 やがて、束の間の驚喜を終えた身体は、ふっつりと糸が切れた様に崩れ落ちた。
 その身を優しく支え、さとりは幾度も愛玩動物に示す愛情と同じ接吻を暫し交わす。

「え……あむ……ふぁ……はふゅ……ぇ…ぁぁ……」

「ちゅ……ん……くす……、どうですか? 気持ち良かったでしょう? 蓮子……『肉体』の服従は……」

 舌を垂らし、夢見心地に喘ぐ獣に、最早答える理性など残ってはいない。

「それでは、貴女の心の一番深い所で、これを感じたら、どうなってしまうんでしょうね……?」

 しかしさとりは、鼓膜へ刻み込むように、声を声と認識すら出来ない耳元で囁いた。

「それを与えられるのは、私だけと理解した時……認識るはずですよ、私が貴女にとっての『ご主人様』だと言う事を……」

 無慈悲な妖は静かにほくそ笑むと、手首までをしとどに濡らす、従僕と成るべき獲物が漏らした蜜をうっとりと舐る。

「ん…………ふふ、ここから先は、壊れてしまわなければ……ですが」

 ひとつ、残酷な笑みを零し……
 再び、さとりは無防備に晒された蓮子の深層を食み始めた。


  §


 ベッド、の、ような物の上で、ねている。
 見上げたそらには、おつきさま、おほしさま……でも、見たこともない、空。

 どこだろ、ここ……私、こんなとこ、みたこと……

――あるでしょう? 

 どう……して?

――ここが、貴女のお家だからですよ

 ああ、そうだっけ……

 そう思ったら、すごく、ほっとした。

 ほっとしたけど、からだ……すごく、あつい。
 はぁ、はぁ、って、いきが、やけどしそうに、あつい。
 からだ……うずうずして、もじもじしちゃう…………

――発情しているのですね、いやらしい子……

 はつ、じょう?
 わたし、えっちな……こ、なの?

――ええ、兎は、発情の多い、淫らな愛玩動物ですから……

 うさぎ……ぺっと……わたしは…………

――ほら、こんなに濡らしてしまって……

 だれかが、わたしのなかに、はいってきて、いじめてくる。

 いっぱいのゆびが、おまたを、くちゅくちゅ、くぷくぷ、って、されると、あたまのなかまで、きこえてきて。

 きもちよくて、きもちよくて、おしりがういちゃう……

 もっともっとって、おねだり、しちゃう……

――さあ、『さとり様』っておねだりしてご覧なさい……それが、真実の『ご主人様』の名……

 ごしゅ、じん……さま?

 むねのおくが、ちくり、って痛い。

 でも、おなか、きゅんきゅんして、もっと、もっと、いじってほしくて…………

――言いなさい、蓮子は今日から、私の可愛いペットになるのですよ?

 ちがうって、思うたびに、いっぱいいっぱい、えっちなきもちで、あたまがぐちゃぐちゃする。

 ぐちゃぐちゃを、いっぱいの手に、かきまわされて、いっぱいいっぱい、とろとろになって、おもらししちゃう。

 きえ…ちゃう……だいじな……だい、じ……な……

――そう、間違った認識は消しなさい。

 ぐぅぅ~~って、ふかいふかいところに、きもちのいいゆびがはいってくる。

 はなしたくなくて、もっともっと、きもちよくしてほしくて、ぎゅゅぅぅぅって、しめつけちゃう……

 でも……ちがうの………ちがう……

――何が違うというのです? こんなに気持ちが良いのでしょう?

 ちがうよぅ……わた、わたしの、きもちいいは……め…め……

――違いませんよ、これ以上の悦楽を与えてくれる存在は…………私だけです

 こつんって、わたし、に、ゆびが、ふれた。

 からだのなかが、ふわぁって、はじけた……はじけ、させられちゃった……

 おくち、ちからがぬけて、あー……って、ああー……って、こえが、とまらない。

 からだじゅうに、ぎゅうって、ちからがはいってるのに、ふわふわって、うかんでく。

 こころのなかが、きもちいいって、それだけでどんどんぬりつぶされてく。

――そう、兎に……理性などいりません。さあ、素直におなりなさい……

 そのことばは……とてもとても、きもちいいのに、こわくて、こわくて……おほしさまに、てを、のばした。
 でも、そこに、私のしってるおほしさまは……ない……

――解りましたね? もう、貴女には私以外の存在は有り得ない……さあ、いらっしゃい、『こちら側』へ……

 ちからが、ぬけちゃう…………あたま、まっしろで…………手が…………

「……やっと、捕まえた!」

 その……てが……ぎゅっと、つかまれた!

――…………!?

「いつまで寝てるつもりなの!? いい加減目を覚ましなさい、宇佐見蓮子!!」

 目の、まえ、が、ガラスみたいにわれて、きらきらした星が、ふってきた。
 金色の、きれいな、綺麗な……私の、お星さまが、手を、しっかりと握ってくれる……!

「メリー……!!」

 そう、声に出せたのか、もう、わからない。
 ただ、うれしくて、ほっとして……意識が遠のく私を、優しい光りが包んで……


  §


 突然の衝撃に、さとりは蓮子の深層から手を引いた。
 同時に、コマを繋ぎ違えた8ミリ映画のように、対面のシートに『それ』は忽然と姿を現した。
 それは驚いたのか、悟ったのか、曖昧な感情を以て金糸の髪をなびかせ周囲を見渡すと、夢幻の絶頂にか細く喘ぐ哀れな少女を守るように立ち塞がる。

「そこまでよ、この助平妖怪!」

「……初対面の相手に助平とは御挨拶ですね。貴女は……何です? どうやって、ここへ?」

 予期せぬ闖入者に、妖怪は初めて僅かな動揺を見せた。相手の素性を僅か知れ、しかし尚、慎重に、心を探る。

「何って、夢見がちな女子大生よ。どうやってかは、私にもよく分かってないけど」

(夢…? 境界……? 『彼女』では無い事は確かだけど……)

「まったく、蓮子の淫夢を二本立てで見せつけられたかと思えば、どこなのよ、ここ……」

「成る程、私が彼女の意識に入ってから……ずっと、『視て』いたと言う事ですか」

「そちらこそ、人を出歯亀呼ばわりとは御挨拶ね。ソファで不貞寝をしてたら『見えてしまった』の…………まあ、その、見たくはなかったけど!」

 最後の一語は、取ってつけたものであったが、この奇怪な現象に動じていない事は明らかだった。

「何にしても、ちょっと待ってなさい! 少しでも動いたら蹴っ飛ばすわよ!」

 次いで一括浴びせると、慣れた手つきでトランクケースのナンバロックを開け、探すでもなくウェットティッシュとハンドタオルを取り出し、面倒そうに、且つまんざらでも無さそうに介抱を始めてしまった。
 さとりも出方を見るが無難と踏んだか、静かにメリーを見遣る。
 どうも彼女の『見えた』とする事象は、どちらかと言えば夢の記憶に近く、概念的なイメージが多いようだ。
 それは彼女の持つ『眼』が遠視の如く、現実ではなく、その向こうを視るものである為……

「それで! あんなにいやらしい夢を見せてまで、蓮子をどうしようとしたの? 私をダシにしてまで……肖像権侵害って夢にも適用できるのかしら?」

「姿をお借りしたところまでは、判別できましたか。では、具体的に何をしたかは御存知ですか?」

「知らないわよ! ちょっと知りたい気もするけど、どのみち碌でも無いわ!」

 蓮子の衣服を整え終えたところで勢いは変わらず、メリーは尚妖怪に噛み付いて出る。
 毅然と言い放つ言葉には、当然の如く恐れも裏も無い。
 この娘自身に興味はあるが、古明地さとりとしてあまり得意ではない手合いの性分である事は確かだった。

「質問の途中でしたね、失礼……どうしようと……でしたか。妖怪が人間相手にする『事』は、あまり多くありませんよ」

「食べる、って事ね? 大方精気を吸うとか、そんなところでしょう?」

「……何か、勘違いをされているようですが……そういう事でしたか。まあ、いいでしょう」

 先程から感じていた微妙なすれ違いの正体に気付き、さとりはいささか毒気を抜かれたような表情で頭を振った。

「彼女を、攫うつもりです。新しいペットとして旧地獄へお迎えしたいのですが……」

「ペットって……尚更冗談じゃないわ! 蓮子を何だと思っているの!?」

 地獄云々の興味を他所に、ぐったりとした蓮子を胸に抱き寄せると、いよいよ敵愾心も露に睨みつけた。
 その真摯たる瞳をのぞき込んだ妖怪は、伝わる意識の強さに刹那眉を上げ、ほうと溜め息を吐く。

「なるほど……ええ、失礼しました。ええ、それは私としても道義に反しますね」

 何をか悟ったか、そのまま口元を隠し、人知も及ばぬ妖怪はあっさりと踵を返した。

「何よ……やけにあっさり引くのね?」

「ええ、予期せぬ事象に遭いましたので、こちらの伝承に倣い退散するとします」

「よく分からないけど、それがいいわ。でも、召還に魔方陣とグリモワールが必要とか言い出さないでしょうね」

「それには及びません」

 さとりは、列車の降車口へ近付くと、造作も無く扉を開いた。
 吹き込む風も、景色も、轟音も無い、空間のぬかるみの様なそこへ一歩踏み出す。
 暫し、メリーの視線はその背後の空間に引き寄せられた。それは、幾度も目にした空間の歪み……否、境界……否、ここまではっきりとした境界は……!

「ああ、それと」

 思索を断つ様なタイミングで、さとりは振り返った。
 警戒を解いていた事に気付き、メリーも再び蓮子を庇う。

「あまり彼女を怒らないであげてください。貴女との約束を反故にした呵責から、随分思い詰めていたようです」

「そう……貴女にお説教される筋合いはないけど、そこに付け入ったのね?」

「いえ、少し構ってあげたんです。兎は淋しいと死んでしまうと言いますし」

「知ってる。でも、残念ながらそれは貴女の役目じゃないわ」

 その返答に、ええ、とどこか満足したような微笑みを一つ残し、恭しく一礼すると、恐るべき妖怪は虚無の境界と共に向こう側へと姿を消した。


  §


「ほら、蓮子ってば……いつまでめそめそしてるの?」

「だぁぁ……っく、らぁってぇ……ほんとに、こわ、かっら……」

 あの妖怪が去ってすぐ、蓮子は目を覚ました。
 瞬きを数回しただけで、私がここにいる事に驚く間もなく抱き着き、ただ泣きじゃくるだけ。
 正直、どこまで私の知っている事を話したものか、あまり触れても可哀想だし……

「もう、しっかりなさい。怪奇現象なんて怖がってたら、秘封倶楽部なんてやっていけな……」

「ちがぁ、の……っ! わたっ、私、やくそ、く、やぶっ…て、逃げ、ひゃって、メリーに嫌ぁれたって、思っ…ら……こあかったの……しゅごく、っこ、怖かったんらからぁ~……!」

 びしょびしょのハンケチ越しに湿度80%ぐらいの涙声で一気にまくしたてると、また、ぐしゅぐしゅと泣き崩れてしまった。
 私だって怒ってはいたけど、襲われた事よりも私の事を気に病んでいたなんて、(癪に障るけど)あの妖怪の言う通り、蓮子も酷く思い詰めてたんだろう。

「ぐず……ごめ、らさい……メリー……。ほ、とにごめん…ね……」

「ええ、ええ……まったく、それでこんな所まで来るなんて、そんなに私は怖かったかしら?」

「……らってぇ……」

「約束を半日飛ばされたぐらいじゃ蓮子の事は嫌いにはならないわ。そうね、私に嫌われるなら、半年は身を隠してなさい」

 冗談で慰めたつもりが、やだやだ、半日だってもうやだと尚抱きつかれてしまった。
 どれだけ怒ってたって、こんな直球で気持ちをぶつけられたら、いくらでも許せてしまうじゃない……。

「でも、これで分かったでしょう? どんなに隠れんぼが上手でも、メリーさんから逃げ切る事は出来ないって」

「……う、ん……でも、逃げ切れなくて、よかったぁ……」

 頭を撫でてあげると、ようやく人心地ついたのか、ハンケチの中で鼻を鳴らしながら、恥ずかしそうに微笑む。
 いじらしくていじらしくて、もう、思いっきり抱きしめるしかない。

「ねえ、メリー……。でも、どこで……私が逃げたって分かったの? この電車に乗ってるって事は、ずっと付けてたの?」

「ん……ひ・み・つ。でも、蓮子の考えている事ぐらい、私にはお見通しなのよ?」

 奇跡も偶然も怪奇現象も、一先ず役得として私が頂いておこう。
 それにしても、我ながらどういった絡繰りか分からないけど、帰って靴も脱がずソファに倒れ込んだ時と同じ身なりであった事には感謝しなければいけない。
 不貞腐れず、もう少し冷静なまま部屋に帰っていたら、確実にシャワーを浴びた後の格好でこの電車に……ああ、考えたくもない。

「お見通しだったら……もっと早く助けて欲しかったよぅ……」

「ええ、ごめんなさいね……でも、正義の味方は、生半可なピンチじゃ駆けつけられないの……」

 拗ねた横顔の愛しさにもう一度ぎゅっと抱きしめると、小さく鼻を鳴らして甘えてきてくれる……。

 この顛末を知ってか知らずか、ぼそぼそと終点を告げるアナウンスが流れる。
 聞き覚えのある名勝地を冠した駅名が告げられると、改めて蓮子の思い詰めていた深さがよく分かった。

「さて、帰りの電車も無いみたいだし、折角こんなとこまで来たんだから温泉宿でも取って帰りましょうか…………勿論、全部蓮子持ちでね」

「え……わ、私が!?」

「ええ、仕方ないでしょう? どうしてこんな所まで来てしまったと思ってるのかしら?」

「……うぅ、だいじょぶかなぁ、カードの限度額……」

「二周年のお祝いの仕切り直しだと思って頂戴。私も鬼じゃないし、今日の反省会次第では折半も考えといてあげるから」

 財布を覗き込んで溜め息をつく蓮子を見て、これでようやく一段落付いた気がした。
 私だけ飛び入りで、美味しいところを戴いちゃった気がしないでもないけど。

「それにしても、妖怪に襲われるなんて秘封倶楽部として凄い経験だけど、よりによってサキュブスじゃ活動記録にも残しにくいわね」

 書いても精々、官能小説が一本出来上がるくらい……と、良い落とし所を、少し驚いたように蓮子が遮った。

「ちょっと待って、メリー。彼女、サキュブスじゃないわよ? 大体、私の所に夢魔が来るなら普通インキュブスじゃない?」

 あぁ……何か少し引っかかると思ったら、それだ。
 蓮子を襲った相手がサキュブスである事を俄か確信していた私も私だけど。

「じゃあ、何だったの? 彼女……」

「知らなかったの!? サトリよ、サトリ! ほら、人の考えてる事を読んじゃう妖怪!」

 必要無さそうな説明をくれたのは、私が軽く放心していたからだろうか。

「ええ、サトリは知ってるわ。サトリ…………ふ、ふぅん、そうだったの……」

「そうよ! 思ってる事、ぜーんぶ読まれてて……その……本当に怖かったんだから!」

 はっきり向かい合ってたのは、ほんの十分ぐらいだったけど、当然、あの間も私の思っている事はまるっとお見通しだったのだろう。

 私があの時思った事を読んで、納得して帰ったのだったら……あの、笑みは…………

 ……ああ、なんて事……二度と会わない保証もないのに……

「ねえ、メリーも何か心を読まれたんじゃ……」

「蓮子! その……前言撤回するわ。今日は全部私が持つから、出来るだけいい宿を取って、美味しい地酒でも頂きましょう。なんか、色々忘れたい気分……」


  §


 二人の乗る列車に僅か並走する境界線上を、ヂーゼル列車も及ばぬ時代錯誤な蒸気機関車が走る。
 がらんとした客車の一車両に、座する影二つ。

「お楽しみ頂けたかしら? 『日帰りで行く、外界伝承還元ツアー』は」

「ええ、とても……終始貴女の掌の上で踊っている感覚は抜けませんでしたけど」

 ある程度の顧客評価に、八雲紫は幾度か得た様に頷く。
 それはツアーコンダクターとしての満足か、演出家としての満足か……さとりは敢えて探る事無く目を臥せた。

「その割には、兎狩りに夢中だったようにお見受けしましたわよ?」

「否定はしません。元より疎遠だった人間に……あまつさえ外界で接するなど希有な事、その上妖怪としての本懐が成せるなら、堪能しなければ罰が当たります」

 理性有る地上の妖怪などは、ある程度宜しくやっているようだが、旧地獄など妖怪ですら寄り付かぬ世界に籠り続けていれば、本能が疼きを溜め込んでしまう。
 何故、八雲紫が自分を、外界を、そしてあの少女を選んだのか、腑に落ちない部分は多かったが、時には好奇心と欲望に身を任せる事も悪くはないかと申し出に乗った次第だった。

「それにしても、獲物のお持ち帰りは自由でしたのに、どうしてリリースされたのかしら?」

「どうして、とは? 割り入ってきた少女は、貴女の差金では…………成る程、不確定要素という訳ですか。ええ、確かに単純な人攫いなら敢えて外界で催す必要もありませんね」

「質問の間に、一人上手を挟まないでくださる?」

 成立しない会話に、不満を露骨に表情に出しながら紫はそれを遮る。

「失礼。ですが口にした通りですよ……邪魔さえ無ければ彼女を籠絡させるつもりでしたし」

「でしたら、尚更ですわ。邪魔が入ったとは言え、貴女ならあの程度何でもなかったでしょうに」

「そう、気になったのは、あの少女です。彼女は、一体…………」

 第三の眼が見つめる先が、瞬きの刹那忽然と行方を無くした。
 寸前の意識から察するに、境界の向こうに身を置いたか。

「なるほど、そこは企業秘密と言う事ですか。いえ、無理には探りません」

「お察し頂き光栄ですわ。苛々も察して頂けると尚有難いのですけど」

 それは失礼……ようやく溜飲が下りたか、出所の分からぬ声に向け慇懃に詫びると、車窓から下界を見下ろす。

「ペット好きには、ペット好きなりのモラルがあるんですよ」

 モラルなどと、どの口が利いたものかと野に帰った兎は噛み付くか知らん。

「最初は演出のつもりだったのですが……闖入した彼女にまで、ああも心中で主張されては、私も引かざるを得ないところです。ええ、曇りの一片もありませんでした……」

 目下で、今や終着駅に到着する列車を眺め、さとりは可笑しそうに呟いた。


「『蓮子の飼い主は私よ!』……と」
懲りもせず、お目汚し失礼致します。

前回の反省から、色事の描写を濃くしようと苦心した結果、逆に至らぬ点が明け透けになってしまった気もします……。
色々と勝手な解釈まで挟まってしまい不安な部分が多いのですが、無作法や間違い等がありましたら、ご指導下さい。

----

皆様、ご感想ありがとうございます!
正直、蓮子の可愛がり一点突破にしても、くどい味付けをしてしまった気がして
投稿後も気を揉んでいたのですが、本当に嬉しい限りです。

また折がありましたら、この感覚を忘れないよう精進したく思いますので、宜しくお願いします。

http://www.cx.sakura.ne.jp/~serenity/
コメント




1.名前が無い程度の能力削除
れんこかわいいよかわいいよれんこれんこれんこ…………
2.名前が無い程度の能力削除
おもしろかったです。蓮子がじつにかわいらしかったです。
3.名前が無い程度の能力削除
こんなにかわいい蓮子ちゃんならペットにしたくなってもしかたありませんね……
4.名前が無い程度の能力削除
うおおおお!
さっさと結婚しろー!!!
間に合わなくなっても知らんぞー!!!!
5.名前が無い程度の能力削除
お、おちがかわいいかわいいかわいいメリーもかわいいじゃないかなんだこの二人かわいい……っ
ごちそう様でした!
6.名前が無い程度の能力削除
うぉおおおおおおおおおあああああああああ!
・・・ふぅ。
7.名前が無い程度の能力削除
うさぎれんこっていうよりうさみわんこってかんじでした
8.名前が無い程度の能力削除
面白い!
9.名前が無い程度の能力削除
さどり様のエロさに絶頂してメリーさんのかっこよさに絶頂して蓮子のかわいさに絶頂して物語の〆に絶頂しました。ベトベトだよこの野郎
10.性欲を持て余す程度の能力削除
れんこのかいぬしはメリーだね