真・東方夜伽話

eraudon18

2010/07/01 01:02:39
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eraudon18

紺菜

         ~注意書き~



 本SSはeratohoを基に作成された二次創作物であり、
 作者のオリジナル要素が多分に含まれております。

 また、東方キャラに対する調教を行なう作品である為、
 表現上性描写、暴力描写、残酷描写、著しい俺設定、オリキャラも多く含んでおります。

 SM行為、虐待に類する行為、強姦、輪姦(またはそれに近い行為)等が当てはまります。

 ここまでの文章で嫌な予感、悪寒、吐き気、頭痛、眩暈等の症状を感じた方は、
 即座にブラウザを閉じて充分な休息を取られることをお勧めします。

 その症状が見られない、もしくは興味を持ってしまわれた方のみ先へお進み下さい。



        ~注意書き終わり~




○業務連絡○

○7/6 加筆分付け加えました

○業務連絡終わり○




































































 頭上では小鳥が囀り、足元では花々が咲き誇る。
 木々のこずえが風に吹かれてざわめいている。
 ぽっかりと浮かんだ白い雲と、降り注ぐ心地よい陽光。

 そんな場所で、私はあの人に出会った。

 地面に置かれた椅子にだらしなく腰掛け、テーブルのカップを持ち上げたばかりのあの人は、私を見つめて驚いたような顔で見つめていた。
 私自身、そんなあの人と同じで目を丸くしていた。
 予期しない場所で予期しない相手と遭遇したような表情で、私たちはお互いに見つめ合っていた。

「こんにちは」

 あの人は言葉を探るような沈黙の後、何気ない挨拶を投げかけてくる。
 黒い瞳がきょろきょろと動いて、私の視線よりも少し高い場所に目を留めたのが判った。

「兎のお嬢さん」

 多分私をどう呼ぶのか悩んだ後、頭の上の耳を見て、ようやく出てきたのがそれだったんだろう。

「こんにちは」

 私も同じ挨拶を返した後、きょろきょろと視線を動かして目の前にいるこの人の格好を眺めた。
 とても見慣れた相手で、私はこの人の事をとても良く知っているはずなのに、名前どころか呼び方もすぐに見つけられなかった。

「赤い人」

 だから結局、あの人が私の頭の上にある耳を見つめたように、艶かしい色のジャケットを見つめて呼び方を決めた。
 この人が身につけている赤いジャケットが、とても鮮烈に印象に残った。

 咄嗟に口から突いて出た呼び方に私自身どうかと思った。
 けれどその当人である赤い人は、苦笑交じりの笑みを浮かべて向かいの空席を指し示す。

「どうぞ」

「あ、はい」

 私は小さく頷き、勧められるままに空いていた席に向かった。
 向かいの席に座り、テーブルを挟んで向かい合う。
 テーブルにはどこにでもありそうな白いカップとソーサーが置かれ、端にはミルクと砂糖も用意されている。
 それとバスケットにたっぷりと盛られたお茶菓子(パン?)が置いてあった。

「スコーン」

 初めて見る茶菓子が物珍しくてじろじろと見ていると、そんな言葉が投げかけられた。

「これの名前ね」

 と、赤い人はひょいとその茶菓子を一つ摘み上げて、大口を開けてかぶりつく。
 もぐもぐと咀嚼する顔は、かぶりつく分量を誤ったのかリスのように頬が膨らんでいた。

「ぼーぼ」

 頬をぱんぱんに膨らませた聞き取り取りづらい声で勧められた。
 そのまま喋ったりするものだから、ぶほっと少し欠片を吹き出している。

「い、頂きます」

 私はそんな様子に曖昧な笑みを浮かべて、スコーンを手にする。
 赤い人が見せたようにかぶりつかずに、少しずつ齧ってはもそもそと咀嚼する。
 ほのかに甘く、ぱさぱさしている。
 確かに美味しいのだけど、頬張っていると口の中がもそもそと乾いてしまうお菓子だなと思った。
 そんな私の感想に気がついたように、ポットを手にした赤い人が私のカップに飲み物を注いだ。
 ポットの中身は黒く澄んだコーヒーだった。

「あ。ありがとうございます」

「朝飯前ですよ」

 なんとなくちぐはぐな受け答えを返されて、反応に困った私はやっぱり曖昧に笑い返した。

 時折聞こえる風の音。
 ざわめく木立と鳥の鳴き声。
 長閑に安穏と漂う空気。
 ぱさぱさとしたお菓子とコーヒーのほろ苦さを味わいながら、私はちらちらと向かいの赤い人を盗み見ていた。

「あの」

 スコーンを一つ食べ終え、舌の根に残るコーヒーの甘酸っぱさに意識がそぞろになりながらも私は声をかけた。

「ええと。突然こんな事を言うのは、変だと思うんだけど」

 本題に入る前に、慌ててそんな前置きを差し込む。
 向かいに座る赤い人は手を使わずにカップの端を口にくわえて、視線だけをこちらに向けている。
 たぶん中身はもうなくなっていて、なんと言うか姿勢からして行儀が悪い人だなぁと思いつつ、それがなんだか当たり前のように思えて咎めなかった。

「私、貴方を知っている気がするん、です。けど……」

 漠然とした感覚があった。
 ここがどこで、どうして私がここにいるのか、どうやってきたのかさえも良く判らない。
 けれど何の疑問もなく赤い人が勧められるままに席に着き、茶菓子を食べ、こうしてしゅるしゅるとコーヒーを啜ったりしているのは、相手から不思議な親しみを感じていたからだ。
 その親しい空気にいぶかしみながらも誘われ、口調すら定まらず勧められるままに席についてしまっていた。

 赤い人は口にカップをくわえたまま私の質問の意味を考えているのか、ゆっくりと視線を円く一周させた。

「何それ。ナンパ? 俺って今逆ナンされてるの? いやぁ二枚目ってのはこれだから参るね。OKバチコイ兎のお嬢さん。遠慮なくこの胸に飛び込んでくるが良いのヨ?」

「違います。飛び込みません」

「いずれも即答ですか。結構ショック」

 殆ど反射的に口を突いて出た強い口調に私自身どきりとしながらも、赤い人は言葉ほど気にかけた様子もなくけらけらと笑っている。
 カップを口元に乗せたまま。
 物凄く意味のない器用さだった。

 ひとしきり笑った後、赤い人は絶妙なバランスで乗っていた口元のカップをテーブルの上に置いた。

「えっとさ。質問を質問で返す形になるんだけど、いいかい?」

「え? あ、はぁ」

 訊ね返されてしまって、私はなんとも気の抜けた声で同意した。
 赤い人はだらしなく仰け反っていた身体を前に倒すと、ずいと身を乗り出してくる。
 左右の眉をぎゅっと眉間に寄せてじっと凝視してくる。
 正直言って怖い顔だった。
 怖いから肩を縮めて首も竦めはしたけど、それはなんというか身の危険に直結した恐怖というよりも、どこか目の前の赤い人が暴力を振るったりするのではないという確信を持った上での怖さでもあった。

 なんと言えばいいのか。
 頭の中では赤い人が怖い相手だと判っているのだけれど、身体が怖がってないというか。
 だからこうして睨むような眼差しを向けられても、緊張で身体が強張ったりする事もなかった。

 赤い人は私をじろじろとしばらく見つめた後、眉間の皺を解して背もたれに体重を預ける。

「こんな事を言うとあれなんですがね。というかですね、なんと言うか二番煎じで反吐が出るって言うか自分でもわー嘘くせーって感じがしてなんか口にするのも木っ端微塵隠れなんですけども」

「前置きが長くてくどいです」

「何気にツッコミが厳しいね」

 赤い人は苦笑いを浮かべて、うなじの辺りをぽりぽりと掻く。
 少しわざとらしい咳払いなどしてから、黒い瞳を丸くして私を見つめた。

「俺もね、どこかで会った気がするんだよ」

「……えー」

「前置きしたじゃん嘘臭く聞こえるって。傷つくよ? 傷ついちゃうよ? 目の前にいるのはガラスのハートで一〇代なのよ?」

「いや、あの、なんと言うか。凄くありがちで胡散臭い台詞な気がしたんですけど。ありがちなんですよね?」

「そこでどうして俺に訊くのかね君ぃってツッコミよりも、むしろその反応の方が自然さを感じてありがちだねーって同意する。俺も言ってて胡散臭いチャラけた台詞でそんな事臆面もなく言い出す奴は輪廻の枠から外れて死に絶えればいいのに。俺除外で。って思うんだけどね。事実だから仕方ない」

「あ、一〇代は無理があると思います」

「わぁいスルーされた上に時間差で胸をえぐってくれてどうもありがとう」

「はぁ。私これでも自慢じゃないですけど、物凄く人見知りするんです」

「自慢にもならないし脈絡もなければ関係もないし、全力で後ろ向きな発言だねそれは」

「いや、立場的に敵だったりしたらそれはもう毅然とした態度で弾幕ごっこに挑むし、問答無用で波長いじったりもするんですけど、それ以外で余り人と関わり合いになりたくないと言うか」

「毅然と問答無用にって考えようによっちゃ怖いね。あと時速一〇〇㌔くらいでネガティブ方面にカッ飛んでません?」

「薬を売り歩く仕事だって人里までの道すがらで結構憂鬱になるくらいで、直接の応対――置き薬の説明とか、早く終わらせたい一心でいつも早口にまくし立てて」

「それは商売人として間違ってない? 薬売りって信頼と実績の積み重ねなんだからそこはきっちり売り込まないと。俺が珍しくまともな発言をしましたよ」

「……というか、人間そのものが嫌いと言うか鬱陶しいと言うか、全体的に視界に入って欲しくない対象物なんです。特に男」

「根こそぎです! 洩れはありません! って謳い文句並に範囲広いよねそれ」

「中々そういう訳にいかないのでそれは我慢して、私の方が出来るだけ視界に入らないよう生活してるんですが」

「味のある発言だねそれは」

「でも、その、上手く言えないんですけど……人間から感じる居心地の悪さというか気味の悪い感じが、貴方からは感じないんです」

「人間ってカテゴリィをまんまイコール気味悪いって言い切る辺りにちょっと戦慄を覚えないでもないけど、俺もこの会話自体楽しんでるヨ?」

 そう。
 妙に軽快で軽薄に続くこの会話を、赤い人が言うように私も楽しんでいた。
 口調やテンポこそさざめく虫の羽ほどにも軽いけれど、口にしている内容は私が持っている人間観そのもの。
 こんな事を初めて会った相手(しかも人間で男!)に、絶対口にしたりはしない。
 私が人間に対して抱く印象は口にした通りで、向かいに座る赤い人は条件的に、一目見た瞬間言葉を交わすまでもなく嫌いに分類されるはずだ。

 私はいつも以上に饒舌に、そして私以上に言葉を並べる赤い人に、手ずからコーヒーのお代わりを注ぐ。
 つい自然とそうしてしまったけれど、それだって赤い人を気遣った行動で、普段は相手の飲み物の有無なんてまるで意識しない。

「ありがと」

「いいえ。あ、お構いなく」

「まぁまぁまぁ」

「はぁ、すみません。頂きます」

 お返しとばかりにいつの間にか減っていたコーヒーのお代わりを注ぎ足され、私は恐縮しながらも好意に甘える。
 会話を一区切りして、二人揃ってしゅるしゅるとコーヒーを啜った。

「……なんだか不思議です。長年知っている相手でも、今の感じで話が出来る人はいなかった気がする」

「そうなんだ? まあ確かに普通じゃ聞けない黒い発言が多かった気がするけどさ。普段はどういう感じなの」

 そして、ごく当たり前のように途切れていた会話が続く。

「普段ですか? 普段は、えぇと――厄介事を増やされたり、飴と鞭で打たれたり、言う事を聞いてくれるどころかまんまと罠に嵌められたり」

「あー……ソウナンダ」

「兎おいしかの山だったり……三日記憶をなくして寝込んだり……せっかくのういろうを結局私だけ食べ損なったり……あ、あと雨漏りした時は天井にめり込んだりもしましたね……」

「よしよし。スコーンをお食べ」

「はい……あれ、おかしいな。さっきまでほのかに甘かったのに、今は妙にしょっぱい……」

「それが苦労の味だよ」

「世知辛い…味ですね……」

 ちょっと心がぺきっと折れそうだった。
 ほろほろと涙をこぼしながらスコーンを齧る私に、赤い人は苦笑いを浮かべながら頭を撫でてくれた。

 あ。
 この感触。
 何か思い出せそうな気がする。
 私の頭の中からすこんと抜け落ちてしまっている、当たり前で根本的な部分。

「せっかくの茶菓子が湿っちゃうから話題を変えようか」

 それを私が取り戻すよりも早く、赤い人の手は引っ込んでしまった。
 その動きを視線で追った拍子に、私の頭の中で閊えていた何かはその重要性を失ってしまう。
 思い出せない事を思い出そうとするよりも、頭の上の耳を正面に向けて、赤い人の言葉を聞き逃さない方が重要に思えた。

「まあとにかく。兎のお嬢さんには気の許せる相手がいるって事ね? 良かったじゃん」

「……はぁ。赤い人は、そういう人っているんですか?」

「なんか微妙な間と、ため息にも聞こえる同意だね。それはともかくいるよー。俺の目の前に」

 くいっと顎で指し示されて、私は目を丸くしていた。

「え、あ。私、ですか?」

「うん」

 あっさりと頷いて、赤い人は気の許せる相手を指折り数えていく。

「兎のお嬢さんでしょー? 兎のお嬢さんに~、ああそれから兎のお嬢さん。わぉ、この調子でいったら両手で足りるかしらん?」

 なんだかいつものように姫に突っかかる藤原の娘に、私が第五の刺客まで兼任した時みたいだ。

「……え、えぇと、私の他には?」

「他?」

 赤い人は私の言葉にさも不思議そうに瞬きをして、小指だけ残った自らの手をじっと見つめる。

「他には……えー、あー」

 小指は曲げられては伸ばされ、倒れそうになってはまた戻る。
 その様子を私はじっと見つめた。

「待って! ああ、この人って友達がいない人なんだなんて寂しい人生を送ってきたんだろう可哀想だなぁ。なんて目で見るもんじゃないですよ!? 思い出せないだけ、思い出せないだけだから!」

「……」

「思い出した! 友達なんていなかったんだよ!」

「私より駄目な人がいた!」

 びっくりするくらい。
 饅頭にかぶりついてみたら、中に餡子の代わりに皮がぎっしり詰まっていたくらいに駄目だと思う。

「いや、ほらさぁ。他人を敵と味方に分けて考えるのって苦手でさぁ。そういうのって詰まらんじゃない? 出会う相手に片っ端から敵か味方かを一々問いただすなんて馬鹿馬鹿しいじゃん? 第一面倒くさいし」

「なんだか話を逸らされてる気がしますけど、そうですね」

「だから俺って基本的に自分を取り巻く世界全てが敵なの」

「三千世界の魔王ですか!?」

「俺の辞書だと、友達と書いて餌と読む。類義語は蛆虫とか?」

「……手遅れな辞書なんですね」

「大変遺憾な事に。まあそんな俺ですけどこれでも大人だから、上辺だけはすげぇ人懐こい振りとか極めて友好的に見せかけたり良好な人間関係を築いてから、あっさり手の平返したりとか出来るんだけども」

「黒いですね真っ黒ですその黒さは驚きのドスさです」

「ツッコミに遠慮がないね。でも、ま。兎のお嬢さん相手にゃかなり気を許してる。カテゴリィ的にはきわめて自分の範囲に近いのよ。このスコーンを使って表すとねぇ」

「食べ物で遊ばないで下さい」

「はい。と言うか兎のお嬢さんが好き。すげぇ好き。好き好き大好きメッチャスキー。ハラショー・ボルシチ」

「言葉が軽いです」

「そぉ? じゃあ愛してるー」

「ひっ、ひい方が軽いですよっ」

「声が裏返ってますよ、兎のお嬢さん」

「幻聴です幻覚です私は正気です狂気に目覚めたりはしてないです大丈夫です」

「俺ってガキだから好きな子にちょっと意地悪してみたくなるタイプなのねん」

「そうですねその通りですねさっき大人だって言ってたのと矛盾しますけど海よりも深く月よりも高く納得します」

「成層圏を突き破るとはやけに縦方向に偏った納得だねぇ」

「からかわないで下さい狂わせますよっ」

「うふふ。こっちはもうとっくにその真っ赤な瞳に狂ってる」

「勝ち誇ったように気障ったらしいですっ」

「たまには色気のある言葉の一つも言っとかないとね、うん。世界の中心で愛を叫ぶ奴なんていたら、目の前でその相手寝取って憤死させた上で寝取った相手を風呂屋に沈めてやりたいけどね」

「どうしてそう生々しい上にえげつないんですか」

「俺ってびっくりするくらい狭量だし。残酷な事とか大好物だし。人が嫌がる事を進んでしたりするし?」

「そうですね」

「何かツッコミが段々事務的になってきてる気がして俺ってばちょっと寂しい」

「大丈夫です。私が声に出して突っ込むのは赤い人くらいです」

「微妙に俺って身分低いって言われた気がする。まあとにかく、俺は他人に厳しく辛く酷く生臭いけど、身内にゃ特別甘いのですよ」

「胸を張って力強く言う事じゃないですよね? それって明らかに」

「だから俺の場合、ベッドの耳元で愛を囁くのさ」

「そっ」

「愛してる」

「ここはベッドじゃないですし私たちは座ってお茶をしてるだけでそんな突然不意打ちなんて卑怯ですY軸方向に狂わせますよっ!?」

「正気と狂気ってXY軸なんだ。すげぇ。流石俺の愛する兎のお嬢さんは博識ですね」

「あーあーあー! 聞こえない聞こえない聞こえない!」

「その耳を摘んで必死に照れた顔を隠す姿とか、もう可愛くって仕方ないのよ。あーいーしーてーるー」

「きーこーえーなーいー!」

 取り乱して叫んだり、急いで話題を変えようとしたり、席を立って逃げ出した私を赤い人は執拗に追い掛け回して二人でぐるぐるその場を回ったり。
 渇いてしまった咽喉を湿らせようとコーヒーを飲んだり、慌てて呷ったりしたからむせて咳き込んでしまったり、それを見て赤い人がけらけら笑ったり。
 しつこく恥ずかしい言葉を連発してくるからいい加減私もちょっとムッとして、その小憎らしい口を物理的に黙らせるのにポットから直接コーヒーを注いでみたり。
 流石にやり過ぎたかと思ったらじゃあミルク飲ませてと私の胸を凝視してきたり。
 幾らでもどうぞとカップのミルクを鼻から流し込んだり、流石に堪えたのかギブギブと私の胸を臆面もなく揉んできたり、ギブって事はもっと欲しいんですねと判らない振りをしてザラメも流し込んだりした。

 前向きだったり後ろ向きだったり生臭かったり野蛮だったりくすぐったいかと思ったらたまに凄くエッチだったり。
 自分自身ここまで容赦がなかった事を再確認して驚いたり、それでも赤い人は笑って許してくれる事をどこかで知っていて、私の悪逆非道もやっぱりけらけら笑って許してもらえた。

 頭上では小鳥が囀り、足元では花々が咲き誇る。
 木々のこずえが風に吹かれてざわめいている。
 ぽっかりと浮かんだ白い雲と、降り注ぐ心地よい陽光。

 私たち以外誰もいないそんな場所で、騒々しいくらいのお茶会を楽しんだ。






 目が覚めると私の目の前に良く見知った顔があった。

 ご主人様のベッドで目が覚める、いつもの朝。
 師匠から夢を共有する薬をもらってから、私にとってここで寝起きするのが日常になろうとしていた。

 私の腕はご主人様の肩に伸び、ご主人様の腕が腰に回されている。
 頭に敷いているのは枕じゃなくてご主人様の腕だとすぐに気がついた。

「朝ですよ」

 目の前で私を抱きしめている男の人にそっと囁く。

 ご主人様の眠りは深い。
 大抵私よりも早く起きているご主人様だけど、時々私の方が先に目が覚める時がある。
 そういう時は呼びかけても身体を揺すっても中々眠りから覚めないのだけど、今朝は私が声をかけるだけで閉じられていた瞼が開いた。
 なんとなく、今朝はそんな気がしたから驚かなかった。

「おはよ」

「おはよう…ございます」

 挨拶を交わしてベッドの中で見つめ合う。
 真っ黒な瞳。
 いつものように優しくて、なんだかいつもよりもずっと和やかな眼差しで見つめている。
 私たちはしばらく横になったままじっと見つめ合っていた。

「夢を見たんだ」

 先に口を開いたのはご主人様の方。

「もう良く思い出せないけど、騒々しくて、やけに楽しい夢だったなぁ」
 
「うん」

 私も同じだった。
 いつもは鮮明に残るはずの夢の記憶が今日はすっかり希薄で、思い出そうとしても靄がかかったように私の手元からこぼれてしまう。
 けど、曖昧だけど名残は今も胸の中に残っている。
 騒々しいのに穏やかで、胸の閊えがすっきりと取り除かれたような心地良さ。

「今はベッドの中でもう少し余韻を味わっていたい気分」

「うん」

 私も、もう少しこの体温で暖められた布団の中にいたい気分。 
 もぞもぞと身体を動かして温もりに密着する。
 抱き寄せられて、自ら擦り寄って、こつんと額があたる。
 枕代わりにしていた腕が肘を曲げて私の髪を撫でる。

「レイセン」

「なんですか? ご主人様」

 この胸に残る気分がそのまま溶けたような空気の中で、ご主人様が耳元で囁く。

「愛してる」

 なんとなく、ご主人様がそう言ってくる予感がした。

「……はい」

 だから取り乱したり叫んだり照れ隠しに逃げたりしたりせず、赤面した顔を見られないよう額を押し付けるくらいで済んだ。
 そんな私を、ご主人様の手が優しく撫でてくれている。

「コーヒー、淹れますね」

 口にはしたけれどまだベッドからは出ない。
 この温もりが惜しくて、伸ばした手を離す事が出来ない。

「ん。じゃあ俺はスコーンでも焼こうかな」

 ご主人様も私を抱擁したまま、ベッドから出ようとはしなかった。
 和やかな空気と暖かい布団の中で、私たちはたわいのない会話を交わす。

「バスケット用意しますね」

「うん。朝はもう間に合わないから……三時のお茶会にしようか」
 
「はい。いっぱいお喋りして楽しみましょう」

「そうだね。たまにはそういうのもいいか」

「でも、その時に意地悪な事は言わないで下さいね」

「言わない言わない。言ったりしたらポット一杯分コーヒーを飲まされそうな気がするし」

「そんな事は――」

「……」

「最近、ご主人様は胸ばかり見てる気がします」

「回し受けからカウンターを取られた気分。だからと言っておっぱいでしか固体識別出来ない人だったりはしない」

「本当にしてたら駄目な人ですよ」

「全くだな。だから是非この手で直接」

「いつもよりミルクを多めにお代わりしますか?」

「なしの方向でお願いします」

 取るに足らない会話を重ねて、私たちはくすくすと笑い合った。
 


xxx  xxx



 永琳が訪れて以降、私への扱いが変わった。

「やめて、触らないで」

 肩を押され押し倒されながら、私は弱々しく訴えかける。

「お願い、永琳……正気に戻って」

 ベッドに押し倒して迫ってくる永琳を拒み続けた。
 私の言葉に、永琳は切れ長の目を細めて微笑む。

「ふふ。しおらしい抵抗。可愛いわ」

 胸の前で交差させた腕を取られて、無理やりベッドに押し付けられる。
 私の上で馬乗りになり見下ろしてくる永琳の瞳は、理知的で知性の光を伴っていたかつての目とは異なり、背筋が凍えるほど妖艶な輝きを湛えていた。

「何故、月の頭脳とまで謳われた貴方が、どうしてこんな真似を――」

 半身といっても過言ではない永琳が、私を辱めようとするなんて。
 彼女が私を汚した張本人でもあるというのに、その事実も含めていまだに認められずにいた。

「人は孤独を恐れて温もりを求めるもの。輝夜、それは貴方とて違わないでしょう?」

「そう。そうだけど」

 永遠亭を築いたのも。
 沢山のイナバたちを住まわせたことも。
 永遠の孤独を慰めるためだったのがその根底の理由。
 けれど。

「私は、こんな汚らわしい温もりなんて求めていない!」

 永琳の手が単衣の襟元から忍び込み、指先で肌を探るようにうごめいている。
 私が望んだのは、もっと別の温もり。
 暖かで心地良い、永遠の漂泊を照らす陽気のような温もりが欲しかっただけ。

「知らない事は、求めていない事ではないのよ輝夜」

 訴えかける私に、永琳は手の動きを止めずに微笑む。

「輝夜自身が嫌い、私も閨の営みから遠ざけた。けれど本来、これは汚らわしくなどないわ。だからといって尊くもない、自然に沿った理の一つ。蓬莱人にとって意味を成さない理ではあるけれど、新たに知る事によって得られる温もりもあるわ」

「いや、やだぁ! こんな温もり、私は欲しくない!」

 何より、今の永琳の姿を目にしたくない。
 従者の立場ではあったけれど、私にとって永琳は支えであり、師でもあった。
 不浄の地に落とされたともがらが、その手で私を汚そうとしてくる。
 悪夢以外の何ものでもない。
 
 首を振っていやいやする私に、永琳は少し困った表情で苦笑を浮かべる。

「残念だけれど、ご主人様はそれを望んでいるのよ」

 そして、私の首筋に唇を押し付けた。
 永琳が私の肌に口づけをしていく。
 唇の柔らかさと熱にさらされながら、私は部屋の一角を睨みつけた。

 そこに男がいる。
 私をかどわかし、イナバたちだけでなく永琳まで手篭めに犯した憎い男。
 卓についたままこちらに一瞥もせず、手元に視線を落としていた。

 男は一冊の本を開いている。
 調教というおぞましい題が打たれた本に、あの黒く無機質な視線を落としこちらには見向きもしない。
 私は首筋に触れる永琳の唇に耐えて、男を睨み続けた。

「この卑怯者! 永琳に一体何をした!」

 あの永琳に、どんな真似をすれば私の手元から奪い去れるというのか。
 私からの全幅の信頼に勝るものを、あの男が持っているとでもいうのか。
 それが――穢れとでもいうのか。

 男は答えない。
 気味の悪い笑みを浮かべるでも視線を動かすでもなく、ぺらりとぺージをめくっただけだ。
 永琳をけしかけた後、男はこちらを一顧だにせずいかがわしい本を読み続けていた。

 永琳が男を主人と呼ぶたびに悔しくて、悲しくて、今にも涙が溢れてしまいそうになる。
 けれどそれだけは拒んだ。
 力ずくで押し倒されてしまっても、心だけは奪われないように硬く拒み続けた。
 それが、私に残された矜持。

「何をされたのか、それは貴方が見たままよ。輝夜」

 顎に手が添えられ、くいと視線の矛先を変えられる。
 私を覗き込む永琳の艶姿が目前に迫っている。

「女としての悦びを主人から与えられた。私はそれに報いているだけ」

 男に代わって答えると、永琳は私の言葉も待たずに唇を重ねてきた。

 女としての悦び?
 あれが?
 イナバたちは猟奇的に犯されただけ。
 永琳は正気を奪われ穢されただけだ。
 それなのに、悦びだとでも言うの?
 私には蹂躙されただけにしか思えない。

 永琳は私の唇の感触を味わうように、何度も口づけをしてきた。
 身体に力が入らない。
 無力感が私の身体を苛んでいる。
 何より、いくら私を汚しているとはいっても、目の前にいるのは紛れもない永琳だった。

 こうして肌を重ねていると尚更に、私の良く知っている永琳の匂いを感じる。
 偽者だとか私の疑問が差し挟む余地のない確信に、私は涙を堪えるので精一杯だった。

 その永琳が、私に馬乗りになったまま袂に手をかけぐいと開いた。

「ひっ」

 思わず悲鳴がこぼれた。
 今まで単衣の内側に忍び込んでいた手によって、冷淡にも私の胸元がはだけられる。
 いまだ誰の手にも触れられたことのなかった私の肌が、白い灯りの元にさらされる。

「輝夜。貴方の肌は白くて、柔い」

 永琳は申し訳程度の私の胸のふくらみに手の平を滑らせ、もう片側の襟もやはりあっけなく押し広げた。
 私の胸元が、肌が、同室に男がいる中でさらされている。
 
「いやぁ!」

 激しく左右に首を振る私に、永琳は首を傾げて微笑むばかりで答えてくれない。
 言葉にせず、帯も解かずにたくし下ろした単衣を膝に強き、私を固定してから何か筒のようなものを取り出して見せた。

 私はそれがなんなのか知っている。
 昨日永琳が自らの胸元に垂らした液体が入った筒。
 ローションとかいうもの。

「何を? 決まっているわ。愉しむのよ」

 永琳は筒の蓋を外してその粘っこい液体を私の胸元へと垂らした。
 冷たい感触に歯噛みして耐える私に、胸元にこぼれたそれを永琳は手の平を使って滑らかに薄く伸ばしていく。

「愉しみ方を、今から教えてあげる」

 永琳は丁寧にゆっくりと時間をかけてローションを塗りつけてきた。
 私がどれだけ声を上げても黙殺し、口元に浮かべたこれから行う淫靡な行為への期待を消すこともなかった。

「見なさい、輝夜」

 たっぷりと撫で付けた後で、永琳は手をぬるつかせたまま何かを取り出す。
 それは見たことのない奇妙な代物だった。

 ローションの筒と似ていて円筒型。
 こけしにどこか似た感じだが、くびれた先に愛らしい顔が描かれているわけでもなく、白っぽくて無表情。
 手で使うものなのか、それらしい窪みがあって握り易い形になっている。
 永琳が指を動かしカチッと硬い音がしたかと思うと、低い音を上げてその奇妙な代物がぶれた。
 小刻みに振動しているのだとわかった。

「そ、それはなに。どうするつもり?」

 嫌な予感を飲み下して、永琳が今からその奇妙なものを使って何をする気でいるのか真意を窺う。
 彼女はふふと小さく笑って、手に握ったものを私の胸に押しつけてきた。

「ひっ」

 肌の上を虫が這うような感覚に悲鳴がこぼれた。
 ローションですっかりなめらかになってしまった私の胸元を、その奇妙なものを使ってさらに均していく。
 
「輝夜への玩具よ。ご主人様が用意して下さった電気マッサージ機。電気、と言っても輝夜にはまだ詳しい原理は判らないわね」

 その奇妙な道具を私の胸から離して、こけしじみた頭の部分を撫で回す。
 そうやってローションを馴染ませているのだとわかった。

 こんな奇妙なものの原理なんてわからないしわかりたくもない。
 第一あの男が用意したものなんてすべからく私を害し貶めるものでしかない。
 私の剣呑な視線なんてとっくに気がついているくせに、男は離れた卓について手元の本を気だるそうにめくるだけ。
 一つだけ、これから私になにが行われるのかは私にもわかった。

「原理を知らなくても享受は出来る。さあ輝夜、愉しみましょう」

 あの怖気を誘う感覚に耐え続けるのだ。



「あ、うぐ、うう、うっ」

 永琳の手に握られた淫具が滑る。

「うっ、うくっ、ふっ、ふぅ、ふううぅっ」

 私の胸の上で餌を探す地虫のように蠢く。

 私の胸元で8の字を描いたかと思うと、意味を感じ取れない不規則な動きに変わる。
 食いしばった口元からどうしても声が洩れてしまう。
 むず痒くてくすぐったく、おぞましいその感覚から逃れられない。
 永琳は私を蜘蛛のように捕まえてなぶり続けた。

 まるで取るに足らない小さな虫けらに、少しずつ蝕まれていくような悪寒。
 ぞくぞくと背筋が凍えるのは、肌を外気にさらしこのねとつくローションとかいうのを塗りたくられているから。
 永琳は時折手の平で直接胸元を撫でつけ、ローションは体温を吸って温められた。

 得体の知れない感覚を絶え間なく与え続けられるこれは、端的に言って拷問でしかなかった。
 用いるのはなにも苦痛である必要はない。
 得体の知れない感覚を与え続けるだけで戸惑い、怯え、そんな自分に苛立ち、不安定になっていく。
 今の私のように。

 そんなこと、身をもって判りたくなんてなかった。 
 振動し続けるこけしへの嫌悪感と、私たちを捕らえた男への憎悪。
 そして、そんな男の言いなりになっている永琳に哀しさを覚える。
 それら胸の中で混じりあった感情と、肌に直接押しつけられている気味の悪さが加えられて、悔し涙で目の前が滲んだ。

 あの男が私の身体に触れるならば、幾らでもこの思いの丈を言葉にしてぶつけられた。
 罵り、なじり、蔑み、どこまでも悪罵の限りを尽くせた。
 それを知ってか知らずか、男はまるで私に興味を示さない。
 今までイナバたちに、永琳に悪辣な暴行を加えている間も視線は常に私に向けていたというのに、見向きもしない。
 相手が永琳では、どうしようもなく私の気勢が削ぎ落とされてしまう。

 悔しい。
 今まで生きた千年の連なりにも、これほど悔しい思いをしたことはなかった。

「良い表情になってきたわね」

 私の胸を舐めるように這っていた永琳の手が、首筋を伝って頬に添えられる。
 それはねとついた感触さえ除いてしまえば、労わりすら感じ取れる。
 行いは見る影もなく身をやつしていながら、またがって見下ろしてくる永琳はどこまでも私の知っている姿だった。

「こちらの知識は随分と物覚えが良くないようだけれど、少しずつでも判ってきたのではないかしら?」

 くすくすと笑いながら、永琳は振動するこけしを傾ける。
 私のわずかに膨らんだその先端へと。

「ここが、とても重要だという事に」

「んっ、ふぅっ」

 声が洩れる。
 洩れてしまう。

 それでもなんとか意地を張って歯を食いしばる私に、早く素直になりなさいとでも言いたげに永琳は目を細めた。
 乳首の先端にかろうじて触れる距離で、こけしが振動を続ける。

「く、ぅく、うううっ」

 むず痒さと唾棄したくなる嫌悪感から身体をよじって逃れても、数秒も間を空けることなく私の乳首にそれが当てられる。
 私の胸元をあてどなくさまよっていたこけしが、今は乳首付近を狙って集中的に当てられる。

 これが永琳の言う愉しみ?
 こんなものが愉しい?
 そんなはずがあるものか!

 私は言葉を噛み殺して睨み返す。
 目の前で怖気しかない拷問を行使する永琳を睨みつける。
 どうして私が永琳にこんな感情をぶつけなければいけないのか。
 目尻から、一筋の悔し涙がとうとうこぼれた。

 私の胸の中で渦巻く敵愾心は、相変わらず明確な矛先も見つけられずに寄る辺がないまま惑い続けていた。 

「強情ね」

 永琳はそんな私を見ても出来の悪い教え子をたしなめる師の眼差しで、苦笑を浮かべただけ。
 そして私の胸への刺激は緩めず、薬の調合の簡単な手伝いでも頼むような親しげな口調で、

「少し手を貸してもらえないかしら?」

 あの男に呼びかけた。

 がたっと椅子を引いて席を立つ音が聞こえた。
 きしきしと床を軋ませる足音が、平坦な間隔で近づいてくる。
 永琳は無愛想な音の接近に合わせて私の顔から手を引いた。

 左手を使い胸元を留めるボタンを外していく。
 永琳の脇から差し込まれた右手が、その動きを助ける。
 今、永琳の背後にあの男がいる。
 肩越しに黒い髪がちらちらと見え隠れしていた。

「こそこそと……! 私の視界に入ることすら恐ろしいのか小物!」

 それでは睨めない。
 ぐるぐるととぐろを巻いたこの感情をぶつけられない。
 私とあの男の間には、誰よりも愛し慕うものがいる。
 八意永琳が、たった一人の憎むべき男の前に立ちはだかり阻んでいた。

「恐いのか? 恐いというのか! 私をただの小娘とせせら笑っておきながら、何の力も持たない小娘すら劣るのか! その程度の下種か!」

 だから声の限りに挑発した。
 罵り嘲り男の怒りを誘った。
 男が姿を見せれば当然私の素肌をさらすことになるが、それは良い。
 そんな些細な羞恥心など怒りで呆気なく塗り潰された。

「私の力だけでなく自由を奪ってもまだ不足か! 辱めても足りないか! 永琳をけしかけて、それでも尚怯えているのか!」

 脱出への計算も対抗する算段も何もなく、自棄になって罵った。
 私の胸の閉じ込められた激情は正しく吐きだされる場所を求め、口を、舌を滑らかにしていた。
 
 イナバが口に上らせていた言葉が脈絡なく頭に浮かぶ。
 ここでの生活に馴染みだしているのではないかという疑問。
 私は確かにこの不条理に馴染み始めていたのだ。

 この男は私だけでなく、その家族まで奪い貶めた。
 正しい怒りすら忘れかけてなにが矜持だ。
 永遠が侍らせる蓬莱人が、我が身を惜しんでなんとする。

「なんとか言え! 言ってみろ下郎! 畜生道に落ちるがあまり言葉まで失ったのか獣!」

 私がどれほど声を荒げて挑発しても、男は乗ってこなかった。
 浅薄で軽いはずだった男は受け答え一つ返さずに、永琳の背後に隠れたままその無骨な右手だけを私の視界に差し出し、ボタンを一つずつ外していった。

 こぼれるような勢いで永琳の乳房があらわになる。
 永琳は恥らう様子もなく、ただ少女のようにはにかんでその行為を受け入れている。
 手を貸すとはこういう意味だったのか、永琳の笑みは男が彼女の意思に沿った行動を見せている確証となった。

 男の右手は、胸元をはだけさせるとさも当然のように豊かな乳房を揉みしだいた。
 大胆に、淫蕩に、浅ましく。
 脇から手の平を使って押し上げ、五本の節くれた指が蠢く。
 つんと上向きになった乳首を摘んでこねた。

「はぁ」

 永琳のため息は甘く、乳首の先端からは乳白色の液体がとろりと滲み出していた。

「下種め、下種め……!」

 私は繰言のように怨嗟をこぼして、涙の滲む目でその手を睨んだ。
 大切なものを目の前で無遠慮にまさぐるその手が憎く恨めしい。
 その好意を甘んじて受け入れるどころか求めてすらいる永琳の姿が苦く哀しい。
 ベッドに押し付けられて身動きもままならない自分自身が情けなく悔しい。
 今も胸元から伝わる振動と薄気味悪い感覚が疎ましく恐ろしい。

 それらが混じりあったこのうねりを、上手く名付けることが出来なかった。

 永遠にも等しい拷問が続く中、ふいに似つかわしくない軽快な音が私の鼓膜を震わせた。
 パタンと開いた本が閉じる音。
 それと一緒に永琳の動きが止まり、私に押し付けられていたこけしが離れた。

「ご苦労さん。お疲れ」

 今日初めて、あの下郎の声を聞いた。

「はい、ご主人様」

 きしっとベッドを軋ませて永琳が離れ、私は解放される。
 解放されても私は動けなかった。
 はけ口がないまま駆け巡った激情が凝り、私の四肢まで強張らせてしまったような錯覚がした。

「え、永琳」

 その背に手を差し伸ばすも、永琳は省みることなく胸襟を直してあの男の元へと向かった。
 迎えた男はそれが当然であるように、永琳と唇を重ねる。

「ん…ふぅ……」

 永琳は身じろぎしながら逃れるどころか身体を摺り寄せ、口付けに情熱的な抱擁で応える。
 舌を絡ませるひどく淫靡な口付けをたっぷりと見せ付けて、男は今日初めて私を見た。
 男の目はゆるぎなく黒く濁っていた。

「ひっ。乳くせぇ」

 揶揄する口ぶりで、亀裂のような笑みを浮かべた。
 睨み返す私の視線を涼しくいなして、男は永琳を連れて部屋から立ち去った。
 私は乱れた単衣を直すことも忘れて、男の消えたドアを睨み続けた。

 私は、この時間を耐えられるのだろうか。



xxx  xxx



「……はぁ」

 私は憂鬱なため息を洩らした。

 勿体無いくらい豪華になった自室の、御簾のようにレースカーテンが吊るされたベッドの中で、私は横倒しに膝を抱えていた。

 普段は忘れていられるけど、一人になると色々と悩みを抱え込んでしまう。
 そういう性分なのは、私自身が良く知っていた。

 私は今、ご主人様に言われて姫様の体調管理を診るような立場にいる。
 と言っても姫様が今重大な病を患ってもいないので、身体に良いとされる食べ物や強壮薬の類を幾つか届けるくらいで、それ以外に特に何かをしている訳ではないのだけど。
 私がもたらす効果は、ていの良い小間使いか気晴らしぐらいなんだろう。

 姫様がこの場所に連れてこられて、同じ境遇を辿っているだけあって私でもその不安さ、心細さは判る気がする。
 私が姫様の面倒を見るように言われたのは半ば名目だけで、薬や技術を使った明確な効果を期待しての事ではない。
 多分、お互い面識があるから余計な心配やストレスを感じさせない為にと配慮したからだと思っている。
 てゐもちょくちょく顔を出しているようだし。

 姫様は、ある意味この場所に来てからもそのままだった。
 私が知るまま我侭で何かろくでもないことを考えたりしていた。
 力を失ってしまった時点で怯えて縮こまる事しか出来なかった私とは真逆で、自信満々で揺るがない。
 そんな姫様の態度に呆れはしたものの、同時に敵わないとも思った。

 姫様は、裏切った私を敵視したりしなかった。
 当たり前のように永遠亭にいた頃と同じ態度で接してきた。
 用事を言いつけられたりしたし、見慣れない家具や設備に説明を求められたりもした。
 無茶な要求もされ(と言うか真っ先に退屈だから部屋から出しなさいと言われた)、私がそれを拒んでも怒ったりは――
 まあ怒っていたけど。
 生意気ねと文句こそ口にしていたものの、それ以上私は責められなかった。

 私は裏切ったつもりでいたのだけど、姫様はそんな風に捕らえていなかった。
 いや、始めは裏切られたと思っていたはずだ。
 姫様は私の深刻な決断を、まるで子供がお菓子を横取りしたよりも軽い事のように、あっさりと許してしまっていた。
 だから私も肩肘を張らずに接する事が出来た。

 今までは。

「はぁ」

 もう一度ため息を吐きだす。
 今は照明を絞っているので薄暗く、普段は白い光も夕日に近い赤色。
 なんだかそれも私を滅入らせているような気がして、気分を紛らわせようと何度も身体の位置を直した。
 結局、膝を抱いて丸くなる格好に落ち着いた。

 そんな姫様が、今日は嘘のように意気消沈していた。
 私が声をかけても何の反応もなく、身に着けた単衣の乱れも直さず、ただベッドに座ったまま俯いていた。
 何かと騒がしかったり良からぬ事を企んでいた姿が嘘のように打ちのめされて、丸められた背中は脆く儚げだった。
 私はかけるべき言葉も見つけられず、用意した幾ばくかの漢方を置いて立ち去るしかなかった。

 その後開かれたささやかなお茶会でも、朝のどこかすがすがしい気分ではいられず上の空だった。
 夕食を終えた後もなんだかご主人様の部屋へ訪れる気分にもなれなくて、こうしてどこか場違いな自室で一人丸まっていた。

 判ってる。
 ここで暮らし、ご主人様に寄り添うとはこういう事。
 誰かを――それが私の良く知る相手だったとしても、不幸にした上で私の安息が約束されている。
 私がそうされたように、姫様にとってはただ過酷な日々だけが待っている。

 幸福は誰かの不幸で成り立っていると言うけれど、それはとても実感し難い。
 踏みにじっている側は、誰を踏みにじっているかなんて気にも留めていないから。
 大多数の者が足元にいる誰かの不幸を見ずに、目の前にある自らの幸福ばかりを見ている。
 私だって永遠亭にいた頃はこんな悩みなんて持たず、誰かを踏みつけにしているかもしれないなんて考えずに日々を送っていた。

 けれどここはそういった場所。
 明確に、目の前で誰かが踏みにじられる。
 それを隣で見つめながら生きる場所。
 
 仕事に関してご主人様に手抜きはない。
 私はすぐに根を上げてしまったけれど、細心の注意を払った上で容赦ない責め苦を与え続ける。
 それに関しては確信にも近い確かなものがあった。
 姫様が耐えれば耐えるほど、ご主人様はあらゆる手段を用いて虐げるだろう。
 それはご主人様の生業であり、性分でもあり、明確な線引きが成されている。
 身内と判断されない者にまで注ぐ慈悲など、一欠けらたりとも持ち合わせてはいない。
 ご主人様の対人関係は三つしかなかった。

 身内か、奴隷か、それ以外。

 身内に対してはご主人様は甘い。
 底抜けに甘く、そして惜しみない愛情をもって接する。
 生活環境を整え、気遣い、我が身を削る献身さすら垣間見せた。
 相手を尊重し、傷つけ――命の危険が伴おうと平気で笑って許容してしまう。
 私やてゐや師匠を愛し、ご主人様の尺度での差こそはあれ、その態度を守って崩さない。

 奴隷に対しては人間的な感情はほぼ向けられない。
 苛烈で陰湿で、執念深い。
 それでも最低限保証されているのは身の安全と日々の生活。
 物として徹底的に人間性が排除されるものの、だからと言って決して無秩序な扱いは受けない。
 そういう危険性に対しては全力で抗い、不思議な事に守られてさえいる。
 物として扱われるが為に、商品としての価値を何よりも尊重する。
 その価値も、ご主人様の判断で私にはその概要くらいしか判らないものだが。
 
 そして、それ以外。
 身内でも奴隷でもない相手に対して、ご主人様はほぼ無条件に憎しみを向ける。
 憎しみという言葉が生易しく聞こえるくらいの悪感情だ。
 邪魔だと判断されれば何の躊躇いもなく物理的に排除される。
 にこやかな笑顔も人懐っこい態度も偽りで、それらの下に隠されているのは殺意。
 何の理由もなく殺してしまいたいという殺意が渦巻いている。

 ご主人様はなんと言うか、俗世的な人間だ。
 奴隷商人なんていう裏家業に従事しているだけあって、おおよそそれにふさわしい性格だと思う。
 欲望に素直で他人に攻撃的で享楽的。
 けなすわけじゃないけれど、誰かの不幸よりも自らの幸福を最優先する、そういう人間らしい人間。

 そんな本能のまま生きたいように生きているように見えるご主人様を支えているのが、鉄のように温かみのない冷淡さ。
 ご主人様は表面上の性質とは真逆に、極めて合理的な思考も持ち合わせた人間だった。

 明確な位置づけと碁盤の目のように区分けされた思考。
 その二面性が理解出来ずに訳も判らず怯えた時もあった。
 結局はそういう人なんだと思い、今まで生きてきた中で形成された性格なんだろうと納得する事で深く考えないようにしてきた。

 けれど、今は考えてしまう。
 一人になって考えていた。

 ご主人様の性格を培ってきた環境というのは、果たして一体どういったものだったんだろう?
 それは奴隷商人を生業とするようになってからのものなのか、それとも以前からあの性格だったのか。
 何故あそこまで誰かを憎んでいるのか。
 不特定多数のほぼ全てを切り捨てるにいたった過程とはどういったものか。

 それとどうして、あそこまで人を愛せるのか。

 急に気になりだしたのは、何も姫様の変化に引きずられての事だけじゃない。
 師匠の言葉もあった。

 今まで明確にご主人様との夢の体験を覚えていたと言うのに、今日に限っては不明瞭だ。
 まだかろうじて印象は残っていたけれど、具体的に何が合ったのか、どんな内容だったのか思い出す事が出来ない。
 記憶にはならず、まさしく夢のごとく淡い残り香だけでおそらく明日には忘れてしまうだろう。
 この差は一体なんなのか、師匠に訊ねてみた。

 師匠の説明は詳細な分複雑で判り難かったが、要約すれば認識力の不一致が原因だという事。
 夢の中とはいえ、ご主人様が私を――鈴仙・優曇華院・イナバとして認識しなければそれは私ではなく、私もご主人様と認識出来なければただの人間の男に過ぎないのだと。
 時間を巻き戻していくようなものらしく、私がご主人様と出会う以前は互いに見知らぬ他人同士であるように、関心の矛先が向かない。
 路傍に転がる石の数形を記憶出来ないのと同じで、意識を向けなければそれは風景の一つとしてでしか記憶されない。
 それが師匠の言っていた夢に関われない状態で、曖昧な印象だけが残るのだと。

 逆にお互いの認識力が増せば増すほど輪郭は色濃く縁取られ、それは現実の体験そのもののように記憶される。
 私が用いていた狂気を宿す瞳も、それとある意味同じだ。
 幻覚があたかも現実として認識されるものの、視線を合わせなければ幻覚は幻覚のまま記憶に残らずただ泡沫と散るだけ。

 最近目にしたあの悪夢。
 夢がご主人様との時間を追体験しているのなら、あの苦痛に満ちていた痛みはこの場所で呼び起こされる最も古い記憶。
 私がまだご主人様と出会ったばかり、幾度も苦痛を浴びていた時の記憶から作られたものなのか。

 けれどそれは、決して悪い結果でも薬の効果が薄れている訳でもないと言うのが師匠の言葉だった。
 認識不足の逆で、現実の距離感が余りに近づいたが為に起こった。
 自分と他人を区別する境界が揺らいでいるのではないかと。
 それはつまりどういう事なのだろうかと要領を得ない私に、師匠は珍しく悪戯っぽく笑った。

『それだけ、貴方たちが愛し合っているという事よ』

 適切な距離感を保てないほど惹かれ求め合い、夢の中とあれば余計露骨に反映される。
 恋は盲目だなんて言うけれど、つまりそういう事らしい。
 何がそういう事なのか良く判らないけど、私は返事も出来なくなって俯き師匠はくすくすと笑った。

 何か悪い事になっているのかもしれないという漠然とした不安が取り除かれたのが、一番良かった。

 言葉に出来ない胸の清々しさに師匠の口添えが加えられた事で不安も解消され、そして今は代わりとばかりに新たな不安が芽吹いている。
 本当に、我ながら難儀な性格をしていると思う。
 これは本当は目新しくなどなくて、今まで先送りにし続けていただけなんだろうとも思った。
 私が目を逸らしている間に種から芽吹いて成長しているだけで、その不安を解消しようとご主人様の元へ向かう事もしない。
 私はどこまでも後ろ向きなままだ。

 ご主人様の事を知りたいのか知りたくないのか。
 今の生活を続けたいのか崩れてしまう事を恐れているのか。
 過去が揺らぐたびに私自身もぐらぐらと不安定になってしまう。

 毎日顔を合わせているのだから全部忘れてやり過ごすことなど出来ないし、これも先送りなんだろうなと思うけれど、私は中々寝付けないまま寝返りを打ち続けていた。

「頭、冷そう」

 ベッドの上で寝転んでいても一向に眠気がやってこない。
 夕食が終わってすぐに部屋に閉じこもってこうしているのだから、当たり前だ。
 シャワーでも浴びればすっきりするかもしれない。
 私がのろのろとベッドから降りようとするのと同じくして、部屋のドアがノックされた。

 こん、こここんこん、こんこん。

 軽快なリズムで叩かれるノックの音に、どこか聞き覚えがあった。

「ご主人様?」

 天蓋から垂れるレースをめくると、ドアの隙間から顔を覗かせているご主人様と目が合った。

「や。入っても良い?」

「あ、はい」

 私が頷くのを待って、ご主人様はわずかな隙間から滑り込むように部屋に入ってくる。
 なんだか滑稽な仕草に、私はくすりと自然に笑みをこぼしていた。

「お、受けた?」

「頭の位置だけ動いてないんですね」

「パントマイムも割りと得意なのよ」

 そこにないものをあたかも存在しているように振舞って見せるのが、パントマイムという芸らしい。
 ご主人様はそのユーモアな芸を惜しげなく披露してくれる。
 暗闇の中手探りで進むように、身振りだけで部屋にありもしない壁や扉を作り出していく。
 言葉を用いない代わりに表情は雄弁で、喜怒哀楽に驚きを交えて迷いながら進んでいく。
 ドアからベッドまで直進すればほんの数歩でたどり着ける距離を、ご主人様は迷宮から潜り抜けてきたように私の前に辿りついた。

「兎のお姫様に、憂いたお顔は似合いません」

 ご主人様は私の前に来ると、その場で片膝を着いて跪いた。
 演劇のような仕草と台詞を読み上げるような声音には、以前目にしたジャグリングの時と同じ真剣みがこもっていて、先ほどまでの滑稽さを簡単に振り払っていた。

「貴方が笑顔を向けて下さるなら、私は喜びを糧に山を持ち上げてみせましょう。海を飲み干して見せましょう。空を自在に飛んでみせましょう」

 そんな台詞と共に絨毯についていた手を上げて、私の目の前へ。
 私はこれから何をするのか、目を釘付けにしたままご主人様の手の甲をじっと見つめた。 
 差し出されていた手が裏返り、その指先には小さな赤い花が一輪摘まれていた。
 目の前で見ていたのに、今の今まで全く気づかなかった。

「ですが今宵はこれが精一杯」

 鼻先に寄せられていた花がさくりと私の髪に挿される。
 ご主人様が差し出していたのは、本物のように精巧に作られたかんざしだった。

「……」

「お似合いですよ。兎のお姫様」

 目の前で見せられた魔法のような奇術に驚き、かんざしを指で確かめていると手鏡が差し出されていた。
 これもいつ取り出されたのか判らないが、私が視線を動かしたほんの一瞬で用意してしまったのだろう。
 小さな手鏡の中で写し出された私は、髪に小さな睡蓮を浮かべて見つめ返してきていた。

「……あ、ありがとう、ございます」

「これくらい晩飯後ですよ」

 芝居は終わりなのだろう。
 いつもの調子を取り戻したご主人様は、さっきまでの雰囲気を緩めてその場に胡坐をかいた。
 私は向かい合う形でベッドから足を下ろした。

「昼からこっち随分元気なかったけど、どしたの?」

 向かい合うと、ご主人様は単刀直入に訊ねてきた。
 勘が鋭く目端も利くご主人様を相手に、私が気落ちしている事は遠からず悟られていると思っていた。
 案の定で、部屋に入ってきた時のパントマイムや芝居がかった一連の行動は、そんな私を慰める為のものだったんだろう。
 睡蓮のかんざしというお土産まで用意して。

 ご主人様は私の心境の変化を読み取り献身的に尽くしてくれる。
 それなのに私はそれに応えているとは言い難い。
 姫様を裏切っておきながら、永遠亭にいた頃の思い出に今も未練がましく縋り付いている。

「……はい」

 どう受け答えて良いのかも判らない。
 さっきまで抱いていた疑問。
 ご主人様とは一体誰なのか。
 どんな理由があって名前を捨てて、何の目的の為にこの場所にいるのか。
 私の目の前にいるのか。
 私を愛してくれる理由は、何なのか。

「ふむ」

 暗く沈んだまま訊こうにも訊けずにいた私に、ご主人様は小さく一つ唸った。
 かと思うと私は立ち上がったご主人様に肩を押されて、ベッドの中に戻されてしまう。

「ご、ご主人様?」

「いいからいいから。あ、ベッドから出るのと外を覗くのは禁止ネ」

 戸惑う私に垂れ下がったレースを締め切ってしまう。
 ベッドの中から見えるのは、レース越しに浮かび上がったご主人様の影法師。
 前も後ろも判らないその影は、ベッドの傍らに座り込んだ。

「近過ぎるからこそ見えなくなる事があるって、世間一般では言ったりするよね?」

「え。あ、はい」

 唐突に喋りだしたご主人様に、私は戸惑いながらも頷く。
 それはお師匠様から言われた言葉にも似ていた。

「相手と直接顔を合わせるよりも、こうして何かを一つ隔てて話した方が本音が言えたりするんだよ」

「そう、なんですか……?」

「そうそう。大体四六時中顔を合わせてる訳だから、いつもいつもべったりくっついたりしてたら嫌気の一つも差して当然。引っ付いたり離れたりするのが人間関係ってもんでしょ。まあ、そっとしておけば良いものを俺の方から来ておいて何を言うって感じだけども」

「そんな。そんな事ないです」

 ご主人様に対して嫌気が差したなんて事はない。
 この人は私が落ち込んだり悩んだりした時、手を変え品を変えて慰めてくれる。
 嫌気が差すのは、むしろいつまで経っても変えられない自分の性格の方だ。

「本当に、嬉しかったんです」

 頭に乗ったかんざしを撫でて、そのすべすべとした感触を確かめる。
 嬉しかった。
 鬱々と悩んでしまっている私の元に、こうしてご主人様が訪れてくれた事が。

「そっか」

 気の所為だろうか。
 表情の見えない影の声は、どこかほっとしたような響きを伴っている気がした。

「じゃあここは一つ、この流れで腹を割ったお喋りの一つでもしてみましょうか」

 すぐ声に軽快さが戻り、ご主人様はそんな事を提案してきた。

「腹を割って、ですか」

「そうそ。相手にどんな事を訊いても良いし、訊かれた方は誠実に答えなきゃいけない。パスは三回まで可能。パスを使い切った方が負け。ま、ちょっとしたゲームみたいなもんだよ。どう?」

 言葉通り、ご主人様の声はどこか楽しそうだ。
 私はレースに映る影をじっと見つめる。
 どんな事を訊いても良いという事は、ご主人様から思いもよらない質問が飛んでくる可能性があるという事。
 三回はパスが出来るらしいけど果たして三回で足りるのかどうか。
 もしこれを断ってもご主人様は怒ったりせずに、あっそうと呟いて部屋を後にするだろう。
 けれどそうなったらそうなったで、残された私はまた新しい悩みを抱えて煩悶と過ごすのが目に見えている。
 この申し出を受けても断っても悩んでしまうのなら、まだ受けた方がいい様な気がした。

 ご主人様が心配して私の元に訪れてくれているのに、無体に追い出すなんて流石に出来なかった。

「……やります」

「OK。ま、パスもあるから気楽にね」

 嬉しそうな声と膝を叩く音が聞こえて、私はそのゲームに参加した。
 どちらが先に質問をするか順番を決めて、レース越しのじゃんけんもなんだかゲームの一環のようで新鮮だった。

「それじゃまず初めは簡単なとこから」

「ど、どうぞ」

 ご主人様から先に質問する事が決まり、私は緊張を足元の毛布を掴んでごまかしながら、どんな質問が飛び出してくるのかと息を呑んだ。
 言葉を切って質問を考えていたご主人様の影は、何かを思いついたように指を一本立ててみせた。
 お互いの顔が見えないからだろう、ご主人様はそういう何気ない仕草も大げさなくらいにして見せていた。

「それじゃ質問」

「……はい」

 どんな質問だろう。
 何を訊かれるんだろう。
 私は誠実に答える事が出来るんだろうか。

「貴方のお名前はなんですか?」

 ご主人様の質問が私に届けられた。

「……え?」

「な・ま・え。貴方のお名前はなんですか? 兎のお姫様」

 そんな、初対面にするような質問が投げかけられた。
 冗談交じりの笑い声を含んだ声に、私の緊張が解けていくのが判る。
 初めは簡単な事と確かに言っていたけれど、幾らなんでもこれは簡単過ぎる質問だ。

 私一人深刻になってしまっていたけど、ご主人様の言っていた通りこれはゲームで、半ば悪戯心で口にしたのかもしれない。
 なんだか拍子抜けしてしまった。

「おや、いきなりパスですか? あ、そうそう。言い忘れてたけど負けた方は勝った方に何かご褒美ね」

 答えられないと言うよりも呆気にとられてしまった私の沈黙に、ご主人様は今になってそんな言葉を付け加えた。

「ご、ご褒美ですか?」

「そ。何かそういう役得があればただのゲームにも身が入るでしょ? ちなみに俺へのご褒美は兎のお姫様を今晩好きに出来る権利を所望」

 好きにされる。
 多分、ご主人様の事だからそれは性的な意味も含んでいるのだろう。
 殆ど毎日身体を重ねているのに、それは果たしてご褒美になるのだろうか。
 疑問に思っていると、くふくふと奇妙な笑い声が聞こえてきた。

「俺が好きにするって言ってる意味、判る? 勝った暁にはそれはもう全身全霊をもって好きにしちゃうよん?」

 レースの向こうにいる影が、持ち上げた両手の指を気持ち悪いくらいにくねくねとさせていた。

 負けられない。

 私はそれを見た瞬間に確信を抱いた。
 この人の事だからご褒美欲しさにどんな手段をとってでも勝ちに来るだろう。
 どんな事をされるのかちょっと想像は出来なかったけれど、想像も出来ない事をされてしまうに違いない。
 そういう事は参加する前に言って欲しいとか、後になって条件をつけるのは卑怯だと主張しても、あっさりと流されるのは目に見えていた。

 こほんと咳払いを一つして、私は最初の質問に答える。

「私の名前は鈴仙――」

 続けようとした言葉を切る。
 ふと思い立った事に、どんな理由があったのか。

「レイセン、です」

 地上で貰い親しんだ方ではなく、月で呼ばれていた頃の名前を挙げた。
 ご主人様と二人でいる時にだけ呼ばれる私の名前。
 それはほんの些細な違いでしかないのだろうけど、その小さな事にこだわりたい。
 そう呼ばれる事を願ったのは、私自身なのだから。
 そして私の願いを、この人は今も守り続けてくれていた。
 
「レイセンっていい名前だよね。何がいいって響きがいい」

「……こほん」

 私の名前をあからさまに褒め称えられて若干照れながら、もう一度咳払いをして身を引き締めた。

 今はそんな感傷にひたったりおべっかに乗せられている訳にはいかない。
 何せ私が負けてしまったら好きにされてしまうのだ。
 何がなんでも勝ちにいかないと、てゐと同じかあるいはそれに勝る悪戯好きなこの人に、どんな目に合わされるか判ったものではない。
 多少悪辣な手を使ってでも、先に三度質問をパスさせないと。

「では、次は私の番ですよね?」

「どうぞー」

 質問の候補がぐるりと頭の中を巡り、私はその内の一つを取り出した。

「貴方の名前を、教えて下さい」

 それは今この人に訊ねられたばかりの質問で、私自身いつか訊ねた事。
 名前を捨て去ったというあの時の言葉を疑っている訳ではないけれど。
 それでも違った言葉が返ってくるのかもしれないとうっすら思ってしまうのは、信じきれていないからだろうか。

 こうしてレースを一枚隔てたやり取りには、どこかいつもの会話とは違う雰囲気が漂っていて、その空気に誘われてしまったのかもしれない。

「ふむ、そうきますか」

 今までの大きな動きを止めた影法師に、私は小さく咽喉を鳴らした。

「ないよ。残念ながら俺に固有名詞は存在してない。切り捨てて、忘れて、物の見事に忘れ去られちまった。当の昔に彼岸の彼方」

 それはいつか聞かされた通りに深刻味が感じられない声で、

「けど、レイセンの呼び方をそのまま俺の名前って事にしてもいいかな」

 そんな言葉が付け加えられた。

「ご主人様、が名前ですか?」 

「人前じゃ呼び難い上に姓名をどこで切るかが問題だけど、俺は気にしない」

「呼ぶ方の身にもなって下さいよ……」

「周りの目を気にして恥ずかしそうにご主人様と呼ぶレイセンの姿が見られるなら、俺としてはそっちを考慮したいとこだネ」

 けらけらと笑って肩を揺らす姿から、ああやっぱりこの人は相変わらずなんだなぁというどこか諦めにも似た確信を抱いた。

 ゲームはお互いの名前を聞くという基本的な質問から始まった。
 そこからは殆ど雑談に近い質問の応酬が続いた。
 好きな食べ物や趣味は何かとか、一人でいる時はどんな事をして過ごしているのかとか。
 ご主人様の答えは軽薄で意地悪で余り誠実には聞こえないでもなかったけれど、いずれも詳細に答えてくれた。
 身振り手振りも交えたそのやり取りは、なんだか影絵芝居でも見ているようだった。

 ご主人様の質問は無難で何気ないものばかりで、私もやはりいきなり答え難い質問を投げかける訳にも行かず気後れしてしまっていた。
 けれど、私は勝たなければいけない。
 趣味が私に意地悪をして遊ぶ事と断言してはばからない相手なのだから。

 私限定じゃなくて、好きな相手と大まかな範囲を広げてはいたけれど。
 ……私も、それに含まれるんだし。

 私はそういったお遊びの質問から勝つ為の質問へと変えるべく、今一度緩み始めていた気分をぎゅっと引き絞った。

「それじゃあ質問します」

 言っていいのだろうかという躊躇い。
 面と向かっては言い出せない言葉が咽喉元に留まっている。

「……ご主人様は、以前はどんな仕事をしていたんですか?」

 それを口に出来たのは、私とご主人様を隔てる薄いレースのカーテンがあったからだろう。
 影にしか見えないご主人様の姿が、照明が絞られた暗がりが、ゲームという戯れが、そういった諸々の条件も重なって、私の言葉を堰き止めていた頚木を緩めてくれていた。

「以前の仕事かぁ」

 いつだったか、ふわふわのドレスで素敵なお店に案内された時にも訊ねた質問。
 ついはしゃぎ過ぎてしまった私にとっては苦い思い出でもあったけれど、酔いが回ってしまう前に同じ質問を投げかけた事があるのを覚えていた。

『ここじゃちょっと言えないお仕事』

 あの時はそんな言葉ではぐらかされた。
 けれど今は――

「教師」

 拍子抜けするほど呆気なく答えてくれた。

「教師、ですか?」

 つまり先生。
 寺子屋で教鞭をとっているあの強引でちょっと駄目な感じの人と同じ立場。

「そ。教え諭す師だなんてまったくもって大仰で自画自賛も甚だしい職業だけどね。教壇に立って、まあ、生徒に物を教えたりした事がある」

 例が極めて少ない――と言うか私が地上で知る先生はあの人しか知らないんだけど、二人を並べてみたとしても物凄く教職から遠いような気がする。
 片や判らない話を判らせようともしないまま滔々と歴史について語り続けるだけの先生。
 片や上手な悪戯の仕方とか証拠隠滅の方法とか犯罪すれすれの域まで教えていそうな先生(推測)。

 あ、共通点を一つ見つけた。
 二人とも反面教師だという事。

「なんかすげえ勢いで信じられてない気分」

「そんな事ないですよ」

 言葉自体は信じている。
 信じられないくらい似合わないなぁと思ってるだけで。

「まあ偽教師だったんだけどね」

「どうして、ご主人様の話には落ちがつくんですか?」

「別にオチをつけたい訳じゃないんだよ。人生が転落しちまってるだけだから自然と落ちていく訳で」

「……はぁ。まあいいですけど。どうして教師なんてしてたんです?」

「その場の勢いと成り行きで。俺のいた世界じゃ教師になるにも免許を取らなくちゃいけないんだけど、俺がそんな面倒な物を持ってると思う?」

「いいえ」

「即答ですか。その通りなんだけどね。で、免許偽造したりお偉いさんをちょっと脅したりして紛れ込んでたの」

「どんどん教師という立場から遠ざかっていってる気がします……」

 反面教師だ。
 多分これほど見事な反面教師もそうはいないと思う。
 ご主人様の弁を借りると本物の教師じゃないんだけど。

「そもそも教師の言葉を鵜呑みにするような餓鬼は、まずは親の言う事を一つでも聞いてろって。親も親でろくに躾も済んでない餓鬼を公共の場に送り込んでくるなっての。餓鬼なんて獣と一緒で、最近は親まで揃って餓鬼だってんだから話にならん。やってた事は今とそうは変わってないから、教師って言うよりソフトな調教師だったかね」

 結局教師そのものを否定するような形で終わってしまった。
 しみじみとした口調は(偽物だけど)教職の一端を感じさせる実感を伴っていて、多分言葉通り教鞭を振るっていたのだろう。
 確かに偽教師をしていたなんて人前では言えないお仕事だ。

 何と言うか、知ってしまったもののひょっとしたら知らない方が良かったんじゃないかと思わなくもない。

「俺が以前どんな仕事をしてたかっていうのはOK? 次は俺の質問ね」

 難しくも微妙な気分で揺れる私に、ご主人様が訊ねる。

 あ、そうだ。
 答え難い質問をするはずだったんだ。
 簡単に答えられてしまったのと、その答えが余りにも意外だったから忘れかけていた。

「レイセンに質問です。セックスの時はどの体位が好きですか?」

 私が勝ちを狙いにいくのと合わせて、ご主人様もすぐさま質問の内容を切り替えてきた。

 ここでうろたえてしまったら負け。
 何とか先にパスを一つでも消費させないと。

「む、向かい合ってするのが好きですっ」

 思わず声が裏返ってしまった。
 けれど答える事は出来た。

「例えばどんな? 向かい合うって言っても座ってしたり立ってしたり、横になるのも上だったり下だったり斜めだったり色々あるよね」

 そして間髪入れずに無情な追撃が始まった。

「そ、それも答えないといけないんですか!?」

「強制じゃないですよ。任意ですよ。ただ、どういう体位が好きですか向かい合ってするのが好きです以上終わり。だとちょっと誠実さが感じられないかな~?」

 誠実に答えるという曖昧な制約が、今は重くのしかかってくる。
 或いは答え難い質問でさらに問い詰める為にそんな表現が用いられたのかもしれない。
 逆に考えれば私がこれで答えを終わりにしてしまったら、それはそのままご主人様も簡単な答えで終わらせてしまうという事。
 根掘り葉掘り問い質されない代わりに、私もご主人様を問い詰める事が出来ない。
 短い言葉では嘘か本当かすらも判断出来なくなってしまう。

「ここでパスしてもいいんだよ?」

 ご主人様は意地悪な声で、魅力的な提案を持ちかけてきた。

 考えたら負け考えたら負け考えたら負け。

「座ってするのがいいですっ」

「ふぅん、対面座位か。理由は~?」

「楽で、密着というか、か、顔とかも、近くて」

「ふんふん。顔が近いと?」

「……キスが出来る、から」

「セックスの最中のキスが好きなんだ。うん、判ったこれからの参考にします」

「……出来れば忘れて下さい」

 恥ずかしさの余り視線もないのにその場にしゃがみこんでしまった。
 気がついてしまった。
 質問にしてもただ答えればいいというのではなく、その後の誠実な解答を見越してパスするかどうかを考えなくてはならない。
 今のように答え難い質問を詳細に説明しなくてはならなくなる。

 三回あるんだし、ちょっとくらいは選り好みしても……いいはず。
 いいはずよね?

 私はこれからどんな質問が投げかけられるのかを考えて、ごくりと咽喉を鳴らして生唾を飲み込んだ。



 そこから、ゲームは一気に過酷さを増した。

「前戯はどこからされるのが好き?」
「服を着たままと全部脱いでからするのはどっちが好き?」
「一週間で平均すると何回くらいオナニーするの?」
「付き合うとしたらぶっちゃけ相手は彼氏と彼女のどっちがいいのか」

 ご主人様の質問は今までの他愛のないものから性的な内容へとシフトし、畳み掛けるように投げかけられてきた。
 私は泣きそうになりながら答えたりパスをしてそれをいなす。
 私の性的嗜好が浮き彫りにさせられ、言葉だけで丸裸にされていく気分だった。

 勿論交互に質問するので一方的にはならない。 
 私の質問はご主人様の人となりや背景に終始した。

 氏名不詳。
 年齢不詳(自己申告では二七という事で落ち着いた)。
 前職は教師で、今の生業は職場を追い出された後成り行きで決まった。
 鵺さんと出会った経緯は偶々見つけて拾ったのがきっかけ(犬猫じゃないんだから……)。
 鵺さんは一体何なのかという質問で一つ目のパス。
 以降、当人以外に関する質問は封印というルールが付け加えられた。
 私もてゐや師匠を引き合いに出されると答え難いと思ったからそれに同意した。
 少しずつ、今まで不明瞭だったご主人様という人間の輪郭が浮き出てくるようだった。

 質問を続ける内に、相手の苦手な――パスをし易い傾向が判って来るんだろうけど、ご主人様の傾向はいまいち良く判らない。
 一度目は鵺さんをだしに使い今では禁じ手になったし、二度目は一人で外出はしないのかという質問だった。
 常に勝ちを狙った質問ばかりだと身がもたないから、そういう何気ない質問も織り交ぜている。
 ご主人様も暗黙の了解として受け取ってくれて、その時は無難な質問を返してくれた。
 ご主人様の二度目になるパスは、その時点で私がすでに二度パスをしていたから、ゲームが白熱する為に吊り合いを取ったのかもしれない。
 実際思っていた以上にこの他愛のないゲームは盛り上がり、普段なら絶対にしない質問も飛び交っていた。

「それじゃあ質問します」

 互いに残りのパスは一回ずつ。
 後一つ、ご主人様が答えられない質問を投げかければ私の勝ち。
 ゲームに勝ちたいという欲求と、ご主人様を知りたいという好奇心が絡み合って、私は今まで舌にのぼらせる事が出来なかった言葉を口にする。

「どうして――そんなに憎んでいるんですか?」

 初めて出会った時から持っていた疑問。
 当たり前のように他人を憎み、踏みつけにし、それでも尚笑っていられるのはどうしてなのか。
 それは残酷だからという理由で納得していた。
 けれど愛情を向けられるようになってからは、その理由だけでは納得出来なくなっていた。
 明確な理由があるなら、それを知りたいと思った。

 私の漠然とした質問にご主人様は考え込んでいるのか、しばらく無言だった。
 急に寡黙になった影法師をじっと見つめる。
 パスをするのかそれとも答える言葉を探しているのか、薄布を一枚隔てているだけでまるで判らない。
 態度や表情を直接目で見る事が出来ないからこそ、私も質問出来た。

 これはパスをさせる為のとっておきの質問だった。
 だから答えが返ってくるかどうかなんて考えていなかった。
 ――少しは考えていたけど、まずあり得ないと思っていた。

「理不尽だから」

 ぽつりと呟かれたその言葉に、私は思わず唾を呑んでいた。
 それは今までの軽妙さが感じられない、感情の色が抜けた乾いた声音だった。

「……何が理不尽なのか、訊いてもいいですか?」

「そういうルールだしね。幾らなんでも一言じゃ誠実さに欠ける。長くなるかもしれないけど、いいかな?」 

 変わってしまった部屋の空気に、私はいつの間にか後戻り出来ない領域に踏み込んでしまったのかもしれない。
 どんな言葉が飛び出してくるのか恐かったけれど、この時は好奇心が勝った。

「はい」

「そ」

 ご主人様はその身に憎悪を宿らせる事になった理由を、ゆっくりと語って聞かせてくれた。

 それは誕生までさかのぼった、ご主人様の身の上話。
 どんな理由でご主人様が生まれたのか。
 たった一度の過ちだと、ご主人様は笑った。

 ご主人様には三人の親に当たる人物がいた。
 育ての親。
 生みの親。
 そして、生ませた親。
 二人の男性と一人の女性。

「お袋がどこぞの馬の骨に強姦されて、その間に生まれたのが俺って話」

 ご主人様は素っ気無いほど簡単に自らの出生を語った。

「両親は生むべきか堕ろすべきか人並みに悩んだりしたみたいネ。俺がここにいる時点で生む事に決めた訳だけど。おぎゃあと生まれてからは順風満帆めでたしメデタシ。とはいかなくてねぇ」

 ご主人様を生んだ事で、親族から絶縁を申し渡された。
 それだけに留まらず嫌がらせが始まったらしい。

「強姦した男の餓鬼を生むなんて家の恥だってね。世間体も悪いし名前に傷がつく。俺一人で親族一同道連れドボンさ。何としても生ませたくなかったらしいけど意に反して生まれちまった。生まれたからにはしょうがない。生きているのが嫌になるまで徹底的にいびり倒す事にしたのさ」

 嫌がらせは罵詈雑言が書き殴られた手紙の投函に始まり、住んでいた家に生ゴミを送り届けられ、壁面には日に日に落書きが増えて消すのも追いつかなくなっていった。
 ご主人様から見て祖父母に当たる人物が率先していったと言うのだから、いよいよもって救いのない話だった。
 長期間にわたる嫌がらせによってご主人様の出自はすぐ周知の事実として知られるようになり、見ず知らずの赤の他人まで後ろ指を差す輪に加わっていった。
 愛情によって育まれるべき最も多感な時期に、ご主人様を取り巻いていたのは悪意の群れだった。

「どうして、そんな」

「簡単な事だよ。娯楽だったのさ。隠したがってる事が暴露されるのは、当事者以外は見ててとても楽しいんだよ。婦女暴行事件、あの人は今! って感じでね。バッドエンドで終わった小説の続編みたいなもんなの」

 それは残酷な好奇心。
 私を憂鬱にしていた他人の不幸によって成り立つ幸福。
 いや、不幸な誰かを作り上げる事で、誰もが自分は不幸ではないのだと言い聞かせる為のはけ口だ。
 ご主人様とその両親は、そんな生贄に選ばれてしまった。

「お袋はノイローゼになって首吊り。親父はケツまくって蒸発。強姦魔の餓鬼も失踪。楽しい楽しい便所の落書きは、一家ご破算空中分解で締め括りってね。誰も彼も、そんな事があったなんてあっさり忘れて日々の生活に戻りましたとさ。おしまい」

 ご主人様はひひひとあの甲高い声で笑った。
 肩を揺する影法師を、私は信じられないものを見る目で見つめていた。

「……どうして」

 辛かったはずだ。
 苦しかったはずだ。
 そんな事わざわざ訊くまでもない。
 渦巻く悪意の渦中にいたこの人が、誰よりも深く刻み付けられたはずなのに。
 それなのに、どうして。

「どうして……笑うんですか」

 私が問いかけても、相変わらず咽喉が引きつったような声で笑いながら影法師はゆらゆらと揺れる。
 赤い照明の加減なのか、それは影というよりもほの暗く揺らめく炎のように見えた。

「どうしてって? ひっひっひ。笑い話だからさ。他人の不幸は蜜の味ってね。勘違いしちゃいけないよ、レイセン。これはね、ひひ! 俺の話じゃないんだから」

 俺の話じゃない。

 一瞬意味が判らなかった。
 作り話だったのかと疑ったけれど、すぐにそれを否定した。
 この人が名前を捨てた理由。
 過去を切り捨てたその理由。
 今まで悩んだり疑問に思ったりしていた事が、頭の中で一本の線でぴたりと繋がれた。

 悪意にさらされ、不条理に苦しめられ、家族を失ってしまった。
 全てを失った分、多くを憎み恨み敵視して生きてきたんだろう。
 外聞をとって家族を切り捨てた親族たち。
 好奇のままに石を投げ追い立てた世間。
 そして、暴行を働いた血が繋がっているだけの父親。
 ぶつけられた悪意はそのままこの人の中で消える事無く育ち、形を変え、狂気にも似た憎悪にまで成長してしまった。

「ギャハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハァッ!」

 瞬間的に、ご主人様の笑い声は火が点いたような爆笑に変わっていた。

 笑う。
 嗤う。
 哂い続ける。

 その場で立ち上がり仰け反って、天に唾するようなこの哄笑。
 子供のような無邪気さで、この世の全てを憎悪するようなこの笑い方を、私は知っている。
 初対面の時に向けられて、ぞっと背筋が凍えた事を覚えている。
 私はそれが自分に向けられているんだと思っていた。

 けれど、この激情が向かう先にいたのは。
 この人が誰よりも一番許せなかったのは―― 

「生まれてきた事、無知だった事、無力だった事、全部罪だ! 罪は償え! 死によって償う? そんなものは生温い! 死んで楽になろうなんざ片腹痛い! だから消えろ! この世に存在した証一つ残さず消えてしまえ!」

 自分自身だ。

「名前なんて捨ててやった! 顔も変えて、戸籍だって抹消してやった! そんな奴は存在すらしていなかったってな! 両親の人生を狂わせ死に至らしめた理不尽を、まんまとこの世から消してやった!」

 誰よりも深く憎み、恨み、呪って。

「だが勘違いするなよ。消えた所で何も償っちゃいないんだ。罪は残った肉に染み付いて、血の一滴にまで溶け込んでるんだからなぁ! はっは!」

 そして、今も許せずにいる。

「誰でもない何かのまま生き続けろ! 償う相手がいないまま、この世の地獄で罰を抱えて生き続けろ! ひひ、ひっ、ひっ! ざまぁみろ。ざまぁみろ!」

 ご主人様は身内以外の他人は憎悪の対象だった。
 それは殺意を向けて然るべき存在だった。

 だから、自分自身すら誰でもない赤の他人にしてしまったんだ。

「ひひ、ひっひひひひひ! いぃ~ひっひっひっひぃ~~~っ!」

 ご主人様の感極まった様な甲高い笑い声。
 それは狂おしいまでの怨嗟に満ち満ちて、何もかもを呪い続ける呪詛のように聞こえた。
 けれど、嘆き明かす慟哭のようにも聞こえるのは気の所為だろうか。

 臆病だと自嘲していた姿。
 捨てられるのが怖いと震えていた姿。
 夢の中で見た、祭りの終わりを未練がましく見つめていた姿。
 今までただ拾い上げるだけだった印象が重なって、レース越しに浮かび上がった影法師から、私はむせび泣きに暮れる子供の姿を幻視した。

「ひぃ~~~~~~……――ぃっ」

 この哄笑/慟哭は咽喉が裂けるまで続くのではないかと思ったけれど、肺活量には当然限界がある。
 だから肺の中の空気を全て絞り尽くしてしまえば極当たり前に息が切れて、哄笑が途切れると部屋の中に水を打ったような静けさが訪れた。

 ご主人様は呼吸を整えた後は何も喋ろうとしなかった。
 その場で立ち竦んだまま、だらりと両手を垂らして項垂れている。
 胸に針を突き立てられているような悲痛な静寂だった。

「ご主人、様」

 何を言おうとしたのか、自分でも判らない。
 きっかけは他愛もないゲームで、それは多分私が沈んでいたから気を紛らわせる為に言い出した事で。
 初めて、私はこの人が抱えていた痛みに触れた。 

「あの。えぇと……」

 この人が心を乱したのは私が触れてしまった為だから。
 触れてしまったのだから、何かを言わないといけない。
 興味本位に触るだけ触って、聞いた後は知らん振りをしてしまったら、この人を置き去りにしていった者たちと何も変わらない。
 沈黙したまま微動だにしない影法師を見つめて、私は咽喉に絡まっていた言葉を何とか吐き出す。

「……なかったん、ですか?」

 声を出してからも何を言うべきなのか考えがまとまらなかったけれど、

「何か、幸せな事。幸せだったと感じる事が、何か、一つでも」

 それが私の願望である事はすぐに判った。

 苦しいだけの人生。
 口にすればたったそれだけの短い言葉でしかないけれど、実体験となれば筆舌に尽くし難く人を狂わせる。
 ご主人様が今も呪い続けているように、血肉に刻まれた記憶として一生をつきまとうのだろう。

 その中に、何か。
 何か一つだけでもいいから、痛みを和らげる記憶があれば。
 優しい体験があって欲しい。
 そんな、私の願望。

 再び訪れた沈黙は、長い長いため息で破られた。 

「あったよ」

 影は力を失ったようにその場に座り込み、声からは有り余る憎悪を全て吐き出してしまったのか空虚さのみが漂っていた。

「あったんだ。俺にも。他人と比べて少しばかり目減りはしても、確かにあったんだ。後になって思い出して、心が温まる人並みの幸福。そんな宝物が俺にもあったんだよ」

 自らの咽喉を省みない無理な笑い方をしたりしたからだろう。
 平坦になってしまったその声は、老人のようにしわがれていた。
 過ぎ去ってしまった日々を、今となってはどうにも出来ない過去を懐かしむような。

「出かける時はよく遠出した。近場だと顔が割れてるから両親が気遣って、俺が嫌な思いをしないようにってさ。まだ物心がついたばかりの時だった。縁日一つにわざわざ隣の県まで連れて行ってもらったよ」

 それは私も知っている記憶。
 夕日を仰ぎさんざめく祭囃子を聞きながら、手を握り合って巡った優しい思い出。

「少ない小遣いで、必死になって金魚を掬おうとした。綺麗だったんだ。店の照明でオレンジの鱗がきらきら輝いてて。こんなに輝いてるんだから、きっと見るたびにこの日の事を思い出せるって。結局掬えずに駄々こねて泣きじゃくって、店のおっちゃんに一匹おまけしてもらった」

 器が一杯になるまで掬っていながら、それをあっさりと生簀に戻してしまった姿を思い出す。
 どれだけ掬っても、かつて一人の子供がどうしても欲しいと願った金魚は、あの生簀の中に一匹もいなかったんだ。

「神社の境内まで上がって、両親と花火を見た。花火が上がるのをずっと見上げてたよ。いや……花火だけじゃないな、俺はずっと何かを見上げてた。あの時の俺はちっちゃくて、何もかもが大きく見えて、はぐれたら見つけられないんじゃないかって不安で。ずっと両親の手を握ってた」

 夜空に大輪の花が咲き散っていく様子を一緒に見上げていた。
 お互いに交わす言葉もなく神社の屋根の上で手を握り締め、あの時の温もりは今でも思い出せる。

 公園に出かけた。
 外食をした。
 語られる話には常に両親の姿が共にあった。
 そんな、誰かから見れば他愛もない、けれどこの人にとってはかけがえのない思い出を聞かせてくれた。

「サーカスがお気に入りだった。中でもピエロが大好きだった。ピエロが出てきて芸を披露して、時々失敗して。誰も彼もが笑うんだ。その頃から段々おふくろが精神的に参ってきて、親父も仕事に追われていつもくたびれてた。家じゃ誰も笑わなくなってた。だから俺はピエロになりたかった。ピエロになって二人を笑わせたかったんだ」

 ジャグリングやスティックを用いた芸に見せる情熱。
 精緻でありながらどこか滑稽なパントマイム。
 それだけでなく普段から何かとおどけて見せたりするのは、そんな願望を持っていたから。

「けど、俺には才能がなかった。親父やお袋を笑わせたいと思っていたのに、その時の俺は笑い方すら忘れちまってた。大人の両親よりも先に、子供だった俺の心が擦り切れちまってたってオチさ」

 とんだピエロだ。

 そう言って力のない笑い声を洩らした。
 丸められた背中は、泣きじゃくっているようにしか見えなかった。

 無機質なまでのあの無表情は、この人の本当の顔だったんだ。
 内側からこみ上げ荒れ狂っている感情を上手く表現する事も出来ずに持て余していた。
 この人が何かある度に笑っているのは、そんなかつての後悔を晴らそうとしているんじゃないか。
 私に見せてくれる芸の数々は、それを本当に見せたかった相手は、この人の両親。

「ご両親は……その後?」

「一度も。笑わせられないまま。二度と……だから俺は、レイセンを愛そうって決めた時から、ずっと」

『俺って他人の楽しみってもんが良く判んないのよ』

 何気なく、素っ気無く、遊園地に連れていってもらった時に聞かされたその言葉。

『だから楽しませようと思ったら、自分の楽しかった思い出をそのまんま相手にも体験してもらうっきゃない訳』

 あの頃から笑わせようと必死だった。
 私が感じていた以上に、或いはこの秘められていた哀しみを押し隠して、私を笑わせようとしていたんだ。
 その時向けられていた想いがいかほどのものだったのか。

 言葉に出来ない想いに囚われ金縛りにでもあったように動けないでいると、やがてため息が一つ聞こえてきた。

「はっ。結局あれだ、愛してるって言葉に酔ってただけだ。とんだ自己欺瞞野郎だ。今更になって、無くしたものの代わりが欲しかっただけなんだ。そんなものは愛じゃない」

 口調にいつもの皮肉さが被せられ、けれどいつもよりずっと弱々しくて張りがない。
 痛々しいほどの自己否定。
 自らを消し去ってしまうほどの自己憎悪を抱えているこの人は、自らの感情にも当然のように不信感を持っていた。

「愛は素晴らしい。そうさ。そんな事俺でも知ってる。厄介事なんて目に見えてたのに、それでも生まれてくる事を赦された。生まれる前から赦された。そんな素晴らしい祈りが、願いが、こんな薄汚い代替行為であっていいはずがねぇんだよ……!」

 この人がここにいるという事は、それなくしてあり得ない事。
 発端は一人の悪意に始まり、周囲から忌まれ疎まれながらも、たった二人の愛から始まっている。
 赦しはこの人が初めて受け取った愛情。
 愛という言葉一つにこだわって、それに忠実であろうとする姿勢は、間違いなく両親から受け取った愛情からくるもの。

 この人は最も美しいものと、最も醜いものを見て育ったんだ。

「そんな事ない」

 気がついた時、私は今も自らを罰しようとする彼の声を遮っていた。

「私は知ってる。知ってるもの」

 思考すら置き去りにして、言葉が口から飛び出してくる。

「貴方は私を愛してくれてる。その愛情が薄汚れてなんかいるはずないっ」

 だって、この身一心にそのひたむきな赦しを受け続けていたんだもの。

「絶対に!」

 私は彼に赦された。
 醜さも浅ましさも全部彼に赦されていた。

「私は貴方に愛されて嬉しかった。寂しくなくなったんだから、それは嘘でも偽物でもないっ!」

 今まで頼りなく、けれど決定的に隔てていた一枚の薄皮をめくり上げた。
 そこに彼がいた。
 うずくまるように床の上に座り込んで、突然声を荒げた私に驚いた顔を向けていた。

 彼は泣いていた。
 一滴だけ目尻から涙をこぼして、それを拭う事も忘れて私を見つめていた。
 何かが堪らなくなって、胸が熱くなって仕方がなくて、私はそのまま勢いをつけてに飛びついていた。
 殆ど体当たりをするような勢いでぶつかった私を受け止め切れず、そのまま彼ともつれあって倒れ込んだ。

「レイセン」

 彼は小さな咳を洩らして、呆然と私を見上げてくる。
 
「……酔ってたのは、私の方」

 私はその目と向かい合って、自分のどうしようもない弱さを告げた。

 愛情への未練や後悔は私の比ではないはずなのに、彼は一度も口にしなかった。
 愛せとも、愛して欲しいとも、一度も私に言わなかった。
 私は今まで彼から与えられるものをそのまま甘受していただけ。

 ようやくだ。
 今になってようやく。

 与えられる愛情が一体なんだったのか、どれほどの想いが込められていたのかを知った。
 本当はもっと早く気づくべきだったのに、今の今までずっと見過ごしていたもの。

「私はすぐにふらついて、ゆらいで、駄目で。そんな自分を変えたいけれど変えられなくて。居心地のいい場所にすぐ甘えてしまう、何の取り得もない兎だけど」

 そんな私にも出来る事。
 些細で小さな事でしかないけれど。

「私が知ってる。知ってるから。貴方の愛が優しくて、綺麗で、温もりがあるって知ってるから」

 まずは認めよう。
 貴方の愛は素晴らしいんだと私が認めよう。

「だからお願い。そんな事を言わないで。両親から頂いたものを、どうか貶すような事は言わないで」

 彼に赦されたのだから、私も赦そう。
 赦すなんて言うのはおこがましいのかもしれない。
 けれど躊躇って見ているだけでは、きっとこの人はいつまで経っても自分を赦そうとはしないから。
 彼が自分自身を赦せるようになる為に、彼の身の内に巣食うものを少しでも晴らす為にも。
 そして、いつか私も自分を赦す為に。

「……私だって、貴方ほどじゃないけど、自分が好きじゃない」

 彼の瞳を見つめる。

「でも、認め合って、許し合って、それでいつかお互いにわだかまりをなくせるのなら、それはきっと悪い事じゃない。はず」

 彼の表情が思っていた以上に幼く見えて、そんな驚いた表情を見ている内に、私は勢いで何をしているのかをゆっくりと理解していった。
 感情が突発的に爆発して、癇癪を起こした子供のように暴れて好き勝手言ってしまった。

「……です」

 言い訳のように語尾だけ丁寧さを取り繕い、彼の眦からこぼれた涙の跡筋を手の平で拭い取った。
 私の下で固く強張っていた彼の身体が、ゆっくりと脱力していくのがありありと判った。

「レイセン……それはただの傷の舐め合いだ。俺がこれを喚いた時点で、愛は輝きを失っちまったんだよ」

 それは拒絶だった。

「言ったろ? 代替行為だ。親の代わりにレイセンたちを引き込んで、俺は家族ごっこがしたかっただけだ。遊んでいたかっただけだ」

 彼は強情だった。

「それは、どう考えたって愛じゃない」

 視線を伏せて首を左右に振った。 

 ああ、なんて。
 この人は、なんて。
 純粋なんだろう。
 どれだけなじられても、汚泥にまみれて足掻きながら、ただひたすらに清いものを信じて目指している。

「……臆病者」

 私はそんな彼の態度に裏腹な言葉を呟いた。

 こうでも言わないと、この人は逃げ込んでしまう。
 ずっとずっと逃げていたのは、この人も同じだ。

 ゆるゆると動いていた彼の首が止まって、逸らしていた視線が目の前に戻ってくる。

「――なんだって?」

「臆病者」

 面と向かって、鼻先が擦れ合うほどの距離で、もう一度繰り返した。 
 面罵されたのに返す言葉もないのか、彼は珍しく言葉を失っていた。

 ううん、これが本当の姿。
 取り繕って言葉を並べ立てていたのはこの姿を見せない為。
 いつでも自信満々で、明るくて、或いは残酷に振る舞う事さえも、そういう誰かになったからだ。

「自分を削り取って、失って、そこまでしておきながらまだ足りないの? これ以上何を削るの?」

 どれだけ望んでも手に入れられなかったもの。
 本当は咽喉から手が出るほど欲しくて堪らないのに、強がって、意地を張って、初めから手に入らなかったものだったんだと嘯いている。 
 そんな子供っぽい意地だけで、頑なに守り続けている。
 両親から受け取った愛を。
 一度失ってしまったからこそ、愛される事を怖がっている。
 私には判る。
 臆病で後ろ向きな私には、その気持ちが痛いくらい理解出来る。
 全てを失った時に彼はきっと思ったはずだ。

 もう二度と失いたくないって。

「そんなに、愛される事が怖いの?」

 私のその言葉で、彼の瞳に深みが増した。
 それは単純な一つの感情ではなく、さまざまなものが溶け合い、混ざり合い、一つになってしまったものだ。
 口元が引きつり、強張り、何かを言い返そうとしては言葉を躊躇っている。
 怒り出すのか泣き出すのかも判らない、奇妙で不器用な表情だった。

 そんな内心を慮りながらも、私は容赦なく彼を追い詰めていく。

「パスしますか?」

「――?」

 彼の瞳の裏側でうねる感情の束から、戸惑いが表に出てきた。

「今、質問しましたよね? 代替行為だって。私、それに答えましたよね? 臆病者だって」

 無茶苦茶だ。
 私は無茶苦茶な事を言っている。
 けれどだからといって、ここまで来ておいて止めるつもりだなんてさらさらなかった。

「……は?」

 要領を得ず首を傾げる彼の姿に、私の胸の奥から後戻り出来ない何かが高らかな靴音と共に押し迫ってくる。

 ああ、もう。
 この際だから全部吐き出してしまおう。
 彼はあれだけ吐き出しておいて、私だけ我慢しなければいけないというのは――なんだかずるい。

「なに気の抜けた顔をしているんですか。そういうゲームじゃないですか。気を抜いたりしてるから、そんな間の抜けた顔になるんです。しゃんとして下さい」

 私は臆面もなく辛辣な言葉をずばずばとぶつけた。

 前から思っていたんだけど――
 この人は一度、ぐうの音も出ないくらいこてんぱんにされてしまえばいいんだ。

「あれだけ人の事を愛しておきながら今更違うだなんて言い出す相手に、それは臆病でしょと指摘したんです。びんたの一発もなしです。これほど誠実な答えはありませんよね?」

「……あの、幾らなんでも一言で済ますのは」

「だから今度は私の番です。ですよね?」

「えっ。あ、はい」

「そんなに愛されるのが怖いんですか? これが私の質問です。さあ、答えて下さい。誠実に」

「……えー」

「これは強制ではありません。任意です。答えるか答えないかの選択は、あくまで貴方にあります」

「いや、あの……人の襟首掴んで任意ってのは、どうかと」

「答えるのなら誠実に、ありのままに答えて下さい。勿論私からさらに幾らかの誠意を求めると思いますので、そのつもりで」

「それは、そのぉ……控えめに言って誠意の名を借りた尋問ではないかと」

「ここでパスしても、いいんですよ?」

「……」

 彼は答える事もパスする事も出来なくなって、黙り込んでしまう。
 だから私はとどめを刺す事にした。

「一〇…九…八…七……」

「ま、待った。時間制限有りってのはルールにないよ!?」

「今作りました。六…五…四…」

 裏返った悲鳴を瞬殺して、三から後はあえて口を噤んで指折り数えて見せた。
 人を追い詰める方法を、私はこの身に甘んじた。
 今となっては恨んでもいないけれど、時間差で意趣返しするくらいは安いものだと思う。

「――パス!」

 最後に残った人差し指がゆっくりと曲がる頃、彼はようやく根を上げた。

「三度目のパスを使ったから、私の勝ち。ゲームはこれで終わりです。それでいいですね?」

 彼からその言葉を強引に引きずり出した私は、突き立てたナイフできっちりと急所をえぐっておいた。

 私がゲームを口実にしている以上、最後の最後で思いもよらないちゃぶ台返しが起きるかもしれない。
 息を吹き返したりしないように、とどめのとどめを刺しておかないと。

「……それでいいです」

 視線から逃れるように彼は両手で顔を覆い、その隙間から弱々しい断末魔を上げた。
 彼の全身からぐったりと力が抜けて、完全に死に体となった。

 勝った――

 その瞬間、達成感より先にどこか別の場所に隔離していた緊張が一気に押し寄せてきて、どっと汗が噴きだしてきた。
 身体の震えが止まらない。
 自分が仕出かした事ながら信じられない。
 けれど固まってしまった私は、どう見ても彼――ご主人様を徹底的に追い詰めた時とそのまま同じ格好だった。
 
 勝ってしまった、けど。
 良かったのかな。

 思えば何かでご主人様に勝つというのはこれが初めてかもしれない。
 ご主人様は顔を覆ったまま言葉も出ない様子で、私は手足が強張って身動きもままならない。
 勝利の余韻も高揚感もなく、むしろ不安になってしまうのは私の性格なんだろうか。

 自分を変えるのって、本当に難しいなぁ。

「……いつまでそうしてるんですか?」

 ゲームで負けた事がショックだったのか、それとも別の理由があるのか。
 顔を両手で覆ったまま身じろぎもしなくなったご主人様を見つめる。
 私の視線にとっくに気づいていたのだろう。
 ご主人様はちらりと指の隙間から私の様子を窺ってきた。

 しばらく互いの目を見つめ合うだけの緩やかな時間を挟んで、くぐもった声で一言。 

「レイセンの真似」

 ……。

「そういうのは、男の人がしても可愛くないと思います」

「あ、やっぱり可愛いと思ってやってたんだ」

「それはっ……可愛いって、言ってくれる人がいたから」

「まあ。それはそれはとっても二枚目で優しいワイルドな男に違いない」

「その人は子供っぽい上に強情でおまけにエッチです」

「夢追い人に不可欠なロマンチック三点装備も完備だね。よしレイセン、その人の言う事を良く聞くんですヨ」

「言う事があるならまずその手をどけてからにして下さいよ」

 ご主人様の顔に張り付くように覆っている手を剥がそうと試みる。
 それだけは譲れないとばかりに自ら押し付けている。
 相変わらず黒い瞳だけを隙間から覗かせていた。

 全く子供っぽいんだから。

 私の不安もそこそこに、ご主人様はすっかり元の姿に戻っていた。
 私はという言うと、いつもより遠慮のない言葉と態度でじっとり睨んで突ついたりしていた。

 自分で言うのもなんだけど、私は今まで堅苦し過ぎたんだ。
 この人を相手に肩肘を張っても仕方がないんだと、私はようやく気がついた。
 本当に、ようやく。

「だ、大統領。我が国への不当な干渉は止めて頂きたい! 国際社会の場において正式に抗議の旨を発表させて頂くぞ!?」

「我が国は貴国に開国を提示します」

「馬鹿な、それは不平等条約である! 遺憾である! 大変遺憾である!」

「大丈夫です。貴国が自主的に開国の意志を示せば、条約の遵守が成されます。貴国の自主的な規制なので何も問題はありませんよ」

「おのれ、おのれ大国主義者め! 我らは例えいかなる犠牲を払おうともキャベツ畑平野がある限り敗北などあり得ないのだ!」

「判り合えないとは哀しい事です。では銃後にまたお会いしましょう」

「一億総自己批判、労働者革命万歳!」

 この人は、半分くらい思いついた事をただ言ってみてるだけなんだろう。
 適当に調子を合わせるだけで会話のリズムは軽快に流れて、深刻だった空気が一気に和らいでいった。

「……ふふ」

「ぷっ」

 私が舞台の役柄を演じるような生真面目な表情を崩すと、ご主人様も指の隙間の奥から目だけで笑った。
 いつの間にか強張っていた私の身体もほぐれて、身近に感じる体温に少し甘える。
 誰かの温もりは、私が思っていた以上に心地いいものだった。

「……勝っちゃいました」

「ああ、負けたねぇ」

 特に深い意味があったわけでなく、なんとなく口にしただけ。
 いつも通りの軽薄さと、このしみじみとした声を聞けたらそれでなんだか満足してしまった。
 ご主人様の胸元の上でうつぶせに寝そべったまま、隙間から私を覗く瞳を見つめる。

 その目はいつも通り優しくて、そして今までよりもぐっと近づいたような気がする。
 この瞳から色々な事を感じ取っていたけれど、意外とただ見つめているだけでも好きになっていた事に気がついた。

「~♪」

 驚いた事に、鼻歌まで飛び出してくるくらいに。

「それ、いい曲だね。なんて歌?」

「狂気の瞳です」

「……ああ、ソウナンダ。ど、独創的なタイトルだネィ?」

「そうですか? どこにでもありそうな名前ですけど」

 私が繰り返す内に覚えたのかご主人様も加わってきて、私たちは鼻歌でセッションした。

 ゆったりとフとンだけのメロディを楽しんでから、胸元に腕を横たわらせてその上に顎を乗せた。
 未だに顔を隠すその手を指先で突つく。

「いつまで顔を隠してるつもりなんです?」

 私の指が近づくと、素早く指の隙間がぴったりと閉じた。
 なんだか貝みたいだ。

「敗者でありながら命を拾った者は、表に出る事無く顔を晒さず。ただ静かに去るのみ」

 妙に潔くて格好のいい台詞も、顔を隠したまま言ってたら台無しです。
 苦笑いを浮かべる私に、ご主人様は胸を上下させて答えた。

「とんだゲームになっちゃったけど、レイセンの気が紛れたならそれでいいか。兎のお姫様が笑顔なら、俺も凄い力を発揮したりするからね」

「……いつからそんなに気障ったらしくなったんですか?」

「レイセンの髪に睡蓮が咲いてから」

 少し怒った顔をして握り拳を振り上げて見せると、再び開いていた隙間がぴたりと閉じた。
 別に気に障った訳じゃない。
 ただ、言われて思い出した髪留めの手触りを確かめるのに、見られていると何か言われそうで恥ずかしかっただけ。
 すべすべとした感触を一撫でして確かめてから、覗き見していないかこつんと軽く手の甲を叩いておいた。

「実は無限の力を持ってたりする私ですが、今宵の魔法はこれが精一杯。それでは兎のお姫様、またお会いするまでその花のような笑みが萎れぬ事を祈って」

 ご主人様が腕を使わず肩だけで身体の下から抜け出そうとした所を、私はあらかじめ置いていた腕にぐっと力を込めて押さえつけた。

「――おろ?」

 幾らご主人様が男でも、両手を使わず私が上になっていたら流石に腕力で対抗出来る。
 今まで拡散し逃がしていた体重を重点的に狙い定め、私はご主人様が逃げられないように押さえ込んだ。
 目元の指を左右に閉じたり開いたりしているのは、瞬きのつもりなんだろう。

「なーに綺麗にまとめたつもりでナチュラルに逃げようとしてるんですかぁ? 言いましたよね? ゲームで勝ったらご褒美があるって」

 左右に大きく見開いた指の奥には、今度は言葉そのままに瞼を見開いた瞳があった。
 一々芸が細かい。
 というかそんな余裕がまだあるなら、やっぱりここで仕留めて置いた方がいい。
 何しろ、この人は全く以って懲りない性分なんだから。

 ご主人様の目は再び手の奥に隠れて、その動きに連動して手首の付け根側が開いた。

「……~♪」

「口笛を吹いたら誤魔化せますか。そうですか。その程度の相手だと思っているんですね? 加算します」

「なんか加算されたっ」

「確かご主人様は、ゲームに勝ったら私の事不眠不休をもって一身を捧げるから覚悟するといいよヘゲゲって笑ってましたよね?」

「大筋はともかくそこはかとない作為を感じるよレイセン君。幾ら俺でもヘゲゲと笑ったりはしねぇです」

「じゃあ笑ってみて下さい」

「ヘッゲッゲッゲッゲェー」

「加算します」

「だから何をっ」

「ちなみに今は五万八千とび三五点です」

「うわっ。上限が判らないのに微妙におっきい数字なのが不安を煽る。しかも細かっ」

「加算しました」

「えっ。どの文脈で!」

「傾向と対策を練られない為に秘密です」

「露骨デスネ」

「スパイの多い場所ですので」

「スパイスの利いた答えだねっ☆」

「やかましいですよ」

「はい」

 ご主人様は何とか口先三寸張り巡らせて隙を窺っているが、私もいい加減そんな手口は見抜いている。
 身じろぎを装いながら脱出できる方向を模索するご主人様に、私は微妙に体重をずらして対応した。
 せっかく初白星を飾ってこうしてがっぷり寄って捕まえているんだから、偶には逆になった立場を楽しんでもいい。
 うん、そう決めた。

 抜け道を探ったものの見つけられなかったのか、ご主人様は諦めた風に身じろぎを止めて唸った。

「……うわー。悪い顔してるよー」

「ここにはそっちのお手本が多いですから」

 私だって少しくらい悪い事を考えたりするのだ。
 ご主人様にてゐに師匠に、極め付けが姫様だ。
 私が悪女に目覚めたとしても、否、今まで素直な良い子だったのが本当に不思議くらいな顔触れなんだから。
 我ながら、良く今までぐれなかったものだと思う。
 本当に、切実に。

 ご主人様は諦めたと見せかけて脱出を図ったりするので腿を膝でぐりぐりしたりしながら、私はにっこりと微笑みかけた。

「ここで逃げたら一生恨みますから♪」

「いや、あの。コーヒー淹れますからとかと同じ口調で言われると、流石に俺も怖いんだけど」

「半分以上自業自得だと思います。それから、兎だってちょっかいをかけられたら指を齧ったりするんです」

「そ、そうね。痛そうだね……俺はひょっとしたら最も危険な天敵を目覚めさせてしまったのやもしれない」

「ぶつぶつ言ってないでそろそろ真面目に聞いて下さいね?」

「はい」

 ひとしきり無駄な抵抗を抑え込んだ後に、私は一つ――

「こほん」

 咳払いを先読みしたご主人様を睨んで黙らせて、ご褒美の内容をそっと耳元で囁く。

「……」

 ご主人様からちゃらんぽらんなふざけた態度が消える。
 良かった。
 これを告げてもまだ悪ふざけを始めたら、一発くらい叩こうと思っていた。

「レイセン」

 今までずっと表情を隠していた手の平が避けられて、そこから表れたのは面食らった顔だった。
 後ろ手に床を支えて、呆気ないほど簡単にご主人様の上体が起こされる。
 私が優位に立てたのはご主人様が両手を顔に添えていたからで、それが無い今こうなるのは至極当然。
 私はまじまじと見下ろされた。
 
 そ、そんな顔で見つめられたら、私だって少し照れる。

 自然と両肩にかかっていた腕をそのままにして、私は視線から逃れて俯きがちになった。

「……返事を聞いても、いいですか」

 このままでいたいという欲求を抑えて、私はちらりと反応を盗み見た。

「――」

 ご主人様は答えない。
 拒絶というより、戸惑っている。
 何かを言いかけては躊躇って、上手く言葉に出来ずにやきもきと平静を失っている。
 後一歩が目の前だというのに、それが中々踏み出せない。
 そういう気持ちには、私もこれまでずっと手を焼いてきた。

「いいじゃないですか。傷の舐め合いでも」

 だから私は、狼狽するこの人の身体を抱き寄せた。
 抱き寄せたかったんだけど、体重とか位置とか諸々の関係で抱きつく形になった。
 抱擁には違いないからこれでもいい。

「一人で我慢してても痛いだけ。苦しいだけです。舐め合って和らぐなら、それでいいです」

 私を今まで愛してくれていた事が全部傷の舐めあいだと言うなら、私はそれでもいい。
 私はそれで痛くなくなった。
 哀しくなくなった。
 こぼれて止まらない涙を拭って貰えた。
 それで充分。

「いつか……いつか、きっと。確信を持って誰かを愛せるようになるまで。それまでの間だけでもいいです」

 愛して貰えるなら私が選ばれたいという願望はある。
 けれどそれは、私が気がつかなかったというだけで今まで充分過ぎるほど叶えられてきた。
 だから今度は、この人の願いが叶う事を望もう。
 願いを叶えられずに自分自身すらも断ち切ってしまったこの人が、それでも願い続けた清らかなものに手が届きますように。

 私は目の前にある耳元で、同じ言葉を繰り返す。

「私と、傷の舐め合いをしましょう」

「――うん」

 ご主人様はどこか子供のような口調で、確かに頷いてくれた。






 私たちは舐めあう。
 抱き合ったまま舐めあった。

 唇を合わせるだけの軽いキスから始まって、舌を使い唇を、口の中を、お互いの舌を。
 ベッドに移動する時間も惜しみ、無心になって舐め合っていた。

「んっ、ん」

 キスをしているだけで頭がくらくらする。
 重ねた口から唾液と一緒に肺の空気まで吸い上げられている。
 唇の温もりが、絡む舌の感触が名残惜しくて息苦しさを堪えてキスを続けた。

「ん…ん~……っ」

 も、もうだめっ。

「っは」

 もっとキスをしていたいという欲求を呼吸困難が上回り、私は首を振って唇から離れた。
 はあはあと呼吸を乱しながら、新鮮な空気を吸い込む。
 柔らかい温もりとは裏腹な貪欲なキス。
 息まで吸い上げられるのは苦しくはあったけれど、だからといってそれほど嫌だとは感じない。
 求められる事が嬉しかった。

 また、新しいキスを覚えてしまった。

 私が呼吸を整えている間もご主人様は黙って見ていたりはしない。
 軽いキスで私の首筋をついばんでは、そのまま吸いついて舐められた。

「ちょっとしょっぱい」

「あ、やっ」

 呟いたご主人様の言葉に私は身じろいで舌と唇から逃れる。
 汗をかいていたのを思い出して、その肌を舐められる事に抵抗を感じた。

「逃げたら舐められないじゃん」

「汗いっぱいかいてますからそこは――ぅん、ダメ。あっ。やんっ」

 私の理由もそこそこに聞き流され再び首筋を舌が這う。
 ぬるっと肌の上を這っていく感触に背筋がぞくぞくと震える。
 病み付きになるその感覚に流されそうになりながらも、私はご主人様の上で肩を振って身悶えた。

「あぁ、もうダメって言って、んっ」
 
 それでも執拗に舐め続けてくるご主人様の額をぐいぐいと押し戻す。
 この人の強引さは口で言ったくらいでは全く堪えない。
 私の抵抗にご主人様も寄せていた顔を戻すと、不服そうに顎に皺を寄せた。

「もっと舐め合おうよ。レイセンをもっとレロレロしたい」

「言い方が卑猥です。さっきは躊躇ってた癖に……」

「そんな昔のこたぁ忘れた」

「ちょっとは反省して下さい。もう」

 恨みがましく睨む私の視線を受けても、反省の色がまるでない。
 そんなご主人様の態度に不満が無い――という訳じゃないけれど、少し安心もしていた。
 やっぱりこの人は軽薄で意地悪で何よりも懲りない感じの方がいい。
 いつもの感じでいてくれる方が私も楽だし、変に遠慮されて余所余所しくなるよりも嬉しい。
 けど、そろそろ反省くらい覚えて欲しいのも事実だ。

 私がため息を洩らしていると、ご主人様は梅干の種みたいな顎の皺を消して納得したようにふむと頷いた。

「汗が気になるんだったら、する事は一つだね」

「? 何を――きゃっ」

 前置きも無く肩を掴まれぐいっと身体の向きが変えられる。
 今までご主人様の身体に寄り添う格好でいたのが、すっぽりと腕の中に収まってしまう。
 背と脚――膝の裏を支えられたままご主人様が立ち上がる。
 急に視界が持ち上げられて驚いた私は、成り行き上しがみつきやすい首に腕を回していた。

「シャワーでも浴びて汗を流そうか」

 それは当然一緒に入るという意味で、さらに言えば難色を示してもこのまま連れて行かれてしまうんだろう。

「ぅう」

 抱き上げられてしまった事もあり、私はすっかり赤面してご主人様の腕の中で縮こまってしまう。
 肌を見せ合うの所か重ねる事さえ今更だけど、それでも慣れない事はある。
 今まで二度お風呂を共にしたけれど、今でも恥ずかしくて仕方ない。
 こうして抱き上げられる事も。
 そして、そんな私の内心にとっくに気づいているように、この人は意地の悪い笑みを浮かべていた。

「抱っこはお嫌いですかな? お姫様」

「……」

 私は答えられずに赤く火照った顔を胸元にぐいぐいと押し付けた。

 抱き上げられたまま浴室へ。
 丁寧な手つきで座椅子の上に降ろされた後、私は視線を気にしながら一枚ずつ衣服を脱いでいく。
 ご主人様は迷いの無い動きで上着を脱ぎ捨て、諸肌が露わになる。
 素肌や男の人らしい身体を目にするだけでいつもよりどきどきしてしまうのは、手狭な浴室で二人きりだからだろうか。
 心境の変化を詳しく推し量る事も出来ないまま、慌てて視線を逸らした。

「レイセン」

 普段よりも時間のかかる、滞りがちだった脱衣を終える頃を見計らい呼ばれた。

「ご、ご主人様」

 名前を呼ばれるとよりいっそう心臓の音が跳ね上がる。
 どくどくどくと全身を流れる血流に勢いを感じ、何より熱い。
 火照った身体は私の意志と関係なしにみるみる朱が差していくので、視線も合わせられなくなってしまった。

 向かいから差し伸べられた手が頬に添えられ、くいと上向きにされる。
 目の前には、その場に膝を曲げたご主人様が。

「綺麗だよ」

 穏やかに微笑みかけられた。

 ……ずるい。
 普段はおちゃられけたり意地悪ばかりする癖に、こういう時は歯の浮く台詞を照れもせず口にする。

 ご主人様は言葉に詰まる私の唇に指を当て、笑みはそのままに小首を傾げた。

「唇にキスするのは、いいかな?」

 汗をかいた身体にキスをされるのを嫌がったりしたから、そんな事まで訊いてくる。

 この人はやっぱりずるい。
 逃げ場のないこの状況で、嫌だなんて言えるはずもない。

 ぎくしゃくと頷いた私に、ご主人様は髪に挿したかんざしを抜いてから、私たちはキスをした。

 始まりは薄布が重ねられるように甘く、すぐに深さを増していく濃厚なキス。
 唇から、挿し込まれる舌から、互いの熱から唾液の味まで伝え合う。
 わずかに強張っていた私の身体は、自然と密着した体温で溶かされほぐれていく。

「ん、ふっ…んん……」

 温かい。

 鼻から吐息を洩らしながら、茹だったように熱くなる意識はそれだけを伝えてくる。
 唇が、舌が、抱き寄せられた身体が、火照った私よりも温かい。
 温かさはすぐまどろみに包まれているような心地良さに変わって、私の瞼をとろりと蕩かす。
 身体は、もうとっくに蕩けてしまっていた。

 隔てる衣服がない為か、その温もりは私の輪郭すら曖昧にしていくよう。
 私は浴室のタイルをざあざあと叩くかしましい水音にさえ、いつ始まったのか気がつかなかった。

「んっ、ふぅん、んっ」

 キスをしたままぐいと力強く引き寄せられる。
 私は成されるがままに目の前の温もりを離さない。
 少しぬるい湯が私の身体を打ち、砕けた水滴が曖昧だった輪郭を塗り直すように滑り落ちていく。

「はぁっ」

 水滴を浴びた髪に重みを感じる頃、ご主人様は唇を離した。
 それは終わりなんかじゃなくて、

「さあ、続きをしよう」

 これからの始まり。

「はぃ」

 その淫靡な誘いに、私の胸はどくどくとどうしようもなく高鳴った。

 私たちは舐め合う。
 浴室の中でも舐めあった。

 汗をシャワーで流した分沢山舐め合った。
 耳、頬、首、背。
 手の指先、ひじの裏側、腋。
 交互に胸を舐めて、男の人でも乳首が硬くなるのを知った。
 わき腹やおへそ、それに足の指から裏まで。
 くすぐったいのと恥ずかしいのを我慢して舐められ、舐めた。

 すっかり身体が温まってから、私たちは今まで意図的に避けていた場所を舐め合う体勢になった。
 床に敷かれたマットの上にご主人様が横たわり、その上に私が折り重なる。
 目の前に屹立し、青い血管が筋のように浮かんだその男性――性器、ペニス、おちんちん。
 私の手の中で脈打つそれに、何度も舌と一緒に唾液を絡ませる。

「はっ、あっ、ふっ。んぷ、はぷ」

 鼻先に漂う匂いが堪らなくて、私はただ夢中になっていた。
 硬くこりこりとした棹を指で扱き、ふにゃふにゃとした袋を中の詰まった睾丸に注意しながら揉みしだく。
 舌を平たく広げて亀頭を嘗め回し、細く尖らせて溝や先端の尿道をくすぐり、単調にならないよう時折舌の裏側も使った。
 どうすればいいのか、もう頭で考えなくても身体が覚えている。

「んぷ、はっ、うぅん、いっ、あっ。気持ち、いっ」

 ご主人様も私を舐めている。
 私の股のぽっちを舌先で探り、前後にくすぐられている。
 指で陰唇で広げられているのが判り、多分当たっているのはご主人様の鼻。
 時折陰核が唇に挟まれ吸われて、その度に背筋が跳ねた。
 
「気持ちいぃ、れすぅ」

 私はすっかり気の抜けてしまった声をため息と一緒に吐き出し、ペニスを頬張った。
 私の口は唾液と尿道から滲みだした体液が混ざってとろとろで、舌を使い掻き混ぜながら口の中で脈打つペニスに擦り付ける。
 舌を、頬の裏を、私の口を、ご主人様にもっと感じて欲しくて私は顔を上下に振り乱す。

 もっと気持ち良くなって。
 もっと、もっともっと。

 ご主人様は私の腿の付け根に張りつけていた顔の位置をずらした。
 鼻先が擦れていた私の膣口に、柔らかいものが入ってくる。
 舌だ。
 じゅるじゅるずるずると水よりもべたつく私の愛液を啜って、溢れて止まらない源泉の入り口を柔らかい舌が蠢く。
 指先が私の敏感なぽっちを挟んでこねくられる。

 もっと気持ち良くして。
 もっともっともっと。

 一度根元近くまで飲み込んで、ゆっくりと吸い上げながら頭を上げていく。
 亀頭を吸い上げている内に、ご主人様の陰嚢がぱんぱんに張って硬くなった。

 もうすぐ――

 きゅっと強めにクリトリス摘まれたのと殆ど同時に、私の口の中で水風船が弾けた。 
 そんな勢いで射精された。
 鼻の奥に届いた生臭くて濃厚な香りを前に、絶頂に伴う甘い痺れを後ろに感じる。
 ご主人様の一拍遅れで絶頂した私は、愛欲に飢えるまま尿道を吸い上げてご主人様の射精を促していた。

 息が切れて口を離すと、吸い切れなかった精液の残りがぴゅっと跳ねる。
 顔にかかった精液は温かく、ご主人様の体温を感じた。

「え゛ぇう、はっ、うぶ、ぷっ」

 飲み込もうにも飲みきれなかった分を息継ぎと一緒に吐き出してしまう。
 どろりと溢れた大量の精液がご主人様の陰毛に絡んだ。

 きっと、ご主人様の顔は今もはしたなく垂れ落ちる私の愛液でべたべたになってしまっている。
 考えるまでもない事を考えながら、後引く絶頂の余韻を舌の温さと柔らかさを感じて過ごす。
 ご主人様は舌を使い、柔らかく唾液でふやけた私の襞と戯れていた。
 イッてしまったばかりで敏感になった私の身体にはそのくらいの刺激がちょうど良くて、一気に身を焦がした大火は埋め火のまま身体に残り続けた。

 気持ちいい。
 舐め合うだけでこんなに気持ちいいよ。

 自然と腰が動いて、舌が不規則に敏感な場所に触れる。
 その火花を散らすような感じが堪らなく気持ちいい。

「レイセン、下のお口がとろっとろになってるよ。エロく乱れる姿も堪らなく可愛いね」

「はぁん。あぅ」

 痴態をさらして、それをご主人様に見られているのが気持ちいい。
 言葉にされて聞かされるのも気持ちいい。
 射精したばかりなのにすぐにたくましく反り返ってくるペニスが可愛い。
 私が乱れる姿で興奮して欲しくなっているのが判り、それが堪らなく嬉しい。
 私は見境なく発情する雌の兎そのものだった。

「もっともっと舐め合おうか」

「はっ、あっ。やぁん」

 言葉の後ご主人様が舐めたのは、私のお尻。
 突き出した肉の双丘をぺろぺろと舐められた後、ご主人様の両手は形を確かめるように鷲づかみにする。
 ぐいっと左右に押し広げられて、全身が小刻みに震えた。

 見ている。
 見られている。
 視線を注がれているのが判る。
 きゅっと窄まりむずがっているその場所を、今ご主人様に見られている。

 ご主人様は舐めた。
 私のクリトリスをなぞった時に尖らせた舌先で、一本ずつ皺をたどるようにちろちろと縦横に舐め始めた。

「ひくっ、あ、ひい、いっ」

 そこはいつだって繊細で、舌で舐められているだけできゅっと下腹に力が入ってしまう。
 頭が痺れていても背徳感は残り、それはきっとそう思った方が気持ちいいからなんだろうとも思う。
 私の身体に残されている殆ど手付かずのまま置かれていた処女地が、これからご主人様の手にかかり開拓されてしまうのかという予感。
 ここをいじられていたてゐは、初めて見せる顔で快楽に溺れていた。
 私の知らないあの愉悦に耽溺するようになるのかという期待。

「は、あっ……あむっ」

 もったいぶるようにお尻を舐められる感覚に身を委ねたくなりながら、それを誤魔化す為にも私は舐めた。
 ちょうど目の前にあった肉棒をくいと倒して、ちゅるちゅると音を立てて氷菓子のように唇を押しつけしゃぶる。

「はむ、ん。ちゅ、んっちゅ」

 これは舐め合いだから。
 気持ち良くなるだけじゃなくて、気持ち良くなって貰わないと。

「レイセン、尻尾振ってる。短い尻尾を一生懸命に振って、可愛いよ」

 甘い言葉が私の頭を痺れさせていく。
 柔らかな舌が私の身体から力を奪っていく。
 私はご主人様の上でふにゃふにゃに蕩けていく。

「我慢しなくていいよ。幾らでもイッて。俺も我慢しないから」

「あっ、うぅん。やっ、ダメ」

 舌先で舐められていたのが、ちゅっと音を立てるキスに変わる。
 不浄とされるお尻で鳴らされる、愛らしいほどの音のギャップにぞくぞくする。
 その間に指が私の膣内へ。
 中指が一本、ぬるぬるの膣内でぐるりと円を描いた後に、くいっと引っかかれる。

「ひゃんっ」

 弱い場所を探り当てられた。
 クリトリスの裏側。
 そこを指の腹で撫でられるのがどうしても弱い。
 お尻へのキスと、膣内をくすぐる指の動きに私は舐める事も出来ずに解けていく。

「あっ、ああ、あ……あぁー、あっ」

 私の口も膣内もとろとろで、声すらとろけたまま何度もイッてしまった。
 どっちでイッているのか私にも良く判らなくなるまで、いつしか私はただ愉悦に翻弄されていた。



 悦楽に溺れていた私はいつの間にか浴室からベッドに移されていた。
 夢見心地にまた抱き上げられていた事を覚えている。
 柔らかく沈む布団に横たわる私の前に、ご主人様が疲れた様子もなく私の湿った髪を指に絡ませていた。

 お互いにまだ裸のまま。
 裸になってベッドでする事なんて一つしか考えられない。
 私は自分の想像にごくりと咽喉を鳴らしてしまった。

 浴室で乱れ脱がされていったあの快楽。
 あれはほんの始まりでしかなくて、今からがその本番。

「レイセン」

「は、はい」

「大好き」

 ご主人様は指に絡めた私の髪を口元に当て、軽くキスをした。
 名前を呼ばれる度にどきりとするのにそんな告白までされてしまったら、私の頭は沸騰してしまいそう。

「……私も貴方が、大好き」

「そっか」

 何とか息を継ぎ足し返した答えに、ご主人様の目が細められた。
 その視線に私は既視感を覚えた。

 いつか現実のような夢の中で一緒に巡り歩いた祭りの中、月明かりの下で精根尽き果てるまで交じり合った。
 私は記憶をなぞり手を指し伸ばした。
 それにご主人様の手が重なり、指と指を絡めて握り合う。

「知ってた」

 硬く握り合った手と手の向こう側に、あの時と同じ微笑みが浮かんだ。
 あの時はただ優しく見えただけの微笑みが、今は物悲しさが滲み出ている。
 それはこの人が悲しみを背負って生きてきた事を知ったからだろう。

 これがほんの一時の誤魔化しでしかなくても。
 この人の心の痛みを少しでも和らげたい。
 私は今までずっと慰められてきたんだから。

 それ以上言葉はなかった。
 片手だけは足りずに両手を握り合わせ、前へ倒れ込んでくるご主人様を迎える。

「ん」

「んっ、ん。んん……」

 ご主人様にしては珍しく目測を見誤ったのか、歯が当たってかちっと鳴った。
 これまで数え切れないくらいに交わし続けてきたのに、まるで初めてするような少し不恰好なキスをして、私たちは繋がった。

「ぅんっ」

 すっかりとろけた膣内は何の抵抗もなくいきりたったペニスを受け入れた。
 硬くて熱い。
 私の身体はこの硬さも熱さも形も、全て覚えている。
 足りなかったものが補われた充足感で胸が満たされていった。

 すぐにご主人様の腰が動き出す。
 とっくに準備を終えて潤った膣内は馴染ませる必要もなく、スムーズな抽送が始まる。
 きしきしとベッドが軋んで私の身体がたわんだ。

「はっ、あっ。あんっ」

 出し入れされるペニスに愛液が絡む湿った音。
 肌と肌が当たる軽快な音。
 音を奏でるリズムに荒々しさはなく、かといって焦らされているのとも違う。
 浴室の中ではあれほど貪り求め合っていたのに、打って変わった穏やかなセックス。
 汗を流している内に、欲望まで一緒に濯ぎ落とされてしまったよう。

「んっ、んんっ……ふ、ぅん?」

 このリズムを私は知っている。
 悪い夢にうなされた時、胸に抱かれて同じ韻律に耳を澄ました。

 とんとん、とくとく、とんとんとん。

 この人の鼓動のリズム。
 耳を傾け寄り添ったものがお腹の奥に届けられている。
 ご主人様の心臓が私の下腹で脈打っているような錯覚にとらわれ、私もいつしかそのリズムに合わせて身体を動かしていた。

 とても安心出来るこのリズム。

 とんとん、とくとく、とんとんとん。

 合わせている内に私とご主人様の境界が揺らいで重なっていくような錯覚。

 とんとん、とくとく、とんとんとん。

 両手を握り合い、緩やかに打ちつけられる腰に足を絡め、汗ばんだ肉と肉が弾ける。
 手の平から伝わる体温。
 膣奥に届けられるペニスの熱さ。
 汗に湿った肌を叩く卑猥な音。
 
 それでも足りない。
 まだ足りない。
 決定的な事が一つだけ。

「ふ、ふっ、ふっ……ご主人、さまぁ」

 寂しさを覚えて私は呼んだ。
 懸命に舌を伸ばしても届かないその距離。
 相手が埋めてくれなければ永遠に分かたれたままの溝。
 それを乗り越えて、ご主人様は私の口寂しさを拭ってくれた。

「んっ、ふぅ、ん、んんっ」

 待ち詫びたキスをする。
 察してもらえた喜びと、唇から伝わる温もりの欠片で心が満たされる。

 私はいつしかご主人様と一つになってしまったような。
 穏やかな鼓動の韻律に合わせて、私たちは溶け合い混ざっていく。
 セックスが誰かと一つになりたいという願望なら、私たちは今限りなく一つになっていた。

「んっ」

 ぐいと両手を引かれて一体感が強まる。
 唇を離さずに私は背を反らして堪える。
 それが絶頂の直前の行為だと直感的に判る。
 くちゅっと汗と愛液が混じった体液が跳ねる音が聞こえた。

 下腹に力を入れて、膣内でぴくぴくと脈打っていたご主人様のペニスを締めつける。
 今まで無意識に行っていたのが、最近は意識して出来るようになっている。
 何度も交わっている内に覚えたこれは、ご主人様にも言っていない私の秘密。
 射精させたいからなんて、口が裂けてもいえないから。

 そんな私の後ろめたくも思った通りのタイミングで、ご主人様が射精する。
 口の中で弾けた精液の塊は、あの頃と僅かばかりの衰えも見せずに私の胎内へ。
 私を受精させてしまおうと子宮を目指し、私は下腹の加減で残らず飲み干すように搾り続ける。
 性は尽きる事もないように私の腹の中で存分に吐き出され、脚から震えと強張りが抜け落ちていった。

「ぷあっ」

 息すら止めてご主人様の大量の精液を受け止めていた私は、とうとう唇を離して空気を吸い込んだ。

 汗の香り。
 体液の香り。
 セックスの残り香。

 吸い込んだ匂いは鼻腔だけに留まらず、頭の芯まで届けられてくらくらと眩暈がした。

「すごい…すごく、気持ち良かったです。ご主人様……」

「ああ。俺も凄い気持ち良いセックスだった」

 充血してすっかり赤くなった肌を擦り合わせて、私たちは息を切らせて感想を伝え合う。

「ご主人様のリズム、優しくて……鼓動みたいで」

「あー、ばれたか。心臓の音って聞いてて落ち着くから、レイセンとそういうセックスをしてみたくなってね」

「好きです。あれ」

「そりゃ何より。俺もレイセンの膣内で全部搾られちまったよ」

「……けど」

「ん?」

「中々キスしてくれなかったの……わざと、ですよね?」

「好物は後に取っておく性分でね。ねだるレイセンの姿は俺が思ってた以上に堪らなく可愛かったよ」

「わ、忘れて下さいっ」

「もう無理。しっかり記憶しちまったから。俺の宝箱に永久保存。めでたく殿堂入りです」

「……ご主人様も射精する時は可愛い顔になってましたよ」

「じゃあそれでおあいこって事で」

「ううぅ~」

 恥ずかしくて顔を隠してしまいたくなっても、両手はしっかりと繋いだままでそれも出来ない。
 ご主人様にやり返したはずがあっさりと切り返して無邪気に笑う。
 私は頬が火照るのを意識しながら潤んだ目で睨んだ。

 今も私の膣内には射精を終えたおちんちんが残り、綻ぶ事無く後引く余韻をそんな会話で過ごす。
 いいようにやり込められて少し悔しかったりもしたけど、私は幸せを噛み締めていた。
 こんなにも穏やかなセックスをして、一体感で満たされて。
 この幸せがいつまでも続いてくれる事を願い、繋いだ手をぎゅっと握り直した。

「まだする?」

 込めた願いを別の形で受け取ったのか、固く繋いだ手を見つめてご主人様に訊ねられた。
 私はとうとう視線を合わせられなくなって、身を伏せた。

 だって、訊ねられた事が的外れじゃないだなんて。
 耳で顔を隠していても口に出来ないから。

「……」

 次はどんな事をされてしまうのだろうという期待に負けて、答えを待つご主人様に小さく頷いて見せた。

「じゃあ起こすよ?」

「は、はい」

 ご主人様が身体を起こし、そのままぐいっと両手を引かれて私の身体を引き上げられる。
 ベッドの上で胡坐をかくご主人様の腿に乗り、そのまま向かい合う格好になった。

「対面座位。レイセンの好きな楽で密着して顔が近くなる奴、ね」

 私があっと思った時には、目の前にあるご主人様の顔は意地の悪い笑みを浮かべていた。

「……拗ねますよ?」

「俺、レイセンが拗ねる顔も大好き」

「ううぅ~!」

 そっぽを向いた私の横顔に何度もキスをされる。
 膨らませた頬や、髪や、首筋をついばまれ、そうする理由も判ってしまった。
 私が向き合わないと、このまま唇にキスをしてくれないつもりだ。

「ご主人様は、ほんとに意地悪だと思います」

「それはね、機嫌を直したレイセンがいい笑顔をしてくれるからだよ」

「……気障です。それ」

「好きな娘の前で精一杯格好を付けたがるのは、男の子の習性なものでね」

 ご主人様の言葉は、全く理解出来ないという訳でもなかった。
 好きな相手の格好いい姿を見るのは、女の私だってそうなんだから。
 ご主人様の様子をちらちらと横目で盗み見ながら、私はぎくしゃくと首を戻して逸らしていた視線を正面に向けた。

「お帰り」

「……ただいま」

 待ってましたとばかりに待ち構えていた笑顔に伏し目がちになりながらも、小さく呟いた。

 思っていた通り、ご主人様は私の唇を塞いだ。
 少ししょっぱくて、せっかく流した汗にまみれている事に気がついて、唇の柔らかさにすぐに忘れて私は蕩けてしまった。




















 ~おまけーね~



 旅行中、延暦寺で実際にあった会話。

私 「如来様って観音様と通じるエロさがあるよな。そこはかとなく」

友2「本尊の薬師如来様は根本中堂にあるらしいぞ」

私 「根本中堂って字面もエロいよな」

友1「根元でしかも中だもんな」

私 「エロいよな」

友1「けしからんよな」



 ここには上記のごとき内容が書かれており、eraudon本編とは一切関係ありません。

 作者の脳内に涌いたどーしょーもないネタを書いたりしている場所です。

 ここを見たがために本編のキャラ崩壊、というより本編がキャラ崩壊とはおっとそれ以上はいけない。

 嫌な予感がする方は、直ちにブラウザを閉じることをお勧めします。






































































































 それでもここまでドラッグしてきた方へ。

友2「がっかりだ! 歴代大師も上人もがっかりな煩人どもだ!」

 私はマーラ様=椛に誘惑して貰えなくてがっかりでした。



 ~もしもeraudonにインターネットがあったら~



 目が覚めたら鍵のかかった知らない部屋にいたんだけど

1 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 09:07:28 ID:GuyaGuya
 どうしよう?

2 名前:名前が無い程度の能力[age] 投稿日:2010/04/12(月) 09:08:03 ID:3bakaTCK
 >>1乙
 期待age
 もっとkwsk

3 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 09:21:44 ID:Manekn01
 君は見知らぬ部屋で歌ってもいいし

4 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 09:24:57 ID:Manekn02
 踊ったりしてもいい

5 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:08:21 ID:GuyaGuya
 詳しく言うと狭いし粗末だし畳も敷いてないような部屋。
 今見てきたらユニットバスとかふざけてる。

 >>3-4
 氏んでよし

6 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:09:10 ID:AnataRed
 ドッキリじゃね?

7 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:12:21 ID:GuyaGuya
 ドッキリだとしたらとりあえずうちのペット1を吊るそうと思ってる。
 けど自宅は純和風だしこんな部屋なんて見たこともないし……。

8 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:15:49 ID:8556Erin
 にわかには信じ難いかもしれないけれど、貴方は夢遊病(レム睡眠行動障害)を患っている可能性
 があります。基礎疾患として、脳幹部の脳腫瘍、パーキンソン病、オリーブ橋小脳萎縮症、レヴィー
 しょう体病などいくつかの原因が考えられます。しかしながら、約半数は基礎疾患を持たず原因不明とされ
 ています。治療方法としてはクロナゼパムを投与することでほとんどの症例で軽快しますが持ち合わせは
 ありますか? ないとしたら最寄りの診療所で出してもらうといいと思うし、縁があれば私がそうしてあ
 げてもいいのですが、生憎今は私の良い人と昼食の準備で忙しく手がは
 なせませんのであしからず。お昼はどうする? と聞いたらハンバーグ! と答えてきて可愛
 い人ねまったくちゅっちゅ

9 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:23:00 ID:UdongeIn
 >>8
 これはひどい。

 それはともかく>>1と似たような経験がある。初めは色々と辛い事もあったけど、今は良い人を見つけて幸せな毎日。
 かなり意地悪な人だけど、ここぞって時には優しいし今は沢山甘えさせてくれる。
 夜が激しくて中々眠らせてもらえないのが玉に瑕かな?
 >>1も頑張って。

10 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:25:37 ID:tewInaba
 >>8
 どう足掻いても絶望

 それはともかく同じく似た経験あり。初めはムカつく事ばっかりだったけど、今は良い人見つけたから結構満足してるかな
 悪い奴に捕まっちゃったなーっていうのが正直なところなんだけど、似たもの同士っていうのも案外悪くないかも
 背面座位でお尻で繋がったままなでなでされて眠るのなんてもう堪らない
 >>1も頑張ればいいことあるウサ

11 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:36:30 ID:GuyaGuya
 >>8病人扱いするな。生まれてから箸より重い物を持った事がなくても壮健そのものよ。
 万が一にも病気の線なら、誰かの手を借りなくても家には腕のいい専属の薬師がいるのよ。

 というかなんでのろけ話を語る流れなの!? >>10とかさりげなく嫌なカミングアウトしてるし!
 私は真っ平よ!

12 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:37:46 ID:AnataRed
 >>1は貧乳か

13 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:38:29 ID:3bakaTCK
 貧乳はステータスだ!
 だから見せても恥ずかしくないもん!
 ペペペペペペペペ ぺ チャパイ!

14 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:40:09 ID:GuyaGuya
 >>12-13
 死ね。氏ねじゃなくて死ね。

15 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:42:17 ID:UdongeIn
 安価したら?

16 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:43:42 ID:GuyaGuya
 そ れ だ

 まずは>>25
 ズバッと頼むわよ!


~~~~


23 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:55:11 ID:Manekn07
 ksk

24 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:55:29 ID:Manekn08
 ksk

25 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:56:47 ID:GuyaGuya
 仲間を呼ぶ

26 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:57:15 ID:8556Erin
 しかし
 
27 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:57:51 ID:tewInaba
 だれも

28 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:58:28 ID:UdongeIn
 こなかった…

29 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 10:59:08 ID:AnataRed

__
    ̄ ̄ ̄二二ニ=-
'''''""" ̄ ̄
           -=ニニニニ=-


                          /⌒ヽ   _,,-''"
                       _  ,(^ω^ ) ,-''";  ;,
                         / ,_O_,,-''"'; ', :' ;; ;,'
                     (.゙ー'''", ;,; ' ; ;;  ':  ,'
                   _,,-','", ;: ' ; :, ': ,:    :'  ┼ヽ  -|r‐、. レ |
                _,,-','", ;: ' ; :, ': ,:    :'     d⌒) ./| _ノ  __ノ



30 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 11:47:28 ID:GuyaGuya
 来なかったわよ!
 みんな死ね!

31 名前:名前が無い程度の能力[sage] 投稿日:2010/04/12(月) 11:50:23 ID:3bakaTCK

                                              ひ


          た
    件         見                            ど


    に                                    い
                      を

      つ                            自
                            演
        い

          て





 いつも楽しませて貰っている某スレと某魔窟をudon風味でやってみました。やってみると難しさが良く判るものです。
 久々に両スレを覗きましたがやっぱり面白いなぁくそう。










 
コメント




1.NEO削除
ご褒美の内容が書かれていないのに大体予想できてビクンビクン

くおおお、続きは、続きはまだか!
2.名前が無い程度の能力削除
赤さんと鈴仙が心の底からくっついたのはいいけども、この後の姫様達の扱いが怖い・・・
3.名前が無い程度の能力削除
続きは!?続きはまだですか!?
4.名前が無い程度の能力削除
ぐーやに止めを刺すかと思ったら別にそんなことはなかったぜ
レイセンかわいいよレイセン
5.名前が無い程度の能力削除
なんというだだ甘さ
サッカリンクラスだぜ
6.ニバンボシ削除
甘い~
おかげでかにぱんがよくわからん甘さにwwww

つ…続きはマダカー
7.名前が無い程度の能力削除
今回も、おまけーねが冴え渡ってるなwww
紺奈さんの書く文章とキャラクター達が好きすぎて、いつのまにか自分でも文章を書き始めていました。
何か筋違いな気になるかも知れませんが・・・ありがとうございます。
あなたの文章が無ければ、今の私はありません。

今はただ、この物語の続きと終わりを楽しみに待っています!