真・東方夜伽話

ねぇ、私の笑顔って、ちゃんと笑顔?

2009/05/15 01:37:22
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ねぇ、私の笑顔って、ちゃんと笑顔?

あか

==まえがき==
幽香×さとりなのか、さとり×幽香なのか自分でも分からない。
とりあえずやや弱弱しい幽香を書きたかったのでついかっとなって書こうとした。
長いよ!ネチョ、短いよ・・・。
==以上、まえがき==

傘というものがある。
煩わしい物から身を守るために作られたものだ。
さんさんと降り注ぐ太陽の光からは私の肌を、ザーザーと降り注ぐ雨からは私の服を守ってくれる。
それだけでは無い。私にとって傘はそれ以上に便利なもの。それは一つの支えでもあり。

私、風見幽香にとってはこの傘はもはやトレードマークという奴なのだろう。
私は今、太陽の畑の向日葵の中に居る。空からさんさんと降り注ぐ太陽の光を受けとめようと、
空を仰いでいる向日葵たち。ここはその中のほんの一角。
そしてこの大量の向日葵、強いて言うなら花というもの自体も私を示す一つのシンボルである。
私は花が好き。その事だけは、たぶん私を知っている全ての存在が知っているはずだ。
そして、同じくして彼らはもう一つ知っている。私が人間を嫌いであること。
そして、私は知っている。私は「関わってはいけない存在」として彼らに認識されていること。
それはつまり恐怖の対象としての私。

ずっと長い間この広いようで狭い世界の中を彷徨い、私は強くなった。
数多の妖怪と闘い、強く、少しずつ強くなってきたのだ。
そうして築いてきた私自身の「力」そのものには、悲しい事なのかそれとも嬉しい事なのか、かなり自信はある。
だが、この「力」こそ、同時に私を縛り付けているモノなのである。

私は強くなりすぎた。普通の人より強くなった。名の知れた妖怪より強くなった。
それは事実だ。……私に挑もうとする色んな時代の豪傑たちも、今のこの時代にはもう滅多にいない。
それほどまでに私は強くなった。私に対する認識というのは私が強くなる度に刻々と変化をしていった。
初めはただ「強い妖怪」だった。里からも、妖怪からもそう認識されていた頃だ。
……「逆らえないもの」「関わってはいけないもの」今はそう認識されている。
確かに私が力を出せば人間だろうが、妖怪だろうが、それこそそのほとんどが1撃で終わる。
こうして目の前に生えている向日葵の茎を折る程にそれはもう簡単な事だ。……向日葵を折りはしないけど。

私は力こそ欲しかった。それは認める。だけどそんな他からの認識はいらなかった。欲しくなかった。
正直な話、私は人間が嫌いなのではない。人間が私を見たときのその目が「恐怖の対象」を見る目だから、嫌いなのだ。
あの目は、怖い。私自身を否定する目。私はもう「妖怪」としても、そして「女」としても見てもらえない。
「恐怖の1つの形」として見られている。彼らの目が語るその事実が怖い。
私はただ、普通に付き合いたいだけなのだ。本当に。……本当にそれだけでいいのだ。
今となってはもう叶わない。ここ何十年の見上げた夜空を流れた流れ星に私は何度お願いしてきたことか。
……迷信は迷信だという事を認めないといけない時程悔しいものはなかった。

だから今、私は他の者と関わりを持ちたくても、持つことができないでいる。
もしかして年長の妖怪、長く生きた妖怪が関わりを持たないのは私と同じ理由ではないのだろうか。
いや、違うのかな。そんな事について話した事がないから分からない。知るのも、少し怖い。

こんな私ではあるが、何も毎日そんな事を考えて暗く過ごしている訳ではない。
私は私なりに今の生活を楽しんでいる。そう、彼らが知っているように私は花が好きだ。
こうして囲まれる事。花を眺める事。その匂いに包まれる事。
そしてもう一つ。まぁ、これはこういう向日葵の畑ならではだが、私自身の存在を隠してくれる。
……自分から出ているらしい「妖気」を必死に抑えた上で、だけど。
そしてそもそも、この太陽の畑に居るのは私だけではない。
今この目で眺めて見えなくても、この視界に広がる花の影には楽しそうに遊ぶ妖精達が居る。
何故楽しそうに聞こえるか?声が聞こえるから。それもこの傘のおかげ。
傘が音を拾って、それが私の耳にまで聞こえてくる。

「あの湖の噂の馬鹿妖精だけど~」
「え~また返り討ちにあったの~?」
「それより、この前里に遊びに行った時~」

今も聞こえている彼女たちの会話はそんなものだ。
実に楽しそうで、のんびりしていて、羨ましい。いつだったか、
凄く、凄く前に一度ふらりとそういう妖精達の所へお邪魔をしたことがある。
見つかってはならないものに見つかった!そんな目を一瞬した後、一目散に空に逃げて行った。
私は一言、「楽しそうね」と、声を掛けただけなのだけど。何が不味かったのだろう。
登場の仕方?切り出し方?笑顔が足りない?そんな現実逃避を少ししたけど、
すぐに単に私が怖いのだと認めざるをえなかった。
だから、私はこの一見、他人からしたらどうでもよさそうなこんな会話を、
花を見て楽しむついでに聞いている。まぁ、そんな事を思い出している間に
談笑していた妖精達はどこかに行っちゃったようだけど。
……他に妖精達居ないかな。
いや、別に盗聴が趣味じゃないのよ?ほら、例えば妖精達には妖精達の情報網があるし、
何か良い情報があるかもしれないって。そう思うから聴いているのよ。
そんな事を、ぼそぼそと隣に生えている向日葵達に向かってつぶやきながら
私は何かが悲しくなってがっくりと頭を垂れた。と、言ってもたまにこういう事はやってしまう。
私が花を操る事が出来るからだろうか。私が意味もなく語りかけるのはこういう花たちだ。
それにしようと思えばほら、こう頭を振る様に動かしてみたり……いや、なんでもない。
ぶんぶんと頭を振ってできるだけネガティブな思考を頭から外へと追い出すと、私は懐のお財布を確認して里へと出かけた。


里の花屋にて。
私が里に来てまず訪れるのは、里にあるこの花屋である。
季節に合った花の他にも少しだけではあるが、ちょっとだけ季節ものとは違う花がここにはある。
季節に合わない花を育てる事というのは普通、難しいものだ。私は普通ではないから咲かせる事もできるけど、
水の加減、日光、そして温度や湿度。どこかで何かが狂うだけで花は普通駄目になってくる。
それをここの店は私と違って頑張って、職人として仕上げる。それは凄い事だ。
「おお、幽香さん。いらっしゃい。」
店の奥の方で椅子に腰かけて花の手入れをしていた店主がこちらに顔を向けて声をかける。
「ごきげんよう。」
わたしなりにできる精一杯の自然な笑顔でその挨拶に答える。
店主も返すようにニィっと笑い返してくる。
この店主だけは、他の誰よりかはこの里で私の事を少しは理解してくれている。……と思う。
同じ「花が好きな者」としての勘のようなものだ。
「そうそう。ちょっと育てるの苦労したけどな、あれを咲かせられたよ。」
そう言って指さす先には小さいながらもしっかりと咲いている向日葵があった。
「まだ春ですのに。」
「だからこそ咲かしてみたいものなのさ。まぁ、他のはダメになっちまったが。」
尚、店主は私の手にかかれば花の開花や成長がどうにでもなる事を知っている。
一応それは周知の事実らしく、縁のない他の方々も知っているようだが、
その話はこの店主とはしない。それは失礼な事だ。むこうだって知っているし、知っているからこそ
「よっぽど店主の腕が良いのね。」
「ハハハ、あんたにはかなわんさ。」
こんな会話もするし、勿論私は自然に育てることの良さだって、
その難しさだって知っているからこそ、
「あら、大切なのは気持ちよ。」
「ちげぇねぇ!」
商品としての価値を生み出す程に日頃から頑張って育て上げる彼には尊敬する。
「いやぁ、太陽の畑であれを一度でも見るとな、やってみたくなるもんだよコレは。」
確かにあそこは1年中向日葵に咲き乱れている。でもここと比べると取り巻く環境そのものが根本的に違うのだ。
だからこそ、この向日葵には価値が、そして彼の思いが籠っている。
「これからしばらくのお手入れが大変そうね。」
「そうだな。だが、手がかかるものだからこそ、尚更楽しいんだ。」
そう呟くと店主がぐっと拳を握って嬉しそうに笑った。
これだけ愛してくれれば、違う季節で育てられるのであれ花だって嬉しいだろう。
「そういや、聞くのを忘れていたな。御入り用の品はあるかい?」
忘れていた。……いや、本当は理由なく安心感を求めてここに飛び込んだのだけど。
「そうね、じゃあ何か良い花瓶はあるかしら?」
「ははは、今買うものを考えたな。」
図星である。
「さぁ、どうかしらね。色々見てから考えようと思っていたのよ。」
「なるほどねぇ。桃色の花瓶なら新しいのがあるけども、あーそう、あれだな。」
そう言って店主の少し後方にある棚を指さすと、なるほど桃色の底の部分が少し丸い花瓶が置いてあった。
あの程度なら、花と必要以上に主張しあう事も無さそうで良さそうだ。倒れ無さそうだし。
「うん。いただくわ。御幾らかしら。」
そうだな、と顎をさすりながら目を瞑って店主がしばらく口を閉じた後、彼は思いついたように目を開いて答えた。
「忘れてた。向日葵育てたのはいいんだが、種の在庫が少し危うくてな。
今度来るときについでに少し分けてはいただけないか。それを代金代わりにしたい。」
「それならお安い御用よ。」
「そうか、助かる。」
「次の来店の時でいいのね?」
「ああ。今持ち合わせているとは思ってないからなぁ。」
流石に、といった表情で苦笑いする店主に私は答えた。
「じゃあ、その時まで花瓶とっておいてもらえるかしら。」
「いや、いいよ。持って行ってくれ。持って逃げるような輩じゃないんだから。
それにここで花を挿されずにくすぶっているより、花好きに持って行かれた方がそいつも喜ぶさ。」
そう言うと、椅子から立ち上がり一度手を洗うと、棚から花瓶を手に取り私に手渡した。
「ありがとう。じゃあまた来るわ。」
「ああ。よろしく頼むよ。またのお越しを。」
どこか満足そうに落ち着いた表情で笑う店主に背を向けると、私は花屋を後にした。
楽しい時間はこれで終わり、である。里に来た用事はこれだけではない。
一人では揃えられない食材だって買わなくてはならないし、
私には作れないような実用品だって里に来なければまず無いのだ。
笑顔を作って話しかけてみても、やっぱり怖いと言った表情をされる。それがどうしようもなく辛い。
だからこそ私はこんな時でも傘を持ち歩いている。ほら、傘をさして下げれば……もう相手の表情は見えない。

私はいくらかの食材と花瓶を手に入れると、足早に太陽の畑へと戻った。



流石に妖怪といえど、私にだって家くらいはある。
太陽の畑の側にひっそりと佇むこの私の家で私は朝起きて、夜寝ている。
里から戻って、荷物を抱えた手でドアを開けると、ふんわりと花の匂いが出迎えた。
主張しすぎず、けれど意識すれば分かる程度に。この程度の香りが私は丁度いいと考える。
私は好きだからいいけど、お客さんにそう意識させるのもなんだし。……あんまり来るものではないけど。
靴を玄関で脱いで誰もいない廊下を荷物を持って歩く。
「夕食は、いいかしらね。」
私は保存できるように今日買ってきたものを分けると、着替えを持ってお風呂場へと向かった。
軽く湯を浴びてから、浴槽へと体を沈める。
太陽の下でポカポカとあたたまるのとは違い、こっちはまるで溶けるかのように体に染み込む温かさ。
ここから外の様子を窺う事はできないけれど、月の下のひまわりもまだ綺麗に光を返していそうだ。
昼程の「元気さ」はなくても夜は夜で向日葵は綺麗。
……私は?
ふと水面を見ると、泣きそうな表情がお風呂場の照明に反射して映っていた。
一度ぎゅっと目を閉じた後、精一杯の笑顔を作ってみる。
水面に映し出される私の顔は、私の思っている笑顔とはどこかが違った。
そのどこか、が自分でも分からない。「笑顔」には間違いないのに、里の皆の怖がる顔は分かるのに、
自分の笑顔が分からない。笑顔の作り方はこれで合っていたのだろうか。
そもそもこれは笑顔なのだろうか。
しばらくの間、あれやこれやと表情を変えてみたけれど、
自分の顔を眺めているうちに水面が歪み、そして自分の視界がゆっくりと歪んでいった。
ぐっと膝を引き寄せてしばらく体を休めると、私は立ち上がって風呂場を後にした。

「そうだ、種を用意しておかないと。」
服を着替え終えたあと、私は気を落ち着かせるように一人そう呟くと、手頃な袋を握って自室へと歩いた。
ごそごそと机の引き出しを漁ると、向日葵の種の瓶を取り出した。
虫が湧いてしまわないように管理をしないといけないというのは大変だが、種にも悪影響は出したくない。
けれど都合の良い保管方法というのはあまりないものだ。
私は瓶を傾けて袋が破れない程度に詰めると、袋の口を縛ってベッドの横に置いた。
「……散歩でもしましょう。」
誰に言い聞かせるでもなく、私は玄関に向かいゆっくりと靴を履くと、再び月が輝く太陽の畑へと向かった。

太陽が沈み、雨が降っていない月が輝く夜でも、私は傘を開いた。できる限り自分の妖気を抑えて、
周囲の音を集めるように、くるくると向きを変えて探ってみても、今はもう風の音しか聞こえなかった。
まぁ、当然と言えば当然なのだろう。妖怪の本分と言われる夜に私が居るここに近づこうなんて
命知らずで、そして「私」を知らない輩なら来る訳がないのだ。花好きなら来るのかもしれないけど。
空を飛ばず、ゆっくりと向日葵の中あゆみを進めていると、ふと視界の先の遠い先、
丘の上に一人の女の子が膝を抱えて座り、向日葵畑を眺めているのを見つけた。
こちらにはまだ気づいていないのか、そっとしゃがみ向日葵の花の影から様子を窺っていると、
ふとその子の懐からひょっこりと猫が出てきた。……あの子は家出か何かだろうか。
里からここまでの距離、帰り道の事を考えると、とても無事に帰れるとは思えなかった。
私は、ここで打って出るべきなのだろうか。それとも……。
そんな事を考えていると、彼女の横に飛び出した猫が光り、人の形に姿を変えた。
妖怪?……にしては記憶を辿っても見た覚えも心当たりもない。
私は確認する意味も込めて、息をひそめてひまわり畑の中、身をかがめゆっくりと足を進めていった。

さっきまでと違いハッキリと見える。彼女、紫色をした小さな女の子は依然としてひまわり畑の中を眺めていた。
「綺麗ね。」
「そうですねぇ~。あっちじゃまず見られませんからね。」
「水橋が妬ましい妬ましいって叫ぶ気持ちも少し分かるような気がするわ。」
「……さとり様が言うと全く冗談とかに聞こえないですよ。それ。」
「そうね。」
声までは耳に届かないが、口の動きでなんとなく会話が読める。
どうやらあの紫の髪の女の子の名前はさとり、というらしい。愛称でなければ、だけど。
しかし、本当に命知らずな人間ならまだしも、人よりも永く生きる妖怪が私の事を知らないのだろうか。
それとも知っていてやってきたのだろうか。それは、分からない。
もし、知らないのだったら、友達になれるかしら。……なれたらいいのに。
ならば、と思い体を起こそうと思ったけど、でももしも駄目だったら、
という思いが頭の中に渦巻いて私の体を動けなくした。
嫌な汗がお風呂を浴びた後なのにタラり、と首筋を流れる。
なんで私はこんなにまで緊張しているのだろう。

私が動けずに、そのままの姿勢でずっと様子を窺っていると、彼女が隣に座っていた妖獣の猫に何ごとか耳打ちをした。
……丁度口元が髪の毛で見えなくて、何を言っているかまでは分からなかったのだけど、
それを聞いた猫は少し不服そうに、しかし不安そうに
「じゃあ気を付けて帰ってきてくださいね。」
そう告げると、ふわりと浮いてどこか彼方へと飛んで行った。
しばらく彼女はその猫の様子を目で追っていたが、もう空の彼方、点にしか見えないほどまでそれが遠ざかると
急にくるりと体の向きを変えてこちらを見た。……私を見られている?
いや、それは無理な事。千里眼な程に目が良いなら別として、
月の光と同じ光を返すこのひまわり畑の中に隠れる私の事がわかるわけがない。
何せ、あれだけ敏感な妖精にですら潜めばばれないのだ。
しかし、依然として彼女はじっとこちらだけを見ていた。

どれだけか時間が経ったはずなのだが、まだ依然としてじっとこちらだけを見つめる彼女に耐えきれず、
私はぐっとひまわり畑の中から立ち上がった。彼女もすっと立ち上がる。
やっぱり、見えていた。何者なのだ、彼女は。
未だ胸の奥まで突きさすような瞳でこちらを見ている彼女から
ほんの僅かだけ視線を逸らすように近づいていくと、彼女もまた、丘の上からゆっくりと歩いて降りてきた。
いざ、何かがあってもいいように私自身の対処できる距離程度まで近づくと、ぴたりと彼女の脚が止まった。
同じように足を止めようとする私に向こうから先に声をかけられる。
「お名前は?」
そういえば言われてみれば、今までは「お前が風見幽香だな!」というような感じにしか言われた事がないからか、
妙に新鮮な感じがしたのだけど、すぐにその感覚が違う方向に働いた。
「そう、風見さんね。」
私が口から言葉を紡ぐ前に、むこうが続けてそう放ったからだ。やっぱり、知られているのか。
「ごめんなさいね。私、あまりこっちの方の事は詳しくなくて。」
「貴女は?」
どんどんと話を続けていこうとする彼女に、そう返すように尋ねると、
「古明地よ。下の名前は、貴女が思っている通り、さとり。」
何だか、さっきから何かがおかしい。一体何を言っているんだ?彼女は。
「そんなに警戒されると、こちらとしても喋りにくいのだけど。
……まぁ、相手が変なこと口走ったらそうなるものよね。」
「貴女もしかして、」
「心でも読んでいるの?……ええ、そうよ。でも、読もうと思って読んでいるわけじゃないのよ。」
私の言葉を奪うように、彼女がその言葉をしゃべる。
本当に心が読めるとしたら、敵には一番したくない。
「あら、もう私は敵なの?さっきは友達になりたいって凄い叫んでたじゃない。
……言いたい事は嫌でも分かるけど、私こういう能力だから。何だか悪いとは思うのだけど。」
「……私は叫んでないわ。」
「声では出してない。でも心でそう叫んでいた。心の叫びは求めを超えた、
どちらかというと助けを求める声。そんな声で貴女はそう叫んでいた。」
「違うわ。」
「違わないわよ。」
言葉を紡いだ瞬間にもう次の言葉を返される。
「妙な不快感ね。」
「皆がみんなそうしていくわ。貴女にそんな事を感じてほしい訳じゃないけど
大体私がどういう者かについては理解してくれたかしら。」
「そうね。粗方は理解したわ。」
「じゃあ、今度は私が聞くわよ?」
もうさっきから散々人の心を読んでおいて今さらだと思う。
そう思うと、彼女がポリポリと頬をかきながら、こちらを見て質問を発した。
「私が貴女、風見幽香に聞きたいのは、「古明地さとりを友達にできるか、否か」よ。」
真剣な目でじっと見つめてくる。私はただ、本当は首を縦に振りたかった。
しかし今度はプライドが体を邪魔して、素直に体を動かせてくれない。
……私の体って本当に嫌な風にできているのね。さっきは臆病なまでに自分で友達欲しいって言っておいて。

しばらくして、言葉を発せないでいる私に呆れたのか、一度小さなため息をつくと、彼女が口を開いた。
「私は最近こっちを見に来る事は増えたけど、まだこちらにも友達は少ない……。
それに、友達と呼んでいいのかも分からない。だから私も友達がほしいのよ。それでも、駄目?」
その後も彼女はこちらの様子を窺っていたが、がっくりと頭を垂れると
「もしも答える事が、貴女の口から直接答える事が難しいのでしたら、返事は今日でなくても。
でも私は必ず、明日また伺いに来ようと思います。それでは。」
そう彼女が言い放つと、急に背を向けてさっき彼女の猫が飛んで行った方向を追うように空に飛びたっていった。
結局私は「待って」と声をかける事も、「さよなら」と手を振る事も、何もできずただ向日葵の中で佇んでいた。
……どういう風に家まで帰ったのか思い出せないが、気がつくと私はベッドの上で膝を抱えていた。
「友達が欲しい。」
こんな自分以外の誰もいない空間だったら、いくらでも言えるのに、
なんであの子の前ではこんな簡単な声が出せなかったのだろうか。
いや、原因は分かっている。それは私自身が持っているプライドだ。
もう、こんなの邪魔でしかない。しかし、まぁ簡単に捨てられるならあの場面で体を動かす事はできたはずだ。
あの子をその場にとどめることができたはずだ。

長い溜息が口から漏れる。
「情けない。」
最後ただ一言、私はそう枕にむかって言葉を投げると、そのままそこへ頭をおろした。


窓から差し込むわずかな明るさで目が覚める。
昨日寝るのが遅かったからか、どうやらもうお昼は過ぎているようだ。……ちょっとお腹もすいている。
私はまだフラフラする頭を撫で、指で髪を簡単に梳きながら台所へと向かった。
もそもそと昨日里で買ってきたお米を取り出してお釜の準備をして火にかけると、
私はコップに水を注いで窓辺へと向かった。
「酷い天気ね。」
空を見上げれば太陽の姿は灰色の分厚い雲で覆われて、
日の光を浴びる事のできないでいる向日葵も少しげんなりとしているように見えた。
「今日ひまわりの種を届けるのは無理ね。」
もしかしたら里の方ではもう雨が降っているのではないかと思うほどの空模様だ。
コップの水を飲み下しながら、少し戻って椅子へと腰かけると、私は背もたれにぐっともたれかかった。

ぼーっと部屋の天井を見上げると、昨日の言葉が頭によみがえり、再生される。
「もし私がその時なって欲しいと言えば、首を縦に振ってくれたのかしら。」
きっと、振ってくれたのだろう。だからこそ今胸が痛い。
今まであれだけの数の妖怪を倒して、今私はここに居る。倒してきたことに対して今回の事のほうが
なんでこんなにも気になってしまうのだろう。
やはり同じような問いがひたすらにただただ頭の中に響き、
そのたびに彼女の顔が顔色を何度も何度も変えつつ、浮かんではどこかへと消えて行った。
「変な魔術でもかけられた気分だわ。」
そう形容する事は正しい事なのかすら、私には分からない。
ただ、やり場のない昨日の事に対するやるせなさが形となってツンツンと胸を突いて行った。

少ししてからか、少しずつこのひまわり畑にも雨が降り始めた。
……この様子だと、少しずつ雨脚が強まっていくだろう。
はて、ご飯はもうすぐ炊けるだろうか。ふと台所の様子を見に行くと、ちゃんと炊けてはいたようだ。
これで上手に炊けてなかったら心底自分が落ち着いてないって事なのかと思うと、それはそれでどこか安心した。
ただ、炊けた量はいささか多すぎたが。どう見ても昼食分を通り越して夕食分くらい、
ひょっとしたら明日の朝の分までは確保できそうだ。
まぁ、炊きたての味にはならないけど贅沢を言う必要もないだろう。
もうお昼過ぎてるから、お昼ごはんは軽く御握りにして、残りのご飯と野菜で何か作ろうかしら。
「こんな気分じゃ炊きあがったお米を見ても気分が盛り上がらないわね……。」
手や食器を軽く洗うと、私は一度お茶碗にご飯を盛った。流石に炊きたてを直接手で握る勇気なんてない。

もくもくと美味しそうにわきのぼる湯気が少しずつ勢いがなくなっていくのを確認すると、
私は手のひらを軽く濡らしてそのまま手に載せた。
「あっつい!」
まだ熱かった。けれど戻すわけにもいかないので我慢してひたすら握る。
中はホクホクに、されど表面はしっかりと。これさえ揃っていればある程度御握りは美味しくなるんじゃないかと
私は思うが、意見を求めようにも相手がいない。
お花にご飯をあげると、盛大に虫がたかってしまうのは目に見えているし。
そもそも、お花はご飯食べられないし。

味付けは塩味を少し付けておいた。
漬物でも用意すればとも思ったが、正直それのためだけに食器を汚していく事に対して
気が少し引けたので結局出すことは無かった。
一旦手を洗い直して、再びコップに水を注ぐと、私はお皿とコップを持って窓の外を見ながらゆっくりと
御握りを口に運んだ。丁度その時、外の景色が一瞬光った。
ややあってから家まで響くゴロゴロという雷の音。
「これは里まで行かなくて正解だったわね。」
1つ目の御握りを完全に食べきる頃には、ハッキリと音が聞こえるくらいに雨の勢いは増してきていた。
2つ目、3つ目とお握りを食べて行くうちに、最初は遠くでしか鳴っていなかった雷も
段々とこちらへ近づいてきているのが音の間隔で分かった。

最後の御握りを口に運び終わり、再び椅子の背もたれへとぐっと腰かけると、
そのころになってようやく頭の中が落ち着いてきた。
「次にあの子が来たら・・・。ちゃんと言わないと。」
「私と友達になってください。」
ただただ独り言をつぶやいて、自分の言葉にふと違和感を覚えた。
「次に……?」
昨日最後あの子はなんて言っただろう。
「「明日」って今日よね。……今日の何時よ。」
再び窓へと視線を向けると、丁度その時また雷が遠くで落ちた。
胸の中を襲う異様な圧迫感と、嫌な予感に襲われ、私は傘を握りしめて玄関から飛び出した。
ひまわり畑の上から彼女の姿を目を凝らして探す。
できれば、居てほしくて。でもこんな天気の下には居てほしくなくて。何だろうこの気持ちは。
しばらく飛びまわっていると、丁度昨日別れたあたりで誰かが膝を抱えて座り込んでいるのを見つけた。
「あぁ、やっときてくれたのね。」
私が近くに着地した音を聞いてか彼女、さとりが顔をあげた。
「ごめんなさい。」
ただただ、一番最初に浮かんだ言葉が私の口から漏れた。
「時間を伝えなかった私が悪かったのよ。」
私がそう答えると、ただ小さく首を振って、彼女が小さく笑いながらそう返した。
「と、とりあえず私の家が近くにあるから。……大丈夫?」
「ええ。」
そう言いながら私に向かって手を差し出した彼女の手は、とても震えていて、そして冷たかった。
どう頭の中で解釈しても、それは大丈夫だと感じる事は私にはできなかった。
そのまま手を引いて体ごと抱きよせても、そのぐっしょりと濡れた服越しに伝わってくる肌の感触も
酷く、冷たかった。
そのまま彼女を背中へとまわしおんぶすると、私は肩に開いた傘をおんぶして家へと飛んだ。
背中越しに伝わってくる彼女の心音の弱弱しさが、鼓動するたびに私の胸をツンツンと突いた。
「……気にしないで。」
耳元で彼女が囁く。しかし、そう言われても無理なものは無理だ。
私がもっと気をまわせていれば、こんな目に合わせる事なんて無かったんだから。
やがて、私の家が見えてくる、飛びだしたせいか、玄関は開きっぱなしだった。
「立てる?」
玄関の扉を閉めて、彼女にそう声をかけると、彼女が私の背から降りた。
そのままばたんと音がして、私が振りかえると、
「ごめん、無理みたい。思うように体が動かなくて。」
尻もちをついた彼女が痛そうにお尻をさすっていた。
「ちょっと、待ってて。タオル持ってくる。」
急いで脱衣所へ向かうと、私はお風呂の準備をしつつありったけのタオルを抱えて玄関へと戻った。
「ごめんなさいね、玄関汚してしまって。」
「いいのよ。それより、その……服脱げる?それじゃ風邪引いちゃうわよ。」
こくりと小さく彼女が頷くと、彼女はそのまま服を脱ぎだした。
「そんな、恥ずかしがることないじゃない。」
服を脱ぎながら私の心の中でも読んだのか、そう呟く彼女に私はとっさに後ろを向いていた。
「良い匂いがするわ。」
後ろ手に手渡したタオルを受け取ってどこかを拭きながら彼女がそう呟く。
「あのお花畑も、このタオルも、貴女自身も。あっちには無い良い匂い。」
「そういえば、貴女はどこから来たの?私、貴女の事噂にも聞いたことがないのだけど。」
そう尋ねると、ぐっと彼女が背中にもたれかかってきた。
「……ごめんなさい、ちょっとフラフラして。」
「大丈夫?」
「最初はこっちの雨に感動したんだけど、あそこまで体力を奪われると思わなかったのよ。」

「こっち、あっちって貴女私とは違う世界に住んでいるのね?雲の上かしら?」
「ごめんなさいね。つい思っちゃうのよ。でも、その問いについての答えはもうちょっと後、
落ち着いてからしたいのだけど。どうか、それだけは許して。」
「……許すも何も、謝りたいのはこっちなんだけど。
それより、そろそろお風呂の準備ができるわ。濡れて冷えたその体、入ってその体暖めなさいな。」
「それを言うなら、貴女だってそうじゃない。私抱えたせいで、貴女の服も濡れちゃっているわ。」
確かに、自分の肩口あたりなんかは特にぐっしょりとした感触がある。
「貴女も、一緒に入ってくれない?人の家っていうのは案外に勝手が分からないから。」
「……貴女がそう言うならついて行くわ。」
「まぁ、お風呂場の位置が分からないから、付いて行くのは私ね。」
そう言いながら、後ろでくすくすと彼女が笑った。
「そう言われると、そうね。ついて来て頂戴。」
私がそう言うと、彼女が肩に手を回してきた。あぁ、そういえば立つのも辛かったんだっけ。
私も何気なく彼女の肩へと手を伸ばすと、しっとりと濡れた冷たい肌が手にあたった。
……ここまで冷えていたのね。
「今から暖まれるのなら、気にする事無いじゃない。」
それを言われるとそうなのだけど。というかこれなら考えるだけでも会話できるわよね。
「そうね。……でも、できるなら普通に話してくれると私は嬉しいわ。」
「それも、そうね。私もその方がなんとなく落ち着くわ。」

そのまま彼女を脱衣所まで連れて行くと、私は彼女の肩から手を一旦離した。
「中に椅子があるから、とりあえずそこで座っておいて頂ける?すぐ行くから。」
そう彼女に言うと、彼女は体に巻いたタオルを私に預けて、お風呂場の中へと消えて行った。
……すぐ目の前だから行き成り歩けなくて倒れるという事はないと思う。
彼女が入っていくのを見送ってから、私も服を脱いだ。
思ったより背中も濡れていたようで、なかなかに脱ぎにくかった。そう言えばあの子の服も回収しておかないと。
私はその姿のまま、玄関まで走って戻ると彼女の服を回収して脱衣所へ戻った。
そのまま籠へと服を引っかけて、お風呂場へと入った。

「お待たせ。」
「服、ありがとう。脱ぎっぱなしで忘れていたわ。」
「あ、あぁ、うん。とりあえず服は後で乾かしましょう。」
浴槽の様子は……大丈夫そうだ。2人で使う分くらいのお湯は準備できたようである。
私は洗面器でお湯を掬いあげると、彼女の腕元にそっとかけた。
「熱くない?大丈夫かしら?」
「うん。熱いのには慣れているから。」
慣れる?まぁ、いいや。大丈夫なら。
そのまま残ったお湯を肩からかけると、流れおちて床を叩いたお湯からほんのりと湯気が立ち上った。
それにしても、小さい肩だ。こうして見る後姿だけなら、人間の大きな子供とあんまり大差無いのではないだろうか。
「そうね、私も抱えてもらった貴女の背中は大きく感じて、……それに、とっても暖かかった。」
顔だけこちらを向けて一度くすりと笑う彼女に私はただ、苦笑いを返した。
体格差こそあれ、お互いに長い年を生きているのだから、人間でいうところの親と子、
ましてや孫やそれ以上くらいに年が離れているかもしれないのに、……本当、
妖怪の見た目程当てにならないものは無いと思う。
でも、こうして目の前にすると、本当に大きな子供にしか見えない。
「これでも大人ですよ。」
再びお湯をかけると、彼女が前を向いたままそう呟いた。
「そりゃいろいろと小さいですけど……。」
ぶつぶつと続けて呟く彼女に、
「目、閉じておいて。」
そう告げると、私は頭からお湯をかけた。
あまり彼女の髪は私と一緒で長くはないのでその意味では楽だった。
「こんなものかしらね。」
ある程度お湯をかけ終えて私がそう呟くと、彼女がくるりと方向を変えてこちらを向いた。
「貴女はまだ浴びてないわよ?」
「ええ。だから貴女は先に浴槽の中で温まってくれると凄い嬉しいわ。」
「……何から何まで悪いわね。」
「当然の事をしたって思いたいから、そんな言葉言っちゃだめよ?」
「じゃあ、ありがとう。」
そう笑顔で呟くと、彼女は浴槽を跨いで端っこの方に体育座りでちょこんと座った。
「もっとくつろいでもいいのに。」
目を閉じてお湯をかぶりながら、そう言うと
「貴女が入るじゃない。」
小さい声で彼女が返してきた。まぁ、確かに私が入ればそこまでこの浴槽は大きいものじゃないから、
自然とそうなってしまうのかもしれないけど。
床に使い終わった洗面器を置いて、私も浴槽へ跨いで足を入れる。
「お邪魔するわ。」
「お邪魔してます。」
彼女の横に私も座ると、一気に水面が持ちあがって浴槽からザバザバと溢れた。
「……一瞬、私が太っちゃったのかと思ったわ。」
溜まらず私がそう言うと、横で彼女が少し意外そうな顔をした後、楽しそうに笑った。
「誰かと入るのは久しぶりだわ。」
横で濡れた髪の毛を手で梳かしながら、彼女が一人呟く。そう言えば昨日
彼女と一緒に人型に化ける猫が居たような気がするけど。猫だから水が嫌いなのかしら。
「そうみたい。だから他の誰かと一緒に入るというのは案外に機会が無いのね。」
「私もそんなに無いわね。」
……というか、一度でもあっただろうか。とりあえず私にとっては、
この浴槽を2人で使ったような覚えは今まで無いような気がする。
「ということは、私が初めてになるんでしょうか。」
肩までお湯に浸かりながら、顔をこちらにゆっくり向けると、彼女がそう言った。
まぁ、そう言う事になるのだろう。

「そろそろ出ましょうか。」
私が彼女に向かってそう投げかけると、彼女も小さくうなずいて立ちあがった。
どうやら、もう歩けないという心配はしなくて良さそうだ。何だかんだで血色も良くなった気がする。
とりわけあたたまって薄桃色になった肌が……綺麗。
お尻も小ぶりで小さいし。何だか羨ましくなってきたわ。
「貴女も抜群のスタイルだと思うんですけど」
脱衣所へと消えていく彼女は苦笑いをしながらそう言い残していった。
私も後から続いて行き、そして脱衣所へと戻った時に重要なことに気がついた。
「……やっちゃったわ。」
お風呂上がり用の体を拭くタオルが1人分しかない。
「わ、私が無理なお願いしたのがいけなかったのですね。」
彼女がちょっとだけ暗い表情で小さく呟く。
「いや、いいのよ。使ってちょうだい。」
ひょいっと、最後の1枚を取り出して、彼女に手渡すと、彼女がタオルを持ったままオロオロとしはじめた。
「いや、それだと幽香さんを拭くタオルが……。」
「じゃあ、貴女が使ったあとのタオルを頂けたら、と思うのだけど。」
正直それだけタオルが水分を吸い切ってくれるか、は分からなかったけど、
それ以外どうしようもなく。玄関で使ったタオルは土汚れもあるから今さらだし……。
うーん、訪問客が滅多に居ないとはいえ、準備を怠った私の不手際ね。
「だったら先に幽香さんが……。」
「あら、せっかく家に連れてきた客人が家主のせいで風邪をひくなんて事はできるだけ避けたいのだけど。」
「そこまで言うなら……。」
「私はその間に着替えでも探してくるわ。」
後ろ目にほかほかと蒸気をあげる肌を見つつ、私は脱衣所を後にして自分の部屋へと戻った。
しかし、案外不手際というのは本当にこういうところで出てくるもので、
客人様用のお着替えなんてものはこの家には無かった。……私ので我慢してもらおうかしら。それしかないのよね。
そう思って衣装棚を開けたところで、もっと難しい問題に直面した。
「2人分あるのが……ワイシャツと下着だけ……?」
だめだ、そんな格好では彼女が風邪を引きそうだ。
今まで来ていた服がずぶ濡れとなった以上は、下着は何とかこれをつけてもらうしかないものの、
他に着るものがワイシャツだけというのは家の中を歩いているうちに風邪をひかせてしまう。
さっきあんな事を言った手前、あぁどうしたものか。

ハンガーにぶら下がるワイシャツや、タンスに仕舞ってある赤色のパンツを交互に眺めたままそう考えていると
後ろの方のドアが小さい音をきしませて開いた。
「あ、あの……。」
ふと後ろを振り返ると、拭き終わったタオルを丁寧に畳み直して
両手に抱えたままオロオロと裸で立ち往生している彼女と目があった。
「幽香さんもそのままでは風邪を引いてしまいます。」
確かに未だに私の体からは床にポタポタとしずくが垂れている。
「あぁ、ありがとう。」
何だかんだ言って受け取ってしまったが、このままじゃ彼女の姿が不憫すぎる。
「と、とりあえずお布団に入っておいて。」
裸のままウロウロされると、流石に目のやり場に困ってしまう。
そう思ってとりあえず私はベッドを指さした。
変な方向に意識を向けたことに感づかれたのか、ちょっとだけ顔を赤くして足早にベッドに入っていった。
肩まで布団をかぶって体を起こしたままこっちを見ている。
私はとりあえず受け取ったタオルで髪と体を拭くと、とりあえずそのタオルをベッドの上に投げた。
案外に1枚のタオルでもなんとかなった。……思ったより頑張ってくれるものだ。
「その言い出しにくいんだけど、代わりの服私のでも大丈夫?」
そう尋ねると、彼女が口元まで布団で隠したまま小さくうなずいた。
「な、何か不味い事があったら言ってちょうだいね?」
なんだか私までオロオロしてしまう。
「いえ、その他人の下着を着けるなんて事が今まで無かったので……その。」
片方の手で布団を支えながらもう片方の手で頬を小さく掻きつつ彼女が答えた。
そりゃそうだろう。私だって無いんだもの。
「と、とりあえず渡しておくわ。これだけしかないんだけど。」
タンスからパンツを取り出し、ハンガーからワイシャツをはずすと、ワイシャツでそれをくるんで私は手渡した。
「ありがとう。」
こんなものでもお礼を言ってくれるのか。
「じゃ、じゃあ、私は濡れた服を簡単に干しに行ってくるわ。」
そそくさと部屋から逃げようとする私を今度は彼女が引きとめた。
「あ、あの。」
な、なんでしょう。
「幽香さんもせめて何か着ないと……お体が冷えてしまいます。」
……あぁ、そうだった。私はまだ濡れる髪の毛を手で梳きながら再びタンスの前まで戻ると、
彼女に渡したのと同じ一式を取り出して、とりあえず身に着けた。
彼女ももぞもぞと布団の中で体を動かして着け始めたようで、私が再び部屋を出ようとする頃には
既にワイシャツに袖を通していた。ただ、前のボタンはとめないとその服だけじゃ冷えてしまいそうなきがするけど。

脱衣所へと戻り、とりあえずの形で集めてあった彼女の服を一旦ひとつひとつ分ける。
上着、そしてスカート。あぁ、少し土汚れがついてる。まぁこれは乾いた後で処理すればいいわね。
下着……私がこんなのつけていたの何年前かしら。何年?何十年前なのかしら。
今じゃこんなのつけられないんだろうな。
ひとつひとつを皺にならないようにハンガーに留めながら、全ての彼女の服を干し終わると、
私は部屋へ戻ろうとして、思い返してそのまま台所へと立った。
「夕食、何か温かいものがいいわよね。」
幸いながら、というよりは食器だからか、お皿等は人数分の心配をする必要が
無かったのは唯一の救いだったのかもしれない。ご飯もなんだかんだで大量に余っていたし。
まぁ、炊きたてじゃないのは許してもらうしかないわね。
となると、雑炊でいいかしら。あんまり時間かからないし。
二人分の材料、二人分の材料っと。あー、苦手なものとかあるんだろうか。あったら素直に残してもらうしかないな。

そんな事を考えながら、野菜の皮を包丁で剥いて行き、
鍋に仕込みと準備を終えると、私は火にかけて玄関へと向かった。

改めて戻ってみると、案外土が上がっていたのだなと気づく。
まぁずっと雨の中土の上に待たせていたのだから、当たり前でもある。うーん、
これなら彼女の靴の汚れはそこまで何か手入れを必要もないだろう。乾けば泥も落ちるだろうし、
中も汚れてないみたいだし。
とりあえず靴を揃えなおすと私は手を洗い再び台所まで戻った。
「何だかんだ言って暖まるのねこれ。」
お釜の火から少しだけ離れたところに手をかざしながらそんな事を呟く。
急にどこかひもじくなったような気がするが、一方でどこか満たされたような感覚もあった。
二人分作る、というのが案外に新鮮だったこともあったのかもしれない。
とにかくその要因となったのは彼女だ。
……スープの中の野菜が柔らかくなったのを確認して少しだけ水を足してご飯を二人分入れると、
私は久しぶりにトレイを取り出した。これさえあれば彼女にベッドの中に入ったままでも食事を出すことが一応はできる。
私も横に座って食べる事が出来る。台所は何だかんだ言ってベッドの中よりは寒いからその方が身のためにはなるだろう。
コトコトと音をたてながら煮込まれていくご飯や野菜を見ながら、私はそう思った。


「こんなものかしらね。」
しばらくして、おたまの雑炊に刺さる感触ででき具合を判断すると、私はそれをちょっとだけ大きい丼についだ。
少し冷えやすくはなるのかもしれないが、このほうが不安定でも多少は安全だろう。たぶん。何せ、ベッドの上だし。
御鍋の中身全部をつぎおえて、トレイにスプーンと丼を二人分載せると私は部屋への道を戻った。


しまった。部屋のドアが開いていない……!
両手に抱えたまま、部屋の前まで戻った時、私が心の中で発した声はそれだった。
そう思っていると、部屋の内側から走ってくる音が聞こえて、ガチャリとドアのノブが回った。
「とりあえず夕食を作ってきたのだけど、助かったわ。ありがとう。」
「いや、その。つい。」
助かったのは助かったのだが、ベッドから引っ張り出しちゃって悪かったかなとも思う。
頬を少しだけ赤く染めながら頬を掻きつつそう呟く彼女を見ながら私は少しだけそう思った。
でもまぁ、彼女の意志で動いてくれたことに素直に感謝すべきだな。とその後すぐに気持ちを切り替えた。
「そう思って頂ければ私も嬉しいです。」
後ろでドアを閉めてくれる彼女がそう囁いてくれるのが私にも嬉しかった。
そうだ、と思い、頭の中でひたすら今夜の雑炊に使った食材を思い出したあと、
「私の考えているものの中に苦手な食材あるかしら?」
私がそう尋ねると、彼女は頬に手をよせて
「美味しそうです。」
ただ、一言だけそう返した。ちょっと予想外の反応だったけどそれならそれで、安心していいだろう。
「ちょっと不安定だから気を付けてね。熱いし。」
そう言ってトレイごと彼女へと手渡すと私は自分の丼とスプーンだけ手にとって、そのスプーンを雑炊へと刺した。
もくもくと湯気をあげながら、その熱さをアピールするスプーンを口へと運ぶと、
どうも冷えていたらしい体にジンジンと熱さが伝わっていった。思わず体がぶるりと震える。
……これ、熱すぎないかしらね。
そう思ってふと彼女の方へ顔を向けると、こっちの様子を見ていたのか
掬った楽しそうにスプーンに息を吹きかけていた。
「幽香さんも入りませんか?あたたかいもの食べていても冷えちゃいますよ?」
そう言ってもぞもぞとベッドの端の方へと寄って、冷ましていたスプーンを口へと運んでいた。
確かに、上半身はあたたかくても半ば剥き出しの脚がちょっと寒い。
「お邪魔するわ。」
掛け布団を少し起こして、足先を滑り込ませる。やっぱりこっちの方があったかい。
根元まで足を突っ込むと、温かいものが足先に当たった。横で彼女がピクンと跳ねる。
「あぁ、ごめんなさい。」
きっと彼女の脚なのだろう。にしてもあったかかったな。
「良いもてなしをしていただいていますから。」
「貴女、結局私が口に出さなくても答えちゃうわね。」
「……つい。ごめんなさい。」
「良いわよ。というか、それで慣れているなら無理に気にしなくてもいいわ。」
そう言うと、少し申し訳なさそうな顔をしていた彼女の顔が、安心したような顔つきに変わったように見えた。

喉元過ぎれば熱さを忘れるという言葉があるが、喉元過ぎる熱さが無くなってしまえばもう後は早かった。
最初は冷ましながら食べていたものの、やはり室温のせいかゆっくりと雑炊自体が冷め始めたこともあって、
最後の方は二人ともパクパクと掬っては口へと運んでいた。
「御馳走様でした。」
「それじゃ、簡単に片づけてくるから。その後でお話伺うわ。」
私がそう言って食器を受け取ると、彼女がベッドの中で正座をして、こくりと深くうなずいた。
「食事の後くらいゆっくり寛いでちょうだい。」
そう言うと、ちょっとだけ恥ずかしそうにしつつ、彼女が足を再び布団の中へ伸ばした。
それを確認して、私も布団から足を外へ出すと、少し冷たい空気が足へと触れた。
やはりまだ少し寒いものだ。まぁ、耐えられないほどじゃないから助かるんだけど。
今度は特別トレイも重くなかったので、部屋を出るのも楽だった。そのまま後ろ手にドアを閉めて、台所へ向かう。

台所について、ふと彼女の丼を見て思う。
「うーん、綺麗に食べてくれたわね。少し不安だったんだけど。」
出した本人が言う事じゃないのかもしれないが、正直苦手なものがあったらどうしようかという不安を
何事もなく無事にやり過ごせたというのはなんだかんだで私はほっとした。
食べ終わりの食器にざぶざぶと水を流して汚れを落とす。
「お陰さまで洗うのもとても楽だし。」
余計なゴミが出ずに済んだのも嬉しい。うーん、でもなんだかここまで言うと
私少し考えがケチ臭いのかな。いや、きっときのせいだろう。

簡単に洗い終えると、私は急ぎ足で彼女の待つ自分の部屋へと戻った。
「やっぱり外は寒いわ。」
「お疲れ様です。」
部屋に入って私が放った言葉に彼女が返してくる。けれど言い終わると、
布団の中で伸ばしていた足を引き寄せて彼女が座りなおした。
私も寒いので彼女の横へと座り布団の中へと脚を突っ込むと、改めて尋ねた。
「じゃあ、貴方の事、言いづらかったこと、言いたい事。言える範囲で聞かせてもらおうかしら。」
彼女が一度ゆっくりと深呼吸してから口を開く。
「私、いや、私達は地上の側の妖怪ではないのです。忌み嫌われる力を持つ者や、
地上から追放されたような者、……まぁ語弊もあるのかもしれませんが、
こちら側の皆様としては[好ましくない]そういう存在が集まっている地下から私はやってきたんです。」
うん。それは貴女の行動でなんとなく分かっていた。
一緒の世界に住んでいるはずなのに、どこかずれていて。何かが根本的に違う事。
「それで?」
話の相槌として、私が返す。
「私は心を読むことができる。けれど、普通どんな方も心の中に他人に干渉されたり知られたくない部分があったりするの。
だから、そんな私に近づこうなんて思う人はいなかったの。みんながみんな、最初の貴女みたいな反応をして、
それから、もう関わりあいに成りたくないと。そう思いながら、去っていく。
確かに、自分の事を理解してほしくても言葉を話す事が出来ない、そういう辛さを持った者とかは寄ってくる事はある。
けれど、それは全体から見ればほんのごく、ごく一部。世界が私の知らないところで変化しているのに、
私の周りには時間が止まっているかのように変化がなかったの。」
「……うん。それもなんとなく分かる。」
住むところが違えど、囲んでくれるものが違えど、それは自分の境遇と重なるところがあるから。
いわば私は恐怖で、関わりあいになりたくないと認識されてしまった存在。
彼女は気味の悪さで、関わりあいになりたくないと認識されてしまった存在。
そういえば、類は友を呼ぶという言葉があるけど、まさか地上と地下に住む者でこういう事になるとはね。
似たもの同士、か。
「そう、似たもの同士だから、私は焦ってたんです。
この人なら私の事を理解してくれるんじゃないか。他の人は駄目かも知れないけれどこの方なら。
気持ちだけ先走らせて、返答を無理に要求して……。それでどんどん不安になって、昨日は逃げたんです。」
「でも、貴方気持ちが読めるなら、私が心の中では首を縦に振っていたことを分かったんじゃなくて?」
そう私が彼女に問いかけると、彼女がきゅっと掛け布団を掴む手を強めた。
「知っていました。でも、それは私だからこそ知っていたんです。
ただ、その私の力を抜きにして、貴女の口からその言葉を聞けたらって。
そこだけは、普通の人と一緒が良いなって。その。私のわがままで。」
「そこまで喋っちゃったら今さら普通ってのはちょっと無理な気がするけど。」
「ごめんなさい。人づきあいの経験が、……無いものでしたから。」
まぁ私もその事については人の事を言えたもんじゃないわね。
「それじゃ、最後に聞くわ。貴女の言いたい事、まだあるの?もう、吐き出しきれたの?」
「伝えたい事は、全て。」
「……そう。」
そう、だから次は私の番なのだ。
そこまで私からの言葉に期待されていたのなら、それにしっかり答えないと。
私だって言おうって決めたんだから。しかし、ああ言われた手前言葉は選ばないと。
……あぁ、そんな申し訳なさそうな顔しないで。
「ちょっとだけ、待っててね。」
私はまた布団から抜け出して、机から一瓶取り出すと、一旦廊下に出て部屋から台所の方へと足をすすめた。
まあ、彼女がどの程度の距離まで心が読めるのかは知らないけど、これは気休めだ。


台所の窓辺から、再び外を眺める。
あれほどさっきまでは強く降っていたのに、今はただどんよりとした雲を広げていた。
私の不安でも映していたのかしら。
さておき、さぁなんて言えばいいのかしらね。
私は彼女と友達になることを望んでいた。彼女も友達になることを望んでいた。
けれど、彼女の本当の望みは?「友達」なの?「理解してくれる相手」なの?
……私はどうなんだろう。私は、そう言う意味では「理解してくれる相手」になるのかもしれない。
だから私も、この初めての相手である彼女に対して焦っていたんだし。
案外、「友達」という言葉はこうして見るとなんだか大雑把な言葉な気がする。
ならば、いっそのこと。


私は瓶からいくらかの種を左手に握りこむと、
なんとなく頭が鎮まるのを待ってから、自分の部屋への廊下を戻って、ドアを開けた。
「まず、最初にだけど。」
握っていた手をそっと上向きにしてゆっくりと開く。
「貴女があれだけ喋ったんだもの。私も私の事について簡単な説明だけはさせてもらうわ。
名前は、知ってたわね。えっと、年は自分でも分かんない。性別は女よ。いや、そんな事を言いたいんじゃなくてね。
あー、そう。私の能力について。知られているようで、……いや、知られていても誰も何だか気にとめてくれはしないのだけど。」
空いていた方の手を、そっと開いた手にかぶせる。
「私は、花を操る事が出来る。」
手のひらへと意識を集中させて、力を流しこむ。掌に握りこんだ種の在るべき姿、そして私の望む形へ。
ニョキニョキと束になって私の手からまっすぐに延びる茎。
その先に花を、赤い花を。

私がゆっくりとその流し込む力を抜いて行く頃には、手の中に薔薇の花束ができていた。
「こんな感じにね。咲かせたり、まぁ、その。いろいろ。」
最初は驚いて少しだけ口を開けていたが、しばらくしてこっちを見てニッコリと彼女が笑った。
「素敵な能力ですね。」
そう、こっちが本当の私の能力なのだ。
だからこそ、その言葉で返してくれるととても、……とてもうれしい。
ふぅ、と小さく息を吐いた後、私は大きく息を吸い直すと、その手に握った薔薇の花束をぐっと突き出した。
「ただのお友達だけじゃなく、願わくは親友と呼べるまで。
それまで、そしてそれからもお付き合いして下さるかしら?」
彼女に花束を手渡すと、棘が指に刺さったのか、少しだけ痛そうな顔をした。
「……私は不器用だから、知らぬ間にどこかで貴女を傷つけてしまうかもしれない。
だからその時は遠慮なく言ってちょうだい。直せるなら頑張って直すから。」

私は言い終えると、しばらく立ったまま返事を待った。
彼女は手に棘が刺さるのだろうに、渡した花束を握ったまま俯いていた。
2人この部屋にいるはずなのに、まるで誰も居ないかのように静か。
たまに花束の葉が擦れ合った音がするくらいで、本当に、静かだった。
耐えきれずに、私から再び口を開く。
「だ、だめかしら?」
……私の問いかけにしばらく黙っていた彼女であったが、
小さく息を吐くと、首を横に振った。
「貴女には是非口に出してくれとお願いしておきながら、
いざ聞いたら今度は私の方が答える言葉に困っちゃいました。」
そう言って彼女が顔をあげると、彼女の眼からポタポタと滴が落ちた。
「ありがとう。」
未だにポロポロと目を開いたまま涙を流しつつ彼女が頭を下げた。
「とりあえずだけど、そのお花ずっと握っていたら貴女の手が本当に切れちゃうわよ?
渡しておいてなんだけど、とりあえず私が預かっておくわ。」
そう言って私は彼女から花束を受け取ると、部屋の机の隅に花束を置いた。

私は他人が涙を流す姿を見たことは今までに沢山ある。
屈辱の涙、死への恐怖、混乱、怒り。どんな感情にだって極めたところに出てくるそれ。
見慣れていたはずの「涙」だけど、こんな泣き方をされたことは今までにあったのだろうか。
泣きながらも微笑んでこちらに笑顔を向けた彼女に、今度は私がどういった顔を返せばいいのか分からなかった。
……何だかこの二日間で笑えるほどに体験した事が無い事ばかり起こっているような気がする。
「そう、笑えばいいんじゃないんですか?」
ちゃっかり私の心は読んでいるのか、彼女がそう言った。
笑顔、か。そういえば私の笑顔はどうしてあんなにも不自然なのだろう。
「ねぇ、私の笑顔って、ちゃんと笑顔?」
いつも皆に見せてきた笑顔を、頑張って作ってみる。
すると、やはり彼女も少し顔を曇らせた。やっぱり、駄目なのか。
自分でも分かっていたことなのに、何だか余計にショックだった。
「とりあえず、暖まりませんか?さっきから私だけが暖まっちゃって。何だか悪いです。」
そう言って彼女が自分のお尻のすぐ横の部分をポンポンと叩いた。
促されるがままに、私が布団に入る。いやまぁ、私のベッドなんだけどね。
やっぱり生足で歩くと冷えるのね。
「笑顔かと聞かれれば、笑顔です。」
彼女が涙を拭いて、すっとこちらを見つめてそう答えた。
「ただちょっと、ピリピリとしてます。その笑顔はちょっと怖かったです。」
やっぱりそうだったんだ。
「どうにか良い印象を与えたくて、頑張っているんだけどね。とても、難しいのよ。」
ふとお風呂場で笑顔が作りきれずに泣いていた自分の事を思い出すと、
彼女まで何だか辛そうな顔をした。続けて彼女が、溜息のような少し長い深呼吸をすると、彼女が口を開いた。
「緊張しているんですよ。」
緊張?この私が?
「笑顔っていろんな笑顔があるんですよ。でも根本的に2種類に分かれるんです。」
いろんな笑顔、か。確かにそうなんだろう。私の笑顔と彼女の笑顔、どっちだって笑顔のはずなのに
私の笑顔は明らかに彼女のそれとはズレているんだもの。

そんな事を考えていると、彼女の目が少し真剣なものに変わり、私の肩に手を置いて言った。
「幽香さん。笑顔は、作るものですか?それとも自然にこぼれ出るものですか?」
その言葉を彼女から聞いた時、その言葉がそのまま胸まで突き刺さったような気がした。
確かに、笑顔は自然とこぼれるなんて言うけどそんなに作った笑顔と違うものなの?
「笑顔を作る、というのは言いかえれば無理に意識して作っているのに近いんです。だから」
言いながら、彼女が肩に置いていた手を今度は私の頬に当てる。
「目元や口元が無理に緊張しちゃって、同じ笑顔でもどこか違うものに見えるんです。
緊張しているのか、していないのか。「見分け」はつかなくても相手はそれを感覚で感じ取れるんです。」
そういうものなのだろうか。だとしたら、私の今までの努力って、無駄なあがきだったのかしら。
「私はそうは思いません。努力は心を磨くためのものです。
結果が良ければついでについてくるのが達成感なだけで、大事なのはその気持ちじゃないですか。」
そんな事を考えていた私に彼女が少しおろおろとしながらそう言った。
「それに……」
彼女の言葉が続く。
「幽香さんが気づいてないだけで、幽香さんはちゃんと良い笑顔持っているじゃないですか。」
私が、持ってる?
「私が美味しそうだって言ったら凄く嬉しそうに笑っていたし、
お風呂場で貴女が私の横に座った時も、少し照れくさそうな可愛い笑顔していたんですよ?
正直最初あった時、私は少し貴女の表情が怖かった。けど、こんな良い顔も持っているんだって驚きました。」
……そう言われても自分でどんな顔をしていたかなんて覚えていない。
「意識せずにこぼれたものですから。そんなものです。」
まぁ、それでいいか。
「だから自分で自分を貶めちゃだめですよ?返事は?」
「分かったわ。」

……この年にもなって、こんな小さい子に諭されるなんてね。
「これでも大人ですってば。」
そういえば、そうだったわね。
私が心の中でそう呟くと、彼女が少しムッとしてぎゅっと胸に抱きついてきた。
「そんなに子供扱いするならこうするのも止むを得ません。」
じわりじわりと私の服に染み込む少し冷たい水の感触。
「何だか言ってることとやってる事が少しずつ矛盾してきているような気がするけど。
それより、貴女あまり髪の毛拭かなかったのね。風邪引いちゃうわよ?」
「……ごめんなさい。こうしたら濡れちゃいますね。」
ちょっと残念そうな顔で顔を離す彼女。しかしみるみるうちに顔が赤くなっていった。
「どうしたの?」
うーん、と彼女が少し視線をこちらの目から外して、呟く。
「私のせいで濡れたところがその、透けてます。」
ふと自分も顎を引いて見てみると、成程濡れた部分が肌にくっついて少し肌の色が見えた。
まぁ、ほとんど裸の上に着てるんだから、しょうがないとも言えるのだけど。
しかし今思えば彼女に分け与えるほどの予備は無かったにしろ自分の分の服は有るにはあったのよね。
あぁでも、なんだかそれじゃ不公平か。私だけがあったかい服みたいで。
「こ、このままでもあったかいですよ!」
こちらの顔色をうかがいつつ、彼女がそう言う。まぁ、服の前ボタンを未だに止めない彼女なのだから、
案外に寒さに多少は強いのかもしれない。
「ゆ、幽香さんは服着ても大丈夫ですよ!私は構いませんから!」
頭の中が少しだけパニックにでもなっているのか、あたふたと喋りはじめる彼女にふと思い出したことを聞いた。
「そういえば貴女の服って影干しでもちゃんと乾くのかしら?」
すると、少しキョトンとした後で、私がしたことを理解はしてくれたのか、
「ちゃんと乾きます。申し訳ありません何から何まで。」
あぁ、そういう言葉を求めるつもりじゃなかったんだけど。
とりあえずちゃんと乾くなら安心だわ。

「あ、あの。その、まだ聞いていなかったのだけど、」
ふと彼女がこちらに体を向けて正座した。
「どうしたの?」
「今日、泊って行って大丈夫なのですか?」
……あぁ、泊るものだと思って準備してたわ。
「そ、それなら良かった。」
「流石にその服で急に帰れって言ったりはしないわよ。」
そう私が言うと、安心したように
「ありがとう。」
彼女がほほ笑んだ。
「もう夜も更けたんだし、貴女はまだこちらの妖怪にあまり知られていないのでしょう?
貴女が負けるとは思わないけど、変な輩に絡まれると厄介よ?面倒で。
だから今日くらいはゆっくり泊っていきなさい。狭いところだけど。」
まぁ、心が読まれるのなら並みの妖怪が相手になったところでどうしようも無いでしょうけど。
「それでは、今夜はお世話になります。」
彼女がまた姿勢を正して、すっと頭を下げた。
私の体もそれにつられて、頭を下げる。
「そんな硬くならなくても。」
私が言葉でそう返すと、今度はそれに返すように彼女が顔をあげて答えた。
「感謝の言葉位は、せめて口でちゃんと言いたくて。」
……なんだかんだで人づきあいが少なくても、私なんかより案外しっかりしてるんじゃないだろうか。
そう思えるほど、彼女の返答は淀みがなく真っ直ぐだった。
私がそんな事を考えていると、私の心を読んでいるのかいないのかはいざ知らず、
彼女が手を口に当てて目を閉じた。小さく空気の抜けるような息の音が漏れる。
「すいません。お世話していただいた身で言うのもなんなのですけど、
やっぱりちょっと疲れちゃったみたいで。」
欠伸をし終えた彼女が、すっと手を口元から布団へと戻して言った。
「だったら、もう寝ましょうか。寝たい時に寝るのが一番良いわよ。」
よいしょ、と私はまた体を布団から外へ出すと、部屋の灯りを消した。
光を出し続けていたもとが消えて、ふっと一瞬部屋の窓の外が明るくなったように感じる。
とはいっても、窓の外は依然として曇っているのだけど。
「私も慣れないことしてちょっと疲れちゃったから、丁度いいわ。」
薄暗い中で何かを言おうとした彼女の言葉をさえぎるように私がそう告げると、
彼女が落ち着いた笑顔を浮かべ、短く小さい溜息を洩らした。
私は再び布団へ入り中へと潜ると、頭の傍にあった枕を彼女に渡した。
そのまま、何かを言いだそうとした彼女の唇を人差し指で止めた。
「今日はそれで我慢してちょうだい。それと、[友人]であるはずの貴女に
そこまで丁寧にお礼をされると、何だか悪いような気がしちゃうわよ。だから、」
そこまで堅苦しくせずに気楽に、と続けて言おうとした所で、今度は彼女の人差し指が私の唇を封じた。
「嬉しいと、つい。以後気をつけさせて頂きます。それと、私もひとつ。
[友達]なら、いつまでも[貴女]と呼ばれるのはちょっと他人行儀な気がして苦しいのだけど。」
……思えばさっきから私は確かに幽香さん、か。
彼女が布団に入りなおして、目を閉じて顔を上に向けた。
「じゃあ、おやすみ。さとり。」
彼女が枕の位置を直しながら微笑んだ。



どれだけ時間が経ったのか、あるいは数分しかまだ経っていないのかは分からないが、
彼女がゆったりと長い寝息を横ですやすやと奏でている横で私は未だに目が冴えていた。
疲れていて眠いのは眠いのだけど、自然と眠るにはまだほんの少し、遠い。
まだ2日、そうたった2日しか経っていないのだ。昨日彼女に出会い、今日はもう横で寝ている。
縮み切ったバネの抑えを外したように、望んでいたことが凄い勢いでやってきた。
だからこそ、少し、少し不安なのだ。この抑えられていたバネの行く先が。
ただ、不安だけど楽しみでもあることに違いはない。望んでいたことに変わりはないからだ。
ふと、彼女を見るとやっぱり足元は寒いのか膝を抱えて眠っていた。
今度お泊りに来てもらう時は、服を用意しておいて貰わないといけないわね。
ちらり、と首元を窺うと無防備に開け放たれたワイシャツの襟もとが目に入った。
「私が同じ女だからそんなに無防備なの?」
伝えるつもりも聞くつもりもほとんどなく、とても小さい声で私はそう呟くと、
冷えないように布団を首元までかけ直してから、ゆっくりと目を閉じた。
「おやすみなさい。」



うぅーん、なんだか首がちくちくする。
というかくすぐったい。でもなんだか胸の中があたたかい。まるでそう、湯たんぽのように。
……湯たんぽ?
なんとか頭にスイッチを入れて、言う事を聞かない瞼をこじ開けると、薄いピンクのような紫色のようなもさもさしたものが
私の視界の下半分を占めていた。あぁ、そうか昨日彼女は泊ったんだ。頭を動かして視線を胸元までおろすと、
彼女の後ろ頭が私の胸の中にすっぽりと埋まっていた。彼女自身は昨晩渡した枕をお腹の位置程に抱きこんでいた。
彼女は、未だに眠っているようで、小さく形を整えた唇からまだ緩い寝息が漏れだしていた。
もぞもぞと彼女が動き、引っ張られる私の肌がちょっと痛かったけども、
気持ち良さそうに寝ている手前文句の言葉も出せなかった。
もっと先に視線を伸ばせば、まだ少し薄暗い布団の奥でワイシャツから完全にはだけてしまった胸が見える。
見ているだけで少し寒い。しかし、昨日私は彼女の体に対して子供のような印象しか覚えなかったけど、
こうして上から見てみると、ちょっと小さいけれど普通の女性らしい形の良い胸をしていると思った。
……いやいや、なんて所を私は凝視しているんだろう。いけない、いけない。
いくら寝ているとはいえ。うぅん、どこか調子が狂う。

「さとり、朝よ?」
胸の中に埋まっている頭にポンポンと私が手を下ろすと、もさもさしたものが少しだけ動いた。
しかし、起きる気配はない。まだ、疲れて寝ているのだろうか。……しかし、このままだと私動けないのよね。
「おーい。」
頭越しに呼びかけるが、やはり一度二度もさもさと揺れると動かなくなった。
地底に住んでいると朝起きられないのだろうか。それはさておき、どうするか。

しばらく考えた挙句、私は大きく息を吸って
「火事よぉぉぉぉぉ!!」
と、叫んだ。心の中で。その瞬間に胸の中に埋まっていた彼女の頭が
驚くべき速度で跳ねあがり私の下顎に直撃した。
醒めきっていない頭がグラグラと震え、少しずつ痛みがこみあげてきた。
私の方はさておき、彼女も不意打ちが効いたらしく
「ぅぎぎぎ」
私の胸から頭を離し、痛そうに頭をさすっていた。
「らいじょーぶ?」
とりあえず声をかける。
「火事は?!」
あぁ、やっぱり伝わるのは伝わったんだ。……今度からはやめておこう。
御免なさいね。嘘なのよ。火事は起こってないわ。
「はぁ。」
私が心の中でそう呟くと、短い溜息が彼女の口から洩れた。
「なかなか起きてくれないから、こんな手段使っちゃったのよ。」
「良い夢見てたんですよ!」
私が弁解すると少しむすっとした顔で彼女が答えた。
まぁ確かに悪い夢を見ていたようには見えなかったわね。
「あったかい綿に包まれてるような感触で……。」
眠そうに眼を擦りながら彼女が呟いた。
「それは、申し訳ない事をしたわね。」
上半身をまだ少しフラフラさせている彼女の肩を掴むと、私は引きよせて胸に抱き戻した。
「ど、どうしたんです?」
腕の中で彼女が顔をあげてこちらに尋ねた。……ぶつけたところ赤くなっちゃったわね。
「さっきまで貴女が気持ち良さそうに寝ていた所よ。」
そう言うと彼女の顔が真っ赤になった。
だって事実だもの。嘘は言っていない。
「無意識のうちに、つい。気持ち良かったんですもの。」
顔を赤くしながらも、何だか少し不服だといわんばかりの顔で彼女が呟いた。
まぁ、そりゃ枕が変われば普段通りのような気持ち良さはないわよね。
「そういう意味じゃないんだけど……。」
もごもごと彼女が囁く。
それはさておき、やはりこうして抱きながら下を見ると、
チラチラと見えてしまうのがなんとも。

「前留めなくて寒くないの?」
「あったかかったですよ?ここは。」
むぅ、そう来たか。
「そんな無防備だと、危ないおねーさんに食べられちゃうぞー。」
私が思いついたまま驚かすようにそう言うと、彼女が口を閉じて
頬を赤く染めて上目遣いのままこちらをじっと見つめた。
私にとっては予想もしてない妙なリアクションだったので、
かえって仕掛けたこっちがたじろいでしまう。
……というか、私の心を読んでいるのよね?
「うん。」
今度は私の顔が熱くなった。いかん、なんだか手玉にとられた感覚だ。
何だか今更といった感覚と、妙な恥ずかしさが余計に私の頬を熱くする。
「ちょ、朝食にしましょう。ちょっと待っててね。」
私は逃げるように布団から足早に抜け出して、昨晩着なかった自分の服を
引っ張り出して着ると、そそくさと部屋を抜け出して、昨晩干しておいた彼女の服を取りに行った。

吊るして干してあった彼女の服は、少し冷たいものの、しっかり乾いていて
ふわふわと宙で揺られていた。それらを取り外し、一旦畳み直すと私は再び彼女の待つ部屋へと戻った。
「乾いてたわ。後で着替えておいてちょうだい。」
私が居ない間にまた布団の中へもぐってしまっている彼女に手渡すと、
彼女が少しだけ不服そうに頬を膨らませた。
「ど、どうしたの?」
「幽香さんの服、着心地いいんだもの。」
……あっちとこっちじゃ、繊維の違いがあるのかしらね。
名残惜しそうに袖から腕を抜く彼女に背を向けていると、彼女が着替え終わったのか
ベッドから体を起こして立ち上がる音が聞こえたので私が振り返ると、彼女がさっきまできていた服を畳んでいた。
「あぁ、気にしなくてもいいのに。」
私の言葉は聞こえているのか聞こえていないのか、いや聞こえては居たのだろうが、
まだ少し顔にふてくされた子供のような不満げな顔をしたまま彼女は服を畳んで、背を向けてベッドの片隅に置いた。
「そこまで気に入ったの?あの服。」
後姿の彼女に尋ねると、こくりとそのまま小さくうなずいた。
何だかこういう風に見ていると玩具を取り上げられた子供のように……いや、またそんな事考えていたら
彼女に怒られるわね。
「そんなに気に入ったら一着くらいならあげるわよ?」
なんとなく、私がそう後ろから声をかけると彼女がすごい勢いで振り返って
なんともまぁ眩しい笑顔をこちらに向けた。……最初から素直にそう言えば良かったんじゃない?
「いや、その、言いづらくて。」
「まぁなんとなく分からないでもないけど。とりあえず朝食にしましょう?」
「はい!」
……元気になって何より。
彼女に先だって部屋を出て、彼女をリビングに案内すると、私は台所へと向かった。


さて何にしましょう。ご飯……は炊きすぎたおかげでまだ残ってる。
あーでも少し水分飛んじゃったわね。何かいい付け合わせはあるかしら?
がさごそと食材を漁ると、鮭の燻製を発見した。秋鮭じゃないけれどなんとなく珍しいから買ったんだったっけ?
となると、作れるものは、えっと?
「お茶漬けでいいかしらぁ~?」
リビングで寛いでくれているであろう彼女に向かってそう叫ぶと、
「楽しみに待ってますよ~。」
とりあえずOKの返事が返ってきた。
私は水を入れた薬缶に火をかけると、もう一度食材を漁って海苔と山葵を取り出した。
ずりずりと、山葵を摩り下ろしてお皿に取り分けると今度は鮭の燻製を取り出して一旦火で炙った。
ほんの少しだけ鮭を冷ましたあと、手で身を解して裂く。いや、しかし熱い。素直に包丁使えば良かったかしら。

沸かしたお湯で緑茶を作ると私は茶碗にご飯を盛って、その上に用意したそれぞれを重ねて行った。
うーん、なんだか鮭が多すぎるような気がするけど。
そのまま、山葵にかからないように緑茶を注ぎこむと、
私はそれらと箸、そして水を入れたコップをお盆に載せて彼女の待つリビングへと入った。
部屋に入るなり、匂いに釣られでもしたのか呼ぶ前に彼女がこちらを向き、愉快そうにテーブルに座った。
私も対面に座って、彼女に一つ茶碗と箸を差し出すと彼女がそれを嬉しそうに受け取った。
「具沢山ですね。」
なんていうか、鮭沢山なんだけどね。なんだか昨晩と献立が被ってごめんなさいね。
「無理を言って私がお邪魔しているようなものですからどうかそんな……。」
苦笑いともとれるような顔で彼女がそう言った。
そう言ってもらえれば何だか心強いのだけどね。
「熱いから火傷しないように気を付けてね。」
私が言うと、流石に昨日の雑炊で少し懲りてはいたのか、お茶碗の側面を恐る恐る触っていた。
これなら、まぁ火傷する事はないだろう。私は少し冷めるのを待つために、用意してあったコップの水を口へと運んだ。
彼女も私と同じようにコップの中の水を飲みながら、冷めるのを待っていた。

彼女が空になったコップを置いて、代わりに箸を握ると、そっと鮭とまだ少し熱そうなご飯を口へと運んだ。
あの量なら火傷はしない……そう思っていた矢先に彼女が両手で口を覆った。
「え、あ、大丈夫?」
思わず声をかけたものの、彼女は上を向いて少し手をばたつかせていた。
その手に彼女のコップを渡そうとして、そのコップが空なのに気付くと私は自分のコップをその手に握らせた。
ゴクゴクと彼女がその水を飲み干していく。
「舌、焼いちゃった?」
私が恐る恐る聞くと、
ふるふると横に顔を小さく振って、彼女が顔をおろした。目には涙が浮かんでいる。
「山葵の塊が……あったもので。」
息を落ち着けて彼女がコップを置き、そのまま自分のコップと私のコップを眺めると彼女が顔を赤くした。
「か、間接キス?」
気にもしていなかったのに急にそんな事を言われて、今度は私の顔が赤くなる。
「さ、さとりのコップが空だったんだもの。」
私がそう言うと、
「あ、幽香さんのも全部飲んじゃった。」
ハッとしたように彼女がコップの中を覗きながら呟いた。
「いいのよ。ある程度喉は潤ってるから。」
そう返しながら、私も彼女と同様に一口、箸で口へと運ぶと、
さっきまでの彼女と同じように両手で口を覆った。
「効いているでしょう?」
私がボロボロと涙を流している向こうで、彼女が少し愉快そうに笑い声を洩らした。



簡単ではあったけれど朝食を済ませると、彼女が口を開いた。
「それでは、私はそろそろ家に戻りますね。一晩泊めてくれてどうも有難う。」
「どういたしまして。体、変調を来したりしてない?」
「大丈夫ですよ。」
すっと立ち上がって礼をする彼女に私も軽く頭を下げると、
彼女が再び部屋へと向かっていった。……あげると言った私の服を取りに行ったんだろう。
ドアの前で待っていると、彼女が嬉しそうに畳んだワイシャツを持って出てきた。
「今度何かお礼の品を持って参ります。」
胸元にワイシャツをぎゅっと抱いて彼女がそう囁く。
「そ、そう。楽しみにしとこうかしら。」
ワイシャツでここまで喜べるとは。
トントンと廊下の床をスキップで駆けて行く彼女の後に続いて玄関まで行く。
……昨日ここで疲れきってベッタリ床に座っていた彼女とはまるで対照的だ。
「それでは!近いうちにまた来ますね。」
くるりとこちらに向き直って笑う彼女。
思えば、最初に彼女とあった時の印象ではこんな顔をするんだとは思わなかった。
もうちょっと私と同じように、どこかビクビクしているようなそんな印象があったのだけど。
別れ際がそんなだったからかしら。何だかんだ、自分の頭の中がいっぱいいっぱいで今となっては
そこまで深く思い出せないのだけど。
「それは幽香さんと一緒に居るのが楽しいからですよ。」
彼女が靴を履きながら囁く。
「こっちでも心おきなく話せる相手がいる。それだけで私は幸せですから。」
ちらり、とこちらの顔を一度見て、彼女が続ける。
「幽香さんにも少しでも沢山幸せな気分を味わってほしいから、頑張らなくちゃいけませんね。」
そう言って彼女が再びほほ笑んだ。
「あら、私だって幸せよ?」
それは事実。
ただ、問題なのは私の中に自分でも分からない妙な気持ちが渦巻き始めている。
ただその何かをどう私は整理をつければいいのか。……ちょっとゆっくり考えたい。
「では、また。」
この気持ち彼女なら読めるのだろうか。答えをくれるだろうか。
私がそう思っている中、彼女は玄関の扉を開けて、そのまま飛び立って行った。
気持ち良さそうな青空の中、髪を揺らしながら彼女がどんどん小さくなっていく。
「私も、出掛けようかしらね。」
誰もいない玄関で一人ぽつんと呟き、彼女の姿が目で見えないほどになるまで見送ると私は部屋へと戻った。
昨日届けられなかった向日葵の種を花屋の主人に届けなくては。


「おお、幽香さん。いらっしゃい。」
私が種の詰まった袋を携えて里の花屋へ入るなり、主人は大きな声で私を迎えた。
「向日葵の種、このくらいで大丈夫?」
その声に返すようにして、私が携えていた袋を店のカウンターへと置くと店主が笑いながら
「ははは、こりゃ凄い量だな。これじゃお釣りが出ちまうよ。」
「少ないよりは良いでしょう?」
「それはそうだが。ところで幽香さんよ。あの花瓶には何か挿したのかい?」
あの花瓶、そういえばあのピンクの花瓶、まだ何も挿して無いわね。
そういえば、昨晩渡した薔薇、私が預かったっきりで彼女に持って帰らせてないわ。
「私とした事がね。」
「ど、どうかしたかい。」
「……友人に花を贈ろうとしてたんだけどね。帰り際に渡しそびれちゃったわ。」
そう私が言うと、花のお世話をしていた店主がくるりとこちらに向き直った。
「ほう。どんなお相手だい?」
「良くわかんないわ。向こうにはこっちの考えている事筒抜けみたいだけど。」
「ははは、手玉に取られているみたいだな。その花瓶を付けてプレゼントでもするつもりだったのかい?」
「それでも良かったわね。」
そうすれば手、切れないし。あぁ、もうちょっと頭を働かせればよかったわ。
「好きなのかい?」
思わず耳を疑った。
「な、何が?」
「その方をさ。花束をあげるような間柄なんだろう?」
「知り合ったのは一昨日よ?」
「恋の流れは誰も読めないって言うけど、早いねぇ。」
「貴方、楽しんでない?」
そう言うと、ここぞとばかりに店主がニッと笑った。
「楽しいさ。まるで祝言を迎えるような女の子みたいな笑顔で喋るんだもの。」
「そんな顔してる?」
くいっくいっと店主が私の横を指さしたのでふとそちらを向くと、
部屋の隅に置かれた鏡越しに自分の顔が見えた。あぁ、私こんな顔してたんだ。
「な?」
そんな自信満々に言わなくても。
「相手は女の子よ?」
「ははは、恋情ってのは別に異性に抱くってもんじゃないだろう。
[相手]に抱くんだ。異性に抱くってのは傾向でしかないよ。花だってそうさ。
表面上の[綺麗さ]だけじゃなくて、[表情の豊かさ]がいいんじゃないか。そうだろう?」
「良くそこまで口が回るわね。」
「俺にとっちゃ幽香さんは大切な客であり、仕事仲間だからな。
野暮でも気になってしまう事くらいはあるのさ。」
「……嬉しい事言ってくれるわね。」
「花屋だからな。」
「どういう理屈なのかしらないけど、もうそれでいいわ。」
「あぁ。こっちも深く突っ込まれると辛い。とりあえず、自分に嘘はついちゃだめだ。
伝えたい事があるなら、その先を心配するんじゃない。伝えたい事がちゃんと伝わったかを心配するんだな。」
「それはまた、助言どうも。」
私がくるりと背を向けると、店主が椅子を軋ませながら言った。
「面白い知らせを期待しようかね。またのお越しを。」



「重要なのは[相手]ね。」
ぼーっと空を一人で帰りながら考えるにしても、彼女の事しか頭に浮かばない。
できる限り違う話題を考えようにしても結局彼女が頭に浮かぶ。
一人頭の中で四苦八苦しながら家に帰り着いた時には、何故かもう夕方になっており、
少し寒い玄関が私を迎えた。

「……。」
一人リビングの椅子に座り、考える。何故だか全然食欲もわかない。
私は彼女が好きなのか?
私は彼女を好いていいのだろうか?
同じ女である彼女を。さとりを。
本人が目の前に居る訳でもないのに、心臓が破れそうなほどにバクバクと脈打つ。
家に戻ってからずっと手に握ったままの傘は、その骨がきしむような悲鳴を私の手の中であげていた。
私は彼女が怖いの?
私は彼女に振られるのが怖いの?
どっちだ、なんて聞くまでもない。自分で分かっているのに。
日頃恐れられている私がこんな事を怖がっているなんてね。
……まぁ、今は他の誰かが思う私の体面より、彼女に拒絶されることが怖い。
怖い。

「もっと勇気がほしいわね。」
暑い訳でもないのに額から流れてくる汗を拭うと、私は立ち上がり自分の部屋へと足をすすめた。
部屋のドアを閉めてカーテンも閉めると、ベッドの脇に傘を置いて私は着ている服を脱ぎ、
凄く汗を吸っているそれらを机の椅子に載せると、私はばたんと枕に頭から突っ込んだ。
ふわり、と彼女の匂いが顔を包む。そういえばずっと胸元に抱いていたんだっけ。
私もそれをギュッと胸元に抱き込むと、何だか少し落ち着いた。
そのまま布団を被って寝ようと思い足を伸ばすと、足先に何かが引っ掛かった。
そのまま足に引っかけて布団の中手繰り寄せる。
位置からすれば、彼女が置いて行った私の下着だろう。隅の方に畳んであったし。
そう思って、引っ張ってきた下着を手にとってふと目の前に出したとき、私は目と指先の感触を疑った。

私のじゃない。
昨晩干したから見覚えがあるそれは、紛れもなく彼女のもの。
何故これがここにあるの?
何を彼女は履いて帰ったの?
上半身を起こして、彼女が服を置いたあたりを見渡してみるが、私の下着はどこにも見当たらない。
ワイシャツと一緒に私のパンツも下着まで持って帰っちゃったの?

ふと、朝みた姿の彼女が頭に浮かぶ。
確かに彼女はワイシャツが、というような言い方はしなかったけど。
まさか下着を持って行くとは。
着心地がいい、彼女はそう言っていたけどじゃあ、こっちの下着ははき心地悪いのだろうか。
邪な考えが私の頭の中で囁く。
気がつくと片足を差し込みかけていた。ぶんぶんと頭を振って、足を引く。
「わ、私ったら何考えてるのよ……。」
握っていた下着を離して目を閉じると、今度はお風呂場で見た姿が頭に浮かぶ。
頭を振れば、今度は朝見た胸元が、雨に濡れた彼女が、どんどんと瞼の裏に浮かぶ。
「私は……。」
胸元に強く抱いた枕を更に強く抱きしめる。
体が、顔が熱い。けれどこの気持ちに素直に従っていいものだろうか。
考えれば考えるほどに体の奥底がむずむずして。
心の何所かがが「それはしてはいけない」と叫び、
また別の何所かが「素直になれ」と囁く。

……結局、私は気がつくと自分の太ももに手のひらをはさんでいた。
何だか死ぬ前の最後の2択を迫られているような気分だ。
「触る」か、「気持ちを押しとどめる」か。
しかし、まぁもう此処まで来て今さらその二択を出されても、既に私の想いは傾いていた。
親指が自分の下着へと触れる。ただでさえ暑く感じるこの部屋の中、そこは一段と熱かった。
けれど、どこかさっきまでの迷いを飛ばせそうで、落ち着く。
くるりと体を丸めこんで、膝を抱えこんで枕を顔に押しつける。
漂う匂いに、彼女の幻影が重なって私のまぶたの裏で像を結ぶ。
例え頭の中でもその彼女を汚してしまうような真似はしたくないとは思いつつも、
そんな思いなんて関係無く指が下着の上を撫でる。
指が走る度に、彼女の像がゆっくりと動いてこちらを見つめる。
「ごめんね。」
枕でふさいだ口でそう呟くと、何だか少しだけ罪悪感が晴れるような気がして。
でも結局頭の中で彼女の事を浮かべてこういう事をしているうちは、どうにも言い訳なんてできないのよね……。

そんな事を考えながらも、口から息が抜けるように漏れだす。
あの後姿、背負ったときの肌の感触、美味しそうに食べる顔、
朝私が目覚めたときの光景、浮かんだ光景がどんどん私を刺激して、
「さとり……。」
でも、何が悲しいのか涙まで出て。
何だか悩んでいたときよりも切なくて、気持ちいいのに前が見えないほどに視界が歪んで。
しばらくして指を止めると、私の高鳴っていた胸の鼓動がゆっくりと止まった。
「私、何してるんだろう。」

鼓動は治まっても、涙は出続けた。
私は起き上がって彼女の下着を掴んで机に置いた花束の横に置き、ベッドに寝そべると、
「……ごめんなさい。」
誰もいない部屋で一人呟いて、布団をかぶり目を閉じた。
ぽたぽたと鼻をつたって落ちる涙を布団に押しつけて拭ききると、少しだけ気持ちが落ち着いた。




何だか寒い。
「っくしゅん。」
自分のくしゃみに驚いて目が覚める。あぁ、私寝ていたのか。
枕を横に置いたままそのまま寝たからか少し首が痛い。
でも、何よりも胸が痛い。罪悪感というそれを痛みとして再現するならばこれが一番近いものなのだろう。
そう思わせる程に、胸に刺さるような痛みがジンジンと響いた。

昨日と違って、誰も居ないこのベッドで一人脱いで寝るというのはやはり肌寒く、
ドアの隙間からか差し込んでくる風がそれを責めるように肌を刺した。
私は布団を剥いで立ち上がると、そのままおぼつかない足でお風呂場へと向かった。
数少ない着ていた下着を脱ぎ棄ててお風呂場へと入ると、そのまま湯船へと体を落とした。
あたためていた訳でもない水が容赦なく肌を冷やす。
頭を冷やす為、そして私自身への罰。
冷えた肌がジンジンと痛み、心臓の音が高鳴る。
「私の望みは何なの?」
一人放った言葉が狭いお風呂場の中を木霊して耳の中を駆ける。
何なんだろう。本当に。好きには違いない。もっと近づきたい。それも間違いない。
ただ、純粋に好き。焦ってるのかしら。私は。
純粋に好きならなんで昨晩はあんなことをしたの?それには答えられない。
こういう経験がないから。……分からない。

気持ちが落ち着くまで浸かり終えると、私はお風呂場を出た。
脱衣所で、乾いたタオルと下着を手にとって、頭を拭きながら部屋へと戻った。
そのまま体を拭いて、昨日脱いだ服と下着をまた着直す。
「洗濯、しなくちゃ。」
彼女の下着も……。気分が虚ろなまま、彼女の下着を手に持ってお風呂場へと足をすすめる。
ポイポイと着た服や使ったタオルを桶に放り込んで新しい水を注ぎ込むと、私は腕を捲くった。
なんとかして気分を持ち直さないと。
そう自分に言い聞かせつつ、ゴシゴシと服を洗っていく。

何だかんだゆっくりと洗い終えて、洗ったものを桶からいったんどけていくと、
最後に残ったのはやはり彼女の下着だった。
「自分のものと同じようにすればいいじゃない。」
そう言い聞かせて、何も考えないようにして洗う。
彼女は着心地がと言っていたが、泡の向こうだから良く分からなかった。

泡だらけになった服に水をかけ直して濯ぐと、
服を籠に載せて私はテラスへと出た。
サワサワと向日葵畑を駆けてきた風がそのまま私のスカートを揺らめかせて駆け抜けていく。
今日も、天気は良いみたいだ。これなら昼過ぎには乾くだろう。
垂れ下げた紐へ服を固定し終えると、流石にお腹が減ってきた私は台所へと向かった。

お腹は減ったが食欲がない。
なんとも矛盾しているようだけど、今はそんな気分だった。
むしろ作っても食べられるだろうか、というような気さえしてくる。
「おかゆなら、大丈夫かしら。」
そう思い、お米を研いでたっぷりの水をお釜に注ぎこむと、
僅かばかりの火にお釜をかけた。
フラフラと台所からリビングへと入ると、私はテーブルの椅子にもたれかかり、
「なんだか急に自分がやつれたような気がするわ。」
一人そう呟くと、私はテーブルに突っ伏してぺったりと頬をテーブルにつけた。



チリン。
チリン、チリン。

何の音か分からないで居た私が、その音が滅多に聞かない玄関の鈴の音だと気づくと、
飛び起きて玄関までの道を駆けた。
「居ないのかな?」
扉の向こうでそう言った彼女を迎えるべく、
扉を開けると彼女が一度驚いたような顔をして、一礼した。
まだ、私自身の気持ちは整理がついていないのに。
「気持ちの整理?」
彼女が不思議そうな顔で呟く。いや、気にしないで……は無理よね。
後でちゃんと言うから。
「どうぞ、あがって頂戴。」
そう言って手まねきすると、彼女がひょい、と玄関の内へ入ってきた。
見ると何やら手にバスケットをもっている。
「あぁこれはですね。ちょっとお菓子を。お口に合うかどうかは分からないけど。
一昨日と昨日のお礼にって思って。……幽香さん?」
「え?何?」
一人先に彼女に先だって室内へと向かい歩いていると、彼女がそう言って私の名を呼んだ。
「脚、ふらついてますよ?」
「……気のせいじゃない?」
「そうかなぁ。」
納得いかないといった表情で彼女が呟く。
たぶんさっきまで突っ伏していたのに急に走ったりなんかしたから、
脚がついて行っていないのかもしれない。そう思いながらリビングへと案内すると、私は彼女の対面に座った。

座った彼女がしきりに私の顔を眺める。
「何か、ついてる?」
「顔、赤いですよ?」
「あぁ、さっきまでちょっとここで寝てたから、痕ついちゃったのかしら。」
「ちょっと良いですか?」
やはり納得いかないといった表情で彼女が身を乗り出し、手を伸ばして私の頬に触れた。
なんだか、柔らかいけどとても冷たい。無言のまま、彼女の手がペタンと私の額をおさえた。
「ちょっと、熱あるじゃないですか。」
彼女がガタンと椅子を鳴らしながら立ち上がった。
「そ、そう?」
気のせいじゃない?そう私が発する前に彼女はテーブルをまわって私の横へと座った。
彼女が私の手を引いて、彼女の額に押し当て、しばらくして今度はその手を私の額へと押しあてた。
確かに、ちょっと熱いかもしれない。
「ちょっとじゃないですよ!相当熱いですよ!一体何したんですか!」
何をしたって。……あぁ、水風呂?いやそもそもほとんど裸で寝てたし。
「ちょ、ちょっと。それじゃ誰だって風邪引きますよ!」
「そ、そんな真剣にならなくても、大丈夫よ。」
真剣な顔で叫ぶ彼女の顔が歪む……じゃない、歪んでいるのは私の視界?
そう思っていると、目の前の景色がくるりと回って、私の肩を激痛が襲った。
「あれ?」
「幽香さん!」
肩をぐっと抱かれる。あぁ、椅子から落ちたのか。あぁ、そんなに揺すらないで。
「こ、こんな体なら安静にしてないと駄目ですって!」
「いや、今おかゆ作ってて……。」
「わ、私がしますから!ほら、立てますか?」
ぐっと膝に力を入れれば立つ事自体はできそうだけど、
倒れてから余計に視界が回ってとてもじゃないけど歩けそうに無かった。
「よい、しょ。」
彼女が私の腕を持ち上げて、そこに肩と頭を突っ込んだ。
「私何してるのかしらね。」
「風邪をひいてるんですよ!」
「それには違い無いのだけど。なんだか自分が情けないわ。」
よたよたと、リビングを抜けて私の部屋がある方へと向かう。
「誰も見ていませんって。」
「さとりに見られたわよ。」
「恥じるような事ですか!」
カチャリ、と彼女が私を支えたままドアを少しだけ開けると、肩で押しながらドアを開けきった。
「じゃあ私そのおかゆとやらの様子を見てきますから!」
ベッドに私を届けると彼女はくるりと体の向きを変え、ドアの向こうへと消えていった。
その先の言葉は、安静にしていてください、だったのだろうか。

私には彼女が何を考えているのかがあまり分からない。
彼女は何でそこまで私の事でこんなに真剣になってくれるの?
いや、むしろ真剣になってないのは私の方?
私の意志は何なの?どこへ向いているの?
……駄目だ。頭が、胸が痛い。

「あ、あかない……。」
目を閉じて待っていたところに、ドアの向こうからそんな声と、ドアを開けようとする音が聞こえた。
彼女が困っている。そう思ったときには私はベッドの脇に投げておいた傘を拾い、
それを杖にしてドアのところまで歩いて行っていた。
「ま、待って!大丈夫ですから!」
うん、一旦床に置けば大丈夫だろう。でも私の足は止まらない。
私が開けなくては、いけないんだ。
歪む視界の向こうでカリカリと、彼女がドアの向こうで必死に先にドアを開けようとしている音が聞こえる。
私はドアまでたどり着くと、ゆっくりとドアを開けた。
「これくらい、大したことないわよ。」
廊下の中で、トレイを持って立ちすくみながらこちらを見上げる彼女に向かってそう言うと、
それに対して、彼女は戸惑うような顔を浮かべると、
「なら何故」
目を伏せて
「何故泣いているんです。」
呟いた。


「分からないわ。」
私の部屋の机におかゆを載せたトレイを置いて、私を支えながら再びベッドまで届けてくれた彼女、
そして彼女の投げかけた質問に対して壁にもたれて座り俯いた私の口から出た答えはそれだった。
何故泣いているのか分からない、ということではない。私は私で私自身を理解できないから、泣いているんだろう。
「話は、ゆっくり聞きますから。」
彼女がどんな顔をしていたのかは分からないけれど、
その言葉を紡いだ口調はどこか辛そうで。誰が原因?それは勿論……、
「とりあえず、おかゆ食べましょう?」
ふと、目の前で揺らされるスプーン。握っているのは彼女だ。
ベッドにいる私に並ぶように座り、手にもったお椀から掬って私の口の前に差し出した。
「一人でも食べられるわよ。」
「目の前で椅子から落ちた人が言う分には説得力が欠けてますよ。それに、落として火傷してほしくないですから。」
それを言われるほど衰えては……と言いたかったのだが、
確かに肉体的にも、精神的にも辛いのは事実だ。
何で私あんな馬鹿な……、
そんな事を考えていると、ちょっと熱いスプーンで唇の先をつつかれた。
「開けないと入りませんよ?それとも口移しの方を御所望ですか?」
少しおどけたように笑いながら彼女が言った。

「……そうだ、と言ったらさとりはするの?」
少し考えて、私は少し真剣にそう尋ねてみた。
すると彼女は驚いた顔をして固まった後、少し悩んだ顔をして、
それから真剣な目つきで顔を縦に振った。
「そう。」
それだけ言って、私はスプーンが入る程度に開いた。
しばらく待っているとハッとしたように彼女が口の中にスプーンを差し込んだ。
……ちょっと冷えてしまっている。まぁずっと掬ったままだったから。
うーん、少し塩入れすぎてたかな?ちょっとしょっぱい。
「ゆっくり食べていれば、次第にしょっぱくなくなりますよ。」
彼女が次のおかゆを掬いながら、ひょい、と私の口の前に差し出す。
うん、今度はあったかい。

次を、次をとつぎながら、彼女がしゃべり始めた。
「昨日帰ったらですね、うちの猫が玄関入ってすぐの所に座ってましてね。」
あぁ、向日葵畑であの一緒に居た猫かしら。
「その猫です。昨日帰ったら、私の帰りをずっと待っていたらしくて。」
そう言えば泊って行ったものね。
「玄関入って早々怒られました。……私の部屋に連れてったら疲れたみたいで寝てましたけど。」
まぁ一晩ずっと玄関で待っていたら、神経削れちゃうものね。
「お詫びも兼ねて昨日はあの子と過ごして。あぁ、持ってきたお菓子、
あの子と作ったものなんですよ?今はリビングのテーブルの上ですが……。」
そう言って、空になったスプーンでリビングの方を指さしたあと、
再び彼女がお粥を掬った。
「後で一緒にいただきましょう。」
私が差し出されたお粥を食べて飲みこんだ後、そう言うと
彼女が嬉しそうにうなずいた。
「はい。最後の一口。もうしょっぱくは無いでしょう?」
……確かに。
「そういえばお薬はこの家には?」
薬、薬。はたして有っただろうか。そう言えば花の異変の時に手に入れたのだっけ。
確かあれは、どこだろう。ああいったものは……えっと。いざって時に忘れるのよね。
そうそう、机の引き出しだ。
「引き出しですね。」
そう言うと彼女は私の横から移動してベッドの脇へ立ち上がると、
そのまま机を素通りしてリビングへと行ってしまった。あぁ、先に食器を片付けるのだろう。
ふぅ、にしても何だか眠くなってきた。ここまで体力奪われるとは思わなかった。まぁ食後だから仕方が無いのだろうけど。
段々とおりてくる瞼の向こう、台所の方面からカチャカチャと食器を洗う音が聞こえる。
けれど段々とその音もどこか遠く……。

「あぁ、お薬ありました。」
「?……もしもーし。」
「どうしよう。……仕方がない。」


肩にぴったりとあたたかい何かが当たっている。
ふと眠りから解放されて気づいた時にはもう日が落ちていたようで、部屋の中はすっかり真っ暗だった。
ずっとベッドの上でもたれ掛って座ったまま寝ていたらしい私の頭のすぐ横を見れば、
彼女がもたれかかって寝息をたてていた。
しっかり寝ていたおかげか頭も軽い。ちょっと疲れは残ってるけど。
彼女の頭が載っていない方の肩には、掛け布団が包むようにかかっていた。
少し引っ張って彼女の方へと生地をずらすと、そこまで深く眠ってはいなかったようで
ピクりと動いて彼女が目を覚ました。
「おはようございます。」
先に声を発したのは彼女で、私は少し遅れてから
「おはよう。」
と返した。……まぁ、夜みたいなのだけど。
ぺとっと私の額にややぬくい彼女の手があてがわれる。
「効いたみたいですね。あの薬。」
あれ、私飲んだんだっけ?まぁ、そういうのならそうなんだろう。
どの道大分良くなったのは確かなんだから。

「さて。」
私の横で伸びをする彼女に対して、私が切り出した言葉はそれだ。
「居心地の良い話じゃないかもしれないけど、私の話聞いて貰えるかしら。」
私の言葉に対して彼女は再び私の肩へ頭をもたれかけると
「勿論。」
彼女は掛け布団の上から私の腕へと手を置くとただ一言そう返事をした。
「どこから話せば良いんでしょうね。」
「どこからでも。」
「そうね、じゃあとりあえず流れを追ってみましょう。」
といっても、どこからが[起点]だったのか私にも本当は分からないのだけど。
「さとりと知り合えたことについては凄い嬉しく思ってる。
こんな私を理解してくれる友達がゼロではなくなった。いやまぁお花屋さんの主人も数えるのなら一人から二人、なのかしら。
まぁお花屋の主人は仕事柄の付き合いが昔からあったから、そう言う意味で馬があったのだけど。ただね。」
ただ、……言いづらい。私の口が一旦とまると、腕を掴んでいる手にきゅっと力が入った。
彼女自身は私の考えていることが見えているから先の言葉も理解できたのだろうけど。これは自分で言わなくちゃならない。
「さとりに対しては、その。ただ、もっと仲良くしたくて。何でなのかはわからない。
同じ女性だからなのかもしれないし、私の痛みを理解してくれているからかもしれないし、その2つではないのかもしれない。
ただ、仲良くなりたくて。でも、迫った時に拒絶されるのが怖くて。恐ろしくて。
さとりが親切に、真剣に私に対して取り合ってくれるのに、私の方が真剣になれないでいて。
その事が自分で分かるから悔しくて。プライドだけはある癖に、自信が持てない。……その事が情けなくて。
この気持ちはどこへぶつけていけばいいのか。分からなくなって。またそれが苦しくて。
自分で自分の事が嫌になった。」
「そんな卑屈にならなくても……。幽香さんの事、私は信用してますよ?
幽香さんがまだ私が拒絶するかもと疑っているのはちょっとショックですけど。
でも、それならそれで時間をかけてゆっくり私の事が信用できるか判断すればいいとおもう。」
「そう。普通なら、そうなのよね。たぶん普通ならそうなのよ。
私が不思議なのはそこでもあるのよ。何故さとりは私の事に真剣になれるの?こんなに親身になれるの?
まだ会ってたった数日のこの私に!こんな私に!不思議なのよ!……とても。」
駄目だ、つい興奮してしまう。心臓が妙に昂っている。
私の腕を掴む彼女の手がわずかながらに小さく震えているのを感じた。

「だって、相手の事が分かるのにもう目を閉じたふりをしていたくない、
身を投げうてば親身になって相談にのってあげられたのに、そうせずに後悔したくないから……。」
「[もう]って。まるで前例が居るような言い方ね。」
私は何気なく返したつもりだったのに、ただその一言を発した時に急に何だか一人になったような気がした。
彼女の頭はまだ私にもたれかかっているはずなのに。重さもあるのに?
私は何気なく一瞬彼女の顔を見て、そしてすぐに視線を前に戻した。
その一瞬で私の目に映った彼女の顔は凍りついていて、私はこの顔に見覚えがある。
私が手に掛けた者たちが見せた凍りついた顔……。さとり、今その目で何を見ているの?
恐怖の対象は私ではないことは分かる。けどこの顔はもう見たくは、なかった。また私の心臓が異常に高鳴り出す。
「さとり?」
勇気を振り絞って、前を見据えたまま固まっている彼女に顔を向けて、そう声をかけたものの反応がない。
いや、聞こえているのだろうし、意識もあるのだろうけどそれ以前に彼女が別の何かに今対峙しているようで。
「さとり?大丈夫?」
何故?と聞かれたら自分でも分からないが私は一旦彼女を体から離すと無我夢中で彼女を揺すっていた。
このまま彼女をその何かに対峙させてはならない。そんな気がして。彼女も少し我に返ったのか、少し俯くと
強く握ったまま硬直させていた私の腕から力を抜いた。
「私も怖いのよ!」
落ち着きを取り戻したように見えた彼女が発したのは震えたような叫び声だった。
「わた、私の事を理解できて、私も彼女の事を理解できて。そんな親しい間柄の相手が、
周りの目に耐える事ができなくて、自分を貶めて、その心を壊していくその様を見るのが!どんなに辛いか!おぞましいか!
阿鼻叫喚の地獄絵図?笑わせるわよ!……本当に、笑えないのよ。もう、あんなの見たくない……。」
わなわなと震えながら彼女はそう叫び、辛そうに言い終えるとぎゅっと膝を抱えて座り顔を埋めた。


さとりも、怖かったのか。
いや、彼女だからこそ、余計にそれが怖いんだろう。見えてしまうから。
何より今の彼女を見ている事すら辛いのに、もしも私が彼女と同じように見えていたら
私は私を保っていられたのだろうか。そんな事は実現できないから分からないけど、
分からないけども彼女が真剣になってくれた理由は……分かった。
「優しいのね。」
「幽香さんだって、優しいじゃない。」
「……辛いことを思い出させたようで、ごめんね。」
「いえ、取り乱して申し訳ありません。」
「お詫びになるかはわからないけど、言っておくわ。私はそこまで優しくはなれない。
私は、私が守りたいものを精一杯守る。もしかしたら、その過程で誰かを手にかける事があるのかもしれない。けれど、
でも私はその何かを守るために精一杯がんばる。そうしていれば自分を保っていられるはずだから。
私は、壊れたりしないから。安心して。」
「そう言う割には自分を凄い責めてたじゃないですか。
それに何で体壊す事が分かっているのにこんな時節に水風呂なんか入ったんです。」
傍から見るとかたつむりみたいに見えてしまう彼女が顔を埋めたままそう呟いた。
「流石に後悔くらいは誰だってするわよ。水風呂は、私への罰よ。」

「なんで罰を?」
彼女が顔を少しだけあげて言った。
それは、その。……言わないと駄目?
「知りたいもの。」
というか私の心の中読めるわけよね?分かっているんじゃないの?
今なら。何で私がそこに至ったのか。何に対しての罰か。
「気のせいです。」
「そうですか。」
もう、素直に言ってしまおうか。
「私は」
もう怖がる必要もない、そんな気がするから。
「さとりが好きなのよ。恋って言えばいいのかしら。友達としてより、もっと。ずっと。」
「私も好きですよ?」
「そう。」
「でもそれじゃ、罰へ繋がりませんよね。」
ふと体育座りの姿勢から顔をあげた彼女の視線はどこか爛々としていた。
……そこまで私に言えと?
心の中でそう呟くと、彼女は私の視線を受け流すように顔をななめに向けて唇の先をとがらせた。
「とんだ羞恥だわ。」
私が言わなければ言わないで、適当に恐ろしく正確な[予想]として代わりに言われてしまいそうだし。
何だか優しいという言葉を撤回してもいいような気がしてきたぞ。
「ふふん。」
彼女は愉快なのか口の端をちょっとだけもちあげて鼻でそう笑った。
彼女の持つ力が力なだけに、なんとも一方的だ。……ああ、そうか。
私は彼女の体を片方の手で抱き寄せると、もう片方の手で顎を支えた。
彼女の視線と私の視線がぴたりと合う。
「さとりが欲しいのよ。でもこういう風に直接手を出せないから、思いの中で蹂躙したのよ。」
……とでも言えばいいんだろうか。
「言おうとして言った割には自信がなさげですね。」
彼女が私の手の中でくすくすと笑った。
腕から力を抜いて、彼女を解放する。
「でも、思いの中だとしてもその行為がさとりに失礼だと感じてね。だからまぁ、そういう訳よ。」
もっと変な顔するかと思っていたけど、彼女は平然した顔でと私の言った事を聞くと、
また口の端を少し持ち上げて笑った。
「3割嬉しくて7割悲しいですね。」
さ、3割は嬉しいのか?
「幽香さん。それは嘘よ。本当が入り混じった、嘘。
幽香さんが自分に罰を与えたのは私を思いの中で辱めた事に対してじゃない。
その事をした時に幽香さんが、[純粋な]自分の思いを自分自身で汚そうとしてしまったから、
その事実が辛くて、けじめとしての形で罰が欲しかった。……そうじゃないのかしら?」
……何か言葉を言い返す事ができず、沈黙が漂う。
「もし幽香さんの言った事が罰を与えなければならないことだとしたら、
私も私に罰を与えないといけないかもしれません。」
それは、どういう意味?
「好きだからした事、その過程の一つの形じゃないですか。私だって、幽香さん好きだもの。
だからもう少し、気を楽にしましょう?」
そう言って彼女が恥ずかしそうに笑った。気を楽に、か。
彼女が自分自身に罰を、というのはちょっと気になるのだけど。
私は一度深呼吸をすると、改めて彼女に言った。
「さとり。」
「はい。」
「好きよ。」
「私も。」
彼女はそう返事をすると、顔をこちらに向けたまま目を閉じた。

少しして、彼女の顔が少しずつ赤くなってきた。
最初は頬が赤い程度だったのに今じゃ耳まで……。
なんだかプルプルと震えている。

私はハッとなって彼女を抱き寄せると、そっと顎に手を添えた。
「気づいてもらえないので焦りました。」
彼女が呟く。経験無いんだから気付かなかったのよ。
「なるほど。」
彼女がぽそりと呟く。ちょっと驚きの声が混じっているように聞こえたけど。
「私より豊富なんじゃないかとは思ってました。」
「私、そんな女に見えるの?」
「私にはとても魅力的に見えるのでつい。」
「見た目って案外当てにならないものよ?」
「ところで、してくれないんですか?」
彼女が少し不満そうにそう呟いたので、私はただ一度、いい?と心の中で尋ねるとそのまま口を落とした。
あぁ、思ったより柔らかいんだな。というのが一番最初の印象で、なんだか花びらを指の腹で撫でているような
そんな柔らかい、けれどその奥に弾力のある感触が私の唇に広がった。
彼女の息が頬を撫でる。こんなにもくすぐったいものなんだな。
……で、私はどうすればいいのだろう。
私が心の中で焦り始めそう考えだすと、彼女はすっと唇を引いてかわりにこつんと額をあててきた。
「幽香さんがしてみたいようにしてください。困ったらそう頭の中で言ってくれればこちらからアシストしますから。」
「御世話になります。と言えばいいのかしら。」
「愛してる、といえば良いんじゃないですか?」
「大きく言えばその言葉でいいのかもしれないけど、思っていることはそれ以上に深いつもりよ?」
「経験が無いという割には口は回るんですね。」
「手も足も出ないから口が出たのよ。」
顎を支えていた手を離して、限られた視野の外で彼女の手を探す。
すると彼女の方から私の手を探しあてて手を添えた。その手を取って、手に握る。
駄目だ、緊張していて何だか凄く汗が出る。まるでお祭りの勢いのように鼓動する心臓が痛い位だ。
「落ち着いてゆっくり息を吸って。……吐いて。」
ふぅ。
「深く意識しないで。自分の意識に少し余裕を持たせて。」
握った私の手を握り返しながら彼女が呟く。しかしそんな深く意識するなといわれても、
凄く難しいじゃない。握った手からはあったかい柔らかい手のひらと指の感触、
何だか血の鼓動まで聞こえてくる感じで。この前のお風呂の時よりももっともっと近くて。
「ゆっくりゆっくり慣れれば良いんです。」
そ、それならいいんだけど。ちゃんと慣れるのかしら。
そんな事を思うと彼女が少し顔を突き出して再び軽く口づけた。
ほんの、ほんの軽く。触れるだけという言葉が正しいのだろうか。
彼女の息が私の唇の上を流れてさっきより余計にくすぐったくて。唇ってここまで空気に敏感だったかしら。
「口が使えない時は鼻で、ちゃんと息をしてくださいね?してないようですけど。」
あぁ、はい。……当然といえば当然か。道理でさっきから少しずつ苦しくなる訳だ。

私の呼吸の速さが戻ってきた頃だろうか。彼女は一旦額と唇を私から離すと、
「それじゃ、先ほど言ったとおりに。まずはお好きなように。」
そう言ってほほ笑んだ。私は一度大きく深呼吸をすると、抱き寄せた彼女を布団に仰向けにゆっくりと寝かせ
その上に覆いかぶさった。
「ちょっと重いかもしれないけど。許してちょうだい。」
一旦彼女の頭の下に枕を差し込んで、そう伝えると、くすくすと笑いながら彼女が小さく首を縦に一度振った。
何だか場違いなことを言ってしまったのかとも思ったけど、できるだけそんな事を深く考えないようにしつつ
私は彼女に負担にならないように彼女の脚の間に膝をたてると、そのまま彼女の脇から腕を回して頭を支え
その顔の上に私は頭をおろした。
[深く味わってみたかった]
というのが私の最初の考えで、このどうにも柔らかい彼女の唇をもう少し味わっていたかった、
というのが私にとっての最初の正直な印象だった。なんだか、美味しそうだとすら思えるほどの柔らかさだ。
食べるわけにはいかないけど、味わってみたい。……さとりなら、こういう時どうする?
そうためしに尋ねてみると、彼女はつけたままの唇を少し開いて熱い舌先で軽く私の唇をつついた。
私も恐る恐る舌を……震えているけど口を少し開けて出すとその舌に合わせた。
すっと私の後ろ頭に手が添えられて、頭を少し押さえると彼女の舌が私の舌を掠めながら唇を、そして私の舌を撫でた。
最初に感じた時よりもずっとその舌は弾力があって、まるでそれが一つの生き物のようで
どう例えればいいんだろう。私にとっては元気な子供のような舌だった。時折私の舌で感じるこの
今まで味わったことのない甘酸っぱさは彼女自身の味、なんだろうか。
ふと、彼女の舌が私の舌をツンツンとつつく。ああ、私も動かせって事か。
私は恐る恐る彼女の唇を舌先で押し開くと、ゆっくりとその先へと舌を伸ばした。
そこはさっき体験した彼女の舌よりもずっと熱くて、熱くて。
何よりも蔦のように絡み付いてくる彼女の舌が何だか心地よくて。
口一杯にさっき感じた甘酸っぱさが広がる。もはや酸っぱさのようなものは慣れてしまって甘いというのが正直なところか。
ただの舌のじゃれあいなのに、何だか気分が浮ついて、落ち着かないけど心地よくて。
私の舌を撫でまわす彼女の舌に合わせて、私も舌を絡める。
彼女も同じような感覚を楽しんでいるとすれば嬉しいのだけど。

……いけない、だんだん舌が痺れてきた。
そう私が感じ始めると、彼女はゆっくりと舌を引いて、そして押さえていた私の頭を離した。
「ふぁ。」
そのまま離れた私の唇からそんな間の抜けた声が漏れた。
上となっていた私の舌先から垂れた糸が彼女の唇から頬にかけて垂れる。
思わず彼女のその顔を指先で拭うと……。拭ってどうしよう。
そう思った先の一瞬で彼女がすっと頭を持ち上げると私のその指先をぱくりと口に含んだ。
弱く吸われている感覚が指先から伝わってきて、少しして彼女が口を離した。
「幽香さん、今笑ってみることできます?」
キスする前よりも緩んだ、というより潤んだといってもいいのかもしれないそんな彼女の顔がそう呟いたので
私はあまり力の入らない顔で笑顔をなんとか作って彼女に見せた。
「うふ、ふふふ」
彼女が目を薄く閉じて笑う。そんなに、おかしいのかしら?
「頬が緊張してないから、可愛い笑顔ですよ。」
そうなのか。……かわいいといわれたのは初めてだ。
それに可愛いというなら今のさとりの顔もゆるゆるとしていて可愛いのだけど。
「ふふ」
彼女がまた小さく笑う。
「キスはあんな感じで大丈夫ですよ。ただ舌が疲れてしまうのは仕方がないので、
舌が動かせなくなる前にちゃんと引いてくださいね?」
彼女が私の唇に人差し指をあててそう呟いたので、さっきのお返しに今度は私がその指をくわえた。
ちゅ、と小さく吸ってから離すと彼女がどこか嬉しそうな顔をして、
「それでは続きをどうぞ。」
そう言って、指を引っ込めた。

私はもう一度深呼吸すると、といっても何だか意識がぼーっとしてきていてそこまで満足な深呼吸でもないのだけど、
息を整えてから彼女の服に手をおいた。
「肌が、見たいわ。」
そう告げると、小さくうなずいて彼女が上半身を起こした。
私も脇から挿していた手で支えると、彼女を一旦座らせた。私もその横に改めて座る。
「お互い相手に脱がせてみますか。」
彼女がそう提案したので、私も頷いた。……といっても自分で脱ぐのと違って勝手が違うから、
うまく服を脱がせるかどうかはちょっと自信がないのだけど。
「それがまたひとつの楽しさでもあるんですよ?」
彼女が言う。どう楽しいのかはまだ分からないけれど。いや楽しいのはもう、こうしている今でも楽しいのだけど。
「先に失礼しますね。」
彼女がそう言いながら私のベストを両手でつかむと、くるり、と前側を開いてゆっくりと私の両手を引き抜いた。
ペタンと軽く彼女が折りたたみ横へと置くと、今度は私のワイシャツへと手を置いた。
「暖かくて、やわらかくて、それでいて良い匂いがしました。」
一つ一つ、ボタンを丁寧に上から外しながら彼女が呟く。
「だから着心地が良かったのかしら?」
彼女が小さくうなずく。
「何だか幽香さんに守られているみたいで。」
また難しい形容の着心地だなぁ。自分自身だと分からないわ。
私が日頃からきているからなのかしらね。
「とりあえず、とてもあたたかだったんですよ。柔らかくて。あ、両手上にあげていただけます?」
ボタンを全部はずし終えた彼女がそう言ったので、従って両手をあげると、するするとワイシャツを抜かれた。
私がむき出しとなった肩先をゆっくりと下におろす頃には彼女はもう畳んでしまって、先ほどのベストの上に重ねていた。

じっと彼女があとは上半身に一枚の薄い布を胸に残すのみの私を見つめる。
……何だか気恥かしいのだけど。そこまでこれ、気になる?
「だって大きいもの。」
彼女が答えた。でもそんな見つめなくても。
ひょこっと彼女の目が動いて私の顔を見つめる。
だんだんと熱が顔に上って来て自分の顔が熱く熱くなってきてるのが分かった。
「恥ずかしいんですね。」
彼女がにやりと笑う。なんだかこうされると自分で脱いでしまいたくもなるのだけど、
お互いが脱がすということに合意した以上、彼女が脱がすのを待つしかない。
すっと彼女が私の背中へと手を伸ばすと、ゆっくりと背中のホックを外した。
支えているものでもあったので、ホックを外されて私の胸にかかっていた圧力がなくなる。
これで少しどこか胸の苦しさもとれるのだけど、今日ばかりはまだ心臓が高鳴りその圧力が負担となっていたからか、
かなり楽になった。そのまま私の肩、そして腕へと通して引き抜くと、同じように畳んでおいた。
ただ、視線だけはずっと胸を見ているのだけど。あの、やっぱり恥ずかしいわよ。そんなに見られると。
「ご、ごめんなさい。」
彼女が視線を外しながらそう呟く。なんだかこうされると悪い気もしてくるのだけど、
恥ずかしいものは恥ずかしいのだからしょうがない。ふぅ、と私が一息つくと。
「あ、ついでに下も今のうちに1枚になっておきましょう。後が楽ですので。」
彼女が思い出したように言った。そうなのか、な?まぁいいや。私はお尻を浮かせて体を近づけると、
彼女が私のスカートの留め具を外しゆっくりと下ろした。
流石に太ももが露出すると少し冷えるな、と思ったのは最初だけで案外に体があたたまっているのか、
そのちょっとした空気の冷たさにはすぐに慣れた。
もう一度腰をおろして、今度は足先を少し浮かせてスカートを抜いてもらった。
これでもう私を包んでいるのは小さい1枚しかない。
「じゃあ、お願いしますね。服と、その先も。」
スカートを畳んで、今までの服を一旦ベッドの端の方に片付けると彼女がそう言って体を完全にこちらに向けた。

私が彼女の上着の一番上のボタンへと手をかける。
少し生地を引っ張ればちょこんと出た二つの鎖骨が見えて、生地を揺らせば開いた隙間から汗ばんだ匂いが
私の鼻へ届いた。なんだか妙に落ち着かなくなる匂いで、意識もしっかりしているはずなのに
私の鼓動だけがボタンをひとつ、またひとつと外していく度に早くなっていくのが分かった。
「手あげてもらえるかしら。」
先ほどされたように、私もお願いすると彼女がすっと両手を上にあげた。
生地を傷めないように、ゆっくりと引きぬいて手元に全部手繰り寄せると、
それ自体に色でもついているんじゃないかという程の匂いが、甘く抱きついてくるかのように広がった。
「自分じゃ自分の匂いは分からないですね。」
彼女がちょっと難しそうに苦笑いして、あげていた両手を元に戻した。
服を畳みつつ、彼女を眺める。流石に私と同じように薄い布一枚を肌にまとっているのみだった。
ただ、その。
「色々、透けて見えるわね。」
「そりゃまぁ、薄いですから。これでもなかなかいい肌触りでして。」
……しかしまぁ、薄い。向こう側に何があるか本当に分かってしまう程に薄い。
私のように押さえてホックで止めるのとは違うのでゆったりとして生地が肌のラインに沿ってしまうから
尚更そう思えてしまうのだろう。
「幽香さんみたいに見事な胸ならまた違うものが着られるんですが。」
「私はさとりを綺麗だと思ってるわよ?丁度良いんじゃないかしら。」
それは単純に素直な私の意見だったのだけど、思いのほか彼女には嬉しかったようで
「ありがと。」
そう呟くと少し恥ずかしそうにまた口を閉じた。
改めて、その薄い一枚に手をかけて、ゆっくりと彼女の腕を引き抜いた。
二の腕の肉が唇程までとは流石にいかないけれど、とても柔らかくて枕にしたらさぞ気持ち良さそうだった。
するりと全部抜き切って、改めて視線を彼女へと移すと、
先ほど布の上から確認できたラインそのままの形がそこに現われていた。
良いのなら今すぐにでもちょっと触れてみたいのだけど……。お先にスカートも脱いでもらわないと。
彼女が少し腰を浮かせて、私に留め具の位置を指して教える。
その留め具を外して下ろそうとしたところでふと思った。
今彼女が履いている下着は何だろう。私のか、それとも彼女のか。私の下着はどこへ消えたのか。
「あ、あの。」
彼女が口を開いた。どこか少し申し訳なさそうな弱弱しそうな声でそのまま続ける。
「何も言わず下着まで持って帰っちゃって、申し訳ありません。」
「まぁ私も好きなら持って帰っていいって言っちゃったわけだし。」
「そのぅ。」
む?そういうことじゃないの?
「また来る理由を作りたかったんです。」
消え入りそうな声でそう告白した彼女の頭を私は条件反射で抱き寄せると、ポンポンと頭を撫でた。
来たいと思ったら来ればいい。それだけじゃないの。
主だった理由がないのに来るな!なんて誰が言うのかしら。
そうでしょ?
彼女の瞳にそう訴えて、そのままゆっくりと手をおろしてスカートを下ろすと、手になじみのある感触があった。
と言う事は私の下着、みたいだな。うん。
「あぁ、そういえば貴女の下着だけどそれなら後で返却したほうがいいのかしら?」
思い出したうちにとりあえずそう言っておいた。
彼女は何だか恥ずかしそうに少し口ごもると、
「え、や、あの。どうしたらいいんでしょう。」
……とりあえず後で決めよう。別に急ぐ話でもないし。
彼女にいったんお尻をつけてもらってから私はあらためて彼女のスカートを引き抜いて、彼女のほかの服に重ねると
私の服の横へとその服を並べた。

よし。
改めて彼女に向き合って顔を見つめると彼女がにっこりと落ち着いた笑顔を見せた。
よくもまぁ、そこまで落ちつけるなぁ。私こんなに心臓バクバクなんだけど。
彼女がふと私の手を取って彼女自身の胸へとその手を置いた。
「私だってドキドキしてるんですよ?」
確かに私ほどじゃないけど凄い速さでトクトクと脈打つ感触が柔らかい胸の肉の向こうにあるのを感じる。
ふにふにと、そのまま当てた手でちょっと揉んでみる。
手のひらにぴたりとくっつく感触が心地よくて、揉みまわしたいのだけど
何だかどこかで良心のような何かが咎めてあまり強く触れないでいた。
「御自由に。」
彼女がぽそりと呟く。そういえば好きにしてみて、という話だったんだった。
私はいったん深呼吸して、再び彼女を寝かせるとそのままもう片方の手も空いている胸の方へとおろした。
ぴったりとくっついた手のひらから、彼女の鼓動と、熱い体温と、そしてじわりと漏れだした汗、
いやこれは自分の汗かな?とにかく色々と伝わってくる。
ぐっと指の力を少し入れてみると、彼女の胸に指がほんの少し埋もれた。
痛くないんだろうか。そうは思うものの、その感触が気持ち良くて、そのままぐにぐにと揉んでしまう。
頭上からため息のようなくぐもった息が、私の髪を撫でて流れる。
そのまましばらく手のひらで遊んでいると、ふと手のひらの中で少し硬い部分ができはじめた。
これは、乳首か。それでも柔らかくて、……薄桃色で。
高いなりにも落ち着いていた心臓が再び凄い速さで脈動しはじめて。
駄目だ、なんだか息まで早まっている気がする。彼女の息も最初に比べれば少しだけ、少しだけ荒い。
「ねぇ、ここ。」
ここは、さとりにとって気持ちいいの?
手のひらではなく指先でくりくりと撫でながらそっと彼女の顔を見つめると、
彼女が顔を真赤にしつつも小さく首を縦に振った。
何だかそれだけで私の心の中が満たされていくような気分だったのだけど、
どうせなら、もっと気持ち良くなってほしい。
私はごくりと口の中に溜まった生唾を飲み込むと、指で撫でている方ではないもう片方の胸へと、その先へと唇をおろした。

ちゅっという、私の濡れた唇の触れる音。
「んっ」
という、彼女が漏らした声。
それが重なって耳に届く。唇の先で軽く銜えた彼女の胸の先っぽは、
ちょっと弾力があるけれどとても柔らかくて、なんだか口の寂しさが紛れて……。
私は目を閉じて少し深く銜えこむと、思うがままにぢゅっと吸った。
ピクっと彼女の体が反応する。その感触が余計に私を何だか駆りたてた。
もっと反応する彼女が見てみたい。そう思って、舌先で少しずつ硬くなりつつあるそれを楽しみ見つつ、
周りの肉ごと楽しむように吸う。どこか甘い彼女の汗の混じった味と、不安にさせるような匂いが、
私を余計にかり立たせて。
すっと彼女の両手が私の頭に震えながらかかる。
私が吸う毎にきゅ、きゅっと私の頭を彼女が押さえて、彼女の味、そして匂いが広がって。
気が変になりそうってこんな気分を言うのかしら。でも凄く気分がいい。

あぁ、こっちばかりじゃ駄目よね。こっちばかり贔屓しちゃ。
私は口を離して、今度は反対側へと口をおろした。今まで吸い、そして舐めていた方を指で触れると
最初に触れたときとは思いもしなかったほどに硬くなった感触がこりこりと当たった。
はじめ頭に当てるだけだった彼女の手も今では抱えこむような感じになっており、
あたたかくて、気持ち良くなってくれているんだろうという事が伝わってくるのが嬉しくて。
自分自身も何だか心地よくて。たまらない。
「幽香、さん?」
恐ろしく湿っぽい、いや、これは艶っぽいというのか。
聞いたことないようなとけた声が耳元に届く。
「少し交代しませんか?私も、触れてみたくて。遠慮するつもりはないですけど。」
その言葉に私も唇を離す。ふと見上げた彼女の顔は久しぶりに眺めたというか、
まるで違う顔のように見えて。そのままキスしたくなるほどで。

そう思っていると、彼女がぐっと私の肩を掴んで、気がつくと視界が反転していた。
ぐるん、と仰向けに寝かされて彼女が私の上に重なる。
「あんなに嬉しそうに楽しそうに吸われると、こっちの気がおかしくなっちゃいそうで。」
彼女がぽりぽりと頬をかきつつ恥ずかしそうにそう答えた。
……思えばかなり私も気がとんでいたような気がするような、しないような。
解放されてから少しマシになったとでも言うのが正しいのかもしれない。
そう思っていると、彼女が私の腕へと手を伸ばした。
「良い?」
彼女が尋ねる。
「少しくらいなら痛くしても構わないから。私だって好きにしたんだし、好きにして頂戴。」
そう返すと、嬉しそうに一度笑って、彼女の顔が私の胸の間に降りた。
「ここ、落ち着くわ。」
胸に顔をうずめた彼女がそのまま喋る。どうやら私がしていた間に私自身が興奮していたからか、
私の乳首もちょん、と自己主張していた。それに喋った時に出る息が吹きかかって。
何だかまるで指で触られているように感じるほどで。
私は思わず彼女の頭に手を置いた。……気持ち良くしてほしくて。
私は欲張りなのかもしれない。好きにしてと頼んだ直後にはこうやって頭に手を置いて、
気持ち良くしてほしいと願っている。いや、これはわがままというより、変態なのかしら。
「私だって、そうです。」
私の胸をぎゅっとわしづかみにしながら彼女が答えた。
生暖かい手が当たるその部分の奥から、ピリピリとした感触が背骨を走る。
ゾクゾクとした流れが胸を包んでいるようで。
わしづかみにはしておきながら、そのまま優しく揉む彼女の感触がどこか物足りないながらも、
嬉しさと一緒に気持ちよさが体の中をどんどんと駆けずり回って。

そして彼女が私の胸の硬くなっている部分を口へと含んだ。
熱くそして強い舌の感触が、それを舐める。とたんに先ほどとは違うよりハッキリとした
ゾクゾクとした感覚がまるで背中の神経をそのまま撫でているかのように私の頭の中をかき乱した。
「大丈夫?」
彼女がそう言ったような気がする。うん、大丈夫。
だからもうちょっと強くても大丈夫だから、安心して。
そう心の中で呟くと、今度はハッキリと彼女が小さく笑う声が聞こえた。

そのあと、ぢゅっ!という粘着質な音が聞こえたのと、知らぬ間に私の体が跳ねあがったのは同時で、
最初は何だか分からなかった。ただそれはほんの一瞬、稲妻のような感覚とも言えそうなものが、
私の背骨から先までを走った。この位の気持ちよさかな、
なんて思っていたよりも何倍も気持ちが良くて、
というか何を考えていいのか分からないほどで。
彼女の方を見るとこちらの様子を窺っているようだった。あぁ、大丈夫よ?たぶん。
そうですか、とばかりに彼女の視線が閉じて、吸わないまでも舌先が私の胸の先をなぞる。
やはり彼女のそれも自然なものだったのか、私も気がつくとゆっくりと彼女の頭を抱えこんでいた。
このほうが心地が良くて。腕に感じる彼女の体温がどこか頼もしくて。
彼女が居るから、今ここでどんな事があっても耐えられそうな気がしてくる程だ。
「気持ちいいわ。」
声に出す必要はなくても、なんだかそう言いたい気分で。
ただただ、本当に心地が良くて。それを伝えたかった。彼女の舌が答えるようにぐりぐりと刺激する。

断続的にピリピリとした感覚が背中を流れる一方、お腹あたりが段々と変な感覚に襲われ始めた。
変な感覚、というよりもどかしいと言えばいいのだろうか。
気持ちいいのだけど、何だか少し切なくて。
「体が欲しがっているんですよ。」
唇を離して彼女が言った。……ずっと吸い続けていたからか、唇が紅をさしたように赤くなっていた。
口から離れた後なのにまだ舐められていた部分がジンジンして少し痛い。
そして胸の奥が、体の奥がむずむずとする。
「ここのあたり?」
彼女がお臍に手のひらを載せて押さえつつ撫でる。どこかそれだけでも少し気が楽になるんだけど、
もうちょっと、ちょっと下の辺りなんだろうとは思う。
「そう。」
彼女がふと手を離してそのまま私の手を握った。
「一応、聞いておきたいのだけど。」
「何?」
「この後、もうじゃれあいじゃ済まないかもしれないけど、怖くない?私止められないかもしれないわよ?」
彼女がおどけながらも真剣に耳元で言った。
怖いか、怖くないかで言えば何だか怖い。貰う気持ち良さに拍車がかかり、
自分ではもうあまりにも分からないことだらけの世界に来ているようなものだもの。
でも少なくとも今確かな事はある。
「どこか怖いけど、さとりがいまここで私の手を握っているんだもの。」
今はただその気持ちさえあれば。そのくらいの怖さなんて。
彼女が小さくうなずく。
「脱がすわよ。」
もはや疑問符なんてつかない彼女の言葉。下着にかかる指が、その感触が、
先ほど感じた感覚をゾクゾクとよみがえらせる。
なんだかいつもよりお腹から下の神経がむき出しになったかのように、彼女の指の感覚が手に取るように分かる。
足先から引き抜かれ、私の確認する間もなく彼女が服のあった方へとそれを片付けると、
再び私のお臍に彼女が手のひらを置いた。そのまま人差し指一本で、お臍から下を真っ直ぐ撫でて行く。
その指の行きつく先が、先日私がさとりを思って触れていた場所に行くというのは想像し易い事だったし、
何より。……そうしてほしくて。
苦しいほどのもどかしさと、体の奥が熱くなる感覚がその指が下がる旅に強く、上がって行って。
これ程までの期待感をかつて感じたことがあっただろうか。……少し恥ずかしくもあるけど。
いよいよ誰にも触らせたこと、自分でも滅多に触らない部分へと指が触れようとしたとき、
彼女の手がふと横にそれて太ももの上を走った。
期待を裏切られた私は思わず彼女の顔の方へと視線を向けた。
「いや、なんだか初々しかったのでつい。」
そうにこやかにほほ笑んだ瞬間、さっきまでゆっくり動いていた指が急に戻って私のお股を手のひらいっぱいに揉んだ。
くらりと、急に視界が回る。背骨をかけずるもの感覚もさることながら、
目の前の世界を認識し続けるのが少し辛いような感覚が襲う。
でも、体験したことがないそんな感覚が襲ってきているのに一方で
あぁ、やっと望んでいた感触が来た、というような感覚が身に起こったのはどこか私には不思議だった。

閉めるつもりも締めるつもりもないのだけど、自然と体が動いて私の太ももは彼女の両手をぎっちりと挟んでしまっていた。
「少しは楽になりました?」
彼女のもう片方の手が私のおでこを撫でて、そのまま顔に髪の毛を撫でおろした。
「あまり時間をかけるのも良くない、かな。」
彼女が少し悩んだようにそう呟くと、
彼女の手が中指一本を残して私の拘束から離れていった。
すりすりと、指を上下して撫でまわす彼女の指。上へ、そして下へと動いて行く度に、
体の中の熱がどんどんと大きくなって、何だか何かを考えるのが段々気だるくなって。
特にその、なんて言うんだろう。おまめさん?
「ここの事でしょ?」
彼女が私の割れ目の上部分にそっと指先をのせる。
それだけでも熱が増していくのがわかる。
「うん。」
「それじゃあ。」
彼女が指をそこに置いたまま、姿勢をずらして私の顔の前に自分の顔を持ってきた。
彼女が目を閉じて顔をおろしてくる。私も目を閉じて少し待つと、唇に彼女の唇が触れた。
ぎゅっと彼女が私の脇の下から体を押さえる。
私も彼女の背中に手を回した。
そのあとすぐだろうか。彼女の指が私の肉の中に埋没したかのような感覚と同時に、
この前見た雷が体の中に通っているようなそんな感覚が私の体全体をビクビクと震わせた。

視界は閉じているのにクラクラとして、彼女が私の体の上で跳ねあがる。
やり場のない体の興奮を押さえようと彼女を抱くと、やわらかい彼女の体が余計にそれを加速させた。
その間中、ぐりぐりと押さえ続けていた彼女の指がゆっくりと動きをとめて、
それに従って未だに言う事を聞かずに跳ね続けていた体に落ち着いてきて。
ふと気づけば全力で向日葵の中を走って来たくらいに息が酷く荒れていた。
「大丈夫?」
未だに視界だけはハッキリしない、というより開ける気力も何だかしないのだけど
私の腕の中にいる彼女がそう言った。うん、大丈夫なはず。死んでないよね?私。
「生きていますよ。勿論。」
そうよね。……でもなんだかもう感覚が、意識がハッキリしなくて。
次はさとりの番、なんだけど……。
ふわりと彼女が私の腕の中から抜けて行った。
力を失った腕がペタンとベッドの上に落ちる。もう体に力すら入らない。
駄目よ、まだ。まだ意識を手放しては!

ふわりと肩口から体全体をあたたかいものが覆う。
そんな、まだ終わってないじゃない。
「また今度でいいんですよ。自分の体の事、考えて。ね?」
布団に彼女が入って、そう呟くとまた彼女が私の髪を撫でた。
……だめだ、目も開けられない。
「ごめんね」
「謝る事ないわ。こっちだって楽しんでいたんだから。おやすみ。幽香さん。」
その言葉が私の聞いたその夜最後の言葉だった。


「朝冷えなきゃいいんだけど。」



外で雀の鳴き声が聞こえる。
どうやら夜は明けて朝になったのか。ふと目を覚ますとまだ外は暗く、太陽はのぼってはいないようで。
懐を見れば彼女が私の胸に埋もれて寝ていた。口が小さく空いて単調な寝息がすーすーとよく聞こえる。
そんなにここがお気に入りなのかしら。こんな緩んだ顔しちゃって。
「んふふ~」
夢の中でも考えていることが伝わっているのか彼女の顔が更に緩んでいった。

さてと。じゃあ、ちょっとだけ外すからね。
そう頭の中で軽く断りを入れて彼女の頭を支えると、体を引くと同時に枕を差し込んだ。
起きたばかりにしては、実に目が冴える。頭もスッキリしているし。
昨晩2回も寝たからこんな時間に目が覚めたのかしらね。
……でもちょっと寒いわね。
もう春だけど毛布持ってこようかしら。

部屋の中の引き戸をあけて毛布を出してくるまる。うむ。あったかい。
そのままくるりとベッドへ踵を返したとき、ベッドの隅に置いてあった畳まれた服が目に入った。
そういえば洗濯物干しっぱなしだわ。さとりにはあの布団にしばらくくるまってもらう事にして、私は部屋を出た。
早朝のやや独特のしんとした空気が床から足の裏を通じて伝わってくる。
途中、脱衣所へ寄り籠を腕に抱えると私はテラスへと出た。
幸い雨は降っていなかったためか、感触は凄く冷たいものの濡れてはいなかった。
風が無いとはいえ、部屋のベッドの隅にある服もきっと同じくらい冷えているのだろう。
でもこのままこの冷たさのを着せたくはないわね。後でどうにか温めておこう。
テラスから籠を持って降りながらリビングに立ち寄る。何だか少し喉が渇いて。
台所にそのまま立ち入り、流しを見ると綺麗にされた昨日使った食器が立てかけてあった。
……ちゃんと洗ってくれたようで。
同じように立て掛けてあったコップを手にとって水を注ぎ口に含むと外と同じくらいの冷たさが
身に沁み入る様に喉を駆け抜けた。うぅ、さむい。くるりと視線をリビングの方に向ける。
あぁ、私が倒れた時のままか。椅子がちょっと乱れている。
ふとテーブルの上を見れば、昨日彼女が持ってきたバスケットが目に入った。
空になったコップと新しいコップ。そして水差しを準備しお盆に載せると2つの籠とお盆を支えつつ部屋に戻った。


部屋が開けられないことはもう分かっていたので、そのまま入口の横に籠とお盆を置くと、
私はそっとドアを開けた。私が離れて寒かったのか、すっかりベッドの真ん中で布団を体に巻いてまん丸になっていた。
私はお盆と彼女のバスケットを机の上に置き、乾いた洗濯物をのせた籠から私の服を、ベッドの隅から彼女の服を取り出すと一旦
机の隅で畳んだ。
カーテンを少し開けて、その前に私の服を、その上に彼女の服を重ねて置くと、私はベッドに戻った。
ベッドに一旦寝てから丸くなっている彼女の上に毛布を重ねてかけると、じわりじわりと彼女が体を伸ばしていった。
……まるで水で戻した乾燥若芽のような動きのようだと思いつつも、それほどまでにやっぱり寒かったんだろう。
丸くなっている彼女の背中にくっつくようにして彼女の体の上に腕を回すと、彼女の顔が少し綻んだ。
私も、2度寝をするとしよう。おやすみ、さとり。
「おやぅみ」
緩んだ顔で彼女が答えた。


「幽香さん」
「朝ですよー。」
「……起きないなぁ。目ざめのキスでもいります?……駄目だ、うんともはいとも言わない。」
遠いような、近いような、誰かの声がする。
急にむにゅっとした何かが口に押し当てられて、意識を現実へと引き戻された。
あぁ、これは彼女の唇だろうか。でも、こんな感触だったっけ?
ゆっくりと私が目を開けると、私の口に彼女の指が2本重なっていた。
その向こうで彼女がにやにやと笑っている。
「おはよう。」
「おはようございます。」
「唇かと思ったわ。」
「残念指でした。ちょっと失礼しますね。」
そのまま唇に当てられていた指が目の前を通過し、私の額にぴっとりと手のひらが当てられる。
「これなら問題なさそうですね。凄いですねこっちの薬は。」
「滅多に使わないから分からないわ。」
「そうなんですか……。」
ゆっくりと体を伸ばしつつ再び彼女を見つめる。
「どうかしました?」
いや、別にどうだってことはないのよ。ただ、
「昨日は最後まで付き合ってあげられなかったなって。」
「いえいえ。」
彼女の頬が少し赤く染まる。いや、そこは私が赤く染めたいところなんだけど。
「初めてであそこまで積極的だったから嬉しかったくらいです。それに、」
彼女の指が再び額に当てられる。
「幽香さんを元気づける目的でしたんですから。幽香さんが楽しんでくれたら、私はもう満足だったんですよ。」
くすくすと笑う彼女。そういうものかしら。
「そういうものです。」
そう。

[ぐぅ~]

ふと、そんな音が布団の中に響いた。私のお腹の音かと思ったけれど、
彼女が頬を染めたので、おそらく彼女なんだろう。
「そういえばさとり、昨日最後に食べたのいつ頃なのかしら?」
「おかゆの味を調整したっきりですかね。」
それって殆ど口つけてないってことじゃないの。ということは朝以降何も食べてないも同然?
「まぁ、そういうことですね。」
「ごめんなさいね。」
「いえ、お気になさらず。」
「じゃあとりあえず、あれを食べましょうか。」
腕を布団から出して机の方を指さすと、彼女がこっちを見たまま
「なるほど、そうしますか。」
そう答えた。……私の頭の中読めるんだったらわざわざ布団から腕出さなくても良かったわね。
「でもどのみち体全部出す羽目にはなるんですよね。」
まぁそうなんだけどね。
「じゃあ、持ってくるわ。」
「いえ、私が持ってきます。そこまで準備してもらったんですから。」
「じゃあ、じゃんけん。」
「私には筒抜けですよ。」
回らない頭で放った一言に手痛い返事を返されてしまった。
まぁ、確かにその通りなんだけど。
「……じゃあ、任せるわ。毛布あげるから取って来て頂戴。ついでにお盆もね。」
「ありがとうございます。」
彼女がぐっと体を起こして、毛布を体に巻くと、毛布だけ体にかけていた私は寒かったので彼女の布団を引きよせて体に巻いた。
……ううむ、これはこれであったかい。彼女の匂いがするし。
「自分の匂いってのは自分じゃ分からないものですねぇ。」
昨日も言われたような気がする。まぁ私も自分の匂いは分からない。
ゆっくりと上半身を起こしてベッドの上に座ると、戻ってきた彼女も私の横にくっついて座った。
肩の後ろから毛布が私の体を包む。
「ありがとうね。」
「いえいえ。膝の上、お借りしますね。」
私の膝の上に彼女の持ってきたバスケットが、彼女の膝の上にお盆が置かれた。
「開けて良い?」
私が聞くと彼女が2つのコップに水を注ぎつつ
「勿論。」
そう答えた。バスケットのカバーを外して中を覗き込む。すると中にはまた布をかぶせたお皿が載せてあった。
それを取り出して、膝の上のバスケットと入れ替える。こうしてみると結構深い皿だ。
上にかぶさっていた布を取る。
「これはこれは。」

中にあったのは小粒なクッキーの山。キツネ色の肌の上にチョコで彩られている。
いやそれよりも、これは……
「向日葵の花ね。」
「ええ。初めて会えた場所ですし、幽香さんそのものですし。」
そう言えば最初にあったのは向日葵畑の中だったか。
「私自身ってのは?」
「向日葵の茎も、幽香さんも真っ直ぐじゃないですか。」
「私は相当ひねくれてると思うけど。」
「昨日のベッドの上でそう確信しました。……いや、作る時からもうこれを作ろうって考えていたんですよ。」
彼女が少しもじもじとしつつコップを私に手渡す。
「私あまり器用ではないですから。これなら作れそうだなと。」
これだけできていれば十分な腕だと思うのだけどね。
「あぁ、それはあの。えっと、うちの猫が作った方、です。」
「さとりの作ったのは?」
「もうちょっと、下の方。」
「じゃあ楽しみにしておくわ。」
「うぐぐ……。」
お皿を二人の間に置いて、ひょいと一つつまみ、口に放り込む。
冷えていて冷たいけれど、ゆっくりと溶け出すチョコがクッキーに混ざり甘くて自然と喉を通っていく。
彼女も一つ口に放り込んでコリコリとかみ砕いて行く音が聞こえる。
「美味しいわね。」
「そう言ってもらえれば何より。」
……まだ自分のじゃないからってそう硬くならなくても。緊張していたらせっかくの味を楽しめないわよ?
横で少し恥ずかしそうな悔しそうな顔をしながら彼女が手に持っていたコップの水を飲んだ。

何個か食べたころだろうか。
確かに今まで食べていたものとは形の少しだけ違うクッキーが出てきた。
「……。」
「な、何か言って下さいよ!」
「良いじゃない。」
私がそう言うと彼女が何か悔しそうに身悶えした。
「さとりが彼女の横で四苦八苦しながら頑張って作っている姿が想像できるもの。
それだけでより特別美味しく感じることが出来るんだからいいじゃない?」
続けてそう返すと、納得いかないという顔はしつつも彼女の肩がゆっくりと元の位置まで戻った。
「そう言ってくれれば、何より。」
「美味しいからいいのよ。」
「結局はそれですか。……お菓子を作ろうって言いだしたのは彼女なんですよ。」
彼女も自分が作ったクッキーを口に入れながら呟く。
「家に帰った時他にも言われましてね。[違う誰かの匂いがする!]って。
問い詰められましてね。こっちでお友達ができたって伝えたら、少ししてお菓子を作ろうと持ちかけられました。」
そういう事があったのか。さしずめその猫は恋のキューピッドなのかしらね。
「運ぶのが恋だけだったら、素敵なんでしょうけど。」
「というと?」
「いつかお話します。」
彼女が私のコップに水を注ぎながらそう言った。
こつん、と指先がお皿の底を叩く。ふと見降ろすと、最後の1個が隅っこに残っていた。
ひょい、っと彼女が最後の1つを拾い上げ、こちらを向くと口を開ける。
促されるままに口を開けると、すっと口の中にクッキーが放り込まれた。
「御馳走様。」
「おそまつさま。」


「さて。」
コップに残った水や水差しの水を飲み干して、ゆっくりとベッドから身を起こす。
もう外は日が昇ってすっかり朝だ。そのままベッドの脇を通り、机まで行って服を取るとベッドまで戻った。
「着替えましょう?」
ぽん、と彼女の横に畳んだ服と下着を置いて私は立ったまま着替えた。
「あったかいですね。」
ふと視線を動かすと彼女が頬に自分の服を押しあてながらたちあがっていた。
……それなら問題ない。
私が着替え終えて、彼女も半分程着替え終えたころ、
「あ!」
彼女が急に素っ頓狂な声をあげた。
びっくりしてそちらの方を向くと、彼女が自分の下着を持ったまま固まっていた。
な、何か不都合があったかしら。もしかして生地傷んでた?
「いや、その。幽香さんのあの下着、結局どうすればいいんでしょう。」
あぁ、その話題か。
「好きにしたら良いんじゃない?判断任せるわよ。」
「うーん。」
恥ずかしそうな難しそうな顔をしつつ、彼女が眉間に皺を寄せる。
「私が泊りに行った日用にでもする?」
適当に私がそう呟くと、パッと顔が明るくなった。……それでいいのか。
「お泊りに来てくれるんですか!」
そっちで受け取ったか。
「行っていいなら何時かお邪魔するわ。でも、さとりの家をまだ知らないからいつか案内してね。」
「ええ。まぁ、地底に入って[地霊殿はどこ?]って聞けば、道は分かるかもしれないですけど。」
「地霊殿ね。……殿?お屋敷なの?!」
「そんな大逸れたものでもないんですが、一応はそういう名前の建物です。」
「そ、そうなの。」
あぁ、ビックリした。
「でも、まぁ。さとりに案内されていくのが一番よ。」
「じゃあ今度都合の良い時に一緒に行きましょう。」
「そうね。まぁ私はほぼ年中通して暇を持て余しているようなものなんだけど。」
くすくすと彼女が笑う。
「私もです。」
まぁ、実際妖怪ってそんなものよね。
働く者もいるけど、そうじゃないものもいる。

とりあえず彼女に私の下着と、ついでにワイシャツ以外の私の服を彼女に預けた。
「これは?」
「先に全部渡しておけば手ぶらで行けるじゃない。」
「それもそうですね。」
「あと、これも。」
部屋の隅に置いておいた、薔薇の花束。そして花瓶を彼女に手渡す。
「貰って、良いんですか?」
「ええ。さとりにあげたものだし、その花瓶もそうするつもりだったの。」
「向こう、太陽が無いのであまりお世話できないかもしれません。」
「そうね。だから私が面倒見に行かないといけない。近いうちに。」
「……そうですね。」
少し、嬉しそうに彼女が受け取った。
「ではとりあえず私はこれで帰りますね。」
「クッキーを一緒に作ってくれたその子によろしく伝えてくれるかしら。」
「ええ。伝えておきます。」
「向日葵畑まで送っていくわ。」
部屋の隅に置いてある傘と、彼女の荷物を少し持って、ドアへと導く。
「ありがとう。」

そのまま彼女と並んで玄関まで歩く。こうして見れば案外私の家の廊下って狭いものね。
玄関で二人靴を履き、扉を開けると弱い風が玄関の中へと届いた。
「あったかいですね。」
「そうね。これなら洗濯物も乾きそう。……今はないけど。」
そのまま二人で玄関を出ると、私は扉を閉めて傘を開いた。
彼女も入れるように近づいて、一緒に地面を蹴る。
……正直な話を言えば家から向日葵畑が終わるまでの距離がもっと長ければいいのに、と思う。
「これなら眩しくないですね。」
私のすぐ横で肩を並べている彼女が呟く。
「こういう風にこの傘に誰かが一緒に入ってくれるなんて、最初は思わなかったわ。」
「前にも入りましたよ?」
「あれはまた別よ。」
「そんなものですか。」
「そんなものよ。」
変なやり取りをしている間に、畑の終わりが見えてきてしまう。
「そんな、今生の別れじゃないんですから。」
彼女が苦笑いしながら横で笑う。まぁそうなんだけど。
ぴたり、と彼女が進むのをやめて空中で立ち止まった。
「この辺で。あまりに真剣に分かれ場所決めると、無駄に悲しくなりそうですから。」
……気を使わせてしまった。
「そう。じゃ、また近いうちに。」
「ええ。こちらから、また。出向きます。」
彼女に私が持っていた荷物を手渡して、軽く手を振る。
「またね。」
「ええ。」
彼女も手を振り、ぴたりとその手が止まる。
「幽香さん。今なら良い笑顔してますよ。」
「そう。」
鏡無いから確認もできないわね。
「では、また。」
くるりと向きを変えると、彼女は眩しい空の中荷物を抱えて帰って行った。

その背中を見送って、私も背を向ける。
自宅へと帰りながらふと顔を上に向ければ、傘の骨が見える。
昔から、今も、これからも使っていくんだろうけども
これからはまた新しい使い方ができるのかと思うとどこか少し、私の心が躍った。
拝啓

読者様へ。また脱字があるかもしれません。
一応ソフトで確認はしたつもりだけど、もしあったら申し訳ありません。
何だか珍カップを書いたものは普通のカップリングが
普通のカップリングをかくと珍カップを書きたくなるという衝動を抑える事ができません。
でも、正直を言うと、抑えるつもりはありません。

敬具

追伸
Q:空が出てない?
A:幽香と衝突しそうだったので。

誤字報告ありがとうございました。
修正しましたので、こちらにて報告とさせていただきます。
5/15 17時
あか
コメント




1.名前が無い程度の能力削除
面白かったです
組合わせとしては異色のカップリングだと思いますが、きっとこの話のテーマらしい物を表現できてる気がします
個人的にはどちらも気弱なんだけど段々と相手を求めていくのが純愛らしくて好きでした
こういう幽香もいいですね!
2.喉飴削除
あかさんの新作きた! 珍しい組み合わせでしたが、二人の初々しさで何度口から砂糖が出たか……
ただ一つ、誤字報告を。
×古明寺→○古明地
3.n削除
珍カップルですが、うまくまとめられてることがすごいです。
クッキーなんて目じゃないほど甘い作品でした。
4.名前が無い程度の能力削除
これは素晴らしい・・糖尿病になりそうだ。
幽香受けってのも珍しいけど、案外ハマり役ww
次回作も期待しております
5.名前が無い程度の能力削除
実は寂しいゆうかりんか・・・これは中々良いものだ・・・。
6.名前が無い程度の能力削除
かっわいいよっゆうかりん!
いやぁ~さとりの能力を上手いこと使った文章でした。

地霊殿に花の世話をしに行くゆうかりんもゼヒ見てみたいです。
7.名前が無い程度の能力削除
かっわいいよーかっわいいよーゆうかりんり~ん♪(スキマ
弱気な幽香もいいものだ。地成分もあって充実。
8.名前が無い程度の能力削除
傷の舐め合いってのはどうしてこうも来るシチュエーションなのだろう。