真・東方夜伽話

eraudon4.5

2009/06/02 12:46:49
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紺菜
         ~注意書き~



 本SSはeratohoを基に作成された二次創作物であり、
 作者のオリジナル要素が多分に含まれております。

 また、東方キャラに対する調教を行なう作品である為、
 表現上性描写、暴力描写、残酷描写も多く含んでおります。

 SM行為、虐待に類する行為、強姦、輪姦(またはそれに近い行為)等が当てはまります。
 今回はおちっこ表現があり、やんわりとスカいハイ! です。

 ここまでの文章で嫌な予感、悪寒、吐き気、頭痛、眩暈等の症状を感じた方は、
 即座にブラウザを閉じて充分な休息を取られることをお勧めします。

 その症状が見られない、もしくは興味を持ってしまわれた方のみ先へお進み下さい。



        ~注意書き終わり~
























































































『やっ、あっ、ご主人さまっ』

 箱の中に私がいる。

『あっ、だめっ、はっ、腰が、自然に跳ねてっ、んっ』

 箱の中にいる私が、淫らに喘いでいる。

 私は部屋の中央辺りに移動した椅子に座り、テーブルの上に乗せられたテレビという箱を凝視していた。

 部屋は私が訪れたばかりの頃と同じ間取りで、家具も少ない。
 私はご主人様に案内されて、この見慣れた――けれど見知らぬ空気が漂う――部屋に居た。

 椅子に座ってテレビを見つめる私の肩を、背後にいるご主人様が抱き締めている。

「ほら、鈴仙ってば俺の上で腰を振るのに夢中になっちゃってますよ。
 画面じゃ見えないけど、俺のちんぽ根元までずっぷりいってるよね。いってたよね。覚えてるよね?」

「……はい」

 首筋の髪を指に絡めるように撫でられ、私は頷いた。

 訊ねられても、殆ど言葉の内容は私の頭の中に入ってこない。
 箱に映し出される姿から、私は目を逸らす事が出来ずにいた。

 この箱はなんだろう。
 テレビという箱。
 どうして私とご主人様が交わる姿を映し出しているのだろう。
 ご主人様はビデオだと言っていた。
 ビデオって何?

 様々な疑問が思い浮かんでは消えていく。
 けれどその中でも、この部屋に足を踏み入れてからずっと消えずに残っている疑問がある。

 目を逸らし続けていたそれを確認するために、ちらりと横目で隣に座る者を見た。

 ……なんで、ここにてゐがいるの?

 黒い巻き毛の妖怪兎。
 地上の兎たちの実質束ね役だったてゐが、隣で私が乱れる姿を見ていた。

 表情は険しくて、映し出される映像を見る姿は睨んでいると言った方が正しい。
 喜怒哀楽のはっきりとした子だけに、その表情からだけでなく雰囲気からもひしひしと伝わってきていた。
 視線に気がついたのか、てゐは眼差しに込めたものをそのままに私を睨みつけてきた。

 てゐは、単純に私に対して怒っている訳ではない。
 その格好を見れば怒るのは一目瞭然だった。

 荒縄で椅子に手足を縛り付けられ、口には轡のようなものを咥えさせられている。
 丸いボールのような物が付いたそれを、ご主人様はギャグボールだと説明した。



『鈴仙ちゃんが頑張ってくれたおかげで、そこそこ金が入ってきたからね。
 こうしてギャグボや新しい奴隷なんかを――てゐとか言ったっけか? めでたくお買い上げってね。
 ほーら、新しいうさぴょんですよー』

 今まで入ったことのない部屋に招き入れられてすぐ、ご主人様はいつもの笑顔を浮かべて私に言った。
 椅子にがんじがらめに縛り上げているてゐの耳を、冗談のように振りながら。




「……」

 てゐに無言のまま睨みつけられ、私は視線を泳がす。
 そんな私の肩をご主人様が軽く叩いた。

「なに。お二人さんってば仲悪いの? あー、いけませんねー。
 ま、そいつも初めの内かな。ほーら、てゐちゃん。次は君がああなっちゃうんだからねー」

 ご主人様は背後からテレビという箱を指差した。

『あひっ、そこっ。そこ弱くて、そんなに、突かないでくださっ』

 箱の中で、私はだらしなく舌を出して喘いでいる。
 自分がセックスに溺れている姿を、こんなに客観的な形で見る事になるとは思わなかった。

 乱れる自分の声が、まるで別人のように聞こえた。

「新米の教育にビデオ教材を使うなんて。俺ってばやっさしー。これでてゐちゃんもここでどういう扱いを受けるか、自分の立場ってもんの理解が深まった事でしょう。
 先輩もそう思うよね?」

「あ……」

 背後から伸びてきた手が私の襟元のボタンに伸びる。
 ぷち、ぷちっとボタンを外し、するりと服の中へと滑り込んできた。

「こんなにおっぱいの先っぽ硬くしちゃって。思い出して興奮してたのかな?」

「あっ。やっ、ダメ。……ダメ。です」

 言われた通りに硬くしこっていた乳首を指でこねられ、身体が震えた。
 弱々しくかぶりを振って、けれど言葉以上に拒む事が出来ない。
 てゐのように縛られている訳でもないのに、握り締めた手を膝に乗せたまま上げる事が出来ない。
 頭に血が昇って、赤面しているのが判る。

「どうしてダメ? 自分が抱かれてるとこを見てるから? それともてゐに見られてるから? 見てる上に見られて感じ過ぎるからかナ?」

「そ、それは――」

 顔を覗き込まれ、私は赤く紅潮した顔を伏せた。
 胸を揉みしだかれる内に、段々頭の心が解けるようにぼんやりと曖昧になっていく。
 私の横顔に、てゐの鋭い視線が突き刺さるのを感じた。

「鈴仙」

 けらけらと揶揄する皮肉っぽい口調から、低く優しい声音に変わる。
 耳元で名前を囁かれ、私の顎に手を添え顔を上げられた。

「あ。ご主じ――」

 私の言葉を最後まで待つ事なく、ご主人様の唇が重ねられる。

 ご主人様は私の唇に吸い付いて離れない。
 首を倒して真上を見上げるような格好で唇を奪われる。
 唇が唾液で濡れるのが判る。
 ご主人様の舌が唇を舐めている。
 私の唇を割って口の中に入ってくると、引っ込めていた舌を探り当てられた。

「んふ、んく、んっ」

 鼻から吐息が洩れる。
 口の中からご主人様と私の唾液が混ざる水音が、耳で聞くよりも確かに感じ取れる。
 テレビは私の乱れた嬌声と痴態を垂れ流し続ける。
 キスをされて、胸を愛撫されているだけなのに、陶酔感が全身を包んで心地良さに頭の芯がとろんと蕩けていく。

 快楽が私の周囲に薄い膜でも張るように、てゐの視線が徐々に意識の外へと押し流されていくのが判った。

「……ぷあっ」

 長い長いキスを終えてご主人様が離れて、私は空気を吸い込んだ。
 口を離されて、ようやく軽い呼吸困難に陥っていた事が判った。
 息苦しさよりも快楽の方が勝っていた。

 ご主人様の手が私の顔を優しく包み、舌と舌が唾液の糸で繋がっている。
 唾液の丸い玉がつつっと伝い落ちてくるのを、ご主人様はぱくっと食べた。

「へっ」

 冗談めかした仕草の後、ご主人様は私の目を見つめてにやりと笑った。
 ほんの少し、照れ臭そうだった。

 そんな子供のような表情が、少し可愛いと思った。

 いつの間にか、テレビは白と黒のノイズを映し出し、雑音を吐き出していた。

「ま、今ので大体判ったでしょ。ここはこういうとこ。で、てゐは俺に買われたって事ネ」

 ご主人様はジャケットのポケットからリモコンを取り出すと、テレビを消した。
 遠隔操作が出来るらしい。
 テレビのリモコンを手の中でくるくると回転させた後、取り出したポケットの中へ鮮やかに差し込んだ。

「ようこそ因幡てゐ! ここは世界の掃き溜めです。お兄さんロリの気はないんだけども、ここに来たからには歓迎しちゃうよん。
 熱烈に。コワレチャウクライニネ」

 てゐを見るご主人様の眼差しに、ほんのわずかだけあの狂気が滲み出て、すぐにぱっと霧散した。
  
「以上。楽しい奴隷教室でした。じゃ、鈴仙。行こっか?」

「――え?」

 ご主人様に言われて小首を傾げる。

 ちらりとてゐを一瞥すると、

「んー? んん。んんんっ」

 全身をしっかりと椅子に縛り付けられたまま、それでもなんとか身体を揺すって訴えていた。

 口は塞がれていたけれど、何を言いたいのかは簡単に理解出来た。

「あの……いいん、ですか?」

「いーのいーの。ロリだろうがババァだろうが、奴隷相手にゃスパルタ式がお兄さんの教育方針ですから。放置で。
 鈴仙は特別だからいーのです。はい、退出退出ー」

 ご主人様は私の服のボタンを再び留めると、手を取って立ち上がらされた。
 そのまま手を引かれて私は部屋を後にする。

「……」

 部屋を出る間際、背後を振り返る。

「んー! んぐーっ!」

 てゐはがたがたと椅子を揺すって暴れていた。

 ……うわぁ。
 根に持つだろうなぁ。

 てゐの怒り加減にぞっとしながらも、私はご主人様に連れられるままに部屋を後にした。

 ドアが閉められ、ドアノブの下にある鍵穴へと鍵が差し込まれる。
 かちゃんと鍵がかかる音。
 あれだけがんじがらめに縛り付けておいても、ご主人様は鍵を開けておくつもりは毛頭ないようだった。

「じゃ、鈴仙のお部屋に移動ね。さあ行こうやれ行こう」

「あ、あの。押さなくてもちゃんと歩きますから」

 背後に回りこんだご主人様に背中を押されて、あれよあれよという間に向かいの部屋に押し込まれてしまう。

「……強引なんですから」

「そいつぁ治んないねー」

 恨みがましい目で見ると、ご主人様は歯を剥いて笑い頭を掻いた。
 今までは無闇に怯えてばかりだったけれど、少しずつ距離感が判って来た。

 こういった態度を見せてもご主人様は怒らない。
 むしろ、どこか期待しているのではないかとも思えた。

『なーんでそんなに自分に自信がねーですかね』

 ご主人様にそう言われたように。

『もちょっと居直ってみても良いんじゃないの?』

 私に価値を見出してくれたこの人の言葉を、少し信じてみようと思った。

 まだおっかなびっくりだけど。

「あの、ご主人様。お話があるんですが……」

「何さ。うん、聞くよ聞くよー」

 ご主人様に椅子に座るよう促され、私はテーブルで向かい合って話した。

 てゐとの関係について。
 同じ永遠亭で過ごしていた事。
 上司と部下という立場だった事。
 与えられた立場においては上下関係があったものの、実質的な所では違っていた事。

 私が感じていた印象も交えて話した。

「それで、あのてゐなんですが……ちょっと、難しい性格をしていて――」

「待った」

 てゐについて話そうとしたところで、ご主人様は私の声を手で遮った。
 目の前に突きつけられた手の平に、私は少しのけぞった。

「てゐの性格、ざっと当ててみようか?」

 今までじっと私の話を聞いていたご主人様は、唐突にそんな事を言い出した。

「見た目どおりガキっぽくてクソ生意気。鈴仙とは逆に案外どーにでもなるやって楽観的。他人をからかって楽しむ小悪魔ちゃん。ってトコかな。
 どう? あってる?」

「はい、大体……あってます」

 私は驚きながらも頷いた。

 初対面でそこまで判るものなのかしら?
 てゐと面識がある?
 まさか。

 そう言えば、私の時も初対面で出自を言い当てられたり、一言一句間違える事無く名前を呼ばれたりもした。

 私の疑念を感じ取ったのか、ご主人様はずいと身を乗り出した。

「お兄さん、人を見る目があるんですよ」

 黒い瞳を指差し、にかりと歯を剥いて笑う。

「は、はぁ」

 なんだかはぐらかされた気分で、ひょっとしたらそういったことを予め調べているのかもしれないと思った。

「何。何その目。信じてねーですね? お兄さん悲しいです」

「そういう訳じゃ、ないんですけど」

 がっくりと首を傾けるご主人様に、私は慌てて胸の前で手を振った。
 実際、私の疑問はどうしててゐの性格が判ったのかという事から飛躍し始めていた。

 ここは外界で、永遠亭があるのは幻想郷。
 どうやって行き来をしているのだろう?
 幻想郷の結界を潜り抜け、迷いの竹林の奥にある永遠亭にまで手を伸ばせるなんて、ただの人間では出来はしない。
 ご主人様はずっとここに居て外に出歩く様子もない。
 訪れるのは一人だけ。
 たった一人。
 あのなんだか良く判らないへんてこな、鵺――さんだけ。
 ということは鵺さんが、私やてゐをここに連れてきた?

 ……そんなに凄い人には見えないんだけど。

 今まで漠然と感じていた疑問が、洪水のように頭の中に溢れ出して来た。

 てゐがこの場に連れて来られた事で――私の過去になりつつあったものを目の当たりにした事で、改めて目を背けていたものを見せ付けられた気分だった。

 ぐるぐると渦巻く疑念を消化出来ず考え込んでしまった私に、

「ま、鈴仙の心配も判るよ。なんせかつての部下が自分とおんなじ境遇に置かれる訳だからねぇ。そりゃー複雑ってもんですよ」

 ご主人様の言葉で我に返った。

「まだその永遠亭ってとこに未練があんでしょ? 裏切ってるような気がして心苦しいんでしょ? 違う?」

「そ、そんな事は――」

 腕を組んでうんうんと頷くご主人様に、私は咄嗟に否定しようとした。

「あっそ。じゃあ今からてゐを犯せ」

 その言葉を、途中で飲み込んでしまった。

 ご主人様の目は本気だ。
 本気で、私にてゐを犯せと口にして――命令している。

「あ、ぅ」

 言葉が、出て来ない。
 そんな事発想もなくて。
 けれどそれはそういう事。
 ご主人様と一緒にここで過ごすということは、こういう事なのだと改めて実感した。

 呼吸すら出来ずに息を止める私に、

「ほら。俺の言った通りでしょ?」

 ご主人様は素っ気無く言い放った。

「ま、そんなもんですよ。見ず知らずの誰かより、顔見知りが苦しんでいる方が苦しい。心の距離は物理的な距離と正比例。
 付き合いが長けりゃ尚更ネ」

 ご主人様は私が抱く疚しさを見抜きながら、それでも咎める事もしない。
 代わりに、ことりとテーブルに何かを置いた。

 視線を上げると、テーブルの中心に一つの鍵が置かれていた。

「こいつはてゐの部屋の鍵」

 何の変哲もない真鍮製の鍵をこつこつと指先で叩き、ご主人様は言った。

「こいつを鈴仙に預ける」

「……え?」

 私は耳を疑い、顔を上げてご主人様の顔を見た。
 普段の軽薄な笑みは姿を潜め、真剣な眼差しで私を見つめていた。

「こいつをどう使うかは鈴仙の自由。てゐを閉じ込めるも良し、恨みつらみがあるならこの機会に晴らすも良し、逃がすも良し」

「え。あの、それは」

 うろたえる私に構わず、ご主人様はじっと私の目を凝視した。

「二人で一緒に逃げるも良し」

「っ」

 私は鋭く息を飲んだ。

 逃げる?
 てゐと?
 どこへ?
 永遠亭へ。
 
 逃げられる?

 じっと鍵を凝視したまま、私は目を離す事が出来ない。
 ご主人様の指先が鍵の平べったい持ち手を弾き、ぴょこんと跳ねるように鍵が垂直に起き上がった。

「赤信号、皆で渡りゃ怖くない――って、判る? 共犯ができれば抵抗が薄れてルールを破るのも余裕って事」

 垂直に立てた鍵を指で挟み、くるくるとめまぐるしい動きで回転する。
 その動きに見惚れている内に、ご主人様の手が伸びてきて私の手を取った。

「あ」

 私の手の平に鍵を乗せられる。
 何の変哲もない真鍮の鍵は、見た目よりも重たかった。

「……どうして、ですか」

 私は手の平に乗せられた鍵とご主人様の顔を見比べ、訊ねた。

 てゐをここにつれてきたということは、てゐに対しても私にしたように調教を課すのだろう。
 ご主人様にはそれが仕事で、その為なら人殺しも厭わない事を見せ付けられている。
 それなのに何故鍵を私に預けたりするんだろう。
 ご主人様の立場なら、絶対に逃がさないようにするはずなのに。

 私の疑問に、ご主人様は肩をすくめて見せた。

「どうしても何もないね。他人の心を完全に支配する事は出来やしねーの。世の中に完璧な攻撃はあっても、完璧な防御なんてないの。
 俺がどんだけ逃げるなって言ったって、準備万端整えたって、逃げられる時はどうやったって逃げられるの。
 予防はどこまで行っても予防。事が起こっちまったらどーしよーもない訳です。運命ってのはとびっきりに性悪なアバズレみたいなもんなんですよ」

「運命、ですか」

 まさかご主人様の口からそんな言葉が出てくるとは思わなかった。
 そういうのを最も嫌いそうな気がした。

「そ。運命。生まれて死ぬまで、誰も何も決められやしないの。数少ない手札の中から選ぶだけ。自分の意志で決めてる気がしてるってだけなの。
 俺がただの人間で、鈴仙は月の兎で、てゐは地上の兎。今こうして三人同じ場所にいるって事は、この掃き溜めで出会う事しか選べなかったって事。世の中には自分で決められないもんがあるんですよ。
 それにね」

 ぎゅっと私の手が握られる。
 鍵を握り締めた手を、両手で優しく包まれた。

「俺は鈴仙を信じてるからね」

「私を…信じて?」

「そ。お兄さんが勝手に鈴仙ちゃんの事を信じたくなったから、鍵を預けるってだけの話。
 まあこれっくらいしか思いつく方法がないからってのも、ある。リスクを背負った方が真実味も出るでしょ?
 口先だけならなんだって言えるからネ」

 口調は冗談めかしたりしていたものの、眼差しは真剣だった。

 大きな手に包まれ、私は温かいと思った。
 単純に、ただ温かいと。

「じゃ、失くさないように」

 ご主人様は手を引っ込めると立ち上がり、すたすたと部屋から出て行く。
 ドアを潜る間際、立ち止まってひょこりと顔を戻した。

「ここだけの話、俺って臆病な負け犬でね。ああいう強気な子って苦手なのよ」

 くすくすと笑って、ご主人様は私の部屋を後にした。

「臆病?」

 私は閉められたドアをしばらく眺めたまま、ぽつりと呟いた。

 あんなに怖いのに?
 ……冗談だろうな、きっと。

 視線をドアから手元へ。
 握り締めていた手を開き、真鍮製の鍵を見つめた。

「……信じられてる」

 どうしてだろう。

 それが、どうして。



 こんなに嬉しくて堪らないんだろう。



xxx  xxx



 ちっくしょう。

 言葉にならない悪態の後、私はため息を吐き出した。
 口には相変わらず轡を噛まされていたので、鼻からだけど。

 幸運の兎ともあろう者が、人間なんかに捕まっちゃうなんてね。
 しっかもあんな奴に。
 あー、ムカつく!

 椅子に縛り付けられたままの不自由な姿勢で、ふごーと鼻息荒く閉まったドアを睨みつける。

 口さえ塞がれていなければ、悪態をつき倒してやった所なのに。
 手足が縛られていなければ、散々にぶちのめしてやるのに。
 腸は煮えくり返ったまま、これっぽっちも冷めなかった。

 私を捕まえてどういう真似をするつもりなのかは(非常にムカつくんだけども)理解出来た。
 現状だって理解出来てる。
 弾幕の一つも出せずに、縛り付けられる縄一つ千切れない。
 それは私が持つ本来の力が殺されてるってこと。

 ま、そうでもしなけりゃ私を捕まえられっこないんだけどね。
 一体どんな手を使ったことやら。

 状況としては悪いけれど、そんなに悲観するほどでもない。
 どんな手を使ってるのか知らないけれど、この状況が不自然ってことは何がしかのタネがある。
 タネさえ見破ってしまえばどんな手品だってただの小手先技。

 今に化けの皮剥いでやるから覚えてろ。

 怒りとともに、固く決意した。



 けど、今はその前に。



 いつまで私をこのままにしておくつもりよ! 

「ふんぐー!」

 休憩を止めて、再び床に転がったまま暴れ回る。
 あいつが私を置いて部屋から出て行ってすぐ、もがいていた拍子にバランスを失って椅子ごと倒れてしまった。
 だと言うのに様子を見に来る気配すらない。
 縛り付けられた縄も緩む気配がない。
 手を後ろ手に縛り上がられ、両足に腰と念の入った縛り付けようだ。
 
 こんなに愛らしい兎を、椅子にがんじがらめに縛り付けて行くなんて。
 頭どうかしてるわあの外道!

 不自由な姿勢のままどったんばったんと七転八倒を繰り返していると、かちゃんと硬い音が私の耳朶に触れた。
 ぴょこんと耳を立てて、音の聞こえた方向に視線を向ける。
 閉じていたドアが、ゆっくりと開いていった。

「てゐ?」

 む。

 ひょっこりと顔を覗かせて私を呼ぶのは、あの赤い外道ではなく私の良く知る鈴仙。
 私は椅子ごと仰向けになったまま、のけぞるようにして鈴仙を見上げた。

「えーと、大丈夫?」

 どこをどう見ればこれが大丈夫だってのよ。
 いいから早く解いてよ、見てないで。

 そんな私の文句も、

「むぐー!」

 轡を噛まされていてはそんな唸り声にしかならなかった。

「あ、うん。ちょっと待って」

 鈴仙はドアを閉めると私の元にやってきて、倒れた身体を起こした。
 喋れなくても案外伝わるもんね。
 鈴仙が背後に回りうなじの辺りを弄っている内に、轡の紐(皮?)が解けるのが判った。

「ぺっ」

 涎塗れになった丸い穴ぼこの轡を吐き捨てる。

「あー、顎痛い。あんにゃろ。今度あったら覚えてろ」

 長く口を開けっ放しにされていた所為か、顎の感覚が少しおかしい。
 何度も口を開け閉めしながら、

「鈴仙、なにやってんの。そんなのどうでも良いから早く解いてよ」

 吐き出した轡を拾い上げている鈴仙に言った。

 全く、どっかずれてるって言うかとろいと言うか鈍いと言うか。
 ま、だからこそからかい甲斐もあって面白いんだけど、こういう時までそういう面を見せられるとちょっと苛ってくる。

 轡を拾い上げた鈴仙は、無言でじっと私を見つめてきた。

「……何よ?」

 いつになく真剣な表情に、眉根を寄せて見つめ返す。
 うっかり鈴仙の目を覗き込もうなら狂気を植えつけられちゃう訳だけど、今はそんな危険もないだろう。
 能力が使えたら、そもそもあんな事にはなってないだろうし。

 強制的に見せられたビデオ(永遠亭の蔵の奥に、同じような物があった気がする)の内容を思い出し、うんうんと一人頷く。

「解いたら、てゐはどうするの?」

「そんなの決まってんじゃない。さっさと逃げるわよ。なんか力も出ないし訳判んないしね。準備万端用意を整えてから仕返しは万倍返しよ。
 ほら、だから早く解いて。こんなとこからおさらばして永遠亭に帰ろうよ」

 私を捕まえた時点で、あの野郎の運は打ち止め。
 ここがどこだか判らないけど、永遠亭に帰り着けばこの不思議な症状もどうにかしてくれる。
 その後でぎったんぎったんにしてやるんだから。

 決まり切った答えを述べた私に、

「じゃあ、解かない」

 鈴仙は真逆の答えを返してきた。

「……は?」

 私は思わず耳を疑ってしまった。
 目を丸くしてまじまじと凝視する私に、鈴仙は相変わらずどこか暗い表情で見つめている。

 なんか妙な決意めいたものが見えるのは気の所為?

「何言ってんの。いやほんとに。もしかしてあれ? あの赤い奴に脅されたりでもしてるの?」

「違う。脅されてなんかいない。私はてゐを逃がしたりしない。ご主人様とここに一緒で過ごすんだから」

 ぎっと目に力を込めて、まるで敵でも見るような目で睨みつけてきた。

 うあー。
 アレをご主人様とか。
 確かにビデオの中でも言ってたけど、直に口にされると相当なもんね。

「ここにいたらずーっとあんな事されるんでしょ?」

「そうよ」

 そうよって。

 私は苦笑いを浮かべながら訊ねる。

「鈴仙、頭は平気?」

「見て判らないの?」

 いや、判んないから訊いてるんじゃない。 

「もう、とっくにおかしいわよ。そんな事知ってる。私にも判ってる。
 でも、あの人は私を必要してくれている。私の事を見てくれている。こんな私にも価値があるって言ってくれたの。
 だから私はここに居るの。ここに居たいから、永遠亭には戻らない。てゐも逃がさない。
 ご主人様と一緒に過ごす事がおかしいのなら、おかしくなっても良いんだから!」

 拳を握り締めて叫ぶその姿に、私は頭を掻きたい気分に駆られた。

 ほんとに重症だ。
 ちょっとばかり怖がらせた方がいいかな、これは。

「鈴仙、あんた月から逃げてきたのを、永遠亭に匿って貰ったんじゃない。その恩も忘れて、姫とお師匠を裏切るつもり?」

 私と違って鈴仙には永遠亭に居た経緯と過去がある。
 私は楽しいから永遠亭に居るだけで、飽きたら高草郡に戻るだけ。
 今でも半分高草郡に住んでいるようなもんだしね。

 けど月出身の鈴仙に、月でとっても偉い人だったお師匠を裏切る真似なんて出来ない。
 敢えて付け加えた裏切るという私の言葉に、鈴仙は身体を竦ませて後ずさった。

 けど。

「……匿って頂いた分は、もう働いたはずよ」

 鈴仙は下がった分だけ前に出て、私を睨み返してきた。

 ありゃ。
 揺さぶるつもりが余計意固地にさせちゃったかな。

「そういうのは自分で決めるものじゃないんじゃない? 鈴仙の恩義って、それっぽっちなの?」

「だったら――だったら奴隷にでもなれって言うの!?」

 もちょっと揺さぶって反応を見てみるつもりが、鈴仙は火がついたように怒鳴ってきた。

 うわ。
 薮蛇。

「何言ってるのよ。別にそこまで言ってないわよ」

「言ってるじゃない! 私はいつまで仕え続けなければいけないの? 他に行きたい場所が出来ても出ちゃダメなの? 一生使われ続ける事しか出来ないの!?
 姫は私に関心なんてない! いつまで経ってもただのイナバ扱い! 永遠亭の妖怪兎の一匹としか見てない!
 お師匠様だって考えてることは薬の事ばかりで、私に用事を言いつけるだけ! 姫に関わらなければどうだっていいって見過ごすばかり!
 てゐ、あなただってそう! 私の事なんて関心がない! 面倒事や厄介事を押し付ける為だけの、体の良い隠れ蓑くらいにしか思ってないんでしょ!?」

「思ってないウサ」

 思ってるんだけどね。
 だって上司って部下の代わりに叱られてくれるもんなんだし。

 けどまあ。
 当人の居ないところで愚痴るならともかく、私の前でここまで絶叫するなんてほんと重症ね。

 鈴仙は怒鳴って息を切らしたかと思うと、唐突にくしゃりと表情を崩した。

「知ってるわよ。それが当然だって。屋敷に入り込んでくる不審者一人追い返せない。私は役立たず。
 月の争いが嫌になって逃げて、命からがら永遠亭に逃げ込んだんだもの。文句なんて言えない。
 けど嫌。もう嫌なの。必要とされない事が、辛くて耐えられないの……!」

 急に糸が切れたみたいに膝から崩れ落ちて、ぼろぼろと号泣を始める。

 溜まり溜まったものを吐き出して緊張の糸が切れたのかな?
 でも言うべきことは言っとかないとね。

「だからって、ここはないんじゃない? 永遠亭での扱いが奴隷だって言うなら、あいつだって奴隷扱いに変わりはないでしょ」

「でもご主人様は私を信じてくれる。こんな役立たずな私を必要としてくれている。必要として貰える人のところに居たい。それって何かおかしいの?
 永遠亭には私が居なくても代わりなんて幾らでも居る。誰も困らない。私がいなくなった事に、誰か気がついたの?」

 ゆらりと顔を上げた鈴仙は、ぐすぐすと鼻を鳴らしながら赤い瞳で私を見つめてくる。

「それは――」

 やば。
 高草郡で遊んでてしばらく戻ってないや。

「皆心配して探してるウサ」

「嘘。きっと、誰も気がついてない。私がいなくなってもいつも通り。何も変わらない。
 私がどんな目に遭っても! 泣いても! 叫んでも! 誰も助けになんて来てくれなかった! 一番助けて欲しかった時に、誰も!
 それなのに自分の時だけ助けろだなんてずるいわよ! だから――」

「だから私にもおんなじ目に遭えって?」

 堰を切って叫ぶ鈴仙の言葉を、私が繋いだ。

「っ」

 鈴仙は息を飲んで目を見開く。
 私はその目を見つめた。
 確かに心配してるのは嘘。
 永遠亭に戻ってないから姫や師匠の動向までは掴んでない。 

 けど、嘘しかつけない訳じゃない。

「年長者として、二つだけ言っとくわよ。
 そりゃあ皆関心がないように見えるけど、鈴仙がここに捕まってると知ったら姫もお師匠だって助けに来るわよ。
 気がつくまでに時間があるのは、監視してる訳じゃないから。私たちは監禁されてるんじゃなくて、一緒に住んでるだけだからよ。

 それから、鈴仙をそんな辛い目に遭わせた張本人は? あの赤い奴でしょ。姫様もお師匠も――まあ扱いは悪いとしても、だからって鈴仙をそこまで苦しめたことってある?
 この二つを、良く考えてみて」

「……」

 鈴仙の目に迷いが浮かぶ。
 ならまだ手遅れじゃない。
 そう。
 手遅れなんかじゃない。

 そりゃあ私は嘘つき兎だ。
 自分だってそれは認めている。
 けど鈴仙が本気で苦しんでるのを知って、そのまんま知らん振りして行ける訳がなかった。

 手に負えなかったら姫や師匠の元に駆け込むつもりだけど、手を差し伸べもしないってのはちっと違う。
 冷たいって言われてるし、私自身そう思うけどね。
 私だって、それっくらいの情は持ち合わせてるんだよ。

「……私は、もう言葉なんて信じない」

 迷いを残したまま、鈴仙はよろけながら立ち上がった。
 私の視線に耐え切れなかったのかきょろきょろと視線を泳がせながらも、ドアへと後ずさって行く。

 私は止めない。
 なんにせよ、鈴仙が私のことを少しでも信じてくれるようにならないと意味がない。
 信じたくなるような、思わず信じてしまうような嘘をつけない私の落ち度だ。

 毒が薬になるように。
 嘘だっていろんな嘘があるんだ。

 怯えるような鈴仙の姿を、私はじっと見つめたまま見送った。

 鈴仙の姿が部屋から消えてドア向こうから鍵を掛けられる音が聞こえた。

 一人になったことで、とりあえず判ったことをまとめる。
 能力も弾幕も使えない。
 鈴仙がここに連れて来られてそれなりに時間が過ぎている。
 姫もお師匠も、まだ鈴仙が連れ去られたことに気がついてない可能性が高い。
 私までヘマをしてしまったんだけど、それで気がついてくれるかどうかは判らない。
 鈴仙が私の部屋の鍵を持ってる。
 あの赤い奴は正真正銘の腐れ外道。

 私はため息をついた。

 何とか鈴仙を説得して、こっから逃げ出すしかないか。
 私だけ逃げたら、残される鈴仙の身の安全が心配。
 とりあえず私だけでも逃げるって選択肢は棚上げだ。

 自然と下げた視線に荒縄が映り、もう一度ため息。

「せめて縄くらい解いてもらうよう言っとけば良かったかなー」



 年甲斐もなくつい熱くなっちゃったよ。



xxx  xxx



「うっ、ううっ、うっ」

 涙がぼろぼろと溢れて止まらない。

「うぐっ、うう。ううううっ!」

 口元を手で覆い、くぐもった嗚咽を洩らしながらふらふらと廊下を歩く。

 頭の中でてゐの言葉が繰り返し甦る。

『姫とお師匠を裏切るつもり?』
『鈴仙の恩義って、それっぽっちなの?』
『だから私にもおんなじ目に遭えって?』

 何が正しいのか判らない。
 判るのは私はとても醜いという事。
 我が身の安全欲しさにてゐを売ってしまった。

 てゐを売ったのは他の誰でもない。
 私だ。

「うっ、ぐふっ、うぐっ」

 押し殺した嗚咽とともに、よろけて廊下の壁に寄りかかった。

「う、うあっ、ああああっ」

 永遠亭への未練。
 そういったものを断ち切るつもりでてゐの部屋に向かい、私はそれ以上の醜いものを吐き出していた。
 今までてゐの事を調子がいいなと思っていたし、散々手こずらされてきた。

 けど、憎むほどではなかった。
 そう思っていた、のに。

「ああ、あああ」

 言葉もなく私は泣き崩れた。

 ここでどういう事がされるのか。
 それを一番良く知っているのは私なのに。
 私はてゐが同じ目に遭っていないのが不公平だと思ってしまった。

 月から逃げて来た時と何も変わっていない。
 私は辛いものから目を背けて逃げているだけ。

 後悔に打ちひしがれる内に、もっと怖い言葉が私の奥底から浮かび上がってきた。

『反省だけでは駄目、後悔なんて以ての外。罪を犯すとは、そんな生易しい物ではない』 

 ぞっと背筋を凍らせるその言葉。
 幻想郷が花で溢れた六〇年目の異変。
 騒動の張本人を探す内に出会ってしまった、彼岸の閻魔様の言葉。

 その言葉で、私は今まで蔑ろにしてきた仲間たちの恨みというものを考えるようになった。
 考えているつもりで、けれどいつの間にかまた頭の片隅に追いやってしまって、同じ事を繰り返してしまった。

『貴方は確実に地獄に堕ちるでしょう』

 心臓を鷲づかみにされたような圧迫感に喘ぐ。
 痺れを伴った痛みで胸が締め付けられ、呼吸する事さえ難しく何度も咳き込んだ。

 地獄に堕ちるのは嫌。
 死後に苦しみだけが待っているだなんて。

 けどどうしたら?
 また閻魔様に裁かれる?
 閻魔様はこの外界にもやってくる?
 私が出会った閻魔様と違ったら?
 次に出会うのは、私が死んでからだったら?

 きっと弁解の一つも出来ずに、地獄へと堕とされてしまう。
 
「あああ、あああああ――」

 生きている間に、少しでも幸せを見つけようとしただけなのに。
 それがてゐの不幸を願うことに繋がって、死後の苦しみを呼び込んで。
 がんじがらめになってどうする事も出来ない。

 生きている事さえも罪だと言うなら。

 そんなのどうやって生きればいいのよ!

「やぁ、いやぁ……こんなの、いやぁ」

 私は身体を投げ出して、子供のように泣きじゃくった。

 泣き続ける私に、

「どったの。鈴仙」

 声と一緒に肩が叩かれた。

 しゃくり上げながら顔を上げる。
 ご主人様が不思議そうに目を丸くして、しゃがみ込んで私を覗き込んでいる。

『俺は鈴仙を信じてるからね』
『鈴仙をそんな辛い目に遭わせた張本人は?』

 ご主人様とてゐの言葉がそれぞれ頭をよぎる。
 てゐの言う通り私を打ったのも辛い目に遭わせたのもこの人で。
 それなのにどうして。
 それすら忘れてしまうほど、私の中に入ってくるんだろう。

 私を打ちもしたその手は、手を握り締められた時と同様に温かかった。

「ご主人、様ぁ」

 私はご主人様から逃げることも擦り寄ることも出来ず、冷たい床の上で泣き続けた。

「心配しなくても俺ですよー。あぁ、せっかくの美人が台無しじゃねーですか。ほら、泣かなくていーから。
 あー……泣いてもいーから。とりあえず部屋にでもいこーね。腰が冷えちまうからね」

 宥められながら背を擦られて、私は余計に泣いてしまった。






「落ち着いたかな?」

「はい……」

 私はベッドの上で毛布をかぶり、差し出されたコーヒーを受け取った。

 ……温かい。

 カップを両手で包み込むようにして持って、その温かさに少し落ち着く。
 立ち昇る湯気が目にしみて、またぽろりと零れた一粒の涙を拭って鼻をぐすりと鳴らした。

 ご主人様は泣き止まない私を抱き上げて、部屋まで運んでくれた。
 私の部屋ではなく、ご主人様の部屋へと。
 泣き続ける間ずっと背中を擦って抱きしめてくれて、私は子供のように泣き続けた。
 泣くだけ泣いてわだかまりを吐き出してしまった後、わざわざコーヒーまで淹れて貰っていた。

 私は受け取ったカップに口を付けずに、きょろきょろと部屋の中を見回した。
 ご主人様の部屋に入るのは初めてだけど、間取りや家具の種類はそう変わらなかった。

 ただ、その。
 落ち着いてみると目のやり場に困る部屋ではあった。

「す、凄い部屋、ですね」

 テーブルに腰掛けてコーヒーを啜っていたご主人様は、カップに口を付けたままぐるりと部屋の中を見回した。

「いやぁ、正直に言えばいいよ。怒んないからさ。非常識だとか頭悪いとか親の顔が見てみたいだとか」

 けらけらと笑うご主人様に、私は口元を引きつらせた。

 部屋の壁一面に写真や絵が貼り付けられている。
 その、男女の交わりが描かれた春画が。

「言っとくけど、以前食った相手だとかそーいうんじゃないからね? エロ雑誌から切り抜いたり破ったりしたのを貼り付けてあるだけだから。
 こんだけ相手しなきゃ行けねぇなんて、ちんぽが幾らあっても足りやしません」

 ご主人様が指差す部屋の片隅には、平積みにされた本が置いてあった。

「ちょいと本を書いててね。その資料。中身は面白おかしくセックスしましょって内容。
 題名をフルエロスセックルか、それイけパンパンマン! のどっちにするかで悩んでんだよねー。
 ほら、やっぱオマージュ先の印象を残したいし、それによって内容も変わってくっからね。
 前者だと 口で糞垂れる前に腰を振れ! サー・イエッサー! だし。
 後者だと そ・う・だ た~のしいんだ ぜ~んご う・ん・ど・う♪ だし」

「はぁ」

 言及し辛い内容だったので、当たり障りのない素朴な質問を向ける。

「ひょっとして、作家なんですか?」

「うんにゃ? ただの趣味で暇潰しみたいなもんだよ。俺の本なんてもんが世に出たら、直ちに焚書だろーね」

 ひひっと咽喉の奥で笑った。

 まあ元々多趣味というか色々と器用な人だから、今更ご主人様が本を書いていたとしても特別驚くような事じゃない。
 ……だと思う。

「ま、あんま気にしないでいーよ。ほら、冷める前に飲んだら?」

「あ、はい」

 促され、私は細く湯気を上げるカップに口を付けた。

 ……甘い。

 口当たりが凄くまろやかで、コーヒーの持つ苦味や酸味は殆ど感じられない。
 温かくて甘かった。

「カフェオレね。コーヒーを牛乳で半々に割って、砂糖は三杯。甘いのが好みでしょ? いっつもそれくらい砂糖入れてるし」

「……はい」

 コーヒーの淹れ方を覚える過程で良く飲む様になったけれど、やっぱり苦いままでは飲めないので砂糖を多めに入れて甘くしていた。
 そういう普段の何気ない事もちゃんと見られているのだと思うと、少し嬉しかった。

「……」

「……」

 私たちは何を喋る訳でもなく、無言のまま手にしたカップを傾けた。
 沈黙はそれほど居心地が悪いものではなく、甘いカフェオレで身体が温められるのが判った。

 静寂の中、身体にまだ僅かに残っていた強張りがゆっくりと解されていった。

「……何があったのか、訊かないんですか?」

 ご主人様はちらりと私を一瞥して、ぐいっとカップの中身を呷った。

「聞いて欲しいなら聞くよ。言いたくないなら言わなきゃいい。もう涙は止まったでしょ?」

「はい」

「じゃ、別にいーじゃん。悲しくなくなったんなら。感情なんてのは一時的なもんですよ。台風が過ぎ去った後は静かなもんで、綺麗さっぱりだ」

 素っ気無いほど簡単に済まされてしまう。
 泣いている間は抱きしめてくれて、落ち着いたら根掘り葉掘り問いただされる訳でもなく、距離を保って私の様子を見ていてくれる。
 逆さにしたカップから伝うコーヒーの雫を舌で受け止めるご主人様の姿を、私はまじまじと見入っていた。

 不思議だ。
 初めの頃と印象が全然一致しない。
 あるいはこれがご主人様の素なのだろうか。

「あの」

 私は躊躇いがちに呟く。

「ご主人様は、その」

 ご主人様は私に視線を向けて、促す訳でもなくじっと見つめている。

「死後の世界、とか。信じますか……?」

「そりゃ信じるよ。月に兎がいるくらいなんだから、死んだ後に天国と地獄があっても別におかしな話じゃない」

「じゃ、じゃあ――」

 私は話した。
 どうして泣いていたのか、その理由。
 てゐに言われた事。
 閻魔様に言われた事。

「正しく生きるって……どういう事ですか?」

 それを知りたいと思ったから、私は訊ねた。

「そりゃ周囲の都合に合わせて生きるって事だネ」

 ご主人様は物怖じもせずに即答した。

「正しさなんて誰にも判りゃしませんよ。判らないから、こうあるべきって決めて、固定観念を作っていくのさ。
 一年二年ならただの戯言。一〇年二〇年なら村の掟。一〇〇年二〇〇年なら国の法。一〇〇〇年二〇〇〇年経て磨き上げれば、そりゃ信仰さ。
 そういうものがいつの間にか正しさになってるって訳。その正しさに合わせて生きれば、正しく生きれるって寸法。
 鈴仙はその閻魔だかなんだかに出会って説教食らって、それから色々と考えるようになったんでしょ?」

「……」

 訊ねられて、頷く。
 以前は感じなかった後ろめたさや疚しさが、今まさに私を苦しめている。

「じゃあそれでいーんじゃない? 生きてる間に苦しいってこた、アレですよ。死後の前払いって奴じゃね? ツケを前もって分割で払ってんの。
 分割で払ってる訳だから、苦しむ時は苦しんで楽しい時は楽しめばいいんじゃない? 言いつけを破ってるわけでもないじゃん。
 鈴仙は忘れるなって言われて、きっちり思い出した。思い出せたら忘れた事にはならねーですよ」

 ご主人様はあっさりと答えた。

「なんにしたって言える事はね、疚しさだの後ろめたさだの罪悪感なんてものはね、まとめて誤魔化しちまえって事。
 生きてる事が罪? 何の不自由なく生きてる奴の言う台詞だね。生きてるんだからしょうがないじゃん。
 生きてる内から死んだ後の事を考えたって、生きるのが窮屈になるだけ。
 辛いの苦しいのなんて、どうやったって逃げられやしないし向こうから勝手にやって来るもんなんだから。楽しい事考えて生きてた方がよっぽど建設的でしょ?」

 思わず呆気に取られてしまうほど、物凄い開き直りっぷりだった。
 私はご主人様の言葉を上手く飲み込むことも出来ず、戸惑いながら訊ねる。

「……地獄が、怖いって。思わないんですか?」

 気になった。
 控えめに言って、この罪深い生き方を生業としているご主人様でも罪悪感を抱いたりするのか。
 少なくとも、罪の意識なんてこれっぽっちも感じられない。
 毎日楽しそうに日々を生きているご主人様は、どういう答えを持っているのか。

「なんでさ? 面白そうじゃん。世界中の選りすぐった悪党を詰め込んだ所ですよ? 悪党があの手この手で拷問されるなんて、最っ高の見世物でしょ。
 善人なんてどう拷問したって面白くもなんともないの。神よ! 貴方の試練に感謝します! そんな事言い出したら萎えるからね。
 苦しめるなら悪党の方が格段にたーのしいよー? 特に自分が実はいい奴だなんて思ってる奴。そういうのが泣き叫んで許しを乞うのを蹴り落とすのが楽しいの。
 なんせ地獄なんだから。人が苦しむところを、遠慮なくざまーみやがれって指差して笑い飛ばせるんだからね」

「……」

 これは居直りというのだろうか。
 なんと言うか、開いた口が塞がらなかった。
 とうとう私は言葉を失い、けらけらと笑うご主人様をぽかんと眺めていた。

 ひとしきり笑うと、目だけで笑いながら訊ねられる。

「少しは怖くなくなったかな?」

「え」

 ――あ。

 言われて初めて、私は胸の閊えが取れている事に気がついた。
 
「上手く誤魔化せたみたいだねぇ。台風一過で綺麗さっぱり。でしょ?」

 すたすたと歩み寄って来たご主人様は、私の手から空になっていたカップをひょいと抜き取り床に置く。
 ぎしりとベッドを軋ませ身を乗り出して、間近から私を覗き込んだ。

「じゃあ、後は悲しみに効くお薬の出番だ」

「それって――」

 どんな薬ですか?

 聞き終える前に、ご主人様は私にキスをした。

「んっ」

 キスをされたまま肩を押される。
 ゆっくりとベッドに押し倒される。
 私は目を見開いたまま固まってしまって、胸元でぎゅっと手を握り締めていた。

「鈴仙の唇はカフェオレ味。ま、当たり前か」

 ご主人様はベッドに手をついて顔を離すと、ぺろりと唇を舐めた。

「あ、あ、あの」

 突然前置きもなく唇を奪われて、思考が空回りしている。
 舌がもつれて言葉が出てこない。
 そんな私の前髪についと指を滑らせて、ご主人様が微笑んだ。

「この世に足りない、最後に残る、救いの手はなんだと思う?」

 そんな謎々のような言葉を投げかけられた。

「愛さ」

 答えを探す間もなく、ご主人様はその言葉を口にした。

 愛――

「言葉にしちまうと陳腐に聞こえるけどね。それは軽く扱われてるからさ。愛の素晴らしさ。皆そいつに気づいていながら、誰も彼も目を逸らしちまってる。
 愛されたい。その当たり前の感情すら見つけられていない。
 判っちゃいない。たった一人で生まれてきたとでも思ってるのか? 不安や苦しみを乗り越える、世界に残された唯一つの救い。それが愛」

 ご主人様の手が髪を撫で、私の胸元へ。
 一つずつ服のボタンを外していく。

「で、でも、それがどうして――」

「肉欲に繋がるかって?」

 ご主人様は私の服を脱がす手を止めず、私の疑問を紡いだ。

「簡単さ。愛ってのは誰かと一つになりたいっていう願望。
 残念な事に、俺たちには心で触れ合う術がない。身体を寄せ合って引っ付くことでしか、確かめる手段がない。性の違いや差すら乗り越えて交わる為の性交だ。
 それが遺伝子を残す為のプログラム? DNAの導きだって? そっちの方がよっぽど陳腐で無機質で、非人間的だ。
 科学の発達で人間は神にでもなったつもりか? 神秘にメスを入れるな。心を分解するな。頭で考えて公式に押し込むもんなんかじゃない。ただ感じるものだ。実感するものだ」

 愛を語るご主人様の顔は、どこまでも真剣だった。
 その眼は厳しく怒っているようにも見える。
 その目を見ても不思議と怖く感じられないのは、私ではない誰かに向けられている所為なのかもしれない。

 私の服のボタンを外し終えると、強張ったまま硬直していた胸元の手にご主人様の手が重ねられた。

「俺は下衆野郎とか、ゴミとか、人間のクズとか。とにかく、生きてる間は後ろ指を差されて、死んだら指を差して笑われる類の人間。
 自分の事は良く判ってるさ。その通り。言い訳はしない。俺は今後もそういう人間のまま生きる。愛される事なんか当に諦めてる。
 けど愛する事まで諦めちゃいないのさ。
 それが罪深かろうが知ったこっちゃない。許しなんざ乞わない。俺がどれだけ相手を愛せるのか。愛し続けられるのか。問題はそこだけだ」

 まだ固まってしまったままでいる私の手が、やわらかく揉み解されていく。
 竦んでいた肩から力みが抜けていく。
 ぼんやりと穏やかに笑うご主人様を見上げていると、顎の輪郭を確かめるように撫でられた。

「鈴仙は、愛されたい?」

「愛…されたい……」

 仲間を裏切って。
 月から逃げ出して地上に降りて。
 永遠亭に匿って貰って。
 そして今、その永遠亭すらも裏切った私。

 そんな私でも。

「愛されたい…です……」

 愛されなくても仕方がないと諦められない。
 我侭で、欲張りで、臆病で、役立たずだけど。

「私、愛されたいです」

 そう願ってしまう。

 止まっていたはずの涙がまた溢れ出す。
 寂しかった。
 一人は寂しくて、心細くて、悲しい。

 この感情からは、どれだけ逃げても逃げ切れなかった。

「鈴仙」

 キスをされる。
 はらはらとこぼれ伝う涙を、キスで拭われる。
 
「悲しくなったら、いつでも俺の部屋においで」

「……はい」

 耳元で囁かれたその言葉が嬉しくて、私は手を伸ばした。
 恐る恐る触れたご主人様の身体は温かくて、その温かさに惹かれるように抱きついた。



「ご主人様、ご主人様」

 目の前の身体にしがみつく。

 温もりが欲しくてぎゅっと身体を寄せる。

 ベッドに座るご主人様の身体に抱きついて、私は腰を擦り付ける。
 ご主人様の腰とぶつかり、そのたびにお腹の中にあるペニスが複雑にうねった。

 温かい。
 気持ちいい。

「ご主じ、ご主人様ぁ」

 頭の中はとっくにとろとろに蕩けてしまって、うわ言のように繰り返し呟き続ける。
 口の中に溜まっていた唾液が、口端から少しこぼれた。

「可愛いよ鈴仙」

 その口が唇で塞がれた。
 ちゅうっと音を立てて唾液が吸われ、舌も一緒に吸い出された。

「はっ、んっ、ちゅ」

 口の中が熱い。
 こんなところにも温もりがあったんだ。

 私はおぼろげに口を吸い返す。
 口元を塞ぐその先にある温もりを、ちゅうちゅうと何度も吸った。

 気持ちよくて、温かくて、とても近い。
 こんなにぴったりと引っ付いていられる。
 心も感じ取れそうな近い距離で、繋がったままでいられる。

 これ、好き。

「ふ…ん、ん、んんっ」 

 ご主人様の舌を吸う。
 初めの頃はコーヒーの味がしていたけれどもう味はしない。
 けれど熱い。
 とても熱くて、慣れるととても心地良い温もりだった。

「んぷ、はっ。はむ、んっ」

 赤ん坊になってしまったように口を吸い続ける私に、けれどご主人様は怒ったりしない。
 私の頭を手の平で優しく撫でてくれる。
 今までされたように激しく腰を打ちつけられる事もなく、私の下で複雑にひねり、頭の中以上にどろどろになった膣内をペニスで掻き混ぜられている。
 腰を擦り付けた拍子に、剥き出しのクリトリスがご主人様の身体に擦れた。

「ひゃんっ」

 その鋭い刺激に思わず声が出た。

「ひ、あはっ、ひゃっ、んんっ」

 新しく見つけたその刺激を止める事が出来ない。
 腰は自然とクリトリスを擦り上げ、その都度お腹の中も一緒に擦られている。
 頭がおかしくなってしまいそうなくらい、気持ちいい。

「ああ、あっ、あああぁ――」

 クリトリスを擦りつける内に、私はまたイッてしまった。
 ご主人様の首元に腕を絡めたまま、ふるふると身体を震わせる。
 勢いをつけて高められてから放り出されるような激しさはなく、じわじわと滲み込むような陶酔感。
 そんな感覚にもうどれだけ酔っているのか判らない。
 何度イッてしまったのかも思い出せない。

 小さな波を幾度も積み重ねられるような心地良さ。
 
「鈴仙」

 余韻に浸っていると名前を呼ばれた。
 ご主人様の顔が目の前にある。
 だから見失ったりしない。

 だから、安心。

 ぐいと抱き寄せられ、肩口にかじりつくようにしがみ付く。
 離れかけていた肌と肌が触れ合って、温もりが伝わってくる。

「抜くぜ」

「んっ」

 私のお尻が少し持ち上げられて、ずるりと私のお腹からご主人様のペニスが引き抜かれた。
 ご主人様の身体にしがみ付いたまま、私はまた身体を震わせて後引く快感を味わう。
 少しの間を置いて、私のお尻に熱いものが降り注いだ。

「……はぁ」

 その熱さにため息を洩らしながら、ちらりと振り返る。
 私のお尻に白っぽいどろどろの粘液が掛かっている。
 ご主人様のペニスから吐き出された精液。
 それと判っても嫌悪感はなかった。

 とても温かい。
 お尻が撫でられ、ご主人様の手が降り注いだ精液を肌の上で伸ばしていく。
 身体の中まで温もりがしみ込んでくるよう。



 温かい泥に包み込まれるように、私は眠りにつくまでご主人様に愛され続けた。


 
xxx  xxx



 かちゃりと、再び鍵の開く音。

 目が醒めて戻ってきたのかな?
 だったらいいんだけど。

 ドアが音もなく開き、開いた先には誰もいなかった。

「鈴仙?」

 私が廊下の向こうへ呼びかけると、

「俺だよ、俺! 俺俺! 事故ったから口座に一〇万振り込んでくれよ!」

 鈴仙とは違う男の声が聞こえてきた。

 げ。
  
 誰かなんて考えるまでもない。
 あの赤いのだ。

 訳の判んないことをほざいた後に、ドアの向こうからひょっこりと顔を見せた。

「ATMの使い方って知ってる?」

「知るか。事故に遭ったんならいっそ死ね」

 憎まれ口を叩いてべっと舌を出した。

「Good! そいつが正しい反応って奴ですよ。騙されないコツは、親兄弟だろうが他人だって思う事。脛齧りなんざ間引くに限る」

 男は怒り出すかと思ったけど、意外にも手を叩いたりしてけらけらと笑った。

「……鈴仙はどうしたのよ」

 にやにやと笑いながら部屋に入ってくる男を睨みつける。
 確か、部屋の鍵は鈴仙が持っていたはずなのに。

「鈴仙なら俺の部屋でぐっすりお休み中。眠っても俺を離してくれなくてね。いやー、抜け出してくるのに苦労しましたよ」

 男は側に寄ってくると、私の周囲をぐるぐると回り出す。
 口元に嫌なにやにや笑いを貼り付けたまま、視線は常に私に向けていた。

「はっ、この強姦魔。自分のちんこでも噛んで死ね」

「おほっ。会話して数秒で二回も死ねって? 残念、人間はどうやったって死ぬのは一回だけです。てゐってば死ね死ね団の人なのかなー?」

 男はぐるぐると回り続ける。
 私はその姿を目で追いながら、注意深く観察した。

「あんたみたいな人間に、気安く名前を呼び捨てにされるいわれはないんだけど?」

 私の言葉にどういう反応を示すのか。 
 こいつが外道だってことはとっくの昔に承知済み。

 後は細かい性格を把握して、そこから隙を窺う。

「アメリカじゃファーストネームが普通なんだけどね。古式ゆかしい日本式が好みですか? 因幡サン」

 聞き慣れない言葉は全て聞き流した。

 こいつは嘘つきだ。
 直感的に私はそれを悟っていた。

 嘘を相手に信じ込ませるにはどうすればいいのか。
 まず意表をついて、真実を織り交ぜる。
 こいつは聞き慣れない単語で私の気を引こうとしていた。

 けどお生憎様。
 嘘で私と張り合おうなんて百年早い。
 年季が違うんだから。

「それで? わざわざ私の周りをぐるぐる回りに来たの? あんたは鮫か」

「まさかまさか。鈴仙が眠ってる間にやる事やっておこうと思ってネ。因幡サーン――おっと」

 背後に回り込んで肩に手など置いてきたもんだから、私はその手に噛み付いてやろうとした。
 寸前で素早く避けて、私の歯はがちんと空気を噛んだ。

「おーこわっ。どっちが鮫だか判りゃしねーですね」

 ひひっと背後で男が笑い、がくんと私の身体が後ろに傾いた。

「何すんのよ!」

 イスの背もたれを掴んで、そのまま引きずり出す。
 私の言葉に聞く耳を持たず、男はそのまま部屋の中にあったもう一つのドアの中へと私を連れ込んだ。

 狭苦しい部屋で、浴室と厠が一つになっていた。

「キコキコパキーン! 利尿剤ー!」

 男は真っ赤な外套に手を突っ込み、そんな口上と一緒にもったいぶる様にして手を抜き出した。
 指で摘んでいるのは四角い紙のような袋。
 端を千切り取り中身を洗面台に置いてあったコップに注ぐと、蛇口から水を加えた。

「……何する気?」

 嫌な予感しかしない。

「膀胱の洗浄」

 男は水を注いだコップを片手に、へらへらと笑って背後に回る。

「ちょ、ちょっと。やめ」

 ぐいと顎を捕まれ上を向かされると、口の中に指が突っ込まれた。

「ん、んーっ!」

 外れるっ。
 顎が、外れるって!

 指なんてもんじゃない。
 手を無理矢理突っ込まれて口を開けさせられ、舌を摘まれた。

「はーいどんどん飲もうねー」

「んぐーっ!」

 口の隙間から水が注ぎ込まれた。
 もがいてもがっちりと固定されてしまって暴れることもままならない。
 舌を引っ張られているので口の中に溜めておくことも出来ない。
 流し込まれる水に咳き込んだ。

「はーい、よく出来ましたー。えらいぞてゐちゃん」

「げほっ、ごほっ! ……ちっくしょう!」

 咳き込んだ拍子に戻した水と、私の涎でべたべたになった手を口から引き抜き、男はコップを洗面台に戻す。
 思いっきり噛んでやったが、堪えた様子もない。
 手にはくっきりと私の歯の跡がついて、それを見せびらかすように舐めた。

「んじゃ、効果が出るまでちっくら遊ぶとしますか」

「ぐっ、この。触るなっ!」

 イスに縛り付けられたままの私の前で腰を下ろすと、無遠慮に手を突っ込んできた。
 私のスカートの中へ。
 下着を半ばたくし下ろすと、あろう事か私の股間を撫で回し始めた。

「このっ、やめろ!」

「はーい聞こえませーん。うわー、つるっつるじゃないですかー。いよいよもってロリくせぇですね。
 おまけに胸もぺったんこですからね。あー、やだやだ」

濡れた手で私の股間をいじくりながら、空いた手は服の上から私の乳首を探り当てる。

「ぎっ! いたっ、いたいっ! つねるなこのバカッ!」

「感度は悪くーねと。ま、性感帯が集中してんのは先っぽだから当然だねぇ。揉み応えは――とほほだけどネ」

「あんたが下手なのよ!」

 しゃがみこんだ男に向かって唾を吐く。
 唾は男の頬に当たり、それでもあいつはにやにやと笑っていた。

「んふっ。元気があって結構結構。ま、それもいつまで保つかって話なんだけどネ」

 男は吐き捨てた唾を軽く拭って、私の股間を揉みしだく。
 下着の奥に突っ込んだ手で直に肌に触れてくる。

「……このっ、や、やめろっ。バカァ、変態っ!」

「イヒ。判っちゃいないですねぇ。お兄さんバカで変態でクズなんですよ? やめろったってやめるはずないでしょ? ほら、楽しく歌でも唄いましょ」

 私の股間をいじくりながら、男は本当に歌いだした。

「お~おきな お耳の 因幡てゐ♪ おにぃ~いさんの 奴隷~♪」

「やめろって、言って」

「縛られ いつも~騒い~でいた~ ごじま~んの奴~隷さ~♪」

 男は私の悪態と非難をかき消すように、バカみたいに声を張り上げて唄った。
 その間も手は止まる事無く動き続ける。

「お兄ぃ~さんの 目覚めた朝に 買ぁって~きた奴~隷さ~♪
 今は もう 逃げれない そのど~れ~い~♪」

「バカじゃないの、この、ほんとに」

 私は何とか指から逃れようと腰をもぞもぞと動かすけど、縛り付けられたままで逃げられない。
 単純に触られて気持ち悪いだけだったのが、徐々に別の感覚が下腹部を襲っていた。

「毎日 休まずに アク セク アク セク
 お兄ぃ~さんと 一緒に アク セク アク セク
 今は もう 逃げれない そのど~れ~い~♪」

 もう男の意図は判っていた。
 さっき私に無理矢理飲ませたものがなんなのかも。
 指先は陰核を避け、膣にも向かわずに私の尿道をずっと刺激し続けている。

 もう、知らん振り出来ないほど尿意は強まっていた。

 下腹に力を入れ過ぎて痛い。
 急な腹痛に襲われる私に、男はにやにやと笑っていた。

「我慢はいけませんよー。膀胱炎になったら大変だ。ウフ。ウフフ」

 こいつっ――!

「このっ――ド変態が!」

「変態ですか? 変態です。イヒ! 変態最高! それじゃみんなの歌、二番いっくよ~?
 喚い~て ばかりいる 因幡てゐ♪ おにぃ~いさんの 奴隷~♪」

「ああ、ぐぅ!」

 男は再び歌い出し、指先で私の尿道口をくすぐりだす。
 私は悪態をつくことも出来ずに、固く歯を食いしばって尿意に耐えた。

 けど、いつまでも我慢し続けることも出来なくて。

「あっ、いやっ」

 ちょろりと少量こぼれた。

 後は、もう止められなかった。

「うあ、うわああっ!」

 おしっこがこぼれる。
 イスに縛りつけられたまま。
 お漏らしをするように私の下半身を濡らしていく。
 溢れ出したおしっこがぴちゃぴちゃと音を立て、床へ流れ落ちていった。

 ……ちっくしょう。

 恥ずかしくて、悔しくて堪らないのに、放尿の開放感が同時に私に訪れていた。

「てゐのおしっこ。温かいなりぃ」

 あの赤いのは恍惚とした表情で私の尿を素手で受けると、ようやく私の股間から手を引き抜いた。

「うふ。マーキング終了っと。どれどれお味の方は……」

 私のおしっこで濡れた手を、平然とぺろりと舐めた。

「ん~、しょっぱい。糖尿病の気はないみたいだヨ。ヨカッタネ」

 私は涙の滲む目で睨みつけた。

「くたばっちまえ」

 目にゆらりと憎悪を灯らせて、呪いの言葉を吐き出した。
 
「そうそう。その意気だよてゐ。憎しみを駆り立てて俺を憎むといいヨ。こっちはこっちで好き勝手にてゐで遊ぶだけだからネ」

 荒っぽく頭の上の耳を掴んで、私の顔を覗き込んできた。
 どろどろとした黒い瞳。
 その瞳から真っ向と睨みあい、私は目を閉じた。
 痛みを我慢して首を反らす。

「精々楽しませてもら――」

「でりゃ」

 ごっ。

 男の言葉が終わる前に、顔面に頭突きを叩き込んでやった。

 赤いのは足を滑らしたのか床に尻餅をついて倒れる。
 後ろ手に両手をついたまま目を丸くしてきょとんとしていた。

「はっ。調子に乗るな。バーカ」

 間抜け面のままたらりと鼻血を垂らした男に、もう一度唾を吐いてやった。
 今度は手で叩き落されたが、一矢報いてやった分だけすっとした。

 まあ反撃したところで、間違いなく私の立場を悪くするだけなんだけど。
 好き勝手絶頂に油断させておいた方がいいとは判っていたけれど、そういった打算よりも怒りが上回った。

 男は呆然と私を見つめた後、ひっと咽喉を鳴らした。

「おっもしれぇ」

 床に尻餅をついたそのままの格好で、けらけらと笑い出した。
 てっきりすぐに手を上げてくるかと思ったが、腹を抱えて笑っている。
 本当に心底楽しそうだった。

「いや~、今のは良かった。お兄さん、すぐ調子に乗っちまうのが癖でね。悪い癖だと判っちゃいるけど、こいつが治らなくってねぇ。
 咽喉元過ぎれば熱さを忘れるって奴ですよ。最近どーも忘れっぽくてね。ひひひ!」

 ……何こいつ。
 この手の外道は攻撃に対して徹底的に仕返ししてくるもんだと思ってたけど。

「ここで提案。縛られたまんま俺に洗われるのと、解かれて自分の手で洗うの。どっちがいい?」

「……自分で洗うのがいいに決まってんでしょ」

 何決まりきったこと訊いてんの?
 アホなの?

「あっそ。そりゃ残念。あ~、風呂の使い方判る?」

 赤いのは懇切丁寧に見慣れない風呂の使い方を説明すると、

「んじゃ解いたげる」

 あっさりと私を縛り上げていた縄を解いた。

「……」

 私はずり下ろされていた下着をたくし上げ(濡れてて気持ち悪かったけど、ひとまず我慢)、縛られていた腕を擦りながら赤いのを睨みつけた。
 
「それじゃ、ごしごしと洗ってね。ああ、その椅子は適当に水で流しといてくれりゃいーですよ。
 じゃあねん」

 私の敵意を気にも留めずに赤いのは手際よく縄を束ねると、ひらひらと手を振って浴室から出て行った。

 ……これって罠?

 私はそっと男が去ったドアに近寄った。

「がぁう!」

「ひょわっ!?」

 いきなりドアが開いて吠えられ、私は飛び上がって驚いた。
 ドアの前で、あの赤いのが待ち受けていた。

「驚いた? 驚いた? 素でびっくりしたよね? ひょわっとか言っちゃうんだもんね。お兄さん意地悪だから、油断しちゃダメよ? いひひひ」

「――このっ、豆腐の角で頭でも打って死ね!」

 私は手近にあった物を握り締め、それが何かを確かめる前に男へ投げつけた。
 赤いのは投げた物がぶつかる前に素早くドアを閉め、跳ね返ったものがてんてんと私の足元に転がった。

 私が投げつけたのはへちまだった。

「豆腐で死ねるんだからへちまだったら即死だネ。おー、怖い怖い」

 ドア越しにくすくすと笑う声が聞こえて、それを最後に静かになった。

 また待ち伏せしてるとか、ないでしょうね?

 今度はじっくりと注意深く、慎重にドアに近寄り、ドアノブを下げると同時に蹴り開けてみた。

 部屋の中にあの赤いのの姿はない。
 今度こそ部屋から出て行ったようだ。
 部屋のドアを確認したが、鍵はきっちりと閉まっていた。

「……ふん」

 しばらくノブをガチャガチャとやってから、鼻を鳴らして浴室に引き返した。
 赤いのがいなくなったので、遠慮なく衣服を脱いだ。

 一筋縄でいかないって訳だ。
 まあいい。
 このてゐ様と騙し合いをやろうだなんて。
 身の程ってもんを判らせてやる。

 その前にまずは。

「さっぱりしないとね」

 汚れた下着を眺めてため息をつく。

 お漏らしなんて一体いつぶりか。
 薬を飲まされたから仕方ないとはいえ、自分自身嫌になる。

 あの赤いのはいずれ口封じに始末しないと。 

「口が軽そうだったからなぁ」 

 絶対喋る。
 間違いなく喋る。



 嘘つきは嘘つきを知るって奴ね。


xxx  xxx


 てゐの様子がおかしい。

「あは。私の手の中でぴくぴく脈打ってるわよ。にぎにぎされるのがそんなにいいの?」

 おかしいと言うか。

「こんなに大きくなって。なんだか私にちんちんが生えたみたいで、妙な気分になっちゃう」

 ……どう言えばいいんだろう。

 私はふつふつと湧き上がる胸騒ぎを覚えながら、ベッドから離れた椅子に腰掛けて、ご主人様とてゐが絡み合う様子を見つめていた。



 今日になって、てゐは突然態度をひるがえした。
 あれだけご主人様に敵意を向けて、永遠亭に帰ると豪語していたのに、部屋に訪れたご主人様に全面降伏をした。

「なんでも言うことを聞くから、痛いのはなしにして」

 神妙な顔つきで拝むようにして懇願していた。
 てゐの事だから嘘だと思った。
 嘘をつくにしてもご主人様なんだから、相手が悪いとも。

 ご主人様はてゐの態度を疑うよりも、まずパンツのジッパーを下げてペニスを取り出した。

「オーケー。とりあえずしゃぶれよ」

 これを聞いたてゐは怒り出して、ご主人様の股間を蹴り上げたりしないかひやひやしながら、赤いジャケットの背後から見ていた。
 きっと私にも皺寄せが来るだろうと思っていたから。

 けれど。

「まずは口ですればいいのね。初めてだから、やり方とかちゃんと教えてよ?」

 てゐは迷いも躊躇いも無くご主人様の前に跪いて、ペニスを口に含んで舐めだした。

「そうそう。先端を舌でレロレロして。あと雁首も忘れずに」

「ここ? ん、はむ。……あは、大きくなってきた。気持ちいいの?」

「まあまあね。口に含んで、歯は唇で覆うようにネ。歯を立てようが噛もうが構やしねーけど」

「冗談。噛み千切ったりしないわよ。
 ほーお? ひもひいい?」

「いきなりフェラが気持ち良く出来たりする程、こっちの世界は甘くねーですヨ。
 まあ殊勝な態度は評価しましょう。続きはベッドでするか」

「んく、ぷあ。
 順番に、手取り足取り教えてもらうわ」

 てゐは口を離すと、ご主人様の反り返るペニスにうっとりとした表情で頬ずりした。

 ……どうなってるの?

 私は目の前の光景を呆然と立ち尽くしたまま見守るしかなかった。



 そして今、腿に座る形になったてゐがご主人様のペニスを手でしごいていた。
 二人ともとっくの昔に服を脱ぎ捨てて、裸で身体を密着させている。
 ペニスの棹を前後にしごくてゐを、ご主人様は背後から抱きすくめている。
 てゐの小柄な身体は、ご主人様の腕の中にすっぽりと収まっていた。

 てゐの恥毛一本生えていないないぷっくりと膨らんだ恥丘の下で、てゐの唾液と先端から漏れ出したカウパーで濡れたご主人様のペニスが、照明を艶かしく反射させている。
 てゐの言葉通り、本当にペニスが生えているように見えた。

 てゐは首を反らしてご主人様を見上げた。

「さっきから、胸ばっかり。私の胸なんて触って、楽しいの?」

「おっぱい大好き!」

「良く言うわ…はぁ…人の胸のこと、散々バカにしておいて」

 熱っぽいため息を洩らしながら、呆れたようなてゐの声。
 ご主人様は手を休めずに、手の平を使って回すようにてゐの小さな膨らみを揉み続ける。

「そりゃ俺にだって好みはあるさ。趣味の範囲で優劣はつけるよ。
 けどまあ、おっぱいはおっぱい。そこは変わんねーですよ。おっぱいはコワクナーイ」

「はっ、んっ…意味、判んない」

 背を小さく左右にねじりながら、てゐは今まで見たことのない艶やかな笑みをこぼした。

「そっちこそ下手だなんだと言っておいて、今更おためごかしの一つも聞かせようっての?」

「あら、気にしてたの? あんなの売り言葉に買い言葉よ。気にしてるようなら、撤回するわよ?」

「ま、下手だろうが上手かろうがセックスなんてもんは楽しめりゃそれでいーんですよ。実際のとこはどーでもいーかな」

「じゃあ私は私で楽しませてもらうわ。代わりに私が楽しませてあ・げ・る」

「……」

 二人の会話を、私は黙って聞いているだけだった。

「棹は指を丸めて包む感じでね。強く握ってもいーけどそれじゃ返って乗り切れねぇ場合がある。
 雁首を意識して手に当てるようにすると、大分違ってくる」

 愛撫と共にご主人様が指示し、

「ふーん。ただ擦ればいいって訳でもないのね。こう?
 こっちの袋の方は触らなくてもいいの?」

 てゐは実践しながら積極的に手を動かし続けた。

「玉袋はフェラと絡めるといいから、手扱きの時ゃほっといていーよ。そこはまあ、おまんこのびらびらと同じと考えりゃいい。
 ここと一緒」

 ご主人様の手が下へと伸びて、てゐの秘所を指先でくすぐるように動く。
 てゐは神妙な顔つきで股間を見下ろした。

「……んー、なんかむず痒いと言うか、焦れったい感じ」

「つまりそういう事」

「なんか判ってきた気がする。一番感じるのって、ここでしょ」

 悪戯を思いついたような笑みを浮かべて、片手で棹を擦りながらペニスの先端、亀頭部分に手の平を当てて円を描いた。

「ご名答。ちなみにそこは女性器で言うとこのクリちゃん。ここね」

 ご主人様は口元を吊り上げると、てゐの膣口をなぞってから包皮の下に隠れていたクリトリスを直に指先でこねた。

「んっ……そこ、刺激強い」

 てゐは鼻に掛かった悩ましい吐息を洩らして、刺激から逃れるように腰をくねらせる。
 ご主人様はてゐが逃れると指を止め、クリトリスの周囲を指の腹で摘むように揉み始めた。

「刺激が強過ぎると、気になって集中出来ねーだろ? 刺激が強いのは悪かねーけど、いきなり直に触れたりせずに順序だててしろって事。
 指で触る前に舌で舐めて濡らすなり、ローション使うなりして。指って敏感な場所に触れるにゃ案外硬いからね。
 それと一緒で、痛みが加わると快感が吹っ飛んじまう。強過ぎる刺激は痛みとして判断しちまうのさ」

「でもさっきは噛んでもいいって言ったけど?」

「中には痛みも快楽に置き換えちまえる奴がいるって事。今はヘテロセックスの初級編、男女の性器構造の違いについてってとこかね。
 そっちについて知りたきゃ、マゾ講座でね」

「それって、叩かれて気持ちいいってこと? ……異常ね」

「セックスに正常だの異常だのはありゃしませんよ。
 サドもマゾもヘテロもアナルもレズやホモにしても、異常でも何でもねーの。セックスにあるのはルールとマナーだけ。
 それさえ踏まえりゃ、まあ大体どんなプレイだって楽しめる」

「痛いのはお断りね」

「オーケー。別に無理して新しい性癖をくっつける程、俺だって暇を持て余してる訳じゃねーからな」

 てゐにされる説明を耳にしながら、私は少なからず驚きを抱いていた。

 ご主人様は意外なくらい真面目に、てゐの言葉一つ一つに対して答えていた。
 そういった態度に対してもそうだけど、今まで男女の身体の違いなんて意識した事は無かったし、ご主人様が本当に気持ちいいのかどうかまで考えた事がない。
 ご主人様とのセックスは際限がないのではないかと思える程で、いつも私の方が先に音を上げてしまう。

 ……今までずっとそういう事を考えたり、念頭に置いたりしながらセックスをしてたのかな。

 底無しの性欲と割り切っていたものが、知識に裏打ちされた技術なんじゃないかと思えた。

 そんな今まで知らなかったご主人様の新たな一面を知る一方で、

「んく、はっ。なんか、くすぐったいのが、ちょっと変な感じに」

「そうそう、その調子。まずは一人上手になるとっから始めればいーよ。
 ロジックさえ覚えてりゃ、後は好きに応用して試してみな」

 もやもやと晴れない気分を抱いている自分に気がついていた。

 ……。

 私は、ご主人様とてゐがベッドの上で肌を重ねる様子を、ただ見ているだけだった。






「初めはこのくらいにして、続きは晩飯の後でネ。シャワーの一つでも浴びて汗を流しな。暇がありゃ予習復習も忘れないように」

 ご主人様の仕事は唐突に終わり、てゐの身体をベッドに残して降りた。

「……むー。結局あんたを一度もイかせず終いじゃない」

「舐めてもらっちゃ困るね。俺が何年この仕事やってると思ってんの。俺くらいになると勃起も射精もコントロール出来るっての」

 不満げに濡れた手を見下ろすてゐに、ご主人様は笑いながら衣服に袖を通した。

「はいおっきしてー。はいうな垂れてー」

 証拠を見せるように、ご主人様は指も触れないままペニスの状態を言葉だけで変化させてみた。

「……なんか蛇がくっついてるみたいね」

 それは私も同感。

 触れもせずに独りでに動くペニスの様子は、別の意志を持った生き物のようだった。

「蛇は男根の、兎は性欲のシンボルってね。想像力を絶やさず、妄想に励むといーよ」

 いつもの調子でけらけらと笑って、パンツを上げたご主人様は部屋から出て行く。
 私はてゐの変わり振りが気になったものの、その赤い背中を追いかける事無く、てゐの部屋に残った。

「ふぅ」

 てゐは脱いだ服に手を伸ばそうともせずに、ベッドの上に転がって気だるげなため息を一つ洩らした。

「……てゐ、何を考えてるの?」

 ベッドの上でごろごろとするてゐに、私は訊ねた。

「何が?」

 てゐは首をひねって、椅子に座る私を見つめた。
 きょとんとした顔つきで、何を言われているのか判らないといった風。
 
「何がって、判ってるでしょ? 貴方が、急に大人しくなるなんて」

 てゐの性格からして、ちょっとやそっとでへこたれたりはしない
 姿に似合わず逞しいし、実際私よりもずっと長生きをしている、迷いの竹林の長老だから。

「ふーん。おかしいの? それって」

 てゐは気のない生返事を返してきた。

「おかしいわ。まるで別人じゃない」

 今日見せた態度は明らかに不自然だ。
 付き合いが長いだけに、陰で何か良からぬことを企んでいるのではと勘ぐってしまう。
 それは多分、間違いではないはずだ。

「私は一日良く考えてみただけよ。だって逆らったりしたら痛い目を見るのはこっちなんでしょ?
 鈴仙も言ってた通り、悔しいけど手も足も出ない。助けが来るとも限らない。
 師匠も姫もいないんだから、自分で考えるしかないでしょ?
 痛い目を見てから同じ目に遭うなら、始めっから言う通りにした方が痛い思いしなくてすむじゃない。縛り付けられるのはもう懲り懲りよ」

 てゐは手を持ち上げるとひらひらと振って答えた。

「それは……そうだけど」

「それに考えてみれば悪いことばっかりじゃないし。狭いことさえ我慢すれば何もしなくても三食きっちり出て来るし、風雨に晒されてるわけでもないし。
 気持ちいいことはもうちょっと上達が必要かな? でも痛くはしなかったし、あいつの言ってた通りすぐ慣れちゃうんだろうし」

 てゐはごろりと寝返りを打ってうつ伏せになると、指折り数えながらここでの利点を挙げていった。

「それとも何? 鈴仙が痛い目に遭ったから、私も痛い目に遭ってからじゃないとここに居ちゃダメなの?」

 てゐの黒い目に覗かれて、私の胸がどきりとした。
 考えてもいなかった事を口にされて、ひょっとしてそれが私の真意なんじゃないかと思えてくる。
 てゐの態度が気になるのは、私が自分の立ち居地を脅かされると思ってるだけなんじゃないかと。

「そんな事は、無いけど」

 何とかその言葉を否定しながらも、自分自身妙に薄っぺらい言葉に聞こえた。

「じゃあそういうことでね。ま、前みたく仲良くやろうよ。同じご主人様に買われてるペット同士、立場は一緒なんだし」

「……う、うん」

 何か釈然としないものの、私はそれ以上てゐを追求する言葉を失い頷いた。

 てゐは誰かにすがらずとも、独力でなんとかしてしまえる逞しさのようなものがある。
 そんなてゐだからこそ今までの生活に見切りをつけて、新しい生活に馴染もうとしているのかもしれない。
 私がにわかに信じきれなかったのは、負けん気の強いてゐが素直にご主人様に従う訳が無いという先入観だったけれど、思考の切り替えが私よりも格段に早かったという事だろうか。

 てゐはようやく身体を起こしていつものワンピースにもぞもぞと頭を突っ込み、私はこれ以上この場に留まるのも何だか居心地が悪かったので席を立った。

「あ、そうだ。鈴仙」

「何?」

 服に袖を通したてゐが、人参のペンダントを揺らしながら小走りに私の元まで近寄ってきた。

 同じ立場なんだから、鍵をかけるなとか言うのかしら。

 悪戯っぽい笑みを浮かべたてゐの言葉に、

「初めに言っておくけど、もし鈴仙のご主人様を盗っちゃったとしても恨まないでよね?」

 私の心臓がどきりと大きく鼓動した。

 ……盗っちゃう?
 ご主人様を?
 私から?

 私はどんな表情を浮かべているのかも判らずに、見上げてくるてゐの顔をただ凝視していた。

「選ぶのは向こうなんだから」

 私が感じていた嫌な予感は、おぼろげに別の形へ変わろうとしていた。



xxx  xxx



 一体何があったのかしらん。

「はぷ、ちゅっ。んちゅっ」

「ん。んんっ、ん」

 面白い事になって来てんじゃねーの。 

 俺はまたぐらに顔を寄せる二人を眺めて楽しんでいた。
 勿論見て楽しむだけでは済まない。
 なんせ二人して俺のちんぽを一生懸命チロチロペロペロナメナメしているもんだから、愚息がエッフェル塔。

 Wフェラなんてエロ本でありがち。
 AVでも目敏く探せば見つかるだろうが、見るのとされるのとは訳が違う。
 絵に描いた餅じゃ腹の足しにもなりゃしねぇ。

「んぶ、んっ、はむ、んっ」

 てゐは小さなお口を広げて、迷いも無く亀頭を口に含んでいる。
 俺の言いつけを覚えているのか、顔を左右に振って唇を使っている。
 唾液の溜まった口の中の温もりといい、舌やほぞの擦れ具合といい、中々飲み込みが早いもんだ。

 実際ちんぽ飲み込まれてる訳だけども。

 あ、俺上手い事言った?

「はあ、んっ。んむっ、はっ」

 鈴仙の方は棹を咥えては舌で舐め続けている。
 メインはてゐに盗られちまってるけども、棹舐めはあるとなしでは大きく違う。
 いかにも不慣れな動きで、舌先を尖らして反応を窺うように突いてくる。

 当初さんざ肉欲を拒んできた鈴仙が、自分から進んでフェラしてるってのはポイントが高い。

 総評。
 フェラはフェラでいいもんです。

「うぷっ。はあ……だらしない顔。私たちにされて、そんなに気持ちいいの?」

 俺のカウパーと混じって糸引く唾液を吸いながら、てゐは思わせぶりな言葉なんぞ投げつけてきた。
 台詞回しがちとざーとらしいが、セックスはコミュニケーションの産物だ。
 視覚嗅覚味覚触覚を用いるわけだから、聴覚だってフル回転させるのがセックスを楽しむ際の前提だ。

「……」

 鈴仙も気にしてるのか、フェラるには些か邪魔な前髪を掻き上げながら上目遣いに俺の様子を見上げた。
 相変わらず被虐的な目つきで、男心をくすぐる良い目つきをしてくれる。
 本人の自覚があるとは思えねーから、天然ですねこりゃ。

「絶景を楽しませてもらってますよ。目の前のもん見たら気持ちいいかどうかなんて判るだろ?」

 頬の肉が緩んでいた自覚はあるんで、否定はしなかった。
 これこそ奴隷商人兼調教者としての醍醐味って奴だ。
 立派に育ってくれて(片方は育てた覚えもねーけど)、お兄さん嬉しくって息子が代理に感涙です。

 逆に言えば、これっくらいの役得の一つもないと、ここでの生活はやってらんねぇんですけどね。

「ふふん。もっと気持ち良くして、私たちから離れられない身体にしてあげるわ」

 てゐは生意気な口こそ利いているものの、技術的には及第点どころか落第赤点だ。
 勃ててカウパー漏れまではイマジナリィで補える。
 五感の一部を意図的にカットして、妄想を程好くこねこねしてやりゃ生理現象なんてものはコントロールが可能だ。

 悲観論者は言いました。
 精神とは肉体の奴隷である、って。

 逆だったか?

 ま、いーや

「はぁ。こりゃまた末恐ろしい兎さんを買っちまったもんだ。その時を期待して、ご褒美でも上げましょうかね」

 俺は心にも無い台詞を吐きつつ、衝立にしていた両手をそれぞれの胸に伸ばした。
 乳房を揉んでこねて撫で回す。
 ワンクッション置いてから乳首へ。

「やっ、んっ」

 てゐは少し身じろぎをした程度だが、鈴仙は驚いたように口を離して身体をねじった。
 が、俺の手からは逃れない。

「鈴仙ちゃん、おっぱいでされるのも好きだろ?」

「はくっ。れも、今はご主人様に、してるから」

 もじもじと肩を縮めてはいるものの、俺の手を跳ね除けるほどじゃない。
 目に見えて動きの鈍った舌で、一生懸命俺の棹を舐め続ける。
 俺に気持ち良くするのと、俺に気持ち良くされるのとで板ばさみってとこですか。

 あー、もう。
 可愛いじゃねーですか。

「ほら、ご褒美なんだから気持ち良くなってもいーんですよ」

「……はぁっ」

 手の平にたぷんと揺れる乳房を感じながら、摘んだ乳首をコリコリしてやると、鈴仙は熱っぽいため息を洩らした。
 吐息が濡れた棹に当たって、俺のイマジナリィが脳天直撃。

 セガ・サターン。

 誰が土星人だ。

「確か、こっちの袋もいいんだっけ?」

 俺が脳内のセガ派を駆逐している間も、てゐは俺のちんぽを弄繰り回していた。
 股の下へ潜り込んで、玉袋を揉んだりつついたり皺を伸ばしてみたりしている。

「良く覚えてたね。丸をあげましょう」

 俺は見上げるてゐに指で丸を描いて見せた。

 花丸はいい子にしかあげません。

「ふふん。こう見えて物覚えはいいつもりよ。
 それにしても、変な形してるわね。男って。棒に玉と袋がついてるなんて」

「自分は股に鮑くっつけてる癖に? ま、ちんぽやまんこの形を考えたとこで意味なんてねーですよ。
 生き物の構造なんてなるべくしてなったもんだから、そこに理由付けした所で今更形が変わるわけでもねーし」

「それもそうね。
 ……うわ、結構伸びる。ほら鈴仙、そっち引っ張って。どこまで伸びるか試してみよ」

「え」

 てゐの提案に、鈴仙の動きが止まった。
 おずおずと上目遣いに俺の顔色を窺ったりしてくる。

 そんな顔をされたら、甘い顔の一つも見せてやりたくなるじゃないの。

「はっはっは。やってみるがいいさ。別に怒りゃしねーから」

 顔にかかる前髪を撫で上げて、耳の付け根をくすぐった。

「は、はい」

 おずおずと俺の棹を持ち上げて、てゐと二人で玉袋に手を寄せる。
 子供がするように(或いは子供にするように)、両頬を手で摘まんで左右にぐにっと引っ張る。
 あれの玉袋バージョンだ。

「うわ」

 袋を摘まんだ鈴仙は、呆気にとられたような顔になった。

 鈴仙ちゃん。
 人の玉袋伸ばした感想がそれですか?

「……ほんとに玉が入ってるのねー」

 皺が伸びて明確に浮き出た玉の形を指先でなぞった後、てゐは遠慮なく指先で弾いた。

「はおう!」

 世紀末!

「あれ。痛かった? ごめーん」

 思わず内股になりかけた俺に、てゐはにやりと邪悪に笑った。

 今のは弾いたっつーよりデコピンだ。
 軽い声といい、浮かべた笑みといい、これっぽっちも悪いと思っちゃいねーですね。
 棹も玉も付いてないと、平気で粗末な扱いをするから困る。

「……ありがたーい玉なんだから、もちっと丁寧に扱おうな?」

「はーい」

 てゐの悪戯に対しても、俺はにっこり笑って許してやった。

 覚えてやがれこのクソガキャ。

 恩は水に流せ。
 恨みは石に刻め、がお兄さんの信条です。
 お兄さんの心は四万十川よりも狭くて、猪苗代湖よりも浅いのヨ。

 そんな心境はおくびにも出さずにロップイヤーみてぇに垂れた耳の裏筋をなぞったり、

「くすぐったい」

 などと言われてその耳で払われたりなんぞして。

 ま、てゐはいいとして。

 俺は視線を鈴仙に移した。
 鈴仙の方は慎重な手付きで(逆に慎重過ぎて今一つガッツがない)俺の玉袋の触り心地を確かめている。
 俺がじっと見つめたもんだからか、すぐ視線に気がついてびくりと肩を震わせた。

「あ、あの。痛くしましたか?」

「全然? さあ鈴仙ちゃん。俺の事はいいからナメナメする作業に戻るんだ」

「あ。は、はい」

 鈴仙は俺の棹の位置を戻すと、口付けをしたりぴちゃぴちゃと音を立てて舐め始めた。

 後で補習が必要ですね。






 という事で日と場所を変えて、補習を開始。
 鈴仙の部屋で個人指導だ。

 個人指導って何か響きがエロくて良いやね。

「うぷ、うっ。うぐ、うぅっ」

 呑気な俺とは打って変わって、鈴仙は開始早々五分と経たずに涙目だ。
 固く握った手を胸に当て、閉じた目尻に涙を浮かべてフェラを続けている。
 眉間に縦皺を浮かべる様子は苦行に耐えるそれ。

 俺は別段鈴仙の頭を抱き寄せたり、咽喉の奥まで突っ込むような真似はしていない。
 ちんこの亀頭部分を口に含んでいるだけでそうなった。
 舌の動きは舐めるってよりも、吐き出そうとしているものの涎で滑って上手くいかねぇって感じだ。 

 ふむ。

 俺は顎を一撫でして、鈴仙の上顎辺りを狙ってちょいと腰を動かしてみた。

「うぐぇっ」

 それだけで鈴仙は過剰に反応し、とうとう堪え切れなくなって顔を逸らして俺のちんぽを吐き出した。
 床に膝を付いて崩れ落ちたまま、げっげっと咽喉を鳴らして嗚咽する。

 なるほどねん。

「オーケー。良く辛抱したね。もういーよ」

 息子を片付けてベッドから立ち上がった俺を、鈴仙ははっとした顔で見上げてきた。

「ま、待って。待って、下さい。今度はちゃんと、ちゃんと出来ますから」

 赤い瞳に涙を滲ませていながら、藁にすがるように訴えてきた。
 殊勝を通り越して痛々しい姿を見せる鈴仙に、俺はため息を交えて肩を叩いた。

「何言ってんですか。おえってなるんでしょ? 無理しちゃいけませんヨ」

「平気ですから。ちょっと咽喉に詰まっただけで、今度は本当に上手く出来ますから」

 優しく言い聞かせたつもりなんだが、鈴仙はますます怯えた表情を浮かべて腰に取りすがってくる。
 咽喉に詰まっただなんて見え見えの嘘までついちゃって。
 返って不安を煽っちまった。

 愛情ってのは匙加減が難しい。

 俺はもう一度ため息をついて、鈴仙の両肩に手を乗せる。
 その場にしゃがんで、真正面から目を覗き込んだ。

「今すグ、回れ右シテ、口を濯いデクる。イイ? これハ命令」

 愛情が通用しないなら、判り易い恐怖で動かすしかない。
 人は目の前にある恐怖に対して反応する。
 条件反射のようなもので、それだけは鈴仙にしこたま刷り込んであった。

「は――はい」

 鈴仙の顔から血の気が引いて、人形のような挙動でかっくりと一度頷いた。

「よろしい」

 手を取り立たせると、そのまま背を押して浴室へ。
 肩を縮めてしょぼしょぼと歩く鈴仙を浴室に押し込んでおいて、俺はテーブルに引き返す。
 椅子に腰掛けて昨日の光景を思い出した。

 鈴仙はてゐと一緒にフェラをしていた時、俺の棹ばかり舐めていた。
 ポジションをてゐに取られていただけじゃない。
 咥えられないから、それがぎりぎりの線だったんだろう。

 試しに咥えさせてみりゃあの有様。
 どうやら軽いトラウマになっちまってるよーですね。

 俺は自室に戻ると椅子を引き、ため息と共に腰を下ろした。

「こういう場合、心当たりがあり過ぎるから困る」

 最大の原因はまず間違いなくあれだ。
 マンションの別室でちんぽ突っ込んで便所代わりにしたの。

 だからスカはまずいと言ったろうに、我が息子よ。
 だって我慢出来なかったんだもんパパ!

 息子との脳内会話で再びため息。

 俺の愚息は今一つ我慢が利かないのが難点だ。

 普通、ああいう体験を経て喜んでフェラをするなんてのは有り得ない。
 そういう反応するのは、頭の配線がどっかぷっつんいっちまっただけ。
 鈴仙の反応としちゃ至極真っ当なので、怒るつもりもなければ不満もない。

 むしろ棹舐めまで頑張った事実に万雷の拍手を送りたいし、鈴仙自身頑張った自分にご褒美をあげてもいい。
 スイーツ。

「あん?」

 誰だスイーツなんて電波送ってきた奴。
 死ねばいいのに。

「いかんね。いよいよもっていかん」

 元々そうだが色々あって頭がポンコツだ。
 独り言も増えたしなぁ。

 大体、トラウマならトラウマでフェラの真似事なんかしなけりゃいーのに。
 ヘテロセックスの嫌悪感はめっきり減ってたから、食っちゃ寝セックス三昧でいーのに。
 雉も鳴かずば撃たれまいって諺、知ってるのかね鈴仙ちゃんは。

 そういう無理をすると、目敏い俺は見つけてしまう。
 他人の足元ばっかり見て、付け込む隙を窺ってるからね。
 で、見つけたからには見過ごすなんて出来やしない。
 折角積極的にフェラってきたんだから、とことん弄り倒してやろう。

 俺は額を拳でごつごつとやりながら、無い知恵を絞って考える。

 ちんぽを嫌悪する鈴仙を、どうやって精液中毒にさせるか。

 ………………

 …………

 ……

 あ。

 俺は見落としていた重要な点に気がついた。

 相手のトラウマを面白おかしく弄り倒して遊ぶ。

 そいつは、どう考えたって愛とは言えない。



xxx  xxx



 鏡の中から見返してくる私の顔は一目で判るほど青ざめ、怯え切っていた。

 蛇口からはざあざあと水が流れ続け、私は洗面台に手を付いたまま鏡ばかりを凝視していた。

 どうしよう、どうしよう、どうしよう。
 あんなはずじゃなかったのに。

 てゐがするようにして。
 もしかしたら褒めてもらえるんじゃないかなと思って。
 自分なりに頑張ったつもりだったけど、そんな甘い考えはあっさりと見破られてしまった。

 自分でも気づいていなかった。
 口でする事にこれほどの嫌悪感を抱いていたなんて。

「……うっ」

 舌に残る味とあの質感に、私は口元を手で押さえた。
 思い出すと殆ど反射的に身体が反応してしまう。

 口の中に突き込まれた、痛みを伴った息苦しさ。
 咽喉の奥へと流れていく生温かい感覚。

 あの時の事を否応なく思い出してしまった。

 違う。
 あの時はまだ、ご主人様は優しくなっていなかった。
 だから違うの。

 そう言い聞かせていたのだけど、駄目だった。
 てゐみたいに平気で口に含むなんて出来ずに、あろう事か目の前で吐き出してしまった。
 ご主人様は幻滅したに違いない。
 ここに来たばかりのてゐに出来て、それよりも早く買われた私には出来ないんだから。

『もういーよ』

 いつものように素っ気無く言われた事が、余計に私の恐怖を駆り立てた。
 私は要らないのだと言われているようで。
 だから必死に言い募って、平気だなんて嘘までついた。

 私の嘘を見破るなんて、きっと物凄く簡単なんだろう。

『これハ命令』

 耳元に残るざらついた声音。
 覗き込んでくる揺らぎない瞳。
 普段の姿から一変した無表情。

 ご主人様があの怖い顔を覗かせると、私は口を噤むしかなかった。

 そして、私は一人鏡の中の自分を凝視ばかりしていた。
 聞かされてから頭を離れてくれないてゐの言葉が、いよいよ現実感を伴って響いてくる。

『鈴仙のご主人様を盗っちゃっても恨まないでよね?』

 てゐはここでの生活に慣れ始めている。
 私なんかとは比べ物にならない速さで順応し、ご主人様と楽しげに会話すらしていた。
 私が絶対にしない、思わず冷やりとするような事をてゐがしても、ご主人様あっさりと笑って済ませていた。
 手を上げるどころか、優しげな手付きで頭を撫でたりもしていた。

 目の当たりにした現実が私を打ちのめす。

 何より、今しがた見放されてしまったのかもしれないと考えると――

「っ」

 私は鋭く息を飲み込み両肩を抱き締めた。

 今度こそ、私は誰かの元へと売られてしまうのではないか。
 
 それが怖い。

 以前はここに居る事が怖かったのに、今はここに居られなくなる事が怖くて仕方ない。
 ご主人様に何度も慰めてもらって、安心出来たと思った矢先に別の恐怖が襲ってくる。
 恐怖は尽きる事なく私の胸を締め上げた。

「…はっ…はっ…はぁっ」

 胸の奥にある臓器を直接鷲掴みにされているような圧迫感。
 唐突な息苦しさを感じて、私は洗面台に手を付いて何度も息を荒げて喘いだ。

 どうしよう。
 どうすれば。

 考え続けているものの、何一つ良い方法が思いつかない。
 何を考えれば良いかも判っていないから。

 ぐるぐると堂々巡りをしていると、ぱちんと硬い音が聞こえた。

 その直後、突然浴室が真っ暗になった。

「な、なにっ?」

 私は息を飲んで真っ暗になった浴室を見回す。
 窓一つない浴室は本当に真っ暗で、何も見えなかった。

 手探りに伸ばす自分の指先すら見えずに、私は洗面台にしがみついていた。

 見通す事の出来ない闇の中で震えていると、おぼろげな光が差し込んできた。

 淡い光に照らされて、浴室のドアが開いていることに気がつく。
 開け放たれたドアの向こうから、にゅっと何かが突き出された。

 ……脚?

 脚だった。

 つま先から膝の上辺りまで。
 ぼんやりとしたピンク色の光に照らされ、剥き身の脚が突き出されている。
 私は何が何だか判らないままその脚をただ見つめ、脚はするすると部屋の奥へと引っ込んでいった。

 続いて、

「ちゃっちゃらっちゃらちゃちゃ。ちゃっちゃらちゃらちゃちゃ。ウッ!」
 
 そんな歌とも到底言えないような歌声が聞こえてきた。

「ヴァ~ヴァ~ヴァヴァヴァヴァ~ヴァ~ヴァ~」

 ぼんやりとした光と共に、ご主人様が浴室に踊りながら入ってきた。

「ヴァ~! バ、バ~バ~、バババ~バババ~」

 身につけているのはいつもの赤いジャケットと、辛うじて股間を隠すだけのきわどい下着。
 下着の腰に差してある棒のようなものが発光していた。

「ウッ、パッ! ウッ、パッ!」

 声にあわせて鋭い動きで腰を振り、手を伸ばし、浴室の中で所狭しと(実際に狭いのだけど)踊り続ける。

「パッ、パパパパパパパパパッパパ。ウッ!」

 悩ましげな腰つきと情熱的な眼差しを目の前にして、私はただぽかんと口を開けて佇んでいた。

 薄暗い浴室の中でぴたりと動きを止めたご主人様は、

「あんたも好きねぇ」

 熱のこもった流し目と共に、そんな言葉を投げかけてきた。

「……」

「……」

 訳が判らない。
 
 目にしたものを上手く言葉にする事が出来なかった。

「はいこれ。サイリューム」

 少しの沈黙を置いて、ご主人様は下着からはみ出ていた輝く棒を私に差し出してくる。
 サイリュームというのが、この棒の名前らしい。

「っ、っ」

 私はその場から思わず後ずさりながらも、ピンク色に輝くサイリュームを受け取って、意味もなく何度も頷いた。

「……ちゃっちゃらっちゃらちゃちゃ」

 あ。
 二番もあるんだ。

 サイリュームを渡した後、ご主人様は何事もなかったようにあの歌のようなものを口ずさみながら再び踊りだした。

 ……何番まで続くんだろう。

「ウッ!」

 ご主人様は尻餅をついてぼんやり見上げる私の前で、艶かしくどこか卑猥に腰を振りながら踊り続けた。



「とまあ、お兄さん鈴仙の為に文字通り一肌脱いだ訳ですが」

 ご主人様は妙に晴れやかな笑みを浮かべて先程の奇行の説明をした。

「どうだい、楽しんでくれたかな?」

「怖かったですよ!」

 私は悲鳴そのものの声を上げて先程までの心境を吐露した。
 浴室の中に私の声が反響し、わんわんと耳に残った。

 ちなみに、ご主人様の踊りは一〇番くらいまであった。

「オーゥ。気分が滅入った時はストリップと相場が決まってるもんなんですがね。露出足んなかった?」

 充分過ぎるほど露出していた。
 実際、歌の八番目を越えた辺りで腰をうねらせながら、見せ付けるように下着まで下ろしてしまったし。

「そんな卑猥な真似をして誰が喜ぶんですか」

「オーレッ!」

「情熱的に言って誤魔化さないで下さい」

「オゥレェイ」

「巻き舌で言ってもダメです」

「ポールダンスの方が良かったかネ?」

「なんですかそれ――あ、やっぱり知りたくないです。答えないで下さい」

「……ちっ」

「なんで舌打ちするんですか」

「踊り子へのお触りはNGだけど、サイリュームで突っつくのは有りだヨ」

「誰もそんな事訊いてな――ああ、もうっ!
 もっとこう、落ち着いて、普段の行動に余裕を持つとか! ご主人様ならご主人様らしく、そんな真似ばっかりしないで下さいよ!」

 私は声を大にして訴えた。
 さすがに、これからもあんな状況で強制的に踊りを見せ付けられたりしては堪らなかった。

 大体、私が一人やきもきしていると言うのに、当のご主人様は私の気持ちなんて露とも知らずにいつも通りで。
 しかもストリップだなんて真似をして。

「そういう軽薄な事ばかりしないで、もっとこう、大人の落ち着きを持って」

「大人の腰つき」

「いい加減にしてください! 私は怒ってるんですよ!?」

 勢いに任せ握り締めた拳を激しく振ると、ご主人様の軽薄な雰囲気に苦味が混ざるのが判った。

「ふむ。ちょっくら悪ふざけが過ぎたかい?」

「そう言ってるんです。反省をして下さい、反省を」

「オーケー。お兄さん猿のように反省する。これからはもうちっと事前に計画を練ってからのご利用を心掛けるよ。
 痛くない?」

 唐突に訊ねられて、私はすっかり忘れかけていた今の状態を思い出した。

「痛くは、ないです」

 背中を丸めて、もごもごと呟いた。

 私はご主人様に背中を向けて、浴室の椅子に座っていた。
 お湯が張られた湯船からはもうもうと湯気が立ち上り、浴室の中は温かい靄で包まれている。
 そんな中、ご主人様は泡立てたへちまで私の背中を擦っていた。

 私とご主人様は一緒にお風呂に入っていた。
 勿論、二人とも裸で。

「……どうしてこんな事になってるんですか」

 先程まで勢いに任せてまくし立てていたのもあって、こうなった経緯が思い出せない。

「どうもこうも。張り切って踊った分汗掻いたからね。一っ風呂浴びるに越した事はねーでしょ?」

 ご主人様は私の濡れた髪を束ねて丸め、髪留めを使って上げてから背中を擦っている。
 器用な事は知っていたけれど、私の髪の長さに戸惑う事もなく手馴れた手付きで結い上げられてしまった。

 こういった作業の時、無骨で不器用、乱暴といった私が抱く男へのイメージとかけ離れているから驚かされる。
 私の背中を擦る手付きも力強さは有るけれど、痛くはないよう適度に調節されていた。
 普段とは違った状況で素肌を晒している事が、やけに恥ずかしく感じてしまう。

「汗を掻いたのは、ご主人様じゃないですか。どうして私の方が洗われてるんですか」

 肩を抱く格好で身体を縮み込ませながら訊ねると、

「折角だからね。ほら、鈴仙って髪長いし」

 ご主人様はそんな言葉を返してきた。

「それって理由になってない気がしますよ?」

 ご主人様は肩から腰へと緩い曲線を描くように背を擦りながら、私の背後でけらけらと笑った。

「充分な理由ですよ。道があるから、歩きたくなる。山があるから、登りたくなる。鈴仙の髪があれば、洗いたくなって当然」

「……でも、洗ってるのは私の背中ですよね?」

 口答えをする様な口調に、私自身驚いた。
 それで言えば、さっきにしてもそうだ。
 ご主人様がストリップを始めた事に対して、普段では考えられないような物の言い様をしていた。

「俺って好物は取って置くタイプなのよ。後からぱくっと頂くのね」

 それでもご主人様は気を悪くした様子もなく、終始軽快なテンポで受け答えをしていた。

「私は食べ物じゃないですよ」

「どうかな。油断してると本当に食っちゃうかもよ? WOW‐WOW!」

 ご主人様の犬の鳴き真似が浴室の中に尾を引いて響き渡る。
 私は背を向けたままくすりと笑った。

 以前と比べると随分ご主人様との会話も増えたけれど、こういった雰囲気で話すのは初めてのような気がする。
 お茶会の時に感じた賑やかさとも違う、穏やかな空気だった。

 ご主人様が泡立てたボディソープからは、とてもいい香りがした。

 ご主人様に背中を流された後、結われた髪を解かれて公言通りに髪も洗われた。
 長く伸ばしている分結構な重労働なのだけれど、ご主人様は鼻歌を歌いながら楽しげにわしゃわしゃと泡立てて洗っていく。
 その間に、私は胸やお腹など身体の前を洗った。
 てっきり前もご主人様が洗うのかと思っていた。
 しかも手で直接触ってきたり。

 ……我ながらこの発想はどうかと思うな。

 けれど、そんな私の発想を超える真似ばかりしていたのが、今背後にいるこの人だ。

 ご主人様は私が考えていたような真似は一切しようとしなかった。

「それじゃあサブメインの耳もいってみようか。ほーら、あわあわー」

「くすぐったいです」

 ただ、好奇心と悪戯っぽさが入り混じった声と手付きで、私の耳を洗ったりはしたけれど。

 やっぱり、ご主人様はどこか子供っぽいと思う。



 互いに垢を落として湯船に浸かる。
 一つの湯船に二人同時に身体を沈めたものだから、湯船のお湯が溢れて流れ出した。

「いいね、この音。肩まで浸かってこの音を聞くのがいい。これぞ風呂の醍醐味だね」

「そ、そうですね」

 満足げに鼻を鳴らすご主人様に、私は硬い声で応じた。
 溢れ出した湯船のお湯は浴室の床に溜まった後、渦を巻いて排水溝に吸い込まれていった。

 私は、湯船に浸かっても落ち着かない。
 私のすぐ背後(というか下というか)にご主人様の身体がある。
 一人で浸かる分にはそれほど狭く感じていなかった湯船も、二人で使うと流石に窮屈だ。
 否が応もなく身体が密着してしまう。

 嫌、という訳じゃないのだけれど。
 ただ、その。
 恥ずかしい。

 もう何度も身体を重ねてはいるのだけれど、快楽に酔っている時とは違うと言うか。
 お尻に敷いているご主人様の身体の硬さを意識してしまう。
 腿も太いし、腹筋や手足も筋張って固い。
 何だか目のやり場に困りながら、私は出来る限り身体が触れる面積を縮めようと身体を丸めていた。

「ふーぅ」

 ご主人様は長めのため息を着いて、ゆったりとお風呂を楽しんでいるようだ。
 緊張する私とは対照的に、リラックスした様子で鼻歌まで唄っている。

「あ、あの」

「んー?」

「……どうして、急にこんな事を?」

 何だか間がもたなくなって、私は思い切って訊ねた。

 ちらりと肩越しに振り返ってみると、ご主人様は湯船の縁にもたれるような格好で顔を天井に向けていた。

「んんー」

 ご主人様は目を閉じたまま、考え込むようなただの相槌のような、どちらとも言えない声で唸った。

「私が気が滅入ってるって、なんで判ったんですか?」

 驚いたり戸惑ったりで頭の片隅に追いやられてしまっていたけれど、ご主人様ははっきりと口にしていた。
 私が滅入っていたからと。
 だからストリップなんて真似をしたんだと。

 答えを待つ私にご主人様は目を開けて、けれど視線は天井に向けたまま口を開く。

「前に言ったと思うけど、犬って鼻が利くのね」

 ご主人様は明言を避けてはぐらかした。

 前もそんな事を言っていた気がする。
 指先で鼻の頭を掻いていたご主人様は、顔を上げて私を見た。

「逆に訊くんだけどさ。ひょっとしてなーんも気づかれてないとか思ってたの?」

 う。

 そう言われてしまうと口にする言葉が見つからない。
 一人で焦って口でしようとして、結局すぐに見破られて自ら袋小路に入り込んでしまっていた。

「……」

「言い方が悪かったね。気づいたのは鈴仙がフェラに抵抗があるってとこまで。
 最初っから全部察しがついてて俺の計画通り。イェア! って訳じゃねーですよ」

 視線を逸らして口を噤んだ私を見兼ねたのか、ご主人様が訂正を加えた。

「どうしてフェラってきたのか動機の部分は判らないし、鈴仙が出来なかったからって何をそんなに必死になってるのかも判らない。
 ま、推測したとして。精々俺がそれを理由にあれこれ鈴仙を苦しめるから、ってとこかね。
 そういう風に思ってた?」

「……はい」

 それをご主人様の前で頷く事に恐れはあったものの、私は頷いていた。

「そ。じゃあそんな事しない――っても信じられないだろうね。
 ああ、勿論俺を信じられない事に対して怒ったりもしないよ。鈴仙の不信感を拭えないのは、全部俺の自業自得。身から出た錆な訳だし」

「……」

 ご主人様は、どこか淡々とした口調で言った。

 居直っているようで、だからといって信じろと強制してくる訳でもない。
 私が信じ切れていない事に気がついていながら、何故信じないのかと憤る訳でもなく、自業自得だとあっさり認めてしまっている。

 乱暴で、自分勝手で、およそ考えつく人間の悪い面を集めたような人間だと思っていたのに、会話をすればする程困惑してしまう。

 私は本当にこの人にひどい真似をされたのだろうか?

 ……されたのだけど。

 今でも、私の部屋のドアには塗りたてのペンキに押し付けられた私の姿が生々しく残っている。
 真っ赤な影のようなその姿を見る度に、私の下腹がきゅっと締め付けられる。
 私を叩き続けていた時の笑い声が、耳の奥から聞こえてくるような錯覚を覚えた。

 肉体の苦痛が消えた今となっても、私がご主人様を憎んでいた時の記憶が幾度も呼び起こされていた。

 結局、それがご主人様を信じ切れていない原因だ。

 だから、積極的になったてゐに危機感を感じて、その真似をしようとした。
 捨てられたくないから。
 売られたくないから。

 以前のご主人様なら、多分あっさりそうしてしまうと思った。
 絶望に打ちひしがれる私を見て、高らかに笑うものだと。

 それなのに、ご主人様はかつての姿を見せずに私に優しく接してくる。
 無理な要求はされず、信じろとさえ言おうとしない。

「まあ結局のとこあれよ。信頼なんてものは地道に築き上げるしかないの。話すしかないのよ。
 口がついてて、言語も持ってる。お互いの言葉だって通じるんだから、それだけでも充分なアドバンテージだしね。
 些細な事でも話し合って互いに相互理解を深める。ん、これっきゃない」

 ちゃぷと湯船のお湯を揺らして頷いたご主人様に、

「……でも」

 私は――

「ご主人様は」

 この人の言葉を、今も忘れずに覚えている。

「私の言葉を、聞いてくれなかったじゃないですか」

 あの絶望の先にあった笑みを、今も時折夢に見る。

『泣いても謝ってもお願いしても、やめてあげなぁ~い』

「うん。そうだね」

 ご主人様は――この人は、これっぽっちも悪びれた響きのない声で、あっさりと頷いた。

 私は胸の前で腕を交差させ、背中を丸めて縮こまった。
 お湯に浸かったまま、痛いほど身体を強張らせる。

「私は、痛かったんです」

 お尻の腫れが中々引かなくて、夜も眠れなかった。
 ベッドで仰向けに寝転ぶ事さえ出来なかった。

「だろうね。痛いようにしたからね」

 それなのに。
 それなのに、この人は――

「苦しかった…辛かった……どれだけ悲鳴をあげても、貴方はやめてくれなかった……!」

「うん。それが俺の仕事だし、何より俺自身嬉々としてやってたからね」 

 感情を交えず、事も無げに淡々と肯定するだけ。

 振り返ってご主人様の顔を目にした途端、瞬間的に何も考えられなくなった。

 私を哀れむでもなく、同情するでもなく、ただ真剣な表情でじっと見つめている。

 私の中で、かっと何かが燃え広がった。
 その顔が、憎かった。

「だったら、どうして! どうして命令一つしないの!?」

 堪らなく憎らしくなって、私の中で何かが爆発した。

「私を奴隷扱いして、実際に奴隷にして! 叩かれて、嬲られて、犯されて! ようやく諦めがついたのに!
 今の立場から逃げられないんだって諦めて、大好きな日常を過去に押し込んで! 一緒に暮らした人たちを忘れようとしたのに!」

 叫んでいた。
 叫びながらお湯を飛沫かせて振り向いた。
 無防備な格好で私を見つめる人間の男の頸に、自然と手が伸びた。

「諦めたんだから、奴隷扱いでいいじゃない! 命令さえすれば私はなんでもする。出来なければ、前みたいに力づくでさせればいいだけでしょ!?
 今までずっとそう。貴方はずっとそうしてきたのに、どうして! 今になって!」

 男の頸は私よりも太いけれど、柔らかい。
 固い筋肉に覆われていない咽喉に、指先が食い込んだ。

「それは、ごほっ。愛じゃない」

 咽喉を鳴らして咳き込みながらも、男は抵抗しなかった。
 今までひた隠しに押し隠していた憎悪を剥き出しにする私を、ただ静かに見つめていた。

「愛なんて嘘! 私を騙すための方便! それなら、もっと上手い嘘をついてよ! 最後まで騙し切って私を楽にさせてよ!
 貴方はなんだって出来るのに、どうしてそんなに嘘が下手なの!?」

 嘘なら嘘で良かった。
 信じてもいなかった。
 奴隷扱いでも良かった。
 だって、私の心は折られてしまった。
 もう戻れない場所まで来てしまった。

 だったらせめて、甘い嘘で騙し続けて欲しかった。
 繰り返される快楽にずっと酔わせていて欲しかった。

 ワタシハトックニコワレテシマッテイルノニ。

「どうして! 今になって!」

 アナタハマダワタシヲクルシメル。

 泣き続ける私の涙を拭ってくれる。
 何も言わずに抱き締めてくれる。
 悲しみを快楽で誤魔化してくれる。
 何も要求してこない。
 弱い私をどこまでも甘受させてくれる。

 なのに。

「どうして」

 私は何も考えずに早く楽になってしまいたいと思っているのに、それだけは認めてくれない。

 今まで苦痛を、悲嘆を、快楽を。
 それらを伴う絶望をぶつけて来たのと同じに。

 まっすぐな愛情まで私にぶつけてくる。

 私にだって判っている。
 ストリップだなんて。
 そんなのただの嘘だ。

 一人で思考の袋小路に行き詰ってしまった私を、驚かせる為だけの嘘。
 馬鹿な真似をしておどけて見せて、滅入っていた私を励ます為だけの嘘。
 そんな滑稽で馬鹿馬鹿しくて思わず怒りたくなってしまう、優しい嘘。

 だって、私はそれで怖くなくなっていた。
 胸の中で渦巻いていた不安は消えてしまっていたんだから。

「……どうして!」

 私は指先に力をこめる。
 男の顔色が赤くなっているのは、湯当たりの所為じゃない事くらい判る。
 苦しくて、悔しくて、腹立たしくて、辛くて。
 それらがない交ぜになった眼差しを向けても、爪が皮膚に食い込んでも、男はただ私を見つめていた。

 後は咽喉の正面にある気道を親指で挟めば。
 力を込めて押し潰してしまえば。

 それで、全てが終わる。



 はずなのに。

 私の指はそれ以上進まない。

 私がどれだけ睨みつけても、男はただ静かに私を見つめ返すだけだった。

『愛さ』

 歯の浮くような台詞を、大真面目な顔で語った。 

『愛されたい。その当たり前の感情すら見つけられていない』

 私でさえ気がついていなかったその願望を、見つけられてしまった。

『愛する事まで諦めちゃいないのさ』

 以前聞かされたのなら鼻で笑ってしまうような言葉を、真剣に語った。

『罪深かろうが知ったこっちゃない。許しなんざ乞わない。俺がどれだけ相手を愛せるのか。愛し続けられるのか』

 私を平然と苦しめていながら、平然と愛してくれる。

『問題はそこだけだ』

 この男は自ら語ったその通りに実行している。



「どうしてっ……!」



 それ以上、言葉を続けられない。
 このまま終わらせる事も、残酷な嘘を享受する事も出来ない。
 頸に手をかけたまま、硬直したように私の身体は固まってしまっていた。

 私は中途半端だ。
 てゐのように強くもないし、この男のように開き直ることも出来ない。
 明確な殺意すら持っているのに、それなのに流され切れない。
 私の指を留めているのは今後の保身の為なのか、男が抵抗一つしない事に戸惑っているからなのか。

 それとも。

「後悔したくないからね」

 私に頸を絞められながらも、男は平然と喋った。

「愛した相手に殺されるってのは、俺にとって納得して死ねる理由だ」

 声はくぐもっていて、少し眉をしかめた事から苦しいのだと判る。

「ましてや自業自得だしな」

 それなのに自虐めいた笑みさえ浮かべた。 

 皮肉屋で、狂気的で、悪辣で。
 なんでも器用にこなせて、歌まで上手いのに変な変え歌ばっかり唄って。
 嘘が下手で。
 真っ赤な悪趣味なジャケットを愛用している、この残酷な男の事が。 
 
「どうして、ただ一言、貴方を愛せって命令しないの!?」

 私は、躊躇い続けていた言葉の続きを叩きつけるように吐き出していた。

 自分の手で私を奴隷にしておきながら、その命令一つで私は楽になってしまえるのに。

「そいつは愛じゃない」

 男は、何食わぬ顔で素っ気無く突っぱねた。

 その命令一つで、今も私を苦しめている感情に言い訳が出来るのに。

 この男は、それだけは頑として認めてくれなかった。

「勝手過ぎるわよ、そんなの!」

 私は男の頸から手を離した。
 離した手で自らの顔を覆った。

「まあね」

 男は短く頷いた。
 自らの首筋に今もくっきりと浮かぶ痣に触れようともしない。

 だって、この人の両手は私に向けられていたから。
 濡れた髪を撫で、指の隙間から溢れる涙を何度も拭ってくれていたから。

 この手が怖かった。
 憎かった。

 なのに。

 いつの間にか、嫌いきれなくなってしまっていた。



xxx  xxx



 ここでの生活リズムは大体判った。

 目が覚めて朝食。
 食事を運んでくるのは鈴仙だ。
 しばらく時間が空いて、昼食。
 その後赤いのがやってきて、私に(ムカつくことに)調教。
 夕食の後も同じ。
 そして就寝。

 一日に三度の食事と二度の調教。
 その繰り返しのようだ。
 部屋の中に居て調教の時間に重ならない限り、寝ていようがお風呂に入っていようが、部屋の中で私は自由にしていられた。

 後、これは心底意外だったのだけど、寝込みを襲うような真似はしてこなかった。

 赤いののことだからそれこそ睡眠時間も厭わずエッチぃことをしてきたり、眠っている間に悪戯の一つでもしてきそうな雰囲気だったのに。

 初日以降縛られて放置されることはなくなったけれど、自由に行き来できるのは部屋と浴室の間だけ。
 部屋のドアには相変わらず鍵がかけられて、鍵を持っているのは赤い奴か鈴仙か。

 鍵を奪うことも考えたけれど、結局はやめにした。
 
 無計画に鍵を奪ったところで、この部屋の外の状況がどうなっているのか判らない。
 鈴仙からちょろまかすのは簡単だろうけど、その後立ち往生して捕まってしまったのでは元も子もない。
 あの赤いののことだから、脱走を笑って済ますような性格はしてないだろう。

 脱走するなら、状況を把握した上で確実にしないと。
 今しばらくは、か弱く従順な兎を装って大人しく過ごすとしよう。

 実際、腕力を比べるなら赤いのどころか、下手したら鈴仙以下だ。
 自分の小柄な体格を恨めしく思わなくもない。
 力勝負では圧倒的に不利だ。

「はぁ……憂鬱」

 私はテーブルでぶらぶらと脚を揺らしながら、頬杖をついてため息を洩らした。

 降参なんて勿論ポーズだけ。
 けど、それを信じさせるにはこっちもそれなりの芝居を打たなきゃいけない。
 信憑性があるからこそ嘘でも信じる。
 その信憑性を得る為に、わざわざあいつの粗末なものを咥えるなんて真似までしたのだ。
 
 始めっから綺麗な身体のままでここから逃げ出せるなんて思っちゃいない。
 最悪の事態を回避して、ここから抜け出さないと。

 その為にも、鈴仙を少し利用させてもらう。
 流され易い鈴仙をだしに、赤いのを揺さぶる。
 状況をかき乱せば、付け入る隙も出てくるはずだ。

「調子くれて好き勝手しやがって。見てなさい…生き地獄を見せてやるんだから……けけ、くけけけけけ」

 復讐の方法はざっと二〇通りは考えてある。

 赤いのが許しを乞うて泣き叫ぶその様子を想像し、私は部屋で一人暗い喜びに浸った。
夜伽にはまとめてうpしようと思ってましたが、
重すぎて大変になる(予定)なので分割にしました。

随分間を空けてしまいましたがよろしくお願いします。
紺菜
sqhww594@yahoo.co.jp
http://momijizm.blog77.fc2.com/
コメント




1.名前が無い程度の能力削除
てゐちゃん。
それは失敗フラグだよw
2.名前が無い程度の能力削除
待ってたぜ。GJ
3.名前が無い程度の能力削除
何か久しぶりにeraきたわぁ!
早くもてゐを捕まえてきましたか。
「死ね」とか「くたばれ」とかてゐに罵られるのはご褒美以外のなにものでもないw
鈴仙は心が脆すぎて可愛いなぁ。
ちょっとした事でショックを受けて泣き出すとかたまらない。
このド外道野郎が、因幡2人をどう攻略していくのか楽しみです。
4.名前が無い程度の能力削除
てゐきた!
赤いのとてゐの駆け引きも楽しみです。果たしてどっちが勝つのだろうか…
5.名前が無い程度の能力削除
MOによく似ている。実に歪で面白みのある調教師だ。