真・東方夜伽話

この子の笑顔が好きだから

2010/02/19 03:52:51
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この子の笑顔が好きだから

あか

-----前書き-----
長いです。たぶん凄い長いです。そしてカップリングも普通じゃないと思います。
カップリングについてはタグの通りです。緩々まったり、です。
-----以上前書き-----

果てして嫉妬という言葉が何を意味するのか。
この言葉の意味について自問自答する事は昔から数え切れないほどとはいかないにしろ
飽きるほどに考えた事がある。かれこれ、地上と地下を行き来するこの道で、
そのどちらにも行こうとする人や妖怪を見守りながら過ごしてかれこれ、どれだけの時間が過ぎているのか。
そもそもこのような道を行き来するような輩というのは、居るようで居ないようでなんとも言えないものだ。
この前わっと一度に来た事もあるにはあったけれど、普段は人通りなんてあまりにも珍しいものなのだ。
仕事があるとき、無いとき。それが何時かは完全にとはいかないにしろまばらで、誰も通らない時というのは
あまりにも暇な時間であるから私は色んな事をその間に勝手に考えたり悩んだりして、
特別面白い何かがあるわけでもなく、ずっとずっと暮らしてきた。

性格だろうか、地下の街の人からは私は嫉妬深いと言われている。性格があまり明るいとは言えない事を私は理解しているし、
嫉妬についても他人よりは抱きやすい事もなんとなく自分の事だから分かっている。褒められた事ではないが、
他人が抱いている嫉妬を好き勝手に煽りたてる事も、割と得意だったりする。
でも正直な話、嫉妬というのはそこまで後ろ暗い何かだとまでは思ってはいない。誰だって抱くものだ。
私はそもそも嫉妬という物について、羨望する事のある種の形としか思っていない。
自分にはまだ足りないものを見つけて羨ましく思うのは生き物として当然の事なのと同様に、
自分には辿りつけないものを見つけて妬ましく思うのも生き物として当然の事なのだろうと。
まだ足りないものと辿りつけないもの。その線引きがどこにあるかで嫉妬なのか、あるいはただの羨みの気持ちなのか。
その見方がとってかわるだけでないのか。
皆が皆、同じ性格を持っていないのと同じように、皆が皆同じ境遇を持ってはいない。
だからこそ、各々が辿りつけるそれぞれの境地や世界には限界というものがあって当たり前で、
あの人にはあるのに私には無い。私にはあるのにあの人にはない。
あの人は努力をしてたどりついたのに、私にはいくら努力をしても辿りつく事が無い。
そういう、認めたくなくても実感させられる現実的な境界線が存在する事は恐らく誰もが生きて行く内で
直視する事が無くても理解していく事なのだと思う。


さて、私にまだ足りないものは何だろうか。そこで私にとってふと思い当るものというのは他人とのコミュニケーションであろう。
私の仕事とは地下から地上へ、あるいは地上から地下へと行こうと頑張ろうとする方々のサポートが主な内容ではある。
基本はただの見守りではあるのだけど。ここで仮にその誰かについて会話をする事があったとしよう。
でもそれが何かに発展する事はあるだろうか。それはほとんどの場合において、NOなのである。
ほとんどが一度きりの付き合いなのだ。そもそも地上と地下を行き来する事という自体がそうそうあるものではなく、
地上に、あるいは地下に用事があった者も用事さえ済ませてしまえば再度訪れようとしたりすることはまず無い。
逆に何度も何度も足を運ぶ事があったとしても、そういう者達は次第に道を覚え私に頼る必要が無い。
……人を手助けしていくのが私の仕事のはずなのに、なんというか皮肉だと自分では思っている。
だからか、いつぞやのように楽しそうに誰かと会話をしながらノコノコとやってきたあの子達が酷く妬ましかった。
その幸せそうな会話の時間を私にくれよ!って思った。あんな年端もいかないような女の子達に!と。

でもそんな事を思いながらちょっかいを出しに行って、コテンパンにやられたのは私である。
戦い慣れしているという言葉が適切なのか、私がその時に理解させられたことというのは
何かを打ち倒す力と何かを守ろうとする力は、その方向性というものに大きな違いがあるという事だ。
場数の数も勿論あるのだろうが、私の力というのは彼女らに牙を向けて攻勢的に振る舞う事については酷く不向きであったのは
恐らく事実なのだろうと思う。私を倒した後もまるで何事も無かったかのように楽しそうに誰かさんと会話をしながら
地下の街の方へとふわふわ飛んでいく様を墜落して着陸した地面から見送るのは酷く悔しくて、
その日掛け布団の端を口で齧りながら枕を濡らした事は今でも記憶に残っている。
……最後の部分はさっさと消えてほしい記憶でもある。
そういえばその日はどうやらその後地下の街の方でその子らの影響で大騒動になっていたらしく、
次の日に地下の街まで私が買い物へと降りてみれば、街の中の色々な建物がどこか壊れたりしていて修理していた。
中心で勇儀姉さんが苦い顔をしながらも全ての建物の修理を手伝っていたところを見ると、
案外に姉さんにも原因がある事だったのかもしれないなぁ。……怪我もしていたから。

姉さん姉さんと呼びはするが勿論の事、私と勇儀姉さんとの間に同じ血は流れてはいない。そもそも、姉さんは私と違って鬼である。
今現在のところにおいて私が一番親しみを込めて名前を呼ぶ事ができるのがこの姉さんだ。
私は仕事でもあまり人とふれあう事も無ければ、街での私の評判もあまり良いとは言えないけれど
それでもこの姉さんは最初から私に対して普通な反応を示してくれたのだ。
……それが大きな要因でもあって、私の初恋の相手はこの姉さんだ。
普通に接してもらえた事が嬉しくて凄く気分が舞い上がって、そんな姉さんに私はすぐに惹かれて行ったのだ。
最初は本当に盲目的な恋心だった。何だかんだ暇を見つけては話をしに行ったりして、
それを重ねるたびに、姉さんの器の大きさなんかに圧倒的な物を感じたりして。
惹かれて、親しくなって。そしてまた惹かれて。でもある所で気づいたのだ。この人は私の事をすっぽりと包むような心地よさをくれる。
けれど、私にはこの人を包んだりする事ができない。私という小さい存在に、こんな器の大きい姉さんは釣り合うはずが無いのだ、と。
凄く惹かれていたけれど別に告白をしたわけでも無く、あまりにも私に対して姉さんの器の方が大きかったため
そのおかげで私の中でその恋についての諦めがついたのはそんなに遅い事では無かった。
そうやって諦めがついた時から私はこの方の事を姉さん、と呼んでいるのだ。
勿論、最初は驚かれもした。それまで勇儀さん、だったのだから。でも今はもう言われ慣れたのか
私がそう声をかけてみれば何も変わった事がないように普通に返事を返してくれるようになった。
昔から今までもずっと私の話を聞いては色々と返してくれる、私にとって今では姉さんはそんな頼りのある相談相手なのだ。



私が地上からきた変な女の子達に敗れて勇儀姉さんが建物の修理の手伝いをしたりする、そんな事があった日から
おおよそ半年ともうちょっと経過して、夏が終わった頃であろうか。私は姉さんに相談したい事があって
夜になって外から家に帰ると、またそのままの足で地下の街の方へと飛んで行ったのだった。
元々姉さんが鬼だという事もあって、姉さんはお酒が大好きである事を私は知っているから、
飲み屋街の屋台を眺めつつお客さんの姿を眺めながら歩けば、姉さんの背中を見つける事くらい大した事ではなかった。
……あぁ、足元にいっぱい酒瓶が転がっている。既に結構な量を飲んでいるんだな。
とはいえ、私と比べれば酔い方もだいぶ違いがあるんだけどね。姉さんお酒に強いし。

「姉さん、お隣良いですか?」
屋台ののれんを軽く上げて姉さんにそうひと声をかけてみれば、別段何かに驚いた様子も見せずに
私の方へとくるりと体の向きを変えると
「おぉ。パルちゃんじゃないか。一緒に飲むかい?」
なんて返してくれた。その言葉に頷いて、あげかけののれんを潜ってよいしょと姉さんの隣に座ってみれば
たったそれだけの短い間に姉さんがコップを用意していて、私の前に置いて早速お酒を注いでいた。
それを片手に持って少しだけ頂くと、私は予定していた話を切り出したのである。
「地上のお話を伺いたいのですが。」
本題から言えばこれは本当はそこまで関係が無い。
「うん?……うん。どんな事だい?」
冬に現れたその少女達に関連する事でもあるが、地上ではよく宴会が行われる事については姉さんを通して
地上に疎い私も知っている。人間から妖怪、幽霊から妖精まであつまるというそんなある意味では奇奇怪怪な宴会でもあるのだけど、
姉さんはその宴会の主催の鬼と縁が深いようでその場に足を運ぶ事が多く、そのお土産話を色々と聞かせてもらったりしていた。
「恋愛について、なのですが。姉さんが以前色々と地上の宴会の時に聞いた話を思い出したものですから。」
「ほう……つまり恋愛がしたいってことかね?」
姉さんが片手に持っていたコップの中のお酒をまるで水分を補給するかのように
軽々と飲みほしながら、私の意を察したように愉快そうにそう答えた。
「ねえ、姉さん。私に恋愛はできると思う?」
「出会いが無きゃ無理だろうね。」
……ちょっとくらい甘い言葉を期待していたんだけどな。君にならできるとか、そういうの。
ものの5秒も期待が持たなかった。しかしながらこういう所でちゃんとすっぱりと言いきってくれる所が
相談の持ちかけ易さをそのまま示していたりもしてくれる。
「恋愛ってのはね、運じゃないよ?ちゃんと相手が居て、気持ちがあって。それが前提だ。
でもね、返して言えばそれさえあるのならば決して不可能な事じゃないんだよ?」
私のコップに新しいお酒をとまた姉さんが注ぎながらそう続ける。
「ただし、出会いがあればってことですか。」
「うん。……パルちゃんは職業柄そんなに頻繁に出会いを求めて行ったり来たりできないからねぇ。」
私が抱えている問題とは、やはりそこである。
つまるところこの解決策をどうにか得たくて、今日は姉さんに相談をしにきた訳でもある。
「行けないなら連れてくるか誘いこむしかないね。何かしらであの場所へと訪れさせる必要が出る訳だ。
でも1度きりの付き合いでは滅多な事がないと良い事にはならないだろう?
だから何度も何度も来るように仕向ける必要もある。」
うん。まず最初の壁はそれなんだと思う。如何にして、何度も私のところへと訪れさせるか。
けれど、それは最初に立ちふさがる壁にしてはあまりにも高いというか、難解なものだ。
それこそ1度の出会いだけをただただ求めるならお見合いだって候補の一つではあるが、私が求めているのはそれでは無い。
ちょっと贅沢な考えでもあるけれど、ね。
「ふーむ……。いっその事雇うってのはどうだろうかね。」
「雇うって姉さん。御存じの通り、私の仕事そんなに大変な事では無いですよ?」
「いやいや。雇うと言っても家政婦とか小間使いとして、だよ。」
私の家はそこまで広く無いのだけどなぁ。今住んでいる家がここからもうちょっと奥の方に降りて行った先にある
地霊殿くらいの大きさがあるのなら流石に欲しいとは思うのだけど、正直私の家は豪邸では無くただの平凡なお家だ。
でもそれならばまぁ、何度も何度も私の家を訪ねざるを得ないし、一緒に過ごす場所も、時間も増える。
雇うとなればお金、だけどもまぁ今は貢ぐような相手もいないからお金もある。
「姉さんって、雇用条件とか詳しい?私その辺自信無いのだけど、どうしたらいいでしょうか。」
思ってみれば恋愛の話なのに金の話。ちょっとおかしなお話ではあった。
しかしながらそこに道があるのなら、そこを進むのもまたひとつの選択だ。
「雇用条件ねぇ。……そもそも、パルちゃんはどういう相手を求めているんだい?」
「好きなタイプという事ですか?」
急に話題が巻き戻って、ちょっと驚きながらも聞き返す。
姉さんが首を縦に振って、私の眼をじーっと見つめながらその答えを待っていた。
初恋の相手にこんな事を聞かれるというのは何だか恥ずかしい気分である。
けれど、私がなんとなく選びたいタイプというのは粗方決まっていた。
「頑張り屋さんで、守ってあげたくなるような子が嬉しいかな。」
姉さんのようなタイプとは大きく違うかもしれない。姉さんの接し方が好きだったから、
私もできればそのように接してみたい。だから、そういう説明をしたのだった。
「そうかそうか。」
急に姉さんが凄く愉快そうな顔でお酒を一口呷って、何かを考えるように視線をずらす。
私は手に握ったコップのお酒を飲みながら、眼だけが凄い真剣になった姉さんの次の言葉を待つべくその様子を見守った。
「他に条件は無い?こういう子がいい!とか。」
「特別には。……探してきてくれるのですか?」
「うん。地上にそういう事に関しては凄く色んな意味で役立ちそうな仲間がいるからねぇ。
そいつに掛け合って、色々と合いそうな子を探してこようと思う。雇用の条件はその子って決めてから
改めて考えた方が、よりしっくりと来る物が出来るんじゃないだろうかね。」
それは、そうかもしれない。
「お仕事を増やしてしまうようで申し訳ないです。」
「なぁに。私を頼ってきてくれたんだ。大事な大事なパルちゃんの相談事だからね。
相手はちゃんと見つけてきてあげるよ。約束する。」
そう言って残っていたお酒を一気に呷ってまた次を注ぎ直すと、ちらりと私の方を見た。
私も慌ててコップの中身を一旦飲みきると、姉さんにまた注いで貰ってついでに簡単なおつまみを注文しておいた。
「よしよし、良い子だ。」
にかっと笑って飲む勢いが何だか増したような姉さんの姿に、心の中ではお礼を言いつつも
明日は二日酔いになっている自分の姿が垣間見えたような気がして、ちょっとだけ苦い気分だった。


案の定、今日はここぞとばかりにお酒をすすめられた。あのお酒このお酒、と色んなお酒が今体の中でぐるぐると
行ったり来たりを繰り返している。気づけば家までの暗い道のりを姉さんに背負われて歩いていた。
そこまで私はお酒に強い訳ではなく、ちょっと飲み過ぎて顔を真っ赤に染めて汗をかいている私に対して
斜め後ろから覗きこめる姉さんの顔はあんなに大量のお酒が入っているのか疑わしくなる程くらいの
ちょっと赤い程度の顔で、あまり汗をかいているわけでもなく……。鬼としての体質というものを感じてしまう。
私の汗で姉さんの服をべたべたにしてしまう事はちょっと、申し訳なかったけれど既に頭がぐるぐる状態の私には
ここから降りてどうにか帰るという事はちょっと無理そうであった。
ややあって、見覚えのあるような風景と建物が見えてくる。
「着いたけど、大丈夫かね?部屋まで送ろうか?」
「いや、ここでいいです。姉さんに悪いですから。」
「そうか。良いか?間違っても玄関で寝たりするなよ?ちゃんと布団で寝な。……私が飲ませておいてなんだけど。」
「ええ。大丈夫です。」
よいしょ、と姉さんの背中から降りる。良い具合に揺さぶられていたから正直な話私は眠たかった。
姉さんにお辞儀をして、何だかあまり上手く動かない手で自分の服を漁る。
あったあったと、小さな鍵をポケットから取り出して鍵穴に差し込むと
「結構時間がかかるだろうけど、何か決まったらちゃんと連絡するよ。おやすみ。」
そう言われて私は姉さんの方へと振り返って、半ばもう方向を変えようとしている姉さんに
「おやすみなさい。」
そう返して鍵を開けた玄関から自分の家の中へと入った。
後ろ手に鍵を閉めて、玄関マットに腰を下ろして靴へと手をかける。
……よし、脱げた。けど、何だかもうここから立ちあがって自分の部屋に行く気力が……。
結局そのまま、私は寝ころぶように玄関マットの上に体を落とすと先程ああやって言っておきながらもそのまま寝てしまった。


まだ季節は夏が終わった後すぐの秋のはじめであったから、風邪はなんとか今回は引かずにすんだ。
秋らしい独特の朝の寒さが肌を襲い、それでふと目が覚めた。こんな場所で寝たからか、ほんの少しズキズキとした痛みが
背中と頭に走っている。流石に床は硬い。今度からこういう事も見越して玄関マットをもうちょっと大きいふかふかとしたものに変えよう!
……とは流石に思わなかったが、ベッドのありがたみというものを改めて感じざるを得なかった。
腰をあげて起き上がってみれば何だか若干の頭痛が残ってはいたものの、酷い二日酔いという物ではなくそこはちょっと助かった。
服が汗の匂いとお酒の匂いだらけになっているのに気づいて、そのままの足で脱衣所へと向かってみれば
凄い寝癖のついた私の顔がそこにはあった。暴風の中にでもいたような、そんな有様。
私はそのまま浴室へと入って、お風呂の準備を済ませるとお昼前ではあるがすぐに浴びる事にした。
元々昼も夜も無いようなそんな世界ではあるのだけどね。

湯船に浸かって、足を伸ばしながら溜息を吐いてみれば、やっぱりまだお酒が抜けきっていない。
昨日飲んだお酒、一体これは何のお酒かまでは分からないが、やたら色々と混じった匂いが湯気の中に舞った。
……はて。恋仲というものはお風呂を共にするものなのだろうか。
色々とこう、盲目的な恋に走っていたころに焦がれて読んだ恋物語の中には過激な作品もあったりしたが
寝所だけでなく、お風呂も一緒に楽しげに入るといった描写があったりしたものだが、
果たしてそれはどんなものなのだろうか。思えばそういう作品を読んだ後湯船に浸かった時は
姉さんの姿を自分の隣に思い描いたりしたものであるが……私の家の湯船はそんな大きいものではないからな。
私と姉さん程度なら無理をすれば二人入れるけれど、私がもしも姉さんと同じくらいの背丈があったとすればもう入らないだろう。
それにそんな事をすれば姉さんの長い足が湯面から出て冷えてしまいそうだし。
しかしまぁ、姉さん基準に考えるのは止しておこうか。世の中には姉さんのようなスタイルの良い人から、
お人形のように可愛くてちっちゃい子まで居るのだから。
それにそもそも、まだウマが合うかも分からなければ、本当に雇えるかだってまだ確定したことではない。
姉さんが姉さんだから、信じてはいるけれどもそうそう都合のいいお話というのは中々に無いものだ。
もしもそういう人が居なかったのならばそれはやはり、仕方のない事なのだ。
でも、できれば良い方に転んでくれれば、私は嬉しいなぁ。


その日のお昼過ぎ。いつもならば道に迷いそうな人がいないか、行き来する人は居ないかとチェックしにいくのが日課ではあったのだけれど、
生憎とそういう方々を待つための暇つぶしにするものが切れてしまった。昨日の今日だから
今日姉さんから連絡があるという事は無いだろうし、新しい本でも探しに行こうかしら。……雇用についての本もあるかもしれないし。

身なりを整えて、髪の毛も乾ききるのを待って無駄にほくほくな財布を握り締めると、
私は地下の街にある書店へと赴いた。流石にあんな事を昨晩相談した事もあって、ちらりちらりと本棚に視線を走らせた時に
「恋」だとか「愛」の字があるとふと眼が止まってしまう。一度そういうのが気になりだすと、案外に気が散ってしょうがない。
他の作品も色々とあるのにタイトルすら頭に入ってこなくなってしまう。
私は駄目だ駄目だと顔を横にぶんぶんと振って、お店を出るとそのままの足でふらりふらりと他の店先を眺めながら
ゆっくりと街の中を散策していった。……仕事の為の暇つぶしの為の探し物という、なんとも変な行動だと自分でも思った。

夏が終わって秋やその先の冬が見えたからか、秋に向けた服やマフラー、それに防寒着なんかが店先に飾ってあったりする。
そろそろ私も冬の為の防寒着も、まだまだ着なくても準備しておかないとな。どこに仕舞ってあるかは分かるけれど、
痛んだりしてなければ良いんだけどな。まぁ、今までで痛ませた経験はあまりないのだが。
むしろでっかい防寒着よりも小さいマフラーや手袋が問題かもしれないな。こっちは結構どこに仕舞ったか分からなくなる。
……しかし、マフラーか。いっその事また編んでみようかな。暇も潰せるだろうし。
ひょっとしたら相手にあげて喜ばせる事ができるかも!……って、そう上手い話になればいいんだけど。
あーあー。こういう発想は駄目だな。家に帰って読み終わった本をもう一度読み直す事で凌ぐ事にしよう。
……とは頭の中で言うものの、片手に毛糸の沢山詰まった袋を抱えて私は家路についた。
ごそごそと裁縫道具や薬箱の仕舞ってある棚を漁って、編み物に必要な道具を揃えて行く。
少し埃を被ってしまってはいたが、これは私の愛用の道具達だ。
というか、元々考えられるような暇つぶしを片っ端からやったせいでできたその副産物でもある。
強いて言うならば着ている服の一部や小物なんかも、その副産物だと言える。マフラーしかり、手袋しかり。
編み方しばらく編んで無かったから忘れているかなと思い、思い出すかのように手を動かしてみると
案外にスムーズに指が動いた。……どうやら大丈夫みたいだな。
様々な色の毛糸を購入してきたが、私はその中から姉さんのとりあえずのお礼として姉さんの服に似合いそうな色の毛糸何個も適当に抜き出すと
それらの道具を抱えて、いつも私が行き来する人を待ったりする場所へと飛んで行った。

……しかしまぁ、当然の事といえば当然なのかもしれないが、その日誰かがその道を通る事も
姉さんから何かしらの連絡がある事も無かった。唯一来たものと言えば、用意してあった毛糸の玉、その一つ目の終わりが来た事くらいだ。
一体何時間編んでいたのかは私は覚えて無いけれど、久しぶりにやったらちょっと熱中してしまっていたようだ。
編んだ部分から勝手に解けないように留め具をして、くるくると編みかけのそれを巻いてそれを仕舞うと
私は自分の家への道を急いだ。思えば結構お腹も減っている。

時計の時刻に少し驚きながら、私は自分の部屋の机の上に編みかけのマフラーを丁寧に置くと、
ふらりふらりと台所へと赴いて、ちょっとだけ簡素な食事とその片づけを済ませると
足早に自分の部屋に戻ってベッドへと入った。……このままでは明日も昼過ぎに起きてしまいかねなかった。
夕食なのか朝食なのかよくわからない食事の入ったお腹をさすりつつ、
溜息をつきながら布団を被ると、二日ぶり程の枕を抱いて目を閉じて行った。




……果たしてあの日から、姉さんに相談を持ちかけた日から何日経っただろうか。
あるいは何週間……?およそ3週間程度であろうか。季節は何ですかといえば皆が口を揃えて秋だと言う季節になり、
姉さんの為にと編んでいたマフラーも何だか凄い長さになりそうだなぁと焦りながら編んでいた矢先のある日の夜、
ついに姉さんが訪ねてきた。その手には小さなお酒の瓶を抱えていて、姉さんを家の中へと案内して
二人分のグラスを用意すると向かい合う様にして居間の小さなテーブルを囲んだ。
早速お酒の瓶を傾け始めた姉さんに私は小さい声で尋ねる。
「ど、どうでした?」
「とりあえず出された条件に合う子だけならいっぱいいるんだけど、その中で丁度よさそうな子が居たからその子にしたよ。
お小遣いも欲しいようだし、他にも色々私にとっても都合が良かったからさ。明日にでも連れてくる。」
あ、明日ってまた急だなぁ。そこでふと向けられた視線にはっとなって、
私もグラスに手を伸ばして、姉さんからお酒を貰う。……飲ませる気だな。
まぁ久しぶりに飲む事もあるから、姉さんの気持ちもなんだか分からない気もしないのだけど。
しかし、いつもの姉さんならどんどんと次へ次へと喋ってくれそうな気がしたのだけれど、
今日の姉さんはなんというかやや静かな感じ……もとい戸惑っていると言った方がいいのだろうか。
視線を行ったり来たりとさせながらしばらく何かを考え込むと、決心したように口を開いた。
「その子の事、どんな子か聞いておきたい?」
悩むような事だったのか私には理解できなかった。
けれどその質問に対して、とりあえず私は首を振っておいた。気にならないかと言えばまったくの嘘なのだけれど
向こうだってこっちを知らないんだし、何より変な先入観を持ってしまうのが怖かった。
「自分の眼で向きあってみます。」
「そうか。ならその言葉を信じて……飲みながら話そう。」
自分のグラスを傾けてお酒を飲みながら私のグラスも指さしてそう呟く。
慌てて握っていたグラスのお酒を私も飲んで行った。
小さい瓶だから少し安心していたが、思ったよりも度が高いようで、焼けるような感覚が
喉と鼻を通るようにして抜けて行った。
「口裏を合わせておこう。」
「口裏……?あぁ、雇用の条件の事ですか?」
首を縦に振る姉さん。どうやらここに来る前に色々と考えていたようだなぁ。
本当に仕事を増やしてしまったみたいで申し訳ない。
私はいそいそとメモができそうな紙と鉛筆をテーブルの上に用意すると、姉さんがその鉛筆を手に握った。

「簡単な小間使いとしてって事を考えるとする。」
姉さんが鉛筆を滑らせて、紙の上に数字を並べて行く。
「パルちゃんのお財布事情もあるから、ちょっとだけ給料は安めでお昼前から夕方までの時間。
地上の仲間と話し合ったけれど、恐らくは大みそかまで普通に働いてくれるだろうという見解になった。」
しばらくの間、片手でお酒を飲みつつ数字だけでなく文字も加えながら鉛筆を滑らせる姉さん。
私は並んで行く数字や文字が何の意味を持つかをなんとなく把握しながら、同じようにお酒をちまちまと飲み進めつつ
姉さんが書き終わるのをゆっくりと待った。やがて鉛筆を置いた姉さんがくるりと紙をひっくり返して私の前に差し出す。
「このお金、パルちゃんなんとかなりそうかね?」
差し出された紙、その内容に目を通して行く。うん。なんら問題ない。貯めていたお金からすれば
まだまだ余裕があるくらいだ。一応、だけど。
「昼ごはんは支給って形で手料理でも御馳走してあげな。夕食も誘えるなら誘うんだ。
あんたは雇用者となるわけだけど、仕事以外ではひたすら優しく接してやりな。仕事の方、ちょっと失敗が多いかもしれないけど
そこは笑って許せる位にできたらしといてあげておいてくれ。」
「姉さんぽくしろって事なのかしら?」
「私にはそんなのは無理だねぇ。」
……私にとっての姉さんのイメージが大体そんな感じなんだけどなぁ。
怒る事も結構あるけど、それでも優しさが前提にあるようなのが姉さんだもの。
「分かりました。頑張ってみます。」
「あぁ。……連れてきた先は、お前さんがその子の面倒をみなきゃならない。大変だぞ。」
そしてまた私のグラスや姉さん自身のグラスへとお酒を注ぎたして、
お互いにとりあえず一息、というように飲んで行った。

「そういえば姉さんはもうその子と話したのですか?」
お酒の底が見えたころになって、私が姉さんに尋ねた。
残っていたお酒をお互いに均等になるように姉さんが注ぎながら、私の視線に眼を合わせる事なくそのまま首を横に振った。
「私じゃなくて、話をつけてくれたのは地上のお仲間さ。良い感じに纏めてくれたから
本当の事を言えば私は明日は迎えに行ってここに連れてくるだけさ。」
そう言って姉さんが空になった瓶を置いて落ち着いたように笑う。
「本当、何から何まで。」
「お礼にはまだちょっと早いよ。……それより飲もうよ、な?」
その声に私も笑って、残り少ないお酒の中身をお互いにゆっくりと飲み干していった。

「じゃあ、また明日。」
「家で待ってれば良いんですね?」
「うん。むしろ家から離れられるとちょっと困る。」
まあ、そりゃそうだな。とはいえ姉さんは私が行きそうな場所というのを結構把握しているんだけどね。
だからたまーに街に出た時捕まって一緒に飲まされたりする事は結構あった。
家を出てすっと飛んでいく姉さんを見送って、静かに玄関の錠を下ろすと
私はそのままベッドへと潜り、思いをはせながら夢の世界へと飛んで行った。


特別な日の朝は特別な事から始まる!というのは私のただの妄想だ。酷い妄想だ。
そのお陰でやたらと早く眼が覚めてしまったのだ。……体は寝たいとまだ駄々をこねるのだけど、
頭が変に興奮して眠りに着く事が出来なくて、あまりそこまで心地よい気分とはいかず
溜息をつきながら私は起きて居間へと向かった。時間はまだ朝の6時を回った辺りである。
とりあえずお湯を沸かして飲み物を確保しながら、冴えきらない頭でふと悩む。
どうやって迎えたらいいものか。何か用意しておくものは有っただろうか。
そういえばお昼ご飯は用意しておかなければならない。彼女が働きに来るのは一応昼前から、ということになっている。
しかし、他には何だ?何があるだろう。用意しておかなければならないもの。
今思えば昨日の時点で予め考えておくべきだったな。
……おめかしもしておくべきだろうか。いやでも、こんな変に焦った気持ちで化粧しようとすると
ちょっとキツい化粧になりそうな気がして困る。削ったりしている訳ではないからすっぴんでも自信はあるのだけど、
あぁ、年くらいは聞いておくべきだったな。いや、聞いたところでこれは解決しないか。
そうだ、お茶受けのお菓子を用意しておかないと。
湯のみを居間のテーブルへと置いて、棚を漁ってみる。
出てきたのはスルメに始まり……お酒のおつまみしかない。そりゃそうだ。
わざわざ訪れようとするのは姉さんくらいだったんだもの。お茶受けよりもこっちの方しかないのは仕方がない、か。
しかし何も無いというのも寂しいな。でもお菓子を作っている時間も、材料もない。

あぁ、駄目だ駄目だ。余計に頭が混乱してくる。
多少なりとも姉さんに相談しておくべきだったかな。
……結局私は自分の部屋へと戻って編みかけのマフラーを手にとると、
気分を落ち着ける目的でもちくちくと編みはじめた。でもそのマフラーでさえ、
しばらく編んでいる内に許容できる長さを超えてしまいそうだったから
時計を見てあまり進んでいない時間にもがっかりしつつも、はさみを探して適当な長さだけ糸を残すと
留めた目が目立たないように端から余った糸を忍ばせて行った。

編み終わったマフラーを置いて、時計をゆすってみて針が動かない事にげんなりとしながら、
とぼとぼと居間へと向かう。お腹が減ってきた事もあって、先程棚にあったスルメを取り出すと
時計の針を見つつ残っていたお湯で作ったお茶を飲みながら、時間をつぶす事にした。

この時計、私が見ている時に限って仕事さぼってるんじゃないか、と思いたくなるほど、
時計の針はゆっくり進む。結局進む速さはスルメが無くなる方が早く、手持無沙汰になると私はその時計から逃げるように
台所へと入った。何をするかと言えば、お弁当づくりだ。
昼ごはんを御馳走するのは私の役目ではあるが別段家で食べる事は必須という訳ではないし、
第一今日彼女には一番重要な事を教え込まないといけないから、こちらの方が都合が良かったのだ。
昔は姉さんと一緒に使ったお弁当箱を棚より取り出して軽く洗い終えると、
久しぶりにみるそのお弁当箱のサイズに少しだけ悩みながら、食材を色々と台所にある小さなテーブルの上へと並べて行った。

何が好みか、何が嫌いかも分からないから、無難な物を選ばなくてはならない。
ご飯はそのまま何か具と一緒に握って何種類かおにぎりを用意すれば、とりあえず困らないだろうが
残ったおかずが問題だ。油が強すぎて後で固まったり油が回っているのを見たりするのは悲劇でしかないし、
かといって気にしすぎると薄味が増えそうだし。野菜が少し多めになりそうだが。
おにぎりの具をちょっとだけ味を強くしておくかね。


「何時だ!」
我が家の時計はその問いに何時です!と応えてくれる凄い時計ではないのだが、
一体あれで何時間潰せたのかと、時計をまたチェックしに居間へと戻った。
炊きあがったご飯が冷めるのを待ったため確かに時間が潰せてはいたのだが、それでもまだ10時くらいだ。
漠然と昼前という時間を設定したが、本当にいつ来るものやら。
出来上がったお弁当箱を居間のテーブルの上に置いて、時計を見て溜息を吐きながら台所へと戻る。
食材や食器、器具の後片付けをしながら、ついでに流し台のあたりや食器棚も整理しておいた。
……どうせ今更何が必要かなんて考えてももう埒があかないのだ。
だったらさっさと時間を無駄にでも浪費してしまいたい。
そわそわしている今、何もすることがないというのが今は一番つらかった。

玄関に上がった砂を掃除したり、窓ガラスを磨いてみたり。
あまり日頃は手をつけないような場所にまで掃除の手を伸ばし、どのくらい余っているのか
よくわからないそんな時間をただただ潰していく。
洗濯も終え、お風呂掃除も終えて、次はなんだと居間の時計の前で悩みながら待っていると、
家の外で少しだけ気配がするのと一緒に玄関の戸をたたく音が聞こえた。

来た。
ぺちぺちと顔を叩いて気分を落ち着けると、深呼吸をしながら玄関へと向かう。
途中鏡の前で顔に変なものとかついていないかを確認すると急いで玄関の扉を開けた。
扉の前に立っていたのは、珍しくお酒の匂いがしない姉さん。その少し後ろに立っていたのは
姉さんと比べるとずっと小柄、私よりももっと小柄な女の子。
凄く緊張しているんだろう。顔がカチカチに固まって、ぴっちりと姿勢を正して姉さんの斜め後ろに立っていた。
「というわけでこの子。んじゃ、任せたよ?」
「あ、あぁ。はい。了解です。」
緊張で固まっていたのは私も一緒で、姉さんがあきれたように一言そう言うと、
くるりと後ろを向いてその子を置いて何歩か歩き、そのままどこかへと飛んで行ってしまった。
飛んで行ってしまった姉さんから、眼の前の小さな女の子へと視線を移せば、
その女の子と目があって、私が頭を軽く下げると、その女の子も頭を下げた。
「さ、上がって。」
とりあえず家の中へと彼女を招く。
よっぽど緊張しているのか、何だか歩くのすらぎこちない彼女を家の中へと導き
彼女が玄関へと入ったところで、彼女の背中を見て気づく。……今は折りたたまれているが
そこには羽があった。見た目で判断すればこの子、どうやら妖精だ。
一体姉さんはなんで妖精を……?まぁ守ってあげたくなるといえば、確かに守ってあげたくなるような子ではあるが。
そんな事にちょっと疑問を抱きつつも私は後ろ手に扉を閉めて、居間へと彼女を案内した。

居間へと通して、お互い席へと着いたところで改めて口を開く。
「改めて、こんにちは。」
「こ、こんばんは。」
洞窟が暗くて、その中をずっと歩いてきた影響なのかもしれないが、
元々の時間から言えばかなりちぐはぐな挨拶だった。まぁ原因は、洞窟の暗さとか以前に
彼女自身の緊張にありそうだ。二つ用意したコップにお茶を注いで片方を彼女へと渡しながら、
残る手でお弁当を一旦隅の方へと寄せた。
「洞窟、暗かったでしょう?」
「は、はい。」
玄関に入る前からカチカチだったが、お茶を飲んだ今ですら肩に物凄い力を入れているのが分かる。
お茶を持つ手が震える程で、ひょっとしたら今にでも過呼吸を引き起こして
倒れてしまうんじゃないかという心配すらちょっとあった。……ちょっと、異常だった。
「もしかして、私の事が怖い?」
ふとそう聞いてみれば、今まで何とか即答してきた彼女の口が詰まり、
私は頭を抱えた。……あまり良い印象はもたれて無い様だ。
地上の子だから私の事なんて風の噂にも知らないだろう相手にそんな印象を抱かれるのはちょっとショックだった。
そんな私に追い打ちをかけるように、少しして彼女が小さく首を縦に振った。
ずん、と重たいものが背にかかったような気がしたが、それを払いのけるように私は背もたれへと背を預けると
質問をちょっとだけ変えてみた。
「ここまで連れてきたお姉さんから、何か聞いた?」
ひょっとして変な事でも吹き込んでしまっていやしないかと、気になったからだ。
少しして彼女が小さい声で私の声に返した。
「変わったやつだからとって食われないようにな!って……。」
……私は姉さんにそう思われてるのか?
いやいや、それ以前に私は妖精を食べようなんて気は起こして無いぞ。
私が驚いた事が彼女にも伝わったのか、余計に緊張の仕方、もとい怯え方が酷くなったような気がする。
「お仕事を手伝ってもらうのが目的だから、食べちゃう事は無いわよ?」
「そ、そうですよね?」
取り繕う様に私はそう言ったのだけれど、今思えばもうちょっと良い言い方があったと後悔する。
何だかかえって不安を与えているような気がしてならない。
「な、何か聞いておきたい事とかはないかな?」
話をずらそうと思ってそう話題を振ったのだけれど、
「よ、妖精って美味しいのですか?」
……ただ、やれやれとしかいえなかった。


あれから半刻程とはいかないにしろ、それに近いくらい私は彼女を説得していたと思う。
私がどんな料理が好きなのか、とかを織り交ぜつつ、妖精を食べない事は伝えた。
最初は怯えていた彼女も段々と理解を示してきてくれたようで、肩に入っていた力が少しずつ抜けて行くのを確認すると
今度は彼女の好きな食べ物は何なのかと話題を変えて、私は彼女の前では割と平然としつつも
内心必死になってその誤解や緊張を解いていったのだった。
とりあえず苦い物はあまり得意ではないらしく、甘い物が割と好みではあるということは
知る事ができた。……今日のお昼ご飯はもうすぐそこにできているから今更変えようがなかったけれど
今度からこの貴重な情報を多少なり参考にしようと頭の中に刻みつけておいた。
「ところで、お料理はできるかしら?」
「た、食べるのは大好きです!」
ふむ、お料理を任せるのは無理、か。まぁ食べるのが好きならそれは歓迎だ。
「よし。……ちょっと家を出るけど、ついてきてもらえるかな?」
「はい!」
すっくと立ち上がった彼女にテーブルの端に置いていた弁当箱を渡して、
私は台所で余ったお茶から少し大き目の水筒を1本用意すると、歩くのもずいぶんと動きがマシになった彼女と一緒に家を出た。
今日彼女に覚えてもらわないといけないのは、道である。今日は姉さんが一緒だから襲われる事は無かっただろうが、
姉さんが通ってきた道を彼女一人が通ろうとした時迷うかもしれないし、襲われるかもしれないからだ。
だから覚えやすくて安全な道を私が選んで教え込む。……退屈だろうが今日はこれでいいだろう。
なんとしてもこれだけは覚えてもらわないとお話にならないのだ。

私が空をゆっくりと飛ぶ後ろで弁当箱だけは持ってもらっている彼女が付いてくる。
彼女がちゃんと付いてきてくれている事を確認しながら、まず先に食事をしようといつも私が
家の外で待機している場所まで彼女を導くとしっかりと座れそうな場所を探して二人で腰をかけた。
大きい洞窟だから、あまり風らしい風が吹くなんて事は無いけれどそれでもどこか
肌を流れる何かを感じるのはいつもの事で、そのおかげでここいら一体は淀んだ空気にならないのが嬉しい。
まあ、だからこそいつも私はこのあたりでぼーっとしているのだが。
「この近くに綺麗な川があるから、とりあえずそこで手を洗ってこようか。」
「はい。」
飛んでいる間に緊張も解けたようだ。……空腹でそれどころでもない、という事もあるのかもしれない。
飛んでいた時に時折小さな音がやや後方から響いていたような気がするけど、あれは風の音じゃなくて
恐らくは彼女のお腹の音ではないかと思っている。味に絶対の自信がある!とは言わないけれど、
喜んでくれたら嬉しいなぁ。

少し冷たい川の水で手を洗って、改めて腰を掛け直してお弁当の包みを開けていく。
彼女が弁当箱を包んだその包みを開けるごとに何だかそわそわしているようにも見え、私はそんな姿を見て一人楽しみながら
弁当箱の蓋を開けると、弁当箱を平らな所へと置いて彼女に箸を手渡した。
「さ、お腹すいたでしょ。」
私自身もスルメだけという貧相な朝食だったため、音を出す程では無いにしろお腹が空いていた。
「い、いただきます。」
でもまぁ彼女はそれ以上のようで、そういう言葉の前にもう手が動き始めていた。
ひょっとしたら姉さん、彼女が朝食を摂る前に連れてきたのかもしれないな。
彼女がおにぎりを取って口へと運ぶその横で、私もおにぎりをひとつ選んで口へと運ぶ。
ちょっとだけ塩気が強いかもしれないけれど、割と長い距離をいったりきたりさせられている彼女には
これくらいがたぶん丁度良いのだろうと思う。かなりの勢いで彼女が食べてくれている。
……よっぽどお腹すいてたんだな。
「喉に詰まらせないでよ?」
私がそう声をかけると彼女が食べながらに首を縦に振ってこたえた。
見た目で判断するのは良くない事だとは言うが、見た目通りというか案外に食べざかりなのかもしれない。
彼女が成長をしてこの姿なのか、成長前でこの姿なのか、私は妖精ではないのでよくわからないけれども
彼女の見た目はちょっとだけ背伸びをしたような小さな女の子だ。
でも体格は子供のそれだから、少しだけ男の子らしさを感じさせる何かを含ませてしまったら、
服装を変えるだけでそう見えてしまうかもしれない程である。……きっとそれはそれでとても可愛い気がする。

「私の顔、何かついてます?」
ぼーっとしてしばらく彼女の顔を見ていたらそう声をかけられて、慌てて視線を彼女から弁当箱へと移す。
何時の間にやら半分くらい弁当の中が空になっていた。私も食べないと。
「味付けは大丈夫かなって思ってね。」
頭の中で男装させていました、なんてとてもじゃないが言えない。
しかしまぁ、顔立ちが女の子だからいくら頑張ったところで男の子のふりをした女の子にしかならないだろう。
「美味しいですよ。」
「それなら良かった。この後もちょっと行ったり来たりして忙しいから、お腹がすいているなら今のうちに食べたいだけ食べて良いのよ?」
そう言うと、顔をちょっとだけ赤くしつつもまた弁当箱へと箸が伸びて行った。
素直なものだ。妖精と言えば陽気でどこか悪戯好きというイメージがとても強かったのだが、
まるで毒気だけ何かの拍子に抜けてしまったような、そんな子のように思えた。
……私の食べる手も再開した事もあってか、弁当箱が空になったのはそれからすぐの事だった。

食べ終わってから気づいたのはひとつの大きな誤算である。
姉さんにとっての飲み物は、半ば姉さん自身が持ち込んだり私自身が用意するお酒であったりしたけれど
それを注ぐ先というのは姉さんが持っていた愛用の杯があったからこそ、だ。
お店でいつもとは違う種類のお酒を飲む時はそのお店の物を使っていたけれども……。
何が問題かといえば、水筒を持ってきたのは良いが元々あるコップは備え付けの1つしかない事だ。
昔の癖で持ってこなかったのは失敗である。
いくらなんでも飲みまわしをするのは彼女に申し訳ない。
とはいえ、私も家を出発する前に飲んだっきりで、結構お弁当の塩気が強かったから飲みたい気持ちは強い。
彼女も同じような状況になってはいるだろうから、水筒を無かった事にする訳にもいかず……
「一休みしたら、ちょっと色々覚えてもらうからね。」
そう彼女に言うのと一緒に持っていた水筒を彼女へそのまま手渡した。
これからしばらくの間、まず仲の良いお友達とかそれ以上の関係になる前に
私が上司で彼女が部下のような関係になるのだろうけれど、そういう関係をここで押しだす訳にはいかないから
私はとりあえず我慢する事にした。……どうせ覚えてもらったら私の家だしね。
きっと私よりもずっとずっと、彼女の方が喉が渇いているはずだ。

「お姉さんは、飲まないのですか?」
水筒の中のお茶を細い喉を上下させながら飲んでいた彼女が不思議そうに尋ねてくる。
我慢するとはいいつつも、美味しそうに飲んでいるのを見ると凄く欲しい気持ちがやっぱり私にはあって、
「貴女が飲み終わったら、貸してもらっていいかな?」
恐る恐る尋ねてみると彼女がこくこくと頷いて、
1杯程新しく注ぎ直して飲み干すとコップと水筒を私に手渡してくれた。
良いってことなんだろうと解釈して、私は新たにコップにお茶を注いで口をつける。
どうやら彼女自身水筒の中身を気にして飲んでいたのか、おおよそ半分程残っていて
その水筒の中を私が全て空にすると、弁当箱と一緒に片づけて一息入れる事にした。
……案外に緊張しているのは私なのかもしれない。

後ろ手に岩に手をついて、少しの間ぼーっとしていたのだがふと大変な事に気づく。
こんな事をどうして最初に聞いておかなかったのかと悔やんでももう遅いのだけれども。
「そういえばお名前はなんていうの?」
私が改めてそう尋ねれば、彼女が一瞬きょとんとした顔になって、少し難しそうな顔で答えた。
「皆は大ちゃんって呼んではくれます。」
その返答に今度は私が難しい顔をする番だった。……ひょっとしたら名前よりもあだ名の方が通っているのかな。
それとも名前にコンプレックスがあるとか。例えば超常現象的なネーミングとか。
「私はなんて呼べばいいのかな。」
「お、お任せします。」
お任せするって言われてもなぁ。どこから推測を入れるべきなのだろう。
大ちゃんってのは何かからもじっているのだろうか。大ちゃん……大……大妖精?
安易すぎるか。いやでも、うむむ……。
「そんな事言ってると、適当によーちゃんとか呼んじゃうよ?」
「そ、それでも構わないですけども。」
適当に返した私の言葉に彼女がそう呟く。
ひょっとして本当に大妖精からもじっているのか?
「お姉さんはなんて呼べばいいのですか?」
今度は彼女から投げかけられた問にハッとなる。思えば自分の名前を名乗って無い。
ちょっとマナーがなってなかったな。やっぱり緊張しているな、私。
「ごめんなさいね。私は水橋パルスィって名前よ。呼びやすいように呼んでちょうだいな。」
「じゃ、じゃああのお姉さんはパルちゃんって呼んでたので……ええと。」
あのお姉さん……?ああ、勇儀姉さんか。そうか、姉さんは私の事をそう呼びながら紹介したのか。
ひょっとして姉さん、私の事をそうやって呼んでるうちに本来の名前を忘れてたりしないかな。
まさか、そんなことはないか。
「呼びやすいなら何でもいいよ。」
そこまで変なあだ名がつくとも思えないし。私がそう言うと、
彼女がちょっと顔を赤くしながらとても小さい声で
「パルさん。」
そう呼んでくれた。
「改めて、よろしくね。」
「よろしくお願いします。」
結局のところ、私はなんて呼べばいいのか自分自身で決定する事ができなかった。
何しろ、あだ名はあれど本名をそのまま教えてくれないなんて経験が無かったから……。
まぁ名前を聞くってのもかなり久しぶりなんだけども。
でもまぁ呼び方はどうにか解決しておかないとな。どうにも考えがまとまらないなら
私も彼女の事を大ちゃんと呼ばせてもらう事にしよう。

「さて、そろそろお腹落ち着いたかな?」
「はい、大丈夫です。」
彼女の返事を確認してから立ち上がれば、彼女も合わせるようにして立ちあがった。
私は水筒を、彼女はまた弁当箱を抱えて、地面を蹴って空中へと戻る。
早速だが、私は彼女の方を向くとこれからする事をおおまかに伝えた。
「まずは、私の家までの道を覚えてもらうよ。」
それができないと通えないからね。
さっきまでの弁当箱とは違い、急いだらどうにかなってしまうような持ち物ももう無いので、彼女に先導してちょっとだけ
速度をあげて洞窟の入り口へと向かう。時折ちらりと後ろを見て彼女の姿をちゃんと確認しながら、頭の中にある
この地下世界の地図を広げに広げてその分岐一本一本を全て思い出していく。どうやらこの今通っている道は
姉さんが連れてきた道と違うからなのだろう、彼女の顔にだんだんと戸惑いの色が見えた。
「今はただ付いてきてちょうだい。入口についたらまたゆっくり私の家に戻るから、ね?」
後ろに向かってそう声をかければ、いそいそと急ぐように彼女が私の横へと付いた。
どうやら今の時間に頑張って覚えようとしていたのかもしれないな。

程なくして……という程短い距離でもないが、入口まで辿りつく。
ずっとずっと地下で暮らしてきている私たちにとっては、余りに眩しすぎる太陽の光は丁度天高く昇っているお陰で
この洞窟の中にいる私たちを直接照らす事は無いけれど、
外に見える草木が反射する光はなんだか見ていて痛いくらいに光って見えた。
年がら年中ひんやりとした空間に居る私たちの事など、今頃あの太陽の下で遊んでいる奴らは気にも留めないだろう。
……今は彼女が居るんだ。考えまい。気分が狂ってしまう。
外の景色から彼女へと視線を移せば、彼女もかれこれ数時間は洞窟の中に居たからであろう、
眩しそうに目を細めている姿がそこにはあった。その彼女の肩に手を置いて、くるりと二人揃って後ろを振り返る。
今度は洞窟の中が見えづらい。順応の弊害だ。
入口からしばらくの間の一本道になっているところの終わりのところまで引き返し、再び止まる。
「それじゃ、お家まで戻るよ。覚えて頂戴ね。」
「はい。」

地下にある街への道というのは直通一本ではない。
自然の力で生まれた道も多々あるが、地下の住人が自分たちのために作った道もあれば、
生活の為に勝手に開けちゃった穴等、案外に道として使えるものは沢山ある。
ただ、そこにある道が安全かどうかというのは、教えてもらわないとまず分からない事だ。
私は妖精を食べるつもりはないけれど、食べようとする連中が私の家から洞窟の入り口までの距離の間に
居ないかといえば、断言できないところがある。
今日来る時は姉さんと一緒だったから何があっても襲われないにしろ、彼女一人の時に
他の妖怪のテリトリーだとかにあたる場所を間違っても通らせるなんて事はしてはならない。
確かに距離の長さではそういう場所を通った方が近道ではあるけれど、
私はこの子の安全も保障しなければならない立場にあるのだ。
「ちょっと遠回りになるけど、覚えやすい道を覚えようね?」
「はい!」
うん。元気のいい返事だ。

あそこの岩を目印にするだの、この道を横に入ると川があるからそこに沿って進むだの、
ゆっくりと覚えやすそうなものを目印に道を教えていく。人間の行商の類とは違って空を飛ぶ事ができるから、
足場の悪さというものを考慮して道を選ぶ必要性が無いだけ随分と楽だ。
歩きとなればそれこそ体感する距離は何倍にも膨れ上がる。疲れ方が違うからだ。

「で、私のお家。」
自分の家の扉の前まで降りて、彼女の方へと振り返れば何やらぶつぶつと唱えるようにしながら
彼女も私の前へと降りてきた。どうやら目印になるものを最初から思い返しているようで、
それが一通り終わって彼女が顔をあげるまでを静かに待つと、改めて私たちは家の中へと入った。
「覚えられそうかしら?」
「たぶん……。大丈夫だと思います。」
よし、これで今日の分の帰り道を送るという口実ができる。
できることなら一緒に過ごせる時間は多い方がいい。


しかし私には懸念している事がひとつあった。
恋がしたいだのという理由で姉さんに頼んでこの場を作って貰ったは良いのだけれど、私はこの子に対して
果たして恋愛感情を抱くまでになるのだろうか。……私が姉さんに出した条件は満たしているとは思っているけれど
何かが、何かが違う。いや、何かが足りない?
しかしそれが、対人関係や恋愛経験の希薄な私に分かる訳も無く、初日でもあるしまだ会って半日もないのだから
ちょっとだけ気長に構えてみようじゃないか、と自分に言い聞かせると結局私はその話題について考えるのを止めた。

「さて。」
「何でしょう。」
また先程のテーブルについて話を切り出す。
聞きたい事というのは、お話したいという意味でも山ほどあるのだが、とりあえずこの子を知る必要がある。
「何かこういう事だったら手伝えるってこと、ある?」
一応小間使いとしてこの子を雇った事もあって、まずそれが知りたくてそう尋ねたのだった。
料理はあまり期待できそうにない事は理解しているが、例えば洗濯は任せていいのか
掃除はできるか、と、そんな感じの返答を期待して。
ややあって、彼女が口を開く。
「で、できない事は頑張って覚えます。」
何だか先行きが不安になってきた。

「な、何をやらせたものかね。」
とりあえず何か適当に少しずつ仕込んでいかないと。
……そういや、姉さんはこの仕事をなんて説明したんだ?
「連れてきてくれたお姉さんは、どういう仕事をさせるーとかお話はしてなかった?」
「お給料が出ながら花嫁修業をさせてくれるって聞いたのです。」
姉さん……。もっとまともな説明の仕方は無かったのですか。確かに間違っては無いと思うのだけど
花嫁修業って言いだす夢いっぱいの女の子を私みたいなのが教えて良いのですかね。
あぁ、何だか彼女との間にあるハードルの高さがまた一段上がったような気がする。
この子に見合った何かをもった自分というものを私は果たして示せるだろうか。頭が痛い。
「あ、あの。」
私がそんな事を考えて軽く頭を押さえたからか、彼女が心配そうに声を出した。
……今深く考える事では無かったな。
「うん?」
「な、なんでも頑張って覚えてみせます!」
心意気は立派なんだけどな。凄く。ただちょっと、その言葉は街の男には聞かせられない言葉だなぁ。
紳士的なのも多いけれど中には変な奴も居なくは無いんだから。
「良いかい?なんでもって言葉はね、心が許せる相手以外は使わない方がいいのよ?」
彼女がちょっとしょげた顔で視線を下げながら小さく頷き、私もそれに頷いて返した。
「よし、それじゃまずは、そうね。」
掃除は私がやりつくしてしまっているな。
「せん……」
洗濯も、やってしまったな。
「……肩もみでもお願いしていいかね。」
苦し紛れにとりあえずで思い浮かぶのがそれしかなく、私がそう言うと
思いのほか彼女は嬉しそうにすっくと立ち上がってとことこと歩いて私の後ろへと移動すると、
彼女の私より小さな手が肩へと乗った。
むにむにと私の肌を押し込む両手、柔らかいけれどどこか非力で彼女が頑張る声が背中から響いてくる。
やや物足りないというのが正直な気持ちだけれど、姉さん以外の他の誰にもしてもらったことがない事だから
そんな物足りない物でも私は嬉しかった。

でもやっぱり慣れない事ではあるのか彼女の非力さも相まって、しばらくして押す力も弱くなってくるのを感じると
私はそれでも揉み続けようとする彼女の手に手を添えてそれを止めさせた。
「うん。それくらいで。ありがとう。」
首を少し左右に動かして、軽く筋を伸ばしながらそう言うと、彼女の手からだんだんと力が抜けて行った。
ふいーっと後ろから聞こえる小さな音を含んだ溜息に後ろを振り返って彼女のその顔を覗きこんでみれば
ちょっと疲れたという感じの正直な顔の彼女がそこに居た。……私と視線があってか、にっこりと笑う。
揉んでいた手を握ったり開いたりしている所を見ると、かなり疲労が腕に来ているのであろう。
やっぱり、非力だ。しかしまぁ、だんだんと慣れてくれるだろう。いや、慣れてほしい。
花嫁修業にだって体力に関する項目はあるはずなのだ。
「ちょっと休憩入れようかね。」
「ま、まだ頑張れますよ?」
「急いでも仕方がない事よ。頑張りすぎたらどこかにしわ寄せが来るんだから、
切羽詰まって無いなら適度にゆったりやればいいのよ。」
ここはそんなにでかい家でもないし、大家族でもない。私が元々一人でずっと住んできた家で、
無理なんてせずともお互いの時間の都合が折り合う様にすればいいだけの話なのだから。
それにあれだ。妖精が頭が悪いとかいう事を話すつもりはないが、あまりに一日に色んな事を教え込んだ所で
上達するかといえばしないだろう。私だってそんな事をされればキツいのだから。
慣れてきたところで次を、また次をとしたほうが効率がいいはずだろう。きっと。
……私は雇用者側に回った事が無いからあまり分かったものではないけれど。

しかしこれはこれでする事がない、か。
かと言って、今から外に出て日課の見回りに出るのにも時間が半端ではあるし、
見回りをしているうちに彼女が洞窟から家までの道と混同してしまうのが怖い。
外に出てそういう余計な要素を今日増やすべきではないだろう。
「座って貰えるかしら。」
私の後ろでぽーっとしながら休んでいた彼女にそう声をかけて、
私が立ちあがると彼女に座っていた椅子を差し出して、疲れた感じの彼女を座らせた。
彼女に無理に何かをどうにかさせる事じゃなくても時間は潰す事ができる。
私は彼女の肩へと手を置くとそのまま彼女の肩をゆっくりと揉んで行った。
「あ、あの。」
彼女がおどおどとした少し恥ずかしそうな声をあげるのを聞きながら、
それを制するように後ろから彼女に声を囁く。
「良いかい?無理に力を入れて揉もうとしなくても、こうやって手のひらに満遍なく薄く力を入れて
肩と首回りを回すようにしながらゆっくりと解す、そういう方法もあるのよ。」
出来る限り疲れない揉み方は何か、マッサージの方法は何かと考えながら
頭の中にあった記憶を頼りに彼女に教えていく。少しくすぐったそうでもあるが、まぁそれは仕方のない事だ。
私だってさっきはそういう感覚もあったのだから。別にこの子が悪いのではない。
不快感や痛みが無いからこそ、かえってくすぐったいのだから。
私の説明を聞いてか、彼女が姿勢を正して
「ふぁ、はい!」
と返事をする。
「はい、かたくならない。急がなくて良いから、今はリラックスしてなさいな。」
……案外に自分にも言える事かもしれないな。
私がそう後ろから声をかけると、どこか力が入ったり抜けたりしている彼女の肩が少し落ちて
彼女がかくりと首を下ろした。うん、素直でいい。
そのまま彼女の肩を揉みほぐしていく。それ以降お互いに押し黙ってしまったからか、
彼女の服が少し擦れる音以外、あまり何か音が響く事が無かった。
粗方の揉み方を、口には出さないままいくつか実演した上で、今度は両手を重ねてその甲で肩を叩いていく。
肩たたきとは言うものの実のところはただ肩の上で弾ませているだけともいえる。
思えば肩たたきも肩もみも、姉さんが教えてくれたんだっけ。姉さんがたまにしてくれるから
それを勝手に私が覚えただけでもあるんだけど。


「……こんなもんかしらね。」
それもやるだけやって、彼女の肩からゆっくりと手を離した。彼女が肩を落とした後、最初の時のように
くすぐったがっている様子というのは無かったけれど、それにしては今の私の言葉にも彼女の反応が無く、
ふと気になってそっと顔を覗きこんでみれば、すっかり寝てしまっているようだった。
耳を澄ませてみれば静かな寝息が私の耳にも届いた。まぁリラックスしろと言ったのは
確かに私ではあるのだけど、まさか寝るとは……。まぁ、慣れない環境に急に連れてこられて
疲れて無いわけがないのだが。やれやれだとは思いつつも、椅子から落ちてしまいそうな彼女の体を背負って自分の部屋へと連れて行く。
生憎と寝られるスペースはこの家にはそこしかないのだ。床に寝せるなんて真似は到底できないから。
爆睡をしている、というわけでもなく、なんだか揉まれている内に何かに引きずられるように
寝てしまったんだろうなという、そんな感じが残った表情のままの彼女をベッドへと寝かせると
私は静かに部屋を後にした。

先程までお互いが座り合っていた椅子へと腰をかけて、テーブルの上へと上半身を投げる。
私も何だかんだ言って彼女と同じように疲れていた。私の中の緊張がゆっくりと溶解しはじめた事もあるのだろう。
正直な話、暇すぎて読んだ小説の影響を受け過ぎたのかもしれない。
新しい風を取りこんだ事で劇的な変化が起こるような気がしたけれど……確かに変化だけど
何だか恐ろしく穏やかな……感覚としては満帆とまではいかない、凄いゆるい順風のような感じだった。
けれど不安があるのは確かな事。さっきは考えないようにしたけれど、こうして一人になるとやっぱり考えてしまう。
恋愛対象として見る事ができるか、なのかな。いまいち違和感というか不安の原因が良く分からない。
それとも私が姉さんとの事を、諦めたつもりなのにどこか心の奥で引きずっているからなんだろうか。
あぁ、駄目だ。やはりこの内容は頭が痛い。疲れてしまう。
やれやれと溜息を吐きながら首を軽く横へと振ると、私はテーブルの上へと頬をつけて、ゆっくりと目を閉じた。


しばらく少しひんやりしていたテーブルの感触に身を任せてぼーっとしていた。
もとい、寝ていたというのが正解なのだろう。実際意識は無かったような気がする。
ふと肩に乗った温かな手の感触でこうやって意識が戻ってきているのだ。これは……誰の手だろう。姉さん?
「あのぅ。」
違う。姉さんはこんな幼い声ではない。じゃあ、そうだ。あの子だ。
私がハッとなって身を起こすと、後頭部にちょっとだけ柔らかい感触が当たった。
小さくうめき声が背中の方で聞こえて慌てて振り返ればあの子が起きてきていて、胸を押さえていた。
どうやら私の頭が直撃したのはそこのようだ。
「ごめんよ。驚いちゃって。」
「い、いえ。大丈夫ですから。」
まぁ大事には至って無い、か。まぁ頭突きで倒れられても困る。……あれ、そういえば今何時だ?
部屋の隅にある時計を探すように視線を動かすと、その針が示していた時間を見てぎょっとした。
「え……もう8時?!」
短い針が示しているのはその値。長針も含めてみるのであればもう少しで9時も近いと見られる。
夜には返すという約束なのに何を私は悠長に寝過ごしているんだ。
「ごめん。」
視線を時計から彼女へと移してそう言えば、彼女が不安そうな顔でこちらを見ていた。
どうすればいいのかわからない、と、何も言わなくても彼女が言いたいとしている事が痛い程に分かった。
雇う側の大変さというか責任というものを改めて感じた。
「ど、どうしようかね。」
それを決めないといけないのは私なのだけれど、ここまで時間を引きずるつもりはなかったからなぁ。
適当に夕方に切り上げて、具合が良かったら夕食を一緒にしてそのまま洞窟の入り口まで彼女を送るつもりだった。
相変わらずこの子はおたおたとした視線を私に投げかけてくる。
私はまだ目覚めきって無い頭を振って強引に目を覚ますと彼女に向かって声をかけた。
「す、座ろうか。」
「は、はい。」
慌てて彼女が私の向かい側に座って、ぐっと少しばかり真剣な目をこちらに向ける。
「お腹すいているだろうし、夕食は出すよ。……でも問題がその後ね。帰ろうとするとかなり遅い時間になると思う。」
全ては私が寝てしまったのが原因だ。
「ど、どうしたらいいでしょう。」
彼女の不安そうで、それでいてとても正直な質問がテーブルの向かい側から届く。
真夜中の道を帰らせるべきか?それは当然NOだ。人間がするそれよりはずっとずっと安全ではあるが、
いくら空を飛べる妖精さんとはいえ、変な妖怪や獣なんかに絡まれないとも限らないのだ。
でも、何だか初日から雇用のルールを破っているような感じで忍びない。
「貴女には悪いけど、今日は泊まって行って頂戴。ベッドを貸すから。」
彼女がなんとか首を縦に振ったのを確認すると、私は彼女に適当に部屋で待つようにお願いして
急いで台所へと走って行った。普通に食材は余っているのだけれど、今更ご飯を炊く時間はない。
ちょっと遅いから待たせるのもかわいそうだ。
あっちこっちを引っ張りながら麺類が余っていないかと探してみれば、おおよそ3人前くらいの量を見つける事ができた。
お腹をすかせているだろうし、食べざかりだろうから彼女に2人前を一応出しておこうか。


「はいよ。お待たせしてごめんね。」
俗に言われる鍋焼きうどんであるが、大きい鍋をひとつ取り出してつつくというのもどうかと思ったので、
結局は普通の丼鉢に2つ用意した……あぁこれだとただの饂飩か。
具は火の通りやすい葉野菜と鶏のお肉位のものだけど、とりあえずお腹を膨れさせる分には問題あるまい。
「ありがとうございます。」
元はと言えば私が原因で引き起こした今の事態であるから、何だかその心がぐさぐさと胸に刺さっていく感覚を
覚えつつ、箸と丼を彼女の前に置いた。ちらりと部屋の中の時計を見ればもう9時を回ってしまいそう。
かなり遅い夕飯になってしまった。私も自分の分をテーブルへと運んで軽く手を合わせる。
後を追う様にして彼女も手を合わせると一緒に箸を手に取って食べはじめた。
饂飩という割には具がちょっと多くて私には麺が見えないが、一方の彼女の丼の方はそれでもまだ
少し饂飩が見える。ちょっと大盛りにしすぎただろうか。
「あ、あの。」
食べはじめてしばらくして、私も半分と少しあたりを食べたころに彼女が口を開く。
非常に申し訳なさそうな顔つきとその声色に、私はそのおおよその意味を予想できていた。
「ちょっと食べきれそうにないです。」
「うん。無理して全部食べなくて大丈夫。食べたいだけ食べたらそれで良いよ。」
やっぱりあの量は無理だったんだな。
「こんなところで無理しても後が苦しいだけだからね。」
追加するようにそう言って、彼女が少しだけでも気にしないようにしながら
ゆっくりと食べるのを再開する。昼間あれだけもぐもぐと凄い食べ方をしたのは、やはり朝ごはんを抜いたのだろうな。
私は心の中で謝ると最後の一口に箸をつけて、啜った。

結局3分の1程度くらい残して彼女が箸を動かすのをやめた。
やっぱりというか、私が作った事もあってか結構無理して食べたみたいだ。ちょっと苦しそうでもある。
声混じりの溜息を吐きながらゆっくりと背もたれへと背を預ける彼女を見て、今度から私と同じ量だけ作ろうと
心に決めた。私は自分の食器と彼女の食器を重ね、それを手に立ち上がり台所の方に体を向けながら
そんな彼女にひとつ尋ねた。
「お風呂用意したら、入る?」
彼女がびくっとなりながら驚いた顔をこちらに向ける。
「い、一緒に、ですか?」
「そんなつもりで言ったんじゃないんだけど……。一緒に入りたいの?」
「え、あ、や。その。」
彼女が冗談で行ったんだろうと思ってそう言い返したら
案の定というか慌てた様子になって笑いながらその光景を見ていたのだけれど
「は、はい。」
恐ろしく小さい声だったのだけど彼女がそう言って首を縦に振ったのだ。
そう返してくるとは心にも思わなかったから今度は私が持っていた食器を落としそうになった。
「だ、駄目ならいいんです。」
彼女自身、恥ずかしかったのだろう、顔を真っ赤にしながら慌てて手をぶんぶんと顔の前で伸ばして
振りながらそう続けるけれど、私の方も頭が真っ白になっていて食器を置くと同じように手をぶんぶんと振っていた。
「い、いや、良いのよ?」
……良いの?かな?本当に?だ、駄目よ私が焦っては。
そう、ここは落ち着いてどことない優しさをアピールすればいいのよ。うん。

逃げるように後ろを向いて一人顔から熱が引くのを待つと、
彼女に用意が終わるまで椅子でゆっくりと休んでもらう様に伝えて私は食器を持つとそそくさと居間を出た。
流し台に食器を置いて、余ってしまった饂飩を廃棄しながらそのままの足でお風呂場まで歩いていく。
解せない、という言葉が一番しっくりくる今の気持ちなのだけど、……あぁ、何と言えばいいのやら。
からかった私が良く無かったのだろうか、それとも大きな収穫として見るべきなのか。なんなのか。
風呂場についた私はただただ、あわあわとしながら午前中にしっかりと洗った浴槽へとお湯を張っていく。
落ち着かないといけないと分かっているのに、だんだんと水位が上がってきているように見える浴槽の中に
変な像を勝手に作って、それから逃げるように浴室から逃げ出すと浴室の扉を閉めた。
何だかありとあらゆる自信も一緒にどこかに消えてしまったような気分でもある。
逃げるように脱衣所を後にしながら、再び台所まで戻ると今日使った調理器具や食器を洗っていった。

気が気でない。あぁ姉さん。私はもう駄目かもしれない。緊張で意識がどこかにいっちゃいそうだ。
「パルさーん」
居間からからかけられた声に心臓が飛び出そうになって、洗っていた手を滑らせる。
私の洗っていたそれがするりとスポンジの間を抜けて私の左手の手のひらの上へと降りて。
……悲鳴をあげてしまった。何度か体験した事があるとはいえ、まったく慣れる事がない。
割れた。お皿でも無い。コップ等でも無い。冷たい流水の中でじりじりとした熱さが手のひらいっぱいに広がる。
なんでよりにもよって包丁を滑らせるのだ。私は。……お陰で少し冷静になったけど。
深く切って無いのが救いか。浅くてそれでいてちょっと長い傷が流水の中で割れて開いていた。
「だ、大丈夫ですか?」
悲鳴に近い彼女の声がすぐ後ろで響く。
私は痛いながらも包丁を洗い直すと、右手でそれを片づけつつ彼女へと顔を向けた。
「あぁ、うん。……さっき呼んでいたけど、どうかした?」
「あの、その。」
妖精としてではなくこの子自身の性格なのかどこか物怖じしてしまう事がある。
まぁ、さっき私が悲鳴をあげたのが一番悪影響だったのだろうけどね。
うんうんと頷いて返しながら、顔だけを向けて彼女の言葉の続きを催促する。
「わた、私何か役に立てていますか?何か役に立てませんか?」
その後に小さく、迷惑ではありませんか、と彼女は呟いた。
まだ1日ではあるけれど私はそこまで考えて無いよ。誰だって最初は慣れないものなんだろうし。
「あと、さっきの悲鳴は?」
……そんな事を心配してわざわざ尋ねてくる子にこの傷を晒していいものか。いや、良くないだろう。
彼女に悪気の無かった行動だというのは明白な事だがきっと彼女はこれを見ると悪い方に物を考える。
彼女の声に驚いたのは確かに事実だが、彼女に責任は無い。だとしたら見せるのは酷い仕打ちのようでもある。
でも私も隠し通せる程強くないし、何よりお風呂場でバレてしまうだろう。それはそれで彼女が何て言うやら。
結局意識して余計に悪い方に考えてしまいそうだ。
「手、ちょっと切っちゃった。」
正直に苦笑いしながら告げる。ここはあれだ。出来る限り深刻でない事をアピールするんだ。
ふと、彼女に見えない位置で流水から一旦手を引き抜いて傷を見遣る。……駄目だ、まだ出血が割と……。
いくらなんでもこうやって少しずつ血まみれに戻っていく手を見せるのは無理だな。
手から彼女へと視線を戻せば、もう今にも泣き出さんとしている姿が目に入って
「大丈夫だから、そこを出たところにある脱衣所から綺麗なタオルを一枚、持ってきてくれると助かるよ。」
慌てて私がそう言えば彼女がハッとした表情になって私が指さした先の廊下へと走って行った。
やがて彼女が両手にピンクのタオルを持って走って戻ってきた。
できるだけ目立たないような色を選んでくれたのかな。そこまでは分からないが、
「ありがとう。」
そう言って彼女の手から右手で受け取ると、これ以上暗い気持ちになってもらっても困るので
笑顔でそう返しながら彼女に見えない位置で左手をタオルで包んだ。
流しっぱなしだった水を止めて、そのままの足で二人で居間へと入る。

泣きそうな顔になる事はそれからしばらく無かったのだけれど、私の手が凄く気になっているのだろう。
ちらちらと、彼女の視線がしきりに私の手の方向に落ちていくのが分かる。居間へと戻った私たちは
棚から薬箱を取り出した。滅多に使うもんじゃないし、包帯くらいはあったはずだと思ったからだ。
案の定薬箱の隅っこに眠っていた包帯を引っ張りだして手に握る。
利き腕でないのは救いだったのだけれど、手を怪我するとこういう時に困るのである。
「手伝ってもらっても、いいかな?」
彼女に傷口を見せるのは好ましく無かったが、結局見せなければどうにもなりそうになかった。
それに、しきりにこちらを気にしているのを分かっているのに
このまま放置するのもどこか気がひけたから私はそう言っていたのだ。
言葉での返答は無く、彼女はコクコクと頭を縦に振って頷くと小走りで近寄ってきて私の手から包帯を受け取った。

空いた手で左手に巻いていたタオルを外していく。水から出したおかげで出血はだんだんと収まったのだが、
今度は乾いてきた血がタオルと肌を張り付かせて、傷口近くの皮がペリペリと血のおかげで引きずられる感触が痛かった。
そんな私を見る彼女も凄く痛そうな顔つきで、私がタオルを剥がし終わるとその手を取って包むように巻き始めた。
過去に何度か使う機会があったのか、ゆっくりではあるけれど手慣れたような感じで
間接回りを動かしやすいようにしながらもしっかりと巻いてくれた。
「あの、はさみをお借りしたいのですが。」
上目づかいでこちらを見上げる彼女に慌ててはさみを渡しながら、その様子をただただ見守る。
さっき肩を揉んでもらった時にも思ったことだけれど、小さな手だなあと思う。でもそんな小さな手を持つ彼女だけど
さっきからそうだったけれどこの子は半端な点では妥協をしようとはしない。
出来る限りを頑張ろうとしている。何だか傷口よりも心がちくちくと痛んだ。

「終わりました。」
結び終わった包帯を切ってそれを結び終えた彼女が顔をあげる。
「うん。ありがとうね。」
怪我していた時よりはずっと落ち着いた様子に戻った彼女からはさみを受け取って、
薬箱と一緒にそれを棚へと片づけた。改めて手を握ったり開いたりしてみれば、
傷口はやはり痛んだが、結構不自由無く動かせる事ができた。
今は痛いから嫌だが、数日もすれば多少は左手でいつものように行動ができるようにもなりそうだ。

そんな事を考えている私や、ほっとしたような表情を見せる彼女とは別に何か変な音が響く。
私には聞きなれた音だが彼女にはあまりなじみがないのかもしれない。私は慌てて彼女に待つように伝えると
急いでお風呂場へと向かった。
お湯を作るために水を張っていた浴槽から水がこぼれる音。それが音の正体で、
私は蛇口を捻って水を止めた。……まぁ今日は豪勢にお湯が使えるということで良しとしよう。
お風呂の水の量を水面ぎりぎりから少し減らして、お風呂に火を入れると私は居間へと戻った。
彼女には改めてお風呂の水の音だと伝えて、彼女に座る様に言いながら私は椅子へと座る。
さっきまで落ち着いていた彼女だったけれど、私が座ってから改めて彼女を見れば
なんだかまた少し暗くなっていた。
「どうしたの?」
立ちっぱなしでぼんやりとしていた彼女をとりあえずそう言って座らせて、
彼女が何故そうなったかを適当に考えた後、尋ねてみた。
「さっきのこと、負い目に感じてるの?」
彼女がぴくりと肩を上下させ、少しして顔を縦に振った。ああやっぱりそうなんだ。
「貴女の言いたい事、分からないでもないけれどさ、こういう怪我ってのは誰でもするものよ?」
「でも、私が変な所で声をかけなかったら……。」
「じゃあ聞くけれど、怪我をさせたいと思って声をかけた?」
それには彼女が首を強く振った。うん、それは私にだってわかりきっている質問なのだ。
「ただ、私に用があって声をかけただけなのよ貴女は。それを私が責めるなんてとんでもない事よ。」
私の中ではそれ以上の言い方や言い様というものが無かった。
けれど彼女の表情は依然として暗いままで私は小さく溜息を吐くと、
「貴女は私に今雇われてる。そこまで気に病むなら、貴女の中でこの怪我に報いる事ができるように
ゆっくり頑張ってくれればいいのよ。でもできたらそんな負い目を背負わずに仕事をしてくれる方が、
お姉さんも素直に喜べるから、ね?」
ややあって、彼女の顔に力が戻っていったように見えた。
あまり良い言い方とは言えないけれど、それで彼女自身が納得できるならまぁいいか、
と思い私も背もたれへと背をかけた。

もとよりここは私の家だから私の服にはいくらでも替えが利く。けれど、今日泊まる予定になかった彼女には勿論
服の替えなんて持ち込んでいるはずがない。彼女は手ぶらできたのだから。
だから私は自分の持っている服の中から彼女でも着られそうな寝巻をひとつ取り出すと
今日はとりあえずそれを使ってもらう事にしたのだった。少なからず寝汗をかくだろうし、
今着ている服を彼女は明日着る必要があるから。
そろそろ浴槽のお水がお湯にかわるだろう、という頃合いを見計らって私たちはお互いに服を手に持つと
ゆっくりと脱衣所へと足をすすめていった。
一緒に入ると言ったわりにはかなり恥ずかしそうにまごつきながら服を脱ぐ彼女を脱衣所に残し、
私は着たままの姿でお風呂場へと入ると浴槽を温め続けている火をとめた。……お湯に触った感じ
ちょっと熱いが、どうせ下の方はぬるいのだ。混ぜれば丁度よい位だろう。
というか私この手でしばらく自分の体を洗わないといけないと思うとちょっと辛いな。まぁ、右手だけでもできない事は
無いけれど、どうしても洗い残しというか洗いづらい部分が出てきそう。
そんな事に溜息を出して、脱衣所の中へと戻れば彼女は丁度下着に手をかけて脱ぐところだったようで、
戻ってきた私と目があってしまって顔を赤くしてその動きを止めてしまっていた。
「これは、申し訳ない。」
謝りながら私も視線を逸らした。……でもお風呂には言えばもう隠すとか
そんな事もできない身も蓋も無いような世界だと思うのだけど、それはいいのかな。
そんな彼女の脱ぐ姿を出来る限り見ないようにしつつ、私も脱いでいくと彼女が
意を決したように下着を脱いでお風呂場へとすいっと入って行ってしまった。
……可愛い下着履いてたんだな。私には到底似合わないだろう。
彼女が脱いで畳んで行った服や下着を水まわりから少しだけ避けると
私は脱いだ服と下着を洗濯かごの中に放り込んで行った。
脱衣所と浴室の間を隔てている扉は擦りガラスを縁取っただけのものであるから向こう側がぼんやりと透けて見える。
どうやら待たせているようだ。心を落ち着かせながら私も扉を開けると
意を決し、彼女に続くように浴室へと入って行った。


彼女は私に向かって背をむけたままで、お風呂場の中に突っ立っていた。
といっても私に気づいていない訳では勿論なくて、あまり裸を見られたくないという様子はなんとなく私にも伝わってきていた。
それは私にだって言える事ではあるのだが……でもまぁ一緒に、なんてことを言いだしたのは彼女の方だ。
しかし生憎だがこの浴室には鏡というものが備え付けられている。曇ってしまえば何もうつさないただの壁も同然だが
こうしてお風呂場に入りたてならばそんな事はありえないのだ。
「どっちから洗うかい?」
後ろから鏡を通して彼女の顔を見つつそう尋ねてみれば彼女が顔を真っ赤にしてこっちを向いた。
そんなにじろじろ見ないでください!と言いたげな顔だけれど、私の手を引いて私を鏡の前に立たせると
彼女が私の後ろに立った。
「先に洗わせていただきます!」
そう言うと、彼女が洗面器を手に取ってお湯の中をぐるぐるとかき混ぜ始めた。
さっき火を止めたばかりだから、今は当然お湯の表面が一番熱いのだけれど……。
「大丈夫?」
小さな椅子に腰を下ろして、見上げるように彼女にそう尋ねれば元気な返事が返ってきたのは良いけれど
お湯の中に突っ込んでいた手はかなり赤みを増していた。何だか痩せ我慢しているようにしか見えなかった。
洗面器ですくったお湯を手に、彼女が浴槽から私の方へと向き直る。
慌てて彼女から鏡の方へと向き直って目を軽く閉じれば、
「かけますよー。」
そんなひと声と一緒に彼女がゆっくりとお湯を背中に流し始めた。
ちょっと熱いけれどまぁこんなものだろう。さっきせっかく巻いてもらった包帯に飛び散ったお湯がかからないように
左手を伸ばして避難させながら次いで頭や右手の方にもかけてもらった。
「あぁ、今日はお湯をちょっと用意しすぎたから、多少大雑把に使っていいよ。」
「は、はい。」
あまり時間をかけすぎると、彼女の体にも影響するしね。お湯の熱気で浴室はあったかくなるとはいっても、
ずっと肌を空気に晒し続けているようでは彼女だって風邪を引くだろう。
鏡の向こうの彼女を眺めていると、きょろきょろと何かを探すようなしぐさを始めて、
なんとなしに私は手を伸ばして洗髪剤だとか石鹸だとか、擦るための布だとかを纏めて手渡すと、
ほっとしたように彼女が笑った、……ような気がした。だんだんと曇りはじめた鏡からは
もうほとんどそこまで詳細な表情をくみ取る事はできなかった。

後ろで水を流す音と鼻歌交じりの息使いが聞こえて、頭に彼女の手がのる。
お風呂に誰かと入るという経験自体始めてではあるけれど、
思えばこうして誰かに髪を弄られると言う事もあまり経験がないものだ。姉さんに頭を撫でられたりする事は
今までに何度かあったけれど、こういう風に髪の毛をかき分けるようにして指が入ってくるなんてのは
そうそう多いものではない。日頃は自分の指でやってしまうそれが何だか妙に違和感の感じるものであったのは
確かな事だけれど、彼女の手から感じるそれに悪い気はしなかった。
「んふふ~。」
彼女の楽しそうな声も後ろから響く。私はただただ椅子に座ってされるがままに髪の毛を洗ってもらっているだけなのだが、
彼女は一体何がそんなに楽しいのだろうか。洗う側に回らないと分からない事だろうか。
「他の誰かと一緒にお風呂に入るというのは初めてなんです。」
「それは私もだねぇ。」
子供なら友達がいればそういう機会も1度や2度くらいはあってもいいものだと思うのだけれど、
そうでもないのかな。……まぁ私は無いんだけどさ。そういう機会が来る前に今の私になってしまったし。
この子だって内気ではあるとは思うけど、仲の良い友達の2、3人くらいは居るものだと思うんだけどな。
「では、流しますね。」
洗い終わったのか、彼女の指が髪の中からするすると抜け出て行って、代わりに熱いお湯が降り注ぐ。
薄ぼんやりと開けていた目を閉じて、私の空いた右手も使いながら髪の毛の間に残った泡を落としつつ
洗髪剤独特の少しばかりぬるりとした感触のそれを流していると
「……っくしゅ。」
小さなくしゃみが後ろから響いた。言わんこっちゃないか。
「先に貴女の体を洗いなさいな。その方が少しでも温まるでしょうし。」
顔にかかった髪の毛を手ですくってよけながら彼女の方を見ると、彼女が首を振ってこたえた。
「けが人優先ですよ。」
「でも貴女が病気になったら、どっちを優先させればいけないかは貴女にも分かってるでしょう?」
彼女が私の言葉に少しだけ頬を膨らませた。そう言う所は可愛いとは思うけれど、譲るつもりはないよ。
膝に力を入れて私は立ち上がりながら彼女の肩を叩く。納得はしてくれているのか、
彼女も素直に私と入れ替わるように椅子へと腰を下ろした。
「ごめんね。働く上で体は重要な資本だから。」
……心のどこかで歯がゆさでも残しているのか、羽がパタパタと背中で揺れている。
「背中だけなら、代わりに私でも洗えるとは思うのだけど、やろうか?」
とりあえず彼女の意識の方向を別の何かに向けようと私がそう声をかけてみれば、
一度羽の動きが止まって、コクコクと首を縦に振るのと同時にまたわさわさと動き始めた。
たぶん嬉しいって事なんだろうと思う。私はそう判断させてもらった。

彼女には自分の髪をとりあえず洗ってもらう事にして、私はその後ろに座り込んで、
太股の上に載せた布を必死になって泡立てる。右手しか使えないと言うのは思ったより不便であった。
左手も指先あたりは何も巻かれていないから使えると言えば使えるのだが、これで左手の包帯を汚してしまったら
彼女への示しがつかなくなってしまう。ちょっとタオルが滑って厄介ではあったが、彼女が自分の髪の毛を
ひとつの雲の塊のようにしてしまう前には私はなんとかふかふかに泡立った布を用意する事ができた。
「強すぎたら教えて頂戴よ?」
自分の体ではないから、果たしてどれくらいの強さで擦って良いものなのだろうか。
判断材料はさっきこの子に髪を洗ってもらっていた時のその感覚くらいしかなく、でもここは髪とは違い背中であるから
それも少々、決定的な判断材料というには事を欠く。そして何より私には全くわからない事がある。
羽だ。あれ、どうやって洗えばいいのよ。魚の鱗みたいに向きがあったりするの?
あの骨みたいな部分は持っても痛くないの?というかそもそも洗えるの?
凄く……難題だ。
「羽ってどう洗えばいいのかな?」
ちょっと野暮だとは思ったが聞いておかねばなるまいとそう尋ねてみた。
けれど、難題を解決するためにきいたその質問は凄い簡潔に短く返ってきた。
「お任せしますーよ?」
うぐぐ。しょうがない。背中を洗いながら考える事にしよう。
そう思い彼女の肩へと泡立ったそれを置くと、右手を重ねるように置いて彼女の背中を上から下へと擦りはじめて行った。

左手で本当は彼女の肩を掴んでおきたいけれど、そうする事もできないから正直均一に力が入っているのかは不安だった。
羽の根元の肌というのは、羽を固定する必要があるからてっきり硬いものかと思っていたが、そんな事は無くて
他の処と同様に少しばかりぷにぷにとした感触が布の上からでも伝わってくる。ただここは妙にくすぐったそうで
あまり長く洗うべき場所ではないように私には思えた。
でも、彼女の背中というのは思った以上に狭い。その部分を外してしまえばかなりの部分が無くなったも同然なのだ。
……で、結局羽はどう洗えば良いものか。羽はくすぐったいのかな?それとも根元の肌だけがくすぐったいのかな。
悩んでも結論が出そうに無かったから、私は左腕で軽く羽の根元を支えるようにして固定をすると
やや硬く骨っぽいそれへとタオルを滑らせて行った。ひょっとしたら思ったよりも脆くて傷ついたりしたらどうしようかと
恐怖に近い気持ちすら私には湧いてくる。彼女は前を向いたままただ黙っていて、嫌がる様子は無いけれど
表情は全く読む事が出来ず、何だか余計に私は不安になっていった。
結局、古い調度品を扱うかのような洗い方になってしまったけれど、
彼女が私にどんな洗い方を期待していたのかは、両方の羽を一応洗い終わっても私には判断がつかなかった。

「お、終わったよ?」
布を彼女の体から離して、恐る恐るそう声をかけてみる。振り返る彼女の顔が凄くゆっくりとしたものに見える程
私は緊張していて、手に布を握りしめていた。
「うん!」
ほっとした、という気持ちがまず一番であった。満面の笑みではないけれど嬉しそうなで
目じりの落ちたゆったりとした表情が私の不安をただの杞憂へと変えてくれた。
「良かった……。」
思わず自分でもそう呟いてしまう程である。彼女がそれに対してくすくすと笑うのを聞きながら
頭を下げると私も溜息を吐きながら笑った。
「じゃ、交代しましょう。」
「んぇ?」
ま、まだ髪と背中しか洗ってないではないか。
「ほらほら、今度はパルさんが風邪をひきますよ?」
自分もさっき使った逃げ口上でもあったから、都合良く断る文句が浮かばない。
笑顔で手を伸ばす彼女に私は苦笑いで手を引かれ、椅子に再び腰を下ろす事になった。
彼女がさっきまで座っていたからか、何だか凄い椅子が温い。私が握っていたはずのタオルは
私の手を引いた際に奪われてしまったのか気が付けば彼女の手の中にあり、
私が座りなおしている間に、彼女がそれを私の首筋にかけた。
先程まで止まっていた彼女の鼻歌が再開する。もしかしたらこの子はただただ洗いっこがしたかっただけなのだろうか。
この子自身が直接言った訳ではないけれど、なんだかそんな風に私には思えた。
背中を洗われているちょっと力強い感触や、届いてくる鼻歌。何だかその行為自体が楽しいみたいだったから。
只管考え込んでいた私とは何だか根本的に違うみたい。
……でも、何だかんだ言って私も私で、こうして洗ってもらえる事なんかを楽しんでいたのだと思う。
彼女の洗う手はとてもゆっくりとして丁寧なものなのに、気が付けば背中から右腕へ左腕へと
早く時間が過ぎているように感じたから……。

「あのう……。」
「うん?」
「前の方はいかがなさいますか?」
既に彼女は脇も腰回りもおへそだって既に洗ってくれている。
でもこれを聞くと言うのはやはり同じ女性としての気遣いなのだろうか。私の鎖骨の上に乗ったタオルと
彼女の手がもどかしそうに左右に揺れて、何だか本音はそこに全て現れている様な気がするけれども。
「どうせ手が使えないんだから、全部貴女にお任せするわよ。」
やましい何かを抱えている訳で無いし、強がっても私にできない事がある事に何もかわりは無いから
私は静かにそう答えた。……その声に私の後ろで、ごくり、と喉が鳴るような音が聞こえたような気がした。
「し、失礼します。」
もうちょっとで裏返りそうな、そんな彼女の声と一緒に脇の下からタオルが滑りこんでくる。
ただひとつ彼女にとって誤算であったろう事と、私にとっても誤算であったことは、私と彼女の体格に差があったことだった。
腕の長さが、ちょっと足りなかったのだ。私が素直に正面に回れば?と声を掛ければ
それで解決する話だったのかもしれない。でもそんな事を考えている私の後ろでは
彼女がなんとかして手を届かせようと体を密着させてどうにか頑張っていた。
……さっきまでやましい何かがとかなんとか言っていた私も自分の背の上で滑る彼女の体を
変に意識してしまう。頑張って洗おうと懸命になっているのは分かっているから、こんな事を考えるのは
酷く罰あたりな事なのだと私には分かっていたのだけれど……。

体勢のせいか、彼女には結構キツいようで、後ろからどこか悔しさともとれるような息と声が
私の背中にかかるのを感じながら、出来る限り何も考えないように無心で待っていると
ややあって彼女の体が私から離れた。
「た、立ってもらっていいですか。」
あぁ、その手もあるか。かなり疲れてるみたいだけど大丈夫かなぁ。
その言葉にとりあえず立ちあがってふと彼女の方を見れば、頬まで泡まみれになっていて
私と入れ替わるように、彼女が一息つくようにしながら私の後ろにしゃがみこんだ。
どうやら足へと取りかかるようで、私は軽く足を開いて立ちながら首だけ後ろに向けてその様子を眺める。
未だ流していない彼女の髪の泡が、さっき色々ともみくちゃにしたせいで、色んなところに飛散していた。
胸のした辺りで組んでいた手を伸ばして揺れて頬に張り付いたらしい彼女の乱れた髪を指で払う。
くるりとこちらを見上げて恥ずかしそうに笑い、彼女の手に少し力が籠ったのを私は感じた。
……恥ずかしかったのかな?

胸ですらためらい聞いてきた彼女だから、きっと足が終われば最後の一か所についても聞いてくるかと思ったけれど
私がさっき全部任せると言った事もあってか、ためらいはあったけれど口を横一文字に結んで手をすべり込ませてきた。
本人は今無心でやっているんだろうけれど、私はというとちょっと力が強くて痛かったりして、ある程度のところまでやってもらうと
彼女の動きを手で制して止めさせて貰った。……若干ひりひりする。
「うん。それくらいで。ありがとう。」
気づいたように顔をあげて手を引き抜く彼女の頭を軽く撫でる。
さっきまで平静だった顔がみるみる赤くなるのは、今更になって何か恥ずかしいものでもこみ上げてきたのだろうか。
そんな彼女の力を借りてどんどんとお湯を被っていく。
若干の洗い残しを感じるが、一人で片手でする分よりかはずっとずっとマシだろう。

先程までは泡にまみれていたため、羞恥心なんて何も私には無かったような気がしたが
いざ泡の衣を水に流してしまうとなんだかちょっと恥ずかしくなった。でも、こうして私がそんな事を
いつまでも気にしている様だと私も成長しないのかな、なんて考えると案外にどうでも良くなってしまった。
……単純に強がりでもある。
「先に温まらせてもらってるよ。」
ここから先手伝える部分がかなり限定されそうだから、私はそう伝えて彼女には悪いけれど
一足先に湯船に入らせてもらった。直前までお湯を被っていたから痛むような急激な熱さは私には無かったけれど、
浴槽から溢れたお湯を足に被った彼女はちょっと熱そうだった。
やっぱり今の間でも冷えていたんだろう。彼女自身もそれを自覚したようで、さっきまで私に使っていた
タオルを泡立て直すと、それを避難させて何度かお湯を浴び直していた。
自分の体と他人の体というのは勝手の違いがあるから、彼女が私を洗う時間に比べれば
彼女が彼女自身の体にかけた時間というのはそれよりも随分と短く、私が左手に巻いた包帯のズレを直したり
しながら待っている内に彼女が洗面器でお湯を掬い、体にかけ始めていた。

「お疲れ様。」
さっきの私みたいに体じゅうにまとっていた泡を流し終えた彼女へそう声をかけて、
浴槽の端っこの方へと自分の体を避ける。彼女は小柄だから、このあまり広くないお風呂でも十分に2人で浸かれそうだ。
彼女が浴槽のふちを跨いで、私の横へと腰を沈める。
確かに彼女の体は私の横のスペースに収まった。収まったのだが……今は少しばかり悔しそうな顔で彼女が頬を赤くしている。
私がそうしているように浴槽の底へとお尻をつけたいのだろうが、そうすると彼女の口元までお湯がきてしまい息ができないのだ。
まさかそうやって四苦八苦する姿を見る事になるなんて思わず、私が手で口元を隠して笑うと彼女の悔しさの矛先が
私へと向いたらしく、赤くなった頬を膨らませながら、浴槽の中でなんとか正座をして私の方を一度見ると
ぷいっと顔だけそっぽを向けてしまった。
「はは、ごめんよ。」
……正座してもなお、顎がお湯に浸かりそう。
悪いとは思うけど、小さいと思っていた自分の家のお風呂でこんな事が起こるなんて予想できたものではない。
どう宥めようかと考えた挙句、私は彼女の方へと足を伸ばした。そっぽを向いたままの彼女の腕を軽く引いて
足を伸ばした自分の足の上へと彼女を座らせる。……無理して正座するよりはよっぽどこの方が楽だろう。
これならばいくらお尻をつけても顔は水面の下に落ちる事にもならないだろう。
彼女の体を引き寄せて、私の体の上に重なるようにさせて足を伸ばすように促すと、
恥ずかしそうではあったものの、足を伸ばして私の体の上へと彼女が寄りすがった。
「こっちの方がゆったりできるでしょ。」
「そう、ですね。」
「今日は疲れたろう?」
返事はないが、こくりと彼女の頭が縦におりる。
「明日から大変かもしれないけど、私と頑張ってくれるかい?」
小声でそう耳元に囁いてみれば、くるりと彼女がこちらを見て口を開いた。
「途中で投げ出したりしたくないです。」
確かにこの子はそういう子だろう。だからちょっと心配でもある。
「うん。……何か言いたい事とか聞きたい事があったらちゃんと相談してね?」
今度は彼女が力強く頷いた。空いていた右手でその頭をポンポンと撫でる。
こうしてみれば、ちょっと幼い妹というか年の近い自分の娘のようにさえ思える。
この子の事は安心かもしれないが、私の計画の方向性はちょっと危ないかもしれない。
でも、こういう変な生活でも……計画がそう上手く運ばなくても良いと思える自分がそこにはあった。

あまり長く浸かりすぎても体力を削ってしまうから、彼女の顔色を後ろから窺ってある程度の見切りをつけると
一緒にあがろう、と彼女を促した。二人とも浴槽からあがって、彼女が脱衣所へと上がる所でふとふり返ってみれば
日頃からは考えられないような位置に水面があって、一人増えるとここまで違うのかというのを
その目で見て驚きながら、私も脱衣所へと上がった。
冬真っ盛りの時とは違ってまだ秋だからそこまで冷えはしないけれど
湯冷めするのは私もこの子も御免なのでお互い急いで体を拭いた。
私が予め渡しておいた服を彼女が着て、私も私でいつも寝巻に使用する服を着たから
当たり前といえば当たり前であるがお揃いの格好になってしまって、そんな姿で二人して鏡の前で笑いながら
ふた組の新しいタオルを手に取ると、そのうちの片方を彼女へ手渡した。
「ほら、髪の毛はちゃんと拭きな。冷えるからさ。」
「ありがとうございます。」
二人で髪の毛の上にタオルを載せてわしわしと拭きながら脱衣所を出て
ゆっくりと居間へと向かう。椅子に二人して腰かけて部屋の隅の時計へと目を走らせてみればいつもお風呂に使っている時間の
2倍近い時間をそこで過ごしていたようで、ちょっと驚いた。
そこまで洗う時間が長かったとは思えないのだが、こんなものなのだろうか。
しばらく髪を手で拭いていると彼女が気を利かせてくれてか後ろに回って代わりに髪の毛を拭いてくれる。
「すみません。肩もみの仕方教えてもらっていたのに寝てしまって。」
「あぁ、良いんだよ。あれはあれで私にも自信ついたから。」
「今度また頑張って、実践できるようにしてみせます。」
「うん。また教えるさ。」
なに、時間はまだたっぷりある、はずだから。急がず焦らずだ。
ここから地上への帰り道とは違って、そこまで急を要するような道のりではない。
「それくらいでいいよ。タオル貰っておくから、先に部屋に行っててもらえるかな?」
そう言って彼女の方へと後ろ向きに手を伸ばして、今まで私の髪を拭いていたタオルや彼女自身が
使っていたタオルを受け取る。案外、2個持ってみるとずっしりしているものだ。

部屋へと向かった彼女に背を向けて、私は居間から脱衣所へとタオルを片づけに行った。
時間も良い頃だからもう寝てしまおうと、そう考えてついでにと玄関や窓の戸締りを確認していく。
別にドロボウに入られた事は無いが、今日は大事な大事なお客様が居るのだ。
いや、大事な小間使い……?まぁどっちも正解だろう。
中途半端に鍵が外れかけている鍵を締め直すだけ締め直して、自分の部屋へと戻る。
ベッドの上に自分と同じ服装の誰かが居るというのは何だか猛烈に違和感を感じさせるものだったけれど
正直どこか少し私はワクワクとしていた。誰とも寝床は共にした事が無い。
まぁ勝手に寝てしまったという事で言えば、屋台で姉さんの横で突っ伏して寝たりした経験はあるけれども。
一方で彼女はといえば、そんな事を考えている私に視線は向いておらず、机の上にあるものを興味津々の目で
そこから眺めていた。
「何か面白いものでもあったかね?」
脇から声をかけつつその視線の先を追ってみれば、私が今日の昼ごろに作りあげてしまったマフラーと
編み終わって引き抜いた道具が置いてあった。……今度姉さんに届けておかないとな。あれは。
机の上にあったそれらを手に持って見れば彼女の視線もぐっと動いたので、
どうやら見ていた物はこれで間違いない。
「編み物に興味があるのかい?」
「パルさん、編めるのですか?」
凄い、らんらんとした輝いた目で見つめてくる彼女。
「うん。このマフラーは私が今日編み終えた物だよ。……そうねぇ編むのに興味があるなら、
お仕事をある程度覚えてきたら教えてあげるよ?」
一部の色は私が使ってしまったけれど、まだまだ沢山毛糸はあるからね。
手とり足とり……足は使わないけれど、そうやって教えるのもきっと楽しいだろうし
少しくらい彼女との距離が縮まりそうだ。
そんな私の言葉を聞いて、彼女が嬉しそうに口の端を持ち上げて満面の笑みを浮かべる。
「さあ、今日はもう寝ようか。あまり夜更かしするものでないよ。」
「はい。」
手に持っていた道具やマフラーを机の上へと戻して、先にベッドの上に居た彼女に少し寄って貰って
私は部屋の灯りを眩しくない程度に残すと、ベッドの端へと体を沈めた。
彼女の体があった位置とちょっと重なっていたからか、その部分だけがちょっとあったかい。
そしてその一方で、一緒に入ってみて分かる自分のベッドの狭さ。
一人で寝る分には結構広く感じていたのだが、二人並んでみると気を抜いたときにそのまま床に落下しそう。
「ごめんね。狭くて。」
気を遣って、なのだろう。かなり端の方にいる彼女にそう声を掛ければ、首をふるふると振って私の言葉に応えた。
あの子が滑り落ちた時に怪我しないように祈っておかないとなぁ。

「眩しいかもしれないけれど、ちょっとだけ残しておくよ。」
灯りの方を軽く指さして、彼女にそう告げる。何しろ消してしまうと完全に真っ暗になってしまうからだ。
私は部屋の配置から家具の配置、その高さなんかを体が覚えているからなんという事はないが、
この子にとってはそういう訳にもいかない。
「大丈夫です。」
「そうか、……じゃあ、おやすみ。」
「おやすみなさい。」
彼女が少し目深にかけ布団を被ったのが視界の端に見え、
私も少しだけかけ布団の位置をあげて目を閉じる。
明日こそは変に寝たりしないようにしよう。そう心に決めて私は眠りへと落ちた。


夏という季節が終わり、私としてもまぁまぁ住み心地の良い季節になったなぁ、と思う。
しかしそれはこの環境に慣れたものだからこそ、たぶん言える事なんだろうと思う。どうにも、この環境に
まだ馴染む事のできていない彼女にとっては少々この地下の世界というのは地上の世界のそれと差がありすぎるようだった。
次の日、私は懐に感じる妙な温かさのお陰でその日の朝早く、……いや、まだ夜と言っても差支えないかもしれないであろう時間に
私は目が覚めた。布団から出した顔を襲う割と半端な冷えに対して、
懐にあるその温かさが何とも心地が良く、薄ぼんやりとした感覚は何だか夢心地でもあった。
恐らく目が覚めた原因は懐にあるそれについて、私の頭に経験というものが無いが為なのだろうと思う。
眠い目をこすりながら、僅かに明るさを残した部屋の中彼女の方を見遣れば、そこに居るはずの彼女が居ない。
でも別段驚く事は無かった。何だかんだ、その懐のあたたかさに想像はついていた事もあるから。
恐る恐る、布団をちらりと剥いで中を覗いてみれば寒かったのであろう、私の体にぴったりと体をくっつけて彼女が寝ていた。
息苦しそうであったから頭を出すように布団の具合を調整してみれば、
頭が冷えるからかもぞもぞとまた布団の中にもぐってしまう。
寒さに耐えるような吐息が漏れ出てはいるが、それでもなんとかして頭は出るように
ああだこうだとしている内に動いていた彼女の足が私の足をつつき、
冷え症なのかは知らないが、冷えていたその足に思わず声が出そうになったのを私は堪えた。

恐らく私の足は彼女にとってあったかかったのだろう。
彼女の足があたたかいものを見つけたとばかりに私の体にぴったりとくっつけてきた。
寒さに耐えるような彼女の吐息がだんだんと止んで、眉尻もゆっくりと下がってきて彼女が微笑んだ。
起きたのかと言えばそうではないようで、ただただ単調になった息をしながら依然として眠り続けていた。
「ぉーぃ。」
小さい声でなんとなく声をかけてみるが、気が付いている様子はない。
昼に寝た割にはかなり寝入っているようだ。でも時折口をもごもご動かして、
何かしら呟いている。少しばかり気になってこっそりと耳を近づけてその声へと意識を傾けてみるが……駄目だ。
はっきりと発音してくれないから良く聞こえない。むしろこの体勢だと、自分の耳にふりかかる
彼女のあたたかく湿った息の方が気になって仕方が無かった。

しばらく彼女の顔を眺めていただろうか。急に彼女が何だか楽しそうに笑いだして、
弾むような息が私の肌を撫でる。夢の内容にでも変化があったんだろうか。
彼女の顔が私の顔に直撃しないようにそーっと近づけていた顔を離していく。
後で夢の内容でもどことなく聞いてみよう。そう思ってゆっくりと元あった位置まで体の位置を戻すと、
私の懐で丸くなっていた彼女の腕が私の腕をその胸の中にとらえた。
一瞬、起きてしまったのかと思って私の体が驚いて跳ねる。けれど、そうではないようでまだちょっと曖昧な
夢の中を彷徨ってくれているからか、私の跳ねた体についても動じる事なくまだ何か笑っていた。
寝ているからか力は弱いけれど、ほんの少し引き抜いてみようかと思って動かしてみると
食いつくように手が絡んで取り込まれて。
夢の中で食いついている相手というのは恐らく私ではないのだろうけれど、何だか妙に嬉しく、
出過ぎたまねだとは思ったが私は空いていた腕を出すとその頭をそっと撫でた。
お風呂の後からかなり経っているとは思うけれど、まだちょっと湿り気を感じるような……。
水気を含んでいたからかちょっと冷えてるし。

「よしよし。」
僅かな声をかけて、その頭をゆっくりと引き寄せて私の体に埋めさせる。
「もう少しだけおやすみ。」
大体の時間を推測しながら、私もまた目を閉じる。ちょっとだけ目が冴えてしまったような気がしないでもないけれど、
まぁ、それでもまだしばらく寝ていてもきっと大丈夫なはず。少なくともこの子が目を覚ますまでは。
目を閉じたままもう一度頭を撫でてみれば、彼女の笑い声が部屋の中にまた響いたような気がした。


「ひゃあああ!!」
そんな叫び声にびっくりして、私がベッドの隅で頭を打ったのはおおよそお昼が近い頃であったのではないかと思う。
私は私で何が起こったか一瞬で理解しきれずに、頭を抱えて布団の中で丸くなりながら、
その一方であわあわとした様子で私の肩と頭をさすろうとする彼女の様子から何とか判断をつけようとした。
「お、おはよう。」
「お、おはようございます。」
痛みに堪え切れるようになってきて、なんとなく叫ばれた理由を察した。
恐らく彼女自身、自分が近寄っていってしまった事に気づいていなかったのだろう。
……ちょっととばっちりだな。予想できても良かった事だけど。
「ごめん、寒かったろう。」
「いや、あの。そのような事は。」
……あれは無意識だからそう感じていたのかな。凄い寒がっていたように見えたのだけど。
まぁ彼女がそう言うならば、そういう事にしておこう。もし次があるとするならば
ちゃんと毛布も用意してあげる必要があるな。次があれば、だけど。
「そうかい。ちゃんと眠れたかい?」
「はい。」
「そう、なら良いんだ。」
痛みを誤魔化すように何度も首を縦に振りながら、ゆっくりと体を起こす。
部屋の明かりが要らない程度にほんの少し明るくなったような気もしないでもないが、
地下だからかスズメの涙程度にしかならない。それでも見えるだけ十分マシなのだが。
灯りを少しだけ強め、部屋の中を照らしだしながら、彼女の方へと向き直る。
体を起こした彼女がまだかけ布団に埋もれながら、目だけは大きく開いてこちらを見ていた。
「ご飯を作ったら呼ぶから、着替えておいてね。」
「あ、あの。」
「うん?」
「包帯、一旦とりかえませんか?」
……あぁ、お風呂も入ったし全く濡れ無かったわけでもないからね。
「じゃあ、お願いしようか。取ってくるから、それまであったまっておいで。」
彼女にそう告げて、新たな灯りを片手に私の部屋を出る。昨日薬箱を仕舞った棚から鋏と一緒にそれを手に持って
まだ少し眠さでふらつく足で部屋へと戻った。彼女が待っていてくれているベッドに再び腰を下ろしながら彼女の横へ、
もとい、さっきまで私が寝ていた場所へと体を移動させる。
少し席をたっていただけなのに、もう結構冷えてしまっていてそれがちょっと残念ではあった。
横に座っている彼女へと薬箱とはさみ、そして片手を一緒に差し出す。
私の手を受け取ってくれた彼女の手は凄くあたたかかった。昨日の足の感触とは大違いである。
昨日結んでくれた結び目を彼女が解いてくれて、するりするりと私の手から包帯がはがれおちていく。
こうして見ると案外に切り口が綺麗だったのか、割ともうぴっちりとくっついてきているような気はする。
ここで気を抜いて指でいじったりすると痛い目を見るのだが、そんな事は私もしないし、彼女だってしない。
簡単な消毒を済ませると、新しいガーゼと包帯を手に取って、またくるりくるりと私の手を包んでくれた。
「終わりました。」
元気よく彼女が鋏と箱を返してくれて、それを片手に受け取って部屋の隅に置く。
しばらくこいつにはお世話になるだろうから、という理由だ。
「ありがとう。迷惑かけるね。」
「も、元は私が原因ですから。」
……あぁ、私はただ単純にお礼が言いたいだけなのに。
新しく巻いてもらった手で彼女の頭を一度撫でると、私は部屋を後にして台所へと向かった。

「しかし何を作ったものやら。」
自分の手を見ながら思わず呟く。下手に水に濡らすのは傷口に衛生的でないし、
この手で作った料理もあまり衛生的とは言えない。やはりあの子には料理を仕込……いや、仕込み終わる頃には手が完治してそう。
とりあえず急場さえ凌げればそれでいいのだから、うーん。
街に出て片手で料理できるくらいの簡単な料理の素材を中心に一旦買いに出る必要があるか。
でもそれだと今からのお昼ご飯がなぁ。先程ちらりと見た時計ではそろそろ12時になるはずだ。
ご飯くらい炊く事はできるから彼女に握って貰おうか。いやでも、具が無いんだよな。使っちゃったから。
一人食べる分ならまだしも、あの子が居るのに貧相になるのはかわいそうだ。
とすれば、外食となるか。昼間っから街で外食だなんて、姉さんみたいだな。
あっちは食事というより酒宴が主な気がするけれども。
「大ちゃーん?」
「はーい?」
私が台所から呼んでみれば、ややあってドアの開く音が響くのと一緒に彼女の声が聞こえた。
「外に食べに行こう。準備してー。」
「分かりましたー。」
そのまま廊下を歩く音が聞こえて、居間で彼女に出会う。そうか、もう着替え終わってたか。
準備が整っていないのは私の方のようだ。今度は私が走って部屋へと戻って寝巻から普段着へと着替えていく。
ふとベッドの上に視線を投げてみれば、先程まで彼女が着ていた服が丁寧に畳んで隅の方に置いてあった。
その上に重ねるように自分の寝巻を置きながら、着替えを終えるとお財布を胸元に仕舞いこんで部屋を出た。

誰も居ない居間を通り過ぎて、途中脱衣所で自分の顔と髪の毛をチェックすると
彼女の気配がする玄関まで家の中を駆ける。彼女は既に靴もはき終えていて、私も急いで靴を履くと
二人揃ってドアから家の外へと出た。
「少し寒い、かな?」
ふわりと肌を撫でた空気の感触について彼女にそう聞いてみれば、
答えづらそうな感じではあったが私の言葉に首を縦に振った。
これからの季節だんだん寒さが増すからこの子には慣れてもらうしかないけれど、
「じゃ、ちょっと待ってて。上着貸すよ。」
別に代替手段なんていくらでもあるからと、彼女にそう声を駆けて家の中にまた入ると履いた靴をそのままに廊下を飛んで、
部屋のハンガーにかけていた私の上着から落ち着いた色の上着を手に取って彼女の処へと戻った。
ちょっと大きいし、色合い的に彼女に合うかといえばちょっと謝りたくなるが風邪を引くよりはきっとマシなはずだ。
玄関の外で待ってくれていた彼女の背にそれをかけ、それを着てもらいながら
後ろ向きに鍵を閉めると、二人揃って地面を蹴った。

勿論彼女は街までの道なんて知らないから、飛びはするが速度を上げたりはしない。
どうやら、道を頑張って覚えようともしてくれている様だし。……あぁ、やっぱり私の上着大きかったんだな。
袖口から指先がちょこんとしか出てないや。まぁ風が吹いているわけでもないから今はそれでも十分あったかいかもしれないがね。
「この大きい道沿いに進むの。基本的に小道に入らない事を覚えておくと良いわよ。」
急ぐなら勿論小道だけど、ね。料理中に急にお醤油の瓶が底をついた時に通るとかならそっちだ。
けれど小道となると幅自体が狭いため、色々と引っかけてしまいやすいから危ないのだ。
「広いですねぇ。」
「んー、外よりは狭いと思うよ。……でも皆があつまる場所ってのはやっぱり一か所に集中するから、
そこまでいろんな場所を普段使ってたり、というのはあまり無くてね。」
だから私みたいな職業がある、ともいう。
いっその事案内看板でも立てれば、と思うが悪戯の危険性や
そもそも地底に住む私達がそこまで地上の人を歓迎してない、という事があるからなぁ。
今横に居るこの子はってなるけれど。……本当は許されない事なのだろうか。

やがて視界のずっと奥に広がりはじめる光を彼女も認識してか、どこか楽しそうな顔を浮かべる。
川とかはあれ、目を引くような綺麗な光景というのはほとんど皆無であるこの地底で唯一灯りで輝いて見える物でもあるから
なんとなくその気持ちというのは分からないでもない。
「食べたら、ちょっと回ってみるかい?」
本当は食べたらすぐ帰ろうかと思っていたのだが、何だかついつい財布のひもを緩ませたくなるような
顔をしているからか、気が付けば横に並んでいた私は彼女にそう聞いていた。パッと顔を明るくしてコクコクと頷くその姿に
思わず私の方も何だか気が緩む。

石畳の地面に降り立って、やや小さな料理店に足を踏み入れる。
出迎えに現れた店員に連れられて、隅のテーブルへと向かいなだらかな椅子へと腰を下ろせば
彼女も私の横の椅子へと腰を下ろした。てっきり向かいの席に座るものだと思ったが……まぁこれはこれで。
店員からお品がきを受け取って、彼女の方へ向って広げながらどれにするか尋ねてみる。
「食べたいものがあったら遠慮しないでね。地上には無いものもあるのかもしれないし。」
私の方に顔を向けて頷いた後、彼女がお品がきへと目を下ろす。が、どこかその表情には
不思議と焦りの色が見えた。ひょっとしたら私の言葉がまるで急がせているように聞こえたのかもしれないと、
「ゆっくり決めて良いのよ……?」
そうは声をかけてみるものの、何だか余計に焦られている気がする。頭の中で何でだろう、と何度か呟いて
彼女の困惑してきた表情に今度は私が焦りながら、ふと尋ねてみた。
「ひょっとして、読めなかったりする?」
彼女の肩がびくっと持ち上がって、メニューを見たままの彼女の顔が赤く染まる。
あぁ、もっと言い方があったな。読みづらい字がある?とか。……駄目だな、私。
「貝の果汁蒸し。こっちは同じ貝のシチュー。」
彼女の見ているお品がきに指を這わせ、ゆっくりと字を辿りながらそのメニューを読み上げていく。
そもそもの素材の入手の難しさや入荷具合も相まってか、偏ったメニューではあったが
それはそれで楽しいお品がきだった。……でも今日はやたらと貝が多い。
前見た時は何だか野菜が多かったような気がするが、まぁ仕方がない事なのだろうな。
食べたいものが無い時というのが一番つらいが、そういうのは極稀だし。
……私が読み上げて内容を把握できたからか彼女の困った顔もどこか和らいで
どこかほっとしながら一通りを説明すると、彼女がすっとお品がきのある一点へと指を置いた。
恐らくは興味あったものについてマークしていたんだろうと、その指のある場所へと視線を移動させる。
「こ、これいいですか?さかむし。」
酒蒸。ま、まぁ大丈夫だろう。
「貝の酒蒸し?」
ちなみに彼女が指さしていた位置にあるのは貝のシチューであって、残念ながら貝の酒蒸しではないのだが。
そんな事を指摘しても場の空気が悪くなりそうだから、私はそうやって確認だけさせてもらった。
頷いた彼女に対して私も頷いて返す。
「じゃあ私もそれにしよう。」
待機していた店員へと視線を合わせ、近寄ってきたところで同じ料理を二つ頼んでお品がきを返した。
彼女は私の横でわくわくとして少し落ち着かない様子で改めて店内の内装へと視線を運んでいた。
こういうお店に来る事自体の機会が案外に無いものなのかもしれないな。
「さかむしって、どんなお料理なんです?」
……うん?
「酒蒸し、って。簡単に言えば蒸し料理だよ。お酒を使ってる。」
知らずに頼んだか。……大丈夫かな。
「そ、そうなんですか。」
彼女は一体、さかむしに対してどのような予想をしていたのだろうか。

やがて店員の足音が近づくのを感じ、預けていた背を引いて視線を向けてみれば
2つのトレイを器用に操る店員が静かに料理を置いて行った。
酒蒸しという言葉の通り、酒の匂いがふわりと漂うのに彼女の顔が少しこわばるのが見える。
がんばれ、そう心の中で一応の応援をすると2人して食器を握り、料理に手をつけて行った。

恐る恐る、な彼女よりも一足先にその貝の身を口へと運ぶ。
案外、口へと運んでみれば酒臭さよりも香草の香りの方が口の中に広がってあまり気にならない。
思っていたよりは癖を感じさせず、これなら食べれるんじゃないかと思い彼女の方を見てみれば、
今やっと口に運んだという所で、ゆっくりと顎を上下させていた。
最初は強張っていた顔も段々と味が分かるに従ってか緊張していた頬も下がり、私の方を見てにっこりと笑う。
その笑顔に私も苦笑いを返しながら、彼女の速度に合わせてゆっくりと食べ進めていった。
とりあえずは美味しく食べてくれているようなのだが、私はといえば彼女の様子について心配で気が気でなくて、
最初の一口以降、そこまで楽しむ余裕がなかったりした。不味い訳ではない。
妙に、ドキドキさせられる食事だった。

「ごちそうさまです。」
食べ終えた食器をお皿の端に重ねて置きながら彼女が手を合わせる。
私も最後の一口を口に運んで、同じように手を合わせると
「ごちそうさま。」
小さく私もそう続けた。少しだけ体を休めて、二人して席から立ち上がると
彼女には悪いけれどお店の外で待ってもらう事にして、その間にお店の出口に居た店員へとお金を払いに行った。
……少々高くついたが、まぁ良いだろう。
財布を自分の服へと仕舞いながら、お店のドアを開け暗い空を見上げていた彼女の肩へと手を置くと、
私に気づいた彼女と一緒に石畳の道を歩きはじめた。
この道は商店街へ続いているため、左右のお店へと視線を送れば軒先に色々な商品が並び、
そのどれにも隣の彼女が目を光らせながら楽しそうに歩いている。
一応迷子になってもらっては困るから、その少しだけ後ろをつくように私が歩いていた訳だけども、
夢中なのか結構足が速かったりして彼女がどんどんと進んでいく。
途中、彼女がふとあるお店の中を眺めてぴたりと足を止めた。何だと思って見てみれば、
贈答用の小物を売るようなお店で、彼女の視線を辿ってみればどうやら飾られていた髪飾りを眺めているらしく
誰が見ても分かってしまう程に目を輝かせていた。
……不可能ではないけれど、流石にそれを買ってあげることはできない。
そもそも私が何かを買ってあげるという事は言ってもいない訳だから、そういう心配をする必要は無いのだけれどね。
でもまぁ、彼女がどういう物に興味を示すのかは私としても押さえておきたい所ではあるから、
目にとめているそれを私も頭の中へと、ひとつのイメージとして取り込んでおいた。

またとことこと歩きだした彼女の後ろへと付いてゆっくりと歩いてみれば
先日立ち寄って毛糸を購入したお店がふと視界の端に映った。
「そういえば編み物に興味があるんだっけ。」
そう尋ねてみれば彼女が足を止めて振り返ってぶんぶんと首を縦に振った。
「そうか。」
だったら、あれが必要になるよなぁ。やっぱり。
彼女を手招きして、先日立ち寄ったそのお店へと再び入り、少し狭いお店の中のその一角へと彼女を連れていく。
既に私の家にはあるのはあるのだけれど、教えるとなるとやはり一式改めて別途に用意したほうが都合がいい。
口で説明するよりも実際にやって見せてそれを真似させる、という方式を取った方がずっとずっと分かりやすいからだ。
彼女の手に余らないサイズで良いものはないかと視線を泳がせ、手頃で握りやすそうな物を見つけると
一式……ちょっと無くしやすい物については2つ揃えて購入しておいた。
「ゆっくり、教えるよ。」
彼女に袋を手渡して頭をポンポンと撫でる。感情に素直というか、嬉しそうに笑うと
私が差し出した袋を胸元に抱きしめた。まだ教えたわけでないのにこんなに喜んでもらえると、
何だか少し、恥ずかしかったりして。何だか余韻に浸っているらしい彼女に先だって、二人してお店を出るとまたゆっくりと歩き始めた。


ときどき、紙袋の音をくしゃりとさせてあの子が楽しそうに笑う。
この子にとって編み物には何か特別な思い入れがあるのだろうか。それとも昨日言っていた様に
花嫁修業の一つとして、なのだろうか。別段編み物ができなくてもお嫁さんにはなれると思うのだが。
この子にとってはそのどちらにしても重要な事なのかもしれないけれど、
私としてはこうして考えてみれば案外にどうでもいい事だ。私にとって重要な事は彼女がどうその技術を使うかではなく
現状こういう風に喜んでくれている事こそが重要なんだろう。最初のプレゼントにしてはあまりにも実用品……いや、趣味の道具だけど。
「んふふー♪」
どうやら指先で棒の感触を楽しんでいる様だ。……これからちょっとの間はその棒を操るのに四苦八苦するんだろうな。
どこか一生懸命な子だから、頑張ってすぐ慣れるだろうけれど。ひょっとしたら手取り足とり教える期間なんて
ほんの僅かなのかもしれないな。それはそれで、嬉しいような、悲しいような。
「あのお店、入ってみて良いかな。」
ふと目にうつったお店。彼女はそのままスルーしてしまったけれど、彼女を呼び止めてそのお店を指さす。
冬物の服を扱っているお店である。正直なところ買うものは無い。この子に対してもない。
ただ単純に、品物の中で毛糸でできているものがあるからだ。そのまま作り方を教えても良いのだが、
それよりも先にもう一度、編まれ方なんかについても目で見て知ってほしかったり。
……ただ単純に一緒にいる時間を増やしたかっただけでもあり。

「あったかそうですね。」
彼女の手のひらの上で転がされているのは、ニット帽の先についたポンポンとしたものだ。
勿論商品である。私のものでも彼女のものでもない。……ニット帽を作り終えた時の始末糸だとか、
編みはじめの開始糸あたりを隠すのには案外に持って来いな代物であったりする。ポンポン自体で売っているものもあるが、
まぁもしも彼女が何かを編んでそういうのがほしいとか言うのであれば買ってあげる事にしよう。
自作もできなくはないが、……ちょっと面倒だ。
「まぁ、とりあえずはマフラーの編み方を覚えようね。単調だけど編み方を覚えるのには良いよ。」
「はい!」

店員が私達を冷やかしだと完全に理解しきる前にお店から退散して、また街を歩く。
「地上の街もこんな感じなのかい?」
「地上のはもっとこう、わーっと人が居ます。」
「そうか。お姉さん、地上に行った事がないから良く分からなくてね。」
仕事の都合上でもあり、そもそも地上と地下が分けられた理由もあり。
今は段々とそういう関係も希薄にはなっているが、そこまで顔を出すような活発なそこいらの妖怪に
私は残念ながら含まれていないのだ。
「も、もし来る事があれば頑張って案内しますね!」
「じゃあ、機会ができたらお願いするよ。」
「喜んで!」
紙袋をぎゅっと握って彼女が答える。凄い眩しいばかりの笑顔だけど……案外折れやすいから、その棒は折らないでちょうだいね。



地下の街が初めてだった事もあって、あれやこれやと街をぐるぐると巡って、一通りの案内をする事はできたのだけれど
気が付けばかなり時間が遅くなっていた。何かしら調理しやすい夕食の内容を考えようとしていたつもりではあったが、
今日食べたあの店とか、他にも色々食べる所があるのを見ているといっその事夕食も外食でいいかと思いはじめたりしていた。
そういう考えの元でふらふらと道を歩きお店を探している所で、会ってはいけない人物に出会った。
恐らくこの言い方はとても失礼なのは分かっているが、時間と場所と、今日のお昼ご飯の時の事を考えると
とても会うべきではないような人物。勇儀姉さんである。既に軽くどこかでひっかけてきたのか、顔はそこまで赤くなくとも
お酒の匂いが少し強く漂ってくる。
「おう、パルちゃん。と、大ちゃん。」
「こんばんは。姉さん。」
「こんばんはー。」
私の返事に続くように彼女がちょっと小声で続けた。
彼女が連れてこられた時、姉さんほとんどお酒の匂いがしなかったから、
たぶんそのギャップか何かに少し驚いていたんだと思う。
姉さんは、そんな彼女に対して愉快そうに近づいてくると、私の肩と一緒に彼女の肩をぐっと掴んだ。
半ば私にはその次に何を言いだしてきそうかは想像がついていた。
「一緒に飲まないかい?」
あぁ、やっぱり……。大ちゃんには悪いけれど、ぐっと姉さんの肩を引っ張ってちょっとだけ離れる。
姉さんの背が高いから、そのまま下向きに引っ張ってその耳へと耳打ちした。
「あの子、酒蒸しでも結構な反応を示したくらいよ?」
「あぁ、だからあの子でも飲めたり食べたりできる物が出るお店なら良いんだろう?」
「そ、それを言えばそうなんだけど。」
私が曖昧にそう答えると、姉さんが見切りをつけてか私から顔をぐっと離して大ちゃんの方へと顔を向けた。
「よーし、大ちゃん。食べる所行くからついてきな!」
「は、はい~。」
……色々取り計らってくれた姉さんには悪い、凄く悪いとは思っているけれど嫌な予感が湧いてくるのは抑えようがなかった。
いざとなったら私が彼女を守らないといけない。主にその肝臓を。
今日は、今日はちゃんとお家に帰れるようにしてあげられるようにしなきゃならないんだから。


「ここだ。」
ここだ……って。いつも姉さんが飲んでる屋台じゃないか!
私の視線を感じたのだろう、姉さんがふと私の方を見るとあしらうように笑いながら店主に耳打ちした。
「こんな事もあろうかと!」
姉さんが愉快そうに店主から受け取ったのは、見た目自体は何だか軽そうな果実酒、その瓶だった。
何だか変に都合のいいその品物の出方に、そのまま姉さんごしに店主に視線を向けて尋ねてみる。
「いつ、こちらの果実酒を仕入れになったのでしょうか?」
その言葉に店主が苦笑いしながら姉さんの方を見て、姉さんもどこか空に視線を泳がせながら苦笑いした。
うん、つまるところそういう事なのだろう。
「ま、まぁそのさ。その子の飲みっぷ……3人でとりあえずね、飲みたかった訳だよ。」
思い切り酔わせる気まんまんだったんじゃないか!この鬼め!
「ほ、ほら。大ちゃんもその気になっているようだし。」
その言葉に振り向いてみれば、ビクっとなった彼女が目に映る。
その目からは何だか凄く謝りたそうな視線を彼女から感じた。
「の、飲んでみたい?」
恐る恐る聞いてみる。少しして顔を赤くしながら頷き、
その次の拍子には姉さんが彼女を抱えて屋台の椅子へと彼女を拉致してしまっていた。

ハッとなって、ずいっと割り込むように彼女と姉さんの間に無理矢理入って座る。
恐らく姉さんとこの子を隣同士にすると、間違いなく彼女はグラスを握らされ続けるだろう。
私のそんな入り方に苦笑いする姉さんを一旦無視して、彼女の肩を掴む。
「気分が悪くなったりしたら、ちゃんと言うのよ?言ってよ?」
こくこくと頷く。よし、その意思を信じよう。もとい、信じるしかない。
「それじゃあ飲もうじゃないか。」
姉さんが素手で果実酒を開封すると、薄らと甘い香りが屋台の中を彷徨った。


「お酒、飲んだ事はあるかい?」
私を挟んで姉さんが彼女に尋ねる。隠そうともしない程の期待の目にちょっと動揺しているのを
たぶん……いや絶対姉さんは気づいているのだろうけれど、恐らくそれでも尚押したい気持ちがあるんだろう。
不安ながらに首を横に振る彼女ではあったけれど、完全に不安なのかといえばそうでもなさそうで、ちょっとだけ活力のある
どこか強い好奇心を秘めさせた目で、受け取ったグラスを強く見つめていた。
私も姉さんに瓶を借りて、グラスに一口程の量を貰うと彼女より先に呷った。
……思ったより味気は薄く、いつも姉さんが差し出すようなどこか独特に強さがあるものとは違って
酒というよりはただの飲み物に近い。飲みこんだ後に香りと一緒にふわりと酒を感じさせるものが湧いてくる程度だった。
「これくらいなら大丈夫そうだろう?」
姉さんが小声で私に耳打ちする。確かに、いつものようにキツいお酒じゃないのは理解できるけれども、
そこに同意を求められると何ともいえないじゃないか。私の独りよがりな考え方なのかもしれないが、
わざわざこういうモノを用意するのにはどこか裏があるんだろうとしか思えない。
「確かに軽いですけど、私今日この子をちゃんと家に返そうと思ってるのですが。」
「何だい今日はって。昨晩もう抱いたのかい。」
屋台の主から受け取って食べようとしていた熱々のおでんが箸先からするりと逃げて取り皿の上へと落ちる。
思わず悲鳴を出してしまいそうになるのを堪えながら、姉さんの言葉を小声でなんとか否定した。
逃げるように彼女の方へと視線を戻せば、おっかなびっくりしながら片手を胸にのせ、
ちらりちらりとこちらを見つつコップに口を添えていた。好奇心が不安を後ろから押しだそうとしているんだろう。
「まぁ、ちょっと飲んでみてから考えれば良いよ。」
「そうそう。まずは一口。まだ欲しかったらここにあるんだしさ。」
姉さんが瓶を軽くまわすように振りながら囁く。
「あまり、酔わせないでくださいよ?」
正直どの時点でどのあたりまで酔うか分からないけれど。酒蒸しでさえ最初あんな反応を見せた彼女だからどこか不安で。
完全に酔い潰れたら家で面倒をみないといけないし、この子を2日も返さないというのはそれはそれでこの子のストレスにならないかと不安で。
また泊まってくれる事、それはそれで楽しいかもしれないと思う自分が片隅に居るけれど、そんな私的な考えで酔わせるのは
何だかとてもとても気の引ける行いだった。

どんな気持ちで見られているか、この子は分かっているんだろうか。
そんな彼女が果実酒に口をつけて、私の目の前で一度二度小さな喉を上下させるのを
気が付けば姉さんと二人でじっとその様子を見守っていた。
元々コップにはそんな大した量を注いでいた訳ではなかったけれど、飲みほして空にしたコップを置いて頬に手を当てながら彼女が笑う。
「甘いですねぇ。」
その事に姉さんがしたり顔で笑い、するすると手元の瓶を彼女の方へと伸ばしていく。
「美味しかったのなら、すきなだけ飲んでいいんだよ。」
「ちょ、ちょっと姉さん?」
「ほら、どれくらいまで飲めるかってのは次の参考になるから。」
「次のって……。」
だから今日は軽めの酒を用意してきたということか?どんどんお酒の世界に引き込むつもりなのか?
どう考えても健全ではないだろう。やれやれと思いつつ私は姉さんから彼女の方へと視線を戻してみれば、
彼女がそーっと私の目を逃れるようにしつつコップに半分ほど注ぎ直していて、
目が合うとどこか許しを乞うような目を私に向けて瓶を置いた。
「そんなに美味しかった?」
とりあえずそう言っては見るものの、彼女の様子からすればその返答なんて聞く前から明らかなものでもあった。
「……ふらふらになる前にできたら止めて頂戴ね。」
私のその言葉に凄い嬉しそうに笑顔を返してくれるんだもの。
私ももう、苦笑いしか返せなくなっていた。

お酒だけでお腹いっぱいになる事はあんまりない。一時的になったとしてもすぐにまた減ってしまうし、
仮にそんなになるまでお酒ばっかり飲んでも後に響くだけだ。とりあえずここの食事で
なんとか私と彼女のお腹は満たさなければならない。姉さんは……必要だったら飲み直しそうだ。
果たして食い合わせがいいのか悪いのか。恐らく後者に近い気がする。
何故って、食べているのがおでんだからだ。でも彼女はといえば結構そのままひょいひょいと箸を進めている。
一方でお酒のグラスもちびちびと、緩やかな速さではあるけれど着実に減らしている。
今日は沢山歩いて、それでお腹が減っているからかあんまり気にしていないだけなのかも。
私も久しぶりにあまり行かない所にまで足を伸ばしたからか、疲れもあるけれどお腹は空いていた。
でも、彼女と同じお酒を最初の一杯として飲んだ後は、ずっとお冷を貰ってそれと一緒におでんを食べ進めている。
姉さんはといえば、完全にあのお酒は彼女用に用意したのか、それを飲む事は無くいつものお酒を取り出すと
それを自分で注いでは飲んでを繰り返しながら、ただただ私と一緒に彼女の方を向いてその様子を見ていた。
静かだといつも喋りだすような姉さんであったから、始終何か聞いてきそうだと思っていたのだけれど、
彼女が食べはじめてからは何だか静かになり、隣に居て凄く変な気分だった。
「姉さん。」
「うん?」
見上げて聞いた私の問いに対して、姉さんが杯を止めて首をかしげる。
「何か隠し事とか、ある?」
「うん。」
何も迷う事無く即答された。
「そりゃぁ私だって女だからね、隠してる事や知られたくない事なんかもあるよ。」
「それはまぁ、そうですよね。」
「パルちゃんだって何か隠してる。この子だって何か隠してる。皆そうさ。
その中には知られたくない事もあるし、知ってほしい事だってある。」
「知ってほしい事?」
「恋心とかは、その典型だと思わないかい?」
「……そうですね。」
結局私はこの人に想いを伝える前にその想いを支えきれなくなった訳だ。
でもそのおかげで素直に頼れるし、素直に色々と聞けるようになった今がある。
姉さんは果たして、その事を知っていたのだろうか。
「あ、あの。」
ふと、袖を引っ張られて姉さんから彼女の方へと顔を向ける。
「だ、大根新しく頂いていいですか?」
視線を落とせば、空になってしまってつゆだけ残ったお皿が目に映った。
私は慌てて主人に追加を頼むと、改めて頂いたお皿を彼女に手渡した。
……大根好きなのかな。

「お酒、大丈夫そう?」
瓶の側面の様子から少しずつ減っているそれを見ながら彼女に尋ねる。
側面の様子だけで判断するなら、そこまで量を飲んでいるとはまだ言わない域ではあるのだけど
既に頬や首は赤みを帯び始めている。視線はまだ見た感じはっきりしているが、瞼が少し落ちたような感じだ。
「……うーん。やっぱり今日はもうその一杯を最後にしてもらっていいかな?」
「ふぁい。」
彼女がコップの横に置いていた瓶を私に返して、私もそれを姉さんへと返した。
「美味しかったなら次も用意しておくよ。」
そう言いながら姉さんがその瓶をそのまま傾けて全部飲んでしまった。
……いくら軽いお酒で瓶がまだ小さいとはいえ、あれは真似したくないな。まぁ、できないけど。
「お酒はまた今度、ね。」

彼女にはそれからお冷を渡して食事を進めてもらっていたが、
しばらくして彼女がまた私の袖を引っ張った。頼んで追加した大根やその他のおでんを粗方食べ終えた頃である。
まだ食べるのかと思ったのだけれど、そういう様子ではなく少し言いづらい顔をして私の方に顔を寄せた。
「何だか、少し眠くなっちゃって。」
他の屋台も盛り上がっているからか、顔を近づけないと聞こえなかったけれど
彼女が確かにそう言ったのが私には聞こえた。少しばかり元気の抜けた声で、
本人は少しと言ってはいるが、正直もう結構眠いのだろう。瞼を自分でコントロールできていなかった。
「姉さん。」
「あぁ、うん。……そうだ。いっその事送ってやれば良い。」
「お、送るって地上のこの子の家にって事ですか?」
「うん。そうだな、彼女の家のすぐ近くにでかい湖があるから、それを目印にするといい。」
何だか凄いアバウトだな。湖がどこにあるかも私は知らないのだけれど。
「貴女、まだもうちょっと起きていられそう?」
隣のこの子を揺すってみるが、既に瞼が4分の1程度降りてきている。
にこりと私に笑い返してはくれるけれど、半分くらい夢の世界に行ってそうな表情だった。
「だ、大丈夫ですよ?」
それに、そう返してくる声も呂律がやや上手く回っていない。
「ごめん、姉さん。お金置いておくので、お先に。」
「上の妖怪には気をつけなよ。」
そんなに会った事がないもの。気をつけるも何も基本的に危険な雰囲気があれば逃げるに限る、だ。
彼女を襲うとあらば刃向かうしかないが、避けて通れるなら避けないと。
ちょっとした気分に身を任せてかち合う事の危険性なんかは私だって身をもって体験した事だ。
まして前回のその一件に加えて今度は私はアウェイの立場なのだから。

横のこの子の脇の下に手を入れて屋台から外へと出てみるが
既に足にお酒が来てしまっていて、結局その小さいからだをおんぶして帰る事になった。
でもまぁ、この子には良い経験になったのかもしれない。お酒がどれだけの量で体に響くのかを知っておく事は
大事な事ではある。ただ、姉さんの立会でそれを測るのはあまりよろしいとは思えなかったけど。
「寒くないかえ?」
「あったかいです。」
返答が少し遅れて返ってきた。きゅっと私の首の前に垂れていた手が締り、
彼女の頬が肩へと乗る。片手に彼女がしっかりと握った紙袋がくしゃりと音を立てた。
「できたらまだ寝ないで頂戴ね。外に出たら道を聞かないと流石に分からないんだ。」
「……。」
「まぁ、ここから地上に出るまで時間はあるからそれまでゆっくりと休んでなさいな。」
「うん。」
少々重たい体ではあったけれど、日頃から通行人の世話もしたりする私にとって
彼女くらいの小さな体を背にのせて飛ぶ事はそこまで苦労にはならなかった。


あまりゆっくりしていても彼女が完全に寝てしまうので、
背負ったせいで落ちてしまうスピードをなんとか保ちながら、
街に来た道とは違う道を通っていく。頭の中にある地図を展開して、ただ時間的な早さだけを求めて
ただでさえ暗い道を翔けていく。私はほとんどお酒を飲んでいないから意識も感覚も今はハッキリと残っていて
ところどころ上下左右に道がうねりを見せる安全とは言えない道であったけれど
すれすれとは行かない程度に余裕を持たせながら進む事ができた。
大きい道に出ては小さい道へと入り。ただただ何度も繰り返して直線的に地下の街から地上への道を翔けあがる。
彼女はやっぱり背中で既に規則的な寝息を響かせており、たまに姿勢を直す為に一瞬だけ起きるようであるが
完全に意識をどこかにやってしまっているようだった。
やがて視界のずっと奥に洞窟の地面に反射する月明かりが見えた時はどこかホッとした。
そのまま洞窟の外へと飛び出して、彼女の体の位置を少し揺すって直しつつ、改めて空へと飛んだ。

どれだけ飛んでも天井にぶつからないというのは中々の違和感だ。
寝てしまったこの子には悪いけれど湖の位置と家の場所を尋ねる為に軽くゆすりながら声をかけた。
「起きて。」
「……起きてます。」
ビクっと背中の彼女が動き、次いで、もぞもぞと姿勢を直す為に私の肩に乗っていた彼女の顎が動く。
どう聞いても完全な寝息だったのだけれど。
「貴女のおうち、どっちかな。」
「えっと、あっちです。」
アバウトに彼女の手が私の顔の横にのびて、ずっとずっと視界の奥のはるか先を指さした。
私にはとても眩しい世界で、それでも目を凝らして眺めてみれば恐らくは姉さんが言っていた湖がはるか遠くに見えた。
「うん。じゃあ湖までついたらまた声をかけるから、ゆっくりしてて。」
そう言って体の向きを修正しながら翔ける。お酒のせいもあってか、割と早めに飛んでいるのだけれど
背中にかかる彼女の体が少し熱い。お酒を飲んだという事実を知っているから心配する事ではないが、
もし知らなかったら熱があるんじゃないかと心配しそうな、そんな熱さだった。

遮蔽物がないというのはとても素晴らしい事だと思う。
こうして真っ直ぐ飛ぶ事ができる場所というのは、地下ではなかなか場所を選ぶのだ。
それに加え、悔しいけれどとても空気が気持ちいい。生の風を感じるというのはここまでスッキリするものか。
更に季節毎季節毎に地下よりも環境に変化があって、色んな味覚があって。
……あぁうん、考えまい。彼女を背にのせているんだし。
視界の奥に捉えていた湖が、やがて大きな湖として認識できるようになるまでそんな気分を味わって、
ついに、あまりにもでっかい湖のほとりに降り立つと彼女を背負い直しながら尋ねた。
「どっちかね。」
「あそこ。」
そっけない、でも起きてるのに必死な声が背中から返ってくる。
私の顔の前に差し出された指もどこかもう力なかった。指さされたのは
湖の傍の森の中。正直あそこだと言われても私にはあまり見当がつかないからと、とりあえずその方向へと足を進める。
細い木の合間合間にやたら太い木がそこかしこに生えていたり、何だか変に生き物の気配を感じる所で
日頃あんなところに住んでいる私にはかえって不気味な場所であったけれど
その生き物にとっても時間がもう遅い時間なのか、敵意のような何かを感じる事は無かった。
森の中を進んでいる内に、彼女の指さしていた手が段々と上の方を示し始める。彼女の顔に頭をぶつけないように
ゆっくりと頭を持ち上げてみれば、背の高い太くて大きな木の枝影に扉を見つけた。
……妖精ってこんな住居作れるのか。凄いな。器用というかなんというか。
地面を蹴って木に沿って上へとあがり、扉の前に来て背中の彼女に尋ねる。
「ここが貴女のお家?」
「ふぁい。」
取っ手に手をかけて引っ張ってみたが、鍵がかかっている事を知る。まぁ、当たり前と言えば当たり前か。
世の中には相手かまわず盗みを働くような輩がいるものだ。
「これ、鍵です。」
彼女が体を少し起こして、どうやら胸元に仕舞っていたらしい鍵を取り出して私に差し出した。
受け取ってみれば何だか凄い熱い。それを包帯の巻いた手で握り鍵を開けると、
頭をぶつけたりしないようにしながら家の中へとお邪魔させてもらった。

彼女を背中からおろしながら、後ろ手に鍵をしめて家の中を見渡す。
隠れ家というかなんというか。私の家程の広さは流石にない。というか木の幹がそのまま空間的な限界だと言わんばかりの造りである。
しかしそれでもどこか洒落ていて、あたたかい質感の木の壁に囲まれた外郭が円形の空間で……って何を私は分析しているんだろう。
彼女に寝室の場所だけを尋ね、ちょっと悪いとは思ったけれど部屋の配置をちらりちらりと見て覚えながら、
教えられた寝室に彼女を連れて行き奥の方のベッドに座らせた。
「ちょっと台所借りるね。」
彼女にそう告げ、家の中を歩いている途中で見つけた台所へと足を運ぶ。
とても整理してあったから、食器を探すのに苦労はいらなかった。
並べられたコップを借りて、3杯分程の水を確保すると彼女の傍らまで戻ってそれを手渡した。
「飲める限りでいいから、飲んでおいて。」
「ふぁい。」
一緒に鍵を返しつつ、私も彼女の横へと腰を下ろした。
「良い?明日の朝、もしかしたら酷い頭痛に苦しむかもしれない。そしたら、無理して私の家になんて来なくていいわ。
その日はちゃんと水分とって、ゆっくり休んで。それを約束して頂戴。」
「大丈夫ですよ。」
彼女が笑って答える。まぁ、誰もがそうやって最初は気分よく思うのだけど、
二日酔いはその兆候を感じた時にはもう避けようがなくて絶望を感じるものなのだよ。
それまでがふわふわとした気持ちで楽しめていても緩やかにどん底に近い何かに襲われるというか。
そうそう、何度も体験したくなるようなものではまずない。
「あぁ、そうだ。まだ歩ける?」
「はい?」
「ちゃんと戸締りして欲しいから。私が出た後、鍵閉めてほしいの。」
「……分かりました。」
やや、よたよたした動きではあるけれど彼女が立ちあがってにっこりと笑う。
私も立ち上がると彼女に先だって玄関へと向かった。

「うん。じゃあ、おやすみ。ちゃんとベッドで寝るのよ?」
「勿論ですよ。」
真っ直ぐに扉を開けて、家の外へと出てゆっくりと閉めると少しして小さくカチャリと音が響いた。
さて帰ろうと背中を向けた所で、扉の向こうから彼女の声が響く。
「あ、あの。」
「うん?」
「ごちそうさまでした。」
「あぁ、うん。それじゃまたね。」
「おやすみなさい。」
「おやすみ。大ちゃん。」
……良い子だ。


人は人生色んな場面で迷いが生じる。告白すべきか、すべきでないのか。
セールの内に買ってしまうか、いや不要だと切り捨てるか。
そしてもちろん、あっちの道かこっちの道かといった迷いがある。
迷う、という事についてはその原因は大きく分けて二つではないだろうかと考えている。
1つ目は自分の道の辿り方について法則や決めごとが無い事。
2つ目は目印となる何かを設定しない事だ。
で、今私はその2つ目をすっかり忘れていた事に気付いた訳だ。うかつだった。
彼女の家を出て、森を抜けて空高く飛んだところで気づいたのだ。
地下への入り口が果たしてどこにあったのか、私は記憶していない。
湖の事だけを考えて飛んでいたから、いざ湖の上に立ってみれば果たして私はどっちの方角から来たのやら……。
真っ直ぐ飛んできたのは確かだから、真っ直ぐ飛べばいずれ足元に見えるはずではあるが。
果たして、どの方角だったか。

湖のほとりに降りた時に足をつけたのはどこだろう。
それを辿るべく、彼女の家のすぐ上空から湖の方へと体を進めてみたけれど、
湖の姿形がどの方角から見ても大して差がない事に気づく。
しかしながら、彼女の家からはそこまで離れた位置に降りた訳ではないから
大体このあたり、という目星だけはつけることができた。
たぶんここだったような、という場所に立って湖を見つめる。
一度深呼吸してくるりと湖に背を向けて、ゆっくりと上空に上がる。
「こっちで良いんだろうか。」
思わず呟いたけれど、自信は正直皆無だ。
自分の長年の勘が告げている。これはもう、駄目だと。
それでも私はそのまま、見定めた方向へと一直線に翔けた。
ただただ、下を眺めながら。
酷く愚直なやり方であると思ったが、……本当に愚直すぎた。
最初に地上に出た時は滅多に拝まない月明かりのおかげで明るいと感じていた世界も、
目が慣れてしまえばまるで地下と変わらないように見える程に暗い世界だった。

ただでさえこんなに暗いのに、ここから更に半端に見づらい地下への入り口を探すというのは非常に
根気のいる作業だった。時たまちらりちらりと、顔だけ湖の方へと振り返り
自分が最初に見た時の湖の大きさと比べて何とか大体の距離だけを合わせてぐるぐると回る。
もしもこの姿を地上の誰かが見ていたら、いや地上の人に限らなくても不審な人物だと言うだろう。
それでも、そうやって道を探すしかなく、結局なんとか入口を見つけた時には体じゅうが夜風のお陰で冷え切っていた。
やっとひと段落ついた、と思ったけれど見慣れたはずの洞窟の風景がさっきに増して暗く感じ
先の道が見えたものではない。ここに住んでいる者の気がしれない、と思ってしまいたくなるくらいだ。
私は確かにここの住人のはずなのだが。
片目を閉じて、頭の中の地図や自分自身の距離感を元に暗い道をゆっくりとゆっくりと進む。
時折壁にぶつかってしまいそうになるのをなんとか体を止めて回避しながら、ある程度進むと
閉じていた目を開けて、開いていた目を閉じた。
……ほんの気持ち、いつも通りの洞窟の風景に見えなくもない程度に近づいた。
結局近場の安定した岩に腰を下ろして、両目がある程度慣れるまでそこで時間をつぶすと
私は速度を上げて家へと直行した。

時間間隔が狂っていてよくわからなかったが、自分の家を見つけた時には既に
地上では朝になってたんじゃないだろうか、と思いたくなるほどに体に疲労感を覚えていた。
正直なところ、案内がないとあんな世界やってられるか!と言いだしてしまいそうな気分でもあった。
たぶん、慣れればどうという事は無いという事は私だって分かっているんだけど。
くたくたになった体を揺さぶって、いざ玄関の前へと回ってみれば何故かそこにあった人影に私はぎょっとした。
「姉さん、どうしたんです。」
そこに居たのは勇儀姉さんだった。お酒の匂いはするが、
飲み終えてから結構時間が経っているという事はなんとなく顔色から分かる。
「あぁ、おかえり。どうだい?地上は。」
「ちょっと今は、こりごりです。」
「……そうか。ゆっくり休むといい。」
「姉さんはどうしてこちらへ?」
「いや、無事に帰ってくるのかなって思ってね。パルちゃん一度調子崩すと後ずっとそそっかしいからさ。
ひょっとしたら地上で迷うんじゃないかなぁ、とか心のどこかで思ってたんだよ。」
実際その通りだった訳だけど。なんとも痛いところを突いてくれる。
「もし私が帰らなかったらどうするつもりだったんです。ここじゃ風邪引きますよ?」
「きっと帰ってくる。って思ってたからね。少なくとも今日は。
まぁ、今日もしも帰ってこなかったら帰ってこなかったでそれは大したもんだ。しかしまぁ言うとおりだね。
風邪は引きたくないし、無事に帰ってきた事だし私も寝る事にするよ。おやすみパルちゃん。」
「お、おやすみなさい。」
……行っちゃった。何だか腑に落ちない。
というかそれならそれで迎えに来てくれたらどんなに嬉しかったか。
あぁでもすれ違う可能性があるわけか。難しい。
どんどんと小さくなる姉さんの背中を見送って、家の鍵を開けて中へと入る。
鍵をしめてゆっくりと部屋に向かいながらふと気付く。上着、貸したままだ。
まぁ今度来る時に持ってきてくれるだろう。もしくは着てくるかな。これから寒くなる訳だし。
部屋に入ってベッドの上に丁寧に畳まれていた服を隅へと避けてその中へと潜ると、
ぐったりと重たい体をベッドに預けて眠気に任せて目を閉じた。



次の日、彼女が来るかな、来ないかなとそわそわしながらお昼ご飯を用意して
居間のテーブルの上でお料理をただ眺めながらお昼の3時過ぎまで過ごして。
流石に冷めきったものをと思い結局全部自分でなんとか平らげて、待った。
時計の針がゆっくりゆっくりとまわり、4時になり。5時になり。
夕方になっても彼女が来るという様子は無かったので、私は椅子から立ち上がると
ふらりふらりと街へと向かった。……簡単にできる料理の素材を買う為である。
手の痛み自体は使わない分にはほとんど痛みなんて無いのだけれど、
結局使えば痛い事もあり、片手に持てる荷物の量の限界まで購入すると
ひょっとしたら来ているかもしれないと急ぎ足で家へと帰った。……勿論家についてもその様子は無かったのだけど。
家へとついて、手に巻いていた包帯を解き、傷口を消毒し直す。
ぴっちりとまではいかないにしろほとんど閉じたそれは、幸いな事に痕にはたぶんならないような気がする。
もうちょっと深かったらきっと駄目だったろう。

そのまま簡単……とは行かなかったが湯あみを済ませて、お昼ご飯を遅くに大量に食べた事もあって
質素で量の少ない夕食を簡単に済ませると、口と膝をつかって包帯を巻き直してベッドへと向かった。
きっと今日は二日酔いだったんだ。……明日はきてくれるだろう。たぶん。
そんな想いを抱いてなんだか広いベッドに身を投げると明日またお昼ご飯を準備しないとと思いつつ
ゆっくりと目を閉じて行った。

けれど、その次の日も日付が変わるまで粘っても彼女が家を訪れる事が無かった。
不安になって夜中に家から飛び出して、何度か洞窟の入り口と家の間を往復して
ひょっとしたら彼女がどこかで倒れていやしないか、怪我で動けなくなってたりしていないかと探しまわって、
結局何も収穫無しに家に帰って。たまたま都合が悪かっただけなのだと自分に言い聞かせて
またベッドへと潜った。ひょっとして合わないと感じてしまったのかな。そんな思考が頭の中をぐるぐると巡り、
頭の中がゴチャゴチャになりながらも眠りに無理矢理付く事しか私にはできなかった。
……でも結局夜中にそわそわとして起きだしては窓の外を眺めてみたり。
もし姉さんが此処に居たら凄い奇異な目か楽しそうな目で見ているのかもしれないけれど、
当の私はというと不安で不安で。……何か怖かった。

だから、その次の朝早く彼女が尋ねてきてくれた時には思わず彼女の肩を掴んでいた。
嬉しかったのだ。少なくとも彼女がアルコール中毒起こしてお亡くなりになられていた訳でも無く、
誰か妖怪に襲われた訳でも無く、危険な人に誘拐された訳でも無く。妙にほっとした気持ちが私の中にあった。
彼女はといえば、申し訳なさそうに私に視線を送りながら、手に提げた袋を私に差し出した。
かなり大きな紙袋であった。一番上に見えていたのは私が彼女に貸していた上着であったけれど、
その下にもまた別の物があるようで、差し出されたそれは私の上着よりもずっとずっと重たかった。
「これは?」
「その……私が着て汗を吸ってしまっていたので。」
言いづらい事なのか彼女が人差し指を合わせながら小声でそう告げる。
でもそんな事を言う割には貸した時よりも小奇麗になっていた。
「洗ってくれたのね。ありがとう。さ、ここじゃ寒いからとりあえず中へ入ろう?」
本当に聞きたかった事については彼女はまだ喋ってくれなかったけれど、
私はそう言って彼女を家の中へと引き入れると渡された重たい紙袋と一緒に
彼女と居間へと向かったのであった。


テーブルの上に紙袋を置いて、一番上にあった私の上着はハンガーにかけて自分の部屋へと運んでおいた。
彼女が見てない所でちゃんと確認してみたけれど、やはり洗ってあったようだ。どこか心地いい匂いがした。
居間へと戻って改めて彼女が居る前でそっと紙袋の中を覗き込む。けれどそこにあったのはまた少し小さな袋で
ちょっと中の様子を窺う事はできなかった。でも質感で言うなら同じように衣服がそこにあるだろうという事は
なんとなく持った時の感触もあって感じていた。
彼女の上着かと思ったけれど、彼女が新しく着てきた上着は彼女自身が今着ている。とすれば?
「この袋は?」
「そ、それはその。お泊りセット、です。」
4日前のあの日のようにお泊りをする時に彼女だけ服の用意が無かったから、それでだろうか。
変に気を遣わせてしまったってことかな。ごめんよ。
「ハンガーにかけておいた方が良いなら貸すけれど、どうしようか?」
「あ、いえ。そのままで大丈夫ですけど……どこか置ける場所を貸していただけませんか?」
申し訳なさそうな顔というのは案外に彼女のお得意の顔というか、
可愛い顔だとは思うけれど、何度も何度もこの子の顔を見ていると何だかいつも
こういう風に肩身の狭いような生活をしているんだろうかと疑ってしまう。
性格は良いのだから、きっとそんな事は無いのだろうに。
「私の部屋でいいかな。」
考えている事、思っている事がそのまま表情に直結しているんだろうなぁ。
正直な子というか、嘘をつけない子というか。
「ありがとうございます。」
「お礼を言われる程じゃないよ。そういえば朝食は食べてきたのかい?」
「あ、はい。ちょっとだけ。」
「そうか。なら良いんだ。あれから二日酔い、大丈夫だった?」
笑顔に戻りはじめた顔がまた急にひきつって、あぁやっぱりだったんだなと確信する。
余り思い出したくなさそうな顔だ。余程応えたのだろう。何せ2日も休んだのだし。
「いっぱい飲むとああなっちゃうものなんだ。だから今度飲むならゆっくり飲んで、
少しふわふわしたところでもう止めておくと良いよ。」
「……はい。」
とはいえ、かなり懲りた様だからしばらく彼女はお酒を避けそうだ。
「昨日休んでしまった分今日から頑張りますね!」
彼女が少しだけぷるぷると首を横に振るとそう言って元気な顔を振りまいた。


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果たしてあれからどれだけの日が過ぎたか。
今日も元気にほぼ定時でやってくる彼女。冬が近づき、この前まで夏だったのにと思っていた空気は
カラッカラに乾いて、外に干した洗濯物が乾くのが早いか、凍るのが早いかという季節に少しずつなってきた。
恐らくは外の日照時間が減ってきているからであろうが、彼女が言うには外よりもずっとずっと
この地下の方が寒くなってきているようである。
気候に慣れている私とは違って、そういう意味でちょっと彼女には不便な想いをさせてしまう訳で。
彼女にしてあげられる事といえば、できる限り家の中をあったかくして彼女を迎える事くらいだった。

外でそれだけの変化が起こっているけれど、一方で全く変わらないものもあった。
私と彼女との距離感だ。原因は恐らく私自身であるが、この子との距離感を広げてしまう事は無いにしろ
ある程度のところまできて止まってしまったかのような感じである。
雇い雇われの関係の限界なのかとも思ってしまう。彼女が帰った後姉さんに相談しにいったら、
お酒で酔わせて誘い落とせなんて言われたけれど、彼女が二日酔いで嫌な思いを経験している事もあって
酔わせて何かするなんて真似が私にはできなかった。……あれ以降彼女はまだお酒を口にしていない。
だから私は私なりに彼女との距離を別の方向から詰めようと頑張って策を練っていた。そのひとつは
彼女がずっとずっと興味を示し続けていた編み物についてだ。
彼女の防寒対策もしっかりしていたから、外に行っていつもの見回りの時、
お弁当を持ってそこで食べてはそれからしばらく二人で横に並んでチクチクと編んでいる。
どうやら対面から見て編み方を習うというのは彼女にとって難しいらしく、横に座ってじっと手の動きを覚えながら
段々と編み出しの綺麗な纏め方を覚えて行った。料理ができないような感じの事を前に彼女が示したような気がする割には
彼女はとても器用で、丁寧だった。ちくりちくりと小さな手で棒を操って、少しずつ彼女の膝の上で日増しに
少しずつ長くなっていくマフラー。彼女が時折、長さを確認しては嬉しそうに隣で笑って。
私はその表情を見て楽しむ半面で、少し不安だった。

その原因の一つは、彼女がとても真剣になりすぎる事だった。
編み方を覚えたあたりからは集中力をフルに使っているのか、私が彼女の方を見ていても全く気付かないのだ。
あんなに真剣な目で見つめられて見たいと思う程に真剣な目がずっと編み目を見つめ、
一度編み物を開始したら私が何か口に出して聞くまで終始寡黙のまま。
私はちらちら周囲の風景に目を配らせ、人の気配がないかなとかしているが……
やっぱり自発的に会話も何もないというのはちょっと辛かった。正直な話、教える前にはこんな事になるとは思ってなかった。
新しい事に興味を持つ事も、何かに真剣になって取り組む事もとてもとても大事な力だと思う。
でも何だかちょっと裏切られた気分で……。
もうひとつの原因はあのマフラーがどこに行くのか、だ。
私が彼女に教える為に今編んでいる物は彼女にあげるマフラーである。編み物は手作りで形に残る贈り物であるから。
普通に何かを買ってあげるよりかはずっとずっと彼女の気が引けそうな気がしたからだ。
というか編み物の冥利というのはそこではないかと思う。では、彼女が今編んでいるマフラーの行方は?それが問題だ。

彼女自身が使う。これが私の望んだ方面の第一パターンだ。
これから寒い季節になるのは分かっているから、彼女が真剣になってずっとずっと寡黙に編み続けている理由も
これならどこか納得はいく。でも彼女自身がどれくらいの製作時間がかかるかなんて、編む前から分かっているというのは
まずありえないお話だ。慣れてきてやっと分かる時間感覚である。
私が貰えて私が使う。できれば望みたいが、これは正直叶うとは思えない。
福引で商品を当てるより確率が低いだろう。良くも悪くも私は彼女の雇用主で、彼女にとっても今は私はただの雇い主でしかない。
少々夢見が過ぎる空想、もとい妄想とも言えるだろう。
彼女の友達にあげる、彼女の自由だしこれもまぁ、構わない。
私とは違うんだ。彼女にだって友達がいるはずだろう。そういう大切な人に贈る分には存分にその力を振る舞っては欲しい。
けれど、それには一つだけ私にとって苦しい事、正直に言えばしてほしくない事も含んでいる。
彼女にもしも本当は誰か好きな人が居たら、というその可能性は私には否定できないのだ。
姉さんからそういうお話は聞いていないが、姉さんが知らないだけかもしれない。
その人への贈り物だとしたら……と思うと、凄く胸が痛い。

彼女に聞いてみようか。そう思ったのは最初の一瞬だけだった。
怖くて、とても聞けなかったのだ。それくらいに私にとっての不安の要素は大きいもので、
できれば彼女のマフラーがこのまま完成しなければ、という邪念すら浮かぶ事すらあった。
本当に酷い教え主だと思う。一方の彼女と言えば、そんな私の気持ちを知るわけもなく、
「またあのお姉さんにあげるのですか?」
と食事中に尋ねて来たり。うぐぐ、なんで君はそう簡単に尋ねる事ができるのに
私にはできないんだ。
「編み終わってから考えるよ。」
彼女へのプレゼントと心に決めていたから、私はそうやって言い逃れた。
ついでに私も尋ね返せば少しは気が楽になったのかもしれないけど、当然のごとくそれは無理だった。

「はぁ……。」
思わず溜息が出る。彼女とは違って編む事に慣れている私だから、いくら真剣で集中している彼女よりも
私の方が編む速度が段違いに早く、どんどんと長くなってしまったそれは
もうあとほんの少し編むだけで彼女の首を撒くには十分な長さになってしまう。
「今日も寒くなってきましたね。」
「そうだね。そろそろお家に戻って、家事を手伝ってもらおうかな。」
視線を自分のマフラーから彼女のマフラーへと移せば、結構慣れてしまった手つきで
編みかけの糸ごとくるくると丸めて畳む姿が目に映る。私もくるりと纏めて持ってきた小さな袋に
彼女の編んでいるマフラーと一緒にして仕舞うと
腰を持ち上げてゆっくりと二人、家に帰った。


二人の仲が進展しない事を考えないならば、初めの頃より今の生活は確かに快適になった。
掃除だって細かいところまで丁寧にやってくれるし、調度品であれば気づかぬうちに彼女が磨いていてくれたり。
洗濯も、こんな寒い季節になってもちゃんと真面目に洗ってくれる。干すのも取り込むのも彼女だ。
欲を言えば料理ができたならば……。とはいえ、最近は少し手伝ってくれる。後片付けと皿洗いは。
手の傷も今では言われれば気づく程度の痕があるくらいで、いくら手を握りこんでも痛みはもう無いから、
別に料理に不自由している訳ではないけれど、簡単な料理くらいは覚えさせてその実験台になってみたいものである。

頼む家事のほとんどが水回りのお仕事が多いから、その対価として
彼女には出来る限り一番風呂を頂いてもらおうと私は思っているのだけど
彼女が辞退して結局一緒に入るという事がほとんどである。
とはいえ、一緒に入った数というのはまだなんとか両手で数える程度にしかないくらいの少ない回数だけど。
手の傷ももう無いから、入ったとしてもゆったりとただ浸かるだけで、洗うとしてもお互いの背中だけ……
私で言えばついでに羽まで流すのがそのほとんどだった。
「洗濯、終わりましたよー。」
居間で何かしら温かいものを用意してあげようと思い準備しているところで彼女の声が家の中を響く。
「はいよー。こっちに籠ごと運んできてくれるかね。」
少し大きな声でそう返して、急いでカップの準備をしていく。
緑茶がいいか、紅茶がいいか、それともコーヒーがいいか。そんな事を色々考えていたりはしたけれど
結局苦いものは避けようと言う事で私が造ったのはホットミルクであった。
とはいえ、あまり時間がなかったから熱々とまではいかないほんの少し温いミルクになってしまったのだけど。
彼女の籠を受け取る代わりにそのカップを渡して、私は取り込んでもらった服の入った籠を手に部屋へと戻って。
ふと部屋の片隅のカレンダーを見つつ、そのカレンダーの下隅にある丸印をふと目にとめた。
……そろそろ給料を渡す準備をしておかなければならない。
11月の29日。その日はついでに焼き肉でも食べに外食でもしようかな。
「大ちゃんよーい。」
部屋のドア越しに居間で休んでいるであろう彼女へと声をかければしばらくしてドアを開ける音がして。
「何ですか?」
と、唇を白く染めた彼女の顔だけがドアの隙間からにゅっと現れた。
「今日の夕食何か食べたいものある?」
「一緒に食べられるなら私は何でも歓迎です。」
大体何時聞いても子の返事が返ってくる。彼女なりの気づかいだというのは分かっているし
その気持ちは凄く嬉しいのだけど、造る側としてはできれば好きな食べ物が何かを
もっともっと知る意味でも教えてくれれば尚助かるのになぁ、と思った。
「あのぅ……。」
あれこれと献立を頭の中で組み始める私に対して彼女が続ける。
「ん、やっぱり食べたいものがあるとか?」
「その、今日お泊りしても良いでしょうか。」
「うん?うん。それは構わないけれど。」
そういやお泊りセットを持ってきたは良いけど部屋の片隅に置いたままだったんだなぁ。
にしても今日は地上で強い雨とか風とか吹いているのだろうか。
「何かあったのかい?」
彼女の表情がわずかに変わる。あの表情は何か言いづらい事がある時の顔だ。
私が首をかしげてみれば、彼女の手がにゅっとドアの隙間から伸びてぐいぐいと手でジェスチャーしはじめる。
「えーっと。編み物?」
「……がしたくて。」
彼女が少し申し訳なさそうに私から視線を逸らして首を縦に振る。
本当に夢中なんだな、この子は。
「まぁ、寝るまでなら良いよ。それは君の自由だ。その時間は別に勤務時間じゃないんだから。」
「ありがとうございます。」
彼女がそこまで真剣になる理由は果たしてどこにあるのやら。


今日の夕食は魚の味醂干しである。
日持ちが割と良かったという主観があったから、前に買っておいたものだ。
味も香りもやや強く、お酒と一緒にでもご飯と一緒にでも食べる事ができる主婦の強い味方だ。
面倒なのは焼いた後の処理くらいなもの。とはいえそれもちゃんと洗った後直ぐに洗ってしまえば気になる程でもない。
面倒くさがって次の日に回したりすると少々悲惨な目にあうけれど。とくにこの季節なら水の冷たさもあるから尚更そう思う。
でもまぁ、夏なら夏で匂いの原因になるのが嫌だから直ぐに洗うのだけどね。
「はい、お待たせ。」
既に席についている彼女の前にお皿を並べて、食事の準備を進める。
編み物の時の顔とは真逆と言っていい程の顔の緩み方を見せるのは一日においてこの食事の時くらいなもの。
食器も並べ終えて私がよいしょと席につくと、彼女の手がすっと膝の上からテーブルの上へと上がる。
「じゃ、食べましょうか。」
「いただきます。」
私がそう言えば、彼女がそう言って箸を取って食べ始める。
思わず、ちゃんと噛んでね?と声を掛けたくなったりもするけれど、
そこをなんとか抑えて私も食べ始める。香りも味も強いものがあるとついついお酒がほしくなってしまう所だけども、
お酒にあまり良い印象を持っていないであろう彼女の前で平気で飲む事はできず、代わりにご飯を何時もより多めに食べる。
……というかこの子が来てからご飯の作る量が増える内に私の食べる量も段々と増えているような気がしないでもない。
ひょっとしたらお腹回りに魔の手が忍び寄っているかもしれないなぁ。……でも美味しいから仕方がないのだ。
そういえば姉さんにこの子の二日酔いの話をしたら、適当なところでまた挑戦させて慣れさせるのだとか
中々に酷な事を言ってくれた。でも確かにそれはいつかやってもらわないといけない事だ。
好き嫌いとか苦手な物が減るのなら、こちらとしても出す料理の幅が広がるからだ。
お酒を使う料理は数あるし、お酒の匂いが残る料理もまた数ある。
お外で食べる分にもいろんなお店を回る事が出来るようになるし……。
その日はもう疲れて動きたくないですっていう時にでも少しばかり飲ませてみようかなぁ。
果たして姉さんだったらどういう時を狙い目にしてこの子にお酒を勧めるだろうか。
やっぱり、ちょっと強引に勧めるのかな。この子あまり断るのは上手では無さそうだもの。
「あの。」
「うん?あぁ、おかわりね。」
彼女が両手に抱え込んでいたお椀を受け取って、注ぎ直してまた渡す。
この子の場合なら食べても私のように腰にこないでまだ違う栄養になってくれる気がする。
……なんだか自分の発想が若々しくない気がしてきた。


「ごちそうさまでした。」
箸を置いて、二人して背もたれへと背中を投げながらそう呟く。
「じゃあ、皿洗いとお風呂終わったら……そうね、10時くらいまでなら好きに編んでいても良いわよ。それ以降は寝ましょう。」
「も、もうちょっと増えません?」
「増やしても良いけど朝エライ目にあうわよ。朝一番冷えるから寝たくても勝手に目が覚めるし。」
私としても寝足りない中途半端な時間に起きたくない。
この子にもそういう事にはなって欲しいものではない。寒くてもまだ寝たいからと寄ってくる分には歓迎するが。
というか、むしろ私も寒いから隣で寝てくれる方がとても助かったりはする。
「分かりました。それでは洗ってきますね。」
……時間いっぱい頑張るつもりなのか、彼女が食べたばかりなのに張り切って台所へと向かう。
意地悪するつもりはないけれど、彼女にはちゃんといつも通りの時間くらいはお風呂に浸かって貰おう。
先に彼女だけが出ると減った水かさが減って寒い思いもしなきゃならないし。
「怪我しないでね。終わったらお風呂場へ来なさいな。」
そうやって台所に行った彼女へひと声かけて自分の部屋へと戻ると、自分の着替えと彼女のお泊りセットの袋を持って
お風呂場へと向かった。本当は必要な物だけ持ってくればいいのかもしれないが、彼女の私物だからむやみに手を突っ込むのも
少しばかり気が引ける。暇つぶしという訳ではないが、簡単に洗面台と化粧道具回りの整理をしていると、
程なくして彼女が走って現れた。
「お待たせしました。」
待っているのは私ではなくて、編みたいという気持ちでいっぱいな貴女なのかもねぇ。
そんな事を思いつつ持ってきた袋を手渡せば、彼女が手を差し込んで次から次へと服を揃えていく。
乱雑に入れていたつもりは彼女にも無いのだろうけれど、袋に詰めていたから少しだけ皺っぽい。
「やっぱり今度ハンガーを貸すよ。」
「……ではお言葉に甘えて。」
一人先に脱ぎ終えると浴室に入って彼女が脱いでいる間にぐりぐりと浴槽の中のお湯をかき混ぜる。
熱いお風呂は好きだけれど、この瞬間はあまり好きになれたものではないなぁ。
「ま、待ってくれれば代わりにやりましたよ?」
後から入ってきた彼女がそんな私の姿を見ながらそう囁く。
まぁ確かにやってくれる事は勿論私にも分かっているのだけれど、それをしたらこの子の腕はちょっとの間
痛そうなくらいに赤くなるのだもの。かと言って火を弱めると下が冷たいままだから
混ぜた時に良い具合になってくれないし。
「良いの良いの。そんなに重要な事……ではあるのかもしれないけれど、深く気にする事じゃないよ。さ、座って。」
「お先に流しますよ?」
「さっきまでお皿洗いしてたのは貴女。私はお湯をかき混ぜていた。今冷えているのは?」
「じゃあ、お願いします。」
小さな椅子へと彼女が腰を下ろしてそう言って頭を下げる。
いつもの事だからもう良いじゃないかと思うけれど、頭からお湯をかける分には都合のいい格好だった。
「そのままね。」
お湯を掬って、体を擦るために使っている布へとお湯を一度かけてから、残り湯を彼女の頭から肩へとかける。
ちょっと熱いんだろう。彼女がやたら身悶えしたけれど、火傷する程ではない温度だし我慢してもらおう。
もう2杯程彼女にかけて簡単にあったまってもらってから、その後ろに座り込むと私は必死に石鹸を手に泡立てた。
夏ならいいけれど冬になると何だか泡立ちが悪いように感じるのは季節柄か、それとも私の気の焦りか。
やや乱雑ではあったけれど十分な程に泡立てると、そのまま彼女の首に手をかけていった。

最初彼女の背中を洗った時は、勝手知らず故にやたら丁寧に擦っていた覚えがあるけれど、
もう何度か擦っている内に大体この程度という感じをつかめたから、それから先はその感覚を頼りに擦っている。
というか、あまり丁寧にしている余裕が私にも彼女にもあまり無いのだ。
私がここで手際よくやらなければ、やらないだけ彼女の体も私の体も冷えるという、
風呂に行ったのに風邪をひくなんていうみっともない結果になってしまうから。
まぁ、唯一私には無い彼女の羽とその根元あたりだけは、いつも優しく洗う事を心がけてはいるけれど。
「よし、じゃあ貴女は自分の体を拭いてて頂戴。髪の毛は私がやるわ。」
背中を洗い終えた布を横から差し出し彼女に渡して、私は洗髪剤を手に彼女の髪の毛に手をかける。
目を閉じていてもは洗う事ができるだろうという事で考えた、時間の有効利用である。
まぁ、最初に提案したのは私ではなくこの子で、その方が私がこうやってお湯に触れない時間が少しでも減るとかなんとか。
他人に気を使うのだけは本当にしっかりしている。……だけという言い方は失礼だな。
最初はちょっとぎこちなかった家事も今では私がやる時以上に張り切ってちゃんとやってくれるから。
わしゃわしゃと泡立てて、そんな事を頭に思いながら彼女の目元に泡がいかないようにしつつ彼女の髪の毛へと手を入れて
梳かしていく。耳の後ろ辺りを手にかけて洗っていて最近になって思うようになった事は、
他人の耳の柔らかさ。自分の物じゃないからか知らないが、結構他人の耳たぶというのはこれがまた柔らかいというか。
彼女の耳だけなのかもしれないけれど、どこか触ってて気持ちが良い。でもこの前そんな事を思いつつ何気なく触っていたら
耳を赤くされてしまったから、それ以降は意図的には触ったりしていない。意図的には。

「ほい、じゃお姉さんは洗面器用意しておくから、立って残った場所洗っちゃいな。」
「はい。」
予め少し残しておいた洗面器のお湯で簡単に手の泡を流して、彼女が足や大事なところを洗っている間に
自分にも少しお湯をかけておいた。今更ながら、ちょっと今日のお湯は確かに熱いかもしれないと思った。
……彼女が見てたわけでもないし、感じ無かった事にしよう。うん。
彼女が洗っていた手を下ろして合図を送ってきたところで、用意していたお湯を頭からかけていく。
わしゃわしゃと、髪の毛の間に残った泡も洗い落とす彼女の為に何度か頭にかけて、それから肩や背中へとお湯をかけていく。
全身にもこもことつけていた白い泡を落とすと、今度は入れ替わって私が座った。
「流しますよー。」
「うん。お願い。」


「こうですか?」
「いや、もうちょっとこっち側はぴっちり閉じて、……そう。それでこう、ぎゅっと力を入れて。」
……お互いに体や髪を洗い終わって早々に浴槽に浸かった私と彼女。結構混ぜたつもりであったのだけど、
底の方がほんの少しだけ冷たかったから、恐らく熱いと感じた原因はここにあったのだろう。
さておき、今私がやっているのは水鉄砲の伝授である。
……こういうのは例えば妖精であるこの子とか、子供は結構得意にしてそうだと思ったのだが、
ふとした気分でやったら彼女が興味を持ったので、あたたまるついでに教えていた。
「うーん。」
彼女が試行錯誤しながら、ぱしゃぱしゃと手の間から水を散らす。
あまり上手とは言えないが、段々と飛距離が伸びるそれを見ながら、
少しこれ見よがしに水鉄砲を空中へと飛ばす。少なくとも夢中になってくれているお陰で
お風呂の時間が短くなるという事態は避けられそうだ。
ややあって、彼女が握り方を少し変えたところで何かを悟ったような顔で水を飛ばした。
やや飛距離の伸びて飛んできた水が私の顔へと飛び思わず目を閉じれば
ほんの一瞬の間を置いて顔全体に結構な量のお湯が当たった。
「ご、ごめんなさい。」
「い、いや良いんだ。狙ったとかじゃないんだろうし。」
「ちょ、ちょっとだけ。」
……正直だな。

「よし、それじゃ出ようかね。」
「そ、そうですね。」
お湯の掛け合いをしすぎたせいでそう言った時もお互い顔がお湯でびちゃびちゃになっていた。
そんな顔を拭いつつ、お風呂のふちに手をかけて立ち上がる。
ちょっと長居をしたせいか、軽く立ちくらみがするのを身をかがめて耐えながら彼女の方へと視線を向ければ
彼女も同じような姿勢で同じように襲ってきているらしいその感覚に耐えているようだった。
とりあえず倒れたりしてないから、まぁ大丈夫だろう。
少ししてすっと身を立てなおす彼女。こればかりは体格差というかなんというか。その辺の事情がある気がしてならない。
先に脱衣所へと戻る彼女の後ろでまだ少し耐えて、私も持ち直すと彼女の後に続いた。

タオルを積んであった棚に彼女が手を伸ばし、それを私が受け取ってお互い自分の体を冷えない内にと拭いていく。
髪の毛は後でこの子が毎度のように丁寧に拭いてくれるから、簡単にある程度の水気だけを払っておいた。
彼女の髪の毛は……彼女が編み物に没頭している間にでも私が拭いてあげよう。
それくらいしかしてあげる事も、する事も無いかも。後は簡単に水分補給をして寝るだけだ。

先に上がった利でもあり、表面積の差もあり、先に拭き終えた彼女が用意してあった着替えを手に身をまとっていく。
いつも先にこのまま私の家から彼女の家までと帰ってしまう時はさっきまで着ていた服へとまた袖を通すのだけど、
泊まっていく今日だからまた着る服が違う。前は私の服をそのままこの子に貸したけれど、
今回はちゃんとどこからどう見ても子供らしいパジャマをいそいそと着ていたのであった。
子供らしいという言い方をしたけれど、凄い温かそうに見えるのは地上と地下で出回る生地の品質の差だろうか。
私には到底彼女のサイズの服なんて袖を通したりするなんてできないけれど、ちょっとどんな着心地なのかは試してみたい。
洗濯が終わったら、隠れてフカフカさせてもらおうかな……。

お風呂の栓を抜いて、着替えた体で居間へと向かいながら、新しく用意した乾いたタオルで髪の毛を拭いつつ居間へと向かう。
急いでいるのだろう。結構な勢いで髪の毛を拭いていた彼女と目があって、いつものようにタオルを手渡して代わりに拭いてもらった。
若干ながらいつもより力が籠っていて、ちょっとだけ髪の毛が引っ張られて痛かったけれども
気持ちは分からないでもないから、何も言わずに任せる事にした。
本当なら今すぐにでも編みに行きたいのであろう。

「よし、続きは部屋に行こう。」
髪の毛からポタポタと滴り落ちない程度に拭いてもらったところで部屋の中へと彼女を連れていく。
どうせ彼女が編み物をしている間は私は暇なんだし、そういう意味では彼女に全部やらせる必要なんてものはない。
トントンとベッドを軽く叩いて、そこに彼女を座らせて編み物の道具を渡しながら
彼女の頭に載っていたタオルを手に取って、拭きかけ立った彼女の髪の毛へと手を伸ばす。
「まだパルさんの髪、拭き終わって無いですよ?」
「あぁ、うん。どうせこの後私暇だからゆっくり拭けるんだよ。編みたいなぁって顔に書いてるし、
私が代わりに拭いておくから、編み物やってて良いわ。時間もあんまり無いんだし。」
「あう……。ごめんなさい。」
皮肉に取られてしまったかな。彼女には分からないだろうけれど、
その言葉にはとりあえず首を横に振っておいた。


夜の9時手前。彼女の耳をいじりながら拭きつつ、ふと時計を見れば針がそんなところを示していた。
約束で言うならば後一時間くらいはこの子は頑張るんだろうな。
また昼間みたいな真剣な目になっているようだし。……何気なしに耳で遊んでいるつもりなのに、
前の時程の反応をされる事は無かった。にしても柔らかいな。また何か文句を言われたり
反応されるまでこのままいじり続けてみたいと思う。でも、抑えておこう。
もっとこう仲良くなったら思う存分にいじり倒させてもらえば良いじゃないか。何も、
今やって心象を損ねるよりはそっちの方が良いだろう。
「ほい、じゃあ私はタオルを片づけてくるから。」
「あ、ありがとうございます。」
ぺこりと頭を下げるものの、視線は依然として手元に集中したままだ。
あの集中力を保てたまま料理を教える事ができるならば、きっと急成長間違いなしなのだけど。
恐らくは編み物だからこそ発揮している集中力なんだろうなぁ。
タオルを手に部屋を出た後、勝手に少しずつ乾き始めていた自分の髪を改めて脱衣所で拭いて、
使い終わって重くなったタオルを片づけると私は居間へと戻った。
集中している彼女の横でベッドにべたーっとくつろぐのもどうかと思い、とても戻れなかっただけなのだが。
とはいえ、居間にいてもやはりする事はない。しなければならない事はもうこの時間には彼女が代わりに
済ませてしまっているからだ。でも、約束の10時までにはまだまだ、遠い。

何をしよう。何をしよう。
そうは考えてみても思いつくものが無い。5分くらいなら余裕で時間は潰れたかもしれないが
後一時間近くこんな事をするのは余りにも不毛というか、むなしい。
ふと窓際に立ってカーテンを少しずらしてみれば家の中と外との温度差のお陰で少し曇って自分の顔が映る。
そろそろ雪が降る季節になるのかな。……地上の雪って凄いのだろうか。
洞窟の中から見える世界だけが私にとっての地上の世界だったけれど、足を踏み出してみて
改めてその世界を認識した今は本来の地上の世界の姿というのがどれくらいなのかもう想像ができない。
所詮私が見たその世界は、まだ広い地上の世界のたかだか一角にすぎないのだろうけれど。
ふと窓に触れて、冷たさに指を引っ込めるとカーテンを閉じた。
「寒くなったねぇ。」
誰に言う訳でもないけれどそう呟いて椅子に座り、自分の腕をクッションに
頬をテーブルに載せて溜息を吐いた。この机も冷えているが窓程ではない。
むしろお風呂上がりだからか、ほんの少しだけひんやりとしていてちょっとだけ気持ちが良くて……。


「……うん?」
いつの間にかまた体を揺すられていて、あぁまた寝てしまっていたのだろうと思いながら、
目を開けて体を起こした。ふと視線を移動させれば10時をほんの少しだけ回ったところで、
振り返れば彼女がいつものお得意の表情で私を見ていた。
湯冷めをしてしまったのか、まだ若干眠い事に加えてちょっとばかり寒い。
「言っていただければすぐに準備しましたのに。」
申し訳なさそうな声が耳に届く。
「ん、あぁ。いや。気にしないで。」
手を差し出せば彼女がその手を拾ってくれて、彼女の力を借りて椅子から立ち上がる。
そのまま私の肩を支えてくれる彼女の手がとてもあたたかい。
頭はぼーっとするままだが、寝るのだからこれで良いだろうと
そのまま彼女に支えてもらいながら部屋へと入りベッドへと潜る。
少しして、彼女が灯りを消したのだろう。部屋の中がふっと暗くなった。
「あぁ、ありがとう。」
「いえいえ。それではおやすみなさい。」
彼女が入ってくるのを感じて、自分の体の位置を少し直しながら彼女のスペースを確保する。
「狭いベッドでごめんね。」
「その分あったかいですから。」
それは私も同意見、だな。去年も含めて以前の、一人で冬にこのベッドで過ごしていた時の事を思い出せば
今こうしている方がずっとずっとあたたかいのは確かな事だ。
「そう言ってくれると助かる。おやすみ。」
頬まで布団を被ってそう告げると、既に手を引かれつつあった夢の世界にすぐに意識を投げた。
彼女が返事で何かを言ってくれたような気はしたが、何を言ったかまではよく分からなかった。


彼女に伝えたとおり、朝は寒かった。体の末端から少しジンジンとするような感覚が襲い、
目を覚まさせるのだけど今日は少し違った。前彼女が泊まった時と同じである。また彼女の体が
私の体にぴったり寄り添う様にくっついていて、足先以外はとてもあたたかかった。
彼女も足が冷えていたのか膝を抱えこんでいて、背中で私と体温を共有しているようで
どうやら彼女は私以上にあたたかそうだった。
私は彼女の体があるから、そうやって足を抱え込む事ができない。
……部屋が暗過ぎて良く見えないが今何時なんだろう。まぁこの子がこうして気持ちよさそうに寝ているのだし
わざわざ早く起こす必要だって無いんだし、そんなに急いで確認しないといけないほど重要な事でもないか。

こちらからだと彼女の横顔を覗き込む事ができる。
常日頃から色んな表情を見せてはくれる彼女ではあったけれど、
体じゅうの力を抜ききって朗らかな顔で笑っているのはこうやって寝ている時だけなのかもしれない。
満面の笑みという意味では食事の時が一番であるけれど。
食事の時とはまた違う、楽しそうな顔だ。ほんの少しふっくらとした頬が思わず突いてみたくなるような
そんな衝動を私に駆り立てさせるのだけど、起こしたら元も子もあったもんじゃない。
妖精がどの時期に育ちざかりなのかは知らないけれど、一杯寝て元気よくなってくれる方が
彼女の為でもあり、私にも何かしらがあるだろうと判断した。……言い方を正しくするならば今はただ単純に
こうして横顔をしばらくずっと眺めていたかっただけだとも言う。
恐らくは夢の真っただ中なんだろうな。今日はどんな夢を見ているのだろう。
こういう時に他人の夢の中を覗けたら、どんなに愉快なものだろう。私は見られたくないけれど。
他人の夢というのはどこか興味が湧くものだ。夢は夢だからこそ理不尽で、意味不明で、可笑しくて。
そういうものの中で四苦八苦していたり楽しんでいたりする様子を眺めるのも悪くないと思う。

ふと魔がさして彼女の方へと手をのばして、起こさないようにしながら彼女の手を求めて布団の中を探る。
膝を抱えているようだからその位置にあるだろうと手を伸ばしたら、案の定膝の前で手を結ぶようにして組んでいた。
その手を包むように片手をのせてそっと横顔を窺う。単純に変化があるのか見てみたかった。
最初は何とも無かったけれど、変化が少しして現れた。彼女自身の結んでいた手が解けて私の手を握りなおした。
彼女の手は私には少し冷たくて、ほんの少しだけ目が覚める思いがした。……冷えていたんだな、と実感した。
単純にあたたかさを求めて私の手を握っただけなのかなと思ったが、
その後彼女の体がゆっくりと伸びてその伸ばした足先が私の脛へと当たる。
やっぱり体の末端だからか、私の足よりはあたたかくても彼女の手に比べればそれはずっと冷たかった。
元々背中をくっつけていた彼女が体温を求めて足も私にくっつけてくる。
先日彼女を泊めた日の次の朝も、こんな感じでくっついていったんだろうな。
まぁ私だってあったかいものを見つければ自然とそれを頼るだろう。

不意に彼女が寝がえりを打って、私の手を引きずりながら彼女の胸の前まで持ってくる。
彼女の体がこちらを向き、まさか起きてしまったのかと思い、目を閉じて薄目で彼女の様子を窺う。
呼吸音に変化は無く、目もぴったりと閉じたままだ。……なんだ、ただの寝がえりじゃないか。
でも夢の内容に何かしら変化はあったのか、彼女の口の端が何だか満足そうにちょっとだけ持ち上がって、
顔の筋肉に力は入っていない様だけれどもとても嬉しそうな口元だった。
片方だった手にもう一本くわえて、両手で彼女の手をそっと包む。
彼女の眉が少し動いて、それに警戒しながらそっと手を私の胸に引き寄せれば、彼女の体がつられてもぞもぞと寄ってくる。
さっきまでくっついていた背中程の温かさは無かったけれど、彼女の顔が私の胸の中に収める事ができそうなくらいに近づいてくる。
姉さん程の胸は無いから流石に包むって感じは無理だけど、我が子を抱いている様な気持ちにはなれたような気がした。
たぶん、今抱いている感覚がそんな感じなんだろうと思う。例え無意識の行動であっても、
こうやって寄り添ってくれる彼女がどこか愛おしい。
「大ちゃん。」
決して良いとは言えない行動だと自分で分かってはいたけれど、小声でそう囁いてみる。
返答は無く、彼女の規則的な息使いが私の肌を撫でるだけだった。
「頑張ろうね。」
「……うん。」
お互い、頑張ろうとする物は違うけれど。
それでも、そんな私の言葉に返事が返ってきたのはちょっと嬉しかった。


「っくしゅ!」
体の前の方はこんなにもあったかいけれど、一緒に共用している布団以外何も無い背中が寒い。
ふと感じた鼻のむず痒さに彼女の方から顔を背けるとすぐにくしゃみが出た。……何だか少し頭も痛い。
ひょっとして風邪を引いたかと考えたけれど、気候になれているはずの私が彼女よりも先に風邪を引くというのは
どこか情けないものだと思った。
「っくしゅ!」
立て続けの2回目。……寝ている彼女のすぐ横でこんな大きい音を立てたくは無いのだが。
流石にこればっかりは私だって止めようとしてもちょっと無理がある。
身の回りの異変として何かを感じたのか、彼女の眉と瞼が動いた。
「う~ん。」
そのままゆっくりと閉じていた瞼が開いて、薄く開いた目が私を見つめる。
やっぱり起きてしまったか。当の私は薄目で頑張って寝ているふりをした。
ずっと手を握りっぱなしだったから、起きていると悟られるのが何だか着恥ずかしい事もあって
彼女に変に思われたくなかったからというのが本音である。

しばらく彼女が私の顔をじーっと見ていた気がする。
凄く観察されている気配があったから、薄目すら開ける事はせず
ずっと寝た振りに徹していた。彼女の規則正しかった呼吸音も乱れ、
どうにも少し覚めてしまったらしい事を知る。
それから少しして、彼女が私に向かって声をかけた。
「寒いですか?」
……どう返すべきか、悩んだ。完全に熟睡して何も聞こえなかったふりをするべきなのか。
それとも彼女の真似をして、寝言のようにして答えるべきか。
ひょっとしたら、これは彼女がカマをかけているのではないか。
疑いだしたりしたらキリがない。でも延々と悩むともう最初の選択肢以外の選択肢が消えてしまう。
考えられる可能性はいっぱいあったけれど、きっと切り抜けられると信じていた私は
「うん。」
そう答えた。でも、その言葉をまるで待っていたかのようにすぐに切り返しに
「起きてますね?」
そう、彼女が告げた。心臓が急に高鳴る。全然切り抜けられてないじゃないか。
完全にバレている。彼女のクスクス笑いが耳に届く。いや、でも
私が目を開けたりといった特別な反応をしない限り、寝たふりをしている事がバレたとしても
完全にそれを確かめる術がないんだ。……そうか。これもカマかけに違いない。
寝たふり、寝たふりだ。嘘をつくという意味では彼女にちょっと申し訳なかったけれど、
私だって些細な事であれ守りたいものがある。

程なくして、予想が外れたとばかりの溜息が私の手を撫でた。
どこかそれにほっとしていると、私の手の中に包んでいた彼女の手が抜け出して、
私の体を越えて背中に届いた。
「つめた……。」
驚いたような彼女の声が一瞬漏れて、慌てて口を閉じたのかその先は聞こえなかった。
どうやら私の背中は彼女には冷たかったらしいが、私としてはその手が凄く温かかった。
先程まで握り合っていたからか、ほかほかにぬくもった手から熱が
背中に広がっていく感覚は、浴槽に浸かる時のような充足感を私にくれた。
にじり、にじりと彼女の体が近づいてくるのを感じ、少し待っていると
私の胸に少し冷たいものが触れた。……吐息が服にかかるのを感じる。
「ふかふか。」
私が耳を澄ませていた事もあり、確かに胸元で小さくそう言う声が聞こえた。
どうやら彼女の頬がそこにあるようで、なんだか遠慮がちに私の胸の感触を確かめているらしい。
「いいなぁ。」
さらに小さくなった声で彼女が続けた。……貴女はこれからきっと成長するのよ、
と声をかけたいところだけど妖精のこの子の場合はこの姿のまま一生を過ごすのかもしれないと考えると
迂闊にそんな言葉もかけてあげることができない。
それに何より、私は寝ているという設定だ。元より返答なんてできやしないのだ。
そう、声での返答はできないのだ。
私と彼女の間でフリーになっていた私の手を、ゆっくりと伸ばして彼女の後ろ頭に添える。
彼女の体がびくりと跳ねて、私の背中に回っていた手がわたわたするのを感じながら、
手にほんの少しだけの力を入れて、彼女の頭を抱きしめた。

動揺していた彼女の手は少しして落ち着きを見せたけれど、
さっきまで冷たく私の胸に当たっていた彼女の頬は一転してとてもあたたかくなっていた。
見る訳にはいかないけれど、顔を真っ赤にしているのだろう。息をひそめたように凄い静かだ。
きゅっと私の背中に回っていた手に力が籠る。……本音を言えば、ひしと抱きしめてくれるよりも
その温かい手で背中をさすってくれるともっと助かるのだけど。でも嬉しかった。


しばらく抱擁を楽しんでいただろうか。私にとってはお互いに意識のある抱擁で
彼女にとっては半分無意識の抱擁だったわけであるが、どうにもこうにも
お互い余計に覚めてしまったようで、もういっそ起きてしまおうかと考えた私は
少しわざとらしい動き方でいかにも今起きたという演出をする事にした。
彼女の背中から手を離して、その手で目を擦りつつゆっくりと目を開ける。
……今度は彼女の方が頑張って寝たふりをしていた。そんなにきつく目を閉じていては
恐らくどんな子も騙す事ができないよ。私としては楽しいから指摘したりはしないけどさ。
彼女の手は逃げ遅れたというか、未だに私の背中の後ろできゅっと結んだまま固まっていた。
「大ちゃん。起きて。」
彼女をちゃんと寝ているものとして、肩をさすってそう声をかければ、
頑張って今目覚めたんだと言わんばかりの演技をしながら彼女が目を開けた。
思わず笑いそうになるのを笑顔でごまかしつつ、
「おはよう。」
そうやって声をかければ、寝ぼけたような声で
「……おはようございます。」
そう返ってきた。
「それじゃ、布団が恋しいかもしれないけれど、居間へと行こうか。」
「はい。」
そう言って彼女と一緒にベッドから立ち上がれば体を襲う寒さと一緒に頭がまた少し痛んだ。
昨日の湯冷めが原因といったところか。まぁ支障は無いだろう。


「あたま、痛いのですか?」
少々硬いパンを焼いて、野菜や保存用のお肉、胡椒を使ったサンドイッチを拵えてそれを朝食にした。
私が片方の手でパンを持つ一方、もう片方の手で肘をついて頭を支えるようにしながら食べていたからか、
硬いパンに苦戦しながら彼女がそう私に尋ねた。
「少しね。」
実際はというと、結構痛かった。寝ている時はまだ楽だったんだけどな。活動しはじめたら
段々痛みが増してきたような気もしないでもない。彼女にうつるという事が無ければいいのだが。
まぁ、原因が原因だからそんな事はまずないだろう。それに、問題なのは私の体調自体の事ではなくて
昨日の湯冷めが原因である事を悟られて自分のせいだとかそんな風に考えを起こされてしまう方が
私にとってはよっぽど都合の悪い事だった。
「今日のお昼ご飯何にしようかねぇ。」
できたら話題を変えたかったから、そうやって声はかけてみたけれどただ一言
「ま、まだ朝食たべてますから、何とも言えないです。」
そう返事があった。まぁ、当たり前だな。ほかに良い話題無いだろうか。
「そうだ。今度の29日、ってぇ、明日か。夜ちょっといいかな。
ひょっとしたら泊まりになるかもしれないんだけど。」
「お仕事ですか?」
「んー。いや、もっと私的な用事だから、用事があるとかならいいんだ。」
彼女が首をかしげながら、そのまま私に尋ね返す。
「大丈夫ですよ?」
「そうか。うん。ありがとう。」
よし、話逸らしのついでに焼き肉の予定を確保。
給料を渡すタイミングは明日の夕方くらいで良いだろうか。
ひょっとしたら何かを買いたがるかもしれないんだし。それまでには
この程度の頭痛も治るだろうしね。


その日の午前中は、ずっと家の中に籠っていた。とまぁそれはいつも通りの事でもある。
彼女が働くのは元々午後からの予定なのだし、来るのも大体お昼ご飯に合わせるからお昼前だ。
だから彼女にはずっと編み物をしてもらっていた。本人は朝から仕事を何か任されると思っていたらしく
私が編み物の許可を出した事に凄く喜んでいた。……早速もう編み始めている。
一方の私は居間のテーブルの上で一人ペンを握り用意した紙に色々と整理をしにかかっていた。
彼女の働いた時間だの、といった計算である。彼女に説明するための資料として使う目的もあるから
字よりも出来る限り図で説明できるように書いておいた。……読めないままに一方的な説明をするのは
何だかとてもかわいそうな気がしたし、困るからだ。
計算の結果は、姉さんと最初にこの程度だろうと示し合わせていた金額よりもほんの少しだけ下回って
なんだか申し訳ないなぁとは思ったが、これはこれで結構な大金である。
彼女がいつもどのような生活の仕方をしているかは知らないが、少なくともこれは
私にとっては持ち歩きたくない金額だ。後でこの資料に今日の分と明日の分を書き足して、
お給料と一緒にこの紙を見せる事にしよう。
「大ちゃんよい、そろそろお昼に何が食べたいか浮かんだかい?」
居間から声をあげて自分の部屋にいる彼女に声をかけてみれば、少しして返答があった。
「た、卵焼きが食べたいです。」
「分かったー。」
卵焼きか。ご飯に卵焼きに……他には色的に考えて煮物と葉野菜を中心にサラダくらいかな。
紙を畳んでポケットに差し込みながら、棚にペンを仕舞い台所へと歩く。
もうそろそろ炊きあがるであろう、二人分のご飯を入れたお釜の様子を外から確かめつつ、
食材を取り出して頭の中にあったメニューをひとつずつ消化するように用意していった。


今日は割と穏やかな気温だった。朝寒かったのに、二人揃ってお弁当や編み物道具を手に外へ出てみれば
風がほとんど吹いていなくて、あたたかいとは言わないけれど寒くは無かった。
きっと上の世界も今日は天気が良いのだろう。
「君の住んでいる所はもう雪が降ったのかい?」
「いえ、まだです。遠い山の方はちらちら降ったり積もったりしてる場所もあるそうです。」
私にとってはもうお馴染みの場所へと向かいながら彼女とそんな事を話ながら進んでいた。
地上の方でも雪が酷くなってきたら、どうせこちらの地下に用があるまともな輩は居ないだろうと踏んで
家に籠れるのだけれど。……まぁ、それもそろそろの事だろう。そうなったらちょっと彼女の仕事の時間は
減ってしまうけれど何をさせるべきなのだろうか。編み物は仕事に入らないし。
その頃にはこっちだって寒くなってるだろうから、寒い中無駄骨を折るようなのも何だか嫌だしなぁ。
その頃になったら考えよう。浮かばない。

いつもの場所に腰をおろして、二人でお弁当を囲んでゆっくりと蓋を開く。
卵焼きも煮物も上手い事できていたのだが、私の配慮不足で煮物の汁が野菜の方に漏れかけていた事を
除けば見た目は割と整っていたしまともな食事だったんじゃないかと思う。
彼女は嬉しそうに卵焼きを頬張ってばかりいたが。……結局野菜と煮物を6割近く食べたのは私だ。
用意してきた二つの水筒の内、ひとつを開けて少し熱めのお茶を注いでお互いに飲みながらゆっくりと食べて行った。
もう片方の水筒は、お互い寒くなってきたらと言う事で、とてもとても熱いお茶が入っている。
この気候だから、いざ飲もうと言う時にはちゃんと飲みやすい程に熱が引いている、というわけだ。
そこまで冷えていてくれなくとも、コップに注いで手に持っているだけでもあたたかいしね。
しかしまぁ、今日は心配するような寒さではないし、もとより今陣取っているここは
見晴らしの割には風なんてまず滅多に吹かないから関係ないだろう。
「ごちそうさまでした。」
「はい、お粗末さま。」
いつものように手を合わせる彼女に対して私も手を合わせてそう呟く。
使い終わった箸や弁当箱を運びやすいように仕舞って、彼女も私も近くの川で軽く手を洗ってから
編み物を開始する。昨日の入浴後の事を確認していなかったが、かなり集中してたのか
彼女のマフラーは最後に見た時よりも結構な長さを得ていた。私が今編んでいる程早くはないものの、
やる気と集中力を詰めるに詰めてこれだけ編んだんだ!って、そんな感じが見ているだけでちょっと伝わってきた。


今日もいつもと同じだろう。と思いながら過ごしていたのは私だけだったのだろうか。
その日のある時、私と彼女は一斉にマフラーから顔を上げて洞窟の奥へと目を向ける事があった。
最初はただの気のせいかと思ったけれど、彼女も私が見ている方向へと向けていたので
恐らく気のせいでは無いのだろう。何かの気配が、私と彼女をその方向へと視線を向けさせたのだ。
「誰か、居ますね。」
彼女がマフラーを編む手を休めながら、私に語りかける。私と同じように気配を感じたのだろうが、
確信的な言い方だったのはちょっと驚いた。私よりも感覚がもっと鋭いのだろう。
少しして、私の耳に足音が僅かばかりに届き私も確信を得た。
「うん。居るみたいね。」
こんな洞窟をわざわざ歩く輩は居ない。基本飛んでいるからだ。
とすれば飛べない誰かなのはほぼ間違いない。まぁ歩くのが好きという物好きだったら当てが外れるけれど。
「大ちゃん、申し訳ないんだけどお片づけしてもらえるかね。」
「お仕事ですね!」
編み物を中断させても全くがっかりそうにしなかった所は褒めるべきところだ。
……というか家事以外でそういやまともに仕事に触れる機会が無かったものね。
私は昼食の道具を手に、彼女は私と彼女の分の編み物道具を手に地面を蹴ると
その足音と気配のする方向へと飛んで行った。

恐らくは人間がいるのだろう。あまり道に慣れているとはいえないような足音からそう判断した。
彼女がちゃんとついてきてくれているのを確認しながら、ゆっくりと進んでその影の斜め前へと着地する。
やや若い、といっても眼力はちょっと強そうな人間の男が、予想通りそこにはいた。
「そこ行くお兄さんよ。」
「……おおう。」
服装自体は結構な重装備だ。顔以外で肌の露出が無く、布地は保温よりも丈夫さを重視したという、そんな服で
見た感じ遊びに来た、と言う訳では無さそうだ。以前の変な巫女や変な魔法使いのような異質なオーラも無い。
一度どこかで足でも滑らせたのか、やや片足を引きずるような感じで歩いていて、膝から下が少し土に汚れていた。
「此度はどのような用事でこの地下へ?」
私の言葉に男が後ろに手を伸ばし、背中に背負っていた荷物、小さいものではあったけれどそれを指さした。
「商人なんだ。」
商人、まぁそんな者くらいしか通る事はないんだけどさ。しかし今回のこの男、荷物はあまりにも少ないように思える。
金を持ちこんでこちらの商人からめぼしいものを探して持って帰るのだけが目的か。
それともその中にかなりの貴重品でも詰めてきたのか。……けれどそれならわざわざこの季節を選ぶ必要は無い気がする。
「行きたい所は街なんだろうが、道は分かるのかね。」
「いいや?全く。ただ道があるから進んでいるだけさ。」
まぁ確かにこの大きな道に添って進めばかなり先の事であるがこの男が言っているように街にたどり着く。
変な道を途中で選ばなければ、という条件のもとでだが。
「しかしまぁ、これで少しは安心だね。」
疲れていたのか、背中に背負っていた荷物を大事そうに置いて伸びをしながら男が呟いた。
置き方からしてやはり貴重品の類なのかもしれない。それに結構重そうだった。
よくよく見れば何だか部分的に変に角ばっているようにも見える。
でも貴重品ならもうちょっと平らな所とかを選んで置きそうなものだが。
「それは何故だい?」
先程男が放った言葉にそう返す。何だか私と出会って一言二言話したあたりからこの男からは
緊迫した様子というものがほとんど感じられない。むしろリラックスしてしまった、という感じだ。
……あれ、そういや彼女はどこに行ったんだろう。そう思って少しばかり視線を動かしてみれば
男の向こうにある岩陰の辺りからこっそりとこちらを窺っていた。
浮気現場を目撃してしまった家政婦のような姿だ。
「そりゃあねぇ。こんな輩を追い出すような言い方じゃなくて、道を知っているかどうかをわざわざ尋ねたんだ。
少なくとも貴女は道を知っている。加えて、貴女が此処に居る。遠すぎず近すぎず、辿るべき方向からも
たぶん外れていないだろうと判断するよ?俺は。」
概ね、正解だろう。
「何だか妙に誰かに見られている気がするがね。」
あぁ、それについては完全に正解だ。
その言葉に彼女が完全に顔を引っ込めた。……羽見えてるけど。

「できたら道案内を頼みたい所なんだが。」
「……よくもまぁ、警戒の色も見せずにそう言えるもんだね。」
まぁ今まであったような商人も大体こんな感じだったがね。
もとよりこんな場所に商売に来ようと言う時点である程度覚悟とかがあるのも
肝が据わっている事も分かっている。
「襲うような輩なら俺はもう死んでいるだろう。まだ襲われてないって事は、つまりそう言う事だ。
それに今からじゃあ襲うとなっても、もう逃げるとか無理だろう。水筒二つ持ってるんだ。
おそらくすぐ近くにお仲間がもう一人いるだろうし、俺はもう詰みなんだよ。
だったらいっそ、こういう話を持ち出した方が俺にとってはただ裂かれるよりもずっとずっと得だし
何よりもまだやりがいがある。そうだろう?」
そう言うと男が荷物の横に座り込んで荷物を漁りはじめた。
少しして白い包帯を取り出すと引きずっていた足を包む生地を捲りあげて怪我していたらしいその足、
その傷口をさらけ出した。生地のおかげか擦り傷自体は大したことは無いが、捻ったのか腫れてしまった
部分は、無理して歩いてきた事もあったのか、凄く痛々しかった。
「大丈夫かね。」
「あぁ?あぁ。走るんじゃないんならこれでも十分さ。」
「……手当したら出発するかい?短い道を通れば夜前には着くと思うがね。」
「出来れば少し休ませてもらえると助かるんだが、駄目かね。」
それも、そうか。

座り込んだ男から視線をあげて、岩陰の向こうにいるはずの彼女を呼び出す。
そーっと覗いていた彼女が回りこむようにしながら私のところまでやってきた。
あんまり人間は得意ではないのかもしれないな。
「一旦家に帰って、この弁当箱と編み物道具、置いてきてくれるかな。これ家のカギ。」
「は、はい。」
「置いたら戻ってきて。道、分かるね?」
「もちろんですとも!」
彼女が私から弁当箱を受け取って物凄い勢いで空を翔けて行った。
あんなにスピードを出して。どこかに体をぶつけたりして怪我しなきゃ良いんだけど。
「飛べるってのは羨ましいものだな。」
「まぁ、それはしょうがないんじゃないかね。」
「それもそうだ。……そう、護衛を頼むのに何も無しってのは流石に気が悪いんでね。
お礼の品を何か用意したいんだが、これでいいかね。」
彼女が飛んで行った方角から振り向いて男の方を見れば
ポンポンと横にあった荷物を叩いた。……それ、貴重品なのか貴重品じゃないのか、どっちなんだ。
「中身は?」
「薬さ。……2割くらいでどうだね。」
「薬ねぇ。流石に間に合ってるよ。」
こいつは薬を売るためにわざわざ潜ってきたというのか。
こっちにだって薬は無い訳じゃないぞ。てっきり貴重品の類だと思ったんだが。
「まぁ、そう言うだろうな。んじゃあ、……うーむ。」
自分自身の足と薬が入っているらしい荷物を行ったり来たりさせながら、苦い顔で男が唸る。
「効き目が凄い事は保障するし、加えて俺の命を担保にするからとりあえず頼まれてくれないかな。2割で。」
「あんたの命は相当軽いんだね。」
「軽いさ。ここで死ぬか、街で死ぬか、死なないで戻れるかの3択しかないようなもんだよ。」
見方によっちゃ確かにそうかもしれないが。別段私は
あんたの命を10個貰っても嬉しく無いよ。
まだ彼女の手料理を1個でも食べる事ができたほうが嬉しい。
「……どういう薬があるんだい。」
「あらかたの怪我や病気であればとても効くのが。……もとい、そんなに沢山の種類は持たせてもらってない。」
持たせてもらってない?商家の使いか何かか。
「転売の形になるからな。ちゃんと宣伝してくる事を前提に今ここにある量までを安く売って貰ったのよ。
宣伝目的もあるからか、完全に嗜好品だろうと思うような薬まで持たされてるけどな。」
今ここにある量って……そんなに大量の薬には見えないのだけど。
「なんなら嗜好品の類は貴女が持って行ってみるかね。普通の薬は足りてるんだろう?」
「あぁ、うん。」
ちょっと包帯を使った位だ。別段そんなもの地下でも買い求める事はできる。
彼女が多少の風邪を引いても看病する位の薬もあるにはある。

「ちなみに嗜好品ってのは?」
「少なくとも一般向けな薬とは思えないって事だな。誰が得するのか分からない薬まであるよ。」
誰が得するのか分からない薬って言われてもなぁ。こいつ宣伝する気あるのか、無いのか。
実際に物を見ないと何とも言えないな。そんな私の考えを見抜いたように男が続ける。
「どうせあの妖精を待つんだろう?何なら戻ってくるまで中身見ておくかね。」
「見て興味が全く湧かない代物だったらどうするのさ。」
「あぁ、それは無いだろう。絶対に。興味だけは少なくとも湧くと思う。」
……訳が分からない。
「というか、そんなに豪語する薬なのに自分の足は治療しないのかね。」
「言ったろう。宣伝しなきゃいけないんだ。それに報酬で払う金額も、自分の儲けも考えたら、分かるだろう?」
自分の足を使って実演販売ってところか?
その商人根性は認めるが手おくれになっても全く責任取れないぞ私は。
「ほら、これがその箱。」
薬箱というにはかなり小さい箱をその男が取り出して私に手渡す。
見た目よりは軽い。飲み薬よりも粉薬と思った方が良さそうだ。
「それは中身がまるまる嗜好品。俺が街で売ろうとしているのも同じ大きさの箱だな。
中身の量としては確かに少ないがそれでも効き目は保障されてるから売れると確信している。」
ふむ、とすれば薬をただ売るのではなく、セットで売るんだな。見積もりが楽そうだ。
「お、お待たせ、しました。」
かちゃり、と薬箱を私が開けたところで凄い勢いでやってきた彼女が
息絶え絶えに私の傍らの岩によろけながらつかまってそう声をあげる。
……そこまで急がなくても良かったんだがね。ひょっとして置いていかれると思ったのかな。
「お帰り。それじゃこの子の息が整ったら出発しよう。」
「お願いするよ。」
「い、今からでも、大丈夫、ですよ?」
どう見ても大丈夫に見えない息の仕方なんだけど。目の焦点も合ってないじゃないの。
「いいから、休みなさい。」

確かに男が差し出した箱に入っていた薬品は嗜好品と言っていいだろう。
薬が入っているから薬箱には間違いないのだろうが、どれを見ても怪我とか病気に効果があるとは思えない薬ばかりだ。
精神病ならまぁ、ちょっとだけ効果がありそうな気がしないでもない薬があるが、
全体として見るならお高いお遊び道具箱、といった方が良いだろう。使い方次第では拷問にも使えそうだ。
全くもって変な薬ばかりだが、確かに男が言ったように興味を引く分には十分すぎるかもしれない。
[擬似的に風邪の症状を起こす薬]だとか、
[しばらく食べた物全てが御餅の味しかしなくなる薬]だとか……。

どうやら箱の中の位置によって大体の薬品の方向性が定められているようで、
それぞれの薬の内容量自体は少ないけれど、種類は中々だった。試供品という言い方の方がいいのだろうか。
どちらかというと、一人で楽しむものでもないようだ。
[猫のような耳を生やすお薬]
[呂律が完全に回らなくなる薬]
こういうのとか、自分で飲んでも仕方無いし。後者は姉さん辺りに飲ませてみたい。
お酒をどれだけ飲んでもしっかり喋るからなぁ。……どういう舌してるんだろう。
「こっちは……。」
4分の3程、名前と効能を流し読みしながら調べ終わって、最後の一角を調べ始める。
まだ息の少し荒い彼女が私の肩にもたれかかりながらその様子を覗きこんできた。
「お、お薬、ですか?」
「ん?うん。」
薬といえばまぁ薬だ。文字が読めないからか、私が手に取る瓶のラベルに書かれた
小さなイラストを見て彼女なりに楽しんでいるようで、そんな彼女の熱い体温を背中で感じながら、
次の瓶を手に取るなり私は固まって瓶のラベルを手で覆い隠した。
「今のお薬は?」
「ん、うん。その、仲良くなりたい時に使う薬だね。……たぶん。」
「楽しそうですね。」
び、媚薬なんだけどな。まぁこの子には文字が読めてないから
恐らくその下の手を繋いで寄り添ってるイラストしか目が行ってなかったと思うのだけど。
そっと手を開いて、彼女に見えないようにしつつちらりと見直してみれば、人間用と書いてあった。
その言葉に一息溜息をついて、その瓶を戻しながら横の瓶を手に取れば全く同じイラストが書いてあったから
私は慌ててそれを後ろ向きにひっくり返した。
何で2本……あぁ、妖怪用か。

……妖精は、入るのかな。そう思って対象を見てみれば、鬼とか色んな種族も含めて書いてあるそのリストの
かなり後半の方に妖精とちゃんと書かれていて、思わずゴクリと生唾を飲んでしまった。
「興味あるのですか?」
「え?あ?えぇ?!」
文字を隠すように読んでいたら後ろからそう言われて私は慌てて瓶を箱の中に戻した。
確かに興味があるし、的確なツッコミだけど……なんというか、お陰で凄く心臓に悪い。
「そ、そうだ。息は整った?」
「最初から大丈夫だって言ってますよ~。」
最初は明らかに息絶え絶えだったじゃないの。
私はその言葉を聞くと、手に持っていた薬箱の蓋を下ろしてその留め具を閉じた。
「お、行くかね。」
私が薬の内容を見ている間に昼食を摂っていた男が慌てて携帯食糧を片づけつつ荷物を背負いはじめる。
「あぁ、うん。行こう。」
「効き目だけは保障するさ。内容はともかくね。中々に変な薬だらけだったろう。」
「見てる分には楽しかったわね。」
一部心臓に凄く悪かったけど。……欲を言えばまだちょっと確かめて無い薬がある。
「そいつとまぁ、売上の2割くらいで勘弁してくれると助かるよ。」
「考えておくさ。とりあえずこれは持っておくよ。」
「あぁ、そうしておくれ。ちょっとだけでも軽い方が助かるんだ。何だかんだ足痛いからな。」
よっぽど酷い様だったら、後で半分くらい荷物を持ってやるか。
そう思って座っていた所から腰を上げれば後ろから彼女に袖を引っ張られた。
「あの……。」
「どうしたんだい?」
「仲良くなるお薬っていうのは変な薬なんですか?」
「うーん、解釈の仕方って奴だよ。きっと。」
急に小声で話しかけられたので私も小声で返して。
……何だか凄い顔が熱い。嘘をつきたくはないが、正直に言うのは何だかもっと辛かった。


いつものように空を飛ぶ訳にはいかないから、とぼとぼと歩き続ける事になったのだが
あまり他の誰かに今この洞窟の中で会ってもめごとに巻き込まれたくないと言う事で
私が男の横について行き先を示しながら、元気を取り戻した彼女が空中から行き先の状況を調べ、
石橋を叩いて渡る様にしつつ街を目指していった。
この男の存在に気付いた時もそうだったが、やはり彼女は結構敏感なようで
私が気付かないような事も結構報告してくれた。そのおかげで、いつも誰かを案内する時に比べれば
ずっとずっと安全で進むのも早かった。

道のりの半分程を過ぎて、もうすぐ残り3分の1という程度になったところでまた一度休憩を入れた。
男の方は怪我した足をかばう様にしてきた足が限界なのか、怪我した足ではない足を
しばらくの間座ってマッサージしていた。彼女も、歩いた訳ではないが
その様子を見て足を彼女自身のマッサージしていた。でも足は使わずとも神経は使ってるんだろうな。
後で何かしらで労わらないと。
「まだつかないかね。」
「まだあるね。まぁ、これだけ街の近くになればそんなに心配する事はないさ。」
てっきり不安なのかと思って男の方へと視線を送って顔色を覗きこんでみれば
そういう顔色とは全く違い、どのようにして儲けようかとする商人の顔つきだった。
大体どんな商人も似たようなものだな。まぁそういう意気があるからこそ
こんな場所にわざわざ商売に来ているのだろう。
「荷物の半分くらいは持てるが、持とうか?」
「……申し訳ないな。お願いしたい。」
音が背中に背負った荷物のうち、少し重たそうな水筒と食糧が入った袋を取り出して私に差し出す。
流石に商品は自分で持ちたいようだ。まぁ、それならそれでよい。
別に私だって重たいものを持ちたい訳じゃないからな。少なくとも完全に腹ペコになる前に
さっさと済ませる事をすませて彼女と食事をしたいってところだ。
あぁでも明日は食べに行くんだから、今日外食は無しだな。家で済ませよう。
私は彼女に薬箱を渡して男からの荷物を受け取ると、それを背負ってまた再び街への道を歩き始めた。


「おぉ。」
そんな声を男があげたのは、最後に休憩を入れてから結構時間が経ち、
私達もお腹がいい加減食べ物をよこせと言いたそうな程に減ってきた頃であった。
視界の先に広がる広い空間と街の淡い光を見たからだろう。
どこか感動したような口調でそうつぶやいていた。
「綺麗ですよねぇ。」
隣の彼女がそう呟く。私はもう何度も何度も見てきた光景だからそう言う事を考える事は無かったが、
確かに今までの代わり映えのしない洞窟の景色に比べれば、そう言う風にも感じる事ができるのだろう。
「あそこまでの辛抱だなぁ。」
男が街より少し手前の辺りを見ながら呟く。その視線の先にあるのは街ではなく、
もうちょっと手前のところ。そこから整備された道が始まる。相当足にキてるな。
というかそろそろその服の下で手おくれになってる気がするんだけど。
「大丈夫かね?」
「あぁ。ちゃんと儲けるさ。」
……そういう意味で言ったんじゃない。

街の入り口に入った時にはすっかり夜になっていた。
といってもこの男にはあまり時間の感覚は無いようである。まぁ当たり前といえば当たり前だろう。
彼女だって最初に来た時は結構時間の感覚がつかめていなかったのだし。
「なぁ、宿屋ってあるのかね。」
「あぁ、すぐそこだよ。」
男の言葉にすぐ近くの建物を指さしたら、男がほっとしたように笑った。
「ありがとう。……なぁ、帰りも頼んじゃ駄目かね。道案内。」
「それくらいはかまわないさ。1回で道を覚えられるとは思ってないしね。」
それだけ分かりやすい道だったら私みたいに案内人をする奴なんて居ないし。
「助かる。3日程滞在しようかと思ってるんだ。明日と明後日くらいに売りさばいて簡単に仕入れてその次の朝出発したい。」
あぁ焼き肉の次の日を選ばれないのなら、凄く助かる。
焼き肉の次の日だったら無理矢理別の日をこちらが指定したところだ。
私にだって女性としてのプライドがある。一応。
「ふむ。じゃあ3日後の朝に迎えに来るとしよう。」
「金銭での報酬はその時に。」
「商売は明日からなのかね?」
「あぁ。今日はちょっともう集客が半端だろうからな。明日の昼過ぎくらいに実演販売ってところだな。」
「そうか……。じゃあ私たちはこれで。」
薬の効き目、一応見に来るというのも良いかもしれないな。というかあの足は明日の昼までずっとそのままなのか。
明日宿から出られなかったりしてな。根性で何とかしそうだけど。
ふむ。お給料は速めに渡して、お昼にこれを見てからちょっと買い物して、焼き肉を食べるか。
背にしょっていた荷物を男へと返し、一礼して背を向けた彼が宿屋の中に足をひきずりながら入るのを見届けると
私も彼女の手を引いて空へと飛び立った。
「さ、帰ってご飯にしよう。」
「はい。……お腹減りました。」
だろうねぇ。私だって減ったもの。


少々飛ばして、といきたい所だったけど、男の荷物を持って歩き続けるというのは何だかんだで体力を奪い
思う様に早くは飛べず、むしろ彼女に速度を合わせてもらっていた。ちょっと、情けない。
「大丈夫ですか?」
「うん。勿論。」
歩く速度に比べてしまえばやはり飛ぶ速度というのは段違いの速さだ。
しばらくして見えた自分の家へとたどり着くと、彼女に鍵を開けてもらい家の中へと入った。
彼女から鍵を受け取りながら、もう片方の手で玄関の鍵を閉める。
靴を脱ぐ場所から直ぐの処の廊下の隅に置かれていた弁当箱と水筒を回収しつつ
脱衣所に立ち寄って手を洗った。
「私は夕食の準備するから、疲れてるだろうけどお風呂の準備お願いするわ。」
「任せてください!」
そのまま腕を捲って嬉しそうに応えた彼女から薬箱を受け取って私は居間へと向かった。
彼女が居ないのを良い事に、手に持っていた薬箱を高い位置にある戸棚へと片づけ、
お弁当や水筒を居間のテーブルの隅へと置くと、鳴るお腹を押さえつつ台所へと足を運んだ。

ご飯を炊いている悠長な時間はない。もう9時になりそうだったから。
だから今日は麺だ。明日は焼き肉なんだし、時間的な都合を考えると
ソースを作っている暇は無いからあれだな。饂飩だ。饂飩。
考えるよりも先にお腹が減っている事もあって勝手に手が動く。棚から鍋を取り出すと
さっさと準備を進めて行った。後ろの方で彼女の声が響く。
「お湯はり始めましたー。」
「うん。分かったー。」
脱衣所から叫んだのだろう、聞こえた声に同じように叫んで返しながら
いそいそと他の素材を漁る。結局私が取り出したのは鶏肉と果物、そして野菜だ。
肉は避けようかと思ったが、鶏肉は食べないような気がしたから追加した。
鶏肉とほうれん草あたりを饂飩の具に回して、残りの果物と野菜で簡単にサラダを作ろう。
「もうちょっと待っててねー。」
廊下を通って居間へと行ったらしい彼女にそう声をかけつつ、
私も腕を捲ると急いで料理に取りかかった。


出来上がって、饂飩2つとサラダをテーブルの上に並べたはいいが、
メニューが原因か、何だか昼食のように見えた。まぁもう遅いのだし
この後お風呂も控えているから別にこれで良いだろう。胃もたれを起こしたりしたくないし。
「食べよう。」
「頂きます。」
私が声をかけると、彼女がすっと箸を握ってすぐにそう呟いた。
「頂きます。」
同じように私も続けて、箸を伸ばしていった。

サラダを食みながら、饂飩へと箸を刺す。お腹が減っていたからかなり
勢いの良い食べ方をしていただろうと自分でも思っていた。そのお陰で
彼女はしばらく私の方を見て笑っていた。
「思ったより元気で安心しました。」
「減ってるから、仕方無いのよ。」
何より荷物持って運んだりしたからね。
「そうですね。」
彼女が静かに笑いながら、ゆっくりと饂飩を食べる。
元気という点では彼女が今こうしてくれているのはとてもありがたい事だ。
一人暮らしを続けてきたから、こうやって疲れて帰ってきて食事を作っても孤食なんだもの。
その少し前まで誰かと一緒に長い道を歩いたりしたせいで、寂しさと疲れはとても感じていたし。
その時の事に比べれば、これくらいなら全然、どうということはないのだ。

最後に切っておいた果物を手に一息ついて、勢いよくたべたお陰で何だか苦しくなった胸の下をさすりつつ、
ゆっくりと背もたれへと背中を預ける。一方の彼女はゆっくりと夕食を食べ終えると
そのままふらふらとどこかへ出かけ、少しして戻ってきた。
「お風呂、いつでも入れますよ。」
「あぁ、うん。……ちょっと休んだら入ろう。」
「お背中流しますよ。」
「いや、大ちゃんが冷えちゃうし、そこまで気を使わなくて良いんだよ。」
半ばいつものやり取り……だったのだけど、今日だけ彼女の口調はちょっと強かった。
「いいえ。疲れているんですし、ちゃんと休んでもらいたいのです。」
ぐっと拳を握りしめて彼女がそう言った。
「疲れているといえば貴女だって今日は急いでお家を往復してもらったわよ。お互い様ね。」
私がそう返せば、強気だった顔がどこか痛いところを突かれたような顔に変わり、
次第に恥ずかしそうな顔へと変わっていった。自分の事なのに忘れてたのか。
「あ、ほら。でもお姉さんの方がきっと疲れてますって!」
まぁ確かに現状で言えばそうなのかもしれない。忘れられるというのはそれだけ今は問題ないとも言える。
「じゃあ、お言葉に甘えるよ。背中は任せるわ。」
彼女がとんっと胸を叩いて、嬉しそうに私の部屋の中へと入っていく。
最近はもうこの家にも慣れてきたのか、と言うか私に慣れてしまったからか結構部屋の入り方も遠慮が無くなった。
もはやあの部屋は私だけの部屋ではなく、彼女の部屋にもなりつつある。嫌な気はしない。
それだけ馴染んでくれているのなら、それでいい。


お風呂には一緒に入る事が多いし、そのおかげでもうお互いの裸というのは案外見慣れたものになった。
流石にまだまじまじと見られるのは私だって彼女だって恥ずかしい事に代わりは無いが、
普通にお風呂に入る分にはまるでもう恥ずかしさというものは無かった。
今更何故そんな事を考えるのか、といえば、一緒に浴槽に浸かっている時に彼女から投げかけられた一言である。
「あの、胸ってちゃんと女の子だったら大きくなりますか?」
彼女が、彼女自身の胸をぺたぺたと触りそう言ったのだ。
「どうしたの。急に。」
「い、いえ。その。」
彼女の視線が私の目から私の胸へと移動して、また私の目へ戻った。
そういや昨晩は彼女を胸に抱いていたから、そんな事を考えたのかな。
「その個人にもよるわよ。大きくなる子もいれば小さい子もいる。そんなものよ。」
「お姉さんは大きいのと小さいのではどっちが好みなのですか?」
そ、それはなんともいえない。別にこの子の胸だってかわいいとは思うし、
姉さんのような胸というのもやはり憧れるものがある。
「好きになるのは胸の問題じゃなくて、その人個人がどんな人か、だね。」
「そ、そうですよね。そうですよね。」
さっきまで自分自身の胸を触っていた手を今度はお湯の中で握ったり開いたりして、
彼女がちょっとだけ自信を取り戻したような目で天井を見上げる。
コンプレックスだったのかな、とそう思った一瞬でもあった。
「今日もお泊りしても良いですか?」
「うん、遅いんだし泊まって行きな。」
「ありがとうございます。」
無理に突き合わせたのは私なのだけどね。
「今日はもうお休みになられます?」
……食後に休んで入った事を考えればもう出たころにはとっくに10時を回ってるな。
「あぁ、ちょっとくらいなら編み物してていいよ。ベッドの端っこは貰うかもしれないけど。」
「いえ、そうではなく。」
うん?他に何かあっただろうか。彼女がそんなに時間を気にするような事。
終わって無い家事……も、無いしなぁ。
「朝、頭が痛そうにしていらっしゃったので……。あんまり無理なさらない方が。」
「あぁ、そこまで気にする程じゃないから安心していいわよ。ありがとう。」
彼女がその言葉にほっとしたように笑い、私は彼女の頭に手を載せると
軽く撫でてそう謝意を伝えた。体全体を包んでいる疲れに比べれば頭痛など。
そう、思っていた。


事の発端と言うべきなのか、最初に自分の体がやっぱり何かおかしいと感じたのは浴槽から立ち上がった直後からである。
お風呂にも浸かって、完全に緊張がほぐれた事もあるのかもしれないが、朝感じたような頭痛があった。
脱衣所へと上がっていつものように体を拭いて、居間へと行って彼女に髪を拭いてもらっていたが
お風呂から出て早々なのに肩口が冷えて寒く、
そこまで何かしなきゃ酷い痛みも無かった頭痛が、座ってじっとしていても鈍く残る。
「やっぱり。」
その言葉を呟いたのは彼女だ。ちょっと怒っているようにも聞こえる。
隠していたとか、そういうつもりはないんだけどな。私も彼女の髪を拭くためにタオルを用意して
それを手に持っていたのだけど結局その後すぐ、私の髪を拭き終わると
自分の部屋のベッドまで引っ張られた。
「無理せず寝ましょう。」
そう言いつつ灯りを調整しはじめる彼女に慌てて
「いや、大丈夫だからさ、もう少しくらい好きな事してて大丈夫よ?」
そう言ったのだけど、困ったような顔を彼女が浮かべ、とりあえず私をベッドにぐいぐいと押し込むと
私の手からタオルを受け取って髪の毛を拭き始めた。
「そんな事を言われましても。」
「休めばこの程度すぐに元に戻るんだから。ね?」
彼女がその言葉に小さな溜息を吐いて、タオルを二枚重ねて部屋から出ていく。
そんなに気にする事でもないだろうに。まぁ彼女が同じ症状だったら私も同じような言葉を言っただろうけど。
たかだか、ねぇ。寒気と頭痛くらいで。

タオルを片づけ終わったのか、部屋に戻ってきてドアを閉めると、
すたすたとベッドに入った私の所まできて確認するように、彼女がゆっくりと言った。
「じゃあ、好きな事をして良いんですね?」
「うん、私はベッドの端で休ませてもらえればそれでいいよ。」
彼女が頷きながらぐっと私から離れると、そのまま灯りの元まで行き止める間もなく灯りを全て消した。
「じゃあ、寝ましょう。」
少ししてベッドが軋み、揺れる。
「……ごめんね。」
「何かあったら、ちゃんと起こして言ってくださいね?」
「あぁ、分かったよ。」
彼女がゆっくりと私から背を向ける。
寝転がってから、響くように痛んでいた頭も少しだけ収まりを見せ
そもそもの体の疲れがあったから少しして私は眠りに落ちた。


夜が更けて、体を襲う寒さと何かが少しうるさくてふと目を覚ました。
彼女は私の背中に寄り添うようにして寝ているし、誰か来客があったようでもない。
何だったんだろうと気配を探っている内に、ふと無意識に出ていたらしい自分の咳で
その音の正体について確信した。果たしていつから咳をしていたんだろう。
まぁ放っておいても大丈夫だろう。まだ、寝足りない。そう思い頬まで布団をあげて体を包んでみるものの、
それでも肩口が寒い。足も寒い。
自分の手で肩口を包むように掴んでそれでなんとか耐えられるくらいだ。
夜が更けて冷えた事もあるが、どうにも寝る前より悪化している。
それでも彼女を呼ぶほどでは無いと思い、口を閉じて体を丸めてもう一度寝ようとするが
……どれだけ経っても、むしろ時間が経てば経つ程に寝るに寝られなくなっていった。

「大ちゃん。」
諦めて、彼女の方へと向き直りそう声をかけてみる。
しかしまぁ案の定と言えば案の定。疲れていたはずの彼女はぐっすりと眠っていて起きない。
自分の服の一部を掴んで幸せそうに笑っているところを見ると、良い夢を見ているのだろう。
どうにも起こすのは忍びない。でも起こさないでおいてまた後で説教されるのは何だか辛い。
だから、彼女の肩を少し揺らして結局起こす事にした。
程なくしてゆっくりと目を開けた彼女に寒いということと、予備の毛布がある場所を伝えて
暗い部屋の中を取ってきてもらった。
眠いんだろう。体が少し揺れていて、よたよたとした動きでとってきた毛布を私にかけていく。
「他には……?」
寝言のようにあまりハッキリしない声で彼女が囁く。
その声に首を振ると、彼女がベッドの中に戻ってきて目を閉じた。
頭を少し撫でれば、まるで落ちるようにそのまま眠りについていった。
そんな彼女の肩までちゃんと布団をかけて、私も自分の頬あたりまで布団を上げて彼女に背を向ける。
お陰でかなりあたたかい。咳は止まりそうにないが、これで寝る事はできそうだ。
そういえばお礼言ってないな。明日の朝起きたら、ちゃんと言わなきゃ……。
まだ痛む頭にそう刻み、膝を抱えて目を閉じると、少しして私も眠りに着く事ができた。


翌日先に起きたのは彼女だった。私の額に手を置いたその肌が冷たくて、
驚いて私も起きたのだった。彼女は私の枕元に正座して、額の次は頬や首へと触れ
困ったように私を見下ろしていた。
「おはよう。」
「……おはようございます。」
私の言葉にしょんぼりした声でそう答えた。私も身を起こそうと背中とお腹に力を入れてみるものの
起こした途端に急に回る視界に思わず後ろに手をついた。やっぱり、風邪かな。これは。
あの男からでも貰っただろうか。体調がそこまで良かったわけでもないから、
疲れたのも相まってなっちゃったかな。……情けない。
「今日はお休みになられた方が。」
そんな私の様子を見て、彼女がそう小さい声で囁いた。
「そう、だね。そんなに急ぐような時間でもないし少し休んで体調整えよう。」
彼女にかけられた声を聞いて横になりがらそう答えると、困ったような顔の彼女が部屋の隅へと歩いて行って
何かを手に私の元に戻ってきた。それを差し出すようにしたので覗きこんでみれば、それは時計で
どうやら7時あたりを指している。
「7時がどうかしたの?」
彼女が黙って突き出したままなので、そう尋ねてみれば慌てて彼女がそれをひっくり返した。
もう一度よくよく覗き込んで本当の時間を知り私も慌てて身を起こした。
急に起こした分目まいが酷く、彼女にもたれかかりながら尋ね直す。
「1時?」
「はい。」
目を閉じていても声はちゃんと聞こえた。ずいぶん長く寝ていたものだ。
その割には全然体調良いとは言えないし……むしろ昨晩よりは悪化してるような気がするな。
「大ちゃん。」
「何でしょう。」
「お昼ご飯、どうした?」
彼女がその言葉に視線を逸らしたが、少しして彼女のお腹が小さく音を響かせた。
お昼ご飯どころか朝ごはんすら食べた様子がない。あぁ、そういや料理できないんだっけ。
あれ、でも家には綺麗な台所があったはずだし、使っている様子も……。
手入れの十分さからいっても、放置している訳ではないはず。
「大ちゃん、本当に料理できない?」
「できないです。」
即答だった。……気にしている事なのかやっぱり顔がちょっと沈んだ。
でも私が出て行って料理をする気力は今はちょっと流石に無い。
「本当に?」
しつこいようではあったものの、もう一度尋ねた。
彼女の返答は無い、というよりはちょっと悩むように俯きながら
聞き取りづらい程に小さい声で呟いた。
「自信、無いんです。」
やっぱり、そうだよな。した事はあるんだ。

「大ちゃん。」
「……。」
私の言葉はもう予想できているんだろう。何を頼もうとしているのか。
でも、だからってそんな悲痛な目で見下ろされると凄く頼みづらいじゃないか。
「私はまだ食べなくても大丈夫だから、少なくとも貴女の分の食事は貴女がなんとかしなきゃならないの。」
お腹が減って無いというのは勿論嘘だ。ただ、起きてから一度もお腹が鳴っていないからそう言った。
体調の悪さもあるから、そこまで食欲があるわけでもないんだけどね。
今日は豪華にいっぱい食べようと思ったんだけどなぁ。さようなら、良い肉の日……。
「そんな、私は。」
あぁ、私がそう言ってもそう答えるのか。でも食べてもらいたいんだよな、ちゃんと。
うーん。彼女の性格を利用するようで嫌だけど。
「うん。……分かった。」
それだけ言って、彼女から身を離して立ち上がるとそのままベッドからドアまで歩いた。
うぅ、頭が何かを突き刺してるように痛い。目まいはまだ壁もあるから何とかなるけど。
ドアノブに手をかけたところで案の定彼女が私の袖を引いた。
「私、そこまで信用無いかい?」
出来る限り自然な笑顔で彼女にそう告げると彼女がぶるぶると顔を横に振った。
言いたい事は私だって理解しているが、このままじゃ何時まで立てどもお昼ご飯はできないだろう。
「じゃあ、行かせてちょうだいな。品は選ぶけど手間がかからないものなら負担にならないと思うから。」
彼女の困った顔を見ながらそう言うのには胸にも刺さるような思いだった。
ついでに言えば、筋肉痛というか足や腰の筋肉やついでに関節も痛い。

正直そこまですれば無理にでも私を押しとどめて挑戦してくれるかと思ったのだけど、
案外私の思惑通りにはいかず、ただただ彼女が私の袖を掴んだまま結局台所までついてしまった。
自信がないって、そこまで酷いレベルなのか?

「よいしょ。」
昨晩も使ったお鍋。それを2つ取り出してその片方をやっと私の袖から手を離した彼女に持たせた。
「ちょっと持っておいてね。」
饂飩の玉くらい余ってるだろう。そう思いながら、お鍋に一人分の水を張ってゴトクの上に載せ、
分類して分けてある食材を入れた棚を漁れば、都合のいい量がちゃんと残っていた。
まぁこれで無かったら他の麺類になっただけだが。……あまり立っていたくない。
取り出した饂飩玉をテーブルの上においてお鍋を持ったままの彼女に
「大ちゃん、私が用意した分と同じだけのお水をそのお鍋に用意して頂戴。」
そう声をかける。少しくらいはやる気になったのか彼女が言われたように
同じように水を入れると、私が既に置いていたお鍋の横のゴトクの上にそれを置いた。
その量を見て問題が無い事を確認しながら彼女の方のお鍋だけに昆布を浸して火にかけた。
「強火じゃなくていいの。ゆっくり、時間かかってもいいから、沸騰はさせない事を念頭に置いてね。」
できたら覚えておいてくれると嬉しい、という程度にそう呟きながら
行儀が悪いとは思いながらも台所にある小さなテーブルに軽く体を預けた。

やがてホツホツと泡が底から立ちあがってきた辺りでもう一度火の強さを確認し、
ついでに彼女にも確認させて浮いてきた昆布を箸でつついてお湯の中に戻しつつ待った。
段々と泡ができて浮いてくるまでのスパンが短くなり、この辺りで良いかと判断すると
彼女にもまたその様子を見せて、昆布を取り除いた。
「で、次はこっちね。」
昆布から出汁を取っている間に用意した少々荒削りな鰹節。
私の平衡感覚というか、そもそも見えている感覚自体が良好でない事もあって、
手を切りそうになったりしたけれどたぶん彼女は見て無いだろう、と思う。
そんな鰹節を入れ替わるようにお鍋の中に入れるともう一度テーブルに体を預けて、呟いた。
「昆布は、沸騰してる間も入れておくと独特のにおいとかぬめりが出ちゃうからねぇ。
一方の鰹節は入れると灰汁出てくるから、それをオタマですくわないといけない。」
といっても灰汁が出るのは割と時間がかかるけど。

「私だって料理は下手だったさ。いや、今上手いかって言われたらそれは他の人にしか判断できないんだけどね。
誰だってそんなもんなのよ?最初から上手いとか、そう無いんだから。」
彼女が口を開いて何も言ってくれないから、詰まる空気の中でそうやって語りかけつつ
ぼーっとテーブルのあたりから鍋を覗きこむ。……大体いいかな。
「ちょっと火、止めるね。」
5分程しか経っていないはず。いつもの時間感覚そのままなら。
火をとめて、お湯の中の流れが収まってから彼女を横に立たせて中を覗きこませながら一人喋る。
「沈む鰹節に対して、浮いて固まってるのがあるでしょ?」
「灰汁ですね。」
ここまで来て彼女が初めて口を開いた。少しだけ緊張解れたのかな。
私の方は足に入っている力が解けてしまいそうだけど。
「そう。で、これをおたまですくってちょうだいな。」
そう伝えれば彼女が用意していたおたまを取ってきて、お湯の中に差し込んだ。
ちょっと躍起になってとっているようだったけど、何も言わずに少し後ろの方から眺めて一息つく。
少しして取れましたと言わんばかりにこちらに顔を向けた彼女に、私も覗きこんでその様子を確かめる。
「上出来。で、沈んでる鰹節あるでしょ?おたまで取ろうとしても限界があるから、濾す必要があるのね。」
そう言いながら、新しい第三のお鍋を取り出してそれを出汁をとっている鍋の横に置いて、金笊を据えた。
ちょっと目が粗いけど、鰹節も相当粗い削り方したから大丈夫だろう。まぁ今日くらいだったら
正直箸とおたまだけでも何とかなったかもしれない。でもまぁ毎回こんな粗いのはねぇ。
とりあえず彼女の肩を軽く叩いて、火傷しないように一旦注意するとそのまま鍋を握らせて濾す役を任せた。

ゆっくりと新しいお鍋の中に、透き通った色のお湯がなだれ込んでいるのを傍目に見ながら
私が最初に用意していたお鍋に少しお湯を足して、火にかけた。
彼女が濾し終わったところで元々出汁を取るのに使っていたお鍋の代わりに
濾すのに使ったお鍋を置いて再度火にかける。とはいえとろ火だが。まだ麺茹でて無いもの。
「で、味付けをする必要があるわけね。」
彼女が頷いてそれに応える。……そういやなんだか急に素直になったな。
そんな彼女の様子に少しだけ首をかしげつつ、棚から醤油と匙を取り出すと
量を調整しながら一回一回分けてお湯の中に足していった。
どれだけ入れれば良いかなんて体が覚えているから本当はこんなまどろっこしい事せずに
そのまま醤油の瓶を傾けたい所でもあるのだが、それを彼女に真似できるかはまた別だ。
一回一回入れるたびに簡単にその匙でかき混ぜてお湯の色を確認させながら
いつもの汁の色になったところで、醤油を入れるのを止めた。
「いつもと同じくらいでしょ?」
とはいえ、我が家で饂飩を出したのは未だに数える程しかないけど。
「うん。」
彼女がじっとお鍋を見つめたまま答える。
「これで汁はおしまい。」
ふと、もう片方の鍋を見て、沸騰しかけていたそのお湯を見てうどんの玉を一人分投入する。
溢れかえりそうになるのをコップの水で抑えながら彼女に箸を渡して
ゆっくりと解れるように混ぜさせた。
「大体でいいから、いつも食べているくらいの柔らかさになったなって、上にすくいあげてみて思ったら火止めてね。」
そう告げて、テーブルへと座る。……横になりたい。
何だか食欲がちょっとだけ戻ってきたけど、余計に疲れてきたな。

少しして彼女が火を止めたので、テーブルにお尻を置いたまま後ろから声をかける。
「いつも使ってる丼に麺を移して、それに汁をかければ終わり。具はないけど許して頂戴。」
ただし一人分が、だが。私はどうせ一人前作っても食べきれないだろうからいいやと思っていたけど
何だかんだ、ちょっと欲しいな。まぁ、夕食までになんとか体を休めて私の分も改めて作ろう。
「私は先に部屋に戻っておくよ。食べたらいつもの家事をお願いね。」
「お姉さんは食べないのですか?」
「……夕食で間に合わせるわ。」

そうは答えたのだけど……。結局部屋に戻らずに一緒に居間のテーブルにお互い向き合って座っている。
彼女が言うには、少しでも何か入れておくべきだと。確かにそうだが。
「本当に良いのかね。」
「普通の人より怪我人、怪我人より病人です。」
彼女がそう答えてずい、と丼と箸を私の前に置いた。
「じゃ、ちょっとだけ。」
とはいえ、元が一人分だから2口食べたあたりでやめておいた。
これ以上食べると見た目からしてかなり減ったように感じるだろうし。
少しだけお汁も貰って、彼女に箸と丼を返すと椅子に背を預けて天井を見上げた。
「夕食、どうしようか。」
「どうにか、したいです。」
「何か、作れそうなものとか、本当にない?」
「や、野菜炒めなら……たぶん。」
あぁ、やっぱりちゃんと挑戦はしているのだな。少しほっとした。
「それをお願いするよ。ご飯の炊き方は分かるね?」
「大丈夫です。」
恐らく体調が今よりちょっとよくなった程度でもできる料理なんてたかが知れているから
彼女がそういう気分になってくれた事は嬉しく、
「ありがとう。」
そう返したら、すっかり緊張が解けたようで
「まだ何もしてないです。」
そう笑って彼女が応えた。ちょっとだけ彼女との隔たりが短くなったようにも感じて
たかだか2口の饂飩を口にしただけだったけど、気分はとても満足した。


食べ終えて彼女に水を用意してもらうと薬箱を片手に部屋へと戻った。勿論、あの変な薬の入った薬箱では無く、
元からあった薬箱の方だ。吐いてしまえば元も子も無いのでベッドで息やお腹の調子が整うまで待ってから、
改めて苦い薬を飲みこんで横にならせてもらった。彼女が移動させたお陰でここからでも見やすくなった時計は
もうすぐ3時を示そうとしていた。何だかもっと長い間働いていた気分なんだけどな。
実質動いていたのは1時間にも満たないだろう。軽く溜息を吐いて彼女に改めて家事を指示し
ついでに私のエプロンの保管場所を教えると寝ようと思って枕に頭を預けた。
こういう時は本当に家事をやってくれる存在というのが凄く頼もしいものだと私は思った。
「おやすみなさい。」
部屋を出て言った彼女がドアの向こうからそう言うのが聞こえ、
「おやすみ。」
私もそう返すと目を閉じて眠りについた。


「おねえさん。」
急に呼びかけられた言葉で、眠い目をこすりつつ目の前の声の主に視線を向ければ
私のエプロンを着て、汗びっしょりになった彼女がそこにはあった。
ちょっと、この子には大きかったかな。でもまぁ、彼女の服がこれのお陰で汚れ無くて済んだ、というのは
そのエプロンを見ても明らかな事で、言っておいて良かったとは思った。
「おはよう。」
「夕食、できました。」
そういって差し出された手を掴んで、体を起こす。幾分か昼間よりマシになったか。
とはいえ、なんだか気だるい感じは未だに抜けないな。寝過ぎたこともあるのかもしれない。
水仕事、お疲れ様と言いたくなるような冷たい手の彼女に導かれ、居間へと進むうちに
甘い醤油の香りが鼻をついた。
「良いにおいじゃない。」
「が、がんばりました。」
緊張しているのか彼女がぎゅっと手を握ってかたくなって答えた。そんなの、エプロンを見れば誰だって納得するわよ。
居間へとついて、テーブルの上に並べられた食器を見る。既に配膳も終わってから私を呼んだんだな。
そのまま近づいて席につきながらお皿の中を覗いてみれば、その香りの正体が肉じゃがであった事を私は理解した。
ちょっと荷崩れが激しいけれど、じゃがいもが無くならなかっただけ、まだマシというものだ。
私が最初に作った時といったら……。入れたはずのじゃがいもが、できた後に見当たらなくなっていたくらいだ。
じゃがいもの形を保とうと思ったら、他の野菜の火の通りが悪かったりしてやきもきしたり。
「わ、わたしお風呂の準備してきます!お、お先にどうぞ!」
昔作った時の事をそうやって振りかえっていれば、彼女が私の手を離して
そう言って逃げるようにお風呂場の方へと走って行った。
お先に、とは言われたものの私は彼女と一緒に食べたいから少し待って、
彼女がお風呂場から出てくる音に気を払いつつ、肉じゃがを眺めた。
……正直、十分な出来だと思うんだよなぁ。お店で出せるかといえば違うのかもしれないけど、
家庭料理として見る分に何も遜色ないというか。お料理ができないとか言っていたのは
何でだろう。見た目は良いけど味付けに自信がない?実は凄く甘いとか?

やがて家の中を響くお風呂場の扉が開いた音に背を正しつつ、待ってみたものの帰ってこない。
ふと何気なく、廊下の方に視線を向ければ、覗き込むようにして彼女がこちらを窺っていた。
「羽、見えてるよ。」
下の方からしっかりと見えている彼女の羽を指摘する。
観念したのか、ぎこちない歩き方で私の向かいに座って、心配そうに私をじっと見上げた。
「そんなに心配かい?」
こくこくと頷いて、震える手で箸を握る。
それを見て私も首を傾げながら箸を手に持つと、手を合わせて呟いた。
「いただきます。」
「い、いただきます。」
珍しく私の方が先に言った日、でもあった。

彼女はせわしなく私の方を見上げてはその様子を窺っていた。
あんまりそれを気にしないようにしつつ、肉じゃがに箸を運びその具のひとつひとつを取っては
口へと運んで行った。しかし、これは……。
「……うん。肉じゃがだね。」
まぁ見た目も香りも肉じゃがだしここで何か凄い味が出るとは思えなかったのだけども、
確かにそれはよくあるような肉じゃがだった。キツく文句を言うとすれば、ほんのちょっとだけお肉と玉ねぎに焦げがあるかもって所で
それも気にする程のものじゃない。そこまで気にしたら料理なんてなかなか出来ない。
「美味しいですか?」
「うん。」
その言葉に俯いて小さく彼女が呟く。
「よ、よかった。」
肉じゃがから視線を持ち上げて何気なしに彼女の顔を覗き込んで、噛みかけの肉を思わず飲みこむ。
彼女の顎からぽたぽたとテーブルの上に垂れたのは涎でも鼻水でも無かった。

しばらく泣いていただろうか。
「ほら、食べないとしょっぱい味になっちゃうよ?」
堪らず声をかけて、彼女に食べるよう勧める。それを聞いて彼女も箸を握り直して食べはじめた。
その後は、お互いごちそうさまと言うまで結局会話がないまま、食事が終わった。
本当は何かと明るい話題を出す事が出来ればよかったのだけれど、彼女の泣いていた姿に内心パニックになっていた私には
到底そんな余裕がなくて。ただひとつ、悲しかったり辛そうに泣いていたんじゃないらしい事が救いだった。


食後少し休んでから、彼女に白湯をひとつ頼んでそれを片手に薬を飲んだ。
彼女の食事の後味が台無しになってしまったけれど、長々と彼女に迷惑をかける訳にはいかないのだ。
まぁ彼女が私の家で働いている身ではあるのだから、そう言う考えはちょっと本末転倒な事でもあるのかもしれないが。
「お風呂、どうなさいますか?」
「うん、入っておいで。」
「入れそうにない、ですか?」
「……うん、ちょっと見送るよ。」
足滑らせて体を打ちつけたくないし、悪化したら困るからね。
「お風呂って結構体力使っちゃうからね。」
「そうですね。……ではお湯が勿体無いので、申し訳ありませんがお先に今日は頂きます。」
「うん、ゆっくり浸かっておいで。」
申し訳ないって言うけれど、むしろ十分に足る働きをしてくれているのよ、貴女は。
背を向けて、お風呂に入るための準備をしにお風呂場の方へと向かう彼女を見送って、椅子から立ち上がって部屋へと戻る。
まだ、ふらふらするな。彼女の肩借りて部屋まで先に連れてってもらうべきだったかもしれない。
壁づたいに歩けばなんということはないのだけどね。

少ししてやっとたどり着いた自分のベッドに、額の汗を拭いながらお尻を預ける。
体調が悪いとたったこれだけの動きも辛いものか……思わず溜息が出る。
ゆっくりとベッドに割って入って目を閉じて耳を澄ませば遠くで水の音が聞こえた。
案外に響くものなんだなぁ。今頃体を洗ってるのかなぁ。
いつも一緒に入っているから、今日は湯船が凄く広く感じるんだろうな。

食事を食べたからか、薬を飲んだからか、あるいはその両方か。
気が付けばうとうととそのまま寝てしまって、ふっと目覚めた時には既に水の音はしなくなっていた。
寝がえりを打って体勢を少し整えながら、ぼーっと待っても響かない所からすれば、
今はちゃんとお湯にゆっくり浸かってくれているのだろう。
目が覚めたとは言え夢とうつつをそんな事を考えながら行ったり来たりしているような感じだったから、
急に耳にドアのノック音が響いた時は思わずびくっと体が跳ねた。
少しして、彼女がゆっくりとドアを開けて中に入ってきた。
「出てたのね。」
「あ、はい。頂いてきました。」
軽く目を擦って、彼女の方に体を向けて眺めてみれば、その手にはタオルと洗面器があって。
なんでそんなものを持っているんだろうと思いながら、体を起こしてみれば
彼女が私の視線に気づいたらしく、ベッドの横にその洗面器とタオルを置いて、口を開いた。
「体、拭いた方がいいんじゃないかって思って。」
「あぁ、同じ布団で寝るものね。」
「い、いえ、その方がきっとぐっすり寝れると思って。」
邪推か。確かに寝やすさで言えば彼女の言うとおりかもしれない。
「うん。せっかく準備してもらったんだし、じゃあお願いしていいかしら。」
「はい!」
「と、その前に。……その洗面器の中の水、あったかい?」
「一応お湯を用意したのですが、時間がたつと流石に……。」
「そう。」
冷たい水じゃないなら、問題ないや。

「それで私はどうすればいいのかしら。」
立ちあがった方がいいのか。座った方がいいのか。
「最初に上半身をやろうと思うので、座ったままパジャマの上、脱いでいただけますか?」
「下着はどうする?」
……とは聞いたが、彼女が用意している替えの中に見えるから、脱げってことなんだろうな。
「はい、できたら脱いでいただければ。……蒸れちゃうので。」
少し恥ずかしそうに彼女が答えて、私は言われた通りに上に着ている物を脱いで彼女に渡した。
最初に入るお風呂場程ではないにしろこの部屋も少し寒いから、毛布を手繰り寄せて足を温めさせてもらって、
彼女の方へと背を向けた。
「それでは、失礼します。」
そんな声と一緒にタオルが首に添えられて私の背中を撫でるように滑っていく。
タオルはあったかいけれど拭い去った後がちょっと寒いな。
でも気持ちいいかも。思ったより汗かいてたんだな。

彼女自身も言っていた通り、汗を拭うだけだから早いのも割と助かった。
私への配慮なのか、頑張って後ろからお腹や胸回りも拭いてくれたのだけれど、
上半身が冷え切るより先に拭き終わる事が出来たのだった。
「次、どうすればいい?」
「先に新しい下着と上のパジャマを着てしまって、それから立っていただければ。」
その言葉に従って、手渡された下着を手に取って胸につけて、
彼女の手を借りて新しいパジャマに袖を通す。
……さらさらした感じが心地いい。

彼女の手をとって、立ちあがり下に履いていたものを脱いでいく。
寝室でこんな姿を披露する、というのはどこか甘酸っぱいにおいがしそうなものだと思っていたのだけど今回に限って言えば
何とも実際はただの介護という。何より立ちあがると私、まだ少しふらふらする位でそんな気力も無ければ
そもそもまだそういう関係を築けてすらいないのだが。
「これで、いいかね。」
「は、はい。」
そう言って彼女が手早くタオルを手に取って足の上を滑らせていく。
「なんだか恥ずかしいわね。」
正直な気持ちだった。
「わ、私だって少しは恥ずかしいんですよ。」
そりゃあ、こんな格好だったらね。とはいえお風呂場でもう見慣れた光景だけど。
まぁ場所が違えば感覚としても変わってくるものだ。
足の先まで拭いたタオルが、私のお尻あたりでふと止まる。
「ど、どうします?」
「あぁ、うん。」
彼女の手からタオルを借りて、代わりに自分で拭いてまた彼女へと返す。
渡したその手から今度は新しい下着を受け取って、足を通して。
「良い、かしら。」
「はい。……ではこちらを。」
続けざまに渡されたパジャマの下を私に渡して、彼女が洗面器とタオルを手に部屋を出て行った。

「……ふぅ。」
腰をベッドへと落ちつけてベッドへと潜る。……あぁ、ちょっと面倒だと思うけどシーツも新しいのに替えてもらおう。
こうしてみると思った以上に私汗かいてたんだな。彼女がああやって洗面器持ってくるのもなんだか頷けるかもしれない。
再び身を起こして肩口まで毛布に包まると、私はベッドの上に正座して彼女の帰りを待った。
ふと目を閉じれば先程の彼女の泣いている顔が頭の中に鮮明によみがえってくる。
何だか怖い。私は開けちゃいけない箱のふたを開けようとしているのだろうか。
いや、もう開けてしまったのか?

部屋へと戻ってきた彼女にシーツの事を伝えれば、元より彼女はそのつもりでいたのか
二つ返事で手早く取り替えてくれた。私はといえばベッドから降りて、自分の机の椅子に腰を下ろしてその机の引き出しを開けていた。
「終わりましたよ。」
後ろから彼女の声が響いて、後ろ手に手招きすれば彼女が横から私の手元を覗き込む。
「さて、大ちゃん。」
「はい?」
「今日は何日だい。」
「29日ですね。」
「そうだね。で、そろそろ一月分の給料を払おうと思っているんだ。」
ふと見上げれば、妙に緊張した顔つきで私を見つめる。
とりあえず前もって用意しておいた給与明細……もとい説明の紙を取り出して
順を追っておおよその金額を伝えた。

「そ、そんなお金持った事ないです。」
私だって、他の誰かにそんな金を渡した事無いのよ。
驚いて手をぶんぶん振る彼女に笑いかけながら、適当に丈夫そうで大きなきんちゃく袋を見繕うと
先程伝えた金額……より本当はちょっと多いんだけど、入れて渡しておいた。
「重い、ですね。」
紙幣より硬貨中心だからね。でもまぁそのきんちゃく袋の底が抜けるってことは無いでしょうよ。
まぁお店で一度に使う分にはちょっとギョッとされてしまうかもしれないけれど、
彼女がそんな物を買うのは……いや、無いともいえないか。
何時だか街を案内した時に髪飾りを欲しそうにしてたからなぁ。まぁ、あそこの店主なら
値段の分さえ揃っていれば微笑ましく迎えそうな気がするけどね。
「無くしたりしてもまた払う事はできないから、自分でちゃんと管理して頂戴ね。」
「はい。ありがとうございます。」
「そういえば、今何時かしらね。」
「もうそろそろ9時過ぎですね。お休みになられますか?」
「いや、うーん。まぁ横にはなっておくけど、編み物してていいわよ。」
わざわざ泊まり込んでまで編もうとする彼女を何日も泊めながら、
一方で介護をさせるばかりで編み物をさせないというのは私の良心が咎める。
でも、そんな私の言い方では彼女が聞くはずがないというのもまた、分かっていた事であった。
「いえ、寝るなら寝てしまいましょう。あの男の方との約束もありますし。」
それも、そうか。まぁ薬がこのまま効いてくれれば明日の夕方くらいにはまともに動けそうな気もするわね。
とはいえ、そろそろ薬も補充しておかないといけないところか。件のあの男は今日薬の実演したのだろうか。
果たしてその薬がどんな凄い薬かなんて私は知らないけれども、まぁ報酬をもらえばハッキリする事だろう。
「それじゃ、寝ましょうか。」
「はい。」
笑って頷いた彼女の手を借りて椅子から立ち上がり、ベッドまで歩く。
先にベッドへと割って入り、奥の方へと寝転がれば肌触りのいいシーツが頬を滑っていった。
良い感触だ。先程までのシーツがいかに汗を吸っていたかを改めて実感させられる。

彼女が先程手渡したきんちゃく袋を彼女の手荷物、もとい袋の中に大事そうに入れて
部屋の灯りを消した。……暗いとこう、別の耳とか鼻の神経が過敏になるからかもしれないけれど
彼女の楽しそうな息づかいが部屋の中の空気を通して伝わってくる。
ちょっとだけハイテンションというか。きっとお金の使い道をああだこうだと試算しているのだろう。
もうタヌキの皮算用ではないからね。存分に楽しんでおくれよ。
「おやすみ。大ちゃん。」
「はい。おやすみなさい。」

テンションが高い割には少しすればすぐ寝てしまったのは、恐らく彼女が疲れていたからなんだろう。
料理を作るのに結構神経を削ったみたいだし。苦手なのかもしれないけれど、美味しかったよ。
また作ってくれれば嬉しいけれど、嫌なら無理させるのもなんだかあれだね。
……今度、姉さんに聞いてみようかな。知ってるとは思えないし仮に知ってたとしても
何だかあんまり良い話になりそうにない気がするけれど、
彼女が沢山料理を作ってくれるように。願わくば、あと1カ月の間だけじゃなくてもっと、もっと。
……私も早く体治さなくちゃね。

彼女の肩まで毛布をかけて私も同じくらい毛布を被ると、
そっと背を向けて目を閉じる。咳はもう余りでなくなったけれど、
何かしらで彼女にうつったりして迷惑はかけられないから。
彼女にもう一枚の毛布を取ってきてもらっているからそこまで寒くもならないだろうしね。
もう一度彼女に心の中でおやすみ、と呟くと、私もそのまま枕に顔を埋めて目を閉じた。


私が住んでいる所は辺境だからいざこんな夜中になってしまえば
外を出回るような人というのは居ない。故に、本当に夜は静かなのだ。
「うーん……。」
だからこんな声が響けば必然的に体が反応してしまう。さっきから時折聞こえていた気がしたその声は
隣の彼女が発生源なのは明らかではあった。寝がえりを打って、ふと彼女の方へと体を向けてみれば
彼女も私に背を向けて丸まっていた。再び聞こえた呻く声で音の出所を改めて確認する。
おそるおそる覗き込んでみれば、額に汗を浮かべて彼女が眉間に皺を寄せていた。
もしやうつったか、と思い、首や額に手を当ててみるものの体温は正常だ。……ちょっとあったかい。
とすれば悪夢でも見ているのか。
「大ちゃん。」
寝ている所を軽く揺さぶって待ってみれば少しだけ目が開いて彼女がこちらに視線を向けた。
口元はパクパクと閉じたり開いたりして、どこかまだ夢の中を彷徨っている感じだ。
もう一度揺さぶってみる。完全にこちらの世界に戻ってきたのか彼女の体が少し跳ねて、顔が完全に私の方を向いた。
「な、何かご入り用ですか?」
「ううん。なんか辛そうだったけど、大丈夫?」
「……。」
少し待てば大丈夫と元気な声を返してきそうな気がしたんだけど、
そんな私の期待は外れ、彼女は俯いたまま小さな溜息を吐いた。
「何か怖い夢でも見たの?」
その問いには首を振って彼女が答えて。
「じゃあ、辛かった事でも思いだしてた?」
その言葉に俯いていた彼女の視線が一瞬だけ私の顔を捉えて、首が少しだけ縦に動いた。
変に冴えていた頭が、勝手に次の言葉を私に言わせる。
「お料理の事?」
「うん。」
「お姉さんじゃ相談の相手にならないかな。」
ここまで気分の沈んだ彼女というのは初めて見る。出来るなら見たくなかったともいう。
申し訳なさそうな顔をよくしたりはするが、いつも明るい笑顔をくれるのが彼女だ。
それで見ていられなかったから、私はそう彼女に尋ねていた。
でも説明を求めるということは、開いた古傷を自分の指で全部なぞれと言っている様なもので、
わざわざ今この瞬間聞くべきなのかは、私には判断が正直つかなかった。
言った後だから、もうしょうがない事なのだが。


彼女の説明というのはとてもシンプルだった。
あまりにもシンプル過ぎて、話自体を理解するのに苦労なんて要らなかった。
そしてそれ故に、私の頭の中には非常にぐるぐると何度も再生させられて、何度も頭の中を響いた。
[今も好きな子がいて、その子に昔料理が美味しくないって言われた時の事を思い出して。]
何度も、頭の中で再生される。何度も、何度も。
今好きな子。昔から好きな子。ずっと好きだった子。
「私は美味しいって、思ったよ?」
誰だろう。どんな相手だろう。昔からって、幼馴染?
「また言われるんじゃないかって思うと、辛いんです。」
自分の中の心の支えが砂上の楼閣のように崩れて行くような感覚だった。
想定していた事とはいえ、考えていた事とはいえ、やはり直に聞くのは一味違う。
「その時は、何を作ったの?」
「今日と同じ、です。」
私は彼女の幼馴染と勝負をしないといけないの?
彼女は今もその子の事が好きなのに?
「その子がたまたま、苦手だったんじゃないの?」
「そうなのかも、って思って、それから何度か彼女に別の料理を出したりしたんです。」
もう、絶望的だ。頭がどうにかなってしまいそうだ。
いやもうどうにかなっているんだろう。胸に杭を打ち込まれたというより、
その杭で直に滅多打ちにされたようなそんな気分だ。
「すまないね、思い出させてしまって。」
「お姉さんのせいじゃないです。私の、至らなさが悪いんです。」
「君は、悪くないよ。そんな風に言っちゃだめだ。」
一方、なんで私は冷静に彼女の言葉に返していられるんだろう。
私の悩んでいるそれが既に想定済みの事だったから?それとも、もっと別の何か?
久しぶりに自分で自分が分からない。自分で理解できていない自分に納得がいかない。
「お姉さん。」
「何だい?」
「そろそろ寝ましょう。お体に障ります。私が原因ではありますけど。」
この話はもう打ち切りたいということか。
「そう、そうね。……ねぇ、大ちゃん。私で良かったら相談に乗るからね?あんまり一人で抱え込んだりしないで。」
「……ありがとうございます。」
「それじゃ、おやすみ。」
「おやすみ、なさい。」

そう言った早々に背中を向けた彼女の背中が遠い。
手を伸ばせば届くのに、一歩私が踏み込めばすぐ背中がそこにあるのに
これ以上踏み込むのが怖い。きっと今手を出せば嫌がられるに違いないと頭の中で思ってるから。
でもそんな辛そうな背中は見ていられないしどうしたら良いんだ。

結局その時の私はどうすることもできず、ただその背中を後ろから真っ直ぐに眺めて
何も決断することができないまま、ただただ、寝ることもせずに過ごしていた。
彼女がまだ寝てない事にも気づいていた。たぶんお互いが気づいているんだろうと思う。
ずっとむこうを向いて膝を抱えるようにうずくまったまま、息を殺すようにしてじっとしていた。
時間が経てば経つ程に自分の不甲斐なさみたいなものを感じるようになっていたけれど、
少しして転機があった。鼻水をすするような音が小さく響いた。
私ですらまだそこまで寒いと思わないくらいの室温だから、……本当に出遅れたということを私に実感させられる。
何かしら理由づけできないと私はすんなり動けないものか。
さっきまでは全く伸ばす事のできなかった手を彼女の方へと伸ばして、ほんの少し力任せに彼女の体をこちらに向けると
案の定泣いて少しぐしゃぐしゃになった顔を驚かせながら彼女が私の方を見上げた。
その顔はあまり見ないようにして、そのまま背中に手をまわしてぐっと抱きよせる。
「寝られないかね?」
「だって。」
「その子、美味しくないとはいってもちゃんと何度も食べてはくれるんだろう?」
「うん。」
「それだけ、信頼されているってことなんだよ?」
言えば言う程に私から遠ざかっていくような気がするのに、
何故か私はそういう言い方で彼女に話を切り出していた。
「それは、そうかもしれませんが。」
「その子だって辛いんじゃないかな。君がそうやって悩み続けると。」
「なぜ?」
「信頼してる子がずっと悩んでいる姿なんて、見ていたいかい?」
彼女が腕の中で首を振ってこたえる。
「たまたま、好みの味付けとか嗜好が違うのかもしれない。どの味が好みか考えるのも確かに大切だけど、
本人にどういうのが食べたいか正直に聞いてみるとか、他のところからアプローチするのもありなんじゃないかな。」
私は何を言っているんだろう。
「いつも冷たいものしか食べてないんだもん。」
「あったかいのが苦手とかは?」
ってそんなのが居るとも思えないが。自分の常識をあてがって考えるのは止めた方が良いのかな。
「そうなのかもしれませんが、……私が美味しいって思えるものを一緒に楽しみたくて。」
そうなのかもしれないのか。私が思う以上にその子が複雑なのかな。

「お姉さんなら、相手にアピールするのにどんな事をしますか?」
どんな事って、こんな事、だよ。私のアピールって彼女には届いているんだろうか。
届いているのにこう聞かれたのなら、何だかちょっと残酷だ。
……私のアピールの仕方が足りないんだな。きっとそういう事だ。こんなのアピールに入らないんだろう。
「どんな事をする、じゃないかもね。やれるなら何でもしてみる、だと思うんだ。」
今の私がそんな感じ何だと思うけれど、自分でもその方向性というのがまだ理解できてない。
そもそもそんな事を言う私だって、実際には少し実行できていなかったり妥協したりでまだ口先だけの言葉とも言えるかもしれないけど。
深く考えると頭が痛い。でもこの言い方の方が何だかしっくりと来るものがあるから、それに従って喋ってるような感じだった。
「そう、ですか。」
「でもまぁとりあえずは、ちゃんと好きだって伝える事ができるようになりたいね。」
「お姉さんでもまだできないのですか?」
「そうだよ。」
「私も、いつかはちゃんと伝えたいんですが。」
自然と察してくれれば私としては一番嬉しいんだけどね。
アピールが足りない事もあるのかもしれないけれど、そこまで踏み込み過ぎるのはやっぱり何だか怖い。
しかし……この子を寝かしつけるはずが段々と眼が冴えてきてしまったな。
この子も喋る言葉も結構はっきりとした発音になってきたし、ちょっと話過ぎたかな。
「さて、貴女も多少は元気になったみたいだしそろそろ寝ましょ。」
「もう少しだけこうしてて良いですか?」
「あたたかい方がきっと寝やすいわよ。」
とはいえ、今のように拘束するように抱きよせたままでは寝るに寝られないだろうと思い
腕の力は緩めて、背中に手を回しておくだけに留めていた。
「今日くらいは大寝坊してもいいわよ。」
「お昼までには起きたいです。」
「……私も努力するよ。おやすみ。」
「おやすみなさい。」
粗方体調元に戻ったからそこまで寝坊することはないな、と頭の中で思いながら
ゆっくりと眼を閉じると、彼女の方へと顔を寄せて眠りについた。



でも結局、その次の日に早く起きたのは彼女じゃなくて私。
時間はぎりぎりお昼前と言ったところか。このままだと彼女の方がお昼すぎにお目ざめといった感じだ。
ぐっすり、なのか胸の中で寝ている。どことなく顔が疲れて見えるのは、昨日夜中に起きて話した事や
それ以前にあんまりよくない夢を見た事、更にいえば神経を削らせてまで私の分まで食事を作らせた事にあるのかもしれない。
でも彼女の作ったご飯、美味しかったし嬉しかったな。本当、また作って貰いたい。
彼女一人で作るのが不安なら一緒に並んで作るのでもいい。
料理に対する不安が少しでも減るならなんでもいいかもしれないけれど。
とりあえず、彼女はこのまま自発的に目覚めるまでそっとしておく事にした。

私の方はと言えば、結構頭もハッキリとして頭を襲っていた感覚や咳も止んで
完全に快復、とまではいかないにしろかなり調子が戻ったようだ。
とはいえまだ今日は無理できない。明日があるからだ。
こんな事になるのならあと1日か2日程引き延ばしておくんだったが、そんなのは神のみぞ知るといったものだ。
とりあえず今日はまだ彼女に色々と任せて、夕食は一緒に作れるか尋ねてみよう。食べたら一緒に編み物して、
そして今日は早く寝る。よし。

しかし……。どうしようか。彼女が胸に抱きついてるから私、動くに動けないのよね。
また前みたいに彼女が寝てるのを良い事に遊ぶのもありだけど、今度は寝たふりも何もないからなぁ。
むしろ彼女の方が寝たふりを、って、疲れた顔して穏やかに寝息立ててるからそんな事はありえないか。
彼女を起こすのだけは絶対に避けたいし、うーむ。
あぁ、そうか。二度寝すればいいんだ。今からすればきっと彼女が先に起きてくれるだろうしね。
少しだけ肌蹴ていた彼女の肩口を直して再び眼を閉じる。元より暗い部屋だからか
二度寝をするのにさして苦労はいらなかった。


「お姉さん、お姉さん。」
案の定、彼女が私を起こす為に腕の中で私に向かって声をかけた。
彼女が例え私の腕の中でも部屋の中の時計を見る事はできるから、恐らくそれを見て起こしにかかったのだろうと思う。
元より二度寝ということもあってか、一度呼ばれた時に結構眼はすんなりと覚めてくれた。
「おはよう。」
やたらすんなり私が眼を覚ましたからか、ちょっとだけ彼女が驚いたような顔をして
少し口元をぽかりと開けた後、はっとしたように喋るのを再開した。
「お昼ですよ!」
「そうね、起きましょうか。」
「……あの、もしかして起きていらっしゃいましたか?」
「?」
「あ、いえ。何でも無いです。」
何かあったのかな。またふかふかして遊んでたとか?ちょっと分からないな。
まぁ彼女にそうされる分には私が困るような何かではないからそれは構わない。
「お陰さまでかなり元気になったよ。それじゃ起きようかね。」
「はい。」
起きて気合いが入って元気が戻ったのか、もう顔に疲れが無い。我慢している可能性もないとはいえないが、
やっぱり若い子は羨ましいな。彼女の年なんて知らないし、だからどうだということもないんだけど。
ちょっとだけ自分が老けたんじゃないかと感じてしまうよ。

「ねぇ、大ちゃん。」
昨晩程汗をかく事もなくなったし、今日はもうベッドから身を起こしていようということで
いつもの普段着へと着替えながら、同じく着替えをしている彼女へと尋ねる。
彼女の方がいつも着替え終わるのが早くて、今日もちょっと彼女に手伝ってもらいながら着替えていた。
「何でしょう。」
「もしよかったらさ、今夜一緒に料理作らない?」
「一緒に、ですか?」
「うん、出来たらで良いんだ。」
「喜んで、……できる範囲で頑張ります。」
「うん、ありがとう。」
すんなりと了解してくれたのが驚きでありながらも凄い嬉しくて思わず頬が緩んだ。
お互い背を向けて着替えているから彼女にそんな顔は見られていないだろうけども。

彼女が私の脱ぎ終わった服と彼女自身の着ていた服を纏めて、軽い足取りで部屋を出て行く。
何だか何時もより楽しそうな感じで、椅子に座って時たま通る姿を見る分にはとても安心した。
一昨日や昨日でどこか不安定に見えたから、余計にそう感じるのかもしれない。
「そういやお昼ご飯どうしようかー。」
廊下をあっちへこっちへと行ったり来たりで忙しいのは分かっているが、
まだ何も口にしていないからと彼女にそう尋ねると、
声だけの返答が少しして廊下を響いて返ってきた。
「先程御飯を炊き始めたので、後でそれでお握りを作ろうと思ってますー。」
……あれだけ嫌がってたのにな。気の持ちようで変わるものか。
単純にまだ病み上がりだからということで先手を打たれたような感じもするけれど。
とりあえずは御厚意にあずかって寛ごうかな。
「もう少しのんびりしてていい?」
「本当は今日もゆっくりちゃんと休んでくれると嬉しいです。」
「んー?もう元気だよ?」
「また明日頑張って働いた後、体調を崩されるかどうか心配ですから。」
確かに考えられない事態ではないけれど、たぶん恐らくそれは無いだろう。
というのも明日あの男が帰るにしても恐らくその手荷物は少ないだろうからだ。
こちらに運び込んだ分は、すぐに処理する必要があるから物が実用品であったが、
今度帰る分にはゆっくり処分する時間がある。季節もあるしそれこそ持ち運びやすい小さいサイズで
希少なものに形を変えるだろうからだ。それならば恐らくはただの道案内で仕事が終わるだろう。
「そこまで言うなら夕食を作る時までは大人しくしてるよ。ごめんね、心配かけて。」
「いえいえー。お昼はもう少しお待ち下さい。」
「うん、待ってる。そこまで急がなくていいからね?」

ご飯の炊け上がった後。どこか香ばしいにおいが台所の方面から漂ってくるのを感じながら、
椅子に腰をかけてぼーっと台所の方を眺める。彼女の姿は見えないものだけれど、
熱そうな声をあげ、少しずつ何かを作ってるらしいのはよくよく伝わってきた。
それこそお握りは手作りだから、急ぎ過ぎて火傷しない事を祈っておこう。

「お待たせしました。」
「いやいや、何だか急がせたようで申し訳ないね。」
「いえいえ。ほら、私もお腹すいてますから。」
お握りを丁寧に並べたお皿をテーブルの真ん中に置きながら彼女がそう言って笑う。
この前の饂飩を作った時に鰹節の場所を知った事もあってか、凄く細かく削って作ったらしいそれと醤油の香りが
未だ立ち上るお握りの湯気に乗って舞ってくるのは空いたお腹には毒な程に魅力的だった。
「手、大丈夫?」
「ちょっと熱かったです。」
「何かあったらちゃんと言ってちょうだいね。」
「大丈夫ですよー。お風呂で慣れましたので。」
いやぁ、あつあつのご飯とお湯とじゃ温度の差は凄いあると思うんだけどなぁ。
まぁ予め釘を刺しておけば隠して無理をする事は無いだろうとは思うのだが。
「食べて良いかな?」
「はい、食べましょう。」
席についた彼女に乞うようにそう尋ねて、ゆっくりと手を伸ばす。
細く切られた海苔で飾りづけられたお握りを手に持って、口へと運べば
ほんのちょっと握りが弱いか、持った所が崩れそうだったので慌てて口へ運んだりして。
見た目通りの熱気に舌が焼けてしまいそうな感覚を味わいながらも
一緒に立ち上る鰹節の香りを口いっぱいに噛みしめていった。
「……大丈夫です?」
「うん。美味しいよ。ちょっと舌焼きそうだったけど。」
一緒に持ってきてもらったお茶に手を伸ばして、軽く口の中を潤しながらそう返す。
誰かに作って貰うご飯というのはなんだか日頃食べるのとは違った味がするものだけれど、
さっきまで自分の耳で作る様子を聞いていた事もあってか、味覚で感じた以上になんだか御馳走に感じたのだった。
彼女はといえば、私とは違って器用に両手を使ってゆっくりと食べ進めていて、
それを見習う様に私も両手を使って少しずつ食べて彼女が握ったおにぎりの持つ柔らかさを感じながら
あまり数は無いそれらを一緒にゆっくり平らげて行った。

「御馳走様。ありがとうね。」
「いえいえ。美味しく頂いてもらえたのなら何よりですから。」
あぁ、いつもその言葉を私が返してあげたいくらいだ。
「ところで、あの。お願いがあるのですが。」
「何だい?何でも言ってごらんよ。」
何でもとはいっても、無理な事は流石に無理って答えるけどね。
そういうと眼をらんらんに輝かせて彼女が続けた。
「あの、洗濯もしばらくして取り込んで、後はこれ片付けたら今日のお仕事終わるのです。
その後、夕食を作る前まで編み物の時間頂いてもいいですか?」
あぁ、そういやずっと編んで無いものね。あれだけ急いでるのに。
「うん。ゆっくり編んでいいよ。」
私の世話ばかりで忙しかったからね。でもそれだったら、
「ちょっと外の空気吸いたいのもあるから、洗濯は私が取り込んでおくよ。
だから、このご飯のお片づけ終わったらもう編んでて良いわ。」
この位は少なくともしてあげなければいくら雇い主といえど、ねぇ。
というかこれくらいじゃ全然足りないのだけど。何かできないものかなぁ。


私の言葉に喜んだ彼女のその後の行動や様子は短絡的といえば短絡的で、姿相応のどこか子供っぽくも見えた。
鼻歌を歌いながらお皿やお釜を洗っているのを私は自分の部屋へと向かう廊下で聞き、
お腹が落ち着くのを自分の部屋のベッドの上でゆったりと待ってみれば少しして
トントンと床を蹴る音と、部屋のドアをノックする音が聞こえ、彼女が元気よく部屋へと入ってきた。
「終わりました。」
「うん、好きにしてて良いよ。」
ひょっとしたら元気の源はこれだったのかのかな、と思いつつ少し寄って彼女が座るスペースを確保する。
案の定、今まで編んでいた分を手に取って彼女がひょっこりとそのスペースへと腰を下ろして
意気揚々と針を握る、……が不意に止まって焦ったような表情を浮かべた。
その様子を横から観察していて、なんとなくその理由は分かってはいたのだが
「編み方、忘れたんでしょ。」
そっとそう聞いてみると、苦い顔をしながら彼女が頷いた。単純に編む事自体はその動作自体の数は少ないのだけれど
私だってたまにふと忘れたりする。そういう時は指に聞いてみるのが一番なのだけど、
この子の場合はまだそこまで日が経ってないからしょうがないだろう。
編みかけの自分のマフラー、基本が同じ編み方だからそれを使っても良かったのだけれど、
彼女の後ろに膝立ちで回りこんで針を持つ手を軽く支える。
「最初にこっちを通して、この穴に通してから、こっちの次の穴に持っていくの。」
ゆっくり、できるだけ機械的に。感情を込めるのは私の役目じゃない。これはこの子のマフラーだから。
ただ、編み目の特徴をできるだけ彼女に似せるように努力はするけどもね。
「で、折り返しはこっち側を持って糸に最初は余裕を持たせてから……。」
少しして、彼女が首を自然と首を縦に振りはじめたあたりでそっと腕の力を抜く。
一旦流れにのれば後は歩くのと同じようにあたかも平然と編めるものだ。
「思いだせました!」
「うん。じゃぁ頑張って。」
私の言葉に彼女が頷いて答える。あぁ、集中し始めたんだなぁ。
久しぶりにみるその表情の真剣さに何だか懐かしさを覚えながら、ゆっくりと後ろに下がってベッドの端で膝を抱え、
思わず平和だと呟きたくなる程に静かになった部屋の中、膝にのせたま枕に頬を乗せてその編んでいる様子を眺めた。
あのマフラーは恐らく私の手にはこないだろう、ということを頭の中で考えていたけれど、
昨日の彼女の言葉を聞いた後だと、ちょっと残念だけど余り嫌な思いがしない、なんだか複雑な気分だった。
むしろ受け取るであろうその子がただただ本当に羨ましく、何時もなら湧きあがってくるような体の中が煮えるような気持ちもなく……。
あまりにも純粋な恋心というか、見た目は私より幼いのに私に足りない何かがあるような。
自分で今の自分を説明できないのがなんだか切ない。

昼過ぎの食後のベッドで一休みとくれば、うたた寝をしてしまうわけで
あっちの世界とこっちの世界を行ったり来たりしながら彼女の編み具合を眺め続ける。
何時の間にやら私の肩に毛布が掛っていたが、自分で気づかぬうちに引き寄せたのか彼女がかけてくれたのかは分からない。
彼女は今もなおその目をマフラーに向けて黙々と編んでいる。
「後、どのくらい長くするんだい?」
その言葉に彼女が指を止めて、編み途中のそれが解けないように針に留め具をつけると
編みかけのそれをゆっくりと首に巻いて行った。
「あと、このくらい頑張りたいのですが……糸がちょっと足りない気がするのです。」
指をピンと伸ばして、編みかけの部分からの距離を示しながら彼女が呟く。
彼女のこのペースならもうちょっとすればできそうだな。でも確かにこのままだとちょっとどころかかなり糸が足りない。
明日の朝街に行くついでに彼女が先に自分のお金で買わないように私が追加で買っておくことにしよう。
「頑張ったね。」
「まだまだです。」
そう返してまた編みはじめた彼女に笑いかけながら、一人部屋を抜けて台所へと進む。
もうそろそろ夕方が近い事と、彼女の食事を作って貰った事で残っている食材が把握できていない事があって
今日はやや早い台所入り。彼女自身がどのメニューにしようか悩みぬいた様子が
食材を収めたところのそれぞれの配置の並びの変化で見て取れた。

一緒に作ろうという前提があるから、あまり簡単なのも何だか。
といって時間がかかりすぎて病み上がりの体に何かあっても彼女に申し訳が立たなくなりそうだし。果して何がいいか。
家にあった食材をぶつぶつと唱えながらふらりと家の外に出て、彼女に干してもらっていた衣服を回収しつつ部屋へと戻る。
「あ、ありがとうございます。」
彼女が私の抱えてきた洗濯物を見てそう呟くのを見て、まだこちらを向いている内に尋ねてみた。
「今夜の夕食何かこんなの作ってみたいとかあるかな?」
彼女がその言葉にぐるぐるとマフラーを片づけ始める。
何か急かしてしまったかなと頭の中で申し訳なく思いながら、その様子を窺っていると
「あの、どんな食材があるのか覚えて無くて分からないので……。」
「あぁ、見に行こうか。」
そう返した結局彼女を連れてまた台所へと行く事になった。

お世辞にもそこまで広いとは言えない我が家の台所だから、二人で食材を置いている場所の前に陣取ると中々に狭かったりする。
それでも彼女の体の小ささが助けになってぎりぎり二人で見る事はできていた。傍からみたら狭い所に無理矢理二人並んで珍妙な光景だったかもしれない。
まぁ私は食材どれが残ってるかさっき見たからわざわざ隣に居る必要は無かったんだけどね。
「ロールキャベツが食べた……作ってみたいです。」
「じゃあそうしようか。」
食べたいなら尚それで良い。まだちょっとだけ夕食を作るには早かったから、
炊飯の準備だけを簡単に済ませ、とりあえずあったかい部屋に戻ろうと彼女を連れてゆっくりと廊下を歩く。
後ろで不安そうにぶつぶつと言っているので何だろうと思って静かに耳をすませてみれば
ロールキャベツの作り方のおさらいを頭の中で頑張っているようだった。
ひょっとして色んな料理の作り方は頭の中に入っているのだろうか。
忘れてても私が教えるからそこまで必死に思いだそうとしなくても大丈夫なんだけどな。

よいしょ、と腰をベッドに二人で下ろしつつ、ぺたーんと背をベッドに預けた彼女に尋ねる。
「ロールキャベツ好きなの?」
「甘くてあたたかくて栄養がある、3拍子揃ってますから。」
加えて言えば、最初がちょっと面倒なだけで後は割と楽であまり疲れない事か。
食べた後の片づけにもそこまでゴミは出ない。
「そうだね。野菜とかはただ煮るだけでその前後の味全然違ったりするしね。」
「です。そこを知って欲しくて色々料理を出してみてるんですけど……。」
ああ、あの子の事か。気持ちは分からなくは無いよ。
料理していればその食材の味ってのを知るからね。
「そこはゆっくり気長に頑張ってみるしかないかもね。」
「ええ。焦ったり悩まずに何時か理解してもらえるように頑張ります。」
落ち着いた眼で彼女がそう言う。
私も彼女の横に寝転がると、作るまでのとりあえずの休憩時間を一緒に楽しむ事にした。


「さて。そろそろ行こうかね。」
彼女に私のいつものエプロンを貸していたから、私は普段使っていないエプロンを手にそう言った。
寝転がっていた彼女も身を起こして体を伸ばしつつそれに頷いて立ち上がる。
「大丈夫そうですか?」
「ん?うん。大丈夫だよ。」
今日何かしようと思えばどこまでも彼女に心配されそうな気がするな。
ひょっとしたら明日ですら言われるような気さえする。私はそこまで屈強な体を持っている訳じゃないけど
そんじょそこらの奴らよりは体がちょっとくらい強い自信はあるのにな。
「さ、行こうか。」
エプロンに袖を通しながら彼女にそう続けて行って先だって部屋を出る。
少しだけ遅れて彼女もちょっと大きいエプロンをつけて歩いてくる音を背中で感じながら
一足先に台所へと入って彼女を待つ。
時間はそれほど経っていないと思うのに、先程よりもちょっと床が冷たい。
「大ちゃんは材料出してもらえるかな。私は調理用具揃えるから。」
その声に彼女が頷いて背を向け材料を取りに行くのを眺めながら、
その一方で日頃あまり使わない機会があって仕舞っていた落とし蓋等を探して
テーブルの上にどんどんと並べて行く。元よりそこまで材料が多い料理ではないから
台所の小さなテーブルでも溢れる事なく、整然と物が並んで行った。


一緒に料理をしようという考えは色んな意味で正解だったかもしれない。
彼女が日頃どういう風に料理をしているかを見る事ができるからだ。
それに、肉を挽くのに少々私が時間を使ってしまったが
その間に彼女が他の食材を切ったりしてくれて、一人で作るのに比べれば段違いに仕込みが早く進んでいく。
勝手に彼女の見た目から、ちょっとドタバタしたところがありそうだなんて思っていたりしたが
私が思っていた程に慌てているそぶりは無く、終始ペースを崩さずにゆったりとしている事を片づけて行く。
ただまぁ、ひとつだけ可哀そうな事にうちの台所の調理台の高さとこの子の身長が合っていない。
昨晩のエプロンの汚れ方に納得もいくような、悪く言えば滑稽とも言うのだがその姿は微笑ましいものだった。
もしも私が彼女の家の台所を借りたならば、案外に汚すのは私の方だろう。きっと。
「はやいですねぇ。」
挽いた肉と切り終えた材料さえ揃えばロールキャベツの準備など終わったに等しいものだ。
彼女が軽く茹でて柔らかくなったキャベツの上に、愉快そうに種を乗せて巻いていく傍らで
味付け用の調味料を混ぜて調整していく。二人でやれば苦労は2分の1だろうと思っていたが
実質ではそうでも感覚ではそれ以上にやる事が減っている様に感じる。
腕が4本生えていたら私にも一人でこういう事ができ……ないか流石に。
あんまり別々の動作を同時になんてできたもんじゃないし、苦労は結局一人分だ。
むしろ4本の腕の効率的な使い道を考えるのが苦労かもしれない。
「こっちは出来たけれど、そっち巻き終わった?」
「はい。」
小麦粉をどれだけ使っていたのかまでは見ていないが、ぴっちりと揃えられた巻けているキャベツからして心配はなさそうだな。
ひとつだけちょっとムチムチしたキャベツがあるのが気になるけど。恐らく肉の配分を誤ったな。
彼女をちらりと見れば、あまり言及しないでくれという赤い顔を一瞬のぞくことができた。

ここまで終わってしまえば後の作業なんてほとんど無いに等しい。
むしろ下手に何かしようとすればするほどに巻いたキャベツが破れたり解けたりするから、
調味料を足してお湯全体になじませる事が終わればもうすることは無いようなものだ。
あるとしたらせいぜい火加減を調節するために見守る事くらいで、
それは彼女が買って出たので私はその後ろで食器を用意し、
ご飯はもう炊け上がっていたので、お風呂場に走ってお湯の準備までしてする事を片づけると、
私はそのお釜の近くに陣取って腰と手元を温めて待つ以外他にする事が無くなってしまっていた。


「では、食べましょうか。」
出来上がったそれらをお皿に盛ったのは彼女。運んだのは私。
あの沢山肉が詰まっているであろうロールキャベツは途中で解けるのではないかと踏んでいたが
なんとかその形を保ってお皿の上に鎮座していた。勿論それがあるのは彼女のお皿である。
中途半端に調味料にローリエをケチったせいか、若干香りに欠けがあるけれど
煮込まれたトマトのどこか甘酸っぱい匂いが空き始めていた私のお腹をくすぐっていた。
「はい。……いただきます。」
「いただきます。」

スープが少し酸っぱかったものの、中でよく煮えた玉ねぎの甘さが口いっぱいに広がる。
肉が硬くならずに解れてくれる事もあって食事はさくさくと進んで行った。
もとい食べるのに夢中であまり喋らなかった事もある。
彼女はといえば、ちょっと大きく作ってしまったアレをふた口で頬張ろうと無茶をして
頬を膨らませていたので喋る事はしたくてもできなそうだったけれど。
眉間に皺を寄せるでもなく、目じりに緊張の色を浮かべる事もなく
終始とろんとした表情で、無茶をしすぎた為かちょっとかえってゆっくりだったけれど
美味しそうに食べてくれていた。
「食べて片づけが終わって一休みしたら、お風呂入ろうか。」
その言葉に彼女が口元を手で軽く押さえながら頷いて返す。
そんなに無理矢理口に詰め込むから返事がしづらいのよ。と言いたいけれど
これはこれでまぁ可愛かったから何も言わないでおいた。
料理をする時の彼女に比べればずっとずっと姿相応な姿に見えたから余計に私もそう思ったのかもしれない。


食事が終わり、私が彼女と自分の分の着替えを用意してお風呂場に先に置きに行って
彼女が食べ終わった食器を纏めて台所に片づけに行って。
その後、彼女が洗い終わって居間へと戻ってくるのを椅子に座って待って
二人で少し休憩をはさむと、そのままの足でお風呂場へと赴いて行った。
昨晩は拭いただけだったから、二日ぶりのお風呂だったのだけれどいざ服を脱いで
浴室へと入ってみれば何だかこの1日の間に寒くなったんじゃないかと思う程に床が冷えていて私と彼女の踵を浮かさせた。

二人してお湯に入ればどれほど湯が溢れるかというのをもう知っていたから
ある程度用意するお湯の量を最近は減らしていたのだが、今日は多めに作っておいて正解だったかもしれない。
勿体無いとも言うが、床に撒いたり、片方が体洗ってる間にもう片方がとりあえず浴びたりできるからだ。
今日は私が先に体を洗う事になり、その間に彼女に髪の毛を洗ったりしてもらっていたのだが
私一人分が終わった頃には何だか浴室の中に霧が出たような光景になっていた。
「ごめんね。ちょっとお先にお湯を貰うよ。」
本当は彼女の髪の毛を洗いたいところだが、また風邪がぶり返したらいけないと
彼女に言われたので、お言葉に甘えさせてもらった。
湯船に肩まで沈めて、彼女の方を見てみれば近いのに薄く白靄がかかって半端に姿が曇って見える。
もう少し部屋が広くてもう少し靄が強ければ湯けむりなんとかとか言えそうだ。
「な、何かついてますか?」
彼女が私の視線に気づいてか、泡の入りそうな片目を瞑ったままそう尋ねた。
「そりゃあ、貴女。泡がついてるわよ。」
全身もこもこさせて、そういう服にすら見えるくらいだ。透けてるけど。
焦点ずらしてみてみれば、泡のお陰で凄いグラマーな女の子に見えそうでもある。ただ背丈がちょっと問題だけどね。
ずりずりと落ちてくる泡を気にしてか、彼女が再び前を向いて髪の毛を洗いはじめ、
私も彼女から浴室の天井へと移すと眼を閉じて彼女が洗い終わるのを待った。

「洗面器、お願いしていいですか。」
手も顔も泡まみれだから彼女がそう頼んできたのには、ただ一言
「そのまま目を閉じておいて。」
と伝えて、身を乗り出して洗面器にお湯をいっぱいくんで、頭にかけていった。
まとっていた泡がお湯の流れに乗って滑り、そしてかき消えるようになりながら落ちて行く様子を眺めながら、
まだ余っているお湯を遠慮も無しにどんどんとかけていった。
多少大雑把に使った所で、まだ彼女が入ると溢れる程度にお湯は残っていたしある意味ではお湯の有効活用だ。
「も、もう良いですか?」
もう頭の上の泡や顔の泡なんて既に流れ切っていたけれど
「もうちょっと待って。」
ただの意味の無い悪戯心でそう伝えて、どんどんとかけていく。
そういえば彼女のお家にはお風呂場はあっただろうか。木製のお家の中でお風呂場は果たしてあって大丈夫なのだろうか。
家の前に湖はあったけれど、そこに入るのはいくらなんでも無理があるだろうし
ひょっとして家の周りに妖精しか知らないような秘湯でもあるのだろうか。
「もう良いわよー。」
私が洗面器を置いて発したその言葉に眼を閉じていた彼女が眼をそーっと開けて、頭を下げた。
「落とし切っちゃったから、入りなさいな。」
広々と陣取っていた浴槽の中を寄って彼女が入れるだけのスペースを作ってそう告げる。
彼女がその言葉にきょろきょろと自分の体を見渡して、言った通り泡が無い事を確認すると、
こくこくと頭を頷かせて浴槽を跨いだ。座ればまだ若干のお湯が浴槽からこぼれ、一か所へと流れ込んで行く。
「うーむ、まだもうちょっと余分に使っても良かったみたいね。」
「ちょっと、勿体無い気持ちが出ますよね。」
「うん、次からは最初一気に撒いてこの中をあたためたりしようか。その方が風邪引かなそう。」
「何だか贅沢です。」
「良いのよ。そうそう枯れるもんじゃないし。」
何よりここは私の家だから。
洗っている内はかけるお湯や床で跳ねるそれらの影響で霧がかった浴室だったけれど
彼女が入って二人お湯の中でじっとしていればそれもいつの間にかかき消えてしまった。

「出ようか。ちょっと早いけれど。」
余りにずっと長く入り続けると彼女の編み物の時間が減ってしまう。加えて私の体力にも影響を与えそうだから
そう彼女に提案して、頷いた彼女と一緒に浴室を後にする。浴室の中はお湯をばらまいたお陰で結構温かかったのだが
一歩脱衣所へと踏み込めば温度差が激しかったので、タオルだけ2枚手に取ると浴室の中へと身を戻した。
別に体を拭くだけならここでも不安定な格好をしない限りは問題がない。
「寒いですよね。」
「しばらく体だけでもこっちで拭いた方がよさそうね。」
「こちらの方があたたかいですからね。」
彼女が滑ったりしないかが心配だったけれど、むしろバランス感覚が良いのか彼女がそうなる事は無かった。
逆に私の方が、思わず滑りそうになって慌てて彼女に支えられたりしたくらいだ。
「よし、出よう。」
浴室も段々と寒くなってきたし、粗方体を拭き終わったところで彼女に声をかけて、再び脱衣所に上がって
急いで衣服に袖を通していく。衣服の冷たさに思わず震えるが、少し経てば体になじんで行った。
新しくタオルを確保して脱衣所を後にしながら、居間を通り過ぎて自分の部屋へと二人して入ると
お互いベッドの上に腰を下ろしてタオルを髪の毛にあてがっていった。
「冬ねぇ。」
「冬ですよー。」
ちらりと時計を見る。結構早く出たつもりだけれど、日頃よりほんの少し早いくらいだった。
何時も通りの時間に寝る事を考えれば、せいぜい2時間程度編めるくらい。
「もうお休みになられます?」
「……編まないの?」
「編みたいです。けど、明日は朝が早そうですから。」
まぁ確かに朝に約束をしているからちょっと早いけれど、貴女の時間を削る程重要な事ではないのよ?
ある意味では時間を選ぶ側にいるのは私達なんだし。
「わ、私のマフラーもうちょっとですからそこまで急がなくてもたぶんクリスマスには完成すると思うのです。」
ク、クリスマス、か。

過去のクリスマス、全て振りかえっても姉さんが誘ってくれたから姉さんとお酒を飲んで過ごしていた気がする。
変わる事と言えば、お酒の銘柄と何を食べているかくらいなもので。
私が作ったグラタンだったり、鍋だったり、近くのお店で食事だったり。
私が一人身だからか、いつも姉さんが来たりしてそれで過ごしたりしていた。
でもその日が一般に受け入れられる姿としては、一人身では無い者の為の日でもあるわけで。
もしくは、一人身をやめたい人の為の日……。

クリスマスには完成する

つまりは、クリスマスプレゼントのマフラーということだ。
意味するところは、ひとつか。
「お姉さん?」
「あぁ、うん。なんだい?」
「だから今日くらいは早く寝ても……。」
「じゃあ、お言葉に甘えようか。」
私はその日までにどう行動すればいいんだろうか。


使い終わったタオルは彼女が片づけに行ってくれた。
一人取り残された部屋で考える。このまま時間が過ぎれば、遅かれ早かれ終わりが近い。
元よりこの2カ月彼女を雇うって事で話を通してはいるが、その次は話が通っていないのだから。
仮にその後も働いてくれるとしても、彼女がもう誰かと完全に恋仲ならばそこに水を差すのは
彼女がかわいそうだし、彼女を受け入れたその子もかわいそうだし、私も自分が許せない。
沸々と湧きあがってくる焦りが、せっかく汗を流した背中にまた冷や汗をかかせる。
「どうしよう……。」
「何が、でしょうか?」
彼女が部屋のドアを開けて、そう尋ねてきた。もう戻ってきていたか。
「ん、と。明日何時頃お迎えに行こうかってね。」
「いくら朝出発といえど準備がお互いあるんですし、朝8時過ぎくらいで良いのではないでしょうか。」
「そうだね、その頃に付くように出ようか。……お昼のお弁当も作っておくよ。」
「分かりました。」
よいしょ、と彼女がベッドに上がって、いつも彼女が寝る場所へと四つん這いになって入っていく。
彼女を少し跨ぐ形で、部屋の明かりを私が落とし、私もベッドの中へと体を収める。
「じゃあ明日はちょっと早く起こすよ?」
「はい。大丈夫です。」
……私は、今の気持ちとしては全然大丈夫ではない。
「それじゃ、おやすみ。」
「おやすみなさい。」


次の日、少し大きな弁当を拵えて男が泊まっていた宿屋に出向いてみれば、
入り口を入って直ぐの処で既に準備を終えて男が立っていた。
にらんだ通りで荷物は少ない。数日前に引きずる様にしていた足はまるで無かった事のようになっていた。
「お待たせしたようだね。」
「いやいや。私だって準備ができたのはさっきでね。」
「早速出発するかね。」
「そうしよう。ここはずっと暗いから慣れてしまったとはいえ、昼の内に外に出たいのでね。家に帰るまでに地上の夜を迎えるのは厄介なんだ。」
私が面倒をみるのはあくまで地上までだから、そこから先は全く保障できない。
まあ返していえば外までは保障するがね。私の意地があるから。

私が先頭を歩いて、荷物を持った男が中を、一番後ろを彼女が歩く事になった。
道は来た時とは違う道を通る事になった。元々男と通ってきた道が最適な道だったわけではないからだ。
街から外に出るまでで考えるならやっぱり道は変わってくる。
加えて今日のこの男の荷物は身軽だ。足場の悪さはあまり影響しない事も考えれば
ある程度足場の悪い道でもそこを通って時間短縮もする事ができるのだ。
だからか、最初はなんで来た道と違うのかと聞かれたけれど、二言ほど説明すればすぐに納得してくれた。

先日街まで連れてきた時は後ろに居る彼女にも色々見回りをお願いしていたが、今日は後ろを付いてくるように頼んである。
何故かと言えば、危険な眼にあって欲しくないからである。……加えて言えばあまり私の機嫌が良くなかった事があった。
昨日寝ながらあーだこーだと考えても、都合の良い解法どころか、妥協できそうな程度の解法すら私には浮かんでこなかった。

何かしらが犠牲になる。しかもその大半は彼女が背負う事になる。無理も道理も同時には通せない。
そんな事があって、ちょっとイライラしている。彼女に非はないのは分かりきった事であるから、
少なくとも今日一日何かもめごとが起こって私がそのイライラを爆発させるように暴れる事があったとしても、
彼女に火の粉ひとつすら振りかからないように、その位置へと回って貰った。
後ろから襲われたら意味がないが、そうならないように少々露骨に殺気を飛ばしながら
ただペースを崩さずに歩いて、歩いて、進んだ。

ほとんど会話はなかった。事務的に色々と足場について話をたまにしたりする程度だ。
その原因が私にある事を私は知っているが、申し訳ないなとは思いながらもそれを止めることはしなかった。
歩きながら悩んでもやはり解法が出ない事に、悔しさと恥ずかしさが余計に募っていた事もある。
愚かしい事だが……上手く自制できなかったのだ。

足音で誰かはぐれていないか判別できるからただ只管に前へ前へと進んでいた。もう何時間も歩いたであろう。
道が悪過ぎてちょっと靴が汚れているが、お陰で昼頃には既に距離は4分の1程度に詰まり、
時たま外から入りこんできたらしい風が弱くも頬を撫でて行っていた。
それでも尚ずんずんと進んでいると、後ろから不意に声がかかった。
「なあ、ちょっといいかね。」
「うん?」
「そろそろ、お昼を食べて置きたいのだが、都合のいい場所というのはこの近くにないだろうか。」
「ああ、うん。んじゃあもう、ここで食べようかね。多少なり休めそうな岩場もあるし。」
そういえばもう、そんな時間だったんだなと思い足を止めて振り返る。
男の方は元より多少は鍛えてあるからか少し疲れた程度だったが、その後ろの彼女は凄く疲れた顔をしていた。
思わず駆け寄って、声をかける。
「大丈夫かい?」
顔色が青い。というか、震えている。風邪がうつったかと思い額に手を添えるが、熱くは無い。
「……こわいです。」
熱というわけではないけれど、小さく震える声で彼女が呟いた。
「誰かに付けられてた?」
元より私よりは感覚の鋭い彼女であるから、何かそういうのを感じたのかと思いそう尋ねたが
返ってきた一言は極々当たり前と言えば当たり前で、……私はただ反省するしかなかった。
「お姉さんが、こわいです。」

「ごめんね。」
少ししてから彼女の前に膝をついて、見上げるようにしてそう声をかけた。
それ以外に、最初っから口に出して言える言葉が無かった。
「私、ついてきては不味かったですか?」
「違う、そうじゃないの。そうじゃないから、……ごめんね。」
頭を下げて謝って、彼女が首をそれに首を振って。
「わ、私も頑張りますから、怖いのはやめてほしいのです。」
「……うん、でも気にしないで。そこまで気にしないでいいのよ。」
その言葉に、彼女がぺたりと近くの岩場に腰を下ろして、がっくりと肩を下ろした。
「ご飯、食べよう。」
「うん。」
私は何だか気が落ち込んで、彼女は精神的にかなり参ってしまっていたせいか
二人分よりちょっと多めに作った弁当ではあったものの、半分以上を食べ残した形になった。
少し離れたところで食事を済ませてしまったらしい男は、心配そうに
「大丈夫か?」
と尋ねたが、それには力なく微笑むしかなかった。


結局、彼女の張りつめていた気は抜けたものの、ほとんどその体力を私が奪ってしまったお陰で
途中で彼女は歩けなくなって私が背負って道を歩く事になった。後ろの男には別段伝えもしなかったが、
途中から完全に安全だと思える道に替えてちょっと遠回りではあるが進んで行った。
力なく私の首の前で結ばれていた手も完全に力が抜けきり、気が付けば私の背で凄く静かに寝てしまった彼女を
できるだけ起こさないように歩いて、昼の2時程度の時間にやっと日の光が肉眼で見えるところまで進む事が出来た。
「まだこの時間か。早いもんだな。」
見える明るさで判断したのか、男がそう呟いた。
「近道を通ったからね。道を覚えづらいけどそんなもんなのさ。」
「そうか。あぁ、そうだ。報酬をまだ支払ってない。」
「まだ洞窟から出たわけじゃないよ。元よりの約束はあんたが洞窟から出るまで、だ。」
「それもそうか。まぁ今手がふさがってるしな。洞窟から出た先に少し小さいが岩場があるだろう。あそこに着いたら改めて渡そう。」
視界のずっと奥の日の光が強く反射する辺りを指差して男が言い、私もそれに頷いて返した。

強く反射する光の正体が、うっすら積もった雪だと認識したのはもっともっと出口に近付いてからだ。
後ろに居た男は既に認識していたようで、やや暢気に
「家に帰る分には問題ないか。」
等と呟いていた。
入り口から吹きこむ風もどこか冷たさを増して、私の肌を撫でる。
彼女もそれに目を覚ましてしまったようで、何度か私の前で結んでいた手をきゅっと握ると
彼女の体全体にも少しして力が入った。
「雪ですね。」
「そうだね。」
短いけれど、言葉を発してくれたのは私の心をかなり落ち着かせたのは間違いない。
ただ、こんな真昼に地下の存在の私が出て良いものかはやはりちょっと不安であった。
でも、送る。


男は私に報酬を包んだ巾着をひとつ手渡すとそのまま自宅があるというらしい方面へと足先を変えて歩いて行った。
私はそれを自分の懐へと仕舞って、彼女を背負ったまま少し飛んで改めて家のあるはずの方角を確認する。
加えて一度周囲の地形を見渡して、ある程度の目印を頭に刻みつけると、背中に居る彼女の太股をしっかりと抱えて
空を一直線にかけた。
ちょっと早過ぎかもしれないが、私がこちらにいるのはあまり好ましくないのは事実だから、
出来る限りあまり大人数に察知されないようにするために寒いけれどそうしたのだ。
とはいえ、彼女を支える私の腕が耐えられる限りであるが。

前回は湖を経由して彼女の家に向かったけれど、今回は直接彼女の家へと赴いた。
いっぺん迷った事もあって、無駄に彼女の家の周りだけは頭に焼きつきすぐに彼女の家は見つかり
彼女から鍵を受け取って家の中へとお邪魔した。
思えば以前訪れた時もこんな風にして入ったような気がする。
……相変わらず外と違って中はあたたかく、後ろ手に扉を締めれば雪が降っているのが分からないくらいに物静かな部屋だった。
靴を脱いであがり、以前確かめた彼女のベッドへと彼女を寝かせる。
私の家のベッドよりも小さいベッドだから、私は端の方に腰をかけると
「ごめんね、迷惑かけちゃった。」
再び謝った。……何度謝っても私の気が完全に晴れる事はなさそうだけれど。
彼女は首を振ってこたえて、そのまま少しするとまた静かに眠りはじめた。
案内したあの男は後ろのこの子の事に気づいたから私に声をかけたのかな。
もう別れた後だから確かめようもないし確かめるつもりもないけれど、心の中でお礼を言っておいた。

恐らく今日彼女は夕食を作れないだろう。
けれど、なんだかずっと今日ここに居座るのは私にはできなかったから、
外が暗くなるまで静かに休憩した後、彼女を起こして鍵の事を伝え、
残り物ではあるけれどお弁当を渡してその日は家に帰ったのであった。


道さえ分かれば、文字通り飛ぶ矢のようにまっすぐ帰れる。
以前のような迷いなんて起きる事すらなく、そのまま地下への穴へと潜る。

ずっと前から何度も何度も思う事だが、なんでこう私は不甲斐ないのか。
眼を閉じれば怖がっていた顔がすっと浮かび上がって慌てて目を開いて。
「明日来てくれる、かな。」
それが凄く心配で堪らなかった。彼女に迷惑をかけない為にとか建前にしておいて
やった事は最悪の極みだ……。

我が家に辿りついてみれば、よく知った影がひとつ家の前に仁王立ちしていた。
前彼女を送った時も姉さんが家の前に居たような気がする。
「何か、やらかしたかい?」
仁王立ちとは言いながらもちゃっかりとお酒を手にしていた姉さんが、それを呷りながら呟いた。
「あの子にかわいそうな事しちゃった。」
家についたからか、中途半端にしか昼ごはんを採っていないからなのか。
体に溜まった疲れが染みでるように現れて、家のドア前でへたりこんだ。
「……飲む相手がいなくてね。お腹が空いてるならどこか食べに行かないか。」
「御代は?」
「パルちゃんもち。」
即答されてしまった。護衛で貰ったお金があるから、何も問題はないけれど。
「抱え込む前に相談しておくれよ。」
「いつもの処で、良いですか。」
姉さんが頷いて、私の前に背を向けて座る。
そのまま動こうとしないのでふと尋ねてみれば
「おんぶ。」
その一言だけ返ってきたのだった。


街の入り口まで、姉さんの背中で揺さぶられてそこからは下ろしてもらって。
姉さんの背中でお腹が鳴ったのが凄く恥ずかしかった。
家からここまでの距離、姉さんは飛ぶんじゃなくて歩いてくれて、その間に私は今日私がしてしまった事と
前々から判断つかない自分の立場について話したのだった。

「で、あの子は?」
背中から降りた私に姉さんが尋ねた。
「お家に送ってきました。……さっきまで私がされていたのと同じように。」
「そうかい。」
やれやれ、といった表情で顔をしかめながら前を向く姉さんに
後ろからついて私が歩く。ペースは合わせてくれるものの、やや速足な感じがする動きから
あまり機嫌が良くないのが分かった。それについては、どうにも弁解できない。

いつも利用する飲み屋へと足を踏み入れると、普段はお酒を飲ませてから色々と話を始めるのに
今日は姉さんが珍しく先に食べ物を私の前に出した。
「すきっ腹に飲むもんじゃないからね。」
溜息を吐きながら姉さんがコップにお酒を注ぎつつ呟く。
差し出された料理に箸をつけて、ほとんど空っぽになっていたお腹の中へと熱い料理を少しずつ流し込んで行った。
「あの子は無駄に我慢強いからね。それでかえって言いだせなかったんだろう。」
私の前にも置かれたお酒のコップを手に持って、
やや濃い目の強いお酒を喉へと流し込んでいく。
「せっかく寄せてもらった信頼を台無しにしたんだ。だから、ちゃんと謝るんだ。良いかい?」
「分かってます。」
そう返した私の声に姉さんがくるりと視線をこちらに戻して続けた。
「分かってないさ。私があんただったら、そんな疲れ切ったあの子を放置して帰らないよ。」
お酒で顔は少し赤いのに、凄く落ち着いた声でそう言われて背筋が冷たかった。
思わず視線を逸らして、料理に手をつけて誤魔化して逃げた。
「ほら、言い返せないだろう。だから、明日ちゃんと謝りな。」
「……ごめんなさい。」
「謝るのは私に、じゃないよ。あの子に、だ。」
姉さんがわしわしと私の髪の毛を揉みくちゃにして囁く。
あまり機嫌が良くないのは分かってるけれど、あったかい手だった。

「話題を変えようか。」
私が押し黙ってしまった事が原因で、姉さんが困ったように呟く。
「パルちゃんよ。私の事好きかい?」
急に振られた話題に飲みかけのお酒をふきだしそうになって、慌てて口元を手で押さえて下を向いた。
「な、何ですか急に。」
「いいからこたえな。」
「好きですよ?その、こうして相談事乗ってくれますし。」
「うん。じゃあ、あの子の事は好きかい?」
「……はい。可愛いし良い子ですよ。」
私のコップに姉さんがお酒を注ぎ直しながら、更に続ける。
「私に対するそれと、あの子に対するそれ、同じ言葉でも内容は違うだろう?」
「だと思います。」
喉の辺りが落ち着いたところで、改めて料理に手をつけながら私が返した。
「パルちゃんさ、あの子を抱いた事ある?」
「どういう意味で、ですか?」
「どういう意味でも良いよ。その時あの子、どういう反応をした?」
「……安心したみたいに笑ってましたよ。」
夜のベッドの中での事を思い返しながら、繰り返される姉さんの質問に答える。
姉さんの体が完全にこっちを向いて、料理を置いた台に肘をつくようにしながら
考えるように唸って、少ししてまた口を開いた。
「パルちゃんの事、母親のように認識してるんじゃないのかな。」
「は、母親ですか?」
でも、私はあの子を娘のように認識したことは……ない、のか?
そう言う風に言われてみれば、ちょっとだけそんな風な気もする。でも求めていたのは娘として、じゃないんだけどな。
「どうしたもんでしょうか。」
「お互いに酔って酔わせて、後は勢いに任せて襲っちゃえば?」
「何だか生々しい方法ですね。」
「さっと関係を切り替えたいなら、大胆な手段くらい取れないとってことだよ。時間は有限だ。クリスマスまでなんだろう?」
姉さんはあの子についてどの事まで知っているんだろう。
「たぶんそうなるかと思います。」
「やり方はあんたが決めな。……いいね。明日はまずちゃんと謝るんだよ。」

それから少し話したのち、お酒の入り過ぎがあってかふらふらになった私をまた姉さんが背負ってお家まで帰った。
今更になって緊張まで解けたからか、疲れとお酒に更に相まってすごく眠かった。
玄関前で下ろしてもらい、玄関で寝るなと何度も言われながら別れの言葉を交わしたりした。
「まぁ仲直りの材料になるかは分からないけど。」
そう言って姉さんが取り出したのは以前も彼女と飲んだあのお酒だった。
……あの子飲めるかな。飲んでくれるかな。また。

玄関に入ってみれば、襲ってくる睡魔のおかげでそのままここで寝てしまいたかったが
確実に風邪をひく事と、何よりそんな事で風邪をひいたら彼女を怒らせてしまうだろうという事があって、
家のカギを締めて気力で部屋まで帰るとベッドに倒れるようにして入り、布団を被って眠ったのだった。


次の日。昼前に家の中に響いた玄関の扉のノック音に眼を覚まし、飛び起きて玄関へと飛んで行った。
彼女が訪れた時の、いつも通りのノックの音が規則正しく聞こえる。
辿りついた玄関で、慌てて扉を開けると、一歩飛び退くように彼女が下がって、それからぺこりと頭を下げた。
「昨日は申し訳ありません。」

よりによって、彼女に先に謝られてしまった。
謝ろう謝ろうの気持ちでいたのに、先に謝られてしまった。
慌てて私はその場に正座して、追う様にして頭を下げた。
「いや、私の身勝手だから。どうか気にしないで。……ごめんなさい。」
玄関のドアの敷居が脛に食い込んで痛かった。
お互い、言葉に詰まって。私は視線を下ろして頭をまだ深く下げて。
何だか余計にお互い動けなくなって、私はもうちょっと場を選べばよかったと少し後悔した。

でもこれはこれで、不正解と言う訳でも無かった。風が吹いた。
風を受けたドアが、緩やかにだが動いて私の頭に直撃して。
お互いに悲鳴をあげて、緊張していた場の空気が壊れてはくれた。……代償がちょっと痛い。
「あ、うん。風も吹いてるから上がってよ。」
「……大丈夫です?」
「うん。」
しばらく触る気はおきないな。何だかズッキンズッキンと痛い。
もうちょっと勢いがついてたら今頃地面の上を叫びながら転げまわっていたかもしれない。


彼女を居間へと通した。私は急いでお湯を沸かして、お茶の用意をして。
いつもなら彼女に任せていた事だけれど、お茶菓子の用意をしてテーブルの上に並べて。
「昨日は、ごめんね。自分に何だか釈然としなくて、荒れてたんだ。」
「怖かったですけど、後でちゃんと教えてくれたのでそれは大丈夫なのです。
ただ、その。昨日は疲れちゃって。意気込んだのに、お仕事手伝えませんでした。」
「貴女は私が思ったよりずっと働いてくれるから、そんな事があっても私は構わないよ。
……何だかお互いにあれだね。謝り合いというか。あぁ、そうだ。何かお詫びにできる事はないかな?」
少しだけ身を乗り出して、そう尋ねる。思いつきに任せたままの言動だった。
彼女がちょっと困ったように視線を空中に泳がせて、すぐに何か浮かんだのか私へと視線を戻すと
真っ直ぐに一言呟いた。
「約束をひとつしてほしいです。」
「な、なんでしょう。」
「辛い事や悩み事があったら相談してほしいのです。頑張って答えてみせます。」
そう言ってトンと彼女が胸を叩いた。
相談したいほど悩んでいる事、それは貴女自身に関する事だね。
たぶん何時か、近いうちに打ち明けなければならない事なのよね。
「うん。約束する。……ありがとう。」
「いえ。……お姉さんは私には無いですか?こんな事してほしい、とか。」
「ある、よ。私に遠慮しないでほしい。」
「遠慮……ですか?」
彼女が首をかしげて、その言葉に尋ね返して。
「どんな些細な事でも何でもいいから、もしして欲しい事や止めてほしい事があったら言ってくれると嬉しいな。」
「それ、さっきのと同じじゃないですか?」
「そうかも。でも、そうしてほしいの。」
「……わかりました。頑張ります。」

彼女が差し出してあった湯のみに手をつけてお茶を口元へと運ぶ。
私も誘われるようにして湯のみに手をつけて喉を潤して。
また彼女が思い出したように、手を叩きながら口を開いた。
「ご飯、もう食べましたか?」
「恥ずかしい話だけど、さっき起きたばかりでね。まだ用意してないの。」
その言葉に珍しく彼女の顔が喜んだ顔になって、ちょっと得意げに何かを取り出して机の上に置いた。
それは私が昨日彼女の家に置いて帰ったお弁当箱で、少しばかり重たそうだった。
「作ってきてくれたの?」
「簡単なもの、なんですけど。」
そう言って彼女が蓋を開ける。眼に入ったのはサンドウィッチだった。
まぁ彼女の家からここまでの距離を考えれば、あたたかいものというのはどうしても冷めてしまうから
メニューにはなんとなく納得した。……あの子に置いて帰った残りのお弁当、きっと凄い冷めてただろうな。
ごめんね、昨日は一人取り残して。料理作ってあげられなくて。残り物で誤魔化して逃げたりして。
「食べて良いかな?」
「はい!私もまだ食べて無いですから、ちょっとくださいね。」
「ちょっとと言わず、一緒に食べよう。」
既に一口目を口元へと運びながら私が言って、彼女もその言葉に笑いながらひとつ箱からとっていって。
二人揃ってぱくりと頬張るそれは、どこか花の香りがするジャム。でも、何の花かは分からない。
私の知っているお花の中に、元よりこの地下で知る事のできたお花の中にはこのお花はない。
「貴女が作ったジャムなの?」
「はい。近所にお花畑があったので、そこから。」
こっちにはお花畑なんて場所ないからなぁ。岩とか岩なら沢山あるんだけど。
いいなぁ、ちょっと興味があるなぁ。でも今冬だし、何より地上かぁ。
私が行って周囲の人に迷惑をかけるのは嫌だな。彼女に案内を頼んでいたのなら、冷ややかな目をされるのは私じゃなくて彼女だ。それは嫌だ。

お花のジャムを用いたサンドイッチに交じって、ちゃっかり普通のサンドイッチもあって。
野菜が中心だったけれど、苦みや青臭さのない、どこかさっぱりとした味わい。
ちょっとお肉が欲しくなるようなところがあったけれど、そこは私が今夜御馳走しようという事に頭の中で決めた。


「御馳走様でした。」
「いえいえ、私も昨晩は美味しく頂かせてもらいました。」
彼女が頭を下げて、私も合わせるように頭を下げて今日のお礼を言って。
「それじゃ、片づけてきますね。」
彼女がひょいと顔をあげると、いつもの表情に戻って食器を片づけ始めた。
気にしないで気にしないでと声はかけても、気になる事だったんだろうな。
「私は部屋で休んでていいかな?」
「はい。お仕事が終わったら改めて御伺いします。」
にっこりと笑って、彼女が食器を手に台所へと歩いていく。
その背中を少しだけ見送ると、私は着替えていないこともあって急いで部屋へと戻った。

カタンと後ろ手にドアを締めて、ぐっと服を持ち上げて匂ってみる。
昨日のお酒の匂いが出てたりしていないかな、というのが一番気にしていた事だった。
ちょっとだけ、残っている。彼女は気づいただろうか。……ってあぁ、この服洗濯してもらわないと。
急いで着替えを取り出して、今着ているものとそっくり入れ替えて、また部屋を飛び出して彼女を探す。
彼女はまだ洗い物の途中であったから、それを見て安心しながら今追加した洗濯物の事を伝えてそこからゆっくりと部屋に戻った。

ふらりふらりとベッドに倒れ込んで、置いてあった枕を胸元にぎゅっと抱きしめて。
何だかんだ、ちゃんと今日きてくれた事が嬉しくてしょうがなかった。
もし来なかったら、私はどういう行動をとっていただろうか。いや、取る事ができていたか?
ふと抱いていた枕から手を広げて、仰向けになってベッドの中央に寝そべる。
昨日も一人で寝たけれど、こうしてみると何だかベッドが広く感じてしまうのだ。
そんなに大きなベッドではないのに。ここ最近はずっと横に彼女が居るからそう感じてしまう。
彼女、今日は泊まって行ってくれるかな。泊まって行ってくれるならいいな。
……最初は、彼女を家に返さない事に対して何だか悪い気持ちがあったのに、帰ってしまう方が今はどこか悲しい。
ずっと帰って無かったから帰るというのは構わないのだけれどね。
ちょっとだけ私がワガママになったのかもしれない。幸せに浸りすぎたというか。

でも際限なく求めてみたい。元々この計画はその為のものでもあるのだから。
まぁ、大筋を引っ張ってくれたのは姉さんだから、私の計画というとちょっとズレるのだが。
こんな私にでも、そんな相談を受けて機会をくれた姉さんには感謝している。
あそこまで真剣に相談に乗ってくれるの、姉さんくらいだからな。
……ふと、昼食前に言われた彼女の言葉を思い出して、その名前に彼女の名前を付け加えておいた。


お昼御飯のあとにベッドに寝る事がどれほど魅力的な行為かは、回数を重ねれば重ねる程に
それを実践した者が良く分かっている事だ。でも一度ベッドに寝転がってしまえばそれは抗いようのない神秘的な力によって……
ともかく、気づいたら寝ていたようで、いざ気づいて起きてみれば肩口までしっかりと布団をかけられていたようで
ばさり、と掛けられていた布団が落ちた。
彼女はベッドの端っこ、いつも彼女が編み物をする時に座っている場所であるが、そこに腰を下ろして
ちくちくと続きを編んでいたようだった。私が起きたのに気づいてか、編む手を止めるとこちらを見て笑いながら
「昨日の疲れが出てたようなので。」
そう楽しそうに呟いた。彼女の手の中で編まれていたマフラーはあと数日もしない内に糸が無くなってしまう。
忘れてたな。今日、外食ついでに買いに行こう。
「今晩、一緒に街まで行かない?」
「はい、……何かご入り用で?」
「いや、食事をしに行こうかなって。本当は給料日に行く予定だったけれど行けなかったから、その代わりに。」
「ではその、御馳走になります。」
「ということで、今日は夕食の準備は気にしなくて良いよ。夕方までゆっくり編んでいて大丈夫。」
そろそろこの地底も本格的な寒さを迎えるし、地上はあの雪だから
私の方も仕事を休業してゆっくり家で過ごそうかな。彼女とあったかい部屋で過ごす機会が増えそうだもの。
「私はもうちょっと横になってるよ。」
「はいー。」
既にマフラーの方に向き直って編みはじめていた彼女が返事を返し、
その真剣な様子を見て何だか変な安心をおぼえながら、枕に顔を突っ込んでうつ伏せになる。
今夜が寝られなくなるかもしれないという心配があるが、昨日の疲れがあるからまだ寝たいという欲望が私にはあったから、
肌蹴ていたかけ布団を後ろ手に引っ張って肩口まで上げきると、もう一度ゆっくり眼を閉じて。
きっと夕方手前くらいで彼女が起こしてくれるだろうという期待があったから、
案外にすんなりとまた眠りに入る事ができた。

恐らくは夢なのであろう、空中に浮いたお湯の中に足先だけ突っ込んだような
妙にぽかぽかとした感触を感じていた。私の体も宙に浮いたような感じだけれど、不思議とあんまり体が動かない。
足の方に至っては全くと言っていいのかもしれない。でも、その足が一番気持ち良かった。
お湯が脈打ってるというか、ふわふわしているというか……。
でも、そんな夢から私を現実に引き戻したのは、私のものでないクシャミの音だった。
我慢していたのかちょっとだけくぐもって聞こえて、驚きもあって、それで眼が覚めたのだった。
目の前にあったのは枕。まぁうつ伏せに寝たのだからそれは当たり前であって。
ぐっと体をひっくり返そうとして見たがそれは何故だか全く上手くいかなかった。
「あ、おきちゃい……ましたね。」
なんとか上半身だけを捻って、下半身を見遣れば、私の腰の上、その上にかかった布団の上に更に彼女が腰を下ろしていた。
あまり体重は感じないんだけどな。
「何をしてるんだい?」
お尻をこちらに向けて、またがる様に座っていた彼女に対して、ちょっと体勢がきついから元の姿勢へと戻りながら尋ねる。
「昨日大変でしたから、足が疲れているんじゃないかって思って。その。」
柔らかい手がぺたりと私のふくらはぎを掴む。恐らくさっきからこうやってペタペタ触られてたんだな。
手があったかい。末端で冷えていたから妙に気持ちが良かった。
「あの、お気に召しませんか?」
「……貴女の手が疲れない程度に、もうちょっとお願いするわ。」
……やはり私はわがままになった、と思う。


「一応、聞いていいかな?」
指の力があまりない事を自覚してなのか、何時だったかしてもらった肩もみとは違って、
揉みほぐすというよりも、血管に沿って血流を整えてもらっている感じだ。
もう片方の足は既に彼女が頑張ったからなのか触れられていない今でもあったかいけれど、
今なでなでと彼女の手の中で弄られている足は、少しずつあったまっているのが分かった。
「何でしょう、……もうちょっと強めが良いです?」
「いいや、そうじゃなくてね。お風呂入れるかなって。」
「沸かしてありますよー。お出かけするってお話でしたから。」
気が利くねぇ。彼女のマッサージが終わったらまた冷えたりする前に駆け込むとしよう。
お湯はちゃんと多めに作ってくれたかな。

元の体勢に戻して顔を枕に埋めていたお陰か、また少し眠たくなりはじめていたのだが、
彼女が私の腰の上から体を離した感覚で現実に引き戻された。
何だかあったかい湯たんぽが急にどこかに行ってしまったような、妙な感覚。
もうちょっと座っていてくれというのは変な言い草であるが、ほんの少し喪失感を感じてしまった。
これから入るお風呂場の床が最初凄く冷たい事を知っているから、余計にそう思うのかもしれないな。
「おわりです。」
「よし、じゃあ入ろうか。」
昔は一緒に入るかどうかちゃんと聞いていたんだけどな。
今はそこまで気にしなくても入れるようになった。元々でいえば恥ずかしがっていたのは主に私であるのだが。
「お着替えも準備してますよ。」
体の向きを戻し、ゆっくりと身を起こして、彼女から差し出された衣服を受け取る。
外に出るからと伝えてあったからか、やや厚手の生地の寒い日用の服だ。
彼女はどうやら内側に着こもうとしているようで、いつもの服より小さな服を一枚余分に挟んでいた。

脱衣所へと入り、彼女が脱ぎ始めるその横を通って、一足先に浴室を覗きこむ。
あぁ、良かった。ちゃんと湯が沢山用意してある。
「一応、この前の事がありましたので。」
「最初っからあたたかい方が気が楽だもんねぇ。」
「でもやっぱり贅沢に感じてしまいます。」
「あぁ、そうだ。今日の夕食、遠慮はしなくていいんだからね?」
お湯を心配する彼女だから、先に釘を打っておかねばと脱ぎながらそう伝えた。
でもまぁ、それを言う必要は本当は無かったりする。この前は焼き肉で計画していたものの、今日行くのはそういうお店ではない。
最初に彼女と一緒に訪れたあの料理店だ。彼女が酒蒸を頼んだ、あのお店。
以前からだが、あそこには遠慮をしてしまう為の要素が無いのだ。

私が先につま先立ちで浴室へと入って、洗面器を取るなり冷え切った床へとお湯を撒いていく。本当は混ぜてからのがいいのだが
床は最優先だと思って、かき混ぜるより先にまいたのだった。お陰で踵もつけられる。
床がひと段落ついたところで彼女を浴室の中へと手招きし、浴槽の中をかき混ぜて温度を多少なり均一にすると、
もう一度撒いてから彼女を小さな椅子へと座らせた。
「今日は私が先ですか?」
「前回は私が先だったからね。それに、お湯をどんどん使う事を考えれば後も先も大して関係無いさ。」
しかも、それは自由に自分にかけられるからね。寒くなったらかければいいだけの話だ。
彼女の体がより冷える前にお湯を洗面器で掬いその小さな背中へとかけながらふと気になった事を尋ねる。
「君のその綺麗な羽、触れられたらちゃんと感覚はあるの?」
「ありますよー?こう見えて結構敏感なんです。」
び、敏感なのか。やっぱり気をつけて洗わなくてはならないな。
そう思いながら、ごしごしと洗う為の布をどんどんと泡立てて行く。
「敏感ですから、どういう風に洗ってもらってるって結構分かるんですよ。」
その言葉に思わずごくりと口の中のものを飲みこんだ。
わ、私やましい事とか考えてないから大丈夫だよな。うん。
「いつも丁寧に洗ってもらって、とてもとても嬉しいんですよ?」
彼女が顔だけこちらに向けて、少しだけ羽をぱたつかせながらそう言った。
その言葉にほっとして、何時の間にか止めてしまっていた手の動きを再開し、布を泡立てきると
彼女の背中にその布を下ろした。私の方に向いていた彼女の顔が前に向いて、
膝を抱えるようにして彼女が丸くなる。こうしてみると本当にちっちゃい。
羽をパタパタとさせて……先に洗ってくれってことだろうと解釈して、その羽の根元に手を添えて
いつものように洗っていく。とはいっても、さっきあんな事を言われてしまったが為、
いつもよりは少しだけ力を抜いて、負担がかからないようにと布を動かしていって。
それについても感じ取れるのか、彼女がくすくすと笑うのを聞きながらも無心を装って洗っていった。

「さっきの話、気にしましたね?」
私が羽から背中へと布を戻した時に彼女が笑ってそう言った。ああその通りだとも。
むしろああいう話を先にしておいて気にしないなんて到底無理な話だ。
「敏感なら、痛くするのは何だかなって思うからね。」
とりあえずそうやっておどけて返しながら、残りの小さな背中を撫でおろすように洗っていった。

「はい。じゃあ前は任せた。」
背中が終わって彼女にまだ泡だらけの布を渡して、私は彼女の後ろでお湯を被る。
床に撒いた事もあって、まだあまり冷えては無いがその感覚にはやはり身震いした。
そのまま何度か洗面器を使って、自分の髪の毛もお湯で一旦流すと、洗髪剤を手に彼女の後ろで座ったまま
自分の髪を洗いはじめた。彼女の髪の毛を先に洗っても良いのだが、彼女が体の他の部位もどんどん洗う関係上、
立ち上がって体を洗っている時にもしもという何かが起こったりした時に、
眼が見えないという状態を作ると危ない気がしたための判断である。だったら先に私の分を済ませてしまえば
私自身の体も温まるしね。

でも何だか自分の髪を自分で洗うのすら久しぶりだったかもしれないな。
最近は彼女に洗わせてばっかりだったし。あぁ、今思えば彼女も結構丁寧に洗ってくれていたものだ。
いや髪だけではない。背中だってどこだって、全部丁寧だったな。
「いつもありがとうね。」
「はい?」
「いや、何でもない。……そっちはどう?洗い終わった?」
眼が使えないから、彼女にそう尋ねてみる。
「はい。あぁ、お湯かけましょうか?」
「うん。お願い。」
彼女が手を洗う為か、少し水を掬ってはかけたりする音が何度か聞こえ、
一度大きく洗面器で水をすくったかと思うと、
「眼を閉じていてくださいね。」
その一言と共に頭の上にお湯が降ってきた。さっき被ったばかりだったこともあって
そこまで熱いとは感じなかった。続けざまに何度かお湯が降り注いで、
私は髪の奥の方に溜まっていた泡を手で一緒に掻き流すようにしながら一通りお湯を貰うと、
ゆっくりと目を開けて顔も彼女の方へと向けた。
先日も見た泡だらけの彼女の姿がそこにはあって、私と目を合わせるとにっこりと笑って今度は私の腕や肩についていた泡を洗い落としてくれた。

お湯がいっぱいあることもあって、彼女の体を温める目的でも彼女の体についた泡を洗い落とすと
彼女をもう一度座らせて、また私が洗髪剤を手に取って彼女の髪へと手を下ろした。
「わ、良いんですか?」
「何時も結構やってると思うけど。」
「いや、先程は自分で洗われていたようでしたから……。」
「いやいや、気にしなくて良いのよ。」
今日は私が彼女の髪を洗いたいのだ。だから洗髪剤がまだちょっと手に残る手を出して彼女を宥め、
そのまま髪の毛へと指を差し込んで、洗いはじめた。
彼女も始めたらすっかりおとなしくなって、また膝を抱えて小さくなりながら、
ゆっくりと羽をぱたつかせて黙っていた。
「こうして欲しい、とかない?」
洗いがてらそう耳元で囁く。
「いえ、このままで。」
私の声が小さかったからか、彼女も小声でそう答えた。

「今日は指が優しいですね。」
しばらくして彼女がぼーっとした感じの声でそう呟いた。
「そう言われるといつもの方が心配になるわよ。」
「いつも優しいですよ。……心地いいです。」
少しだけ眠そうな声で彼女が続けて呟いた。言葉は嬉しいがここで寝るのは宜しくないぞ。
そんな姿も可愛いかもしれないが行きつく先は風邪だ。
「うーん。でもちょっと急がせてもらうわ。」
そうやって彼女に言って、洗面器を使って肩口を中心に湯を何度かかけると
ちょっとだけペースを速めて、髪の先の方まで洗っていった。

先端の方というのは洗い過ぎても枝毛になったりして辛いので
少し軽めにしてキリをつけると、再び洗面器にお湯を汲み上から頭の上からゆっくりとかけていった。
先程私がしていたみたいに彼女が合わせて指を差し込んで、残っていた泡を掻きだしていくのを見ながら
次へ次へとかけていった。
「よし、じゃあ先に湯船であったまってて頂戴。」
全部泡を流し切って、彼女の肩をポンポンと叩いて私がそう言うと、
嬉しそうに椅子から立ち上がって、ひょいと私の後ろに回る。
「交代ですよ!」
とん、と背中を押されてちょっとだけバランスを崩しそうになった。
慌てて彼女が支えて、少し顔を赤くしながら照れたように続けて呟く。
「冷えてますし、お手伝いします。」
「そう、じゃあお願いする。」
喜んで、くれているのかな。

先に私が洗面器を使って体を温め直す横で、鼻歌でご機嫌に歌いながら彼女が泡立てている。
残念ながらその歌は私にはわからない。でも凄い愉快そうな歌だ。踊りだしそうというか。
「ご機嫌なのね。」
「ご機嫌ですよー。」
そこは、~~ですから。って答えを期待したんだけどな。まぁ機嫌が良いなら私はそれでいいよ。
足元を確認して、よいしょ、と彼女がさっきまで座っていた椅子に腰を下ろし、彼女に背を向ける。
少しして、頑張って泡立てたのかふわふわの布地の感触が肩口にぽんと置かれた。
「お待たせしました。それでは失礼します。」
そんな彼女の声とともに、わしわしと布地が左右に揺れて、首の後ろから鎖骨、そこから下ってお尻の傍までを行ったり来たりと手が動く。
心なしか彼女が鼻歌で歌っている音楽のリズムに乗っている様な、ちょっと早いリズムではあったけれど
あったかいふわふわのそれは押しつけられていて結構気持ちが良かった。
「こうして欲しいとかありますか?」
先程の真似だろうか。彼女が小さい声で耳元で囁く。
それに合わせるように私も小声で呟き返した。
「そうだね。貴女のしたいようにしてちょうだい。」
「……。うーん。それでは失礼して。」
彼女が私の肩口にぽんと布を置いて洗面器のお湯を使ってざぶざぶと浴び始める。……何だと思ったけど、寒かったんだな。
「無理しなくていいのよ?」
「とりあえず背中が終わるので、これが終わったら申し訳ないですがお先に。」
「うん。それが良い。」
かくいう私も少しずつだけど膝が冷えてズキズキとした痛みが走りつつある。
すぐ横にある浴槽が段々と天国にすら見えてきそうな気すらした。
少しして彼女が置いていた布を手に取って、まだ洗い終わって無い腰周りをごしごしと擦ってくれる。
何だかちょっとくすぐったいが、一生懸命擦ってくれているから何も言わずに少し耐える事にした。

「はい。背中終わりです。」
「うん。お疲れ様。」
首を少し捻って彼女の方を向けば、冷えやすいのか内またで少し震える彼女が目に入る。
「さ。先に温まりな。」
そんな彼女から布を受け取り彼女にそう促すと、私もせっせと残る箇所へと手をかけた。
肌に対する泡のノリが若干悪くなっていたけれど、寒くなってくるのを感じていたから、
あんまり丁寧に洗っている余裕がなかったりして。凄いせっせと洗っているようにたぶん彼女には見えただろう。

洗っている様子で彼女も大体急いでいた事を分かったみたいで、私が洗い終わる頃には洗面器にお湯を汲んで準備していてくれた。
私はそれを受け取って肩口から全身へと半端に残っていた泡を洗い流し、自分の目で見て泡が無い事を確認すると、
そのまま浴槽を跨いで彼女の横へと腰を下ろした。
「うーん。寒い。」
思わず出た私の一言に彼女が笑って、何を思ったか私の腕にぺっとりと抱きつく。
……いや、何を思ったか、なんてちょっと失礼な言い方かもしれない。
彼女はただ素直にあたためようとしてくれているのだ。ただここまで素肌でぴったりとくっつくと、
流石の私と言えど……。


結局何もできなかった。

お出かけ前だぞ!とか、まだ告白もしてないのに!とか、そもそも彼女には好きな人が!とか。
理性というのは中々に便利で、そして煩わしい。きっと本能に気をふと許してしまう事が私自身の精神衛生を保つのには良いんだろう。
でも理性を保った方が彼女の精神衛生にも良いんだろう。なんて変な天秤が頭の中に浮かんで、かき消してはまた蘇り。
「肩まで浸からないと温まれませんよ?」
彼女がくっついたままそんな事を言っていても、頭の中は真っ白な考えと真っ黒な考えがぐにゃぐにゃに入り混じるだけで、
思考が進まず、一方で時間だけが勝手に過ぎて行った。幸せな時間であったかといえば間違いなくそうであったのだが、
時間切れというのはあるもので、私の腕や体にお湯が沁み入り何だかぽかぽかとした感じになった頃には彼女はもう腕を離していた。
離されると、何だか名残惜しくて辛い。結局私は何がしたいんだ。
「もうちょっとしたら出て、それから髪の毛拭いてお出かけねー。」
溜息を吐きながら、浴槽にもたれかかって首までお湯に沈めて。
彼女も反対側で同じようにもたれ掛かって私と同じように溜息を吐いた。
「誰かと一緒にお風呂に入れるって素晴らしいです。」
「例の子は?」
「夏場に川遊びや湖で遊んだりするのは多いのですが。他のその、例えばお風呂に入るとかは、やっぱり駄目みたいです。」
「そうか。大変だねぇ。」
ただ何気ない相槌のつもりで返したのだが、そんなのを返す一方でふと頭の中に残っていた記憶がよみがえってくる。
例の子、あの子の好きな子が温かい料理を食べない。ついでに言えば、あたたかい水も駄目だとする。
マフラー、大丈夫なの?ひょっとしたら受け取って貰えないんじゃないの?
ちゃんと気が利く彼女だから、その可能性に気が付いていないとは思えない。
……料理と一緒で意地なの?
勿論の事、それを彼女に直接尋ねてみる勇気は私には無かった。

あまり長風呂しても体力を削るということで、私があったまって少ししたところですぐ出る事になった。
もはや残り湯となってしまった浴槽のお湯を洗面器でまた撒いて、ちょっとだけ床があったかくなったところで
脱衣所から2人分のタオルだけをとってまた浴室へと戻って。いそいそと体を拭いていく。
脱衣所と違って、髪の毛からいくらぼたぼた水滴が零れても床が汚れるわけでもないので、
髪の毛を拭くためのタオルは着替えの横に置いてきた。
少し寒い事に代わりは無いのだけれど、普通にあちらで拭くよりはずっと心の余裕があるから
ゆったり拭けてそれはそれでいいのだけど、彼女の背中を見ている内にある事に気づいて
そのままそっと近づくとそれにタオルを差し伸べた。
「ひゃぁ!?」
途端にびっくりしたような声をあげたのは彼女だ。……私はただ、彼女では拭けそうにない彼女の羽をそっと拭いただけだ。
むしろ、私の方こそ声を出さなかったけれどびっくりして足を滑らせそうになったくらいだ。
「ご、ごめん。拭きづらいかと思って。」
「そ、そうですか。心の準備ができていなかったものですから。」
彼女が小さな溜息を吐きながらそう答えた。うーん。失敗、だな。
「い、いつもちゃんと拭けてる?」
「いつもは羽をちょっと動かして、簡単に水気を払うだけでしたから……。あまり今みたいに拭かれた事が経験なくて。」
「でも、お風呂で体洗う時は大丈夫だよね?」
「それはその、心の準備はちゃんとしてますから。」
ああ……そう、なのか。
「あ、でもありがとうございます。すみません大きな声を出して。」
彼女が気を利かせて慌ててそう取り繕って。私もそれに手を振ってこたえた。
「いや、次からはちゃんと声をかけるよ。それじゃさっさと着替えてしまおうか。」


お風呂に入ればその後は寝るだけだったからいつも軽い服装だったのだけれど
今日はこれからお出かけがあるから髪を拭くのにも何だか服装だけは重装備……という程でもないのかもしれないけど、お出かけ用の格好だ。
髪の毛は濡れていては冷えるからという事で、お互い頑張ってわしわしと自分の髪を拭いていた。
お風呂から出て居間に戻った時には、予定していた時間よりちょっとだけ遅かったから急ごうかという事になり
拭くのは各自で、となってしまった。もうちょっと時間が余っていたら彼女の髪を拭いてあげられたのだが。
でもそれが原因でラストオーダーの時間などと言う心配をするのは嫌だ。
今日は彼女に美味しい物を食べてもらおうと、そう決めているから。

二人で家を出発したのは何時ぐらいの事だろう。
恐らく予定の時間より20分だか30分だか遅れていたのではないだろうか。
お昼御飯に彼女が用意していた物を貰ったから、もう腹ペコで死にそうだ!という事は無かったのだけれど
お風呂に入っている内になんだかんだお腹が減って、早い所お冷でもいいからお腹に入れたいというのが
頭の中にちょっとあった。今日はお互いが厚着をしている事もあって、いつもよりスピードを上げて
家から街までの道のりを、並んで飛んで行ったのだった。
歩けばどれだけ長い距離でも飛べば早いというもので、ちょっと体力は使ったけれどお店にとっても時間の都合がいいように
以前も訪れたあのお店にたどり着く事はできた。彼女の方はあまり疲れた様子もなく普通にしているところを見ると、
やはりなんだか自分が衰えて見えてしまう。若いって良いなぁ。若いって。
私だって若いはずなんだけどなぁ。
「懐かしいですね。」
彼女がお店の看板を眺めてそう言って。覚えていたんだなとちょっと嬉しい気持ちが心の中に湧いた。
でも相変わらず字は読めないみたいで、看板と本日のオススメ料理の立て札をにらめっこして
しばらくして諦めた様にこちらに苦笑いを向けた。
「入ろう。」
「そうですね。」
ドアを開け足を踏み入れ、一か月前にも見たような感じの店員に案内されて奥の方の席へと足を運ぶ。
流石に前回と同じ席までとは言わなかったけれど、少しだけ入りこんだ所にある静かな席に今日は入る事ができた。
「広々座れそうですね。」
とは彼女が言うものの、やっぱり彼女が座るのは私の横だ。
店員の人が置いて行ったお品がきを見るためでもあり、私からそれを聞く為でもあり。
字が読めない事というのは思った以上に不便で、でも私にとっては嬉しい要素で。
私がこんな事を考えているなんて知ったらきっと怒るに違いないだろう。
「失念してしまっているので、もう一度教えていただけるとありがたいのですが。」
いや、流石に覚えている方が凄いというか、忘れるのが普通だと思う。
「まだ時間もあるし、ゆっくり見て行こうか。」
「はい。」


お品がきの中にはどう考えても彼女が選びそうにない嗜好品のような料理というものはある。
でもそれを読み伝えて彼女がどんな反応を返してくれるのかというのは読みあげる前の私には想像できなくて、
それを実際に見てみるというのはやっぱり楽しいものであった。前にも読み上げたような名前がほつほつと並んだ簡素なお品がきはあるが
若干変わっていたり、あったものが消えていたり。逆に、無かったものが増えたりしているから
その部分については良いリアクションを返してくれた。
酒蒸しの料理は他にもあったけれど、
彼女は美味しいとは言っていたが今日は別の物を頼むという事らしい。私はといえばお昼ご飯にお肉が無かったから
家で料理するのが若干面倒な魚の刺身料理を一品頼む事にした。少々高くつきそうな気はしたが、まぁたまには良いだろう。
私がそれを頼むのを決めた後、どうやら彼女は鳥か魚かを悩んで、
私が魚を頼むという事を伝えれば、彼女も同じ魚の同じ料理を頼む事にしたようだった。
少し離れた位置で待機していた店員さんを眼で呼び寄せて、魚の刺身料理を2つ、と頼んで。
頼み終わりお品がきを受け取った店員が去ると、二人してぺたんと背もたれに背を預けた。前回と違って
今日は落ち着いていて大人しく、たかだか1か月程度しか経っていないのに何だか少し成長したように見えてしまった。


「お待たせしました。」
店員二人がそれぞれ1人分の料理を手に運んできて、テーブルの上にそれが並ぶ。
既に運んでくる段階で私には見えていたのだが、彼女はといえばそれについて呆気に取られたのか
口が少しだけ空いたまま軽く固まっていた。
私達が並んで座っているからなのか、私と彼女の間を中心の線にして対称に並ぶように
中心に尾頭付きの魚の造りが、その横に酢で軽く和えたらしい魚と野菜の小鉢が、
あら汁が、ご飯が、どんどんと並んで行く。久しぶりにこのお店の地雷というか、当たりというか
そういう物を引いてしまったような、そんな気分である。
どうやら彼女は魚の頭に驚いていたようで、しばらくの間それから眼が離せないでいたようだった。
「頭、食べなくて良いのよ?」
「ふぇ?あ、はい。あ、こっちですね。」
うん、そのお刺身を食べるのであって、頭は飾りだからね。
「さ、汁物もご飯も見てると冷めちゃうわよ。」
「そうですね。いただきます。」
「いただきます。」
揃って手を合わせ、そう唱えると箸を握って料理へと手のをばして行った。

彼女自身、尾頭付きというものが初めてだったのだろうということは
彼女の様子を見るだけでなんとなく伝わってきていた。釘付けというか、気になっているというか。
箸に既に刺身を掴んでいながらも、じーっと頭と見つめ合って。
流石にもうお亡くなりになってるからそんなに見つめてあげても返答してくれないだろうに。
そんな様子を見ながら、私も掴んだ刺身を僅かな醤油で味付けして口へと運ぶ。
ややひんやりとしてぷりぷりとした身が口の中で踊る。思えば久しぶりに食べた魚かもしれない。
食べたとしても焼いたりするから、生で食べるのは久しぶりだ。
私が食べるのに気づいてか、彼女もはっとしたように箸の間に挟まったそれに醤油をつけて
ぱくりと口に頬張った。
「上手く言えないですけど、贅沢な味ですねぇ。」
箸を持っていないもう片方の手で頬を支えるようにしながら彼女が呟く。
「たまにはこういうのも良いものでしょう。」
それに合わせて私も返事を返しながら次へ、次へと箸を運んで行く。
外と比べて店内があたたかいこともあって、ちょっと足元の寒い家のテーブルよりも
ゆったりとして食べる事ができるのもまたひとつの魅力かもしれない。
一人で食べる分には家でもここでも変わりはしないのだが、
後後で片づけの必要もない等ということも重なれば彼女も素直にご飯を楽しんでくれると思った。
まぁ彼女の興味の大半はやはり目の前のお頭に奪われていたみたいだけれど。

「お姉さんお姉さん。」
食べ進める彼女が、ご飯茶わんを片手に私の方を向いて尋ねる。
美味しそうに食べてはいるが何かを気にした様子で、箸を止めて彼女の方へと顔を向けると
彼女がその先の言葉を紡いだ。
「これ、この前の私のお給料だとどのくらい食べられるのでしょう。」
「……さあねぇ。結構食べられるかもしれないし、そうでないかもしれないし。ちょっと分からないわ。
んー、例の子と食べにきたいの?」
「いや、その。凄く高そうな気がするんですけど、大丈夫なのかなって。」
「あぁー、貴女が気にする事じゃないわ。私は貴女と一緒にたまにはこういう場所で食事がしたいってだけなのだもの。」
「私なんかで良いのですか?」
「貴女だから良いのよ。貴女に対してのお礼の手段が私には乏しいから。だから遠慮せずに食べてくれた方が私は嬉しいよ?」
「……いつも、ありがとうございます。」
「良いよ良いよこれ位。足りないんじゃないかって思うくらいだもの。さ、食べよう。」
止めていた箸を握りなおして、彼女の頭を撫でると、あら汁を手にしてゆっくりと汁を飲んで行った。
ちょっと臭いを感じるが、それ以上に出汁の味の強さを感じる。具という具はあまりないけれど
それでも十分に美味しいと思えるのは、見えない所で頑張っている調理している人の腕か、素材か。
あぁ、やっぱり高いかもしれないな今夜は。
……彼女はあらについていた僅かな身と格闘を始めたようだ。
確かにそこ美味しいけれど、他にも食べるものがあるだろう……ってもう食べてたのか。
私もちょっと急いで食べようかな。


彼女が何時の間に食べ進めていたのか、食べ終わった手で膝の上をさするようにしながら
名残を楽しんでいる様なその横で、ご飯茶碗片手に急いで刺身を食べる姿は
他の客からすれば異様な光景だったかもしれない。しかしながら席の配置の関係上そんな事をわざわざ気にする必要は無かった。
ちょっとなんとも言えない食べ方になってしまったが、まぁ味は堪能できたんじゃないかな、とは思う。
彼女の方はちゃんとしてくれたみたいだがね。私がちょっとゆっくり食べすぎたか。
「ふぃ、お待たせ。」
食べ終わって、一息ついてから彼女に声をかける。
「いえいえ。御馳走様でした。」
「うんー、美味しかった。御馳走様。」
二人してまた手を合わせて、少しだけ休憩して椅子から立ち上がって席を後にする。

彼女には少しの間だけ外で待ってもらって、私はその間に会計を済ませた。
やはり、前回よりは高くついた。まぁ安くなる事は無いだろうと分かっていたから
別段驚くような事ではなかったのだけれど、二人分としてみるとやっぱり結構な金額だったなぁと思う。
あの額でいつもの食事何日分食べれたんだろうかね。……せっかくの御馳走だしこういう計算はちょっと無粋か。

「はいお待たせ。ちょっと寄る所あるから付き合ってもらっていいかな。」
「お買いものですか?」
「うん。」
お店から出て、看板の処から少し外れたところに立っていた彼女に声をかけて
自分の服の襟もとを直しながら、この後お店に行く事を伝えて。
「お供します。」
そう返事をした彼女と一緒に石畳の道を歩いて行った。
寄るお店と言うのは勿論手芸道具を扱っているお店だ。彼女の編みかけのマフラー、その糸の補充のため。
お店に向かう際にその事を伝えればこの前私が出したお給料でなんとかすると言いだしはしたが
次に自分から何か作ろうと思ってする時、その時は自分で出してねと宥め、彼女が納得した所でお店に入り、
彼女の気がかわったりしない内にさっさと購入しておいた。
「ありがとうございます。」
「いやいや。ちゃんと完成させてあげなさいね。」
「それは、勿論です。頑張りますよ。……でも今日は無理そうですね。お腹いっぱいですから。」
「あら、大丈夫?」
「美味しかったものですから。つい。」
この後ちょっとだけウィンドウショッピングでもしようかと思ったけれど、
それならそれで止めた方が良さそうだな。せっかくの外食なのにそれが原因で体調を崩しては元も子もない。
「ゆっくり帰って、それから寝ましょうか。」
「そうです、ね。またお泊りさせてもらいます。」
そんな言葉久しぶりに聞いたかもしれない。でもなんだかよそよそしい。
小さな荷物を片手に二人して外へ出ると、お店の前から直接飛んで家路へとついた。


彼女のお腹に負担がかかっても悪いので帰りはちょっとゆっくりと。
まるでお散歩しているような速さだったけれど、一人でするそれに比べれば何倍も幸せだ。
やはり隣に誰かが居てくれるというものは良い。実に良い。
久しぶりにああいうものを食べたから気が浮かれているというのもあるけれど、
できればちょっとのお酒があればなって思う。家に帰ったら少しだけ飲もうかな。
「あぁ、そういえば貴女お酒どうなんだっけ。やっぱりまだ怖い?」
「怖いというか、……怖いのかなぁ。」
二日酔いが酷かったらしいからなぁ。凄い不安そうな顔してる。
毎日通ってくれる彼女ですら2日を休みとして使う程の酷さだったんだもの。
そりゃぁ、そういう風に半ばトラウマになるのも分かるのだけどね。
「少しずつ、試してみない?」
「少しずつとは?」
「この前飲んだお酒あるんだ。あれをさ、コップの半分くらいから始めて、毎日ちょっとずつ量を増やして。
で、許容量を覚えたらそれより下の量を少しずつ飲めば良いと思うのよ。」
あの時の彼女は結構次から次へと飲んでいたからなぁ。
あれだと二日酔いになってもまぁ、仕方がないというか、不思議ではない。
「できればまた貴女と晩酌したりしたいもの。」
とはいえ前回は結構気が気でなかったんだけどね。
でもお家でも一緒に飲む事が出来るなら、ひょっとしたら何か会話の方向性も開けるかなって。
そんな考えが私の頭の中では浮かんだりしていた。
「が、頑張ってみましょうか。」
「うん。でも無理は禁物よ。ゆっくり、ね?」
彼女が小さく、うんうんと頷いて少し不安そうな顔ながらも了解してくれた。
まぁほんの少しのお酒ならばそんな二日酔いもないし、むしろ彼女もよりぐっすりと眠れるだろう。
食後に何か作業をするとなればちょっと影響が出るかもしれないが、彼女が編み物をする時間は
これから先昼食後から夕食前までの間に出来そうではあるし。
そして、ほろ酔いの彼女も見てみたい。姉さんが言っていたような強引な手段に出る事は
まずこちらからする事も、当然向こうから仕掛けてくる事も無いだろうがね。

我が家へとついて、家のカギを開けて二人して中へと入る。
何もないように見えて弱弱しい風が肌を撫でる外に対してドアさえくぐれば、
別段何かしらの暖を取るための策を講じているわけでもないのに、この一瞬だけはあったかいものだと感じるものだ。
私達二人とて例外なく急いでドアをくぐり閉めたものの、閉めさえすれば何だかいつも通りのマイペースに戻っていたりして。
先にふらりふらりと進む彼女を追いかけるように、後ろ手に鍵を閉めて家の中へと上がった。
私が上着を脱ぐ一方で、彼女はといえばふらりふらりと脱衣所へ。
居間の椅子に上着をかけて、居間の椅子に座り彼女が何をするのかと待っていれば、
内側に着こんでいたものを脱いでいたようで少ししてちょっとばかりさっきよりは痩せたように見える彼女が
落ち着いた表情で姿をあわらした。
「お腹が少し苦しかったのは着過ぎだったのかも……しれないです。」
まぁ圧迫していたのなら苦しくはなるだろうねぇ。でも流石に今からお腹が減ったと言われたら困るけれどね。
彼女が向かいの椅子にすとんと腰を下ろして一息ついたところで、先程話題にとりあげたそれを引きあいに出してみる。
「試してみる?お酒。体調悪いなら止めた方が良いかもしれないけど。」
落ち着いている様子だが少しばかり疲れが見える。圧迫するお腹で少し無理しながら帰ってたのかな。
私の言葉に対して彼女は少しだけ考えると、黙って首を縦に小さく下ろした。
恐らくは二日酔いの時の記憶が頭に残っているんだろうと思う。
とりあえず了承と受け取って私は上着を置いたまま台所へと向かうと、姉さんに頂いたお酒とグラス2つを手に
彼女の居る居間へと戻る。いざ現物のそれを見れば、ちょっと不安なのか私の眼をじっと彼女が見つめて。
私はそれに笑って返しながら、とりあえず先程言った量、グラスの半分程までをお互いのグラスに注ぎ
私の前と彼女の前に置いた。……瓶は蓋をしてとりあえず片づけておいた。
「あぁ、あと。一気に飲まない事。勧められても滅多な事じゃなきゃするもんじゃないわよ。」
「そうなのですか?」
「うん。二日酔いじゃ済まないかもしれないねぇ。だからゆっくり、ね?」
脅かすつもりは無いのだが思い出した内にふと言っておかないと後で忘れてしまいそうで、
思いついた先からそう彼女に教えておいた。

私がグラスを先に持てば、決心がついたか後を追うように彼女がグラスを握って、口元へと運んだ。
本当は乾杯をしたかったのだけれど、彼女は結構それどころではないようだから、
少し余裕がついてきてからにしよう、と心の中で一人呟いた。

彼女には一気に飲むな、とは言ったものの結構一口で飲む量は多かったりして。
以前飲んだ時美味しいと言っていたから、その影響がやっぱりあるんだろうとは思っていた。
その様子を見ながら私もグラスに口をつけて、同じ程度の量を口に含む。
結構甘ったるい香りと味が口中に広がるのを感じながらそれを飲みこんで、ちらりとグラスから彼女に視線を動かせば
やっぱり味は好きなのかさっきよりは緩んだ顔で次の一口へとグラスに口をつけていた。

量が量だからとおつまみは用意しなかったけれど、それが原因でかなりお酒の無くなるスピードは速かった。
とはいえ、まだそんなにお酒の量は多くないとは思うから、負担はそこまでかからないだろう。
だから今日はあまり何もお酒については言わず、お互いにグラスの中身を飲み干していった。
私は自分の限界点がどこにあるかは大体把握しているから、やっぱり飲みだしたら彼女よりも先に飲み終わってしまい、
後に続く形で彼女も空になったグラスを置いた。
「美味しいんですけどねぇ。」
彼女が複雑そうに呟く。そりゃあ二日酔いとかああいうのが何も無かったら
お酒に慣れている人には本当に美味しい飲み物だとは思うけれど、その一方で例えば姉さんみたいな人とかだと
ずっと飲みっぱなしになりそうで……それはそれで怖い。
「適量なら、あんなことは無いのよってのを知ってほしいのよ。」
「た、楽しみにしてます。」
不安そうだなぁ。やっぱり。
「よし、……どうしようか。」
「あの、ちょっと疲れてしまったので先に横になっても良いですか?」
「ん?うん。まぁお酒入ればあんまり作業できないだろうから、今日は寝ちゃおう。」
二人してこくこくと頷いて、お互い席を立つ。彼女がふらりふらりと部屋に向かうのを見送って、
私は見えない位置に置いておいた酒瓶と使っていたグラスを手に台所へ行った。
軽く濯いで、明日彼女が洗ってくれるだろうということで流し台の隅にグラスを重ね、
酒瓶を元の位置へと戻すと、手を洗って彼女がいる部屋へと少し速足で歩いて行った。

部屋へと入れば彼女が既にべたーっとベッドの上にうつ伏せに寝転がって羽を僅かに動かしている。
服で圧迫してたのがそこまで堪えてたなら、もっと早く相談してくれてもいいのに。
御馳走をする、御馳走をすると、前もって何度も言ったから言いづらかったかな。ごめんよ大ちゃん。
すっと寝転がっている彼女の脇の下に手を入れてベッドの上に座らせる。やはりこの子の体は軽いなぁ。
「さ、寝るならちゃんと中にね。」
小声で彼女を誘導して、先に布団に潜らせて。部屋の明かりを消してベッドの奥側に入ると
彼女の方へと体を向けた。……眠いのか、完全にもう目をつぶっていて微動だにしない。息はちゃんとしているんだが。
呼吸音に乗って甘い香りがふわふわと漂っている。
「苦しかったり何か辛かったら、寝てても私を起こしてちゃんと言ってね。」
意識があるかはもう分からなかったけれど小声でそう囁いてみれば、
少しだけ彼女が笑ってくれたような気がした。私もそこまで体力が有り余っているという訳でもないから、
そんな彼女の顔を少し眺めると、彼女がそうしているように眼を閉じてめくれかけの布団を直した。
「おやすみ。」
返答は期待していないけれど、そうひと声かけて。
少しだけ彼女に身を寄せてその日は眠りについた。


久しぶりのお酒ということもあってか、結構お互い熟睡してしまったらしい。
私は額に触れた少し冷たい肌の感触に意識を引きもどされ、自然と目を開いた。
目の前が一面肌色でよくわからなかったが、少し顔を離してみればその正体はすぐに分かった。
彼女の顔がほとんど鼻先にあった。……おそらく額と額がくっついたのだろう。
ふむ、見た目はやっぱり落ち着いてるな。苦しんでいる様子はない。
というかまだ漂ってるな。甘いにおい。もしも素でこんな香りを漂わせてたら、
何だかよくない虫まで寄ってきそうだ。案外に私がその虫になりそうではあるが。
彼女は全然起きるというような気配を見せず、規則的に呼吸音を小さく響かせながらぐっすりと眠っている。

少しだけ上半身を持ち上げ、部屋にある時計で時間を確認する。
お昼前、か。ちょっと早く寝たけれど流石に深夜の12時前と言う事は無かろう。
昨晩の夕食がちょっと量が多かったのか、まだそこまでお腹は減っていない。
……どうせもう用事なんて無いのだから、起こさなくてもいいか。気持ち良く寝ているのだから。
彼女の顔から離れる為に少しだけ身を引いて、眼を閉じる。せめて彼女が自然と起きるまで。

少しして胸のあたりに熱い感触があるのに気づく。起きて眼こそ開けなかったけれど、
恐らくそれは彼女がくっついているんだろう。たったあれだけのお酒でとは思ったが、
湯たんぽといっても間違いではないであろうくらいに熱く、
できれば胸元よりもお腹あたりで今はちょっと抱きたい、なんて頭の中で私は考えていた。


結局あれから幾らか時間が経ったけれど、彼女が起こしてくれるより先に私の方が先にまた意識を取り戻した。
寝がえりを打ったからなのかいつの間にか私は壁の方を向いていて、背中の方にあたたかな感触を感じていた。
恐らく顔が背中にあたっているんだろうというのが髪の毛らしい物の感触でなんとなく分かる。
ひょっとして体調崩しているのかなそう思って彼女の額に手をのせるべくゆっくりと振り返れば、
眼を開けてこちらを見ている彼女と目が合って。……そのまま固まった。
「おはようございます。」
「お、おはよう。」
真っ直ぐにそう言われて、驚きながらそれに返した。
「起きてたの?」
「はい。……でも起こすのは忍びなくて。」
「どうして?もうお昼過ぎてるんじゃない?」
「そうなのですが、凄く寒いんです。」
そう言われて、思わず彼女の額に手をのせる。風邪か?!と思ったが、
別段普通の温度にしか感じない。私の額も大体同じくらいの感覚だ。
「寒いって、あの、お外のことです。」
「あぁ、なるほど。」
……私はそこまで感じないんだけどな。目の前にこうしてでっかい湯たんぽがあるから。
今も割とぽかぽかとしているというか。
「ひょっとして雪積もっているとか?」
「足首くらいまで、ありますよ。」
あぁ、ついに地下にも来たか。そりゃあ寒かっただろうねぇ。
私はずっと彼女が居たから寒さ感じなかったのかね。
彼女が言い終わると一度体をぶるぶるっと震わせたので、手を伸ばして彼女の手を握ってみれば
凍ったドアノブみたいに凄く冷たくて、眠たかった頭が一瞬で覚めた。
「冷たいねえ。」
「さっきまで水仕事してたので……。」
あぁ、台所にグラス放置したからなぁ。……洗濯は今日はどうするかね。
お湯を先に用意させてからじゃないとこの子の手が使い物にならなくなりそうだ。
干す場所もちょっと考えないと凍ってしまいそうだし。
「あの、居間にちょっと干させてもらってるのですが、どこか良い場所ありますか?」
も、もう洗ったのか。
「そこで良いさ。ごめんねぇ、冷たかったろう?」
「……寒かったので、あたたまりに戻りまして。」
「そうかぁ。じゃあ狭いけれどあたたまってお行き。」
彼女の手を彼女の胸元まで持ち上げて、私の手を彼女の手から背中へと移すと
その体を引き寄せた。手程ではないにしろ、彼女の背もとても冷えていて
思わず私の体まで震えた。私が急に抱きしめた事が恥ずかしかったのか、
彼女はもぞもぞと体を反転させると私の体に背中を預けて向こうを向いてしまって。
ちょっと失敗したかと思いつつも、彼女の背中の羽をつぶさない程度に抱きしめた。
「今、何時くらいかな。」
ここからでは時計が見えないから、彼女にそう尋ねて。
彼女が、彼女のお腹の前に出ている私の手を掴むとそのままの姿勢で答えた。
「3時くらいです。」
「お腹、減ってない?」
「……ちょっと、減ってます。」
「体、十分に温まったら、ホットケーキでも焼きにいこう。」
「了解です。」
はだけた布団を肩口までかけ直して彼女はそう答えると私の胸へと背中を預けた。


しかしながら、体感で20分くらい経とうが、もっともっと時間が過ぎようが
彼女があったまったという意思表示を示してくれる事は無かった。恐らくの理由にはめどがついていて、
私も同じ理由を抱えていて、声をかけないでそのまま抱いたまま、ずっとずっと布団の中でじっとしていた。
たまに多少の身じろぎがある程度か。私の理由はといえば、寒くて出たくない事だった。
正確には、寒そうだから出たくないというのが正しいのであるが。
既に彼女の冷えていた背中も、元通りのぬくぬくとしたあたたかさを取り戻していたけれど、
出て行くとなればこのぽかぽか良い気分も無くなるわけで、全体的な利益について天秤にかければ大事な事だからもう起きて
色々としないといけないのだけれど、眼先の事だけを天秤にかければ、私の頭の中は満場一致で出ない事を選んでいた。
けれど時間というのはこんな事を考えている間にも過ぎて行くもの。私や彼女がひっそりと口を閉じていても
その事に対して不平をとなえるモノがあった。彼女の、おなかである。
さっきから小さくなっているのは、いくら彼女が身じろぎによる布団の衣擦れの音で誤魔化そうとしても
私はお腹に手を置いているから分かるのだ。体もくっついてるし、そこからだって伝わってくる。

少しして決心すると、私は彼女から離れて一人布団から這い出た。
「よし、君が洗濯を頑張ったんだ。私だってちょっとくらい頑張ってくるよ。」
そうすると彼女が布団から出ようと慌てて肩を持ち上げたので、
とん、と額を押してもう一度ベッドの上に転がさせてもらった。
「部屋まで持ってくるさ。その時は私も温まりたいから、ね?」
そう言うと彼女が顔を赤くして胸元まで降りてしまった掛け布団を頬のあたりまで持ち上げて頷いて。
私は意を決するとスリッパに足を突っ込んだ。

スリッパはやっぱり冷たかったが、恐らく素足でこの床の上に立つよりはたぶん何十倍もマシなんだろうと思う。
この床の上に正座しろなんて言えばもうそれは拷問にすらできそうな気がするくらいだ。
今思えば昨日はあんなところにでも正座できたが今日だったら雪に埋もれたりしてとてもじゃないが
そういう事ができなかったであろう。……まぁちょっと位置がずれるだけで土下座はやっぱりしてた気がするけど。
「それじゃ、ちょっと待っておいてね。」
……あぁ、おしぼりも用意しないとな。後あたたかいお茶もか。
部屋の中に風が流れないようにゆっくりとドアを開けて、静かに部屋を出る。
後ろ手に音を立てないように閉めると、私はそそくさと台所へと向かった。
途中通った居間には、水気を頑張って払ったらしい衣服がハンガーにかかって空中に整列していた。
まぁなんというかうまく配置したもので、絶妙な均衡を感じさせた。
それを潜り抜けるようにして台所へと入って、私は気合いを入れるととりあえず火を起こした。
後追いをするように薬缶に水を入れてその火の上に載せ、せっせと材料をテーブルの上に並べて行く。
大量にでっかいのを作ると夕食に支障が出る時間なのは分かっていたから、
一人分程度の小さい量を作る事にして、必要な量だけ取り出すと余った材料は先に片っ端から片づけて行った。
「やるぞー!」
小さい掛け声とともに、つめたそうな水の中に手を突っ込んで
「ぉぉぅ……。」
早速情けない声をあげながら、手を洗って。彼女がこんな水でも洗濯をしてくれたという事に
感謝をしつつ、無心に手を洗ってその後作業へと入った。
少し段階が進んでは、火に手をかざして暖を取ってまた作業に入ってという
ちょっとずるいやり方ではあったけれど、元より一人分しか作らないという事もあって
程なくして小さなホットケーキを2枚拵える事ができた。
まだそれが熱いうちに切ったバターをその上に重ね、私はおしぼりやコップ、ついで薬缶とセットに
それらをお盆に載せると、使った容器を水に漬け火を消してそそくさと部屋へ逃げ帰った。


行儀はちょっと悪いけれど、二人布団の中に入って端っこに肩を並べて座り、
伸ばした足の上にホットケーキだけを載せたお盆を置いてお互いに手を拭いて。
二人して手を合わせるとその小さなホットケーキを二人で分けた。
おしぼりが半ばナフキン代わりとなり、量も量だったからそこまで何かを汚すという事はなかった。
量が量だからすぐに食べ終わってしまったけれどそれでも彼女は喜んでくれた。一時的に退避していた薬缶とコップにお茶を注いで、
冷めないうちにと一緒に飲みながら話していなかった事を一応改めて聞いておいた。
「お酒、大丈夫だったろう?」
「そう、ですね。むしろぐっすり眠れたというか、ちょっとだけ早く眼が覚めたりしました。」
「うん。無茶な量を飲まなければ大体そんなもんなのさ。まぁちょっと汗をかきやすくなるから、
水分補給は怠っちゃいけないんだけどさ、それさえ守ってれば飲んだ後寝る時にもうってつけなの。」
「ですねぇ。ぽかぽかしますし。」
彼女のその言葉に頷いて返した。実際彼女のおかげで私が寒さを感じていなかった事もある。

「ふふ。」
彼女が急に笑って、飲みかけのお茶の入ったコップを両手で包みながら私の方を見上げる。
「うん?」
「働きに来ているはずなのに、なんだかこうしていると不思議で、でも幸せです。」
「そうか。」
彼女からそう言う言葉が聞けて、何だか凄いそっけない返事を返してしまったが
内心で喜んでいたのは言うまでも無く。彼女に変に悟られないようにお茶で濁しながら
私は浮かれた気分を少しだけ楽しんで、髪の上から彼女の頭をぽんぽんと軽く撫でた。

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でもそれだけ仲良くそんな事を言える間柄までは来ていたのに、来ていたのに。
結局私はそれ以上の距離を上手く詰め寄る事ができずに、日を過ごしてしまった。
カレンダーの日付がどんどん新しい日を示す中で、焦りを感じてはいたけれど、
あの日、彼女がそんなささいな事でも幸せだと言ってくれたから、それが励みにも足枷にもなって
どっちつかずな事しかできなくなっていたのだ。
あれからどんどんとこっちの地下世界は寒くなり、たまに地上へ帰る彼女も
地上の雪は凄かっただの、湖にでっかい雪だるまがいっぱいあっただの
お友達の中にもカップルが増えた、だの。色々と面白いお話を聞かせてはくれるのだが、
頭に入ってくるようで、入ってこなかったのが現状であった。

9割の諦め、というのが正しいだろう。でも私は彼女に対する接し方だけはそれまでより悪くする事が無いように頑張ってきた。
彼女を怖がらせてしまった日を繰り返さないためと、残りの1割を捨て切れなかった事が主な理由だ。
姉さんはちょっとだけしびれを切らした様子でもあって、相談にはのってくれたが
ちょっとだけ過敏になっていた。……本当は私の方が過敏になっていたはずであろうに、
何故か私の方が落ち着いた感じになっていたのは自分でも不思議な事の一つである。
ただ、姉さんから貰ったビンタは手加減もあって弱弱しかったけれど冷えた肌にはちょっと応えた。
でもそんな事を私にしながらもちゃっかりとこの前から彼女と飲み続けているお酒の追加を渡してくれるあたり
そんな私でもとことん付き合ってくれるその優しさにはやはり感謝した。



「で、できたー!できましたよお姉さん!」
「うん。私もできた。」
お互いに手に握っているのはマフラーだ。私はもうずっと前から凄いゆったりと編み続けて、
彼女が完成するのに合わせて最後の仕上げをしただけであるが、彼女はここ数日の間に頑張って編み続けて
なんとか完成させた。……外に出る仕事はなくなったけれど、なんだかんだで家の中の仕事が増えて
あまり編み物に時間を裂かせてやる事が出来なかったのは一応私の責任である。
ちなみに今日はその事もあって、夜更かしまでさせて頑張らせてしまっていた。
今の時間は夜の11時。日付変更まで行かなかった事は唯一の救いか。
もうそろそろ、23日という日が終わり、24日になる。……彼女は明日の昼間簡単な仕事をしたら夕食前にそのまま帰宅だ。
彼女の方から申し出があり、私も二つ返事でそれに了承した。
彼女がほしい。それが私の素直な気持ちだけれど、彼女には幸せになってほしい。そんな思いが私の中にはあった。
……今まで他人にあんまりこういう感情を抱いた事は無い。楽しそうにきゃっきゃしている姿をただ見るというのは
嫌いな事のひとつだったともいえる私だけれど、私はもう彼女がどれだけその例の子の事を好きか知っている。
知ってしまっている。だから、といえばいいのか。幸せになってほしいのだ。
彼女が幸せにならないと、私自身のこれまでの行動も否定されるような、そんな気もしたから。
だから、出来上がったと喜ぶ今の彼女に対して
「よし、じゃあ明日は頑張りな。」
そう言って手を握ってぶんぶんとふって。……全く悪意のかけらもなくそういう言葉を送ってあげられる事が
嬉しくて、悲しくて。良くわかんなかったけれど、私は嘘はつかなかった。
姉さんがこの子が私を母親として見ているんじゃないかと言っていたが、それだけじゃないのかもしれない。
私がこの子を自分の娘のように思っていたのかもしれない。

嬉しさからか、彼女はマフラーを机の上に片づけるといそいそと鼻歌を歌いながら布団にもぐった。
私も彼女のマフラーの横に自分の編み終わったマフラーを置いて、灯りを消すと、
ひょっとしたら最後になるかもしれない夜を、静かに終えた。
疲れもあってか、彼女の鼻歌もすぐに聞こえなくなって。

静かな、夜だったと思う。


私も彼女もお昼前には眼が覚めていた。彼女はついさっき起きたばかりであるが、
私の方はといえば何度も夜中に目が覚めたりして、実質で言うなら恐らく3回くらい眼がさめていると思う。
眼が覚めるたびに彼女の姿を視界にとらえ、安堵感と寂しさを味わって。
当初の私の希望からすればあるはずの無い彼女の恋をどこかで応援する心が、私を頑張って支えていたのかもしれない。
「おはようございます。」
「ああ。おはよう。」
いつもと変わらなくなった挨拶。私はおどおどした自分を悟られないように
頑張って平静を装いながら、二人揃って布団を出て台所へと向かった。
彼女はもう夕食には我が家にいないから、ひょっとしたらこれが最後の食事になるのかと思いながら
握ったおむすびを片手に目玉焼きと小さなサラダを食べた。
彼女は夕食を例の子と一緒に食べる事を計画しているらしく、その準備もしないといけないからと
本当は一緒にゆっくりと食べたい私の思いとは裏腹に、結構手早く食べ終わってしまって、
食べ終わるや否や、洗濯とお風呂掃除へと行ってしまった。
「あ、食べ終わったら片づけますので。」
洗濯のために家じゅうを走る彼女が、まだ食べている私に向かってとても楽しそうにそう言ったりする姿は
やっぱりどこか見ていて悲しかった。まだここに在るのに喪失感というか、そんな感じがある。

いつもは夕食の後に入るお風呂も、今日だけは全ての家事が終わってから、という事になった。
流石に洗濯物だけは、私が後で自分で取り込む事になったけれど。
これが終われば彼女はあのマフラーを手に家を飛び出して例の子の元へ。
私は家でお留守番、かな。
彼女が時間を経るにつれて上機嫌になっていくのが良く分かる。
そりゃそうだ。私だってもしもこの子の立場だったら、今は浮足だって
そんな風に廊下をスキップできるだろう。
「お風呂、準備できました!」
「あぁうん。入ろうかね。」
今更になって何もできないと分かると、妙に時間の感覚が早まって感じる。
まだこの子との時間を楽しんでいたいのに、いつもの倍以上に時計の針が早く時を刻む。
故障してるんじゃないのか。この時計め。
……なんだか非常にむなしい。


「ねえお姉さん。」
「何だい?」
浴槽に二人揃って膝を抱えて、どこを見るでもなく何もない空中へと顔を向けて。
静かな浴室の中で彼女が尋ねてきた。ふと、顔を彼女の方に向ければ
先程までの浮かれ顔とは違い、どこか真面目な顔に戻っていて何か思い出したかのように話を続けた。
「お姉さんのマフラーは、どうなさるんです?あの、角の生えてたお姉さんですか?」
角の……あぁ、勇儀姉さんか。姉さんには既に編んでいたマフラーをあげたばかりだ。
「君、貰ってくれない?私のマフラー。」
「わ、私がですか?」
「できれば、だけど。貴女がいった件のお姉さんにはこの前もう渡しちゃったわ。」
私の心臓が打ったそばから早鐘を打つ。……聞かれたくないくらい、凄く早く。
彼女の言葉が途切れて、迷う様に視線が揺らぐ。
その姿がまるで走馬灯を見ている様に妙にゆっくり見える。いっそここで気絶してしまえたら、
そうしたら今よりかは幾分か楽になれる。そう思う程だった。
「私で、私でよければ頂きます。」
「うん。風邪引かないようにあたたかくして行くんだよ。」
返ってきた返答に安堵感と一緒に目まいを覚えながら、顔にお湯を浴びるように見せた両手でそのまま顔を覆ってそう返して。
まだ何も成功したわけでもないのに何故か出てきた涙をお湯で隠して顔を拭った。

「さて、長風呂すると彼女にマフラー渡す前に体力使っちゃうよ?」
不安定になっているらしい自分の精神をなんとか落ちつけて涙が止まったところで彼女にそう伝えた。
きっと眼はまだそんな赤くなったりしてないだろうからバレる事は無いと思う。
「そうですね。……頑張ってきます。」
既に浴室を出た脱衣所には、彼女の服と一緒に彼女が持っていくマフラーが置いてある。
私のマフラーはまだ私の部屋の机の上だ。二人して浴槽の端に手をついて立ち上がり、先に脱衣所へと入っていく彼女を追う一方で
振り返って浴槽を眺める。……こんなに湯の量が少ない。でもそれもひょっとしたらこれっきりなのかな。
そんな事をふと思い、また涙が出そうな目元を軽く揉んで考えないようにして私も脱衣所へ上がった。
彼女から手渡されたタオルを手に自分の体を拭きながら彼女の方を眺めれば、さっきまでの顔は崩れ
また先程までのドキドキとワクワクに満ちた顔をして体を拭いていた。

「よし!」
彼女が着替えを終えて嬉しそうに呟く。私もまだ濡れる髪の毛を新しいタオルに包んだまま、
彼女同様にいつもの服へと着替えを終えると、私のマフラーの事もあったのでそのまま出発する事はせずに一旦居間へと戻った。
新しいタオルを一枚手に持って、ささやかな時間の引き延ばしのために彼女の髪の毛を拭かせてもらう事にして、
何だかいつもより余計に水気を吸ってくれるタオルに悔しさを覚えながら、
彼女の髪の毛の上を何度も何度もタオルを往復させていった。
「今日は何のお料理を作るの?」
椅子の上に座って、今は足をゆっくり前後に振っている彼女に頭の上からそう尋ねる。
「ロールキャベツを。」
また、あたたかいものなのね。やっぱり意地なのかな。
「火傷しないようにね。」
「大丈夫ですよ。お姉さんと一緒に作って、ちゃんと頭にいれたつもりです。」
「……うん。頑張って。」
その返事を聞いて、もう水気がほとんど無くなった髪の毛からタオルを引いた。
私がいつも使っている椅子へとタオルをかけて、そのままの足で私は自分の部屋へと入って。
机の上に無造作に置かれたそれを手に握ると、一呼吸を置いてから居間へと戻った。
椅子から立ち上がって、私の方に向き直る彼女にマフラーをかけてやって。
ちょっとだけ持ち上がった服を正してやると彼女の肩に手をかけて反対側、玄関の方へと向かせてやった。
「プレゼントのマフラーは?」
「もってます。」
「ハンカチは?」
「大丈夫です。」
「……よし、行ってきな。」
「……はい。」
そう言って、彼女が彼女自身が編んだマフラーを胸に抱きしめて、廊下を駆けて行く。

少しして響いた、ドアのしまる音。
ゆっくりと廊下を歩いて玄関まで進んで、彼女が出て行ったドアのカギを締めて。
踵を返して私は自分の部屋まで駆けると私はそのままベッドに飛び込んだ。
彼女が居る内は彼女が居たから平静を装っていられたけれど、
何だかもう、いくら走っても飛んでも追いつけないところまで飛んで行ってしまったようで、
そう思うと何だかやりきれなくて。声も震えも出なかったけれど、涙だけが出た。
ごめんね姉さん。私やっぱり何もできない。できなかった。

ふと部屋の隅を見やれば、彼女が色んな着替えをつめて持ってきた紙袋が目に留まる。
これが残っているから、きっと彼女は戻ってきてくれる。給料だってまだ今月分は払ってない。
今月の給料を払うついでに一緒に食べに行く外食だってまだ行ってない。
でも、でも。だからどうしたと言うのだ。
彼女が居る日がひょっとしたらもうあと何日伸びる?その程度のお話に過ぎないから。
既にその時にはもう手おくれなのだ。

自分が見ようとしなかった事実が目の前にある。
最初は涙だけなのに、気が付いたら私は枕を胸に抱いて震えて声を出して泣いていた。




あれからどれだけ泣いたんだろう。気が付けば泣き疲れて私は枕を強く握りしめたまま眠っていた。
何だかうるさくて眼を覚まして、開いた指のその関節にちょっとした痛みを覚えながら、音の正体を探る。
時間はもう夕方だ。時計がもうすっかりやる気を無くした私のように針を下に向けてそう時刻を告げていた。
その音が玄関のドアをたたく音だと知って、一瞬彼女かと思ったけれど……彼女はこんな粗雑な叩き方はしない。
とすれば、もう残っているのは一人しかいない。少しだけ速足で玄関に向かって、そっと覗き穴から覗けば
あぁ、やはり。
「居るんだろう?」
ドアを開ける前から向こうの姉さんにそう声をかけられて、私は黙って鍵を外してドアを開けた。
開けるなり姉さんの視線が私から私の足元に移って、それから私へと視線が戻った。
「パルちゃん。あの子は?」
「地上、……ごめんなさい。私にはとても押し倒せないわよ。」
「まぁ、そうだろうとは思っていたよ。」
姉さんが溜息を吐きながら私の額をつついてドアの手前まで押し込めて。
そのまま姉さんが私の家にあがると、後ろ手にドアをしめて玄関あがってすぐのところに腰を下ろした。
「話ならここに座らなくても。」
「いや、ここで良い。」
そう断って姉さんが溜息を吐いた。
「で、あの子は何をしに地上へ?」
「好きな子に、告白をしに。」
改めて言うのが辛かった。恐らく姉さんはその事を知っているからだ。
姉さんには姉さんの友達がついてるから。ひょっとしたらこうなる事も予め知っていたのかって思うくらいだ。
……いや、それは流石に姉さんに失礼だ。ごめんなさい。
「うん。それであの子が地上に向かって元気に向かっていく姿は、洞窟の中で見たんだ。昼過ぎだったかな。」
「そう。……その通り。」

「なんで私が来たか、分かる?」
冷たい床の上に座る姉さんの横に座って、急に尋ねられた言葉に私は悩んだ。
全部終わってしまった事のように実際感じていた私は思わず、
「笑いに?」
そう返してしまって。姉さんから左頬に手痛い一手をもらうハメになった。
姉さんは人の失敗を笑ったりしない。そんなのは分かっていた事だ。
「醒めたかい?」
「……ごめんなさい。」
「ごめんな。叩いたりして。でも笑いに来たんじゃないよ。ひとつだけ事実として伝えておくべきと判断したから、来たんだ。」
「何です?」
「あの子、今日振られたんだよ。……正確には振られたというより一歩遅かった。
言い方をかえるならば負けたといった方が良いのかもしれないがね。」

一瞬何を言っているのかはさっぱりだった。あの子が、あんな良い子が振られるわけ無いって
私はずっと思っていたから。その例の子だって、美味しくないとは言いながらもちゃんと毎回食べてくれて、
仲がとても良いんだって、ずっとそう思い続けてきたから。
「な、何で。何でよ。」
「何でって言われても、そうなったんだよ。それが事実なんだ。」
「嘘よ!」
「嘘か真かくらい、私がこうやってわざわざ何度も玄関の戸を叩いて教えに来ている時点で分からないか!」
「……だって、あの子がそんな。……良い子なのよ?とても。とても。」
思わず姉さんの肩を揺すって私はとまっていた涙をまた流して喚いた。
「そんな事くらい私だって知ってるよ。元より引き合わせたのは私なんだから。」
そんな、嘘だと言っておくれよ。あの子、頑張ってあのマフラー編んで、
料理についてだって折れた心をどうにかして立てなおして……それで、それで。
「ねえ、パルちゃんよ。だからもう一度言っておくよ。私が何で来たのか。考えておくれ。
君に諦めてほしくないから、もう2回目にして欲しくないから。だから来てるんだ。」
「どんな顔をして、会えば良いの?」
「どんな顔でも良いよ。落ち込んだ彼女を抱きしめてあげられるなら、どんな顔だっていいんだ。」

姉さんの肩に置いていた手を引いて、袖で涙を拭いた。
姉さんが笑って、少し冷えた手で私の頭を撫でた。
「夕食は食べたかい?」
「……食べて無いです。」
「あの子だって、食べて無いさ。……行ってきな。」
そんな事を私に囁くと、そのまま立ち上がって玄関から外に出て行ってしまった。
「ありがとう。」
「ちゃんとやりなよ。」
背中を向けたままそう返事が返ってきて。その一言を残すとそのまま地面を蹴って帰ってしまった。
その先を視線で追って、ドアの陰に隠れて見えなくなるまで見送って。
私も意を決して立ち上がると、ドアを閉めて脱衣所で顔を洗って、自分の部屋へと戻った。
最近は街へのお出かけ以外に着る事が無かった上着を羽織って、廊下を走る。
そのまま靴に足を引っ掛けると、ドアから外へと飛び出して後ろ手にドアを閉めて鍵をかけた。
薄らと地面の上に積もった雪に、姉さんの足跡がちょっと残っていた。……あの子が出て行ってから、降ったのか。
ここは今雪が止んでるけれど、地上は降ってるのかな。
履きかけの靴に手を伸ばして急いで履き直して。私は地上への近道へと視線を向けると、
鍵を服に閉まって一直線に翔けた。

見回りでもない。彼女を送るのでもない。散歩でもない。
久しぶりに早さのみを求めて翔けた気がする。気温が気温だからか、いくら上着を着ていても
凄く寒かった。肌が凍りそうで、いくら我慢しても体が震える。
でも速度を緩めるつもりなんて、はなから私には無かった。
狭い道を縫う様に通り抜けて、いざ視界のずっと奥に地上への道を見つけてみれば、
私の家の回りに比べてずっとずっと雪が積もっている様子を確認する事ができた。
今もなおその上に重なる様に雪が舞っていて、視界はあまり良くない。
でももう2回も通った道だから。最初はみっともない迷い方をした私だって流石に覚えている。
そんな自信を胸に、私は地上へと飛び出した。

[何て言おうか。]
さっきからずっと頭の中で私の声が木霊する。
彼女の家が段々近づいているのを近場の風景から判断しているが、その一言目が定まらない。
姉さんは抱きしめてやれ、みたいな言い方していたけれどそれにだって言葉は必要だろう。
それに私は、彼女が振られている事を知っている上で接してあげるべきなのか
知らないふりをして、接してあげるべきなのか。
……今思えば凄く難しい問題だと思った。
結局、その難しい問題に私が思う都合の良い解が見つからないままに彼女の家の前まで辿りついた。
妙に静まり返っていて、ひょっとしたら誰もいないんじゃないかってくらいに静かだった。
軽く深呼吸をして、別のところから話を切りこもうと頭の中で考えながら、ドアをノックした。
乾いた音が木々の間に響く。叩いた手が凄く痛かった。

返答は、ない。でもそれでも、何度も何度も、ドアをノックした。
私はここ以外の彼女の居場所を知らないから、そうするしかなかった。

何分ほど叩いたのか、ちょっと分からない。指の関節の感触もだんだん薄れてきた。
でもふと扉の奥に気配を感じて、私は声をかけた。
「私よ。……お願い。」
少しして、ドアの鍵が外れる音が響いて。私は少しだけ待ってそれからドアノブに手をかけて家の中へと入った。
灯りは全部消えていて、後ろ手にドアを閉めればほとんど真っ暗に近いその家の中、気が付けばすぐ横に彼女が立っていた。
いや、最初から立っていたのに私が気付かなかった。
「ありがとう。」
そう彼女に伝えて、私は後ろ手に鍵をおろした。
「どうしたんです?」
少しして彼女が、そんな言葉を私にかけた。
来ると分かっていたその質問に対して、私は少し考えて、
「お話が、したいの。貴女と話がしたいから、きたの。」
そう答えた。

喋る事なくそのまま私に背を向けて家の奥へと歩いて行った彼女の後ろについて
家の中を進む。途中ふと視界に入った台所のテーブルの上には、彼女が作ると言っていた
ロールキャベツの材料が未だ丁寧に並んで揃っていた。……そこまでも進まなかったのか。
止めた足を急いで進ませて彼女に追い付いて、彼女のベッドの前にたどり着くと、二人揃ってそこに座った。
……若干あたたかい。さっきまで寝てたんだな。ずっと。
「お話とは?」
「大ちゃん、この前相談に乗ってくれるって、言ったよね?」
「……うん。」
抑揚のない返答が返ってくる。私は未だに彼女の顔を見る事が出来ないでいる。
部屋が凄い暗いから眼が慣れていない今、元々そこまで見えないというのもある。
けれど、何より彼女が辛そうな顔をしているんじゃないかって考えると、私も辛かった。
だから私は彼女の背中から彼女を引き寄せて、抱きしめるとそのまま背中越しに小さい声で続けた。
「私は貴女が好き。だけど、怖くて言いだせなかった。貴女が楽しそうに話していたその子、
その子はその子で私は私だから、私はその子にとって代わる事は出来ないってことはずっと前から分かってた。
でも好き。好き、だから。その気持ちを知ってほしかった、から。
……ごめん。今日こんな日に訪ねてこんな卑怯な告白なんて本当はしたくなかった。
でも私は君みたいに勇気、もつ事が出来なかった。」
そこまでゆっくりと伝えて、私は手を離した。振られたそばからこんな事をしにきて、
本当に卑怯だと私は思ったから。それで抱きしめているのが怖くなって、彼女を解放した。

彼女は向こうをむいて俯いたまま。私も彼女を見て俯いたまま。
しばらくそんな時間がしんと静まり返った部屋で過ぎた。

「お姉さん。」
彼女の声が響く。さっきまでの抑揚のない声とは違って、今にも泣き出しそうな声で、私を呼んだ。
「お姉さんが卑怯者なら、私はどうなるんです?私、知ってた。
お姉さんがどんな気持ちでいたのか。どれだけ優しくしてくれるか、どれだけ私の事考えてくれてるか。
知ってて、知った上で、私はあの子を選んだんです。……私だって好きです。でも、今お姉さんに寄りかかったら、
私はたぶん、もっともっと卑怯な、卑怯者なんだと思う。」
「ごめん、そんなつもりで言ったんじゃ、」
咄嗟に返した私の一言に、彼女が遮って続ける。
「分かってます。……でも、本当、なんです。」
視界が涙でゆがむ。嬉しい気持ちもある。好きだって言ってくれたから。
でもそれ以上に誘導したかのように彼女にそんな事を言わせてしまった事が辛い。

彼女から少しだけ視線を逸らして、ふと気付く。
「マフラー、ちゃんと渡せた?」
少しだけ話題をずらそうと、そう口から出してみればその言葉に彼女の出していた雰囲気がふっと変わって、
私はその中に良く見知った黒い感情が見えた。
「わたせ、ました。……お家を訪ねて、手渡したんです。でも、遅かったんです。」
「その子の相手の子、知ってるのね。貴女。」
「ずっと奥に居たから、影だけしか分からなかったけれど良く見知った靴が玄関にあったから……。
手渡したら、[ありがとう。……でもごめんね。]ってそう言われて。抱きしめてもらったけれど、
チルノちゃんじゃない子……その子の匂いがした。」
友達に奪われた、か。私達の仲に比べれば、付き合いが深かっただろうな。
「嫉妬を抱くな、とは言わないよ。私だって君だったら同じような気持ちになってると思う。
ひょっとしたら今頃それで気が気でないかもしれない。でもね、君達は友達だろう?
その子がもし困った時、ちゃんと助けておやりよ。君は強い娘だから、反発するんじゃなくて肩を持ってあげて。」
私がこんな事を言うとは、とは思った。でも私だから言えるのかな。いや、相手がこの子だから?
他人のそういう黒い感情を煽るのはあんなに楽なのに、どうしてこんな、鎮める事は難しいんだろう。
やっぱり私も経験不足で同じお子様、なんだろうかね。
「……うん。」
とても小さい声だけれど、彼女が私の言葉にそう返事をして。
その返事を耳で聞くや私は彼女の体を抱きしめて頭を撫でた。
「良い子。」
上手くは言えなかったけれど、彼女は強い子だからきっとそんな感情を乗り越えてくれるはず。
私には友達が居ないから、だから一人でも大切にして欲しい。

「お姉さん。」
彼女がこちらに向き直って、そう私を呼んだ。
初めて彼女の顔を見た。……泣きつかれた顔。少し乱れた前髪。頬に走る、濡れては何度も乾いた線。
「私、私でいいんですか?」
最後の方はとても消え入りそうな声で、彼女がまた頬に走らせた線を少しずつ太くしながらそう呟いた。
「ちょっと、違うかな。貴女だから良いのよ。むしろ、貴女以外じゃ駄目なのよ。」
そう返して、彼女をもう一度抱きしめた。
顔を並べて、頬をくっつけて。しばらく彼女の体を抱いていると、
彼女の手も恐る恐るではあったけれど私の背中に回った。
やっと、認めてもらえたような気がした。

冷えていた背中が、だんだんと温まっていくのをその肌に感じながら、
彼女も、加えて私も泣きやんだ所で、私は声をかけた。
「大ちゃん、袋、あるかな?」
「袋、ですか?」
「うん。台所のテーブルの上のあれ、全部入りそうな袋。私の家に一緒に来ない?」
「ちゃんと、洗濯物取り込んでくれました?」
「……ごめん。」
「一緒に、行っていいですか。」
「うん。行こう。」
雰囲気が少しだけいつもの彼女に戻った。……立ち直ってくれたみたいだな。
その背中を軽くぽんぽんと叩くと、抱いていた腕を放して立ち上がった。
「ついでに、台所で顔あわらせてもらっていい?」
「私も、そうさせてもらいます。」
お互い、顔を見ればぐしゃぐしゃになってた。


外はすっかり雪が止んで、着た時に比べればむしろ凄い視界はクッキリとしていた。
どこもかしこもこんもりと雪を頭にのせて、重たそうに枝をしならせたりして。
そんな中を私たちは小さな紙袋を片手に並んで飛んでいた。
でも紙袋を持っているのは私ではなく、彼女だけ。私の手、ドアを叩いている内に感覚がおかしくなっちゃったか、
まだ痛くて物を落としそうだったから。ちょっと重そうだけど、許してね。
「ロールキャベツで、良いんですか?」
「作って貰って、いいかな。」
「頑張りますよ。」
彼女がこっちを見てにっこりと笑う。前髪がまだちょっと乱れてるけど、本当にいつも通りだ。
むしろいつもより元気に見えるのは、私の中から不安が消えているからかな。
彼女には申し訳ないとは思うけども何だか凄く晴れ晴れとした気分だった。空はどんより曇っていたけど。

お家に着くなり、彼女は台所へと入って、私は洗濯物を回収した。
……窓に近い洗濯物がちょっとカチカチになってたけれど、あっためればなんだか戻りそうだ。
というか、戻ってくれないと困る。彼女が明日着る物だって含まれているんだから。
洗濯物をかき集めて自分の部屋へと入って。彼女のものと、自分のものとでそれぞれ分けながら畳む。
台所ではもう彼女が作りはじめたのか、ちょっとだけあわただしい音が私の部屋にも響いてくる。
思えば久しぶりの彼女だけが作るお料理、か。すごい御馳走だな。
畳み終わった端から片づけて、部屋を出て居間を通り過ぎると私はお風呂場へと向かった。
彼女がすっかり掃除を終わらせてくれているから後はお湯はりをするだけで良かった。
お湯の量はちょっと多めに、と。
「お風呂準備したから、後で入ろうかー?」
浴室から声をあげて、台所に居るであろう彼女に声をかけてみれば、少ししてから
「聞こえないですー。」
そう返ってきた。……料理中なら仕方ないか。
浴室から脱衣所へと上がって、濡れてしまった足を拭いて台所へと向かう。
先程まで浴室の音であまり他の音が聞こえなかったが、ここまで来れば
ご飯を炊いているであろうその火の音と一緒に、鍋の前に立ってせっせと作業をしてる姿があった。
「お風呂準備してるから、後で入りましょう?」
「あ、はい。……もうちょっとかかりそうなので、それまでお待ちください。」
彼女が少しだけ顔をこちらに向けて笑って、また真剣な顔で鍋へと向かい合う。
そういえばなんでロールキャベツなんだろう。他のは既に試してしまっていたからとかなのかな。

お風呂の準備で冷えてしまった指先を太股の下に敷いて椅子に座って、
お料理ができるのをゆっくりと居間で待つ。手の感覚、戻ってきたけれど何だかまだピリピリするな。
あたふたしてて彼女の家を訪ねた時はそんな事全然考えなかったけれど、もうちょっと良い叩き方くらいあったかもしれない。
台所の方へと顔を向けて私は静かに待っていたつもりであったのだけれど、
愉快そうな声というのはあまり聞こえず、ただただ火の音と鍋から聞こえる音だけが響いて
凄く真剣に作ってるんだろうと、私はここからでは見えない彼女に対して思っていた。
……暇にしている私を見越してなのか、
「もうちょっと待って下さいねー。」
そんな声がたまに聞こえてくる。催促してるわけじゃないんだよ?
本当は今こうしていられる事が嬉しいから横にたって一緒に料理したいんだ。
でも今日ばっかりは、手がまだこんなだからここで我慢という、ただそれだけなんだ。

それからしばらく、太股の下から引き抜いた手を脇の下に挟んでみたり、
息をかけてあっためたりしながら椅子の上で静かに待っていれば
台所から聞こえていた火の音が消えて、彼女の鼻歌が聞こえ始める。
できたんだな、と直観的に感じて私はテーブルの上を片づけると
膝の上に手を置いて彼女が来るのを待った。やがて現れた大ちゃんが台拭きで
テーブルの上を拭いて、入れ替えるようにして今度はお盆に載せた食器をどんどんと運んできた。
「綺麗にまとまったね。」
と、見た感じでそう感じたので言ったのだけれどよくよく見れば
彼女の食器にのったロールキャベツがひとつ私より少なかった。
「……ように見えて、実はさっきちょっと、その、1つ味見をしたので。」
「どうだった?」
「だ、大丈夫ですよ?」
「そうか、楽しみだね。」
なんだかいつもより自分のテンションが上がっているのを感じつつも
それを自分で抑えようという気持ちはあんまり湧きあがってこなかった。
嬉しい事は嬉しい、それでいいじゃないかと。

配膳が終わってお互いに席につく。まぁ私はずっと座りっぱなしだから、座ったのは彼女である。
私も舞い上がっているけれど、彼女にもそれはあるみたいで張り付いたようにという言葉は
あまり適切じゃない気がするけれど、凄い嬉しそうに頬の肉を持ちあげてにこにこと笑っていた。
思えばこの2カ月程の間、私は何の緊張や不安なんかを抱かずに食事をしたことがないんだな。
いつも彼女の事を考えて……それは今も一緒だけど、ずっと不安がどこかにあったから。
ひとつの長い迷路の出口を見たような感覚だった。
「いただきます。」
私が先に手を合わせてそう呟けば、彼女が追う様にして手を合わせて呟いて。
お互いに箸をぐっと握ると、左手にお茶碗を握って箸を伸ばしていった。
何のことは無い、ロールキャベツ。前にも食べたロールキャベツだけれども
特別な何かが入っているように、酸味と甘みを強く感じる事ができる。
「うん。美味し。」
彼女がくすくすと笑って、
「お姉さんに教わってるんですから。」
そう、私に返した。またまたそんな私を喜ばせる事言って。
なんだかここまで良い事が続くと後が怖いくらいだよ。
「私より上手いんじゃない?」
「それは褒めすぎですよ。」
二人で食事って、改めて良いなって思った。


「……ふぅ。」
「大丈夫です?」
「うん。美味しかった。」
美味しいからって調子に乗ってパクパク食べてたせいか、食べ終わった時には
ちょっとお腹が苦しかったりして。本当は少し休んでお風呂に行こうという話をしていたのだけれど
更にもうちょっとだけ休んでいく事になった。代わりに彼女がその空いた時間にお茶を用意してくれて、
私と彼女、お互いに湯のみを片手にテーブルに座って、食後の緩いひと時を
笑いながら過ごしていた。思えば今日、お互いに泣いていたというのに
今はこうして特別何かおかしい事があるわけでもないのに笑っていられるのは、ちょっと不思議なもんだ。
姉さんに、後で改めてお礼を言っておかなくちゃね。この子も誘って、どこか飲みに行こうかな。

私の代わりにお風呂の準備に行ってもらった彼女が浴室から帰ってくるなり
湯のみを握っている手を見て小さい声で尋ねてきた。
「手、大丈夫そうです?」
「ん、あぁうん。もう大丈夫だよ。」
完全に治ったとは言わないけどさ。お椀を持ったりしてあったまってる間に
感覚は大分戻ってくれたよ。今はこの湯のみもあるしね。
「最初、誰が来たのか凄く不安だったんですよ。」
「ずっと叩き続けてたから?」
「はい。……でも、叩き続けてくれたから、私はベッドから立てたんです。」
やっぱりあの時彼女はベッドの上に居たんだな。ずっと。
「その助けになったのなら、この程度の事は軽いものだよ。
どうせこの後お風呂に入るんだし、あっためてれば何も心配ないさ。」
幸い、包丁で手を切った時とは違って皮が裂けたとかは無いから泡が沁みる事もないだろうしね。
その時に比べればずっとずっと可愛いもんだ。
「よし、そろそろ行こうかね。」
お腹が割と落ち着くのを待って、残り少なかった湯のみの中身をお腹の中におさめて、
ぐっと席を立って彼女にそう言えば彼女もすっと立ち上がって首を縦に振った。
「はい。着替えも用意してありますので。」
「うん。ありがとう。」

意気揚々、といった感じで先を歩く彼女に続いて脱衣所へと向かって
変に上がったテンションでお互いによくわからない鼻歌を歌いながら浴室へと入ってみれば、
浴室の床の冷たさに思わず唸らされて、お互い、ほんのちょっとだけ静かになった。
足の裏の冷えが脹脛や膝を襲う前に、と、私が急いで浴槽のお湯をばら撒いて床をあっため、
また冷えて行かない内に私は布を手に取ると彼女を座らせて背中を洗いはじめた。
室温の影響もあってか、ばら撒いたお湯のおかげでまるで霧がかったように見える浴室の中、
ちょっと急ぐようにそのちっちゃな背中に布を滑らせていれば、彼女が背中の羽をぱたぱたと
動かして笑った。
「ん……くすぐったい?」
「ううん。ただこうなんて言うか、幸せだなぁって。」
「んー、いつも通りに洗ってると思うんだけど、何か違うかい?」
「いつも幸せですよ?だけどこう、今日は特別っていうかんじで。」
それは私もそうかもしれないな。嬉しい事も辛い事も今日はあったから、
こうやってのんびり過ごせるのが、私だって凄く幸せだもの。
「そうね、今日は特別だわ。……だから、風邪引かないように早く洗ってゆっくりあたたまろうね。」
そう返しながら、背中を洗い終えた布を彼女に渡して私はしゃがんで髪の毛を洗いはじめる。
あまりに寒くなれば人通りがいないからと見守る必要がなくなるのは、休める分助かるが、
こういう所にしわ寄せが来る事を考えるとあんまり良い気持ちではない。
さっさと春にならないかね。迎春ってだけなら後数日なのにさ。
「終わったら、お湯かけますので教えてくださいな。」
「あぁうん。分かった。」
体を洗う為に立っていたのか、頭上から彼女の声が響いてそう返して。
急ごうと思って、ゆったり洗っていた髪をわしわしと指を刺して洗った。
彼女が横でもう泡を洗い落としてるのか、水の落ちる音と跳ねる感触が肌に響く。
あまり待たせるのも悪いと思いながらも髪の先まで洗い終えると
私は彼女の足があるだろう位置を軽くぺちぺちと叩いた。
「終わったよ。ちょうだいな。」
「眼、つぶってて下さいよ?」
「うん。大丈夫。ばばーっとかけちゃっていいから。」
彼女の返事に対して私もそう返せば悪戯心なのか、1回目は結構高い位置からお湯が落ちてきて、
確かにばばーっと言ったのも私だし、泡は落ちるのだけど頭の頭頂部がちょっと痛かったりして。流石に分かってくれたのか
2回目からは普通に頭のすぐ上からお湯が下りてきた。空いた両手で泡を掻き流しながら、
髪の毛からその感触が消えたところで、手で彼女の動きを制して立ちあがった。
「ありがとう。じゃあ交代しましょ。」
彼女が頷いてお互いに位置を入れ替わる。
彼女が先程まで座っていたり、散ったお湯がかかったりしたから
だんだんと冷える床に比べれば椅子は中々に良い休憩地帯になっていた。

……彼女に背中を洗ってもらって、受け取った布で自分の体を洗いながら
足の方も洗う為に立ちあがって彼女の方へと振り返る。今は鼻歌を歌いながら髪の毛を白くしていて
もうそろそろ洗い終わるようで、さっき私が足を叩いたからか、目を閉じたまま空いた手で頑張って私の足を探している。
当たりそうになった足をすっと引っ込めてその様子を楽しみながら、
「ん、終わった?」
そう聞いてみれば、ほんのちょっとだけ残念そうに
「……終わりました。」
そう返ってきた。ぺちぺちしたかったのかな。そんなに。

私も自分の体を洗い終わったところで洗面器を手に取って自分の手の泡を洗い落とすと
足元で待っている彼女のためにお湯をすくって頭にかけていった。
……勿論、高い所からお湯をふっかけるという真似はしない。
さっき自分で痛いのを確認してるからね。
「眼、あけちゃだめよー。」
「大丈夫ですよー。」
かけてから言うのも何だが、言わないとなんだかそれはそれで後味が悪いのでそう言えば
彼女が返事をしながらくすくすと笑った。……今笑うとお湯が口の中に入ってしまいそうだけどなぁ。
そんな事を考えながらも何度かお湯をかけ泡を流し切ると、私は彼女に先に浴槽に入るように促して
自分の体に残った泡を洗い落とした。

「ふぅ。」
いつものように浴槽を跨いで彼女の横に座る。お湯を浴びた直後ではあるけれど
やっぱり入ると沁みいるような温かさを感じるのがお風呂の良さだ。
ふと視線を彼女に向ければ視線に気づいた彼女がじっとこちらの顔を見上げにっと笑った。
今まではこんなに近くに居たのにどこか遠くに感じていた彼女の存在が
今はこうして目の前ですぐ手が届いて、心もすぐ傍にある。
私も彼女を真っ直ぐ見られるし、彼女ももう真っ直ぐ私を見てくれる。
「どうかしましたか?」
頭の中でそう思っていれば彼女がそう言ったので、
私は笑い返すと、目の前の彼女に手招きした。
……単純に、ぎゅっとしたかった。今日既に彼女の体を何度か抱いている、
ただ抱くだけなら、寝ている時だって彼女を抱いているしそれ自体は大した事ではないのだけれど
改めての実感が欲しくて、手招きをした。
彼女が頭にクエスチョンマークを浮かべた様にしながら、ずりずりと膝を抱えたまま近寄ってきたところで
私が体勢を変えて彼女の体を引き寄せる。彼女自身は驚いていたようだったけれど、
「もうちょっと、このままで居させて貰っていい?」
耳元でそう囁くと、彼女はすぐに大人しくなった。
布団越しでもない、服越しでもない、洗う為のあの布越しでないその地肌。
軽く抱きしめているはずなのに、眼を閉じていたって彼女のちょっとした反応すら全部伝わってくる。
返して言えば私の反応も彼女に筒抜けになっているんだろう。
「私も後で何かお願い事してもいいです?」
「うん。遠慮なく言ってね。……できる限りなら応えるよ。」
彼女の肩に頬を載せて、彼女が囁いた言葉にそう返しながら目をつぶる。
いっその事ここでこうやって寝てしまいたい。
落ち着きとワクワク感が同時にやってくるようなそんな感覚。
「ドキドキしてますね。」
抱いている彼女が身じろぎしながらそう呟く。
それはそうだ。貴女を抱いているんだから。それにお風呂の中だし。
何より今、凄く幸せだから。
「大ちゃんだって人の事言えないよ。」
「そうですねぇ。」
からかう様にそう返せば、彼女がやや間伸びた声でそう返した。
……とはいえ、私よりは少しだけやっぱりドキドキしているようだな。
黙って心拍数を数えてみたら私より若干高いみたい。
不健康な意味でなら困るが、見た感じ健康な彼女にそうなってもらえるのは
やっぱり私には嬉しかった。

「さて、出ましょうか。」
彼女の肩から顔を持ち上げて、身を離しながら彼女にそう言って立ち上がる。
寄り添う様に立ちあがった彼女と一緒に浴室から脱衣所へと上がり、お互いにタオルを握って
体から垂れる水と一緒に体を拭いていく。
「滑って怪我はしたくないけど、寒いのも何だかやっぱり良いもんじゃないわね。」
「でも結構慣れてきたような気がします。……最近寒かったですから。」
君は最近いつも私より早起きで、私のために色々してくれてるから
私より余計に冬の厳しさを体感しているんだろうね。
私はこんな冬になっても、例年に比べればとてもぬくぬくした生活を送る事が出来て
そこは凄く助かってる。
「よし、ぱぱっと体を拭いてお互いパジャマに着替えたら、体をあっためるためにちょっと飲もうかね。」
「そうですねぇ。」
飲もうというのは、勿論お酒。あれから少しずつ飲む量を増やしてみたが、
大体2杯程度で丁度良い事が分かったので、それからはまぁ気分が良い時や
眠るのにちょっと何か欲しい時一緒に飲む事にしていた。
ただお酒のこの銘柄を仕入れるのには姉さんの助力が必要だったりするんだけどね。
やっぱり地上から持ち込んだお酒なのかな。酒屋さんとかでも取り扱ってないのだ。
まぁ、姉さんと会う機会が何だかんだあったりするから
その度に頂いている。……最近は御代を一応払ってるけれど。
しかしまぁ、今日飲んだらたぶん底を尽くだろう。
彼女がこうして残ってくれるなんて夢のようにしか思ってなかったから、
そんなに大量に貰ってない。今度姉さんにあったら簡単に皆でお祝いでもした後
ついでに仕入れて貰っておくことにしよう。


お互いのグラスが軽く当たってキン、と音が居間に響く。
二人とも頭にタオルを巻いて、片手にグラスを握りながら
もう片方の手でゆっくり髪の毛を拭いていた。幸い、私達は髪の毛が短いから
粗方水分さえとってしまえばそんなに水が散ったり垂れたりする事はなく、
別段何かを急ぐわけでもなくゆったりと髪をわしわしとタオルで揉みながら
注がれたグラスの果実酒を少しずつ飲んで行った。
彼女は彼女で、自分の限界ラインなんかは把握してしまったようで
多少飲むスペースは早くなったりしたものの、あれ以降全く悪い酔い方というのを見ていない。
まぁ勿論彼女が無理に我慢していたら話は別であるが。
「飲んで髪も落ち着いてきたら寝ちゃおうか。」
「そう、ですね。」
彼女が私の言葉に頷いて、残っていたグラスの中身を一気に呷ると、
すっくと椅子から立ち上がって髪を拭きながらテーブルを回って私の後ろについた。
「あら、拭いてくれるの?」
彼女が私の真後ろでぴたりと止まったのでそう彼女に投げかけてみれば
どうやらそういう目的で来たわけではないようで、少し戸惑ったような顔をすると
「あ、あの。お先にお部屋に行ってますね!」
そのまま謝るような声でそう言って、拭き終わったらしい彼女自身のタオルを手に
脱衣所の方へと駆けて行った。ちょっと様子が変だと言えば変で、
お酒を一気に呷ってちょっとだけ気分悪かったのかな、とか思ったけれど
そういう風に見えるような足取りでは無かった。
「うんー。後で向かうよー。」
脱衣所の方へと向かった彼女にそう返して、片手に持っていたグラスの中身を少し多めに口に含んで
髪に載せたタオルを両手に持つと少し急ぎ目に拭きはじめる。
どうやら片づけが終わったらしい彼女がちょっとだけ早歩きで部屋に向かっていくのを
視界の先に見ながら何だかやっぱり変だな、とただただ私は悠長に見送っていた。


彼女の使い終わったコップと底をつきた瓶を片づけ、髪に載せたままだったタオルを脱衣所へと置くと
彼女が待っているはずの部屋まで、施錠の確認もしながらゆっくりと歩いて行った。
「ほい、ただいま。」
自分の部屋だからなんともいえないが、とりあえずそう言ってみれば
ベッドの上に座っていた彼女がくるりとこちらに向き直った。
うん、やっぱり何かおかしいな。
「何かあったかい?」
「い、いやその。」
「言いづらい事?」
「……はい。」
例のお友達達の付き合い方とかの相談かな。
「灯りは消すよ?」
その位ならベッドの中でも話せる事だ。彼女もそれに頷いて、そそくさとベッドの中へと入って行った。
しかしなぁ。具体的にはなんとも言ってやれないのだよね。私にはそういう経験というものがないから
生きてきた方の経験から、こうしたらいいんじゃないのか程度にしか言えない。
とりあえずは相手の事をちゃんと認めて、その上でちゃんと接していればいざこざなんて起きないと思うよ。って感じにしか。

部屋の灯りを落としてベッドまで歩いて、彼女の体の上に間違って乗ったりしないように
手探りで確かな位置を探りながら、空いていたいつもの場所へと体を収め、彼女へと振り返る。
薄暗闇の中に僅かに残る光が彼女の眼に反射して彼女がこっちを見ているのはちゃんと確認できていた。
「それで、どうしたんだい?」
体も一緒に彼女の方へと向けて、そう尋ねてみれば
彼女がもぞもぞと近寄ってきて、口を閉ざした。そこまで言いづらい事か?
「お友達の事?」
その質問に首を振るでもなく頷くでもなく。なんとも難しそうに彼女が苦悩の表情を見せた。
私は彼女の肩を軽くぽんぽんと叩き、そこまで気にしなくても良いとそのまま撫でてあげたのだが
ひょっとして私は何か見当違いをしているのか?
「あ、あのですね。」
それでも彼女が何とか頑張ろうと、どこかスムーズでは無いにしろゆっくりと呟く。
でもやはり落ち着ききらないのか、眼を閉じて一旦深呼吸するとすっと私をにらんだように見えた。
正確には真剣になりすぎて眼に力が入ってそう見えるだけなのだが。
でも、彼女の口から出た言葉はそんな強気な顔とはまったく真逆の弱弱しい小さな声だった。
「抱いて……くれませんか。」

一瞬、私の中にクエスチョンマークが浮かぶ。いつも夜だって抱きついたりしてるし、
さっきもお風呂場で私は彼女に抱きついていたじゃないか。そこまで恥ずかしがる事は……。
そこまで思い返して、ふと言葉の意味を考える。何故ここまで真剣なのか。言いづらいのか。
「抱いてって、あの。」
あの、とは言うものの今度は私がその次を言いだせない。
心の中に恐らく意味として正しい行為そのものは浮かんでいるのだが、
口に出して言いづらいのは確かだ。今度は私が小声になる番で、
「その、もっと深い意味で抱いてって事?」
その言葉に彼女が顔をどんどんと赤くしながら小さく頷く。
「意味、分かってる?」
私の顔も赤くなってるんだろう。顔が熱い。見た事は無いにしろ聞いたり読んだ事はある世界。
その行為の内容、その光景が頭の中に浮かんだりして余計に恥ずかしくて、私は彼女にそう聞いた。
でもやはり小さく一度頷くのみで、眼を少しだけ細めると小さい声で彼女が呟いた。
「チルノちゃんから他の子の匂いしたの、悲しかったけれど、でも羨ましかったんだ。」
本心としてはやっぱり嫉妬なんだろう。彼女の言葉の中に薄暗い良く見知ったあれを感じた。
「ひとつ聞くよ。自棄で言ってるんじゃない?」
「……確かに少し自棄です。でも意味は分かってます。それに心を切り替えるきっかけが欲しいのです。」
否定せずに正直に返してくるか。何だかんだ、そういう関係を求めていたのは私だったんだけれど
いざ言われてみると彼女の事が心配になってくる。でもここまで言わせておいて、私は……良いのかな。
でも迷っては駄目だ。彼女まで迷うから。
「分かった。でも何か途中で辛かったら言うんだよ?」
「辛くても、それが愛情だと思ったら我慢します。」
へ、変な所こだわりが強いんだから。まったく。


頭の中でゴングが鳴ったような気がする。
いや、高々と鳴った、もとい鳴り続けているのは私の心臓だ。
体の中心にあるはずの胸の心臓の高鳴りが体じゅうに響いている。
とりあえず彼女の体を引き寄せてみたが、お互いに見つめ合ったまま動けなくなってしまって
かれこれ何秒か経っている。キスだ、キスをするんだと私の中の誰かが囁くが、
その小さな唇、奪っていいのか。ここまできて理性、いや怖気づいた私が一歩前に立ちふさがっているのだ。
じっと見ていた彼女がふと眼を閉じる。余計に高鳴る私の心臓。
思えば抱きよせた彼女の鼓動も、同じくらいに高い。緊張しているんだ。

やらないと、しないと。するんだ。

私が伸ばした手は震えていたのか、彼女の後頭部に差し出した手は何度か首のあたりを触れ、
なんとか手を添えきって一度悟られない程度に深呼吸すると、待ってくれているその唇にそっと自分のそれを重ねた。
柔らかい。一度も味わった事がない、ちょっとだけ弾力のあるふにっとした感触。
それもそうか、思えば誰ともキスした事が無かったんだ。そうか、これがキスか。
私の背中にそえられていた彼女の手にちょっと力が籠る。
ぴったりと彼女の体が張り付いて、その距離、加えて頬にかかる彼女の息に
なんて近いんだと思いながらも、私はしばらく唇をつけたまま固まっていた。

先に変化があったのは彼女だ。お互いに肌をくっつけているから良く分かる。
同じように高鳴っていた彼女の鼓動が少しずつだが落ち着いたものになっていく。
普段よりは高いままなのは代わりはないのだが……私と言えば依然として高いままだった。
ちょっとだけ頭がパンクしていたともいう。なんて情けない私の頭。
一旦心を落ちつけるためにも、私は唇を結局離すと一旦深呼吸をした。
彼女の腕の力が少しずつ抜けて、
するりと私の肩から先へと滑るように移動して絡みつく。その力に引っ張られて彼女と私の間、ほとんど無いに等しいその空間に手を戻せば
彼女が私の手を引っ張って彼女自身の服の襟元へとあてがった。脱がしてってことか。
何だか彼女にリードされているような気がしないでもない。しかしながら、未だにそこまで積極的に次の行動へと移れない私にとっては
それは好都合でもあって、助け舟を出してくれる彼女の行動にはかなり感謝していた。

パジャマというのは構造が単純でそれはとても助かる。
何故か、といえば……今こうして彼女の服を脱がそうとボタンに手をかけているが、
案外に上手くいかないからだ。布団の下だから、まず見えない。襟から下は手探りとなるからだ。
もし複雑な服だったら、私だと焦るばかりでもっともっと時間をかけてただろう。
少しばかり手間はとったが、なんとか脱がせ終わると、彼女も私の襟に手をかけた。
「あ、ちょっと待って。」
私はふと気付いて彼女の手を止めた。……ちょっとだけ彼女が驚いたような顔で襟元から私の眼へと視線を移し、
それにはどこか申し訳ないとは思いつつも私は言葉を続けた。
「ちょっと、待っててね。」
その一言だけ告げて、そそくさと布団を抜けだして部屋の隅にある棚から
もう一枚、やや厚手の毛布を取りだした。体の芯まで冷え切るような寒くなるような日以外は使わなかったのだが……
脱ぐという事は気温がそうでなくても感じる温度は下がってしまうから、きっと必要になる。
そう判断して私は急いで彼女の元へと戻ると、今ある布団の上から更に一枚毛布を重ねた。
これで脱いでもかなりマシなはずだ。ただこの毛布に慣れるとおさらばする時が怖いのだが。
まぁそれはしょうがない、か。

重ね終わったところで、私も布団の中に入りなおして手持無沙汰な手で彼女の頭をとりあえず撫でておいた。
「お待たせ。」
私がそう告げれば彼女が一度くすりと笑った。
「お心づかい、感謝します。」
そう言って、すっと私の唇を一瞬奪うと、私の襟元に手をかけた。
やっぱり彼女の方がどこか手慣れた感がある。……とは思ったけれど
よくよく神経を集中させてみれば、彼女の手も布団の中でさえ震えていた。ちょっとだけ、安心した。
ボタンを全部はずしてもらったところで、彼女の力も借りながら袖から腕を引き抜く。
そのまま彼女が私の背中に手をかけると、ちょっと苦戦しながらも胸を抑えている私の下着のホック
その2段ある内の一つ一つを、丁寧に外して行った。
私も彼女の背中へと手を伸ばして、彼女の動きを真似るようにその下着のホックをずらして外していく。
私の胸にかかっていた若干の締めつけも消え、彼女の下着のホックも外れて。
彼女にちょっとだけ体を浮かせてもらってからそっと下着を引き抜いていく。
彼女の上着と今引き抜いた下着、二つを重ねて布団の外へと出して安全な場所へと一旦避難させ、
ついでに彼女から私の上着を受け取り、ホックをはずしてもらった下着から手を引き抜くとそれらも同じように避難させた。
布団の中に上半身と腕を戻すなり、ぴたっと抱きついた彼女の背中に私も手をまわして、ぎゅっと抱きしめる。
私の胸がへしゃげ……といっても姉さん程の胸はないのだが、
彼女の胸の感触が、鼓動がさっきよりも強く伝わってくる。
一緒にお風呂に入っている時はあんまり凝視したりしないから分からなかったけれど、
彼女も結構膨らみかけであるんだという事は肌を通して伝わってくる。
将来、一体どこまで大きくなるのかな。どこかで止まるのかもしれないけれど、
案外に私より大きくなったり……しないかな?
「柔らかいですね。」
彼女が耳元で囁く。それは私も思ってるよ。
お風呂の中で抱きよせたときはそこまで思わなかったけれど、
この背中に手を這わせていても、どこか指が沈むような気さえするよ。
「君だって、柔らかいさ。」
「私も、これくらい欲しいです。」
私の背中に伸びていた彼女の手の片方がするりと抜けて、私の脇から胸の横を撫でる。
恐る恐るというか、彼女自身も恥ずかしながらのようで視線と手つきはちょっとおぼつかなかった。
「好きなようにして良いよ。」
今度は私が彼女の耳にそう囁く。……ふと見てみれば、近い距離に彼女の耳があったので、
その耳にも軽くキスしておいた。
耳たぶは柔らかかったが、他の部分はちょっとだけこりこりとした感触があった。
彼女がキスをしたと同時に体をこわばらせて、胸を張っていた指が少し胸の中へとうずまり、
快感というわけではないがどこか扇情的な感覚を私は覚えた。
耳から唇を離せば、彼女の強張っていた力もちょっと抜けて、
すっと顔をこちらに向ける。
「耳、柔らかかったよ。」
私が振り向いたそう告げると、また顔を真っ赤にしてそっぽを向いてしまった。
でもそっぽに向ける一瞬嬉しそうな顔が見えたから、私には何だか満足だった。
ちょっとだけ彼女との体の距離が離れて、私の胸の横でとまっていた彼女の手が
私の胸を覆うように重なる。とはいえ元より背の小さい彼女の手も同じように小さく、
まだ彼女の手には少し余るような感じであった。
そんな彼女の小さな手が、私の胸を持ち上げるようにしながら、大事な物のように優しく撫でてくる。
確かに私にとって大事な物に代わりはないのだが、何だか嬉しい気持ちがわくのと一緒にそれはそれでどこかもどかしかった。
そんな思いが私の胸に現れる。弄られているから仕方がないと言えば仕方がないのだが、
だんだんと先の方が彼女の手のひらの下で硬くなって彼女の手を持ち上げようとしている感覚が
恥ずかしい程に伝わってくる。それに加え、どこかじんじんとした感触がちょっとだけ体の奥の方に湧きはじめて消えない。
頭は何だか落ち着いているのに体がどんどん昂ぶっている。
彼女もそれに気づいてか手の動きがやや弱くなる。労わるような感じで気持ちとしては嬉しかったのだけれど
やはりかえって私にはその動きがもどかしかった。

例え彼女にその気が無かったとしてもまるで焦らされているように感じるのは
彼女のそんな行動に気持ちよさを感じているからに他ならないのであるけれど
そこまで彼女のように辛抱強く無い私は、彼女の体を持ち上げると、仰向けの私の体の上に重なる様に
彼女の体を置いた。私の足の付け根あたりに彼女が馬乗りになるようにして、
彼女の空いているもう片方の手を私のまだ空いている方の胸へと導いた。
「こっちもしてほしいな。」
そう呟けば彼女が赤い顔で頷いて、私の胸に載せた彼女の手がぴくりと力が入るのを感じた。
彼女がじっと私の方を見上げながら、再度確認するように尋ねる。
「好きなようにして、良いんですか?」
今度は私がそれに頷いて返す。彼女が深呼吸しながら体をずりずりと下げて私の胸の間に顔をぺたんと置くと
私が導いた方の胸、まだほとんど弄られても無い胸に口づけした。
手のひらや指先と違ってしっとりとしてもっと柔らかいそれが、ちゅっと小さな音を立てて私の肌の上で蠢く。
だんだんと胸の頂点へと近づく彼女の唇の動きを感じて、これから彼女がする事の予想がついた私は
ただただ、ドキドキと胸を高鳴らせながらも上から見守る。
差し出した片手で彼女の頭を撫でて、私も少し深呼吸して。
彼女の唇が私の胸の先端を啄ばむと、私は開いていた口をきゅっと閉じた。
彼女の前髪が垂れ、私からは彼女の表情が読み取れないけれど、
彼女の息使いや吸われて立つ小さな音。それに加えて彼女の舌なのか、口の中のややぬめったとても熱い感触が
甘ったるい刺激となって胸の奥を走る。ずっとずっと奥でじんじんとしていた物が広がって、
背骨の辺りを駆ける刺激となって体じゅうに広がっていった。

赤子がするそれと、何か差のついたものだとは思わないのに、
世のお母さん方はこんな刺激を受けながら子供の世話をしているのだろうか。
それとも、相手が相手だからなのかな。
私にはその真相が良く分からないから、彼女から感じる心地よさが何だか背徳的な物にすら思えてならなかったけれど
それを嫌がろうとする何かもまた私の中には無かった。彼女の他に誰も見ていない、誰にも知られないから。
彼女が少しして、私の胸から唇を離して詰めた息を吐きだす。
さっきまで咥えられていた胸は今もなお、先がじんじんとして止まない。
「おっぱい出ないですね。」
息を落ちつけた彼女が言ったのはそんな言葉。そりゃそうだろう。私はまだそんな、出るような体になってないもの。
誰にだって出る訳ではないからね。というか、それが出ると思ってあんなに吸ってたのか。
「流石に、出せないわ。」
わたしがそう返せば彼女がくすくすと笑った。
「面白そうな息使いならお姉さんから洩れてました。……あの、痛かったりしませんか?」
「大丈夫。第一少しくらい痛くても貴女と一緒。そういうものだと思って我慢するわよ。」
顔をあげていた彼女の顔を私の顔の位置まで持ち上げて頬へとキスをして、再びぎゅっとその体を抱く。
ほんのちょっと汗ばんだ匂いが石鹸の匂いに交じって漂う。良い匂いだ。

彼女の体温をちょっと堪能して、今度は私が彼女の下で少し下へと下がった。
丁度お腹の上あたりに彼女のお尻がある。夕食は沢山食べたとはいえ、時間も経ってるし彼女が軽いから苦しくは無い。
むしろ私の胸の奥のほうが苦しいような、そんな感じだ。
大ちゃんはただ見守るように私の動きを見ていたけれど、私が背中に手をまわしてそっと体を引き寄せると
私がしたい事に気づいてか、私の顔の上に体を重ねてくれた。
私はただ、同じ事がしたかっただけだ。でも私が上に重なってはちょっと重いだろう。
何よりこの位置ならば、私には主権がある。
私の顔の上に降りてきた彼女の胸に抱きついて、頬で彼女の鼓動を感じる。
落ち着いてた時に比べればちょっと早い。彼女にとっての期待の表れ、なのかな。
少しだけ顔の位置をずらして、まだ硬くもなっていない彼女の胸の先端へと唇を重ねる。
私の体の上で少し震えた彼女を差し出した両手でぎゅっと抱きしめて固定して、
そのまま手を滑らせると彼女の背中に生えている羽、彼女が敏感だと言っていたそれの付け根の肌へと指を這わせた。
彼女の体が一度大きく跳ねて、胸の先が私の唇から離れかけたけれど、私が腕で固定してるからすぐに私の顔の上に落ちてきた。
「あ、あのそこは。」
恥ずかしそうに彼女が私の頭上で口を開いてそう言った。
でも私には恥ずかしそうには聞こえても嫌がる声には聞こえなかった。
だから、何も私は聞かなかった事にして、羽の付け根の周りを指でゆっくりと撫でながら、
酷く行儀の悪い子供らしく音を少し漏らしながら吸った。
彼女のあたふたしていた声が、急にくぐもった声に代わって、私の頭の下に差し込まれた手が私の頭を抱きしめる。
ちょ、ちょっとばかり息苦しい。
でも息ができない訳ではない。吸いこむ匂い全てが彼女の匂い、それが体の中に染み込んでいくようだった。

勿論彼女だって母乳が出る訳がない。でも、一生懸命に吸ってみる。
彼女が先程口に洩らしたように、気持ちよさそうな吐息が彼女が背中を丸めて耐えているから
お風呂の中のようなくぐもった音響のようになって私の耳の中に響き渡る。
熱っぽい息も私の髪にかかり、とてもとてもドキドキとした気持ちが私の胸には溢れていた。
一度肺の中の空気を入れ替えるために、唇を離して大きく息を吸い直す。
もはや石鹸の香りなんてよくわからない。彼女の匂いだらけとなったその空気を吸い込んで、もう片方の胸へと唇を移した。
彼女は余裕がないのか、完全に体を丸めて私の頭を抱いたまま固まっていて
くぐもった声と、より濃い匂いをまき散らしながら震えていた。
私自身が行為自体に熱中していたこともあるが、ただただ彼女が愛おしくて堪らなくて
背中で這わせていた指でもちょっとしつこい様に撫でまわしながら彼女の体を味わい続けた。
「ん~~!!」
口を閉じたのか、ややあってくぐもった声が響いて、私のお腹の横にあった彼女の足がきゅっと締まるのと一緒に
私の後頭部を抑えていた腕が凄い力でしまり、彼女の体が上下に大きく震える。
少しして彼女の吐ききった息が頭にかかった。……一方私は吸う事も吐く事もできない状態で
とりあえずなんとか首を動かして息をできるようにすると、一度大きく深呼吸をした。
……背徳的な、それでいて妙に達成感のある気持ちで胸がいっぱいだった。
彼女の羽の付け根から指を離して、小さな背中を宥めるようにゆっくりと撫でる。
汗が肌の上に広がっていたのか、汗ばんだ肌に私の指が滑る。
しばらくの間、彼女は私の上で何度か大きく震えを繰り返させると、ふっと体から力を抜いて私の横にごろりと転がった。
彼女の大きな息を吸う音と、少しして大きなため息の音が聞こえる。
「可愛かった。」
大丈夫だった?と言うつもりで私の口から出たのは、そんな労わりとは全く関係の無い言葉であった。
彼女は私の方へと顔を向けてはいたが、口を小さく開けたままどこか遠いずっと先を見るようにしながら
私の方を眺めていた。言葉通り心ここに非ず、といった様子で私も段々と心配になっていたのだけど
少しして、すっと視線が私の視線と重なった。
「いじわる。」
敵意を含んだ言い方ではなかったけれど、結構辛かったのかもしれないな。
「可愛かったからつい、ね。」
そう言うと、顔を赤くしてまたもじもじとしながら
私の方を見て小さい声で尋ねた。
「下、脱いで良いですか?」
「うん。……私も脱ごう。」
そう言って、お互いに下に履いていたものからゆっくりと足を引き抜いていく。
思いのほか私も汗をかいていたのか、下着が肌に張り付いていた。
ぺっとりとしたそれを剥がして、お互いの服を纏めて上着のあるところに一緒に置いて
布団に戻れば彼女がまたぎゅっと胸に飛び込んで抱きしめてきた。
「一人でした時とはやっぱり違うものです。」
小さい声で彼女が呟く。それは私も思っていた事だ。
何より相手がすぐそこにいる。何もかも見透かされているんじゃないかと思ったりするし、
色んなリアクションを返してくれるし、こうして今一緒に居てあったかいし。
「今とっても幸せな気分……です。」
彼女が興奮を隠したような変な声でそう呟く。けれどその手は私のお腹に伸びて、
おへその下あたりをすりすりと撫でている。
「ここが凄いきゅんきゅんとなるんです。伝わらないかもしれないですが。」
「じゃあ分かる様に、私にもしてもらえるかな。」
私がそう尋ねてみると、にっこりと笑って緩やかな動作のまま私の体の上を滑って行って、片方の太股の上に腰を下ろした。
口の中のようなややねっとりとした感触をその肌に感じた。

「自分でも、何でこんなに興奮してるのかよくわからないです。」
私の太股を手で撫でながら、彼女が呟く。位置の関係上布団がめくれあがってちょっと寒かったが、
彼女が一枚毛布を胸のあたりに分けてくれたのでそこはちょっと助かっていた。
「何だかはしたないって思いはするんですけど……我慢できないです。気持ち良かったですから。」
そう言って、ぺたんと私の胸へと倒れ込みながら、太股を撫でていた腕を足の付け根のその間へと伸ばしていった。
最初胸を散々弄られた時以降はずっとお預け状態だったのにも関わらず、私のそこは
彼女のそことまではいかないにしろ、結構水っぽい音を立ててその手を迎えた。
何度か馴染ませるように彼女の手が動いて、ひたひたとした濡れた感覚が肌の上に広がっていく。
「何だか私の方が凄いドキドキします。」
彼女が手を引いて、べっとりとしてしまった手を私の前に差し出して呟く。
「私の拙いそれでも喜んでもらえたんだって思えて。」
彼女が嬉しそうに呟く。何だか指を突き出してそんな事言われると恥ずかしいんだけどな。
そう思っていると、彼女が私の眼を見たままその指をくわえた。
「……顔、赤くなりましたね。」
私の顔を見ながら彼女が呟く。そんなことされたら誰だって赤い顔するよ!
彼女が小さな音を立てて指を吸いながら、一度こくりと喉を上下させるとくすくすと笑った。
「いっつもお姉さんの事、綺麗だなって思うんですけど、そういう顔されると可愛く見えるんです。」
小さい声で彼女が付け加えて、口から指を引き抜いて再度私の太股の間へと持っていく。
「そんな事言われると恥ずかしくて死んじゃいそうなんだけど。」
「私だってさっきは気持ちよくて死んじゃいそうでしたよ。」
むぅぅ……。

私から視線をゆっくりと胸へと戻した彼女が、指先で太股の間をいじりながらも
舌先で棒付きのキャンディでも舐めるかのように私の胸に小さな舌を這わせている。
どこが気持ちいいのかなんて人それぞれなんだと思うのだが、彼女はわざとそのギリギリを外して触れてくる。
分かっていて、触れないのか。分かっていなくて、たまたまなのか。
どちらにしろもどかしくて堪らなかった。
でも、いくらもどかしいとは言えど、ずっとずっと執拗にその周りを攻められれば勝手に気持ちは昂ぶってくる。
早く、あそこを弄ってくれないかな。と、そんな声が頭の中に勝手に浮かんでくる程だ。
でもいくら頭の中でそんな声が響いても彼女には伝わらない。
彼女はといえば、ちらりと視線だけたまにこちらに向けてどこか面白そうに笑いながらも
ゆっくりと続けていた。

昂ぶりがある一定のラインを越えそうになると、彼女は手と舌を休めてまるで休憩するかのように一息ついて、
私のそれが収まってきたところでまた動きを開始して。先程までの疑惑が確信に変わる。
「ねぇ、私何か悪い事した?」
堪え切れずそう尋ねてみれば、彼女が満面の笑みのまま首を横に振った。
でも些細ながらもその笑みにはちょっとした悪意が見えたような気がする。
というより、そう思いたい。何も悪意なしにずっとずっとこれを続けられたのでは
私の頭のほうがどうにかなってしまいそうだった。
「可愛かったので。つい。……準備良いのでしたら頑張りますよ?」
準備、ねぇ。覚悟なら、最初この子の頼みを聞いた時既にしたつもりなんだけどな。
「じゃぁ、お願い。」
とりあえずの返事にと私がそう答えると、彼女がすっと身を引いた。
私の頭の中にクエスチョンマークが一瞬浮かんだけれど、彼女が身を引いて私の足を広げて間に入った時に
される事に想像がついて、身を起こして止めようとしたのだけれど……体に力が入らなかった。
完全にではない。半端にしか入らない。散々いったりきたりさせられたからか、感覚がどこかおかしい。
そんなこんなしている間にも彼女が私の股の間へと顔を近づけて行って……。
ふと、襲われた感覚に私は起き上がろうとしているのを止めて体をのけ反らせた。

声が、詰まって出ない。される事なんて分かっていたけれど思っていた以上に体に走った感覚は強かった。
散々焦らされたから?彼女だから?一番弱いところだから?あるいはそのどれもか。
やっとの事で詰まった息を吐き出しても、彼女は口を離すどころか動きすら止めようとせず、
達した体に更に鞭を打つようにどんどんと刺激を送ってくる。
体を震わせているつもりは無かった。でも、布団の感触が現れたり消えたりしているから
恐らく自分の体がのけ反りつつも跳ねているんだろうという事は分かる。
気持ちよさと強い息苦しさ、その二つがあいまってなんだかちょっと拷問のように感じさせられていた。
ややあって、彼女の動きが止まって、股の間から顔が引き抜かれる。
急激に苦しさが抜けて、反響するように残った快感が波のように体じゅうを走る。
身悶えしたくなるような気持ちよさなのに、それでもまったく体が動かない。視界が、暗い。

彼女の手が私の体を揺さぶる。
「大丈夫……?」
そんな事言うなら、ちょっとくらい手を抜いてくれても良かったのに。
もう片方の手で私の手を握っているようで、その手がわなわな震えているのを感じながら、
なんとか力を込めてちょっと握りなおすと、彼女の小さな溜息が聞こえたような気がした。
波の立った水面が収まっていくように、体の中を走る波がだんだんと静まっていく。
いつの間にか彼女の顔がそこにあって、私の顔を心配そうに覗きこんでいたので笑って返してやれば
彼女が良かった、とそう言いながら私の横にまた寝転がった。
少しずつ体に力が戻ってくるのを感じながら、彼女の方へと顔を向けてみれば
彼女がじっとこちらを見つめている。
「きゅんきゅんしました?」
何だかぺっとりとしてしまった手で私のお腹を撫でながら彼女がそう言った。
「したけど……もうちょっと手加減して……。」
うまく舌が回らない。

「喉、乾いたわ……。」
季節は冬まっただ中であるが、あまりにも激しい運動をした後のように……実際したわけだけど
最初抱いていた緊張感と汗をかきすぎたからか、喉が何だか張り付くような感覚を覚えていた。
とりあえずそれを解消しに体を起こして台所に何か飲みものをと思い身を起こそうとしてみるものの
お腹から下がまるで誰かに乗っ取られているかのように動いてくれない。
腰が抜けてしまってる、のかな。
「とってきます。お待ちください。」
そんな私の様子を見てか、彼女が慌ててベッドから抜けて、毛布一枚に肌を包んで部屋を出て行く。
途端に襲う肌寒さに、余っていた毛布をなんとか引き寄せて身をちぢこませる。
毛布を被って一度大きく深呼吸してみれば、彼女の匂いと私の匂いが混じった
何とも言えない匂いが広がって、明日の朝、掃除であわただしくなる事を直観的に察知した。
今は今だからあまり気にしない事なのかもしれないが、明日になって改めてこの部屋を見たら酷い事になっていそうだ。
だんだんと思考が止まってしまいそうなその匂いにぼーっとしながら、
しばらく待っているとあわただしい様子で彼女がかえってきて、薬缶を机の上に置くと作ったらしい白湯をコップに注いで用意してくれた。
でも体を起こそうにも起こせないから、彼女に頼んでなんとか上半身だけを起こさせてもらって
彼女の手を借りてお湯を飲ませてもらった。

「……ふぅ。」
「その、申し訳ないです。」
コップに新しい白湯を注ぎながら彼女が小さい声で申し訳なさげに呟く。
「いや、良いのよ。生きてるし。気持ち良かったし。」
でも本当の意味で逝っちゃうのかと思ったのは事実だけど。
「なんてお詫びしていいやら……。」
彼女がばつが悪そうに付け加える。
「良いよ。もう一杯、頂戴。」
そう返してまた白湯を頂くと、私は彼女の体にすがりついて目を閉じた。
そもそもの疲れで眠くて、もう限界だったのだ。
「おやすみなさい。」
お布団の中に戻されるのと一緒に彼女の声が凄く傍で聞こえて、
私は頷いて返すと引きずり込まれるように眠って行った。



次の日、私が目覚めてみれば彼女だと思った位置に彼女の姿は既になくて、
代わりに枕を私は握らされていた。
何時の間にすり替わったのか分からないが、彼女がここに居ないのは確かなようで、首を左右に振ってみて
私の右、そして左を確認してみたけれど彼女の姿は無かった。
耳を澄ませば遠くで何か作業をしているようで、水の音が聞こえる。
それに安心して一度深呼吸してみれば、冷たい空気と一緒になんともいえない悶々とした空気がまだ広がっていた事に気付いた。
後で換気と掃除しないとね。

体はまだ気だるさが残っていたもののある程度動けるまで回復はしていたが
如何せん、裸だったこともあって、何だか外に出るのが億劫となって
彼女が戻ってこないものかとしばらく毛布にくるまってベッドの上をごろごろとしていた。
私の脱いだ服や彼女の脱いだ服は既に撤去されている。恐らく洗濯のために持って行かれたのだろう。
まああれをそのまま着る事はとてもできなさそうだからなぁ。
……しばらく待っていると、廊下を歩く音が聞こえノックの音と一緒に彼女が部屋に入ってきた。
私が起きている事に気づいて私の傍に座ると私の体を揺すりながら
「お風呂の用意できてますので、一緒に浴びましょう。」
彼女がそう言った。……それもそうだな。
「肩、貸してくれるかな。」
彼女の言葉にそう返して、差し出された肩につかまって身を起こして、私だけ裸のまま
よたよたと廊下を歩いてお風呂場へと歩いていく。自分の家とはいえ、なんとも情けない姿ではあった。
ちょっと肌寒かったけれど、お風呂場へとついてみれば沸かしてすぐなのか浴室も結構あたたかいままで、
浴室の中で洗面器で軽く足元にお湯をかけて彼女が服を脱ぎ終えるのを待った。

彼女は入ってくるなり、私の体を支えながらそのままお湯の中へと入らせようとしたから、
「洗わなくていいのかしら。」
私がそう尋ねてみれば、
「そんな体力があるようにはまだ見えないですよ?」
そう返されてしまって、確かに今はそうだと思いながら湯船の中へと体を沈めて行った。
廊下を歩いている内に冷えてしまった間接が熱いお湯の中でじんじんと痛むのを堪えながら、
汗やら何やらでぺとぺとしていた肌をお湯の中で撫でて、色々混ざった何かを流していく。
彼女はといえば私の体をお湯の中へといれるといつものように髪の毛やら体を普通に洗いはじめていた。
「よくそんな体力あるわね。」
「私はほら、休む時間いっぱいありましたから。」
……そんな長時間の差があったとは思えないけどな。というより起きたのも彼女が先なのだから
貴女よりも私はもっともっと休ませてもらっているはずなんだけど。
若さか?若さなのか?私だって若いのに……。
「これが終わったら、朝ごはんを用意してありますので。」
彼女がそう言うのを耳で聞きながら、私はあったかいお湯の中でゆったりと天井を見上げた。
「あぁそうだ、大ちゃん。」
「何でしょう。」
「これから、暇?」
「お姉さんの部屋の片づけが終われば、終わりです。」
私の寝ている間にかなり色んな事をもうやってしまったのだろう。
彼女がそう答えて、泡を目に入れない為にか目を閉じたまま笑顔を見せた。
「……それなんだけど、もうちょっと待ってもらっていい?」
途端に彼女の顔が不思議そうな顔になる。
「その、ね。察してよ。」
「ちゃんと朝ご飯は先に食べてもらいますよ?」
「……うん。」
正直なところ、今すぐにでも抱きしめたいというのが頭の中であった。
ちょっと疲労が残っているのはあるけれど、体力だけで言えば昨日よりはまだある方だ。
きっと彼女の朝ごはんを食べれば元気になるだろうから少し休憩して、そうしたら昨晩のリベンジだ。
疲れていたとはいえ何だか情けないからな。
それに、彼女のあたたかさをもっと感じたいから。


朝ごはんは塩じゃけにみそ汁にご飯。そして卵焼きが用意されていた。
乾いた体には塩分がほしいと思っていたが、そこを察してくれていたのかな。
「いただきます。」
二人声を揃えてそう言って、箸を手にとる。
塩じゃけは少し冷えてしまっていたが、ご飯とみそ汁は温め直してもらったお陰でかなり熱々だった。
何だかんだで昨日は運動したという事なのか、お腹がいつもよりも減っていて
それで珍しく私もおかわりを頼んだ事もあって普段は早く終わってしまうはずの朝ごはんも今日は少し長いものとなった。
「美味しいよ。」
自然とそんな言葉も口から洩れて、当たり前の事を言っているだけなのになんだか可笑しくて笑って。
彼女もそんな私を見て笑いながら、ゆっくりと食べて行った。

いつも食べた後は私が椅子にもたれて、彼女が片づけに行くのが普通だったのだが
私は彼女が片づけに行くなり立ち上がると静かに高い位置にある戸棚を開いた。
そこにあるのは以前の行商の護衛の際に手に入れた薬箱がひとつ。
何をするかって、……ちょっと気になったのだ。そういう薬が入っていたから。
まんま[媚薬]とかいた瓶があったのも記憶にあった。でも使いたいのはそれじゃない。
私はまだそういう系統があるコーナーを全て見たわけじゃないのだ。
ひょっとしたら、ひょっとしたらあるかもしれないと、
薬箱の中の瓶を上げてラベルを見ては下げていると、私の思った通りの薬が1本きりではあるがそこにはあった。
それをそのまま飲みほして瓶を元に戻し、薬箱を片づけると私は静かに自分の部屋へと戻った。

本当に効くのか。それがちょっと心配ではあったけれど、
この前に護衛した時に頂いた報酬の額からしても期待はして良いはずだった。
……しばらく待ったら仕事を終えた彼女が来るだろうからゆっくりしていよう。
そう思って、一人先に布団にもぐって枕に頬を載せてみるが昨晩の事もあり
べッドから凄く彼女の匂いが立ち上ってきて、体は休める事ができても気分は全然落ち着く事がなかった。

……遅いなぁ。一人先に普段着を脱いで下着だけの姿になりながら、
毛布に包まって今脱いだそれを畳んでいく。どうにも、これを着たままずっとベッドに居ると
彼女の匂いが染み込んでどこに居て何をしてても彼女の事を考えてしまいそうになりそうで。
それに彼女が私の為に用意してくれた今日の普段着なのに、どんな形ででもどこか汚してしまう形にしてしまうのは
私には気が引けた。加えて、何だか胸の辺りが苦しかった。

包まったまま鎖骨の辺りを撫でたり太股の間に手を差し込んで少しずつ冷えていく体の末端を
温めていたが、遠くでまだ水の音が不規則に聞こえるから、彼女が此処に来るのにはもうしばらくかかるのだろう。
頬の辺りまで毛布を引き挙げてじっとその音が止むのを待っていたが、
体をさすって体温を保つのにはいささか限界があるな、と感じていた。でも限界というラインはまだまだずっと先の事のお話で
まだ全然そのラインにはなっていないのだけれど……私はただ、そういった口実がほしかったのだ。

大ちゃんが家の中でまだ頑張って仕事をしている、そもそも家の中にまだ自分以外に居るというのに
そういう行為に走るというのは、はしたない行いだって私は勿論分かっていた。
でもただこうして待っていると、私の中も外も彼女の匂いにくすぐられて
気分だけ妙に昂ぶってどうにかなりそうだったのだ。
少しだけ下着をずらし片方の手は胸の辺りにおいて、もう片方の手を股の間へと伸ばしていく。
足も冷えるから体を丸めて、膝で軽く胸を持ち上げるようにしながら彼女の手を思い出しながら
ただ静かに撫でていく。彼女の匂いに満ちているお陰で、彼女の姿を思い描くという事に関しては
まるで苦労がいらず、目を閉じていてすら目の前にいるような感覚を覚えさせてくれるから
背徳的だとは思いつつもちょっと癖になりそうな刺激を私にくれた。


やがて耳の奥に届くノック音に慌てて手を引っ込めて、返事をする。
耳を澄ませてみればあれだけ長く続いていた水の音がもうしておらず、
どうやら一人勝手に夢中になっていた事に恥ずかしく思いながら下着を元に戻せば、
どうやら下着を汚してしまったらしい事にも気づいた。
「入りますよ?」
「うん。どうぞ。」
声がうわずりそうになるのをなんとか抑え、部屋に入ってきた彼女にあまり視線を合わせないように
ただ毛布の中に包まってじっとして、息をひそめていた。
「……あの。」
「な、何でしょう。」
「お昼ご飯と、後でもう一度お風呂に入れるよう準備しておきました。」
あぁ、それで遅かったのか。
「うん、ありがとう。」
私がそう返せば、彼女が私の顔を見つめゆっくり歩いてきて額に手を添えた。
近づいてきた時にもしかしてしていた事が筒抜けになっていたのかと
背中に冷たい汗を流しながら考えていたのだけれど、
「熱を出してるのかと思ったのですが……違うようですね。」
そう一言言うとすぐに着ていた服を脱ぎ始めた。どうやら私が服を畳んでおいていたから、
それに気づいて合わせて脱いだようである。

「私、やっぱりはしたない子かもしれません。」
布団に割って入るなり彼女が言ったのはそんな言葉。
「どうして?」
そう私が尋ね返してみれば、顔を赤くしながら小さい声でぼそぼそと続きを呟いた。
「お姉さんの匂いがいっぱいで凄く、ドキドキする……。」
そんな事言われたら私はどうなるんだろう、ドキドキにとどまらず
貴女が扉の前に来ていた事すら気づかず一人勝手に楽しんでいた私は。
「大ちゃん。」
「はい。」
呼びかけてそっと目を閉じれば、少しして肩に冷たい手と唇に熱い感触が触れた。
私が彼女の手に驚いて体を跳ねさせたからか、すぐにその手は引っ込んでしまったけど、
私は目を閉じたまま彼女の手を探して握るとそれを胸元に抱いた。
「冷たくないですか?」
「冷たいさ。でも、あったかいだろう?」
唇を離して目を開けてそう返して。彼女が笑って目を閉じたので今度はこちらから唇を一度奪った。

「なんだかお胸、大きくなってませんか?」
彼女が下着の上に重ねた手をゆっくりと回しながらそう不思議そうに呟く。
確かにちょっとだけ大きくなったような気がする。恐らくは飲んだ薬のお陰だ。
飲んでしばらくしてから、張ったような感覚がずっと消えないでいる。
「ちょっとね、試してみたい事があったからお薬使ってみたんだけど……。」
「お薬、ですか?」
「うん……。」
そろそろ良いのかな。名前だけで判断して何時頃効き目が出てくるってのを読まずにそのまま飲んじゃったから
そこのところが分かって無い。でももう良いのだろうか。こんなに張ってきてるし。
「昨日みたいに、胸をその、してもらってもいいかな?」
そう尋ねてみれば彼女が首を縦に振って胸の間に顔を埋め、
「あったかいです。……あ、あれ?」
私の背中に手を伸ばしてそう呟いた。どうやら下着のホックをはずそうとしているのだけど、
変に私の胸が張ってキツくなっているせいか、上手く外せないようだった。
その間に胸に抱きついた彼女の背中に手をまわして、彼女の下着のホックを外してから
自分の背中に手をまわして彼女の代わりに自分のそれも外した。
確かに彼女が苦戦していたように私もちょっと苦戦したけど、自分の物だからという事で力に任せれば
何という事はなかった。
「ついでに下も脱いでおこうか。」
「そ、そうですね。」
汚してしまう云々で言えば私の方は既に駄目かもしれないが、彼女はまだ大丈夫だろうと
そう伝えて下着から足を引き抜いていく。胸から取った下着、もう片方の下着。
それらを纏めて、私が畳んでおいた服の上に重ねると、改めてベッドに寝転がった。

「それでは、その。いただきます。」
彼女が改めてそう言いながら顔を埋めて、その唇で啄ばむ。薬がなんなのかという事に気づいたのだろうか、
ちょっとだけ期待に満ちた顔だった。私は彼女の頭の後ろにそっと手を置いてちょっとだけ押しつけて。
私も期待を胸に秘めながら彼女の次の行動を待っていた。ふっと彼女が目を閉じると
彼女の口の中で伸ばされた舌先が触れ、体の中をくすぐられるような感覚と一緒に
弱く吸われた肌からじわり、と熱いものが流れ出した感覚を体に覚えた。
私はただただ上から彼女を見下ろすだけだったが、彼女の頬が段々赤色に染まりながら少しずつ大きくなるのを見て
同じように顔が熱くなるのを感じていた。
彼女は口を離さず、私は口を閉じていたから響いているのは彼女の口元からわずかに漏れる音だけで
静かと言えば本当に静かだった。時折、彼女が飲みこんでいる音がするくらいだ。
「ど、どうかな?」
気になってそう聞いてみれば、彼女がこちらをちらりと見たのだけれど、
そのまま何事も無かったかのように目を閉じてまた吸い始めて。
何かしらの反応を返してほしかった私は、何だか意地悪したくなって
頭へと回していた手を滑らせると彼女の羽に指を這わせた。
途端に彼女が頬を赤く染めて、口の横から白い液体が肌の上に一気に流れた。
……あぁ、この分だと後で毛布もちゃんと替えなきゃ駄目だなぁ。
むせ返った彼女が少しして目に涙を浮かべながらこちらを見つめ返し、ゆっくりと唇を私の胸から離した。
「鼻に入っちゃいました……。」
「あぁ、その。ごめん。で、そのさ。どんなものなの?」
「それを伝えようと思って、溜めてたんです。」
彼女が息を整えながら鼻を押さえて言った。ごめんよ、痛かったろうに。
でも、溜めてたって。口移しでもしようとしていたのかな。惜しい事しちゃった。
「大ちゃん。」
「はい?」
目に溜まった涙を軽く拭いながら彼女が胸の間で答える。そんな彼女に手招きして
彼女の顎をそっと持ち上げると、もう一度唇を奪った。
柔らかく、熱く、そしてドキドキさせる。そう言う意味では何度でも味わいたい彼女の唇が
何だか妙に甘ったるく感じたのは、恐らく口の回りを汚してしまった私の胸から出たあれが原因なんだろう。
若干まだ口の中に残していたのか、彼女の唇をつついて遊べばゆっくりと滴り落ちるものがあり、
それを受けながら私は彼女の後ろ頭に手を添えると、今までは重ねるにとどめていた唇に舌を割って入らせた。
恐らくびっくりしたのだろう。……私だって彼女が先にそうしてきたらびっくりしただろう。
ぐっと顔を引き離しそうになるのを、添えていた手で逃げないようにしながら割って入れた舌を奥へと進めて行った。

甘い。ほんのちょっとだけ癖があるけれど、思ったよりさらさらしてるからたぶん飲みやすかったのではないかと思う。
でも彼女の口越しだから本来の味というのはちょっと分からない。
彼女の口の中で先程まで私の肌にぴったりと押し当てていた舌を探せば、奥の方で委縮したように
身をひそめていた。まだ少し抵抗があるのかもしれない。そう思いながら、ちょっとだけ必死に伸ばした舌先で
彼女の舌をゆっくりと突いていれば、段々と彼女の舌も伸びて、私の舌をつつき返すようになった。
胸を吸っていた時には彼女の舌を柔らかいものとしか思えなかったがこうして突いてみれば
とても強い弾力があって、突き出せば突き出しただけ私の舌を押し返してくる。
元々は味を確かめるために送り出した舌だったけれど、彼女の口の中をいいように暴れまわると言うのも
ちょっとだけ支配欲が満たされたようなそんな感覚で気分が良かった。
彼女との体の間で押しつぶされた私と彼女の胸は、私の胸から出ているもののお陰で滑りながら
お互いの肌を撫でている。肌がぬれた為か、どこか擦れる感触が痛みも無くうっすら痺れるような感覚だけを残して
肌に沁み入ってくるのが堪らず、私は彼女の体を抱きしめてもぞもぞと動きながら、彼女の口の中で遊んだ。

息苦しかったのか、彼女がとんとんと私の肩を軽く叩いた所で唇を離せば、とたんに熱い吐息が私の顔にかかった。
そういえば鼻があまり使えないと言う事をすっかり気にしていなかった。
「ごめん、苦しかった?」
「うん……。」
彼女の返してくれた言葉にもう一度謝って、少し乱れてしまった彼女の髪の毛を整え直すと
彼女の休憩がてら、ちょっとした質問をしてみた。
「あのさ、一人でしたりする事って、経験ある?」
デリカシーの欠片もない質問だって分かってたけれど、ちょっと気になったのだ。
彼女が顔を赤くして口を閉ざしてしまったけれど、
それでも尚私が見つめ続けると、視線を逸らしつつも一度確かに首を縦に振った。
元々昨晩私のそこに唇を押し当てて私が疲れ果てるまで弄っていたのだから、
半ば答えは分かり切っていた事でもあったのだけど、それを見ると少しだけ私も安心した。
「そんな事を聞かれるのは恥ずかしいです。」
彼女がぽそりとそう呟いたけれども
「今さっきまで私たちがしてたことや、昨晩した事はもっと恥ずかしい事だと思うよ?」
そう返せば、赤かった顔に加えて耳まで赤くさせて彼女が私の顔の横に顔を埋めた。
……触れる頬も耳も凄く熱かった。耳は相変わらずふにふにとして柔らかかったけど。

「もっと甘えては駄目ですか?」
「私だって甘えたいから、もっともっと甘えていいのよ。」
元よりそういう約束じゃないか。お互いそういう事は遠慮せずにっていう。
「じゃ、じゃあ……頭の中がお姉さんだけになるくらい、一杯してほしい、です。」
そう言って私から身を起こすと、私の手を握ってそっと胸に抱いた。
抱いていた時から感じていた彼女の鼓動が段々早くなる。
下から見上げるその肌が、うっすらと白く濡れているけれど少し桜色になっていくのは
今の言葉が自分で言っていて恥ずかしかったのだろう。すらり、とそういう事を言ってしまえるのは
凄い勇気だと思ったけれど、やっぱり何だか微笑ましかった。
「……昨日私がされたみたいに?」
「そこまで喜んでもらえたのなら、恐縮です。」
気持ちが満たされていく、というだけならこうして話している時や
一緒に食事をしてる時、お風呂の時や寝る時だって、君が傍に居れば私は良いんだけどね。
でもそれでもやっぱり彼女を欲してしまうのは、そんな私の欲求に彼女が応えてくれるから、
彼女もまた欲してくれるから、なんだろうと思う。
「もう息、大丈夫?」
「うん。」
彼女がまた私の上にゆっくりと覆いかぶさりながらそう答える。
「痛かったりしたらちゃんと言いなよ?」
「それは、……あまりしたくないです。」
そういえば、そうだったな。


赤子を抱いた経験は私には無いけれど、そのお尻はすべすべなんだって姉さんが言ってた。
一体誰の子供のお尻を抱いて姉さんがその体験を得たのか、なんて私にはわからないけれど
恐らく姉さんには印象が強かったんだろう。その肌触りが。
……大ちゃんのお尻に触れた時、その話を思い出した。
お肉のついたぷりぷりの弾力の上に、しっとりと汗ばんでいるもののすべすべな肌がある。
指を少しだけ押し込んでみれば回りの肌が私の肌を包むように指がめり込み
私の指を挟んでいるかのよう。
「お尻……楽しいです?」
「え、あぁ。うん。」
用があったのはその奥にあるものだけど、触れていたらつい夢中になっちゃって
しばらく触れていると彼女がそう言ったのだった。
昨晩は私が弄られた場所だけれど、今度は私が彼女のその場所へと
後ろからそっと手を伸ばす。彼女の体、私よりちょっと熱くて危ない火遊びをしている気分に近かった。
伸ばしきった手でここだな、と思い撫でまわすようにして触れてみれば、ぴったりと閉じた肌と
殆ど主張がない、私にとっても恐らく彼女にとっても弱点な大事な部分がひっそりとあった。
乾いた肌で、というのがかなり悪い方で刺激になるという事を経験則として知っていたから、簡単に位置だけ確かめると
私は胸のあたりに一旦指を戻して、今となっては何だか無駄に溢れていたそれを指に絡めた。
思いのほか乾きの悪いこれなら、多少なりマシだろうという判断だ。
何度か手を行き来させて馴染ませて、彼女の汗ばんだ肌の上でもまるで摩擦が無いように滑るようになると
私は一度深呼吸して空いた手で彼女の背中を抱いた。
「その、痛かったら……痛くないように頑張る。」
「うん。」
ぴっちりと閉じた肌を指で左右に押し広げて、思ったよりもその薄いその肉の頂点にある場所へと指を仕向ける。
閉じていたらほとんど主張が無くてもこうしてわざわざ広げてみればちょっとだけ感触の違う
くりくりとした物が出迎えてくれるから結構分かりやすい。
「貴女の肌、どこまでの柔らかいのね。」
私が小さく呟いたそんな言葉に恥ずかしがった彼女がぷいっと顔を逸らせ、
私は差し出されたように自分の眼前に持ってこられた彼女の耳を啄ばんだ。
そのまま伸ばした指で未だ皮を被っているそれを挟んで至極ゆっくりと揉んでいく。
力なんてほとんどいれていない。あてがっているに過ぎない位の力で。
彼女が私の腕の中でみじろぎし、押しつぶされた私の胸がまた新しく分泌液を出していった。
彼女の上にかけた毛布から、彼女の羽もちょっとだけ反応を示しているのか毛布を持ち上げているのが見え、
私は背中に回していた手を少し滑らせて羽の根元まで移動させると、
ゆっくりとのの字を書くように人差し指で撫でた。
私の指から逃げたいんだろう。彼女が胸を反らせまた私の胸を押しつぶしながら体の上をもぞもぞと動き回る。
さっきまでゆっくりと吸ったり吐いたりしていた息も、吐く時だけは何だか詰まった様になっているのを
耳で聞いて感じながら私は黙ってその動作を続けた。
……意地悪するつもりは無いんだけど、ちょっとだけ昨晩の仕返しがしたかったのである。

彼女のささやかながらの反抗か、彼女が手を置いている私の肩が
彼女の指の爪でかりかりと掻かれている。勿論彼女もほとんど力を入れていないから
私にはただただくすぐったいだけの代物だ。でもそれも、私がずっとずっと、黙って続けていれば
ちょっとずつであるけれどその力の入り方が疎らな物になっていった。
でも彼女は何も言わない。昨晩の私がしばらくそうであったから、なんだろうと思う。
私の時は堪え切れなくなって彼女にお願いをした訳だけど、元より私よりもずっと我慢強い性格だからか
今のこの時はそのささやかな反抗以外は何も返してくる事なく、時間が過ぎた。
……勿論私だって彼女の意地に最後まで付き合っていくつもりは無かった。
昨日私はこれを辛いと感じたからだ。確かに気持ち良かったけど。
「大ちゃん。こっち向いて。」
彼女の耳元でそう囁いて、ゆっくりとこちらを見た彼女をじっと見つめる。
見れば見る程林檎を食べたくなってくるようなその顔をただ見つめ続け、
彼女が根負けして目をそらした所で私は股の間に伸ばしていた指をずらすと一度呟いた。
「ゆっくり、息を吸って。」
彼女が目を閉じて、少しして息を吸うのを肌と耳で感じながら私は親指を湿らせると、
その割れ目の中で未だ殆ど触れていない小さな穴へと親指を潜り込ませた。
「ぁふっ」
……思ったよりスムーズに入った。そう思ったのは最初のほんの、ほんの一瞬で
驚いた彼女が息を吐いた途端、ぴっちりとはさまれて動けなくなってしまった。
とはいえ、もう7割近く親指が入っちゃったけど。
残った人差し指と中指で、先程まで弄っていたところへと指を戻して揉むのを再開しながら
彼女の頬に自分の頬を合わせて、強張った体が少しだけ落ち着きを見せるまで待つと
私はゆっくりとその親指に力を入れて行った。
勿論無理な力を入れるつもりなんてない。爪は切っているし、ちゃんと丸めて怪我しないようにはしてるけど
それでも負担をかけてしまうと思ったから、ただゆっくりと引き抜こうとして見たり、ちょっとだけ押し込もうとしたりするだけだ。
でもぴったり挟んでいるから、咥えこまれた親指の面積は全く変わらず、
行かないでとばかりに指を離さなかったり、これ以上来ちゃだめとばかりに指を押し返して。
羽の間に置いていた手を戻して、彼女の顎を掬ってその顔を見ながらその一連の動作をゆっくりとしてみると、
恥ずかしくて仕方がないのか目も唇も閉じて、震えた息を繰り返していた。
その唇にそっと親指をあてがい、すっと潜り込ませる。彼女に一度噛まれて痛かったが、
強張った顎を緩めてくれて、その中に入る事はできた。その親指の位置を調整しながらふと呟く。
「今ここくらいまで入ってる。」
言いたかったのはそれだけだ。彼女がどんな反応をするのかが楽しみで、
口の中のあったかい舌を撫でながら私はそう言った。

顔を真っ赤にするとか、急いで顔をそむけて指を引き抜くとか。
そういうのを頭の中で考えていた私とは違って、彼女が返した反応は全く違う方向のものだった。
まだ入りかけの親指をもうちょっと咥えこんで、じっと私を細い目で見つめたのだ。
……だから私の方が急に恥ずかしくなって指を引き抜いてしまった。
じっとりと濡れてしまった自分の親指と彼女の顔との間を行ったり来たりさせながら
行き場に困った自分の視線を隠すように彼女の後ろ頭に手を添えると、
私の顔が見られないようにぎゅっと抱きしめた。
少しして彼女が見せつけるように深呼吸を繰り返したから、恐る恐る親指をもうちょっと奥へと潜り込ませる。
彼女の体が身じろぎして、親指と彼女の小さな穴の僅かな隙間から洩れでた少しぬめったそれが
他の指まで垂れていくのを感じながらゆっくりと内側を撫でるように滑らせると
彼女の熱い吐息が私の耳にかかった。

「もうちょっと激しくても……大丈夫です。」
こんなに近いのに聞き取りづらい程小声だったけど、私の耳の奥までその言葉は響いて、
落ちつけていたはずの私の心臓がどんどん制御できなくなってくる。
「もっと、してくれないのですか?」
でも、ゆったりした言葉だったけれど続けざまにそう言われて、慌てていた頭がちょっとだけ落ち着いた。
主導権握ってるの私だから私が慌ててはいけないんだ。
「君が意識を手放す位まで、止めないよ?」
元よりそこまでやったらやり過ぎではあるけど、一応の釘さし。
「……お姉さんの顔見ていたいです。」
そうか。お姉さんは凄く今恥ずかしいんだけどな。でも私も君の顔が見ていたい。
私が後ろ頭に当てていた手を緩めれば彼女がもぞもぞと体をずり下げて、
私の肩口に頭をぽとん、と落とした。
「ここ、いいですか?」
じっと見上げた顔で私を見つめる彼女に頷いて返すと、私は羽の根元に手をまわして彼女の体を少し押さえながら
力を入れずにただただ緩く動かしていた指へと力を込めた。

かりかり、と掻き続けていた手は私の肩から二の腕へとずり下がり、
彼女の爪先に入る力は先程にも増してちょっとだけ痛みのようなものが走るようにもなってきた。
まだ耐えられる範疇なんだろう。薄ら目を開けてこちらを見ているがまだ息の仕方には余裕が見える。
その手を段々と強めて、体を抱きしめながら擦り続けていると
彼女の身悶えもどんどんと大きくなって唇を鎖骨に埋めた。
もぞもぞと動くそれがくすぐったいながらも、カリカリとされる痛さのお陰でなんとも相殺されている感じで
私はしばらくそのままで、彼女が一度でも軽く達してくれるのを待った。
……最初から一度に意識を飛ばされてしまったのでは彼女も後でこの頬を膨らませて怒りそうな気がしたからだ。
あぁでもそれも可愛かったのかもしれない。何度でも抱き続ける口実になりそうで。

程なくして彼女の手の置いていた先が二の腕からすぐ横のシーツへと変わった。
私の事を思ってくれたのだとしたら、凄い嬉しかったのだけれど、返してみればもう彼女に余裕が無いと言う事でもあり
指の動きを少しだけはやめると、背中に回していた手で彼女の顎をそっと持ち上げた。
「好き。」
短く、ただそう告げて。その一言に彼女が視線をこちらに向けた所で
私は挟んでいた指で思いっきり揉みつぶした。
「うんっ!」
返事なのか、それとも耐える声なのか。どっちかは彼女しか知らない。
その額に軽く口づけして、蠢く体をそのままにしばらく見つめ続ければ
やがて彼女の体が私の上で跳ねた。毛布の下で苦しそうに動いている羽を、
ちょっとだけ毛布をずらして、あまり皮膚が露出しない程度に解放しながら
その体を私の胸の上で受け止めて。
段々とその波が落ち着きを見せ始めたところで緩やかにしていた指の動きをまた速めて行った。
「ぁ……ふ……!」
詰まるような息が胸を、熱い滴りが私の手へと伝わる。
潤んだ目を閉じて余裕が無くなったらしい彼女の体をしっかりと抱きしめながら
手の動きを緩める事無く、次の、また次の刺激を送り続けていった。

がり、がりとシーツの悲鳴が私の耳にも届いている。
私が指を埋めた彼女の体の中は、彼女が跳ねるのと同時に一瞬緩みながらも握りしめるように何度も何度も
私の指を挟んだりして、まるで指の形を確かめているんじゃないかと思わせながら痙攣して。
無意識の反射で動いているのだろうお尻が、私の指を勝手に埋めたり引き抜いたりして
とても水っぽい音を辺りに響かせていた。
そうなりながらも、どこか蕩け切った顔でこちらに顔を向けて浸っている彼女が羨ましくて、
もう一本腕があったら今直ぐにでも自分のそこへと指を這わせて同じように体を跳ねさせたい気分だった。
でも今は彼女の番だから。そう自分に言い聞かせて私まで身悶えしながらしばらく指を動かし続けた。

ぴん、と張りつめて空中に伸ばされていた彼女の羽の力が
跳ね続ける体に対してふっと力が抜けて行った所で私も自分の指を緩やかにとめた。
差し込んだ指は依然として強い力で彼女の中に閉じ込められたままだったけれど、
少し力を入れると、ぬめった感触が肌に多量に広がるのと同時にずるり、と抜けた。
「……大丈夫?」
跳ね続ける体が段々と収まりを見せて、シーツを硬く握りしめてしまっていた手が緩やかに開くのを待って
彼女にそう声をかける。案の定というか、返答は無かった。
心なしか、静かな寝息が聞こえてくる。やっぱり負担が強かったんだろう。
私はめくれていた毛布で彼女の首元までしっかりと包むと、その小さな背中を両腕でしっかりと抱いた。


ふと、彼女の体の下で私のお腹の音が響く。
思えば、まだ昼ごはん食べて無いんだな。
「……お昼ご飯なんなんだろう。」
寝てしまった彼女の肌を冷えてしまわないように静かに撫でながら、そう小さく呟く。
「さんどうぃっち。」
小さくかえってきた言葉に、目を覚ましたかと思ったけれど、依然としてどうやら寝ているようで。
「そうか。」
……起きたら、一緒に食べようね。


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「これから勇儀はどうするのさ。」
「どうもこうも、今まで通りさ。」
私は素直に頼って貰えたから、私も素直に応えただけ、だ。
「じゃあ、なんで泣いてるのさ。」
「おでんの辛子がキツイからさ。」
辛子の割には凄いしょっぱいけど。
「そんなに気にするなら、お酒の勢いで押し倒せば良かったじゃないか。」
「それは私の主義には反するよ。」
「で、泣いてる訳か。」
「……もうそこは触れないで欲しいね。」

「そろそろあの子達が来るよ。ちゃんと迎えてあげな。……私は帰るからさ。」
「そうか。ありがとうな。」
「親父さーん?ここおいとくからねぇー!」
横に座っていた、昔からの友達が霧のようにそう言って消えて。
何故か新しく用意してもらえたひとつのおしぼりを親父さんから受け取ると、
少しだけ顔を拭った。

「あぁ、居た。姉さん。……隣いいかな。」
元気になったあの子の声が耳に届く。
「ん?ああ。おぅ、大ちゃんも一緒か。今日も飲むかい?」
萃香にも言われたがこの子は恨んだりする対象じゃない。
ほんのちょっと、悔しいけれども、悔しいけれども、
「あ、ではその。頂きます。」
私はただ
「よいしょっと。……ねえ、姉さん。」
「何だい?パルちゃん。」
「支えてくれて、ありがとうね。」
この子が笑顔なら、それで良いんだ。
貴重な時間を裂いていただきありがとうございました。
誤字、脱字気をつけているつもりですが、やっぱりあるんだろうなぁ、と思ってます。
とりあえずは誤字と脱字が無いと判断したのですが、もしもありましたら改めて修正したいと思ってます。

何はともあれ、読んでくれてありがとうございました。

---以下2月21日9時45分追記---
様々な誤字・及び脱字等についてのご指摘有難うございました。
どうやら同音で意味の違う言葉についての誤字が多いというのを改めて思います。
音読したりしてるのですが、音が同じだと安心して気づいてないのかも。これについては見直しの方法もちょっと考えないと。
あと意味が重なる言葉の重複、ですか。これは音読してたら大抵気づいて直すのだけれども、出ちゃってますね。申し訳ないです。
自分ではこう書いてるつもりってのが頭にあるから見過ごすのかなぁ。
9月から書いていて半分程の恐らく12月くらいだったか、その頃には既に話の展開が冗長なものになっているのは感じていて
一旦最後まで書き終わった後に結構削ってみたつもりだったりはしたのですが……やっぱりまだ冗長的ですね。
そのまま出したら今頃は少々どころじゃ済まされない話だったのでしょう。
例え長くても、出来るならばするりするりと話を読んでもらえる方が私も嬉しいですから努力したい所です。
句読点については書く時の癖みたいな、なんというか。
頭の中でここまで書こうとかしてると途中で入れ忘れてそのままという事が多々あったりして。
もうちょっと校正の時間を広く取って焦らず頑張ってみます。書き終わるとついテンション狂っちゃって。

後、勇儀姉さんは最初から好意に気づいていたけれど、パルスィの寄せてくれる好意の形が変わってしまった事にも気づいていた。
けれど、姉さん自身はずっとパルスィが好きだったから、また思いを寄せてくれるのを淡く期待しながらも一人待って苦しんでいた、と。
そういうつもりで書きたかったのが私としての本心。目立たせず上手く表現できるように頑張ろう。

今回のお話で大妖精好きやパルスィ好きの方々に喜んでもらえたのなら私も嬉しいです。
それ以前に読んでもらえた事が何より、嬉しいですが。どうも有難うございました。
---以上、2月21日分追記---
あか
コメント




1.名前が無い程度の能力削除
パル大とはかなり珍しい!
注意書き通り、確かにちょっと長かったですがチャレンジングな作品だと思いました。

勇儀姉さんはへたれですね!
2.ニバンボシ削除
パルさんがバルサンに見えたぜ
病気かな?

パル大初めて見たぜ

そしてあまりの長さにPspが1回落ちた・・・
3.喉飴削除
きた! あかさんの新作きた!
いやあ、このボリュームは尋常じゃないですね。ちょっといつもと違って、はらはらどきどきしながら読みました。
相変わらずのマイナーな組み合わせ。このパルの口調は、中々珍しいなと思いました。
勇儀姉さんはパルの好意に気づいていなかったのだろうか。むむむ。
なにはともあれ、この長いお話を書きあげるのには私が想像している以上の労力と時間を割いたことでしょう。お疲れ様です。
そして、次回作にも期待させていただきます。
最後に、誤字脱字らしきものをいくつか。

>>彼女自信、→彼女自身、
>>そう帰ってきた→そう返ってきた
>>彼女を起して→彼女を起こして
4.名前が無い程度の能力削除
パル大……だと……
これはいい
5.名前が無い程度の能力削除
確かに長かったけど、何か生活感が滲み出てて良いな。
軽く読み返すと姐さんのアドバイスがとても切ねぇ……
お疲れ様でした。そしてありがとう。

ついでに誤字報告(水鉄砲の後の風呂あがり辺り)
>>居間やって心象を
6.最古符「霊夢」削除
誤字脱字、ん?って思ったところ報告
なんとも何だか生々しい→なんともと何だかは同じ意味なのでどちらかひとつで良いと思います
なんで私は冷静に彼女の言葉に冷静に→冷静がひとつ多いような・・・
包みをあけていく→二回目以降は漢字で書かれているのに一回目は何故か平仮名という不思議
いったりきたり→上に同じ
ドアのあく音→上に同じ
取って→取っ手
おまかせしますーよ?→おまかせしますよー?
体格さ→体格差
地上で迷うじゃないかなぁ→地上で迷うんじゃないかなぁ
風が吹くことなんていないけれど→風が吹くなんてことないけれど
彼女が舞ってくれている→彼女が待ってくれている

それと、長文もいいのですが、あくまで「ネット小説」なので長すぎるのはアウトです><
上手く文章を纏めるのも上達への道です。
それから、読んでみての感想なのですが、全体的に「、」や文の区切りが少なくて読みにくかったです。そのせいか、全体的に堅い感じがしました。平仮名を多用しているところと、堅い印象がミスマッチでした。もう少し緩い感じでいいんじゃないでしょうか?

コメント長くなってしまってすいません。
今後も頑張ってください。
7.名前が無い程度の能力削除
これは新しいパルさん。
プライベートではこんな口調というのもなかなか可愛くてよろしいですな。
8.名前が無い程度の能力削除
パルスィ一押しで大ちゃんにも投票した俺大歓喜
心からありがとうを言いたい
ただ敢えて言うならば少々冗長さを感じます
日常を描く場合、その辺りの調整は難しいところですが
9.JENO削除
甘甘かと思いきやほろ苦い箇所もあってバランスのいい作品でした

大パル・・・新しい組み合わせに悶絶w

姉さん、俺の胸で存分に泣いてくれ!
10.名前が無い程度の能力削除
パル大の素晴らしさを心行くまで堪能させていただきました。
長かったですが、これだけの長さがあれば珍しいカップリングの違和感など払拭できるというものです。
上と下の口で親指をくわえる大ちゃんのエロさといったら、もう堪りません。
11.名前が無い程度の能力削除
勇儀←萃香←霊夢←紫...っていうループが起こりそうだなw
日常部分のボリュームに驚いた