真・東方夜伽話

予期せぬ来訪者(2)

2011/10/11 19:00:44
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予期せぬ来訪者(2)

あか

--前書き--
予期せぬ来訪者(1)の続きです。ご了承ください。
--以上前書き--


「う~朝食朝食!」

今朝食を求めて朝の空を全力で飛んでる私は、
年末をずーっと図書館詰めで過ごしていて、気がついた時には既に年を越してしまっていたごく普通の魔法使い。
強いて違う所を挙げるとすれば本当は朝食というよりは御馳走目当てであるってことかな!
名前は霧雨魔理沙だ。
そんな訳で、年明けの挨拶位はとりあえず済ませておこうと博麗神社にやってきたのだ。
ふと見ると縁側に霊夢が……あれ、居ない。

「……おっかしぃなぁ。もうこの位の時間なら縁側に出てぼーっと朝日でも見てそうなんだけどなぁ。」

縁側から庭へと降りる部分に積もっていた雪からすれば、出て来た様子は無い。
それどころか、居間からすら人の気配を感じない。

「まだ寝てるのか?」

靴を脱ぎつつ箒から降りて、倒れたりしないよう箒を立てかけ居間の様子を改めて窺って見たが、
耳を当てても音すらしない。美味しそうにお茶を飲み下した音すらしない所からすれば、
やっぱりまだ寝ているのだろうか。とすれば……?朝御飯は期待できないか。残念だ。
まぁ、いいや。朝御飯は用意されてなくても、食べ物が無い訳じゃないだろう。

溜息を吐きながら居間へと入ってみると、灯りがつきっぱなし。
単純に居間に居なかっただけか。とすれば、台所で準備中か?と思い、
よいしょと炬燵の裾に足を差し込んでみたが……冷たい。ということは寝てるな。
霊夢がここの準備をせずに台所なんてことはあり得ない。灯りも消えそうな所からすると、
これは夜更かしでもしてたか。そう考えているとふと隣の部屋からもそもそと布の擦れる音が聞こえた。
隣は寝室だ。ちょっとくぐもった声も響いた所からすれば、今起きたんだな。

「よう!霊夢。明けまして……」

起きたなら挨拶を済ませてしまおう。そう思って襖を開けた私であったが、
足元に目線を下げれば布団から裸の上半身を起こしてこちらを見上げ、
きょとんとした表情を浮かべる金色の髪の女の子と眼が合った。だ、誰だ?
こんな所に居そうで金髪なのは……いや、全員顔が違う。
でも見た事が無い訳でも無い顔だ。……どこかで見ているはず。
金髪で……羽も、あって。……お布団の横のあの服。
そこまで見てやっと気付いた。妖精だと。春になると現れるあの。
……ああ、ついに霊夢も妖精に手を出したか。なんという業の深さ。
昨日は大みそかだってのに、煩悩がどうだーとか全く考えなかったのか?
いや、あれか?これは霊夢の新年の新しい迎え方なのか?
そうだ。きっとあれだ。『迎春』という言葉を文字通りやったんだろう。
それ以外に思いつかない。説明が出来そうにない。ああ、落ちつけ私。うん。
そう、深呼吸だ。こういう時には1にも2にも深呼吸だ。
被っていた帽子を少し深めに被りなおして、一度溜まっていた息を吐ききった所で思い切り吸い込んだ。

「……うぅっ!」

とっても、甘い匂いがした。全く同じとは言えずとも、覚えのある匂い。
ちょっと疲れを感じさせるようで、でも濃厚で。頭の中をぐるぐるさせる匂い。
何だか、あれだ。相当強烈に不味い所に私は入ってきてしまったのではないか。
だって裸だぞ。ちらって許可なく見ちゃいけ無そうな所も見えたぞ。
あぁあ!こんな私が困っているのに霊夢は未だに起きないし……いやこれはこれで好都合か。
下手に起きてて機嫌が悪かったりしたら、このまま私は部屋の隅に無言のまま追い込まれそうだ。
よし、こういう時は帰ろう。出来る限り、自然に。自然にな。うん。

「あー。うん。」

でも言葉が出てこない。

「私は、何も見なかったから!」

取り繕う言葉もまともに出やしない。というか、さっきから霊夢が少しだけもぞもぞしてるけども
これは起きているのか?まだ寝てるのか?どっちだ?
……まだぎりぎり寝てるか。寝付きは凄く悪そうだが。

「私はきっと今日……また、遅れてくるから。うん。」

襖に指をかけて、ゆっくりと閉める。
うん。私は何も見なかった。見なかったんだ。霊夢が見ていないのだから、私も見ていない。
そう、見ていない。そういう事にしておく。

胸の中に溜まっていた息を吐きだし続けながら、炬燵の上にあった蜜柑を二つ手に取った。
……甘ったるい胸の中と頭の中をもうちょっと爽やかにしたかったから、
残ってたの結局全部とっちゃったけども。あ、後で何かしら償えば良いだろう。これは。
二つ取った蜜柑を帽子の中に仕舞って、そそくさと部屋を後にして。
立てかけていた箒に急いで跨り靴を履いて。
もう一度深呼吸し直すと、地面を蹴って私は飛んだのだった。



~~


「あー。うん。私は、何も見なかったから!」

目が覚めた時、見た事あるような無い様なお姉さんが目の前に立ってて。
色んな表情をしてた。そんな事を言ったのはそれから少しして。
ぐしぐしと帽子を被りなおした白と黒のお姉さんが襖を閉めて行ってしまった。
明るかった部屋が一気に暗くなった。

ぼーっとする頭で横を見れば、まだ霊夢さんは寝てた。……何だか少し苦しそう。
どうしちゃったんだろう。というか、昨日私は何をしていたんだっけ?
頭が回らない。そう思って溜息を吐き何だか寒いと自分の体を見た所で
昨晩の記憶が一気に頭の中に戻ってきた。

かっと顔が熱くなった。
私なんて事したんだろう。
あぁでもちょっと……楽しかったけど。
いやそれより。……それより!

「見、見られた……!」

顔がどこまでも熱くなる。そんな顔を押さえようとしたら、
背中にかかっていた布団が少しずり落ちた。横で寝ていた霊夢さんがそれに気づいたのか

「おは……よう。」

目を覚ましたのだった。



~~



「私はきっと今日……また、遅れてくるから。うん。」

何だか魔理沙の声が頭の中に木霊する。嫌な響き方だ。頭の中を文字通り跳ねているような。
そうか、遅れてくるのか。遅れて、どこに来るんだ?まぁいいや。……寒い。襖を閉めて欲しい。
入ってくる風が冷たい。さっきまであったかかったはずなのに。

そんな事を考えていたら、襖の閉まる音が頭の中に響いた。
目を開ける。……うっすらしか開けられない。見慣れた世界がぐるぐる回ってる。
開けているだけでどんどん疲れてくる。こんな回る世界もまた、見慣れてはいるんだけど。
溜息を吐けばお酒の匂いが舞った。……この感覚は、あれだな。
私としたことが、二日酔いか。私も酔い止めを服用しておけば良かったか。

「見、見られた……!」

こっちのリリーには飲ませて……飲ませてないや。忘れてた。
結局昨日はお酒飲んだ後まっすぐこっちの部屋に来ちゃったから、飲ませてないんだった。
ちょっと舐めてた。お酒も、彼女も。
それにしても……何を見られたのかしら。魔理沙が来てたって事は……あぁそうか。
見られたのはこの状態か。

「おは……よう。」

彼女に向かってそう声を投げれば、声と一緒に出たお酒の匂いがまた頭の中をかき回す。
自分の飲んだお酒の匂いは勿論の事、葡萄酒の匂いもぐるんぐるんしてる。
まるで迎え酒をしてる気にすらなってきた。

「おおおはようございます!」

元気な彼女の返事がギンギンに頭に響く。
直接耳元で叫ばれたような破壊力だ。
悪気が無いのは分かってるけど、大きい声は響くのよ。頭に。

「あぅ……えっと、ごめんなさい。」

しょんぼりした声で彼女が続けた。もしかしたら思った事がそのまま口から出ちゃってたのかしら。

「良いのよ。ちょっと、お願いがあるんだけど。」

とりあえずこの気分はどうにかしなきゃ。薬でも飲まないと。
あぁでも何も食べずに薬ってあんまり良くなかったんだっけ。
自分で使うとは思ってなかったから……説明書きに何が書いてあったかあまり覚えていない。
後の祭りだわ……。まだ宴会始まってすらないのに。まぁ嘆いてもこの痛みは治まらない。

「湯のみと水を汲んだ薬缶を持ってきてちょうだい。」

彼女の声がした方向にそう投げかけた。
目を開けようと頑張ってみても瞼が反抗期の子供のように言う事を聞いてくれない。

「は、はい!……あ、ごめんなさぃ。」

彼女が緊張したような返事をしてすぐに部屋を出ていって。そしてすぐ戻ってきた。
布が擦れる音がする。あぁ、そういえば裸だったんだっけ。私も、か……。
また逆様に着たりしてないだろうか。そんな事を考えていたらどうやら着替えは終わったようで、
襖の開く音が頭の中に響いた。

襖をまた開けっ放しにされたから、肌寒くって。
一人しか入っていないかけ布団にぐるりと丸まった。
布団の中で一度深呼吸したら、妙に濃い匂いにまた襲われて。
仕方が無いから顔だけまた出したのだった。
幸い直接外と居間の間が開いてないからか風という風は入ってこなかったけれど、
顔に当たるひんやりとした空気だけはちょっと爽やかな肌触りだった。

「くしゅんっ」

寒い事には代わり無かったのだけど。……ちょっと心地良かった。



ふっと視界が暗くなったのを感じた。
僅かな時間を置いて、すーっと襖がゆっくり閉まる音も聞こえた。

「持ってきました。あの、大丈夫ですか?」
「大丈夫って返したいけど、大丈夫じゃないわね。あんまり。」

頑張って目を開ける。相変わらずぐるぐるする視界であったが、
さっきまでのそれに比べたら少し楽で。私の前で心配そうな目を彼女がこちらに向けているのが目に入った。

「か、風邪ですか?」
「いいや。これが二日酔い。」
「わ、私はならなかったみたいです。」
「それは何より。……お酒強いのかしらね、貴女。」

あんな飲み方したら弱い人ならそのまま後ろ向きにバタンと行ったとしてもおかしくは無いのだ。
強かったとしてもあんまりしたい飲み方ではない。

「水くれる?」
「はい。」

持ってきていた薬缶の水がこぽこぽと音を立てて湯のみに注がれて、
彼女が両手でそれを差し出した。ふと巻きみたいにぐるぐるに包まっていた布団から両手を引き抜くと、
彼女の差し出したそれを受け取った。勿論両手だ。手元が狂って布団にぶち撒けでもしたら後が困る。
……うん、湯のみが凄く冷たい。という事はやはり水も冷たいのだろう。でも仕方が無い。

目を閉じて、一度深呼吸してから貰っていた湯のみの中身を一気に喉の奥へと流し込んだ。
冷たい鉄の塊を直接肌に押し付けられたようなそんな感覚が体の中を襲って、
思わず身震いしたらあったかな感触が布団の上から私を包んだ。
……この感じは、彼女の腕かな?

「……冷たい、ですよね。」

耳元で呟かれた彼女の言葉。それでも今は貴女のお陰でちょっとはマシだ。
出来ればもうちょっとこのままで居たい。でもあまりそうしてると彼女に迷惑がかかる。

「もう一杯貰って良い?」

私が湯のみをちょいと上げれば、彼女が頷いて注いでくれて。
もう一度、今度はゆっくりと胃の中へ落として行った。



「ふぅ。」

少しずつ頭もちゃんと回るようになってきて、それからゆっくりと目を開けた。
彼女は私の眼の前でじっと正座のまま薬缶を握りしめていて、
ただ真っ直ぐに私を見上げていた。

「あぁ、ありがとう。」

次は……薬か。でもまずは薬を飲む前に何かを胃の中に入れないと。
確か炬燵の上にまだ蜜柑が残ってたはず。あれでも入れようか。

「炬燵の上にまだ蜜柑残ってると思うんだけど、それを持ってきて貰えるかしら。
あぁ、出来たら布団に汁飛んで欲しくないから、剥いてきてくれると嬉しいんだけど。」

見上げてた彼女がぶんぶんと顔を縦に振って、薬缶を置いて部屋を出て行った。
その背中を閉じ切らない襖からぼーっと眺めていたが、すぐにおろおろした様子になって
私の方を振り返った。

「み、蜜柑が無いです。」

あれ。昨日寝る時は二人で1つずつ食べられそうな位は残ってたと思うんだけど。
あぁ、魔理沙が持っていったのかな。どうせ朝食代わりにでもしたんだろう。

「あぁ、じゃああれ使って良いから。あれで、お願い。」

ついっと、部屋の中の板の間に飾ってあったそれを指さした。
もう蜜柑と言えばあの鏡餅の上のそれしかない。
……ちょっと気が引ける所は、あるのだけど。

彼女が板の間の蜜柑を手に取って、いそいそと炬燵の部屋に戻ったかと思えば正座して剥き始めて。
真剣にやってるなぁと思いながらふと思い出したのは、確か柑橘系とお薬はあんまり
一緒に摂るべきじゃないってお話だ。でも、もう今更だ。
剥き終わった彼女の満足げな顔が既にこっちに向いていて、部屋に戻ろうとしている。
まぁもしも体調を崩すとしてもせいぜいお腹を壊す位だろう。……いいやもう。頭痛に比べたらマシだ。
最初っから彼女に料理でもさせれば良かったのかもしれないけど、
もしもの事があったら今の体調で満足な事をしてやれる気もしないし。うん。

「はい。どーぞ。」

彼女が剥いた蜜柑を手に持ったまま私の前に座って、房からとった1粒を顔の前に差し出した。
そのまま蜜柑の柔らかい実で唇を突かれたので、それを直接受け取って。
甘さを噛みしめながら飲みこめば、それを見た彼女がまた1粒手にとって唇を押した。
……かつて紫に聞いたわんこそばなる食べ物をふと、思い出した。

「貴女も減ってるんだったら食べても良いのよ?それ。」

残りはもう2粒になっていたけれど、
それだけ告げれば彼女が1粒だけ唇に咥え、残りの1粒をずいっと差し出して。
差し出されたそれを食べようと口を開けば、きゅっと彼女が顔を近づけて、
私の唇の間に彼女が咥えていた1粒を置いてった。ぽかんと口を開けてしまった私のそこに、
手に持っていた最後の一つまでそっと置いてって。

「良いの?」

そう尋ねれば彼女が笑って。……そしてお腹を鳴らした。

「まだ、大丈夫ですから。」
「……ありがとう。元気になったらちゃんと作るから。……じゃ、次にえっと。あっちの炬燵の部屋の隅に
ちっちゃな箱を出してると思うんだけど。あぁ、あっちの方ね。それを持ってきてもらえるかしら。」

大体の大きさを手で示して、方角を指差しながらそう言えば彼女がまた頷いて部屋を出てって。
よいしょという声が下かと思えばすぐに戻ってきて、私の前に腰を下ろした。

「これで合ってますか?」
「うん。それそれ。」

受け取った箱を開けて、薬を漁って行く。
よっぽど用の無い薬はそもそも頼んでも無いし、ここにあるのは良く使う薬ばかり。
……まぁ使うのは私じゃなくてここに来る客がそのほとんどなのだが。
お陰さまでどこにどんな薬が入ってるかはちゃんと把握できてる。
箱の中から昨日使う予定だった酔い止めを取り出して、それを口に含んで。
湯のみの中の水を……水ないや。お願い、注いで頂戴。

「あ、はい。」

……うん。ありがとう。

「……ふぅ。」

相変わらず苦い。でも、苦ければ苦い程懲りるから良い。
後はまぁ、次第に治るだろう。とりあえず今日はゆっくりしていようか。
そうだなぁ。後は汗をかけば少しは醒めやすいんだっけ?
だとしたらあそこが良いか。昨日の夜はああいう事もしてるんだし。

「よし、リリー。温泉に行きましょうか。」

布団の傍に積んであった自分自身の服に袖を通して、裸だった自分の体を包んでく。

「大丈夫なのですか?」
「うん。」

心配そうに返す彼女の言葉に立ち上がれば、ふわっと一気に視界が回って。
倒れかけた私の体を彼女がぎゅっと支えてくれた。

「あ、危ないです。」
「……情けないものね。」
「そうだ!」
「うん?」
「私が抱っこします!」

そう言って私の体をぎゅっと抱いて、羽をぱたつかせる。
まぁ私も飛べない事は無いから、本当は浮いたままの状態で
手を引っ張って貰うなり紐で引っ張って貰うなりしてくれれば最低限それだけでも良いのだけど。
でもまぁ、彼女がそうしてくれるというのは中々に興味があって。
私は彼女の首に手をかけると、そのまま体を預けたのだった。
……勿論彼女の体に負担をかけないように飛んではいる。
きっと全部体重を預けてしまうと彼女がバテてしまうから。

「れ、霊夢さんってこんな軽かったでしたっけ。」
「本当はもっと重いわよ。さ、着替え持ったら行きましょうか。」
「……あったかいですね。」
「……そうね。」

自分よりちっちゃな体のこの娘にお姫様抱っこされるというのは、
中々に愉快なものだ。顔は近いし、ちっちゃな手で放すまいとぎゅっとしてくれるし、
あったかいし、楽だし。ちょっと持ちづらいみたいだけど、
私としては凄く凄く快適で。私が笑えば彼女も笑ってくれた。

「あーあー。もう起きたか?」

着替えを準備しないと。そう思い彼女に着替えのある場所まで歩いて貰おうとした所で、
パンって音を立てて襖が開いたのだった。

「あー……あー。」

魔理沙がそこに立っていた。



~~



うーむ。何だったんだ。あの、あれは。
そんな事を里へと向かいながら蜜柑を頬張りつつ考えてた。
うん。やっぱり『迎春』の新しいスタイルだって事以外に浮かぶものがない。
きっとそうなんだ。やっぱり。

この前まではクリスマスムードだった里は今はもうお正月。……忙しいな、ここは。
お店の前を通ってみれば福袋だのなんだのと盛り上がっている。
でもまぁ、私はそんなのには興味が無いんだ。中身が分からないから。
欲しいものは自分の眼で一度あらためておきたい。

……ぉぅ。良いキノコがあるじゃないか。これは買いだな。
うん?あ、あれだよ。蜜柑のお代は何かしらで返さないと後が怖いんだ。
食べ物の恨みっていうのは人が思っているよりもずっとずっと深いからなぁ。
……なぁ、そろそろ戻っても良いよな?もうちゃんと起きてるよな?



買ったキノコを袋に入れて貰って、再び戻ってきた神社。
縁側にまた箒を立てかければ、さっき来た時よりはずっと物音がしてた。
良かった。ちゃんと起きてる。えーっと……さっきの言い訳はどうしたらいいものか。
いや、良いか。悪い事はしてない。してないはずだ。……蜜柑を勝手に持って行っちゃった事以外は。
代わりのキノコもあるしな!うん。
そう思って静かに居間へと入って、私はそのまま物音してた寝室の襖を開けたのだった。

「あーあー。もう起きたか?」

出来る限り元気に、何事も無かったかのように。
そのつもりで言ってはみたのだが。……目の前にあった霊夢の顔は
とてもとても気まずそうな顔をしてた。

「あー……あー。」

しかもなんで、お姫様抱っこされてるんだ?
なんでリリーがお姫様抱っこしてるんだ?逆だろ?せめて。お前自分の身長と体重を考えろよ。
いや確かにお前の体重は結構軽い方だと思う。でも、違うだろう。
いや、これも何かの新しいスタイルなのか?あれか?姫はじめか?
姫はじめの新しい手法なのか?でもあれって明日じゃなかったか?
時代を先取りして未来に生きてるのか?はたまた、私が日付を間違えてて今日は2日だったのか?

「あーうん!やっぱり私は何も見なかった。見なかったから、その。後は……楽しんでくれ。」



~~



なんてタイミングで魔理沙が現れるんだ。
すっごい居た堪れないという顔をして。

「あーうん!やっぱり私は何も見なかった。見なかったから、その。後は……楽しんでくれ。」

しばらく考えた後、そう言いながらくるりと背を向けて帰ろうとした魔理沙。
一体どんな早合点をしたんだ。今間違いなく誤解しただろう。
眼は泳いでるし、なんかぼそぼそ姫はじめがどうとか言ってるし。

「ちょっと待った!」

ここで魔理沙が逃げて変な噂になって広まる前に何とかしないと。
そう思って急いで身を乗り出して魔理沙の肩を必死に掴もうとした所で

「はぅあっ」

そんな悲鳴が私のすぐ後ろから聞こえたのだった。
しまった、とすぐにそう思ったが……もう遅かった。
気を完全に逸らしてしまっている内に体重を完全に預けてた。

悲鳴と同時に糸が切れてしまった人形のようにがくりと膝が折れた彼女の体。
支えようにも、そもそも私の体を支えてくれていたのが彼女だ。
だから、私は必死に抱きついたまま浮かせようとしてみたけれど、
力の無い彼女の体は思っていたよりもずっとずっと重くて。
支えきれずに床に落ちそうな体を魔理沙が受け止めたのだった。

「だ、大丈夫か?」

急いで彼女の体から降りて、二人で彼女を座らせて。
かけられた魔理沙の言葉には彼女がぷるぷると小さな顔を横に振って答えた。
ぱくぱくと口は動いているけれど、あの悲鳴以降何も声が出ていない。

「無茶させるなぁ。」

そんな事を魔理沙が呟いてにらみ返せば、いつの間にやら部屋の中の薬箱を漁り始めていて、
湿布薬を取り出したかと思えばそれをこちらに投げて寄越し、今度は戸棚を開け始めたのだった。

「あーもう。氷嚢は?」
「……反対側の戸棚の奥。」
「腰のあたりが出るように脱がせて……いや、寒いか。まぁ任せる。」

私の言葉にさっさと氷嚢を取り出したかと思えば、そう言い残して庭の方へと出て行った。
氷室なんてここには無いのだけどと思っていたが、
庭の雪を削る音がしたからおそらくはそれを詰めているのだろう。
私は彼女を布団の上へとゆっくり移すと、寝かせてスカートを少しずり下げたのだった。



「……おぅ。可愛い下着してるんだな。」
「……うるさい!」

彼女の顔の下に枕を差し込み待っていれば、少ししてパンパンにした氷嚢を持った魔理沙が戻ってきて。
部屋の入り口で止まって出したそんな言葉に私は思わずそんな言葉を返した。

「いや、お前には言ってないって。なぁ?リリー。痛いのどこだー?ここかー?あー、頷くだけで良い。」

私の返した言葉なんてまるで気にして居ないようだ。スカートをずり下ろした彼女の横に腰を下ろすと、
氷嚢を彼女の腰の上へとゆっくり置いてそんな事を言った。
恐らく冷たかったのであろう。彼女の足がぴんと延びた。……ほんの、一瞬のことだったが。
魔理沙が顔色を窺いながら、氷嚢の位置を少しずつずらして。
ぐっと頷いた所で、魔理沙も小さく頷いてそっと手を放した。

「うん。まぁ、しばらくは冷たいだろうけど我慢な。で、霊夢。落ちつけ。」
「落ちついて……」

……無いわね。

「あんたこそよく落ちついているものね。」

そう返せば魔理沙がじっと私を見た後上着と服を何枚か捲った。

「私もつい先日やったからだ。」
「……あぁ、成程。」

そこには薬箱の中で見た事あるような湿布がぺたりと張られていた。

「まあ、今すぐ治るとは言わんがな。すげえ効くのは効くから。」

めくっていた上着を下ろして魔理沙が続けてそう言えば、
未だに枕に顔を埋めたままの彼女が

「温泉……。」

ぼそりとそう呟いたのだった。

「温泉?」
「に、行こうとしてた所だったのよ。今からね。」
「あぁ、そうなのか。そりゃ中止だな。」

あっさりと魔理沙が言ってのけてしまったので、
彼女のしょんぼりした顔がもっとしょんぼりした顔になった。

「霊夢、昼飯まだなんだろ?」
「朝も昼も食べちゃいないわよ。……って、お昼なの?」
「あぁ、時間的にはもうお昼ご飯の準備をしてても罰は当たらん位だな。
お前ら本当に寝てたんだな……。霊夢にしちゃここまで寝てるのは珍しいと思うんだが。」

魔理沙が愉快そうに呟く。

「二日酔いしてたのよ。」
「あぁ、それで。で、まだなら台所借りるぞ。」
「いや、私が作ってくる。」

さっき彼女に御飯を作ると言ってるし、あんまり沢山は無い材料を使われては困ると
私が立ち上がろうとすればすっと魔理沙の手が伸びて、
『看てろ』と、ただそれだけを口の動きだけで言われて。
仕方なく座れば、にっと笑った魔理沙が立ち上がってそのまま台所の方へと向かってった。

「……ごめんね。」
「……ごめんなさい。」
「また、明日。行こうね?」

新年早々に情けない事ばかり起きて。
とても頭が重かった。



魔理沙がお昼ご飯に用意したのはおにぎりと茸のスープだった。
茸を食材としてとって置いた覚えは全く無いが、現にこうして出てきたという事は
魔理沙がきっと持って来たのだろう。たまには気が利くというか。
……あぁでも思えばこいつ蜜柑持って行ったのよね。憶測だけども。
いや……まぁ色々差し引いても魔理沙を責める事は出来そうにない、か。

「湿布は貼ったか?」

彼女が立ち上がれそうにないからと、そのままお盆ごと寝室に持って入ってきた魔理沙が
最初にただそれだけを私に尋ねた。既にもう氷嚢の中身は雪から水へと戻っていたから、
さっきそれを下ろして拭いた後貼ったばかり。私が頷けば魔理沙も頷いて腰を下ろした。

「座れそうか?」
「……大丈夫です。」

魔理沙の言葉によたよたとしながらも、彼女がよいしょと体をひっくり返して。
結構痛そうではあったけれど、私に向かって笑顔を返すと私に掴まりながら上半身を起こした。

「よーしよし。ほら、霊夢。」

魔理沙がスプーンとスープの器を私に手渡した。……思っていたよりも熱い。
しかし、ほらってなんだ。ほらって。

「じゃあ私はあっちの部屋で食べてくるからさ、任せた。」
「一緒には食べないのですか?」

魔理沙がにやりとしながら、親指を立ててすっと立ち上がった。
私に渡したそれと同じ物を持って立ち上がると、炬燵の部屋の方へと歩き始めて。
その背中を少しだけ見つめていたリリーだったけれど、
不思議そうな顔をすると首をかしげながら魔理沙にそう尋ねたのだった。

「え?あぁ、えっと……食べたい?」
「食べるなら一緒の方が……だっておにぎりはここにありますし。」

リリーに指摘されて、若干魔理沙の顔が苦いものになる。

「あぁ、そうだった。……うーん。お言葉に甘えようか。」

でも少しして溜息をついてそう言うと、笑いながらまた部屋に戻ってきて腰を下ろした。

「じゃ、食べるか。」
「いただきます。」
「おう。私の特製だからな!美味いぞ。」
「あんた、元気そうね。ほんと。」

リリーの方に向かってにっと笑いながらそう言った魔理沙に、少しばかりの嫌味も混ぜてそう言えば

「お前の元気が足りねえんだよ。ほら、これじゃリリーの方がよっぽど元気じゃねえか。」

そんな事をすぐに言い返されてしまって。……反論出来なかった。
貰っていたスープを膝の上へと一旦置いて、自分の顔をちょっと叩いて気合いを入れて。
改めて器を手に持って彼女のすぐ横に座り、貰っていたスプーンで掬うとそれを差し出したのだった。

「ふぇ?……あ!……うぅ。」

差し出したスプーンを見て戸惑う彼女の顔の後ろで、
魔理沙がニタニタ笑いながら私の顔を見ているのがどこか腹立たしかったりして。
私がずいっともう一度差し出せば、少し顔を赤くしながらも彼女がぱくりと咥えこんだ。

「あふっ。……んぐ。あ、甘いですね。これ。」
「んぁ、熱かったか。じゃあ、あれだな。霊夢にふーふーして貰えば良いんじゃないか?」

私が日頃出す物よりも熱かったから少し心配したけど、何とか食べて飲みこんで。
そんな感想を漏らした彼女を冗談めかして魔理沙がからかった。
彼女は顔を赤くしてぷいと顔を逸らしたけれど、
どうやらそれがまた腰にまで響いたらしい。ぴたっと石のように固まってた。

「……無茶はしないで霊夢を頼れ。な?」
「……はい。」



二人で茸スープを半分程食べた所でおにぎりに皆で手をつけ始めたが、
彼女はと言えばおにぎりを手に持ったままちょっと戸惑っていた。

「ねえ、魔理沙。」
「あぁ?」
「具、何入れた?」
「用意が面倒だったからここにある漬物を使ったが。」

手に持っていたおにぎりを頬張りながら魔理沙が答える。

「梅は?」
「入れたよ?……ほら、私が今食べてるのなんか丁度それだな。」

持っていたおにぎりをくいっと私に見せる。かじられた梅干しの一旦がそこにはのぞいていた。
そしてちらりと彼女の持っていたお握りを見てみれば……いかにも梅干しを擦ったような
赤い色合いが握られたご飯粒の周りにあって。彼女が私の顔を見上げて顔を赤くした。

「何個あるの?」
「んぁーっと。2個だな。私が食ってるこれを除いて後1個。なんだ、梅干しは苦手だったか?」
「い、いえ。苦手と言う程では。」
「霊夢の漬けた奴、すっげぇ酸っぱいだろ。」

否定するのに必死になってお握りを持った手をぶんぶんと振っていたが、
魔理沙がそう尋ねると、ちょっとだけ申し訳なさそうに首を縦に振った。

「……はい。」
「無理すんな。あと、霊夢。」
「うん?」
「リリーが持ってるそれが丁度もう片方の梅だ。……ほら。」

恐らくは種があるのだろう。コロコロと音を口の中で立てながら魔理沙がリリーのおにぎりを指さした。
ちょっとだけ身を乗り出して魔理沙側の方からそのおにぎりを見てみれば、
彼女の指に隠れた御飯の奥に赤い物が見えた。大きさ的にも結構なものが埋まっていそうだ。

「代わりに食べようか?」
「今ならあーんってやれば霊夢が食べてくれるぞ。」
「……だ、大丈夫ですから!」

結局二人して止めたけれど、彼女はそのおにぎりにかぶりついた。
少しの間咥えたまま止まっていたけれど、少ししてやっぱり涙をぽろりと流した。
でも流石に2回目ということもあってか、前よりは落ちる涙も少ない。
頑張って食べて飲みこんだ所で、魔理沙が嬉しそうにその頭を撫でた。

「まぁ、あれだな。嫌いな物が減るのは良い事だ。……少しずつ慣れりゃ良いんだ。な?」
「が、頑張ります。……あと、嫌いじゃないです。」

……そこは頑なに否定するのね。



最後のおにぎりも食べ終えて、皆して息をついてたお昼過ぎ。
スープがかなり熱かったからか、炬燵の外だけど体はぽかぽかとしてた。
そのお陰もあってか、怪我と食事でどうやら疲れたらしい彼女はうとうととしてて。
結局私と魔理沙の二人で彼女の体を布団に寝かせると、起こさないように
寝室から居間へと引き上げたのだった。

「さて、少し説明して貰いたいもんだが。」
「あの娘の事?」
「ああ。……一瞬紫が縮んでたのかと思った。」
「……紫はずっと見てないわ。」
「そうか。」

二人で入った炬燵。ずっと寝室に居て準備もしてなかったからいつもよりずっと冷たい。
だから温まり始めるまでは二人とも足を伸ばさずに座ってた。

「あの娘の家が、どうも雪でやられちゃったらしいの。」
「ずっと私はパチュリーの所に居たから直接は見てないが、結構な雪だったそうだな。」
「らしいわ。ここはそうでも無かったんだけど。」
「それで、かくまう代償として体で支払わせてるのか?」
「……それは違うわ。」
「そうだな。」

そこまでは冗談交じりに笑って聞いていた魔理沙がそこで言葉を止め、
急に正座し帽子を脱いで身を乗り出したものだから、
私は何か聞こえちゃまずい大事な話があるのかと思い同じように身を乗り出した。

「なぁ、後で謝っておいてくれないか。」

魔理沙が言ったのはそんな言葉だった。

「何故?」
「今日朝一度ここに来てるんだ。その時にな、いきなり襖開けちまったもんだから、みちまったんだ。」
「何を?」
「裸。」
「自分で言えば良いのに。」
「いや、何ていうか。……言いづらい。凄く。」

指先で脱いだ帽子を弄っていた魔理沙だったが、苦い顔をしながら今度は帽子をぎゅっと目深に被って。
軽いいたずらのつもりが重たい事態になってしまった時の子供のような、そんな視線を私に投げかけた。

「ああいう子に嫌われるかもしれないって考えるとな、結構へこむんだよ。」

常日頃の行動からは想像出来ないような事を言うもんだと、
思わず言いそうにはなったけれど……それは私も以前思った事。
私だってああいう子には嫌われたくない。出来るのであれば。

「それはなんとなく、私も思う所よ。」
「お前は好かれてるじゃないか。」
「色々、お互いの悩みを話したからね。」
「……そうか。」

やっと炬燵があたたまって来たな。そう思って足を差し込めば、
反対側に座っていた魔理沙がぐっと立ち上がった。
何をするのかと思えばそのまま縁側の方へと歩いて行ってしまって。

「まだゆっくりしていけばいいのに。」

私がそう声をかければ、

「いや、失礼する。……無理させるなよ。」

振り返る事無くそう言った。

「させないわよ。」
「……じゃ、また来るから。」
「お土産期待してるわ。」

立てかけてたらしい箒を手にとってそのまま跨って。
ふわふわと浮いて神社から離れて行ったが、ふと思い出したようにこちらを振り返ると、

「ああそうだ!洗い物は頼んだ!」

それだけを叫んで、魔理沙は帰って行った。
洗い物って何だ?そう思って考えて。ハッとなった後で思わずじたんだを踏みかけたけれど、
ふとリリーが寝ている事を思い出して足だけは止めて。
どこか気だるい溜息を胸から吐きだした後で、私はそのまま台所へと入ったのだった。



魔理沙の料理の後片付け。
言葉通りのお片づけだ。出しっぱなしである。
塩や漬物やら、……鍋やその他なんでもかんでも。
使い終わったら仕舞えば良いのに。
……ただ、本当に使った物しか出ていない。
完全とは言わずとも、私の家のどこに大体何があるのかは把握しているんだろうな。
さっきの氷嚢だってそうだ。勘が鋭いというかなんというか。
私がもしもどこに置いたか忘れてしまっても、あいつに聞いたら答えられるんじゃないだろうかと、
そんな気までしてくる。生憎今なくしている物はないけれども。

いつも通りと言える所まで台所を片づけて、居間へと戻った。
そっと寝室を覗いてみれば、まだ彼女は寝たままだった。
寝返りこそ少しまだ痛そうではあったものの、
初めに比べればもう随分と穏やかな顔になってて。……ほっと一息。
全然起きてくる様子は無くて、寒くないように襖を閉めて。
一人炬燵に足を突っ込むと、私も眼を閉じた。

「そういえば宴会、いつやるんだろう。」

ふとそんな言葉が口から出たけれど、
返してくれる誰かはここには居なかった。



「……い♪」

小さな小さな声であの歌が聞こえる。
背中や足はあったかいのに顔だけが冷たくて、そして何だかちょっと体が重い。
どうやら寝ていたようで、目を開けてみれば薄暗い部屋の中が目に映った。
ハッとなって体を起こせば、かけられていた毛布がずるりと落ちて、

「はーやく来い♪」

続きの歌が部屋の中に響いた。

「あ、おはようございます。」
「おはよう。」

彼女はさっきまで魔理沙が居た位置に座ってた。
いつもよりもぴんと背筋を伸ばしてて、頬を緩ませたまま私の方を見てた。

「私、大きく寝てました?」
「うん?」
「起きたら霊夢さんが炬燵で寝てたから、てっきり私がおっきく寝てたのかなって思って。」
「そんな事無いわよ。……ここでぼーっとしてたら、寝てた。それだけよ。」

第一一緒に寝たとしても、貴女の腰をもしも蹴ったりしてしまったりなんかしたら、
とてもとても怖い事になりそうだからそんな事したくても出来なかった。

「霊夢さんは大丈夫なんですか?」
「何が?」
「朝はとても、つらそうでした。」
「あぁ、すっかりそんな事を忘れる位には元気よ。それよりも貴女よ。大丈夫?」
「……そっち行って良いですか。」

私の体調を気にする前に自分の腰を気にして欲しいものだ。
私が尋ね返せば彼女が少しだけ間を置いてそう返した。
そんなの私がどう答えるか位は分かっているだろう。
結局私が頷くよりも前に彼女が立ち上がって、私のすぐ後ろに立って。
何をするのかと思って顔だけ彼女を見上げれば、私を持ち上げようと脇の下に手を差し込んで
ぐっと力を入れようとしたのだった。

「ま、待った!」
「こうしたくなる位には大丈夫です。」
「分かった。分かったから!……まだ無茶しないで。」

本気でやるつもりは流石に無かったのだろう。すぐに彼女は手を引っ込めて。
それから私のすぐ隣にくっつくようにして炬燵に入ると、
私の方をじっと見上げた。

「しないです。しないですけど……あんまり心配されると私も胸がちょっときゅってなりますから。
だから、大丈夫な時はちゃんと大丈夫って。そう言いますから、その。」
「……分かったわよ。」

私が返せば彼女がにっこり笑って、ちっちゃな溜息を吐いた。
何と言えばいいんだろう。逞しいって言えば良いんだろうか。
頼りになるというか。芯が強いと言えば良いのか。
こんなにちっちゃいのにこういう事を言えるのが羨ましい。
そんな事を思いながら頭を撫でれば、嬉しそうにまた笑って。

「明日は温泉に行けそうかしら。」

もうそろそろ晩御飯の時間だな、何にしよう。
考えていた事をそんな方向に移しながら話を振れば

「い、今からでも大丈夫ですよ。……私は。」

なんて、小さい声で彼女が答えた。

「……ご飯の後、行こっか。」
「……はい。」

ゆっくりともたれかかってきた彼女の体は、
私の体よりは少し、熱かった。



御夕飯はまたおにぎりと、お野菜の汁物、そして少しだけ余っていた最後のおでんだ。
今頃永遠亭や白玉楼はおせち料理を楽しんでいるのだろうか。
生憎そんな豪華な料理はとりあえずはいつかあるだろう宴会までお預けだ。

握ったおにぎりは箱に詰めて、先にお汁とおでんを食べて体をあたためて。
二人で着替えと弁当箱を手に家を出た頃には夜空に月が昇ってた。

「今日はとりあえず、梅は無いわ。」
「大丈夫ですよ?」
「……少しずつ、慣れれば良いのよ。それに、ゆっくり浸かりたいしね。」

私が彼女の体を背負って、彼女に荷物を提げて貰って。
そんな姿で翔けた空。彼女のお腹がとてもあたたかくて気持ちが良い。
熱を持っているのは本当はお腹じゃなくて腰なのかもしれないけれど……それでもあったかかった。



~~



霊夢さんの背中が気持ち良くて、味の滲みてた大根の味がまだ口の中で甘く残ってて。
ふわふわした気持ちで運んで貰ってた夜の空。雲があんまりなくて、月が良く見えて。
綺麗だなぁって、思った。
あまりにも背中があったかかったから少しうとうとし始めてて、
でも眠ったらお弁当箱が落ちちゃうと頑張って起きてた。

「あー水筒……忘れたわ。」

いつもの温泉に着いて、靴を脱いで服も脱いで。さあ入ろうかって時になって、
弁当箱を片手に持っていた霊夢さんが気まずそうにそう言った。

「おでんもお汁も食べた後ですから、私は大丈夫ですよ。」
「そう?なら、良いわ。」



今年初めて一緒に入るお風呂。
それが一緒で、こっちに入る事が出来たのはとても嬉しい。
あっちの二人でぴったりくっついて入れるお風呂も好きだけど、
こっちは最初に一緒に入った方だから。
……ちょっとした、記念というか。そういえばもう一週間が経つんだなぁ。

二人で温泉の真ん中で開けたお弁当箱。
話は聞いていたから中身は勿論知っている。ただ、さっき一緒に少し食べてきた事もあってか、
お弁当箱はいつものそれよりも幾分かちっちゃかった。
でも、きっとこれを二人で食べたらお腹いっぱいだ。
……見てたら小さくお腹が鳴った。気付かれずに済んだみたいだけど。

「さ、食べよっか。」
「いただきます。」
「いただきます。」

二人で一個ずつ手にとって、一口。
ああ、やっぱり贅沢だなって思う。お風呂を楽しみながらご飯も楽しむって。
……霊夢さんと一緒に居る事が出来る時点でそれはもう、とても楽しい事なのだけど。

「その湿布、どんな感じ?」
「とっても効いてます。最初はヒンヤリ冷たかったですけど、なんていうか。
今はふぁーってあったかい感じがしてます。」
「……今剥げたりしてないの?一応後で貼り替えようか。」
「ぴったりとくっついてますよ。」
「そっか。」

私の事心配してばっかりだ。そんなに心配させてしまったかな。
で、でも。本当にあの時はとても痛かったから、我慢なんて出来なかった。
仕方なかったとは思うんだけど、うぅん……。もうちょっと我慢強くならないと。
せっかく霊夢さんを抱っこ出来たんだもん。
何だか凄く良い気持ちになれたから、またやりたいんだ。
楽しくて、嬉しくて。腕の中に霊夢さんの顔があるっていうのがとても新鮮で。
いつも大きい霊夢さんがあの時はちょっとちっちゃく見えて。
そのおかげでか凄く親近感が湧いて。愉快だったというか。

「もうちょっと作ってくれば良かったかしら。」

ぼーっと思いだしてたらふと霊夢さんがそう言った。

「お腹、減ってますか?」
「いや、思いのほか早く無くなるから。」
「美味しいですから。」
「……ありがと。」

本当の事をただ言っているだけなんだけど、それもいつも通りのやり取りだなって。
でもそんな時間が私は好き。そんな時間にしてくれた霊夢さんが好き。
なんでこんなに楽しいんだろうって。寝ている時でも思っちゃう位で。

「はい、最後のひとつ。」
「良いんですか?」
「……じゃあ半分貰って良い?」
「勿論です。」

霊夢さんの手にあった、小さなおにぎりを半分だけ貰って、
残りを霊夢さんが口の中にそっと入れて。
二人で空を見上げてもぐもぐして。
食べ終わった所で霊夢さんは立ち上がると、箱を着替えの傍に置きに行った。

「後はゆっくり浸かるだけね。」
「はい。」
「まぁ、のぼせない程度にね。」
「……はい。」



それからしばらく、二人で並んでお湯に浸かってた。
腰の辺りがにゅわーってあったまる感触がたまらなく気持ちが良くて。
私は目を閉じて、顔をあげたままぼーっとしてた。
でも、何だか途中から隣に居たはずの霊夢さんから聞こえてた
いつも聞いてて安心する穏やかな息使いが聞こえなくなってて。
ハッと気づいて目を開けたとき、まだ確かに霊夢さんは隣に居たのだけど、
表情は暗くて、膝を抱えたまま少し俯いてた。

また、胸の中がきゅっとした。
やっぱりこういう顔を見るのは得意じゃない。
どうにかして励まさないと。いつも元気を貰っているんだから。
これ位どうにかしてみせないと。……あぁでも、とても真剣な悩み事だったらどうしよう。
軽い気持ちじゃいけない。……元より軽いつもりもないけど、どうにかしなきゃ。

「霊夢さん。」

ハッとなった様に顔をあげて、いつもの笑顔で笑いかけてくる霊夢さん。
でも私がじっとじっと顔を見つめれば、どうやら見てた事には気づいてくれたのか、
頑張って作ったその笑顔はゆっくりとさっきの様な顔に戻った。

「なんか、不甲斐ないなって。思っちゃって。」

静かに、霊夢さんがそう言った。やっぱり気にしてるんだ。
朝の事。……たぶんそれだけじゃない。色んな、今までの事。

「私は、感謝してますよ?いつも優しくしてくれる事、助けてもらった事。
一緒に美味しいご飯が食べられるようになったのも、こうして一緒にあったかい温泉に入れるようになったのも。
楽しく過ごせるようになったのは霊夢さんのお陰なんです。」
「でも今日のは、私がもっとしっかりしてればやっぱり防げたわよ。」
「私は抱っこされるのは大好きですけど、……抱っこできたのも嬉しかったです。」

私がそう言えば、霊夢さんがちょっと寄ってきて私の肩に額を置いた。
……少し、熱い。二の腕にかかる息はちょっと震えてた。

「この前は、風邪引かせて。今回は、腰を痛めさせて。次はどうなるんだろうって。
いつか大切な何かまで奪っちゃうんじゃないかって。だから、しっかりしなきゃって、考えてて。……ごめん。」
「謝られる事はされてないです。」

何で霊夢さんは私の事にこんなに真剣になってくれるの?
だから、だから私も真剣に返したい。……いや、返すんだ。

「もう少し、こうさせておいてくれないかな。」

ぼそりと、霊夢さんがそう言った。
お湯に浸かっていない肩なのに、あったかい水が肩を伝って行った。
駄目だ。全然励ませてない。……情けない。
いつもあれだけして貰ってるのに。

「駄目?」
「良いですけど、霊夢さんがのぼせたら私おんぶして帰りますよ?」
「……うん。」

少し、上の空だ。
抱っこしてる時にちっちゃく見える霊夢さんはあんなに可愛く見えるのに、
今こうして見ていてちっちゃく見える霊夢さんは見ていて、つらい。
もたれかかってきた体に手をまわして、背中を抱きしめて。
またぽたぽたと肩に当たるものを感じながら思ったのは、
しっかりしなきゃっていう、霊夢さんの言葉そのままだった。

しっかりしなきゃ、私だってそう思う日が来るんだ。
今でさえ、ちゃんと励ます事が出来ていない。
いつかもっと落ち込んでしまった時、支えられる私じゃないと。
いつまでも支えて貰ってばかりじゃいけない。
……頑張らないと、いけないんだ。



二人で温泉を出たのはそれから少ししての事だ。
霊夢さんは一気に疲れてしまったのか、ふらふらしてて。
さっきの言葉通りおんぶしようかと思ったけど、それは霊夢さんが頑なに拒んだ。駄目だって。
でもやっぱりふらふらだったから、一緒に手を繋いで帰った。

最初は俯いたままだったけど、少ししたら落ちついたのか前を見るようになって。
帰りつく頃には、結構落ちついてた。でも、かなり疲れてて。
お弁当箱を炬燵の上に置いて寝室へと入ると、
そのまま崩れ落ちるように布団の上にしゃがみこんでしまった。

「……大丈夫ですか。」
「うん?……あぁ、大丈夫よ。元気。」

私が声をかければ、そんな言葉を霊夢さんが返した。
誰がどう見たって、そんなの嘘っぱちだって。そう言うだろうなって思った。

「霊夢さん、私……頼りないです?」
「そんな事無いわ。最初に思ってたより、ずっとずっと頼りになるなって。そう思ってる。」
「じゃあ、頼って欲しいです。」
「それは……。最後の手段にしたいなって。何だか一度思いっきり頼ってしまうと、
それから先全部貴女に頼ってしまいそうで。……ごめん、これは私のわがままね。」
「そうなっても、私は頑張って応えるつもりです。」
「うん。そうなるだろうなって。」

霊夢さんが私を見上げた。
すごい、真っ直ぐに。私の目を見た。
顔は疲れてたけど、その目だけはとても見覚えがあって。
……好きだって言ってくれた時の、あの時の目で。
どきっとした。

「だから、本当にその時が来た時。頼らせて。……もっと、いっぱい。」
「今はその時じゃないんですか。」
「今はだって、元気よ。……ちょっと、疲れちゃってるけど。」
「……約束ですよ?」
「……うん。」

そこまで聞いた所で、霊夢さんを抱きしめた。
ちょっとだけ、驚いた顔になった。

「今は、元気よ。」
「……これは、私がしたいからしてます。」
「……ありがとう。」
「疲れてるなら、もう寝ましょう。湯冷めしてしまう前に。……もう結構冷えてますけど。」
「そうね……そうしよう。」

一度笑ってくれた霊夢さんをそのままお布団に寝かせて、私もすぐに後ろにお邪魔して。
背中を向けてしまった霊夢さんの背中に私は抱きついて。
一度締められるだけぎゅっと抱きしめてからその手を緩めると、
そのまま目を閉じたのだった。

……しっかりしなきゃ。
霊夢さんの言った言葉が、まだ頭の中に響いてた。

「おやすみなさい。」
「……おやすみ、なさい。」



~~



雀の鳴く声がしてた。
雀以外の変な音もしてた。
ふと目を覚ました時には、背中で感じていたはずの彼女の体が目の前にあった。
もとい、今度は私が彼女の体を背中から抱きしめてた。
……いつの間に入れ替わったのやら。

昨日の夜は、ありがとうね。
ちょっとだけ、気持ちが楽になった。
しっかりしなきゃいけない事に変わりは全く無いけれど、
いつかちゃんと、頼らせてもらえるって分かったら。
……そしたら、凄く安心したから。

腕の布地と服の布地のその向こうで、ちっちゃなトクトクという音が鳴っている。
さっき聞いたのは……この音じゃないな。

もぞり。

また、聞こえた。布が擦れる音だ。紙の音もちょっとした。
これは彼女のものじゃない。私でもない。寝室じゃない。……居間からだ。
泥棒?とは思えないな。ここにはそんなお金は無い。
ともすれば、恐らくは私の知っている誰かだ。

紫か?いやそれは無い。紫だったら今頃私が見上げたこの空間に隙間でも作って、
そこから私を見下ろしているだろう。私の事情なんてよっぽど気にしないはずだ。
文か?……文だったらもっと五月蠅いな。それこそ今頃二人揃って起きてる。
萃香……は、酒の匂いがしないから違う。とすれば、あんまり他に居るもんじゃないな。
というかあいつだろう。恐らくは。

そっと彼女を抱いていた腕を解いて、何があってもいいように針の準備だけはしておいて。
襖の前に立って一度深呼吸をすると、片腕一本分程襖を開いたのだった。

もぞり、とさっきよりもハッキリ耳に届く。勝手に灯りまで点けて炬燵に入っているそいつ。

「あぁ、おはよう。」
「……おはよう。魔理沙。」
「今日は早いのなぁ。」

帽子を脱いだ魔理沙が、炬燵の向こうで本を読みながらくつろいでいた。
ちらりともこちらを見ずに、ずっと本の続きへと目を走らせてる。
出来る限り音を立てないように寝室を後にして私も炬燵に入ったが、
くつろいでいるように見える割には炬燵はまだそこまであったまってなくて。
どうやらさっき来たのだろうという事は、寝ぼけていた私にも分かった。

「うん……?なんだ、嫌な事でもあったか?」

ページの終わりまで来たのか、ぺらりと音を立てながら次の一枚を捲った魔理沙が
ついでとばかりにこちらを見上げ、そして小さな声でそう言った。

「何を急に。」
「涙の痕、ついてる。」
「……ちょっとね。嫌な事じゃないわ。……何ていうか腑に落ちなかった事っていうかね。」
「ほう?この魔理沙様が聞こうか?」

本の最後あたりのページから栞を取り出した魔理沙が、
さっとそれを挟んで本を閉じて。炬燵の上からその本を下ろすと、
炬燵に深く入りなおして私を見てそう言った。

「あの娘の事。」
「それ位分かってる。」
「昨日、腰をやっちゃったじゃない。私のせいで。」
「そうだな。……あれから無茶させてないよな?」
「勿論。」

私の言葉に一瞬魔理沙が上の方を見上げ、それからすぐに私の方を見て続きを促した。

「少し前には、私のせいで風邪引かせてる。」
「そうなのか。」
「……罪悪感みたいなものを、お陰で感じててね。あの娘、凄く優しいのよ。だからお返ししたいって
思ってる所があって。色々しているつもりじゃあるんだけど、何だか、足りないなって。」
「具体的にはどうしたいんだ。」
「……もっと良い所見せたいなって。なんか情けない事ばかりだから。」

魔理沙が持っていた本の背表紙をなぞりながら、
小さく頷きつつ私の言葉に返してくる。

「私はそれ位で丁度が良いと思うぞ。」
「何故?」
「罪悪感ってのはなぁ。お互いが少し持つ位が丁度良いんだよ。持たないようにするっていうのは
それはそれは難しい事なんだ。出来ない訳じゃないぞ?でもなぁ、仮に片方が出来ても
もう片方が出来なかったら。もしリリーの方が出来なかったらどうするよ。
もしも、リリーがその事で今のお前さんみたく悩んだらどうするよ。」

また、一度思い出したかのように上をゆっくりと見上げて、魔理沙が続けた。

「お互い持つだけ持って、釣り合ってるんじゃないかって適当に考える位が丁度良いと私は思う。」
「それでも。」
「言いたい事は分かるんだよ。分かるから、言ってるんだ。あんまりその大小を気にするなよ。
気にしなきゃいけないのはなぁ。例えばだ。今お前さんの後ろに立っている娘がこんな話を聞いてどう思うか、とか。」

どういうこと?
そう思って振り返ってみれば、いつの間にか開いていた襖からリリーが私達の方を見てた。

「なあ、リリー。お前さんはどう思う。」
「私も、同じ事を思ってます。」
「霊夢とか?」
「どっちもです。私は霊夢さんからそれよりももっともっと沢山優しくして貰ってますから。
その分は、返せるだけ返したいです。……でも一番は、一緒に笑って過ごせれさえすれば。
それで、それだけでとっても私、嬉しいですから。」
「だ、そうだ。お前さんよかこの娘の方が素直に受け止めてるように私は思うがね。」

ケタケタと笑いながら魔理沙がそう言った。
魔理沙が手招きすれば、彼女が居間に入ってきて襖を閉めた。
彼女は私と魔理沙の横の面の炬燵に足を差し込んで、じっと私達を交互に見てた。
それっきりお互いに何も言えなくて。……皆して口を閉ざした。



~~



「ああそうだ。霊夢。お茶。」
「私はあんたの亭主じゃないんだけど。」
「いや、薬缶を火にかけっぱなしなのを忘れててな。」
「……早く言え!」
「いやぁ、今思い出した。」

さっきは後ろで聞いてて胸が凄くきゅっとした。
嬉しくて、悲しくて。その両方で。
私は、霊夢さんと同じように返せるだけ返したいって気持ちがある。
強くそう思ってる。だって、貰って嬉しいから。嬉しかったから。
同じくらい、いやそれ以上に嬉しいって思える事を返してあげれたらって。
そう思ってもらえたらなって。
それは私が本当に持っている気持ち。

「さて、リリーよい。」
「はい?」

霊夢さんが急いで部屋を出て行ってしまった後で、魔理沙さんが顔を近づけて小声で私を呼んだ。
ハッとなって私も顔を近づければ、持っていた帽子で廊下側から見えないように口元を隠しながら

「霊夢の事、好きか?」

確かめるようにそう、尋ねてきたのだった。
勿論、そう返した。そんなの、魔理沙さんだってもう分かってくれてるんだ。

「あいつも、好きなんだよ。お前さんがね。……あいつ、誰かを打ち倒す分には負け知らずでね。
でも、たぶんそのせいで自分の手元に居るお前さんに色々悪い事が起きるのが歯がゆいんだろう。
だから、ああやって必死なんだ。だからな、努めて……努めていつも通りに接してやってくれ。
そしたら少しずつ、落ちつくと思うから。落ちついたら、今のその言葉な。もう一度かけてやってくれ。」
「……はい。」
「あぁ、あと。」
「はい?」
「あいつな、じーっとじーっと目を見つめられる事に関してはすげえ弱いんだ。
もしも何か困った時や、どうしても聞いてほしい事があるなら。そうしてみるといい。」
「……ありがとうござます。」
「いやぁ、良いんだ。」



~~



薬缶どころか、お雑煮がいつの間にやら作ってあった。
相変わらずというか、材料は出しっぱなし。とりあえずの片づけは済んだけど。
それから準備を終えて、お茶と湯のみ3つをお盆に載せて居間へと戻ってみれば
魔理沙が慌てて帽子を被りなおしてた。

「帰るの?!」
「いや、そんな気はさらさら無い。……台所行ったんなら見ただろ?」
「ええ。いつの間にやら朝ごはんが作ってあったわ。……後で食べましょうか。」
「おう。」
「あれの材料は?」
「心配すんな。全部ここのだ。」
「……やっぱりか。」

具までは見てないけど、特別何かを入れていたような袋が無かったからきっと全部ここのなんだろうなと。
なんとなく予想はしてたけど……家から何か持ってきてくれても良かったんじゃない?
……って、そういやお正月までずっと紅魔館にいたんだっけ。家にひょっとしたら買い置きは無いのか。
そんな事に頭を回しながら溜息を吐いた所で、

「あ、あの!」

ふと、湯のみを手に取ったリリーがそう言った。

「お、お二人はどういう関係なんでしょうか。」
「……見ての通り。赤の他人。」
「だな。……ちと、今の霊夢の回答はショックだが。」
「で、それがどうしたの?」
「仲が良いんだなぁって思いまして。」

ちらり、ちらりと私と魔理沙の間に視線を行ったり来たりさせながら彼女が呟いた。
どことなく妬いているように見えて、なんていうか気分がちょっと良い。
魔理沙もそんな風に察したんだろう。一度だけこちらを見てにやりと笑うと、

「だから、お前さんが手綱放したら奪っちゃう事もあるかもしれないな!」

そんな事を彼女に向かって冗談で言った。そんな言葉に不安がって彼女が私を見上げて。
私はそれをお茶を飲んで濁して。……でも余計に不安そうな顔になったので、
炬燵の中でちょいちょいと彼女の服を引っ張れば、
こっちを見ていた彼女の顔はどこか安心したそれにはなりながらも、
少し頬を膨らませてた。

「からかい甲斐があって良いな。」
「……確かにね。」

それだけ、純粋で真っ直ぐ見てくれる娘だから。

「そういや、ご飯が無かったんだけど。」

ふと台所に出ていたものを思い出して、ありそうなものが全く用意されてなかったから
そう尋ねてみれば、得意げに魔理沙が炬燵の陰からすっと黒い物を取り出した。

「ふふん。この飯ごうを見てくれ。こいつをどう思う。」

ひとつ、ふたつ……そして3つ。既に出来上がりみたいだが、どうやら結構作ってから時間が経ってるな。
元々この家にはお釜くらいはあるからそんな事をする必要は……あぁ。

「そういうことか。」
「そういうことだな。」
「……じゃあ、先にどの道食べないといけないのね。」

二人で納得して首を縦に振った所で、
一人不安そうにリリーが私を見て袖を炬燵の中で掴んだ。

「雑炊を作るのよ。」

そう教えてやれば、やっと理解したらしく明るい顔をしながら手を叩いて喜んだ。
好きそうなら何よりだ。私が作ったもんじゃないが。
魔理沙が作ったものだから、まあ大丈夫なはず。



「よし、食うか。」

結局食器を運ぶのもお鍋を運ぶのも全部私がやる事になって、
魔理沙と言えばまるで亭主のように炬燵に入ったまままるで手伝う気配は無く。
全部運び終えた所で、魔理沙がにやりとしてそう言って手を合わせた。

「「「いただきます。」」」

3人で声を合わせてそう言った。……相変わらずリリーの背はちっちゃくて
こうして3人でこれを囲むと、大人二人とその子供って風になってしまう。
生憎私は魔理沙と結婚もしてなければ、そもそもリリーは私達の子供では無い。
……綺麗な髪の毛だけは、共通してるか。

「結構具が少ないのね。」
「んぁ?あぁ、雑炊メインだからな。第一朝食だぞ。軽めが丁度良い。」
「それもそうね。」
「あ、あの。」
「おぅ、どうした。」
「と、とってもらっても、良いですか。」

あぁ、そうだ。お鍋だと届かないんだ。
そう思っていたら魔理沙が頷きながら彼女のお椀を手にとって、
鼻歌を歌いながら凄い勢いでお鍋の具を攫って行った。
今の1杯で、あった具の4分の1位が一気に無くなった様な気がするけど、
魔理沙の方を見ればそっと口元に指を一本立ててにやりと笑ってて。
なんとなく、言いたい事が分かった気がして。とりあえず頷いて返せば、
魔理沙もそれに頷いて。それから控えめに自分の分をと取って行った。

「おいひぃ……。」

一足先に食べはじめたリリーがお餅を咥えながら眉尻を下げてぼそりと呟く。

「だろう。でも、ちゃんと噛むんだぞ。」
「ふぁぃ。」

何だかいつも私が作るものより喜んで見えるのがちょっと悔しかったが、
こうして楽しんでいるのならそれもまた、良しか。
一番楽しんでいるのは私の向こうでそれを見てにやにやしている魔理沙だが。

「霊夢も食おうぜ。減るもんだしな!」
「そうね。」

どことなく彼女が好きな具というものは分かっているつもりだから、
出来る限りそれを避けてお皿にとって。私も椎茸を口へと運べば、
熱かったけれど柔らかな感触と薄味ながら香り高い汁が口いっぱいに広がった。
……なんか、悔しくなった。

「ふふん。」

魔理沙がそんな私の心を察してか笑った。
こいつは一体どれだけ早朝から私の家に来てこれ作ってたんだ。

「ほっぺたが取れそうです。」
「そうかそうか!……霊夢の料理とどっちが美味しい?」
「えぇ?!」

質問を聞いていた私まで、思わず喉に食べようとしていたお餅が詰まりかけた。

「えー……あー。」

彼女が凄い焦り、悩んで。
口に運びかけてた新しいお餅をぐるぐるとお椀の汁の中で混ぜながら、
あたふたと部屋の中を見まわした後、ぐっと顔を赤くしながら

「……どっちも。」

消え入りそうな声で彼女が答えた。

「ははは、はははは!!」

魔理沙がとても嬉しそうに笑って。
それから私の顔を見て更に嬉しそうに笑うもんだから、炬燵の中で思い切り魔理沙の足を蹴り上げれば、
鈍い音と共にお鍋の中の水面が一度、盛大に揺れた。

「……どっちも、美味しいです。」

彼女が私と魔理沙の間を見て、申し訳なさそうにまたそう言って。
色んな意味で顔から火が出そうで仕方なかった。



具という具が粗方無くなってしまった所で魔理沙から飯ごうを受け取り、鍋とそれを抱えて台所へと戻った。
何だか妙に悔しい。そこはなんていうか、私の料理の方が美味しいとか言ってくれたりしてくれたら
それはそれは嬉しいのに。……でも魔理沙のこれも美味しいのは事実。
昨日のだって美味しそうに食べてたから、本心を正直に言ってくれたのだろう。
何だかんだ渡された飯ごうの中身のご飯も、硬さあたりちゃんと調整されてるし。
……あぁ、悔しい。
これに宴会の料理が加わったら私の料理はどの位置に彼女の中で格付けされるんだ?
たぶん本気で私が頑張ったとしても、紅魔館や白玉楼に居る本職な奴らには勝てないものばかりだろう。
あいつらの作る料理、凄いから。……お陰さまで私も良い思いが出来るんだし。

勝てるとしたらそう。気持ち位なもんだ。
まぁだからこそ、どっちもって言ってくれるんだろう。
……そうよね?
……もっと、頑張らないとなぁ。

ってあぁ、駄目だ駄目だ。何辛気臭くなってるんだ。
あー、もう。リリーがそんな流される訳無いじゃないか。
私だってリリーの事信じてるし。うん。そんな事は、無い。

「れーむぅー?おつまみないかぁー?」

居間から届く魔理沙の声。あいつ酒まで準備してたのか。
そんな声に戸棚を開けてあたりめを見た所でふと思い出した。
リリーにお酒を入れると……大胆になる。なんか妙に不味い予感がする。
そう思ってあたりめをお皿に載せて走って居間へと戻ってみれば、
どこかびっくりしたように二人とも私を見上げた。
……よかった。まだ飲んで無い。

「どうした?」

右手で湯のみにお酒を注いでいた魔理沙がそう言った。

「い、いや。早く持って来た方が良いのかと思って。」
「あ、あぁ。ありがとう。」

どこか納得いかないという顔はしつつも、素直にあたりめを受け取った魔理沙。
そんな魔理沙がふと、リリーの方を見ながら

「どうだ?お前さんも。」

続けてそう言ったから、背中に一気に冷たい物が降りてった。
でも彼女は両手を出してそれを断って。思わずほっと溜息を吐いたら、
ちらりと彼女がこちらを見て顔を赤くした。……自覚はしてるんだな。

「じゃ、じゃあ雑炊そろそろ出来るから持ってくるわね。」
「あぁ、楽しみに待ってる。」

そんな事を言いながら魔理沙が湯のみの中のそれをちびりちびりと飲み始めて。
私は頬に出ていた汗を拭うと、台所から出来あがっていた雑炊を運んだのだった。

ほくほくに昇る湯気。汁物におけるじゃがいもや、おでんの巾着、焼いた玉ねぎというものは
見た目よりもずっとずっと熱かったりして、しばしば爆弾みたいな例えられ方をされるけれど、
これだけ湯気が出ていれば流石にそれ位は分かるだろうと思って、注意なんかしなかった。
でも、それが祟ったのか。食べ始めてすぐ、隣から苦悶の悲鳴が響いた。

「うぅぅんぅぅぅう!」

魔理沙じゃない。彼女だ。

「お、おいおい大丈夫かよ!出来たては熱いんだぞ!と、とりあえず飲み下せ!」

魔理沙が持っていたお椀を置いて、近くにあった湯のみを慌ててリリーの手を掴んで渡した。
顔を上に向けたまま苦悶の声をあげていたリリーが、それを飲みこんで行くのを見ながら、
その湯のみの中身について勘ぐらせた時にはもう……全部飲みきってしまっていた。

「ふぅ……。大丈夫そうだな。」

魔理沙が安心しながら呟いたが、全然大丈夫じゃない。
魔理沙のあのお酒は、たぶん葡萄酒なんかよりよっぽどキツいはず。
それを一気だ。しばらくリリーは湯のみを口につけたまま固まってたが、
少しして湯のみを魔理沙の手に返した。

「ありがとうございました。」

にこりと笑う彼女。変に心臓が早鳴りしてるのが自分で聞こえる。
だって目に見えて分かる早さで顔が赤くなっているのだもの。
ようやく魔理沙も気づいたようで、

「あぁ、すまん。……大丈夫か?」

後ろ手に頭をかきながら、そんな事を尋ねていた。
一方のリリーは、額のあたりを手で押さえながら、首を横に振って

「いえいえ。お陰で助かりました。」

だとか、そんな事を言ってた。……気が気でなかったから、
確かにそう言ったのかはちょっとよく分かって無い。
とりあえず私も一口雑炊を口に運びはしたものの、何だか味も分からない。
一方で向こうで魔理沙や彼女は美味しそうに食べ始めてしまった。

……大丈夫よね?本当に。
この前みたいに、なりませんように。



結局、3人分の雑炊はすぐに食べ終わってしまった。
それから後は、酒に酔った魔理沙が過去の武勇伝を話して、
彼女はそれを楽しそうに首を縦に振りながら聞いていた。
私はといえば、いつ暴走しだすのだろうかと気が気でなくて。
だから一人炬燵の中でハラハラしてた。

「大丈夫か?」
「え、あぁ私?私は大丈夫よ。」

だから、魔理沙に気づかれてそんな言葉を投げられてしまった。

「そうかぁ?なんかちょっと、おかしいと思うんだが。顔蒼いぞ。お前ちゃんと昨日は休んだか?」
「そ、そのつもりだけど。」
「まぁ、大丈夫なら大丈夫で良いんだがな。……さて、そろそろお暇しようか。」
「もう帰られるのですか?」
「ああ、私もちょっとしなきゃならない事があるから。……じゃあお二人さん。体は大事にな。」

ぐっと立ち上がった魔理沙がそのまま縁側へと出て行って。

「ばいばい~。」

リリーがその後ろ姿に手を振ってた。
すっと後ろ手に閉められた障子と、地面を蹴って飛んで行った音を聞いた後もしばらく彼女は
障子の方を見ていたが、ややあってこちらに向き直ると、

「大丈夫、ですか?」

心配そうに私にそう聞いたのだった。

「貴女がこの前の勢いで魔理沙を襲ったりしないか、ちょっと心配だった。」
「わ、私はそこまではしたなくないです!」

正直に答えれば、彼女が赤かった顔をもっと赤くしてぷいと横を向いた。
申し訳無かったとは思うけど……仕方ないじゃないか。私だって最初貴女のそれを見た時はびっくりしたんだ。

「私は霊夢さんを信じてるのにっ霊夢さんは私が信じられませんか!」
「そ、そんな事無いわよ。」
「本当に?」
「……ごめん、信じてるつもりだけど、心配してたのよ。」

急に真剣な顔で聞いて来たので、出来る限り正直に答えたつもりだったけれど、
私がそんな答えを返したからか、視線をすっと落としちゃって。
少しして立ち上がるとそのまま寝室の方へと行ってしまった。
言い方がまずかったかなと思いながら、その後を追って私も入れば、
そこに彼女の姿は無くて。おかしいなと思って振り返った所で、
目の前に立っていた彼女に布団の上に押し倒されたのだった。

「確かに」

私の体に馬乗りになったリリーが小さい声で呟く。

「お酒飲んで、気持ち良くなって、そういう気分もふわっと来てましたけど。
霊夢さんがいる手前でそんな、そんな事しないですから。……だから。」

私の顔の横についていた手も、彼女の手も少し震えてる。
思えば朝にあんな事を聞かせてしまった後で、
もっと言えば昨晩あんな姿を見せた後で、
あぁ。私は一体どこまで空回りしてるんだろう。

「ごめんね。」

抱きしめたら、彼女が嫌そうな顔をした。
……いや、なんだ。この顔。もうちょっとこう、なんというか。苦しそうな顔。

「あの……お腹苦しいので、もうちょっと緩めてくれると嬉しいです。」
「……ごめん。お腹いっぱいだったのね。」
「……美味しかったですから。」

彼女の言葉に、魔理沙の言葉をふと思い出して。

「これでおあいこなのかしら。」

そう呟いてみれば、少しして言いたい事を理解してくれたのか彼女も嬉しそうに笑った。



「私はそもそも」

お酒の入ってとても熱い体とはいえ、流石に炬燵じゃないここは冷えると思って。
近くにあった掛け布団を彼女の背中へとかければ、すこし眠たげに彼女が小さく呟いた。

「まず、霊夢さんが好きですから。……勿論料理も好きです。霊夢さん、言ったじゃないですか。
一緒に居るんだって思えるのが嬉しいって。私はもう、霊夢さんの味を知ってますから。
だから、霊夢さんの料理を食べるだけでそんな気持ちにすぐなれて。……それが好きです。」

彼女が小さなよいしょという声と一緒に、私から降りて布団の上にころんと転がった。
近くに置いてあった枕をもそもそと手に取ると、それを胸元に抱いて。
もう食べ終えてからしばらく経つのに食後みたいな顔を天井に向けてた。

「まだ起きていてくれますか。」
「まだ寝る気は無いわよ。……眠いの?」
「ちょっとだけ。」
「夕方になったら起こそうか?」
「一緒に起きていたいです。」
「でも、眠いと。」

枕を胸に抱きしめたままゆっくりと寝返りした彼女。
楽しそうで、満足そうで、眠そうで。
視線はちょっと安定してないけど、私ばっかり見てる。

「うん。やっぱり寝ちゃいなさい。」
「でも……。」
「夜、一緒に起きててあげる。」
「ほんと、ですか。」
「貴女が寝るまではね。」
「じゃあ、ちょっとだけ。」

もそもそと、彼女が持っていた枕を私の頭の前に差し出して、それを頭の下に入れて貰った。
ずーっと胸に抱いてたからか、とってもあったかい。ちょっと形がくしゃってしてたけど。
枕の代わりとばかりに私の体にくっついてきた彼女の頭の下に、今度は私の腕を差し込んで
置いてあった掛け布団を彼女の体にかけて。目を閉じて満足げな溜息を吐いた彼女の背中に
重ねるように腕を伸ばして抱いた。

目を閉じた彼女の唇に、ちょっと重ねようかと思って自分のそれを近づけたら、
たまたま薄らと目を開けた彼女が何だか凄く嬉しそうに笑って目を閉じて。
……ちょっとしづらくなったりもして。

「おやすみ。」
「おやすみなさい。」

そうひと声かけた後で、ほんのちょっとの間重ねたのだった。
短い短い一瞬。でもそんな中でもちょっと唇が突き出されたのを感じたりして。
その一瞬で離してしまったのを、後悔した。
……それっきり、彼女が目を開けてこちらを見上げるという事は無くて。
私も彼女を抱いたまま目を閉じると、夜に備えて眠ったのだった。



肌に広がるすこしぬっとりとした感触で目が覚めたのは、
もう夜と言ってよさそうな暗さの部屋の中。どうやらかなり寝過ぎたらしい。
ちょっとした昼寝のつもりで居たが……これは夜にちゃんと眠れるのだろうか。

変な感触が広がるのは私の袖だ。
あったかさと冷たさが同時に広がっていて非常に妙な感触で。
眠い目を擦りつつそちらの方へと顔を向けてみれば、彼女の後ろ頭がそこにはあった。
穏やかな眠り……というよりは楽しそうな眠りのようだ。
時折何やら言葉になりきれていない寝言が聞こえる。

また、変な感触が広がる。
袖を掴まれているし元より腕を枕にされているから引き抜くわけにもいかず、
体を起こしてそっと覗きこんで見れば、
私の袖の上で凄く気持ちよさそうに寝ている彼女の寝顔がそこにはあった。
よっぽど寝心地が良かったのだろうか。少しだけ開いた口から私の袖に向かって
光る筋が一本。……どうやらさっきからする変な感触の原因はこの涎のようで。
何か食べる夢でも見ているのだろうか。

「うぅー、うゅー。」

よっぽど楽しい夢らしい。緩みきった頬のお陰で、まるでしばらく口が閉じる気がしない。
まるでハッキリとしない寝言も収まるどころか、吐息と一緒に釣られる様にさっきから出っぱなしだ。
せめてどんな夢か分かれば私も楽しいのだけど。後で聞いて見ようかな。
何かの参考になるかもしれないし。……出来る限りそれとなく。

ふと彼女が寝返りを打って私の方へとまた向き直った所で、
私は思わずそっと彼女の顎を持ち上げた。かちん、と彼女の上の歯と下の歯がちょっと当たった音がして、
そして開いていた口が閉じた。……一瞬眉がひくついたけど、でもまだこっちの世界より
むこうの世界の方が楽しいみたいで。全然起きる様子は無かった。

部屋に入る光のお陰で、彼女の顔がよく見える。
……目が慣れてきた事もあるが、涎が光を反射しているのだ。
特に唇の反射が凄い。何だか妙に輝いて見える。
鼻で息をすればいいのに、それでもなお口の方で息をしているからなのか、
少しの間をおいては、ほんの僅かに開いていた唇がふるふると少し震えては止まって。
震えては止まって。
……震えては止まって。

誘われるがままにそっと人差し指を唇に載せた。
流石に涎まみれとだけあってかなりぬるぬるしてたけど、その唇はとても柔らかい。
そのまま指の腹で撫でればつぷりと唇の間に指が入って。
……こっちはこっちであったかい。

「ぅん……?」

彼女がそんな声を一瞬漏らした後で、口を少し開けて指を咥えた。
彼女の歯先がかりかりと私の指をかじる。力無くて、確かめているかのような
そんな触り方で。

ふと魔がさして、耳元で梅干しだと囁いた。
一体どんな表情をするだろうかと思って。夢の中に居るなら、私に気を使わない
本来の梅干しに対する思いがひょっとしたら現れるんじゃないかと……そう思って。
少しの間は何も反応が無かった。カリカリしていた動きも止まって。
ただじっとして。……そんな事を言ったから起きてしまったのかと思った。
少しして、違う感触が指を包んだ。彼女の舌だ。
柔らかくて、熱くて、とろとろしてて。でも弾力があって、ちょっと力のあるそんな舌。

恐る恐るという触り方ではあった。
でも表情はとても穏やかだった。
嫌いでは無いとあの時言葉を直してくれたけど……。
この表情が本物なら、そう受け取って良いのなら……それはとても嬉しい事だって。
なんか、妙に安心した。
そして、安心した所で指を彼女の口から引き抜いて。
……後悔したのだった。

嫌いじゃないと言ってくれたのは覚えてる。
でも酸っぱくないかと言えば勿論酸っぱいのだ。
彼女が夢の中で想像した梅干しもやっぱり酸っぱいのだ。
安易に引き抜いた指で出来た隙間から、思いっきり涎が垂れて。
簡単に外せる袖とは違って汚れたら着替えなおさなきゃいけない服がべったりと濡れた。

「うぇ……。」

さっきも自身の頬に涎を垂らしてはいたけれど、
今のは一気に零れたからなのだろう。
不快そうな声を出して、彼女の眉が動いて……そして目を開いた。
ぼーっとしていた彼女が自身の袖でごしごしと頬を拭って、そして私の服を見て。
ハッとなった表情をして恐る恐る私の顔をやっと見上げた。

「ご、ごめんなさい。」

彼女が慌てて袖を使って私の服を拭おうとする。
でもそれは駄目だ。ちょっとの涎ならまだしも

「うわぁー、うわぁー……。」

大量に零れた涎を拭おうとすると、すればするだけそれは広がってしまうのだ。
……だから必死に擦った彼女が余計に酷くなった私の服を見て焦った様にそんな声をあげた。

「落ちつきなさい。……にしてもすごい量ね。」

お陰さまで彼女の袖も凄いべったりとしたものになった。
まあ服は洗濯すればそれでいいんだけど……服の下の私の肌も正直言うとべっちゃりとしてた。

「とりあえず、着替えなきゃね。」
「あ、あの。」
「……うん?」
「おはよう、ございます。」
「ああ。おはよう。……もう、夜なんだけどね。」



着替えを済ませた所で、次に行く所は決まってる。
勿論温泉だ。だから、体を拭く物なんかを準備してさあいこうと居間に入ってふと時計を見た時、
思っていた時間よりもよっぽど遅い時間になっていた事に今更気が着いた。
もうご飯を食べても良い時間どころか、片付けも終わってる家庭もあるだろうという時間だった。

先にご飯の準備をしてから行くべき?
最初はそう考えた。でも何だかそれをするのはもう面倒くさかった。
だって既にもう胸と腕はべたべたしてるのだ。ちょっと拭いたとはいえ、
やっぱり残るものは残る。その上に準備をすれば、余計にべたつくわけであって。
そして更に言える事は……もうあんまり家の中に材料が残っていないのだ。
ある程度後何日はこういう風にすれば過ごせるという考え方は年を越す前にしていたが、
その計画は今朝、お雑煮を作るという魔理沙の行動によって簡単に雪みたいに消えちゃったからだ。

だから、今日は財布も持った。
家に無いなら、他で食べれば良い。それだけの話だ。
しかし、財布が軽い。私はずっしりした財布が好きだ。
底が抜けるのは勘弁だけど、やっぱり無いよりはある方が良い。
まぁしかし今はお正月、人が来ればお賽銭が入るはずだ。

勿論来れば、だが。……2日だけど、未だに来たのは魔理沙だけだってのは、あんまり考えたくないな。



「んふー。」

温泉へと向かう道で、彼女が満足げにそんな声をあげた。

「どうしたの。」
「楽しい夢だったんです。」

尋ねてみれば、月を見上げて彼女が私にそう答えた。
ふと寝ていた時の様子を思い出して、ああやっぱりと納得した。

「どんな?」
「霊夢さんの膝の上でご飯食べてました。霊夢さんが沢山お料理を作っててくれてですね、
それを炬燵で頂いてたんです。あの、えっと……昨日のお昼に、してもらったみたいに。」

私が食べさせていたのか。

「食べてたのは、今まで作って貰ったお料理です。
今思えば凄い量でした。でもぽんぽん入るので気にせず食べてました。」
「夢の中ってそんなものよねぇ。」
「で、最後に霊夢さんがおにぎりをとってくれてそれを半分ずつ食べたんです。
そしたら私が食べた所で霊夢さんがにっこり笑って梅干しだって言って。それで気が付いたら」
「私の胸の上に涎をぐっしゃりしてた、と。」
「……はい。」

今までの料理、か。おおよそ10日分くらいあるけれど、そんな量はあの炬燵には到底載らないだろう。
夢の中のご都合主義が働いたのだろうけれど。ひょっとしたら今日はとてもお腹減ってるのかな。
そういや朝一番にあれ食べてからすぐ寝てこうなってるんだ。
一食分食べて無いと考えれば……自然な事なのかも。

程なくしてついた温泉。相変わらず誰もいない。
いつもと違う事と言えば、いつも以上に空に星が沢山出ている事くらいだ。
星の光がなんとか雪に反射して辛うじて見えているけど、流石にもう暗い。
もしも持って来たお財布を落としたら悲鳴をあげてしまいそうだ。
だから脱ぐ時には無くしたりしないよう袖の中の一番奥にぎゅっと押し込んで。
それから二人でゆっくりとお湯の中へ入ったのだった。

いつもより暗い分、水面に反射した光が照らす彼女の顔だけが、
視界の中でずっと輝いて見えている。
ちっちゃな鎖骨より上しか見えないけれど、下から蛍の光で照らされているような
そんな淡く揺れる光の中で、いつものように彼女は歌っていた。

水面から下が見えないからなのか。
それとも、いつも以上に彼女の顔が輝いて見えるからか。
それとも、ただの私の見方が変わったのか。
……いつもより、ずっとずっと神秘的で。

「とてもさっきまで涎を垂らして寝てたとは思えない。」

傍から見ていて私は思わずそう呟いてしまった。

もうすっかり生活の一部だ。
ここに来る事も、彼女の歌を聞く事も、ここで空を見上げる事も。
何処に座れば丁度よく肩まで浸かれるかも、これだけ暗くなったって分かるようになった。
でも、そうなったとしても。私がこれを楽しんでいるのは

「はーやく来い♪」

なんて歌っている彼女のお陰。
もしもここに彼女という存在が無かったら、風情が無いとは言わないけれどどれだけ寂しくなってしまうのだろう。
そうなってしまった時、私は再びここに訪れるのかな?
ふと思った事ではあったけれど……その問いに私は答えられそうになかった。

「リリー。」

歌っていた彼女に声をかける。
歌っていた声がちょっと小さくなり、そして鼻歌に変わって。
四つん這いになって私の傍まで彼女が寄ってきた。

「湯冷めしちゃう前に、出ましょ。」

私が声をかければ、彼女が答えるよりも先に彼女のお腹が元気よく答えて。
恥ずかしそうに鼻先まで顔を沈めた彼女の頭を撫でると、
二人で立ち上がってお湯を出たのだった。



「お、お家に帰るのでは?」

着替えを終えた後で、里の方面へと向き直った私に彼女が不安そうに呟いた。
普段ならそうだけど、今日は違う。だってお家に食材が無いし、もうこんなに遅いのだ。
だから今日は外食だ。でも里のお店ももう、飲みの屋台しか開いて無さそうで。
……あっちはあまりお腹にたまらないからなぁ。
とすればどこがあるかなぁ。そう思った所で、ふと妖怪がやってる屋台の話を思い出した。
確か夜雀がやっている焼きと……焼き鰻の屋台だったか。
以前魔理沙とお酒を飲んだ時に話にあがった気がする。
胸を張って料理を作る店主に、あぁ成程なぁと思ってしまう程度には美味しいのだとか。
それを探してみよう。……実は場所が全く分からない。
魔理沙は何て言ってたっけ。確か里の近くを飛んでれば気付くって言ってたけど。
特徴的な提灯でも掲げていたのだっけ?まぁ、行けば分かるのだろう。

「今日はちょっと寄り道。そこでご飯を食べようかなって。……私が作ったものじゃないけど、たまにはね。」
「美味しいのですか?」
「魔理沙がそう言ったから、そうなんだと思う。」
「ですか。」

私が返した言葉に彼女が頷いた。
……魔理沙の味覚はこの子には良く評価されている様だ。
とりあえず乗り気にはなってくれたのであれば、それでいい。

「じゃ、行きましょうか。」
「はい。」

久しぶりに飛ぶ里への夜道。いつぞやは里へと向かった時に、
里自体を見つけられなかったりで驚いた事もあったけれど、あんなのはそれっきりだ。
やがて遠くに見えた里であったが……灯りがついている家は少ない。
無い訳ではないが、商家といった類のそれだろう。

「もうやっているお店はないのでは?」

私の袖をいつの間にか握っていた彼女が小さな声で呟く。
それに同意するように彼女のお腹も続けて鳴った。

「里の中には確か無いらしいのよ。確か歌が聞こえるからそれで分かるとか……そんな事を言ってた気がする。」
「歌なら、さっきから聞こえてますよ?」

そう?そう思って耳を澄ませても私の耳には何とも聞こえていない。
一方で彼女はといえばそんな事は割とどうでも良いとばかりに私の袖を強く握りしめてる。

「どうしたの?」
「何だか……暗くてよく見えなくて。」
「私の顔は見える?」
「見えます。……でもなんだかその向こうが真っ暗です。」
「怖い?」
「……大丈夫です。」

私の言葉に彼女がにっこり笑い、そんな言葉を返すものの
袖はもう皺になりそうな程握られたままで。あんまり皺になると後々困るからと
その手を解いて改めて手を握りなおすと、
彼女に歌の聞こえる方角を尋ねてその方向へと一緒に飛んだのだった。

恐らくそれが夜雀のものだろうと確信出来るようになったのは、それからすぐの事だった。
僅かながらに歌が聞こえ始め、それから少しして私の視界も段々と奪われていった。
でもその頃には遠くに小さな屋台が見えていて。
……よくもまぁこんな商売を思いつくものだと少しだけ呆れながらも、
私は一旦袖の奥を生地の上からさすり財布がある事を確かめたのだった。



「うげっ」

お店の店主である夜雀、ミスティア……なんだっけ。そうだ。ローレライだ。
明けない夜に闘ったその彼女が、私を見て最初に放った言葉はそんな言葉だった。
あの時は急いでいて問答無用で叩き伏せてしまった事もあって、
嫌われている事はある程度覚悟していたけれど……入店を拒否されては困る。
だって今日は私だけじゃないんだもの。私一人だけなら……その時は諦めようとは思うが。

「貴女が美味しい鰻を焼いてるって聞いたんだけど。」
「お前に食わせる鰻なんてうちには……!」

かつて魔理沙が教えてくれた時の事を思いだして、そう声をかければ
少しだけうわずった声でミスティアがそう返しかけて。
そこでやっと私の横に居た彼女の事に気づいたのか、
……そのおろおろとし始めた顔を見てバツが悪そうに語尾を飲みこんだ。

「無い……わけでもない……かな。」

少しして諦めたようにそう言って、私達に椅子に腰を下ろすよう促して。
二人揃って暖簾をくぐりきり、椅子に腰を下ろせばカウンター越しのミスティアが
首をかしげてこちらを見た後、さっそく串を焼き始めたのだった。

驚いた事、というのは二つある。
まず一つ目は手際の良さだ。鳥頭という非常に嫌な言い方があるけれど、
そんな事を感じさせはしない。もう何度も何度も繰り返した動きというのもあるのだろうが、
見ている側としてはとても緩やかに動いているように見える。
[焼き鳥撲滅を謳っているだけはあってさ、中々美味しかったんだ。]
そんな事を魔理沙が言っていたが……たぶんお世辞では無いのだろうな。
串を返し、火を調節し、また串を返して追加して。繰り返し繰り返しのその作業の合間を縫って私達二人分のお冷を準備したりして。
ちょっと感心するような手さばきだ。
……ちなみに私は手羽先も結構好きだ。
今そんな事を口走ったら間違いなく今夜の夕食は無しになってしまうから言いはしないが。
でもそんな考えをまるで覗いたかのように一瞬ミスティアがこちらを見て、僅かに目を細めたので
私は何事も無かったかのように視線を自分の横で嬉しそうな顔で座っている彼女に移したのだった。

何がそんなに嬉しいのだろう。
こういう所に来るのが初めてなのだろうか。
それとも日頃私が作った料理とはかなり方向性が違うからそれが楽しみになっているのか。
それとも単純に私が居るから?……等と色々自分に都合良く解釈したものの、
ふと彼女の視線の先を追ってちょっとだけ納得した。
カウンターの少し向こうに並んで見えるもの。それはお酒だ。
軽そうな物から重そうなものまである。焼酎が並んだかと思えば、
何故かそこに混じってワインまであったりする。
……しかし、なかなか良さげなワインだな。ちょっとどこかで見たデザインをしてるけど。

「あーそれね。ずっと前に紅魔館のメイドが買いに来た時に置いてったお代だよ。」
「……咲夜が?」
「そう。」
「自分でも作っちゃえそうな気がするんだけど。」
「んーっとねぇ……少し前にふらりと開店前のお店に来た事があったんだ。荷物を持ってたから恐らくは
必要な物を里で買い揃えた帰りなんだろう。準備自体は終わってたからさ、精力つくよって勧めたら、
どこからともなくそのワイン取り出してさ。交換出来るだけくれって言って、串持ってったんだわ。」

私達二人の視線を追った彼女が、額の辺りを腕でごしごしとしつつそう答えた。
どれ程の量を交換したのかは知らないけれど……一体どうしたんだろうか。
レミリアが串焼きをがっついているイメージはあんまり湧かない。
かといって咲夜もそうだ。あのメイド服が串焼きをがっついてたら……いやナイフで食べてそうだ。
でもそこまで脂っこい物が沢山入りそうな体もしてなさそう。
とすれば、まぁ皆で食べたんだろうなぁ。

「気になるなら、飲むかい?」

串の準備もある程度終わったのか、ミスティアがちらりとグラスを3つちらつかせる。
くるりと私が店主から横の彼女の方へと顔を向ければ、
どこか期待するように彼女はちらりちらりと私の方を見ていて。
それを見て私は苦笑いしつつも首を縦に振ったのだった。
これだけお酒を並べている店なんだから、つまるところ酔った客の扱いには慣れているだろう。
それこそ色んな酔い方をする客が来るはずだろうから。
見た所屋台に目立った傷みたいなのも無い……みたいだしね。

ポンっという音が鰻の脂焼ける音に混じって響き、
3つのグラスにワインが注がれる。1つは勿論店主自身のだ。
貰うと言っておきながら今更だが、これは果たして鰻に合うんだろうか。
ちょっと疑問じゃあるけれど……まぁ肉類として見なせばいいのかな。一応。
全員でグラスを手に取って、まずミスティアがちびりと飲み、私もそれに続いて一口。
一方のリリーはといえば、飲める事が相当嬉しかったのだろう。
一口。……一口でまた全部飲みほした。

「……良い飲みっぷり。」

それを見て、呆れたようにミスティアが私の言葉を奪って行った。

片手のコップでワインをゆらめかせつつ、鰻の蒲焼きを火の上で踊らせるミスティア。
その手の先の、未だに自分達の手元にこない蒲焼きを見ながら、
私の横で今か今かと楽しみにしている彼女。時折、2杯目のワインのそれではない
こくんという生唾が降りる様な音がするのと同時に彼女のちっちゃな喉が動くのが私には見えていた。
そういえば今日は食べる夢を見ていたんだっけ。……で、お腹にほとんど物が入っていないから
それはそれはとてもお預けを食らっているような気分なのだろう。
それは勿論、漏れず私にも言えた事だが。

「もうちょい時間欲しいんだ。……そのワインは自由にしてて良いからさ。」

ちらりと私達を見た彼女がああやっぱりという顔をしてそう言って。
お互いの喉が鳴る音、脂が落ちて焼ける音、皮が熱で弾ける音。
そんな音を我慢しながら、グラスの中のワインをどんどん飲み進めていったのだった。



「あんまり保存が利くわけでもないからさ、そのお酒は飲める人が飲んでくれればそれが一番なんだ。」

ふとミスティアがそう言って、褒められたと感じたのかリリーが
顔を赤くして照れ臭そうに髪の毛を掻いた。やっぱり扱いが上手い。
……都合の良いように利用されている。たぶん一本分全部払う羽目になるな。これは。
流石に二本目が見当たらないから、それ以上は無いだろうが。
彼女が嬉しそうに飲むから断ろうにも断れない。
手の上で転がされているというよりは、流れ作業の台の上をお手玉されているような感じだ。

「だって。……だからその一本は構わず飲んじゃって良いわ。」

せめてもの足掻きとして、一本という言葉をちょっと強調して彼女に伝えた。
けどもう、空腹にいきなりお酒を入れたのが原因だろうが、もう酔い始めている彼女には
たぶん私の言いたい事はあまり伝わっては無い気がする。
飲んでも良いっていう言葉だけを聞いてとても喜んでいるように見えた。
……可愛かったから、改めて付け足す気にもならなかった。

「そういえば、鰻って今この季節はどうやって手に入れてるの?」
「あーこれ?山の河童のにとりと親しくて。夏ごろにここに来た時に、たまたま用意していた
胡瓜の漬物をついでとばかりに出しておいたらウケが良かったみたいで。会話が弾んだからその時に
ちょっと頼んでみたら、新しいなんか道具の良い実験になるとか言って了承してくれたんだ。
だからこんな季節でも切らさず、あまり味も変える事無く出せるんだ。仕入にかかるお金は増えちゃったけど。
まぁ、だからさ。その分お客さん方に期待して……」

楽しそうに話を進めるミスティア。思えば屋台を営むようになった目的が、
焼き鳥を撲滅する事だからなのだろう。季節関係無く営めるようになったというのは
とても嬉しい事みたいで。でもそんな彼女がくるりとこちらに向き直って言葉を続けようとして
驚いたようにそのまま口を開けっ放しにしてしまったので、
何となく予想がついていた私が彼女の方へと視線を向ければ、
私の横でリリーが完全にワインの瓶をさかさまにして、最後の一滴をぽたぽたと入れている所だった。

「誰も貴女のそれを奪うつもりなんてないんだからゆっくり飲めば良かったのに……。」

結局彼女のグラスに入ったのは下から親指一本分程度の少ない量で。
それをくいっとすぐ飲んでしまった彼女にそう言えば、
既にかなり赤くなった顔をこちらに見せて

「美味しかった!」

なんて、私の言葉に関係無く嬉しそうに答え、笑った。
私の家で飲んだ時よりずっと上機嫌だ。単にあの時よりももっと酔っているだけみたいだけど。

「お待たせ。見た目よりもずっと熱いから気をつけてね。」

私が呆れて溜息を吐いた所で、視界の隅にすっとお皿が映って。
カウンターの方へと視線を向ければ、沢山の串を載せた一つの皿を
ミスティアが腕を伸ばして私に差し出していた。
それを受け取って、二人の間に置いて。続けて貰ったあたたかなお絞りで手を拭った。
彼女をちらりと見てみれば、贈り物を開ける前の子供みたいな顔をしていた。
目の焦点はちょっと怪しかったけれど。

遠くで焼けていた時からずっと、焦げるタレの匂いが鼻をくすぐり続けていて
焦らしに焦らされ続けてやっと出てきたこれであるが、
こうして目の前に出されるともっともっとその匂いというのは強烈で、
先客が横に居なくて良かったとちょっと助かった。
……もしも居たらとても待てるもんじゃないだろう。
鼻で匂いを取りこむだけで口の中が潤ってしまうようなそんな感覚までする位だもの。
後はもう安ければ言う事無いって言っても良いんじゃないか。
味を確かめる前なのにそう思ってしまう程で、
私は彼女と一緒に手を合わせると

「「いただきます。」」

と声を揃えたのだった。
お雑煮の一件があったからか、かなり彼女は入念に息を吹きかけていて、
そんな彼女を横眼にお先に一口貰った。……見た目よりはずっと柔らかい。
唇で挟んだ感じでは肉もかなり厚くて、それでいてちゃんと味も入ってて。
季節を外れてもこれだけ出せるなら、十分なもんだ。
丁寧に満遍なく行きわたらせていたタレの味も、
主張しすぎず隠れ過ぎず。

「おいひぃれふね。」
「そうね。……魔理沙が素直にそう言った理由が分かった気がするわ。」
「あのさ、聞きたい事があるんだけど。」
「お金ならちゃんと持ってきてるわよ?」
「いや、持ってこなかったら問題でしょ……!そうじゃなくて、何であんたがリリーと一緒にいるのさ。」

二人して鰻の身をほっぺに入れてもぐもぐしている所で、ミスティアに尋ねられて。促して出てきた
その話題は遅かれ早かれ尋ねられる気がした事ではあった。

「色々あったからよ。」
「……はい。」
「どういう関係って聞いた方が良かったのかしら。」

一口では説明しきれないからそう返せば、ミスティアが苦笑いしながら
グラスに余らせていた最後のワインを飲み干して、改めてそう聞いて。

「ど、どう見えますかっ」

何故かその言葉にリリーが反応して、逆にそう質問で返してた。

「……保護者?」

ミスティアがリリーと私をじっと見比べ、何度か首を傾げた後苦しむようにそう言った。
嘘でも恋人に見えるだとか言ってくれる事をこの娘は期待したんだろうか。
ただ、この娘自身にもちょっとそう見えるらしい自覚はあるのか、
俯いてしょんぼりとはしつつも首を縦に振ってた。
悪い事言った?とばかりにミスティアがその後私を見て。
私が横の彼女に見えない所でそっと小指を立てると、目を丸くして持っていたグラスを落としそうになってた。

「当たり前とばかりに自然としてるから……てっきりさ。そう思った。」

バツが悪そうにそう弁解したミスティア。
その言葉に俯いていた彼女の唇がちょっとだけあがったのが私の視界の端に映って。
私が次の串を手に取って口に運べば、気を取り直したように明るい顔を彼女もあげて、
私と同じように別の串を手に取ったのだった。



「どうだい。焼き鳥と比べて。」

私達が半分ほど食べた頃だろうか。ミスティアもなんだかんだ
自分で焼いた串を自分自身で噛みつきながらそんな事を尋ねてきた。

「この串、美味しいけど流石にこれだけじゃ判断着かないわね。」

リリーは串についていた身を口の中に入れてもぐもぐとしながら素直に首を下ろしていたが、
自信満々といった様子だったから私が少しだけ意地悪にそう言えば、
そんな返答が返ってくる事は粗方予想していたのかにぃっと笑って

「あの黒白にも同じ事言われたよ。勿論私だってこれだけで勝負なんてしてないよ。
色んな楽しみ方がある事を知ってもらわないと正直覆せっこないって分かってる。」

そう言いながら私達の前に小さな小皿を二つ置いた。
両方とも醤油を薄めたような色をしてて、どこか風味ある香りをしている。
何だかんだこの匂いには良くお世話になっているような……。

「天つゆさ。」

そう言って余っていた串のいくつかを取って、肉をひょいとまな板の上に載せてサクサクと包丁で切り分け
パッと衣をつけると、いつの間に準備をしていたのか油の中にどんどんと入れて行ってしまった。

「そういう発想良くできるものね。」
「物は試し、でやってみた内の一つなんだ。ただこれはオススメするよ?
食感を変える意味ではとっても変わるから。味の関係上、衣を出来る限り薄くしないといけないってのはあるんだけど。」

彼女自身がそう言っている間にぱっと揚げ終わってしまって、
早速出来た天ぷらが新しいお皿に載って串のお皿の横に並んだ。
こくり、とまた横の彼女の喉が鳴った音が私の耳に響いた。

「熱いけど、揚げたての内だけが美味しいから。」

そう言って促されて。早速横の彼女が箸で一つ手に取ってさくりといった。
……見ていてどれだけ熱いのかは良く理解できた。とりあえず火傷はしていないみたいだが、
彼女は熱さに慌てふためきながらも笑ってた。
ミスティアに差し出されたお冷を貰って、それで少し落ち着かせて。
こんっという音を立てて彼女がコップを置いて言い放ったのは

「こ、これならお店出せますよ!」

なんていう、相当酔った言葉だった。流石にミスティアも少し諦めたようにその言葉を聞いて笑ってた。
そんな二人を見ながら私も一度唇で触れて熱を確かめてからの一口。
彼女の言葉通り衣は薄絹みたいにとても薄くて、さくりという音と漂う香ばしさの中で
甘さが広がって行くというのはなかなか鰻では楽しむ機会の無さそうな感覚だった。

「うん。……なかなか。」

私も、そう付け足しておいて。安心したような息をミスティアが吐いてた。



「まだまだ、食べられそうかい?」

二人揃って出された物をほとんど平らげ、残りの串が2本といった状況になった頃、
リリーの方をじっと見つつミスティアが私にそう尋ねた。私自身は正直言うとまだ入るのだけど、
ワイン瓶一本そのまま開けた彼女はそれがどうやらお腹に結構来ているようで、
ワインの後はお冷を飲み続けている事もあってか、途中から私にすがるようにして座ってた。
お陰で非常にあったかい。というか暑い。

「そろそろこの辺にしておくわ。ちゃんと連れて帰らないといけないから。」
「あぁ、やっぱり神社に二人で居るんだ。」
「そういうこと。……えーっと、おいくらになるのかしら。」

私の言葉にミスティアが指をすっと立てる。
……財布の中身を知っているから改めて確認する気にはならないが、ほぼぴったりだ。
でもそれは困る。……空っぽになってしまう。財布だけじゃなく家の食材もだ。

「出来たら、少しだけ負けて欲しいんだけど。」
「んー、良いけどリリーをちょっと借りて良いかな。……別に手を出したりしないよ。」

そう言ってカウンターの向こうに居た彼女が、回りこんできて彼女の後ろに立って。
促されて暖簾を出たリリーに出した要求は、

「最近夜中この辺で歌ってるよね?あれ、歌って貰って良い?出来たらあっちを向いて。」

そんな要求だった。

「あれってこんな所まで届くの!?」
「届くよ?……耳が良い奴には、だけど。風向きとかも絡んでるとは思うけどね。
最近はお客さんも少なかったから、周囲の音ってのは結構聞こえてたんだ。」

思わず尋ね返した私の言葉に少しだけ悔しそうにミスティアが答える。
最近の天候のせいもあってか、恐らく少ないどころか来ない日もあったんだろうな。
特に人間はこの季節にこの時間は……あまり出たがりはしないだろう。

何度か耳に聞こえる位彼女が大きな深呼吸をして、落ちつけて。
それからゆっくりと歌いだした。日頃聞いていたのは温泉の中の座った彼女の声だったけれど、
今こうして聞く立った彼女の声は、正面から聞いてはいないものの
とても通るように静かな夜に響いた。
向こうの山に反響した声が僅かに私にも聞こえる位だ。
ミスティアも感心するように首を縦に振って。何をするかと思えば彼女の横に立つと、
その声に合わせて歌いだしたのだった。

歌詞も、リズムも。全部全く同じ。息を吸うタイミングや声の切り方も全部重ねてて。
……そこまで分かってしまう程聞こえてたのだろうか。

手つかずであまり飲んで居なかった私のグラスに入っていた残りのワイン。
それを手に取って二人で歌う彼女らの後ろで静かに聞き続けていたが、
宴会の時に聞く演奏よりも耳に残る声だった。
今日を聞き逃すといつ次があるか分からない、そんな合唱だったからというのもあるけど。
……ただそれを聞いているだけで、お酒がちょっと美味しかった。



「……うん。もういいよ。ありがとう。」

私のグラスの中身が空っぽになって少しして、ミスティアが一息吐いてそう言ってぽんと彼女の肩に手を置いた。
程なくして彼女の歌声も段々と小さくなり、そして止まって。
改めてミスティアがリリーに向かって頭を下げてた。
妖怪が妖精に向かって頭を下げているというのを見るのは何だか異様な光景ではあったけれど、
同じくらいの背丈で普通に笑い合っている二人が何だか私には羨ましく見えていた。

「それじゃ、御馳走様。」
「はいよ。また来て頂戴。」

私からお金を受け取って、屋台の方へと戻って行くミスティア。
酔っているのに本気で歌おうとしたからなのか、へろへろになったリリーを背中にしょって地面を蹴って空中へと出れば、
視界の先に幾らかの陰が屋台の方へ向かっているのが見えた。
……本当、良いように利用するのね。

「お腹いっぱいです。」
「そう……ひょっとして苦しい?どこかで休んで行く?」
「いえ、気持ちいいのでこのまま。」

ぺたんと首もとに置かれた彼女の頬。お酒の吐息が肩を撫で、
彼女の腕が私の鎖骨を包んで。
本来のそれに比べて重たい事を考えなければとても気持ちの良い外套みたい。

「月、綺麗ですね。」
「そうね。」

もうすっかり月は高い所に昇っていて。どちらかというともう後は沈むだけになっていた。
日付が変わる前には帰れそうだが、結局まるまる一日ほとんど何もせずに終わったなぁ。
でもまぁ、それもいいか。お休みとして考えれば、それで良い。
どうせもう少ししたら忙しくなるのだから……。



神社に帰りついて、ちらりと境内の方も見て見たが、やはり誰か訪れた様子は無い。
魔理沙以降の参拝客は0、か。魔理沙のあれは参拝とは言わないのかもしれないが。
お財布が完全に空という訳ではないから、まだ大丈夫だが少しずつ配分というものを考えないといけないかもしれない。
あんまり、彼女の悟られない範囲で。

「霊夢さん。」
「うん?」

寝室に戻って彼女を布団の上に下ろして、袖の中でほとんどただの布袋になってしまっていた財布を片づけて。
急に名前を呼ばれたから何だろうと思って振り返ってみれば、
彼女がお布団の上で正座して私の方を向いていた。

「大事なお話?」
「はい。」
「それは明日じゃなくて今が良いの?」
「……言える勇気がある内に言ってしまいたいのです。」

どうやら真剣な話ではあるようだが、少し眠たげで。
ここ数日でお互いあれこれ言いあったお陰で私の方はと言えば胸の中がすっきりしていた所だったから、
何か他にあったかなぁと考えを巡らせてみるものの……特別ぱっと浮かんでくるものがなかった。

「正座、つらくない?」
「……ちょっと、足を伸ばしたいです。」
「じゃあ伸ばせばいいのよ。……よいしょ。」

彼女の横に腰を下ろして、長く伸ばした足の上にとりあえず掛け布団をかけて。
少しして伸ばされた彼女の足がこつんと私の甲に触れた。

「それで、どうしたのかしら。」
「年を、越しましたよね。」
「うん。もう、2日も終わるわね。」
「霊夢さんは、私のお仕事を御存知ですかっ。」

お仕事?

「貴女が、春だなんだと空を楽しそうに翔けていくのを見たりはするけれど。」

元々それで貴女を知ったのだ。
一度、その時の非常に上機嫌な彼女とすれ違った事もある。非常に危険でもあったけれど。
どこか、お風呂上がりで体を拭かないまま家の中を走り回る子供みたいで、
あの時はとても幼さの様な物を感じていた。見た目、も勿論あったかもしれない。

「です。私は、春を知らせる為に居ますから。でも知らせる為には、
その足音をちゃんと聞かなきゃいけない。春の訪れを、探さないといけないんです。」
「そりゃぁ、誰かが教えてくれる訳じゃないからね。……私達と違って。」

頭の中にある言葉を整理するように、いつも以上にゆっくりと話すリリー。
目は相変わらず閉じたままだったけれど、掛け布団の上に置かれた彼女の手の指先は
さっきからせわしなく動きっぱなしだ。落ちつきが無いというより、落ちつこうとしているように私には見える。

「それで。……ここを出ようかなって。」
「……飛んだわね。春なんてまだ先でしょう?いつも貴女を見るのなんてあと2月くらいはあると思うんだけど。」
「確かに、それはそうなんです。春と言えばもう少し先だってたぶん皆々、分かってます。
霊夢さんだけじゃない、里に居る人や妖怪の山の方、私の友達や冬眠してる蛙さんだって。でも。」
「でも?」
「でも、それは探す事を先延ばしにする理由には私の中ではならないんです。
ひょっとしたら、今年の春はとても早いかもしれない。
ひょっとしたら、私の気付かない所で春が訪れているかもしれない。
[ひょっとしたら]、[かもしれない]。そんな不確かでも……。」
「真面目なものね。」
「真面目です。大真面目です。……とっても、大事な事です。」

彼女のせわしなく動いていた手が握りこぶしに変わって。
彼女が閉じていた目をそっと開く。ずっと過去から今までを遡って思い出しているような、
どこか遠い目。握りこぶしを見つめたまま、しばらくずっとそうしてた。

「いつかはそういう話題になるかなって思ってたけど。本当に、早かったわね……。」
「正直、私も話さなくて良かった事ならそうしたかったんです。勇気が出てこなくて。
だから……今日はお酒の力をちょっとお借りしました。」
「で、それがなんで私の家から出る事に繋がるの?」
「それは……。だって、私が外に出たら頼まれた時にお手伝い出来ないです。」
「朝から、晩まで?」
「朝から、晩までです。」

彼女は一体どこまで考えてからこの話を切り出したのだろう。
私の答えは決まってる。そんなのは嫌だ。お断りだ。
……そういう風に言いたくは無いが。もっとあるはずだ。ちゃんと。
彼女のやりたい事阻害する事なく、今を少しでも維持する事。
決して難しい事じゃない。でも、お手伝いが云々について返せば彼女の口からまた別の言葉が出るだけだ。
大事なのはそんな事じゃない。もっとあるんだ。例えば……

「貴女、それでじゃあここを出たとして。どうするの?」
「いつも通りに、するつもりです。」
「……出来ないでしょう。本当は。貴女、どこに住むの?」
「それは、……まだ未定です。」

私は貴女が来た理由を知っているから。
だからそう聞かれるのは分かってたはずよね?

「じゃあもう一つ。ちゃんと食べていける?」

彼女が口をつぐむ。出せる言葉が見つからないという感じだ。
だってそうだ。結果として助けを求めに貴女は来たのだもの。
住む所が無いから。それは、ここ数日でひっくり返った事じゃない。
まだ外で雪が降る事もある。今日だって雪の積もった山を見た。

「……今まで以上に、霊夢さんの肩を借りてばかりになってしまうのかなって。
非力でも、私だって霊夢さんに背中が貸せるようになりたいです。貸せるようにしておきたいんです。」

諦めたように彼女が呟いた。
とりあえずこれで、彼女が危ない生活を送らずに済む事は出来るとして。
後は……その気持ちだな。人の事を考えてなんとかしようとするのは凄い良い事だとは思うけど、
やっぱりその部分で頭でっかちになりがちというか、焦っているというか。

「じゃあ、じゃあね。貴女がもしも春を見つけたその時は、一番に教えてよ。一番に。真っ先に。」
「それで、良いのですか?」
「それでって言うけど。この世界は狭いようで広いわよ。いっぱい居るのよ。私以外じゃない。
貴女が伝える相手は、人や妖怪だけじゃないでしょう?その中で、一番最初。十分でしょう。」
「……本当に?」
「くどい。」

私がそこまで言えば、彼女が私をまっすぐに見上げたまま、口を閉じて。
それからゆっくりと眼を閉じた後で頭を縦に下ろした。

「……ごめんなさい。」
「あぁもう。頭は下げなくていいわ。元気な顔して頂戴よ。……しかし、逞しいものね。
まだちょっと頼りないけど。私が貴女だったら、たぶんそのまま黙って居座ってるわよ?」
「だって、胸の中のもやもやが無くなるとご飯がおいしくなるじゃないですか。」
「それはそうなんだけど。……って、その言い方。私がこういう風に答えるの分かってたの?」

そう言えば彼女は笑ったまま首を横に振った。
閉じていた目が開いて、二つの目が私を見つめる。
とても嬉しそうな目。お酒に酔った時の目でもあり、少しは見慣れたものの
ちょっとだけどきりと来るそんな目だ。

「いいえ。でも、ちゃんと相談すれば一緒に考えてくれるって信じてましたから。」

満足したように、そのままぱたんと布団に倒れこんで。
両手をぐっと横に伸ばしたものだから、今度は私が彼女の腕の上にお邪魔した。
頼りない腕だけど、思えばこの前はこの腕が私を持ち上げたんだっけ。

「まぁそれなら、良いわ。」
「はい。」



彼女の口から出る言葉が止んで、私も口を閉じたまましばらく彼女の腕枕で一休みしてた。
眠い訳じゃない。ずっと寝てたのだから当たり前でもあるが、
この腕の上というのは気持ちが良くて離れる気がしなかった。
胸の上や背中を抱貸せてもらった時程じゃないにしろ、
これも少し意識を集中すると相手の鼓動を肌で感じる事が出来る。
頑張って血を送ろうとぴこぴこと血管が動くのが良く分かるのだ。
勿論それは、私の頭が重いからということであるが。
分かるのは鼓動だけじゃない。痺れてきたからと彼女がちょっと指先に力を入れたりする
そんな小さな挙動だって、此処にいれば分かるのだ。
たぶんもう少ししたら、指先がびりびりした感触になるだろうな。どこまで持つだろう。

「霊夢さん。」
「なぁに?」
「もう少し、起きていて頂けるんですよね?」
「そう約束したじゃない。貴女が寝てしまうまでは横で起きてるわ。」
「今思ったのですが。」
「うん。」
「私霊夢さんより後に寝た記憶がほとんど無いです!」

そりゃそうだ。私はいつも貴女の寝顔を見てから寝るんだもの。

「だから今日は霊夢さんが寝入る瞬間を見たいです!」
「私、正直今ぜんっぜん眠くないわよ?起きていようと思えば朝まででも。」
「そうです。そうだろうと思うんです。だから……。」

ぐっと私の頭の下に敷かれていた腕が強張って、
そのまま腕を残したまま半回転して私に覆いかぶさった。
顔が近くて、彼女のちょっとだけ荒い鼻息が私の唇を撫でる。
さっきからしていた葡萄酒の匂いが一層濃くなったように私は感じた。

「霊夢さんが疲れてふよーっとした顔になるまで頑張ろうかと!」

そう言って勢いに任せたように彼女が唇を重ねてくる彼女。
果たして貴女の思うように行くかしら。この前だって堪え切れずに途中から求めて来たじゃない。
結局あの時は貴女が疲れ切って先に気持ちよさそうに寝ちゃったし。
結局貴女がそんな顔をまた見せて終わりじゃないのかしら。
それに貴女は……。

「ひゃぁぁ!」

真っ直ぐ過ぎて詰めが甘い。



~~



どうしよう。霊夢さんを腕枕出来た事はとっても嬉しいのに、腕がびりびりする。
指先が腫れた見たいにトクトク言ってる。なんかちょっと冷たい。
でも霊夢さん嬉しそうにしてくれるから、とても言いづらい。
こんなに目の前で、こんな自然に緩んだ顔の霊夢さんを見る機会なんてそんなに無かったのに!
ああでも腕の先がびりびりするよぉぉぉ。どうにか、しなきゃ。

「霊夢さん。」
「なぁに?」

じりっと髪のねじれる音をさせながら私の方を見上げた霊夢さん。
流れる綺麗な髪。部屋の中にちょっと入ってくる光のお陰で、
少し反射して眩しいって思うけれど、ずっと見て居たくなる程綺麗。
でも綺麗だなんて思ったりするよりも、腕に触れる髪の毛が今はくすぐったくて仕方が無くて。

「もう少し、起きていて頂けるんですよね?」
「そう約束したじゃない。貴女が寝てしまうまでは横で起きてるわ。」
「今思ったのですが。」
「うん。」
「私霊夢さんより後に寝た記憶がほとんど無いです!」

霊夢さんの頭の下から自然に腕を引き抜きたい。
出来る限り、気付かれないように。そうするのが当然みたいに!

「だから今日は霊夢さんが寝入る瞬間を見たいです!」
「私、正直今ぜんっぜん眠くないわよ?起きていようと思えば朝まででも。」

霊夢さんが頬を緩ませた。この顔は好き。大好き。
許されるならほっぺに、ほっぺにちゅって。あぁでも先に指で押してもみたい!
……でも、何だかいつもと違う。目だ。
目がちょっと、いつもと違う。笑ってる目だけど……ひょっとして気付かれたかな。

「そうです。そうだろうと思うんです。だから……。」

だったとしても、別の事で気を引けば……!

「霊夢さんが疲れてふよーっとした顔になるまで頑張ろうかと!」

そう言って、赤い霊夢さんの唇に顔を下ろした。
ちょっとだけ、何かされるかなって思ったけど素直に受け入れてくれて。
ちょっとホッとしてそーっと腕を引き抜こうとした所で、
腕にびりりとした感触が急に走った。
びっくりして、変な声が出た。何か腕にされてる!そう思ってぱっと顔をあげると、
霊夢さんが人差し指で私の腕をゆっくりなぞってた。
今は手のひらの真ん中にある霊夢さんの人差し指。
びりびりした感触と一緒に柔らかいなってなんとか判断出来る感触が一緒になって伝わってくる。

「……痺れてるでしょ。」
「……はい。」

ばれていた。

「いつか、慣れるわよ。」

霊夢さんが私の頭を撫でながら、そっと頭を持ち上げて。
よいしょという声と一緒に、私の腕をそっとそこからゆっくりと引き抜いた。

「素直に言えば良いのに。」
「わ、私だってたまにはちょっと格好良くしたいです。」
「へぇー。」

そう言ってにんまりとした霊夢さんが、やっとびりびりが取れてきはじめた腕をまた指先でなぞった。
猫じゃらしで撫でられたみたいな、さっきより弱いけど今はそんな感触で。
また変な声が出そうになって。霊夢さんが声を出して笑った。

「それはそれは、頼りがいがあるわね。」

そのまま霊夢さんが私の手を胸の前で両の手で包むように重ねて、撫であげた。
ぞわぞわした感触が一気に体の中を走って。痛くは無いけど、とてもむずむずして。
思わず体がぶるぶると震えた。

「ま、まだ敏感ですから!」
「うん。知ってる。で、今日は頑張ってくれるの?」
「な、何をでしょう。」
「私をふよーってさせたいって。」
「もも、勿論ですとも!」
「……少し忘れてたでしょ。」
「そ、そんな事は無いです!」

また、意地悪そうに霊夢さんが笑って。
今度は一体何をするのって思ったら、私の人差し指を包んでいた手から取り出して、

「あむ。」

口に咥えたのだった。驚いたのもあったけど、でもそれよりも先に
色んな感触が腕からどんどん伝わってきた。
あったかい感触。びりびりした感触。ふにっとした唇の感触。
少しとろんとした唾液の感触。舌で舐められるぞりぞりとした感触。
硬くて、重ねているだけでずきりとくる歯の感触。
とても刺激が強くて、私の歯がカタカタ鳴りそうだった。

「ん……。」

でもそんなのは最初だけだった。霊夢さんがじっと私を見ながら、
歯を当たらないようにしてくれたり、咥えていた唇の強さを変えてくれたり。
色んな刺激でいっぱいいっぱいだった腕から先が、
急に心地いいものに思えるようになって行く。全く痛くない訳ではないのに。
それに、それに何より……霊夢さんの顔が。
妙にその、見てるだけで顔が熱くなってくるような表情で。

目を離すと勿体無い気がして、でも見ているとこっちまで恥ずかしくて。
頭の中がぐるんぐるんしてくる。指先にくる刺激だけがハッキリしてた。

「霊夢さん、顔があの。……えっちぃです。」
「ん……ふぅ。鏡見てから言って欲しい物ね……んむ。」

……余計に顔が熱くなった。



私の指からやっと痺れが抜けた頃、霊夢さんがゆっくりと取り込んでいた指を引き抜いた。
てらりとした自分の指が、自分のもののはずなのに何だか別物のように今は見えた。
……ちょっと自分で咥えたい。けど、咥えてしまうと何かに負けたような気がする。
そんな事考えてたら、覆いかぶさっていた私の体をひょいとひっくり返して今度は霊夢さんが上になった。

「さて。」
「さ、さて?」
「次は、どこにしてあげよっか?」

さっきとは違って濡れて光る唇で霊夢さんが笑って。
ずっと指先に集まっていた感覚が今度は全身に走ってった。
ぞわっとした。……想像してしまったから。

でも。

したい。してほしい。もう少しこの霊夢さんの顔が見れるなら。
恥ずかしくったって、私はして欲しい。

「うんしょっと。」

霊夢さんが体を起こして、私の太股の上に座った。

「どこが、良いのかな?」

そう言いながら霊夢さんの人差し指が色んなところをなぞりはじめた。
手のひらから腕。肩から、首。私の頬。耳。顎先。鎖骨。そして、お胸。

「ひとつだけ。……舌乾いちゃうから。ほら、どこが良いのかなー?」

くすぐるように撫でながら、霊夢さんが楽しそうな顔をする。
そんなの決められない。だって、……どこも気持ちよさそうなんだもん。
どこにすれば、どこにしてもらいたいのか、自分で分からない。

「おま……」
「ほう。」
「おまかせ……じゃ、駄目ですか。」
「……ふふん。だーめ。」

そ、そんな。えと、どうしよう。も、もう何処でも良いんだけど。
あぁもう胸の中が五月蠅くて何も考えられない。
……そうだ。



~~



「おまかせ……じゃ、駄目ですか。」

結局今日も私が上ね。頑張るとは言っても、貴女はやっぱり弄られる側じゃないかしら。
流れが出来ちゃうとそのままふよふよ乗っちゃうというか。ノリが良いとは思うけども。
でももうちょっと積極的な気持ちを保てないかしら。
貴女に甘えられるのはとても大好きだけど、私だって貴女に甘えたいし、
それに貴女が何を求めているのかもちゃんと聞いてみたい。
夕食のおかずをいつもお任せ、というのは困るのだ。

「……ふふん。だーめ。」

いつもならそれで私も合わせるけれど、今日位はそう言ってみよう。
だって貴女は頑張るって言ったんだもの。見せて頂戴よ。まかせきりじゃなくて。
ああでも言ったとしても結局貴女が下なのね……。
いっそのことこのまま私を布団の上に引き倒してくれないかしら。
あぁもう何でもいい。貴女の気持ちをもっと見せて欲しい。
遠慮しなくて良いから。

彼女が深呼吸した。……さあ、お次はなんて返してくれるの?

「脱ぎましょう!」
「……え?あ、あぁ。そうね。……そうしましょ。」



ちょっと拍子抜けして、お互い起きて服を脱ぐ。
彼女のやる気がまた戻ったのは良いけど、こっちの気がちょっと飛んでった。
間違ってるとは言わないけど、なんていうか。
それは二の句じゃないのかなぁ。……お任せっていうあれを一として数えると確かに二だけど。
ふと彼女を見ると、脱ぐのにまだ少し手間取ってた。
お酒の入り過ぎもあるのかもしれない。ひょっとしたら威勢はあるけど体が思う様に動かないとか。

「ほら、袖の方持ってあげるから。……うん。頭抜いて。」

裸のまま布団の上で座るのが寒くて、脱ぎかけの彼女を手伝って。
最後の一枚もはぎ取って布団の脇へと畳んでおけば、
深呼吸を繰り返す彼女が、とんと私を布団の上に押し倒した。

「……します。」
「はい?」
「お返し、します。」

彼女がさっきまで寝ていたお布団だ。
結構汗もかいたようで、ちょっとしっとりとしてて包むような温もり……そして匂い。
この娘の分身に後ろから抱きつかれてるような気分すらする。
何だかんだ押し倒された事が嬉しくて、そのままわくわくして待っていると
彼女がぐっと私の体の下に手を差し込んでぐるんとひっくり返して。
何をするのかと思えば、私の背中に彼女の顔が降りた。

熱くちっちゃな感触が肩甲骨の傍をつん、つんと走る。
彼女が口づけしたんだろうなというのが、それで濡れた肌とかかる息で分かった。
なんで、そこなんだろう。指でもなければ、ほっぺでもなく、胸でもなく。
確かに彼女は私の背中に抱きついてくる事も多いからそこが好きというのはあるのかもしれないけど。

熱くてちっちゃな感触が、じっとりと濡れた感触になったのはそれからすぐの事。
ぞくっとした、あんまり得意じゃないくすぐったい感触が直接背筋に流れ込んで、
きゅっと布団を手のひらに握った。

最初は飴玉を舐めてるみたいだと思った。久しく食べて無い。
酔って気まぐれにやってきた紫がにこにこしながら袋に入った飴玉を提げた袋から取り出して
置いて行った事があったけれど……もう無いものなぁ。口寂しい気持ちが無くなる優れものだけど、
お陰ですぐ無くなっちゃった。ただあの時はもう口の中でぐりぐりとやってたもんだけれど、
この彼女の調子で舐めてたら一粒食べるのに一日かかってしまいそうだなぁ。
ゆっくり楽しむのが好き……とは違うな。何だろうこの感じ。

……丁寧、だ。私はただ彼女の指をそうする時は、
彼女がどんどん恥ずかしがってしまう様に舌を運んだけれど、
そんな意識がまるで感じられない。怪我して痛い場所を慰める様な、そんな感じ。
でもそこを怪我した覚えは……無いなぁ。



最初はくすぐったかった舌先も、段々と慣れて来てされるがままで過ごすようになって
どれ程時間が経ったのかな。最初は高鳴ってた私の心臓も、彼女の心臓も今は
ただゆっくりとした音を静かに立てている。

「……ふぅ。」

彼女が顔を離して、体を起こして。
私がゆっくりと上半身を捻って彼女の方を見てみれば、
妙に穏やかな顔になった彼女がそこに居た。
そして、その向こうにちらりと見える光る物。
いつも見ているはずのそれでやっと思い出す。
……あそこは、私にとっては何も無くても彼女にとっては大事な羽の、その根元だったんだ。
そういえばいつぞや背中を拭いた時位だ。あそこに触れようとして触れたのは。
とても敏感だったから、ずっと刺激しないで居た所。

あれ。私どうすればいいんだろう。
彼女はひょっとしてそこを舐めて弄って欲しいの?
それとも、あそこはとても大切な場所だからもっともっと丁寧に扱って欲しいって事?
どっちなんだろう。……分からない。

「……さっきのお返事なのですが。」

たぶんひょっとするとひょっとするのだろう。
もう考えていた事だし、その言葉が最初に出てくるという事は。

「私の、背中を、お願いします。」
「貴女みたいに?」
「それはお任せです。でも場所は……背中です。」

大事な部分だけはにっこりと笑ってごまかして。
私が次の言葉を出す前にごろんと横に寝そべった。
さっきまでゆらゆらと動いていた羽が大人しくなって。
頭が回らないままでありながらも、私はそこに口づけしたのだった。

……凄く冷えてた。当たり前だ。
裸でずっと、上にいたのだもの。
だからせめてと、体に腕を回して抱きついてゆっくりと舌を肌に載せたのだ。
彼女の薄い筋肉が強張る。弱いのは分かってるんだ。

彼女が何も言わなかったのだから、私も何も言うつもりがなかった。
舌先も、私がさっきしていたそれをそのまま……と、そう頭で思いながら舌先を運んでみようとする物の、
今は少しずつ冷え始めている私の背中に残っている彼女の舐めていた時の感触が、
それを素直にさせてくれない。どうしても意識してしまうのだ。

恥ずかしそうな表情をさせたい。
大切に扱いもしたい。
両方したい。そんな気持ちが行ったり来たりする中で、
私が上になってこうして舐める事になってようやく分かった。
満たされる感覚がある。されている時よりも、している時にだ。
彼女だとひょっとしたら違うのかもしれないが、私は……そうなのだろう。
いや、そうだったんだ。

彼女が喜んでくれる姿を見るのが、好きだから。
自己満足ではあるのかもしれない。
……でも、否定する気にならなかった。
後は何をもって喜んでいるか、だ。

私の元々のやり方でも、彼女のような舌使いでも結局彼女は喜んでくれる。
ただ、……方向性の違う喜び方だなっていうのは分かってる。
前の方は色々混じってるんだ。
とりわけ、好きな相手とこんな事をする恥ずかしさ。
それは、彼女のようなそれには正直含まれてる気がしなかった。
恥ずかしい物ごととしてではなくて。
炬燵に入ってお互いに肩を寄せている時の延長線上。
ご飯を食べている時の延長線上。
……そんな感じなのだろう。
とりとめもないそんなやり取りが、ただお互い裸になっただけ。

私は、そんなとりとめもない時間が大好きだ。
好きでしょうがない。十分に余裕があって、でもちゃんと誰かと……リリーと一緒に居るんだって気持ちになれて。
彼女も同じような事言ってたっけ……。

「霊夢さんは優しいです。」
「うん?」
「なんとなくまた、そう思いました。」
「……寒くなってきたから、ちゃんと布団入ろうか。」
「そうですね。」



「やっぱり、意識しましたね。」
「するなってのは難しいわよ。」

二人布団に並んで入った所で彼女がこっちを向いたから、
とりあえず舐めるのはもうこれまでなのだろう。
ちょっとだけ出してた舌先を引っ込めると、少しだけ乾いてた舌先が
段々また潤いを取り戻す感触がじわりと戻ってきて。
一緒に彼女の匂いが口の中に広がって行った。

「寝ている子猫の耳を舐めるお母さんの猫を頭の中に思い出して頑張ってみました。」
「……そんな事考えてたのね。」

彼女が楽しそうにそんな事を話し始めた物だから、少し私も安心した。

「昔、離れた所からそーっと見守ってた事があって。
……家族ってものがちょっと羨ましくなったりしました。」
「貴女からすると私は子猫ちゃんなのかしら。」
「そ、そういうんじゃないです!ただ、……あの時の子猫は、こう。
ふよーっとした顔で、心地良さそうだったんです!」

ふよーっとした顔って、そういう顔なのか。
……しかし、即答でそうじゃないと言われたのはちょっとショックだ。
格好良く見られたいとも思うけど……可愛くも見られたい。
こうしてみると大層自分がわがままに思えてくる。

「そういや、子猫の耳をって話してたけど。貴女がしてくれたのは背中よね。」
「み、耳だと霊夢さんに途中でふり向かれてなるがままになってしまいそうな気がしたので。」

確かに、急にふり向いて唇奪って彼女をあたふたさせるのは楽しそう。
実際そんな事をされたらそうしただろう。

「それに、あそこは敏感かなーって思って。」
「貴女はあそこを触れられるのが苦手だと思ってたわ。」
「得意じゃないですけど……霊夢さんに触れられる分には大丈夫です。」

その割には凄い声をあげられた覚えがあるけども。

「そっか。覚えておくわ。」

今度寝ている時にでもゆっくり撫でてみよう。
……蹴られないようにしてから、だけど。



「そうだ。」

ふと思い立ったのはそれからすぐの事だ。



~~



「そうだ。」

私が言った言葉にあれから小さく何度か頷いていた霊夢さんが、
ふと顔をあげて小さな声でそんな事を呟いた。
ちょっと悪戯っぽい笑顔で何をされるかなと思ったけれど、
ぱっと近づいて顔を私の胸元に埋めたっきり何かをしてくるという事は無かった。

どうしたんだろう。そう思った所で、
もぞりと頭を動かして私を上目遣いで見上げると霊夢さんがさっきよりも小さな声で

「にゃぁ。」

と、言った。しばらくの間何を言っているのか良く分からなかった。
少しして猫のお話を思い出して。子猫さんの真似をしてるんだろうと気付いて。
ならばと思って耳を舐めようとしたけれど……そこまで首は回らなかった。
だから、代わりにと背中に手をまわして、
あったくなってきた体を抱きしめたのだった。
それからすぐに、急に背中にぞくっとしたものが走った。
胸の先っぽがとってもあったかいものに包まれて。
霊夢さんの顔を見てみれば、私の胸の先っぽをちっちゃく口に含んだままの霊夢さんが
じーっと私を上目遣いで見つめ続けてた。
ちょんと唇を突き出したままのその顔が、何だかとっても可愛く見えて。
私の耳が熱くなる感覚がした。

それから目を逸らしてしまうのはとっても勿体無い事だと分かってたから、
私も恥ずかしいながらじっとその顔を見てたけど、
霊夢さんは霊夢さんでやっぱり恥ずかしかったみたいで、
しばらく目を合わせている内に段々顔が赤くなっていった。
日頃から格好良くて綺麗な霊夢さんが、今日は凄く可愛く見えて。

「可愛いです。」

思わずそう言えば、一度目を見開いた霊夢さんがぎゅっと目を閉じて
強く吸ったりしたもんだから、変な声が出ちゃって。
抱きしめてた手に思い切り力を入れてしまった。

ひとしきりに吸った後に、恐る恐るといった様子で私の顔をちらりと見上げて。
まだ私が見ていたからなのか、咥えたまま視線がちょっと行ったり来たりしてた。
そういえばずっと見つめられるのが苦手って魔理沙さんも言ってたっけ。
……もうちょっと頑張ってみよう。

「霊夢さん。」

居た堪れない様子で胸へと戻した霊夢さんの視線を、名前を呼んでまた引っ張って。
ちっちゃなちっちゃな声で、呼び続けて。今度は目を閉じられそうになったから、

「私、おっぱいは出ないですけど、霊夢さんへの気持ちはそこに沢山詰まってますから。」

付け足すようにそう告げて。抱いた頭の頂にキスさせてもらった。
……抱いた顔も、耳も。段々と熱を帯びて、最初に湯たんぽを頂いた時の事を思い出しながら、
ぎゅっと抱きしめた。

「……さっきのお返しです。」

肌に触れる霊夢さんの、ちっちゃな鼓動が私よりも少しだけ早くて。
今は、それが妙に嬉しかった。



~~



このまま顔を見続けてたら心臓がいくつあっても足りない。
そう思って目を閉じても、そんな事を言われるもんだからもう恥ずかしくて恥ずかしくて。
この事態を招いたのは自分の思い付きが原因だとは分かってたけれど、
そこは嬉しくも悔しくもあって。
私は抱きしめて貰っていた自分の頭をゆっくりと引き抜くと、

「私のにだって詰まってるわ。」

そんな事を彼女に言っていた。
何をむきになってるんだろう。そんな事は彼女は言わなくてももう知ってるんだ。
言ったら言っただけ、

「知ってます。だから、そこが気持ち良くていつもお世話になってます。」

なんて事言われながら頭を埋められるのが見えてるんだ。
……でもあったかいし、もうこれはこれで良いや。

「背中、抱き締めさせて。」
「はい。」

言葉で言い負けるならば、行動で。
くるりと振り返った彼女の体を抱きしめる。
とっても、落ちついた鼓動。余裕ある鼓動。私より、ってだけだけど。
抱きしめていた手でお腹を撫でた。
最初見た時は、飲み過ぎもあってかちょっと膨れてたように見えてたお腹も、
今は少し落ち着いて見えた。あったかくて、気持ち良くて。
ぎゅっとここを抱きしめる事は出来ないけれど、そうしたい位の肌触り。
それはいつも思わされる。

そのまま彼女の足の付け根へと指を伸ばした。
ハッとなった様に彼女が足を閉じて、空いていた手を私の腕に添えて。
でも止めようとはしなかった。

ほんの少しだけ、濡れていた。
汗も混じっていたのは確かだろうけれど、少しだけ違う感触もある。

「夜はまだ長いし、まだ眠くならないし。……していい?」
「……はい。」

仕返しの仕返しじゃあるけれど。
……ゆっくり楽しんでもらおうかな。



「足、力抜いて。うん。……そう。」

大事で敏感なお豆さん。一人でする時は、そこばかりを弄るけれど
その周りを包む柔らかいお肉を弄るのも、私は結構好きだ。
ずっとずっとお豆さんを弄るより弱い刺激だけれど、
何だか妙に期待をしてしまう刺激なんだ。勿論それは、
誰かにしてもらった時の……そういう刺激。

「はぁっ……。」

息を押し殺すでもなく、吐きだしながらその中に色を混ぜて小さく部屋に響かせる彼女。
苦しませたい訳じゃないから、息を吸うタイミングだけは邪魔しないであげて。
吐きだすタイミングに合わせて、ゆっくりと撫でまわす。
段々早くなる鼓動に優越感を覚えながら、
いつもより優しく。ゆっくりと。様子を見ながら手を動かしていた。

どこまでやってしまえば彼女が達してしまうのか。
それも、何となく鼓動から分かるようになってたから、
それに近い所まで来ては手を緩め、また近い所まで誘っては緩め。
ほんのちょっとだけ意地悪して、私の腕にしがみついてた彼女の手が、
不満を帯び始めた所で、ぎゅっと抱きしめて。一気に導いたのだった。
彼女から聞こえていた荒っぽかった息がふっと聞こえなくなる。
覗きこんでみたらぎゅっと目も口も閉じて耐えてた。
ぴくんぴくんと跳ねながら、必死な表情。顔を真っ赤にして、湯たんぽみたいな熱さにして。

……可愛かったから、いつもならそこでほとんど緩めてた手を更に強めた。
彼女の体がもっと強張って、抱きしめていた私の腕に彼女の爪が食い込んだ。
ちょっと痛かったけれど、少し体をよじってはびくりと震わせる姿を見るのは堪らなく楽しくて。
たぶん今鏡を見たら、悪魔見たいな表情をしてたのかもしれない。



「……っはぁ。」

びくりと痙攣する彼女の股の間から手を抜いて、彼女の胸を抱きしめて。
しばらくして落ちついた所で、彼女がそんな息を吐いた。

「たまにはこういうのも良いもんでしょ。」

そんな事を尋ねてみれば、怒ってしまったのか返事が無かった。
顔色を窺って見れば、完全に意識をどこかにやってしまったようで、
ちょっとゆすってみても反応してくれなかった。
待ってたら息が寝息に移ってしまって。
……かなり、後悔した。

「ね、ねえ。私の分は?」

もう一度声をかけるものの、やっぱり反応してくれない。
どうしよう。まだまだ眠くない。というより、羨ましかったから、ちょっと私も欲しいんだ。
……一人で、しようかな。仕方ないよね?



彼女のくてんとした表情をぼーっと眺めながら自分の体を撫でさすった。
結構汗をかいてしまっているのだなぁとちょっと思ったけれど、
大半は彼女を抱きしめていた間についた汗だ。
そんなだから布団の中で目を閉じているだけで彼女に包まれているような感覚はある。
ここに居ますよとばかりに肌を叩いてくれる鼓動こそ、触れて無い今は得られないけれど、
代わりとばかりに気持ちよさげな彼女の吐息はすぐ傍で聞こえていた。

先程まで彼女を弄り倒していたその指を、同じように自分の股へと這わせる。
……とてもさらさらとは言えない感触。勿論指についていたそれが原因だ。……8割位は。
せっかく気持ちよさげに寝ているのに変な息使いを聞かれたくなくて、
布団の端っこを唇に咥えて。そっと目を閉じて指を動かして行く。
この前した時の事もあってか、寝ている彼女のお股に擦りつけているかのような気持ちだ。

願えるならば彼女の指であったならもうちょっと、趣があるのだけど。
でも自分の弱点は自分が一番知ってるからなぁ。
歯がゆい所というか。彼女が気づいてくれたらなぁ。
あぁでも、彼女はまだほとんど私のここには触れた事が無いんだった。

指の腹で捏ねるように弄っていた指を少しずつ速めて、段々と高鳴る心臓にちょっと胸を躍らせて。
あぁそろそろ、という所でふと気付いたのは、さっきまで聞こえていた穏やかな彼女の吐息が
今はまるで聞こえなくなっていた事だ。
少し音を立てていた自分の指を止めて、私の呼吸も止めて。
改めて確認してみても、やっぱり何も聞こえない。
瞼の裏に描いていた像を消して、そっと目を開けてみた。
……彼女が、口に両手をあてて私を見ていた。
その時既に赤かった彼女の顔は、目が合わさった途端にもっと赤くなっていた。

「寝たものと思って。」
「き、気持ち良かったからちょっとぼーっとしてたんです。」
「そ、そう。」
「あの、まだ途中ですよね?」
「えっと、うん。……もうちょっと。」

恥ずかしそうに見上げる彼女の言葉に合わせるこちらも恥ずかしく、
そんな事を返していると、彼女がとんと私の胸に飛び込んだ。
そのまま私の腕を片手で撫で、その手が辿るように降りて行って。
私自身を弄っていたその手の甲を撫であげる。私の指なんかよりももっと細くて小さいんだなって、改めて思った。

「お手伝いします。」

私の手を撫でていた手が、すっと割り込んで私の大事な所を包みこむ。
ほんの少しひんやりとして、震えてもいて。あれやこれやと確かめながら落ちつけたちょっともどかしいその動きは、
何だか妙な期待感を私に募らせて。私は息場の無くなった指先をお返しとばかりに彼女のそこへと突っ込んだ。
……どうやらさっき一度やった時の事もあってか、その指に過敏に反応して跳ねあがった体のお陰で、
私は彼女の頭に自分の顔を打ち付ける事になって。お互い変な声を漏らした。

「び、びっくりした。」
「私もです。……動かして良いですか。」
「うん。……お願い。」

一呼吸、彼女が深呼吸した後で、這わせていた指がくりくりと動き始める。
最初は私の指の動きを真似るのかと思ったけれど……そうじゃなかった。
近いようで、ちょっと違う動き。少しゆっくりで強さもちょっと弱い。
そういえばしたことがない訳じゃない、って言ってたっけ。
……これ、彼女がする時のやり方なのかな。
そんな事をふと頭の中に思った瞬間から、何だか妙に指先が生々しく感じて仕方なくなりはじめた。
負けじと私も指を動かして、彼女の体を抱きしめて。
お互いに口だけはあれっきり閉じていたおかげで、部屋の中には布団が動く音と水っぽい音以外何もしなくなってた。



最初は緩やかに動いていた彼女の指が、段々不規則になり始める。
途中で急に止まったり、動きだしたり。私の指が堪えているらしい。
でもそれは私も一緒で。さっきから指にあまり意識が集中できないでいた。
……というか、私は我慢してた。気を抜いたらたぶんそのまま気持ち良く達しているのだろうけれど、
私だって彼女にしているのに、何だか先にそうなるのが不満というか。
……変な意地を張ってた。それはやっぱり彼女も同じみたいで、
私の手を太股で挟みもじもじとしながらも、懸命に指を動かしてて。
口も上手く閉じ切らなくなったのか、途中からは完全に私の胸に顔を埋めきっていた。
お陰で胸の中に漏れ出す彼女の吐息が非常にくすぐったくて。
背筋がもう、どうにかなりそうだった。

結局我慢できなかったのは、私の方だった。
でも差はほんの少しだ。跳ねる私の体を見て満足したのか、彼女も体を震わせてた。
お互い余っていた手でぎゅっと体を抱いて。必死に動かしていた指先の力を、少しずつ抜いていって。
しばらくの間、体を時折跳ねさせながらも一緒の余韻に浸ってた。



「まだ、起きてる?」
「大丈夫……です。」
「何だか少し負けた気分だわ。」
「私はちょっとだけ勝った気分です。」

そんな事を言いながら、お互い笑う。お互いを抱きしめていた手は今はもう、
背中を撫で合うような手に変わっていて。たださっきよりはずっと、足先までくっついてた。

「満足。」
「……私はまだちょっと、です。」
「あらあら。」
「もっと霊夢さんに気持ち良くなって貰いたいですから。」

私の胸に頬をすり寄せながら、彼女が呟いて。
私も同じような事を彼女に返した。
小さく揺れてた頭を撫でいると、少しして彼女が私を見上げた。
何だか久しぶりに見る彼女の顔のような気がする。やはり赤かったが。
ただ、私の顔を見るなり何だか申し訳なさそうな顔になって、
何か顔についているかと思って顔を拭ってみれば、手のひらにぬるりとした感触が広がった。
……どうやら、鼻血を出してたみたいだ。
よく見れば彼女の髪の毛にも少しだけついてて。
自分の顔を想像すると、かなり情けない気持ちになった。

「興奮してたから気づいてなかったわ。」
「私もです。」
「一応もう、ほとんど止まってるみたいだし心配無いわ。……明日、朝にまた温泉行こうね。」
「そうですね。」
「……寝ちゃおうか。ちょっと疲れちゃった。」
「はい。」
「おやすみ。リリー。……約束守れなかったわね。」
「またいつか挑戦してみます。……おやすみなさい。」



――



もっと寝ていても良いと思う程早起きな雀の鳴き声が、しんと静まり返った部屋のすぐ外であちらこちらを行ったり来たり。
相変わらずの冷えの中、目を冷ました私はおもむろに近くにあった彼女の体を抱きしめた。
少しだけ昨日よりも寒い気がする。裸だからというのは勿論あるが、勘がそう言っているのだから恐らく間違ってはいない。
日頃は私よりも遅く起きる事が多い彼女でさえ、私が抱きつけばまるでもう目が覚めていたかのように
薄ぼんやりとした目を私に見せて、抱き返してくれた。

「おはよう。」
「おはようございます。」

ふっと二人で笑う。少し鼻を擦ってみれば、
鼻の奥を少しぱりっとした感触が走って、曲がっていた足を伸ばしきれば、
固まっていた関節がぱきりと音を立てた。

「寒いわね。」
「もうちょっとくっついて良いですか。」
「……うん。それはちょっと、無理そうかな。」

彼女がそんな事を尋ねて来ていたが、大きく伸びをした所でふと視線を向けた居間の襖から
僅かながらに太陽じゃない光が漏れて来ていた。私がその光を指させば、
ちょっとだけ彼女が頬を膨らませて。その柔らかな頬に一度口づけすると、
私は居間に居るだろう奴へと声をかけたのだった。

「魔理沙いるんでしょ?」
「おう。お邪魔してる。」

恐らく私達の会話も、意味までは分からずとも起きてるのは伝わったのだろう。
すぐに魔理沙が返事をして。私達は服を着直すと、二人揃って襖を開けたのだった。

魔理沙は湯のみにお茶を注いでいる所だった。ちゃんと私達の分もある。
私の横に居た彼女が朝の挨拶をしようと息を吸い、吐きだしそうとした所で

「昨晩はお楽しみでしたね!」

彼女の発した小さなおの字をかき消してしまえそうな声で、魔理沙がそう言った。
彼女は言葉を最後まで言えずそんな事を言われて顔を赤くして、
私はといえば自分の顔を手で覆っていた。

「あ、あれ。図星か?悪ふざけに言ったつもり……だったんだけどな。
ま、まぁなんだ!お茶の準備出来てるからさ、ほら!そこに突っ立ってたら寒いだろう?」

いや、その出した湯のみも傾けてた急須も神社のだろう。
お茶だけは……匂いがいつもと違うし魔理沙の持参のようではあるが。

「よくもまぁ、こんな早く来れるわねぇ。」

二人炬燵に入りながら、嫌味も含めてそう尋ねた。

「早起きは3文の得だ。更に朝食にありつけたらもっと得だろ?
だからさ、ほら。起きたてで何だけど朝飯……は、うーん。」
「朝飯が、何よ?」
「この辺、確か温泉が湧いてたんだよな?今から浸かりに行かないか。その、なんだ。
私はこのお茶の匂いが好きなんだが……今はそれよりも、お前たちの匂いの方が凄い。その、なんていうか。」

頭がくらくらしそうだ、と魔理沙が小さく言って。
私達はお互いを見合せながら、顔を赤くするしかなかった。
自分では全く気付いていなかったからだ。とすると、たぶん布団とかも凄い匂いだろうな。
今日は干すだけじゃなくて思い切り踏み洗いしておこうかしら。

魔理沙の意見に同意して、3人揃って神社を出たのはそれからすぐの事だ。
流石に喉が渇いていたから、お茶を1杯貰った後であるが中々良いお茶の葉を持って来たようで、
鼻から抜けていく香りが首から上の疲れをそのまま持ち去ってくれる様な心地だった。
ちゃっかり魔理沙も自分の着替えを用意していたようで、どうやら最初から誘うつもりでいたようだ。
まだ朝日は昇り始めたばかり。……本当一体いつにこいつは起きたのやら。早起きは三文の得だと言うが、
結局灯りをつけるために3文くらい無駄になっているんじゃないのか。

寒かった原因は雪が降っていたからのようだ。
どうやら夜中の間に降ったらしい雪が少しだけ神社の周りに残っていて、
遠くを見てみれば山の方はまた白さを増していた。



「おぉ。思ったより……でかいなこれは。」

程なくしてついた温泉。温泉自体が周りを暖めているからか、
太陽が照らす今はほとんど雪が残っては居なかった。風上側が僅かに残っている位である。
どうやらこの温泉の存在を知らなかったらしい魔理沙は、そんな温泉を見ながらそう言っていた。

私達はもう何度も訪れているから、どこが脱ぎ易いかをしっている。
丁度良く風をしのげ、服も置きやすいそんな場所。
だから着いてさっさと服を脱ぎ始めれば、後ろから着いてきていた魔理沙はたじろいだ様子で

「そ、そんな簡単によく脱げるな。」

なんて事を不安そうに言っていた。

「あら、脱がして欲しいの?」

恥ずかしいらしいその様子に裸になった後でそう声をかけてみれば、
同じく裸になったリリーがにこにこ笑いながら魔理沙の肩に両手を置いて。

「じ、自分でやるさ!」

声が若干裏返りながらもそう必死な声で返した魔理沙を後に、二人で笑いながら衣服を畳んだのだった。

3人揃って足をお湯に差し込む。空気が冷えている分、いつも以上に熱く感じた。

「おー、これは良いな!丁度いい。」

そんな事を言いながらずんずんと真ん中までいってぺたんと腰を下ろす魔理沙。
私はいつもの場所だ。……彼女は魔理沙にいつもの場所を取られたからか、
私と魔理沙の間を何度か行ったり来たりした後、少し頬を膨らませて私達の間に座ったのだった。

落ちついた所で、肩までお湯に沈めて空を見上げた。
雪雲らしい雲は見えない。恐らく今日は良い天気だろう。布団を干す分には嬉しい知らせだ。
恐らく昼には気温もあがっているだろうから布団が凍る心配もしなくて良いだろう。
……にしても静かだ。今日は魔理沙がいるから歌わないのかな?
そう思っていた所で、

「はーるよ来い♪」

……代わりとばかりに魔理沙が歌いだした。
リリーと二人で魔理沙の方を見れば、こちらに振りかえってにやにやと笑いながら、

「お前さんの声は結構響くんだよ。」

リリーに向かってそう言って、続きを歌い始めた。
ミスティアも言っていた通り、本当に遠くまで届いているのだろう。
彼女はといえばどうやら嬉しかったようで、魔理沙の横に走って行って一緒に歌いだして。
私はといえばどこか悔しい気持ちになったが、わざわざ今の場所から彼女の横に今更行くのは
もっと悔しい気分になりそうだからと、今の位置のままで一緒に歌ったのだった。

雀の鳴く声位しか響く物が無かった空間に自分達の声だけが響く。
邪魔する物が無い。遮るものがない。……思ったよりずっと気持ちが良かった。



「腹が減った!」

朝日が完全に顔を出して、丸い形を見せた頃。魔理沙がそう大きな声で文句を垂れた。
まぁ分からないでも無い。私だって空いている。彼女だってそうなのだろう。
思いのほか歌うというのは力を使うようだ。
脱ぐ時とは違って魔理沙は着る事に関しては凄く早かった。
単純に裸をあまり見られたくなかったのかもしれない。
結構恵まれた姿をしてるとは思うのだけど、それは本人次第というところか。
着替えを早く終えた魔理沙は、私達に背を向けてしばらく空を見上げてた。

3人神社に戻って二人は居間へ、私は勝手口から台所へと入った。
流しの方から音がしていたからふと覗いてみれば、水を張ったバケツの中を
ゆっくりと魚が回っていた。どうやら魔理沙が準備したらしいな。
……そこまでやったなら調理もやってくれていいのになぁ。

急いで炊いたご飯に、お味噌汁。3つに切り分けたお魚の塩焼き。
これなら質素でこそあれ、貧相ではない。肉が入るだけでやはり違うものだ。
準備こそ大変であれ、余分な脂を落とした魚というのは喉を通る感覚がすっきりしていて、
例え朝といえど食後が爽快なままだというのはとても嬉しいものである。



「よし、食おう食おう!」

食事を運び終えれば、魔理沙が自慢げにそう言いながら手を合わせた。
一応作ったのは私なんだけどな。材料は魔理沙でも。

「「「いただきます。」」」

声を揃えて、手を合わせた。
どうやら塩をふりすぎたようで、醤油も合わせると若干塩辛かったけれど、
汗をかいてきた後だからまぁ食べきれるだろう。喉が渇けばお茶がある。

「食べ終わったら、その。行ってきます。」

骨の処理もあってか、皆しばらく最初は黙りっぱなしだったけれど、
少ししてリリーがそう言ってお魚の肉を頬張った。
真剣な顔で言ってたのに噛んだ瞬間にはもう頬が緩んでて、
そんな姿を見て笑いそうになったけれど、
じっとその様子を魔理沙に見られていたから私は彼女の言葉に少し強めに首を縦に振った。

「おでかけか?」
「お仕事よ。彼女の。」

少しだけ不思議そうに尋ね返した魔理沙に私が代わりに返して。
まだ納得いかないという顔をしながらも首を縦に振った魔理沙を他所に、
私はリリーの方へ向き直ると、

「暗くなる前にはちゃんと帰ってくるのよ?」

そう、念を押して置いた。
彼女は黙ってそれに頷いて。ご飯をかきこみ始めたのだった。



「大変だなぁ。まだ年が明けたばかりだろう?」

飛び立っていってしまったリリーの背中を見送りながら魔理沙がそう呟いた。
やっぱり皆最初の私と同じような考えになるのだろうな。

「そう。だからもう動いているのよ。」
「そっか……。さて、美味しく朝食を頂いた所で私も帰ろうかな。」
「まぁまぁ。朝食のお礼にちょっとお掃除手伝って行かない?」
「魚の準備はしておいたぞ?」
「調理したのは私よ?」
「……あぁ、もうやれやれだな。分かったよ。」

飲めるだけお茶も飲んで、満足そうに立ち上がって荷物をまとめ始めていた魔理沙だったが、
私が食い下がったからか、溜息混じりに笑いながら座りなおした。

「で、何をどう手伝えと。」
「八卦炉持ってきてる?」
「うん。……ほら。なんだ?掃除中の暖を取る為に神社を燃やせばいいのか?」
「そんな事されたら私も魔理沙の家の周りの森を燃やしに行くわ。」
「どういう勢いだよ。巻き込み過ぎだぞ。」

勿論冗談だ。そんな事をする訳にはいかない。
あの森にだって、私の知らない彼女の知り合いが誰か居ないとも限らない。
少なくとも私にとっても魔理沙にとっても身知った奴が一人いるのは分かっているが。

「さ、お風呂場に行って膝位までお水張って、人肌位のお湯張ってきてよ。」
「無視するなよ。……怖いじゃないか。」
「この神社も今住んでるのは私だけじゃないってことよ。」
「……そうだな。しかし、霊夢。私の八卦炉を便利な暖房器具とか考えてる節は無いか?」
「9割位そうだと思ってるけど。」
「ほとんどじゃねえか。」
「だって、出来るんでしょう?」

どういう炊きつけ方をすれば、魔理沙が動くのかも。
大体私は理解している。それは魔理沙だって同じだろう。
腐れ縁というのはそういうものだ。……リリーに変な事吹きこんでなきゃ良いんだけど。



「ぶっ放すのよりよっぽどキツかった。」

寝室の片づけをしていたところで、居間へと戻ってきた魔理沙が
くたびれた顔で炬燵に入りながらそう言った。

「ありがとう。薪がほとんど無いからとても助かったわ。ありがとう。」
「……なんでぇ、布団洗うのか?」
「そ。良い機会だしね。……あぁ、襖は開けといて。風通したいから。」
「ちぇ。せっかくあったまろうと思ったのにな。」

ならば代わりにとばかりに体を炬燵に埋めた魔理沙を尻目に、
畳んだ布団を持ち上げて急いで廊下を歩いてく。
お湯が少ないから冷めるのも早い。そして何より、
お湯は温かくとも今歩いている廊下はいつも以上に冷たかった。
流石に抱いているから分かるが……何とも言えない匂いである。
たまたまお邪魔したお家でこんな匂いがしてたら、お邪魔になる前に帰ろうと思う位だ。
その点魔理沙は凄い。……いや、引きとめたりしてるのはどちらかというと私の方か。

少し荒っぽく石鹸をつけた布団をお湯の中へと放り込む。
衣服を捲って、滑らないように気をつけながら浴槽を跨いで。
ゆっくりとお湯を踏みしめた。……中々良い温度だ。
でも、冷める事を考えたらもうちょっと熱くても良いのかもしれない。

踏みしめると出てくる色はお世辞にも透明とは言えない。
石鹸のお陰でもあるけれど、だからと言って真っ白でも無い。
若干の灰色を混ぜた白色だ。布団の見た目としてはそこまで汚れているようには見えない物だけど、
こうしてみると汚れていたんだなぁと、つくづく思う。
もっとマメに洗うべきなのかもしれないが……この季節だと嫌なんだよなぁ。
この後の作業もそうだけど、どうしても冷たい水に足を突っ込む羽目になるから。
……修行じゃないのに。

汚れが出てこなくなり始めた所でお湯を抜いて水を張りなおし、
泡があちこち残ったお布団を濯いでいく。……冷たいというより痛い。
世の中のお母さんは家族全員の分これをしているのだろうか。
そう考えるだけでお母さんと言う存在は非常に頑張っているのだなぁと思う。
……何だか想像の中に出てくるお母さんが彼女の顔をしているのは、昨日の影響だろうか。



濯ぎ終えた布団を運びだして、外に干して戻ってみれば
炬燵の中で幸せそうな顔で魔理沙が寝ていた。枕代わりにしている帽子に涎まで垂らしていて、
冷える水仕事の後だとちょっと悪戯したくなって。私も炬燵に入って足を伸ばすと、
恐らくそこにあるだろう魔理沙の足に自分の足の裏を重ねたのだった。

「うわぁあああ!!」

当てた足の感触がふっと消え炬燵に鈍い音が走り、
そして魔理沙の悲鳴が部屋に響いた。

「……どうしたのよ。」
「え、あぁ。いや。何でもない。雪女に足掴まれたようなそんな夢だったんじゃないかな。」
「覚えてないの?」

どうやら気付いていない。だから伸ばしていた足を急いで引っ込めて。
適当に返しながら残っていた道具で自分のお茶を注いだのだった。

「いや、何ていうか急に氷押し当てられた様な感じがしただけだ。」

頭がほっとんど回っていない様子で。
この様子だと口の横に走ったままの涎の後にすら気付いていないのだろう。
ちょっと考えればすぐに分かりそうなものだけど、……触らぬ魔理沙に祟りは無い。

「……あー、良い夢だった気はしたんだけどなぁ。全部忘れた。」

心底悔しそうな顔をして魔理沙が帽子を拾い、やっと気付いたように口元を拭って。
……むぅ。怒りもせずにそんな事を言われると段々と申し訳なくなってくる。
言いはしないけど。

「もう少しゆっくりしてって良いか?」
「構わないわよ。お茶は要る?」
「あぁ。頼む。」



温くなったお茶を二人で飲みつつ天井を眺めて過ごしていた、お掃除の後の時間。
彼女が帰ってくる様子はまるでなく、恐らく帰ってくるとしたらやはり夜になるのだろう。
ともすれば……お昼ご飯はとりあえずお米だけ3人前炊いておいて、汁物か。
あれやこれやと考えていた所でふっとお酒の匂いが舞った様な気がして。
私と魔理沙が同時に縁側の方を見た所で、勢い良く障子が開いた。

「いよーう!霊夢ぅ!と、魔理沙ぁ!あけましておめでとぉ~♪」

かなりご機嫌な声で歌いながら現れたのは萃香だ。
いつも以上に出来あがった顔でふらふらした様子。
風下にいるからハッキリわかるが、相変わらずお酒臭い。

「はいはい、おめでとう。……寒いからそこ閉めて頂戴。」
「おー、おめでとう。確か紫の所に行ってたんだっけか?」
「あー、うん。クリスマスはね。紫達と飲んでたよ。年が変わる位まではねー。」

年が変わるまでってあそこから大みそかまで一週間あるんだけど。
相変わらずバカみたいな飲み方をする。普通の人が真似したらまず
年越しを迎えるより先に違うお迎えが来てしまうだろう。

「……流石に紫の能力が無いと無理さね。」

私の考えている事を察してか、ケタケタと笑いながら萃香が炬燵に入りながら付け加えて。
恐らく萃香の足に蹴られたのだろう魔理沙が、また足を跳ね上げて炬燵を揺らしてた。

「ってぇ……。正月まで飲んでた訳じゃないのか?」
「年を越す前にさー、紫寝ちゃったんだよ。で、そっから一緒に飲んでた藍や橙が顔色悪くしてさ。
危ない匂いがしたからそのまま抱えて永遠亭まで行ったりして。……いやぁ、壮絶な正月だった。」

恐らく萃香以上に、その二人……加えて言えば正月にそんな患者を
連れてこられた永遠亭の方が壮絶だっただろう。

「鬼の私はこの通りぴんぴんだけどねぇ。……なんでこう他の奴らはお酒に弱いのか。」
「いや、あんたが特別強いだけだと思うけど。」
「そういや、地底の方の鬼とはもう飲んだのか?」
「あぁ、勇儀ね。ここに来る前に寄ってきて、少し酌み交わしてきた。
……本当に少しだけだったけども。今度宴会した時にでもゆっくりやりたい所さね。
そう。そうだよ。宴会しようよ。近いうちにさー。」

こいつそれだけ飲んでもまだ足りないと言うのか。
まぁどれだけ飲んだとしてもそう言うだろうというのは分かってはいた。
……というか飲んで無い時の方が珍しい位だ。よっぽど機嫌が悪いか、
よっぽど機嫌が良すぎるか。何かの前触れじゃないかって疑いを立てても良い程だ。

「正月過ぎて正月明けは一番忙しいし……良い日はあるのかしらね。」
「リリーの仕事納めの日にでもすれば良いんじゃないか?」
「んぁ?リリー?リリーってあの、妖精の?」

急に酒の肴を見つけたように萃香の顔が楽しそうな顔に変わって、
私はやれやれと顔を手で覆いながら、リリーがお酒を飲んでいる所を思い出したりしてた。

「そうそう。リリーも霊夢もお互いべったり。ここんとこずっと神社に寝泊まりだ。」

にやりとした顔で私の方を見つつ魔理沙が萃香に答えた。

「あぁ、だから血を散らせた痕のある布団が干してあったのか。」
「あれは私の鼻血よ。」
「リリーの姿に興奮して出たんだそうだ。」

違う!と言おうとしたが……私自身そう言った覚えがある。
まぁあの時の流れでそう言っただけではあるのだけど。

「炬燵にまであんたらの鼻血を散らせるつもりはないんだけど。」
「わぁー!!もう、悪かった。冗談も通じないのか。今日の霊夢怖いぞ。」
「へぇー、そうなの?」
「さっきは私が住んでる森を燃やそうとか言ってた。」
「おー、愛の炎で焼き尽くすのか。私は見ておくよ。……で、日取りなんだけど。仕事納めってあの、
空飛んで春ですよーって叫びながら翔けてくあの日の事言ってるのかえ?」

流石に私より年を食っているだけあってか、笑いはしつつも落ち着いた様子で話を戻す萃香。
まぁさっさと酒を飲める日を決めたいだけなのだろうけど。

「私はそのつもりで言ったんだが……それだといつになるのか分からないよな。やっぱり。」
「じゃあとりあえずは正月明け少し置いてからって所かしら。」
「が、良いだろうねぇ。よし、じゃあその時になったら適当に呼んでよ。そしたら萃めるから。
……ほいじゃ、お暇するよ。他の奴らにも挨拶しておかないとね。……リリーの事とか。」
「な、なんでよ。」
「リリーが襲われたら困るんじゃないの?」
「……そうだけど。」
「だろう。じゃ、また。」

ケタケタと笑って、霧みたいになったと思ったらそのままふわりと姿を消して。
変な噂が立たなきゃ良いけどと祈りつつ、私はただ重たい頭を自分の手で支えるしかなかった。
頼むから妖怪の山に挨拶に行くのは最後であってほしいな……。あそこだとすぐ尾ひれがつきそうだ。

「で、霊夢。」
「何?」
「大事な話があるんだ。」
「……うん。」
「お昼ご飯は、まだ出来ないのか。」



~~



雪で埋もれた私のお家。クリスマスの豪雪の時の残り雪は今は少しずつ減ってはいるけれど、
その減った雪から覗く事の出来るそのお家の姿は痛々しくて溜息が出た。
このお家には色んな思い出が詰まってる。楽しかった思い出も辛かった時の事も。
原型こそ留めているけれど、もう住めないのだろうというのは……分かっていたつもりだった。

家の中にも雪は入りこんでいる。一番酷かったのは玄関だけれど、そこだけじゃない。
私がいつものんびりしていた寝室だって、崩れてなだれ込んだ雪がまだ残っていた。
少し寂しい気持ちが、胸の中に風みたいに入ってくる。
でも、たぶんこれはマシなんだろうなって、自分でも分かってる。
居場所が無くなる事はとても悲しい事だけれど、今の私の居場所はここだけじゃない。
私に居場所をくれる人が居るから……耐えられる。

入りこんだ風のせいで、色んな物が散乱している中で自分の服が入っていた箱を探した。
雪に反射した光が少しは入ってくるけれど、暗い部屋の中で探すのは自分の部屋とはいえ
危ないものだと今更ながらに感じた。危ない物が割れて落ちて無かったのは救いなのかもしれない。
一番の救いは……霊夢さんに巡り合わせてくれた事だけど。

「……あった。」

取り出した箱は雪に濡れていて開けづらくはあったものの、中に入っていた自分の服は
いつも通りの乾いた衣服だった。箱が全部守ってくれたみたいで、
裏返して見ても染みどころか濡れた跡もなかった。ぎゅっと抱きしめていると、ずっとこんな所にあったからか、
冷たい感触が布を越して胸の中まで入ってきたけれど、心の中は少しホッとしてた。

更に箱の中を漁る。暗くたって、箱の中であるのなら感触でそれが何であるかは分かるものだ。
一番底から手に下げられる袋を取り出して、乾いた衣服をどんどんと入れていく。
そんなに沢山は入らないけれど、入らないならまた取りにくればいい。
……きっと盗もうとする誰かは居ないと思うから。

「また、来ます。……行ってきます。」

持てるだけを持って、また箱を仕舞って。
出た後振り返った自分の家に向かってそう言って。
私は手提げの持ち手を握りしめると空へと飛んだのだった。



腕をすっぽり包んでも、膝より下まですっぽり覆っても。むき出しの頬に当たる風が
当たり前のように体温を奪って行く中で降り立ったのは小さな森の中。
少しだけ大きな木の枝に腰を下ろして、落ちないようにしっかりと幹にしがみつきながらも
じっと意識を集中させていく。言うならば春の訪れ……春の気配を探すため。
集中力を研いで、研いで、研いで。じっとじっと、意識を巡らせて。
でも結局その時は何も見つけ出す事が出来なかった。きっとこの近辺にはまだ無いのだろう。
……そう、まだ。ひょっとしたらまだどこにも無いのかもしれない。
それだったとして、明日もきっとやるのだけど。

見上げた空はもう色が変わり始めてた。
いつの間に夕方になったんだろうって思うけれど……毎年そうだった。
気が付いたら夕方になってた。集中するといつもそうだった。
でもここ最近は、集中しなくても気が付けば朝になり、昼になり、夜になって。また朝になってる。

「もう、帰らなくちゃ。また明日にしよう。」

見上げた空の色で発したその声に、同意したのは私のお腹だ。
長い返事をして……そっか。朝ご飯の後から何も食べてないんだった。
今日のお夕食は何なんだろうな。まだ魔理沙さん居るのかな。
またちょっとお酒飲みたいな。……ちょっとだけ。

「……急いで帰ろう。」

既に手提げ袋の持ち手はくしゃくしゃだ。
それを一旦胸元まで上げて、ぎゅっと抱きしめ直して。
私は枝を踏みしめると新しい自分の居場所へと飛んだのだった。



神社に着いた時は既に日が落ちていた。これは夜なの?夕方なの?って聞かれたら、
私は夜って答えるんだろうな。ちょっと遅れてしまった。……怒ってるかな?
縁側に降りて、そーっと中の様子を耳をくっつけ窺ってみる。
外の空気に比べてくっつけた障子は温かく、明るい笑い声が響いてた。
障子の隙間から美味しい匂いも届いてくる。きっと上機嫌なのだろう。……これなら安心だ。

「ただいま戻りました。」
「あー、りりぃー。おかえりー。」
「……おかえり。」

ほわっと舞ってた匂いの正体は、お皿の上にあった焼かれた茸みたい。
横にあったお酒の匂いもあって、何だか早くもぐもぐしたくなってくる。
実際食べている霊夢さんの顔はとても楽しそうだ。
一方で魔理沙さんの顔はちょっと暗かったけど。

「私手を洗ってきますね。」
「あー、私もちょっと席をはずすよ。」

私が部屋の隅に荷物を置いてそう言えば、魔理沙さんが慌てて立ち上がって私の背中を押して。

「いってらっしゃーい。」

よっぽど嬉しい事でもあったらしい霊夢さんの声を背中に貰いながら二人で廊下に出たのだった。
洗面所までの道を、二人で歩く。魔理沙さんは少しそわそわしてた。足音に落ちつきがなくて、
呼吸もちょっと荒れてるような気がする。
結局じーっと黙ったまま私の後をずっとついてきた魔理沙さんだったが、
洗面所に入って手を洗った所で、魔理沙さんが戻ろうとした私を止めたのだった。

「最初に、言っておかないといけない事がある。」
「な、何でしょうか。」
「不味い事になったんだ。」

重たい声で魔理沙さんが続ける。

「……美味しそうな茸でしたよ?」
「そういう意味じゃなくて……だな。食べてるけどあれ、食用じゃないんだ。本当は。」
「食用じゃ……ない?」
「あれな、普通の人は毒キノコに分類してるんだ。」

毒……キノコ?その単語が聞こえた時に、ふわっと背中に嫌な感触がして、
急に目の前が青色のもやがかかったみたいになって。勝手に膝が落ちた。

「れ、霊夢さん死んじゃうんですか……?」
「い、いやそういう事は無い。物凄い大量に食ったら危ないけど……あれ位じゃ子供でも死なないよ。
ただ、その。食ってしばらくはまともに頭が働かなくなるだろう。」

話す魔理沙さんの唇が蒼かったから、私はてっきり危ない毒なのだと思って。
それを聞いて少し安心したけれど、少しの間足に力が入らなかった。

「魔理沙さんは食べたんですか?」
「勿論。……過去に何度も間違って食べてるお陰で耐性がついてるだけさ。だから私は食べられるだけの全ての
そのキノコについては食べるつもりだ。……傘の部分に小さな赤い斑点があるのがそれだ。全部毒って訳じゃ無くてな、
だからお前さんは赤い斑点が無い奴を探して食べておくれ。良いかい?」

差し出された手を握って、立ちあがらせてもらって。
魔理沙さんの言葉に頷けば、安心したように溜息を吐いた。

「……どうしたんです?」
「いや、霊夢に後で報復されそうなのは分かってるし覚悟はしてるんだが、お前さんも巻き込んでって事になると
私はこれから先の人生を笑って過ごせる自信が無かった物でな。これで安心かなって思ったんだ。」
「霊夢さんはそこまで厳しい人じゃないです。」

そう返せば魔理沙さんがVサインをしてこちらに見せた。

「優しいのと厳しいのは違うけれど、正反対じゃないんだ。その二つの矢印も、
どこからか見てみたら重なって見える所があるのさ。……私はあいつを見てそう思ってるよ。」

ゆっくりと手を回しながらそう言って。少しして手を開くとそのまま私の頭を撫でた。

「厳しいって感じた事は……まだ無いです。」
「そりゃぁ霊夢がお前さんにでれっでれだからだ。」
「で、ですか。」
「あぁ。……さ、戻ろう。頭が回らなくても心配はするだろうからな。」
「……はい!」

炬燵のある居間へと戻ってみれば、待ち遠しそうな霊夢さんの顔がみるみる内に緩んで行って、
私達に向かってぶんぶんと手招きした。とっても機嫌が良いみたいだ。……いつもより何だか楽しそうに見える。

「おかーえり。さー、食べましょ。」

私達二人が炬燵に入った所で、嬉しそうに霊夢さんがそう言って止めていた箸を動かし始めた。
私も箸を握りながら、盛られた茸のお皿をじっと見つめる。皆で共有している一皿だ。
小さな茸たちであるけれども……良く見れば確かに二つの種類があるみたい。
傘の所に小さな小さな赤い斑点があるものがそこかしこに混ざっていた。でもとても似ている。
斑点さえ見えなければ……全く同じってたぶん私は思ってしまうだろう。
ちらりと魔理沙さんを見れば、一度じっと私を見つめ頷いて。

「いただきます。」

最後の一人としてそう言って私達は食べはじめたのだった。



魔理沙さんがひょいひょいと赤い斑点の茸を食べて行く中で、
私も無いものを見つけては箸で運んで口へと運んでいた。
焼いた茸に塩と良く分からない何かしらの調味料を用いた簡単な味付けだったけれど、
噛んで解せば解す程口の中に柔らかさと一緒に香りと味が何度も広がってきて、
凄く柔らかいお肉みたいな感じだった。

「ごめんね、先に食べ始めちゃってて。」

今までも色んな茸を食べて来たのに……茸にも色々あるんだなってちょっと思ったりして。
そんな事を感心してると霊夢さんにそう言われた。でも遅れたのは私のせいだから仕方が無い。

「夜までに帰れなかったのは私ですから。明日はもうちょっと早く帰ってきます。」

だから、そう返しておいて。霊夢さんもにっこり笑うと小さく首を縦に振って頷いてた。
霊夢さんも魔理沙さんもお酒を飲んでいる訳ではないみたいだけれど、
霊夢さんはお酒を飲んだ時以上に今は上機嫌に見えて。これが毒キノコのせいだとは
本当を言うとちょっと思いたくはなかったりした。
でももし恐らくこのまま霊夢さんが疲れて寝てしまったら、恐らく私はずっと見たかった寝顔をその時見る事が出来そうなのだ。
顔のどこにも力が入っておらず、満足そうに寝ているようなそんな顔。
嬉しそうな顔。楽しそうな顔。全部混じったそんな顔。
……ちょっぴり複雑な気持ち。

「にしても美味しい茸ね。」

霊夢さんも魔理沙さん並みの速さで食べていた。
喋る言葉は日頃よりも少し間のびしたようになってはいるものの、
箸の動きはしっかりしてた。……でも霊夢さんの口に入る茸は、どっちの種類も入ってた。
毒キノコを食べたと思ったら普通の茸を食べてて。
普通の茸を食べてるなって思ったら箸先では毒キノコを掴んでたりして。
見る度に少しドキっとしてしまう。

「ですね。……こんな茸は初めてです。」
「そうねー。私もだわ。何だかとーっても良い気分だし。」

ちらりと魔理沙さんの方を見てみれば、魔理沙さんは頷いたりはするものの黙々と食べ進めていた。
目が据わっている。あまり獲物が獲れなくなった時期に何とか獲物を得ようとしている猟師さんみたいな、
そんな目だった。よくよく見てみれば、食べている間は止まっている箸先は小さくぴくぴくと動いていて。
どうやら残りの数を数えているようだった。……私もさっき数えてはみたけれど、まだ結構残ってる。
でもこの調子なら何事も無く乗りきれそうな気はしてた。

そう。してたんだ。

「リリー?」
「はい?」
「そっちの茸も美味しいけど、こっちのも美味しいわよー?」

霊夢さんがそう言う瞬間までは。
私は、噛みかけの茸が喉に入った。一方の魔理沙さんは、
その言葉が出た瞬間に肩がびくっと上にあがってた。
霊夢さんは気づいていたのだ。二つの種類がある事に。ただ毒キノコと気づいていないだけで。

「ほら、リリー。あーん。」

魔理沙さんの箸先がぷるぷるしてる。
私を見つめて真っ青な顔になってる。
霊夢さんだけが凄く嬉しそうな顔をしてる。
私は……口を開けてそれを貰った。

いつまでも口の中に入れっぱなしで黙っている事は出来そうになかった。
じっと霊夢さんが私を見ていたからだ。だから、ゆっくり噛んで行った。
……ほとんど同じ味だ。ただ、じゅわーっと口の中に広がる感覚が、さっきの茸よりは強い気がする。
それが噛んでも噛んでも続く感じで。……今まで食べた事のあるどんな茸よりも美味しいって思った。
でも毒キノコなんだ。私は口に運ばれる瞬間に傘に赤い斑点があったのを確かに見てる。

そして改めてお皿を眺めてみた。赤い斑点の茸は確かに減っていたけれど、それ以上に斑点の無い茸も減っていた。
それはそうだ。霊夢さんはどっちも食べているけれど、私はさっきまでずっと、斑点の無い方ばかり食べていたのだから。
……魔理沙さんは急いで食べたせいで少し箸の動きが止まりがちで。
だから、覚悟を決めなきゃいけなかった。止まっていた自分の箸を動かして、
赤い斑点のそれを掴んで、ゆっくりと口へ運ぶ。
……どうしてこんなに美味しいんだろう。



「は、腹八分が良いぞ。うん。」

しばらくして魔理沙さんが急に言った。
それはそうだなって思ったけど、お昼を抜いたから私のお腹はまだ空いてた。
だから頷きつつも私は、茸を食べていた。
うん……やっぱり、美味しい。



「私はもう一杯だからー後は二人でどーうぞー。」

霊夢さんいった。もう、斑点無いきのこない。
おいしきのこ、まだある。



「リ、リリーよぅ?明日に響くんじゃないのか?」

まだ、だいじょーぶです。だって、おいしいです。



おいし。



~~



やばい。もう何がやばいって、霊夢よりもずっとちっちゃい体だった事を忘れてた。
いや……そこまでちっちゃいって訳でもないけど、霊夢よりよっぽど酷いんじゃないだろうか。
霊夢も同じような状態といえばそうだけど、気付くのは時間の問題じゃないのか。

「リ、リリーよぅ?明日に響くんじゃないのか?」
「まだ、だいじょーぶです。だって、おいしいです。」

にこーっとしながら返してくれるその顔自体は可愛いと思うけど、
もう完全に毒キノコだって事を忘れてるだろう。お前さん。
楽しそうだから強く言えないけどさ。食べるなって。
あぁもうどうしたら良いんだ私は。さっきからリリーの箸の速度落ちてないぞ。
このままだと残りの3分の2は持っていくだろう。お腹かなり減ってたんだな。
……どうしよう。ある程度悪い事が起きるかもしれないのは想定してたけど。
あぁ、叫んでここから逃げてしまいたい。
でもそんな事したら私の家が燃えて無くなりそうだ。それは困る。変なお札まみれになるのも困る。

……言おう。諦めよう。言わぬは一生の恥だ。
責任は私だ。この茸を用意してしまったのは私なんだから。

「霊夢。」
「なぁに?お茶のお代り、いる?」
「……あのな。怒っても良いから聞いてくれ。」
「がおー。」

この茸ってここまで酷くなるんだなって、改めて分かった。
自分で過去に食べた時がどうだったかなんて……自分じゃあまり覚えてない。

「……楽しそうな所悪いんだけどな、夕食はこれでおしまいにしよう。」
「まだ残ってるわよ?」
「そ、それがな。その茸なんだけどな。」

霊夢の顔が少しむっとした。でも、この顔はあれだ。ただ、勿体無いと言いたいだけの顔だ。
焼き魚で骨の周りにまだお肉が残ってたのを見つけた時の、その顔だ。

「その……。」
「なぁに?」
「毒きのこですよー。」

私が一度深呼吸して、さあ言おうとした所でリリーが先に言ってしまった。
霊夢はしばらく、何も言わなかった。私に尋ねて来た時の顔のまま、しばらく目を開けたり閉じたりしてた。
それから少しずつ顔をこわばらせて行って、じっと私の眼を見つめた。
中途半端に笑顔も混じっているからか、それが怖くて。私は頭を下げるしかなかった。

「その、毒キノコなんだ。……お皿にあるやつ。」
「……何でもっと早く言ってくれなかったのかしら。」
「言いだせなかった。」
「……私リリーに勧めちゃったじゃない。」

段々と笑顔が虚ろな顔になって、そのまま立ち上がって霊夢がふらふらと寝室の方へ消えてった。
リリーはどうやら何が何やら分からなくなっている様子で、しばらく私と寝室との間に視線を行ったり来たりさせていたけど、
少しして首を縦に振って頷くとそのまま霊夢を追って寝室へと消えてった。
だから……私も追わざるを得なくて。
手に握っていた箸を置くと、寝室へとお邪魔したのだった。

後ろ手に襖を閉めれば部屋は真っ暗だった。
かすかに縁側の方面の障子に月明かりが若干当たって、それが透けて光って見える位なもので
それ以外のものがまるで見えない。居間の光のお陰で、寝室入ってすぐは見えるのだけど。
ただその見えない部屋の中で、僅かに光る障子の上に重なる1つのシルエットがあった。
……背丈を知ってるからそれがすぐに霊夢だと私は分かった。こっちを見てる事も、分かった。

「すまない。」
「どのくらい、危ないの。解毒……解毒は?」

霊夢はおろおろとしながら、どうやら置いてあったらしい薬箱を漁っていた。
でもどれが何の薬かというのがまるで分からなくなったようで、手が震えている。

「あの量じゃ死ぬようなもんじゃない。大丈夫だ。後遺症も無い。……時間が経てば症状も治まる。」
「……何だか考えが上手くまとまらないわ。」
「そういうもんだ。……だから考えなくて良い。大丈夫だから。」

その為に私が居るんだ。そのままへたり込んでしまった霊夢の頭を撫でて少し休ませて。
ふと、霊夢以外に気配を感じなかった事に気づいて、私はもう一人居るはずの彼女を探した。
……やはり、部屋の中には居た。部屋に入って何故すぐに気づかなかったのだろう。
彼女の体は、私が最初立っていたすぐ傍にあった。……布団でも無い所でうつ伏せに転がって。

「は、話が違うじゃない。そんな毒じゃないって言ったじゃない!」

私の視線を追った霊夢が、怯えるようにそう言った。
私だってそう思ってる。あの茸にそんな毒は無いんだ。
気をつけなきゃいけない事は食った奴がパニックを起こしたりしないか位なもので……。

だから霊夢を置いて一人リリーに駆け寄って、彼女の体の下に手を差し込んでその体を返した。
……寝てる。すっごい静かな息で涎垂らして。満足そうな顔だ。
私の背中を掴んで未だにゆすっている霊夢の頭を私はポンポンと叩いて。

「……大丈夫だ。ほら。」

私がどいて様子を見せれば、一度安心したように笑って、そのまま霊夢も私の後ろで倒れこんで。
……同じように寝息を立て始めてしまった。

ちらりと部屋の隅を見た。畳んだ布団が眼に入る。やっぱりあれで寝なきゃ寒いよな。
せっかく干したんだし。……外からここまで運んだのも私だし。

「風邪引くぞー。」

そう声はかけたけど返答なぞあるわけもなく。
仕方が無いと布団を敷いて先に霊夢の体を放り込んだ後で、リリーを抱きかかえて布団へと入れた。
布団が寒かったのもあるんだろうが、そのまま手を引こうとしたら、ぐっと袖を掴まれてしまって。
起きたようではないみたいだが……私は湯たんぽじゃないんだぞ。湯たんぽはお前さんの横だ。

「リリー……。」

湯たんぽ、もとい霊夢が小さな声で彼女の名前を呟いた。たぶん寝言なのだろう。
でもその寝言を聞いた彼女が私の袖をゆっくりと離し霊夢の方を向き、
もぞもぞと近寄って行って。ぎゅっと抱きついたのを見た時には、
ちょっとだけ……羨ましくなった。

二人とも、贈り物を貰った子供みたいな顔をしていた。
頭を振って、布団を肩までかけ直して。
私は一人静かに部屋を出て、炬燵に入りなおした。

「私をあたためてくれるのは今はお前さんだな。」

勿論炬燵が返事をしてくれる訳もなく。
疲れてきた私もそのまま眼を閉じた。

……久しぶりに寒い夜だったと思う。



~~



ハッとなって眼を開けた時、既に部屋の中は明るくなっていた。
妙に頭がすっきりした気分だけど……あまり昨日の夜の事を覚えてない。
薄ぼんやり、何か悪い事があったのはどこか覚えてる。
いつもと同じ緩みきった彼女の顔が、何だか今はとっても安心出来て溜息が出た。

彼女の顔の口元にかかっていた髪の毛をどけようと、そっと手を布団から引っ張りだしてみれば、
彼女の手が引き抜いた袖をぎゅっと掴んだままだった。私より少し小さな手。
私の袖を掴む事は前にもあったが、その時と同じようにぎゅっと掴んでいる手は
ちょっと引っ張った位じゃ離してはくれなかった。
不満そうな顔をする彼女。何か夢を見ては居るのだろうが、果たして夢の中で握っているそれは一体誰の袖なのか。
彼女の握りしめた手に自分の手を重ねる。やっぱりほとんど包めてしまう。
でも何年か前は……きっとこの子の手よりも私の手の方が小さかったんだろうな。

その手の甲を撫でながらしばらくぼーっとしてた。
気が付けば彼女は私の袖ではなく手のひらを今はぎゅっと握ってて。
視界いっぱいに映る満足そうな顔がとても嬉しかった。

彼女から視線を外してもう一度外の様子を窺う。
この明るさは……恐らく朝というには遅すぎる時間なのだろうな。
こんな時間なら起こしてくれても……そう、そうだ。魔理沙が居たんだ。
昨日は魔理沙が居て、夕食を一緒にする事になって魔理沙が料理して……。

ハッとなって彼女の額に手を当てた。
熱は出てない。変な汗をかいてる様子もない。脈も、ちゃんとある。いつも通り。
だ、大丈夫みたいだ。そういえば大丈夫だとか言われた気もしないでもない。

「う……ん?」

あまりに顔や首あたりをぺたぺた触っていたからか、
心地よさげに寝ていた彼女の眉が揺れ、ゆっくりと瞼が開いた。

「おはよう。」
「おはようございます。」

しばらく寝ぼけ眼の彼女がじーっと私の眼を見つめてて、
ハッとなって握っていた私の手を離したのはそれから少ししてのこと。
握っていたその手で私の額や首に手を置いたりしてた。

「……大丈夫よ。」
「……良かった。」
「私の台詞よ。」
「私のでもあります。」

……そうね。

「炬燵の部屋、行こうか。」
「……もうちょっと、ここで。」
「分かったわ。」



近づいてきて胸元に顔を埋めた彼女を抱き締める事しばらく。
結局私達が立ち上がって居間へと入ったのは、普通のお家ならお昼ご飯を食べているだろう時間だった。

「魔理沙ー……はいないわね。」
「そうですね。」

襖を開けて居るだろう名前を口に出しては見たが、そこはもぬけの殻だった。
居たのだろうという形跡は炬燵に残ってはいたが、もう炬燵は冷えていた。
もうかなり前にここを出たのだろう。ふと見ると炬燵の脇に小さなバスケットと手紙が置いてあった。

[申し訳無い。昨晩は世話になった。
私は紅魔館の方に居るから、宴会の時は連絡をしてくれ。]

そんな事が書いてある。……端の方には

[この中の茸は安全な奴だから。ちゃんと1個1個確かめたから。保障する。少ないけど、お詫びだ。]

そう小さく書いてあって。捲ってみれば、昨日とはまた違う茸が一食分程そこにはあった。

「美味しそうですね。」
「……そうね。」

昨日の今日なのに、すぐにそう言えるこの娘は凄い物だと思う。
……この娘自身、もう魔理沙をかなり信用しているのだろう。私の影響か?

「晩御飯が楽しみです。」
「じゃあ、夜に使いましょう。」
「お昼はどうしよっか。」
「……昨日の夜一杯食べたから、まだちょっといっぱいです。」
「そうね。……とりあえずお茶飲んで、ゆっくりしましょうか。」



台所へと出てみれば、昨晩使った食器が重ねてあった。既に……洗ってあるみたいだ。
湯のみや薬缶の出方を見ると……どうも魔理沙がお茶の準備をしてたらしい事は分かる。
待たせに待たせた結果、帰ってしまったのだろうな。

「私は昨晩魔理沙になんて声をかけたんだっけ……。」

何だか酷い言葉を言ってしまった気がしないでも無い。
……あまり覚えてないのだ。断片的にしか。茸が美味しかった事、でも毒茸だったこと。
そして彼女が倒れていた事。気が付けば、朝だったから。
お酒ならもう少し覚えてるのだけど、今回はまるでハッキリしない。
だから今度確かめておかないといけないのかもしれない。今度っていつだろう。
……宴会、か。



「それでは行ってきます。」

お茶を飲んで少し休んだ晴れた午後。彼女がそう言って炬燵からゆっくり足を抜いた。
それに合わせて私も手に持っていた湯のみを置いて彼女を見上げて。

「私も今日は付いて行って良い?」

そう尋ねてみたのは、ちょっとした興味からでもあり何だかんだ彼女の事が心配でもあって。
彼女はと言えば少し驚いた様子だったけど、嬉しそうに笑うと

「温泉の用意も必要ですね!」

そう返してくれた。いつの間にそこにあったのか、部屋の隅に彼女が昨晩持って帰ってきたらしい手提げの袋があり、
彼女の服をそこから出した後、その袋に二人分の着替えをつめて。
私がそれを提げて二人揃って神社を出たのだった。



今日は綺麗に晴れている。風は確かにあったけれど、雲は遠くにうっすら見える位だ。
きっと夕方にはあの雲に太陽が吸い込まれて行くのだろう。
ともすれば今日は少しだけ暗くなるのが早いのか。
元より彼女の邪魔をする気自体はほとんどなかったが、これはどの道早く帰る事になりそうかな。

「要はあたたかい場所なんです。」

二人で空を飛んでいて、私が最初に聞いたのはいつもどういう所から春が始まるのか、
という事だった。私は彼女の存在を昔から知ってはいる。それもそうだ。毎年毎年
どこからともなく急にやってきては春を告げてすぐまたどこかへ行ってしまうのだから。
不思議だった。彼女が飛んで翔けるきっかけになるその最初の一点はどこなのか。
恐らく誰も知らなかった事だ。気にかけた人は居るのかもしれないが、
どうでも良い事の一つみたいなもので3日もしない内に頭の中から消えているのであろう。
……私がそうだ。でも、それは[そうだった。]に替わったのかもしれない。
今は私の隣に彼女が居る。私の傍に彼女が居る。
そうなった瞬間から、どうでも良い事では無くなった。

彼女に対する興味が尽きないのだ。
彼女の事を知りたい。
でも、もうそれは何でも良いのだ。この件に限った事じゃなくても良い。
……きっと、この娘と楽しくお話出来さえすれば何でも良いのだろう。

「だから、日当たりが良いのはとても大事な事です。」
「そうね。」
「……でも、まだ寒いんですよね。」

確かにそうだ。ついこの間までは師走と言われてて、元旦を迎えたのはついさっきと言っても良い。
普通春だと人でも妖怪でも口に出して言えるようになるのはこれからまだずっと先の事だ。
この話題はそれこそ時期尚早という言葉がふさわしいのだろう。
天変地異でも起こらない限りはそういう事などありえないのだ。

……天変地異でも起こらない限りは。

……天変地異でも起こらない限り?
起きたじゃないか。つい最近で。私の家が壊れる程の地震もあった。
でもそれ以外にも変わった事がある。温泉だ。

「リリー。」
「はい?」
「温泉に、行きましょう。」

首をかしげて呼びかけた私を見ていた彼女だったが、
その言葉を聞いてすぐに顔を明るくした。



この前は3人で訪れたその温泉。相変わらず今日も誰も利用していない。
来たからには入ろうという事で、二人して浸かってから周囲の景色を改めて見て思う。
ここの周りは他の場所と比べてとても雪が少ない。
雪が降ったその時はまだしも、今日みたいな日にはまるで残ってない。
加えて、夜にはあれだけ綺麗な満月を、星空を一面に見る事が出来るのだ。
つまり、昼間は……太陽が輝いてる。

彼女の名前を呼んでみた。でも、小さかったからかどうやら気付いていない。
前に回ってちょっと手招きしてみても、やっぱり反応が無い。
緩みきって落ちた瞼。寝てる訳でも無いが、声も景色も御満悦の頭には入ってないみたいだ。
そんな彼女の背中に改めて回ってそっと抱きつけば、びくっと彼女の体が跳ねた。

「ねぇ、リリー。この辺はどうなの?」
「そ、そこは胸です。」
「いや、そうじゃなくて。この辺だと春の気配は感じられたりしないのかなって。」

確かに胸をぎゅっとする形になっていたから、その腕を緩めて彼女を解放して。
辺りを指差しながら改めてそう言えば、最初は赤い顔をしていた彼女だったけど、
一度咳払いをして真面目な顔になると、目を閉じて意識を集中しはじめた。

……邪魔をしては悪いと思って、私は彼女から離れて一人膝を抱えてた。
彼女の真剣な顔というのは、見た事が無い訳じゃない。
今までだって表情こそ違えどそういう顔は沢山見てきたつもりだ。
でも……。それが本当に大切なんだって、ちょっと嫉妬したくなる位には。

惹きこまれそうな顔、だった。



私の顎先についてた水滴が、しばらくぽたぽたと水面に落ちて輪の形の波を作っていたけれど、
それももう出来無くなって少しした頃だ。彼女がいきなり立ち上がった。湯の中の地面を蹴って、
そのまま凄い勢いで飛んで行く彼女。少しあっけにとられていた私も、急いでそれをタオルを持って追って。
寒い空の下どこまで行くんだと思ったけど、すぐ近場で彼女は降りて私の方を振り返った。

「ここですよ!」

楽しげというよりは半ば叫ぶように彼女が声を出して指さした。
そこに有ったのは小さな椿の木。……本当にちっちゃい。
すっとしゃがんだ彼女と一緒に私も一緒にしゃがみこむ。
よくよく見てみればまだ固く閉じた蕾の中にただ一つだけほんのりと開きかけの蕾があった。
彼女は私の手を握ってぶんぶんと振り、そして嬉しそうに

「っくしゅん!」

盛大に私に向かってくしゃみをした。
……そりゃそうだ。私だって寒い。裸なんだもの。
私は彼女の手を引っ張ってその体を持ち上げて、温泉に戻った。

……うん。やっぱりお湯は良い。なんだかものすごく熱く感じる。
きっとあのまま居たら明日は仲良く布団の中だ。
とても楽しい顔では居られないだろうが。

「つぼみですよ!」

改めてリリーが私の腕の中で叫ぶ。

「うん。」

……思えば、ここからあれが分かるのか。

「凄いものね。あれが分かるの?」
「はい!」

元気よく答える彼女。……意識を集中すればなんとかなるというものじゃない。
ここからでも確かにあの椿の木を見る事は出来る。でも蕾がついてるかどうかすら此処からじゃ分からない。
眼は悪くない。でも、それでも距離はあるのだ。
ましてや、開きかけの蕾があるなど……分かるはずもない。ハッタリで言えるか位なものだ。

「そういえば最近毎日此処に来てるけど、貴女気付かなかったの?」
「え、あ……はぅ。それは、霊夢さんが居るから……。」

急にしどろもどろになる彼女。
そうか、あれだけ集中するんだ。何でこんな当たり前の事を聞いているんだろう。

「お邪魔にならないようにしなきゃね。」
「そ、そうじゃないです!あ、でも……えっと。」
「うん?」
「そ、それは合ってるんですけど、えっと。此処に居る時は、ずっと霊夢さんの事で頭いっぱいに
なってるのは確かなんですけど、でも私はそれが好きです。幸せです。」

そこまで言ってきてぎゅーっと強く抱きしめてくる彼女。
人も妖怪も居やしないけど、居たならば生温かい視線を向けられそうなくらい強く抱きしめられて。
……ちょっと嬉しかったり。いや、とても……か。

「また温まったら、戻ろうか。」
「……はい。」

夕方には少し早かったけれど、もう太陽はかなり山の方へと寄っていた。



昨晩は茸の丸焼きである。焼いて適当に塩や胡椒なんかで味をつけただけだったと思う。
漠然と美味しかったという記憶はあるが、あまり味を覚えてない。
そして家にあるのは魔理沙が新しく調達した安全な茸。
一つ一つは結構小さい。椎茸よりも少しちっちゃい。
魔理沙が調達したからには、味は確かなのだろう。でも風味は昨晩の物程強さを感じない気がする。
これなら汁物で良いのかもしれない。その流れでふと思い立ったのはすまし汁だった。

すまし汁は良い。あれは慣れてしまえばすぐ作れる強い主婦の味方。
私は主婦じゃなくて一応巫女だけれども……。ともかくあれは強い味方だ。
汁自体がとても風味が良くて、汁自体余ったとしても他に使い道が沢山あって。
よくよくお世話になる。……紫は、塩分が高いから気をつけなさいとは言ってたけど。
私にはあまりその危険性が分からない。

ご飯を炊き始め、鍋を火にかけた後で部屋に戻ってみれば炬燵の中の彼女が私を見上げて

「おかえりなさい。」

とそう言った。私が帰ってすぐ勝手口側の方に回ったからなのだろうが、
どうにもそう声をかけられるのは、珍しいというか。

「……ただいま。」

とりあえずそう返事をすれば彼女がにっこりと笑って、
炬燵の上に置きっぱなしにしていた魔理沙の置き手紙に視線を戻してた。



「あの椿は、どれくらいで咲きそうなの?」

お茶を用意して、二人分の湯のみに注いで。
軽く一口目を胃へと流し込んで暖を取りながら、二口目を口に運びつつそう尋ねれば、

「明後日くらいです。朝か昼かまでは分からないですけど。」

なんて返事がすぐに返ってきた物だから、私は口の中に入れたお茶を衣服の上に撒いてしまう所だった。
どうやら思ったより温泉というのは力があるらしい。

「そんなに早いの……?!」

思わず変な語調で尋ね返したけれど、彼女は私を見てゆっくりと首を縦に振った。
嘘ではないようだ。……というか嘘を言う様な娘には元々私には見えなかった。



私も首を縦に振って立ち上がって、一人で戻った台所。
釜にかけている火を調整しながら一人呟く。

「明後日。」

明後日ということは、今日と、明日と……その次の日がそうだ。
今日なんて日はもう夕飯を食べれば終わってしまう。とすればもう明日になる。……早い。

早すぎる。異変って言われないだろうか。
頼むから誰も言わないで欲しい。あぁでもこれは別に彼女のせいではない。
自然がただ、そうあったのだ。仕方ない。
でも彼女がそれを知って空を翔ければ……冬は終わりだ。
誰も、彼女を責めないよね?
責めないで、いてくれるよね……?

私は、手をあげたくない。
彼女はただ、自然の在り様を知らせただけだ。
誰にも手はあげさせない。

……冬が終わって、春が来て。
春が来て雪が消えて。そしたら彼女はどうなるんだろう。
雪が消えた自分のお家に戻ってしまうのかな。
しばらくしたらここから消えてしまうのかな。

か、考えたくない。この話題は。
し、信じてるって言ったじゃないか。私だって言った。彼女だって言った。
なる様になるんだ。その時、真剣に見つめれば良いんだ。
ほら、こんな所で落ち込んだって仕方ない。
そう、私が今しなきゃいけない事は他にあるじゃないか。

一度深呼吸して、気分を落ちつけて。
持っていたお玉を一旦置くと、部屋の中に向かって

「萃香ぁ!」

そう叫んだのだった。少しして、ガラリと台所の引き戸が開いた。
その引き戸はお酒を仕舞っている引き戸だ。堂々と飛び出してきたのは勿論リリーではない。
ちっちゃい萃香だ。恐らく分身だろう。

「変な所から出ないでよ。」
「私としてはここから出るのが一番私らしいと思うんだ。」
「……ごもっとも。」

勝手に飲んでなきゃ文句は無い。でも最近料理酒の減りがちょっとおかしい気はしてる。
まぁこいつの事だから、料理酒に眼をつけてる事はあるまい。たぶん使ったのは魔理沙だ。

「それで?あぁ、宴会の日程決まったのかい?」
「うん。二日後の夕方に。」
「良いねぇ!じゃあしっかり準備しておいてね!」
「貴女にも手伝って貰いたいもんだけど。」
「手伝うよ?人集め。」

私が手伝って貰いたいのはどちらかというと重い物運びや、片づけなんだけど。
特に片づけは手伝って欲しい。結局次の日にやる事になるけど、あれは大変なんだ。
皆ほとんどがそのままで帰ってしまうから。……何人分もの食事の後片付けをいつも独りだ。

「……まぁ良いわ。魔理沙には早いうちに連絡しておいてほしいんだけど。」
「分かった。……んじゃ、明後日。」
「うん。お願い。」

まあ準備はその代わりに食器の準備だけで良い。
食材や料理やお酒なんてものは勝手に揃うのだ。皆が持ち寄るから。



萃香をかえした後で、棚から出した食器に料理を盛って居間へと戻れば、
彼女がそわそわした様子で私を見上げた。

「叫び声が聞こえたのですが……。」
「あぁ、気にしないで良いわ。それより大事な話があるんだけど。」
「良かった。……えと、何でしょう。」
「明後日の夕方、宴会をするの。夕方までに……帰って来れる?」
「うーん。たぶん……大丈夫です。」

彼女が視線をやや下げて、考え込んで。少しして首を縦に振った。
駄目かなとも思ったけど、それに少し私はほっとした。

「宴会は色んなのがあつまるわよ。個の強いのが特に。」

そう付け加えるように言うと、

「私が春を伝えたいのは、皆、皆ですよ?人も妖怪も妖精も、森も川も山も……。」

彼女はにっこり笑ってそう返してくれたけれど、ちょっと背中に冷や汗をかいた。
笑ってはいるけれど、ちょっとだけ声に怒りが入ってる。
やっぱり少しずらした方が良かった。……もう遅いけど。

「でも、ちゃんと夕方までには戻ります。」
「……うん。あ、あの。急でごめんね?」
「いえ。……大丈夫です。」

もしも遅れて来ても、文句なんて言えそうにないな。
きっとこの娘の事だ。……今こう言ったという事はいつもよりも凄い速さで
飛んで回る事になったのだろうな。ちゃんと労わないと。

「さ、食べましょうか。」
「……はい!」

箸をとって、手を合わせる。
向かいでぺちりと聞こえるこの音もいつかは消えてしまうのか。

「いただきます。」
「……いただきます。」



気が付けば、二人揃って布団の中に居た。
彼女と過ごす時間をより欲すれば欲する程に、時間が酷い早さで流れてく。
彼女の顔が凄い早さで表情を変えていく。いつも通りの時間が、
いつも通りの早さで進んでくれない。

「寒いから、もうちょっとこっち来て欲しいな。」
「はい。」

胸のあたりがすっかり寂しくて、そう言って彼女を抱きよせて。
降りてくる気配もない瞼を自分で勝手に閉じさせてゆっくりしていた寝る前のひと時。
1秒に1回か、それよりちょっと多いくらいの早さでゆっくりと鳴る彼女の鼓動を
私は肌で感じながら、ただただじっと過ごしてた。

……寝る気は起きなかった。
疲れてはいる。眠気もある。でも眠りたくない。
彼女と居たいのだ。……ここで、こうして聞いていたいのだ。
1日中こうしてくっついていたら、後何回鼓動を聞けるのだろう。
数える事に飽きてしまう位多いのだろうか。それとも、少ないのだろうか。

答えは……もう分かってた。
百を数えても、千を数えても。きっとこれが幾万となっても。
足りないって。そう思うんだって。

「明日は、どうするの?」
「……大変です。あの場所をしっかり、ずっと見ないといけませんから。」
「……分かった。」

どう転がるにしても。
……居られる時は一緒に居よう。私がそうしたいんだ。

「じゃ、おやすみ。」
「はい。……おやすみなさい。」



――



夢から覚めて引き戻された時、どうやらやっと太陽が顔を出したらしかった。
部屋の中が段々明るくなっていく様子を私は布団の中で感じながら、
胸の中に抱いたままでいた彼女の事をずっと見下ろしていた。
私に抱きついたままの彼女の鼓動は昨晩からまるで変わらない。
相変わらずの早さで、静かに鳴っていた。

顔は穏やかで、気持ちよさげな息で。
ただ今日は夢を見ている様子でも無く深く眠っていた。
柔らかな頬を撫でる。相変わらず押せば口から溢れだしそうなものが中にあるみたいだ。
日頃触れない眉に触れた。……いっつも色々動くのを見て来たけれど、思ったよりふわふわ。

まだ知らない事がいっぱいあるんだ。
いっぱい、いっぱい。

「う、ん……。」

あまりに顔を撫で過ぎて、彼女がちょっと困ったような顔をして。
私は急いで手を離したけれど、結局彼女は眼を開けて私を見上げて笑った。
こくん、と小さな音と一緒に喉が動くのが見えた後、
また彼女が目を閉じて私の胸に顔を預けて。

「もう少し。良いですか。」

小さな声で尋ねて来て。私はその背中を両手で包んだのだった。



私が布団を出たのはお昼を少し過ぎた所だ。彼女はまだ布団の中に居る。
昨晩のあの様子と今朝の様子からすれば恐らく今夜彼女に寝る気はないのだろう。
それこそずっと外に居て、あの椿をじっと眺めて続けて。
あの花弁が開くその時を待つのだろう。

きっと飛び立って。空を翔けに翔けるのだろう。
宴会に来てくれると、戻ってくれると言ったからもう心配はしてない。
だから、私がしなければならないのは彼女を元気にすることだ。
飛び立つその時に空腹で力が出ない!なんて事にはさせたくないから。
それ位は私が努力すればどうとでもなるのだ。

台所で一人、昨晩の夕食の残りに熱を通し直してお皿に除けて。
空いたお釜で炊飯の準備。おにぎりならば夜でも食べられるし、外でも気軽に食べられる。
梅干しも具として用意しておけば彼女にとっては眼も覚めるだろうし、疲れも少しは減るだろう。
まあ私が代わりに起きていれば彼女を眠らせる事も出来なくは無い。
……というか、傍に居たいのだ。ただでさえ貴重な経験だと思う。
不思議な事だらけの所ではあるけれど、その中の一つがやっと紐解ける。
加えて言えば好きな人と一緒にそれを迎えられるのならば。
それは、幸せな事なんじゃないのかなって。

……今も十分幸せ、なんだなって。
口に出すのも簡単な四文字なのに、今日になって改めて思った。



「リリー、お昼ご飯にしましょ。」
「ふぁい。」

流石にずっと寝ていただけあって、返事は早かった。
襖を開けてちょっと声をかけただけだったけれど、すぐに彼女は起きて伸びをして。
……やる気満々って顔だった。

お昼ご飯は静かだった。
いつもは私が話しかけるか、彼女が話しかけてくるか。
それか彼女が鼻歌をゆるゆると歌っているか。
行儀が良いか悪いかは別としていつもは二人でも賑やかな食事が
今日は箸とお汁をすする音しかしない。
彼女から出る音と言えば、お汁を飲んだ後の溜息混じりのちっちゃな声位だった。

どういう話を振れば良いのか分からなかった。
私は彼女の苦労を知らないからだ。
……そして少し怖かった。昨日の時既に彼女に無理を言っているからだ。
何でだろう。叱られた訳ではないのだけれど、また昨日みたいになるのが怖いのだ。
もっと言えば、もしも明日咲かなかったら……だ。
私は彼女に参加を強要してる。でも彼女からしたら宴会より大切なものがそこにはあるのだ。

だから、だからせめて。
明日に咲いて欲しいなと。私は思ってた。



お昼を食べ終わって、お茶を飲んで。
彼女が笑って何かをしばらく喋っていたが、私の頭の中にはあまり入ってきて無かった。

「では、行ってきます。」

最後にその一言を言うまでは。

「私も、後で行って良い?」
「勿論です。」

そのまま私に背を向けて、縁側の方へと歩いて行って。
くるりとこちらに振りかえってにこりと笑うと、

「最初に伝えるって、約束したじゃないですか。」

それだけ優しく呟いて。そのまますっと飛んで行ってしまった。
そういえば、そうだった。そんな約束もしてたんだ。
私が言いだした事なのにな。ああ、やっぱり私は彼女に要求してばかりなんだ。
……はじめの夜もそうだった。

私は、ちゃんと彼女に返せてるのかな。
そんなの……分かりきってるか。
私は何で返せば良いんだろう。

料理……は駄目だ。これは私が一緒に食べて貰っているだけなんだもの。
何を喜んでくれるかな。今彼女は何が欲しいんだろう。
何をして欲しいんだろう。

一人台所に入って、炊けたご飯でおにぎりを握る。
今はこうしてあつあつのご飯でも、食べる時にはきっと冷え切っているんだろうな。
何か、無いかな。温まる事の出来る物。そう思って眼に入ったのは、
さっき萃香が出てきた所にあった酒瓶だった。

準備を終えて、お弁当箱を閉じて。横にお酒の瓶を添えて。
寝室へと戻って一人広げたままの布団に転がって天井を眺めた。
いつも通りの天井が広がってる。横を見れば、いつも通りだけどそうじゃない居間が広がってる。
こんなにこの部屋は広かったっけ。そう思って眼を閉じれば、
何だか寂しい気持ちもあったけれどふわりと布団に彼女の匂いが舞って。
……それから間もないうちに私は寝てしまっていた。



再び起きたのは日が沈みかけた頃だった。彼女の着替えと私の着替え、その両方を纏めて寝室を出て
居間から外を眺めた時には既に山の端は赤くなっていた。空を仰げばもう暗い空になっていて、
吹いてきた風が布団にくるまり続けていた私の体をぎゅっと冷やして行った。

荷物を持って、お酒の瓶も抱えて。いざ私が彼女の居るであろう温泉に辿りついた時には
既に日は落ちていた。風はほとんど止んでいたが、揺れる木の音が静かな夜のためか耳に響いてた。
彼女は、椿の前にいた。しゃがみこんだまま、ただただじっと眺めてた。
まるで気付いた様子も無かったから、驚かさないように足音を少し立てながら
ゆっくりと彼女の横まで移動して、同じようにしゃがみこんだ。
相変わらず私の方がちょっとだけ顔の位置が高い。

「たぶん、明日の朝だと思います。」
「そう。……寒くない?」
「ちょっとだけ。……でも、慣れてます。」

ずっとずっと蕾を眺めていた彼女が私に顔を向けた。
横顔はさっきから見ては居たが、まじまじとこちらを見上げた彼女の顔は
どこか楽しい事を待っている子供のようであり、子供の成長を喜ぶ母親のような顔でもあり。
いつも優しい眼をしてくれて慣れたはずのその視線が、段々と暗さに眼が慣れ始めた私の眼には眩しかった。

「お腹減ってない?」
「……霊夢さんを見ると減ってきました。」
「おにぎり作ってきたから、食べようか。」

何気なしに手を伸ばして掴んだ肩はとても冷えていて。
ぶるりと身震いした彼女を見てるとどこか心もとなくて。
足だけでも温泉に付けないかと提案すれば、彼女も少し考えたけれどそれに首を縦に振って。
一緒に温泉に腰を下ろした後でお弁当箱を開いたのだった。

彼女と肩を寄せ合い、手にとっては口に運ぶ。
お腹がどれだけ減っていたのかは分からないが、結構な勢いで食べて行く彼女。
でもそんな手や口の動きの中にもちょっとだけ疲れが見えた。
恐らくは神社を出た時からずっとずっとあそこに居たんだろうな。

「ゆっくり食べないとお腹に障るわよ。」
「美味しい物ですから。」
「梅干しもあるのよ?」
「……ゆっくり食べることにします。」
「あと、飲み物も一応持って来たから……。」

お酒だけど。……うん?

「……しまったわ。」
「どうしたんです?」
「何に入れて飲もうかしら。」

湯のみすら持ってきてない。ちょっとぼーっとし過ぎていたか。
どうにかして飲めないかしら。直接口をつける?小さい瓶だから出来なくは無いけど。
どうしたものか、そう思い見回してみても都合の良い物がある訳ない。……あっても使おうとは思わないが。

「直接飲もうか。」

私が結局そう言えば彼女もゆっくりと首を縦に下ろして、手に持っていたお握りを口の中に入れた。
彼女に先だって、一口貰う。……温まるだろうと思ってちょっとだけ度の強いものを持っては来たが、
彼女にはキツかったかもしれない。私から瓶を受けた彼女だったが、
一口貰った所でしばらく固まってた。
……どうやらちょっとどころか結構キツかったらしい。
瓶を口から離して、私に返して。しばらくお酒でいっぱいになった頬を膨らませたまま
じーっと夜空を見上げてた。ちょっとずつ飲みこんではいるようだけど、
何だか顔がみるみる内に赤くなってて。
これはひょっとすると失敗だったんじゃないかと私は背中に汗を流してた。

「飲めないなら吐いても大丈夫よ?」

そう声をかけたけど、彼女は顔をふるふると振って。
少々必死ながらも頑張って最後まで飲みこもうとしてたから、私もそれ以上は何も言えなかった。



「……ふぅ。」
「大丈夫?」
「ふぁい。」

……軽く体をあたためる程度のはずが完全に出来あがってしまった。
どうやら彼女もこれ以上はいけないという事は分かってたようで、
それ以上お酒を求める事も無かったし、お弁当箱に手を伸ばすのももう止めていた。
私が箱に蓋をして、それからはずっと二人でただくっついて、空を見てた。

月が見える。ちょっとだけあったかい。
お腹もいっぱい。眠くはない。
後は何があれば嬉しいだろうか。そう思っていれば、
膝の上に載せた私の手に彼女が手を重ねた。
うつらうつらとした様子で、眠たげで。

「少し。」
「……うん。」

短い言葉だったけど、それだけで十分伝わって。
重ねた手を握れば、少しずつ彼女が体を預けて来た。
私の手を握り返してくれていた彼女の手も段々と弱まって。
その力が無くなってしまった時には、もう彼女は長い息を始めてた。
冷えないように、落ちないように。肩に手を伸ばして彼女を支えて。
吹いた風にちょっとだけ腋が冷えたけれど、
そんな中でも私はもう冬が終わるんだなって。そんな事を考えてた。

少しだけ怖くて、切なくて。
眠ってしまった彼女の腰に手をまわして、彼女の頭の上に頬を重ねた。
近くに居たい。ずっと傍に居たい。
近くに居て欲しい。ずっと傍に居て欲しい。
ただそんな言葉だけが頭の中の右と左を行ったり来たり。
一人じゃない時くらい、別の事を考えなきゃって思うのに。
……段々それが無理になってきてる。
元々無理だったのかもしれないけど、それでも。
私は彼女に心配そうな眼で見つめられたくないのだ。

今してるような顔を、見せたくは……。



「さん……?」

彼女が声を出したのに気付いた時、私は眼を閉じていた。
うつらうつらとしていた私が現実に戻った時には、頬にあったはずの温かさは今は無かった。
代わりに肩口がとてもあったかい。彼女の手の感触だ。小さな、柔らかい感触。

「リリー、あのね。」
「はい。……大丈夫ですか?」
「明日の夜、色々終わったらで良いから。お話し、しましょ。」
「はい?……はい。そうですね。ゆっくり、話したいです。」
「空でも見て。」
「温泉に入って。」

ゆっくり。そう二人で呟いて。
段々と夜明けの近い空が視界の端に映っていた。
足を抜いて、拭って。二人揃って靴を履いて。
二人で戻った椿の前で私がそっと手を出せば、彼女がぎゅっと握ってくれた。
それから間もなく、朝日が顔を出した。
暗さと青さの中に見えていた彼女の顔が、少し赤い肌色に段々変わって見え始めて。
気が着いたらその頬に触れていたけれど、……ああやっぱり柔らかいなって。



それから先は、ずっと二人で蕾を眺めていたと思う。
蕾が花びらと呼ぶにふさわしくなり、それが花と呼べるまで。
普通の人から比べれば、妖怪にとってもずっと見てる分には長いものなんだろう。
でも、私にとっては……そんなの一瞬でしかなかった。

「咲いたね。」
「はい。」
「……行く?」
「うん!」

一緒にしゃがんでいた彼女が、ぐっと足に力を込めて立ち上がる。
膝の関節が二度ほど鳴った音が私には聞こえてた。でも元気いっぱいで。
私は彼女の手を借りて立ち上がって。空を見上げれば太陽が眩しかった。

「あぁそうです。」

眼が眩んで眼を細めた私の視界がすっと暗くなった。
閉じかけの瞼を開けば飛んだ彼女が太陽を遮ってそこに居て。
私の顔を抱きよせ

「春ですよ。」

それだけを告げて。冷えた私の顔をあたためてくれたその後で、
ゆっくり離れるとそのまま背を向けて行ってしまった。

背中はすぐに小さくなった。毎年見ていたあの小さな背中。
見えなくなるまでそれを眼で追って。
それからゆっくり歩いて帰ったのだった。
結局使わなかった彼女の着替えを、ずっと胸の中に抱きしめたまま。



神社に着いた時にはお昼になっていた。
手をつけて居なかった庭から縁側にかけて綺麗に掃除されていて、
縁側の隅の方に腰を下ろして一人お握りを食べてる人が居た。

「早いのね。」
「私の所は人手が無いですから。……今日の洗濯物がちゃんと乾いてるかどうかが気がかりで。」
「今日は良い風が吹くんじゃないかしら。」
「……そうですね。」
「会った?」
「見ました。」
「……そっか。」

最後のお握りを頬張った彼女が入れてきた竹の葉をもぞもぞと懐に仕舞って、
私が普段使っている箒を手に立ちあがった。

「大変ね。」
「貴女がしていてくれていたのなら、大変じゃないんですけど。」
「……しなかったら貴女がしてくれるの知ってるから、しないのよ。」
「知ってますよそんなの。」
「……任せるわ。」
「お休みですか。」

頷けば、彼女があからさまな溜息を吐いてずいずいと庭へと歩いて行って。
私は縁側から居間へとあがると、そのまま寝室に戻ったのだった。
私を迎えたのは慣れた匂いだった。
布団じゃなくてお酒の、だ。
気にせず布団に潜り込めば、やれやれと言わんばかりの溜息が部屋に響いた。

「宴会の事は伝えたの?」
「勿論さね。こんな時間にこんな所来てるのは従者と物好き位さ。」
「じゃああんたは物好きなのね。」
「私からすればあんたが物好きだ。」

物好き、か。
確かにそうなのかもしれないな。
私がもしも他の誰かと彼女が一緒に居る所を見ていたとしたら
私だって同じ感想を漏らしただろう。でも彼女はそんな娘じゃない。
……普通の、優しい娘だ。恐らく普通と言われるものからはちょっと違うのは認めるけど。
勿論萃香だってある程度その辺りは分かってくれている。
だからこそ知ってて、そんな風にからかうんだ。

「寝るわ。夕方まで。」
「……その頃には戻ってくるんだろう?」
「そう、約束してくれたから。」
「なら、心配ないな。あの娘は約束を破らないだろうから。」
「……留守番ありがとう。」
「おやすみ。また後で。」

やれやれというお酒臭い息を吐きながら、消えるようにどこかに行ってしまった萃香。
聞こえるのが遠くに響く箒の音だけになって、それから私は眠りについたのだった。
未だに抱きしめたままの、くしゃくしゃなそれを抱いて。



「……さん、霊夢さん。起きて。起きてください。」

夢は見なかった。ただ深く眠っていたようで、肩を揺すられて居たらしい事にやっと気付いて
眼を開けたのだった。彼女の顔は眼の前にあった。彼女の頭から私の頬に落ちた髪の毛が、
月の光に融けてるように見える程、綺麗に光ってた。

「……おかえり。」
「ただいま、です。」
「……うん。」

生え際あたりがちょっと濡れてる。少しだけ息もあがってる。
きっと急いで帰って来たんだろうなって。ねぼけてた私でも良く分かった。

「ありがとう。」
「何か、ありましたか?」
「ううん。何も。」

だからこそ、嬉しいのだ。無事に彼女がここに居る事。
それが嬉しかったから。胸の中にいっぱいに広がる彼女の匂いが心地良かったから。

「ねぇ、リリー。」
「はい。」
「キスして。」
「……え、あの。」

いつもなら。いや、こんな雰囲気ならしてくれるだろうと思っていた彼女が
急に驚いて焦った様な顔をしてちらちらと周りを見てた。
その時やっと気付いた。何で彼女の頭の後ろに月が見えるんだろう、と。
何で天井が無いんだ。屋根が吹き飛んだか?いや、でもそれなら流石の私だって気付く。
というかそれなら彼女がもっと必死になって私を起こしただろう。
そして今居るのは私の布団だ。枕の感触もある。ということは?

決意をした顔で眼を閉じて迫ってくる顔。
そのおでこを人差し指で止めて、上半身を起こして。
改めて周りを見渡せば、皆がじっと私の事を見ていた。
皆、皆だ。皆口元を押さえたままにやついた顔をこちらに向けている。

「ま、また後ね。」

小声で彼女にそう言って。じろりと辺りを見回せば、幾らかは私は違いますよとばかりに顔を逸らした。
逸らさなかったのはとても気の強い奴位で。その中で一際にやついた顔を浮かべていたのが紫だった。

「紫ぃぃぃぃ!!」
「叫ばなくても聞こえるわよ。皆静かなんだから。」
「あんたの仕業で良いのね!」
「そうよ?霊夢の様子を見に来たらこの娘の服を胸に抱えて
『りりぃ……りりぃ……』って寝言で言ってるんですもの。妬けるし周知の事実みたいだから一興だと思って。」

彼女の服を抱いて寝たのは覚えてるが、寝言にそんな事を言ってた覚えはない。
ひょ、ひょっとしたらここに連れてこられた後でも私はそんな寝言を言っていたのだろうか。

「まぁウソだけど。」
「もっと普通に起こしてよ!」
「起こしてたわよ。彼女が。起きないから連れて来たの。」
「うぐぐ……。」
「今のもウソだけど。」
「いい加減にしろ!」

紫がねむたげな眼の目尻を下げて笑いながら私を見下ろして。
クスクスという笑い声が手に持った扇子から洩れるその横で、
リリーが何か言いたげな眼で私達を見てた。

「どうしたの?」
「おふ、お二人は!どういう関係なんですか!」

彼女のずっと後ろの方に見える冥界のゆったり服のお嬢様が、
何やら妖夢に耳打ちして、二人で楽しそうにこちらを見ていた。
ちらりと視線を紫に戻せば、妙に嬉しそうな顔でリリーと私を見比べていて。

「どういう関係だと、思う?」

そんな事を言いながら掛け布団の上から私の方に寄りかかってきた。
赤い物を塗ったかのように顔に色をつけたリリーが焦る様にじっと私の眼を見る。
やきもちを焼くというが、正に彼女の膨らんだ頬を見てるとそう思いたくなる。
あれがもっと手の届く位置にあって、誰も見て無かったら私は撫でまわしてるだろう。
……何だかちょっと嬉しい。

「どういう関係だと思う?」

ついつい私もそう言った。でもそれを嬉しそうに言ってしまったのがたぶん災いしたのだろう。
凄く悔しそうな顔に彼女の顔が代わって。目元に段々涙が浮かんでたのが私には見えた。
しまったな、と思ったけれど。そんな彼女の肩口あたりににゅっと見慣れたものが現れて。
ついっと手袋のついた腕が生えると、私を見ていた彼女の背を押したのだった。
倒れこんでくる彼女を、紫を跳ねのけて受け止めて。
背中を抱きしめれば、彼女はぎゅっと私の袖を握りしめた。

「……冗談よ。」

耳元でそう囁いたけど、彼女はむっとした顔のままじーっと私の肩口辺りに視線を落としてた。
私の横で、やれやれといった顔の紫が腰を押さえて立ち上がって。
彼女の方を見下ろすと、

「貴女が霊夢を独りにしないのなら、奪いに来たりしないわよ。」

なんて事を呟いて、愉快そうに冥界の二人が居る方へと歩いて行った。

「霊夢さんは。」
「うん。」
「ああいうナイスバディさんの方がお好きなのですか。」
「……私が好きなのはあなた自身よ。前にも言ったし、今もそう。」
「後でぎゅっとしてください。」
「元よりそのつもり。」

膨らむ頬を指で押せば、生温かな息が肩にかかって。
そうやって遊んでいる内に呆れた様な声が響く。

「おーい!いい加減乾杯の音頭取って欲しいんだけど!」

かなり離れた木の脇に腰を下ろしていた萃香が杯をぶんぶん上下にあげながらそう叫んだ。
どっちにしろあんたは音頭取る前から飲んでるじゃないか。

「……リリー、代わりにやる?」
「な、何をですか。」
「皆を代表してぐって杯あげる役よ。」
「や、やってみます!……で、でも何て言えば良いんでしょう。」
「適当で良いわよ。無言だと困るけど。」
「わ、分かりました。」



傍で笑ってた魔理沙から杯を受け取ったリリー。
思えば湯のみやら瓶ばかりで飲ませてきた事もあってか、
こういう平べったい入れものに入れるのは零れるのが怖いようで、
なんだか必死な様子で両手に抱えてた。
普通に持ってれば風でも急に吹かない限り零れないのに。

「あわわ……本当に良いんでしょうか。」
「おう。零れても大丈夫だ。まだお酒あるしな。だから皆に聞こえるように頼む。」
「皆に聞こえるように、ですね。」

それなら大丈夫です。と彼女が続ける。
それから深呼吸し始めたので、私は慌てて手元にあった布団を被ったのだった。
なんとなく予想出来ていたからだ。彼女の声がどれだけ大きくなるか、ということが。
被る前にちらりと見えたが、気づいていたのは私と遠くでのんびりしてたミスティア位なものだった。

彼女の息を吸う音がふっと消えて。
私はぎゅっと耳を塞いだ。

「みなさーん!春ですよおぉおお!!」

ぎゅっと塞いだ耳なのにまるで耳元で叫ばれてるかのように聞こえるその声。
いっそのこと鼻にも布を当てておくんだったと聞こえてから思った。
声自体は短くて、すぐに止んで。私は第二波が来ない事を確認してからゆっくりと顔を出した。
皆が目を見開いてた。しん、としている。
ミスティアだけが私と同じように周りを見ていた。
流石に周りの皆は声の大きさに驚いているようで。
皆がやっと動き始めたのは、バタンという音がしてからだった。

リリーの眼の前に居た魔理沙が、失神していた。

「良いねえ良いねえ!」

遠くで萃香が凄く上機嫌だ。
どうやらあいつは分かってて最初からあの位置に居たんだという事にやっと気付いた。
思えば紫達もそうだし、永遠亭の面々も普段より少しばかり遠い。
何も考えず近くに居たのは眼の前に居た魔理沙を除けば紅魔館の連中と閻魔様達御一行位だった。

「ちっちゃい娘だと思ったがやるじゃないか!」

萃香が続けた。私からすればあんたも十分ちっちゃい。
というか、角があるからそう言えるのであって、恐らく角が無かったら大差無いだろう。

「霊夢、この娘はこっちの方はイけるのかい?」

既に空にした杯をくるりと回しながら萃香が笑う。
恐らくは飲める方ではあるけれど……それをこいつに言おうものなら、
恐らく潰れるまで飲まされるだろう。それは困る。

「この前初めて飲んだばかりだから無茶させないで。」
「その割には凄い物欲しそうな眼で見てるがね。」

その言葉にふっと彼女の方を見れば、さっと彼女が顔を逸らした。
なんとなく彼女が見ていた方向は知っていたからそっちの方へと視線を向ければ、
紅魔館の連中の……咲夜がそこにはいた。手に瓶を提げている。
じっと眼が合って、ふっと咲夜の姿が消えて。
ぱっと彼女の横に現れたかと思えば、赤色の液体で満ちたワイングラスを渡してまた消えた。

「も、貰ってしまいました。」
「そういう眼で見てたんじゃないの?」
「……美味しそうだったので。」
「まぁ、美味しいと思うわよ。」

少なくとも咲夜の出した物だし、悪い物では無いはず。
私が取って置いていたワインよりは保存状態も良いだろうし。
ただ……

「す、凄いふらふらします。」

なんで一気に一口で飲んでしまうのやら。
少なくとも萃香の前でそれはするもんじゃない。
そもそもすきっ腹だろうに、体調崩さなきゃ良いけど。

「萃香。」
「んぁ?」
「駄目よ。」
「……けち。」

しばらくは私は彼女を一人にしていた。これだけの宴会は初めてのようだし、
色んな食事があるんだから、食べたい物を気兼ねなく食べて欲しくて。
それに第一私にはする事があった。布団の片づけである。
紫にさせようかと思ったが、あっちはあっちで盛り上がっているらしく流石にそれを止めるのは野暮だと思って。
結局一人で布団を抱えて寝室へと戻ったのだった。
なんで宴会なのにこんな事してるんだろう。本当。



食事なんてのはすぐに終わってしまった。彼女も、後から入った私もだ。
私にとっては食べる事自体がかなりの目的ではあるけれど、
他の奴らはそうじゃない。飲んだり騒いだりする方が目的だ。
でもそれも少しずつ落ち着きを見せ、今は皆片手に杯でただ喋っているだけである。
魔理沙はと言えば、結局意識は取り戻したものの、まだほとんど胃に物を入れていなかったからと
あっちやこっちへ行ったり来たりしては余っていた食べ物を攫っていた。
余程お腹でも空いていたのか凄い勢いで行ったり来たりしている。

「いやあ、宴会が始まるのを待ってる内に寝てるとは思わなかった。」

どうやらお腹の中身だけじゃなく記憶まで消えてしまってる様で。
でも私だけじゃなく他の皆も特別何か言う事は無かった。
たぶん後日からかわれるのだろう。今日の事をネタにされて。

リリーは今ミスティアの所に居た。
相変わらず串を貰って嬉しそうにはしゃぎ、話しながら食べている。
お酒も結構好きらしいけれど、どちらかというとまだ食べ盛りなのだろう。
いつまで食べ盛りなのかは私には分かりはしないが。

「そういや。」
「うん?」

縁側に腰を下ろして休んでいた所で、
色んな物をごちゃ混ぜに載せたお皿を片手に魔理沙が私の横に腰を下ろした。
見るからに味移りしてそうだが……どうやら載せる順番だけはちゃんと考えはしたらしい。

「あいつの家、まだ雪に埋もれてるのか?」
「……分からないわ。聞いてない。」
「雪もしばらくしたら融けるだろ。その時どうする。」
「それを今日、あの娘に言うつもり。」
「……そうか。お酒、お代りいるか?」
「……貰うわ。酔える気がしないけど。」

魔理沙がどこから拝借してきたのか、未だ空いていない酒瓶を取り出して。
私は空っぽになっていた杯を手に取ったのだった。
溢れそうな程注がれて、私は慌てて手で制して。ゆっくり口に運べば、
かなり冷えたお酒が鼻の奥から胃の奥へとぐっと滲みるように落ちて行った。

「一方のあっちはもう結構入ってるみたいだけどな。」
「そうね。でもあの娘、今日は酔い潰れないわよ。」
「なんでだ?」
「約束してるからよ。」
「……そうか。」

「羨ましいな。」
「あんただって周りに一杯いるでしょうに。」
「生憎私には一人を選べそうにない。なあ、霊夢。」
「うん。」

魔理沙も自身の杯にお酒を注いでいたが、途中から面倒くさくなったのか、
それとも瓶の中身が少なくなったからなのか瓶自体に直接口を付けて中身を飲んでいた。
顔は赤いけれど少し落ち込んだ様子で、視線はぼーっと月の方にあった。

「つらいことがあるとな、あいつらの胸に飛び込んでみたくなる。抱きしめて欲しくてな。
でもな、あいつらは私の帰り際に背中に抱きついてくるような、そんな奴らなんだ。
優しいから。隔てなく接してくれるからって。その時、考えちゃってな。」

そこまで言って一息にお酒を呷って。少し苦しげな息を魔理沙が漏らした。
被っていた帽子を深く被りなおして、帽子のつばを押し下げ顔を隠して。

「……あいつらに必要なのはそういう頼れる背中であって、それなのに私がすがりついたら
幻滅されるんじゃないかって。一度、一度そう考えるとな。……怖くなった。」
「あんたはてっきり、ぶつかって行くような奴だと思ってたわ。」
「今の私だとぶつかる前に流れ星みたいに燃え尽きるだろうな。」
「そうでしょうね。」

段々と声が小さくなる魔理沙。私はずっと魔理沙の方に顔を向けて喋っていたが、
ふと視線を宴会の方へと戻せば、すぐ眼の前にリリーが立っていて、
魔理沙の方をじーっと見つめていた。若干顔が赤い。恐らくあれからまたお酒を貰ったのだろう。
しばらく考えるように魔理沙のその帽子を見ていたが、やがて何かを思いついたように顔を明るくして魔理沙の前に立つと、
肩をぽんぽんと叩いたのだった。

「ん?」

どうやら魔理沙は彼女が居た事に全く気付いていなかったらしく、
帽子のつばを少しあげて魔理沙がこちらを見て、それから肩に置いてあった腕を辿り彼女の方を見上げた。
きょとんとしていた魔理沙の後ろ頭に彼女が手を置いて、それからにっこりと笑って。
ぎゅっとその胸に魔理沙の頭を引き寄せると、帽子ごとその頭を抱きしめたのだった。

驚いた。
勿論私だけじゃない。たぶん恐らく魔理沙はもっと驚いたのだろう。手に持っていた瓶は落とすし、
瓶を持っていなかった方の手はぴんと伸びていた。

結構な時間抱きしめてた。それが10秒だったのか、20秒だったのか。
ひょっとしたら1分経っていたのかもしれない。やがて魔理沙の手が、ぺたりと縁側の板の上へと落ちて、
それからゆっくりとリリーが手を放した。
魔理沙は、何も言わなかった。ただ、急いで帽子を掴むと物凄い深く被りなおした。
……僅かに見える耳たぶが真っ赤になっていたのは、月の光のお陰で良く分かった。

「炬燵に入ってますね。」
「あ、あぁ。準備するわ。……魔理沙も入る?」
「う、あ……。」
「魔理沙?」
「か、風に当たってくる!」

私の言葉に裏返った声で返し、そのまま手探りで近場に置いていた箒を手にして、
急に飛んで行ってしまった魔理沙。よっぽど効いたのだろう。めちゃくちゃなスピードだった。



「大胆な事をするのね。」

炬燵に入るなりぺたんと頬を冷たい台に載せた彼女にそう声をかければ、

「魔理沙さんには恩がありますから。」

なんて事をリリーが答えた。それからひょいと顔を持ち上げて、
私の方を見て笑いながら続ける。

「あと霊夢さんが妬いてくれるかなって思ったんですけど。」
「あれくらいじゃあ、妬かないわね。魔理沙に負ける気はしないから。」
「……ふふ。霊夢さん。そっち行って良いですか。」

対面に座っていた私だったが、彼女がそう言った所で少し横に寄って、
彼女が入れるだけの余裕を作って。口じゃ特別何も言わなかったけれど、それで十分伝わったようだ。
少しばかりよたよたと歩く彼女がどこか心配でもあったが、
こけることもなく私の横について座ると、それからぎゅっと私の体に抱きついたのだった。

「魔理沙さんの顔は凄く熱かったです。」
「それ、本人にも周りにもあんまり言っちゃだめよ。」
「言わないです。……これで、魔理沙さんも元気になってくれると良いのですが。」
「それは魔理沙次第ねぇ。」
「……出来るだけ心地よさそうに抱いたつもりなんですが。」
「……それはちょっと妬けるわね。」
「……そう言ってくれると思って言いました。」

彼女の唇の端が持ち上がって、私がその頬を指で押して。
しばらくただ、抱かれるがままにしてた。まだ炬燵はあたたまりきってなくて、ちょっと足先が寒くて。
だからか、お互いぴったりとくっついたまままるで離れようとはしなかった。

「吹きぬける春一番の風は、誰かの背中を押す為にあれだけ強いんだって思ってます。」
「そうだとしたら、貴女がそうね。」
「そうなれたらって、思ってましたから。」

そこまで言った所で、彼女が欠伸を漏らした。
何だかんだ私は寝る事が出来たから良いけれど、彼女は飛び回った後ほとんど休んでいないのだ。
この時間とはいえ、当然の事だ。……原因の半分以上は私だな。

「お布団に横になる?」
「いえ、ここが幸せですから……。」

私の体に回していた手をきゅっと締めて、そのまま目を閉じて。
それから緊張の糸が切れたように力を抜いて、私にもたれかかった彼女の体を支えつつ
私はゆっくりと彼女と自分の体を横たえた。

「起きたら、教えてね。」

そう声をかければ、鼻声のような返事が帰ってきて。
彼女から静かな寝息が聞こえるようになったのはそれからすぐの事だった。
彼女の体を抱きよせて、腕でそっと彼女の耳を包む。
これなら、少しばかり宴会で何かあっても静かに寝られるだろうと。そう、思って。
でも、宴会はそれ以降静かになって行くばかりで、
気が付けば音がする事も無くなっていた。
お陰さまで、さっきまで寝ていた私がまた再び眠りにつくのも、
とても容易い事だった。何せ、とっても温かいのだから。



甘い香りと、すっかり慣れた彼女の汗の匂いが体の中を走る。
私が目を開けた時、既に部屋の灯りは消えていた。ただ、彼女の顔だけが眼の前にあって。
熱い唇が、私のそれに重なっていた。
これって、何の匂いだったっけ。そう思って記憶を辿れば、いつぞや食べた鰻の串の事を思い出した。
そういえば、今日も食べてたんだっけ。

「おはよう。」
「おはようございます。」

どうやら完全に真夜中らしい。彼女と自分の息以外の音がまるで聞こえなかった。
炬燵も寝る前に比べたら少しばかり冷えていて、彼女と体を重ねている上半身以外は、
少しばかり寒かった。

「皆帰ってしまわれたようです。」
「みたいね。……よいしょっと。」

彼女が外の方を見ながらそう言って、私も頷きながら体を起こした。
しん、とした部屋の中を歩いて障子を開けて外を眺める。
うん。やはり誰も居ない。そして相変わらず、やりっぱなしで帰っている。
明日はこれの片づけだ。

「凄いですね。」
「そう。……凄いのよ。」
「あれ、この箱は?」

縁側に出てすぐの所に、かなりきつめに縛った風呂敷が置いてある。
感触からして内側に入っているのは重箱で、小さな紙が添えられていた。
『あまり日持ちしません。』
短く、それだけ書かれている。筆遣いと箱の紋から見て、妖夢だろう。
恐らくは片づけをせずに帰る事に対する免罪符か。
……明日の朝に頂くとしよう。

「明日は一緒にお片づけですね!」
「ええ。……ゆっくりやりましょ。」

そこにあった箱を拾い、炬燵の上に置いて。
そのままリリーの手を引いて、寝室へと入った。
勿論寝る訳じゃない。今からお出かけだ。
行く場所はもう決まってる。



~~



霊夢さんが私に無言で手渡したのは私の着替えだった。
いつの間にか皺だらけになっていたのだけれど、それは霊夢さんとお布団の匂いがした。

「ごめんね。……お布団に挟んでみたけど、そこまで皺が伸びなかった。」
「大丈夫です。……皺だらけでも、霊夢さんしか見せる相手はいないですから。」

それにこっちの方が、私には嬉しい。
一緒に居るんだなって、感じがするから。

「行こっか。」
「はい。」

霊夢さんから差し出された手を取って、
二人並んで家を出た時には月は段々と傾き始めてた。



「そろそろ雪も融けるのかしら。」

二人並んで浸かったお湯。今日は端っこに二人で一緒。
もう、春だから。……だから、霊夢さんの横に居たかった。
霊夢さんはずっと山の方を見てた。湯けむりのずっとずっと向こうに見えるそれは、
まだまだ白くて寒そうで。こんな姿じゃとてもじゃないけど行きたくないなって思う。

「はい。」

それがいつかは分からないけれど、必ず融けるって。それだけは分かってた。
あの山の白い雪も、私のお家のあの雪も。いつかは融けてしまうんだって。
私の……帰るべき場所が出来てしまうんだって。

帰るべき場所。でも、帰りたい場所という訳じゃない。
私は、あそこよりももっと心地の良い所を知ってしまったから。
知ってしまったから、悩んでる。
もう、考えてる時間はあんまりないんだなって。
分かってたけど……やっぱり難しいなって。

「雨の季節になるのね。」
「そう……ですね。もう雪ではなくなってしまいます。」
「神社に桜の木があるの、知ってる?」
「勿論です。……毎年、見てますから。」

いつも静かに桜が見れたから。昔は良く見に来てた。
ずっとずっと、昔から。確かな時間の中にあるのに、おいてけぼりになったみたい感じるほど
静かな場所だったのを私は知ってたから。時間を忘れて見てた事もあったっけ。

「神社にある桜は私の自慢。だけど、雨が降るとこれがまた大変でね。箒じゃ掃除しづらくて。必死になって掃除したと思ったら、
乾いた後に風で掃除した花びらが飛んで。また掃除をやり直し。……でもあの匂いが好き。」

霊夢さんが空を見上げて笑う。今は雲もない綺麗な空。
黒と青の混じったような、そんな色を広げた空。
水面に映った月は手を伸ばしたら届くんじゃないかと思う程くっきり映って眩しい位だ。

「それが終わって梅雨に入ると今度は滅多に青い空を見れなくなるのよね。晴れたな!って思っても
山の方を見てたら曇ってて、洗濯物を外で干したい気持ちを行ったり来たりさせた後で結局中で干したりして。」

霊夢さんの濡れた前髪から垂れた水滴がそんな月を揺らしてく。
つついたババロアみたいに、揺れては戻って揺れては戻って。
そんな月を眺めていたら、ふっと月が欠けて。眼の前に覗きこんだ霊夢さんの顔があった。

「……そんな、色んな景色をね。貴女と一緒に見ながら過ごしていたいの。
これまでそうだったように、これからも。一緒に、居て欲しいの。」

そう言ってくれた声はとても、優しい声だった。
でも、少しその言葉と霊夢さんの表情にそわそわした。
寂しそうに見えたから。こんなに近くに居るのに。まるでとても遠くに居るみたい。
息もかかるのに。髪の毛から垂れた水滴も、それが起こす小さな波も重なる程なのに。

昨日の夜、霊夢さんは魔理沙さんと話してた。
私は二人が何を話していたのか、実は良く分からない。途中からは眼の前で聞いたから知っているけれど、
最初何を話していたのかはほんのちょっとしか知らないのだ。
ミスティアさんとあの時は一緒にご飯を食べていた。私には聞こえなかったけれど、ミスティアさんには聞こえていたようなのだ。
加えて言うと、私が二人の話している事を気にしていた事も気付かれていたみたいで。
出した串焼きのついでとばかりに教えて貰えたのだ。

『何だか貴女の事を話しているようだけど?』

と。私は霊夢さんと約束してたから、大切な話が後であるんだってことは分かってた。
でも、それをミスティアさんから聞いた時ちょっと不安になって。
貰った串を食べてすぐに、二人の所に戻ったのだった。
その時魔理沙さんが話していたのは……。



~~



悩んでいた彼女の顔を見ていると魔理沙の言葉を思い出した。
ひょっとして私達の関係にもそれはあるんじゃないかと。そう思った所から……何だか怖くなった。

次が、次の言葉が言いだせない。
最後の一言が、言いだせない。
喉の奥がカラッカラに渇いて、……怖くて言いだせない。

例え今は無くても。しばらくは無くても。
いつか幻滅されてしまうのではないかって。
一緒に居ればそれはあたり前に起こるかもしれない事なのに。
分かってるけど、それがどうしても怖いんだ。

それでも彼女から視線は逸らさなかった。
もしも逸らしてしまったら、本当にこの関係が崩れ始めるんじゃないかって。
今じゃなくてもいつかきっと近いうちに。私がヒビを作っちゃうんじゃないかって。そう、思ったから。



彼女は少しの間、困った顔をしていた。
恐らく私もそんな顔をしていたんだと思う。
でもそんな彼女の顔がふっと優しそうな顔に変わって。私の方に向き直った。
……やっぱりその顔を見ると安心してしまう。
あまり大きくは無かったけれど、両手を広げて笑った彼女に私はただただ吸い込まれるように体を預けて。
抱きしめて、貰ったのだ。

冷えた肩があったかかった。
抱きしめてくれるその手が嬉しかった。
同じ位、彼女もドキドキしてた。

「私は霊夢さんの事が好きですよ。」
「……私も、リリーの事が好き。」

彼女が耳元で囁いた。小さな声だけど、ハッキリと聞こえる声で。
さっきまで流れていた小さな風も今は止まって、何もかもが聞こえるんじゃないかとすら思える程に静かで。

「最初は優しいなって。それから頼れるなって。最初はそんな風に思ってました。
でも、霊夢さんの好きな所はそれだけじゃないんです。毎日美味しい料理を一緒に食べさせてくれる、
楽しい時間を過ごさせてくれる。私を、真っ直ぐ見てくれる。……沢山、沢山あって、一緒に居ればそれもまた増えて。」
「……うん。」
「だから勿体無いなって思うんです。お互いが好きなら、交換するだけじゃないですか。
例えば頼ることのできる嬉しさと、頼られる嬉しさを。優しくしたいって気持ちと、優しくして貰える喜びを。」

彼女の手がとん、とんと私の背中を叩く。
まるであやされているような感覚だけれど、……この感覚は嫌いじゃない。
ものを考える頭は止まってしまうけれど、穏やかな気持ちにしてくれて。
包まれているって安心感を、ただただ与えてくれるから。

「それも、そうなのかもね。……前向きなのね。とっても。」
「傍に居てくれるって信じてますから。だったら、どこまでも前向きです。色んな景色を見たいって言ってくれたじゃないですか。
後ろを振り返っても沢山の景色はありますけど、見るんだったら前の景色を一緒に見たいです。」
「リリー。」
「はい。」
「ありがとう。」
「それは、私の言葉ですから。」

いつも通りの、おなじみの。
またこれからも出来る貴女とのやりとり。

「……お互いのね。」
「……そうでしたね。」

ああでも。前もこんな風に貴女の胸の中で抱いて貰ってけれども。
何だかあの時よりも少し、大きくなったなって思う。
これなら、もっともっと。色んな気持ちを預けても良いのかなって。
そう思えるだけで、胸の中にあった重たいものが綿みたいに軽くなって、どこかに消えて行った。



帰り道。私は彼女をおんぶして帰っていた。
体調を崩した訳じゃない。ただ、彼女がそうして欲しいと言ったからだ。
私の肩に頭を載せて、満足げな息をしながらぎゅっと私に抱きついている彼女。
ぎっちり腕で抱きつかれているから背負い直すのがちょっと大変だったりするけど、
すぐ横で嬉しそうな声出されているとそれすらも少し言いだしづらい。

「こうしていると霊夢さんと一緒の視線になるんですよ。」

こんな事も言ってるから、尚更だ。

「もう夜が明けますね。」

段々と明るくなってきたなぁと思ったあたりで、リリーが後ろを振り返ってそう言った。
もうその時には神社の境内に入っていて、振り返れば山の端にちょっとだけ頭を出した太陽があった。

「ええ。今日もお洗濯日和。今日は……大変ね。」
「はい!」

よいしょ、という声と共に降りた彼女が、にっこり笑って伸びをして。
私が玄関を開けて中に入れば、じっと屋根を見上げて嬉しそうな声を漏らした。

「霊夢さん!」
「うん?」
「……ただいま!」
「……うん。ただいま。」
読んで頂き有難う御座いました。
書き直しがここまでになります。
本編はまた今度出来あがり次第。

--10/14 20:37--
寝具に関するなにがしを修正しました。
あか
コメント




1.名前が無い程度の能力削除
あぁもうリリー可愛いなぁ!
リメイク前の話を思い出しつつ、楽しませていただきました。
本編も楽しみにしていますね。

あ、霊夢さん、僕もリリーのおっぱい吸いたいんでちょっと横空けてもらっていいでs(ピチューン
2.名前が無い程度の能力削除
甘い!長い!だがそれが良い!!
心がじんわりと暖かくなりました。
続きを楽しみに待ってます!

あと、冒頭の魔理沙のパロネタは不意打ちすぎですw
腹筋を返してw
3.名前が無い程度の能力削除
続きが来たぞー!
相変わらず柔らかい雰囲気のとても良い話でした。
そしてまだ本編に入っていないという大作・・・これからも楽しみにしております。
4.名前が無い程度の能力削除
じんわりくるわぁ・・・
今まさに俺の心にも春が来ましたね
あなたのかくまりさがとても好きだ
さて、読みなおすか
5.名前が無い程度の能力削除
長いですけど、それだけにゆったりとしていて温かかったです
両手に収まる幸せ、とでも言えばいいのでしょうか。とても大切ですね
夜の方も猫巫女霊夢にしてやられました
続きを全裸でお待ちしております
6.名前が無い程度の能力削除
ようやく読み終わった・・・。
前作に引き続いて素晴らしい文章、お話でした。
続編待ってます。
7.名前が無い程度の能力削除
リリーかわいすぎるよぉ
ちょっと長くて細かいとこはわすれちゃったけどとりあえず
リリー!レイム!まりさ!可愛い!
8.名前が無い程度の能力削除
うおおおおお!
春ですよーーー!

あ、甘い・・・!