真・東方夜伽話

eraudon13

2009/10/04 01:20:23
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eraudon13

紺菜

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    【注意書きをよく読んだ上でご判断してください】 
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         ~注意書き~



 本SSはeratohoを基に作成された二次創作物であり、
 作者のオリジナル要素が多分に含まれております。

 また、東方キャラに対する調教を行なう作品である為、
 表現上暴力描写、残酷描写も多く含んでおります。

 今回は特にグロテスク表現を交えた描写が含まれています。

 ここまでの文章で嫌な予感、悪寒、吐き気、頭痛、眩暈等の症状を感じた方は、
 即座にブラウザを閉じて充分な休息を取られることをお勧めします。

 その症状が見られない、もしくは興味を持ってしまわれた方のみ先へお進み下さい。



        ~注意書き終わり~



○10/5 文末に一部加筆を加えました






















































































 濃厚な男女の匂いが漂う部屋の中、私は彼らを見下ろした。

 弟子のウドンゲ、てゐ、そして彼。
 三人揃って半裸のまま、折り重なるようにしてベッドに倒れ込んでいる。
 
 私は彼をベッドから引きずり降ろし、なんとか抱き上げる。
 人並み程度の腕力しかなく薬にも頼れないが、男を一人運ぶくらいなら何とか出来る。
 意識を失った彼を、弟子の部屋から廊下の奥にある彼の部屋まで運んだ。

「ふぅ」

 ベッドの上に寝転がした時には、少し息が切れた。
 一息ついて、眠る彼に視線を落とした。 

「良く頑張ったわ。僕」

 運び込んだベッドで昏々と眠る彼の顔を一撫でする。

 顔から首、肩、腕と指を這わせて、手を取った。
 右手を裏返して指を確認する。
 人差し指の先に小さな傷跡を見つけた。

 もうすっかり皮膚が固まり傷口は塞がっていたが、この傷がついた経緯を察するのは容易い。

「小さな傷だからと言って、患部を口に含むと良くないわ」

 こういった風に毒を体内に取り込んでしまう恐れがあるから。

 矢に毒を仕込んでおくのは古来からの常套句。
 その毒に彼は一週間耐えた。

 気を失う直前は、もう夢と現の区別すら付かなかったでしょうに。
 少し見ない内にずいぶんと我慢強くなった事。

「けれど、痩せ我慢は身体に毒よ」

 前髪に指を絡め、あどけない寝顔に笑みを浮かべる。
 身体の不調なんてとっくに気がついていただろうが、それでも彼なりに意地があるのだろう。

「可愛い人」

 唇に指を添え、その柔らかさを楽しむ。
 荒々しく重ねた唇。
 熱いあの接吻を思い出して、指を自らの口元へ。

「弟子たちとはどんな接吻を楽しんでいるのかしら?」

 戯れに問い掛け、錠剤を一つ取り出す。
 口に放り込み硬い錠剤を歯で砕き、唾液と良く混ぜ合わせる。

 苦い味が口の中に広がった。

「んっ」

 そのまま身体を倒して彼の唇に吸い付く。
 手で顎を少し下げて、口の中に苦い唾液を流し込んでいく。

 こくん、と小さく咽喉が鳴った。

 夢は逃げない。
 ゆっくり楽しむといいわ。

「ん……ふっ…んん」

 薬を含んだ口付けをした後も、私は彼の唇の感触を楽しんだ。

 

xxx  xxx



「ご主人様」

 ――――

 ん?

 俺は自分が呼ばれた事に気がつくまで、しばらく時間がかかった。

「……あー」

 がりがりと頭を掻き毟る。
 目の前に広がる騒々しい景色を、ぼんやりと他人事のように眺めた。

 どこからともなく聞こえてくる祭囃子と太鼓の音。
 入り乱れるざわめきと雑踏。
 賑やかで晴れやかで騒々しい音の洪水。

 俺は祭りにごった返すどこぞの神社で、ぽかんと立ち尽くしていた。

 なんじゃこりゃ。

 夕暮れに沈む空と、出店を彩り飾る安っぽいネオン。
 家族連れやカップルや学生なんかがうじゃうじゃと歩き、浴衣姿の者も多い。
 どこからどう見ても夏祭りといった様子ではあるが、そんなものに出かけた記憶がない。

 首をひねっているところに、

「ご主人様?」

 ひょこりと人混みからレイセンが姿を見せた。

「……ん。ああ」

 レイセン、だろう。
 いや、見間違えるはずがねぇんだけども、見違える格好でいたりしたから一瞬戸惑った。

 レイセンは浴衣姿で俺の前に立っていた。

 白地に赤の唐草模様。
 履物も靴から草履に履き替えて、月と兎の絵柄の付いた帯飾り。
 髪もべっ甲のかんざしで結い上げられて、白いうなじを見せている。
 太鼓判を押してお勧めできる浴衣美人だった。

「可愛いね」

 思い浮かんだままの言葉がぽろっとこぼれてきた。
 いや、参った。
 これは全くもって予想外の不意打ちだ。

「え」

 鈴仙は俺の素直な感想にぽかんと面食らった様子で、まじまじと自分の格好を眺める。
 自分が何を着ているのか良く確認した後で、また俺を見つめてきた。

「そ、そ、そうですか?」

 今度はレイセンが戸惑う番だった。
 というか俺が褒めたりしたのが予想外だったのか、むず痒そうに肩を縮めてしまう。
 その辺りは間違いなくレイセンだ。
 褒めると返って萎縮したり困惑したり、恥じ入ったり。

 そういういじり甲斐のあるとこがお気に入りだ。

「……ご主人様も、お似合いですよ」

「へ?」

 言われて気がついた。
 祭りっぽい格好をしているのはレイセンだけでなく、俺の方もそうだった。

 青磁色をした無地の浴衣で、帯は目立たない灰色。
 朱塗りの下駄を履いているのは、自分でも何となく納得出来た。

 自分自身怖いくらい俺の趣味に即した格好をしている。
 随分都合のいい話だ。
 都合が良くて突拍子がないんだから、こりゃ夢なんだろうとあっさりと断定した。

 なんだ夢か。

 夢なら夢で、それでいい。
 祭りの夢なら、沈めたり切断したり虐待するよかだいぶ真っ当な方だ。

 賑やかではあったが、今の所物騒な雰囲気は感じられない。
 祭り特有の浮ついた雰囲気があるだけで、悪夢の類なのか判断はつかずただ景色をぼんやりと眺め回した。

 どいつもこいつも祭りを楽しんでいる風で、穏やかな談笑と明るいはしゃぎ声が重なり合う。
 そんな景色が、柔らかな朱色に染まっている。
 平和な光景を目の当たりにしても、不思議と俺の心に小波は起きなかった。
 多分、夢だからだろう。
 一時の泡沫の夢だっていうなら、他人が幸せそうにしてようが、まあぎりぎり許せた。

 俺の夢なら、他人は憎悪を駆り立てる何かではなく、背景を飾るただのオブジェだ。
 
「どうかされましたか?」 

 レイセンが俺の顔を覗き込んで来ていた。
 心配そうに、同時にこちらの機嫌を伺うような卑屈さも多少ある。
 そいつは現実のレイセンそのもので、えらいリアルな夢だ。

「んー……まあ、こっちの事ヨ」

 適当にはぐらかしておく。
 せっかくの夢だ。
 てめぇでぶち壊しにするまでもない。
 どうせそうなる時は勝手にぶちまけられて台無しになるもんだし、それならそれまでは楽しんでおく方が建設的ってもんだ。
 こうして鈴仙が浴衣姿でおまけに髪を結い上げたりしてるなんて、中々に新鮮だってのもあった。

 目が覚めたら実際に祭りにでも繰り出してみるのもいいかもしれんね。
 俺がこの夢を綺麗さっぱり忘れてたらそうするか。
 同じ体験を二度も繰り返すなんて願い下げだ。

「つーか、一人? 他の奴らはどこよ?」

 てゐや永琳の姿は見当たらない。
 ついでにいやぁ鵺の奴もいなかった。
 どっかにはぐれちまってるのか、そもそも初めからいないのか。

 きょろきょろと人ごみを見回す俺に、何故か鈴仙も一緒になって視線をふらふらとあてどなく彷徨わせていた。

「ええと……二人だけ、みたいですね」

 レイセン君。
 どうしてちみまで心許なさそうに言うのかね。
 夢だってのにそこまで再現しなくていいっつーの。

 ってこたぁ。

「縁日デートってとこか」

 なんてよくあるパターンなんざましょ。
 とはいえ、そんな王道パターンなのに俺にそんな経験はないっつーね。

 そもそも縁日に繰り出すなんていつ以来だろうか。

 それは古い過去。

 ――あの時は何もかもが今より大きくて。

 ――広い背中を見失ってしまわないように。

 ――差し出された手を固く握り締めていた。

 古い――とても古くて黴の生えちまった記憶が、脳の奥で瞬いた気がした。
 とっくの昔に錆付いていたってのに、当時と変わらない輝きを伴って。

 それでも、瞬きはただの瞬き。
 輝きがこぼれ出す前に記憶の底深くへと押し込んだ。

 大切なものは、宝箱の中へ。
 その輝きに手垢がついて、色褪せてしまわないように。

「で……デートですか」

 おっと。
 柄にもなく浸っちまってた。

 レイセンは俺の言葉に明らかに照れていた。
 まあその手の過程をすっ飛ばして来てるからな。
 デートだの逢引だのが新鮮に響くんだろう。
 特に鈴仙は男に免疫がない方だから、印象先行でさぞかし色んな想像を掻き立てられるんだろうな。

 ん?
 待てよ。

 俺はそこで首をひねった。

 デートって、そもそも何をすればいいのかしらん?

 俺にそういった類の経験がない事に気がついた。

 てゐと一緒に遊園地を引きずり回したのは、単に調教の一環。
 した事といやぁ鈴仙から従順を引き出し、てゐの恐怖を煽っただけ。

 そういうのは普通、デートとはいわねぇよな。
 結構灰色の青春送ってたんだなぁ、俺。

 実はとんだ童貞野郎だったのが発覚した訳だが。

「……」

 レイセンは自分の呟いた言葉で、そりゃもう真っ赤になって俯いちまってる。
 もういっそ介錯した方がいいんじゃないかってくらい、気の毒に肩を竦めて萎縮しちまっていた。

 そういう姿を前にして、エスコートの一つも出来なきゃ男が廃るってもんだ。
 ま、どうせ夢だしね。

 結局のとこ、そこに落ち着いた。

「あんまりドラマティックな展開まで応えられるとは思わんけどさ」

 なんて口走っちまうのは男の言い訳だな。
 まあレイセンが気に入らなかったらびんた一発で締め括りだ。

「折角の二人きりだ。楽しんでみようか」

 どうせ夢の中。
 目が覚めりゃあまたあの場所に逆戻り。
 だったらまあ、普段とは違った雰囲気を味わうのも悪くはない。
 俺自身下手糞なのは知ってるが、下手糞でも経験を積まなきゃ上手くなるはずがない。
 夢の中でくらい、夢に見るまで欲した光景を望んでもばちは当たるまいよ。

 それでもばちが当たるんなら、まあいいでしょ。
 来世に期待でもしていよう。

 現実にゃあ夢は見るもんじゃなくて持つだけのもんで、ましてや他人に見せびらかすなんてもっての他。
 夢を見る奴が馬鹿を見る。
 だからこそ、夢の中だけで夢を見ていよう。
 何度も何度もてめぇの尻尾を追っかけて、同じ場所でぐるぐると回り続けた犬っころの夢。
 繋がれた鎖でがんじがらめになって、日に焼けすっかり黒光りしちまってる夢だ。

「……」

 レイセンはうなじまで赤く紅潮させて小さく頷いた。
 その手を握り締める。

 こうして誰かと手を繋ぐってのは、随分久し振りだ。
 ほっそりとした指の白い手は、思っていた以上に小さくか弱くて、軽い驚きを覚えた。

 レイセンは無言のまま視線を手元に向けて、俯き加減に口元を少し綻ばせた。



xxx  xxx



「よっ。とっ。はっ」

 ぱしゃりぱしゃりと水が跳ねる音。

「えいっ、このっ」

 私は生け簀の中で緩やかに泳ぐ金魚を掬おうと、すっかりふやけたポイを水に潜らせた。
 赤い金魚は私が救い上げる前に、するりとポイの中から逃れる。
 ふやけ切っていたポイは枠からぽろりと外れて水中に沈んだ。

「……もうっ」

 先程までするすると逃げていた金魚たちの群れが、底に沈んだもなかの皮をよってたかりついばみ始めた。

 なんて小憎らしい魚たちだろう。
 いつだったか中有の道に並ぶ出店で息抜きに金魚すくいをした時と同じだ。
 あの時は水の中に泳ぐ金魚が実は霊だったという詐欺のような落ちがついたんだけど。
 実物でも同じ結果というのは――
 
 いよいよもって掬えない。

 私は大きなため息を一つついて、針金だけになってしまったポイを返した。
 未練がましく金魚を眺める。
 別に金魚がそこまで欲しい訳じゃないけど。
 せっかくこうしてお金を払って(払ったのはご主人様だけど)遊んでいるのに、坊主じゃ遊んだ甲斐がない気がした。

 しゃがみ込んだまま、視線を右隣に向ける。
 隣ではご主人様が金魚掬いをしていた。
 少し割高の硬くて大きなもなかの皮とは違い、本当に薄い和紙のようなポイで、ひょいひょいと、黙々と金魚を掬い続けている。
 私が持っている器にも一匹の金魚もいないのに対して、ご主人様の器にはうじゃうじゃと明らかに過密過ぎる金魚の群れがたゆたっていた。
 赤い金魚だけでなく真っ黒な出目金までいた。

 ご主人様は首から上が固定されたように水面から視線を動かさず、金魚で溢れ返りそうになっていた器を小脇に置いた。

「おっちゃん、新しい器」

「……」

 差し出したご主人様の手に、金魚のいない新しい器が手渡される。
 器を手渡す店主の顔は苦り切っていた。

 ご主人様の小脇には金魚がうようよとしている器が並べられ、さっきのを合わせてこれで四つ目。
 本当にポイ一つで生け簀にいる全ての金魚を掬い上げてしまいそうな勢いに、周囲には軽く人だかりが出来ていた。

「レイセン、もっかいする?」

 ご主人様は視線を水面に向けて金魚を掬いながら、私に訊ねた。

「……私はいいです」

 自分でするよりも、ご主人様が掬う様子を見ていた方が素直に楽しめるような気がした。

「そ。じゃあ次行ってみようか」

 唐突に、ご主人様はポイを握っていた手を止めると、手にした器を生け簀の上で逆さまにひっくり返した。

「あ」

 私が声を上げている間に、並べ置いていた器の中身を次々と生け簀の中へ返してしまう。
 掬っていた金魚の殆どが、狭苦しい器から元の生け簀の中へ。
 充分に広い生け簀をすいすいと泳いで散っていった。

 残っていたのはたった二匹。
 赤い金魚と黒い出目金の一匹ずつだけ。

 も、勿体無い。

 私の心情を代弁するように、人だかりからもため息が上がっていた。

「おっちゃん、包んでくれ」

「あいよ」

 そんな周囲の反応を一切取り合わずに、ご主人様は残った器を差し出した。
 顔を青褪めていた店主は露骨にほっとした様子で、器から透明の袋に二匹の金魚を移した。

「はいレイセン」

「え」

 二匹の金魚が泳ぐ袋を差し出される。
 私はそれを受け取ったものの面食らっている内に、ご主人様は立ち上がって大きく伸びをした。

「この格好結構腰に来るな。さて、解しがてら何か食いもんでも物色するか」

 ぐいぐいと腰をひねった後、手が差し出される。
 私がその手に掴まると、ぐいと力強く引っ張り上げられた。

 ずっとしゃがんでいたからか、ご主人様の言うとおり腰の筋肉が強張って痛い。
 腰を擦りながら、私は手渡された金魚たちを見つめた。
 透明の袋には水草や小石の模様がついていて、それだけでガラスの金魚鉢の中に収まっているようだ。
 
「毎度」

「あいよ」

 言外にもう来るなと言わんばかりの素っ気無い店主からの言葉を軽く受け流し、ご主人様は歩き出す。
 私は手を引かれてその斜め背後に寄り添いながら、少し小走りに隣へと落ち着いた。

「ご主人様?」

「ん?」

「どうして返しちゃったんですか?」

 あれだけの数の金魚を掬っておいて、惜しげもなく戻してしまうなんて。

 私の疑問に、ご主人様は歩きながら顎を撫でて空を見上げた。
 夕暮れ色に染まっていた空に、夜の帳が落ちようとしていた。

「金魚屋を開くつもりはないしなぁ。あれだけやりゃあ充分営業妨害だしなぁ」

 ご主人様は顎を撫でながら、どこか他人事のように呟いた。

 なんだろう。
 普段のご主人様とは少し違う気がする。
 普段なら――こう言ってはなんだけど、金魚掬いの店主の事情なんてお構いなしに嬉々として掬い続けていたと思う。
 それこそ生け簀の金魚全てを掬うつもりでやっていた。

 それほど金魚が欲しくもなかったという事だろうか?
 そういえば、初めの頃は楽しげだったのが途中から黙々と掬い続けていただけで、あまり楽しそうな様子ではなかった。

「俺って実は、今までまともに金魚が掬えた事なんてなかったのよ」

 不意に、ご主人様はそんな信じられない言葉を口にした。
 耳を疑い呆気にとられてしまう私の顔が見えているのか、すぐに付け加えられる。

「今までっても、ガキの時分の話よ? ポイを水ん中突っ込んではあっさり破っちまってね。それからずっと金魚掬いなんてした事なかった訳だ。
 それがまあそれなりに時間が過ぎて、それなりにガキの頃とは違ってる。
 水流に逆らわないようにだとか、水の抵抗を受けないようにするだとか、水の切り方だとか。ガキの頃と違ってどうすればいいか大体想像が出来てくる。
 ま、どっかでそんなのを見たとか聞いたとかしたんだろうね」

 ご主人様は独り言のように呟く。
 周囲の喧騒に包まれ容易く掻き消されてしまいそうな独白に、私は耳を傾けた。 

「で、やってみたら掬えた。掬えたからもう一匹、もう一匹って。いつの間にかああなってたって感じかな」

「そうなんですか。
 でも……あまり楽しそうじゃなかったですよ」

 普段なら自分の想像だけで押し留めておく言葉が、私の口からこぼれていた。

「そうだねぇ。楽しくはなかったねぇ」

 ご主人様はあっさりと肯定した。

「なんて言うか、こんなもんかって感じでさ。
 ガキの頃なんてスカンピンになるまで注ぎ込んでも一匹も掬えねぇで、お情けで一匹おまけして貰ったのがさ。より取り見取りの何でもござれって感じで。
 逆にレイセンの方が楽しそうだなーって思ってた」

 え?

「楽しくはなかったですよ……」

 金魚が相手なのにいいようにあしらわれた感じがして、むしろ腹立たしかった。

「そっか。ままならないもんだねぇー」

 ご主人様はやっぱり他人事のように呟いた。
 子供の頃の思い出と比較して、簡単だったのが逆に期待外れだったという事だろう。
 普段ならご主人様が率先して楽しみ、或いは楽しくなかったとしても、楽しんでいるように見せるのがご主人様だと思っていた。
 今までもなんとなく感じる事はあったけれど、この人はどこか裏腹な部分があった。

 空を亡羊に見上げるご主人様の横顔を、私は隣でじっと見つめた。

「ま、そいつらに運がなかったって事かな」

 ご主人様はそんな私の視線に気がついたのか、指に引っ掛けた紐に提げる二匹の金魚を指差した。
 真っ赤な金魚と真っ黒な出目金が、こちらの事など気にも留めずにぽこりと空気の泡を吐き出した。

「……運が良かったんですよ、きっと」

 売り物として生け簀の中を泳いでいるよりは、こうして誰かの手に渡って大切な育てられた方が、多分金魚だって幸せなような気がした。

「そうだねぇ。そうかもしれないねぇ。帰ったらでっかい金魚鉢でも用意するかな」

「そうですね。お願いします」

 赤い金魚は鱗がぴかぴかで、出目金はちょっと不細工だけどこれはこれで愛嬌がある。
 憎らしく思っていた事も忘れて、ご主人様から渡されたこの金魚たちを大切に育てようと思った。

「悪いね、いきなり白けちまって」

 ご主人様は髪をばりばりと掻きながら、少し照れくさそうに詫びた。
 妙に恥ずかしそうなのは、普段と違う態度で普段なら耳にしないような事を私に聞かせてくれたからだろうか。

 という事は、これがご主人様の素の姿?

 恐ろしくて冷酷な姿。
 優しくて愛情深い姿。
 そのどちらかが本当の姿ではなくて、今怒っているかのように口をへの字に曲げている姿が、この人の本当の顔なんだろうか。

 だとしたら、私が思っていたよりもずっと――

「いえ。他にも楽しそうな場所は沢山ありますから」

 可愛らしい男の子だったんだ。

「エスコートして下さいね」

 私は握る手に力をこめて微笑んだ。

「ああ、うん。しっかたねぇなぁ」

 何が仕方ないのか。
 多分意味なんてないんだろう。
 がりがりと頭を掻いて、私の手を握り返してきた。

「適当に腹ごしらえでもするか」

「はい」

 私は大波のような人の流れの中、手を引かれてその背中についていった。



 夢のような時間が流れる。

「とりあえず目に付いた美味そうな物、適当に買って来てみたんだが」

「凄く…多いです……」

「いや、まあ……流石に買い過ぎたか」

 天幕の下、高床にござが敷かれた簡単な休憩場所で待っていた私に、ご主人様は両手に余るほどの袋を提げて戻ってきた。
 見慣れない食べ物も多かったから説明を受けながら一つ一つ見せてもらう。

 焼きソバやお好み焼きと、この辺りは私にも判った。
 甘い香りを漂わせるベビーカステラは一口大で食べ易そう。
 魚の形をしている上に、わざわざえらや鱗まで再現しているたい焼きなんてユニークだ。
 香ばしい香りのイカ焼きともろこし焼きは、初めて見るけど美味しそうだ。
 イカっていう魚(?)が元はどういう姿をしているのか、足が一〇本もあるらしいけどちょっと想像がつかなかった。
 リンゴ飴は食べた事もある(流石に芯に使われている棒は卒塔婆じゃなさそうだ)から、どっちが美味しいのか気になる。
 ピンクの大きなビニール袋に入っているのは、わたがしというらしい。
 中を見せてもらうと雲が詰まっているような見た目だった。

 こうしてお祭り特有の食べ物を目にすると、お祭りに着ているという気分になってくる。
 けど、ござの上に並べられた食べ物を全部食べ切るには、少し無理がある気がした。

「祭りに来たら、これは食っとかなきゃいかんってもんがあるだろ? そういう必需品を買い揃えてたら、いつの間にかこうなってた訳で」

「……本当にそれだけですか?」

 焼きソバを割り箸で掻き混ぜるご主人様に、私は手にした焼きもろこしを少しずつ齧りながら見据える。
 後ろ向きに付けられたお面。
 指から提げているのは人魂ボンボンと似ているけれど、水の入った風船らしい。
 食べ物とは関係ない所で寄り道もしていたみたいだ。

「あー……ほら。ガキの頃金魚掬いですかんぴんになったって言ったでしょ。それで、ねぇ」

「子供の頃買えなかったものを、まとめて買ってきたんですね」

 私の言葉が図星だったのか、ご主人様は焼きソバをずるずると啜って返答と一緒に飲み込んだ。
 そんな子供っぽい反応に、私は醤油が塗られて甘辛いもろこしの裏でくすりと笑った。

「別に怒ってませんよ」

 ただ、目を輝かせて屋台から屋台へ次々と足を運ぶこの人の姿を見られなかったのが、少し残念なだけ。

 もろこしの粒は噛むとしゃきしゃきとしていて甘く、辛いお醤油のタレと良く合う。
 これほど沢山の食べ物を用意されたことに驚いたけれど、怒る理由はない。
 いつも自信たっぷりなこの人が、どうしてこんなにばつが悪そうにしているのか。
 それも不思議だった。

 いつだったろう。
 そう、あれは外の世界に連れ出された時に聞いた言葉。

『俺って他人の楽しみってもんが良く判んないのよ』

 自らの限界を悟ったと語った後で、口にした言葉。

『だから楽しませようと思ったら、自分の楽しかった思い出をそのまんま相手にも体験してもらうっきゃない訳』

 耳にして、不思議と今も頭に残っているこの言葉。

 ……そうか。

 どうして居心地を悪そうにしているのか、判った気がした。

 この人はきっと楽しかった。
 屋台をあちこち回るのが楽しくて、以前は手の届かなかった物を買い歩くのが嬉しかったんだ。
 一人で楽しんでいた事に、罪悪感を持ってしまっている。
 どうして?
 私と楽しさが共有出来ているのかどうか、不安だから。

 だからあんな言い訳じみた喋り方になる。
 確証が得られないから不安になる。
 なんだか親のお金で遊ぶ子供のようだ。

 初めは楽しいかもしれないけれど、後から心配事の方が大きくなって楽しみ切れない。
 そういう事なんじゃないかと思った。

「楽しいですよ」

 だから私は微笑んだ。
 もろこしで隠したりせずに、にっこりと微笑みかけた。

「量には驚きましたけど、珍しい物も色々見れて。それに美味しいですから」

「……そうか。うん、そりゃ良かった」

 私が微笑むと、ようやく口元に浮かんでいた居心地の悪さが薄れて消えていった。
 なんだかいつもと立場があべこべだ。
 この人が普段見せる自信が引っ込んでしまっていて、私の方はそんな様子が手に取るように判ってしまう。
 私自身そういう自信のなさを常に持っていたから、自分の立場に置いて理解し易いというのもあっただろう。

 何より、これは夢なんだって判っていたから。

 だから普段口に出来ない事を言葉に出来る。
 現実と違ってどこかで余裕がある。
 この人を冷静な目で見る事が出来た。

 多分、食べようと思えば全部食べられる。
 だってこれは全部夢だから。
 匂いも味も、現実そのもののような夢。

「残ったら、師匠やてゐのお土産にしましょう」

「そうするか」

 私はもろこしにかぶりつき、ご主人様はずるずると焼きソバを掻き込んだ。



 思っていた通り、ご主人様が用意した食べ物は二人で全て食べ切れた。
 重めの食べ物はその場で食べ終えて、お菓子の類は手に持って歩きながら頂く事にした。

 流石に食べているだけでお祭りが終わってしまうのは残念過ぎる。
 ご主人様の隣を歩きながら、どこか安っぽくて晴れやかな祭りを感じた。

「ふふん。どうですか」

「……こりゃたまげた」

 ぶらりと立ち寄った射的の出店で、私は銃口にコルクがはまったライフル片手に胸を張った。

 射的は得意だ。
 てゐの悪戯が絡んでいなければへまをすることもない。
 金魚掬いの失態をここで取り戻す為に挑んだだけあって、百発百中で商品に当てて見せた。

「たは。俺の方はすかしてばっかりだってのに、こりゃかっこ悪いね」

 ご主人様はライフルを首の後ろで水平にして苦笑い。
 二人で隣り合って射的をしていたのだけど、意外な事にご主人様は一発も商品に当てられなかった。

「苦手なんですか? 射的」

「白状するとね。撃つ系はどうも性に合わないって言うかね。まあ判っちゃいたんだけど」

 なんでも器用にこなせてしまうご主人様にも、苦手とするものはあったのか。

 そんな普段は見られない姿を目にして、

「……じゃあ、私が教えてあげます」

 私はいつもより大胆に行動する。

 ご主人様の手を取り、二人で射的台へ。

「腕を伸ばして……ぎりぎりまで近づいて、良く狙いを定めて……」

 背後にぴったりとくっつき、寄り添うように狙いを定める。
 腕を伸ばした先の銃口がふらついていたので、引き金に指をかけた手に手を添えて固定する。
 的は、少し大きなぬいぐるみ。

「あれを狙うのは、流石にちょっと無理じゃね?」

「何言ってるんですか。的は大きい方が当たり易いですし、それにどうせなら大物を狙いましょう」

 弱気になるご主人様に、私は夢の中だという事もあって強気に返した。

「……OK。了解」

 背後に張り付く私をちらりと振り返っていたご主人様は、しっかりと前を見据えて片目を閉じた。
 距離感を測った後、私はコルクの飛び方も考慮して細かい位置修正を加えた。

「中心を狙って……良く狙ったら……今」

 私の声の直後、ぽん、とそんな空気の抜ける音が聞こえた。

 押し出されたコルクが緩い放物線を描き、狙ったとおり兎のぬいぐるみの顔にこつんと当たった。

 落ちろ。

 ぐらっと揺らいだ人形を見つめて、私は強く念じた。
 念が通じたのか、重心が揺らいだ兎のぬいぐるみは台の上からころんと転げ落ちた。

「おお」

 ご主人様の口から歓声が洩れた。

「すげぇ。本当に取れた。魔法みてーだ」

 店主から渡された兎のぬいぐるみを手にして、心底驚いたような、感心したような、何より嬉しそうな笑みを浮かべて眺めている。

 ふふ。
 まるで本当の子供みたい。

 はしゃぐご主人様の姿に私はこっそりと微笑み、兎の人形を取られた店主はむっすりとしていた。

 そんな射的屋での一幕を皮切りに、私たちは夜店を次々とはしごした。
 あちこちのお店を覗き、冷やかしたりしながら食べ歩く。
 甘くてふわふわした綿菓子は、不思議と幾らでも食べられた。
 キーンとした頭痛を堪えながらかき氷が溶けてしまわないうちに掻き込み、シロップの色に染まった舌を見せ合ったりして。
 私は心底お祭りを楽しんでいた。

 その中で、ご主人様の様子の変化にも気がついていた。

「……」

 二人で歩いていると、たまにじっと視線を向けていることがある。
 視線を向けている方向は軒を連ねる出店の一つで、今回目に留まったのはくじ引きのようだ。

「やってみます?」

「……うん」

 見上げて問いかけると、こちらに気がついたご主人様は鼻を掻きながら照れくさそうに頷いた。
 そういう場面が度々あった。

 出店を見つめるご主人様の視線は、何かを羨むような。
 そう、ちょうどおやつを我慢するように言われた子供のように幼くて。
 私が促すとようやく見つめていた出店に足を運ぶ。

 普段なら率先して向かうのに、なんだか私の言葉を待っているようだ。
 受け答えも段々素っ気無いくなっているというか、なんだかいつも以上に子供っぽいというか。
 お祭りに参加している内に、子供の頃を思い出したりしているのだろうか。
 金魚掬いをしたのは子供の頃だと言っていたから、それ以来なんだろうし。

 ご主人様は人で賑わう祭りの風景に、羨望とも憧憬ともつかない眼差しを向けていた。

 この人は、一体どんな子供だったんだろう。

 そんな取り留めのない疑問を抱いていると、頭上の遥か上から轟音が鳴り響いた。

 歓声が上がり、周囲の人々は足を止めて空を見上げる。
 どれほどの時間を過ごしたのか空には星が瞬き、その夜空に立て続けに輝く大輪の花が咲き乱れた。

 どんどんどん。

 太鼓の音とは比べ物にならない轟音と、肌を震わせる大気の振動。
 花火が打ち上げられていた。

「わぁ……」

 夜空に浮かぶ大輪の花に、私も見上げながら感嘆を洩らしていた。
 花火を見るのはこちらに来て二度目だが、あの時とは趣が違う。
 派手さで言えば遊園地の時の方が派手で色鮮やかだったけれど、こちらの猥雑な空気の中で見上げる花火も悪くない。
 打ち上げている場所が近いのか、殆ど頭上で炸裂する花火は迫力があった。

「レイセン、こっち」

 花火に見惚れていると、急に握り締められた手を引っ張られた。

「ご主人様?」

「こっちこっち」

 足を止める人々の波を掻き分けて、私はご主人様に手を引かれて進む。
 石段を登った先の境内も人で賑わっている。

「こっち」

「こっちって……でもそっちは」

 裏手に続く道へと入っていく。
 そこから私有地になるんじゃないだろうか。
 明かりのない暗さに少し怯んだけれど、すぐにこれが夢であることを思い出した。

 じゃあ、大丈夫か。

 私はご主人様に手を引かれて暗い道を進む。
 流石に人の姿はなく、私たち二人だけだった。

「どこに行くんですか?」

「内緒」

 訊ねてみても答えは明かされずに、神社の裏手に回って何かを探しているようだ。

「あったあった」

 しゃがみ込んだご主人様が拾い上げたのは、大きなはしごだった。

 あ。
 もしかして――

「上で見よう。良く見える」

 やっぱり。

 ご主人様は手にしたはしごを神社の屋根に立てかけて、無邪気に笑った。

「……神社の人に見つかったら怒られますよ?」

「見つからなかったら大丈夫」

 あっけらかんと返すご主人様に、私は苦笑を浮かべた。

 この人は、きっと子供の頃から悪戯小僧だ。
 けれど。
 こっそり一緒についていってしまう私も、似たようなものなんだろう。

「気をつけて。滑るから」

「はい」

 なんだか口調まで変わってきているご主人様に着いてはしごを登って、私は神社の屋根の上に上がる。
 安定の悪い場所で、先を行くあの人はしっかりと私の手を握り締めていてくれた。

「わぁ」

 斜めになった瓦の上を歩いて、その頂上まで辿りつくと、視界が一気に開けた。
 眼下に広がる景色が一望出来た。

 色取り取りの輝きを放つ夜店の風景に、何より夜空に浮かぶ花火。
 赤青黄色に緑。
 様々な色や形の花火が暗い夜空を艶やかに彩っている。

「どう?」

 ご主人様は隣で胡坐をかいて、期待のこもった眼差しで私を見つめていた。

「素敵です」

「そう。うん」

 私の答えに背中を丸めて、

「良かった」

 照れ臭そうにはにかんで呟くのを耳にした。

 私はそんなこの人の隣に腰を降ろして、花火が打ち上げられる夜景を楽しんだ。

「……」

「……」
 
 言葉はなかった。
 二人で夜空を見上げる。
 花火はぱっと咲きぱっと散って夜空に溶けていく。

「……」

「……」

 ずっと手を握ったまま、夜を照らす輝きに目を凝らした。

 唐突に始まった花火は、いつの間にか終わっていた。
 次の花火が打ち上げられるのではないかと待ち続け、結局は終わっていたという名残惜しい形で。
 今まで周囲を包んでいた猥雑な喧騒は遠く、空気を震わせる花火の音だけが今も頭に残って響いている。

「……はぁ」

 頭に残り続ける残響を、私はため息に込めて吐き出した。

 祭りは花火の終了を持って一つの区切りを得たのか、あれほどごった返した人々が少しずつ家路へと着いていく。

「楽しかった?」

 ご主人様の声。
 視線を向けると、ご主人様はじっと眼下に広がる景色を見つめていた。
 ぽつりぽつりと人の姿が減っていく様子を、膝を抱いてじっと凝視していた。

 どこか、物悲しそうに。
 丸められた背中は、なんだか置いてけぼりを食わされた子供そのもののようで。

「楽しかったですよ。凄く」

 私の言葉に、あの人の口元に笑みが浮かべる。
 とても寂しそうな笑みだった。

「……貴方は」

 私はそんなこの人に訊ねる。

「楽しかった?」

 出店を二人で見て回り、色んな食べ物を食べて、こうして神社の屋根にこっそり登って夜空と花火を見上げた事。
 それは、この人の胸の中にどんな形をもって残ったのだろう。

「楽しかった。
 けど、もう終わり」

「そうですね」

 視線を足元へ。
 人混みはもうすっかりまばらになっているのが、屋根の上からだと余計に際立って見えた。

「……寂しいな」

 祭りの余韻は未だ色濃く尾を引き流れ、けれどはっきりと終わりが告げられようとしているのが感じられる。
 皆帰るべき場所へと帰っていく。

『俺に名前なんてものはない』

 じっと見つめているこの人には、帰るべき場所がないのかもしれない。

『名前ってさ。誰かから貰うものでしょ』

 名前を捨て去った時に、名前を貰った誰かも一緒に捨て去ってしまって。

『与太話だからさ。只の』

 そう言い切っていた冷たい程の強さのない今のこの人は。

「……」

 一人ぼっちで蹲る小さな子供だった。

「……帰りましょうか」

 私はそっと小さく呟いた。
 重ねていた手を固く握り締めた。

「帰りましょう、あの場所に」

 辛い事も苦しい事もあった。
 哀しい事も嬉しい事も。
 淫らな事も、全てを包まれる深い優しさも。

 あの場所が、私たちが帰る場所。

 黒い瞳が私を見上げてくる。
 ちらりと握り締める私の手に視線を落として、確かにぎゅっと握り返した。

「またてゐが煩いですよ。師匠に何を言われるか判りません。それに、鵺さんだって。
 皆が、待ってます」

「……うん」 

 私の言葉に、蹲っていたこの人は小さく頷いた。

 もう充分に楽しんだから。
 帰りましょう。
 あの場所へ。

 私はそう自らにも言い聞かせ、ご主人様に向き直る。
 この人の手に支えられて、寄り添った。
 せめて夢の中くらい、この人の手を引くことが出来れば。
 そんな、小さな思い。

「さあ、見つからない内にここから降り」

 ましょう、と。
 続けるはずだった。

「あ」

 立ち上がった拍子に軽い立ち眩みを覚えて体勢が崩れる。
 ふらりとよろめいた足元が滑る。
 履き慣れない草履なんて履いていたから。
 瓦の上で滑った私の身体は、そのまま支えきれずに大きく傾いた。
 くるんと視界が反転して、夜空に浮かぶ星が目に飛び込んできた。

 あ。
 綺麗。

 満点の星々が輝く夜空を目にして、そんな場違いな感銘を抱いた。

 派手な音が響く。
 がらがらと瓦が滑る音。
 がしゃがしゃと地面に叩きつけられて割れる音。
 勢いのついた身体は止まらない。
 咄嗟に掴んだ瓦ごと身体が横滑りしていく。
 真っ逆さまに滑り落ちていく。
 
 ああ、なんて。
 間の抜けた夢の醒め方だろう。

 私は目を閉じた。



xxx  xxx



 一瞬だった。
 手を伸ばす暇もなかった。
 視線を離したわずかな時間で耳にしたのは転げ落ちていく音で、すぐにそれとは理解出来なかった。
 ただ、訪れた空白が理解出来なかった。

 あの時は。

 そう、あの時は何も出来なかった。

 今度は、身体が反応していた。
 
 中空を掻く手を掴み取る。

 いっぱいに手を伸ばす。

 空を切る。

 嫌だ。

 落ちる。

 嫌だ。

 落ちていく。

 嫌だ!

 全身が総毛立ち、筋肉の収縮で痛みすら覚えた。

 あんなのは、もう二度と嫌だぁ!

 俺は声にならない絶叫と共に身を乗り出した。



xxx  xxx

 

 ――――――

 …………

 ……

 ?



 落下に感じるあの独特のひやっとした感覚は訪れなかった。

 恐る恐る目を開けると、夜空の中にぽっかりと黒い影が浮かんでいた。

 それはご主人様が私を覗き込んでいる姿で、月明かりと逆行になっているんだと気がついた。

 屋根の縁に脚を突き出したところで、私の身体はかろうじて止まっていた。
 勿論自然にそうなった訳ではなく、ご主人様が私を抱き留めて踏ん張り、なんとか支えられていた。

 ぐい、ぐいと身体を引き寄せられて、ご主人様の胸にすっぽりと収まる形で引き上げられた。

 肩を抱き締められながら、脚を引っ込める。
 草履が片っぽなくなっているのは、多分滑り落ちていく時に落としてしまったんだろう。

「レイセン」

 呼ばれて振り返った私は、

「大丈夫?」

 言葉を失っていた。

 ご主人様が私を見つめている。
 頬に手を添えられ、しげしげと見つめているのは、どこか怪我をしていないのか確認しているからだろう。

 それよりも、私に向けられるその黒い瞳から、一筋の涙が伝っていた。

 ご主人様が、泣いてる?

 男の人が涙を見せている姿なんて初めて見る。
 泣いてはいるのだけれど、月明かりに照らされるその表情に悲しんで泣いている様子はない。
 何か、ひどく驚いたような。
 衝撃が強過ぎて感情そのものを失ってしまったような顔で、私を見つめていた。

 私の髪を指に絡めて触れる手が、小刻みに震えているのが判った。

「だ、大丈夫、です」

 すっかり面食らって呟いた私に、

「……良かった」

 ご主人様の身体からどっと汗が噴き出した。

 冷や汗、なのだろうか。

 ご主人様は噴き出した汗を拭って、驚いたように濡れた手の平を見つめる。
 何度も目元をなぞり、確認するように眺める。
 まるで、今になってようやく頬を伝う涙に気がついたようだ。

「俺…泣いて……?」

 事実、そうだったのだろう。
 汗と涙で濡れた手の平から、私に視線を移してご主人様に訊ねられた。

「……はい」

 私は頷いて、袖で目元を拭った。
 涙は一筋流れただけで、もう止まっていた。

 ご主人様の変わりように私はどう言えばいいのか判らない。
 いや、言うべき事などたった一つ。

「ありがとう…ございます」

 二人して神社の屋根から落ちていたかも知れないのに、文字通り身体を張って食い止めてくれた。
 その事に、感謝するべきだ。

 ご主人様は呆然と見つめ返して、

「間に合った」

 そう小さく呟いた。

 私は袖を使ってご主人様の汗を拭い取ろうとして、がさがさと足音が近づいてくるのが聞こえた。
 流石にこれだけ騒がしく瓦を落としたりしてしまっては、誰かに気づかれてもおかしくはない。

「ご、ご主人様、誰か来ます」

「良し、逃げよう」

 私の言葉で我に返ったのか、ご主人様の行動は素早かった。
 ご主人様の指示で運良く瓦の崩落に巻き込まれなかったはしごを伝い、その私を背後から包むようにご主人様も一緒に掴まった。

「合図したら、手を離すように。脚ははしごの外枠に掛けて」

「え? え?」

「目を閉じて。はい行くよ」

 ご主人様の脚がするっと伸びてきて、私の脚を内側からくいっと広げた。
 はしごから足が離れた瞬間、私の身体は一気に滑り落ちた。

 悲鳴を上げる間もなく衝撃。
 地面と激突するのとは比べ物にならない軽い衝撃に驚き、ぱちくりと瞬きしている間に、私の足は地面についていた。

 ご主人様は私を背後から抱いたまま一気にはしごを滑り降りた。
 ちょっとしたジェットコースターに乗った気分で、私は悲鳴すら忘れていた。

「よし。今の内に逃げるよ」

 ご主人様がそんな私の肩を叩く。
 不思議な事に、たったそれだけで私の強張った咽喉から言葉が出てくる。

「あ、でも…草履……」

 私が履いていた草履はさっきの騒ぎでどこかに落としてしまっている。
 瓦と一緒に落ちたなら、この傍にあるはずだ。
 私が探そうとしゃがみ込むよりも早く、ご主人様はひょいと私を抱え上げた。

「悪ぃ。時間ないから諦めて。走るからしっかり掴まってな」

「ひゃっ――」

 返事を聞くよりも早くご主人様は駆け出した。
 私は何がなんだか判らないまま、ただ目の前の身体に無我夢中でしがみついた。

 ご主人様は駆ける。
 どこをどう駆けているのかは判らない。
 ぐらぐらと揺れて不安定で、辺りは暗がりで、しがみつく体温だけが確かに伝わってきた。

 あの短時間でどこまで駆けたのか。
 私が地面に降ろされた時、そこは月明かりすら届かない暗がりの林の中だった。

「防風林か何かか。おかげで助かった」

 木の幹に背中をぴたりと貼り付けたまま周囲の気配を窺っていたご主人様は、追っ手の有無を確認したのか、ふうとため息を洩らした。
 騒ぎに気づいた誰かは、私たちを見つけられなかったか見失ったのだろう。

 ご主人様はそのままどっかりと地面に座り込むと、大きな深呼吸を繰り返した。

「あ、あの。重かった、ですよね?」

「流石に人一人抱えて、全力疾走ってのは、腰に来る」

 腰をとんとんと叩いて苦笑いを浮かべるのが、わずかな木漏れ差す星明りで見えた。
 疲れてはいるようだけど、すぐに乱れた呼吸を整えてしまう。

「火事場の馬鹿力って奴かね? ま、この場合火事場泥棒の方がしっくりきそうだけど」

「私たち、何も盗んでないですよ」

「盗んださ。誰も目にしなかった絶景って奴をね。
 お。俺って今上手い事言わなかった?」

「自分で言ったら台無しです。それに、ちょっと……気障です」

「男はナルシストでロマンチストだからね。職業柄、夢追い人なのさ」

「もっとちゃんとした職に就いて下さい」

「そだね。収入が精神的満足感なんてのは職業としていかにもまずい。
 何がまずいって、世間の目が気まずい」

「……また上手い事言ったつもりですか?」

「今日の俺ってば冴え渡ってるね。イェーイ」

 ぽんぽんと軽快な受け答えに思わず口調が強くなってしまうけれど、ご主人様は気にした様子もなく切り返してきた。
 諧謔を交えて笑う声音は、普段のご主人様のものだ。

「はぁ」

 私がため息と共にその場に膝を着いたのは、相変わらずご主人様の所為なのか、揺られている内に少し酔ったからなのか。
 折角の楽しかったお祭りの余韻が台無し。
 いつもとは違う雰囲気のご主人様と過ごしていたのに、元に戻ってしまうし。

 ……まあ、今のご主人様が嫌だって訳じゃないんだけど。

「あ」

 台無しで思い出した。
 ご主人様と一緒に出店で買った色々なものを全部置き忘れてしまっている。
 射的で取った景品とか、綺麗なガラス細工の水笛とか、掬った金魚とか。
 屋根瓦の崩落に巻き込まれてしまったのか。

「こうしてお互い怪我がなかった事を思えば、仕方ないね」

 きょろきょろと手元を見回したりしていたからか、ご主人様はこちらの意図を読み取ったように肩を竦めた。

「折角の思い出の品だったのに……」

 ご主人様に手取り射的のやり方を教えたり、水笛を二人で吹き鳴らしたり、鉢の金魚を眺めてそんな思い出を思い返して。
 二人で初めてデートした思い出に浸ったりしていたかった。

 それはまあ、これは夢なんだけど。
 どうせ夢ならそれくらいの役得が合ってもいいと思う。

「ふむ、思い出ねぇ。今から買い直すって訳にもいかねぇしなぁ」

 ご主人様はもうすっかり息を整えて、張り出した枝葉に覆われた頭上を見上げて頭を掻いた。
 お祭りはもう終わってしまった。
 楽しい時間は矢のように過ぎ去って、こんな人目に付かない暗い林の中で二人して蹲っている。
 草履まで片っぽ無くして。

「まあ、代わりって訳じゃないけどさ」

 がさりと、地面の草を掻き分けてご主人様が身を乗り出してきた。

「思い出の一つも残そうか」

「それってどういう」

 事ですか。

 私の言葉の後半は、ご主人様の唇に吸い上げられた。



「こんな、人目につかないからって、外でなんて……んっ。逃げて来たばかりなのに……やっん」

 木にもたれかかる私の浴衣の裾を左右に開き、私の股間に顔を埋めていたご主人様が顔を上げた。

「興奮する?」

「……エッチ」

 月明かりに照らされ、意地悪に笑うご主人様を睨んだ。 

「そっちの才能はそこそこあると思うんだけどね。
 けどまあ、浴衣だけあって下着をつけてないなんて。俺の方は文句なしに興奮してるよ」

「やっ、違う、んっ。それは」

 下着をつけていなかったのは何故かなんて判らない。
 だってこれは夢だから、気がついたらこの格好でいたんだから。

 それなのに、なんて言い訳がましく聞こえてしまうんだろう。

「濡れて来てるよ。いつもよりちょっとしょっぱいね」

「そ、それは。汗をかいたから……だ、だめっ、匂いとか嗅がないでくださ、あんっ」

 くんくんと鼻を鳴らす吐息が当たる。
 ご主人様の唾液で濡れているから軽い吐息だけでも、くすぐったさと快感が入り混じり伝わってきた。

「レイセンの匂いをちゃんと覚えなきゃね。あと味も」

 そんな事を言って、ご主人様は私の腰を掴んで逃がさない。
 ぴちゃぴちゃと音をたてて再び舐め始める。

「んっ、ふっ。はっ、あ」

 私は手で口元を覆って、洩れ出してくる声を噛み締める。
 お祭りは終わったけれど、まだ全ての人間がいなくなった訳じゃない。
 何かの拍子に気づかれて、今の格好を見られたりすれば。
 そんな怯えが混じっている為なのか、私の胸は普段よりもどきどきと激しく鼓動していた。

 そんな私の心配など頭の片隅をよぎる事もないのか、ご主人様は丹念に舐め上げる。
 舐めてなぞり転がしこねる。
 舌先から裏側まで使って私のクリトリスを存分に舐め湿らせて、ぐいとさらに舌へと潜り込んでしまう。

「ふっ、はっ、あっ、ああ」

 ぬるりと私の秘裂を割って、舌が入ってくる。
 尖らせた舌が私の膣内で蠢いている。
 浅い場所で、中を探るように丹念に。
 唇が柔らかく陰唇を包んでいる。

 凄い。
 こんなの。
 こんな卑猥なキスをされて。

 舌で私の膣内を探りながら、唾液で濡れていたクリトリスを指で摘まれた。

「はっ、あっ、やっあん!」

 追わず叫んでいた。
 声を隠すことも忘れて、私は舌が蠢く感触の虜になってしまう。
 腰を大きく突き出して脚を開く。
 その方が、ご主人様が舐め易いだろうから。
 もっと気持ち良くして貰えるから。 
 
 ぴちゃぴちゃと舐めていたのが、じゅるじゅると吸われる。
 吸われている。
 下品に音をたてて吸われるのが気持ち良くて、背筋が甘痒い。
 クリトリスを擦られ、こねられ、くすぐられる。
 外で、こんな事をされてしまっている。
 頭がおかしくなってしまいそう。

「はっ、ああっ――」

 腰が震える。
 太腿が張って攣ってしまいそう。
 背中が反り返る。
 絶頂の波に、私は全身を強張らせた。

「あ、ふあ、ふぁああっ……」

 絶頂の強張りが抜けると、気だるい脱力感がやってきた。
 身体を支えていられずにそのまま崩れ落ちてしまう。

「おっと」

 その身体を、ご主人様の腕に抱き留められた。
 ご主人様の肩につかまって、ふぅふぅと息をつく。
 目の前の胸に寄り添う私の鼻に、汗の匂いが届いた。

 ご主人様の匂い。
 汗の匂いの中に、ほんの少し土の香りが混ざっている。

「レイセンの匂い、覚えたよ」

 力強く支えられて、優しく髪を撫でられ、耳元でそんな言葉を囁かれる。
 私の匂い。
 そんなものを覚えられてしまうと、恥ずかしくて堪らないのに。

「あ…わ、私も」

 ご主人様の身体から漂う男の人の匂いに、頭の中が湯にのぼせたようにぼーっとしてくる。

「ご主人様の匂い、覚えたいです」

 浴衣に染み付く汗の匂い。
 ご主人様がしたように、私はすんすんと名を鳴らして下へ。
 地面に膝をついてその場所を。

「はぁっ…ご主人様の匂い……凄い、濃いです」

 浴衣の奥から取り出したペニスは、もうかちかちに勃起していた。

 むわっと漂う男の人の匂い。
 汗をかいている所為なのか、その匂いは以前嗅いだ時よりも濃厚で、頭の奥がびりびりと痺れる。
 恥ずかしくて出来ない真似が、今なら何でも出来るような気がした。

「はむ」

 脈打つペニスを頬張った。

「んっ、んっ。んくっ、んっ。んっ」

 覚えた通りに亀頭を舌に乗せて顔を前後させる。
 口の中いっぱいにご主人様の匂いが広がって、唾液が溜まっていく。
 すぐにじゅぷじゅぷと卑猥な音をたて始めて、そのくぐもった水音が余計に私を興奮させた。

「……レイセン、スイッチ入っちゃった?」

 ご主人様の声が聞こえる。
 何を言っているのか意味は判らなかった。
 私の理性を甘く痺れさせるこの匂いが、もっと欲しい。

 私もとっくに興奮してしまっていた。

「んっ。んふ、んっ。んんっ」

 頬の裏側で滑りだした亀頭を擦り、唇で雁の溝をなぞり、唾液と一緒に吸い上げる。

「ふあっ」

 口を離して、今度は舌を使う。
 先っぽの穴を尖らせた舌先でちろちろと舐め、絡ませて這わせ、棹を握ってごしごしと扱く。

「っく……上手いよ、レイセン」

 頭の上からご主人様の声が聞こえてきた。
 褒められて嬉しくて、もっと気持ち良くなって欲しくてペニスにむしゃぶりつく。
 口の中から鼻の奥へと抜けるこの濃い匂いを感じていたくて、じゅるじゅると吸い上げる。
 もっと気持ち良くなりたくて、片手は自然と自らの股間に伸びていた。

 ご主人様に奉仕しながら自慰をする。
 この人の唾液と私の愛液で濡れていたクリトリスをこねる。

 気持ちいい。
 気持ちいいのは好き。
 この人にされるのも、この人にするのも、自分でするのも好き。

 でも一番好きなのは。

「いい子だ」

 この人に褒められて頭を撫でられる事。

 全部欲しい。
 もっと欲しい。

 私は欲張りだ。

「はぷ、んむ。はふ、ご主人様のっ……んっ、んっ。匂い、好き…です……好きぃ」

 興奮が止まらない。
 胸がどきどきと激しく脈打って、弾けてしまいそうなほど。
 ほんの数分前までの人の舌が蠢いていた膣内に指を差し入れる。
 濡れ切って今もとろとろと愛液が溢れ出してくる膣内に、私の指はぬるんと呆気なく滑り込んだ。
 舌では届かなかった場所を指で擦り、掻きながら、無我夢中にペニスをしゃぶった。

 快楽にひたりながらする奉仕は、この上なく私を蕩けさせた。

「レイセン、出すよ」

「くらはい、ごしゅりんさはの」

 ぴくぴくと脈打っていたペニスが、私の口の中でくいっと鎌首を持ち上がる。
 その直後に射精した。

 熱い精液。
 精液が出てる。
 私の口の中に。
 しゃぶるペニスにどろどろと絡む。

 りんご飴とは比べ物にならない淫らな味がした。

 腰が引かれて、ペニスがゆっくりと口の中から引き抜かれていく。

「待った。飲み込まないで」

 残った精液を飲み下そうとしていた所を、ご主人様の言葉で思い留まる。

 どうして?

 精液を口の中に溜めたまま、上目遣いにご主人様を見上げた。
 ご主人様は片膝をついてしゃがみ込み、私の頬をそっと手の平で包んだ。

「口、開けて。かき氷を食べた後舌を見せたみたいに」

 私は言われるがまま、あの時のように口を開けて舌を出した。
 ぷるぷるの精液が舌に絡み、唇から糸を引いている様子を見せ付ける。
 私の唾液と混ざった精液が、どろりと舌先からこぼれた。

 どうするんだろう?

 わたしが疑問に思っていると、ご主人様はにこりと笑って、そのまま私の口にキスをした。

 ……あ。

 私の口の中に射精したばかりで、精液が残ったまま。
 自ら出したものを、ご主人様自身が啜っている。

「だ、駄目れふ、ごしゅりんさまぁ、今、わたひの口にぃ……」

 ご主人様の口から逃れようとするけれど、頬に添えられた手から逃れられない。
 掴まれて固定されている訳でもないのに。

 理由なんて判り切っている。
 ご主人様とキスをしていたかった。

「判る? レイセン」

 主人様に問われた。

 何がだろう。

「今、レイセンと俺の口の中で、愛液と精液と唾液が交じり合ってるよ」

 ご主人様が教えてくれた。

 ……そういう、事だったのか。

 再び私にキスをして、今度はご主人様を拒まずに自ら唇を重ねた。

 ご主人様が挿し込んできた舌が私の舌に絡みついて、精液がにちゃにちゃと音をたてる。
 口の中で混ざり合う。
 以前、私の中で出してもらった時と同じ。
 あれが今、口の中で行われている。
 口の中で妊娠させられている。

 舌で口の中をたっぷりと掻き混ぜられて、絡んだ液体をいつの間にか、どちらからともなく飲んでしまっていた。
 それでも私の唾液の分泌は止まらず、ご主人様のものとさらに交じり合い、いつまでもこのまま口の中の熱さを感じていたい。
 ひどく長い時間、私はご主人様と暗がりで口を使い睦み合っていた。

「……はああぁっ」

 ご主人様から離れると、私の口から深いため息が洩れた。

「レイセン」
 
「ふぅ、ぅぅん。んんっ」

 ご主人様に抱き寄せられて、私はその胸元に甘える。
 ご主人様は私を優しく迎えてくれる。
 髪を撫で、耳元をくすぐり、抱き締めて私を名前で呼んでくれる。

「ご主人様ぁ」

 私はますます甘えて頬擦りした。
 何のてらいもなくこうして甘え続けていたい。
 そして、願わくば――

「レイセン、もうすっかりびしょびしょになってるね。我慢出来なかった?」

 ご主人様の手が伸びてきて、私の秘裂をなぞる。
 自慰をして濡れた手に重ねられ、握られる。

「はい……」

 繋がりたい。

「セックスしたいです」

「俺もだよ。レイセンと一つになりたい」

 溶け合って交じり合ったあの時のように。
 ご主人様の精を体内で受け止めた、あの時のように。

 望みはすでに通じていると、ご主人様は私にキスで応えた。



 ご主人様に力強く抱き上げられる。
 私は木の幹を背もたれに、ご主人様の首にしがみつく。

 この格好は好き。
 ご主人様をとても近くに感じていられる。

「あっ、あっ。ご主人様、あっ、は、早く」

「うん……よし、見つけた」

 硬く屹立したペニスが私の濡れた秘裂を探り、あてがわれた。
 位置を確認していたご主人様が、私を見つめる。
 黒い瞳に見つめられる。

「一つになろう」

「はい、はいっ」

 頷く私に唇が重ねられ、ぬるりとペニスが入ってくるのが判った。

「っ」

 鼻から吐息が洩れる。
 繋がった。
 今、ご主人様と繋がっている。

 指だけで充分に小慣れていた私の膣内が、ご主人様のペニスで広げられるのが判った。

「ぷあっ、はっ。ご主人様、い、いつもより大きくて」

「ごめん。レイセンが乱れる姿にいつもより興奮しちまってる」

「あぅっ」

 ゆっくりとペニスが挿入される。
 硬くて、熱くて。
 まだ入れられたばかりなのに、腰が震えてしまう。

 このまま激しくされてしまったら。
 いつものように動かれたら、私はどうなってしまうんだろう。

 期待と不安が入り混じったまま震える私に、ご主人様はちゅっと鼻先にキスをした。

「しっかり掴まってて」

「は、はい」

 ぎゅっと肩にしがみついた。
 二、三度と私の中を確認するように動いた後、ご主人様の腰がうねった。

 前と同じ。
 いきなり火がついたように激しく突き上げられる。

「はあああっ」

 声が洩れてしまう。
 外にいる事も忘れてあられもない声を上げた。

 ご主人様は濡れそぼった私を容赦なく突く。
 擦り、うねり、えぐる荒々しいセックス。
 私をすっかり淫らに染めていた身体の火照りすらも覆って、飲み込んでしまうような激しい炎。

「やっ、あっ。はっ、ご主人、さまっ。ぅん!」

 私の小切れ切れの声も耳に届いていないのか、ご主人様はむしゃぶりつくように――事実乱れてはだけた私の肩口にむしゃぶりついて――私を犯す。
 私が当に我慢出来なくなっていたように、ご主人様も同じだったんだ。

 それは飢えた獣が数日振りに餌にありつくような原始的な姿で。

「――もっと。はっ、あっ、もっとっ」

 外でセックスするという事が、そうさせたのか。

「私を食べてっ、下さい」

 私自身も獣になっていた。

 獣のように、欲望のままに激しく荒々しく私を犯す。
 私も剥き出しの欲望に当てられ捕らえて離さない。
 自ら腰を使ってうねらせ、貪欲に貪る。
 ご主人様を――目の前の男を。

「はっ、はっ、レイセン。レイセっ、はっ」

「ご主人、さっ、あっ。あっあっ」

 ただの一組の牡と牝になりかけながら、私たちは呼び合った。
 お互いが誰かを呼び合う事が、かろうじて残された一本の理性の糸なのだと。
 獣ではなく人なのだと言い聞かせるように。

 振り落とされないようにしがみついてキスをした。
 獣はキスなんてしない。
 互いに呼びかけあうよりも、この方がずっと強い繋がりを感じられる。
 キスをしながら男に犯され、男を犯した。

 男が射精した。
 どくどくと脈打つペニスから、勢い良く精液が噴出して奥に叩きつけられる。
 それが判る。
 口で受け止めたあの精液が、私のお腹の中を何度も叩いていた。
 私は下腹に力を入れて締める。
 ペニスから精液を一滴残らず搾り取ろうと貪欲に。
 猛火の残り火に、身体が小刻みに震えた。
 
「はっ、はっ、はっ」

「はぁ…はあ…はあ」

 ご主人様の射精が止まり、私の絶頂の余韻が収まった後も、互いに息を切らせたまま身動きが取れなかった。 
 たった一度、短時間の交わりで、ご主人様も私もすっかり消耗していた。

 唐突に点火して存分に燃え広がった欲望の炎は、焦がすものをなくしたかのように途絶えた。
 まるで部屋の明かりをぱちんと消したあの時のように。
 身を焦がすままに交わり、互いに余裕もなくただ相手を貪る。
 そんなセックスを終えた後に残ったのは、切れた息と疲労感。
 それから、どこまでも穏やかな意思。

「……私のお腹、ご主人様の精子で、いっぱいです」

 ご主人様のあの射精を、体内で受け止めた。
 溢れ返るほどの精液と射精し終えたペニスで膣内が満ちているのが判る。
 膣内はそれ自体が意思を持ったかのように蠕動している。

「避妊とか、外出しとか……余裕ない」

 あれだけ大量の精を、無防備なまま全て受け切った。
 私は息を切らしながら、下腹を擦った。 

「妊娠、させられちゃいました」

 その事に不安も恐れもない。
 虚脱感と穏やかな夢見心地のままに、私は微笑んでいた。 

「まだまだ。絶対に、ここでレイセンを、受精させる」

 欲望のままに交わった。
 求め合い、奪い取るような激しい欲望に駆られた性交。
 その後は、この穏やかな気持ちのままに優しいセックスが始まる。

「……はい。いっぱい、妊娠させて下さい」

 私の方から先に、ご主人様の唇を奪う。
 お互いに唇の柔らかさをじっくりと味わい、舐めて、堪能しきってから口の中を味わう。
 とても優しいキス。

 キスが乱れない、穏やかな腰使い。
 硬さを取り戻したご主人様のペニスが、柔らかく膣壁を擦ってうねる。
 私はご主人様が動き易いように腰の位置を変えながら、その動きに絡む。

「ふっ、うん……ん。ん」

「ん、んー……んん、んちゅ、ん」

 ゆっくりと引かれて、ゆっくりと突き入れられる。
 膣内に残る精液が掻き混ぜられ、その間もずっと私たちはキスをしていた。

 まどろみに包まれるような優しいセックス。
 伝わってきた体温がじわじわとしみこんでいく温かな性交。

「はっ…レイセン、出すよ」

「ぷあっ……はい、このまま」

 穏やかなままゆるゆると長引く射精を、私は再び体内に受けた。

 一度火のついた劣情は容易く消える事はない。
 この人は物凄くエッチな男の人で、私も本当は淫らだ。
 獣の衝動が収まった後も、優しいセックスの後も、何度も繰り返し繋がった。

「こんな格好は、どうですか……?」

 木の幹にしがみついて、大きく脚を開いて、あの人にお尻を掲げて見せた。
 乱れた浴衣を整えず、そうしたのはその方がエッチな姿に見えるから。
 開いた股の間から、溢れた精液がとろりとこぼれて内腿を伝うのが判った。

 肩越しから振り返った私に、ご主人様は立ち眩みを感じたのかよろめいた。

「た、たんまたんま。そんな格好されるとまた獣になっちまう」

 私はくすりと笑った。

「いいですよ、獣になっても。激しくされるのも、優しくされるのも、どちらも好きですから」

「……レイセン」

 がさりと、あの人は爛とした輝きを瞳に灯らせ一歩私に近づいた。
 名前を呼んでもらえるなら、本当の獣になんてなってない。

「妊娠、させて下さい」

 背後から貫かれて、私は悲鳴のような悦びの声を上げた。

 もうここがどこなのかなんて、当の昔に忘れていた。
 ううん。
 今も思い出せるけれど、どうでも良くなっていた。

 互いにすっかり乱れていた浴衣を脱いで、横たわった私にご主人様が覆い被さってくる。

「痛くない?」

「二枚分ありますから、平気です」

 先に脱ぎ放ったご主人様の浴衣に私の分も重ねて地面に敷いて、それでもご主人様に訊ねられた。
 浴衣越しに感じる地面に、痛みなど感じなかった。

「我侭な癖に、人の心配ばっかり」

 そんなこの人が抱える矛盾。

「臆病なのよ、これで」

 冗談のような言葉を、いつだったか聞いた気がした。

「じゃあ、怖くないように抱き締めてあげます」

 気まずそうな笑みに歪むその顔を抱き寄せた。
 大好きな人の確かな体重感じて、抱き合った。

「……ありがとう。少し……怖くなくなった」

「はい。ぁ……はぁ」

 ゆっくりと繋がる。
 挿入するともう隠しようもなく精液が溢れるほどになっているのに、お互いにまだ足りなくて求めた。
 掻き出されてこぼれた分だけ、奥に押し込み射精される。
 私はそれを受け止め続けた。
 受精してしまうまで。

 下から上になり、横になり、身体をひねっては何度も繋がり続けた。

 どれだけそうしていたのか。
 正直言って時間の感覚など残っていなかった。

 幾度と精を体内に受けて、身体を少しひねるだけで秘所からこぽりととめどなく精液が溢れ出してくる。
 そうなるくらいの時間の後訪れた穏やかな時間に、わたしたちは揃って寝転がり、木々の合間からほんの少しだけ覗く空を見上げていた。

「ねえ」

 私は気だるく疲れ切った身体で寝返りを打った。

「うん?」

 隣でやはり疲れた様子のあの人は首をひねって私を見た。

「私は、貴方の事が」

「うん」 
 
「大好き」

 持ち上げて伸ばした手の平に、あの人の手が重なる。

「知ってる」

 握り締められる手の向こうに優しい微笑みが浮かぶのが見えた。

 その微笑みに見送られ、私は今まで保ち続けていた意識をとうとう手離した。









「んっ」

 びくっと身体が震えた。

「……んん」

 疲労感が残っているのは、さっきの余韻がまだ色濃く残っているからなのか。
 少し頭がくらくらする。

 私が身じろぎをしている内に、すうすうと穏やかな寝息を耳にした。

「あ……」

 ぱちりと頭の中で何かがはまった気がした。

 夢から醒めたんだ。

 私はゆっくりと身体を起こす。
 今立ち上がると立ち眩みに教われそうだったから、預けていた上半身を後ろに引くようにして、そのままぺたんとベッドに座り込んだ。

 目元を擦る。
 ここはご主人様の部屋。
 私はご主人様の部屋にいる。
 ベッドの上で眠り続けるご主人様。
 私はその隣に寄り添って眠っていた。

 夢を、共有して。

「……」

 ご主人様の顔を見つめる。
 私は目覚めたけれど、ご主人様は未だ眠り続けていた。
 とても穏やかな寝顔だった。



 ご主人様とてゐと一緒に過ごしたあの狂乱のような時間。
 あの一時から目を覚ましてから、ご主人様はずっと眠り続けている。

「過労ね」

 半日経っても目を覚まさないご主人様の容態を、師匠はきっぱりと断言した。

「心配しなくても、その内に目覚めるわ。自然に目を覚ますまでこのままにしておいた方が良さそうね、彼の為にも」

 そう付け加えたのは、目を覚ますとまた過労で倒れるまで私たちの相手をするからで、暗に私たちにもっと自制をしろと言われている様だった。
 私もてゐも言い返す言葉が見当たらず、あの痴態を思い出して恥じ入るばかりだった。

 ただ、気になる点があったから跡で師匠に相談してみた。

 以前、床を共にして目にした異常な発汗と、戻してしまった事。
 こちらが気にかけなければ、この人は倒れるまで平然としていそうだったから。
 覚えている限りの症状をなるべく詳しく話して聞かせた私に、師匠は小瓶を一つ取り出した。

「そんなに気になるのなら、夢を覗いてご覧なさい」

 中に詰まっていたのは、夢を共有する薬。

「肉体的な疲労を何より癒すのは、精神的な癒し。夢はただの記憶と経験で紡がれる意味のないものではないわ。夢はもう一人の自分が見る現実。
 その夢が楽しく、良いものであればその分現実にも作用する。夢の中に入って、貴方がケアしなさい。
 それで彼の不調は除かれるわ」

 誰かの夢の入り込めるなんて。
 まさしく夢のような話だ。

 初めはそう思ったけれど、注意点を幾つか聞く内に夢を好きなように出来るほど都合の良い物でもないそうだ。

 夢に登場するには、相手の認識が必要なのだとか。
 私がご主人様の夢の中で出て来るには、ご主人様が私を私と認識出来なければいけない。
 私と出会う以前の夢だと、私が認識出来ない。
 その場合は能動的な行動は取れず、目覚めるまでただ同じ夢を見るだけ。
 
「材料と設備があれば、もっと直接効能が出る薬も作れるのだけれどね。残念ながら今ある持ち合わせはこれっきり」

 師匠もここにいる限り、能力等は封じられている。
 けれど知識はそのまま残っている。
 能力を用いた素材の代用は出来なくとも、物さえ揃えば薬は作り放題。
 私やてゐがご主人様と淫蕩に浸っている間に、幾つか薬を作っていたのだという。

 師匠は別格なんだと判っていたけれど、それって、なんだかずるいような気がしなくもなかった。

「でも、ケアだなんて……どうすれば? それに、私よりも師匠の方が」

 夢の中であっても、容態を見抜くなんて簡単なのではないだろうか。

「ケアといっても、難しい話ではないわ。夢の中で楽しく共に過ごせばいい。それだけよ。例え夢の内容を覚えていなくても、細胞には蓄積される。
 私はまだこの場に来て日が浅いから、夢に関われない可能性の方が高い。
 ウドンゲ、貴方は彼に愛されているのでしょう? 愛されているのなら、貴方への認識力も強い。貴方が夢に現れた時点で、彼にとってそれは良い夢になるわ」

 面と向かって愛されているか等訊ねられると、恥ずかしくて何も言えなくなってしまう。
 手の平に乗せた小瓶を見つめる私を、師匠は優しく笑いかけた。

「ウドンゲ。夢の中なのだから、貴方も何の遠慮も要らないわ。何の気兼ねもなく彼に愛されてみなさい」

 それはまるで。
 この薬は私の為に用意したのだと言われているみたいだった。

 迷いはあったけれど私は師匠から小瓶を受け取り、一錠飲んで、眠り続けるご主人様の隣に添い寝した。



 そして私は目覚めて、ご主人様はまだ眠っている。

「優しい顔」

 穏やかな寝顔を何気なく撫でた。

 夢の内容は全て覚えている。
 二人で賑やかなお祭りを楽しんだ事。
 神社の屋根から花火を見上げた事。
 危うく転落する所を助けてもらった事。
 暗がりの林の中で幾度も繋がった事。

 私はご主人様の顎先に指を滑らせ、次いで自らの下腹を撫でた。
 ここに精を届けられた。
 あの感覚が今も濃厚に残っていて、本当に妊娠させられたのではないかと疑ってしまう。

 色も音も匂いも味も全て揃っていた。
 現実のような夢だ。
 師匠が作る薬の効能は絶大で、それはこの場においても変わりなかった。

 絶対に受精させる、だなんて。
 溢れても何度も何度も私の中に射精して。

 今も他人事のように眠り続ける頬を軽く摘んだ。

「……エッチ」

 でも。
 私もエッチですね。

 スイッチが入ったんじゃなくて、心のブレーキが外れてしまった。
 夢の中だからと、いつしかしがらみや立場も忘れてどんどん淫らにエスカレートしていった。 
 あんな真似をして、御主人様を誘ったりして。
 自分自身信じられないほど。

 あれで良かったのだろうか。
 過労で倒れてしまったのに、夢の中でも余計な体力を消耗させてしまったのではないか。
 夢の中のご主人様はいつもと違っていて、それでいていつも以上に求められて止まらなかった。

 目覚めた時に訊いてみよう。
 どんな夢を見ていましたか、って。
 私が訊いた時、この人はどんな反応を示すのか。

 少し、楽しみだ。



xxx  xxx



 握っていた手の感触がふっと消えた。

「……レイセン?」

 風のようにすり抜けていった。
 俺の手には何も残っていない。
 隣に横たわる愛しい人の姿は見当たらない。
 身体を起こして辺りを見回しても、どこにも見つけられなかった。

 唐突なレイセンの消失。

 ああ。
 そうか。

 俺は手の中に残った感触を握り締めて、それを悟った。

 夢はこれで終わりだ。

 この手の中に全てあった。
 何もかも揃っていた。
 ケチをつける要素なんて一つも見当たらない至福の夢。

 消失を持って終える、そんな泡沫の夢。

 これは、そういうものだ。

 存分に夢を見た。
 心地良い甘さに浸った。
 冷酷な現実を打ち破る奇跡まで目にした。
 ならば嘆く必要などない。
 なんにでも終わりは来る。
 それが今やってきただけの話だ。

 だが喪失感はあった。
 今まで手が届かなかったものを確かに握り締め、それを失ってしまったのだと。
 その実感があった。

 夢の消失を経て残る喪失感。
 この懐かしい感覚を一人で噛み締めていた。

「なに終わったつもりでいやがんの?」

 声が聞こえて、振り返るまで間があった。
 喪失感に浸っていたものだから、反応が遅れる。

「台無し劇場の始まりだ」

 ひゃひゃひゃ、と野卑た笑い声と共に、俺の後頭部をがつんと衝撃が襲った。



 殴り倒された事はすぐに理解出来た。

 朦朧とする意識。
 手足の痺れ。
 つんと鼻に刺さる刺激臭に生温かい感触。

 理解出来たから、俺はぴくりとも動かず叩き伏せられたまま床に転がっていた。

 今は動くな。
 立ち上がろうとしても脚をふらつかせるだけで、こちらに余力がない事を相手に知らせるな。
 死んだと思わせて時間を有効に活用しろ。
 まずはこの状況を把握しろ。

 撲殺死体を装って、俺は可能な限り五感をフル活用した。

 殴られたのは頭か。
 後頭部をがつんだ。
 何で殴られた?
 鈍器の類……バールとかなら死んでるか。
 頭が濡れてるのは血か?
 いや、それにしちゃ冷たい。
 鼻につんと来るこの刺激臭は、嗅ぎ覚えがある。

 俺はうつ伏せに倒れたままぺろりと舌を出した。
 床に溜まった液体を舐める。
 これは酒だ。

 相手の武器が特定出来た。
 ワインか焼酎だか知らないが、酒瓶を振り上げて一撃か。
 どこにでも転がってる有り触れた武器だ。

 これを凌いだら酒は控えめにするか。

 飲酒の教訓を得て、俺は死体の振りを続ける。

 酒瓶で殴ったって事は相手はまだ凶器を持ってるわけだ。
 割れた瓶は刃物として充分機能する。
 倒れたまま相手の様子を窺った。

「……よくも、よくも! お前が、お前が全部壊した!」

 なにやら喚き声が聞こえる。

「私の生活を、何もかも! 皆お前が壊したんだ!」

 憎しみ余って叫ばずにはいられないってとこか。

 OK。
 相手は感情が高ぶって平静を保てちゃいねぇ。
 憎しみの余り殴り倒しただけじゃ気が済まず、馬乗りにでもなってざくざく刺されたりしたら手も足も出ねぇんだが。
 喚いている所を見ると暴力を振るう事に慣れていないんだろうな。
 衝動で突発的な行動に出た輩は、大抵こういう反応を見せた。

 今の内だ。

 止めを刺されないんで、こっちは体力の回復を図りつつ機会を窺った。

「返して、返してよ! 私の、私たちの幸せを返してよっ!」

 みっともなく喚き散らした後は、俺が死んだと思ったのかめそめそと泣き始めていた。
 相手は混乱している。

 こっちの意識はもう随分はっきりしてきた。
 鈍い痛みは残るが致命傷にゃ程遠い。
 手足の痺れも抜けてきたぞ。
 喚き散らしているんで相手の位置も把握出来た。
 反撃の態勢は整ってきた。

 もうすぐ――

「返して…返してよぉ……元いた場所に私たちを返してよぉ」

 喚く事もやめて、今はたださめざめとすすり泣くばかり。

 そら今だ。 

 俺は起き上がった。
 起き上がって、振り向きざまにナイフを抜いた。

 真正面から目が合った。

 泣き腫らした赤い目が見開かれていた。

 俺は何の躊躇もなく胸にナイフを突き立てた。

 心臓をざっくりと一突き。
 確実に急所を突いて、深々と根元まで押し込んだ。

 ぽろりと手から床に落ちた割れた瓶を、部屋の端まで蹴飛ばした。
 くるくると回転しながら床を滑り、壁に当たって砕けた。

 俺は赤ワインでびしょびしょになったまま、鈍く痛む後頭部を撫でる。
 赤渋色に混じって、鮮やかな血の色が少量混じっていた。

「……あぁ、くそっ。上着に飲ませるために買った訳じゃねぇんだぞ」

 案の定、俺の上着は溢れたワインで染まっていた。

「糞が。しみやがる」

 意識を保っていられたのはこのお陰だな。
 アルコールが傷にしみて気付けになったって事か。
 酒様様だな。

 上着が赤ワインをたっぷり吸って肌に張り付くのが気色悪ぃ。
 頭は痛むし、髪に割れた瓶の欠片が絡んでいる。
 しかもこのワイン、取って置いたシャトー・マルゴーじゃねぇか。
 一本で諭吉六人分だぞ。
 最悪だ。

 ぺっと床に唾を吐いて頭を振る。
 ワインに濡れた髪を絞りながら、ちらりと俺を殴り倒した相手を見下ろした。

 イナバだ。
 見開かれた赤い瞳が俺を見上げていた。
 怯えや恐怖はなく、あるのは驚きだけ。
 くたりと力なく仰向けに横たわったイナバに近づき、頭をこつりとつま先で小突いた。

「死んだのかよ?」

 ゆるゆると胸元を血の色に染めていきながら、俺の言葉に返事は返さなかった。

 視点を変えて確認したが、体力気力共に完全にゼロ。
 完璧に死んでいる。
 心臓をぶすりで即死だ。

「そうか。死んだか」

 俺は出来立てほやほやのイナバの死体の傍らにしゃがみ込み、ぼんやりと眺めていた。

 高揚はなかった。

 今まで人を殺して罪悪感に駆られるなんて事はなかったし、むしろ面白おかしく苦しめてから殺した。
 俺には快楽殺人の気があって、正真正銘の殺人鬼。
 買い取った奴隷を犯し尽くした後、締めくくりに殺すなんてのもざらにあった。
 不老不死なんていう蓬莱人が相手なら、殺しにも熱が入ったし方法にも創意工夫を凝らした。

 俺は常に憎悪に突き動かされて生きてきた。
 他人がただ生きているだけで憎い。
 死体になっても憎い。
 何を勝手に楽になっていやがるんだと羨み、憎しみを持って死すら蔑む。
 普段の俺なら、イナバの身体に温もりが残っている内に死姦する。
 死後硬直が始まるまで、冷たい骸になっても腰を振り続けて欲望をぶちまけただろう。
 犯している最中に、興奮の余り死肉を食らったりもしたかもしれない。
 俺はそういう類の下種だ。

 人として、最低限のものさえ備わっていない欠陥品。
 それが俺。

 その俺が、どういう作用が働いたのかは知らないが、今回に限って憎悪を感じなかった。
 死体を前にしてスカッと晴れやかに溜飲を下すあの感覚。
 気分が晴れる事もなければ、勿論滅入る事もなく、本当に何もなかった。

「……驚いた拍子に死ぬ奴があるかよ」

 呟いても返事があるはずも無い。
 イナバは死んだ。
 憎む事も恨む事も呪う事も嘆く事も恐怖する事もなく。
 驚いた拍子に死んでいた。
 俺が殺した。

 憎悪に駆られた訳でも、欲望のままに殺した訳でもない。
 ただ殺した。
 条件反射に即して、何の感情も交えずに殺した。
 ベルトコンベアから流れてくる機械の部品を、規定通りに組み立てただけのようなただの作業に過ぎなかった。

 俺はじっと眺める。
 あれほど楽しかった殺しが楽しくもなんとも無い。
 それは多分、俺もそうだったからだろう。

 虐めに虐め抜いてきたイナバが、ある日突然ブチ切れて酒瓶で俺のどたまをぶん殴ったように。
 俺もぶん殴られたからやり返すという慣習化した衝動のままに、心臓をナイフで一突きにした。

 相手がイナバだと気がつく間もなく、誰かも省みずにただ殺した。

 殺してやろうという憎悪もなく、殺してみたらイナバだったという事故のような殺人。
 白けたと言うか、拍子抜けしたと言うか、そのどちらでもないただただ空虚なこの感覚。
 俺を憎むでもなく、自らの境遇を悲しむでもない、ただ驚いたまま見開かれた赤い瞳。

 その瞳を見つめていて、

「……そうか」

 俺はとっくの昔に飽きていた事に、ようやく気がついた。



「ああ……そうだな」

 俺は死んだイナバの傍らにしゃがみ込んだまま、じっと見下ろす俺を眺めていた。

「こんな事もあったな」

 テレビの中を覗いているようなこの感覚。

 テレビが映し出す光景に一切干渉出来ないのと同じで、俺はその事実を実感もなく傍観していた。
 ただ、それが事実である事のみを理解して。

 天国から地獄ってのはこういう事を言うんだろうな。

 脳裏に絡むかすかな名残を思い出していると、

「よう、間抜け」

 嘲りを交えた声が遮った。

 振り向くと俺がいた。

 にやついた笑みを口元に貼り付けて、椅子の上にふんぞり返って俺を見ていた。
 俺は暗がりの林からいつもの部屋の中にいた。

 家具の少ない小ざっぱりとした、見飽きた風景。
 テレビを見ているようだった俺の印象はその通りで、机の上に乗っけたテレビを観賞していた。
 今はもうテレビは何も映し出さずに、白と黒のノイズがざりざりと雑音混じりに瞬くだけだ。

 俺は椅子にふんぞり返った俺を眺めて、ふむと一つ唸った。

「これはあれか。
 とうとう俺がトチ狂ったという事でいいのかね?」

 発狂したかどうかなんて自覚がある訳でもなく、そもそも自覚出来るってんなら――
 おめでとう。
 お前は元から完膚なきまでに狂ってる。

 狂ってるかどうかなんて当の本人には判りようがないもんである。 

「正常だろうが異常だろうが、俺は俺だろ」

 ふんぞり返った俺は肩を竦めてひらひらと手を振った。

「ふむ。含蓄がある事言うね」

 全く持って答えになっちゃいないんだが、それを踏まえて思わず頷いてしまう答えだ。
 さすが俺である。

「で」

 疑問を棚上げしたところで、偉そうな面して俺を見上げてくる俺を睨みつけた。

「てめぇがのこのこやってくるたぁどういう事だ、前任」

「わざわざご足労頂きましてありがとうございます、だろ。後任。
 前から思ってたが、てめぇにゃ感謝ってもんが足りねぇよ」

「お前が言うな――いや、俺か。
 ……やっぱお前だ、お前」

 幾ら俺とはいえ、こうして分かれている以上一緒くたにされちゃ敵わんのである。

 前任(いつまでも俺のままじゃややこしいので)は、振り上げた足の踵でどっかりと机を蹴りつけて凄んだ。

「こっちの台詞だくそったれが。お前と一緒にするな。俺は俺様だ」

「なんというか……俺ってこんなにムカつく奴なのねん」

 客観視どころじゃねぇ前任のふてぶてしい態度に、軽く殺意を覚えた。

「逆恨みしてんじゃねぇよボケ。誰の所為でこんな事になったと思ってんだ。万が一にもあり得ねぇと思って気楽に仕込まれたってのに、この様だ。
 てめぇの府抜け具合にゃ反吐が出る」

 前任の野郎が何を言ってんだかさっぱり理解不能だが、理解出来た。
 正確には、思い出していた。

 転ばぬ先の杖って奴だ。
 もしくは時限爆弾みてぇなもの。
 万が一の保険をかけておいたのが発動したのか。

 勿論俺に前任を呼び戻すなんて真似は出来ない(したくもない)ので、正確にはボスが仕掛けた首輪だ。
 飼い犬が飼われている事を忘れて他所様に尻尾を振り出したりしたら、自動的にきゅっと手綱が引かれるって寸法。

 前科者は扱いが厳しくなるから困る。

「どうしてくれるまたボスに弱みを一つ握られたぞ糞が」

「何がボスだ。こっちの台詞だって言ってんだろうが殺すぞ」

「うるせぇてめぇの方こそ大人しく死んでろよ。
 亡霊なら亡霊らしくもうちっと慎み深さってもんを身につけてから出やがれ。
 人の頭を遠慮なくぼかぼかどつきやがって刻んで食うぞ」

「おうおう、言うねぇ俺の癖に。まんまと一杯食わされておきながらどの口でほざきやがりますか?
 生きたままとうとう脳みそ腐り始めたんじゃねーの?」

「一杯食わされるどころか一〇杯は平らげてくたばったお前が言うか。
 ハメるつもりがまんまとハメられて、最期は大層無様に這いつくばってお亡くなり遊ばれましたねぇ?
 てめぇの最期の様を懇切丁寧に読み上げてやるぞ」

「二度目に引っかかってるてめぇが言うのか。あ?」

「華々しい前歴を作って散ったのはてめぇだろうが」

 薄々判っちゃいたが、俺はこいつが嫌いだ。
 俺なんだが俺じゃないってのは、存在するだけで害悪だ。

「生きる害悪に言われたかぁねぇな」

「死んでも残る害悪よりゃマシだ」

 お互いをうんざりするほど理解出来ているだけあって、全くもって話にならん。
 どっちが悪いか罪の押し合い擦り付けあいだ。
 口を開けば罵り合いなんだか掛け合い漫才なんだか、俺にも良く判らん体を為しつつあった。

 不毛な平行線にため息を付き合う。
 そのタイミングだってぴったり同じってのが尚更気にくわねぇ。
 それは前任も同じなのか、俺たちはぎらついた目で睨みあった。

「で」

 先に呼吸を外してきたのは前任の方だ。

「どうするんだ。そろそろ言い訳も尽きてるだろ。きゅっと締められんぞ」

「んなこたぁお前に言われるまでもねぇ。
 どうもこうもねぇよ。俺に出来る事なんざたかが知れてる。
 それはお前にだって判ってるだろうがよ」

「身を持って判らされたからな。
 ……はぁーあ。どれだけ代を重ねたか知らねぇが、いつまで経っても成長も進歩もねぇってのはどういう事だ。腹立たしくって泣けてくる」

「何偉そうにオリジナル気取ってやがる。お前が試作品なら、俺はいわば正式採用された量産機なんだよ。
 一般常識じゃ、製品版の方が高性能って相場が決まってんだこの欠陥品が」

「欠陥はお互い様だろうが」

「……そりゃそうか」

「揃いも揃って救われねぇなぁおい」

「返す言葉もねぇ」

 結局俺には進歩なんて訪れやしねぇと、実例でもって証明されたようなもんだ。
 揃ってため息を吐き出した。

 まあ、OKだ。
 少なくとも今まで原因不明の幻覚だった代物が、理由のある攻撃だって事で納得。
 こうして思い出した今となっちゃ、誰の仕業かなんて考えるまでもねぇ。
 人がせっかく昔を忘れて今を楽しく生きていたってのに、素敵な事にこれで全部台無しだ。
 まだ記憶は新旧ごっちゃになっているが、それも時間と共にゆっくりと均一に均されていくんだろうよ。

「どの面下げて戻れって言うんだ針のむしろじゃねぇか」

 顔をしかめる俺に、前任はからからと笑って嘲る。

「注意一秒アホ一生、ってか。ひひっ。ざまぁみやがれ」

「この野郎。俺の事嫌いだろう?」

「当たり前だろうが。俺が死んだってのに何お前だけ他人面で楽しんじゃってるの? お前がハッピーだと、俺が不幸だ」

「良く言うぜ。こっちはてめぇがやらかした尻拭いさせられてるってのによ。
 第一、一番の腑抜け野郎はてめぇだろうが」

「けっ。口ばっかり達者になりやがって。
 おら、思い出したらもうここには用はねぇだろう。さっさと失せろよ」

「言われるまでもねぇや」

 妄想じみたやりとりも部屋から出れば万事解決。
 このくそったれな寄生虫野郎がいる夢の世界からおさらばだ。
 仕組みなんて判り切ってる。
 なんせ俺が頼んで仕込んでもらった保険だからな。

 俺は俺以外の誰かを憎む。
 前任だろうが後任だろうがその対象だ。

 ふんぞり返る俺に背を向けて、すたすたとドアを目指す。

 あ。
 そうそう。

 途中でぴたりと足を止めて振り向いた。
 一緒に腰のナイフを抜いて水平に走らせる。

 俺の背後に忍び寄り、今まさにナイフを振り上げていた前任の、喉首をスパッと掻っ切った。

 ぴっ、と赤い飛沫が一滴飛び散り、次いで盛大な血の噴水が吹き出した。

「レイセンを殺した落とし前だ」

 しゅうしゅうと奇妙に咽喉を鳴らす前任に、前蹴りかまして大の字にぶっ倒した。

「一度で足りねぇなら二度死ね。
 化けて出るってんなら幾らでもきやがれ。
 飽きるまで殺し続けてやる」

 夢の中だけあって、もしくは二度目だからか、前任は致命傷を負わせてもにやにやと笑っていやがった。

「残念。お前に成り代わって楽しむ計画だったんだがな」

 咽喉が裂かれても喋れるのは、夢だからだろうな。

 俺が考えつきそうな事だ。
 だったら予想するのも簡単。
 全く、油断も隙もねぇ奴だ。
 誰に似たんだ、誰に。

 あ、俺か。

「俺はお役御免か。ま、せいぜいおままごとでも楽しんでろよ。いつまでもつかね? ひひっ」

「とっくにお役御免どころか、罷免されたのをお情けで呼び戻された口だろうが。
 それにままごとじゃねぇんだよ」

 レイセンにてゐに、永琳。
 わざわざ永遠亭(ってもどんなとこか俺は行った事ねぇけど)の面々を買い揃えた事には意味がある。
 記憶がすっぽり抜け落ちてても、無意識にこの面子を買い集めていた。

「あれはな、家族ごっこって言うんだ」

 前任の仕出かした事も交えて言えば、つまりそういう事だ。

「ひっ。反吐が出る」

「だろうよ。
 だからお前は屑なんだ」

 前任は我慢が出来なかった。
 俺は我慢が出来る。
 違いはその一点だ。

 落とし前もつけたんで、ここにいる意味は全部なくなった。
 いつまでも愚痴ってたところで仕方が無い。
 前向きに上を向いて歩こうってこった。

「あばよ、負け犬」

「じゃあな。過去に追いつかれて野垂れ死ね」

 瀕死の(もう死んでるんだが)前任を残して、さっさと胸糞悪い見飽きた部屋から出て行った。









 ……。

 夢から醒めても同じ部屋の天井を見てるってのは、これはこれで悪夢だな。

 ふうとため息一つ洩らして、俺は現実に戻って来た事を理解した。
 全く、とんだ夢旅行だ。

「ご主人様?」

 すぐ傍で聞きなれた声が聞こえた。
 首をひねると、レイセンが俺をまじまじと見つめていた。

「おはよう」

 ぱっちりとした紅い瞳。
 それが。

「……レイセン」

 驚きのままに見開かれた死相と重なる。
 ちりちりと記憶が瞬き、フラッシュバックのように甦った。

「おはよう…ございます」

 死相はすぐに消え去り、レイセンは微笑んだ後に何故か急に視線を背けた。
 ちらちらと俺を盗み見ながら、恥情に頬を赤く染めたりして。

 なんでしょ、この反応。

「寝てる間に俺に悪戯でもした?」

 顔の落書きとかそういうベターなものでなく、性的な悪戯とか。
 だとしたらちょいと嬉しい。
 俺が。

「ち、違います!」

 あらら。
 怒られちゃいましたね。

 レイセンの意識を余所に向けている間に、俺は身体に隠した手の平を開いては握り締める。
 ナイフの刃を心臓に押し込む感触を急いで掻き消した。

「というか、俺っていつから寝てたの?」

 夢は夢にしてもどこからどこまでが夢だったのか。
 その辺りがどうも曖昧だ。

 俺の質問に、肩を怒らせていたレイセンは急に縮こまってしまう。

「そ、その……てゐと、ええと」

 ごにょごにょと呟く様子で大体当てはついた。
 3Pしてた辺りまでは現実って事か。

 やったぜ俺。
 3Pは本当にあったんだ。

 楽しい今の記憶で、過去など塗り潰せ。
 もう忘れる事は出来ないが棚上げしちまえ。
 例え一時凌ぎに過ぎなくても。

「……ご主人様、過労で倒れて…殆ど一日中寝てたんですよ」

「出し過ぎって事ですか。赤玉が出なかった事を喜ぼう。まだ現役だぜ、イェーイ」

 過労か。
 過労ね。
 何て当たり障りのない理由だ。

 そりゃそうか。
 診断を下す者が主犯なんだからそりゃまた都合が良くなる。

 そういう事にしておいた方が、俺にとっても都合が良かった。

「無理が祟ったんです。具合が良くないならすぐにそう言って下さい」

「身体が資本だからねぇ、職業柄。でもそれ以前に男の子だからね。女の子の前で弱音を吐いちゃいけません」

「何言ってるんですか。倒れたりして心配してたんです。心配をかけられる方がずっと、辛いです」

「そうか。そうだね」

 心配してたんだ。

「ごめんね」

 俺は素直に詫びた。
 意識を失っている間に心配をされるなんてのは、とても新鮮な感覚だった。

 確かに、愚痴を聞かせるよりもそいつは非常によろしくない。 
 泣かすのは好きなんだが、泣かれるというのは、その、なんだ。
 困る。

「……もう無理しないなら、いいです」

「オーケー。通常運転を心掛けるよ。気絶するまでヤったりしないし、気絶させる程ヤったりもしない。
 って事で、許してください」

 まあ原因は過労じゃなくて一服盛られたからなんだが、それくらいで目安にはなるでしょ。

「……ヤるとか言わないで下さいよ」

 表現がちと直裁に過ぎたんで、鈴仙は唇を尖らせ拗ねたように睨んできた。
 レイセンはこういうとこが可愛いね。

「俺が気絶するまでセックスしたりしないし、レイセンやてゐを気絶させるまでセックスしたりはしない。
 これでいい?」

「……」

 セックスという言葉にますます赤くなって、レイセンはそっぽを向いて小さく頷いた。
 自分で墓穴を掘ったりして。
 全くなんて可愛いんだろうこの生き物は。

 そんなレイセンを生温かい目で愛でている間も、フラッシュバックは続いている。
 レイセンの死相。
 胸に突き立ったナイフ。
 じわじわと広がる赤い沁み。
 床に溜まる血溜まり。

 幾ら誤魔化そうとしても、手に残るナイフが肉を裂く感触はますます強くなる一方だ。

「……夕飯の食事、出来てますけど。食べられますか?」

「食べる食べる。もー俺腹ペコ」

 血の匂い。
 死の匂い。
 傍観したときに感じたあの虚無感。
 何も感じられない感覚。

「あまり無茶な食べ方とかしないで下さいね。病み上がりなんですから」

「うーん、俺ってそんな腹ペコキャラな印象ついてた? 早飯ではあるけど結構小食だと思うんだけどね」

 殺した相手を前にする不思議な感覚。
 既視感にも似ていて現実味がない。
 目にし耳にするもの全てが薄っぺらく感じられる。
 命を奪った感触だけが、手に生々しくへばりついている。

「良く噛んだ方が消化にもいいですよ」

「じゃあ二〇回くらい噛んで食べる。よし、そうする」

 現実にいながら、夢を見ているように心許ない。

 なるほど。
 こういう事か。
 針のむしろどころじゃねぇな。

 前任が口にした、過去に追いつかれろという言葉の意味が判った。
 きっちり殺った前任の笑い声が聞こえた気がしたが、幻聴なんで無視した。

 俺は味気ない部屋の中からさっさと抜け出したい一心にベッドから出て、すたすたとドアに向かう。
 後からついて来ていたレイセンが、俺の袖口をくいっと引っ張った。

「あの、ご主人様?」

「ん?」

「眠っている間に、夢とか見ました?」

 じっと見上げられて訊ねられた。

 俺は呼吸すら止めて鈴仙の赤い瞳を見つめていた。

「……どうかな。忘れちまった」

 茫洋と開く赤い瞳と重なるその目から、俺は視線を逸らしていた。



xxx  xxx



 ここでの時間の過ごし方はある程度決まっている。
 三食手ずから料理の腕を振るい、後は自室でのんびりと本を眺める。

 手にする本は様々だ。
 歴史小説、科学論文をまとめたもの、名前も知らない誰かの自叙伝、生き物の図鑑など。
 本を用意するように頼めば、鵺は本であればなんでも用意して運んできた。

 今はカラー写真付きの植物の図鑑を手にして、一ページずつ捲っている。
 中々ユニークな色形をしている物も多く、これはこれで楽しめた。 

 楽しみを見つけてしまえば、時を過ごす事は苦痛ではない。
 既知は苦痛になり得た。

 ぺらぺらと植物図鑑を捲っていると、

「邪魔するよ」

 彼の声が聞こえた。

 振り返ると、赤い外套を羽織った彼が戸口に立っている。
 ドアの隙間から身体だけ乗り出して、黒い瞳を私に向けていた。

「どうぞ」

 私は微笑みを浮かべて促した。

「……」

 彼はしばらく私を凝視し続け、やがて開けたドアをこんこんとノックしてから、身体を部屋の中に滑り込ませた。

 律儀な事。

 くすっと小さく声に出して笑った。
 それが癇に障ったのか、彼はますます渋い表情を浮かべていた。

「他意はないわ」

「……そーかい」

 彼はぶすっと膨れっ面を浮かべて歩み寄ってくる。
 不機嫌ではあるけれど、敵意は感じられない。

「それで、何の御用かしら御主人様?」

 小首を傾げて訊ねると、彼はちらりとテーブルの植物図鑑を一瞥してゆっくりと閉じた。

「部屋に来る理由は、一つだけだ」

「そうね」

 背もたれに手を乗せて、ぎしりと軋ませる。
 彼が身を乗り出して私に顔を寄せてくる。

 待たせたか?

 近づいた彼の唇が声のない言葉を刻むのを読み取った。

 待つのには慣れているわ。

 私はくすりと笑って唇を刻んだ。

 彼が夢にまどろんでいる最中に奪った唇が近づき、私の唇に重ねられた。

「相変わらず俺好みのいいおっぱいしてるな。両手に余るぜ」

 やってくれたな畜生。

「ん…ふふ、そう言って貰えると光栄ね」

 少し意地悪をしただけよ。

「これで母乳まで出るってんだからますますけしからん。吸えって言ってるようなもんだ」

 相変わらず永琳はおっかねぇな。

「吸ってもいいのよ、僕?」

 貴方は随分いい子になったのね。

「俺は我慢出来る子なんだよ」

「そう。偉いわ」

 私をベッドに押し倒して胸を揉みしだく彼と言葉を交わす。
 余所余所しかったのが、もう随分と懐かしい彼が戻ってきている。
 私が見ない間に変わってしまった彼を見るのは、苦痛ではない。

 変化は未知であり、私の楽しみだ。

 私の乳房を手の平で円く撫で、指で捏ねる。
 かつて荒々しいだけだったその手つきは、すっかりと大人しく女体の扱い方を心得ている。

「んっ、ふぅ……いい子には…ご褒美をあげないとね」

 目の前にある顔に手を伸ばす。
 輪郭を指でなぞり確かめてから、抱き寄せて胸に押し付けた。

「これが欲しいのでしょう?」

 抱き寄せて、その胸元にさらさらと指を滑らせる。

 何か頼み事があるのでしょう?

 彼は私の胸に顔を半ば埋めて、見上げていた目を細めた。
 口を使って胸元を留めるボタンを一つずつ外しながら、彼は胸に滑り込ませた手を取る。

「……全部、お見通しかよ」

 彼は苦笑いを一つ浮かべ、ぷるんとこぼれた私の乳房に片手と口を使って私の胸への愛撫を始める。
 左手は胸元で私の手を取り、そのまま内ポケットへ導いた。
 小さな紙切れが見つけて、私はそれを摘み取り手の平に隠す。

 彼は私の身体に乗りかかり、ちゅうちゅうと音をたてて乳房を吸う。
 私はうっとりと彼の頭を抱きながら、受け取った紙切れをそっとポケットの中へと忍ばせた。

 さあ、人目を憚るやり取りはひとまずこれで終わり。

 目配せ一つを合図に、乳首の先から垂れる母乳を吸い上げていた彼は顔を上げた。

「このまま抱くぜ」

 そっちへの見返りは?

 私は彼の硬い髪の感触を楽しみながら少し考える。

 ふと浮かんだのは、

「愛する者のように抱いて」

 そんな意地の悪い言葉。

 彼はしばらく私の唇を見つめてから、やがて面食らったように目を丸くした。

 本当に意地悪だな。

 彼は唇を刻んだ後、細く尖らせた。
 私はくすくすと笑って、そんな彼を抱き寄せた。 
コメント




1.名前が無い程度の能力削除
・・・だんだん全体像が見えて来やがったな。
ここまで来たということはこのお話もそろそろクライマックスかね?
2.名前が無い程度の能力削除
ようやく赤さんのことが分かってきましたが、これからどうなるんでしょう?
個人的には永夜ハーレムエンドを目指してほしいですが、このまますんなり行く筈もないでしょうし。
3.名前が無い程度の能力削除
赤さんと永琳は顔見知りだったのかー
これからどうなるんだ…永琳のターンもまだ終わってないようだし

うどんげも椛みたいに子供つくって欲しいなあ
4.名前が無い程度の能力削除
ついにえーりんが何かやらかしたか。
冒頭のシーンで3人とも死んでるんじゃないかと思ってひやひやしましたがw
しかし、この外道な主人公も人並みの幸せを望んでいたんだねぇと、ちょっとしんみり。
輝夜は出るのか、出ないのか?何にしても、これからの展開が面白くなってきた。
5.紅魔の雑用削除
おや……なんだか世界観が私ともろかぶり……?
参考にしたんだからそりゃそうか。

しかし、登場人物にねたましいほど人間味がありますな。
赤さんといい、うどんちゃんといい。人物ができてるっていうか。
ほんとすごいなあ。

こんかいもうどんちゃんかわいかったよ!
6.名前が無い程度の能力削除
いやー面白かった。作者がどんな設定を考えてるのか想像が膨らむね

色々伏線があったけど、もしかして……ってことが一つ
もしかして赤ジャケはMOの過去の姿?
キャラは売却すると記憶とか消して元の場所に戻してるとかと考えれば、幻想郷側の時間が進んでないことにも説明つくし
前作最後記憶が残ってたのは、神奈子が提案したからかな?
この世界は完璧に囲われていると考えた方が違和感なさそうだしね
7.名前が無い程度の能力削除
二人が顔見知り…?
最初から読み直した方が良いだろうか…

>>5
最初の2行は要らなかったと思うな